前項に簡単な感想を記した映画「淵に立つ」に少し関係する。一人娘の病気ということで。

     ◇

●略してワンダバ! そして…… 2006/10/30

 昨日は劇団スーパー・エキセントリック・シアターの第44回本公演「ナンバダ・ワールド・ダンシング」の千秋楽(マチネ)を鑑賞した。

 まぐま関係者によるSET本公演鑑賞。今年で何回目になるのだろうか? 冬が来る前の恒例行事となった感がある。
 ヒップホップのルーツを探るためニューヨークからジャマイカ、アフリカへ飛ぶダンサー4人のハチャメチャ物語。男3人、女1人のダンスユニット。ヤマト、ヤヨイ、ジョウモンという名前は大和時代、弥生時代、縄文時代なのか。とすると紅一点の名前は何だっけ?
 
 まさに歌あり、ダンス(ブレイク、タップダンス等々)ありの世界。SETが標榜しているミュージカル・アクション・コメディの、ミュージカル部分を大きくフィーチャーさせた内容で大満足だった(もちろん昨年までも満足していたが、どうしても笑いとアクションに重きがおかれていて、ミュージカル的には?があった)。その分、お楽しみの三宅&小倉のかけあい部分が縮小してしまった気がしないでもないが。まあ、それは「熱海五郎一座」で満喫しろということか。

 日本のタップダンサーのトップをいくHIDEBOHのタップで会話するコーナー、長いタップのわりに、通訳がたった一言ですませてしまうというギャグはその昔のクレージーキャッツの「おかゆ」ギャグの応用。
 ハナ肇が病気の父親に扮し、娘のピーナッツが面倒をみているシチュエーション。初めて見たのは元旦のTV中継だった。ヨボヨボのハナ肇が長い長い意味のわからない台詞をしゃべり、それをピーナッツの二人が通訳する。それを聞いて第三者(見舞客?)が「あんな長くてそれっぽっちか!」。大笑いしたなあ。そんなわけで、オチはわかっていたけれど、ギャグの再生がうれしかった。

 クライマックス、幕が一瞬のうちに落ちる様に感動してしまった。もちろん幕が落ちた後の迫力は圧巻だ。まさに視覚と聴覚に訴える作り。迫力がそのまま心に響く。これも一つのアクションだ!

 芝居の後、森本さんのお店で飲み、帰宅。かみサンが録画していた「Dr.コトー診療所2006」を観ていた。このドラマ、個人的にはまったく興味がない。部屋着に着替えながら、何気なくTVを見ると、コトー医師が少女を診察している。その診断結果「特発性血小板減少性紫斑病です」に反応した。
「嫌な展開……」
 かみサンもひとりごちる。

 特発性血小板減少性紫斑病。簡単にいうと、血を凝固させる血小板が極端に少なくなり、全身に青あざができる症状だ。特定疾患の一つ。
 現在高校3年生の娘が、小学2年生だったとき、突然この病気に襲われた。
 あるときから足や腕に青あざが目立つようになった娘。原因がわからない。顔には血管の青い筋も見えてきて、何かおかしい。病院に行って、即入院となった。普通15万なければならない血小板が5千以下になっていると聞いたときは目の前が暗くなった。もし何か要因で出血でもしていたら……


●乱太郎とポケモンの日々 2006/10/31

 娘が特発性血小板減少性紫斑病で入院する前日だったと思う。家族でディズニーランドへ行った。
 確か2回めか3回めのディズニーランド。ピューロランドは初めてにもかかわらず、途中でもういいとゴネだした娘だったが、ディズニーランドは大のお気に入りだ。娘の満足顔に親もついつい夢中になってしまう。病気のことなんてまったくわからなかった。これまで同様大騒ぎしながら好きなアトラクションを駆け巡った。
 夕方、ビッグサンダーマウンテンを娘と二人で楽しんで、外で待っているかみサンのもとに駆け寄った。後にかみサンはこう述懐した。
「二人が手をつないでこちらに駆けてくる姿を見ながら思ったの、幸せってこういうことをいうのねって」

 夫婦は病室で囁きあった。もしあのときアトラクションに乗っている最中に何かあって、怪我をしていたら、取り返しのつかない事態をむかえていたかもしれない、と。あの日のことを思うと冷たいものが背筋に走る。

 入院して直ちに血小板を輸血した。これでとりあえず5千という極端な数値からは開放された。続いて、血小板の減少を食い止める、1本ウン万円する高価な、ガンマ・グロブリンの投与。特定疾患だから実際にはそれほど懐には響かないけれど。数値はすぐに正常にもどる。ところが翌日にはまた減少。毎日血液検査があり、血小板の数値で一喜一憂していた。
 同室には喘息を患っている子どもが多かった。普段は「どうして入院しているの?」という感じがだが、発作が起きると見ていられない症状になる。

 結局血小板の減少は止まらない。副腎皮質ステロイド剤投与に切り替えることになった。
 かみサンが浮かない顔をする。理由を聞くと「ステロイドには副作用があるのよ」と言う。顔が異様にむくんでしまうのだ。そういえば、中学時代、ネフローゼで長期入院していた同級生が退院してきたらまるで別人のような容貌になっていて驚いたことを思い出した。あれもステロイドの副作用だった。女の子なので、この点非常に心配したのである。
 ところが不思議なことに、副作用はほとんど見られなかった。確かに当時の写真を見ると、少し太ったかなという印象はあるのだが、驚くほどのものではなかった。娘の体質がステロイドにうまく適合していたのかもしれない。

 当時、娘はアニメ「美少女戦士セーラームーン」を卒業して「忍たま乱太郎」に夢中になっていた(脚本が、かの浦沢義雄なので父親もかなり楽しんでいたりして……)。TVだけではあきたらず、原作の「落第忍者乱太郎」(尼子騒兵衛)のコミックスも集めていた。新刊が発売されると、病院へ行く前に買い求めたものである。ポケモンもちょうどブームになった頃で、新しいソフトがでると、日曜日に街のおもちゃ屋、ゲームソフト販売店を探し回った。

 娘はその後何度か入退院を繰り返し、完治したのは中学1年だった。親としては血小板の数値による一喜一憂がなくなったことに心底ホッとした。

 特発性血小板減少性紫斑病というと、そんなわけで、娘の入院で右往左往した日々が乱太郎とポケモンとともに思い出されるのだった。




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 先週、BC二十世紀で「黒澤明研究会」なる団体の例会が開催された。一人の監督の研究会があるということがすごい。例会は3時間ほど。その後懇親会(呑み会)に。話題は「シン・ゴジラ」だぁ! 恐るべし「シン・ゴジラ」。

 11日(火)、「シン・ゴジラ」&「SCOOP!」を鑑賞。「シン・ゴジラ」は6回めだ。3回め以降は「宇宙大戦争」の伊福部マーチに乗って新幹線大爆破を起こすシーンを楽しみにしている。これ以降、展開はマンガになるのだが。
 「SCOOP!」は思っていた以上の出来。まさか泣かされるとは思っていなかった。

          * * *

 ●黒澤組 ある思い出 2008/05/12

 黒澤組のスタッフと一度仕事をしたことがある。
 照明の佐野武治氏だ。

 就職浪人しているとき、友人(高校の同級生)の紹介でスライド制作会社のアルバイトを始めた。当時オートスライドといって、スライドを連続上映しながらナレーターが入る、もう一つのPVとでもいうジャンルがあった。その後たぶんビデオオンリーになったのだろうが。その会社で、アシスタントプロデューサーというか、プロダクションマネージャー、いわゆる制作進行を担当した。半年後、お役目御免というときに運よくCM制作会社に就職。友人は正社員となってディレクターになった。

 しばらくご無沙汰していたのだが、結婚して無職だったときに、今度は1本いくらという契約で何本か担当した。
 郵便局のPVを制作することになった。これはスライドではなくビデオ。しかもドラマ仕立て。演出は会社の若手社員だった。制作のチーフはやはり契約で出入りしていた女性、僕はその助手だ。
 山中の郵便局。局長が郵便の妖精と出会い、今度導入される新システムについていろいろと講習を受けるという内容。
 そのロケが山梨だか、長野の山奥であった。一泊二日のロケだ。
 早朝、新宿スバルビル前にロケバスを手配して、スタッフキャストが集合した。このとき照明で参加したのが、佐野さん。一人か二人助手を連れてきたと思う。皆、「乱」のロゴの入ったジャンパーを着ていて、実にかっこよかった。
 局長、妖精、それから、局長の息子で郵便局で働く青年。3人の役者が揃うはずだったが、息子役が時間になっても来ない。連絡すると寝坊したらしい。後から追いかけるからと先に出発した。
 二台の車のうち、一台は僕の運転だ。
 その車中でとんでもないことを監督から言われた。
 時間に遅れるような俳優の卵なんて使えない。悪いけどお前やってくれないか。
「え~!」
 単なるエキストラではない。局長役の役者は、TVドラマで何度か拝見している中堅どころ。本職は舞台だったかもしれない。そんな人を相手に芝居をする、けっこう重要な役柄なのだ。台詞だってある。
 そんなわけで、その後の車中は芝居のリハーサルになった。助手席で制作チーフが台本片手に台詞の口立て。それを僕が芝居つけながら言う。運転しながら。
 おいおい、だ、まったく。

 僕の出演は思っていたより楽だった。ファーストシーン、お客さんを迎えて第一声。局内で局長とのやりとり。局長を残し、帰宅。出番を終えると、佐野さんに誉められた。
「新井ちゃん、いいよ、よかったよ!」
 その後の撮影が困難を極め、終了は夜中の4時になってしまったのだが。
 翌日は屋外の撮影。その最中、佐野さんが僕を見るたびに言うのだ。「新井ちゃん、よかったよ、うん、いいよ」
 天下の黒澤組にそうなんども言われると、ほかのスタッフも同調せざるを得ない。
 制作チーフなんて「わたし、マネージャーやるから、俳優やってみない?」 と言うのだ。
 ご冗談でしょ。
 とはいえ、悪い気はしない。
 完成したビデオを見ると、なるほど自然だ。まるで演技を感じない。
 ところが、スポンサー試写でNGがでた。局長と青年の関係がまずいのだそうだ。父親と息子ではなく、赤の他人にしてほしいと。台詞が書き換えられ、後日、アフレコとなった。
 これがいけなかった。スタジオに入って、モニター見ながら声をあわせることができない。自主映画でアフレコは経験済みなのに、プロの現場だと緊張しっぱなし。なんどもNGとなった。どうにかこうにかOKになったが、その出来は悲惨をきわめた。
 役者として二度とお呼びはかからなかった……。




 もうすぐリオ・オリンピックが始まる。
 そんなニュースをTVで見ていて、ああ、そうか、と思った。ロンドン・オリンピックからもう4年経ったのか、今日(27日)が開会式だったのか、と。

 4年前は最悪な年だった。
 こんなことを書くと、元かみサンや娘に「自分が蒔いた種じゃない! 卑怯だ」と言われるのは必須なのだが、大鳥居駅や品川駅のホームで「ここで飛び込めばすべての苦痛から解放されるのか」と何度思ったことか。もちろん、恐怖の方が先にあって、そんなことはできなかったのだけれど。

 半年間は仕事にならなかった。新しい職場(業務)に異動したばかりなので、覚えなければならないことがたくさんあった。当然、覚えられなかった。
 その報いは1年後にやってきた。まあ、いろいろあって、2ヶ月会社を休んだ。この間、考えた。会社をやめるべきか。しかし、マンションのローン、娘の教育費捻出……やめられるわけがない。
 金のために、金だけのために会社にいたようなものだ。
 もし、家族間のゴタゴタがなければ、今も会社で働いていたと思う。働いていれば、離婚はしていなかっただろう。別居していることに変わりないけれど。定年退職するまではそのままの状態が続くはずだった。

 しかし、やめてよかった。やめることで、どれだけ精神的に楽になったか。これが大きい。結果論でしかないことは十分わかっているけれど。

 とにかく毎日が楽しい。
 こんな日が来るなんて、4年前は考えられなかった。

     ◇

 ●鬱病・自殺 2008/05/27

 昨日の川田亜子アナウンサーの自殺に衝撃を受けた。別にTBS時代からのファンだとか、彼女が出演する番組の熱心な視聴者というのではない。鬱による自殺が他人事とは思えなかったのだ。
 少し前にネットニュースが川田アナの精神状態がおかしいと伝えていた。自身のブログで、マスコミで働くプロなら書かないような仕事に対する心情吐露をしているという。記憶で書くが、〈仕事に行きたくないか〉とか〈うまくしゃべれない〉とか、確かにまずい内容だと思う。その結果、ブログを休止する措置がとられた、が、すぐに復帰してお詫びの書き込みをした……感情が揺れ動いていることが手に取るようにわかる。しかし、だからこそ、直後の自殺が信じられなかった。
 本当に鬱の症状が重ければ、文章なんて書けるはずがない、と自分の経験から言えるからだ。
 HPを始めるまで、僕は日記を書いていた。その間、何度か中断している。原因は鬱病だ。はじめは気分がすぐれない、調子が悪いなんてことを書いているのだが、何てくだらないことを書いているのだろうとだんだんと自己嫌悪に陥ってくる。そのうち文章が綴れなくなる。頭に何も浮かばないのだ。
 過去のさまざまなことが頭の中をめぐり、自分の才能のなさ、存在のくだらなさに落ち込んでしまう。眠れなくなる。昼間は頭に重石を乗せられたような感覚。
 人と会うことが嫌になる。会って話しをすることで、その人(友人)との差が歴然として、余計落ち込んでしまうからだ。実際、思うようにしゃべれない。
「元気だせよ」「らしくもない」「俺だって同じだよ、でも頑張るんだよ」言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。落ち込む。
 気分を変えようと散髪に行く。自分のイメージと違う髪型。家に帰って鏡を見て、切らなければよかったとうじうじ悩む。眠れなくなる。アルコールを飲めば、眠れるかもしれない。缶ビールを買ってきて飲む。当時ほとんど酒が飲めなかった。案の定飲めない。オレはビールも飲めないのか。また落ち込む。明らかに体調がおかしい。病院(内科)に行って症状を訴えても「どこも異常はありません」。
 部屋から出ることが億劫になってくる。やがて、自分には生きている価値がないと思いはじめてきて、自殺の文字が頭をかすめる……。
 それから考えれば、彼女はブログを書こうという意思がある。外部(他人)と接触を持とうという気持ちがある。ということは、まだ鬱は軽い、とにかく精神科に行って、睡眠薬を処方してもらえれば良くなる。自分もそうだったのだから、と軽く考えていた。
 ところがあっけなく彼女は自殺してしまった。そこまで症状は重くなっていたのか。
 悲しい。何も死ぬことはないと思う。
 ただ、僕自身の最悪の状態を思い起こせば、彼女の追いつめられた心情は十分すぎるほどよくわかる。あの状態で大勢の客の前でしゃべる司会業や秒のタイムで進行していくTVの仕事なんて地獄の沙汰だ。目にするもの、耳にするもの、すべてが彼女の神経をすり減らしていく。考えただけで息苦しくなってきた。
 まわりの関係者は何をしていたのか。いや、それはどうしようもないのだ。たぶん、彼女がそれほどの状態になっているなんて外見からでは想像できないだろうから。ちょっとおかしいなあ、元気ないなあ、くらいでそれほど気にしていない。躁鬱を知らなければ当然のことだ。
 ご冥福を祈るしかない。


 ●鬱・父への電話 2008/05/28

 鬱病の末に自殺、というニュースはたまに耳にするが、本当にそうなのだろうか。あくまでも自分の経験からの漠然とした思いなのだが。
 確かに重度の鬱になると毎日のように「死」のことばかり考えるようになる。しかし、それは受動としての死なのだ。寝る前に「ああ、このまま、寝ている間に心臓が止まってしまえばいいのに」なんて思う。交差点を渡っているときには「信号無視した車が突っ込んできて轢かれてしまえばどんなに楽か」なんて。思うだけ。自分で行動を起こそうなんて考えない。飛び込み、飛び降り、クスリ。いくつかの自殺の方法が頭をよぎるが、どれも怖い。絶対にできない。少なくとも僕はそうだった。
 一度だけ、ほとんど発作的に台所の包丁を持ち出して、左手首を切り裂こうとしたときがある。刃を手首にあてたまましばらく硬直していた。それ以上何もできない。包丁をその場に置くと、すぐに郷里の父親に電話した。いつもの暢気そうな声が聞こえると、今何をしていたか、なぜできなかったか、自分の不甲斐なさを泣き叫んでいた。
 父は少しもあわてずこう言った。
「あのなあ、けーすけ。自殺をしようと思っている人間は、今、できなくても、いつかまたするんだ」
 息子が助けを求めているのに、その言葉はないだろう! 頭にきて電話を切った。少しは心配して、話を聞こう、そのためにこれから、あるいは明日アパートに行くから、バカな真似なんかするんじゃない、なんて言ってくれるのを心のどこかで期待していたのかもしれない。とたんに自分の行為(包丁を持ち出したこと、父親に電話したこと)がすごく愚かに見えた。恥ずかしくなった。
 10年ほど前のことだ。早朝、会社の屋上から若い社員が飛び降りて自殺した。当時総務部にいた僕に上司から指示がでた。午後、亡くなった社員の家族が遺体を引き取りに上京してくる(確か大阪以西だった)。社員の遺体は病院に安置されているので、病院で家族と落ち合って面倒みるように。
 自殺した社員の上司(部長)と一緒にタクシーで病院に向かった。部長によると、前日に当の社員から電話があったそうだ。相談したいことがあると。部長は仕事で忙しく、明日、会社で話を聞くからと言うと納得して電話を切ったという。自殺するまで追い込まれている風には感じなかった、翌日までなぜ待っていてくれなかったのか。沈痛な面持ちで部長は語る。そんなもんだろうなあ。僕は心の中でつぶやく。
 霊安室の外で待っていると、家族がやってきた。両親と妹さんの3人。挨拶をしたあと、3人が霊安室に入っていた。中から聞こえてくる叫び声や嗚咽に、その場にいるのがいたたまれない。耳をふさぎたくなった。
 落ち着いてからお父さんが話してくれた。昨夜電話があったと。いろいろ悩みを抱えていたことはわかったが、どうすることもできない。ただ慰めるしかない。近いうちにアパートに行くから、そのときじっくり話し合おう。こんなことになるのなら、すぐに息子のところへ飛んでいけばよかった……。
 もし、お父さんがその日のうちにアパートへ行っていたら、あるいは上司がその日に相談に乗っていたら、彼は自殺を思いとどめたのだろうか?
 会社の屋上に出て、飛び降りるまで、何を考えていたのだろう。躊躇はなかったのか。上司は翌日(つまりその日)話を聞くと言っているのだ。なぜあと数時間を待てなかったのか。
 死にたいという気持ちから死のうと決意する瞬間はどこで決まるのだろうか? 僕が包丁を持ち出したのはその瞬間だったのか。しかし、その後恐れをなした。父親の対応も効いている。あの情けない言葉で「死なねぇぞ」とはっきり思ったのだ。
 あの日もいろいろなことを考えた。
 人の心はわからない。ただ自分だったらはっきりしている。鬱に苦しみ「死にたい」という思いにとりつかれても、心の、たぶん自分でも意識していないところで始終「生きろ」のメッセージが発信されているのではないか。
 簡単に言えば、自殺する勇気がないということ。負の勇気というべきか。
 負の勇気の欠如。無くて結構、僕は大いに感謝している。




 今、DVDで「夜叉」を観ている。
 いしだあゆみが健さんの奥さんを演じている。
 ショーケンの奥さんを演じていたときもあったなぁ。
 本当の奥さんのときもあったし。

     ◇

●あなたならどうする? 2006/09/28

 昨晩京浜東北線の電車に乗っていたときのこと。
 夜の9時過ぎ、品川から乗り込んだ電車はかなり空いていた。座って本を読んでいると、どこからにぎやかな声が聞こえてきた。声ではなくTV番組の音声だった。車内では異質の音。かなり大きな音で車内にこだましている。
 読書をやめ、あたりを見渡す。音の出所はどこなのか? 
 最初はわからなかった。左右、前方、よく注意したがそれらしき光景は見当たらない。にもかかわらず音はすごく近くから聞こえてくる。
 ピンときた。僕が座ったのはドア横。座席とドア際に立つ人を隔てる壁(?)がある。その壁むこうを横からのぞきこむと…いた。若い男が床にすわって携帯電話のTVを見ていたのだ。
「ああ、携帯か」
 納得してまた本を開こうとして、ハタと気づいた。
「なんで、こいつ、生音でTVを見ているんだ?」
 たとえば、車内でウォークマン(今はiPodか?)をヘッドフォンなしで聴いていたらどうなるか。ヘッドフォンから漏れてくるシャカシャカ音さえ問題なのに。
 いや、シャカシャカ音だからイライラするのだ。たまに横にそういう人がいると思わず叫びたくなる。
「ヘッドフォンを取れ! どうせ聞こえてくるのならシャカシャカよりちゃんとした音楽の方がいい!!」
 話がずれた。携帯電話TVのことだ。
 若い男が電車の中でヘッドフォン(イヤフォン)をせずにTVを見ている。画面見ながらニヤけている。
「おい、ここをどこだと思っているんだ? 自分の部屋じゃないんだぜ。公衆の場。なぜそんなおおっぴらに音が出せるんだ? えっ!」
 僕は叫んだ。
 心の中で。
 それにしても誰か注意する人はいないのか。あ、オレが一番近い距離なんだっけ。周りを見渡す。携帯を熱心に見つめるOL、文庫本を読みながらチラチラと男を見る学生、無関心を装う中年サラリーマン。隣の女性は驚愕の眼差しだ。やはり僕なのか。
 もう一度奴の顔を見る。うーん、どこか正常でない雰囲気。注意して逆ギレされても困る。しかし、音はうるさい。注意すべきか否か。まるでハムレットの心境で数分間。
 と、電車は東京駅に到着。奴は降りていった。
 助かった。


●あなたならどうする? その2 2007/07/05

 問題は23時過ぎ、西川口の駅から自宅に帰る途中に起きた。
 ほとんど人通りのない歩道を歩いていると、若い女性とすれ違った。呼び止められた。振り返ると、女性が今にも泣き出しそうだ。
「あの、見ず知らずの人に、こんなお願いするのはいけないこととわかっていますが……」
 黒い縁の眼鏡をかけたスリムな女性。容姿は人並みプラスアルファ。
「身元を保証するものもないけど、月末にはきちんと返却しますので、九千八百円貸していただけないでしょうか?」
 泣いているけれど、涙は見えない。西川口の聖子ちゃんは何度も頭を下げる。
 金額を聞いて、ホッとした。
「それは無理です。今、財布にはそれほど入っていなんですよ。千円だったら貸せるけど」
 言ってから、しまった! と思った。千円でもいいから貸してくれと言われたらどうするんだ?
「……そうですか」
 聖子ちゃんはあっさり引き下がった。
 全くの赤の他人に1万円近くの大金をなぜ借りる? いやその前になぜ1万円ではなく、九千八百円なんだ? いったい何の目的で?
 いろいろ聞きたいことはあったが、深入りしたくないので、そこで回れ右した。
「別に返してくれなくていいよ、その代わり、これからちょっとつきあってよ」
 そう返答したらどんな反応を示しただろうか。いや、そのものずばり「やらせて」と迫ったら……。あっさりついてきたらそれもまた怖い。
 帰宅して家族に話す。
 かみサンが言う。「このまままっすぐ歩いていくと交番があるから、そこで借りたらいいって言えばよかったのに」
「交番は金を貸してくれないよ」すかさず答える。
「どうしてわかるの?」
「昔、借りようとして断られたことがあるから」
「いつよ? いつ?」
「もう結婚して、笹塚に住んでいたころ……」
「どうして?」
「それは、あの、ムニャムニャ……」
 かみサンと娘の冷たい視線を感じながら、猫ハウスを覗き込む。
「コムギ、また起きていたのか? どうした? 元気してたか?」 
 男同士だもんな、コムギだけだよ、オレの気持ちわかってくれるのは。


●あなたならどうする? 3.1 2007/08/23

 この前の日曜日、新宿でまぐま発行人と飲んだ後、帰宅したわけだが、ちょっと用があって、一つ手前の川口駅で降りた。改札口に向かっていると2、3m前を歩く女性のロングスカートが目には入った。小太りの20代の女性。ベージュのスカートの尻に赤黒い染みがあった。
 ピンときた。
 大昔、小学6年か、中学1年だったと思う。朝布団から起きた母親のパジャマの同じところに同様の染みを見つけて動揺したことがある。何も言えなかった。母親はそのままトイレに入って何食わぬ顔で出てきた。息子に見られたことを知っていたのか否か。
 前を歩く女性はスカートの汚れについて認識しているのだろうか? 認識しているのならいいのだがそうでなかったら? 誰か教えてやればいいのに。男のオレにはできない。ほら、そこ行く女性たち! 
 でも、ここで知らされてどうなるというのか。
 自分のことに置き換えてみる。社会の窓を全開にしていて、それを人の大勢いるところで教えられたら……。
 顔が真っ赤になるだろう。羞恥が一気に押し寄せるだけ。知らない方がいいのかもしれないな。
 二つの思いが交互に押し寄せ、ふと思った。赤の他人のことでどうしてあれこれ考えなければならないのか。それこそ恥ずかしくなって、早歩きして女性の横を通り過ぎ改札を抜けたのだった。
 以前にも似た状況があった。
 ずいぶん前のことだ。場所はJR品川駅。まだ改装前で、品川プリンスホテル側の改札と港南口を結ぶ地下通路があった時代だ。
 夜、飲んだ帰りだったか、ホテル側の改札に向かっていたら、前を行く女性がいた。後姿からかなりの美形だとわかる。服装にもセンスを感じる。ちょっと見とれていた。ヘアスタイル、うなじ、背中、ウエスト……。
 愕然とした。スカートがめくれあがり、下着が丸見えだったのだ!! 


●あなたならどうする? 3.2 2007/08/24

 前を歩く女性のスカートがめくれている。いや、めくれあがっている。
 パンツもろ見え。お尻全開。
 目が点になった。
 目の前の光景が信じられなかった。
 思わずあたりを見渡した。
「もしかしたらどっきりカメラかも?」
 どうみてもリアルじゃないのだ。
 スカートがずれ上がったというのではない。裾が腰のベルトに巻きついた、どうしてそーなるの!状態。トイレに行ってたのか? 自分で顔が赤くなるのがわかった。
 本人、まったく気づいていないから、颯爽とした歩きだ。それがまた哀しい。
 誰か注意する人はいないのか。というか、まだ誰も気がついてない。
 すぐにでも駆け寄って注意したくなった。できなかった。そのくらい恥ずかしい姿なのである。
 女性が改札を抜けた。とたんにあたりが明るくなって、黒のストッキングに包まれた白いパンティがくっきりと目に飛び込んできた。女性はそのまま右側の階段に向かっていた。駅構内はものすごい人だろう。完全なさらしものになってしまう。声をかけるべきか。いやその前に僕も同じ方向に行くのだから、このままでは下から覗く形になる。それこそ眺めはいいだろう。
 人間の、というより男の性とは不思議なもので、見えるか見えないかというのならわくわくしながら注視する。ところがあまりにあからさまだと逆に躊躇して目をそむけたくなる。後ろからついていきたくない。そう思って、歩みを止めた。
 すると後からやってきたスーツ姿の若者たち(確か3名だった)が僕を追い越しながら、その光景を見つけたのだ。
「なんだ、あれ?」
「マジかよ」
「わぉ!」
 若者たちは階段を上がっていった。階段はもしかしたらエスカレーターだったかもしれない。
 いてもたってもいられなくなった。回れ右して、構内に続く階段(エスカレーター)とは反対の、地下通路へつながる階段を駆け下りたのだった。
 だからその後のことはまったく把握していない。
 スケベである。若い頃は日活ロマンポルノを映画として観ていなかった。(今は違う。だから後悔している。まあ、年齢を重ねなければわからなかったことでもあるのだが。)
 アダルトビデオは今でもたまに見る。かつてアテナ映像の代々木忠作品に夢中になり、一時V&Rプランニングのバクシーシ山下に浮気した。今はBABY ENTERTAINMENTか。
 にもかかわらず、目の前の光景があまりにあからさまだと逆に目をそむけたくなる。
 嘘ではない。
 実は、もっととんでもない光景、女性のあられもない姿を真近にして、始終顔をふせていたことがあるのだ。興味とは逆に。
 ある土曜日の午前中、それは京浜東北線の車両で起きた。


●あなたならどうする? 3.3 2007/08/27

 某社から今の会社に出向してすぐのことだったから、十数年前になる。
 当時は毎月土曜日に管理職を対象にした全体朝礼というものがあった。社長、会長のスピーチを拝聴する1時間のためだけに、出社するというのもどうかと思っていたが、まあ、あのころは業績は最高潮、社長の言葉は神の声だったから、役員以下管理職はありがたくスピーチを拝聴するのだった。
 もちろん、管理職でない僕には関係ない行事。にもかかわらずI部長のお供として参加させられていた。
 後に、部署が異動になって、この朝礼の企画運営、司会を担当するなんて思いもよらなかった。このときは土曜日でなく平日に変更になっていたけれど。
 その日。朝礼が終わって京浜急行で品川へ出た。JR京浜東北線に乗り換える。
 1時間の朝礼のために往復3時間かけるのだ。いつもなら、有楽町で降りて映画を見たり、銀座の本屋散策にいそしむのだが、この日はそのまま西川口に向かっている。何か予定があったのだろうか。覚えていない。
 昼前。車両にはほとんど乗客がいなかった。
 それまで本を読んでいたかうたた寝していたか、気がつくと上野駅を通過したところだった。正面を見ると前の席に座る女性の行動が目に入った。年齢は20代後半から30代前半といった感じ。容貌は、これまた覚えていない。長いスカートをはいていたことだけ記憶にある。家庭用のビデオカメラを手にしていた。ファインダーを覗き、ホワイトバランスを調整したりフォーカス合わせたりしている。少ししてカメラを座席に直置きした。カメラをそのままにして、反対側の、僕が座っている席に移る。僕が座っているのは席の端、ドアのところ。女性は真ん中よりちょっと向こう寄りだった。
「何しているんだろう?」
 カメラを見た。レンズは女性が座った位置に向いている。
「撮影しているのか? でもなぜこんなところで?」
 女性は両足を座席を乗せた。左右に大きく開いた。
 あわてて視線をそらした。
「な、な、なんだこれは!」
 目はカメラの方を集中しながら、意識は完全に女性に飛んでいる。
 スカートの中を撮っている。そういえば、パンスト穿いていなかった。もしかしてノーパン……?。
 いったい中はどうなっているのか? 限りない妄想が頭の中をうずまきはじめた。
「AVの撮影だろうか? この女性、AV女優か?」
 確かに女優のセルフ撮影なんていう作品もあることはある。女性は近くにいる僕なんて眼中にないかのようにさまざまなポーズをとりだした。鼓動が激しくなった。ものすごく興味ある。なのに恥ずかしくて見られない。目をふせるしかない。でも、気になる! ほかの乗客がこの光景をどう見ているのか? 女性の反対側に顔を向ける。遠くに客が二人いたが、まったく気がついていないようだ。
 たとえば、一般車両で痴漢行為やファックシーンに及ぶAVを見ることがある。いや、あった。
 いつも思うのは、まわりの乗客がまったく気がついていないことで、それがどうにも不思議だった。どう考えても、視線に入っているはずなのに、皆われ関せずみたいな顔をしている。
 同じような状況になってわかった。見て見ぬフリをしているのだ、たぶん。きっと。至近距離であからさまな行為をされると思考とは別にある種の恐怖がともなって正視できない。
 単にお前に度胸がないだけじゃないか! 
 そうかもしれない。
 電車が王子駅に着くと、女性は何事もなかったかのようにビデオカメラをバックにしまって降りて行った。




 魚民のちょい呑みサービスにハマってしまった。昨日で3日連続だ。

 仕事が終わって、帰宅前に読書するようになってどのくらいい経つのだろうか。
 最初はカフェだった。地元・西川口のモスバーガー、通勤で乗り換える品川駅前のアートコーヒー、マクドナルド。
 その後、会社のある大鳥居の駅内にできたドトールが憩いの場となる。喫煙室で1時間ばかり。タバコをやめてからも喫煙室で過ごした。口がさびしくて、菓子パンを購入するようになるのだが。

 やがて読書のお供がコーヒーからアルコールになった。
 川口駅前の図書館に寄った帰り、さくら水産に立ち寄るようになった。カウンターで読書。
 あるいは西川口駅前の居酒屋。日本酒2合ばかり。つまみは2、3品。料金は1.000円前後。

 最近は焼鳥日高に立ち寄る割合が増えた。ここでホッピー(白)を2杯、つまみ3品ほど頼み、締めは焼きそば。これで1,500円程度。
 その感覚で魚民を利用したのだが、これが良い。
 ホッピー2杯(あるいは角ハイボール。ハイボールは好きじゃないので)。つまみ3品。これで税抜き888円。実際は960円で、このあと締めでオムそば(半額)を注文して1,300円でおつりがくる。
 「大河ドラマと日本人」(星亮一・一坂太郎/イーストプレス)を読了した。

          * * *

●ウェディングドレスde神前結婚 2005/11/15

 その日、眼科を訪ねた。
 目の調子がおかしかった。眼圧が非常に高くなって瞳孔が開き放しになったような状態。太陽光のもとでは文字が全然読めない。特に白バックだと文字自体見えない症状なのだ。
 診察を終えた医師が言うにはナントカカントカ症候群。緑内障だか白内障だとかによく似た症状で、ストレスが原因とのことだった。
「酒や煙草は厳禁。安静にしてなさい」
 医師は言う。
「明後日、結婚式なんです」
 場所柄アルコールをまったく飲まないわけにはいかないと理由を話す。
「欠席しなさい。失明したらどうする? とにかく安静が一番なんだから」
「あの…… 自分の結婚式なんですけど」
「なに?!」
 1986年の11月だった。
 もともと式など挙げる予定などなかった。カミさんもそういう考えで(だから一緒になろうと思ったのだ)、東京にお互いの両親(うちは母親が寝たきりなので父一人)を呼んで食事しておしまい。そんな段取りを組んでいたら、父が「けじめをつけろ」と言い出した。
 別に豪華な結婚式をすることはないが、勝手に同棲から結婚すると、世間に対する責任感が生まれない、だから簡単に離婚してしまうんだと。
 父親は父親なりの結婚式を考えていたらしい。親戚一同を集めて温泉に一泊して披露宴らしきものをやろうと提案してきた。
 式は、地元の高山神社。衣装は平服。そう決めたはずなのに、写真だけでも撮れということになって互助会から借りた衣装(カミさんの容貌から着物よりドレスにした)を身につけたら、せっかくだからそのまま式を挙げてしまおう……。
 ちょっと待て! これから行くところは教会じゃないんだ。神社だぞ。ウェディングドレスで神前結婚式なんて聞いたことない。おかしい!
 しかし父親も祖父母も媒酌人も「そんなことどうでもいいよ」だった。実際白無垢でなければいけないなんて決まりはないのだが。
 
 さる高貴なお方がウェディングドレスを着て神前結婚されると新聞で知り、約20年前の出来事を思い出した。
 これからこの手の結婚式がちょっとしたブームになったりして。
 まさかね。




●巨人・大鵬・玉子焼き 2005/05/31

 「巨人・大鵬・玉子焼き」の最後の世代だと思う。甘い玉子焼きより醤油をかけて食べる目玉焼きの方が好きだったけれど。
 小学6年生だったか。祖母の家で叔父たちと夕方の相撲中継を見ていた。大鵬の取組相手は細い小兵力士。若手でめきめき力をつけていると評判だった。熱戦の末、大鵬が敗れ翌日引退を発表した。少年にとって相撲の代名詞だった大鵬を倒したのが貴ノ花だった。いっぺんにファンになった。以来、新聞や「大相撲ダイジェスト」で貴ノ花の勝敗に一喜一憂した。
 ライバルの輪島は順調に出世して横綱になった。貴ノ花は大関になってからというもの、大事な一番で星を落とすことが多かった。よくて10勝か11勝、だいたい勝ち越すのがやっとだった。
 そうなると場所が始まるたびにヒヤヒヤもんだ。勝てば翌日の新聞のスポーツ欄を何度も読み返す。負けると1日気分が悪かった。
 大関は2場所負け越すと陥落する。貴ノ花も何度もその危機をむかえたものだ。そういう場所に限って調子がよかったり、とにかく勝ち越してピンチをしのいだ。今思い出すといつもハラハラしながら貴ノ花の相撲をみていたような気がする。負け姿を見たくない思いが高じて途中休場するとホッとしたり……
 だからこそ2度の優勝、特に初優勝の時は両手をあげて部屋の中を飛び歩いた。相手がヒールの北の湖なのだから喜びは2倍、3倍だった。
 優勝はしても後が続かない。そのうちクンロク大関などとマスコミに揶揄されるようになった。9勝6敗は白星が黒星を二つ先行しているのだから、恥ずかしい成績とは思えないのだが、大関クラスになると物足りないのだろう。つまり強い大関なんていないのだ。強ければすぐに横綱に推挙される。ということはどういう意味か。
 その手の記事を読むたびに舌打ちしていた。大受なんて一度大関を陥落してからというもの、一直線に番付を下降していき「誰ぞ大受に愛の手を」なんて囁かれていたのだから。大関に踏みとどまっていることだけでもすごいことではないか、評価すべきじゃないか、と。 
 貴ノ花が引退を発表すると、マスコミの態度が急変した。名大関の名称はこのときからついた。今では〈昭和の名大関〉だ。
 ふざけるんじゃない! てめえら現役時代酷評しまくったのを忘れたのか!!
 引退して藤島部屋を創設。関取第1号が安芸ノ島だった。そんなわけで僕は十両時代から安芸ノ島を応援していた。二人の息子が角界入りして若貴ブームになったとき、若ノ花を贔屓していた。小さい頃から彼らを見ていて、何かにつけてお兄ちゃんの方がハンデがあったからだ。若ノ花を応援していると、若貴ブームに便乗したにわかファンと見られてくさったこともある。先代の貴ノ花が大鵬を破った時から……僕の言い訳は長くなる。
 二子山部屋を吸収する形で合併することには反対だった。0から始めた藤島部屋を大きくしてほしかった。本人もその意思はあったらしい。しかし師匠の言葉は絶対。現役時代も師匠の指示で何度か改名したっけ。思えばこの頃から何かが変わっていったような気がする。
 今、貴花といえば横綱・貴乃花だろう。僕にとっては先代の大関貴ノ花だ。貴ノ花には大関の文字がよく似合う。
 元大関貴ノ花のあまりに若すぎる死。覚悟はしていたけれど、やはり悲しい。
 合掌。


●父の涙 2005/06/02

 涙もろい方である。たぶん母に似たのだろう。子どものころ、母はTVのドラマや映画を見ながらよく涙を流していた。その横で母ほどではないけれど、僕も頬を伝わるひとすじ、ふたすじ光るものを感じていたものだ。
 「魔法使いサリー」のあるエピソードでは嗚咽するくらい感情が高ぶり、コタツの中にもぐりこんで涙をぬぐったこともある。
 父は違った。どんな映画を見ても表情を変えたことがない。家族でドラマを見ていて、こちらの感情を揺さぶるシーンを目の当たりにすると真っ先に父の顔を盗み見た。とりたてて何があるわけでもなかった。
 父は別に威厳があるわけではない。亭主関白とはほど遠い存在。にもかかわらず感情という面においてはとてもどっしりしていた。
 泣く姿を人に見られたくない、人前で泣くのは恥ずかしい。そんな思いが強いのは父の泣いている姿を見たことがなかったからだと今になって思う。
 涙もろいのは大人になっても変わらなかった。
 困るのは映画館である。場内が明るくなっても涙が乾かないと恥ずかしくてたまらない。
 大学2年時、彼女と「ねらわれた学園」&「野菊の墓」を観た。大林監督の「ねらわれた学園」が目当てである。併映の「野菊の墓」は松田聖子の主演ということでバカにしまくっていた。にもかかわらずラストで泣いた。当然隣の彼女も泣いているものと気をゆるしていたら、明るくなってから「はい」とハンカチを渡された。見るとニコニコ顔。その顔にはよくこんな映画で泣けるわねと書いてあった。
 娘が小さかった頃、せがまれて「セーラームーン」の映画を観に行ったことがある。かなりストーリーに夢中になってしまい、クライマックスで涙が流れた。やばい、と思いながらも場内は暗いし、娘はスクリーンを凝視しているので気づかれることもないとタカをくくっていた。家に帰ると「おかあさん、お父さんったら、セーラームーン見て泣いているんだよ」だって。しっかり観察されていた。
 一生父の涙なんて見ることはないと思っていた。そんな父の涙に初めてふれたのが母の葬儀だった。喪主の挨拶時に急に涙ぐんだのである。
 もう後がないと言われて1年あまり。すっかり心の整理もついてのぞんだ通夜であり葬儀だった。よもや父が泣き出すとは考えてもいなかった。父の嗚咽する姿にショックを受けまた感激した。
 あの時流した僕の涙は母を失った悲しみによるものではなかった。




 ハリウッド映画の〈事実を基にした〉映画化作品について、いつも眉唾ものとして観ている。まあ、映画なんだから仕方ないのかもしれないが、それにしたってあまりに事実とかけなはれた描写はいかがなものか。

     ◇

2002/05/28

 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡」(シルヴィア・ナサー/塩川優 訳/新潮社)  

 映画「ビューティフル マインド」を観て、2点ばかり気になったことがある。  
 本当のところ、主人公ジョン・ナッシュの妄想とはどういうものだったのか、妻との関係は映画みたいな美談めいたものだったのか、ということだ。  
 映画の批評で原作とかけ離れた内容との指摘があったが、どの程度違うものなのかを確認したい気持ちもあって、図書館にリクエストしたのだった。  

 読了した今、映画は原作とは別物と考えた方がいいことがわかった。映画は原作から天才数学者が精神分裂病を克服して後にノーベル賞を受賞するという事実だけを借りた、まったくのフィクションと言わざるをえない。ジョン・ナッシュおよびその妻からインスパイアされた架空の人物を創造すべきではなかったか、と。  
 実際ナッシュ夫妻は映画を観てどう感じたのだろうか。映画の内容に納得するのだろうか。自分たち夫婦の物語だと全面的に受け入れることができるのだろうか。  

 そうそう、まずお断りしなければならなことがある。  
 映画「ビューティフル マインド」の感想で、主人公を演じたラッセル・クロウと比べて本物のジョン・ナッシュは数学者というイメージから貧弱な体躯の小男ではないかと書いたのだが、これがまったくの間違いであることがわかった。本書に収録されている写真を見ると、若かりし頃のナッシュはなかなか〈いい男〉であり、驚くほどりっぱな体格をしている。身長183cm、体重77kg。「肩幅が広く、胸は筋肉がもりあがり腰は細くひきしまっていた」と文章にもある。「容姿はギリシャ神話のように見栄えがよかった」そうだ。ラッセル・クロウの配役はぴったりといえるのだ。(ちなみに妻のアリシアもかなりの美人で映画のジェニファー・コネリーも的確なキャスティングなのである)  

 天はニ物を与えずといわれるがジョン・ナッシュに限っては明晰な頭脳と見てくれのいい外見を備えていた。とはいえ、性格がとんでもなかった。映画でも変人として描かれているが、通り一遍の変人ぶりで嫌悪するほどではない。僕はすんなりと感情移入することができた。  
 実際は映画の比ではない。高慢ちきで身勝手、ケチで差別主義、能力の劣る者に対しての蔑み等々、身近かに、もしこんな人がいたら絶対そばに近づきたくないタイプ。たまらなく嫌な奴なのである。  
 結婚する前に別の女性とつきあって子どもをもうけた。しかし結婚する気はない。自分の妻になるには教養がなさすぎる。とはいえ別れるつもりはない。会いたい時に会う。子どもを抱えた女性は生活するのも大変だというのに、生活費を入れるわけでもない。収入はそれなりに得ているのに、である。最低な男ではないか。  
 バイセクシャルでもある。数人の男性と深い関係にあったという。  
 天才とははなはだそういうものである、のかもしれないが、それにしても不思議なのはそういう彼にちゃんと友人がいることだ。暖かく見守り、困った時は何かと手をさしのべてくれる。破綻した性格でも天才はその業績だけで世の中が受け入れてくれるのだろうか。  

 本書はジョン・ナッシュの生い立ち、学生時代から現在までの長い年月を友人や関係者の証言で構成された労作といえるものである。著者のシルヴィア・ナサーは3年間関係者を取材したという。  
 ゲーム理論、幾何学、解析学の幾多の定理、概念に名を残しているとあるが、やはり数学大嫌い人間の僕にはとんと縁のない人だ。  
 面白いのはナッシュ家では代々男の名がジョンであること。欧米ではよくあるパターンではあるが。父がジョン・フォーブス・ナッシュ・シニア、本人がジョン・フォーズス・ナッシュ・ジュニア、愛人の子がジョン・デヴィッド、正妻の子がジョン・チャーチルという具合。  

 前半は少々退屈だった。というかナッシュに対する反発ばかりで怒り心頭状態だった。  
 ナッシュが発病してからは、こちらがそれを期待していたからもあるのだろうが、ぐいぐい引き込まれる。   
 思ったとおり、映画の妄想はオリジナルだった。やはりその症状は躁病のそれと似ている。妻に裏切られたと暴力をふるうところが僕には理解できないが。読む限りでは発症の要因がわかならない。躁鬱の場合は、(あくまでも個人的なのかもしれないが)要因ははっきりしている。将来に対する漠たる不安なのか。  
 症状が進行していき、一時はホームレス寸前まで落ちぶれたジョン・ナッシュだが、奇跡的に快復、ノーベル賞受賞したのは映画で描かれたとおり。ただし、妻との関係は映画みたいなきれいごとではすまなかった。確かに病気になった当初はいろいろと面倒みるが、何度か繰り返すうち気持ちは離れていく。やがて別居。離婚。(後にまた復縁する)  
 ここらへんの夫婦間のやりとりは納得できる。映画の中のアリシアはあまりに出来すぎた人物だもの。ただ、妻との夜の生活に応えたいとばかりに毎日服用しなければならない薬をやめてしまい、また症状がぶり返す、僕が映画で一番切実に感じたエピソードも実際にはなかった。  

 映画では愛人問題、同性愛とともに触れられていない事実がある。僕自身もかなりショックを受けたのだが、成績優秀な息子(ジョン・チャーチル)が大学時代に同じ精神分裂病に見舞われてしまうのだ。やっと取り戻した平穏な日常に襲いかかった悲劇。親としてこれが一番つらい現実ではないだろうか。  

 治癒したからこそ言えることは重々承知のうえで言う。  
 ジョン・ナッシュは狂気をさまよったことによって人間性を取り戻せたのではないか。友人、家族のありがたさを知ったのではないか。天才のまま人生を送っていたらどんな人間になっていたことか。数学界にとっては大いなる損失だったのだろうが、僕にはそう思えてならない。




 本日、9時に北浦和駅でかみサン(元)と待ち合わせ、浦和年金事務所へ行き、分割の手続きをとる。女性の担当者が処理をしてくれたのだが、こちらに対する呼び方が「旦那さん」「奥さん」なので、言われるたびに「元ね」と訂正していた。
 終わってから駅前の喫茶店でモーニングセットを食べて別れる。
 かみサンは歩いて浦和駅へ、僕はさいたま新都心へ。もちろん歩いて。
 MOVIXさいたまで「スポットライト 世紀のスクープ」を鑑賞。ラストの字幕で仰天すること間違いなし。
 その後浦和駅まで歩く。本当は西川口まで歩こうと思っていたのだが、雨が降ってきたのであきらめた。焼鳥日高で一杯。

 かみサンにはいろいろ苦労をかけた。
 すべて自分のせいで別れることになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

     ◇

2002/03/20

 「ビューティフル マインド」(よみうりホール 試写会)  

 他人事とは思えない映画だった。  
 数学大嫌いな僕が、この映画の主人公であるジョン・F・ナッシュという天才数学者が実際に存在していることや彼が1994年にノーベル賞を受賞したことなど知るわけもない。試写会に誘ってくれた友人から事前に主人公の精神障害云々の物語であることを聞いていた。にもかかわらず、映画が始まった時にはすっかり忘れていた。  
 他人事と思えなかったのはその精神障害のこと、そのことでかみサンに多大な迷惑をかけたことなのだ。
 
 冷戦下の時代、主人公のジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)がプリンストン大学に入学したところから映画は始まる。出身地ウェストバージニアで〈数学の天才〉と謳われたナッシュはライバルのハンセン(ジョシュ・ルーカス)が続けざまに論文を発表する中、独自の理論を発見するため、授業に出席することもなく、目にすることすべてに数学的考察を重ね、窓ガラスに方程式を書き連ねる毎日を送る。人とつきあうことが極端に苦手で研究に没頭し、クラスメートから変人扱いされる彼の唯一の友はルームメートのチャールズ(ポール・ベタニー)。  
 ある日、ナッシュは大学のバーに入ってきた絶世の美人の女子大生に声をかけてごらんとのクラスメートの言葉からこれまでの理論を覆す新理論を発見した。この功績によって卒業後憧れのウィーラー研究所に配属されることになる。  
 意気揚揚と研究に励むナッシュ。そこへ国防省の諜報員(エド・ハリス)が現れた。ソ連で極秘に開発している小型原子爆弾が秘密裏に合衆国に運ばれる。そのルートを示す暗号が新聞、雑誌の紙(誌)面に載るので、それを見つけだし、解読せよ。  
 同じ頃、担当する講義の聴講生(ジェニファー・コネリー)と知り合い、結婚する。  
 結婚後も黙々と雑誌の記事から暗号を選び出し、解読した書類を夜な夜なある邸宅の郵便ポストに投函する作業を繰り返す。 
 かつてのルームメイトのチャールズがかわいい姪っ子を連れて遊びにきたりする。気の置けないチャールズにも任務のことは打ち明けることはできない。
 ナッシュにとってつらい毎日が続く。  
 ソ連の小型原子爆弾の話や諜報員から特殊任務を請け負う際の左腕に暗号を記したチップを埋め込む作業など、まゆつば的な展開になって、おいおいこの映画、実話ではなかったのか、と狐につままれた気分になるのだが、ナッシュの、仕事部屋に錯乱した雑誌類の切り抜き、手当たり次第に書き込みしたメモの異様さを目の当たりにして「もしかして?」と思い直したら、案の定、すべて彼の妄想だった。  

 似たようなことを僕も十数年前に経験している。いわゆる躁病になってある妄想にとらわれた僕は郷里に連れ戻された。自宅謹慎になっても妄想はますますひろがっていって、毎日とんでもない行動をとっていたのだ。  
 僕の場合、ある団体が僕を中心にした巨大プロジェクトを計画し、会社の人間、家族、友人たちも裏で協力して僕をそのプロジェクトに巻き込もうとしている、その右往左往する様を記録し、最後にあっと驚く発表をする、という妄想だった。僕はその計画に気づいているのだが、その団体との間には、気づかないふりをして毎日をすごさなければならないという暗黙の了解がある。とにかくあわただしく心休まる日がなかった。TVをつければ、番組の出演者は暗に僕のことを話題にするし、新聞や雑誌を読めば、まるで僕に読まれることを意識した内容の記事がそこにある。  
 ナッシュが雑誌を漁り、暗号を見つけ出すくだりでは、まさに当時の新聞や雑誌を読んではニヤニヤしていた僕自身の姿がダブってくるのだ。  
 街を歩いていると行き交う人がすべて自分に注目している。こいつらも一味なのか? だったらこちらも演技してやれ。まるでどっきりカメラのノリで対応してしまう。今、どこからカメラが自分を狙っているのだろうなんて考えながら。  
 今思い出しても冷や汗がでる。怖い。
 
 妻に隠れて危険な諜報活動を行っている(と自分では思っている)ナッシュはやがて見た目にも憔悴しきって、救いの手を差し伸べる精神科医が登場する。ナッシュは自分がおかしいなんてまったく思わないから激しく抵抗する。それこそソ連の陰謀だろうと疑心暗鬼にみまわれる。
 
 僕も当時まったく同じだった。「病気だ」と言われても信じられるわけがない。心配し、いろいろと訊いてくる家族や友人と対話しながら、これもシナリオのうちなのか、裏でプロジェクトチームの責任者と打合せをすませているのだろうと僕はたかをくくっている。で、あまりにしつこいから、つい口にだしてはいけない〈プロジェクト〉のことをチラっと話すと、とたんに顔色を変える。「ああ、やっぱり」僕は安堵する。「やっぱりプロジェクトが進行している……」  
 今思うとあの時の顔色の変化はまったく違うことだったんだとわかるのだが……。精神科に連れて行かれても、医師を前にして病気じゃないと主張していたのだからざまがない。
 
 ナッシュは自分を敵に売ったのは信頼していたチャールズではないかと、チャールズの裏切りを激しく批難する。隠れて彼を見守るチャールズの申し訳ない顔が胸を刺す。ここで精神科医の言う一言が衝撃的だ。奥田英朗「最悪」(講談社)にも同じようなくだりがあったっけ。  
 ナッシュは精神分裂病と診断される。発症は学生時代からだという。その傾向が見られなかったかとの医師の問いにクラスメートは「昔から変人だったから」と答える。  
 それから妻の献身がはじまるわけだが、これも観ていてたまらなかった。  

 躁状態で結婚した僕は、躁鬱病に関する本を読み、それまでの出来事がすべて躁病の症状にはてはまることに愕然とした。自分の妄想であることがやっとわかり、一気に鬱になってしまったのだった。仕事もせずずっと部屋に閉じこもり、何もできない。またまた精神科のお世話になり、精神安定剤の薬を毎日飲む始末。薬を飲んだ直後に外出し、商店街をラリった状態で歩いていて帰宅途中のかみサンと鉢合わせするなんてことがあった。
 いつまた発病する(妄想を抱く)のではないかと、びくびくしているジェニファー・コネリーの表情、態度はあの頃のかみサンそのものだ。
   
 妻の献身的看護で治ったかのように思えたナッシュは、あることにより薬の服用をやめ、病気が再発してしまう。  
 薬を常時服用していると、男の能力を減退させてしまうことになる。夜、妻が求めてきても応えることができない。その時のジェニファーの怒りがすさまじかった。拒否されたことにより、これまでの苦しみ、寂しさ、むなしさが一気にこみあげてきて爆発したのだろう。それを見たナッシュは以来薬を飲まなくなる。
 
 ここも昔を思い出してつらかった。
 躁状態の時とうってかわって、性欲はなくなり、下半身はまったく反応しない。おまけに夜は精神安定剤のため一度寝たら朝まで起きない。
「ガアガアいびきをかいて寝ているあなたを見ていたら、涙がでてきてたまらなかった」
 ずいぶん後になってかみサンの言った言葉が耳にへばりついている。  
 もうこの辺でやめよう。きりがない。

 主演のラッセル・クロウは前作「グラデュエーター」と180度違う役柄に挑戦し、見事成功している。
 役者には役を自分に近づける者と自分を役の方に近づける者と2つのタイプがあるが、彼はまさしく後者の方だ(本当はこれに大根役者が加わって3タイプになるのだが。)映画のたびに印象が違うのだから恐れ入る。
 ただしガタイの良さだけはいかんともしがたかった。
 実際のナッシュがどういう人か知らないけれど、映画に登場するようなキャラクターならば、見るからに華奢で少々病的なタイプではないかと思う。ところが半そで姿のラッセル・クロウの二の腕や胸板の太いこと、厚いこと。ぜったいスポーツやっている優良児のそれだもの。でも、まあ、許しましょう。  
 エド・ハリスがかっこいい。まるで昔の手塚治虫のマンガに登場してきそうな諜報員だ。禿げでも魅力を感じる男。ショーン・コネリーと双璧をなす。
 メーキャップの巧さが特筆もの。1940年代から90年代まで、主演の二人は見事に年齢を重ねていく。確かに登場したての頃は本当に当時の大学生っぽさ、初々しさがあるし、晩年の恰幅のいい老人(マーロン・ブランドと見間違えるほど)にも不自然さはない。ま、アメリカ映画は伝統的に老いていくさまのメーキャップが巧いのだが。(「ひかる源氏物語」のメーキャップアーティストの方、見習ってくださいよね)  
 この映画に関しては映画を映画として楽しめない自分がいた。感動的な物語という賞賛、実話とかけ離れた描写があるという批判なんてどうでもいい。  
 ロードショーされたら、かみサンともう一度観ようかな、と思った。
「この夫婦はいいわよ。さんざ苦労したって夫のノーベル賞受賞で報われるんだから。あたしはどうなるの? あなたの夢の実現を信じて、結婚して、新婚生活を躁鬱病でめちゃくちゃにされ、その後も……(以下略)」  
 ぜったい夫婦喧嘩になるな。やめておこう。




 太田市の法務局(正式名称は前橋地方法務局太田支局)は、太田駅の隣、三枚橋駅から歩いて5、6分のところにある。
 三枚橋には学生時代、強烈な思い出がある。

     ◇

●慢性躁病 2005/05/16

 某映画雑誌の最新号に「IZO」に主演した俳優と内田裕也の対談が掲載されていた。
 「IZO」は豪華ゲスト陣が話題になった。脇役が有名人ばかり、主演が一番知られていないなんて評されていたような。結局映画は観なかったが、雑誌の、内田御大の相手をする俳優の名前と顔に見覚えがあった。すごく懐かしい感じがした。その理由がわからなかった。
 Sさんのブログを読んで氷解した。
 そうだ、そうだった。この俳優、映画降板に腹を立て、監督を刺した人なのだ。
 人間、誰だって有頂天になったり、落ち込んだりする。躁鬱なんて誰にもあることだろう。ただ下限や上限が決まっているだけ。その範囲の中では自分の気持ちの持ちようでなんとかなる。僕が中学、高校生だった時は、落ち込んでも翌日になるとケロっとしていた。自分で「ウツ」だ「ソウ」だなんていっているうちは病気でもなんでもない。
 本当の鬱になると手がつけられなくなる。まず夜寝られない、朝は起きられない。外出がおっくうになる。食欲がない。動悸が激しい。頭に重石をのせられたような感覚。何も考えられない。過去のいろいろなことが思い出され、すべてを否定したくなる。夜寝る時、このまま心臓が止まってしまって目が覚めなければいいのに、なんて思う。通りを歩いていて、暴走した自動車が自分に向かってくれば…変な期待をしてしまう。頭の回転が働かないから文章も綴れなくなる。
 普通なら何でもないことをやけに気にする。たとえば、気分転換のため散髪に行ったとする。そのスタイルがどうにも気に入らず、人に会いたくなくなる。約束をすぐ反故にする。反故にしたことを気にしてまた落ち込む。自分は最低、最悪。生まれてきたこと、生きてきたことを呪う。
 鬱はつらい。つらすぎる。
 他人に対して迷惑ばかりかけて……本人はそう思っているのだが、実はそれほどのものでないことが多い。本当に多大な迷惑をかけるのは躁の時である。
 Sさんの「IZO」主演俳優との思い出話を読むと、その言動が、程度の差はあるものの、躁状態だった自分とダブるのだ。あくまでも想像だけど、この方、慢性の躁状態ではないかと思ってしまう。

 というわけで、躁鬱の話です。
 たぶん、長くなります。


●うつ鬱とウツ 2005/05/17

 大学時代の3年、4年の春に鬱を経験している。原因は母の病気だった。
 脳腫瘍。正式な病名は右小脳テント髄膜腫。腫瘍自体は良性だが、場所が脳の奥で切除するのが難しいとのことだった。12時間に及ぶ手術はとりあえず成功した。が、術後の肺炎で危篤に陥った。驚異の生命力で危機を脱出したが、その後の経過がよくなく、寝たきりになった。
 家が電気店を営んでいて、高校生の弟がいたから、夏休みや春休みは自宅で主婦業の毎日を送った。母親の具合がよくなっていくのであれば、張り合いもでてくるのだが、そのきざしが見えないと単調な毎日にうんざりしてくる。次第に落ち込んでいった。
 最初の鬱は、ちょうどサークルの春合宿に発症した。この時の極度の落ち込みから鬱になる瞬間をはっきりと自覚している。
費用、時間、家庭、いろいろな問題を抱えながら、どうにかサークルの春合宿に参加した。 部長として責任ある立場。1年の春合宿が楽しかったので、同じ河口湖に決めた。
 退学の件やら、アパートを引き払う件などあって、たった一人しかいない同学年のUに一緒に風呂に入りながら今後のことを相談した。部長としての任が果たせない、もしかしたらサークルも辞めるかもしれない、そうなったらお前やってくれないか。返ってきた言葉は「だったらオレも辞めるよ」。
 その翌日、すでに活動を離れた4年生数人が自家用車でやってきた。部屋に入ってくるなりO先輩が言った。
「しけた合宿しているなあ」
 たぶん雰囲気も暗かったのだと思う。先輩にしてみれば、その気持ちを素直に表現しただけのこと。O先輩とは日頃一番仲が良く、そのキャラクターから僕の企画した2本の映画の主演(1本は都合により別の部員になった)してもらったほどだ。普通なら「まあ、まあ」と久しぶりの再会に話を弾ませるところなのだが、この言葉が見事に僕の胸に突き刺さった。
 苦労してやっと合宿までこぎつけたというのに、最初の挨拶がそれかよ、という反発ができたのならまだよかった。できる元気なんてなかった。
 それまでどうにかこうにか保っていた平常心という壁。その壁のいたるところに亀裂が生じていたところ一気にハンマーで叩かれたような衝撃がO先輩の一言にはあった。決壊したダムというか、こうなるともうダメだ。夕食が喉をとおらなくなった。
 この時は夏の教習所通いが気分転換になって、どうにか自然治癒した。
 困難を極めたのが2度めの鬱。やはり春休みから落ち込みだし、身体に影響がでてきた。原因は母親と家のこと。1年前にくらべてちっとも状況がよくなっていないことが帰省してわかっておかしくなっていったのだった。


●ウツの夏 2005/05/18

 鬱のおかげで教員免許(中学・社会科)の取得を断念した。一応教育実習に行ったのだが、地獄の毎日だった。よく教壇に立てたものである。
 単純なミスを連発して、最終日には校長との懇親会をすっぽかした。これでまた落ち込み、その後必要な書類申請を大学に提出せず。免許を取得できなかったというわけだ。
 免許を取ったからといって教員になるつもりはほとんどなかったけれど。
 大学生最後の夏休みをむかえても鬱は治る気配がない。
 心配した叔母と祖母からある祈祷師(霊媒師か?)のところへ通えばと提案された。その人に見てもらえばどんな病気も治ってしまうのだとか。ハナからそんなものを信じていなかったが、治ったらもうけものとばかりに叔母と祖母をクルマに乗せて何度か通ってみた。案の定少しも改善しない。良くなったのは叔母と祖母の神経痛だ。気のせいなのだろうが。
 通わなくなったのは、僕がクルマで事故を起こしたことによる。叔母と祖母を迎えに行く途中で田んぼに突っ込んだのだ。
 その日、クルマの助手席の窓を全開にしていた。祖母の家に着く寸前に道路を右折するのだが、この時の勢いでダッシュボードの上においていた免許証が窓から落ちそうになった。あわてて左手で免許証をつかむ。右手はハンドルを持ったまま。神経は免許証に集中しているから曲がりきってももとにもどさず。あっと思った瞬間に衝撃があって田んぼの中にいた。
 車は父の友人である業者がレッカー車で引き上げたのだが、後でしきりに感心していたという。 
 田んぼと道路の間にドブ川(溝)があって、普通なら田んぼに直進する前にこの溝に前輪を引っ掛けて停止するはずだと。それを僕は溝に一定間隔でかかっている細いコンクリートの上を走りぬけた。だから田んぼに落ちて車体を泥で汚したものの車に損傷はなかった。
「たいしたもんだよ」
 元気な時に言われれば、事故を起こしたことに対する気持ちも吹っ切れるのだろうが、鬱の人間はそんな言葉にも激しく動揺する。
 溝に落ちた方がまだよかった、田んぼの中にすっぽりはまったなんてその方がよっぽど恥ずかしいじゃないか、と。
 人は歯痛や頭痛、胃痛などは自分でも経験があるから、病状を告げると理解してくれる。しかし、躁鬱など精神に関する病気はほとんどわかってもらえない。病気の認識がないというか。
 病気なら医者に診てもらう。これは当たり前のことだが、こと精神に関してはどうにも躊躇してしまうのだ。
 鬱になると身体に異変が起きてくる。
 頭が重い、胃がヘンだ、吐き気がする、なんて症状からまず内科などに行って検査してもらっても、問題がないと言われてしまう。それでもとにかく身体の調子がおかしいと主張すると「自律神経失調症」と診断されるのがヤマ。精神科など勧めてくれない。
 本当ならこの時点で精神科へ行くべきなのだ。睡眠薬を飲むだけでもずいぶんと楽になるのだから。
 事故から数日後、僕は父に連れられ地元でも有名な精神病院の門をくぐることになる。


●サンマイバシ 2005/05/19

 郷里の群馬県太田市に〈三枚橋〉と呼ばれるところがある。地名というか、駅名になるのか。太田には東武電車が走っていて、浅草から伸びている伊勢崎線は太田駅で二つに分かれ、一本は伊勢崎へ、一本が桐生に向かう。桐生に向かう線の最初の駅が三枚橋駅。
 今はどうか知らないけれど、この名称にはたぶんに差別的、侮蔑的な意味合いが含められていた。
「三枚橋に連れて行くぞ」「それじゃ三枚橋だよ」
 人を小ばかにするときの常套句だった。
 子どものころは意味もわからず使っていた。中学生になってやっと理由がわかった。三枚橋に精神病院があるのだ。この病院は患者に対して開放的な施設として全国的にも有名な病院だと後年知った。ある週刊誌で院長のインタビューを読んだことがある。
 父の運転する車で三枚橋病院に行った僕は心穏やかでなかった。どうしてこんな病院に来なければならないんだ。オレは精神がおかしいのか。入院なんてことになったらどうしよう。友だちに知られたら恥ずかしい。 
 待合室でかなり待たされたような気がする。まわりには一目で異様と思われる男女がいる。ぶつぶつ独り言を繰り返している男。奇声をあげる青年。一心不乱に絵本を見つめている少女。エトセトラ、エトセトラ。
 僕は何もすることがなく、ただただ彼らの行動を観察していた。
 差別的発言にとられるかもしれないが、こうした患者に囲まれながら思った。
「こういう人たちを、おかしいと思う自分はやはりおかしくないのか」
 名前を呼ばれて診察室に入った。院長先生が怖い視線を浴びせながら訊く。
「どうしました?」
 症状を話すと途中でさえぎられた。
「××だよ、○○すれば、すぐよくなる。大したことない」
 ものの数分とかからない診察。院長にほとんど相手にされなかったといっていい。実際もらった薬を飲んでからぐっすり眠ることができようになった。もっと早く行けばよかったと後悔したものだ。

 本当に鬱状態から脱出したのは、すでに記した友人の死のショックからだが、こうして2回の鬱を経験した僕はもう二度と同じ症状に見舞われない自信があった。おかしくなったらすぐに精神科を訪ねればいいのだから。
 就職浪人して念願のCF制作会社に就職した。紆余曲折はあったけれど、とにかく社会人として希望に胸ふくらませながら歩みだした僕にもう鬱なんて関係なかった。よもや2年後に再び三枚橋病院の世話になるなんて、その時はこれっぽっちも思ってもいなかった。
 それも躁病の患者として……


●妄想と狂騒の75日間 2005/05/20

 なぜ、陰々滅々とした躁鬱体験記なんて綴っているのか。

 夕景工房の読書日記2001年8月6日の志水辰夫「背いて故郷」。読書レビューのあとにこう続けた。
     ▽
「背いて故郷」は、その題名に個人的に思うところがあって読んでみたくてたまらない作品だった。にもかかわらず今まで手にとらなかったのはこの本にまつわる苦い思い出があるためだ。
 大学2年の時に母が病気で倒れてからというもの、家の事情(経済的な問題、電気店を営む父と高校生の弟の生活)で長男という立場から大学を辞めるか郷里に戻るかという問題に直面した。東京から電車でわずか2時間の距離なのだから、今から考えるとどうということでもないのだが、当時ある夢を抱いて上京した僕は退学することもアパートを引き払うこともできず、卒業してからもUターンすることはなかった。父は親戚からいろいろと言われていたらしい。それでも僕のわがままを許してくれた。それがずっと自分の中でわだかまりになっていた。3年と4年の春には鬱病に苦しんだ。何とか病気も治り、就職浪人の末希望する職種の会社に就職できた。  
26歳の春、それまでの1年間、プライベートと仕事の悩みで悶々としてきた僕はある夜「11PM」を見ていた。番組には当時内藤陳がお薦め本を紹介するコーナーがあった。その日内藤陳がこの単行本を持ってこちらにむかって「君に送る本はコレだ」と自信満々に言い放ち、ニヤリと笑ったのだった。この時、内藤陳が僕に対してある啓示を与えているんだ、と全身に電流が流れた感じがした。
 翌朝から、見る(読む)もの、聞くものすべて自分に発信されているとばかり、すごい勇気がわいてきた僕は大胆な言動、行動をとるようになり、ある日、会社から郷里へ強制送還されたのだった。つまり躁病の発症。郷里に戻ってからも妄想は次第に膨らみ、まわりの人たちに迷惑ばかりかけていた。ここらへんの顛末は「焦燥と妄想と狂騒の75日間」というタイトルで小説風にまとめてみようと考えているのだが、当時を思い出すとちょっと怖くなるのでまだ手を出せないでいる。
     △
 「妄想と狂騒の75日間」の備忘録を書こうとしていた。
 最初に某俳優さんの発言や行動に対して慢性躁病じゃないかと書いたのはこの時の体験が基になっている。Sさんとの会話で発せられた大言壮語。あれは目の前のSさんだけでなく、その場にいる不特定多数の人たちに聞こえることを前提にしていたのではないか。僕自身がそうだった。それも確固たる自信があって―それが怖いのだが……
 で、僕の場合、躁が治った頃、すべてが妄想であることに気づき、一気に鬱が襲ってきた。
 これが最悪。結婚したあとである。もう医者の薬も効かなかった。自殺まがいの行動もおこした。
 でも、今こうして生きています。3回めの鬱は最終的に自力でなおした。もうほとんど追いつめられてにっちもさっちもいかなくなって、もうどうなってもいいやと捨て鉢になった末に。
 そこまでを綴ろうと思ったけれど、とても長くなりそうだ。とりあえずおしまい。




 もう昨日だけど、ブックカフェ二十世紀の1周年記念パーティー、大盛況でした。原めぐみさんのオールディーズ。「メグミーン!」良かったですねぇ。PAが素人で申し訳ありませんでした。
 きくち英一さん、役者だなぁ。懇親会の後半は、もう2ショット撮影会でした。二次会にもつきあってくださりありがとうございました。

160409


     * * *

●あの日、京浜東北線の修&亨(「傷だらけの天使」) 2006/05/10

 卒業と同時に郷里(秋田)に帰った大学の一年下の後輩がいる。8ミリ自主映画サークルで一緒だった。サークル内の人間関係に嫌気がさして途中で退部してしまったが、映画や趣味で話があって、その後も何かとつきあっていた。
 僕が4年時に監督・主演して、卒業後も独自に制作を続けたにもかかわらず、結局未完成に終わった「今は偽りの季節」のスタッフ、キャストとして最後まで協力してくれた後輩2名のうちの一人。郷里に帰って警察官になった。その彼が結婚すると聞いて秋田に駆けつけた。
 もう10年以上前の話だ。
 彼と仲が良かった先輩二人は飛行機で現地へ飛んだ。飛行機嫌いの僕は新幹線「こまち」を利用した。大騒ぎの披露宴に度肝を抜かれ、にもかかわらず同僚から「いまいち盛り上がりにかけるので何かひとつ」なんて余興を催促される始末。
 二次会に出席した後、先輩二人と居酒屋で地酒を嗜みお開き。
 翌日、昼からまたまた先輩たちと飲み始め、新幹線の僕は先に失礼した。
 秋田~大宮間、約4時間の旅。行きは気が張っていたからか、何とも感じなかった。帰りはアルコールが入っているから前日の疲れが一気にでた。4時間が長い長い。
 大宮で京浜東北線に乗り換えた。ドア横の席にすばやく座る。そのまま目をつむって下を向いていた。本当なら横になりたい気分。眠たい。後から大勢の人が乗り込んできた。かなりの混雑。
 電車が動き出すと、目の前に立つ若い男二人がやけにうるさい。一人がもう一人に対していろいろ愚痴っている。その声が神経に障る。しかしこちらは疲れているので、そのまま眠ったふりをしていた。会話からするとどうやら修と亨のような関係(註・「傷だらけの天使」)らしい。
 とにかく修の声がでかい。都会人の人情のなさを嘆き、亨に同意を求める。
「(嘆き・怒り・妬み)…なぁ、わかるだろう?」
「……」
「お前、そう思うだろ?」
「……」
「聞いてんのかよ!」
「はい」
「声が小さい!」
 その繰り返し。
 イライラしてきた。まわりの人たちも同じ気持ちだろう。雰囲気でわかる。
 大声で交わす会話の最中に、修のバックが僕の抱えていたスーツバック(?)に勢いよく触れた。
 カチンときた。
「うるせんだよ」
 反射的に言葉がでてしまった。相手にするな、心の声が叫ぶ。わかっちゃいるけど、後戻りはできない。
「どこだと思ってるんだ? ほかの乗客に迷惑だろうが」
 いいのか、そんな高飛車にでて?
「気持ちはわかるけどさ」
 ちゃんとフォローしてみる。
 まわりは気のないフリして成り行きを見守っている。やばい、どうしよう、喧嘩になるんじゃないのか? びくびく。
 と、そのとき。西川口~というアナウンスのあと、電車が止まりドアが開いた。グッドタイミング! そのまま飛び降りた。
 ホームに下りた僕は爽快感に酔いしれていた。渋い。まるで「日本侠客伝」の高倉健みたいじゃないか。映画観たことないけど。少なくとも車内の人たちにはそう見えたはずだ。
 階段に向かって歩き出した。後ろに殺気を感じた。振り向いた。
 修が仁王立ちしていた!


●あの日、京浜東北線の修と亨(「傷だらけの天使」) その2 2006/05/10

 修の上気した顔が目の前にあった。
 殴られる! 瞬間的に2つの選択肢が頭をかけめぐった。
 
 その1 脱兎のごとく逃げる
 その2 その場にひざまづいて謝る

 その1には自信があった。
 朝の通勤時、品川でJR京浜東北線から京浜急行8時30分発の羽田空港行きの急行に乗り換える。たまに時間がなくて、階段を一気に駆け上り、京急のホームに突入、電車に飛び乗ることがある。今でこそ、飛び乗った後、動悸が激しく肩で息している状態が長くなったが、当時はまだまだ元気だった。だいたい中学時代は短距離走の選手だった。高校のラグビー部では足の速さだけが取り柄だったし。
 その2の行為で、今、思い出した。
 Mr.sistertoothこと、姉歯元一級建築士は逮捕されたとたん坊主頭になった。カツラをはずし、わずかに残っていた髪も剃ったのだろう。その姿を見ながら、あのとき本当なら国会喚問に応じるはずだった哀しき元一級建築士を想像していた。
 議員の激しい追求にタジタジとなる元一級建築士。偽装工作したことを詫びて、ひざまづき、泣きながらおもむろにカツラをとる……。TV中継を見ている僕は叫ぶ。「辰巳さん!」
 少しは元一級建築士の印象が良くなったはずなのに。少なくとも全国「傷だらけの天使」ファンに対しては。
 ――「傷だらけの天使」の「殺人者に怒りの雷光を」のエピソードを知らなければ何のことだかわからないな。
 探偵事務所で一緒に調査員として働いていた仲間を殺された修と亨は、某組の仕業と誤解し、他のメンバーとともに、復讐しに組に乗り込む。組の若い衆とちゃんちゃんばらばらやっていると、そこに組長(加藤嘉)とともに事務所の上司(?)辰巳(岸田森)が登場。辰巳は、殺人事件が組の仕業かどうか、その真意を聞きに組長と差しで話しにきていたという。組とは無関係だと判明し、組長が辰巳にこの落とし前をどうするか尋ねる。神妙に組長の前にひざまづいた辰巳は、「申し訳ありません」と頭に手をやると地毛だと思われた髪をそっくりそのままはずしてしまうのだ。堂々の丸坊主頭。で、修の驚愕の顔と「辰巳さん!」の声が響く、というわけ。
 実相寺監督の劇場映画(「あさき夢みし」)の撮影で役柄にあわせて頭を剃った岸田森は同時期撮影の「傷だらけの天使」にはカツラ着用でのぞんでいた。スタッフ、キャスト、誰も知らなかったらしい。撮影中にカツラをとったのも岸田森のアドリブだったとか。そりゃ驚くよ。
 閑話休題。
 逃げるか、謝るか。どちらもプライドが許さなかった。
「何か用ですか?」
 恐怖を隠しながら、落ち着き払って尋ねた。
 修は急に僕の手を握った。心臓の鼓動が高鳴る。ええい、もうどうにでもなれ!
 修は僕の目を見ながら、相好を崩した。
「ありがとうございます! いや~あんな風に注意してくれるなんて。目が覚めました」
 はあ?
 東京に出てきて、人間不信に陥りどんなにつらい思いをしているか、そんな中にあってあなたの言葉がどれだけ自分に希望を与えてくれたか。うれしかったです。握手してください。
 修ちゃんは映画「ランボー」のスタローンのように、決壊したダムから噴出する水のごとく感謝の言葉を紡いだ。
 一気に全身の力が抜けた。何なんだ、この展開?
「わ、わかってもらえればいいよ」
 そう答えるのがやっとだった。




 昨日の休みは、午前中、新宿のB社へ。「僕たちの赤い鳥ものがたり」文庫化の打ち合わせ。
 終わってから、新宿ピカデリーへ。13時35分からの「劇場版 ウルトラマンX 来たぞわれらのウルトラマン」を鑑賞。テンポがいい。
 夜は日暮里サニーホール・コンサートホールの「立川流日暮里寄席」へ。
 始まるまで時間があったので駅前の「焼き鳥日高」で一杯やりながらの読書。中華料理の日高へは何度も利用しているがこの店は初めて。安い! 西川口にも一軒あるのでこれからは利用しよう。

     * * *

●BBQ 参加・賛歌・惨禍 2006/04/25

 5月にバーベキューをやろうという企画が部署内ですすんでいる。
 部員も少ないので家族同伴でという室長の提案。
 わが家で家族同伴なんてありえないよなあなんて思いながら帰宅して相談すると、案の定、かみサンは拒否。高校3年の娘なんか「どうしてあたしを誘うわけ?」なんて顔している。
「昔はお母さんがいなくてもバーベキューについてきたじゃないか」
 当時を思い出しながら孤独な父は嘆く。
「はあ? いつ?」
 きょとんとする娘。
「小さかったころだよ、保育所のときだっけ? 会社のみんなと奥多摩に行ったじゃないか」
「知らない」
「覚えてないのか?! Tさんちの××ちゃんと仲良く遊んでいたじゃないか」
 まったく覚えていない。なんてこったい! じゃあ、あのときのお父さんの勇姿も忘れたわけですか。

 今から10年以上前になる。出向していた会社の同僚で、一人娘のいるTさんが奥多摩バーべキューを企画した。参加者はT家族、僕と娘、同じ会社で働くKさん夫婦、僕の以前の部署の後輩N。あともう少しメンバーがいたような気がする。
 7月某日快晴の中、乗用車2台に分乗して出かけた。
 現地はすぐそばの川で水遊びができるし、何よりバーベキュー用の施設が整っている、バーベキュー初心者には最高のロケーションだった。洗い場、トイレはみな完備していた。
 小さな女の子二人の前で一番はりきっていたのが、K夫婦、特に旦那の方だった。子どもがいないからなのだろう、用意した空気舟に二人を乗せ海パン姿で川の中を行ったりきたり。それをやさしく見守るKさん。
 たらふく肉を食べ、ビールも飲んで、一休みしていた午後のこと。
 あるパーティーの年配男女が川原で、洗い物をしはじめた。先に記したように、そこはきちんとした水道水を利用した洗い場があるのに、だ。川原で食器を洗えば当然川が汚れる。
「なにやってんだよ!」
 あたりに怒鳴り声が響きわたった。見るとKさんの旦那が川原で洗い物をしている男女を注意しているのだ。しかし、男女は無視。もう一度注意しても聞く耳持たず。K旦那がキレた。
「てめぇら、ここは洗い場じゃねぇんだ、子どもたちの遊び場だぞ。自分らが何やってるのか、わかってんのか? えっ!」
 周り中の視線が男女とK旦那に釘付けになった。
 ここで、僕が「まあまあ」と間に入り、不心得な男女に対して下手に「この人(K旦那)、口が悪くて申し訳ないけど」とか何とか言い訳しながら、洗い場ではない旨説明していれば、その場は丸く収まったのではないかと今も考えることがある。
 K旦那は左官屋。いわゆるガテン系で少々口のきき方がぶっきらぼうなところもある。公衆の面前で、いい年した大人が若者に注意されたら、それこそプライドが傷つくだろう。本当なら男女のそばに行って、静かに語りかけた方がよかったのではないか。それを自分は寝そべったまま相手を叱りつけるというのはどんなものか。
 やりとりを見ながらそう思ったのは確か。
 しかし、このとき、こちらは大いに酔っぱらっていた。何をするのもおっくうだった。だいたい悪いのは男女の方なのだ。K旦那の言っていることは正論だし、そこに口をはさむのがはばかれた。それこそ旦那の体面を傷つけるのではと。
 とにかく男女はその場を立ち去った。「やれやれ」と安心したのもつかのま事件が勃発したのである。
 まさか、男女が仲間を連れて仕返しに来るとは!


●BBQ 奥多摩死闘篇~代理戦争 2006/04/27

 立ち去った男女の男の方が仲間数人を連れて再びやってきた。K旦那の前に立ちはだかる。ほとんどケンカ腰である。
 そこで、どんな言い争いになったのか、記憶が定かでない。
 危惧したように、K旦那の物言いが問題にされたように思う。今は完全に中年の部類に入ってしまう年齢になってしまったけれど、当時僕は30代前半。K旦那はまだ20代後半だったのではないか。相手は40代だった。あくまでも見た目のこちらの印象でしかないけれど。
 やったことは悪いけれど、年上の人間にあの言い草はなんだというのが相手の主張。対してK旦那はあくまでもお前らが悪いから注意しただけじゃねぇか、一貫してふてぶてしい態度を変えない。
 手を出したの相手だった。見事なストレートがK旦那の顔面に炸裂した。K旦那はそのまま地面に倒れた。立ち上がる気配がない。脳震盪を起こしたようだった。
 Kさんがあわてて駆け寄り、旦那を抱きかかえると名前を叫んだ。返事がない。泣き出すKさん。泣きながら手を出した男を激しくののしる。
「何よ! 暴力ふるうことないでしょ! ××が死んだらどうすんのよ」
 見かねて、そばにいた見知らぬ女性が仲裁に入った……
「おいおい、お前は何しているんだ!」と怒鳴られそうだが、K夫婦との距離は10m、いや7m…5mはあって、急な、まるで映画の1シーンのような展開(それもスクリーンで観たらぜったいベタと指摘されそうな)に思考が一時ストップしていたのだ。苦しい言い訳だけど。
 それに、バーベキューの主催者であるTさんの出方をうかがっていたこともある。参加者の中で一番年長なのはTさんなのだから。ところがTさんの声はしない。姿も見えない。
 こちらには未就学児童、それも女の子二人いることも心配のタネだった。何かあったとき誰が守るのか。視界の端にTさんの奥さんが見えた。しっかり二人の前に立ちはだかっている。少し安堵した。
 文章にすると少々長いが実際は数秒のことである。
 ……T夫婦に同情した見知らぬ女性が仲裁に入った。男は信じられないことに、この女性も振り払った。かなりの力だ。倒れる女性。
「何するんですか! この人は関係ないでしょう!!」
 グループの中で一番若いNが男に飛びかかった。蹴りが入れられ、そのまま地面につっぷした。
「このやろう!」
 誰かの声がして大乱闘が始まった……


●BBQ 頂上作戦~完結篇 2006/04/27

 あっという間に大乱闘が始まった。
 とにかくケンカを止めなくては! 僕もあわてて乱闘の中へ。Nに蹴りを入れた男の後ろにまわって、腕をつかんだ。
「ちょっと落ち着いてください! 暴力は止めろって」
 言い終わらないうちに誰かに襟をつかまれた。振り向くと、パンチが飛んできた。左頬に激痛。勢い余ってそのまま仰向けに倒れた。鼻のあたりにすえた臭い。怒りがこみ上げてきた。
「ざけんじゃねえぞ」
 右拳を握り、すばやく立ち上がった。そっちがそういうつもりなら、相手してやろうじゃねぇか。一気に戦闘モードに。
 が、脳裏に娘の顔が浮かんだ。いかん、いかん、オレが殺気だったら、この乱闘を誰が収めるのか? 
 立ち上がって、深呼吸。
 冷静さを取り戻して、リーダー格の男の前に立って腹の底から声を出した。
「暴力は止めろと言ってるのが聞こえないんですか!」
 大きな、四方八方に通る声には昔から定評があるんだ。あたりは瞬時に静寂さを取り戻した。
 リーダー格の男と対峙する形になった。
「なぜ暴力ふるうんですか! それも関係ない女性にも…… それこそいい年した大人が恥ずかしくないんですか」
 相手が言い訳する。それを否定する形でさらに大きな声で反論する。自分でも何言っているのかわからなくなっていた。
 そこにパトカーのサイレンの音。誰かが通報したのだろう、警察官がやってきた。
 驚いたのは、その後からやくざも様子を覗きに来たことだった。現場から少々離れた、百mくらい先で、ご一行さまがバーベキューを楽しんでいたのだ。
「なんだ? どうした? 何があった?」
 Tシャツの袖から青いホリモノの見える五分刈りの若い男が嬉々としてこちらに走って来るのが見えた。これにはビビった。もし警察が来ていなかったら、思うように現場を荒らされていたかもしれない。警察に通報した方に感謝したい。皮肉ではなく。
 リーダー格の男と僕が事情聴取を受けることになった。
 名前、会社名、年齢、住所の確認の後、乱闘の始まりからこと細かく説明する。確かに言い方は悪かったかもしれないけれど、悪いのは先方であること、先に手を出したのも先方であること。このときとばかりにしゃべりまくった。
 仲裁に入って災難にあった女性の証言もあって、全面的に先方に非があることになった。もう名前も忘れたが、どこかの会社の集団だった。
 負傷したT旦那は全治2週間だったか。もちろん治療費は先方持ちである。
 Tさんは僕が警察官と話しをしている最中に現れた。トイレに行っていて、状況をまったく知らなかったんだって。ハラホレヒレハレ。
 とんでもない事件に巻き込まれてしまったが、帰りの車の中は陽気そのものだった。用意したトランシーバーが役立ち、2台の車をつなぎあわせたというわけ。
 娘も初めてのバーベキューを楽しんだようだ。父親としてはそれだけで満足。
 帰宅する前に娘に釘をさした。乱闘事件のことを絶対にお母さんに言うなよ。余計な心配かけたくないから。というか、事態を知って怒られるのは僕なのが目に見えていた。
 父と娘が共有する秘密。
 後日、草野球の試合に娘を連れて行って、Tさんの娘に再会した際、「あのときは怖かったねえ」なんて話しをしているのを小耳にはさんだ。
 笑みがこぼれた。
 娘の目にはたった一人敢然と相手に立ち向かい弁舌をふるう父の姿が焼きついているはずだ。日頃はお母さんになんだかんだと叱られているお父さんもやるときはやるもんだと感じたに違いない。
 成長して世間の多くの娘が抱く父親への嫌悪感。僕は何とも思っていなかった。そう言いながらも娘の記憶の片隅にかつての父の勇姿が刻まれているはず。そう信じていたからだ。

 なのに、覚えていないだと! 僕は当時の思い出を詳細に語ってきかせた。やはり知らないと言う。声をあげたのはかみサンだった。
「そんなことがあったの? どうして黙ってたのよ!」
 しまったと思ったが後の祭り……
 しばらくショックから立ち直れそうにない。




 録画していた「福田和子 整形逃亡15年」を観た。スポットのときも思ったが寺島しのぶ適役じゃないですか。
 福田和子の事件でTVや雑誌がかまびすかったとき、よく出てきたのが和子が整形した顔(の写真)で、それを見るたびに、幼なじみのY子を思い出していた。

 ということで……

     * * *

●「極道の妻たち」上州太田篇 2005/04/04

 「極道の妻たち」は東映の人気シリーズだ。
 妻と書いて「おんな」と読ませる。もともと家田荘子が暴力団組長と結婚した女性たちを徹底取材したルポルタージュ。週刊文春に連載されていた。
 完結して一冊にまとまると東映が岩下志麻をヒロインにして映画化した。原作を読んだことないし、映画もあまり観たこともないので何とも言えないが、たぶん原作と映画は何の関係もない。タイトルと組長の妻が主役という部分だけいただいたのではないか。
 それまで男中心のやくざ路線を敷いてきた東映にとって、女性を主役にもってきたところがミソであり、ヒットにつながったのだろう。「仁義なき戦い」の後を継ぐヒット作となって、十朱幸代、三田佳子らもヒロインを演じながら10作作られた。3作めの「三代目姐」にはショーケンが準主役で出演していた。
 一旦完結したと思われたシリーズが高島礼子主演で再度シリーズ化されてすでに数年経つ。東映らしい商売だ。「仁義なき戦い」もなんだかんだいいながら今だに制作されているのだから。
 平成仮面ライダーシリーズももう何作めになるのか。考えてみれば戦隊シリーズなんて一度も途切れることなく20年以上の歴史を持つ。一つの人気作にしがみつく底力というのか……
 だから、たった一作だけで原作すべてを描ききろうとする「デビルマン」によくGOサインを出したものである、と思ってしまう。残念でならない。
 
 話がそれた。
 当初高島礼子が極道の姐さんに扮すると聞いて違和感があった。彼女についてはまだ名前も知らない頃、新妻に扮したCMから注目していた。魚がさけなくて亭主に甘える姿がかわいかった。「さまよえる脳髄」では大胆な濡れ場を演じていて興奮した。
 普通の女性(たとえば主婦、OLだとか)を演じると内面の色気が発揮できる女優さんという印象があった。それが「極道の妻たち」のケレンたっぷりの役どころ。作品選定を誤っているんじゃないかと思ったりしたこともある。しかし、映画が人気を呼んでいることはファンに支持されている証明だろう。僕自身の高島礼子熱はすっかり冷めてしまったが。
 って、別に高島礼子や「極道の妻たち」を語るのが目的ではなかった!
 実は、19歳の予備校時代に一度だけホンモノの極道の妻を目撃した、というか接点をもったことがあるのだ。
 それを書こうと思ったが長くなるので、続きはまた明日ということに……


●今度こそ「極道の妻たち」上州太田篇 2005/04/05

 大学受験で上京した折、新宿京王デパートのレストランでドリアを食べて見事にはまった。世の中にこんなうまい食べ物があるのかと。グラタンのマカロニがライスになっただけじゃないか!と言わないでもらいたい。それまでグラタンを知らなかった……。
 そんな話を幼なじみのY子にしたのは、大学受験に失敗して東京の予備校に通うためアパート暮らしを始めたころだ。Y子は家が近所で、小学校の低学年時代よく遊んだ。一緒に風呂に入ったこともある。高校を卒業して地元でOL生活を送っていた。
「ドリアだったら、桐生においしいお店があるわよ」
 だったら今度連れてってよ、ってんで、帰省した日曜日(もしかしたら夏休みだったかもしれない)に昼前に太田駅で待ち合わせして、Y子の運転する車で隣町の桐生に向かった。
 太田から桐生に向かう県道は一時田園地帯の中を通る。道はすいていた。
 その時だった。前方からはすごい勢いで走ってくる外車を目にした。蛇行したと思った瞬間、そのまま田んぼの中に突進していった。
 あわてて車を止めた。顔を見合わせたY子と僕は車から飛び出ると田んぼの中で立ち往生している外車にむかった。
 車内の後部座席がすぐ目に入った。着物姿の年配の女性が小型犬を抱いて呆然としていた。運転手は若い男。すぐにドアを開けて外にでてきた。
「大丈夫ですか?」
 僕が尋ねると怪我はしていないとの返事。棒立ちしている若い男に対して女性が声をかけた。
「早く××に連絡しなさい」
 男はあたりを見渡している。まだ携帯電話なんてない時代のことだ。
「あの、公衆電話のあるところまで乗っていきますか?」
 Y子が言う。男が女性に確認をとってから「いいですか?」
 公衆電話はわりと近いところにあった。
 男は感謝の言葉を述べて車から降りると公衆電話に向かって歩いていった。
 Y子が車を走らせ、しばらくしてから僕が言った。
「やくざだよね、あの人」
「一見して、組の人だとわかったわよ。もうびっくり」
「後ろの女性見た? 姐さんだよ、たぶん。威厳があったもん」 
 しばしその話題で盛り上がっているうち、車は目当ての喫茶店に到着。お店の人気メニューであるドリアを食べ、アイスコーヒーを飲む。覚えたてのタバコを一服しながらお互いの近況報告。やくざのことなどすっかり忘れてしまったのだった。

 長くなりそうだ。この項続きます。


●しつこく「極道の妻たち」上州太田篇 2005/04/06

 Y子とのおしゃべりも話題がなくなった。陽も落ちてきた。帰ろうということになり、自宅まで送ってもらう。
 駅前の交差点で信号待ちをしていた時だ。運転席のウィンドウを叩く音に反応した。男がいた。何とあの外車を運転していた若い男だ! 車を脇にとめると助手席の方にやってきた。
「どうしたんですか? 別にもう……」
 僕たちの車を偶然に見かけて再度挨拶に来たのかと思った。だからもう気にしないでいいですよと言いたかった。
「いや、組長がどうしてもお礼をと」
 男の説明を聞いて驚愕した。
 あの事故(?)の後、組にもどって詳細を報告した。公衆電話まで連れて行った男女の名前、住所。なぜ聞かなかったのか? バカ野郎! 何やっている! すぐに見つけて確認してこい!! 組長に怒鳴られたらしい。男はそのまま車に飛び乗って太田市中を走り回っていたという。僕たちを探して半日。目印は車種だけだというのに……
 恐縮というか萎縮してしまった僕たちは、住所と名前を告げその場を離れた。本当にお礼なんかいらないからと付け加えて。
 数日後、昼間出かけていて戻った僕に(ということはやはり夏休みか)父親がニヤニヤしながら聞いてきた。
「お前、××組と何かあったのか?」
 詳細を説明した。
「だからか。××組の○○さんが菓子折り持って挨拶に来たからさ」
 ひえ~! 自宅までやってきたって! やくざの律儀さに驚愕した。Y子に電話するとY子のところにも来たという。
 ドラマ等で、暴力団幹部を狙撃して逃亡したヒットマンを探すため若い衆が闇雲に街に出て探しまわるなんていうくだりがある。この一件以来フィクションだからとあなどれなくなった。もしY子と僕が××組に追われる立場だったらたった半日で捕まったことになるのだから。

 教訓・暴力団を敵にまわすな!

 追記
 それにしても、××組を以前から知っているそぶりの父親っていったい……?




 困ったときの「mixi失格。」
 なことは絶対ない!
 ――ないと思う。
 たぶん……

 いえ、少しあるかな。

     ◇

●市川崑監督逝く…… 2008/02/14

 昨日、定時で仕事を切り上げ新宿へ。「まぐま」16号に執筆予定のT氏と原稿内容について打ち合わせするため。
 T氏は塚本晋也監督の映画に出演したことをきっかけに映画製作に目覚め、デビュー作をいきなり劇場公開に持込み話題をさらった若手監督。俳優でもあり、今年2本の主演映画が公開されるという。
 居酒屋で呑んでいるところに30分遅れてK氏がやってきた。最近映画製作に力を入れているので急遽誘ったのだ。
 着席するなりK氏が言った。
「市川崑監督、亡くなりましたね」
「えっ‼ い、いつ?」
「夕方のニュースで伝えていましたよ。ネットで見たんですが」
 叫んでしまったけれど、動揺はなかった。ついにそのときが来たかという気持ち。ああ、和田夏十さんと再会できるんだな。シナリオライターとして崑監督の名パートナーだった奥さんと。久しぶりに会えるんで喜んでいるんじゃないだろうか。
 冷静に事実を受け止めた。

 一番好きな監督である。もう何度も書いているが出会いはTVだった。小学6年の正月。土曜日の夜10時30分、自分の部屋にいると、茶の間から聞こえてくる歌が耳を捉えた。新番組「木枯し紋次郎」の主題歌だった。この主題歌が気になって、翌週、同じ時間、父の隣にいた。タイトルバックが斬新だった。最初はこのタイトルバック観たさに夜更かししていたようなものだ。そのうちドラマそのものに興味を持つ。「市川崑劇場」と銘打っていても、実際本人が演出しているのは数本しかないのだが、それでも市川崑の時代劇として、毎週土曜日の楽しみとなった。
 続いて中村敦夫が新聞記者に扮した現代劇「追跡」。フジテレビから日本テレビに移行して「丹下左膳」。
 その間にTVで放映されたATG映画「股旅」に衝撃を受けた。初めて観た崑監督の劇映画。この映画の制作費を捻出するため「木枯し紋次郎」を作ったのだから、その意気込みは半端じゃなかったはずだ。
 シャープな映像、リアリティあふれる演出、演技。神技のようなカッティング(編集)。随所に挿入されるユーモア感覚。当時の8ミリ映画にいそしんでいた中学生は完全に崑ワールドの虜になった。その影響ははかりしれない。
「股旅」が初めての映画だと思っていたが、後年間違いに気がついた。幼少時、祖父と叔母に連れられて隣町の映画館で「東京オリンピック」を観ていたのだ。芸術か記録かの物議を呼んだ映画。当時はそんなことまったく知らなかったけれど。
 市川崑の名前がインプットされてからは、作品を観たくて仕方ない。浅岡ルリ子とルノー・ベルレーが共演した「愛ふたたび」はすでに公開が終わっていた。「吾輩は猫である」は地元の映画館にやってきたのかどうか。ミュンヘンオリンピックの記録映画「時よ止まれ、君は美しい」で担当した「男子100メートル競技」はどんな出来なのだろうか?
 そして、高校2年の秋。「犬神家の一族」のロードショー。その前からキネマ旬報の記事を追いかけていて、期待は最高潮に達していた。友人と弟の3人で東京まで出かけるほど。映画を観る前のワクワク感は相当なものだった。
 プロデューサーの角川春樹は崑監督にオファーするにあたってこう言ったという。
「雪之丞変化」のような映画を撮ってください。「吾輩は猫である」では困るんです。
 現在、旧「犬神家の一族」は名作として喧伝されているが、公開時はかなり批判もあったのである。メディアでは洋高邦低が伝えられ、将来映画界で働きたいと思っていた高校生は、「犬神家の一族」の大ヒットに喜びながら重箱の隅をつつくような批判を目にするたびに胸を痛めていた。
 フットワークの軽さも魅力だった。音楽に若さを感じた。本人は「自分が音楽がわからないから」と謙遜していたけれど。
「犬神家の一族」以降はできるだけ追いかけた。それでわかったのだが、崑監督は小品に威力を発揮するタイプなのだと。
 金田一シリーズ第二弾「悪魔の手毬唄」は今思うと「犬神家の一族」よりだいぶ小ぶりになっていた。水谷豊主演の「幸福」。主題歌を五木ひろしがうたうというのでパスしてしまった「おはん」。岸恵子主演の「かあちゃん」。  
 企画段階で立ち消えになるものもあった。
 もし、半村良の「妖星伝」を映画化していたらどうだったのだろうか? 山口百恵の引退映画が「古都」でなく「牢獄の花嫁」だったら?
「犬神家の一族」のセルフリメイクではなく「本陣殺人事件」だったら?
……。
 
 享年92。大往生。そう信じたい。
 合掌。


●「この人この道」&「赤西蛎太」 2008/02/25

 各局で放送されている市川崑監督の追悼番組。BS、CSは観られないが、地上波は知る限りチャンネルを合わせている。

 まず17日(日)にNHK教育で「映像美の巨匠 市川崑」。これは「どら平太」公開に合わせて作られたドキュメンタリー。崑監督及び関係者へのインタビューが貴重だった。本放送時録画して宝物になっているのだが、デジタル放送だとまた格別の味わいがある(昨年、我が家はやっとデジタル対応の液晶TVを購入したのだ)。
 翌18日(月)はTBSがリメイクの「犬神家の一族」。どうせなら旧作の方がうれしいのだが仕方ない。劇場ではそれほど意識していなかった音楽(晩年の崑映画を一手に引き受けていた谷川賢作)がけっこう耳に残った。

 テレビ東京は22日(木)午後に「赤西蠣太」を放送した。伊丹万作の傑作時代劇をビデオでリメイクしたものだ。しっかり録画しておいた。テレビ東京にはもうひとつ役所広司主演で「刑事追う!」という連続ドラマがあった。オープニング&エンディング映像を崑監督が手がけ、豪華な監督陣が話題になった。もちろん最終回は崑監督。最終回だけ観たような気がする。
 監督と関係が深いフジテレビはというと15日(土)の昼間に「ビルマの竪琴」を放映したらしい。全然知らなかった。
  
 昨日24日(日)は「NHKアーカイブ」で「婦人の時間・この人この道 市川崑」と金曜時代劇「逃亡」の第一話「女と影」の2本が放送された。「婦人の時間」は1964年5月の番組。この時代のVTRが残っていることが驚愕ものだ。「東京オリンピック」準備中の崑監督。48歳。ひゃ~、今の自分と同年齢ではないか。
 時期が時期だけに、当然インタビュアーの尾崎宏次(演劇評論家)の質問も「東京オリンピック」になる。制作費2億5000万(今なら25億円か)、200名のスタッフ体制。さまざまなジャンルに挑戦するのは、一定の色がつくことを嫌った結果。
 最初はインタビュアーと崑監督の二人。崑監督、ほとんど口から煙草を離さない。話す際の手の動きが「映像美の巨匠 市川崑」のときとほぼ同じ。途中で池部良と淀川長治が加わって鼎談になるのだが、このときの4人の位置関係が面白い。4人が向かい合う、通常なら当たり前の構図だが、TVカメラを考えると信じられない位置関係なのだ。そして、このカメラが4人を廻りながら録っていく。当時としてかなり凝ったカメラワークだったのではないだろうか。

 キネマ旬報で、シナリオライターの桂千穂が金田一シリーズの撮影現場をルポしたことがある。このとき、崑監督のファッションを褒めて、自分も真似したいと書いていたのだが、桂千穂を女性だと信じていた僕は大いに驚いたものだった。たとえ、ファッションが決まっているとして、女性が、はるか年長の男性のファッションを真似るものなのかと。このあとだった、桂千穂が男性であることに気がつくのは。しかし、あのときの桂千穂の気持ちが、スーツ姿の48歳の崑監督を見るととてもよくわかった。

 「東京オリンピック」は、大映時代の文芸もので数々の傑作、佳作をものにした崑監督の集大成映画だったのだ、と今にして思う。たぶん、ここで監督人生の「第一部完」。次作から「第二部」になるのだろう。で、この第二部の集大成が「細雪」……。

 「逃亡」は2002年に放送されたもの。崑監督は、1、2話の演出を担当していた。

 「赤西蛎太」。本放送時、市川崑監督らしい陰影のある映像が、まるでビデオを意識させないと瞠目したのだが、実際のところ全編を観たわけではない。
 本放送はいつだったのだろう? 何年前かもう忘れた。確か正月。2日に帰省して、夕方から恒例の高校ラグビー部同期の新年会に出席、友人の家に一泊した。その翌日友人宅で観たのだから3日の放送か。特に映像に惹かれて夢中になっていたが、帰宅の時間になってしまい途中で切り上げた。たぶんビデオになると予想して切り上げたわけだが、結局その後レンタル店で目にしたことがなかった。
 そんなわけで今回の放送はとてもうれしかった。
 ビデオ、DVDで映画ソフトが手軽に楽しめる今、「ビルマの竪琴」や「犬神家の一族」を放映するよりこういう作品の方がありがたい。フジテレビだったら「木枯し紋次郎」や「追跡」をやってほしい。深夜枠でいいからさ。まったく個人的な要望かもしれないけれど。
 さて、「赤西蠣太」。調べてみると1999年の作品だった。オリジナルは1936年、片岡知恵蔵のプロダクションによって製作されている。脚本・監督が伊丹万作。主演は当然片岡知恵蔵だ。
 伊達騒動を扱った物語なのだが、冒頭のクレジット〈原作・志賀直哉〉に驚いた。志賀直哉ってこういう時代小説も書く作家だったのか。
 タイトルの赤西蠣太とは、江戸の伊達屋敷を牛耳っている伊達兵部と原田甲斐の悪巧みの実態を調べるため、国元(仙台の伊達藩)から派遣された間者(スパイ)の名前。お人よしの醜男で将棋好き。胃腸の具合が悪い。この役を北大路欣也が演じている。日頃得意としているヒーローとは正反対の役柄だが、これがなかなか味がある。面白いのは、敵役の原田甲斐も演じていることだ。こちらは歌舞伎から抜け出たような白塗りの二枚目。この二役にどんな意味があるのかと思ったが、オリジナルでも片岡知恵蔵の二役なのだった。ストーリー的なことより、スターが演じる二役の落差を楽しむといった趣旨なのだろう。
 主要な登場人物の名が海の魚に由来する。まるで「サザエさん」のよう。実にノホホンとしたユーモラスな時代劇であるから、そのつもりで観ていると、赤西蠣太と親しくしている盲目の按摩(小松政夫)が、重大機密を知ってしまったことで、もう一人の間者にあっさり殺されてしまうなんて非情なシーンがある。この間者を演じているのが宅間伸。こちらには「逃亡」の悪役イメージがあって、いつか赤西を裏切るのではと思っていたから、ドキドキしてしまった。クライマックスに向けての二人の対決を予想したのだ。あっさり裏切られた。
 すべてを調べ上げて、国に帰るため赤西蠣太は暇をもらおうとする。しかし、今帰ると敵に正体を見破られる恐れがあると、宅間伸の間者からある策をもらう。美人の腰元(鈴木京香)に付文(恋文)を書け。赤西の容姿ではぜったいにふられるから、皆の笑いものになって、それを口実に夜逃げしてしまえ。これなら怪しまれない。腰元の名(小波=さざなみ)を考えたのは赤西で、密かな想いもあった。それはまずいと反論するものの、彼女へのラブレターだから意味があると聞く耳をもたない。書いては破りの繰り返し。やっと書き上げたラブレターを鈴木京香に渡す。
「お返事は差し上げるものでしょうか?」
「はあ……」
 ところが何日経っても返事がない。宅間伸の要請でもういちど付文を書き誰の目にもふれる場所に落としておく。これが腰元元締の目に。もちろんシナリオどおりなのだが、幸か不幸か、同時に鈴木京香から「はい」の返事を聞いてしまうのだ。なんと絶世の美人が醜男のプロポーズを受け入れてしまったのだ。
 逃げる口実はできた。しかし、逃げれば意中の女性を裏切ることになる。
 赤西蠣太、さあどうする?

 冒頭の崑監督得意の俯瞰ショット。丸い番傘が並んで右から左へ移動する。あるいはガランとした部屋で、夜、赤西蠣太が行灯を相手に将棋をさしているショット。その陰影。もうそれだけで幸せな気分だ。ラストカットも余韻があった。

 はるか昔、オリジナルの「赤西蠣太」を観ている。観せられた、というべきか。
 就職浪人中に半年間通ったシナリオ講座の講義で、講師の安藤日出夫氏がこの映画、特にシナリオをベタ誉めし、ある日映画鑑賞になったのだ。
 今日記をあたったら、1983年の6月27日にこう書いている。

  (略)安藤日出男先生は、この映画の主人公の性格描写が素晴らしいと 絶賛していたが、画像が荒かったせいか役者たちの区別がつかず、またセリフが聞きとりにくくてストーリーがよくわからなかった。

 一緒のクラスだったかみサンにも確認してみた。一言「つまらなかった!」





 というわけで、「mixi失格。」シリーズを再開します。
 もう10年以上経つか、猫も杓子もmixiに夢中だった。僕もその一人。が、あることで嫌気して脱会した。で、書いたことを本にしようとまとめた。いろいろあって(例の引きこもり)諦めた。
 mixiを脱会して、知らないうちにFacebookの天下になった。ツイッターやFBをやっていないと人間ではないような見られ方をする。
 まあ、いいや。
 気が向いたら掲載します。

     ◇

 チクリ 2005/08/08

 もう何年前になるだろう。今は退部してしまったけれど、草野球チームL・J・バスターズがまだ某語学出版社L社の野球部だった頃の話。
 当時僕はL社に出向しており、社員のT監督に誘われてメンバーになった。
 出版社の野球部が加盟している団体の大会がある。毎年大宮の荒川沿いにある出版健保グラウンドでトーナメントが行なわれている。この大会、いろいろ約束ごとがあって、そのひとつにチームのメンバーは社員であることが義務づけられている。
 とはいえ、L社野球部はT監督とO氏以外はすべて外部の人間なのである。出入り業者だとか、その友人だとか。大会に提出するメンバー表は偽装されているわけ。それで特に問題になったことはない。
 その日、対戦したのは某出版社、仮にA社としておく。このA社に知り合いのB氏がいた。当時、僕はS社の社員でS社から子会社のL社に出向していたのだが、その前は出版社のT書房に在籍していた。B氏は元T書房の社員だった。T書房はその後倒産し、そこから二人、S氏とK氏がS社にやってきて、L社野球部のメンバーになった。当然B氏とは旧知の仲。二人がL社の社員でないことは知っている。
 つまりA社はこちらのルール違反を事前に察知したわけで、その時点で運営事務局に報告すれば、僕たちのチームは即出場停止処分になる。そこをB氏に確認すると「関係ないですよ」とのこと。さすがA社は懐が深いなんて感激してプレイボールとなった次第。A社が勝利していれば何の問題もなかった。
 ところが接戦に末、結局引き分けになり、大会ルールによってジャンケンで勝敗を決めることに。で、L社が勝ってしまったのだ。
 大喜びでグラウンドの後片付けをしてクラブハウスの更衣室に戻ると、事件が勃発した……


 チクチク 2005/08/10

 ジャンケンとはいえ勝利は勝利。メンバーの喜びようったらなかった。雄叫びをあげ、試合終了の挨拶をした僕たちは次の試合のためにグランドの整備をする。これは勝利チームの義務である。整備は全員というわけでなく、一部の人は先に引き上げた。

 シャワーを浴びて、美酒に酔おう。気分よくクラブハウスにやってきて更衣室に向かうと、中から罵声が聞こえてきた。
 S氏の声だ。
 あわててドアを開けるとS氏とA社の一人が殴りあいの喧嘩をしている! L社の他のメンバーがS氏を取り押さえ、どうにか椅子に座わらせた。
「てめら、卑怯なんだよ、恥を知れ、恥を」
 S氏の声が更衣室にこだまする。
 おいおい、さっきまでの笑顔はどうしたの? 僕にはこの急展開の状況がさっぱり飲み込めない。
 T監督に理由を聞くと試合後A社は事務局にうちのメンバーに助っ人がいることを告げたとのこと。L社の失格が決定したのだと憤懣やるかたない感じ。
 ロッカーの陰に蒼白のB氏がいた。
「(社外のメンバーがいることを)確認したら別に問題ないって言ったじゃないか」
「そうなんですけどね……」
 B氏の口は重い。
 確かに最初は本当に問題なかったようなのだ。A社としてはL社を破ることしか考えていなかったのだから。よもや負けるなんてことはこれっぽっちも頭になかった。ところが試合は引き分け。おまけにジャンケンに負けての敗退だ。
 たぶん引き分けの段階で、L社が勝利をA社に譲ってくれるなんて甘い考えがあったのだと思う。何しろ規則違反をして大会に出場しているのだ。それを知りながら試合に応じたのはA社。L社に貸しがある。にもかかわらずL社はジャンケンに応じ、しかも勝ってしまった。そんなことは社会正義のためにも許せるはずがない。
 で、試合後の告げ口になった。まあ、そんなところだろう。
 出版健保の野球大会に出場できなくなったL社野球部は翌年社の野球部から一草野球チームに衣替え、名称も〈L.J.バスターズ〉となって再スタートを切った。
 

 …明徳義塾甲子園出場辞退の問題を考える 2005/08/10

 長々と野球チームの思い出を綴ったのは、明徳義塾が甲子園大会の出場を辞退したこと、なぜそういう事態になったのか、その内情を知ったからである。選手の不祥事について記した投書が高野連に届いたのは地区大会の優勝が決まった後と聞いて、汚いやり方だと憤ったのだ。
 不祥事を知った時点でなぜ告発しないのか。不可解なのはそこなのだ。
 もし明徳義塾が優勝しなければ匿名の情報提供もなかったのではないか。今回だけは許したるわい、なんていう池乃めだか的判断で。
 優勝するまで告発を待っていたとすると相当タチが悪い。
 昔、映画賞の時期になって、ある映画がノミネートされた。ノミネートされるとある筋から盗作ではないかという告発があった。海外ミステリによく似たストーリーがあるらしいのだ。この件、最終的に問題なくその映画は映画賞を受賞したのだが、この告発もおかしなものだった。なぜなら映画は半年以上前に公開されているのである。盗作疑惑なんてもっと前に発覚してもいいはずではないか。にもかかわらず映画賞の季節になって指摘されるなんて、あまりにもタイミングが良すぎる。告発者の思惑がわかるというものだ。 
 別に僕は、明徳義塾野球部がかわいそうだ、なんてことを言いたいのではない。喫煙や暴行の実態を知りつつ内部で処理してしまったことは何とも情けない。まるで「フライ、ダディ、フライ」のボクシング部選手を擁する高校みたいだ。甲子園に出場しようがしまいが関係ない。しかし告発者の心情を考えると無性に腹がたつのである。




 一昨日(21日)は、退社後どうするか朝から迷っていた。経堂の「さばの湯 雑把亭/立川談四楼独演会」に行くか、駒込のJ'zCafe「立川流落語会」にするか。夕方近くになって、特撮仲間のSさんから「飲みませんか?」のメール。結局体調不良でまっすぐ帰宅した。朝から下痢だったのだ。

 昨日はお昼に地元シネコンで「一命」鑑賞。
 ほんとはレイトショーで観たかったのだが、その時間は3D上映なのだ。この映画を3Dで観たがる客がいるのか? 
 瑛太扮する浪人の〈狂言切腹〉(小林正樹監督、仲代達矢主演「切腹」にこのような言葉が出てきただろうか?)シーン直後に、年配の女性客が退場した。途中で転んでちょっと場内が騒然となった。竹光による、かなりリアルな切腹は、僕自身直視できなかったので気持ち悪くなる人がいてもおかしくない。
 映画はよく出来ていたと思う。しかし、海老蔵と満島ひかり・瑛太が親子というのがちょっとなあという感じ。海老蔵と満島ひかりが父娘で、瑛太は娘婿の関係。皆演技はすばらしいのだが。
 3D効果があるのは冒頭のタイトルのみ、だけのような。

 映画のあとは中目黒のウッディシアターへ。
 志水季里子さんが出演する「悲しみの時候 ~消せない心の涙」をS氏と観劇。
 超満杯。そのため、予定より開演が20分ほど遅れた。フライヤーの印象からずっと涙と感動のドラマだと思っていた。劇場でもう一度読むと、〈ずっこけ! 痛快コメディドラマ〉とある。ええ! 
 最初から涙と感動で押せばよかったのに。ギャグがはじけないのは観ている方もつらいもんです。
 主演の女優さん(浅田遥)が抜群に良い。季里子さんは後半のしっとり演技が印象的。

 終ってから、S氏と飲む。話題は批評について。

     ◇

 ●黒澤明と〈批評の存在〉 2005/08/02

 昨日会社の同僚から借りた「ホームレス作家」(松井計/幻冬舎)を読了する。今頃になっての読書だが、いろいろ考えさせられた。
 
 続けて「十五人の黒澤明 出演者が語る巨匠の横顔」(ぴあ編/ぴあ)を読んでいる。
 黒澤映画に出演した役者たち、仲代達矢から大寶智子、番外として三船敏郎の長男・史郎の15人のインタビュー集。

 山崎努の思い出話の中で、批評について黒澤監督が嘆いていたことが出てくる。
 曰く「僕は赤を塗っているのに、青じゃないと言われる。でも赤を塗っているんだからそう言われても困るんだ」
 この色に託した批評の功罪は最近私が口にすることだ。
 自分で赤を塗っていて、青じゃないという批評があるなら、そんな批評なんて無視することだ。赤を認識して、その赤の色合いについてアレコレ言うのなら耳を傾ければいいことで…云々。
 世界のクロサワと同じ論理じゃないか、なんてちょっと有頂天になったのだが、よくよく考えてみると、この言葉、昔黒澤本かなにかを読んでインプットされたものなのだろう。
 昭和40年代は黒澤監督にとって不遇の時代だった。小林信彦のコラムでよく語られることだが、黒澤映画が何かと批判された。あの「七人の侍」ですら再軍備を提唱する映画と叩かれたというのだから恐れ入る。
 アメリカ映画に進出しようとして2度の挫折。自殺未遂のニュースを新聞で知った時、まだ黒澤映画なんて観たことがなかったにもかかわらずものすごく悲しかったことを憶えている。




 47歳になって思うことがあった。その思いは誕生日の翌日mixiに書いている。
 翌年(07年)が自分の干支(亥)でもあり、〈表現したい〉宣言をして本を2冊つくろうとした。
 ものごとは簡単には進まない。自由になる金が自分にあれば別だろうが。
 個人本「僕たちの赤い鳥ものがたり」が完成したのは3年後、50歳になる年だった。
 そして今年8月、念願の映画評・書評のコラム&エッセイ本「夕景工房 小説と映画のあいだに」完成。10月で52歳になる。

 エッセイ集「mixi失格。 誰が日記なんか書くものか!」はもう何年も前に原稿ができ上がっている(本ブログの「mixi失格。」とは別物、いやちょっとかぶっているか)。まぐまPBシリーズとしては評論・論考集「特撮世界のロビンソン・クルーソー」なんてのもありか、なんて(このタイトルの元ネタ、小林信彦ファンならすぐわかるだろう)。
 秋からは「ギャンブルが人生だって? それは逆だ、人生がギャンブルなんだよ!」の執筆を開始する。
 本業=生きがいなら、どんなにいいか……

     ◇

 ●47歳。 2006/10/16

 昨日(15日)、47歳になった。
 30歳、40歳といった節目のときよりも感慨深い。とうとう来てしまったかという気持ち。
 母親が脳腫瘍で入院、十数時間に及ぶ大手術、その後の合併症で生死の境をさまよった年齢だからである。驚異的な生命力で持ちこたえたが、結局その後20年間寝たきり生活を送ることになった。

 母の場合〈右小脳テント髄膜腫〉が正式名称。家族、親族を集めて、主治医からの説明で知らされた。隣町の足利日赤病院。あの日、父は緊張のあまりハンドルを握れず、叔父の運転で病院へ行ったのだった。
 手術前、相部屋の他の患者さんたちの年齢を知って驚いたことがある。母と同年代なのに、どう見ても一つ上の世代、老人にしか見えなかった。皆術後の姿だった。
 40歳を過ぎたあたりから、年齢より若く見えることを自慢していた母も同じ容貌になるのか? 信じられなかった。
 
 手術当日、なぜか父は私を家に残らせた。たった一人、心細くて仕方なかった。もし手術が失敗したら? もう祈るだけだった。泣きながら手を合わせていた。
 あくまでもフィクションとして、エンタテインメントとして読んでいた手塚治虫の「ブラックジャック」のストーリーがとても身近に感じた。本当にブラックジャックがいたら、わが家は一千万、二千万円の手術料を用意することができるだろうか。払ってみせる。本当にブラックジャックがいて欲しい。なぜいないんだ! 所詮漫画の世界か。
 泣いて、怒って、寂しくなって……
 様々な感情に支配された日だった。

 それはそれとして大台まであと3年。学生時代に思い描いた人生とは大幅に違う道を歩いている。何かと考える。悩むこともある。後悔はしていないといきがっても忸怩たるものはいつも心にある。
 要は毎日の充実度。今自分にできることは何か。何がしたいのか。




 21世紀になっても冤罪はある。足利事件や郵便不正事件がいい例だ。
 郵便不正事件では厚生労働省の元局長が、大阪地検の策略で犯人に仕立て上げられそうになった。もし、データ改竄が発覚しなかったら、元局長がいくら「無実」を叫んでも有罪になっていたのだろうか。

 先週読了した「ゴールデンスランバー」はまさにその恐怖を描いた小説だった。
 容疑者に対して警察官が無闇に発砲できるわけがない、何かというとショットガンを撃つ刑事にまるでリアリティがない、だいたい本当の犯人(組織)が何の目的で主人公を首相暗殺の単独犯に仕立てるのか、事件の真相がまるで解明されないではないか……。
 いろいろ疑問点を指摘できる。
 映画を観たとき、感銘を受けたとはいえ、最初の二つの疑問が頭をよぎった。それからあの廃車はバッテリーを交換したぐらいでは動かないだろうとも。
 小説を読んでわかったのだが、舞台となる世界はある種のパラレルワールドなのだ。そうだとわかれば何かと許せてしまう。いや、エンタテインメントだからわざとそんな設定、展開にしたのかもしれない。「嘘でぇ!」の部分がないと怖すぎるもの。

 つまり、こういうことだ。
 日本で首相暗殺なんてありえないだろう。警察がここまで徹底して無実の男を犯罪者に仕立てるなんてこともないかもしれない。描かれていることはあくまでもフィクションだ。とはいえ、似たようなことは日々行われているのではないか。程度の差はあれ、僕らはこれまで何度も目撃している。まさに足利事件や郵便不正事件がそうだった。
 サリン事件を思い出してほしい。メディアの扇動的な報道姿勢もあって、僕たちはまったく罪のない人を極悪人だと信じたではないか。

 袴田事件については、昨年、「BOX袴田事件 命とは」(監督:高橋伴明)が公開されている。

     ◇

 ●袴田事件/無実の死刑囚を救え 2007/09/21

 19日(水)の後楽園ホールにおけるボクシング観戦についてもう一つ書いておきたいことがある。

 入場時、試合のプログラムといっしょにA4サイズのチラシを渡された。着席してから内容を確認すると、表面に大きく「袴田厳さんの再審開始を支援します」の文字があった。
 袴田事件って、すでに無罪が確定したのではなかったっけ?
 一瞬そう思ったが、免田事件と勘違いしていることにすぐに気がついた。チラシは袴田事件の再審開始の活動を行っている弁護士と支援者たちが、この日の観客に活動に対する協力をお願いする内容だった。

 高校時代、学校の図書館から「狭山事件」という本を借りて読んだ。未解決の殺人事件の謎に迫る、といったようなある種ミステリを読む感覚で手に取ったのだが、読了後やりきれない思いが胸にうずまいた。続けざまに2、3冊関連書物をあたった。
 警察のこんな横暴が許されていいのか! 無罪の人を死刑にしていいのか!
 と同時に、こうも思った。事件は被告の冤罪を晴らすことだけが注目されている。被害者が誰かに殺された事実はどうなるのか、家族の心中はいかなるものか。真犯人はどこかでのうのうと生きているわけだから。こうして狭山事件、狭山裁判からわざと距離をおき無関心を装った。
 後から知る免田事件、袴田事件についても同様だった。

 チラシには袴田事件の概要が掲載されていた。
 事件が起きたのは1966年(昭和41年)。静岡県清水市(当時)の味噌製造会社の専務宅が放火され焼跡から4人の他殺体が発見された。味噌工場の寮に住んでいた元ボクサーの袴田氏が逮捕された。部屋で見つかった微量の血痕のついたパジャマが証拠だという。執拗な取調べで一度は自白したものの、裁判になってから無実を主張。
 その後、工場の味噌タンクから殺人現場で犯人が着ていた血染めの衣類(5点)が発見される。その中の一つであるズボンはサイズが小さくて袴田氏が穿けないにもかかわらず、本人のものとされ(パジャマの存在はすでに無視されている)、死刑を求刑される。東京高裁への控訴、最高裁への上告、ともに棄却され、1980年に死刑が確定した。

 昭和41年といえば僕はピカピカの小学1年生、7歳だ。現在、47歳。ということは40年間袴田氏は塀の中にいることになる。明らかに殺人を犯した人間が死刑か懲役15年かを争っているわけではない。警察の意向で証拠を捏造され、実際は無実かもしれないと思ったにもかかわらず裁判官は有罪を下したのである。いったいこれはどういうことなのか!

 メインイベントの前に、弁護士と支援者たちがリングに上がり、この事実を訴えた。支援者の一人、ボクシング協会の輪島功一会長の、くだけた、本音そのものの挨拶が胸に響いた。袴田氏は人生の半分以上を獄中で送っている。
 チラシの裏には輪島会長のインタビューが転載されていた。最近は精神に異常がみられるという。それを理由に支援者はもちろん家族の面談も許されない。
 どうやら警察も検察も大臣も獄中死を期待しているらしいのだ。

 支援って何をすればいいのか。カンパだという。会場を後にするとき千円カンパした。


 【追記】

 光市母子殺人事件の被告弁護団、特にY弁護士は、この裁判には興味ないのだろうか?


 ●「相棒」最終回スペシャルと袴田事件 2008/03/29

 先週の「相棒」最終回2時間スペシャル「黙示録」は、袴田事件の再審要求の結果が25日に出ることを予測して制作されたのだろうか?
 
 ある死刑囚が獄中死した。その解剖に立ち会った杉下(水谷豊)と亀山(寺脇康文)は19年間刑が執行されなかったことに不審に思う。独自の捜査を始めると、死刑囚は無実だったかもしれないことが判明。と、同時に、病死をきっかけに、この事件の捜査を担当した刑事と裁判時の検事が殺されていたことも。
 連続殺人事件の犯人は誰か? 死刑囚の父親(林隆三)、再審請求を続ける弁護士(ベンガル&宮川一朗太)、当時の裁判官の一人(石橋凌)……。
 最後に意外な人物が真犯人であることをつきとめるわけだが、印象的だったのはラスト。ネタバレさせてしまうが、石橋凌が犯人の無実を知りながら、他の二人の裁判官に押し切られる形で判決文を書いたことがわかるのだ。

 死刑囚とされる人物が犯した25年前の事件も袴田事件を彷彿させる。
 ドラマでは、解雇されたことを恨んだ犯人(死刑囚)が上司宅に忍び込み妻を殺害、放火したことで娘も巻き込まれてしまったというもの。
 袴田事件の概要はこうだ。静岡の味噌製造会社の専務宅が放火され、焼跡から一家4人の死体が発見された。静岡県警が工場内の従業員寮を捜査すると、従業員の部屋から微量な血痕のついたパジャマが見つかり、この部屋に住む袴田氏が逮捕された。このときの取り調べが杜撰極まりない。
 にもかかわらず、死刑が確定し、以後袴田氏は40年間獄中の身である。
 最近になって、静岡地裁で死刑判決にかかわった元裁判官が「袴田氏は無実だと思った」が、他の裁判官(一人は裁判長)が有罪を主張し、結果、死刑判決となり、判決文は自分が書いた旨告白した。
 まさにドラマの中の石橋凌である。

 それにしても、今回の最高裁の再審請求の棄却は納得できない。
 特に、袴田氏が犯人であることを決定づけた物的証拠に対する見解が信じられなかった。
 ズボンが小さくて袴田氏がはくことができなかったことについて、最高裁は「縮んだにすぎない」としている。脱力とはこのことだ。
 
 「相棒」最終回は、袴田事件の再審請求へのエールではなかったか。そして、事件を担当した刑事や検事に対して「腹をくくれ」とメッセージを送っている。まさか、最高裁で棄却されるなんてこと考えていなかったのだろう。




 今日は丸の内TOEIで「マイ・バック・ページ」を観る。朝日ジャーナル、週刊朝日、朝日新聞をそのまま使用することは無理なのか。東都ジャーナル、週刊東都、東都新聞なんて嘘っぽくて。
 でも、スクリーンの中は確かに70年代だった。一人、妻夫木くんだけが現代からタイムトラベルした感じ、かな。(個人的に)よく知らない役者陣がいい。あがた森魚、昔の岸辺一徳みたい。三浦友和、圧巻。
 この映画についてはあとでじっくりと。
 
 昨日の「X-MEN ファースト・ジェネレーション」。エンディング・ロールを眺めていたら、何かのスタッフでマイケル・ダグラスとあった。同姓同名は海外にもあるんですね。

          * * *

 ●君は照明助手・泉谷しげるを知っているか? 2007/12/27

 TVの洋画劇場の類を観るようになったのは小学生の高学年になってからだと思う。番組の最後で日本語版スタッフのテロップが流れるのだが、いつも目にしたのが〈効果・赤塚不二夫〉だった。
「へぇ、赤塚不二夫って多才なんだなあ、こんな仕事もやっているんだ」
 漫画家と効果マンの二束のわらじを履いている。しばらくの間、そう信じていた。映画好きだったからさもありなんと納得していたのだ。後で不二夫ではなく、不二男であることに気づき、同名異人だとわかるのだが。

 平成の怪獣映画の中で、内容的、映像的に一際光り輝いている「ガメラ 大怪獣空中決戦」を初めて試写会で観たときに同様の感覚が蘇った。エンディングロールで泉谷しげるの名を発見したのだ。照明助手。今度は完全なる同姓同名である。もういい大人だったから、あの泉谷しげるが余技で照明の手伝いをしているとは考えなかったけれど。一般の劇場で鑑賞した際には、クレジットが流れてちょっとしたざわめき、笑いが起きた。それだけインパクトある名前なのだろう。
 以降、ガメラシリーズでは必ず、そのほかの映画でも何度か目にした。

 あれからもう10年以上の月日が経つ。
 先週終了した「ULTRASEVEN X」は第1回を予約録画するのを忘れて、2回めから観はじめたのだが、エンディングで快哉を叫んだ。久しぶりに泉谷しげるのクレジットに再会したのだ。ちと大仰か。「頑張っているね~」なんてひとりごちながら、その肩書きに首をひねった。まだ「照明助手」なのだ。すでに照明技師として一本立ちしているものとばかり思っていた。
 照明も、演出や撮影同様、助手にも何段階かランクがある。助監督はペーペーのフォースから、監督の片腕ともいうべきチーフまである。チーフ助監督になると監督より力量が問われることもあるのだという。
 某売れっ子脚本家が撮影所で長年助監督を続けている人に訊いたことがあるそうだ。「監督になりたくないんですか?」
 助監督はこう答えた。「監督の話はきたことがあるが断った」理由は「監督になると1本ごとの契約になる。助監督なら給料制だ。生活を考えるとこのままの方がいいから」
 CMプロダクションで働いてたころ、照明技師がよく言っていた。「技師より助手の方が稼げるんだよな」
 フリーだから1本ごとの契約は同じだが、技師と違って残業代は出るし、拘束時間の関係から仕事の量が違ってくる。

 もしかして泉谷さん、腕は一級なのに、生活を考えて技師になることを拒んでいるのか?
 ミュージシャン兼俳優のあの泉谷しげるの声で照明助手の言葉が聞こえてきた。
「他人のことなんてどうでもいいだろうが! お前はどうなんだ、お前は、よう!」
 返す言葉がない……




 本日、丸の内TOEIで「手塚治虫のブッタ」鑑賞。
 岡田・赤頭巾ちゃん気をつけて・裕介が吉永小百合を意識してプロデュースした作品にロクなものがない。僕が観た作品に限ってのことだが。
 予告編から何も響かなかった。チケットもらわなかったからたぶん劇場で観なかったと思う。手塚治虫の、と謳っているにもかかわらず、キャラクターは手塚治虫のそれを使っていないし。かといって、その昔、「幻魔大戦」が劇場アニメになったときのような、原作(画)の石森章太郎ではなく大友克洋を起用したような大胆なものでもなく。
 スタッフの意気込みは感じつつ、何となくどことなく中途半端。
 
     ◇

 ●トランスセクシャルと手塚治虫 2007/05/17

 TVで2本のドキュメンタリーを観る。

 14時からフジテレビで「性同一性障害の恋人たち ~精神科診察室の物語~」。
 心が女性の男性とその逆の女性が、性転換手術を受けるために一緒にクリニックに通う日々。割れ蓋に綴じ蓋。うまい具合にカップルができたものだと感心した。ネットの、その手のサークルで知り合ったという。

 ふと思い出した。好きな彼女がレズビアンで、女の子にしか興味がない、そこで、自分が女性になって恋愛を成就しようとする男性のブログがある。彼女も応援してくれて、徐々に女性へと生まれ変わっていく、そんな日記が綴られていくのだが、フィクションじゃないかと睨んでいる。彼女がレズだから女になる、この男性の精神構造がにわかに信じられない。

 話をもとに戻す。
 このドキュメンタリーでは、男性、女性、性同一性障害の男性、女性、それぞれの脳のある一部のレントゲン写真(?)を見せてくれる。確か人間の性を形づくる部分とか説明があった。驚いたことに、性同一性障害の男性と女性のそれがほとんど同じなのだ。
 性同一性障害の男性の両親は同世代。ここで考えてしまった。もし、自分の息子が「女になりたい」と言い出したらどう反応するだろうかと。うちは娘だから「私は男になりたい」と言われたらどうするか。環境とか育て方とかの問題ではない。脳の写真が証明している。明らかに疾患なのである。

 トランスセクシャル、今は〈TS〉という言葉で括られる事象に興味を持ったのは手塚治虫のマンガがきっかけである。
 小学生低学年のとき、アニメ「リボンの騎士」に夢中になった。コミックスも揃えた。
 サンケイ新聞に連載されていた「青いトリトン」(アニメ化で「海のトリトン」に改題)は、前半がトリトンの兄、和也の冒険話だった。ある船にしのびこんだ(?)和也が船長の部屋をのぞくと、着替えをしていて、実は女ではないかと思わせるコマがある。この何気ない絵に興奮した(コミックスにはこのカットがない)。隔週刊の少年チャンピオンに連載されていた「ザ・クレーター」では死んだ少女の心が、ある一定期間主人公にのりうつって騒動が巻き起こるなんていうエピソードがあった。
 影響されて男から女へ強制的に性転換手術させられるマンガを描いたことがある。小学5年だったか、6年だったか。かなりマセていた、というか、「お前何考えてるの?」と言われても仕方ない。

 深夜は、その手塚治虫を取材した「手塚治虫 創作の秘密」。NHKアーカイブス枠。

 このドキュメンタリーはオンエア時に見逃してくやしい思いをした。マンガの神様の原稿執筆しているところを一度この目で確認したかったのだ。写真や漫画では何度も拝見しているのだが、やはりビデオにはかなわない。下書きする際の、鉛筆の動き、紙をすべる音にうっとり。
 オイソガ氏の方だから、海外へ行くため、空港に到着しても原稿用紙と格闘しなければならない。数枚を残して搭乗時間。あとは向こうからFAXで送るから、ということでご夫婦で旅立つのだが、「?」が頭に中にいくつも並んだ。
 下書きした原稿を日本に直送するわけではない。単なるFAXである。東京のアシスタントは送られたFAXで、最終的にどのように仕上げるのだろうか。
 亡くなる3年前の映像。取材の中では、年をとって、納得のいく絵、特に丸が描けなくなったと嘆いているが、今見ると驚くほど若い。机につっぷして仮眠をとる姿のなんとかわいいことか。




 キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と宣言して芸能界から引退したにもかかわらず、ランちゃんとスーちゃんはすぐに女優としてカムバックした。
 この嘘つきが! と当時ちょっと憤ったが、しばらくしてこう思うようになった。キャンディーズをやめたい、渡辺プロをやめたい、そのための方便だったのではないか。事務所主導の自由のきかないアイドル活動なんてしたくない。でも、そんなことを言っても事務所は了解などしてくれないだろう、だったら頂上作戦だ、芸能界引退! これなら誰も文句が言えない。ランちゃんやスーちゃんがカムバックしたときの事務所がどこだか知らないのだが。

     ◇

 ●遅ればせながら「娘の結婚」 2006/06/02

 ずいぶん遅い書き込みになってしまったが、GWに日本テレビ系「DRAMA COMPLEX」の枠で市川崑監督の「娘の結婚」が放映された。
 小津安二郎監督「晩春」のリメイクだ。
 以前このリメイクについて耳にしたような気がした。調べてみたら2003年にWOWOWで制作、放映され、すでにDVDにもなっているという。まったく知らなかった。

 あの名作を崑監督がどう現代的にアレンジしたのか。
 「黒い十人の女」のリメイクに失望しているので(端的に指摘できるのはピチカートファイヴのライブ。映画版のクレージーキャッツと比較して躍動感が全然違う)、この「娘の結婚」はそれほど期待していなかった。一応録画したけれど、そのまま一週間放置していたくらいだ。
 しかし、しかし。
 フィルムということもあって、やはり崑監督のことだけある。陰影、奥行、質感。崑タッチは健在だ。しっとりと落ち着いた色彩が心地よい。タイトル処理なんてワクワクしたもの。冒頭から引き込まれる。

 婚期を逃してしまいそうな一人娘(鈴木京香)を心配する父(長塚京三)。しかし娘は結婚して父のそばを離れることがたまらなく寂しいと思っている。ずっと父の世話を焼いていたいのだ。父は自分の再婚を告げ、娘は結婚を決意するのだが……。

 鈴木京香はその容貌、醸しだす雰囲気、言葉遣い等、原節子に負けていない。物語も全体的に〈おかしさ〉に彩られていて飽きない。脇にはいつものように常連が顔を揃えているが、鈴木京香のバツイチ従姉を演じた緒川たまきが魅力的。この女優さん、どこかで見たことがあるなあと思ったら「トリビアの泉」の「うそつき」女だった。
 鈴木京香は適役、ただ、父親役が長塚京三というところにどうにも違和感を覚えてしまう。年齢的にどうなのかは知らないが、オリジナルの笠知衆がいかにも老人といった枯れた男なのに、長塚京三だとまだまだ現役の感があり、「父と離れたくない」という娘の気持ちにどうにも淫靡な匂いがしてしまうのだ。これは狙いなのか?
 それに現代なら、娘が結婚しても「一緒に住めばいいじゃない」と言いたくなる。広い家なのだから。このテーマは現代にそぐわないのかもしれない。

 いつの頃からか、崑映画の音楽は必ず谷川賢作(谷川俊太郎の息子さん)が担当するようになった。けっして悪くはないが、どうも胸に響いてこない。すべてシンセサイザー(だと思う)で処理してしまうところが気になってしまう。


 先週は渡辺プロダクションを設立して、戦後の芸能ビジネスを変えた渡辺晋の生涯を描いた「ザ・ヒットパレード」がニ夜にわたって放送された。
 後編だけ録画して先日観た。この手のドラマは結局役者のそっくりさんぶりを楽しむ方向にいってしまう。タイガースが出てきたので、テンプターズ(ショーケン)も登場かと胸膨らませたが叶わなかった。
 渡辺プロを語る際、絶対はずせないエピソードをこのドラマは描いていない。日本テレビ(井原高忠プロデューサー)との全面戦争のこと。
 これについてはまた明日。


 ●「ザ・ヒットパレード」 2006/06/03

 幼少時に夢中になって見た歌番組がフジテレビの「ザ・ヒットパレード」だ。テーマソングの「ヒッパレー、ヒッパレー みんなが選ぶ~」はおなじみ。司会がミッキー・カーチスとザ・ピーナッツ。スマイリー小原が踊りながら指揮する姿が忘れられない。というか、この番組の出演者ではっきりと覚えているのはスマイリー小原の笑顔と踊りだけのような気がする。
 思うに、当時スマイリー小原とトニー谷が二大強烈キャラクターだったな。

 放送開始が1959年の6月。この年(昭和34年)は私が生まれた年だ(2ヶ月間だけ50年代の空気を吸っている!)。終了が1969年。10年続いたのか。30分番組だったことも初めて知った。1時間だとばかり思っていた。
 現在オールディーズを聴いて懐かしいと思うのは、この番組で日本語の歌詞でうたわれた曲が耳に残っているからだろう。

 「ザ・ヒットパレード ~芸能界を変えた男・渡辺晋物語~」は、タイトルにその懐かしい歌番組を冠したので興味がわいた。しかし放送日時までチェックしていなかった。
 先週はある会議の資料作りで毎日残業だった。25日(木)は友人に誘われて無料の「ナイロビの蜂」鑑賞会に参加するつもりでいたら、翌朝までに資料を完成させなければならなくなった。
 苦肉の策で映画を観たあと、会社に戻った。当然会社に泊まることになる。翌日はまっすぐ帰宅する予定が、別の友人に飲みに誘われ新橋へ。ちょっと一杯のつもりが気がつくとはしご酒、にはならなかったけれど、この日が「ザ・ヒットパレード」の前編が放送されたのだった。新聞読んでいたら録画したのに!
 というわけで、後編だけの録画になった次第。

 主役の渡辺晋に柳葉敏郎、パートナーの美佐に常盤貴子。ラスト、サングラスをして登場した柳葉敏郎が晩年の渡辺晋にそっくりなので驚いた。あくまでも写真等で知っている姿に、だけれど。
 「ザ・ヒットパレード」のプロデューサー、ディレクターの椙山浩一(後の作曲家・すぎやまこういち)は原田泰造、青島幸夫は石黒賢、植木等に陣内孝則。ピーナッツの二人に安倍なつみ・麻美の姉妹(最初聞いときは???だった、実際に見ると、まさに双子のよう。ナイスキャスティングではないですか)。
 昭和30年代のセットに力が入っていた。
 途中途中に挿入される当時のフィルム、ヒット曲に心が弾んだ。
 「スーダラ節」が誕生する瞬間にはシラけた。会議の席で、青島幸夫が即興で詞を作ってうたい、皆で合唱になるだが、そんなバカな。まあ、ドラマだとそういう展開にしないと絵にならないのはわかるけれど。
 
 渡辺プロは局と対等に、というか局を下請けのようにして自社のタレントをレギュラーにした番組を制作した。日本テレビの「しゃぼん玉ホリデー」は有名だ。各局には渡辺プロ御用達のディレクターがいたらしい。ここらへんのことはすべて小林信彦のコラムその他で知ったこと。
 渡辺プロは月曜夜8時にテレビ朝日でキャンディーズをメインにした新番組を開始した。日本テレビは同じ時間帯に「紅白歌のベストテン」があり、渡辺プロの人気歌手の出演できなくなるのは困るとクレームを入れると「だったらそちらが放送日時を変えたらいい」と。
 この渡辺晋の一言に井原高忠が切れた。だったらもう渡辺プロのタレントは使わない。その代わりに自局で人気タレントを作ってやれ。という経緯から、「スター誕生」でグランプリを受賞した歌手の卵たちを、渡辺プロ以外の芸能プロに割り振った。彼(彼女)がレコードをリリースすると積極的に自局の歌番組に出演させる、独自の歌謡賞をつくって、局に貢献する歌手に新人賞を贈呈する。数々の秘策がうまくいって、皆人気歌手になっていくのである。
 こうして渡辺プロの凋落が始まった。

 ドラマ「ザ・ヒットパレード」には、この事実がすっぽり抜け落ちていた。もちろんフジテレビが他局のことを真正面から描かないだろうし、渡辺プロとの共同制作だから負のエピソードなんて最初から描くつもりはなかったのかもしれないが。
 負の業績を綴る社史はないか。ドラマは芸能ビジネスを虚業から実業にすべく、財界と強い関係を結ぼうと奮闘する渡辺晋の姿が描かれるだけ。確かにその功績は素晴らしいことではあるが、功罪の罪にまったく触れないというのは人物造形に深みがなくなる。ドラマなんだから。

 今は渡辺プロに代わって、ジャニーズ事務所が同じ道を歩んでいる。こちらの方が手ごわいかもしれない。




 昨晩遅く帰宅して児玉清の死去を知る。
 ああ、やはりダメだったか。
 胃がん。「娘さんと同じじゃない」とかみサン。
 子どものころから抱いていた俳優・児玉清のイメージが変わったのは、あるラジオ番組へのゲスト出演だった。「伊集院光の日曜日の秘密基地」だったと思う。そして生で観た「週刊ブックレビュー」の司会ぶり。それから著書の「負けるのは美しく」。この十年のことだ。
 享年77。

 合掌

 本題は読書レビューにあるので、リンクではなく転載する。

     ◇

 ●「週刊ブックレビュー」公開録画 in 大泉町 2007/10/06

 NHKBS2「週刊ブックレビュー」の公開録画が大泉町文化むら大ホールで行なわれた。書評ゲストの一人が談四楼師匠と聞いて久しぶりに大泉町を訪れた。高校時代以来だから何年ぶりだろう。

 群馬県の東南に位置する大泉町。今や多くのブラジル人が住む町(リトルブラジルがある街)として全国的に有名になった。
 邑楽町出身の師匠にとって大泉は隣町。学生時代は大泉町に唯一あった映画館に自転車で通い、Yという食堂のおむすびつきラーメンをよく食べたとか。
 太田出身の僕にとっても隣町だ。高校時代は東京三洋ラグビー部OBに胸を借りることがあって、何度か通っている。太田駅から小泉線を利用するのだが、今回初めて知ることがあった。小泉線って館林からも出ているのだった! 昨日、ネットで電車の時間を調べていて判明した。
 また、長年の疑問も解消した。路線の名称は小泉線、東小泉、西小泉という駅もある。大泉なのにどうして小泉なのか? その昔大川村と小泉町が合併したんですね。今日まで知らなかった。まったくお恥ずかしい限り。
 館林から3駅めが東小泉。車窓から見る田園風景に心和んだ。帰りは夕陽が目に染みた。

 番組は午後2時収録スタート。まずは司会の児玉清、中江有里、両氏の挨拶から(その前に大泉町長、NHK前橋支局長の挨拶があったのだが)。
 書評ゲストは師匠のほか、高見恭子氏、夢枕獏氏の計3名。
 各氏おすすめの一冊は次のとおり。

 立川談四楼……「間の取れる人 間抜けな人 ~人づき合いが楽になる」(森田雄三/祥伝社新書)
 高見恭子……「ABCDJ ~とびきりの友情について語ろう」(ボブ・グリーン/駒沢敏器 訳/NHK出版)
 夢枕獏……「1976年のアントニオ猪木」(柳沢健/文藝春秋)

 印象的だったのは、やりとりの中で見せた司会の児玉清氏のしぐさ。ゲストの言葉をメモする姿がとても様になっていてかっこいい。ダブルのスーツで決めていることもあって、大企業の代表取締役社長(COO)といった趣き。ソニーの出井氏をもっとソフトにした感じだろうか。中江さんは若い秘書ね。

 トーク終了後、児玉氏が客席にどの本を読みたいかのアンケートをとった。師匠のおすすめ「間の取れる人 間抜けな人」が一番票をあつめていたようだ。

 特集ゲストは渡辺淳一氏。
 ベストセラーになった「鈍感力」と最新作「あじさい日記」が話題になったのだが、会場を爆笑させたのが、客席から受けた質問に対する回答。結婚30年を迎えた夫婦へのアドバイスがふるっていた。こんな愉快な作家だとは知らなかった。

(略)

     ◇

 ●「負けるのは美しく」(児玉清/集英社) 2007/10/14

 週刊ブックレビューの公開録画を観に行って、司会の児玉清のかっこよさに惚れ惚れした。上背はあるし、スーツは似合うし、とにかく品がある。存在が嫌味にならない。
 数年前、某ラジオ番組にゲスト出演した際の、俳優になる前後の思い出話を興味深く聞き、それまでのイメージ(外見の良さだけで俳優やっているのだろう)を一新してはいたのだが。
 翌日、図書館に行ったら、俳優人生や家族について綴った「負けるのは美しく」(集英社)があったので、さっそく借りてきた。

 知人が勝手に応募した東宝ニューフェースの試験。俳優になる気がまったくなかったが、急逝した母親の「行きなさい」の声を聞いて、会場に駆けつけるが大遅刻。本当ならそこで失格なのに、受付係の好意により最終グループに割り込ませてもらって面接することができた。ところが演技審査で着用しなければならない海パンを忘れた。ええい、ままよと下着姿で審査員の前に立った。当然落ちたと思っていたら見事合格。
 とはいえ、本人、やはり俳優になる気なし。翌年の就職までの腰掛け程度の感覚だった。ところが仕出しで参加したロケの合間、若手スターに連れられて入った喫茶店で気持ちが変わる。スターがサインを求められ、ついでに自分も求められると件のスターが言ったのだ。
「この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ」
 この言葉に発奮した。だったら雑魚じゃない俳優になってやろうじゃないか。

 ここらへんのエピソードは、ラジオで聞いたのと同じ。これで児玉清はもしかしたら骨のある俳優なのでは? と思ったのだ。
 「負けるのは美しく」は、東宝専属時代の失敗談、黒澤監督への反発、フリーになってからのTVへの進出等々、興味深いエピソードが次々に紹介されていく。癌で愛娘を亡くした想いは痛切だ。

 文芸誌「すばる」に連載したエッセイ「ちちんぷいぷい玉箒」をまとめたもの。書名「負けるのは美しく」の由来に得心した。

 本書を読みだしたのが12日。翌13日の夜、たまたまチャンネルを廻したら日本テレビで新番組「ドリーム☆アゲイン」が始まっていた。主演の反町隆史の隣にいる男性にかみサンと娘が声を揃えた。「あっ、児玉清だ!」
「実物の方が数倍かっこいいよ」
 そう言うと、かみサンがそんなことわかっているといった顔をする。しかしなぜ児玉清にそんな敏感に反応するんだ? ファンなのか?
「××(娘)は、結婚相手のお父さんが児玉清みたいだったら、息子から乗りかえてもいいと思っているくらいなのよ」
 ……知らなかった。
「だったら、先週の『週刊ブックレビュー』の公開録画についてくればよかったのに」
「どうして?」
「だって、司会が児玉清だもの」
 母娘が見つめあう。「行けばよかった」と娘。
 児玉清に対する新たな感情がわいてきた。嫉妬、か。

 「負けるのは美しく」に〈恰も〉という文字が何度もでてくる。最初〈はまぐりも〉と読んで、そんなはずがない! はまぐりは蛤だ。〈あたかも〉だった。




 今現在、この状況下で、うつ病の人の心情を思うと二重の意味でつらくなる。
 東日本大震災で多くの人が犠牲になった。
 連日のニュースにこう思ったのではないか。
 あっけなく人は死んでしまう。希望に胸膨らませていた人もいただろう。死にたいと願っている自分がこうして生きているのに……。
 TV、新聞、いたるところから「がんばろう!」の大合唱。
 自分はがんばることもできない……。生きている価値なんてない。

 個人的には「ウルトラマンメビウス」CREW GUYS隊長として馴染み深い中堅俳優、バラエティ番組でよく見かけた貧乏アイドル。自殺を伝えるネットニュースにショックを受けた。
「どうして?」「自殺するくらいなら、死ぬ気になって何でもできるだろう」「せめて、友だちや親に相談すればよかったのに」「周りの人たちも、なぜ彼(彼女)の気持ちを察知してやれなかったんだ」
 いろいろな思いにかられながら、やがてタメ息をつく。「人の気持ちなんて、他人にはわからないからなあ」

 とはいえ、某アイドルは自分の娘と年齢が近い。どうしたって父親の立場で考えてしまう。
 死の直前に電話で話していながら、どうすることもできなかったなんて。――その悲しみ、無念、怒り(自分に対する)をどこにぶつければいいのか。

 お二人のご冥福をお祈りいたします。

     ◇

 ●鬱病・自殺 2008/05/27

 昨日の××××アナウンサーの自殺に衝撃を受けた。別にTBS時代からのファンだとか、彼女が出演する番組の熱心な視聴者ではない。鬱による自殺が他人事とは思えなかったのだ。
 少し前にネットニュースが××アナの精神状態がおかしいと伝えていた。自身のブログで、マスコミで働くプロなら書かないような仕事に対する心情吐露をしているという。記憶で書くが、〈仕事に行きたくないか〉とか〈うまくしゃべれない〉とか、確かにまずい内容だと思う。その結果、ブログを休止する措置がとられた、が、すぐに復帰してお詫びの書き込みをした……感情が揺れ動いていることが手に取るようにわかる。しかし、だからこそ、直後の自殺が信じられなかった。
 本当に鬱の症状が重ければ、文章なんて書けるはずがない、と自分の経験から言えるからだ。

 HPを始めるまで、僕は日記を書いていた。その間、何度か中断している。原因は鬱病だ。はじめは気分がすぐれない、調子が悪いなんてことを書いているのだが、何てくだらないことを書いているのだろうとだんだんと自己嫌悪に陥ってくる。そのうち文章が綴れなくなる。頭に何も浮かばないのだ。
 過去のさまざまなことが頭の中をめぐり、自分の才能のなさ、存在のくだらなさに落ち込んでしまう。眠れなくなる。昼間は頭に重石を乗せられたような感覚。
 人と会うことが嫌になる。会って話しをすることで、その人(友人)との差が歴然として、余計落ち込んでしまうからだ。実際、思うようにしゃべれない。
「元気だせよ」「らしくもない」「俺だって同じだよ、でも頑張るんだよ」言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。落ち込む。
 気分を変えようと散髪に行く。自分のイメージと違う髪型。家に帰って鏡を見て、切らなければよかったとうじうじ悩む。アルコールを飲めば、眠れるかもしれない。缶ビールを買ってきて飲む。当時はほとんど酒が飲めなかった。案の定飲めない。オレはビールも飲めないのか。また落ち込む。明らかに体調がおかしい。病院(内科)に行って、症状を訴えても「どこも異常はありません」。
 部屋から出ることが億劫になってくる。やがて、自分には生きている価値がないと思いはじめてきて、自殺の文字が頭をかすめる……。

 それから考えれば、彼女はブログを書こうという意思がある。外部(他人)と接触を持とうという気持ちがある。ということは、まだ鬱は軽い、とにかく精神科に行って、睡眠薬を処方してもらえれば良くなる。自分もそうだったのだから、と軽く考えていた。
 ところがあっけなく彼女は自殺してしまった。そこまで症状は重くなっていたのか。
 悲しい。何も死ぬことはないと思う。
 ただ、僕自身の最悪の状態を思い起こせば、彼女の追いつめられた心情は十分すぎるほどよくわかる。あの状態で大勢の客の前でしゃべる司会業や秒のタイムで進行していくTVの仕事なんて地獄の沙汰だ。目にするもの、耳にするもの、すべてが彼女の神経をすり減らしていく。考えただけで息苦しくなってきた。
 まわりの関係者は何をしていたのか。いや、それはどうしようもないのだ。たぶん、彼女がそれほどの状態になっているなんて外見からでは想像できないだろうから。ちょとおかしいなあ、元気ないなあ、くらいでそれほど気にしていない。躁鬱を知らなければ当然のことだ。

 ご冥福を祈るしかない。


 ●鬱・父への電話 2008/05/28

 鬱病の末に自殺、というニュースはたまに耳にするが、本当にそうなのだろうか。あくまでも自分の経験からの漠然とした思いなのだが。
 確かに重度の鬱になると毎日のように「死」のことばかり考えるようになる。しかし、それは受動としての死なのだ。寝る前に「ああ、このまま、寝ている間に心臓が止まってしまえばいいのに」なんて思う。交差点を渡っているときには「信号無視した車が突っ込んできて轢かれてしまえばどんなに楽か」なんて。思うだけ。自分で行動を起こそうなんて考えない。飛び込み、飛び降り、クスリ。いくつかの自殺の方法が頭をよぎるが、どれも怖い。絶対にできない。少なくとも僕はそうだった。

 一度だけ、ほとんど発作的に台所の包丁を持ち出して、左手首を切り裂こうとしたときがある。刃を手首にあてたまましばらく硬直していた。それ以上何もできない。包丁をその場に置くと、すぐに郷里の父親に電話した。いつもの暢気そうな声が聞こえると、今何をしていたか、なぜできなかったか、自分の不甲斐なさを泣き叫んでいた。
 父は少しもあわてずこう言った。
「あのなあ、けーすけ。自殺をしようと思っている人間は、今、できなくても、いつかまたするんだ」
 息子が助けを求めているのに、その言葉はないだろう! 頭にきて電話を切った。少しは心配して、話を聞こう、そのためにこれから、あるいは明日アパートに行くから、バカな真似なんかするんじゃない、なんて言ってくれるのを心のどこかで期待していたのかもしれない。とたんに自分の行為(包丁を持ち出したこと、父親に電話したこと)がすごく愚かに見えた。恥ずかしくなった。

 10年ほど前のことだ。早朝、会社の屋上から若い社員が飛び降りて自殺した。当時総務にいた僕に上司から指示がでた。午後に亡くなった社員の家族が遺体を引き取りに上京してくる(確か大阪以西だった)。社員の遺体は病院に安置されているので、病院で家族と落ち合って面倒みるように。
 自殺した社員の上司(部長)と一緒にタクシーで病院に向かった。部長によると、前日に当の社員から電話があったそうだ。相談したいことがあると。部長は仕事で忙しく、明日、会社で話を聞くからと言うと納得して電話を切ったという。自殺するまで追い込まれている風には感じなかった、翌日までなぜ待っていてくれなかったのか。沈痛な面持ちで部長は語る。そんなもんだろうなあ。僕は心の中でつぶやく。
 霊安室の外で待っていると、家族がやってきた。両親と妹さんの3人。挨拶をしたあと、3人が霊安室に入っていた。中から聞こえてくる叫び声や嗚咽に、その場にいるのがいたたまれない。耳をふさぎたくなった。
 落ち着いてからお父さんが話してくれた。昨夜電話があったと。いろいろ悩みを抱えていたことはわかったが、どうすることもできない。ただ慰めるしかない。近いうちにアパートに行くから、そのときじっくり話し合おう。こんなことになるのなら、すぐに息子のところへ飛んでいけばよかった……。

 もし、お父さんがその日のうちにアパートへ行っていたら、あるいは上司がその日に相談に乗っていたら、彼は自殺を思いとどめたのだろうか?
 会社の屋上に出て、飛び降りるまで、何を考えていたのだろう。躊躇はなかったのか。上司は翌日(つまりその日)話を聞くと言っているのだ。あと数時間を待てなかったのはなぜなのか。
 死にたいという気持ちから死のうと決意する瞬間はどこで決まるのだろうか? 僕が包丁を持ち出したのはその瞬間だったのか。しかし、その後恐れをなした。父親の対応も効いている。あの情けない言葉で「死なねぇぞ」とはっきり思ったのだ。
 あの日もいろいろなことを考えた。
 人の心はわからない。ただ自分だったらはっきりしている。鬱に苦しみ「死にたい」という思いにとりつかれても、心の、たぶん自分でも意識していないところで始終「生きろ」とのメッセージが発信されているのではないか。
 簡単に言えば、自殺する勇気がないということ。負の勇気というべきか。
 負の勇気の欠如。無くて結構、僕は大いに感謝している。




 帰宅時図書館に寄った。
 前回の返却したときからしばらくは図書館を利用しない、当分積ん読本読破期間にしようと決めたのだが、最近禁断症状がでていて困っていた。これ幸いに立ち寄りしてしまった。

 借りた本&DVD

 「松田優作と七人の作家たち 『探偵物語』のミステリ」(李建志/弦書房)
 「ユージュアル・サスペクツ」(監督:ブライアン・シンガー)
 「日本の話芸 特選集 ~ことば一筋、話芸の名手たちの競演会~」

 3日(日)は午前中、SKIPシティへ。「手塚治虫からの贈り物(メッセージ)」最終日だった。
 午後はMOVIX川口で「SP 革命編」を鑑賞。「野望編」と比較にならないほどの緊迫感!

 話は続かないけれど「終りに見た街」の感想をどうぞ。

     ◇

 ●23年前の「終りに見た街」 2005/12/03

 本日のテレビ朝日系「終りに見た街」はリメイクである。新聞の紹介記事でまったく触れられていないが。
 同じ山田太一の脚本で1982年の11月3日に放送された。
 その時の日記にこう書いている。
     ◇
 午後、TV「終りに見た街」を観る。
 山田太一脚本によるタイムスリップというSF的発想を借りて、現代人に戦争を考えさせるドラマだった。
 過去にしばられている大人とその〈時〉に適応してしまう子供たちの対比が興味深かった。
 こういうドラマはやはりビデオでは無理でフィルムを使ってほしかった。
 またせっかくいいシナリオなのに演出がいまいちだった気がする。
     ◇
 
 翌4日も山田太一ドラマが放送された。同じく日記から。
     ◇
 西武スペシャル「季節が変わる日」を観る。
 またも山田太一脚本だ。
 大人の恋というものはこんなものだろうかと岡田真澄と八千草薫の二人を見て思った。
     ◇

 山田太一という人は本当に戦争というものにこだわっている。
 戦争中の教育、軍国主義、スパルタ、軍歌。
 それらを否定するのではなく、肯定するでもなく、そういう時代があったのだと、そう訴えているように思う。


 ●2005年の「終りに見た街」 2005/12/10

 一昨日、録画しておいた「終りに見た街」を観る。当日は裏番組の「ロストワールド ジェラシックパーク」を観ていたので。

 ストーリーはほぼ23年前と変わらない(と思う)。あまりに救いのないラストに唖然となって、確か23年前も同じ気持ちだったことを思い出した。
 終戦60年特別企画。今観るとドラマのテーマがはっきり理解できる。今、この時代にリメイクすることに意味があることを。
 主人公と同世代ということがたぶんにある。「ふぞろいの林檎たち」の二人(中井貴一、柳沢慎吾)だから、彼らの学生時代から現代までの足跡を(自分の生活と照らし合わせて)勝手に想像してすぐに感情移入できた。人の親になったことも要因のひとつ。
 23年前は中途半端な立場だった。細川俊之となべおさみが演じた大人たちとは年齢が離れているし、かといって、時代に順応してしまう子どもたちの視線にもなれなかった。
 
 まったく戦争を知らない世代、本や映像でしか戦争を知らない親が、昭和19年にタイムスリップ。彼らが〈現在の常識〉で時代に対峙しようとする姿に意味がある。
 あるシーンに戦慄を覚えた。何とか無事に終戦を迎えようとする親たちの態度を子どもたちが批判するくだり。23年前、子どもはすぐに現状に適応するから、くらいの皮肉ととらえていた。しかし今回は、世の中いろいろと右傾化のきざしが見え、またそんな状況を若い世代が容易に受け入れやすいということを肌で実感しているからだろう。
 中井貴一の奥さん役・木村多江 に注目!




 ホラーに造詣が深いKさんから貸してもらったDVDの一枚が「邪願霊」だった。あの「女優霊」の元になった作品だという。
 某新人アイドルの4枚目シングルを売り出すプロジェクトを追ったドキュメンタリービデオという体裁のホラー。1988年のオリジナルビデオ作品(だと思う)。クライマックスが「女優霊」に応用されている。
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」より前にフェイクドキュメンタリー・ホラーがあったのか!
 あくまでも取材ビデオの断片を装っているものの、登場人物が皆演技していることがわかってしまうのが残念無念。それでも途中々に、こちらの背筋をヒンヤリさせるカットは健在。
 脚本(クレジットでは構成と表記)は小中千昭。構成だけでなくヴィジュアル&サウンドデザインも担当している。監督は石井てるよし。 石井監督は平成ウルトラマンのレギュラー監督となり、小中さんは「ウルトラマンガイア」の脚本とシリーズ構成を担当することになる。

 80年代が今だったとき、70年代のファッションがダサく感じられて仕方なかった。もちろん個人的に70年代への思い入れは半端ではない。10代をまんま過ごしたのだから、70年代の文化、風俗への愛着は人一倍ある。とはいえ、ファッションに関していえばダサダサという感じ。幅色のネクタイ、太い結び目とか。
 しかし、21世紀の今からすると、80年代それもバブルのころのファッションの方が異様だ。はっきりいって変!
 最近、TVで80年代のアイドル等を振り返って昔のビデオが流れるたびに思っていた。「邪願霊」に登場する人たち、特に女性たちも例外ではない。

     ◇

 ●「赤い運命」リターンズ 2005/10/12

 もう20年以上前のことだ。ホテルニュージャパンの火災、日航機の羽田沖墜落という悲惨な事故が続いた。私は大学3年生だった。
 しばらくして友人からこんな話を聞いた。
 ニュージャパンの火災で運良く助かったサラリーマンがいて、その日九州へ出張した。翌朝帰ってくるという強行スケジュールなのだが、帰りに乗り合わせたのが問題の日航機。今度は墜落事故に遭遇したというのである。本当かどうか知らない。調べればわかるはずだが、確認もしなかった。新たな都市伝説なのかもしれない。

 先週、リメイクされた「赤い運命」を見ながら、あの時のサラリーマンを思い出した。ホテル火災、航空機墜落にめぐり合った彼が自宅に戻るとマグネチュード7の大地震に襲われ、命からがら逃げ延びると今度は避難所を台風が直撃する。
「赤い運命」って、まさにそんな偶然が連鎖反応したような「ありえねェー」世界全開のドラマなのである。
 山口百恵主演で人気を呼んだ「赤い」シリーズは一度も見たことがない。不治の病、ご都合主義。私が最も嫌う世界をこれでもかと過剰な演出、演技で描くのだから。ほとんどバカにしていた。バカにしながら見る、のではない。汚らわしくてチャンネルを合わせるのもイヤだった。後年竹内和義著「大映テレビの研究」に笑い転げたクチである。

 今年になって「赤い」シリーズがリメイクされているのは、韓流ドラマ人気の影響なのだろう。とはいえ、「冬のソナタ」に興味がない私には関係ないこと。
 ところが、「赤い運命」でどういうわけかチャンネルを合わせてしまった。別に真剣に視聴していたわけでなかった。翌日第2話は外出していて留守録もセットしなかった。
 本当ならそこでジ・エンドなのに、3日めの朝、新聞のTV欄を眺めると、昼間に第2話を再放送、夜に最終話。この日も外出だったが、今度はしっかり録画のセットをしておいたというわけ。
 1話めより真剣に見たからだろうが、その設定や展開にツッコミを入れながらかなりのめりこんでしまった。クライマックスでは目がウルウル。かみサンや娘には見せられたものではない。

 だってさぁ、ヒロイン(綾瀬はるか)がけなげなんだもん。あの今にも泣き出しそうな表情で見つめられたらたまりません。船越英一郎の口跡も耳に心地よい。この俳優さん、落語やったらけっこうイケルのではないか。
 このリメイクは時代をオリジナル同様(1970年代)に設定している。登場する車がいかにもな旧式だが、全体的に時代色はそれほど鮮明ではなかったような気がする。一番目にする、検事(榎木孝明)のネクタイの結び目がいかにも今風なのが要因だと思うのだが。

     ◇




 なんだかんだ言いながら、年末年始はTV三昧だった。神戸に行っていた大晦日と元旦をのぞいて。
 神戸から帰ってきた元旦の夜は「相棒 元旦スペシャル」。薬で汚れた野球帽を買い取り販売するリサイクル店ってあるのだろうか? そこがどうにも気になった。
 2日は「痛快!ビッグダディ」だ。早朝から午後まで何時間放送していたのか。第一回めから直近の回までをまとめた総集編。遅く起きてTVのスイッチをつけたら放送していたのであわてて見はじめた次第。前回の見逃した分はちゃんとチェックできた。離婚は回避したんだね。途中で買い物に出かけたかみサンが帰ってきて呆れていた。「まだ見ているの?」

 それにしてもテレビ朝日の「相棒 劇場版2」一色ぶりにはうんざりだ。元旦スペシャルとともに2日目も以降午後「相棒」の2時間スペシャルを楽しんだのだが、CMがもう劇場版のスポットばかりなんだから。

 昨日は日本テレビ「仮装大賞」&「はじめておつかい」を見ていた。「はじめてのおつかい」はもう何年も前から涙なくしては見られなくなった。

     ◇

 ●はじめてのおつかい わが娘編 2006/07/17

 日本テレビのスペシャル番組「はじめてのおつかい」。
 この企画が始まったのは「追跡」という情報番組だった。月曜日から金曜日までの帯番組。司会は青島幸夫と高見知佳。
 数々の企画の中でも「はじめてのおつかい」は人気シリーズで、番組終了後もスペシャルとして毎年定期的に放送されている。
 そのころから「はじめてのおつかい」は大好きで欠かさず見ていたような。時間があえばチャンネルを合わせているが、最近は涙なくしては見られなくなった。
 今日は芸能界を引退した高見知佳が3歳の男の子の母親として登場してきたので驚いた。

 わが家の娘がはじめておつかいをしたのが2歳だった。近くのコンビニで雑誌「オレンジクラブ」を買ってくるというもの。〈はじめてのおつかい〉デビューだ。
 マンションの8階から階段で降りて(ある年齢に達するまで一人でエレベーターに乗せなかった)、エントランスを出て左、すぐ大きな通りがあるからそれを右折してまっすぐ百メートルくらい行くと、ファミリーマートがある。
 娘が玄関を出てから、ほんの数十秒、僕が後を追いかけた。何しろ一人で外を歩かせたことなんてない。心配でたまらない。と同時に一人で買い物する姿をこの目で確かめたいという気持ちも。
 コンビニに行くまでは距離を取りながら、うしろを振り返りそうになるとあわてて木陰に身を隠す。まるで探偵になった気分。
 コンビニに入ってからが大変だった。何しろ中に入れない。かといって入口で中の様子をうかがうこともできない。電柱の陰でじっと我慢。「オレンジクラブ」を手にして出てきたときの感激といったらなかった。
 たぶん、この経験から「はじめてのおつかい」に対する見方が変わったのだと思う。

     ◇


 【追記】

 「痛快! ビッグダディ」はお正月2日目でした。なぜ年末と思ったのだろう。お詫びするとともに文章を訂正します。




 娘が寮生活に入る、その引越しについてはまた項を改めてとしたが、特に書くことはなかった。
 昨年の正月に話し合って、4年になったら、一人暮らししたい、アパートを探すということで落ち着いた。そんなところに大学の寮を取り壊し、新築される情報が入ってきた。本来なら新入生のみ対象なのだが、初年度ということで新入生以外も入れるというのだ。
 つまりこういうこと。
 寮は一度に新入生を入れるわけではなく、部屋の半分を今年、1年後にもう半分を貸す。期間は2年。
 ということは今年部屋の半分は空いてしまうということだ。そんなのはもったいない。で、1年間だけ上級生に使ってもらおう、というわけである。
 自宅は近いし、申し込んでも無理との気持ちもあったが、面接時の「自分の部屋がない」アピールが効いたらしい。
 一人暮らしにはとんでもなく素敵な部屋である。

 フジテレビの「そっくりものまね! 紅白歌合戦スペシャル」、松本邦弘演じるたけし(北野武)のクリソツぶりに驚愕!
 下倉監督、高橋監督、ともにインディーズ映画の上映会で知り合った。ともに大怪我して生死の境をさまよった経験がある。
 
          * * *

 ●TAKESHI 2007/09/27

 「笑学百科」という本があった。著者は小林信彦。漫才ブームの終焉時に夕刊フジに連載された笑いや芸人に関するコラムをまとめたものだ。この中で、萩本欽一の漫才ブームに触れた至言を紹介していた。曰く「ブームがいつまで続くなんてことはどうでもいい。問題はそのあと」「そのあと日本人の笑いってものが変わってくると思うんです」。
 予言は当たって、その笑いの変質が本人を直撃したことは皮肉というか何というか。

 また、始まったばかりのビートたけしの「オールナイトニッポン」がいかに面白いか、3回にもわたって紹介していた。
 この深夜放送は、(大学の)サークルの後輩たちが放送のあった翌日に部室で話題にしていたところから興味を持った。実際に聴いてみると、そのあまりの早口で最初は内容を理解することができなかった。慣れてくると完全にはまってしまうのだが。

 一度だけビートたけしと話をしたことがある。話というほどのものではないか。ツービートがブレイクするちょっと前のこと。1980年の春だったと思う。
 あるイベント(スキー旅行)がきっかけでTV東京(当時はまだ東京12チャンネルだったか?)の番組に出演することになった。日曜お昼に放送されていたバラエティの1コーナーだった。素人の男性が歩行者天国に散らばって一定時間の内に女の子をナンパし、その優劣を競うというもの。一位になったペアへの賞品が確か時計だった。スキー旅行で知り合った主催者がこの番組のブレーンで、人が足りないから出演して、ということになったのだ。

 司会は愛川欽也。男5人はキンキンにうながされて自己紹介したあと、歩行者天国に繰り出した。後でどうして仕込みしておかなかったのか悔やんだのだが、真面目な僕は本当に見知らぬ女性に声をかけ、何度も断られながら、どうにか時間内に女性を連れ帰ることに成功した(当然賞品はゲットできず)。このときスタジオとなったビル(アルタだったのだろうか?)の階段ですれ違ったのが番組のレギュラーだったツービートの一人、ビートたけし。
「何やってんの?」
 これこれこういうコーナーでこんなことやっているんです、と説明すると、首をカクカクさせながら「くだらねえことやってやがんな」

 閑話休題。
 
 欽ちゃんバッシングの急先鋒がビートたけしだったわけだが、数々の物言いは悪口芸の一つだったのかもしれない。
 ビートたけしも一時続け様に批判されたことがある。最初が小林信彦だった。続いて泉麻人。批判の輪が急速に広がっていく中であのバイク事故が起きた。僕にはそう感じられてすごいショックだった。
 本来ならあの事故でビートたけしは死んでいたのではないかと思っている。破滅型毒舌芸人という括られ方で後世に名を残したのではないかと。

 ところがである。顔面麻痺という症状が残ったものの短期間で回復、復帰後は役者のほか、映画(監督)の才能を開花させ現在に至っている。
 神様によって生かされたのはないかと、半ば本気で信じている。北野映画にはそれほど興味はないのだが、日本映画を代表する一つの顔となったことは確かなのだから。
 
 下倉〈日曜映画〉監督や高橋〈B級映画〉監督も、同じ神様の力が働いたのではないか?




 リハビリももう終わり。

 一昨日「SP 野望篇」を観に行き、チケットを購入するときに知った。今、「あたしんち」の劇場版アニメが公開されているのだ。TVアニメの劇場版なんて今どき珍しくもなんともない。3Dなので驚愕したわけだ。「あたしんち」ってきちんと観たことがないので、詳しいことはわからない。が、これでだけは断言できる。セル画、いや今はセル画なんて使わないか、つまり、いわゆる2Dである。一般家庭を舞台にした生活ギャグアニメというべきものだ。そんなアニメを3Dにする必要性があるのか?
 あの~、「サザエさん」が好きだからって、3Dアニメを観たいですか?

 矢島美容室の映画化とか、香取慎吾の座頭市とか、番組改変期の特番で十分なドラマをなぜ劇場映画にするのか。企画した人、出資する人の考えが全然理解できなかったが、「あたしんち」の3D映画はそれ以上に大声で叫びたくなる。
「何、考えてんだよ!」

 金曜ロードショー「魔法にかけられて」が観たいが、22時から「SPEC」がある。録画すれば簡単なのだけれど、まだ録画機がない。ボーナスはいつ支給されるのか。


     ◇

 ●STAR WARS EpisodeⅠ and T&D 2005/06/27

 先週金曜日は「タイガー&ドラゴン」の最終回。朝からしっかり録画予約しておいた。
 帰宅したのは21時ちょい過ぎ。TVをつけると日本テレビ「金曜ロードショー」枠で「スターウォーズ エピソード1」を放映していて、そちらを観る。
 もうすっかりそんな気持ちもなくなってしまったが、「SWⅠ」がロードショーされた時はかなり興奮していた。混雑を避けて確かウィークデーの朝イチの回に劇場に足を運んだのだ。大きな声では言えないが、会社には病院立ち寄りとか連絡して。

 今度のシリーズの個人的な特徴は一度劇場で鑑賞すると、ビデオ(DVD)がレンタルされても観直さないこと。1980年前後、「SW」「SW 帝国の逆襲」「SW ジェダイの復讐」が公開されていた頃はかなり熱中した。劇場には2度通い、「SW」のTV初放映時には、バイト仲間が部屋に集って、声優のキャスティングに罵声を浴びせながらの鑑賞となった(ルークが渡辺徹、レイア姫が大場久美子、ハン・ソロが松崎しげるなんだもの)。前シリーズはビデオを何度も借りているし、TV放映があれば必ずチャンネルを合わせた。
 しかし、「SWⅠ」「SWⅡ」は劇場で一度観たらもう満足。後に引かない。以前「Ⅰ」がTV放映された際も、ポッドレースのシークエンスだけ観てやめてしまった。

 今回もそのつもりだったが、かなりに夢中になって最後までつきあってしまった。
 アナキン坊やがかわゆくて、かわゆくて。表情もよかったが、その声に反応していたことも大きい。最後のテロップで確認すると矢島晶子だった。クレヨンしんちゃんおそるべし! アフレコ時に、お遊びでしんのすけ声でアナキンを演じスタジオ中爆笑になった、なんてね。
 オビ=ワン・ケノービの師匠クワイ・ガンの声は津嘉山正種だったのだが、村井国夫のようでもあり、困った。津嘉山正種といえば、「男はつらいよ」のタイトルバックのエピソードに必ず登場していた時期があった。「男はつらいよ あじさいの恋」では本編にも登場していた。どうでもいいことだけれども。

 いつもより放送時間を延長して「SWⅠ」は終わった。翌日、録画しておいた「タイガー&ドラゴン」最終回をワクワクしながら再生してみると、な、なんと前半が「金スマ」ではないか。テロップで「30分繰り下げて放送しています」なんてでている。これはいったいどうして? 
 一度、野球中継の延長で、同様なことが起こり、悔しくてたまらなかった。そんなわけで今回も予約には万全の注意を払ったのだ。スポーツ中継がないことを確認してG予約。その結果がこれだ。30分の延長は何が原因なのだ? 
 外出していたのならまだ諦めもつく。自宅にいて、本当はリアルタイムで観ようと思っていたにもかかわらず「SWⅠ」に最後までつきあってしまったあげくのこの結果。一度は6チャンネルを確認すべきだった。
 TBSのバカヤロー! って責任転嫁か。


 ●1978 「SW」の夏 2005/06/29

 「SW」の存在を知ったのは「キネマ旬報」の記事(広告?)だった。「アメリカン・グラフィティ」の監督ジョージ・ルーカスがSF映画を撮っているというもので、公開は1977年を予定。タイトルは「惑星大戦争」だった。
 いわゆるB級SFっぽい雰囲気で、宇宙が舞台のSFにそれほど興味のなかった私は食指を動かすこともなかった。
 ところがアメリカで公開されるや、大ヒットを記録、「惑星大戦争」は原題「スター・ウォーズ」に変更されて、日本の公開が1年延期される。こうなると、ハワイやグアムで「スター・ウォーズ」を鑑賞する批評家が続出し、その手の記事が映画雑誌を飾ることになる。「SW」ブームの到来だった。とにかく煽る煽る。マスコミに〈スター・ウォーズ評論家〉と揶揄される始末。

 78年になると、夏のロードショーに向けて各TV局が特集を組む。冒頭の巨大宇宙戦艦が画面手前から奥へ飛んで行くショット、クライマックスのバトルシーン、すべての特撮が斬新で一気に期待が高まった。シュノーケルカメラ(というもの)を使えば、ミニチュア模型も巨大感がでるのだと、とても感動したことを憶えている。
 日本の映画会社は「SW」が公開される前に、二番煎じの映画で一儲けを企んだ。
 特撮で名高い東宝は「海底軍艦」の轟天号を宇宙船にして、森田健作、浅野ゆうこ主演のスペースオペラ風映画を突貫工事で仕立て上げた。タイトルは「惑星大戦争」。何と安易な!
 東映は石森章太郎を原作者にして「里見八犬伝」を基にした「宇宙からのメッセージ」に着手。監督は深作欣二。主演にビック・モローを迎え、そのほか千葉真一、真田広之、志穂美悦子、アクション俳優をそろえた。特撮に本家同様シュノーケルカメラを使用したことが話題になった。
 今もってどちらの映画も観ていない……。

 「SW」の公開はちょうど今頃だっただろうか。当然のごとく大ヒットした。しかし、私はというとすっかり「SW」に飽きていたのだ。TVの特集の見すぎである。映画を観てしまった気分になっていた。
 78年は大学受験に失敗し、予備校に通っていた年。夏休みが終わって、また予備校に通いだしたとき、クラスの女の子から「SW」の前売券をもらった。もし彼女にチケットをもらわなければ劇場で「SW」を観なかったかもしれない。   
 後日渋谷東宝に一人で観にいった。評判の特撮より、得体の知れない宇宙人がたむろする酒場のシーンや、ストップモーション撮影の立体チェスに心踊らされた。

 翌年、日本語版も観ている。ルークは奥田瑛二、ハン・ソロが森本レオ、ダースベーダーは南原宏司(と思う)。レイア姫は誰だったのだろう。配役だけ聞くと「え!」ってなものだが、実際は見事にマッチしていた。さすがジョージ・ルーカスの監修だけのことはある。今では幻の日本語版だ。
 ちゃんとした日本語版があるにもかかわらず、TV初放映時になぜアフレコし直したのかわからない。渡辺某も大場某も松崎某も全然合っていなかった、というより、声を聞くと本人の顔がイメージされてしまうのだ。最悪。
 話題作りのために、声の出演に有名な俳優を起用することがある。昔フジテレビが「ある愛の詩」を放映した際、噂のビッグカップル山口百恵&三浦友和がアリ・マックグローとライアン・オニールの声を当てた。これもひどかった。山口百恵はどうやっても山口百恵なんである。逆に三浦友和の声はライアン・オニールになりきっていたのが不思議だった。
 話がそれた。
 

 ●その後の「SW」 2005/07/01

 「SW」の旧3部作が最新技術で加工され、特別編として順次公開されたのは何年前になるのだろうか。
 「SW 特別編」は家族3人で観た。これには感激した。まあ、かみサンはこの手の映画にはまるで興味がなく、父娘につきあっただけにすぎないが、娘と一緒に劇場で「SW」を観たということに意味があった。自分の子どもと「ドラえもん」の劇場版と「SW」を観ることが独身時代からの夢だったのだ。
 「東京ディズニーランド」のスターツアーズに夢中だった娘に一度は映画「SW」の世界を劇場で体験させたかった。で、娘が「SW」シリーズにはまってくれれば、……なんていう考えは甘かった。「帝国の逆襲 特別編」「ジェダイの復讐 特別編」は一人さびしく鑑賞した。

 さて、この特別編、意味があったのは「ジェダイの復讐」だけだったような気がする。
 当時発表されていた9部作の中間にあたる3部作の最終作であり、「帝国の逆襲」で提示された謎が解明されるとあって、公開を今か今かと待ち望んでいたのが「ジェダイの復讐」。ふたを開けてみると、ダースベーダーは本当にルークの父だし、レイア姫とルークは双子の兄妹だし、ってんで、ストーリー的には残念な結果になってしまったのだ。
 まあ、それはいいとして、不満だったのは冒頭に用意された宇宙人バンドの演奏シーンとラストだった。前者はちっともはじけていないし、後者は帝国を倒したお祝い(祭典)がイォーク族の惑星だけで催されていることに対する反発。それが「特別編」では見事に解消されていた。エンディングのフォルクローレ風音楽も良かった。

 「帝国の逆襲 特別編」はどこが加工されていたのが全然気がつかなかった。ちなみに私は「帝国の逆襲」が一番好きだ。ラストがあからさまに「次に続く」的でなかったら、完璧だったのにと思っている。
 映画がヒットして、3部作になると、2部、3部が連続物語になるというパターンは「SW」シリーズが作り出したのだろう。「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」しかり、「マトリックス」しかり。

 とはいえ、ノーテンキな勧善懲悪、単純明快な「SW」の魅力も捨てがたい。最近むしょうに観たいのが「SW」だ。それも特別編ではなく、「EpisodeⅣ A NEW HOPE(新たなる希望)」のタイトルもついていない78年に公開された「SW」オリジナル版。ビデオレンタル屋でとんと見かけない。
 どなたかご存じないですか?


 ●あらためて「SW 特別編」 2005/07/07

 この前の日曜日、TVで「SW 特別編」が放映された。
 9時から観るよと言うと、かみサンと娘に思いっきり反対された。同じ時間帯にNHK教育でN響コンサートがあって、そちらを観たいと。
「SWは録画すればいいじゃない」
「録画するほどでもないんだよ」
「N響も同じ、リアルタイムで鑑賞したいの」
「じゃあ、多数決で」
 って、うちは3人家族。負けるに決まっている。
 ショックだったのは娘の一言だった。
「SWのどこが面白いの?」
 あのなあ、昔、映画館に観に行っただろう? 喜んでいたじゃないか。
「昔は昔、今は今。前に遠足のバスの中で「SW」のビデオをやっていたんだけど、つまんないから皆寝ていたんだよ」
 はい、はい、わかりました。
 Gコード予約して、ふてくされて寝てしまった。

 録画したビデオをやっと観た。
 「帝国の逆襲」以降、シリーズをとおして観なおしてみると、どうしてもある一箇所にひっかかってしまう。
 ルークとオビ=ワン・ケノービが初めて会ったシーン。ケノービがルークにルークの父とダース・ベーダーの思い出を語るその台詞だ。
「……(君のお父さんとは)いい友達だった」
「父はどんな最期を?」
「ダース・ベーダーというジェダイの騎士がいた。私の弟子の一人だったが帝国軍と組んでジェダイの騎士を次々と殺していった。君のお父さんも奴に裏切られたんだ」

 この時点ではルークの父とダースベーダーは別人だった。絶対そうだ。ルークの父とケノービは対等の友人、ケノービの弟子がフォースの暗黒面に取り入れられてダースベーダーになった。そうとしか考えられない台詞、演技なのだ。ケノービが思い出話中に少しでも逡巡する表情を見せてくれたらと思わずにはいられない。
 たぶん、映画がヒットし続編の製作が決定してから再度ストーリーが検討されて、インパクトをつけるためにダースベーダーとルークの関係が父子になったのだろう。そりゃね、「帝国の逆襲」クライマックスの「私はお前の父だ」の台詞には驚愕したよ。ルークの右手首だか左手首が切断されたショックの後の二段攻め。
 事実なのか否か? 「ジェダイの復讐」のストーりー的見どころはそこだった。あっさり肯定され、おまけにラストには改悛してしまいやがんの。

 当初のとおり、若きケノービとダースベーダーになる弟子、そこにアナキンが絡むストーリーでエピソードⅠ、Ⅱ、Ⅲが製作されたらどういう内容になったのだろう?




 昨日は映画の日。地元シネコンでレイトショーを楽しんだ。

 映画は「SP 野望篇」。TVではドラマはもちろんのこと、カメラワークにしびれていたにもかかわらず、映画になると期待はずれの場合が多い。「ケイゾク」「ハゲタカ」がそうだった。そういう意味では満足できた。

 冒頭のアクション、トラックシーンは「マトリックス リローレッド」の応用ですな。なかなかの出来だが、スタジオでのグリーンバック撮影と実写の合成がわかってしまうのは残念。
 後半の展開に疑問符が生じる。ハラハラドキドキ感とは別に。

 今日は、退社後、荻窪で開催されている展覧会にいくつもりだった。シネコンからの帰りに風邪をひいたのか、朝目が覚めたら喉が痛い。ちょっと熱がある。というわけで、早々に帰宅した。もう寝ます。

 mixiでは、レビューという形ではなく、映画の思い出話をよくしていました。


     ◇

 ●THE RING vs. リング 2005/06/21

 先週、TVで「THE RING」が放映された。「リング」のハリウッドリメイク版。劇場にも行かず、ビデオも借りずじまい。初めての鑑賞となったのだが、いやホント、オリジナル版をそのままアメリカ映画にしたって感じだった。だからだろうか、恐怖は半減していたように思う。

 「リング」といえば、今ではまず誰でも映画をイメージするだろう。貞子のキャラクターも確立されて映画を離れて一人歩きしている感がある。原作では貞子が男であることなんてほとんど忘れ去られている。(睾丸性うんたらかんらという症候群で、見た目は絶世の美女という設定)

 ホラー小説「リング」(鈴木光司/角川書店)はその怖さが口こみで広がっていき評判になった。噂を聞いて、ホラー好きでもない私が図書館で借りてきたくらいなのだから。読んでみて、確かにラストに驚愕した。
 今、当時の日記をあたったら〈主人公の二人が消されてしまった〈おまじない〉を探しだすまではあまりにもご都合主義って感じ〉とそっけない。

 続けてフジテレビのスペシャルドラマのビデオを借りてきて観ている。
 小説世界をうまくドラマ化しているけれど、期待したほどではなかった。主人公夫婦に息子がいないから、おまじないを探して悪戦苦闘する主人公の心情がいまいち響いてこなかった。

 映画化された「リング」はよく出来ていた。原作を読んでいるにもかかわらず、何度も震え上がった。オリジナルのアイディアが効いていた。
 映画と原作の比較、分析は「まぐま」で「小説と映画のあいだに」の第1回めに書いているので、ここでは省く。

 以前TVで「リング」を観た際に思ったことは、ブレイク前の若手女優が顔を揃えていることだった。
 松嶋菜々子、中谷美紀、竹内結子……
 中田監督に一度アイドル映画を撮らせたら面白いかも、と思ったのですがね。


 ●リングvs.らせん 2005/06/24

 映画「リング」&「らせん」は大ヒットしたが、話題にのぼるのは「リング」ばかり。続編が作られ、ハリウッドでリメイクされているうちに「らせん」は忘れ去られてしまったようだ。
 個人的には「らせん」の方が好みなのだ。(触れることによって)人の心が読める中谷美紀がよかった。主人公が彼女に手を触れようとして、ふっと身をよけるシーンが印象的だった。超能力者の孤独がよくでていた。

 小説はというと、「リング」の後、続けて図書館から借りて読んだ。
 1996年の日記、9月19日にこう記している。

     ◇
「リング」の後日談。妻子を守るために悪魔に魂を売った前作主人公は妻子に死なれ、瀕死の重傷を負い、物語の途中であっけなく死んでしまう。
「エイリアン2」に対する「エイリアン3」みたいなみもふたもない展開で、前作のあの活躍は一体何だったのか。
     ◇

 印象はよくなかった。
 それより映画ではどうだったのか。「リング」のヒロインと息子は関係していたのだっけ? 肝心のストーリーをすっかり忘れている。
 中谷美紀しか印象にないのであった……




 4年前の今日だったんですね、実相寺監督の訃報を知ったのは。
 で、4回にわたって自分の実相寺監督作品体験を綴ったのでした。

 「帝都物語」は20代後半、結婚したあとでした。念願の映画業界への足がかりをつかんだというのに、あっけなく潰えてしまった。理由は本文にあるとおり。嗚呼。
 「星の伝説」は何とか家族3人の生活が軌道に乗り出したころ。この上司とは毎日喧嘩していました。毎晩のように呑みにつきあわされて説教と自慢話ばかりを聞かされる。もう爆発寸前。でも、これで酒を少しは飲めるようになったし、本当の意味で躁鬱から脱出できた。とても感謝しています。皮肉でも嫌味でもありません。

 実相寺監督が亡くなって4年。どなたか「実相寺昭雄論」を上梓するのではと待っているのですが、今のところそういった話は聞こえてこない。

     ◇


 ●実相寺監督逝く 2006/12/01

 今朝、トイレから出るとかみさんが一言。
「実相寺昭雄が亡くなったって」
 TV「朝ズバッ!」で速報が流れたらしい。
 信じられなかった。
「うそ!」
 叫んでしまった。「何かの聞き違いじゃないか?」
「だって、さっきTVでそう言ってたもの」

 昨年は京極夏彦の人気ミステリ「姑獲鳥の夏」を映画化した。実相寺監督のコアなファンとしてはいろいろ不満があったが、その後オムニバス「乱歩地獄」の一編を撮った。この作品は劇場公開を見逃してしまっていまだ未見。にもかかわらず「姑獲鳥の夏」以上に実相寺タッチが全開していると睨んでいる。実相寺監督は乱歩の世界が大好きなのだ。
 そういえば夏目漱石原作のオムニバス映画「ユメ十夜」にも参加している。
 TVでは「ウルトラマンマックス」で相変わらずの実相寺ワールドを展開。うれしかった。「狙われた街」の続編は「今、なぜ?」の疑問に答えてくれた。
 最近は70年代の特撮ヒーローシリーズ「シルバー仮面」の時代背景、設定を変更したリメイク「シルバー假面」の監修・監督をしていたはず。まだまだ現役、第一線で活躍している監督なのである。
 それが突然の訃報。
 悲しい。つらい。
 特撮以外の作品をもっと撮ってほしいと思っていたのに。

 「まぐま vol.14」に「書評的実相寺昭雄論」を掲載した。円谷英二生誕100年を記念して上梓された「怪獣の日々 私の円谷英二100年」(筑摩文庫)について書いた「夕景工房」レビューを一部改訂したものだ。その最後にこう記した。すこし長くなるが引用する。

     ◇
 昔ながらの縫いぐるみとミニチュアワーク、吊りを使った怪獣映画を作りたい旨のことをこれまでも、もちろん本書でも何度も書いていることだが、本当にそうなのか、僕は実相寺ファンにもかかわらず信じられない。その気持ちに嘘偽りなんてないのだと思う。でも実相寺監督は、特撮、ことウルトラに関しては思い入れとは逆にもう卒業してしまったのではないか。いわゆる怪獣が出現して特捜チームが出撃、最後にウルトラマンが登場して怪獣を倒すフォーマットはすでに実相寺監督の眼中にはないのではないかと思えてならない。平成ウルトラマンでやたらと特殊フィルター(レンズにワセリン塗りたくり?)を使用したのは実相寺監督のある種の照れではないか。 
 では実相寺監督にお前は何を期待しているのかと問われれば、やっぱりクラシックとエロティシズムと東京(都市論)だろう。2本のアダルトビデオ「アリエッタ」「ラ・ヴァルス」の衝撃ったらなかった。江戸川乱歩の短編にSM的要素を加味した「D坂の殺人事件」は贋作作りの工程に僕の職人フェチの血が騒いだ。 
 昔の想い出話に花咲かせたこの手の本をたまに上梓しながら、そんな映画を撮ってくれないかなあ、なんて夢想している。
     ◇
 
 昭和初期の東京を舞台に、クラシック音楽がふんだんに流れる中、男女が繰り広げる妖しく淫らな世界。かつて夢想した、実相寺昭雄監督のSM映画は二度と観られなくなった。

 涙とともに合掌。


 ●「帝都物語」の頃 2006/12/03

 もうかれこれ20年前になるのか。
 その日、かみサンと渋谷で話題作「ゆきゆきて神軍」を観てから、一人で成城学園へ向かった。デン・フィルム・エフェクトというポストプロダクションの面接だった。

 鬱から開放されて、何とか仕事ができるようになったので何かないかと情報誌を見るとデン・フィルム・エフェクトがアルバイト募集をしていた。円谷プロの光学撮影スタッフが独立して設立した会社。TVや映画、CFの光学撮影のほか、タイトルも手がけていた。

 市川崑監督の金田一シリーズのあの有名な、スクリーンを縦横並ぶ極太明朝体のタイトルも担当、というか、崑監督に、あのデザインを発想させてもいるのだ。タイトルを発注した際、見本の中にあのような文字列があったらしい。会社としてはあくまでも準備段階のものだったらしいのだが。崑監督はひと目見て「これはいい!」とそのまま使ってしまったのこと。

 そんなことはどうでもよくて。
 これは願ってもないチャンスとばかりに電話すると履歴書を持って面接に来てくれと。
 
 会社は駅から歩いて10分ほどの大通りに面したマンションの1階にあった。階段を挟んだ二つの住居を会社として使用していた。道路側から見て右側の部屋が光学撮影用のカメラや現像室、打合せ室がある作業場。左がいわゆる事務所。食堂もあって、残業になるとスタッフはここで社長の奥さんが作る夕飯を食べた。アットホームな職場だった。
 
 面接の結果、翌日から通うことになった。時給はがいくらだったか? 一ヶ月、かなり残業しても10万円を超えることがなかったから低賃金であったことは確か。支払いは現金で、その額を恥ずかしく思いながら給料袋をかみサンに渡すと、「お疲れさまでした」と頭を下げて受け取ってくれる。うれしかったな。このとき、丸井インテリア館でマネキンをやっていたかみサンは倍以上稼いでいたのだから。

 給料は安かった。でも毎日が楽しかった。通い始めた当初こそ、鬱の後遺症で気分が晴れない毎日だったが、一週間すぎるとすっかり治っていた。
 何より職場には幼少時代からウルトラシリーズのクレジットでお馴染みの憧れの人がいるのだ。光学撮影で有名なN・M氏。仕事をしているときとそうでないときの落差が激しすぎた。ラッシュフィルムをムビオラで確認しながら、部下に指示をだすN・M氏はカミソリのような怖さだった。それが休憩時間はやさしい。いや、仕事中が震え上がるほどだから、ものすごくやさしく感じるのだった。

 社長のI・S氏は「帰ってきたウルトラマン」の光学作画でその名を覚えた。休憩時に、昔の思い出話を何度か聞かせてくれた。
 直属の上司のM・M氏には何かとお世話になった。「ウルトラマンレオ」のクレジットは〈合成技術〉。

 働きだしてすぐ実相寺監督の久しぶりの監督作品「帝都物語」の合成の仕事が始まった。
 少しして、「帝都物語」の特撮監督・大木淳吉さんがちょくちょく顔を見せるようになった。そう、第一期ウルトラシリーズで特殊技術を担当した、そして、「帰ってきたウルトラマン」の11月の傑作群のひとつ「落日の決闘」を監督した、特撮に夕景を多用した憧れの人。
 実相寺監督の盟友、事務所コダイの代表者。


 ●「帝都物語」の頃 2 2006/12/04

 大木淳吉さんはとても気さくな方だった。
 実相寺監督が、第一期ウルトラシリーズ時代の想い出を小説にした「星の林に月の舟」(大和書房、ちくま文庫)は、自身を主人公に、特撮番組に賭ける若者たちの青春群像という趣きがあり、とても感銘を受けた。
 この小説をTBSが「ウルトラマンをつくった男たち」というタイトルでスペシャルドラマ化。大木さんをモデルにした特技監督役を柳沢慎吾が演じていて、笑ってしまった。まあ似ていなくもない。
 いつも笑顔をたやさない。こちらのつまらない質問、疑問にきちんと答えてくれる。打ち合わせで顔を見せると、気持ちが和んだ。来訪を心待ちにしていたところがある。

「君は現場タイプだよ」
 ある日、大木さんと雑談している最中に言われた。自分でもそう思っていた。でも、コマーシャルの現場では、毎回スタッフが入れ替わり、いつも萎縮して自分のカラーを表に出すことができなかったんですよ。
 そんな話をすると、
「大丈夫だよ、慣れだよ、慣れ。おいでよこっちの世界に」

 もし、あのとき、デン・フィルムでアルバイトを 続けていたら、どうなっていたのだろう。たまに思い巡らすことがある。
 ポストプロではなく、撮影現場の下っ端として働きだし、そのままフォースの助監督となって、それを皮切りに映画界を浮遊していったのだろうか。
 結局、この夢は叶わなかった。「帝都物語」が完成する前にデン・フィルムを辞めてしまったのだ。親友に勧められて自己啓発セミナーの第二段階(筑波への二泊三日 アドバンスコース)に参加した結果、また躁がぶり返してしまって、会社に大迷惑をかけた結果のこと。詳しいことはすっかり忘れてしまったが……。

 さて、肝心の、実相寺監督久々の映画、超大作「帝都物語」はどうだったか。
 ラッシュフィルムを見る限り、ものすごい世界がスクリーンに展開しそうな気がした。アルバイトしているときはもちろん、辞めてからも、会う人会う人に宣伝した。「ぜったい面白いですよ、必ず劇場で観てくださいね、保障しますから」
 翌年の2月に有楽町のスカラ座で観た。
 当時の日記にこう書いている。

     ◇
 ストーリー自体何のかんの言うつもりはない。
 セミ時代劇としての、明治、大正、昭和初期のシチュエーションも好きだ。
 特撮も良くできている。これ観たさに行ったんだもの。
 しかし、今いち心がはずまなかったのはどうしてだろう。
 1シーン、1カットはよくできているのに全体として映像がはずんでいないのだ。
 クライマックスが、いろいろなエピソードの積み重ねになっていて、緊張感がそがれてしまう。
 もっとエロチックかなぁと期待もしていたが、それもなし…がっかり。
 一番印象的だったのは、やはり悪の権化加藤保憲のドアップの顔!

 期待したような感激は得られなかった。
     ◇

 その後、一度だけ大木さんにお目にかかったことがある。電車に乗っていたら、目の前に大木さんが座っていたのだ。挨拶すると覚えていてくれた。
「今度事務所に電話ちょーだいよ」
 一度電話したけれど、大木さんは外出中だった。以後連絡はとらなかった。
 今日はいい天気だね、くらいの意識だったかもしれないという気持ちと、デン・フィルムの辞め方に負い目があったから。

 大木さんの訃報を知ったときはショックだった。今から10年ほど前だからまだ50代だったのではないか。
 大木さんはあの世で実相寺監督をどんな顔して出迎えるのだろうか。


 ●「星の伝説」の頃 2006/12/06

 その後いろいろあった。賭博ゲーム喫茶、TV制作、着物の訪問販売……。1987年から88年にかけてさまざまな職を渡り歩いた。ゲーム喫茶は客と喧嘩してすぐにクビになり、着物の訪問販売は研修を兼ねた地方出張(一週間)から帰ってきてすぐ逃げ出した。
 給料の良さだけに惹かれた仕事は長続きしない。
 デン・フィルムの前には薬店に勤めたことがある。
 鬱の真っ最中。新人なのに、なぜかたびたびお客に商品について質問され、でもまともに答えられず、そのたび落ち込んでいた。
 もうたまらなくなって、ある朝家を出てそのまま多摩動物園へ直行、夕方まで過ごした。翌日から出勤のフリをして、外でブラブラして夕方帰宅するという日が続く。一週間後、もう嘘はつけないと帰宅後かみサンの前にひざまづいた……。

 閑話休題。
 かみサンが妊娠して徐々にお腹が大きくなっていく中、もうすぐ出産というそのときT書房に就職した。
 書店向けの廉価ビデオで一時ブームを巻き起こした出版社の映像部。その後S社に出向、新しく設立された映像事業部の所属となった。
 事業部という名称ではあったが、部員はたったの5名、それにデスクの女性以外すべて他社からの出向組という編成だ。T書房から2名、Tムービーから1名、部長はS社の子会社L社からの出向。たぶん業績がよくなければすぐに切り捨てるつもりだったのだろう。

 T書房の書店向けビデオとTムービーのアニメをSブランドにして玩具、レンタルルートで販売すること。また独自に企画したビデオをリリースしていくこと。それが映像事業部の主業務だった。
 「野生の王国」みたいな、恐竜のドキュメンタリー(特撮作品)ビデオを制作したいと、意気揚々と原宿の事務所に乗り込んだのだが、I部長の方針ややり方が理解できず毎日のように衝突をしていたころの話である。
 S社が映画に出資することになった。それが松竹系で公開される「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」だった。脚本・佐々木守、監督・実相寺昭雄。往年の「ウルトラ」スタッフによる初の「ウルトラQ」映画化作品。
 映像事業部は実際の映画制作に絡んではいなかったが、ビデオ化の件で接点があった。

 渋谷にある円谷映像に伺った。特撮の神様・円谷英二の三男、円谷粲氏がより広いジャンルの映像作品を手がけたいと円谷プロを独立して設立した制作会社。
 ビルの一室にお邪魔すると、スタッフとしてK・K氏とS・N氏を紹介された。K・K氏は第二期ウルトラ(マン)シリーズで〈制作〉あるいは怪獣デザインでお馴染み、S・N氏は第一期のスクリプター(記録)であり、「星の林に月の舟」では(当然名前は違うが)主要人物として登場してくる、ウルトラ関係のムック等のスタッフの集合記念写真で何度も見かけたとてもきれいな方。
 円谷氏、K・K氏、S・N氏を前にするとファン心が疼いて、仕事で来たことを忘れてしまう。
 確か、シナリオを渡されたと思う。
 帰社後、わくわくしながら読み始めた。


 ●「星の伝説」の頃 2 2006/12/07

 いったいどんな「ウルトラQ」ワールドが展開されるのか。期待に胸ふくらませてシナリオ「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」を読み始めた。ページが進むにしたがってわくわく感はしぼんでいった。面白くないのである。

 主人公の万条目、一平、由利子のトリオを、TVクルーに設定して、謎の連続殺人事件を追っていくうちに意外な事実が判明するというプロットはいい。ところが羽衣伝説、浦島太郎伝説等を巧みに取り入れながら謎を解明していく過程がちっとも盛り上がらない。宇宙人が登場して、その用心棒的怪獣が出現するに及んで興ざめした。
 テーマはよくわかる。文明の発達、科学の進歩、その代償としての環境破壊。それが本当に人類に輝かしい未来をもたらすのか否か。
 佐々木守・実相寺昭雄コンビなのだから、TVシリーズと同じテイストをのぞんでいたわけではない。とはいえ、あまりに「ウルトラQ」の世界を逸脱していた。
  
 もともと「ウルトラQ」の映画化は金子修介監督が大映に提出した企画から出発した。
 「トワイライトゾーン」を意識した3話オムニバスで、内容もサルベージもの、精神世界もの、怪獣ものとバラエティに富んでいた。
 最初はオープニングにマンモスフラワーを登場させ、第1話、第2話と続き、最終話がガラモンが暴れるストーリーだったらしい。ガラモンはTV「ウルトラQ」を代表する怪獣である。ところが版権の問題でこれらの怪獣を使用できず、オリジナル怪獣が登場する第二稿が書かれた。結局この企画は予算の関係で中止になって、実相寺監督によるまったく新しい「ウルトラQ」の映画が誕生したのである。

 「…星の伝説」は、80年代にATGで映画化される予定だった「元祖ウルトラマン 怪獣聖書」のプロットをそのまま流用したものだ。
 時代を敢えて「ウルトラマン」が放送されていた60年代に設定し、日本の高度成長の是非を問うという、空想科学シリーズとかけ離れた内容。「ウルトラセブン」ならともかく、「ウルトラマン」でやるべき題材ではなく、映画化されなかった理由がよくわかる。
 
 「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」は「ウルトラQ」の映画ではなく、「星の伝説」というタイトルの実相寺監督作品と観れば、それなりに納得できる。実際、試写を観たら、そのスタイリッシュな映像には堪能できたわけだから。

 映像事業部がこの映画のダイジェスト版(30分)をリリースすることになった。ダイジェスト版というから、当初、怪獣・薙羅(ナギラ)が出演するシーン、特撮シーンをピックアップした、子ども向けの特別編集版だと思っていた。しかし、本編にはそれほどナギラが出るシーンがない。
 すると、本編から主要シーンを抜き出した本当のダイジェスト版だというのである。
 そんな、バカな! そんなの実相寺映画に対する冒涜ではないか。そんなせこい真似をするのなら、劇場版をリリースすべきじゃないか。
 部長に反論すると、劇場版はすでにB社からリリースされることは決まっている、S社はダイジェスト版のみ販売できるのだと言い返された。
「そんな中途半端なもの、売れっこないですよ」
「売れるか売れないかお前が判断するな!」
「だって、売れないものは売れないです。断言できます」
「これは決定事項なんだ、円谷が許諾して、金も払ってんだ」

 この中途半端なビデオの発売で一番思い出に残っているのが、幕張メッセで開催されたTOYショーだ。ビデオを展示し、余興でケンイチ、いやナギラのぬいぐるみを呼んだ。スーツアクターの費用なんてないから、私が入った。
 子どものころ、一度中に入ってみたいと願った怪獣のぬいぐるみ! 
 顔が見えないことをいいことに、思いっきりはしゃいだ。野球拳はやるわ、ムーンウォークはやるわ、もうやりたい放題、好き放題。しかし、晴れの舞台は短かった。わずか10分ほどで酸欠状態になり、気を失いかけた。

 ビデオは売れなかった。




 一昨日(20日)は紙ふうせんリサイタルだった。
 詳しくは後日に記すが、終了後FCの懇親会。今回はFCメンバー以外も参加していて、彼らと話をすることで思わぬ収穫があった。これまた後日に。

 二次会は、有志とカラオケ。「2時間だったら5時までコースの方がお徳ですよ」ということで、夜中の1時には一人になった。皆さんホテルに帰りましたので。金のない僕はネットカフェをやめてそのまま居座ることにしたわけで。
 2時間ばかりワンマンショー。DAMはショーケンのナンバーが少なくて、斉藤和義「幸福な朝食 退屈な夕食」「ずっと好きだった」、真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」「エンドレスサマーヌード」、韓国語の「24,000回のキッス」、フランス語風「シェリーにくちづけ」等々。それなりにネタの練習しているんです。モノになんないけれど。
 3時から一眠りして、5時に外に出た。
 ほんとに財布に金がなくて、FKでバーガーセットを食べて、梅田の街を徘徊。駅に戻るとみどりの窓口が開いていたので、カードで新幹線のチケットを購入してすぐに帰ってきた。午前中には自宅にいた。

 晩に疲れがやってきた。
 22時にもう寝ていた。
 朝方夢を見た。なぜか僕は営業マンである会社を訪ねるのだが、ちょっと小をもよおしてトイレに行く。個室に入っておしっこするとこれが長い。ずっとしている。1分、5分、10分……。便器からあふれだし個室はびしょびしょ。驚いたが何もなかったように外で出る。ある方に営業に来たことを告げていると、怒り顔の男が二人。乱れた心を落ち着かせて僕は問う。「トイレのことですか?」
「そうです!」
 いったいどうなるんだろう、俺?

 そこで目が覚めた。夢の中でおしっこしても何の開放感もない。あったらオネショしてますから。トイレの夢をみるときはほんと、考えられないシチュエーションなのだ。全裸だったり、大の方をしているのに、まわりに丸見えだったり。

 それで思い出したことがある。あのとき監視カメラで録画されていたのではなかったか? 

     ◇

 ●鮫洲の試験場は遠かった! 2006/05/07

 大学3年の夏休み、帰省中に自動車学校に通った。
 住民票を移していたので筆記試験は東京で受けなければならない。ところが鮫洲の試験場なんて行ったことがなかった。いったいどこにあるのか? 幸い映画サークルの後輩が少し前に試験を受けていた。
「鮫洲の駅を降りたら試験場に向かう集団ができるので、そのあとをついていけば簡単ですよ」
 当日、改札を出て、そのまま流れる人の群れの一番うしろに続いた。頭の中は試験のことでいっぱい。ほかのことは何も考えられなかった。
 気がつくと目の前に下駄箱があった。あたりを見回すと下駄箱だらけだ。玄関に到着したのだった。皆、当然のようにそれぞれの箱から上履きを取り出している。
「へぇ、今時の試験場というのは上履きまで用意しているのか」
 感心しながらどの上履きにしようか思案していた。
 肩を叩かれた。振り向くと若い男性だった。
「あの~、ここ××高校ですけど。鮫洲の試験場と間違われていませんか?」


 ●迎賓館 汚すべからず 2006/05/08

 空の蒼さが目に沁みる日はきまって寒さが身にしみる。トイレが異常に近くなるのだ。一時間に一回、ひどいときは30分ごとにトイレに駆け込まなければならない。
 あれは25歳のとき、CF制作会社に入社して二年目、底冷えのする冬のある日のことだった。
 早朝から上司であるプロデューサーのS氏と新作CMのロケハンに出かけた。表参道から銀座方面に歩きながらロケに適した街角を探す。
 案の定、青山あたりでもよおしてきた。近くにトイレは見当たらない。
 まだ大丈夫。我慢できる。もう少し歩いてみよう。
 迎賓館まで来てしまった。ちょっとやばい。夢中でトイレを探したが……ない。あわてた。あせった。泣きたくなった。
「立ちションすれば?」
 S氏は言うのだが、迎賓館のまん前でそんなはしたない行為はできない。〈日本の恥〉という文字が頭に浮かんだ。
 S氏はしょうがねぇなァという顔をしながら「この先に知っているビルがあるから」。
 下半身にリキ入れて三歩進んでみた。甘かった。膀胱はパンパン。わずかな振動でも漏れそうだった。脇を車が猛スピードで走りすぎる。うっ。空を見上げた。深呼吸ひとつ。
 目的のビルにたどり着いた。震えが止まらない。先っぽがちょっと濡れた。エレベータが開く。S氏と乗り込んだ。トイレのある7階を押す。目の前が白くはじけた。
「Sさん、もうダメ!」
 上昇する箱の隅に移動し、社会の窓を全開、思いっきり放尿した。
「人が乗ってきたらどうすんだ?!」
 S氏が叫ぶが、知ったこっちゃない。快感が全身を包んでいる。
 突然3階で止まった。誰かが乗ってくる? 放尿は続いている! ドアが開いた。突然S氏が両手を乱暴に振り回しながらわめきだした。
「■※▽$●%□&◎#!!」
 すばやく閉の釦が押される。
 7階に到着した。何事もなかったように降りると二人は非常階段から逃げ出したのだった。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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