2009/08/08

「第1回 メセナ落語二人会」(館林市三の丸芸術ホール)

 立川三四楼「半分垢」

 立川談四楼「三年目」
 柳家花緑「高砂や」

  〈仲入り〉

 柳家花緑「初天神」
 春風亭美由紀 三味線俗曲
 立川談四楼「ぼんぼん唄」


 小学時代からの友人で、今は高崎に住むAを誘った。Aは3年のときに大阪から転校してきた。高校2年になる春にまた大阪に引っ越した。大学でまた関東にやってきて、就職して高崎に赴任、そのまま居ついた。
 80年代前半、小学校の同窓会のときに久しぶりに会って、思わず言った。
「70年代を引きずっているねぇ」
 そのときのことを覚えていて、「僕たちの赤い鳥ものがたり」を売りつけたら、こう言われた。
「お前こそ、70年代を引きずっている」
 違うよ、あのとき、あなたはファッションがもうそのまま70年代だったの。とっくりのセーターなんて着てさ。中村雅俊みたいに。

 小学6年時に組織した8ミリ映画製作グループ〈ケイアマダクション〉では、カメラと音楽を担当。中学時代はフォークグループを作って盛んに六文銭をコピーしていた。
 就職してからの話だが、九九に曲をつけた歌が人気を呼んでいると知り、Aに「上毛かるた」に曲をつけてもらった。
 世代別に「フォーク・上毛カルタ」、「演歌・上毛カルタ」、「ロックン・ロール・上毛カルタ」の3種類。Aのギター演奏、僕が歌をうたって、デモテープも作成した。この曲、群馬で披露すれば大受け間違いないと思っているのだけど。

 Aは落語のライブ初体験。
 開口一番の三四楼さんの高座に緊張したという。
 確かに、この日の三四楼さん、覚えたてのネタだったのか、前半、進行がおぼつかなかった。次の台詞が出てこない。
「落語って、ハラハラドキドキするもんなんだなぁ」


2009/08/15

「立川談四楼独演会 第165回」(北澤八幡神社 参集殿)

 立川春太
 立川三四楼
 立川談四楼「お化け長屋」

  〈仲入り〉

 ふくろこうじ パントマイム&クラウン?
 立川談四楼「子は鎹」







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 ちょっと前、連日嫌な夢にうなされることがあった。最近まさに実感している。
 やばい。少し山に籠ります。

          * * *

2009/07/03

 「警察庁から来た男」(佐々木譲/角川春樹事務所)

 図書館の棚で見つけて何気なく借りてきたのだが、「うたう警官」(文庫化に伴い「笑う警官」に改題、〈うたう〉の方が断然いいのに)の後日譚になる。調べてみたら道警シリーズの第二弾とのこと。「うたう警官」ほどのサスペンスはないものの、最後まで一気に読ませる。警察庁から北海道警察本部の特別監査にやってきたキャリア(藤川警視正)が、津久井刑事(「うたう警官」で道警の裏金問題を証言したことにより同警の幹部に命を狙われた)を助手にするのが面白い。佐伯刑事の再登場にも心が躍る。
 映像化するなら、藤川警視正に高嶋政伸でどうか。「臨場」の立原管理官のセンで。


2009/07/06

 「新宿末広亭のネタ帖」(長井好弘/アスペクト)

 データを集計して分析すると、必ず何かが見えてくる。不思議なものだ。「寄席おもしろ帖」の著者が新宿末広亭のネタ帖に目をつけた。さて、そこから何がわかるのか?


2009/07/07

 「人質カノン」(宮部みゆき/文藝春秋)

 市井の人々の、何気ない日常を切り取ったような短編集。執筆された時代を反映してか、イジメ問題が取り上げられることが多い。表題作のほか、「十年計画」「過去のない手帳」「八月の雪」「過ぎたこと」「生者の特権」「漏れる心」を収録。いじめの犠牲で交通事故に遭い、足を切断、生きる張り合いを無くした十代の少年が祖父の残しておいた昔の遺書によって立ち直る「八月の雪」が特に印象深い。


2009/07/11

 「ナメてかかれ」(実相寺昭雄 プロデュース・河崎実/風塵社)

 ウルトラシリーズで異色作を撮った監督のもう一面がわかる本。スケベ親父の面がかなり強調されている。アテナ映像の代々木忠を認めているところから、エロに対する考えが自分と同じであることが確認できた。


2009/07/14

 「編集者魂」(高橋一清/青土社)

 著者は元文藝春秋編集者。担当した14人の作家たちとの交流模様を綴っている。もし、出版の世界に入っていたら、僕に作家を育てることができただろうか?
 

2009/07/15

 「お言葉ですが…⑩ ちょっとヘンだぞ四字熟語」(高島俊男/文藝春秋)


2009/07/17

 「お言葉ですが…第⑪巻」(高島俊男/連合出版)


2009/07/20

 「ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち」(岩田由記夫/ウェイツ)

 恥ずかしいことだが著者については何も知らなかった。業界ではかなり有名らしい。山下達郎の言葉「(自分は)アーティストではなく、アルチザン」が深い。


2009/07/23

 「お言葉ですが…別巻①」(高島俊男/連合出版)


2009/07/26

 「ジャーナリズム崩壊」(上杉隆/幻冬舎新書)

 最近、週刊文春の政治記事の署名でよく名前を拝見する著者の、日本の記者クラブを批判した書。経歴が変わっている。まずNHKに入り、続いて鳩山邦夫の秘書、その後、ニューヨーク・タイムズの記者、退職してフリー・ジャーナリストへ。


2009/07/31

 「つむじ曲がりの世界地図」(小林信彦/角川文庫)

 もうずいぶん前に図書館から単行本を借りて読んだことがある。文庫がネットの古書販売で売りに出ていたのであわてて購入した。日焼けがすごい。旅行しないで旅行した気分を味わう、ド・セルビイ方式をマクラに語り始めた〈傑作ユーモア旅行記〉。「パパは神様じゃない」に続くユーモア長編エッセイだったのか。




 昨春、念願の紙ふうせんトリビュートライブを開催した。
 最初、紙ふうせんの楽曲とコラボレーションする朗読会からスタートしたイベントは、ファンによるライブの案も加わって、なんとか「トリビュートライブ」として実現したのだ。
 次は、「竹田の子守唄」をモチーフにした朗読会を企画している。「語る伝承歌、歌うフォークロア」シリーズ第一弾として。

          * * *

2008/04/19

「紙ふうせんトリビュートライブ ~赤い鳥、紙ふうせん 後藤悦治郎の世界を追いかけて~」(LiveCafe Roots)

 今日は15時から「紙ふうせんトリビュートライブ」。
 昨日の嵐はなんとかおさまり、一安心した。今日は、13時45分に朗読の桑原さん、PA担当のTさん、受付のSさん、ビデオ記録のKさんと川口駅で待ち合わせ。
 ライブは15時からだが、1時間前に集合して、準備やリハーサルをやらなければならない。アコースティックライブは、もう演奏者におまかせで、それほど心配していないのだが、朗読は、途中に挿入する楽曲のイン・アウト、その際の照明、それぞれのタイミングをPA担当者、お店スタッフと打ち合わせしなければならない。皆が揃うのは今日初めてなのだから。
 
 13時30分前に駅に到着して、時間をつぶしていると、Kさんがやってきた。しばし立ち話をしていると、アナウンスが流れた。
「ただ今、川口駅で人身事故がありました。負傷者を救助していますので、上下線ともストップしています」
 なんだって! すぐにSさんから電話。「今、赤羽だけど、電車が止まってる!!」
 Tさんは前橋からやってくる。たぶん近くまで来ているはずだが、大丈夫だろうか? 桑原さんは? 
 だいたい電車ストップしたら、お客さんが来られないじゃないか!

 どの程度の事故なのか? すぐ復旧するものなのかどうか。定期でホームに降りた。
 Kさんのところに戻る。Tさんが来ていた。よかった! するとすぐに桑原さんの姿も。かなり早く到着していたみたいだ。Sさんは赤羽からタクシーを飛ばす。会場のライブハウスへ。通りは事故のためにやってきた救急車や消防車の音でうるさい。
 集合の14時にちょっと遅れて到着した。あの事故では当分電車は動きそうにない。お客さん来られるだろうか? 
 頭の中はすっかり真っ白になっていた。

 会場に到着すると、すでにライブ出演者のローソンさんとシーモニータさんが来ていた。「遅いよ~」とのローソンさんに川口駅の人身事故の件を伝える。ことによっては開始時間を遅らせることも考慮しなければならないかもと。真っ白になった頭を元にもどさなければならない。落ち着け、落ち着け。

 さて、準備だ。
 朗読でPAを担当するTさんにCDと原稿を渡す。朗読者の桑原さんにはステージに座ってもらい、朗読時と、楽曲流すときの照明のセッティング。お客さんにはイメージを喚起してもらいたいので、楽曲を流すときは暗転にして朗読時のみステージを(少々)明るく、朗読者をクローズアップしたい。ほとんどぶっつけ本番。
 とにかくタイミングだけ確認しましょう。朗読原稿は紙ふうせんのファーストアルバム「またふたりになったね」のライナーノーツ。これは赤い鳥を解散して紙ふうせんを結成し活動を始めた後藤さんと平山さんの気持ちが満載されている。この文章に、プロローグとして1975年の「新譜ジャーナル」に掲載されたこのアルバムのレビューを追加し5ブロックに分けた。ブロックとブロックの合間に、アルバムの中から後藤さんがヴォーカルをとっている曲を流す(ラストのみ平山さん)。

 #1「みんなで歌えるまえに」
 #2「忘れていたもの」
 #3「まつり」
 #4「ほほづき」
 #5「またふたりになったね」

 「まつり」以外は、今ではステージでも披露されることがない、知る人ぞ知る紙ふうせんの名曲なのだ。

 いざ、リハーサルとなったところでTさんの声。
「keiさんやばい、このCD、CDプレーヤーが認識しないよ」
「なんだって!」
 「またふたりになったね」はCDで復刻されていない。朗読用に、レコードからCDにしたものだ。川口の商店街に古ぼけた写真屋さんがあって、パソコンを使ってCDに焼いた。家のCDプレーヤーで再生して別に問題がなかったので事前のチェックなんて考えもしなかった。
 ライブ出演者のシーモニータさんが個人的に持ってきたCDプレーヤーなら大丈夫かもと、車から取って来た。時間が刻々と迫ってくる。14時30分からは受付開始だ。残された時間はわずかしかない。
 すると、Tさんから神の声。「認識した、大丈夫!」
 ホッ。

 こうして、トリビュートライブが始まった。


●映画「1973 バラキの夏」

 中学2年の夏休みに群馬県バラキ高原で開催された一泊二日のキャンプのドキュメンタリー。映像詩。テーマ曲・紙ふうせん「時の流れ」。
 小学6年~中学3年にかけて、仲の良い同級生をメンバーに〈Kアマダクション〉という8ミリ映画製作グループを組織していた。地元太田を紹介する記録映画2本のあとに手がけたのがSFドラマ「明日を知る少年」。タイトルからしてNHK少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」(原作:筒井康隆「時をかける少女」)に影響されているのがわかる。中学1年、2年時に撮影し、完成したのは中学3年になって。当時はフィルム(映写)に音を同調させる同調機が必要で、手に入ったのが3年だった。
 その間、メンバーがキャンプに参加するので、だったらその模様を8ミリフィルムに収めようとカメラを持参した。フィルムを仮編集したまま30年以上経過してしまった。今回、紙ふうせんの「時の流れ」を主題歌にしてやっと作品化した。

●朗読 桑原美由紀×紙ふうせん

 桑原美由紀さんというプロの朗読家と知り合ったのはもう何年も前になる。紙ふうせんFC関東地区会員(と書くと大げさだが)の第一回懇親会だった。FCの活動は関西中心だ。関東在住はあくまでも定期的に送付される通信でその活動を知るのみ。なかなか関東の会員とは交流できないので、ふたりが東京に仕事で来た際には、懇親会を設けましょうと開催されたのだ。TBSの「大沢悠里のゆうゆうワイド」のゲストコーナーに出演された後なので、会場は赤坂の某所。
 桑原さんが朗読家だと聞いて、さっそく提案した。
「紙ふうせんの楽曲とコラボした朗読会やりませんか?」
 僕の頭の中には、東芝EMI時代のアルバム「またふたりになったね」「愛と自由を」をフィーチャーした朗読にする考えがあった。桑原さんからこんな童話はどうでしょうと示されたのは「赤い風船」(フランス映画になっている)と中国の昔話。悪くないけど、いかにもって感じがして「うん」と言えない。
 次は「千の風になって」。新井満がこの詩にインスパイアされて書いた童話(?)だ。まだ歌がヒットしていないころ。「いいかもしれない」と思った。ところが、その後すぐに秋川雅史の歌が大ヒット。心変りした。別に朗読は後藤さんに見せるつもりはなかったが、後藤さんの意に沿わない内容にしたくない。直感で「千の風になって」は後藤さん好きじゃないかもと思ったのだ。
 昨年のリサイタルでやはりそうであることをわかって、「やらなくて良かった!」。
 
 このままだと言っただけで、実行が伴わない、とにかく何かやろうと、別の企画、ファンによるライブと合体させた「紙ふうせんトリビュートライブ」を開催することにして、1コーナーで前述の「またふたりになったね」ライナーノーツの朗読を思いついた次第。

 僕自身はうまくいったと思っている。桑原さんの朗読はもう完璧なのだから、あとは流れる曲のタイミングと照明だけ。それもイメージどおり。ラストでミスしたけど、それは僕自身、専用の音源を作らなかったことによる失敗だから仕方ない。ほんと、Tさんにお願いしてよかった。
 今回の試験的な、音楽とコラボした朗読を糧にして次は単独の朗読会を考えている。


●アコースティックライブ

 ・シーモニータ佐藤さん

 40歳になって、またギターを持ち出して活動し始めた。地元下仁田(群馬)では、昔の仲間と「夢弦」という男性デュオで活躍。

 「もう一度帰ろう」
 「誰が鳥を」
 「ささぶね」

  パワーあふれるライブだった。本人も言っていたけどマイクなんていらない。「もう一度帰ろう」「誰が鳥を」は生で聴いたことがないので感激!

 ・ローソン佐々木&フレンズ

 学生時代はさかんに赤い鳥をコピーしていた。
 社会人になって、ギターと関係ない人生を送っていたけれど、50歳を前にもう一度やろうと奮起。しかし三十数年(?)のブランクはどうしようもない。ギターはともかく、声がでない。でも財津さんみたいな声質。見た目は立川キウイさんなんだ、これが。

 「小鳩の家」
 「君を探して」
 「赤い鳥、紙ふうせんメドレー」
  「ぼくらいつでも陽気でいたい」に心震えた。
 「いかつり唄」
  アンコール
 「紙風船」 *会場全員


 出演者の皆さんをはじめ、ご協力いただいた方々、いらっしゃったお客様、心から感謝申し上げます!



09 live
今年11月3日(火・祝)、
リニューアルされたサンケイホール「ブリーゼ」で
開催されるリサイタルのチラシ

平山さんの左手に注目! 
1stアルバム「またふたりになったね」ではないか。

とすると、今回のリサイタルの内容は、
このアルバムをフィーチャーしたものになるのだろうか?

それはともかく、「またふたりになったね」の紙ジャケCD化希望!








 これまた半分冗談なりに、昔から思っていたこと。
 さだまさしの「檸檬」の〈時の流れという鳩が〉と「飛梅」の〈時間という樹の想い出という落ち葉〉ってまるで同じ法則によるフレーズだと思う。本文でも書いているけど、こういうところにクラっとくるんでしょう? 全国のさだまさしファンの皆さん!

          * * *

●三島由紀夫=さだまさし 説  2008/05/04

 デビュー当時、赤い鳥と〈8人の音楽会〉と称して渋谷の歩行者天国等でライブを慣行したりしていたオフコース(もちろんすでに二人になっていた)を知ったのは、まだ一般的にはブレイクしていない時期だった。1970年代の終りごろか。

 予備校時代につきあっていた女性が大のオフコースファンだった。何曲か聴かせてもらった。そのとき感じたのは、男女の別れを描くとき、いつも悪いのは女なんだよなというものだった。「僕たちの仲がなぜ壊れたのか、気づいていないようだけれど、君に原因があるからなんだよ」そううたっているように思えた。別にすべての曲を聴いたわけではないから断定できないのだが、小田和正の曲に感情移入できない所以である。

 男女の別れという観点からすると、さだまさしの歌はいつも男の側に立って、女性の感情の不確かさ、不思議さをうたっていたように思う。「去年は僕のことを好きだったと言っていたじゃないか、にもかかわらず今年君は僕の前から去っていった」と。とはいえ、去っていった女性を恨むわけではない。あくまでも時の流れを憂うだけ。これまた特別さだまさしを好きなわけではないから、あくまでも限定された曲を聴いた個人的な意見。これなら感情移入できる。カラオケの定番ソングになっている。

 それはともかく。
 さだまさしの歌詞は修飾語が際立つ。
 たとえば、雨が降る、を、さだまさしなら何色の雨がどんな風に降るか、詳細に繊細に表現すると思う。ファンはそこに心ときめかすのではないか。金糸雀色の風が舞う、うわぁ…なんて。

 大学時代、三島由紀夫に夢中になった。三島美学にはまった。一時ほかの小説が読めなかった。三島由紀夫の文章も修飾語が多かった。まあ、文学は比喩と暗喩で成り立っているわけだけど。あるとき、この見開きの文章から修飾語をとったら、どれだけ短くなるか考えたことがあった。もしかしたらほんの数行になるのではないか、と。
 三島由紀夫=さだまさし説の誕生だ。強引なのは承知のうち。

 後藤さんの詞は、三島=さだ的世界と対極の位置にある。つまり、後藤さんにとって、雨が降る、は雨が降ることに変わりなく、ことさら修飾語を使わない。使うときは自分の言葉を使用する。セピア色ではなくコーヒー色、エメラルドではなく青緑といったような。
 印象としてはとてもシンプルだ。後藤さんは今俳句を趣味としているが、そうなることは十分予想できた。昔、後藤さんは二行詩(なんてジャンルがあるかどうか知らないが)が基本にあって、それがいくつか組み合わさって一つの世界を形成させていた。当たり前の言葉を使って、当たり前に表現する。流行に左右されないというか、それはあくまでも普遍的な世界。そして色や温度を感じさせる。
 だから、普通、人は聞き流してしまう。その言葉の裏に、あるいはその表現に託された後藤さんの思いなんて考えない。
 アルバム「パーティー」に収録されている「茶色のはっぱ」が大麻だなんてことどれだけの人が気づいているのか。
 CBSソニー時代、シングル中心でラブソングを多作していたとき、必ず〈愛の言葉〉がでてきた。歌詞カードを見ながら、いつも思っていた。
 後藤さん、聴く人は、〈愛の言葉〉がどんなものなのか知りたいんですよ、「愛している」なのか「抱きしめたいなのか」、はたまた「そばにいて」なのか。もっと具体的にしないと人は共感できないですよ。後藤さんにしてみれば、人それぞれが自分のイメージにあった言葉を想像してほしかったのだろう。

 テーマ、バックボーンにはとんでもなく重たいものがあるのに、それを童謡みたいな言葉で処理してしまう。
 そんなわけで紙ふうせんはドライブに聴ける歌ではない。世間一般の人はどうだか知らないけれど。







 CDで聴く歌とカラオケでうたう歌が違う。
 世間一般はどうなんだろうか?
 唯一、ショーケンだけか。それでも、うたいたい歌はそれほどカラオケにあるわけではない。

          * * *

●青春のうた カラオケあれこれ 2007/05/12

 JR品川駅内にある書店。私はこの書店との相性がヒジョーに悪い。
 欲しい本があったためしがないのだ。
 確かに、場所柄売れている、あるいは売れるだろう本ばかりなのは承知している。個人的な趣味に合致した本があるなんて、そんなのハナから期待していないって。
 でもねぇ、文春文庫〈今月の新刊〉の一冊「花と爆弾」(小林信彦)がないとはどういうわけか。発売日(10日)当日だぞ!
 
 しかたがないので、港南口にあるA書店まで足を伸ばす。文庫新刊コーナーですぐに見つけた。
 このA書店、ビジネス街にあるというのに品揃えが実に豊富だ。各コーナーの棚を見ても、思わず足を止めて手にとりたくなる本ばかりなのだ。文庫を買ってすぐに帰るつもりが、結局30分ばかりブラブラすることに。

 ある棚で「青春のうた ベストコレクション」のバックナンバーを見つけた。ディアゴスティーニが刊行する隔週刊のCDつきマガジン。1960年代から80年代までのフォーク(ニューミュージック)を特集している。
 13号と22号は持っている。紙ふうせん「冬が来る前に」と赤い鳥「紙風船」が収録されているからだ。別にCDなんてオリジナルアルバムやベストアルバムで持っているから必要ないのだが、やはりマガジンの方でどう紹介されているか、その記述が気になる。
 赤い鳥はもう1曲「翼をください」の収録された号(16号)があるのだが、これまでどこの書店にもなかった。もしかしてと探ししてみると、あった。

 中学時代に赤い鳥のファンになって、解散後は紙ふうせんをずっと追い続けていることはもう何度も書いているとおり。
 中学時代はフォークの全盛期だったから、ほかにも好きなアーティストやらグループやらいるのだろうと思われてもしかたない。
 確かにカラオケに行けば、拓郎と陽水は定番だ。かぐや姫も以前はよく歌っていた。さだまさしだって「檸檬」「飛梅」は愛唱歌になっている。小室等、泉谷しげる。バズとか。ところが家ではまったく聴かない。CDなんて1枚もない。
 いや、高校時代に少しは買っている。小室等の初期ソロアルバム。拓郎なら「LIVE’73」。石川セリのファーストアルバム「パセリと野の花」(「八月の濡れた砂」の主題歌を聴きたくて)。
 そのくらいか。ほかはまったくのOUT OF 眼中。興味の対象外。陽水は本当に1枚も持っていない。

 レコードの時代はもちろんCDになってからも、リリースされれば必ず買い求める赤い鳥や紙ふうせんは、逆にカラオケでほとんど歌うことがない。
 「紙風船」「赤い花白い花」くらいか。「冬が来る前に」はむずかしすぎて。
 そりゃ、歌いたい歌はたくさんある。「誰が鳥を」「尺取虫」「マリブー」「らくだちゃん」「もう一度帰ろう」(赤い鳥)、「みんなで歌えるまえに」「まつり」「僕らいつでも陽気でいたい」「ワンマンバンド」「ルート43」(紙ふうせん)
 カラオケにないのだからしかたない。
 マニアックと言われる所以だ。
 
 「青春のうた ベストコレクション」16号、本田路津子の「耳をすましてごらん」を三十数年ぶりに聴いて大感激!







 事実は小説より奇なり

 このことわざを漫画「サザエさん」で覚えた。小学生のころだ。TVアニメではなく、姉妹社から刊行されていた単行本の方。通常版だったか、よりぬき版だったか。同じ本を何度も読み返したものだ。ちなみにデヴィ夫人の名前もこの本で覚えた。

 酒井法子の一件は、まさに「事実は小説より奇なり」の展開だったといえるだろう。
 最初彼女は亭主の不祥事に動転して失踪したと思われた。家族と所属事務所が警察に捜索願いを出した。なかなか発見されない。10歳になる息子を連れているということで、最悪の結果が心配された。
 なぜ、出てこないのか。普通なら、この経過に何かあるなと思う。
 こりゃ、酒井法子も覚醒剤やっているのでないか? だから逃げているのではないか? 
 そんなこと、これっぽっちも考えなかった。夫が覚醒剤をやっていたことでショックを受けて、世間に顔向けできないと思いつめている、だからどこかに隠れているんだ、と。逆に「あまりに純情すぎる」と憤りを感じたほどだ。

 逮捕状がでたとのニュースは衝撃だったが、それですべてが氷解した。失踪は逃亡だったのだ。
 夫が逮捕されたときに、警察への同行を拒否したことで気づくべきだった。
 僕は、酒井法子が苦手だった。デビュー当時ののりピー語には虫唾が走ったほど。アイドル時代はもちろん、女優となってもそれほど興味がなかった。結婚したことも、子どもがいることも忘れていた。
 ただ、彼女が醸し出すイメージはそのまま受け取っていたところがある。
 清純、真面目……
 だから、裏読みができなかった。たぶん、多くの人もそうだったのではないか。

 彼女は何を考えて6日間逃亡していたのか。逮捕状が出なければ、もうしばらく、尿検査しても陽性反応がでない状態になるまで姿を隠していて、出頭するつもりだったのか。
 この逃亡劇で彼女のイメージが相当ダウンしたことは確か。
 警察は最初から、彼女を容疑者として考えていたと思う。にもかかわらず、そう発表しなかったのは、一緒に逃亡している(と思われていた)息子の安否を考慮したからだろうか。それこそ無理心中するのではないかと。息子が知人があずかっていたとわかって、急に容疑者になったので、そう推測するのだが。
 もうひとつ、亭主の本当の職業っていったい何だ? 〈自称プロサーファー〉って、おかしいと思う。もし使うのなら、次に本業が紹介されるだろう。

 あるブログに書かれていたことだが、容疑者になったとたん、ネットニュースの添付写真が切り替わったと。それまで、いかにも清純そうな姿から、ぶっきらぼうな、いかにも私、何かしています、という冷たい表情のそれに。
 マスコミが一番喜ぶ展開だものなあ。これからあることないこと報道されるんだろう。
 酒井法子ファンじゃなくてよかった。
 ヘンなところで安堵している。






 昨晩は、もうひとつショッキングなニュースがあった。
 酒井法子に逮捕状……
 PCの前で大声あげてしまった。
 ただし、これによって、事件の概要が理解できたわけだ。
 なぜ、行方不明になったのか。十分納得できた。
 この件については、明日にでも。

          * * *

●ある愛の赤い鳥 2007/01/09

 もしやと思ってYouTubeで検索したら、あった。年末の紅白歌合戦、問題となったDJ OZMAの歌唱シーンだ。
 今回ほとんど興味がわかない出場者の中で見たいと思った一人だった。しかし家族の意向で無情にもチャンネルを替えられた。もどしたらアナウンサーが神妙な面持ちで視聴者に陳謝していた。いったいどんな内容だったのか? 確認したくてたまらなかった。
 大爆笑だった。あの最後のイチモツ、よくぞやったり。ほんとにスタッフは知らなかったのだろうか。まあ、どうでもいいや。

 もうひとつ、気になる映像があったので検索したらあったよ、あった。もう狂喜乱舞だ。
 7人時代の赤い鳥のライブ「翼をください」。年末BSで放送された「フォーク大全集」(タイトルうろ覚え)で放送されて、一部で話題になっていた。

 「まぐま」の「体験的紙ふうせん論」でも書いているが、赤い鳥のファンになったのは、もう解散間近、コンサートなんて足を運ぶ機会がなかった。中学生だったから、地元に来ても行けたかどうか。TV「ミュージック・フェア」にゲスト出演する姿を何度か観た限り。彼らのライブに触れられるのはレコード(CD)だけだった。
 そんな僕にとって、大村憲司(ギター)と村上(ポンタ)秀一(ドラム)が在籍していた時代のライブなんて……。うれしくって涙がでてきた。

 当たり前のことだけど若い。若すぎる。26、27歳だろうか。ピアノを弾く平山さん、かわいいなぁ。

 赤い鳥が上京する前に、後藤さんがと平山さんと動物園でデートしたとき、木の上に登ってプロポーズしたエピソードがある。平山さんは答えず、結局このプロポーズは実らなかった。後藤さんと平山さんが結婚するのは、赤い鳥が解散する年(1974年)の5月なのだが、まだプロデビューする前、上京する前にプロポーズした後藤さんの気持ち、男としてすごくわかるのだ。
 東京の芸能界。色と欲が交叉して魑魅魍魎が跋扈する世界。さまざまな誘惑があるだろう。どこで変な男にひっかかるかわからない。そんな世界に入る前に、愛する女性の気持ちを確かめておきたい。いますぐ結婚するとかの問題ではなく、あくまでも気持ちを知りたかったのだ、と思う。
 で、プロデビューして、そんな場面に出くわした。平山さんに声をかけてきたのは二枚目の若手人気俳優。胸騒ぎした後藤さんがとった行動は……。

 後藤さんに文句言われそうだから、この続きは書けない。








 「報道ステーション」冒頭のニュースに驚愕した。
 大原麗子死去。
 最近まったく姿を見なくなった。病気だということは知っていたのだが、こんな形で亡くなるなんて!
 市川崑監督が手がけたサントリーレッドのCMが忘れがたい。それから「獄門島」のヒロイン。
僕らの世代にとって、まさに女優だった。
 おしとやかな純日本風の美女を得意としていたが、実際は正反対の性格だったのだろう。

 以下は、かつて一度だけ遭遇したときのことを書いたmixiの文章。
 やっぱり、手を抜いているって?

     ◇

 ●奥崎謙三と「ゆきゆきて、神軍」  2005/07/04

 (略)

 結婚して鬱になって、悶々と過ごした後、やっと平常心をとりもどした。とにかく仕事をしなくてはと、職探しをしていると光学撮影などで有名なポストプロダクションがアルバイトの募集をしていた。面接の当日、その前に映画でも観ようとかみサンと出かけたのが「ゆきゆきて、神軍」を上映しているユーロスペース。
 平日なのにけっこう混雑していた。驚いたことに私たちの前の席に○原○子がいた。その隣が空いている。当然、誰が来るのだろうと夫婦でヒソヒソ話をしていたわけだが、上映開始寸前にやってきたのが○岡○リ子だった。
 友人同士の有名女優が評判の映画を観にきたというところなんだろう。どちらも好きな女優さんだからこの偶然に感激した。
 2大女優はまるで対照的だった。上映中、○原○子は身体をくねらせて大声で笑う。感情を思いっきり外に出すタイプ。某演歌歌手と離婚した際、家庭に二人の夫はいらないというコメントを残しているが、実態を垣間見た思いがした。対して○岡○リ子は上映中微動だにしない。本当に最初から最後まで同じ姿勢のままスクリーンを見つめていた。笑うなんてとんでもない。一言も発しなかったのではないか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。
 上映中、かみサンと私を悩ませたのは○岡○リ子の香水だった。ほのかな甘い香り、なんていうものではなかった。オゾン層が破壊されたオーストラリアの砂漠地帯で、サンバのリズムに叩きつけられながら直射日光をもろに浴びた感じ。強烈な匂いなのである。
 かみサンも私も度を越した香りに弱いので、この匂いに辟易して映画の鑑賞どころではなかった。上映中、何度鼻をつまもうかと思ったことか。そんなことしたら大女優に失礼だし、でも我慢できないし。真剣に悩んだ。
 当時、某二枚目俳優の夫君との離婚がとりざたされていた。ユーロスペースを後にして、かみサンと、あんな香水つけられて家にいられたら亭主も大変だよね。離婚したくもなるよ、なんて夫君に大いに同情したものだ。

「ゆきゆきて、神軍」を思い出すと、あの匂いが私の鼻腔を刺激する……

     ◇

 孤独死。
 二週間発見されなかったという。
 つらい。

 合掌







 文中にでてくるGoddessとはインディーズのロックバンドである。ヴォーカルの水木ノアさんがあるインディーズ映画の音楽を担当したことから知り合った。何度かライブに通った。一昨年やっとワンマンライブが実現したと思ったら、昨年あっけなく解散してしまった。「HUMAN」は初めて聴いたときからお気に入りの一曲となった。特にシングルバージョンのギターが大村さんっぽくて。

 自分でも不思議に思う。
 ロック色の強い赤い鳥のアルバムが大好きだと言いながら、でも本当はアコースティックな伝承歌に心惹かれているのだ。解散後、紙ふうせんをずっと追いかけているのはまさにそこにある。

     ◇

 ●赤い鳥アルバム「祈り」~「星」、そして「HUMAN」 2006/09/20

 「祈り」という赤い鳥のアルバムがある。〈赤い鳥初のトータルアルバム〉が売りだったが、セールス的にはそれほど芳しいものではなかったはずだ。その証拠に、70年代中盤からレコード店であまり見かけることがなかった。
 とはいえ、個人的には赤い鳥のベストと断言してしまうほど気に入っている。レコードで(実際はレコードからダビングしたカセットテープで)、復刻されてからはCDで、全アルバムが網羅されたBOX「コンプリート・コレクション」を手に入れてからは、12枚の中でより多く聴いている。
 
 レコード会社との契約でアルバムを制作しなければならない。かといってストックしている曲なんてない。さあ、どうしよう? 進退窮まったリーダーの後藤(悦治郎)さんはメンバーを映画館に誘って1本の映画を鑑賞させた。
 劇場を出て後藤さんが宣言する。
「この映画を観た印象から各自曲を作ること」
 映画のタイトルは「十戒」。 チャールトン・ヘストンがモーゼに扮し、仲間を連れて真っ二つに割れた海を渡るシーンが有名なセシル・B・デミル監督のスペクタクル映画である。

 そんなわけで、「祈り」は地球の営みを俯瞰したような、逆に接写したような、大地や自然に対する共鳴、あるいは畏怖といった〈後藤悦治郎の世界〉を満喫することができるのだが、特筆すべきはそのサウンドだった。
 赤い鳥には大村憲司氏と村上(ポンタ)秀一氏が在籍していた時期がある。コンサートもロック色が強くなり、客層が大幅に変わったとライブアルバム「ミリオン・ピープル」のライナーノーツに書かれていた。
 あるコンサートで大村氏のギターがリードをとると、村上氏のドラムとのセッションを延々と続け、聴衆を呆気にさせた。コンサート終了後、事務所の偉いさんに「コンサートで練習するんじゃない!」と(大村氏が)ぶん殴られたんだ、と後藤さんが笑いながら話してくれたことがある。

 「祈り」は当の二人が脱退する寸前に参加したアルバムなのでロック色が強く、見事に赤い鳥の歌唱、ハーモニーに融和した作品になっている。
 70年代、僕はプログレと無縁な(音楽)生活を送っていたのだが、何のことはない、この「祈り」は十分プログレしていたのだった。プログレファン必聴だと思う。とにかく大村憲司氏のギターに圧倒されること間違いない。
 村上氏の「自暴自伝」(文藝春秋)を読むと、村上ポンタ氏が世界のどんな名ギタリストよりも大村氏を評価しているのがわかる。蛇足だが、なぜ村上秀一の間にポンタというミドルネームが入るのかも。

 以前Goddessの新曲「HUMAN」をカルメン・マキ&OZの「私は風」や「閉ざされた街」と比較したけれど、CDを聴くたびに「祈り」に収録されている「星」という曲を思いだすようになった。
 平山(泰代)さんの作詞作曲の「星」は、歌のお姉さん的なやさしさあふれる歌唱の「雨」とは対極にある熱唱型。力強い声が大村憲司のギターと絡まり、迫力を増して深い感動を呼ぶのだ。


  夕陽が西へ沈むころ
  やけた大地の上に
  いつの世にもうたう
  星の光よ

  羊飼いのひとりごと
  今日も心につもる
  苦しみ 悲しみは
  いつの世にもつづく

  流れた星のゆくえ
  人の命の終り
  めぐるさだめの中
  愛は闇をひらく

  河に橋があるように
  子供に母の愛がある
  つかれた旅人には
  星がみちをてらす

                      

 13日(水)、四谷OUTBREAKのライブのトリで登場したGoddess。
 K氏が書いていたけど確かに〈僕たちの好きなロック〉である。それだけで全身が弛緩してしまう。音に身体をゆだねてしまう。喫茶店でSR嬢を落涙させた「There are many, so many」、軽快な「ソウルメイト」、ラストはお待ちかねの「HUMAN」。最初のパーカッション(一叩き)が効いていた。この曲の良さに編曲も挙げられる。どこか懐かしい。ギターと交叉するメロディアスなベース音がキィだと思う。ゾクゾクする。
 Goddessのライブはあっというまに終わった。いつかワンマンライブを堪能したい。




 これまで書いた赤い鳥に関する文章をまとめておこうと思う。
 最初mixiに書いてそのままにしていた。mixiは閉じられた世界だ。検索も一定の期間が過ぎるとできなくなる。
 より多くの(かつての)赤い鳥ファンに読んでもらいたい、これをきっかけに意見交換ができればと「夕景工房」BBSに転載した。BBSは新しい書き込みが増えれば奥へ押しやられ、いつか消えてしまう。だったらきちんと保存され、いつでも検索可能なこのブログに順次再転載していこう。そう考えてのこと。
 今、忙しいからとか、手を抜きたいとか、そんな理由では決してない! ないと思う。ないんじゃないかな。
 いいじゃない、理由なんて。

 「チェッカーズ=赤い鳥 説!」は「赤い鳥=藤子不二雄 説」に続き、個人的に唱えた説である。最後に「!」がついていることに注目してほしい。「赤い鳥=藤子不二雄 説」は少々強引なところはあるものの、根底には自分なりの主張がある。わかる人にはわかってもらえると思っている。
 対して「チェッカーズ=赤い鳥 説」はある角度から眺めた場合のみ成り立つ説であり、ほとんど冗談。だからこそ「!」で強調しているわけである。

 なお、誤字脱字及び一部訂正しています。
 
     ◇

 チェッカーズ=赤い鳥 説!

 ●「おふくろさん」と「紙風船」 2007/12/11

 子どものころ、大晦日から正月にかけて家族で必ず見る番組があった。
 大晦日はTBS「輝け! 日本レコード大賞」とNHK「紅白歌合戦」。それから民放全局が一斉放送していた「ゆく年くる年」。正月になると2日だか3日に放送されるフジテレビ「新春オールスターかくし芸大会」。
 当時は見るのが当たり前、いや見なければならないというほどの威厳があったように思う。
 「レコード大賞」なんて、大賞発表の瞬間までドキドキしていたことを覚えている。1970年代、ちあきなおみ「喝采」、森進一「襟裳岬」、布施明「シクラメンのかほり」、沢田研二「勝手にしやがれ」、彼らが大賞を受賞したときなんて、わがことのように喜んだ。別にレコードを買ったりするファンではなかったけれど。

 「レコード大賞」と「かくし芸大会」にはチャンネルを合わせなくなって久しい。「紅白歌合戦」だって、別に見たいほどではないのだが、ほかに興味をそそられるものがないから、惰性でチャンネルを合わせているだけにすぎない。
 先週、紅白歌合戦の出場歌手が発表された。唖然とした。選考基準がまったくわからない。いったいNHKは紅白で何がやりたいのか? いやその前にNHKがなぜここまで紅白を死守するか、疑問を感じた。

 「レコード大賞」に権威がなくなったのは歌謡曲というジャンルが死滅したからだろう。現在、子どもから年配者まで楽しめる歌なんてない。
 だいたい、日本人の生活様式が変わった。大晦日、一家団欒でTVを視聴する習慣もなくなっているのではないか。ということは昔ながらのコンセプトに沿った紅白歌合戦なんて作れないはずなのだ。にもかかわらず、いまだに全方位に目を配らせながら昔と同様の高視聴率を狙おうとする、その真意がわからない。
 たとえば、「思い出のメロディー」風にするとか、演歌(ムード歌謡含)だけにするとか、あるいは1年間のヒット曲特集にするとか、思い切った改革をしなければ存在価値もなくなってしまうと思っている。
 視聴率を云々するのもどうかと思う。かつての80%の方が異常ではないか。30%台だって御の字だ。「レコード大賞」なんて今では普通の番組のような視聴率なのだから。
 まあ、どうでもいい。

 出場者の中に森進一がいた。昨年の紅白歌合戦を端に発した「おふくろさん」騒動はいまだに決着を見ていないのは悲しい。歌の前に勝手に語りを入れたことに対する作詞家の怒り。「歌は歌手のもの」的発言が火に油を注いだ。歌の前の語りを入れたことで、あんな騒動になるのだから、歌詞の変更だったら、怒りのボルテージはどのくらい上がるのだろう。
 思い出したのが赤い鳥「紙風船」だった。
 後藤さんが、黒田三郎氏の現代詩「紙風船」に曲をつけた佳曲である。
 実はこの歌、曲をつけるにあたって、詩の一部を改変している。


 ●黒田三郎×後藤悦治郎 2007/12/12

 1970年代前半、現代詩に曲をつけて歌うアーティストがいた。そうしたムーブメントがあったのだろう。その一人が小室等氏。茨木のり子「12月のうた」、黒田三郎「苦行」等。後に谷川俊太郎氏と組んで何枚かのアルバムをリリースしている。「いま生きているということ」は有名だ。

 小学生のころTVを通じて歌謡曲を聴くようになった。GSブームが吹き荒れ、その真っ只中にいた。夢中で歌番組にチャンネルを合わせたものだ。当時、漠然とした思いがあった。詞の内容がいかにも作られた世界、まるでおとぎ話じゃないか、と。あるいは男女の恋愛模様ばかり。これがつまらないと感じはじめたのだ。
 子どもだから男女の機微なんてわからない。たとえば「恋の季節」で、〈夜明けのコーヒー〉の意味することが理解できなかった。夜更かししてコーヒー飲んだくらいの認識だ。「黒ネコのタンゴ」を歌うと先生たちがいい顔しなかった。歌詞の比喩なんて考えないのだから当然だろう。
 そんな風に歌謡曲(流行歌)に疑問を抱き始めてきたときに、上條恒彦+六文銭「出発の歌」やよしだたくろう「結婚しようよ」、本田路津子「耳をすましてごらん」に出会った。(関係ないけど、本田路津子さんの声は衝撃的だった。なんてきれいな声なんだろうと)
 僕の場合、歌の最初は曲(メロディ、アレンジ)で入っていく。フォークももちろんそうだったのだが、詞がまっすぐ心に届いたのだ。巧い下手に関係なく。

 僕が赤い鳥にのめり込むきっかけは「紙風船」の詩とメロディーだった。
 フォークの佳曲「紙風船」誕生には、有名なエピソードがある。
 後藤さんが黒田三郎氏の詩集「もっと高く」の一編「紙風船」に曲をつけたい、歌にしてステージで歌っていきたいと考えて、最初に本人に許可を求めたときのこと。奥さんから取り次がれて電話に出た黒田氏は自分の詩にメロディをつけるとは何事かと烈火のごとく怒り出して聞く耳を持たなかったという。このときすでに黒田氏は50歳を越えていた。たぶんフォークなんて興味ないし、赤い鳥も知らなかったのだろう。代わった奥さんが「主人は頑固であんなんですけど、私からよく言っておきます、どうぞ歌ってください」と間をとりもった。
 メロディをつけるにあたって、後藤さんは詩の一部にほんの少し変更を加えた。

 原詩(?)はこうだ。なんでもない言葉の裏にいろいろなイメージが詰まっている。

  落ちて来たら
  今度は
  もっと高く
  もっともっと高く
  何度でも
  打ち上げよう
  美しい
  願いごとのように

 メロディがついてこうなった。

  落ちてきたら
  今度はもっと
  高く高く
  打ちあげようよ
  高く高く
  打ちあげようよ

  何度でも打ちあげようよ
  美しい願いごとのように

  高く打ち上げよう 高く高く
  高く打ち上げよう 高く高く
 
 曲をつけると聴いて激怒した詩人である。歌になった「紙風船」を聴いてどんな反応をしたのだろうか? もしかすると、詩人に聴かせたとき〈何度でも打ち上げようよ…高く高く〉はなかったのかもしれない。
 赤い鳥時代がそうだったように、紙ふうせんになってからもステージで「紙風船」を歌う際、〈落ちてきたら…打ち上げようよ〉を繰り返し、盛り上げていく。もともとそういう曲だったらしい。
 後藤さんは「紙風船」に手ごたえを感じ、レコーディングしたい旨レコード会社のディレクターに伝えた。あっさり断られた。理由は短すぎる。ところがコンサートで人気を呼びはじめると、逆にレコード化を要請された。その際、一転して明るい曲調になり、子どもたちのバックコーラスがつく後半が追加されたと後藤さんから聞いたことがある。
 なぜいつも後半を歌わないのかと尋ねたことがある。
「テーマを言葉にしたら意味がない」
 ああ、なるほど。わかる、と思った。

 このとき、長年の疑問も解消された。山上路夫・村井邦彦コンビの楽曲に対する後藤さんの考えを訊いたのだ。


 ●山上路夫vs.後藤悦治郎 2007/12/13

 実をいうと僕は山上・村井コンビの楽曲にあまり興味がない。こう書くと語弊があるか。いい歌だ。「忘れていた朝」のイントロなんて心が洗われる。美しすぎる。ギターとピアノとベースだけでよくあれだけの音がだせるといつも思っている。
 ただ詞に共感できない。巧いと思う。まとまっていると思う。しかし、胸に響かない。小学生のとき歌謡曲の詞に対して抱いた印象に似た感じというか。
 その最たる歌が「赤い屋根の家」だ。
 アマチュア時代、後藤さんたちが仲間たちと始めたコンサートの名称(赤い屋根の家コンサート)からインスパイアされたものだろうが、聴くたびに「うそでぇ」と舌打ちしていた。ファンにはけっこう人気のある曲なのだが、どうしても偽善を感じてしまう。
 その思いを後藤さんにぶつけてみた。
 同意見だった。

 赤い鳥のデビューシングル「人生」は「竹田の子守唄」の歌詞を変更したものだ。元歌(の歌詞)だと意味がわからないからというのが理由だそうだが、作り変えられた「人生」に何も感じられない。器(歌唱や演奏によって醸し出される雰囲気)は確かにいい。内容もある。でもそれだけだ。
 それはすでに「竹田の子守唄」を知っているからだ、リアルタイムで「人生」を聴いたなら印象はまた違うはず。
 そう言われれば確かにそうかもしれない。が、「竹田の子守唄」はあの歌詞だから存在意義がある。意味がわからなくても、伝わるものは伝わるのである。たぶん、「人生」の詞で、後藤さんは山上氏にかみついたのではないか。インタビュー(赤い鳥BOX)でもメンバーの中で一人文句言って山上氏に怒られたと語っている。
 山上氏と後藤さんの作詞に対する確執というものがあったのではないか? あくまでも個人的な想像だけど。

 赤い鳥のアルバムの中で、LPの時代に手に入らなかったものが何枚かある。そのうち「美しい星」はメンバーに大村憲司、村上〈ポンタ〉秀一の両氏が加わっていることもあって、さぞやロック色の強い仕上がりになっているものと期待していた。なんたって僕はその次のアルバム「祈り」こそ(スタジオ録音版の)最高傑作だと思っているので(大村氏と村上氏は「祈り」レコーディング後に脱退)。
 ところが、復刻されたCDで初めて聴いた「美しい星」はほとんどが山上・村井コンビの楽曲なのである。肩透かしをくらった。

 「自暴自伝」(文藝春秋)で知ったのだが、メンバーになったばかりの大村、村上の両氏はレコーディング時あくまでも〈おまけ〉だった。レコーディングのためアメリカ旅行するのだが、この時期、5人の間に溝が生じて大変だったらしい。解散するか否か。しっちゅうそのことで揉めていた。その煮え切らなさに辟易した(新入りの)村上氏が「お前らはっきりしろ!」と怒鳴ったら、何とか納まってしばらく活動を続けることになったとか。村上氏は事務所に感謝されたらしい。
 このアメリカ録音には赤い鳥のプロデューサーでもある村井氏の野望があった。赤い鳥のアメリカ進出である。ところが後藤さんはあっけなくソデにしてしまう。前述のインタビューによれば、分厚い英語の契約書を前にして皆に言ったそうだ。「日本語の契約書だってよくわからないのに、こんなの理解できるはずがない」
 これでアメリカデビューがパアとなり何千万円もの損失が出たとのこと。

 赤い鳥はデビューからしばらくの間、楽曲を含めて村井プロデューサーの庇護のもとにいた。最初は洋楽のカヴァー、やがてメンバーによる4曲のオリジナル曲が生まれてアルバム「竹田の子守唄」に結実する。続いて全曲オリジナルの「パーティー」。村井色から後藤色への脱却かと見えて、次は村井色を前面に押し出した「美しい星」。で、次は〈後藤悦治郎の世界〉に大村サウンドがドッキングした「祈り」。後藤さん曰く「ファンはたまらんと思うよ、“どっちやねん!”という感じで」。
 後藤さんがインタビューで語っているように、村井氏はメンバーのオリジナルを評価するプロデューサーだった。と同時に、基本路線は自分でしっかり手綱を握るつもりだったのだろう。あるいはセールス的なことも視野に入れていたかもしれない。今だからわかるのだが、「パーティー」も「祈り」もあまり売れなかったと思う。一般的なファンは「竹田の子守唄」や「美しい星」を「これぞ赤い鳥の世界」と認識しているはずだ。

 音楽活動に対して、後藤さんにある種の割り切りがあったなら、赤い鳥の解散はもっと先になったかもしれない。あるいは後藤さんがビジネス最優先の事務所に反発して独立を決意したとき、山本さんたち3人が後に従っていれば、また違った展開があったかもしれない。
 まあ、たら・ればを言っても仕方ない。ここで押さえておきたいのは、目指す音楽について反目や葛藤、確執等々あったかもしれないものの、赤い鳥解散を持って後藤さんと村井さんが決別したわけではないこと。紙ふうせんになっても、プロデューサーは村井さんだった。CBSソニーに移籍するまでその関係は続いていく。きちんとリスペクトしているのだ。
「もし、赤い鳥の復活があるとしたら」と後藤さんがその要因を話してくれたことでも納得できる。


 ●チェッカーズ=赤い鳥 説! 2007/12/14

 もうずいぶん前になる。「チェッカーズ」(高杢禎彦/新潮社)という本を読んだときに思った。「チェッカーズって、赤い鳥と同じじゃないか!」
 もちろんそれには注釈がつく。あくまでも第三者が単純に見たとして!
 本気で「チェッカーズ=赤い鳥説」を唱えているわけではない。そこのところお間違えなく。

 チェッカーズのシングルはデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」からしばらくの間、売野雅勇・芹澤廣明コンビが手がけてきた。芹澤氏のメロディーはどこかGSの匂いがあって好きだった。
 「ギザギザハートの子守唄」はヒットしなかったが、よく有線で流れていた。いったい誰が歌っているのだろうと、当時アルバイトしていたファーストフードの店で気になってしかたなかった。

 芹澤氏はチェッカーズのプロデューサーでもある。ということはチェッカーズと芹澤氏の関係は、赤い鳥と村井氏のそれだ。作詞の売野氏は山上氏だろう。コンビでヒット曲を手がけるのも同じ。しばらく売野・芹澤路線でヒットチャートを賑わせるが、ある時期を境にして、メンバーの作詞作曲に切り替わる。赤い鳥もそうだった。そして解散して二派に分かれた……。
 ヤマハのライトミュージックコンテストで注目を集めたことも似ている。

 高杢氏の「チェッカーズ」は自身の癌闘病記と自叙伝ということだが、暴露本的な体裁もある。出版されたときは〈チェッカーズの確執〉とか何とかで、メディアで大いに話題になった。いや、それはメンバーの葬儀のときだったか。その後図書館で見つけたので、興味本位で読んで冒頭の感想を抱いたのだった。
 あくまでも高杢氏の視線で、それもたぶんに妬み嫉みがあるのだから、内容に偏りがあるのは承知の上だ。全盛時、歌番組でチェッカーズを見るたびにいつも思っていた。メインヴォーカルの左右にいる二人のヴォーカルにどれほどの意味があるのか、と。コーラス担当なのはわかるけど。解散すれば食いっぱぐれるのは誰にでもわかる。

 それはともかく。
 本によれば、フミヤ派が金(印税欲しさ)のため、芹澤氏の楽曲からオリジナルに乗り換えたとある。最終的には芹澤氏に反旗を翻し切り捨てた。事務所から独立した。
 ミュージシャンだったら、アーティストだったら、オリジナルで勝負したいと考えるのは当然のこと。だから、高杢氏の言い分を素直に信じることはできないのだが、実際独立したメンバーはチェッカーズ時代のヒット曲(芹澤氏の曲)を歌えない処置がとられたとあって、メンバー間だけではなく、育ての親との確執が浮き彫りにされている。
 チェッカーズの熱狂的ファンなら暗澹たる気持ちになるだろう。

 内情は別にして経過、行動だけで判断すれば、後藤さんと藤井フミヤ氏が重なって見えてくる。
 このチェッカーズの確執問題について後藤さんに意見を訊きたくなった。もちろん尋ねたことはない。答えはわかっているから。
「知らんがな、そないなこと」




 今年の7月は何となく物足りない感じがした。なぜだろうと考えて数秒後「ああ、そうか!」。「大銀座落語祭」が開催されなかったからだ。04年から始まって夏の風物詩になった感があったのだが、昨年第5回で終了となった。

 5回というのは一つの区切りなのか? 8月の恒例イベント、「怪奇劇場」と銘打った上映会も、今年「Ⅴ」で終了だという。
 「大銀座落語祭」より1年遅れて始まった「怪奇劇場」。ホラー映画に定評がある自主映画団体B-SHOT PICTURSの主宰者山岸さんが他の映画団体に呼びかけて実現した上映会である。僕は「Ⅲ」から通い出した。確か黒犬獣さんが初参加すると聞いてその存在を知り、足を運んだのではなかったか。
 ホラー短編の競作はなかなか面白く、早速ホラー好きのK氏にこの上映会と感想を伝えた。「Kさんも来年参加してみればいい」。ほんと、Kさんにはぴったりの企画だった。

 昨年、「Ⅳ」に初参加した稲葉奇一朗監督の「リサイクル」は本格的なホラー作品ということで評判を呼んだ。当然今年も期待がかかる。
 これまで、作品内容については、監督の判断に委ねられていた。が、昨年、恐怖より笑いに転化したものが多かったこともあってか、今年は事前に二つの題材が提示された。それが〈魔女〉もしくは〈マッド・サイエンティスト〉。
 稲葉監督はマッド・サイエンティストを選択した。僕が撮影に参加した6月の時点では「BRAIN DAMAGE」だったタイトルが「NO CONTROL」に変更されている。果たしてどんな作品に仕上がったのか。

 興味ある方、16日に会場でお会いしましょう。


          記

 B-SHOT PICTURS'怪奇劇場Ⅴ 

          ~魔女の宴と悪魔の実験室~


●日 時:8月16日(日) 開場12時40分/上映13時~17時
      8月23日(日) 開場12時40分/上映13時~17時

●会 場:シネマボカン(京王井の頭線池ノ上駅下車、徒歩0分)
  
●入場料:1000円(当日券のみ)

●上映作品

 「ウロボロス」(23分 エポック・ピクチャー/魔女)
  脚本/監督:栗林賢司
  出演:土田早苗 クシダ杏沙 小林弘和 沼袋高 岡一徹

 「魔女ノ犬」(15分 Outman Lab/魔女)
  脚本/監督:恩田浩
  出演:千葉竜吾 新津東二 宮口真奈美 竹内明弘

 「魔女伝説」(12分 B級映画ランダム/魔女)
  脚本/監督:中村幸一
  出演:小山顕範 本田一麻 越坂奈月 永田好子 阿部美寿穂 加藤康夫 内海春雄 

 「真鳳堂(まほうどう)の魔女」(25分 電丼/魔女)
  脚本/監督:宮崎英輝
  出演:星野佳世 清水爽香 山口しおり 巨勢晴香 古川達郎 
      大浅幸美 後藤秀来 中島理沙 宮崎香那 巨勢由紀 清水正弘

 「3人の魔女」(17分 どんぐり眼プロダクション/魔女)
  脚本/監督:岡本泰之
  出演:創木希美 クシダ杏沙 ちひろ 真美子 多智花孝彰

 「魔女とマッドサイエンティスト」(16分 魔女&マッド・サイエンティスト)
  脚本/監督:黒犬獣
  出演:戎浦万博 山川紗代 壁子 鐘築健二 baja

 「the Brain」(23分 KINO`S Films /マッド・サイエンティスト)
  監督:木野吉晴
  出演:安室朝泰 三原亜希子 野田博史 天野芽衣子 木野友梨香 

 「NO CONTROL」(34分 マッド・サイエンティスト)
  脚本/監督:稲葉奇一朗
  出演:上村愛香 柳鶴英雄 たちばないっぺい 池田祥子 水木ノア  
      星野佳世 小出紋子 落合国男 三木育美 太田文平 原澄人

 「死体牧場 ~呼び戻された者たち~」
                (32分 B-SHOT PICTURES/マッド・サイエンティスト)
  脚本/監督:山岸信行
  出演:藤山昇 佐竹麻希 三宮英子 大浦さやか 藤田祥 小澤紀子 
      三上正晃 降幡剛志 田附元明 川原勇一 

  詳細はこちらを。


  なお、上映会は、9月にも開催されます。

 ●日 時:9月13日(日)、9月20日(日)
       開場12時40分/上映13時~17時

 ●会場:ババチョップ・シアター

                                               以 上




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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