2009/01/08

 「日本沈没 第二部」(小松左京・谷甲州/小学館)

 「日本沈没」がベストセラーになったのは1973年。映画化されてこれまた大ヒット。空前のブームを呼んだ。
 本当は、国土を失い全世界に散った日本人を描きたい、そのための序章として「日本沈没」が書かれたことは著者の小松左京がさまざまなところで発言していた。東宝なんて、すぐに「続・日本沈没」をラインナップに加えていたほどだ。まだ小説が書かれていないのに。
 「日本沈没」自体、構想、執筆に9年をかけてやっと出版されたものだから、続編(第二部)が出来るのはそれなりの時間がかかることは予想していた。が、30年以上かかるとは、いくらなんでも、ではないか! SFファンは別にして、前作をベストセラーにした、ごくごく普通の一般大衆の、第二部に対する興味も思い入れもすべて風化させてしまう。実際、上梓された2006年、映画がリメイクされたにもかかわらず、「第二部」の本の方はそれほど話題にならなかった。
 ただ、ある程度年月を経なければ、続編を書くことができなかったこともわかる。

 前作「日本沈没」は映画を観てから、ずいぶん年月が経ってから読んだ。正解だったと思う。つまり、自分が経験したことのない状況、見たこともない世界を想像することは容易ではないからだ。理系じゃないことも要因か。
 「第二部」では、もろにその影響を受けた。絵がなかなか頭に浮かばない。字が小さい。おまけに二段。ボリュームもたっぷり。読了するのに手間取った。


2009/01/09

 「危ない共同出版 ―夢を食い物にする錯覚商法」(尾崎浩一/彩図社)


2009/01/12

 「この世には二種類の人間がいる」(中野翠/文藝春秋)

 人間を二種類に分類して笑いをとる作劇を映画「犬神家の一族」で知ったのだが、オリジナルはクリント・イーストウッド主演の「続・夕陽のガンマン」らしい。二種類に分けた場合、著者が自分の性格はこっち、という方に僕自身もあてはまる。昔ほどではないけれど、何かと反発しながら今でも新著が出ると読んでしまうのは、基本的な考えが同じだからだろう。


2009/01/16

 「編集者という病い」(見城徹/太田出版)

 数々のベストセラーを生み出した編集者なんだから、もう人生に悔いはないだろうと思う。だが、これが大違い。死に対してすごい怯えを持っている。 
 だったらオレはどうなるのよ! あなたとまったく逆で、小中学が絶頂期、高校は完全にネガティブな毎日。その後はずっと超低空飛行。結局才能がないのだろうが。違う、違うと心の中で叫びながら今年50歳になる。にもかかわらず、もし、明日死んだとしても、それはそれで仕方ないかと思っている。もちろん、不慮の事故なんていやだけど、さ。


2009/01/20

 「トンデモ本の世界S」(と学会/太田出版)

 「リアル鬼ごっこ」の項に大笑い。いや、某カフェで読んでいて笑いを堪えるのに苦労した。山田悠介の一連のミステリーというか、ホラーにはまったく興味がなかったので、書店で手に取ることもなかったのが残念だ。ほとんど体をなしていない文章の数々に笑いながら、仮にもこの小説を共同出版した版元の担当編集者は何をやっていたのだと言いたい。発想、アイディアが斬新だと思ったなら、ある程度の文章の推敲はするでしょう? 相手が新人ならしなければおかしい。編集者と作家の関係ってそういうものでしょう? 結局自主出版で、利益はでているから、欠陥だらけの原稿をそのまま本にしたまでのことでだろう。まさか、編集者も版元も、ベストセラーになるなんて考えてもいなかったのではないか。


2009/01/22

 「紋次郎も鬼平も犬神家もこうしてできた」(西岡善信 構成・ペリー荻野/日本放送出版協会)

 映画会5社の中で、一番丁寧に作品を作るのが大映京都だと聞いたことがある。美術を担当していたのが西岡善信。市川崑劇場と銘打たれた「木枯し紋次郎」の製作会社はCALだが、実際の撮影は大映京都が請け負うはずだった。が、大映が倒産して撮影所が封鎖された。いろいろあった後、西岡善信が社長となって映像京都が設立されるというわけだ。映画の「犬神家の一族」に西岡さんが! と驚きだったが、書名の「犬神家」とはTVシリーズでした。


2009/01/27

 「狐火の家」(貴志祐介/角川書店)

 「硝子のハンマー」のコンビ、女性弁護士&防犯コンサルタントが新たな密室トリックを暴く短編連作。「狐火の家」「黒い牙」「盤端の迷宮」「犬のみど知る Dogknows」の4編所収。このコンビのキャラクターは面白いが、ストーリーはまあそれなりに、って感じ。いや、貴志祐介は長編作家なんだと思う。「新世界より」に期待。


2009/01/30

 「手塚治虫 アーチストになるな 」(竹内オサム/ミネルヴァ書房)

「アーチストになるな、アルチザン(職人)になれ」
 手塚治虫は晩年、アシスタントにそう語っていたという。信じられない。いや、別に職人を差別するつもりはない(だって僕は職人フェチだもの)。本書を読み進めると手塚治虫の言葉の本当の意味がわかってくる。確かに、第一線で少年誌の連載を40年も続けるということは、ある意味職人芸と言わざるをえない。
 これまで手塚治虫が語られるとき、その偉大さばかりが強調されてしまうきらいがあった。本書は一歩も二歩も引いて、あえて冷静(冷徹に)に手塚治虫の人となり、作品なりを分析している。
 年齢詐称、何事も一番にならないと気がすまない性格、サービス精神と誇大表現、あるいは虚言、等々。きちんと研究しているからこそ書けることだろう。
 研究ってこんなことまで事実を求めることなの? と思うこともたびたび。たとえば、少年チャンピオンの「ブラックジャック」。当初は短期連載ということだった。では何回連載の依頼だったのか? 編集者と手塚治虫の記憶が違う。本当は何回か? 4、5回でいいじゃないですか、そんなこと。




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 昨日、帰宅途中のこと。品川駅構内のキヨスクに貼りだされた夕刊紙の見出しが目に飛び込んできた。足が止まった。
「フォーリーブス青山さん死去」。

 えっ、早過ぎないか? 驚きはそこだった。
 癌で闘病中であることは知っていた。ちょっと前にネットニュースを読んでいる。フォーリーブスが再結成されて全国をツアー中、その最中に肝臓癌であることがわかった、治療に専念したほうがいい、他のメンバーはツアー中止も考えたが本人の強い意思で続行する、という内容。ツアーのときだけ病院から直行とあったが、それが許されるということはまだ元気、との認識だった。
 逆だったのかもしれない。それほど癌が進行していたので、本人の好きなようにやらせた。いや、体力的に無理が続いたから癌の進行を早めた……。いろいろな考えが浮かんでは消えた。

 今朝の「朝ズバッ!」で、みのもんたがこの件に触れて、フォーリーブスをGS(グループサウンズ)の残党みたいに語っていたので、思わずTVに毒づいてしまった。考えてみると、GS人気が下火になるのと入れ替わるように歌番組に登場してきたグループなのだから、最初は似たような存在だったのかもしれない。
 中学の音楽の時間、先生の「男性4人組のコーラスグループを挙げろ」という質問に「フォーリーブス」と答えて一蹴された。ダークダックスとか、デューク・エイセス、ボニージャックスをイメージしていたらしい。じゃあ、フォーリーブスって何なの?

 コメンテーターの大林素子が「最初のアイドル」云々と語っていた。うんうん、確かに。その前のジャニーズを知らないということもあるかもしれないが、僕にはアイドル第一世代という認識がある。それくらい70年代前半のフォーリーブスの騒がれ方はすごかった。
 特に人気があったのが、青山孝(当時)と北公次。これが、僕にはわからなかった。最初、フォーリーブスを見たときに、驚き、また親近感を覚えたのは、メンバーに「マグマ大使」のマモル少年(江木俊夫)がいたからだ。なぜ、江木俊夫が一番人気じゃないの? 素朴な疑問だった。特撮ヒーロー番組好き少年の欲目だろうか。

 夕刊の見出しを眺めながら、女友だちFを思い出した。小、中学校が一緒の同級生。中学時代の、フォーリーブスに対する熱狂ぶりが半端じゃなかった。中学時代は歌謡曲、特にアイドル歌手を嫌悪していた僕は、覚めた視線でFを見ていたものだ。Fはおりも政夫のファンだった。その理由は背が高いからだと聞いたことがある。Fも当時女性の中でかなり背が高かった。自分とつりあう男性ということだったのか。
 そんなFももういない。40代前半に脳腫瘍で逝ってしまったのだ。
 かつての憧れのグループの1/4が亡くなったことに対してFはあの世でどう思っているのだろうか?

 大人になってから、歌謡曲、アイドルに対する偏見がなくなった。逆にあのころの歌謡曲にはいい歌がけっこうあったことに気がつくのだ。フォーリーブスは「ブルドッグ」が大好きだった。あと「僕から逃げたってムリさ、だって地球は丸いんだもん」の歌。
 だからこそ、青山孝史(史の文字があるだけでイメージが全然違う)の死は予期していたこととはいえ、つらい。57歳。肝臓癌だし、完全に大口広司とダブってしまう。
 ツアーの最終日まで参加できなかったのは残念だけど、自分の意思で最後までステージに立てたのは本望だったのではないか。そう信じたい。 
 合掌。


 【追記】

 フォーリーブスに始まって(正確にはジャニーズだけど)、数々のジャニーズ事務所のアイドルたちがTVや映画を席巻している。フォーリーブスの後は、たのきんトリオ、シブガキ隊、光GENJI、男闘呼組…… 80年代までは、アイドル(歌手)は一時代を築いて、その後は表舞台から去ってしまうか、別のフィールド(俳優等)に移っていくかのどちらかだった。新しいグループが台頭すれば、老兵は去りゆくのみ。そこでジャニーズ事務所とは縁が切れる。
 状況が変化したのはSMAPからか(正確には少年隊か)。アイドル時代の人気を保ちながら(グループを維持しながら)、その活躍がさまざまなジャンルに広がっている。SMAP、TOKIO、KINKI・KIDS……。次々と新しいグループがデビューして人気者になっている。
 にもかかわらず、近藤真彦も東山紀之もいまだ事務所に君臨しているのだ。昔だったら考えられない。
 




2009/01/24
 
 「LIVESプロデュース公演 ROPPONGI NIGHTS 2009」(吉祥寺シアター)

 田口(主将)さんからまた芝居に誘われた。
 今回はRIVESという小劇団のプロデュース公演「ROPPONGI NIGHTS 2009」。
 田口さんにはお気に入りの小劇団が2つあって、一つが「東京セレソンDX」、もう一つがこのRIVESなのだそうだ。
 公演は22日(水)から25日(日)の4日間。場所が吉祥寺では平日には伺えない。楽日の日曜日は混雑するだろう。前日の19時の回にしますと返信した。

 小雪も舞う肌寒い午後、まず、川口中央図書館へ。借りていた本とDVDを返却し、新たに3冊と1枚を借りて、いざ吉祥寺へ。
 
 吉祥寺といえばライブハウスの街というイメージがある。曼荼羅が有名だ。
 芝居だと前進座の本拠地という認識。ほかには特に思い浮かばない。吉祥寺シアターなんていう劇場、まったく知らなかった。サイトからプリントアウトした地図を頼りに行ってみて驚いた。建物自体がとても大きい。立派。きれい。入口にはカフェもあって、待ち合わせや時間つぶしに持ってこい。今回は利用しなかったけれど。
 開場して中に入ってまたまたびっくり。舞台が広い。客席も階段状になっているから見やすい。またゆったりしている。池袋のシアターグリーンを彷彿させる。

 六本木にオープンしたショーパブが舞台のコメディ。
 結婚のため、やくざ稼業から足を洗い、ショーパブのオーナー店長として再起をはかる男。男の新しい出発を祝うために店を訪れる恋人。結婚に反対している父親。兄貴を慕って手伝いにやってきた元舎弟のやくざ。この日を最後に解散するムード歌謡コーラスの男性4人組「ダンディ西&ザ・ダンディ・ジャックス」。出会い系サイトで知り合った男性との合コンを楽しむためにやってきたストリッパー二人組。意中のホステスに愛を告白するためにやってきた短気で粗暴なチンピラ。そのほか、店が手配したサクラのお客たち…看護婦トリオと修学旅行中の高校生カップル、そして元役者のコック。
 彼らの、ちょっとした意思疎通の齟齬や勘違いから巻き起こる騒動を描いている。

 笑える要素はたくさんあるが、中でもユニークなのが、ダンディ西&ザ・ダンディ・ジャックスの面々。キャラクターと歌がサイコー!
 劇団の主宰者で、作、演出も手がける大浜直樹がダンディ西に扮してリードヴォーカルとMCを担当するのだが、これがイケる。しかもハーモニーがしっかりしていてきちんとコーラスグループになっているところが素晴らしい。
 六本木をテーマにした歌は、あの鼠先輩のヒット曲を意識したような歌詞とメロディ、アレンジ。ヴォーカルのダンディ西は松鶴家千とせみたいなヘアスタイル、もしかして、パンチ頭の鼠先輩の二番煎じを狙ったのかと思いきや、芝居が再演なのに気がついた。歌のテイストも容貌を含めたスタイルも2年前に出来上がっているものなのだ。ゆえに、パクったのは、あちらかも。
 「愛人お正月」「狐さん」。タイトル聞いただけで吹き出してしまう。これも冗談音楽の一種か。

 芝居自体はとてもオーソドックスな作りだと思う。
 ちょっと学生演劇っぽいところもあって、観ているこちらが照れてしまうこともあった。
 2時間20分は一幕ものとして長い。
 店長に、やくざ部分の強面部分がないと、せっかくのキャラクターが活きてこない。硬軟の表情を使い分けながら、優しさが滲み出てくるようでないと。
 コックと父親は、その年齢設定からある程度のベテランでないと芝居のリアリティ、というか陰影がでてこないのでは? 父親の衣装は上下揃ったスーツじゃないと雰囲気がでない。下がベージュのコットンパンツ(風)なんて。仕事帰りではない、あくまでもカジュアルだ、というのなら、もっと別の服装を考えるべき。

 と、まあ、いくつか気になる点はあるのだが、それ以上に評価できるのがラストの処理。最近、映画も芝居もこれでもかという感動の押し売りが横行しているが、とてもあっさりしていて好感を持った。






 目覚まし時計は5時50分にセット。目覚ましが鳴ると即座にTVをつける。「みのもんたの朝ズバッ!」を布団の中で聞いている。芸能ニュースが終わりかけたころ(6時25分ごろ)に起きだす。これが最近の日課。
 今日は違った。芸能ニュースが始まるとすぐに飛び起きてTVを注視した。大口広司の死を伝えていたからだ。

 テンプターズのファンだったのに、当時ドラムが誰かなんて知らなかった。いや、ショーケン以外のメンバーを意識していなかった、というべきか。
 はっきりと大口広司を認識したのは、ドンジャン・ロックンロール・バンドのドラマーとして。といっても「DONJUAN LIVE」リリース時には脱退していた。たぶん後から知ったのだろう。その前はPYGの一員、テンプターズからショーケンとともに参加して、なんて。
 「ゆれる、まなざし」真行寺君枝と結婚、離婚したことは友人から聞くまでまったく知らなかった。

 役者に転向(兼業?)したのは岸辺一徳より早かったのではないか? 「傷だらけの天使」に「街の灯に桜貝の夢を」というのがある。僕の中ではベスト3に入るエピソードだ。
 ヒモの亨につくすホステス役で関根恵子がゲスト出演する回。亨の(ヒモの)先輩として寿司屋のシーンにちらっと顔をだすのが阿藤海(快)と大口広司なのだ。もちろん、リアルタイム、何度となく観た再放送でもわからなかった。昨年、DVDをチェックしていて初めて知ったこと。
 ドラマ「向田邦子の恋文」の向田邦子の恋人役が印象深かったらしいが、僕は観ていない。
 数年前「やわらかい生活」という映画に出演していた。喫茶店だか、雑貨屋だかのマスター(だったか?)。河島英五に高田渡をまぶしたような風貌。出てくるだけで特異な存在感を示す、まあ、ヘタウマの役者というのだろうか。

 肝臓癌。
 享年58。ショーケンと同い年ではないか。著書「ショーケン」の一節が頭をよぎる。
     ◇
「じゃあ、癌にかかるのとどっちがいい? あと何年もない命だと、医者に宣告されるのとどっちがいい?」
 どんなに辛い目に遭っても私は生きていきたい。私の人生には、まだ先がある、そう思った。
     ◇
 団塊の世代の死はこたえる。特にGSのメンバーは。だって若すぎるじゃないか。鈴木ヒロミツ、デイブ平尾にしても。

 合掌。





 吉祥寺は何の街だろうか?

 最初に思い出すのが、小、中学校の同級生の女友だち・Oとの約束だ。大学に合格したら3月×日に吉祥寺で会おう。夏休みに何人かの友人(男女)たちと西荻窪(だったと思う)で開いた飲み会でそう約束したのである。
 浪人した僕は、東京の予備校に通うため目黒のアパートに住んでいた。Oは地元(群馬)の予備校に通っていた。なぜ吉祥寺なのか、すっかり忘れている。また、約束したとしても、半年前も前のことだ。普通なら、近くなってから本人に確認するだろう。なぜ、そうしなかったのか?
 吉祥寺駅の改札口で待つこと2時間。結局Oは来なかった。
 ずいぶん経ってからOに会い、その件を伝えると「覚えてはいたけど、まさか実行するとは思っていなかった」とのことだった。当然すぎる回答である。

 かみサンと初めて交わした会話も思い出す。
 今度は就職浪人した年、ちょうど4月から高田馬場のYMCAでシナリオ講座が始まった。ちょうどいい機会だと思って申し込んだ。同じクラスにかみサンもいたわけだが、まったく交流がなかった。ある日、高田馬場から乗った電車で一緒になった。
 僕が目黒に住んでいて、駅前のカレー屋でアルバイトしていると言うと、「私は吉祥寺のクレープ屋で働いている」と。このとき、吉祥寺=クレープ屋とインプットされた。半年間の講座で会話を交わしたのはこのとき一回限り。ほかに何を話したか記憶にない。
 数年後の春、同棲に失敗して、中村橋のハートブレイクアパートから中野区南台のアパートに引っ越した。
 相手の女性の結婚式の日、部屋にいるとあれこれ考えてしまうので、気分転換にベッドを買おうと、新宿の丸井インテリア館に出かけた。ある階で働く女性にピンときた。懐かしさで声をかけようとしたが、名前を忘れている。「あの~」と声をかけた。女性は僕を見て「あっ、目黒のカレー屋さん!」。

 この数年では、吉祥寺=ビザハウス「TONY」である。
 サブカル・ポップマガジン「まぐま」11号でインディーズ映画を特集した。3人の役者さんにインタビューした。その一人、村添豊徳さんの奥さんが働いている。棚木和人監督「Long Distance」でもロケセットとして利用されていた。雑誌等で何度も取材されている有名な店らしい。今度、お店に伺います、なんて村添さんに言っていながら、吉祥寺に縁がないものだから、約束はいまだ果たしていない。
 今回、吉祥寺に着いて真っ先に「TONY」に向かった。住所だけが頼りだったが、すぐに見つかった。が、入らなかった。川口であまりに腹が減っていたので、喜多方ラーメンを食べてしまったのだ。ピザ屋だからドリンクだけというわけにはいかないだろう。

 すぐ近くに古書店「よみた屋」があった。昔ながらの古本屋さんって感じ。本当に古い本がいっぱいある。
 手塚治虫の初版本。石森章太郎の虫コミックス。鶴書房の「続・時をかける少女」「謎の転校生」。小学生のころにお世話になった「8ミリ映画入門」。小松左京「空中都市008」……それこそブックオフではお目にかかれない本、雑誌のオンパレード! 胸ときめきっぱなし。
 とりあえず2冊購入した。
「コラムにご用心 エンタテインメント評判記1989~92」(小林信彦/ちくま文庫)
「谷中スケッチブック 心やさしい都市空間」(森まゆみ/ちくま文庫)
 「コラムにご用心」は単行本を持っているのだが、文庫を収集するのも趣味のひとつだ。
 わずかの距離のところにブックオフがあった。なんとなく掘り出し物があるような気がして二階へ。
 「倚りかからず」(茨木のり子/ちくま文庫)を発見、購入。単行本は図書館で借りて読んでいるのだが、後藤(悦治郎)さん推薦の詩集だから手元に置いておきたい。
 駅をはさんで反対側のアーケード街にも古本屋が2軒あった。
 最初に入った店で「日本の喜劇人」(小林信彦/新潮文庫)を発見。
 すでに持っているのだが、少々ボロくなってきている。見つけたのはほとんど新品だ。280円の価格もあって即購入。

 吉祥寺は古本の街ではないだろうか?






 浦沢直樹の人気漫画「20世紀少年」の映画化は、最初から3部作で構想されていた。日本映画では珍しいことだ。
 もし、1作目でコケたらどうするんだ?
 余計な心配をしていたことを恥ずかしく思う。

 3部作の映画は多い。
 もちろん、昔は、最初から3部作を狙ったわけではない。1作目が当たり、続編もそれなりにヒットし、最終作として続々編に着手するという流れだった。
 シリーズとして製作されることを謳った、その先鞭をつけたのが「スター・ウォーズ」だったのではないか? しかし、これも第1作(後に「EPISODE4 新たなる希望」という副題がつけられた)が大ヒットしたからこそ、「帝国の逆襲」や「ジェダイの復讐」が作られたのだ。ルーカスは最初から9部作(12部作)を構想していたというが、もしコケていたらそんな発言もありえなかった。

 1作目が大ヒットして、2、3作を同時に(あるいは続けて)製作して順次公開していくという仕組みは、「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」が原点か。「マトリックス」にしっかり受け継がれた。

 最初から3部作を計画、同時に撮影し、順次公開していったのが「ロード・オブ・ザ・リング」だった。全世界で大ヒットしたことから、その後、3部作映画が増えた気がする。「ナルニア物語」「ライラの冒険」が思い浮かぶ。「20世紀少年」はその流行に乗ったというわけか。(東映の「デビルマン」も、この方法でやっていれば、もう少しマシな作品になったかもしれない。)

 昨年の9月に観た「20世紀少年」の感想をやっと夕景にUPした。
 第2部の公開を大いに楽しみしている今日この頃。






 今のTV界って、ショーケンをタブー視しているのではないか? 完全無視というか。そんな思いがしてならない。

 TBSの人気番組「ズバリ言うわよ!」から細木数子が降板して、残されたレギュラー陣(くりぃむしちゅーと滝沢秀明)で装いを新たに始まったのが「大御所ジャパン」だ。低視聴率であっというまに終了してしまったが、ベテラン俳優・女優をゲストにさまざまなランキングを楽しむ番組だった。
 たまたま見たときが、若者に影響を与えた俳優ベスト20(だったと思う)。すでに番組は始まっており、ベスト12あたりからだったのだが、松田優作(探偵物語)は登場したものの、萩原健一のはの字も出てこない。もしかして、13位までに扱われていたわけか? そんなバカな! 70年代のショーケンの、若者への影響力ってとんでもないものがあったはず。確か第一位は石原裕次郎だったので、ベストワンとはいわないが、二位になるくらいの存在だった。
 またあるとき、チャンネルを合わせたテレビ朝日「SmaSTATION」。刑事ドラマの特集で、数々の昭和の名作、傑作を紹介していた。にもかかわらず、「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事には最後まで触れられなかった。それまでの刑事の概念を覆した画期的なTV映画だったのに。
 とにかく、過去の業績までも「なかったこと」にするのは許せない。
 
 ショーケンを取り上げるのはもっぱら活字の世界だ。
 自伝本「ショーケン」、ショーケンを表紙に起用した雑誌「不良読本」、掲載された矢作俊彦の小説「傷だらけの天使リターンズ 魔都に天使のハンマーを」はあっというまに単行本「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」になった。すべて版元は講談社。そうか、講談社がショーケン復活プロジェクトの仕掛人か。
 昨年9月に発売された季刊文芸誌「en-taxi」23号(扶桑社)を書店で見たときは小躍りしたくなった。TVドラマ特集でショーケンがインタビューされていたのだ。
 若手ミュージシャンのCDにヴォーカルで参加して、「クイックジャパン」で対談していることを知り、書店で探したが見当たらなかった。
 ほかにもいろいろとインタビューなど受けているらしいが、僕は見たことがない。

 ショーケン特集の決定版ともいうべき雑誌(ムック)が出た。瀬戸内寂聴責任編集の「the 寂聴」第1号だ。昨年の12月に発売されたもの。全然知らなかった。先週、萩原健一で検索していてわかった。特集は「萩原健一と歩く浄土 横浜/京都」。あわててamazonに注文した。
 それにしても、最近この手の作家個人を売りにした雑誌が増えている。小林よしのりの「わしズム」が先鞭をつけたのか、「週刊 司馬遼太郎」なんていうのもある。

 ショーケンと寂聴さんの特別対談が二つ。
 その1が横浜にて「不良が歌うブルース ありあまる冒険心を抱いて」。もう一つが京都・嵯峨野寂庵での「生きること、恋すること 燃えさかる火のもとで」。カラーページ、写真満載の、これぞ特集! という感じ。
 横浜中華街、水上バス。
 ああ、この関帝廟、行ったことある、水上バスも乗ったよ! あの日、あの時が蘇る。何も言えねぇ。
 

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瀬戸内寂聴責任編集
「the寂聴」(角川学芸出版)
特典DVDがついて1600円






 SKIPシティをご存知だろうか?
 川口市上青木、NHKラジオ放送所跡地に建設された施設全体の総称というか愛称というか。彩の国ヴィジュアルプラザ(映像ミュージアム)、NHKアーカイブス等、映像に興味のある人間にはたまらない施設で成り立っている。
 映画祭の開催、劇映画の上映会のほか、広場には映画のセットが建てられ、実際に撮影なども行われているのである。

 今調べたのだが、SKIPってSaitama Kawaguchi Intelligent Parkの略だったのか! 知らなかった。それに株式会社スキップシティとある。ちゃんとした会社名なのだ。

 オープンしたのが2003年。にもかかわらずこれまで一度も訪れたことがなかった。うちのベランダから施設の全景が見えるほどの距離だから、いつでも行けるという安心感があって行動が伴わなかった。まあ、昨年の2月までは、土日はほとんど外出していたので、行く暇もなかったのだが。
 何か強力なイベントがないと足が向かない。こんなことがあった。山田洋次監督の「母べえ」が撮影されていたころの話。主演の吉永小百合の往年の映画がピックアップされてホールで定期的に上映されたのだが、その一つに「細雪」(監督・市川崑)があった。崑美学の集大成「細雪」はビデオでしか鑑賞したことがなく、いつか大きなスクリーンでと願っていたので、情報を知ったときは天にも昇る心境だった。この上映会が僕の初訪問になるはずだった。それくらい楽しみにしていた。が、当日、叔父の葬儀があってかなわなかった。

 土日が暇になったというのに、それでもやっぱり行く気になれない。NHKアーカイブスなんてもうぜったい観たい番組が揃っているのは間違いないはずなのに。初めの一歩がなかなか出ない。ボケ~と家にいて、2時間ドラマの再放送なんかでお茶を濁している始末。
 メールマガジンに登録して、情報は定期的に送ってもらっているがどうにもいまひとつ。

 気が変わったのは年末だった。映像ミュージアムにおける「空想科学ウルトラマンの世界」展開催のお知らせ、祝日には、黒部進と桜井浩子がゲストのトークショー、プラス「ウルトラマン」の上映会があると。
 腰が浮きかけたが、結局やめた。トークショーは有料(それも前売り)。おまけに上映されるエピソードは「小さな英雄」。ウルトラマン展は4月上旬まで開催しているのだし、子どもでもいれば別だが、大の大人が一人で行くべきものでもないとの判断だった。

 この前の18日(日)、やっと重い腰をあげた。アーカイブスがやはり気になるのだ。
 結果は、クセになりそう! 映像ミュージアムやウルトラマン展は、予想通りだったが、アーカイブスが夢の玉手箱だ。これまでお目にかかれなかった番組がいっぱいある。
 受付で番号札をもらい、空いているブースに案内される。一応時間は2時間の制限を設けているが、足りなければまた受付に言えばいい。
 PCの電源を入れ、入力すべき事項にすべて応えると、再生の画面になった。インデックスに様々がジャンルが表示される。もう、おもちゃに囲まれた子どもの心境。あれも観たい、これも観たい、落ち着きをなくしていた。

 最初に少年ドラマシリーズの「つぶやき岩の秘密」のエンディング。石川セリの主題歌を聴く。続いて、「男たちの旅路」第1話の冒頭。水谷豊の威勢のよさにうっとり。最後まで観たのは1977年に放送された「ビッグショー ハナ肇とクレージーキャッツ」。結成22年めのクレージー、メンバーはまだ40代(の後半)だからもう若い若い。
 彼らの冗談音楽(演奏)を見られたのがうれしい。超新塾の「戦場のメリークリスマス」のネタ、元はクレージーだったのね。
 名作の誉れ高い「あ・うん」もあった。来週はこれを観よう。


1453~0001 1250~0001
(左)SKIPシティ全景
(右)映像ミュージアム(映画、TVの制作を体験できる)の入場料が500円(子どもは半額)。
   最後の未来映像ゾーンが「空想科学ウルトラマンの世界」。

1237~0001 1233~0001 1243~0001
(左)ウルトラマン対レッドキング
(中)ドドンゴ、バルタン星人、グビラ
(右)ガラスケースには、小道具等を展示

1236~0001
初めて「ウルトラマン」を観たときの興奮を誘う影絵

1441~0001
このセットは何の映画だろうか?






2009/01/08

 「WALL・E/ウォーリー」(MOVIX川口)

 ディズニー+ピクサーのCGアニメにそれほど興味があるわけではない。これまで数々の作品が公開されたが、劇場に足を運んだのは「モンスターズ・インク」だけ。これだって株主優待券があったからこそだ。ディズニー映画というところに反発しているのかもしれない。
 「WALL・E/ウォーリー」は違った。予告編を観たときから興味津々。ゴミだらけの荒廃した地球でその処理のためにただ一人黙々と働くロボットの孤独感が胸に迫ったからか。地球ロボットと宇宙からの来訪者との交流に心ときめいたからか。

 地元のMOVIX川口で上映していて、レイトショーもある。が、困ったことに〈日本語吹替え版〉なのである。吹替えはTVでの放映で、と考える者には二の足を踏ませる。せめて、レイトショーだけでも〈字幕スーパー版〉にしてくれと言いたいところだが、無理な話だろう。
 今、吹替え版の上映が増えているのは、子ども向けという理由だけではないからだ。字幕スーパーを読みたくない人が増えているのだ。この事実が、TVの人気タレントによるアフレコがまかりとおり、作品の〈売り〉にもなっている、なんて悪しき風潮を作り出している。まあ、字数の制限がある字幕スーパーより、吹替えの方が原語の意味をきちんと伝えられるとは、聞いたことはあるのだが。
 当然、他の劇場に行くべきなのだが、どうしてもMOVIX川口をはずせない事情があった。あと一回行けば会員カードのポイントが貯まって無料券+ポップコーンがもらえる。この期限が1月中旬迄。早く行かないとせっかくの権利がパアになってしまうのだ。ほかに観たい作品がなかったので、アニメーションだし吹替えも悪くないかもと、自分を納得させたわけだ。

 確かに、WALL・Eとゴキブリ、EVE(宇宙からの来訪者)のキャラクターだけで展開する前半は、吹替えが気にならなかった。オリジナルとほとんど変わらない声質、台詞回しなのだから。
 それにしても、この映画、荒廃した地球が舞台の前半は、アニメというよりVFX映画の趣きがあった。WALL・Eはミュージカル映画が大好きで、ビデオで往年のハリウッドの名作を繰り返し鑑賞している。当然モニターに映し出される人間は実写。そのほか、さまざまなショットでライブアクションが組み込まれているので、CGアニメのWALL・EやEVEも、模型を精巧に動かしているような錯覚に陥るのである(「スター・ウォーズ」のエピソード1~3の作品は、ある意味、人間の役者が合成されたCGアニメだもの)。
 だから、後半、宇宙船内のドラマになって、デフォルメされた人間たちが登場すると、がっかりきてしまう。それとも、地球から脱出してから、ほとんど機械に頼りきった生活を謳歌して進化した人間を皮肉っているのだろうか。

 〈吹替え版〉は、キャラクターが日本語をしゃべるだけではない。画面の出てくる看板などの文字も日本語に差し替えられているのだ。ただし、すべてではない。ストーリーに関係するような箇所だけ。別に字幕スーパーで処理すればいいだけのように思うが、なんと、この映画には一切字幕スーパーが使用されない。だから、ミュージカル映画の中で歌われるナンバーの訳詞はでてこない。これ、〈字幕スーパー版〉でも同様なのか? 歌詞がテーマに直結していることもあるから、歌詞の内容は必要だと思うのだが。

 以下、思いつくままに。

 ピクサーの映画には、本編の前に超短編アニメが上映される。モンスターズ・インクのときもそうだったので、たぶん長編とセットなのだろう。これが面白い
 艦長の声に「ああ、この声、聞いたことがある、誰だっけ?」。もう気になって気になって。エンディング・ロールで草刈正雄とわかって膝を打つ。
 草刈正雄の娘で女優の草刈麻有と黒木メイサって似ている。今気がついた。映画に全然関係ないけど。
 




 承前

 7時前に目が覚めた。前日にかみサンが日の出を見ようと言っていたので、あわててメールする。「何時? どこで?」
 返信はない。
 Yさん家族が起き出したようなので僕も下へ。外をみると曇り空。日の出は見られそうもない。
 列車は山口あたりを走っていた。雪が降り出した。

 これもYさんに教わったのだが、「冨士」&「はやぶさ」の機関車は電流の関係で、本州と関門トンネル、九州と交換される。最初の交換駅が門司。鉄っちゃんたちがあわててホームへ飛び出していく。機関車の交換を撮影するためだ。走行中もカメラを手にした人たちが入れ替わり立ち代り通路を撮っていく。通路だけではない。もうどこもかしこも。
 鉄っちゃんでなくてよかったと思う。なぜなら、もう記念の撮影ばかり気になってゆっくりできないだろうから。

 あっというまにトンネルを通り抜けまた下関で機関車交換。
 走り出して驚いた。一面の雪景色。本当にここ九州なのか?
 きちんと化粧したかみサンがやってきた。あらためてYさんに紹介。
「やさしそうなご主人で」
 Yさんの言葉にかみサンが笑い出す。「どこが?」
 確かに、それを言うならYさんこそ似つかわしい。(あとで、かみサンに言われた。ホント、あなたは外面がいいんだから!)

 11時20分過ぎ、大分駅に到着。Yさん家族に「また明日、帰りの列車で会いましょう」と言って別れる。
 一旦改札を出て、目の前にあったうどん屋で昼食。ごまだしうどんを探したがない。その代わりだんご汁というメニューがあった。豚汁に幅広で短いうどんが入っていると思えばいい。これ、なかなかイケます。

 特急「にちりん」で佐伯に到着。
 まず、タクシーで義父が入院している病院へ。部屋に入っていくと、ある種の懐かしさがこみあげてきた。脳腫瘍の手術後、寝たきりになった母を思い出したのだ。鼻に管をしている父親にかみサンが顔を近づけて「父ちゃん、わかる、○○よ」。「おかあちゃん、わかるか、けーすけだよ」何度言ったことか。
 先に来ていた義母に挨拶する。義母に初めて会ったのは、結婚すると聞いて一人で東京にやってきたときだ。今の僕より1歳ほど若かった。確か、駅でナンパされたとか話していたっけ。印象はあのときとそれほど変わらない。
「田舎の倍賞智恵子だよね」とふたりになってから言うと、「前も同じこと言った」とかみサン。

 あとでいとこの○○ちゃんが車で迎えにきてくれるから、その間、しばし佐伯の街を散策。
 病院をでたところで驚愕。すぐ近くの山がまるで郷里(群馬県太田市)の金山みたいだった。原風景を見ているようだった。
 佐伯は不思議な街で、駅前に商店街がない。タクシーで来た病院から歩いていけるところにあるのだから。その商店街に向かう途中の道路に「イチローロード」の入った石柱が。「なぜ、イチロー選手の名前が?」と疑問に思っていると、漫画家の富永一朗だった。そういえば昔、富永一朗が佐伯出身だと聞いたことがあったな。

 かつて町一番の賑わいを見せた商店街は、見事にシャッター商店街になっていた。もの悲しい雰囲気を漂わせていて、それはそれで情緒があるといえるのだが。

 かみサンが昔よく通ったという喫茶店「LANBRE」へ。蔵を改造した店だが、これが素敵な内装だった。二階には靴を脱いで上がる。真ん中に大きなテーブルがあって、壁の本棚には雑誌「ガロ」のバックナンバーが所狭しと並んでいる。ガロ系のコミックもいっぱい。そのほか興味深い本があって、背表紙をながめているだけで心が弾む。ほかにお客はいないので、貸切状態で、かみサンお奨めのウィンナーコーヒーとシュークリームをいただく。

 病院にもどると○○ちゃんがきていた。義母といっしょに実家まで送ってもらう。
 夕飯はすき焼きと寿司。すき焼きを食べるのは何年ぶりだろうか?
 結婚したころ、すき焼きの具で喧嘩になったことがある。大根が入っていたので僕が「こんなのすき焼きじゃない」と怒鳴ったのだ。
 料理の話になると必ずでてくるエピソードだ。
 結婚はまず異文化交流であることを知った22年前の秋……。
 
 15年ぶりの大分への旅はこんな風に1.5日目を終了したのであった。



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予報に反して東京には降らなかった雪が……

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とんでもなくカラフルな「にちりん」。
佐伯駅に到着して。

kanayama ka

病院を出たところから。
高校2年まで住んでいた
熊野町からみる金山が
こんなイメージだった。

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国道217号(本町通り)400mにわたって設置されているという。

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喫茶店の「LAMBRE」
かみサンにとっても20年(以上)ぶり、
住宅街にあるので、探すのに手間取った。 

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シックな造りでいっぺんで気に入った。

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魅惑の本棚。

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養賢寺/味わい深い門と白壁

そのほか、国木田独歩館なんてのがある。






 承前

 僕は旅行が好きではない。海外はもちろんのこと、国内もどこかへ率先して出かけたということがない。いや、「××に行きたい!」という強い思いがないから、旅行そのものが成り立たないというべきか。何か別の目的があれば違ってくる。
 たとえば、10月の下諏訪ぶらり一人旅。これは紙ふうせんのコンサートがあるというので、出かけたわけだが、新宿から下諏訪への電車の旅は実に心が和んだ。ただぼんやりと窓から景色を見ているのがいい。最初は本を読む。飽きると外の景色を眺める。その繰り返し。僕にとっての旅とは、現地に到着するまでの工程を楽しむもの。だから、下諏訪に着いて、コンサートを観たらもうそれでおしまい。せっかくの機会だからと観光名所などをめぐる気持ちなどないのだ。

 旅の工程を楽しむには、鉄道が一番好ましい。
 深夜バスは料金が安いから魅力がある。それは十分理解しながらできれば回避したい気持ちが強い。何が一番イヤかって、発車すると真っ暗になってしって本が読めない。窓にはカーテンが閉められて景色が見られない、もう寝るしかないのだ。それに比べて寝台特急は、各寝台には読書灯がついているから、外部と遮断するカーテンを閉めてしまえば、ずっと本が読める。あるいは車窓から外を眺めていることができる。寝るときは横になれるからぐっすり眠れる。
 そんな話をYさんにすると、十分鉄っちゃんの要素を持っていますよ、と言われた。

 なぜ、「富士」や「はやぶさ」は廃止されるのでしょう? というのは、東京と札幌を結ぶ寝台特急、たとえば「カシオペア」なんて料金も高いというのに、すごい人気じゃないですか。豪華な個室はあるわ、シャワーはついているわ、食堂車でフランス料理が食べられるわ、もういたれりつくせり。
 「富士」や「はやぶさ」はというと、食堂車がない、朝にならないと社内販売もない。縮小され続け、結局3月で廃止でしょう。この違いは何なんですかね?

 Yさんが解説してくれた。
 それはたぶん何社ものJRが関わってくるからでしょう。JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州。だけど、東日本なんて、ほとんど利益なんてないんじゃないでしょうか。たかだか、東京・小田原間だけで距離で、にもかかわらず、列車が到着してから発車するまでの保全だとか、メンテナンスとか、さまざまな作業がでてくるだろうし。人件費の問題もある。
 「カシオペア」や「北斗星」は、JR東日本とJR北海道の二社だけ。距離も長いし、その分旨みも大きいのでしょう。やる気が違いますよ。

 19時過ぎから、一緒に夕飯を食べた。買ってきた駅弁を取り出す。Yさんは、しきりに一番下の子の名前を呼ぶ。そのたびに僕はドッキン! 名前が同じだからどうしても反応してしまう。先に小学生と書いたが、正確に記せば、長男・小学5年生、次男・小学2年生、三男・幼稚園年長組、である。お父さん同様人懐っこくて、かわいい。
 食事中も、食事が終わってからも、僕が鉄道に関する質問をして、Yさんが答える。そんな会話で1時間ばかり。
 一人の時間を持ちたくなった。カップの日本酒と柿Pをとりだし通路の椅子に座った。これが僕にとって電車の旅の至福のとき。
 何だか眠くなってきた。腕時計をみると22時。寝台に座って外を見ていたYさんと目が合う。
「不思議なもんですねぇ、もう眠くなってきました。自宅だったらまだこれからの時間なのに」
 僕は上段の寝台に上がって、カーテンを閉め、読書灯を消した。

 目が覚めた。時間を確認すると24時。
 喉がかわいていた。8号車にある自動販売機でポカリスエットを買って、そのまま通路の椅子に座って外を見る。
 列車は京都から大阪に入るあたり。Yさんも寝台に腰掛けて外を眺めていた。
 お互い声もかけない。
 新大阪を通過した「富士」は大阪駅で停車した。一人お客が降りた。25時を少し過ぎていた。
 そのまま約1時間。
 ふっと意識がなくなることが重なって、寝ることにした。
 Yさんの姿はもうなかった。


 この項続く(次回完結)






 承前

 9日(金)、16時30分で会社を飛び出し東京駅へ。かみサンとはホームで待ち合わせ。
 着いてから気がついた。「『富士』って何番線なんだ?」
 山手線、京浜東北線、東海道線、中央線、それぞれ色でホームが区分けされている。ブルートレイン用のホームなんてあるのだろうか?
 10番線だった。東海道線の一つ。考えてみれば確かに最初は東海道線を走っていくのだ。
 18時03分の発車時刻よりかなり早めに着いてしまった。ホームにはカメラを持った鉄っちゃんたちがウロウロしている。車両をパチリ、掲示板をパチリ。あっち行って、こっち行ってパチリパチリ。ドアの前でも「はいポーズ」。年齢もさまざま。女性もいる。

 発車20分前にかみサンと合流。大きなマスクをしている。理由を訊くとあとは寝るだけなので化粧してこなかったという。僕も同じようなものだ。会社を出るときにコンタクトをはずし眼鏡をかけたのだから。
 「富士」には車内販売がないので、夕食や酒やつまみを駅内のコンビニで購入して乗り込む。チケットが10分で完売してしまうほどだから、ふたりの寝台はバラバラ。かみサンは10号車、僕は11号車だった。おまけにふたりとも上段。

 寝台には松竹梅の3種類がある。まずA寝台。これは個室(一人)。ドアで仕切られ通路から中が見えないようになっている。
 B寝台には二種類あって、ひとつがソロといわれる個室(一人)、これはA寝台のようなもの。どう違うのかよくわからない。たぶん、広さや作りの点でA寝台より落ちるのだろう。当然料金も。
 もう一つが横長の座席(ベッドになる)が上下にあって、それが向かい合わせになっているもの。一番ポピュラーで、僕なんて寝台列車というとこのタイプを連想してしまう。二階の寝台は簡易梯子を昇り降りして、一見面白そうだが、窓がないのがつらい。夜中、窓際にすわって酒をちびりちびり、流れる景色を楽しみたい者は、通路に出て、窓の下についている折り畳みの椅子に座るしかないのである。

 上段の寝台で、バッグを片づけたりしていると、残り3つの寝台のお客さんがやってきた。なんと、小学生の男の子3人とお父さん。お父さんを筆頭に皆坊主頭。男の子たちはお父さん似。このお父さんがやさしい眼差しで人懐っこい。僕と目が合うと挨拶して「まだ寝ませんから、下に来ませんか?」。
 お言葉に甘えて、下へ。対面でお父さんとおしゃべりを始める。
 このお父さん(Yさん)はけっこう鉄っちゃんが入っていて、子どもたちもその影響を受けている(特に長男)。ただ、これまでブルートレインの「富士」や「はやぶさ」には乗ったことがなかった。廃止される前に一度は乗りたい、という子どもたちのリクエストもあって、今回の九州旅行になったとか。初日は大分をめぐり、熊本まで足を伸ばす。
「熊本だったら、ウルトラマンランドがあるね」
 子どもたちに言うと、何の反応もない。ウルトラマンも仮面ライダーも興味ないのだろう。小さいときは「機関車トーマス」に夢中になった口か。残念。
 東海道線で事故があったとかで、定時より少し遅れて発車。
 長男は窓際についているテーブルにノートを広げる。ノートには停車駅が書かれていて、実際に停車した時刻を記入していくという。

 僕たちの〈旅行〉についても説明する。かみサンが隣の車両にいること、大分はかみサンの実家であること、義父が倒れてその見舞いであること、佐伯に行くこと、実家には一泊しかできなくて、11日(日)の「富士」で帰ること。
「ということは、うちと同じですね。うちも11日に熊本で『はやぶさ』に乗りますから」
 とYさん。
「同じ? 何がですか?」
「帰りもまた一緒ということですよ」
 鉄道に詳しくない僕は知らなかった。「富士」は東京~大分間を、「はやぶさ」は東京~熊本間を、それぞれ走る寝台特急で、東京~門司間は連結して走っていることを。
「そうなんですか! でも掲示板には『富士』としか出ていなかったような」
「ちゃんと交互にでていますよ」

「大分の名物料理って何ですかね?」
 Yさんに訊かれた。
「かみサンなら知っていますよ」
 僕はすかさずメールする。「こっち来ない?」
「もう寝てるんだけど 何?」
「いいからおいでよ」
 少ししてやってきた。Yさんに紹介する。
 かみサン、あわてて両手で顔を覆った。すっぴんは他人に見せられないらしい。そのままUターン。
 後姿に尋ねた。「大分の名物料理って何だ?」
「ごまだしうどん! 最近人気らしいの」
 それだけ言って消えた。


 この項続く 





 昨年の1月、義父が脳梗塞で倒れた。命に別状はなかったが完全に寝たきり状態になってしまった。その見舞いを兼ねて9日からの三連休を使って大分・佐伯へ行ってきた。

 娘が小さかったころ、かみサンは娘を連れて毎年お盆の前後2週間ほど帰省していた。僕自身も、2、3回、後から追いかけたり、一緒に行って先に帰ったりという形で、行動をともにした。
 かみサンの実家は、平成の大合併で今は佐伯市だが、当時は南海部郡上浦町といった。すぐ前は海、うしろは山。駅は無人で定期を持っている人は改札を通らない。もう絵に描いたような田舎で、海大好きの僕は、毎日海岸でボンヤリ日光浴していたものだ。
 ちなみに、今年の元旦、テレビ朝日系の初日の出番組で中継された豊後二見ヶ浦は歩いて行ける距離にある。

 帰省した際のもうひとつの楽しみは湯布院散策。高校時代、キネマ旬報に掲載される「湯布院映画祭」レポートでその存在を知り、一度行ってみたかったところ。電車で片道2時間強かかるのだが、日帰りするにはちょうどいい距離だ。民芸、陶芸、絵画、彫刻、いろいろ見てまわるスポットがあり、オープンしたばかりの和洋折衷のレストランで舌鼓を打った。
 湯布院も二度行ったきりで、その後訪れたことはない。
 娘が小学生になると「突発性血小板減少性紫斑病」を発症、入退院を繰り返し、帰省そのものができなくなったのだ。病気は5年生か6年生になって完治したものの、高校生になるまで、かみサンでさえ帰省したことがなかった。
 その後、かみサン(と娘)は何度か帰省しているが、僕自身はまったく縁がなくなった。今回の大分行きは実に15年ぶりなのだ。

 僕もかみさんも飛行機が苦手である。だから帰省はいつも鉄道だった。東京から小倉まで新幹線で約5時間。小倉で日豊本線の特急「にちりん」に乗り換え、大分まで。これが1時間30分。大分で各停に乗り換えて浅海井へ。これまた1時間30分。乗り換えの待ち時間等を含めると、東京を朝の6時台に出発しても、実家に着くのは午後3時を過ぎるのだ。まあ、電車に乗って読書したり、外の景色を見ているのは好きだからいいのだが、神戸~小倉間の新幹線にうんざりしてしまう。はっきりいって疲れる。新幹線って、東京~神戸間くらいが限度なのではないか?
 ブルートレインで帰ろうと提案したのは僕だ。一度だけ大分から一人で帰ってくるときに利用したことがある。時間的には新幹線利用の倍以上かかってしまうが、料金は少々高いだけ。移動そのものは風情があって楽しめる。

 しかし、今年3月のダイヤ改正でブルートレイン「富士」「はやぶさ」が廃止されるのを知らなかった。一ヶ月前に発券されるチケットが10分で完売してしまうのだ。これで、正月(1~4日)に帰省するつもりが、一週間延びてしまった(9~12日)。だからこそ、祖母の100歳誕生会やラグビー部の新年会に出席できたわけだが。

 本当は一家3人で帰りたいところだが、猫の世話などもあり、夫婦ふたりの旅となった。
 9日(金)の夕方、東京駅のホームで待ち合わせすることに。

 この項続く





 三連休を使ってかみサンの実家(大分県佐伯市)へ行ってきた。うちは飛行機が嫌いなので、往復ともにブルートレイン〈富士〉を使って。9日(金)の夕方に東京駅を立ち、本日10時ちょっと前にまた東京駅へ。
 現地1泊の、少々あわただしい日程だったが、ブルートレインの旅はゆったりとしていて疲れない。新しい出会いもある楽しい旅だった。
 この件については、項を改めて。

          * * *

 承前

 表2は、松竹映画「愛と誠・完結編」の広告だ。早乙女愛と加納竜の主演。そんな映画、確かにあったなあ。表4はジャン・ポール・ベルモンド主演の「危険を買う男」。
 黒澤明が復活して、ソ連で「デルス・ウザーラ」を撮った後なので、増刊「黒澤明ドキュメント」の広告もある。第Ⅰ部「デルス・ウザーラ」、第Ⅱ部・黒澤映画創造の秘密、第Ⅲ部・事典・参考文献・年譜。

 この号は「愛のコリーダ」も特集している。大島渚監督による日本初のハードコア。主演は松田英子と藤竜也。アルゴス・フィルム=オセアニック=大島渚プロダクション、東宝東和配給の表記がある。カラー2P、モノクロ5P。
 ラウレンティス製作の「キングコング」が撮了したことを伝える2P。貿易センタービルから墜落死したコングのショットが何枚か掲載されている。
 「冒険喜劇大出世」1Pのあとが、お待ちかね「犬神家の一族」だ。
 〈横溝ミステリの完璧映画化/監督市川崑/角川春樹事務所第1回作品〉。見開きで横溝正史と金田一に扮した石坂浩二が語らっているカットがいい。
 その他、紹介されている映画は、マーチン・スコセッシ監督の長編2作め「明日に処刑を…」、バート・ランカスター、ソフィア・ローレン主演の「カサンドラ・クロス」、マリリン・チェンバース主演のハードコア「グリーンドア」、コッポラ監督の「地獄の黙示録」第一報も。
 東映は「太陽の恋人アグネス・ラム」「爆発!750CC族」「男組・少年刑務所」の3本立て。「爆発!750CC族」には町田(政則)さんが出演しているのではないか?

 「六輔七転八倒」というタイトルの1ページコラムがある。この連載が終了して「小林信彦のコラム」が始まるのだ。このコラムに夢中になって、1冊にまとまる(「地獄の観光船」)と、迷わず購入。以来、熱狂的なファンになる。
 「第一回湯布院映画祭」の開催を伝えるページもあって、今ではすっかり有名になった地方の映画祭がこの年に始まったことを知る。この映画祭で、湯布院が僕にとって憧れの温泉郷になった。

 記事のトップが「顔と言葉」。横溝正史が「映画の中の金田一耕助の思い出」のタイトルで書いている。
 金田一のモデルは、劇作家の菊田一夫だという。この人にサトウ・ハチローのイメージも入って、最初は〈菊田一耕助〉にしようとして、〈菊田一〉ではちょっとへんなので、なまって〈金田一〉になったとか。金田一京助にはまったく関係ないのか、と当時思ったような。

 座談会のメンバーは、監督の市川崑、プロデューサーの角川春樹、音楽を担当した大野雄二の3氏。司会は編集長の白井佳夫だ。以前、角川春樹が崑監督に「犬神家の一族」をオファーする際、「吾輩は猫である」ではなく、「雪之丞変化」のような映画を注文したと書いたことがある。それはこの座談会の記事で知ったことなのだが、三十数年ぶりに読んだら、若干違っていた。角川春樹が前売り券を購入してもらった銀行・支店長の言葉だった。
「最年少のプロデューサーと最年長の映画監督」と角川春樹が言えば、すかさず崑監督が「最年長ではない(笑)」と否定する。このとき崑監督60才。写真を見ると、実に若い。
 白井佳夫が言うには、この座談会は(これまでに比べて)とても盛り上がったらしい。その要因に角川春樹という外部の世界の血が、映画界に輸血されたことが、巧くいっている証明と語っている。
 しかし、その後、キネマ旬報を退社し、映画評論家になった白井佳夫が角川映画に批判的になると、角川春樹は、試写会からシャットアウトしてしまう手段にでる。なんだか大人気ない。

 シナリオ(長田紀生・日高真也・市川崑)も掲載されている。ミステリなので、公開時まで犯人を知りたくないと読むのを我慢した。
 なのに、なのに、モノクロのスチールに、高峰三枝子が静馬の頭に斧を振り下ろそうとしているところがあって、嗚呼! 

 白井佳夫は、この号のあと、少しして編集長を解任されてしまう。オーナーと喧嘩したのだ。その原因となった広告が掲載されていた。竹中労の連載「日本映画縦断・73 山上伊太郎のシナリオ・Ⅳ 〔生活の虜と情熱〕」の4ページめの上段、「浪人街」ツアー募集の囲み広告。
 山上伊太郎が亡くなったフィリピン・ラムット河畔に地蔵尊を建立するツアーに45名の(読者の)同行を募っているのだが、この募集広告がオーナーの逆鱗に触れたのだ。ツアー中に事故が起きたら誰が責任をとるのか! と。

 白井佳夫解任後、編集長は編集員で主に興行関係の記事を担当していた黒井和男に引き継がれる。この後も僕はキネマ旬報を購読し続けるが、なんだか妙に垢抜けして面白くなくなってしまうのだ。ある種のマニアックさがなくなったのは残念だった。



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「顔と言葉」

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「座談会 新しい日本映画の誕生」


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「犬神家の一族」主題曲の広告

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1976年はこの1年後





 年末、TVでリメイク版「犬神家の一族」が放映された。市川崑監督の遺作となった作品。市川崑ファン、石坂=金田一映画ファンとして、このリメイク版について、今回もあまり多くを語りたくない。ただ、ラスト、田んぼ道を一人寂しく去っていく金田一の後ろ姿に目頭が熱くなったことは確か。劇場で観たとき以上に。
「あの時代に田んぼのあぜ道が舗装されているのはおかしい!」
 公開時そう指摘した友人の言葉には耳をふさいで。

 正月に帰省して、弟の部屋(かつて半分は兄も使用)の本棚(当然、かつては兄の所有物)を眺めると、キネマ旬報が並ぶ一角があった。高校時代にせっせと買い集めていたものだ。懐かしくなって、ある号を手に取った。
 1976年10月上旬秋の特別号(No.692)。特集が「犬神家の一族」なのである。

 当時、横溝正史の小説は一冊も読んだことがなかった。もちろん、横溝ブームはすでに始まっていたし、書店に寄れば角川文庫のシリーズがいやでも目に入る。ミステリは嫌いではないから、興味はあったのだが、文庫を購入する気になれなかった。表紙のイラストが好みでなかったことと、文章に古臭さを感じたことが要因だ。
 にもかかわらず、市川崑監督が「犬神家の一族」を映画化するとのニュースに拍手喝采した。金田一探偵のキャラクターや時代設定等、こんなに映画に適した題材はない! そう勝手に考えて公開を心待ちにしていた。
 そんな期待作の情報第一弾として、〈秋の特別号〉を手にしたときの感激は忘れられない。

 1976年(昭和51年)。高校2年生だった。
 どんな年だったか、ちょっと調べてみた。
 モントリオールオリンピック。田中角栄逮捕。新自由クラブの結成。毛沢東逝去。この年、少年ジャンプに「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が始まったのか。村上龍も「限りなく透明に近いブルー」で颯爽とデビューしている。
 
 この〈秋の特別号〉、ちょっと振り返ってみよう。 

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 キネマ旬報 
 1976年10月上旬秋の特別号
 

 この項続く(12日以降)






 井上堯之さんが引退されるという。あまりに突然で信じられない。とてもショックだ。
 今月17日(土)に地元川口のライブカフェで行われるライブを楽しみにしていたのに

 2006年の9月、井上さんのコンサートに初めて足を運んだ。コンサート終了後、楽屋に伺って雑誌「まぐま」を手渡しときの感激、後日郵送されてきた直筆の礼状、天にも昇る心境だった。
 今年も17日のライブを皮切りに、全国ツアーが敢行される予定だった。そのすべてをキャンセルしての引退発表。いろいろ詮索したくなるが今は何も語らず。
 今度復刻される「青春の蹉跌」「雨のアムステルダム」のサントラCDは宝物になるだろう。
 井上さんが手がけた映画(TVドラマ)音楽(テーマ曲)を新たなアレンジで集大成したCDをリリースすればいいのに、とずいぶん前から考えていた。素敵な曲がいっぱい揃うと思うのだが。

          * * *

 ●「青春の蹉跌」ありがとう! 2006/09/18

 今年の初めミュージシャンが書いた本を2冊読んだ。1冊は「自暴自伝」(村上・ポン太・秀一/文藝春秋)、もう1冊は「スパイダースありがとう!」(井上堯之/主婦と生活社)。

 「スパイダースありがとう!」ではいろいろな発見があった。井上さんがアイドル系グループ(3人組というところからスリーファンキーズみたいなものか)でデビューしていること、スパイダースのメンバーになってからは、最初ギターがヘタで、特訓を重ねたとか。驚いた。

 井上堯之という名を知ったのはショーケン主演のTVドラマ、映画の音楽担当者としてだった。スパイダースのギタリストだったことを知ったのはその後だ。
 井上さんの、最初の映画音楽の仕事が「青春の蹉跌」だった。「スパイダースありがとう!」でそれを知り、ある思いが生じた。
 実は(中学生時代に)洋画音楽に夢中になっていた僕が、ショーケンの主演ということでこの映画を観て、最初に感じたのが音楽の良さだった。サブカル・ポップマガジン「まぐま」に連載している「小説と映画のあいだに」で「青春の蹉跌」を取り上げ、まず最初にそのことを綴った。
 井上さんが書いた映画音楽にしっかり反応した中学生がいたこと、そのことを知ってもらいたくて、どうしても井上さんに「青春の蹉跌」の文章を読んでもらいたくて、掲載された「まぐま」を渡したくなった。

 16日(土)、井上さんのコンサートが西東京市保谷こもれびホールであった。
 コンサート終了後、スタッフ(の中で責任者らしき人)にその旨告げると、「じゃあ、楽屋にどうぞ」。
 井上さんに直接手渡せた。握手を求められた。
 大感激!!!




 高校ラグビーの華は冬の花園。全国高校ラグビー大会だ。僕らのころも同じだった。当時はほとんど注目されていなかったが。秋の大会で勝ち進むと、全国大会出場の切符を手に入れることができる。ラグビーの本流は秋の大会にあるわけだ。まあ、ラグビーはウィンタースポーツであることだし。が、そこは進学校。大学受験を考慮して、目標は〈春の大会で優勝!〉だった。

 1977年、春。わがO高校は決勝で宿敵T高校に敗れた。土砂降りの雨の中、「ぜったい勝てる!」と臨んだ試合なのに、本来の力を発揮することができなくて、惜敗したのだった。ほかのメンバーの多くは、そのまま練習を続け、秋の大会に出場したが、僕は、すっぱりと足を洗った。別にラグビーが好きで続けてきたわけではない。成績は超低空飛行、彼女にはふられる、どん底の高校生活の中で、何か一つ〈やり続けること〉の手段として、一度は辞めたラグビーを選んだに過ぎない。だからこそまた辞めるなんてことは沽券にかかわる。

 そんな経緯があるので、高校を卒業してからまるでラグビーとは縁のない生活を送っている。
 毎年、新年会のあとに宿泊させてもらっている友人・Yは違った。根本的にラグビーが好きなのだ。卒業後はOB会(毎年1月2日に開催)に顔を出し、後輩たちとの交流試合に汗を流す。少年ラグビーの団体ができるとコーチを買って出る。その関係で三洋電機ラグビー部(ワイルドナイツ)の人たちとも面識ができたらしい。

 三洋電機(旧・東京三洋)は隣町の大泉に所在しているが、ワイルドナイツのホームグランドは太田市運動公園陸上競技場である。Yたち、少年ラグビー関係者はホームでの試合の手伝いをしていて、4日のNECグリーンロケッツ戦も朝早いうちに競技場に出かけで行った。家族には招待券が配られる。
 キックオフは13時。普通なら、家族が競技場に向かう際、駅まで送ってもらって、帰宅の途につくのだが、トップリーグの試合だし、今後の執筆を考え、取材の一環で観戦することにした。

 太田市運動公園陸上競技場を訪れて、またまた感慨にふけった。高校時代にラグビーの試合で通っていた以来のことなのである。あのころ、帰りにピリカで味噌ラーメン食べたっけ。
 スタンドからグラウンドを眺めた。
「ああ、ここで戦ったんだ、あの雨の日。スタンドには誰も応援がいなかったっけ」
 高校野球は一回戦から応援団と生徒たちが声援を送る。一回戦で負けるのに。ラグビーはというと決勝戦でも誰も応援に来ない。選手の両親すら顔を見せたことがない。当時はそれが当たり前だと思っていた。なぜだろう? 応援があれば、それが一人でも二人でも、それだけでモチベーションが上がったのに。
 それはともかく。
 あの土砂降りの雨の中の試合。さまざまなシーンが脳裏に蘇ってくる。
「青春だったなぁ」
 違った。当時ラグビーは隣のサッカー競技場で行っていたとのこと。
「この競技場は、中3のときの陸上大会がこけら落としだったこと忘れたのか?」
 というと、100m走で一位になった、同級生たちとスタンドで記念写真を撮った、あの競技場か! あれから34年経っているのか。

 キックオフからノーサイドまで、休憩を入れて100分弱、スタンドで観戦した。かなり熱中。三洋電機は今期これまで負け無しの10連勝中とかで、この日も実力の違いを見せつけ、55:9で圧勝した。

 驚いたのは試合後。なんと観客にグラウンドを開放し、選手とのコミュニケーションを許可しているのである。サイン貰う人、写真を撮る人、エトセトラ、エトセトラ。Jリーグで同じことをしたらパニックが起こるだろう。その後は観客の子どもたちを対象にしたラグビー教室の開催。これまた両チームのメンバーが参加するサービスぶりだ。
 ラグビーがまだまだマイナーである証拠なのだろう。Yに言ったら、否定された。
「違うんだよ、こういうことは、太田でしかやっていないの。ほかも見習えっていう風潮になっているんだってさ」

 太田名物は焼きソバだけではなかった。




 今年は正月休み中に2度帰省(?)した。
 もともとは、3日の高校ラグビー部の新年会(同級生及び1年後輩たち有志による飲み会)に合わせ、父親と父方、母方の本家への挨拶廻りをしようと考えていた。
 年末に急遽父親から連絡があった。
「元旦、おばあちゃんの100歳を祝う会をやることになったから参加しないか?」
 そりゃもちろん。娘は年始バイトを入れているため、夫婦で出席した。

 東京の伯父(祖母の長男)の発案で感謝状を作成し、お祝い(金)とともに手渡すセレモニー。その後はいつもの新年会のように飲み食いという内容だ。感謝状の授与は孫代表ということで僕の役目に。某首相のように漢字を読み間違えないか、ドキドキしましたよ、まったく。
「100年に一度のことなので」
 会の最中、伯父(叔父)たちから何度聞いたことか。
 市からの表彰は7日だという。06年に98歳で亡くなった祖父が生きていたら、100歳夫婦の誕生だった。地元でけっこう話題になったと思う。

 別の意味でも感慨深かった。祖母が100歳になる年に娘が成人式を迎えるのか。
 僕の一言を聞いて、かみサンが言った。
「そうよ、○○(娘)がまだ幼かったころ、おばあちゃんが100歳になったときに成人式だねってみんなで話したじゃない」
 そうか、すっかり忘れていた。
 ふた昔前、祖母も祖父も元気すぎるくらい元気だった。
 娘が20歳になれば、かみサンも僕も50歳(近く)。ほんとうにそんな時代がやってこようとは。20年、あっという間だった気がする。

 3日の夜はラグビー部の新年会。いつもの飲み屋に今年は6名揃う。僕は足が速かっただけで、ラグビーのセンスはほとんどなかった。ボールをもらったらまっすぐ走るだけ。ステップは切らない(切れない)、タックルはしない(できない)。毎年、その点をつかれ、皆になんだかんだ言われる。で、今年指摘されたのだ。
「お前は(精神的な)マゾだ」
 毎年、イジメられることがわかっていながら嬉々としてやってくる。イジメられるのが快感なんだと。
 いやいや、それは違う。
 最初は高校時代のラグビー部の活動に関するエピソードを仕入れようという考えだった。男子高校ラグビー部を舞台にした青春映画のシナリオを書きたいという願望があって、実際、20代のころに完成させた。今は小説にしたいという気持ちが強い。タイトルは「メロディ,ミッシェル&ジュリエット 1977 春だったね」。陽平くんシリーズの第2弾、予備校生たちの恋愛模様を描く「1978 僕たちの赤い鳥ものがたり」の前日譚にあたる。「僕たちの赤い鳥ものがたり」が赤い鳥の「紙風船」をモチーフにしているがこちらは吉田拓郎の「春だったね」。エッセイ風小説を目指して、mixiに何回か元になる文章を綴ってそのままになっている。
 今年こそ!

 というわけで、翌4日は毎年新年会のあと宿泊させてもらっているYの誘いで、Yの家族と一緒に「ラグビートップリーグ 三洋電機ワイルドナイツ対NECグリーンロケッツ」を観戦する。

 この項続く




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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