文字には色がある。
 文字にはイメージとしてその一つひとつに色があると思っている。人に話せば笑われるだけだからこれまで話題にしたことはなかったが。
 文字(言葉)と色の関係に気がついたのはいつだったか? かなり前だと思う。中学時代にはしっかり意識していたことを憶えている。

 一度だけ話題にしたことがあった。同じような感覚の人がいることがわかったからだ。
 昨年の2月のこと、mixiの足あとをたどって訪れたある方の日記にこう書かれてあった。「文字には色があるよね」と語る知り合いがいると。最後に「思い当たる人がいたらコメントください」とあったので、わが意を得たりの心境で書き込みした。普通なら読むだけ読んで挨拶しない〈読み逃げ〉してしまうのに。しかしこの〈読み逃げ〉、嫌な言葉だ。日記を読むだけで何のコメントを残さないのイケナイこと、失礼な行為だと考える人がいることがまずショックだった。mixi(の日記)をやめようと思った最初のきっかけはこの言葉を知ったときだった。
 なんてことはどうでもよくて。
 
 コメントしたのは次のような内容。
 たとえば、元号の色。
 
  明治→緑
  大正→黄土色(土色)
  昭和→黒
  平成→白

 昭和は太平洋戦争による混乱があったからか。平成は漢字そのものの見た目、語感からに違いない。大正はセピア色の写真のようなイメージから。明治の緑は説明がつかない。徳川から政権が変わって、若さを象徴しているのだろうか。ならば青のはずなのに。

 アルファベット一文字ごとにも色がついている。

  A→赤
  B→黒
  C→白
  D→土色
  E→紺
  F→水色

 例として6文字の色を挙げたが、Zまできちんとある。ちなみにZはグレーだ。Xは黒、Yは黄色(あるいは黄土色)。
 Bの黒がブラックに由来するのはすぐわかる。ほかは説明つかない。

 ひらがなにも色がある。アルファベットに比べとても大雑把であるが。

  あ行…暖色系
  か行…青と緑の中間色?
  さ行…白系
  た行…土色系
  な行…紫と赤の中間色?
  は行…ベージュ系
  ま行…群青色
  や行…うすい茶系
  ら行…オレンジ?
  ん…黒

 あ行が暖色系というのは「あか」に由来するのだろう。さ行は「しろ」、な行は「なす」だろうか。
 実際は、まるで感覚的なことなのだ。たぶん理由なんてない。「あ」を思い浮かべると、脳裏に浮かぶ色なのである。

 ミュージシャン、アーティストの名称にも色を感じる。
 赤い鳥は赤であるのは当然として、紙ふうせんとハイ・ファイ・セットは何色だろうか。
 僕にはしっかりとしたイメージがある。
 紙ふうせんはオレンジ、ハイ・ファイ・セットは白だ。

 紙ふうせん=オレンジのイメージは昨年開催した「紙ふうせんトリビュートライブ」チラシに見て取れる。
 その要因は初期のシングルジャケットにあったのだ。


tirasi
紙ふうせんトリビュートライブ チラシ
タイトルがオレンジでしょう?

ikatsuriuta
紙ふうせんのデビューシングル
「いかつり唄」
全体のイメージがオレンジだ。

obi
ファーストアルバム「またふたりになったね」
の帯 
タイトルも紙ふうせんもオレンジだ。

白い画用紙209
「白い画用紙」
ほらこちらも!






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 前項で「悪魔の手毬唄」に触れた。もしかしたら映画の断片が拝めるかもとYouTubeを検索したら、オープニングタイトルとエンディングがUPされていた。「悪魔の手毬唄」について何か書こうと思ったが、同じような内容になりそうなので2年前のmixiに書いた文章を転載する。
 最近やけにmixiからの転載が多いとお思いのあなた、別に手抜きではないですよ。単にmixiへリンクできないだけのこと。

 この文章を書いたのは、前年の暮れにリメイク版を劇場で観てオリジナル版を再チェックしたくてたまらない時期だった。ところが目当てのビデオ(DVD)がない。少しでも雰囲気に浸りたくて、シリーズ第二弾の「悪魔の手毬唄」のDVDを借りた。
 「犬神家の一族」はそのころの邦画には珍しく音楽も魅力的だった。角川春樹は「ある愛の詩」で小説と映画と音楽のメディアミックスを成功させた人。同じ手法で横溝フェアを盛り上げようと考えた。音楽にも気を配っていたわけだ。当然、大野雄二の書くテーマ曲は素晴らしく、なぜレコード(サウンドトラック)を買わなかったのか今でも不思議なくらい。
 「ルパン三世(新シリーズ)」、「最も危険な遊戯」、70年代後半は大野雄二のメロディに親しんでいた。ちなみに主演の石坂浩二とは大学(慶応)の同級生だった(と思う)。

 「悪魔の手毬唄」では村井邦彦が起用された。リアルタイムのときは特に意識していなかったが、音楽がいかにもフレンチっぽい。クレジットにはシンセサイザー奏者として深町純が明記されていたこともあって、半ば強引に赤い鳥と結びつけた。
 改めて音楽を耳にすると、「雨の訪問者」「雨のアムステルダム」「悪魔の手毬唄」がつながってくる。あくまでも自分の中で。
 
          * * *

●「悪魔の手毬唄」と赤い鳥の深~い関係? 2007/01/26

 リメイク版「犬神家の一族」を観てからというもの、オリジナル版を確認したくてたまらない。
 市川崑監督が金田一シリーズの新作を撮るのだったら、まったく新しい作品、自身で企画を進めていた「本陣殺人事件」にすべきだった、と今さらながら思う。

 とにかく「犬神家の一族」だ。冒頭の那須の古びた街並をやってくる金田一のショット、犬神製薬ができるまでのスチールショット、湖で溺れかけた珠代を助けた金田一が猿蔵に指示を与えるシーンのストップモーション処理。あのシーン、あのカット。いろいろ観たくなったのだ。
 会員になっているビデオレンタル店で探すと、3店のうち帰宅途中時にある某店には在庫がなく、あとの2店は覗くたびに貸し出し中。
 昨日、今度こその気持ちで行ってみると、やはりない。「悪魔の手毬唄」のDVDを借りてきた。
 
 旧「犬神家の一族」の公開中、プロデューサーの角川春樹が、共同プロデューサーを告訴するという騒動が起きた。制作費の中に使途不明金があるというのである。共同プロデューサーは映画界にはよくあることで、やましいことではないと反論して、一部マスコミに角川流の話題づくりとも揶揄された。本当に告訴したのか、どう決着がついたのか覚えていないが。
 これが要因なのかどうか知らないが、東宝が単独で第2弾「悪魔の手毬唄」を製作した。2作目以降は東宝映画作品である。シリーズのDVD-BOXに「犬神家の一族」が含まれていないのはそういうわけである。角川春樹事務所は企画としてクレジットされるのみ。

 柳の下に二匹目のどじょうを狙った感のある「悪魔の手毬唄」は、しかし、「犬神家の一族」より出来がよかった。
 以前にも書いたことだが、ミステリには殺人に納得できる理由がないと余韻が残らないと個人的に思っている。実際には動機なき(他人には理解不能な)殺人が多々あるけれど、エンタテインメントとしてはやはり読者(観客)が殺人に対して首肯できるものがないと。
 温泉宿の女将(岸恵子)がなぜ3人の若い女性を次々と殺していったのか(それも一人は自分の娘だ)、謎解きの部分で膝を打って、なおかつラストが前作以上に胸を打つ。ホームで見送る老刑事(若山富三郎)に対する金田一の暖かい眼差しとやさしさにあふれた一言。その言葉が汽車の発車する警笛で相手に届かない。山中を走り抜ける汽車をバックに〈完〉の文字。市川崑映画にはエンディングロールは必要ないのである。

 「犬神家の一族」は西部劇、「悪魔の手毬唄」はフランス映画。そう評したのはつかこうへいだった。かなり悪評を目にした中で、タイトル・クレジット後の、金田一が歩いてくるショットのわくわく感に触れた文章にわが意を得た気がしたものだ。
 リメイク版と比較して、30年前の「犬神家を一族」を傑作と紹介するメディアが多いが、当時はかなり叩かれてもいたのだ。主に、金にものをいわせて大量スポットを流す、後に角川商法と名付けられた宣伝方法に。

 「悪魔の手毬唄」はフランス映画。久しぶりに観てその意味がよくわかった。
 確かに、音楽を担当した村井邦彦のメロディーはヨーロッパの雰囲気を漂よわせている。シンセサイザー奏者は深町純。もし主題歌があるとしたら、村井、深町ラインから赤い鳥が起用されたのではないかしらん。劇中に流れるメロディがまるで赤い鳥の曲(前奏)っぽいんだもの。すでに解散していたけれど。赤い鳥が誕生した武庫之荘がある西宮の隣町、神戸が重要な意味を持ってでてくるし、そういえば、長髪姿の金田一は若かりし頃の後藤さんに見えなくもない。
 なんてね。
 考えすぎだという声があちこちから聞こえてくる……。






 川口中央図書館には市川崑監督作品のDVDが揃っているみたいだ。黒澤明監督のように全作とはいかないだろうが。棚で見つけるたびに借りている。「獄門島」、「かあちゃん」、「こころ」、「ビルマの竪琴」。

 「獄門島」は原作を読んだのでその確認の意味で。
 「かあちゃん」は晩年の作品群の中では佳作に入ると思う。ただ、あまりに美談すぎて始終こそばゆさがつきまとってしまうきらいはある。
 「こころ」はずいぶん前にレンタルビデオで観ている。原作(夏目漱石の同名小説。高校時代、現代国語で習った)より面白かった。今回も同様の印象。明治時代の生活がこと細かく描かれているからだとわかった。
 「ビルマの竪琴」はリメイク版が公開されたときにTVで放映された。感銘を受けた僕はこの映画にリメイクの必要があるのか、と結局劇場に足を運ばなかった。
 日活時代の作品は、他の市川崑監督作とはちょっと違う印象がある。それほど映像や編集に凝っていない。ごくごく普通に正攻法で撮られている感じがする。

 先週は「天河伝説殺人事件」を借りてきた。
 角川春樹プロデューサーが現代の金田一シリーズを狙って「犬神家の一族」に続いて市川崑監督を起用した。ゆえに世界観はそっくりだ。加藤武なんて金田一シリーズまったく同じキャラクターの刑事で登場している。そういえば「幸福」でも署長役で「よーし、わかった!」やっていたな。
 そもそも、この映画、プロットが「悪魔の手毬唄」にそっくりなのだ。崑監督が金田一シリーズ第二弾として東宝で撮った作品。シリーズ最高作。旅館のおかみを岸恵子に演じさせているので、「悪魔の手毬唄」の現代版、現代を舞台にしてリメイクした映画と思えなくもない。崑監督ぜったい狙っている。原作を大胆にアレンジしていることも考えられるか。

 能。奈良吉野村。山村の神社。鄙びた旅館。まさにディスカバー・ジャパンである。
 主人公の浅見光彦に扮するのは榎木孝明。作者・内田康夫の風貌を知っていると、ベストキャスティングであることがわかる。光彦の兄で警視庁のお偉いさんが石坂浩二。ナレーションも兼ねている。
 加藤武のバディは斉藤洋介。いい味だしてる。宗家側の岸辺一徳も「私が犯人かもしれませんよ~」オーラをびんびん放っている。光彦の大学時代の先輩で、国語研究所なる会社(?)の所員役で伊東四朗が出演しているのがうれしい。岸田今日子、大滝秀治、小林昭二、常田富士男の顔も感激なのだが。
 
 この映画が公開されたとき、劇場で観たのか否か、記憶がはっきりしない。ビデオになってから観た覚えがある。当時、市川崑がなぜ内田康夫のミステリを映画化するのかという不満があった。僕にとっては、内田康夫は西村京太郎や山村美紗の系列なのだ。読まず嫌いかもしれないが。タイトルも気に入らなかった。「……殺人事件」は好みではない。
 犯人以外ほとんど忘れていた。
 今回久しぶりに観直してわかった。照明がとても凝っている。全編光と影の効果。男性の場合、バストショット、あるいはアップはことごとく顔の半分は陰なのである。女優になると、その限りではないが、意識して見だすと徹底しているのがわかる。
 タイトルデザインが素敵。メインタイトルの天川伝説殺人事件。普通、3行にするなんて考えない。中央の五十鈴のマークがポイントだ。クレジットのレイアウトも何かと参考になる。

 TVスポットでさんざ流れた主題歌(関口誠人)は劇中では使用されなかったのか。






2009/05/24

 「立川流落語会」(国立演芸場)

 昨年に引き続き、今年も国立演芸場で立川流落語会が開催された。23日(金)から3日間の昼席。談四楼師匠が出演する24日に足を運ぶ。昨年は一人だったが、今年は独演会仲間のSさんも参加。新橋で待ち合わせて、銀座線で赤坂見付へ出てそのまま永田町へ。開場の12時30分前に着いてしまった。
 
 開演(13時)15分前にブザーが鳴って、まずは前座の三四楼さん。一、二の三四楼のあと、すぐネタへ。マクラはなし。「

 立川三四楼 「浮世床」

 泉水亭錦魚「新聞記事」
 立川談修「宮戸川」
 立川志遊「笑い茸」
 ミッキー亭カーチス「あくび指南」
 立川談四楼「天狗裁き」

  〈仲入り〉

 立川志らく「火焔太鼓」
 立川談之助「鮫講釈」
 立川文志「江戸文字アラカルト」
 土橋亭里う馬「百川」

 錦魚さん、前座の立川千弗時代に何度か談四楼師匠の独演会で聴いている。07年の12月には新二つ目としての高座を拝見した。こちらがそういう眼、気分だからだろうか、すっかり二つ目の噺になっているなあと思ったものだが、今回は余裕というか自信が感じられた。「新聞記事」はたぶん初めて聴く噺。近所の天ぷら屋に強盗が入って抵抗した主人は殺された。でもすぐあげられたんだ、天ぷら屋だから。この嘘ニュース(落とし噺)のサゲを言いたいばかりに、友人宅を訪れ気分よく語りだすのだがとちってばかり……という落語にはよくあるパターン。
 そろそろ真打を狙っている(?)談修さんの「宮戸川」は、4月の「芸人人生四十年 古今亭八朝の会」で聴いたばかり。

 一昨日(22日)、東京會舘で真打昇進パーティーを開催したばかりの志遊師匠は「笑い茸」。どちらも初めて。結婚してから一度も笑ったことがない亭主の健康を考えて、なんとか笑わそうとする女房の悪戦苦闘。

 高座は2年半ぶりだというミッキーさん、いや師匠。というと横浜にぎわい座の「落語と流行歌の会」以来か。ロカビリー3人男も今や70歳を過ぎた。「昔、ロカビリー、今、リハビリー」は2年半前のギャグ。今回は「老化ビリー」って言っていたな。
「俺は昔から英語で歌っていたからいいけど、山下の『ダイアナ』なんて聴いてられないよ……君は僕より年上で…いったいいくつだよ」
 このギャグは何度聞いても笑ってしまう。ちなみに山下敬二郎の父親は柳家金語楼。
 ロカビリー全盛時代のミッキーさんにはあまりに観客が騒がしいのでステージで落語を一席披露して一瞬に静かにさせたという逸話がある。「あくび指南」は変な外国人(南蛮人)が登場する十八番。爆笑。

 談四楼師匠はお馴染みの「天狗裁き」。途中で挿入されるくすぐり……ある米国人一行が来日してTV「大岡越前」「遠山の金さん」を観て日本にはなんてすごい裁判官がいるのだろう、と感激。帰ってから裁判にこの独裁システムを導入しようとしたが挫折、せめてもの気持ちとTV番組を作った。それが「エド裁判所」。「エド・サリバンショー」を知っている年配者の笑いを誘うわけだが、僕はこのくだり、頭のところでニヤリとしてしまう。もうひとつ、夫婦喧嘩の仲裁に入った隣の住人(男)が夢の内容を教えてくれない主人公の男に「友情って何?」と突き放すように問うところ。何度聴いていても笑ってしまう。

 志らく師匠は生では初めて。一度TVの演芸番組で拝見しただけ。映画は一度、芝居は何度か観ているが。ギャグ満載の大爆笑の「火焔太鼓」だった。偏執的妄想狂とでもいうべき女房のキャラクターが最高。芝居でその片鱗を見せてくれるツッコミは高座でも健在だ。
 家元の狂気の部分を継承しているとのことだが、この狂気を芝居で思う存分発揮してもらえないだろうか? 下町ダニーローズで「赤塚不二夫物語」をやってもらいたいのだ。赤塚不二夫の本を読むたびにいつも思う。若かりしころの赤塚不二夫って志らくさんに似ているなあ。シャイな美青年が「おそ松くん」「天才バガボン」の大ヒットで笑いの最先端に躍り出るや、フジオプロの、やがて他業種の仲間たちとバカを繰り広げ、狂気の世界に足を踏み入れていく過程は実にドラマティック。
 とはいえ、そう簡単に狂気を演じられる役者はいない。笑いと紙一重の狂気を描ける作者もいない。だからこそ座長志らくの登場を願うばかりなのだ。赤塚不二夫は立川流Bコースの噺家さんだった。家元との交流もあった。志らくさんにはうってつけの題材だと思うのだが。

 談之助師匠、昨年は漫談だった。今年も漫談に始終するのかと思いきや、途中で落語になった。前半の三平襲名に関しては場内爆笑だったがまっとうな意見だと思う。
 文志師匠、昨年と同じネタ。
 龍志師匠が怪我(骨折?)したとのことで里う馬師匠が代演。「百川」は初めて聴く。日本橋の有名料亭を舞台にした客と抱え人との聞き違い、勘違いによるすれ違いやりとりが笑える。これまたよくあるパターンだ。里う馬師匠の場合、なぜか最初噺の世界に入っていけない。置いてけぼりをくらう感じ。途中で追いつき、面白くなっていく。昨年も感じたことを思い出した。




「ウルトラマンメビウス」は円谷プロのパンドラの匣を開けてしまった作品だと思っています。メビウスとウルトラ兄弟の競演が話題を呼びヒットした映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」はDVDになってから観たのですが、冒頭のメカの着陸シーン以外、心はずませる要素がなかった。面白くなかった。
 続く「大決戦! 超ウルトラ8兄弟」の設定にのけぞりました。こういう映画を歓迎するファンの心情が理解できません。ですので、私ははっきりとウルトラ(マン)卒業を宣言しました。この映画、DVDでも観たいとは思いません。

 すべては「ウルトラマンネクサス」の失敗が原因でした。で、私は問うたのでした、「ウルトラマンネクサス」は失敗作なのか? と。

          * * *

●「ウルトラマンネクサス」は失敗作か? 2005/03/19

 「ウルトラマンネクサス」。
 大方のウルトラファンに評判が悪いみたいだ。私のネットデビューになって以来覗いている某特撮BBSでは毎週レビューを書き込む常連さんがいる。この方は好意的に書くのだが、同時にアンチ派が一人いて毎回批判のための批判を繰り返している。だったら観なければいいのに。
 「ウルトラマンティガ」が開始されたとき、最初の頃はTV見ながら毎回文句言っていて、かみさんと娘にあきれられたのを思い出す。これがウルトラファンのつらいところか。

 肝心の子どもたちはというと、意味がわからないと見なくなったと会社の女性(小学生の息子がいる)は言っていた。「仮面ライダー響鬼」は見ているらしいが。
 視聴率も苦戦している。
 そんなにネクサスはダメなのか?

 本当なら前作「ウルトラマンコスモス」でウルトラマンも卒業するつもりだった。四十過ぎたおじさんがもう語るべき作品ではなく、あくまでも対象である小学低学年以下の子どもたちがこの怪獣保護のウルトラマン物語を見て感じるべきものなのだと。
 平成ウルトラマン3部作の最終作「ウルトラマンガイア」はこれまでのウルトラマンシリーズを打破する画期的な作品だった。複数ヒーローの活躍、連続ドラマ的要素、プロフェッショナルな防衛チームの描写等々、新しい試みが導入され、それは一応成功した。

 では一旦休息したシリーズがどうなったかというと、まるで原点回帰の、いやそれ以上の変化を「コスモス」で見せたわけである。で、「ガイア」のおいしいところを取り入れて開花させたのが平成仮面ライダーシリーズなのだ。これは原田昌樹監督にインタビューしたとき私がそう嘆いたら同意してもらえたので、スタッフの間でもそういう認識があることを確信できた。
 新しく始まった「ネクサス」は土曜日朝7時半というお子様の時間帯にもかかわらずやろうとしたのは大人向けだった。それももう1話完結のウルトラマン対怪獣の戦いがメインになる昔ながらの話にはほとほとうんざりしている私みたいなひねくれたファン向け。


●続・「ウルトラマンネクサス」は失敗作か? 2005/03/20

 ウルトラ(マン)シリーズは「ウルトラQ」から脚本家と監督がコンビを組んで一度に2本撮る体制がとられていた。作品はあくまでも独立したもので、原則他のエピソード(回)を干渉しない。本格SF、怪獣主体、ファンタジー、コメディー等さまざまなストーリーで視聴者を魅了した。

 ヒーローが活躍するシリーズになってもこの基本は変わらない。初回と最終回以外は(前後編もあるが)どこから見ても内容がわかるアンソロジー的な体裁。
 異変発生→怪獣特捜隊の出撃、特捜隊の危機、ウルトラマン登場、ウルトラマン対怪獣、ウルトラマンの勝利。怪獣が宇宙人になったり超獣になったり、あるいはタッグを組んだりしたが、この基本パターンはシリーズの特徴となった。

 「帰ってきたウルトラマン」以降、第2期ウルトラマンシリーズはテコ入れのため途中でレギュラーが交代したり設定が一部変更になったりした。とはいっても基本パターンは同じである。
「ウルトラマンティガ」になって、ウルトラマンの設定が変わった。もうM78星雲の宇宙人ではない。赤と銀だけでなく青が加わり、戦いの中で3パターンに変身する能力を持つことになる。これはたぶんにスポンサーサイドの意向だろう。ただこれはうまくストーリーに反映できた。エピソードが別のエピソードに影響するようになった。ファンはこれを〈大河ドラマ〉といって喜んだ。

 同じ世界観で成り立つ「ウルトラマンダイナ」でもそれは踏襲された。そしてその推進のため「シリーズ構成者」が設定されたのかと期待したのだ。一番注目したのは、主人公と彼を隊に引っ張った女隊員との賢姉愚弟的関係(回が進むにつれてどうその関係が進展するか)と特捜チームの組織描写(チームがどう怪獣出現に対処するか、あるいはその人間関係)だった。
 後者の期待は「ウルトラマンガイア」で大きく膨らんだ。
「ガイア」が終了したとき、個人的に主張したのは、今度新しい「ウルトラマン」が始まるなら、
 それは、

 ・別に主人公が別にウルトラマンに変身しなくてもいい
  (誰がウルトラマンなのかという謎で引っ張るのもいい)
 ・ウルトラマンが50mでなくていい
 ・女性が主人公でヒーローになっていい
 ・連続性を強調してエピソードをより深く広く描く(場合によっては1クールで一つの事件を追ってもいい)
 ・組織を徹底的に描く、ウルトラマンの援助をうけなくても敵を倒す
 ・たまにはウルトラマンが登場しないエピソードがあってもいい
 ・これまでのフォーマットをぶち壊してもらいたい

 ということだった。

 「ネクサス」は上記個人的意向がかなり取り入れられているのだった。卒業しようと思っていたウルトラマンにもう少しつきあおうとするのは当然だろう。
 音楽に川井憲次が起用されたことも大きい。

 本当のことをいえばもう「ウルトラマン」の冠はいらないのではと考えている。ウルトラマンなんて表示するから以前のイメージが足を引っ張るのではないか。


●続々・「ウルトラマンネクサス」は失敗作か? 2005/03/22

 昔、映画がヒットして続編が作られると必ずタイトルに〈続〉がついた。3作目は〈新〉である。「明日を知る少年」「続・明日を知る少年」「新・明日を知る少年」というような。4作めからはサブタイトルがつくのが基本。「明日を知る少年 未来への旅」みたいな。
 で、よく考えるとこの3作目の〈新〉はおかしい。登場人物も世界観も前2作とちっとも変わらないのだから。本当なら〈続々〉が正しいのだ。
「フレンチコネクション」だったか「ダーティーハリー」だったか、「……2」という表現を最初に考えた人はすごいと思う。

 前説が長くなった。

「ウルトラマンネクサス」のメインライター長谷川圭一氏が平成仮面ライダーシリーズを相当意識していることはよくわかる。たとえばそのサブタイトル。19日の回のそれは「EPISODE24 英雄 ヒーロー」だった。EPISODE+話数 漢字2字というのは仮面ライダークウガの変形である。というか少年サンデーに連載されていた人気コミック「ARMS」そのものなのだが。

 劇中のウルトラマンネクサスの呼称についても明確だ。「ティガ」「ダイナ」「ガイア」ではシナリオライターの判断にまかせられていたのか、ウルトラマン○○○とフルネームであったり、○○○と固有名詞であったり、ウルトラマンと総称して呼んだりバラバラだった。「ネクサス」ではこれまでのところ〈ウルトラマン〉で統一している。劇中ネクサスの名は登場しないのだ。

 仮面ライダークウガでは劇中いっさい仮面ライダーもクウガの名も呼ばれなかった。あくまでも未確認生命体第4号であった。
「仮面ライダーアギト」でも登場する二人のライダーアギト、ギルスは仮面ライダーとは呼ばれなかった。その線を狙っているのだろう。
 特捜チーム(今回はTLT)に所属している主人公とは別にネクサスに変身する人物がいてストーリーが進むにつれて、交代していくという。地球を襲うビースト(怪獣)の存在もTLTの存在も一般には知られていない。もし事件を目撃した人間がいるとTLTの専門部隊が動いて記憶を消してしまう処置がとられる。ウルトラマンもビーストと戦う時は亜空間を作り出し、その中で戦う。だからウルトラマンの存在も一般人には知られていない。
 全体的にダークな雰囲気に包まれている。TLTも何か秘密を抱えたチームでこれまでの明朗快活な組織とは一線を画す。

 始まった当初、確かにストーリー的にギクシャクしているところがあった。設定に無理はあるし、無理やり連続ものにしているような、展開がじれったくて仕方なかった。この設定からするとウルトラマンや怪獣が巨大である必要もない。
 特撮的にいうとTLTのメカが全然かっこよくない。ナイトレーダーと呼ばれる部隊がちっともプロフェッショナルに見みえないところも痛い。川井氏の音楽も別にどうというものでもないし。

 いろいろと文句をいうのはたやすい。しかし、「おっ」と思うビジュアルは健在だし、新しいことへの挑戦を評価して毎週ビデオ録画をセットした。で、この数回は怒涛の展開となった。「EPISODE24 英雄 ヒーロー」はまさに興奮してかなりTVに釘付けになった。板野サーカスもやっとその片鱗をみせてくれた。

 とにかく当初のコンセプトで最終話までつきすすんでもらいたい。全話を観終わえなければ全体像なんてわからない。私が心配するのは、テコ入れのために途中でこれまでのスタイルを捨ててしまうことだ。お馴染みのウルトラマン路線に変更されてしまうこと。視聴率は上がるかもしれないが、だったら「ネクサス」の存在価値なんてなくなってしまう。路線が変更になるのなら打ち切りになったほうがマシだ。






 ロートルは消え去るのみ、なんて宣言したくせに、「ウルトラマンメビウス」、結局3話あたりから観だしてしまうんです。人間臭い隊員たちがいかにしてまとまっていくか、というドラマが興味深かったので。

 1年間つきあって思ったことはやはりmixiに4回にわたって書いて、後に「ウルトラマンは懐かしのメロディか?」にまとめました。これについてはまた別の機会に。

 で、この前貴ブログでコメントした「11月の傑作群」、その「怪獣使いと少年」の続編が「ウルトラマンメビウス」で作られたこと、その感想を、これまたmixiなんですけど、こちらに転載します。
 
          * * *

●名作・傑作の続編を作るということ 2006/11/25

 もうずいぶん経ってしまったが、やはり触れておかなければ気がすまない。
 11日(土)に放送された「ウルトラマンメビウス」第32話「怪獣使いの遺産」のことだ。

 このエピソードは「帰ってきたウルトラマン」の〈11月の傑作群〉と呼ばれている4話(作品)のうちの1つ「怪獣使いと少年」の続編になる。
 本放送時見逃して長い間幻のエピソードだったが、後年再放送を観て驚愕した。朝鮮人差別の問題を、朝鮮人を宇宙人に見立ててそのものずばりを描いた内容だったのだ。

 宇宙人といっしょに住んでいる、ただそれだけの理由で、地元住民たちに差別され迫害される少年。宇宙人(地球に滞在するため人間の姿になっている)が、少年をいじめる中学生グループをこらしめるため念力を使用すると、集団心理でパニックが起こり暴動に発展、警官が宇宙人を撃ち殺してしまう。
 宇宙人が死ぬと、宇宙人の念力で地中に封じ込めていた怪獣が甦って大暴れを開始する。すると今度は被害者面して、MAT隊員の郷秀樹(ウルトラマン)に助けを求める有様。あまりの自分勝手さに嫌気して郷は変身を拒否するが、なぜか托鉢僧に扮して現場に現れた隊長に命令され、ウルトラマンに変身、怪獣を倒すというストーリー。
 特撮も、雨の中で繰り広げられるウルトラマンと怪獣の戦いを、ワンシーンワンカットで狙うといった実験が行われたかなりの異色作である。

 「メビウス」でこのエピソードの続編を作ると知ってため息ついた。同じ轍を踏むことになる。確信できた。
 そう、円谷プロがウルトラシリーズで過去の名作・傑作の続編を作るのは今回が初めてではない。だからこそ結果が容易に想像できてしまうのである。

 平成の時代になってから、「ウルトラセブン」が世界観をそのままにビデオシリーズで甦った。スペシャルドラマとしてTVで2回放送され、その後ビデオシリーズになって、3話作られた。完結編として1999年にリリースされたのがオリジナルビデオシリーズ「ウルトラセブン 1999最終章」だ。全6部。最後のエピソードでTVシリーズの傑作「ノンマンルトの使者」を取り上げている。
 海底人ノンマルトとウルトラ警備隊の戦いを描くこのエピソードで、驚愕の事実が明かされた。人間は侵略者で先住民族(ノンマルト)を海に追いやったのだと。本当に人間は侵略者なのか? その答えが明らかになる前に、ノンマルトの殲滅という形でエピソードは終わってしまう。すべては永遠の謎として物語をしめくくったのである。
 「ウルトラセブン 1999最終章」の最終話「わたしは地球人」では、この永遠の謎に決着をつけた。いとも簡単に「人間は侵略者だった」という解答を用意して。結果は無残だった。


●「怪獣使いの遺産」 2006/11/27

 「怪獣使いの遺産」とはどんなストーリーなのか。

 その昔、一心不乱に川原で穴を掘る少年がいた。不思議に思った少女がある日何をしているのかと訊ねると彼は「円盤を探しているんだ」と答える。
 彼が「怪獣使いの少年」で差別、迫害されていた少年で、宇宙人(メイツ星人)が殺されたあとも、地中のどこかに埋まっているメイツ星の宇宙船を求めて穴を堀り続けていたのだった。宇宙船に乗ってメイツ星へ行く、ただそれだけを心の糧にして。
 30年後、少女は保育園の園長になった。扮するは斉藤とも子。昔も今も優等生役が似合う。

 園児たちが遠足にでかけた地に謎の飛行物体が舞い降りた。
 ただちにGUYSが出動する。現地に到着した隊員の一人ミライ(主人公・メビウスに変身する)の前にメイツ星人が現れた。地球と友好を結ぶためにやってきたとその目的を語るのだが、二人の対峙を遠目に見て、宇宙人に襲われていると勘違いした仲間の隊員が発砲。
 腕を負傷してメイツ星人の怒りが爆発する。「やはり人間は信頼できない!」
 30年前地球人に殺された宇宙人は彼の父親だった。メイツ星人はもしものために連れてきた怪獣(ゾアムルチ)を覚醒させた。メビウスとの戦いが始まる。
 怒りと憎しみに燃えるメイツ星人の心を癒すのが、怪我を心配する園児たちの笑顔と30年前の悲劇を知る園長の明日に望みを託す言葉だった。メイツ星人はいつの日か地球人とメイツ星人が信頼しあう関係になることを信じて、地球を去っていくのだった。

 全体的に詰めが甘いけれど、話そのもは悪くない。言わんとすることはしっかり伝わってきた。しかし、このエピソード、何も「怪獣使いと少年」の続編にしなくても十分成り立つ話ではないか。

 脚本クレジットには朱川湊人という初めて目にする名前。新人の起用か、なんて思っていたら、何と直木賞を受賞したこともある作家だという。同世代。ウルトラ好き。小学生時代に「怪獣使いと少年」を観てショックを受けたことは想像に難くない。
 もしかすると、「怪獣使いと少年」の救いのなさ、後味の悪さに、ある種のトラウマを抱いて、結果、それを打破するため自分なりの考えを加味した続編を作りたかったのかもしれない。

  園長先生の思い出として語られる、30年前の少年の姿。少年が嬉々として穴を掘っていたという描写は「怪獣使いの少年」には出てこない。今回のエピソードのために創作されたものだ。「怪獣使いと少年」に何とか希望を見出したい気持ちがそうさせたのだろう。
 だったら、なおさらオリジナルで「怪獣使いと少年」を超える問題作を提示してほしかったと思う。小説家なら活字で勝負してもらいたいとも思う。活字だったら、続編だろうが何だろうが受け入れる自信がある。
 しかし、同じ映像、ウルトラマンシリーズで続編を作るとなると話は別だ。結局オールドファンのための話題作りでしかない。どうやったって過去の作品、特に評価の定まった作品を超えることはできないのだから。

 歴代ウルトラ俳優のゲスト出演、懐かし怪獣の再登場。それだけでは飽き足らず、かつて心ふるわせたエピソードの続編作り。これって本当にファンが望んでいることなのだろうか?
 完結した世界に続編が必要なのか?
 
 ショーケンの復帰作が映画「傷だらけの天使」になるなんて情報があって、ショーケンファン、「傷だらけの天使」ファンが快哉をあげているが、私はどうにも腑に落ちない。
 この件についてはまた項を改めて、近いうちに……。






 かつて、体験的ウルトラマン(シリーズ)鑑賞歴論というようなものをmixiに綴った。ちょうど「ウルトラマンマックス」が終了したあとに4回連続で。もう3年前になるのか。

 第一期ウルトラシリーズ、第二期ウルトラ(マン)シリーズが自分にとって何だったか。第二期は第一期世代にとって悪夢だった。それでも大人になって「ウルトラマンレオ」の面白さを再発見するのだが、いまだに「ウルトラマンタロウ」には拒絶反応がある。

 平成ウルトラマン3部作はそんな第二期への嫌悪感を取り去ってくれた。いい年齢してあんなに夢中になるとは思わなかった。
 しかし、独自の解釈ではじまった平成ウルトラマンも結局は昭和のウルトラマンに収束されていく。いくらパラレルワールドだといってもハヤタとフジ、ダンとアンヌ、郷とアキ、北斗と南を夫婦にしてしまうなんて!

 昭和の仮面ライダーは、5歳下の弟(世代)が夢中になっていた。兄貴は醒めた目で毎週つきあっていたのだが、第一期ウルトラシリーズ(「怪奇大作戦」を含む)に比べ幼稚な展開、稚拙な演出をせせら笑っていた。

 ところが、平成の仮面ライダーシリーズは、見事に昔のイメージを払拭した。演出は平成ウルトラマン、特に「コスモス」以降より断然いい。これまた「カブト」まで熱中した。
 ただ、東映の悪い癖で、人気があればとことんシリーズを続ける。で、結局昭和ライダーとの合体ものになってっしまうのか。うんざりだ。
 まったく、もう!

          * * *

●さらばウルトラマン 2006/03/28

 先週の土曜日、「ウルトラマンマックス」の最終話が放送された。
 新聞のTV欄には〈終〉の文字がなく、不思議に思いながら録画しておいたビデオを観たら、次週が本当の最終回だって。総集編的な内容になるのだろう。
 前作「ウルトラマンネクサス」同様の3クール(39話)で終了だった。人気があったはずなのになぜ? と一瞬考え、納得した。あと1クール続けたら番組改変期とずれてしまうからだろう。

 ラスト2話はそれまでのエピソードとは打って変わってハードな内容だった。
 全世界のDASH基地が地底人に破壊されてしまう。地球環境をないがしろにした地球人(地上人?)の抹殺計画。マックスも歯がたたない。
 計画を阻止するため、主人公のカイトと女隊員ミズキ(いつのまにかチームが認める恋人関係になっていた)が地底人世界に潜入するものの、事故でミズキは呼吸が停止。カイトの懸命な人工呼吸で息を吹き返すと(なぜ人工呼吸なのか?)、その行動に感動した地底人は改心するのだが、一度作動させてしまった巨大物体(とてつもなくでかい!)は止められない。マックスも一度は敗れるが、DASHの援護で覚醒し、今度は敵と同じ大きさになって(例のカードCMを彷彿させます。「電エースに死す」なんていうマイナーヒーロー映画もありました)、反撃。見事打ち破り、M78星雲に帰っていく。
 残されたDASHの面々は「地球は我々の手で守り抜く」ことを誓う……

 ここまでは定石どおり。この後、舞台は一気に何十年後かに飛んでしまう。カイトとミズキ夫婦の孫が宇宙飛行士になって宇宙に飛び立っていくところでジ・エンド。カイトとミズキの老夫婦が見送るショットが微笑ましい、か。ふたりともちっとも老人に見えないよ~なんて突っ込みはしない。
 子どもたちがこのラストで何かしらを感じてくれたらそれでいいのだ。いい大人の出る幕じゃない。

 4月からは土曜日夕方5時半に移動して後番組「ウルトラマンメビウス」がスタートする。ウルトラの父はもちろん歴代のウルトラ兄弟が登場する設定にのけぞった。
 ああ! やはり歴史は繰り返すのか。第2期ウルトラ(マン)シリーズの悪夢が甦ってきた。
 今度こそ本当にウルトラマンにサヨナラする時がきたようだ。


●ウルトラ第一世代 2006/03/29

 1966年1月、TBS系で「ウルトラQ」の放映が開始された。日曜夜7時。まさに正月の家族団らんの最中。なのに私は第1話「ゴメスを倒せ!」を観ていない。
 保育園年長組の6歳。しかも長男の私にどこから新番組の情報を仕入れられるというのか。情報が掲載された少年マガジンなんて見たことなかったし、兄(姉)が新聞のTV欄で知ってチャンネルを回すなんてこともないのである。  
 たぶん翌日、番組を見た友だちから怪獣が出る新番組が始まったことを聞いたのだろう。次の日曜の夜はTVの前でその時を今か今かと待ち構えていた。
 というわけで、私の「ウルトラQ」初体験は第2話「五郎とゴロー」なのであった。以来翌月曜日の、園やクラス(途中で小学生になった)の話題は「ウルトラQ」一色に染まった。

 「ウルトラQ」が最終回に近づいた頃、番組の終りに後番組の紹介をするようになった。タイトルは「ウルトラマン」。前述したように、まだ少年マガジンやぼくらを知らない小学1年生にとって、ウルトラマンがどんな姿形をしたものなのか想像できなかった。放映開始前に「ウルトラマン前夜祭」という中継録画番組があったのだが、見たのかどうかまったく記憶にない。
 だから放映第1話「ウルトラ作戦第1号」に登場するウルトラマンの印象は強烈だった。
 ウルトラマンのマスクは3つに分類されている。通称A、B、Cタイプと呼ばれるものだ。最初の1クールのそれは目がきつく口のあたりに皺が寄っている。現在一般に知られているのはCタイプだが、卵から孵ったヒヨコが最初に目にしたものを親と思いこむように、私にとってはAタイプこそウルトラマンなのである。劇中、ハヤタと会話する声も一種独特で、光の国からやってきた正義の巨大ヒーローは、また得体の知れない神秘的な宇宙人でもあったのだ。

 「ウルトラマン」が終了して半年後、「ウルトラセブン」が開始されるのだが、この時は放映前に雑誌で内容を把握していた。母方の祖母の家に遊びに行き、隣の家のお兄さんが持っていた少年マガジンの特集グラビアを何度も何度も読み直したことをはっきりと憶えてる。
「ほう、今度はウルトラセブンというのか。ウルトラマンと同じM78星雲出身。味方の怪獣もいるんだ。ミクラスか」
 毎週かかさず夢中になっていたが、「ウルトラマン」と比べるとイマイチの感がした。怪獣の登場があまりない。後半になると宇宙人すら登場の機会が少なくなる。役者主体のドラマが多くなり、それが不満だった。
 「ウルトラセブン」の本当の面白さを知ったのは、その後の繰り返しの再放送だった。特に中学から高校にかけて、最初はメカの描写に、続いて人間ドラマに。セブンや宇宙人(怪獣)が登場しないエピソードが特に心に残るようになる。
 その思いは「怪奇大作戦」「マイティジャック」への興味に直結した。

 円谷プロは「ウルトラQ」から始まって、新しい作品ごとに対象年齢を引き上げていたことがわかる。6歳で「ウルトラQ」を観た私はまさに円谷プロが対象にした世代にぴったりはまるのだ。もう少し上だったら、あるいは下だったら以後のシリーズに対する考え方も違ったものになったと思う。
 ウルトラ第一世代と自認する所以はここだ。


●ウルトラマンへの鎮魂歌 2006/03/31

 1971年4月、「帰ってきたウルトラマン」の放映開始。小学6年生になった私はウルトラマンの復活に狂喜した。ちょうど5歳下の弟が小学校に入学して、学習雑誌「小学一年生」を買ってもらうことになった。「小学一年生」には新番組「帰ってきたウルトラマン」を大々的に扱っていて、その情報を食い入るように読んだものだ。

 始まって、徐々に新しいウルトラマンの造形に違和感が生じてきた。デザインが違うのは仕方ないとして、プロポーションにこれまでのウルトラマンの面影がない。手と足がセブンのように手袋やブーツだ。いかにもスーツを着ているという感じ、鋼のような質感がない。頭から背中にかけてのチャック隠しのヒレ(?)が極端に強調され、横から見ると首の部分がヨレてみっともない。
 生まれて初めてファンレターをだしたのが〈帰マン〉のスーツアクター菊池英一(現きくち英一)氏で、ヒレを何とかしてください、とお願いする始末。

 シリーズの中盤、主人公の恋人(榊原ルミ)とその兄(岸田森)が宇宙人にあっけなく殺されてしまったエピソードは今でもトラウマになっている。レギュラーが殺されて降板するなんてことはこれまでなかったので、とてつもなくショックだった。
 このエピソードはピンチになったウルトラマンを助けるため、初代ウルトラマンとウルトラセブンがゲスト出演するのだが、初代ウルトラマンのかっこ悪さにも唖然とした。

 こうして私の「帰ってきたウルトラマン」への興味は薄れていく。だから後番組「ウルトラA(エース)」が発表された時は新しいウルトラヒーローに期待をつないだ。ところが商標登録の関係で「ウルトラマンA」というタイトルに変更になったところから、暗雲がたれこめてくる。ゾフィー、初代ウルトラマン、セブン、帰マン、エースがウルトラ兄弟という設定になっているのも気になった。(ゾフィは「ウルトラマン」最終回に登場するM78星雲人)
 中学生になった1972年の4月から番組は始まったのだが、やはり登場する初代ウルトラマンにかつての勇姿が微塵も感じられないところがネックとなった。デブで短足のAよりそちらの方が問題だった。

 「ウルトラマンA」は男女合体による変身が売りだったが、途中で女性は月世界の住人だったというととんでもない設定を持ち出され消えてしまった。そこで私も番組を見なくなったのだが、後年、ビデオを見直して「A」に嫌気がさした本当の理由がわかった。
 凶悪宇宙人に拉致、十字架に磔にされたウルトラマンたちを救いにきたエースと彼らの会話がそれ。擬人化されたウルトラ兄弟の台詞は聞くに堪えなかった。昔、初めてTVで見たウルトラマンの勇姿、神秘性はなかった。
 が、このウルトラ兄弟の設定は当時の子どもたちに受けて、ついにはウルトラの父なるものまで登場してしまう。そして次の「ウルトラマンタロウ」ではウルトラの母が……! 

 腹たつことにこのウルトラマンタロウが子どもたちの間でかなりの人気を呼ぶのだ。叔父の家に遊びに行くと、幼稚園児の従兄弟がいた。学習雑誌のグラビアに勢ぞろいしたウルトラ兄弟を見せて「一番好きなのはどれ?」と訊くと、ふたりとも「タロウ」を指さすのだからたまらない。セブンに角をつけただけのヒーローのどこがいいんだ。こいつら、バカじゃねえかと心底思った。別に彼らに罪はないのだけれど。(彼らにとっては、ウルトラ兄弟のいるタロウが最初のウルトラマンなのだから夢中になるに決まっている。)
 
 こちらの年齢にも問題があったと思う。もうその手の番組から卒業する時期だった。ウルトラと関係ないヒーローものだったら無視するだけだった。実際毎日のように放映される特撮ヒーロー番組の乱立に完全に蚊帳の外にいたのだから。しかし、かつての憧れのヒーローたち(ウルトラマン、ウルトラセブン)、ウルトラシリーズが大人たちの商魂のため、ズタズタにされる様が悲しく寂しかった。

 やばい、あの当時の怒りが甦ってきた。
 

●裏声で歌え ウルトラマンへの鎮魂歌 2006/04/01

 「ウルトラマンへの鎮魂歌」とは、第二期ウルトラ(マン)シリーズについての個人的思いを書いた詩のタイトルだ。中学3年の国語の時間に書いたもの。
 ウルトラマンが死んじゃった、ウルトラマンが死んじゃったのリフレインで始まり、売れるためなら何やってもいいのかと嘆き悲しむ言葉が続く。
 内容はともかくタイトルは気に入っていて、後年ある某シナリオコンクールに応募した〈ボーイ・ミーツ・ガール〉作品のタイトルに拝借した。あっけなく落選したけど。

 というわけで、私は怒り心頭だったのだが、幼少時にこれら第二期の作品群に触れた人たちにとっては、印象がまるで違うことも十分認識している。
 たとえば、映画の007シリーズ。私が初めて観たのがロジャー・ムーアのジェームス・ボンドが活躍する第一弾「死ぬのは奴らだ」だった。ポール・マッカトニー&ウィングスの主題歌はもちろん度肝抜くアクションの笑福亭、いやつるべうちに興奮した。ところがショーン・コネリー主演のシリーズに親しんできたファンに酷評、罵倒され、憤慨した覚えがある。後に初期の作品を鑑賞する機会があり、その意味がわかることになるのだが。

 私が6歳のときにウルトラマンに触れ、自分の原点になったように、首のヒレがヨレヨレの「帰マン」やウルトラ兄弟に支えられた「タロウ」こそがウルトラマンと思うファンがいてもおかしくない。
 でも、そういう方たちに問いたい気持ちもある。私が過去の007映画を観直して、やはりショーン・コネリーの方がいいと認識を新たにした。後から第一期のシリーズを観て、それでもタロウが最高と言えますか?
 第二期の頃は、等身大の「仮面ライダー」の大ブームもあって、特撮ヒーローものが、それこそチャンネルをひねると必ずどこかの局が放映しているような百花繚乱ぶりだった。
 この時期に特撮に目覚めた者と、中学生になってそんなブームを冷やかに見つめ〈卒業〉を宣言した(で、また戻ってきてしまった)者とでは、特撮ヒーロー、怪獣映画に対する見方、考え方はまるで違う(と思う)。

 1980年の「ウルトラマン80」の後、長い冬の時代を迎えたウルトラ(マン)シリーズは、1996年9月「ウルトラマンティガ」で再スタートする。
 新シリーズにあたり、過去のウルトラマンシリーズの世界観を切り離した。登場する新ウルトラマンはM78星雲の宇宙人ではない。当然ウルトラ兄弟は出てこないので、第二期の悪夢に苦しんだロートル特撮ファンはすぐに溶け込み、喝采を送ることになるのだ。主要スタッフが私と同世代。やはり第二期の反省を踏まえた設定なのだろうと解釈した次第。「ティガ」は「ウルトラセブン」に匹敵すると言われるほど評価が高い。
 平成の〈人間ウルトラマン〉シリーズは同じ世界観を共有する「ウルトラマンダイナ」、その集大成として連続ドラマ的要素を全面に押し出した「ウルトラマンガイア」でいったん幕を降ろす。
 イケメン俳優の起用、連続ドラマという方向性はその後平成仮面ライダーに引き継がれ、人気を博していったことはずいぶん前に書いた。
 新機軸を開拓した当の円谷プロはというと……いやもう書くまい。

 裁判、セクハラ等々のお家騒動後、限りなく原点に近い新しいウルトラマンを創造しようと、新プロジェクトで動き出した映画「ULTRAMAN」と映画に連動するTVシリーズ「ウルトラマンネクサス」は不発。
 もう後がない円谷は最後の手段に打って出た。〈原点回帰〉を合言葉にM78星雲の宇宙人の設定、懐かし怪獣の復活、昭和ウルトラ関連の役者陣の起用である。
 これが吉とでた。マニア以外に、子ども時代にウルトラに熱中し、年齢とともに卒業していった大人たちの関心を呼んだのだ。評論家大泉実成氏の朝日新聞掲載の論評がいい例だろう。考えてみれば、第二期ウルトラシリーズに熱中した世代が親になっているのだ。子どもと一緒に、あるいは子どもを誘ってチャンネルを合わすだろう。
 スタッフも「ティガ」の頃から世代交代しているはず。
 機は熟した。「ウルトラマンメビウス」でウルトラ兄弟やウルトラの父が登場するのは当然の帰結なのである。

 もう何も言うまい。嘆くまい。ロートルは去りゆくのみ。
 今度こそ本当に鎮魂歌をくちずさみながら。






 すべてのTV(連続)ドラマをチェックしているわけではないので、大きな顔をして断言できない。でも書いてしまおう。
 最近のドラマはシナリオが緩い!

 このことを意識させてくれたのが「ウルトラQ dark fantasy」だった。数年前、深夜に放送された。いくつかのエピソードを除いて、スカスカの印象だった。映像的には低予算のわりに頑張っているのに〈おはなし〉がいまいち、いまにだからどうしても薄っぺらく見えてしまう。
 最近1時間ドラマも同じように思えてきた。映像は素晴らしい。カメラワークが凝っている。カメラの発達で、昔のようなビデオ、ビデオした映像はなくなった。編集もうまい。技術的には雲泥の差。にもかかわらず、おはなしがそんなものだから、途中でチャンネルを替えたくなってしまうのだ。

 前クールでは日本テレビの「キイナ -不可能犯罪捜査官-」が評判になった。題材的に面白そうだったので、二度ほどチャンネルを合わせた。前半はなかなかの展開なのに、後半になると手抜きになる。おいおいそんなのありかい?ってな感じ。観終わって納得できない自分がいる。
「ほんとに面白いのか、このドラマ?」 
 
 今クールはフジテレビ「BOSS」の視聴率がいいとのこと。女性がリーダーの刑事(ミステリ)ものということで、ここ何週間かその時間自宅にいればチャンネルを合わせていた。印象は「キイナ」と同じ。「金田一少年の事件簿」「ケイゾク」の線を狙ったわざとブレたカメラワークがちっともスタイリッシュじゃないのが痛い。技巧を技巧と感じさせてしまうカメラワークなんてダサさ以外の何ものでもないことをキモに銘じよう。
 
 個人的には「BOSS」なんかよりテレビ朝日「臨場」の方がよっぽど面白い。アイディア、プロットだけを比較すれば、前番組の「相棒」より出来がいいかもしれない。すごい反発をくらいそうだけど。まあ、検視官が主人公というところが、職人フェチにとってたまらない魅力がある、といいわけさせてもらおう。殺人事件の現場で見せる検視行動の一つひとつにうっとりしてしまうのだ。
 もちろんそれだけではない。「臨場」が面白い(きちんと観ていられる)のは原作(横山秀夫)があるからだろう。ミステリドラマの場合、原作ものの強みはトリックや伏線がきちんとしていること。シナリオライターはその分ドラマ作り(どう見せるか)に集中できる。「相棒」はオリジナルだから、シナリオライターは肝心のトリックから考えなければならない。トリックが弱ければ推理ドラマとしてはもうそれだけで面白みが半減してしまう。これ、シナリオライターとしてつらいところだ。

 オリジナルの推理ドラマはシナリオライターにとってわりがあわないジャンルだと思えてならない。
 ミステリが大流行の現在、小説(書籍)ならヒットすれば印税が稼げる。ドラマ(映画)化されれば原作料が入る。最初から映像化を前提にしたシナリオなどより実入りが良い。こと推理ものに限っては、優れたトリックを考えたら、ドラマより小説にしてベストセラーを狙った方がいい、というのが自論(「相棒」は、シナリオをノベライズした本がヒットしているからシナリオライターにも印税は入るのだろう)。
 ゆえに、今、TVドラマで流行しているのが、古典的な見え見えのおばかトリックを持ってきて、コメディにしてしまうこと。テレ朝金曜日23時台のドラマがいい見本だ。
 
 というわけで、「臨場」は同じ内野聖陽が主演した「ゴンゾウ ~伝説の刑事」より夢中になっている。






 本日発売の週刊文春。朝の通勤時のお楽しみ、小林信彦「本音を申せば」に苦笑い。今週は「見たり読んだり笑ったり」のタイトルでGW中に読んだ本や観たTV番組などに触れているのだが、その流れの中でネットのフリー百科事典〈ウィキペディア〉がでてくる。知人に〈小林信彦〉の項のコピーを見せられたのだとか。一読して曰く「実にいいかげん」。「ぼくと古川ロッパが〈親戚〉になっている!」「ぼくも呆れたが、古川家も迷惑だろう」。

 ウィキペディアの〈小林信彦〉の項を最初に読んだときの僕の感想は「こりゃすげぇ!」だった。古川ロッパと親戚のくだりは「?」だったし(今日確認したら、見当たらない。削除されたのだろう)、ほかにもいくつか疑問を感じる箇所はあるものの、全体の印象はよくぞここまで調べ上げたというもの。本人が読んだらどんな感想を抱くだろうかと思っていた。多少の間違いがあってもまず感嘆するのでは?と予想していた。それが「実にいいかげん」なんだから。

 僕もわからない事象についてウィキペディアを利用して、たまに文章に引用したりしているが、すべてを信じているわけではない。あくまでも個人が個人の認識で書いているわけだから、「いい加減だなあ」と思うことは何度もある。
 たとえば、これは「夕景工房」のレビューで一度書いたことだが、「紙ふうせん」の項で、後藤さんと平山さんが赤い鳥解散後に結婚して結成したとある。赤い鳥の解散は74年9月、ふたりの結婚は同年5月。にもかかわらず、フリー百科事典の威力は絶大で、「冬が来る前に」について綴るブログで紙ふうせんのプロフィールによく引用されている。

 最近「?」なのは「赤い鳥(フォークグループ)」の項で〈1983年に大阪万博会場で再結成コンサートが行われた〉と書かれたくだり(そういえば、ここでは後藤さんと平山さんの結婚が74年の2月になっている。まったく)。
 赤い鳥が再結成されたことは一度もない。何を根拠に再結成コンサートが行われたと断言するのか。大川さんと紙ふうせんが共演していたことは聞いたことがある。再結成コンサートとは、その手のものが間違われて伝えられたのではないか?

 同窓会的なコンサートがあったことは知っている。僕が聞いているのは、解散後わりとすぐに東京で開催されたものだ。紙ふうせん、ハイ・ファイ・セット、ハミングバードの3組のジョイントコンサートだったとのこと。
 ハミングバードとは、解散時6人目のメンバーだった渡辺としゆき(俊幸)氏が結成した男女デュオ。渡辺氏は、大村憲司氏(EG)、村上“ポンタ”秀一氏(Dr)が脱退したのち、ドラマーとして加入した。ラストシングル「僕のうた」は大川さんの詞に曲をつけている。さだまさし氏のサポートを経て、今ではTVや映画の音楽を手がける作曲家として知られている。映画(TV)音楽家として僕が初めてクレジットでその名前を拝見したのが平成のモスラシリーズ、唯一劇場で観た(試写会だったか?)「モスラ3 キングギドラ来襲」。その後だったか、アニメや特撮ヒーロー番組の音楽で親しんできた渡辺宙明氏の息子さんだと知った。

 ちなみに、僕が書く文章の中で赤い鳥解散でハミング・バードについて触れないのは考えがあってのこと。ラストアルバムのジャケット(二羽と三羽の鳥が逆方向に飛んでいく)、あるいはライナーノーツに掲載された6人の集合写真(渡辺氏のみ別枠)を見ればわかると思うが、渡辺氏の存在は、メンバーとはいっても5人+αの〈+α〉なのである。

 話をもどす。
 わからないといえば、もうひとつ、ハイ・ファイ・セット解散後の山本俊彦さんのこと。よくプロデューサーになって奥さん(潤子さん)をサポートしていると書いてあったりするのだが、どこからの情報なのだろうか? 僕が聞いているのとまるで違う。

 ウィキペディアは調べものをするときにとても便利なしろものだ。が、書かれているすべてのことを鵜呑みにするのはやめた方がよい。自分の記憶を確かめるくらいが賢い使い方なのではないだろうか。





 赤い鳥の解散理由はメンバー間の音楽に対する考え方の相違とされている。解散後に誕生した紙ふうせん、ハイ・ファイ・セットの音楽性がそれを証明している。聴けば納得できる。当然「なぜ今、赤い鳥なのか?」や「赤い鳥について知っている二三の事柄」にそう書いた。
 後年、ただそれだけでないことがわかった。一度後藤さんに2時間に渡ってインタビューしたことがあって、教えてもらったのだ。

 後藤さんにすれば、所属事務所への不満があった。東京の、マスを対象とした芸能ビジネスへの不信といった方がわかりやすい。
 バード・コーポレーション(現バード企画)は赤い鳥のために設立された事務所である。メンバーも出資して株主になっていた。とはいえ、経営に口をだすなんてことはなかったのだろう、所詮、一アーティストとしてプロダクションと契約しているにすぎない。活動を続けていく中で、社長やマネージャーと後藤さんとの意識にすれ違いが生じてきた。

 具体的なことを一つ。インタビューの中で後藤さんが話してくれたのはこういうことだった。
 地方からいついつにこんな催しがあるからライブをやってほしいといった内容の手紙が事務所に届く。事務所にとっては一ファンレターでしかないので、他のファンレターと一緒に後藤さんに渡す。後藤さんがその催しに興味を持っても、日付を確認するとすでに過ぎている。そんなことがよくあったらしい。

 打開策として、事務所から10日間の休みをもらい、その休みを利用して、赤い鳥とは別の活動をすることになる。平山さんと作った〈紙風船〉というユニットで、地方の公民館等をフォローする。赤い鳥がキャパ何百名、千名といったホールでのメジャーなコンサートだとすると、〈紙風船〉はお客さん何十人~百人といったこじんまりしたマイナーライブ。落語にたとえれば大ホールで行う独演会と神社や寺、蕎麦屋で行う地方寄席(落語会)の違い、だろうか。

 やがて、後藤さんは事務所からの独立を決意する。このとき、メンバー全員に声をかけた。一緒に辞めよう。独立して時期をみて関西に帰ろうと。従ったのは奥さんの平山さんだけだった。平山さんにしても、本心は「もう少し赤い鳥で活動したい」気持ちがあったらしい。関西への帰郷についても「まだまだ東京の生活を楽しみたかった」と言っていたほどだもの。まあ、出産後の音楽活動を考えれば、親元の関西に住んでいる方が何かと都合がよいということもあったのだろう。

 もし、山本夫婦と大川さんの3人が後藤さんと行動を共にしていたら、赤い鳥は解散しなかったことになる。事務所からの独立で多少のゴタゴタはあっただろうが。いや、この事務所問題が一番やっかいだったかもしれない。稼ぎ頭に辞められたら収入が激減してしまう。そりゃ独立を食い止める策をはるだろう。
 3人は後藤さんの誘いに対して首を縦にふることはなかった。後藤夫婦とは別の形で音楽活動を続けることを宣言。こうして赤い鳥は紙ふうせんとハイ・ファイ・セットに分裂することになる。

 今回、後藤さんにこの解散劇でずっと気になっていることを訊いてみた。
「もし、3人のうち誰かが後藤さんについていくといっていたら、どうなっていたんですか?」
 3人が一緒だったら赤い鳥を継続するだけだが、もし一人だけなんてことになると、夫婦デュオの紙ふうせん構想に亀裂が入る。これはこれでやっかいな問題だったのではないかと。
 後藤さんは即答だった。「3人でやってたよ」
 そのあとの言葉がこれまた衝撃だった。
「実はね、もしかしたら大川くんがついてきたかもしれへんねん」
 事務所内に「トッカータとフーガニ短調」の冒頭が響き渡る、ドラマだったら。
「……紙ふうせんはどうなっていたんですか?」
 当然の疑問だ。
「3人になってたやろね」
 言葉に迷いがない。

 もし後藤・平山夫婦+大川さんというメンバーだったら、楽器編成はどうなっていたのだろうか?
 大川さんは赤い鳥時代同様ベースを弾いていたのだろうか? それだと浦野さんの出番がないからギターに持ち替えたか。ダブルウッドベースだったりして。






 承前

 あまりの驚きで、この件、後藤さんに訊きたいこと、確認したいことがあったのにすべて吹っ飛んでしまった。
 いつ村井氏は後藤さんに、紙ふうせん+(後にサーカスとしてデビューするメンバー4名)による新グループ結成を提案したのだろうか?
 紙ふうせんがすでに関西に帰っていたことは確認している。東芝EMI(アルファ)からの離脱、CBSソニーへの移籍は決まっていたのかどうか。確認したかったのは、紙ふうせんがまだ村井氏のプロデュース下にあったのかどうかということだ。

 ハイ・ファイ・セットはずっと村井氏プロデュースだった(と思う)。赤い鳥時代と変わらずバード・コーポレーション(現バード企画)、アルファ(レコード)の所属だった。山本夫婦+大川さんの3人で新グループを結成する前には、ブレイク前のオフコースをメンバーに誘ったことは有名な話。「赤い鳥コンプリート・コレクション」ブックレットのインタビューで、山本(潤子)さんは、村井氏に次のように言われたと答えている。
「二人(後藤さんと平山さん)が抜けて残念だね」
 だから、村井氏がプロデューサーとして、ハイ・ファイ・セットにサーカスのメンバーを加えることを提案するのならわからなくはない。

 が、声をかけたのは紙ふうせんの方。紙ふうせんは赤い鳥解散後事務所(企画制作紙ふうせん)を設立し独立している(正式には解散前から設立している)。東芝EMIとの契約が切れた時点でアルファの管理下から離れている。育ての親からも完全に独立したのである。
 にもかかわらず、なぜ、ハイ・ファイ・セットではなく紙ふうせんなのか?
 以下はあくまでも個人的な推測である。

 ハイ・ファイ・セットにブレイクの兆しがあった。あるいは、もう「フィーリング」がヒットしていた。対して、紙ふうせんはあまりパッとしない。
 ハイ・ファイ・セットはまったく新しいスタイルのコーラスグループとして再出発した。赤い鳥のイメージを引きずる必要はない。
 紙ふうせんは赤い鳥の音楽を継承したグループである。が、男女デュオの二声は赤い鳥に比べたらやはり寂しい。男女4名が加わって六声になれば、赤い鳥のように華やかさが増して二声より注目されるはず。リーダー、プロデューサーの資質を兼ね備えている後藤さんには新グループを飛躍させてまたメジャーな世界で活躍してほしい。
 そんな親心が働いた結果ではないか、と思えるのだが。

 村井氏はどこまで本気だったのか。すでに紙ふうせんは活動拠点を関西に移してしまっているのだ。関西に帰ったのは後藤さんなりに確固たる考えがあってのこと。それを覆すのは容易なことではない。ダメモトで話したことなのかもしれない。あくまでも思いつき。サーカスのメンバーはまったく知らなかったことも予想できる。
 実際、後藤さんがこの提案を断って、まもなくサーカスはデビューしたという。






 サーカスは、村井邦彦氏が第2の赤い鳥をコンセプトにプロデュースしたコーラスグループである。1978年にデビューし「Mr.サマータイム」や「アメリカン・フィーリング」をヒットさせた。男2+女2の男女混声。3人が姉弟と1人が従弟というメンバー構成がユニークだった。

 男女混声のコーラスワークは確かに山上・村井コンビの楽曲を歌う赤い鳥を彷彿させた。「Mr.サマータイム」や「アメリカン・フィーリング」もいい曲だ。ただ、個人的なことを言わせてもらえれば、ただそれだけだった。赤い鳥のように夢中にならなかった。ハイ・ファイ・セット同様、TVやラジオから曲が流れてくると耳を傾ける程度。
 その理由は、単なるコーラスグループだったからにほかならない。赤い鳥も「翼をください」や「忘れていた朝」を歌うだけのコーラスグループだったら、解散してから中古レコード(アルバム)を買い求め、CDで復刻されればまた収集し、CD-BOXは真っ先に予約して、なんていうコアなファン(マニア?)にはならなかったと思う。

 赤い鳥に惹きつけられたのは、山上・村井路線とは別の、もうひとつの(そして本来の)音楽性をリードした後藤さんの存在が大きい。何よりバンドだったことも大きな要素だった。たぶんバックバンドを従えて、メンバー5人がマイク片手に横一列、あるいは女性2人が前にでて、後方に男性3人といった形式だったら、それほど興味を持たなかったかもしれない。
 当時、楽器を演奏しながらうたうことが僕の理想だったからだ。小学生時代にGS(グループサウンズ)にしびれたのは演奏しながら歌うスタイルが新鮮だったことによる。なので、GSでも単なるヴォーカリストはかっこいいとも思えなかった。タイガースなら加橋かつみ、ブルー・コメッツだと井上忠夫、カーナビーツはアイ高野で決まりだった。
 なら、テンプターズのショーケンはどうしてファンになったのよ? 彼はジュリーと同じにテンプターズのヴォーカルだろう? ノンノン! 「お母さん」ではバックにまわってハーモニカを吹いているのだ。

 現在、赤い鳥をコーラスグループとして評価する風潮がある。間違ってはいないが、赤い鳥のある側面しか語っていないと思う。男女混声で、メンバーが全員楽器を担当し、なおかつコーラスワークが抜群だったのだ。そのうえオリジナル曲も全員が書けたのである。こんなフォークグループは他にいなかった。
 だからこそ、「赤い鳥コンプリート・コレクション」ブックレットのインタビューで後藤さんが「赤い鳥はライブがすべて。レコードでは語れない」と答えていたのではなかったか。
 同じインタビューで山本(潤子)さんは赤い鳥をコーラスグループと当然のように語っていた。単なる言葉のアヤなのかもしれないが、そう語ってしまえるからこそ、次のハイ・ファイ・セットでは楽器を捨てられたのか、とも思えた。

 それはさておき。
 サーカスのデビュー前、後藤さんは村井氏に依頼されてメンバーに会ったとのこと。村井さんに感想を聞かれて「いいんじゃないですか」と答えた。
 ここまでは、90年代、六甲オリエンタルホテルの紙ふうせんクリスマスコンサートの打ち上げの席で後藤さんから聞いていたこと。
 今回、その後のエピソードを聞かされて衝撃を受けた。
 村井さん、後藤さんにこう言ったというのだ。
「どうだい、紙ふうせんにこのメンバーを加えて新グループを作らないか?」

 この項続く






 昨年の10月、長野県下諏訪で行われた紙ふうせんのコンサートのレビューで、「翼をください」の歌詞について書いた。
 話題を呼んだ徳永英明のカヴァーアルバム「VOCALIST」。収録されている「翼をください」は2番の歌詞がカットされていた。「今、富とか名誉ならばいらないけれど」のフレーズだ。赤い鳥でリードヴォーカルをとっていた山本(潤子)さんがソロになってリリースした「翼をください」もやはり2番がないらしい。
 この2番カットに言及しているいくつかのブログを読んだこともあって、自分なりに推理したことを書いたわけだ。

 1971年2月にリリースされた赤い鳥のシングル「竹田の子守唄/翼をください」には、この2番がなかった。同年の12月リリースの「スタジオライブ」では2番を歌っている。ここから想像できるのは、最初1番+αという形だった歌が、2番が追加され、1番+2番+αになったということ。何しろ、あるコンテストに参加した赤い鳥のもとに「翼をください」が届けられたのは、当日、数時間前だというのだから、考えられなくはない。

 4月の紙ふうせんスペシャルライブの前日、就寝の友が「赤い鳥コンプリートコレクション」の「レア・トラックス」だった。このトラックには〈第1回世界歌謡祭〉で披露された「翼をください」(ライブバージョン)が収録されている。あるコンテストの次が世界歌謡祭ではなかったか。司会は坂本九。「あれっ」と思った。なんと、2番もしっかりうたっているのである。「な、なぜ?」 これまで何度も聴いているのに、今までどうして気がつかなかったのだろうか? コンテストのときからもう2番の歌詞があった。ならば、なぜシングルでは1番+αだけなのか?

 スペシャルライブの翌日、紙ふうせんの事務所にお邪魔したので、さっそくその疑問を後藤(悦治郎)さんにぶつけてみた。
「『翼をください』の歌詞は最初から2番まであったよ。コンサートではいつも歌っていたから」
 後藤さんの回答はあっけなかった。
 これって衝撃の事実ではないか!
「でもねぇ、あの2番の歌詞は…… 富とか名誉ならばいらないけれど、小銭はほしい、なんて陰でうたったりしてね」
 やはり、僕自身が感じていることをメンバーも考えていたのだ。この2番、言いたいことはわかるけれど、ちょっと偽善的なところがあるもの。はっきりいって。
「ではなぜ、レコードでは2番を歌っていないんですか?」
「それは演奏時間の問題じゃない? 当時、3分が普通だったから」
「!!!!!!」

 すべてが解明された気がした。
 最近YouTubeで、昔の映画音楽や歌謡曲、フォークソングを聴いていて特徴的なのが、この演奏時間。ほとんどが3分以内なのだ。歌は3分間のドラマだったものなぁ。

 では、もうひとつの疑問。
「TSU-BA-SAのファーストアルバムの『翼をください』ではどうして2番をうたっていないのですか?」
 渡辺真知子や鈴木康博がバックコーラスで参加しているバージョンで、後に紙ふうせん+フレンズとしてシングルリリースされている。紙ふうせんのステージでは、いつも2番を歌っているので、不思議でたまらなかったのだ。
「あれは、レコード会社からの要請だった」
 これまたあっけなかった。
 レコード(CD)メーカーは、「翼をください」は1番+αのバージョンが正式という認識があるのだろうか?






「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」は僕にとって70年代もの第二弾だった。第一弾は、20代のときに書いたシナリオ「天使がいっぱい」。タイトルからは想像できないだろうが、群馬県の男子高校ラグビー部員が春の大会優勝を目指して奮闘する青春映画だった。
 70年代にたまらない愛着がある。一番多感だった十代がそっくりそのまま70年代にかぶるのだから、その思いはひとしおだ。
 70年代をフィーチャーした作品を発表したい。20代のときは映画(映像作品)にするのが夢だったが、30代半ばになって活字(本)で表現したくなった。最初の挑戦が「1978 僕たちの〈赤い鳥〉物語」だったわけだ。 
 
 2000年にHP「夕景工房」を開設した。書評と映画評をメインにしたサイトだが、オリジナル(作品)を掲載するページ「アトリエ」も設けた。原稿のまま埋もれさせるより、興味ある人の目に触れてもらった方が意味があると思い、「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」を掲載することにした。
 掲載する際に構成を再考した。
 もともとこの小説(のようなもの)は日記だけで成り立つものだった。本文の前に某フォーク本から抜き出した赤い鳥のプロフィールを添付していたが、それはタイトルの赤い鳥の意味を説明するものでしかなかった。

 本当にそれでいいのだろうか? 最初意図したのは、自分の青春時代と「赤い鳥論」の合体である。でないと、単なるノスタルジーで終わってしまう。それでは意味がない。
 もう手を加えて日記の中で赤い鳥論を展開するつもりはなかったが(できたらすでにやっている)、新たな文章を追加することはできる。だったら、赤い鳥とは何か、その活動を追いながら、論評する文章を書けばいい。「紙ふうせんメモランダム」に「赤い鳥について知っている二、三の事柄」という文章を書いていた。これは赤い鳥の誕生から解散までを、メディアを通して知り得た情報、リリースされたアルバム等を聴いて抱いたあくまでも個人的な推測や意見を挟みながら追ったもの。
 この論考でもいうべき文章を全四章の真ん中に間奏として挿入した。このとき、後藤さんに取材したあとだったので、取材で知った事実を二つばかり加えた。また、今と結びつけるために、なぜ日記による〈小説・のようなもの〉を書いたのか、その理由づけに「なぜ今、赤い鳥なのか?」なるものを書き、序文(「はじめに」)とした。

 本にするにあたっては小説部分の加筆訂正はもちろんだが、論考をもっと増やそうと思った。「赤い鳥について知っている二三の事柄」は赤い鳥の誕生から解散までを綴ったものだ。できれば、解散から現在までの紙ふうせん、ハイ・ファイ・セット(山本潤子)の足跡をおさえておきたい。mixiに数回にわたって書いた文章を加筆した「赤い鳥=藤子不二雄説を唱える理由」がその部分を補完しているので、追加した。二つの論考を併せて「間奏 体験的赤い鳥ヒストリー」とする。

 もうひとつ、最後に「体験的70年代フォーク論」として論考「フォークはジャンルではなかった。」も追加した。これは、以前「まぐま」の1970代特集号に寄稿したもので、HP以外で初めて「奥野陽平」名義で書いた文章でもある。
「70年代前半のフォークブームとはいったい何だったのか?」と自問し、当時僕自身が興味を抱いたフォーク歌手やフォークソングを肴にしつつ自分なりに検討して結論に持っていく。この論考を改めて読むと、「なぜ今、赤い鳥なのか?」のアンサーソング(的な内容)になっていることに気がついたのだ。というわけで、「おわりに」に置くことで僕の団塊の世代に対する想いを補完させた。取り上げたフォークソングが日記(小説部分)に何かとリンクする効用もある。

 よしだたくろう「結婚しようよ」、六文銭「面影橋」、井上陽水「東へ西へ」、泉谷しげる「国旗はためく下に」、かぐや姫「神田川」、小室等「12階建てのバス」、赤い鳥「紙風船」……

 1970年代がどんなものだったのか総括(!)して、なおかつ、自然に78年3月1日から始まる日記につながる形にしたい。新たにプロローグ「万博と赤い鳥とあの時代」を書いた。小説部分はプロローグで始まりエピローグで終わる。
 タイトルの表記も若干変えた。

 日記+論考という構成、奥野陽平という著者名から、「青春の墓標」や「二十歳の原点」を思い浮かべてくれる人がいたらありがたい。
 なぜそこまで「僕たちの赤い鳥ものがたり」にこだわるかというと、本当の「赤い鳥物語」を書きたいため。「はじめに」を読んでもらえばわかる。気持ちに嘘はない。そのための名刺なのである。
 
 ちなみに、「天使はいっぱい」は陽平シリーズ第二弾「メロディ、ミシェル&ジュリエット 1977 春だったね」として書く予定。もうずいぶん前から公言している。第三弾は20代後半の陽平の、結婚を約束した最愛の女性との同棲生活が破局、仕事の悩みも加わって躁病が発症、その勢いで無職なのに結婚、カミさんを妊娠させてしまう等々右往左往を描く「ギャンブルが人生だって? それは違う、人生がギャンブルなんだよ」。







 承前

「坊っちゃん文学賞」の存在を知ったのは10年以上前になる。愛媛県松山市が主催する青春小説のコンクールだ。募集要項を読みながらピンとくるものがあった。それまで小説なんて書いたことがなかった。が、青春小説なら書けるかもしれないと思った。何を書こうか? いや、もうその時点で題材は決めていた。予備校時代の仲間たちで繰り広げた恋愛模様の顛末である。

 その数年前に遡る。後藤悦治郎さんに読んでもらうために「紙ふうせんメモランダム」と題する原稿を書いた。中学時代赤い鳥ファンになり、解散後は紙ふうせんの活動をずっと追いかけてきたファンの、自分史の体裁を持つ「紙ふうせん論」とでもいうべきもの。その中で予備校時代に触れ、小説の素材になる出来事だったと書いた。その一文が蘇ったのだ。

 予備校時代、僕を含めて男女5人のグループができた。親密になってくると当然意中の相手がでてくる。恋愛騒動が巻き起こり、そのゴタゴタで、カップルと男女3人のトリオに分れて行動するようになってしまった。それはまさに赤い鳥が解散して、紙ふうせんとハイ・ファイ・セットに分裂したようなものだった。タイトルはすぐに思いついた。「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」。
 このとき日記の形態で物語が綴れないかと考えた。自分の日記を基にして書けるのではないかと。すぐに思い浮かんだのが太宰治の「正義と微笑」だった。新潮文庫「パンドラの匣」に所収されている。太宰治の作品の中で一番好きなのが「パンドラの匣」と「正義の微笑」なのである。希望にあふれ明るいところがいい。太宰らしくないところが気に入っている。

 地方出身の男女が東京の予備校で出会い行動を共にするものの、やがて仲違いしていく過程で、主人公が5人の関係性、行動に赤い鳥を重ね合わせる。ポイントはここだった。5人の恋愛模様と赤い鳥の足跡をリンクさせ、自分なりの赤い鳥論を展開させようという目論みがあった。モチーフとなるのは「紙風船」という楽曲。現代詩人黒田三郎の詩に後藤さんが曲をつけた。この歌詞を効果的に引用したい。だからこその「ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」なのだ。

 実際に自分の日記を下地に書き出したのはいいが、途中で赤い鳥のことはどこかに吹っ飛んでしまった。その代わり、当時夢中になった映画や小説、TV番組等々、ごっそりと登場してくる。
「小さな恋のメロディ」「フレンズ」「ロミオとジュリエット」「大地の子守歌」「犬神家の一族」「未知との遭遇」「火の鳥」「スター・ウォーズ」「約束」「股旅」「青春の蹉跌」「女教師」「最も危険な遊戯」……
 ショーケン、松田優作、水谷豊、原田美枝子……
「タイム・トラベラー」をはじめとする少年ドラマシリーズ、日曜劇場「バースデーカード」、
 SFジュヴナイル、ムツゴロウ、素九鬼子、三島由紀夫……

 書いていくうちに「坊っちゃん文学賞」規定の原稿枚数を大幅に超えてしまった。内容も「ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」のタイトルとはほど遠いものになってしまった。別のタイトルをあれこれ考えたが気に入ったものは何も浮かばない。そのまま別の文学賞に切り替えて応募したが一次にも引っかかることなく落選した。

 この項続く






 承前

 小学生のとき、手塚治虫の「ザ・クレーター」読みたさにまだ隔週発売だった「少年チャンピオン」を購入していた。「ザ・クレーター」は毎回読みきりの短編だが、主人公だけは変わらなかった。変わらないといってもキャラクターと名前が同じだけでまったくの別人なのだが。オクチンと呼ばれる主人公の名が確か奥野だったのではないか?

 大学1年時に脚本を書いて監督した作品「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」は「傷だらけの天使」にオマージュを捧げた、といえば聞こえがいいな。あの世界に憧れて自分なりの「傷だらけの天使」を撮りたいと、浪人生がアルバイトで探偵稼業に励むドラマを考えたわけだ。修と亨にあたる主人公コンビが逸平と純だった。どちらも語感がよくて気に入っていた名前なのだが、後で「ウルトラQ」の万城目淳と戸川一平に由来しているのだとわかった。幼児期の刷り込み作用のすごさを思い知った次第。

「遊戯シリーズ」のSFアクション版を試みた「狙われたユニバーシティー」の主人公の名は立花一平だった。ワケあって撮影が中止になってしまったが。
 第3弾「今は偽りの季節」は脚本・監督のほかに主演まで兼ねたのだが、これも完成しなかった。2作続けて中止になるのはどうしても避けたかった。大学を卒業してから製作を再開した。が、肝心のラストシーンの撮影に失敗して、結局未完成となった。この映画の主人公が奥野陽平。たぶんこれが奥野陽平のお初だと思う。
 ちなみにタイトルの「今は偽りの季節」は「二十歳の原点」にでてくる(著者が引用する)詩の一説を頂戴している。


  いつわりの季節 
             by 宮田隆

  冬の部屋に花が活けてある
  てっぽう百合、カーネーション、グラジオラス
  みんな夏の花々
  あかあかとストーブが燃え
  部屋はむんむんする程温かいのだが、
  ここはアブも蜜蜂もとんでいない

  今はいつわりの季節

  自然から無情にひきはなされ
  人工の熱と光にまどわされた
  むなしい花のいのちは
  おそらく実をむすぶこともないのだ
  人間のおろかな知恵がつくあげた
  これは花の形骸


「二十歳の原点」は高校時代に高校の図書館で見つけて読み、20歳になってから文庫本を買い揃えた。「二十歳の原点」「二十歳の原点 序章」「二十歳の原点 ノート」の3冊だ。著者・高野悦子が高校時代に愛読していたのが「青春の墓標」。著者が奥浩平で、21歳で自殺している。「青春の墓標」は奥の遺稿集といった体裁で、日記や書簡、論文で構成されている。大学時代に文庫を買って読んでみたが、著者の意識にとても腹立たしくなったことだけ覚えている。
 1981年11月5日の日記にこう書いている。

     ◇
 「青春の墓標」を読み終える。
 著者奥浩平は21才でこの世を去った。21才で何故自殺したのかというより、よく21才まで生きられたという気持ちが強い。
 彼の考えでこの世を生きようとしたらとてもじゃないがうまくいかない。壁にぶつかるのは当たり前だ。
 この本の前半部分を読んでいる時そうした思いが何度も去来した。
 青春のすべてを学生運動に費やしてしまうなんて。

 彼の論文にはまったく興味を覚えなかった。読むのをやめてしまおうかとさえ思った。

 ただ一つだけ彼に共感できることがあった。
 彼が女性を求めること。
 口づけをして、自分の手で女性を抱きしめたい、自分の愛を受け止め、なおかつ、自分に愛を投げかけてくれる女性がほしいと、何度も何度もノートに書いていた。
 一人の女性への友情がいつしか愛に変わり、告白するが拒絶されてしまう。その苦悩、焦燥。
 彼も一人の人間なんだ、弱い男なんだ、と思った。

 今というものを、自分が何を考え、どう行動するか、深く考えるのもいいだろう。
 しかし、そうすることによって自分を追いつめてしまったら何にもならない。
 俺は奥浩平にも高野悦子にもなりたくない。
 与えられた生命を大事にして最期まで生き抜いてやる。
     ◇


 この項続く






 「うれしい批評」とタイトルをつけた次の文章は、一昨年の正月mixiに書いたものである。HPに掲載している小説・のようなものを本にしようと思ったのはこのときのやりとりに起因するのかもしれない。このあと、3月に「表現したい」宣言をして本作りを告知している。
 
     ◇

 うれしい批評 2007/01/04

 2日は郷里の太田にて飲み会。毎年恒例の新年会だ。
 参加者は太田高校ラグビー部の同級生と1年下の後輩有志。3年春の大会で、優勝間違いなしと言われ、見事宿敵高崎高校に敗れたメンバーである。
 今年は私を入れて9人集まった。特別ゲストは、大学、社会人ラグビーで、その名を知られたH氏。すいません、私はラグビーに興味がなくて存じ上げなかったんですけど……。
 「まぐま」14号を7冊持っていって、半ば強引に購入させた。

 後輩の一人、Tは、談四楼師匠をもっと恰幅よくした御仁で、パチンコメーカーに勤めている。この新年会を始めた当初、私の年収を無理やり聞きだし、「なんだ、先輩、それっぽっちしかもらってないの」なんて抜かしやがった。今ではどっちが先輩だかわからない容貌の、まあ、かわいい奴だ。

 こいつが、いや、彼が、私の顔を見るなり、「陽平くーん」だって。
「先輩のHP見てますよ。赤い鳥うんたらかんたら、読みました」
 いつも電話ばかりでメールのやりとりしていないし、なぜ「夕景工房」のURLを知っているのか不思議なのだが、こいつが、いや、彼が「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」を話題にするのである。

「あれ、どこまで本当のことなんですか?」
「6割くらいかな」
「また~、8割以上本当なんじゃないですか?」
「けっこう創作入っているんだ」
「奥野陽平って名前は?」
「あれはね、苗字は『二十歳の原点』の著者が愛読していた『青春の墓標』の著者からつけたんだよ。名前の方は、五つ子から。高校時代、ヨウヘイって名前が好きで、男の子ができたらヨウヘイってなづけようとしていたほどだから」
「あの中で、途中から女性たちの名前の呼び方が二転三転するでしょ、あれがわかりづらかった」
「そこが、日記にしたポイントなんだけどね。主人公の気持ちを表現した……」

 そこに、同級のバイアンが割り込んできた。
「ケースケ、HPにへんなこと書いているんだ」と揶揄する。
 バイアンは、私が14号の前に編集した「まぐま」を郵送されたまま、封も切らずに行方不明にした輩だ。
 すると、Tが反論した。
「読んでくださいよ、なかなかいい文章書くんですよ、先輩は」
 驚いた。どうせ斜め読みしたんだろうくらいの気持ちだったのだ。
 聞いてみた。
「最後まで読んだの?」
「読みましたよ、ラストでぐっときましたもん」
「じゃあ、本や映画の感想は?」
「読んでいますよ」
「そっちはどうだよ?」
「いいと思うけど……」
「けど、なんだよ?」
「しつこいんです」
「長いか?」
「あの手の文章を検索する人は、その世界を知っている人でしょ、余計な説明はいらないんです」
「でもなあ、知らない人に、面白さを知ってもらいたいために、解説しているんだけど」
「そういう人は、たぶん、読みませんから、読んでも、途中吹っ飛ばしますよ」

 するどい指摘。
 このmixiの文章もTが読んだらどう批評するだろうか。

     ◇

 HPに掲載する際、作者名を奥野陽平とした。小説は主人公奥野陽平の日記の体裁になっているわけだから、作者は当然本人でなければならないと思ったのだ。
 この奥野陽平という名前はいったいどこからでてきたのだろうか?
 後輩との会話の中で、その由来を「青春の墓標」の著者奥浩平と五つ子ちゃんからと語っている。ヨウヘイは五つ子ちゃんからとったのはまったくその通り。ただし、奥野が奥浩平からきているというのはあやしい。別に思い当たるフシがあるのだ。

 この項続く






2009/05/01

 「グラン・トリノ」(MOVIX川口)

 5月の映画サービスデーは迷わず「グラン・トリノ」に決めた。この映画の予告編を初めて目にしたのは3月のサービスデー。「チェンジリング」を観に行ったときのこと。何の情報もなかったから、珍しくクリント・イーストウッドが他の監督作品に主演しているのかと思った。そんなわけがない。監督&主演で、全米で大ヒットしている、とんでもない傑作だと後から聞こえてきた。

 タイトルの「グラン・トリノ」とは1970年代に生産されたアメリカ車(フォード)の名称。今ではヴィンテージカーになっているが、大型で燃費が悪く、実用性はない。まあ良き時代のアメリカの代名詞といったところか。
 古臭い、時代遅れといった意味では、主人公のウォルト(クリント・イーストウッド)を差しているのかもしれない。かつてフォード社に勤務し、朝鮮戦争で従軍したこともあるウォルトは、昔気質の男。トヨタの営業マンである息子とは良好な関係といえず、かわいいはずの孫娘に対してもだらしない今風ファッションが気に入らない。ダーティーハリーが一般人の老人になったと思えばいい。
 長年住んでいるデトロイト郊外の家も、近辺にアジア系住民が多数住むようになって住みごごちがずいぶん悪くなった。アジア人なんて大嫌いだから交流なんて持ちたくない。最近妻を亡くしてからは完全に自分の世界に閉じこもってしまった。

 隣家に越してきたのがアジア系の家族。モン族というからインディアン、もといネイティブアメリカンかと思ったら、ラオス移民だった。この家族にティーンエイジャーの姉弟(スーとタオ)がいて、ひょんなことからウォルトと仲良くなっていく。その過程でウォルトはアジア人たちにも心を開いていく。
 町にはアジア系の不良たちもいる。かなりあくどいことをやっている連中でその一人がスー(アーニー)とタオ(ビー・ヴァン)のいとこ。いとこはタオを仲間に引きずりこもうとするが、タオにはその気がない。にもかかわらず何度なく声をかけてくる。あまりの執拗さにウォルトが制裁を加えることに。これがいけなかった。怒り狂った不良たちは、スーとタオ、その家族に襲いかかったのだ。家への発砲はタオのかすり傷程度ですんだが、外出中のスーが彼らに拉致され手ひどい乱暴を受けてしまった。復讐にいきりたつタオをなだめ、一人不良たちの巣窟に乗り込んでいくウォルト。果たして勝算はあるのか?

 評判どおりの映画だった。もうすぐ80歳に手が届くというのにクリント・イーストウッドの演出は〈枯淡の境地〉とは程遠い。手堅い。
 注目したのはラストだ。あの教会のシーンは普通ならもっと感動を煽り、観客の涙を絞りとる展開にするだろう。泣きたいがために劇場に足を運ぶ観客はそれを期待しているところがあるのではないか。イーストウッドはそこらへんわりと淡白にあっけなく処理してしまう。だからこそ胸にしみる。涙がでてくる。
 これから何作撮れるだろうか? とにかく公開されたら必ず観たい。感動の捉え方に共鳴できるのだからこんなうれしいことはない。

 イーストウッドが新作を撮らなくなったときがハリウッドの終焉、と小林信彦が書いていた。数年前なら首をかしげたかもしれない。今は違う。大きくうなずいている。






 宣伝です。

 HP「夕景工房」に掲載している「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」が本になります。
 この前TVで知ったのですが、今ケータイ世代の若者向けに昔の文学が横書きの本になっているんですって。
 私は逆です。横書きの小説なんてやはり小説じゃないという思いがあります。
 なので、思い入れのある小説・のようなものを縦書きの本にしょうと。
 本にするため大幅に加筆訂正しています。
 限定100部の私家版です。

 チラシ作りました。

bokuakatirasi2232.jpg

 同世代の方、フォークファンの方、
 赤い鳥ファンの方、70年代に興味ある方。
 興味あればぜひ読んでみてください。(ご購入ください!)

 6月発売予定です。
 ただ今予約受付中!
 住所、氏名を記入したメールください。

 70年代の青春像 切ない恋愛模様をリアルに描く
 日記+論考による70年代グラフィティ

 「僕たちの赤い鳥ものがたり」
 
 四六版 210ページ
 1500円+税

 はじめに    なぜ今、赤い鳥なのか?
 プロローグ   万博と赤い鳥とあの時代 1970-1978
 第一章     こごえそうな春 1978
 第二章     きわめつけの夏 1978 
 間奏      論考 体験的赤い鳥ヒストリー
           赤い鳥について知っている二三の事柄
           赤い鳥=藤子不二雄説を唱える理由
 第三章     ぬくもりの秋 1978
 第四章     ほとばしる冬 1978-1979
 エピローグ   そしてまた春 1979
 おわりに    論考 体験的70年代フォーク論






 その曲(歌)を初めて耳にしたときがいつだったのか、どこだったのか、すっかり忘れている。しかし、歌詞の内容にある種の衝撃を受けたことは憶えている。衝撃というと少々大仰だな。ニヤケてしまったというべきか。
 RCサクセションの「雨上がりの夜空に」である。
 オンボロの愛車についてうたっているのに、その言葉遣いがまるで彼女とのセックスをイメージさせる。狙っているとしか思えない歌詞に快哉を叫んだ。メロディーもノリが良くて(当たり前か)、いつのまにかカラオケの愛唱歌の一つになっていた。

 RCサクセションというバンド名も「ある日(バンドを)作成しよう」に由来すると聞いて、まるで二葉亭四迷みたいな命名じゃないかと思った(二葉亭四迷の名は「くたばってしめぇ」からきている)。本当かどうか確かめたことはないが。
 RCサクセションのギタリストが、元古井戸のメンバーだったことを知り、どうにもイメージが合わなかった。RCサクセションも初期のころはフォークバンドだったという。これまた全然らしくない。三浦友和と同級生で一緒にバンド活動を行っていたことも。
 ただ、井上陽水の初期の名曲「帰れない二人」の詞・曲に陽水とともにクレジットされているので、フォークの痕跡を見ることができる。

 「雨上がりの夜空に」は大好きだった。とはいえRCサクセションのファンというほどではなかった。知っている曲もあまりない。「僕の好きな先生」「トランジスタ・ラジオ」くらいか。ザ・タイマーズのアルバムをダビングしたテープは持っている。モンキーズのヒット曲をカバーした「デイ・ドリーム・ビリーバー」が聴きたくて手に入れたのだ。「モンキーズのテーマ」ならぬ「タイマーズのテーマ」もお気に入りだった。「ロックン仁義」なんていうのもあったな。
 確かこのバンド、反核をテーマにした曲を収録したRCサクセションのアルバムがレコード会社の意向で発売中止になったときに出来たのではなかったか? 

 訃報は朝刊で知った。予期していたことではあったが、やはり声をあげてしまった。
 喉頭癌であることが発表されたときは、最悪のことが頭をかすめた。だいたい歌手に喉頭癌なんて致命傷ではないか。完治したとして復帰は難しいのでは? だからこそ、昨年〈完全復活〉と銘打ってコンサートが開催されたときは、わがことのように喜んだのだ。やはりこの男、そう間単にくたばらないと。が、その後癌転移の報道に接して肩を落とした。

 享年58。
 先日、十二指腸癌の手術をした清水国明も58歳、同い年だという。
 急死したジャガーズの岡本信は59歳だった。
 今、団塊の世代が危ない。

 合掌





2009/04/15

 「1960年代日記」(小林信彦/ちくま文庫)

 白夜書房から出た単行本を読んでいる。そのときの書名は「小林信彦60年代日記」。小林信彦ファンを意識しはじめたころ、単行本を購入すれば、その後文庫になってもそれほど興味がなかった。「小林信彦60年代日記」もちくま文庫になったのは知っていたが買わなかった。今はできるだけ手元に置いておこうと考えている。
 この文庫もネットで注文した。
 前半、なかなか単行本が上梓できない著者の焦燥が文章のいたるところに見え隠れしている。30代の著者が、70代の老人に噛み付くところがでる。現在、当時反発した老人になった著者はこの文章についてどう思うのであろうか?
 常盤新平との確執も見られる。「E・Q・M・M」に山川方夫の追悼文を書いた。一週間後にゲラを見せてもらおうとしたら、常盤新平が内容に問題があると、印刷所に入れるのを止めていたのだ(当時常盤は「E・Q・M・M」の編集者)。その問題があまりにくだらないことなのだ。


2009/04/18

 「狼花 新宿鮫Ⅸ」(大沢在昌/光文社)

 新宿鮫の今のところの最新作(だろう)。カッパノベルスの人気シリーズだが、中には最初別の出版社から単行本がでる場合がある。漢字四文字のタイトルの「無限人間」と「風化水脈」がそう。その後カッパノベルスに収められる。本書も単行本だったので、版元を確認したら光文社だった。改めて表紙を確認したら漢字二字のタイトルだった。


2009/04/19

 「声に出して笑える日本語」(立川談四楼/光文社知恵の森文庫)

 02年に毎日新聞社から上梓した「日本語通り」が改題されて知恵の森文庫に入った。この書名を考えたのは編集者か? 齋藤孝のベストセラーのもじりだが、これには思わず膝を打った。実際、この本の前半は声をだして笑ってしまうのだ。


2009/04/21

 「警官の血 上巻」(佐々木譲/新潮社)

2009/04/23

 「警官の血 下巻」(佐々木譲/新潮社)

 図書館でリクエストしていた本がやっと順番がやってきた。かなりのボリュームだったが、面白かったので読むのに苦労しなかった。かなりの面白さではある。が、TVのスペシャルドラマで感じたような、原作はもっと奥が深いのではという推理ははずれた。特に民夫の章。ヒリヒリするような心の葛藤を期待したのだけど。はっきりいってTVドラマ以上のものはなかった。


2009/04/25

 「B型の品格 本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 最初のエッセイを読んでもうあれから1年経ったのかと思った。ついこの間のような気がする。TBSと日本テレビで放送された東京大空襲題材にした2本のスペシャルドラマのこと、小池栄子主演の「接吻」、「相棒 劇場版」。文章はあくまでも平易に軽く、しかし内容は深い。
 B型(の性格)については昔から書いているから、話題にするのは当然として、しかし、3回も続くのはどうかと思った。結局、後に2回追加され、計5回。あまり批判したくはないのだけど。1冊にまとまったらやはり書名は「B型の品格」だった。書店の棚で注目される確立は高くなるのは確かだろうが、はたしてそれが良いことなのかどうか。著者にとっても、購入者にとっても。 


2009/04/27

 「噺家ライバル物語」(大友浩/ソフトバンククリエイティブ)

 筆者についてまったく知らないで読み始めた。
 内容は志ん生vs文楽、彦六vs今輔、三木助vs小さん、円生vs円丈、志ん朝vs柳朝・円楽・談志・円蔵・志ん生、となっている。
 このメンバーだから、筆者はそれなりの年齢の方だと思ってプロフィールを見ると1958年生まれ。僕と1歳しか違わない。「東京かわら版」編集長だという。ああ、あの人か。談四楼師匠の独演会で見かけたことがあったような。


2009/4/30

 「マンガは今どうなっておるのか?」(夏目房之介/メディアセレクト)

 この前、いつもは2100円かかる近所のサウナ施設が500円で利用できると知って行ってきた。風呂から出て、休憩場で一休みしていたときのこと。何かマンガでも読もうと本棚をあたったが、読みたいコミックスがない。手に取ろうという気さえしない。改めて感じた。最近のマンガにほんと興味がないのだと。だから今のマンガがどうなっていようと関係ないのだが、最後の「『PLUTO』『アトム』浦沢直樹論」が読みたくて借りてきた次第。ほかに「マンガ編集者論」「リメイクマンガ」が興味深い。





2009/04/05

 「星新一 一○○一話をつくった人」(最相葉月/新潮社)

 星新一は中学、高校時代の読書に欠かせない作家だった。ショートショートは読みやすく、中間や期末といった試験が終わったあとの、最初の読書に適していた。当時リアルタイムの作家だと勘違いしていた。手塚治虫と同じ感覚。「ボッコちゃん」をはじめとするショートショートはかなり昔に執筆されたものなのだ。しかし、そんな感じがしなかった。それもそのはず、星新一自身が時代ごとに手を入れていたとのこと。これまた手塚治虫と同じスタンスを感じる。そういえば、手塚治虫と星新一は友人ではなかったか? 「W3」の主人公、星真一は星新一に由来する。


2009/04/07

 「謎のマンガ家 酒井七馬伝」(中野晴行/筑摩書房)

 手塚治虫の赤本時代の代表作「新宝島」の原案・構成を担当した酒井七馬は不遇な晩年を送ったと巷間伝えられていた。手塚治虫が自伝「僕はマンガ家」でそう書いているのである。本当にそうだったのか? 関係者に取材し酒井七馬の人生を丹念に追いかけた労作。
 酒井七馬といえば「新宝島」の原案・構成者と知る前に名前を覚えた。小学生時代、漫画家になりたかった僕は、秋田書店の「マンガのかき方」を皮切りに石森章太郎「マンガ家入門」「続マンガ家入門」などのマンガの描き方ハウツー本を買い集めた(この収集は後に趣味の一つになった)。その1冊に「ストーリーマンガのかき方」があった。筆者は西上ハルオという漫画家なのだが、この本の監修が酒井七馬だったのだ。本書では西上ハルオにも取材し「ストーリーマンガのかき方」の話もでてきて懐かしかった。この本、郷里の家のどこかにあるはずだ。再読したくなった。


2009/04/09

 「KAWADE夢ムック 赤塚不二夫」

 このムックが編集されているとき、まさか、本人が亡くなるなんて想定していなかったのだろう。表紙の〈追悼〉は、だから予定外だった、のかも。
 〈赤塚不二夫とフジオプロ〉は〈川崎のぼるとカワサキプロ〉〈永井豪とダイナミックプロ〉〈さいとうたかを/さいとうプロ〉とともにお馴染みのクレジット表記だった。特にフジオプロは、最後のコマに、その回の内容に合わせたようにサークルみたいな××部なんていう表記もあって、とても楽しそうなプロダクションに思えた。実際にバカを一所懸命やるマンガ工房だったことが、関係者の話でわかる。


2009/04/12

 「描きかえられた『鉄腕アトム』」(小野卓司/NTT出版)

 サンケイ新聞に毎日連載されていた「青いトリトン」に夢中になっていた。「青いトリトン」は後にTVアニメ化され「海のトリトン」と改題され、コミックスもこのタイトルで出版された。マンガは当初トリトンの兄和也が主人公の海洋冒険ものだった。ある怪しげな船に乗り込んだ和也が、船長の部屋をのぞくくだりがあった。ズボンを脱ごうとした船長の足が妙に色っぽい。もしかして船長は女なのか? という思わせぶりなカット。このカットをもう一度コミックスで確認しようとしたらどこを探してもない。当時手塚治虫が単行本(コミックス)にする際描き直しているなんてこと、知らなかったから、不思議でたまらなかった。
 描き直しの実態を確認できたのが「アドルフに告ぐ」だった。週刊文春に連載されていたとき、毎週切り抜きしていて、単行本になった際に見比べてみた。コマトの構成はもちろん、台詞の一つひとつが大幅に変わっている。
「鉄腕アトム」は、僕にとってアニメが出会いなので、マンガにそれほど思い入れがない。とはいえ、いろいろと描きかえられたことは以上のことから十分予想できる。連載時のマンガの方が面白そうだということも。
 それにしても本人が存命だったらこういう本は出版できないのだろうな。

 この項続く





 承前

 続いて「正調 五木の子守唄」。最近、後藤さんが現地での取材を始めた。その成果がリサイタルで、CDで発表されるという。もう今からワクワクものだ。「もう一度、近いうちに(取材に)行ってきます」との発言に、同行したいと思った。後藤さんが民謡を取材しているところを取材したいなあと。

 今回のライブで一番感激したのは次の曲だった。な、なんとビー・ジーズの「若葉のころ」! 
 小学6年のとき、クラスの友だちと隣町の足利へ「小さな恋のメロディ」を観に行こうとしたときの、映画の内容に心配した母親たちを巻き込んだ騒動はいったい何だったのだろうか? 12歳の少年少女が結婚する話だからか。7、8人いた仲間が3人になってしまったが、このとき観て本当によかった。海の向こうのまさに同世代のラブストーリーに夢中になった。
 音楽もまさにストライクゾーンだった。サウンドトラックのアルバムは中学時代に購入して何度も聴いている。「僕たちの赤い鳥ものがたり」の中で、主人公の〈僕〉の部屋に彼女が宿泊するくだりがある。このときラジカセで音楽をかけるのだが、それが「小さな恋のメロディ」のサウンドトラックで当然「若葉のころ」も重要な役割を持つ。まったくの偶然であるが、今回後藤さんが「若葉のころ」をセットリストに入れたのは何かの力を感じた次第。   
 後藤さん、リサイタルでも歌ってください。

 赤い山青い山白い山/正調 五木の子守唄/若葉のころ/サマータイム

 平山さんは、プレスリーの「キャント・ヘルプ・フォーリン・ラブ」でまずご挨拶。次は五木寛之をして「オペラのアリアのようだ」と言わしめた美空ひばりの「津軽のふるさと」。
 このあと、紙ふうせんwithすぎたさん、浦野さんとなって「今日までそして明日から」。吉田拓郎の歌を紙ふうせんがうたうなんて珍しい。最後は「It's So Easy」。

 キャント・ヘルプ・フォーリン・ラブ/津軽のふるさと/今日までそして明日から/It's So Easy

 お楽しみタイムは、1回目に実施したFCメンバー有志による弾き語り。

 トップバッターはIさん。1回目のときは、あまりの緊張のため酒を飲みすぎてメタメタな演奏になってしまった。さて汚名返上となるか。今回はバックに先生のすぎたさんを従えている。そう、Iさんはすぎたさんのギター教室の生徒でもあるのだ。絶妙なビブラートを効かせた「竹田の子守唄」で拍手喝采。
 2番バッターは、Sさん+新会員の男女デュオ。宮崎のライブハウスでステージにも立っているというセミプロの方。Sさんのギターテクニックは人間ジュークボックスの異名を持っているとかいないとか。最初は「赤い花白い花」の冒頭をほんのちょっと。続けて「誰もいない海」。
 ラストはNさん夫婦。このNさんは後藤さんの大学の同級生、サークルの仲間。フーツエミールのメンバーだった方。フーツエミールはジャン=ジャック・ルソーの「Emile ou de l'éducation」(「教育論」)に由来する。おしゃべりエミールの意。よくフルーツエミールと誤記される。ああ、だからさっき吉田拓郎を歌ったのか? PPMのコピーグループ、フーツエミールはコロムビアレコード+TBSが主催するフォークコンテストに出場し、2位になった。3位が吉田拓郎だった。
 PPMの「ア・ソーリン」+1

 お楽しみタイムが終了すると、いつもの紙ふうせんライブへ。
 
 平山さんが柿本人麻呂の短歌を話題にした。代表的な歌を一首披露した。

 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

 〈月の舟〉と詠みあげられて、思わず「ああ、あれか」と声をだしてしまった。
 実相寺昭雄は脚本の佐々木守とコンビを組んで「ウルトラシリーズ」の異色作を撮った監督として有名だが、小説も何作か書いている。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の時代を綴った青春小説のタイトルが「星の林に月の舟 怪獣に夢見た男たち」(大和書房→ちくま文庫)。この小説は後にスペシャルドラマにもなった。このときのタイトルは「ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟」。

 「冬が来る前に」の前にはふたりの思い出話で盛り上がった。シングルのリリースは1977年の11月1日。この年は暖冬で4月まで売れ行きは好調だったという。TBSの「ザ・ベストテン」にも1回だけ出演した。コンサート会場(ロビー)からの中継で、お客さんがいっぱい、(スタジオからの)演奏が聞えない。演奏に合わない歌唱はそんな理由があったとか。この頃の「ザ・ベストテン」は毎週チェックしていたが、なぜか紙ふうせんが出演したこの回は見逃している。NTVの「歌のトップテン」の出演は押さえているのに。
 「冬が来る前に」のあと、もう恒例になった、3月の平山さん、4月29日の後藤さん、浦野さんの「ハッピーバースデイ」。大ラスはみんなで「紙風船」の合唱。
 ちなみに今年のリサイタルは12月12日(土)。会場はリニューアルしたサンケイホールとのこと。


 ホーハイホー/街を走りぬけて/虹/翼をください/ルート43/船が帰ってくる
 ささぶね/冬が来る前に
 紙風船



 追記

 その後、リサイタルは11月3日(火)に変更になった。祝日だ。






プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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