保育園の年長組だったから5歳か6歳のころだ。TVアニメ(テレビマンガ)「ジャングル大帝」に夢中だった。ストーリー以上にオープニングテーマ曲とエンディング曲が大好きだった。音楽が魅力的な番組だったといえる。
 小学生になってから始まった「リボンの騎士」も毎週の放映が待ち遠しくてたまらなかった。
 
 日曜日午後7時のタケダアワーは特撮大好き少年には見逃せい番組だった。
 「ウルトラQ」「ウルトラマン」と続いたウルトラシリーズ第三弾は「キャプテン・ウルトラ」。制作が円谷英二率いる円谷プロから東映に変わったことで、ドラマも特撮もイマイチの感があったが、三機に分離するシュピーゲル号がお気に入り。それ以上にオープニングタイトルの歌に心ときめいた。

 円谷プロが大人向けに社運をかけて制作した1時間番組「マイティジャック」はなぜかリアルタイムでは視聴していなかった。初めて観たのはフジテレビではなくTBSの再放送。全編・後編と2回に分けて30分番組として放送していたのだ。
 怪獣やヒーローが登場しない作劇、万能戦艦マイティ号の描写が大好きだったのだが、途中でタイトルが「戦え!マイティジャック」になり、巨大猿や恐竜が登場して、何やら作りが子ども向けになったが、オープニングタイトルに惹かれてチャンネルを合わせた。雄大なテーマ曲にしびれていた。

 初めてNHKの大河ドラマを自分の意志で観たのが「勝海舟」だった。もう中学生になっていた。
 倉本聰が脚本を担当したというのが一番の理由だが、ショーケンも出演するというのがもうひとつの魅力だった。藤岡弘が竜馬だったし。テーマ曲が雄大、かつ荘厳だった。
 主役の渡哲也は病気で降板するわ、倉本聰はスタッフと衝突して解任されるわ、いろいろ問題があったものの、怒涛の幕末ドラマに魅了されて1年間つきあった。

 中学3年だったか、高校1年だったか、音楽に造詣が深い友人の家であるアルバムを聴いて衝撃を受けた。シンセサイザーという楽器で演奏されたクラシックだった。部屋じゅうが機械でそれがシンセサイザーと知ってぶっ飛んだ。

 虫プロ制作のアニメラマに最初に触れたのはTV。2作目の「クレオパトラ」だったのだが、音楽も楽しかった。六文銭の歌も挿入されていて。

 思えば、子どものころ、TV番組を観ていていい音楽だなあと思ったほとんどが冨田勲なのだった。オーケストレーションの魅力を教わった気がする。

 山田洋次監督初の時代劇「たそがれ清兵衛」の音楽を担当していると知りうれしかった。

 昨年だったか一昨年だったか、NHKで自身が手掛けるコンサートを取材したドキュメンタリーを放送していて興味深く観た。初音ミクを取り入れる姿勢に驚愕した次第。何て懐の深い人なのか!

 もうずいぶん前、もうひと昔にはなるか、CD「新日本紀行・冨田勲の音楽」を購入した。リリースされたのは1996年。冨田勲の代表作が、大友直人指揮、東京交響楽団の演奏で新録されたもので、冨田氏自身シンセサイザーで参加している。
 「ジャングル大帝」「勝海舟」「リボンの騎士」が網羅されているのだから、あわててAmazonに注文したのだった。
 訃報を知ってから、部屋でずっと聴いている。

 84歳。
 素晴らしい音楽の数々、ありがとうございました。

 合掌




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 「夜明けのスキャット」は大好きです。
 小学校の遠足、バスの中の余興、歌のしりとり合戦で重宝しました。

 由紀さおりが海外で大人気ということで、CDが気になっています。
 由紀さおりといえば、思い出すのが、中学時代、国語を担当したS先生。S先生の授業は、脱線していろいろな話をしてくれるのが楽しくて、面白くて。

 ある日、話してくれたのが、由紀さおりが「夜明けのスキャット」で歌番組に出演したとき、思ったと。この世にこんなきれいな女性がいるのか!
 もうひとり、「愛の奇跡」でヒデとロザンナが登場したときも、ロザンナ見て思ったと。「愛の奇跡」もいいけれど、個人的には「愛は傷つきやすく」が大好きです。

 で、「夜明けのスキャット」で思っているんですが――。
 元ネタ(?)は「サウンド・オブ・サイレンス」ですよね?




 70年代にショーケンが主演したTV(ドラマ、TV映画)、映画の中で、個人的に一番だと思っているのが「祭りばやしが聞こえる」だ。言葉が足りないか。ショーケンのファッションで一番気に入っているのは、ということ。
 「祭りばやしが聞こえる」は、ショーケンが「前略おふくろ様」の次に取り組んだ作品で、自身が設立した会社ニーディー・グリーディーが制作したTV映画だ。

 ショーケンは競輪選手を演じていた。サブちゃんの短髪が伸びて、長くも短くもない、ごくごく普通のヘアスタイル。そんなヘアスタイルと、これまたどこにでもあるようなトレーナーとジーンズ(だったと思う、違うかも)姿がとても身近に感じて素敵だった。
 「太陽にほえろ!」のマカロニファッション、「傷だらけの天使」の修ファッション。そりゃもう、実にかっこよかった。でも、自分に照らしあわせると遠い存在だったことは確か。あくまでもTVの向こう側だけのものという認識だった。
 真似しようにもできないのは、こちらが中学生だったこともあるが、たとえ大人だったとしても、同じような服を着ようなんて思わなかっただろう。ところが「祭りばやしが聞こえる」のファッションは、自分が着ても様になるような気がした。だから、同じようなイメージのトレーナーを買ったりしたわけだ。劇中で着ているのはブランドものなのかもしれないが。
 同時期、ショーケンは映画「八つ墓村」に主演しており、ごくごく普通の青年ぶりは、この映画でも見ることができる。

 日本のTV映画は16ミリカメラが当たり前なのだが、「祭ばやしが聞こえる」は劇映画と同じ35ミリカメラで撮影された。プロデューサー(クレジットはされていなかったと思うが)としてのこだわりだろう。これにより、明らかにこれまでのTV映画作品と違う奥行きがあって、鮮明でしなやかな映像となった。画面に一種独特な空気感が漂っていたように思う。
 大麻騒動でレギュラーの室田日出男が降板するなどして、後半のストーリー作りが大変だったが(僕自身不安だったし、心配もした)、とはいえ、毎週楽しみにしていた。
 高校3年生、ちょうど受験勉強と受験の真っ只中の息抜きになっていたのだろう。

 エンディングに流れる主題歌が印象的だった。これで柳ジョージ&レイニーウッドを知った。ヴォーカルの声、バックの演奏。大人のロックという雰囲気にしびれた。
 しばらくして、アルバムを手に入れる。それが、ファーストアルバム「Time in Changes」だった。「祭ばやしが聞こえる」の主題歌のほかに「一人」が収録されていて大感激。「傷だらけの天使」に流れた幻の名曲だったからだ。もちろん、カヴァーであることは承知の上。
 続いてセカンドアルバム「Weeping in the Rain」。このころ僕は友だちに「柳ジョージ&レイニーウッドがいい」とさかんに吹聴していた。アルバムタイトルにもなっている「Weeping in the Rain」の英語詞を日本語詞にして「雨に泣いている」のタイトルでヒットする前のことである。「雨に泣いている」はショーケン主演のTV映画「死人狩り」の主題歌になったのがヒットのきっかけだ。

 ショーケンの主演だというのに、なぜか僕は「死人狩り」を一度も観ていない。調べてみたら予備校時代の放映なのだった。見られないはずである。この時期東京のアパートに一人暮らししていた。上京時に持参していた小型TVを勉強の妨げになると郷里に送り返してしまったのである。再放送をチェックしたこともない。再放送があったのかどうか。少しでも観た、という記憶がない。ビデオ(DVD)にもなっていないだろう。
 「雨に泣いている」はサードアルバム「Y.O.K.O.H.A.M.A.」に収録されている。

 セカンドアルバムでは、B面に収録された「同じ時代に」が大好きだった。この曲に対する思い入れは強く、大学時代に監督した8ミリ映画「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」でエンディングに流れる主題歌にしてしまったほど。

 PYG解散後、俳優業に専念していたショーケンが歌手活動を再開し、ちょうど「影武者」撮影時だったと思うが、全国ツアーをしていた。バックが柳ジョージ&レイニーウッドだった。その模様はショーケンの「熱狂・雷舞」という2枚組のライブアルバムになった。僕がショーケンのステージパフォーマンス(及びバックミュージシャンの演奏テクニック)に熱狂するのはもっとあとになるのだが。
 「雨に泣いている」のヒットで、柳ジョージ&レイニーウッドはTVの歌番組に出演するようになったと思うが、醒めたような感覚でギターを弾く姿がたまらなかった。
 コマーシャルソング(「微笑の法則」)も手がけ、これもヒットしている。

 時期はすっかり忘れてしまったが、女優の浅野真弓と結婚(確か柳ジョージは再婚)したのは、ちょっと驚いた。NHK少年ドラマシリーズ第一弾「タイム・トラベラー」で主人公の芳山和子を演じてファンになった女優さんである。後で知るのだが、「タイム・トラベラー」の前に「帰ってきたウルトラマン」第一話にも出演している。本名、島田淳子で活躍していたが、その後浅野真弓という芸名になって、「ウルトラマン80」にレギュラー出演していた(ウルトラマン先生の同僚教師役)。

 柳ジョージ&レイニーウッドを卒業したのは、バーボンレーベルからアトランティック・レーベルに移籍してリリースした2枚組アルバム「Woman and I… OLD FASHONED LOVE SONGS」を買ったあとぐらいだろうか。
 ちょっと移籍が信じられなかった。本人にしてみれば世界的に由緒あるレーベルは憧れの的だったのだろうが、僕にはバーボンを裏切ったような気がしたのだ。ショーケンのライブアルバムに夢中になるのとシンクロするように聴かなくなったような気がする。解散してそのままフェードアウト。もう追いかけなくなった。個人的には柳ジョージ&レイニーウッドのファンだったからということもあったかもしれない。柳ジョージのヴォーカル、ギターと同じく、上綱克彦のキーボード(と楽曲)、鈴木明男のサックスも大のお気に入りだったのだ。
 数年前、再結成されたときは、ちょっとアンテナが動いたのだが、結局コンサートには行かなかった。

 今朝(もう昨日だが)、「みのもんたの朝ズバっ!」の芸能ニュースを見ながら、大声あげていた。
「嘘、うそ!」
 63歳。糖尿病を患っていたという。夫人に看取られて亡くなったというのが少しなぐさめになったか。

 合掌




 死ぬかと思った。
 いや、本当、「めちゃ×2イケてる!」の芸人歌ヘタ王座決定戦。
 ずん飯尾の「 WON'T BE WRONG」。胃が痙攣して息ができなくなった。
 光浦靖子の「ウエディングベル」。本人と同じく涙が一筋流れました。
 きれいだったし、歌もいつもよりよっぽどうまかった。
 
          * * *

 承前

 「'80のバラッド」は、かつてCDで復刻されたものの、今では廃盤になっているのである。まあそれは仕方ない。中古市場にまったく出回っていないのはどうしてだろう。出てるとしてもとんでもなく値段が高いのだ。小林信彦の「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」のようだ。あるいはCDボックスなら手に入る。過去のアルバムすべてがセットになったもの。中古にしてもボックスセットにしても高い金を出してまで欲しくはない。
 次の手段は友人、知人。何人かに確認したが誰も持っていないし、心当たりもないという。

 こう書くと素朴な疑問を感じる人もいるだろう。
「大学時代にアルバムを聞かせた友人はどうしたの?」
 いや、あの~。彼、小学校、中学、高校、大学と一緒の親友だったんですけどね、結婚してからまったく交流がなくなって。新居建てたら、年賀状に「お近くに来たときにはお寄りください」と書かないか? 嘘でもいいから!
 お願いしたくなかったんですよ、わかってください、大人の事情を。

 そんなときにまったく予期していないところから天使の声が聞こえてきた。
 紙ふうせんFCの会員、Kさんだった。確かに、同世代だし、永遠のギター小僧2号だし、灯台もと暗し?
 レコードなら持っているとのメールをもらったのだ。

 「はなしと噺の会」のお客さんで来てくれたKさんが小脇に抱えて「'80のバラッド」のアルバムを持ってきた。
 うれしかったなあ。初恋の人と30年ぶりに会った感じ?
 会もうまくいって、その晩は神田の居酒屋で語り合いましたね、赤い鳥と紙ふうせん!!

 休みになって、川口商店街に走った。レコードをCDにしてくれる店があるのだ。
 翌日、聴いた。

 「'80のバラッド」

 1. 翼なき野郎ども
 2. 海をにぎりしめる少年
 3. デトロイト・ポーカー
 4. 裸の町
 5. レイコ
 6. 遠い生活(くらし)
 7. エイジ
 8. 波止場たちへ
 9. 流れゆく君へ

 プロデュースは加藤和彦(アレンジも)。「遠い生活」のみ作詞(作曲は加藤和彦)、他はすべて泉谷しげるの作詞、作曲。エイジとレイコの物語が基本になっている。よって「デトロイト・ポーカー」にもエイジの呼びかけが出てくる。
 このあたりから泉谷しげるはロックに傾注するのだが、このアルバムだけを聴いていると、フォークとの違いがわからない。アレンジとか歌唱法で区別するのかな? 精神世界では以前と何も変わっていないもの。

 やっと聴くことができた「エイジ」。 
 やはりテーマとリンクしている。
 映画「今は偽りの季節」はもともと高校時代シナリオの中で自分を殺そうと思って書いたストーリーを発展させたものだ。最初は主人公が死ぬだけでよかった。しかし、撮影中に気持ちが変わった。
「死は絶対だもの、そんなラストなんて意味がない」
 そこで最後の最後で生き返らすことにした。やはり映画には希望が必要なのだから。
 前夜血だらけで死んだ主人公。フェードアウトして、数秒真っ暗。
 フェードインで早朝。ロング俯瞰で主人公。しばらくそのまま、ふっと主人公が起きだした。背伸びして画面上に消えていく。
 そこに「エイジ」がイン


 映画だったらぜったいそうだ。
 でもミュージッククリップだと、アルバムの中で一番琴線に触れる「裸の街」じゃないかと。

 完成をお楽しみに!

80
泉谷しげる「'80のバラッド」
1980年代はまだまだ未来だった……




 当時の学生8ミリ映画(自主映画って呼んでいたが、そんなタイソーなものではない)の音楽は、既成曲を使用するのが当たり前だった。つまり著作権無視。もちろんコンクールに応募する類のものはきちんと作曲したり、使用許可を得たりしているのだろうが、単に学園祭で上映するのなら、もう使い勝手放題。咎められるなんてことはなかった。

 サークルに入部して、最初に参加したチームの作品の主題歌はローリング・ストーンズだった。もうひとつのチームは山下達郎だったか。前年後期に制作された2本のうち1本はクライマックスで「ロッキー」のあのテーマが流れた。
 その手の曲がここぞというシーンや喫茶店シーンのBGMで流れるわけだ。今から思うと、いわゆる劇伴的な音楽の使い方はなかったような。

 「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」はラストシーンからタイトルクレジットにかけて「同じ時代に」が流れる。柳ジョージ&レイニーウッドのアルバムに収録された隠れた名曲で、シナリオを書いているときから主題歌にしようと決めていた。他の音楽は撮影を担当したUに選曲にまかせた。正解だった。
 「狙われたユニバーシティ」も、ラストのタイトルロール(本当にローリングさせようと考えていた)の曲は考えていた。小室等の「明日」(フォーライフレコード移籍第一弾!)のB面ラストに収録されているギターインスト(タイトル失念)。 あるいはYMOのアルバムに収録された曲(とても静かな落ち着いた曲があったのだ)。そのどちらかを使用するつもりでいた。

 僕はラストシーンの映像と音楽をしっかりイメージして撮影にのぞむタイプ。「今は偽りの季節」のときもイメージはできあがっていた。シナリオでは前夜暴漢と戦って腹(胸)を刺されて死んだ主人公をロングで俯瞰するショット(早朝)でジ・エンド、スタッフ、キャストのクレジットに切り替わる。
 実際に撮影していたら、ロングの俯瞰ショットは変わらないが、主人公を生き返らせていたと思う。生き返らせるというのか、突然起き上がって退場させる。観客が意表をつく展開に「???」になっているところでクレジットになり主題歌がかぶさる寸法。

 その主題歌だが、当初は特に思い入れのある曲がなかった。撮影が始まる前か、すでに撮影に入っていたのか、記憶が確かではないが、友人のアパートに遊びに行ったときに聴かせてもらったのが「'80のバラッド」だった。中に耳を捉えた曲があった。あっ、これ「今は偽りの季節」に使えるなと。
 曲は「エイジ」だったと思う。思う、と書いたのはそのとき一回しか聴いていないからだ。〈エイジ〉とは名前だけど、英語の〈age〉、時代も意味しているのではないかと友人は言った。あらためて歌詞を読むと、内容が映画のテーマにリンクしてくる。

 フェイク予告編を作ろうと思ったとき、この曲を全部流してミュージッククリップ的な構成にしようと思った。ではどんな曲だったのだろうと(お恥ずかしいことに、覚えていなかった!)、YouTubeで調べてみるとない。TSUTAYAで借りようとレンタルCDのコーナーをのぞいたら、泉谷しげるのCDがない。Amazonで注文しようとしたら在庫がない。ブックオフのCDコーナーにもない。ないないないのないないずくし。
 天下の名盤でしょうに! 


 この項続く




 承前

 なぜ、泉谷しげるの「'80のバラッド」を手に入れたくなったのか。
 それは、学生時代に係わった未完成の8ミリ映画に関係する。

 昔、8ミリ映画を撮ることを趣味にしていた。中学時代に撮影して仮編集のままずっと放っておいたドキュメンタリーがあった。社会人になってからテレシネしてビデオになってからまた20年近く。これを新たに構成しなおして完成させたのが「1973 バラキの夏」。中学2年の夏休み、バラキ高原への一泊二日のキャンプを題材にした映像詩である。

 大学時代にも2本の未完成映画がある。「狙われたユニバーシティ」と「今は偽りの季節」。なぜ制作が頓挫したのか、そこらへんの事情について、かつてmixiに書いた。
 問題なのは「今は偽りの季節」だった。クライマックスシーンがないのだから完成させるのは無理。が、素材を使って何か作れないか。たとえば本編のない予告編とか。そうなると音楽が必要だ。そこで「'80のバラッド」なのだ。収録曲の一つをラストに流れる主題歌にしようと考えていたのである。

 ちなみに唯一完成した「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」の〈ゆうずうのきかない自由に乾杯!〉は「国旗はためく下に」の歌詞から拝借している。泉谷しげるの「春夏秋冬」と並ぶ名曲である。

          * * *

 ●1980 冬 「ブラッドハウンド」撮影騒動記 2005/03/29

 1979年春、大学生になった僕は8ミリ映画の制作サークルに入部した。本当は16ミリ映画が作りたくて、映画研究部を狙っていたのだが、学生運動の拠点になっていると聞いてやめた。
 このサークル、カレッジ・ライフ・クラブ(C・L・C)は活動を前期後期と分け、映画を制作していた。最初に監督を希望するメンバーがシナリオを提出し、選出された2本を2チームで映画化する。前年後期の2本、そして前期2本、計4本が学祭の上映会の作品になるのである。
 上映会は無料にしたいがいかんせん設営費を捻出しなければならない。確かドリンク付で100円か200円徴収したと思う。
 1979年の後期、部員が10人もいなかったので、1本制作の体制がとられた。選出されたシナリオは僕の「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」。浪人生の二人組がアルバイトで探偵に扮して盗まれた重要書類を取り返すべく、盗んだ犯人である女性の後を追いかけるという、もろ「傷だらけの天使」を意識したストーリー。
 重要書類とはある大学の入試問題のコピーなのだが、撮影中、実際に某大学の入試問題が盗まれたことがニュースになった。コピーを使用したのが新しい点と指摘されて、時代を先どりしているじゃないかと僕の鼻はちょっと高くなった。
 映画には部員が役者として出演するのが原則だが、メンバーが少なくて、イメージに合う女性がいなかったので、ヒロインには小学校、中学校の同級生Oに客演してもらった。もともと撮影に彼女の部屋を借りる交渉をしていて、どうせなら出演しちゃえよ、となったのだ。彼女、別に演技の経験はないが、そんなことはどうにでもなると思った。それより、彼女の大人びた容姿が絵になるのだと。
 彼女を交えた撮影は当初快調だった。1日目はロケ、探偵が女性を尾行するシーン。2日目は女性の部屋のシーン、主役の男が敵にやられて女性の部屋で手当てを受けるくだり。ここで女性の素性が判明し、なぜ入試問題を盗んだかがわかる。捨て鉢な女性の態度に男が意見して帰ろうとすると女性がほだされて抱きつくカット。別にベッドシーンではないし、そのくらいなんでもないだろうと思っていたら、Oは頑なに拒否する。どうにかなだめすかして撮影した。79年の撮影は終了。残るシーンは翌80年に持ち越された。
 80年になって撮影を再開すると問題が起きた。Oが役を降りるというのだ。冗談ではない。まだクライマックスシーンが残っている。まあ、それはシナリオを変更して女性を登場しなくても成り立つようにできる。しかし、撮影済みの女性の部屋のシーンに繋がる重要な部分だけはどうしても撮影しなければいけないのだ。
 Oは降板を手紙で知らしてきた。夜、アパートに帰った僕は手紙を読んで真っ青になった。電話のなかった僕はとにかくOに会って説得しなければとOのアパートに押しかけることにした。あわてて部屋を飛び出ると駅にむかった。
 交差点の信号待ちでイライラしていると、声をかけられた。
「今、何時ですか?」
 相手が誰であるか、確認する余裕もなかった。腕時計を見て時間を告げる。信号が青に変わることだけ祈っていた。
 立ち去ったと思った相手が、またやってきて耳元でささやいた。
「ねぇ、一緒にコーヒーでも飲まない?」
 そこで初めて相手の顔を見た。やっぱり! おかまだった。普通なら最初に声をかけられていた時点でわかるはずなのに、全然気がつかなかった。それほど切迫していた。
「今急いでいるので」「いいじゃない」「ホント、人に会わなければならないんです」
 そんな問答の最中、信号が青になって、やっと振り切った。
 懸命な説得にもかかわらずOは結局降板することになった。問題のシーンはOから衣装だけ借りて代役をたてて撮影した。後姿、肩越し、できるだけ自然に撮ったつもりだが、ラッシュを見て頭をかかえた。肝心のクライマックスのアクションシーンもすべてを任せていた助監督が退部して、その場のアドリブで撮ってしまう始末。もう散々だった。
 完成した映画はラストシーンだけいいという評価をもらった。終わりよければすべて良し。あの時も、今もそう割りきっている。


 ●1981~82 春になると鬱/映画制作連続頓挫始末記 2005/03/31

 1980年秋、2年生の僕は2作目の「狙われたユニバーシティ」に着手した。
 松田優作の遊戯シリーズに夢中になっていて、あの世界を換骨奪胎して主人公を大学生にSFアクションの体裁で映像化しようと試みた。キャンパスで何でも屋を営む(?)オチこぼれ学生が宇宙連邦のコンピュータによってセレクテッドソルジャーに任命され、地球を狙う宇宙人と対決する話。
 青のつなぎ(強化服)、肩から下げるガンベルトにはレーザー銃といういでたちで、大学構内で敵とのバトルを繰り広げる。レーザーから飛び出る光線は透過光、クライマックスでは武道館が宇宙船になって空を飛ぶなんてことも考えていた。
 宇宙人の外見はダースベーダー風の衣装で仮面をつけているのだが、その裏側は美少女、実は日本が打ち上げたロケットに激突して死亡した恋人の復讐のためにやってきたという本当の理由がわかる。
 映画のテーマはアンチヒーロー。当時、正義のためなんていうお題目でヒーローは戦えるのか、本当はもっと個人的な理由だからこそ命を賭けられるのではないかという思いがあって、お互いが一番大事な人を失ってその復讐のために戦うという構図にしたかったのだ。
 どうにか戦いに勝利した傷だらけの主人公。早朝新宿西口のサラリーマンの雑踏の中にポツンと一人佇んでいる姿を望遠で狙ったカットがラストシーン。続いて蒼く輝く地球をバックにキャスト・スタッフクレジットが下から上にロールする。
 「ブラッドハウンド」は最初にストーリーありきだった。「狙われたユニバーシティ」は最初に映像ありきにしたい。そう考えて撮影に入ったのだが……
 81年冬。母親が脳腫瘍の手術をした。成功したものの術後の経過がよくない。そんなことがあって春をむかえると僕はウツになってしまった。そうなると何もしたくなくなる。撮影は中止になった。
 1981年、3年の僕にとってサークル活動最後の年。ウツから開放された僕は自分の心情を吐露した等身大の大学生を主人公にした「今は偽りの季節」のシナリオを書く。タイトルは「二十歳の原点」に出てくる詩の一節をいただいた。
 単に大学に入れればいいと、興味のない学部に入って、勉強はまったくしない、サークル活動に精をだすものの、何かふっきれない。友人関係もどうもおかしい、そんなところに旧友の飲み会があって、高校時代にふられてそれ以来会ったこともない彼女の親友と親しくなる。何度か会っているうちに親友の気持ちを勘違いして、身体を求めるが拒否される。すべてがいやになるが旧友と酒を飲んですべてをふっきった夜、暴漢に襲われた女性を助けようとして逆に殺されてしまうというストーリー。
 チームの中に主役に適した人がいなかったので、自分で演じることにした。カメラは固定し、主人公の饒舌さを浮き彫りにしたかった。おしゃべりが空回りするところが狙い。また雨のシーンを多用し、傘をさした主人公を心象風景にして、途中途中に挿入する。本当の意味での自主映画に挑戦したかった。
 2年になってからいろいろなことがあった。80年を境に学生気質が変わった。新入部員はみなおしゃれで個人主義。それが僕が3年になって顕著になっていく。それまでの安く長くの飲み会は嫌われた。合宿はペンションで短期間に切り替わった。数多い新入部員の意見が反映された結果である。それが1つ上の4年生には気に食わない。2年生と反目する。間に挟まれ部長の僕はたまらない。3年は僕ともう一人しかいないのだ。先輩の気持ちはよくわかる。本当ならそちらに与したい。しかし今活動しているのは2年、そんなことしたら部が消滅してしまう。
 4年生との中が険悪になった。2年生とも距離をとる。母親は寝たきりのままで回復の兆しがみえない。家の都合で東京のアパート生活もできなくなるかもしれない、大学もやめなければならないかも。さまざまな問題に悩み、サークルの人間関係に疲れてしまった。2度目の鬱が発症。なおかつ今度は重症だった。こうして自作自演の「今は偽りの季節」も中止に追い込まれた。


 ●1982 秋 友の事故死/「明日を知る少年」追悼上映 2005/03/31

 二度目の鬱を完全に払拭できたのは友人Tの死のショックだった。
 82年の秋。鬱がよくなりかけていた僕は渋谷パレス座に大林監督の「転校生」を観に行った。併映はソフィー・マルソー主演の「ラ・ブーム」。「転校生」に感激した僕は数日後また「転校生」だけを観に行き、アパートに帰ってきた。夜も遅い。そこに電話が鳴った。弟からだった。
「お兄ちゃん、Tくんが死んだって」
 Tとは、小学校ではリレーの選手として、中学は陸上部、高校はラグビー部と一緒に汗を流した友人である。小学校6年時に組織した8ミリ映画制作集団の一員でもあり、初の劇映画「明日を知る少年」では主人公を演じてもらった。スポーツ万能で、高校を卒業後現役で筑波大学に進んだ。本当ならすでに大学を卒業しているのだが、大学に籍をおいていると聞いていた。
 その彼が死んだ。僕の驚きは半端なものではなかった。
「どうして!」
「バイクの事故だって」
 夜、雨の中バイクを走らせ転倒、反対車線に飛び出たところを対向車に轢かれたという。
 就職活動用に購入しながら、まったく使用していなかった紺のスーツはTの葬儀で初めて袖を通すことになった。
 過去を悔やみ、死んでもいいと思っていた自分がこうして生きており、卒業後の人生に大きな希望を抱いていたTがもうこの世にいない。その皮肉。葬儀の席で僕はTに誓った。お前の分まで生きてやるぞ。
 自分なりにTの追悼をしたかった。「今は偽りの季節」の中止でプログラムに穴をあけている学園祭上映会が頭をよぎった。「明日を知る少年」は中学時代の作品、ちゃんと音楽も自作(カメラマンのAが作曲)し、アフレコもしたがカセットに収録したものを同調機で合わせるものだった。アフレコも不満があり、特にTの声の演技はなっていなかった。そうだ、「明日を知る少年」のフィルムに磁気テープをコーティングしアフレコし直おそう。絵と音が一緒になった完全版を作ろう。声の出演を「今は偽りの季節」のメンバーにすれば代替作になる。 
 直ちに作業に入った。
 音楽はオリジナルテープがないので、バイトで一緒に働く高校生のつてを頼って、バンド活動している友人をスタジオに連れて行った。同調機用音テープを聴いてスタジオで演奏してもらって収録した。また効果音的なBGMが足りないので「今は偽りの季節」のスタッフ(ピアノを弾ける女性)がいたので、彼女にイメージを伝えて、3曲ばかり作曲してもらった。
 通常C・L・Cの映画は放送研究会のスタジオを利用してアフレコするのだが、そんな余裕はない。メンバーの部屋に映写機(プロジェクター)を持ち込んで作業を行った。しかしこれがうまくいかない。雑音が入って声が収録できないのだ。結局その日のアフレコは中止せざるをえなく、かといって皆のスケジュールを考えると再度できるかどうかわからない。
 秘策を考えた。バイト仲間でアフレコをしたのである。
 場所はバイト先の店。もちろん店長には内緒。店を閉めてからテーブルにプロジェクターを設置、店の白い壁をスクリーンにして映写して録音していった。Tの声およびチョイ役は僕、ほかをバイト仲間があてた。夜の11時からはじめて、終わったのは夜中の2時頃だったろうか。アフレコなんて初めての経験なのに、皆楽しみながら挑戦してくれ、結果音は悪いがかなり上手くできあがったと思う。
 上映会では「あのNHK少年ドラマシリーズの感動がよみがえる!」のコピーが効いた。この映画目当ての客もいたらしい。
 久しぶりにフィルムをいじり、アフレコを体験した僕は映画作りへの情熱がよみがえってきた。
 何とか「今は偽りの季節」を完成させたいと思いはじめていた。


 ●1983 春 就職浪人/「今は偽りの季節」撮影再開 2005/04/01

 学祭と前後するが話はまだ82年の秋。
 当時会社訪問の解禁日は10月1日だった。友人たちは夏休み前から就職活動をしていたが、僕は鬱のため何もできなかった。精神状態がおかしかったということもあるが、一般の企業に全然興味がなかったのだ。
 1日もずっと部屋に閉じこもり、会社訪問解禁のTVニュースに少々焦りを感じていた。にもかかわらず夜はTV放映の「七人の侍」に興奮していた。スーツ姿できめた友人が部屋にやってきて、TVに呆ける僕の姿にあきれていたっけ。
 だが、このときはっきり自分の道を決めていた。映画会社は無理にしても映像の制作会社に就職したい。CFだったら35ミリの撮影や編集の現場に参加できる。そう考えていくつかの制作会社を受けた。
 第一志望のCFプロダクションの第2次試験までは進んだ。第一次試験は作文と筆記、どうなることかと思っていたら、第二次試験の知らせの電話があって歓喜した。写真からイメージされる商品とそのキャッチコピー、商品の絵コンテが課題。その後面接。幹部(社長?)の一言に意気消沈となった。
「君はね、筆記全然できなかったんだ。でも作文が面白かったから2次に呼んだんだよ」
 これはその後の試験でもいえることだった。作文があると必ず通る。でもそれだけ。
 1983年春、就職浪人することになった。
 親に対しては半年間シナリオの勉強したい、そのため学校に通いたいと言い訳した。もちろんすべて自分のバイト代からの捻出だ。昼はバイト。夜は週2回にシナリオ講座へ通った。そして中断していた「今は偽りの季節」の撮影を再開することに。
 スタッフはサークルの1年下の後輩ふたり。一人(男)は部内のゴタゴタに嫌気がさしてずいぶん前にやめていた。もう一人(女)は4年になってフリーになっていた。ふたりともメインキャスト。出演しない時はカメラをまわす。基本的には僕を含めたこの3人がスタッフ&キャスト。その他の出演者はバイト仲間やその友だちにお願いした。
 撮影は順調に進んでいた。
 
 高校時代、突然別れを告げられた彼女が目の前に現れた。そして主人公にささやく。
「わたし、妊娠しているの」
 驚いた主人公が彼女に問いただす。
「本当なのか? 誰の子だよ」
 彼女はにっこり笑って「本当だと思う?」
 彼女の笑顔。突然あたりが白くなっていき
 ……夢から覚める主人公。メインタイトル。

 こうして始まる映画のほぼ8割は撮影した。
 劇中にインサートするスチール用にふたりで制服を着て記念撮影もした。
 ほぼ全体像が見えてきたのでクライマックスシーンの撮影に挑んだ。
 夜、公園で血まみれになって激しい格闘を繰り広げた。照明は遠くから友人の乗用車のライトを利用した。かなり迫力ある絵が撮れたと思った。が、これが大失敗。ラッシュをみたら何も写っていなかった!
 この時は再撮するつもりだったが、秋になって、環境が変わった。それまでのカレー店からスライドの制作会社へ、業務時間も不規則になって、いつのまにか映画の撮影から遠ざかってしまった。こうして「今は偽りの季節」は未完に終わったのだった。45分におよぶ仮編集の8ミリフィルムを残して。
 もし「今は偽りの季節」が完成していたら、自主映画にもう少し関わりあいをもっていたかもしれない。日記に個人的にプロダクション(ユニット?)を作ろうと書いたこともあるからだ。その頃、着る服がいつも青か白だったこともあって「ホワイト&ブルー」という名称も考えていた。
 ただそういう個人的な活動よりも、とにかく職業として映像にかかわろうという気持ちのほうが強かった。
 で、84年3月、念願のCF制作会社に就職することができた。このときの面接では、「明日を知る少年」のフィルムを自分の作品として提出した。それが功を奏したのか、採用2名のうちの一人になった。
 2年後、同棲の破局から失意の1年をすごし、それが躁という形でとんでもない結果を招くなんてこと、夢いっぱいの僕が知るわけがない。
 鬱より躁がどれだけ大変な症状か、ひどいか。それはまた別の話……


 この項続く




 泉谷しげる。
 今ではベテランの部類にも入れる役者である。一クセどころなんてものではない、二クセ、三クセある破天荒男を演じさたら、他の追従を許さない。今の若い世代の認識はそういうものだろう。
 これが四十代半ば以上の世代ならば、彼がフォークから出発したシンガー・ソングライターであること、ミュージシャンであることをしっかり記憶しているはずである。フォークに疎くても「春夏秋冬」ぐらい耳にしたことがあるはずだ。
 最初に聴いたのはライブアルバムで「黒いカバン」のハチャメチャさにぶっ飛んだ。誰かに聞いたことがある。泉谷はチューニングができないんだって。だから微妙にギターが音が狂っているらしいよ。都市伝説だったのか?

 小室等、吉田拓郎、井上陽水とともにフォーライフ・レコードを設立する。そうか、泉谷しげるはフォーク界の四天王だったわけか。
 当初は精力的にアルバムをリリースするが、すぐに脱退してしまう。いったい何があったのか。
 このころ、キネマ旬報に自身のイラストを添付したエッセイを連載していた。もともとマンガ家志望でもあったのだ。テレビ朝日「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」で犯人役に抜擢され、注目を集める。このときは、あくまでも歌手がキャラクターを買われて出演しているに過ぎなかった。

 そういえば、タイトルは忘れたが、吉田拓郎もあるスペシャルドラマにAD役で出演したことがあった。アイドルの浅田美代子と共演。確か浅田美代子は売れないタレントか何かを演じていた。彼女がやっと出演することができた番組(ドラマだったか?)のADが吉田拓郎。せっかく出演したのに、編集でカットされ、それに怒った拓郎が編集したビデオテープを捨ててしまう。そんなストーリーだった。ふたりはこのドラマが縁でその後結婚する。

 閑話休題。
 泉谷しげるを真剣に聴いたことがなかった。聴いたことがないから、CD市場における泉谷しげるの扱いがわからなかった。人気者なのだから、過去のアルバムはみなリリースされているだろう、少なくてもレンタル店や中古店には揃っているだろう。そうと思っていたのだ。
 理由があって、1970年代後半にリリースされ、名盤として名高い「'80のバラッド」が探してみてわかった。中古店にもレンタル店はもちろんのこと、ネットのオークションでも見つけだすことができなかった。

 こうして僕の「'80のバラッド」を探す旅が始まった。
 昨年の春のこと。


 この項続く




 昨日、義父危篤の報が入ってかみサンと娘はその日に大分に向かった。
 僕は上司T氏の送別会だった。半年前までの室長。年齢的にはもう何年も前に定年を迎えているのだが嘱託で会社に残っていた。お世話になった。何かと僕に目をかけてくれたのだが、結果的に期待に応えられなかった。
 「記憶する力 忘れない力」(立川談四楼/講談社+α新書)を今日読了してなおさらその思いを強くした。「いろいろあったけれど、俺はやってきたよ。結果だしているよ。お前はどうなの?」 高校の大先輩でもある師匠の言葉が行間から聞こえてきて……。

 帰宅したらかみサンから電話。「持って今週中だって」
 今朝早く電話があった。「お父さんが亡くなった」
 明日新幹線で大分へ向かう。
 しばらく留守にします。

 予定を変えて前項の追記。 
 ミュージックバトンの質問の一つに〈今聴いている曲〉があった。05年当時に聴いていたというより、1年のうちでたまらなく聴きたくなるということで以下の2曲を。
 なぜショーケンと紙ふうせんなのか。これは自分でも不思議に思っている。
 ただ、もうずいぶん前になるが、東京で紙ふうせんのコンサートがあったとき、打ち上げの席で、バックのベーシスト(東京のライブのときにだけ呼ばれていた方)が言った言葉が耳に残っている。中学時代フォークブームだったから、フォークには思い入れがある、でも、どちらかといえばロックの方が好きなんです、今でも追いかけているのは赤い鳥と紙ふうせんだけ。そんな僕の言葉に対して彼は言った。
「後藤さんは、ロッカーだもの」

 今気がついた。playingって聴いているの意味があるのだろうか? どちらかというとギターや何か爪弾きながら歌うイメージがあるのだが。

 日本テレビで山田太一ドラマスペシャル「遠まわりの雨」。中年の愛の物語。主演の渡辺謙は同い歳、舞台は蒲田。渡辺謙の本当の職場は前橋(群馬)。またいろいろ考えてしまうんだろうな。


          * * *

 Song playing right now

54日間待ちぼうけ by 萩原健一

 亭主(ショーケン)が大麻でつかまった時のことを女房(いしだあゆみ)の立場でショーケン自身が詞を書いた。作曲は篠原信彦氏。
 再起した直後にリリースしたアルバム「THANK YOU MY DEAR FRIENDS」に収録されている。別名「Someday’s Night」。
 別に大麻のことも留置所のこともでてこないが、待たされる女の孤独が言葉の隅々に漂っている名曲。傑作ライブ「ANDREE MARLRAU LIVE」では歌詞を大麻や警察そのものに代え自虐ソングになっている。当然聴衆は拍手喝采。
 2年前にリリースされたベストアルバム「ENTER THE PANTHER」(黒版)は就寝時にヘッドフォンで聴いている。
 カラオケに行くと必ず歌う。


まつり by 紙ふうせん

 元赤い鳥、今は紙ふうせんの後藤悦治郎氏の代表曲を3つ挙げると、「紙風船」「まつり」「ワンマンバンド」になる。あくまでも個人的な考えだが。もう1つ加えるならば「街を走りぬけて」。「紙風船」以外たぶん知られていないだろう。聴けばわかってもらえると思う。
 赤い鳥時代ではアメリカ録音がウリの「美しい星」、紙ふうせんになってからはファーストアルバム「またふたりになったね」に収録されている。「またふたりになったね」バージョンはとてもシンプルなアレンジ、にもかかわらず心に染み渡る。
 今考えているインディーズムービー「ウルトラマンに花束を」のエンディングテーマと勝手に決めている。
 結成30周年を記念してリリースされた2枚組ベストアルバムもこれまた毎晩のように聴いている。




 最近、TVでmixiのCMをよく見る。宣伝というより税金対策のように思うのはオレだけか。だって、口コミで広がっていくものでしょう、この手のSNSって。もしかして格付けの一環だろうか。

 現在の会員が300万人とか耳にした。4、5年前の10倍に膨れ上がっている。娘もハマっているみたいだ。ある年齢層に限定したらほぼ全員が登録しているのではないだろうか。
 帰宅途中の電車で隣の若い女性が携帯電話をチェックしていた。別に見る気はなかったが、mixiの文字が目に入ってきた。
 昨日読了した「巡査の休日」(佐々木譲/角川春樹事務所)は「うたう警官」(「笑う警官」)から始まる道警シリーズ第4弾。この小説にもmixiが出てくる。固有名詞は避けているけれど。

 mixiをやり始めた年(05年)、ミュージックバトンなるものが回ってきた。音楽に関する5つの質問に答え、次の5人を選んでバトンを渡せというもの。ブログ上のチェーンメールみたいなものか。
 そのうちの「よく聴く、あるいは思い入れのある5曲」は十代のころの音楽への関わり具合がよくわかる。


          * * *

Five songs I listen to a lot, or that mean a lot to me

メロディ・フェア若葉のころ by ビー・ジーズ

 小6のとき、フジテレビ「スター千一夜」の番組枠に流れるCMにくぎづけになった。自分と同じ年頃の少年少女が登場する外国映画のシーンに日本語の歌が流れる旭化成のCM。その映像とBGMに心惹かれるものがあった。
 映画は近日公開予定の「小さな恋のメロディ」。
 クラスで話題にすると、映画の主題歌のレコード(シングル)を持っている友人がいた。ビー・ジーズとの出会いはクラスメートの家だった。CMで流れているものとは違うけれど、とても気に入った。この曲を聴くために父親のトランジスタラジオを取り出しては「ラブ・サウンズ・スペシャル」なんていう番組にダイヤルを合わせたものだ。

 私にとって
  ビー・ジーズ=市川崑
  ビートルズ=黒澤明
 である。どっちが好きかと問われたら、「ビー・ジーズ」と答えたい。
 
 ちなみにCMで流れていた曲はトワ・エ・モアがうたったものだと最近ネットで知った。


花・太陽・雨 by PYG

 同じく6年生だった。特撮ヒーロー番組「帰ってきたウルトラマン」に、後にファンの間で〈11月の傑作群〉と呼ばれる4エピソードがある。そのうちの1編「許されざるいのち」のラスト近くに流れるロックバラード。
 タイガースとテンプターズとスパイダースの残党で結成されたロックバンドPYG。そのシングル曲だなんてことを知ったのはこの10年の間で、長いこと幻の名曲だった。
 だいたい子ども番組でこの手の曲が流れることが珍しい。衝撃的だった。主人公(郷秀樹)と幼なじみだった敵役マッドサイエンティストの回想シーンとうまくマッチして、まるで青春映画の1シーンみたいで。
 ショーケンのバックバンドでギターを弾く速水清司氏が自身のライブで必ず披露してくれる。
 最近カラオケにも入った。
 作詩・岸部修三/作曲・井上堯之。岸部修三は現在俳優・岸辺一徳として活躍している。タイガース時代はサリーの愛称でベースを弾いていた。PYGでもベース担当だったが、才能の限界を知り、俳優になったという。


誰かが風の中で by 上條恒彦

 これも6年生だ。年が明けて72年の正月からTV時代劇「木枯し紋次郎」が始まった。土曜日の夜10時半といえば、12歳の少年にとっては遅い時間帯。自分の部屋で「さあ、寝ようか」という頃に必ずこの曲が流れてきた。茶の間で父親が観ていたのである。気になって気になっていつのまにかTVの前に座っていた。
 オープニング、黒バックに「市川崑劇場 木枯し紋次郎」の青い文字が決まっていた。タイトルバックは今観ても決して古くない。
 初めて買ったレコードでもある。
 作詞・和田夏十/作曲・小室等。和田夏十は市川監督夫人でシナリオライター。小室等はその前に「出発の歌」でその名を覚えた。 
 このコンビは市川崑監督のTV時代劇第2弾「丹下左膳」の主題歌「かげろうの唄」も担当していて、小室等自身がうたっている。この曲もお気に入り。
 どうでもいいことだけど、私にとってはコムロといったら音楽では小室等、コミックでは「ワースト」の小室孝太郎のことなのだ! 哲哉じゃないぞ。


一人 I STAND ALONE by ××××

 中学3年生。TV映画の名作「傷だらけの天使」の25話、26話(最終話)に流れる。物悲しい曲で、聴いたとたん15歳の少年のハートを突き刺した。誰の曲なのか? 誰の歌唱なのか? (私の中で)謎だった。

 高校3年生になると、ショーケン自ら設立したプロダクション、ニーディー・グリーディー制作「祭ばやしが聞こえる」というTV映画が始まった。競輪選手を主人公にしたドラマでいしだあゆみとの共演(これが縁で後に結婚)。テレビ映画の常識を打ち破って劇映画と同じ35ミリフィルムで撮影された。
 この主題歌を柳ジョージ&レイニーウッドがうたっていて印象深かった。レコードを買いに行くとファーストアルバム「TIME IN CHANGES」があった。なんと「一人」が収録されている! もちろんオリジナルではないのはわかっていたが。何度も何度も聴いた。
 柳ジョージ&レイニーウッドはその後ショーケン主演のTVドラマ「死人狩り」でセカンドアルバムに収録されている「WEEPING IN THE RAIN」の歌詞を英語から日本語に変更し「雨に泣いている」として使用され大ヒットを飛ばすことになる。

 5、6年前「傷だらけの天使」のサウンドトラックCDがリリースされているのを知ってあわてて購入した。ボーナストラックとして「一人」も収録されていた。作詞・岸辺修三/作曲・井上堯之。
 CDのライナーノーツには最終回使用曲を収録と書かれている。オリジナルは井上堯之だったのか! 大野克夫だとばかり思っていたのに(そんな情報をどこかで仕入れていた)。ところがところが。ネットで調べたら本編で流れるバージョンはデイブ平尾がうたったものとある。
 真相やいかに? 


私は風 by カルメン・マキ&OZ

 カルメン・マキ&OZの代表曲。ファーストアルバム「カルメンマキ&OZ」に収録されている。
 ファーストアルバムを購入するきっかけは大学1年時に「太陽を盗んだ男」を観たことだが、ずいぶん前に日立(だったと思う)のCMに衝撃を受けたことも大きい。
 歌舞伎役者が踊るバックに流れ、その映像と音楽のミスマッチぶりにいたく感激した。ホント、かっこよかった!
 作詞・Maki Annette Lovelace(カルメン・マキ)/作曲・春日博文。




 昨日(もう一昨日だけど)、地元のシネコンで「インビクタス 負けざる者たち」を観る。クリント・イーストウッドの新作。
 テーマや本筋とは離れるが、南アフリカ訛りの英語が印象深かった。南アフリカ訛りといっても、簡単なものではない。あの国には11の公用語があるため、人物それぞれの訛りがあるのだ。あくまでも例だけど、ドイツ語っぼい訛り、フランス後っぽい訛り。 モーガン・フリーマンやマット・デイモンがわざと訛った英語をしゃべっているのが面白いというか何というか。
 これって、日活映画「戦争と人間」で日本人俳優が中国人や韓国人に扮し、あちら訛りの日本語をしゃべっているのと同じだと思う。
 で、そんな訛りがあるほうが、英語が聞き取り易いのだ。字幕が必要なかったもの。そりゃ、全部が理解できるわけではないですよ。でも、短いセンテンスだと、字幕見なくても理解できるんですよ、ほんとの話。

 以下、全然関係ないけれど、またmixiからの転載です。


          * * *

 ●君は「太陽を盗んだ男」を聴いたことがあるか? 2007/05/09

 1979年、「太陽を盗んだ男」という映画が公開された。中学の理科教師が原爆を作り政府を脅迫するという破天荒な内容。主演は沢田研二と菅原文太。監督は、デビュー作「青春の殺人者」で映画賞を総なめにした長谷川和彦。
 ヒット曲を連発して歌謡界のトップに君臨していたアーティスト、「仁義なき戦い」「トラック野郎」で脂が乗り切っていた映画俳優。このあっと驚く二大スターの共演、しかも当時の日本映画としては考えられないアクションとカーチェイスが展開されるというので公開前から大きな話題を呼んだ。

 TBSラジオ「パック・イン・ミュージック」火曜深夜のパーソナリティ、林(ミドリブタ)美雄が惚れ込んで番組で盛んにバックアップしていたのを思い出す。高校時代に「青春の殺人者」に感銘を受け、また林美雄のファンだった僕もロードショーを今か今かと待ち望んでいた一人だった。
 メディアは大絶賛。にもかかわらず興行は惨敗だった。

 音楽が琴線にびんびん触れた。井上堯之が手がけた数々の映画音楽の中でもベストといえるのではないか。当然サントラ(LP)を買った。カセットテープに録音して繰り返し聴いたものだ。
 今はラジカセもなく、もう耳にすることができない。CDにならないかなぁ、なんて思っていたら、なっていたんだ、これが。あわててAmazonに注文した。
 音楽に造詣がないからとてももどかしいのだが、「太陽を盗んだ男」の音楽を一言で表現すれば、フィージョン系になるのだろうか。チャック・マンジョーネ(「フィール・ソー・グッド」)とか、キャセイ航空のCM音楽とか、あの手の清々しく軽快で洒脱な楽曲とダブるものがある。
 当時は知る由もなかったが、70年代後半から80年代にかけてかなり流行ったとおぼしい。数年前初めて観た田宮二郎主演のTVドラマ「白い巨塔」(フジテレビ/1978)のテーマ曲(渡辺岳夫)もまさしく同じイメージだった。

 オープニングの、ジュリーが双眼鏡で東海村原子力発電所を眺めるショットに流れるメインテーマ。何度も繰り返されるピアノの旋律が印象的。菅原文太の登場シーン、ジュリーと池上季実子の出会い、首都高のチェイスシーン、さまざまな映像が音楽とともに蘇ってくる。
 映画の後半、デパートのトイレでジュリーが被曝したことを知ってパニくるシーンがある。バックに流れるピアノソロがとても素敵なメロディ一なのだが、なぜか収録されていなかった。レコードの時も今回も不思議に思えてならない。(別アレンジのものは収録されているが、断然ピアノソロの方がいい。)
 今回CDで知ったのだが、アレンジが星勝だった(一部作曲も)。元モップスのギタリスト、ボリドール時代の井上陽水の名パートナー(編曲)。
 「太陽を盗んだ男」サウンドに、この人のセンスもかなり貢献していると思い知らされた。

 CD化にあたり、レコードでは収録されていた劇中の台詞部分が版権の関係ですべてカットされているのが残念だ。先日逝去した北村和夫(警察庁長官役)なんてとてもいい味だしているのに。
 その代わり劇中に挿入された既成曲がボーナストラックとして追加されているのがうれしい。
 その中で特に思い出深いのがカルメン・マキ&OZの「私は風」。日立のTVCMで知っていたこの曲を、この映画で聴いてから収録されているファーストアルバムを購入し、結局すべてのアルバムを買い揃えたのだった。劇中流れたのはライブバージョンだったのか。
 版権の関係で無理なことは承知でいうのだが、できればボブ・マーリーの「Get Up,Stand Up」も収録してほしかった。液体プルトニウムの固体化に成功したジュリーが一人缶ビールで祝杯をあげる際、ラジオからこの曲が流れ、一緒になって歌い踊るシーンは秀逸。日本映画史に残る名場面だと断言できる。
 そんなわけでここ毎日の就寝時は「太陽を盗んだ男」のサントラに淫している次第。



 【追記 2011/07/12】

 久しぶりに「太陽を盗んだ男」の1シークエンスを観た。YouTubeにUPされていたので。
 それで間違いを発見した。ジュリーが歌い踊るは原爆が完成したときだった。




 25日(月)は大口広司追悼ライブだった。
 ショーケン「トーク&ミニライブ」のビフォア・オフ会(?)ではショーケン登場のサプライズがあると囁かれていた。
 「トーク&ミニライブ」終了後のアフター・オフ会(?)お開き寸前のこと、Mさんに「ショーケンのサプライズはないって、どうします?」と訊かれた。「もちろん行きます!」と答えた。ショーケンのサプライズがあろうがなかろうが、久しぶりにGHQを感じたくて。
 翌日チケットを購入する段になって、当日のスケジュールが危うくなった。結局NG。残念無念。
 Mさんごめんなさい!

 初めてのGHQ体験に衝撃を受けた僕とTさんは、翌年2月のライブに足を運んだ。GHQ出演の情報を得たのだ。
 インディーズ映画の上映会が縁で、カヒロバンド、Goddessという毛色の違うロックバンドと知り合うことができ、どちらも自分の琴線に触れる音だったので、ライブがあるたびに通った。今はどちらのバンドも活動していない。Goddessは念願のワンマンライブのあとに解散してしまった。Voの水木ノアさんがソロで活動しはじめた。カヒロバンドはバンドからふたりのユニット(Vo+ギター)になって活動している。

 以下、mixiに書いたレビューです。


          * * *

 ●10月の嵐の夜が忘れられずに 2007/02/07

 昨日、定時で会社を飛び出して四谷Outbreakへ。
 昨年の10月6日、嵐の夜にこのライブハウスで心震える出来事があった。
 あのGHQが再び四谷Outbreakにやってきたのだ!
 この情報を教えてくれたのがTさんだった。バンド活動しながら立川流の高座通いも怠らない、粋でいなせな兄さんは「立川談四楼コミュ」管理人。ロックと落語を秤にかけりゃぁ、愛する女房と娘が一番さとばかりに、最近は師匠の独演会とカヒロバンド、Goddessのライブでお会いする。

「行きますね?」
「もちろん!」
 19時半前、会場に到着。中に入るとパイプ椅子がずらりと並んでいた。約40席。いつもはスタンディングなのに、どうして? この日は〈店長秋元生誕記念祭 ~The Sound Of World~〉と銘打たれたライブ。店長は53歳。たぶん同世代の仲間が集うための配慮ではなかったか。
 Tさんの姿を探すがいない。ライブが始まるころには来るだろうと、ステージ下手前の二列めの席を陣取った。篠原さんのプレイをじっくり見るため。
 ライブが始まっても、Tさんは来ない。仕事が長引いているのか。もしかしてNG? だったら最後まで一人。一人のライブハウスは初めての経験だな、なんて思いながら、トップバッターのステージに神経を集中させていく。


 ■shojiro-Jr

 松山ケンイチのギター(&ヴォーカル)、スマイリーキクチのベース、今田耕司のドラムス。のように見えたんだよ、ほんと。松山くんとキクチくんが兄弟で、お父さんと店長が同世代だとか。
 若いのにかなりのテクニシャン。ただし演奏にヴォーカルが負けていて、歌詞がほとんど聴きとれなかった。

 ■三文役者

 店長自らドラムを叩くユニットバンド登場!
 驚いたのは、中央の女性ヴォーカルをはさんで、楽器がドラムスとベースだけという編成。ギターのいないバンドなんて初めてだ。ところが音に遜色ない。声量のある山下久美子風ヴォーカルと見事にマッチしていた。
 休憩時にやってきたTさんがさかんに感心している。

 ■GRANITE HOUSE

 前2組が3人という異色な(でもないか)編成だったので、このバンドが大所帯に見えた。
 ヴォーカル(&ギター)、ギター、ベース、キーボード、ドラムスのパワフルバンド。平均年齢はかなり高めだ。ちょっと泥臭くて、そこがまたいい。
 ヴォーカルは長髪の後藤(悦治郎)さんに、内田裕也の霊が宿ったような風貌、しぐさ。内田裕也ぴんぴんしてるけど。
 左耳に手をかざして歌う姿は、まるで、テンプターズ時代のショーケンか、ビー・ジーズのロビン・ギブか。はたまたロック界の鶴田浩二、か。
 その隣、陽気にギターを弾くアフロヘア(?)はつのだ☆ひろ? もしくはパパイヤ鈴木? そのテクニックは半端じゃない。
 客席から「タニヘイ!」のかけ声がかかると、Tさんがすばやく反応した。
「もしかして 子供ばんどの!?」
 このタニヘイさんが、店長の誕生日、年齢を肴にMC。
「昔いたバンドのリーダーが、俺は50歳になってもロックやってんだ、なんて熱く語っていたけど、今、何しているんでしょうね」
 リーダーがうじきつよしだったことをTさんに教えてもらった。確か「あいつがトラブル」というドラマで俳優うじきつよしを見たような気がする。調べたら同じ1989年に「226」にも出演している。どちらもショーケン絡みじゃないか。
「まるで、10月のときのkeiさんみたいな心境ですよ」
 そりゃ、そうだよ、Tさん、高校時代に子供ばんどのコピーやってたほどなんだから。大いに感激しなさい。でもさ、それほどのファンなら、どうして登場してきたときにわからなかったの?

 ついでに記すと、ベースは無表情な石原良純だぁ。

 ■GHQ

 まるで苦にならない大音響。全身に音楽を浴びて、毛穴が全部ふさがれてしまう感覚。女性ヴォーカルの声も、パーカッション(今回はヴォーカルが兼任)もちゃんと耳に届く。すごい快感。今回も完全に瞑想トリップした。聴くというより感じる音楽だと思う。優雅で激しいギター、疾風怒濤のベース、シャープでクリアなドラム。そんな中にあって、始終クールな篠原さんの指先の遊戯に注視した。 
 アンコールの声がかかるのも当然だろう。まあ、予定の行動なのかもしれないけれど。一度ステージ袖に下がったメンバーが再びやってきて、女性ヴォーカルが言うことには「篠やんに歌ってもらいます」。わお!

 GHQの次回のライブは3月2日(金)、Goddessとの共演(業界用語で対バンっていうらしい)。
 INFOを耳にしたTさんの声が曇った。
「3月2日はポプラ寄席ですよ」
 えっ! そうだっけ? 「抜け雀」はどうしても聴きたい。ノアさんの歌声も聴きたいしGHQも感じたい。同じ四谷でやることだからはしごできないわけではないところが救い。イタリアンはあきらめるか。
 あっ、翌3日はカヒロック座だ。うーん、体調には十分気をつけよう。




 井上堯之さんが引退されるという。あまりに突然で信じられない。とてもショックだ。
 今月17日(土)に地元川口のライブカフェで行われるライブを楽しみにしていたのに

 2006年の9月、井上さんのコンサートに初めて足を運んだ。コンサート終了後、楽屋に伺って雑誌「まぐま」を手渡しときの感激、後日郵送されてきた直筆の礼状、天にも昇る心境だった。
 今年も17日のライブを皮切りに、全国ツアーが敢行される予定だった。そのすべてをキャンセルしての引退発表。いろいろ詮索したくなるが今は何も語らず。
 今度復刻される「青春の蹉跌」「雨のアムステルダム」のサントラCDは宝物になるだろう。
 井上さんが手がけた映画(TVドラマ)音楽(テーマ曲)を新たなアレンジで集大成したCDをリリースすればいいのに、とずいぶん前から考えていた。素敵な曲がいっぱい揃うと思うのだが。

          * * *

 ●「青春の蹉跌」ありがとう! 2006/09/18

 今年の初めミュージシャンが書いた本を2冊読んだ。1冊は「自暴自伝」(村上・ポン太・秀一/文藝春秋)、もう1冊は「スパイダースありがとう!」(井上堯之/主婦と生活社)。

 「スパイダースありがとう!」ではいろいろな発見があった。井上さんがアイドル系グループ(3人組というところからスリーファンキーズみたいなものか)でデビューしていること、スパイダースのメンバーになってからは、最初ギターがヘタで、特訓を重ねたとか。驚いた。

 井上堯之という名を知ったのはショーケン主演のTVドラマ、映画の音楽担当者としてだった。スパイダースのギタリストだったことを知ったのはその後だ。
 井上さんの、最初の映画音楽の仕事が「青春の蹉跌」だった。「スパイダースありがとう!」でそれを知り、ある思いが生じた。
 実は(中学生時代に)洋画音楽に夢中になっていた僕が、ショーケンの主演ということでこの映画を観て、最初に感じたのが音楽の良さだった。サブカル・ポップマガジン「まぐま」に連載している「小説と映画のあいだに」で「青春の蹉跌」を取り上げ、まず最初にそのことを綴った。
 井上さんが書いた映画音楽にしっかり反応した中学生がいたこと、そのことを知ってもらいたくて、どうしても井上さんに「青春の蹉跌」の文章を読んでもらいたくて、掲載された「まぐま」を渡したくなった。

 16日(土)、井上さんのコンサートが西東京市保谷こもれびホールであった。
 コンサート終了後、スタッフ(の中で責任者らしき人)にその旨告げると、「じゃあ、楽屋にどうぞ」。
 井上さんに直接手渡せた。握手を求められた。
 大感激!!!




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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