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 「まぐまPB9 アニメの声と音と音楽と」が完成しました。

 私は、エッセイ「体験的〈冨田勲〉鑑賞記 冨田勲が教えてくれた」とコラム3編を寄稿しました。エッセイはブログに書いた訃報記事を基に大幅に加筆したものです。
 12月27日より以下の書店で直販されています。

 ・タコシェ(中野) 
 ・模索舎(新宿) 
 ・夢野書店(神保町)
 ・ブックカフェ二十世紀(神保町)

 また、通販も行っております。

 ・蒼天社通販
 

 ご興味あれば、ぜひご購入のほどお願いいたします。


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A5判・定価 本体500円+税
制作:STUDIO ZERO/発行:蒼天社/発売:開発社
ISBN978-4-921214-33-3 C0079

目次:
 わたしの「女性声優」史-「メーテル」発「のだめ・閻魔あい」経由「暁美ほむら」着/小山昌宏 初見智子
 耳で語るアニメーション/足立加勇
 多様なコミュニケーションを表現するポケモンアニメの鳴き声/坂口将史
 アニメーションと効果音について/荻原 真 
 シネマ・レビュー チロヌップのきつね/新井啓介 
 我が思い出の第三次声優ブームとその周辺/鈴木真吾 
 CINEMA REVIEW WXⅢ PATLABORTHE MOVIE3/新井啓介
 アニメの音って何だろう? 効果音から考えるアニメの音/小山昌宏 初見智子
 ブックレビュー 作曲家・渡辺岳夫の肖像/新井啓介
 宮駿駿監督作品における「無音」について/小池隆太
 体験的〈冨田勲〉鑑賞記 冨田勲が教えてくれた/新井啓介
 KOKIA「動物の音楽会」によせて-「けものフレンズ」へのシンクロニシティ/小山昌宏 
 洋楽・オン・アニメ/鈴木真吾 
 彼女たちのジブリ・ヒロイン-「宮崎駿と高畑勲」作品の女性像が問いかけるもの/小山昌宏
 進撃の巨人?暴力が支配する世界システムの果てに=イメージの「壁」がリアルな「壁」を出現させる原初的暴力/小山昌宏




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 神保町で働きだしてからというもの、気になる古書はほとんど購入している。だけでなく、新刊だって欲しい本は手に入れている。結果、積読本が増え続けている。その数、100冊、いや、それはオーバーにしても50冊以上はある。それだけでも(今なら)1年は過ごせる。
 にもかかわらず図書館で本を借りてしまうのだ。
 借りている本を読んだら、次は積読本を読もう! そう決めているのに、いざ返却して棚をのぞくと、ああ、また読みたい本がある。借りよう、積読本の消化は、これらの本を読んだあとに。その繰り返し。

 昨日借りた本。
 「ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき」(ちばてつや/新日本出版社)
 「貸本マンガと戦後の風景」(高野慎三/論創社)
 「天上の葦(上・下)」(太田愛/角川書店)

          * * *

2001/06/13

 「だめだこりゃ いかりや長介自伝 (いかりや長介/新潮社)  

 あれはまだ僕がCF制作会社に勤めていた頃だから1985年前後だと思う。目黒不動近くのアパートに住んでいた僕はその日も仕事がら深夜の帰宅となって、乗っていたタクシーを目黒通りで止めると、そのまま通りに面したラーメン屋に入った。客は僕一人。雑誌を読みながらラーメンを食べているとお客が入ってきた。別に確認するでもなくそのままうつむいてラーメンを食べつづけていると、その客(二人連れ)から何とも重たい雰囲気が漂ってきた。そのあまりの重さに思わず顔をあげて確認してみると、なんといかりや長介だった。一瞬目が合った後、いかりや長介はすぐに隣の付き人かマネージャーらしき人と真剣に仕事の話を続けた。あの時のその場にいるのがいたたまれるような感覚は今でも実感としてある。
 
 小学生の頃は「8時だョ!全員集合」の大ファンだった。土曜日の「全員集合」から「キーハンター」に続く2時間は翌日が日曜日ということもあってまさに至福の時と言えた。しかし85年当時、すでにドリフターズを〈卒業〉していた僕は裏番組の「オレたちひょうきん族」の笑いに夢中になっていたし、いかりや長介も過去の人でしかなかった。にもかかわらずあの時、いかりや長介が発していた負のオーラを浴びて、ある種のすごさを感じたのも確かである。  

 いかりや長介といえば、もうひとつずっと頭を離れなかったことがある。小林信彦「笑学百科」(新潮社)の中の〈いかりや長介の想い出〉で書かれた文章だ。  
 かつてドリフターズの15分番組の台本を一度だけ書いたことがある小林信彦はドリフターズにはあまり興味がなかったというものの、
     ▽
ただ、いかりや長介というリーダーには注目していて、単独で、脇(役)にまわったら、渋いユニークな演技者になるだろうな、と考えていた。高度成長からとり残されたたぐいの人物を演じたら、風貌といい、柄といい、ぴったりである。いまどき、ハングリーな雰囲気をこれだけ感じさせる人も珍しい。
     △
 と書いていて、そんなものかなと思っていたが、「全員集合」が終了して、個人活動が増えたメンバーの中で、いかりや長介の役者としての活躍を見るにつけ、小林信彦の先見の明は確かなものだと改めて思い直したものだ(志村けんが活躍するのはなんとなく想像はできたのだが)。

 最近オンエアされているキリンビールのCMでベースを弾く姿なんて惚れ惚れしてしまうほどかっこいい。思うにいかりや長介は髪が薄くなってからしぶさが増し、魅力的になったのではないか。禿げ(失礼)でかっこいいと思えるのは海外ではショーン・コネリー、日本ではいかりや長介だと断言してしまおう。  

 そんないかりや長介の自伝は、荒井注が脱退するまでのドリフターズ前史が特に興味深い。
 ドリフターズの結成、脱退騒動、現メンバーの固定についての話は、これまでも簡単に見聞きはしていたが、本書にはかなり詳細に書かれている。加藤茶以外メンバーに辞められたいかりや長介はとにかく補充しか頭になく、新メンバーの楽器の腕前を確かめなかったというくだりに笑った。コミックバンドで楽器ができないという致命傷がやがて「全員集合」を生むきっかけになったといえる。  
 しかし不思議なもので、子どもの頃、ドリフをコミックバンドと意識したことはない。渡辺プロの先輩格であるクレージー・キャッツはコミックバンドのイメージはあったが、ドリフはコメディアン集団という認識だったのだ。  
 「オレたちひょうきん族」の人気に押され、番組の視聴率が低迷したとき、充電期間をおいたことがある。再開されたときにコミックバンドとしてのコーナーを設置して、かなり楽しみにしていたものの、うやむやのまま終わってしまったような気がする(このコーナーの時だけ、チャンネルを合わせていた)。やはりドリフに楽器は似合わないのか。

 〈ピアノの弾けないピアニスト〉荒井注について、容姿、性格も変わっていると書いているが、どうも腑に落ちない。「全員集合」で人気がブレイクする前、荒井注は単独で「サッポロ一番」か何かのインスタントラーメンのCFにすました顔で出ていた。この時の僕の印象がハンサムで真面目な人というもので、後でコメディアンだと知ってびっくりした。後にメンバーと一緒にCFに登場するようになるや、以前の印象はまったくなかったのであるが。  
 メンバー一人ひとりの横顔を紹介するところは読んでいて楽しいし心がなごむ。  

 全編をとおしていかりや長介の強烈なリーダーシップぶりが伝わってくる。そんな人がファザーコンプレックス(?)だったというのも意外である。


2001/07/04

 「大江戸ぶらり切絵図散歩」(縄田一男/PHP研究所)  

 海外ミステリを読んでいて一番困るのが描かれている町の地理が頭に浮かばないことである。海外旅行など一度香港に行ったきりだから、描写されている風景を何とか想像するだけになってしまう。小説の舞台となる町の地図を横に置いて確認しながら読めたらと何度思ったことか。  

 同じことが時代小説にも言える。参考になるのが切絵図だ。  
 切絵図とは江戸の市街を地域ごとに分割して作成した地図のことで、当時値段が安く携帯に便利だったことから庶民に愛用されたと本書にある。が、正確な測量に基づいていないとのこと。  
 本書は内藤新宿、品川、青山等々16の地区の切絵図が掲載されている。それぞれ実際の地域を著者が編集者と歩き、その地区を舞台にした時代小説を紹介する内容。

 目黒を紹介した部分は何度も現代と江戸の違いを確認した。学生時代からしばらくの間住んでいたので、他の地区とは興味の度合いが強いのだ。  
 切絵図をながめているだけでもいろいろ空想できて楽しい。この切絵図は明治の実測図をもとにグラフィック・デザイナー氏が復元し、現代の東京図を重ねたもので、現代の街と江戸を簡単に比較できるところがうれしい。
 
 著者と宮部みゆきの対談の中でも「影武者・徳川家康」が話題になっている。時代小説が語られると、必ず話題になる作品で、どれだけの面白さか、今年中には確認したい。




 承前

 スタイリッシュな映像は「Day7」で、魅力的なキャラクター造形は「位置について」で堪能することができる。
 「NET CINEMA FESTIVAL GOLDEN EGG」は限定された作品の、ある種の映画祭である。とはいえ、作品賞や監督賞、脚本賞というものはない。審査員が選定するのは主演賞や助演賞といったもので、このフェスティバルの主役は作品に出演している役者たちなのだ。そんな賞のほとんどを受賞したのが「Day7」や「位置について」のキャストだったことかも飯野監督の力量がわかるというもの。

 「Day7」は飯野監督のカメラワーク、カッティング、いわゆる飯野イズムがこれまで以上に突出していた。
 映画の登場人物たちはある極限状態に置かれているのだが、なぜそうなったのか、理由や背景は説明されない。描かれるのはそんな状態からの脱出だけ。
 上映後、飯野監督に「Day7」は飯野イズムにあふれているね、と言うと、こう返答された。
「あれは新井さんの『失われしモノたち』の批評で、あのやり方でも通用するんだとわかって、もう一度やってみたんです」
 えっ!
 ……オレ、何て書いたんだっけ?

 もし、このフェスティバルに作品賞があれば、「位置について」が受賞するだろう。そう思わせる、テーマ、ストーリー、演技だった。

     ◇

2005/02/11

 「メッセージ」 ~「ガソリンゼロ」上映会より~(SCUM2000)

 ついに飯野歩監督の「ガソリンゼロ」が東京で上映されることになった。今日はその初日。1日3回上映の、最初の回にお邪魔する。
 今回の上映会は「ガソリンゼロ」がSCUMの高画質スクリーンで鑑賞できるということもあるが、併映の短編集を楽しみにしていた。
 「ガソリンゼロ」は最終日(27日)に総括することにして、まずは短編の感想などを。

 この短編はABWで飯野監督にインタビューする資料としてDVDで見せてもらっている。CSで放送されることを前提に、正式に外部から依頼を受けて制作された。そういう意味からも自主映画ではない(ですよね?)。

 下北沢の街。デートの待ち合わせにやってこない恋人にイライラしている若い女性(藤谷宥木)がいる。携帯電話に送られてきたメールですっぽかされたことを知って怒りが爆発する。そこに友人(高松博美)が現れて、いろいろ愚痴を聞いてもらうことになるのだが、「昨年と同じ」という女性の言葉に反応した友人にしきりにメールの履歴をみせてほしいと懇願されて……。

 ある種のファンタジー。わずか15分の短編だがちゃんと起承転結があって、クライマックスではちょっとドキリとしてしまう仕掛けが施されている。友人役の高松博美の不思議な存在感に注目した。
(ここだけの話ですが、ヒロインの女性は「お散歩」の感想に登場する大学時代の彼女にちょっと似てまして、感慨深い……)
 二人の女性がやりとりするバックの家の色使いとか、全体的におしゃれ感覚が際立っていた。
 飯野監督、コマーシャルも撮れるんじゃないか。それが率直な感想。


2005/02/13

 「駅にて、状況。」 ~「ガソリンゼロ」上映会より~(SCUM2000)

 「ガソリンゼロ」2日めに併映される短編は、シナリオのないまったくの即興映画。オファーを受けた仕事が事情でキャンセルされてしまった。手元には撮影用に借りたDVカメラがある。返却までに時間があるから、これで何か撮ってしまおう。ってな感じで出演者2名とスタッフであらかじめ決めておいた撮影場所にいって、その場の勢いと閃きで撮影に望んだらしい。

 とある駅のホーム。男(阿部英貴)が電車を待っている。そこに忍び寄って来た女(高松博美)が男に一言「そこ、私の場所だから」。気味悪がる男は、女から離れてホームの隅に逃げると、またまた隣に寄ってきて「そこも私の場所だから」。うんざりして待合室の座席に座るとやはり女が「ここ私の場所」。移動しても移動しても「私の場所!」「私の場所!」「私の場所!」。
 電車は来ないわ、女には理不尽な文句を言われるわ、いい加減ブチ切れた男の絶叫が待合室にこだまする……

 「メッセージ」とともに観れば、面白さが倍増するのではないか。高松博美のヘンさ、奇妙さがスクリーンに炸裂する。
 男が待合室で爆発するカッティングに飯野監督の非凡さが感じられた。インタビューで言っていたカットって繋がらなくても繋げれば繋がってしまうんだと大林宣彦監督の映画を観て導かれた法則を確かに実践している。
 駅名が写ってしまうカットが残念でならない。このオチなら架空の駅にしないとストーリーが成り立たないのだから。

 それにしても「駅にて、状況。」なんてタイトル、普通考えられない。「駅にて」あるいは「状況」までは思いつくが、二つをくっつけるなんて芸当ができるのは飯野監督だからだろう。
 劇中に挿入される〈序破急〉のスーパーはたぶんに映画を〈らしく〉見せるための工作だろうがこれまた意表をつかれた。


2005/02/27

 「失われしモノたち」/「ガソリンゼロ」(SCUM2000)

 「ガソリンゼロ」最終日。
 高校生にも観てもらいたくて、高1の娘&友人を誘うが、部活のためNG。そのほかにも興味を持ってくれそうな人たちに声をかけるがスケジュールが合わず断念。
 まぐま関係者とともに鑑賞する。編集会議があったからかもしれないけれど、遠く浜松から上京してきたNさん、前日に急遽誘ったにもかかわらず足を運んでくれたHさんに感謝。Kさん、Sさんもありがとうございます。
 最終日ということでこれまで以上の客の入りだったと聞く。関係者でもないのに大変うれしい。


 「失われしモノたち」

 まるで〈高松博美3部作〉といった様相を呈する短編集の3本めは、相手役に(田村正和+草刈正雄+ルパン三世)÷3のような容貌で鑑賞後にまぐまの女性陣を熱狂さた市村政晃を配して、飯野監督の映像の魔術師、編集のテクニシャンぶりを堪能できる一編に仕上がっていた。
 内容は、あってないようなもの。説明するのがむずかしい。
 男と女がいて、都会のある場所で、ある時間(夕暮れ時)に、たぶん、毎日会っているのだろう。夕飯何食べた? お風呂入った? 蛇口がねぇ――たわいもない会話をして、じゃれあって今、ここに存在している実感を確認して別れる。その繰り返し……タイトルから想像するに、もしかしてふたりはこの世の者ではないのかもしれない。

 即興映画の第1弾「駅にて、状況。」は構成の基本である起承転結というか序破急で物語を語り、とりあえずオチもつけた。この第2弾はオチはもちろんのこと、観客にどんな内容なのか理解させることもしない。会話からふたりの関係、立場、何について話しているのかを想像するしかない。ハリウッド映画、TVの2時間ドラマを見慣れている人はあっけにとられてしまったのではないだろうか。
 たかが10分でストーリーを語ってもしょうがない。理解されるより感じさせること。飯野監督がそう意図したかどうかは知らないけれど、この映画に飯野イズムが満ち溢れていたことは確か。

 先にテクニシャンなんて表現を使っておいて言うのもおかしいのだが、映画には、実はテクニックなんてあまり必要ないと思う。ただしセンスは絶対なければならない。というかセンスがなければテクニックに意味がない。恩地日出夫、市川崑、実相寺昭雄、篠田正浩、増村保造、十代の頃夢中になった映画監督は皆そうだった。
 センスとは何か?
 それは構成や台詞(語り方)であったり、構図(実際の風景の切取り方や人物の配置)やカメラワークであったり、カッティング(カットのどこで切るか、どこで次につなげるか)であったり、これだと断定できものではない。あくまでも感覚的なもの。学習して習得できるものでもないところがむずかしい。飯野映画ではそのセンスがスクリーンの隅々から発散されていて、それがテクニックと絡み合ってこちらの五感(?)を刺激する。まさにカ・イ・カ・ンってな感じ。




 「Day7」「位置について」の監督、飯野歩さんは、2年前に「落研冒険支部」という自主制作作品で京都国際映画祭2016のグランプリを受賞した。とてもめでたいことではあるが、そのニュースを聞いて喜ぶと同時にため息をついてしまった。
 飯野さん、あなたはもうそこにいちゃいけないんだよ!

 飯野監督は、「ハズしちまった日。」と「ガソリンゼロ」を名刺代わりにメジャー映画に進出すると思っていた。
 もちろん、プロの映像作家にはなった。ゲームの映像やPVなどを手がけているが、メジャーな劇場映画はまだ撮れないでいる。
 日本映画のプロデューサーはどんな眼をしているんだ! 
 日本映画の明日を考えて、少しは冒険してみようと考えるプロデューサーはいないのか。

 飯野監督を起用すれば、たとえば、売れっ子の堤幸彦監督よりもスタイリッシュで躍動的なそれこそ「かっこいい」映像を撮ると思う。
 あるいは、金子修介監督ばりに主演女優を魅力的に映像に取り込んでくれると信じている。

 「Day7」「位置について」を観た人はわかってくれるのではないか?

     ◇

2004/01/19

 「飯野歩の全貌」(SCUM2000)  

 昨年の夏だったか、朝めし前映画の3作品が上映されると聞いてロフトプラスワンのインディーズ映画ばかり集めて上映を行うイベントに足を運んだ。朝から晩までインディーズの短編が次から次へ上映されるのだが、玉石混淆状態の作品群の中にあって、トリを飾ったのが飯野歩監督の「ハズしちまった日。」だった。  
 タイトルには惹かれたがそれほど期待していたわけではなかった。ところがこれが最高! 衝撃的。監督の才能やセンスが全編にわたってあふれでているような映画だったのだ。冒頭から疾走する映像に心奪われた。数々の映画コンクールで受賞しているはずである。飯野歩。この監督名がインプットされた。

 さて、朝めし前プロジェクト主催の〈作家の全貌〉シリーズの第4弾は、その飯野歩監督の登場である。夜の部に参加する。
 〈映画駈けずりまくり!〉 飯野歩の映画のキーワードは1つ選ぶならばこれだと土肥洋一郎氏が当日配付されたチラシに書いている。なるほど、「ハズしちまった日。」にぴったしの表現だ。

 「だるまさんがころんだ。」

 飯野作品の面白さはまずタイトルにあるのではないか。「ハズしちまった日。」は当初「スリと詐欺師」というタイトルだったという。「ハズしちまった日。」と改題したことで、ぐっと映画への興味が増したと思う。この映画もそうだ。「だまるさんがころんだ。」どんな内容なのかわからない。映画を観たくなる。観終った後、納得できる。インディーズ映画の場合、タイトルがとても重要なことを教えてくれる。
 監督の郷里(千葉)にロケした瑞々しい一編。挫折した青年が小休止のために郷里をおとずれ、人と出会って生きる勇気をもらう1日を描く。いつもの作品と違ってのどかな風景を撮った作品だとのことだが、いたるところで〈疾走しそうになる映像〉を垣間見ることができる。

 「詭弁の街」

 モノクロ16mmフィルムによる大学卒業制作作品。「1996年ぴあフィルムフェスティバルPPFアワード」審査員特別賞。
 都内で起こる無差別殺人。その予告が留守電のメッセージにあることを知った主人公が殺人犯を追って街を疾走する。
 期待にたがわぬ堂々とした作品だった。この映画もタイトルがいい。
 主人公(五十嵐雅敏)の友人役で事件に巻き込まれるのが「ハズしちまった日。」の石山英憲。ホント、この役者さん、巻き込まれ役が良く似合う。主人公も長髪の似合う精悍なマスク。ラストで髪を切ったら、別人になってしまいちょっとがっくり。
 クライマックスに向けて徐々に助走していく映像に堪能できた。犯人からの電話で指定された場所へ、指示された時間内にたどりつけるかどうかというゲームは「ダイハード3」でも扱われていたような。ちょっと違うか。よく覚えていない。

 「ハズしちまった日。」~ノンストップバージョン~

 ロフトプラスワンより格段に性能がいいプロジェクターで、衝撃的な映画をじっくり楽しむことができた。
 リストラされたサラリーマン(石山英憲)が駅のホームで昔のクラスメート(山崎吉範)と出会うところから映画ははじまる。元クラスメートはケチなスリ。そんな奴に自分を否定されむしゃくしゃしていたサラリーマンは電車に乗ると、ほとんど無意識に目の前の男のバックを奪っていた。現場を目撃し後を追ってきたスリとともにバックの中を確かめると、三千万円と携帯電話が。何と誘拐事件の身代金だったのだ。こうして二人は三千万円を振りまわし、振り回されながら、都会を駆けずり回ることになる……
 冒頭の早々主人公たちがバックを盗み、電車やホームを走りまわるシーンに度肝抜かれた。生半可の疾走感ではない。「GO」のタイトルバック以上の衝撃だった。ほんとにこの監督インディーズなのか? メジャーデビューも近いのではないか?


2004/12/19

 「ガソリンゼロ」(ミレニアムシアター佐倉 大ホール)

 驚愕の疾走映像と息つかせない展開で観客を圧倒した「ハズしちまった日。」。衝撃的な映画で数々のインディーズムービーコンクールを総なめにした飯野歩監督の待ちに待った新作の上映会が佐倉で開催された。
 予告編は朝めし前プロジェクト主催の〈作家の全貌〉シリーズで何度も流れていた。にもかかわらず完成の情報がなかなか伝わってこない。撮影は終了しているのに、編集で暗礁に乗り上げているなんてことも伝えられていた。前作が単なるフロックでない、映像作家としての真価を問われる2作めなのだから相当のプレッシャーを感じていたのだろう。
 完成を危ぶむ声もなくはなかったが僕自身はまったく心配していなかった。予告編は構図やタッチが完璧だったし、編集中にカメラマンとして参加した「お散歩」(松田彰監督)ではずばぬけた飯野イズムあふれるカメラワークを披露していたのだから。
 とにかく飯野監督が新作で何を〈魅〉せてくれるか。「ハズしちまった日。」の疾走感覚の単なる焼き直しでは意味がない。期待はそこにあった。

 主演は「ハズしちまった日。」でちんけなスリを好演した山崎吉範。一人前の社会人になれず仕事や生きがいについてあれこれ思い悩むフリーター、等身大の青年役だ。時間があれば道路脇の空地で愛車の原付バイクを駆って半径数メートルの円を描くようにクルクルまわるのを日課としている。何を考えているのか? 何に悩んでいるのか? 何も考えていないのか? 奥に見える「この先行き止まり」の看板が彼の心情を代弁しているかのようだ。クルクルした後はガソリンスタンドに立ち寄って100円ぼっきりの給油をしてもらう。嫌な顔せず接客してくれる女店員の笑顔だけに癒される毎日なのだ。
 彼のバイト先であるDPE店に決死のまなじりで訪れた女子高生がもう一人の主人公。演ずるは水野由加里。三原順子と加藤夏希を足したようなマスク。思いつめた鋭い目つきがこちらの心を射抜く。誰かに対する怒りだろうか、憤怒のエネルギーを内に秘め仁王立ちするポーズが決まっていた。
 彼女が店内の品物を万引きして脱兎のごとく逃げ出し、青年があわてて追いかけてゆくことから話が転がっていく。
 閉塞した現状から脱出したいフリーターと女子高生。年齢も生活環境も違うふたりのヘンな出会いと奇妙なふれあい。特に腹を割って話したわけではない、本当にお互いの気持ちを理解しあえたのかどうかもあやしい。しかしこのほんのちょっとした交流が互いに影響しあって、それぞれの力、それぞれの方法で心にうずまいていた靄を吹っ切り、明日への活力を得るという青春映画。

 ミレニアムシアター佐倉の大スクリーンで観るシネスコサイズの「ガソリンゼロ」は映像的にもストーリー的にも堂々としたものだった。インディーズ映画の枠を超越していた。このままどこかのシネコンにかけても遜色ない。
 何より画で見せる語り口に感心した。余計な説明台詞がない。あくまでも目で見えるもの、映像の積み重ねで主人公たちの心情を描写するから、観客として彼らの行動がごく自然に感じられる。シナリオと演出と演技が見事にシンクロしていた。一箇所だけ、ちょっとそれベタすぎないかと思ったところがあったが、それもクライマックスに通じる伏線で大いに納得した。
 テーマに直結したタイトル、その意味付け。なるほどと感心していると、タイトルを成り立たせている原付バイクをフル活用して主人公の感情の高まりを観客に投げかけてくる。その高揚感と爽快感。まさしくこれは映画の醍醐味ではないか。
 今年の日本映画ベストワン(だと僕が考えている)「下妻物語」に勝るとも劣らない青春映画の傑作が誕生した。

 この項続く




 「OrbitOne ~宇宙ステーションへようこそ~」「お花畑のまり子」の監督、人見健太郎さんとの出会いは、某自主映画制作団体の上映会だった。
 上映会では2作品が上映されたのだが、そのうちの一本を監督していた。CGを駆使したSF短編で、映像に見ごたえがあった。その技術は格段に進歩して、今回のSF映画「OrbitOne ~宇宙ステーションへようこそ~」の宇宙空間に直結している。商業映画のそれと比べて何の遜色もない。
 それだけでなく、実写部分との乖離がなかった。インディーズ作品の場合、衣装、小道具がショボくなってしまいがちなのだが。オチもインディーズらしい。

     ◇

2003/02/19

 「Harlem Age」/「武士道・一期一会」(下北沢短編映画館トリウッド)  

 僕が勤める会社では毎年年の始めに〈初出式〉という恒例行事がある。毎月管理職を対象に経営トップの講話を聴く「全体会議」があり、その正月バージョンなのだが、2001年から内容が大きく変わった。トップの講話自体はそのままでオープニングと講話後の余興が加わったのだ。
 
 企画、運営を担当する僕は、21世紀を迎えるにあたって、オープニングにどうしても「2001年宇宙の旅」のテーマ曲として有名なR・シュトラウス「ツラトゥストラはかく語りき」を流したかった。単に流すのも芸がないので、「19世紀は小説、20世紀は映画、21世紀はインターネット+ゲームの時代」という内容の横文字(英語)を音楽にあわせて加工した映像をビデオ制作部門の協力ででっち上げた。
 
 続く02年は赤字決算が続く会社が今年こそ蘇るという願いを込めて、本社ビルから〈火の鳥〉が宇宙に飛び出す内容の絵コンテを描いた。社内で上映するだけのビデオなのだから、著作権など無視して、映画等から素材を借り集めて編集すれば何とかなるだろうとの考えだったが、上司からの指示で社内のCGを制作する部署で映像を制作してもらうことになった。出来上がったものは絵コンテのイメージとはかけ離れた、ゲーム画面とシンセサイザーの音楽が組み合わさったデジタル感覚あふれるビデオだった。これはこれでいい。でも次回(03年)は逆にアナログ感覚の映像にしたいと思った。  
 若手の社員一人ひとりにスポットを当て、スチール構成で会社の1日を描写する。BGMはビー・ジーズ初期のヒット曲「In the morning」。ちゃんとフィルムで撮影したスチールをビデオで撮影して、生の楽器を使用した〈暖かい〉音楽を当てる……なんて要は「小さな恋のメロディ」のオープニングをパクって自分なりの世界を作りたかったのだ。  

 当初社内で制作するつもりが、いろいろわけあって外部に発注することになった。かといって制作費はあまりない。そこに登場したのが友人の紹介による自主映画出身の棚木氏だった。今は東映でカラオケの映像を演出している方。アマチュアなら〈お友だち価格〉でお願いできるのにと思いながら、とりあえずお会いし、絵コンテ等を交えて製作意図を説明するともうその場でカメラマンのスケジュールを押さえる仕事の速さ。日の出を狙った早朝からの撮影も快晴にめぐまれ無事終了。音楽にあわせてカットを積み重ねる編集もお手の物。こうして構想1年のオープニングビデオは完成したのであった。  

 そんな棚木氏から自主映画上映会の案内をもらった。以前「ボンネットバスブルース」という映画に脚本、出演していること、その上映会が下北沢で行われることは聞いていたのだが、今回は短編2編。〈朝めし前プロジェクト〉という棚木氏が参画している製作集団が制作した2本で、そのうちの「武士道・一期一会」に脚本、監督、出演しているという(棚木氏はプロの役者さんでもある)。  

 いくら短編でもSFと時代劇は無理があるのではと観る前は思っていた。どちらも舞台設定に金がかかる。貧弱な設定だともうそれだけで引いてしまう。自主映画の世界ではいかんともしがたい。  
 ところがこれが杞憂、余計なお世話であった。2作品ともこちらの抱いていたイメージを裏切る内容なのだ。入場料500円(ということは1本あたり250円)の価値は絶対あると断言できる。アイディアにおいては制作費ウン十倍(?)の「Jam Films」の各作品と肩を並べるのではないか。  

 「Harlme Age」  

 人類の大半を死滅させた〈細菌戦争〉後の24世紀、顔面を剥がされるという謎の連続女性殺人事件を追う女性捜査官の活躍を描く人見健太郎監督作品。  
 会場に到着するのが遅れて冒頭の5分を見逃している。一番の見せ場はこの5分に集中しているとのことだが、それでもかなりの面白さだった。ストーリーがどうのというのではなく、そのディティール描写にわくわくしてしまった。未来社会の小道具をCG技術を駆使して魅せてくれる。「ウルトラマン」シリーズの新作がまたTVでオンエアーされるとして、レギュラー監督の一人になって、この感覚を生かせれば注目されるのに、と思った。川崎郷太監督のテイストを感じる。  

 「武士道・一期一会」  

 明日の女優を夢見る若い女性(上村愛香)が主人公。ハリウッドで有名スターが主演する時代劇が製作されると知って、仲間たちでチームを作り、オーディション用のビデオを作ったのだが、彼女だけが落ちてしまう。ハリウッドに飛び立つ仲間たちを空港で見送る傷心の彼女が遠く離れたメル友とのメールのやりとりをしながら元気になっていくという棚木和人監督作品。  
 この中で紹介される2本のオーディション用ビデオが時代劇仕立てとなっている「武士道」と「一期一会」というわけ。  
 ヒロインと見知らぬ相手とのやりとりすべて画面上にメール文字で表示されるのがユニーク。新種の無声映画とも言える。時代劇には英語のスーパーインポーズがつく。これがほとんど直訳の英文。  
 日本語と訳の英語のギャップに笑いはじけるかというとそうでもなく、ほとんどあり合せの衣装、小道具、セットで作った時代劇そのものがメインになるわけでもなく、でも何となく面白く、不思議世界に引き込まれ、ラストに鮮やかなオチがあって大いに納得させられた。




2018/07/01

「カメラを止めるな」(池袋シネマ・ロサ)


2018/07/03

「猫は抱くもの」(角川シネマ有楽町)

 自分を人間だと思っている猫と飼い主(ヒロイン)の物語(ファンタジー)を演劇的空間(システム)で描くのは〈あり〉だと思う。でもそれが面白さにつながらないのはつらいなぁ。予告編を観て期待したのだが……


2018/07/03

 「スパイナル・タップ」(新宿武蔵野館)

 フェイクドキュメンタリーの体裁でちゃんとロックバンドのドラマを紡いでいた。監督の才気を感じる。


2018/07/06

 「黒木太郎の愛と冒険」(神保町シアター)

 こういう話だったのか!
 主人公の職業、スタントマンというのが途中から全然意味がなくなっている。
 倍賞美津子の美しさといったら!!


2018/07/11

 「ハン・ソロ」(MOVIX川口)

 監督の交代劇があったり、公開前からいろいろ悪評が聞こえていた本作であるが、それほどひどい出来ではない。要は、若きハン・ソロにハリソン・フォードの面影を見出すことができるかどうか、ではないか?


2018/07/13

 「ジュラシック・ワールド 炎の王国」(MOVIX川口)

 火山活動が活発になった島から恐竜を救助する話、予告編で見せられた火山の噴火、逃げ惑う恐竜たちがクライマックスになるのかと思っていたらさにあらず。前半で主だった恐竜を米国に連れ出して、そこからある陰謀に立ち向かう主人公たちというのが本筋。
 何のことはない、「ロストワールド ジュラシック・パーク」の焼き直しだった。ラスト、翼竜でしめくくられるのも同じ。
 考えてみれば、前作「ジュラシック・パーク」だって、ヴィジュアルを豪華にした「ジュラシック・パーク」の焼き直しだった。オープン前かオープン後の違いだけで。惨劇に巻き込まれる主要人物に子どもたちがいるという構図も(「ジュラシック・パーク」は姉弟で、「ジュラシック・ワールド」は兄弟)。

 焼き直しだからつまらない、というわけではない。十分楽しめた。
 恐竜がスクリーンを跋扈するだけで、個人的には大満足なのだ。少年時代に観た「恐竜100万年」や「恐竜グワンジ」の興奮が甦る。
 それにしても、CGで描かれた恐竜とアニマトロニクスのそれの区別がつかない。

 次回作は、大都会に恐竜軍団が出現するのでは?!


2018/07/18

 「パンク侍 斬られて候」(MOVIX川口)

 台詞にヨコ文字が頻繁に挿入された時代劇。こういうのもたまにはいい。脚本・宮藤官九郎、監督・石井岳龍に惹かれて観たわけだから。ぶっ飛んだ「五条霊戦記」を想像して。確かに会話は宮藤官九郎らしさが感じられて笑わせられたり、得心したり。しかし、演出には不満がある。あまりにCGに頼りすぎたのではないかと。
 ラストでタイトルの意味がわかる仕掛け。ナレーションを担当していた猿の親分の声はエンディング・ロールで判明。ええ、そうだったの! だ。


2018/07/25

 「未来のミライ」(MOVIX川口)

 家族のつながりを思い起こさせる映画だった。
 自分の幼いときの父母への想い、娘が生まれたときのふれあい等々。


2018/07/26

 「おヤエの女中と幽霊」&「おヤエの女中の大将」(ラピュタ阿佐ヶ谷)




 8月になってしまった。
 昨日は角川シネマ有楽町で「ウィンド・リバー」を、今日はラピュタ阿佐ヶ谷でモーニングショーの「おヤエのもぐり医者」&「おヤエのの初恋先生」、午後3時から「乳房を抱く娘たち」を観たのだが、そんなことより6月の観てある記を……。

     ◇

2018/06/06

 「黒の爆走」(ラピュタ阿佐ヶ谷)

 ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショー、5月、6月の特集(7月7日まで)は「黒の大映」。
 大映映画に「黒の試走車」という作品があることは知っていた。〈試走車〉はテストカーと読む。この作品がヒットしたことでシリーズになったのだろう。
 シリーズといっても、各作品に関連はない。単にタイトルに〈黒の〉がつくだけ。主演は田宮二郎か宇津井健(第3作「黒の札束」のみ川崎敬三)がつとめている。
 
 本作「黒の爆走」は7作め、1964年に公開されている。
 田宮二郎は白バイの警官役で、密売オートバイのグループの悪事を暴くストーリー。
 なかなかの面白さ。映画黄金時代のプログラムピクチャーの底力を見せられた感じがする。
 

 「日本のいちばん長い日」(ラピュタ阿佐ヶ谷)


2018/06/07

 「早春 デジタルリマスター版」(阿佐ヶ谷ユジク)


 「肉弾」(ラピュタ阿佐ヶ谷)


2018/06/12

 「孤狼の血」(MOVIX川口)


2018/06/12

 「黒の挑戦者」(ラピュタ阿佐ヶ谷)


 「赤頭巾ちゃん気をつけて」(神保町シアター)


2018/06/13

 「しあわせの絵の具 愛を描く人モード・ルイス」(阿佐ヶ谷ユジク)


 「旅の重さ」(神保町シアター)


2018/06/21

 「黒の凶器」(ラピュタ阿佐ヶ谷)


 「万引き家族」(MOVIX川口)


2018/06/27

 「黒の切り札」(ラピュタ阿佐ヶ谷)




2001/06/07

 「さらわれたい女」(歌野晶午/カドカワノベルス)  

 昨年秋に単館ロードショーされた中田秀夫監督作品「カオス」の原作。  
 便利屋が美貌の人妻から夫へのあてつけの狂言誘拐を依頼され、緻密な計画を練る。警察の追及をかわす作戦が功を奏して喜び勇んで人妻を監禁している部屋に戻ると、そこには首を締められ殺された人妻の死体が横たわっていた。恐怖におののき逃げ出そうとする便利屋に殺人犯から人妻と便利屋を結びつけるメモをネタに遺体を処理せよとの脅迫電話がかかってくる。便利屋は何とか死体を人里はなれた山中に始末して事なきを得るが、すぐに警察に発見され、落ち着かない毎日が続く。そんある日、街中で死んだはずの人妻を見つけ、独自に調査してみると狂言誘拐には巧妙な罠が仕組まれていたことを知るのだった……。
 
 事件に巻き込まれる便利屋〈俺〉の一人称と妻を誘拐される若手経営者側の三人称で物語は語られている。  
 ちょっとびっくりというかがっかりというか、映画は小説を何の工夫もなくそのまま映画化したところだ(ラストが若干変更されている)。原作を読んだ人はキャスティング以外映画に違和感はないだろうし、映画を観てから原作をあたった人は新たな発見はない。個人的には、原作では人妻と便利屋の騙し合いに手が込んでいたり、便利屋の人間なり、生活なりがより深く描かれているのではないかと期待していたのだが。

 僕はいわゆる〈新本格派〉と呼ばれるミステリ群が苦手である。その手のミステリを数多く読んだこともないので、断定することはできないけれど、それでも一時期ミステリ好きの友人の薦めで〈新本格派〉の大御所的存在である島田荘司の作品をまとめて読んだことがある。おもしろくはあるが、トリックのためだけに作られた物語に夢中になることができなかった。  
 たとえば小説のなかで伏線としてとりこまれた日記、手紙の類があったとする。それらの内容が読者のために書かれたのが歴然としていて、ちっともリアリティが感じられない。このリアリティのなさがネックだった。主人公に感情移入できない僕はどこか醒めていてトリックだけで成り立つ物語に満足したためしがなかった。(じゃあ、おまえが書いている小説・のようなものはいったい何なんだ、あんな日記があるものかと言われれば反論できないのですが……)
 
 そんなわけでたまに友人に薦められることはあっても〈新本格派〉を標榜する若手作家たちの作品を読んだことがない。  
 「さらわれたい女」も伝言ダイヤルを活用して警察の逆探知をうまくかわす誘拐の手口、主人公に仕掛けられた罠、どんでん返しが斬新といえるかもしれないけれど、ただそれだけのおもしろさであって、ほかに何の充実感、満足感はない。小説を先に読んでいれば、また違った印象を受けたかもしれないけれど。


2001/06/12

 「闇の楽園」(戸梶啓太/新潮社)

 「溺れる魚」を読んだらどうしたって新潮ミステリー倶楽部賞を受賞したデビュー作「闇の楽園」も確認したくなる。  
 本作も広義の意味でミステリであって、謎解きの要素はまったくない。戸梶啓太はエンタテインメント小説の旗手でありストーリーテラーであることを認識させられる。  

 過疎化の波が襲う長野県某町の町長が企画した町興しコンテスト。全国から集まったアイディアの中から東京在住で失業中の青年によるホラーハウスばかり集めたテーマパークの企画が採用された。
 テーマパークは町のゴーストタウンとなっている土地に建設される予定なのだが、この土地に研修施設を建築したいカルト集団が暗躍。テーマパーク建設をつぶそうと町議会のはなつまみ議員の弱み(無断で産廃業者に土地を利用させている)をにぎると彼を味方につけ、住民投票で賛否をとるようにしてしまった。多数のカルト集団会員が移住してくるやテーマパーク建設反対運動を開始。推進派の動きを察知するため盗聴器を仕掛けたり、町役場の職員を色仕掛けで仲間に引き入れたりとさまざまな画策をしはじめるのだった。
 運命の住民投票日。カルト集団が買収した選管の不正が発覚し、町長たちの推進派グループとカルト集団が大激突するのがクライマックス。

 オウム真理教の事件があってから、この手の話がまったくフィクションに思えないところが怖い。じわじわと町に侵食していくるカルト集団の不気味さが読む者を夢中にさせるのだ。
 はっきりいってクライマックスは肩すかしをくらった感じがした。当初の土地奪還計画があまりにもあっけなく頓挫してしまうことで、こちらの期待を満足させてくれなかった。両者のグループの衝突による大騒動もはじけかたが足らない気がする。
 
 一番の不満は洗脳の実態が具体的でないということか。
 産廃業者の策略で無断で町の土地を利用させていた議員に近寄るため、カルト集団の幹部が産廃業者をマインドコントロールで信者にしてしまうのだが、その課程がまったく描かれていないのだ。冒頭で主要登場人物の一人(女子高中退)が熱狂的な信者になる様がでてはくるが、相手は海千山千のツワモノである。ワルがワルを子羊のように飼い慣らしてしまう模様はカルト集団の怖さをより明確なものにすると思う。

 まあ、デビュー作にそんな不満を抱いても仕方ないことかもしれない。それより作者の徹底的なワルを描く筆さばきに注目したい。町のハンパ議員・君塚、カルト集団の幹部・丸尾、そして産廃業者の剣持。魅力的というのではない。人間のクズというか、愚かというか、そばにいたら唾棄するようなタイプの彼らキャラクターがかなり書き込まれているのである意味感情移入してしまう。君塚が剣持の家に強請られるネタとなったビデオテープを取りに行き、待ち構えていた金融業者に脅されたりすると思わず応援しちゃったり。
 それに比べると、いい役の、特に女性たちがステレオタイプで困ってしまう。主人公の青年と町役場の女性職員の恋愛なんてあまりにもベタ。でもそれがオアシスではないかと反論するもう一人の自分がいることも確かだ。
 そういえば中盤に登場して町長の娘の擬似恋愛の対象者となるカメラマンはいったい何者だったのだろうか? ラストにつながる重要な伏線だとばかり思っていたのに。




2001/05/23

 「評伝 黒澤明」(堀川弘通/毎日新聞社)  

 黒澤明が亡くなって今年で3年になる。数々の黒澤本が上梓された。そんな中でどうしても読んでみたいと思わせてるものが2冊あった。1冊は長年黒澤組の記録係としてスタッフに参加し、「影武者」以降はプロダクション・マネージャー、プロデューサーとして黒澤を補佐したスクリプター・野上照代の「天気待ち 監督・黒澤明とともに」。そしてもう1冊が本書「評伝 黒澤明」である。  
 著者の堀川弘通も東宝入社後黒澤組の助監督として長年黒澤明に仕えていた。黒澤明の一番弟子を自認している人だから、人間黒澤明に対する観察眼は信用できる。また同業者(映画監督)として数々の作品をものにしてきた人だから黒澤作品を語る適任者だと思う。  

 その判断は間違っていなかった。真近で見る黒澤明が活写されていた。  
 評論家の類の人が著す著書では型どおりの内容になってしまいがちな助監督時代の高峰秀子との恋愛模様、「来なかったのは軍艦だけ」で有名な東宝争議など具体的に検証されている。プロデューサー本木荘二郎との関係など本書で初めて知った事実もある。  
 「素晴らしき日曜日」の主役沼崎勲について「自分が下手な癖して『僕の演技プランでは…』なんて言いやがるから、ほんとにぶん殴ってやりたいくらいだった」と批評(罵倒)する黒澤明の言葉から撮影現場の二人の姿が想像できておかしい。  
 著者は成瀬巳喜男の助監督も経験していることから黒澤組と成瀬組の比較もしている。互いの資質の違いが例をあげてわかりやすく解説する。  

 言葉に説得力があるのは単に師匠を敬うだけでなく、的確に批評するところからもうかがいしれる。  
 たとえば第五章で名画「七人の侍」の製作現場に触れるのだが〈一将功成って万骨枯る〉とその実態を表現するスタッフの言葉を紹介する。
「作品を創造するためには死者が出てもしかたない」と考えている黒澤明をはっきりと批判している。  
 晩年の作品「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」を一種のプライベート映画だと断定していてなるほどと思う。  
 クロさんが大事と思うことは観客にとっては大事と思えないし、観客が面白いと思うことは、クロさんにとってはどうでもよい、と解説するのだが「うん、うん」うなづきながら読んでいた。  
 黒澤明は明治の男だと書くところも印象深い。  

 弟子を思いやる師匠の姿もあますことなく綴られている。  
 黒澤明が著者の監督デビューにあたって書いた山本周五郎原作のシナリオ「日々平安」は結局日の目を見ず、「用心棒」の続編「椿三十郎」となってしまうが、処女作「あすなろ物語」の撮影時には何かとアドバイスを与える。主演の根岸明美への演技のつけ方はさすが。  

 海外での活躍を狙った「暴走機関車」「トラ・トラ・トラ!」の挫折のくだりは読んでいて痛々しかった。特に「トラ・トラ・トラ!」における東映京都撮影所での黒澤監督の暴走ぶりは噂は耳にしていたものの、その激しさに「ノイローゼ説」の実態を知った思いだった。  
 黒澤映画に対する評価は国内より海外の方が高い。黒澤監督への敬意も国内の比ではない。にもかかわらずアメリカ進出の2本の企画が流れてしまったのはどうしてだろうか。契約社会のアメリカ企業では黒澤流の映画作りは通用しないのか。  
 そういえば「影武者」の海外配給はルーカスやスピルバーグの個人の力の賜物だったし、製作資金調達で難航した「乱」に最終的に出資したのはフランスの企業だった。そう考えると「デルス・ウザーラ」を黒澤監督に作らせたソ連は懐が深い。何かにつけて黒澤明を優遇する製作母体の長に国内の映画関係者から批判がでて、実際、ある映画監督が直訴したらしい。それに対する答えが「お前は黒澤映画を作ったことがあるのか」というのだから簡潔明瞭である。  

 数ある黒澤本の中で価値ある1冊といえるだろう。


2001/05/30

 「奇妙な果実 ビリー・ホリディ自伝」(ビリーホリディ/油井正一・大橋巨泉 訳/晶文社)  

 藤田正氏の「メッセージ・ソング」で「奇妙な果実」の意味を知りショックを受けた。これはぜひともCDを買わななければと思っていたところ、図書館で本書を見つけたのでさっそく借りてきた。  

 ビリー・ホリディ初心者には巻末の大和明「ビリー・ホリディの人と芸術」を先に読んだ方がよい。その方がより自伝の内容を理解できる。  
 しかし、しかし。  
 翻訳が下手すぎる。高校生が教科書(リーダー)を訳したような文章が続くので途中で辟易してしまった。実際ビリー・ホリディが書いた原文が悪文なのかとも考えたが、本書はビリーホリディとウィリアム・ダフティというライターの共著だと「…人と芸術」にあり、とすると訳に問題があるとしか思えない。    

 13歳と15歳という若すぎる両親のもとに生まれたビリー・ホリディは貧しさの中で育ち、14歳で売春。売春宿で聴いたジャズの魅力にとりつかれた彼女はやがて自ら歌いだす。酒場のステージにおかる彼女のヴォーカルは聴衆の胸に迫り、人気歌手になっていく。しかしたび重なる人種差別からの逃避なのか麻薬に溺れてゆく。  

 書き手があっけらかんと過去を回想しているので思っていたほどの重苦しさはなかったももの黒人差別の実態は生半可のもでないことがわかる。  

 訳はダメだが、各章のタイトルは気に入っている。  
 いつの春にか(Some Other Spring)、過ぎし日のまぼろし(Ghost of Yesuterdays)、悲しみよ、今日は(Good Morning Heartache)、神よ! めぐみよ(God Bless the Child)等々。  
 日本語の訳と原題がぴったりマッチしている。これらは歌の題名なのだろうか。  

 とにかくCDを購入し一刻も早く「奇妙な果実」を聴いてみたい。




 FBのタイムラインに流れてきて目に留まった。
 「ファシズムの初期兆候」として、政治学者のローレンス・W・ブリットが挙げている14の項目。米国ホロコースト博物館で展示パネルになっているとか。

     ▽

 ●強力かつ継続的なナショナリズム
 ●人権の軽視
 ●国内団結のための敵国の特定
 ●軍事の優先
 ●性差別の横行
 ●コントロールされたメディア
 ●国家安全保障への執着
 ●宗教と政府の接近
 ●企業権益の保護
 ●労働運動の抑圧
 ●学問や芸術の軽視
 ●犯罪重罰化への執着
 ●身びいきと汚職の横行
 ●詐欺的な選挙

     △

 現政権は、ほとんどすべて当てはまるではないか!
 いわゆる安倍シンパといわれている方々、この現実をどう思う?

 少し怖くなってきた。
 安倍政権のやっていることはどう考えてもおかしいもの。




 
プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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