2010/05/27

 「開店10周年記念特別プログラム The Will」(Welcome back) 

 承前

 メンバー3人を紹介する。個人的な印象だけど。キャッチフレーズはファーストアルバムのライナーノーツに書いてあった。

 感性のドラマー、堀越彰。
 本ユニットのリーダー。谷原章介+東儀秀樹、ノーネクタイのちょっと胸元をはだけさせたスーツ姿はどこかのNO.1ホストみたい。なんて書いても本人うれしくないか。いわゆるドラマーってイメージからかけ離れているイケメンタイプ。

 鮮烈のバイオリニスト、渡辺剛。
 谷原章介に大泉洋をまぶした感じ。見た目も親しみやすいがしゃべるとぶっ飛んでいる。吉本新喜劇のリーダーが務まるかもしれない。演奏中弦を弾きながらチューニング。何か新しい奏法なのか!? 終了後に確認したら「単にチューニングしてただけです。三味線なんかでよくやっているでしょ」

 孤高のピアニスト、深町純。
 若いときの顔しか知らなかった。団塊の世代一年生。白いものがまじる髪と髭から受ける印象はキーボード界の永井一郎ですね、はい。東京藝術大学を卒業10日前に退学したとか。トークの内容がむちゃくちゃ面白い。


 ライブは19時30分に始まった。休憩を挟んで第一部と第二部。それぞれ約1時間。
 ステージは真ん中に渡辺さん、上手から堀越さん、下手に深町さん。
 始まってすぐは場に慣れていなかったのかもしれない。演奏も奏でる音楽もいまいち弾まないような気がした。
 本調子になったのは、第一部のラスト2曲。ユニットを結成するきっかけになった曲。あるダンサーのバックを担当したのだそうだ。ああ、いいなと思った。瞑想できる。

 休憩になった。
 入場時にもらったライブハウスの5月のスケジュールを眺めていた。
 斜め45度から話しかけられた。
「バランスよく聴こえるかい?」
 声のする方に振り向く。深町さんだった。
「ええ、ちゃんと聴こえますよ」
 そう答えたが、深町さん、僕の顔を見るとびっくりして「あっ、ごめん、ぼくの知り合いと間違えた」
 チャンスだと思って訊いてみた。
「最近、後藤悦治郎さんから連絡ありました?」
「紙ふうせんの後藤くん?」
「はい」
「ないけど、何?」
 2月、貝塚のコンサート後、後藤さんが口にしたことを伝えた。
「やってくれるならうれしいけど、でもぼくの店、めいっぱい入って45名ほどだよ」

 深町さん、赤ワインのグラスを持ちながら、訊いてきた。
「君は何、後藤くんの知り合い?」
「ファンです。赤い鳥時代からの。いろいろお世話になってます」
「そう」
「『もうっこ』大好きなんです」
「?」
「赤い鳥のライブアルバム『ミリオン・ピープル』で延々20分演奏しているじゃないですか」
「ああ、そんなことやったねぇ」
「お訊きしたいことがあるんですけど、ずいぶん前にマーサ三宅さんとレコードだしていますよね。今、CDで手に入りますか?」
「無理だろう、CDになっていないもの」

 控室に戻ろうとしたときに、用意してきた付箋つきの「僕たちの赤い鳥ものがたり」を渡した。「お時間あるときに付箋のところだけでも読んでください」

 ひとつは以前個人的に夢想していた、赤い鳥ファミリーのコンサートについて。深町さんの名が出てくる。
 もうひとつは日曜劇場「バースデー・カード」に関する記述。
    ◇
(略)
 水谷豊もいい。『バンパイヤ』の頃から知っている。『太陽にほえろ!』の第一話に登場して、その後も役柄を変えてゲスト出演している。日曜劇場で放映(誤植・放送)された『バースデーカード』が忘れられない。このドラマに使用されたマーサ三宅の歌を求めてレコード店を捜し歩いた。未だに見つけられない。
(略)
    ◇

 第二部が始まる前に、深町さんが僕のテーブルにやってきた。
 マーサ三宅さんの歌に関する件。「本当ですか!」叫んでしまった。やったぁ!

 堀越さんが目の前を通り過ぎようとしたので呼び止めた。
「あの、ブログ読んで、ショーケンのレコーディングに参加されたことを知ったのですが、何のレコーディングなんですか?」


 この項続く




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2010/05/27

 「開店10周年記念特別プログラム The Will」(Welcome back) 

 昨年の秋あたりから深町純というピアニスト(キーボード奏者)が気になって仕方なかった。
 きっかけは後藤さんの一言だった。
「深町さんが店オープンしたんだって」
 ネットで調べてみるとダイニングカフェバー「FJ's」のサイトがあった。ライブもやっているらしい。深町さん自身も演奏していると知って、早く足を運びたいと思った。
 キーボード奏者として深町さんの名前を覚えたのは赤い鳥のライブアルバム「ミリオン・ピープル」だと思う。ゲストでエレクトリック・ピアノを弾いていた。「もうっこ」の演奏は何度聴いてもしびれてしまう。
 生の演奏に触れてみたい!

 紙ふうせんのデビューシングル「いかつり唄」の編曲を担当している。またパーソナリティを担当していたFM東京(現TOKYO FM)の「音楽ってなんだ」という番組には何度か紙ふうせんをゲストで呼んでいる。「円山川舟唄」を取材した回が興味深かった。民謡がどのように紙ふうせんに採譜され、フォークソングとして再生するのか、その過程を追ったドキュメンタリーだ。録音したカセットテープを何度か聴いている。今どこにあるのだろうか。
 市川崑監督「悪魔の手毬唄」の音楽は村井邦彦氏だが、シンセサイザー演奏者として深町さんがクレジットされていた。
 サイトのCD紹介で知ったのだが、東芝日曜劇場「バースデー・カード」(脚本・市川森一、主演・水谷豊)の音楽を担当されていて、主題歌に起用されたマーサ三宅とアルバムをリリースしているのだ。

 今月、神戸に行ったときのことだ。南京町を散策してから会場に向かう途中に某ビルの2階に中古レコード店があった。開場迄まだ時間があったので寄ってみた。階段の壁にさまざまなミュージシャンのライブ情報を伝えるフライヤーが貼ってある。その1枚に目が留まった。「The Will 2010 TOUR」のタイトルとともに3人のミュージシャンの写真。ドラム+ヴァイオリン+ピアノの組み合わせに注目した。おまけにピアニストが深町さんなのだ!
    ◇
 “The Will”とは、単にひとつのバンドなのか、それともオーケストラか?
    ◇
 プログレの匂いがプンプンする。何しろギターではなくヴァイオリンというところに興味津々。ショーケンのドンジャン・ロックンロール・バンド、後期にヴァイオリンが加わった。これがなかなかよかった。

 スケジュールを確認したら、5月27日(木)に東京・大塚のライブハウスで最初のライブがある。
 東京に戻ってきて知るのだが、ドラムの堀越彰氏は最近ショーケンのレコーディングに参加したとか。レコーディング!? いったい何のため? 
 これは行くっきゃないでしょう。

 第四週の木曜日は新橋で「シネマDEりんりん」。5月のゲストは誰かなあと楽しみにしていたのだが、今回はパスします。主催のHさん、申し訳ありません!


 この項続く




 2010/05/24

 「壬生義士伝 残照 ZANSHOW」(サイスタジオコモネA)

 芥勘兵衛さんから連絡もらった。芝居やります、観に来てください。それが「壬生義士伝 残照 ZANSHOW」。期間は5月21日~26日、土日が15時と19時の2回、平日は19時のみ。場所は小竹向原駅近くのサイスタジオコモネ。
 平日だと絶対間に合わない。土日に行くしかない。が、あいにくこの週はどちらも予定があった。ネットで調べてみると、10分ほどの遅刻で会場にたどり着けることがわかった。千秋楽は15時開演なので、その前日に伺いますと返信した。

 会社を18時ジャストに出た。品川に向かいながらふと気がつく。品川から山手線に乗り換え、池袋に行く予定だったが、それだと時間がかかるのでは? ネットで調べたときはあくまでも時間だけを確認したのだ、路線まで見ていない。大崎で埼京線に乗り換えた。
 池袋で有楽町線に乗る。3つめの駅が「小竹向原」だ。電車の中ではずっと「森繁さんの長い影」を読んでいた。電車が駅に着いたのであわてて降りる。2番出口を出ると小学校があるので、その近く……地図にはそうあるのだが、肝腎の小学校が見当たらない。だいたい出口と道の位置関係がおかしい。不親切な地図だこと!
 腕時計をみると開演10分過ぎていた。ちょっとした焦り。前を歩く女性に声をかけた。
「この近くに小学校ってありますか?」
 女性の怪訝な顔。
 説明するのも面倒なので、プリントアウトしてきた地図を見せる。
「××小学校……ちょっとここから離れているわね」
 だって、駅のそばでしょう。そう叫びそうになったとき女性が一言。
「あら、これ小竹向原駅!」
 どういうこと? 
「ここ千川(駅)だから」
 !!! 自分の顔が赤くなるのがわかる。なんてこったい、間違えて一駅前で降りてしまったのだ。どおりで地図に書かれている小学校がないわけだ。
 
 会場に到着したら19時30分。15分以上時間を無駄にしてしまった。受付の女性に連れられて会場に入る。当然芝居は始まっている。芥勘兵衛さんの出番が終わっていたらどうしよう。
 予想していたように簡略化された舞台セット。真ん中奥に三味線を弾く女性、時折小唄も披露する。上手には武士然とした男、きちんとちょんまげをつけている(最近の小演劇の世界では、時代劇、特に幕末ものだとちょんまげを無視する傾向がある)。下手には薄汚れた浪人風の男。二人が三味線をバックに南部弁で台詞をしゃべる。一人芝居×2の様相だ。始まって30分経っているので、ストーリーはわからない。三味線小唄が雰囲気作りに貢献している。セットがもっと作りこまれていたら、より世界に没頭できるのに。

 NAプロデュースの「壬生義士伝」は三部作で、第一部「帰郷」、第二部「対い鶴(むかいづる)」とあって、「残照」は第三部、完結編となる。
 先の芝居は「対い鶴」であった。本公演は、休憩をはさみ前半が第二部、後半が「残照」というプログラム。
 「壬生義士伝」の主人公は吉村寛一郎だが、第二部「対い鶴」のラストで自刃した。第三部「残照」は息子が主人公となってのスペクタクル巨編。映画だったら絶対そうだ。僕は映画しか観ていない。原作はまだ読んでいないので、この第三部がどんなものかわからないが、通常の感覚だったら、舞台化なんて考えないだろう。
 にもかかわらず、芝居が成り立ってしまうのだから驚愕する。欲を言えば、もう少し舞台の密度を濃くしてもらいたかった。
 芥勘兵衛さんが演じた中島三郎助の死に場所を求めて、という台詞が実感できた。浅田次郎が「壬生義士伝」に続いて週刊文春に連載している「一刀斎夢録」で斎藤一がさんざ口にしていることなので。




 先週、A氏より小包が届いた。A氏がコレクションしていた映画のパンフレット&チケットのファイルが送られてきたのである。70年代から80年代にかけての映画の数々。
 その数日前にA氏から電話があった。自宅を処分するために荷物を整理しているのだが、映画のパンフレットが捨てるに捨てられない、申し訳ないけれどもらってもらえないだろうか、という相談だった。気持ちはよくわかるので了解したら、早速送られてきたというわけだ。
 A氏とは「談四楼独演会」で知り合った。お互い常連客なのだ。

 小包の中から数冊のファイルが出てきた。ページを開く。「未知との遭遇」「スター・ウォーズ」、そういえば当時パンフレットを購入しなかったなあと今になって気がついた。なぜ買わなかったのだろう?
 「小さな恋のメロディ」のパンフレットには感激した。と、同時に素朴な疑問が。A氏は団塊の世代(の尻尾にぶらさがっている)。この映画が公開されたときは20歳くらいなのである。その歳で「小さな恋のメロディ」を観るのだろうか?

 疑問は数日後に解決した。倉庫に眠っている本も処分してしまうので、もし欲しいのがあれば取りに来てという言葉に甘えて、自宅に伺った。帰り、駅近くの居酒屋で飲んだ際に質問してみた。
 A氏が答えた。「たぶんね、音楽を聴きに行ったんだと思う。ビー・ジーズとクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングを」
 ああ、それならわかります。
 それにしても、何たる幸運。DVDを購入したとたん、パンフレットも手に入った。

 文庫本100冊以上(色川武大「狂人日記」を含む!)+単行本(半村良「妖星伝」)はとんでもなく重かった。A氏からもらった黒のスポーツバックに入れて持ち帰ったのだが、肩に背負うのに一苦労。いちいち声ださないと力がでない。三軒茶屋~渋谷~赤羽~西川口の移動だけで力を使い果たした。駅からタクシーを利用。左肩の痛みは数日消えなかった。

 帯広のTさんからも郵便物が届いた。帯広地方の伝承歌(童謡)「赤い山青い山白い山」を紹介した新聞記事の切り抜きコピーだ。

 二人に感謝!




 先週(16日)、今週(23日)の「龍馬伝」が熱かった。
 先週の主役は平井収二郎(宮迫博之)。ラスト、妹の加尾(広末涼子)が手紙で龍馬に兄の最期を知らせ自分の気持ちを吐露している。龍馬が手紙を読む画にヒロスエの声がかぶさるオーソドックスな演出。声が土佐弁になっているのがご愛嬌。言文一致? あれは手紙をそのまま朗読しているのではなく、内容を意訳して龍馬に語りかけていると考えるべきなのだろう。

 第二部になってからの楽しみは、勝海舟を演じる武田鉄矢の口調だ。江戸弁の歯切れの良さと声質が合致して耳に心地よい。OPタイトルはテーマ音楽だけ聴いていることが多かったのだが、今回江戸弁指導のクレジットが目に入った。春風亭一朝という噺家さんが担当している。ウィキペディアで調べたら、柳朝の総領弟子だとか。納得。

 初めて大河ドラマを自分の意思で観始めたのが「勝海舟」だった。海舟役の渡哲也が病気で降板し、松方弘樹に交代したのが残念だったが、キャラクター的には生真面目な渡哲也より適任だったような気がする。武田鉄矢の海舟は、教科書等の写真で見る本人により近づいた印象がある。まあ本人の方が〈二枚目〉ではあるけれど。

 「大河ドラマ入門」で、登場人物に年齢的にかけ離れた役者が扮するのが興ざめというようなことが書かれてあった。一理ある。が、一概に否定できないとも思っている。特に時代劇の場合、あくまでも見た目が優先される。昔はかなり大人びて見えたから、50代、60代の役者が一世代下の人物を演じてもそれほど違和感がない。そう考えているのはお前だけだとも言われそうだが。

 「龍馬伝」の海舟はいったいいくつの設定なのだろう。40歳前後か。武田鉄矢の実年齢が今年61歳だからちと無理があるか……。個人的には福山龍馬との年齢の差がありすぎると思っていた。実際はもっと年齢が近いのではないかと。海舟と龍馬の年齢差は13歳。武田鉄矢と福山雅治のそれは20歳。微妙だな。それにしても福山雅治って40歳超えているのね、もっと若いと思っていた(龍馬の享年は33)。

 昨日の回、海舟の台詞に「生きざま」がでてきた。この言葉が幅をきかせるようになったのは最近のこと。よく言われるのは「昔、死にざまという言葉はあったが、生きざまはなかった」。一気に現代に引き戻された。
 時代劇の難しさはここだ。
 たとえば「ひとごと」という言葉。漢字だと「他人事」と書く。ある時期からこの漢字を「たにんごと」と読む人が増えた。もちろん間違った読みだが、現代劇では〈あり〉である。が、時代劇ではありえないと思うのだ。人口に膾炙したのは「ひとごと」という言葉(音)、他人事はあくまでも「ひとごと」を漢字にあてはめたものにすぎない。そもそも「たにんごと」なんて言葉がないのである。
 時代にそぐわない言葉が出てくるとがっかりくる。


 追伸 その壱

 「勝海舟」を一年間見たときの感想は以下のとおり。
    ◇
 1974年12月29日
 (略)
 「勝海舟」が終わった。ぼくが初めて観たNHK大河ドラマだった。(大河ドラマは)今度からはもう見ないだろう。ひとつの歴史を描くのもいいけれど、それよりひとりの人間の、たとえば海舟の悲しみ、怒り、喜びの一シーンの方がぼくは感動した。
    ◇

 追伸 その弐

 ドラマの後の「龍馬伝紀行」、第二部になってギター(いちむじん)からピアノ(清塚信也)に変更になった。ギターの音色がお気に入りだったのが、ピアノのソロがまたいい。 




 「ロミオとジュリエット」や「フレンズ」を観る一週間前に、同じ映画館で「リア王」を鑑賞している。同じショークスピア原作の映画に対しての素朴な疑問が日記に綴られていた。
 また、映画監督志望の中学生が将来作りたい映画としてアイディアを記している。

 SF云々はNHK「タイム・トラベラー」の影響である。当時8ミリ「明日を知る少年」を撮っていたので。この手の映画は角川映画が一時期ジャンルにしていた。ミュージカルについては今となっては意味がわからない。当時ミュージカルに興味がなかったので。もしかしてしあれか。「小さな恋のメロディ」は当時ある種のミュージカルだと言われたのだ。
 愛の映画も「小さな恋のメロディ」に影響されている。実はラストシーンは自分の中で映像化され、それは今でもしっかり覚えている。エヘヘヘ。
 しかしなあ、〈すべて人の心をうつものでなければならない。〉なんて、あまりにいい子っぶっていないか。

 もうひとつ、高校2年まで住んでいた熊野町の家(市営の家賃500円!)が並ぶ住宅地を舞台にした映画についても書いているのだが見つけることができなかった。昭和34、35年、両親が引っ越してきた当時のことを描く。母親から近所のユニークな住人たちの思い出話を聞いていて「これは映画になる」と思ったのだ。
 映画「三丁目の夕日」より30年以上前に考えていたんだから、すごいでしょ! 
 自分で褒めてどうする。

   ◇
 1973年2月25日

 映画を見に行ってくる。「リア王」と「どぶ川学級」の2本。どちらもよかった。おどろいたことがひとつある。「リア王」と「ロミオとジュリエット」はどちらもシェークスピアが書いたが映画で見ると「リア王」だとそのころはうすぎたないという感じをうけるが、予告編の「ロミオとジュリエット」はそんな感じがひとつもなく、ゆうが、すばらしいという感じをうけた。「リア王」は悲げきであり、リア王たちのひさんなどをうったえるのに対し、「ロミオとジュリエット」は二人の若者のラブストーリーであるからである。演出のしかたでこうも変わるものかとまことに驚いた。
   ◇

   ◇
 1973年5月26日

 ぼくが大人になってつくってみたい映画をあげる。
 まず愛の物語の映画。「ある愛の詩」とか「ロミオとジュリエット」みたいの。しかし、ぼくは日本人だ。外国映画のまねばかりはしていられない。日本風なものにしあげたい。
 次に時代劇。今の時代劇はうそが多い。きられたのに服もやぶれないし、血もでない。そこが刀を使うむずかしさ。ぼくは時代劇とスペクタクルをまぜあわせたようなものをつくってみたい。
 最後に現代のもの。子どもをテーマにしたもの。現代のSF(現代におこるいろいろな事件が未来につながる)。ぼくがつくってみたいLOVEものもこの中に入る。
 日本のミュージカルといわれるようなミュージカルもつくってみたい。
 ようするに何もかもつくってみたい。しかし、それはすべて人の心をうつものでなければならない。
   ◇




 西川口駅の駅ビルが完成したのは何年前だったか。オープンにある期待があった。テナントとして書店が入るだろうと。

 僕が川口に引っ越してきたとき、駅前(東口)には二軒の書店があった。帰宅時に立ち読みするのが日課だった。ところが何年かすると、一軒が閉店してドラッグストアになってしまった。帰り道にあった店なのでとても残念だった。
 もう一軒は道路を挟んだ反対側のファッションビルの4階にあった。このファッションビルは、西川口のある種文化を象徴する店が入っていて、よく立ち寄ったものだ。5階には懐石料理の店があり、これまた家族でよく利用した。支配人(?)とも顔なじみになって、特に秋のメニューである松茸の土瓶蒸しが楽しみだった。
 ビルが一時閉鎖され、パチンコ、パチスロの店になったときはショックだった。帰宅時のオアシスがなくなって茫然自失。だいたい駅前に書店がないなんて許されることではない。

 そんな経緯があったので、駅ビルに書店が入ることを疑わなかった。ところがところが。テナントは料理店ばかり。アテがはずれて3、4階へ足を踏み入れることはなかった。ラーメン店もあったみたいだけど。
 客足が伸びなかったのだろう、1年経過して全フロアが改装になった。1階と2階はすぐにリニューアルされたが、3、4階がずっと準備中のまま。最近やっとオープンした。感激した。3階に書店とレンタルDVD店が入ったのだ。書店では、初日、カードも作った。しばらく立ち読みしてわかった。この店、僕が好むような品揃えではない。欲しい本はこの店では手に入らないだろう。

 予感は的中した。
 小林信彦の新刊「森繁さんの長い影」(文藝春秋)が発売日になっても棚にないのだ。「森繁さんの長い影」は週刊文春に連載されている「本音を申せば」2009年分を1冊にまとめたもの。毎年の楽しみで、いつもは帰宅途中に品川あたりの書店で購入するのだが、今年はカードも作ったこともあって、ポイントを貯めようと駅ビル書店で立ち寄ったわけだ。にもかかわらず、ない。仕方ない、西口の書店に足を伸ばす。やはり、ない。まわり道してTSUTAYAを覗くが案の定ない。

 結局、翌日品川港南口のA書店で購入した。その前に駅構内の書店に寄ってみたのだが、エッセイ、随筆関係の棚で見当たらなかったのはちょっとショックだった。せめて1冊くらいあってもいいだろう。その1冊がすでに売れてしまったとか?
 まあ、いい。A書店の新刊コーナーで難なく見つけだした。何冊も置いてある。こうでなくっちゃ。
 サブカルコーナーを覗いた。以前は特撮本がかなりあったのに、ほとんどマンガ関係本だけになっている。1冊だけあった。「ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイブ プロデューサー田中友幸とその時代」(角川書店)。
 な、なんだ、これは!? 興奮しながらページを開く。「フランケンシュタイン対ガス人間」「フランケンシュタイン対ゴジラ」のシナリオが。ほかにも貴重な資料の数々。すぐに手に取りレジに走った。4,410円。カードで購入! こんな本が刊行されていたなんて全然知らなかった。




 小学校の卒業文集で「映画監督になる!」と宣言した僕は、中学生になってから親友二人と洋画ばかりを鑑賞し、競うようにサントラレコードを集めるようになった。ビー・ジーズの「メロディ・フェア/若葉のころ」、フランシス・レイ「白い恋人たち」「男と女」「ある愛の詩」、ニーノ・ロータ「ロミオとジュリエット」、エルトン・ジョン「フレンズ」……。

 TVの洋画劇場で観た「シャレード」に興奮し、ヘンリー・マンシーニを知った。洋画のストーリーはもちろんだが、音楽にハマっていた。その思いは過去の名作に向かっていく。「禁じられた遊び」「星影は悲しみと共に」「鉄道員」「ローマの休日」……。

 洋画の音楽は素晴らしい。それにくらべて邦画のそれは大したことがない。過去の名作も知らず、当時はそう思っていた。その思いを打ち破ってくれたのが「青春の蹉跌」だった。井上堯之さんのテーマ曲はそりゃいい曲でしたもん。

 それまで、特撮怪獣映画かアニメーションでしか映画館に足を運ばなかった邦画だったが、中学生になって徐々に関心が沸いてくる。その最初が日活映画「戦争と人間」だったような気がする。地元の映画館のポスターを見てスペクタクル性に惹かれたのだ。骨太な人間ドラマに夢中になった。

 「恍惚の人」は有吉佐和子の小説がベストセラーになって巷の話題を呼んだ。わが家にも新潮社の単行本があった。母親が買ったのだろうか。映画を観たあとに読んだのか、小説を読んだことで映画に興味を持ったのか。このとき観た「戦争と人間」は第二部。とすると「朝やけの詩」のときは第三部か。第一部はいつ観たのだろう?

 「朝やけの詩」は冒頭関根恵子が全裸で湖を泳ぐシーンがあって、あまりに水が澄んでいたのでアンダーヘアが写ってしまい撮り直しになったニュースを見て、興味を抱いた。すけべ心丸出しで観に行ったのに、その映像の美しさにみごとにはまった映画だった。ちょうど公害が問題になっていた頃だから、自然破壊についても考えさせられた。

 「戦争と人間」はTVで放映されるたびに見直した。大学2年の年末の深夜に三部作が一挙放映され、総評的な感想を日記に記した。


    ◇
 1973年6月3日

 映画「恍惚の人」「戦争と人間 第二部」を一人で見てくる。
 「戦争と人間」は満州や中国、朝鮮がでてきて内容はわかったが、意味がわからなかった。
 「恍惚の人」はおもしろいことはおもしろいがなぜかおそろしくこわかった。人生の最後にくると、ひとはあんな風になるのかと思うとゾっとした。親には長生きしてもらいたいが恍惚の人にはなってもらいたくない。
    ◇

    ◇
 1974年2月3日

 (略)きょうは映画を見にいってきた。「朝やけの詩」と「戦争と人間」の2本。感想を書こう。美しかった。きれいだった。自然というものがとても美しかった。これは「朝やけの詩」についてだ。描かれていることは自然を破壊してまでも観光開発をしていこうとするアポロ観光KKとその山の開拓者や娘との対立である。みにくい争いだ。開発ににじゃまなかいたく者の牛やぶたや魚を次々と殺していくにくらしい観光社の人たち。ああ、いやだ。なぜ自然をそのままにしておかないんだ。だが、世の中金のあるやつが勝ってしまうのか。最後山々はくずされていく……。
    ◇

    ◇
 1982年1月1日

 12月28、29、30、31日の深夜、TVの「戦争と人間」三部作を観る。
 第一部の“運命の序曲”が何故前編、後編に分けられて放送されたかわからないが(どうせなら三日連続でやってもらいたかった)、続けて見ると映画の根底に流れるテーマがはっきりこちらに伝わってくる。
 日本の中国侵略。それに端を発する抗日運動、日本軍の横暴、日中戦争、そして太平洋戦争。
 こうした一連の歴史をたての線として、五代産業を中心とする財界、軍閥、労働者階級の人々が織りなす人間模様が横の線として複雑にからむ。
 中学生の頃、日本映画においては破格的なスケールのこの映画の魅力にとりつかれ、よく内容も理解できないにもかかわらず機会あるごとにこの映画を観てきた。
 日本人の俳優が中国人朝鮮人を演じ、それが不自然でなく確かな存在として画面に写し出される。訳として流れるスーパーインポーズが実に様になるのだ。
 プロレタリアートの描き方が少し鼻につかないでもないが、戦場にかりだされる兵士たちに対しての「死ぬなよ、生きて帰ってこいよ」の言葉は戦争に巻き込まれた人たちの心の底から発する本当の気持ちだろう。
“生きている、生き抜いていく”という行為がいかに尊いことであるか--
 映画は語っている。
    ◇




 三大ラブストーリーのDVDはまだ開封していないが、ディアゴスティーニ「東宝特撮映画DVDコレクション」17号の「フランケンシュタイン対地底怪獣」は昨日購入、帰ってきてすぐに観た。
 東宝のDVDと違って〈国内公開版〉。これはやっぱり買いである。〈海外版〉だと映画のテーマがくすんでしまうからだ。特撮的にはよく出来てはいるものの、やはり山奥の、それまでまったく登場することもなかった湖を舞台に、大ダコと戦う展開には無理がある。
 なぜか。以下の文章を読んでいただけばわかってもらえると思う。「まぐま vol.8 特集 怪獣・怪人大進撃!! オール・アバウト・マイ特撮」に寄稿した論考だ。発行人から急遽編集を任命された、自分にとって初めて編集した雑誌だった。なお文章は個人誌第二弾「夕景工房 映像と活字をめぐる冒険」用に加筆訂正している。

 「フランケンシュタイン対地底怪獣」には二点ばかりおかしな描写がある。一つは、ニック・アダムスが水野久美の作った味噌汁を飲んだときの表情。明らかにまずそうなのに、水野久美は「おいしいでしょう?」とはしゃいでいる。もう一つは、地底怪獣が村を襲おうとしているときの、ニック・アダムスの台詞。「バラゴン」とはっきり言っている。いつ誰が命名したのだ?

 大学の学園祭だった。星空の映画祭と銘打って屋外で何本かの映画が上映された。一本がこの映画だった。始まったときは、観客の中でバカにするような態度がありありだった。それが物語が進むにつれて真剣になっていく。クライマックスなんて皆食い入るようにスクリーンを見つめていた。関係者ではなかったが、あれは快感だった。

 1970年代初めデヴィッド・ボウイを初めて見たとき、フランケンシュタインによく似ているなあと思った。

     ◇

 フランケンシュタイン その哀しき存在 ~怪物と人間の狭間で~ 『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』

 国内外で最も有名かつ人気のある怪獣がゴジラだということに異論はない。ただし、ドラマが袋小路に陥った、無残な平成シリーズを別にしても、かつてのゴジラ映画がすべて面白かったのか、出来がよかったのかというとそうともいえない。
 平成ゴジラシリーズを批判するため、昭和のゴジラシリーズを何かと持ち上げる風潮があるが、本当にそうだったのだろうか。

 僕にはゴジラ映画よりもっと影響を受け、映像から受けた恐怖がある種トラウマにもなって今でも夢でうなされ、また感銘を受けた作品がある。東宝と米国のベネディクトプロとの提携によって製作された『フランケンシュタイン対地底怪獣』だ(地底怪獣にはバラゴンとルビがふられる)。 
 監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二の黄金コンビが馬淵薫の脚本を得て、有名なフランケンシュタインの怪物を大胆な解釈で身長二十メートルの巨人に仕立て上げ、二十五メートルの新怪獣バラゴンと戦わせた新しいタイプの怪獣映画だった。
 それまでの怪獣映画のミニチュアが二十五分の一サイズの縮尺だったのに比べ、この作品は十二分の一。セットが従来の倍になったことによりディテールがそれだけ細やかでリアリティを持った。つまり怪獣がより現実味をともなってスクリーンに登場し、恐怖感が倍増されたのである。
 ストーリーも見応えがあった。浮浪児として差別と迫害の中で育ったフランケンシュタインが主人公たちの研究チームよって保護されてからの異常な成長過程、彼を〈坊や〉と可愛がる女性研究員と貴重な研究材料と見る同僚の科学者との葛藤と反目、同時に人を食う凶悪な地底怪獣の出現と存在理由、その残忍な活動ぶりを描く。両者の物語が後半で一つになり怪獣映画の醍醐味ともいうべき死闘を繰り広げるというわけである。
 人間型のフランケンシュタインと着ぐるみの怪獣の戦いが新鮮だった。

 映画の公開が一九六五年だから、僕が6歳の時、父親に連れられて隣町でこの映画を観た。
 開巻からとてつもなく怖かった。東宝マークに重なる伊福部昭の音楽から震えてしまったものだ。その恐怖はメインタイトル後のキャスト、スタッフのクレジットまで続く。
 はじめはその異様な姿に思わず両手で顔を覆い、指の隙間からスクリーンを見たほどのフランケンシュタインに対してドラマが進むにつれて感情移入していき、やがて憐憫を感じ、怪獣と戦うクライマックスになると快哉をあげながら声援を送った。そしてラスト、悲劇の幕切れに言いようのない感情が胸にうずまいた。
 当時僕が抱いた感情とはいったい何だったのだろうか。それまでの怪獣映画で受けた感動とは違っていたことは確かで、後年「国内版」といわれるバージョンのビデオを繰り返し観るようになって確信できた。(この映画にはラストが違う「国内版」「海外版」の二種類あって、長い間「海外版」が流通していた)
 6歳の少年はフランケンシュタインに何を見たのか。映画を通して感じたこと、考えたことについて語ってみたい。

      *

 終戦間際、戦争で死なない兵隊を造るため、ドイツから日本に運びこまれた永遠の生命を持つという〈フランケンシュタインの心臓〉。広島の病院で研究が開始されたちょうどその時、原爆が投下されて街は猛火につつまれた。
 十五年後。広島国際放射線医学研究所で放射能に破壊された細胞組織の再生を研究するボーエン博士(ニック・アダムス)、李子(水野久美)、川地(高島忠夫)のチームは犬や兎、鶏などを襲っては食べ、住民に恐れられ忌み嫌われている浮浪児を保護する。
 浮浪児は白人の子で赤ん坊の時に放射能を浴びているにもかかわらず生命に異常のない、科学的に大変貴重な研究対象であることがわかった。
 李子は以前事故で負傷した浮浪児に食べ物を与えたことがあった。以来浮浪児を〈坊や〉と呼んで可愛がり、浮浪児もまた李子になついている。
 放射能の影響なのか、〈坊や〉は赤ん坊のように成長を続け、人間の身長をはるかに超えた彼は研究所の地下にある檻に手首を鎖でつながれた状態で管理されるのだった。
 管理に困った事務長の「動物園で飼育してもらったら」の言葉に「彼は人間ですよ、世界中に二人といない貴重な人間なんだ」と反発する川地。
 〈坊や〉の素性がわからない。全国から寄せられた便りの中で、終戦直後、衛戍病院の焼け跡で一人遊ぶ幼子がいたとの証言があり、それを知った川井(土屋嘉男)という男が三人のもとを訪ねてきた。
 川井は軍隊時代にドイツから運ばれた〈フランケンシュタインの心臓〉を広島の衛戍病院に届けたこと、実際に自分の目で確認したことを話し、〈坊や〉がその〈フランケンシュタインの心臓〉の成長した姿ではないかと推測する。(〈フランケンシュタインの心臓〉がどうして人間体になったのかはこの際追求しない。)
 さっそく川地はドイツのフランクフルトに飛んで、フランケンシュタイン研究の権威・リーセントル博士から〈坊や〉がフランケンシュタインかどうかの見極め方を教わるのだった。フランケンシュタインならば手や足を切断しても、また元通りになる、切断された手や足もたんぱく質の補給で生き続ける。
 帰国して〈坊や〉の手首の切断を主張する川地。反対する李子。
「もし手足がはえてこなかったら?」李子の問いに「どうせ彼は人間ではないんです」と答える川地。
「動物園で引き取るというお話があった時は人間だって断ったじゃありませんか」李子は反論する。
「ゴリラが人間と区別されるのなら今の彼は……」
「いいえ、彼は人間です。フランケンシュタインだとしても人間です」
「まともな人間じゃない、作られた人間でしょう」
 二人の言い争いをボーエン博士が止め、この問題は早急に答えをだすべきではないと結論づけた。
 川地はあきらめなかった。ある晩、李子のアパートでボーエン博士と李子が夕食の支度しながら川地の訪問を待ちわびていた頃、独断でフランケンシュタインの手首を切り離す手術をするべく地下の檻を訪れていたのだ。食事をもらえるものだと甘える巨大化した〈坊や〉の姿が哀しい。
 睡眠薬を注射器にセットしているところへ、巨大化した〈坊や〉の様子を取材しにTVクルーがあわただしくやってきた。止める川地の忠告を無視し、撮影用のライトを点灯させると突然〈坊や〉が暴れだした。檻の鉄柵を押し倒し、下敷きとなったディレクターとカメラマンは絶命する。
 現場に到着した警官たちの発砲に怒り狂った〈坊や〉は建物を破壊して脱走、行方不明となってしまう。
 鎖につながれた〈坊や〉がなぜ逃げ出したのか? 研究所の管理不十分ではなかったのかと現場を検証する新聞記者が見たものはつながれた鎖のところからひきちぎれた手首だった。手首は生きていた。〈坊や〉はやはりフランケンシュタインだったのだ。
 フランケンシュタインは養豚場を襲いさらに成長しながら岡山、姫路、大阪へと北上していき、付近の住民を恐怖に落とし入れる。
「あなた方は当初(こんな被害を出している)フランケンシュタインを殺すべきではないと主張していましたね」大阪府警の幹部に揶揄されると「今でもその主張は変えていない」とボーエン博士。が、すでにフランケンシュタインの手首の培養に成功した川地は冷たい。「手首があり研究材料には不自由ないんです、これだけの騒ぎになった以上、殺すのも仕方ないですね」
 だが、その後培養中の手首がたんぱく質の不足により死んでしまうと、餌付けして何とか飼育したいと願うボーエン博士と李子に同調してしまうのだ。
 同じ頃、凶悪な地底怪獣が白根山や清水トンネルに出現し、大惨事を巻き起こす。世間はフランケンシュタインの仕業だと錯覚し、抹殺するために自衛隊も出動してくる。飼育を主張するボーエン博士たちの立場はますます悪くなるばかりだ。
 フランケンシュタインの棲家を特定し、山中を探索しはじめた三人。
「私は(フランケンシュタインを)殺せという世論に賛成です」
 川地はフランケンシュタインを発見したら目潰しを使って動けなくし手首を切断する考えを明かす。「心臓か肉体の一部をぜひ手に入れたいのです」
 そこに地底怪獣が出現、三人に襲いかかった。逃げ遅れた李子があわや怪獣の犠牲になる寸前、フランケンシュタインが怪獣の動きを止めた。
 フランケンシュタインと怪獣が格闘する中、足を滑らせ負傷を負った川地は気を失ってしまう。怪獣を追い払った後、川地に気づいたフランケンシュタインはボーエン博士らのもとへ運ぶ。
 自分を研究対象としか見ていない川地を救うやさしさ、ボーエン博士と李子に早く(危険な)ここから出で行けと合図する頼もしさ。追いつめられていたフランケンシュタインが精神的に大きく変化を見せるのはここからだ。彼は村に降りて行こうとする怪獣を身体を張って阻止する。
 三人と自衛隊、村人たちが山の中腹から見守る中、フランケンシュタインと地底怪獣バラゴンの死闘がきって落とされた。
 火を吐き、地にもぐり、軽々とジャンプして攻撃してくる怪獣に素手で対戦するフランケンシュタイン。動きは俊敏で、まるでこの戦いを待っていたかのように嬉々として戦っている。形勢不利と見るや棲家の火を松明にして応戦。怪獣に投げ放った松明の火が木々に燃え移り、やがて大規模な山火事に発展していく。
 心打つのはフランケンシュタインが怪獣との対決の間を見て、この火事を消そうと努力するところ。迫害されつづけてきた末にやっと見つけた自分の居場所を失ってしまうからなのか、大火が李子たちを巻き込んでしまうのを心配するからなのか。必死に火を消す姿にフランケンシュタインの心根を知る思いがした。火はまたたくまに山全体を包む。
 紅蓮の炎をバックに対峙するフランケンシュタインと地底怪獣バラゴン……。

      *

 フランケンシュタインとは何者なのか。人間なのか、それとも怪物なのか。
 その答えは全編を通じて振り子のように揺れ動く。それは川地の言動からも明らかだろう。
 映画の冒頭でボーエン博士が担当する原爆症の女性が登場する。幼い頃被爆し、両親は原爆が投下された日に死亡している。病院のベッドで一人孤独に自分の死期を待ちつづけるだけの人生。
「彼女の十五年っていったい何だったのでしょう」
 李子の嘆きはそのままフランケンシュタインにあてはまる。
 知らぬ間に異郷の地に運ばれ、気がつくといつもひとりぼっちだった。自分を庇護してくれる者はいなく、生きるためには動物を襲い食べなければならなかった。しかしその行為は不気味な外見とともに、住民たちの恐怖をさそい迫害の対象となる。
 研究室に保護されてからはみるみる背丈が伸びていく。大人をはるかに上回る身体ではもう人間と認めてもらえない。自分は何者なのか。自分は何のために生きているのか。なぜ存在しているのか。
 屈折していた気持ちが爆発したのはTVが取材に来た時だ。が、施設を脱走したものの何をしていいかわからない。逃げ場もなくて李子の団地を訪ねる姿はまるで母に助けを求める幼子のようだ。
 彼は本能の赴くまま、故郷のフランクフルトと同じ気候を求めて北上する。母のぬくもりを求めた行動といえるかもしれない。
 巨大化した彼はそれだけでも人間にとってはやっかいな存在だ。さらに地底怪獣の残虐行為もすべて彼の仕業だと喧伝されているから行く先々で妨害が入る。やっと見つけた石切場の洞窟も自衛隊の発砲により安住の地にはならなかった。逃げ出す際の彼の悲痛な叫びが胸を刺す。
 そんな彼が勇者然と輝く瞬間がやってくる。怪獣と対峙した時だ。
 人間たちの敵である巨大な怪獣と戦えるのは自分しかいない。持て余していたこの体躯をやっと活かせることができるのだ。
 李子が、ボーエン博士が、川地が、今まで自分を差別していた人々が見つめる中での怪獣退治は、彼が社会に認められる一世一代の晴れ舞台だ。その思いは観ている僕の心にしっかり届いた。だからこそ死闘の末怪獣を倒した時の〈観客〉に向かって両手を挙げて雄叫びをあげるシーンに目頭が熱くなってしまうのだ。
 果てしない逃亡の末になし得たアイデンティティの確立は、しかし、彼の最期を意味していた。突如起きた地割れによって、彼は怪獣もろとも地中に飲み込まれてしまうのだった。何という皮肉な幕切れだろうか。

 自然の摂理になすすべもない李子は問わすにはいられない。
「死んだのでしょうか?」
「いや、彼は永久の生命を持っている。いつかはどこかに出てくると思う」
 川地の言葉をさえぎるかのようにボーエン博士がつぶやく言葉が衝撃的だった。
「死んだほうがいいかもしれない。しょせん彼は怪物だ」
 原爆症の女性は死んで両親のもとに旅立った。今はあの世で安穏な日々を送っているだろう。
 フランケンシュタインは死ぬことすらできない。川地が言うようにまたどこかで生き返ったとしても再び差別と迫害を受けないとも限らない。
 ボーエン博士が「しょせん彼は怪物だ」と言わざるをえない心情が痛いほどよくわかるのだ。

 メアリー・シェリーの小説もポリス・カーロフの映画も知らなかった6歳の少年に、フランケンシュタインという怪物の孤独、苦悩、慈愛、悲哀を教えてくれた『フランケンシュタイン対地底怪獣』は怪獣映画のベストワンだと僕は断言したい。


FvsB
東宝特撮DVDコレクション ⑰
怪獣映画に興味ない方も騙されたと思って観てください。




 先週、神戸から帰ってきたら、Amazonから小包が届いていた。ウフフフ。封を開けるとDVDソフトが3枚(と数えるのだろうか)。「小さな恋のメロディ」「ロミオとジュリエット」「フレンズ」である。
 Youtubeで「フレンズ」のオープニング映像を観ていたらいてもたってもいられなくなりAmazonでDVDを検索していた。数年前にDVD化されたのは知っていた。だったらついでに、ってんで「小さな恋のメロディ」と「ロミオとジュリエット」も一緒に注文したというわけだ。

 これまでDVDの収集には自分なりのルールを設けて規制していたところがある。でないと狭い部屋がとんでもないことになってしまうからだ。とにかく闇雲にコレクションすることだけは固く禁止していた。
 購入してもいいのは自分に多大なる影響を与えたTV作品。これが一つめのルールだ。「傷だらけの天使」のDVD-BOXが発売されると、真っ先に手に入れた。まだDVDプレーヤーがないにもかかわらず。「タイム・トラベラー」のDVDは当然購入。「木枯し紋次郎」の第1シーズンもBOXで。「ウルトラQ」もBOXが出るなら購入しようと思っているのだが、単品バラ売りだけなのでまだ手を出していない。

 コント55号にコントの真髄を教わったので、全盛期のものではないと知りながら「なんでそうなるの?」「傑作コント集」を手に入れた。現在「ゲバゲバ90分」のDVDを購入するからどうか迷っている。これまた小学生時代にとんでもない影響を受けているので。
 NHKの佐々木昭一郎の一連の作品がDVD化されたら迷わず購入する。あるいは東芝日曜劇場のHBC制作のドラマとか。「夢の島少女」と「バースデー・カード」は絶対!

 コレクションはTV作品に限定したかった。もともとTVはブラウン管(液晶)で鑑賞するものだから。
 映画は劇場で、スクリーンで観るべきものという意識があるので、収集しない。
 もしコレクションするのなら、あくまでも特撮怪獣ものとジャンルを決め、なおかつ、その中でもより限定したものにする。でないと収支がつかなくなるのは歴然だもの。これが2つめのルールだ。昭和のゴジラシリーズ、その初期作品もぐっと我慢。中古で販売していたリメイクの「キング・コング」や「宇宙戦争」を購入したのはあくまで例外的処置である。いわゆる普通のドラマは、過去にどんな感銘を受けていようが無視することにしていた。

 3つめのルールが音楽(ライブ)もの。これはショーケンのライブを揃えている。「アンドレ・マルロー」「シャンティ・シャンティ」「THANK YOU MY DEAR FRIENDS」&たぶんもう観ることもない「エンター・ザ・パンサー」。それから露天で買ったボブ・マリー。

 自分の中の三大ラブストーリーのDVDをコレクションしたことで、パンドラの函を開けてしまったような感じがする。 
 昨年だったか、一昨年だったか、川崎のCDショップで「ブラザーサン・シスタームーン」のDVDを見つけたときは、安価ということもあり飛びつきそうになってもぐっとこらえたのに。
 市川崑監督「股旅」はぜひ手元に置きたい。「幸福」も。金田一シリーズなら「悪魔の手毬唄」か。ショーケン主演の「約束」「青春の蹉跌」。どちらもまだDVD化されていないけれど。

 DVD三作品は一週間経った今もまだ開封していない。




 何てこったい、先週金曜日(14日)で「警部補 矢部健三」が終わってしまった。ワンクールないのだ。翌日には「TRICK」スペシャルドラマが放送された。もう完全に映画公開に合わせた編成だったのね。毎週の楽しみだったのに。レイトショーを木曜日に観たのは金曜日だとこのドラマに間に合わないからだった。
 で、スペシャルドラマだけど、まんま「悪魔の手毬唄」でした。「TRICK」というドラマが横溝シリーズを意識した作りなんでしょうね、矢部警部補の「よーし、わかった」で気づくべきだった。すいません、これまで連続ドラマもスペシャルも映画も観たことなかったもので。
 浅野ゆう子の出演が感慨深かった。市川崑監督の金田一シリーズ第3作「獄門島」で殺される娘の一人を演じていたのだ。「太陽にほえろ!」の2代目事務員、「獄門島」の娘、あくまでもアイドルの演技だった。後にW浅野で大人気になるなんて予想もできなかった。今では大女優だもんなぁ。

          * * *
 
2010/05/09

 「紙ふうせんシークレットライブ」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 海つながりということだろう、久しぶりに「ほろほろ」が歌われた。
 もう何年も前のリサイタルで新曲として披露された。タイトルが「ちぬの海」だった。アルバム「サンジュアム」に収録されたときに改題された。ちぬとは大阪湾(だったか?)で釣れる魚だと後藤さんに聞いたことがある。ステージでそう言っていたんだったかな。

 平山さんが本を持ち出してきた。書名は何だったか。
 本を開いて、青森の民話「たまごとだるまとみその話」を朗読した。銭湯に入って金を払わないで出て行ってしまう卵と達磨と味噌の、各人の言い訳が、ダジャレになっているという小話。
 青森と聞いて、もしかして?!と。もしかして「もうっこ」やるの?! ギター2本&ウッドベースで? 
 完全なる僕の先走り、勘違い。
 石川県や富山県の人たちが北海道に移住されてそのままその地の文化になっていると後藤さんの話があり北海道帯広に伝わる「赤い山鳥青い山白い山」。北原白秋が作詞した童謡「赤い鳥小鳥」の元歌。昨年に引き続き披露された。

 平山さんのトークとなった。テーマは「お国ことば、方言」。北関東の方言を話題にして、客席の僕に訊いてきた。「新井くん、とかげって何て言うの?」
 群馬出身、現在は埼玉に住む僕は質問の趣旨がわからない。とかげはとかげだもの。子どものころとかげと呼んでいた小動物が実はかなへびだったので「かなへび?」と自信なく答えると違うらしい。
 その後平山さんが北関東でとかげがどう呼ばれるか言うのだが、そんな言葉一度も耳にしたことがない。勝ち誇ったように「ぜったい言わない!」と反論した。しかし、北関東といっても群馬、埼玉、栃木、場合によっては茨城も入る。もしかしたら栃木や茨城の言葉なのかもしれないと思って、終了後平山さんに尋ねた。文献には埼玉の所沢だとでているという。今でも使われているのだろうか? あるいはある時期から文化の継承が遮断され使われなくなったか。少なくとも僕が小さかったころでも群馬の太田では使われていなかった。
 僕自身は方言とは(その土地独自の言葉使いもあるものの)イントネーションではないかと思っている。
 「ふるさとよ」は昨年のリサイタルで披露された新曲。

 ほろほろ/赤い山青い山白い山/ふるさとよ


 以降はいつものステージの流れになった。
 「まつり」を耳にするとホッとする。「竹田の子守唄」の前にちょっとしたハプニング。後藤さんが一番歌詞が増えたバージョンをやろうと提案した。平山さんがすぎたさん、浦野さんと何やら打ち合わせ。すぎたさんの後藤さんに対する「ついていきますから」なんて声が聞こえてくる。
 「翼をください」を歌い終わってから、平山さんが後藤さんに「今日はシングアウトしなかったね」、後藤さん「そうや」、平山さん「じゃあ、次の歌はみんなでうたいましょう」。
 1961年のヒット曲ということで、平山さんが「61年にあなたは何をしていましたか?」と客席を尋ねていく。
 僕は2歳だった。平山さんは中学2年生でしたね。僕は心の中でつぶやいた。
 なぜこの曲がアメリカでヒットしたのか、後藤さんが説明したことで61年のヒット曲が「上を向いて歩こう」であることがわかる。
 「ルート43」は前夜浦野さんのクルマで国道43号線を走って神戸に行ったので特別の思いが生じた。 

 まつり/竹田の子守唄/虹/翼をください/上を向いて歩こう/ルート43/船が帰ってくる


 前夜、浦野さんに取材したのはいつか書こうと考えているノンフィクション「赤い鳥物語」のためだ。関係者への取材第一弾というわけ。
 初めて浦野さんに会ったのは紙ふうせんの事務所が中津にあったときだ。出張で大阪にでかけた際にすぐ近くなので伺った。事務所には浦野さんが一人いた。ちょうどいい機会だと質問した。
 「冬が来る前に」ができたエピソードは後藤さんがステージで面白おかしく紹介している。秋、自宅のストーブを掃除しているときに、遊びに来ていた浦野さんがピアノで曲を聞かせてくれた。サビのメロディに乗せて「ふゆがくるまえに~」。
 詞ができた過程はわかった、ではどのように曲ができたのか、なぜ浦野さんはその曲を後藤さんに聞かせたのか。
 「冬が来る前に」はシングル化される2年前に「ミュージック・フェア」で披露されている。紙ふうせんの二度目の出演のときだ。TVで見ていた僕は次のシングルでリリースすれば絶対ヒットするとTVの前で確信していた。ところがその気配がない。大ヒットしてずいぶん経ってから知った。シングル化される前に「冬が来る前に」がフォルクローレのアレンジでステージで演奏されていたことを。

 前夜はそのへんのことを中心にもう少し詳細にお訊きしたので、ライブでフォルクローレバージョンの「冬が来る前に」が披露されたのには感激した。
 すぎたさんのチャランゴが効いている。

 ラスト(アンコール)はお馴染みの「紙風船」。が、その前に黒田三郎の原詩を紹介しましょうと、後藤さんが朗読した。これまた大感激!!
 
 今年のリサイタルは11月20日(土)、会場は昨年と同じサンケイホールだ。期待してます!

 冬が来る前に/紙風船


 【追記】

 会場となったジャズ喫茶JamJamのマスター(会長?)がライブのことを書いています。
 写真もUPされているので、ぜひご覧ください
    ◇
 懐かしさではなく、まさにリアルタイムな時間でしたね。
    ◇
 そう、そうなのだ。紙ふうせんって決して懐かしの歌手ではない。
 「冬が来る前に」だけで語ってほしくないし、ましてや赤い鳥の残り香でもない。「竹田の子守唄」も「翼をください」も「まつり」も「紙風船」も今に続いている。
 だから僕は今でも追いかけているわけだから!


 【おまけ】
uranosan
浦野直さん
数年前のリサイタル時ステージの御姿をスケッチしました。




 「ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲」でもう一つ。
 三池監督はガダルカナル・タカ演じる適役をジュリーにオファーしたかったのではないか? 最初スクリーンに登場したとき目を疑った。もしかして?って。
 全国の沢田研二ファンを敵にまわすかもしれない……


          * * *

2010/05/09

 「紙ふうせんシークレットライブ」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 紙ふうせん第二部のステージ(?)が始まった。
 今年、場所を神戸元町に移して、5月9日に開催した説明があった。
 結婚記念日なんだそうだ。若いころはよく神戸でデートしてジャズ喫茶にも通った。「そんなわけで今回贔屓にしているJamJamに無理言ってシークレットライブを開催させてもらいました」

 そうでした、そうでした!
 1974年のこの日、六本木の教会で結婚式を挙げたのだ。で、翌10日は九段ホールでふたりの結婚コンサート。完全に披露宴スタイルのステージでメンバーをはじめとする仲間たちがお祝いの歌をうたった。なんてことは帯広のTさんからお借りしている赤い鳥の切り抜き記事で知ったのだけれど。
 (赤い鳥の)プロデビューのために上京する、その前に王子動物園で後藤さんが平山さんにプロポーズしたエピソードがある。「白い花はアカシア」という歌でその模様が描かれている。

  白い花はアカシア
  風に舞えば五月
  青い空にあずけた
  二人だけの約束

  町の中の公園
  キリンペンギン動物園
  僕は枝の上から
  結婚しようと叫んだ

  君は知らん顔して
  子供たちと遊んでた
  西の空に夕焼け
  白い花が舞ってた

  そして月日が流れて
  チャペルの鐘がうたう
  友の笑顔につつまれて
  君は白い花嫁

  白い花はアカシア
  風に舞えば五月
  しあわせですかとささやくよ
  二人だけにささやく

 以前にも書いたことがあるが、後藤さんのこの突然の告白を僕はこう思っている。魑魅魍魎たちが跋扈する大都会、東京の音楽業界に染まる前に、愛する彼女の気持ちを確認しておきたかったのだと。
 
 ふたりにお店のマスターと新マスター(娘さん)からの花束贈呈。
 このマスターが若い。学生時代はフォークに熱中した。ライブ終了後に年齢を訊いて驚いた。一世代下に見える。ジャズを知ってからは夢中でレコードを集め聴きまくったとか。その結果がジャズ喫茶経営に。後藤さんの「レコード何枚くらいあるの?」の質問には「数えたことがないので」。でも6000枚から7000枚はあるらしい。いや9000枚だったかな。

 平山さんがステージ上手のピアノの前に移動した。やった、やった!
 後藤さんヴォーカルの「街を走りぬけて」。

  街を走りぬけて
  広い海に出よう
  海にかかる虹を
  君と探しにゆこうよ

 やさしくハーモニーで入ってくる平山さんの声がたまらない。

 歌の世界が故郷の海というところから後藤さんが敬愛する詩人、黒田三郎の詩「海」を朗読した。

  駆け出し
  叫び
  笑い
  手をふりまわし
  砂をけり

  飼いならされた
  小さな心を
  海は
  荒々しい自然へ
  かえしてくれる

 自宅に帰ってきてから持っている黒田三郎の詩集を調べてみた。
 「現代詩人4 黒田三郎」(編集 大岡信 谷川俊太郎/中央公論社)にはなかった。
 思潮社の現代詩文庫「黒田三郎詩集」に所収されていた。
 赤い鳥のライブアルバム「ミリオンピープル」で後藤さんが「紙風船」を紹介する際に黒田三郎の詩集「もっと高く」に収録されていると言っていた。高校時代、地元、隣町の足利で探したけれど「もっと高く」は見つからなかった。
 現代詩文庫「黒田三郎詩集」に〈「もっと高く」から〉として「紙風船」のあとに掲載されている。
 「もっと高く」の詩を読むと後藤さんが黒田三郎を敬愛する理由がよくわかる。何気ない言葉を使って、当たり前のことを描き、でもその奥に何か深遠なテーマが隠されている、ような気がする。

 街を走り抜けて


 この項続く




 昨日は地元シネコンのレイトショーで「ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲」を鑑賞。この映画は制作発表でゼブラクィーンのコスチューム、メイキャップを目にするやいなや「観る!!!!」。前作はDVDでも観ていない というのに。この時点ではゼブラクィーンに扮した女優は明らかにされていなかった。まさか仲里依紗だとは。
 女優魂全開の映画だった。露出も演技も。19歳でしょ、どちらかというとアイドル路線。よく事務所がOKしたもんだ。
 十分堪能させていただきました。

          * * *

2010/05/09

 「紙ふうせんシークレットライブ」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前
 
 受付をして中に入ったらまだリハーサルをしていた。リハーサルに手間取ったのだろうか。もともと15時開場、15時30分開演との情報もある。が、ポスターには14時30分開場、15時開演と記されている。HP(ブログ)でもそう告知していた。FCからの通知ではどうなっていたのか。もしかすると途中で変わったことが店側に伝わっていなかったのかも。

 まあとにかく。
 これまで3回は飲食つきだった。ドリンク(アルコール)は飲み放題。飲むほどに酔うほどにといった按配で、それはあくまでもFCのFCによるFCだけのイベントだったからだろう。今回は一般の方も対象(FCメンバーの紹介による)にして〈聴く〉を優先させた格好。コーヒーとシフォンケーキのみがついて、その分会費も安くなった。
 着席するとすぐにコーヒーとケーキが配付された。コーヒーを一口。「美味い!」ちょっと苦味がきいているというか、重い感じがするのに、そのままで十分いける。ミルクなんて入れたくない気分。ケーキも甘くなくてちょうどいい。ラズベリージャムとクリームとの相性も。

 ライブは15時30分、後藤さんの「まもなく開演です」の声で始まった。
 1曲めはジョニ・ミッチェルの1967年のヒット曲。バンクーバーオリンピックの開会式でカナダの歌手が歌ったらしい。それを見た(聴いた)平山さんが自分も歌いたいとリクエストしたとか。 
 ステージ手前上手から後藤さん(ヴォーカル&ギター)、平山さん(ヴォーカル)、後方にすぎたじゅんじさん(ヴォーカル&ギター)、浦野直さん(ウッドベース)。これまでと違うのはピアノの今出哲也さんがいないこと。後藤さん曰く「彼、アップライトのピアノはよう弾かんやて」

 アマチュア時代、〈後藤悦治郎と平山泰代〉名で活動していたふたり。
「実はね、プロとして仕事のオファーを受けたこともあるんですよ」と後藤さん。
 大学時代、後藤さんはフーツ・エミールというPPMのコピーバンドで参加した某コンテンストで2位になったことがある。そこで面識ができたプロデューサーからあるイベントへの出演を依頼されたという。病気で出演をキャンセルした弘田三枝子の代理として。

 Both sides now/PPMメドレー わが祖国・悲惨な戦争・パフ・天使のハンマー・風に吹かれて


 十八番のPPMメドレーでつかみはOKということなのか早速FCメンバー有志による弾き語りコーナーへ。

 トップバッターは北海道在住のSさんと友人の女性2名のグループ。女性たちはそれぞれ宮崎と名古屋からやってきた遠距離トリオだ。宮崎の方とSさんは昨年はコンビで歌っていた。もともとコンビで宮崎近辺のライブハウスで活躍していますからね。今年はmixiで知り合った赤い鳥、紙ふうせんファンを呼んで、赤い鳥の代表曲「赤い花白い花」を披露した。宮崎の方が潤子さんパート、名古屋の方が平山さんパート。考えようによってはこれはすごい。本家を前にしての演奏&歌唱だもの。すごい度胸!

 続いて、このコーナーのレギュラーIさん。ギター教室の先生、すぎたさんをバックに従えて中島みゆきの「ホームにて」を弾き語り。小学生の音楽の時間、絶妙なビブラートを効かせた縦笛を先生が絶賛したそうだが、それはヴォーカルにも反映している。

 最後はコーナー初参加のSさん。これまたすぎたさんのギターをバックにピアノの弾き語りでゆずの「栄光の架け橋」。
 このコーナーへはお初であるが、一昨年僕が企画した「紙ふうせんトリビュートライブ」では、ギターの弾き語り(ベースのサポートあり)で赤い鳥、紙ふうせんの隠れた名曲を熱唱していた。今回はピアノなのでもう完全に財津和夫だ。本人も意識していたのでは?

 赤い花白い花/ホームにて/栄光の架け橋


 コーナーを締めくくったのはそれまで二人のサポートをしていたすぎたさん。本当ならFCメンバーとは別の、「バックミュージシャン、あんたが主役だ」コーナーなのだが、今出さんがいないのでこちらに組み込まれた体裁。
 1曲目はジョニー・ナッシュ。1972年のヒット曲。なんてよく知らないのだけれど。なにボブ・マリーの作品? レゲエなのか。レゲエ、好きです。
 2曲目は、古い歌だけれど、皆さん聞いたことがあると思います、なんて紹介するので、いったいどんなオールディーズかと思ったら菅原都々子だった。洋楽と日本の流行歌、ジャンルはまったく異なるが、タイトルだけ見ると取り上げた理由がわかる気がする。
 この日の、すぎたさん、衣装のせいか、全身からワイルドさを醸し出した。いつもとちょっとイメージが違うと思うのは気のせいですか。

  I can see clearly now/月がとっても青いから


 この項続く




2010/05/09

 「紙ふうせんシークレットライブ」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 元町駅の改札を抜けると懐かしさがこみあげてきた。元町に来るのは何年ぶりか。紙ふうせんのクリスマスコンサート(初回はTSU-BA-SA名義)が六甲オリエンタルホテルで開催されたとき、初めて神戸を訪れたのだった。

 このクリスマスコンサート、関東からはWさんとOさんと僕の3人が毎回参加していた。一泊二日のスケジュール。最初の年は東京から新幹線で新神戸へ。新神戸~神戸~元町ルート。元町では、後藤さんがエッセイで紹介していたスポットを巡り歩いたような。チェックインの時間に合わせ、タクシーでホテルに向かったのではなかったか。ホテルでおふたりにお会いしてその旨伝えると、南京町のNという中華料理店のおかゆさんがおいしいよと教えてくれた。当然、翌日昼食時に寄ってみた。
 2年目は宝塚の手塚治虫記念館を訪れた。新大阪~大阪~宝塚のコース。宝塚から尼崎に戻り神戸線で六甲道へ。ここから少し歩いてホテルが用意した送迎バスに乗った。
 3年目からはオプションなしのまっすぐホテルルート。新大阪~六甲道+送迎バス。以後このパターンが定着する。

 毎年の神戸行きが恒例になっていたので、阪神大震災はショックだった。あの日は会社のイベントのため、朝5時に家を出た僕は携帯ラジオで第一報を聞いている。イベント開催中にTVニュースでその被害が尋常でないことを知り、あわてて紙ふうせんの事務所に電話した。出たのは浦野さんだった。「窓から見える塀は全壊したけど事務所(も人も)は無事」に安堵したことを覚えている。
 震災後、約1年経って神戸を訪れ、ホテルへ向かう最中に見える光景は何て言っていいかわからなかった。ほとんど更地になっているのだから。後藤さんの友人がオーナーだった「ゴジラ館」(?)なる、2階がフィギュア展示、1階が居酒屋の建物も跡形もなくなっていた。
 コンサートのクライマックスでは会場のカーテンを全開にし、神戸の夜景を楽しむのだが、震災後のそれは実にさびしいものになっていた。

 思い出話はそのくらいにして。
 まず会場となる「JamJam」の場所を確認してから、南京町へ向かった。日曜日ということもあるのだろう、とんでもない混雑だ。立ち食いしたいが肝腎の腹がすいていない。通りのはずれに紅茶のお店があったはず。金のなる木(!)が目印なのだが、見つからない。以前来たときとイメージが変わってしまったと思うのは単なる錯覚か。混雑する表通りよりちょっと入った路地の方がおもしろいのだが、なにぶん一人だから楽しくない。ひととおり歩き回って時計を見ると14時過ぎ。14時半の開場だからもう店へ行くか。

 この項続く




 承前

 幼少時、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」のアニメ(当時はTVまんがと言っていた)が大好きだった。毎週夢中で視聴していたが、どちらかひとつといわれたら「鉄人28号」を取るかもしれない。放送が終わると「もう一度見たい!」と母親に泣きついていたらしい。
 鉄人28号の実物大モニュメントが神戸の長田に完成した。阪神大震災で多大な被害を受けた長田地区の復興と商店街の活性化を狙ったプロジェクトの一環というニュースを耳にしたのは昨年の10月だったろうか。こりゃ行くっきゃないとその機会を伺っていたが、今年の紙ふうせんのシークレットライブの会場が神戸・元町だと知って歓喜した。

 アニメ「鉄人28号」のファンであったが、原作である横山光輝のマンガは読んだことがない。「鉄人28号」だけではない、「魔法使いサリー」「仮面の忍者赤影」「ジャイアント・ロボ」……小学生時代TVアニメあるいは特撮ドラマを夢中になったというのに、原作のマンガをきちんとあたったことがないのである。手塚治虫との違いはそこだ。手塚治虫の場合、後追いではあるがマンガのファンになっていったのに。
 手塚治虫は、時代によってタッチや構図が変わっていった。横山光輝にはその変化が見られなかった。絵と吹き出しはコマの中に描かれ、決してはみ出すことがない。まさに〈端正〉という形容がぴったりだった。
 なぜモニュメントが「鉄人28号」なのか? 横山光輝が神戸出身なのだ。これは見るまで知らなかった。手塚治虫は宝塚出身。兵庫は昭和を代表する漫画家を二人生んだということである。

 さて、モニュメント「鉄人28号」を見学するほか、商店街を散策したいと考えている人たちに、効果的な鑑賞方法を伝授したい。僕自身は最初に「鉄人」を見学して、ブランチを食べた後、商店街を散策したわけだが、散策したことで、正しい鑑賞方法を発見したのだ。
 JR神戸線「新長田」駅で下車。改札を出て、南(海)側に向かうと駅前広場がある。そこに「鉄人は正面の白い建物の裏」と行き方を案内するポスターが貼ってあるが、それは無視すること。広場に隣接する道路(の右側の歩道)を線路を背にしてをずっと南に向かって歩いていく。
 六間道商店街にぶつかるので、そこを右折。すぐのところに「なごみサロン」なるものがある。横山光輝原作の「三国志」のパネルや鉄人28号の人間と等身大の人形が出迎えてくれる。商店街は「鉄人28号」だけでなく、「三国志」もプロジェクトになっており、石像の建立、なりきり隊等、 街の名物になっている(らしい)。

 大正筋商店街にぶつかってまた右折すると、左側に「KOBE鉄人三国志ギャラリー」がある。ここは必見。モニュメントが完成するまでのドキュメンンタリーの上映のほか、モニュメントの原型モデル、「鉄人28号」が連載された「少年」誌、別冊ふろく、原画。まさに垂涎。グッズ販売も。
 道を挟んだ反対側には「震災ミュージアム」がある。震災前、後の大正筋商店街の写真、焼けただれた小銭や金庫に胸が締めつけられる。
 鉄人28号について、モニュメント完成までの経緯について、もちろん震災について、さまざまな情報を目の当たりにしたところで、見学という段取り。大正筋商店街を北上すると、そのまま新長田一番外商店街につながっている。
 新長田一番外商店街をゆっくり歩いて行こう。商店街の先に若松公園(鉄人広場)がある。歩いていくと左側に巨大な鉄人28号が徐々に見えてくるのだ。これは感動しますよ!

 途中には神戸映画資料館なるものもあって、これもお奨めですね。


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体長18m。それでも巨大だ。
50mになるといったいどうなるのか?




 一週遅れで僕のGWがやってきた。
 これまではGWの初日(29日)に紙ふうせんのシークレットライブがあった。29日が後藤(悦治郎)さんと浦野(直)さんの誕生日ということもあったと思う。
 今年は9日(日)に開催されることになった。会場もいつもは梅田近辺なのに神戸元町。なぜかはライブの中で明かされるのだが、それはまた項をあらためて。

 今年は前日(8日)に大阪入りして浦野さんに取材するつもりでいた。予定を訊くと夜の11時からなら大丈夫という。閃いた。だったら昼間の高速バスを利用してみよう。JRハイウェイバスが運行している。バスなら新幹線の半額以下だし。
 東京駅12時10分発。深夜バスと違ってカーテンは閉まっていない、外の景色を楽しめる。バスがどのルートを走って首都高に乗って東名高速に出るのか初めてわかった。飲食自由(アルコールも)というのもうれしい。新幹線同様、サンドイッチとカフェオレ、それにビールとカキピーを購入。読書も可能だ!

 深夜バスは見知らぬ場合男性と女性が完全に分けられる。
 当然ですな。寝ている女性に触ったり何なり淫らな行為を犯す輩がでないとは限らない。
 では昼間のバスだとどうなるのだろう? ちょっとした疑問だった。解明しました。男性陣は前から女性陣は後ろから、席を埋めていくのだった。
 GWではないからから、バスはガラガラ。男性チームは一列めの3シートのうち、一番右に植草甚一、昼食以外始終文庫本を読んでいた。それも老眼鏡なしに! 
 一番左に若者。二列目の右・真ん中の2名の仲間。左が僕だ。
 高速走っていると、停留所を見かける。バスはその停留所に順次止まった。関西圏になるまでは乗客はいなかったけれど。
 足柄サービスエリア、浜名湖サービスエリア、甲南パーキングエリア、計三箇所で休憩。
 バスの長旅もけっこう楽しい。窓から景色を見られるからだろう。

 予定より15分早く、20時ジャストに梅田桜橋口に到着した。JRハイウェイバスの発着所があるところ。
 梅田に着いてまずすることはあの横丁を歩くことだ。今回しっかり名称をチェックした。新梅田食堂街。ここを歩くとすごく落ち着くのだ。某うどん屋で夕食をとる。

 駅前のMr.ドーナッツで読書をして時間をつぶし、23時事務所で浦野さんと合流。取材の前にちょっと食事につきあってと、浦野さんのクルマで三ノ宮へ。行きつけの中華屋で水餃子、焼餃子、ザーサイ(最高にうまい!)等々、実際のインタビューは場所を変えてやる予定だったが、まずは録音なしのインタビューを始めることにした。食事のあとは、ファミレスでドリンクバーを飲みながらということだったが、いくら走ってもファミレスが見つからず、マクドナルドで行うことに。朝方の4時半まで。
「ぼくに取材して何か収穫あるの?」
 浦野さんは言うけれど、〈後藤さんのジレンマ〉を確認できたことは大きい。あるいは作曲者としての「冬が来る前に」談義も。まあここらへんのことはまた後にして。
(それにしても、9時半には事務所に集合して、ライブ会場に向かうというのに、長い時間取材につきあっていただき感謝、感激です。ありがとうございます)

 その後、浦野さんに三ノ宮駅まで送ってもらい、ネットカフェで5時間休憩。個室で睡眠と思ったら、隣室の奴の鼾がハンパじゃない。音を消すためにYouTubuの音楽をヘッドフォンで聴かなければならない不自由さ。予約がいっぱいでシャワーも浴びられなかった。

 10時、新長田へ向かう。昨年、駅前の広場に完成した実物大の鉄人28号を見学するため。世代じゃないのでお台場のガンダムにはまったく興味なかったが、幼少時にアニメが大好きだった「鉄人28号」だと話は別。
 ということで、新長田の商店街を散策したことにより発見した〈正しい「鉄人28号」の鑑賞方法〉についてはまた明日。


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鉄人の勇姿を見よ!
接写モードで撮影したのでピンボケです。
普通モードへの切り替えがわからず、すべてこの調子
御免


 この項続く




 特撮仲間のS氏からメールが来た。「警部補矢部建三」観ていますか?
 もちろん!

 警視総監が郷秀樹、第二話にはモロボシ・ダンがゲスト出演していることから狙っているなあと思っていたが、今日(もう昨日だけど)はサブタイトルに大笑い。「セブン暗殺計画」「ウルトラ警備隊西へ」のもじりでございます。シリーズ中、この二話と最終話が前後編。(前)の文字が効いている!

 矢部自身が勝手の推理で「よーし、わかった!」
 これはスピンオフ前のドラマでもやっていたのだろうか?

 ゲストの一人が渡辺典子。
 矢部の部下が言う。「晴れときどき殺人!」「いつか誰かが殺される!」

「ヒジョーにきびしい!」
 そんなことまで!!
 

 今日明日と大阪(正確に記せば、大阪、兵庫、メインは神戸だから)に行ってきます。
 紙ふうせんの恒例のライブが開催される。
 9日(日)15時から神戸元町のライブハウスJAMJAMで。
 前日の明日、大阪入り。U野さんへの取材。
 当日ライブ前には、実物大の鉄人28号を見学します。
 ちょっと留守にしますが、その旨ご了解のほどを。


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ライブハウスのブログより拝借

HPのBBS「夕景共和国」で北海道のJさんと
そうじゃないかと睨んだとおり、
デザインはEさんでした。本日確認。
60年代アングラ風で、とても気に入っています。




 わが青春の映画たち。
 このタイトルに難色を示す人もいるだろう。映画を複数形にすることはない、英語と違うんだから、と。
 さだまさしの名曲「檸檬」にもありますね、〈この街は青春たちの姥捨て山みたいだと〉。「青春」に「たち」はいらない。でも「たち」をつけたくなる気持ちはわかる。
 これは名著「市川崑の映画たち」からとったということで許していただきたい。

 mixiのときは「わが青春の名画」というタイトルだった。あくまでも自分にとっての名画であり、世間一般にはそれほど評価されていないものも登場することもありうる、と説明していた。もっといろいろな映画をとりあげたいので改題した。

 さて、中学2年の秋に観た映画。これも3本立てだった。
 「ブラザーサン・シスタームーン」の映像、カメラワークには当時かなり影響を受けた。ゼフレッリ監督のベストとして「ロミオとジュリエット」よりこの作品を挙げたいほどだ。2年生の夏に町内の子ども会でキャンプに行った。8ミリカメラを持参して記録したのだが、草原や山々を撮影する際、イメージとしてこの作品があった。カメラマンに「いいかい、狙いはブラザーサン・シスタームーンだからね」と何度となく言い聞かせ、しまいにはあきれられた。ゼフレッリ監督の弟子になりたいと本当に思ったものだ。

 昨年だったか、地元の図書館で「ブラザーサン・シスタームーン」のDVDを見つけた。
 あわてて借りてきた。数十年ぶりの鑑賞。主題歌ほか劇中に流れる歌をうたうドノバンの声や曲調に驚愕した。まるで後藤(悦治郎)さんが歌っているようなのだ。とすると、後藤さんは日本の吟遊詩人なのか?
 中学の英語教師がこの「ブラザーサン・シスタームーン」の歌が大好きで、授業中に皆で歌った覚えがある。歌詞もきちんと訳されて、どんな意味なのかも教えられた。
 兄弟なる太陽、姉妹なる月……
 当時サントラはでていなかったと思う。あったら買っていたもの。

    ◇
 1973年9月14日

 足利のスカラ座に映画を見に行ってくる。「街の灯」「ブラザーサン・シスタームーン」「サマータイム・キラー」の3本。

 「街の灯」 
 あの最後のシーンの、目のなおった花売り女のいうことば「あなたでしたの」そしてチャップリンのあたたかいえ顔。感動的だった。ボクシングのシーンが一番爆笑をさそい、最後のシーンが涙をさそった。

 「ブラザーサン・シスタームーン」 
 あの美しい画面が何ともいえない。フランコ・ゼフレッリ監督は何とすばらしい目を持っているのだろう。フランチェスコの考えはまったくだと思う。小鳥にしろ野花にしろみんなその日を楽しくくらせればいいんだ。人間はすぐに明日を見る。未来を見る。だからよくばりになってしまう。法王のことば「キスを……足に……」ぼくはあっと心の中でさけんだ。そして(法王は)それを実行したのだ。世界で一番えらい法王が貧しい一聖者の足にキスを。歌「ブラザーサンandシスタームーン」もいい。

 「サマータイム・キラー」 
 オリビア・ハッセーはやっぱり「ロミオとジュリエット」のハッセーでいてくれた。やっぱりいいな。ミッチャムふんするレイのかっこよさ。オートバイが好きでないぼくでもあのかっこよさにハートがキュンとなった。レイをつかまえたのに逃がしてしまう刑事も好きになった。逃がしてしまったのだからどうなるかぐらいわかるだろう。船が降りる――。ふたりの愛よろこびほほえむ刑事。見ると車が…銃が刑事を狙っている。バババ…倒れる刑事。あわれだ…。だが今まで一人だったレイには友達ができる。いや恋人だ。刑事の不幸でレイには幸せがやってきた。ああ!
   ◇




 午後、ネットニュースで佐藤慶の訃報を知る。
 享年81。もうそんな年齢なのかと驚いた。70歳半ば、いわゆる両親世代だと思っていたのだ。
 脇役として善悪・硬軟、さまざまなキャラクターを演じられる役者だった。タイプは違うけれど、自分の中では橋爪功と同じ括りになる。橋爪さんは最近主役が多いか。
 70年代後半、「蘇る金狼」「太陽を盗んだ男」のころが一番油が乗っていた時期か。いや、この方の場合、90年代、00年代もそれほど印象が変わらなかったような気がする。

 女優の北林谷栄も亡くなった。昔からおばあさん役ひとすじだったから本当の歳を知らない。98歳ということから大往生だろう。

 合掌

          * * *

2010/04/15

 「談四楼独演会 第169回」(北澤八幡神社参集殿)

 立川春樹「?」
 立川春太「?」
 立川談大「?」
 立川談四楼「のっぺらぼう」

 〈仲入り〉

 林家かん平 漫談・のようなもの
 立川談四楼「抜け雀」


 会場に到着したら、ちょうど仲入りになったところだった。受付のおかみさんから一席目が「のっぺらぼう」だったことを教えてもらう。
 かん平師匠は数年前浅草東洋館で開催された「八朝・かん平二人会」以来二度目。あのときより聞きやすくなっていて、「ああ、良くなっているんだ」とうれしくなった。
 かん平師匠の高座を見ていると涙がでてくる。前回もそうだった。かん平師匠の表情だとか身振り手振り……どうしても手術後(脳腫瘍)の母の姿がダブってしまって。


2010/04/24

 「江戸の詠み語り」(お江戸両国亭)

 溝上伊都子・若葉要 「藤沢周平/夜消える」

 溝上伊都子 「宇佐江真理/深川恋物語」 
 
 若葉要 「山本周五郎/晩秋」


 江戸に生きる会が不定期に開催している朗読会が「江戸の詠み語り」だ。
 某インディーズ映画(未完成)が縁で知り合った若葉さんから銀座博品館で朗読しますという案内をもらって知った。若葉さんは宮部みゆき「片葉の葦」を朗読した。次の会はお江戸日本橋亭だったような。若葉さんから連絡をもらったが、平日の昼間、それも直前に電話もらっても行けやしない。
 今回はかなり早めにメールもらった。春に開催予定の朗読会に出演します、と。
 二人会(?)なのだから、一人1作品で良かったのではなかったか。3作品3時間はちょっと長すぎた気がする。二人のコラボ「夜消える」、熱演の「深川恋物語」で集中力を使い果たしてしまった。なので「晩秋」の世界にいまいち入っていけなかった。これは若葉さんがどうのというより、会の構成の問題だと思う。




 ある年ある日のエンタテインメントレビュー。
 時代を1970年代に絞って、自分が影響を受けた映画の、その最初の出逢いを、感想を日記からピックアップしてみよう。
 一度mixiでやっていたことだが転載を含めてもう少し本格的に取り組みたい。まあ、手抜き企画でもあるのだけれど。
 今日は中学1年の3学期に出逢った「ロミオとジュリエット」「フレンズ」「個人教授」について。

 この映画鑑賞の影響度は小学6年生の「小さな恋のメロディ」(&「ベニスに死す」)に勝るとも劣らない。「小さな恋のメロディ」「ロミオとジュリエット」「フレンズ」を三大ラブストーリーと呼ぶ所以だ。
 本当ならば「小さな恋のメロディ」から始めたいのだが、小学6年の1学期はまだ日記をつけていなかった。母親たちは、子どもたちが結婚してしまう不道徳な映画を見せていいものかどうか、心配していたが、併映の「ベニスに死す」の方こそ問題にすべきだった。中年男が美少年に恋狂う話だぞ。

 話を戻す。
 「ロミオとジュリエット」「フレンズ」「個人教授」の3本立ては、最初友人二人と観に行った。帰ってから風邪をひいた。映画館の暖房があまりに効きすぎた影響だ。翌日1時限で早退。その夜熱(38度)がでた。翌日は休んだ。熱にうなされながら映画の場面が頭に浮かんでは消えていった。枕を抱きしめながら「ジュリエット!」「ミシェル!」とうなっていたような。熱だけが原因ではなかった気がする。
 で、一週間後の日曜日、また観に行くのである。今度は一人で。目当ては「ロミオとジュリエット」と「フレンズ」。

 「ロミオとジュリエット」「フレンズ」はサントラEP(シングル)をまず購入した。「ロミオとジュリエット」は続けてLP(アルバム)も手に入れた。「個人教授」のテーマ曲は最近YouTubeでよく聴いている。
 ジャック・ワイルドの訃報を聞いたのは何年前だったか。アニセー・アルヴィナもすでに亡くなっているなんて……。


    ◇
 1973年3月11日

 「ロミオとジュリエット」をみてくる。やはりすばらしかった。ただ3本立て、しかも5時間ぶっとおしでやったものだから頭がおかしくなった。だが3本ともよかった。
 「個人教授」はフランシス・レイの音楽とあってぼくはそれを期待していた。物語(ストーリー)もよかった。「フレンズ」はちょっと頭のかたい人がみれば悪い映画ときめつけてしまうだろう。しかしぼくにはそんなことは頭にはいっていないような気がする。もっとちがうことばではあらわせないことがぼくの胸の中にあって思い出すたびにため息をつく。
 最後に「ロミオとジュリエット」。これはニーノ・ロータが作曲したすばらしい曲も知っていたし、内容も知っていた(少し)。だが見にいった。それは曲を聞いてもわかるように現代の若者たちを感動させる要素をもっているからである。ロミオにレナード・ホワイティング、ジュリエットにオリビア・ハッセーと若々しい二人。そしてきれいな画面。どれもすばらしかった。なるほど!最後になるとあちこちから涙声や鼻をすう音がした。
    ◇
 3月18日

 また々映画を観てくる。この前見に行ったばかりだが、あの時の感激がわすれられず一人でみてきた。ずっと立ちっぱなしだったが、とてもすばらしかった。
 「フレンズ」 あのきれいな画面、いい音楽。ぼくはそのムードによってしまった。「ロミオとジュリエット」 主題歌がなんともいい。
 この映画をみおわった今、ぼくの頭にはポール、ミッシェル、ロミオ、ジュリエット これしかない。「ロミオとジュリエット」の曲を歌いだせばなんともいえない気持ちになるし、時々ミシェールといって、ミッシェルを抱きたい気持ちになる。
 この前みて、帰ってきてからそのことが忘れられなく、やっと忘れかけたのだが、また見て思い出してしまった。何にしても「フレンズ」や「ロミオとジュリエット」のような恋がしてみたいものだな。
    ◇




2010/03/20

 「時をかける少女」(MOVIX川口)

 映画は1,800円で観ない主義。かといって封切前に前売券を購入しておくのは面倒だ。ディスカウントチケット屋なら封切後でも扱っている。有楽町で観るときはいつもそのパターン。映画サービスデーなら1,000円で足りる。シネコンなら1,200円のレイトショー。1,800円で観たつもりになればポップコーンとドリンクが買えるのだから。
 「時をかける少女」も地元のシネコンで押さえるつもりだった。当然レイトショー。ところが、一週間でプログラムが変更になり、レイトショーがなくなった。だったら、シネコン独自のサービスデー (20日)を利用するしかない。運よく20日は土曜日だった。

 この映画に親近感を覚えるのは、大林宣彦監督の作品だけでなく、NHK少年ドラマシリーズ第一弾「タイム・トラベラー」も視野に入れていることがあると思う。だからこそ、ヒロイン(仲里依紗)は母和子(安田成美)の代理で1972年にタイムリープするわけだ。72年は「タイム・トラベラー」が放送された年。和子が中学生というのも「タイム・トラベラー」を踏襲している。大林監督版「時をかける少女」では、和子や深町、吾郎たちは高校生だった。
 間違えて2年後の74年を訪れてしまうのも意味がある。和子たちが高校生になっていて大林監督版へのオマージュになる。と同時に、ちょうど時代の端境期にあたるということもあるのではないかと。
 1970年代って、74年を境に大きく変わっていった気がしてならないのだ。中日が優勝して巨人のV10を阻んだ、第二次怪獣ブーム(変身ブーム)の終焉、赤い鳥が解散した(フォークからニューミュージックへ)、「傷だらけの天使」が放映された……。
 時代の空気が変わったという実感があるのは、僕自身の環境の変化もあるのかもしれない。74年が中学3年、75年の3月に受験があって、4月から高校生になっている。この差は大きい。
 
 とにかく、この映画は「タイム・トラベラー」に大林監督版「時をかける少女」の彩りを加えてアニメ版「時をかける少女」テイストをまぶしてある。
 アニメは芳山和子の姪、真琴がヒロインだった。声を演じたのが仲里依紗。あのとき僕はこの女優を「ナカザト イサ」と呼んでいたのではなかったか。この映画では和子の娘を演じている。アニメ同様、オリジナルストーリー。
 面白いのはアニメもこの映画も和子のキャラクター(の原型)が、原田知世(が演じた高校生)をイメージして作られていること。島田淳子(浅野真弓)だったら、アカデミックな職業にはつかなかっただろう。専業主婦かもしれない。とても陽気な肝っ玉かあさんになっている気がするのだが。

 ヒロインが74年で出会う青年(中尾明慶)が8ミリ映画制作に夢中になっている大学生というのも、この映画に親近感を覚えるもうひとつの要因だ。中学時代、僕も8ミリ映画に夢中だった。74年といったら、あしかけ3年費やしたSF映画「明日を知る少年」が完成した年である。
 本当ならば、この時期大学生の自主映画は16ミリが主流だったと思う。8ミリが主流になるのは70年代後半。実際、大学生になったら16ミリ映画を作りたいと思っていたにもかかわらず、79年に入学したらそんな部(サークル)がなくて、結局8ミリ映画をやらざるをえなかったわけだから。本当なら77年、78年あたりを舞台にすれば、しっくりいくのだが、そこは映画のウソということで、制作スタッフも十分理解しているはずなのだ。映画の中で、大学生が愛用しているカメラ(フジカZC1000)は74年にはまだ発売されていなかったということでもそれはわかる。フジカZC1000…大学時代垂涎の的だったな。
 映画青年のアパートの部屋や暮らしぶりなんてまるで自分のそれとダブってしまう。
 共同のキッチンで身体を洗うのは「トキワ荘」エピソードからのイタダキ、か?

 クライマックスのエピソードも「タイム・トラベラー」から発想されたものだろう。和子が通う学校の教師が山形行きのバスの事故で視力を失ってしまう。何日か先にタイムトラベルしてその事実を知った和子は、戻ってきて深町一夫こと未来人ケンソゴルに直訴する。「何とかして先生を救いたいの」。ケンソゴルは沈痛な面持ちで「それはできない」。未来を変えることは許されない。それでも変えようとすると強力なタイムエネルギーの犠牲になってしまうのだ。
 そんなエピソードを和子の関係者に応用してしまうなんて! どうして? どうしてなんだ。大林監督版にしろアニメ版にしろ、初恋のあの胸キュンさがたまらない魅力なんじゃないか。この別れの涙は決して感動ではない。
 その後、8ミリの映像を観ながら、何だかよくわからないけれど涙がとどめもなく流れるヒロインの姿。このとき流した涙こそ感動なのだ。誰も共感してくれなくても、僕はそう断言したい。

 もうひとつ、現代を生きているお父さんは別の役者が演じて欲しかった。安田成美の高校時代がそうであるように。




2010/04/20

 「世界は俺が回している」(なかにし礼/角川書店)

 実在したTVプロデューサーを主人公に、昭和の音楽業界、芸能界を描く小説。この手の小説だと登場人物、団体名は仮名が普通なのに、ほとんど実名で登場する。

 主人公は、TBSプロデューサー・渡辺正文。主に音楽番組を手がけ、東京音楽祭は彼の功績だとか。そういえば、あったよね、東京音楽祭。最近、聞かないと思ったら、1991年、第20回で幕を閉じている。
 この小説で知ったのだが、東京音楽祭は世界歌謡祭に対抗する形で始まった。世界歌謡祭はヤマハ音楽振興会がフジテレビと組んで企画された。名前だけの世界音楽祭なので、本物を東京で開催しようと渡辺正文が社長に直訴して実現した。
 世界歌謡祭は上條恒彦+六文銭の「出発の歌」がグランプリを受賞したことで個人的には記憶がある。国内大会かもしれないが赤い鳥が「翼をください」で出場している。ずいぶんと後になって知るのだが。やはり20回で終了している。
 東京音楽祭にはそれほど、というかほとんど思い出がない。ただ、「サウンド・イン・S」という音楽番組とセットになっていたように思う。なんのことはない、この番組、プロデュースが渡辺正文。80年代半ばにショーケンがアンドレマルローバンドを率いて出演している。YouTubeにその映像がUPされている。全然知らなかった。

 閑話休題。
 渡辺正文は、独身主義者でこれはと思った女と次々と関係していく。新しい女ができてもそれまでの女と縁を切らない。それが不思議なところで、臨終のときには7人の愛人(と妹)がその死を見取った。TVプロデューサーと愛人たち。ということで、市川崑監督「黒い十人の女」とまったく正反対に位置するのか、とちょっと感慨。映画のプロデューサーは、その不誠実さに、愛人たちに命を狙われるのだから。
 ペドロ&カプリシャス「別れの朝」がヒットするまでの過程が興味深かった。大好きだったんだ、この歌。


2010/04/21

 「談志 最後の落語論」(立川談志/梧桐書院)

 最初の「現代落語論」も第二弾「あなたも落語家になれる」も持っている。25年前、落語協会分裂騒動直後に上梓された「あなたも落語家になれる」を読んで感じるものがあり、だったらと「現代落語論」も手に入れた。当時でも20年前の著書だった。ということは今から45年前か。僕が5歳のときじゃないか。


2010/04/26

 「東京島」(桐野夏生/新潮社)

 事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。
 この小説を知ったのは、新聞広告だった。桐野夏生の新刊として。太平洋の無人島に流れ着いた32人のうち、女は一人だけ。そんなキャッチコピーを目にして、さぞかし、ドロドロウジャウジャした人間関係が繰り広げられるだろうなと思った。よく、こんな設定が考えられるものだ、と。それも、さすが桐野夏生と唸ったのは、32人の中で、たった一人しか女性を存在させないこと。
 終戦間際に「アナタハン事件」なんてものがあったことなんて、これっぽっちも知らなかった。この事件、ほんとうに30人の男とたった一人の女が繰り広げる凄惨な事件だった。
 集団ロビンソンクルーソー物語は、嫌な奴ばかりが登場して辟易するが、次の展開に夢中になってしまう。キモはそのときの状況による人の気持ちの変化だろう。普通の小説ならヒロインに感情移入できるよう書かれるのだが、そこは桐野夏生。最後まで嫌な女だった。嫌な奴らだけれど、男の何人かは、気持ちがわかる。
 途中まで興味津々な物語だが、最後になって失速してしまう。ヒロインのその後が明かされるラストで「そんなバカな!」と叫んでしまった。そんなことありっこない、と。

 この夏、映画化作品が公開される。ヒロインは木村多江、窪塚洋介はワタナベだって。GM(ユタカ)ではないのか。どんな映画になるのか、ある意味興味深い。


2010/04/29

 「落語のこと少し」(矢野誠一/岩波書店)

 芸を藝と書く。芸には藝の意味はないと。まったく別の字だと。そう高島俊男に教えられた。ほかもすべて旧漢字で文章を綴る。著者の意地を感じる。そのポリシーに拍手。そういえば、この本の活字、「お言葉ですよ」と同じタイプのものではないか。




 今日は映画サービスデーなので、MOVIXさいたまで「第9地区」を観ようと思っていた。17時半過ぎに寄ったら、何と夜はレイトショーしかない。結局有楽町まで出た。
 久しぶりの丸の内ピカデリー。大満足!

          * * *

2010/04/05

 「アルキメデスは手を汚さない」(小峰元/講談社文庫)

 このミステリが江戸川乱歩賞を受賞したのが1973年。僕が中学2年のときだったのか。ベストセラーになったのを昨日のことのように覚えている。和田誠によるタイトル文字とイラストはこの作者のミステリ(シリーズ)の顔だったような。書店に行けば必ず目にした。
 リアルタイムから知っているのに、これまで一度も読んだことがなかった。表紙からユーモアミステリというイメージを持ち敬遠していたのだろうか。高校時代は松本清張ばかり読んでいたので。
 古書店で文庫を見つけたので手に取った。
 読んで初めてこんなストーリーだったのか!と驚いた。ユーモアミステリではなく青春ミステリ。女子高生の死の謎を追うものばかりだと思ったいると、同級生家族に関わるまったく別の殺人事件の話になっていく。起承転結ではなく、起転承結といった構成なのだ。
 時刻表を使ったアリバイ崩しは「点と線」、些細な新聞記事によってアリバイが崩れるところは「砂の器」。トリックに(当時としても)目新しさはない。主人公の高校生グループを連合赤軍とダブらせているところが70年代初期の作品らしい。メンバーの一人、延命美由紀なんて永田洋子に思えてならなかった。高校生たちの思考の青さ、硬さも時代を考慮すれば理解できる。「青春の蹉跌」の主人公や「青春の墓標」の著者の考えに通じるものがある。
 タイトルがそのままテーマになっていることに瞠目。テーマだけは古臭くない。

 高校時代に読んでいれば、柳生や内藤に共感できたのだろうか?


2010/04/07

 「ワイドショーに弁護士が出演する理由」(小池振一郎/平凡社新書)

 いつのころからかワイドショーにコメンテーターという存在が欠かせないものになり、弁護士がその役割を果たすことが多い。どういう経緯、経路で弁護士が出演するのだろうと疑問に思っていたので、図書館で本書を見つけすぐ手に取った。経緯についてはプロデューサーの知り合いということで声をかけられるようだ。TV番組に出演することで本業が繁昌するのか否か、そこのところには触れていなかった。


2010/04/09

 「〔聞書き〕寄席末広亭 【席主北村銀太郎述】」(冨田均/平凡社ライブラリー)

 落語協会分裂騒動についての見解を知りたかった。なぜ三遊協会の設立が当初の計画どおりにいかなかったのか? すべては三遊亭円生の性格にあったと、末広亭席主は語る。得心した。

 
2010/04/14

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫/中公文庫)

 これまた1970年代のベストセラー。書店に行けば必ずに目にした。「アルキメデスは手を汚さない」と一緒に古書店で買い求めた。別に意識したわけではないが、どちらも学生運動が影を落としているのはやはり時代だろうか。

 小説は初めてだが、映画は観ている。小学5年か6年のとき、学校の体育館で上映されたのだ。この映画、学校で見せる内容か? それも小学生に。って、ストーリーなんて全然覚えていないのだが。ただ、僕にとっては薫くん=岡田裕介である。
 大学紛争の余波で入試が中止となり、東大受験が叶わなくなった日比谷高校3年生の日常生活。たわいもないといったらそれまでだけれど、タイトルの意味がわかるラストでけっこうキュンとなる。

 文体は、何かと「ライ麦畑でつかまえて」との比較して語られる。サリンジャーを読んだことがないので何とも言えないが、今だと別にどうというものではない。当時は( )の使用とか斬新だったのだろう。

 薫くんシリーズは以降「白鳥の歌なんて聞こえない」「さよなら怪傑黒頭巾」「僕の大好きな青髭」と続く四部作になる。中学生から高校生にかけて、「白鳥の歌なんて聞こえない」のタイトルが気になってしかたなかった。白鳥の歌って何だよ! 英語の「SWAN SONG」が日本語の辞世の句を意味すると知ったのはいつだったか。


 この項続く




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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