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 「まぐまPB10 アニメと特撮のあいだに」が完成しました。

 ブックカフェ二十世紀でトークイベント「高野浩幸タイム・トラベルトーク 今、蘇る少年ドラマシリーズ!」が開始されたことを記念して、高野さんに3時間に及ぶインタビューをしました。その記事が掲載されております。
 その他、小特集用にトキワ荘関連の映画や書籍に関するコラムを寄稿しています。はい、「夕景工房」や「もうひとつの夕景工房」に書いたレビューを修正したものです。

 以下の書店で直販されています。

 ・タコシェ(中野) 
 ・模索舎(新宿) 
 ・夢野書店(神保町)
 ・ブックカフェ二十世紀(神保町)

 また、通販も行っております。

 ・蒼天社通販
 


magumapb10
A5判・定価 本体500円+税
制作:STUDIO ZERO/発行:蒼天社/発売:開発社

目次:
 〈巻頭言〉 アニメと特撮のあいだに 小山昌宏
 福岡特撮座談vol.2~大森一樹さん(映画・脚本家)
 〈ブックレビュー〉「サンデーとマガジン創刊と死闘の15年」 新井啓介
 特撮への愛とマンガ・アニメに対する嫉妬。 足立加勇
 マンガとアニメの「間」を考えるーアニメ経験研究に向けた試論 池上賢

 俳優生活半世紀 高野浩幸 インタビュー

 〈シネマレビュー〉 バクマン。 新井啓介
 六〇年代特撮映画と音楽ー「大魔神」と「サンダ対ガイラ」 梅田浩一
 「裂け目」としてのライダーマンをめぐって 小池隆太

【小特集:トキワ荘の今昔物語】
 藤子・F・不二雄が描いたトキワ荘 稲垣高広
 〈ブックレビュー〉 二人で少年漫画ばかり描いてきた 新井啓介
 〈シネマレビュー〉 トキワ荘の青春 新井啓介
 時代あれこれトキワ荘周辺漫歩 小出幹雄
 原作と映画のあいだに ~回想録『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』は、いかにして映画『これでいいのだ! 映画☆赤塚不二夫』になったのか? 新井啓介

 『リバース・エッジ』はいかに改装/回想されたか? 三津木浩之
 〈BL的想像力〉が与えてくれるもの 西原麻里
 宗教アニメーションにおけるメディアミックス かに三匹
 90年代韓国のダメディア・ミックス 大江留丈二
  ~メディア・国家・時代そして版権までもクロスオーバーしてしまったマンガ原作映画

 表紙・本文イラスト/向さすけ



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 十月で60歳になる。
 もうそんな年齢になるのか。
 自分が還暦を迎えるなんて信じられない。光陰矢の如しというが、20代になってからというもの月日が経つのが早すぎてしかたない。
 未来の象徴だった2001年がすでにふた昔前になるのだ。20年なんて、いやそれ以上、30年、40年なんてあっというまだった。当時のことは昨日のように実感が残っている。まるでリアルタイムでタイムトラベルして今この時代にいる気がしてならないのだ。変な言い方になるけれど。

 60年近くの自分の歩みを一本の線で表すことができる。このイメージが頭に浮かんだのは中学時代のことである。
 まず●を一つ、それが誕生だ。1959年のこと。それを起点として左に線が少し伸びてまた●、保育園入園。そこから今度は下に線が伸びて●、66年の小学校入学だ。線はまた下に伸びて72年の小学校卒業、中学入学、75年の卒業、高校入学までの●に続く。この●から左に線が伸びて78年の高校卒業で●、下に線が伸びて79年の大学入学の●、そこからまた左に線が伸びて83年の卒業の●が入って以後ずっとそのまま左に線が伸びて現在に至る。その間に就職、結婚、娘の誕生、離婚がある。80年代の転職は数知れず。少し大仰か。
 下に伸びる線と左に伸びる線の違いは何なのか。自分でもわからない。 

 年齢を訊かれて冗談で「精神年齢は25」と答えている。あながち嘘ではない。結婚して子どもができたことで、その成長とともに生活も心境も変化した。親も成長するわけだ。とはいえ、基本的な考えや感情に変りがない。もし、独身のままだったら変化したのは外見だけ、ということになったかもしれない。

 僕の場合、1959年の十月生まれだから、10年という区切りが、それぞれの年代に刻まれている。10歳までが60年代、多感な10代が70年代、社会人としての歩みが80年代というように。
 子どもだった60年代はもちろん、学生時代を過ごした70年代も昔という感覚だが、社会人(大人)になってからはその意識がない。ほんと、ついこの間というものなのだ。
 リアルタイム・タイムトラベルとは、つまりはそういうこと。

 35歳になったとき人生の折り返しだと思った。人生を70歳だと仮定してのことだ。平均寿命が長くなったというが、それは明治、大正に生まれた世代が長生きしている(していた)だけで、ジャンクフードで育った僕たちはそれほど生きられないだろうと思っている。
 そこで60歳を一つの目安としていた。60歳まで生きられれば御の字、あとは余生だと。

 そんなわけで、60歳になる今年から生活を変える。好きなことを、やりたいことをやろう。自分ひとりだけを考えればいい。一定の収入さえあればできるだろう。
 もっといえば、いつ死んでもいいのだ。家族というしがらみがないとはそういうことだろう。 




2001/11/20

 『「仕事のプロ」といわれる人はここが違う』(中川昌彦/新潮社)  

 社会人になってからはからずもサラリーマン生活をやっている。40を超えるとそれなりの地位とお金がついてくるわけだけれど、僕の場合からきしダメ。人脈、金脈、まるでなし。切れる男、できる社員とはほど遠い。  
 ただ、仕事をする限りその仕事で達成感なり充実感が欲しい。これまで気持ちと行動が空回りしていたけれど、昨年あたりから変化してきた。「よくやっているよ」なんて言われたりすると、もうそれだけで小躍りしたくなる。その喜びが次の仕事のステップになる。  
 じゃあ、次はジャンプだとばかり本書を読む。  
 プロフェッショナルという言葉に憧れている。プロは何も特別の業界に存在しているわけではない。子どもの頃から夢見ていた世界ではプロになれなかったけれど、今やっている世界ではプロになれるはずだ。

 というわけで、本書の中でこれはと思われることを抜き出してみる。朝礼の1分間スピーチで発表すれば上司に受けると思うよ。

 ・仕事は挨拶に始まり、挨拶に終わる
 ・守れない約束はしないこと
 ・仕事は数字だ
 ・仕事には優先順位がある
 ・プロの仕事場は4S 整理・整頓・清掃・清潔
  ・六つのミスに気をつけよ
   単純ミス 確率的ミス 性格態度的ミス 判断ミス システムのミス 構造的ミス
 ・立ち直りが早いのがプロ
 ・健康維持こそプロの最低条件
 ・仕事は「準備・段取り・確認」


2001/11/29

 「君ならできる」(小出義雄/幻冬舎)  

 本来ならこの手の本は読まない。
 シドニーオリンピックの女子マラソンの模様は生で見ていたし、高橋選手が金メダルを取り、その報告のため小出監督を探す姿に胸にこみあげるものがあったにもかかわらず、オリンピック前に上梓され、高橋選手の金メダルによってあらためて注目されベストセラーになった本書にはまったく興味がなかった。
 本書を原作にしてテレビ朝日でドラマ化されたスペシャル番組には竹中直人の小出監督に好感をもったものの気恥ずかしさを感じたものだ。

 ではなぜ読んだのか。
 答えは簡単、来年1月に開催される会社の「新春賀詞交歓会」の記念講演の講師が小出義男氏だからだ。
 講師が本を上梓している場合、参考のため最新刊を購入する。例年講師は経済学者などで読む気力もないのだが、人間臭い小出監督なら別だ。というわけで一昨年の篠田正浩監督に続く〈賀詞交歓会〉読書である(篠田監督の本は自主的に図書館から借りたのだが)。

 小出監督は日頃の講演その他でよくされるであろう問いに対する答えをまとめるために本書を書いたと思われる。マラソンを教える全国の指導者たちは本書を読むだけで事足りる。一つひとつのエピソードは短く、活字が嫌いな人も読むのに苦にならない。
 直接マラソンに関係ない人も別の状況に置き換えることによって何かしらの参考になるだろう。

 本書で小出監督に対する僕の以前から抱いていた疑問が解消された。
 なぜ男子ではなく女子マラソンなのか、という疑問である。曰く、男子マラソンは歴史が長く世界のレベルが高すぎて日本人がトップになるのは難しい。しかし女子は始まったばかりなので、努力次第で一番になれる。
 とはいえ、女性だけを相手するのは容易なことではないだろう。女の集団はちょっとしたことで嫉妬や反目、陰口が絶えない。実際に僕自身が担当する仕事やパートで働くかみサンの話からまったくもって女はたまらないと思っている。
 だから本書にそういったことが事細かく綴られていて、どう対処したかが書かれていたらと期待していたのだが、やはりさらっと触れるだけだった。まあ、当然のことだろう。




 先週も今週も、映画を観るために水曜日から火曜日に休みを変更した。にもかかわらず、疲れのため外出を取りやめた。新作ならば、公開期間中に押さえればいいが、旧作だと次いつ観られるかわからない。この機会を逃すのは痛恨の極みだが、疲れには精神的な問題が大ありなので諦めざるをえない。
 外出しない=時間がある、ゆえにブログが更新できるから、まあ、いいか。

          * * *

2001/12/11

 「町でいちばんの美女」(チャールズ・ブコウスキー/青野聰 訳/新潮文庫)  

 土屋嘉男「クロサワさーん!黒澤明との素晴らしき日々」(新潮社)を読んで黒澤監督の見る夢のユニークさに唸ったものだ。中でも巨大な女性のあそこに落ちて、もがき苦しむ夢には「さすが日本が世界に誇る映画監督だ」と思った。
 感想にそれを書いたら、友人から同じようなシチュエーションに陥る男の短編小説があると教えてくれ、所収されている文庫本を贈ってくれた。本書である。  

 作者のチャールズ・ブコウスキーについて何の知識もない。存在すら知らなかった。  
 この短編集をどう紹介したらいいのだろうか。アメリカにも私小説というジャンルがあるのだろうか。
 酒浸りの毎日、肉体労働による適当な収入、女を抱いてのその日暮らし、そんな作者自身の自堕落なある日、ある時の身辺スケッチが多い。もちろんSFチックな空想話、まったくの架空(であろう)物語も所収されてはいるが作者・ブコウスキー自身が主人公となる話がほとんどだ。エロティックというにはガサツで猥雑、砂を噛んだような味わい。そのものずばりの表現、描写が多い。  

 訳者の〈あとがき〉を読むと翻訳不能の文体らしく、かなり訳者の創作があるらしい。  
 「淫魔」なんて変態男が年端の行かない少女を犯し捕まるだけの話で読んでいて気分が悪くなる。  
 「15センチ」に黒澤監督の夢と同じシチュエーションが登場する。こちらは魔女が男に薬を飲ませ身体を小さくしてしまい夜な夜な自分のあそこに挿入して楽しむというもの。  
 その他、下半身関係の短編のタイトルをピックアップしてみると、「ファックマシーン」「10回の射精」「なかなか交尾できない空飛ぶ猿たち」「人魚との交尾」「白いプッシー」……いったいどんな内容を想像するだろうか。  
 あるいは詩人でもあるブコウスキーはどんな詩を書くというのか。  

 訳者がブコウスキーの短編で最初に出会ったのが表題作。この短編を最初に読まなければ日本で紹介する気にはなれなかった、と書いている。その気持ちはよくわかる。  
 「町でいちばんの美女」にはとても共鳴できた。町いちばんの美人である女性の、たぐいまれなその美貌に男性は寄ってくるのだが、ただ自分の美貌だけしか見ないのだ、自分のマスクと体だけを欲するのだと、人間不信に陥り、何度も顔を傷つけ、自殺未遂を繰り返し、やがてあっけなく死んでしまう物語。醜男であるがゆえに美女に悩みを打ち明けられ、愛し合い、何とか手をさしのべようとして、結局何もできなかったブコウスキーの酒臭い息が臭うようなラストがせつない。  


2002/02/05

 「異邦人」(カミュ/窪田啓作 訳/新潮文庫)

「やっぱり訳がよくないよ。読み始めて直訳みたいな文章にイライラしてしょうがなかった」
「昔の作品はみんなあんなんじゃないの。今は翻訳がうまくなったんでしょ」
「それにしてもひどすぎる。昔の人はこういう文章をありがたがっていたわけか」
「たとえば?」
「代名詞が多すぎる。その、それの、そこを、なんてのが同じ文章の中で何度もでてくる。主人公たちが海岸で遊ぶくだりでは『水に入る』なんて会話があるけれど、普通海に入るって言わないか? キリストのこと、クリストなんて書くし」
「フランスではそう表現したり発音したりするんじゃない?」
「そりゃ、フランスじゃそうだろうけれど、翻訳にあたって日本語の文章にするのが当たり前だろう」
「訳者としてはフランス語のニュアンスを何とか伝えたいってとこかしら。冒頭だって、ほら有名な、きょう、ママンが死んだって始まるでしょ。ママンよ、ママン」
「……そうだけどさ」
「岩波だけでなく、新潮もダメってことか(笑)」
「でも第2部になって、主人公が殺人を犯してからはぐっとよくなった気がする。一気に読めたもの」
「で、どう? あなたの感想は?」
「田中真紀子、アホの鈴木宗男、外務省事務次官によるNGO排除の問題にかかわる騒動をカミュの作品をもってきて不条理の世界と評した新聞のコラムがあったけれど、で、オレ自身カミュといったら、真っ先に不条理って言葉を思いつくのだけど、この小説のどこが不条理なの? って言いたい」
「だからそれは主人公がそのときどきによって考えや態度が変わって一貫性がない、その連続で死刑判決を言い渡されるところ、周囲の人間にとって、そんな主人公の存在が不条理そのものだと……」
「だいたい偶然のなりゆきで人を殺したのにどうして死刑になるの?」
「当時のフランスはそうだったんじゃないの」
「あの裁判は何だよ! 母親を養老院に入れていたこと、葬儀の時に泣かなかったこと、葬儀の後に彼女といちゃついていたことがどうして、殺人と関係あるんだ? 母の死に涙流さないと死刑になるんだったら、オレなんて今生きていないよ」
「お義母さんの葬儀のこと?」
「そうさ。自分でも不思議なくらい落ち着いてた」
「でもそれは、すでに1年前から覚悟していたからじゃない。ずっと寝たきりだったし」
「亡くなってから葬儀まで日にちがあいて、何もすることないから映画も観たし」
「知らなかった! あなた、そんなことしてたの?」
「…親不孝もんだけどさ。親を失った悲しみってさ、個人によって違ってくると思うんだ。こんなオレだって毎日の生活の中でふいにさ、ああ、母親はもうこの世にいないのか、って思って、いてもたってもいられなくなることもあるんだから」
「やけにこだわるのね」
「いくら昔だってさ、やっぱりこの小説の裁判っておかしいよ。まず主人公がなぜアラビア人を殺してしまったのか。動機なき殺人とはわけが違うんだから。そりゃ人殺しなんだから罪がないとは言わないけどさ。正当防衛とも言えるんだぜ。最初に襲ってきたのは奴らなんだし」
「だから、さっきも言ったように主人公がその時に応じてその場の感情でモノを言うから……」
「それからアラビア人というの、何か意味があるのかな、人種的問題の」
「それはわからないけれど、この主人公は当時では理解不能な人なのよ。殺人の理由を訊かれて太陽のせいにするなんてやっぱりおかしい。でも現代ではこの手の人が大勢いるから、主人公が異常に見えないんじゃない」
「それにしたってあの裁判はおかしい。陪審制度って信じられなくなった。こんな裁判が成り立つなら新潟の少女監禁の犯人をこの陪審で14年以上の刑にしてもらいたいよ。ったく、あの犯人どの面さげて控訴できるってんだ」
「まあまあ。でも、この小説、中学生や高校生のときに読んでもちっとも理解できなかったわね。この年齢になったからよくわかるのよ。それよりあたしが読んでほしいってとこ、わかった?」
「あん?」
「わからなかったの? ほら、主人公の恋人マリイが主人公に結婚してって言うくだりがあるでしょ。主人公が煮えきれなくて結婚したいのだったら結婚するって返事する……」
「ああ、あそこね」
「マリイが言うでしょ。『あなたは変わっている。きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、いつかまた、その同じ理由からあなたがきらいになるかも知れない』 この気持ち、わかるなあ、って」
「……」
「やっぱり。訊くんじゃなかった」




2001/02/16

 「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」(岡謙二/ソニー・マガジンズ)  

 円谷プロのウルトラマンシリーズと違って東映の仮面ライダーシリーズにはそれほどの思い入れはない。放映が開始された当初は「悪魔くん」「河童の三平」系統のホラー色濃厚な等身大のヒーローものということで注目した。
 が、藤岡弘(現藤岡弘、)の事故で主役が佐々木剛に変更になってからドラマそのものが妙に明るくなり、「へんしーん!」ブームがやってくるともうどうでもよくなった。しかし、5歳下の弟が完全にハマってしまい、チャンネルの主導権が移ってしまった。
 この頃の、一気にブームがおとずれた様子は、メディアをとおさなくても弟とその友だちの遊びを見ているだけで実感できた。
 弟が真剣に番組に熱中している横で兄貴はわりと冷めた目で「V3」あたりまではつきあっていた。

 たぶんに年齢的な(もう中学生になっていた)問題もあるだろうが、仮面ライダー他の東映ヒーローものに共通するドラマ作りをバカにしていたところがあった。
 登場する怪人のいかにもな造型とネーミング。耳障りな敵の首領たちが叫ぶ「×××なのだ」の〈のだ〉の連発。何よりアクションのクライマックスで、たとえば必殺武器「ライダーキック!」が飛び出すとき、同ポジのカットを3回繰り返す演出が稚拙に感じたものだった。
 というわけで仮面ライダーにそれほど思い入れがなかった僕は昨年復活したシリーズの新番組「仮面ライダークウガ」に何の期待もしていなかった。

 ハイビジョン撮影といってもしょせんはビデオ、また特撮のメイキングビデオみたいな薄っぺらな映像を見せられるのかと冷ややかに放映開始を待った。
 映像的には当初そういった違和感があることはあったが、ドラマは本格そのものだった。
 たぶんに「踊る大捜査線」の影響もあるのだろうが、警察機構をしっかりと描き、その中で主人公と仲間たちの活躍に焦点をあてた。
 リアルな演出に好感を持った。ヒーローも敵の怪人も最後まで第○号と登場人物たちに呼ばれ(クウガは最後まで子どもたちにさえ第4号と呼ばれていた)、エピソードによっては人間主体のほとんどクウガや怪人が登場しないこともあって、歓喜した。

 人間体の怪人たちが登場するシーンではファンの間で話題沸騰になった怪人言葉(グロンギ語)の解読より、その映像そのものに酔った。
 ラス前の敵とクウガの戦いでは心象風景として互いが人間に戻り、泣きながら殴る主人公と笑いながら殴る敵を描くことによって、暴力とは何かを静かに訴えていた。  
 最終話はまるまるクウガと敵による最終決戦の後日談にあてられ、主人公すらラストにちょっと顔をだす程度。これまでのヒーローもののドラマツルギ-から逸脱した最終話に快哉を叫んだものだ。  

 そうなると仮面ライダーシリーズがどんなものであったか知りたくなるのが人情。ちょうどうまい具合に図書館に本書があったので借りてきた。
 最近この手の、かつて特撮ヒーロー番組の主演者による回想録が盛んに刊行されている。当初ウルトラ関係者だったものが、ピープロ、東映関係に飛び火した感じ。仮面ライダーもメインの1号、2号を演じた藤岡弘、佐々木剛の単独の著書は上梓されている。シリーズを包括、総括しているところが本書のミソだろうか。

 歴代の主人公を演じた役者たちが登場する。  
 藤岡弘、佐々木剛、宮内洋(V3)、速水亮(X)、荒木しげる(ストロンガー)、高杉俊介(スーパー1)、菅田俊(ZX)の面々。  
 どの役者たちのインタビューからも制作現場の激しさ、つらさが伝わってくる。  
 シリーズの中で異色な存在となっている「アマゾン」(僕自身、けっこう好きでわりとチャンネルを合わせた)の主役・岡崎徹が行方不明でインタビューを受けられなかったのは残念。現在売れっ子になっている村上弘明(スカイライダー)のプロフィールにはデビュー作「仮面ライダー」が掲載されていないという。哀しい。  
 宮内洋の章では最近日活映画に関する本を読んでいることもあって、渡り鳥シリーズの影響大である「怪傑ズバット」が観たくてたまらなくなった。  

「異形の者でなければヒーローになれない、ヒーローは不気味な面白さが必要」が原作者・石森章太郎の信念だったことを本書で知った。オリジナルビデオでリリースされた「真仮面ライダー」はぜひともチェックしたい作品ではないか。


2001/06/30

 「発光妖精とモスラ」(中村真一郎・福永武彦・堀田善衞/筑摩書房)  

 小林信彦「小説世界のロビンソン」(新潮文庫)で純文学作家・福永武彦が加太伶太郎名義で推理小説も書いていたことを知り、だから「モスラ」の原作を共同執筆しているのかと目から鱗が落ちた状態でいるところに、図書館の書棚で本書を見つけた。  
 中村真一郎・福永武彦・堀田善衞による原作「発光妖精とモスラ」、関沢新一の映画「モスラ」の第一稿および決定稿が収録されている。  

 ロシリカ共和国の水爆実験場となったインファント島に住む小美人を悪役ネルソンがさらって東京で見世物興行を行う。小美人の歌声によって島の守り神であるモスラが卵から誕生すると小美人を追い日本に上陸する。体長100mのモスラには小美人救出の本能しかなく、そのため東京は大混乱に陥るのだった。  

 「発光妖精とモスラ」は小説というより、シナリオの梗概という印象を受けた。主人公、映画ではフランキー堺が軽妙に演じていた新聞記者の福田善一郎とは作者3人の名前を合成したもであることを今さらながら知った。
 シナリオ(映画)には取り入れられなかったモスラに関する伝説が面白い。

 小説とシナリオ(映画)の違いはいくつかある。まず小説の小美人は4人で、身長も映画(30㎝)の倍ある。またロシリカ共和国は決定稿ではロリシカ共和国となっている。もろロシア+アメリカだからだろう。
 驚いたのはモスラが繭を作る場所が国会議事堂というところとラスト小美人をインファント島に返した後宇宙に飛び出し半世界へ突入するくだり。平成のゴジラシリーズ「ゴジラVSモスラ」はしっかりかつての原作を踏襲しているのですな。  

 関沢新一によるシナリオは原作の魅力を大きく膨らませて傑作である。映画を知らなくても映像を頭に浮かべることができる。人物像がしっかり書き込まれて、人間側のドラマとモスラの都市破壊スペクタクルが見事にシンクロしているのだ。怪獣映画黄金時代のよき時代を感じさせる。
 第一稿と決定稿の大きな違いはそのラスト。一稿はロリシカ共和国の首都をモスラが襲う映画同様のものだが、決定稿では九州に逃げたネルソンをモスラが急襲するエピソードに変更されている。このラストは実際に撮影されたらしいが、結局オクラ入りになって元のラストが採用されたとのこと。

 香山滋の小説「ゴジラ」を読んでみたくなった。




 「市川崑の映画たち」は、その後手に入れた。また「定本 市川崑の映画たち」も出版されると同時に購入した。読んではいないけれど。市川崑監督関連の本は、いくつか出ているが、いつも感想を書きそびれている。書きたいことがいっぱいあって、落ち着いたらと思っているうちにそのままになってしまうのだ。

     ◇

2001/11/07

 「危険な思想家」(呉智英/メディアワークス/主婦の友社)

 最近地元の書店で呉智英の文庫化された著作がたくさん並べられたコーナーを見つけた。「バカにつける薬」等刺激的なタイトルが平積みされていて思わず手にとってしまった。財布の中と相談して購入するまでには至らなかったが、どの著作も面白そうだ。  
 そんなことがあった後、図書館で本書を見つけた。

 書名から現代の危険な思想家たちへの痛烈なカウンターパンチか?と思ったのだが違っていた。己を危険な思想家と位置づけ、愚にもならない安全な思想家たちへの批判に満ち溢れていた。
 たとえばオウム問題に対して仲間を無残にも殺されてしまったことに対して何もしてくれなかった警察を批難する人権派弁護士、福島瑞穂、伊藤芳郎への批判。
 人権イデオロギーの先兵としての立場はどうなってしまうのか、人権を声高に主張していたのはどこの誰だったか。警察が動かなかったのは、とりもなおさず人権イデオロギーに支配されていたからではないか。賞賛こそすれ、批難するのはおこがましい、と。
 あるいはオウム問題を得意のフェミニスト問題にすりかえて論じてしまう田嶋陽子の愚かさ。麻原彰晃を重く評価すると発言して世の批難を浴びた吉本隆明。

 「橋のない川」の住井すゑが戦時中に発表した戦争に加担した文章。記者にそれを指摘された際にとったふてぶてしい態度。
 きだみのるの名作「きちがい部落」が差別用語使用ゆえに、その内容にかかわらず現代では復刻できない現状や小人プロレス等の言葉狩り、差別問題に対する考え。
 最首悟(知識人)の、自己否定から解放されることがダウン症の子を授かることだという信じられない考え。
 大江健三郎の息子がCDデビューしたこと(大江七光)への某朝日新聞のはしゃぎよう。(大江光の才能がどうのこうのという問題ではない。ちなみにわが家では大江光のCDは2枚とも購入している)

 評論家芹沢俊介が朝日新聞「ウォッチ論潮」に掲載した文章について「現代国語」の文章問題として回答を求める形式は、オウム問題に関して中沢新一がオウム教徒に語った内容、そのやりとりに対して芹沢俊介が感じたこと、その両方とも衝撃的だった。  
 著者の上手いところは批判する相手の主張の中で認めるところはしっかりと認めること。認めた上で徹底批判を繰り広げるのだ。攻撃相手をとことん批判するだけの佐高信や本多勝一との違いはここだ。まあ、たぶんに作戦という気もしないではないけれど。  
 佐高信といえば、著者は週刊文春の恒例特集「こいつだけはゆるせない」(94年)で彼の活躍に関して左翼全滅時代の繰り上げ当選じゃないか、と言い放っている。早いうちからしっかり佐高批判していたのですね。すっかり忘れてました。アエラのダジャレ広告批判は朝日新聞夕刊4コママンガ「サミット学園」のつまらなさの指摘とともに覚えていたのだけれど。

 「あとがきに代えて」の東京クーデター計画の文章がふるっている。
 選挙に立候補するなら「差別のない明るい社会」という社会党ポスターの標語を自分流に変えて「差別もある明るい社会」にしたいと取材に訪れた記者に話すのだが、いっこうに記事にならないのだとか。皮肉がきついけれど、これはある部分真実だと思う。
 世界が一つになるなんてたぶん絶対にありえないように。


2001/11/27

 「光と嘘、真実と影 市川崑監督作品を語る」(和田誠・森遊机/河出書房新社)
 

 映画監督・市川崑の名を知ったのは、小6の時「木枯し紋次郎」を毎週観るようになってからだ。それまでは時代劇なんて年寄りが見るものと馬鹿にしていた。勧善懲悪の予定調和的ドラマ、かつらとひとめでわかる髷、着物も破れない嘘っぽい殺陣……。
 ところが「木枯し紋次郎」は違った。まず現代感覚あふれる主題歌(和田夏十作詞・小室等作曲・上條恒彦歌)が耳をとらえた。タイトルバックの演出が斬新だった。内容がとにかくリアル(様式美を無視した殺陣は今でも語り草になっている)。時代劇特有の嘘っぽさが感じられなかった。ほとんど悲劇でラストをむかえ、観終ってけっして爽快になるようなことはなかったものの、主人公(中村敦夫)の姿形、言動のかっこよさとともに、あくまでも時代の説明だけに徹するナレーション(芥川隆行)、荒涼とした自然や町を切り取るカメラワーク、こちらの生理に合致したカット割りや編集に夢中になった。  
 思えばこの時期、いわゆる子ども番組から大人ものへ興味の対象が移ってきた多感な頃でもあり、「木枯し紋次郎」は将来映画監督を目指して8㎜映画を撮っていた僕にとって、構図だとか編集だとかの極意を学ぶ絶好のテキストになった。(その他のお手本として恩地日出夫、斎藤耕一、海外ではフランコ・ゼフレッリがいた。)    

 高校時代には「犬神家の一族」が公開され、華麗な映像美とテクニックに魅了された。神業みたいなカッティングに魅了された。以後5作まで製作された石坂浩二主演の金田一シリーズの公開は邦画劣勢の時代の中で大いなる楽しみとなった。  
 僕の映画監督市川崑崇拝は頂点に達した。とにかく過去の市川作品を鑑賞したくてしようがなかった。が、そういう機会はない。せめて市川監督の研究本でもあればとも思ったが、これもまったくないのである。
 黒澤明や溝口健二 、小津安二郎についての本は見かけるものの、同じく巨匠の部類に入る市川崑の研究本がない。これはいったいどうしてなのか。キネマ旬報社からもその手の本が出版されていなかったことがまったくもって不思議だった。  

 そんな市川崑ファンである僕の渇を癒してくれたのが「市川崑の映画たち」(ワイズ出版)だった。森遊机という新進の映画評論家が市川監督のデビュー作から最新作までの膨大な作品について監督本人と語り合うインタビュー集である。ちょっと高価すぎて購入できなくて図書館で借りて読んだのだけれど(今古書店で探索中)、映画史ではカットされてしまうような作品をも網羅しており、なおかつ市川崑自身の作品についての感想が聞けるのである。これはうれしかった。  
 この本が契機になったかは知らないけれど、次に「黒い十人の女たち」がレイトショーされ、世の市川崑ファンが名乗りをあげてきた。おいおい、あなたたち今まで何していたのよ、と言いたくなるくらい。「どら平太」公開にあわせて映画紹介を含んだ市川崑研究のムックも発売されるなんてもう天にも昇る気分。わが世の春ってな感じだった。  

 さて、森遊机の市川崑監督に関する書籍がまた店頭に並んだ。今度は和田誠との対談で市川映画の魅力を思う存分語る趣旨。
 市川ファンのゲストも豊富だ。塚本晋也、井上ひさし、小西康陽、橋本治、椎名誠、宮部みゆき。
 塚本監督は「野火」をリメイクしたいと熱く語る。井上ひさしは「おとうと」を観て市川監督が大好きな監督の一人になった。小西康陽は当然自身がレイトショーをプロデュースした「黒い十人の女たち」。橋本治は誰も市川崑について書かなければ自分が書こうと考えていたところ、「市川崑の映画たち」がでて「もういいや」とやめたのだとか。椎名誠が「股旅」を語るのがうれしかった。宮部みゆきは「四十七人の刺客」。

 冒頭で、市川崑演出によるホワイトライオンのCFの話がでてくる。加賀まりこの出演したもので、「黒い十人の女たち」のレイトショーの時、同時上映された。オクラ入りしたCFと言われていたのだが、和田誠によるとその後オンエアされたらしい。このCFでさすが「市川崑!」と思ったのは、加賀まりこが実際に歯磨き粉をつけて歯を磨いてるところだった。その昔、歯磨き粉のCFといったら、皆歯ブラシだけ口に入れて磨くのが当たり前だった。子どもの頃、歯磨き粉のCMで実際に歯磨き粉を使わないのか不思議でならなかった。業界にそういうルールがあったのかもしれない。市川監督は見事そのタブーをやぶったのである。たぶんそのタブー破りがNGになった要因だろうと考えた。やはりそうみたいだ。若き加賀まりこはキュートで、口の中歯磨き粉だらけでもちっともいやらしくないのに。  

 なぜ市川崑研究本が出ないのか? あまりに多い作品、さまざまなジャンルに渡る作品が原因なのか100本以上の作品、確かに多い。そんな作品群を包括して評価できる映画評論家がいなかったのだろうと、二人は語る。
 80歳を過ぎた今でも市川監督は精力的に新作を発表しているが、昔は年に6本もの作品を撮ったこともあったという。現在の三池崇史みたいな存在だったと言われたときに新鋭監督、若い市川崑の姿を思い浮かべることができた。
 市川作品は大きく3つに分けることができると森はいう。
 「ビルマの竪琴」「炎上」「おとうと」などの文芸作品。「東京オリンピック」「黒い十人の女」などのモダニズムが貴重なスタイリッシュな作品。金田一シリーズ、「火の鳥」「鹿鳴館」「どら平太」みたいなコマーシャルな大作。
 僕はというと大作より小品が好きだ。「股旅」はこの上もなく大好きだし、80年代に公開され、今でもビデオになっていない「幸福」も忘れがたい。「おはん」も評判がいい。これは文芸ものになるのだろうが、文芸大作「細雪」の次に続く佳作というイメージがある。僕は主題歌を五木ひろしがうたっていて、いまだにビデオも観ていないのだけれど。
 金田一シリーズの中では「悪魔の手毬唄」が傑作だと常々思っていて、対談の中で筒井康隆がミステリ映画の3本に入ると言っていたと語っていて我意を得たりの心境。  

 市川映画のグラフィカルな部分を評価する人は多いという話から、同じ傾向の監督に実相寺昭雄、篠田正浩、増村保造の名を挙げているところに、自分の好みを指摘された気分。皆、好きな監督なのだ。

 森遊机は「犬神家の一族」で市川映画にめざめ、大学時代、名画座やフィルムセンターで過去の市川作品を観まくり、市川映画についての小冊子を作って、市川監督と知遇を得たと知った。「細雪」にはフォースの助監督で参加しているのだとか。何ともうらやましい。
 同世代なのだから僕だってこまめに名画座の市川崑特集を探し出して足しげく通うことだってできたはずなのだ。自分の怠慢さを棚に上げてちょっと嫉妬してしまう。
 そんな森遊机がトヨエツ主演の「八ツ墓村」を評価し、もう1作トヨエツで観たかったと語るのが信じられない。
 宮部みゆきとの対談で「四十七人の刺客」がベストテンに入る出来と言うのも「え?」だ。この作品は僕を「忠臣蔵」の世界に興味を抱かせてくれた記念碑的作品ではあるけれど、ベストテン云々のものではない。ただしラストシーンはとてもいいし、僕自身好きな作品である。だから同じ年、映画評論家の大絶賛を浴び、ベストテンの上位を獲得、数々の映画賞を受賞した深作欣ニ監督の「忠臣蔵外伝・四谷怪談」は観ようとも思わない。市川監督に操をたてているのだ!

 以前に比べて市川監督の昔の作品がビデオになり、目につくものは可能な限り鑑賞しているが、この対談集を読むと、まだまだたくさん面白い映画があることがわかる。読んでいてじれったくなってしまう。
 とにかく「幸福」はぜひともビデオ化、DVD化してもらいたい。




 サブカル・ポップマガジン(同人誌)「まぐま」には、かつて年2回発行とは別に、別冊がありました。その後、PB(プライベートブランド)ができて。このPB、発行人の小山氏がテーマを決めてさまざまな人に原稿を依頼していますが、当初は、1テーマの個人本でした。

 別冊第2弾が「まぐまEX2 怪獣文化とウルトラマン」。
 私もいろいろと寄稿していますが、その中に「特撮極楽読書録」がありました。拙サイト「夕景工房」にUPした読書レビューの中の特撮本をまとめたもので、デザインは「東京のロビンソン・クルーソー」の映画評を真似ました。小林信彦初期のバラエティー本を知らなければ「なんのこっちゃ」ですが。

 実はPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」を上梓したとき、第2弾「特撮批評のロビンソン」を考えていました。特撮関連のTV番組、映画、書籍のレビューを網羅し、「特撮極楽読書録」も収録つもりでいたのです。
 家庭問題のゴタゴタで完全に忘却の彼方になってしまいました。

 夕景工房のレビューは「ある日の夕景工房から」としてこのブログに再掲載していますが、「特撮の神様と呼ばれた男」をUPしたのを機会に「特撮極楽読書録」を定期的に掲載していきます。一度、UPしているものもありますがご了承願います。

 あっ、手抜きではないですよ!

     ◇

1999/12/07

 「金城哲夫ウルトラマンの島唄」(上原正三/筑摩書房)

 発売前に特撮雑誌等での宣伝、告知といったものがなく、突然に上梓されたという感じ。「ウルトラ時代」を買いに秋葉原の書泉に行ったら、特撮本コーナーに本書が置いてあって、内容を確認することもなくタイトルと著者の上原正三の名前で衝動的に手にとってレジに向かっていた。「ウルトラマンティガ/ウルトラの星」のシナリオを手がけたときから、金城哲夫の本格的な評伝を手がけるのだろうと期待していた。
 早く読みたかったのであるが、先に読破しなければならない本が続いて、やっと今読んだというわけだ。

 内容は上原昭三版「月の林に星の舟」といったところか。
 「月の林…」は円谷プロゆかりの人たちが実名、仮名で登場し、実相寺氏の体験をもとにした特撮TV映画に夢中になった当時の若者たちの青春小説だった。当然、大枠は事実なのだろうが、細部のエピソードは創作であり、物語自体、フィクションとしてしてとらえた方がいい。
 それにくらべ、本書はあくまでもドキュメントである。登場人物はすべて実名で、その中で金城氏の「Q」「マン」「セブン」の絶頂期、「MJ」の失敗、沖縄への帰郷、そして事故死までを小説風にまとめたものだ。
 特に沖縄に帰ってからの金城氏を丹念に追いかけているが、それもそのはずで上原正三が描きたかったのは帰郷後の金城氏だったとあとがきに本書ができた経緯が述べられている。
 帰郷後の金城氏を描く映画の企画があってシナリオの依頼が著者のところにきた。第1稿を書き上げ金城家にも了承をもらったが、この企画が資金難でストップしたままになってしまった。後の映画化のためにも本にまとめてみないかとすすめられて出来上がったたのが本書だという。
 本にするにあたって分量的に円谷時代も追加しなければならず、関係者に取材したが、各自の記憶が違っていて苦労したという。

 特撮ものにほとんど興味を示さず、デビュー作は沖縄をテーマにした社会派ものにしたかったという上原氏がその後「帰ってきたウルトラマン」のメインライターに起用され、やがて特撮ものの大家になるのと対称的に、沖縄問題を感じさせない明るくのびやかな作風で特撮ヒーローもののヒットを連発させた金城氏が沖縄返還前後に沖縄と本土を結ぶ掛け橋となるべく孤軍奮闘し、それが自分の人生を短くさせてしまったことを思うと、運命だったとは言え、何ともやりきれない。「MJ」の失敗の責任をとって、円谷プロを辞任し、沖縄に帰った金城氏であるが、創作上の壁が「怪奇大作戦」にあったと記されている。
 天性の明るさと沖縄をテーマにしたドラマは相容れないものなのか。


2000/04/11

 「地球はウルトラマンの星」 (切通理作/ソニー・マガジンズ)

 本書が出版されることを知ったのは昨年の2月、新宿ロフトプラスワンの会場だった。
 平成ウルトラマンのスタッフ・キャスト、関係者をゲストに呼んで、繰り広げられたトークショーの席で本人自ら、「ウルトラマンティガ」と「ウルトマンダイナ」の研究書を夏頃発売すると語っていた。
 最近、よほど興味のある(あるいは資料的価値のある)特撮本以外は購入しないことにしているのだけれど、これは聞いたとたん「買いだ!」と思ったものだ。
 「ウルトラマンティガ」を特集した「COMIC BOX」が非常によくできていたし(たぶん著者を中心に執筆、編集されたのだと思う)、何より「怪獣使いと少年」を書いた気鋭の評論家が平成ウルトラマンシリーズをどう分析するか、その切り口は大いに期待できた。
 ところが発売予定の8月、9月になっても店頭に並ぶ気配がない。本についての何の情報も入ってこないし、実際発売されるのかどうかもわからない。
 当初版元予定だったフュージョンプロダクトが何かともめている最中だったので、そのあおりを受けて発売そのものがウヤムヤになってしまうのか、心配したものだ。
(関係ないけど、ずいぶん前に本多猪四郎の評伝を書くと言っていたがどうなったのだろう)

 この3月末にやっと発売になったわけで、なるほどこのボリューム、内容の濃さならばなかなか完成しなかったはずである。
 本書はティガ、ダイナはもちろんガイアも含めた平成ウルトラマンシリーズ3部作の研究書になっていて、主要スタッフ36人へのインタビューで構成されている。(版元もソニー・マガジンズに変更になっていた。)
 グループの共同体制のよる作業ではなく、基本的には一人で各スタッフにインタビューをし、それを単に対談という形で活字化するのでなく、著者自身で咀嚼して原稿化するというまことに気の遠くなるような手順を踏む、本当に労作と言える一冊だ。
 表表紙から裏表紙まで神経が行き届いていてうれしくなる。この感動は初めて第一期ウルトラシリーズを取り上げたファンタスティックコレクションを手にした時によく似ている。
 こういう本を待ち望んでいたのだ。

 通常より小さい活字、おまけに2段組で450頁弱という圧倒的なボリュームながら、興味深い話が次々にでてくるから、読むのに苦労しなかった。

 冒頭の著者自身の「総論 ウルトラマン復活の道程」は僕自身の作品に対する気持ちの代弁とも言えるもので、何度か目頭が熱くなった。
 インターネットを閲覧するようになってわかったことは、(予想していたとはいえ)視聴者(ファン)側にはウルトラマンに対してさまざま見方、感じ方、意見があるということだった。世代の差というのも大いに関係しているのかもしれない。僕がそれほどと思えないエピソードが絶賛されたり、逆に面白いと感じたものがあまり評価されていなかったりと、まさに十人十色。
 ファンがそうなのだから、かつてのファンから製作側に転じたスタッフにしてもウルトラマンへのこだわりが各人それぞれなのは当然と言えるかもしれない。
 だからこそ、バラエティあふれるエピソードで成り立つシリーズができるのだろう。ウルトラマンシリーズの魅力の1つだ。

 いいとか悪いとかの問題ではなく、誰が自分の感性に近いか(ということは、自分にとって誰が面白い作品を作ってくれるか)ということを確かめるのに最適な本という側面もある。
 個人的には作品自体に非常に共感を覚えた監督の川崎郷太、北浦嗣巳、脚本家の長谷川圭一、太田愛、特技監督の満留浩昌の言葉に注目した。
 特にウルトラに関するインタビューはこれが最後になるだろう川崎監督のへのインタビューが貴重だった。過去のウルトラに対しての造詣の深さにかかわらず、マニアックに走るのでなく、ある部分冷めた目を持っているので、内容的にも、映像的にも非常に印象深い作品を撮っている。本人がウルトラは卒業と宣言しているので、今後のシリーズでの活躍がないのは残念。
 が、映画ファン、映像ファンの僕としては川崎監督のウルトラ以外での今後の活躍を信じている。ぜひとも川崎監督にはティガ、ダイナの傑作、異色エピソードを名刺代わりに、映画界、オリジナルビデオの世界に進出し、作品を発表してもらいたいものだ。(ティガ、終了後には引く手あまたになるのではないかと思っていたのであるが……)
 川崎監督とは別の意味で印象深いエピソードを撮った原田監督の演出理論は非常にわかりやすく、うなづくことしきりだった。
 最近ホラー映画がブームになっているが、「女優霊」「リング」「死国」と画面に霊を浮遊させ(と勝手に僕が表現している)、観ている者をゾっとさせる映像テクニックは脚本家・小中千昭の発案だというのを初めて知った。この小中氏のインタビューでは、「ガイア」のナレーション排除について言及していなかったのがちょっと残念だった。
 もちろん他の作家が担当したエピソードの何編かはナレーションを使用しているが、小中氏自身の作品には一切使用されていない。ウルトラ(マン)シリーズはナレーションそのものも一つの魅力(売り)だった。そのナレーションを排除して、映像で物語を語る姿勢というのもシリーズ構成を担当した小中氏の挑戦だったのではないかと僕は思っているのだが。
 平成ウルトラマン立ち上げの立役者・笈川プロデューサーの話にでてくる現場スタッフとの軋轢は作品は人がつくるものだという認識を新たにする。スポンサー、局と現場サイドをつなぐ作業も並大抵のものではなかっただろう。
 フィルムにこだわったMBSの局プロデューサー丸谷嘉彦の存在も忘れてはいけない。
 第一期から活躍している実相寺昭雄、佐川和夫、上原正三の三氏の登場もうれしい限り。

 36人の関係者を大枠でティガ、ダイナ、ガイアの3つに区分し、順を追うことでティガ~ガイアにつながるスタッフ証言による「メイキング・オブ・ウルトラマン」になっている。途中に主演(出演)者たちへのインタビューを挟んで適度なインターミッションをとる構成も素晴らしく、夢中でページをめくらせる秘策かもしれない。




 「翔びつづける紙飛行機 特技監督円谷英二伝」の著者が、次に上梓したのが、「特撮の神様と呼ばれた男」だった。

     ◇

2001/07/11

 「特撮の神様と呼ばれた男」(鈴木和幸/アートン)  

 今年は円谷英二生誕100年ということで関係書籍が書店で目につくようになってきた。本書もその1冊であるがまるまる円谷英二の評伝になっているところに目を瞠った。版元は聞いたことがないし、著者も知らない人なのでちょっと躊躇したものの内容が充実してそうなので買ってしまった。   

 プロフィールによると著者は94年に円谷英二の自伝「翔びつづける紙飛行機・円谷英二伝」(歴史春秋社)を上梓している。書店で見つけた時買うかどうか迷った本だ。子ども向けだと思って買わなかったのだが、あとがきに著者自身関連書物による情報をまとめただけの満足のいく出来でなかったと書いているので僕の判断もあながち間違っていたわけでもない。
 そんな前著の反省をもとに執筆されただけあって、円谷英二の誕生から少年時代、飛行学校時代、映画界入りとこれまであまり知りえなかったことも詳細に紹介、非常に読みごたえのある内容になっている。  

 昭和40年代中頃、円谷プロ関係者が相次いで亡くなった。悲しかったのはもちろんだが、円谷一の死亡記事を読んで驚いたことがあった。記事に円谷英二氏の長男と書かれていたからだ。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」等のクレジットで親しんだ二人の名前から、僕は勝手に一が兄、英二が弟の円谷兄弟だと思っていたのだ。
 円谷英二の本名は英一。なぜ英二を名乗るようになったかも本書に詳しく書かれている。
 早くに母親を亡くした英一は祖母に育てられた。円谷家の長男、5歳上の叔父(一郎)とはまるで兄弟のような仲の良さで、成人してから叔父は何かにつけて面倒をみている。そんな叔父をたてる意味、つまり円谷家に二人の長男はいらないということで英二を名乗った。映画界に入った頃、福島弁で「エイイチ」といっても人は「エーイジ」としか聞こえなかったことも一因のようだ。

 円谷英二が飛行機に憧れ、パイロットになろうとしたことは有名だが、発明家であったことは本書で初めて知った。飛行学校の後に入社した玩具会社であるおもちゃを考案し一儲けしている。映画界入りしていからはロケが雨天にされないようスクリーン・プロセスを開発している。戦前には自動写真機の前身ともいえる即席手動写真撮影機を作ってデパートでアルバイトもしているのである。戦後はこの装置を発展させ、無人で自動に写真が撮れる写真ボックスを発明。現在駅内やコンビニなどに設置されている写真ボックスの元は円谷英二が考案したものなのだ。びっくりした。プリント倶楽部の元祖機械の発案者が円谷英二だったなんて!

 日本映画史を扱った関係書籍を読んでいると戦前のところでぽつりぽつりとカメラマン円谷英二の名前が出てくる。「ハワイ・マレー沖海戦」「ゴジラ」以降、特技監督としての活躍はよく知っているけれど、それ以前については詳しくない。そんな僕にとってはカメラマン円谷英二の足跡を丹念に追ったくだりが興味深い。
 衣笠貞之助、林長ニ郎(長谷川一夫)等との交流は、映画界入りしてからの経歴からすると当たり前なのだが、どうも僕にはぴんとこない。
 唯一の監督作品「小唄礫・鳥追お市」を今でも観ることができるのだろうか。  

 ゴジラ製作時の苦労、その後の快進撃はすでに知っていることも多いが、こういう話は何度読んでも楽しい。  

 円谷英二には好好爺といったイメージがある。特撮好きな孫みたいな子どもたちを前にして笑顔の円谷特技監督のスチールを見たことがあるし、円谷プロ関係者の〈おやじさん〉の思い出を語った文章を読む機会が多いからかもしれない。  
 20代後半にごく短い間だったけれど、某光学撮影のプロダクションのアルバイトをしたことがあった。円谷プロの光学撮影技師たちが設立した会社で、時給は安く残業しても一ヶ月の給料が10万円を越えたことがなく、妻帯者には非常に厳しい懐事情だった。しかし、毎日の仕事は楽しかった。憧れの人たちから昔話を聞く時は至福の時だった。個人的な事情で不義理して辞めてしまったことを今でも後悔している。

 まあそれはともかく。この会社はマンションの2室利用して、作業場と事務所兼食堂としてそれぞれ利用していた。残業になると事務所の部屋に行き、スタッフ皆で夕食を食べる習慣があった。玄関をあがると正面の壁に円谷英二の写真が飾ってあった。たぶん「ゴジラの息子」撮影時のゴジラ、ミニラと一緒に写っているもので、まるで映画デビューする息子に連れ添って円谷特技監督に挨拶にきた父親といった感じ。ゴジラとミニラに対する円谷英二の柔和な表情がとても素敵で心が和んだ。毎日夕食時にはこの写真をちょっと見入ってから食堂に行ったものだった。
 子ども好きな円谷英二に本当の孫が誕生し、その心境の変化からゴジラ映画が変化していったのは何とも〈らしい〉逸話である。ぬいぐるみの怪獣演技の限界というもの関係しているのだろうけれど。

 本書は特撮映画マニアだけでなく、一般の人々に円谷英二という人、彼の日本映画界の技術発展に大きく寄与している部分、何度も挫折しながらそれでも前進してゆく姿勢、観客、視聴者に対する愛情を知ってもらいたくて書いたと〈あとがき〉にある。
 特に何度も挫折しながらの部分にはいろいろ考えさせられた。
 13年早く上梓されていれば僕自身の人生も変わっていたかもしれない、なんて思ってしまった。




 一昨年、昨年を反省して、この読書録は毎月、翌月にはUPしていきたい。

     ◇

2019/01/02

 「長編詩 雨の巨人」(友理/響文社)


2019/01/01

 「帰ってきたウルトラマン大全」(白石雅彦・荻野友大/双葉社)


2019/01/10

 「砂の街路図」(佐々木譲/小学館)


2019/01/12

 「映画狂乱日記」(小林信彦/文春文庫)


2019/01/14

 「翔びつづける紙飛行機 特技監督円谷英二伝」(鈴木和幸/歴史春秋出版)

 BC二十世紀の棚にあったので読んでみた。
 この本、著者自身が出来がよくないと次作「特撮の神様と呼ばれた男」を書いていた。
 確かに、映画タイトルが正確ではないし、間違いもいくつかある。
 

2019/01/16

 「ダスト18」(手塚治虫/立東舎)

 図書館の棚にあったので借りてきた。
 講談社の全集の解説だったと思うが、連載時途中で打ち切られた結果、タイトルを「ダスト18」を「ダスト8」に変更してストーリーを大幅に改変したと手塚治虫自身が書いていた。
 それが元のタイトルでそれも大判で出版されるとは?
 できるだけ連載時のままの体裁で読んでもらうことを趣旨としたものだった。
 こういう企画、手塚治虫が生きていたら絶対実現しないだろう。 


2019/01/21

 「別冊映画秘宝 オール東宝メカニック大図鑑」(洋泉社)

 特撮は、あくまでも完成したときの出来(リアル感)がものをいうと思っている。だから、ミニチュア撮影だろうとCGだろうが関係ない考えだ。
 とはいえ、こういうムックを読んで(写真を眺めて)いると、撮影はあくまでも対象物があってこそだよなあと宗旨変えする自分がいる。




 毎年、目標に掲げながら果たせないでいる小説の執筆を今年こそ実行しようと、BC二十世紀の平日のカフェ業務をはずれ、DQ1本に絞ったのに、なんだかんだと店に顔をだすことが多く、自由時間が持てないでいる。
 慌ただしさは昨年以上のような気がする。
 いいのか、これで!

 映画も休みの日にまとめて観ている。
 映画黄金時代の作品は皆面白い。名画座通いをしたいよ、金があれば。

     ◇

2019/02/14

 「兵隊やくざ 殴り込み」(ラピュタ阿佐ヶ谷)

 「父と子 続・名もなく貧しく美しく」(ラピュタ阿佐ヶ谷)


2019/02/18

 「若い狼」(渋谷シネマヴェーラ)


2019/02/20

 「兵隊やくざ 強奪」(ラピュタ阿佐ヶ谷)

 「裸の大将」(ラピュタ阿佐ヶ谷)

 「白と黒」(ラピュタ阿佐ヶ谷)


2019/02/27

 「アリータ:バトル・エンジェル」(MOVIX川口)

 「メリー・ポピンズ リターンズ」(MOVIX川口)




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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