吉永小百合がオ○ニーする映画をご存知ですか?

 1975年、五木寛之のベストセラー「青春の門」が映画化された。第一部の「筑豊編」。主役のふたり、信介と織江に田中健と大竹しのぶ。信介の父親が仲代達矢、母親は吉永小百合。ふたりは再婚なので吉永小百合は継母である。父親は炭鉱夫、炭鉱事故で若くして亡くなってしまう。原作を読んでいないので、断言できないが映画は、母と子の絆を描く物語だった。
 映画の前半、夫を失った吉永小百合がある夜、ほてった身体を慰める。当時かなり話題になった。

 2年後に第二部「自立編」が映画化されて、郷里の映画館では前作と一緒に上映された。どちらも2時間を超える上映時間だから、5時間ぶっ続けで観たわけだ。
 地元の映画館は、3本上映が当たり前、それも映画と映画の間に休憩はない。続けて上映されるのである。4時間30分の上映は普通だから、5時間なんて決して苦ではなかった。
 今は……無理だろうなぁ。 

 〈中年の中年による中年のための映画〉とは封切時の批評でそう評された。金で女が買えるなんて昔のたわごとだ、なんてオレも青かったなぁ。

     ◇

1977/04/19

 「青春の門 筑豊編」「青春の門 自立編」をKちゃんと観てくる。

 「筑豊編」で感じたことは、信介や織江の恋愛ではなく、(信介の)母の愛だった。母の子を思う心、決して血はつながってはいないが、彼らはまぎれもなく親であり子である。
 「自立編」では大学生になった信介の“青春”が描かれている。この映画が中年の中年による中年のための映画であるはずがない。
 この物語は、確かに自分のそれとは似ても似つかない。第一、赤線、青線などというものは今はない。金で女が買えるなんて昔のたわごとだ。
 しかし、信介が青線で働く織江をとりもどそうと、やくざに立ち向かった時の、あの衝撃を忘れることはできない。
 「飛びたかった」信介がとうとう飛ぶことをあきらめ、地面を走りまわることにした時も何か感じた。
 決してムダではない5時間だった。




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 前回(#11)、二つめの日記にTVドラマ「バースデー・カード」がでてきたので、同じ水谷豊主演ということで続けて取り上げる。映画ではないのであくまでも番外編として、同時期に衝撃を受けたTVドキュメンタリーと併せて掲載したい。

 TBS系「日曜劇場」は、現在と違って、毎週単発の1時間ドラマ枠だった。制作にはTBSのほか、地方のネット局も参加していた。大阪のABC(東京・大阪のネットのねじれ解消後はMBS)、愛知のCBC等々。僕が注目していたのはHBC(北海道放送)だった。倉本聰が傑作、秀作を連発していたのだ。
 HBC制作の「バースデー・カード」は市川森一のシナリオだった。

 ある雑誌のペンフレンド募集コーナーで知った憧れの女性(池上季実子)に手紙を出した青年(水谷豊)は相手からバースデイ・カードをもらって感激する。女性にしてみれば、何通も届いた手紙の中の一人(への返信)にしかすぎないのだが、孤独だった青年にとっては違った。まさしく自分への親愛の情を示す証だった。こうして女性は青年にとって永遠に守るべき運命の女(ひと)となった。
 女性と同じ街に住む青年は、何年にも亘って献身的に尽くしていく。それも女性にはまったく意識されることがない、一方的な行為である。最初は純真な女子高生だった女性は社会の荒波にもまれて徐々にやつれていく。青年も女性のために犯罪に手を染め、警察に追われる身になってしまう。
 追いつめられた青年はジャンプ台の階段をかけのぼっていく。頂上に到着してスキー板を着用するとそのままジャンプ台を滑降。青年にジャンプの経験なんてない。死へのジャンプ……

 確かそんなストーリーだった。一度しか観たことがないのだが、後年、図書館から市川森一のシナリオ集を借りてきて書き写したことがある。原稿は家のどこかにあるのだが、今見当たらない。

   ◇

 1977年 2月13日

 TV「バースデー・カード」をみる。
 日曜劇場の中でも北海道放送が制作するものは、いつもすばらしい。このドラマも青春という言葉がぴったりする。
 北の街の情緒、その中に生きている若者たち、水谷豊の好演、池上季実子の高校生→バスガイド→ホステス→食堂のカミさんへの変身、その演技。途中流れる歌(マーサ三宅)もよかった。
 もっと軽い物語だと思ったら、終わりで悲しく感動させられた。

   ◇

 次はドキュメンタリー。

   ◇

 4月23日

 教育というものは一体何なのだろう。
 人を教え、育てていくべきはずの“教育”が、今では能力に適さない者をけずっていってしまう。すなわち身体障害児、知恵おくれetc。
 一体誰が悪いのか、校長か、先生か、文部省か、日教組か。
 自分にはわからないが、問題なのは習慣だ。6才には6才の能力がある、12才にはまたしかりだ。学校はそう思って授業をすすめるのだし、児童生徒たちもそうだからついていくのだ。
 それについていけない児はすなわち特殊学級行き。トクシュだ。何から何までそうだ。
 NHK「ドキュメンタリー」を観て複雑な気持ちになった。
 あの知恵おくれの彼女に冷たい態度をとる学校が悪いのか、またそういう態度をとらざるをえない社会が悪いのか。
 一体何がいけないのだろう。

   ◇

 5月22日

 日本テレビ深夜のドキュメンタリー「学校が恐いので学校には行きません」は考えさせられる“ドラマ”だった。
 一人の(学校に殺された)少年に対しての担当教師の、校長の、PTA会長の、教育委員長のあまりに冷たい態度。第三者の目から見るとあまりにひどいのだ。少年の家族に対しても。
 彼らの言い分は過ぎ去った出来事だ、忘れたい。にもかかわらずTVは取材にくる。やめてくれ。みんながみんな、言葉は違うが言いたいことは同じだろう。
 同級生たちもそんな感じだ。
 そんな彼らに非常に憤りを感じる。しかし、自分がその事件のなかにいるとしたら、その事件が北中で起きて同級の、それもふだん口もきかない差別しているわけではないが、差別している一人が自殺したなら…
 自分もあの生徒たちのように言うのかもしれない。
「そっとしてほしい。自分がダメになってしまいそうで」
 そして先生たちもあのような愚考にはしるのだろうか。
 また考えてしまう。教育とは何だろう。生徒に対する学校とは一体何だろう。

 こんなに考えさせられる激しいドキュメンタリーを見たことがない。

   ◇




 今から思うと「冷たい熱帯魚」の衝撃に通じるものがあったかもしれない。1977年のあの日。
 長谷川和彦監督の「青春の殺人者」だ。なんたって水谷豊と原田美枝子の共演である。隣町の足利で観た。ATG映画は太田にはやってこないのだ。

 「青春の殺人者」は長谷川和彦監督の劇場映画デビュー作。原作は中上健次の短編「蛇淫」で田村孟がシナリオ化した。千葉県市原市で起きた両親殺人事件が題材になっている。
 両親を殺す青年に水谷豊、その恋人が原田美枝子。音楽はゴダイゴが担当した。
 その年の映画賞では軒並み受賞したのでなかったか。
 当時愛読していた「キネマ旬報」ベストテン(1976年度)で第一位になったほか、主演男優賞、主演女優賞を受賞した。日本映画の新しい夜明けみたいな感じがして、わがことのように喜んだのを覚えている。いつも皮ジャンにサングラスのゴジ監督を真似て、黒の皮ジャンを着たふたりが特別決算号の表紙を飾ったことも。
 水谷豊は長谷川監督の第2作「太陽を盗んだ男」では、ジュリー演じる主人公に拳銃を奪われてしまう交番の警察官役で友情出演している。
 「太陽を盗んだ男」以降、長谷川監督が新作を撮れないなんて思ってもみなかった。「連合赤軍」だけはものにして欲しかったのだけれど……。

   ◇

 1977年 7月16日

 水谷豊と原田美枝子の主演だ。それだけでうれしくなっちまう。
 親を殺すってどういうことだろう。
 自分にはとてもできないことだと思う。
 確かに時には、いやらしく頭にくる存在になるが、やはり親は親だ。いなければさびしい。
 そんな親を2人とも殺す。いや父親を殺した時、もう母親が死んだも同然だ。
 市原悦子がすごかった。
 夫が息子に殺されたのを知っていう言葉
「何もよその他人さまに害を加えたわけじゃないんだ」
「お父さんが死んで、あげくにお前が死刑だなんて……」
 自分の母親ももしこういう事態になった時は同じような台詞を言うのだろうか。
 言うかもしれない。
 どこの母親も言うかもしれない。
 そんな気が、その時、した。
 そんな母の愛がしだいに狂ってくる。
「ねェ、やろうよ、あれやろうよ」
 興奮した。性的な興奮ではなく、何ていったらいいか、つまり動物的な、ものすごくイヤらしいものだ。
 彼(水谷豊)はこの時(母親を)殺そうと思ったにちがいない。
 母の死。その殺され方、死にかた。
 キョーレツだった。
 何も死を美化したりするつもりはない。
 だが、人間死ぬ時は、殺される時はああゆう風にみじめだろうと思ったりする。
 原田美枝子がかわいかった。
 水谷豊も水谷ブシの台詞まわしで健在。
 彼らの芝居をみていると、ああ自分も役者になりたい、あんな演技をしていみたいと思ってしまう。
 それほど新鮮なのだ。
 映画を観終わって、ガーンとはこなかった。
 しかし、映画館をでて、電車に乗って、(自転車で)雨の中を走っていると、しだいに感動が胸をおおってくる。

   ◇

 7月17日

 感動とは何だろう?
 いつ頃からこんな感動を受けるのか。
 大げさに書けば、胸が痛くなるのだ。
 例えば、原田美枝子が「順、あけてよ」というシーンを思い出すとする、その時どうも自分が変なんだ。不安定なんだ。甘いような感じになる。それとは反対に何だかさびしい気にもなる。
 こんな感動は昔からあった気がする。
 「わんわん忠臣蔵」を観た時も「わんぱく王子の大蛇退治」の時も。
「モスラ対ゴジラ」の時も、「ガメラ」の映画の時も。
 一番はっきりと憶えているのは「小さな恋のメロディ」。
 この時からかもしれない。
 この感動は「ロミオとジュリエット」「フレンズ」と続き、しばらくなかった。
 映画を観て、ラストで「よかったな」と思うのだが、映画館をでてしまうと忘れてしまうというのが多かった。
 しばらく忘れていた感動を再びよみがえらせたのは「大地の子守歌」だ。
 あの時もひどかった。ちょっと頭に浮かべると胸がキューンだ。
 そして「バースデー・カード」。これはTVドラマだが、TVでこんなにも感動するのはめずらしい。
 泣くっていうのではない。涙がとどめもなく流れるってわけじゃない。
 あの時、映画の帰りにかぜをひき、熱をだし、うんうんうなされながら「ミッシェル」といってはまくらにとびつき「ジュリエット」と心で叫んでは目をさました。
 その時みたいだ。今の僕は。

   ◇




 ジャック・ニコルソンとマーロン・ブランドが共演したアーサー・ペン監督の西部劇。「ソドムの市」と一緒に観ている。高校2年生だった。「ソドムの市」って18禁ではなかったか? あるマスコミ試写でノーカット版を上映して問題になったことを憶えている。この鑑賞はスケベ心いっぱいに「ソドムの市」目当てだったと思う。「ミズーリ・ブレイク」は添え物でしたね。

    ◇
 1976年 12月8日

 「ミズーリ・ブレイク」
 
 話はちっともおもしろくなかったが、映像がとてもすばらしく、きれいだった。夕暮れのオレンジ色と対照的な真っ青の朝。
 もうひとつ感じたことがある。
 それは映画の中での双眼鏡の使用だ。
 今まで僕がみてきたドラマの中ではいつでも画面にあらわれる双眼鏡から見た風景は黒くふちがついている。家に双眼鏡があって外を見るが、そんなことはありえない。それが気になってしょうがなかった。しかしこの映画の中では双眼鏡の被写体がちゃんと望遠で撮られている。これには感心した。

 「ソドムの市」
 
 よくぞああいうものを映画化できると思う。監督も監督だが役者も役者だ。よくぞあんなことができる。僕もよくぞあんな映画を見た。パゾリーニは死んだが、死んでもよかった映画を作った。
 しかし、映画にでてきた少年、少女はホントにホントらしい人たち、かわいい人、美しい人たちばかりだ(女性のみ)。変な、ぐれたような不良っぽい人はでていない。そこがよかった。
    ◇


 【おまけ】

 映画の感想は必ず書くというのが、日記をつけはじめたときの自分のルールなのに、高校生になって見始めた日活ポルノロマンにはまったく言及していない。
 理由はわかっている。当時自分にとって日活ロマンポルノは映画ではなかった。男だったらわかるだろう。○○のために必要不可欠の源だった。想像するための。だったら、日記に書くという行為は、まるで自分の○○を記録に残すようなものではないか。
 ただし、今となっては非常に残念だ。何を観たかだけでも知りたいから。
 最初は単純に裸、セックスが見たかった。そのうち、レイプものに興味を持った。で、SM。SMプレイというより、女性の〈徐々にSMプレイにはまって見せる恍惚の表情〉に欲情していた。後年わかったのだが。スカトロ・フェアは気持ち悪いもん。

     ◇
1976/05/30

 ポルノとは何か?
 ポルノ映画とは一体何か? 
 それはやはり裸を見たいからであり、心の中でむしゃくしゃした気持ちをおさえる(バクハツさせる)させたいからであり……まあたくさんあるけれど、そんなたいしたことではなかったようですね。800円損した。
     ◇
1977/12/11

 ポルノ映画(正確には日活ロマンポルノか)を見ると人生なんてすべてセックスだと思ってしまう。
 男と女がいれば、そこには恋や愛なんていう抽象的なもの存在せず、追求するものは深く抱き合うこと、より素晴らしい快感だ。
 映画を見て興奮するだけでいいのに、ついそんなことまで考える。
 それが家に帰ってきてTVをつけるとそこはまさしく性生活はない。ベッドシーンがあったとしてもキスしてちょっと抱き合ってハイおしまい。映画の、あの生々しいほどの濃厚なシーンと、TVドラマの、このキスシーン、一体どっちが正しいのか。
 ドラマっていうのものは、描き方によってどうしてこうも変わってしまうのだろう。
 変わるからいくつもドラマができるのだろうし、だからこそ面白く見てられるのだ。
     ◇




 1976年の10月、高校2年の僕は小学校からの友だちKと弟と3人で東京へ出かけた。晴れたら日本シリーズ、雨で中止になったら映画を観ようということで、当日は雨模様。それでロードショーとなった「犬神家の一族」を観たのである。場所は有楽町の千代田劇場だったろうか。
 実をいうと個人的には野球なんてどうでもよかった。雨が降ってよかった、よかった。


    ◇

 1976/10/24

 (略)とにかく混んだ。映画館の前には列ができるし、中に入れば出入口のところで人がひしめきあっている。苦労して席を3人分とって見た。
 怪奇映画として見ればちっとも怖くない。むしろおもしろい。加藤武演ずる橘署長なる者が大変愉快なのだ。すぐ犯人を断定してしまう。場内は笑いの渦。石坂浩二の金田一耕助もよかった。僕はまだ一度も横溝正史の本を読んだこともないのだけれど彼はぴったりなのではないかな。よく見ると二枚目でね。
 幸か不幸かこの物語、事件の結末を知ってしまったので謎解きのおもしろさは失われたが、それでもよかったと思う映画だ。
 きれいに撮っている。岸田今日子がでてくるシーンがきれいだった。
 耕助と(旅館の)女中はるとの会話なんていかしている。
「どうしました? お食事食べました?」
「ああおいしかったよ」
「私が全部つくったのよ。ねェ、何が一番おいしかった?」
「…生たまご」
 これは受けた。次のシーンにうつっても笑っている人もいたほどだから。
 こういう愉快なシーンをあいまにはさんで物語は進む。
 あおい輝彦が金田一に犯人を彼の母親であることを見破られた時に目を赤くして泣きくずれるところはよかった。(誰だ! ここで笑った奴は!)
 高峰三枝子も母子のシーンもよかった。
 音楽も、ラストシーンもいいぞ、まったく。

   ◇


 「犬神家の一族」は邦画には珍しくワクワクさせてくれた映画だが、市川崑監督の金田一シリーズのベストは2作めの「悪魔の手毬唄」だと思う。
 つかこうへいは「犬神家の一族」を西部劇、「悪魔の手毬唄」をフランス映画と評していた(と思う)。

   ◇

 1977/05/03

 午後、「悪魔の手毬唄」を観てくる。
 東宝が「犬神家の一族」の大ヒットよもう一度と作ったいわば2番せんじの作品である。
 しかし、しかしである。いいのだ実にすばらしい。映像が、若山富三郎が、岸恵子が、音楽が。
 一つ一つのカットが練りに練られて撮られているって感じだ。
 特に後半がいい。リカが犯人であることを告げた金田一の表情。何とか彼女をかばおうとする若山扮する刑事。
 母の愛。ここにもこの愛が描かれていた。母が息子を、娘を想う姿が村井邦彦の音楽にのって映し出される。
 その感動。
「磯川さん、あなたはリカさんを愛していらしたんですね」
 ラスト、金田一は磯川につぶやく。
 実にいいラストだ。シナリオを読んだ時も胸にきたけど、映画を観てもそう感じる。

   ◇

 参考)新旧「犬神家の一族」のあいだに   
     「悪魔の手毬唄」と赤い鳥の深~い関係?
     1976 秋だったね
     1976 秋だったね その2




 昨日は夕方から新宿に出た。18時30分から「サムライシアター新宿」支配人K氏の50歳バースデイ・パーティ。ちょっと早い「シネマdeりんりん」の新年会か。K氏と親交が深い監督さんたちも参加していた。年末にDVDで観た「ほっこまい高松純情シネマ」の高嶋弘監督がいらっしゃっていたので、感想をひとつ、ふたつ。
「よくあれだけ当時の小道具をあつめられましたねぇ」
 例としてブースカの人形をあげると、高嶋監督が驚いていた。「初めてだよ、ブースカに触れた感想は」「なんでわかったの? 別にアップで撮っていないのに」
 エヘへへ。

          * * *

 昨年週刊文春の特別企画で「我が青春の女優ベスト50」という記事があった。驚いたのはベスト50に原田美枝子の名前がなかったことだ。70年代から80年代にかけての原田美枝子の存在って、そんなものだったのか? 2000人のアンケート結果だから仕方ないとはいえ、単に今が旬というだけで選出されている女優がいるんだもの。なんだかなあ。腹が立って記事は読まなかった。
 自分にとっての「我が青春の女優」、それが日本女優なら、だんぜん原田美枝子だ。

 出会いは1976年の10月だった。その前から「恋は緑の風の中」のヒロインを演じていて名前は知っていたのだが、映画を観ていなかった。

    ◇

 1976/10/03

 映画を見てくる。
 「球形の荒野」「やさぐれ刑事」「大地の子守歌」の3本。
 メインは「大地の子守歌」 何か頭にぶつけられた感動だった。原田美枝子がとてもいいんだな。ちゃんと物語の中に存在しているんだ。十代の、女優と呼ばれる人が他にもいるが、僕はこの人が好きだ。宣伝用のために脱ぐ(脱がされる)人はきらいだが、この「大地の子守歌」みたいだったらうれしい。
 自分しか信じないという少女の姿が最初は何となくイヤな気にもなったが最後にはたいへんわかった気もする。盲目になってそれでもなお人には知られまいとするその“おりん”の姿、牧師に助けられたおりんがそのおれいにと自分の体を与えようとする――それは今までの女郎としての自分ではなく――姿。涙がとどめもなくでてくるような映画ではないだろうが、しかし感動した。2、3日は忘れられないだろう。

    ◇

 1976/10/04

 忘れられないね、やっぱり。
 小学校の頃見た「小さな恋のメロディ」や中学の時の「ロミオとジュリエット」「フレンズ」などの感動そのままという感じ。あの頃と感じかたは違うと思うけど。
 トレーシー・ハイドやオリビア・ハッセー、アニセー・アルビナが浮かんでくるのと同じように頭には原田美枝子の姿がうつっている。
 こういう感動は何年ぶりだろうか。ひさしぶりだ。もう一度見たい。ぜひとも見たい。

    ◇




 わが母校、太田高校の文化祭は2年に一度。高校1年にあったのだから次は3年時。生徒会長からお願いされた。休部状態の映画研究部を復活させてもらえないか。はい、喜んで! 
 まずやろうとしたのは太田女子高映画研究部との合コン。ラグビー部の連中が大挙して集まった。地元の映画館(大勝館&太田シネマ)にかけあって映研部員が格安料金で鑑賞できるようにした。
 秋の、高校最後の文化祭。映画研究部のメインの業務は視聴覚ホールでの映画上映だ。顧問の先生と相談して「八月の濡れた砂」にした。個人的に幻の映画だったからだ。東京の業者から16ミリ映画をレンタル。フィルムは貨物列車で運ばれてくる。駅に取りに行ったのを何となく記憶している。
 高校に戻ってホールで試写。アクシデントが起こった。
 映画はシネスコサイズ。フィルム事体はスタンダードサイズで楯に圧縮されている。これを専用レンズで横に引き伸ばすのだ。レンズはどこにある! 一時混乱したが顧問の先生が持っていたことで解決した。翌日の文化祭は、映画をロマンポルノと間違えた生徒たち(男子高校だ)がつめかけて大盛況だった。
 実は、映画研究部の部長としてやりたいことがあった。映画研究部用のブースを70年代の数々の邦画ポスターで彩りたかった。ショーケン、水谷豊、松田優作、関根恵子、原田美枝子、秋吉久美子……。コメントで70年代の男優論、女優論を展開させたかった。結局ポスターが集まらなくてできなかったけれど。

 「八月の濡れた砂」は「飛び出せ!青春」の村野武範と剛達人のキャラクターが逆転していて驚いた。剛達人が真面目、村野武範がワルなのだ。主役を演じているのは広瀬昌助。後年、広瀬さんの奥さんで女優の志水季里子さんと「八月の濡れた砂」の思い出話をする機会ができるなんて思ってもいなかった。

     ◇

 1977/10/26

 文化祭の映画研究部の活動の一つ、映画上映は「八月の濡れた砂」。
 そこで、映画をよく調べようと顧問の先生から資料としてキネ旬1971年8月下旬号を借りた。読んでいてたいへん懐かしくなった。
 たとえばこうである。
 裏表紙の広告は「潮騒」。小6の時、雑誌で知って観たいなァと思っていたもの。夏休みにTVで観た。
 続く広告は「ベニスに死す」。やはり小6の時、足利へ「小さな恋のメロディ」を観に行った時にいっしょに上映されたものだ。意味もわからずスクリーンを見つめていてラブシーンのところは胸をドキドキさせた。
 その他、出てくる出てくる。
 「ある愛の詩」「栄光のル・マン」「小さな目撃者」。僕が映画を知りはじめた頃、最初に観たものがヒット中であるとか、公開されるとか。
 あの「フレンズ」が邦題として「夏の終わり」に決まっていたのに予定が変更になって原題のまま封切られたんだって。そういうことがあったのか。
 小6、中1、あの頃、僕は映画を観ては何かしらの影響を受け、青いエネルギーとでもいうようなものを吸収していた。
 大きな夢を持って、悩みもしない、ものすごく平和で楽しかった時だ。
 そして邦画にまったく興味をもっていなかった(「潮騒」は別)。日本の文化をバカにしていた。音楽も映画も外国(それもアメリカ、ヨーロッパ)が一番いいと思っていた。
 子どもだったのだ。

 そうゆう僕にとって、“懐かしい時代”になってしまったあの時代「八月の濡れた砂」は作られた。
 観る価値はある。

     ◇ 




 「七人の侍」を初めて観たのはTVだった。日本テレビの「水曜ロードショー」(現「金曜ロードショー」)。評判どおりのすごい映画だった。
 上京してから劇場で観る機会に恵まれた。千代田劇場の閉館記念で東宝映画の名作群が上映されたのだ。プログラムの1つだった。劇場で観て感激をあらたにするとともに、上映時間の3時間強がまったく気にならなかったことに驚愕した。後半、野伏りと百姓+侍たち連合軍の戦いはアクション中心になるのだから当然とはいえ、侍探しの前半がまったくダレないのがすごいなあ、と。
 その後もTVで(会社訪問解禁日に何もせず、夜はこの映画を観ていた)、ビデオで、DVDで何度も観ている。
 一番好きなシーンは、侍探しのシークエンスの1エピソード。木賃宿の奥に勘兵衛(志村喬)が鎮座し、入口陰で勝四郎(木村功)が木端を持って構えている。腕のある侍ならそんな卑怯な攻撃も難なくかわしてしまうだろうという(勘兵衛の)考えによるもの。百姓に連れられてやってきた五郎兵衛(稲葉義男)。外で立ち止まって中の勘兵衛に言う。「ご冗談を」 
 九蔵(宮口精二)を見ていると、できる侍はこうであったのだろうと思えてならない。

 最近小学館から黒澤明DVDブックが刊行された。「七人の侍」が一枚のDVDに収まっていることに注目した。またまた誓いを破って購入しようか、今迷っているところ。

 「七人の侍」はリアルタイムで観た映画ではないが、書かないわけにはいかない。
 本当なら市川崑監督「股旅」や斎藤耕一監督「約束」もそうなのだ。が、最初にTVで鑑賞した感想がいくら日記を探しても見当たらないのでパスするしかないのである。

    ◇

 1976/06/02

 TVで「七人の侍」を見る。
 ○○ロードショーという番組で邦画をやるのはめずらしく(やったとしても日米合作が多い)、それにこの映画はあの黒沢明の監督によるものだ。
 やはりすごかった。これは前編だけだったが、カットのつなぎがすばらしい。それに無駄がない。
 モノクロだったが、それがかえってよくて雨のシーンなんか最高だった。
 来週が楽しみだ。

 1976/06/09

 「七人の侍」後編。一週間ぶりのご無沙汰だった。
 三船敏郎があんな役を今までにしていたとは思えなかった。すこしぬけていてけんか好きで……。
 何も書くことがない。ただ一言。
 よかった。

    ◇




 高校1年になってすぐに観た映画「青春狂詩曲」&「ひまわり」。異色のカップリングだ。
 教育的要素の高い独立プロ(?)作品の「青春狂詩曲」を近隣の中高校生に鑑賞してもらいたいのだが、それだけでは集客がおぼつかないので、すでに名作の誉れ高かった「ひまわり」を撒餌としたのだろう。
 もちろん僕らの目当ては、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ共演の「ひまわり」。ところが、文部省(当時)推薦の映画なんてとハナから期待していなかった「青春狂詩曲」が意外と面白かった。主人公が同年代だから身につまされるし何かと考えさせられたのだ。
 主役の一人にモヒカン刈りにする高校生がいて、とても印象深かった。

 9年ほど前になる。某インディーズ映画制作集団の定期的な上映会に足しげく通っていたころの話だ。
 その日、上映会後の打ち上げにある俳優が参加した。「仮面ライダークウガ」で警視庁のベテラン刑事・河野を好演した田口主将さんだった。特撮ヒーロー番組にはあまりお目にかかれない役柄だったので放送中ずっと注目していた。本人が目の前にいるのだから驚くと同時に好奇心でいっぱい。打ち上げの席で質問攻めにした。8ミリ映画で自主映画を撮ったこともあると聞いて、取材させてもらうことに。ちょうどサブカル・ポップマガジン「まぐま」でインディーズ映画特集号に取り組む寸前だった。
 田口さんのご自宅で、自作映画を観ながらのインタビュー。その中で実質的な俳優デビューが「青春狂詩曲」であることを知った。
「何の役だったんですか?」
「モヒカンになる高校生……」
「ええ!」

 「ひまわり」の音楽はヘンリー・マッシーニ。テーマ音楽を聴くだけで涙がでてくる。


     ◇ 
 1975年6月14日

 Kちゃんと二人でPM6:00から映画を見てくる。
 「青春狂詩曲」と「ひまわり」。2作ともよかったが、よかったの意味が違う。

 「ひまわり」の方はさすがデ・シーカだけあって見事な映画だった。ソフィア・ローレンが泣くところなんて、女の悲しさがものすごく心にきた。わかる気がした。はるばるソ連へ来て、行方不明になった夫をやっと見つけたと思ったら夫は別の女と結婚して子どもまでいた。男からするとそれはあまりに当然だったと思う。自分を死から救ってくれた。その行為はこの世では絶対のものだ。本当に悲しい映画。

 「青春狂詩曲」はものすごく身近に感じた。
 彼の考え方、衣服、くつ、etc が僕のまわりの奴とそう変わりない。そこがよかった。そんなドラマティックにもしなかったのに、おもしろくないわけでもない。
 Kちゃんと映画についていろいろ話ができてよかった。




 中学時代、洋画一辺倒から邦画を見直すきっかけとなったのが「朝やけの詩」であり「戦争と人間」であることはすでに記した。そのとき一緒に触れた「青春の蹉跌」も絶対忘れられない1本なのだが、感想が日記に書かれてないのだ。もう何回も探しているというのに。
 1974年、中学3年のときに観ているのは確かなのだ。あのときの感動をはっきり記憶している。にもかかわらず、ない。読んだ本と観た映画の感想は必ず記すこと、せめて面白かったか否かは……というのは、日記を始める前に自分で決めたことなのに。

 かといって無視するわけにはいかない。
 しかたないので、サブカル・ポップマガジン「まぐま」12号に掲載したコラム「小説と映画のあいだに」の文章を転載する。
 冒頭、13年ぶりのライブ「ENTER THE PANTHER」に触れていてる。書いてあることは嘘ではない。本心じゃないけれど。

    ◇

 『青春の蹉跌』

 昨秋、萩原健一が十三年ぶりにコンサートを行なった。久々のショーケン節、パフォーマンスに心踊った。長年のファンの渇を癒してくれるライブだったが、本人にとっても、今後の活動に対してカツを入れる意味合いがあったのではないか。最近のショーケンにはどうにも〈らしさ〉が感じられなくてもどかしくてしかたなかった。
 昨年、このコンサートに合わせた過去の傑作ライブのDVD化やベストアルバムのリリースで、まさにショーケン三昧の日々を送っていたのだが、まさかスクリーンで『青春の蹉跌』に再会できるとは思ってもいなかった。
 一九七四年、十四歳という一番多感な時期に出会った青春映画の傑作である。
 確かショーケンがTV『太陽にほえろ!』の刑事役を降板した直後に公開されたと記憶している。だからこそ大いに期待して観に行ったわけだが、実のところ映画について何の予備知識もなかった。
 原作が芥川賞作家の石川達三。監督は日活ロマンポルノの俊英・神代辰巳。神代監督がショーケンとはじめて組んだ作品。――なんてことを知るはずもない。
 二人はその後TV『傷だらけの天使』や映画(『アフリカの光』『もどり川』『恋文』)で名コンビぶりを発揮する。脚本が長谷川和彦(『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』の監督)と気づくのはもっとずっと後のことだ。

 『青春の蹉跌』は、何といっても音楽(井上堯之)が良かった。
 当時音楽に惹かれて洋画ばかり追いかけていた僕は、タイトルバックに流れるテーマ曲を聴きながら日本映画も捨てたもんじゃないなと思った。今でもはっきり覚えている。
 かなりクセのある映画でもあった。手持ちカメラによる長廻し。被写体をどこまでも追いかける(撮影・姫田眞佐久)。感覚的に突然別のショットが挿入される(ゼロックスのCMには驚いた)。映像はもちろん台詞もどこか即興的。いわゆる正統派ではないのだが、妙にリアリティがあった。人間臭いタッチとでもいうのだろうか。映像や役者の演技がナチュラルで軽やか。観ていて心地良い。神代節(軟骨的文体と呼ばれた由)というものだった。
 映画はまったくタイプの違う二人の女性の間を彷徨う煮え切らない男の物語といえようか。
 ショーケン扮するのは司法試験を狙う法学部の大学生(江藤賢一郎)。アメリカンフットボール部に所属するスポーツマンでもある。母子家庭で叔父の援助を受けながら大学に通っている。
 勉強を教えていた女子高生の登美子(桃井かおり)と肉体関係があり、抜きさしならない状況になっているところにもってきて、ある件を境に、叔父の一人娘・康子(壇ふみ)と仲良くなっていく。司法試験に合格するや叔父に将来を約束され、やがて康子と婚約。
 ある日、登美子の妊娠を知る。強引に産院に連れて行った時にはもう処置できる状態ではなかった。
 あせった賢一郎は登美子を雪山に誘い発作的に殺してしまう……。

 ショーケンにしびれた映画だった。ファッション、しぐさ、まなざし……たまらなくかっこいい。賢一郎はまさに小暮修(『傷だらけの天使』)のプロトタイプなのだ。
 ローラースケート姿でテラスに折りたたみ椅子を並べるファーストシーン。桃井かおりとの濃厚なセックス。ふてくされたように歌うエンヤートット。雪山の斜面をどこまでも滑降していくクライマックス。思い出深いシーンの数々に感激を新たにした。ショーケンが鉄柵に片手を触れながら歩くお気に入りのシーンでは「待ってました!」と叫びたくなる始末。
 そして衝撃的なラスト。妊娠に関する意外な事実の判明、主人公のあっけない死……と同時にクレジットがロールしテーマ曲が流れてきて――中学生の心がわしづかみにされた瞬間だ。

 不可解なのは石川達三が映画に対して怒りを表明したことだった。
 小説を読んでいなくても映画とずいぶん違うであろうことは推測できた。何しろ小説の主人公は「生きることは戦いだ。他人はみな敵だ。平和なんてありはしない」と「貧しさゆえに充たされぬ野望をもって社会に挑戦し挫折」する男なのだから。
 映画の主人公は確かにエリートかもしれないが、野望に燃える上昇志向の強い男ではなかった。司法試験という目的があるとしても、どこかさめていて宙ぶらりんで優柔不断。そんな男が二人の女性の間を浮遊し、翻弄され、どうしようもなくなって殺人を犯し破滅していくのである。
 どこか捨て鉢でやるせない主人公に共感を覚えた中学生には原作者の怒りが理解できなかった。
 なぜ映画に流れる新しい感覚、若者の心情がわからないのか? なんて頭の固い老作家なんだ!
 そう判断をくだし、以来四半世紀以上年石川達三を読まずにきた。これからも読むことはないと思っていたが、気が変わった。今回映画を観て、原作者の怒りがどこにあったのか、調べてみたくなった。
 長谷川和彦が自身の経験をもとに脚色、〈全共闘世代〉の心情を色濃く反映させたとおぼしき映画は原作を大きく逸脱しているのか?
 読み始めて驚いた。説教じみた古臭い小説というこちらの先入感を見事に裏切ってくれる。若さあふれるリズミカルな文章。軽快な語り。すらすら読める。面白い。
 主人公がアメフトの選手という設定以外、展開にそれほどの違いはなかった。大きく相違するのはやはり登場人物の造形だ。賢一郎は予想通りだが、二人の女性が曲者なのである。
 登美子は無教養なりの計算高さを持つ、油断ならない女。薄幸な女を演じ、「一緒になれなくてもいいの」なんて言いながら、妊娠を口実に徐々に賢一郎との結婚に向けて外堀を埋めていく。康子は聡明ではあるが肩書きで男を選ぶ高慢なブランド信仰女。当初は親のすすめる結婚に反発するものの賢一郎が司法試験に合格したとたんに態度を変える。
 こんな女性たちを相手にすると、賢一郎の世間に対する青臭い反逆ぶりが逆に愛しく思えてくるから不思議なものである。実際読んでいても賢一郎に対する嫌悪感はあまりなく、女性たちの言動に始終ムカついていた。
 なるほど、映画はまるで原作者の意向を無視していた。ラストで主人公が死ぬことも噴飯ものだったかもしれない(この結末はアメリカンニューシネマの影響か)。
 思うに、ドライサーの『アメリカの悲劇』のプロットを借用して独自に日本の現代社会の歪みを照射した『青春の蹉跌』は高度成長期(小説の発表は一九六八年)だからこそ、その人物造形に意味があったのではないか。
 学生運動の終焉、オイルショック等、社会状況が大きく様変わりした一九七四年で果たして通用するものなのか。原作に違和感を覚えた長谷川和彦は再度小説のプロットのみ取り出して、まったく別の〈青春の蹉跌〉を構築したのではないだろうか。
 主人公の焦燥感、孤独感。それを覆い隠すための虚無的行動。それはまさに七〇年代の若者像を象徴するものだったと今さらながら痛感する。
 やはり僕にとっての『青春の蹉跌』は映画なのである。

    ◇




 へぇ、「007 死ぬのは奴らだ」と「ポセイドン・アドベンチャー」、一緒に観ていたんだ。ちょっと意外。自分の中では別の日に鑑賞していると思っていたので。

 「007 死ぬのは奴らだ」は初めて劇場で観た007映画だった。というか、初めて観た007映画である。もちろんショーン・コネリー主演のシリーズがあることは知っていたが、それまで一度も接点がなかった。
 ショーン・コネリーに代わってロジャー・ムーアがジェームス・ボンドに扮したシリーズ第8作。
 ポール・マッカトニー&ウィングスの主題歌がいい。モーターボートを使ったアクションもかなりの興奮度。007映画って面白いんだと満足していたら、ロジャー・ムーアが007らしくないとかなり叩かれているのを知った。曰く「ショーン・コネリーこそ007だ」。 そんなこと言われても、これまでの007映画観たことないからなぁ。
 以前も書いたことだが、これって、第二期ウルトラ(マン)シリーズを否定する第一期ウルトラシリーズファンみたい。まあ、その後、「ゴールドフィンガー」や「ロシアより愛をこめて」を観る機会があり、旧シリーズファンの気持ちがわかるのだけれど。

 「ポセイドン・アドベンチャー」についてはリメイク版を観たときに当時の思い出を綴っている


    ◇
 1974年4月29日

 「007 死ぬのは奴らだ」と「ポセイドン・アドベンチャー」の2本大勝館で観てくる。

 「死ぬのは奴らだ」は気に入ったのはテーマ音楽(がよかった)、アクション(がすばらしかった)、この2つ。ボンドにふんするロジャー・ムーアもよかった。

 「ポセイドン・アドベンチャー」はSFドラマであり、娯楽映画なのである。スリルにとんでいてこちらはハラハラしどおしだった。次に誰が死んでしまうのか、死なないでほしいのだが、生存者10人のうち残ったのはたったの6人。彼らを指導した英雄スコット牧師はみんなを助けるために死んだ。やはりこれは楽しめながら感動する映画だと思う。
    ◇




 【おまけ】

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 5月1日

 夜9:00からテレビで「個人教授」を観た。映画館で観たことは1年のときこの日記につけた。
 フランシス・レイの音楽がいちだんといい。
 近頃「個人授業」とかいうへんちくりんな歌がヒットしたが、これとタイトルが混同してしまいそうだ。
 内容はルノー・ベルレー、ナタリー・ドロン主演のこの映画の方がよっぽどいい。
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 「ある愛の詩」という映画や、音楽を担当したフランシス・レイを知ったのは小学6年生だったと思う。5年の担任だったN先生の自宅に友人たちと遊びに行ったときにレコードを聞かせてもらったのだ。それからまず音楽から「白い恋人たち」や「男と女」に親しんでいく。

 「白い恋人たち」はTVで観たと思う。タイトルがいいなと思った。原題は「グルノーブルの13日」。邦題がイカしていたわけだ。
 「男と女」は映画館だったか。カラーとモノクロが入り混じる映像に魅了された。現代がカラー、過去がモノクロ、という区分けではなく、監督の感覚で入れ替わるところが。
 中学時代に撮った「明日を知る少年」のクライマックス、主人公が走り、少し過去の友人たちの戯れがモノクロで挿入されるシーンは、「太陽にほえろ!」+「男と女」+「帰ってきたウルトラマン 許されざるいのち」に影響されている。
 
 「ある愛の詩」が地元の映画館にやってきた。喜び勇んで足を運んだ。
 ところが、館内に野球部の連中がいっぱい。嫌な予感がした。
 案の定……。

 ほんとに怒り心頭だった。途中で諦めた。大バカ野郎たちの中にサッカー部のUちゃんがいた。映画好きで話があった。ラストシーンは一緒に観ていた。
「愛とは決して後悔しないこと」
 名文句のあと、音楽が流れてスタッフ・キャストのクレジット。
 普通なら目頭熱くするはずなのに、Uちゃんとロールを声だして読んでいた。
 “DICK”でハモった。
「ディック……ミネ」
 二人で大笑い。一番ひんしゅくを買ったのは僕(たち)だったのかもしれない。

 「フレンズ」の本を読んだときの感想。
 この前の「続・フレンズ」のときといい、オレはいったい何を書いているのか。
 あまりに恥ずかしいので、公開するっきゃない?


    ◇
 1973年7月27日

 映画「ある愛の詩」と「風と共に去りぬ」を観てきた。映画館の中に入ったら、どうしたことか北中(太田市立北中学校)の連中がみんな来ている。そこれまではよかったが時間が経つにつれてみな飽きてしまったらしく怒鳴ったり騒いだりしていた。迷惑するのはこっちだ。悲しいシーンで変な声をだすから笑いたくなって、(我慢したら)吹きだしてしまった。
 感動する映画だったのが全然感動しなかった。「ある愛の詩」は音楽がよかった。何度聞いていも心にジーンとくる。フランシス・レイさんバンザイ! 何となくよかったような気がする。
 「風と共に去りぬ」は上映時間が4時間という長さ。全部観てこられなかったが意味はわかった。よく人が死ぬなと思った。
    ◇

    ◇
 8月1日

 あの映画「フレンズ」の文庫本があったので買ってきた。夜、いっきょに読んだ。映画を観たときより感激しなかったが、またあの何ともいえない気持ちになった。ミシェルやポールが思いっきり本の中で動きまわっている。
 ああ! 素晴らしいことだ。ポールとミシェル、いっしょにいてくれ。
    ◇




 「小さな恋のメロディ」と「ロミオとジュリエット」にはなくて、「フレンズ」にあるもの。
 それは続編です。

 「フレンズ」のラストはその後ふたりがどうなるのか、観客に判断を委ねるものだった。
 執拗な追跡を逃れて親子3人はこのまま穏やかな生活を送れるのか、それともあっけなく追っ手に捕まりふたりの仲は裂かれてしまうのか。
 当然、予想できるのは後者であるが、僕は前者であることを願った。

 「フレンズ」は映画を観たあと、ハヤカワ文庫からノベライズが刊行されているのを知りあわてて買い求めた。当時はビデオやDVDなんてものはないから、サントラで主題歌を聴き、活字でストーリーを追って、映画の世界に浸るしかなかった。今もサントラ(CD)やノベライズ本はあるが、聴いたり読んだりする意味合いが当時と違っていると思う。
 「続・フレンズ」のノベライズは公開前に単行本が出版されている。書店で見つけ、その場で購入している。

 ルイス・ギルバート監督はこの続編についてこう語っていた。
「前作がヒットしたから続編を撮ったわけではないよ」 
 記憶は定かではないが、若いふたりのその後を描くのは必然、というような発言をしていたような気がする。
 前作が、俗世間から逃避行した若いふたりの夢物語だとすると、続編はふたりが直面する現実を描いている。


    ◇    
 1974年3月1日

 (略)
 この春映画「続・フレンズ」がやってくる。ぜったいに観るぞ~! ポールとミシェルの成長した姿がみたい。彼らの愛が見たい。ああ早く来ないかなあ。待ち遠しい。
    ◇ 
   
    ◇
 4月8日

 (略)
 日曜日に「続・フレンズ」の本を買ってきた。映画が観たいが待ちきれなかった。
 読み終える。
 ポールとミシェルの愛は今なお輝いているが、二人の生活はもう夢のようなそれではなくなり現実と世の中という二つの壁に押しつぶされようとしていた。
 しかし、ぼくは二人にあこがれている。
    ◇

    ◇
 8月19日

 映画を観てくる。
 「空手アマゾネス」「パピヨン」「続・フレンズ」

 「続・フレンズ」
 そう、あの「フレンズ」の続編。前作ほどの感動はなかったにしろ、やっぱりポールとミシェルはいいよ。子どもも3歳になっていてふたりとも見違えるほど成長した。映画のところどころに回想で前作のシーンが挿入されていたが、それを見るとこれがふたり? と疑いたくなってしまうほど今のふたりは大きい。

 「パピヨン」
 これもいいな。音楽が実に素晴らしい。ダスティン・ホフマンも実にうまい。2年の独房から出てきたのをそっと抱きかかえるとこなんて役者だな~。
    ◇

    ◇
 11月23日

 映画を観てくる。
 「ロミオ&ジュリエット」「小さな恋のメロディ」
 そして「続・フレンズ」
 あの感動が忘れられずまた観てきた。
 ものすごく混んでいたがそれでもよかった。

 「小さな恋のメロディ」
 トレーシー・ハイドのかわいい笑顔、マーク・レスターもよかった。ジャック・ワイルドは役者だ。

 「続・フレンズ」
 夏に観てきたばかりだ。ポール&ミシェル、君たちの愛は決して崩れさることはない。
 アニセアルビナ 美しい ショーン・バリー たくましい。

 「ロミオ&ジュリエット」
 オリビア・ハッセーはなんてかわいくてきれいなんだ! レナードホワイティングも……
 また興奮してきてしまった。

 皆、きれいな画面で素敵な音楽で。
 言うことありません!
    ◇




 小松左京の「日本沈没」(カッパノベルス)が刊行されたのが1973年。あっというまにベストセラーになって、東宝が映画化し、同年12月に封切られた。映画も大ヒットした。
 ゴジラシリーズが完全に子ども向けになってうんざりしていた僕にとって、「日本沈没」は東宝特撮の決定版というような印象があった。小説を読むよりヴィジュアルを楽しみたい。地元の映画館にやってくるのを首を長くして待っていた。
 正月映画として公開された「日本沈没」は地元へ春休みにやってきた。友人と観に行って感銘を受けた僕は翌週もう一度映画館に足を運んだ。

 脚本が橋本忍、監督は森谷司郎。黒澤組ではないか。もちろん当時はそんなことは知らない。
 僕は「日本沈没」で森谷監督を認識し、その後「八甲田山」「聖職の碑」を撮って、大作映画を手がける監督というイメージがあった。「日本沈没」の前には青春映画を数多く撮っていて驚いたことを覚えている。「赤頭巾ちゃん気をつけて」の監督なのかぁ。栗田ひろみ主演の「放課後」、観たかったんだよなぁ。なんて。急逝が惜しまれる。

 「日本沈没」は、特撮が売りということで特技監督・中野昭慶がクローズアップされた映画でもある。ワイドショーにゲスト出演して「先生」と呼ばれて偉そうな態度をとっていたのが気になった。以降あまりいい印象を持っていなかったのだが、「特技監督 中野昭慶」(中野昭慶・染谷勝樹/ワイズ出版)を読んで、まったくの偏見だったことがわかった。とても誠実な方なのだ。

 映画が公開された後にTBSでドラマ(テレビ映画)化された。まるで興味がなくて一度もチャンネルを合わせたことがなかった。NHK大河ドラマ「勝海舟」の裏番組だったこともあるが、小野寺役は藤岡弘しか考えられなかったからだと思う。主題歌を五木ひろしが歌っていたというのもらしくなかった。

 リメイク版があまりにひどいので、鑑賞したその日にビデオを借りて観た。傑作だった。


    ◇
 1974年3月21日

「日本沈没」を見てくる。これはS・Fである。この映画は日本でなければ作られないであろう。なぜならこれは日本という国において日本人とはいかなるものかと問いかけている。確かにこれはSF的におもしろい。特撮も今までにない迫力だ。しかし、それだけではない。ここでもう一度日本について考えてみようじゃないか。そう思わされる作品だった。もう一度見に行きたい。
    ◇

    ◇
 4月1日

 老人は静かにそして重々しく言った。
「日本はこのまま何もせん方がいい」
 山本総理は何も言わず老人の目を見る。それから口を開く。
「何も…せんほうがいい?」
 総理の目に涙が浮かぶ。何か言おうとしたが口からでない。
「日本沈没」の1シーンである。この場面にぼくは一番感動した。(略)
 日本を愛している老人の心情が全画面にでているからである。山本総理の目が真っ赤になるところも忘れられない。
 いいシーン、いい映画である。
    ◇




 「ロミオとジュリエット」や「フレンズ」を観る一週間前に、同じ映画館で「リア王」を鑑賞している。同じショークスピア原作の映画に対しての素朴な疑問が日記に綴られていた。
 また、映画監督志望の中学生が将来作りたい映画としてアイディアを記している。

 SF云々はNHK「タイム・トラベラー」の影響である。当時8ミリ「明日を知る少年」を撮っていたので。この手の映画は角川映画が一時期ジャンルにしていた。ミュージカルについては今となっては意味がわからない。当時ミュージカルに興味がなかったので。もしかしてしあれか。「小さな恋のメロディ」は当時ある種のミュージカルだと言われたのだ。
 愛の映画も「小さな恋のメロディ」に影響されている。実はラストシーンは自分の中で映像化され、それは今でもしっかり覚えている。エヘヘヘ。
 しかしなあ、〈すべて人の心をうつものでなければならない。〉なんて、あまりにいい子っぶっていないか。

 もうひとつ、高校2年まで住んでいた熊野町の家(市営の家賃500円!)が並ぶ住宅地を舞台にした映画についても書いているのだが見つけることができなかった。昭和34、35年、両親が引っ越してきた当時のことを描く。母親から近所のユニークな住人たちの思い出話を聞いていて「これは映画になる」と思ったのだ。
 映画「三丁目の夕日」より30年以上前に考えていたんだから、すごいでしょ! 
 自分で褒めてどうする。

   ◇
 1973年2月25日

 映画を見に行ってくる。「リア王」と「どぶ川学級」の2本。どちらもよかった。おどろいたことがひとつある。「リア王」と「ロミオとジュリエット」はどちらもシェークスピアが書いたが映画で見ると「リア王」だとそのころはうすぎたないという感じをうけるが、予告編の「ロミオとジュリエット」はそんな感じがひとつもなく、ゆうが、すばらしいという感じをうけた。「リア王」は悲げきであり、リア王たちのひさんなどをうったえるのに対し、「ロミオとジュリエット」は二人の若者のラブストーリーであるからである。演出のしかたでこうも変わるものかとまことに驚いた。
   ◇

   ◇
 1973年5月26日

 ぼくが大人になってつくってみたい映画をあげる。
 まず愛の物語の映画。「ある愛の詩」とか「ロミオとジュリエット」みたいの。しかし、ぼくは日本人だ。外国映画のまねばかりはしていられない。日本風なものにしあげたい。
 次に時代劇。今の時代劇はうそが多い。きられたのに服もやぶれないし、血もでない。そこが刀を使うむずかしさ。ぼくは時代劇とスペクタクルをまぜあわせたようなものをつくってみたい。
 最後に現代のもの。子どもをテーマにしたもの。現代のSF(現代におこるいろいろな事件が未来につながる)。ぼくがつくってみたいLOVEものもこの中に入る。
 日本のミュージカルといわれるようなミュージカルもつくってみたい。
 ようするに何もかもつくってみたい。しかし、それはすべて人の心をうつものでなければならない。
   ◇




 小学校の卒業文集で「映画監督になる!」と宣言した僕は、中学生になってから親友二人と洋画ばかりを鑑賞し、競うようにサントラレコードを集めるようになった。ビー・ジーズの「メロディ・フェア/若葉のころ」、フランシス・レイ「白い恋人たち」「男と女」「ある愛の詩」、ニーノ・ロータ「ロミオとジュリエット」、エルトン・ジョン「フレンズ」……。

 TVの洋画劇場で観た「シャレード」に興奮し、ヘンリー・マンシーニを知った。洋画のストーリーはもちろんだが、音楽にハマっていた。その思いは過去の名作に向かっていく。「禁じられた遊び」「星影は悲しみと共に」「鉄道員」「ローマの休日」……。

 洋画の音楽は素晴らしい。それにくらべて邦画のそれは大したことがない。過去の名作も知らず、当時はそう思っていた。その思いを打ち破ってくれたのが「青春の蹉跌」だった。井上堯之さんのテーマ曲はそりゃいい曲でしたもん。

 それまで、特撮怪獣映画かアニメーションでしか映画館に足を運ばなかった邦画だったが、中学生になって徐々に関心が沸いてくる。その最初が日活映画「戦争と人間」だったような気がする。地元の映画館のポスターを見てスペクタクル性に惹かれたのだ。骨太な人間ドラマに夢中になった。

 「恍惚の人」は有吉佐和子の小説がベストセラーになって巷の話題を呼んだ。わが家にも新潮社の単行本があった。母親が買ったのだろうか。映画を観たあとに読んだのか、小説を読んだことで映画に興味を持ったのか。このとき観た「戦争と人間」は第二部。とすると「朝やけの詩」のときは第三部か。第一部はいつ観たのだろう?

 「朝やけの詩」は冒頭関根恵子が全裸で湖を泳ぐシーンがあって、あまりに水が澄んでいたのでアンダーヘアが写ってしまい撮り直しになったニュースを見て、興味を抱いた。すけべ心丸出しで観に行ったのに、その映像の美しさにみごとにはまった映画だった。ちょうど公害が問題になっていた頃だから、自然破壊についても考えさせられた。

 「戦争と人間」はTVで放映されるたびに見直した。大学2年の年末の深夜に三部作が一挙放映され、総評的な感想を日記に記した。


    ◇
 1973年6月3日

 映画「恍惚の人」「戦争と人間 第二部」を一人で見てくる。
 「戦争と人間」は満州や中国、朝鮮がでてきて内容はわかったが、意味がわからなかった。
 「恍惚の人」はおもしろいことはおもしろいがなぜかおそろしくこわかった。人生の最後にくると、ひとはあんな風になるのかと思うとゾっとした。親には長生きしてもらいたいが恍惚の人にはなってもらいたくない。
    ◇

    ◇
 1974年2月3日

 (略)きょうは映画を見にいってきた。「朝やけの詩」と「戦争と人間」の2本。感想を書こう。美しかった。きれいだった。自然というものがとても美しかった。これは「朝やけの詩」についてだ。描かれていることは自然を破壊してまでも観光開発をしていこうとするアポロ観光KKとその山の開拓者や娘との対立である。みにくい争いだ。開発ににじゃまなかいたく者の牛やぶたや魚を次々と殺していくにくらしい観光社の人たち。ああ、いやだ。なぜ自然をそのままにしておかないんだ。だが、世の中金のあるやつが勝ってしまうのか。最後山々はくずされていく……。
    ◇

    ◇
 1982年1月1日

 12月28、29、30、31日の深夜、TVの「戦争と人間」三部作を観る。
 第一部の“運命の序曲”が何故前編、後編に分けられて放送されたかわからないが(どうせなら三日連続でやってもらいたかった)、続けて見ると映画の根底に流れるテーマがはっきりこちらに伝わってくる。
 日本の中国侵略。それに端を発する抗日運動、日本軍の横暴、日中戦争、そして太平洋戦争。
 こうした一連の歴史をたての線として、五代産業を中心とする財界、軍閥、労働者階級の人々が織りなす人間模様が横の線として複雑にからむ。
 中学生の頃、日本映画においては破格的なスケールのこの映画の魅力にとりつかれ、よく内容も理解できないにもかかわらず機会あるごとにこの映画を観てきた。
 日本人の俳優が中国人朝鮮人を演じ、それが不自然でなく確かな存在として画面に写し出される。訳として流れるスーパーインポーズが実に様になるのだ。
 プロレタリアートの描き方が少し鼻につかないでもないが、戦場にかりだされる兵士たちに対しての「死ぬなよ、生きて帰ってこいよ」の言葉は戦争に巻き込まれた人たちの心の底から発する本当の気持ちだろう。
“生きている、生き抜いていく”という行為がいかに尊いことであるか--
 映画は語っている。
    ◇




 わが青春の映画たち。
 このタイトルに難色を示す人もいるだろう。映画を複数形にすることはない、英語と違うんだから、と。
 さだまさしの名曲「檸檬」にもありますね、〈この街は青春たちの姥捨て山みたいだと〉。「青春」に「たち」はいらない。でも「たち」をつけたくなる気持ちはわかる。
 これは名著「市川崑の映画たち」からとったということで許していただきたい。

 mixiのときは「わが青春の名画」というタイトルだった。あくまでも自分にとっての名画であり、世間一般にはそれほど評価されていないものも登場することもありうる、と説明していた。もっといろいろな映画をとりあげたいので改題した。

 さて、中学2年の秋に観た映画。これも3本立てだった。
 「ブラザーサン・シスタームーン」の映像、カメラワークには当時かなり影響を受けた。ゼフレッリ監督のベストとして「ロミオとジュリエット」よりこの作品を挙げたいほどだ。2年生の夏に町内の子ども会でキャンプに行った。8ミリカメラを持参して記録したのだが、草原や山々を撮影する際、イメージとしてこの作品があった。カメラマンに「いいかい、狙いはブラザーサン・シスタームーンだからね」と何度となく言い聞かせ、しまいにはあきれられた。ゼフレッリ監督の弟子になりたいと本当に思ったものだ。

 昨年だったか、地元の図書館で「ブラザーサン・シスタームーン」のDVDを見つけた。
 あわてて借りてきた。数十年ぶりの鑑賞。主題歌ほか劇中に流れる歌をうたうドノバンの声や曲調に驚愕した。まるで後藤(悦治郎)さんが歌っているようなのだ。とすると、後藤さんは日本の吟遊詩人なのか?
 中学の英語教師がこの「ブラザーサン・シスタームーン」の歌が大好きで、授業中に皆で歌った覚えがある。歌詞もきちんと訳されて、どんな意味なのかも教えられた。
 兄弟なる太陽、姉妹なる月……
 当時サントラはでていなかったと思う。あったら買っていたもの。

    ◇
 1973年9月14日

 足利のスカラ座に映画を見に行ってくる。「街の灯」「ブラザーサン・シスタームーン」「サマータイム・キラー」の3本。

 「街の灯」 
 あの最後のシーンの、目のなおった花売り女のいうことば「あなたでしたの」そしてチャップリンのあたたかいえ顔。感動的だった。ボクシングのシーンが一番爆笑をさそい、最後のシーンが涙をさそった。

 「ブラザーサン・シスタームーン」 
 あの美しい画面が何ともいえない。フランコ・ゼフレッリ監督は何とすばらしい目を持っているのだろう。フランチェスコの考えはまったくだと思う。小鳥にしろ野花にしろみんなその日を楽しくくらせればいいんだ。人間はすぐに明日を見る。未来を見る。だからよくばりになってしまう。法王のことば「キスを……足に……」ぼくはあっと心の中でさけんだ。そして(法王は)それを実行したのだ。世界で一番えらい法王が貧しい一聖者の足にキスを。歌「ブラザーサンandシスタームーン」もいい。

 「サマータイム・キラー」 
 オリビア・ハッセーはやっぱり「ロミオとジュリエット」のハッセーでいてくれた。やっぱりいいな。ミッチャムふんするレイのかっこよさ。オートバイが好きでないぼくでもあのかっこよさにハートがキュンとなった。レイをつかまえたのに逃がしてしまう刑事も好きになった。逃がしてしまったのだからどうなるかぐらいわかるだろう。船が降りる――。ふたりの愛よろこびほほえむ刑事。見ると車が…銃が刑事を狙っている。バババ…倒れる刑事。あわれだ…。だが今まで一人だったレイには友達ができる。いや恋人だ。刑事の不幸でレイには幸せがやってきた。ああ!
   ◇




 ある年ある日のエンタテインメントレビュー。
 時代を1970年代に絞って、自分が影響を受けた映画の、その最初の出逢いを、感想を日記からピックアップしてみよう。
 一度mixiでやっていたことだが転載を含めてもう少し本格的に取り組みたい。まあ、手抜き企画でもあるのだけれど。
 今日は中学1年の3学期に出逢った「ロミオとジュリエット」「フレンズ」「個人教授」について。

 この映画鑑賞の影響度は小学6年生の「小さな恋のメロディ」(&「ベニスに死す」)に勝るとも劣らない。「小さな恋のメロディ」「ロミオとジュリエット」「フレンズ」を三大ラブストーリーと呼ぶ所以だ。
 本当ならば「小さな恋のメロディ」から始めたいのだが、小学6年の1学期はまだ日記をつけていなかった。母親たちは、子どもたちが結婚してしまう不道徳な映画を見せていいものかどうか、心配していたが、併映の「ベニスに死す」の方こそ問題にすべきだった。中年男が美少年に恋狂う話だぞ。

 話を戻す。
 「ロミオとジュリエット」「フレンズ」「個人教授」の3本立ては、最初友人二人と観に行った。帰ってから風邪をひいた。映画館の暖房があまりに効きすぎた影響だ。翌日1時限で早退。その夜熱(38度)がでた。翌日は休んだ。熱にうなされながら映画の場面が頭に浮かんでは消えていった。枕を抱きしめながら「ジュリエット!」「ミシェル!」とうなっていたような。熱だけが原因ではなかった気がする。
 で、一週間後の日曜日、また観に行くのである。今度は一人で。目当ては「ロミオとジュリエット」と「フレンズ」。

 「ロミオとジュリエット」「フレンズ」はサントラEP(シングル)をまず購入した。「ロミオとジュリエット」は続けてLP(アルバム)も手に入れた。「個人教授」のテーマ曲は最近YouTubeでよく聴いている。
 ジャック・ワイルドの訃報を聞いたのは何年前だったか。アニセー・アルヴィナもすでに亡くなっているなんて……。


    ◇
 1973年3月11日

 「ロミオとジュリエット」をみてくる。やはりすばらしかった。ただ3本立て、しかも5時間ぶっとおしでやったものだから頭がおかしくなった。だが3本ともよかった。
 「個人教授」はフランシス・レイの音楽とあってぼくはそれを期待していた。物語(ストーリー)もよかった。「フレンズ」はちょっと頭のかたい人がみれば悪い映画ときめつけてしまうだろう。しかしぼくにはそんなことは頭にはいっていないような気がする。もっとちがうことばではあらわせないことがぼくの胸の中にあって思い出すたびにため息をつく。
 最後に「ロミオとジュリエット」。これはニーノ・ロータが作曲したすばらしい曲も知っていたし、内容も知っていた(少し)。だが見にいった。それは曲を聞いてもわかるように現代の若者たちを感動させる要素をもっているからである。ロミオにレナード・ホワイティング、ジュリエットにオリビア・ハッセーと若々しい二人。そしてきれいな画面。どれもすばらしかった。なるほど!最後になるとあちこちから涙声や鼻をすう音がした。
    ◇
 3月18日

 また々映画を観てくる。この前見に行ったばかりだが、あの時の感激がわすれられず一人でみてきた。ずっと立ちっぱなしだったが、とてもすばらしかった。
 「フレンズ」 あのきれいな画面、いい音楽。ぼくはそのムードによってしまった。「ロミオとジュリエット」 主題歌がなんともいい。
 この映画をみおわった今、ぼくの頭にはポール、ミッシェル、ロミオ、ジュリエット これしかない。「ロミオとジュリエット」の曲を歌いだせばなんともいえない気持ちになるし、時々ミシェールといって、ミッシェルを抱きたい気持ちになる。
 この前みて、帰ってきてからそのことが忘れられなく、やっと忘れかけたのだが、また見て思い出してしまった。何にしても「フレンズ」や「ロミオとジュリエット」のような恋がしてみたいものだな。
    ◇




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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