2009/11/26

 「つむじ風食堂の夜」(ユーロスペース)

 今年6月に封切られた「真夏のオリオン」が篠原哲雄監督作品だと知って驚いた。これまでのフィルモグラフィからするとまるで水と油のようなジャンルだからだ。
 潜水艦をフィーチャーした戦争映画。本来なら興味津々になるはずなのに、どうにも食指が動かなかった。原作があるにもかかわらず、あまり重要視されず、脚色の福井晴敏だけを売りにする。だったら最初から福井晴敏にストーリーを書かせろ! どうにも我慢できない。結局観なかった。
 ひとつだけ気になっていることがある。潜水艦内のディティール描写だ。樋口真嗣監督「ローレライ」ではほとんどないがしろにされていたこの描写を、篠原監督ならきちんとフォローしてくれているような。まあ、DVDになったら確認するしかない。

 初期の「月とキャベツ」や「洗濯機は俺にまかせろ」、評価の高い「深呼吸の必要」も観ていない僕が言うと信憑性に欠けるかもしれない。でも断言してしまう。ディティール描写こそ篠原監督の真骨頂だ! 「山桜」はまさに篠原監督の腕が発揮された映画ではなかったか。
 「木曜組曲」でも「昭和歌謡大全集」でも料理を実に美味そうに撮っていた。そういう意味では新作「つむじ風食堂の夜」は必見だった。
 同名の原作小説も作者の吉田篤弘も知らなかったくせに!

 先に小説を読んでいたら、映画化なんてこれっぽっちも考えない。映画を観ながら小説世界が想像できた。
 架空の町〈月舟町〉の一角にあるつむじ風食堂。そこに集う心優しき人たちの何気ないエピソードのスケッチ。活字だから成り立つ世界がある。ある種のファンタジー。筆致とか行間とかを楽しむ小説だと思う。

 原作ファンに言わせると、小説世界がそのまま映像化されているとか(脚本は久保裕章)。つまり理想的な映画化ということだ。
 適材適所のキャスティングとディティール描写にあると思う。
 主人公(小説だと狂言廻しか)の八嶋智人、その父親で蒸発したマジシャンに生瀬勝久。帽子屋の下條アトムはTVで慣れ親しんだ語りとはまた違う優しい口調が良い。八百屋役の芹沢興人はうだつのあがらない土屋晃之みたくて印象深い容貌。宇宙の果てについては十代のころ僕自身が同じことを考えた。
 描写ではやはりつむじ風食堂の定食に注目した。ああ、クロケット定食が食べたい! 定食といいながらなぜライスがないのだ? コーヒー店のエスプレッソの煎れ方、その見せ方がたまらない。特別な方法ではないのだけれど。

 映画は小説のように章立てになっている。映画のもうひとつの主役は劇中に登場する手書き文字だ。なんとなく小津映画を彷彿させる作りではないか。って、中野翠の「小津好み」の受け入りでしかないのだが。映画にある種の品格を与えている感じ。二井さんいい仕事しています。




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2009/12/15

 「立川談四楼独演会 第167回」(北澤八幡神社 参集殿)

 承前

 今回の独演会は、もうひとつ楽しみにしていたことがあった。
 あのニュースに対する真相――
 なんて書くととても大げさだが、こういうことである。

 ことは13日に遡る。
 webのニュース(ブログ)で以下の記述が拝見できた。それも数多くの。
 
    ◇

 首相動静―12月12日 【午後】5時38分、居酒屋「もつ焼宇ち多」。仙谷行政刷新担当相、松井官房副長官、中山首相補佐官、落語家の立川談四楼氏、立川左談次氏、落語評論家の寺脇研氏らと軽食

    ◇

 寺脇研氏の肩書きが〈落語評論家〉には笑ってしまったが(映画評論家もしくは単なる評論家だろう)、まあ、師匠と一緒に呑むのはわからなくない。しかし、なぜ現役の政治家、それも首相と居酒屋で〈軽食〉なのか!?
 誰か、この件の詳細を綴っていないのか。

 もしやと思ってキウイさんのブログを覗いてみた。
 きちんと取り上げている、さすがキウイさん。なるほど、居酒屋には談四楼、左談次両師匠のほかに談之助師匠、談修さん、キウイさんの立川流の面々がいたのか。キウイさん、首相に新刊「万年前座」を手渡したって? すごい宣伝。
 そこまではよくわかった。それ以上に疑問がわいてきた。
 居酒屋の場所が上野駅や徒町駅近辺なら、広小路亭の寄席が終わってからの打ち上げだとわかる。ところが、〈京成線立石駅近く〉と書いているではないか。なぜそんなところで呑んでいるんだ? それも広小路亭の寄席はこれからだとも。おいおい、いったい何のための呑み会? そういったことについては何も触れていない。ブログを読んで余計こんがらがってしまった。

 当日のプログラムに掲載された挨拶にこうある。

    ◇

(略)
 十二日の晩に鳩山首相と一杯飲りました。朝日新聞の〝首相動性〟に「落語家の立川談四楼氏らと軽食」と載ったとかで、翌日の講演先の桐生ではちょっとした評判でした。ロビィでは「大したもんだ」との声しきりだったそうで、ということは、今までは大したことなかったわけで…。なぜそうなったかはマクラで。
(略)

    ◇

 二席めのマクラでたっぷり語ってくれた。
 なぜ、立川流のメンバーが揃ったのか、なぜ立石なのか、すべて得心できた。そういうことか! 
 落語が好きな政治家がいて、師匠のファンだという。寺脇氏の仲介で飲みの席が用意された。そこに首相のマスコミ向けパフォーマンスがプラスされたと。簡単にまとめるとそういうことになる。この経緯、ギャグとデフォルメで大爆笑だった。
 いつもだと、この手の時事的な話は一席めのマクラで披露する。長めのマクラで沸きに沸かせて短めの噺で締める。二席めはマクラはほどほどに長めのネタで唸らせる。
 今回は二席めに長いマクラを持ってきた。演目が「らくご」だからだろう。酒の噺のマクラには最適だもの。
 師匠の「らくご」は06年の「経堂駅前寄席」が最高だと思っているが、あのときに勝るとも劣らない。こう書くと、ほかのはよくないのかといわれそうだがそうではない。その差は疲れで声が枯れている点。これがこの噺にリアリティを加える。より迫力を増すというのだろうか。






 22日(火)の「ふたいサロン」は「シネマの手帖」(暮らしの手帖社)発刊記念パーティーだった。この件についてはまた後で。また後でがたまりにたまっている……。
 予約していた本が届いたということで羽○図書館から「御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち」(三遊亭円丈/主婦の友社)を借りる。上梓されときに即購入しているのだが悲しいかな郷里のダンボールの中にあるもので。

 川口駅で降りて川口中央図書館へ。やはり予約していた本が届いたと連絡をもらっていたのだ。「ドキュメント政権交代 自民党崩壊への400日」(武田一顯/河出書房新社)。ついでにDVD「日本春歌考」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「刑事ジョン・ブック 目撃者」の3枚。文庫の棚で見つけた「だましゑ歌麿」(高橋克彦/文春文庫)。

 昨日は「ウルトラマンになった男」(古谷敏/小学館)を発見。あわてて買い求めた。

 クリスマスイブの夜、寝ぼけ眼の娘が枕元にあるプレゼントを見つけた。あわてて起きてきた。
「たった今、サンタさんが来たんだよ」
「残念だったねぇ、もうちょっと早く目を醒ませばサンタさんに会えたのに」
 父母の言葉にあわててベランダに駆け寄りサッシを開ける娘。
 夜空に向かって叫んだ。
「サンタさ~ん、ありがとう!」
 あんな時代はもう戻ってこない。
  
 クリスマスが終わると、街は急に様変わりする。昨日までのロマンスが嘘のような正月に向けたカウントダウン。このざわめきは嫌いじゃない。


          * * *

2009/12/15

 「立川談四楼独演会 第167回」(北澤八幡神社 参集殿)

 承前

  立川長四楼「浮世根問」
  立川春吉「手紙無筆」
  立川三四楼「たらちね」
  立川談四楼「権助魚」

  〈仲入り〉

  神田蘭「ファイティングまつこ」
  立川談四楼「らくだ」


 続いて立川流随一のイケメン前座、春吉さん。小泉孝太郎系(最近若手の俳優で何人かいる)の容姿、口調もしっかりしている。若い女の子の追っかけがいるとかいないとか。この独演会では二つ目になる前のキウイさんやらく次さんみたいな存在になってきた。ポピュラーな前座噺の途中で言い間違えをした。あせることなく訂正も堂々としていたので、わざと間違えたのかと思った。新手のギャグかと。大笑い。後で訊いたら「ミスっちゃいましたね」。
 来年早々二つ目に昇進する三四楼さん、改めましておめでとうございます。
 でもなぁ、冒頭の唱和「一、二の三四楼!」はそれこそ自信満々にやってほしいぞ。そこだけです。私の心配は。お前に言われたくないって? まあまあ。

 見本はゲストのランちゃん、なんて気安く呼んではいけないな。神田蘭さん、この方も最初に自分の名前をお客さんと唱和して覚えてもらう寸法。ゆってぃのワカチコワカチコみたいに、両腕を曲げて肘の部分を脇腹に当てながら「ランランラン、神田蘭!」。笑顔でかわいらしく堂々と。この手の唱和は本人が照れてしまうと、お客は白けてしまう。そこんとこよろしく。
 さて、神田蘭さんは〈講談界のニューヒロイン〉のキャッチフレーズで人気の講談師。そうか、師匠は神田紅さんなのか。
 二つ目になって、創作を許されて作ったのが「ファイティングまつこ」。「ファイティング寿限無」を意識しているのかいないのか。女優から講談師になるコースって珍しくない。確か「宇宙戦艦ヤマト」のヒロインの声を演じた声優さんがそう。ということは美人講談師ってごくごく当たり前なのか?

 師匠の一席め、かなり聴いているので、意外だったのだが、立川流(談志~談四楼)で取り上げる前はほとんど埋もれていた噺だったそうな。権助シリーズだと「権助提灯」の方が有名だったのか。今回初めて知った。サゲも特になくて、ある落語好きなお客さんからこんなのはどうと提案されたのが今のものだという。師匠が友人の噺家さんに請われて教え、その噺家さんが別の噺家さんに教え、という形で今ではとてもポピュラーになったというわけ。


 この項続く






 クリスマスなんて、若い、いや若くなくってもいいのだが、とにかく熱々のカップルか、小学生以下の子どものいる家族が楽しむ行事なのだ。
 娘がサンタクロースの来訪に目を輝かせていた頃が懐かしい。今はバイトに、忘年会に忙しい毎日を送っている。帰宅はいつも夜遅い。
 それでも数年前までは帰宅すればケーキが待っていたものだ。いつから特別な日でなくなったのだろう?

 神戸のSさんからクリスマスカードをいただく。これがあの噂の! 
 ありがとうございます!


          * * *

2009/12/15

 「立川談四楼独演会 第167回」(北澤八幡神社 参集殿)

 今年5月に国立演芸場で開催された「立川流落語会」。談四楼師匠が出演する日に行ったときのことだ。
 開演前ロビイでおかみさんともうひとり見知らぬ男性が師匠の著書を販売していた。男性は見た目40代とおぼしきちょっと恰幅のいい御仁。芸能人なら俳優の中野英雄に似ているか。
 誰だろう? 版元の営業マン? 
 後で師匠に弟子入り志願して見習いで働いていると知った。46歳。年齢だけで判断すればそりゃ驚き桃の木である。が、そのときはすんなり受け入れられた。独身ならそんな奇特な人もいるだろう、と。それなりの貯金もあるのだろうし。何より自分の好きなことができるなんてうらやましい。そう思った。

 妻子がいると聞いて驚愕した。しかも子どもが高校生だって!
「うちだったら、離婚ですよ!」
 叫んでしまった。
 早期退職して、退職金を子どもの学費にした、奥さんが働いている……弟子入りできた理由をそう語ってくれたが、それにしたってよく奥さんが許したものである。

 今年2月、会社で希望退職の募集があった。それなりにいい条件。とはいえ、おいそれと手をあげることはできない。退職後のあてがない。50男の就職口なんてあるわけがない。娘は大学2年、マンションのローンはあと○年。
 オレだって作家・立川談四楼に弟子入りできるものならしたかったんだ。あと25歳若かったら……(なったら、なったで気がきかない奴とすぐにクビいや破門になるのは目に見えているが)。そんな個人的な思いもあって、同世代の噺家志望を応援しようと心に誓った。どうか挫折せずに夢を実現してほしい。真打になってもらいたいじゃないか。
 この夏、47歳になって正式に入門を許された長四楼さんは落語界の最年長前座の記録を更新した。

 今年最後の独演会。その長四楼さんの初舞台、開口一番。平日なので普通なら前座さんの高座には間に合わないのだが、有休をとった。正式に言えば有給休暇ではなくリフレッシュ休暇、まあそんなことはどうでもいい。それもこれも長四楼さんのデビューをこの目で見たいから。
 なんて、嘘はいけないな。嘘は。別件で用事があったのだ。朝から病院。50歳になるとあれこれ身体にガタがくる。

 下北沢へは18時半に着いた。商店街のいつもの古書店に寄ってあれこれ物色。2軒目で小林信彦の文庫本と「東京人」を買って会場に向った。どちらもすでに持っているのかもしれないが、100円だったのでまあいいかと。50になると記憶力もあてにならない。
 北澤八幡への近道である住宅街を抜けていく裏ルートを歩いていると、地図を片手に歩く男性がいた。もしかして独演会のお客さんかな、会場を探しているのかな、と思ったものの、そういう方はこのルートはぜったい通らない、とそのまま通り過ぎようとしたら、向こうから話してかけてきた。
「あの~北澤八幡神社にはどう行ったらいいのでしょう?」
 すかさず聞き返した。「独演会ですか?」
 うなずいたので、「だったら一緒に行きましょう」

 なぜ独演会に? という質問に「今日がデビューの落語家を観に」
「ああ、長四楼さんですね」
「ええ、会社の同僚だったんです」
「そうなんですか! すごいですよね、高校生のお子さんがいるんでしょ?」
「何を血迷ったのか(笑)」
 会場までの道すがら、長四楼さんの思い出話に花が咲く。そうか、長四楼さん、素人時代から高座に上がっていたのか。当然といえば当然なのだが。

 長四楼さんの初高座の演目は「道潅」ではなく「浮世根問」。そういえば、以前、師匠の一席目で、「赤めだか」を読んで入門時を思い出したということからマクラで当時の思い出を語り「浮世根問」を演じたことがあった
 初高座はまるであぶなげなく観て(聴いて)いられた。舞台の場合、直視しているのがどうにも恥かしく(照れちゃって)下を向くなんてことがおうおうにしてあるのだが、最後まできちんとつきあえた。


 この項続く






2009/09/26

 「チバとかけまして 立川談四楼落語会」(大黒家 二階座敷)

 「ファイティング寿限無」(ちくま文庫)が〈第4回酒飲み書店員大賞〉を受賞し、その記念に企画された落語会「チバとかけまして 立川談四楼落語会」。

「〈本屋大賞〉なら知っているが、〈酒飲み書店員大賞〉って何だ?」
 そう疑問に思う方も多いだろう。
 本と酒をこよなく愛する千葉近辺の書店員&出版社員が集まって「みんなで読んで面白かった作品を売るぞ!」という企画なんだそうだ。地域限定のとてもマイナーな賞であるが、だからこそうれしかったところがある。
 
 さて、この落語会、開催場所が洒落ている。「大黒家」という由緒ある会席料理屋(定食屋)。その昔、永井荷風が通ったお店なんだとか。家風は毎日のようにこの店を訪れ、並のカツ丼と上新香、それから酒一合を召し上がった。ということで、当日はこの荷風セットがついた。ちょっとしたディナーショーである。
 会場は2階の座敷席。

 最初に登場したのは三四楼さん。何の噺だったのだろう? 「子ほめ」だったか。
 演目は失念してしまったが、高座の光景はしっかり覚えている。いつものようにモジモジした自己紹介があって、「一、二の三四楼!」の唱和になるのだが、一番前の一番右に座っていたお客さん(最近、師匠の著作からファンになったとおぼしき方)が何やらぶつぶつ言っている。「それこの前も聞いたよ」「もっとハキハキ言えよ」 噺の間、ずっと下を向いている。このお客さん、三四楼さんの煮え切らない態度(?)がお気に召さないらしい。その光景をニヤニヤしながら見ていた。
 暗黒大魔王の立川流破門で、師匠の弟子になって何年になるのだろう。噺そのもはちゃんとした口調なのに、マクラ部分は相も変わらずグダグダしている。このグダグダが芸風でもあるのだが、いつも馴染みの客とは限らない。そこはきちんとやるべきじゃないかと、僕自身も思っている。このお客さんはそれを自らの態度で示したわけで。

 師匠は「らくだ」。これはもう待ってましたの世界だった。酒にまつわる賞であり、会場なので予想はしていたのではあるが。

 仲入りが食事時間となって、名物の荷風セットを味わう。

 その間、高座が片づけられ、仲入り後は私服に着替えた師匠はマイク片手に著作を話題にしたフリートーク。
 噺家として、作家として〈立川談四楼〉が二度楽しめる会だった。

 この日はJR本八幡駅から歩いて会場に行った。その通り沿いに古書店があって、これが掘り出し物が見つかりそうな匂いがした。落語会が終了してまだ帰宅するには時間があるのでさっそくお邪魔した次第。
 思ったとおりかなり時間をつぶすことになった。結局閉店まで。また来たい。とはいえ本八幡だからねぇ。
 「チバとかけまして2」を期待する!






 承前

2009/11/26

 「もうひとりのイルカ物語」(イルカ/マガジンハウス)

 2年前の春、mixiに次の文章を書いた。
 当時はラジオを聴く機会が多かった。土曜日は朝からTBS、日曜日は早朝はニッポン放送、午後はTBS(「伊集院光の日曜日の秘密基地」)というのがパターン。
 「富良野からの風を」のオープニングだったっか、エンディングだったか、とても幻想的な曲が流れる。しばらくして中島みゆきだとわかった。まるでらしくないところが意外だった。何てタイトルだったか忘れてしまったが。
 「ミュージックハーモニー」はフォークソングが流れるということで聴いていた。パーソナリティのイルカには昔からまるで興味がない。ただこれだけはいつも思っていた。レギュラーのラジオ番組、それも長寿番組を持っているというアーティストは強い。

    ◇                           

 ●ある団塊世代の死 2007/04/02

 日曜日の早朝(6~7時台)はラジオを聴く機会が多い。必ずニッポン放送にダイヤルを合わせる。倉本聡の「富良野からの風を」、イルカの「ミュージックハーモニー」の流れ。といっても「ミュージックハーモニー」は最初の30分くらいしか聴けないのだが。
 先週(25日)「富良野からの風を」が最終回だった。続く「ミュージックハーモニー」ではレギュラーのイルカではなく、谷山浩子がパーソナリティーを務めていた。どうしてなのか聞き漏らした。オープニングでは説明はなかったと思う。

 その理由が昨日の放送で判明した。
 旦那さんが亡くなったのである。もともと同じグループ(シュリークス)で一緒に活動していて、やがて結婚。このパターン、フォークの世界では珍しくない。イルカのソロデビュー後は、プロデューサーとして女房の活動を陰で支えていたという認識があった。今も個人事務所の社長(だかどうだかは知らないけれど)バリバリ働いているのだろうと漠然と考えていたのだ。ところが、ここ何年かはパーキンソン病を患っていたというショッキングな事実。全然知らなかった。少々あわてた。

 時が少しは癒してくれたのか、この日イルカは落ち込んだそぶりを見せなかった。笑顔さえ見せていたような。ラジオだから見えないし、それがプロだといわれればそれまでだけど。
 その日がくるのは覚悟していたと、いつもと変わらない、孫がいるなんてとても想像できない、あの年齢不詳の声で語っていた。
 もちろんラジオを聴く限り。本当の気持ちなんて他人の、ファンでもない人間にわかりっこない。
 看病のため、北海道と自宅を行き来していたという。なぜ北海道の病院なのかは聞き漏らした。病院のそばの部屋を借りて通った。一人暮らしが夢だったのだが、早くに結婚して叶わず、この年齢になって実現したのよ、と無邪気に語っていた。それにしてもかなり大変な生活だったのではないかと思う。

 直接の死因は急性腎不全。59歳だった。あまりにも若すぎる。サラリーマンなら、第二の人生を目前にしてリタイヤしたことになる。
 年齢から、イルカが鈴木ヒロミツの急逝に何を感じたから、考えてしまった。
 同世代として、パートナーとして、残された妻の立場としての……

    ◇ 

 それが知りたくて本書を読んだ。「なごり雪の季節に旅立っていった夫へ」の副題がつく。
 かつてイルカがメンバーだったシュリークスって、チェリッシュやペドロ&カプリシャスのように女性ヴォーカル+男性数人というグループだと思っていた。最初は男性グループ、イルカが加わったときにはデュオだった。相手の男性は神部和夫。昔の写真を見ると、人のよさそうなロンブー淳って感じ。民謡をうたっていたという。あの時代、アメリカのモダンフォークを歌っていた人たちが日本の民謡に興味を持つのがある種の流行だったのだろうか? ザ・フォーシンガーズ(後のチューリップ)は「金比羅舟々」を歌っているし。
 
 人気があるのだから普通ならデュオでプロデビューする。ところが、この方、女房をソロとしてデビューさせ、自分はあくまでも裏方としてバックアップする道を選択した。そしてバブル絶頂期にプロダクションの経営者、プロデューサーとして栄華を極める。イルカの個人事務所だけではくモデルプロダクションの社長として芸能界では名をなした。かなりの亭主関白で、イルカは夫の指示どおりに活動した。意外だった。
 ちょうどそのころ、パーキンソン病を発病。徐々に身体の自由を奪われていく。以後20年の闘病生活。脳腫瘍の手術でほとんど寝たきりになった母の闘病と重なっていく。


2009/11/27

 「絆 不肖な息子から不肖な息子たちへ」(石ノ森章太郎/鳥影社)

 NTT出版から上梓されたときは書店で一度も見かけたことがなかった。単なる偶然か、それとも刷り部数が少なかったのか。あるいは人気があってすぐに売れ切れてしまったのか。だったら増刷されるはずなのだが。
 仕方なく図書館から借りて読んだ。本人が書いたものとばかり思っていた。鳥影社版がでたことでそうでないことを知った。確かに文章に石森特有の癖がなかったと思い当たる。
 病床の著者にライターが取材に取材を重ねて書かれたものだった。「サイボーグ009」の完結編をと真っ先に語りながら、結局実現できなかった。だって21世紀を迎えられなかったのだから。少々寂しくなる。
 この鳥影社版は旧版に、矢口高雄「銀行マンの夢」、編集プロデュースを担当した原孝夫「ボクの石ノ森章太郎・序章」、石ノ森章太郎ふるさと記念館・石ノ森萬画館・MANGAあいランド、夢描堂の紹介、石ノ森氏にインタビューし文章をまとめた小林良江「絆 思い出話」と石ノ森夫人、小野寺利子「読者の皆様へ」が追加されてボリュームがついた。  




 承前

2009/11/15

 「それでも雑誌は不滅です! 愛と怒りのマガジン時評100」(中沢明子/朝日新聞出版)

 雑誌批評コラムは楽しい。最初に読んだのが、椎名誠だった。朝日新聞に連載されていた。ずいぶん経ってから亀和田武が同じようなコラムを連載した。タイトルは「マガジン・ウォッチ」。一冊にまとまって「この雑誌を盗め!」になった。今は週刊朝日に連載しているんだっけ?
 本書は雑誌「AERA」連載の名物コラム(だったという)「マガシン百名山」をまとめたもの。
 取り上げられている女性雑誌なんてほとんど知らないものばかり。その他の雑誌も一部を除きほとんど読んだことがない。


2009/11/16

 「トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代」(石森章太郎/講談社文庫)

 わけあって石森章太郎の本をあたっている。
 本当は「章説・トキワ荘・春」(スコラ)を読みたかったのだが、郷里の家のダンボール箱の中。仕方なく図書館で借りた。改題されて刊行された文庫本。
 スコラのシリーズではちばてつやが自伝を書いている。今どうなっているのだろうか?


2009/11/21

 「おそろし」(宮部みゆき/角川書店)

 〈三島屋変調百物語事始〉の副題がつく「あやし」と対になるような連作集。
 「曼珠沙華」「凶宅」「邪恋」「魔鏡「家鳴り」の5編。


2009/11/21

 「現代漫画13 石森章太郎集」(編集 鶴見俊輔・佐藤忠男・北杜夫/筑摩書房)

 筑摩書房のこの「現代漫画」シリーズは昔「加藤芳郎集」を何度も読んだ。父親が買ったのか、どこかで拾ったのか。加藤芳郎がTVタレントではなく漫画家であること、とにかく面白いマンガを描く漫画家であることを知った本だった。広告のページには手塚治虫や石森章太郎の選集もあったが、実際に見たことも読んだこともなかった。

 「ミュータント・サブ」「二級天使」「テレビ小僧」「龍神沼」「おかしなおかしなおかしなあの子」「ジュン」「佐武と市捕物控」「ボタンどうろ」の8編が収録されている。「テレビ小僧」「龍神沼」「おかしなおかしなおかしなあの子」は同じエピソードのものを「マンガ家入門」「続マンガ家入門」で読んでいる。当時の自信作だったのだろう。「佐武と市捕物控」の江戸情緒がたまらない。

 なぜ借りたのか? 佐藤忠男の解説が読みたかったのだ。


2009/11/22

 「マンガ・アニメ都市伝説」(山口敏太郎/ベスト新書・KKベストセラーズ)

 この数年の新書ブームはすさまじい。昔だったら絶対に扱わないであろうジャンルが新書で次々刊行されている。本書もその一つ。それにしても〈都市伝説〉とつくと書名にある種の舶がつく。単なる噂話、与太話なのに。


2009/11/24

 「圓楽芸談しゃれ噺」(三遊亭圓楽/白夜書房)

 石ノ森章太郎の「絆」を思い出す著作だった。自身の死期を悟って達観して語っているということで。
 こんなことを書くとものすごく失礼だけど、圓楽の落語を巧いと思ったことがない。TVで観る限りだけど。もちろん知識人だとは十分承知している。「笑点」の司会も、前任の三波伸介に比べていまいちだったような気がする。
 ただし弟弟子の著作「ご乱心」で徹底的に批判されると納得しつつ反発したくなる。財産投げ打って自分で寄席を作ったじゃないか! 
 追悼番組で往年の「笑点」の司会ぶりを見せられて驚愕する。なんて面白いんだ!!
 
 四天王の一人、立川談志との関係は実際のところどうだったのだろうと本書を読むと考えてしまう。冗談のふりして本音を語っているような。先に死にたくない、何を言われるかわからない、には笑ってしまった。
 落語協会を離れてからの実績は断然家元に軍配があがる。
 ではなぜそうなったのか? それも本書でわかることだ。何とも皮肉な結果だった。

 グラビアに亡くなる直前の師匠とのツーショットが掲載されている。場所は僕の郷里太田駅のホーム、とキャプションにあるのだが、看板の広告をみる限り熊谷駅のような気がするのだが。 

 
 この項続く




2009/11/03

 「テレビの笑いを変えた男横澤彪かく語りき」(横澤彪 聞き手塚越孝/扶桑社)

 「オレたちひょうきん族」が話題を呼んで、以降「笑っている場合ですよ」「笑っていいとも!」と快進撃を続けた。プロデューサーの横澤彪が盛んにメディアで取り上げられた。著作が何作も上梓された。できるだけ買い求めた。 今は郷里の家のダンボール箱にある。
 総決算が本書だろうか?
 フジテレビの社員として出世していくんだろうなと思っていた。社長とはいえ、新興レコードメーカーへの出向は意外だった。吉本興業への転籍はあってほしくなかった。

 癌を患っていたとは!


2009/11/08

 「チーム・バチスタの栄光」(海堂尊/宝島社)

 「まぐま」で「小説と映画のあいだに」を連載していたら絶対取り上げた。
 映画化作品には映像におけるオリジナリティがある。そこに衝撃を受けたのだから、もうそれだけで個人的には認めてしまう。
 オリジナルエピソードの一つ、劇中で歌われる「レモンティ」って、シーナ&ロケッツの、元をたどればサンハウスの曲だった。歌詞が意味深。「雨上がりの夜空に」の前にこんないやらしい歌があったなんて。
 主人公の白鳥は、「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「町長選挙」(奥田英朗/文春文庫)の伊良部センセの容姿に「相棒」右京さんの頭脳を足したキャラクターみたい。医師免許を持っているのだ!


2009/11/09

 「待ってくれ、洋子」(長門裕之/主婦と生活社)

 テレビ朝日系で放送されたドキュメンタリーの是非を求めて読んでみた。脳腫瘍の手術で寝たきりになった母とその看病を熱心にする父の姿がダブった。
 親父よ、その優しさをなぜ元気だったときに見せなかったんだ? 
 同じことが今の自分に言えるのだけど。

 追伸
 「ミュージック・フェア」の降板は、「洋子へ」で世間を騒がせたためだったのか!


2009/11/09

 「李陵・山月記」(中島敦/新潮文庫)

 漢文読み下しの美文に触れたくて昨年地元の古本屋で買い求めた。その後ずっと積読状態。あるときから時間があれば読み進めた。


2009/11/12

 「本とわたしと筑摩書房」(柏原成光/パロル舎)

 筑摩書房の編集者(だった)方が書いた本だというのに、漢数字の誤った使用でうんざりしてしまった。〈悩ましい問題〉の悩ましいを誤用している。今上天皇を平成天皇と書く。いいんでしょうか、それで!


 この項続く




2009/12/11

 「恋々風情」(池ノ上シネマボカン)

 下倉功監督は長編タイプなんだと、このところ立て続けに撮っている短編、特に春と秋に上映された短編2作を観て思った。
 
 「シルク」なんて自主映画で4時間である。上映時間だけ耳にすれば誰だって身構えてしまうだろう。
 4回シリーズの1時間ドラマだとすれば理解できる。この4時間のドラマからエピソードを取捨選択して通常の尺(90分前後)にできなくはない。実際に友人の内田伸輝監督が編集した「シルク 一般公開版」ができた。
 続く「線香花火が落ちる前に」で、なぜ下倉映画が長くなるのかわかった。登場人物すべてのドラマを作りきちんと見せ場も用意する。下倉監督の生真面目な性格によるのだろう。
 でも、今さらながら思う。長編では必ず胸熱くしてくれるのだ。まっすぐ心に響く台詞がある。クサいところもあるにはあるが、それ以上にすがすがしい気持ちにさせてくれる。あの下倉節が短編にはない。少なくとも、今年観た2本の短編には感じられなかった。
 
 どうしてこうも饒舌なのだろうか? 
 それが率直な感想だった。いや、長編だって十分饒舌だ。それはわかっている。饒舌の意味が違う。長編の饒舌さはあくまでも台詞なのだ。
 短編は違う。ヒロインがモノローグで自分の気持ちを始終語ってしまうのだ。それだけではない。「シアワセのカケラ」なんて、冒頭で字幕スーパーがテーマを説明する。劇中ではヒロインが心の中でしゃべりにしゃべり、ラストで、また字幕スーパーがつく。観ているこちらはどうも居心地が悪い。この構成ではせっかくのリアリティ溢れるベッドシーンが浮いていないか? たとえば神代辰巳監督の「赫い髪の女」でのヒロインを見よ。

 言葉を武器にする小説にだって行間を読ませる行為があるわけだから、映画ならばなおさらのこと。ヒロインの心情をモノローグに頼らずそれこそ映像で語ってほしい。
 前述のとおり生真面目さからくるものだと思う。観客を慮って、1から10までを表示するのではく、3とか4でやめて、あとは勝手に想像させる。もちろん、監督の意図は伝わらなくても短編ならば十分成り立つ方法ではないか。
 
 「恋々風情」は50分弱だから長編とはいえないが、下倉監督のいい部分が弾けていた。だいたい、この映画はいわゆる商業(メジャー)映画ではないものの、あくまでも外部から依頼されて作ったものである。にもかかわらず注文に応えただけでなく、きちんと下倉節も発揮している。これはすごいことではないだろうか?
 個人的なことだけど、メイン及びクレジットタイトルからして僕好みだった。フォント、大きさ、レイアウトとか。
 何より、若手俳優陣の自然な演技に瞠目した。
 特にヒロインが憧れる先輩〈お隣さん〉を演じた福元孝盛。口跡というか口調というか、聴いていてとても心地よい。高校3年の彼が足の怪我でサッカー選手として活躍できず不完全燃焼だと心情吐露するシーンに拳を握り締めた。
 あるいはヒロイン(絵理子)の、親友(小幡美佳)や母親とのやりとり。展開、台詞に何の違和感もない(脚本・豊田ゆかり)。
 まあ、親の世代から見てという条件はあるかもしれない。実際の高校生が観てどう思うかはわからない。一つだけ高校生の失恋として考えた場合、納得できないことがあるのだが、それはまた別の機会に。

 ちなみに福元くんはうちの娘と同い歳(21歳)。本当の高校生、絵理子ちゃんの(実際の)両親なんて僕より年下なんだろうなあ。






 昨日は19時から下倉功監督「恋々風情」の関係者試写。
 関係者でないが、会場のシネマボカンにお邪魔した。先週、監督から誘われていたのだ。
 これはいい! 詳細は後で。

          * * *

 「小林信彦60年代日記」(白夜書房→ちくま文庫「1960年代日記」)には「喜劇の王様たち」(校倉書房)刊行にまつわるほろ苦いエピソードが記されている。「喜劇の王様たち」は雑誌「映画評論」に掲載された喜劇映画論「喜劇映画の衰退」を第一部に、第二部「喜劇映画の復活」を補筆してまとめたもので、小林信彦(当時は中原弓彦)にとって初の著作だった。刊行は1963年。 
 この本はほとんど話題にならなかった。〈ギャグ〉と書くと校正で〈ギャング〉と訂正される時代だったとコラムで嘆いているほどだから、ギャグに関する評論なんて一部の好事家以外、まるでお呼びでなかったのだろう。

 8年後、この本を復刻しようと小林信彦(中原弓彦)に接近したのが晶文社の編集者、高平哲郎である。本人が言うにはすでに別の出版社からの刊行が決まっていると。その年「喜劇の王様たち」は「笑殺の美学」と改題されて大光社から刊行された。1971年のこと。
 高平哲郎は、代わりに「笑う男 道化の現代史」なる本を編集する。小林信彦の、主に〈笑い〉をテーマにしたエッセイ(評論)と短編をカップリングしたユニークな構成だ。
 この本を皮切りに、晶文社からは「日本の喜劇人」「パパは神様じゃない」「東京のロビンソン・クルーソー」「われわれはなぜ映画館にいるのか」等々の小林信彦(中原弓彦)本が次々と刊行されていく。

 小林信彦の名前は小学6年のころから「オヨヨ」シリーズの作者として認識していたが本を読むことはなかった。
 注目するようになったのは高校時代。「キネマ旬報」に「小林信彦のコラム」の連載が始まったのだ。たった1頁なのに毎回興味深いことが簡潔に書かれている。愛読するようになった。(このコラム欄を現在担当しているのは志らくさん。)
 当時、昼休みは図書館で時間をつぶしていた。あるとき「われわれはなぜ映画館にいるのか」を見つけ、気に入った箇所だけ何度も読んでいた。
 大学時代に「小林信彦のコラム」がまとまり「地獄の観光船 コラム101」(集英社)になると早速購入した。夢中で読んだものである。その流れで「定本日本の喜劇人」(晶文社)も手に入れた。
 集英社の「地獄」シリーズを読破すると、新潮文庫の小説群を読み漁りはじめた。こうしていっぱしの小林信彦ファンになって、新刊が出ると必ず手に入れるようになるわけだ。

 手に入れられる小林信彦本を読破してしまうと、興味はまだ見ぬ初期の作品に集中する。これが難しい。晶文社の本はほとんど絶版になっていたのだ。古本屋にもあったためしがない。せめて読むだけでも! が、図書館にもない。「定本日本の喜劇人」を書店で購入していた80年代前半、たとえ棚になくても注文すれば手に入ったのである。大いに後悔したがもう後の祭り。
 それでもこの数年で手に入れたものもある。「われわれはなぜ映画館にいるのか」「笑う男 道化の現代史」は中古店で見つけた。わりと安価だったのが自慢。実物を見たことがない「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」は、ネット販売で販売価格を知った。そのあまりの高さに驚愕した。手がでるわけがない。
 大光社、校倉書房の本なんて、ネットでも目にすることがなかった。

 今年の10月、SETの芝居を観に池袋に行ったときのことだ。待ち合わせの時間にまだ余裕があったので、近くの古書店に寄った。けっこう昔の小林信彦本が揃っている。朝日ソノラマ版の「オヨヨ」とか、純文学系の単行本とか。
 単行本の「世間知らず」はここで買った。改題されて文庫になった「背中合わせのハートブレイク」を持っているが、この青春小説は「世間知らず」のタイトルこそ似つかわしい。新版の「私説東京繁昌記」(単行本)も見つけたことがあった。旧版と文庫本を持っているので買わなかった。
 今日は何か新しいものがあるだろうか?
 あった!
 1階奥の映画本棚に「笑殺の美学 映像における笑いとは何か」があったのだ。値段を見る。4,200円。高い。財布には1万円札が入っているが、使ってしまうと芝居のチケット代が払えなくなる。せめてページを開いて中を確認したいが、ビニールで被われている。この本屋、カードは使えない。直に本を拝めたことだけでよしとしよう。文章は「世界の喜劇人」(晶文社→新潮文庫)で読めるのだ。新潮文庫版は持っているのだから。待ち合わせの時間が迫ってきた。後ろ髪をひかれながら本屋を出た。

 数日後、ネットに「笑殺の美学」が出ていないか調べてみた。最近小林文庫本(もちろん単行本は持っているが)購入で利用しているネット古書サイト。
 ありましたよ、ありました。これまで見たことなかったのに。それも3,500円で。送料300円を加えても4,000円いかない。
 心臓バクバクさせながら注文した。
 「定本日本の喜劇人」に続く中原弓彦名義本……ゆっくりじっくり読んでいく予定。うふふ。






2009/11/27

 「だましゑ歌麿」(録画/シアターS)

 高橋克彦の「だましゑ歌麿」(文春文庫)のスペシャルドラマ化に対する想いは一度書いている
 ストーリーだけでなく、登場人物のキャラクターやチームワークも気に入ってスペシャルドラマ化を望んだ。読めば誰だってそう願うのではないか。1999年の6月だった。
 あれから10年、やっとドラマ化された次第。なぜこんな時間がかかったのか! ベストセラーになっていたら違う対応になっていたのだろうか。

 ドラマ化を熱望していたにもかかわらず、いざ放送されたら見逃した
 同じ部署の女性社員が大の「相棒」ファン、水谷豊ファン。もしかしてと訊いてみたらやはり録画していた。ハードディスク録画なのでDVDに焼いて貸してくれたのだが、自宅のDVDプレーヤーでは再生できない。
 というわけで、S氏が自宅を新築し地下に作ったホームシアターで鑑賞することに。
 
 水谷豊が歌麿を演じるという制作発表を耳にして原作どおりのストーリーにはならないとは思っていた。
 原作の歌麿は愛妻を殺された悲劇の絵師でしかなかった。あくまでも脇役だ。ドラマではもう一つの顔を持つ。まるで忍者のような立ち振る舞いで、歌麿の女房殺しの下手人を追う南町奉行同心、仙波一之進を助けてゆく。当然クライマックスの見せ場も用意。

 本来の主人公、仙波一之進を演じる中村橋之助が良い。母親(原作では父親)の市原悦子とのコンビも笑える。このほか、ラストに仙波と祝言を挙げることになるおこう(鈴木杏樹)、仙波の子分、菊也(山本太郎)、蔦谷重三郎(岸辺一徳)、春朗(原田龍二)、長谷川平蔵(古谷一行)等々、キャスティングも悪くない。

 原作を知らなければ、十分面白いと思う。いや、知っていても楽しく観られた。
 とにかく作りが丁寧なのだ。セットや衣装が豪華で、色鮮やかに「だましゑ歌麿」の世界を映像化していた。大きなスクリーンでもまったく見劣りしないのだ。これはすごい。

 ただ、小説のクライマックスに感銘を受けた者としては、腑に落ちないところがある。
 ストーリーの改変は許容しよう。仙波チームに潜入している敵のスパイが誰かという謎が途中で何となくわかってしまうのもしょうがない。
 が、真の敵があまりに巨大すぎて進退窮まった仙波一之進が命を賭して北町奉行に面会を求めるくだりははずしてほしくなかった。そもそもドラマに北町奉行は登場しない。鬼平の愛称で知られている長谷川平蔵が原作とは180度違った役柄で、北町奉行の代わりを務めてくれる。これはこれで、原作ファンにはちょっとした驚きか。

 原作が読みたくなった。






 「エグゼクティブ・デシジョン」は1997年、公開前に試写会で観た。
 かなり興奮した覚えがある。始まってすぐにスティーブン・セガールが退場してしまう。これで一気に面白くなった。特殊部隊の活躍が僕の職人フェチを刺激したことも要因だ。ハル・ベリーという女優を知った映画でもある。映画はそれほどヒットしなかった。
 「エアフォース・ワン」は、翌98年早々に池袋の劇場で観た。夢中になったのはもちろんだが、「エグゼクティブ・デシジョン」を思い出してしかたなかった。すぐにビデオを借りて観直した。
 以下はそのときの日記。

     ◇

 1998年2月6日(金)
 
 昨晩、ビデオで「エグゼクティブ・デシジョン」を観た。
 オープニング早々驚く。「エアフォース・ワン」ではある国の軍隊が反乱分子のボスを奇襲攻撃して捕まるのだが、「エグゼクティブ・デシジョン」も冒頭でアメリカの特殊部隊がテロリストの住処を襲って細菌兵器を奪還しようとする(この作戦は失敗するが、その後テロリストのボスを捕まえる)。展開が類似しているのだ。
 以下、二つの映画のストーリーを簡単に対比してみる。

「エアフォース・ワン」
 反乱分子の残党たちが、大統領専用機をハイジャックし、人質の命と交換にボスの釈放を迫る。

「エグゼクティブ・デシジョン」
 ギリシャ発ワシントン行き航空機747をハイジャックしたテロリストは人質と交換にボスの釈放を迫る。しかし真の目的は細菌をワシントンにばらまく大量殺戮だった。


「エアフォース・ワン」
 機外に脱出したかに見せかけた大統領は機内に隠れ敵と戦う。

「エグゼクティブ・デシジョン」
 特殊部隊が機内に潜入、テロリストの一網打尽を狙うが細菌兵器の爆弾が仕掛けられていて、爆弾の処理と起爆装置を持つ犯人を見つけ出さなくてはならない。


「エアフォース・ワン」
 敵の裏をかいて乗組員のほとんどを機外に脱出させるが、娘の命と引き換えにボスを釈放しなければならなかった。

「エグゼクティブ・デシジョン」
 爆弾を積んだ航空機をワシントンに近づけないために、ボスを引き渡すことにした。


「エアフォース・ワン」
 機内の格闘があって、なおかつイラク軍の戦闘機による攻撃にあった専用機は着陸不能、裏切者を倒し、救助に来た軍用機へ大統領が乗り移った後に専用機は海上に激突。

「エグゼクティブ・デシジョン」
 機内での格闘中起爆装置のスイッチが入る。瞬間、間一髪爆弾処理が間に合ってセーフ。ところがパイロット2名が銃殺され、あわやというところで主人公が軟着陸に成功。


 改めて「エグゼクティブ・デシジョン」を観ると、ストーリーの進行に二重三重の枷(特殊部隊が機内にいることを作戦本部に知らせられない、爆破装置を解除しなければならない、起爆装置を持つ犯人を探し出さなければならない)をはめてサスペンスを盛り上げている。
 これは「エアフォース・ワン」以上のものだ。
 事件解決やれやれと思ったら今度は航空機の着陸問題…このシークェンスはやりすぎじゃないかと感じたが。
 観終わって、特殊部隊のメンバーに親近感を覚え、メンバーの中で一人も死者がでなかったことに安堵する。

 「エアフォース・ワン」が大ヒットしている現在、同じようなテイストの「エグゼクティブ・デシジョン」が公開時に話題にならなかったのか不思議でならない。
 どちらもある種ナショナリズムを鼓舞する内容とはいえ、「エアフォース・ワン」がハリソン・フォードの主演で大統領家族の愛が主題になっているのに比べ、「エグゼクティブ・デシジョン」は、カート・ラッセル、スティーブン・セガールというアクション俳優の共演で軍隊が主役の男臭い映画の印象が女性たちの受けを悪くしたのかもしれない。






 承前

 昨日は午後御茶ノ水に出かけた。「neofest 2009 秋」の1プログラムで下倉功監督の新作「シアワセのカケラ」が上映されると案内をもらっていたのだ。石川謙さんが主演(の一人)なのでスルーできない。開映15時ぎりぎりにneoneo坐へ。
 ええ! 「シアワセのカケラ」ってこういう映画だったの?! 石川さんとヒロインの濡れ場に赤面。確かシネマ愚連隊の映画でも同じようなシーンはあったけど、あちらは虚構の世界。いかにもな演出だった。対してこちらはリアリズムの極地って感じで……。 
 来ないと思っていた下倉監督はいるし、春のメンバーが揃っていた(な、なんとI監督も!)ので、終了後打ち上げとなった。

 昨日更新できなかった言いわけでした。

          * * *


2009/11/20

 「笑う警官」(MOVIX川口)

 警察小説「うたう警官」はまさに映画にうってつけのプロットだった。
 事件発生からわずか二日間で解決するストーリー。組織vs.個人(グループ)の人物相関。捜査のディティール描写。時間に間に合うかどうかのサスペンス。映画に興味がある者なら誰だって読了後映画化を夢想するに違いない。すぐに映画化が発表されないのが不思議でならなかった。
 宮部みゆきの「スナーク狩り」も同様なプロットで映画向きなのに、まるで映画化の気配がない。まったく映画関係者の目は節穴かと疑りたくなる。映画に不向きな「模倣犯」のような作品には手をだすくせに。要はベストセラーかどうかということだろう。

 そんなことはともかく。
 「うたう警官」の版元が角川春樹事務所であることを忘れていた。「笑う警官」に改題されて文庫化されると同時に映画化が発表された。とてもうれしかったが、改題に何の意味も感じられないし、何より監督が角川春樹であることに嫌な予感がしたものだ。
 キャスティングにも違和感を覚えた。佐伯役の大森南朋、小島役の松雪泰子。ともに原作のイメージではない。ただし、主人公に大森南朋を起用したのはわからなくはない。「ハゲタカ」の好演によるものだろう。大森南朋にしろ松雪泰子にしろ、独自のキャラクターを創造すればいいだけのこと。とはいえ、津久井役の宮迫博之はいかがなものか。俳優宮迫博之を否定するつもりはないが(むしろ好きだ)、この映画ではミスキャスト。

 開巻、タイプライターのアップ。用紙に打たれた文字が「THE LAUGHING POLICEMAN」。これがタイトルだ。どこまでも英語表記にこだわっている。
 佐伯の趣味であるサックス奏者ぶりがフィーチャーされる導入部。ダンディズムの描写がクサイ。「キャバレー」を思い出した。そういえば「キャバレー」もボブ・フォシー監督のハリウッド映画があったっけ。ちなみにTHE LAUGHING POLICEMANとは、佐伯たち刑事が結成したジャズバンドの名称。もちろん原作にはない設定だ。 
 
 佐伯たちがジャズバー「ブラックバード」に集結して裏捜査を始めて婦警殺しの真犯人を見つけるまでは、何かと不満はあるものの観ていられる。不満はディティール描写の部分だ。たとえばパソコンスキルに秀でた小島が警察サイトにハッキングして情報を入手するなんていうところが小説ではスリリングに描かれていて、こちらの職人フェチを大いに刺激してくれたのだが、映画では小島が持ち込んだノートパソコンがテーブルに置かれるだけ。電源コードもマウスもない。情報もいとも簡単に入手できてしまう。
 しかし、これには理由があった。後半のストーリーが映画用に大きく改変されているのである。

 一昼夜の捜査でそう簡単に事件が解決できるわけないじゃないか! 原作を読んだ一部読者の疑問に答えた結果だろうか。あるいは、同じプロット、ストーリーのブルース・ウィリス主演「16ブロック」を意識してのことか。
 ブラックバードのマスターのキャスティングから何かあるなと思ったが、こんな風に展開するなんて! まったくもって残念至極。期待した息詰まるようなクライマックスのサスペンスは味わえなかった。
 回想の囮捜査のシーンでは、組織の親分役で角川監督が登場する。なんと芝居までしている。笑うところではないのに吹いてしまった。だってマンガなんだもの。ヒッチコックを意識するのはいいが、台詞のない役にしてほしい。

 事件が解決した後のエピローグがやけに長い。左肩に弾を受けて怪我したはずなのに、包帯もしていない佐伯。治癒した後なのか?
 頭か抱えたのは、その後のブラックバードでのTHE LAUGHING POLICEMANのライブシーンだ。刑事も悪人もみな楽しそうにライブに身をゆだねている。これはいったい何なのだ? 単なる夢? それとも回想? 
 某刑事の高笑いも「結局黒幕は俺だ!」ということなのか。タイトルの意味づけをしただけ?
 よくわからないエンディングだった。
 せめてクレジットで端役のキャストやスタッフを確認しようとしたら、すべて英語表記(アルファベット=ローマ字)なのだからもう嫌になる。主題歌はホイットニーヒューストン。嗚呼!

 撮影が仙元誠三、配給が東映。だったら、自身はエグゼクティブプロデューサーとしてあまり出しゃばらず、プロデューサーに黒澤満、監督に村川透を起用し、「遊戯」シリーズや「蘇える金狼」の世界を再現すればよかったのに。
 もう映画は諦めた。こうなったらNHKに期待したい。「ハゲタカ」チームでスペシャルドラマ化してもらえないか。




 承前

 本日、14時からシアター・バビロンの川のほとりにてで東京倶楽部公演「NOT SATISFIED!!」を観劇。SETがメジャーなミュージカル・アクション・コメディーだとすると、東京倶楽部はマイナーなそれ。SETだって、最初は、シアターグリーンの第1回公演なんてまさにこうだったんだろうな、と思わせる、内容だった。

 この劇団、いつも期待を裏切らないのだが、今回は特にいい。だって、芝居中に雨が降ってきたら、終演後、無料で傘を配付するんだよ、女性のみ、二人1本だけど。主宰の菅田俊さん、「沈まぬ太陽」のNALの整備員似合ってましたよ。
 トチョーさんを演じた役者さん(小林三三男)、(草野大悟+生瀬勝久)÷2みたいな雰囲気。いいなあ。
 山崎栄さんの口跡が好き。レギュラーメンバーみんないいのだけど。
 森本さん、もとい芥勘兵衛さんと町田さんの共演ならず。町田さん、チラシには写真も名前も載っているにもかかわらず、出演していません。
 生のギターがよかった。アンプラグド、電気音どちらも。

 帰宅して、食事のあと、昔の日記をあたっていた。角川監督作を観たときの感想を探した。とりあえず「キャバレー」と、「REX 恐竜物語」をみつけた。
 「キャバレー」は、CF制作プロダクション時代に知り合ったヘアメイクさんが原田知世を担当していて、生写真なんかもらって知世ファンの弟を喜ばせたことを思い出した。
 中学から高校にかけて畑〈ムツゴロウ〉正憲の大ファンだった。「ムツゴロウの青春期」に始まり、当時の著作はほとんど読んでいる。ただ小説はあたることなかった。「恐竜物語」は読んでいない。

 NHK土曜ドラマ「外事警察」を観たりなんかして、また先週の土曜日に借りたDVD(「ウルトラマンA ①」…第4話「三億年超獣出現!」の美川隊員に鼻血ブー)をこれからTSUTAYAに返却に行かなければならない。


     ◇

 1986年7月3日

 笹塚に帰ってレコードを返し、新装開店・笹塚京王で「キャバレー」を観る。
 角川春樹事務所創立10周年記念映画。
 角川映画ゆかりの役者たちが出てくる、出てくる。

 この映画は日本人の俳優を使って、いつか観たハリウッド・ハードヴォイルド映画を作ろうとしたのだろう。
 だからジャズに生きる主人公にもまわりの人間たちにも生活のにおいが感じられなかった。
 カメラワークも洋画(ハリウッド映画)のそれだ。実によく動くのだ。
 ダメな映画かというとそうじゃない。
 皆、それぞれサマになっていてカッコイイ。
 何しろクレジットタイトルまで横文字ですからネ。
 偉大なる自主制作映画バンザイ!


 1993年8月13日(金)

 今日から夏休み。
 ××(娘の名)と青木公園の市民プールに行く予定が、午後からくもり空になったため予定変更。前々からの約束の一つ、「REX 恐竜物語」を観に丸の内ピカデリーへ行く。
 この映画で評価できるのはカルロ・ランバルディの恐竜の造形のみ。
 ストーリー展開、人間描写、どれをとってもおそまつの限りだ。
 “子ども向けのファンタジー”と割り切っても、それでは童話や絵本に対して失礼だろう。
 ティラノサウルスの子レックスがピーマン食べたり、子育て恐竜の存在を無視したり、学問的に色々とおかしい。後半になるとあまりにマンガ的な敵役が登場する。平田満の役なんて二重人格とでもいうべき突然の変貌ぶりであまりにひどすぎる。
 角川監督は、観客を感動させようとあの手この手を使うのだが、どれもこれも安っぽい手法。
 畑正憲の原作はどうなっているのだろうか?

 ちなみに、××はラスト、主人公チエとレックスの別れのシーンで涙をふいていた。
 かわいい。

     ◇

 今度こそ「笑う警官」に続く
 本当だから




 承前

 前項、流れの都合で書けないことがあった。
 「REX 恐竜物語」公開中に角川春樹がクスリで逮捕された。メディアの角川春樹への、映画への対応がコロっと変わった。それまでのヨイショが嘘のようだった。公開を中止する劇場がまたたくまに増えていく。どれもが信じられなかった。映画に不満があるなら、もっと早くから言えよ!  映画監督が逮捕されたからといって何も中止することはない。人が死んだわけではないのだから。
 皆、角川春樹から離れていった。某女流作家なんて、角川文庫から自身の作品をすべて引き上げた。以前から角川書店社長のやり方に批判があったとその理由を語っていた。
 だったら、なぜ逮捕前に行動起こさなかったんだ? 好きな作家だっただけにとても残念な行為。擁護したのは「人間の証明」の作家だけだったような。

 2年前、復帰第2作の「蒼き狼 地果て海尽きるまで」が公開されている最中だったか、公開後だったか、こんな文章を書いた。mixiからの転載、許されて。
 
     ◇

 ●ブランドとしてのプロデューサー 2007/03/21

 「蒼き狼 地果て海尽きるまで」が公開されるずいぶん前のこと。予告編を見るたびに気になってしかたなかった。メインとサブのタイトルデザインがなぜ同じ毛筆なのか。「蒼き狼」は毛筆でいいが、「地果て海尽きるまで」は明朝かゴシックにすべきではないか。でないとメインタイトルが引き立たない。
 井上靖の「蒼き狼」の映画化だとばかり思っていたのだ。原作が森村誠一の「地果て海尽きるまで 小説チンギス汗」であることはつい最近知った。同じチンギス・ハンの生涯を描く、他の作家の評価の定まった作品のタイトルを借用するのはどんなものか。

 この映画、もう一つ勘違いしていた。ずっと佐藤純彌監督作品だと思っていたのである。角川春樹製作の大作映画に必ず起用されるので、前作「男たちの大和 YAMATO」に続いてまたメガフォンをとったものと信じていた。実は澤井信一郎監督だった(しかし、まあ、らしくない映画を撮ったものだ)。
 どうしてこんな勘違いをしたのか。公開直前にまた予告編を見て膝を打った。何と、予告編では監督名が全然でてこないのだ。製作総指揮・角川春樹、制作・千葉龍平以外、主要なスタッフがない。脚本なんて中島丈博、丸山昇一なのに! 今、知ったのだが。
 予告編のラストで主要キャスト、スタッフ名が小さな文字で並んでいるのだが読めやしないよ。
 角川春樹がブランドなんだろうなと思い知った次第。

 同じことが「デジャブ」のTVスポットにもいえる。キャッチコピーが〈「パイレーツ・オブ・カリビアン」のプロデューサーが贈る、サスペンス巨編〉。トニー・スコット監督なんて関係ない。ジェリー・ブラッカイマーの名前で客が呼べるのだ。これはすごいことだ。
 一時、スピルバーグの名前が、監督作品でもプロデュース作品でも大いにもてはやされたが、ブラッカイマーもついに仲間入りか。
 もちろんその昔からハリウッドには実力ある名プロデューサーがたくさんいる。というか、向こうはプロデューサーシステムが徹底されているから、その力なんて監督の比ではないだろう。
 とはいえ、この日本で、一般観客に向けて〈売り〉になる存在として名前が通用するプロデューサーなんて数えるほどだ。

 しかし……。
 「デジャブ」にやっと興味がでたほどで、これまでのブラッカイマーの名がクローズアップされた作品には縁がなかった。「アルマゲドン」「パール・ハーバー」「パイレーツ・オブ・カリビアン」(第2作は観たけれど)。たぶん、本人の意見が大きく反映された作品なのだと思う。勝手な想像だけど。
 角川春樹も、復活後の作品には何の魅力も感じない。「男たちの大和 YAMATO」なんて、チケットをタダでもらっても行ったかどうか。「蒼き狼 地果て海尽きるまで」は唯一松山ケンイチに興味がわく。……脚本も監督もあくまでも、角川春樹の世界を具現化するオペレーターなのだろう。ある意味すごいことだけど。

 観ていないお前に言われたくない、なんて反論されそうだ。でも、観たい! と思わせてくれないのだから困ってしまう。昔の角川春樹は違った。とにかく、どの作品も、出来はともかく、みな面白そうだったのだ。プロデューサーとしてとても憧れていた。
 だから、初めて書いた劇場映画用シナリオを読んでもらいたくて、角川春樹事務所に電話したのだ。躁だったから可能だった。普通の感覚だったらできやしない。
「とにかく会いたい」
 電話の向こうの敏腕プロデューサーは言った。

 ……なんてことあるわけない。電話に出たのはデスクの女性で、用件を話すと「あ、それなら、『野性時代』で募集していますので、そちらに応募してくだい」とけんもほろろだった。

 今度こそ「笑う警官」に続く




 「犬神家の一族」以降、角川春樹プロデュース作品(旧角川映画)には大いに楽しませてもらった。内容よりも宣伝に力を入れる姿勢が何かとメディアに批判されていた。評論家の批評も否定的なものが少なくなかった。
 そりゃ、がっかりさせられる映画もあった。が、こちらが「観たい!」と思わせる映画を企画してくれることは映画ファンとしてとてもうれしかったものである。本を売るためだけの手段でなかったことだけは確かだと思っている。

 薬師丸ひろ子や原田知世を発掘して、彼女らの主演映画を次々とヒットさせたことは映画史に残る功績ではないか。
 映画は斜陽産業と言われて久しかった。かつての映画俳優、女優たちは皆TVに活躍の場を移していた。映画は逆にTVで活躍するアイドル(歌手)人気を当て込む始末。そんな時代にあって、映画からアイドルが生まれたことが特筆できるわけだ。主演だけでなく主題歌も歌わせる。映画公開に合わせてTVの歌番組に出演させる。映画も歌もヒット。これまでとは正反対のプロモーションが痛快だった。主体が映画にあるところがキモである。

 80年代になるとプロデュースだけでは飽き足らず、監督業にも進出する。思い入れのある小説の映画化は自分の手でという考えがあったのだろう。
 大藪春彦「汚れた英雄」、赤川次郎「愛情物語」、栗本薫「キャバレー」、海音寺潮五郎「天と地と」、畑正憲「REX 恐竜物語」、筒井康隆「時をかける少女」。
 「天と地と」以外はすべて観ている。「汚れた英雄」「時をかける少女」はビデオ鑑賞だったが、「愛情物語」「キャバレー」「REX 恐竜物語」は劇場に足を運んだ。ことごとく期待を裏切ってくれた。

 俳人だから、絵を切り取るのはお手のものだ。とにかく一枚の絵としては素晴らしい。美しく印象的なカットに何度もハッとさせられる。そんなカットがつながってシーン、シークェンスになると何の高揚感もない。ドラマが描けないのだ。全体のトーンとして、確かに監督の思い入れだけは感じられる。が、それがこちらに響いてこない。
 自分だけが世界に酔っている超わがまま映画。
「大金をかけたその昔の学生映画じゃないか」
 何度も思ったものだ。僕らが大学時代に8ミリフィルムで撮った映画にはこの手のものが多かった。憧れの映画にオマージュを捧げた、といえば聞こえはいい、要はモノマネ。
 角川春樹の場合、ハリウッド映画がお手本である。まず型から入る。ゆえに、タイトルは英語表記、ついでにスタッフキャストのクレジットも。冒頭のクレジットだけならまだしも、エンディングロールもアルファベットだとうんざりだ。「愛情物語」はメインタイトルを含め一切クレジットがなかったような。

 原作があるとはいえ、ストーリー的にかけ離れた内容になっている。タイトルとキャラクターだけを借りたといった按配だ。
 「REX 恐竜物語」がひどかった。あの丸山昇一がこんな脚本を書くのかと疑いたくなる。共同脚本(角川春樹)のせいだろう。主演は子役時代の安達祐実。「具が大きい」のカレーCMで話題を呼んでいた。このCMを何のひねりもなく応用したエピソードがラストにある。何考えていんだか。
 「時をかける少女」にはかなり期待していた。原作と同じ時代設定(1965年)、飛騨高山を舞台にモノクロで撮るというのだから。しかもヒロインはセーラー服! が、劇中タイムパトロール員(?)が登場してきて頭をかかえてしまった。
 「愛情物語」は映画を観てから原作をあたった。実際はどんな話なのか? これがひどかった。プロローグとエンディングがつながっていないのだから。

 赤川次郎の原作は、雑誌連載時のタイトルが「カーテンコール」。本になって「愛情物語」に改題された。たぶん、映画化を前提にした角川春樹の要望だろう。音楽家を主人公にした有名なアメリカ映画を意識してのことだと思う。だからこそ、主演の原田知世はミュージカルスターを夢見ているのだ。

 同じことが「笑う警官」に言えるのではないか。
 角川春樹が「マルティン・ベック」シリーズのような警察小説を書いて欲しいと佐々木譲に依頼して出来たのが「うたう警官」。文庫化の際に本家と同じタイトルになった。
 作者自身が「うたう警官」だと意味がわからない、と友人に指摘されからと改題の理由を述べている。絶対違うと思う。角川春樹に勧められたのだ、きっと。角川春樹としてはすでに映画化も自分で監督することも考えていた。となるとタイトルは「笑う警官」でなければいけない。
 映画「笑う警官」の不幸はこのときから始まっていた……。

 この項続く  




 昨日(1日)は「映画の日」。新宿K's CINEMAで「アンヴィル! ~夢を諦めきれない男たち~」を観る。
 別にヘビメタファンではない。アンヴィルという不遇なバンドの存在も知らなかった。ただ、音楽(バンド)映画には興味がある。劇映画にしろドキュメンタリーにしろ。特にこの映画、サブタイトルが胸を刺す。〈諦めない〉じゃなく〈諦めきれない〉というのが……。まさしくこのオレがそうだもの。50歳になっても自分の居場所を探して彷徨っているのだから。
 果実さんがこの映画を観たらどんな感想を述べるだろう?

 ちなみに「映画の日」は12月1日だけである。そのほかの月の1日は「映画サービスデー」ですからお間違えなく。 

          * * *

 フリーの映画プロデューサー(確かチームオクヤマを率いている?)、奥山和由が「傷だらけの天使」の映画化を進めているらしい。あるイベントのトークショーで口にしてニュースになった。

 その前から「傷だらけの天使」映画化の噂はあった。自伝「ショーケン」を出版した講談社は、ショーケンを表紙にした「不良読本」なる雑誌(月刊誌の増刊)を刊行。矢作俊作の新作「傷だらけの天使リターンズ 魔都に天使のハンマーを」が目玉だった。あっというまに単行本(「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」に改題)にもなった。
 この小説を映画化するのかどうかわからないが、ショーケンの復帰を含んだ「傷だらけの天使」映画化プロジェクトは講談社主体で進行しているのかと推測された。このプロジェクトに奥山プロデューサーが絡んでいるのか。それとも、まったくの別企画なのか。
 監督(深作健太)、撮影(木村大作)は決まっているとか。水谷豊の名前がでてくるところが奥山流だ。これならショーケンや「傷だらけの天使」を知らない世代にもアピールできる。
 しかし亨は死んでいるのだ、どうやって水谷豊を登場させるのか。
 実は亨は死んでいなかった……まさかね。
 亨にそっくりな人物……ありきたりだな。
 生き別れた双生児の弟だった……ふざけるな!
 「傷だらけの天使」に固執するのではなく、新作映画として二人の共演を考えればいいのに。ショーケンは探偵で、依頼人が水谷豊とか。

 久しぶりに奥山和由の名前を見たような気がする。いや、これまでだって活躍していたのだろう。単に僕が彼のプロデュース作品を観ていないだけのことで。
 松竹の敏腕プロデューサーだった。父親が松竹社長で若いときから活躍していた。
 ショーケンとの絡みでは「226」「いつかギラギラする日」を思い出す。
 「226」はいまだに観ていない。「いつかギラギラする日」はすぐさま劇場に飛んでいった。タイトルに思い入れがある。角川映画の、「犬神家の一族」に続く第二弾にラインナップされていたのだ。もちろん、内容は全然違うのだろうが。ものすごく気に入っていた映画タイトルなのに、いつのまにか企画は消えていた。それがショーケン主演映画に流用されたのだから、どれだけ喜んだことか。
 奥山プロデューサーは北野武監督を誕生させた人でもある。すぐに仲違いして切捨ててしまうが。
 やがて、本人も松竹に切り捨てられてしまう。父親とともに役員を解任されてしまうのだ。
 
 11月27日の朝刊で父親奥山融氏の訃報を知った。解任劇は1998年に起きたのだった。
 松竹元社長の訃報が新聞で伝えられた翌28日、斎藤耕一監督の逝去を知った。享年80。もうそんな年齢だったのかとタメ息ついた。

 斎藤監督の名はショーケンの実質的な俳優デビュー作「約束」で知った。映像派なので1970年代前半夢中になった。といっても観たのは「約束」と「旅の重さ」の2本のみ。それもTVで。「約束」はその後劇場で押さえることができた。「旅の重さ」の原作は高校から大学にかけて追いかけた覆面作家、素九鬼子。主題歌はよしだたくろうの「今日までそして明日から」。
 キネマ旬報ベストテンで第一位になった「津軽じょんがら節」はいまだに観ていない。当時興味津々だったのだが、ATG映画は地元の映画館にやってこないのだ。高倉健と勝新太郎が共演した「無宿」も面白そうだったが見逃して今にいたる。


 ところで。
 70年代後半から80年代にかけての角川映画全盛時代。映画はヒットするものの、どの作品も批評家筋には評判悪かった。角川映画を配給するのは東宝か東映。松竹は蚊帳の外だったわけだが、初めての松竹配給「蒲田行進曲」は内容的にも評価され数々の映画賞を受賞するのだった。
 松竹といえば、70年代後半、ショーケンといしだあゆみの共演で井原西鶴の「好色一代男」が企画された。かなり期待したのだが、結局実現しなかった。
 ショーケンには「痴人の愛」の主演オファーがきているらしい。この手の物語はいつも現代が舞台になってしまいがちだが、あえて原作同様の時代設定にしたら面白いと思う。ショーケンは文芸ものと相性がいいので、これまたけっこう期待したりして。
 





プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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