すごいなぁ。「シン・ゴジラ」人気。
 朝日新聞が取り上げて驚いたのだが、なんとあの「週刊金曜日」が特集しているのであわてて購入した。

 BC二十世紀では、週刊金曜日編集部とコラボしてトークイベントに取り組みはじめたのだが、これまでこの左系週刊誌を読んだことがなかった。編集委員のあの人やあの人が苦手なもので。

 購入したのが一昨日の夜で、昨日特撮仲間のSさんに携帯メールで知らせた。
 しばらくして返信があった。書店で件の雑誌を探したがないので、レジで店員に訊いたところ、持ってきてくれたので、内容を確認する暇もなく買わざるをえなかった。「特撮秘宝」最新号(シン・ゴジラ特集)と子どもの絵本を持っていたからだとか。別に買う本があるのなら、逆に中だけ確認して返却することもできるだろうと僕は思うのだが、まあ人それぞれということで。

 で、読んだ感想は「糞だった!」。
 まあ、Sさん右系だからな。
 二人で呑むとき、最初の話題は当然特撮なのだが、やがて原発、政治の話になり、安倍政権について徹底討論になるのが最近の傾向だ。

 ちなみに週刊金曜日の特集のタイトルは「シン・ゴジラと核」。
 僕はまだ読んでいません。


SHINGODZILLA




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 サブカル・ポップマガジン、まあ、同人誌(発行人は異人誌と呼ぶ)なのだが、「まぐま」に参加したのは、vol.6から。小説の映画化作品について、原作と映像を検証する見開き2ページのコラム「小説と映画のあいだに」を連載した。本名の新井啓介で。

 続いて、中学時代からずっと追いかけているフォークの紙ふうせんの世界の検証と批評を自分史ととともに綴る「体験的紙ふうせん論 僕も28歳の語り部になりたかった!」の連載を始める。こちらはペンネーム奥野陽平名義で。

 40代は「まぐま」の執筆、及び編集が青春だった。完成時のパーティーではいろいろとイベントを企画した。インディーズ映画を通じて、映像関係者、俳優と知り合えたのは幸運だった。
 楽しかったなぁ。

 いろいろあって、vol.16で同人を離れた。石ノ森章太郎特集や別冊の特撮特集等には寄稿させてもらったが。

 連載「小説と映画のあいだに」をまとめて、なおかつ夕景工房、もうひとつの夕景工房の文章を加えた映画レビュー本「夕景工房 小説と映画のあいだに」を上梓した後、またまたいろいろあって、3年間ばかり引きこもっていた。

 昨年の11月ごろから元気になって、久しぶりに「まぐま」発行人に連絡をとり、何度か飲んだ。その過程で「まぐま」第1期最終号となるvol.20で手塚治虫を特集するので原稿執筆を依頼された。

 書きました。

 「まぐま vol.20 手塚治虫と戦後70年」がもうすぐ発売されます。

 ご購入お願いいたします。

     ◇

まぐま 20
「まぐま vol.20」

 ●手塚治虫と戦後70年 -「人生」に多大な影響を及ぼす、そのマンガ世界/小山昌宏
 ●もしもタイムマシンがあったなら/手塚るみ子
 ●地域の中の「トキワ荘」史 ~てっさんと呼ばれ、親しまれた手塚治虫/トキワ荘住人・k
 ●〝トキワ荘〟最後の住人が語る、静かなトキワ荘/向さすけ
 ●「ジャングル大帝」のレオは、なぜ色が白い/竹内オサム
 ●アシスタント時代の思い出/三浦みつる
 ●手塚治虫と手塚先生と、ボクと僕/川口貴弘
 ●民謡調手塚治虫『はなたれ浄土』を読む/稲垣高広
 ●阪急文化と手塚治虫/田浦紀子
 ●ゆとり世代から見た手塚治虫/佃賢一
 ●私の「新寶島」の頃/田村幸生
 ●永島慎二さんとの思い出 -虫プロに在籍したダンさんとの日々/野谷真治
 ●鉄腕アトムは実はテレビだった ―「透明巨人の巻」をめぐって/キム・ジュニアン
 ●2つの「ブラックジャック」を読む/小山昌宏
 ●手塚治虫本を読む 1989‐2015/新井啓介

  「手塚治虫を読む 1989‐2015」のほかにも以下の記事を書いています。
 すごく多そうですが、1頁や2頁のコラム、エッセイの類ですので。

 ●君は『メトロポリス』を観たか
 ●トランスセクシャルと手塚治虫  
 ●『瞳の中の訪問者』 漫画と映画のあいだに
 ●『どろろ』 漫画と映画のあいだに  
 ●宮崎駿の手塚治虫批判について考えながら『千と千尋の神隠し』を劇場で観た                               

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 続けてサンデー毎日連載の中野翠「満月雑記帳」を話題にします。

 前号だったか、前々号だったか、中野翠は〈上から目線〉について言及していた。友人の呉智英の書籍を取り上げ、その文章が上から目線だと指摘するのだが、ものを知っている人が知らない人に教える際にはそうなっても仕方ない、というようなことを書いていた。これは納得できた。

 もともと僕が〈上から目線〉についてよくわかっていないことによるのかもしれない。あまりこだわっていなかったというべきか。
 そんなわけだから〈上から目線〉を気にしたことがなかった。呉智英の本は何冊か読んでいるが、悪い印象は持っていない。

 ただ、ある文芸評論家が趣味の方面で書いた本を読んで、ああ、これが最近よく目にする〈上から目線〉か、と思った。読んでいて不快だった。「あんた、何様のつもり」という思い。
 もう一冊、こちらも趣味の分野の本だったが、同じ印象だった。趣旨はいいのに(こういう本を書きたかった、書店でみたときやられたと思った)、間違いが多く、悪文も気になる。にもかかわらず態度だけは偉そうだからいい加減腹が立ったのだ。

 不思議なのは、この評論家、若者(だろう)にけっこう人気がある。ファンにすれば、この上から目線態度がたまらないのかもしれない。いや、そんな風には感じていないのかも。
 というのは。思い当たることがあるからだ。

 たとえば小林信彦。確かに70年代、キネマ旬報連載の「小林信彦のコラム」を読み始めたころは反発もしたが、それは意見の相違であって、不快感とか「あんた何様!」的感情を抱いていたわけではない。それ以上に教わることが多いとありがたがっている。
 ところが、小林信彦の文章に、自慢話ばかりじゃないかと反発する人がいるのである。小林信彦の本を読んでは批判する、そういうブログがあるのだ。小林信彦で検索するとかヒットするので知った。そんなに嫌いなら読まなければいいのに。そうコメントしたいところだが、ブログに書くのは個人の自由だし、ヒットするとクリックしてしまう自分が悪いのだと思うことにしている。

 そういえば、前述の評論家もアンチ小林信彦で、小林信彦の小説がつまらない、ヘタだとよく書いている。小林信彦の新作小説を連載エッセイで批判したら、同じ版元の月刊誌だったこともあって、却下されると同時に連載が中止になってしまったのだから、そりゃ頭にくるだろう。意地になるのもわからなくはない。
 この方も小説を書いているんですよね。2冊しか読んだことはないけれど、添削したくなるような文章を書く方なので読む気はありませんが。




 2日(火)はサンデー毎日の発売日。
 「お前はもう死んでいる!」雑誌にもかかわらず、毎週書店で手に取るのは中野翠のコラム「満月雑記帳」をチェックするためだ。本当にチェックだけで、何が書かれているかを確認しておしまい。全部読まない。読むのは本にまとまってからにしている。

 小林信彦の場合、毎週木曜日の文春発売日には必ず「本音を申せば」を読むし、単行本になったら購入する。同じファンでも対応はずいぶん違う。まあ、中野翠の本はずっと図書館で借りて読んでいて、ファンといえるかどうかあやしいのだけれど。
 ファンかどうかあやしいと思う理由はもうひとつある。コラムの内容に対して、共感するとともにいまだに激しく反発しているからだ。なにげなくでてくる中野翠フレーズにイラつくこともたびたびある。

 もちろん、70年代、キネマ旬報の「小林信彦のコラム」を愛読していたとはいえ、受け入れないこともあった。反発もした。が、いつしかそういうことがなくなった。価値観はほぼ共有していると思っている。だからこそファンを続けられるのだろうし。
 いや、今でも「?」と思うことはある。最近「本音を申せば」で何度となくスピルバーグ批判をしているが、僕自身はスピルバーグ監督の演出手腕を高く評価している。ただ嫌う理由はわかるような気がする。昔、小沢一郎を批判していたにもかかわらず評価するようになったのは武田記者や上杉隆の影響だろう。

 小林信彦への共感と反発が95:5だとすると、中野翠へのそれは70:30か65:35くらい。けっこう反発しているのである。

 今週号は「満月雑記帳」冒頭の書き出しにカチンときた。
 「ソフトバンクとauのコント風CMシリーズが、私は少しも面白いと思ったことがない、笑えない」旨を書いているのだ。別に中野翠が両CMを見て面白くなくても、笑えなくてもいい。しかし、それがあたかも正論のように書いてほしくない。一部の好事家だけが面白がっている事象に対して正義感ぶって否を唱える態度、CMを面白がる、CMを見て笑っている世間一般がおかしく、笑えない自分こそ正しいという考えが透けて見える文章に反発したのだ。

 実際のところ、ソフトバンクのCMは笑える。たとえば、お父さん(白犬)がお風呂に入って変な歌をうたっていると、お母さんが「近所迷惑!」と叫ぶCM。続くカットは無言のお父さん。この間が良い。お父さんがつぶやくバージョンもあるが、僕はだんぜん無言バージョンが秀逸だと思っている。
 最新作はauのCMをたぶんに意識した桃太郎編。市原悦子のおばあさんがで川で洗濯していると川上から大きな桃が流れてくる。対岸でそれを見ている白戸家のお母さんとお父さん(白犬)。市原おばあさんのスマホが鳴り出しておばあさんがでておしゃべりしている間に桃は通り過ぎて流れていってしまう。それを無言で見送るおばあさん。お母さん、お父さん、猿ときじ。やはり間がたまらない。さる、きじとお父さんのやりとりも見ものだ。

 今回の中野翠に、その昔、「マカロニほうれん荘」が面白くない! と主張した渋谷陽一を見る思いがした。団塊の世代はソフトバンクの白戸家シリーズについて面白くないと感じている人が多いのだろうか。




 前々項から続く

 実をいうとヤングチャンピオンを知ったのは最近なのである。昨年の夏だったか。「ファイティング寿限無」(立川談四楼/ちくま文庫)がコミカライズされるという情報を耳にした。連載誌がヤングチャンピオンだという。
 そのときに思った。少年チャンピオンがあるのだからヤングチャンピオンがあってもおかしくないよな。週刊誌だと思ったら隔週だとのこと。隔週といってもあくまでも月2回刊行で、第五週があった場合は発売されない。だったらビッグコミックオリジナルのように〈月2回刊行〉を謳えばいいのに。
 でも、まあ、隔週刊、チャンピオン、ということで、創刊当時の少年チャンピオンを思い出したというわけだ。
 
 小説「ファイティング寿限無」は大好きな小説だ。自慢じゃないが(ということは自慢!)、これまで3回読んでいる。まず図書館で借りて、次に単行本を購入して、その次は筑摩書房から文庫本がでたときに買って。
  読むうちに映画化されないか期待するようになった。若手の落語家が売名行為で始めたボクシングの才能が開花してどんどん出世していく姿を描く青春小説は、アクション中心になるので映像化にはぴったりなのだ。落語ブームといわれ、落語家を主人公にした映画が何本か公開されているのだから、この機会にと願っていたが、そんな話はまったく聞こえてこない。
 あの長谷川和彦監督が、自身のHPで再び映画を撮るための企画を募集していた時期がある。ファンから「ファイティング寿限無」はどうかという提案があって、個人的にとても喜んだのだが、長谷川監督まったく乗り気じゃなかった。原作を読めば少しは態度は変わるだろうに。
 実は映画化のオファーはあったらしい。でも実現しなかった。なぜこんな企画が? と嘆きたくなる映画が多い中、どうしてこういうことになるのか。

 そんな状況下でのコミカライズである。当然チェックしなければなるまい。まあ、立ち読みで様子を見て、面白ければコミックスになったときに購入すればいい。
 今年の3月8日、連載第一回を読もうと書店に立ち寄った。ビッグコミックオリジナルをいつも立ち読みするのと同じ感覚でマンガ雑誌の棚に向かったのだが……なんてこった、ヤングチャンピオンは紐で十文字に結ばれていてページを開くことができない。アイドルの写真が印刷されたB5版のクリアファイルが付録でついている。仕方ない、買った。
 コミカライズしたのは野部優美という漫画家。まったく知らない。少年マンガにはまったく疎いのだから当然か。主人公の師匠がもろ立川談志というのが笑える。小説を読めばモデルだというのは十分わかるのだが。
 2回目は立ち読みだと書店に行くとやはり紐綴じ。またまたクリアファイルの付録つき。ヤングチャンピオンって毎回付録がついて紐綴じなのだ。なんてこったい!
 こうして毎号購入することになったのが、悲しいのは他の連載にまったく興味がわかないこと。ビッグコミックオリジナルを購入していたころは、目当てが「MASTERキートン」とはいえ、「三丁目の夕日」ほかすべての作品に目をとおしていたというのに。

 だいたいヤングチャンピオンを買うこと自体が恥ずかしい。表紙がアイドルの水着姿。クリアファイルはAKB48のメンバーの写真。オレAKB48の総選挙なんてどうでもいいと思っているからね!
 AKB48で思い出した。〈モーニング娘。〉を卒業したメンバーたちが〈ドリームモーニング娘。〉を結成したというニュース。結局あなたたちソロだと活躍できないということだろう? それって恥ずかしくないのか!

 閑話休題(それはともかく)。
 雑誌代を無駄にしたくないので、「ファイティング寿限無」のページを切り抜きすることにした。マンガの切り抜きは「アドルフに告ぐ」(週刊文春連載)以来のことだ。
 マンガ「ファイティング寿限無」は、デフォルメを効かせてかなり原作をアレンジしている。マンガなのだから当然とはいえ、これがいい味だしている。主人公がボクシングを始めるきっかけとなった、やくざとの喧嘩。原作ではほんの偶然のなりゆきだった。敵の攻撃を避けるためにたまたま出した拳が強烈なパンチとなって相手を卒倒させることになる。マンガでは一度やられた主人公が、師匠からハッパをかけられて再挑戦するはめになる。何度も何度も殴られても立ち向かっていく。最後の最後に繰り出したパンチで窮地を脱するという展開。驚いたのはやくざが主人公を見直してしまうこと。こりゃ~物語後半への伏線かな。絶対再登場するよ、このやくざ!

 「アドルフに告ぐ」は完結するまでかなりの期間を要した。
 「ファイティング寿限無」は果たして?!


 【追記】

 チャンピオンの版元、秋田書店は、小学時代にサンデーコミックス、チャンピオンコミックスのほか、少年向け入門書の類で大変お世話になった。
 マンガを描くために買った初めての入門書「マンガのかきかた」、そして「マンガ家入門」「続マンガ家入門」。ここらへんのことは「まぐま vol.18 石ノ森章太郎Spirits」の「体験的石ノ森ヒーロー論」に綴っている。

 少年チャンピオンの「まんが道」は、最初藤子不二雄のマンガの描き方入門ページ「チャンピオンマンガ科」の1コーナーとして始まった。詳細は「藤子不二雄論 FとAの方程式」の読書レビューに。

 マンガを描く道具なんて、今みたいにセットで販売なんてしていなかった。ペン軸、ペン先、羽ぼうき、開明墨汁。ケント紙は青い枠線なんて印刷されていない普通のもの。みんなバラで文房具屋で買ったのだ。太田市北口商店街の柿沼商店。おばあさんが店番していた。ペン軸は手塚治虫や石森章太郎が使用しているというカブラペン。今は圧倒的にGペンが主流になっている。

 そういえば、小学生のとき、少年ジャンプに掲載された広告を見て「マンガの描き方」通信講座を受講したことがある。教材が送られてきて、指導に従って原稿(一コママンガ)を描き、送付したような覚えがあるのだが。
 
 なお、前々項のタイトル「一人で少年漫画ばかり読んできた」は藤子不二雄の著書「二人で少年漫画ばかり描いてきた」のもじり。




 昨日、DVD「七人の侍」の後半を観るつもりだったが、珍しく直前の番組PRに惹かれてTBS「遺品整理人 谷崎藍子Ⅱ」を観た。
 月曜ゴールデン枠の2時間ドラマはほとんど観ることがないのだが、このドラマは出色の出来ではないか。ラスト30分はバックに音楽が流れないものの、まさに映画「砂の器」! 
 最近涙腺が緩々ということもあるが、涙があふれて仕方なかった。冒頭ですぐに犯人がわかる作りになっていたが、最初は無理心中と思わせておいて実は…という展開でもよかった気がする。もちろん早い段階で真犯人がわかるのだが。犯人を犯人たらしめるために仕掛けられたトリックはよく使われるパターンだ。最初は「刑事コロンボ」だったか。
 大久保佳代子(オアシズ)は性格俳優の仲間入りか?

          * * *

 承前
 
 右手にジャーナル、左手にマガジン。
 そう言われた時代があった。1970年前後だろうか。大学生が朝日ジャーナルと少年マガジンを同時に読むことを肯定的に捉えたフレーズだ。60年代、良識ある大人からすると、大学生がマンガ雑誌を読むなんてことは、信じられない現象だったことを考慮しなければならない。その前には「右手にジャーナル、左手に(平凡)パンチ」と言われたらしい。
 大学時代、朝日ジャーナルは気になる雑誌ではあった。「二十歳の原点」で高野悦子が毎週むさぼり読んでいたのである。オレも読まなきゃと思うことは思う。しかし、ページを開いてもちっとも面白くない。結局、買ってもそのまま。そんなことが何度かあった。オレは週刊文春をむさぼり読もう。日記に宣言したことはよく覚えている。

 「巨人の星」「あしたのジョー」の連載で、少年マガジンの発行部数が増え続けていたころ、購読者の年齢層も上昇していった。編集部の方針がそういうものだった。だからこそ大学生が手に取る雑誌になったのだ。
 連載されている作品が青年層を意識した内容になっているのは当然だが、読み物のページもその傾向が現れていた。自分自身を振り返ってみると、マガジンというと、この読み物のページを思い出すのだ。
 グラビアや特集記事はもちろんのこと、特に印象に残っているのは見開きの連載記事。「少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~」(週刊少年マガジン編集部 編/講談社)でタイトルがわかった。「こちら情報110番」。今思えばコラムの集合体だった。小学校の高学年、中学時代、マガジンは立ち読みだったが、こうしたページを夢中で読んでいた。
 それが、ある時期から全部なくなってしまった。確か高校時代だったような気がする。編集方針が変わって対象年齢を下げてしまったのである。

 少年キングはいつのまにか廃刊になっていた。「まんが道 第二部」は連載をチェックするのではなく、コミックスになると購入していた。キングの最終号で完結したように記憶している。

 マガジンのライバル、サンデーが当時どうだったかというと、あくまでも少年のためのマンガ雑誌を心がけていたという。版元の小学館はマンガを卒業できない青年層に対しては、新雑誌を創刊することで対応した。それがビッグコミックだ。「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂/光文社新書)で知ったのだが。
 ビッグコミックは必ず立ち読みしていた。石森章太郎の連載を必ずチェックしていたのである。「おみやさん」以降はずっと読んでいる。いや、「さんだらぼっち」だったか。創刊から始まった「佐武と市捕物控」は一度も目にしたことがなかった。たぶん「さんだらぼっち」の途中から読むようになったのだろう。石森作品の中でも傑作として名高い「佐武と市捕物控」は、今頃になってハマっている。コンビニ向けコミックを買い続けて一話々味わうように読んでいる。現在4巻目。
 
 兄弟誌ビッグコミックオリジナルもわりと早い段階から立ち読みするようになった。「三丁目の夕日」は長い間読んでいた。オリジナルは90年代になってから、毎号購入する時期があった。「MASTERキートン」を愛読していたのだ。もちろんコミックは全巻揃えた。今はまた立ち読みに戻って「黄昏流星群」だけチェックしている。
 ビッグコミックスピリッツも80年代から90年代にかけて毎号立ち読みしていた。「ホワイト&ブラック」「気まぐれコンセプト」が目当てだった。

 80年代後半には少年誌を卒業していた。三十代に手が届こうというときなのだから当然といえば当然か。1980年前後が青年マンガ雑誌の創刊ラッシュだったことを「マンガ戦争1945-1980」(幸森軍也/講談社)で思い出した。正式には第二次創刊ラッシュか。第一次は60年代後半のビッグコミック、プレイコミック、ヤングコミック等。
 第二次はまさに少年誌を卒業した人たちの受け皿として創刊された雑誌群だといえる。集英社は少年ジャンプの兄貴分、ヤングジャンプ、講談社はヤングマガジン、コミックモーニング等々。
 ずいぶん遅れてだが、少年チャンピオンの秋田書店も参入している。ヤングチャンピオン。少年チャンピオンの創刊時と同じく隔週刊行だ。

 
 この項続く




 承前

 高校から大学にかけて(途中予備校時代が1年ある)、毎週弟が買ってくる少年チャンピオンが楽しみだった。予備校、大学時代は立ち読みで「ブラック・ジャック」をチェックしていたと思う。
 コミックス第1巻が出ると早速買ってきた。笑ってしまったのは、コミックのジャンルである。表紙には〈恐怖コミック〉とあった。いくらなんでも恐怖はないだろう、恐怖は! 思いっきり突っ込んだ。4巻めあたりで〈ヒューマンコミック〉に衣替え。恐怖からヒューマンへ。まるで印象が違うじゃないか。

 鴨川つばめのギャグマンガ「マカロニほうれん荘」が始まったときの衝撃はすごかった。いや笑撃と書くべきか。チャンピオンの「マカロニほうれん荘」、ジャンプの「すすめ!! パイレーツ」と言われた時代が短いながらもあったのである。
 この「マカロニほうれん荘」、なぜか一つ上の世代(団塊の世代)の受けが悪かった。曰く「どこが面白いのだかわからない」。発言者は確か音楽評論家の渋谷陽一だったような。「どこか面白いのかわからないというあなたのセンスの方が私にはわからない」と僕はつぶやいた。心の中で。
 しかし、「マカロニほうれん荘」が面白かったのはごくわずかだった。あっというまに頂点に登りつめ、そのまま転げ落ちていった。ギャグがはじけない「マカロニ」は悲惨だった。装いを新たに「マカロニ2」が始まったが悪あがきでしかなかった。あっというまに連載終了。
 その後、しばらくしてから鴨川つばめは東京ひよことして蘇ったが、もう以前の輝きはなかった……。ギャグマンガ家のアイディアの消耗が生半可なものではないことがわかる。

 大学の1年、2年のころは少年ジャンプの「Dr.スランプ」ブームだった。連載が始まったときは、ストーリー以上に画風に注目していたところがある。バタ臭いタッチがとても新鮮で素敵だった。
 立ち読みで「ブラック・ジャック」をチェックしていたが、やがて終了のときがやってくる。寂しいという気持ちより、ああやっと終わったかという感慨だった。連載が長く続くとファンサービスのため、初期のころの謎の解明がエピソードの一つとして描かれる。これが嫌だった。ブラック・ジャックの本名が間黒男だとか、なぜ顔の一部が黒く疵があるのか、等々。謎は謎のままにしておく方がファンはいろいろ想像する楽しみがあるというのが個人的な考えだ。コミックスは弟と協力して全巻揃えた。

 手塚治虫は「ブラック・ジャック」終了後も、数々の作品を連載した。「ドン・ドラキュラ」「プライム・ローズ」「七色いんこ」「ミッドナイト」。その合間に特別企画、スペシャル企画として「ブラック・ジャック」の読み切りを掲載する方策がとられた。
 「ドン・ドラキュラ」はけっこう愉快な作品で、ドン・ドラキュラの娘役を原悦子にしてエロチックコメディ映画ができないか夢想したことがある。

 80年代半ばごろから少年チャンピオンが迷走をはじめる。
 代わって怒涛の快進撃を始めるのが少年ジャンプである。発行部数が500万部を突破したと話題になったのは80年代の後半ではなかったか。雑誌を開くとページから熱気が伝わってきた。しかし個人的にはジャンプ商法が好きになれなかった。人気がなければすぐに打ち切る、人気がでればできるだけ連載を引き伸ばす。作者の意向などおかまいなしに。結局、ストーリーのメインがトーナメント方式の戦いになってしまうのだ。勝つか負けるか。「リングにかけろ」も「キン肉マン」も「ドラゴンボール」も連載開始時と内容が大幅に変わってしまった。
 だからある時期以降定食屋などでジャンプを開くときは「こち亀」しか読まなくなった。

 ジャンプの話はどうでもいい。本題はチャンピオンだ。
 「これはいかん、何トチ狂ってんだ!」と思ったのが90年代になってからのロリコンマンガ連載だった。個人的な資質といわれればそれまでだが、どんなジャンルでもロリコンだけはどうにも許せないものがある。永井豪の「ハレンチ学園」や「あばしり一家」ほか、少女たちの裸を売りにしたマンガに夢中になった。だから、エロマンガ=悪だなんて弾劾する気は毛頭ない。しかし、少年誌でロリコンはまずいだろう。水と油ではないか。
 はっきりいってチャンピオンが汚れたと感じた。目先のヒットを狙って、禁断の果実に手をだしたとしか思えない。
 この連載、業界の反応はどうだったのだろうか?


 この項続く




 5月の恒例となった国立演芸場の立川流落語会。昨日はその二日目に足を運んだ。トリが談四楼師匠なもので。
 打ち上げからの帰り、川口で降りて一人カラオケへ。最近たまっているストレス発散のため。「へルター・スケルター」「レモンティ」「自由に歩いて愛して」「氷の世界」エトセトラ、エトセトラ。
 今日もあるライブがあったのだが、3日連ちゃんイベントの疲れがどっと出た。懐もとんでもなく寂しくなった。よって諦めた。主催のNさん、ごめんなさい。

          * * *

 小学生時代の少年マンガ雑誌は、NHKを除いたTV局のような印象がある。

 少年マガジン…日本テレビ
 少年サンデー…TBS
 少年キング …フジテレビ
 少年ジャンプ…NET(後のテレビ朝日)
 少年チャンピオン…東京12チャンネル(後のテレビ東京)

 今の感覚だと、少年マガジンが日本テレビのままだとして、少年ジャンプはフジテレビ、少年サンデーはテレビ朝日、だろうか。 で、 少年チャンピオンはTBS。

 少年マガジンと少年サンデーは1959年(僕が生まれた年!)に創刊された。少年キングは二誌に遅れること4年の63年の創刊。ここらへんの事情を知るマンガ第一世代(団塊の世代)にとっては、老舗のマガジン・サンデー、新興のキングというようなイメージを持っているのかもしれない。しかし、すでに3誌があった状況でマンガ週刊誌を知った僕にとっては、マガジン、サンデー、キングはゴールデントリオといった塩梅だった。

 僕にとっては少年ジャンプ、少年チャンピオンこそが新興だった。両誌とも創刊時は週刊ではなく隔週(月2回)発行。ジャンプを床屋で読むようになった70年前後だと思うが、もうすでに週刊誌になっていた。「男一匹ガキ大将」をメインに、「父の魂」、「トイレット博士」、「ハレンチ学園」が人気を呼んでいたころだ。小室孝太郎の「ワースト」もあった。大好きだった。コミック全巻(4巻だけど)揃えたほど。

 少年チャンピオンが隔週刊誌だったことははっきり覚えている。そのころから買って読んでいたからだ。手塚治虫の「ザ・クレーター」に夢中になっていた。もちろん「あばしり一家」も楽しみだった。それから藤子不二雄の「まんが道」。「朝日の恋人」(後に「太陽の恋人」「夕日の恋人」)が大人気だった。チャンピオンを買ってくると、台所から三ツ矢サイダーを取り出してきてそのまま飲みながら読むのが習慣となっていた。そんな最中に週刊化されたのだ。毎週読めるのはうれしかったが、なんだかサイクルがあわただしくなった気もしたものだ。金もかかるし。
 手塚治虫は「ザ・クレーター」のあとに性教育マンガ(と当時は言われた)「やけっぱちのマリア」を連載、なかなか面白かった。続いて「アラバスター」。これはかなり期待していたのだが、連載が進むにつれてついていけなくなった。このあたりで一度買うのをやめたのではなかったか。

 思えばこの時期手塚治虫は絶不調だった。劇画ブーム、スポ根ブームで手塚マンガは時代遅れだといわれていた。虫プロ商事、虫プロダクションの倒産。戦後ずっと少年漫画界の第一線で活躍していた人気漫画家が終焉を迎えていたと思われていた。
 なんてことは後で知ったこと。
 当時の小学高学年から中学生にかけての少年はそんなこと全然思っていなかったのではないか。少なくとも僕にとって手塚治虫のマンガは最高だった。

 これまた後で知るのだが、「ブラック・ジャック」の連載は、当時少年チャンピオン編集長が手塚治虫引退への花道にするために企画したものらしい。
 〈手塚治虫漫画家生活30周年〉と銘打たれたこの新連載の第一回の感動を昨日のことのように覚えている。なぜか雑誌を読んでいるのだ。もう購入していなかったと思うのに。
 短期連載だったのに、いつのまにかそんなことはどこかに忘れられた。

 そのほか、「ドカベン」「がきデカ」「魔太郎がくる!!」「750ライダー」「エコエコアザラク」「マカロニほうれん荘」……70年代半ばに少年チャンピオンは絶頂期を迎えた。雑誌は弟が毎週購入するようになっていた。


 この項続く
  



 珍しく週刊現代を買った。モノクログラビアでショーケンが特集されているのだ。単なる記事なら立ち読みするだけだが、特集だとそうはいかない。
 買って驚いた。400円もするのだ。特別価格とあるのでいつもはもう少し安いのかもしれない。週刊文春の特別価格は370円(通常価格350円)だから、通常価格は380円か。週刊ポストは380円だって。週刊新潮は340円のはず。サンデー毎日、週刊朝日はいくらなんだろう? いつも立ち読みばかりの雑誌は価格まで気にしていない。
 まあ、どうでもいいことだけど。
 
 週刊文春・先々週号で桜庭一樹の「伏~贋作・里見八犬伝」が終了した。桜庭一樹の小説を読んだことがなかった。直木賞を受賞する前後まで男性作家だと思っていたほどだ。連載が始まったときは、題材が「八犬伝」ということもあって興味深く読み始めた。なかなか夢中になれなかった。ちっとも盛り上がらないのである。一時はなかなか終わらない「一刀斎夢録」(浅田次郎)と後から始まった「真夏の方程式」(東野圭吾)と3本立てになって読むのに苦痛を感じていたほど。

 「一刀斎夢録」も途中まで義理で読んでいたところがある。「壬生義士伝」を読まなかった失敗があったので、同じ新撰組もの、幕末ものならば押さえておこうと読み始めたのだが、段々読むのが億劫になってきた。どこが面白いのかわからなかったからだ。ラスト近くになって一気に盛り上がって目頭を熱くさせてくれた。途中でやめなくてよかったと心底思ったものだ。一冊になったらまた読むつもりでいる。

 対して「伏~贋作・里見八犬伝」は最後までその面白さがわからなかった。予想していた物語とは全然違う展開になっていったことも要因かもしれない。それでも「一刀斎夢録」のように、ラストに近くになれば大いに盛り上がるのだろうと期待して毎週読み進めたわけだが、先々週号が最終回だと知って驚いた。ええ! もう終わりなの? とするとこの数回はクライマックスだったのか。お義理で毎週文字だけ追いかけていたのでそういうことになる。
 連載回数からいってももう少し連載が続くと思っていた。普通小説は1年間、50回前後は続くのに「伏~贋作・里見八犬伝」は42回で最終回を迎えた。なんとも中途半端な気がする。
 驚いたもう一つは来月には本が店頭に並ぶこと。ちと早すぎやしませんか。人気作家の証なのだろう。僕とは相性が悪かっただけのこと。

 「伏~贋作・里見八犬伝」より少し遅れて始まった「真夏の方程式」は、さすが東野圭吾というべきか、最初から読ませてくれた。こちらは毎週のお楽しみになっている。最近になって気がついたのだが、このミステリ、探偵ガリレオシリーズの最新作だった。主要登場人物の湯川が福山雅治だったのね。 「容疑者Xの献身」を読んでいるのに、湯川の存在を忘れていました。いや、お恥ずかしい。
 こちらは先々週号で事件の真相が明らかにされてボルテージが一気に上がった。いやはや意外な展開! 最終回も近い。




 サブカル・ポップマガジン「まぐま 18号」がやっと発売になった。
 特集は石ノ森章太郎。題して「石ノ森章太郎 Spirits 」!

 HP「夕景工房」を開設して少し経ったころ、元同僚から紹介されて6号から同人となった。映画の、脚色に興味を持ちはじめたときで、小説とその映画化作品を検証するコラムを連載することに。
 8号は怪獣特集ということで、発行人の小山さんから特集記事の原稿を依頼された。六本木で小山さんと内容について打ち合わせしたのだが、2回目に会ったときに編集もやってもらえないかと相談されて驚くことになる。何しろ当時wordで版下作成なんてやったことがなかったもので。いろいろ勉強させていただきました。特集タイトルは「怪獣・怪人大進撃!! オール・アバウト・マイ特撮」。

 2年後の11号は当時夢中になっていたインディーズ映画の特集(特集タイトル:インディーズ・ムービー名鑑 今、日本映画はインディーズが熱い!」。これまた編集を買ってでた。そのまた2年後の14号はインディーズ映画特集第二弾(特集タイトル:日本映画の逆襲 メジャーvsインディーズ)。3度目の編集担当。その後、いろいろあって、発行人の同人制廃止宣言により16号をもって卒業した。

 今回(18号)は8号の怪獣特集みたいに、原稿執筆の依頼があった。石森章太郎なら書かせてください、お代官様! ってな感じでいくつか案を出して、2編書くことに。

 「体験的石ノ森ヒーロー論」の正式タイトルは、
    ◇
 体験的石ノ森ヒーロー論 なんて、かっこつけることもないか 昭和の仮面ライダー世代が平成シリーズを「あんなのライダーではない!」と否定することについて いやいやあれこそ石森章太郎氏が萬画で描きたかったものではないか だからこその〝原作・石ノ森章太郎〟ではないかと 第一期ウルトラ世代の私が強く主張する経緯と理由
    ◇
 「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」や「いかにしてマイケルはドクター・ハウエルと改造人間軍団に頭蓋骨病院で戦いを挑んだか」より長いタイトルを狙ったわけでして。「ガリバー旅行記」の原題にも勝ったか!? 


 まぐま18号 石ノ森章太郎 Spirits

 ●石ノ森章太郎スピリッツに触れる/小山昌宏
 ●石森先生の思い出 上京、出会い、そして別れ/山田ゴロ
 ●石森章太郎の内弟子として過ごした2年間/桜多吾作           
 ●「トキワ荘通り」通信 石ノ森章太郎寄り 番外編/トキワ荘通り管理人・K
 ●テレビアニメシリーズ『サイボーグ009』009たちの変容/須川亜紀子
 ●起源としての石ノ森章太郎とその断絶 
    ―『サイボーグ009』から『最終兵器彼女』まで―/足立加勇
 ●石ノ森章太郎さんとの出会い
    ―川崎ゆきお氏といった【手塚治虫フォーラム】/高木ひとし
 ●石森章太郎のセンチメンタル ビッグ作家漫画集/小山昌宏
 ●体験的石ノ森ヒーロー論/新井啓介
 ●「山田ゴロと愉快な仲間たち」展から
    「石ノ森プロ同窓会」ライブへ/新藤暁
 ●石ノ森章太郎本を読む/新井啓介
    ◇
 ●仏壇にチョコレート 期間限定エッセー/中村真理
 ●ヴィスコンティの自画像を求めて(4)
    映画『ヴェニスに死す』とマーラー(2)/梅田浩一
 
 ●編集後記


maguma18
別冊と同じ体裁になってきましたね
表紙のイラストが気に入りました
夏のコミケ(15日)が初お目見えでしょうか
ああ、私も売れる特集を企画したかった!

参考)同人誌時代に考えた企画
「特集・復刻 竹田の子守歌」
「特集・フェイク! 本物はどれだ?」
異人誌になってから
「ショーケン! ショーケン!」

B5判 93ページ 定価700円(+消費税)
発売:文藝書房 発行:STUDIO ZERO/蒼天社
ISBN978-4-89477-343-1 C0079 ¥700E




 週刊誌がつまらなくなってきた。毎週購読している週刊文春とて例外ではない。スクープ記事に魅力がなくなった。というかスクープ自体が少なくなってきたような。
 毎週読んでいるエッセイは小林信彦「本音を申せば」くらいか。高島俊男「お言葉ですが…」の連載終了が悔やまれる。その後新しく始まったものはどれも面白くないのだから。
 ほかに楽しみにしているコラム類は亀和田武「テレビ健康診断」、宮藤官九郎「いまなんつった?」、町田智浩「言霊USA」。宮崎哲弥は「仏頂面日記」が面白かったのに「DVD教養主義」になって読む気が失せた。門外漢に映画評なんて書かせるな。

 小説は現在以下の3本が連載中。

 浅田次郎「一刀斎夢録」
 桜庭一樹「伏 ~贋作里見八犬伝」
 東野圭吾「真夏の方程式」

 すべて読んでいる。
 文春の連載小説は2本が基本。たぶん「一刀斎夢録」の連載が予定期間になっても終了しないのだろう。無理やり終了させるのが文春編集部の常套手段だが、ベストセラー「壬生義士伝」の作者にそんなことできるわけがない? 一昨年、連載終了した桐野夏生「ポリティコン」なんてどう考えても最終回って感じがしなかった。福井晴敏「Op.ローズダスト」もとんでもない終わり方だった。
 荒俣宏「帝都幻談」は連載終了後大幅に加筆されてやっと本になった。連載終了から10年経っていた。上下巻の下巻は書き下ろしなのだ。そういえば宮部みゆき「17 ゼプツェン」も未だ本になっていないんだっけ。
 ネットで調べていて今わかったのだが、桐野夏生「ポリティコン」の続編「アポカルプシス」が別冊文藝春秋に連載されているらしい。「ポリティコン」が終了すると、すぐに週刊新潮への連載「ナニカアル」が始まり、それがついこの間単行本化された。つまり新潮の連載が終了してまた文春に戻ってきたというわけだ。

 「壬生義士伝」の連載が始まったとき、時代小説なのに幕末ものだからと読まなかった。評判を耳にするようになって途中で読みだすこともできず大いに後悔した。ゆえに「一刀斎夢録」は躊躇するこなく初回から読んでいるのだが、いまいち世界に入っていけない。面白いのかつまらないのか判断つかず惰性で読んでいるところがある。
 桜庭一樹は初めて読む。昔NHKの人形劇を楽しみにしていた者としてはこの贋作に興味が抱かないわけがない。
 東野圭吾が以前連載していた「片想い」は、傑作になる予感があって毎週切り抜きしていた。残念ながら傑作にはならなかったけれど。挿絵(駒田寿郎)が気に入ってこともあった。今回も同じイラストレーターでうれしくなる。

 連載小説には高橋克彦の再登場を願っている。
 仙波一之進と仲間たちが活躍する「だましゑ歌麿」シリーズの最新作。それも仙波一之進が主人公として活躍する長編だ。

 転載シリーズ第4弾はそのまま週刊文春、連載小説絡みということで。
 雑誌の連載小説って、単行本作りの場所貸しと考えていたほうがいいのかもしれません。
 80年代を象徴する雑誌「FOCUS」も「ダ・カーポ」も今はもうない。時の流れの早さを実感しますね。


          * * *

 ●週刊文春と連載小説 2007/02/24

 週刊文春を購入しはじめたのは大学1年のとき。それまで、主に映画評をチェックするため、毎日のように書店に寄っては各週刊誌を立ち読みしていた。
 入部したサークルの、1年上のK先輩が文春の愛読者だった。発売日の木曜は必ず文春を小脇に抱えて部室にやってくる。そんなわけで、じっくり読む機会が増え、いつしか自分で買うようになっていた。以来、この年齢までつきあいが続いている。

 K先輩といえば、「ダ・カーポ」と「FOCUS」が創刊された際、先輩は「ダ・カーポ」、僕は「FOCUS」を購入したのを思い出した。創刊時は圧倒的に「ダ・カーポ」派が多く、「FOCUS」派は肩身が狭かった。藤原新也の「東京漂流」が楽しみだったのだが、すぐ打ち切られ、その後は、立ち読みだけになってしまったのだが。

 それはともかく。
 文春はおじさんの雑誌である。連載小説なんて、もろその世代向けといった感じがした。松本清張が連載を始めても、あとで本になったら読めばいいやと目をとおすことはなかった。「神々の乱心」は松本清張の死で絶筆になってしまった。直木賞を受賞した直後、胡桃沢耕二の女探偵を主人公した小説(タイトル失念)が始まった。読み始めて2回で断念した。ちっとも面白くなかった。その後は一切ムシを決め込んだ。

 この10年ばかりで状況が一変した。いや、単にこちらが本当のおじさんになったということか。
 好きな作家が次々と登場してきた。大沢在昌、桐野夏生、宮部みゆき、東野圭吾、福井晴敏、逢坂剛、高橋克彦等々。あるいは興味をそそられる題材が増えてきた。特に江戸を舞台にした時代小説だと必ず読む。連載された小説は、後に本になるが、荒俣宏と宮部みゆきの2作についてはその形跡がない。どうしてだろう。
 福井晴敏の最終回には驚かされた。クライマックスに突入する、まさにその寸前で終了してしまったのだ。お楽しみは本で、なんてそりゃないぜ。読者をバカにするのもいい加減にしろ!

 800枚の書き下ろしが追加されて上梓された「Op.ローズダスト」については、また明日にでも。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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