「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978‐79」出版記念iイベントを開催することが決定しました。

 題して
 「新井啓介〈昔撮ったキネマ〉蔵出し上映会Ⅱ」

 なぜⅡなのかというと、一度やっているからです。「まぐまPB 夕景工房 小説と映画のあいだに」出版記念として。
「マンネリだ」
「お前にはそれしかないのか!」 
 何と言われようとかまいません。
 実は次作執筆の序章という意味合いもあります。

 小学5年生の少年4人が8㎜映画グループを組織、アニメや怪獣映画を作ろうとして頓挫、6年の冬にNHK少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」に感激して、こんなSF学園ものを撮りたいと「時をかける少女」ならぬ「明日を知る少年」を3年間かけて完成させるまでの友情物語。
 タイトルは「明日を知らない少年たち 1970‐74」。
 当然、上映会のメインは「明日を知る少年」です。
 ちなみに「明日を知る少年」の明日は〈あす〉、「明日を知らない少年たち 1970‐74」は〈あした〉と読みます。

 詳細は追って記載しますが、とりあえず日時、場所&会費をお知らせします。

 日 時:12月9日(金) 19:00~22:00(予定)
 場 所:ブックカフェ二十世紀
 会 費:3,000円(書籍付き 予定)
     ※購入済みの方は2,300円(予定)


bokutachinoakaitor


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 「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)が10月15日に発売されます。
 書名だけだとどんな内容かわからないでしょう。
 赤い鳥って何? 青い鳥なら有名な童話があるけれど、なんて思う人がいるかもしれません。
 そこで、私家本を読んだ方2名の感想(メールをいただきました)を転載いたします。

 まずは、映像作家、プロデューサーの佐久間孝さん
 2000年代前半、ある出会いからインディーズの映画団体の映画を知り、ハマりました。佐久間さんはその団体の主宰者でした。「まぐま」のインディーズ映画特集では一緒に編集を担当していただきました。同世代です(年齢的には少し上)。

     ▽
送っていただいた「僕たちの赤い鳥ものがたり」ありがとうございました。
文中に出てくる映画、小説がもろかぶっていたり、テレビ洋画劇場で育った人が持つオリジナル音声への違和感(池田昌子の声)など、うんうんと頷きながら1週間程前に大変面白く読みました。
青春グラフィティとしてはかなり順目な内容が、赤い鳥情報が入ることで豊かに膨み、本当の終わりにあるその後の5人の行方がピシャリと決まって余韻を残します。

赤い鳥の音楽の部分は代表曲以外はまったくわからないので、図書館でベストを取り寄せ作業中に聞いています。
     △


 続いて、その佐久間さんが始めたインディーズ映画の作家を特集上映したイベントで知り合った映像作家の飯野歩さん。すぐれた才能の持ち主です。文中にもありますが、飯野さんは一世代下になります。

     ▽
とても面白く読ませて頂きました。

僕にとっては「赤い鳥」というのはあまりピンとこないグループでしたので、最初はどのくらい興味が持てるかなとも思っていたのですが、主人公を含めた5名の青春物語だったので、すぐに内容にのめりこんで行きました。

これはどこまでが事実でどこからがフィクションなんでしょうか(笑)。
などと、考えながら読んでいたところもありましたが、世代の差はあれども(新井さんとは丁度一回り違うということが判明しました)、
やはりああいった時期に思うことは普遍的なんだなぁと、我がことのように感じながら、最後まで読ませて頂きました。

新井さんの文体はとても読みやすいものなので(それはブログ等でも感じていたのですが)、それこそアッという間に一気に読んでしまいそうなくらいでした。
ただ、ちょっともったいなかったので、各章ごとに分けて読むようにして、最後の章は年末年始を挟んで、ちょっと間を空けて読むことになってしまったんですが、そのくらいのペースは実はこの作品を読むにあたり、とても良かったと感じました。

一年の物語なので、一気に読んでしまうより、少しずつ休みを入れて読んだほうが終わりの方で実感というか、それこそ「一年経ったんだなぁ」と思うことが出来ました。

最後の方は、5人の関係性に感情移入して自分も仲間の一人になったような思いで読んでいたので、ちょっとしたことからズレていってしまう過程が切なかったですね。
でも、あの頃は(いや、今もかもしれないですが)そういったことが本当にありましたので、いろいろな感情を呼び起こされました。

などといろいろ書いてしまいましたが、とても面白かったです。
今度会う機会があれば、ぜひいろいろお話を聞かせていただきたいです。
     △

 それから、やはりインディーズ映画の上映会で知り合った、日曜監督・下倉功さんは読了後、電話をもらって感想を伺いました。続編を読みたい! でした。下倉監督はサラリーマンの傍ら、日曜日に映画を撮っています。最近大けがをして映画の方は休んでいますが、早く復活してほしいものです。


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 「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」は、以下のお店に配本されるとのことです。
 もし店になければご注文お願いいたします。

●埼玉
  フタバ図書 GIGA大宮店
  リブロ ビオニウォーク東松山店
  須原屋 川口前川店
  リブロ 新所沢店
  リブロ ららぽーと富士見店
  須原屋 蕨店
  多田屋 稲毛店
  
●東京
  丸善 丸の内店
  あおい書店 中野本店
  東京旭屋書店 池袋店
  三省堂書店 池袋本店
  
●神奈川
  住吉書房 東戸塚店

●愛知
  こみかるはうす 藤が丘店
  本のメグリア 本店

●大阪
  田村書店 吹田佐井寺店

●福岡
  紀伊國屋書店 久留米店
  紀伊國屋書店 福岡本店




 Amazonにて予約始まったみたいです。
 ぜひ、ご購入のほどお願いいたします。

 版元からは、Amazonに予約するより書店に注文した方が手元に着くのが早いということですが、とりあえず連絡ということで。




 昨日、10月に発売される「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」が届きました。
 やっと完成したんです。

 以前も書きましたが、限定100部出版した私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」を大幅に加筆訂正しています。
 まず、プロローグとエピローグを除いて日記形式でなくなりました。
 日記ではあるのですが、表記を改めました。月ごとにまとめ、日にちだけ下の方に記載。日付のある小説、という認識で、人物造形、描写を掘り下げています。

 第二章と第三章の間に挿入していた「体験的赤い鳥ヒストリー」を最後にもっていき、「体験的70年代フォーク論」と並べています。編集担当から、せっかく物語に集中した気持ちが中断されてしまうという意見に従った結果です。

 私家本を購入された方も、もう一度読んでみてください。
 同世代、プラスマイナス5年の世代だったら、ぜったい面白いと思います。
 あとは、若い世代がどう反応してくれるか。
 青春時代の、恋愛の、あの切なさ、苦さは普遍的なものだと思うのですが・・・・・・。

 10月15日に文芸社から〈文芸社コレクション〉の1冊として発売されます。
 この日は、私の57回めの誕生日です。
 誕生日のお祝いとしてご購入されたら望外の喜びであります!
 この手のお願いは最初で最後です。
 お願いします。

 これで、やっと次の小説に進めます。
 「明日を知らない少年たち 1970-1974」
 来年の3月までには執筆したいと考えています。

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 26日から3連休だった。
 26日(木)は個人的な定休日で、27日(金)、28日(土)と連休を取得したというわけ。

 27日から3日間が毎年恒例の国立演芸場における立川流落語会。27日の初日が談四楼師匠の出演なので。感想は別項にて。
 終演後談四楼フォロワーズ4人で赤坂見附のサイゼリアで呑み会。赤ワインのボトル、マグナム(1,500L)を2本空ける。さんざん飲み食いして一人1,250円。安い。

 解散後、一人、フラフラしながら丸ノ内線で東京駅へ。外へ出て通りで吐いて気分が良くなる。
 23時30分発、大阪行きの深夜高速バスで一路大阪へ。酔っぱらっているから、車中ではぐっすり寝られた。深酒は深夜遠距離高速バスに乗る前の神聖な儀式なのだ。

 28日7時過ぎに大阪駅着。
 阪急電車の駅近くの商店街をウロウロしてまずは朝食をと定食屋に入る。店名は「宮本むなし」。この店って、快楽亭ブラック師匠のブログでよく見かけるお店ではないか。朝定食390円。

 腹ごしらえしたのでサウナへ。「大東洋」というサウナの早朝コース(2時間)を利用する。1,200円。これはいい。施設も豊富にあって大満足。ミストサウナが気に入った。時間があればもっと入っていたかった。
 サッパリして外へでる。近くのカフェでモーニング。ホットコーヒーとトースト(いちごジャムを選択)とゆで卵。300円。しばらく読書にいそしむ。今読んでいるのは「ニッポンの音楽」(佐々木敦/講談社現代新書)。
 しかし、この店「15分制度」なるものを導入しているという。15分経つと、テーブルのうえのものを片付けると案内にあった。長居は無用。コーヒーを飲みほして外へ。

 大阪一人旅の目的である「紙ふうせんシークレットライブ」は17時から。時間はたっぷりある。どうしようか。映画でも観ようか。
 TOHOシネマズ梅田が入っているビルへ行く。しかしなあ、大阪まで来て映画観ることもないか。思い直して阪急古書街を散策することにした。が、古書街のオープンは11時。まだ時間がある。目の前で献血のお願いコールが。早速協力することに。

 古書街をまわってわかった。大阪の古書は神保町にくらべて少し高い。
 「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」(太田直子/光文社新書)購入。300円。

 続いて紀伊國屋へ。しばらく時間をつぶしたがもう限界。中之島へ移動しよう。

 シークレットライブの会場となる「雲州堂」は北区菅原町にある。地下鉄堺筋線の北浜駅から少し歩く。
 梅田駅で堺筋線を探すがない。そういえば昨年は梅田から違う地下鉄に乗って途中で乗り換えたことを思い出した。御堂筋線の改札で駅員に確認すると、これ(御堂筋線)に乗って、隣の淀川淀屋橋で降りて歩いた方が早いよ、と言われた。

 北浜ではドトールでまたしばらくの読書。
 地上へでて中之島公園に向かう。途中に中之島図書館があったので覗いてみる。いやはやいいところですねぇ、ここ。
 新しい図書館を発見すると、必ず小林信彦を検索してみる。あるある、晶文社の本がごっそりでてくる。わお! 目当ての本をこの目で拝みたい。
 が、ここは蔵書システム(?)で、本は申請しなければ手にとれないのだ。諦めた。
 もちろん、棚には本が並んでいる。ビジネス書と大阪に関する書籍。手塚治虫に関する本がたくさんあった。目の保養になる。

 締めは中之島公園だ。ぐるっとひとめぐり。
 15時。とりあえず雲州堂に行ってみる。
 シークレットライブのリハーサルは16時だから。近くのカフェで時間をつぶすことにした。少し離れたところにファミリーマートがあり、2階がイートインコーナーになっているので、16時過ぎまでいることにした。アイスカフェラテとスパイシーチキンがお供。
 またまたしばしの読書ということで。

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旅のお供(友)はぐでたまキャラメル(いちご味)

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北浜駅を出て中之島公園に向かう途中

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中之島図書館があった
大阪府立だ

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これが出入口
建物を見ているだけでほっこりできる

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「ゴジラvsビオランテ」でゴジラが蹂躙した街並み

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この構図だと遠くにテレスドンを思い描いてしまう

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中之島公園

 この項、「紙ふうせんシークレットライブ2016」に続く




 北海道のジンギスカンさん、完全に失念しておりました。
 もう完結しているものだと思っていました。久しぶりに読んでみたら途中で終わっていて、「あれっ?」。
 ……な、わけない! ずっと気になっていたんですから。
 やっと最終回です。

     ◇

2015/10/10

  「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター)

 その3から続く

●大塚まさじ

 大塚まさじといえば、友部正人、西岡恭蔵、中川イサトとともにインプットされている。元ディランⅡ(セカンド)。調べてわかったのだが、ディランⅡの前にザ・ディランがあった。だからⅡなのか。
 デュランといったら「プカプカ」が有名だ。いろいろな方がカヴァ―している。東の「雨が空から降れば」、西の「プカプカ」、だろうか。
 ディランⅡは3年半活動したという。
 関西からやってきたといい、出演者の中で一人だけだと強調する。おいおい、紙ふうせんもそうだよ~。
 ギターワークに聴き惚れた。本家の「プカプカ」が聴けて感激。

  月のまつり/天王寺想い出通り/いのち/プカプカ


●なぎら健壱

 なぎらさん(なぜかさんづけ)は、ある種フォークの権威である。「日本フォーク私的大全」「五つの赤い風船とフォークの時代」という著書もある。
 このコンサートに先駆けて開催された「フォーク大集会」、行けばよかったと今になって後悔している。なぎらさんが講師だったのだ。
 最近は(というかもう十数年ばかり?)フォークシンガーというよりタレントとしての活躍が目立つ。個人的にはなぎらさんはウーロンハイを飲むしぐさが絶妙だと思っている。対抗できるのは鶴瓶さんのみ。ほんと、うまそうに呑むんだよね。

 今回のライブではサポートが二人に入った。

 サポート:松本典明・雨宮直己

 一人はエレキギターベースなのだが、やはりこういう場合はウッドベースがお似合いなのではないか。

 今日の格言。
「人の不幸はこころのオアシス」

  誰かがお前を待っている/労務者とはいえ/証~3・11 AKASHI~/昭和の銀次

 なぎらさんの司会で、小室等さん(六文銭)、後藤さん(赤い鳥)、西岡たかしさん(五つの赤い風船)の鼎談をしてほしい。BSやCSだったら企画できるのでは?


●紙ふうせん

 トリは紙ふうせん。
 すぎたさんがサポートに入っての、ギター2本編成。

 サポート:すぎたじゅんじ

 これが良い。
 もうずいぶん前になるが、横浜の某所で行われた紙ふうせんのミニライブがギター2本でこんな演奏があるんだと感激したことがある。特に「冬が来る前に」が顕著で聴き惚れてしまう。すぎたさんが弾くチャランゴの音色と後藤さんのギターテクに。
 ステージは大いに盛り上がった。

  竹田の子守唄/PPMメドレー /虹/冬が来る前に/紙風船


●全員

 ラストは出演者全員による「翼をください」。
 紙ふうせんのステージで披露されなかったので、予想していた。
 基本は平山さんの歌唱で、途中、ハコさんがソロをとる。その声が「A Hard Day's Nightt」のポールみたいで、実にかっこよく心地よかった。
 友川さん(流れとしてさんづけ)あたりは、なぜオレが「翼をください」を歌わなければならないんだ? なんて思っていたのではないか。何が「翼をください」だ!

  翼をください

 とても充実した4時間だった。
 何より、この手のコンサートによくある、同じバックバンドが演奏するスタイルでなかったことに喜んだ。アコースティックギター1本、2本でもかなり激しい音がだせることに驚いた。
 内容がまるで「ALFA MUSIC LIVE」のアンチテーゼみたいだった。
 個人的には、こちらのコンサートの方が心にズシンとくるものがあった。紙ふうせんがフィーチャーされた構成ということもあるだろう。おしゃれな音楽にそれほどの興味がないということもある。
 バラエティに富んだアーティストの歌唱と演奏が新鮮で、4時間少しも飽きなかった。

 コンサートを通じて考えていたことがある。
 新宿駅に向かって歩いているときに、Wさんに言われた。「歌詞が聞き取れないものがあったね。紙ふうせんはそんなことがないのに」
 考えていたのは、まさにそのことだった。
 紙ふうせんの場合、Wさんも僕ももういつも聴いているので、他の歌手より楽曲に馴染みがあり、すっと歌詞が入ってくるということはある。だから一概に比較できないことはわかっているが。
 8月、友人に招待されてレベッカの復活コンサートに行った。「フレンズ」や「ラズベリードリーム」といったヒット曲の詞はきちんと耳に入ってくるのだが、そのほかはまるで何を言ってるのかわからなかった。
 ロックだからとそういうこともあるだろうとそのときは思ったのだが、フォークでも同じ現象があって驚いたのだ。
 フォークソングと歌詞の関係についても考えをめぐらすことにもなったコンサートだった。
 



 忘れていたわけではないんですよ、北海道のジンギスカンさん!

     * * *

2015/10/10

 「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター)

 その2より続く

 新宿3丁目駅をでたところでWさんと待ち合わせ。Wさんにイタリアンレストランで少し遅い昼食をごちそうになり、いざ会場へ。
 
 新宿文化センターは初めてだ。
 大ホールにはパイプオルガンが設置されている。
 チケットが売れていないとのツィートを見て心配していたが、1Fはほぼ満杯になって安堵。単なる観客なのに。

 オープニング、まずステージになぎらさんが登場。挨拶した後、本コンサートの内容を説明する。
 オムニバス形式ですよ、と。つまりはフォークジャンボリー形式だということ。
 一人4曲、30分のステージ。
 ということは、30分✕7=210分、4時間弱。ALFA MUSIC LIVEと同様の時間。出演者の数は全然違うのに。
 なるほど、中途半端な時間に始まるわけだ。


 ●小野一穂

 出演者は60年代から70年代にかけてのフォークシーンの大御所たちなのだが、一人だけ知らなかったのがこの方。写真を見る限り若いアーティストだ。
 調べたら父親が友部正人だった。日本のボブ・ディランではないか。友部正人って、本名が小野正人なのである。
 僕の中では、友部正人、大塚まさじ、西岡恭蔵がつながってくる。
 で、小野一穂。本人が言うのには、遅咲きのシンガーだと。「まだ、咲いていないよ~」がオチ。
 ギター1本、ハーモニカ。これぞフォークソングや!
 「風に吹かれて」を日本語詞で歌ったのだが、どうもピンとこない。

  タイトル?/Folk song/風に吹かれて/父さんの唄


 ●中川五郎

 中川五郎は、僕にとって伝説のフォークシンガーだ。生の姿を初めて見る。
 ストロークが激しすぎて1曲めでギターの弦が切れてしまった。本人、そのまま次の曲へいこうとするが、なぎらさんが登場して自分のギターを貸す。
 ラストの「腰まで泥まみれ」は最近YouTubeで原曲を聴いている。
 オリジナル「Waist Deep in the Big Muddy」はピート・シーガーが歌っている。
 日本でも多くの歌手がカヴァーしている。高石ともや岡林信康。最近では元ちとせが歌っている。とはいえ、日本で「腰まで泥まみれ」といったら中川五郎なんだろう。
 いかにも英語詞を訳しているという感じが気になる。

  どこがおかしい愛と平和信じること/タイトル?/時代は変わる/腰まで泥まみれ


 ●山崎ハコ 

 小野一穂も中川五郎前にスタンディングでの歌唱&演奏していたが、山崎ハコは椅子に座って。
 サポートギターの男性(安田裕美)が二階から見ると佐村河内守のような容貌でかなりのインパクト。インパクトがあったのは容貌だけではない。ギターテクニックも素晴らしく瞠目(いや瞠耳か)した次第。
 
  望郷/ヨコハマ/縁(えにし)/気分をかえて


 ●友川カズキ

 友川カズキ、だとどうもピンとこない。旧名の友川かずきと書きたい。
 なぜかずきからカズキにしたのか。俳優のえなりかずきが原因だという。考えすぎだって。
 それまで名前だけしか知らなかった友川かずきの歌を初めて聴いたのはTVドラマ「3年B組金八先生」だった。もちろん1シーズンの。
 何の歌だからタイトルは忘れていたのだが(調べたら「トドを殺すな」だった)、衝撃的だったという印象だけを覚えていた。
そのときの衝撃が甦った。ギターは弦楽器ではなく打楽器なんだ、と。
「4時まで絵を描いてセンズリして寝る」
「今日も歌うまえにゴールデン街で一杯ひっかけた」
 そのほか、放送禁止用語の四文字もよくでてくる。
 オリジナルの「夜へ急ぐ人」が聴けて大感激。

  夢のラップもういっちょう/夜へ急ぐ人/光るクレヨン/生きてるっていってみろ

 
 この項続く



 ジンギスカンさんへ、赤い鳥情報です。

     ◇

 先日、書店で村上ポンタさんの「俺が叩いた。ポンタ、70年代名盤を語る」(リットーミュージック)を見つけた。
 ポンタさんがスタジオミュージシャンとして参加したアルバムについて語っているのだが、序章が赤い鳥なのだ。「美しい星」と「祈り」を取り上げていてこれが感涙もの。
 大村憲司さんとポンタさんが参加している時代に、某TV番組で赤い鳥とPYGとフラワー・トラベリン・バンドが共演していてその模様がDVD-Rに焼かれて見せられたと書いている。

 な、なんと!
 PYGとフラワー・トラベリングだと。赤い鳥と共演だと。

 PYGは井上堯之、大野克夫(スパイダース)と沢田研二、岸部修三、今は一徳(タイガース)と萩原健一、大口広司(テンプターズ)で結成されたロックバンド、ジュリーとショーケンのツインヴォーカルが売りだったが、当時のロックファンからはアイドル出身、GS出身ということで無視され、あっけなく解散してしまった。ジュリーとショーケンが抜けて井上堯之バンドになるわけだけど。

 フラワー・トラベリン・バンドは、ジョー山中がヴォーカルの「SATORI」が有名。なんてことはずいぶん後になって知った。個人的には90年代になってから注目したのだ、ギターが石間秀樹、キーボードが篠原信彦ということで。ショーケンのドンジャン・ロックンロール・バンドの音に夢中になって以降のこと。ハプニングス・フォーとか。
 石間さんや大村さんのギターは、ほんとしびれますからね。

 3バンドの共演模様を観てみたい!

 2月23日(火)は高槻市で紙ふうせんのリサイタルがある。500円という格安料金で、バックは金関環&ラ・ストラーダや浦野さん、すぎたさん。もちろんチケットは関西在住のFCのIさんにお願いしている。
 当日挨拶がてら後藤さんにお願いしてみよう。ポンタさんからDVDを手に入れてください。で、見せてください。
 いや、平山さんにお願いしようか。
 ポンタさん、平山さんには頭が上がらないようだから。



akaitori ustukushiihoshi
「美しい星」
このジャケットならロック色ギンギンって感じでしょう?
長い間、そう思っていました。
実際は全然違います。
ほとんど、山上路夫・村井邦彦ゴールデンコンビによる作品なんです。

akaitori inori
「祈り」
これこそプログレ全開って感じ。
10曲のうち8曲が大村さんが担当しているけれど
胆の「誰が鳥を」は後藤さんの作詞作曲。
平山さん作詞作曲の「星」は平山さんのヴォーカルと大村さんのギターの
絡みが最高。




 紙ふうせんFC通信に寄稿したエッセイを転載します。
 「冬が来る前に」を知っている人は多いけれど、原詩は知られていないだろうから。

     ◇

 昨年暮れにFC関東地区+αメンバーの忘年会を兼ねて、念願のイベントを開催した。題して「紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会」。
 表参道のカフェ・バーで75年と77年のコンサート模様を肴に酔いしれたというわけだ。

 77年のコンサートで披露される「冬が来る前に」が興味深かった。まさにフォルクローレなのだ。CBSソニー移籍第一弾としてシングルがリリースされる前の、2年近くステージで歌われていたもうひとつの「冬が来る前に」。一番の歌詞が大幅に違う。

  坂の細い道を赤い傘がゆれる
  夏の雨に濡れて歩くふたり
  海の見える丘に虹がかかるときは
  白い花を私にくれたあのひと
 
 どこか牧歌的で、何より色を感じさせてくれるところが後藤さんらしい。

 作曲の浦野さんに聞いたことがある。「冬が来る前に」はステージに彩りを加えるために作った曲だと。万人に受けるラブソングにしてくれと(作詞の後藤さんに)要望した。紙ふうせん本来の路線ではないのでレコーディングなんてまったく考えなかった、とも。

 赤い鳥時代から後藤さんも平山さんも直截的なラブソングは書かなかった。75年のコンサートでは新曲「別れの鐘」が初披露されているのだが、歌い終わった後の後藤さんの一言がふるっている。曰く「僕にとってはシャレですから」。そんな経緯ゆえ「冬が来る前に」は、東芝EMIの新人アーティストがレコーディングした。まったく知られていないことだが。
 ライブアルバム化を前提とした77年のコンサートで後藤さんはこう宣言している。
「ニューミュージックばかりをやりはじめた東芝EMIをやめます」
 にもかかわらず、CBSソニーは「冬が来る前に」をよりポップに大胆なアレンジでシングル化した。何とも皮肉な結果だが、あの時代、あのアレンジだからこそ大ヒットし、今に残る名曲になったのだと思う。ただし、後藤さんのジレンマはさらに深く浸透していった、のかもしれない。




2015/10/10

 「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター 大ホール)

 その1より続く

 コンサート開催を知ってFCのWさんを誘った。Kさんはその前から携帯が音信不通だし、Cさんは職場が東北の某所で無理だろうし。ほかはたぶん断られるだろうと思って連絡せず。

 Wさんとは僕がFCに入会してからずっとつきあっている。最初の出会いはWさんからの一通のハガキ。紙ふうせんが某TV番組に出演することを知らせる内容だった。それからというもの、コンサート、ライブにはほとんど一緒に行っている。Wさん、六甲オリエンタルホテルで毎年開催されていた「クリスマスコンサート」は皆勤賞だった。還暦を過ぎたあたりからお休みが増えているけれど。

 このコンサートの前週には「紙ふうせんリサイタル Vol.10」(シリーズファイナル)が開催される。一週間前に紙ふうせんライブは十分堪能しているか(はず)だから、このコンサートでは特に良い席でなくてもいい、と考えて2階席にしようと提案した。1階席より料金が1,000円安い。このころは「ALFA MUSIC LIVE」に行くつもりだから、なるだけ出費を抑えたいと考えてのこと。
 司会のなぎら健壱が小ホールで開催するフォーク講座のようなイベントもあって、販売窓口の方に勧められたのが買わなかった(後悔するのだが)。

 8月の某日、予約したチケットを購入するために新宿文化センターへ出かけた。席を選ぶ段になって驚いた。ほとんど空いているのだ。
 2階席の一番前、まん真ん中をゲットできたのはうれしいがこれはどういうわけか。個人的にはとても貴重なコンサートと思っていた。ちょっと信じられなかった。
 「ALFA MUSIC LIVE」なんて発売初日の午前中に完売したというのに
 このチケットの売れなさ具合は、開催直前まで続く。
 開催直前にチケットを購入した人がツイッターでつぶやいていた。空席がかなりあったと。

 そういえば、もう何年も前のこと、東京厚生年金会館で紙ふうせんやトワ・エ・モアほか往年のフォーク歌手(グループ)が出演するコンサートがあった。楽しみにしていたが、中止になってしまった。チケットが売れなかったのだろう。
 中止にならなかっただけでも良しとしようではないか。

 この項続く




2015/10/10

 「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター 大ホール)

 新宿の、2丁目から5丁目あたりにかけての地域が熱くなっている。
 僕が不参加だった3年の間にシネりんの会場が歌舞伎町裏リトルコリアンの韓国料理店から竹林閣に変更になった。
 竹林閣は地下鉄「新宿三丁目駅」を出て明治通りを池袋方面に向かって歩いていったところ日清ホールディングスのビルの手前にある。

 談四楼師匠の「オールナイトで談四楼」は本当の深夜寄席。電車がなくなる夜中に始まり懇親会をやりながら朝を迎えるという酔狂な趣向で、会場のCAFE Live Wireも5丁目にある。もうひとつの独演会会場である道楽亭は2丁目だ。どちらもまだ一度も参加したことはないけれど。
 単なる偶然か。偶然だろうなぁ。

 かつて確かに新宿が熱かった時期がある。アングラ文化華やかし頃、1960年代から70年代にかけて、だ。新宿西口広場のフォークゲリラは有名だろう。個人的には活字や写真でしか知らないのだが。
 本コンサートのタイトルはその当時に由来してつけられている、と思う。
 コンサートらしくないところが良い。まるでドキュメンタリー映画のようなタイトルで。

 紙ふうせんが出演するこのコンサートの情報を知ったときに注目したのは共演者の異色さだった。
 友川カズキ、中川五郎、大塚まさじ。
 そのほかになぎら健壱、山崎ハコ。
 もう一人、小野一穂。

 なぎら健壱と紙ふうせんとは90年代はじめに共演している。大晦日、深川座というライブハウスで紙ふうせん(TSU-BA-SAだったか?)の年忘れライブがあって、ゲストがなぎら健壱だったのだ。僕は観ていないが。

 友川カズキ、中川五郎と紙ふうせんの共演はあったのだろうか。
 とにかく異色出演者に興味津々。

folksongganagarerumachi


 この項続く




 遅れてきた青年が中年になって参加した〈フォークジャンボリー〉と名のつく2つの長時間コンサートのうち、「渋谷フォークジャンボリー」の転載を失念していた。「ALFA MUSIC LIVE」レポートでリンクしようとして気がついた。
 もし、この時期に村井邦彦さん絡みのALFAのイベントがあったら、赤い鳥の一夜限りの再結成が叶ったかもしれない。

 それはともかく、10月10日に開催された「新宿 フォークソングが流れる街」がまさにフォークジャンボリーだった。

     ◇

2007/11/24

 「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」(C.C.Lemonホール)

 フォークジャンボリーという言葉から人は皆どんなコンサートを想像するだろうか? 40代半ば以上のフォーク世代に限定してもいい。
 各アーティストが与えられた持ち時間、自分のステージを披露する。バック(バンド)はもちろん自前。中津川フォークジャンボリーに遅れた世代の僕にはそんなイメージがある。昨年の7月、群馬(前橋)で開催された「サマーフォークジャンボリー」はまさにそんな内容だった。
 数多い出演者だから、休憩をはさんで4時間強。かなりの忍耐が必要だ。70年代だったら4時間だろうが5時間だろうが関係なかったのに。あの頃僕も君も若かった!

 オールナイトニッポン40周年記念として企画された「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」も同じ内容、進行になるのだろうと思っていた。ということはまた長時間か。何しろ出演者は「サマーフォークジャンボリー」の倍。開演時間も17時だ。終演を21時とするとやはり4時間。まあ、それがフォークジャンボリーの醍醐味じゃないか。

 それにしても、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、斉藤安弘アナウンサーを司会に起用したフォークイベントをよくやる。実は、高校時代、僕はTBS「パック・イン・ミュージック」のファンだった。文化放送「セイヤング」も「オールナイトニッポン」もあまり聴いたことがない。郷里(群馬県太田市)ではTBSラジオが一番よく聴こえるという理由で、ダイヤルはいつも954(950)だったにすぎないのだが。その習慣は今も抜けない。今でもAMラジオを聴く場合は(ほとんど)TBSなのだ。
(大学時代、一時「ビートたけしのオールナイトニッポン」に夢中になったことはある。とはいえあの番組、ほとんど曲がかからなかったのではないか。)
 もう一つ、どうしてフォークイベントはいつも「オールナイトニッポン」なのか。「パック・イン・ミュージック」や「セイヤング」はどうした? なんて考えて、「あっ」。二つの番組はすでに終了しているのだった。継続は力なり。
 
 とにかく、フォークジャンボリーである。メインはフォーククルセダーズの加藤和彦と北山修(自切俳人)の共演、サブとして紙ふうせんと山本潤子の共演が目玉のコンサートだろうと当初は考えていた。
 後者については、しばらくして「翼をください」を一緒に歌う情報を得た。同時に紙ふうせんが「冬が来る前に」しか歌わないことも。独自のバックバンドもなし。演奏は主催者が用意したバンドが担当し、出演者はかつてのヒット曲を1曲披露するだけという。「何それ?」てなもんだ。
 看板に偽りあり。そんな内容だったらフォークジャンボリーとは呼べない。ある種の歌謡ショーだろう。TVのスペシャル番組。団塊世代とその下のフォーク世代を対象にした〈懐かしのメロディー〉だ。いや、懐かしのメロディーがいけないわけではない。そんなイベントに「フォークジャンボリー」なんて大仰なタイトルをつけることがどうかと思うのだ。オールナイトニッポン、ニッポン放送の商魂が頭をよぎった。2年前の品川プリンスホテルクラブeXのフォークイベントも、8,800円もの高額料金を設定したのだから。

 そんなわけで、何の期待もせず、懐かしさに浸れれば御の字くらいの感覚で改装された渋谷公会堂、今はネーミングライツでC.C.Lemonホールという名称になった会場に足を運んだのだった。

 16時、渋谷駅前のTSUTAYAでFCのSさんと待ち合わせ。会場に到着すると、すでに客が列を作っている。年齢層はかなり高い。これは昨年の前橋でも感じたこと。というか、紙ふうせんの秋のリサイタルでもお馴染みになっている。この10年で一気に高くなったような気がする。トシとったってわけね。

 入口横の喫煙コーナーでFC千葉グループのT氏、S氏に声をかけられる。Y氏の姿はまだない。
 16時15分開場。受付時にロゴ入りタオルを渡される。本日の記念品(プレゼント)。
 中に入ってリニューアルを実感した。4年前ショーケンの13年ぶりのコンサートで行ったときに、古色然とした内装に唖然としたものだった。席なんてボロボロだったのだから。

 開始までの間、会場には往年のフォークの名曲が流れていた。来年早々、1960年代から80年にかけてヒットしたフォーク、ニューミュージックを特集したコンピレーションアルバム6枚がリリースされるという。その宣伝だった。中島みゆき、小田和正、井上陽水……。どうせならこの日出演する人たちの曲を流せばいいのに。

 前説の影アナが、記念品タオルの使い方を説明する。ステージ奥に設置されたスクリーンに歌詞が表示されるので、会場の皆さんも一緒に歌いましょう。歌手への応援でタオルを振りましてもいい。汗をかいたら思う存分拭いてください。ほとんどの人がタオルを取り出して首にかけたりしていたが、その後使われた形跡はなかった。
 シングアウトの練習で、音楽監督の指揮のもと「心の旅」をスタッフと一緒に歌ったりもした(この音楽監督が、後に、ショーのバックバンドのキーボード奏者だとわかる)。

 17時。場内が暗くなると、スクリーンに1960年代を象徴するある日、ある時のスチールが映し出される。ナレーションの「あの時代、ギターとラジオとGパンがすべてだった」が印象的だった。このとき僕は小学生だった。「帰ってきたヨッパライ」はあくまでも面白い歌謡曲というイメージしかなかった。深夜放送のDJで人気者になったカメ&アンコーは知らなかった。
 「ジーンズではなくGパン。ブーツカットではなくベルボトム」ということになれば時代はまさしく70年代初期である。「出発の歌」、「結婚しようよ」……フォークのブームが一気にやってきた。これはリアルタイムで憶えている。
 落合恵子、みのもんた、林美雄、小島一慶。当時深夜放送のDJで人気のあった局アナたちだ。

 オールナイトニッポンのテーマ曲(「ビタースウィート・サンバ」)とともに、司会の安弘さんが登場。よどみない口調でオールナイトニッポンの歴史と、団塊世代の文化としてのフォークと深夜放送の関係を説明しながらイベントの開会。出演者が紹介され、皆さんステージに勢ぞろいする。あれ、加藤和彦と自切俳人の名前がなかった。それに本人も登場しない。「こりゃ何かある」 
 

●バラが咲いた/マイク真木

 トップバッターはマイク真木。客席からの登場に意表を突かれた。ステージに向かいながら、途中でお客さんに声をかける。 「お子さん何人?」「お孫さんは?」「隣の女性とはどのようなご関係で?」お客さんの回答に対する当意即妙な返事が爆笑を呼ぶ。さすが芸歴ウン年のタレントだ。
 「バラが咲いた」がフォークかどうかは意見が分かれるところ。小学生だった僕にはTVの歌番組で見るテロップ「作詞・作曲 浜口庫之助」の表記が新鮮だった記憶がある。

●気楽にいこう/マイク真木・細坪基佳

 「バラが咲いた」がヒットしていたとき、北海道の中学生だった元「ふきのとう」の細坪基佳を呼んで、ギター3本(もう一人はアシストのギタリスト)で「気楽にいこう」。鈴木ヒロミツが出演するモービル石油のCMソング。これマイク真木の作詞作曲だったのか。知らなかった。「クルマはガソリンで走るんです」のナレーションは加藤和彦だったのではないか?

●オリビアを聴きながら/尾崎亜美

 たった1曲しか歌えないのなら、杏里に提供したものより、自身の歌唱でヒットした「マイ・ピュア・レディ」にすればよかったのに。個人的にも「マイ・ピュア・レディ」は好みだった。

●中央フリーウェイ/尾崎亜美・床野真代・山本潤子・細坪基佳

 「中央フリーウェイ」は荒井由美より、ハイ・ファイ・セットのイメージが強いのだが、庄野真代もシングルリリースしていたのか。
 大学時代、夜遅く、同じクラスメートで目白に住むボンボンが自家用車で僕のアパートに来たことがある。ドライブに行こうと誘われ、嫌々ながら助手席に乗って、首都高から中央自動車を走った。途中、本当に競馬場とビール工場が右と左に見えたのは感激した。「お前そんなことで感激するのか」あいつは言った。田舎もんで悪かったね。

●飛んでイスタンブール/床野真代

 中近東風のメロディとともに、英語風に韻を踏んだ詞に興味を持った歌だった。

●池上線/西島三重子
●どうぞこのまま/丸山圭子

「池上線」って、やはり語感が決めてだろう。同じ東急の電車でも「目蒲線」だとコミックソングになってしまう。
 もう何年前になるのだろう。六本木スイートベイジルで生の「どうぞこのまま」を聴いたことがある。FFA主催のフォークライブ「マザーズコンサート」に紙ふうせんが出演し、共演が丸山圭子のほか庄野真代、水越けいこだったのだ。

●今日までそして明日から/西島三重子・丸山圭子・クミコ
●いちご白書をもう一度/クミコ

 確かクミコって、松本隆のバックアップでメディアに登場してきた歌手だったのではないか。ジャンルはシャンソン。本人もMCで語っていたが、フォークとは何の関係もない。無名時代、店で弾き語りをしていたとき、数々のフォークを歌っていたとはいえ、今回のキャスティングには違和感がある。この2曲の選曲にも無理やり感が。聞けばニッポン放送と関係が深いのだとか。局の要請か。納得。しゃべりと歌声がこれほど違う女性も珍しい。

●白い冬・卒業写真/細坪基佳・山本潤子

 ふきのとうの「白い冬」は好きだった。今でもそうなのだが、歩いていたり、自転車乗ってたりすると、手持ち無沙汰で即興で鼻歌を口ずさむ。中学生のころ、そんな鼻歌のひとつに「白い冬」のメロディがそっくりだったのだ。
 「卒業写真」はハイ・ファイ・セットのデビューシングルではなかったか。赤い鳥解散後、ハイ・ファイ・セットになってしばらくは荒井由美とのジョイントコンサートを数多くこなしていた。CMソングでも潤子さんの声をよく聴いた。しばらくして「フィーリング」が大ヒットしてその年の紅白歌合戦にも出場した。赤い鳥のイメージを払拭した、ブレイクのきっかけになったこの歌が今はまったく封印され(というと大げさだが)、ハイ・ファイ・セットといえば「卒業写真」になるのはどうしてだろう。
 二人は、元オフコースの鈴木康博とともに、ユニット「ソング・フォー・メモリーズ」として活動している。その関係からか、今回のステージはまるでデュオのような結びつきを感じる。
 
●翼をください/山本潤子・紙ふうせん・細坪基佳・尾崎亜美・床野真代・西島三重子・丸山圭子・クミコ

 プチ赤い鳥結成かと一部で話題になった編成。赤い鳥の3/5がステージに並んだのだから、かつての赤い鳥ファンにとっては興味津々である。しかし、「翼をください」がいくら合唱曲のポピュラーになったからといって、その他大勢が出てくるのはどんなものか。せめて細坪さんを加えた4人で歌えばよかったのに。一番を潤子さん、二番を平山さん。
 潤子さん(山本さんというと、僕の場合、山本俊彦さんになるので。本当は新居さんと呼びたいところ)は、ソロ活動を始めるようになって、赤い鳥時代の歌を解禁した(と思う)。「翼をください」「竹田の子守唄」「赤い花白い花」……。
 あくまでもファンのブログやBBSへの書き込みでしか知らないのだが、セットリストを目にする限り、いつも頭に疑問符が浮かぶ。「翼をください」は山上・村井コンビの楽曲だから当然だとしても、そのほかは後藤悦治郎の世界ではないか。赤い鳥には潤子さんをメインヴォーカルをとっている名曲がいっぱいあるのにどうしてレパートリーにしないのか。疑問はそこなのだ。山上・村井コンビでいえば「忘れていた朝」「窓に明りがともる時」とか、お姉さんが作詞し山本さんが曲をつけた「河」とか、あるいは「さりげなく」「虹を歌おう」とか。もっと歌ってほしいなあ。  

●冬が来る前に/紙ふうせん

 今の季節を考えれば、また紙ふうせんの名を一躍有名にしたヒット曲だから、この手のイベントにはかかせない曲であることは十分わかってはいる。しかし、この1曲というのだったら、やはり「竹田の子守唄」だろう。後藤さんのギター1本で赤い鳥解散後もずっと歌いつづけてきた紙ふうせんの「竹田の子守唄」を往年のフォークファンに聴いてほしかった。

●小さな日記・希望/フォー・セインツ

 仮面ライダーストロンガー(荒木しげる)がフォー・セインツのメンバー(ドラム)だったのは知っていたが、あの志賀ちゃん(志賀正浩)も同じグループでベースを弾いていたなんて。そういえば最近TVで見かけなくなった。音楽プロダクションを経営しているのか。しゃべりが達者なのは当たり前。「小さな日記」のあと、メンバー各人がミスらなかったか確認する。そこで志賀ちゃんの一言「ミスは犯すな、ミセスは犯せ」 。
 岸洋子の「希望」も、もともとこのグループの歌だった。驚き桃の木である。大好きだったんだ、この曲。
 
●スペシャルゲスト/北山修

 ここで安弘アナの呼びかけに対して北山修が最前列の客席から登場。あくまでも観客の一人でいたいという本人の要望により、ステージ上と客席とのやりとりとなる。
 学生時代にフォーク・クルセダースの一員として活躍したのち、今やフォークのスタンダードになった「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」等の作詞をする。卒業後は精神科医を目指し、芸能活動は仮の姿として、自切俳人(ジキルハイド)と名乗って、ラジオのパーソナリティーをつとめた。芸能活動と自分の進む道をはっきりと区分し、精神科医になってからは表舞台から姿を消した。若いころにやりたいことをやり、オピニオンリーダーとして表現活動にいそしみ、ある年齢に達してからは、社会的に認められた職業を邁進して地位を築く。なんともうらやましい人生ではないか。
 思えば、フォークルのメンバーって皆才能の人だった。加藤和彦は後述するとして、もう一人のはしだのりひこも、フォークル解散後は、いくつものグループを作って、ヒット曲を連発していた。

●帰ってきたヨッパライ・鎮静剤・イムジン河・悲しくてやりきれない/加藤和彦

 やはり何かあった。加藤和彦にだけ自身のバックバンドがついた。その準備中にもう一人のスペシャルゲスト、亀淵元ニッポン放送代表取締役、現相談役が登場、カメ&アンコーの復活を肴に3人のトークがはずむ。コンビが久しぶりにレコーディングする曲(コンピレーションCDのおまけに付くらしい)を加藤和彦が作るらしい。そういうことか。

 バックバンドは、アルフィーの坂崎幸之助とユニット「和幸」を組んだ際のメンバーだとか。アコーディオン(キーボード)、チャランゴ(ギター)、ベース、パーカッション。すべて外国人というのが珍しい。実際、このコーナーがこの日の中で一番充実していた。
 「誰も知らない曲やるから」なんて、始めたのがボサヴォ調の楽曲。歌いだしたら「帰ってきたヨッパライ」だった。「歌なんてアレンジ次第でどうにでもなるんだから」
 続く「鎮静剤」(高田渡のナンバー)はフォルクローレ調。「イムジン河」は、最初フランス人のアコーディオン奏者が自身のフランス語訳で歌う。これは聴き応えあった。加藤和彦は三線を引きながら韓国語で後を受け、最後は日本語。
「悲しくてやりきれない」は「イムジン河」が発売中止が決定した後、レコード会社の一室に軟禁されて急遽作らされたもの。しかし、これまで作った3,000曲の中でもベスト10に入る出来だと、いつもの飄々とした口調で語っていた。

 サディスティック・ミカ・バンドの再結成には驚いたものだ。ヴォーカルのミカと離婚し、だからバンドは解散になったのだが、新しい女性ヴォーカルを起用し、そのままミカ・バンドを名乗るというのが信じられなかったのだ。
 ふたりめの奥さん、安井かずみを癌で亡くした。あんなに夫婦付随ぶりを見せつけていたのに、あっというまに再婚してしまった。それもなんだかなあという気がした。
 でもあらためて思う。60年代アンダーグラウンドの音楽(フォーク)を表舞台に、コマーシャルベースに引き上げてからというもの、常にトップを悠々自適に快走している。フォークからロックに移ってからは、初めて日本人のロックを海外(イギリス)に認めさせた。「黒船」はレコードをレンタルしてダビングしたテープを持っている。聴かずにはいられなかった。
 この人、やはり才人だ。

●あの素晴らしい愛をもう一度/全員

 ラストは当然この曲だ。ステージに全員が揃って観客といっしょの大合唱となった。あるフレーズで平山さんと後藤さんがきちんとハーモニーを作って歌っているのが聴こえてきて、ニンマリ。




2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 その6から続く

 ステージには村井邦彦がただひとり。亡くなったアルファに関係の深い仲間たちへの追悼のコーナーになった。
 ステージ後方のスクリーンに亡くなった方の写真が投影され村井邦彦が一人ひとりの思い出を語っていく。

 曽根隆(フィフィ・ザ・フリー)/石川晶(カウントバッファローズ他)
 江藤勲/飯吉馨
 桜井英顕(須磨の嵐)/中谷望(須磨の嵐)/黛敏郎
 山本俊彦(赤い鳥~Hi-Fi SET)/大村憲司(赤い鳥)
 日高富明(GARO)/堀内護(GARO)
 服部良一/田辺信一
 佐藤博(ハックル・バック~Tin Pan Alley)/深町純
 シーナ(シーナ&ロケッツ)

 桜井英顕って須磨の嵐という前衛邦楽バンドのメンバーだったのか。その名前を知り、パーカッション(ハイチドラム)の演奏を聴いたのは赤い鳥のライブ盤(実況録音盤)「ミリオン・ピープル」の「もうっこ」だった。
 B面まるまる使っての、赤い鳥+渡辺貞夫(アルト・サックス)+深町純(エレクトリック・ピアノ)+桜井英顕・森本哲也(パーカッション)の演奏はとんでもなく素晴らしく、もう何度聴いたかわからない。今だってたまに耳を傾ける。
 後藤さんが紹介する際の「サクライ・ヒデアキラさん」のヒデアキラがまるでサクラコみたいな響きで耳に残った。なんか珍しい名前だなぁと。
 須磨の嵐のアルバムが欲しくなった。

 その須磨の嵐で村井邦彦がお世話になったのが黛敏郎だとか。

 山本俊彦さんの死にはショックを受けた。
 逝去の報は、兵庫県尼崎市の武庫之荘で聞いた。紙ふうせんFCの催しで、赤い鳥の聖地(!)を訪れる日だった。

 2014.3.29 武庫之荘・赤い屋根の家 #1
 2014.3.29 武庫之荘・赤い屋根の家 #2
 2014.3.29 武庫之荘・赤い屋根の家 #3

 山本さんは赤い鳥のメンバーの中、一人リードヴォーカルの曲がない。URCの「お父帰れや」のヴォーカルは新居さんなのだが、一緒に歌っている男性の声が後藤さんでも大川さんでもない。ということは山本さんか。
 リードヴォーカルをとらないのはあまり歌がうまくないからだろう、ギターを弾いている方が好きなのだろう、と思っていた。7人時代あたりからエレキギターを弾きはじめて、その姿を写真などで拝見してそう勝手に判断していたのだ。メンバーの中では大川さんとコンビを組んで曲を作って(作詞・大川茂、作曲・山本俊彦)いるので、根っからの音楽(ギター)人間なのではと。

 違った。学生時代は合唱団に所属していたらしい。赤い鳥のアマチュア時代、混成ハーモニーは山本さんが中心になって練習したと平山さんが自身のブログに書いている。
 君が亡くなって、潤ちゃんが……という村井さんの言葉にしんみり。

 田辺信一が亡くなっていたとは。
 大野雄二(「犬神家の一族」)、村井邦彦(「悪魔の手毬唄」)に続く、市川崑監督、石坂浩二主演の金田一シリーズ第3弾「獄門島」の音楽を担当した。すっかり忘れていたのだが、「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」も引き続き担当していた、
 個人的には歌謡曲の作曲家というイメージが強い。大好きだった「愛の奇跡」(ヒデとロザンナ)を作曲している。編曲家としても有名で、ハイ・ファイセットの最初のヒット曲「フィーリング」を手がけている。

 大村憲司の訃報は紙ふうせんのマネージャー氏からの電話で知らされた。電話口で大声をだしてしまった。まだ40代だった。
 初めて買った赤い鳥のアルバムが「ゴールデンディスク」であることはすでに書いたが、その中であきらかに他の曲とテイストが違ったのが「パーティーにおいでよ」だった。自身の歌唱だ。「美しい星」の中の「せみしぐれ」もそうではないか。好きな声だ。
 でも、ギターである。あの音色がたまらない。「祈り」は全曲にわたってそのギターが聴ける。後藤悦治郎の世界と大村サウンドがドッキングした傑作アルバムなのだ。大方の赤い鳥ファンはそう思っていないだろうけど。

 「ミリオン・ピープル」の「もうっこ」はナベサダのサックスの印象が強いけれど、何度も何度も聴くうち、深町純のエレクトリック・ピアノの音色がうっとりしてしまう自分がいた。
 紙ふうせんのファーストシングル「いかつり唄」の編曲を担当している。シングル「円山川舟唄」も。後藤さんが円山川の風景にこのアレンジがぴたりはまるんだと語っていた。

 2010年になって深町さんのライブに触れるようになった。
 The Will 2010 TOUR
 at Welcome back
 大塚駅南口より徒歩2分 フカサビル地下1F

 自身のお店で毎月開催しているライブに一度足を運んだ。ピアノに圧倒された。お店で紙ふうせんライブを開催することが決定して、友人、知人に宣伝、集客をはかっていたところに訃報を目にした

 昨年YouTubeで知ったのだが、70年代にジュリーと梶芽衣子の主演で「同棲時代」がスペシャルドラマ化された。音楽を担当したのが深町純で赤い鳥が主題歌を歌っているのだ。主題歌といってもスキャットだけど。
 日曜劇場枠で放送された、僕の大のお気に入り「バースデーカード」の音楽もそう。
 市川崑監督が手塚治虫の「火の鳥 黎明編」を実写映画化した「火の鳥」の音楽でもクレジットされている。テーマ音楽はミッシェル・ルグラン。この映画、製作の一人が村井邦彦なのだ。いまだにDVD化されていない。失敗作だからだろうか。

 シーナの訃報にも大声だした。
 70歳になったシーナがあの衣装でステージで飛び跳ねている姿が見たかった。


●次世代バンド+村井邦彦+赤い鳥/後藤・平山・村上(プレゼンター:村井邦彦)

 村井さんが次世代バンドを紹介する。
 ギターの大村真司は大村憲司の息子。ドラムの林一樹は林立夫の息子。そして、ヴォーカルのAsiahは小坂忠の娘。そこに村井邦彦がピアノで加わって、1曲披露しようという寸法。大村憲司が亡くなったとき、息子さんは何歳だったのか?

 曲はレゲエみたいなリズムの「翼をください」。パンチの効いたAsiahの歌声。1番を歌っている最中に、下手のソデから平山さん、後藤さん、村上ポンタさんが登場、上手からアコースティック・ギターを持って登場したスタッフが後藤さんに渡す。ポンタさんは林ジュニアの隣のドラムセットにゆっくりと腰をおろす。
 赤い鳥のオリジナルメンバーが加わって、演奏は正統「翼をください」に。2番は平山さんが歌う。

 ♪今、富とか名誉ならばいらないけれど、翼がほしい

 8年前の赤い鳥3/5が揃った「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」でも平山さんは2番を歌った。1番は潤子さんで。
 現在、「翼をください」は多くの歌手がカヴァーしているが、2番をカットされることが多い。もともとの赤い鳥のシングルがそうなのだから、それに従っているまでなのかもしれない。しかし本当は最初から2番はあって、ライブではきちんと歌っていた。「スタジオライブ」や「ミリオン・ピープル」で判断しているのだが。
 紙ふうせんのステージではいつも2番は歌われている。

 いつものように、観客を巻き込んでの合唱になった。ステージの照明も客席に向いての、まさに〈主役は観客〉なのだが、ノリが今いちだ。「竹田の子守唄」のときも少しばかり感じたことだ。なんか、紙ふうせんにとって会場がアウェイなのだ。
 潤子さんがいれば違っていたのだろうか?

 ところで、「翼をください」の作曲印税の件、幕が開く前、隣のセレブカップルの話が聞こえてきた。思わず耳をそばだてた。男性が女性に語っていたのだ。村井さん、「翼をください」の権利を別れた奥さんにあげてしまったとか。別れた奥さんというと、大橋一枝さん

  翼をください


●小坂忠・Aisiah・村井邦彦

 ラストは新曲の発表だ。
 作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦の「音楽を信じる」。
 歌うのは小坂忠とAsiah父娘。

  音楽を信じる We believe In Music


●村井邦彦(アンコール)

 アンコールは村井さんのピアノ弾き語りで「美しい星」。
 「ミリオン・ピープル」の〈村井邦彦コーナー〉を思い出した。あのときは、村井さんのピアノに乗せて赤い鳥の5人(4人か?)が一人ひとり山上・村井楽曲を歌っていた。
「窓に明かりがともる時」(新居潤子)、「言葉にならない言葉」(平山泰代)、「美しも哀しい人生」(後藤悦治郎)、「花吹雪」(大川茂)、「忘れていた朝」(新居潤子~5人)、「美しい星」(新居潤子、平山泰代)。
 村井さんの代表作は「美しい星」なんだな。一番好きというか。

 後藤さんが、「今日、もう一人のゲストをお呼びしています」と言って、村井さんがステージに登場するとこう紹介した。

     ▽
 フランスに偉大な作曲家がいまして、2年ほど前東京に来たときにその歌を聴いてピアノを聴いて涙がでました。その人の名をミッシェル・ルグランといいます。
 アメリカにはジム・ウェイブという素晴らしい作曲家がやはりいまして、そして日本には村井邦彦という素晴らしい才能の持ち主がいます。

 その辺まではいいんですが、彼もなかなか日本の音楽状況の中で作曲だけに専念できる立場をとれなくて、ほかの方でも非常に忙しく、後輩を育てなければいけないし、赤い鳥なんかいつも文句を言い続けるし、非常に忙しい毎日の中で、レコード会社を作ろう、出版会社を作ろう、レコードを制作しよう、タレントを育てよう、いい音楽を日本にもっと広めていこう、そんな中で非常に活躍して、最後は作曲だけが残って素晴らしい曲をもっともっと僕たちの前に出してくれるよう、今日を機会にそういう風に期待します。
     △

 村井さんが「美しい星」を歌い終わると、幕があがって出演者全員が拍手で取り囲んだ。
 大団円。
 後方のスクリーンにスタッフロールが流れていく。

 アルファの歴史を、その始まりから終焉までを4時間弱で学んだ。
 とはいえ、僕にとってのアルファは、やはり赤い鳥なのだ、と実感したエンディングだった。


  〇武部聡志バンド
    ・武部聡志(Key)
    ・河村“カースケ”智康(Dr)
    ・須長和広(B)
    ・鳥山雄司(G)
    ・本間昭光(Key)、
    ・松岡奈穂美(Cho)
    ・今井正喜(Cho)
    ・須藤美恵子(Cho)


ALFAMUSICLIVE
入場時に配付された冊子

ALFAMUSICLIVE2
カバーをとると


ALFA kamifusen
出演アーティストのALFA時代の写真が
この当時の紙ふうせんのライブが観たかった!


 【おまけ】
平山さんのブログです。
一番上の写真の平山さん、すんごく若くありませんか?




2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 その5から続く

●シーナ&ロケッツ(プレゼンター:鮎川誠)

 大学時代は8㎜映画の自主制作サークルに所属して活動していたが、同級のUがロック大好き人間だった。ショーケンの「熱狂雷舞」や「DONJUAN LIVE」の素晴らしさを教えてくれたのがUである。テンプターズでファンになったというのに、そのころは役者としてのショーケンしか興味がなかったのだ。

 1年の冬だったと思う。Uに誘われて渋谷のライブハウス「屋根裏」でインディーズ系ハードロックバンドのライブを観に行った。僕にとってはライブハウス初体験で音量の激しさに驚愕した。外にでもしばらくは耳鳴りがしていたほど。
 演奏された曲の中に「YOU REALLY GOT ME」があり、それが良かったというと、ヴァン・ヘイレンの有名な曲で、最近ではシーナ&ロケッツがカヴァーしているとUは教えてくれた。
「シーナ&ロケッツって?」
「最近デビューしたロックバンド。シンプルだけどいい音きかせてくれるんだ、これが」

 で、すぐに購入したのがファーストアルバム「真空パック」だ。なぜ、オリジナルのヴァン・ヘイレンではなくカヴァーのシーナ&ロケッツにしたのか、自分でもわからない。「ユー・メイ・ドリーム」のヒットでシーナ&ロケッツがTVの歌番組の出るようになったのはそのすぐ後だったような気がする。
 「レモンティー」は映画「チーム・バチスタの栄光」で知った。劇中、患者役の山口良一が消え入りそうな声で歌うのだ、無伴奏で。調べてみるとシーナ&ロケッツの曲であることを知り、YouTubeで聴くと詞がとんでもなくいやらしいことがわかった。サンハウス時代に鮎川誠が作った(詞はサンハウスのヴォーカル・柴山俊之)ことも。カラオケで歌うととても気分がいい。ずいぶん経ってから曲が洋楽のパクリであること知った。

 ステージ後方のスクリーンにありし日のシーナの写真を投影しながら3人でギンギンのライブを繰り広げた。ヴォーカルは鮎川誠。上手くないけど、そんなの関係ねぇ。当時と変わらない姿に驚く。TVのバラエティで活躍する自称ロッカーが幅をきかせているが、鮎川誠こそロックそのものではないか。素敵なライブだった。

 アコースティックギター1本で「竹田の子守唄」を披露した紙ふうせんが最右翼だとすると、Eギター、Eベース、ドラムスでロックンロールしたシーナ&ロケットは最左翼となる。いや、右や左はどっちでもいい、両極端に位置するということがいいたいのだ。どちらも夫婦で、頑なに自分たちの音楽活動を貫いてきたことが共通点か。

  ユー・メイ・ドリーム/レモンティー


●日向大介 with encounter(プレゼンター:高橋幸宏)

 すいません、出演者の中で唯一当時も今も名前も活躍も知らなかったグループで何も語れません。

  I WONDER


●YMO+村井邦彦(プレゼンター:松任谷由実)

 トップバッターで登場したユーミンが最後にまた出てくる心憎い演出。すでに書いたが、また衣装が違う。

 中学時代、赤い鳥「スタジオライブ」を聴かせてくれた友人が同じように聴かせてくれたのが冨田勲がシンセサイザーで演奏した一連のクラシックアルバムだった。あの音は衝撃だった。シンセサイザーという楽器もすごかった。部屋全体がシンセサイザーだったからだ。
 同様の衝撃をイエロー・マジック・オーケストラで受けたわけだ。80年代を意識させてくれた音楽だった。好き嫌いに関係なく。
 弟がファーストアルバムを買って、夏休みだか冬休みで帰省していたときに聴いた覚えがある。
 イエロー・マジック・オーケストラの世界的な活躍で、村井さんの夢の一つが実現された。かつて赤い鳥で挑戦して挫折している。後藤さんにまったくその気がなかった。

 そういえば、YMOが登場する前に、まるでプロローグのような位置づけでマナという女性歌手がYMOのテーマソング(のような歌)を歌っていた。今、どうしているのだろうか?

 ずいぶん経ってから知るのだが、サポートミュージシャン(ギター)が大村憲司だった。一時赤い鳥のメンバーで、アルバムの中で2曲ほど歌っている。ギターテクニックは抜群で「祈り」は今でも聴いている。7人時代の、ロックに傾注した赤い鳥のライブを観たかった。

 今回、坂本龍一が出演しないのは、山田洋次監督作品の音楽のトラックダウンだか何だかをやっているためだと、娘さんが言っていた。病気ではないことに少し安心した。
 坂本龍一に代わってピアノを弾くのが村井邦彦。しかし、まるで印象が違う「ライディーン」だった。

  ライディーン


 この項続く




2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 その4から続く


●吉田美奈子(プレゼンター:向谷実)

 プレゼンターの向谷実は元カシオペア(キーボード奏者)。最近は鉄道方面で活躍云々という自己紹介はウィキペディアで調べて合点がいった。なるほどそういうことですか。「タモリ倶楽部」で拝見したことがあるかも。
 カシオペアもALFAだったのになぜ出演しないのか。まあ、いろいろ大人の事情というものがあるのだろう。

 はっぴいえんどからキャラメルママやティン・パン・アレーに繋がる音楽、あるいはその関連アーティスト(の楽曲)をリアルタイムで聴いたことがなかった。ただ、大瀧詠一には興味があった。といってもアルバム1枚買ったことはないけれど。別に小林信彦の影響ではない。良い曲をいっぱい書いているということだ。
 「夢で逢えたら」もその一つ。今ではスタンダードになった感のあるこの曲を、オリジナルの吉田美奈子で聴けたのは感涙ものだった。

 入場時に配付されたパンフレット(?)は、村井邦彦氏の文章が掲載されている。「月刊てりとりぃ」という雑誌(があるのだろう、僕は知らないけれど)に連載されている「LAについて」に加筆訂正したもの。この文章が出演アーティストと村井氏の出会いや関係の説明になっている。ALFAの歴史が綴られているのだ。アーティストたちの若かりしころの姿も拝める、資料として大変貴重な冊子といえるだろう。
 その中で美空ひばりの「真赤な太陽」事件に触れている。美空ひばりのヒット曲を黛ジュンがカヴァーしようとしたら、美空側の反撥でレコードが発売できなくなった。曲は歌手のものではなく作家のものと考えていた村井さんは「翼をください」で夢を叶えたと書いている。
 「夢で逢えたら」も同様なんだろうなと思った次第。

  朝は君に/夢で逢えたら


●サーカス(プレゼンター:紙ふうせん)

 紙ふうせんのふたりは夫婦漫才全開の紹介だった。村井さんが赤い鳥のスカウトのため後藤さんが住む尼崎まで真っ赤なポルシェでやってきた。
「尼崎で初めてじゃないですか、ポルシェ走ったの」
 と平山さん。後藤さんがうなずいて、
「そうやね、馬車と牛車しか走っていなかったから」
 梅田花月の舞台に立てるのではないか。

 サーカスが「Mr.サマータイム」で登場したとき、第二の赤い鳥を見た。赤い鳥が村井さんの言われるとおりの音楽活動をしていたらこんな感じのグループになったのではと思った。「Mr.サマータイム」も「アメリカン・フィーリング」もいい歌だと思うし好きだけれど、サーカスを追いかけることはなかった。僕からすると単なるコーラスグループだったので。
 プロデビュー前のサーカスと紙ふうせんの不思議な関係についてはすでに書いている。村井さんが後藤さんに提案したという。紙ふうせんに4人を加えたらと。

 新真実! 紙ふうせん+サーカス=? その1
 新真実! 紙ふうせん+サーカス=? その2 

 サーカスはけっこうメンバーチェンジしている。デビューのときは、三姉弟+従妹の4人だった。最近までは姉弟+弟夫婦で、「Mr.サマータイム」はこの4人で歌った。今は弟夫婦が脱退して、弟の娘、赤の他人(男性)がメンバーになっていて、「アメリカン・フィーリング」はこの新メンバーを加えて6人で。
 華やかなステージだった。

  Mr.サマータイム/アメリカン・フィーリング


●ブレッド&バター(プレゼンター:坂本美雨)

 プレゼンターとして若い女性が出てきて、最初誰?と思ったが、坂本龍一、矢野顕子の娘さんではないですか。
 矢野顕子が前夫と離婚して坂本龍一と結婚するとき、芸能マスコミのかっこうの餌食になった。矢野顕子は妊娠していたのだが、坂本龍一ではなく、前夫の子になるとか云々騒がれたのだ。
 今、調べたら、300日問題というものだった。女性が離婚後、300日以内に生まれた子どもは前夫の子と法律上は推定される。女性には、離婚後6ヶ月は結婚できない制度もある。父親の混同をさけるためだそうだ。坂本龍一と矢野顕子の結婚にはこの問題があったのだろう。そんな騒動の中で生まれた子がこんな大きくなったのか! なんか親戚のおじさんになった気分だった。

 この兄弟デュオも昔から名前を拝見しているのに、楽曲をきちんと聴いたことがない。いわゆる湘南系のおしゃれな音楽だから個人的に馴染まない。湘南ボーイなんて! と田舎もんは思うわけです。
 TVの歌番組では何度か観ている。この前(といってももうずいぶん前か)は「小室等の新音楽夜話」で観た。いつも思う。お兄さんはなぜギターを弾かないのか。
 グループ名を日本語に訳すと〈バターつきパン〉。これ、高校のころ。ラジオで2人を紹介する際に番組のパーソナリティが言っていた。なぜかそれだけははっきり覚えている。

  あの頃のまま/Monday Morning


●コシミハル(プレゼンター:岩沢幸矢)

 そのまま、ブレッド&バターのお兄さんがプレゼンターだ。コシミハルについて「よくわかない」と評していた。

 越美晴はいつからコシミハルになったのか。デビュー当時はとても賑やかな弾けた女の子というイメージを持っていたのが、ステージに登場したコシミハルはともて小さく華奢な女性。特におしゃべりをするでもなく、歌い終わるとそっとソデに消えていった。
 ウィキペディアによると、石川セリが武満徹の楽曲を集めたアルバムを作った際、「燃える秋」の編曲を担当したコシミハルに対して、武満徹は「天才だ」と評価したとか。
 「燃える秋」は同名映画の主題歌でハイ・ファイ・セットが歌っていた。この曲、村井邦彦作曲「悪魔の手毬唄」のテーマ曲とそっくりなんですよねぇ。出だしのところが。
 「La Vie en rose」はエディット・ピアフの曲。邦題は「バラ色の人生」だ。

  La Vie en rose


 この項続く




 
2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 その3から続く

●雪村いづみ(プレゼンター:服部克久)

 服部克久が名アレンジャーであることを認識したのは紙ふうせんのファーストアルバム「またふたりになったね」だった。とてもシンプルで素朴な編曲なのだが、逆にそこが琴線に触れる。何度も聴いているとその良さがわかるというもの。
 ハイ・ファイ・セットのファーストアルバムも手がけていたのか。
 70年代はフジテレビ「ミュージック・フェア」をよく観た。演歌も聞けた。編曲担当の服部克久と前田憲男の功績だろう。

 挨拶の冒頭で久しぶりに会って誰だかわからなかった人って後藤さんのことだろうか。まあ、いいや。
 スーパー・ジェネレーションと言うので「ああ、あのライブアルバムか」と思った。東芝EMI所属のアーティストが多数出演して、その中に赤い鳥がいた……違った。あれはラブ・ジェネレーションだった。
 雪村いずみが服部良一の名曲の数々をキャラメル・ママ(松任谷正隆、鈴木茂、細野晴臣、林立夫)の演奏でレコーディングしたアルバム「スーパー・ジェネレイション」。1974年にコロムビアレコードからリリースされている。このアルバムのことは全然知らなかったが、アレンジが服部克久なのだろう。
 これまでキャラメル・ママとティン・パン・アレーの関係がわからず、今回初めてネットで調べてみた。同じなのか。
 今宵はティン・パン・アレーをバックに雪村いずみが熱唱したのだが、年齢を感じさせない歌声の迫力は紙ふうせん、合田道人と共演している「青春の歌声コンサート」でお馴染みだ。
 最後、バックの演奏と合わず、「間違えちゃったよ」と舌をだしたのはかわいかった。

  蘇州夜曲/東京ブギウギ



●荒井由実(プレゼンター:野宮真貴)

 野宮真貴って誰? ピチカート・ファイブのヴォーカル。ピチカート・ファイブの名前、聞いたこと(目にしたこと)はあるけれど、ごめんなさい、よく知りません。

 ティン・パン・アレーを従えて登場したユーミンは黒のパンツスーツ、黒のハット。プレゼンターのときとはまるで印象が違う。ちなみにこのあとも何度か舞台に出てくるのだが、そのたびに衣装が違うのだから、さすがアルファを代表する歌姫!

 中学時代バンドを作って六文銭や岡林信康を盛んにコピーしていた友人(この友人が自宅で赤い鳥の「スタジオライブ」を聴かせてくれた)がよく言っていたのが、「荒井由実はファーストアルバム『ひこうき雲』が一番良かった」
 恥ずかしい話だが、僕はきちんと「ひこうき雲」を聴いたことがなかった。だから宮崎駿監督の「風立ちぬ」の主題歌はとても新鮮だった。その後YouTube でよく聴くようになるのだが、ラストのベース音が赤い鳥だった。「書簡集」にこんな音があったなあ、と。
 大学時代、クラスメートが運転するクルマで夜中にドライブしたことがある。中央高速を走って、本当に左右に競馬場とビール工場が見えて感激した。
 今年になって日刊ゲンダイだったか、声の衰えを指摘した記事を読んだことがある。全然そんなことはなかった。

  ひこうき雲/中央フリーウェイ


●小坂忠(プレゼンター:細野晴臣)

 プレゼンターの細野晴臣の経歴がすごいと思う。70年代ははっぴいえんど、キャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)で活躍、ソロ活動のあとイエロー・マジック・オーケストラで世界に進出するのだ。
 ハイ・ファイ・セットの名付け親でもある。

 小坂忠と細野晴臣は、その昔、バンドを組んでいたという。はっぴいえんどの前のことである。バンド解散後、小坂忠はミュージカル「ヘアー」に出演する。アルファと「ヘアー」とは何か関係があるのだろうか。
 その後、ティン・パン・アレーの演奏でアルバムを制作。確かに小坂忠を紹介するのは細野晴臣がふさわしい。

  ほうろう/機関車


 続いて登場したのは桑原茂一。プレゼンターとしてアーティストを紹介するのではなく、スネークマンショーの思い出話をするために。
 そこで初めて気がつく。スネークマンショーってアルファだったのか! TBSラジオの番組はよく聴いていた。出演は小林克也と伊武雅之と名乗っていた伊武雅刀。とんでもなく面白かった、という記憶ある。
 ある種の冗談音楽だったのだろうか。
 で、もしかして「タモリの戦後日本歌謡史」もアルファだったのかと疑問が生じて、調べてみたらやはりそうだった。
 著作権の関係でアルバム発売が中止になって、中止になったことに対して有識者からかなり批判があった。ただ一人(でもないだろうが)、小林信彦が「つまらないものはつまらない!」と「タモリの戦後日本歌謡史」を持ち上げる風潮を批判していた。
 僕自身はラジオで歌のいくつかを聴いて大笑いしていた。
 そうか、アルファレコードだったのか。
 なぜか、ダウンタウンのコント番組に喜々として出演した坂本龍一の顔が思い浮かんだ。


 この項続く




 神保町古本まつりは今日が最終日だった。
 昨日と今日の成果物は……。

 「不忠臣蔵」(井上ひさし/集英社文庫)
 「フランケンシュタインの子供」(メアリー・シェリー・ラヴクラフト・ヴォガネット他 風間賢二 編/角川ホラー文庫)

 古本まつり、今年初めて参加したのだが、すごいお祭りだわ。楽しい。

     * * *

2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 前々項から続く

 以下原則敬称略です。

 ●加橋かつみ(プレゼンター:松任谷由実)

 プレゼンターのトップはユーミン。高価なドレスが目にまぶしい。アルファと最初に作家契約を結んだことを初めて知った。まだ高校生だったとか。楽曲を提供したのが、元タイガースの加橋かつみ。   
 小学2年のとき、タイガースの「モナリザの微笑」から歌謡曲に興味を持つようになった。ギターを弾きながら「花の首飾り」を歌う加橋かつみが大好きだった。僕にとってタイガースはジュリーではなくトッポだったのだ。だからトッポがタイガースを脱退するととたんに興味がなくなって、テンプターズファンになるのだ。ヴォーカルのショーケンがハーモニカを吹くのがかっこよくて。
 「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」を読むと、トッポが〈キャンティ〉文化にどっぷり漬かっていたことがわかる。川添ファミリー→村井邦彦→パリというルートだったのか。
 「愛は突然に」がユーミンの作曲(詞は本人)。
 客席には応援でサリー(岸辺修三→一徳)が来ていた。トッポの呼びかけに「2階にいるよ!」。

  愛は突然に/花の世界


 ●赤い鳥/紙ふうせん(プレゼンター:吉田美奈子)

 幕前、ステージ下手の吉田美奈子が赤い鳥を紹介すると、幕が開くことなく、上手から平山泰代・後藤悦治郎が登場して中央で自己紹介。後藤さんのギターのみの演奏で「竹田の子守唄」を歌うとそのままソデに引っ込んでしまった。
 その間、自己紹介以外のおしゃべりはなし。その姿が実に何ともかっこよかった。とにかくアコースティックギター1本だけの演奏で聴かせてしまうのである。自分たちの歌に対する姿勢を見事に主張していた。

 村井邦彦は「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」で赤い鳥を聴いたとき「竹田の子守唄」の楽曲そのものにはあまり感銘を受けなかったのかもしれない。でなければ、「人生」なんて歌ができるわけがないのだ。
 そもそもファーストアルバム「FLY WITH THE RED BIRDS」にはなぜ「黒い雨」「人生」が収録されたのか。しゃれた英語詞ばかりの楽曲の中にあって、あの2曲は浮いている。そして「人生」という「竹田の子守唄」の替え歌。アレンジはいいのだけれど、あの詞にがっがりしてしまう。
 後藤さんはレコーディングしている英国から村井さんに国際電話したという。思い入れのある伝承歌に何ていう処置をしてくれたのか! 「人生」はレコードだけの歌で、ステージでは一度も披露されたことはなかったのではないか?

 ちなみに赤い鳥のウィキペディアには「第三回ヤマハライト・ミュージック・コンテスト」で、〈財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったという。〉と書かれているが、赤い鳥はトップに登場しているのだから、二人とも最初から「赤い鳥に負けた!」と思ったのではないか。まあ、どうでもいいことだけど。

  竹田の子守唄


 ●ガロ/大野真澄(プレゼンター:安藤和津)

 プレゼンターの安藤和津に? 共通項は1969年に日本で公演されたミュージカル「ヘアー」。ガロのメンバーも安藤和津もキャストの一員だったのだ。
 共演者には加橋かつみもいる。これで、ガロと加橋かつみとユーミンがつながった。
 僕がガロを初めて見たのはTBS「ぎんざNOW!」だったか。以前にも書いたが、あのころTVに出演する際、マークとトミーがギター弾いて、ヴォーカルは歌だけだったので、個人的は評価は低かった。タイガースではジュリーよりトッポのように、あのころ、楽器を弾かないミュージシャンはミュージシャンではなかった。歌なんて誰でもうたえるだろう、なんて、今から思うと、とんでもない考えを持っていたのだ、当時の私は。
 ところで、「学生街の喫茶店」の学生街ってどこだろう? お茶ノ水とか神保町とか、そこらへんの風景が頭に浮かぶのだが。

  学生街の喫茶店


 この項続く




2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 承前

 赤い鳥の再結成。
 10年前に聞いたのなら歓喜しただろう。
 しかし、2007年に開催された「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」で、もう再結成はないと確信していた。
 今度は村井さんのイベントだから特別だとは思う。思うけれど、時期が悪かった。昨年、山本潤子さんが無期限の休養に入った。声の不調が理由である。直後、山本俊彦さんが急死した。もう二度とオリジナルメンバーが揃うことがなくなったのだ。

 そんな状況下でどのように赤い鳥が再結成されるというのか。
 紙ふうせんのふたりは出演するとして、潤子さんはどうなるのか? 休養中とはいえ、村井さんの古希のお祝いだからむげに断れず特別出演という形になるのだろうか。
 大川さんは? 一時在籍していた村上ポンタさん、渡辺さんは?

 「ALFA MUSIC LIVE」開催の告知が解禁になったとき、目当ては赤い鳥しかなかった。荒井由実もティンパンアレイもキャラメルママも全くのアウト・オブ・眼中。

 当時、赤い鳥とアルファ(ミュージック)の関係を深く考えたことはなかった。ジャケットには必ず〈アルファ&アソシエイツ〉の明記があって、何だろうと思ってはいたが、やがて村井邦彦が経営する原盤制作会社だと知ることになる。
 〈スタジオA〉も東芝EMIのレコーディングスタジオだと思っていた。東芝のスタジオは順番にA、B、Cとあるのだと。

 すぐに原渕さんに電話した。ライブに出演する赤い鳥のメンバーは紙ふうせんのほか誰がいるのか? そもそも例の赤い鳥再結成の番組はどうなったのか? 
 結局、潤子さんは出演しないことがわかった。

 WOWOWで録画中継されると知って、〈生で観たい!〉意気込みは消えてしまった。チケット発売日、朝から地元のシネコンで映画鑑賞してしまい、帰宅したのはお昼過ぎ。一応念のためにチケット確認のためにいくつか電話してみたらすべて完売だった。当たり前だ。

 コンサートが近づくにつれて、やはり生で観たい気持ちが強くなってきた。かといって、ヤオフクその他で定価以上の金額でチケットを手に入れたくない。
 まあ、音楽の神様の思し召しで運よく1日目を鑑賞できることになったことはすでに記した。

 前説が長くなった。
 コンサートのMCはジョン・カビラ。あくまでも影ナレ(録音?)でプレゼンターを紹介する。プレゼンターがステージ(幕前)に登場して、出演者を紹介、幕が上がって、本人の演奏、歌唱という構成だ。

 この項続く




 プロローグより続く。

     ◇

2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 もし赤い鳥のファンにならなければ、アルファミュージック、アルファレコードには無縁な音楽人生を送っていたに違いない。
 ライブの出演者たちの名前を眺めながらそう思った。

 中学2年のときに赤い鳥のファンになった。最初に買ったアルバムは「ゴールデンディスク」で、続いて「ミリオン・ピープル」。
 聴いているうちに〈後藤悦治郎の世界〉に惹かれていった。
 当時はフォークの大ブーム。友人たちは1年のときに音楽の授業用に購入したガットギターとは別に、フォークギターを自分で買い、六文銭や岡林信康を弾き歌いはじめた。僕はこの波に乗れず、ギター小僧になれなかったが、それでも「紙風船」は弾けたのだから、どれだけこの曲が好きだったかわかるだろう。

 赤い鳥が解散して、後藤さんと平山さんが結成した紙ふうせんを応援したのは当然の流れだ。シングル「いかつり唄/ヘイ!」はパスしてしまったが(当時、シングルレコードはレコードと思っていなかった)、ファーストアルバム「またふたりになったね」はリリースされるとすぐに買った。この傑作アルバムは、今から思えばまるでアルファらしくなかった。プロデューサーには村井邦彦さんのほかに川添象郎氏もクレジットされているのが、らしくない。
 世界のフォルクローレを特集したセカンドアルバム「愛と自由を」(とシングル)をリリースしてアルファから離脱したのは、これまた当然だった。

 赤い鳥解散後、初めて紙ふうせんの歌う姿を見たのはフジテレビ「ミュージック・フェア」だった。平山さんがピアノを弾かないのは残念だったが、思ったとおりの演奏、歌唱といえる。

 山本夫妻+大川さんのハイ・ファイ・セットも、紙ふうせんほどではないものの、興味はあった。ハイ・ファイ・セットも初めて見たのは「ミュージック・フェア」だった。
 山本さんのギター、大川さんのベース(+アルファ)をバックに潤子さんは歌うのだろうか? なんて考えていたら、登場したのは、楽器を手放し、おしゃれなファッションに身を包んだ3人だった。それもステップを踏みながら歌うのだ。赤い鳥を知っている者としてはショッキングな光景だった。これでファーストアルバムを買うのをやめたのだ。「フィッシュ&チップス」はいい曲だったのに。
 
 自分の趣味嗜好として、おしゃれな、きれいきれいな楽曲は好みではない。いい歌だな、いい曲だな、と思ってもそれ以上の、レコードを買おうとかライブを観ようという気にまでならない。
 荒井(松任谷)由実やハイ・ファイ・セットはまさにその路線なのである。
 アルファのアーティストにはわりと多くて、あくまでもTVやラジオを通してでしか楽曲を聴いたことないから詳しくは知らないということになる。
 今回の出演者の中で、アルバムを持っているのは、紙ふうせんとシーナ&ロケットだけ。この2組、アルファの中では異端ではないか?

 まあ、それはともかく、今回のライブがあることを知ったのは1月だった。シネマDEりんりんの新年会で知り合ったジャーナリストの原渕勝仁さんが教えてくれたのだ。
 原渕さんは「ショーケンという孤独」を企画、実際にショーケンに密着してカメラを回した。この日、原淵さんとずっとショーケンの話をしていた。
 終わりごろになって、持っていた紙ふうせんリサイタル(東京)のフライヤーをとりだして「こんな音楽も好きなんです」と渡した。原渕さんの表情が変わった。
 原渕さんが興味を示したことに驚いた。
 実は原渕さん、赤い鳥のファンだったという。「セカンドアルバムを擦り切れるまで聞いたんだ」
 そんな個人的な話に始まって、なぜ紙ふうせんに興味を示したか説明してくれた。
「今年、村井邦彦さんの古希を祝うイベントがあるんだけど、そのとき赤い鳥を再結成させて、番組を作ろうという企画があるんだ」
 赤い鳥の再結成?!

 この項続く




 紙ふうせんまつりの3週間が終わった。

     ▽
9月27日(日):「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamura オーチャードホール)

10月4日(日):「紙ふうせんリサイタル2015 なつかしい未来Vol.10」(兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール)

10月10日(土):「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター 大ホール)
     △

 まあ、「ALFA MUSIC LIVE」は、棚ぼたで当日券が購入できて鑑賞できたわけだが。

 28日(月)は「船堀映画祭」のスタッフ打ち合わせ。今年は11月7日(土)、8日(日)の2日間手伝うことになったので。

 29日(火)から仕事が忙しくなった。これまでも忙しかったのだが、次の週末は関西旅行なので、月曜日も休むため、27日(金)までに仕上げなければならないものがあった。これが大変だった。

 なんとか金曜日で仕上げて、翌日から2泊3日の関西旅行へ。
 中野でI兄弟と待ち合わせ、クルマで東京を出発して、初日は京都のサウナに泊まった。2日目は難波でクルマを駐車場に入れて大阪ミナミの道頓堀、通天閣界隈を観光した。
 午後2時過ぎになって西宮北口へ移動。5時から紙ふうせんリサイタル鑑賞。シリーズファイナルとあって感動的なステージだった。「見上げてごらん夜の星を」のふたりの歌声に涙がこぼれそうになった。
 コンサートのあと、FCの懇親会に出席、そのあとは元町駅前のホテルに宿泊。本当は3人で部屋でもう少し騒ごうとしていたのだが、コンビニで買い物してチェックインして、お湯を沸かしている間にベットに横になったらそのまま寝てしまった。気がついたら朝だった。

 7時半にチェックアウトして、南京町を散策。駅のコーヒーハウスでモーニングサービス。電車で難波へ。
 駐車場からクルマを取り出して帰宅の途につくのだが、高速に乗る前に昼食をとろうと寄ったのが「まいどおおきに」という一風変わった定食屋だった。おかずを一品づつ取っていくのはよくあるだろうが、魚は目の前で焼くのだ。
 東京・中野へは19時過ぎに着いた。これまで何度も大阪(兵庫)へ行っているが、こんなに観光を楽しんだのは珍しい。

 翌6日(火)からまた仕事三昧の毎日になった。これまた9日(金)まで完了させなければいけなくて、これはすこし来週に延びてしまった。
 残業は疲れる。疲れて眼鏡をかけたまま眠ってしまって、なんと眼鏡を壊してしまった。新しい眼鏡にしたいのだが、眼鏡店に行く時間がない!

 10日(土)は10時過ぎに川口商店街のメガネドラッグへ。新しいメガネは12日(月)に手に入る。
 その足で神保町へ向かう。いろいろあって、13時過ぎ新宿でWさんと待ち合わせ。遅い昼食をごちそうになってから、16時半、新宿文化センターへ。
 「新宿 フォークソングが流れる街」はさまざまなジャンルのフォークソングを魅せてもらった。期待していた以上の面白さだった。ギター1本(あるいは2本)の迫力を思い知らされた。

 今日はずっと家にいた。何もしたくなかった。


 レポートがたまっているのは承知しているが、もう少しお待ちください。




 オーチャードホールは初めてだ。隣のシアターコクーンには一度だけ行ったことがあるのだけど。ショーケンのライブ。25年前になるのか。「コンサートR」、一週間ぶっ続けで開催したんだったなぁ。

 それはともかく。
 18時30分に開場になったが、アナウンスがホールには入れない、エントランスでお待ちくださいと伝えている。まだ、リハーサル(ステージセッティング? 音調整?)が続いているのか。
 この日は腕時計をしていないので、時間をチェックしていなかったのだが、しばらくして入場となった。

 ホールは3階建て。広々としている。
 席は14列めの15番。なかなかいい席ではないか。当日券でそれも前売りと同じ金額でこんな席に座っていいのだろうか。
 たぶん関係者招待席なんだろうな。左隣はセレブなカップルだった。右隣は僕より少し下と思われる男性だった。
 開演の19時までけっこう時間があったので、リュックから本を取り出して、しばらくの間、読書していた。

 開演までの間、ずっと村井メロディーを奏でるピアノソロが流れていた。録音だろうけど、誰が弾いているのか? まさか村井さん自身だったりして。
「美しい星」のほか、何曲も流れた中で僕の耳を捉えたものがあった。
「愛を育てる」。

 1971年の春、僕は小学6年生だった。当時、フジテレビの19時30分だったか45分だったか、月曜日から金曜日までの帯で「スター千一夜」という番組が放送されていた。司会が関口宏や石坂浩二の芸能人インタビュー番組。
 提供が旭化成で、「愛を育てる」はその企業CMソングだった。歌はトワ・エ・モア。なんてことを知ったのは、この10年、15年のことで、当時は、曲名はもちろんのことトワ・エ・モアが歌っていることすら知らなかった。ただただいい歌だなぁと。
 もうひとつ印象的だったのはバックの映像だ。もうすぐ公開される「小さな恋のメロディ」が使われていた。こちらも気になって仕方ない。あの髪の長い少女は誰? 

 クラスでこのCMのことを話題にした。
「小さな恋のメロディ」という映画の映像が流れるんだけど、歌がいいんだよね。
 すると、同じ町内に住むKが反応した。
「それなら、うちにレコードがあるよ。ねぇちゃんが買ったんだ」
「聴かせてくれる?」
「いいよ」

 てなわけで、Kのうちに友だち何人かと遊びに行った。
 Kがかけてくれたレコード(シングル)は、なんと英語の歌だった。ビー・ジーズの「メロディ・フェア」。「小さな恋のメロディ」の主題歌なのである。
 期待していた歌ではなかったが、この曲もいい。B面の「若葉のころ」とともに、お気に入りになってしまった。

 そうなると、映画が観たくなる。
 隣町の映画館で上映されることを知ると、一緒に観に行く仲間を募った。
 7、8人が名乗りをあげたと思う。
 日曜日に行くことになったのだが親が騒ぎ出した。
 まだ子どもの男女が結婚するというストーリーは教育上よろしくないというわけだ。
 親同士、電話をかけ合って行かせるかどうか相談している。これで一人欠け、二人欠け、で、結局、僕を含めて3人になってしまった。

 併映は「ベニスに死す」。
 大人になって思ったのだが、こちらの映画の方が問題だったのでは? だって、中年男が少年に恋い焦がれる話だよ!

 「小さな恋のメロディ」を観たあと、映画館を出た僕は世界が広がったような感じがした。
 一歩大人の世界に足を踏み入れたような。
 この話をすると長くなるのでこのへんで。

 今、YouTubeで、当時の旭化成のCMを再現したものが見られる。
 これです。




 今週は忙しくて、ゆっくりPCの前に座っていられない。だいたい毎日残業で帰宅するのは23時過ぎ。
 「まぐま」の原稿はあと少しで完成するのに、全然手がつけられない。ブログも。図書館の返却日はとっくに過ぎたけれど、こちらも全然立ち寄れない。
 今日は、あまりに疲れたので、また仕事もどうにか目途がたったので、早めに帰宅した。明日は残業だ。
 そして、あさっては関西へドライブ……明々後日は紙ふうせんリサイタル!

          * * *

2015/09/05

 「紙ふうせんシークレットライブ 2015」(雲州堂)

 その2から続く

 アマチュアのライブの後はプロの出番だ。
 ということで、すぎたじゅんじさんが登場した。

 ライブを始めるまえに「この光景が素敵ですね」とカメラを取り出してステージから客席をパチリ。
 1曲めは、アームストロング・オズマじゃなくて、ルイ・アームストロングの曲、スタンダードナンバー。カラオケでよくモノマネして歌ったなぁ。
 「ティンサグの花」は紙ふうせんリサイタル「なつかしい未来」第1部の伝承歌特集で披露された。すぎたさんは沖縄方言の歌詞の意味を解説して、客席を巻き込んで歌った。さすが後藤さんの後輩だ。
 最後の曲は「古い歌、19世紀のアメリカの歌」といって歌った。タイトルは「シンナンドゥ」と聞いたのだが、帰ってきてネットで調べてもまったくヒットしない。何ていうタイトルなのか? 誰か教えて。

  この素晴らしき世界/ティンサグの花/タイトル失念(アメリカの19世紀の歌)


 すぎたさんはそのままステージに残り、後藤さんと平山さんが客席からステージの階段を上がっていく。

 お待ちかね、オオトリの登場だ。
 「赤い屋根の家コンサート」のテーマソングでライブがスタートした。
「今日は、何も考えないでステージに上がってます。何、歌いましょか」
 後藤さんが言う。

 待ってました! ゆったりまったりライブ。
 FC会員だけなんだから、客席からリクエストを受け付けるというはどうでしょうか。
 間違えても、とっちらかってもいいんです。
 って、プロとしてそんなことは許されないのかな。

 いつものレパートリーを肩の力を抜いて。
 「翼をください」をみんなで歌って、ラストは「竹田の子守唄」。

  Hey! /風に吹かれて/レモンツリー・悲惨な戦争・パフ・天使のハンマー
  ルート43/虹/翼をください/竹田の子守唄

 ライブが終了してトイレへ。
 隣の部屋はダイニングIORI。何組かのお客さんが食事していた。
 ってことは何か、このお客さんたち、紙ふうせんの生演奏をバックに食事していたってわけ?


0905live
この狭いステージでは、
ウッドベースの浦野さんは欠席するわなぁ

0905live2
「天国の地獄」のボースン刑事のバックの壁に
紙ふうせんのアルバムが貼ってあるのが見えますか?

0905live3
反対の壁にも

あとはこちらのブログを。

2015/09/05

 「紙ふうせんシークレットライブ 2015」(雲州堂)

 前々項から続く

 今年のシークレットライブが雲州堂で開催される旨FC月報で告知されたとき、目を引いたのは次の文言だった。

     ▽
 設備 ピアノ:ROLAND DP-990、DVDデッキ
     △

 会員がライブをするのだから、設備機材としてピアノが書かれているのはわかる。でも、なぜDVDデッキも一緒なのか? 別に演奏や歌唱にDVDデッキは必要ないだろう。
 で、僕は勝手に天の声を聞いたのだった。
「あの作品を上映しなさい」

 あの作品とは「1973 バラキの夏」。
 中学2年の夏休み、地元の子ども会がバラキ高原で1泊2日のキャンプを実施した。このキャンプに当時組織していた8ミリ映画制作サークルの友だちと一緒に参加して2日間の模様を8ミリカメラで撮影した。記録映画にすべく編集したのだが、未完成のままで終わってしまった。80年代半ば、仮編集のフィルムをビデオにしてもう一度編集に取り組もうとしたが、またまた挫折。2000年代に自主映画で知り合った業界人のT氏に編集をお願いしてやっと完成した。再編集にあたって、全体の構成を見直し、映像詩といった体裁にした。テーマ曲は紙ふうせんの「時の流れ」。
 同窓会で上映すれば受けること間違いないのだが、なかなかその機会がない。

 11年前に朗読とライブで構成した「紙ふうせんトリビュートライブ」を開催した折、オープニングで流したことがある。
 今回のシークレットライブは関西の会員がほとんどなので、初見でしたら観ていただきましょうとパフォーマンスにエントリーしたというわけだ。

 雲州堂はソロバンの老舗。老舗の倉庫(蔵)を改造したのがイベントスぺース雲州堂なのである。なんてことは入口で後藤さんに教えてもらった。

 ドアは昔ながらの引き戸である。中に入ると板張りの造作。まるで黒澤明の時代劇に出てくる建物のようだ。それほど広くない。右前方にひと際高いステージがある。そのステージに向かって、柱を中心として左右に長テーブルが縦に2台ずつ。一つのテーブルには8人ほど座れるか。
 ステージを真ん中にして、左右の壁には紙ふうせんの全アルバムのジャケットが並べて貼られている。けっこう凝っている。
 ステージ後方の壁には白い布が貼られている。それがスクリーンだった。
 ということで、まず「1973 バラキの夏」の上映。
 続いて高齢の、いや恒例の会員パフォーマンス、ライブ。

 トップバッターは初参加のJ内さん。千葉からやってきた関東の会員だ。
 ピアノの弾き語りで「僕のうた」。
 3月の「赤い鳥・紙ふうせんアマチュアコピーバンド大会 この指とまれ!」にはお客さんとして参加していたとのこと。

 「僕のうた」が赤い鳥のラストシングルだったからか、J内さんのライブの後後藤さんから9月26、27日の両日開催の「ALFA MUSIC LIVE」の話。村上ポンタさんと大村憲司さんの息子さんとの共演で「翼をください」を歌うという。ああ、行きたいなぁ。

 続いてK野さん。ギターの弾き語りで日本語の「パフ」。
 第一回からライブパフォーマンスに参加しているⅠ田さんの友だちでその関係で会員になって、同時にかつてのギター熱が甦り、Ⅰ田さん同様、すぎたじゅんじさんのギター教室の生徒になったとか。

 3番手はS木さん。こちらも関東は神奈川からの参加だ。Ⅰ田さんと同じくライブパフォーマンスの常連だ。「赤い鳥・紙ふうせんアマチュアコピーバンド大会 この指とまれ!」の企画、運営の張本人だった。
 すぎたさん(ギター)をサポートにギターの弾き語りで「いかつり唄」。

 4番手はⅠ田さん。すぎたさんのギター教室の生徒として徐々に腕をあげていて、毎回新作(?)を披露してくれる。今年は「誰に告げようか」だ。
 CBSソニー時代、ヒット狙いでリリースされたシングルの中でも特に好きな曲である。フォルクローレ色が強く感じられるからだろうか。

 Ⅰ田さんは自分の番が終わっても、そのままステージに残る。次のK山さんの伴奏を担当するためだ。
 K山さんはこれまでいつも客席側にいた。今回初めてパフォーマンスにエントリーしたのだ。K山さんが歌ったのは「霧にぬれても」。「冬が来る前に」に続くシングルだ。残念ながら「冬が来る前に」のような大ヒットにはならなかったが、好きだという人は多い。
 K山さんの歌う「霧はぬれても」良かったなぁ。

 この項続く




2015/09/05

 「紙ふうせんシークレットライブ 2015」(雲州堂)

 紙ふうせんがFC向けにシークレットライブを始めてから毎年参加していたが、2012年に休んでしまった。翌年も休むつもりだったが、東京会員のHさんから参加したいので一緒に行きませんかと誘われた。

 シークレットライブには最初に会員のパフォーマンス披露がある。これまではかつてのギター小僧たちの赤い鳥や紙ふうせんの楽曲の演奏、歌唱の場だった。Hさんはそこで詩の朗読をやりたいという。でも会場まで一人で行けないので、一緒に、というわけだ。Hさんにはこれで朗読会等でお世話になっている。むげには断れない。予定を変えて参加した。

 昨年は、開催日がマンションの理事会と重なって行けなかった。一昨年、昨年(今年の5月まで)理事長だったので休むわけにはいかなくて。
 昨年の会場は、武庫之荘の文化会館(あの赤い屋根の家!)だったので、行けないのが大変残念だった。

 ところで、昨年のシークレットライブの前日が日本テレビ「THE MUSIC DAY 音楽のちから」の放送だった。紙ふうせんが出演するということで、Tさんから招待券をもらった。
 生放送の現場に触れて後悔ばかりだった。ほとんどがカラオケ なのである。歌手が歌うたびに立たせられる。これが第一部終了するまで続く。疲れた。ほとんどがカラオケだから生で歌を聴いているのにそれほどいいとも思えない。

 昔、やはり紙ふうせんが出演するというので、NHKの歌番組をNHKホールに観に行ったことがある。ほとんどが演歌だったが、オーケストラをバックにした歌は迫力があって、演歌に対するイメージを変わったほどだ。
 第一部のラストは徳永英明の「翼をください」。本家の片割れが出演しているのにMCおのことにはまったく触れない。帰ってから番組を観たが、TVで観た方が音が良かった。

 シークレットライブの話だった。
 今年のライブは雲州堂というライブスペースで開催される。蔵を改造したダイニング&イベント空間だとFC月報で紹介されていたのだが、なぜ、雲州堂なのかと素朴な疑問があった。紙ふうせんとの接点がわからなかったのだ。
しばらくして合点がいった。
 平山泰代さんは毎週金曜日に地元のTV局サンテレビの「2時コレ! しっとぉ!?」という情報番組の司会を落語家の笑福亭銀瓶さんと一緒に担当している。その縁だろうか、今年1月に銀瓶さんのイベント「銀瓶のピロトーク」にゲスト出演した。会場が雲州堂だったのだ。

 この項続く




 昨日(5日)。
 12時ジャスト東京駅発のぞみ227号に乗って新大阪へ。
 新大阪に到着してから駅構内の書店で立ち読み。ヘヴィメタ雑誌「BURRN!」10月号から談四楼師匠のコラム「そこでだ、若旦那!」が再開したのである。正式タイトルは「帰ってきた そこでだ、若旦那!」。
 再開を知って、最新号が書店に並ぶたびにチェックしていた。うれしい。毎月の楽しみができた。

 新大阪から在来線で大阪へ。JRの改札を出て徒歩で地下鉄谷町線「東梅田」駅へ向かう。
 「南森町」駅で堺筋線に乗り換え、「北浜」駅へ。26番出口から外にでると橋の向こうに中之島中央公会堂が見えた。
「雲州堂って、ここにあるのか!」
 何度も書いているが、大阪の、というか関西の街は点でしか知らない。位置関係がほとんどわからないのだ。
 初めての場所だと思って、緊張しながら電車に乗っていたのだが、何のことはない、「紙ふうせんリサイタル なつかしい未来」のVol.1、2のときにこの町に来ている。あのときだって、大阪(梅田)から電車で来ているはずなのだ。どの電車で、どの駅へ降りたのか。地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅だったか。

 まあ、いい。とにかく5日は紙ふうせんシークレットライブがイベントスペース「雲州堂」で17時から開催されるというわけ。
 時計を見ると15時過ぎ。まだライブの開催時間には時間があるので、中之島公園で時間をつぶす。
 ひととおり散策してもまだ時間があるので、中央公会堂の方面に向かう。近くに大阪市東洋陶磁美術館があり無料だったので見学することに。
 この日から始まったのは「日韓国交正常化50周年記念国際交流特別展「新発見の高麗青磁」。

 16時半になったので、会場に向かった。
 入口で後藤さん一人タバコを喫っていた。バックから朝コンビニで購入した週刊新潮を取りだして、記事を見せた。111ページの「墓碑銘」〈大衆演劇の旅役者、浪花の玉三郎、美里英二さんの人望〉。橋本正樹さんが取材されているのだ。
 
 27日(日)、28日に開催される「ALFA MUSIC LIVE」出演について訊いた。結局「翼をください」を歌唱&演奏する赤い鳥関係者は誰なのか?
 紙ふうせんのほかは、村上〈ポンタ〉秀一さん、大村憲司さんの息子さんだという。渡辺さんは出演しないようだ。

 17時からシークレットライブが始まる。最初に映像上映があり、その後5組の会員(新顔あり)、すぎたじゅんじさん、紙ふうせんという順のライブ。
 終了後はその場で懇親会。大盛り上がりの楽しいひとときだった。

     ◇

 今回の大阪行きの楽しみは、(ジャズ)ミュージシャン・浦野直さんの「セッション」評を訊くことだった。ライブに参加してなかったので寂しかったのだが、懇親会終了後にお会いすることができた。
 単刀直入に感想を訊くと、浦野さんは答えた。
「しょうもない映画だよ」
 確かに展開は強引過ぎます。シナリオがひどいと思います。でもそれもラストのドラムソロが素晴らしいからすべてを許してしまう気持ちになりませんか?
「主人公のドラムを叩く姿勢が悪い」
 ……はぁ。
「あんなのありえない!」



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道路の向こうに中央公会堂が見える

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東京なら日本橋みたいなところかな

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中央公会堂


 遠い北海道からジンギスカンさんからの質問です。

 keiさんは赤い鳥のコンサートには行かれなかったとの事ですが、僕はね、未だにモヤモヤしていた気持ちが赤い鳥にはあるんですよ。
 実力があるグループだったのにフォークでもロックでも歌謡曲でもなく、日本で活躍を目指していたのか、海外に活躍の場所を求めていたのか、村井邦彦さんをはじめまわりの方々が色々いじくり過ぎた感があるんです。だからしばらくは各自の作詞・作曲の歌も出てきませんでした。山上・村井コンビの曲ばかりでしたね。アルバムの曲の中にメンバーの作詞または作曲した作品があれば新鮮な感じが4ものです。「泰代さんも曲作るんだ~」という状態ですね。

 なつかしいフォーク番組にも赤い鳥は出てきません。拓郎、かぐや姫、アリス、チューリップ、六文銭、オフコース、などなどが良く出ますが、赤い鳥は取り上げられないんです。メジャーでないのか?

 そんな事をずーっとモヤモヤの気持ちで過してました。

     ◇

 リーダーの後藤さんに他のメンバーを圧倒する楽曲作りの才能が集中していたら……。 
 甲斐バンドの甲斐よしひろ、チューリップの財津和夫、サザンオールスターズの桑田佳祐のような存在だったら、と思うことがあります。音楽的に完全に他のメンバーを牽引していく存在だったら、赤い鳥は解散しなかったのではないのかなぁと。いや、最終的には解散するのでしょうが、別の道があったような気がするんです。
 後藤さんが、東京のマスを対象にした芸能活動に嫌気して関西に帰ろうと、関西に帰って独自の活動を始めたいとメンバーに伝えたとき、平山さん以外は首を縦に振らなかったといいます。

 逆の見方をすれば、新居さんのヴォーカルが、他のメンバーを圧倒していたら……。
 というと語弊があるかもしれませんね。新居さんのヴォーカル(平山さんとのユニゾン含む)+混成ハーモニーというスタイルが徹底されていたら、つまり、ペドロ&カプリシャスや平田隆夫とセルスターズのような感じ、というのでしょうか、そんなスタイルで、後藤さんはリーダー的素質のみ持ち合わせ、ヴォーカルは新居さん、平山さんのみ、楽曲は完全に山上路夫・村井邦彦コンビに委ねられて、メンバーのオリジナルはアルバムやコンサートで披露される程度に活動していれば、ということです。
 新居さんがいなかったら赤い鳥の存在の意味がないのですから、メンバーの意識も変わっていたのかなあ、と。
 でも、赤い鳥は単なるコーラスグループになっていたでしょうね。

 デビューにあたって、村井さんは、新居さんの声とメンバーのハーモニーセンスに惚れ込んでいたということもあって、いわゆるポップスで、赤い鳥を世間にアピールさせたかったんじゃないですか。
 僕が小さかったとき、フジテレビのヒットパレードでいわゆるオールディーズの数々の名曲を耳にしました。皆、日本語で歌っていました。
 昭和40年代半ば、洋楽を英語で歌うというのは画期的だったのはないでしょうか?

 村井さんには赤い鳥がフォークグループだなんて意識はなかったと思うんですよ。アマチュア時代はいざ知らず、プロデビューしたらそんなグループじゃないと。世界に羽ばたく逸材なのだと。だから自分のプロデュースで赤い鳥の音楽性を牽引していこうと考えていたんじゃないですか? 最初は。
 フォークに拘っていた後藤さんは、どんな気持ちだったのでしょうかね。

 僕は当時の赤い鳥のコンサートを観たことがないし(最後まで、ですが)、どんな内容だったのか、想像するしかないのですが、コンサートは、後藤さんに主導権があったんじゃないかと思っています。
 後藤さんが、この前の「赤い鳥、紙ふうせんアマチュアコピーバンド大会」の途中寸評でもおっしゃっていましたが、歌にはレコード用に録音するものがあると。
 赤い鳥時代、「翼をください」も「忘れていた朝」も「窓に明かりがともるとき」も後藤さんにとってはレコード用の歌だったのではないでしょうか。あくまでも僕個人の想いですけどね。
 コンサートスタッフに、たぶん照明の佐野さんだと思いますが、後藤さんは言われたそうです。「コンサート用の楽曲を作れよ」
 ステージだと、新居さん、平山さんのヴォーカルって、赤い鳥の一つの要素くらいの印象ではないですか?

 赤い鳥の初期は、後藤さん自身が語っているように、曲作りの能力がなかった、また、作りたくても、時間がなかったのでしょう。
アルバム「竹田の子守唄」のころから、やっとメンバーの曲も取り上げられるようになったと思うんです。
 
 後藤さんとしては伝承歌路線、オリジナル路線を推進したかった。村井さんは反対しなかった。「ミリオン・ピープル」は通常のコンサートのスペシャル版だと思いますが、ほぼオリジナルじゃないですか。レパートリーとなっているのは「翼をください」くらいで。
 でも、村井さんはポップス路線をやりたいし、そこに共鳴しているのは山本夫妻、大川さんだったわけで。

 ですから、赤い鳥が解散して、紙ふうせんが赤い鳥(の音楽)を引き継いだ印象がありますが、村井さんが求めた赤い鳥のスタイルはハイ・ファイ・セットだったのでしょう。

 もし、赤い鳥が74年に解散していなければ、「書簡集」みたいなオリジナルアルバムが、以降リリースされたと思うんです。

 赤い鳥は、才能がメンバー個々に分散していたんです。
 
 で、以前書いているけれど、才能が分散していて、二つの音楽的な要素が混ざり合っていたからこそ、赤い鳥の音楽は魅力だったのでしょう。
 バンド形式で、男女混声の、コーラスワークが抜群なグループ。メンバーの誰もがシンガーソングライターそして楽器演奏者。
 そんなグループはそれ以前にも以後にもいませんよね。

 グループの解散はしかたなかったことだと思います。村井さんも当時そう書いていましたよね。グループの解散は世の常だと。
 ただ、解散後に再結成が一度もないというのが、残念でした。
 いえ、一度も再結成しないということも、すごいポリシーを感じますし、それはそれで筋が一本通っていると思いますよ。だって、再結成って、結局のところ元メンバーのあれやこれやに関する思惑、ゆえの打算でしょう。はっきり書くと問題があるからボカしました。

 当時だって、赤い鳥という母艦は残しておいて、それぞれ紙ふうせん、ハイ・ファイ・セットで活動するという手もあったかもしれません。事務所から休みをもらって、後藤さんと平山さんは赤い鳥とは別個の活動をしていたわけですから。
 でも、そういうのを嫌うのが後藤さんなんじゃないですかね。後藤さんにしてみれば、早く本当に自分がやりたい活動をしたい。そう願ったからこそ事務所を辞めてしまうわけだし。皆が共鳴してくれていたら、赤い鳥ごと事務所から飛び出ていたのかもしれません。
 だからこそ、安易な再結成などしたくなかったんじゃないかと思っています。あくまでも僕個人の勝手な推測ですけどね。

 90年代後半、ハイ・ファイ・セットが例の事件で解散し、山本潤子さんがソロで活動するときが、赤い鳥の再結成が叶うかどうかの分岐点だったのではないでしょうか。

 サッカーW杯の応援歌として「翼をください」が話題になって、ニュースステーションで披露されたときのゲストが山本潤子さんでした。あのとき、TV局としては赤い鳥の再結成を画策して、紙ふうせんの事務所にもオファーがあったと聞いています。後藤さんは一蹴しました。TV局主導の企画なんてという思いだったのでしょうか。バード企画にしてみたらせっかくの脚光を浴びる、再デビューのお膳立てを潰されたわけです。

 潤子さんは「翼をください」をきっかけに歌手仲間からの後押しもあって「竹田の子守唄」や「赤い花白い花」を歌いだします。
 スタイルはアコースティックギターの弾き語り。まあ、時代がそうだからということもあるのでしょうが、あれって思ったんです。赤い鳥時代の歌は「竹田の子守唄」や「赤い花白い花」でしょう、それって後藤さんの路線でじゃないですか。
 まあ、潤子さんのリードヴォーカルだからうたうのは当然だとは思いますが、「忘れていた朝」や「窓に明かりがともるとき」だって潤子さんがうたっていた赤い鳥を代表する曲ではないですか、と。
 
 何を言いたいのかというと、このあたりで潤子さん(&山本俊彦さん)と紙ふうせんの歩み寄りがあってもよかったのに、逆に壁ができたような感じがするんです。

 当初、赤い鳥の再結成を拒んでいたのは紙ふうせんサイドだったと思うんです。「まだその時期ではない」という内容の後藤さんの言葉を何度かメディアで見たことがあります。ただし、関西における重要なイベントで、企画に後藤さんが絡んでいる場合、ハイ・ファイ・セットや潤子さんがゲストに呼ばれることがありました。
 で、ある時期から潤子さんサイドのガードが固くなりました。何度も言いますがあくまでも個人的な感覚ですよ。

 紙ふうせんは赤い鳥解散後もずっと「竹田の子守唄」「翼をください」をうたってきました。「赤い花白い花」も平山さんの歌唱指導つきでたまに披露されます。
 対して、潤子さんはハイ・ファイ・セット結成後、これらの歌はステージで取り上げなくなった(と思います)。ソロになってうたいだした経緯があります。ハイ・ファイ・セットの時代からうたっていたのなら違うのでしょうが、この十数年のブランクのあとというのが壁の原因だじゃないかと推測しています。
 



 突然ですが、YouTubeで赤い鳥を検索していたら、新しい赤い鳥の映像がヒットしました。

 NETテレビ(現テレビ朝日)の「23時ショー」に出演したときのもので、大村崑さんが録画して秘蔵していたものらしいです。
 あるところにはあるんですね。
 
 「鳥のように」「特急列車」の2曲が披露されます。
 感涙ものです。

 番組のエンディングはこちら

 シークレットライブで上映すればいいのに。

 ちなみに、FC月報でシークレットライブに短編映像でエントリーしたと紹介されていたのはのは私です。
 例の、といっても忘れているかもしれませんね、「トリビュートライブ」のオープニングで披露した「1973 バラキの夏」です。





 先週31日(金)は「さばの湯 雑把亭 談四楼独演会」に行こうと思っていた。前日に「いつも心に立川談志を」(講談社)を購入して準備万端。が、懐事情で断念した。2ヶ月続けて赤字なので。

 帰宅してから北海道のTさんから携帯に電話が入る。帰宅途中に電話したのだがつながらなかったのだ。要件は「ALFA MUSIC LIVE」のこと。以前、Tさんに連絡してもしチケットがとれたら北海道から飛んでくると聞いていたので、二人分のチケットを確保しようとしていた。

 まずぴあ会員向けに先行予約(抽選)があったので、Tさんにお願いして応募してもらった。残念ながらハズレてしまったが。そのときは、「じゃあ1日(のチケット発売日)は朝から電話しまくってぜがひでもチケットを手に入れる」と意気込んでいた。日が経つにつれてだんだんと諦めムードになっていた。Tさん(紙ふうせんスタッフの)からWOWOWで放送されると教えてもらっていたので、だったら生の観賞はいいかなと。

 だいたい、9月、10月はライブラッシュなのだ。

  9/5(土) 「紙ふうせんシークレットライブ」(某所)
  10/4(日) 「紙ふうせんリサイタル なつかしい未来vol.10」(兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール)
 10/10(土) 「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター 大ホール) 

 もしTさんが「どうしても観たい!」と言うのであれば、1日は臨戦態勢をとるつもりでいた。そのために毎週土曜日に通っているI歯科の予約を昼の12時にしていたのだから(いつもは10時とか10時30分)。Tさんに確認したら「行けそうもない」とのこと。じゃあ、TV中継で我慢しましょうということになった。

 翌1日(土)はすっぽり空いた時間を使って「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」を観た。地元シネコンの朝一番の回に足を運んだのだ。映画サービスデー、おまけに話題作ということもあって、劇場はかなり混んでいた。

 原作ファンには不評のようだが、僕は楽しめた。新種の怪獣映画として観たのである。原作のコミックは読んだことがなくTVアニメも観たことがない。あくまでも、「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」のノリを期待していた。期待は裏切られなかった(もちろん不満はある)。
 ヴィジュアルはハリウッド映画に引けをとらないし、ドラマ部分もこれまでの樋口作品に比べたらきちんとしていた。音楽も良い。

 シネコンからそのままI歯科へ。それにしてもとんでもない暑さだ。まるで街がサウナになったみたい。
 帰宅して念のためチケット予約の電話をしてみたが、どこも完売していた。当たり前の話だが。

 夕方は船堀へ出かけた。
 ドキュメンタリー作家(元フジテレビ演出家)の横田安正さんのご自宅へ。毎年開催している花火パーティーに初めて参加した。
 僕が編集を担当したインディーズ映画特集(第2弾)の「まぐま Vol.14」に発行者のKさんが寄稿したのが横田さんのインタビュー記事だった。発行記念パーティーに横田さんも参加して盛り上がった。その縁で恒例の花火パーティーに誘ってくれたのである。8月の第一週の土曜日は江戸川の花火大会があり、それを横田さん宅のベランダ(マンション7F)で見ながら飲食する会だそうだ。

 ところが、誘われた当日にどうしてもはずせない用事があって行けなかった。横田さんには来年はぜひ参加しますのでまた誘ってくださいと返信したのだが、翌年メールは来なかった。
 Kさんはほぼ毎年参加していて、今回はKさんから声をかけられた経緯がある。

 横田さんは当時「ドキュメンタリー作家の仕事」という本を上梓していた。読んだ感想は以下のとおり。
 なお、横田さんは日大芸術学部で教えていたことがあり、春日太一氏は最初の教え子だったとのこと。
 船堀映画祭についてはまったく知らなかった。
 パーティーは盛会だった。

     ▽
2006/09/26

 「ドキュメンタリー作家の仕事」(横田安正/フィルムアート社)

 「まぐま Vol.14」で発行人のK氏がこの書籍をテーマにインタビューしている。そのときから気になっていたのだが、ライブを聴きに訪れた荻窪の、ちょっと時間があったので立ち寄った某古書店で見つけ、あわてて購入した。

 驚いたことに昔横田さんは奇形猿・大五郎のドキュメンタリーを撮っていた。このドキュメンタリーは観ていないが、この猿を飼っていた家族が書いた本(文庫)は読んでいる。そんな昔ではない、数年前だ。とてもかわいらしい猿だった。
 ドキュメンタリーは世界的にBBC方式というトーキングヘッド(インタビュー)を主体にした構成が主流となっている中、「NO!」と叫んで独自の構成法を生み出したのが横田さん。それが「リアリティ構成法」。
 でも私にはこの方が当たり前のような気がする。

 普通ドキュメンタリーでシナリオを先に書かないだろう。そういう意識があったから、市川崑監督が「東京オリンピック」の総監督に任命された際、最初にシナリオを書いた(脚本:谷川俊太郎)と聞いて驚いたのだ。横田さんが「東京オリンピック」についてどう思っているか、知りたい。
 崑監督がオリンピックの記録映画を撮るにあたって参考にしたのがレニ・リーフェンシュタール女史の「民族の祭典」と「美の祭典」。
 ベルリンオリンピックを記録したこの映画はオリンピック映画の最高傑作と謳われている作品である。棒高跳びの競技は白熱した展開が夜遅くまで及んだ。当時の技術では夜の撮影が行えず、後日選手に集まってもらって再撮したという。これはやらせにあたるのかどうか、横田さんの考えを聞いてみたい。
 それから恩師五社英雄のドキュメンタリー創作作法についても。これが一番面白そうだ。
     △




 前橋のTさん、お元気ですか。
 Tさんが弾き語りでレパートリーにしている紙ふうせんの「木こりのわが子への唄(歌)」ですが、訳詞した大橋一枝さんのプロフィール、ご存知でしたか?
 アルファレコードの社長さんだったんですね。
 本日読了した「深夜放送がボクらの先生だった」(村野まさよし/有楽出版社)で知りました。

 この本については「7月の読書」の一冊として来月レビューしますので詳細は省きますが、現在、米や環境問題等の著作で活躍するノンフィクション作家が60年代から70年代にかけての深夜放送「オールナイト・ニッポン」について書いたものです。

 この事実を知った先週の8日、紙ふうせんの元マネージャーで、現在、東京メディア窓口(?)担当のTさんに別件でメールした際にその旨追記したところ、村井さんの元奥さんだったと教えていただきました。村井さんがアルファを退任してから、ヤナセグループから権利を譲り受け社長に就任したと。フランス語が堪能で訳詞でもいろいろ活躍していたとのことです。

 「深夜放送がボクらの先生だった」でも、別項で、亀渕昭信、朝妻一郎、大橋一恵の三氏は、〈高崎学校〉三羽ガラスと書いています。高崎とあるのは高崎一郎氏のこと。
 高崎一郎というと、僕にはTV「リビング4」の司会者というイメージが強いのですが、もともとはニッポン放送のプロデューサーで、「オールナイト・ニッポン」パーソナリティー第一世代なんですね。

 話を戻します。
 大橋一枝さんの名前(前述の本では一恵となっています。漢字表記を変えたのか、あるいはこちらが本名なのかもしれませんね。一枝はペンネームかも)を、私は紙ふうせんのセカンドアルバム「愛と自由を」で知りました。アルバムの前にリリースされたシングル、アルバムにも別アレンジで収録されている「別れの鐘」は岩谷時子さんが詞を書いていますので、当時は大橋さんも、そんな女流作詞(訳詞)家の一人という認識でした。
 ただ、あまりほかでは名前を見かけなかったものですから、いったい何者なのかずっと不思議に思っていたんです。
 それが、深夜放送に関する本を読んでいたら、名前がでてきたもので驚いた次第です。

 赤い鳥時代、レコードには〈アルファ・アンド・アソシエイツ〉という表記がされていました。赤い鳥が解散して紙ふうせんになってもこの表記はありました。
 当時、村井さんの会社という認識があったのかどうか。よく覚えていませんが、たぶんあったと思います。
 紙ふうせんが東芝EMIからCBSソニーに移籍して、この表記がなくなって、それで、「ああ、村井さんのもとを離れたんだ」と強く意識しましたから。
 アルファ関連の楽曲にもっと触れていたら大橋一枝さんの詞に触れていたのかもしれません。


 追伸

 今週、18日(土)、TOKYO MX「小室等の新・音楽夜話」に紙ふうせんがゲスト出演します。やっと、やっと実現しました。
 このときが来るのを願っていたんですよ!




 昨日、村井邦彦氏の古希を記念して「ALFA MUSIC LIVE」なるイベントが開催されるニュースが流れた。1970年代から80年代にかけての、アルファミュージック(アルファレコード)に所属していたミュージシャンが出演するという。
 ユーミンが荒井由実名義で出演というのが話題になっていたが、そんなことはどうでもよかった。
 赤い鳥は? 僕の関心事はこれだけ。

 今から15年ほど前、後藤さんにインタビューしたことがあった。そのとき赤い鳥の再結成について訊いてみた。
 後藤さんは言った。
「村井さんから要請されたらやるよ」
  
 開催を伝えるネットの記事にはこうあった。
     ▽
 シンガー・ソングライター、松任谷由実(61)が19年ぶりに荒井由実としてステージに立つことが30日、分かった。9月27、28日に東京・渋谷オーチャードホールで行われる音楽イベント「ALFA MUSIC LIVE」に出演。

 公演では誰がどの曲を歌うか現在、選曲中で、ユーミンのほかにも、元ガロのボーカル、大野真澄が「学生街の喫茶店」、赤い鳥が「翼をください」、吉田美奈子が「朝は君に」「夢で逢えたら」、サーカスが「Mr・サマータイム」「アメリカン・フィーリング」を歌う予定。

 また、坂本龍一(63)が中咽頭がんの治療のため、細野晴臣と高橋幸宏の2人でYMOの名曲を披露することになりそうだ。
     △

 さりげなく書かれているが、赤い鳥が「翼をください」を歌う、とある。この記事を書いた記者って、赤い鳥のことなんて知らないんだろうな。まさか現役のグループだなんて思っていたりして。普通なら「すわ、赤い鳥復活か!」「メンバーは?」と考えるじゃないか。そんなファンの素朴な疑問に記事は応えていない。いや、赤い鳥にニュースバリューはないと判断したのか。
 僕が読んだ記事には主な出演アーティストとして、10人ほど名前が書かれていた。その一人に後藤悦治郎(赤い鳥&紙ふうせん)とあった。
 なぜ、紙ふうせんではないのだろう? まさか、平山さんは出演しないのか? 

 事務所に電話して確認した。
 出演者については、今回、個人名で書かれていてそのあとに(赤い鳥&紙ふうせん)の表記になっていると、平山さんも同様に表記されているとのことだった。
 赤い鳥に関しては、OBで演奏、歌唱する方向で進めている、と。

 専用サイトで詳細がわかった。
     ▽
〈ALFA MUSIC LIVE〉

●日  時:2015年9月27日(日)28日(月) 18:00 開場  18:30 開演予定
●会  場:Bunkamuraオーチャードホール
●チケット:¥13,000 (全席指定・税込み)

■プロデューサー:村井邦彦
■総合演出   :松任谷正隆

【出演アーティスト】
荒井由実 (松任谷由実)/大野真澄 (元GARO) /加橋かつみ/小坂 忠/コシミハル/後藤悦治郎 (赤い鳥&紙ふうせん) /サーカス/シーナ&ロケッツ/鈴木 茂 (Tin Pan Alley) /高橋幸宏 (元YMO) /林立夫 (Tin Pan Alley) /日向大介/平山泰代 (赤い鳥&紙ふうせん) /ブレッド&バター/細野晴臣 (元YMO&Tin Pan Alley) /松任谷正隆 (Tin Pan Alley) /村井邦彦/村上"ポンタ"秀一/山本達彦/雪村いづみ/吉田美奈子 他
※五十音順
     △

 この出演者で赤い鳥OBというと、紙ふうせん、村井さん、ポンタさんということになる。記事の赤い鳥はこの4人を指すのか?
 5年前だったら、山本俊彦(赤い鳥&Hi-Fi Set)、山本潤子(赤い鳥&Hi-Fi Set)という記載があったのに。たぶん深町純さんの名前も。いや、もしかすると山本潤子さんとはまだ交渉中ということも考えられるか。〈他〉に含まれるという考え。
 亡くなった、山本俊彦氏やシーナさんを追悼するコーナーもあるというから、歌うかどうかは別にしても潤子さんの出演ははずせないと思うのだが。サプライズゲストだったりして。

 だいたい、出演者をみると、見事にハイファイセットの世界につながるアーティストばかりだということに気づく。逆にいうとアルファの中では紙ふうせんは異質な存在ではないかと。赤い鳥の音楽性を引き継いだのは紙ふうせんだが、村井さんが赤い鳥で目指した音楽はハイファイセットが引き継いだのだろう。赤い鳥は目指す音楽をめぐってプロデューサーとリーダーの間でせめぎあいの日々があったのではないか。

 それにしても、このコンサート、チケットがとれるだろうか。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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