2009/02/15

 「20世紀少年 第2章 最後の希望」(新宿ピカデリー)

 お待ちかね「20世紀少年」の続編である。3部作の2作目なので「第2章 最後の希望」のサブタイトルがついた。この公開に合せて第1作がDVD化されるのだが、帰宅途中のレンタルビデオ店の前で首をひねった。ポスターのタイトルが「20世紀少年 第1章 終わりの始まり」。公開時は「20世紀少年」とシンプルだったのに、なぜ? 

 この映画が単発の企画だったら十分ありえることだと思う。大ヒットしたから2作目、3作目の製作が決定した、だから、2作目が「第2章…」になり、遡って1作目も「第1章…」のサブタイトルがついたのだと。映画界ではよくあること。しかし、よく考えてほしい。映画「20世紀少年」は最初から3部作として発表されたのだ。日本テレビが幹事となった製作委員会方式の、総製作費60億という日本映画として非常にマレなケース。だったら、最初から第1作に「第1章」とあってもよかったではないか。
 どうも日本テレビのやることはよくわからない。「デスノート」2部作がそう。1作目が「前編」だったので、では続編は「後編」かというと、そうではなく「the Last name」。法則性、ルールが無視されている。DVD化の際、1作目に何かサブタイトルがつくものと思っていたが、「前編」のままだった。

 映画公開の前日には「第1章」がTV放映された。「デスノート」でも、2作目公開時に「前編」を放映したが、あまりに早すぎる放映に対してフジテレビから抗議を受けた。この轍を踏まないように、今回はTV用のスペシャルバージョン。しかし、このTVバージョン、映画版が気に入っていた僕にはどうにも受け入れ難かった。よって、途中でNHK手塚治虫特集にチャンネルを替えた次第。

 前作は主人公たちの小学生時代と現在(といっても2000年)を交錯させながら、謎の教団「ともだち」との攻防を描いた。原作を読んでいなかった僕は、主人公(及びその仲間たち)と同い年(昭和34年生まれ)で、似たような思い出を共有していることに歓喜し、また「ともだち」の正体に興味津々。首を長くして「第2章」の公開を待っていたのだ。
 当然、この「第2章」で「ともだち」の正体が判明すると思っていた。「第1章」は「ともだち」の正体は誰かという謎で引っ張り、「第2章」で種明かし、新たな謎で「第3章」に繋ぎ、敵と主人公たちの一騎打ち! そう睨んで5ヶ月間ぐっと我慢して、原作をあたらなかったのに。今回も引っ張るだけ引っ張って「第3章」に続く、なんだから、ラストで脱力したよ、まったく。

 この映画の特筆すべき点は、キャスティングだと思う。
 唐沢寿明扮するケンジと、回想に出てくる小学4、5年のケンジがまるで違和感なく見ていられるところが、勝因ではないか。これは仲間たちすべてにいえることでもあるが。
 「第2章」では2015年が舞台となって未来の話になる。役者たちには15年の経過を示す老けメイクが施される。これは映画の中のアナウンサーたちも同様なので、芸が細かいと唸った。メーキャップの技巧はさておき。
 にもかかわらず、なぜラスト近くに登場する徳光和夫は素のままなのか? もうがっかりだ。7、8年経っても、徳光さんは今とそれほど変わらないという判断なのか。あるいは、徳光さんはあくまでも役者であって、映画の中では別人物を演じているのか。だったら何も徳光さんをキャスティングしなくてもいい。

 ほかにもショットガンの威力に疑問が生じた。間近で顔を狙撃されると正視できない破壊力と説明され、最初の犠牲者の顔はでてこなかった。しかし、同じショットガンに眉間を狙われたニューハーフは、血を流して床に倒れただけだった。この違いは何なんだ? ニューハーフはある程度の距離から撃たれたので、顔は破壊されるほどではなかったという理屈なのか?
 ヒロインのカンナ(平愛梨)は元気ハツラツでかわいいし(ヘアスタイルがいい)、トヨエツの、男も惚れ惚れする「かっけぇー」ショットはあるし、昭和40年代のかくある子ども部屋は拝めるし(もう垂涎!)、と、いいところもあるにはあるのだが、肝心なところでポイントを下げている。全体的に冗長に思えた。
 出演シーンはごく短いがARATAが印象深い。

 「第1章」のラストで都市に甚大な被害を与えた大爆発に巻き込まれたにもかかわらず、主要人物が何事もなかったかのように「第2章」に再登場している。この映画一番の謎、トリックは「第3章」できちんと説明してくれるのだろうか?





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2009/02/15

「談四楼独演会 第162回」(北澤八幡神社 参集殿)

 京都から帰った日は、偶数月恒例のお楽しみ、談四楼師匠の独演会だ。
 やはり二つ目シリーズがなくなったことによって出演者は一人減った。が、開始時間はこれまでどおり。つまり終演が15分ほど早くなる計算。それだけ打ち上げが楽しめる?!
 

 立川春太 「千早ふる」 
 立川こはる「狸の札」  
 立川三四楼「浮世床」  
 立川談四楼「もう半分」
 
 〈仲入り〉

 カンジヤマ・マイム 「パントマイム」 
 立川談四楼「長屋の富」 


 春太さん、やっと聴けた。こはるさんの天才小学生ぶりは相変わらず。小学生じゃないって! 

 ゲストは待ってましたのパントマイム。個人的にパントマイムは大好きなのだ。
 カンジヤマ・マイムという名は初めて聞くのだが、かなりの実力者みたい。
 最初は人間もどきの人形が魔法がとけて徐々に元に戻っていく一人芝居。政治批判も含んでオチも決まっていた。あやつり人形の動きが新鮮。こんなパントマイムもあるのか。続いて、おいしいりんごの食べ方、ボケないための指の運動。身体の運動。

 師匠の一席めは最近の気候によって決められた。昨日今日と暖かい、いや暑すぎる! 静岡では夏日を記録したとか。で、怪談噺にしました、と。
 この噺、何度か聴いているが、どうも好きになれない。
 小さな居酒屋を営む夫婦。この店の常連に妙に暗い老人がいる。一合の酒を必ず半分注文する。飲み終わると「もう半分」とまた注文。その繰り返し。最初から一合にすればいいものを、と、この男の風体から性格すべてを毛嫌いする女房に、いやそれには酒飲みなりの理由があるのさと優しい心根を見せる主人。
 この店に老人が50両を包んだ風呂敷を忘れたことが発端。借金の返済のため、娘が吉原に身を売って作ってくれた金。ところが、女房が忘れ物はなかったと50両をネコババしようとする。忘れものをした、しないの押し問答。どんなに説明しても、最後は夫婦そろって「ないものはない」。哀れ、老人は近くの橋から身を投げてしまう。
 この50両を元手に店を改築して大繁昌。やがて女房は妊娠、めでたしめでたし……になるわけがなく、出産当日、身の毛のよだつ出来事が夫婦を襲うというさげ。

 老人の、酒を飲む、肴をつまむ、飲むほどに酔うほどにといったしぐさは楽しめるのだが、女房の性格が信じられない。最初から業突く張りのイヤーな女で登場すればいいものを、亭主思いの働き者って感じだからやりきれなくなる。どのように50両を工面したのかを聞いて、それでも「ない」とは普通の人間なら言えないだろう。まあ、そこが女心の怖さ、なのかもしれないが。しまいには主人も女房の肩を持ってしまうし、お前ら、そこまで金に困っていないだろう! と叫びたくなる。と、いいながら最後のブラックユーモアに包まれたグロさは、一度映像で観てみたい気がする。無理か。

 二席めの「長屋の富」は師匠のオリジナル。「大銀座落語祭」で一度聴いている。富くじで千両を当てた職人のその後を描く人情噺。落語には富くじを当てるまでの噺はあるが、当ててからの噺となるとこれがないらしい。貧乏長屋に場違いな大金が巻き起こす大騒動。当てた本人には罪はないのに……。思わず膝を打つサゲにもかかわらずほろ苦い幕切れだ。
 筑摩書房のPR誌「ちくま」4月号から連載が始まる時代小説はこの噺がベースになるらしい。作家、立川談四楼の初の時代小説。一昨年から今か今かと心待ちにしていた。すでに1年間の購読申込みは済ませている。さあ、春よ来い。
 ちなみに「長屋の富」は一度活字になっている。新作文芸落語として「小説新潮」に掲載された。


 【追記】

 「もう半分」に入る前、中川財務相兼金融担当相大臣のG7での泥酔会見について触れていた。師匠曰く「あれは明らかに宿酔いである」。「私自身が経験者だからあの顔を見れば、すぐわかる」とニヤリ。この時点では、京都往復があったので、この会見映像を見ていなかった。帰宅後目にして唖然。それがアルコールによるものなのか、風邪薬によるものか、なんてことより、あんな状態でなぜ会見したのか?
 それから、あの酩酊会見、どこかで何度も見たような気がする。思い出した。アル中時代の赤塚不二夫だ。当時、焼酎のウーロン茶割りのグラスを片手によく取材を受けていた。あのときの表情や言い回しがよく似ているのだ。 





 承前

 イベントが終了してマネージャーのNさんから打ち上げがあるからとFCの面々も誘われた。この打ち上げ、前回(第6回)のときもあったのだろうか? もしあったとしても、事務局、関係者だけのうちうちのものだったと推測する。
 今回は2階のレストランを貸し切って開催されたのだが、出演者、事務局、関係者のほか、お客さんも対象だから、すごい大人数(だからこその貸切なのだが)。とんでもない賑わいだ。料理はバイキングで、並ぶのが嫌なので、人が少なくなってから行くと皿には何もない状態。予定を上回る参加者だったのだろう。

 テーブルを挟んで僕の前に座られた方々が合唱団のメンバーだった。その一人、Uさんに訊いてみた。合唱団の人数が8年前に比べて少ないのはなぜでしょうか?
 ステージに立つことは自分が被差別部落出身者であることを世間に知らしめること。後ろ指さされることもたびたびだそうだ。そうなるとステージに立とうとする人は限られてくる。
「結成時、20名以上いらっしゃいましたよね?」
「32名いたの」
 確かに、メンバーに年齢の幅があったような気がする。若手(といっても中年だけど)が去ってしまったというわけか。いろいろなしがらみがあるのだろう。本人自身が嫌になることもあるだろう、家族(亭主や子ども)からやめてくれと言われて身を引くということも考えられる。21世紀になっても差別がなくなっていない現実にため息がでる。

 Uさんはこんなことも話してくれた。学生数名が〈在所〉と呼ばれる地区に遊びに来た。コンビニに買い物に寄った際、荷物があって、自転車のカゴに入れたまま中に入ろうとする一人に別の一人が言った。「ここ在所だからさ、盗まれるぞ」
 そばを通りがかって、その言葉を聞いたUさんは烈火のごとく怒って、学生をどやしつけた。「ここはそんな物騒なところではない!」

 同和問題は根が深い。認識の甘さを痛感させられた。
 これまで本でしか知らなかった事実を、生の言葉で聞くと真実味が違う。「差別をなくそう」と言うのは簡単だ。しかし、そういう人こそ、差別とはまるで関係ないところにまるで他人事のような顔して立っているのだ。僕自身がそうだもの。
 00年以降、確かに放送禁止歌は放送禁止から解放された。自主規制はなくなった。少なくとも「竹田の子守唄」は、赤い鳥の復刻CDに収録されるようになった。TVでも歌われるようになった。それは、喜ばしいことだが、差別自体がなくなったわけがない。より暗闇に浸透したのかもしれない。
 本音をいえば、全世界の差別はなくならないと思っている。でも、せめて日本国内だけはそんなものなくしたい。



【追記】

 イベントが始まる前に、ロビーで販売していた冊子『唄い継ぐこころ ~私の中の「竹田の子守唄」~』を購入した。合唱団のメンバーのうち、5名がインタビューに応じ、被差別部落出身者の半生を語っている。Uさんの名前もある。
 小中学時代の貧しさは生半可ではない。いわれなき差別に傷ついた日々。教師の何気ない一言、表情に心を閉ざす。語り部たちの体験に驚愕したり、ため息ついたり、胸熱くしたり……「夜明け前」や「橋のない川」の世界は何も小説だけのものではない。本当にあったのだ。そんな当たり前のことに気づかせる。インタビュアーによる、「竹田の子守唄(元唄)」のどの詞が好きかという質問。実際のエピソードを目にすると、歌詞がより具体性をもってくる。






 承前

 「竹田の子守唄」をフィーチャーしたライブだからだろう、伝承歌特集として、久しぶりに「円山川舟唄」「いかつり唄」が披露された。
 平山さんのリードヴォーカル「円山川舟唄」は、亭主(恋人?)である船頭を想う女唄。

  雨が降りゃよいな ざんざか雨が
  いとしあの男(ひと)の 肩休め

 女心がかわゆいね、なんて。夫婦だったら新婚なんだろうな。

 「いかつり唄」は、後藤さんヴォーカルの、大漁に賭ける漁師の心意気を歌い上げる男唄。
 この対照的なカップリングがいい。30周年記念リサイタル、「なつかしい未来」VOL1、それぞれ第1部の伝承歌特集で最初に歌われている。
 メイン「竹田の子守唄」の前には、アメリカの伝承歌をレパートリーにしているPPM(ピーター、ポール&マリー)メドレー。
 後藤さんは、PPMに出会った高校時代、アメリカの公民権運動に興味を持ち、文化祭で研究結果を発表したが、誰にも相手にされなかったとか。
 「悲惨な戦争」と「ジョニーは戦場に行った」の関係が気になる。まあ、〈ジョニー〉は日本の〈太郎〉みたいな名前なんだろうが。「パフ」のマジックドラゴンについて、後藤さんが「原子爆弾の暗喩ではないか」と私見を述べていた。初めて聞く。

 アマチュア時代、後藤さんと平山さんがコンビで歌っていたときの名称は「後藤悦治郎&平山泰代」。ピーター、ポール&マリーの影響だろうか? そういえば、アメリカには名前を並べるだけというグループ名が散見される。サイモン&ガーファンが有名か。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなんてPPMの上(4人)だもの。
 この時代からふたりは「竹田の子守唄」を歌っている。第2部タイトルの〈あれから40年〉はここに由来する。紙ふうせんになって赤い鳥の「竹田の子守唄」を引き継いだというのではなく、原点に戻って歌いだしたのだ。後藤さんの「竹田の子守唄」への対応の仕方は、一貫している。「背骨になっている」という言葉がリアルに迫ってくる。

 不思議なのは、赤い鳥時代のリードヴォーカルのこと。なぜ平山さんから潤子さんに代わってしまったか。声質やグループとしてのハーモニー等を考慮しての、リーダー・後藤さんの判断なのだろう。赤い鳥の「竹田の子守唄」がヒットしたことにより、「竹田の子守唄」=山本(当時は新居)潤子が定着してしまったことが、残念でならない。YouTubeで検索してみればわかるが、UPされているのはみな潤子さんのソロあるいは、鈴木康博・細坪基佳とのユニット、Song For Memoriesのものばかり。紙ふうせんのは一つもない。

  ささぶね/虹/街を走りぬけて/ホーハイホー
  円山川舟唄/いかつりの唄
  悲惨な戦争/パフ/天使のハンマー
  竹田の子守唄
  翼をください/ルート43/船が帰ってくる/冬が来る前に


 紙ふうせんのステージが終わると、女性合唱団の登場だ。

 紙ふうせんが最初にゲストに呼ばれた「第6回ふしみ人権の集い」で結成された合唱団。終了後、ふたりから「ずっと歌い続けるように」「もっとレパートリーを増やすように」と激励されたという。
 合唱団が登場して「あれっ」と思った。「第6回」の結成時に比べやけに人数が少ない。数えてみたらぴったり10人。以前は20人以上いたはずなのに。リーダーの方の挨拶にその要因らしきものがうかがえた。
 「竹田の子守唄」に関するメディアの扱いは、2000年を境に大きく変わったと思っていた。「放送禁止歌」(森達也/解放出版社)や「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」が話題になったことから、「竹田の子守唄」の封印が解かれた。部落差別が公になったことから過去のものになったと。だからこそ、部落解放同盟の中で結成された合唱団の「竹田の子守唄」が聞いてもらえるのだと。
 しかし、リーダーは言った。歌うことによって、差別されるようになったと。
 いったいどういうことなのか?
 その前に、ピアノの伴奏による歌の印象を。「竹田こいこい節」はアレンジが「TAKE5」のよう。「竹田長持唄」は初めて聴いたような。これが新しいレパートリーか。元歌は紙ふうせんと一緒に。最後は観客も一緒に「紙風船」!
   
  竹田こいこい節/竹田長持唄/竹田の子守唄・元歌
  紙風船

 疑問は打ち上げの席で判明した。

 この項続く
 やばい、4回のつもりがJさんの予測したように5回に……






 T氏から開場までまだ時間があるので、どこかで時間をつぶしていてくださいと言われる。「道の向こう側に喫茶店がありますから」
 えっ!国道の反対側に喫茶店なんてあるのか、とあわてて外に出たが、そんなものはなかった。交差点の角にもう看板もない、空の店があったがそこのことだったのかも。

 近所をブラブラしていると10時になった。2階のレストランが営業を開始するので、すばやく移動。カフェオレを注文し「ぼくたちの好きな戦争」を読み進める。窓際のテーブル。外を眺めると、ちょうど会場関係者の駐車場につながる入口が見える。すぎたさん(ギター&ヴォーカル)運転のワゴン車が入ってきた。しばらくして、紙ふうせん事務所の車。後方席に平山さんの笑顔が見えた。ずいぶん遅れて浦野さん(ベース)の乗用車が到着。あれれ、入口通り越しちゃったよ。あわててバックして入っていった。

 まあ、その後いろいろあって――。
 FCのメンバーとも合流。
 開場時間となり、座席も確保。
 13時30分、「第14回ふしみ人権の集い」が始まった。
 

 【第1部 人権の集いからのメッセージ】

 前回(第6回)はこの第1部をパスしている。今回は頭からしっかり聞いた。というか、東京を出発してから15時間、疲れが出てきたのか、半分夢うつつで実に気持ちよかった。行政のお偉いさんのスピーチが続く。この第1部があるから、第2部の記念公演が成り立つ。無料で招待してもらえる。その事実に感謝してしっかり耳をそばだてなければならない。わかってはいるものの、でもどうしてこういう内容になってしまうのか。
  

 【第2部 記念公演】
 
 今年のタイトルは「あれから40年、再会!竹田の子守唄」。「~人と人とのつながりをいまこそ大切に~」の副題がつく。
 出演は紙ふうせんwith部落解放同盟改進支部女性部。

 最初は、紙ふうせんの単独ライブ。
 いつものように「ささぶね」から始まった。
 続いて「虹」。
 この歌は、ユーゴスラビアの戦火の中で行なわれた詩の朗読会で披露された俳句からインスパイアされて出来たという。
「虹は探している、子どもたちを」
 もちろん、現地の言葉による俳句だが、虹が子どもたちを探すという行為に反応して後藤さんが書き上げた。なるほど、後藤さんらしい楽曲だ。飾らない言葉、フォークらしいコード進行。

  虹が生れた 水のほとりに
  人は集まり 町をつくった
  虹が降り立つ 川のほとりに
  人は集まり 家を作った

  いつしか街は 水のみほして
  人の心も 渇いてしまった
  虹はさがしている 世界の子供たちを
  涙こぼれても 夢捨てない人を

  羊追う人 水を汲む女(ひと)
  ひとりひとりの 夢をつむいで
  戦争(いくさ)のときも 静かなときも
  いとしい人に 夢をかたった
 
  いつしか街は 水のみほして
  さざめく恋を かくしてしまった
  虹はさがしている 世界の子供たちを
  涙こぼれても 夢捨てない人を

  虹はさがしている 世界の子供たちを
  涙こぼれても 夢捨てない人を

 何気なく聴けば、それこそ〈普通に〉聴けてしまう。少し考えると、重いテーマが見え隠れする。あるいは、いろいろなイメージが喚起される。奥が深い。
 この歌をうたいはじめたころ、後藤さんは東ヨーロッパでライブをしたいと語っていた。その夢はまだ持っているのだろうか?

  この項続く






 横浜を過ぎてからだろうか、雨が激しく降り出してきた。
 最初の休憩地、足柄サービスエリアは嵐だった。停車しているバスが揺れる! 次の休憩も大雨、止む気配がない。京都も雨だったらどうしようか? 荷物になるからと傘を持ってこなかったことに後悔しはじめる。
 が、そこは晴れ男。6時に京都に到着したら雨は止んでいた。トイレで顔を洗い歯を磨く。深夜バス組(だろう)お仲間が数名。

 それにしても、早朝の駅は困る。時間をつぶせる店がないのだ。いや、店はあるのだが、営業していない。昨年の名古屋もそれで往生した。マクドナルドを見つけたが、満員。喫茶店でモーニングコーヒーを飲みながら読書しようとするからいけない。もっと身体を動かせ。歩け、歩け。というわけで、伏見を散策することに。
 近鉄電車に乗って5つめの「伏見」、のはずだったが、乗ったのは急行。「伏見」には停車しない。だったら手前の「竹田」で降りてしまえ。会場となるパルスプラザ(稲盛ホール)は竹田駅からバスに乗ってすぐのところにあるのだ。場所の確認をしてから散策に向かえばいい。時間はたっぷりあるのだから。地図を見るとバスに乗るほどの距離ではない。また途中に喫茶店があったら、そこで休憩することもできる。
 竹田駅周辺には何もない。ロータリーがあるだけ。西口から歩いて国道に出る。交差点角にスーパー銭湯があった。ちょっと心が揺れる。左折。前方右肩に高層ビル。京セラの文字。確か、あの近くだと歩き出す。

 パルスプラザは駅から15分ほどのところ。遠くはないがまた戻って電車に乗り「伏見」に行く気にはなれない。見渡せば、国道沿線にいくつもの店が見える。この近辺なら喫茶店(カフェ)があるかも。交差点を渡って右折。少し行くとネットカフェ発見。24時間営業。やったね。でもなぁ…京都に来てまでインターネットでもないだろう。もう少し歩くことにする。カフェが見つからなければ戻ればいい。道の反対側に昔ながらの喫茶店が! 閉まっていた……。
 しかし、しかし。こちら側に喫茶店があったのだ。営業開始は7時から。お客さんは一人しかいない。ブレンドとトーストを注文して、小林信彦「ぼくたちの好きな戦争」(新潮文庫)を読み始める。しばらくして、店内に置いてある新聞、スポーツ新聞をむさぼる。何しろ時間はたっぷりあるのだ。

 時計を見ると9時30分近く。2時間はいる計算。客はそれほどいないけれど長居するとマスターに嫌がられるかもしれない。またパルスプラザに戻る。エレベータが動いていたので3階の稲盛ホールへ。会場内ではスタッフがあれこれと動き回っている。その一人が僕に気づいた。
 こちらにやってきて「どちら様で?」
「いや、あの、客です。紙ふうせんのファンで」
「ああ、そうですか。今日はFCの方が8人いらっしゃるって聞いています」
 相手の顔を見ながら、8年前の記憶が蘇ってきた。ああ、この方の顔覚えている。
 前回、僕は後藤さんたちと一緒に会場入りした(そこらへんについてはこちらの「インタビューことはじめ」を)。当時、ちょうど紙ふうせんはマネージャーが不在のときで、第三者にすれば、僕がそれっぽく見えたのだろう。アーティストに関する確認を僕に求めてきた。その一人が確か目の前の人ではなかったか。
 後で知ることになるのだが、「ふしみ人権の集い」事務局のリーダー、同和問題を専門とする京都教育大学の教授T氏である。こざっぱりとしたみなみらんぼうを想像してほしい。

 この項続く





 14日(土)、京都・伏見で「第14回ふしみ人権の集い」が開催された。
 8年前の「第6回ふしみ人権の集い」に足を運んでいる。第2部・記念公演のゲストが紙ふうせんだったからだ。このときのことは、音楽評論家・藤田正氏が上梓した「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」(解放出版社)のレビューに詳しく書いている。まさに画期的なイベントだった。

 このイベントにまた紙ふうせんが出演すると知ったのは1月になって。前回は「竹田の子守唄」をテーマにした藤田氏と後藤さんの対談があった。部落解放同盟改進支部女性部の有志で合唱団が結成され、「竹田の子守唄」の元歌や「竹田こいこい節」が披露され、歌い継いでいくことが高らかに宣言された。今年は、合唱団と紙ふうせんの共演があるという。こういうライブを聴き逃すと絶対後悔する。すぐに京都行きを決断した。
 金銭的余裕はないので、往復深夜バスを利用することに。それもJRではなく、インターネットで予約を申し込む業者。JRのバスだって、新幹線に比べると安価で、これまでも何度か利用している。しかし、この手の業者はもっと格安なのである。JRバスの片道料金で、往復できるのだから。トイレがない、座席が狭い(4列シート)など不満はあるが、その分安いのだから文句は言えない。

 この業者のバスは数年前、大阪行きで一度だけ利用したことがある。友人と一緒で、少しゆとりのある3列シートにしたのだが、やっとウトウトし始めるとトイレ休憩で目が覚めるという状態の繰り返し。結局車中では十分な睡眠がとれなかった苦い経験がある。
 事前に酒を飲んでおくと酔いでぐっすり眠れることがわかった。昨年の1月、名古屋行きで深夜バスを利用したときのこと。このときは一人だったのだが、出発前に友人と酒を飲む機会があって、ほろ酔い気分でバスに乗り込んだのが幸いした。熟睡できたのだ。
 今回もこの手を使おう。東京駅の集合場所は丸の内口の三菱ビル前。地下には居酒屋がある。集合時間までそこで時間をつぶせばいい。

 13日(金)、21時。地下の居酒屋に降りていくと店員がにこやかに出迎えてくれた。が、あいにく満席だという。仕方ない、駅までUターンして、有楽町方面に少し歩いたところのガード下の大衆酒場へ。ポテトサラダを肴に熱燗をちびりちびり。「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」(熊井啓/新潮社)読了。
 
 22時10分、集合場所に行くとすでにバスが停車している。あわてて受付すると、「お客様のバスは2号車になりまして、ただ今、新宿からこちらに向かっている最中です。もう少しお待ちください」。
 バスは若者で賑わっていた。中国語を喋るグループも。中年、熟年世代の姿はない。皆3列シートに流れるのだろうか。それにしても、隣と密着している。カップルならずっとイチャイチャできるぞ。
  
 22時30分、バスは京都に向かって発進した。
 
 この項続く





  SORRY,MY DEAR MOTHER
  SORRY,MY DEAR FATHER

 ショーケンの歌が、ショーケン節が脳内を駆け巡る。
 ついでに歌の合間に発する言葉の数々…

  I'm sorry
  I'm mistake
  間違えてごめんね

 そう、間違えたら、人は謝るものなのです。
 そりゃ、ショーケンだって、「故郷に錦を飾る」の「錦」を「わた」って読んじゃうし、I'm mistake なんて明らかに文法おかしいけど、誤ってますもん。
 にもかかわらず、あんた!
 そうあんただ、何居直ってるんだ。
 何様のつもり?
 ……首相か。
 牧伸ニだよ、ったく、「ああ、やんなっちゃった!」

 今まで黙っていたけど、今回は言わせて貰うぞ。
 郵政民営化に関する、あの、デタラメな答弁は何なのだ?
 突然「反対だった」と言い出し、野党やメディアに突っ込まれると、翌日には「当初は反対だったが、最終的に賛成した」だと。郵政民営化担当大臣云々も、この前の会見では「担当大臣ではなかった」と断言したくせに、数年前には同じ口調で「担当大臣だ」と胸張って答えているのだから。
「アホか、こいつ」
 TVの前で、今度ばかりは大声で言ってやった。

 首相になる前から、AHO、いやASOさんの、あの曲がった口が気になって仕方なかった。人の容貌を、それも卑下するような言説はつつしまなければならないと十分承知しているが、もう我慢ならない。
 あの口を見るたびに週刊誌のグラビアの企画が頭の中を浮遊してしまう。
 たとえば、ヒラメやカレイの目。幼魚のときは、左右対称なのに、あるときから左や右に寄ってしまう。成長の記録の中で、目が左右どちらかに寄ってしまう決定的瞬間を狙うなんていう連続図解を思い浮かべてほしい。一枚、一枚の写真にキャプションがついていて、ラストが決定的瞬間。大きさもそれまでの4倍はあって。
 同じことがASOさんにもできないだろうか。
 あの口は先天性なのか後天性なのか。後天性なら一体何が原因だったのか。

 最近は、ASOさんがTVにでてくるたびに、加齢臭を消すための一種独特な香水が匂ってくるようで困っている。
 




 すいません、週末、風邪のためにダウンしていました。
 今も本調子ではないのですが……

          * * *

2009/02/01

 「007 慰めの報酬」(MOVIX川口)

 承前

 思えば、ブロスナンの007シリーズのタイトルはすべてカタカナだった。原題をそのままカタカナ英語にするのは感心しない。中には日本語タイトルより映画の雰囲気を伝えているものもあるから一概に否定できないのだが、それにしても「ワールド・イズ・ナット・イナフ」なんて、配給会社の怠慢としか思えなかった。(これはあくまでも小説の邦題だが)「Live and Let die」を「死ぬのは奴らだ」にした都筑道夫の爪の垢でも飲め! 「From Russia with Love」を「危機一発」にした水野晴郎は、時代を考えれば仕方ないか。こちらはリバイバルで「ロシアより愛をこめて」に改題された。
 最新作の「007 慰めの報酬」。たぶん原題「Quantum of Solace」の直訳なのだろう。すごく地味。逆にいうとハードボイルドの香りがプンプンする。硬質の響き、だろうか。

 映画は、前作の路線を踏襲しながら、切れのいいアクションでデコレーションされたフルコースになっていた。冒頭のカーチェイスから怒涛の勢い。ある意味、これまでの007映画で披露したアクション(ボート、飛行機等々)を、リアルに再加工して構築している。これが出色の出来。もちろん、〈生身の身体を駆使して敵を追いつめる〉作劇だからこそ効果がある。この追跡劇、ボンドが逃げる敵を追いかけ、取っ組み合いながら屋根のガラスを割って、部屋に落ちていくのを1カットで撮っているショットがある。カメラも一緒になって落ちていく。どうやって撮影したのだろうか?

 「カジノ・ロワイヤル」にしても「慰めの報酬」にしても、アクションに痛さが伴う。そのたびに血を流すボンド。傷だらけボンドが魅力。
 違うのは、ユーモアの有無だろうか。
 若きジェームス・ボンドが007に昇格して初めてあたる事件を描いた「カジノ・ロワイヤル」は、それまでのシリーズに比べてボンドの性格が違う。若さゆえまだ人間ができていないのだ。とはいえ、会話にはけっこうユーモアが漂っていた。ところが「慰めの報酬」は、このユーモアがほとんど感じられなかった。亡くなった恋人の復讐のため、Mの指示を無視して敵を追いつめていく姿はまるで007ではなかった。またその過程で、Mを女性にした意味がでてくる。出来の悪い子(本当は反対だけど)ほどかわいいと思う母親の心理というか。

 007映画が変貌している。なぜか?
 1960年から70年にかけて、007を模倣したスパイ映画は数々作られたが、所詮亜流でしかなかった。本家には本家の伝統、輝きを持っていた。しかし、80年代になると徐々に状況が変わってくる。アクションが007の専売特許ではなくなったのだ。だからこそ、原点回帰のティモシー・ダルトンの登場になるのだが、これまでの007映画に慣れ親しんでいるファンに受け入れなかった。
 90年代になると完全に007を意識した大作「「トゥルーライズ」が登場する。もうこのころになると亜流が亜流でなくなっていた。2000年代になると、CG技術の発達でどんな映像でも可能になった。余計に007映画の存在価値がなくなってくる。「トリプルX」と007映画の違いは何?
 第一期のころは、特別な番組だったウルトラシリーズも、第二期になると、様々な特撮ヒーローの乱立して、その手の番組のワン・オブ・ゼムに成り下がっていた。あの状況に似ているといえようか。

 というわけで、007がイヤン・フレミングの小説世界に回帰しているのは、当然の成り行きなのである。なんて原作を読んだことがないので大きなことは言えないのだが。ただ、前作、今作と、もしフレミングが生きていたら、喜んだのではないだろうか。
 平成の仮面ライダーが始まったころ、昭和ファンは何かと批判的だったが、石ノ森章太郎が存命なら、絶対評価していたと思うのと同じ論理だ。
 で、今回の変貌は世界が受け入れた。大ヒットがそれを証明している。





2009/02/01

 「007 慰めの報酬」(MOVIX川口)

 僕の映画007初体験は、三代目ボンドとしてロジャー・ムーアが初登場した「死ぬのは奴らだ」だった。ポール・マッカトニー&ウィングスの主題歌とボートアクションに興奮した。が、この映画、それまでの007映画ファンにえらく評判が悪かった。ショーン・コネリーのボンドしか認めない偏狭な奴らと、そのときは蔑んでいたのだが、実際に初期の作品を観てから気持ちはわかると思った。
 第二期ウルトラ(マン)シリーズにゲスト出演する初代マンやセブンの造形、設定に嘆く第一期ウルトラ世代、あるいは「ゴジラ対ヘドラ」以降の、完全に子どものヒーローになったゴジラに裏切られた特撮映画ファンの心情に重なるものがあるのではないか、と。

 あまりに荒唐無稽になってしまった007の原点回帰を目指してティモシー・ダルトンが四代目ボンドに扮した「リビング・デイライツ」に拍手喝采した。とにかくボンドが生真面目なのだ。輸送機上のアクションに度肝抜かれた。
 ダルトンの007映画がそれまでと大きく違うのはボンドガール(のタイプ)ではなかったと個人的には思っている。ショーン・コネリーにしろ、ロジャー・ムーアにしろ、相手役のボンドガールは皆「プレイボーイ」「ペントハウス」等のグラビアに出てくるグラマラスなセクシー美女ばかり。あまり好みではなかった。ダルトンの相手役は、北欧系の小柄なかわいいタイプになって、大いに鼻のしたを伸ばした次第。
 長期シリーズを期待していたのに、2作目「消されたライセンス」で降板。ロジャー・ムーアをもっと甘くしたようなピアース・ブロスナンに交代してしまった。これはかなりショックだった。まあ、ブロスナンも年齢を重ねるに従って渋くなっていくわけだけど。

 新作「カジノ・ロワイヤル」に6代目ボンドとしてダニエル・クレイグが起用された際には、悪評ばかりが聞こえてきた。劇場で初めて予告編を観たとき、その理由がわかった気がした。スティーブ・マックイーンが007だったら。そう思えばわかりやすいか。
 この新作が、これまでのシリーズと違うのは、007の誕生を描いたということ。これで興味がわいた。「カジノ・ロワイヤル」というと、どうしてもパロディー映画のイメージがあって、小説の第1作なんてことはまったく知らなかったのだ。
 「カジノ・ロワイヤル」は、リアルなアクションが炸裂する新しい感覚の007映画だった。特撮、スタントに頼らないアクションというのか。ボンドの拷問シーンは男には息苦しさを感じさせる。あの痛さに耐えるボンドはすごい!
 ただ、ラストできちんと終わらなかったのがどうにも不満だった。奥歯にものが挟まったような感覚で劇場をあとにしたのだった。
 まさか、続編ができるなんて思ってもいなかった。

 この項続く





 この前の日曜日(1日)は映画サービスデー。午後、地元のMOVIX川口へ。目当ての映画は「007 慰めの報酬」。

 ポップコーンとコーラを購入して中に入った。いつも思う。二つを持って、おまけにチケットを取り出して受付にチェックしてもらうのって、けっこう難儀。ほかに荷物があると着席するときがもっと大変。
 右肩にかけているナップザックをおろすとき、とりあえず両手のものをどこかに置きたい。コーラは肘掛けの先にドリンクホルダーがある。ポップコーンをどうするか?
 以前床に置いたことがある。今回もそうすべきだった。
 横着してしまった。しゃがむのが面倒だった。立ったままコトを済ませたかった。

 スクリーンを背に、自分の椅子の前に立つ。右側のドリンクホルダーにコーラを置く。
 さて、問題のポップコーンだ。ポップコーンの容器は、コーラのそれより太い。ホルダーには入らない。入らないけれど、一時的に、ほんの瞬間なら、そのホルダーの上に置くことはできなくはない。置いてみたら、思った以上に安定感がある。急いでナップザックを肩から下ろし、回れ右して着席して、ポップコーンの容器をつかめば大丈夫。そう判断した。
 ナップザックを肩から下ろした。身体はスクリーンの方に。着席。右手はすばやくポップコーン。

 ない。ポップコーンがない。あわてて右斜め下45度。床には口を下にして裏返ったポップコーンの容器が。
「やっちまったな!」
 クールポコのサラシを巻いた裸男の声が聞こえた、気がした。
 あわてて拾った。同時に、中身がこぼれ落ちた。完全にばら撒き状態。容器を覗くとほとんど残っていなかった。
 隣にやってきた夫婦らしきカップルは、中年男の失態を見て見ぬふり。ありがたいやら惨めやら。

 で、映画は? 感想は明日!





プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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