昨日(4日)、念願の佐原散策へ。
 佐原を知ったのは20年以上前のこと。セガの映像事業部時代、営業で千葉へ行った。社用車で1日走り回ったのだが、そのとき通り過ぎた街が佐原だった。
 市川崑監督の金田一シリーズに登場するような街並みに心和んだ。
「今度、ゆっくり佐原の街を歩いてみよう」
 そう思ってからずいぶん時が経ってしまった。

 東京駅から総武線の快速で成田へ。成田から成田線で佐原へ。
 ちなみに佐原は〈サハラ〉ではなく〈サワラ〉と読む。
 東宝特撮映画やTV「ウルトラQ」でお馴染みの俳優、佐原健二は〈サハラケンジ〉だよね?
 この読みを知らないと、こんなやりとりを友人とすることになる。
「佐原って行ったことある?」
「サハラって、サハラ砂漠?」

 川越がそうであるように、佐原駅前からあの街並みが続いているわけではない。
 さて、どこへ行けばいいのか。
 観光案内所で散策地図を入手しようとしたら、それらしきものが見当たらない。待合室に観光スポットを記載したチラシ(?)があった。それによると小野川沿いが目当ての場所らしい。
 では小野川に向かおうと矢印の方へ歩き出したのだが、道は途中でなくなっている。矢印はもうない。仕方ないので商店街のある通りへ出て、小野川があるらしい方向に歩く。が、全然川にぶつからない。

 ひなびた商店街を歩くこと十数分。ほんとに目的地にたどり着けるのかいなと思っていると、木でできた蔵が。そんな蔵を初めて見た! そこから少し行くと、「東京バンドワゴン」の看板を掲げた喫茶店があった。少し休憩することに。
 年配のご主人は話好きだった。
 満州から引き揚げてきたという。そのとき履いていた靴が店に飾ってある。今の感覚からしてもかなり上等なものでかわいらしい。
 ピンときて訊いていた。
「『どこにもない国』観ました? NHKのドラマ」
「いや、私、TVって観ないから」
 タバコを喫いに灰皿のある中庭へ出ると、そこが表玄関から入る庭だった。道路に出て改めて店をながめると〈遅歩庵〉という看板があった。こちらが正式名称らしい。
 〈伊能〉の表札もあったからその理由を訊くと、
「伊能家の本家なんですよ。(忠敬の)家は分家なの」
 そうなんですか!

 裏の入口に掲げられている〈東京バンドワゴン〉の看板は同名のTVドラマのロケの際に使われたもの。撮影が終わってもそのまま掲げられていて、今では亀梨和也(ドラマに主演した)のファンの聖地になっているとか。
「私、亀梨さんを知らなくて、〈きなし〉って言ったら笑われてね」

 店を後にして、小野川の反対側にある伊能忠敬の旧宅を覗く。なんと入場無料なのだ。

 昼食をとってから小野川に沿って歩き観福寺へ向かった。鑑福寺には伊能忠敬の墓がある。この墓には忠敬の爪と毛髪が収められている。

 また小野川に沿って上流に向かって歩く。
 おみやげ屋があったので中に入る。
 壁に、佐原でロケされた映画、ドラマの撮影スナップが貼られていた。
 へぇ、二宮和也主演の「坊っちゃん」もそうなのか!
 そういえば、喫茶店の主人が言っていたな、佐原はギャラリーが少ないのでロケしやすいって。

 スナップを一つひとつ眺めていると、突然「ウルトラマンダイナ」の写真があった。スーパーGUTSの隊員たちが揃っている。
 ダイナも佐原でロケしたことがあったのか? そんなエピソードあったかな?
 キャプションを読んで驚いた。

 カリヤ隊員(加瀬尊朗)は当家の三男坊です。

 え~!! カリヤ隊員の実家だったのか。
 特製のしょうゆ飴と茹で落花生を買った。

 今回、佐原を訪ねて疑問に思ったことがあった。
 佐原って佐原市ではなかったか? 確か以前はそうだったはず。
 ところが今は香取市佐原なのだ。なぜ?
 観福寺から戻ってくる途中、某小学校のフェンスで掃除(?)をしていた男性に質問してみた。
「佐原市とまわりの町が合併したんですよ」
「あっ、平成の大合併のときですか!」
「でも、普通なら合併しても佐原市でしょう? どうして香取市になったんですか?」
 わが郷里の太田市も隣接する薮塚町、新田町、尾島町と合併したが、名称はそのままだ。
「それはね、合併するまわりの町が反対したんですよ」
「それで、香取郡の香取をとって香取市になったんですね!」
 しかしなあ、香取より佐原の方が有名だろうに。

 このまま続けます。


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佐原駅

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まるで映画のセットのような気がしませんか?

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最初に立ち寄った喫茶店(正面)

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この喫茶店、TVドラマ「東京バンドワゴン」のロケセットに
使われたんですね。裏の入口に取り付けられたドラマ用
の看板。今もそのままになっている。

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ここでいろいろな映画やTVドラマのロケが行われています。

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伊能忠敬の旧宅

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ここで第一の殺人事件が起こり

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向こうから金田一探偵が歩いてきそう

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まるで郷里(群馬県太田市)に帰ったよう

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伊能忠敬の墓がある観福寺の桜

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観福寺はかなり大きかった

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とにかく暑かった!



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 承前

 幼少時、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」のアニメ(当時はTVまんがと言っていた)が大好きだった。毎週夢中で視聴していたが、どちらかひとつといわれたら「鉄人28号」を取るかもしれない。放送が終わると「もう一度見たい!」と母親に泣きついていたらしい。
 鉄人28号の実物大モニュメントが神戸の長田に完成した。阪神大震災で多大な被害を受けた長田地区の復興と商店街の活性化を狙ったプロジェクトの一環というニュースを耳にしたのは昨年の10月だったろうか。こりゃ行くっきゃないとその機会を伺っていたが、今年の紙ふうせんのシークレットライブの会場が神戸・元町だと知って歓喜した。

 アニメ「鉄人28号」のファンであったが、原作である横山光輝のマンガは読んだことがない。「鉄人28号」だけではない、「魔法使いサリー」「仮面の忍者赤影」「ジャイアント・ロボ」……小学生時代TVアニメあるいは特撮ドラマを夢中になったというのに、原作のマンガをきちんとあたったことがないのである。手塚治虫との違いはそこだ。手塚治虫の場合、後追いではあるがマンガのファンになっていったのに。
 手塚治虫は、時代によってタッチや構図が変わっていった。横山光輝にはその変化が見られなかった。絵と吹き出しはコマの中に描かれ、決してはみ出すことがない。まさに〈端正〉という形容がぴったりだった。
 なぜモニュメントが「鉄人28号」なのか? 横山光輝が神戸出身なのだ。これは見るまで知らなかった。手塚治虫は宝塚出身。兵庫は昭和を代表する漫画家を二人生んだということである。

 さて、モニュメント「鉄人28号」を見学するほか、商店街を散策したいと考えている人たちに、効果的な鑑賞方法を伝授したい。僕自身は最初に「鉄人」を見学して、ブランチを食べた後、商店街を散策したわけだが、散策したことで、正しい鑑賞方法を発見したのだ。
 JR神戸線「新長田」駅で下車。改札を出て、南(海)側に向かうと駅前広場がある。そこに「鉄人は正面の白い建物の裏」と行き方を案内するポスターが貼ってあるが、それは無視すること。広場に隣接する道路(の右側の歩道)を線路を背にしてをずっと南に向かって歩いていく。
 六間道商店街にぶつかるので、そこを右折。すぐのところに「なごみサロン」なるものがある。横山光輝原作の「三国志」のパネルや鉄人28号の人間と等身大の人形が出迎えてくれる。商店街は「鉄人28号」だけでなく、「三国志」もプロジェクトになっており、石像の建立、なりきり隊等、 街の名物になっている(らしい)。

 大正筋商店街にぶつかってまた右折すると、左側に「KOBE鉄人三国志ギャラリー」がある。ここは必見。モニュメントが完成するまでのドキュメンンタリーの上映のほか、モニュメントの原型モデル、「鉄人28号」が連載された「少年」誌、別冊ふろく、原画。まさに垂涎。グッズ販売も。
 道を挟んだ反対側には「震災ミュージアム」がある。震災前、後の大正筋商店街の写真、焼けただれた小銭や金庫に胸が締めつけられる。
 鉄人28号について、モニュメント完成までの経緯について、もちろん震災について、さまざまな情報を目の当たりにしたところで、見学という段取り。大正筋商店街を北上すると、そのまま新長田一番外商店街につながっている。
 新長田一番外商店街をゆっくり歩いて行こう。商店街の先に若松公園(鉄人広場)がある。歩いていくと左側に巨大な鉄人28号が徐々に見えてくるのだ。これは感動しますよ!

 途中には神戸映画資料館なるものもあって、これもお奨めですね。


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体長18m。それでも巨大だ。
50mになるといったいどうなるのか?




 一週遅れで僕のGWがやってきた。
 これまではGWの初日(29日)に紙ふうせんのシークレットライブがあった。29日が後藤(悦治郎)さんと浦野(直)さんの誕生日ということもあったと思う。
 今年は9日(日)に開催されることになった。会場もいつもは梅田近辺なのに神戸元町。なぜかはライブの中で明かされるのだが、それはまた項をあらためて。

 今年は前日(8日)に大阪入りして浦野さんに取材するつもりでいた。予定を訊くと夜の11時からなら大丈夫という。閃いた。だったら昼間の高速バスを利用してみよう。JRハイウェイバスが運行している。バスなら新幹線の半額以下だし。
 東京駅12時10分発。深夜バスと違ってカーテンは閉まっていない、外の景色を楽しめる。バスがどのルートを走って首都高に乗って東名高速に出るのか初めてわかった。飲食自由(アルコールも)というのもうれしい。新幹線同様、サンドイッチとカフェオレ、それにビールとカキピーを購入。読書も可能だ!

 深夜バスは見知らぬ場合男性と女性が完全に分けられる。
 当然ですな。寝ている女性に触ったり何なり淫らな行為を犯す輩がでないとは限らない。
 では昼間のバスだとどうなるのだろう? ちょっとした疑問だった。解明しました。男性陣は前から女性陣は後ろから、席を埋めていくのだった。
 GWではないからから、バスはガラガラ。男性チームは一列めの3シートのうち、一番右に植草甚一、昼食以外始終文庫本を読んでいた。それも老眼鏡なしに! 
 一番左に若者。二列目の右・真ん中の2名の仲間。左が僕だ。
 高速走っていると、停留所を見かける。バスはその停留所に順次止まった。関西圏になるまでは乗客はいなかったけれど。
 足柄サービスエリア、浜名湖サービスエリア、甲南パーキングエリア、計三箇所で休憩。
 バスの長旅もけっこう楽しい。窓から景色を見られるからだろう。

 予定より15分早く、20時ジャストに梅田桜橋口に到着した。JRハイウェイバスの発着所があるところ。
 梅田に着いてまずすることはあの横丁を歩くことだ。今回しっかり名称をチェックした。新梅田食堂街。ここを歩くとすごく落ち着くのだ。某うどん屋で夕食をとる。

 駅前のMr.ドーナッツで読書をして時間をつぶし、23時事務所で浦野さんと合流。取材の前にちょっと食事につきあってと、浦野さんのクルマで三ノ宮へ。行きつけの中華屋で水餃子、焼餃子、ザーサイ(最高にうまい!)等々、実際のインタビューは場所を変えてやる予定だったが、まずは録音なしのインタビューを始めることにした。食事のあとは、ファミレスでドリンクバーを飲みながらということだったが、いくら走ってもファミレスが見つからず、マクドナルドで行うことに。朝方の4時半まで。
「ぼくに取材して何か収穫あるの?」
 浦野さんは言うけれど、〈後藤さんのジレンマ〉を確認できたことは大きい。あるいは作曲者としての「冬が来る前に」談義も。まあここらへんのことはまた後にして。
(それにしても、9時半には事務所に集合して、ライブ会場に向かうというのに、長い時間取材につきあっていただき感謝、感激です。ありがとうございます)

 その後、浦野さんに三ノ宮駅まで送ってもらい、ネットカフェで5時間休憩。個室で睡眠と思ったら、隣室の奴の鼾がハンパじゃない。音を消すためにYouTubuの音楽をヘッドフォンで聴かなければならない不自由さ。予約がいっぱいでシャワーも浴びられなかった。

 10時、新長田へ向かう。昨年、駅前の広場に完成した実物大の鉄人28号を見学するため。世代じゃないのでお台場のガンダムにはまったく興味なかったが、幼少時にアニメが大好きだった「鉄人28号」だと話は別。
 ということで、新長田の商店街を散策したことにより発見した〈正しい「鉄人28号」の鑑賞方法〉についてはまた明日。


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鉄人の勇姿を見よ!
接写モードで撮影したのでピンボケです。
普通モードへの切り替えがわからず、すべてこの調子
御免


 この項続く




 昨日、帰ってきた。
 
 28日(日)は東京駅を11時30分に出て、小倉駅まで新幹線「のぞみ」、小倉駅から大分駅まで特急「ソニック」、その後鈍行で目的の「浅海井(あざむい)」駅に到着したのが19時30分。帰りは浅海井を9時39分に出て、東京駅に着いたのは17時33分。自宅からだと約9時間の旅である。
 飛行機を利用したらどうか。
 確かに羽田空港から大分空港までは約2時間ほどで到着する。しかし、問題なのは大分空港から浅海井までの移動時間なのだ。空港からバス(別府湾を横断するホバークラフトは昨年運行停止になった)で佐伯駅(浅海井の隣町)まで2時間。自宅から羽田空港までの時間を入れれば6~7時間かかることになる。電車とそれほど変わらない。

 昨年、新幹線は新神戸~小倉間が苦痛と書いたが、それほどでもなかった。今回は往復とも通路側ということもあって、読書にいそしんだのも要因だろうか。新神戸~小倉間はトンネルばかりだから読書には最適なのだ。いや、僕自身が〈電車に乗っている、ただそれだけでうれしい〉体質ということもある。今回わかった。

 久しぶりの浅海井駅は駅舎がどこにあるのかわからずホームを行ったり来たり。遠く離れたところからかみサンの声がした。「橋渡って」跨線橋を渡ってから10メートルほど歩くと駅舎がある。この駅舎が住居兼ということでとても珍しくTVで紹介されたりしているらしい。
 帰りは浅海井から乗った二両編成のワンマン電車が隣の隣の駅「津久見」にしばらく止まっていた。ちょうどそのときに特急が停車したことで「なごり雪」の発着音を聴くことができた。津久見市は伊勢正三の郷里であり、「なごり雪」の歌詞に出てくるホームの舞台になったところ。いや、イメージされたホームというべきか。
 この歌を聴いたとき、僕自身脳裏に浮かんだ光景は田舎の鄙びたホームというもの。ゆえに「東京で見る雪」云々の歌詞がなんとも不思議に思えたものだった。高校1年の夏、親友二人と茨城の海に旅したとき列車の中から見たあるホームをまるで「なごり雪」みたいと評して、「やっぱり!」と共感しあった。だから、津久見駅のホームを見たとき得心したものである。

 本は2冊読了。
「カッコウの卵は誰のもの」(東野圭吾/光文社)
「ロマンポルノと実録やくざ映画」(樋口尚文/平凡社新書)
 前者はかみサンが友人から借りたもの。かみサン曰く「ちっとも面白くなかった」。僕はそこまでは思わないけれど、あの解決部分で脱力したのは確か。だって、真相がわかると、なぜ主人公の妻(ヒロインの母親)が自殺したのか、意味がわからなくなるのだ。また、新潟のあのご婦人の立場はどうなるのか。自殺したくなるのはご婦人の方ではないか。
 後者は昨年の12月に購入してそのまま積ん読状態のままだった。副題に〈禁じられた70年代日本映画〉とある。棚で見つけて即買いだった。「大河ドラマ入門」とは対極に位置するものだ。あるいは前著「『日本沈没』と『砂の器』 70年代日本の超大作映画」(筑摩書房)とセットで読まれるべきものというべきか。

 義父については項を改めて。



azamuieki

ホームより
ひしろの次が津久見

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ホームより
跨線橋の向こうに駅舎がある

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ホームより
最近の白っぽい桜より鮮やかな黄色が映える菜の花が好きだ

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すぐ近くにある有名な豊後二見ヶ浦




 承前

 7時前に目が覚めた。前日にかみサンが日の出を見ようと言っていたので、あわててメールする。「何時? どこで?」
 返信はない。
 Yさん家族が起き出したようなので僕も下へ。外をみると曇り空。日の出は見られそうもない。
 列車は山口あたりを走っていた。雪が降り出した。

 これもYさんに教わったのだが、「冨士」&「はやぶさ」の機関車は電流の関係で、本州と関門トンネル、九州と交換される。最初の交換駅が門司。鉄っちゃんたちがあわててホームへ飛び出していく。機関車の交換を撮影するためだ。走行中もカメラを手にした人たちが入れ替わり立ち代り通路を撮っていく。通路だけではない。もうどこもかしこも。
 鉄っちゃんでなくてよかったと思う。なぜなら、もう記念の撮影ばかり気になってゆっくりできないだろうから。

 あっというまにトンネルを通り抜けまた下関で機関車交換。
 走り出して驚いた。一面の雪景色。本当にここ九州なのか?
 きちんと化粧したかみサンがやってきた。あらためてYさんに紹介。
「やさしそうなご主人で」
 Yさんの言葉にかみサンが笑い出す。「どこが?」
 確かに、それを言うならYさんこそ似つかわしい。(あとで、かみサンに言われた。ホント、あなたは外面がいいんだから!)

 11時20分過ぎ、大分駅に到着。Yさん家族に「また明日、帰りの列車で会いましょう」と言って別れる。
 一旦改札を出て、目の前にあったうどん屋で昼食。ごまだしうどんを探したがない。その代わりだんご汁というメニューがあった。豚汁に幅広で短いうどんが入っていると思えばいい。これ、なかなかイケます。

 特急「にちりん」で佐伯に到着。
 まず、タクシーで義父が入院している病院へ。部屋に入っていくと、ある種の懐かしさがこみあげてきた。脳腫瘍の手術後、寝たきりになった母を思い出したのだ。鼻に管をしている父親にかみサンが顔を近づけて「父ちゃん、わかる、○○よ」。「おかあちゃん、わかるか、けーすけだよ」何度言ったことか。
 先に来ていた義母に挨拶する。義母に初めて会ったのは、結婚すると聞いて一人で東京にやってきたときだ。今の僕より1歳ほど若かった。確か、駅でナンパされたとか話していたっけ。印象はあのときとそれほど変わらない。
「田舎の倍賞智恵子だよね」とふたりになってから言うと、「前も同じこと言った」とかみサン。

 あとでいとこの○○ちゃんが車で迎えにきてくれるから、その間、しばし佐伯の街を散策。
 病院をでたところで驚愕。すぐ近くの山がまるで郷里(群馬県太田市)の金山みたいだった。原風景を見ているようだった。
 佐伯は不思議な街で、駅前に商店街がない。タクシーで来た病院から歩いていけるところにあるのだから。その商店街に向かう途中の道路に「イチローロード」の入った石柱が。「なぜ、イチロー選手の名前が?」と疑問に思っていると、漫画家の富永一朗だった。そういえば昔、富永一朗が佐伯出身だと聞いたことがあったな。

 かつて町一番の賑わいを見せた商店街は、見事にシャッター商店街になっていた。もの悲しい雰囲気を漂わせていて、それはそれで情緒があるといえるのだが。

 かみサンが昔よく通ったという喫茶店「LANBRE」へ。蔵を改造した店だが、これが素敵な内装だった。二階には靴を脱いで上がる。真ん中に大きなテーブルがあって、壁の本棚には雑誌「ガロ」のバックナンバーが所狭しと並んでいる。ガロ系のコミックもいっぱい。そのほか興味深い本があって、背表紙をながめているだけで心が弾む。ほかにお客はいないので、貸切状態で、かみサンお奨めのウィンナーコーヒーとシュークリームをいただく。

 病院にもどると○○ちゃんがきていた。義母といっしょに実家まで送ってもらう。
 夕飯はすき焼きと寿司。すき焼きを食べるのは何年ぶりだろうか?
 結婚したころ、すき焼きの具で喧嘩になったことがある。大根が入っていたので僕が「こんなのすき焼きじゃない」と怒鳴ったのだ。
 料理の話になると必ずでてくるエピソードだ。
 結婚はまず異文化交流であることを知った22年前の秋……。
 
 15年ぶりの大分への旅はこんな風に1.5日目を終了したのであった。



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予報に反して東京には降らなかった雪が……

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とんでもなくカラフルな「にちりん」。
佐伯駅に到着して。

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病院を出たところから。
高校2年まで住んでいた
熊野町からみる金山が
こんなイメージだった。

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国道217号(本町通り)400mにわたって設置されているという。

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喫茶店の「LAMBRE」
かみサンにとっても20年(以上)ぶり、
住宅街にあるので、探すのに手間取った。 

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シックな造りでいっぺんで気に入った。

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魅惑の本棚。

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養賢寺/味わい深い門と白壁

そのほか、国木田独歩館なんてのがある。






 承前

 僕は旅行が好きではない。海外はもちろんのこと、国内もどこかへ率先して出かけたということがない。いや、「××に行きたい!」という強い思いがないから、旅行そのものが成り立たないというべきか。何か別の目的があれば違ってくる。
 たとえば、10月の下諏訪ぶらり一人旅。これは紙ふうせんのコンサートがあるというので、出かけたわけだが、新宿から下諏訪への電車の旅は実に心が和んだ。ただぼんやりと窓から景色を見ているのがいい。最初は本を読む。飽きると外の景色を眺める。その繰り返し。僕にとっての旅とは、現地に到着するまでの工程を楽しむもの。だから、下諏訪に着いて、コンサートを観たらもうそれでおしまい。せっかくの機会だからと観光名所などをめぐる気持ちなどないのだ。

 旅の工程を楽しむには、鉄道が一番好ましい。
 深夜バスは料金が安いから魅力がある。それは十分理解しながらできれば回避したい気持ちが強い。何が一番イヤかって、発車すると真っ暗になってしって本が読めない。窓にはカーテンが閉められて景色が見られない、もう寝るしかないのだ。それに比べて寝台特急は、各寝台には読書灯がついているから、外部と遮断するカーテンを閉めてしまえば、ずっと本が読める。あるいは車窓から外を眺めていることができる。寝るときは横になれるからぐっすり眠れる。
 そんな話をYさんにすると、十分鉄っちゃんの要素を持っていますよ、と言われた。

 なぜ、「富士」や「はやぶさ」は廃止されるのでしょう? というのは、東京と札幌を結ぶ寝台特急、たとえば「カシオペア」なんて料金も高いというのに、すごい人気じゃないですか。豪華な個室はあるわ、シャワーはついているわ、食堂車でフランス料理が食べられるわ、もういたれりつくせり。
 「富士」や「はやぶさ」はというと、食堂車がない、朝にならないと社内販売もない。縮小され続け、結局3月で廃止でしょう。この違いは何なんですかね?

 Yさんが解説してくれた。
 それはたぶん何社ものJRが関わってくるからでしょう。JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州。だけど、東日本なんて、ほとんど利益なんてないんじゃないでしょうか。たかだか、東京・小田原間だけで距離で、にもかかわらず、列車が到着してから発車するまでの保全だとか、メンテナンスとか、さまざまな作業がでてくるだろうし。人件費の問題もある。
 「カシオペア」や「北斗星」は、JR東日本とJR北海道の二社だけ。距離も長いし、その分旨みも大きいのでしょう。やる気が違いますよ。

 19時過ぎから、一緒に夕飯を食べた。買ってきた駅弁を取り出す。Yさんは、しきりに一番下の子の名前を呼ぶ。そのたびに僕はドッキン! 名前が同じだからどうしても反応してしまう。先に小学生と書いたが、正確に記せば、長男・小学5年生、次男・小学2年生、三男・幼稚園年長組、である。お父さん同様人懐っこくて、かわいい。
 食事中も、食事が終わってからも、僕が鉄道に関する質問をして、Yさんが答える。そんな会話で1時間ばかり。
 一人の時間を持ちたくなった。カップの日本酒と柿Pをとりだし通路の椅子に座った。これが僕にとって電車の旅の至福のとき。
 何だか眠くなってきた。腕時計をみると22時。寝台に座って外を見ていたYさんと目が合う。
「不思議なもんですねぇ、もう眠くなってきました。自宅だったらまだこれからの時間なのに」
 僕は上段の寝台に上がって、カーテンを閉め、読書灯を消した。

 目が覚めた。時間を確認すると24時。
 喉がかわいていた。8号車にある自動販売機でポカリスエットを買って、そのまま通路の椅子に座って外を見る。
 列車は京都から大阪に入るあたり。Yさんも寝台に腰掛けて外を眺めていた。
 お互い声もかけない。
 新大阪を通過した「富士」は大阪駅で停車した。一人お客が降りた。25時を少し過ぎていた。
 そのまま約1時間。
 ふっと意識がなくなることが重なって、寝ることにした。
 Yさんの姿はもうなかった。


 この項続く(次回完結)






 承前

 9日(金)、16時30分で会社を飛び出し東京駅へ。かみサンとはホームで待ち合わせ。
 着いてから気がついた。「『富士』って何番線なんだ?」
 山手線、京浜東北線、東海道線、中央線、それぞれ色でホームが区分けされている。ブルートレイン用のホームなんてあるのだろうか?
 10番線だった。東海道線の一つ。考えてみれば確かに最初は東海道線を走っていくのだ。
 18時03分の発車時刻よりかなり早めに着いてしまった。ホームにはカメラを持った鉄っちゃんたちがウロウロしている。車両をパチリ、掲示板をパチリ。あっち行って、こっち行ってパチリパチリ。ドアの前でも「はいポーズ」。年齢もさまざま。女性もいる。

 発車20分前にかみサンと合流。大きなマスクをしている。理由を訊くとあとは寝るだけなので化粧してこなかったという。僕も同じようなものだ。会社を出るときにコンタクトをはずし眼鏡をかけたのだから。
 「富士」には車内販売がないので、夕食や酒やつまみを駅内のコンビニで購入して乗り込む。チケットが10分で完売してしまうほどだから、ふたりの寝台はバラバラ。かみサンは10号車、僕は11号車だった。おまけにふたりとも上段。

 寝台には松竹梅の3種類がある。まずA寝台。これは個室(一人)。ドアで仕切られ通路から中が見えないようになっている。
 B寝台には二種類あって、ひとつがソロといわれる個室(一人)、これはA寝台のようなもの。どう違うのかよくわからない。たぶん、広さや作りの点でA寝台より落ちるのだろう。当然料金も。
 もう一つが横長の座席(ベッドになる)が上下にあって、それが向かい合わせになっているもの。一番ポピュラーで、僕なんて寝台列車というとこのタイプを連想してしまう。二階の寝台は簡易梯子を昇り降りして、一見面白そうだが、窓がないのがつらい。夜中、窓際にすわって酒をちびりちびり、流れる景色を楽しみたい者は、通路に出て、窓の下についている折り畳みの椅子に座るしかないのである。

 上段の寝台で、バッグを片づけたりしていると、残り3つの寝台のお客さんがやってきた。なんと、小学生の男の子3人とお父さん。お父さんを筆頭に皆坊主頭。男の子たちはお父さん似。このお父さんがやさしい眼差しで人懐っこい。僕と目が合うと挨拶して「まだ寝ませんから、下に来ませんか?」。
 お言葉に甘えて、下へ。対面でお父さんとおしゃべりを始める。
 このお父さん(Yさん)はけっこう鉄っちゃんが入っていて、子どもたちもその影響を受けている(特に長男)。ただ、これまでブルートレインの「富士」や「はやぶさ」には乗ったことがなかった。廃止される前に一度は乗りたい、という子どもたちのリクエストもあって、今回の九州旅行になったとか。初日は大分をめぐり、熊本まで足を伸ばす。
「熊本だったら、ウルトラマンランドがあるね」
 子どもたちに言うと、何の反応もない。ウルトラマンも仮面ライダーも興味ないのだろう。小さいときは「機関車トーマス」に夢中になった口か。残念。
 東海道線で事故があったとかで、定時より少し遅れて発車。
 長男は窓際についているテーブルにノートを広げる。ノートには停車駅が書かれていて、実際に停車した時刻を記入していくという。

 僕たちの〈旅行〉についても説明する。かみサンが隣の車両にいること、大分はかみサンの実家であること、義父が倒れてその見舞いであること、佐伯に行くこと、実家には一泊しかできなくて、11日(日)の「富士」で帰ること。
「ということは、うちと同じですね。うちも11日に熊本で『はやぶさ』に乗りますから」
 とYさん。
「同じ? 何がですか?」
「帰りもまた一緒ということですよ」
 鉄道に詳しくない僕は知らなかった。「富士」は東京~大分間を、「はやぶさ」は東京~熊本間を、それぞれ走る寝台特急で、東京~門司間は連結して走っていることを。
「そうなんですか! でも掲示板には『富士』としか出ていなかったような」
「ちゃんと交互にでていますよ」

「大分の名物料理って何ですかね?」
 Yさんに訊かれた。
「かみサンなら知っていますよ」
 僕はすかさずメールする。「こっち来ない?」
「もう寝てるんだけど 何?」
「いいからおいでよ」
 少ししてやってきた。Yさんに紹介する。
 かみサン、あわてて両手で顔を覆った。すっぴんは他人に見せられないらしい。そのままUターン。
 後姿に尋ねた。「大分の名物料理って何だ?」
「ごまだしうどん! 最近人気らしいの」
 それだけ言って消えた。


 この項続く 





 昨年の1月、義父が脳梗塞で倒れた。命に別状はなかったが完全に寝たきり状態になってしまった。その見舞いを兼ねて9日からの三連休を使って大分・佐伯へ行ってきた。

 娘が小さかったころ、かみサンは娘を連れて毎年お盆の前後2週間ほど帰省していた。僕自身も、2、3回、後から追いかけたり、一緒に行って先に帰ったりという形で、行動をともにした。
 かみサンの実家は、平成の大合併で今は佐伯市だが、当時は南海部郡上浦町といった。すぐ前は海、うしろは山。駅は無人で定期を持っている人は改札を通らない。もう絵に描いたような田舎で、海大好きの僕は、毎日海岸でボンヤリ日光浴していたものだ。
 ちなみに、今年の元旦、テレビ朝日系の初日の出番組で中継された豊後二見ヶ浦は歩いて行ける距離にある。

 帰省した際のもうひとつの楽しみは湯布院散策。高校時代、キネマ旬報に掲載される「湯布院映画祭」レポートでその存在を知り、一度行ってみたかったところ。電車で片道2時間強かかるのだが、日帰りするにはちょうどいい距離だ。民芸、陶芸、絵画、彫刻、いろいろ見てまわるスポットがあり、オープンしたばかりの和洋折衷のレストランで舌鼓を打った。
 湯布院も二度行ったきりで、その後訪れたことはない。
 娘が小学生になると「突発性血小板減少性紫斑病」を発症、入退院を繰り返し、帰省そのものができなくなったのだ。病気は5年生か6年生になって完治したものの、高校生になるまで、かみサンでさえ帰省したことがなかった。
 その後、かみサン(と娘)は何度か帰省しているが、僕自身はまったく縁がなくなった。今回の大分行きは実に15年ぶりなのだ。

 僕もかみさんも飛行機が苦手である。だから帰省はいつも鉄道だった。東京から小倉まで新幹線で約5時間。小倉で日豊本線の特急「にちりん」に乗り換え、大分まで。これが1時間30分。大分で各停に乗り換えて浅海井へ。これまた1時間30分。乗り換えの待ち時間等を含めると、東京を朝の6時台に出発しても、実家に着くのは午後3時を過ぎるのだ。まあ、電車に乗って読書したり、外の景色を見ているのは好きだからいいのだが、神戸~小倉間の新幹線にうんざりしてしまう。はっきりいって疲れる。新幹線って、東京~神戸間くらいが限度なのではないか?
 ブルートレインで帰ろうと提案したのは僕だ。一度だけ大分から一人で帰ってくるときに利用したことがある。時間的には新幹線利用の倍以上かかってしまうが、料金は少々高いだけ。移動そのものは風情があって楽しめる。

 しかし、今年3月のダイヤ改正でブルートレイン「富士」「はやぶさ」が廃止されるのを知らなかった。一ヶ月前に発券されるチケットが10分で完売してしまうのだ。これで、正月(1~4日)に帰省するつもりが、一週間延びてしまった(9~12日)。だからこそ、祖母の100歳誕生会やラグビー部の新年会に出席できたわけだが。

 本当は一家3人で帰りたいところだが、猫の世話などもあり、夫婦ふたりの旅となった。
 9日(金)の夕方、東京駅のホームで待ち合わせすることに。

 この項続く





プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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