9日(木)に発売された雑誌「Hanako」の特集は「本とカフェ。」。表紙の女優の高畑充希さんが目印です。
 〈気になる本116冊、行きたいカフェ75軒!〉 とあって、ブックカフェ二十世紀が75軒中の1軒として紹介されています。
 取材はオーナーのS氏が受けていまして、2冊の本をお薦めしています。

  「ファイヤー」(水野英子/朝日ソノラマ)
  「万年前座 僕と師匠・談志の16年」(立川キウイ/新潮社)

 どちらも、お店で開催しているイベントに関連しています。
 昨年の春、金原亭馬好師匠主催の会があって、ゲストが水野英子さんでした。馬好さんはマンガが大好きで、研究家でもあるんですね。馬好師匠、その前にブックカフェ二十世紀で一度落語会を開催していて、この日が2回めでした。ゲストが水野さんということもあってか、お客さんが60名弱いらっしゃって、現在のところ、集客の最高記録となっています。

 キウイ師匠は、隔月開催の「フタイ×キウイの二人でイイ噺」のレギュラー。一昨年の暮れ、ブックカフェ二十世紀の一周年記念忘年パーティーの余興ゲストでした。
 今年になってから、元「暮しの手帖」副編集長で定年退職してからは映画ジャーナリストとして活躍している二井康雄さんと映画についてあれこれおしゃべりするトークショーを企画、おかげさまで、人気を博し、隔月開催のイベントになりました。

 私、石森章太郎「マンガ家入門(正続)」、藤子不二雄「まんが道」の愛読者でして、トキワ荘への興味からいつしかトキワ荘本を収集するようになりました。
 トキワ荘の想い出を綴った短編以外、水野さんのマンガは読んだことはないのですが、トキワ荘の住人として、石森章太郎や赤塚不二夫と合作したり、その名前は小学生のときから存じております。メディアへの登場がないので、ブックカフェ二十世紀にいらっしゃったときは、少々緊張しました。

 キウイ師匠の「万年前座」は刊行時に読んでいます。そのときの感想はここに書いています。ただ、購入しませんでした。買うつもりでいたところ、ちょうど知り合いの方が購入したので借りてしまったんです。
 忘年パーティー時に本を販売したので購入して(サインもいただきました)再読しました。
 感想は、一度めとほぼ同じでしたが、落語修行に関してなんか他人事だよなぁと思いました。

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 やばい。ブログが更新できない。

 先週3日(土)、仕事を終えてから東京駅で新幹線こだまに飛び乗り三島に向かった。その日は紙ふうせんFCの交流会があった。交流会には参加できなかったが、とりあえず皆が泊まるホテルには宿泊しようと思ってのこと。
 というのは、翌日、午後3時半から紙ふうせんが出演する「青春のコンサート」が開催されるので前のりしたというわけ。
 コンサートは小室等、清水国明の司会、紙ふうせんのほかには大野真澄、さとう宗幸が出演する。

 コンサートまでは仲間と三島の街を散策した。いいよ~、せせらぎの街・三島って!
 散策とコンサートの詳細は項を改めて。

 日曜日を休んだので、火曜日は出勤(シフトを変更してもらった)。

 昨日8日(木)は、下北沢で観劇。
 シネりんのメンバーである浅川芳恵さん(通称シートン、なぜシートンなのか知らない)が主演する、マニンゲンプロジェクトvol.12「味がしなくなったガムみたいな」。

 それほど芝居をみているわけではないが、けっこう斬新な作りだった。素直に観ていられた。
 何度も笑った。泣かされそうにもなった。この泣かせのくだりが新鮮だった。悲しいとかうれしいとかの感情ではない。現実を突きつけられて思わず涙しそうになったのだ。これは初めての経験だった。
 主演のふたりはもちろんだが(間の取り方とか)、登場人物の本音を代弁する男女に注目した。特に男性。
 明後日(11日・日)が千秋楽。




 「GURUになります。」の簡単な感想を書いたついでに、3日観劇の「友情」について触れておこう。

 昨年の「船堀映画祭」はボランティアスタッフとして参加したのだが、その開催前の打ち合わせ会議に初めて参加したときのこと。
 スタッフの一人に若い女の子がいた。

 この娘が川島彩香さん。会議終了後打ち上げになってから映画の話で盛り上がった。話が合うのだ。たとえば映画「寄生獣」に対する感想とか。原作と映画化作品の対比について自論を述べると納得してくれた。マニアックな話を振ってもついてくる。もしかして美魔女か? 見た目より年齢がかなり上だったりして。
 年齢を訊くとうちの娘と同い年だった。名前も似ている。うちのは彩夏だ。読み方は違うのだけど。もっと驚いたのは出身大学。法政大学だって。オレの後輩ではないか。
 少し前まで錦糸町の映画館で働いていたのだが、そこを退職して映画美学校に通っていると。アクターズコースでつまり女優の卵ということ。

 川島さんから卒業公演の案内をもらった。
 タイトルは「友情」。俳優学校の生徒たちの公演で「友情」なんていうタイトルだとなんとなく内容がわかるというもの。娘みたいな子の卒業公演なのだからもちろん足を運ぶのは当然なのだが、あまり期待していなかった。
 作・演出の鎌田順也氏もナカゴーも知らなかった。ナカゴーの「堀船の友人」の拡大版だというのだが意味がわからない。堀船って船堀をひっくり返した名称か?

 3日(木)~6日(日)の4日間なので、初日しか行けない。
 オープニングの渋谷駅前シーンは役者も観客も硬かった。
 しかし、舞台が店長(だったかな)の部屋に移ってからの阿鼻叫喚から怒涛の展開になって大いに笑わせてもらった。こういう物語だったのか!
 それにしても阿鼻叫喚の演技はもっともっとはじけなければ。そんな中で川島さんは一番はじけていた。これは別に親の欲目ではない。
 キャストの一人に中国人役がいて、緊急事態で日本語から中国語になるタイミング、間、発音がそれっぽい。巧いなぁ、藤村有弘、タモリにつづくデタラメ外国語を駆使する役者なれるなあと感心していたら本物の中国人だって。
 笑わせながらラストでタイトルに偽りのないテーマを浮き彫りにする。セリフに胸が熱くなった。

 オリジナルにあったのかどうか知らないが、一番愉快だったのは、ボスと部下の会話。意味は通じているのに、疎通がなっていない。何とか理解させようとするボスの声と間が何とも言えずおかしかった。
 もし、もっとこちらに時間があるならもう一度観てもいいと思った。

 アフタートークで、3人が3人とも劇中、オマジナイのように何度も出てくる「ブー・フー・ウー」を童話「三匹の子ブタ」の名前だと勘違いしていた。
 「ブーフーウー」はNHKの「おかあさんといっしょ」内の人形(着ぐるみ)劇。主人公の子ブタ三兄弟の名前だから。黒柳徹子や大山のぶ代が声を担当していた。そんな番組があったことなんて知らないのだろう。こういうところに若さを感じる。




 昨日は休み。
 午前中は市役所等でバタバタしてから午後よみうり大手町ホールへ。
 14時から黒木瞳&東京03主演の芝居「GURUになります。 ~平浅子と源麗華の一週間~」を観劇した。
 いわゆる商業演劇は久しぶり。大手町ホールは昨年3月の紙ふうせんリサイタルに続いて2度め。
 東京駅から歩いていったのだが、途中でどこを歩いているのかわからなくなって焦った。
 クライマックスは、往年のハリウッドミュージカルみたいで楽しめた。東京03のコントの豪華版ともいえる。
 まあ、少々照れてしまうセリフもあって、目をつぶって芝居を見ていたところもあるが。
 ノアさん、ありがとう。




 本日の朝日新聞(朝刊)第一面の書籍広告。一つが奥浩平の「青春の墓標」(社会評論社)だった。大学時代、文庫になった「二十歳の原点」を再読、著者の高野悦子が愛読したということで文庫を買って読んでみた。エリート意識に腹が立って仕方なかった。唯一彼女への想い、キスしたい、セックスしたいという願望に共鳴した。
 新刊は、レッド・アーカイブ01と銘打ち、税抜価格2,300円。ちと高い。文庫は絶版になったのだろうな。

          * * *

2015/07/03

 『ブロードウェイミュージカル「ジャージー・ボーイズ」』(東急シアターオーブ)

 クリント・イーストウッド監督作品「ジャージー・ボーイズ」にハマったことはこれまで何度か書いている。ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルだが、キャストが演技の最中に歌いだしたり、踊りだしたりする、いかにもなミュージカル風作りになっていないところが夢中になった要因だ(とはいえ、昔と違って、いかにもなミュージカルも嫌いでなくなった)。

 フォー・シーズンズの伝記映画という体裁で、歌&演奏はあくまでもライブハウス、レコーディング、コンサート、TV出演で披露されるという趣向。これが僕の琴線に触れた。人気グループとなって「エド・サリバンショー」に出演したシーンなど、実際のTV映像(当時の)を挿入してリアルな空間を醸し出す。
 だからこそ、エンディングのカーテンコール、4人の歌(「1963年12月(あのすばらしき夜)」)に乗せて、出演者全員が踊るミュージカルシーンに心躍るのだ。一緒にリズムをとりながらなぜか涙があふれてきて仕方なかった。

 それからクライマックス。愛娘を薬物で亡くし失意の毎日を送っていたフランキー・ヴァリが「君の瞳に恋している」でカムバックするシーン。レコーディングスタジオの録音風景からライブハウス(レストラン?)のお披露目ライブにスイッチ、はじめは通常のバンド編成で歌っているのだが、途中でバックのカーテンが開くと、ビッグバンドが加わって音が厚くなり、ホーンセクションのラッパが鳴り響いて聴く者をゾクゾクさせてくれる。
 このふたつの音楽(&ダンス)による歓喜と高揚感に浸りたくて何度も劇場に足を運んだのだ。

 しかし、映画「ジャージー・ボーイズ」は日本では評判を呼んだが、本国アメリカではあまり話題にならなかったらしい。ハリウッド通、ブロードウェイ通に言わせると、舞台をそのままフィルムの世界(デジタル撮影だろうけど)に移しかえただけで、独創性に欠けるとのこと。
 本当にそうなのか?
 プロードウェイの舞台を観て比較すればいいのだが、そんなことできるわけがない。そこへ日本公演のニュース。狂喜乱舞した。生の演奏&歌唱を肌で感じて映画以上に感動がしたい!

 チケット販売初日に予約した。
 一番安い3階席の2列め。 
 舞台に向かっって一番左側の一角。中央の通路側。

 パンテオンには何度か足を運んでいるが、渋谷ヒカリエになってからは初めてだ。
 新橋から銀座線で渋谷へ出て、そのまま屋内を通ってヒカリエへ。雨が降っていたから助かった。エレベーターで11階へ向かう。そこから階段を昇って受付に。チケットをもぎってもらう際、担当が「このまままっすぐ行って突き当りで(エスカレーターで)最上階まで行ってください」。
 3階から舞台や1階席を見下ろすと、かなりの落差がある。高所恐怖症の人はたまらないのではないか。傘を壁に立てかけておくと係員の女性がやってきて、下に落ちる危険性があるため寝かせてくださいと言われた。確かに落ちたら大変なことになるだろう。
 左側は一つおいて欧米人のカップルだ。

 最初、舞台の両脇に設置している電光掲示板に表示される日本語訳に手間取った。訳と舞台を同時に見られない。どちらか一方に集中してしまうのだ。洋画なら何の苦もなく同時に認識しているというのに。慣れなのだろう。
 それから、3階からだと俳優たちの表情がわからない。こちらの視力が悪くなったこともあるか。

 舞台の「ジャージー・ボーイズ」も、いわゆるミュージカルミュージカルしていなかった。4人はライブハウスで、ステージで演奏し、歌うのである。TV局のくだりでは後方のスクリーンに当時の番組が流れ、舞台と連動していた。上演時間は休憩20分を挟んだ2時間半ほど。
 なるほど、映画「ジャージー・ボーイズ」は舞台版をリアルに映像で再現したものだった。
 もちろん、舞台だからセットが自由自在に変化する。机やベンチといったものには、車輪がついているのだろう、あっというまに出入りして、舞台がさまざまな場所になる。キャストが動かすのが基本だが、勝手に動くものもある。あれはどういう原理になっているのか?

 映画との大きな違いは「君の瞳に恋してる」に関するエピソードだ。映画では娘が亡くなってから曲が発表されるのだが、舞台では曲が発表されてからしばらくして娘が死亡したことを伝える電話がある。その後、フランキー・ヴァリが1曲うたうのだが、この曲は映画では流れなかったと思う。印象的な曲である。

 隣のカップルはノリノリで最後は「ブラボー」と叫ぶほど舞台を満喫した様子。僕自身、最後の方は全身でリズムをとってはいたが、カップルに比べれば静かなものだった。外人と日本人の表現の差、と言われればそれまでただけど、期待していたほどのものではなかったので快哉を叫べなかった。
 映画で興奮した2つのシーン(ショット)は、舞台ではそれほどではなかった。それは先に映画を観ているからなんだろうけれど。

 もうひとつはフォー・シーズンズの演奏が本物でなかったことによる。フォー・シーズンズはサポートのドラムを加えていつもステージでは5人で演奏する。フランキー・ヴァリはヴォーカルのみだが、あとの3人はギター、ベース、キーボードおよびコーラス担当。その演奏を聴いていると、ドラムは実際の音だが、ギターやベースは違うような気がした。オペラグラスで弾いてる手元を見ると、口パクならぬ演奏パクではないか。
 たとえば、あるバンドのライブに足を運んだら、演奏しているフリしてしているだけで音は別のところから出ていたらガッカリするだろう。それと同じだ。フォー・シーズンズはバンドなんだから。

 今回のミュージカルで一番グッときたのは、最後の最後、実際に演奏していたバンドがステージに登場して1曲演奏したことだ。何曲か演奏してほしかった。

 なんて、批判的なことを書いているが、会場を後にしたとき、階段でエスカレーターで、「1963年12月(あのすばらしき夜)」を口すさんでいた。十分幸せだった。誰かと一緒だったら、近くの居酒屋で大いに語り合っていただろう。

 サントラを買おう。YouTubeでは我慢できなくなった。映画版の方だけど。




 一応、承前

 ミュージカルを3階席から観劇。かつて一度だけ経験していた。12年前「エルヴィス・ストーリー」というロックンロールミュージカルを観劇しているのだ。3階でも十分世界にのめりこんでいた。
 3日が楽しみ楽しみ……

     ◇

2003/05/02

 「エルヴィス・ストーリー」(東京国際フォーラム Cホール)  

 何週間か前、週刊文春のグラビアで、あるアメリカ人男優のエルヴィス・プレスリーに変身する様が連続写真で紹介されていた。見事な変身ぶりに驚いた。素顔はまったく似ていないのに、メイクするとエルヴィス・プレスリーそのものになってしまうのだ。この俳優がロックンロールミュージカル「エルヴィス・ストーリー」の主役を演じるマルタン・フォンティーヌだった。  

 エルヴィスの、というか、プレスリー(僕の場合、プレスリーといった方が馴染みがあるので、以後プレスリーで統一する)の死を知った日のことは良く覚えている。  
 別にプレスリーに思い入れがあったわけではない。まったく別のことで記憶している。  
 プレスリーの死は1977年の8月16日。高校3年の夏休みの最中だった。彼の死を知った日、1年の時にあっさり振られた彼女のことがどうしても忘れられず、意を決してもう一度電話して、ふたりの仲のキューピット役を果たした共通の友人(女友だち、僕の幼なじみ)の家に遊びに行く約束をした。もしかしたらこれをきっかけにやり直しできるかもしれない。淡い期待があった。その日、プレスリーの死を知った。
 2日後、彼女と一緒にバスに乗って、最初に交わした会話がプレスリーの死だった。
「プレスリーが死んだね」
「……うん」
「42歳だって。若すぎるよね」
「……うん」  
 まったく会話がはずまず、それは女友だちとあってからも変わらなかった。その夜、僕は大いに落ち込みやけ酒をくらった。  
 プレスリーの死は、つまり彼女との別れを決意した日といっしょくたになって記憶しているのである。  
 関係ないか、こんな話。  

 僕にとってのリアルタイムのプレスリーというと、ドキュメント映画「エルヴィス・オン・ステージ」「エルヴィス・オン・ツアー」につきる。もちろんこの映画の存在を知ったのは、制作された時よりずいぶん後になってのことだが。ビートルズ映画「レット・イット・ビー」に影響されて、ミュージシャンのライブを追ったドキュメンタリーに興味を抱き始めた高校時代のことだ。ただし、白いジャンプスーツを着た太ったプレスリーには何の関心もわかなかった。  
 そんなわけで、「エルヴィス・ストーリー」を知って、生のステージのミュージカルを観たいとは思ったものの、金をだしてまでもという考えはなかった。そこに、チケットが当たったから観に行かないかと友人からの誘い。うれしかったなあ。  

 東京国際フォーラムに初めて入った。  
 Cホールはかなり広いホールで、3階の席からはステージの人物の顔がやっと判別できるくらい。  
 構成が斬新、というかコロンブスの卵というべきか。つまりステージではエルヴィス・プレスリーのあの日あの時のライブが再現されるだけ。そのライブとライブをつなぐのが後方に設置された2台のモニターから流れるプレスリーに関するニュースフィルム。ナレーションは赤坂泰彦が担当している。  
 メンフィスでの初のレコーディング、メジャーデビュー後の初ステージ、映画「監獄ロック」の1シーン、徴兵前のラストライブ、etc。  
 「監獄ロック」の名シーンを再現したセットのシンプルな美しさに目を見張った。スタイリッシュとはこのことかと納得できた。もう一つは復活したプレスリーが、マネージャーのパーカー大佐を離れて出演したTV番組を再現したセット。赤のイメージが強烈だった。  
 左隣の席が老夫婦といった感じのカップルだったのだが、男性の方が「完璧だ」とつぶやいていた。  
 プレスリー(何度も書いていると、どうにも「俺は田舎のプレスリー」を思い出してしまって困る、やはりエルヴィスにします)、エルヴィスの足跡についてはニュースフィルムが伝えてくれる。
 胸に熱いものがこみあげてきたのは、妻との離婚、愛娘との別れを知った時。よかれと思って妻に習わせた空手の先生との不倫、その後の逃避行。失意と傷心の日々。孤独を紛らわすためヤクに手をだすのもわかる。晩年、ぶくぶくに太った姿はその後遺症だったことを初めて知った。  

 単なるライブの再現(とはいえ、相当レベルは高い、それだけでも十分楽しめる)の羅列と思っていたものが、ある瞬間からまさにドラマになっていたのである。舞台のエルヴィスは、完璧な役作り、演技によるマルタン・フォンティーヌのエルヴィスのはずなのに、本当にそこにエルヴィス本人がいるような感覚に襲われた。ただ歌うだけなのに、その心の襞がこちらに伝わってくるのである。
 バンドメンバーは変わらず、にもかかわらず徐々にサウンドが厚くなっていくのが不思議。  

 こういう作りもあるのか、と感心した。同時に、これならいろいろ応用できるよなとヨコシマな考えを抱いた。
 まずビートルズストーリーができる、美空ひばり物語も可能だ。矢沢永吉ヒストリーなんてのも考えられるな。
 タダで鑑賞して、こんなことをいうとバチがあたるかもしれないが、もっと小さなホールでステージのエルヴィスのすべてを感じたかった。
 もし、大きなホールでやるのなら、ラスヴェガスのライブはビッグバンドにすべきだろう。それでこそ意味があると思う。予算の関係で無理なことはじゅうじゅう承知の上だけれど。

 それから。
 エルヴィスの汗を拭いて、お礼にキスをもらう観客の女性は仕込みなのだろうか。それとも一般の人なのだろうか。




 今週、7月3日(金)にブロードウェイ・ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」(東急シアターオープ)を観劇する。

 クリント・イーストウッド監督の映画「ジャージー・ボーイズ」は劇場で3回観た。それも一週間に3回。こんなこと生まれて初めてだった。まあ、MOVIXの会員カードが昨年の春にリニューアルされて、丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーも対象になったことも大きい。観賞するたびに1,300円クーポンが配付される。つまり、いつでも1,300円で映画が観られるってわけ。

 本国アメリカでは、イーストウッド監督の「ジャージー・ボーイズ」に対する評価はそれほど高くないらしい。映画の良いところはすべてミュージカルでやっているとのこと。
 本当にそうなのか? 個人的にはイーストウッド監督はミュージカルの舞台版をきちんと音楽映画に変換していると思っている。果たして映画は舞台と同じものなのか、否か。そこををきちんと確認したい。

 ブロードウェイ・ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」の日本公演を知ってからというもの、チケット予約開始を首を長くして待っていた。初日に電話した。一番安い(それでも税込9,000円)B席。3階席の前から2列め真ん中あたり。
 今日、しまってあったチケットを取り出してみたら、宛名が新井景介になっていた。申し込んだとき、名前を訊かれて「拝啓の啓」と言ったのに! どうして啓が景になるわけ? 
「あっ、そうか」
 背景の景と聞き違えたのか。

 とにかく、当日はオペラグラス持参で東急シアターオーブへGO!


 ブロードウェイ・ミュージカルといえば、オフブロードウェイの「Hedwig & The Angry inch」の日本公演は実現しないものか。映画にハマってサントラCDを聴きまくった。それだけでは飽き足らなくて、舞台版のCDも購入。以来、オリジナルキャストの公演を生で観たいと願っているのだ。
 7年前に日本人キャストによる舞台を観賞した。

     ◇

2007/04/07

 「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」(東京厚生年金会館ホール)

 オフ・ブロードウェイの大ヒットミュージカルを映画化した「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」にハマったのはもう5年も前になる。サウンドトラック(CD)を買って、毎晩聴いていたものだ。
 いつしか生の舞台に興味が移っていた。本当なら、映画でも脚本、監督、主演したジョン・キャメロン・ミッチェルのオリジナルを観たいが無理な話。

 日本では三上博史がヘドウィグに扮した舞台が話題を呼んだ。結局チケット予約が面倒なのでパスしてしまってウン年。今回キャストが山本耕史に代わって新宿の厚生年金ホールで上演されると知ってあわてて予約した。
 最近、東京は別の小屋で上演され、その後地方を回り、厚生年金ホールが最後の公演だと知った。だから2日間だけの上演、そしてFINALなのか。

 実際の舞台は「Hedwig & The Angry inch」のライブそのものという設定なのだった。近隣の大ホールでは、自分を裏切ってスター街道ばく進中のトミーのコンサートが開催されていて、ライブハウスのドア(ステージ上手ソデ)を開けると歓声が聞こえてくる。
 そんな状況でヘドウィグは自身のバンドのライブを敢行し、曲の合間に自分の過去を語ってゆくという構成。

 当然、舞台はバンドメンバーしか登場しない。芝居部分といえば、ほとんどヘドウィグのMCなのだが、話にでてくる母や恋人等、コーラス担当のイツハク(中村中)が代役することもある。ヘドウィグの一人芝居、あるいはイツハクとの二人芝居といった感じだ。
 その他はギター2名、ベース、キーボード、ドラムスの編成。

 ロックを子守唄にして東ドイツで生まれ育った、同性愛者のヘドウィグがアメリカ兵と恋に落ち結婚、渡米前に性転換手術を受けるものの、失敗して股間に1インチの突起物を残す。
 渡米後あっけなくアメリカ兵に捨てられてから知り合うのがロックシンガー志望の高校生トミー。トミーにほれ込み、惜しみなく愛を注ぎながらロックの真髄を教えて込むが、ある日楽曲のすべてを盗んで逃走。プロデビューしてあっというまに人気アーティストを階段を昇っていく。トミーの裏切りを許せないヘドウィグは自身のバンド〈The Angry inch〉を率いて、トミーのツアーを追いかけていく。
 そんなストーカー的ドサまわりのある日、ある場所のライブを再現したのがロックミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」なのである。(しかし、そうなると厚生年金ホールは広すぎるか)

 映画を観ているので、バックボーンがわかるのだが、果たして初めてこのミュージカルを観た人が内容まで理解できたどうか。
 でもまあ、そんなことはどうでもよい。Hedwig & The Angry inchのライブにノレるかどうか。そこが肝心なのだから。

 1時間45分のライブは予想以上の出来。もう最初から最後までノリノリだった。バックは、その道のプロを揃えればそれなりの演奏はお手のものだろう。感激したのは山本耕史のヴォーカルだ。それも日本語訳詩ではない。すべて原曲の英語のまんま。これがうまいのだ。発音、歌唱、すべてにおいて及第点以上。ちゃんとロックしていた。ライブとしてはほぼ完璧。山本耕史について何も知らなければ本業も歌手だと思っていただろう。芝居の方は本家に比べて猥雑さが欠けていたけれど。

 オープニングの「TEAR ME DOWN」で客が立ち上がったのにはまいった。こちとらもう若くないんだ。座って鑑賞したいのに、舞台が全然見えない。これがずっとラストまで続くのかと少々ゲンナリしたら、曲が終わるとちゃんと着席。一安心。ならばと「Angry Inch」は立ち上がり、「Wig in the Box」では「皆さん、ご一緒に」の掛け声から一緒にうたった。

 新人歌手の、どちらから読んでも中村中のイツハクもいい。実際は中と書いて〈あたる〉と読む。ハーモニーがきれいだった。ずっと「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・デップみたいなむさい男の格好をしていて、ラストで白いドレスの女性に変身する。この落差がたまらない。
 女性で中という名前も珍しいと思っていたら、なんとこの方、最近性同一性障害をカミングアウトした男なのだった!

 大満足。7,500円の価値は大いにあった。
 次はもう少し小さな小屋でもう一度観てみたい。


【追記】

 なりやまない拍手で2度(3度?)舞台に登場した山本耕史。設定が設定なのだから、バンドメンバーを引き連れて何か1曲うたうべきだろう。

     ◇

2002/03/13

 「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」(渋谷 シネマライズ)  

 オフブロードウェイでロングランを続けたミュージカルの映画化だという。  

 東ドイツに住む、ロックを子守唄がわりにして育った同性愛者の主人公(ヘドウィグ)がアメリカ兵に見初められて結婚、渡米前に性転換手術するが失敗し、アメリカに着いたとたん捨てられる。
 やがてベルリンの壁が崩壊。彼女(?)はベビーシッターのアルバイト先で知り合ったロックシンガー志望の17歳の高校生・トミーと意気投合。彼をロックシンガーにするべく、自分の持てるすべての愛を注ぎ、ロックの真髄を教え込む。自分の運命を赤裸々に綴った歌作りの日々。ところがある日トミーがヘドウィグの楽曲を盗んで遁走。プロデビューして、あっというまに人気アーティストになってしまった。
 トミーを許せないヘドウィグは自分のバンドを率いて、彼のツアーを追いかけるストーカー的ドサ回りの旅にでる。  

 タイトルの〈アングリーインチ〉とは性転換に失敗したヘドウィッグの股間に残ったわずかな突起物を指している(怒りの1インチ)と同時に、そのままバンド名にもなっているというわけ。  
 トミーのコンサートが開催される大ホールの近くにあるレストランやパブでのライブ。そこで一部のお客の不快感など省みず、ハデハデゴテゴテ、奇抜な衣装で自分の数奇な運命を歌い上げ、トミーの不正を弾劾する。    

 ヘドウィグのこれまでの半生(ロックシンガーになるまでの軌跡)を描く方法が巧い。まずライブで、ヘドウィグ自身が歌で語る。時に当時の映像がインサートされ、やがて歌と映像がシンクロし、いつしかミュージカル特有の時間と場所を超越した世界に突入していく。個人的なミュージカルで一番気になる部分、芝居から歌のシーンに転換するところがごく自然に受け入れられた。
 ロックバンドがフィーチャーされたミュージカルに一番期待したのがここなのである。
 とにかくライブシーン、ミュージカルシーンが楽しい。「Origin of Love」のヘタウマアニメのインサートが効果的。
 また「はい皆さん、ご一緒に」とヘドウィグの掛け声とともに「Wig in the Box」の歌詞がインポーズされて、映画がカラオケ映像になるなんて、コロンブスの卵的新鮮さでカラオケ好きにはたまらない。心が躍った。もう一度カラオケシーンがあったらぜったい声出して身体を揺らして歌っていただろう。最高!

 脚本・監督・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルはその気があるのかないのか。まあ、そんなことはどうでもいいけれど、女装姿が見事に決まっていた。ハデハデなステージ衣装以外の、カジュアルな格好の時に見せる足の形(細さ)だとか肩のあたりの曲線だとか、ホント女なのだ。
 トミーとの蜜月時代に、ドアのところでくちづけを交わすシーンがある。このときヘドウィグの全身から醸し出す雰囲気がとてもナチュラル。痺れました。1インチぐらいの突起なんかゆるしてしまいたくなる。小さな胸のふくらみが始終気になって気になって……

 この映画、映画本来の楽しみとは別にソックリさん大会の趣きもあります。
 ヘドウィグはある時は〈狩人〉のお兄さん、またある時は京唄子、黒柳徹子(あくまでもヘアスタイルが)、ファラ・フォーセット……、トミー(マイケル・ピット)はどうみたってディカプリオでしょう。バンドのメンバーでヘドウィグの現在の夫・イツハク(ミリアム・ショア)はジョニー大倉かケミストリーの野人みたいな方(名前知りません)、なんて。
 このイツハク、髭面ではあるけれど、一目見た時から、声を聞いたらなおさら女性だとわかる。役もヘドウィグの目を盗んで彼女のかつらをそっとかぶってうっとりしたりする、ちょっと屈折した、わけありの性格の御仁。それからはいつヘドウィグを凌駕するような美貌の女性に大変身してくれるのか、胸わくわくものだったのだが、そういう展開にはなりませんでした。(ラスト近く、ステージから客席にジャンプし、変身した女性は本人なのかな? 僕にはそう見えなかったのだけれど。)

 冗談はさておき。
 劇場を出るときエンディングロール曲を口ずさんでいた。これは昔からの観た映画がたまらなく素敵だった証拠である(ラストの不可解さは別にどうでもいいことだと思う)。
 もう一度観たい。いやその前にサントラ買って、ナンバーをソラで歌えるように練習しておこうか。




 スーパー兄弟 龍美麗・三代目南條隆を見る会☆囲む会より続く

 浅草は木馬館に行って以来だ。約3年半ぶりということ。

 前回は木馬館が見つからずKさんとの待ち合わせ時間に間に合うかどうか焦りに焦った。わかりやすい道順だと思って遠回りしたことが原因だ。今回は最短コースを通って(仲見世を浅草寺に向かって歩き境内で左折する)早々に到着した。
 16時30分ちょっと前。劇団員が舞台の扮装で呼び込みしている。まだKさんも橋本さんもいないので近所を散策した。
 東洋館があった。何度か来たことがある。道を挟んだ反対側の、もうひとつの大衆演劇館、大勝館がドン・キホーテに様変わりしていた。

 木馬館にもどってみると、入口前の待合コーナー(?)に橋本さんがいた。何年ぶりの再会だろうか。前回は錦糸町の河内音頭大会(祭)で会ったと思う。
 橋本さんのそばに二人の男性がいた。隣の方は十条の篠原劇場のオーナーだという。対面の方は朝日新聞の記者の方。その名前に反応した。
「もしかしたら、寅さんの記事を書いていた……」
 やはりそうだった。小泉信一氏。2年ばかり大阪勤務だったという。「あのシリーズ、毎週楽しく読んでいたんですよ」
 本も読んでいる。
 朝日新聞のこのコーナーは「男はつらいよ」の連載が終了すると、日活映画の俳優、女優の記事になった。こちらも熱心にチェックしていた。その後小津安二郎特集になったあたりから読まなくなってしまった。

 まずは見る会。Kさんも来て入場料1,600円を払って会場へ。渡されたチケットは、昔映画館で使われていた、あのピンク地のやつ。わかりますか? 懐かしい。
 17時、三代目南條隆とスーパー兄弟公演が始まった。
 ステージは2部構成で、17時から18時30分までが芝居「関の弥太っぺ」、休憩後、19時から18時30分までが舞踊ショー。

 芝居は、座長・三代目南條隆、総座長・龍美麗の台詞まわしを楽しんだ。往年の東映や大映の役者たちに通じるものだ。マスクは杉良太郎と勝新太郎を彷彿とさせる。本日のゲスト、里見要次郎は梅宮辰夫で……ちと強引か。
 舞踏ショーはBGMに新たな発見があった。アレンジがいい。じっくり聴きたい。ニュー演歌、悪くない!
 おひねりタイムではアドレナリンがでまくった。万札を見るとなぜか興奮する。自分がもらったわけではないのに。本日の最高額20万円。

 僕らの列の斜め前に妙齢な女性が座っていた。劇団のファンなのだろう、絶妙のタイミングで大向こうを発する。写真を何枚撮ったのか。ここぞというタイミングでシャッターを押す。画面が見えるからどんな構図なのかわかる。皆かっこいい。ファンのプロといった感じ。

 話は前後する。芝居の冒頭に出てくる釣り人(男)は女性が演じていると思った。舞踊ショーの艶やかな女形姿(女性が女性を演じているのだが)はまるで元AKB48の板野友美のよう、針仕事のしぐさが実にサマになっていて印象深かった。
 先ほどの女性が声をかけた。「マサトォォ!」
 えっ! この人、男性なの? どう見ても女にしか見えないのだけど。
 終了後に判明するのだが、やはり女性だった。南條兄弟の妹さん。マサトは魔裟斗と書くのだそうだ。

 公演のあとは囲む会。近くのすし屋で行われた。
 メンバーには現代書館の社長(この方、公演時隣の席だった)、連載誌「演芸グラフ」関係者、筑摩書房の編集者といった業界関係者のほか、俳優の不破万作さん、シナリオライターの井沢満さんがいた。
 不破さんは橋本さんの大学時代の同級生。井沢さんは大衆演劇を題材にしたドラマを書いたときに橋本さんが考証を担当した関係だという。

 井沢さんが斜め前に座っていたので、日ごろ思っている今のドラマに関する疑問をいくつか訊ねた。
 アナログと地デジが併用で放送されていたとき、ディレクターはどのようにフレームを決定するのでしょうか?
 昔は2クールだった連続ドラマがなぜ1クールになったのでしょうか?

 井沢さんがテレビドラマを書き出したときはもう1クールになっていたとか。もともとラジオを書いていた井沢さんのTVデビューがNHK「みちしるべ」。鈴木清順が俳優として主演したもので、加藤治子と夫婦を演じたロードムービーもの。僕はリアルタイムで観ていた(「NHKアーカイブ」でも取り上げたと思う。こちらもしっかりチェックしている)。
 シナリオライターがどんなに神経をすり減らすものか例を挙げて説明してくれた。

 劇団からの出席者は二代目南條隆さんと、今回の公演にゲストしている南條光貴さん。二代目南條隆さんは「晴れ姿!旅役者街道」で取材されている。素顔は細面の小日向文世。
 南條光貴さんはスーパー兄弟のお兄さん。自分で劇団を持っている。
 途中でスーパー兄弟が挨拶にやってきた。二人とも素顔だから、もし道ですれちがっても本人だとはわからない。
 
 驚いたのはこの席にあのプロファンの女性が友だちと参加したことである。もちろん今回の見る会・囲む会のメンバーではない。橋本さんとは面識がないのだから当たり前だ。二代目南條さんに呼ばれたのだと思う。この、Sさんが呑み席で大衆演劇について、あれこれいろいろと教えてくれるのだ。これは勉強になった。

 スーパー兄弟は来月6月、十条の篠原演芸場で公演する。もう一度観ようと考えている。




 先週は5月14日(木)の話。

 浅草で橋本正樹さん主催の「スーパー兄弟 龍美麗・三代目南條隆を見る会☆囲む会」があった。

 いただいた案内ハガキにこう書かれていた。
     ▽
全国130ある劇団の中で、現在もっとも注目され、近い将来には劇界の屋台骨になるであろう「スーパー兄弟」が5月、東京・浅草木馬館で初興行いたします。
     △
 「晴れ姿!旅役者街道」(現代書館)を読了した直後でもあったので、すぐに参加に○をして返信した。Kさんを誘った。

 前著「あっぱれ!旅役者列伝」(現代書館)読了後、偶然なのか、必然なのか、シネりんメンバーのKさんから大衆演劇に誘われた。Kさん、映画は好きだが、大衆演劇も大好きで、浅草・木馬館は常連だという。僕も本を読んだことで興味がでてきたところなので、年が明けて足を運んだのである。2012年の年始、2日だか3日のことだった。

 百聞は一見にしかず。新しい世界を垣間見た気がした。新宿コマの公演(演歌歌手が主役となって前半は芝居で泣かせ、後半は歌謡ショーでたっぷり聴かせる)と歌舞伎がいっしょくたになったものをもっとこじんまりと庶民的にした感じ、か。
 3部に分かれていて、一部が芝居、二部・三部が舞踊ショーだった。かつて、梅沢富美男の女形姿が一世を風靡したが、あのビジュアルが目の前で繰り広げられるのだからたまらない。妖しい雰囲気に魅了された。

 元気だったら、その後も何度か木馬館に通ったかもしれない。
 しかし、3月以降にいろいろあって、土日は引き籠り、友人・知人のイベント案内には無視を決め込んだ。橋本さんから新著の案内をいただいてもすぐには購入しなかった。
 昨年の6月、紙ふうせんFC+東京事務所スタッフ合同の交流会があったとき、平山さんが橋本さんの出版記念パーティーを話題にした。少々バツが悪かった。

 秋になってやっと心の靄が晴れた。年があけて「晴れ姿!旅役者街道」を手に入れ、年賀状代わりの寒中見舞いで過去2年音信不通の不義理を詫びた。そして、やっと元気になって、本も買ったこと、読んだら感想を伝えますと記した。

 案内ハガキには、橋本さんの独特な文字で「もし体調がよければ浅草へ」と書かれていた。
 行くしかない。17時開演というのがネックだったが、午後半休をとった。

 橋本さんとの出会いはこちらに書いている。

superkyoudai
スーパー兄弟

 この項続く




 昨日は退社後急いで中野へ。劇場MOMOで劇団染地組第3回公演「6人のイカレる女」観劇のため。
 中野で19時開演の芝居に間に会うわけがない。出演する志水季里子さんから案内をもらって、公演スケジュールを確認すると日曜日(12日)が楽日。なら前日の土曜日のマチネかソワレにしよう……と思ったのだが、二日目(9日)には終演後、風祭ゆきさんとのトークショーがありますとあるではないか。だったら9日に行きますと返信したのだった。

 10分ちょっと遅れて劇場に到着した。ザ・ポケットにはこれまで何度か足を運んでいる。MOMOはポケットの道を挟んで反対側の建物という認識だったが、その劇場はテアトルBONBONだった。新しく劇場ができたのか。その隣がMOMO。最初からここにあったっけ?
 受付をすませるとホールは2階だという。中に入ると舞台では女優たちが白熱した議論を展開させていた。

 6人の女性陪審員が横一列のテーブルに座って評議する模様をコミカルに描く。やくざの兄を殺してしまった、正確には兄の自殺を幇助した妹は無罪か有罪か。

 最初の暗転まで、ちょっとつらかった。ギャグ(というものでもないか)が空転して客席はクスリとも笑わない。テーブルを横一列から向かえ合わせにしようとの提案で陪審員の一人、季里子さんがテーブルを動かすのだが、勢い余って斜めになり上のものがすべて落ちた。これがすごいリアル。上手いなあ、でもこれを毎回やるのはかなり難しいのではと思ったら、単なる季里子さんのミスだった。「すいません」目の前のお客さんに謝っている。このハプニング、アドリブで少し芝居の中に入っていけた。
 ただ、陪審員のリーダー(水島裕子)の説明によって(季里子さんも少し加わる)、他の陪審員2人が兄妹に扮して、妹が兄の命を奪うまでの物語を演じるところは、もうちょっと演出のしかたがあったと思う。ある意味芝居の真骨頂だもの。

 6人の中で一人だけ浮いた存在だった陪審員(風祭ゆき)が活躍しだすあたりから面白くなる。「十二人の怒れる男」におけるヘンリー・フォンダ役の風祭さんは、本家とは逆に、他の5人が無罪を主張する中、自身の推理を披露して、徐々に場の空気を有罪にもっていく。
 本家は、被告の少年が無罪の評決がくだされめでたしめでたしで終わる。
 この芝居は逆のパターンなのか?

 な、わけがなかった。
 6人の中にメインキャストの一人(三東ルシア)がいなかったのはそうゆうことだったのか!

 演出の上垣保朗氏は、もともと日活の監督(ということをこの日知った)。美保純を一躍有名した「ピンクのカーテン」の監督さん。だから出演者にかつてロマンポルノで活躍した女優4人がいるのか。
 トークショーは、4人を3組に分けて3日続くらしい。その第一回がアフタートーク〈風祭ゆき・志水季里子ナイト〉。
 MCは、シネマバー〈グリソムギャング〉支配人箕輪克彦氏。特撮映画の上映及び関係者のトークショーで噂に聴く施設だから、トークの進行はお手の物なのだろう。上垣氏も交えて日活ロマンポルノの思い出話に花が咲く。季里子さんのワンマンショーだったような気もする。途中で上垣氏にストップかけられていましたから。




 レビューはすぐ書く方がいい。十分承知している。が、別のことについて長い文章を書いているときは、とりあえず一言感想を述べて、あとでじっくりゆっくりと……なんて、結局そのままになってしまうケースが多い。いくつ書き出したままほったらかしているのか。Outlookに保存されている書きかけ、タイトルをあげれば「アイコンタクト」「第9地区」「相棒 劇場版2」「トゥルーグリッド」……
 5月に観劇した芝居、やっとレビューが書けました。

     ◇

2011/05/21

 「ギィ・フォワシィのブラックな3作 ~関節炎・動機・誘拐~」(シアターX)

 芝居は映画に比べてとてつもなく自由である。何度も書くが、映画は根底にリアリティがなければならない。もちろんリアリティを超越した映画もあることはあるが、あくまでも例外。早い話、芝居は舞台があって役者がいればどうにかなってしまう。セットや小道具がなくても成り立つのだ。
 もうひとつ、芝居の世界では当たり前になっているのが、日本人が外国(欧米)人になって、外国の芝居を上演してしまう慣習。映画の世界では信じられないことではないか。
 いわゆる〈赤毛もの〉といわれる芝居だ。

 芝居を観ることがなかったときは欧米の芝居をそのまま上演することについて深く考えたりはしなかった。一つのジャンルくらいの感覚で。
 ただ、現在では多少の違和感がある。物語の背後にある文化とか言葉の問題とかないのかなあと。あまり観たことがないから大きなことは言えないのだが。

 水木ノアさんは自身が出演するライブ、芝居があるとメールで知らせてくれる。ところが、今回はKさんからチケット取り纏めの連絡があった。Kさんが一昨年撮った自主映画「NO CONTROL」に出演しているノアさんと柳鶴英雄さんが共演する芝居があるから、もし観劇するなら一緒にチケット予約しておきますよという内容。
 その芝居が「ギイ・フォワシイのブラックな3作」だった。「間接炎」「動機」「誘拐」の3作で構成されていて、二人は「誘拐」で共演している。

 「NO CONTROL」を初めて観たのは徹夜明けで睡魔に襲われながらという状況だった。そのとき印象に残ったのは、とある研究所の所長を演じていた柳鶴さんの口調というか口跡だった。あの役者がいいよね、とKさんに言うとノアさんに紹介されたという。サンハロンシアターの「上海、そして東京の屋根の下で -服部良一物語 J-POPの夜明け-」で共演していたのだ。その後もいくつかの芝居で絡んでいる。
 もともとノアさんは歌手である。思うに「上海……」で柳鶴さんがノアさんの役者としての才能を見出して、機会があるたびに芝居に誘っているのではないか。

 ギイ・フォワシイはフランスの劇作家。ブラックユーモアを得意としているらしい。もちろん、僕は知らなかった。フランスの飯沢匡か。
 日本に彼の戯曲だけを上演する劇団があり、それがギイ・フォワシイ・シアター。
 今回はギイ・フォワシイ・シアターとシアターX(カイ)の提携公演である。それぞれの芝居はA、B二つのチームで競演する仕掛け。ノアさん、柳鶴さんはチームBだった。

 劇場は回向院の隣のマンションの1階にあった。
 ロビーが広く客席もゆったりしている。両国にこんな小劇場があるなんて。相撲だけの町じゃなかったのだ。定席ではないが寄席もあるし。

 最初の芝居は「関節炎」。妻の殺害を依頼した男と依頼された殺し屋が街のカフェでやりとりする姿を描く。最初は殺し屋の方が優位なのに、あるきっかけで立場が逆転する。終演後、戯曲の訳者(山崎吉朗)と演出(山崎哲史)のトークショーがあって、そのとき訳者がこの芝居の面白さを落語「らくだ」のようだと言っていて笑ってしまったのだが、肝腎のその瞬間を見ていない。
 殺し屋の存在とか、街のカフェでの密談とか、どうにも嘘っぽい設定と会場後方から聞こえてくるカメラのシャッターの音が気になって、舞台に集中できなかったことが原因。で、思った。フランス語だともっともっと面白いのではと。カフェのウエイトレスの動きが印象的だった。

 続いて「動機」。セレブ夫人とセレブ夫人に誘拐され夫人宅に軟禁された平凡な主婦の、その動機が何なのかについてやりあう模様を描く。
 相変らずカメラのシャッター音は気になるものの、舞台に集中できた。物語や展開に普遍性があるからだろうか。客席に向かってソファに座る主婦。スカートの中が覗けそうで目のやり場に困った。あれっと思ったのはストッキング。パンストではなく、太ももまでの昔ながらのそれなのだ。後半になって理由がわかった。セレブ女に脅かされて服を脱ぐ(!!)のだが、このときストッキングも脱ぐ。左右バラバラなら露出も少なく脱げる。そういうことか。
 主婦が服を脱がされて隣室へ移動させられたところでラストがわかった。主婦にしてみたらとんでもない災難ではないか。

 最後はお待ちかねの「誘拐」。「動機」以上に普遍性がある。某ラジオ番組に出演した人気俳優。聴取者からの電話による質問に答えるという趣旨なのだが、何人かめの青年が人気俳優の妻と愛犬を誘拐したと告げてきたことで、スタジオ内が大騒動になっていくという物語。
 この芝居ならそのまま日本のラジオ局、日本人の人気俳優、DJにしても成り立つ。展開もサスペンスに溢れ、最後まで飽きさせない。台詞が、役者が発する言葉がちゃんと言葉として聞こえてくるということもある。いつも著名人にはヘイコラしながら、いざ事件を起こすと、手に平を返し正義感面をして容赦ない追求するメディアの一面も現代を反映している。
 俳優役の柳鶴さん。やはり口跡がたまらない。DJ役のノアさんも貫禄を感じさせる台詞まわし。この二人に挟まれて自己主張するのが誘拐犯の俳優の息子(神山一郎)。声質だとかイントネーションだとかとても自然で聞き惚れた。
 手前がラジオのスタジオ、奥の一段高いところが青年のいる公衆電話。最初は場所がはっきりと区分けされているのに、芝居が白熱してくると青年がスタジオの中に現れて父親と言い争いを始める。もちろん、青年がテレポートしたとかという話ではない。芝居の表現の自由さなのである。映画やドラマではこういうことはできない。
 
 前述のとおり、3作品はチームA、チームBの2チームによって上演されている。終演後のトークショーで知ったのだが、単純に役者が替わるだけではないらしい。たとえば、チームAの「誘拐」の俳優は女優が演じている。当然、内容も変わってくる。とても興味をそそられる。しかし、料金のことを考える明日、明後日で再度の観劇なんて難しい。両方鑑賞する人には割引みたいな特典があればいいのに。柳鶴さんが演出でノアさんが出演した「The Loving ~Rondo~」は3チームがそれぞれの作品を上演していたが、見る回数が増えるたびに料金が値引きされていた。あれはいいサービスだった。利用はしなかったけれど。
 



 承前

 映画上映が終って、15分の休憩。この間に、一番前の座布団席がなくなって、客席の一番後ろに移動するものだと思っていた。実際、始まる前にそう言われていた。が、お客さんが多すぎて、座布団席の人はそのままということに。立たなくていいということで喜んだのだが、実は立ち見の方がより芝居の世界を満喫できただろうと終演後にわかるのだ。

 舞台中央の奥にはグランドピアノが設置されている。ピアノはアトリエの主である佐藤慶子さん。その斜め前、客席から見ると上手になる位置の椅子にはチェロの高橋裕紀さんがちょっと緊張した面持ちで座る。下手、ちょうどピアノの後方になる位置に篠原監督が座ったのには驚いた。床に直だ。単に座ったわけではない。担当する楽器は、どこかの民族楽器だろうパーカッション。

 篠原監督にはカルテットをモチーフにした映画を作りたいという考えがあったとプログラムに書いていた。ピアノのあるアトリエで映画上映プラス何かをやる機会をもらって(このイベントは「第3回恵比寿映像祭 地域連携プログラム デイドリームビリーバー」に参加している)、最初は朗読劇+生演奏の上演をやるつもりだった。が、実際に役者を迎えてアトリエ芝居に変貌した、と。

 長野・安曇野にあるペンションが舞台。このペンションに有能なチェリスト(藤本浩二)がマネージャー(太宰美緒)とともにやってきた。作曲活動のためとのことだが、ペンションオーナーの妻(竹中友紀子)とチェリストはかつて恋人だったという事実がある。ピアニストとしてパートナーでもあった。チェリストの本当の目的は何か? オーナー(阿部竜一)は心おだやかではない……。

 チェリストが弾くチェロ、オーナーの妻が弾くピアノ、その音色が高橋さんのチェロであり、佐藤さんのピアノなのである。クライマックス直前、ふたりが奏でる二重奏が胸に迫る。
 その直後、ピアノへの想い断ちがたく妻がかつての恋人とよりを戻すのではと悩んでいた夫が放つ一言。その相手を思いやる言葉に涙がこぼれそうになった。

 座布団に座っていると、芝居をいつも見上げていなければならない。これがけっこう疲れる。ちょっと下を向いたりして、何度も決定的な場面を見逃している。立ち見で舞台全体を見渡していた方がどれだけよかったか。

 マネージャー役の太宰さん。二井サロンやシネりんの常連だが、初めて芝居を観る。素直な演技でとてもよかった。ワインの飲み方とか好きだなあ。

 芝居のあと、篠原監督と二井さんのトーク。そして会場で打ち上げ(懇親会)。佐藤さんの手作りの料理、缶ビール、ワイン……。
 演者と観客が芝居を話題に大いに盛り上がった。
 




 渡辺えり子、磯野貴里子、石原真理子。皆、改名して渡辺えり、磯野貴里、石原真理になってしまった。名前から子をとったわけだ。子がついていた方がどっしり地に足がついたようで個人的には好きなのだが。だいたい昭和生まれの女性という感じがするではないか。いや、だからダメなのか。
 この前「龍馬伝」を観たら、キャストクレジットに〈山村美智〉とあった。元祖ひょうきんアナ、元フジテレビの女子アナで女優に転進した山村美智子よ、お前もか!

 調べてみたら、かなり前から改名していたのね。

          * * *

2010/08/03

 「engin版 品川心中」(品川六行会ホール)

 新馬場にある品川六行会ホールで「品川心中」を観劇する。
 久しぶりに人見健太郎さんから連絡をもらったのだ。出演者の一人だという。最近は映像クリエーターとしての仕事に忙殺されているとばかり思っていた。役者稼業も再開したのか。

 engin第一回舞台公演。enginとは高原知秀氏が旗揚げした劇団だという。高原氏は人見さんの友人。初めて会ったときのことを思い出す。
 もう何年も前になる。人見さんもメンバーの某インディーズ映画製作団体の上映会後の懇親会だった。高原氏も参加され、人見さんから紹介されたのだ。今度、特撮ヒーロー番組にレギュラー出演が決まったんだと。それが「超星神グランセイザー」。12人ヒーローの一人だった。

 小演劇の世界で時代劇というと、よくあるパターンが髷なしの幕末もの。たとえば新撰組の芝居なんてちょんまげを省略して役者は地毛で登場する。演者も観客もちょんまげがあるものとして演じ、観るのである。
 落語の大ネタ「品川心中」ではそういうこともできないだろう。いったいどんな芝居になるのか?

 これがきちんと表現されていたのである。江戸の情緒はヴィジュアルと音楽で伝わってくる。
 かつらと衣装は完璧だ。品川の遊郭、そこで働く遊女や若い衆。客となる大店主人、若旦那。あるいは博打に高じる職人たち。気になる口調(江戸弁)も及第点。
 セットもきちんと作られていた。それも場面転換ではちゃんと浜になる。まさに目の前の芝居は明治座や新宿コマのそれ。観たことないけれど。
 小道具、大道具、ここらへんに予算がかかっているのだろう。だから小演劇にしてはちょと高めの料金設定なのかもしれない。

 あとはいかに笑わせてくれるか。まあ、第一回公演でそこまで求めるのは酷というものだろう。
 死に損なった金蔵が親分宅に現われて、子分たちのあわてぶりが落語ではクライマックス。いわゆるスラプスティックが繰り広げられるのだが、そこをスローモーションにして結果に飛んだのは面白い演出だった。
(落語「品川心中」は二度ほど談四楼師匠の高座で聴いたことがある。確か、この芝居でいえば浪人が腰を抜かしたところでサゲになっていたと思う)

 主役の貸本屋の金蔵を熱演(汗びっしょり!)した高原氏、なぜかますだおかだの岡田に見えて仕方なかった。
 人見さんは浪人役。受付時に役の扮装のロビーに現われて挨拶されたとき誰だかわからなかった。開演前、注意事項を寸劇仕立てにして演じたは愉快だった。

 老・若い衆役の江藤漢斉氏、おかみさん役の坂本万里子さん(十朱幸代に見えた)はベテランの味。安心して見ていられた。




 先週の「ビューティフルアイランズ」から、怒涛の映画、芝居の鑑賞ラッシュが始まった。

 30日(金)は新宿シアターモリエールで「Macbeth」を。あのシェークスピアのマクベスがロックに彩られる、そして、水木ノアさんが出演、歌を披露するというのだから期待しないではいられない。
 かなり異色な赤毛芝居になると思われたが、魔女+α以外は本寸法。きちんと子役も登場する。リズムカルな台詞の応酬となると、ミスは許されない。噛むとそのとたん現実に引き戻されるのだ。
 この手の芝居って、ストーリーがどうのなんてことは後回しで、役者の演技、というか流麗な台詞回し、声に魅了されるものではないのか。
 帰宅途中にTSUTAYAでDVD「不知火検校」「新・座頭市物語」を借りる。「天才 勝新太郎」を読んだ影響だ。

 翌31日(土)は、館林で「セント・メセナの会 落語二人会」。出演は談四楼師匠に上方の鶴光師匠。プラス講談の神田蘭さん。昨年同様三の丸芸術ホールで開催、のはずが、冷房機器の故障で急遽道を隔てた文化会館大ホールに変更になった。昨年同様小学校からのつきあいになるAを誘った。

 17時ちょっと前に終わると、Aといっしょに中目黒というか祐天寺にあるライブカフェ「FJ’S」へ。毎月最終の土曜日にオーナーでもあるピアニスト、深町純氏のライブがあるのだ。北千住から中目黒って、日比谷線の始発から終点ではないか。ライブが始まる20時ぎりぎりに到着。ライブの迫力、感銘たるや……。
 トークも面白い。

 終了して、西川口に向かう。高崎在住のAは当然ながら帰れない、かといって狭い我が家に泊めることもできないので、近所の「湯の郷」で一泊することにした。
 駅に着いて、居酒屋へ寄って飲み直し。最近、読書のために寄るようになった店だ。生ビール半額セールを実施していて、会計時ドリンクの無料券がもらえる。
 26時「湯の郷」へ。

 理数系、パソコン博士の友人を持っていると助かる。翌1日(日)は9時に朝食のため自宅に戻り、ついでだからとAにパソコンとプリンタ(スキャナー)の接続、DVDプレーヤーの開閉修理、扇風機の修理を依頼する。すべて復活。

 Aと駅で別れてから有楽町へ出た。丸の内TOEIで「必死剣鳥刺し」を観る。確かにクライマックスの殺陣はかなりの迫力だ。

 帰宅する前に川口中央図書館に寄って、借りていた本とDVDを返却、8月は積ん読本読破月間にしようと、新たに本を借りるつもりはなかったのだが、ああ、意志薄弱。

 明日(3日)は品川六行会ホールで「品川心中」を観劇予定。

 「ハングオーバー」「プレデターズ」「インセプション」「トイ・ストーリー3」「ソルト」「ちょんまげぷりん」「ゾンビランド」観たい映画も目白押し。


 その他、今月の予定を記すと……

 15日(日) 「談四楼独演会 第171回」(北澤八幡神社)
 24日(火) 「ふたいサロン 晩夏に聴く『芝浜』」(新橋 交流サロンSHU)




 2010/05/24

 「壬生義士伝 残照 ZANSHOW」(サイスタジオコモネA)

 芥勘兵衛さんから連絡もらった。芝居やります、観に来てください。それが「壬生義士伝 残照 ZANSHOW」。期間は5月21日~26日、土日が15時と19時の2回、平日は19時のみ。場所は小竹向原駅近くのサイスタジオコモネ。
 平日だと絶対間に合わない。土日に行くしかない。が、あいにくこの週はどちらも予定があった。ネットで調べてみると、10分ほどの遅刻で会場にたどり着けることがわかった。千秋楽は15時開演なので、その前日に伺いますと返信した。

 会社を18時ジャストに出た。品川に向かいながらふと気がつく。品川から山手線に乗り換え、池袋に行く予定だったが、それだと時間がかかるのでは? ネットで調べたときはあくまでも時間だけを確認したのだ、路線まで見ていない。大崎で埼京線に乗り換えた。
 池袋で有楽町線に乗る。3つめの駅が「小竹向原」だ。電車の中ではずっと「森繁さんの長い影」を読んでいた。電車が駅に着いたのであわてて降りる。2番出口を出ると小学校があるので、その近く……地図にはそうあるのだが、肝腎の小学校が見当たらない。だいたい出口と道の位置関係がおかしい。不親切な地図だこと!
 腕時計をみると開演10分過ぎていた。ちょっとした焦り。前を歩く女性に声をかけた。
「この近くに小学校ってありますか?」
 女性の怪訝な顔。
 説明するのも面倒なので、プリントアウトしてきた地図を見せる。
「××小学校……ちょっとここから離れているわね」
 だって、駅のそばでしょう。そう叫びそうになったとき女性が一言。
「あら、これ小竹向原駅!」
 どういうこと? 
「ここ千川(駅)だから」
 !!! 自分の顔が赤くなるのがわかる。なんてこったい、間違えて一駅前で降りてしまったのだ。どおりで地図に書かれている小学校がないわけだ。
 
 会場に到着したら19時30分。15分以上時間を無駄にしてしまった。受付の女性に連れられて会場に入る。当然芝居は始まっている。芥勘兵衛さんの出番が終わっていたらどうしよう。
 予想していたように簡略化された舞台セット。真ん中奥に三味線を弾く女性、時折小唄も披露する。上手には武士然とした男、きちんとちょんまげをつけている(最近の小演劇の世界では、時代劇、特に幕末ものだとちょんまげを無視する傾向がある)。下手には薄汚れた浪人風の男。二人が三味線をバックに南部弁で台詞をしゃべる。一人芝居×2の様相だ。始まって30分経っているので、ストーリーはわからない。三味線小唄が雰囲気作りに貢献している。セットがもっと作りこまれていたら、より世界に没頭できるのに。

 NAプロデュースの「壬生義士伝」は三部作で、第一部「帰郷」、第二部「対い鶴(むかいづる)」とあって、「残照」は第三部、完結編となる。
 先の芝居は「対い鶴」であった。本公演は、休憩をはさみ前半が第二部、後半が「残照」というプログラム。
 「壬生義士伝」の主人公は吉村寛一郎だが、第二部「対い鶴」のラストで自刃した。第三部「残照」は息子が主人公となってのスペクタクル巨編。映画だったら絶対そうだ。僕は映画しか観ていない。原作はまだ読んでいないので、この第三部がどんなものかわからないが、通常の感覚だったら、舞台化なんて考えないだろう。
 にもかかわらず、芝居が成り立ってしまうのだから驚愕する。欲を言えば、もう少し舞台の密度を濃くしてもらいたかった。
 芥勘兵衛さんが演じた中島三郎助の死に場所を求めて、という台詞が実感できた。浅田次郎が「壬生義士伝」に続いて週刊文春に連載している「一刀斎夢録」で斎藤一がさんざ口にしていることなので。




2009/07/10

 「LIVESプロデュース公演 Dear My Hero」(東京芸術劇場小ホール)

 田口(主将)さんに誘われて今年二度目のLIVES観劇。

 無名のプロボクサーたちを主人公にして、彼らが所属する弱小ジムが企画した自主興行の1日を描く。
 自主興行が開催される某公共施設(ホール)の控室を舞台にしているところがミソだ。この日リングに上がる選手は3人。16年のプロ生活の末に引退するベテラン選手、前日に恋人の浮気が発覚して意気消沈している中堅選手、今日がデビュー戦であがりまくりの新人選手。
 3人の選手たちとジム関係者のほかに、担当のホール職員や選手の両親たちが入り乱れ賑わっている控室にボクシングにまるで縁のなさそうな主婦たちも訪れる。ホール職員の手違いで部屋をダブルブッキングした紅茶教室を開く面々だ。さまざまな人たちの交流模様が笑いを誘い、胸を熱くさせてくれる。

 今年1月、吉祥寺シアターで観た「ROPPONGI NIGHTS 2009」同様、オーソドックスな芝居である。笑わせながらグッとくる展開も同じ。ただ「ROPPONGI NIGHTS 2009」はいくつか注文をつけたくなる内容だった。観ていて照れくさいところもあった。
 「Dear My Hero」は違った。展開も役者の演技もほぼ完璧に近い。少なくとも僕はそう思った。目を一度も伏せることもなく舞台に集中していたのだから。
 全編にちりばめられたギャグに大笑い。笑いの連打の中、感動を呼ぶ展開になるのだが、すぐに笑いで落とす。過剰な演出で感動の押し売りをしない。テレビドラマ、映画、芝居……最近顕著になってきたあざとさがない。考えてみたら前作も同じだった。感動は一瞬でサッと引く演出。このセンスを買う。誰がなんと言おうと。

 ベテランボクサー役のため大浜さん(脚本、演出も)はダイエットした。その姿は、あるときは中谷一郎、またあるときは國村隼、はたまた小田和正……。客席から見ると確かにそう見えたのだ。嘘じゃない。
 役者だなぁ、と唸ったのが、ジム会長役の雑賀(克郎)さん。「ROPPONGI NIGHTS 2009」では、ムードコーラスグループの目だないリーダーだった。前回も唸ったが今回もやられた。ベテランボクサーの父親に扮した登戸(髭生)さんも、老け役を見事こなした。「ROPPONGI NIGHTS 2009」では老人だった山田(古馬)さんは今回髪をモヒカンにして中堅ボクサーを熱演。これはキャラクター的においしい。

 二つだけ注文がある。一つは上演時間。一幕、2時間20分は長い。2時間以内、できれば1時間40分ほどにまとめられないか。
 それから、登戸さんの老け役はよかったが、年齢相応の役者の客演を考慮したらどうだろうか。その方が芝居が引き締まることもある。

 とにかく、次回公演が楽しみ。
 田口さん、また声をかけてください。






2009/06/13

 「アナザー・ワールド」(南大塚ホール)

 水木ノアさんが舞台に出演するという。それもミュージカルだ。これは何とかして行かねば!
 平日は無理なので千秋楽(土)のマチネに足を運んだ。このミュージカルに登場する女性はダブルキャストになっていて、それぞれがチームになっている。つまり公演には2チームが交互に出演して、男性陣を相手にしているわけだ。ノアさんはAチーム。ノアさんにとってはマチネが本当に最終公演だった。

 主役は元ジャニーズ(忍者)のメンバー、演出も元ジャニーズなので、もしかしてその手のファンで大混雑になるのかと少々恐れをなしていた。杞憂だった。

 大道具(セット)はまったくない。更のステージが劇団のアトリエになったり、主役の男の子の部屋になったりする。もちろんそれでも何の違和感はないのだが。
 さまざまな問題を抱えている劇団に不思議な力を持つ少女が現れて、みんなの心を癒していくというストーリー。テーマがストレートすぎて、というか、テーマをそのままずばり描いているので、今年50歳の大台に乗る男が見るのはちょとばかり気恥かしい展開。

 そもそも看板に偽りありだ。ミュージカルという触れ込みなのに、普通の芝居に歌とダンスをほんの少しばかり挿入しただけ。ミュージカルって感情の高まりが歌やダンスに昇華するものだろう。台詞と歌とダンスが一体化しなければ意味がない。この一体化は映画だと若干の抵抗がある。映画にはリアリティが根底にあるからだ。舞台は何でもありの世界だから、さっきまでの会話が歌になろうが、突然踊りだそうが全部許せてしまう(と思う)。
 これをミュージカルというのなら、同じくノアさんが出演した「上海、そして東京の屋根の下で ~服部良一物語 J・POPの夜明け~」はどうなるのだ? あの芝居だってミュージカルではない。音楽劇というべきものだ。

 高校生の劇団だったら万々歳の内容だと思う。
 ノアさんの歌声が響けば印象は違っていたかも。
 女性出演者が2チーム制というのも、集客を考えての処置なのかと勘ぐりたくなる。





2009/04/11

 「人類ドピュー」(アートシアターかもめ座)

 桃色軍手の公演に森本浩さん、もとい芥勘兵衛(あっかんべぇ)さんが客演するというのでK氏を誘って阿佐ヶ谷へ。桃色軍手は東京倶楽部のメンバー、山崎栄氏が主宰する劇団。2年前、町田政則さんが主演した第10回公演「その奥へ ゲシヒテ」を下北沢で観ている。前衛というか、アングラというか、アチャラカというか、かなりぶっ飛んだ内容で、客を選ぶ芝居であることは確か。
 今回も人を食ったタイトル、どんな内容だかわからない。わかったとして、そのとおりに芝居が進行するかどうか。その旨桃色軍手初体験のK氏に伝える。

 座席に用意されていたパンフレット(?)に今回はディケンズの「二都物語」だと書いている。ディケンズも「二都物語」も名前やタイトルは知っているが、どんなストーリーかまでは把握していない。まあ桃色軍手のことだ、そう謳っているだけで、実際の芝居は「二都物語」を換骨奪胎したもの、いや、まるで違ったテイストに仕上がってるなんてことも十分予想できる。

 幕が開くと、いきなりどこかの学校の男女混声合唱団の整列だ。芥勘兵衛さんの指揮でアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ」をフルコーラス。続いて、客席からふんどし一丁のキリストが登場して長台詞を絶叫。暗転後、紳士に扮した芥勘兵衛さんが蛙男(!)に出会って、パリへの道を尋ね、そこにカウボーイ(確かクリントといった)が出てきて……。
 ほら、何がなんだかでしょう? とんでもない芝居が展開する要素がプンプンでしょう?
 ところが、ところが。
 その後、舞台がパリのレストラン(居酒屋?)になってからは、ちゃんと「二都物語」になっているのである。途中、オチャラケも挿入されるものの、ほぼ真面目な赤毛芝居が展開された。これには驚きだ。

 「二都物語」はどんな物語なのか?
 ウィキペディアによれば、「ダーニーとカートンの2人の青年と無罪の牢人の娘ルーシーとの悲劇的な恋を描く」とある。二都とはパリとロンドンのこと。
 18世紀のフランス革命前夜を時代背景に、パリとロンドンを舞台にしてダーニー、カートン、ルーシーの物語は進行する。貴族政治に反旗を翻す民衆と、彼らの陰謀に巻き込まれて苦悩する上流階級の3人。特にダーニーはフランスからイギリスに亡命した貴族。ある件で故国フランスに舞い戻ったダーニーは捕らえられて幽閉の身に。ダーニーの妻となったルーシーと父親は釈放を求めてさまざまな運動を展開させるのだが、哀れ、裁判の結果は処刑。しかし、ルーシーを想い続けているカートンは、自分を犠牲にしてダーニーを助けるのだった。牢番を買収してダーニーと入れ替わったカートンはあっけなく処刑されてしまう……。

 小さな舞台に作られたのは、居酒屋のセット。テーブルや椅子を出し入れすることで、そこが裁判所になったり、牢屋になったり。芝居はなんでもありだから、もうそれだけで「二都物語」が演じられるのだ。が、前半は、登場人物の人間関係が理解できず、置いてけぼりをくらった。後半、やっとストーリーの輪郭が浮かんできて、舞台に集中できた。
 しかし、この物語、ダーニーとカートンの外見が似ている(瓜二つ)からこそ入れ替えが成り立つのだ。なのに、扮する役者はまるで往年のアボット&コステロのような凸凹コンビ。処刑の段階で真相がバレてしまうだろうに。なんてことは言ってはいけない。それこそが桃色軍手の桃色軍手らしさ、か。
 だいたい、18世紀のフランスだというのに、居酒屋で歌われるのがブルースとはこれ如何に(この歌のタイトルが「人類ドピュー」)? ラストはゴスペルの合唱なのだから。しかし、それが妙にフィットしていたのだから、まあいいや。個人的にはブルースハープの音色に聴き惚れた。
 東京倶楽部の芝居同様、始終音楽がバックに流れている。そういうやり方は好きでではないが、選曲は巧い。

 たとえ、芝居そのものに夢中になれなくても、舞台に集中できるか否かは、役者の口跡による。芝居の前半で改めてその思いを強くした。口跡というか、台詞廻しというか、台詞の発声そのものに味があれば、聴いているだけで心地よくなれるのだ。一般論として通用するかどうかわからないが、少なくとも僕はそうである。






2009/01/24
 
 「LIVESプロデュース公演 ROPPONGI NIGHTS 2009」(吉祥寺シアター)

 田口(主将)さんからまた芝居に誘われた。
 今回はRIVESという小劇団のプロデュース公演「ROPPONGI NIGHTS 2009」。
 田口さんにはお気に入りの小劇団が2つあって、一つが「東京セレソンDX」、もう一つがこのRIVESなのだそうだ。
 公演は22日(水)から25日(日)の4日間。場所が吉祥寺では平日には伺えない。楽日の日曜日は混雑するだろう。前日の19時の回にしますと返信した。

 小雪も舞う肌寒い午後、まず、川口中央図書館へ。借りていた本とDVDを返却し、新たに3冊と1枚を借りて、いざ吉祥寺へ。
 
 吉祥寺といえばライブハウスの街というイメージがある。曼荼羅が有名だ。
 芝居だと前進座の本拠地という認識。ほかには特に思い浮かばない。吉祥寺シアターなんていう劇場、まったく知らなかった。サイトからプリントアウトした地図を頼りに行ってみて驚いた。建物自体がとても大きい。立派。きれい。入口にはカフェもあって、待ち合わせや時間つぶしに持ってこい。今回は利用しなかったけれど。
 開場して中に入ってまたまたびっくり。舞台が広い。客席も階段状になっているから見やすい。またゆったりしている。池袋のシアターグリーンを彷彿させる。

 六本木にオープンしたショーパブが舞台のコメディ。
 結婚のため、やくざ稼業から足を洗い、ショーパブのオーナー店長として再起をはかる男。男の新しい出発を祝うために店を訪れる恋人。結婚に反対している父親。兄貴を慕って手伝いにやってきた元舎弟のやくざ。この日を最後に解散するムード歌謡コーラスの男性4人組「ダンディ西&ザ・ダンディ・ジャックス」。出会い系サイトで知り合った男性との合コンを楽しむためにやってきたストリッパー二人組。意中のホステスに愛を告白するためにやってきた短気で粗暴なチンピラ。そのほか、店が手配したサクラのお客たち…看護婦トリオと修学旅行中の高校生カップル、そして元役者のコック。
 彼らの、ちょっとした意思疎通の齟齬や勘違いから巻き起こる騒動を描いている。

 笑える要素はたくさんあるが、中でもユニークなのが、ダンディ西&ザ・ダンディ・ジャックスの面々。キャラクターと歌がサイコー!
 劇団の主宰者で、作、演出も手がける大浜直樹がダンディ西に扮してリードヴォーカルとMCを担当するのだが、これがイケる。しかもハーモニーがしっかりしていてきちんとコーラスグループになっているところが素晴らしい。
 六本木をテーマにした歌は、あの鼠先輩のヒット曲を意識したような歌詞とメロディ、アレンジ。ヴォーカルのダンディ西は松鶴家千とせみたいなヘアスタイル、もしかして、パンチ頭の鼠先輩の二番煎じを狙ったのかと思いきや、芝居が再演なのに気がついた。歌のテイストも容貌を含めたスタイルも2年前に出来上がっているものなのだ。ゆえに、パクったのは、あちらかも。
 「愛人お正月」「狐さん」。タイトル聞いただけで吹き出してしまう。これも冗談音楽の一種か。

 芝居自体はとてもオーソドックスな作りだと思う。
 ちょっと学生演劇っぽいところもあって、観ているこちらが照れてしまうこともあった。
 2時間20分は一幕ものとして長い。
 店長に、やくざ部分の強面部分がないと、せっかくのキャラクターが活きてこない。硬軟の表情を使い分けながら、優しさが滲み出てくるようでないと。
 コックと父親は、その年齢設定からある程度のベテランでないと芝居のリアリティ、というか陰影がでてこないのでは? 父親の衣装は上下揃ったスーツじゃないと雰囲気がでない。下がベージュのコットンパンツ(風)なんて。仕事帰りではない、あくまでもカジュアルだ、というのなら、もっと別の服装を考えるべき。

 と、まあ、いくつか気になる点はあるのだが、それ以上に評価できるのがラストの処理。最近、映画も芝居もこれでもかという感動の押し売りが横行しているが、とてもあっさりしていて好感を持った。






2008/10/25

 SET第46回本公演「任侠るねっさんす ~歌姫誕生物語~」(東京芸術劇場・中ホール)


 雑誌「まぐま」で知り合ったK氏に誘われてから、秋の恒例行事となった感のあるSET本公演の観劇。今年は少々躊躇した。懐事情による。上映会やライブなどインディーズ関係イベントから足が遠のいている。小劇団の芝居も同様。その月に目当てのイベントがあると、そのほかは家でじっとしているしかない。映画も月に1本観ればいいほうだ。定期以外の収入がないのだからどうしようもない。
 9月大阪に出かけ、10月も長野へ行く。11月はつくばだ。落語会もあることだし、今回は遠慮しようか……。K氏から最終確認があって、一度は断ったのだが、日にちを確認すると25日(土)。ということは前日に給料が出ている。だったら、なんとかなるか。

 公演は17時から。その前にチケットの受け渡し、支払いがあるので16時に待ち合わせすることに。20分前に池袋に着くと、劇場前の広場で〈古本まつり〉が開催されている。いくつものテントで古書店が出張営業しているのだが、その数の多さに、アドレナリンの分泌が激しくなった。K氏に電話して待ち合わせ時間を30分遅らせてもらって各テントを廻る。小林信彦の棚を見つけたときは心臓パクパクになったが、すべて持っているものだった。結局1冊も購入せず。

 始まる前にトイレに行った。出てくると通路の壁に貼られたポスターが目についた。これからホールで上演される3作品。その中の一つが目を捉えた。ほぉ、小倉久寛が主演なのか、やくざの話…女性演歌歌手がからんで…へえ、SETが本公演とは別にまた芝居をやるのか、面白そうだな、なんて思いながら、よく見ると「SET第46回本公演」。何のことはない、「任侠るねっさんす」のポスターだった。
 お恥ずかしい話だが、SETの芝居は、K氏から案内がくると、どんな内容なのか確認することもなく、「行きます」の返事をしておしまい。タイトルすら把握していないことが今回判明してしまった。他の劇団の芝居も似たようなものだが、SETの場合は特にひどいかもしれない。が、これはSETへの信頼が高いからにほかならない。これまで、裏切られたことがないのだから当然か。

 戦後から昭和30年代にかけての、任侠の世界を生きる男たち(三宅裕司、小倉久寛ほか)と、そんな男たちの集団(組)を解散せしめんとする警察との攻防を、表稼業の芸能興行社に所属して売れっ子になっていく女性歌手(松本明子)や今は亡き組長の息子で、大衆演劇の女形で人気の青年(六川裕史)とからめて描く。
 やくざといっても、「仁義なき戦い」ではなく、「昭和残侠伝」や「日本侠客伝」に登場するそれ。「強きを挫き、弱きを助く」男の中の男なのだ。ラストは負け戦になることをわかっていながら、真剣勝負を挑んで死んでいく。ある意味悲劇というのが珍しい。死んだ後、女性歌手が歌う演歌をバックに、晴れ姿を見せるところが絵的に美しく、おまけにぐっとくる。
 ベタな展開といえば、それまでだが、そこはSET、ポップに仕上げていてクサくない。演歌のアレンジなど、これまたぽくない仕上がりで、だからこそ胸に迫ってくるのだろう。
 女性歌手は、子どもゆえ、その天才的な歌唱力がのど自慢大会の審査員の反感を買ったり、ブギウギの女王から自分の持ち歌を歌うなとクレームをつけられたりと、若き日の美空ひばりを彷彿とさせるキャラクター。別の日に観劇したK氏のお父さんは松本明子の歌唱力に驚いたそうだが、元は歌手なのだから。にしても、洋楽から演歌までソツなく歌ってしまうのだから、このキャスティングは良い!

 前々回、前回に比べると、アクションが前面に出た。つまり従来の路線になったということでミュージカル部分が弱くなったのだが、その分、三宅、小倉コンビの掛け合い(アドリブ)がパワーアップしたように思う。もう大笑い! 三宅さんの容赦ないツッコミは神業に近い。





 今、「服部という苗字の音楽家といえば?」と問われて脳裏に浮かぶは誰だろうか。40代、50代は服部克久かもしれない。僕が服部克久の名を覚えたのが中学時代。フジテレビ系の音楽番組「ミュージック・フェア」だった。音楽監修のクレジットに前田憲男といっしょにクレジットされていたのだ。
 当時、この番組には赤い鳥がよく出演していた。司会は長門裕之、南田洋子夫妻。その縁だと思うが、後藤さんと平山さんの結婚式の媒酌人をつとめている。また赤い鳥解散後、ふたりが結成した紙ふうせんのファーストアルバム「またふたりになったね」では服部克久が名アレンジャーぶりを発揮している。知っている人はほとんどいないのだが。

 この10年ばかり、TVや映画の音楽クレジットで見かけるのは服部隆之。服部克久の息子さんだ。調べてみたらゴジラ映画も担当しているんですね。知らなかった。
 息子さんの名前を見るたびに感嘆していた。「3代にわたって、作曲家としてそれも第一線で活躍するなんて、服部家はすごい!」
 服部克久の父親、服部良一といえば、歌謡曲の大御所作曲家として、僕にとっては古賀政男とセットになって記憶されている。ポップスの服部良一、演歌の古賀政男。二人ともまだ絶対的な権威があった日本レコード大賞のプレゼンターとしてその晩年の姿を記憶している。
 服部メロディーの偉大さを思い知らされるのは、大人になってからだが、考えてみれば、笠置シズ子のブギウギなんて、子ども心にとんでもないインパクトを感じたものである。

 12日(土)、東京芸術劇場小ホール2で「上海、そして東京の屋根の下で -服部良一物語 J-POPの夜明け-」観劇。戦時中、陸軍の要請で上海に赴いた服部良一と中国の音楽家たちとの交流を描いた音楽劇だ。一昨年クライマックスで感動して、今回も水木ノアさんが出演するといくこともあって、また足を運んだわけだ。一昨年、いくすじもの涙が流れたクライマックスも、今回は落ち着いて観ていられた。で、思ったのだが、この芝居、服部良一は主人公というより狂言回しじじゃないかということ。では主役は? 戦中から戦後にかけての時代そのものではないか。

 映画、もしくはスペシャルドラマに最適な素材ではある。手間も金もかかるだろうけど。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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