「雨ン中の、らくだ」(立川志らく/太田出版)で、著者が何度も書いている〈師匠との価値観の共有〉に得心した。誰かのファンになるということ、ファンになってずっと追いかけるということも同じではないか。
 以前、訊いたことがある。「後藤さん、よくミュージシャンになるつもりはなかったって発言していましたが、赤い鳥でプロにならなかったら何になろうと思っていたんですか?」
 (舞台の)演出家か料理人。だったら、弟子入りを志願したかもしれない。

 今夜、深夜バスで大阪に行く。明日、紙ふうせんとラ・ストラーダ弦楽アンサンブルの共演するコンサート「伝承歌と世界の名曲コンサート」があるのだ。会場は貝塚市のコスモスシアター中ホール。
 本当の「赤い鳥物語」を書くために、関係者に取材しなければと、少々焦りもあって、昨年のリサイタル打ち上げの席で浦野さんにお願いした。きちんとしたインタビューしますからね、つきあってくださいね! 1月にまたやってきますから。

 神戸に立てられた等身大の鉄人28号も見学したい。土曜日に大阪入りして一泊するか、あるいは、月曜日に有休をとるか、はたまた3連ちゃんにしてしまおうか、あれこれ考えていたら、ショーケンのトーク&ミニライブが開催されることになった。
 はい、とたん懐事情がに苦しく……。宿泊なしになりました。往復の新幹線もやめました。かといって往復深夜バスは身体が疲れる。東京に着いてそのまま会社に行きたくない。月曜の有休はショーケンのときにとってしまったので今回は見送り。2月は18日(木)に有休をとる都合もある。
 というわけで、行きは深夜バス、帰りは新幹線コースになった次第。

 06年、紙ふうせんとラ・ストラーダが共演するコンサートがシンフォニーホールで開催されたときとはまったく逆のケースだ。あのときは土曜日だったから。

 「語る伝承歌 歌うフォークロア」は紙ふうせんの伝承歌を特集したトーク&ライブを企画したときに思いついたタイトルだった。その経緯は5年前に6回にわたってmixiに綴り、夕景共和国(BBS)に「インタビューことはじめ」のタイトルでまとめて再掲載した。
 04年、なんばHatchで開催された「結成30周年記念 紙ふうせんリサイタル」の第一部は伝承歌特集だったのだが、その中で披露された「太地綾踊唄」は、演奏の前に平山さんが津村陽の小説(の一部)を朗読した。唄の世界を彷彿とさせる効果的な方法で、朗読と楽曲のコラボのヒントになった。
 今回のコンサート、また何かヒントを与えてくれるだろうか。


          * * *

 インタビューことはじめ

 ●あの素晴らしいフォークをもう一度 2005/04/07

 昨日からNHK教育テレビ「趣味悠々」枠(夜10時)で始まった。中高年世代を対象にしたギター弾き語り講座。
 講師は紙ふうせんの後藤悦治郎さんと平山泰代さん。別にギターなんて今さら習う気持ちはないけれど久しぶりにTVで見るふたりの姿はうれしいものだ。
 昨日の課題曲は「友よ」。バックバンド(ギターのすぎたさん、ベースの浦野さん、ピアノの今出さん)を従えての演奏は初心者用とはいえ満足した。

 (略)

 今では40代以上でないと、「赤い鳥」はもちろんのこと、解散後二つに分かれた「ハイ・ファイ・セット」や「紙ふうせん」といってもぴんとこないかもしれない。「紙ふうせん」を知っていたとしても「冬が来る前に」しか聴いたことがないとか。
 確かに〈懐かしのメロディー〉的な番組にごくごくたまに出演されることがあって、「冬が来る前に」を、番組で用意されたオーケストラをバックに平山さんがうたって、一歩下がった後藤さんが(ほとんど聞こえない)ギターを弾きながらハーモニーをつける姿しか目にしないのだから当然といえば当然か。私みたいなコアなファンかすると、そんな番組のふたりは仮の姿でしかないのだが。
 もちろん「冬が来る前に」は名曲ですよ。
 「夕景工房」でも何度も書いているけれど、生のステージを一度聴けば印象は大きく変わると思う。
 「竹田の子守唄」なんて、赤い鳥のファンだった人の多くは、あくまでも山本(新居)潤子さんのヴォーカルじゃないと認めないところがあって、それが淋しいというか何というか。
 わからなくはない。
 たとえば私だって「別れの朝」を高橋真梨子の声で聴いてもどうもぴんとこないところがある。やはり前野曜子でなければと思ってしまう。「さとうきび畑」も森山良子でなくちあきなおみだもの。(こういうときだけ敬称略になる)
 赤い鳥では山本さんがメイヴォーカルだったからそのイメージが強いのは仕方がない。でもそんな方にはぜひとも紙ふうせんの「竹田の子守唄」を生で聴いて欲しいと思う。
 こういう私もソロになった山本さんの歌ってTVでしか聴いたことがないのだから、あてにならないか。
 紙ふうせん、ハイファイ・セット(山本潤子)、両方ファンだという方がいればいいのだけど、ほとんど期待できそうもない。

 まあ、ここらへんのことは「まぐま」の「体験的紙ふうせん論」でいつか書くことがあるだろう。
 実は今回書こうとしたのは〈インタビューことはじめ〉について。
 カセットを廻しながらインタビューするなんていう本格的なものは実は後藤さんが最初だったのだ。
 このインタビューで赤い鳥は結成当時から5人組(大川茂さんの前にメンバーがいた)とか、ヤマハ・ライト・ミュージック コンテストの地区大会で一度落選している事実を知った。


 ●後藤さん、取材させてください! 2005/04/08

 1990年代、紙ふうせんはクリスマスコンサートを毎年開催していた。場所は六甲山のオリエンタルホテル。12月第二週の金、土の二日間。
 宿泊込みで、ホテルは貸切、ウェルカムパーティー、チャペルコンサート、ブッフェのディナー、メインコンサートという盛りだくさん。
 それだけではない。出演者やスタッフも宿泊されるので、イベント終了後のスタッフ打ち上げが私のもうひとつの楽しみになった。
 その前からコンサートやライブ終了後に楽屋にお邪魔していたのだけれど、この夜でもっと親しくさせてもらうことができた。
 その中で、現在「まぐま」に連載している「体験的紙ふうせん論 僕も28歳の語り部になりたかった」の元になる「紙ふうせんメモランダム」という長い長いラブレターを渡した。
 文章に何行か登場する予備校時代の思い出をフィクション化した小説・のようなもの「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」のプロトタイプを送付したりした。

 後藤さんにお願いしたかったのは、いつか赤い鳥時代についてインタビューさせてください、というものだった。
 「1978 ぼくたちの……」の〈はじめに〉にも書いているが、赤い鳥の音楽性のほかに、私はメンバーの青春にも興味を持っていた。もともと高校時代に「赤い鳥物語」という映画ができないかと考え、時が経つにつれてその思いは70年代の団塊世代の青春を赤い鳥のメンバーを代表に小説もしくはノンフィクションで描けないかということへ変わっていった。
 それには取材が必要だ。その第一弾として赤い鳥の結成、そのアマチュア時代やプロデビュー、発表した楽曲、解散に至るまでの顛末をリーダーの後藤さんに伺いたかったのだ。
「そうやね、温泉にゆっくり入りながら、話さへんか」
 後藤さんは笑って答えた。
 私は後藤さんを温泉に招待できるのが(金銭的な面で)いつになるのか、そうすぐには実現しそうにないなと、まあ、ゆっくり進めていけばいいやと、費用稼ぎに精をだしたのだった。

 ってちっとも金はたまらなかったけど。


 ●語る伝承歌 歌うフォークロア  2005/04/11

 紙ふうせんのコンサートやライブに足しげく通うようになって、自分なりにあるライブを実現したいと思うようになった。
 赤い鳥が解散し、後藤さんと平山さんが紙ふうせんとして再出発した当初、コンサートで伝承歌を積極的に披露していたという。ただ、お客さんにすると伝承歌は敷居が高かったようだ。まるでクラシックを聴くような堅苦しい雰囲気でノリがよくない。ということで90年代の紙ふうせんがステージでうたう伝承歌は限られていた。ライフワークの「竹田の子守唄」プラス1曲くらいしか耳にすることができなかった。
 かつて伝承歌ですべて構成されたアルバムもリリースしているし、「伝承歌の採譜と披露は自分のライフワーク」とインタビューなどで発言している後藤さんにはぜひともそのライフワークを世間にアピールしてもらいたいと思うのだ。

 そこで考えたのが「語る伝承歌 歌うフォークロア/後藤悦治郎の世界」というトーク&ライブだ。
 たとえば渋谷のジャンジャンみたいなライブハウスで、伝承歌をテーマにした企画。
 前半は伝承歌の専門家である学者さんと後藤さんのトーク。歌詞だけではわからない伝承歌の背景や歌詞の意味について、併せて後藤さんが大学時代に行った伝承歌採譜の旅の思い出を語り合う。
 ヴィジュアル重視で映像を駆使し、あるいは、実物を用意してお客さんに見てもらう。十分伝承歌の内容を理解してもらったうえで、後半紙ふうせんのライブを聴いて伝承歌を肌で体験してもらうという趣向である。客を限定した非常にアカデミックな内容になる。だからこそのライブハウス(小ホール)なのだ。

 そうなるとメインは同和問題からメディアで抹殺されてきた「竹田の子守唄」になるだろう。企画書にまとめて後藤さんに提案してみるかな、なんて考え出した頃だ。2000年の秋だったか。
 久しぶりに東京で紙ふうせんのライブがあって、FC仲間とともに楽屋を訪れた。雑談の中で後藤さんがとても興味深いことを話してくれた。
 竹田の子守唄の発祥の地(京都・伏見)で赤い鳥時代を含めて初のライブを開催する。その前半は後藤さんの竹田の子守唄についての講演だというのだ。
 私がイメージしているトーク&ライブの参考になる!
「い、いつですか?」
「来年(2001年)の2月」
「行きます、絶対に行きます。詳細わかったら教えてください」

 まさか後藤さんから直々に連絡もらえるなんて思ってもみなかった。 


 ●ドキドキのインタビュー 2005/04/12

 2月のライブは、ふしみ人権のつどい実行委員会が主催する「ふしみ人権の集い」の第2部に予定されていた。この年で6回めをむかえていた。
 前年(2000年)に「放送禁止歌」(森達也/開放出版社)が上梓され、メディアで話題になっていた。この本の中で「竹田の子守唄」が取り上げられていて、にわかに注目を浴びている。そんなところから企画されたライブだと思う。地元の合唱団による「竹田の子守唄」の元唄披露にも興味がわいた。

 京都行きの一週間前だったか、自宅から会社に電話があった。後藤さんから電話があったという。あわてて事務所に電話する。
 後藤さんがでた。用件は京都のライブのこと。私のスケジュールを訊かれた。
 当日、京都へ直行しライブの後、バイト時代の友人の家に泊めてもらって翌日帰宅する予定と答えると、前日に来られないかと言う。
「うちに泊まればいい。インタビューも受けるよ」
「本当ですか! あ、あの録音もさせていただきますけど」
「ええよ」
 天にも昇る気持ちとはこのことだ。

 前日は平日だったがもちろん有給休暇をとった。インタビューなんてそれまでしたことはない。ただそのイロハ、心構えは小林信彦氏のエッセイ等で押えている。資料(後藤さんが新聞に連載していたエッセイのコピーファイル等々)を持参。録音機は会社の備品を借りた。自分のは安物なので再生したら何も録音されていなかったなんてことがあるかもしれないから。
 新幹線の中でインタビューの構成を考えた。準備万端。

 午後3時過ぎに目的の駅に到着。電話するととりあえず事務所に来てくれとのこと。スタッフに挨拶しているところに隣接する自宅から後藤さんが顔をだした。
 雑談の後、「さあ、何でも聞いてください」と後藤さん。
 ウォークマンを取り出す。カセットテープをセットして……あっ、途中のコンビニでカセットテープ買うの忘れた。
「大丈夫、大丈夫」後藤さんが新品のカセットテープを引き出しから取り出してきた。
 まったく、もう。どうしてオレはいつも肝心なところで凡ミスするのだろうか。
 冷や汗もんでインタビューが始まった。


 ●インタビューはじまる 2005/04/13

 インタビューでは訊きたいことが山ほどあった。何しろ中学生の頃からレコードを聴き、TVのチャンネルを合わせ、ラジオに耳をそばだて、音楽雑誌で記事を読み漁っていたのだから。
 インタビューの趣旨は「赤い鳥物語」を書くにあたって、デビュー前後から解散までの流れを押えること。
 まずは高校時代から。PPMとの出会い、平山さんとの出会い。これは、すでに後藤さん自身がエッセイに書き、これまでのメディアの取材でも答えることだ。私は日頃思っていた疑問をぶつけてみた。平山さんに一目ぼれする前に好きな人、つきあった女性はいたのでしょうか? 「いたよ」あっさりと返答する後藤さん。フルネームまで教えてくれた。どんな風につきあっていたかまで。
 高校時代、衝撃を受けたPPMのハーモニーとギターをコピーしたいが、ギターの音がとれない。ギター部の同級生でも無理だった(で、教わったのが「禁じられた遊び」)。その代わりハーモニーは完全にマスターした。仲間をつのってよく清掃の時間などにハモッて悦に入ったという。
 大学時代、フォークソングの同好会を組織して初代会長に。PPMのコピーバンド〈フーツ・エミール〉でコロムビアのコンテストで2位に入選。
 東の小室等率いるPPMフォロワーズ、西のフーツ・エミール。

 私の高校時代、フォークがニューミュージックと名を変え歌謡界を席巻していた頃、ヒット曲には目もくれず、すでに解散してしまった赤い鳥(&紙ふうせん)と六文銭を解散してソロになった小室等のアルバムを聴き入っていた。その原点にはPPMがあったのである。

 大学4年、同好会の活動を離れた後藤さんはいつまでも海外の曲をコピーして仕方ないと、日本のフォークソング(民謡/伝承歌)の採譜の旅に出る。そして武庫之荘の公民館で平山さんと始めた「赤い屋根の家」コンサート。赤い鳥の結成。ヤマハライトミュージックコンテスト出場の顛末。赤い鳥はこのコンテストで優勝してプロデビューのきっかけになるのだが、後藤さんから意外な事実を聞かされた。地区大会で一度落選しているというのだ。初耳だった。
 この件については「まぐま Vol.12」の「体験的紙ふうせん論」に綴っているのでここでは省く。

 いつも後藤さんの前であがってしまう私はいくら訊きたいことが山ほどあるといっても、ちゃんと質問できるか心配だった。杞憂だった。私の質問に後藤さんが丁寧に答え、そこから次の質問が頭に浮かぶ。
 優勝の褒美であるヨーロッパ旅行で二組のカップルはどういう行動をとったのか? カップルに挟まれた大川さんの立場は? なんていう下世話な質問にもちゃんと答えてくれた。

「今、何時?」
 後藤さんに訊かれて腕時計を見たら6時だった。2時間経っていた。あっというまだった。
 インタビューを終え、近くの割烹屋で酒飲みながらの話になった。
 赤い鳥の復活はあるのですか?という質問に、あの事件があったので無理だろうと言いながらその可能性を語ってくれた。
 その後、行きつけのスナックで赤ワインのボトルを空け、深夜に帰宅。私はインタビューをチェックしながら眠りについたのだった。
 充実した、まさに至福の一日はこうして過ぎていった。

 友人に書き起こしをお願いしたこのインタビューはA4サイズで80枚弱ある。


 ●プロの取材、インタビューを垣間見る 2005/04/14

 さて、翌日。
 後藤さんの「竹田の子守唄」についての講演は、音楽評論家・藤田正さんと後藤さんの対談に内容が変更になっていた。私が考えている企画に近くなり、より期待は高まる。
 第二部が始まった。
 ステージに登場した藤田さんが手にしていたもの。それは「竹田の子守唄」という自主出版の本だった。
 橋本正樹さんという後藤さんの高校の同級生が70年代はじめ、ちょうど赤い鳥の「竹田の子守唄」がヒットして人気を博していた頃に編まれたもので、私にとって長い間幻の本だった。後藤さんの依頼で「竹田の子守唄」のルーツを探し求めた橋本さんは、伏見の竹田地区がその発祥であることをつきとめ、被差別部落の守り子たちの歌だったことを明らかにしたのだった。
 会場には橋本さんも来ているという。そして「竹田の子守唄」を採譜者(尾上和彦氏)にうたってきかせた〈おふくさん〉の息子さん(野口さん)も。

 イベント終了後、藤田さんは後藤さん、橋本さん、野口さんにインタビューするという。プロのインタビューを拝見できるいい機会だと思った。とはいえ、そんな席に単なる紙ふうせんファンの私が同席できるわけがない。会場内にある喫茶店の外でうろうろしていると、後藤さんが中から手招きする。
「インタビューの様子、見学しておけば」
 素人ライターの後学のため。後藤さんの好意だったと思う。ありがたかった。この取材の成果は2年後藤田さんが上梓した「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」で知ることになる。

 取材の後、京都駅の居酒屋で5人で飲んだ。この酒席は楽しかった。とにかく橋本さんがユニークで愉快。
 私は橋本さんにお願いした。「竹田の子守唄」を読みたいんです。本を手に入れることはできないでしょうか。「もう在庫がないからと差し上げることはできないけれど」と言いながら、後日、手元に残っていたボロボロの1冊を送付してくれた。本のまま読了したかったが、貴重な1冊だ。あわててコピーして送り返した。

 この「竹田の子守唄」は限定400部しか刷らなかったという。「放送禁止歌」や「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」が注目されている今こそ、この自主出版本をより多くの人に読んでもらいたいと思った。
 「まぐま」で取り上げられないか。〈特集:復刻 竹田の子守唄〉として……。そしてそれに併せてトーク&ライブ「語る伝承歌 歌うフォークロア」を開催できないかと。
 夢はつきない。




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 25日(月)は大口広司追悼ライブだった。
 ショーケン「トーク&ミニライブ」のビフォア・オフ会(?)ではショーケン登場のサプライズがあると囁かれていた。
 「トーク&ミニライブ」終了後のアフター・オフ会(?)お開き寸前のこと、Mさんに「ショーケンのサプライズはないって、どうします?」と訊かれた。「もちろん行きます!」と答えた。ショーケンのサプライズがあろうがなかろうが、久しぶりにGHQを感じたくて。
 翌日チケットを購入する段になって、当日のスケジュールが危うくなった。結局NG。残念無念。
 Mさんごめんなさい!

 初めてのGHQ体験に衝撃を受けた僕とTさんは、翌年2月のライブに足を運んだ。GHQ出演の情報を得たのだ。
 インディーズ映画の上映会が縁で、カヒロバンド、Goddessという毛色の違うロックバンドと知り合うことができ、どちらも自分の琴線に触れる音だったので、ライブがあるたびに通った。今はどちらのバンドも活動していない。Goddessは念願のワンマンライブのあとに解散してしまった。Voの水木ノアさんがソロで活動しはじめた。カヒロバンドはバンドからふたりのユニット(Vo+ギター)になって活動している。

 以下、mixiに書いたレビューです。


          * * *

 ●10月の嵐の夜が忘れられずに 2007/02/07

 昨日、定時で会社を飛び出して四谷Outbreakへ。
 昨年の10月6日、嵐の夜にこのライブハウスで心震える出来事があった。
 あのGHQが再び四谷Outbreakにやってきたのだ!
 この情報を教えてくれたのがTさんだった。バンド活動しながら立川流の高座通いも怠らない、粋でいなせな兄さんは「立川談四楼コミュ」管理人。ロックと落語を秤にかけりゃぁ、愛する女房と娘が一番さとばかりに、最近は師匠の独演会とカヒロバンド、Goddessのライブでお会いする。

「行きますね?」
「もちろん!」
 19時半前、会場に到着。中に入るとパイプ椅子がずらりと並んでいた。約40席。いつもはスタンディングなのに、どうして? この日は〈店長秋元生誕記念祭 ~The Sound Of World~〉と銘打たれたライブ。店長は53歳。たぶん同世代の仲間が集うための配慮ではなかったか。
 Tさんの姿を探すがいない。ライブが始まるころには来るだろうと、ステージ下手前の二列めの席を陣取った。篠原さんのプレイをじっくり見るため。
 ライブが始まっても、Tさんは来ない。仕事が長引いているのか。もしかしてNG? だったら最後まで一人。一人のライブハウスは初めての経験だな、なんて思いながら、トップバッターのステージに神経を集中させていく。


 ■shojiro-Jr

 松山ケンイチのギター(&ヴォーカル)、スマイリーキクチのベース、今田耕司のドラムス。のように見えたんだよ、ほんと。松山くんとキクチくんが兄弟で、お父さんと店長が同世代だとか。
 若いのにかなりのテクニシャン。ただし演奏にヴォーカルが負けていて、歌詞がほとんど聴きとれなかった。

 ■三文役者

 店長自らドラムを叩くユニットバンド登場!
 驚いたのは、中央の女性ヴォーカルをはさんで、楽器がドラムスとベースだけという編成。ギターのいないバンドなんて初めてだ。ところが音に遜色ない。声量のある山下久美子風ヴォーカルと見事にマッチしていた。
 休憩時にやってきたTさんがさかんに感心している。

 ■GRANITE HOUSE

 前2組が3人という異色な(でもないか)編成だったので、このバンドが大所帯に見えた。
 ヴォーカル(&ギター)、ギター、ベース、キーボード、ドラムスのパワフルバンド。平均年齢はかなり高めだ。ちょっと泥臭くて、そこがまたいい。
 ヴォーカルは長髪の後藤(悦治郎)さんに、内田裕也の霊が宿ったような風貌、しぐさ。内田裕也ぴんぴんしてるけど。
 左耳に手をかざして歌う姿は、まるで、テンプターズ時代のショーケンか、ビー・ジーズのロビン・ギブか。はたまたロック界の鶴田浩二、か。
 その隣、陽気にギターを弾くアフロヘア(?)はつのだ☆ひろ? もしくはパパイヤ鈴木? そのテクニックは半端じゃない。
 客席から「タニヘイ!」のかけ声がかかると、Tさんがすばやく反応した。
「もしかして 子供ばんどの!?」
 このタニヘイさんが、店長の誕生日、年齢を肴にMC。
「昔いたバンドのリーダーが、俺は50歳になってもロックやってんだ、なんて熱く語っていたけど、今、何しているんでしょうね」
 リーダーがうじきつよしだったことをTさんに教えてもらった。確か「あいつがトラブル」というドラマで俳優うじきつよしを見たような気がする。調べたら同じ1989年に「226」にも出演している。どちらもショーケン絡みじゃないか。
「まるで、10月のときのkeiさんみたいな心境ですよ」
 そりゃ、そうだよ、Tさん、高校時代に子供ばんどのコピーやってたほどなんだから。大いに感激しなさい。でもさ、それほどのファンなら、どうして登場してきたときにわからなかったの?

 ついでに記すと、ベースは無表情な石原良純だぁ。

 ■GHQ

 まるで苦にならない大音響。全身に音楽を浴びて、毛穴が全部ふさがれてしまう感覚。女性ヴォーカルの声も、パーカッション(今回はヴォーカルが兼任)もちゃんと耳に届く。すごい快感。今回も完全に瞑想トリップした。聴くというより感じる音楽だと思う。優雅で激しいギター、疾風怒濤のベース、シャープでクリアなドラム。そんな中にあって、始終クールな篠原さんの指先の遊戯に注視した。 
 アンコールの声がかかるのも当然だろう。まあ、予定の行動なのかもしれないけれど。一度ステージ袖に下がったメンバーが再びやってきて、女性ヴォーカルが言うことには「篠やんに歌ってもらいます」。わお!

 GHQの次回のライブは3月2日(金)、Goddessとの共演(業界用語で対バンっていうらしい)。
 INFOを耳にしたTさんの声が曇った。
「3月2日はポプラ寄席ですよ」
 えっ! そうだっけ? 「抜け雀」はどうしても聴きたい。ノアさんの歌声も聴きたいしGHQも感じたい。同じ四谷でやることだからはしごできないわけではないところが救い。イタリアンはあきらめるか。
 あっ、翌3日はカヒロック座だ。うーん、体調には十分気をつけよう。




 告知です。
 桑原美由紀さんの朗読会が開催されます。
 以前にもちょっと触れましたが、この会には私も絡んでいます。いわゆる企画協力ですね。

 桑原さんには一昨年、私が企画した「紙ふうせんトリビュートライブ」に出演していただきました。今年は「語る伝承歌 歌うフォークロア/竹田の子守唄」と題する朗読会を考えています。これは前々から桑原さんに提案し内容を検討していました。
 赤い鳥が「竹田の子守唄」をヒットさせた1970年代初め、「竹田の子守唄」という本が自主出版されました。赤い鳥のリーダー、後藤悦治郎さんの高校時代の友人、橋本正樹さんが「竹田の子守唄」の出自を求めて編集したものです。この本に「物語 竹田の子守唄」が収録されています。京都伏見の竹田で伝承されてきた唄がどのような過程を経て「竹田の子守唄」になったのかを綴ったものです。
 この物語を朗読することで唄の背景を知ってもらい、併せて紙ふうせんの「竹田の子守唄」を聴いてもらう、朗読と楽曲のコラボレーション。

 まず会場をどこにしましょうか。ああじゃないこうじゃない、いろいろ話し合いました。候補として挙げたスペースを桑原さんに確認してもらいたい。その会場で開催される落語会に誘いました。出演者の一人が談四楼師匠でした。
 しばらくして、桑原さんから相談されます。「私の朗読会に談四楼さんをゲストとして呼びたいんですけど」
 ついでに運営も手伝ってほしいと。

 今回は休憩をはさんで第一部は二胡の演奏をプロローグにした朗読、第二部が落語とそれぞれ独立したものになっております。あくまでもゲストとして師匠には落語を語っていただくわけですが、もしこの「はなしと噺の会」が好評で第二、第三弾があれば、朗読と落語が有機的に結びついたある企画を実現させたいと考えています。

 平日の午後ですから、会社勤めの方は無理ですが、お時間ある方はぜひ!

 「だんしろうのお知らせブログ」ご参照ください。


     記

■日 時:2010年2月18日(木) 13:30~15:30(開場13:00)

■場 所:お江戸日本橋亭  HP 

■入場料:2,500円

■出 演:
      竹内文子  二胡演奏 
      桑原美由紀 朗読

      立川談四楼 落語

                      以 上



 【追記】

  立川長四楼さんのインタビュー三回めが掲載されました。藝能往来
  いろいろ話したいことがあります。今度酒つきあってもらおうかな。




 年末に図書館から借りてきたDVD。映画3本。遅くなったが感想をまとめてみた。
 地元の川口中央図書館はCD、ビデオ、DVDは3点まで二週間借りられる。書籍類は10冊まで。
 本日、図書館に返却したDVDは「天城越え」、「ローズマリーの赤ちゃん」、「Led Zeppelin  The Song Remains the Same」。
 借りてきたのが、「クリスティーン」、「ムーラン・ルージュ」、「あヽ声なき友」。
 積読本を読破しなければいけないのに、本も借りてしまった。
 「雨ン中のらくだ」(立川志らく)、「必死のパッチ」(桂雀々)、「月ば撃つぞ!」(三遊亭歌之介)、「封印漫画大全」(坂茂樹)の4冊。


 ●「刑事ジョン・ブック 目撃者」
 
 当時の日記には観たことしか記していない。せめて面白かったかつまらなかったかは書くというのが自分で決めたルールだったのに。
 しかし、感想を書いたところで後で理解できない場合もある。最近、1985年の日記をあたっていて、その事実を目の当たりにした。映画の感想をきちんと書いているのに、肝腎のストーリーが思い出せない。あるいは、映画の印象が、自分が心に刻んでいたものと違っている。これはショックだった。

 そんな映画に比べたら「刑事ジョン・ブック 目撃者」は観た日のことも印象もしっかりと覚えている。
 良く出来た映画だった。感激とか感涙とかいうことではなくしみじみするラストだった。構成が素晴らしい。展開がすべて納得できる。ヒロインをケリー・マクギリスが見ごとに演じていた。シャワーのシーン、車が隠されている小屋でのダンスシーン、別れのシーン、気持ちがまっすぐこちらに伝わってきた。
 ケリー・マクギリスは後に「トップ・ガン」でトム・クルーズと共演し、女性教官を演じた。「刑事ジョン・ブック」とはまるで別人だった。「役者やの~」と叫ぶしかなかった。
 

 ●「日本春歌考」

 学習院大学の、あの有名なピラミッド型建物(名称わからず)は「ウルトラセブン」の「ひとりぼっちの地球人」の回でロケされていて印象深い(特撮シーンにもミニチュア模型で登場)が、この映画でもしっかり使われている。それも「セブン」同様、雪が積もっている。冒頭の雪のキャンパスは、予定通りだったのだろうか? それとも撮影の前日(あるいはもっと前)に東京が大雪となってしまった想定外の出来事だったのだが、撮影を強行したのか? (映画の製作は1967年(昭和42年)。「ウルトラセブン」は昭和42年から43年にかけてTV放送された。もしかして同時期に撮影されていたりして) 
 いくつかのシーンで斬新な照明を行っていた。
 それにしてもこむずかしいそうなテーマである。政治の季節。こういう映画がもてはやされる時代だったのだろう。
 以前やはり図書館で「日本の夜と霧」を見つけて借りてきたことがあった。寝ながら観る映画ではなかった。途中でしっかり意識がなくなった。
 つまらないというのではない。のんべんだらりんとした視聴に適さないだけのこと。名画座の暗闇の中できっちり対峙すべき映画なのである。たぶん。


 ●「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

 80年代の前半、何かと話題になった映画。テーマ曲が琴線に触れたが、結局劇場に足を運ばなかった。日本公開のタイトルに反発したところがあったと思う。かすかな記憶なのだが。何がワンス・アポン・ア・タイムだ、原題を安易にカタカナにするのではなくきちんと日本語による素敵なタイトルを考えろ! なんて。
 TV放送もビデオもチェックしたことがない。今回、初めて観るのだ。
 ロバート・デ・ニーロやジェームズ・ウッズが扮するユダヤ系ギャングの、禁酒法時代の1930年代からビートルズの「イエスタデイ」がヒットした1960年代までを、時代を交錯させながら描いていく。
 自宅でのDVD鑑賞ということで、最初何かと落ちつかなかったのだが、ジェニファー・コネリーが登場するシーンから夢中になった。「小さな恋のメロディ」で、マーク・レスターが教室を覗いてバレエの練習をしているトレーシー・ハイドを見初めるシーンを思い出した。胸キュン! 

 この映画に比べると、「沈まぬ太陽」の時代の描き方、老けのメーキャップ等々、すべてぬるく思えてくる。子役のキャスティングはいかにもと思えるし、ロバート・デ・ニーロの老け顔なんて、まさに今の顔なのだ。髪も年齢相応に薄くなっている。この髪を薄く、というのがなかなかできない。

 完全版3時間49分は途中に休憩を挟んで上映された。DVDは2枚のディスクに収録されているのだが、わからないのは、1枚目が休憩で終了しないこと。休憩のあと映画が始まり少したって2枚目に続くのだ。休憩で終了した方が繋ぎがうまくいくだろうに。なぜ?




 昨日はチネチッタ川崎にて「サヨナライツカ」を鑑賞する。普通なら絶対観ないジャンルの映画だが、何しろ原作のラストで目頭熱くなってしまったもので。
 もう何年も前になる。スクリーンで「約束」を観たときに思った。若いときの岸恵子って中山美穂に似ているなあ、と。
 そんなわけで、「サヨナライツカ」は中山美穂を岸恵子に置き換えて観ていたところがある。じゃあ、相手役の西島秀俊は誰? 決まっているでしょう、ショーケンでさぁ。まあ、ショーケンに〈好青年〉役は似合わないけどネ。でもこのふたり、「雨のアムステルダム」の関係に似ていなくはないんだよ。魅惑的な年上の女性に翻弄される青年という意味では。


          * * *

 承前

2010/01/19

 「萩原健一 トーク&ミニライブ ANGEL or DEVIL」(ル・テアトル銀座)

 中に入って席を探す。前から2列目、ちょっと右寄り過ぎるのが難だか、ステージは目の前だ。良い席には違いない。
 すでにステージではスモークがたかれ、それが客席の方まで流れでている。まるで雲海のイメージ。〈ANGEL or DEVIL〉の具現化だろうか。
 グランドピアノが上手に設置されていた。篠原さんの演奏が間近で見られる! 喜んだ。

 始まる前の生真面目アナウンス(影ナレ)に笑ってしまった。曰く「煙は演出上の仕掛けです。何かあったときには場内アナウンスでお知らせします」。そんな内容だった。舞台を浮遊するスモークにビックリ仰天する客がいるのだろうか。演出以外のこと、たとえば火事だぁなんてあわてる人がいるとは思えないのだが。一人でも驚く人がいる(と想定できる)なら、アホらしいと思ってもアナウンスは必要なのかもしれない。これもまた時代なのだ。だったら、ギャグとして笑うか、それともシラケるか。笑った方がいい。

 19時。クラシック音楽が流れスモークと光の乱舞が始まった。
 途中からショーケンの声(煽り)も聞こえてきた。さあ、本人が登場……しない。聞こえるのは声ばかり。なかなか登場しない。「Enter the Panther」のオープニングがそうだった。前戯が長いセックスみたい。「早く来てよ」女性ファンは皆やきもきしていたのではないか。いや、男性ファンも同じ。
 腕時計を確認したら15分強、篠原さんがピアノにスタンバイ。さあ、今度こそ登場だ。

 最初にトークがあって、その後、ライブだと思っていたら予想が外れた。まあ、事前にSさんから昨日の構成を聴いていたのだが。ピアノ以外はカラオケっていうのは、まったく〈らしくない〉と思った。
 1日目のサプライズはジョー山中だったという。2日目は、テリー伊藤のギターだった。冗談。でもあの帽子と眼鏡(サングラス?)を横から見るとどうみてもテリーさんだよ。わかっている、GHQのギタリスト。つまり2日目は、ピアノとギターが生になったわけだ。これはうれしい。
 ショーケンの声とパフォーマンス、「Enter the Panther」のときと雲泥の差だ。あのときどれだけ調子が悪かったか思い知らされる。喉も身体もボロボロの状態だったのだ。

 1曲目は「愚か者よ」。
 近藤真彦の「愚か者」はレコード大賞を受賞したが、ショーケンバージョンの方が断然いい。同じ曲なのに、ショーケンが歌うとタイトル(「愚か者→愚か者よ」)と歌詞の一部(「愚か者よ→愚かな者よ」)が変わる。同じ曲でも「セーラー服と機関銃」(薬師丸ひろ子)と「夢の途中」(来生たかお)ほどの違いがあるのならわかるのに、「愚か者よ」は〈よ〉があるかないか。
  どうしてそんな違いが生じたのか、井上堯之さんに訊いたことがある。地元のライブハウスに来たときだ。ライブ終了後に話す機会があった。さっそく尋ねてみた。「それがねぇ、わからないんだよね」と井上さんは笑っていた。「自由に歩いて愛して」も本家(PYG)と違う。「誰かが今、ドアを叩いた」という歌詞がショーケンバージョンではカットされているのだ。ジュリーはそのまま歌っているのに。
 「AH!HA!」は篠原さんの曲。「大阪で生まれた女」「ぐでんぐでん」「愚か者よ」の次くらいにカラオケに入った。大好きな曲だったのでよく歌った。誰も知らなかったけど。
 
  愚か者よ/AH!HA!

 2曲歌い終わって、ギタリストとショーケンがいったん下手のソデに消える。ステージに椅子が用意されると、ショーケンが女性を連れて登場してきた。ゲストの林真理子さんだ。
 篠原さんのピアノをBGMにして二人のトークがはじまったのだが、あ~やっぱり、林さん、ショーケンについて驚くほど何も知らない。今回のショーの印象が「女性客だけでなく男性客もいる、こんなに多いなんて驚いている」なんだもの、さてはドンジャンやアンドレ・マルローのライブを観たことないな。まあ仕方ないか。あたりさわりのない質問に始終した感じ。ただ最初に「(ショーケンさんが)団塊世代とかみんなの役に立ちたいとか、言うのは似合わない」と断言したのには大拍手!
 週刊朝日の対談同様、ショーケンがリラックスしていたのは確かだ。

 トークが終ってライブ再開。高橋伴明監督「ANDREE MARLRAU LIVE」の冒頭を飾る「シャ・ラ・ラ」。これも篠原さんの曲。いい曲だなあ。エンディング前には、もう一度林さんを連れてステージに現われ、そのまま客席に下りて、観客の大合唱の中を一周。林さん、夢みごごちだろうな。
 関係ないけれど「ANDREE MARLRAU LIVE」は一度劇場の大スクリーンで鑑賞してみたい。映画として堪能したいのだ。
 「ハロー・マイ・ジェラシー」ではまたまたサプライズゲスト、ショーケンの隠し子だ、いや、篠原さんのだと紹介されて登場したのは、名前忘れた。でも知っている。GHQのヴォーカル。華奢な身体に似合わない声量は相変わらずだ。ポーラ・デスモンドを彷彿とさせる。ショーケンとの息もぴったり。
 もし、フルライブとなったら、バックコーラスは彼女一人で十分なのではないだろうか。となると、キーボードは篠原さんか。いやいや、GHQがバックバンドということか。
 ラストはショーケンのテーマ曲、「ショーケントレイン」の別名もある「HE IS COMMING」。アンコールは「時代おくれ」。  

  シャ・ラ・ラ/ハロー・マイ・ジェラシー/HE IS COMMING
  時代おくれ

 熱狂のライブが終わるとステージのものがすべて片づけられた。
 大ラスは、ショーケンのソシアルダンスだ。お相手はショーケンのダンスの先生。現在、「痴人の愛」の映画化が進められていて、劇中で披露するダンスを特訓中であることはこれまでインタビューで語られていた。

 ショーケンの復活。それはこれまでもTVの「チューボーですよ!」や「ショーケンという孤独」、映画「TAJOMARU」で確信していたが、本当に生でこの目で確認できた。
 次は主演映画だ。「ギャンブルが人生だって? それは違う、人生がギャンブルなんだよ!」の執筆とどちらが早いか、競争だ!!




 承前

2010/01/19

 「萩原健一 トーク&ミニライブ ANGEL or DEVIL」(ル・テアトル銀座)

 18時30分ちょっと前に会場へ。

 ル・テアトル銀座は黒柳徹子の芝居を上演する小屋としてインプットされている。ほかにも有名俳優、女優のちょっと高級感漂う芝居を上演している。渋谷パルコ劇場のワンランク上というイメージだ。とにかくチケットが1万円近くするので、観たい芝居があってもなかなか手を出せない。
 40代半ば以上の映画好きには「テアトル東京」の跡地に建てられたことで記憶されているのではないか。70mmのシネラマで有名だった劇場だ。「テアトル東京」へは一度だけ足を運んだ。「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」のロードショーだった。あまりのどでかいスクリーンに驚愕したものだ。最後の上映作品が「ディア・ハンター」ではなかったか。
 芝居小屋になってからはこれまた一度だけ訪れたことがある。21世紀になったことを記念して「2001年宇宙の旅」が上映されたのだ。
 
 エレベータで3階へ行くと開場が始まるところだった。
 まずCDを購入する。会場でしか販売されない限定版で、「時代おくれ」&「萩原健一 ANGEL or DEVIL」の2枚。
 「時代おくれ」は「泣けるわけないだろう」以来の新曲で河島英五の曲をカヴァーしている。TVのドキュメンタリーでレコーディング風景が流れたが、声の状態は「Enter the Panther」に比べ格段によくなっていた。ぜがひでも聴きたかったが、CDはリリースされず、いわゆる配信のみなのだ。iTunesとかレコチェクとかまるでわからない50男にはありがたい。
 「萩原健一 ANGEL or DEVIL」と題されたCDにはドンジャン、アンドレ・マルロー時代の曲が新録音で収録されている。「愚か者よ」「AH! Ha!」「シャ・ラ・ラ」「ハロー・マイ・ジェラシー」「HE IS COMMING(ショーケントレイン」の5曲。
 なぜこの5曲なのか、ステージが始まってわかることになる。

 入口で1枚のフライヤーを受け取った。
 「Concert for Hiroshi」のタイトル。その上には大口広司の写真。煙草をくゆらせた横顔がかっちょええ。
 キャプションにこうあった。

    ◇
 
 「あいつのドラムは 上手いんじゃないんだ。カッコイイんだ!」
 多くのミュージシャンにそう言われた大口広司。彼がこの世を去ってから一年の月日が流れた。
 そろそろ天国にいるヒロシとセッションしようぜ。

    ◇

 訃報をTVで知ったのは昨年の1月27日だった
 (ここで訂正しておきたい。大口さんがドンジャンのメンバーになったのは、「DONJUAN LIVE」のもっと後ですよね)

 1月25日(月)に渋谷で一周忌ライブがあるなんて全然知らなかった。昨年の11月からチケットを販売しているのに。
 出演者がすごい!
 ゴールデンカップス、TENSAW、深水龍作&DeepMouth、佐藤隆、GHQ、ジョー山中、ムッシュかまやつ、大口プロジェクト。
 カップスにとっては、デイブ平尾の追悼ライブでもある。
 GHQの文字に注目した。
 キーボードが篠原信彦さんのバンド! 知り合いのバンドが出演するので足を運んだライブのトリだった。篠原さんを目の前にした感激は今でも忘れられない


 この項続く




 承前 

 「トーク&ミニライブ」は東京2ステージ、大阪1ステージ、計3回開催される。東京は18日(月)、19日(日)の2日間。さてどちらにしようか。
 13年ぶりのコンサート「Enter the Panther」は当日有休をとった。興奮して仕事どころではないとの判断からだ。退社後だと開始時間(渋谷公会堂)に間に合わないかもしれない懸念もあった。
 今回も有休をとるとすると、仕事始まりの月曜日はちょっと気が引ける。それに、2回目の方が何かと手直しがされてよりいいものになっているに違いない。そう考えて19日のチケットを申し込んだ。

 申し込んでからトークのゲストを知った。1日目は阿川佐和子、2日目が林真理子。
 この二人とショーケンの接点は何なのだろうか? 阿川佐和子とは週刊文春の連載「この人に会いたい」で2回対談している。では林真理子は? ショーケンファンとは思えないし(文春連載のエッセイでショーケンを取り上げたことはないと思う)不安になった。
「1日目にすればよかったかなあ」

 週刊朝日に連載されている林真理子の対談「ゲストコレクション」を読んで不安が解消された。先週だったか先々週だったか。ショーケンがゲストの回。とにかくショーケンがノッているのだ。飾り気のない普段着の言葉で本音をしゃべっている。別に林真理子がショーケンに詳しくて話題を次々に振っていくわけではない。あたりさわりのない進行だと思う。にもかかわらずショーケンが旧知の間柄のようなフランクさで接するのだ。もう何でも答えてしまう。最近亡くなった斎藤耕一監督の「約束」を自身のメガホンでリメイクすると宣言するほど。

 初対面にもかかわらず笑顔や雰囲気でほっとさせてくれる人がいる。ほんと、ごくごくわずかであるが。僕自身一度だけ出会ったことがある。あるセミナーで、もう最初から冗談が言えてしまう。あれは不思議だった。
 構えなくていい、リラックスできる、饒舌になれる。ショーケンにとって林真理子ってそんなタイプの女性なのかな。
「これはもしかして?!」
 不安は期待に変わった。

 10時過ぎに新富町のホテルへ。大阪からやってきて前日宿泊していたSさんとロビイで待ち合わせ。少し遅れてGさんが合流。ショーケン談義に花が咲く。復帰作「TAJOMARU」のこと、新曲「時代おくれ」のこと、これまでのこと、事件のこと、これからのこと、新作映画のこと。ショーケンだけを肴に約2時間。どこかお茶飲めるところへ行きましょうと外へ出て腕時計を見たら12時20分だった。

 しかし、銀座に向う途中に築地を通り抜けるのは、偶然とはいえ〈ある力〉を感じてしまう。
 「ギャンブルが人生だって? それは違う、人生がギャンブルなんだよ!」のプロローグは、この「トーク&ミニライブ」にしようと考えていたのだ。そこから回想になって、1985年の築地に舞台は移る。築地には主人公が勤める会社があるからだ。
 ホテルを出て新大橋通りを本願寺方面に歩く。新入社員当時昼食を食べによく通った喫茶店はもうなくなっていた。「笑っていいとも!」が始まったころで、この店でいつもテレフォンショッキングを見ていた。すぐに右折する。銀座に向かう道。会社はすぐそこにあって、よく買い物でこの道を往復したものだ。25歳。青春だったな。

 銀座通りへ出る手前のカフェDに落ち着いた。それから16時30分までショーケン三昧の時間を過ごすのだった。途中、Mさん、××(名前失念)さんを加えながら。
 その後、会場近くの居酒屋へ。ショーケンファンが集うというのだ。一昨年のトークショー後に東京駅近くの中華料理屋で大騒ぎした仲間たちだ。17時から18時30分まで。

 さあ、ショーが始まる。


 この項続く




 ショーケンのトーク&ミニライブ開催を知ったとき、どうしようかと少々躊躇した。ライブだったら迷わず「GO!」なのだが。「トーク&ライブ」ではない。「トーク&ミニライブ」。ミニライブというからには、ショーのメインはあくまでもトークである。ショーケンの場合、この手のイベントは一度経験すればいいと思っていた。
 一昨年、ショーケンのトークライブに参加したのである。mixiにこう書いた。

    ◇

 ●蘇れ! ショーケン 2008/04/06

 虫の知らせ、は悪い意味にだけ使われるのか。
 だったら、運命、だろうか? ちょっと大仰か。
 たとえば、先週の土曜日(29日)。むしょうに「木枯し紋次郎」が観たくなった。DVD-BOXを取り出して、最終回(第1シーズン)の、市川崑監督作品に触れた。久しぶりのタイトルバックに興奮した。ミュージッククリップの先駆になる映像だよな、一人悦に入った。特別収録の崑監督のインタビュー。両手をこすりながらの受け答えはいつもの監督ではないか。
 翌日、郷里に帰って、新聞を見たら29日、東宝スタジオで崑監督のお別れの会が開催されたことを知った。そう、僕は一人でお別れしていたんだ、崑監督に。

 最近の就寝の友は紙ジャケットでリリースされた「ドンジャンライブ」。ショーケンの雄たけび、テンダーナイト!

 そんなところに、大阪のショーケンコネクションから驚きのメールが入った。
 4月5日にショーケンのトークライブがあります。もし参加するなら手続きしますよ。
 僕は、ショーケンを仰ぎ見る存在だと思っている。コンサートではもちろんステージの生ショーケンを観るけど、そのほかでは実際に会う(それが映画の舞台挨拶でも)なんて考えもしなかった。
 けれど、今回は特別。復活の後押し(かどうかしらないけど)をしたい。一度だけ身近で触れ合いたい!!

 もう昨日になってしまったけど、午後2時。銀座の某所に集った。お客は約70名。
 その時間、「ドンジャンライブ」のテンダーナイトが会場に流れる! 大興奮! 登場したのは梨元勝さんだった……。
 梨元さんの司会でトークライブが約1時間。
 それから、ショーケン(もう会ってしまったので、萩原さんと書かなければならないのだけど、まあいいや)がそれぞれのテーブルを廻って、しばしの歓談。僕のところにも来たんだよ!! ホント、夢見心地の旅に出る、だ。

「どこから来たの?」
「あ、あの、川口です」
「川口、甥っ子が住んでんだよね」
「どこですか?」
「……のそばなんだけどね」
 言おうと思ってたこと全然言えなかった……。

 集合写真を撮るときに、隣を歩いていたので、聞いてみた。
「『犯人に告ぐ』ってご存知ですか?」
「知らない」
「最近、映画になったんですけど、小説読んだとき、萩原さん主演にどうだろうと思ったんです」
「ふーん、『犯人に告ぐ』? 覚えておくよ」

 歓談の間、大阪で行なわれた「アンドレ・マルローライブ」が流れた。
 本人秘蔵のVTR。「シャララ」の黒のタンクトップの前に、ショーケンが何を着ていたか、オープニングから流れたのだから、こんなうれしいことはない。涙もんだよ、これ。

 大阪のSさんありがとう! 
 手続きしてくれたA dogさんも!

    ◇


 いろいろ思うことがあった。
 あのル・テアトル銀座でトークショー?
 だいたいミニライブの演奏はどうするのか? このライブのために編成されたバックバンドがつくのだろうか?
 でもミニだからな。そんな予算ないだろう。となると、ギター1本のバックとか。以前なら井上(堯之)さんだろうな。でも、引退してしまったし。なら速水清司さんか。なら観てもいいか。
 すぐに情報が流れてきた。篠原信彦さんのピアノ演奏のみ。篠原さんのアコースティックな演奏で「54日間、待ちぼうけ」をしっとり歌い上げる姿が脳裏に浮かんだ。

 構成・市川森一、演出・恩地日出夫。
 シナリオライター・市川森一に対する思い入れは強い。「傷だらけの天使」のメインライターだったが、その前にはウルトラ(マン)シリーズで何度もその名を拝見した。円谷プロ育ちなのだ。デビューは「快獣ブースカ」。「ウルトラセブン」では怪獣、宇宙人がまったく出てこない「盗まれたウルトラアイ」を書いている。「帰ってきたウルトラマン 許されざるいのち」にPYG「花・太陽・雨」を仲介した張本人でもある。
 日曜劇場「バースデー・カード」のラストの衝撃が忘れられない。水谷豊が主演し、憧れの女性からもらったバースデー・カードから人生を狂わせる孤独な青年を演じていた。後年、図書館からシナリオ集を借りてきて、原稿用紙に書き写したほどだ。
 映画監督・恩地日出夫の名を覚えたのは日本テレビ「火曜日の女」シリーズだった。道路を挟んで、手前にカメラを置いて、走る車にさえぎられながら向こう側の被写体を狙う構図が好きだった。「傷だらけの天使」も何本か撮っている。メイン監督といっていい。「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」は大評判を呼んだ。

 市川森一がシナリオを書いているショーケン主演の映画って、もしかして恩地日出夫がメガホンをとるのか?
 まあ、そうじゃなくても、篠原さんのピアノ演奏でこのコンビがスタッフなら行くっきゃないではないですか。 
 
 この項続く




 cha-sukeさんへ

 TVドラマ「嫌われ松子の一生」については言いたいことがたくさんありましてね。
 中島哲也監督の映画「下妻物語」に比べ、続く「嫌われ松子の一生」を評価する人は少ないのですが、私はぐっとくるものがありました。こんなアプローチもあるのかと、もうまさに目から鱗でしたもの。原作はシリアス、悲劇。映画は喜劇、ミュージカル。まったく別もののようでラストで同じ感情に包まれる。こんなこともあるのか!
 TVドラマ化されると知って、これまた別の期待がありました。今度は原作に即した内容になるだろう。団塊世代の女性の半世紀ですから、時代色も楽しみでした。
 その経緯を、定期的にmixiに感想を綴っていました。

 ところで、映画「砂の器」のラストで「ハンセン病患者への差別がない」云々の字幕(メッセージ)が流れますが、あれは映画化する際のハンセン病団体(?)からの要請だったんですね。橋本忍の本に書いてありました。

          * * *

 ●原作へのアプローチ ~「砂の器」~ 2006/10/27

 ある方から夕景BBSに書き込みがあり、長澤まさみ主演のTVドラマ「セーラー服と機関銃」と昔の薬師丸ひろ子の映画を比較検討してほしいと依頼された。
 にもかかわらず、初回、二回目、ともに観忘れた。予約録画をしていないというのが致命的。個人的に興味がない証拠だろう。
 それに比べ「嫌われ松子の一生」はきちんと録画している。初回だけチェックするつもりが、2回目はかみサンが録画してくれていた。
 映画「嫌われ松子の一生」は「まぐま」次号の「小説と映画のあいだに」で取り上げている。小説を映像化する際の、原作に対するアプローチの仕方を言及しているのだが、話題になった映画の直後、TVはどのようにアプローチしているのか興味があった。
 TVドラマは映画と違い、原作の世界をそのまま描くという。映画との差別化ということもあるのだろう。ただし、これはごく当たり前の行為だと思う。

 以前、同じTBSで「砂の器」がドラマ化されたが、野村芳太郎監督作品に強く影響された内容で失望した。
 TVドラマは橋本忍(と山田洋次)の書いた映画シナリオを原作としながら、現代を舞台にストーリーを改変した。
 どうしてそんなことをしたのか?
 映画と違い、TVドラマは時間がたっぷりある。だからこそ、原作の「砂の器」とがっぷり四つに組めばいいのだ。時代や登場人物を原作同様にして、きちんと当時の風俗を挿入しながら若いアーティストたちの犯罪劇、群像劇を描けば、映画とは一線を画す新しい「砂の器」が生れる可能性があったのに。

 映画「砂の器」は名作であると思う。原作以上の面白さも保障する。泣ける映画でもある。日本の四季の美しさ、子役と丹波哲郎の演技が堪能できる。では、完璧かといえばそうではない。
 気になるのが犯人役・和賀英良の音楽家という設定だった。クラシック畑というのがどうにも気になる。原作では前衛音楽家だった。これなら、孤児が独力で天性の才能を開花させるという展開に無理がない。しかし、クラシック、それもピアニストになると通用しない。どうしたって英才教育が必要になるのだ。
 もうひとつ、ハンセン(氏)病の扱いだ。映画のラストでハンセン病患者への差別は現在(1974年当時)は無くなっていると高らかに謳っているが、まったくの嘘であることが、何年か前の温泉旅館の差別事件で明らかになった。

 淀川長治だったか、映画「砂の器」をメロドラマと評していたのが、今となると得心できる。捜査会議の中で、ある俳優が〈順風満帆〉をジュンプウマンポと発音するのも、おいおいという感じ。
 TVドラマ「砂の器」は映画に基づきながら、テーマになっていたハンセン病をまったく無視していた。前述の事件が要因だろう。が、映画シナリオを原作とするなら、やはりはずしてはならない要素だ。

 映画には映画の、TVにはTVにしかできない、原作に対するアプローチ。
 では「嫌われ松子の一生」はどうだろう?
 

 ●原作へのアプローチ2 ~「嫌われ松子の一生」~ 2006/10/28

 内山理名がヒロインの松子に扮するTVドラマ「嫌われ松子の一生」。
 プロデューサーの言葉によると「原作に忠実に、悲惨になりすぎないように松子の一生を描く」とのこと。にもかかわらず、松子の甥、笙とその恋人明日香の役柄を逆転させたのはどういう理由によるものなのか? つまり明日香が松子の姪になって、恋人が笙になっているのだ。単に映画との違いを強調させるためだけの変更なのか? 
 男女の違いで、伯母の一生を見つめる視線も変わってくると思うからだ。全話をとおして観たあと、「ああ! なるほど。そういうことか」と納得できるものでなければ意味がない。

 裏に「Dr.コトー診療所」があって(かみサンはこちらを楽しみにしている、だから録画をしてくれたわけ)、視聴率的にはかなり苦戦をしいられているが、決して悪い出来ではない。それが昨日放送の3話までを観た率直な感想。
 キャスティングも原作のイメージを尊重していて、違和感はない。龍洋一役の要潤の付け髭はいただけないが……。
 内山理名の天真爛漫さがいい。無防備すぎる無邪気なヒロインにぴったりだ。あとは堕ちた後の演技がどのくらいのものなのか。
 映画ではトルコ風呂のマネージャーという役柄以上の出番がなかった赤木。TVでは北村一輝が扮し、原作以上に松子に絡んでくる。今後の展開が楽しみだ。先輩トルコ嬢の鈴木蘭々。久しく見なかった(舞台を中心にしていた?)がいい女になったものだ。
 時代色はそれほど感じられない。団塊世代の女性の半生記なのだから、同じ世代の視聴者が松子と一緒に時代を歩めるような、そんな作りになっていればいいのだが(団塊世代ではない者にとっても、70年代、80年代を感じたい)、あまり重きをおいていない。やはりターゲットは10代、20代の若い人たちなのだろう。
 テーマ曲が「In The Mood」(映画「瀬戸内少年野球団」のテーマといえばわかりやすい)なのがイマイチ腑に落ちないものの、劇中の音楽はどれも印象的だ。民族音楽系あり、洋楽系ありの、バラエティーに富んだ選曲がどれも琴線に触れるのだ。個人的趣味といわれればそれまでだけど。

 肝心なことを忘れていた。
 原作の〈トルコ風呂〉、ドラマの中でどう表現されていたか。時代設定からいくとトルコでなければならないのだが、現在は規制されているような気がする。
 トルコともソープランドとも関係ない。ドラマの中ではいっさいその手の表現がないのである。看板は「白夜」だけ。何の店だかわからない。そんなバカな!


 ●TV「嫌われ松子」ふたたび 2006/11/21

 先々週の木曜日(9日)、深夜バスで大阪に行くため「嫌われ松子の一生」を予約録画しておいた。翌日打ち上げで騒いでいるところにかみサンからメールが入った。「松子、半分しか録れていないからね」。バレーボール世界選手権大会の放送が長引いたせいである。
 先週も録画を再生させたら、「渡る世間は鬼ばかり」なのであわてた。最後の10分を残して画面が青くなって、嗚呼。同じ間違いを二度するなんて! ドラマを最後まで観られなかったことより、自分の愚かさに怒りが芽生えた。
 実際のところTVドラマ「嫌われ松子の一生」についてはもうどうでもよくなっている。松子がトルコ風呂で働きだしたあたりから急に興味がなくなってきた。真実味がないのである。
 トルコ風呂という表現、松子が生きていた時代ではごく当たり前に使われていたとはいうものの、今のTVでは禁句だろう。かといって時代設定から〈ソープランド〉に置き換えられない。いったいどう処理するのかと思ったら、台詞にも画面上にもその手の言葉がでてこない。看板にも表記されていない。

 またまた「砂の器」の話になって申し訳ないが、映画「砂の器」が初めてTV放映されたときのことだ。
 本浦千代吉(犯人の父親)が息子を連れて放浪の旅に出る原因、その病気について捜査会議で刑事役の丹波哲郎が触れるシーンがある。上司の問いに対して答えるのだが、その台詞に目が点、いや目に「?」がいくつも浮かんだ。
「それで、本浦千代吉の病気は何だったんだ?」
「…××病です」
 ライ病のライが見事に消されていたのだった。
 ハンセン病(素朴な疑問だが、いつからハンセン氏病からハンセン病になったのだろう?)の差別用語との認識からカットされたのだろうが、とんでもない処置をしたものだ。映画の主題が何なのか、TV局は考えているのだろうか? まさに噴飯もの。
 驚いたことに、その後の放映では〈ライ〉がカットされていないのだ。いったいTVって……。

 閑話休題。
 トルコ風呂の件は仕方ないとしても、インパクトに欠ける描写ばかりなのだ。何も彼女らを裸にして、客とのセックスシーンを挿入しろ、というのではない。毎日の仕事の激しさ、過酷さ、その中で充実感に浸る松子、といったものがちっとも感じられない。
 この前の刑務所のエピソードも同じ。2時間ドラマの女囚もの的展開でどうにも背中がこそばゆい。女囚ドラマ、見たことないけど。
 松子が脱走をはかるシーンにいかりや長介になってしまった。だめだ、こりゃ。原作ではその心情が胸に迫ったんだよ、ったく。時代色もないがしろにされているし。
 トルコ風呂、刑務所、小説の中で重要な位置を占めるこのくだりを、手垢のついた演出で台無しにしているTVドラマに比べ、ミュージカル処理した映画の発想の転換に、改めてアプローチの素晴らしさを感じてしまう。ミュージカルがミュージカルとしてちゃんと存在しているところがいいのである!

 (略)


 ●ふざけるな! TV「嫌われ松子の一生」 2006/12/24

 TV「嫌われ松子の一生」最終回(録画)を観た。
 なんなんだ、これは! 
 たとえ視聴率で惨敗したとしても、内容が良ければいつか評価されるときがくる。そう信じて、毎週観続けたわけだが……。
 途中で投げ出そうとしたけれど、最後までつきあったんだ。少しは言わせてもらうぞ。
「嫌われ松子の一生」って、トルコ風呂以外にもTV的タブーがあったのか。
 精神障害も描けないのだ。
 原作では寂しさゆえ、精神を患う。松子が壊れていく、その心情が痛いほどわかるのに。
 TVでは覚せい剤の後遺症との理由がついていた。
 その結果、老婆みたいな容貌に変化してしまう。なぜ? 
 その過程がまったくないから、まるで信じられない。
 犯人に殺されるくだり、その後の松子のモノローグ。耳をふさぎたくなった。
 TVは松子と龍洋一の恋愛物語。そういうくくりで作られている。
 しかし、ラスト近くのふたりの会話、いいのか、あれで?
 笙と明日香の逆転は、それなりに意味をもたせてはいる。いるけれど、いいのか、あれで?
 プロデューサー&シナリオライター両氏、本当にあれでいいんですか?




 訃報が続く。
 映画批評家の双葉十三郎氏、声優の田の中勇氏。ショックだったけれど、双葉氏は99歳の年齢を考えれば大往生だろうし、田の中氏だって77歳だ。
 しかし、小林繁氏の急死には納得できない。なぜなんだ!

 合掌


 立川長四楼さんのインタビュー2回め。
 そりゃ家族の中ではいろいろあるよね。
 藝能往来

          * * *

2009/12/01

 「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」(K's cinema)

 僕の海外ポップス歴、ロック歴はビー・ジーズ、ビートルズで止まっている。
 小学6年のときには洋楽への道が開けていたことは確かなのだ。歌謡曲を毛嫌いしだしたころだから。が、1970年代前半、特に中学時代はフォークブームの真っ只中だった。関心はフォークに向かった。赤い鳥のファンになり、解散後は紙ふうせんを追いかけた。70年代後半はビートルズとともに日本のロックに目覚めた。柳ジョージ&レイニーウッドやカルメン・マキ&OZのLPを買い集めた。あっ、ジョン・レノンとボブ・ディランは好きで買ったな。
 そんなわけで80年代の洋楽、ロックについて語ることはできない。語りたくても状況がわからない。
 言えるのはこれだけ。ハードロックは嫌いじゃない。それからもう一つ。ハードロックとヘヴィメタルって何がどう違うのか?

 日本で「スーパーロック'84」なるロック・フェスティバルが開催されたことなんて知らない。出演者には今をときめくバンドがいた。僕が知っているのはボン・ジョヴィくらいだが。
 アンヴィルはそんな中の一バンドであり、当時他のバンドへの影響力があったらしい。その後、数々のバンドがブレイクしたにもかかわらず、アンヴィルだけ鳴かず飛ばすだった。こんなこともこの映画の紹介でわかったことだが。
 84年だったら、ショーケンのドンジャン・ロックンロールバンドに夢中だったころ。もちろん紙ふうせんと赤い鳥は聴いていた。共通点があるのかどうか、自分でもわからないけど。

 アンヴィルのオリジナルメンバー、スティーブ・〈リップス〉・クドローとロブ・ライナー(同名の映画監督がいますね)はまさに同世代。だからこそ考えてしまう。〈夢を諦めきれない〉の〈きれない〉の部分を。

 最初のアルバムこそ自主制作だったが、その後大手のレコードメーカーと契約、その成果として「スーパーロック'84」に出演していると思うのだ。つまりメジャーデビューは果たしたわけで、あとは曲がヒットしてブレイクするかどうか。ブレイクできずに消えていくバンドは数知れず。ヒットに恵まれても一発屋で終わるケースだってある。
 アンヴィルはデビュー時こそ何かと話題を呼んだもののその後は鳴かず飛ばず。波に乗れなかった。
 そんな場合、バンドは解散して、メンバーはそれぞれの道を歩み始める。ソロで再挑戦する者、裏方に回る者、まったくの別の仕事に就く者……。

 アンヴィルは違った。メンバーのスティーブとロブはアルバイト(?)をしながら、バンド活動を続け、再度のメジャーレビューを狙うのだ。よくあるコースだが、意外だったのはスティーブが結婚していて子どもまでいること。家は一軒家(向こうでは当たり前か?)。幸せの家庭生活を送っているのだ。夢の実現のため不自由な生活をしているわけでも、バンド活動のため、何かを犠牲しているというわけでもないらしい。
 50歳になって一応仕事があって、家族にも恵まれ、好きなバンド活動ができる。(内情はともかく)ヨーロッパツアーにも出かけられるのだ。かつてメジャーデビューしている者として、この生活に何の不満があるのだ?
 その疑問はブーメランのように自分に返ってきて、胸に突き刺さる。

 夢を諦め〈きれない〉同世代の男にとって、このドキュメンタリーは、単に、感動するとか元気になったとか、勇気を与えてくれるなんていう内容ではない。さまざま思いが去来して感情がかき乱されるのだ。 




 承前

 
2009/12/18

 「蘭陽きらら舞」(高橋克彦/文藝春秋)

 〈仙波一之進と仲間たち〉と勝手に命名しているシリーズ第四弾。前作「春朗合わせ鏡」でレギュラーになった蘭陽が主役となって活躍する連作短編集。もちろん春朗とコンビを組む。
 蘭陽は元陰間、元女形という美青年。陰間とは男娼のこと。ウィキペディアによると当時歌舞伎の世界では女形が男と性的関係になるのは修行の一環と考えられていたとか。
 「きらら舞」「はぎ格子」「化物屋舗」「出で湯の怪」「西瓜小僧」「連れトンボ」「たたり」「つばめ」「隠れ唄」「さかだち幽霊」「追い込み」「こうもり」の12編。
 このシリーズ、続くに連れてだんだんとミステリとしてのキレがなくなっている。つまらないというのではない。ストーリーよりキャラクター重視になっているのだ。蘭陽と春朗のかけあいは漫才みたいで毎回ニヤニヤできる。孤児の少年と蘭陽の関係もいい。ある種の人情噺か。

 もし映像化するならば、蘭陽は誰が適任か。
 30年前ならピーターだったと思う。今ならボーイッシュな女優が演じるべきだ。表紙のイラストから若いころの十朱幸代の男装を思い浮かべた。


2009/12/23

 「うたう警官」(佐々木譲/角川春樹事務所)

 映画に納得できなくて原作をあたった。
 初めて読んだときのような興奮はないが、映画の後半の改変が改悪であったことは確認できた。

 ところで、映画は最初から角川春樹監督だと思っていたらそうではないらしい。クランクイン寸前で急遽決まったとか。ということは、先の監督は降板したということか。
 誰だったのだろう? 降板の理由は?


2009/12/25

 「御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち」(三遊亭円丈/主婦の友社)

 「小説落語教団騒動記」を読んだらむしょうに読みたくなって図書館にリクエストした。
 もう一度書くが、これは決して暴露本ではない。
 本書を読んで著者の嘆き、叫びを感じない人がいるのだろうか?
 
 円生は新協会を設立するにあたって、弟子たちの扱いを間違った。すべて円楽にまかせてしまったのが元凶だった。本書を読むとそう思わざるをえない。そういう趣旨で書かれているとしても、だ。
 まかせられた円楽が弟弟子に対して秘密裏にことを進めようとしたことは絶対におかしい。そりゃそうだろう、他の師匠たちは弟子たちにことの成り行きを話し、了解を得ていたわけだから。知らないのは円生の、円楽以外の弟子たちだけなのだから。疑心暗鬼に陥るわけだ。
 真打の粗製乱造を否定する円生の考えを是とする談志、志ん朝が袂を分かち、ある程度仕方がないと考える(「圓楽芸談しゃれ噺」で知るのだが)円楽だけが跡を継ぐ。その皮肉。

 円生襲名について、何かと問題があることがメディアを通じて聞こえてくる。その本質的な部分が本書を読むと理解できる。

 ちなみに、刊行当時に読んだ感想は以下のとおり。
 忘れてかけていたが、やはり円楽さんのことを考えている。

    ◇

 1986年5月23日

 (略)

 それから喫茶“ことぶき”で読書。
 「御乱心」を読み終える。
 読みながら何度吹き出したことか。

 円丈の新作落語は面白いと思っていたが、なるほどと思う。
 また彼の考えは痛いほど理解できる。
 円楽を嫌う気持ちもよくわかる。
 ただ、円楽には円楽のやり方ってものがあるのだろう。
 自分で寄席を作ってしまうのはやはりスゴイと思ってしまう。
 しかし、いつかTVで言っていたこと、「自分の息子にはTVを見せない」という言葉には反発した。
 自分はTVに出て金をもうけているのに、そのTVを子どもに見せない。ということは自分の仕事、あるいは生き方を否定していることにならないか。

    ◇


2009/12/25

 「仮面ライダー=本郷猛」(藤岡弘、/扶桑社)

 これまた「体験的石森章太郎論」の資料として読む。
 またまたたらればの話になってしまうが、もし、藤岡弘(当時の表記)が撮影中にオートバイ事故を起こさなければ、番組はどうなっていたのだろうか?
 当然、ライダー2号・一文字隼人の登場はない。「へんしーん」ポーズもなく、したがって子どもたちの話題になることもなかった。ということはあれほどのライダーブームもなかったということになる。変身ブームは2号になってから突然起こるのだ。仮面ライダー世代の弟(5歳下)と彼の友だちたちの遊び〈ライダーごっこ〉を目の当たりにして実感したのだから間違いない。
 「悪魔くん」「河童の三平」の流れを汲むある種の怪奇ものを期待して、4チャンネルの「アニメンタリー決断」から10にチャンネルを替えた兄としては、あの交代劇は残念でならなかった。
 変な掛け声とともにいかにもなアニメーション効果で変身する妙に明るくなった(身体にラインの入った)2号より、オートバイに乗りながら風の力で変身する地味なデザインのライダーの方がお気に入りだったのだ。
 ただ、もしあのままだったら、番組は2クールで終了していたように思う。後に一部のマニアだけの間で語られるカルトな特撮ヒーロー番組として。





 承前

2009/12/05

 「前座修行 千の小言もなんのその」(桂歌蔵/二宮社)

 11月下旬に立川キウイさんの「万年前座 僕と師匠・談志の16年」(新潮社)が上梓された。
 主要な部分は立ち読みしてしまったが、後で図書館にリクエストするつもり。 

 同じような書名(前座○○という漢字四文字+副題)の本書は図書館の棚で見つけて手に取った。一応小説という体裁をとっている。
 著者は落語芸術協会に所属する噺家さん。経歴に驚いた。プロのボクシングライセンスを取得しているのだ。リアルファイティング寿限無が本当にいたのだ! どちらが先なのだろう?
 読んでいて胸が痛くなってくる。もし自分が噺家を目指したらとしたら(そんなことは絶対にないが)、たぶん同じような道を歩んだような気がする。性格が似ているというのか。


2009/12/07

 「小説落語教団騒動記」(金原亭伯楽/本阿弥書店)

 「前座修行」の場合、個人の話でもあるし、前座時代とはいえ、現在につながる話で、差し障りがあるかもしれないので、噺家や団体が仮名で登場するのは仕方ないとは思う。モデルが誰だかわかってしまえば仮名にしても意味がないとも思えるのだが。
 しかし、本書の場合、落語協会の分裂騒動は完全なる過去の話で、その過去の話を今語るというのは事件の証言である。落語界の歴史の一端を担っているわけだ。
 にもかかわらず、関係する噺家たちがいかにもな仮名で登場すると、もうそれだけで安っぽい印象になってしまう。
 小説と銘打ち、仮名を使えば免罪符になるのだろうか。落語協会に所属しているとそうせざるをえないのか? そういう意味では関係者が実名で登場する、円丈の「御乱心」は画期的な著作だったといえる。暴露本という扱いは適当ではない。仮名だったら暴露本ではないのか?
 この小説の中で描かれている横川橘志の行動が事実ならば、落語協会の一部の噺家たちが立川流を認めないのも仕方ないかと思えてくる。
 たられば、なんて考えても仕方ないことだが、もし円生が立川談志の政治力を利用していたら、つまり「落語三遊協会の次期の会長」に指名していたらどうなっていたのだろうか?


2009/12/10

 「歌麿贋殺事件」(高橋克彦/講談社文庫)

 図書館に行った際、「だましゑ歌麿」がないかと探してみたがない。文庫本もなく、同じ棚に本書があった。浮世絵を題材にした連作ミステリ。


2009/12/15

 「2012 009 conclusion GOD'S WAR サイボーグ009完結編〈1〉」(石ノ森章太郎・小野寺丈/角川書店)

 「絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ」で死期を悟った石森章太郎が、だからこそ完成させたいと宣言していた「サイボーグ009完結編」。願い叶わず、その作業は息子に委ねられた。
 完結編は小説としてまず発表、その後萬画(マンガ)化するつもりだった。ゆえに本書も小説である。

 本書〈1〉の内容はプロローグのあと、「001 天使の羽音」、「002 摩天楼の底」、「003 ありえざるもの」、「004 妖精街道」と続き、それぞれイワン(&ギルモア)、ジェット、フランソワーズ、ハインリッヒが神(天使)とおぼしき存在に遭遇する話となっている。なるほど、完結編は全3部作、〈2〉は005、006、007、008の4編、〈3〉はそれら8編が集約される形で009の物語となるのか。勝手な推測だけど。

 石森章太郎の文章には少々クセがある。凝ってもいる。確か小林信彦のコラムな何かの文章で知ったのだが、「新青年」あたりで流行したのが、漢字に同じ意味の別の言葉のルビをふる行為。女房と書いて(あいかた)と読ませるとか。あくまでも例だが。
 そんな石森世界を感じさえてくれるのが002のエピソードだ。後で知るのが、このエピソードだけ石森章太郎が執筆したものだとか。確かにそのほかのエピソードとは完成度で大きな差がある。
 もし今後の小説の形で(2)、(3)を刊行する予定なら、第一線で活躍する小説家に書かせた方がいい。小野寺丈が続けるなら慣れた戯曲にすれば本領を発揮できるのではないか。

 
 この項続く




 昨日は NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の第2回。
 初回は外出していて最後の30分くらいしか観られなかった。「ハゲタカ」のスタッフと知って1年間つきあうことに決めたのに。タイトルバックは音楽がいい。
 映像は格別だ。江戸城内の照明に大感激。本当に太陽光のようだった。それまで寝ながら観ていたのに、このシーンでは思わず起き上がってTVに近づいた。幕臣(?)の一人が田口主将さんだったような。

 初回、大河ドラマの新しさを感じながらも〈上士のあからさまな殺人、にもかかわらず何のお咎めもなし〉はあんまりではないかと思った。
 今回は、岩崎弥太郎(香川照之)の父親(蟹江敬三)が女房のへそくり(?)を無断で使ってしまったことに何だかなあ。使うんだったら、もっと早く使っていただろうに! 
 だってしょうでしょう。弥太郎がへそくりの存在を知ったとき父親はそばにいなかった。もしもっと先に父親が知っていたとしたら、そのときに使っていただろうから。

 今、スペシャルドラマ「Wの悲劇」を観ている。
 ミステリの映像作品としてやってはいけないことをしている。
 推理上、あくまでも仮説(想像)の再現(映像化)はしてはならない。「ユージュアル・サスペクツ」の小林信彦評で知ったのですが。

 
          * * *

2009/12/02

 「警官の紋章」(佐々木譲/角川春樹事務所)

 「うたう警官」(文庫になって「笑う警官」に改題)に始まる〈道警シリーズ〉の第三弾。第二弾「検察庁から来た男」より続編的な色合いが強い。全編を通じて描かれるのが「うたう警官」の最初に佐伯が追いかけていた中古車密輸入事件の捜査なのだ。当然郡司事件に対する言及もある。「うたう警官」のラスト近くで事件に関与した道警キャリアが自殺する。その真相もほのめかされる。映画「笑う警官」の後半のストーリー改変は、この事実も考慮されているのだろうか?
 「うたう警官」のレギュラーがそれぞれの立場から事件に関係し、協力していくのが好ましい。「検察庁から来た男」もそうだった。各人所属部署が違うのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
 第四弾もすでに上梓されているらしい。楽しみ。


2009/12/04

 「ろんだいえん 21世紀落語論」(三遊亭円丈/彩流社)

 図書館で見つけた。「御乱心」以来の著作ではないかと思って発作的に借りてしまった。業界に「円丈以前、円丈以後」なる言葉があるらしい。
 円丈さんの考えに大いに賛同したい。ただ一つだけ違うのは、古典落語はいわゆる笑いだけではなく、江戸情緒を味わうものだと思っていることだ。単に面白いストーリーやギャグだけで成り立つものではない。
 新作落語は面白いが、情緒の部分が補えるかどうか。あるいは口跡の問題……。

 書名の「ろんだいえん」とは何ぞや?
 著者が〈落語を「論じ」「台本を書き」「演ず」〉、略して「ろんだいえん」。


2009/12/05

 「石ノ森章太郎のマンガ家入門」(石ノ森章太郎/秋田書店)

 資料として借りてきた。  
 小学生のころ、「マンガ家入門」「続・マンガ家入門」の2冊を夢中で読んだ。本当ならこの2冊をあたりたいのだが、郷里にあるもので仕方なく図書館で借りた次第。
 「マンガ家入門」はロングセラーだった。100版を超えているのだ。
 とはいえ、入門書として内容的に古くなったこともあるのだろう、昭和63年にリニューアルされた。「正」「続」をドッキングして、内容をスリム化、また新たにカラーグラビア「JUN」「ハナとリュウ」が追加された。タイトルが「石ノ森章太郎のマンガ家入門」となった。奥付を見ると〈昭和63年1月15日初版〉とある。

 第1部入門編 第2章 自己紹介(マンガ家への道)と第3部 総集編「マンガ家きのう・きょう・あす」を確認したかったのだが、結局全部読んでしまう。

 同じ秋田書店の「マンガのかきかた」を前提にした入門書でもある。そう、小学生のとき、最初に買ったのが「マンガのかきかた」だった。モノクロのグラビアは虫プロ制作のテレビアニメ「鉄腕アトム」の制作現場のルポだった。この入門書で手塚治虫がカブラペンを使っていることを知り、同じペンを買い求めた。この本を参考にちゃんとしたマンガを描こうと考えていた僕は執筆道具を揃えるのに夢中だった。ケント紙、ペン軸、ペン先、羽ぼうき、絵の具セット、筆……。カラス口だけ高価過ぎて手に入れられなかった。

 「マンガ家入門」にはプロットとかシノプシスとか、専門用語が出てくる。言葉の意味は当然本の中でも説明されていたが、母親が字引きで一つひとつ調べてくれたのがいい思い出となっている。
 「続・マンガ家入門」はマンガの描き方Q&A編。「マンガ家入門」を読んで質問してきた読者に対する石森先生の回答で成り立っていた。盗作しているんじゃないかとチクられていたのが、当時高校生の里中満智子。もちろん参考として何篇かのマンガも収録。「夜は千の目をもっている」が印象深い。どちらも本書には収録されていない。

 もし石森章太郎が映画監督になっていたら、叙情派、都会派と呼ばれていたのではないだろうか。
 まあ、そこらへんについて5月刊行の「まぐま vol.18 石ノ森章太郎の世界 サイボーグ009から仮面ライダーへの濃密な時空」に寄稿する「体験的石森章太郎論」(仮題)で詳しく書く。もう一編は書評「石森章太郎本を読む」。

 この項続く




 書き忘れていたが、年末に「THIS IS IT」を観た。珍しくかみサンと一緒。マイケル・ジャクソンのコンサートってミュージカルだったのか!


 大晦日の夜はテレビ朝日「痛快!ビッグダディ 感動と喝采の大晦日3時間スペシャル」にチャンネルを合わせた。
 いつもは〈惰性による紅白歌合戦〉なのだが、いくらなんでも09年の内容には食指が動かなかった。5チャンネルを観ながら、CMになると1チャンネルを覗くといった按配。なので、矢沢永吉が歌詞を間違えて歌ったところはしっかり見たのでした。

 TV番組に〈大家族もの〉といわれるシリーズがある。この手の番組は皆大嫌いなのだが、あるとき(数年前の年末か新年だったと思う)「痛快!ビッグダディ」を観て、ハマってしまった。以後、必ず観るように。
 この大家族、ある事情で岩手から奄美大島に移住するのだが、その際、両親は離婚する。興味を持ったのはここだった。父親が男手一つで8人の子どもたちの面倒を見るってところが琴線に触れたのだ。実際、このお父さん、タイトルどおりの頑張りを見せるのだからたまらない。整体師の仕事はもちろんのこと、毎日の食事作り、自給自足のための畑作業等々、まさに八面六臂の活躍! 子どもたちの信頼と尊敬を集めるのは当然のこと。それに比べて娘一人と向き合えないオレときたら……。少々嫉妬したりして。

 父親に対して母親はだらしない。父親と8人の子どもたちの、奄美での暮らしも何とか軌道に乗り出したころ、彼女はやってきた。三つ子を連れて一緒に暮らしたいと。別れたあと、他の男性の子ども(三つ子)を生み、新たな生活をはじめた。にもかかわらず、破綻。女ひとりでは三つ子の養育は難しい、だから元の鞘に戻ってやり直したい。本心はこんなところだろう。あまりにムシが良すぎる。
 もちろんビックダディは了承しない。
 このあとの展開がわからなかった。他人となった女性とは同じ屋根の下で寝ることなどできないと、あれほど主張していたビッグダディが、まあ奄美に住むことを許可したまではいいとして、あっというまに子どもを作ってしまうのだ。なんだ、やることはやっていたのか! 思わずTVに毒づいたものだ。

 TV番組だから、演出が入っていることは十分理解しているつもりだ。ただ、いくつかわからないことがある。
 一番の疑問、家族へのギャラはどうなっているのだろう? たぶん誰でも考えるのではないか。特に今回のエピソードでは。
 番組の中では生活費のことが必ず話題になる。高校生を頭に、三つ子までが小学校に通っているのだ。学費だけでも大変だ。前回、ビッグダディは生活費を稼ぐため、本土へ出稼ぎに行った。某整骨院で働き、毎月の給料を仕送りする道を選んだ。
 当然、家族のギャラも生活費の足しになっていると思うのだが、番組の中ではまったく言及されない。
 ビッグダディの不在の間、一家をまとめているのが次男だった。長男の存在が希薄なのも気になった。単なる性格の違いならいいのだが。


 で、元旦は有楽町のTOHOシネマズ日劇で「アバター」を観た。感想はまたあとで。






プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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