先々週から先週にかけてのエンタテインメント鑑賞メモ。

 20日(金)は地元シネコンで「笑う警官」。角川春樹が監督だけでなく脚本も手がけていると聞いてまったく期待していなかった。とはいえ、小説を読んだときから映画化を熱望していた者としてはスクリーンで確認したい。わかっちゃいるけどの心境だよ、まったく。裏切られたら裏切られてうれしいし。
 レイトショーで押さえるつもりだったところ、20日は独自のサービスデーで1000円。なおさらいいや、と。
 案の定怒り心頭の出来だった。

 22日(日)は赤坂のRED/THEATERにてハイリンドという劇団ユニットの公演「森モリ」。森本薫「華々しき一族」とモリエール「お婿さんの学校」を1ステージで見せてしまう大胆な試み。Mさん、もとい芥勘兵衛(あっかんべぇ)さんが客演するというので伺う。ちなみに芥勘兵衛さんは東京倶楽部の「NOT SATISFIED!!」(シアター バビロンの流れのほとりにて)にも出演する。町田政則さんと共演? 11月28日(土)~12月6日(日)。

 26日(木)は渋谷ユーロスペースにて篠原哲雄監督「つむじ風食堂の夜」。9月、荻窪の喫茶店「6次元」で開催された二井さんの「時代遅れの書き文字展」に伺ったとき、当日(5日)のトークショーゲストの篠原監督から試写会の招待券をいただいたのだが、利用することができなかった。映画の封切は22日で、その公開記念パーティーを兼ねた「ふたいサロン」が27日なので、あわてて観に行った次第。
 翌27日(金)は、S氏を連れて新橋の「SHU」へ。お客さんとして篠原監督作品に出演された女優さんとか、某女優さんのお母さまに連れられて、売り出し中の新人女優、「間違いない」の芸人さんがいらっしゃっていました。

 「ふたいサロン」終了後、S氏宅へ。地下にあるシアターSにてDVDに焼かれたTVドラマと舞台中継を観るためだ。
 テレビ朝日のスペシャルドラマ「だましゑ歌麿」と伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演「喜劇 日本映画頂上決戦 ~銀幕の掟をぶっとばせ!~」。前者は放送時に見忘れて地団駄踏んだ。同僚がハードディスクに録画しているということで、DVDにしてもらったのだが、うちのDVDプレーヤーでは再生できない。
 後者は春にWOWOWで中継された。今年のSET公演時にH氏にお願いして借りた。こちらもうちでは再生できず。H氏が言うには「ハードディスクがついているDVDプレーヤーでないと観られません」。だったらシアターSがあるではないか!

 まずS氏と「大決戦! 超ウルトラ8兄弟」を観る。S氏も大嫌いだというこの映画、なぜにオレに見せる? 子どものときに「ウルトラ」に夢中になりその後あっというまに卒業していった大人たち、いわゆる〈ファン〉〈マニア〉ではない人たちが子どもと一緒に観るにはいいかもしれない。子どものときの夢が実現する、ある種のファンタジー映画。昭和シリーズ、平成シリーズ、ともに番組に所縁のある俳優たちが大挙して出演している。

 その後一人で「だましゑ歌麿」「喜劇 日本映画頂上決戦 ~銀幕の掟をぶっとばせ!~」。後半は意識がなかったりして、ちゃんと寝ようかなと思ったが、ええい、S氏が起きてくるまでDVD観ちゃおうと「マイティ・ジャック」「ウルトラマンA」。シアターSは特撮作品のほとんどが揃っている。「ウルトラマンA」は先週見逃した回を。スクリーンも大きく、ほんとちょっとした劇場ではある。
 朝まで。


 【追記】

 土曜ドラマ「外事警察」にはまっている。「ハゲタカ」のカメラワークで公安警察の活動を描くのだからたまりませんぜ。「外事警察」「ターミネーター サラ・コナーズ・クロニクルズ」のため、土曜夜の外出を控えている。今、ビデオが故障しているので。 
 




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 承前

2009/11/07

 「沈まぬ太陽」(MOVIX川口)

 主演の渡辺謙は、初日の舞台挨拶で感極まって男泣きしたという。映画が完成するまでの苦労がしのばれる。
 この映画プロジェクトが動き出す前にも、映画化、ドラマ化の話はあったらしい。しかし、どの企画も紆余曲折の末つぶれてしまった。思うに、この映画の製作にGOサインがでたのも、無事完成して公開できたのも、何かしら日本航空の経営状態が影響しているのではないか。現在、日本航空の再建問題があれこれメディアを騒がせていることとまったく関係がないはずがない。
 
 それにしても、全5巻からなる大長編を、休憩を挟む3時間22分の映画にできるものなのか。
 映画に対する一番の興味はここだ。

 驚いた。冒頭から御巣鷹山の航空機事故が描かれているのだ。
 先輩の代理で業務についたスチュワーデス、母親に見送られて一人乗り込んだ小学生の男の子、赤ちゃんを連れて里帰りする若夫婦、仕事帰りの中堅ビジネスマン。彼らが搭乗するまでのスケッチでもう落ち着いていられなくなる。ダッチロールのシーンでは涙がでてきた。
 併行して、国民航空が主催する盛大なパーティーの模様が挿入され、主人公恩地元(渡辺謙)と経営陣(神山繁、柴俊夫。三浦友和、西村雅彦)の険悪な関係が提示される。事故以降は、被害者家族への対応に奔走する恩地の姿を、1960年代の組合活動時代、懲罰人事としての海外(パキスタン、イラン、ケニア)赴任時代を絡めながら描いていく。

 つまり、原作の3巻「御巣鷹山編」に1、2巻「アフリカ編」を挿入する形でドラマを展開させるわけだ。これが休憩までの前半部分。後半が「会長編」となる。
 この構成がとても効果的だ。この映画の成功はまず脚本(西岡琢也)にあると言えるのではないか。
 ただし、体育館で遺族の息子が父親の遺書を音読する、それも最後まで読み続けるシーンには興ざめだ。まるで第三者の存在を意識している作り。内容はわかっているのだから、黙読して涙を流させるだけでいいと思うが。

 登場人物も適度に整理されている(ように思う)。映画らしく悪人はことさらコントラストを強くしている。その代表が三浦友和演じる行天だ。かつて労働組合の委員長、副委員長のコンビがなぜまったく逆の道を歩むようになったのか、要領よく見せてくれた。三浦友和の二度目のターニングポイントに思えてならない。一度目は「台風クラブ」の、あのやる気のない教師を見たとき。
 後半では半民半官の特殊企業に巣食う魑魅魍魎たちの生態を、ステーキハウスで横一列になって料理に舌鼓を打つ国民航空のトップと政治家のショットで端的に表現していた。きちんと決着をつけさせたラストも映画らしい。

 NALのマークをつけた航空機を飛ばすことが、映像化の一番難しいところか。CGとはいえなかなか頑張っているではないか。何度も空を飛ばせることころを見せられれば人は慣れるというもの。
 タイあたりの飛行場を使って、映画用にペイントされた本物のジェット機を飛ばせばよかったのにと思ったら、ロケだけはタイで行っているのだった。まあ、日航の反対で羽田空港で撮影できるわけがない。

 時代の経過もきちんと描いていた。渡辺謙の前頭部のカツラは「硫黄島からの手紙」でお馴染みのもの。だが、外見だけの変化だったような気がする。若いときの肌のつやは感じられなかった。どの役者にもいえることだが。大きなスクリーンだとそういうことになる。

 久しぶりに加藤剛を見た。でもこの人に利根川首相なんて演じてもらいたくなかった。いや、見るからに悪人面だと最後の変心ぶりがわかられてしまうか。 
 
 長さを感じなかった。3時間22分、ダレるところがない。
 そういう意味では「七人の侍」のような映画、だろうか。まあ、個人的な意見であるのは十分承知している。




 山崎豊子の名は中学時代に覚えたと思う。社会派映画の原作者としてだった。「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」。邦画には珍しい大作映画で夢中で追いかけた「戦争と人間」3部作の山本薩夫監督の作品群だ。
 当時映画は観る機会がなく小説をあたることもなかった。田宮二郎の鬼気迫る演技で話題を呼んだ「白い巨塔」を本放送時に観ていたらと悔やんだことがある。

 「白い巨塔」は、03年から04年にかけて放送された唐沢寿明主演のTVドラマ(2クールめと特別編)を観たことで、田宮二郎主演の旧作に興味を持った。04年、ダイジェスト版ではあるが、運よく旧作を視聴できた。その前には映画も映画館で鑑賞できた。こうなればどうしたって小説を読みたくなるというものだ。
 話を戻す。大学時代になると、毀誉褒貶の激しい作家という認識になる。とにかく何かというと盗作疑惑が持ち上がるのだ。長いこと近寄り難い作家という認識だった。

 初めて読んだ小説が「大地の子」だ。90年代半ばに放送されたNHKの土曜ドラマ「大地の子」に感銘してのこと。読んで驚いた。もし、先に小説を読んでいたらドラマがヌルく感じたことだろう。まあ、小説をそのままドラマ化していたら、日中合作なんてできなかったに違いないが。中国残留孤児の問題、その本質、つまり、なぜ中国人は日本人孤児を扶養したのかが書かれているのだ。ドラマ以上にショッキングな事実に打ちのめされ、あるいは胸熱くし夢中でページを繰った。自分の中でちょっとした「大地の子」ブームが起こり、「『大地の子』と私」なるエッセイにも手を伸ばしたほど。

 そうこうするうちに新作「沈まぬ太陽」がベストセラーになった。これまた話題にことかかない。週刊誌に中傷記事が掲載された。作家の深田祐介の批判も目にした。記事は読んでいない。見出しを新聞の広告や電車の中吊り広告で見るだけ。そのころは「沈まぬ太陽」がどんな内容なのかも知らなかった。日本航空の闇を扱っていると知り、なぜ深田祐介が批判したのかがわかった。元日本航空の社員(管理職)ならば、日本航空を批判する小説なんて肯定するはずがない。

 友人が文庫本「沈まぬ太陽(一)~(五)」(新潮文庫)を貸してくれた。
 衝撃的な内容だった。飛行機が嫌いだからほとんど利用することはないものの、もし搭乗するならJALはやめてANAにしようと思ったものである。
 「アフリカ編(上・下)」「御巣鷹山編」「会長室編(上・下)の5巻からなる「沈まぬ太陽」は、小説のスタイルで日本航空の暗部を暴いたのだ。
 小説だから、たぶんにフィクションが含まれているだろうし、主人公(及びその家族)の人物造形があまりに美化されすぎていることも想像できる。とはいえ、週刊誌の記事で誹謗中傷されるくらいで、裁判沙汰にならなかったのは、描かれている内容に間違いがなかったということだろう。

 読了してこの手の物語なら普通だと映像化をあれこれ夢想する。映画化あるいはTVドラマ化するならば。キャスティングを考え、構成に思いを馳せる。この作品に関しては考えるだけ無駄だと思った。長さからいって映画より、TV(スペシャル)ドラマに向いていると思うのだが、きちんと映像化するには途方もなく金がかかる。だいたい小説であれだけ物議を醸しているのだ。より影響力が強い映像化では何言われるかわからない。「バトルロワイヤル」や「ダ・ヴィンチ・コード」がいい例だ。
 案の定映像化の話はまったく聞こえてはこなかった。

 だから映画化のニュースに驚愕したのだった。あの話をどうやって2時間前後にまとめるというのか?!

 この項続く




 前項でshowken-funさんのコメントに返信したら、スパムと判断された。もう一度同じ内容で返信したら今度は「投稿内容が重複している」とメッセージが出てNG。以降、「重複しています」の一点張りでちっとも受け付けてくれない。いったいどういうことよ、まったくもう!
 仕方ないので、内容をブログ用に書き換えてこちらにUPします。

     ◇

 ショーケンの13年ぶりのコンサート「ENTER THE PANTHER」は、渋谷公会堂で観た。2003年11月のこと。
 バックバンドのメンバーがステージに揃ってからショーケンが登場すると観客は総立ちになった。「Rコンサート」がそうだった。ショーケンの生のライブは初めてだったので面食らったものだ。ステージが見えないのだから立たざるをえない。結局最後までスタンディングでの鑑賞だった。
 違うのは、時間が経つほどに着席する観客が増えたこと。みんなそれだけ年をとったのだ。自分の席は1階のうしろの方。すぐに座ってもよかったのだが、最後まで立ち続けた。
                          
 コンサートが終わって複雑な気持ちで友人と渋谷の街を歩いていた。生のライブに触れられたのは何よりもうれしい。が、ショーケンの声の状態を考えると喜んでなんていられない。演奏は皆円熟味を増しているから余計にその差が目だってしまって……。
 そんな僕に対して友人が「ショーケンはステージに立っているだけでいいんだ」と励ましてくれたのだけど。

 夕景にレビューが書けなかった。
 DVDは購入した。とはいえ、二、三度観てもう再生することがない。だいたい観ると必ずそのあとに「アンドレ・マルローライブ」を取り出すことになるのだ。
 そこらへんの経緯を熱狂的ショーケンファンのSさんに何か別件でメールしたついでに付記したところ、ぜひレビューをと懇願された。懇願というと大げさだけど。思ったこと、感じたことを素直に綴ってほしい、と。
 だったら、コンサート当日の思い出も含めて書いてみようかと、Outlookのメールを使って文章を打ち始めた。
 HPを開設したころ、下書きにwordを使っていたのだが、途中からメールに切り替えた。文章が完成するとコピーしてHPに掲載するというやり方。これはブログになっても変わらない。

 なぜDVDのレビューを書こうと思ったのか。Sさんに背中を押されたこともあるが、ただそれだけが理由ではなかった。
 新しい発見があったのだ。
 85年のアンドレ・マルローバンドは、90年にはブラック&マルローバンドと名前を変えていた。バックコーラスがポーラ・デスモンドから日本人女性の二人組となったからだろうか。
 13年ぶりのコンサートではブラック&マルローニューバーバリアンズ。バックコーラスが1名増えてトリオになった。だけでなく、パーカッションが菅原裕紀から斎藤ノブへ。そしてそして、ギターの井上堯之がメンバーから外れたのだ。代わりに若手の女性ギタリスト・長井ちえが参加した。
 会場での鑑賞と違い、DVDで観ると、このちえさんとショーケンの絡み、二人の表情が何やら妖しい。チョイ不良オヤジといたいけな女性との情事を思わせるのだ。嘘だと思うのなら、音を消して二人のアップを注視してごらんなさい。

 レビューは9割ほど書きあげた。さああともう少しというときに突然PCが故障した。ハードディスクは無事だった。データを探したがどこにOutlookメールが保存されているのかわからない。
 書き直すことも考えたがやめた。これは「書かなくてもよい」という天からのメッセージだと判断したわけだ。

 今年、ショーケンが久しぶりに新曲をレコーディングした。河島英五の「時代おくれ」をカヴァーしたのだ。「冠婚葬祭部長」の主題歌以来のことだから何年ぶりになるのだろうか。ドキュメンタリー「ショーケンという孤独」でレコーディング風景を取材していたが、声はかなり回復していた。
 せひとも聴きたい! ファンなら当然だが、この新曲CDではリリースされないのだから困ってしまう。ネットで配信されるのみ。ショーケンファンなら40代以上、そんな世代にネット配信だけで商売になるのか心配だが、制作費が安くあげられることは確か。
 で、iTunesとかレコチョクなんてまるで知らない僕はいまだに聴くことができないことも確かなのである。




 NHK大河ドラマを意識したのは「天と地と」が最初だった。父方の祖父母が住むアパートに遊びに行くと、ちょうど放送時間にぶつかってよく目にしたような気がする。1969年だったのか。
 主人公の上杉謙信役は石坂浩二だったが、最初に話題を呼んだのは、謙信の少年時代を演じた歌舞伎役者(子役)だ。この歌舞伎役者を長い間中村勘九郎(現勘三郎)だとばかり思っていた。違った。中村光輝(現歌昇)。いやはや、記憶というものはあてにならない。

 当時TVの時代劇ドラマはフィルム撮影が当たり前。ビデオ収録の「天と地と」にはかなり違和感があった。大河ドラマの基本はスタジオ収録である。屋内も屋外もセット。これをフィルムで撮影すると、映像に陰影ができて、簡単にいうと映像にある種の紗がかかって、セットでもそれなりに見栄えがするものになる。
 ところが、ビデオだと全体的にフラットで、陰影もなにもあったものではない。セットであることがバレバレになるのだ。まるで映画のメイキングビデオを観るような感覚。
 また、画面に灯りが入ると全体が赤くなりおまけに一定時間(数秒ではあるが)尾を引く。時代劇にビデオは適さない。当時なぜ大人たちが大河ドラマをありがたがるのかわからなかった。

 そんな映像に関して少々マセた少年が日曜20時、自分の意志で大河ドラマにチャンネルを合わせるときがくる。「勝海舟」だった。「君は海を見たか」「2丁目3番地」等で注目していた倉本聰が脚本を担当したからだ。ほかにも岡田以蔵役が萩原健一、坂本竜馬役が藤岡弘(現藤岡弘、)と、配役もわくわくものだった。1974年というと中学2年から3年にかけてだ。
 開始早々、主役の渡哲也が病気で降板してしまうわ(後任は松方弘樹)、スタッフと衝突した倉本聰は解任されてしまわ、何かと御難続きのドラマだったが、第1話の感動が忘れられず、1年間つきあった。ショーケンの人斬り以蔵も登場回数は少ないものの強烈なインパクトがあった。

 数年後「花神」にしっかり1年間つきあった。今となっては理由がわからない。主演が中村梅之助だったからだろうか。愛川欽也が画面に登場すると、とたんに楽しくなった覚えがある。1977年だから高校2年から3年にかけて。

 しばらくぶりに大河ドラマを観る気になったのが「太平記」である。新田義貞役にショーケンがキャスティングされたのだ。新田義貞といえば、鎌倉時代に郷里の太田(周辺)を治めていた人物ではないか。地元にはオープンセットが建設された。
 が、病気のためショーケンはあっけなく降板。以来、観なくなった。ドラマ自体はそれほど面白くなかったからだ。


     ◇
 1991年2月3日(日)

 (略)
 夜、NHK「太平記」を観る。
 大河ドラマを観るのはこれで3度目。「勝海舟」「花神」と続き、そして「太平記」なのだが、何も太田や足利が制作に協力しているとかが理由ではなく、ショーケンが新田義貞役で出演しているからだ。
 しかし、ドラマの展開がいまいち面白くなく、ショーケンもほとんど出てこない。
 「勝海舟」のときは、第一回で感動して、そのまま最終回まで観続けたのに。
 ドラマ作りは昔に比べてものすごく進歩している。
 ロケがふんだんにあり、“時代”をリアルに再現している。
 セット々していた昔の大河ドラマがウソみたいだ。
     ◇

 「琉球の風」(1993年)にもショーケンが出演したので毎週観ていたのだが、最後までつきあったのかどうか。ストーリーも何も全部忘れている。
 市川崑監督「四十七人の刺客」を観てからというもの、歴史的事実としての忠臣蔵(赤穂事件)に興味を持った。さまざまな書籍をあたるようになって、江戸時代、それも元禄時代に興味を抱いた僕は「八代将軍吉宗」(1995年)に飛びついた。ジェームス三木のオリジナル脚本。
 吉宗が少年から大人(西田敏行)になるときの演出が大胆だった。少年吉宗が疱瘡で顔中包帯をまいていた。ある日包帯を解くと西田敏行になるのだ。
 吉宗の長男で言語障害を持つ家重が印象的だった。演じた中村梅雀は中村梅之助の息子さんだという。このドラマで注目され、今は2時間ドラマのいくつかのシリーズで主役を演じる人気俳優だ。

 江戸時代がマイブームになると、大河ドラマも江戸時代が舞台になったら観ることに決めた。
 1998年から2000年にかけての「徳川慶喜」「元禄繚乱」「葵徳川三代」。
 特に「元禄繚乱」にハマった。忠臣蔵ものということもあるが、徳川綱吉に扮したショーケンが出色の演技を見せてくれたのが要因だ。夕景に2回レビューを書いている(「四十七士討入り」 「忠義の士」)。
 ショーケンの台詞に声の裏返りが見られたが、演技の一つという認識だった。エキセントリックな人物によく似合っているもんだと。まさか、このあと、どのドラマでも頻繁に見られるようになるなんて思ってもいなかった。
 
 というわけで、数年間表舞台から離れていたのは、理由は別にして、よかったのではないだろうか。本人にとってもファンにとって。。




 90年代のショーケンって活躍していたんだと、改めて思う。
 「あいつはトラブル」、一般的にはあまり人気がなかったようだが、個人的には大好きだった。ショーケンの真似して黒皮のハーフコート買ったくらいだから。こんなこと生まれて初めてだった。
 NHKのニューウェーブドラマ、「課長さんの厄年」、「冠婚葬祭部長」、「外科医柊又三郎」(ただし、PART2はつまらなかった)、そして「元禄繚乱」。とりあえず、いまのところ、ショーケンの活躍はこの大河ドラマをピークにして終わっている。自分の中では。
 この前、「リンカーン」で「太陽にほえろ!」のパロディ(?)ドラマをやっていた。さまぁーずの大竹がマカロニ刑事に扮していた。けっこうに似ていて笑った。まあ、このドラマのキモは松本人志の「OK」の繰り返し、なんでしょうが。
 「太陽にほえろ!」がむしょうに観たくなった。CSで放送されているらしい。

 ついでに、90年はローリングストーンズのコンサートにも足を運んでいます。
 
     ◇

1990年9月24日(月)

 待ちに待った、ホントに夢に見るまで楽しみにしていたショーケンのコンサートを渋谷シアター・コクーンで観る。

 最近のショーケンの活躍は目をみはるばかりだ。
 特にフジテレビ「あいつがトラブル」のコミカルタッチの演技以来、今までの演技々して、どこか力の入ったカタイ芝居から、初期の自分の感性に合った軽いノリの芝居になって、大変うれしい。

 そして、しばらくぶりのコンサート。
 A席6,000円は高かったが、いつもビデオでしか観られなかったライブ(アンドレ・マルロー・バンド、今コンサートにおいて同じメンバーなのに、なぜかブラック&マルローバンドに変わっていた)の名演奏が生で聴けるかと思うと、うれしくてうれしくて。

 とにかく興奮の2時間だった。






 念願のイベントを開催する。
 昨年のトリビュートライブに続く第二弾! 題して「紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会」。

 赤い鳥・紙ふうせんファンといいながら、実は赤い鳥のコンサートに足を運んだことがない。ファンになったとき、赤い鳥は解散間近だった。おまけにこちらは中学3年。地元でコンサートがあったとしても行けたかどうか。だからこそ、紙ふうせんになってから大いに期待していた。地元太田、隣町の足利、コンサート情報を耳にしたら絶対に行っていたと思う。
 初めて自分の金でチケット買ったのがチューリップだった。高校1年のとき、クラスメートに誘われのだ。授業を終えてから3人で足利市民会館へ。雷雨が激しくて、その影響からか会場がガラガラだったのを憶えている。
 とにかく、紙ふうせんは太田にはやってこなかった。上京したときには関西に帰っていて、東京及びその近辺のコンサートの情報は、悲しいかな、僕の耳に入ってこなかった。
 生のステージに触れるまで17年かかった。

 そんなわけだから、初期のライブがどんなものなのか、とても興味があった。
 もう何年の前のこと。後藤さんにお願いした。昔のライブ音源を聴くことができないでしょうか? 
 オープンリールで保存されていた音源がCDに変換されてやっと借りることができた。
 関東地区のFCのメンバーに声をかけて「初期のライブ音源を聴く会」を開催します。表参道のおしゃれなカフェバーで、日曜の昼下がり、ちょっと遅めのブランチのBGMで。
 せっかくだから、もし、紙ふうせんに興味ある方、隠れファンです、なんていう方がいらっしゃれば、ご一緒にいかがでしょうか?

 シングル「冬が来る前に」は1977年11月にリリースされたのだが、レコードになる前から、紙ふうせんはステージで歌っていた。その2年前、まだ東京に事務所をかまえていたときから。「ミュージックフェア」の二度目の出演時に披露している。また全然知られていないが、東芝EMIから某アーティストがシングルリリースしている。この話、作曲の浦野さんからお聞きしたときは驚いた。ずいぶん後になって、東芝EMIの社員と知り合う機会があって、確認してもらったら本当だった。

 1975年の大田区民センターと1977年大阪フェスティバルホールのライブの2本を聴いてもらう。
 1977年のライブはライブアルバム用に録音されたものだ。実際、「冬が来る前に」プロモーションでラジオ等に出演してふたりが盛んにPRしていた。コンサートに行ったことがない僕はこのライブアルバムのリリースを楽しみにしていたものだ。結局リリースされなかったのだが。

 収録されている「冬が来る前に」は浦野さんのアレンジ、まさにフォルクローレ調だ。
 歌詞もちょっと違う。個人的にはこちらの方が好きなんだけど。後藤さんらしい色を感じる。


                    記

●紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会

日 時:2009年12月13日(日)
     14:00~17:00(予定)

場 所:brim 
     渋谷区渋谷2-3-4 スタービル青山1F
     TEL 03-5485-3034
      詳細

会 費:5,000円(料理&フリードリンク)


                                     以 上






 承前

2009/10/07

 「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂/光文社新書)

 GW、NHKで「少年サンデー」と「少年マガジン」創刊から黄金時代までの熾烈な競争をドキュメントとドラマの2部構成で描いた番組が放送された。なかなか面白かった。
 本書はその亜流だと思ったら、著者は番組の製作者だった。より情報量の多い活字、それもドラマではないノンフィクションは無類の面白さ。夢中でページを繰った。

 ショッキングな事実を知った。寺田ヒロオがペンを折る理由の一つは赤塚不二夫の「おそ松くん」にあったのかもしれない。関係者の証言でそう判断できるのだ。「少年サンデー」に連載を持っていた寺田ヒロオは、担当編集者に「あんなマンガはやめなさい」と愚痴っていたという。
 トキワ荘時代の寺田ヒロオと赤塚不二夫の関係を知る者にとってこの事実は堪える。晩年二人ともアルコール中毒になるのも何かの因縁だろうか。

 記述におかしなところがあった。
 よど号ハイジャック犯人の「われわれは明日のジョーである」という声明。
 犯人グループは、自分たちを主人公・矢吹丈になぞって「燃え尽きるまで闘う」ということを主張したといわれる、と書くのだが、このときはまだ「あしたのジョー」は最終回を迎えていない。闘うことは主張したかもしれないが、「燃え尽きるまで」かどうか。著者の勝手な解釈ではないか。

 読みながら思った。
 マンガの好みはサンデーなのに、マガジンのことしか覚えていない。
 ちなみに、両誌とは同い年。


2009/10/12

 「昭和シネマ館 黄金期スクリーンの光芒」(紀田順一郎/小学館)

 「黒澤明という時代」と同じ趣旨で書かれた本。
 映画を封切された当時の状況を鑑みて評価する。
 「七人の侍」「二十四の瞳」が当時どのように世間に受け入れられたのかよくわかる。


2009/10/14

 「地獄の映画館」(小林信彦/集英社文庫)

 単行本は持っているが、インターネットの古書店で文庫本を発見、あわてて購入した。
 日本映画が徐々に斜陽になっていく様がわかる。


2009/10/18

 「臨場」(横山秀夫/光文社)
 
 やっと図書館で見つけた。
 「赤い名刺」「眼前の密室」「鉢植えの女」「餞」「声」「真夜中の調書」「黒星」「十七年蝉」の8編収録。TVドラマとは主人公のキャラクターが若干違う。だいたいもっと年齢が上だ。


2009/10/20

 「お言葉ですが… 別巻②」(高島俊男/連合出版)

 草思社webで連載されていた「新・お言葉ですが…」が「別巻」として本になった。まさか第二弾が出るとは思っていなかったから図書館で見つけたときは驚いた。同時に歓喜した。
 山田洋次監督の時代劇映画「たそがれの清兵衛」を取り上げ、台詞の間違いをあれこれチェックしている項が興味深かった。
 まず「他人事」。これをある役者は「たにんごと」と言うのだが、江戸時代ではそんな風に言わないと。これは僕にでもわかり、感想で指摘してること。そのほかにも色々指摘している。
 江戸時代に「勉強」に今で言うところこの「勉強」の意味はない。
 清兵衛の娘が年齢を聞かれて「十歳になったでがんす」。これもアウト。「とおでがんす」だろうと。

 時代劇は難しい。


2009/10/22

 「週刊誌は死なず」(元木昌彦/朝日新書)

 ヘアヌードをやめてから「現代」も「ポスト」も以前の勢いはなくなった。「新潮」は大チョンボを犯す、トップの部数を誇る「文春」だって、昔に比べたら面白くなくなっている。元気がなくなっていることは確か、なのだが。


2009/10/27

 「『平凡』の時代」(阪本博志/昭和堂)

 〈1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち〉の副題に興味をそそられた。読み始めてがっかり。論文なのだ。文章が硬い。最終章で、図解がでてきて、〈「『平凡』の時代」におけるトライアングル〉〈パースペクティブ〉なんて表現がでてくると、もうお手上げだ。
 グラビアには貴重な資料の数々。これは価値がある。
  「平凡」の最終号、買った憶えが……。


2009/10/29

 「談志映画噺」(立川談志/朝日新書)

 談志さんと小林さんって、映画を語らせたら話合うだろうになぁ。







2009/10/03

 「ウィンクで乾杯」(東野圭吾/祥伝社文庫)

 ビートルズの名曲に隠された真相!? と帯にあるが、しようもないトリックでがっかり。かなり昔に出版されたもの。刷数を重ねているので人気のあることがわかる。


2009/10/04

 「黒澤明という時代」(小林信彦/文藝春秋)

 小林信彦が「本の話」に「黒澤明という時代」を連載を始めたのは、中野翠の「小津ごのみ」(筑摩書房)の影響だと思っていた。彼女が小津を語るのなら、自分は黒澤だと。それもリアルタイムの鑑賞記録。これなら誰にも書けはしない、なんて。
 連載中、「本の話」が送付されてくると、真っ先にページを開いた。そのくらい楽しみにしていた。
 一番注目していたのは「天国と地獄」。かつて小林信彦はこの作品について「失敗作」と書いているのである。「われわれはなぜ映画館にいるのか」(晶文社)→「映画を夢みて」(ちくま文庫)所収の「黒澤だけしか頭になかった」。

     ◇
 「天国と地獄」は、失敗作であるが、再見に耐えうる。それは、室内から特急列車にイメージがひろがり、犯人からの連絡を待つ件りのサスペンスのつみ重ね、映像的にじつに面白いからである。
 ただそのサスペンスは、「酔いどれ天使」のような、人間対人間のぎりぎりの対立から発するものではない。
     ◇

 ところが本書では「天国と地獄」を絶賛している。
 昔観た映画の印象が現在と違うなんてよくあることだ。僕自身、「天国の地獄」は観るたびに面白くなっていく。知りたいのは、なぜ昔は「失敗作ではあるが再見に耐えうる」と思ったのか、である。どのように傑作になりえたのか?

 にもかかわらず、小林信彦はこう書くのみ。

     ◇
「天国と地獄」の当時の評価は、〈すばらしく面白いが……〉とはいうものの、文句なしの傑作というものではなかった。私は傑作と思ったが、後で触れる問題がひっかかり、また原稿の注文もなかった。映画ジャーナリズムとある距離を置いていたせいもあるだろう。
     ◇

 このあとその問題(仲代達矢扮する警部の在り方)に触れるが、そんな問題を持ち込んだらドラマがこわれてしまうと書く。失敗作のしの字もない。これはどういうわけか。

 もうひとつ、「デルス・ウザーラ」の項で「犬神家の一族」の試写を観たことが書かれている。このくだりを読む限り、まったく評価していないことがわかる。苦笑い。


2009/10/04

 「男はつらいよ 推敲の謎」(杉下元明/新典社新書)

 映画「男はつらいよ」シリーズには決定稿のほかに、準備稿が残されていた。推敲の過程で、ストーリーやキャラクターがどのように練り上げられたのかと、全48作の関連を調べ上げている。最初から最後まで同じ調子。それほど発見はない。
 で、考えてしまった。この本の意味は何だろう?


2009/10/05

 「手塚治虫 知られざる天才の苦悩」(手塚眞/アスキー新書)

 手塚眞には父親・手塚治虫を語った著作「天才の息子 ベレー帽をとった手塚治虫」(ソニーマガジンズ)がある。今年になって『「父」手塚治虫の素顔』と改題されてあいうえお館という新興出版(だと思う)から上梓された。とすると、本書が書かれた意味は何だろう? それほどの違いは感じられなかった。父親として手塚治虫、クリエーターとして手塚治虫、の違いだろうか。
 アニメ作家として宮崎駿監督を無視する態度は徹底している。

 
 この項続く




 昨日22時からNHK「追悼 森繁久彌さん」を観る。
 森繁さんの訃報を接したのは市橋某の逮捕と同じだった。帰宅したらかみサンから逮捕されたことを聞かされ、それから「森繁久彌が亡くなったって」。
 96歳。大往生だろう。98歳で亡くなった、自分の祖父を思い出した。死因は同じ老衰だった。

 追悼番組では映画「恍惚の人」に膝を打った。
 リアルタイムに観た最初の主演映画が「恍惚の人」だったのだ。中学生だった。モノクロスタンダードサイズは当時でも珍しかった。映画はとにかく怖かった。そんな印象だったことを今も覚えている。
 有吉佐和子の原作小説は家にあった。母親が買ったのだろう。新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」シリーズの1冊。函入り。後年このシリーズの小林信彦ものを購入するとは。小説を読んだから映画を観たのだろうか? 映画を観てから原作はどんなものだろうとたまたま家にあった小説をあたったのだろうか? 覚えていない。
 確か、この小説(映画)から「恍惚」という言葉を知った。「恍惚」=「痴呆症」のイメージだったが、しばらくして全然別の意味だとわかった。
 
 「しれとこ旅情」を作詞作曲していることも当時驚きだった。俳優が詞だけでなく曲も書いているのだから。

 森繁久彌の偉大さを知るのは小林信彦が中原弓彦名義(昔のペンネーム)で書いた「定本日本の喜劇人」(晶文社)を読んでからだ。〈森繁病〉なる言葉も知った。第一線に躍り出た喜劇人が笑いを捨てペーソスに走る傾向のことだ。
 
 番組でも流れた「夫婦善哉」が興味深い。喜劇人森繁久彌が俳優に転進したと思われた映画である。これまでもいろいろなところで噂に聞いているが、映画をきちんと観たことがない。
 どこかの局が追悼番組として放映してくれないだろうか。

 合掌






 承前

【第二部】

 「It's So Easy」「Fist of May」は4月のスペシャルライブで披露された。思わず両耳のうしろに手のひらを当てたのが「Fist of May」(「若葉のころ」)。前奏が「メロディ・フェア」なんだもの。安野さんのチェロの第一音に感激した。ビー・ジーズのナンバーが取り入れた音楽映画(?)「小さなの恋のメロディ」には特別な思い入れがある。年端のいかない、まだまだ子どもの男女が結婚しようと思いつめる、ラストには大人たちに反乱を巻き起こす映画。
 個人的な思い出について「僕たちの赤い鳥ものがたり」143~144ページに記載している。ちなみに「ベニスに死す」は中年男が美少年に恋焦がれる映画。

     ◇
 6年の時にクラスの友だちと足利まで観に行った。併映が「ベニスに死す」だった。母親たちがそんな恋愛映画を12歳の子どもに見せていいものかと電話で相談しあっていて、7、8人いたメンバーが3人になってしまったのだった。
     ◇
 
 続いて、〈Foreverマリー・トラバース〉と銘打たれた「Peter,Paul&Maryメドレー」
 マリーさんの死を知ったのは、すぎたさんのブログだった。それも10月過ぎてから。毎日ネットニュースを閲覧しているのに、まったく情報が入ってこなかった。全然話題にならなかったような気がする。
 といっても、僕自身、PPMは中学、高校時代はあまり親しみはなかった。1960年代に活躍したグループという認識だった。キングストン・トリオ、ブラザース・フォアと同じ括り。「花はどこへいった」「500マイル」は中学時代音楽の授業で習った世代だ。「翼をください」を授業で習っ世代に通じるものがあるのではないか。
 CDを買ったのは社会人になってから。かつての赤い鳥ファンとしてフィフスディメンションやPPMに興味を持つのは当然だろう。

 ステージ下手に立つマイクスタンドがユニークだった。1本のスタンドが上部になると3本のマイクに枝分かれするのだ。珍しい! と思ったのだが、PPMファンにはお馴染みらしい。
 このマイクの前に、平山さんと後藤さんとすぎたさんが立つ。和製ピーター、ポール&マリー。
 「わが祖国」~「レモンツリー」~「悲惨な戦争」~「パフ」~「天使のハンマー」
 最近、メドレーが3曲から5曲へ増えた。2曲だけでも増えたことにより、印象はまるで違ってくる。
 ハーモニー 胸にしみいる三の声
 今回はバックのスクリーンに映しだされたPPMの若かりし姿とリンクして目頭が熱くなった。

 前述した新聞4面の急告はPPMについてなのだ。

     ◇
 急告
 Peter,Paul&Mary
 Mary Traversが天国に召されました。
 紙ふうせんの二人はアマチュア時代(1962年)からP.P.M.の大ファンで、彼らと交流を深め、曲の提供を受けました(サンタモニカ録音、「Here With Me」収録曲“Cherry Blossoms”)。
 (以下略)
     ◇

 マリーさんへの追悼と敬意を表して年末にFM-Osakaで特別番組を計画しているとのこと。PPMファンはメッセージを、大好きな曲とともに送ってほしいと。

 僕は関東の人間だから番組は聴けないけど、もしリクエストするなら「TINY SPARROW」だな。この曲、紙ふうせんは「小さな鳥」のタイトルでカヴァーしている。セカンドアルバム「愛と自由を」で聴くことができる。

 7年前、「うたあふれるままに 紙ふうせん コンサート2002」で思った。あとどのくらい紙ふうせんの歌声が聴けるのか? あのとき後藤さんは60歳までと言っていた。
 今回、「なつかしい未来」はVOL.10まで続けると宣言した。70歳まで歌い続けると。

 楽しみにしてますよ!
 

hana
ロビーに飾られていた生花
紙ふうせんをイメージしたものだという
by 藤原一恵

yuzu
某所で頂いたゆず








 承前

 【第一部】

 今出さん作曲の「オーバーチュア」で始まる。そのまま「街を走りぬけて」へ。この流れ、CBSソニー時代の2枚目、通算4枚目のアルバム「フレンズ」のA面最初に通じる。別曲の「オーバーチュア」であるが。続く「ささぶね」はファーストアルバム「またふたりになったね」の1曲め。紙ふうせんのテーマ曲ともいえるものだ。すぎたさんのリードギターが良い。
 何度も書く。どちらのアルバムもCD化を希望する。せめて「またふたりになったね」は絶対紙ジャケットのCD化を!

 新曲「ふるさとよ」は平山さんの作詞作曲。さまざまなお国言葉が出てくる。今出さんはピアノのほかにシンセサイザーも担当していて、この曲ではハーモニカ音を聞かせてくれる。

 金関さんのヴァイオリンソロが心にしみた北海道伝承歌「赤い山青い山」のあと、本日メインの一つである「くじら唄」。
 山口県長門市青海島、通の入り江で開催される〈くじら祭り〉。新聞によれば、古式漁法による、海上実演、地元小学生、中学生保存会の人々による、鯨唄の歌唱、演奏会が行われている、と。この唄を聴くために、後藤さんと平山さんは7月に現地を訪れた。この民謡に取材した、後藤さんの作詞・作曲の「くじら唄」。
 この唄についても事前に情報を入手した。今出さんのブログである。

     ◇
 ドラムの渡邊愛子は「最初から最後まで」/ずーと同じパターンを徐々にクレセンド&アッチェル。/音程楽器は1曲の中で12の調性が全て出る、/という曲です。
     ◇

 後半の意味はわからないが、前半にはピンときた。
 コメントした。「つまり、「ボレロ」みたいなものでしょうか?」

 思ったとおりだった。「ボレロ」大好きなのだ。イメージとしては「青空と海」のようだった。 



   くじら唄

  青い海に浮かぶ青海島
  深い入り江がめざめのときに
  叫び声が響く のろしがあがる
  くじらが来たぞ サア舟をだせ

  尾ビレは海をたたく 小舟をたたく
  吹き出る汗が真っ赤に染まる
  島が島が動く 鯨がとれた

  鯨が町のあかりをともしたよ
  生きるための生命 くじらのいのちに
  感謝をこめて名前をつけた

  今子供たちが海に向かって
  祈りの唄を あすへと歌う
  祈りの唄が 海へと響く



 やはり色を感じる歌詞。後藤さんらしい。

 続いて万葉コーナー。
 柿本人麻呂の歌に取材して平山さんが曲を作った。
 このコーナーのゲストは小鼓のモチヅキタメトキ(漢字がわからない!)さん。着物姿の女性だ。両隣に当たり鉦を持った後藤さん、拍子木を持ったすぎたさんが立つ。
 平山さんの合図で後藤さん、モチヅキさん、すぎたさん、モチヅキさんの順でそれぞれ一音。
 平山さんが客席に尋ねる。「何の音に聴こえますか?」
 客席「????」
 もういちど繰り返す。客席、何となく理解してきた。

 当たり鉦…ちん
 小鼓  …ぽん
 拍子木 …かん 
 小鼓  …ぽん

 ♪ちん、ぽん、かん、ぽん、♪ちん、ぽん、かん、ぽん
 和楽器サンバが始まって、3人がステージをねり歩く。
 こうしてまず1曲。
「東(ひむがし)の野に~」
 東の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月傾ぶきぬ
 2曲目は、実相寺昭雄の小説のタイトルにも使用されたあの歌。
「天の海に~」
 天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ

 後藤さんが俳句を趣味にしているので、平山さんは短歌に興味を持ったのだろうか? 小林信彦「ぼくたちの好きな戦争」のオープニングを読ませたい。

 ラストは当然「竹田の子守唄」。40年歌い続けた迫力がにじみ出ていた。いつでもどこでも決して色あせない。
 来年は必ず「語る伝承歌、歌うフォークロア 竹田の子守唄朗読会」を開催することを誓う。


 この項続く(ラストです) 
 






 承前

 開演直前、後藤さんの影ナレーション。これもすっかり恒例になった。今回は新聞の誤字訂正をしていた。
 17時30分にちょっと遅れて、まず、バックミュージシャンが定位置に座った。
 上手に金関環さん率いるラ・ストラーダの8人(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ ×2)。これまで地味な衣装だった(と思う)のに、今日は原色が照かる派手さ!
 前列向かって左がファイヤー金関さん。一番右がチェロを持ったテツandトモのトモ……失礼、安野さん。紙ふうせんのバックの場合、これまで男性は2/8だったのだが、今日は4/4。後列に男性二人が増えた。新しい音を聴かせてくれるのか。

 ところで、音楽に疎い方に問いたい。
 ピアノトリオと言われたら、どんな楽器編成を考えますか?

 話は前後する。
 前日、ピアノ担当の、浪速ジャズ界の横山やすし、今出さんのブログを覗くと、10月31日付けでリサイタルについて触れていて、「ピアノトリオに弦楽器8人とサポートボーカルでお二人のバックを努めます。」とあった。
 弦楽器8人はラ・ストラーダ、サポートボーカルは、ギターも兼ねるすぎたさんだとわかる。興奮したのはピアノトリオという文字だった。なにっ、 ピアノが3人! トライアングルに向かい合ったグランドピアノを想像して、あと二人は誰だろうと思った。疑問をコメントした。
 返信は「まさか、ピアノとベースとドラムをまとめてピアノトリオと言いますです。」。
 PC前で真っ赤になった。確かにジャズでは、山下洋輔トリオなんていいますもん。今出トリオって書いていただければ、ベースの浦野さん、ドラムの渡邊さんだってピンときたのに……。

 なつかしい未来新聞によるとこうなる。

  Strings   金関環とラ・ストラーダ
  Pf編曲    今出哲也
  Bass     浦野直
  Guit.Chorus すぎたじゅんじ
  Drums    渡邊愛子

 バックが揃ったところで平山さんと後藤さんが登場。平山さんはリサイタルでいつも衣装を新調する。その姿を見て「ハイジみたい!」と心の中でつぶやいた。後藤さんに言わせると「それ、ウズベキスタンとかカザフスタンの民族衣装みたいやな。タンタン衣装や!」
 珍しく後藤さんも新しいジャケットを着ていた。しわくちゃの水色。平山さんがフォローする。「これ、デザインですから」
 そんな後藤さん、えりあしの長い水谷豊のようだった。
 互いに相棒を紹介するのはいつもどおりだが、平山さんがリーダーを紹介してからの、後藤さんの言葉が珍しかった。薄くなった髪に触れたのだ。
「頭部が薄くなって、頭下げるのがちょっとおっくうになってきまして」
 普通、アーティスト・ミュージシャンは、髪に変化がでてくると、まず隠そうとする。帽子等をかぶるのだ。ファッションとして鎧をつけて決めるわけだ。後藤さんも若いころは帽子をかぶることがあった。が、今はステージでも、たぶんプライベートでもその手のもので頭髪を隠すことがない。いつもありのままの姿。後藤さんのこだわりではないか。
 実際口では何だかんだ言ったものの、しっかりお辞儀しているのだ。
 見習いたい。

 この何年か、いつも不思議に思うことがある。
 TV(や写真)をとおして紙ふうせんを目にする人と、生のステージで触れる人との印象の違いだ。まあ前者は赤い鳥時代のイメージしか持っていないのかもしれない。
 平山さんはいくつになっても変わらない。それは生で見た人たちの一致した意見だ。だからこそ100歳になってもちっともイメージが変わらない平山さんをは魔女だぁと4コママンガは落ちにしているのだ。
 第一部のタンタン衣装は、そんな平山さんのかわいらしさを、第二部の黒いドレスは、ざっくり開いた背中が、妖艶さを醸し出していた。50男をドキドキさせるんだから、まったくもう!


 この項続く
 





 承前

2009/11/03

「紙ふうせんリサイタル2009 なつかしい未来VOL.4」(サンケイホールブリーゼ)

 「なつかしい未来新聞」はフジやゲンダイ同様の夕刊紙サイズ。カラー4面で構成されている。一面には「カトマンズ・オリンピック開幕」の見出しが。

 世界二百四ヶ国が参加のカトマンズオリンピックが開幕した。堂々の選手入場行進には地元の角笛と太鼓、鉦の一万人の民族楽器奏者と友情出演のブータン交響楽団が、大会行進曲“おひまなら来てよね”を演奏。歌のゲストはドミンゴ、カレーラス、そして五月みどり! 選手団が手を振りながら入場。“おひまなら来てよね、わたしカトマンズ……“

 でたぁ! これぞ後藤節。
 オヤジギャグ、もとい、井上ひさしも認めている大人の言葉遊び、日本人らしいユーモア。

 見出し右下に2048年8月2日の日付。
 本日の紙面
 2 なつかしい二千九年のプログラム・芸能、社会
 3 今日の料理。スポーツ
 4 お知らせ

 発行所 (株)企画制作紙ふうせん kamifusen@orange.zero.jp

 広告〈自然体感占冠 えぞ鹿カレー煮 社団法人 占冠山村産業振興公社 SHM〉

 のあとに、今日の一言「ハートのマーク 感動の浪費家」サルトル佐助

 後藤さーん、サルトル佐助は私の方が先に使ってまーす!
  「西洋哲学の背骨」(荻原真/新曜社)

 
 なぜ2048年なのか?
 答えは1面の一番下の「今日の俳句」の欄にある。
 
 行水の白き腕や妻百歳

 作者は城戸跣。
 しろとはだし(しろうとはだし)と読む。誰だかわかりますか?

 曰く「我らが泰代さんは百歳の大台にのった。『冬が来る前に』いまだキーを下げず、堂々と歌う。(以下略)

 2面に度肝抜かれた。

 39年前、大阪・サンケイホールブリーゼで開催の紙ふうせんリサイタルのプログラムが入手できた。ここにあの日の舞台を振り返ってみよう。
 
 というキャプションとともに、本日のプログラム(セットリスト)が掲載されていたのだ。

  第1部

  オーバーチュア
  街を走りぬけて
  ささぶね
  ふるさとよ
  赤い山青い山
  くじら唄
  柿本人麻呂歌集より 東(ひむがし)の野に~ 
      〃        天の海に~
  竹田の子守唄

  第2部 
  
  It's So Easy
  Fist of May
  Foreverマリー・トラバース Peter,Paul&Maryメドレー
  ホーハイホー
  虹
  翼をください
  Route-43
  船が帰ってくる

  アンコール
  紙風船
  冬が来る前に
  まつり
 
 同じ面には「ノブリンの気分は青春! 天気は○○です90分」が43年ぶりに復活した記事がある。宇宙ステーションからの生放送だ。
 最初の見出しを目にしたときは本当だと思ってしまった。

 第3面は伝承歌に取材した新曲「くじら唄」の紹介(2009年11月記事より)。
 その右下、〈今日の料理〉欄に「くじらのはりはり鍋のレシピが掲載されているのにニヤリ。さすが後藤さん。
 左には「阪神悲願の63年ぶりに日本一!を通り越して世界一!」

 4面には急告とファンクラブ入会のご案内。
 そして、「なつかしくん」なる四コママンガ。伝説の200才デュオ紙ふうせん。
 これいいなあ! タッチがやさしくてほほえましい。
 作者はかぐざらかえふ。わかぎえふのもじりだろうか? 
 えとうさんですよね、本当は。違うか。

 
 この項続く






 承前

 旧サンケイホールにおける紙ふうせんのラストステージは02年の「うたあふれるままに 紙ふうせんコンサート2002」。大阪に着いてFCメンバーから後藤さんがマムシに噛まれたと聞かされて肝を冷やした。大事に至らなくて良かった。だからこそコンサートは開催されたわけだが。画期的なコンサートだった。犬たちが次々と会場に入る光景は忘れられない。原曲の歌詞を取り入れてまるで組曲のようになった「竹田の子守唄」も。
 終演後、大阪サンケイホールが閉鎖されることを知った。東京と同じ運命になるのかと思ったら、リニューアルされるという。実際に閉鎖されたのは3年後の05年。ビルは取り壊され、跡地にブリーゼタワーが建設された。このビルの7階に「サンケイホールブリーゼ」としてがオープンしたのである。
 ブリーゼとはなんぞや? 〈そよ風〉を意味する造語だとのこと。

 開演までまだ時間があるので、ブリーゼタワーのまわりを散策する。正面フロアから出て左折。表通りの並びにはもうすぐ寺尾のちゃんこ屋がオープンする。もう少し歩いて路地を入ると、昔風の洋風建物が目に入った。風情があってよろしい。面白そうな飲み屋が軒を並べている。反対側のビルの通路に入ると、右側は日本酒が揃っている居酒屋、左側には「眠眠」という中華料理屋だった。そのまま通り過ぎて大通り側に出る。右折すると大きな交差点。タワーの方にまた右折。東京でもよく見かけるカフェがあったので、時間つぶしに中に入る。しばし読書の時間。
 北海道のTさんより電話。「やっぱり行けなかった!」
 昨年はドラマシティのホールそばのカフェでTさん夫婦と時間をつぶしたんだだっけ。この何年かずっと参加したのだが、今回は叶わなかった。
「やはりダメでしたか。12月の『紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会』にはぜひ来てください。できるなら、ですが」

 16時半を過ぎて会場に戻った。すでに入り口はお客さんで賑わっていた。FCの面々の顔も見える。マネージャーのN氏が受付で招待客や当日チケットの受け取りするお客さん相手にかいがしく動いている。こうした風景もこの10年ですっかり秋の恒例となった。
 一昨年は写真展だった。昨年は絵画(と絵が描きあがるまでのメイキングビデオの上映)。今年は何が出迎えてくれるのだろうか?
 「なつかしい未来新聞」だった。2048年8月2日(冥曜日)付けの新聞! 何だこりゃ?!

 「紙ふうせんリサイタル2009 なつかしい未来 VOL.4」はこうして始まった。


09 live


 この項続く






 承前

 サンケイホールはかつて東京と大阪両方にあった。東京は大手町に「サンケイホール」として、大阪は梅田に「大阪サンケイホール」として。東京のサンケイホールはずいぶん昔に閉鎖された。いつだったのだろう? 大学生のころだったか、社会人になってからか。80年代だったことは確かだ。以降大阪だけの劇場ホールになって、個人的には紙ふうせんのコンサートがよく開催されるホールとしてインプットされた。

 紙ふうせんFCが出来たのは「冬が来る前に」ヒットの後だった、と思う。高校3年のとき、あるいは予備校生のときに事務所から案内をもらった。後藤さんが提唱(?)する〈歌を通した文化活動〉に興味を持った僕はファーストアルバム「またふたりになったね」のライナーノーツで冊子「紙ふうせん」を発行していることを知った。購読したくて事務所に二度ばかり手紙をだしたのだ。住所を控えていたのだろう、で、案内が郵送された。
 FCの結成はうれしかった。が、このときは入会しなかった。自分なりの考えがあってのこと。当時FCの存在をバカにしていたところがあった。歌手が新曲をリリースすれば、FCから連絡があってTVやラジオの歌番組にリクエストしようなんて依頼が来る。それが会員のノルマ、なんてことがあるのではないかと相手にしていなかった。

 FCの存在意義を知ったのはずいぶん経って、社会人になってからだ。
 情報収集。それにつきる。
 紙ふうせんの場合、関西に帰ってしまってまるでその活動が見えなくなってしまったのだった。
 もっと早く入会していれば、東京で開催されるコンサートに足を運べたのだ。大学時代、紙ふうせんは年に何度か関東でライブを行っているのである。
 80年代半ばにFCに入会してから送られてくるコンサート情報はほとんど関西以西だった。秋になると事務所主催のコンサートのチラシが同封されるのだが、結婚して子どもができた身では往復の新幹線代が捻出できない。毎年、くやしい気持ちでいっぱいだった。そのチラシにサンケイホールと明記されていたのを何度か見ているのである。

 初めて紙ふうせんの生のコンサートを観ることができたのは1991年。6月30日だった。仕事を無理やり入れて出張という形で大阪にでかけた、確か。

 当時の日記から。

     ◇
 8時40分、東京発のひかりに乗り込み大阪へ。
 12時30分、Hさん(FC会長)と待ち合わせ。
 昼食をとった後、コンサートまで時間があるということで、海遊館へ行き水族館を見学する。
 18時30分、開場、胸をときめかせながら一番で入場。
 19時、コンサート開演。
 キーボード、サックス、ドラムスがまずセッティング。そして、サングラスをかけた男性3名(後藤さん、西口さん、+ギターの人、この人ジョン・レノンに似ていて、キャラクター的に面白い)が登場。その姿はまるでTMN。
 1曲めは「翼をください」。
 過去のコンサートを見たわけではないので、今回と比較できないが、よりポップに、よりアダルトに、って感じで、その方向性が自分に合っている。特にサックスがバックに加入していたのがうれしい。
 ただ紙ふうせんのファンがそれを求めているかというとはなはだ疑問だ。

 第二部はフォルクローレから始まる。
 「コンドルは飛んでいく」「別れの鐘」をゲストのフォルクローレバンドの演奏で唄い、フォルクローレ好きの僕をグッとさせる。
 続く「霧にぬれても」あるいは大感激の「紙風船」(今回、フォルクローレ風アレンジだった)などを聴くと、紙ふうせん(というか後藤さん)のメロディ作りはフォルクローレにあると思われる。

 ラスト。
 アンコールで「竹田の子守唄」ともう1曲唄ったのだが、そのときショーゲキ的発表があった。
 紙ふうせんに2人加入し、今後は「TSU-BA-SA」というグループ名で活動していくというのだ。
「紙ふうせんの名はどうなってしまうの?」
「でも、今日のステージは、確かに新グループとして見た方が良かったな」
     ◇ 

 この項続く






 生活の中である種の規則性が生じてきて、そのことをはっきり自覚すると以降そのパターンに従って行動するところがある。自分の中で決まりごとができるとしっかり遵守するというべきか。

 たとえば、大晦日の夜、ハーゲンダッツのアイスを食べながらテレビ東京「ジルベスターコンサート」のカウントダウンを観るのが、いつのまにかわが家の恒例行事となった。
 休日家にいるときは近所のファミリーマートで必ず購入するものがある。「ぼくのおやつ」のメキシカンチップスタコスとファミマオリジナルのカフェオレ。計205円。カフェオレを愛用のカップに注ぎ、タコスをつまみながらTV番組やDVDを鑑賞するのである。105円の「ぼくのおやつ」シリーズはいろいろな種類があるが、メキシカンチップスタコス以外に手をだしたことない。
 
 同じことが大阪行きの新幹線に乗るときにも言える。だいたい昼過ぎに東京を出発する新幹線に乗るので、列車内で昼食をとることになる。さて何の弁当を買うか。これも決まっている。ホームの売店で売っているカツサンドとカフェオレだ。ついでにビールとカキPも買っておく。
 座席についてもすぐには食べない。走り出して品川を通過したあたりで、袋からカツサンドとカフェオレを取り出す。食べ終わると今度はビールのプルトップを引く。こうしてカキPをつまみにしてしばらくの間読書にいそしむわけ。

 11月3日(火)の文化の日、12時ジャスト東京発のぞみ229号で大阪へ。今回の旅の友は「テレビの笑いを変えた男横澤彪かく語りき」(扶桑社)。ニッポン放送からフジテレビに移籍したアナウンサー塚越孝がかつてのフジテレビ名物プロデューサー横澤彪にインタビューした本だ。読了すると「チーム・バチスタの栄光」(海堂尊/宝島社)を取り出して読みすすめる。人気が高くて地元の図書館に予約しても順番がまわってこない。別の図書館にあったのであわてて借りてきたのだ。

 15時前には大阪に到着してしまった。
 とりあえず、会場となるサンケイホールブリーゼに向う。
 大阪(梅田)には何度も来ているが、未だに場所が点でしか理解できない。線としてつながらないから、看板等を確認しながら今自分がどこにいるのか、目的の場所はそこからどう行けばいいのか、あれこれ考える。今回は某ブログで紹介されていた地下街を通るコースを参考にさせてもらった。確かに楽にたどり着くことができた。
 エスカレーターで地下から1階に出る。以前とまるで様子が違った。ここファッションビルじゃないか! 吹き抜けには巨大なあやつり人形(ピノキオ?)が設置されている。10mはあるだろうか。お客さんの多くが皆人形を見上げている。音楽に乗って人形が動いているのだ。あまり滑らかな動きではないが。時計を見ると15時過ぎ。からくり時計みたいなものか。
 そのままエスカレーターでホールのある7階へ向う。
 おしゃれなカフェが目に入った。ショーケンコネクションと連絡がとれなかったことが残念でならない。彼らとここで情報交換できるのに。今年は何かと話題が豊富だし。mixi退会して連絡の術を失った。

 ホール入口。鮮やかなスタンド花がいくつも並んでいた。宛名は「紙ふうせん」。「紙ふうせんリサイタル2009」が17時30分から開催されるのだ。


 この項続く
 





プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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