2009/03/03

 「あるジャーナリストの私的昭和史」(村山幸雄/文芸社)

 大衆文化から読み解いた戦後史。著者は特に昭和20年代を得意として、発表紙を変えたコラムが並ぶ。コラム自体は面白いのだが、同じネタで勝負していたような。

2009/03/04

 「コラムは笑う エンタテインメント評判記1983-88」(小林信彦/ちくま文庫)

 「キネマ旬報」連載の「小林信彦のコラム」は最初「地獄の観光船 コラム101」としてまとまり集英社から出た。文庫にもなった(僕は実物をみたことがないのだが)。少し経って、「地獄の観光船」以降の連載が「コラムは笑う」という書名で筑摩書房から刊行。「地獄の観光船」が「コラムは踊る エンタテインメント評判記1977-81」となってちくま文庫に入った。
 また集英社の「地獄」シリーズ第3弾「地獄の映画館」も、1960年代のコラムをシャッフルさせて「コラムは歌う エンタテインメント評判記1960−63」となってちくま文庫に。(第1弾「地獄の読書録」も同名のままちくま文庫化)。一時、小林信彦のコラムの類(新作も旧作も)は筑摩書房(ちくま文庫)で取り扱うのかと喜び勇んだ覚えがある。が、次の「コラムにご用心」のあと、シリーズは同じ装丁のまま新潮社に移ってしまう。
 「コラムは笑う」と「コラムにご用心」の2冊は単行本のみ購入、文庫本は持っていなかった。これがあるときからくやしくてたまらなくなった。内容は変わらないのだから、別に文庫本はいらないのではと思う人もいるかもしれない。熱狂的なファンというものは、文庫本の解説も読みたいのです。解説担当者が小林信彦をどのように書いているか。これは絶対押さえておきたいもの。
 「コラムにご用心」の文庫本を吉祥寺の古書店で見つけた。続いて、ネット古書店で「コラムは笑う」の文庫本を発見。あわてて注文した。
 単行本は、これまで何度読んだかわからない。「コラムは踊る」もいろいろ触発されたが、「コラムは笑う」はそれ以上に中身が濃い。


2009/03/06

 『シェ―の時代 「おそ松くん」と昭和こども社会』(泉麻人/文春新書)

 かつてのヒットマンガに描かれた世相で当時を振り返るという発想がいい。これは「オバケのQ太郎」でもできるだろう。朝日新聞が「サザエさん」でやっている方法論の子どもバージョンといったところか。
 僕にとって、「おそ松くん」との出会いはTVアニメだった。少年サンデー連載のマンガは一度も読んだことがなかったと思う。ただ一度、長編マンガを読んだことがある。イヤミが主人公で目の見えない少女を助ける話。少女の目が見えるようにする手術ができるように、その資金を稼ぐためにイヤミが働きまくる。やがて、目が見えるようになった少女とイヤミが再会するのだが、イヤミは何も自分が何者か告げることなく去ってしまう。こう書けばチャップリンの「街の灯」を下敷きにしたストーリーであることは明白だと思うが、小学生で、まだチャップリンを知らない僕は読後の感動が半端ではなかった。
 本書で「おそ松くん」シリーズは連載終了後に、定期的に長編が掲載されていたことを知った。上記の作品は「イヤミはひとり風の中」というタイトルだった。もう一度読んでみたいなあ。
 

2009/03/08

 「コラムにご用心 エンタテインメント評判記1989-92」(小林信彦/ちくま文庫)

 キネマ旬報に連載された「小林信彦のコラム」は、第一弾が「地獄の観光船 コラム101」(集英社)となり、集英社文庫のあと、「コラムは踊る」としてちくま文庫で蘇った。同時に、その後の連載が「コラムは笑う」として単行本となった。コラムシリーズはこの2冊でおしまいと思っていた僕は「コラムにご用心」が上梓されて驚いた。「小林信彦のコラム」が中日新聞に連載されているなんてまったく知らなかったのだ。
 専門誌から一般紙への連載メディアが変わったことから、コクがなくなったが、キレは相変わらず。コラムシリーズが続くことに大いに歓喜したものだ。

2009/03/10

 「人生を肯定するもの、それが音楽」(小室等/岩波新書)

 自主出版を目指して、現在、編集を進めている「僕たちの赤い鳥ものがたり」のラストに、途中に挿入する「体験的赤い鳥ヒストリー」と呼応するように、「まぐま」に発表した「体験的フォーク論 フォークはジャンルではなかった!」を収録する。収録にあったって改訂等しなければならないと思い、その参考のために読んでみた。よかった、「12階建てのバス」の作詞者である小島武さんの肩書きはデザイナーではなくイラストレーターだった。
 谷川俊太郎、武満徹、渡辺貞夫、坂田明との交流が綴られている。
 小室さんは何冊か本を上梓しているが、同じように後藤さん(紙ふうせん)も書いてくれないものか。本書を読むとPPMに傾注するところ、アメリカ公民運動への興味、ジャズへの造詣等、かなりリンクするものがあることがわかるのだ。1970年代前後のフォーク活動、人間関係なんてとても興味があるのだけれど。
 世界歌謡祭でグランプリを受賞する「出発の詩」は、その前にコンテストで一番をとると、歌謡界の人たちから反発を買って、その後の懇親会への出席をとりやめる人が多かったという。数少ない出席者の中に赤い鳥がいたと書かれている。ということは、赤い鳥もコンテストに出場していたわけだ。このときの楽曲は何だろう? 71年だから「窓に灯りがともる時」か。
 

2009/03/13

 「定説だってウソだらけ」(日垣隆/WAC)

 「常識はウソだらけ」の続編。TBSラジオ「サイエンス・サイトーク」の活字版。番組は一度も聴いたことはないが、とても興味深い内容だとは思う。趣旨は常識、定説になっていることも疑ってごらんというもの。本書では「ウィルスの逆襲」が面白く、目から鱗だった。ゲスト藤田鉱一郎氏がぶっとんだ人で、サナダムシの生態を調べるために、自身で体長12メートルのサナダムシを飼っているのだ。名前までつけてペット化している。


2009/03/18

 「恋する幇間」(吉川潮/ポプラ社)

 吉川潮版新作古典落語といった趣き。表題作のほか「おさよの身の上」「妓夫太郎の誠」「おろくの正体」「お染の手管」「おすぎの文」の全6編が収録されている。
 「おみつの橋」では「恋模様葛飾郡橋」なる人気芝居が出てくる。芝居の筋から「マディソン郡の橋」へのアンチテーゼだなと思ったらやはりそうだった。「おさよの身の上」は、私娼の店「よしのや」が舞台となるのだが、この店が〈安い、早い、うまい〉で評判だって。「お染の手管」には山本モナと二岡とおぼしき人物が登場し、ふたりの密会が瓦版で暴露される。こんな感じで古典落語の後日談、スピンオフ噺が綴られていく。立川流の噺家さんで、誰か高座でけないかしら。ラストの「おすぎの文」なんて面白いと思うけど。


2009/03/20

 「と学会年鑑 AQUA」(と学会/楽工社)

 と学会のイベントは一度だけ足を運んだことがある。入場までずいぶんと待たされてイライラしたことを覚えている。イベントが始まったら、会場内の妙な雰囲気に違和感を持った。皆、それほどでもないのに笑うのだ。会場内「笑わせろ」ビームでいっぱいだった。ほかに約束があって、途中で辞去したのだが、もう二度と生で見るのはやまようと思った。活字で読むだけで十分満足だと。この年鑑シリーズを読むたびにあの日のねっとりした感覚が蘇ってきて不快になる。本そのものは面白いのだけれど。


2009/03/24

 「落語国芸人帖」(吉川潮/河出書房新社)

 著者自身がこれまで発表した〈落語に関する文章〉をすべて網羅したといった感じの一冊。プログラムへ寄稿した文(わずか1ページ)とか落語家の評論(志の輔、談春、昇太、喬太郎)の中に芸人を主人公にした短編小説が挿入されている。
 柳亭小痴楽、真打になって春風亭梅橋を名乗った噺家の転落人生「シャレに死す 小痴楽改め春風亭梅橋一代」、野球落語(?)で一世を風靡した桂ヨネスケ(米助)と月亭八方を描く「野球落語タイトルマッチ」、漫才師のコンビ解消とその後の変遷を綴る「相方」。こうやって並ぶと圧倒的に小説の方が面白い。


2009/03/27

 「地獄の観光船」(小林信彦/集英社文庫)

 集英社から刊行された〈地獄〉シリーズの3冊は、単行本で持っている。ただ、集英社から文庫が出たのはまったく知らなかった。これまで実物を見たことがなかった。その文庫が某ネット古書店にでていた。早速注文。
 「小林信彦のコラム」は一度連載が終了するのだった。その終了に向けて、ボルテージが上げっていくのがわかる。


2009/03/29

 「赤軍派始末記 元議長が語る40年」(塩見孝也/彩流社)

 映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で佐野史郎が演じた塩見議長、と書いて念のため調べてみたら違っていた(坂口拓という俳優が演じている)。でも、映画の中で塩見議長という肩書きにとてもインパクトがあったことは確か。だから本書を手にとったわけだから。
 よど号乗っ取り事件、あさま山荘事件、リンチ殺人を振り返って総括するくだりが興味深い。
 当時、本当に革命が起こそうとしていたこと、自分たちの手で世界を変換させられることを信じていたこと……。新左翼なんて!






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 水谷豊が主演する時代劇スペシャルがテレビ朝日で放送される(放送日はまだ未定)。タイトルは「だましゑ歌麿」。原作は高橋克彦の時代ミステリ。僕に言わせれば、やっとドラマ化されたか! ってなもん。
 週刊文春に連載された。文春連載の小説の中で夢中で読み進んだベスト3に入る。クライマックスでは涙がこぼれた。単行本になってまた読んでスペシャルドラマ化を願うようになった。
 水谷豊が扮するのは愛妻を殺された歌麿だ。小説の主役は南町奉行の同心、仙波一之進なのだが、ドラマでは歌麿がフィーチャーされている。もしかして、小説とは違う展開になるのかも。
 仙波は中村橋之助、錦絵版元の蔦屋重三郎には岸辺一徳。芸者のおこうは誰だろう? 隠居の父親は古谷一行か? 藤田まことか? うーむ、気になる。

 長編「だましゑ歌麿」のあと、おこうが主人公となる短編連作「おこう紅絵暦」、仙波の友人で後に北斎となる絵師、春朗が活躍する短編連作「春朗合わせ鏡」が刊行された。こちらを原作とする連続ドラマ化(一話完結)も可能なのである。それをこの何年かずっと願っていた。
 とにかくキャラクターが秀逸な、チーム仙波の活躍をドラマで観てみたいのだ。
 嘘じゃない。
 その変遷を夕景工房の読書レビューでどうぞ(一部加筆)。
 
          * * *

1999/06/13

 「だましゑ歌麿」(高橋克彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の時代劇ミステリの傑作が一冊にまとまった。
 一度読んでいるから謎解きの面白さはないが、まとめて読むと楽しさは倍増する。
 何よりキャラクターがいい。主役の南町奉行所の同心・仙波一之進やその部下菊也、仙波に恋心を抱く芸者のおこう、隠居した親父、浮世絵師・歌麿、版元の蔦谷、若き日の北斎。みんなが団結して、歌麿の愛妻を殺した下手人を追う姿が痛快で気持ちいい。
 下手人の正体は早いうちに割れる。老中松平定信と火付盗賊改めの鬼平こと、長谷川平蔵。池波正太郎の傑作時代小説「鬼平犯科帳」の主人公がここではワルの権化なのである。この二人と仙波を結ぶ男(スパイ?)は誰かというのがクライマックスなのだが、今回読み直して一番感銘を受けたところは、仙波が最後の頼みの綱として助けを求めた北町奉行と初めて対面するくだり。
 巧妙な仕掛けで北町奉行をおびき出すのだが、真相を知りながらも北町奉行が自分を愚弄したことに対して「腹を切れ」と言う言葉に啖呵を切るところなんて、仙波の男気を感じてたまらなくしびれた。涙がこぼれた。
 事件が解決してもワルの二人に何のおとがめもないところが不満だが、時代を考えれば仕方のないことか。
 みんなで仙波とおこうの祝言を祝うハッピーエンドもありきたりと言えなくもないが、やはりこの手の物語にはかかせない。
 映画とは言わないがスペシャルドラマとしての映像化を希望する。


2005/03/22

 「おこう紅絵暦」(高橋克彦/文藝春秋)

 図書館で面白い時代小説はないものかと何気なく高橋克彦の棚を眺めていたら〈おこう〉という文字が目についた。手に取ったら表紙のイラストに見覚えが……。
 あわてて最初のページをめくった。やはりそうだ。「だましゑ歌麿」のおこうである。

 歌麿の愛妻殺しの下手人探しで奔走した南町奉行所同心・仙波一之進が帰ってきた! あの事件で命を賭して北町奉行に直訴して無事事件を解決した一之進は出世して今は北町奉行所の吟味方筆頭与力になっている。三十俵二人扶持から二百石三百坪の敷地の屋敷を与えられる大出世。
 「だましゑ歌麿」のラストで一之進と祝言を挙げた元芸者のおこうがその大屋敷で新妻としてかいがいしく働いている。そこに昔の芸者仲間が相談にやってきて市井の事件の謎が提示される。
 一之進の隠居した父親・左門の力を借りながら、友人の絵描き・春郎あるいは一之進の部下菊也が手足となって情報を収集する。そして謎を推理し、事件を解決していく。最後は一之進が登場、真犯人をお縄にして一件落着という構成。

 収録作品は以下の12編。

 願い鈴/神懸り/猫清/ばくれん/迷い道/人喰い/退屈連/熊娘/片腕/耳打ち/一人心中/古傷

 おこうと左門のコンビがほほえましい。出世した一之進をまだまだ一人前と認めず、逆に筆頭与力になったことで、足で捜査することを忘れていると怒る。対しておこうの前では家のことも事件解決の手柄についてもほめやかす好々爺。
 ほとんど脇役になってしまった一之進だが、肝心なところでちゃんと存在感を示してくれるのが頼もしい。事件の当事者だった孤児のお鈴やおこうの幼なじみのお由利を家にいれて面倒みるやさしさ。ということはふたりがレギュラーになるということであり、別のエピソードで活躍するのだ。
 扱われる事件そのものは、それほどのものではない。コクに欠けるきらいはある。とはいえ、登場人物、それぞれのキャラクターがいい。彼らが動き回るだけでうれしくなる。

 「だましゑ歌麿」でスペシャル番組を作り、「おこう紅絵暦」をレギュラー化すれば、新しい時代劇が生まれると思うのだが。


2008/05/05

 「春朗合わせ鏡」(高橋克彦/文藝春秋)

 装画(小泉英里砂)に注目。これは「おこう」と同じ。まさか! やはりそうだった。
 〈仙波一之進と仲間たち〉ともいうべきシリーズが帰ってきた。
 長編「だましゑ歌麿」は南町奉行所の同心、仙波一之進が、隠居した父親や部下たちと、歌麿の妻殺しの犯人を追う物語だった。ラスト、自分の命を賭して、北町奉行に助けを求めるくだりに涙したものだ。
 事件解決後、芸者のおこうと祝言をあげたのだが、なんとこのおこうが探偵役となって活躍するのが短編連作「おこう紅絵暦」である。
 事件が起こり、おこうが義父の助けを借りながら犯人を推理する。いざ逮捕の段になると一之進の登場だ。
 本書は「おこう紅絵暦」に続く、短編連作シリーズ第二弾。今度の主人公は一之進の友人の絵師、春朗(後の北斎)だ。ということで、絵に関する事件が多い。「おこう紅絵暦」同様ストーリーよりも、やはりチームワークが見ものである。

 収録作品(7編)
 女地獄/父子道/がたろ/夏芝居/いのち毛/虫の目/姿かがみ






 承前

 21世紀の現代、「黒部の太陽」を映像化するのはむずかしい。
 昭和30年代のトンネル掘削に関わるもろもろの機械を調達するのがかなりやっかいだと思う。たぶん当時と現代では雲泥の差があるのではないか? 歴史的事実だから時代設定を現代に変えることもできない。かといって、当時なかった機械が画面にでてくれば、それだけで興ざめだ。僕なんてまったくの素人だからすぐに騙されるのだろうが、見る人が見たらすぐにわかる。で、そこが重要なのだ。

 堂々たる貫禄を感じさせるドラマに仕上がっていた。黒部峡谷の自然にまず圧倒される。時代色も出ていた。
 何となく映画「黒部の太陽」のリメイクをイメージしていたのだが、小説「黒部の太陽」のドラマ化であることを認識させられた(脚本・大森寿美男)。
 朝日新聞TV欄の紹介では、なぜ「黒部の太陽」が今作られたのか、ドラマを観ていると理解できると書かれていた。そのとおりだと思った。
 またジャニーズかとうんざりした香取慎吾の男気に何度かぐっときた。会議の席で「黒四ダム建設は国家事業云々」と事務所関係者が言うと、そんなことは二度と俺の前で言うな、俺たちはトンネルを貫通させることだけに命を張っているんだと叫ぶ。目頭熱くさせられることも何度か。
 映画では一番の見せ場となっていたトンネル内の大出水シーンもたぶん特撮なのだろうが違和感なく挿入されていた。(映画はあわや大惨事になる撮影だった。石原裕次郎は実際指を骨折している)

 映画とこのドラマの違いは、主人公たちの造形にある。
 香取慎吾は石原裕次郎の、小林薫は三船敏郎の、それぞれの役まわりであることはわかる。しかし、役名はもちろんのこと、キャラクターが違う。
 特に香取慎吾扮する倉松という男。トンネル掘り職人の親方なのである。映画の石原裕次郎は岩岡という建設会社の設計者だった。この岩岡の父親(辰巳柳太郎)が昔気質のトンネル掘り、仕事のためならすべてを犠牲にする、実際、長男をダイナマイトで殺してしまった過去を持つある意味非情な男。次男の岩岡はそんな父親を毛嫌いしている。ドラマの倉持はこの父親を彷彿させるような人物だ。もちろん非情ではなく、逆に部下思いの優しい心根の男ではあるが。岩岡は部外者として地質に問題のある関電トンネルの掘削に反対しながら、父親への反目、男の意地等の結果、現場の指揮をとることになる。

 小林薫扮する滝山はほぼ映画の北川(三船敏郎)と考えていい。妻と三人の娘という家族構成、トンネル掘削中に、白血病で次女を失うのも同じ。ただ、映画では長女が岩岡と結婚するが、ドラマの結婚相手は倉松の雇い主、熊谷組の木塚(ユースケ・サンタマリア)である。この木塚に近い役、映画では誰が演じたのか? 加藤武あたりか。映画の岩岡がドラマでは倉持と木塚の二人になったかもしれない。
 ドラマの長女役は綾瀬はるか。長女に倉持も恋心を抱き、三角関係になるのがドラマの新しいところ。長女も倉持に対してまんざらでもない様子。だから最後に木塚と結婚すると倉持に告げるシーンは印象的だ。倉持に気持ちを確かめ、倉持が「NO」と言わざるを得ない状況に持っていっているところがすごいなあと。もし、それでも倉持が「オレと結婚してくれ」と迫ったらどうしたのだろうか。それを待っていたとも取れる態度にも思えて……

 ちなみに、北川のモデルとなった人物が黒四ダム建設中に娘を白血病で失うのは事実。しかし、その事実に基づいてストーリーを作ったら、「お涙頂戴」だと映画評論家に批判されたと「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」にあった。

 倉持の部下で若い男(勝地涼)が、赤線くずれの女(深田恭子)と恋仲になり、女と結婚するため、男をあげるためにトンネル掘削に参加、事故であっけなく死んでしまうのもドラマのオリジナル。
 青年が事故で死ぬくだりは映画にもあった。青年役は寺尾聡で、父親役は実父の宇野重吉(映画「黒部の太陽」は寺尾聡の俳優デビュー作)。
「自分が死んだら女をよろしく」と頼まれた倉持はその後何かと女の面倒を見る。ああ、ラストで女と一緒になるために長女と結婚させなかったのかと、と膝を打った。これまたアテがはずれた。別の部下が恋人になるのだ。
 しかし、黒四ダムが完成した後、倉持の母(泉ピン子)と一緒に黒部を訪れた女が倉持事務所の事務員をしていると紹介されてぐっときた。やはり人の女房になってもしっかり面倒だけは見ているのだと。





 2月に「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」(熊井啓/新潮社)を読んだ。この本については図書館の映画コーナーの棚で見つけてからというもの興味があった。
 これまで手にとらなかったのには理由がある。何でも本を読むことで片をつけるな。そんな思いがあったのだ。「黒部の太陽」がいかにして製作されたのか、その苦難の過程を、実際に映画の演出を担当した熊井啓監督が綴ったものだ。そういった本は、まず映画を観てからあたるべきではないか。

 最近「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」が『映画「黒部の太陽」全記録』と改題されて新潮文庫になった。書店で冒頭部分を読んだら「黒部の太陽」は石原プロ(裕次郎)の、大きなスクリーンで観て欲しいとの意向を尊重して、これまでビデオソフト化されたことがない旨の記載があった。劇場公開されそうもない。ということは、現在「黒部の太陽」を鑑賞することはほとんど不可能に近い。ならば本を読もう!

 「黒部の太陽」は、大企業の資本をバックにした企業宣伝臭の強い映画ではないかと、長い間あまりいい印象を持っていなかった。しかし、これは僕の勝手な思い込み。「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」を読んでガラリと印象が変わった。
 日本映画を代表する二大スターが手を組んで、スペクタクルな人間ドラマ、これまであまり日本映画になかったジャンルを手がけるというのに、その製作、配給をめぐって、日活が五社協定を盾にいろいろと難癖をつけてくるのだ。

 1960年代になると、映画各社のスターたちが自身のプロダクションを設立して、映画製作に着手するようになった。東宝の三船敏郎は三船プロダクション、東映の中村錦之介は中村プロダクション、日活の石原裕次郎は石原プロモーション、大映の勝新太郎は勝プロダクション(後年、勝プロモーション)。自ら経営者、プロデューサーとして、映画製作に絡んでくる。これは当時の映画会社にとってはある意味脅威だったのだろう。
 映画界に新風を巻き起こすべく三船敏郎と石原裕次郎が手を組んだ。三船プロと石原プロの共同プロジェクトは最初岡本喜八監督作品が東宝配給で進んでいたのだが、結局中止になってしまった。「黒部の太陽」はプロジェクトの第二弾、今度こそ成功させようと石原裕次郎が選んだ題材が「黒部の太陽」(木本正次著)だった。石原プロのプロデューサーは、なかなか新作が撮れない日活社員の熊井監督にオファーしてまずシナリオを執筆してもらう。

 映画化にあたっては、黒四ダム建設の中で特に困難を極めた、現地へ資材等を運搬するトンネル(関電トンネル)の掘削作業をメインにした。関西電力の社員で現場責任者の北川(三船敏郎)やトンネル掘削を請け負う熊谷組の岩岡(石原裕次郎)たちが、大難関の大破砕帯突破に挑戦する物語だ。
 関西電力等、黒四ダム建設に関係した企業の全面協力をとりつけた。チケットの販売も確約できた。あとは面白い映画を作るだけ。
 にもかかわらず、独立プロに勝手な真似をさせるなとばかり、日活は前述のとおり何かにつけて問題化し、製作の中止を画策する。そのひとつが日活社員熊井啓監督への揺さぶりだ。それまで、熊井監督から提出される企画書(「忍ぶ川」やのちの「朝やけの詩」等)にGOサインがでなかった。だからこそ「黒部の太陽」の監督オファーを受けたのだが、とたんに日活は掌を翻し、熊井監督にすぐにでも作品に取り掛かってもらいたいそぶりを見せる。最終的に熊井監督は退職して日活との関係に決着をつけるのだが。

 「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」にはシナリオも収録されていた。これがかなりの面白さ。どうしても映画が観たくなった。しかし、ビデオ化、DVD化されていないのだから無理な話。昨年、突然のように舞台化(梅田芸術劇場)されたわけだし、都内のどこかで上映されないかな、なんて思っていたら、フジテレビがドラマ化したというニュース。主演が香取慎吾だと知って少々うんざりしたが、それは仕方ない。逆にこちらの希望を叶えてくれたこと(単なる偶然だけど)、トンネル掘削の模様が映像で観られることに感謝すべきなのだ。

 この項続く






 倉本聰「風のガーデン」のあとに山田太一の「ありふれた奇跡」が始まると知って驚いた。「北の国から」と「思い出づくり」が同日同時間帯に放送された二十数年前が思い出された。あのときも1クールずらしてくれたらどちらを観るか悩むことなんてなかったのに。自殺したシナリオライター野沢尚はあのときがTVドラマの至福の時代だったとどこかに書いていたっけ。

 山田太一の久しぶりの連続ドラマ。もうスペシャルドラマ以外は書かないと思っていたから二重の驚きだった。案の定最後の連続ドラマだと。
 山田ドラマの特徴は、まず台詞にある。違和感のある人もいるだろうが、「それぞれの秋」以降、できるだけ山田ドラマを追いかけてきた僕には何でもない、これぞ山田節である。
 第1話は見忘れたが、2話以降は録画の世話になることなく観た。思うに働く大人がきっちりドラマを観るとしたら21時放送でも間に合わないことが多い(「相棒」はとにかく放送当日録画をセットした)。22時でなんとかゆっくり観られる。

 陣内孝則の発作的な自殺を止めたことから始まる仲間由起恵と加勢亮の、家族を巻き込んだ恋愛騒動。主演のふたりより、ふたりの親の話に目がいってしまう自分に気がついた。風間杜夫(&キムラ緑子)、岸辺一徳&戸田恵子。
 テンポよく進んできた話が最終回前、急にご都合主義としか考えらない展開になってきて面食らった。女装した岸辺一徳が仲間&加勢がよく行く喫茶店に現れる…赤ちゃんを何としても仲間&加勢に押し付けようとする若い女性…陣内はあっというまに景気よくなってしまうし。無理やり最終回に決着つけるような、そんな展開。
 不安な気持ちで最終回を観たわけだが、さすが山田太一、きちんとランディングした。ラストはすがすがしかった。それも初回の始まりと同じく(と推測する)仲間、加瀬、陣内の3人で終わらせて。

 仲間由起恵と加勢亮は狂言回しに思えた。真の主役は井川比佐志ではないか。芸達者な役者陣の中でも特に光っていた。風間杜夫とのやりとりは絶妙。最終回の演説はまさに山田節ここにあり! 松重豊も忘れ難し。

 「ありふれた奇跡」は「ふぞろいの林檎たちⅣ」以来12年ぶりの連続ドラマだという。「ふぞろいの林檎たち」こそ、「北の国から」同様に定期的に制作され続けて欲しいドラマだった。主役が同世代だったもので、彼らの生活を定点観測したかった。「Ⅳ」で終わってしまったのは石原真理子があんなことになってしまったからではないだろう。
 ちなみに「Ⅳ」には長瀬智也と中谷美紀がレギュラー出演していた。ふたりともまだ初々しいとしかいえない演技だった。

 今、Wikipediaで調べていて知ったのだが、「風のガーデン」(というか、この何年かの一連の倉本ドラマ)の演出家・宮本理江子は山田太一の娘だという。フジテレビの社員だったのか。

 倉本聰、山田太一と続いた木曜22時の連続ドラマ、土曜23時台の「SP」、そして先日の「黒部の太陽」。
 昔、ドラマのTBSだった。でも今はフジテレビなのかも。軽チャー路線以降、視聴率NO.1になってからは何かにつけて好きになれないTV局だけど。






 冬のドラマといっても、観ていたのは秋から続いている「相棒」と「ありふれた奇跡」の2本しかない。

 「相棒」は、亀山(寺脇康文)が途中退場してからというもの、右京(水谷豊)がまさにコロンボばりの活躍をみせていた。肝は右京さんの推理ぶりだが、もうひとつはその回ごとのにわか相棒とのコンビぶり。
 番組が開始される前から、今シーズンで亀山が卒業すると伝えられていた。てっきり最終回でコンビ解消になると思っていたら、あっさりと1クールで降板。
 なぜそんな中途半端な方法をとるのか? 一人になった右京さんの活躍を見ているうちに気がついた。その回ごとに相棒となる役者をからませ、視聴者に次シーズンの相棒は誰か? その好奇心を煽っているのだと。最終回あたりで正式に相棒が確定して、来シーズンにつないでいくのだろう。

 正月の2時間スペシャルからラスト前まで、一部のエピソードを除いてそんな構成になっていた。亀山の抜けた穴は思っていたほど大きくなかったみたい。2時間スペシャルはどことなく気の抜けたコーラのような感じだったが、すぐに慣れた。
 正式な相棒はまったくの部外者であることが最終回放送前に発表された。及川光博だった。

 最終回(第19話)「特命」は右京さんが金田一耕助よろしく地方のひなびた村に現れて事件を解決する話に、新相棒の顔見せを兼ねた。
 「相棒」は文科系と体育会系のコンビの妙がウリだったはずだが、今度は文科系と文科系、頭脳と頭脳のぶつかりあいになる。元々の相棒ファンの評判はわからないが、個人的には新しい展開が予想できて喜んでいる。ミッチーの快演、怪演がお楽しみ。
 本音をいうとこれまで亀山のスカジャンが受け入れられなかったところがある。こんな刑事、警視庁にいるはずがないと。ネクタイしなくていいから、スーツぐらい着てくれといつも思っていた。まあそれが「相棒」、亀山薫だといわれればそれまでだけど。

 シーズン7を振り返ってみると、「やられた!」「だまされた!」と膝を打ったエピソードが2本あった。第4話「隣室の女」と第11話「越境捜査」である。
 岸恵子がゲスト出演した第15話「蜜愛」は完全なるおフランスモード。以前も書いたけど、恋人役はやはりショーケンがお似合いだ。それも長髪の!

 水谷豊は、時代劇「だましゑ歌麿」で歌麿を演じるという。原作である高橋克彦の小説について、以前からスペシャルドラマ化を熱望していたのでこのニュースはものすごくうれしい。
 この件についてはまた近いうちに。






 先週の土曜日に図書館から借りてきたDVD(NHK金曜時代劇「蝉しぐれ」)を一昨日から観始めた。
 「蝉しぐれ」は本放送のとき毎週観ていた。藤沢周平の最高傑作のドラマ化という触れ込みだったのでチャンネルを合わせたのだ。
 藤沢周平原作の時代劇といえば、初めて触れたのが山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」。リアルな時代劇にとても感銘を受けて、海坂藩=庄内弁というイメージがができあがった。このNHK金曜時代劇では、登場人物は標準語をしゃべっているのだが、特に違和感も抱かなかった。
 にもかかわらず、ドラマを書いた黒土三男がシナリオとともに監督した映画では、劇中の標準語が気になった。すぐに原作をあったったのには台詞がどうなっているのか調べる意味合いもあった。小説も標準語だった。というか、藤沢周平の海坂藩ものはすべて標準語なのである。山田洋次監督の時代劇3部作で藤沢周平の世界を知った人たちにとっては驚愕の事実ではないか。

 土、日曜日は夜フジテレビ開局50周年記念ドラマ「黒部の太陽」があった。2月に「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」(熊井啓/新潮社)を読んだのは、この映画が劇場以外では観られないと知ったからだ。石原プロ(だと思う)の判断でビデオ化、DVD化されていない。劇場公開のあてもない。
 だったら、せめて監督本人によるルポルタージュだけでも目を通しておきたいと手にとったのだ。シナリオも掲載されていて、とても面白かったから、このドラマ化はタイミング的によかった。
 後編が放送されてからのDVD鑑賞なので一夜一話と決めて日曜日が第1話、そして昨日が第2話。

 第2話を観終わって、さあ寝ようとTVをDVD視聴モードから通常に戻したら、TBSで映画「嫌われ松子の一生」が始まったところだった。この映画がTV放映された日は福田首相(当時)が辞任した日。その記者会見の中継が突然入り込んできて映画が中断されてしまったのだ、確か。やっと放映されるのか、それもこんな深夜の時間帯に。まあ途中までミュージカルのシーンだけでも押さえておくか。なんて感じで観だしたのだが……。
 結局、終了の2時までつきあってしまった。かなりカットされているとおぼしき不完全映画なのに途中からもう涙ボロボロ状態。これは何も花粉症(今年はじめてなりました!)のせいだけではない。
 前作「下妻物語」に比べて「嫌われ松子の一生」はあまり評価されていない(毛嫌いしている人が多かった)が、原作を読んでいると、この映画のすごさがわかるのではないかと思う。その点については、夕景工房のふたつのレビューを基にして、「まぐま」15号「小説と映画のあいだに」に詳細に綴っている。

 今回、新たにわかったのは、松子が昭和とともに人生を捨てたということ。平成からの人生は単に生きているだけ。
 このあとの生活描写を眺めながら、こういう人、東京にいるようなあと思った。
 実をいうと上京して最初に住んだ目黒のアパートに、松子みたいな住人がいたのである。
 樹木希林に似た一人暮らしの女性だった。二階建て木造アパートの同じ1階、最初の1年は隣同士だった。よく部屋から独り言が聞こえてきた。部屋の中には新聞紙がたまっており、ちょっと異様な臭いもした。何週間に一度くらいの割りで区の福祉課の人が訪ねてきた。精神を少し病んでいたと思う。ちょうど僕がアパートに帰ってきて玄関(共同)の戸を開けると、廊下にでてきたこの人と会うときがあった。そんなとき、彼女は、すばやく部屋に逃げてしまうのだ。知らない仲ではない。顔を合わせば挨拶もする。にもかかわらずそういうときの逃げ足は早い。夜遅くだとかなり怖かった。区の人以外の訪問者はいなかった。孤独な女性だったなと今にして思う。

 松子(中谷美紀)の愛する男(宮藤官九郎)が自殺して、二の足を踏んでいたソープランドで働き出す。松子は男を見る目はなく生き方も不器用だが、仕事は何事もできるタイプ。ソープランドでも日頃の努力の賜物であっというまにトップに躍り出る。
 ソープランドと記したが、当時はトルコ風呂と言った。現在、トルコ風呂は放送禁止用語的名称だろうが、1970年代は別に普通に使われていた。それは厳然たる事実。
 映画のあとTBSで連続ドラマ化された際に、この表記をどう処理するのだろうと興味津々だった。な、なんとトルコ風呂の文字は一切でてこなかった。台詞はもちろん看板にも。
 映画ではきちんと「トルコ風呂」の文字が使用されている。映画が終わったあとに、その旨のお断りテロップが出た。だったら、ドラマ化のときにもその手のテロップをだしてトルコ風呂を前面に出してくれよ。同じTBSなんだから! 
 ヒロインは団塊の世代。この世代が社会人になった1970年代から90年代までの風俗をきちんと描くこともドラマ化の意味あるのではと思っていたらほとんど無視された。TVドラマは映画(の出来)に比べ、回が進むにつれてさんざんな内容になっていき最終回では怒り心頭になった。

 それはともかく、これからは「まげてのばして」を聴くだけで涙がでてくるかも。





2009/03/17

 「ヤッターマン」(チネチッタ川崎)

 一時期、1970年代に人気を呼んだアニメの実写映画化が相次いだ。「CASSHERN」(「新造人間キャシャーン」)「キューティーハニー」「デビルマン」「鉄人28号」。「鉄人28号」は60年代だけど。つい最近のような気がしていたが、もう5年前になるのか。

 どの作品も出来、評判、興行、すべて芳しくなかった。「CASSHERN」は酷評、「キューティーハニー」は期待はずれ、 「デビルマン」は「CASSHERN」以上の酷評、個人的に「CASSHERN」には認めるべき点もあったと思っているが、「デビルマン」は何の評価もできない、ひどい内容だった。
 一番最後に公開された「鉄人28号」の評判もさんざん、結局劇場に足を運ばなかった。
 平成の時代になっても「ゴジラ」「ガメラ」の新作だけだった特撮映画に新風を巻き起こすかもしれないと期待したアニメ実写化ブームは、日本映画の企画の貧困を露呈したにすぎないものだった。

 企画の貧困という点ではハリウッドでも同じで「マッハGOGOGO」の実写化「スピードレーサー」も、予告編で観る気が失せた。劇場に足を運ぶことはもちろん、DVD化されても食指が動かない。この春休みには「ドラゴンボール」が公開されているが、これはまったく世代ではなく、漫画もアニメも興味がなかったので対象外。
 一時期、SMAPのメンバーで「科学忍者隊ガッチャマン」のCMが作られて、往年のファンの間で評判を呼んだ。しかし、CMだから良かったのであって(1秒間にかける予算が月とすっぽん)、映画化されたら惨めな結果に終わっていたことは容易に想像できた。

 そんなわけで、三池崇史監督が「ヤッターマン」を映画化するというニュースを目にしたとき、何の期待もなかった。どうして結果がわかりきった愚かなことをするのだろうかとさえ思った。
 三池監督の場合、こと特撮映画では「妖怪大戦争」にしてもTV作品「ウルトラマンマックス」の2本のエピソード、「ケータイ捜査官7」も水準以上の内容なので、期待したいところだが、こればかりはいかんともしがたい。作品の選定を間違えているよ……そうつぶやくしかない。
 ドロンジョに深田恭子がキャスティングされたことで、一気に「観たい!」モードになった。世間一般の反応は、アニメのイメージに合わない、ミスキャストだとの意見が多かったが、個人的にはまったく逆。もし、アニメ同様のコスチュームだったら、これは見ものだあ! とばかりに下半身、いや映画のアンテナが反応したのである。
 
 逆に言えば、深キョンのドロンジョしか期待していなかった。映画としての完成度、面白さなんてまったくアテにしていなかった。ハル・ベリー主演の「キャットウーマン」みたいな映画になるのではと予想していたのだ。「キャットウーマン」は04年のラジー賞(最低映画)を受賞した映画。あの映画、キャットウーマンに扮したハル・ベリーの肢体を視姦する以外何も求めてはいけないのです。
 同様に「ヤッターマン」も深キョン以外は見るべきものがないと踏んでいた。深キョンがあのセクシー衣装を着て、ドクロベーにお仕置きされるMっぷりを想像しただけで、鼻の下のんべんだらりんこになれればいい、と……。

 映画は、もちろん期待に応えてくれた。いや、期待以上だ。アニメ世界をきちんと実写化してくれたのだから! ストーリーのくだらなさ、しょうもないギャグの連打。旧アニメに夢中になった世代に向けて、スタッフ、キャストが一所懸命バカやっているって感じ。全編遊び心が感じられてうれしい。
 何ともいっても、ドロンボー一味だろう。生瀬勝久のボヤッキー、ケンドーコバヤシのトンズラーは、ドロンジョとともに、見事アニメキャラから生身の人間になっていた。これはヤッターマン側にもいえること。ただし、善玉は少々影が薄い。特に存在感の薄い福田沙紀なんて変身シーンをもう少し長くすれば、楽しめたのに。ドロンジョにミエを切るときの勢いがあれば完璧だったが、それはないものねだりというものだろう。
 アニメファン向けサービスとしてドロンボー一味の声優さんの顔出し出演はうれしかった(ついでにのび太とジャイアンも演ってくれたらよかったのに)。なぜかボヤッキーの代わりに見知らぬおじさんがいて訝った。エンディングロールで、アニメの監督、笹川ひろしだとわかって、なーるほど! 
 ボヤッキーの声優さんがなぜ出演していないのか、しばし考え、そういえば、ファンのイメージを壊すから絶対素顔を見せない人だったのでは?と思い出した。そうだとしたら、顔はいいから声だけでも聞かせてもらいたかったな。ラジオから流れる声とか。ボヤッキーが伴宙太のモノマネするなんてどう?

 不満はある。ドロンボー一味が歌い踊る「天才ドロンボー」のシーンが、イマイチだったこと。斬新なミュージカルシーンを期待していただけに残念だ。ここだけ、ミュージッククリップのディレクターに委ねればよかったのに。

 でも、まあ、終わったときの充実感はかなりあった。
 右隣、一つ離れて座っていた女子高生たち、たぶん桜井翔くんファンの3人は、これのどこが面白いの?って顔していたけれど。






2009/03/15

 「少年メリケンサック」(MOVIX川口)

 バンドを描いたコメディ映画といえば昨年ヒットした「デトロイト・メタル・シティ」(「DMC」)を思いだす。本当はオシャレでポップ、甘く切ない歌が好きで、その手のシンガー・ソングライターを目指していたのに挫折、ヘヴィメタバンドのギター&ヴォーカルとして大人気になってしまった青年の悲喜劇がツボにハマった。

 「少年メリケンサック」(「SMS」)は、どうしたって「DMC」と比較してしまう。パンクバンドの物語である。同じロックでもヘヴィメタとパンクは全然違うが、常識派、良識派と呼ばれる人たちから非難を浴びる存在では同じようなもの。
 映画に流れる概念、ヘヴィメタ/パンク=ホンモノ、オシャレ、ポップ系癒し系音楽=チャラチャラしているだけのニセモノも同じ。「DMC」の主人公クラウザーⅡ世は仮の姿。その素顔はヘヴィメタなんて大嫌い、ポップ音楽をこよなく愛する心者さしい青年だ。
 「SMS」のヒロインもパンクなんて大嫌いだと公言してはばからない。成り行きでパンクバンドのマネージャーをしているだけ。実際、シンガー・ソングライターの恋人が癒し系路線で成功してほしいと祈っているのだ。
 ヒロインが加藤ローザと宮崎あおいというのもリンクする。恥ずかしい話だが、この間まで、この二人の女優の区別ができなかった。CMで見かけるたびにどっちがどっちだがわからなくて。お前だけの問題だろう、そう言われたら反論できないけれど。

 「SMS]も宮藤官九郎らしい台詞の連打で大いに笑わしてくれる。「篤姫」で一皮むけた宮崎あおいのコメディアンヌぶりに瞠目! 「陰日向に咲く」より断然良い。
 バンドメンバーも、現在(佐藤浩市:Ba、木村祐一:Gt、田口トモロヲ:Vo、三宅弘城:Dr)と昔にそれほどの違和感はない。佐藤浩市のヘヴィメタファッションがきまっている。

 決定的な違いがあった。「SMS]はバンドの生態(バンド内の人間模様)をちゃんと描いている。本質をきちんとついている。なぜ解散したのか、キム兄がぼそっとつぶやく一言に得心し、ジンときた。
 構成も音楽(パンクロック)を前面に持ってきている。単なるファッションにしていない。特に、中年バンドの面々が代表曲「ニューヨークマラソン」(仮)を報道番組で披露するシーン。笑いすぎて涙がでてきた。
 この違いはどこからくるのか? 宮藤官九郎自身がバンドやっているからか。

 当然、エンディングに「ニューヨークマラソン」が流れるかと思いきや、これが何と「守ってあげたい」のカバー。誰が歌っているのか、クレジットの歌手を確認すると「ねらわれた学園」。一人大受け!!





 昨年、池袋のジュンク堂の新刊コーナーで見つけた書籍が気になって仕方ない。日本文学の盗作を扱ったもので、すごく分厚くて高かった。あとで図書館で探してみようと思っていたが、肝心の書名を忘れてしまった。探そうにも、あるいはリクエストしようにも、これでは埒があかない。実際に「盗作」のキーワードで検索してもヒットしないのだ。
 今日、パソコンで「盗作」で検索すると、すぐにわかった。
 「〈盗作〉の文学史」(栗原裕一郎/新曜社)。

 それにしても、ネット検索だけでも、いろんな方が盗作(と疑われるような真似)をしていることがわかる。
 立松和平が昨年2度目の盗作問題を起こして自著を絶版にしていることを知った。「天漢日常」というブログでは、この問題の新聞記事に触れて、朝日新聞が立松氏を擁護していると指摘している。最後に山崎豊子の名もでてきて苦笑い。
 というのは、朝日新聞は山崎豊子の盗作疑惑に執拗に追及し、糾弾しているからだ。 「パクリ・盗作・スキャンダル事件史」(宝島SUGOI文庫)の山崎豊子の項に書いてあったこと。先週立ち読みしたばかりなので。
 朝日新聞って、いったい……

 宮崎駿の手塚治虫批判について調べていたら、「HATENA::Qestion」なるものを見つけた。
「宮崎駿は手塚治虫(虫プロ)のどういうところを批判したのか」といううゲストの質問に対して回答が寄せられている。
 最初の回答、オレの考えと同じだあ、なんて親近感を覚えながら興味深く読んでいて、はたと気がついた。
 これ、オレの文章ではないか!
 「夕景工房」2002/04/29「千と千尋の神隠し」のレビューのまんまコピーだ。
 文章の出典元とか、あるHPでこういう内容が書かれている等、紹介してくれるのなら、まだしも、これでは、この回答者が書いた意見になってしまう。

 以前も似たようなことがあった。
 ヤフーオークションに出た紙ふうせんのアルバムの紹介で、「いかつり唄」について、僕のレビューをそのまま引用していた。こういうことをする人って、何をどう考えて他人の考えをさも自分の意見のように書き込むのだろうか?

 それにしても、途中まで自分の文章だとわからなかったオレって……





 承前

 6日にamazonからダンボールが届いた。ドキドキしながら開梱して、中から3枚を取り出ししばし眺める。まず「井上堯之 映画音楽の世界 雨のアムステルダム-青春の蹉跌・蔵王絶唱-」を聴くことに。

 教会の鐘が鳴ってメインテーマが流れてきた。これだよ、これ! ビデオを何度も繰り返し巻き戻して聞いたタイトルバックの音楽は。ペダルスチールギター(井上さんのライブで聴いたときはこの楽器だった。チェンバロみたいな金属的な音がする)が奏でるメロディにうっとり。初めてフランシス・レイの「雨の訪問者」を聴いたときの感動が蘇ってくる。リアルタイムでこの映画観ていたら、完全に音楽にはまってLPを購入していたに違いない。
 この曲の中で、一箇所スチールギター(なのか、ほんとに)の音が滞るところがある。ミスタッチまでいかないのだけど。なぜリテイクにならなかったのだろう? まあご愛嬌ということで。

 メインテーマがフランシス・レイだとすれば、明のテーマなんてバカラックだろう。「雨にぬれても」的明朗、軽快さ。
 ショーケンや岸恵子の芝居(声)が入っているのもいい。特にショーケンに抱かれた岸恵子の悶え。ほんの一瞬だからよけいゾクゾクくる。射殺され倒れたショーケンが氷の池(?)を滑っていくラストシーンも収録されている。「雨のアムステルダム」は、音楽とラストシーンで語られる映画だと思う。

 「青春の蹉跌」のローラースケートのシーンに流れる音楽は、「はじめ人間ギャートルズ」の「なんにもない」の歌に通じるものがある。スキャットは「水もれ甲介」の主題歌を彷彿させる。
 アルバムのラストを締めくくる「青春の蹉跌」のテーマ。ショーケンの死を暗示させるアップのストップモーション、クレジットタイトルがロールして、流れてきた甘く切ないあの音楽。35年前、郷里の映画館でスクリーンを見つめていた、あのときに胸に込み上げてきた感情、03年、黄金町の劇場で再見したときの懐かしさと新たな感銘を思い出す。今度は初恋の女性に再会したような胸キュン感覚だろうか。
 
 井上さんの映画音楽に乾杯!
 当分、就寝の友になる。


  1.雨のアムステルダムのテーマ-1
  2.雨のサスペンス
  3.明(めい)のテーマ
  4.雨のアムステルダムのテーマ-2
  5.愛のテーマ1
  6.市場の朝
  7.愛のテーマ2
  8.雨のアムステルダムのテーマ-3
  9.「青春の蹉跌」よりローラースケート
  10.蔵王絶唱のテーマ
  11.明(めい)のテーマ-3
  12.悪友
  13.ジューク・ボックス
  14.青春の蹉跌のテーマ





 承前

 井上さんのライブで「雨のアムステルダム」テーマ曲が演奏されて、すっかり忘れかけていた映画への興味に火がついた。
 ところが僕が利用しているレンタル店にはない。
 大阪の熱狂的ショーケンファン、Sさんに借りることになった。Sさんは「青春の蹉跌 小説と映画のあいだに」目当てに「まぐま」を購入した方。発行人から知らされて、あわててお礼メールをしたことがある。ずいぶん後になってmixiをやっていることを知り、マイミクになった。

 僕はmixiにはまっていたとき、文中に「マイミクの○○さん」と書くことに抵抗があった。プリクラが大ブーム時の、ノートに貼ったプリクラの枚数を競い合った女子高生のようで、マイミク(の数)を自慢しているような感じがしてどうにも馴染めなかったのだ。だったら普通にSさんと書けばいいかというと、それもためらわれた。実際にSさんも読むわけだからSさんにも楽しんでもらいたい。
 で、2年前mixiにこんな感想を綴った。全文を引用する。

 
    ◇

 役者に転向したショーケンの型破りな演技を世間に印象づけたのは「太陽にほえろ!」だった。番組を降板してからも「傷だらけの天使」をはじめとするTVシリーズに立て続けに主演し人気を不動のものにしていく。
 そんな1970年代前半、映画界の名匠たちもショーケンの特異なキャラクターを使って、斬新な作品を撮っているのである。

 というか、ショーケンの瑞々しい演技を最初に印象づけたのは「約束」という映画だった。歌手を廃業し、映画業界で働こうと「約束」のスタッフ(助監督)になったが、ヒロイン岸恵子の相手役の俳優が降板したことにより、その代役に抜擢されたと伝えられている。しかし、この話、本当なのかどうか。どうも信じられない。

 それはともかく、テンプターズ時代からショーケンにしびれていた少年が中学1年から高校1年になる間に公開された作品は次のとおり。

 「約束」(斉藤耕一監督 1972年)
 「股旅」(市川崑監督 1973年)
 「化石の森」(篠田正浩監督 1973年)
 「青春の蹉跌」(神代辰巳監督 1974年)
 「雨のアムステルダム」(蔵原惟繕監督 1975年)
 「アフリカの光」(神代辰巳監督 1975年)

 この中で、リアルタイム(中学3年)に観たのは「青春の蹉跌」だけである。「約束」と「股旅」と出会うのは高校生になってから。どちらもTV放映で感銘を受けた。神代×ショーケンの映画第二弾「アフリカの光」は見逃した。というか、地元の映画館に来たのだろうか? 大学時代に一度TVで観たような気もするが、はっきり覚えていない。 「雨のアムステルダム」も高校1年のときだから、上映されれば駆けつけているはずなのに。

 長い間幻のショーケン映画だった「化石の森」「アフリカの光」「雨のアムステルダム」の3本のうち、「化石の森」は10年ほど前にビデオで観ることができた。石原慎太郎原作のこの映画でショーケンは医師の卵に扮しているのだが、とんでもなく暗く重い内容だった。
「アフリカの光」をきちんと鑑賞できたのは昨年のシネマアートン下北沢だった。神代辰巳特集の1プログラムとして上映されたのである。夕景にきちんと感想を書こうとして、結局一行も書けなくて1年が過ぎてしまった。ショーケンのかっこ悪さのかっこ良さが一番発揮された映画かもしれない。

 残るは「雨のアムステルダム」だけ。しかしレンタルビデオ店では見かけないし、DVDにもならない。ほとんどあきらめていたのだが、ある秘密ルートを使ってビデオを借りることができた。

 大阪にファンの間でなかば伝説になっているショーケンコネクションがある。コードネーム〈S thank you〉と呼ばれるその秘密機関と接触することができたのだ。今年のGW4月29日のことだった。観たい作品と待ち合わせ時間、場所をメールで知らせると、運がよければ届けてくれると聞いて、ダメもとでやってみることにした。
 場所は北新地、某ビル前。別の場所で待機していると、携帯に電話が入った。あわててビル前に駆けて行く。いた。妙齢の女性が3人。小脇に黒い袋を抱えた女性が名前を確認してきた。「そうだ」と言うと、ほかの二人を見てうなづいた。「ちょっとしたテストよ」
 少し身構えた。
「カレが島田陽子と共演したTVドラマは?」
「…『くるくるくるり』」すぐに答えた。「伴淳三郎が義父役だったね」
「カレが渡辺プロを独立して設立したプロダクションは?」
「ニーディーグリーディー。35mmで「祭ばやしを聞こえる」を撮って、大赤字ですぐにつぶれたんじゃないかな」
「じゃあ、カレが『明智探偵事務所』で演じた青年の名は?」
「……」
 女性が初めて笑った。「まあ、いいでしょう。合格よ」
 差し出された黒い袋を受け取る。中を見た。「雨のアムステルダム」のビデオだった。もう1本入っている。
「『鴎よ、きらめく海をみたか めぐり逢い』よ、観たかったんでしょ?」
 どこでリサーチしたのか? 尋ねる間もなく、3人は雑踏の中に消えていった。
 睡眠不足で大阪に行ったので、少々妄想が入ってしまったかもしれない。

 こうして手に入れた「雨のアムステルダム」。
 小暮修が商社マンとなってアムステルダムに駐在していた。ごく普通に英語までしゃべっている。謎の女岸恵子と恋仲になって、三国連太郎をボスとする組織の陰謀に巻き込まれて、と話自体は(今となっては)古臭いが、ま、そんなことはどうでもいい。いたるところでやんちゃなショーケンが見られるのだから。
 アムステルダムの街に岸恵子とショーケンはよく似合う。音楽も舞台にぴったりだ。ライブの感動を思い出す。
 くだものの入った紙袋をを抱えながらじゃれあうふたりのシーンと銃弾に倒れたショーケンが凍った池を滑っていくラストショットが印象的。

    ◇


 「雨のアムステルダム」のビデオは、テーマ曲を聴きたくて巻頭のタイトルバックを何ども繰り返し観た。こんなことは「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」以来のことだ。「パトレイバー2」はエンディングロールを繰り返した。川井憲次の音楽に惚れ込んで、結局サウンドトラックCD購入したほど。

 関係ないけど、何週間前のTV「相棒」。岸恵子がゲスト出演だったけど、彼女が裏切られたと勘違いして殺してしまう恋人はやはりショーケンがお似合いだよね。

 この項続く





 萩原健一主演、幻のサウンドトラックが初のCD化!!
 このニュースを目にしたのはずいぶん前だった。
 紙ジャケットのCDが3枚、3月初旬に同時リリースされるというので喜び勇んだ。

「井上堯之 映画音楽の世界 雨のアムステルダム-青春の蹉跌・蔵王絶唱-」
「アフリカの光 愛・青春・海 オリジナルサウンドトラック」 (音楽:井上堯之)
「祭ばやしが聞こえるオリジナルサウンドトラック」 (音楽:大野克夫)

 ショーケンファンとしてはもちろんのこと、井上堯之ファンとしてもこのときをどんなに待ち望んでいたことか。
 すわ、予約だ、とあわててamazon.comをクリックしたが、まだ予約開始していなかった……。

 以前にも書いたことだが、井上堯之さんには、自身で手がけた映画やTVドラマの音楽(テーマ曲)を集大成したアルバムを作ってほしかった。

  青春の蹉跌/蔵王絶唱/雨のアムステルダム/アフリカの光/太陽を盗んだ男/
  恋文/離婚しない女/火宅の人/傷だらけの天使(映画版)
  太陽にほえろ!/くるくるくるり/傷だらけの天使/前略おふくろ様/
  悪魔のようなあいつ/寺内貫太郎一家

 こんな曲がリストアップできる。
 新たなアレンジによる新録音。もし実現すれば、絶対欲しい1枚になるのに!

 小学6年から中学2年にかけて映画、というか洋画音楽に夢中になった。友人2人と競い合ってサウンドトラックのシングルを買い集めたものだ。フランシス・レイ、ニーノ・ロータ、ヘンリー・マッシーニ等々。音楽を聴きたくて映画を観ていたところもある。ビー・ジーズの「メロディ・フェア/若葉の頃」から入って、フランシス・レイの「白い恋人たち」「男と女」に夢中になった。クロード・ルルーシュ監督とフランシス・レイのコンビだからと、先の友人2人と「恋人たちのメロディ」を観に行ったことがある。退屈だった。いまだに映画は観ていないが「雨の訪問者」の音楽も好きだった。

 これまたすでに書いているが、映画を観に行ってまず音楽に惹きつけられたのが「青春の蹉跌」だった。冒頭の、ショーケンがローラースケートを履いてすべりながらテラスの椅子を片付けるシーンに流れる音楽に反応したのだ。エンディングロールの音楽はより印象深かった。考えてみると、あの当時サントラのLPはレコード店で見かけているのだ。なのに購入しなかった。
 あとでずいぶん後悔した。
 「雨のアムステルダム」なんて数年前まで幻の映画で、どんな音楽なのかも知らなかった。初めて聴いたのが、井上さんのライブだった。六本木STB139のステージ。いっぺんで気に入った。

 この項続く
 




2009/03/01

 「チェンジリング」(MOVIX川口)

 映画サービスデー、おまけに日曜日。時間があるから映画のはしごを考える。ただ最近躊躇する気持ちもでてきた。
 映画「A」を観て感動して、続けて「B」でもしみじみしてしまったという場合。観終わったあとの精神状態を考慮してしまうのだ。精神状態なんて大袈裟だな。「A」の感動にずっと浸っていたいのに「B」に相殺されてしまっては意味がない、ってこと。
 安価だからという理由で、映画を2本、3本続けざまに観るのはどうなんだろう。フランス料理もイタリア料理も食べたらそれぞれの本当のおいしさなんてわからなくなってしまうのではないか。まあ、若いとき、郷里の映画館なんて3本立て、おまけにその間休憩なしでも、別に苦でもなんでもなかったのだけれど。
 せめて1日くらい間を置きたい。そんなことを考えるようになった。単に懐事情だけの問題ではないのだ。
 
 本当ははしごを考えていた。「チェンリング」と「少年メリケンザック」だ。問題は時間だった。本命は「チェンジリング」だから、この作品を午後一に鑑賞すると「少年メリケンザック」は夕方になる。「チェンリング」がそれほどの作品でなかったら「少年メリケンザック」を観よう。そう判断した。結局観なかった。それだけ「チェンリング」がよく出来ていたのである。

 それにしてもクリント・イーストウッド監督はどこまで上りつめるのか。80歳近い年齢なのにまるで枯れていない。この10年近く手がける映画にハズレがない。僕が観た作品でいえば「スペースカウボーイ」(00年)、「ミスティック・リバー」(03年)、「ミリオンダラー・ベイビー」(04年)、「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」(06年)。これがどれだけすごいことか! 小林信彦がイーストウッド作品に関してはべた褒めするのもわかる。

 ヒロイン(アンジェリーナ・ジョリー)の息子が行方不明になって、無事保護されて戻ってきたら別人だった……予告編やTVスポットで知った情報はこれだけ。傑作の噂を耳にして何も仕入れないことにしたのだが、いやはやこんな物語だったとは!

 まず、1928年のロサンゼルスの街並みに圧倒される。どこまでがセットでどこからがCGなのか、全然わからない。通りを走る何台もの自動車に瞠目。クラシックカーをよくぞここまで集めたものだ。
 アンジェリーナ・ジョリーも、いつもの男勝りの女性ではない。当時のファッションを普通に着こなすちょっと痩せぎすのシングルマザー、クリスティンを好演。
 セット、衣装、小道具、申し分ない。海外の、時代色や風俗に関してよくわかっていない時代だからかもしれないが、何の違和感なく20年代に飛んでいた。

 息子が行方不明になっていたのは半年間ぐらいのものだ。身体的特徴はそれほど変わるもでのはない。にもかかわらず、行方不明になったときより背が低くなっている。させた覚えのない割礼(包茎手術)をしている。クリスティが「この子は息子ではない」とロサンゼルス市警に訴えるのは当然のこと。小学校の担任教師もクラスメートも本人でないと認めている。歯科医に残されたカルテからも証明できる。
 にもかかわらず、ロサンゼルス市警は母親の訴えにまるで耳を貸そうとしない。単なる気のせいと却下。それでも訴えをやめない母親に対して、強硬手段にでる。市警を愚弄する言動はまかりならんと、精神病院に強制入院させてしまうのだ。警察に逆らわなければ退院、そうでなければ一生病院の中……

 とんでもない、予想もつかない展開にのけぞった。これが実話なのか?
 なるほど、これは、わが子をとり戻そうとする母親と同時に、腐敗したロサンゼルス市警と戦う女性を描く映画だったのか。イーストウッドの反骨精神を見た思いがした。
 映画はこのあと、意外な展開を見せ、2時間22分が少しも長く感じなかった。

 イーストウッド映画で好きなのは、これまでも記しているが、どんな劇的なドラマでも、変に抑揚などつけずに淡々と描くことだ。テーゼを声高に叫ばないし、クライマックスで観客にさあ泣けと迫るような大仰な描写はない。さりげない描写と清楚な音楽が逆に胸に迫る。
 後味が悪くなるようなエンディングでも、ある種の安堵感とともに映画を締めくくってくれる。
 この映画でも、ラスト、クリスティンが神父に対して発する言葉とそれに続くピアノ曲(テーマ曲)に涙があふれてきた。
 エンディングロールに流れる音楽はピアノ曲をさまざまにアレンジしたもので、聴き応えがあった。中でもチェロをフィーチャーした部分が素晴らしい。





2009/02/02

 「昭和出版残侠伝」(嵐山光三郎/筑摩書房)

 椎名誠の「新橋烏森口青春編」等の自伝的小説(エッセイ?)を意識したような内容だ。1980年のはじめ、著者は平凡社を退職、同時期に退職した仲間たちと青人舎を設立して雑誌「ドリブ」を創刊する。「笑っていいとも 増刊号」が日曜日の朝に始まり、編集長(という肩書きのインタビュアー)にも就任した。あのころは毎週日曜日遅い朝の楽しみだった。。「笑っていいとも 増刊号」で嵐山光三郎の名前を覚えたといっていい。著者にとっては第二の青春だったんだろうな。うらやましい限り。
 「ドリブ」が「DO-LIVE」だったことを初めて知る。


2009/02/04

 「本日、東京ロマンチカ」(中野翠/毎日新聞社)

 こと映画に関しては、著者と僕では考えが異なるのだが、「自虐の歌」ではピタリ一致した。何しろヒロインにはハリセンボンのはるかがいいと書いているのだ。僕も同じこと考えた。ただし、本当にはるかをヒロインにしたら集客について「?」である。映画(TVドラマ)のキャスティングのむずかしさはここだ。活字なら平々凡々な人間、醜男やブス、いや不美人でも主人公になるが、映像ではやはりそれなりの容貌がなければならない。そこんとこ、ちゃんと理解していますよね、翠さん!


2009/02/10

 「しゃばけ」(畠中恵/新潮社)
 
 数年前から書店で畠中恵の時代小説をよく見るようになった。江戸時代の市井の物語で何やら妖怪が登場するらしい。フジテレビでドラマ化(単発)されて放送を楽しみにしていたら理由あって見逃した。第二弾はきちんとチャンネルを合わせた。妖怪たちのメーキャップ、特撮の類はなかなかよく出来ているのだが、肝心のドラマがちっとも面白くない。途中でチャンネルを替えてしまった。
 小説をあたった感想は、妖と主人公たちの交流は楽しいものの、いまいち世界に入り込めない、というもの。要因は文章だろうか? まだこなれていないのだ。第二の宮部みゆきを求めてしまったのがいけなかったのか。読了して次を読みたいという気はしなかった


2009/02/13

 「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」(熊井啓/新潮社)

 日本映画が斜陽産業になった最大の原因は、五社協定ではないか? ワンマン社長がトップに君臨する会社(大映と日活)が特に悪用していたと思わざるをえない。熊井啓監督は外見のイメージとは逆に非常にタフな精神を持っている。もし、熊井監督でない別の監督だったら、かなり早い段階で、「黒部の太陽」は頓挫していたのではないだろうか。


009/02/16

 「ボクのまんが記」(手塚治虫/朝日新聞社)

 自伝的マンガ5編(「紙の砦」「すきっ腹のブルース」「トキワ荘物語」「ゴッドファーザーの息子」「ガチャボイ一代記」)とマンガの描き方指南のマンガ「漫画大学」の間に、表題作「ボクのマンガ記」が挿入される体裁。
 自伝的マンガや「漫画大学」はお馴染みだ。実際、「ガチャボイ一代記」なんて初出の「月刊少年マガジン」で読んでいる。この号は漫画家のアトリエを特集していて、当時の人気漫画家たちのマンガ製作風景がマンガで紹介された、職人フェチの僕好みの内容でずいぶんと長い間宝物の一冊だった。池上遼一「スパイダーマン」の連載が始まった号でもある(確か)。気がついたらなくなっていてくやしい思いをしたものである。
 「ボクのまんが記」は初めて目にする(だから図書館から借りてきたのだ)。「鉄腕アトムクラブ」(「COM」の前身)に連載された、イラストと文章によるエッセイ。当時の雑誌からの復刻で、もし手塚治虫が生きていたら絶対ありえない処置だろう。大忙しの毎日の中で書き飛ばしていたからか、人名等、かなり誤記が目立つ。「W3」アニメ化にまつわる盗作騒動は、冷静な文章の中に手塚治虫の怒りが見え隠れする。


2009/02/18

 「トンデモ本の世界T」(と学会/太田出版)

 この「トンデモ本」シリーズ、版元が何社かにわたっている。最初のころは洋泉社、途中で太田出版になり、最近は楽工社なる新興出版社(だと思う、これまで聞いたことなかったから)。この変遷は何に由来するのだろうか? やはり担当編集者の異動だろうか。
 同じ紹介でも執筆者によって、面白さはずいぶん違ってくる。本書ではその差がはっきりしている。


2009/02/20

 『唄い継ぐこころ ~私の中の「竹田の子守唄」』

  「あれから40年、再開!竹田の子守唄」5」を参照のこと。


2009/02/23

 「ぼくたちの好きな戦争」(小林信彦/新潮文庫)

 函入りハードカバーは持っている。あの当時、小林信彦は新潮社から定期的に書き下ろし長編小説を上梓していた。思えば、作者にとっても読者(ファン)にとっても幸せな時代だった。
 文庫になったときも購入して再読している。あと一度くらい読んでいるか。にもかかわらず、昨年秋にBOOKOFFで見つけたのでまた買ってしまった。
 自身でこの作品をもって「第一期終了」を宣言した。宣言どおりの内容だった。この点については解説の中野翠に異論はない。まったくそのとおり。プロローグの「ハイそれまでよ」式ナンセンスさは何度読んでも笑える。
 「うらなり」で菊池寛賞を受賞するまで、賞にはあまり縁がなかった人だが、この小説と「おかしな男 渥美清」を初めて読んだときは絶対何かしらの賞が与えられると思っていたのに……。


2009/02/27

 「ユニット」(佐々木譲/文藝春秋)

 「うたう警官」(文庫化に伴い「笑う警官」に改題)がそうだったように、これも映画化に適した小説だ。
 DV夫の虐待に耐え切れず子どもを連れて逃げ出した女と、7年前未成年の不良に妻と幼子を殺されたショックから立ち直れずにアル中になった男が、ある事故を契機に同じ職場で働きだすのが発端。男は最短の刑期で出所した犯人への復讐を誓うことで生きる希望を見つけ出す。女の夫は刑事という職権を利用してじわじわと女に迫ってくる。
 警察官のDV問題や光市母子殺害事件をモデルにした事件だとか、前半は嫌な気持ちで読み進まなくてはならない。男女に真の恐怖が襲いかかってくる後半は、あるくだりまでは、ドキドキものであるが、その後は劇画チックになって一気にリアリティがなくなる。結末も十分予想できる。だからこそ安心して最後まで読める、ともいえるのだが。
 男と女が出会う機会を作った人物がクライマックスでふたりの身を心配して登場するくだりに涙がこぼれそうになった。笑われるもしれないけど。もし映画「セブン」的な結末だったら読後立ち直るのに何日もかかるはずだ。
 映画化されれば日本版「ノーカントリー」になるか?





プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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