承前

 映画館は字幕スーパーで、TVは吹替えで。
 映画を観るときの自分のスタンスだ。

 小学生のころ、よく父親に映画館に連れて行ってもらった。東宝だったら「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」等の「ゴジラ」シリーズや「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」、大映(現角川映画)ならば、「ガメラ」シリーズや「大魔神」シリーズ、「妖怪」シリーズ。
 その流れで「恐竜グワンジ」という洋画を観た。恐竜と人間の戦いを描く西部劇。併映がエロティックな内容で、ドキドキしたことを憶えている。というか、隣の父親の心情を考えるとスクリーンを直視できなかった。映画館で初めて観る洋画、初めての字幕体験だったと思う。最初こそ、字幕に戸惑ったが、慣れればなんでもなかった。特撮、アクション中心で台詞はあまり重要でなかったからだが。

 それまで洋画はTVで観るものだった。もちろん声は日本語だ。
 TVの黎明期、吹き替えによるアメリカ製のドラマを見た地方の老女が、「なんて日本語が上手な外国人なんでしょう」と驚いたとか。そんな笑い話があるが、小さいころ同じことを思っていた。どうして、外国人が日本向けに日本語をしゃべるドラマをつくるのだろう? と。
 日本の吹き替え=アテレコ技術は世界的にみても優秀だと聞いたことがある。
 オードリー・ヘップバーン=池田昌子、エリザベス・テーラー=武藤礼子、アラン・ドロン=野沢那智、ジャン=ポール・ベルモンド=山田康雄、チャールズ・ブロンソン=大塚周夫等々、人気俳優には決まった声優がいて、これがまたドンピシャリの声だった。

 小学6年時の「小さな恋のメロディ」を皮切りに映画館で洋画を観はじめるわけだが、字幕スーパーは当然という認識だった。逆にいうと、映画館まで足を運んで吹替えなんて観たくないと考えていたわけだ。
 が、おかしな感覚になることもあった。
 たとえば、ヘップバーン、「シャレード」や「ローマの休日」といった主演映画はTVで感銘を受けている。その後、「ローマの休日」がリバイバルで地元の映画館にやってきて、喜び勇んでかけつけた。地の声に違和感を憶えた。それくらい池田昌子の声に慣れ親しんでいたのだ。

 とはいえ、どんなに技術が優秀だとしても、やはりアテレコはオリジナルを加工したものだ。入場料を払って観るのなら、オリジナルが観たいじゃないか。70年代、80年代はこう考える映画ファンが多かった。なので、映画館の洋画は原則字幕スーパーだった。吹替え版は、あくまでファミリー向けの映画。小さな子どもは字幕スーパーが苦手、映像を観ながらスーパーが読めない。

 現在、子どもでなくてもスーパーが苦手という人が多くなった。劇場で観る洋画もTV同様吹き替えで楽しみたいと考える人が。需要が増えれば当然供給も増える。まあ、シネコンだから対応できるのだろうが。

 この項続く







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 承前

 アメリカ映画/ハリウッド映画の低迷が始まったのはいつからだろうか? 「タイタニック」の大ヒット以降か。過去の名作、ヒット作のリメイクが目立ってきたあたりからだ。他国のヒット作のリメイクを連発するようになっておかしくなりだした。とすると2001年以降か。
 トム・クルーズ主演「バニラ・スカイ」がスペイン映画「オープン・ユア・アイズ」のリメイクだと知ったときに思った。オリジナルは大昔の作品ではない。にもかかわらず、数年でリメイクするなんておかしくないか。「ザ・リング」もしかり。そんなことするなら、もっとオリジナル作品の上映に力を入れろ!

 後で気がついた。ハリウッドは映画界の読売巨人軍なのだ。巨人が日本プロ野球の中心であるように、ハリウッドは世界の映画の中心。巨人以外の球団で選手がどんなに活躍していたとしても巨人に移籍してやっと知名度が全国区になる。巨人選手になってナンボなのだ。同じように、アメリカ以外、それも英語圏ではない国の映画は、ハリウッドでリメイクされて世界に通用するものになる。なんていう認識が、リメイクする側、される側、ともにあるのだろう。
 アメリカ国内を考えてみると、英語以外の言語による映画を字幕で鑑賞するという慣習があまりない。だったら吹替えにすればいいじゃないかと考えるのは素人のアカサタナ、もとい浅はかさ。アメリカ人以外が出演する映画なんて関心ないのである。

 ハリウッドは懐が深い。海外の実力のある監督を招聘してアメリカ映画を撮らせてしまう。
 ヒッチコックは英国からやってきた。ビリー・ワイルダー、その師匠であるルビッチはドイツから。新しい世代ではエメリッヒがそう。ポール・バーホーベンはオランダ出身。ジョン・ウーは香港(中国)映画で活躍した後、ハリウッドに呼ばれ、バイオレンス映画の代表的監督になってしまった。「リング」の中田秀夫も「ザ・リング2」でハリウッドデビューしている。
 ヒッチコックやワイルダーがアメリカ人ではない! この驚きは、400勝投手の金田が、巨人生え抜きの選手ではなく、国鉄(現ヤクルト)からの移籍であること、400勝のほとんどが国鉄時代の実績であることを知ったときの感情によく似ている。70年代の張本、90年代の落合、清原、00年代のラミレス……巨人のやることはいかなる時代でも変わらない。
 巨人が強いのと同様、ハリウッド映画が面白いのは当たり前なのである。

 常勝巨人軍にも人気の面で落日がやってきたように、ハリウッドも企画の枯渇問題にさらされるようになった。
 この数年、話題作、ヒット作というと、日本映画なのである。
 日本映画にまた黄金時代がやってきたのか?
 「邦高洋低」時代到来か?
 企画の貧困という点では、日本映画も同様なのだ。では何が原因なのか?


 この項続く


 【追記】
 「タイタニック」以降、プロデュースのみだったキャメロン監督の新作がもうすぐ公開される。
 この超大作、アメリカでは好き嫌いが激しいみたい。
 これがほんとの「アバター」もえくぼ、なんちゃって。
 あっ、無視しないで!






 昔、いや5、6年前まで映画興行は「洋高邦低」が当たり前だった。この言葉がマスコミで盛んに使われるようになったのは1970年代の半ばだったと記憶する。70年(昭和45年)前後からマスコミで日本映画の斜陽がとりざたされた。黒澤明監督の自殺未遂ニュースはその象徴的出来事だったように思う。日本が世界に誇る映画監督の自殺(をはかったこと)はとても悲しく、しかし、未遂だったことに心底ホッとしたものだ。当時は特撮やアニメ以外の映画にも興味を持ちはじめたころ。家にあった、小学生向けの日本偉人伝的な本の中で取り上げられて、黒澤明を知ったのだ。

 今でも憶えている一枚の写真がある。週刊誌のモノクログラビアだった。1ページだったか見開き2ページだったが。銀座だったと思う、東映の劇場を撮影したものだが、2つの大きな看板が目を引いた。片や大ヒット中の「仁義なき戦い」、片や「東映まんがまつり」。やくざ映画とアニメ映画、相反するよう内容の映画で儲ける東映の商売が、まさに斜陽産業の仁義なき戦い、というようなキャプションで揶揄されていた。以降、長い間、「仁義なき戦い」シリーズを観る気になれなかった。どんなに巷で絶賛されようと。そのくらい13、14歳ころに植えつけられた印象は強烈なのだ。

 斜陽、斜陽と騒がれていても、それでも70年代の前半までは、邦画の方が洋画より勝っていた。ところが、「ゴッドファーザー」「ポセイドンアドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」といったアメリカの大作映画が次々と公開されて、ついに立場が逆転してしまったのだ。それが70年代半ばのこと。
 邦画各社も「犬神家の一族」の大ヒットにあやかって、それまでプログラムピクチャー2本立ての興行から、大作1本立てにシフトしていくが、形だけの空疎な内容に批判が集中した。
 「スター・ウォーズ」と「惑星大戦争」を比べてみればいい。「惑星大戦争」は、アメリカで大ヒットを記録した「スター・ウォーズ」の日本公開が1年遅れることをいいことに、東宝が、「スター・ウォーズ」が当初予定していた邦題をそのままイタダキ、黄金時代の特撮映画「海底軍艦」に登場する轟天号を宇宙に飛ばすという安易な企画なのである。「惑星大戦争」は大作映画ではないけれど、企画の貧困さという例で挙げてみた。

 80年代はまさしく「洋高邦低」だった。この場合、洋=アメリカ映画のこと。70年代の前半までは、アメリカ映画のほかに、フランス映画、イタリア映画、イギリス映画があった。アメリカと欧州が拮抗していたような気がする。80年代になると、すべてがアメリカ映画に駆逐されてしまった感じがしてならない。まあ、ジャッキー・チェンの香港映画も人気があったが。
 90年代になると、中国映画インド映画が脚光を浴びてくる。とはいえ、アメリカ映画の全盛はゆるぎない。映画のビデオソフトも一般化した。安価でビデオがレンタルできるようになり、映画を劇場で観るか、ビデオで観るかという選択が可能になった。

 サブカル・ポップマガジン「まぐま」でインディーズ映画を特集した。巻頭言のページにこう書いた。

     ◇

 ●今、日本映画は、本当に熱いのか?

 もう何年前になるだろう。
 映画『タイタニック』が大ヒットし、会社の女性たちが二度観た、三度観たと大騒ぎしていたころのことだ。
 同時期日本映画は鈴木光司のベストセラーを映画化した『リング』&『らせん』がスマッシュヒットを放っていた。
 小説の映画化として、ホラー映画として、かなり観応えがあったので、社内でもその面白さを吹聴していたものだ。
 そんな僕に対して、同僚のある若い女性がこうつぶやいた。
「わたし、日本映画に洋画と同じ1800円払う気になれないの」
 この言葉は、特に映画ファンでもない日本人の大方の人が感じていることではないだろうか。
 制作費ウン十億円というハリウッドの大作と貧相な制作費しかかけられない日本映画が同じ入場料だなんて信じられない、とも言っていた。
 日本映画はビデオで十分、わざわざ高い料金を払って劇場で鑑賞する必要もない。そんな意見もある。
 映画料金が高すぎるという点には同意する。しかし、全世界をマーケットとするハリウッド映画とほとんど国内だけしか相手にできない日本映画では、かけられる予算もおのずから違ってくるのは当たり前だろう。それに映画の面白さは多種多様だよ。そんな風に彼女を諭した覚えがある。彼女はきょとんとしたままだったけれど……。
 ハリウッドでリメイクされた『リング』が公開された時、彼女が劇場にかけつけたかどうか、1800円払う価値があると判断したのかどうか。彼女が退職してしまった今、知る由もない。

     ◇

 この項続く 






 9月になってから〈シルバーウィーク〉という言葉をよく耳にした。土日を含めて5連休だったのだから当然か。言葉としては昔からあるのに、これまで身近で口にする人がいなかったので気になったというわけ。耳にするたび相手に確認したくてたまらなかった。「シルバーウィークっていつから知っていた?」
 春のゴールデンウィークに対する秋のシルバーウィーク。どちらも全盛時の映画業界から派生したものであるが、どれだけの人が知っているだろう。なんて、僕だって学生時代に小林信彦のコラムを読み始めて知ったことだが。

 シルバーウィークの初日、19日(土)の午後は、本郷菊坂近くの音楽喫茶「山小屋」へ。
 この喫茶店で開催される「秋のカフェコンサート ~音色で彩るティータイム~」と銘打った演奏発表会に、かみサンと娘が出演したのだ。

 娘は中学、高校と吹奏楽部でフルートを吹いていた。かみサンも娘に感化されたのか、フルート教室に通いだし、いつしか仲間とアンサンブルを結成してライブ活動なんぞをしはじめた。
 娘は大学に入学すると軽音楽サークルに入部してベースを習い始めた。肌が合わなかったのか、このサークルはすぐに退部するのだが、その代わり、ギター教室に通い始めた。なぜかクラシックギターに目覚めたのである。
 NHK教育「趣味悠々」で「荘村清志のギターで世界の名曲を」が始まったころから我が家にギターがプチブームとなっていた。ライブにも足を運んでいる。
 娘はその前にアコースティックギターを購入していたのだが、あまり上達しなかった。にもかかわらず、クラシックギターはギター教室の成果もあって、みるみる上達した。いつのまにか、かみサンも同じギター教室に通いだした。

 これまでもギター教室の発表会(コンサート)はあった。が、会場のキャパの問題なのかどうか、父が呼ばれることがなかった。
 今回初めて誘われたわけだが、このコンサートがいつもとちょっと違う。ピアノ教室との共同コンサートなのだ。ピアノ教室のコンサートに、ギター教室が手を貸したというべきか。
 ピアノ教室を主宰するU先生(女性)とギター教室のT先生(男性)が、以前一緒に仕事をして、意気投合、「現在演奏技術を習得中の音楽を愛する皆様に、より多くのステージを経験し、演奏家同士の交流の場を設けたい」(当日配付されたプログラムに掲載されたごあいさつ)とのU先生の企画に賛同したとのこと。
 その結果、幼稚園児から主婦までの幅広い年齢層、さまざまな楽器(ピアノ、チェロ、フルート、アコースティックギター、クラシックギター、声楽)によるコンサートが実現した。

 喫茶店というところがアットホームではないか。この喫茶店、店の真ん中にグランドピアノがデンと置いてある。U先生の友人であるピアニストの実家だとか。
 今回、娘がギター、かみサンはフルートで、娘が師事するギターの先生(石川遼にそっくり!)作曲の演奏会用エチュードに挑戦した。

 ♪ギターの為の叙情的練習曲より第2番
 ♪午後の待ちぼうけ

 ピアノがあるとはいえ普通の喫茶店。通路がステージだ。演者にすれば、すぐ目の前に観客がいることになる。「すごく緊張した」とは演奏後の娘の感想。
 ギターの音はよかったし、フルートも迫力あった。

 お疲れさまでした。


 
sitiya1  sitiya2
喫茶店「山小屋」がある通りには、
かつて樋口一葉が通った質屋があると
聞いて、記念にパチリ。
近所には実家もあるらしい。







2009/09/18

 「TAJOMARU」(MOVIX川口)

 ショーケンの復帰作。5年ぶりの映画出演。このときをどれだけ待ち望んでいたことか。
 映画そのものにはまったく期待していなかった。
 ショーケンが出演していなければ、劇場に足を運ばなかっただろう。

 最初黒澤明監督「羅生門」のリメイクとしてこの映画(の製作)を耳にした。首をかしげた。しばらくして、主人公は同じ多襄丸であるものの、ほぼオリジナルのストーリーになると知った。納得した。日本で黒澤作品をリメイクしても内容的にも興行的にも失敗すると思ったからだ。批評で叩かれ、ヒットもおぼつかない。関係者にとっては踏んだり蹴ったりの状況になるのは目に見えている。芥川龍之介「藪の中」を新解釈で映画化した作品、と喧伝された方が聞こえが良い。主演の小栗旬が、まさに旬。ショーケンが将軍役で出演するというニュースに感激した。

 にもかかわらず、映画に期待しなかったのはなぜか?
 ショーケンの何かのインタビューだった。台本(初稿)を読んだショーケンが、現代語で書かれた台詞をすべて当時の言葉に書き換えてプロデューサー(&監督?)と打合せしたのだが、結局台詞は変更されることはなかった、というようなことを語っていた。ショーケンの復帰を1年間に亘って追いかけたドキュメント『ショーケンという「孤独」』(フジテレビ)で、シナリオについて、ショーケンとプロデューサーが討論するくだりがある。このときのプロデューサーの発言「時代劇だからといって史実だけを描いたのでは面白くない、自由な発想をしたいがために時代劇を撮る」に引っかかった。アクション重視というし、北村龍平監督「あずみ」みたいな映画になるのだろうと勝手に判断したわけだ。
 
 予感は的中した。冒頭の、子役たちのシーンなんて、もろ現代劇なのだ。このシークエンス、本当に必要だったのか?
 子どもたちが成人してから、つまりメインの俳優が登場してくると、どうにか見られるようになるが、それにしても登場人物の誰にも感情移入できない。というか、この映画、スクリーンの中でただ単にストーリーが流れているという印象なのだ。人物はこのストーリーの流れの中の駒でしかない。デッサンが無茶苦茶。キャラクターも展開も薄っぺらく底が浅い。その結果ベテラン以外の俳優陣は影が薄くなった。特に主役のふたり。悲しくなるくらい魅力がない。でもこれは俳優の責任ではなく、演出のせいだろう。
 アクションしか撮れない監督なら、小栗旬を頭にした盗賊たちの話をメインにした映画にすればよかったのに。洋楽をバックに盗賊の日々をスケッチするシーンに斬新さを感じたし、ノリもよかった。そんな盗賊三昧の話に頭の出自とか、恋人との別れ等を絡めていく。クライマックスは法廷シーンで、ある人物の証言によって意外な事実が浮かび上がってくる……。

 目当てのショーケン。前半と中盤に登場シーンがあるが、能(狂言)を取り入れた新機軸のライブパフォーマンスのようだった。左の掌を左耳にあてて、声を聞こうとする姿にニヤニヤしてしまった。完全に復活している。
 松方弘樹は映画俳優の真髄を見せてくれた。口跡がたまらない。この口跡、若手では盗賊一味に扮する山口祥行やべきょうすけが継いでいる。
 そういえば、キャストクレジットに須賀貴匡の名前があった。盗賊の一人だ。名前に見覚えがある。調べてみると「仮面ライダー龍騎」の主人公ではないか。山口祥行は「仮面ライダーカブト」のレギュラーだったし、なるほど、なるほど。
 本田博太郎の相変わらずの怪演がうれしい。

 ショーケンの復活が確信できただけ良しとしよう。






2009/09/09

 「20世紀少年 最終章 ぼくらの旗」(チネチッタ川崎)

 〈ともだち〉の正体を知りたい! 昨年の夏、「第1章」を観てからというもの、「ともだち」の正体が気になって仕方なかった。かといって、すぐに原作をあたりたくはない。ネットカフェに全巻揃っているのはわかっているが、もともと原作を読んでいなかったのだ。まずは映画として「20世紀少年」を堪能したい。余計な情報もシャットダウンして、半年後の「第2章」公開を待った。ラストで拍子抜けした。結局「ともだち」の正体は最終章まで持ち越し。この手の謎で最後まで引っ張るストーリーだとは知らなかった。
 
 そんなわけで、この「最終章」では、自分が推理した人物が〈ともだち〉なのかどうかを確認することだけを楽しみにしていた。で、予想は見事的中したのだが……。
 マンガなら夢中になれるストーリーも、生身の俳優たちが演じる実写映画となると白々しくなる。一新興宗教が全世界を支配してしまうなんて、あまりに非現実すぎるだろう。映画なのだから非現実的でもまったくかまわないのだが、リアルさに欠けるというか。発想にオウム事件があるとしても。

 つまらないというのではない。主人公たちと同世代(いや、1959年生まれの同い年だ、同い年)の中年男は、劇中に仕込まれた、同世代にしかわからないワードにニヤニヤできる。いかにもあのころの小学生たちが大人になったと思えるキャスティングは日本映画では珍しい。最初から3部作として企画されたことといい、この映画の評価される点だと思う。もうひとつ、老けのメーキャップも付け加えたいが、黒木瞳なんて、未来を描くこの「最終章」では、ほんの気持ち程度。人気女優に対する遠慮だろうか。

 開巻早々、ケンジ(唐沢寿明)が〈関所〉を通る際、かつての友民党党首・万丈目(石橋蓮司)と対峙する。このとき、二人がそれぞれ、これまでの体験を話すのだが、もういかにもな説明台詞。〈ともだち〉の正体以外の謎はこれでほとんど解明してしまうのだから、スリルも何もあったものじゃない。
 「第1章」のラスト、あの大爆発の中心にいたにもかかわらず、なぜケンジが助かったのか、今まで表舞台に現れなかったのか、理由はわかった。では、爆発に巻き込まれた仲間たちはなぜ助かったのか? 思い出してほしい、爆発はとんでもない規模だった。100m、200m、…500m離れていたって、それなりの被害は受けていたはずなのだ。その説明はまったくない。以降、ストーリーはどうでもよくなった。

 確かに、ヴィジュアル的には瞠目させられる。クライマックスの巨大ロボットやUFOのVFXは特筆していい。特に巨大ロボットの歩行は、構図といい、足元の描写といい、アメリカ映画ばりの迫力だ。昭和40年代風住宅街を縦断するシーンでは、瓦が崩れるのが往年の東宝特撮へのオマージュのようで、ロボットを怪獣に置き換えて観ていた。UFOは飛び立つ際のディティールが良い。
 ラストのステージも本物の観客を集めたとしたら、とてつもなく壮観だ。
 にもかかわらず、最初に抱いたがっかり感は最後まで払拭できなかった。

 エンディングロールにはある若手俳優の名前があった。「えっ! どこに出演していたの?」
 疑問はエンディングロール後に判明する。かなり長めのエピソードが追加されていて、若手俳優はここに登場するのだった。「第1章」の冒頭につながる構成に注目した。何より普遍的なテーマに目頭が熱くなった。このエピソードで、がっかり感は払拭できた。中学生のケンジには、ちょっと残念だったけれども。








 ショーケン祭り(?)の最終日、のつもり。
 またしても、mixiからの転載だ。手を抜いている? 

 昨日の「おくりびと」、前半は思っていた以上に笑いが多くて驚いた。何度も声たてた。納棺師が主人公だけに、葬儀の話が中心、どうしたって、悲しさにつつまれたものになる。たぶん〈泣かせ〉を強調したような。そういうのはやりきれないなぁ。公開されたときに劇場に足を運ばなかった理由はそこだ。
 とんでもない誤解をしていたようだ。
 後半は涙に笑いが同居していることに注目した。これまでも何度も書いているように、笑わせて、笑わせて、やがて涙に転化させ……という昔ながらの日本人が好む展開のことではない。涙と笑いが並列しているところがすごいのだ。
 たとえば、銭湯の女主人、吉行和子の葬儀のシークエンス。火葬場で遺体を火葬にする際の、笹野高史と杉本哲太の会話。笑わせて、そのすぐ後に涙があふれてくる。なるほど、数々の映画賞を受賞するはずだ。
 山田辰夫、峰岸徹。二人とももうこの世にいない。寂しい。

     ◇ 

 ●キーボード、篠やん! 2006/10/07

 四谷OUTBREAKでGoddessのライブがあった昨日。
 あの暴風雨である。どうしようか悩んだ。どうしても連休明けまでにやっておかなければならない仕事もあって、残業しなければならない。Goddessの出演時間に間に合うかどうかという心配もあった。しかし今回はキーボードも加わってなにやらすごい演奏が期待できそう。それにノアさんに確認したいこともある。残業は月曜日に休日出勤することにして、四谷に向かった。
 今回はGoddessだけ聴ければいいやという気持ちで、午後8時半にライブハウスに入った。ちょうど前のバンドが終了するところ。インストバンドでちょっと聴いただけだがなかなか良さそうだった。
 Tさんの笑顔があった。
「いやぁ、良かったですよ」
 
 Goddessは4曲。やはりキーボードが音を厚くしている。少しだけコーラスもあって、ノアさんのヴォーカルを引き立てる。新たな魅力。
 パーカッションもその繊細な音の配慮にGOOD! アメリカン・りへい・レディのM字開脚演奏も楽しめた。ああ、また誰かさんに文句言われそう……。
 1曲め「Noah's Ark」でガツンとくる。「月光(つきひかり)」は「午前0時のスケッチ」と「私は風」にインスパイアされたような曲。CD聴いていていつも思う、「Soul Mate」ってスポーツを題材にした青春映画のエンディングに流れたらぴったりはまるなぁと。ラストは「HUMAN」。熱い!

「VOODOO CARAVAN、Goddessとくると、トリのバンドがどんなものか期待できますね」
 自身もバンド活動しているTさんの言葉。

 大当たりだった。キーボート、ギター、ベース、ドラムス、パーカッションで始まった演奏はとにかくヘヴィだ。最初インストゥルメンタルかと思った。でも中央にマイクスタンドは立っているしと訝しがっていると、西川史子みたいな華奢な若いヴォーカルが登場。この娘がまたすごい声量なのだ。歌は英語詞なので、意味までわからない。だからまるで第6の楽器というような感じで演奏に絡んでくる。始終圧倒された。もう最初から最後まで鳥肌実。

 このバンドがGHQ。プログレ(たぶん)のとんでもない実力派。
 大リーグボール1号と2号と3号が一緒になったような迫力で、耳と心をとらえて放さない。
 誰もがすごい腕なのだが、特にキーボードに注目した。一人でバンドで平均年齢を上げていた。演奏中紫煙をくゆらし、そのしぐさがまるで○ッパのよう。すごい余裕。テクニックにうっとり。年齢はたぶん50歳は越えているのだろう。始終大御所オーラを放っていた。
 ラスト近くにヴォーカルがメンバー紹介した。
「キーボード、篠やん!」
 その声がショーケンのそれとダブった。篠やん? もしかして!

 場内が明るくなってから、入場時に配付されたチラシをチェックする。しかし、GHQのメンバーのフルネームがわからない。ああ、確認したい。
 楽屋からノアさんがやってきた。早速尋ねた。
「今のバンドのキーボード、何ていう人なんですか?」
「知らないの……、メンバーに聞いてみようか」
 すぐさま女性ヴォーカルを連れて戻ってきた。
 西川さんが歌とは全然違うかわいらしい声で答えた。
「篠原信彦さんです」

 やっぱり!!!!!!
 あの篠原信彦さんだった。Donjuan R&R Bandのキーボード、「54日間、待ちぼうけ」の作曲者。
 篠原さんが目の前にいた。

 
 ●篠原信彦 in Donjuan R&R Band  2006/10/09

「キーボード・篠原信彦!」
 ショーケンがライブアルバム「Donjuan Live」の中で叫ぶ。たぶんこれでキーボード奏者「篠原信彦」の名がインプットされた、と思う。
 ビデオ「ANDREE MARLRAU LIVE」で私の胸を突き刺した「Someday's Night(54日間、待ちぼうけ)」。ライブでは自虐ネタで歌詞を変えていた(ライブではこれが定番)だけど、本当はどんな内容なのか。後年、購入したのが「THANK YOU MY DEAR FRIENDS」だった。初めて聴くスタジオ録音盤。

 ショーケンが大麻事件後、謹慎後にリリースしたアルバムだからだろうか、まるでショーケンの私小説、事件後の心情吐露で構成されていた。ショーケン自身が書いた詞が心に響く。曲が琴線に触れた。
 大麻事件そのものを扱った「54日間、待ちぼうけ」、母をうたう「九月朝、母を思い」、藤真利子が微美杏里のペンネームで作詞したラブソング「PM10時すぎ逢いたくて…」「去年の暮れ―予感」。作曲は篠原信彦。
「いい曲書くなあ」
 こうして今度は作曲家「篠原信彦」がインプットされたのだった。

 一昨年、初めて「もどり川」を観た。音楽のクレジットに「篠原信彦」の名があった。
 感想にこう書いた。

     ◇
 音楽クレジットに萩原健一のほか、篠原信彦の表記があって感激しきり。この人、Donjuan時代に数々の名曲を提供しているのだ(最近、僕のカラオケ十八番「54日間、待ちぼうけ」も作曲者である)。とすると演奏はDonjuan R&R Bandなのか。
     ◇

 「54日間、待ちぼうけ」がカラオケに入ったときは感激した。カラオケBOXに行くと必ずリクエストする。思い出した「Ah! Ha!」 の作曲もそうだった。
 そういえばLP「Donjuan Live」のジャケットを開くと、見開きで黒のタキシードを着て勢揃いしたバンドメンバーが写っている。ショーケンを中心に左右に並ぶ。悲しいかな、一番左の速水さん以外、名前と顔が一致しなかった。
 DVD「THANK YOU MY DEAR FRIENDS LIVE」でもキーボードの演奏は1カットのみ。それも暗くて顔まで判別できない。
 いったいどんな人なんだろう。ずっと思っていた。

 その人が目の前にいる!
 本当に足が震えた。井上(堯之)さんのときも雑誌を手渡して、思っていたことを口にしたのだが、何をどう言ったのか覚えていなかった。
 でも、こんな機会はもうないかもしれない。
「まさか、こういうところで演奏が観られるとは思っていませんでした」
「やっているんです」
「感激しました、握手してください」
 今から思うと聴きたいことはたくさんあったのだ。女性の方が度胸あるなあ。Sさんなんて元テンプターズでPYGに参加し、Donjuanにも在籍した大口広司を話題にいろいろ会話していた。
 でも当初のDonjuan成り立ちの裏話を聞かせてもらえた。
「Donjuanの音がたまらなくいいんですよね」
「時代だよね、だそうと思ってもでないよ、今は」

 打ち上げが始まろうとする寸前。テーブルの向こう側に篠原さん、こちらに私。隣にTさん。至福のとき。しかし、もう時間がない。篠原さんが楽器の搬出で席を立った後、後ろ髪を引かれながら、外に出た。
 小ぶりになった雨の中、乗用車に楽器を積み込む仲間にあれこれ指示をだしている篠原さんに挨拶をして四谷駅に歩きだした。

 こんな機会を作ってくれたノアさんに感謝!




 19時過ぎに帰宅。今「おくりびと」を観ているので、新しい文章が書けない。この映画、やはり劇場で押さえるべきだった。納棺師の仕事って、僕の職人フェチを刺激する。冒頭の納棺儀式でもうゾクゾクしてしまった。

 このところショーケン三昧、もうしばらくおつきあい願いたい。
 mixiからの転載、御免。
                           
     ◇

 ●ショーケン、ショーケン 2006/03/02

 2月22日、萩原健一の過去のライブを収めたDVDが2枚同時にリリースされた。

 「萩原健一'83 SHANTI SHANTI BUDOKAN LIVE」
 「萩原健一'84 THANK YOU MY DEAR FRIENDS LIVE」

 2003年の「「萩原健一'85 ANDREE MARLRAU LIVE」に続くDVD。
 例の事件以降新たな活動を見られないファンにとって、いや他のファンの心情なんてわかるはずもないか。私にとってはまさに感涙もの。なぜならDONJUAN ROCK’N ROLL BAND 時代のショーケンを、そのライブを生で観たことがなかったのだから。
 ニュースを聞いてすぐに予約して、発売日に買い求めた。

 PYG解散後、役者稼業を邁進していたショーケンは70年代後半コンサートツアーを敢行した。柳ジョージ&レイニーウッドをバックバンドに従えての全国縦断。その模様を収めたのが2枚組のライブアルバム「熱狂雷舞」だった。
 歌手に目覚めたショーケンは自身のバンドを結成する。その名もDONJUAN ROCK’N ROLL BAND 。普通なら〈ドンファン〉と発音するのだろうが、英語式(?)に〈ドンジュアン〉。ドンジュアンロックンロールバンド。
  
 このメンバーによる初ライブアルバムが「DONJUAN LIVE」なのだが、これがまたすごい演奏テクニックを聴かせてくれたのだ。ギターにしびれた。ギタリストの一人が速水清司だと知るのはもっと後のこと。

 手元に資料がなく、記憶で書くが、結成当時のメンバーは
 ギター・速水清司、石間秀樹/キーボード・篠原信彦/ドラムス・大口広司、原田裕臣/ベース・林雅勝
 だったか? 

 「SHANTI SHANTI BUDOKAN LIVE」はかつてビデオになっていたのかどうか私は知らない。ただし、「THANK YOU MY DEAR FRIENDS LIVE」はレンタルビデオで借りたことがある。借りていながら観ることがなく(いやちょっと観た)、以来幻のビデオとなってしまった。
 今日はその思い出話を。

 今からうん十年前、結婚しようと心に決めた意中の女性と共同生活を始めたのはいいけれど、あっけなく心変わりされて二週間で夢破れた。
 彼女への想い絶ちがたく、傷心の私はその後立ち直れないまま時をすごした。超低空飛行の3ヶ月。仕事への意欲なんてあったものじゃない。
 当時毎週のように通っていたサウナで久しぶりにマッサージをしてもらっていると、マッサージのおばちゃんに10円大のハゲを指摘された。円形脱毛症の治療で半年。彼女を忘れ、仕事に希望を見出そう。自分を奮い立たせるために、念願のミニコンポを購入した。真っ先に手に入れたのが先の「DONJUAN LIVE」だった。毎晩聞いた。レコードをかけっぱなしで寝てしまうことなんてたびたび。
 こうして春になり、すっかり元気になった私は、今度は元気になりすぎて躁病を発症した。ある日突然、東京の伯父夫婦が会社にやってきて自宅に連れ帰えされた。その晩遅く父親が迎えにきた。郷里へ強制送還されたのだった。
 その間1ヶ月。
 直前に借りたのが「THANK YOU MY DEAR FRIENDS LIVE」のビデオなのだ。
 当時、ビデオレンタルショップができてすぐのことだ。その店は二泊三日で1200円だった(と思う)。少しも高いとは感じなかった。1日の延滞料金はいくらだったのだろう? 安くはなかったはずだ。それが1ヶ月、借りっ放し。いったいいくらになるのか。ビデオを返却に行く時びびりまくった。店員(たぶんオーナー)に理由を話して「おいくらですか?」と訊ねると笑顔で「じゃあ5000円ということで」。あの時は店員の顔が天使に見えた。


 ●THANK YOU MY DEAR FRIENDS 2006/03/03

 このタイトル、拙HP「夕景工房」を覗いている方なら「あれ?」と思うだろう。リンクページのタイトル。もちろん1984年大麻騒動後復帰第一弾としてショーケン&DONJUAN R&R BAND がリリースしたアルバムタイトルからいただいている。
 ついでに裏タイトル「リンクリンクリンク」はつかこうへいの芝居「リングリングリング」から。
 もう一つついでに記せば読書日記「買った! 借りた! 読んだ!」はフランス映画「掘った奪った逃げた」、エンタテインメント鑑賞記「観たり聴いたり記したり」は手塚治虫のエッセイ集「観たり撮ったり映したり」が元ネタです。
 そんなことはどうでもいい? 失礼しました。

 何度も書いている(と思う)が、テンプターズ時代からショーケンのファンだった私は、役者に転向してから、歌手としてはそれほど注目していなかった。時折レコードショップで目にするアルバムも眼中になかった。
 ところが、大学時代に友人から借りた2本のカセットテープ「熱狂雷舞」と「DONJUAN LIVE」でその音楽性に瞠目する。自由自在に歌い叫ぶパフォーマンスに彩られたショーケン節とバックバンドの音の良さに惚れた。
 たとえば「大阪で生まれた女」の間奏、一つのギターがあるフレーズを奏で、もう一つが同じフレーズを追いかけ、交錯していくところ、音といいテクニックといい(? 音楽用語に疎く、うまく表現できないのがつらい)、これがもう全身総毛立つプレイなのだ。

 しばらくしてベスト版のカセットテープを購入した。なぜカセットなのか。当時部屋にはラジカセしかなかったからです。
 曲は良い。でも少々気が抜けた。いまいちの感があった。どれも普通に歌われているからである。
 スタジオ録音は普通の歌唱、コンサートではショーケン節全開になるんだな。私はそう勝手に判断して、その後もライブ版しか聴くことはなかった。

 それからウン十年。CDの時代になって、買ったショーケンのアルバムが「THANK YOU MY DEAR FRIENDS」だった。
 ビデオ「ANDREE MARLRAU LIVE」の「54日間、待ちぼうけ」にいたく感動して、スタジオ録音された普通の歌も聞いてみたくなったのだ。
 事件後の再出発ということもあるのか、ショーケン自身が作詞を手がけていることもあってどの楽曲もいい意味での私小説になっていて、味わい深い。それでわかったのだが、アルバムの途中からステージほどではないがちゃんとショーケン節で歌っているのだ。
 
 9月25日吉日、友の結婚
 55日目、夕方和んで
 58年9月、お世話になりました
 54日間、待ちぼうけ
 58年5月、別荘にて
 九月朝、母を想い

 タイトルからその内容がわかるというもの。
 毎日聴きまくった。

 こうなると、あの時、少し見てあまり馴染みのない曲ばかりでダビングせずに返却したビデオが気になってくる。
 レンタル店のミュージッククリップの棚を探し、中古ビデオ店をあたり、……できるかぎりアンテナを張ってみたものの、結局見つけだすこと、手に入れることはできなかった。
 もう二度と観ることができないと諦めていたビデオがDVDで蘇ったのだ。
 感激のあまり、ショーケンの手振り身振りで「アイムクライング!」。


 ●SOMEDAY'S NIGHT 2006/03/06

 何かと想い出がつまっている「THANK YOU MY DEAR FRIENDS LIVE」をDVDプレーヤーにセットした。

 黒い画面にバンドの音合わせが流れ、タイトルが入る(Opening)。
 センターのマイクにスポットライトがあたり、ショーケン登場。
 とある倉庫。観客は一人もいない。
 ショーケンは黒のジャケット&パンツ。ジャケットの下はこれまた黒のタートルネックセーター。これ、「THANK YOU MY DEAR FRIENDS」のアルバムジャケットと同じ衣装だろうか(アルバムではジャケットは着ていないが)。いつものライブに比べると非常に地味だが、これがまたかっこええのよ。左顎に剃り残した髭2本がセクシー。なんてね。AH!Ha!

 去年の暮れ―予感(GOD BLESS YOU)
 PM10時過ぎ逢いたくて…(DONT'T YOU KNOW)
 58年5月、別荘にて
 もう一度抱いて
 55日間、夕方和んで
 九月朝、母を想い(SUZUMUSHI)
 昔おさない夢
 54日間、待ちぼうけ(SOMEDAY'S NIGHT)
 セクシー・ロンリー・ナイト
 9月25日吉日、友の結婚(DONJUAN TRAIN)
 58年9月、お世話になりました(THANK YOU MY DEAR FRIENDS)

 二十数年前は知らない曲ばかりだったが、今はどれもお気に入りのものばかり。
 某ファンサイトのBBSに口パクじゃないかとの中傷があった。確かに曲によっては歌と口があっていない。演奏&歌唱に別のテイクをかぶせたもので、本来の口パクとは違うのだが、なぜそんなことしたのか。何か理由があるのだろうか。

 曲はいくつも提供しているがバックに速水清司の姿がない。沢健一に交代している。この人のギターもたまらなくいい。一見、ちょっと太らせた吉田拓郎風。
「54日間、待ちぼうけ」を普通の歌詞で歌っている! この姿を拝見したかったんだ。

 二十数年の時を経て再会した映像に若干の違和感が生じた。
 あのとき観たライブとどことなくなんとなく違うのである。こんなステージ然とはしていなかったような気がする。倉庫の片隅で上の方でバンドが演奏し、離れたところでショーケンが歌う、そんなミュージッククリップっぽい作りだったような気がした。
 でもまあ、二昔も前のこと、思い違いもあるだろうと特に気にもしていなかったのだが、先日ファンサイトBBSにこのLIVEにはバージョン違いが存在すると書かれてあって、膝を打った。

 衣装もパフォーマンスもシックなショーケンを観ながら大学時代の彼女の言葉を思い出した。
「いしだあゆみとの離婚を発表した記者会見のショーケンが一番素敵だった」
 いしだあゆみとの離婚(実際は入籍していなかったことが後でわかるが)はショックだったので、その手のワイドショーは見ていない。だからその姿をほとんど憶えていないのだが、「THANK YOU MY DEAR FRIENDS LIVE」のショーケンなら、彼女、きっと気に入ってくれるのではないかな。

 なんて想い出話に浸っている場合ではない。「昔はよかった」なんて感慨にふける年齢じゃないんだ。
 今なんだよ、今。今が大事。
 ショーケンの復帰はいつになるのか。いやその前に喉は完治するのだろうか。

 それにしても、映像でもライナーノーツ(?)もバックバンドメンバーの紹介がないのはどういうわけ?




 ショーケンと長谷川監督を結びつけた文章をかつてmixiに書いている。
 最初の項(の実現)は無理にしても、「犯人に告ぐ」は当時可能性はあると思っていた。トヨエツ主演で映画化と知ったときは「またかよ!」と思った。予想はできた。映画版「傷だらけの天使」、トヨエツでしたでしょう? 
 映画「犯人に告ぐ」はかない良い出来だった。原作読んでいない方に少し説明します。小説の主人公は50代。娘の子ども(孫)が事件のキーになります。映画はそこを、自分の妻と子どもにしているわけで。
 後で詳しく書くけど、「TAJOMARU」は薄っぺらい映画でした(昨晩鑑賞)。単なる二の線を狙ったキャラクターだと、トヨエツも小栗旬もそれほど魅力ないんですよ。

 それから、ショーケンのブルースハープ。最高!
 『ショーケンという「孤独」』には、何とかというグループ(ユニット?)の何とかという歌のレコーディング風景が挿入されている。声の状態はまだまだ03年を引きずっていたけれど、ブルースハープの音色には痺れた。ここだけどの話だけど、ミッキーカーチスより上です、はい。
 あっ、「時代おくれ」は良かったですよ。
 ミッキーさんとも共演してほしいな、ショーケン。

     ◇

 ●萩原健一 as 私立探偵・沢崎 2007/01/05

 ミステリで初めて直木賞を受賞した「私が殺した少女」(原/早川書房)はツイストにつぐツイストで夢中でページを繰った思い出がある。
 最初図書館から単行本を借りて読み、文庫になった際購入し再読した。
 新宿に事務所を構える一匹狼の私立探偵が、依頼された些細な仕事から少女誘拐事件に巻き込まれる話。
 ハードボイルドタッチの、主人公の行動や台詞にクサさが感じられなくもないが、読了したときの、充実感といったらなかった。

 私立探偵の名前は沢崎。「私が殺した少女」は沢崎シリーズ長編第二弾になる。当然全部読んでいる。原はとても寡作な作家で、現在までに5作(「天使たちの探偵」は短編集)しか発表していない。
 刊行順に記すとこうなる。

 「そして夜は甦る」(1988)
 「私が殺した少女」(1989)
 「天使たちの探偵」(1990)
 「さらば長き眠り」(1995)
 「愚か者死すべし」(2004)

 ずいぶん経ってから知ったことだが、タイトルがすべて7文字で構成されている。
小説以外にエッセイ集「ミステリオーソ」を上梓していて、これまた7文字。もっと驚いたのはこのエッセイ集が文庫化された際、2冊になってそれぞれ「ミステリーオーソ」「ハードボイルド」。ここまで7文字に固執するとは!

 さて、この沢崎シリーズ。読み進むうちに、ショーケン主演で映画化できないかと夢想するようになった。もちろん、小説の中で描写される沢崎のイメージは、藤竜也だと思っている。あくまでも個人的には、だが。
 それをショーケンに演じさせるのには狙いがある。
 「傷だらけの天使」の小暮修が、年齢を重ね、本当の探偵になったとしたら、どんな活躍をするのか、そんなイメージが重ねられる。ショーケンファンにとってはたまらないものがあるのではないか?

 その昔、岸田森の告別式だった。TVのインタビューに対してショーケンが無念そうにつぶやいたのをはっきり覚えている。
「岸田(今日子)さんと、(水谷)豊と、また『傷だらけの天使』やろうなんて、話していたんだよね」
 この言葉で、もう二度と「傷だらけの天使」の続編は観られないと覚悟を決めたのだった。
 だからこそ、中年になったショーケンが演じる探偵ものに意味があるのだと。
 たとえば、「居酒屋ゆうれい」のショーケン演じる居酒屋亭主に若かりしころのサブちゃん(「前略おふくろ様」)をダブらせなかっただろうか。板前修業を終えたサブちゃんが独立して店を持ったんだと。
 あるいは「外科医柊又三郎」の又三郎のインターン時代を「化石の森」に結びつけなかったか? キャラクターが違いすぎるか。
 
 どちらかといえば頭より身体で事件にぶつかって、それこそ傷だらけになりながら解決へと導く探偵・沢崎。原作とは別個のものになるかもしれないが、それはそれで新しい探偵映画ができるのではないかと思うのである。
 原作ファンが許さないか。
 

 ●萩原健一 in 「犯人に告ぐ」 2007/01/07

 ショーケンが映画「傷だらけの天使」で復帰するという昨年のニュース。市川崑監督自身による「犬神家の一族」リメイクが発表されたときと同じ感想を持っている。

 市川森一の脚本で、神代辰巳が監督するというのであれば別だけれど。岸田今日子、岸田森、水谷豊が共演して……。絶対に無理。

 GSが再結成されて、「さよならウェスタンカーニバル」に皆出演した際、一人、自身のバンドを引き連れて昔を振り返らなかったのはショーケンではないか。
 結局、「傷だらけの天使」のタイトル、ブランドだけだろう、必要なのは。本当にそれでいいのだろうか?

 作品には、絶対時代がかかわってくる。「傷だらけの天使」は70年代が生んだ傑作なのだ。何も60をむかえようとする小暮修を描かなくてもいい。「私が殺した少女」を例にだしたのは、「傷だらけの天使」でなくても、探偵を描けるということ。ショーケンが演じれば、ファンはそこに今の小暮修を感じるはずなのだから。

 なんて、言いながら「傷だらけの天使」が映画化されたら真っ先に劇場に駆けつけるだろう。だって、ファンだもの。

 もうひとつ、読了したときに、これはショーケン主演で映画化を(いやTVドラマ化でもいい)と願った小説がある。
 「犯人に告ぐ」(雫井脩介/双葉社)である。数年前、ミステリベストテンで第一位をとって話題を呼んだ。

 劇場型犯罪ならぬ劇場型捜査で犯人を挑発する刑事役。
 主人公の巻島は、かつて、児童誘拐事件で失敗し、その後のメディア対応でも失策を犯して左遷の憂き目に。ところが某キャリア捜査官のアイディアで劇場型捜査を行なうことになり、その指揮、というか広告塔的役割を負うことになる。確か、髪を長く伸ばしていて、その描写で、ああ、早見淳(マカロニ刑事)が殉職しなければ、こんな感じで今を生きているのかな、なんて思ったのだ。
 警察機構も味方ではない。失脚しても、かつて左遷させられた男なのだから、上はどうでもいいのである。内にも敵がいる巻島は、ボロボロになりながら犯人を追いつめる(あくまでも私の記憶)。
 かっこ悪いところがかっこいいショーケンらしい。警察を敵にまわす男にふさわしい役柄でもある。

 実は、こちらこそ実現可能な企画だと思う。
 「連合赤軍」の前に長谷川和彦監督でどうだろう? 団塊世代へのレクイエムとして。




 承前

 プロデューサー山本又一朗の名前を記憶したのは長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」だった。沢田研二と菅原文太が共演する、これまでの日本映画の常識を打ち破るアクション巨編、エンタテイメント作品だったにもかかわらず、興行的に大失敗した。その影響かどうか、以後長谷川監督は新作を撮れないでいる。
 山本プロデューサーは、というと、その後もベルサイユ宮殿でロケを敢行した「ベルサイユのバラ」や大ヒット四コマ漫画「がんばれ!タブチくん」のアニメ化等々、既成の映画会社では発想できない企画にチャレンジしていた。遺族の申し立てで日本では未公開になった「MISHIMA」もそうだったのか。角川春樹と並んで70年代、80年代を駆け抜けた名物プロデューサーだった。ビデオ用の映画、いわゆるVシネマに最初に注目した人でもあるらしい。

 つい最近知ったのだが自身のプロダクションには小栗旬が所属しているとのこと。というと、二人の関係は、昔の黒澤満(セントラル・アーツ)・松田優作みたいなものか。向うところ敵なしではないか。
 「TAJOMARU」では、その小栗旬を主役に据え、新感覚の時代劇に挑戦している。黒澤明監督の「羅生門」の主人公・多襄丸を小栗旬に演じさせまったく別のドラマを展開させる。脇を固めるのは松方弘樹や近藤正臣のベテラン勢。もちろんショーケンも出番は少ないものの重要な役で出演する。
 「羅生門」と同じ芥川龍之介「藪の中」を原作としながら、内容はほとんどオリジナル。映画自体は若者向け。タイトルが「多襄丸」ではなくアルファベット表記なのがいかにもだ。ショーケンを出演させて、復帰作品とさせる。マカロニ、修ちゃん、サブちゃんに夢中になった中年世代にもアピールさせようという魂胆だろう。まさに一石二鳥だ。山本プロデューサーを策士と書いた所以である。
 「TAJOMARU」脚本でショーケンと揉めた際、同じ土俵にいないもの。ショーケンの物言いをキャッチボールしているふりして受け流している。役者やの~。

 ショーケンが俳優として注目されたのは斉藤耕一監督「約束」である。続いて主演した「青春の蹉跌」ではキネマ旬報主演男優賞を受賞した。
 脚本を書いたのが長谷川和彦だ。大幅に主人公のキャラクターを変えている。石川達三の小説では野望に燃える上昇志向の強い法学部の学生だった。映画ではおなじ司法試験を狙う大学生でも、どこか醒めていて、優柔不断。捨て鉢でやるせない。この主人公をショーケンは的確に演じた。
 このキャラクターは「太陽を盗んだ男」の主人公に通じる。個人で原爆を作ったのはいいが、どう政府に脅しをかけていいかわからない。いつも途中で終わってしまう野球中継を最終回まで中継させる、かつて(麻薬問題で)来日が不許可になったザ・ローリングストーンズの武道館コンサートの実現。そんなことで悦に入る男を演じたのはジュリー(沢田研二)だけど、当初はショーケンの案もあったらしい。

 ショーケンの「TAJOMARU」への出演は、山本さんプロデュースの主演映画、その映画の前哨戦らしい。
 だったら……。
 もし山本又一朗プロデュースで「傷だらけの天使」が映画化されるのなら。
 個人的には今の時代に「傷だらけの天使」の続編を映画化することに対して「うーん」ではあるけれど。
 とにかく映画化するのなら、長谷川監督ならどうかな、と。

 公開するとき、やはり話題性は必要だ。
 乾亨は死んでしまったけれど、でも別の役で水谷豊の出演はかかせないだろう。水谷豊は長谷川監督のデビュー作「青春の殺人者」の主演で映画賞を独占した。
 こうなったら、ショーケンの唯一のライバル、ジュリーにも出てもらう。ジュリーは「太陽を盗んだ男」だけでなく、長谷川さんが脚本を書いた、三億円事件の犯人が主人公の「悪魔のようなあいつ」にも主演しているのだ。
 二人とも否とは言えないだろう。
 だったら、だったら! 
 「太陽にほえろ!」つながりの関根恵子も! 水谷豊なら「青春の殺人者」つながりの原田美枝子も! 原田美枝子は「大地の子守歌」でお遍路やってるから、強引にショーケンと結びつける。
 10代、20代の観客なんて目じゃない。誰が若者に媚びるものか。45才以上を対象にした映画だぞ。

 拓郎の歌が聴こえてくる。
 古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう。
 そうかもしれないけど、さ……。
 
 これならどうだ。
 松田龍平をゲストで呼ぼう。名前忘れたけど弟も。

 まあその前に、番組最後で予告した市川森一脚本の、旅情豊かな映画に期待しています。








 承前

 ショーケンが久しぶりに郷里を訪れ、長兄と母親の墓参りをした後、姉夫婦の家に立ち寄った。居間での団欒。このとき取材クルーに向けた義兄の発言が痛烈だ。
「うちの家族はね、この人(ショーケン)に関わるの大嫌いなの。この人が問題起こしたとき週刊誌来るでしょ。全部しらばっくれるの。わかりませんって」      
 ショーケン苦笑い。「問題起こすって。しょっちゅう問題起こしているみたいじゃん」
 義兄の言葉が世間一般のショーケンに対するイメージを代弁している。

 ショーケンは大麻吸引をはじめ、反社会的な行為で何度も警察のお世話になっている。こう認識している人が世の中にはたくさんいるということだ。
 何度も逮捕されて、その都度謹慎、しばらくして復帰する。芸能界は甘い世界だ。
 最近メディアを騒がせている芸能人の覚醒剤汚染に触れたブログで、こんな趣旨の記述をよく目にする。
 苦笑いではなく、真顔で反論したい。「ショーケン、そんなにしょっちゅう問題起こしていたか?」
 勘違いしている人が多いので、声を大にして言っておく。1983年に大麻で逮捕されたが、薬物による逮捕はこのときただ一度だけ。

 二度目の逮捕は22年後、2005年の恐喝未遂だ。罪名だけ聞くとなんとも印象が悪い。が、事件の内容を知ると「なぜ警察が介入するの?」と思わざるをえないものだった。降板した映画のギャラの支払いをめぐってプロデューサーと揉めていて、電話で脅したというもの。暴力団の名前をだして「このままじゃただではすまないから」とかなんとか言ったことが恐喝未遂にあたるというのだ。そんなバカなと思った。それらしい人数人を連れてプロデューサーに直談判したというなら、部屋に軟禁して「払う」と言うまで怒鳴りちらしたというのならわかるのだが。

 メディアも本人が好調のときは〈反逆のカリスマ〉なんて持ち上げるくせに、いざ警察沙汰になるとその反逆ぶりを非難して徹底的に叩く。
 個人的にはこの反逆のカリスマ等々のキャッチフレーズ(?)に馴染めない。どこからそういうイメージになったのだろう? これまでの主演したTVドラマや映画からみても、明らかに反体制側のキャラクターはほんのわずかでしかない。
 大学生、漁師、商社マン、板前、競輪選手、整備師、美術教師、気象予報士……現代劇では、ごく普通の人間、まあ、ちょっとばかり世間からずれている場合もあるけれど、特殊ではない。そんな人間を、ショーケンらしく演じているだけではないか。

 蜷川幸雄はショーケンを日本で初めて屈折を表現した役者として評価する。たとえば「あなたを好きです」という台詞。それまでの日本の俳優は相手にちゃんと言えた。ショーケンの世代になると素直に言えない。その屈折を演技に持ち込んで鮮やかにやったのがショーケンだった。天才的な演技で、ショーケンの一番すごいところだったと。だからこそ、「(トップを走る)不幸ってあるんだよ。やっぱり孤立するんだよなあ」。
 当時シラケ世代と言われた。ショーケンはその代表のように思われた。ある映画評論家はショーケンの演技についてこんなふうに表現した。熱くなりたくて、何かに燃えたくて、わめいて叫んで大暴れして、だけど何の手ごたえもなくて脱力してしまう。正確ではないがこんな意味だったと思う。一世代下のティーンエージャーはそんな青年像に激しく共鳴したのだ。見た目のかっこよさとともに。かっこ悪いところがまたかっこ良くて。

 二度目の逮捕に関しては逮捕そのものより、主演俳優とスタッフ最高責任者の間の、契約に関するちょっとした齟齬になぜ警察が介入してきたか、という方が本質的な問題だと思っている。単なるプロデューサーと俳優の確執ではなく、映画(ドラマ)製作における、ショーケンとその他のキャスト、スタッフの確執、つまり信頼関係の破綻ではなかったか。
 撮影現場での、ショーケンの常軌を逸した横暴ぶりが問題にされ、キャスト・スタッフの積もり積もった鬱憤が、プロデューサーを被害者に警察沙汰にしてしまった……ような気がしてならない。その横暴さも、いい映画にしたいがための、ショーケンなりのかき乱し。それを理解しながらプロデューサーはショーケンではなく主演女優を選ばざるをえなかった……。
 このドキュメンタリーでも「TAJOMARU」のシナリオを巡ってプロデューサー・山本又一朗と一触即発的なやりとりをしているところが見られる。ショーケン自身今の立場がわかっているだろうし、そもそも山本プロデューサーが策士だから、丸く収まるのだが、こういうところから過去の起きてしまったであろうスタッフ・キャストとの軋轢が想像できる。
 いつの間にか台詞を変えられて、元に戻したはいいものの、なかなか覚えられない。そのイライラが現場で爆発……なんてことも5年前ならあったのかもしれない。

 この項続く







 承前

「何でも撮っていい」
 取材スタッフに対するショーケンのスタンスは、05年のあのときと同じではなかったか。恐喝未遂容疑で逮捕される当日、ショーケンは自宅にカメラクルーを招き入れ、すべてをさらけ出した。
 あの前後、TVから流れてくる一連の映像で、何とも嫌な気分に陥ったのは、兎にも角にもショーケンの声だった。台詞廻し、あるいは歌唱におけるショーケン節のアクセントでもあった裏返りが、必要ないところでも聞こえてくるとなると心穏やかでなくなる。

 「チューボーですよ!」(放送日、観忘れて某ブログに貼り付けられた動画でチェック)では、その裏返りがまるでなかった。心底安堵した。感激したのは、マチャアキとデュエットした「エメラルドの伝説」。もちろんふざけて歌っているし全盛時と比べてしまうと……だが、明らかに、03年のコンサート時より喉の状態は回復しているとみた。
 その裏づけがこのドキュメンタリーでとれたのだ。素顔を、プライベートを撮るとは、普段の、演技ではない声が聞けるということだから。

 雨の中、紺の帽子と雨合羽姿(ウィンドブレーカー?)でウォーキングするショーケンの姿が、途中途中にインサートされる。神代辰己映画を意識してのことか。

 スーパーの買い物で、メモを片手に、目的の品をカゴに入れるたびにペンでチェックしていく姿にショーケンの性格を垣間見た気がした。
「スーツ姿にスーパーの袋、これがあのショーケンだろうか?」
 ナレーターは言うが、逆に首をかしげてしまう。だからこそのショーケンではないか。だからこそ俺たちのヒーローだったのではないか?
 スーパーで、お店の人に突然、「玉ねぎ一個売りありますか?」と尋ねる間(ま)と表情、「わぁ、ショーケンだぁ」と破顔したもの、僕は。

 たまにわからなくなる。世間一般が求める(役者としての)ショーケン像って何だろう。一時「渋さ」がクローズアップされたときがある。なんか違うと思った。もっと軽やかでしなやかでコミカルで……うまく表現できないが。
 先のスーパーのやりとりを含め、ショーケンらしさは何度も目撃できた。
 ホテルでの台詞の練習で、変えられてしまった台詞に往生してしまい「変えられちゃったから、わからなくなっちゃった」とふてくされる。
 友人の家に遊びに行って、ペットの黒のラブラドールと全身でたわむれる(こういうときの声の裏返りはうれしい)。
 「TAJOMARU」の本番を終え、歓声をあげるスタッフ、キャストに「勝手にやってください、さよなら」とお茶目に言って、足早に撮影現場を後にする。

 ショーケン帰還する――。
 今度こそはっきり確信した。

 この項続く







2009/09/13

 『ザ・ノンフィクション ショーケンという「孤独」』(フジテレビ)

 どうせなら「ショーケンという名の孤独」にすればよかったのに、このドキュメンタリーのタイトル。テネシー・ウィリアムズの有名な戯曲から考えられたとしたらもっと徹底したほうがいい。でもそれでは意味が微妙に違ってくるか。

 映画に主演(出演)するっていうことは、すごいことなんだなあと思う今日この頃。映画のパブリシティのため、主演(出演)俳優の、公開前のメディア露出がハンパではない。それがすげぇなと。
 最近のショーケンのメディア露出って、昨年の今ごろでは考えられなかった。だいたいTV界はショーケンを抹消していると感じて憤慨していたのだ。過去の名誉まで〈なかったこと〉にしているようで、それがどうにも納得できなかった。

 以前にも、この件について言及したが、以後も目の当たりにしている。
 たとえば、今年の2月27日、28日、3月1日、フジテレビが開局50周年記念ということで、3夜連続の特別番組を放送した。3夜をそれぞれ〈歌〉〈バラエティ〉〈事件〉のカテゴリーで括り、局に秘蔵されている映像をふんだんに使って、開局から現在までを振り返るという面白い企画。
 フジテレビには「夜のヒットスタジオ」という長寿番組があった。いろいろな歌手が出演している。ショーケンも、自身のバンド、ドンジュアン・ロックンロール・バンドを率いて何度か出演していた。僕自身、YouTubeで知ったことなのだが。かなり貴重な映像である。
 にもかかわらず、番組ではまるっきりショーケンに触れなかった。70年代から80年代にかけてのミュージックシーンでショーケンが果たした役割は小さくはない、はずなのに。松田優作の映像は流れているので、余計にその思いは強い。

 TBS、テレビ朝日、フジテレビ。このショーケンを無視した処置の要因は何だろう。放送前に、またショーケンが事件を起こしたら、再編集しなければならないからか。スタッフの労力や手間を考えたら最初から取り上げない方がいい、と判断したのだろうか。

 8月15日、恒例の落語会(独演会)があった。終了後、会場で打ち上げがあって、二次会の会場に向う途中、お客さんで来ていたフジテレビのプロデューサーの方と一緒になった。疑問をぶつけてみた。その方は、バラエティの方で、その番組にはまったく関わりがない。あくまでも自分の推測だけどと断った上でこう言った。
「単に知らないだけですよ、ディレクターやプロデューサーが。ショーケンのことを」
 それはそれで悲しいことだ。
 
 ショーケンは、まず活字の世界で復活したのだが、「TAJ0MARU」公開を控えて、TV出演が目立ってきた。「チューボーですよ!」で復活は確信できた。知りたいことはほとんどカバーしていた。ドキュメンタリーでは何がわかるのか、期待に胸がはりさけそうになった。
 ちと大仰か。

 この項続く







 今朝から落ち込んでいる。凹んでいる。
 昨晩、大失敗した。テレビ朝日のドラマスペシャル「だましゑ歌麿」を観忘れたのだ。
 放送されるのを失念して、21時になるとTVを消してしまった。
 読書していた。宮部みゆき「楽園(上)」(文藝春秋)。

 今朝になって、PCつけて気がついた。叫んでしまった。
 昨日、しっかりと新聞を読んでいなかった。TV欄をチェックしなかった。
 にしても、だ。どうしてそうなったのか。
 すべてはショーケンが原因だ。
 別に昨日「TAJOMARU」が公開されたからではない。初日の舞台挨拶には興味ない。映画は、地元でレイトショーを押さえるつもり。

 今日13時45分からのフジテレビで放送された『ザ・ノンフィクション/ショーケンという「孤独」』の影響だ。ショーケンがゲスト出演すると聞いてから、ずっと楽しみにしていた「チューボーですよ」を当日コロっと忘れてしまった。そんな苦い経験から、今度はぜったい忘れないぞと、前日からそればかり考えていた。代わりに「だましゑ歌麿」を忘れてしまった。原作読んでから約10年、ずっとドラマ化を願っていたのに。
 再放送されるんはいつだろう? DVD化はされるのか?

 『ショーケンという「孤独」』の感想は、また後日……。

 というか、いろいろと溜まっているんだよね。
 紙ふうせんのミニコンサート、「20世紀少年 最終章」、DVDで観た「スカイ・クロラ」、「エイリアン ディレクターズカット版」……




2009/08/30

 「ディア・ドクター」(シネカノン有楽町2丁目)

 やっと観ることができた。「ゆれる」に続く西川美和監督作品。小林信彦が週刊文春連載のエッセイで絶賛していた。
 西川美和の名前は、この前の直木賞受賞のニュースで候補者の一人として目に留まった。小説も書いているのか。どんな分野でも才能を発揮できる人はいるのだ。

 映画では「Dear Doctor」と表記されていた。これが正式タイトルということだろう。
 過疎化、高齢化の進むある田舎町で起きたニセ医者騒動。この騒動を事件が発覚するまでと発覚してからを併行して描いていく。ニセ医者に扮するのは笑福亭鶴瓶、鶴瓶の下で働く看護婦は余貴美子、研修医の瑛太。このトリオのチームワークにホッとする。

 過去と現在を交錯させながら浮かび上がってくるのもの。それは何とも不思議な事実だった。
 もしかして村人は鶴瓶がニセ医者だと知っていた? 少なくとも村長の笹野高史や余貴美子は。瑛太だって本人から告白されているのだ。薬剤の営業マン、香川照之なんてその事実で点数稼いでいたのだから。

 鶴瓶の献身的な医療活動は村人皆が感謝していた。だったら、逃亡してからの、刑事の松重豊、岩松了の聞き込みで見え隠れする村人たちの鶴瓶への無関心さは何だろう? 普通、大いに嘆くだろう。信頼を裏切られたとかなんとか。あるいは「彼は私たちを欺いたかもしれない、でもどれだけ彼に助けられたか」なんて熱弁をふるって弁護するところだ。にもかかわらず、余貴美子や瑛太の態度は何だ? どうにも解せない。だからよけいに裏の気持ちを考えてしまう。
 「ゆれる」がそうだったように、この映画も観終わってから、登場人物の行動や気持ちについていろいろと話したくなる。確認しあいたくなる。

 俳優の演技を楽しむ映画でもある。
 喉に貝を詰まらせて死にそうになる老人は高橋昌也。クレジットを確認して膝を打った。「北の国から 遺言」以来この手の演技は独壇場か。
 鶴瓶の応急処置に「名医だ」と太鼓判を押す緊急病院の医者が中村勘三郎。たぶん演技に対して監督から具体的な指示はなかっただろう。本人のアドリブではないか。巧い。
 焼酎のウーロン茶割りをちびちび飲ませたら、日本でベスト3に入る鶴瓶にそうさせなかったのは何か理由があるのか。代わりにスイカを食べるところにぐっときた。
 八千草薫が落語のカセットテープを聞きながらキッチンに立つ。後ろ姿が何ともいえない。

 田園風景の美しさに目を奪われる映画でもある。数年後、この映画の印象を訊かれたら、「田園の緑が目にしみて」と答えるかもしれない。

 ホームのシーンで終わりにしなかったのは、ニセ医者が自殺すると勘繰られるからではないか。
 が、続くシーンで、映画はおとぎ話、ファンタジーになってしまった。

 西川監督は意図して地方を描いているのだろうか。
 思えば第一作から地方の匂いがする。地方出身者はまず「蛇イチゴ」というタイトルに反応するはずだ。




 たまにはタイトルだけってのも新鮮だろう。
 感想は後から付け加えるかも。

          * * *

2009/08/03

 「戦後漫画のトップランナー 横井福次郎」(清水勲 鈴木理夫協力/臨川書店)


2009/08/07

 「もっと声に出して笑える日本語」(立川談四楼/光文社知恵の森文庫)

 「声に出して笑える日本語」がヒットしたので、早々と第二弾が出た。1冊より2冊の方が相乗効果で売れますよとの編集者の甘い囁きに「書く!」と返事した結果だという。二匹目のどじょうを狙った、突貫作業の出版ではあるが、内容は充実している。今回も大いに笑えます。
 「おこと教室」と「おこめ券」の話、数年前に関西の方たちの前で小咄として披露したことがある。「ウコンの力」を「ウンコの力」と間違えたなんてことも挿入しながら。受けなかった。
 書名が團伊玖磨「パイプのけむり」を彷彿とさせる。もし第三弾がでるとしたら「もっともっと声に出して笑える日本語」になるのでは? 第四弾は「もひとつ声に出して笑える日本語」、第5弾が「さらに声に出して笑える日本語」……。


2009/08/11

 「谷中スケッチブック 心やさしい都市空間」(森まゆみ/ちくま文庫)


2009/08/12

 「図説 小松崎茂ワールド」(根本圭輔 編著/河出書房新社)


2009/08/15

 「あの歌この歌こぼれ話」長田暁二/全音楽譜出版社)


2009/08/16

 「雑誌のカタチ 編集者とデザイナーがつくった夢」(山崎浩一/工作舎)


2009/08/20

 「加藤芳郎のまっぴら人生」(山本泰夫 編著/産経新聞出版)


2009/08/21

 「不良のススメ」(瀬戸内寂聴・萩原健一/角川学芸出版)


2009/08/25

 「帰って来た木枯し紋次郎」(笹沢佐保/新潮社)


2009/08/28

 「制服捜査」(佐々木譲/新潮社)


2009/08/29

 「いま、いい男」(瀬戸内寂聴/ぴあ)








 承前

 荻窪駅を背にしてまた通りを〈6次元〉の方へ歩き出す。その先に環状八号線があるのだ。時計を見ると午前1時ちょっと過ぎ。
 かみサンにメールする。「現在歩いて帰宅中」
 その前に、終電に乗り遅れたので朝帰るとメールをしていたのでさっそく返信が届く。「もしかしてネットカフェを利用するお金がないの?」
「金はちゃんとあります。でも、なんか歩きたい気分。ダイエットにもなるし」そう打ち返すと「あきれた…」

 もうずいぶん前になる。90年代中ばのころだ。新宿で某イベントに参加して、仲間と飲んで夜中になった。終電ぎりぎり。山手線に乗ったら、池袋止まりだった。田端で京浜東北線に乗り換えようと思っていた僕は真っ青になった。財布には150円しかなかったのだ。池袋から歩いて帰った。あのときは4時か、4時半に自宅にたどりついた。この池袋~川口徒歩の旅はその後もう一度チャレンジしている。このときは金がなかったわけではない。単に歩きたかっただけ。
 昨年の10月、やはり同じような時間帯に、経堂から下北沢まで歩いた。

 お遍路に興味がある。別にショーケンに影響されたわけではない。いや、少しはあるか。高校時代に「大地の子守歌」という映画を観てから、一度自分も歩いてみたいと思うようになった。マラソンは苦手だが、ウォーキングは好きなのだ。
 夏休みに、一度郷里の太田まで歩いみたいと考えているのだが、なかなか実行に移せない。どのくらいの時間がかかるのか、まるで予想がつかないからだ。早朝に出発したとして、夜には到着できるのだろうか。1キロ15分と仮定して、約60キロの距離、単純計算で15時間かかる。

 荻窪~川口間もどのくらいの距離があるのかわからない。朝日が昇るころに着ければ御の字か。
 環八通りをまっすぐ行けば赤羽に着く。のだが、道は途中で地下にもぐってしまう。地上の道のどこを行けば、目的の環八通りに繋がっているのがわからない。地図もないし、感で歩いて迷子になったらやっかいだ。仕方ないので、新青梅街道で環七通りに出ることにした。
 かなりの距離を歩いた感じがした。環七に出て左折したときは、2時半とか3時だったような。
 
 環七沿いにはラーメン屋が多いというイメージがあった。ところが深夜なので営業していない。2軒ばかり営業していていたがどちらも反対側だ。
 4時あたりになると、足が疲れてきた。ちょうど、道沿いに公園みたいなスペースがあって、ベンチもある。しばしの休憩。本当なら横になりたいのだが、ベンチは真ん中に衝立があって、寝ることができない。横になったらたぶんそのままそこで朝を迎えていたかもしれない。

 少し歩くと交差点があり、赤羽団地を通り抜けるルートを選択して左折する。
 空が明るくなってきた。
 122号線に出たのは5時過ぎ、もう完全に朝である。
 荒川の橋を渡っていると、朝日が昇ってきた。

 「キューポラの街」で吉永小百合が通う中学校を斜め左に見ながら、橋を渡りきり、川口に入った。5時半過ぎ。自宅はまだまだ先だ。
 結局、自宅に着いたのは約1時間後。6時半だった。

 徒歩の最中、飲食したのは、以下のとおり。
 アイス1本、マウンテンデュー、缶コーヒー(ブラック)、おにぎり一個。

 来年の夏休み、50歳ということもあり、川口~太田の徒歩の旅に挑戦する!


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 橋から見た朝日







 5日(土)は荻窪の喫茶店〈6次元〉で開催されている「時代遅れの書き文字展」へ。

 今年、暮らしの手帖社を定年退職された二井康雄さんには編集者のほかに様々な顔があり、その独特な書き文字は有名である。なんて、僕は「寿限無のささやき」(立川談四楼/暮らしの手帖社)の装丁で知ったのだが。とにかく味のある字だ。

 ちなみに、二井さんは談四楼師匠の独演会でよく見かけていて、初めて話しを交わしたのは紀伊国屋ホールの落語会だった。談志家元と上方の噺家さん(名前失念)の二人会、いや家元はゲストだったか、とにかくその会が始まる前にロビーで顔を見かけたのだ。初めて独演会で見たときは井上ひさしと間違えたほどの容貌なので、すぐにわかる。

 そういえば、この前(8/15)の独演会では、こんなことがあった。斜め左前によく笑う初老の男性。見れば佐高信に似ている。右斜め前方の少し離れたところには二井さんがいて、「井上ひさしと佐高信だあ」と一人にやついていたのだが、男性は本物の佐高信氏だった。

 もう一つ。
 木のぬくもりいっぱいの〈6次元〉という喫茶店は一度訪れたことがある。あのときは〈ひなぎく〉という店名だった。カヒロ一座というインディーズバンドを知るきっかけとなったライブが開催されたのだ。店は二階にある。一階の住人の「うるさい」とのクレームで、以降ライブは行われなくなりやがてオーナーも変わったのか。陶器と古本が興味深い。

 閑話休題。
 「時代遅れの書き文字展」は先月の27日から始まっていて(9月15日まで)、オープニングパーティーに来てよと言われていたのだが、平日19時に荻窪に間に合うわけがない。毎週土曜の夜にはトークショーが企画されている。その第一弾が映画監督の篠原哲雄さん。だったらその日に伺いましょうと返信した次第。
 篠原監督の最新作「つむじ風食堂の夜」に、二井さんは得意の書き文字で協力している。タイトルのほか、食堂のメニューやら字幕等々。タイトルにあるように食堂が舞台になるのだから、これは観るしかない。篠原監督の映画に登場する料理はとても美味しそうだから。

 30分の予定が15分以上オーバーしたトークショーの後は、閉店まで歓談。新橋のサロンSHUで知り合った方たちもいて話がはずんだ。
 この夏公開された篠原監督の「真夏のオリオン」を褒めていた自主映画作家のSさんも誘ったのだが忙しすぎてNG。ところが不思議な縁で、会場にはSさんの映画に関係深い女優の志水季里子さんが娘さんと来ていた。二井さんの友人で篠原監督の作品にも出演しているみたい。Sさんの話をしたら驚いていた。「どこかで会ったような」と言うので、「もしかしたシネマボカンですれ違っているかもしれません」と答えた。志水さんの主演作品だったら実相寺昭雄監督のハイビジョン作品『東京幻夢』が好きだと言うと「マニアックぅ!」だって。旦那さん(広瀬昌助)の思い出話も。

 終電に乗り過ごした。せめて新宿までたどり着きたいと思ったのだが、電車は無情にも中野止まりしかない。
 だったら、荻窪で朝まで過ごそう。一度は時間でDVDが鑑賞できる店に足を運んだのだが、棚にあるDVD(主にアダルト)に興味が持てない。2千円なり、3千円なり払うのも馬鹿らしい。
 ふと環八が頭に浮かんだ。すぐ近くなのだ。環八をずっと行けば赤羽に着く。川口とは目と鼻の先。
「歩こうかな」
 こうして真夜中の〈荻窪~川口5時間半の旅〉が始まった。

 この項続く







 「定本小林信彦研究 仮面の道化師」という本がある。著者は藤脇邦夫。白夜書房の営業マンだという。今はどうなのか。実はこの本、1986年に上梓されているからだ。20年以上前のこと。
 小林信彦ファンとして、初期の、晶文社のバラエティブックと総称されているコラム集、あるいは「虚栄の市」「冬の神話」「監禁」といった小説本以外は、ほとんど手に入れている。それほどのファンなのに、この研究本の存在を知らなかった。

 僕が知っている小林信彦研究本は2冊ある。
 「別冊新評 小林信彦の世界〈全特集〉」(新評社)は1981年に編まれた。88年には弓立社から「小林信彦の仕事 〈第Ⅱ期小林信彦〉への完全研究読本」が。さまざまな作家、評論家たちが寄稿しているところが共通している。
 ずっと疑問に思っていた。個人で小林信彦の研究本を書く人はいないのだろうか? 相手が相手だけにちと難しいか。まあ仕方ない。 
 いたのである。僕が知らなかっただけだった。86年だったらいっぱしの小林信彦ファンになっていた。にもかかわらず、この本についてはまったく知らなかった。だいたい書店で見たことがない。あったら絶対買っていた。

 読みたい。ファンなら誰だって思う。が、実物にお目にかかったことがなかった。ふた昔前の本なのだから一般の書店にないのはわかる。古書店にもないのはどういうわけか。刷部数が極端に少なかったのか。売れないからすぐに絶版になってしまったのか。ネットの古書店でもまったく扱っていない。
 最近になって、小林信彦ファンの方が自身のブログで、この本を読んだことを綴っていた。どこかの古書店で手に入れたのだろうと思ったら図書館で借りたという。検索してみたらいかがですかとアドバイスされた。

 試しにPCでO区の図書館サイトを開き、蔵書を検索してみた。あった。その場で予約した。受け取りは、会社の近くにあって、よく利用しているH図書館。 
 予約して一つ気になることがでてきた。予約した本が届いたらどうしますかという設問があって、「(図書館から)メールで知らせてもらう」「何もしない」のどちらを選択するシステムになっている。「メールで知らせてもらう」をクリックしたわけだが、考えてみたらH図書館でカード作る際、申込用紙にメールアドレスを記入していないのだ。記入したのは、自宅と携帯の電話番号だけ。

 翌日、図書館に電話した。サイトで本を予約した旨を伝えると、カードナンバーを訊かれた。調べてもらったら、予約されていないことがわかった。そんなバカな! もう一度、そのまま予約。
 数日して、携帯に図書館から電話があった。
「本が届きました、×日まで置いておきますので、それまでに取りに来てください」
 その日、仕事を終えてから、すぐに駆けつけた。もうウキウキ気分。図書館は休みだった。なんだよ、休みなら休みだと電話で言ってくれればいいのに。

 翌日、また退社してから、図書館に向った。今度は開いていた。当然だ。
「予約していた本が来たと連絡もらって」
 カウンターでカードを渡しながらそう言う。
 相手はキーボードを叩き、モニターを確認して言った。
「受け取り場所、ここじゃないですね。O図書館になっています」
「はあ?」
 俺、電話でH図書館でって言ったはずだけど。
「どこにあるんです? O図書館って」
「田園調布の……」
 そんなところに行けるはずがない。その場でキャンセルして、もう一度予約し直した。
「本が届くまで2、3日かかります」
 その日は金曜日だったから、翌週ということになる。
 
 翌週、月曜日から金曜日まで電話がなかった。仕事が忙しかったこともあって、そのままにしておいた。
 土日をはさんで月曜日。あまりに遅すぎると図書館に電話してみた。
「あれ、連絡なかったですか?」
 相手が驚く。
 本は、前の週の月曜日に届いたのだという。連絡済になっていると。ただ、期限の金曜日までに借りにこなかったので、返却してしまった……。

 改めて、もう一度予約した。二度あることは三度あるか。それとも三度目の正直で(正式には四度目の正直か)、ちゃんと本が借りられるか。

 借りられました。
 幻の本と対面したのは一昨日。
 今、読んでいる本を読了したら、直ちに読み始めるつもり。

 


 


プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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