「まぐまPB9 アニメの声と音と音楽と」が完成しました。

 私は、エッセイ「体験的〈冨田勲〉鑑賞記 冨田勲が教えてくれた」とコラム3編を寄稿しました。エッセイはブログに書いた訃報記事を基に大幅に加筆したものです。
 12月27日より以下の書店で直販されています。

 ・タコシェ(中野) 
 ・模索舎(新宿) 
 ・夢野書店(神保町)
 ・ブックカフェ二十世紀(神保町)

 また、通販も行っております。

 ・蒼天社通販
 

 ご興味あれば、ぜひご購入のほどお願いいたします。


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A5判・定価 本体500円+税
制作:STUDIO ZERO/発行:蒼天社/発売:開発社
ISBN978-4-921214-33-3 C0079

目次:
 わたしの「女性声優」史-「メーテル」発「のだめ・閻魔あい」経由「暁美ほむら」着/小山昌宏 初見智子
 耳で語るアニメーション/足立加勇
 多様なコミュニケーションを表現するポケモンアニメの鳴き声/坂口将史
 アニメーションと効果音について/荻原 真 
 シネマ・レビュー チロヌップのきつね/新井啓介 
 我が思い出の第三次声優ブームとその周辺/鈴木真吾 
 CINEMA REVIEW WXⅢ PATLABORTHE MOVIE3/新井啓介
 アニメの音って何だろう? 効果音から考えるアニメの音/小山昌宏 初見智子
 ブックレビュー 作曲家・渡辺岳夫の肖像/新井啓介
 宮駿駿監督作品における「無音」について/小池隆太
 体験的〈冨田勲〉鑑賞記 冨田勲が教えてくれた/新井啓介
 KOKIA「動物の音楽会」によせて-「けものフレンズ」へのシンクロニシティ/小山昌宏 
 洋楽・オン・アニメ/鈴木真吾 
 彼女たちのジブリ・ヒロイン-「宮崎駿と高畑勲」作品の女性像が問いかけるもの/小山昌宏
 進撃の巨人?暴力が支配する世界システムの果てに=イメージの「壁」がリアルな「壁」を出現させる原初的暴力/小山昌宏




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 6月は週末にイベントが続き、その準備、運営、片付けで毎日が怒涛の忙しさ。一息つける連休は名画座通い。
 休みの昨日は、映画鑑賞はやめて鎌倉に行ってきた。
 雨に濡れた紫陽花に心がなごむ。
 (このまま続けます)

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 昨晩、地元シネコンのレイトショーで「孤狼の血」鑑賞。
 今日は先週同様、朝ラピュタ阿佐ヶ谷へ。モーニングショーで「黒の挑戦者」を、午後は神保町シアターに移動して「赤頭巾ちゃん気をつけて」を観る。
 夕方は新宿・末廣亭の夜席へ。特別出演の談四楼師匠が目当て。個人的には久しぶりの師匠の高座だ。「人情八百屋」、格別な味わいだった。

          * * *


2001/03/26

 「徳川三代 家康・秀忠・家光」(童門冬二 他/中公文庫)  

 図書館から借りてきたのだが、しおりの代用としてページの端の所々に折られた跡があって始終不愉快だった。公共の本の(個人的には自分の本だって傷つけるのが嫌いだから)こういう取扱いは許せない。しおりなんてものは何だって代用できるのだ。使い捨てのメモでも折りたためばいい。どうしてもなければ、ページ数くらい暗記しておけ!   

 昨年の大河ドラマ「葵 徳川三代」の復習として手にとった。  
 〈忠臣蔵〉関係本を漁り初めてからというもの興味の対象が江戸時代全般に変わってきた。これも大河ドラマの影響である。
 久しぶりにチャンネルを合わせた「八代将軍吉宗」がやたら面白く、以降江戸時代を舞台にしたドラマは必ず観るようにしている。そんなわけで、謎の絵師・写楽、上杉鷹山とともに、享保の改革時代(八代将軍吉宗)、幕末(徳川慶喜)と対象が広がってきた。  
 「元禄繚乱」の後、2年続けて江戸時代ものというのは少々つらかったが、「吉宗」で斬新な語り口を見せてくれたジェームス三木の脚本でははずせない。
 
 「葵 徳川三代」はつまるところ「吉宗」同様、出来の悪い長男と出来のいい次男のどちらを跡取りにするのか、苦悩する父親・秀忠の姿が印象的だった。役者が同じ(西田敏行)だからなおさらだ。「葵」は長男が将軍になった後の兄弟の確執も加わった。  
 これまでどういうわけか家光は名将軍だとばかり思っていた。長い間3代目がしっかりしていたから徳川幕府は安泰になったと理解していた。しかし、「葵」に登場する家光は幼少時からおかしなところがあり、成人しても何ら変わりない。  
 本書でも会田元京都大学名誉教授が「売家と唐様に書く三代目」で〈彼は人物でも何でもない。愚か者ではないかも知れないが、せいぜい高く見て平凡人だ〉と切り捨てている。他の著者が多少なりとも家光を持ち上げているが、僕はこの論が一番的を得ているような気がする。
 
 さて、〈天下分け目の人間模様〉の題名の巻頭対談(司馬遼太郎・原田伴彦)で始まる本書は歴史研究家、学者、作家たちがそれぞれの家康論、秀忠論、家光論を展開している。その他の家光論では作家・村松友視の自身の幼年時代と重ねあわせて家光を語った「父を消した男」が印象深い。  
 また、童門冬二の「家康 建前の人」も戦国を終焉させた家康の情報戦略を現代と比較してわかりやすく説明している。



2001/04/04

 「ビートルズを笑え!」(中山康樹/廣済堂出版)  

 昨年はビートルズが解散して30年、ジョン・レノンが死んで20年の節目の年、おまけにシングル盤を収録した新アルバムがリリースされたこともあって、ビートルズ関連のムックや特集雑誌が数多く書店に並んだ。1冊くらい購入しようと思ったものの帯に短したすきに長しという感じだった。  
 
 ビートルズの映画デビュー作「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」がリニューアル版「ハード・デイズ・ナイト」として公開され、もう一度彼らの楽曲について復習しておきたいなあと思っていた時に何げなく図書館で見つけたのが「ビートルズを笑え!」だった。
 タイトルどおり大いに笑えた。特に〈シングル編 ストロベリー・フィールズがペニーレインだったころ、みんなバカだった。〉はビートルズのシングルをリリース順に取り上げ著者独自の視点による解説が爆笑もんなのだ。堀井憲一郎ばりの一人ツッコミ一人ボケが何とも愉快、痛快。注意書きどおりたぶんにフィクションも含まれているのだろうが、底辺部分はみな真実なのだろう。

 アルバム編になるとタイトルこそ〈『プリーズ・プリーズ・ミー』が『ステレオ!これがビートルズ第1集』だったころ、やっぱりみんなバカだった。〉だが、内容はぐっとシリアスになる。
 アルバムの変遷を色に結びつけた考察が新鮮だ。「ア・ハード・デイズ・ナイト」まではモノクロ、「フォー・セール」で何色か加わるがまだモノクロに近い。「ヘルプ」で色が増し、モノクロから遠ざかり、「ラバー・ソウル」で色が複雑に混ざり合う。そして「サージェント・ペパーズ…」ですべての色がでそろってオールカラーに。そうなれば次はキャンパスを白く塗りつぶさなければならない。だから「ホワイトアルバム」。

 「レット・イット・ビー」からビートルズに入った僕としては、「レット・イット・ビー」あるいはフィル・スペクターを認めない著者の姿勢に少々悲しくなるが、マニアの本音はそんなところだろう(実際、ビートルズの各アルバムを聴けば気がつく)。
 映画「レット・イット・ビー」のアップル屋上でのライブに歓喜した僕としては、特に「アイブ・ガタ・ア・フィーリング」はまさしくジョンとポールの合作、レノン=マッカトニーの作品ではないかと、「ゲット・バック」以上に感動した者として著者の評価にはつらいものがある。

 そういえば本書でもそうだし、アルバムのライナーノーツにもレノン=マッカトニー名の楽曲をそれぞれジョン、ポールと分けて記している。レノン=マッカトニーは表記上だけという感じだが、ではふたりの印税はどう配分されているのだろうか。誰かこの問題を深く追求してくれないだろうか。




 6月はBC二十世紀がイベントラッシュで週末がとんでもなく忙しくなった。
 その疲れで家でPCを開けない。いや、開けてはいるのだが、何もしたくない。ブログのUPなんてとんでもない。
 まあ、休みの日にやればいいのだが、今週は2日とも阿佐ヶ谷のラピュタ(とユジク)に通った。両日とも2本鑑賞。
 詳細は別項で!

          * * *


2001/03/19

 「あの頃マンガは思春期だった」(夏目房之介/ちくま文庫)  

 マガジンハウスから出版された「青春マンガ列伝」を改題した文庫版。単行本はすでに読んでいる。  
 今回は表紙がいい。たぶん著者の書斎にある本棚なのだろう。昭和40年代頃の漫画雑誌が無造作に並んでいる。「COM」{ビックコミック」「ガロ」「劇画マガジン」「ボーイズライフ」。池上遼一・平井和正コンビの「スパイダーマン」のコミックスも見える。ううっ、涎が…読んでみたい!  

 マンガをとおしての著者の自分史、青春記である。  
 著者が小学6年12歳の時に石森章太郎「少年同盟」に出会ったところから始まって、漫画家として何とかその道が開ける目安のつく20代前半、鴨川つばめ「マカロニほうれん荘」で終わる。  
 「サイボーグ009」連載時のラストは印象深かった。宇宙空間に飛び出た009と002が敵を倒した後、力つき流星となって地球に落下する。日本のどこかでその流星を見た母娘は願い事をとなえる……というとてもリリカルな心に焼きつくものだった。  
 このエピソード、実はブラッドベリ「刺青の男」のパクリなんだそうだ。著者の友人はこのラストで大泣きして、後にブラッドベリを読みがっかりしたと著者に語っている。著者もそのことを認めつつ、あの時代('60年代)はそういうことがまかりとおっていたとあまり言及していない。「刺青の男」がどういう物語なのだろう。

 ヒーローもマスターベーションすると自身の経験とともに語られる池上遼一の「スパイダーマン」。このマンガは月刊少年マガジン連載第1回をリアルタイムで読んでいる。当初はオリジナルを日本版にしただけの内容だった。しばらくして読んでみると原作に平井和正がクレジットされ、ストーリーが完全に悩めるヒーローになっていてびっくりしたのを覚えている。当時このマスターベーションのくだりを読んでいたらショックを受けていたのではないか? というよりわけわからなかっただろう、たぶん。「スパイダーマン」はちゃんとコミックスを読んでみたいと切に思う。池上遼一作品として、「I・飢男」とともに忘れられないマンガなのだ。  
 それから著者がこだわっている宮谷一彦作品も一度読んでみたい。高校時代、真崎守の青春劇画にはまった者として何かしら得るものがあるだろう。  

 改題の「あの頃マンガは思春期だった」は内容を的確に表わしているとは思う。が、僕としては「青春マンガ列伝」の方がいい。著者側に立った書名か、マンガ側かの違いなのだ。これはあくまでも著者が青春時代に触れたマンガ群だろう。


2001/03/21

 「ホンモノの文章力 自分を売り込む技術」(樋口裕一/集英社新書)  

 かつて文庫本ブームというのがあっった。それまで岩波、新潮、角川、旺文社(今は廃刊)ぐらいしかなかった文庫が今では各社出すのが当たり前のような状況になった。  
 文庫の次は新書とばかりに、昨年あたりから新書ブームが巻き起こっている。文庫の時と同じように各社参入である。文春新書、集英社新書、宝島新書、PHP新書等々。この新書が書店の棚に並んでいると知的心をくすぐる書名をみかけるものだ。  
 文章読本モノだとどうしても手にとってしまう。  
 少しでも文章を書く際の知識になればと、これまでもさまざまな文章読本を読んできた。だからといって、いい文章が書けるわけもないのだが。ま、これも一つの趣味といえるかもしれない。  

 本書を図書館で見かけた時、副題の〈自分を売り込む技術〉とは何かという興味がまずわいた。  
 著者はまったく知らない人だったが、翻訳家で学生たちに小論文の書き方を教えていてかなりその道では有名な講師だとのこと。  
 つまり小論文でいい点数を稼ぎ、大学に合格すること、それが自分を売り込む技術だということだ。  
 内容は小論文の書き方に一番ページ数を割いており、次に作文、エッセイの書き方、手紙・eメールの書き方と続く。  
 学生時代小論文なんて書いたことがなく、だから逆にその書き方に仕事上の通じるものを感じた。小論文にはフォーマットがあって、それに乗っ取って書けば容易であると。それが「Ⅰ問題提起 Ⅱ意見提示 Ⅲ展開 Ⅳ結論」。  
 この結論に達するまで僕自身が一番印象に残ったのは欧米人のディベート方法を解説するところ。  
 ある意見に対して3つの問題点がある、と言いながらその人は2点しか反論しない。つまり「あなたの意見に関して3つの問題点がある」という言い回しは決まりきった文句で、問題点の数に頓着しないらしい。というか、問題点は後から考えるとのこと。こういう論法を覚えておけば僕も〈できる人〉に見えるのかしらん。  

 ちなみに作文・エッセイのフォーマットは「Ⅰ予告ⅡエピソードⅢテーマⅣまとめ」。eメールには左詰、段落は1行空け等の独自の作法があるとのこと。




 小林信彦が週刊文春に連載しているエッセイ(連載開始時は「人生は五十一から」、途中から「本音を申せば」に改題)では、たびたび時の政権を取り上げ、「戦後最悪」と書いている。首相が代わるたびだから、どんどん最悪度が高くなっているというわけだ。そこまでは……と苦笑せざるを得なかった。
 ただし、現政権、安部首相は最低最悪だ。本当にそう思う。最近では顔を見るのも声を聞くのもうんざりしている。

 最初首相になったときは特段嫌悪感はなかった。もともと自民党は嫌いだし。これまで自民党には一度も投票したことはない。
 ちなみにこれまで最低最悪だと思うのは麻生首相だった。この人ほどのバカはいないのではないかと思っている。最近の言動を見ても自分の考えが間違いでなかったことがわかる。現政権はこの人がNO.2なのだから、そりゃ最低最悪だわな、やっぱり。

 第二次安倍政権になってから見る目が厳しくなった。
 集団的自衛権を容認するあたりからか。
 数の力でものごとを進める、憲法の解釈を歪める、なんて愚の骨頂ではないか。

 決定的だったのは「緊急復刊・朝日ジャーナル Journal」の「池上彰✕原寿雄 安部政権マスコミ支配」を読んだときだ。
 最近のジャーナリズムはだらしない、という話からこんな話を披露する。
 安部政権になってからというもの、自民党は(TVの)ニュース番組をすべて録画して細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め注文をつけてくるという。ゆえに、TV局は「面倒くさ」くなり、「文句を言われない表現にしようか」となる。
 それまで権力を持つ側は「メディアに圧力をかけてはいけない」が共通認識だったという。政治家はメディアから批判されてもいちいち文句を言わなかった。「政治家は抑制的であるべきだ」との認識を持っていたからと。

 トラブルが面倒になったらジャーナリストは後退する、「この権力野郎!」という意識ぐらいでの気持ちで仕事をし、その結晶で報道が生まれるようでないと。
 そう原寿雄が言うと、池上彰が応える。
 ある番組で、安部首相の映像がテレビで流れている時に、技術的なミスで違う映像が入ってしまった、すると「安部政権を貶めようとしている」と言わんばかりの抗議がくる、明らかに技術担当者のスイッチミスで、番組でも訂正と謝罪をしているにもかかわらず。特定秘密保護法についてテレビで批判的な解説をした時も、すぐに役所から「ご説明を」と資料を持ってやってきた。
 メディアへの抗議は第1次安部内閣の時に増えたが、安部さんが辞めたらパタリとなくなった、その後の政権時代も抗議が大量にくることはなかった、それが第2次安部政権になってまた復活した……。

 〇ん〇ま、小せぇ。




 承前

 岸野さんが後藤さんに「立って暗譜で歌って」と言われたこと。
 この後藤さんの言葉を耳にしたとき、暗譜をアンプと頭で変換してしまい、僕が「アコースティックギターなのになぜアンプ使うの?」なんて思ってしまったことはこちらに置いておくとして。

 立って暗譜で歌う……このスタイルは後藤さんのポリシーだ。
 まだ、赤い鳥の時代、「新譜ジャーナル」だったか「guts」だったか忘れてしまったが、メンバーのインタビュー記事を立ち読みしたことがある。この中で後藤さんが譜面台を置いて座って歌うシンガーを批判していた。「わあ、吉田拓郎批判している!」と思ったものである。実際にインタビューで名指ししていたかどうかは覚えていないけれど。
 思えば、当時、譜面台を前に座って歌うのはフォーク歌手の一つのスタイルだった。ソロ歌手の場合、特に多かった。

 立って歌うのは当然だと思う。
 というか、立たないと歌えない歌がある。カラオケは基本座っているが、これぞというのは立ってしまう。一人カラオケでも、だ。「私は風」なんて立たないと声がでないもの。
 シネカラ第2回で、参加した女性から僕の歌う「檸檬」がさだまさしっぽくなくて新鮮と言われて、気を良くして第3回は「防人の詩」を披露した。さだまさしは「ほおずき」(これはグレープだけど)、「飛梅」、「檸檬」しか歌ったことがなく、かなり練習した。当然「防人の詩」は立って歌った。
 声楽の専門家ではないので詳しいことはわからないが、立って歌う方が腹に力が入って声がでるのではないか?

 暗譜に関しては、後藤さんのインタビューを読んでからというもの、人前で何かを発表するときは暗記を心がけるようになった。
 とはいえ、昨年、歌詞を記載したメモを目の前に歌った。これは僕がギター小僧でないことでお許しいただきたい。ただし、しゃべりについては、前述の心がけが頭をかすめるのだ。

 前回、思っていることの半分もしゃべれなかったので、今回は文章にした。にもかかわらず、パフォーマンスは完璧とはいえない出来だった。
 しゃべりのところは目の前に文章があるにも読んでいないのだ。後藤さんの教え(?)が頭をかすめ、できるだけ自分の言葉でしゃべろうと思ってしまう。

 「砂絵」の朗唱はまあまあだったか。
 予定が狂ったのはすぎたさんのギター演奏だった。アルバムでは大村さんがエレキギターが奏でているのだが、それをすぎたさんにアコースティックギターでやってとお願いした。カスタネットは自分で買ってアルバム聴いて練習してらしくできるようになった。が、リハーサルのときすぎたさんのギターの音色があまりに美しすぎることがわかった。カスタネットの入る隙がない。結局本番では手には持っていたが一回も叩かず。

 「尺取虫」は同じところで音をはずすヘマをした。練習ではなんでもなかったのに。

 ということで、終わってからこう締めくくった。

 ありがとうございました。
 来年は「スタジオライブ」を取り上げ、「エーメン・コーラス」やりたいと考えております。といっても一緒にうたってくれる3人がいないとダメですが。


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 この項続く






 承前

 さて、パフォーマンスは僕を含めて9名(組)が参加した。

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 1.岩田さん/フラダンス 「カナナカ」「見上げてごらん夜の空を」
 
 1番バッターは岩田さん。毎年、フラダンスを披露している。フラダンスを習っているんですね。フラダンスは集団で行う。原則ソロはないのだそうだ。教室では先生が手本を見せるときはソロなんだろうけれど。いつかお仲間と一緒に踊ってくれないかしら。


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 2.佐々木さん/弾き語り 「古いオルガン」「いかつり唄」

 「古いオルガン」は紙ふうせんのセカンドアルバム「愛と自由を」のB面3曲めに収録されている。原曲はアメリカ民謡で後藤さんが作詞している。懐かしさが胸にしみます。
 「いかつり唄」は赤い鳥のラストアルバム「書簡集」、紙ふうせんのファーストアルバム「またふたりになったね」に収録。紙ふうせんのデビューシングルでもある。


 3.新井 朗唱&歌唱 「砂絵」「尺取虫」

 これは次項で。


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 4.竹中夫妻/弾き語りデュエット withハーモニカ 「初恋の人に似ている」「少年の夏」

 昨年から参加しているご夫婦。昨年は「竹田の子守唄」を披露して、その後、本物を聴いてなんと恐れ多いことをしたのか!と反省、今年は他の歌手の楽曲を取り上げたとか。「初恋の人に似ている」はビリーバンバンの曲、あれ、「少年の夏は」は誰だっけ?


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 5.岸野さん/弾き語り 「虹」

 毎年参加している岸野さん、いつもは2曲歌うのに、今年は1曲のみ。紙ふうせんのステージでは必ず披露される「虹」。後藤さんから暗譜、立って歌って、とアドバイスされるが、楽譜を見ながら座って歌っていました、はい。紙ふうせんバージョン同様、冒頭「オーバー・ザ・レインボー」を(英語で)歌ったのだが、終わってから平山さんからthの発音に気をつけてと言われていました。


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 6.中村さん/朗読 「ロージン」 東直子「とりつくしま」より

 昨年も朗読で参加。朗読の教室に通っているみたいですね。さわやかな声で軽快に読了すると静かな感動が会場を包みました。


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 7.片山さん/歌唱 「風の翼に」

 毎回、紙ふうせんの歌で参加している片山さんですが、今回はエントリーしてなかったみたい。会場で知ってあわてていた。
 「風の翼に」はNHKの銀河テレビ小説「幸福駅周辺」の主題歌。山田太一のシナリオなのに僕はまったくノーマーク。当然、紙ふうせんが主題歌を担当していることも。


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 8.山本さん/歌唱 タイトルチェック忘れました

 山本さんはFCの元会長。詳しい経緯は知らないけれど一度退会しているんですね。もう何年前でしょうか。なので、会場にいらっしゃって驚きました。山本元会長は初期のパフォーマンスに参加していて、そのときもアカペラだった。今回は伊藤ゆかりのコンサートで聴いて感動した15分以上に及ぶ歌をアカペラで披露した。兄の事故死をうたったもの。


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 9.池田さん/弾き語り 「木の葉揺れるままに」「さくら独唱」 

 池田さんはシークレットライブ第1回のパフォーマンスから参加している。ちょうどすぎたさんが講師をつとめるギター教室に通いだしたころで、緊張のため、本番前にビールを飲み過ぎてメロメロな演奏&歌唱となってしまった。回を重ねるごとに腕をあげ、今回はもうベテランの味。トリをとるのにふさわしい。後藤さんは歌い終わって「どうも」と言ったときの余裕さに場数を踏んでいるなあと言っていました。 

 この項続く




 承前

 あわててすぎたじゅんじさんに連絡とった。
 実は昨年最初はすぎたさんに「誰が鳥を」のギター演奏をお願いしていた。すぎたさんは後藤さんの大学(京都外語大)の後輩。後藤さんが設立したアメリカンフォークソング部に所属していた。同じ部の方とデュオを組んで活動していたところ、そのライブを観た後藤さんに声をかけられてあるときから紙ふうせんのバックを担当するようになった。
 後藤さんの二世代下、僕より一世代下だから、赤い鳥については何も知らない。もちろん赤い鳥のメジャーな曲は知っているが、「誰が鳥を」なんて知るよしもない。

 すぎたさんはシークレットライブで歌唱のみの方、あるいは弾き語りのギターアシストでパーフォーマンスになくてはならないミュージシャンだ。

 昨年は、赤い鳥のアルバム「祈り」の紹介&解説が目的で、歌唱は二の次だったので、とにかくギター演奏をしてもらえればいいと会場に到着するまで思っていた。到着すると、佐々木さんがギターを担当するという。佐々木さんは赤い鳥時代から後藤さんと親交があり、自分でバンドを組んで、〈赤い屋根の家〉というグループ名をつけてもらったほどだから、「誰が鳥を」の演奏は適任で実際やってもらって良かった。

 なので、今回、「砂絵」「尺取虫」を歌うと決めたとき、真っ先に佐々木さんに連絡をとった。
 連絡をとってから仕事に忙殺されて、楽譜を送付するのが遅れてしまった。送付したのがが開催2週間前。これで準備万端と思いきや、佐々木さんからの「コードが難しすぎて私にはできません!」にあわてたあわてた。
 すぐにすぎたさんにLINEした。楽譜を添付して「できますかね?」。「できると思います」と返事がきて、「祈り」のCDをコピーを送付した。それが一週間前。
 「砂絵」のバックは大村さんのエレキギターのほか、要所々にカスタネットが使われている。これは自分で購入して練習して本番に備えた。

 当日のタイムスケジュールは以下のとおり。

 10:00 FC役員、パフォーマー、すぎたさん、紙ふうせん 集合
 11:00 リハーサル開始
 11:45 開場
 12:00 開演
 15:40 終演
 16:00 完全退室

 昨年、パフォーマンスの順番は、すでに決められていた。今回はくじ引き。司会の後藤さんがくじ引きを作って一人ひとりあたる。
 開演前に発表があった。僕は3番だった。


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会場の壁には紙ふうせん、赤い鳥のシングルジャケットが

 この項続く




 5月19日(土)、恒例の紙ふうせんシークレットライブが開催された。場所は昨年と同じ西宮市夙川のギャラリーNU-VU。
 いつもは往復、深夜の高速バス(JR)を利用するのだが、1ヶ月前に切符を購入しに行くと、金曜の夜は1万円近くする。だったら行きは新幹線を使おうと、19日、東京駅6時20分発のぞみ153号で新大阪に向かった次第。
 JR京都線快速で大阪へ出て、阪急神戸線で夙川へ。着いたのは9時30分過ぎ。
 シークレットライブの開始は12時からだが、FCメンバーのパフォーマンス のリハーサルが10時からあるのだ。

 昨年、このパフォーマンスに初めて参加した。
 赤い鳥の傑作アルバム(と個人的に考えている)「祈り」の紹介とこのアルバムの中で一番好きな「誰が鳥を」の解説、元ネタとなったマザーグースの一編「Who killed Cock Robin ?」を大阪弁で訳した(小林信彦「唐獅子株式会社」)「誰が駒鳥いてもうた?」を「誰が鳥を」のメロディーで歌うことを実践し、見事玉砕した。

 今回も昨年の第2弾、続編ということで、アルバム「祈り」の中から「砂絵」「尺取虫」を取り上げることにした。
 「祈り」の前半(LPのA面)は3曲めから後藤さんのワンマンショーになる。
 「砂絵」は、大村憲司氏作曲のメロディーに乗せて、後藤さんが自作の詩を朗誦する。


  砂絵

 風にふかれ
 ふるさとなくした砂たちは
 こよい集まる人の手の中に
 祭りの砂絵のひもになり
 指からおちて ヘビになる

 あかいほのおは 砂をこがし
 ヘビは四角いレンガとなって
 伝説の都の城となる

 風におわれ
 ふるさとなくした砂たちは
 こよいも誰かの手の中に


 続く「尺取虫」は大川茂氏作詞、大村氏作曲のコミックソング(の・ようなもの)。
 

  尺取虫

 シャクトリムシが 恋をした
 三日月さまに ほれちゃった
 熱いおもいを うちあけに
 なれた住家(すみか)を あとにした

 シャクトリムシの 恋心
 ミミズクだけが 知っている
 シッカリおやりと はばたいて
 ホーホー笑って 飛んでった

 雨にも風にも 負けないで
 一歩づつ
 朝から晩まで ひたすらに
 のびて ちぢんで またのびて

 シャクトリムシが 恋をした
 三日月さまの ところまで
 一寸二寸と はかるうち
 まるい地球を ひとめぐり

 「コペルニクス展開というよりは
 シャクトリムシ的回転といえましょうか
 コロンブスが新大陸を発見する
 もっともっと昔に
 シャクトリムシは地球が丸いということを
 知っていたのです

 シャクトリムシくん、いいじゃないかよ
 教えろよ オレに」

 雨にも風にも 負けないで
 一歩づつ
 朝から晩まで ひたすらに
 のびて ちぢんで またのびて

 シャクトリムシが 恋をした
 三日月さまの ところまで
 一寸二寸と はかるうち
 まるい地球を ひとめぐり

 「では、また来週」


 「マリブ―」はまさにロック!
 村上ポンタさんのドラムをフィーチャーした「大地の怒り」の後、これまたコミックソング風な「らくだちゃん」。ラスト、後藤さんがハジけまくるが見もの(聴きものか)。
 「らくだちゃん」も捨てがたいが、2曲うたうのはちょっとしんどい。バラエティに富むよう朗読(朗誦)と歌唱に。

 伴奏は、前回同様に佐々木さんにお願いした。楽譜を送るとすぐにメールがとんできた。
「コードが難しすぎて私にはできません!」
 えぇぇ~!!!!


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夙川駅に降りると、昨年と同じく
こいのぼりが出迎えてくれた

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ギャラリーNU-VU入口


 この項続く




 昨日、特撮仲間のSさんからLINEで西條秀樹の急死を知らされた。
 病気のことは知っていたから、その事実を受け入れられることができた。驚いたし、63歳は若すぎると思うけれど。
 夕方、買い物から帰ってTVをつけるとニュースで西條秀樹の死を取り上げていた。
 アイドルとして絶頂期のころの映像が流れると、もうたまらない。涙がとまらなくなった。
 別にファンではなかったが、70年代の歌謡曲、アイドル全盛時代は、好きとか嫌いにかかわらず、歌謡曲、歌謡番組が生活の一部になっていたことを改めて思いしらされた。
 同時代を生きてきたんだ。

          * * *
 
2001/03/14

 「光源」(桐野夏生/文藝春秋)  

 桐野夏生も高村薫と同様にミステリから離れてしまうのだろうか。  
 前作直木賞受賞作「柔らかな頬」はミステリでありながらミステリに必要不可欠の事件解決を放棄してしまった作品であった。事件の真相より巻き込まれた当事者たちの心理描写、その移り変わりにこそ主題があったというべきか。桐野夏生が「柔らかな頬」を経て本作「光源」でそちら方向に進むことは充分予想できたっことではある。  

 「光源」は謎の解明がないにもかかわらずかなりスリリングな展開で最後まで読む者を引っぱっていく。
 低予算の独立映画の製作をとおして、そこに集まった男女の人間模様を描いている。  
 プロデューサーのキャリアを磨くべく全財産を投げ打って新人のシナリオを映画化するヒロイン優子。かつて不倫関係から結婚した年齢の離れた映画監督の夫は脳溢血で倒れ今では寝たきりの状態。夫婦の愛は冷め、夫は元妻のもとに帰りたがっている。孤独感に苛まれている優子は無名時代から目をかけ今では人気、実力とも日本を代表する俳優になった高見貴史を主役にむかえ、夫名義のマンションを担保に制作資金を集めた映画「ポートレイト24」の成功に懸けている。失敗は許されない。  
 優子に映画の撮影監督を依頼された有村は撮影助手時代に優子の恋人だった男。優子に振られ自暴自棄になった有村はアメリカで撮影を勉強し、その技術には定評がある。今回、優子から自身のシナリオでデビューする若い薮内のフォロー役を頼まれている。  
 新人監督薮内三蔵は妻に先立たれた叔父の最後の北海道旅行で自殺にいたるまでの模様を自分の想像を交えてシナリオ化し優子に認められた。叔父が旅行の際に携帯したカメラに残された24枚の写真。叔父は写真の人たちとどのような関係を持ち、何を考え死んでいったのか。若干29歳の大学の映画研究会出身の三蔵は芸術志向の強い、他人とほどよい関係が築けそうにない性格。  
 三蔵がチーフ助監督に使命したのは映研時代の先輩・駒沢。30代になってまだ自分の監督作品を撮れない駒沢に三蔵は批判的。駒沢も青臭い映画論をぶつ三蔵を嫌悪していて、助監督を引き受けるにあたって「面白くなければお前を殺す」と宣言する。  
 映画の中で主役の高見と深い関係になる女性役にかつてアイドル歌手で一世を風靡した井上佐和。その後ぱっとせず、それでも芸能界を何となく生きている存在。最近ヘアヌード写真集を発売した。  

 この5人がそれぞれの理想や思惑、打算で結びつき、映画制作をとおしてやがて自己のプライドやエゴが剥き出しになっていく様が切実さをもって迫ってくる。  
 無事に映画を完成させたいプロデューサー、イメージどおりの絵をフィルムに定着させたくて有名俳優やその道のプロであるカメラマンにNGを出す監督、あくまでも自分が主役という意識が強い人気俳優。この映画で女優としての認められたい元アイドル等々。  
 各人が最初に感じた小さな軋みが徐々に大きくなり、決定的亀裂を生じて現場が大混乱に陥るくだり、映画が中断され、映画を完成させるために誰が誰を利用し、誰を裏切るか。その駆け引きがスリリングなのだ。果たして勝者は誰か。作者はそれを後日談として淡々と語る。  

 主要人物の誰に感情移入できるかで読後感が変わってくるのではないか。一番感情移入しやすいと思った三蔵に少しも共感できなかった。映画は監督のものといっても、映画が総合芸術であること、それより何より自分の立場を理解できない三蔵に後半は嫌悪すらした。助監督駒沢も後半まったく登場しなくなり残念。
 冒頭、再会した優子と有本がロケハン先のホテルで簡単に寝てしまう展開に、ああ、またかと舌打ちした。別れたカップルがそこに到達するまで立場、恥ずかしさ等いろいろな葛藤があって、意識はするにしても会ったその日に昔の関係にもどれるはずない思うだが。ま、今回はこの行為がふたりのわだかまりとなってあとあと尾を引く展開になっていて納得できた。  

 もうひとつ、細かいことなのだが、薮内三蔵の呼び方について。  
 地文で三蔵と書くのはいい。が、会話の中で「三蔵さん」と名前で呼ばれるのがどうもしっくりこない。親しくもない新人監督をスタッフも俳優も苗字でなく名前にさんやくんをつけて呼ぶだろうか。これは「カントク」とか「薮内さん」てとこが妥当ではないか。  

 「光源」を映画化するのであれば、「ポートレイト24」改題「眼差し」を高見や佐和の役柄にふさわしいキャスティングで映像化してみたらどうだろうか。映画の、原作小説に対するアプローチとして面白い試みだと思うのだが。


2001/03/17

 「脳男」(首藤瓜於/講談社)  

 タイトルが強烈である。「脳男」とはいったい何者なのか?  
 昭和30年代の夜も更けた東京某所、人通りの少ない道を一人の女性が歩いている。灯りのついた電柱に人影が見えた。大きめのソフト帽を深めにかぶった男。女性は怪訝そうに前を通り過ぎる。と、男がソフト帽をとった。女性が蒼白になった。男の、当然顔があるべきところには何と二つの眼球がはりついたグロテスクな脳そのものが乗っているのだ!女性の叫び声が街をこだまする……なんてシーンを想像してしまう。まさに江戸川乱歩の世界。怪人二十面相や少年探偵団が活躍すればもっと雰囲気がでますな。  
 第46回江戸川乱歩賞受賞作らしいタイトルだ。  

 愛宕(おたぎ)市を騒がす連続爆破犯のアジトをつきとめた主人公のひとり、体重120kgの巨漢刑事が廃ビルに潜入、犯人と格闘を繰り広げるがすんでのところで逃げられてしまう。冒頭から派手なアクションが展開され、タイトルの不気味さとのミスマッチを感じつつ爆破犯と脳男とがどう結びつくのか、夢中で読み進むと、警察が来る前からアジトで犯人と対峙していて、共犯者で逮捕されたもう一人の男が該当者だった。彼は逃亡した犯人の耳を引きちぎるほどの怪力を持ち、痛さも感じないらしい。  

 この男の精神鑑定を担当するのが美貌の女性精神科医。本編のヒロインだ。いかにもな役柄、設定だがやはりこの手のドラマには不可欠な存在だろう(僕が男だからか?)。  
 男の名は鈴木一郎、29歳。小さな新聞社を経営していたということ以外過去は一切不明。戸籍を改竄した形跡があり偽者であることが判明したのだ。鑑定途中で男が生まれつき感情が欠如しているミュンヒハウゼン症候群であることがわかり、俄然男への興味がわく。  
 こうしてヒロインの男が何者なのか、まるで〈大海の中で一匹の小魚をつかまえる〉困難な追跡調査が始まるのだった。
 男は幼児期に自閉症での通院歴が必ずあると信じるヒロインはそのカルテを探し出すことに奔走する……。  

 プロットはごくごく平凡なものである。よく考えると実際にはありえない展開も続く。それでも最後まで一気に読めたのは脳男(ミュンヒハウゼン症候群に苦しんだ過去を持つ男)を創造したこと、精神医学の世界を背景に、関連するキーワードをちりばめたことによる。
 脳男と女精神科医の物語が今後も生まれる可能性があることを予感させるラストに余韻があった。  

 複雑な精神をもつ男の仮の名を鈴木一郎にしたのは笑える。主人公を含めほかの主要人物が茶屋、鷲谷、曲輪、苫米地、入陶、伊能、空身なんていう名前なのだから。ふりがながなくていったいいくつ読めるか?




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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