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「まぐまPB13 マンガ・スタディーズ・アウトサイド」4月下旬発売されます!

「まぐまPB」は以下の書店で直販されています。

 ・タコシェ(中野) 
 ・模索舎(新宿) 
 ・夢野書店(神保町)
 ・ブックカフェ二十世紀(神保町)
 ・ネオ書房(阿佐ヶ谷)

通販も行っております。
  蒼天社通販

目次:
マンガスタディーズ・アウトサイドーマンガ研究〈ブックレビュー〉22冊
・赤田祐一・ばるぼら『定本 消されたマンガ』(三津木浩之)
・足立加勇『日本のマンガ・アニメにおける「戦い」の表象』(坂口将史)
・池上賢『“彼ら”がマンガを語るとき』(松浦優)
・石岡良治『「超」批評視覚文化×マンガ』(小池隆太)
・茨木正治『メディアのなかのマンガ:新聞1コママンガの世界』(池上賢)
・大塚英志『戦後まんがの表現空間:記号的身体の呪縛』(松浦優)
・片寄みつぐ『戦後漫画思想史』(小山昌宏)
・稀見理都『エロマンガ表現史』(三好悠太)
・小山昌宏『戦後「日本マンガ」論争史』(三好悠太)
・ジャクリーヌ・ベルント編『マン美研』(小池隆太)
・白石さや『グローバル化した日本のマンガとアニメ』(坂口将史)
・杉本省吾『岡崎京子論 少女マンガ・都市・メディア』(三津木浩之)
・鈴木雅雄編『マンガを「見る」という体験』(坂口将史)
・鈴木雅雄 中田健太郎編『マンガ視覚文化論見る、聞く、語る』(坂口将史)
・副田義也『マンガ文化』(池上賢)
・高橋明彦『楳図かずお論:マンガ表現と想像力の恐怖』(小山昌宏)
・成瀬正祐『護美之山』『護美之砦』『護美之園』(高橋明彦)
・日本諷刺画史学会清水勲編『保存版諷刺画研究』(小山昌宏)
・ニール・コーン著、中澤潤訳『マンガの認知科学:ビジュアル言語で読み解くその世界』(池上賢)
・古永真一『BD第九の芸術』(三津木浩之)
・溝口彰子『BL進化論』(小池隆太)
・山森宙史『「コミックス」のメディア史モノとしての戦後マンガとその行方』(小山昌宏)

北朝鮮アニメーション史―世界最強のポリコレ・アニメ北朝鮮アニメ創作60年の“苦難の行軍” 大江・留・丈二

グローイングアップ映画祭/鶴川ショートムービーコンテスト2021上原正三脚本作品特集上映上映会&トークショー 小中和哉・田口成光・切通理作・白石雅彦

マンガメディアにおける形態学的描線論から生態学的描画論への転換に関する考察(前後編)―「マンガ原論」から「基礎マンガ学」への絵画論的基礎の試み 小山昌宏

追悼 飯島敏宏監督とブックカフェ二十世紀トークイベント 新井啓介

編集後記

表紙・本中イラスト/向さすけ

まぐまPB13
A5判・定価 本体500円+税
制作:STUDIO ZERO/発行:蒼天社/発売:汎工房
ISBN:9784909821126

【既刊】

magumaPB12
「まぐまPB12 アニメのエターナル・ビジョン」

9784909821041
まぐまPB11 アニメのアニメのメディア・ポリティクス

まぐまPB10 表紙
まぐまPB10 アニメと特撮のあいだに

まぐまPB9 表紙
まぐまPB9 アニメの声と音と音楽と

まぐまPB8 表紙
まぐまPB8  戦後『特撮怪獣』60年史




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 2月の「午後のぶらり寄席」は2月11日(土)に開催された。
 ツイートは以下の3本。
 

     ▽

【ブックカフェ二十世紀 2月のイベント】
1月もあとわずか。あっというまの2月ですよ。2月といえばバレンタインデー! 初めてチョコをもらったのは中学3年。1年下の全く知らない女子からでした。あれからもう半世紀ですか。3日後はバレンタインデーだよ!ぶらり寄席は11日(土)。お待ちしています!

【ブックカフェ二十世紀 2月のイベント】
2月4日は何の日でしょうか? BC二十世紀の経営母体、@ワンダーの2号店@ワンダーJGが本日オープンしました! 一足早い春が神保町の一角にやってきたのです。大型店舗に驚きますよ。3日後はバレンタインデーだよ!ぶらり寄席は来週11日(土)。懇親会あり?

【ブックカフェ二十世紀 2月のイベント】
雪降る中を上野のエゴン・シーレ展へ行ってきました。エゴン・シーレの自画像等の人物画はなぜか仏ヌーベルバーグの作品を彷彿とさせてくれます。あくまでも個人的で勝手なイメージですが。3日後はバレンタインデーだよ!ぶらり寄席は明日(11日・土)です。

【ブックカフェ二十世紀 2月のイベント】
先週のぶらり寄席、14名のお客様でした。予約はそれほどではなかったのですか、当日いらっしゃる方が多かったですね。ありがたいことです。皆様に感謝申し上げます。懇親会も盛り上がりました! 盛り上がりついでに一人で阿佐ヶ谷のスナックへ。歌いまくり!

     △


このまま続けます


Single8_convert_20230219150527.jpg

 3月のイベントの告知です。ブックカフェ二十世紀で開催します。 
 切通理作さんと企画しました。

 小中監督の最新作「Single8」が3/18(土)に公開されます。
 8㎜映画作りに情熱を燃やす若者たちを描く70年代青春グラフィティ、自身の半自伝的青春映画です。公開を記念して、また映画のヒットを祈念して12日(日)小中監督が学生時代に撮った8㎜映画の上映会を開催します。8㎜のプロジェクター(ある世代には映写機といった方が馴染みがあるかも)を持ち込んで上映します。
 当時の8㎜映画上映会を知る昭和世代には懐かしく、ビデオをプロジェクターで投影する上映会に慣れ親しんだ平成世代にはアナログ感覚が新鮮なのでは?
 上映会のあとは、今関あきよし監督をゲストに迎え、切通さん聞き役の鼎談トーク! どうぞお楽しみに。

 ご興味ある方はぜひご参加ください。
 



2022/02/02

 「フジテレビはなぜ凋落したのか」 吉野嘉高/新潮新書

 図書館本。

 子どものころ、民放TV局のイメージは、あくまでも個人的な勝手なイメージではあるが、トップ3がTBS、日本テレビ、フジテレビ、続いてがNET(現テレビ朝日)、ビリが東京12チャンネル(現テレビ東京)というものだった。12チャンネルは小学生のころ電波が弱かったのか、郷里(群馬県太田市)では映りが悪かった。だからあまりチャンネルを合わせることがなかった。
 トップ3と書いたのには理由がある。たとえば夜7時からの30分番組(今と違って子ども向けのアニメやドラマをやっていた)は、ほとんどこの3局に集中していて、7時半になると、NETというパターンが多かったのだ。メインとサブの関係というか。
 トップ3の中でも順位はある。TBSと日本テレビが東西の横綱とすれば、フジテレビはその下、大関といった塩梅か。母と子のフジテレビというキャッチフレーズで、アニメ、特撮ヒーローもの、いろいろとお世話になっていて、夕方6時半のニュースはいつもフジテレビを見ていた。好きな局だった。
 それが、80年代になってからの〈楽しくなければテレビじゃない〉を合言葉にした怒涛のお祭り騒ぎ(視聴率至上主義)に嫌気がさした。ずいぶんフジテレビの天下が続いた。
 日本テレビがフジテレビ化したのには驚いた。これで日本テレビが嫌いになった。今はテレビ朝日がフジテレビ化している。

 著者は元フジテレビの社員とのこと。
 辞めた人間が会社のあれこれを言うのはどうなのか。
 いろいろ新事実を教えてくれたことには感謝するけど。
 


2022/02/10

 「燃えよ剣(上)」 司馬遼太郎/新潮文庫

 図書館本。

 映画を観たことで小説に興味を持った。
 司馬遼太郎の小説はいつもそうだ。
 NHKの大河ドラマ「徳川慶喜」、映画「御法度」、観てから原作をあたっている。

 185頁
 この門下(千葉道場)から、清河八郎、坂本竜馬、海保帆平、千葉重太郎など、多くの国事奔走の志士が出たのは、諸藩からあつまってくる小康小既悲歌の士が多く、その相互影響によるもので、現代(こんにち)の東大、早大における全学連に類似とはいわないが、それを想像すれば、ややあたる。


2022/02/19

 「燃えよ剣(下)」 司馬遼太郎/新潮文庫

 図書館本。

 読了するため、地元デニーズに籠る。

 221~244頁
 船で東帰が決まった日、歳三はお雪と再会する。
 西昭庵における2日間の夫婦生活。ぎこちない接吻。初めて肌を重ねる。
 1日めの夕方、狭い庭から夕陽を見る。
 このくだり、映像化でははずせないのではないか。

 歳三が旅立つ。
 雪が見送り刀を渡す。
 その後、その部屋で雪はすごし絵を描くことに没頭する。ふたりで見た夕陽の絵だ。

 504頁
 歳三はもはやいま生きている実感を、お雪の体の中にもとめる以外に手がなくなっていた。
 いやもう一つある。戦うということである。

 519頁
 榎本武揚、大鳥圭介などは、この戦争(函館戦争)をしていてのかれらなりの世界観と信念をもっていた。
 どうみてもかれらは戦争屋というより、政治家であった。その政治思想を貫くべくこの戦争をおこした。
 が歳三は無償である。
 芸術家が、芸術そのものが目標であるように、歳三は喧嘩そのものが目標で喧嘩をしている。

 司馬遼太郎史観による土方歳三の物語。
 江戸と明治が地続きなのが実感できる。
 明治に活躍する著名人(政治家、軍人等)が、突然明治時代に現れたのではなく、江戸時代は名もない若い武士だったのだ。



2022/02/24

 「作家は時代の神経である コロナ禍のクロニクル2020→2021」 髙村薫/毎日新聞出版

 図書館本。

 サンデー毎日連載をまとめた一冊。図書館の棚で新刊を見つけるたびに読んでいる。
 コロナ禍の1年を追体験できた
 書名は開高健の著作「過去と未来の国々」に出てくる言葉だそうだ。


2022/02/25

 「日本橋に生まれて 本音を申せば」 小林信彦/文藝春秋

 「本音を申せば」(その前は「人生は五十一から」)シリーズ最終巻。
 突然の連載終了には驚いた。とはいえ、仕方ないなと思う自分がいた。
 この何年か読んでいて、その文章に不安を感じていたからだ。
 書くと長くなる。
 ファンとしては一言。
 長い間楽しませていただきありがとうございました。

 お疲れさまでした!




 
2022/02/24

 「オンボロ人生」(ラピュタ阿佐ヶ谷)

 かつて筑摩書房に「現代漫画」という選集シリーズがあった。当時を代表する、大人マンガ、児童マンガの人気漫画家たち(横山隆一、園山俊二、東海林さだお、手塚治虫、水木しげる、石森章太郎、つげ義春等々)を網羅した全15巻の選集だ。ハードカバー、函入り。高級感あふれる体裁だった。昔の全集、選集は皆そういうものだったが。
 第4巻が「加藤芳郎集」だった。なぜか4巻だけ家にあった。父親が持っていたのだ。気づいたのは僕が高校時代だった。 
 そのころ加藤芳郎は漫画家という肩書のTVタレント、という認識だった。どんなマンガを描いているのかと読んでみた。
 カラーの1コマ漫画から始まって、「オンボロ人生」「オレはオバケだぞ」「モテモテおじさん」「まっぴら君」等々。4コマ漫画、1頁8コマ漫画、見開き2頁10~14コマで繰り広げられるナンセンス漫画はどれも面白かった。
 特に「オンボロ人生」はお気に入り。何度も読み返したものだ。ルンペンたちが暮らす集落(?)があって、芸術家きどり、元ブルジョア、父親と美人の娘、若者、老人、さまざま人たちの交流が8コマで描かれていて、その暮らしぶりが実に楽しそうで。

 その「オンボロ人生」の映画化作品が上映されると知って駆けつけた。映画化されていたなんて全然知らなかった。何たる不覚(TVドラマ化もされているのだ。鑑賞後調べてわかった)。
 ラピュタ阿佐ヶ谷の「生誕100年 番匠義彰 松竹娯楽映画のマエストロ」特集の一編。1958年松竹作品。僕が生まれる前年の映画なのか。
 番匠義彰監督の存在も知らなかった。お恥ずかしい。

 モノクロ作品だと思ったらカラーだった!
 当時の新宿の街がでてくる。高久時代のTAKA-Qの店舗の外観、中。もうそれだけで貴重ではないか! 50年代末期の東京の街並みが見ることができて感激しきり。
 佐田啓二がかっこいい。
 頭の足りない18歳の〈少女〉、宮城まり子がかわゆい。
 ボロ服の片山明彦は千鳥の大悟に似ていた。カジュアルルックとなると別人だけど。


2022/02/25

 「ミラクルシティコザ」(新宿武蔵野館)

 新宿武蔵野館に置いてあるチラシで知りかなり前から公開を楽しみにしていた。70年代前半のオキナワン・ロックを堪能できるのではないかと。「紫」や「コンディション・グリーン」とか、当時はレコード店で、アルバムジャケットを見るだけで聴くまでには至らなかった。そんなロックが映画の中で炸裂するのではないか。主演の桐谷健太率いるバンドが演奏して。

 エンタメと社会派が見事に融和した映画だった。タイムリープと精神入れ替わりという荒業を使って、音楽と沖縄の基地問題を描いている。

 ライブシーンが少なくて残念。
 しかし、クライマックスでは当時と現在を交錯させ、昔と今のバンドが競演、歌詞がテーマに直結してグッときた。




2022/02/22

 「月曜日のユカ」(神保町シアター)

 昔から観たくてたまらない映画だった。倉本聰の脚本ということで。
 タイトルが良い。ユカがヒロインの名前なのはわかる。でも、なぜ月曜日なのか? 
 神保町シアターの特集〈小悪魔的女優論〉の中で上映されると知って駆けつけた。
 加賀まりこの主演。監督は中平康。脚本は斉藤耕一との共同だった。オリジナルではなく、原作は安川実。調べたらミッキー安川のことだった。1964年日活作品。

 スタイリッシュな映像が楽しめる。
 タイトルバックのスチール処理。劇中のストップモーション。画が止まるだけでなく画質も変化して印象深い。
 タイトルの由来が劇中で説明される。そういうことなのか!
 加賀まりこの役、今なら田中みな実が適役だろうか。あひる口がそう思わせる。アップの顔がとにかくキュート!
 中尾彬が純情青年役で出演している。後年得意とする役柄を知っていると、笑わずにはいられない。
 実年齢の北林谷栄を初めて見たような気がする。



2022/02/23

 「女体」(神保町シアター)

 同じく〈小悪魔的女優論〉の一編。浅岡ルリ子の主演。増村保造監督の1969年大映作品。

 「女体」は〈にょたい〉ではなく〈じょたい〉と読む(のだそうだ)。
 とんでもなくひどい性格の女が主人公。こんな女がヒロインでも映画になるんだ! さすが増村監督の面目躍如。

 確かに、自分の信念でまっすぐに生きる、という点においては「大地の子守歌」のヒロインに通じるものがあるかも。とはいえ、あまりに自由奔放すぎる。
 冒頭、大学の某室で理事長を待つ浅岡ルリ子の態度からもう目が点になる。それからも彼女にはいっさい共鳴、共感できない。
 ラスト、岡田英二よ、ルリ子を刺せ、殺してしまえと心の中で叫んだ。そうはならなかった。岡田英二が彼女を殺したら、それこそ娘のように育てた妹の幸せが崩壊してしまう。それはありえない。別の形によって彼女の死(を暗示させること)で完。
 タイトルバックの絵が気になった。




2022/02/16

 「ロスバンド」(新宿シネマカリテ)

 アマチュアのロックバンド(の少年たち)を描いていると知って駆けつけた。ノルウェー映画、と思ったらノルウェーとスウェーデンの合作だった。
 ロスバンドとは、少年たちのバンドの名称。正式にはロスバンド・イモターレ。
 高校性のグリム(ドラム)とアクセル(ギター&ヴォーカル担当)は憧れのロック大会に出場するため、ベースを募集、応募してきたのが小学生の少女、マティルダだ。チェロが趣味。クラスでは孤立してる。アクセルはギターは上手いがヴォーカルがてんでダメ。音痴なのだ。しかし本人はまるで気づいていない。グリムは両親の不仲に悩む。いろいろあってマッティンが調達したワゴン車で会場に向かうが……。メンバーそれぞれが問題を抱えているのがこの映画のミソ。

 音楽的才能はあるけれど音痴。いるんだねぇ、こういう人。中学時代、友人が結成したフォークグループに一人いたっけ。
 大会で披露した曲の1曲め。前奏でマティルダのチェロをフィーチャーしているのだが、これが良い。ロックにチェロは合うのかも。前奏をもっと聴いていたかった。
 クライマックス、演奏するロックの歌詞がビンビン胸に刺さった。
 後半はそれこそ出来すぎの展開ではあるが、鑑賞後さわやかな気分になれること間違いなし。

 この映画、日本でリメイクするのならと年齢は無視して配役を考えた。

 ティルダ(ティリル・マリエ・ホイスタ・バルゲル) → 吉田羊
 マッティン(ヨナス・ホフ・オフテブロー) → 柄本佑
 マッティンの兄 → 濱田 岳

 で、音痴のアクセル(ディコブ・ディルード) → タランティーノ
 日本人じゃないじゃん! 
 それにグリム(ターゲ・ホグナズ)は?


2022/02/18

 「ウエスト・サイド・ストーリー」(TOHOシネマズ日比谷 別館)

 コロナ禍で昨年公開する予定が今年に延期になった。そのときの落胆といったら! この数年のスピルバーグ監督の作品で心から「観たい!」と思ったのだから。
 「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」冒頭のミュージカルシーンを楽しんだファンとしてこんなうれしいことはない。
 まあ、僕自身がオリジナルの「ウエストサイド物語」を観ていないことも要因かもしれない。
 ジョージ・チャキリス主演、共演の一人がラス・タンブリン。この役者、僕は「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」のスチュワート博士役で名前を知った。
 いわずとしれた「ロミオとジュリエッタ」のストーリーを下敷きに、現代(製作当時の)のニューヨークを舞台にしたミュージカル。人種問題も入り混じる。監督はロバート・ワイズ。と長いこと思っていたが、ジェローム・ロビンズとの共作だった。ミュージカルシーン担当がジェローム・ロビンズ監督だったのだろう。
 日本でも大ヒットしたんだよなあ。大ブームになったとか。小林信彦の本(だったか?)で知ったことだ。
 それにしても、スピルバーグ監督はリメイクものには手をださないと公言していたはずでは? 撤回したのだろうか。
 
 ラスト、夜が明けて街に陽光がさしていくカットの積み重ねに監督の強いメッセージを感じた。

 


2022/02/09

 「昼顔」4Kデジタルリマスター版(丸の内ピカデリー)

 なぜか、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「反撥」と「昼顔」が意識の中で一緒になっている。「反撥」は中学時代にTVで観てかなりショックを受けた覚えがある。
 角川シネマ有楽町でルイス・ブニュエル監督特集をやっており、「昼顔」が上映されると知って観たいと思った。しかし時間があわない。
 「ザ・ビートルズ GETBACK ルーフトップコンサート」のチケットを購入するため日比谷へ出た。当日では完売してしまうおそれがあったので、先行発売される初日(本日)に。せっかく日比谷へ来たのだからチケット購入だけで帰宅するのはもったいない。何か観たい映画はないか? 調べたら「昼顔」が午前中に上映されるではないか! ラッキー!!

 馬車で始まり馬車で終わる。
 馬車は何を意味しているのか? あの鈴の音は?


2022/02/11

 「ザ・ビートルズ GETBACK ルーフトップコンサート」(TOHOシネマズ日比谷 IMAX)

 昨年公開を一番楽しみにしていた映画が「ザ・ビートルズ GETBACK」だった。
 なぜか、Disney+の配信に切り替わってショック!!
 上映時間が6時間になって、劇場公開より配信の方がファンにとっても配給会社にとっても都合が良いと判断したのだろうか?
 「ルーフトップコンサート」のみ、IMAXで公開されると知り歓喜した。

 複数のカメラで撮影された大量の映像をマルチスクリーン(何分割にもして)、コンサートの臨場感を再現。旧作の「レット・イット・ビー」ではこういう方策はとられていなかったような。
 時の同時性を堪能させてもらった。
 さっきまでフィルムチェンジ(カメラチェック?)していたカメラの映像が、次のカットになるなんて(その模様がその前のカットに写っている)。カチンコなんて使用していなかった。よく音に合わせて編集できたものだ。アレサ・フランクリンのライブを撮影した「アメイジング・グレイス」はリアルタイムでは結局完成しなかった。カチンコを入れなかったため、音と映像が同調できなかったということだが、このドキュメンタリーではどう処理したのだろうか。
 それにしても、編集は大変だったと思うが、ピーター・ジャクソン監督、さぞ楽しんだだろうなあ。
 「レット・イット・ビー」のときも思ったが、屋上の演奏に対して、騒音だとの電話でビルに駆けつけた警官、始終無表情だったが、実際に屋上へ行って、ビートルズの生演奏を目の当たりにして感激しているのでは?

 地下のスタジオに移動してから「Two Of Us」の演奏に胸が熱くなった。 




 今年最初の「午後のぶらり寄席」は1月14日(土)に開催された。
 ツイートは以下の4本。
 

     ▽

【ブックカフェ二十世紀 1月のイベント】
Happy Xmas! ロシアとウクライナの戦争は終わっていないけれど。昨日映画を観に有楽町へ。駅前の宝くじ売場は年末ジャンボ最終日で大混雑。この時期の賑わいには心ときめくものがありますね。来年1月14日(土)のぶらり寄席、どうぞよろしくお願いします。

【ブックカフェ二十世紀 1月のイベント】
2023年になりました! 昨年何とかぶらり寄席を完走させることができました。常連さん、セミ常連さん、一見さん、そしてBC二十世紀のスタッフの方々、すべて皆様あっての賜物ですから。本年もどうぞよろしくお願いいたします。14日(土)にお会いしましょう!

【ブックカフェ二十世紀 1月のイベント】
新年も一週間経ってしまいましたね。正月気分も抜けていつもの日常に戻っているのではないですか。本年最初のぶらり寄席は来週14日(土)です。終演後には新年会を予定しています。真打昇進に向けて寸志さんにいろいろお訊きしませんか? お待ちしてますね!

【ブックカフェ二十世紀 1月のイベント】
今日(14日・土)です、本年最初のぶらり寄席! おかげさまで予約でつばなれしました。ありがとうございます。昨年はできなかった新年会やりますからね。木戸銭とは別に1,500円(ソフトドリンクの方は1,000円)で誰でも参加できます。差し入れ大歓迎ですよ!

     △

 マクラは寸志さんが財布を落とした事件(?)の顛末。
 この件、僕は談四楼師匠のツイートで知った。

     ▽
弟子の立川寸志(二つ目)がタクシー車内に財布を落とした。中身は3万以上5万未満。一門新年会につき紋付羽織袴の正装。800円の料金に1000円出して釣りはどうぞ、レシートも要らないと言ったのが運の尽き、タクシーの会社名が判らない。カードは止めたが運転免許証が頼りだ。さあ警察から連絡はあるか。
     △

 結局財布はまだ出てきてないという。なぜタクシーを使ったか、なぜお釣りをもらわなかったのか、領収書をもらわなかったのか、そこらへんの事情を詳細におもしろおかしく。
 悪いことだけではなかったと。ファンの方がカンパしてくださった。少しでも落としたお金の足しにしてくださいと。「そういう方が何人もいて、実はモトとっちゃんだたんですね、はい」。爆笑。「あっ、皆さんは気にしないでくださいね」
 でも、問題は金ではないんですよね。まあそれもくやしいけど、そんなことより肝心要の免許証、そして愛着ある財布そのものをなくしたことがつらいのではないかあ。

 財布を落としたノンフィクション噺から、財布をひろった男の「芝浜」へ。
 一席めは短い噺、次に長講というのがいつもの流れだが、マクラの話題が財布ということなのだろう。うまい。
 で、寸志さんの手にかかると、長い噺がもっと長くなる。50分超えていたのでは? 描写が丹念に具体的になるからだろう。
 一緒に死んでくれという亭主に「死のう、お前さんとなら死ねる」と応える女房。すぐさま「死にたくない!」と叫ぶ亭主。夫婦のやりとりがいい。

 2席めは「和歌三神」。これは初めて聴く。実際あまり高座にはかからない噺だとか。終わってから寸志さんが解説していた。
 雪見をしながら和歌をたしなむ乞食3人の名前に笑った。

 終演後は新年会という名の懇親会。常連の某さんは別の予定があって、懇親会に参加するためにやってきた。うれしいじゃないですか。
 十数名の参加となった。差し入れも豪華で大いに盛り上がりました。

     ▽
【ブックカフェ二十世紀 1月のイベント】
先週開催された本年最初のぶらり寄席。盛況でした。お客様は19名。ほぼ満席ですね。幸先の良いスタートが切れました。お越しくださった皆様へ御礼申し上げます。新年会も落語談義に花が咲き、楽しいひと時でした。2月のぶらり寄席は11日(土)。次回もぜひ!!
     △


DSC_0255
ほぼ満席です

午後のぶらり寄席202301-03
2月は11日(土)です!




 CSで夢中になったもう一つの番組は「日本沈没」。映画ではなくTV版の方だ。
 TVドラマ「日本沈没」といえば、一昨年TBS日曜劇場枠で放送された「日本沈没 ー希望のひとー」が記憶に新しい。同じTBS系で1974年から75年にかけて半年間(2クール)放映されたドラマ、というかテレビ映画をご存じだろうか。
 昔、80年代ごろまではドラマといえばビデオ収録のものを指し、フィルム撮影のものはテレビ映画といったものだ。

 48年前のTV版は観ていなかった。当時は映画「日本沈没」に感銘を受けていたからTV版にはまったく興味がなかった。実際、リアルタイムに一度もチャンネルを合わせたことがない。主題歌を五木ひろしが歌っていたので敬遠していたのかも。なぜ特撮ドラマの主題歌が演歌なのかと憤ったことを覚えている。だとしても特撮には興味あっただろうに。後年、調べたら、この時間帯はNHKの大河ドラマ「勝海舟」を観ていたのだった。再放送もあったのだろうが全くチェックしない。この半世紀の間触れる機会がなかったのである。
 日本映画専門チャンネルで放送されていることを知り、どんな内容なのか確認したくなった。
 気がついたときにはすでに始まっていて(1日2話放送)、5話から観始めた。

 タイトル前に字幕が出る。青バックに白い文字。

     ▽
 これは一人の作家が描いた空想科学ドラマである
     △

 続いて、俯瞰した日本列島(寒天の海? 映画版の流用?)、それが赤く染まって、立体的にレタリングされたタイトル「日本沈没」が現れる。
 これが良い、引き込まれる。
 敬遠していた五木ひろしの歌もいわゆる演歌ではなかった。作曲は筒美京平。さすがヒットメーカーの面目躍如。

 しかし、良かったのはここまでで、肝心のドラマは?がいくつも並ぶものだった。
 だいたい冒頭の字幕は嘘なのだ。
 ドラマは日本が沈没するというところ、主要登場人物だけいただき、脚本家たちが新たに紡いだオリジナルといってもいいストーリーなのだ。
 毎回沈没に向かう各地の自然現象(地震、噴火、陥没その他)があり、そこに少々ベタな人間ドラマが絡み、村野武範扮する主人公がゲストの人物を救うためまさにヒーロー的な活躍をする。絶対的な危機に見舞われながらも最後には脱出してしまうのだ。
 当時のTV映画は複数の脚本家と監督が担当するのが普通だった。1話完結ならいいのだが、連続ものだとデメリットをもたらすことがある。たとえばこのTV版「日本沈没」だと、絶体絶命のピンチに陥った主人公、さてどうなる? というところで次回に続くとなる。で、本当なら絶対助からない状況からどんな風に抜け出すのかと次回を楽しみにしていると、冒頭ナレーションで危機を回避したことが説明されて、新たなドラマが始まる。そんなことが何度かあった。
 昔、「ゲバゲバ90分」で宍戸錠が同じシチュエーションのギャグをやっていた。ピンチの宍戸錠、次回に続く、ナレーションでピンチ脱出、またピンチに。ナレーションでまた脱出。その繰り返しのコントだった。

 主人公の超人的活躍に樋口監督版の「日本沈没」はこのTV版を参考にしてリメイクしたのではと思ったほどだ。

 この項続く


参考)

2006/08/21

 「日本沈没」~オリジナル版~(ビデオ)

 リメイクの「日本沈没」鑑賞後の帰宅時に借りてきた。夜遅かったので、途中で切り上げようと思いながら結局最後まで観てしまった。
 新旧の「日本沈没」は「ポセイドン・アドベンチャー」と「ポセイドン」の関係みたいなものだ。久しぶりに見直してそう思った。

 小笠原諸島の小島が一夜にして沈んでしまったことを端に発し、日本列島に異変が起きていると察知した田所博士(小林桂樹)を長とする研究グループ。深海潜水艇〈わだつみ〉を使って、日本海溝に潜った際、そこで得体のしれない何かが起きつつあることを知った。
 潜水艇の操艇者・小野寺(藤岡弘)と玲子(いしだあゆみ)が出会った日、伊豆天城山が爆発した。続いて三原山等の大噴火……。
 危機を感じた山本首相(丹波哲郎)は田所博士を中心にプロジェクトチームを発足させた。異変調査を目的に秘密裏に始動した〈D計画〉。日本海溝を徹底調査した結果、近い将来日本国土の大部分が海に沈んでしまうことが判明する。田所博士がそう結論づけたとき、東京を直下型地震が襲った。未曾有の大災害。
 日本国土の沈下が決定的になると、山本総理は、国民をいかにして海外に脱出させるか、移住させるかという〈D2計画〉に着手する。特使による各国首脳との交渉が続く。
 小野寺は玲子とともにスイスに移住することを決意する。しかし出発のその日、突如として起きた富士山の大噴火によって交通は遮断され、ふたりの合流が不可能に……。
 交渉が功を奏し、世界各国が日本からの難民を受け入れることになった。次々と日本を離れる国民たち。日本各地の火山が噴火し、大地が裂けていく。こうして日本は地球上から姿を消した。

 地球のどこかで――。
 雪に覆われた大地を走り抜けていく列車に玲子の姿があった。太陽が照りつける草原地帯を走る列車には小野寺の姿が。ふたりが再会する日はくるのだろうか……。

 特撮仲間Sさんの、最近の怪獣映画(特撮ドラマ)についての感想を思い出した。
「最初から怪獣や宇宙人ありきの設定だから、ドラマがちっとも引き締まらない」
 謎がないから、サスペンスが盛り上がらない。

 リメイク版「日本沈没」はまさしくそういう作りだった。冒頭で日本が沈没する設定になっているのだから。40年後に日本が沈没するとアメリカの研究によって発表されているのである。
 40年後なんかじゃねぇ、沈没はもっと早くやってくるんだ! トヨエツ扮する田所博士が確信して映画は進行していくわけで。謎なんてどこにもない。起承転結でいえば、起をふっとばして承からドラマが始まっている。
 それに比べると旧作「日本沈没」は昔ながらの怪獣映画。第1作の「ゴジラ」だった。田所が「日本が沈没する」と確信するまでがかなり長い。
 観客は「日本が沈没する」なんてことははじめからわかっている。でもこの時間がじれったいか、無駄かというとそんなことはない。謎を解明するために学者たちが奔走する姿が後半のスペクタクル描写に活きてくる。タメは必要なのものなのだ。
 連夜の研究で疲労困憊した田所が船上に出て日本沈没を口にするやいなや、大きな揺れを感じる。第二次関東大震災の勃発で、しばらくの間当時としてはかなり出来の良い都市破壊のスペクタクル映像を満喫することになる。阪神淡路大震災の後にこう書くとと問題発言かもしれないけれど、子ども向けの「ゴジラ」シリーズに不満タラタラだった中学2年生はこのシークエンスに大興奮したものなのだ。
 旧作「日本沈没」の主役は田所博士であり、山本首相だった。当然リメイクでも、重要人物として最後まで活躍するものと思っていた。たとえ脇役であったとしても。
 ところが、リメイク版の、石坂浩二扮する山本首相は、映画の始めであっさり事故死してしまうのである。中国に日本国民の受入要請をしに自ら赴くべく搭乗した航空機が火山の爆発に巻き込まれてあっけない墜落死という形で。
 これには驚いた。だいたい火山の爆発で飛行機が墜落するケースなんてあるのだろうか? 
 それはさておき、搭乗する直前、留守を預かる、危機管理担当大臣(大地真央)に「沈没する日本についてどういう対応をとったらよいか」という識者のアンケート結果について話をするのだが、その内容が旧作の中で一番感銘を受けたシーンの文言だった。
 曰く「このまま何もしないほうがいい」。

 旧作には財政界に多大な影響を及ぼす老人(島田正吾)が〈D計画〉の核を握るキーパーソンとして登場する。いわゆる黒幕と呼ばれる人物。この老人のもとへお伺いをたてにいった山本首相との会話。
 かつて中学時代、2回目の鑑賞で記した日記から引用するとこうなる。

  老人は静かにそして重々しく言った。
 「日本はこのまま何もせん方がいい」
  山本総理は何も言わず老人の目を見る。それから口を開く。
 「何も…せんほうがいい?」
  総理の目に涙が浮かぶ。何か言おうとしたが口からでない。

 この時の目を真っ赤にして涙を浮かべる丹波哲郎の演技に心打たれた。
 ちなみに、この演技と「砂の器」の捜査会議における「繰り返し、繰り返し、……繰り返し、繰り返し」と言いながら目頭を熱くする演技、「千恵子抄」で精神に異常をきたした千恵子(岩下志麻)を背中に乗せ、馬のようになって部屋をはいずりまわる際の哀しい表情が丹波哲郎のベスト3。と個人的には思っている。

 閑話休題。
 「何もせん方がいい」という老人に言葉に対する万感の思いが見事にこちらに伝わってきた。にもかかわらずリメイクだと山本首相は「なにもしない」という回答に対してあれこれと自分の感想を述べるのだ。ここでもうリメイク映画に違和感が生じた。オマージュのつもりでオリジナルの名シーンをぶち壊しているのである。実生活はともかく映像作品においてはただしゃべらせればいいってもんじゃないのだ。

 もちろん旧作「日本沈没」にも違和感がないこともない。
 たとえば玲子という女性像。当時は別に何も感じなかったが、今見るとどうにもイヤな女である。特に小野寺との最初の出会いの会話なんて「何考えてるんだ」と蹴りいれたくなった。
 リメイク版でくさなぎくんが柴咲コウに「抱いて」と迫られて拒否するシーンがある。同じシーンが旧作にもあったことを忘れていた。水着姿のいしだあゆみが夜の浜辺で「抱いて」と藤岡弘に言うのである。会ったその日に!
 くさなぎくんの拒否がわからない。もうこの時点で死ぬことを決意していたので、一度限りの契りは女性に負担を与えるだけとでも判断したのだろうか。お前は戦前の生まれか!

 トヨエツ博士が日本を完全沈没から救う方法を大地大臣に新聞紙を引き破らせて説明する。プレートを爆破で寸断するなんてことが現実にできるのだろうかという疑問はあるがとりあえずここでは言及しない。これも旧作に似たシーンがある。先の老人が田所に「科学者にとって一番大切なものは何か?」と尋ねるシーン。田所は大陸移動説を唱えたヴェーゲナーを例にだし、勘がいかに大切であるか、熱弁をふるうのであるが、その具体的な説明のためにテーブルの上にあった新聞を二つに破るのだ。
 いしだあゆみとはぐれた藤岡弘は日本に残って救助活動に奔走する。ヘリコプターに乗って日本全国で大活躍。どこかでいしだあゆみと巡り会えるかもしれないという期待もあったと思う。これが海外で「KAMIKAZE」と報道されて話題となる。くさなぎくんの瞬間移動は旧作のこの設定をうわべだけ応用したものだろう。理屈もへったくれもないのだが。

 もうひとつ、旧作に対して違和感がある。それはナレーションの使用について。山本首相が登場する3箇所で突如としてナレーションが首相の心情を説明する。オープニングやエンディング、あるいは要所々でナレーションが使われているのなら、まだわかるのだが、この3箇所だけ、本当にそこだけとってつけたような感じがして腑に落ちない。だいたいナレーションがなくともそれほどストーリーの展開に影響はないのだ。

 旧作はクライマックスになって、テーマを明確に打ち出してくる。
 国土を失った日本人はどうなるのか? 日本とは何だったのか? 日本人とは? 
 ラスト、沈んでいく日本に残る決意をした田所の、山本首相に切々と訴える言葉が観客に「日本」及び「日本人」の意味をつきつけるのである。
 小松左京のSF小説「日本沈没」が書かれた理由はこのテーマにある。当時小松左京は「全世界に散った日本人のその後を描きたい、その前哨として」日本が沈没する話を考えたと語っていた。その思いは当時の中学2年生にも十分伝わっていた。
 その後の日本人を描いた続編「日本沈没 第二部」が三十数年を経て上梓された本年。たぶん出版に連動する形で公開されたリメイク版「日本沈没」では、このテーマがないがしろにされていた。別に日本が完全に沈まなくてもいい。そんなことで文句を言うつもりはないが、原作の〈核〉の部分ははずさないでほしい。そうでなければ原作に小松左京「日本沈没」なんてクレジットができるはずないではないか。
 樋口監督はリメイクにあたってストーリーを改変し別のテーマを打ち出した。しかし、あまりに奇想天外だし、仮に可能だとしても描き方の底が浅い。自己犠牲で涙を誘う作劇なんて、もう完全に手垢のついたシロモノだろうに。

 リメイク版で評価できるのは、ヴィジュアル以外、旧作で無視されていた一般庶民の視点、その避難生活、苦難ぶりを挿入したこと、狡賢い現実的な大臣(國村隼)を登場させたことか。
 原作を改変するのなら、昨今の地震被害を背景に、政府の無策ぶりに翻弄される一家族を通して日本沈没を描くという方法論もあったかもしれない。
 
 旧作はとにかく熱い映画である。久しぶりに観直していろいろアラが見えてしまう心配もあったが、逆に本当に傑作であることがわかった。特撮も今見てもそれほど遜色ない。第二次関東大震災なんて、実際に阪神大震災の現状を目の当たりにしていて、描写の確かさに驚いたほどだ。

 笑い話をひとつ。大震災のシークエンスで、逃げ場を失った千代田区民の避難場所として、山本首相が「きゅうじょうの門を開けてください」と宮内庁に電話するくだり。〈キュウジョウ〉を〈後楽園球場〉と勘違いした14歳の少年はなぜ球場の門を開けてもらうのに、時の首相が、直接官庁に電話しなければならないのだと思ったのだった。〈キュウジョウ〉が〈宮城〉で〈皇居〉のことを意味することを知ったのはずいぶん経ってからのこと。

 熱い映画と書いたが、これは時代が大いに関係していると思う。70年代の映画、TVドラマは今観ると皆暑苦しいほどだから。
 藤岡弘が実に何ともかっこいいこともつけ加えておく。

 


プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)

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