もう3日前になるが、週刊文春が発売された21日(木)、リアルタイムで〈小林信彦〉を検索したらこんなツィートがヒットした。

     ▽
小林信彦無双。永六輔本人のみならず、その配偶者にまで筆誅を及ぼし、返す刀で「大橋巨泉はぼくが忙しいときの穴埋めだった」と斬り捨てる。さらに齋藤晴彦の藝を「こういっては失礼だが、ぼくが演じたほうがややマシではないか」つくづく、小林信彦氏より先に死ぬのは恐ろしいことである。
     △

 文春連載の「本音を申せば」で小林信彦が書いている内容について言及しているのだが、これだけ読むと、どれだけ小林信彦が永六輔夫妻や斉藤晴彦の悪口を書いているのかと思う。
 今回のエッセイのサブタイトルは〈新しい「ゴーストバスターズ」〉なのだが、前半は亡くなった永六輔の思い出話で、かつて〈エノケン・ロッパの会〉で会ったことに触れている。
 ある方が開催した催しで、斉藤晴彦がロッパの食生活の本を朗読し、エノケンの歌をうたうというもの。互いに奥さんを連れていたという。
 該当する箇所はこうである。

     ▽
 思いつきは悪くないが、斉藤さんはこの二人の声を知らないので、どうも似ていない。こういっては失礼だが、ぼくが演じたほうがマシではないかと思った。ぼくは〈ロッパがエノケンの真似をする〉テープを頂いていて、その気になればこの二人の真似を演じられると考えていたからである。
     △

 齋藤晴彦の藝ではなく、あくまでも、この会で披露したロッパの声、エノケンの歌声が似ていないということなのだ。

     ▽
ラジオの王様になった永六輔にぼくは興味がなかった。葉山にあったぼくの家にきたとき、永夫人は夕陽を見て「ああ、陽が暮れてゆく……」といったことをセンチメンタルに呟いていた。昭和三十五年ぐらいのことだろう。
     △
これのどこが筆誅なのか。

 返す刀で以降も、原文をあたる。
 小林信彦は永六輔と前田武彦のラジオに呼ばれることが多くなった。3人でいろいろやっていたらしい。
 で、こう続く。

     ▽
そのうちに永六輔は大阪労音の仕事で大阪へ行き、穴があいてしまって、前田武彦と女性一人、ぼくの三人で、番組を作った。ギャラはわずかだが、ぼくとしてはありがたかった。ぼくが忙しくなると、大橋巨泉がその穴を埋めていたと聞いたことがある。
     △

 小林信彦の意図を捻じ曲げて紹介している。それが狙いなのか。それとも、本当にそう思っているのか。だとしたら読解力がまるでない。

 これを書くために、文春を買ってしまった。もう何年も立ち読みですましているというのに。ったく。




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 午前中に書店から電話あって「フリースタイル30」が入荷されたと。
 お昼に飛んで行った。
 手に入れたぞ!

 こんな小さな雑誌だったのか。
 なぜかB5版あるいはそれ以上の判型を予想していた。
 さっそくメインの記事「小林信彦さんに会いに行く」から読み始める。インタビュアーは亀和田武。

 小林信彦コレクション第一弾「極東セレナーデ」は12月中に発売されるらしい。
 また、第二弾は「唐獅子株式会社(全)」とのこと。

 夕景工房からの小林信彦本レビュー転載は今回で終了です。


     ◇

2008/02/26

 「別冊新評 小林信彦の世界」(新評社)

 その昔(小学生のころ)、購入しなかったことで大いに後悔している単行本が何冊かある。
 手塚治虫の「マンガ専科(初級編)」(虫プロ商事)、藤子不二雄の「まんが道」(秋田書店)。書店で立ち読みしているのに、財布の中が寂しかったこともあって、そのまま棚に戻してしまった。そしていつのまにか絶版。後で探したがどこにもなかった。
 「まんが道」は、少年画報社から出たコミックスに収録され、「マンガ専科(初級編)」は、講談社の手塚治虫全集「まんが専科」となって出版されたので、手に入れることができた。とはいえ、やはり少年時代に手にとって目を輝かせた本を手元に置いておきたかったという気持ちは強い。

 「別冊新評 小林信彦の世界」(新評社)もそうだった。もう社会人になって、笹塚(住所は中野区南台)のアパートに住んでいたころだ。駅前の古書店で見つけたのだが、その場で買うことをせず、後で行ったらもうなかった。以来20年ちょっと、見つけることができなかった。今、あったとしてもかなり高額になっているはずである。実際ネットオークションでは定価780円のこの本(雑誌)に4、5千円の値がついている。

 それが! 偶然見つけたのだ。先週の金曜日、地方古書店のネット販売で。もちろんこれまでだってネット販売は何度か見かけているが、驚いたのはその価格。何と1,000円! 送料、振込み手数料を入れても2,000円かからない。PCの前で鼓動が聞こえてきました。すぐにメールをして在庫があるか確認した。ありますよとの返信。週明けに振込み。郵パックには到着時間の指定があって、家に家族がいる最終時間帯(19~21時)にした。

 発送しましたのメールが来て、到着日、わくわくしながら帰宅すると、ドアの間に紙が挟まっていた。「郵便物お預かりのお知らせ」。我が家はチャイムが壊れている。修理したいのだが、かみサンはその必要なしとそのままの状態でウン年過ぎた。宅配便などはチャイムを押して反応がないとドアを叩くが、郵便物などはそのままUターンしてしまう場合が多いのだ。案の定、確認すると家にいたという。

 翌朝、さっそく電話して再送してもらうことにする。「午前中に配達できますが」と言われたが、外出のおそれがあったので、また同様の時間帯を指定しておいた。
 帰宅して、開口一番「郵パック来た?」
 かみサンも娘も「?」
「昨日、言っておいたじゃないか、夜の7時過ぎに来るって」
「あ~!」娘が一声。「忘れてた。その時間、外出していて……」
 今朝、また電話。昼過ぎに来てもらうことにする。
 二度あることは三度あるか、それとも三度目の正直でちゃんと配達されるか。
 その結果は?

 デヘヘヘ、来ましたよ、やっと。
 目次見て舌なめずり……。ファンならわかってくれるだろう、この気持ち。

 70年代から80年代にかけて、書店でよくこの「別冊新評 ~の世界」を見かけた。この雑誌で取り上げられたら一流、的な印象があった。今なら誰が研究されるだろう。何人かの著名人を思い浮かべてみる。そういえば最近別冊新評みかけなくなったなあ。というか新評社そのものが今ないのではないか?
 本書を読みながら、かつて似た本を同じようにワクワクしながらページを繰ったことを思い出した。「小林信彦の仕事」(弓立社)である。それで得心した。「小林信彦の仕事」は「小林信彦の世界」の続編的体裁を持っていたのだ。だから第二期だったのか。


2008/03/16

 「映画を夢みて」(小林信彦/ちくま文庫)

 昨年、荻窪で開催された某ライブに行ったとき、途中の古書店で見つけた。
単行本は持ってるし、その単行本の元になった「われわれはなぜ映画館にいるのか」も信じられないような安価で手に入れた。
 にもかかわらず、迷わず購入。しばらくして気がついた。文庫がでたとき真っ先に買っていたのだ。

 高校時代、昼休みはいつも図書館に入り浸っていた。そのときいつも読んでいたのが「われわれはなぜ映画館にいるのか」(晶文社)で、「和製B級映画はどう作られるか」に注目した。
 著者がシナリオを書いた映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」の、企画段階から完成までのゴタゴタを綴っているのだが、その迷走ぶりが第三者にとってはとても面白かった。
 スパイダースが主演するGS映画が、井上順の単独主演になり、相手役の女優が会社の意向で変更させられそうになって、おまけにできあがったプロットに上層部から難癖つけられる…もうふんだりけったり。斜陽と叫ばれはじめた邦画の一断面を垣間見せてくれる。


2008/03/29

 「裏表忠臣蔵」(小林信彦/文春文庫)

 図書館から借りた単行本で一度読んでいる。その後、またむしょうに読みたくなって、古書店で新潮文庫版を見つけて2度目の読書。にもかかわらずブックオフに文春文庫版が100円で出ていたので買ってしまった。これで3度目。
 資料に基づき、一部フィクションを交えつつ冷静な筆致で綴る反忠臣蔵。確かに赤穂事件(松の廊下の刃傷と討ち入り)は吉良側から見れば、まことに不可解な出来事なのだ。
 隠しギャグも効いている。


2008/04/24

 「映画×東京とっておき雑学ノート 本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 昨年、週刊文春に連載された「本音を申せば」が単行本になった。
 前2作が〈昭和〉の文字を使った書名(「昭和のまぼろし」「昭和が遠くなって」)だったので、当然今回もと思っていたら、若い読者を意識したものになっていた。映画と東京についての記述が多いとの理由からだそうだが、映画への言及が増えたのは、中日新聞に連載していたコラムが終了したのが要因だと思う。
 とはいえ、本書の中で語る映画の本数はこれまでとさほど変わっているとは思えない。

 今年は「うらなり」の菊池寛賞受賞パーティーではじまる。映画は「ドリームガールズ」「ロッキー・ザ・ファイナル」のほか、アカデミー賞の結果、スタージェス映画……。それから、東京喜劇、これまでも何度か取り上げている伊集院のラジオ番組「日曜日の秘密基地」。3月で終了してしまったのが残念だ。亡くなった青島幸男、植木等。

 最近の泣かせの映画に関しての見解はまったく同じ。
 もう予告編から〈泣かせ〉が強調されていて、僕自身はまるで興味がなかった「涙そうそう」。小林氏は長澤まさみの主演なので観るわけだ。で、こう書いている。
     ▽
 ぼくは、といえば、〈泣かせてやろう〉と畳みかけてくると、〈おいおい〉と笑ってしまうほうだ。
 映画「涙そうそう」のラストで兄が死ぬ。それだけで、その死への妹の悲しみは想像されるはずである。
 ところが、作り手は、観客を信用していないらしい。
 (略)
 もっとも、日本の観客のレベルはその程度だと考えているのだとしたら、それはそれで一つの見識である。つけ加えれば、〈テレビに慣らされてしまった日本の観客〉はそんなものかも知れないのである。ぼくの方が、変っているのだろうか。
     △
 ほんと、孤独感じるときありますからねぇ。

 映画(ドラマ)の何気ないところで泣くという点もよく似ている。こういうところが、長年のファンでいられる要因なのかもしれない。作家しても俳優にしてもミュージシャンにしても。


2008/04/26

 「本音を申せば」(小林信彦/文春文庫)

 小林信彦が週刊文春に連載している「本音を申せば」の昨年度分が単行本になる4月は、3年前の単行本が文庫化される時期でもある。


2008/05/26

 「おかしな男 渥美清」(小林信彦/新潮文庫)

 「渥美清 浅草・話芸・寅さん」でかなり引用されていた。そうなるとどうしたって、原典をあたりたくなる。3回目の読書。単行本がでたとき何かしらの賞を獲るとのではを思った。ある映画評論家が「藤山寛美とその時代」「天才伝説横山やすし」等を評して私小説だと書いていたが、本書を読んで得心した。 


2008/07/11

 「紳士同盟」(小林信彦/扶桑社文庫)

 長らく絶版のコン・ゲーム小説の傑作が扶桑社文庫で復刊された。
 それにしても時代だなあと思ってしまう。2インチのビデオテープだもの! TV局を舞台にした詐欺は、これまた時代を反映している。当時のTV局は入ろうと思えば誰でも入れた。セキュリティなんてあってないようなもの。
 理不尽な理由でTV局を馘首されてしまう主人公。この理不尽さの元ネタって、久世光彦だろうか? 久世光彦が番組の打ち上げ(?)で樹木希林に共演女優との不倫関係を指摘されてTBSを退社したのが1979年。小説が週刊サンケイに連載されたのも同年。ちと近すぎるか。単なる偶然かも。

 ストーリーの面白さもさることながら、この復刊本の一番の魅力は解説にあるのではないか。
 その数がすごい。まず「作者自身による解説」、続いて松田道弘の「被害者を探せ」(新潮文庫の解説だった)、永井淳の「本格的コン・ゲーム小説の登場」(新潮社「波」掲載)、最後に扶桑社文庫版の解説として杉江松恋の「解説」。この解説群を読むためにも、小林信彦マニアは買うべし。




2006/10/23

 「決壊」(小林信彦/講談社学芸文庫)

 講談社文芸文庫の10月の新刊に小林信彦「決壊」がラインナップされているのを知り、あわてて書店に飛び込んだ。
 今、読んでいる「新リア王」(髙村薫/新潮社)の後にと思っていたにもかかわらず、通勤時の電車内でついついページを開き、ちょっとのつもりで読み始めたら結局読了してしまった。

 「袋小路の休日」、「丘の一族」に続く純文学シリーズ第3弾。
 次があるとしたら連作「ビートルズの優しい夜」だと思ったいたのだが、連作短編「ビートルズの優しい夜」、「金魚鉢の囚人」、「踊る男」、「ラスト・ワルツ」が解体され、4篇のうち「金魚鉢の囚人」と「ビートルズの優しい夜」の2編に「決壊」、「息をひそめて」、「パーティー」の3編を加えた短編集となっている。
 「オヨヨ大統領」シリーズ、「唐獅子」シリーズといったギャグ満載のエンタテインメントとは正反対の、苦味の効いた私小説(風)群。これもまさしく小林信彦の世界なのだ。

 「パーティー」を読んだのは「小林信彦の仕事」(弓立社)だった。小説集ではない著作にぽつんと収録された小説に不思議な味わいがあった。
 主人公は売れない40代の映画監督。苦節×年、自費で撮った映画が新人賞候補になるのだが、新しく加わった審査員に「彼はCMをたくさん撮っているので新人ではない」と指摘され、受賞を逃してしまう。新人賞を受賞しなければ二度と劇映画は撮れないという状況下、哀れ、彼は負組(いやな言葉だ、もちろんこの時代にこんな言葉はないけれど)として居心地悪そうに業界のパーティーに出席する。

 初読のとき、新人賞落選のくだりにひっかかった。もしかすると、これは作者自身の経験が元になっているのではないだろうか、と。
 小林信彦はこれまで賞とは無縁の作家である。少なくとも僕は「日本の喜劇人」の芸術選奨新人賞、「小林信彦のコラム」のキネマ旬報賞以外知らない。
 1970年代何度も芥川賞と直木賞の候補になったにもかかわらず、結局受賞することはなかった。ひっかかったのはここなのだ。  
 案の定、選考会である審査員から「彼は新人ではない」旨の発言があったらしい。確かこの発言をしたのは有名な作家ではなかったか。かなりショックを受けた。僕でさえそうなのだから、本人の衝撃はいかばかりだったか。

 だからこそ、今年「うらなり」で菊池寛賞を受賞したのは喜ばしい。新聞記事で知ったときは快哉を叫んだ。


2006/12/18

 「映画が目にしみる」(小林信彦/文藝春秋)

 出会いは「キネマ旬報」だった。1977年から「小林信彦のコラム」の連載がはじまったのだ。その前には「話の特集」で同じタイトルによる連載があったらしいのだが、詳しくは知らない。
 たった1ページの連載が気になって仕方がなかった。映画や演劇、書籍について、平易に、そして的確に論じる。面白いことこの上ない。いろいろなことを学んだ。
 あっというまにファンになった。いや、当初は反発する箇所もあった。反発しながら、読まなければ気がすまない。そんな感じ。

 もともと〈小林信彦〉という小説家の名は知っていた。オヨヨ大統領シリーズというユーモア小説を書く作家として。中学生時代のことだ。
 ただ興味がなかった。NHK少年ドラマシリーズの1作として放送されたドラマ「怪人オヨヨ」がちっとも面白くなかったのだ。「タイムトラベラー」の脚本を書いた石山透だったのに。たぶんこれで原作を読む気もおきなかったのだと思う。

 大学時代に「キネマ旬報」連載の101本のコラムがまとまって1冊になる。これが「地獄の観光船」(集英社)。過去の書評を集めた「地獄の読書録」、60年代の映画評を網羅した「地獄の映画館」も出て、小林信彦への傾斜は加速した。その前だったか、評判の高い「定本・日本の喜劇人」も手に入れた。中原弓彦名義の本である。

 「小林信彦のコラム」第二弾は筑摩書房から「コラムは笑う」として上梓された。和田誠イラストの装丁が洒落ていて、第一弾とはまるで印象が違った。「地獄の観光船」は、「コラムは踊る」と改題されてちくま文庫となった(その前に一度集英社文庫になっているのだが、見かけたことがなかった。)。「地獄の映画館」も、より多くのコラムが追加、シャッフルされて「コラムは歌う」に。筑摩書房はこのとき小林信彦本の出版にとても力を入れていた。
 「コラムは踊る」と「コラムは歌う」は繰り返し読んでいる。影響力ははかりしれない。

 シリーズの新刊「コラムにご用心」を見つけたときは驚いた。中日新聞にエンタテインメント系コラムを連載しているなんて知らなかったのだ。「踊る」「笑う」に比べて、少々コクがなくなったが(本人も専門誌と一般紙の違いと説明している)、相変わらずの面白さ。勉強にもなる。連載が続く限りコラムシリーズが刊行されることに小躍りしたくなった。
 次の「コラムの冒険」を書店で手に取ったときも驚いた。版元が筑摩から新潮社になっていたのである。とはいえ和田誠のイラストも装丁もまったく変わらず。
 担当編集者が筑摩から新潮社に移ったのだろう。その後筑摩から小林本が出なくなったこともあり、そう勝手に判断していた。
 以後「コラムは誘う」「コラムの逆襲」と続き、その間、既刊の単行本が文庫となる。もちろん両方購入だ。

 そろそろ次の新刊が出るとの噂が聞こえてきた先週のこと。
 八重洲ブックセンターで「映画が目にしみる」(小林信彦/文藝春秋)を見つけた。歓喜しながら、不安な気持ちになって初出をチェックした。やはりそうだった。中日新聞のコラムをまとめたものなのだ。判型も装丁もまるっきり変わっている。本文は単行本では珍しい3段組。各コラムには取り上げた映画のカットやDVDの写真が挿入され、ガイドブック的な趣きを感じさせる。おまけに〈まえがき〉も〈あとがき〉もないのである。   
 いったいこれはどういうことだろうか?

 小林信彦の本は、文庫化の際に改題される場合がままある。
 喜劇的想像力を要する実験的小説が網羅された「発語訓練」が「素晴らしい日本野球」になったのはよくわかる。雑誌に発表されるや話題を呼んだW・C・フラナガンものの一編が表題になった方が注目されるに違いない。
 しかし自ら最初で最後の青春小説と語った「世間知らず」が、まるで安手のポップスみたいな「背中合わせのハートブレーク」になったのはいかがなものか。「世間知らず」が死語だからとその理由を説明しているのだが、読者に媚びすぎじゃないかと思うのだ。

 2年前、知恵の森文庫(光文社)の新刊に小林信彦の著作で「面白い小説を見つけるために」とあった。まさかと思って、書店で確認するとやはり「小説世界のロビンソン」の改題による復刊。ショックだった。「小説世界のロビンソン」は単なるガイドブックではない。小林信彦の体験的〈小説の読み方〉論とでもいうべきもので、だからこそ「小説世界のロビンソン」の書名に意味あるのだ。実際友人からガイドブックみたいな本出したんだって、と訊かれてがっかりきたと書いていたのである。
 絶版となっていた文庫を復刊してくれたのはありがたい(といっても単行本も、文庫も持っている)し、改題することで新しい読者を獲得できるのならいいのだが。

 知恵の森文庫ではもう1冊「東京散歩 昭和幻想」が出た。これは新潮文庫の「日本人は笑わない」改題。こちらはいかにも小林信彦らしい。
 「2001年映画の旅」(文藝春秋)は文春文庫になって「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」。これも時代の流れを考えればしかたないか。

 筑摩書房から新潮社に版元が変わっても、装丁はそのままだった「コラム」シリーズが、文藝春秋になったとたんほとんどまったくというほどに様変わりしたのにはどんな理由があるのだろうか?
 
 今回の版元変更は「うらなり」(文藝春秋)で菊池寛賞を受賞したことと関係あるのではないかと思っている。あくまでもイレギュラーの措置。これまでのファン以外、若い世代にもアピールさせるため、ガイドブック的活用を考慮して判型や段組もそれっぽい作りにした。たぶん編集者サイドの意向だろう。まったくの個人的想像ではあるが。

 3段組は、手にとったときは読みづらいと思ったものの、読み始めたらすぐ慣れた。
 相変わらずの面白さだ。
 2002年から2006年の連載をまとめてある。
 映画のほかにも芝居やTVにも若干ふれていて、夢中で読んでしまった。


2007/04/27

 「昭和が遠くなって」(小林信彦/文藝春秋)

 昨年週刊文春に連載されたエッセイ「本音を申せば」がまとめられた「昭和が遠くなって」(小林信彦/文藝春秋)。
 このシリーズも10年めに突入した。最初は「人生は五十一から」のタイトルで、3年前に改題されて「本音を申せば」になった。
 身辺雑記から時事批評、得意のエンタテインメント時評、なんでもありの見開き2ページのエッセイが毎週木曜日の通勤時の楽しみなのだ。

 連載1年分が1冊となり、「昭和が遠くなって」がシリーズ9冊目。「本音を申せば」になってからは「本音を申せば」「昭和のまぼろし―本音を申せば」に続く3冊目。今後もタイトルに昭和を取り入れ〈昭和シリーズ〉とでも呼ばれるようになるのだろうか。

 大学時代から毎週愛読していた週刊文春に小林信彦が「藤山寛美とその時代」連載をはじめたときは歓喜した。「定本 日本の喜劇人」(晶文社)は繰り返し読んでいるファンにとってはまたとない読み物である。毎週切り抜きしていた。
 短期集中連載ということで毎週の楽しみはあっというまに終わってしまうのだが、続いて「私の読書日記」 が始まった。「本の雑誌」で小林信彦のページを立ち読みしていたファンにとってこれまた快哉を叫ぶことになる。(このコラムは「小説探検」として本の雑誌社から刊行され、その後「読書中毒 ブックレシピ61」として文春文庫に入った)5人の担当者がいるので、楽しみは5週に一回となってしまうが、こちらはすぐには終了しないという判断だった。
 だから担当を降りたときのショックは相当なものだった。しかしこれが新たな喜びを呼んだ。「人生は五十一から」の連載になったのだから。内容の面白さもさることながら、このタイトルにもかなり励まされた。本当の人生は50歳を過ぎてからなんだ、と勝手に思い込んで、40代を生きるのが楽しくなった。
 いや、その前に「横山やすし天才伝説」(単行本では「天才伝説 横山やすし」)があったか。うーむ、記憶が定かでない。

 誌面のリニューアルで、ほとんどの連載がタイトルを変えることになり、「人生は五十一から」も「本音を申せば」になる。こちらが年齢を重ね、本当に50歳に手が届く、という時期の変更。残念でならなかった。

 さて「昭和が遠くなって」。
 やはり、映画やラジオ、芝居等、エンタテインメントを取り上げたときの筆の運びは格別だ。 「プロデューサーズ」「嫌われ松子の一生」「ゆれる」「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」。「硫黄島からの手紙」は少々持ち上げ過ぎの気がしないでもないが。
 ウディアレンの「マッチポイント」が長すぎるというところからキャロル・リードの「ミュンヘンへの夜行列車」が93分でいかに面白いか説いていく。
 あるいは俳優、女優について。スティーブン・マーティン、パトリシア・ニール、ジャニス・ペイジ。丹波哲郎、原節子、長澤まさみ、堀北真希。
 ダイエットについて書かれた文章は、雑誌掲載時にはほとんど興味がなかった。しかし、いざ自分が始めてみると、これがなかなか参考になる。

 〈ランキング地獄〉でこう書いている。
 日本人がランキング好きなのは〈他人の評価を自分の判断基準にする傾向が強い〉……
 価値を決めるのは自分だとぼくはずっと考えて……

 思わず膝を打った。


2007/09/26

 「日本橋バビロン」(小林信彦/文藝春秋)


 「日本橋バビロン」は、3月に発売された「文學界」4月号で一度読んでいる。

 そのときの感想。

     ▽
 1年ぶりに「文學界」(4月号)を購入する。小林信彦の「日本橋バビロン」が掲載されているからだ。
 書き下ろしの小説を手がけていることは知っていた。当然、単行本が出るものだと思っていたら、文芸誌への一挙掲載(330枚)。
 
 そうか、そういう手があったか。というか、考えてみれば昨年の「うらなり」も書き下ろしなのである。
 かつて新潮社の書き下ろしシリーズで「ぼくたちの好きな戦争」「世界でいちばん熱い島」「ムーンリヴァーの向こう側」「怪物のめざめる夜」に親しんできた者としては、どうしても〈書き下ろし=単行本〉のイメージがあって、久しぶりの書き下ろし函入り本に期待していたところがあった。
 「日本橋バビロン」も数ヶ月後には新刊となって書店に並ぶのだろうが、ファンとしては待っていられない。新聞で広告見た日に書店に駆け込んだ。

 すでに読みかけの本があった。押入れ大整理の中で見つけた「地獄の読書録」(小林信彦/ちくま文庫)。古書店で見つけ、ずっとそのまま積ん読状態のまま行方不明になっていたものだ。
 60年代のミステリガイドというべきこの本は、もちろん集英社の単行本で一度読んでいるものの、新しく追加された章もあって定本という触れ込み。この文庫を読了してからと思っていたのだが、「文學界」が気になって仕方ない。1ページ盗み読みして、もうちょっといいだろうと第1章を読んで、結局止まらなくなってしまった。

 「和菓子屋の息子 ーある自伝的試み」(新潮文庫)の系譜に入る小説(といっていいのかどうか、でもそう謳われているのだからそうなのだろう)。
 冒頭、第一部の〈三〉までは「en-tax」(VOL.14)の特集〈小林信彦 街の記憶/消滅の記憶〉で「日本橋あたりのこと(仮題) 第一部 大川をめぐる光景」のタイトルで掲載されたもの。
 太平洋戦争で失われた町(日本橋区両国)と老舗の和菓子屋への想い。これはもうここ10年あまりのテーマであり、そのこだわり方にはとてつもない執念を感じる。
 前者は米軍の空襲が直接的要因だが、戦後の町名変更によって町そのものが消滅してしまった怒りがある。後者は、長男にもかかわらず自身の強い意志で跡を継がず、〈立花屋〉の名を葬ってしまったことへの贖罪か。

 エンジニアへの道を断念して九代目を襲名した父親については、「和菓子屋の息子」でも詳しいが、「日本橋バビロン」ではさらに時代を遡り、入り婿として和菓子屋の八代目となり、店を拡大させた祖父の代から現代までの東京の変遷、生まれ育った町と和菓子屋の盛衰を時代背景と風景を絡めながら徹底的に綴っていく。

 小林信彦はもう小説を書かないのではないか?
     △

 一冊にまとまり感動を新たにした。「和菓子屋の息子 ―ある自伝的試み―」「東京少年」に続く自伝的長編三部作の最終編とのこと。父に対する想いに胸を熱くする。

 文章中に「真逆」という言葉がでてきてわが目を疑った。雑誌掲載時は全く気づかなかった。流行語にうるさい人が! この新語には抵抗感ないのだろうか?




 師走の第1日は映画の日。丸の内ピカデリーで「コードネームU.N.C.L.E」を観る。「ナポレオン・ソロ」って、キャラクター的に舞台を現代にしてリメイクできないんだな。それがよかった。
 60年代の冷戦時代が舞台ということ、音楽が印象的。

 小林信彦のインタビューがメイン記事になっている「フリースタイル30」の、確か発売日ということで、予約した書店に行ってみた。
 届いているかどうか確認すると、やはりなかった。
 若い店員が訊いてきた。「電話ありましたか?」
 ありません。わかったいますよ、来たら電話があるんでしょ。でもねえ、1週間前に予約しているんだから、届いているのではないかと、淡い期待があったわけです。

 もしかしたら、フリースタイルという版元は、従来の書店流通ルートを使おうなんて考えていないのではないか?
 Amazonに注文した方が早いのかも。

 サブカルチャーの棚に行ったら、「ウルトラマン画報」(講談社)があったので、発作的に買ってしまった。2,800円(税別)。

mangahou.jpg
「ウルトラマン画報」
昨年発売された「ウルトラセブン画報」は購入しなかったのに

          * * *

2004/09/07

 「回想の江戸川乱歩」(小林信彦/光文社文庫)  

 1994年は江戸川乱歩生誕100年にあたる年だった。映画が公開されたり(プロデューサーと監督が内容で衝突した『RANPO』)、TV番組が制作されたりと騒がしかった。当然関係本も書店を賑わせた。本書も当時メタローグという新興の版元から上梓された1冊だ。新書ハード版という珍しい型。ただ特に話題になることもなかった気がする。  
 今回、初の文庫化だと思って購入したら、以前一度文春文庫になっていたことをあとがきで知った。これは全然知らなかった。何たる不覚!  

 一般に流布している〈幻想と怪奇の乱歩像〉ではない、江戸川乱歩の素顔を語りたいとのことで編まれた本書は、著者と実弟の小林泰彦の対談、過去に書かれたエッセイ、乱歩をモデルにした私小説「半巨人の肖像」の三本立て。

 その昔、「ヒッチコック・マガジン」という雑誌があった。1957年「宝石」の編集・経営に参画した乱歩は雑誌に対する的確な批評を手紙にして送ってくる青年に日本版「ヒッチコック・マガジン」の編集を任せたのだった。この青年が当時26歳の著者(ペンネーム・中原弓彦)だったのだ。デザインを担当したのがイラストレーターの卵だった小林泰彦。

 この二人の対談が興味深い。何しろこちらには江戸川乱歩といったら「少年探偵団」等の大作家、大昔の作家というイメージがある。それが現役の作家である小林信彦と交流があった、それもオーナーと社員との関係だったというのだから(初めてそれを知った時は)なんとも不思議な気持ちになった。雑誌の編集、あるいは雑誌をめぐる人間関係にいかにあの乱歩がかかわっていたのかということが、それこそ晩年の大作家の素顔を垣間見た気がした。

 なんといっても本書の圧巻は「半巨人の肖像」が収録されたことだろう。他の小説集にはいっさい収録されていない一編で、僕は本書でこの小説の存在を知ったくらい。「ビートルズの優しい夜」の文壇編とでもいうべきもので、著者(小説では今野)がいかにして江戸川乱歩(同・氷川鬼道)と知遇を得、やがて編集長として「ヒッチコック・マガジン」(同・ハラア)の創刊にからみ、何とか軌道に乗せ、後に罷免させられるまでを例の苦渋にみちた冷徹な乾いた文体で綴っていく。 


2005/03/11

 「東京散歩 昭和幻想」(小林信彦/知恵の森文庫/光文社)

 新聞に掲載された〈知恵の森文庫〉3月新刊の広告で小林信彦の名前を発見して、今度は何が改題されたのだろうかと推理した。前回の「面白い小説を見つけるために」はすぐに「小説世界のロビンソン」であることがわかったが、「東京散歩 昭和幻想」は皆目わからない。新刊だったら狂喜乱舞なのだが、そんなことは絶対にありえないことはわかっている。すぐに本屋に飛んで確認したら「日本人は笑わない」だった。

 「小説世界のロビンソン」が「面白い小説を見つけるために」に生まれ変わったのには複雑な気持ちだった。小林本にはこういうことがたまにある。
 「世間知らず」が死語だからといって「背中合わせのハートブレイク」になるなんてあんまりだ。「小説世界のロビンソン」も単なるブックガイドでないという著者の主張や独自の読書体験、そこから導かれる教わること大の評論集といった体裁があって、だからこそのロビンソンじゃないかと書名に思い入れがあったのだが、いかにも読書指南本みたいなタイトルになってしまってがっくりきた。

 まあ本は売れなくては意味がないし、「面白い小説を見つけるために」という書名になったことで、小林ファン以外の本好きの人が手にすることは大いに喜ばしいことではあるのだが。
 それに比べると今回の改題はいかにも小林信彦らしい書名になって気持ちいい。新潮文庫版「日本人は笑わない」は装丁も含めてあまりにも軽すぎる印象があったからだ。(もちろん単行本も持っている)

 現在、小林信彦の小説以外の本というと文春連載の「人生は五十一から」(現在「本音を申せば」に改題)をまとめた時評、映画評、書評、身辺雑記と何でもありのエッセイと中日新聞連載のエンタテインメント時評のコラムシリーズがある。本書はそのどちらにも属さない評論集だ。評論集というか、新聞や雑誌に単発で掲載されたあるいは短期連載されたエッセイのほかに、書評、文庫解説などをまとめたもの。

 東京について、美空ひばり、虫明亜呂無、清水俊二、双葉十三郎、荒木経惟、永井荷風、夏目漱石……さまざまな人物について、太平洋戦争や慰安婦問題について、等々話題は多岐に渡る。内容は平易だが、軽くはない。
 「小説世界のロビンソン」が「面白い小説を見つめるために」になって削除された「メイキング・オブ・ぼくたちが好きな戦争」が「自作再見『ぼくたちの好きな戦争』」として蘇った。ほかにも「世界で一番熱い島」の執筆日記や「ドリームハウス」問答もついてくる豪華さ。小説をあたりたくなってくる。


2005/04/29

 「本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の人気エッセイをまとめた〈クロニクル〉も7冊めになった。
 小林家のおせち料理に始まり、イーストウッド監督の傑作「ミスティリック・リバー」、NHK大河ドラマ「武蔵」の盗作問題、「下妻物語」、〈伊東四朗一座旗揚げ解散公演〉などのエンタテインメント批評。ワクワクしてしまう。

 リアルタイムを知っているがゆえのマリリン・モンロー伝説への言及。あるいはエノケン講座。ヘエ、である。
 「五十九年前の虐殺事件」は衝撃だった。こういう事件があったこと、その上、事件がそれほど問題にならず、本人が終戦後も生き抜いたことが信じられない。

 著者の根っこの東京大空襲の思い出。
 他人事ではない(娘家族が住んでいる)新潟中越地震の実際。
 小泉首相は相変わらず元気で、時代はますます悪くなっていく。
 ――そういうことである。
 お得意の嘆き節が頻発する。

 内容は少しも変わっていないけれど、この本に〈人生は五十一からの〉サブタイトルはない。1年前、週刊文春誌面リニューアルでほとんどの連載がタイトルを変更したのだ。「人生は五十一から」も「本音を申せば」になった。これ、実はとても残念だった。四十半ば、いまだに自分の天職を探している僕にとって、このタイトルは希望にあふれていた。そうなんだ、人生は五十からなんだ、あせることない。毎週、文春買って、このエッセイのページを開いて、納得していたのに……


2005/11/07

 「東京少年」(小林信彦/新潮社)

 小林信彦の新刊「東京少年」を読了する。
 新潮社のPR誌「波」に連載中は定期購読して毎月読んでいた。2004年6月号から翌05年の5月号までの1年間。前回連載していた「おかしな男 渥美清」は連載を途中で知ったので、購読をあきらめたが、「東京少年」は連載第1回に間に合った。最初のころは切り抜きしていたほどだ(週刊文春に連載された「藤山寛美とその時代」、「横山やすし天才伝説」は連載分すべて切り抜いて保存している)。至福の1年間だった。
 そして連載終了後は早く単行本にならないか、首を長くしてそのときを待つのである。

 一冊にまとまったものを読むとまた別の味わいがある。

 太平洋戦争時、疎開の体験を綴った自伝的小説。まだ中原弓彦時代に本名(小林信彦)で上梓した「冬の神話」のリメイクだというのだが、初期の小説を読んだことがない(読みたくても本がない!)ので何とも言えない。

 高度成長期に「冬の神話」がでたとき、なぜあの時代を今さら書くのかと言われたと何かのエッセイで読んだことがある。インタビューだったか。
 僕の父もそう言う側の人間だろうと思った。父からあまり戦争時代の思い出を聞いたことがない。ずいぶん昔の終戦記念日だったか、TVの特番を横目で見ながら「いい加減こんな番組なくなればいい」と嘆いたことをよく憶えている。思い出すのがつらいのだろう。
「空襲で皆がいっせいに逃げたとき、雄二(父の名)はわたしを連れてなぜか反対方向に走ったんだよ。おかげで助かったんだけどね。ほかの皆は爆撃で死んじゃったんだから」
 そう曾祖母から聞いたことがある。

 同世代の著者はいつのときもあの時代の戦争にこだわっている。東京という街(下町と山の手)に執着するように。ギャグに彩られた「ぼくたちの好きな戦争」が戦争の悲惨さを描いたエンタテインメントだとすると本作は私小説風純文学だ。ポジとネガの関係か。
 戦争時代の話なのだから決して楽しいものではない。餓えと寒さ、東京に対する望郷の念で息がつまってくる。終戦を迎えても帰れないもどかしさ、その中で東京の暮らしに絶望した父親が詐欺(?)にあって、先祖代々の土地を二束三文で奪われてしまうくだりのいらつき。とはいえ、それが小林(純)文学の魅力でもある。

 あらためて読むと、新潟時代の同級生・曽我の、ひょうひょうとしたキャラクターが一服の清涼剤的存在だったことがわかる。この人が登場するとホッとするのだ。


2006/07/04

 「うらなり」(小林信彦/文藝春秋)

 この小説は都合3回読んでいる。

 最初は「文學界」掲載時。続いて本家「坊っちゃん」を読んでからもう一度。そして書籍として上梓された今回。

 なので、最初と二度目の感想をここに記しておく。

     ▽
 〈うらなり〉と聞いてピンとくる人は何人いるだろうか。夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が赴任する学校の先生の一人。憧れのマドンナを憎き〈赤シャツ〉に奪われてしまう気の弱い青年だ。小林信彦の新作はこのうらなりを主人公にして「坊っちゃん」のもう一つの世界を構築しようという試み。地方人からみた東京人を描写する。

 「坊っちゃん」はこれまで3回は読んでいると思う。一度読み出すととまらなくなってあっというまに読んでしまう。二回め以降は冒頭部分を確認しようとページを開いて結局読了してしまった。
 そんな痛快小説なので、何年か前、娘に文庫本を買ってやったのだがまったく興味を示さなかった。何たることか。昔は布団の中で「窓際のトットちゃん」や「ユタと不思議な仲間たち」を読んでやると喜んで聞き入ってくれたのに。

 (原稿用紙)180枚の「うらなり」。冒頭昭和9年の銀座4丁目界隈が活写されているところが小林信彦らしい。教職を退き、今は〈ものかき〉として老後を過ごしている〈うらなり〉が、久しぶりに上京、かつての学校の同僚(山嵐)と4丁目の交差点で待ち合わせ、近くのレストランで昔話に花を咲かせる。
 こうして回想シーンになって、「坊っちゃん」の時代へと飛んでいく。校長と教頭(赤シャツ)の陰謀で遠く延岡の学校に赴任せざるをえなかった〈うらなり〉のその後の人生(明治、大正、昭和)が描かれ、また昭和9年の現代に戻ってくる。
 山嵐との会話では、当然〈坊っちゃん〉の話題もでるわけだが、このくだりで小説「坊っちゃん」の主人公に名前がなかったことに気がついたのだった。
 「袋小路の休日」「ビートルズの優しい夜」「家の旗」に通じる味わい。
     △

     ▽
 「坊っちゃん」の内容を知っているつもりで書いたのだが、読み直してみるとけっこう忘れていることが多かった。
 不思議なことに「坊っちゃん」をあたった後に「うらなり」を読むと読後感が微妙に違ってくる。
 
 新潮文庫の「坊っちゃん」は驚くほど薄い。京極夏彦のミステリだったらプロローグにもならないかもしれない。
 原稿用紙(四百字詰め)に換算すると215枚。ちょっとした中編小説なのだ。読み始めて一気に最後まで読んでしまうのも当たり前か。しかし、小学生時代はものすごく長い物語に感じたのだ。
 「うらなり」は180枚だからつり合いはとれている。

 前半はうらなりの回想によって、読者は「坊っちゃん」のストーリーの概要を知ることになる。あくまでもうらなりの視点で語られるのが〈キモ〉である。
 夏目漱石の「坊っちゃん」では、主人公は坊っちゃんであり、その振る舞いが非常に愉快で痛快だったはずなのに、立場を変え、冷静に考えると、なぜ山嵐と赤シャツの私闘に坊っちゃんがからんでくるのか、脇役でしかない彼がどうして学校を辞めなければならないのか、不思議なことばかりでわからなくなる。うらなりにすると自分の何が彼に親近感を抱かせるのか理解に苦しむのだ。

 山嵐には堀田、うらなりには古賀という名前がある。「坊っちゃん」にもそう語られる一文もある。しかし、語り手である坊っちゃんの名前は最後まで出てこない。自分で名乗らないし、同僚からも名前を呼ばれることがない。作者がうまくごまかしているのである。
 「うらなり」はそこを応用して効果をあげる。主人公であるうらなりは彼の名前を思い出せず、山嵐に聞いていもはっきりしない。で、ヘアスタイルの印象から〈五分刈り〉と呼ぶ。
 小柄で五分刈り、袴姿というと、なぜか、新人時代の青島幸夫がイメージされる。慎太郎カットで髪が短かった青島幸夫だ。

 後半、うらなりのその後の半生を綴るくだりに作者自身の体験が投影されている。3度目のお見合いの顛末など、エッセイで読んだことがある。
 地方人から東京及び東京人を語る、今までとは違った趣きもあるのだが、うらなりの苦渋にみちた眼差しが、これまでの純文学(「ビートルズの優しい夜」「袋小路の休日」等)の主人公に重なってくる。

 とすると、「夢の砦」の主人公、前野辰夫と川合寅彦はうらなりと坊っちゃんだったのか。ああ、そうか!
     △

 この項続く




 たまには前説ではなく中説もいいだろう。って中説なんて言葉あるのか。

 「フリースタイル、小林信彦、極東セレナーデ」でネット検索すると、このサイトがヒットする。
 11月20日、仕事の帰り書店に行って確認した。実際に書店員に訊いたらPCで調べてくれた。ところが「極東セレナーデ」で登録されているのは新潮文庫のみ。どうゆうこと? 新刊がもうすぐ発売されるんだったら書店に案内がきているだろう。今、書店に予約したらどうなるわけ?
 いったいどうなっているのか? 責任者、出てこい!

     ◇

2003/02/25

 「名人 志ん生、そして志ん朝」(小林信彦/朝日新聞社)  

 昨年(2002年)10月に小林信彦「テレビの黄金時代」の感想で、文藝春秋の「テレビの黄金時代」の連載が終了したことについて残念に思いながらもこう締めくくった。  
 〈現在朝日新聞社の書籍PR冊子「一冊の本」に古今亭志ん生と志ん朝について書いている。もちろんこの雑誌は連載開始の7月号から1年間の定期購読を申し込んだ。楽しみはまだまだ続くのであーる!〉  
 書き記した直後に送られてきた「一冊の本」を開いて愕然となった。何と最終回だった。  

 新潮社の書籍PR誌にはかなり長い間渥美清の評伝を連載していた。同じように、いやそれ以上に思い入れの強い芸人さんだから短くても1年は連載されると思っていたのだ。定期購読の申込みは1年間、あと半年どうすりゃいいんだという気分だった。  
 そのすぐ直後だったか、朝日新聞の新刊広告で連載がまとまって朝日選書の1冊として出版されるのを知った。すごい速さの刊行である。  
 ボリューム的に1冊の本になるのか少々不安だったが、実際に本を手にとって納得した。  
 これまで著者が書いた志ん生、志ん朝に関する文章を網羅したものだった。  

 第一章は志ん朝の死の直後、「小説新潮」に書いた文章をトップに、「コラム」シリーズやその他の文章を時間軸に添って並べている。名古屋の大須演芸場における三夜連続の独演会の記録は今後晩年の志ん朝を語る際の的確な資料になるのだろう。  

 第二章は志ん生について。初期の、センス・オブ・ユーモアに関する評論集「笑う男 道化の現代史」の〈明るく荒涼たるユーモア〉に加筆した〈ある落語家の戦後〉。志ん生の戦後の生き方を丹念に追っている。もうひとつの「志ん生幻想」は74年に雑誌「落語界」に掲載されたエッセイ。志ん生についてのちゃんとした記録(証言集)を残してほしいという提言だ。
 
 第三章がまるまる「一冊の本」連載の「志ん生、そして志ん朝」。抑制の効いた文章で客観的に、志ん生をそして志ん朝の足跡を記しながら、自分の意見を述べていく。この情に流されない乾いた文章がたまらない。
 
 第四章は下町言葉と落語の関係について、夏目漱石「我輩は猫である」をテキストにして論考する。これは「小説世界のロビンソン」所収のもの。
 
 〈やや長めのあとがき〉によると、巻末に志ん朝との二度にわたる対談を収めたかったとある。掲載されていればより完璧な本になったのにと著者同様僕も非常に残念だ。読んでみたい。実物をあたってくださいと掲載誌が付記されているどうやって手に入れればいいのか。 
 そういえば、志ん朝の死を知り、志ん朝とこぶ平が対談している雑誌「東京人」をあわてて買ったっきり、そのままになっているのだった。


2003/04/30

 「にっちもさっちも」(小林信彦/文藝春秋)  

 週刊文春連載のエッセイ(コラム)「人生は五十一から」5冊めの単行本。昨年(2002年)の連載分が収録されている。  
 これまでの装丁とがらりイメージを変えている。これまではエッセイ、随筆集的な雰囲気をかもしだしていた。それが今回いかにもコラム集的表紙。イラストが70年代によくコンビを組んでいた実弟の小林泰彦だからだろうか。  
 書名の「にっちもさっちも」は現代の世相をうまく表したものだと思うが、個人的にはどうしてもこの後に「どうにもブルドック」と続けたい。  

 一時期ルイ・アームストロングの歌声を真似していたことがあった。カラオケBOXに行って「この素晴らしき世界」をあのしわがれ声で歌う。歌い終わるや「ミー、サッチモ、ユー、ニッチモ」ここで一拍おいて「ニッチモサッチモドウニモブルドック」と続ける。これ、ある世代以上(ルイ・アームストロングの愛称がサッチモであることとフォーリーブスのヒット曲を知っている人たち)に受けるギャグだよなあなんて一人悦に入っていると、何とTVの物真似番組で桑野某がやってしまったのである。以来人前でこれを披露することはできなくなった。  

 閑話休題。  
 毎週文春発売日(木曜日、祝日があると水曜日なったりする)の朝の楽しみは「人生が五十一から」である。エンタテインメントを取り上げれば、たとえばそれが未見のものだったりするとどうしても自分の目で確かめたくなる。  
 伊東四朗・三宅裕司のコントライブ「いい加減にしてみました2」。こんなライブがあったことすら知らなかった。知っていたとしてもチケットなんて絶対に手に入らないだろう。  
 ビリー・ワイルダー逝去にともなうワイルダー一代記。要領よくまとめたワイルダー論になっている。同じく山本夏彦の思い出話。  
 テレビよりラジオを聴く時間が増えたと日頃聴いている番組の紹介。その中の一つ、TBS日曜日午後の「伊集院光の秘密基地」。これは僕も大好きだ。  
 突然のように2回に渡って展開される獅子文六再評価論。お馴染みウディ・アレン考察。アメリカ映画のリメイク流行りに対する嘆き。「ユー・ガット・メール」がリメイクだったとは!

 お薦め映画「笑う蛙」は結局観逃した。 
 社会時評としてはインフレについてしつこいほど書いている。日銀にインフレターゲットを設定しろという政治的圧力に対する反対論だ。自分の体験をもとにしているから説得力がある。中学の頃だったか、社会の勉強でインフレに対してデフレというものがあって、デフレになれば世の中少しはよくなるのではないかと思ったことがある。現在それは間違いだということがわかった。かといって、インフレになればいいなんて少しも考えない。著者が主張することはしごくもっともだ。  

 圧巻は楽しかった家族旅行の思い出を綴る「真夏の家族たち」の最後の一文である。  
 娘たちとの旅行は永遠に続くと思っていたと書いた後、しかしそんなことはありえないと続ける。娘たちはすぐ大きくなる、そしておのおの忙しいと言いだして、やがて、おろかな父親から遠ざかっていく。その後にこう付け加えるのである。  

 いま現在、子供たちとの旅(帰郷、海外旅行など)で慌しい思いをしている方、あなたはとんでもない幸せの真只中にいるのです。その幸せを抱きしめていてください。残念ながら、そういう特殊な瞬間を固定させ、時を停止させられるのは、プルーストのような天才作家だけなのですから。

 娘が中学生になって父親をほとんどかえりみなくなった今、この一文は胸にこたえる。


2003/05/19

 「私説東京繁盛記」(小林信彦/荒木経惟/ちくま文庫)  

 「ウルトラマンの東京」の項でもちょっと触れたので、だから読み直したというわけではない。  
 これぞ小林信彦の真骨頂とばかりに単行本が出たときは真っ先に購入した。小林信彦がこれまで住んだ町を時制に沿って訪ね歩きその変わり様をつぶさに検証していくルポルタージュ。同行して風景を切り取っていくのはアラーキーこと荒木経惟。
 文芸誌「海」1983年6月号から翌年5月号までの連載された(「海」はその号で休刊)をまとめたもの。中央公論社から9月に刊行された。  

 そのリニューアル版が筑摩書房から「新版私説東京繁盛記」として1992年に刊行された。これは迷った末買わなかった。  
 10年経った2002年にやっと文庫化。同じく文庫化された姉妹編の「私説東京放浪記」とともに手に入れてからずっと積ん読状態だった。  

 初めて読んだ時日記にこう記している。当時は築地にあるCF制作会社に勤めた頃で仕事に忙殺されて深夜帰りの毎日だった。    

 〈下町、山の手とは何か(バクゼンとしたイメージではなくて)、またクルマを運転するため東京の地理を覚えなければならず、その必要性にかられて東京の〈街〉に興味を持ったので読んだのであるが、作られた街東京の実態がわかって面白かった。 〉 

 著者自身が書いているとおり情報量は生半可ではない。胸焼けしそうな勢いも感じる。何より文章の端はしから地方出身者たちによる町殺しへの怒りが滲み出ている。
 
 考えてみれば、著者にとって僕みたいな奴が一番困った存在なのだ。
 上京したての頃、僕は東京は文化に触れるだけでいい街、けっして永住しようなんて考えはなかった。映画、演劇、コンサートが鑑賞できてちょっとおしゃれな飲食店でおしゃべりができればいい。あくまでも期限限定の生活、物価が高かろうが、住みにくかろうが関係ない。それが東京だという認識。

 大学時代目黒に住んだ。四畳半一間の部屋。あくまでも仮住まい、それで十分だった。心境の変化は3年の時だったろうか。この狭苦しい城に帰ると妙に落ち着くようになった。サークル(自主映画制作集団)の軽井沢における夏の合宿が終わり、列車が東京に近づき、新宿の高層ビルが見えてくるとホッとする自分がいた。

 社会人になって色々あった後に笹塚(住所は中野区南台)に移った。十号商店街の下町っぽさが気に入った。仕事で六本木に行った際、初めて繁華街の裏側を歩いた。家並みに昔ながらの東京を感じた。東京には東京の〈田舎〉が存在することを知った。生活の場として東京を意識したのはこの頃だ。

 本書を読んでから数年過ぎていた。
 とはいうものの、結婚して子どもが幼稚園に行く年になると笹塚を離れた。トイレ、バスがついていてもいくらなんでも1DK(六畳一間)では生活できない。その上のクラスとなるとやはり千葉、埼玉、神奈川あたりに住むしかない。
 昨年久しぶりに笹塚に行く機会があった。懐かしさと同時に家と家の間の狭さに驚いた。やはり僕は田舎ものなのだ。もう東京人にはなれないだろう。

 ただし〈町殺し〉の実態は少なからず目撃して心痛めている。
 CF制作会社の新人時代、仕事が暇になって、定時で仕事が終了したりすると、社内で酒盛りするのが通例だった。その酒を買いに行くのが僕の日課で、新大橋通り沿いにある酒屋によく通った。店番のおばさんとも親しくなった。この酒屋は昔ながらの家の造り。当時も近所はみなビルになっていった。地上げが進んでいたのだ。にもかかわらずこの酒屋はそういう話にまったくとりあわなかったという。
 会社を辞め、十数年が経った数年前この店の前を通ったら、ビルに様変わりしていた。昔の面影はない。酒屋は営業していたがおばさんに挨拶するのはちょっと気が引けた。

 新都庁や六本木ヒルズといった新しい顔ができるのが果たしていいものなのかどうか。東京を本当に愛し、生活している人たちはどう思っているのだろう?


 【おまけ】

2003/04/24

 「ウルトラマンの東京」(実相寺昭雄/ちくま文庫)  

 実相寺監督は筑摩書房から何冊か本を出している。ウルトラ第一期シリーズの舞台裏をフィクションを交えて小説化した名作「星の林に月の舟」の続編「冬の怪獣」、エッセイ集「夜ごとの円盤」、そしてちくまプリマ-ブックスシリーズの「ウルトラマンのできるまで」、「ウルトラマンに夢見た男たち」、「ウルトラマンの東京」。最新刊は「怪獣な日々」だ。  

 プリマーブックスシリーズ3冊の中で、「ウルトラマンのできるまで」「ウルトラマンに夢見た男たち」は第一期ウルトラシリーズのビハインドもの。実相寺監督ファンとして、新刊が読めることはありがたいことではあるが、別に実相寺監督があらためて書くことでもないだろうという気がしないでもなかった。
 
 第3弾として刊行された「ウルトラマンの東京」を読んで、これを書きたかったがためにこのシリーズがあったのではと思った。10年も経ってから、加筆訂正されて文庫化されたのだからたぶん間違いではないだろう。  

 「ウルトラマンの東京」という書名からは内容がわかりづらいが、ようは「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」のロケ地探訪記なのであるが、実相寺監督が担当したエピソードで撮影に利用された場所や建物を訪ねる趣向で、昭和40年代の高度成長によって、いかに東京の街が変わっていったかというルポルタージュになっている。  

 2000年の3月、2週間にわたって天王洲アイルのアートスフィアで「ファンタスマ 実相寺昭雄・映像と音楽の回廊」というイベントがあった。実相寺監督が所属している会社コダイの創立15周年を記念した画期的なもので、実相寺監督のほとんどの作品に触れられるのである。

 テレビドラマ「波の盆」「青い沼の女」やビデオ「実相寺昭雄の不思議館」「東京幻夢」等々どうしても観たい作品があったので2日間有休をとってアートスフィアに通った。もう一回、CF特集の回に仕事の帰りに寄ったとき、切通理作、写真家・丸田祥三とのトークを聴くことができた。
 
 変わりゆく東京の話題もあって、その様を「おもしろい」と表現していたのが印象的だった。
 たとえば下町生まれの小林信彦は東京オリンピックを境にして、町名変更を含めその変わり様を〈町殺し〉とはっきり怒りを表明している。それは「私説東京繁盛記」「私説東京放浪記」を読めばよくわかる。  
 もちろん実相寺監督の「おもしろい」が変わりゆく東京に対する肯定の言葉には思えなかった。どんなに声高に叫んでみても仕方のないこと、東京はそういう町なのだと、半ば達観しているようであった。もっというと諦めの極致だろうか。

 改めて読んでみてやはり怒っていることがわかる。
 第一期ウルトラシリーズの作品には、よき時代だった東京の最後の姿が映っていたのだった。




2003/01/02

 「コラムの逆襲」(小林信彦/新潮社)  

 ふたたびU野様  

 六甲オリエンタルホテルでは翌日早いのにもかかわらず朝方までおつきあいいただきありがとうございました。  
 教えていただいたロバート・デ・ニーロ主演の「フローレス」、ビデオで観ましたよ。フィリップ・シーモア・ホフマンのオカマちゃん、見応えありです。ところでこの映画って日本では公開されなかったんですってね。ビデオ発売のみ。デ・ニーロの右半身不随の演技がいい。そのしゃべり方も。

 あっ、映画の話はまた今度ということで、実は小林信彦のコラムシリーズの新刊が年末に出たんですよ。以前お送りした「コラムの冒険」の次にでた「コラムは誘う」も文庫として発売されました。

 このシリーズ、新刊がいつ出るか、首を長くして待っていました。年末に出版されるというのがいいですね。年末年始の楽しみは保障されたもんです。  
 副題の〈エンタテインメント時評 1999~2002〉どおり、99年から02年の4年間の映画、TV、ラジオ、舞台に関する極上のコラムが楽しめます。  
 小林信彦ファンなら誰でも考える「あの映画を小林信彦はどう評価しているのか」を確認できるわけですから。  
 表紙はディカプリオの似顔絵(和田誠)。別にディカプリオのファンではないけれど、書店でこの装丁を見た時から胸わくわくです。(裏表紙は黒澤明です。)  

 映画「踊る大捜査線」が好評で公開が延長になったという話題から「ショムニ」の映画化に対する苦言になります。TVとは主演者も内容も違うことに触れ、松竹だからそんなものだと切るところなんて、そうそうとうなずいてしまいます。この頃の松竹って何やってもダメでしたからね。初めて手がけたTVアニメの映画化「忍たま乱太郎」、東宝を出し抜いて獲得したジブリ映画「おじゃまんが山田くん」、皆コケたました。

 アメリカ映画は70年代から世界中をまき込むような大がかりな映画作りを始めたがオリジナルなプロットがなくなったという話から、「ユー・ガッタ・メール」が昔の映画「桃色(ピンク)の店」または「街角」のリメイクだと説きます。私はどちらの映画も知りませんが(恥)、こんな風に話を展開する評論家(映画ライター)がいるでしょうか。  

  「シックス・センス」のアホらしさにも触れています。こんなの最初のシークエンスで秘密がわかってしまうと。映画には文法があり、それをフツーに考えればすぐわかるとのこと。  
  「アーリー・myラブ」シリーズは小林信彦お気に入りのTVですが、このドラマのプロデューサー件シナリオライターが製作および脚本を担当したB級ホラー「U.M.A./レイク・プッラシッド」をユーモアホラーとして捨てがたいとも書いています。この映画、ロードショーされた時から気になっていたんです。この回のコラムを読んでさっそく借りてきました。

 こと日本女優に関しては、趣味がいっしょとはいえない小林信彦ですが、本書で何度か絶賛するアシュレイ・ジャッドをぜひこの目で確認したいですね。初出演は「ディープ・ジョバティー」ですって。  

 いつも感心してしまうのですが、取り上げられた映画その他、どうしても観たくなります。紹介の仕方が絶妙なんです。この巧さ、どうにか自分のレビューに取り入れようとしているのですが、なかなかうまくいきません。  
 映画ファンを自認する人はぜったい読むべき本(シリーズ)ですよね。


2003/01/04

 「笑学百科」(小林信彦/新潮文庫)  

 古書店で見つけた。もちろん1982年に出版された単行本は持っている。一昨年だったか、郷里においてあった単行本をもう一度読み直したくて正月帰省した際に持って帰ってきた。  
 単行本の3年後に出た新潮文庫版はすでに絶版になっていて古書店でも見かけることはなかった。表紙の、峰岸達の描くウディ・アレンの似顔絵が気に入って買ってしまった。  

 夕刊フジに連載された〈笑い〉に関するコラム集。1980年代前半の、ちょうど漫才ブーム前後の時代をひもとく時の資料になる。漫才ブームが終焉をむかえ、それぞれのコンビが一人で活躍をしなければならなくなった頃のコラムなのである。  
 ビートたけしがピンチヒッターとして「オールナイトニッポン」のパーソナリティを担当した時、その面白さを伝えるため3回連続で書いている。この番組は一世を風靡した。  
 ドリフターズ全盛時代(というかその前か)、もしいかりや長介が単独で脇(役)にまわったら、渋いユニークな演技者になると役者としての現在の活躍を予言する目の確かさも確認できる。

 漫才ブーム後に日本人の〈笑い〉が変質することを萩本欽一が予言していることも書かれている。その変質が自分をTVの王者から引きずり落とすきっかけになると考えていたのかどうか。  
 漫才のボケとツッコミの話から〈大阪の生き字引〉香川登枝緒の指摘、漫才芸人には〈漫才人間〉と〈役者人間〉がいること、この2つのタイプがコンビを組むと成功することを紹介し、実例をあげる。古くはエンタツ(漫才人間)・アチャコ(役者人間)、啓助・唄子を経て、やすし・きよしというような。著者は若手では紳介・竜介がそうだと付け加える。その後のコンビを考えてみると、ダウンタウンの二人がまったうその通りだ。ただしとんねるずはどうだろう。ウッチャン・ナンチャンは? 爆笑問題はその系譜だろう。

 ウディ・アレンが日本映画を編集し直し、台詞も変え全く別の映画を作った(東宝「鍵の鍵」→「What's Up,Tiger Lily?」なんてことも教えてくれた。  
 澤田隆治、谷啓、鈴木清順、野坂昭如、古今亭志ん朝、井原高忠、タモリ、さまざまな人たちも登場するこのコラム集は何度読んでも飽きない。
 20年前ほどに書かれたものだからすでに亡くなった方も多く登場する(まさかその一人が古今亭志ん朝だとは……)。

 この文庫版は表紙のほかにもう一つ楽しみがある。巻末の解説である。
 自分(解説者)がどんなに頑張っても抜くことができない相手として小林信彦の魅力を語る章なのだが、冒頭のつかみとして語るアメリカの某陸上選手の話が面白い。
 アーノルド・F・テイラーは子どもの頃から足が速かったが、ハイスクールに上がって陸上競技部に入ると、自分より足の早い奴がいた。自分が記録を更新すると、そいつはその上を行く。決して追い抜くことができない。やがてアーノルドは陸上競技からばっさり足を洗い、アイダホ州ボカデロの町で花屋を営んでいる。オリンピック中継を見ていると、そいつが金メダル台に上がっていた。カール・ルイスだった。  
 この後にこの話は自分の創作(嘘八百)であると書くのだが、初めて読んだ時は「やられた」と唸ったものだ。解説はまだ〈放送作家〉という肩書きだった景山民夫。本を上梓し始めたあの頃、小林信彦本と同様一所懸命著作を買い集めた。まさかその後宗教に走るなんて思ってもいなかった。景山民夫ももうこの世にいない。


2003/01/09

 「コラムは誘う」(小林信彦/新潮文庫)

 【「コラムの逆襲」より続く】  

 U野さん、話変わって文庫の「コラムは誘う」です。95年から98年までのエンタテインメント時評。
 単行本では表紙の絵(by和田誠)は爆笑問題でした。文庫は渥美清になっています。(ちなみに単行本の裏表紙は古今亭志ん朝。文庫本は…ありません。)
 この95年から98年の間に横山やすしが、渥美清が亡くなったのでした。ですから帯のコピーが〈渥美清が逝った やすしが逝った そして小林信彦はこんなことを考えていた〉。フランキー堺も亡くなっています。中田ラケット、萬屋錦之介も。黒澤監督も……。

 話が湿っぽくなりました。
 まあ、感想なんてどうでもいいでしょう。コラム81本を読み返してみて観たくなった映画を列挙してみます。
 「グランド・ツアー」(日本では公開されたかどうか定かではない、でもTVで放映されたB級映画)
 「ニック・オブ・タイム」(ジョニーデップ主演のB級アクション)
 「銀嶺の果て」(黒澤明脚本、谷口千吉監督、セルビデオではあるのですが、レンタルではお目にかかったことがない)
 「死と処女」(ポランスキー監督、シガニー・ウィーバー主演のサスペンス、これは以前から興味あったんですよ)
 「誘う女」(ニコール・キッドマン主演)
 「非情の罠」(キューブリック監督の初期の傑作。観よう観ようと思いつつ、いつも後回しにしてしまいます)
 「ファーゴ」(コーエン兄弟監督作。コーエン兄弟の作品って興味津々のものばかりなんですが、まだ一度もビデオを借りてきてません)  

 「銀嶺の果て」の紹介では笠原和夫の黒澤映画に対する名言を引用してます。  
 〈黒澤さんを始め、小国英雄、橋本忍、その他の脚本家で構成されるクロサワ・タクスフォース(機動部隊)の偉大さは、パターンの独創性にある。映画的な発想、思いつきの素晴らしさである。〉  
 映画ではありませんが、伊東四朗の舞台(三谷幸喜作、東京ボードヴィルショー公演「アパッチ砦の攻防」、三宅裕司とのコント大会)もムショウに観たくてたまりません。  

 というわけで、「コラムの逆襲」と「コラムは誘う」の2冊、お借りした本を返却する際に一緒に送りますので、どうぞお楽しみに。

                                        草々





 古書店に「日本の喜劇人」(晶文社)の初版本があった。値段を確認すると1,000円。そのままレジに走った。

 今年は市川崑監督の生誕100年(ということを本日知った)、あの名著「市川崑の映画たち」(市川崑・森遊机/ワイズ出版)が「完本・市川崑の映画たち」として復刊しているのである。旧本は最初図書館から借りて読んで、ずいぶん経ってから購入した。
 春日太一氏が「市川崑と『犬神家の一族』」(新潮新書)を上梓したのも、生誕100年を記念してのことか。こちらは13日(金)に買った。
 来年早々崑映画の特集上映がある。楽しみだ。

          * * *

 #2から続く

2002/03/26

 「コラムの冒険」(小林信彦/新潮文庫)

 U野 様  

 前略 

 昨年2月に事務所にお邪魔して映画の話で盛り上がってからもう1年が経ってしまいました。
 「2001年宇宙の旅」の最初のシネラマ上映方式(3台のプロジェクター使用)の事実には驚きました。関係書では誰も触れていないのですから、調べるのに往生しました。  
 あの時、特に好きなものと訊かれて「特撮」「ショーケン」「紙ふうせん」「小林信彦」と挙げました。どういう関係があるの? と不思議な顔をされましたが、「特撮」は別にして、誰もが自分の確固たる世界をもっているってことが惹きつけられる理由でしょうか。  

 さて、その小林信彦ですが、U野さんも読むとはちょっとした驚きで、大変うれしい思いがしました。私のまわりで小林信彦について話ができる人がいないのです。
「唐獅子株式会社は面白かったなあ。大阪弁も本物だよ。作者って東京の人でしょ、よくああいう会話が書けるね」  
 作者が聞いたら喜ぶでしょうね。「ちはやふる奥の細道」もお好きだとか。  

 そんなU野さんにコラムニストとして小林信彦の魅力も知ってもらいたい、と帰りの新幹線の中でコラムシリーズの1冊を送ろうと決めました。にもかかわらずるずると時間が経ってしまい、文庫本の最新刊「コラムの冒険」を購入したのが昨年の12月の末。年末年始は仕事に忙殺されて、暇ができたら郵送しようと思いながら3月になってしまったというわけです。申し訳ありません。  

 お詫びをもう一つ。実は郵送しようとして、文庫をバックに入れていました。自分が読む本としてスティーブン・キング「グリーン・マイル」の第1巻も入れていたのですが、通勤時に取り出すとなんと第2巻が入っている。仕方ないので、U野さん用の「コラムの冒険」を読み始めました。本当にすいません。  

 このコラムシリーズ、もともとは70年代後半から80年代前半にかけて「キネマ旬報」に連載されていた「小林信彦のコラム」をまとめた「地獄の観光船」(集英社)がはじまりでした。小林信彦はキネ旬の前に「話の特集」という雑誌に同名のコラムを連載していたとのことです。それが一昨年末に上梓された「2001年映画の旅」に収録されたコラムなのでしょう。

 「地獄の観光船」は文庫になってしばらくして絶版になりました。しばらくして筑摩書房から「コラムは踊る」(ちくま文庫)と改題されて出版されました。残りの連載分は「コラムは笑う」という単行本(後に文庫)、「地獄の観光船」とともに出た「地獄の映画館」(60年代に書かれた映画評を収録したもの)に未収録のコラムを足して「コラムは歌う」(ちくま文庫)となった次第です。イラストはすべて和田誠。このシリーズは何度も読み返してはコラムの真髄、映画評のあり方を教えられております。  
 この時期、筑摩書房は精力的に小林作品のラインナップを揃えていました。小林ファンとしてうれしかったなあ。  

 「小林信彦のコラム」はキネ旬連載終了後ずいぶん間をおいて「中日新聞」で連載されることになります。その連載をまとめたのが「コラムにご用心」です。次がこの「コラムの冒険」なのですが、装丁はまったく一緒なのになぜか版元が筑摩書房から新潮社に変更になっています。担当編集者が新潮社に移ったのでしょうか。  

 「中日新聞」の連載はまだ続いているそうです。そうです、というのは実物を見た(読んだ)ことがないんですよね。  
 キネ旬連載のものより少々薄口になっておりますが、これは作者自身が書いているようにマニアを相手にしているキネ旬でなく一般人を対象にしているから仕方のないことなのでしょう。  
 単行本の最新刊は「コラムは誘う」。でもそろそろ新刊がでるようです。  
 とにかく映画ファンならぜったい夢中になるはずです。ぜひ読んでみてください。  
 おもしろい、もっと読みたいということでしたら、文庫を見つけ次第またお送りします。

 秋のコンサートでまたお会いできるのを楽しみにしております。
 それでは、また。
                                        草々


2002/10/30

 「テレビの黄金時代」(小林信彦/文藝春秋)  

 小林信彦による2冊めの「テレビの黄金時代」である。  
 最初の「テレビの黄金時代」は小林信彦の責任編集で83年にキネマ旬報社から刊行された。「キネマ旬報」の別冊、クレージーキャッツと「シャボン玉ホリデー」を特集したムックとして。20代で「ヒッチコックマガジン」の編集長を担当していた小林信彦は20年ぶりに編集後記を書く喜びを編集後記の冒頭に記していた。  
 谷啓本人による正しい〈ガチョン〉のポーズの仕方が写真図解入りで説明されていたり、日本テレビで秀逸なバラエティ番組を多数プロデュース、演出していた井原高忠のロングインタビューやクレージーキャッツのリーダー、ハナ肇の対談があったり、クレージーのフィルモグラフィー、ディスコグラフィーありの大変中身が濃いマニア向け本。  
 圧巻だったのは60年代小林信彦が中原弓彦名義で各雑誌に書いたクレージーキャッツおよびメンバー各人についてのコラムが網羅されていたことだ。そのほとんどが初出。これは読み応えあった。  
 当然このムックは僕の愛読書となり今でもトイレタイムによく利用している。  
 このムックは人気を呼び、87年に単行本として復刻された。  

 小林信彦はテレビの黄金時代を昭和30年代から昭和40年代と規定し、その代表的番組として「シャボン玉ホリデー」と、卓越した音楽的才能とずば抜けたギャグセンスを持ち合わせ、一世を風靡したクレージーキャッツに焦点を合わせて一冊の本を編んだ。  
 もちろんこの時代には数々のバラエティ番組が生まれ、今ではベテラン、大御所となったコメディアンたちを輩出している。  
 これまで「日本の喜劇人」や「笑学百科」、藤山寛美にはじまる喜劇人の評伝をものにしている著者のことだから、黄金時代をまるまる活写することだってできるはずだ。  
 月刊文藝春秋に「テレビの黄金時代」が連載されたのを知った時は大いに納得して、書店に走った。週刊文春に「藤山寛美」や「横山やすし」が連載された時と同様に毎月購入して切り抜きしようかとも考えたが、財布と相談してやめた。以後は発売日に店頭で立ち読みを決め込んだ。  

 1冊にまとまり、その表紙に胸ときめいた。若かりし頃のコント55号、欽ちゃん、二郎さんがいる。この前の「小説コント55号」といい、ちょっとした55号ブームだ。    

 1960年、「ヒッチコックマガジン」編集長の著者が、井原高忠演出の「イグアノドンの卵」の試写を観るところから始まる。バラエティの傑作といわれる「光子の窓」の特別版。現在のTVの状況を予見するような内容で、ラストでTVは原子力に匹敵するものと結論づける。使い方次第で悪魔にも天使にもなるというわけか。  
 「光子の窓」の光子とは草笛光子のこと。森光子ではない。なぜこんなことをことわるのかといえば、僕自身が初めて「光子の窓」の存在を知った時、なぜか森〈光子〉をイメージしてしまい、以後どうしてもその幻影を消し去ることができないから。  

 60年代安保、デモに参加するため、仕事をすっぽかした永六輔は井原高忠の怒りを買って「光子の窓」を降ろされる。そんな永六輔が手がけるのがNHKの「夢であいましょう」だ。開始当初あまり調子がでないため冒険を承知で取り組んだのがギャグ特集であり、その相談役に著者が呼ばれた。どうせなら解説役で出演してしまえということになり、番組内で二度パイ投げの犠牲者に。

 永六輔、前田武彦、青島幸夫らが構成作家だけでは飽き足らず、ラジオ、テレビに出演、作詞を手がけては大ヒットを放ったりするようになる。この3人に中原弓彦を入れた4人を取り上げたのが62年2月に発売された「サンデー毎日」だ。〈マルチタレント〉という言葉がなく何と〈才能多角経営〉だって。  
 3人が人気タレントになったように、著者も十分もその可能性があったことがわかる。NHK教育の「若い広場・われら十代」の司会をやったことはこの連載で初めて知った。「11PM」のホスト役のオファーが来たというのだから、藤本義一のセンはあったわけだ。  

 著者はやがて番組の構成にも手を染めるようになる。本人はその気ではないのだが。何本か手がけた後、「九ちゃん」には専属で携わった。井原高忠のプロデュース&演出による公開録画のショー番組。今はあまり見なくなったが、ホールに観客を集めて行う公開放送スタイルというのがある。「九ちゃん」はその最初の番組だった。
 それまでのバラエティショーはすべてスタジオで収録されていた。あらかじめ録音されていたものにあわせて〈口パク〉で歌い、踊った。それも生の音に切り替えた。
 そして複数作家の合作システムを採用した。この合作システムは「ダニー・ケイショー」からきたアイディアだという。途中から構成作家チームに「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさしや「シャボン玉ホリデー」の河野洋が加わる。  
 この「九ちゃん」の番組については自身が参加しているということもあって、制作過程やら、ホストの坂本九について率直の感想など詳細に綴られていて興味深い。ほとんど合作で書かれた台本にあって、著者一人で書いたものが採録されているのも、当時の番組の雰囲気を伝えてくれている。  

 ドリフターズやコント55号が登場してくる十二章以降はやっと自分の時代がやってきたと小躍りしたくなった。
 第十二章ドリフターズとコント55号、第十三章萩本欽一の輝ける日々、第十四章「ゲバゲバ90分!」への道。
 「ゲバゲバ90分!」。この番組は忘れられない。放送される火曜日はちっとも宿題が進まなかった。この番組の元ネタはアメリカの「ラーフ・イン」だというのは知っていた。しかし、番組の名付け親が著者であったことは、本書(連載時)を読むまでは全然知らなかった(著者が提案したのは「ゲバゲバ大行進」)。このアイディア料が10万円だったことも書いている。
 司会の大橋巨泉と前田武彦のトークの部分は生だったことも知った。この生のコーナーに著者が出演したことも知った。当時この番組を観忘れたことはなかったから、小学生の時代に僕は小林信彦を見ていたことになる。まったく覚えていないのだが。
 いくら書いても足らないのでこの辺でやめておこう。
 このあと日本テレビと渡辺プロの全面戦争や80年代、90年代の代表的バラエティ番組に対する寸評もでてきてこれまた興味深い。

 月刊文藝春秋の連載はもっともっと続くものと勝手に判断していた。毎月の立ち読みが習慣になった今年の5月号で突然最終回をむかえた。著者にとっては予定どおりの執筆だったのだろうか、ファンには辛かった。
 とにかく1冊にまとまったのはうれしい限りだ。あらためて表紙をみるとあの時代(昭和40年代前半)の暖かさがにじみでている。

 ちなみに小林信彦は現在朝日新聞社の書籍PR冊子「一冊の本」に古今亭志ん生と志ん朝について書いている。もちろんこの雑誌は連載開始の7月号から1年間の定期購読を申し込んだ。楽しみはまだまだ続くのであーる!




 #2から続く

2002/02/27

 「結婚恐怖」(小林信彦/新潮文庫)  

 本書が単行本として上梓されたのが1997年。当時の日記をあたってみると、こう書いてあった。

     ▽
 何の予備知識もなかった。  
 広告のコピーだけを読むと、いわゆる30代の独身男がさまざまな女性とくりひろげる結婚をめぐる悲喜劇、コメディの類だと思った。  
 物語は、しかし、中盤からサイコスリラー風の展開をみせる。女性版ストーカーというべきか。  
 最近の、第二期小林信彦の世界、フェティシズム、恋愛、東京論をひきづりつつ、またひとつ新しい世界をかいまみせたという感じだ。
     △

 小林信彦は、その前にはメタローグという新興の版元から1時間文庫と銘打ち、新書サイズのハードカバー「侵入者」でもサイコミステリー的な小説を上梓したり、と、かなりサイキックなキャラクターを取り入れた作風が目立っていた。「怪物がめざめた夜」もその系列といえなくもない。  
 ただそれ以来単行本を開いたことはなかった。本書は古書店で見つけ買っておいた。ファンとしては文庫用の作者のあとがきとか、解説が楽しみなのだ。  

 東京の下町人形町、和菓子屋の老舗の長男で独身三十男のフリーライターにふりかかる結婚にまつわるコワーイ話。
 恋人智乃がいるにもかかわらず、生活の不安からなかなか結婚に踏み切れない梅本修にかつての恋人で最近離婚した麻衣子がよりを戻そうと接近してくる。うるさく結婚を迫る母親光子。そんな騒々しさの中で、もう一人の女性が現れて修を恐怖のどん底に陥れる……。  

 あらためて読むと〈ホラーコメディー〉の惹句どおり、笑わせる会話のオンパレードだった。どうして初読の時に気がつかなかったのだろう。  
 今回気になったのは変わり身の早い母親の存在だった。一番不気味なのは母親だったりして。
 97年なんてつい最近のことなのに、この間にこちらの心境が変化したのか、描かれる世界、結婚をめぐる男の右往左往ぶりが真実味をおびて迫ってきた。クライマックスの劇画的展開は余禄みたいなものだ。
 再読してよかった。


2002/03/13

 「悲しい色やねん」(小林信彦/新潮文庫)  

 ずいぶん前に図書館から借りて読んでいるのだが、昨年12月の立川談四楼独演会を聴きに下北沢へ行き、帰りに寄った古本屋で見つけて買っておいた。  

 収録作品は表題作「悲しい色やねん」のほか「みずすましの街」「横になった男」「消えた動機」の4編。  
 1988年に仲村トオル主演で「悲しい色やねん」が映画化され、文庫本もそれにあわせて映画宣伝用の装幀になった。古書店で見かける本は、ほとんどがこの版で、だからずっと購入しなかったのだ。本書はまたもとの装幀になった版。  
 映画は観ていない。小林信彦作品が映像化されて面白かったためしがないのだから仕方ない。というかこの年は子どもが生まれたので、映画を観ている暇なんてなかった。
 
 「悲しい色やねん」はジャンルでいえば純文学だろうか。少し芸人伝っぽい部分が入っている。作者自身が登場し、大阪にでかけた際に知り合った落語家から聞く、彼が高校時代からライバル視していた友人の数奇な人生を綴っていく。銀行マンからやくざの組長になった的場浩の純愛。題名は上田正樹のヒット曲と同じ、とずっと思っていたら、あちらは「悲しい色やね」だった。歌から発想された題名なのだろうが。

 「みずすましの街」は後に文春文庫「家族漂流 東京横浜二都物語」にも収録された。これも作者自身が語り役になり、自身の生まれ育った下町(界隈)および自身の家(和菓子屋)を舞台に近所のやくざ衆の一人・清治の一生を描いたもの。話の中にもでてくるが小林信彦版「無法松の一生」といった印象。清治のキャラクターが愉快でけっこう笑える個所がある。真面目な筆致でギャグかますんだから。
 
 「横になった男」は作者が失業中に生活費を浮かそうと受験生の振りをして学生専門の下宿に住んでいた頃の日常を綴ったもの。人間観察の鋭い視線を感じる内容だ。
 
 4編の中で毛色が違うのがラストの「消えた動機」。これだけエンタテインメント系である。あとがきを読むと作家になる前に書かれた作品だとか。胃がんで余命幾ばくもないと悟った男が自殺する勇気もなく、ふとしたきっかけで知った殺し屋に自分の命を狙うように依頼する。ところがその後胃がんでないことがわかる。とたんに生きる希望を見出した男は殺し屋に依頼を中止するよう、接触を図るがうまくいかない。忍び寄る殺し屋の影におびえる男。果たして男は逃げ切れるか……というサスペンス。新進気鋭時代の山田洋次監督によって映画化されたという作品だ。主演が坂本九。いったいどんな映画なのだろう。一度観てみたいけど、たぶん無理だろう。フィルム自体が消失していると思う。  

 そういえば最近小林信彦は純文学系の小説を書かなくなった。小説そのものを書いていない。そろそろ独特のほろ苦さに触れてみたい気分だ。


2002/03/24

 「小林旭読本 歌う大スターの伝説」(小林信彦・大瀧詠一 責任編集/キネマ旬報社)  

 突然ですが新庄って若い頃の小林旭に似ていませんか? 昔の痩せていた小林旭をナンパにしたような印象。なんてことを言うと、旭ファンに石投げられるかな。  

 小林旭の読本である。歌う大スターの伝説なのだ。  
 別に小林旭のファンではない。責任編集が小林信彦だったのでもうそれだけで買わずにはいられない。
 版元はキネマ旬報社。この会社、メインの「キネマ旬報」が売れないからなのか、その穴埋めにこの数年映画関係本を立て続けにだしている。別に悪いことじゃない。「キネ旬」の別冊としてでたのが「テレビの黄金時代」。クレージー・キャッツとシャボン玉ホリデーの全盛時代を関係者へのインタビュー、コラムを中心に小林信彦自身が編集した傑作読み物だ。人気も高く、後に書籍として発売された。今でも繰り返し読んでいる。中味が濃いのがうれしい。さすがかつて20代で「ヒッチコックマガジン」の編集長をやっていただけのことはあると当時思った。  
 そんな小林信彦が大瀧〈ミスター・ナイアガラ〉詠一と共同編集したのが本書(ムック)である。
 小林旭の映画と歌をまるごととらえようという魂胆だ。  

 思えば小林信彦本との最初の出会いである「地獄の観光船」のトップが〈旭を忘れろ〉だった。以来小林信彦はことあるごとに小林旭の素晴らしさについて触れ、日活の黄金時代を知らない僕も少しは気になっていた。
 
 〈親不幸な声〉を持つ歌手としての小林旭のすごさはそれなりに理解できる。レコードを買うほどではなかったものの「昔の名前で出ています」はよく風呂場で歌ったものだ。CMソング「燃えるおとーこの、あーかーいトラクター」も耳に残っている。「自動車ショー歌」を初めて耳にした時の衝撃は忘れられない。どうして小林旭ほどの大物俳優がこんな歌をうたうのか!? 何といっても「熱き心に」が抜群にいい。
 
 役者としては、映画をほとんど観たことがないから何も言えない。70年代はやくざ映画ばかりに出演していたような気がする。松田優作主演の「最も危険な遊戯」の併映作「多良尾伴内」では久しぶりの主演だったが、当時そのアナクロさに観る気が失せた。だから目当ての「最も危険な遊戯」も名画座に落ちてから鑑賞したほどである。  
 TV放映された渡り鳥シリーズはそのあまりのきざっぽさにいつも最後まで見通すことはなかった。  
 ところが昨年「ギターを持った渡り鳥」のビデオを観たところ、これがなかなかいいのである。ホントかっこいい。  

 長年のファンが編集しているのだから、充実した内容である。とにかく非常に神経が行き届いている。  
 小林信彦の〈はじめに〉の後、総論として主演映画(西脇英夫)、歌(大瀧詠一)についてまとめられる。  
 その後に宍戸錠のインタビュー。  
 あとは野村孝、長谷川安春(映画監督)、高村倉太郎(キャメラマン)、白鳥あかね(スクリプター)、山城新伍、井上和男(映画監督、プロデューサー)、植松康郎(元日活宣伝課)等、かつてのスタッフ、共演者たち各々の内側からの、渡辺武信、内館牧子、吉川潮、中野翠、立川志らく等、外側、ファンの立場からの、それぞれの〈小林旭〉論を展開させる。執筆者の人選がいいではないか。
 
 鼎談は小林信彦、大瀧詠一、西脇英夫の3氏。
 
 大瀧詠一の〈アキラ節の世界〉はとても貴重な内容だ。これまで真剣に小林旭の歌を聴いたことがなかったが、一度はCDをレンタルしてきてもいいかなと思えてきた。

 ファンでない人も大満足できる〈小林旭〉本。
 小林信彦にとっての小林旭は僕にとっての萩原健一みたいなものだろう。まあ主演映画もレコードもけた違いに多いけれど。




 それにしてもフリースタイルという版元は小林信彦コレクションを売る気があるのだろうか? 発売が11月だというのに、第一弾「極東セレナーデ」が発売になるという情報以外何も聞こえてこないのだ。自社のサイトも更新されない。せめて表紙ぐらい確認したいではないか!

     ◇

2002/05/02

 「昭和の東京、平成の東京」(小林信彦/筑摩書房)  

 3月から4月にかけて〈小林信彦〉本の出版ラッシュだった。  
 新刊は本書「昭和の東京、平成の東京」と「物情騒然。」、文庫本では「人生は五十一から」がでた。他の作家なら図書館で借りてしまうのに、小林信彦の20年来のファンとしてはすべてを購入しなければ気がすまない。  

 「私説東京繁盛記」「私説東京放浪記」に続く東京三部作の3作目。  
 当初、内容がどんなものなのか想像がつかなかった。雑誌に連載しているわけがないから、まったくの書き下ろしなのか。あるいは前2作を要領よくまとめたものなのか。  
 過去のエッセイ(コラム)から東京について書かれたものをピックアップして再録した、それが〈昭和の東京〉。平成になってから各紙(誌)に連載(掲載)したものが〈平成の東京〉としてまとめられている。(日経新聞掲載のエッセイは連載時楽しみにしていた。このエッセイはいつ本に収録されるのかずっと待っていたのだ。)  
 構成としては「時代観察者の冒険」「道化師のためのレッスン」の系列に入ると思う。  

 小林信彦が東京にこだわる気持ちは地方出身の僕でもよくわかる。都市破壊に対する怒りも同様だ。それは何も小林信彦の東京に関する本や文章に感化されただけではない。  
 二十数年前上京したての頃は、東京はあくまでも一時居候する街だった。あくまでも都会らしくあればよかった。  
 東京に一生住むつもりはなく、結婚して子どもができたら、住宅状況や環境の点で住まいは東京近辺の県に移ることを考えていた。実際そのとおりになったわけだが、現在埼玉に居住するまでの間東京生活十数年を経て、東京に対する見方考え方が変わってきた。まず愛着というものがわいてきた。
 
 たとえば六本木という街について、ある時までとっつきにくさを感じていた。都会人をことさら主張しなければならないところ、田舎者を排除する街という認識。いつも一張羅の服を着ていなければならないような気がしてあまり好きになれなかった。  
 それが20代半ば、仕事で平日の六本木を歩き回らなければならないことがあり、一歩裏道に入ったら、そこに昔ながらの鄙びた家のたたずまいを発見したことから状況が一変した。胸が躍った。そこに人が生きている息吹を感じたのだ。六本木の新しい、というか本当の姿を知った思い。それから六本木が好きになった。
 
 小林信彦は〈街殺し〉という言葉をよく使う。東京オリンピックの時は関西に疎開していたことは何度もエッセイやコラムに書いている。(実際本書は東京オリンピックが開催された1964年から始まるのだ) 新しい建物が建設されるたびに過去が抹殺されていく無念さが長く東京で生活していてわかってきた。バブルの時いたるところで行われた地上げ以降その思いは強い。
 地方の自治体がオリンピック開催地に立候補したりすると、もういいよという気持ちになる。数年後に名古屋万博が開催されるが、いまさら万博に何があるのかとうんざりしてしまう。〈街破壊〉〈自然破壊〉という文字が頭に浮かぶ。
 生まれた時から東京に住む人にとってはたまらないものがあるだろう。

 それにしても60年代から東京に関する文章を書いていたとは恐れ入る。

 本書で一番気になったのは〈昭和の東京〉の中の〈東京のロビンソン・クルーソー〉である。内容ではなくこのエッセイが本書に収録されたことに対して。
 たぶんこれは僕にとって幻のコラム集である「東京のロビンソン・クルーソー」(晶文社)に収録されていたエッセイだろう。
 いつか「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」が復刻されてくれればと願っていたのだが、小林信彦にはその気がないのがわかった。初期のコラムは解体されて、新たなエッセイ集、コラム集に所収させていくのだろう。


2002/05/07

 「物情騒然。」(小林信彦/文藝春秋)  

 「週刊文春」連載の人気コラム「人生は五十一から」の2001年分をまとめた単行本第4弾。そうか連載もすでに5年めに突入したのか。  

 時代はますます悪くなっていく。だからこの書名にとても納得するものの、なぜ「物情騒然」でなく「物情騒然。」なのかという疑問がわく。  
 中野翠の「サンデー毎日」のコラム「満月雑記帖」の2001年連載分をまとめた単行本「ほぼ地獄。ほぼ天国。」の〈。〉の使用について〈モーニング娘。〉の影響云々と書いたけど、小林信彦まで〈。〉を使うなんて……。コラムの中で恥語シリーズが読者の共感を呼んでいる著者として一時の流行にのるってことは別に何とも思わないのかな。
 「人生は五十一から」の連載を始める前に5週に1回担当していた「読書日記」の第2弾、「〈超〉読書法」の時も同じことを感じた。当時も超××法という言い方が流行った。自分の作品に題名をつけることを苦手としていると本書でも書いていることから、たぶん編集者サイドからでたアイディアだと思うけれど。

 中野翠のシリーズがそうであるように、本書も1年を振り返るのにかっこうの内容になっている。映画や舞台を語るエンタテイメント時評、政治に対する容赦ない筆誅、著者の生活を垣間見ることができる身辺雑記。  

 〈喜劇人と肉体〉〈「パール・ハーバー」とドゥーリトル空襲〉〈宮崎監督の秀作「千と千尋の神隠し」〉は小林信彦の真骨頂を知らしめる内容で、何度も読み返してしまう。
 〈伊東四朗&小松正夫のヴォードヴィル〉で初めて二人の芝居が下北沢で公演されるのを知った。もっと早く知っていれば絶対チケットを購入しただろう。  
 米国同時多発テロについての見解、アフガン爆撃に対する冷静な怒りは戦争を知っているからこそ書けるのものだ。  
 古今亭志ん朝の死について小林夫妻の消失感、その嘆きが伝わってくる。  

 まとまって読むと、〈はじめに〉で「とにかく読んでください。ご損はさせないと思います。」と書く自信がはったりでないことがわかる。どれも中味が濃い。わずか週刊誌見開き2ページでどうしてここまでかけるのだろうと感服してしまう。  


2002/05/10

 「人生は五十一から」(小林信彦/文春文庫)  

 当然1999年にでた単行本は購入している。しかし〈文庫本のあとがき〉や解説を読みたいがために買わずにはいられない。  
 1998年の1年間が鮮やかに蘇ってくる。わずか4年前の出来事なのに、ずいぶん昔のような気がするのは気のせいか。感覚的にはついこの間のようにも思えるのだが。  

 何かで読んだのだが「人生は五十一から」の書名だと若い人は読まないのではないかという意見は確かにそうだろうと思う。でもページを開けば、たとえ若くてもわかる人にはわかるはずだ。わからない人には年齢に関係なく小林信彦とは〈東京にこだわってばかりいる偏屈でマニアックな作家〉でしかないのだから。

 1998年がどういう年だったかというと、前年の暮に伊丹十三監督が自殺し、2月には景山民夫が焼死している。ワールドカップが開催された。  
 本書で伊丹監督の自殺の原因はわからない、女性問題はきっかけでしかないと書いてあるが、僕は女性問題で騒がれるというところが伊丹十三の美学に反したのではないかと考える。本人には申し訳ないけれど、こんなことで死んでしまうのだったら、暴漢に襲われて非業の死を遂げた方がまだ納得できる、と当時悲しさのあまり怒りすら覚えたものだ。伊丹映画のファンではなかったが、役者としてとても好きだったので。
 景山民夫の死に触れて「上昇志向の強い作家だったら、必ず書いたであろうことを断乎書かなかった」と記している。
 景山民夫には別れた奥さんとの間に娘がいて、重度の身体障害者だった。ずっと寝たきりで、その娘が若くして亡くなってしまった。このことについては当時「宝島」に連載していたコラムで一度だけ取り上げている。もう二度と書かないと断りを入れ、同世代の若者に向けて不憫な娘を失った父親の慟哭を書きなぐった。とても重たい文章だった。景山民夫が宗教に走るのはこの後だったように思う。
 景山教の教祖になるのならまだしも他人様の宗教に肩入れするのはどうしても馴染めず、僕も景山ファンをやめてしまった。

 本書の中で圧巻なのは3回取り上げた「現代〈恥語〉ノート」とワールドカップの予選リーグにおけるにわかサポーターおよびメディアの騒ぎ方を大東亜戦争時の報道と重ねあわせてその奇妙な一致を分析する〈サッカー・ファシズム〉だ。
 現代〈恥語〉シリーズの冒頭で〈アイデンティティ〉を取り上げ、僕は思わず赤面してしまった。よく口にしますからねえ、僕は。
 〈サッカー・ファシズム〉はこれが書かれた当時より4年後の、日韓共同開催のワールドカップがまじかに控えている今の方がより理解できる。

 〈日本のゴジラは模倣で始まった〉のゴジラ至上主義者には笑った。
 贔屓の志ん朝については2回書いている。4年後にあの世に旅立つなんてこれっぽちも考えていなかっただろう。読んでいると悲しくなってくる。時間が経つと同じ文章でもまったく印象が変わってしまう好例。

 1998年。今に比べればまだいい時代だったといえるのだろうか。


 この項続く




 今週になってまた忙しくなった。27日に自動車免許の更新で有休をとったのが影響している。毎日残業でその疲れが今日一気にきた。
 そんなわけで本当は仕事が残っているのだが、定時で退社しました。
 「さばの湯、談四楼独演会」があれば直行したのだけど、昨日なんだもん、行けっこないよ。

 ブログが更新できないときの、困ったときの……いや、いや、そんなことないですよ~!

 忘備録。
 先週日曜日の神保町古本まつりの成果。
 「歌麿さま参る」(光瀬龍/ハヤカワ文庫)
 「たそがれに還る」(光瀬龍/ハヤカワ文庫)

     * * *

2000/12/15

 「2001年映画の旅 ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200」(小林信彦/文藝春秋)  

 週刊文春に小林信彦個人の作業による20世紀の洋画、邦画それぞれベスト100が発表された時、切り抜きするかどうか迷った。「人生は五十一から」の単行本に収録されるかどうか、それが心配だったのだ。(ちなみに「藤山寛美とその時代」と「横山やすし天才伝説」は毎週切り抜きして悦に入っていた)  

 ところが2000年の暮れも押し迫った頃、ベスト100の記事およびそれに関係する「人生は五十一から」のコラム2本、過去の映画コラムを収録した本がでるとは。それも書名が「2001年映画の旅」だなんて。文藝春秋も商売がうまい。表紙が小林信彦にとって黒澤映画ベスト1の「野良犬」のイラスト(小林泰彦)というのもうれしい。  

 だいたい一人で20世紀の映画のベスト100なんて選出できない。自分の趣味で選ぶのならまだしも、相対的な評価を鑑みなければいけないのだからそういう鑑識眼を要求される。小林信彦でなければできない仕事だろう。
 
 邦画ベスト100を眺めて小林信彦が市川崑をあまり評価していないのがわかる。市川作品は「炎上」しか入っていない。
 知りたいのは〈笑い〉のオーソリティである小林信彦が市川作品のコメディセンスをどう評価しているかについて。市川監督はその昔「プーサン」「足にさわった女」とかコメディっぽい作品を撮っているのだ。
 それから「犬神家の一族」以降の金田一耕助シリーズについてどう思っているのか。別に〈否〉であっても僕の市川監督ファンは変わらないけれど。

 本書で感激したのは第2部の〈極私的クロニクル〉の映画コラムの数々だ。いくつかはかつて読んだ小林信彦本からの再録であるものの、ほとんどは初めて目にするものばかり。
 〈十七歳の映画ノート 1948~9〉が貴重である。マルクスブラザース、ギターを持った渡り鳥、ウディ・アレン、ミュージカル映画等々、書き下ろしのクリント・イーストウッド論まである。  
 20世紀最後の素敵なクリスマスプレゼントだった。


2001/03/11

 「天才伝説 横山やすし」(小林信彦/文春文庫)  

 小林信彦の本は単行本(ハードカバー)が出たら、内容にかかわらずすぐに購入する。これは大学生時代から続いている慣習で、ある時期からは古書店ですでに絶版になっている過去の著作も買い求め、ほとんど買い揃えた。どうしても手に入らないものは図書館から借りたりしているので、初期の著作以外はほとんど目をとおしているといっていい。  
「小林信彦文庫ができるね」と狭い部屋で暮らす妻子に揶揄される所以である。
 
 まあ、それはいいとして、頭を悩ませるのは単行本が文庫化された時のこと。すでに購入した本なのだから無視してもいいはずなのに、熱狂的な小林信彦ファンとしてはほっとけない。コラム、エッセイの類だと文庫のためのオリジナル等、追加項目があったり、そうでなくても〈文庫のためのあとがき〉やその後に続く解説が気になる。  

 最近、同時期に小林信彦の単行本が文庫化された。一つは新潮文庫「結婚恐怖」、もう一つが本書「天才伝説横山やすし」だ。  
 本書の解説を担当した森卓也は古くからの小林信彦の友人でアニメーション、国内外のコメディへの造詣が深い。そんな人の小林信彦論、横山やすし論、本書評価を読みたいのは当然で、さっそく購入した次第。

 瞠目したのは森卓也が本書を私小説であると指摘している点。  
 小林信彦の純文学系列の作品は主人公が世間に相容れずいつも苦渋にみちているところが共通している。
 「袋小路の休日」「ビートルズの優しい夜」の短編集などを読んでいるとその思い、あるいは他者に対する冷ややかで辛辣な観察等がこちらに伝わってきて、やりきれなくなってしまうことが多い(その感覚に浸りたくて読んでしまうのだが)。
 本書も横山やすしをあくまでも自分とのかかわりをとおして冷静に距離をおきながら客観的に描写する。時に称え、時に嫌悪する姿勢は、昔から変わっていない。はっきりしているのは横山やすしの芸や人間性を語りながら、同時に自分自身をしっかり刻んでいることである。  

 この指摘で「藤山寛美とその時代」以後の小林作品の方向性を確信した。  
 今、小林信彦は「月刊文藝春秋」に「テレビの黄金時代」を連載している。かつてキネマ旬報社から発行したクレージーキャッツと「シャボン玉ホリデー」を特集した雑誌と同タイトルのこのエッセイも自身とTVのかかわりあいを軸にした一種の私小説なのかもしれない。


2001/06/15

 「出会いがしらのハッピー・デイズ」(小林信彦/文藝春秋)  

 週刊文春連載の「人生は五十一から」の単行本化第3弾。  
 第2弾は「最良の日、最悪の日」そして今度は「出会いがしらのハッピー・デイズ」。書名は収録されているコラムのタイトルから発想されたとおぼしい。  

 小林信彦は今を悪い時代と書くが、僕が知る限り小林信彦にとって70年代以降はいい時代なんてなかったはずである。コラムではいつだって現在を嘆き、不満を述べ、そんな中で愛しい書籍、映画、TV番組などに出会った喜びを綴っている。  
 「地獄の観光船」(「コラムは踊る」)ではTVバラエティ「見ごろ食べごろ笑いごろ」の伊東四郎と小松正夫のコンビを絶賛し、映画「オールザッツジャズ」にしびれていた。  
 本書でいえば1年に映画を1本しか観ない人にお薦めしているクリント・イーストウッド監督・主演「スペースカウボーイ」に出会えたこと、古今亭志ん朝の高座に通う喜びなどが書かれていて、そんなところが出会いがしらのハッピーデイズなのだろう。  

 毎週木曜日は文春の日とばかりに通勤時電車に乗る前に「週刊文春」を購入し、電車の中で「人生は五十一から」を読む。それが木曜日早朝の楽しみといっていい。僕にとってのハッピーモーニングである。  

 毎週読んでいるにもかかわらず、こうして一冊にまとまってから読むと忘れていることもけっこう多い。
 たとえば前著「最良の日、最悪の日」では宮部みゆきの「蒲生邸事件」について語った文章におめにかかって、そこで、そうだ!小林信彦も書いていたんだと思い知ることになる。あらためて読んでいる最中、自分の感想と比較して緊張してしまう。
 本書でいえば「評伝黒澤明」を紹介した部分。

 もっとも適任な人が、こまかいデータにもとづいて、冷静に〈等身大の黒澤明〉を描いたすぐれた伝記である。  

 と書いている。その他指摘することなどやっぱりそうだろ!というようなことが多く小林信彦も同じ感想を抱いたことをうれしく思う。というか、この文章が意識下にあって本を読んでいたのかもしれない。  
 現代恥語ノートの言葉はすぐ僕の頭にインプットされる。そのくらい小林信彦の影響はすごいのである。
 あとがきに「2001年映画の旅」が出たら、阿佐ヶ谷の某名画座で小林信彦が選んだ邦画ベスト100が順番に上映されたことが書かれている。知っていたら絶対足を運んでいた。  
 最近よく思うことだが、小林信彦のコラム、エッセイ全集を企画する出版社はないのだろうか。


2001/06/27

 「小説世界のロビンソン」(小林信彦/新潮文庫)  

 小林信彦が「小説探検」(文庫本「読書中毒」)の前に書いた体験的〈小説の読み方〉論。「小説探検」が現在入手しやすい作品(僕自身が読んでいる)について短く書いているのに比べ、本書は自身の読書体験史と重ねあわせて小説を語り、今では読めない小説も多く登場するうえに各章が長めの文章になっているので一度読んだきりになっていた。  
 「小説探検」の各コラムを拾い読みするうち、もう一度「小説世界のロビンソン」を読まなければいけないと思っていたところに古書店で発見、さっそく購入した。  

 子ども時代の冒険小説の楽しさに始まり、夏目漱石の「我輩は猫である」にこだわり、探偵小説・推理小説の話になる。この探偵小説の解説が面白い。「本陣殺人事件」「不連続殺人事件」がどうしても読みたくなる。その感覚は「ラブイユーズ」「富士に立つ影」の紹介、解説で頂点に達する。とにかく小林信彦は小説の紹介がとてつもなくうまい(もちろん映画の紹介もうまいのだが)。これは芸ですね。
 
 笑ってしまった、というか納得できたのが第三十一章のいわゆる〈純文学とエンタテインメント〉をめぐって。大衆は松本清張と三島由紀夫をならべて読む、と書いているのだが、まさしく大学時代、僕は松本清張と三島由紀夫の小説をかわるがわるに読んでいたのである。
 
 思えばSF小説の傑作「火星人ゴーホーム」を教えてくれたのは本書だった。ヴォネガット、ブローティガン、アーヴィングの世界ももっと早く知っておくべきだった。
 「小説探検」は読めば読むほど新しい発見がある。本書も再読してみて忘れていることが多いことを痛感した。覚えていたのは最後のメイキング・オブ・「ぼくたちの好きな戦争」だけなのだから。  

 こういうプロの読み手による読書案内本がなぜ話題にならないのか(ならなかったのか)不思議でたまらない。この文庫もすでに絶版になっているのだ。


2001/10/15

 「ドリームハウス」(小林信彦/新潮文庫)  

 後に「ムーン・リバーの向こう側」「怪物がめざめる夜」と続く東京3部作の第1作。  
 初老の文筆家が母親の遺した都内の土地に一戸建を建てるために悪戦苦闘するブラックコメディで、離婚経験のある主人公が歳の離れた恋人の要望を聞きながら、好みの内装に仕立て上げる。
 母親が部屋の一部を貸していた借人とのトラブルや建築に関する法律に右往左往したりした末にやっと完成した家が大雨による崖の土砂崩れで崩壊しそうになったりと主人公がついてないことおびただしい。やっと平安をとりもどしたかに思えたラストでは主人公の死、そして家が恋人のものになってしまうことを暗示させる。なんとも苦々しい幕切れだ。  

 当然単行本発売時(92年)には真っ先に購入して読んでいる。小林信彦の小説群の中でそれほどのものではないな、という印象があった。  
 その後、作者自身のインタビュー、エッセイあるいは書評などを読むと、かなりこの小説に思い入れがあるらしいことがわかった。そうなると自分の読み方が悪かったのか、何か読み落としていたものがあるのか、気になって仕方なかった。  
 これまで読み返すこともせず、かといって無視するわけにもいかず、機会あれば再読しようと思っていたところに古書店で文庫本が目に入った。  

 これもある種の悪女ものなのだろうか。すべて女の仕組んだものでそこにまんまと主人公がはまり、最後はすべてを悟って遺言を残そうと思ったのか。そういう意味ではミステリといえなくもない。別に謎解きはなく読者に想像させるだけなのだが。作者が好きな谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」の影響もあるような。  
 一番の驚きはかなりハードなセックス描写で、「世界で一番熱い島」以降この手の描写が増えた。作者がさかんに評価している斎藤綾子の影響だろうか。




2000/04/19

 「おかしな男 渥美清」(小林信彦/新潮社)

 藤山寛美が亡くなられて、小林信彦が週刊文春に短気集中連載という形で「藤山寛美とその時代」を書いた時から、氏に対して次は「渥美清とその時代」を書いて欲しいと願ったものだった。

 次に連載されたのは「横山やすし天才伝説」だったが、単行本としてまとまった2冊を並べてみると、かつて「日本の喜劇人」を上梓し絶賛を浴びた喜劇見巧者による「日本の喜劇人」第2部の作業を着々と進めているという感慨があった。

 あくまでも自分とかかわりがあった範囲内、自分自身が見聞した記憶の中で一世を風靡した人気者・喜劇役者の側面を語っていく。独特の、感情におぼれることのない、対象者と一定の距離をおく冷めた筆致で藤山寛美、植木等、横山やすし、伊東四朗の評伝を書いた著者として、必ずや「渥美清」を書くだろうと確信した。

 渥美清は小林信彦にとって藤山寛美、横山やすし以上に若い頃は親交があったということを「日本の喜劇人」やこれまでのコラムの数々で知っていたし、何より渥美清が逝去してから、寅さんのイメージと結びつけただけの一連の追悼本・回想本とは一線を画す、渥美清の芸の本質に迫ったものができると信じていた。

 数年前、小林信彦がカメラマン荒木経惟と対談したあるTV番組で「最近渥美清について調べている」と発言していて、いよいよ連載を開始するのかと喜んだ。
 藤山寛美、横山やすしに続いて週刊文春の連載するのか、はたまた書き下ろしなのか。かなりアンテナを張ったつもりだが、それ以後、何の情報も伝わってこなかった。

 昨年の春、某月刊小説誌で爆笑問題と小林信彦が対談し、新潮社が発行しているPR誌「波」に「おかしな男 ―ぼくの渥美清ノート」を連載しているのを知った。
 これには驚くと同時に歓喜して、もういてもたってもいられなくなった。
 図書館で「波」のバックナンバーをあたろうとしたら、購入していないという。新潮社に電話して連載開始の号から取り寄せよせられないかと訊いたら、見事に断られた。とにかく、書店で最新号を手に入れ、実際に連載されているのを確認し喜びを新たにして、一冊にまとまるまで待とうと思った。
 仕事で日本橋に出て、丸善に寄った際、新刊コーナーに本書を見つけた時の感激は何と表現したらいいかわからない。

 僕にとって渥美清は最初からコメディアンではなく、どこかおもしろい役者という存在だった。
 毎週日曜日の夜に放映されていた「泣いてたまるか」は渥美自身が歌う主題歌とともに大好きだった(隔週で青島幸男と主役を交替していたが、どうも青島幸男の回は印象にない)。

 「泣いてたまるか」に関しては、今でも忘れられないエピソードがある。1つはサブタイトルが確か「禁じられた遊び」というもので、かつて戦場で九死に一生を得た渥美清たち数人の大人たちがその戦争体験を忘れられなくてある大きな広場に集まってはおもちゃの銃を使って戦争ごっこを繰り広げる話。イエペスのギターで有名な名画「禁じられた遊び」を知らなかった当時の僕は「禁じられた遊び」とは大の大人たちがする戦争ごっこのこととそれからかなりの間信じていた。

 もう1つは、ある殺人事件を犯した男(渥美清)が裁判で無実を勝ち取れそうになる(死刑にならずにすむ)のに、結局、自ら殺意があったことを証言して死刑が確定するというまことに暗い話。このエピソード自体「泣いてたまるか」だったかどうか、僕の記憶もあやしいのだが、ラストに見せる渥美清の表情がとても印象深かったのだけは憶えている。

 そんなわけで、物心がついた頃から渥美清は好きな役者だった(もしかすると子ども番組に出演する俳優、タレント以外で初めてその名を憶えた人かもしれない)ので、彼が主演するTVドラマには知っている限りチャンネルを合わせたような気がする。本書でもフジテレビが主演ドラマを連作していたと記述されているが、確かに記憶が合致するのだ。

 しかし、どうゆうわけかTVドラマの「男はつらいよ」は全く記憶にない。後年、映画が大ヒットして、その存在を知り、長らく幻の番組だった。渥美清が亡くなり、追悼番組としてフジテレビに唯一保存されている第一回と最終回を放映されたのを観たが、やはり初めて観るものだった。

 渥美清が映画「男はつらいよ」だけに専念するようになってからは、ほとんどTVで活躍を見ることはなくなった。渥美清のファンといっても、僕は映画館に足を運んでまで「男をつらいよ」を観ようとは思わなかったし、一時期まで「男はつらいよ」を無視していたところもある。他の山田監督作品や松竹作品へのゲスト出演で彼の演技に触れ、それだけで満足していた。

 「定本日本の喜劇人」の渥美清に関する文章を読んだ時、渥美清にはかつて役者の側面の他に「夢であいましょう」で見せたという達者なエンタテイナーとしてのモダンな芸も併せ持っていたということを知って驚いた。浅草の軽演劇出身なのだから当たり前といえばそれまでだが。

 物真似もうまく、自身が尊敬する森繁久弥はもちろん、仲間内には小林信彦の真似さえしたというから驚きだ。「日本の喜劇人」の中でも書かれ、本書でも紹介されているジェリー藤尾の真似〈各人がチキン・バスケットを受けとって、ジェリーのだけ、チキンが一本足りなかったとき〉のジェリーの凄むまねが抱腹絶倒だったとあるが、そのおかしさは文章だけでも十分理解できる。
 マスコミによる"渥美清バッシング"があったというのも信じられなかった。極端な個人主義、つきあいの悪さが原因らしい。

 本書でも当時のバッシングの有様について2章が費やされている。週刊文春の芸人ベストテン選出時の演劇評論家、芸能記者の横暴は「プロの世界でもそういうことがありうるのか」と怒り以上に不思議な気持ちがした。
 伴淳三郎による渥美イジメが別の章でかなり詳細に書かれている。伴淳がTV局の公衆電話から知り合いの芸能記者に渥美清の悪口を語る姿はかなり異様だし、ショックだ。僕の伴淳に対するイメージが崩れてしまった。

 昨年読んだ「藝人という生き方そして死に方」(矢野誠一/日本経済新聞社)には渥美清が初日に芝居等を観に行くのはマスコミに対して勉強熱心さを知らせる自己PRとの指摘があり、初めて聞く思いだったが、本書はそれについて"悪意ある文章"だとして全くの誤り、曲解だと否定している。

 前半は著者の体験から見た渥美清の"人となり"が事細かに書かれている。確かな記憶力にもとづく著者言うところのポルトレエは思っていたとおり数多く出版されている渥美清の評伝本を色褪せたものにする。
 渥美清と伴淳の関係もそうだが昭和30年代、40年代における芸人たちの人間模様が興味深かった。渥美清がインテリコンプレックスだったというのが面白い。

 圧巻だったのは中盤の「男はつらいよ」についての的確な分析、評価である。テレビ版の企画、制作、放映、ラストに対する視聴者の反応。それに続く松竹による映画化。映画の中で渥美が披露するギャグを一つひとつ詳細に紹介してくれるのがうれしい。これが勉強になるのだ。
 「見巧者」の章で二人が交わす映画についての会話も見逃せない。話題にでてきた映画がたまらなく観たくなる。

 〈国民映画〉の不意の喪失による映画会社・松竹の危機を、渥美は―当然のことながら―見抜いていたのだ、と著者は書く。
 その後の松竹を見ていると、いやその崩れ方を見ると、何やら恐ろしい気さえする。一人の役者の死が映画会社にこれほどの影響をあたえたのは、最初でおそらく最後だろう。(360ページ)   
 まったくそのとおりで、渥美亡き後、追悼の意味で山田監督自らが「男がつらいよ」第1作にオマージュをささげた「虹をつかむ男」のくだらなさ、およそ映画に似合わないCG処理を施して再生させた「男はつらいよ ハイビスカスの花 特別編」の異様さ(何も特別編を作る必要なんてないではないか。浅丘ルリ子のリリーシリーズ3本立てのほうがありがたい。昔松竹がよくやっていたプログラムだ)がその表れの一つだと僕自身は思っている。

 「男がつらいよ」のシリーズがギネスブックに載るほど継続していたのは結局のところ会社側だけの都合だったわけで、それは以前から指摘されていたことだが、本社や撮影所売却のニュースはそれが実証されたことによる。

 小林信彦ファン、渥美清ファンの僕としてはこれからも繰り返し本書を読むことになるだろう。  
 小林信彦の芸人評伝はこれで完結だろうか。できればもうひとつコント55号、萩本欽一について同じ手法で書いて欲しいのだが……。


2000/05/13

 「読書中毒 ブックレシピ61」(小林信彦/文春文庫)

 タイトルだけだと椎名誠か目黒考二の著作のような感じがする。
 かつて本の雑誌社から出た「小説探検」と週刊文春に連載されていた「読書日記」のうち、「本は寝ころんで」「〈超〉読書法」に収録されていない最終回までの部分の二部構成になっている。
 「小説探検」のままでもよかった気もするが、読書日記の内容がタイトルに偽りがあるので改題したのだろうか。

 単行本「小説探検」は今でもよく読んでいる。「本の雑誌」に連載されていたコラムをまとめたもので、連載時はこれが読みたくて毎月小林信彦のページだけ立ち読みしていたほど。(ちなみに「小説探検」に収録された以降も連載は続いていたはずで、それらはいつまとめられるのだろうか?)

 〈小説をいかに語るか〉およびそれを〈いかに読みとるか〉の分析という趣旨でかかれた同書は「コラム」シリーズ同様、読書好き、ミステリ好きである僕のバイブルみたいな存在で繰り返し読んでいる。各編が短くまとめられているので、朝のトイレタイムの読書にちょうどいいのだ。

 繰り返し読むことで、意識的にあるいは無意識的に僕の本の読み方、映画鑑賞の指針の(大げさに言えば)血となり肉となっている。日頃僕自身の考えだと思っていることで、意見を言ったり、書いたりしていることが、何のことはない、小林信彦がかつて主張していたことに気づく。「小説探検」を繰り返し読むことで、考えが自然に刷り込まれたのだろう。しかし何度読んでも(まあ、自分がすぐ忘れてしまうのがいけないのだが)ハッとすることがでてくる。
 ハードボイルドの場合、依頼人、重要な証人、警察のボスが犯人、というのはほとんどパターンになっている、と書いているが、確かに映画「L.A.コンフィデンシャル」や「交渉人」の犯人は警察のボスであったし、「深夜プラス1」は依頼人が犯人だった。

 何よりも恥ずかしかったのは、僕が書く文章自体小林信彦のコラム、エッセイのヘタなエピゴーネンであることがわかったこと。思想的(というか考え)にかなり影響受けているのは当然だけれど、文体まで似ていたとは知らなかった。
 別に意識しているわけではないのだが、本書を読みながら何度も冷汗がでる思いだった。

 それにしても小林信彦の本(あるいは映画)を紹介する、その語り口のうまさを何と形容すべきだろうか。もうこれは神業ですね。
 たとえばこの本でも僕の未読のさまざまな小説が紹介されていて、これがすべて読んでみたくなるものばかりだからたまらない。
 大好きだというP・ハイスミスの一連の作品なんか読破したい気分になる。

 思い出した! 単行本「小説探検」を読んで、いち早くハイスミスの文庫を図書館から借りてきてわくわくしながら読んだらそれほどでもなかったのだ。
 そういえば、小林信彦がおもしろく紹介しても実際の作品が(読む人にとって)おもしろいかどうか保証できなない、とかなんとか目黒考二が「本は寝ころんで」の文庫本の解説に書いていた。


2000/06/13

 「最良の日、最悪の日」(小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の「人生は五十一から」の1999年連載分が一冊にまとまった。
 1999年はオウムの活動が目立ってくるわ、小渕政権が盗聴傍受法などの悪法を認めてしまうわ、バカな2千円札の発行を決めてしまうわ、景気は回復しないわ、自殺者は増えるわ、で少しもいいことがなかった。
 本書でも何度も今が最悪の日であることを嘆いていて、読んでいるこちらも暗くなる。が、いや待てよ、とも思う。
 その昔、小林信彦がキネマ旬報にコラムを連載している間、次に何の話を語ってくれるのか、楽しみにしていたものだ。キネマ旬報は月に2回しか発行しないが、週刊文春は毎週発売される。つまり小林信彦のコラムが毎週読めるのだから、世の中がどんなに悪くなろうともこれはまったくもって幸せなことではないか。
 サンデー毎日連載の中野翠の時評コラム「満月雑記帳」が毎年暮に一冊にまとまってオリジナルタイトルで上梓される。中野翠にとって今ではライフワークの感があり、サンデー毎日の名物コラムになっている。僕が立ち読みで読むのはこの見開きページだけだ。
 週刊文春にはいろいろな名物コラムがあるけれど、後発のこのコラムを発売日早朝の電車の中で読むのが今や習慣となっている。
 小林信彦の「人生は五十一から」も毎年この季節にタイトルを変えながら単行本が書店に並ぶのだろう。永遠に続いて欲しいコラムである。




 フリースタイルの小林信彦コレクション刊行ニュースに歓喜したのだが、続報がない。もう秋だけど。なぜ?

     ◇

2000/02/08

 「現代〈死語〉ノートⅡ」(小林信彦/岩波新書)

 〈まえがき・のようなもの〉で本書が3年前に出た「現代〈死語〉ノート」の続編だと断っている。でないとこのノートが1977年というハンパな年から始まるのかと質問する人がいると思うから、と書いているが、そんなことはない。
 あくまでも個人的なことだが、1977年は僕にとって小林信彦を知るきっかけになった記念すべき年である。

 何度か書いているが、小説家・小林信彦の存在は「オヨヨ」シリーズで中学時代に知っていたにもかかわらず、全く興味なかった。(これはNHK少年ドラマシリーズのドラマ化作品がつまらなかったというのが要因の1つかもしれない。)
 高校生になって、毎号購入するようになった「キネマ旬報」に「小林信彦のコラム」の連載が始まったのが77年。このコラムに魅了された僕はコラムニスト・小林信彦のファンになり、それから小説もむさぼるように読んだ。彼の著作がその後の僕の人生にどれだけ影響を及ぼしたか計り知れない。
 そのほかにもいろいろとあって、この年には格別に思い入れがある。そんな1977年から始まることは大いに意味があることなのである。

 70年代から80年代中頃まではともかく、それ以降の出来事はつい最近という感じで、(死語)と言われても実感がない。(確かに使われなくなっただから死語には違いないのだが)
 前著で扱った時代(50年~60年代)は僕にとって遠い時代であった。でてくる言葉も懐かしいものばかりで、〈死語〉の表現がぴったり合っていたと思う。変なたとえだけれど、神保町あたりの古本屋にあるすでに絶版、流通していない古本と最近の流行のブックオフ等のチェーン店でよく見かけるちょっと前にベストセラーになった中古本の類い、の違いというか……。98、99年なんてほとんど〈これからすたれる言葉になるだろう〉という予言だもの。

 97年に登場した「アダルトチルドレン」は悪い意味で子どものまま大人になった人のことを言うのだろうと思っていたら、発祥元のアメリカでは〈アルコール依存症の親によって精神的・肉体的虐待を受けて成長した者〉を意味するのだという。「永遠の仔」を読まなければ、たぶん気にも止めなかった言葉である。


2000/02/23

 「大統領の晩餐」(小林信彦/ちくま文庫)

 ちくま文庫から「コラム」シリーズのほかに「オヨヨ」シリーズが出るのを知った時は歓喜したものだ。小林信彦の新刊は有無を言わず購入するし、既刊についても、書店にあるものは手に入れ、そうでないものだけ図書館で借りるなりして読んでいたのだが、「オヨヨ」シリーズだけはどういうわけかどこにも見かけることがなかった。
 わくわくしながら読んだ「オヨヨ島の冒険」は、しかし、解説の新井素子が絶賛するような面白さを感じなかった。小林信彦の傑作として評価の高い小説なのにこれは意外だった。続く「怪人オヨヨ大統領」も同じ印象。

 僕のオヨヨ伝説がくずれるかに思えた頃、大人向けに書かれた「大統領の密使」が快作だったのでほっとした。ギャグがはじけてニヤニヤしたり、声だして笑ったり。どうやら僕とジュブナイル版オヨヨとは相性が悪いらしい。
 当然続刊を読みたくなるのだが、不思議と書店で目にすることがなかった。古本でもと思ってもいつも立ち寄る古書店にはちくま文庫版の小林信彦本はおいてなく入荷される気配もない。すっかり忘れかけていた昨年、下北沢へ立川談四楼独演会を聴きに行った帰り、ぶらりと寄った古本屋にこの「大統領の晩餐」と「合言葉はオヨヨ」の2冊が並んでいて感激した次第。あんまりうれしくて今までツン読状態にしておいたのだ。

 さて「大統領の晩餐」、出だしから好調である。冒頭は古今東西の小説の書き出しのあれこれをオヨヨ風にアレンジすると、というマクラで笑いをとって、あっというまに小林信彦的うんちくとギャグとパロディに彩られた抱腹絶倒の世界にひき込まれた。

 解説にもあるとおり本作は求道者小説「宮本武蔵」「姿三四郎」のパロディであり、料理道を邁進する登場人物を創造するところが何とも愉快。人気TV番組「料理の鉄人」や牛次郎原作の一連の料理マンガの先駆的作品と言えるだろう。小林信彦のすごさは本家「宮本武蔵」に対して登場人物に「なんでも『宮本武蔵』は、戦争中の版と、いまのと、一部分、ちがうそうで、みなさん、その辺には口をとざしているそうです」と語らせることである。これはどうしたって、その違いというものを知りたくなるではないか!
 本筋とは関係なく、日活アクションに思い入れと造詣の深い作者らしいギャグも炸裂する。僕自身、日活黄金時代の映画は何も観ていないのにもかかわらず映像が浮かんできて、いや~笑わせてもらいました。

 こうなると、自身でシナリオを担当し、紆余曲折の末に完成した松竹映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」をどうしても観たくなる。


2000/03/22

 「合言葉はオヨヨ」(小林信彦/ちくま文庫)

 「大統領の密使」「大統領の晩餐」に続く大人向け「オヨヨ大統領」シリーズ第3弾。
 お馴染みのキャラクター、お馴染みのストーリー展開と思いきや、どことなく今までと雰囲気が違う。解説にもあるとおりギャグやパロディを挿入しながら、かなり真面目な冒険小説に仕立て上げているのだ。
 前2作以上のハチャメチャな物語を連想させる「合言葉はオヨヨ」というタイトルとのギャップをまず感じた。
 何も知らなければ「大統領の密使」「大統領の晩餐」こそ正統的なスパイ小説、冒険小説に受け取れるが、この作品こそ「大統領の××」というタイトルがふさわしい。
(たとえば「大統領の陰謀」というのはどうか? どこかで聞いたタイトルだな。)
 なぜそうしなかったのか? やはりオヨヨの文字がタイトルにあった方が本が売れるのだろうか?  ジャパンテレビの細井プロデューサーとともに行動し、旦那刑事が登場するまでのコメディーリリーフ・安田が物語の後半にオヨヨ大統領自身の手によって殺されてしまうくだりはわが目を疑った。これまで主要人物が死んでしまうなんてことはなかった(と思う)し、オヨヨ大統領自身が人を殺めるなんて信じられない。そのうち「冗談でした!」 と復活するもんだと願いながら、読み進んだもののラストまでその気配がない。
 ストーリーには今まで以上に満足しつつも、なぜか釈然としない気持ちで読了した。




 シルバーウィーク第1日の昨日(19日)、早起きして9時に川口図書館へ。リクエストしていた本3冊を受け取る。そのまま小田急線・参宮橋駅に向かった。11時から「映画監督と時代 ~戦争法案を廃案に!」と題した映画の上映とシンポジウムが国立オリンピック記念青少年総合センターで開催される。特撮仲間のSさんと10時15分に待ち合わせしているのだ。
 が、新宿に到着したのが9時40分、小田急線を使うと時間が余ってしまうので、新宿駅から歩いて行くことに。いい散歩になった。
 午前中は映画「ひろしま」の上映、午後からシンポジウム。
 詳細はまた改めて。

          * * *

1999/10/22

 「笑う男道化の現代史」(小林信彦/晶文社)

 大学時代に購入した中原弓彦の「定本日本の喜劇人」の広告ページを見ると今では古本屋でもお目にかかれない「東京のドン・キホーテ」「東京のロビンソン・クルーソー」等の書籍が発売中とある。当時、書店に並んでなくても注文すれば取り寄せることは可能だったのだろう。今考えるとくやしくてたまらない。

 この前野球の試合後に寄った新宿古書センターには「日本の喜劇人」が2冊あって歓喜した。まあ定本を持っているから買わなかったが、それなりの古本屋には中原弓彦(=小林信彦)の絶版本があるのだろうとこれからそれらの本を探し出す楽しみが増えた。と同時に、別に手に入らなくてもいいから、早く読んでみたい欲望が渦巻いてきた。
 かつてちくま文庫で、最近では文春文庫で、小林信彦の過去の作品が復刻されていて、上記の作品たちがラインアップにならないか待っているのだが……。

 昨日羽田図書館に寄った際、試しにパソコンで検索してみたら何と「東京の…」や本書があるではないか! あわててリクエストしたら「東京…」は貸し出してから返却されていないもので行方不明だという。たぶん熱狂的な小林ファンが自分のものにしてしまったのだと思う。図書館の人は全然そんな風に考えていなかったが、ものがものだけに確信できる。

 リクエストしたもう一冊が本書である。奥付には1971年7月26日発行とある。表紙は笑い顔の渥美清でそれだけ宝物を探し出したような至福を感じる。

 作りは非常にユニークだ。本書自体は簡単に言えばセンス・オブ・ユーモアについての評論集と言えるのだが、国内外の小説、映画、落語等をテキストに著者が綴る評論の合間に「ほらばなし・鉄拐」「消えた動機」「中年探偵団」の3つの短編が挿入されている。
 戦前の「新青年」を題材にした「戦前派のユーモア」、今古亭志ん生の生き方を追う「明るく荒涼たるユーモア」、日活アクションをコメディの角度から語った「戦後日本映画史の狂い咲き」、サム・ペキンパー監督作品「砂漠の流れ者」を取り上げる「反英雄のユーモア」が興味深かった。
 (あとがき)風覚え書きには若き日(晶文社の編集者時代)の高平哲郎が登場する。70年代に晶文社から出版された数々の(中原・小林)本には高平哲郎の小林信彦への個人的興味が多分に反映されているに違いない。


1999/10/29

 「家の旗」(小林信彦/文藝春秋)

 羽田図書館のコンピュータで検索して取り寄せた。1977年に出版された小林信彦二冊目の創作集である。
 この本の存在自体全く知らなかったが、読んでみたら「和菓子屋の息子」の先駆となる自身の家系を追った純文学作品であった。4編が収録されている。

 各編主人公(狂言廻し)の名前はそれぞれ違うが同一人物(=作者)と見ていい。
 和菓子屋八代目・入婿ではあるが、類いまれな商才で事業を拡大させた祖父の人生を主人公がたどる「両国橋」、その和菓子屋を九代目(父の代)でしくじり、のれんを売った京都の和菓子屋と九代目の長男との邂逅を描く「家の旗」、葉山に買った一戸建て家屋にまつわる主人公夫婦の思い出話「決壊」、主人公と親戚関係にある外国人との出会い、決別、和解を綴った「丘の一族」。
 どれもが読んでいて息がつまりそうな物語であるが、冷静で客観的な文章がそれを中和させるのだろうか、興味をそそられるのである。

 「家の旗」の書名に憶えがなく、かと言って「丘の一族」は読んだ気がする。思い当たるふしがあって、数年前に買った「東京・横浜 二都物語」(文春文庫)をあたったら、何と「家の旗」「丘の一族」が収録されていた。「家の旗」もすでに読んでいたのである。記憶というのはホントあてにならない。
文庫の解説に「家の旗」が芥川賞候補になったとある。もし受賞していたらその後作品の系列にも大いに影響を与えただろう。


1999/11/09

 「エルヴィスが死んだ 小林信彦のバンドワゴン1961~1971」(小林信彦/晶文社)
                       
 「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」等、かつて晶文社から出版された中原弓彦名義のコラム集を読みたいとかねがね思っていて、川口中央図書館で検索したら本書があったのでさっそく取り寄せた。

 上記2冊に続くコラム集の第三弾とあとがきにある。
 最初の方に収録されている60年代の映画に関するコラムは「コラムは歌う」(ちくま文庫)に再録されていて、なるほどかつてのコラムはジャンル別に、たとえば「地獄の読書録」「地獄の映画館」(ともに集英社)にまとめられ、「地獄の映画館」はやがて「コラムは歌う」にその他のコラムとともにまとめられたのか、だから「東京の…」2冊は復刻されないのかと合点がいった。とはいえ、映画以外のTV評、書評や風俗、ファッションに関するさまざまな時評など初めて読むものもたくさんあって、まさしく60、70年代のサブカルチャーを知るかっこうの書であった。

 興味深いのは70年代に入ってからのもので、本書は「コラムは歌う」と「コラムは踊る」(「地獄の観光船」)をつなぐエンタテインメント時評と位置づけることができる。
 「コラムが踊る」の中にエルヴィス・プレスリー死去にふれたコラムがある。その中でたのまれなくてもエルヴィスについては一文書かなければなるまい、と書いていて、それが本書の冒頭にある「エルヴィスが死んだ」である。

 これは世代の違いでどうしようもないことだが、僕はプレスリーに何の思い入れもない。死去を知った時、驚いたのはその若すぎる年齢であり、後のジョン・レノンに比べたら僕自身の生活(あるいは精神)に格別の影響はなかった。ビートルズとプレスリーとではそのくらい違うのだ。
 この文章についてプレスリーを同時代に体験した人の記録として読んだ。どうしても偉大な歌手(俳優でも)というのは後世美化されて伝説化する。(美空ひばりの死後、彼女の功罪について客観的に分析したのは小林信彦ではなかったか!)
 現在、プレスリーの主演映画をくだらないと断言できる人がいるだろうか?

 芥川賞候補作「家の旗」の原体験となった京都の親戚筋の結婚式出席ついでの小林夫婦の大阪行き、漫才見物をつづったコラムもある。
 キネマ旬報に連載されていた「小林信彦のコラム」で僕はコラムの楽しさを知った。連載分を一冊にまとめた「地獄の観光船」が僕の初めて購入した〈小林信彦〉本である。その前史ともいうべきコラム集を読み、ますます「東京の…」シリーズ2冊に興味がわいてきた。


1999/12/01

 「星条旗と青春と 対談:ぼくらの個人史」(小林信彦・片岡義男/角川文庫)

 本書は単行本「昨日を超えて、なお」の文庫版である。文庫にする際に著者の希望で「星条旗と青春と」に改題されたわけであるが、読み終えた今、一見わかりにくいけれど旧題の方がよかったと思う(確かに「星条旗と青春と」の方が内容を的確に表現しているのだが)。

 小林信彦の作品には単行本から文庫にするにあたって、改題する場合がある。
 今思いつく作品は2つ。

 「世間知らず」→「背中合わせのハートブレイク」
 「発語訓練」→「素晴らしい日本野球」

 これらの改題については思うところがある。
 「背中合わせのハートブレイク」なんて一昔前の歌謡曲(ポップス)みたいなタイトルでがっかりした。〈世間知らず〉が死語になって一般に通用しないからと、その理由を自身のコラムの中で書いているが、それにしたってもう少し考慮すべきじゃなかったかと思う。若者に迎合している感じがしてどうにも好きになれない。死語だろうがなんだろうが「世間知らず」の方が素敵なタイトルだ。

 「素晴らしい日本野球」は短編集だし、収録されている作品のどれを表題に持ってきても大差なさそうで、それなら、発表時にその内容と著者であるW.C.フラナガンの存在の真偽で大きな話題をさらった「素晴らしい日本野球」をタイトルに持ってきた方が営業上メリットがあるのは確かである。だが、「ぼくたちの好きな戦争」を上梓し、自ら第一部が終了と宣言した後の、第二部開始への序奏である作品集としては「発語訓練」という書名にこそ意味があると思う。

 本書の場合は小林信彦の要望から片岡義男がまず「more than yesterday」の言葉を思い浮かべ、それを翻訳したとあとがきにある。
 1940年から70年代までを、片岡義男を相手役に小林信彦自身のアメリカへの憧れ(と反発)をメインに、日本の経済、政治の変貌を含めた年代史、精神史を思う存分語っている。




 夕景工房からの転載シリーズ、次は小林信彦だぁ!
 タイトルは1999年に読んだ小林信彦本という意味ですので。
 いつものことですが、おかしな文章は訂正しています。

     ◇

1998/01/28

 「天才伝説 横山やすし」(小林信彦/文藝春秋)

 昨年週刊文春に連載された傑作評伝が一冊にまとまった。
 小林信彦は藤山寛美が亡くなった後、文春に「藤山寛美とその時代」を短期連載している。
 渥美清が亡くなって次は「渥美清とその時代」だろうと予想していたら何と「横山やすし天才伝説」(単行本に際しタイトルが若干変更)だった。
 渥美清だろうと横山やすしだろうと小林信彦の芸人評伝が面白くないはずがない。ホント、連載期間中文春発売の木曜日が待ち遠しかった。

 まず自分との関わりの中での横山やすしを描写するから読む側を納得させる。それもある距離をもって客観的に論評するので信用できる。
 作者と横山やすしとの一番の接点は映画「唐獅子株式会社」であった。この映画に関わるもろもろのエピソードを当時のノートに基づいてしつこいくらい書いている。
 主演・横山やすしの映画「唐獅子株式会社」は当初鳴り物入りで映画化、公開された印象が強い。僕は劇場まで足を運ばずビデオで観たのだが、ギャグがちっともはじけないお寒い内容だった。ここらへんの顛末をあますことなく描写していて、自作の映画化作品に評価も下している(これは小林信彦初のことではないか? これまで自分の作品にはかたくなに口を閉ざしていたように思う。だいたい小林作品の映画化は、TV化も含めて内容を妙に改変されていいものになったためしがない。一流の映画評論家として本人はどう思っているのだろうと仲間内で話題になったこともあると何かで読んだことがある。

  「藤山寛美とその時代」では渥美清にもスポットをあて、西と東のトップの喜劇人の関係を活写していたが、今回もビートたけしを登場させて横山やすし像の輪郭をよりはっきり浮かび上がらせている。
 殴打事件の真相に迫るところはミステリーを読んでいる感覚だったし、ここまで具体的に書かれると他の横山やすし本が色あせてしまうのではないか。


1999/07/03

 「人生は五十一から」 (小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載「横山やすし天才伝説」が終了したのは残念だったが、また五週間に一回の読書日記が再開されるからまあいいかと楽しみにしていた。するとこちらもすぐ最終回をむかえてくやしがっていたらなんと翌週から単独のコラム「人生は五十一から」がスタートしたのだった。これはうれしかった。
 そのコラムの98年連載分が一冊にまとまった。
 これまでの小林信彦のコラムの類は、たとえばキネマ旬報のそれは映画を中心にしたエンタテインメントの時評(これは中日新聞で継続中)とか、「本の雑誌」のそれは書評だとか、ジャンルがはっきりしていた。
 このコラムはこれまでの小林信彦コラムの集大成といった感がある。扱う題材は社会時評、映画やTVに関する批評、解説、エッセイ風思い出話、何でもありなのだ。一つひとつのコラムは分析が鋭く、その批判は的を得ているのがたまらない。
 ずっと続いてほしいコラムである。


1999/08/10

 「オヨヨ城の秘密」(小林信彦/角川文庫)

 角川文庫版を西川口駅改札前の臨時古書販売コーナーで見つけた。100円という価格もあって発作的に買ってしまった。
 ちくま文庫版解説で新井素子がその面白さを自身の体験とともに綴っていたけれど、僕自身はそれほど面白いとは思わなかった。最初の出会い(年齢)に関係する問題だと思う。
 中学生時代、オヨヨシリーズはけっこうな人気を呼んでいた。NHKの少年ドラマシリーズでもドラマ化されたし、同級生にもはまっていたやつがいた。しかし、当時僕はといえば逆にオヨヨに反発していた。作者・小林信彦にも何の興味もなかった。今から考えれば信じられない中学生だったのだ。  
 オヨヨシリーズに関しては、ジュヴナイルより、大人向けの後期の方が断然面白い。


1999/09/30

 「袋小路の休日」(小林信彦/中公文庫)

 数年前に単行本を図書館から借りて読んでいる。
 新オートレース通りの古書店で見つけて、色川武大が解説で小林信彦の人となり、作品なりを語っているので資料としても買いだと思って購入した。

 出版社、TV局、映画界、いわゆるマスコミ業界のことを作者本人の分身である主人公(というか狂言廻し)にして語る少々苦みのある純文学というのは小林信彦が得意とする分野だが、「ぼくたちの好きな戦争」以降、本人言うところの「第二期」にはとんとお目にかかれなくなった。「怪物の目覚めた夜」がその路線とも思えるが、あれはもっとエンタテインメントしていたような気がする。
 「ビートルズの優しい夜」にしろ、本作にしろ作者の世間に対する苦渋にみちたまなざしに触れた思いで、けっして心地よい気分になれるわけではない。にもかかわらず、その世界に浸ると作者の人間を見る辛辣な観察眼や感情を前面に押し出すのでなく、静かに論理的に語る文章に病みつきになってしまう。

 前回読んだ時は作者が脚本にからみゴタゴタに巻き込まれた松竹映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」製作の顛末と監督の前田陽一と参加した10年後の上映会をモデルにした「根岸映画村」が興味深かったのだが、今回は「自由業者」が気になる。この短編に登場する戦前の意識を持った放送作家出身のタレント・羽島達也の本質的なモデルはトニー谷じゃないかと思うのだ。味付け・装飾は青島幸男等の一時ブームを呼んだ放送作家出身のタレントたちなのだろうが。
 ユーモア小説「変人二十面相」のラストでも新旧の新宿の街を描写していて、「おや」と思った。確かに第二期からこれまでコラム、エッセイ等で語っていた東京の変貌を小説で描きだしたが、これまでにもその兆候のある小説を試みていたのがわかったからである。本作でも「路面電車」では荒川都電、「街」では杉並区・方南町のマンション建築をめぐる街の変貌を抑えた筆致で描写している。

 色川武大の解説で妙に納得してしまったのは「この人の作品は楽な姿勢で読める」の部分。言っていることがよくわかる。
 初期の純文学作品を古本屋で探したいと切に思う。




 7日(土)の紙ふうせん40周年記念リサイタルは大盛況でした。「太地綾踊唄」に大感激。

 翌8日(日)は「赤い鳥・紙ふうせんアマチュアコピーバンド大会」。出場者のある方が、誰もが演奏する「竹田の子守唄」を課題曲と表現されて大爆笑。
 曲が偏りすぎているという問題も、実際に聴いてみると、各者それぞれのアレンジ、演奏が際立ってまたオツと言える……んだけれど。詳細についてはまた後で。
 企画、運営の皆さま、出場の皆さま、長時間お疲れさまでした。

     *

 「つなわたり」(小林信彦/文藝春秋)購入。
 この数年の御大の小説はまず「文學界」に掲載されて、数か月後に単行本化される流れになっている。以前は新潮社とのパイプが太かったのだが、文庫のほとんどが絶版となるにつれ、文藝春秋との関係が強くなった。中日新聞連載の「小林信彦のコラム」は最終的には文藝春秋から単行本が上梓されている。文庫本にもなった。文學界→単行本のケースは、これで3作めか。

 1日(日)、「アメリカン・スナイパー」の観賞が2回めの上映になったことで、銀座の本屋で時間をつぶした。中に入ると、又吉直樹の小説本「火花」が11日に発売される旨の告知がいたるところに貼りだされていた。
 「火花」が「文學界」に掲載されたときは、とても評判を呼んで増刷もされたという。文芸誌ではこれまでありえなかった。版元の力の入れようがわかるというものだが、小林信彦ファンとしてはこのあまりに違う対応に複雑な気持ち。

 ベストセラー作家がいかに版元に大切にされているかは、百田尚樹「殉愛」騒動のときの、各出版社の対応で理解できる。
 文芸書を扱う版元の週刊誌はいっさい記事にしなかった。週刊新潮も週刊文春も、週刊現代も週刊ポストも口をつぐんで我関せず状態。
 文春ではもうすぐ百田尚樹の小説が連載されるという時期。文春にエッセイを連載している林真理子が切れて、エッセイの中で取り上げると、編集部もまずいと考えたのか、翌週、百田が1頁使って林真理子が呈した疑問について回答していた。

 フジテレビ「ゴーストライター」でも 中谷美紀扮する売れっ子作家は何かにつけて特別扱いされていた。
 ところで、「ゴーストライター」は、根本的なところで無理がある。その時間TVの前にいれば観るという程度だから、断定はできないのだが。
 プロデューサーやシナリオライターの方は、作家の文体をどのように考えているのだろうか。
 新人作家が売れっ子作家のゴーストとして書いた小説は面白いかもしれないが、売れっ子作家の熱狂的ファンなら微妙な文体の相違に違和感が生じるのではないか。
 たとえば、ある権威ある文学賞を獲って売れっ子になった作家が、実は、ゴーストライターを雇っていたとか、長い間、口述筆記で小説を書いていた作家が、才能が枯渇して、いつのまにやら、筆記を担当する弟子がすべてを担当するようになった、という展開ならまだ納得できるのだが。

 最近、小林信彦について、エッセイ、コラムの類は面白いが、小説が……という評価を下すブログ類を散見する。そんなことはない。デビュー作ほか、初期の数作を除いて、ほとんとを読んでいる男が言うのだから嘘ではない。
 コラム、エッセイの類がべらぼうに面白いから、そういうことになる。
 ただ、実際に読了して「えっ?」っていうものもある。が、文庫になって再読すると、どうしてこの面白さがわからなかったのかと思うのだ。

 この「つなわたり」がそうだった。さて、単行本で印象は変わるのか。




 もう何度か書いているが、小林信彦という作家を知ったのは小学6年だった。「オヨヨ」シリーズという小説が人気を呼んでいたのである。少年少女向けの小説家の一人という認識だった。
 NHK少年ドラマシリーズで「オヨヨ」がドラマ化されたのは中学1年の夏(ってことを今、ウィキペディアで調べた)。第1弾「タイム・トラベラー」以降欠かさずこのシリーズは観ていたので当然チャンネルを合わせた。
 つまらなかった。当時日本テレビ「お荷物小荷物」が脱ドラマと言われて評判を呼んでいたのだが、その路線を狙ったこのドラマはに完全に失敗していた。僕の目にはそう見えた。だから、ちょっと興味を覚えていたオヨヨシリーズには見向きもしなかった。中学2年になると、クラスメートが盛んにオヨヨシリーズの面白さを吹聴したのだが聞く耳を持たなかったのは当然の帰結だろう。
 このときファンになっていれば、晶文社の初期のコラム集を手に入れられたのに、と残念でならないのだが。

 高校に進学すると、それまで立ち読みしていた「キネマ旬報」を購読するようになった。永六輔が書く1ページのコラムの連載が終わった。後任が小林信彦だった。題して「小林信彦のコラム」。
 当初はけっこう反発していたのである。愛川欽也に批判的だった。それが「おはよう!こどもショー」のロバくんのファン(声だけでなく着ぐるみを着て演じていたのが愛川欽也だった)としては面白くなかった。その後、うつみみどりと再婚したあたりから僕自身がアンチ愛川欽也になるのだけれど。
 反発以上に学ぶこと大だった。たった1ページなのに、どれだけ内容が深かったか。とはいえ、決して難しくない。

 この連載が一冊にまとまったと知り、購入したのが1981年。本のタイトルは「地獄の観光船コラム101」(集英社)。大学3年の春だったのか。ちょうど30年前になる。

     ◇

1981/06/17

 ひさしぶりの晴天で気持ちがいい。
 12:00頃に目が覚めて、大学に着いたときは1:00PM、3限の「企業形態論」に出なければならないから昼食がとれない。しかし腹はペコペコ。仕方なく授業を捨てて食堂を選んだ。

 3:30PMから撮影なのだが、それまでの空時間をどうしようかと思ったが、ホールにKちゃんがいたので茶店に誘った。
 バイトの話、服の話、サークルの話。結局、俺には金がない。

 『地獄の観光船 コラム101』を読み終える。
 時々、自分がいいと思っている映画、人物などをけなされるのはちょっと悲しいが全体として納得させられてしまう。
 特にそうだなァと思ったのは『クレイマークレイマー』についての感想で、曰く―そこには今の日本映画が忘れてしまった“ふつうの描写”がある―ディティール描写という点で自分の意見と一致していた。うれしかった。

 アイロニー(irony)
 ①反語 ②皮肉 ③風刺

 クロニクル(chronicle)
 年代記、編年史
 



 「四季 ~うつりゆくものたち~」のレビューを書いていたが、予定を変える。

 昨日、1981~82年の日記をあたっていたら、「定本・日本の喜劇人」を初めて読んだときの感想がでてきた。想像していたのとまるで違う内容なので驚いた。「地獄の観光船」の次に読んだとばかり思っていたが、その前に「笑学百科」があったのか。
 まあ、大学4年になる春の、2回めの鬱に向かってだんだん症状が重くなっていくときに読んだのだからネガティブな感想は仕方ないといえば仕方ないのだが。

     ◇

1982/02/04

 昨夜のうちに「笑学百科」を読み終えた。子どもの頃から、たぶんコント55号のブームが起きた頃から“お笑い”に興味があった。
 小学2年の時、生まれて初めてコント“忍者”をやったのを思い出す。てんぷくトリオのコントをそっくりそのまま真似したんだ。
 小学生時代は、何かの会があると(クリスマス会とかさよなら会とか)コントばかりやっていた。けっこうみんなに受けたしね。
 だから漫才ブームなんかとてもおもしろかったし、落語などもずっと見ていきたい。
 そういう意味で「笑学百科」は大変ためになる本だった。
 ますます「日本の喜劇人」が読みたくなった。


1982/02/28

 「定本・日本の喜劇人」を読み終える。
 気分のせいなんだろうけど(ここんとこずーっとウツの状態です)おもしろくなかった。
 特に前半、エノケン、ロッパなどのところなど彼らの芸を知らない俺としては、ただ文章を追いかけてるという感じだった。
 クレージーキャッツあたりからだんだんこちらの興味がわいてきて、読む楽しみも増すのだが、思っていたほどの興奮は得られなかった。
 読んでいてじれったくなってしまうのだ。




 退社後、六本木の珈琲店カファブンナへ。店内で「蘭舟・二井康夫 二人展 秋のことばたち/はがきのなかの映画の世界」が開催されているのだ。
 二井さんは邦洋の映画タイトル。ニヤリとしたのは「MASH」だ。オリジナルを尊重しながら(☆!)ふたい流にしているところがグー。
 蘭舟さんの文字は「龍馬伝」のタイトル文字より良いと思うし好きだ。まあ、あくまでも個人的に、ですが。

 マスターがお客さんと40年代、50年代のアメリカ音楽について、CDを流しながら語っていた。好みの偏屈さに筋が通っていた。店内に流れる音楽に耳を傾けた。

          * * *

 これもmixiだけど、〈小林信彦を読む〉特別版として転載します。

     ◇ 

 ●「東京少年」&PR誌「波」 2005/11/08

 昨日、小林信彦の新刊「東京少年」(新潮社)読了。
 新潮社のPR誌「波」に連載中は定期購読して毎月読んでいた。

 一冊にまとまったものを読むとまた別の味わいがある。

 太平洋戦争時、疎開の体験を綴った自伝的小説。まだ中原弓彦時代に本名(小林信彦)で上梓した「冬の神話」のリメイクだというのだが、私は初期の小説を読んだことがない(読みたくても本がない!)ので何とも言えない。

 戦争時代の話なのだから決して楽しいものではない。餓えと寒さ、東京に対する望郷の念で息がつまってくる。終戦を迎えても帰れないもどかしさ、その中で東京の暮らしに絶望した父親が詐欺(?)にあって、先祖代々の土地を二束三文で奪われてしまうくだりのいらつき。とはいえ、それが小林(純)文学の魅力でもある。
 あらためて読むと、新潟時代の同級生・曽我の、ひょうひょうとしたキャラクターが一服の清涼剤的存在だったことがわかる。この人が登場するとホッとする。

 「波」は1年間1000円。継続したとたん、「東京少年」の連載が終了し、その後は送られてきてもそのままにしておいた。先々月で送付終了。
 ところがである。今月号は「東京少年」刊行ということで、著者インタビューが掲載されているのだ。
 これはどうしても読みたい。「波」は書店でも置いてあるところがあり(売り物ではない)、いくつか確認しているが、すべてなし。
 大型書店にはあるのだろうが、会社の帰りには寄れそうもない。
 どなたか、「波」今月号お持ちではないでしょうか? 


 ●イエスタデイ・ワンス・モア 2005/11/10

「マンガ学への挑戦 進化する批評地図」(夏目房之介/NTT出版)
「増量 誰も知らない名言集」(リリー・フランキー/幻冬舎文庫)
「素晴らしき特撮人生」(佐原健二/小学館)
「夕ばえ作戦」(光瀬龍/ハルキ文庫)
「変身」(東野圭吾/講談社文庫)
「ムーン・リヴァーの向こう側」(小林信彦/新潮文庫)
「イエスタディ・ワンス・モア」(小林信彦/新潮文庫)

 古書店に寄ると、文庫本コーナーで「か」の行をチェックする。小林信彦の本がないか確認するわけだ。といっても、ほとんどは単行本が上梓された際、購入しているのである。ただ、文庫になっても手に入れることを最近心がけている。

 「ムーン・リヴァーの向こう側」は東京3部作の第3弾。山の手育ちのコラムニストと下町育ちの女性ライターの恋愛物語。その前に新聞連載された「イーストサイドワルツ」という小説があって、これは初老の小説家が若い女性に翻弄(?)される物語だった。作家が山の手、女性が下町と、同じ構造、ちょっと二番煎じっぽいところもあって、単行本を読んでそれきりになっていた。久しぶりに読んでみて、セックス描写に夢中になった。
 オリジナルビデオで映像化された(未見)「イーストサイドワルツ」を読み直したくなった。単行本を探したが見当たらない。文庫本探そう! 
 そういえば、「ウェストサイドワルツ」という海外の芝居があるんですね。朝日新聞朝刊の広告で知りました。

 「イエスタデイ・ワンス・モア」は簡単にいうと小林信彦版「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」だ。
 1987年の現代、18歳の青年がふとしたことで1959年にタイムスリップする話。
 青年は両親を早く亡くし、叔母に育てられた。その叔母が死に、多額の遺産が手に入るはずだったのに、なぜか引退して郷里に引きこもっている某放送作家への遺言が書かれているのが発端。東京オリンピックのために街破壊が行なわれる前の東京にスリップした青年が、70年代~80年代のギャグを借用して、当時のTV、ラジオ界で人気(放送)作家になっていく。
 面白いことは面白いのだけど、どうしても主人公が18歳に思えないところにひっかかってしまう。
 たとえば、高速道路がない墨田川沿いの風景を見て青年の感慨。
     ◇
 生まれてから見なれていた醜悪な二本の高速道路が消えていた。
     ◇
 物心がつく前から見なれていたものを醜悪と感じるものだろうか。そこにあって当然という感覚だと思うのだ。そこにあるものがなくなって、初めてそれが異様なものだった、醜悪だったと気づくのなら理解できるのだけど……。


 ●われわれはなぜ映画館にいるのか 2005/11/11

 朝一、東京駅にほど近い某所に直行した。1時間弱で打ち合わせを終え、そのまま八重洲ブックセンターへ。
 ブックセンターならPR誌「波」がおいてあるだろうとの判断だ。それから「丘の一族 小林信彦自選短編集」(講談社文芸文庫)が発売になったので、あわせて購入するつもりでいた。この文芸文庫、文庫にもかかわらず1365円もする。昨年だったか、「袋小路の休日」を手に取った際、値段を確認して驚いた。そういう類の文庫なのだ。

 ルンルン気分で4階の文庫新書コーナーへ向かう。
 ところが「丘の一族」がないのである。調べてもらうとたぶん今日の午後入荷するだろうとのこと。
 仕方ない、「波」だけでもと思って、案内された1階のコーナーに行くと、すでに入荷分ははけてしまったと。ブックセンターでなければどこにあるというのだ! かなりのショック。

 重い足取りで駅にむかった。地下街に下りると、古書店があった。映画関係書のあるコーナーをながめているとけっこう欲しい本が並んでいる。
 まず実相寺昭雄の旅のエッセイ集があった。そんな本がでてることなんてまったく知らなかった。「大映テレビの研究2」もある。この本、続編もあったのか。
 どちらを買おうか、ちょっと悩んだ次の瞬間、な、なんと「われわれはなぜ映画館にいるのか」の背表紙が目に入った。

 高校時代の昼休み、図書館でよくこの本を読んでいたのである。当時は「キネマ旬報」のコラム(「小林信彦のコラム」)を読むくらい、特にファンというほでもなかった。大学生になってから、その連載が1冊にまとまり、購入したことから、コラム、エッセイの本が気になりだした。
 次に手に入れたのが中原弓彦名義の「定本日本の喜劇人」だった。
 今ものすごく後悔しているのは、このとき、同時に「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」を購入しなかったことだ。晶文社から刊行されていた小林信彦のコラムシリーズで、「われわれはなぜ映画館にいるのか」もその1つ。

 気づいたときにはもう書店では見かけなくなった。いや古書店でも見たことがない。現在、ネットで調べると、どれも1万円前後する。その本が目の前にあるのだ。あわてて手にとって、値段を調べた。3000円。安い! そのままレジに走った。
 すげぇうれしい。
 
 実は昨日も文庫になった「テレビの黄金時代」(文春文庫)を買った。先週は「夢の砦 上下」(新潮文庫)を地元の古書店で見つけ今読んでいるところ(当然、ハードカバーは持っている)。
 この秋は小林信彦づいている。通勤時と昼食時が楽しくてたまりませんぜ、旦那。


 ●60年代の「タイガー&ドラゴン」 2005/11/14

 昨日はキーボードを打つ気力がなく(なんとなく体調不良)、早くから布団に寝そべり、本を読んでいた。

 「夢の砦(下)」読了。
 1983年に上梓された単行本は二段571ページという分厚いものだが、めっぽう面白くてあっというまに読めてしまう。確か2度読んでいる。今回「イーストサイドワルツ」の文庫を探しに入った地元の古書店で上下2冊になった文庫本を見つけた。
 当時、巷では60年代がブームになっており、その先鞭をつけたのが本書だと言われた。続けて「小林信彦60年代日記」なんてものも出版された。

 江戸川乱歩に見込まれて20代の若さで「ヒッチコック・マガジン」の編集長に起用された作者自身をモデルにした前野辰夫が主人公。弱小出版社から創刊された翻訳推理雑誌「パズラー」の編集長に任命されるのだが、売上が悪ければ3号でクビを切られる運命。
 当初はそれほどではなかった雑誌がある時を境に好調な売れ行きを示し、辰夫は時代の寵児として、編集者だけでなく、TVの構成作家、ミュージカルのプロデューサー、タレントとして活躍しだす。
 辰夫がその才能を高く買っている放送作家兼タレントの川合寅彦がもう一人の主人公。青島幸夫を代表とする当時の放送作家(永六輔、前田武彦、野坂昭如等々)を混ぜ合わせたようなキャラクターなのだが、こちらもれっきとした作者の分身である。
 この二人が60年代前半のマスコミを駆け巡る物語。

 面白いのは、この物語には「宝石」も「ヒッチコック・マガジン」も存在すること。当然中原弓彦も編集者の一人として登場してくる。 

 自社の政治に無関心な辰夫がある男たちの陰謀で退職させられる顛末なんてどこまで本当のことなのだろう(なんて読み方はいけないかもしれないが)。
 とにかく辰夫の一直線で不器用な生き方は、まさしく60年代の「坊っちゃん」である。

 文庫になった「テレビの黄金時代」(文春文庫)と併せて読めば、あの時代がより鮮明に理解できること間違いない。




 最初手元にある1985年のノートをあたった。一冊も読んでいない。あれま! 
 ノートの前半は1984年。こちらは何冊か感想が書かれていた。前のノートも押入れから引っ張り出す。
 前年3月に大学を卒業したが、就職浪人してこの年の春に念願のCMプロダクションに入社した。希望に満ち満ちた1年だった。
 翌年が大変だったのよ!
 まあ、いいけど。

 ターバンとは学生時代から就職浪人の年前半までバイトしていたカレー屋さんのこと。正式名称「カレー亭ターバン」といい、サンドイッチ店から衣替えした店なのだ。
 吉野家が倒産して会社更生法の適用を申請、西武(当時)の資本が入って、牛丼以外のファーストフードを目指した。目黒駅前にあった2店舗のうち、権ノ助坂にあった方を「ロッキー」という名称のサンドイッチ店にしてオープンさせた。実験店舗として。その直後にアルバイトとして働き出した。サラダその他のため毎日キャベツ8個を千切りしていた。後藤(悦治郎)さんに勝つことばかり思って、包丁を握った。
 途中からメニューにカレーが加わった。このカレーが人気を呼んで、サンドイッチからカレーにシフトしたというわけ。アルバイトの人たちが仲が良くて、毎日のように遊んだものだ。この年の夏には千葉か茨城へ一泊二日の海水浴へ行った。

 記憶なんてあてにならない。
 石森章太郎の「世界まんがる記」、内容はもちろん読んだことさえ忘れていた。
 出版社に前借して世界一周したときの記録だろう。
 覚えていたら、「まぐま18 石ノ森章太郎 Spirits」の原稿にその旨書いたのに。

 箱根駅で待ち合わせって、誰とだろう?
 思い出した! バイト仲間で一番若かったHがバイクで合流したのだ、確か。Hは当時高校生だった。

 「愛情物語」の作者は赤川次郎。原田知世主演で映画化された。原作読んだら、プロローグの伏線がまったく活かされていなくてとんでもなく立腹したのだ。


     ◇

1984/05/13

 この一週間は実に忙しかった。
 疲れて疲れてすぐにバタンキュー。
 昨晩なんか楽しみにしていたヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」を、楽に観ようと横になったのがいけなかった。すぐに寝てしまい、目が覚めたらTVは(映画の)放映ばかりか放送の方も終わってしまいガアガア鳴っていた。

 5、6日はターバンの連中と伊豆の方へ旅行してきた。
 ニッサンHOMYという10人乗りのバカでかいワゴンを運転して東名高速を走り沼津で降り、三島市近くの山にある“それいゆ”というペンション(?)に到着、そこで一泊。
 翌日10:00AMにチェックアウトして箱根駅で待ち合わせ。
 その後小田原に寄って、小田原城を見て昼食。
 西湘バイパスを走り、小田原厚木自動車道路を通って東名高速に入り、夕方東京に帰着。
 帰ってからどっと疲れて、風呂にも入らず寝てしまった。

 9日は大映スタジオ(2st)において山一證券・中国ファンド 安田成美篇の撮影。
 「風の谷のナウシカ」イメージガールとして売り出し中の成美ちゃんを生で見られるので心ウキウキの1日だった。
 撮影はあっとゆうまに終わり(3:00PMには撮了してしまった)徹夜を覚悟していた俺を驚かせてくれた。
 こうゆう時もあるんですね。
 今度のCFは実写とアニメの合成。
 そっちの方も楽しみだ。

 10日は夕方からオールラッシュ試写。
 11、12日は編集作業だった。

 12日はまた入社はじめての当番としての土曜日出勤だった。

 「発語訓練」(小林信彦)を買い、2日で読み終えた。
 W・C・フラナガン「素晴らしい日本野球」、「素晴らしい日本文化」が読みたくてたまらなかった。

 今日は12:00PMにYと目黒駅で待ち合わせ。カプリで昼食、(おっとその前にステーションビルの靴屋でスニーカーを買ったのだ)。その後、渋谷パンテオンで「ダーティーハリー4」を観る。
 クリント・イーストウッド監督は空撮が実に好きらしい。
 そういえば「ダーティーハリー」シリーズを初めて劇場で観た。
 というのも予告(あるいはTVCMの)名セリフ“Go ahead Make My Day”のせいですよ。

 「世界まんがる記」(石森章太郎)を買う。


1984/11/10

 「私説東京繁昌記」を読み終えた。
 下町・山の手とは何か(バクゼンとしたイメージではなくて)、またクルマを運転するため、東京の地理を覚えなければならず、その必要性にかられて東京の“街”に興味を持ったので読んだのであるが、作られた街東京の実態がわかって面白かった。


1984/12/02

 1、2日と太田に帰る。

 東京にもどる急行の中で小林信彦「悪魔の下回り」を読み終える。
 最近読書も小説づいていて面白くてしょうがない。
 「悪魔の下回り」は、作者が“ギャグ”についての評論家ではなく、現役の実践者であることをよく表している。
 ほんと、思わず吹いてしまうんだから。電車の中で。

 目黒に着いてから同じ作者の「紳士同盟」を買う。


1984/12/05

 昨夜「紳士同盟」を読み終えた。
 コンゲームを主題にした日本では小説においても映画においてもあまりお目にかかれない。いかにも小林信彦好みのストーリーだ。
 構成が見事で冒頭の終戦直後の闇市の話がラスト近くに重要なポイントとなってくる。
 「愛情物語」の作者に読ませたい。

 ゴジラ特集ということで久々に「キネマ旬報」を買う。
 シナリオを読んでみると(クライマックスはカットされているが)思った以上にハラハラドキドキもんで良くできていた。しかし監督が「さよならジュピター」の人だけに演出でこのサスペンスがいかせるかどうか心配だ。


1984/12/07

 「読むクスリ PARTⅡ」が発売され、さっそく買う。
 この第2集はほとんど週刊文春誌上で読んでしまってはいるけれど。

 小林信彦(W・C・フラナガン、小林信彦訳)「ちはやふる奥の細道」を読み終える。
 この本が発売された時、例のフラナガンものなので、大いに興味がわいた反面、古典に取材したという点でもうひとつ食指が動かなかった。
 しかし、読んでみて面白さの何重もの構造で、大変、愉快、痛快、奇々怪々な読み物だった。




 谷啓急死の報にショックを受ける。
 脳挫傷。階段を踏み外して、顔面を強打したという。
 信じられない。

 合掌

 小林さんの衝撃はいかばかりか。
 自宅で転んで怪我をした、なんてことを文春連載のエッセイに書いていたこともある。他人事ではないだろう。

          * * *
  
 高校時代、「キネマ旬報」連載の「小林信彦のコラム」を愛読するようになり、一冊にまとまる(「地獄の観光船 コラム101」)と購入した。ここから僕の小林信彦を読む日々が始まる。そのファン歴を、日記に綴った感想から追っていったらどうなるだろうと考えた。体験的小林信彦論になるだろうか。
 そんなわけで、一回目は1991年。最初に91年を取り上げることに意味はない。たまたま手元にノートがあったからだ。
 なお、ここにでてくる小説群、新作以外初読ではない。特にその旨ことわってはいけないけれど。

     ◇

1991/01/17

 今度の一人暮らしはあまりつらくない。
 夜は読書にいそしんでいるからか? 大学時代を思い出す。
 なんてノンキなことを言ってられない。ついにというかやっぱり湾岸戦争が今朝8時過ぎ(日本時間)勃発したのだ。
 出勤前のTVニュース(テレ朝「やじうまワイド」)では、まだ戦争は始まってなかった。
 直行したS本社宣伝部でニュースを聞いた。
 この戦争が第三次世界大戦の前兆あるいは1999年の地球滅亡の始まりでなければいいが……

 「小林信彦の仕事」を読んでいると、どうしても小説が読みたくなってくる。2、3日前から探していた「悪魔の下回り」が今日見つかってあわてて買う。

 (略)

 「小林信彦の仕事」読了。


1991/01/21

 (略)
 「悪魔の下回り」を読み終える。
 この小説は俺が週刊文春を毎週買い出す、ちょっと前に連載されていたものらしい。
 ニヤニヤゲラゲラ。笑いながらページをめくった。


1991/02/05

 電車の中でずっと「ビートルズの優しい夜」を読んでいて読了。
 「ビートルズの優しい夜」のタレント鳥羽邦彦は坂本九、「踊る男」のコメディアン風間典夫は萩本欽一、「金魚鉢の囚人」の中年DJテディ・ベアは今は亡き糸井五郎か……。
 いわゆる〈業界〉を舞台にした純文学。そして、放送作家、DJ、シナリオライターと姿を変えど、主人公の精神は作者、小林信彦のそれとオーバーラップする。
 この前読んだ「小林信彦の仕事」に入っていた「パーティー」という小説も、この連作の一編と思えばいい。


1991/02/26

 (略)
 遠出の時は電車の中の読書が楽しい。
 「紳士同盟」読了。
 映画化した作品を最後の方だけTVで観たことがあるが、全然小説と違っていた。
 小林信彦が得意とする世界(TV業界およびその周辺)、映画(あるいは芝居その他もろもろ)ウンチク話、世間一般からちょっと(あるいは大きく)ずれてしまった男の嘆き、ウィット&ユーモア。
 ラスト近くのドンデン返しはある程度予想はできた。

 Uと別れた後、続編の「紳士同盟ふたたび」が読みたくて駅前の本屋に飛びこんだが、ない。で、映画が観たくてたまらないスティーブン・キングの「ミザリー」を買った。
 読み始めて、ああ、また翻訳文体に悩まされるのかと思ったがすぐにストーリーに溶けこめた。


1991/03/19

 「世界でいちばん熱い島」を読み終える。
 小林信彦にはめずらしいエロティシズムあふれる描写がたくさんある。とても落ち着いた、乾いた文体なので、よけいそそるのだ。
 南の島のリゾート地での生活風景がまるで景山民夫的筆致だと思うのは俺だけだろうか。
 ラストになって、え、この小説って推理モノだったの? というドンデン返し。
 読み終えるのが惜しくなる昨日、今日だった。

 「カモミールでも飲んでお休み」


1991/03/30

 「紳士同盟ふたたび」を読み終える。
 あっとゆうまの読書だった。
 平易な文章で実に面白いストーリーだった。


1991/04/07

 小林信彦「イエスタディ・ワンス・モア」を再読していたが今日で読了。
 「小説新潮」今月号に、この小説の続編「ミート・ザ・ビートルズ」前編が掲載されている。


1991/07/16

 「背中あわせのハートブレイク」読了。
 瑞々しい青春小説で、特に終戦直後の高校生である主人公に感情移入できる。
 同じ作者の「イエスタディ・ワンス・モア」の高校生(現代の)にはイマイチノレなかったけれど。
 ラストのくだりなんて思わず電車の中で涙を浮かべてしまったほど。


1991/09/01

 天気予報は雨だったが、朝からいい天気。
 日曜日なのだが、早起きして9時に予約した散髪に行く。
 午後、「ミート・ザ・ビートルズ」後編を読みたくて図書館へ行くが、「小説新潮」は5月号だけ貸し出し中。
 そのまま帰るのもシャクだから同じ著者の単行本「Heart break kids」と「裏表忠臣蔵」の2冊を借りる。
 夕方近く、家族3人で28日引越し予定の西川口の××××に行き近所を見学する。
 夜、「Heart break kids」から読み始める。


1991/09/02

 「Heart break kids」読了。
 傑作青春小説「極東セレナーデ」に「紳士同盟」のコンゲームの要素を取り入れ、下町情緒と食通のうんちくをまぶした面白さ。


1991/10/22

 昨晩、「ミート・ザ・ビートルズ」読了。
 前作「「イエスタディ・ワンス・モア」の主人公が1959年にとどまったのもつかのま、ポール・マッカトニー暗殺を阻止するためビートルズが初来日する1966年タイムスリップ、一騒動が巻き起こる。
 タイムパトロール員の存在や父親のポール・マッカトニーを暗殺する設定などつまらないけれど、作者が真に描きたいこと…ビートルズ来日騒動の克明な記録としては価値あるもの、読後感もいい。
 キュートな小説だ。


1991/12/24

 クリスマス・イブ。
 しかし、ほとんどクリスマスを感じることなく1日が過ぎてしまった。
 (略)
 以前手に入れた「映画を夢みて」(小林信彦/筑摩書房)を読み出す。
 高校時代、学校の図書館で「われわれはなぜ映画館にいるのか」(和製B級映画はどう作られるかの章)を読んだことがあり、ずっと気になっていた本だった。古本屋に行くたびに探したものだった。
 その本の改訂版が「映画を夢みて」である。




 昨日は19時から下倉功監督「恋々風情」の関係者試写。
 関係者でないが、会場のシネマボカンにお邪魔した。先週、監督から誘われていたのだ。
 これはいい! 詳細は後で。

          * * *

 「小林信彦60年代日記」(白夜書房→ちくま文庫「1960年代日記」)には「喜劇の王様たち」(校倉書房)刊行にまつわるほろ苦いエピソードが記されている。「喜劇の王様たち」は雑誌「映画評論」に掲載された喜劇映画論「喜劇映画の衰退」を第一部に、第二部「喜劇映画の復活」を補筆してまとめたもので、小林信彦(当時は中原弓彦)にとって初の著作だった。刊行は1963年。 
 この本はほとんど話題にならなかった。〈ギャグ〉と書くと校正で〈ギャング〉と訂正される時代だったとコラムで嘆いているほどだから、ギャグに関する評論なんて一部の好事家以外、まるでお呼びでなかったのだろう。

 8年後、この本を復刻しようと小林信彦(中原弓彦)に接近したのが晶文社の編集者、高平哲郎である。本人が言うにはすでに別の出版社からの刊行が決まっていると。その年「喜劇の王様たち」は「笑殺の美学」と改題されて大光社から刊行された。1971年のこと。
 高平哲郎は、代わりに「笑う男 道化の現代史」なる本を編集する。小林信彦の、主に〈笑い〉をテーマにしたエッセイ(評論)と短編をカップリングしたユニークな構成だ。
 この本を皮切りに、晶文社からは「日本の喜劇人」「パパは神様じゃない」「東京のロビンソン・クルーソー」「われわれはなぜ映画館にいるのか」等々の小林信彦(中原弓彦)本が次々と刊行されていく。

 小林信彦の名前は小学6年のころから「オヨヨ」シリーズの作者として認識していたが本を読むことはなかった。
 注目するようになったのは高校時代。「キネマ旬報」に「小林信彦のコラム」の連載が始まったのだ。たった1頁なのに毎回興味深いことが簡潔に書かれている。愛読するようになった。(このコラム欄を現在担当しているのは志らくさん。)
 当時、昼休みは図書館で時間をつぶしていた。あるとき「われわれはなぜ映画館にいるのか」を見つけ、気に入った箇所だけ何度も読んでいた。
 大学時代に「小林信彦のコラム」がまとまり「地獄の観光船 コラム101」(集英社)になると早速購入した。夢中で読んだものである。その流れで「定本日本の喜劇人」(晶文社)も手に入れた。
 集英社の「地獄」シリーズを読破すると、新潮文庫の小説群を読み漁りはじめた。こうしていっぱしの小林信彦ファンになって、新刊が出ると必ず手に入れるようになるわけだ。

 手に入れられる小林信彦本を読破してしまうと、興味はまだ見ぬ初期の作品に集中する。これが難しい。晶文社の本はほとんど絶版になっていたのだ。古本屋にもあったためしがない。せめて読むだけでも! が、図書館にもない。「定本日本の喜劇人」を書店で購入していた80年代前半、たとえ棚になくても注文すれば手に入ったのである。大いに後悔したがもう後の祭り。
 それでもこの数年で手に入れたものもある。「われわれはなぜ映画館にいるのか」「笑う男 道化の現代史」は中古店で見つけた。わりと安価だったのが自慢。実物を見たことがない「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」は、ネット販売で販売価格を知った。そのあまりの高さに驚愕した。手がでるわけがない。
 大光社、校倉書房の本なんて、ネットでも目にすることがなかった。

 今年の10月、SETの芝居を観に池袋に行ったときのことだ。待ち合わせの時間にまだ余裕があったので、近くの古書店に寄った。けっこう昔の小林信彦本が揃っている。朝日ソノラマ版の「オヨヨ」とか、純文学系の単行本とか。
 単行本の「世間知らず」はここで買った。改題されて文庫になった「背中合わせのハートブレイク」を持っているが、この青春小説は「世間知らず」のタイトルこそ似つかわしい。新版の「私説東京繁昌記」(単行本)も見つけたことがあった。旧版と文庫本を持っているので買わなかった。
 今日は何か新しいものがあるだろうか?
 あった!
 1階奥の映画本棚に「笑殺の美学 映像における笑いとは何か」があったのだ。値段を見る。4,200円。高い。財布には1万円札が入っているが、使ってしまうと芝居のチケット代が払えなくなる。せめてページを開いて中を確認したいが、ビニールで被われている。この本屋、カードは使えない。直に本を拝めたことだけでよしとしよう。文章は「世界の喜劇人」(晶文社→新潮文庫)で読めるのだ。新潮文庫版は持っているのだから。待ち合わせの時間が迫ってきた。後ろ髪をひかれながら本屋を出た。

 数日後、ネットに「笑殺の美学」が出ていないか調べてみた。最近小林文庫本(もちろん単行本は持っているが)購入で利用しているネット古書サイト。
 ありましたよ、ありました。これまで見たことなかったのに。それも3,500円で。送料300円を加えても4,000円いかない。
 心臓バクバクさせながら注文した。
 「定本日本の喜劇人」に続く中原弓彦名義本……ゆっくりじっくり読んでいく予定。うふふ。






 「定本小林信彦研究 仮面の道化師」という本がある。著者は藤脇邦夫。白夜書房の営業マンだという。今はどうなのか。実はこの本、1986年に上梓されているからだ。20年以上前のこと。
 小林信彦ファンとして、初期の、晶文社のバラエティブックと総称されているコラム集、あるいは「虚栄の市」「冬の神話」「監禁」といった小説本以外は、ほとんど手に入れている。それほどのファンなのに、この研究本の存在を知らなかった。

 僕が知っている小林信彦研究本は2冊ある。
 「別冊新評 小林信彦の世界〈全特集〉」(新評社)は1981年に編まれた。88年には弓立社から「小林信彦の仕事 〈第Ⅱ期小林信彦〉への完全研究読本」が。さまざまな作家、評論家たちが寄稿しているところが共通している。
 ずっと疑問に思っていた。個人で小林信彦の研究本を書く人はいないのだろうか? 相手が相手だけにちと難しいか。まあ仕方ない。 
 いたのである。僕が知らなかっただけだった。86年だったらいっぱしの小林信彦ファンになっていた。にもかかわらず、この本についてはまったく知らなかった。だいたい書店で見たことがない。あったら絶対買っていた。

 読みたい。ファンなら誰だって思う。が、実物にお目にかかったことがなかった。ふた昔前の本なのだから一般の書店にないのはわかる。古書店にもないのはどういうわけか。刷部数が極端に少なかったのか。売れないからすぐに絶版になってしまったのか。ネットの古書店でもまったく扱っていない。
 最近になって、小林信彦ファンの方が自身のブログで、この本を読んだことを綴っていた。どこかの古書店で手に入れたのだろうと思ったら図書館で借りたという。検索してみたらいかがですかとアドバイスされた。

 試しにPCでO区の図書館サイトを開き、蔵書を検索してみた。あった。その場で予約した。受け取りは、会社の近くにあって、よく利用しているH図書館。 
 予約して一つ気になることがでてきた。予約した本が届いたらどうしますかという設問があって、「(図書館から)メールで知らせてもらう」「何もしない」のどちらを選択するシステムになっている。「メールで知らせてもらう」をクリックしたわけだが、考えてみたらH図書館でカード作る際、申込用紙にメールアドレスを記入していないのだ。記入したのは、自宅と携帯の電話番号だけ。

 翌日、図書館に電話した。サイトで本を予約した旨を伝えると、カードナンバーを訊かれた。調べてもらったら、予約されていないことがわかった。そんなバカな! もう一度、そのまま予約。
 数日して、携帯に図書館から電話があった。
「本が届きました、×日まで置いておきますので、それまでに取りに来てください」
 その日、仕事を終えてから、すぐに駆けつけた。もうウキウキ気分。図書館は休みだった。なんだよ、休みなら休みだと電話で言ってくれればいいのに。

 翌日、また退社してから、図書館に向った。今度は開いていた。当然だ。
「予約していた本が来たと連絡もらって」
 カウンターでカードを渡しながらそう言う。
 相手はキーボードを叩き、モニターを確認して言った。
「受け取り場所、ここじゃないですね。O図書館になっています」
「はあ?」
 俺、電話でH図書館でって言ったはずだけど。
「どこにあるんです? O図書館って」
「田園調布の……」
 そんなところに行けるはずがない。その場でキャンセルして、もう一度予約し直した。
「本が届くまで2、3日かかります」
 その日は金曜日だったから、翌週ということになる。
 
 翌週、月曜日から金曜日まで電話がなかった。仕事が忙しかったこともあって、そのままにしておいた。
 土日をはさんで月曜日。あまりに遅すぎると図書館に電話してみた。
「あれ、連絡なかったですか?」
 相手が驚く。
 本は、前の週の月曜日に届いたのだという。連絡済になっていると。ただ、期限の金曜日までに借りにこなかったので、返却してしまった……。

 改めて、もう一度予約した。二度あることは三度あるか。それとも三度目の正直で(正式には四度目の正直か)、ちゃんと本が借りられるか。

 借りられました。
 幻の本と対面したのは一昨日。
 今、読んでいる本を読了したら、直ちに読み始めるつもり。

 


 


 本書は4月下旬に刊行されたが、手に入ったのは6月中旬だった。もともとすぐに読もうという気持ちはなかった。「これがタレントだ 1963・1964」以外はどれも最低2回は読んでいる。
 晶文社版「定本 日本の喜劇人」は、かつてトイレタイムに好きな項目だけ拾い読みしていた。渥美清やクレージー・キャッツ、てんぷくトリオ、コント55号……。「喜劇人に花束を」も、たとえば「伊東四朗」なんてトイレタイムにぴったりの長さだ。この手の本を持ってトイレに入るのに無上の喜びを感じたものだ。好きなんだな、こういう世界が。また、対象者と一定の距離をおく冷めた筆致もたまらない。
 「おかしな男 渥美清」なんて先々月別の渥美本を読んでいたらむしょうに読みたくなって、文庫をとりだして冒頭をあたったところ結局最後まで読んでしまった。もう何度目になるのか。
 そんなわけだから、自宅でじっくり、ゆっくり読んでいけばいいやと思っていた。だいたい、本はかなり分厚くて重たい。何より高価だから、バックに入れてホイホイ持ち運ぶことなんて出来ないのだ。

 最初に函から取り出したのは〈エンタテイナー篇〉。目当ては初出の「これがタレントだ 1963・1964」だ。カバーのパラフィン紙をそのままにしていたので、かなり面倒臭い読書だった。気がむいたときに取り出すのだから本当にスローペースで、約一ヶ月かかって読了した。
 〈喜劇人篇〉の「日本の喜劇人」を読み始めたのが先々週(19日)。これが止まらなくなった。パラフィン紙も剥いだ。「日本の喜劇人2」の藤山寛美の項で、謹呈された「日本の喜劇人」に対して「読み始めると止まらなくなる」と楽屋を訪ねた小林信彦に感想を直に述べるくだりがあるが、まさにそのとおり。こうなるともう自宅だけの読書に我慢できなくなってくる。結局、外に持ち出すようになって、電車の中、昼食時、退社後のカフェ、とページを繰り、先週(25日)読了した。続けて〈エンタテイナー篇〉を読み出して、昨日(27日)読了。

 1.5冊を9日間で読んだわけだが、既存の本なら5冊分。小林信彦本としては、まあ、通常のペースか。
 夢中で読んでわかったことがある。この「定本」は続けて読むべきものなのだ。いや、続けて読むことに意味があるというべきか。だからこそ2冊にまとめられたのではないか。
 たとえば、「日本の喜劇人」では、婉曲に表現されていたものが、「2」や「おかしな男 渥美清」ではより具体的な記述になっている。週刊文春の喜劇人ベストテンで、渥美清を排除しようとした記者は誰だったのか? コント55号のコンビを比べて、役者として伸びるのは坂上二郎だと断言した喜劇人とは? 「2」の植木等、藤山寛美と「おかしな男 渥美清」が絡み合い、「日本の喜劇人」を補完する。
 漫才ブームが吹き荒れた後に書かれた「笑学百科」は「天才伝説 横山やすし」につながっている。ポルトレエが見事な私小説に昇華している「おかしな男 渥美清」と「天才伝説 横山やすし」。また、「日本の喜劇人」は「これがタレントだ」があったからこそ生まれたものだと確信できる(これはまえがきに書いてあるが)。各作品がリンクしあい、1+1ではなく、2×2の迫力でこちらに迫ってくる。

 


 新潮社から「定本 日本の喜劇人」が上梓されると知ったときはわが目を疑った。〈喜劇人篇〉〈エンタテイナー篇〉の2冊に分冊されているので、かつて晶文社からでた同名の本と同じ内容でないことはすぐにわかった。中原弓彦名義の「定本 日本の喜劇人」は僕が購入した2冊目の小林信彦本だ。この本は繰り返し読んでいる。だいたい「定本 日本の喜劇人」の最終章に手を加えたものが新潮文庫になっているのだ。このとき〈定本〉が取れてまた元の「日本の喜劇人」に戻った。この文庫は現在絶版になっている。
 ああ、新しい「定本 日本の喜劇人」が出るんだ、と喜んだのもつかのま、その価格に驚かされた。なんと、税込み価格9,975円。大枚1枚が消えてしまう豪華本。
 これはいったいどういうことか? 内容を確認して得心した。
 「日本の喜劇人」を始めとする、これまで小林信彦が書いてきた芸人に関する評論、コラム、エッセイ、ポルトレエ等を網羅したある種全集といってもいい本なのである。

 収録作品は以下のとおり。

 ●喜劇人篇
  日本の喜劇人
  日本の喜劇人2
  おかしな男 渥美清

 ●エンタテイナー篇
  笑学百科
  天才伝説 横山やすし
  これがタレントだ 1963・1964

 「これがタレントだ 1963・1964」のみ単行本未収録、あとはすべて単独で本になっている。
 「日本の喜劇人2」なる本はないが、これは本書への収録で「喜劇人に花束を」(新潮文庫)を改題したもの。雑誌連載された「藤山寛美とその時代」、月刊誌に掲載された「植木等とその時代」をまとめたのが単行本「植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代」(新潮社)だが、文庫になる際、書き下ろしの「伊東四朗」が追加されて「喜劇人に花束を」になった。
 あくまでも自分が関係する範囲内で、自分が見聞した出来事、記憶をとおして綴られる方法論(ポルトレエ)は「天才伝説 横山やすし」「おかしな男 渥美清」に応用されることになる。「笑学百科」は漫才ブームの終焉間近のころ(80年代初期)にでたもので、「日本の喜劇人」をもっと軽くしたような、芸人、笑いに関するコラム集だった。
 多くの小林信彦ファンを嘆かせたのは、ここである。1万円だして、新しい読み物が「これがタレントだ 1963・1964」だけというのでは、どうしても購入を躊躇してしまう。既存の単行本(文庫本)を持っているファンは、果たして買うべきか否か。
 「これがタレントだ」が単行本未収録というのも、実は正確ではない。クレージー・キャッツのメンバー及び関係者に関する文章は、一度小林信彦が編集を担当したキネマ旬報のムック「テレビの黄金時代」に収録されているわけだから。 

 どれも単行本と文庫を持っている。にもかかわらず、「定本 日本の喜劇人」全二冊を購入することに躊躇はなかった。もちろん、あるルートから半額で手に入れたわけだが、それはたまたまラッキーだっただけのこと。もし、定価でしか買えない状況だったとしても、手には入れている。ファンとはそういうものだと思う。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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