2010/06/17

 「告白」(MOVIX川口)

 承前

 映画を観るまで、女教師(松たか子)がクラスの中から犯人を見つけだす話だと思っていた。開巻早々もう犯人探しの核心に迫る展開で驚いた。3学期最後の日。自分が受け持つクラスの生徒たちを相手に淡々と事件の詳細を語る松たか子。先生の話を聞いているのかいないのか、勝手気ままに、都合のいいときだけ耳をそばだてる生徒たちの表情が自然だ。バックに流れるギターも耳を捉える。

 限定された空間(教室)を舞台に、一定の時間内に女教師のモノローグで進行する推理劇なのか? 映画にしては前衛的な作りだなと思ったら、女教師は犯人が誰であるかを告げて、あっけなく退場してしまう。二人にある仕掛けをして。
 続いて同じクラスの女生徒のモノローグでその後のクラスの様子が描写される。一人は〈仕掛けが〉原因で不登校に、もう一人はクラスでイジメの対象になって……。しばらくすると後任の熱血教師(岡田将生)のモノローグが始まり――。

 ああ、そうか、タイトルの「告白」とはそういう意味なのか!
 
 教え子のマザコン生徒二人に愛娘を殺された女教師の復讐劇。
 内容を要約するとそうなるのだが、これを関係者それぞれの視線で描いていく。愛娘を殺された母親・担任教師の、犯人の一人、不登校・ひきこもり少年の母親の、もう一人の犯人・発明の天才少年の、二人のクラスメートの少女の、3人の担任になった熱血教師の……。
 

 【以下、ネタバレ】

 犯人の少年二人がマザコンというところがキモではないか。
 女教師の復讐は、結果的に、少年たちにとって一番大事な人を自分の手で葬らせたのだから。
 救いのないラストだが、後味は悪くなかった。クライマックスである種の浄化作用があるからだ。

 女教師の真の目的は、少年Bのネット上の告白に隠された〈ええかっこしい〉を白日の下にさらすこと。そう思えてならない。
 あんた、何かっこつけてんのよ、単なるマザコンの、マザコンゆえに母親の今の姿を受け入れられない、この意気地なしが。「ママ~!」と叫びながら母親の胸に飛び込んでいけばいいじゃない。でも、できないんでしょ。単に勇気がないだけなのに、自分に都合の良いように言い繕っちゃって、自分を悲劇の犯罪者に仕立てあげて死んでいくっていうの。関係ない級友たちを巻き添えにして。誰が死なせるものか! 
 真実を暴露したことで少年Bのプライドをズタズタにするわけだ。これで溜飲が下がる。

 それから、女教師の最後の言葉「なーんてね」。これは少年Bの口癖なのだが、この言葉が女教師が携帯電話で少年Bにあの惨劇を伝えたあとにくることで、惨劇そのものが、女教師の嘘じゃないかと思えてくる。もしかしたら女教師の虚言、フェイク? 
 なーんてね。


 映画のあとに原作を読んだ。
 クライマックスの、少年Bの嘘を暴くエピソードも、ラストの「なーんてね」もなかった。そもそも少年Bに「なーんてね」なんて口癖はない。
 中島監督の脚色力、原作(の面白さ)+α(映画オリジナル)の魅力は、この映画でも発揮されているのだった。
 テーマとエンタテインメントがほどよく調和しているところも特筆できる。

 挿入される洋楽を聴いているだけでも価値がある、と思う。
 熱血教師の告白編だったか、しょっぱなが一瞬ミュージカル風の演出になって思わずリズムをとってしまった。




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2010/06/17

 「告白」(MOVIX川口)

 映画「下妻物語」はそれほど興味がなかったのだが、友人に誘われて劇場に足を運び深い感銘を受けた。度肝抜くカラフルハイテンション映像、大胆な構成、斬新な語り口。しかし、そうした装飾物を取りのぞいてみれば、昔ながらの〈友情と青春の物語〉が浮かび上がってくる。
 あわてて原作を買い求めて読んでみた。映画は、大きく脚色はされてはいるものの、原作ファンを裏切らない作品になっていることに注目した。原作のテーマはきちんと踏襲されている。踏襲した上でオリジナルエピソードを挿入し、大笑いさせながら最後には胸を熱くさせてくれる展開。

 続く「嫌われ松子の一生」では映画を観る前に原作を当たってみた。ちょっと冒険を試みたのだ。
 驚いた。「下妻物語」同様のカラフルハイテンション映像+ミュージカル仕立てというから、コメディっぽい内容を予想していた。これがまったく逆。小説は、団塊世代の女性の不器用な生き方を綴ったミステリタッチのストーリーだった。
 読了してすぐに映画を観た。
 シリアスな物語をミュージカル仕立てのコメディというまったく逆のアプローチで映画化しているところがすごい。にもかかわらず、ラストでは原作同様の想いに捉われて目頭が熱くなるのだから恐れ入った。もう目から鱗。
 ミュージカルのシーンは、ミュージカルでないと見ていられない。原作どおりに映像化したら落ち込むこと必須。ミュージカルにする意味があり、なおかつそのシーン(音楽&ダンス)にノレるってことが肝腎要のキモである。

 中島哲也監督の映画に共通するのは、いかにも人工的で加工過剰な映像である。この映像に拒否反応を起こす人が多い。
 わからなくはない。僕だって「下妻物語」の予告編を観たときに同じ感想だった。
 「下妻」は認めるが「松子」は受け入れられないという人もいる。僕には〈脚色とは何か?〉を教えてくれる格好なテキストだと思えるのだが。選曲を含めて音楽の使い方が抜群にうまい。
 過剰気味な総天然色映像だからこそ作品世界に没頭できたともいえる。決してやりすぎとは思えなかった。

 とはいえ、「パコと魔法の絵本」はまるで受けつけなかった。中島監督のことだから観れば何かしら得るものがある。としても、懐具合と精神状態の問題で封切時パスしてしてしまった。DVDになってもレンタルしようとする気がおきなかった。自分でも理由がわからない。強いて要因を探れば、内容とタッチに前二作ほどのミスマッチが感じられなかったことだろうか。当たり前過ぎるのだ。主演の役所広司にゲップがでたことも。

 映画「告白」の広告を見たとき、ある種の衝撃を受けた。「告白」というミステリ小説はタイトルだけ知っていた。週刊文春年末のミステリベストテンで目にしている。ミステリの映画化なんて今は珍しくもなんともない。
 では何の衝撃かといえば、監督が中島哲也だったことにである。それもヴィジュアルやコピーから中島監督がごくごく普通に撮っていることが伺われて。

 どんな映画なのだろうか?

 
 この項続く




 「ある愛の詩」という映画や、音楽を担当したフランシス・レイを知ったのは小学6年生だったと思う。5年の担任だったN先生の自宅に友人たちと遊びに行ったときにレコードを聞かせてもらったのだ。それからまず音楽から「白い恋人たち」や「男と女」に親しんでいく。

 「白い恋人たち」はTVで観たと思う。タイトルがいいなと思った。原題は「グルノーブルの13日」。邦題がイカしていたわけだ。
 「男と女」は映画館だったか。カラーとモノクロが入り混じる映像に魅了された。現代がカラー、過去がモノクロ、という区分けではなく、監督の感覚で入れ替わるところが。
 中学時代に撮った「明日を知る少年」のクライマックス、主人公が走り、少し過去の友人たちの戯れがモノクロで挿入されるシーンは、「太陽にほえろ!」+「男と女」+「帰ってきたウルトラマン 許されざるいのち」に影響されている。
 
 「ある愛の詩」が地元の映画館にやってきた。喜び勇んで足を運んだ。
 ところが、館内に野球部の連中がいっぱい。嫌な予感がした。
 案の定……。

 ほんとに怒り心頭だった。途中で諦めた。大バカ野郎たちの中にサッカー部のUちゃんがいた。映画好きで話があった。ラストシーンは一緒に観ていた。
「愛とは決して後悔しないこと」
 名文句のあと、音楽が流れてスタッフ・キャストのクレジット。
 普通なら目頭熱くするはずなのに、Uちゃんとロールを声だして読んでいた。
 “DICK”でハモった。
「ディック……ミネ」
 二人で大笑い。一番ひんしゅくを買ったのは僕(たち)だったのかもしれない。

 「フレンズ」の本を読んだときの感想。
 この前の「続・フレンズ」のときといい、オレはいったい何を書いているのか。
 あまりに恥ずかしいので、公開するっきゃない?


    ◇
 1973年7月27日

 映画「ある愛の詩」と「風と共に去りぬ」を観てきた。映画館の中に入ったら、どうしたことか北中(太田市立北中学校)の連中がみんな来ている。そこれまではよかったが時間が経つにつれてみな飽きてしまったらしく怒鳴ったり騒いだりしていた。迷惑するのはこっちだ。悲しいシーンで変な声をだすから笑いたくなって、(我慢したら)吹きだしてしまった。
 感動する映画だったのが全然感動しなかった。「ある愛の詩」は音楽がよかった。何度聞いていも心にジーンとくる。フランシス・レイさんバンザイ! 何となくよかったような気がする。
 「風と共に去りぬ」は上映時間が4時間という長さ。全部観てこられなかったが意味はわかった。よく人が死ぬなと思った。
    ◇

    ◇
 8月1日

 あの映画「フレンズ」の文庫本があったので買ってきた。夜、いっきょに読んだ。映画を観たときより感激しなかったが、またあの何ともいえない気持ちになった。ミシェルやポールが思いっきり本の中で動きまわっている。
 ああ! 素晴らしいことだ。ポールとミシェル、いっしょにいてくれ。
    ◇




2010/06/22

 「アイアンマン2」(MOVIX川口)

 地元シネコンで「アイアンマン2」を観る。
 地元のレイトショーはポイントは貯まるし、歩いて帰れるから電車の時間を心配しなくていい。客も少ないからいい席がとれ、なおかつ落ち着いて観られる。もういいことずくめなのである。

 川口駅で降りて、夕食(生ビール+つまみ、肉野菜炒め定食)をとってからMOVIX川口へ向かう。途中ブックオフを覘く。いつものコースだ。
 文庫の「告白」を発見。あわてて購入。映画を観たあと、図書館で単行本を借りるか、書店で文庫を買ってしまうかと思案していたところ。早く読みたかったので、明日にでも文庫買おうとしていたので、その文庫が中古書店にあったので思わず「ラッキー!」。

 さて、「アイアンマン2」。
 アメコミの映画化は興味ない(「Xメン」を除く)なんて言いながら、ホテルの有料放送か何かで観た「アイアンマン」がけっこう面白かった。あとでDVD借りようなんて思いながら、まだ果たしていないうちに「2」が公開された。
 「アイアンマン」はもろ日本の特撮ヒーローものの亜種って感じ。だから親しみを覚えるのだろう。まあデザインがアメリカ的だけど。等身大の「スペクトルマン」と思えなくないかも。

 とにかく、アイアンマンの造形・質感(いかにも鋼鉄!)からはじまって、変身シーン(かっちょええ!)、バトルシーン(重量感たっぷりのド迫力!)、飛行シーン(疾走感に胸躍る!)……その本格的な描写力に惚れ惚れしてしまった。
 ああ、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」の映画化作品で、こんなヴィジュアルが観られたら! 「キカイダー」とか「ロボット刑事」とかを本格的に映画化するなら…… そんなことばかり考えていた。投入する製作費の額が違いすぎるか。
 ただ、アイアンマンが上昇するショット、あれは絶対平成ガメラだ。

 特撮以外の見所は、人間臭い敵役(ロシア人)を演じたミッキー・ロークとアクション女優としてのスカーレット・ヨハンソンだろう。

 ヒロインのグウィネス・パルトローに比べたらヨハンソンは何倍もいい。まあ、個人的な好みではあるが。特に黒装束のアクション! グウィネス・パルトローってどこかで見たなと思ったら、「恋におちたシェークスピア」のヒロインだった。
 夕景のレビューにこうある。
    ◇
 シェイクスピアとヴァイオラが最初の出会いですぐ恋に落ちてしまうところなんて、(まあ、僕自身の好みなのだろうが)それぞれ役者の器量からすると、本当にそうなるかどうかあやしいのだが、映画「ロミオとジュリエット」のオリビアやレナードのマスクなら当然だと納得がいく。最初にスクリーンの中でオリビア扮するジュリエットに出会った時の心のときめきは今でも忘れられない。
    ◇
 やはり好みじゃなかったのだ。

 楊枝をくわえながらロシア語、ロシア語訛りの英語をしゃべるミッキー・ロークのふてぶてしさが魅力の映画でもある。大惨事になっているカーレース場で仁王立ちになったショットがとてつもなくイカしている。昔の優男時代の面影がまったくない。「レスラー」を見逃したことを後悔している。

 特撮とロック(ヒップホップ)の相性がいい。
 それはフジテレビで放映された「鉄甲機ミカヅキ」でわかったことだが。その前に「ウルトラマンガイア」でもやっている。ただし、「ガイア」の場合、ロックと言いながら流れたのはロックではなかった。期待が大きかっただけに、特撮のヴィジュアルを含めてかなり失望させられた。

 パラマウント映画、冒頭のクレジットから親会社が変わったことを知った。
 関係ないけど、東宝マークの「東宝」のフォントも。




 先週の日本テレビ「金曜ロードショー」は「デジャヴ」だった。
 デンゼル・ワシントン主演、トニー・スコット監督の、というより、ジェリー・ブラッカイマー製作の、〈時間〉を題材にしたサスペンス映画。
 
 この映画、劇場で何度か予告編を観た。けっこう映画アンテナが反応したのだが、結局足を運ぶことがなかった。DVDになっても借りようともしなかった。
 TV放映でやっと観た次第なのだが、その面白さに「なぜ劇場で押さえなかったのか!」と後悔しきり。
 タイトルを「デジャヴ」にし、タイムリープものとして映画を宣伝しなかったのは、戦略として賢い。拍手喝采したい。

 冒頭、無残な焼死体で登場する女性がかなりの美形だ。扮するはポーラ・パットン。東のハル・ベリー、西のポーラ・パットン、なんてね。こんな美人が端役か、と思ったら大間違いだった。
 映画が進行するにつれてラストのオチがわかった。案の定、過去監視システムはタイムマシンの一種であることがわかり、4日半前に戻ったデンゼル・ワシントンはフェリー爆破の阻止はもちろんのこと、ポーラー・パットンをも救おうと大活躍することになる。監視範囲外の空間でのゴーグル付ヘルメット(?)を使ったカーチェイスの緊迫感と迫力。普通ならあの事故で何人かは死んでいるはずだが。

 パソコンでブログを書きながら観ていたので、いくつか見落としたところがある。
 翌日DVDを借りてきた。

 なるほど、そういうことか。
 タイムリープの連鎖反応……。
 デンゼル・ワシントンはすでに一度(?)は過去へタイムリープしている。研究所の所員がそのことを知っているそぶりだった。が、途中で失敗。デンゼルは死んだ。話のつじつまがどうなっているのかよくわからないがそういうことだろう。
 研究所の所員だけではない、犯人のテロリストも知っている。あれだけの殺戮を犯しているにもかかわらず、「警察は自分を告訴できない」と自信満々に語っているところをみると、違法捜査であることを認識しているからに違いない。
 ラスト、ポーラからすべてを知らされたデンゼルはもう一度タイムリープするのではないか? 友人の捜査官を救うために。

 TV放映ではカットされてしまったタイトルロールの主題歌が気に入った。

 翌日公開の「ザ・ウォーカー」に併せたTV放映である。新作映画の宣伝。そういう観点で観ると、デンゼル・ワシントン主演の映画は面白いと判断できる。「デジャブ」はそう判断したからこそ主演オファーを受けたのだろうと。
 ということは「ザ・ウォーカー」も大いに期待できるか?


 17日(木)は地元シネコンで「告白」を鑑賞。中島哲也監督は今一番信用がおけるかも。脚色が巧い。原作は読んでいないがたぶん原作ファンを裏切っていないと思う。原作の核の部分をすくうのが絶妙なのだ。原作の評を読むと読後感が悪いとか。映画の後味は悪くない。クライマックスである種納得させられるからだと思う。〈癒〉といってもいいかもしれない。
 音楽が良い! 「トレイン・スポッティング」が好きな人は耳をそばだてるのではないか? サントラ絶対買いだ。
 観る気がしなかった「パコと魔法の絵本」、今度DVDを借りてこよう。
 



 TOKYO MX毎週日曜夕方(18時30分~19時)お楽しみの「ウルトラマンA」が本日で終了した。
 お楽しみ、と書いたけれど、実をいうと後半は「最後まで観る」と宣言した手前引くに引けなくなったのだ。
 「ウルトラマンA」のウルトラマンAらしさは、男女の合体変身にあった。南隊員が降板してから北斗隊員の一人変身になって、番組に何の魅力もなくなった。

 わりと早い段階で超獣のデザインや造形がとんでもないものになった。シリーズを通して登場する敵、異次元人ヤプールも途中で全滅してしまった。ヤプールがいなくなれば超獣の存在も意味がないのに。まあ、超獣だからデザインや造形がまずくなったわけではない。怪獣だったとしても同じこと。「帰ってきたウルトラマン」の後半もデザイン、造形は悲しい出来だったではないか。

 ウルトラマンA自体、ウルトラ兄弟の中で一番の醜男だ。デザインの悪さ、スタイルの悪さ。あの胴長短足はいただけない。シリーズ後半になるとスーツも傷が目立ち、ヨレヨレになっているのがわかる。

 しかし、一番のひどさはドラマ(ストーリー)だろう。後半になるにしたがって「ウルトラマンA」として語るべき要素がなくなっていた。TACの描き方なんてもうワンパターンの極致。北斗はいつも疎外される。遂行される作戦の意味のなさ。隊長は本当に考えがあって指示を出しているのだろうか? とにかく防衛隊としての体をなしていなかった。超獣が出現すると、もう闇雲に出撃して、メカがやられると「脱出!」。いったい何機のメカが犠牲になったことか。これではいくら予算があっても足りやしない。よく問題にならなかったものだ。今だったら、ぜったい仕分けの対象になるだろう。

 ドラマ的には袋小路に入ってしまった感があるが、シリーズを通して特撮はかなりの出来だったと思う。ミニチュアセットの作りこみとかメカの飛行シーンとか、見ていて飽きなかった。飛行シーンに関しては「ウルトラマンA」以前、以後という区分けができる。光線技等、光学撮影も一段と磨きがかかった。

 次週からは「ファイヤーマン」が始まる。
 円谷プロ創立10周年記念として日本テレビで放映された番組で、僕は一度も目にしたことがない。「ウルトラマンタロウ」(これも10周年記念だったような)だったら観るつもりはなかったが、「ファイヤーマン」ならつきあう価値はありそうだ。まだまだ日曜18時30分にTVの前から離れられそうにない。




 「小さな恋のメロディ」と「ロミオとジュリエット」にはなくて、「フレンズ」にあるもの。
 それは続編です。

 「フレンズ」のラストはその後ふたりがどうなるのか、観客に判断を委ねるものだった。
 執拗な追跡を逃れて親子3人はこのまま穏やかな生活を送れるのか、それともあっけなく追っ手に捕まりふたりの仲は裂かれてしまうのか。
 当然、予想できるのは後者であるが、僕は前者であることを願った。

 「フレンズ」は映画を観たあと、ハヤカワ文庫からノベライズが刊行されているのを知りあわてて買い求めた。当時はビデオやDVDなんてものはないから、サントラで主題歌を聴き、活字でストーリーを追って、映画の世界に浸るしかなかった。今もサントラ(CD)やノベライズ本はあるが、聴いたり読んだりする意味合いが当時と違っていると思う。
 「続・フレンズ」のノベライズは公開前に単行本が出版されている。書店で見つけ、その場で購入している。

 ルイス・ギルバート監督はこの続編についてこう語っていた。
「前作がヒットしたから続編を撮ったわけではないよ」 
 記憶は定かではないが、若いふたりのその後を描くのは必然、というような発言をしていたような気がする。
 前作が、俗世間から逃避行した若いふたりの夢物語だとすると、続編はふたりが直面する現実を描いている。


    ◇    
 1974年3月1日

 (略)
 この春映画「続・フレンズ」がやってくる。ぜったいに観るぞ~! ポールとミシェルの成長した姿がみたい。彼らの愛が見たい。ああ早く来ないかなあ。待ち遠しい。
    ◇ 
   
    ◇
 4月8日

 (略)
 日曜日に「続・フレンズ」の本を買ってきた。映画が観たいが待ちきれなかった。
 読み終える。
 ポールとミシェルの愛は今なお輝いているが、二人の生活はもう夢のようなそれではなくなり現実と世の中という二つの壁に押しつぶされようとしていた。
 しかし、ぼくは二人にあこがれている。
    ◇

    ◇
 8月19日

 映画を観てくる。
 「空手アマゾネス」「パピヨン」「続・フレンズ」

 「続・フレンズ」
 そう、あの「フレンズ」の続編。前作ほどの感動はなかったにしろ、やっぱりポールとミシェルはいいよ。子どもも3歳になっていてふたりとも見違えるほど成長した。映画のところどころに回想で前作のシーンが挿入されていたが、それを見るとこれがふたり? と疑いたくなってしまうほど今のふたりは大きい。

 「パピヨン」
 これもいいな。音楽が実に素晴らしい。ダスティン・ホフマンも実にうまい。2年の独房から出てきたのをそっと抱きかかえるとこなんて役者だな~。
    ◇

    ◇
 11月23日

 映画を観てくる。
 「ロミオ&ジュリエット」「小さな恋のメロディ」
 そして「続・フレンズ」
 あの感動が忘れられずまた観てきた。
 ものすごく混んでいたがそれでもよかった。

 「小さな恋のメロディ」
 トレーシー・ハイドのかわいい笑顔、マーク・レスターもよかった。ジャック・ワイルドは役者だ。

 「続・フレンズ」
 夏に観てきたばかりだ。ポール&ミシェル、君たちの愛は決して崩れさることはない。
 アニセアルビナ 美しい ショーン・バリー たくましい。

 「ロミオ&ジュリエット」
 オリビア・ハッセーはなんてかわいくてきれいなんだ! レナードホワイティングも……
 また興奮してきてしまった。

 皆、きれいな画面で素敵な音楽で。
 言うことありません!
    ◇




2010/06/15

 「談四楼独演会 第170回」(北澤八幡神社 参集殿)

 立川らく兵「狸札」
 泉水亭錦魚「うなぎ屋」
 立川キウイ「反対俥」
 立川談四楼「三年目」

 〈仲入り〉

 さこみちよ 三味線小唄
 立川談四楼「もう半分」

 らく兵さん、絶句なし。口調に磨きがかかったような?
 錦魚さん、急遽家元にお供することになった前座さんの代演だとか。いつもは前座3人が、本日は二つ目が2人も登場することになるのか。

 キウイさんは、漫談「真打への道」(最新秘話、家元の「落語を演るな!」に大笑い)のあと噂(?)の「反対俥」。お客さんとの一体感を得られるまで、何度ドラム缶を飛んだことか。すぐ目の前ですからね、ホント、高座が壊れるんじゃないかとドキドキしていた。

 前座時代はこの独演会のレギュラーみたいな存在だったのに、二つ目になってから見る(聴く)がなくなった。このまえの国立演芸場は4年ぶりだったのか。次は28日の「ふたいサロン」。ゲストがキウイさんで、真打内定をお祝いしようという趣旨。

 主催のFさんに確認した。「当日は落語やるんですか?」
 Fさんは軽くうなずいた。「やらせてくれって言うからさ。やんなくてもいいのに」
 七夕の落語会のチケットも入手。最近果実づいている。
 ところでキウイさん、いつもの3番バッターより倍の持ち時間だった。ということで師匠の登場時間が以前の19時になったのだ。

 ゲストはさこみちよさん。何をやるのかと思ったら、三味線小唄。けっこういける。何も知らなければその道のプロと勘違いしてしまうかも。大沢悠里とのコンビは四半世紀(以上?)になるという。自慢ではないが、最初の年から聴いていた。毎日ではないが。当たり前だ。たぶん仕事でクルマを運転しているときではなかったか。いやもう呼吸ぴったり。当初は何者なのか何も知らなかった。たぶん何かの写真で実物を知ったわけだが、イメージのギャップに戸惑った。ラジオの中もっとふくよかな女性を思い描いていたのだ。

 立川ぜん馬師匠の奥さんであることを知ったのは数年前(だったか?)。談四楼師匠とぜん馬師匠の二人が司会した某演歌フェスティバルの会場でおかみさんに教えてもらって「そーなんですか!」。驚いたあと噺家の女房がぴったりだなと得心したものだ。
 月曜日から木曜日までの大沢さんの相手役は変わっても、さこさん一人はずっとそのまま。これってギネスものではないか。今まったくというほどラジオを聴く機会がないが、聴けば二人のやりとりにうっとりできることは間違いない。
 さこさんの漫談&小唄を聴きながら、日暮里や広小路の立川流落語会(寄席)の色物としてやっていけるのにと思った。二席目の高座で師匠も言っていた。にもかかわらずなぜ出演しない? 
 ギャラの問題か……

 師匠は怪談噺を二席。女心がほほえましい映画「居酒屋ゆうれい」の元ネタ「三年目」と後味の悪さは天下一品「もう半分」。

 打ち上げの席で師匠は今回が記念すべき170回であることに触れ、「200回までは続けます」と宣言した。
 



 昨日、「池田駿介死去」を耳にした。ネット情報ということで誤報じゃないかと信用してなかったのだが、今朝の新聞の訃報欄で本当だったことを知る。
 胃がん。享年69。団塊の世代より上だったのか。一般的には「キカイダー01」のイチロー役なのだろうが、僕には「帰ってきたウルトラマン」MATの南隊員の印象が強い。あるいは「緊急指令10-4・10-10」の隊員とか。話のわかる、頼れる兄貴って感じだった。

 合掌
 
                             *

2010/05/13

 「New Cinema Dog 30周年記念上映会」(高田馬場ババチョップ)

 高田馬場のババチョップ・シアターで開催された「New Cinema Dog 30周年記念上映会」に足を運ぶ。
 入場料100円というのはあくまでも形だけ。余興の「じゃんけん大会」でこの入場料がお客さんに還元される。司会者とのじゃんけんで最後まで勝ち残った者が全額もらえるのである。
 懐かしいなあ、昔、景気がまだ良かった時代に会社の忘年会等でよくやったものだ。参加者が多いから○万の世界、そのゲームのときだけ皆目の色変えていた。昔も昨日も一回戦であっけなく敗退したけれど。じゃんけんは弱いのだ。

 まあ、それはともかく。
 上映作品は次の3本。

 「カチンコ」(脚本・監督:吉本昌弘 45分)
 「マオン」 (脚本・監督:吉本昌弘 15分)
 「どめくら」(脚本:吉本昌弘 監督:高橋亨 45分)

 「マオン」は、数年前の「B-SHOT PICTURES’怪奇劇場」向けに制作されたショートムービー。これは上映会で一度観ている。全編モノクロ、音楽なしの映像はかなり見ごたえがある。怖い。オチをすっかり忘れていて、そういう意味では最後まで楽しめた。主演(高橋健一)の声がいい。

 トリの「どめくら」は5年前の作品。シネマドック25周年記念映画でなかZERO小ホール(といってもキャパは500)を満杯にした快挙は忘れられない。
 「まぐま」のインディーズ映画特集第二弾として、吉本さんと高橋さんの対談を企画して、「どめくら」撮影現場に取材し、撮影後ファミレスで対談してもらった。撮影が予定時間を過ぎてもなかなか終了せず、結局対談(インタビュー)が終わったら終電がなくなって、カメラ&構成のK氏とともに近くのカラオケ店で朝まですごしたんだっけ。
 なかのZEROでの上映会で「まぐま」を販売したら、けっこう売れたかもしれない。時間的、時期的に、無理だったのだが。
 映画の感想は5年前と変わらない。  

 「カチンコ」のみ初めての鑑賞だった。
 いわゆる自主映画賛歌というのだろうか。インディーズ映画と言われるたびに「自主映画」と訂正する主人公がかわいい。でもその一途さにある種のテレが生じて仕方なかった。若さだよなぁ。まあいろいろとツッコミできる映画ではある。
 吉本監督が挨拶のときに音楽(岩瀬厚一郎)が見所と言っていた。確かに思わず耳を捉われた曲があった。ギターの音色が実に70年代っぽくて。 
 岩瀬厚一郎の名前にピンとくる人はいないだろうか? 昨年の6月テレビ朝日創立50周年記念ドラマ「刑事一代」に登場する主要人物の一人だった。吉本さんが脚本を担当していた。本物は(ニュー)シネマドッグの役者部に所属する吉本さんの古くからのご友人。バンド活動もやっているみたい。おかまから殺人犯までもう何の役もお手のものだ。
 先々週の「臨場」(第8話)も吉本さんが書いていた。最後に流れるクレジットでわかった。吉本さんの場合、ドラマの登場人物(の一人)に関係者の名前を使うので、今回は誰だったのだろうとサイトを調べてみると「岩瀬」の名前が……。岩瀬さん八面六臂のご活躍!

 ところで「臨場」は、第2シリーズになってから、オリジナル路線に向けて、何かと定番化を図っている。もともと事件の概要、トリック以外はかなり原作と違っていたし、そもそも主人公・倉石のキャラクターが原作とかけ離れたものだのだが。
 たとえば、倉石の「オレの見立てとは違うなあ」の台詞、あるいは容疑者等に対する一見突飛な行動をとっての証拠調べ。第8話も真犯人の握力がとても強いことを知った倉石が、これはと思った人物に脅かすような形で自分の腕を握らせている。主題歌も導入された。第2シーズンはすべてオリジナルと思っていたら、単行本未収録の短編があるのだ。この前書店で見つけた文庫「臨場 スペシャルブック」(光文社文庫)で知った。原作つきとオリジナルで第2シーズンは成り立っている。
 来年の第3シリーズは全話オリジナルになるのだろうか。「相棒」より目が離せなくなりそうだ。

 何の話だっけ?
 そうそう、中編がどちらも45分というところに注目した。民放で放送される1時間ドラマの実質はこんなものではないか。やはり1時間ドラマを書く感覚でシナリオを書いているのでしょうか、吉本さん。




 死ぬかと思った。
 いや、本当、「めちゃ×2イケてる!」の芸人歌ヘタ王座決定戦。
 ずん飯尾の「 WON'T BE WRONG」。胃が痙攣して息ができなくなった。
 光浦靖子の「ウエディングベル」。本人と同じく涙が一筋流れました。
 きれいだったし、歌もいつもよりよっぽどうまかった。
 
          * * *

 承前

 「'80のバラッド」は、かつてCDで復刻されたものの、今では廃盤になっているのである。まあそれは仕方ない。中古市場にまったく出回っていないのはどうしてだろう。出てるとしてもとんでもなく値段が高いのだ。小林信彦の「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」のようだ。あるいはCDボックスなら手に入る。過去のアルバムすべてがセットになったもの。中古にしてもボックスセットにしても高い金を出してまで欲しくはない。
 次の手段は友人、知人。何人かに確認したが誰も持っていないし、心当たりもないという。

 こう書くと素朴な疑問を感じる人もいるだろう。
「大学時代にアルバムを聞かせた友人はどうしたの?」
 いや、あの~。彼、小学校、中学、高校、大学と一緒の親友だったんですけどね、結婚してからまったく交流がなくなって。新居建てたら、年賀状に「お近くに来たときにはお寄りください」と書かないか? 嘘でもいいから!
 お願いしたくなかったんですよ、わかってください、大人の事情を。

 そんなときにまったく予期していないところから天使の声が聞こえてきた。
 紙ふうせんFCの会員、Kさんだった。確かに、同世代だし、永遠のギター小僧2号だし、灯台もと暗し?
 レコードなら持っているとのメールをもらったのだ。

 「はなしと噺の会」のお客さんで来てくれたKさんが小脇に抱えて「'80のバラッド」のアルバムを持ってきた。
 うれしかったなあ。初恋の人と30年ぶりに会った感じ?
 会もうまくいって、その晩は神田の居酒屋で語り合いましたね、赤い鳥と紙ふうせん!!

 休みになって、川口商店街に走った。レコードをCDにしてくれる店があるのだ。
 翌日、聴いた。

 「'80のバラッド」

 1. 翼なき野郎ども
 2. 海をにぎりしめる少年
 3. デトロイト・ポーカー
 4. 裸の町
 5. レイコ
 6. 遠い生活(くらし)
 7. エイジ
 8. 波止場たちへ
 9. 流れゆく君へ

 プロデュースは加藤和彦(アレンジも)。「遠い生活」のみ作詞(作曲は加藤和彦)、他はすべて泉谷しげるの作詞、作曲。エイジとレイコの物語が基本になっている。よって「デトロイト・ポーカー」にもエイジの呼びかけが出てくる。
 このあたりから泉谷しげるはロックに傾注するのだが、このアルバムだけを聴いていると、フォークとの違いがわからない。アレンジとか歌唱法で区別するのかな? 精神世界では以前と何も変わっていないもの。

 やっと聴くことができた「エイジ」。 
 やはりテーマとリンクしている。
 映画「今は偽りの季節」はもともと高校時代シナリオの中で自分を殺そうと思って書いたストーリーを発展させたものだ。最初は主人公が死ぬだけでよかった。しかし、撮影中に気持ちが変わった。
「死は絶対だもの、そんなラストなんて意味がない」
 そこで最後の最後で生き返らすことにした。やはり映画には希望が必要なのだから。
 前夜血だらけで死んだ主人公。フェードアウトして、数秒真っ暗。
 フェードインで早朝。ロング俯瞰で主人公。しばらくそのまま、ふっと主人公が起きだした。背伸びして画面上に消えていく。
 そこに「エイジ」がイン


 映画だったらぜったいそうだ。
 でもミュージッククリップだと、アルバムの中で一番琴線に触れる「裸の街」じゃないかと。

 完成をお楽しみに!

80
泉谷しげる「'80のバラッド」
1980年代はまだまだ未来だった……




 当時の学生8ミリ映画(自主映画って呼んでいたが、そんなタイソーなものではない)の音楽は、既成曲を使用するのが当たり前だった。つまり著作権無視。もちろんコンクールに応募する類のものはきちんと作曲したり、使用許可を得たりしているのだろうが、単に学園祭で上映するのなら、もう使い勝手放題。咎められるなんてことはなかった。

 サークルに入部して、最初に参加したチームの作品の主題歌はローリング・ストーンズだった。もうひとつのチームは山下達郎だったか。前年後期に制作された2本のうち1本はクライマックスで「ロッキー」のあのテーマが流れた。
 その手の曲がここぞというシーンや喫茶店シーンのBGMで流れるわけだ。今から思うと、いわゆる劇伴的な音楽の使い方はなかったような。

 「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」はラストシーンからタイトルクレジットにかけて「同じ時代に」が流れる。柳ジョージ&レイニーウッドのアルバムに収録された隠れた名曲で、シナリオを書いているときから主題歌にしようと決めていた。他の音楽は撮影を担当したUに選曲にまかせた。正解だった。
 「狙われたユニバーシティ」も、ラストのタイトルロール(本当にローリングさせようと考えていた)の曲は考えていた。小室等の「明日」(フォーライフレコード移籍第一弾!)のB面ラストに収録されているギターインスト(タイトル失念)。 あるいはYMOのアルバムに収録された曲(とても静かな落ち着いた曲があったのだ)。そのどちらかを使用するつもりでいた。

 僕はラストシーンの映像と音楽をしっかりイメージして撮影にのぞむタイプ。「今は偽りの季節」のときもイメージはできあがっていた。シナリオでは前夜暴漢と戦って腹(胸)を刺されて死んだ主人公をロングで俯瞰するショット(早朝)でジ・エンド、スタッフ、キャストのクレジットに切り替わる。
 実際に撮影していたら、ロングの俯瞰ショットは変わらないが、主人公を生き返らせていたと思う。生き返らせるというのか、突然起き上がって退場させる。観客が意表をつく展開に「???」になっているところでクレジットになり主題歌がかぶさる寸法。

 その主題歌だが、当初は特に思い入れのある曲がなかった。撮影が始まる前か、すでに撮影に入っていたのか、記憶が確かではないが、友人のアパートに遊びに行ったときに聴かせてもらったのが「'80のバラッド」だった。中に耳を捉えた曲があった。あっ、これ「今は偽りの季節」に使えるなと。
 曲は「エイジ」だったと思う。思う、と書いたのはそのとき一回しか聴いていないからだ。〈エイジ〉とは名前だけど、英語の〈age〉、時代も意味しているのではないかと友人は言った。あらためて歌詞を読むと、内容が映画のテーマにリンクしてくる。

 フェイク予告編を作ろうと思ったとき、この曲を全部流してミュージッククリップ的な構成にしようと思った。ではどんな曲だったのだろうと(お恥ずかしいことに、覚えていなかった!)、YouTubeで調べてみるとない。TSUTAYAで借りようとレンタルCDのコーナーをのぞいたら、泉谷しげるのCDがない。Amazonで注文しようとしたら在庫がない。ブックオフのCDコーナーにもない。ないないないのないないずくし。
 天下の名盤でしょうに! 


 この項続く




 承前

 なぜ、泉谷しげるの「'80のバラッド」を手に入れたくなったのか。
 それは、学生時代に係わった未完成の8ミリ映画に関係する。

 昔、8ミリ映画を撮ることを趣味にしていた。中学時代に撮影して仮編集のままずっと放っておいたドキュメンタリーがあった。社会人になってからテレシネしてビデオになってからまた20年近く。これを新たに構成しなおして完成させたのが「1973 バラキの夏」。中学2年の夏休み、バラキ高原への一泊二日のキャンプを題材にした映像詩である。

 大学時代にも2本の未完成映画がある。「狙われたユニバーシティ」と「今は偽りの季節」。なぜ制作が頓挫したのか、そこらへんの事情について、かつてmixiに書いた。
 問題なのは「今は偽りの季節」だった。クライマックスシーンがないのだから完成させるのは無理。が、素材を使って何か作れないか。たとえば本編のない予告編とか。そうなると音楽が必要だ。そこで「'80のバラッド」なのだ。収録曲の一つをラストに流れる主題歌にしようと考えていたのである。

 ちなみに唯一完成した「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」の〈ゆうずうのきかない自由に乾杯!〉は「国旗はためく下に」の歌詞から拝借している。泉谷しげるの「春夏秋冬」と並ぶ名曲である。

          * * *

 ●1980 冬 「ブラッドハウンド」撮影騒動記 2005/03/29

 1979年春、大学生になった僕は8ミリ映画の制作サークルに入部した。本当は16ミリ映画が作りたくて、映画研究部を狙っていたのだが、学生運動の拠点になっていると聞いてやめた。
 このサークル、カレッジ・ライフ・クラブ(C・L・C)は活動を前期後期と分け、映画を制作していた。最初に監督を希望するメンバーがシナリオを提出し、選出された2本を2チームで映画化する。前年後期の2本、そして前期2本、計4本が学祭の上映会の作品になるのである。
 上映会は無料にしたいがいかんせん設営費を捻出しなければならない。確かドリンク付で100円か200円徴収したと思う。
 1979年の後期、部員が10人もいなかったので、1本制作の体制がとられた。選出されたシナリオは僕の「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」。浪人生の二人組がアルバイトで探偵に扮して盗まれた重要書類を取り返すべく、盗んだ犯人である女性の後を追いかけるという、もろ「傷だらけの天使」を意識したストーリー。
 重要書類とはある大学の入試問題のコピーなのだが、撮影中、実際に某大学の入試問題が盗まれたことがニュースになった。コピーを使用したのが新しい点と指摘されて、時代を先どりしているじゃないかと僕の鼻はちょっと高くなった。
 映画には部員が役者として出演するのが原則だが、メンバーが少なくて、イメージに合う女性がいなかったので、ヒロインには小学校、中学校の同級生Oに客演してもらった。もともと撮影に彼女の部屋を借りる交渉をしていて、どうせなら出演しちゃえよ、となったのだ。彼女、別に演技の経験はないが、そんなことはどうにでもなると思った。それより、彼女の大人びた容姿が絵になるのだと。
 彼女を交えた撮影は当初快調だった。1日目はロケ、探偵が女性を尾行するシーン。2日目は女性の部屋のシーン、主役の男が敵にやられて女性の部屋で手当てを受けるくだり。ここで女性の素性が判明し、なぜ入試問題を盗んだかがわかる。捨て鉢な女性の態度に男が意見して帰ろうとすると女性がほだされて抱きつくカット。別にベッドシーンではないし、そのくらいなんでもないだろうと思っていたら、Oは頑なに拒否する。どうにかなだめすかして撮影した。79年の撮影は終了。残るシーンは翌80年に持ち越された。
 80年になって撮影を再開すると問題が起きた。Oが役を降りるというのだ。冗談ではない。まだクライマックスシーンが残っている。まあ、それはシナリオを変更して女性を登場しなくても成り立つようにできる。しかし、撮影済みの女性の部屋のシーンに繋がる重要な部分だけはどうしても撮影しなければいけないのだ。
 Oは降板を手紙で知らしてきた。夜、アパートに帰った僕は手紙を読んで真っ青になった。電話のなかった僕はとにかくOに会って説得しなければとOのアパートに押しかけることにした。あわてて部屋を飛び出ると駅にむかった。
 交差点の信号待ちでイライラしていると、声をかけられた。
「今、何時ですか?」
 相手が誰であるか、確認する余裕もなかった。腕時計を見て時間を告げる。信号が青に変わることだけ祈っていた。
 立ち去ったと思った相手が、またやってきて耳元でささやいた。
「ねぇ、一緒にコーヒーでも飲まない?」
 そこで初めて相手の顔を見た。やっぱり! おかまだった。普通なら最初に声をかけられていた時点でわかるはずなのに、全然気がつかなかった。それほど切迫していた。
「今急いでいるので」「いいじゃない」「ホント、人に会わなければならないんです」
 そんな問答の最中、信号が青になって、やっと振り切った。
 懸命な説得にもかかわらずOは結局降板することになった。問題のシーンはOから衣装だけ借りて代役をたてて撮影した。後姿、肩越し、できるだけ自然に撮ったつもりだが、ラッシュを見て頭をかかえた。肝心のクライマックスのアクションシーンもすべてを任せていた助監督が退部して、その場のアドリブで撮ってしまう始末。もう散々だった。
 完成した映画はラストシーンだけいいという評価をもらった。終わりよければすべて良し。あの時も、今もそう割りきっている。


 ●1981~82 春になると鬱/映画制作連続頓挫始末記 2005/03/31

 1980年秋、2年生の僕は2作目の「狙われたユニバーシティ」に着手した。
 松田優作の遊戯シリーズに夢中になっていて、あの世界を換骨奪胎して主人公を大学生にSFアクションの体裁で映像化しようと試みた。キャンパスで何でも屋を営む(?)オチこぼれ学生が宇宙連邦のコンピュータによってセレクテッドソルジャーに任命され、地球を狙う宇宙人と対決する話。
 青のつなぎ(強化服)、肩から下げるガンベルトにはレーザー銃といういでたちで、大学構内で敵とのバトルを繰り広げる。レーザーから飛び出る光線は透過光、クライマックスでは武道館が宇宙船になって空を飛ぶなんてことも考えていた。
 宇宙人の外見はダースベーダー風の衣装で仮面をつけているのだが、その裏側は美少女、実は日本が打ち上げたロケットに激突して死亡した恋人の復讐のためにやってきたという本当の理由がわかる。
 映画のテーマはアンチヒーロー。当時、正義のためなんていうお題目でヒーローは戦えるのか、本当はもっと個人的な理由だからこそ命を賭けられるのではないかという思いがあって、お互いが一番大事な人を失ってその復讐のために戦うという構図にしたかったのだ。
 どうにか戦いに勝利した傷だらけの主人公。早朝新宿西口のサラリーマンの雑踏の中にポツンと一人佇んでいる姿を望遠で狙ったカットがラストシーン。続いて蒼く輝く地球をバックにキャスト・スタッフクレジットが下から上にロールする。
 「ブラッドハウンド」は最初にストーリーありきだった。「狙われたユニバーシティ」は最初に映像ありきにしたい。そう考えて撮影に入ったのだが……
 81年冬。母親が脳腫瘍の手術をした。成功したものの術後の経過がよくない。そんなことがあって春をむかえると僕はウツになってしまった。そうなると何もしたくなくなる。撮影は中止になった。
 1981年、3年の僕にとってサークル活動最後の年。ウツから開放された僕は自分の心情を吐露した等身大の大学生を主人公にした「今は偽りの季節」のシナリオを書く。タイトルは「二十歳の原点」に出てくる詩の一節をいただいた。
 単に大学に入れればいいと、興味のない学部に入って、勉強はまったくしない、サークル活動に精をだすものの、何かふっきれない。友人関係もどうもおかしい、そんなところに旧友の飲み会があって、高校時代にふられてそれ以来会ったこともない彼女の親友と親しくなる。何度か会っているうちに親友の気持ちを勘違いして、身体を求めるが拒否される。すべてがいやになるが旧友と酒を飲んですべてをふっきった夜、暴漢に襲われた女性を助けようとして逆に殺されてしまうというストーリー。
 チームの中に主役に適した人がいなかったので、自分で演じることにした。カメラは固定し、主人公の饒舌さを浮き彫りにしたかった。おしゃべりが空回りするところが狙い。また雨のシーンを多用し、傘をさした主人公を心象風景にして、途中途中に挿入する。本当の意味での自主映画に挑戦したかった。
 2年になってからいろいろなことがあった。80年を境に学生気質が変わった。新入部員はみなおしゃれで個人主義。それが僕が3年になって顕著になっていく。それまでの安く長くの飲み会は嫌われた。合宿はペンションで短期間に切り替わった。数多い新入部員の意見が反映された結果である。それが1つ上の4年生には気に食わない。2年生と反目する。間に挟まれ部長の僕はたまらない。3年は僕ともう一人しかいないのだ。先輩の気持ちはよくわかる。本当ならそちらに与したい。しかし今活動しているのは2年、そんなことしたら部が消滅してしまう。
 4年生との中が険悪になった。2年生とも距離をとる。母親は寝たきりのままで回復の兆しがみえない。家の都合で東京のアパート生活もできなくなるかもしれない、大学もやめなければならないかも。さまざまな問題に悩み、サークルの人間関係に疲れてしまった。2度目の鬱が発症。なおかつ今度は重症だった。こうして自作自演の「今は偽りの季節」も中止に追い込まれた。


 ●1982 秋 友の事故死/「明日を知る少年」追悼上映 2005/03/31

 二度目の鬱を完全に払拭できたのは友人Tの死のショックだった。
 82年の秋。鬱がよくなりかけていた僕は渋谷パレス座に大林監督の「転校生」を観に行った。併映はソフィー・マルソー主演の「ラ・ブーム」。「転校生」に感激した僕は数日後また「転校生」だけを観に行き、アパートに帰ってきた。夜も遅い。そこに電話が鳴った。弟からだった。
「お兄ちゃん、Tくんが死んだって」
 Tとは、小学校ではリレーの選手として、中学は陸上部、高校はラグビー部と一緒に汗を流した友人である。小学校6年時に組織した8ミリ映画制作集団の一員でもあり、初の劇映画「明日を知る少年」では主人公を演じてもらった。スポーツ万能で、高校を卒業後現役で筑波大学に進んだ。本当ならすでに大学を卒業しているのだが、大学に籍をおいていると聞いていた。
 その彼が死んだ。僕の驚きは半端なものではなかった。
「どうして!」
「バイクの事故だって」
 夜、雨の中バイクを走らせ転倒、反対車線に飛び出たところを対向車に轢かれたという。
 就職活動用に購入しながら、まったく使用していなかった紺のスーツはTの葬儀で初めて袖を通すことになった。
 過去を悔やみ、死んでもいいと思っていた自分がこうして生きており、卒業後の人生に大きな希望を抱いていたTがもうこの世にいない。その皮肉。葬儀の席で僕はTに誓った。お前の分まで生きてやるぞ。
 自分なりにTの追悼をしたかった。「今は偽りの季節」の中止でプログラムに穴をあけている学園祭上映会が頭をよぎった。「明日を知る少年」は中学時代の作品、ちゃんと音楽も自作(カメラマンのAが作曲)し、アフレコもしたがカセットに収録したものを同調機で合わせるものだった。アフレコも不満があり、特にTの声の演技はなっていなかった。そうだ、「明日を知る少年」のフィルムに磁気テープをコーティングしアフレコし直おそう。絵と音が一緒になった完全版を作ろう。声の出演を「今は偽りの季節」のメンバーにすれば代替作になる。 
 直ちに作業に入った。
 音楽はオリジナルテープがないので、バイトで一緒に働く高校生のつてを頼って、バンド活動している友人をスタジオに連れて行った。同調機用音テープを聴いてスタジオで演奏してもらって収録した。また効果音的なBGMが足りないので「今は偽りの季節」のスタッフ(ピアノを弾ける女性)がいたので、彼女にイメージを伝えて、3曲ばかり作曲してもらった。
 通常C・L・Cの映画は放送研究会のスタジオを利用してアフレコするのだが、そんな余裕はない。メンバーの部屋に映写機(プロジェクター)を持ち込んで作業を行った。しかしこれがうまくいかない。雑音が入って声が収録できないのだ。結局その日のアフレコは中止せざるをえなく、かといって皆のスケジュールを考えると再度できるかどうかわからない。
 秘策を考えた。バイト仲間でアフレコをしたのである。
 場所はバイト先の店。もちろん店長には内緒。店を閉めてからテーブルにプロジェクターを設置、店の白い壁をスクリーンにして映写して録音していった。Tの声およびチョイ役は僕、ほかをバイト仲間があてた。夜の11時からはじめて、終わったのは夜中の2時頃だったろうか。アフレコなんて初めての経験なのに、皆楽しみながら挑戦してくれ、結果音は悪いがかなり上手くできあがったと思う。
 上映会では「あのNHK少年ドラマシリーズの感動がよみがえる!」のコピーが効いた。この映画目当ての客もいたらしい。
 久しぶりにフィルムをいじり、アフレコを体験した僕は映画作りへの情熱がよみがえってきた。
 何とか「今は偽りの季節」を完成させたいと思いはじめていた。


 ●1983 春 就職浪人/「今は偽りの季節」撮影再開 2005/04/01

 学祭と前後するが話はまだ82年の秋。
 当時会社訪問の解禁日は10月1日だった。友人たちは夏休み前から就職活動をしていたが、僕は鬱のため何もできなかった。精神状態がおかしかったということもあるが、一般の企業に全然興味がなかったのだ。
 1日もずっと部屋に閉じこもり、会社訪問解禁のTVニュースに少々焦りを感じていた。にもかかわらず夜はTV放映の「七人の侍」に興奮していた。スーツ姿できめた友人が部屋にやってきて、TVに呆ける僕の姿にあきれていたっけ。
 だが、このときはっきり自分の道を決めていた。映画会社は無理にしても映像の制作会社に就職したい。CFだったら35ミリの撮影や編集の現場に参加できる。そう考えていくつかの制作会社を受けた。
 第一志望のCFプロダクションの第2次試験までは進んだ。第一次試験は作文と筆記、どうなることかと思っていたら、第二次試験の知らせの電話があって歓喜した。写真からイメージされる商品とそのキャッチコピー、商品の絵コンテが課題。その後面接。幹部(社長?)の一言に意気消沈となった。
「君はね、筆記全然できなかったんだ。でも作文が面白かったから2次に呼んだんだよ」
 これはその後の試験でもいえることだった。作文があると必ず通る。でもそれだけ。
 1983年春、就職浪人することになった。
 親に対しては半年間シナリオの勉強したい、そのため学校に通いたいと言い訳した。もちろんすべて自分のバイト代からの捻出だ。昼はバイト。夜は週2回にシナリオ講座へ通った。そして中断していた「今は偽りの季節」の撮影を再開することに。
 スタッフはサークルの1年下の後輩ふたり。一人(男)は部内のゴタゴタに嫌気がさしてずいぶん前にやめていた。もう一人(女)は4年になってフリーになっていた。ふたりともメインキャスト。出演しない時はカメラをまわす。基本的には僕を含めたこの3人がスタッフ&キャスト。その他の出演者はバイト仲間やその友だちにお願いした。
 撮影は順調に進んでいた。
 
 高校時代、突然別れを告げられた彼女が目の前に現れた。そして主人公にささやく。
「わたし、妊娠しているの」
 驚いた主人公が彼女に問いただす。
「本当なのか? 誰の子だよ」
 彼女はにっこり笑って「本当だと思う?」
 彼女の笑顔。突然あたりが白くなっていき
 ……夢から覚める主人公。メインタイトル。

 こうして始まる映画のほぼ8割は撮影した。
 劇中にインサートするスチール用にふたりで制服を着て記念撮影もした。
 ほぼ全体像が見えてきたのでクライマックスシーンの撮影に挑んだ。
 夜、公園で血まみれになって激しい格闘を繰り広げた。照明は遠くから友人の乗用車のライトを利用した。かなり迫力ある絵が撮れたと思った。が、これが大失敗。ラッシュをみたら何も写っていなかった!
 この時は再撮するつもりだったが、秋になって、環境が変わった。それまでのカレー店からスライドの制作会社へ、業務時間も不規則になって、いつのまにか映画の撮影から遠ざかってしまった。こうして「今は偽りの季節」は未完に終わったのだった。45分におよぶ仮編集の8ミリフィルムを残して。
 もし「今は偽りの季節」が完成していたら、自主映画にもう少し関わりあいをもっていたかもしれない。日記に個人的にプロダクション(ユニット?)を作ろうと書いたこともあるからだ。その頃、着る服がいつも青か白だったこともあって「ホワイト&ブルー」という名称も考えていた。
 ただそういう個人的な活動よりも、とにかく職業として映像にかかわろうという気持ちのほうが強かった。
 で、84年3月、念願のCF制作会社に就職することができた。このときの面接では、「明日を知る少年」のフィルムを自分の作品として提出した。それが功を奏したのか、採用2名のうちの一人になった。
 2年後、同棲の破局から失意の1年をすごし、それが躁という形でとんでもない結果を招くなんてこと、夢いっぱいの僕が知るわけがない。
 鬱より躁がどれだけ大変な症状か、ひどいか。それはまた別の話……


 この項続く




 泉谷しげる。
 今ではベテランの部類にも入れる役者である。一クセどころなんてものではない、二クセ、三クセある破天荒男を演じさたら、他の追従を許さない。今の若い世代の認識はそういうものだろう。
 これが四十代半ば以上の世代ならば、彼がフォークから出発したシンガー・ソングライターであること、ミュージシャンであることをしっかり記憶しているはずである。フォークに疎くても「春夏秋冬」ぐらい耳にしたことがあるはずだ。
 最初に聴いたのはライブアルバムで「黒いカバン」のハチャメチャさにぶっ飛んだ。誰かに聞いたことがある。泉谷はチューニングができないんだって。だから微妙にギターが音が狂っているらしいよ。都市伝説だったのか?

 小室等、吉田拓郎、井上陽水とともにフォーライフ・レコードを設立する。そうか、泉谷しげるはフォーク界の四天王だったわけか。
 当初は精力的にアルバムをリリースするが、すぐに脱退してしまう。いったい何があったのか。
 このころ、キネマ旬報に自身のイラストを添付したエッセイを連載していた。もともとマンガ家志望でもあったのだ。テレビ朝日「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」で犯人役に抜擢され、注目を集める。このときは、あくまでも歌手がキャラクターを買われて出演しているに過ぎなかった。

 そういえば、タイトルは忘れたが、吉田拓郎もあるスペシャルドラマにAD役で出演したことがあった。アイドルの浅田美代子と共演。確か浅田美代子は売れないタレントか何かを演じていた。彼女がやっと出演することができた番組(ドラマだったか?)のADが吉田拓郎。せっかく出演したのに、編集でカットされ、それに怒った拓郎が編集したビデオテープを捨ててしまう。そんなストーリーだった。ふたりはこのドラマが縁でその後結婚する。

 閑話休題。
 泉谷しげるを真剣に聴いたことがなかった。聴いたことがないから、CD市場における泉谷しげるの扱いがわからなかった。人気者なのだから、過去のアルバムはみなリリースされているだろう、少なくてもレンタル店や中古店には揃っているだろう。そうと思っていたのだ。
 理由があって、1970年代後半にリリースされ、名盤として名高い「'80のバラッド」が探してみてわかった。中古店にもレンタル店はもちろんのこと、ネットのオークションでも見つけだすことができなかった。

 こうして僕の「'80のバラッド」を探す旅が始まった。
 昨年の春のこと。


 この項続く




 NHK大河ドラマ「勝海舟」についてもう少し。
 病気で降板した渡哲也に代わって主役をつとめた松方弘樹は、歯切れの良い台詞回し(江戸弁)が軽快だ。聴いていて惚れ惚れしてしまう。おりょう役の川口晶のほかにも「こんな役者が出演していたのか!」と観ている間中感慨ひとしおだった。
 木下清が登場したのには驚いた。「タイム・トラベラー」の深町くん、ケン・ソゴルだ。総集編ではほんの1シーンだった(と思う)が、本放送ではどのくらいの出番だったのだろう?
 西郷隆盛を演じた役者(歌舞伎の中村富十郎)がいかにも西郷さんっぽくて、無血開城を決めた会談のシーンにニヤニヤしてしまった。松方弘樹のガタイがいいので、西郷の方が小さく見えてしまうという難点はあったが。


                             *

2010/05/24

 「あの素晴らしい曲をもう一度 フォークからJポップまで」(富澤一誠/新潮新書)

 1960年代から現代までも音楽の流れを俯瞰できる。
 音楽版「戦後落語史」か。 
 しかし、赤い鳥の記述がいっさいない。巻末のベスト50の一曲に「翼をください」があってもいいだろうに。


2010/05/25

 「ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日」(ちばてつや・豊福きこう/講談社)

 「あしたのジョー」は「巨人の星」と同様TVアニメから入った。マンガが連載されていると知って、近所のお兄さんが持っていた「少年マガジン」を開くと、力石のパンチをくらってダウンするジョーが描かれていた。空中に飛んだマウスピースを、小学生の僕はジョーの舌だと勘違いして肝を冷やしたことを覚えている。
 コミックスを読んだのは高校生だった。父親を慕って、よく店(電気店)に遊びに来るお得意さんから全巻借りたのである。噂に違わぬ面白さで夢中でページを繰ったものだ。ラスト葉子とのやりとりには涙があふれた。

 本書は「あしたのジョー」連載開始(1967年12月15日)から終了(1973年4月20日)までを、これまでメディア等で発表、発言されたちばてつやの言葉を日記風に再構成して、1954日間をあますことなく描写する。
 力石を殺してしまったジョーの苦悩、その転落を描いている最中、描き手も一緒になってもがき苦しみ、それが病気となって現れて休載となったり、令嬢葉子がどうしても好きになれない心情を吐露したり、それほど「あしたのジョー」フリークではない僕にとって興味深いエピソードがたくさん出てくる。
 もちろんすべての日付にちばてつやの言葉があるわけではないが、毎週の掲載されたページ数だけでも参考になる。 最終回になると、マンガを思い出して自然と涙がにじみでてきた。おいおい、どうしたんだよ。恥ずかしいったらありゃしない。

 高森朝雄(梶原一騎)が書くストーリーを、そのままマンガ(劇画)化するのではなく、ちばてつやなりに工夫して、独自のキャラクターをつくりだし、新たなエピソードを付け足していったことは有名だ。あのラストも、原作どおりではなく、新たに考えられたものであることも。高森朝雄+ちばてつやではなく、高森朝雄×ちばてつやだからこそ「あしたのジョー」は漫画史上に燦然と輝く名作になりえたのだと思う。


2010/05/26

 「森繁さんの長い影 本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 このシリーズも12冊め。干支ならば一巡したことになる。連載が始まった年に小学校に入学した子は高校3年生だ。
 書名はCDブック「藤沢周平名作選」に執筆した文章のタイトルだという。朗読者が森繁久彌だったのだろう。その文章を加筆して本書に収録し、書名にしたわけだ。昨年の「B型の品格」より小林信彦らしいと思えた。森繁久彌が亡くなったとき、連載エッセイでも2回に亘って取り上げている。そればかりか、1年間のエッセイをまとめて読むと、けっこう森繁さんの名が出てくるのである。これには驚いた。
 書名は小林信彦らしいが、一般性はないのだろう。ある程度の規模の大きな、それなりのジャンルを取り揃える書店でないと置いていないかもしれない。逆に「B型の品格」は「えっ!」と思うような書店の棚にありましたからね。

 2009年は政権交代の年。
 長い間自民党が支配していた政権なのだから、民主党に代わってすぐにどうなるというものではない、長い目で見守っていきたい。小林さんの考えに僕も同意する。
 新型インフルエンザの年でもあった。豚インフルエンザがいつのまにか新型インフルエンザに変更になっていた。このインフルエンザにかかるともうおしまいというような報道だった。あれはいったい何だったのか。その後猛威をふるうことになるのだが。

 映画は「おくりびと」「グラン・トリノ」「ヤッターマン」「ディア・ドクター」「空気人形」。「ヤッターマン」だったら、誰だってフカキョンのボンデージだろう。にもかかわらず小林さんはヤッターマン2号役の福田沙紀に固執する。「空気人形」だけ劇場が限定されていて観ることができなかった(「おくりびと」はTVで二度観た)。一般的には不評なのだが本当のところはどうなのか、DVDでチェックせねば。
 エンタテインメント時評はどれも楽しいが、個人的には次の一文に歓喜した。〈深作欣二夫人の回想〉で「女優魂中原早苗」(ワイズ出版)を取り上げ、その面白さを綴っているのだが、その最後。
    ◇
 それにしても、健太という名前は、高倉健の〈健〉と、菅原文太の〈太〉からつけたとは知らなかった。
    ◇
 これで「傷だらけの天使」修の息子健太の由来が証明できた。


2020/05/29

 「舞台人走馬灯」(矢野誠一/早川書房)

 「定本日本の喜劇人」(中原弓彦/晶文社)を読んでからというものの、小林信彦はもちろん、芸人に関する本を機会あるごとに読んできた。色川武大、香川登志緒、澤田隆治……。矢野誠一もその一人で、図書館で見つけると必ず借りてくる。
 すでに鬼籍に入られた舞台人(というくくりが本書のミソだろう)の思い出話。これまで、矢野誠一というと、小林信彦より上の世代というイメージがあった。今回、取り上げた舞台人がすべて自身とかかわったことがあるということで、文章中に己について語っていることも多く、いったいいくつなのかプロフィールをながめてみると、あれまぁ、小林信彦より二つ、三つ若いのである。矢代静一とごっちゃになっていたのかも。
 若いころは芝居をやっていたことあったのか。倉本聰とは中学高校の同級生だったのか。これまでの〈演芸評論〉の本ではうかがえなかった事実を知ることができる。60年安保が青春だったことも。
 日本舞踏家の吉村雄輝がピーターのお父さんだとか、「え!」ということもたびたびあった。




 NHKアーカイブスで大河ドラマ「勝海舟」総集編(後編)を観る。3月の終わりに「前編」を観て以来やっと。ショーケンの岡田以蔵、藤岡弘の坂本竜馬……。35年ぶりの再会。おりょう役は川口晶だったのか!

                             *

2010/05/18

 「絶滅危惧ビデオ大全」(植地毅/三才ブックス)

 本書を読んでとんでもなく興味をソソラれるビデオも、実際に観てみると退屈すぎて早まわしっていいうのが多いのだろうな。
 ビデオ安売王の項で松村克弥監督の名前が出てくる。「シネマDEりんりん」の席でドキュメンタリー作家として紹介されたが、「オールナイトロング」の監督さんと聞いて「ああ、あの!」と叫んでしまった。松村監督、ビデオ安売王のソフトとして「女子高生コンクリート殺人事件を撮っているのだ。


2010/05/19

 「戦後落語史」(吉川潮/新潮新書)

 久しぶりに川口図書館を訪れたら棚にあった。読みたくてたまらなかった本だ。
 書名に偽りがない。立川流寄りの記述(著者いうところの立川流史観)なんて気にならなかった。別に嘘を書いているわけではないのだ。まあ、こちらが立川談四楼ファンであり、足を運ぶ落語会のほとんどが立川流ということも関係するかもしれない。基本的にアンチ落語協会だから。子どものころは落語芸術協会にシンパシーを感じていた。
 興味深いし面白いので、夢中でページを繰った。
 「小説落語教団騒動記」で立川談志をモデルにした人物をかなり批判的に描いた噺家について、本書でこう評している。
    ◇
(金原的馬生の襲名は)順当なら一番弟子の伯楽に話が行くところだが、彼には実力、人気、人望がなかったので馬治が指名されたと言っていい。
    ◇

 四天王から柳朝がはずれて円鏡が入ったのはTBSプロデューサー川戸貞吉の提案によることを知る。
 三平が復帰した最初の高座「源氏物語」が無残だったことも。


2010/05/21

 「手塚先生、締め切り過ぎています!」(福元一義/集英社新書)

 著者の略歴がユニークだ。最初雑誌の編集者からマンガに関わり、やがてマンガ家として独立。一時期人気を博すが、世間のマンガ批判に嫌気してマンガ家を廃業する。その後手塚プロダクションに入社し、チーフアシスタントとして手塚治虫を補佐してきた。アシスタントということで興味深い話が次から次へ出てくる。巷間よく知られたエピソードも、焦点や感度が違うから思わず引きずりこまれる。


2010/05/23

 「続・思い出株式会社」(土屋嘉男/清水書院)

 前作「思い出株式会社」は2001年に読んでいる。
 今回、朗読に適した内容だと実感した。「ペロ」に涙。


 この項続く


 

2010/05/08

 「太陽を曳く馬(上)」(村薫/新潮社)


2010/05/08

 「なつかしの昭和30年代図鑑」(奥成達・文 ながたはるみ・絵/いそっぷ社)

 昭和30年代。映画「三丁目の夕日」が大ヒットして、この手の雑誌(ムック)が書店で目につくようになった。団塊の世代の青春一歩前の世界は、一世代下からすると、幼児期の原風景になる。
 素朴な疑問。ながたはるみの描くイラストは元ネタがあるものがある。たとえば雑誌とか、ポスターとか、実物をイラスト化しているのだ。こういうの、著作権とか引っかからないのか?


2010/05/17

 「太陽を曳く馬(下)」(村薫/新潮社)

 合田刑事シリーズ第4弾。とはいえ、前3作とは大分趣きが違う。合田が担当する二つの事件をとおして、捜査で関係者にあたる。その会話がほとんどなのである。もちろん小説の核はミステリとかサスペンスではない。 21世紀版「日本の夜と霧」、合田刑事を狂言回しにした村薫版の芸術論であり宗教(オウム)論だ.
 その徹底した討論に夢中になれるかどうか。個人的には「新リア王」より数倍面白かった。とはいえ、上、下巻、それぞれ読むのに一週間かかった。
 宗教(オウム)論の中で気になったところを書き出してみる。

    ◇
(略)宗教は現世の富の放棄と禁欲によって信者の崇拝と寄進を受け、逆に富を蓄えてゆくというパラドックスももつ。これはオウムも例外ではなかったが、富を蓄えるにつれて世の宗教が社会との敵対をやめてゆくのに対して、オウムは基本的に最小限の妥協しかしなかった。これはとりもなおさず、オウムが現世拒否的な宗教的情熱を常に再生産し続けるのに成功したことを示すが、成功の理由はたぶん、経済活動よりもっと完璧な敵対者、すなわち国家を発見したことに因るだろう。
    ◇

    ◇
 主宰者である麻原という人物については、なにがしらの宗教的資質に恵まれた人だというだけで、実際には修行を怠り、瞑想を怠り、何より修行の大前提であり戒を保たなかったと言うほかはない。あんな太ったグルはおりません。また同様に、あの人物を解脱した成就者であるとみなすこともできません。
    ◇

    ◇
オウムも、教祖だけは貧困の記憶を心身に染みつけた卑しさがあったけれども、信者たちの多くは生活に苦労のない豊かな時代の青年だった。だから彼らはクンダリニーだの、宇宙エネルギーだのへ楽々と飛翔した。一方、たいがいの新興宗教は一般的には病苦や貧苦を抱えた人びとを集めるがゆえに、精神や真理が云々などとは言わない。ひたすら布施や帰依と御利益の交換だけで成立するのです。 
    ◇

 こうなると「晴子情歌(上・下)」を読まざるをえないか。あまり気が進まないのだが。


 この項続く




 小松左京の「日本沈没」(カッパノベルス)が刊行されたのが1973年。あっというまにベストセラーになって、東宝が映画化し、同年12月に封切られた。映画も大ヒットした。
 ゴジラシリーズが完全に子ども向けになってうんざりしていた僕にとって、「日本沈没」は東宝特撮の決定版というような印象があった。小説を読むよりヴィジュアルを楽しみたい。地元の映画館にやってくるのを首を長くして待っていた。
 正月映画として公開された「日本沈没」は地元へ春休みにやってきた。友人と観に行って感銘を受けた僕は翌週もう一度映画館に足を運んだ。

 脚本が橋本忍、監督は森谷司郎。黒澤組ではないか。もちろん当時はそんなことは知らない。
 僕は「日本沈没」で森谷監督を認識し、その後「八甲田山」「聖職の碑」を撮って、大作映画を手がける監督というイメージがあった。「日本沈没」の前には青春映画を数多く撮っていて驚いたことを覚えている。「赤頭巾ちゃん気をつけて」の監督なのかぁ。栗田ひろみ主演の「放課後」、観たかったんだよなぁ。なんて。急逝が惜しまれる。

 「日本沈没」は、特撮が売りということで特技監督・中野昭慶がクローズアップされた映画でもある。ワイドショーにゲスト出演して「先生」と呼ばれて偉そうな態度をとっていたのが気になった。以降あまりいい印象を持っていなかったのだが、「特技監督 中野昭慶」(中野昭慶・染谷勝樹/ワイズ出版)を読んで、まったくの偏見だったことがわかった。とても誠実な方なのだ。

 映画が公開された後にTBSでドラマ(テレビ映画)化された。まるで興味がなくて一度もチャンネルを合わせたことがなかった。NHK大河ドラマ「勝海舟」の裏番組だったこともあるが、小野寺役は藤岡弘しか考えられなかったからだと思う。主題歌を五木ひろしが歌っていたというのもらしくなかった。

 リメイク版があまりにひどいので、鑑賞したその日にビデオを借りて観た。傑作だった。


    ◇
 1974年3月21日

「日本沈没」を見てくる。これはS・Fである。この映画は日本でなければ作られないであろう。なぜならこれは日本という国において日本人とはいかなるものかと問いかけている。確かにこれはSF的におもしろい。特撮も今までにない迫力だ。しかし、それだけではない。ここでもう一度日本について考えてみようじゃないか。そう思わされる作品だった。もう一度見に行きたい。
    ◇

    ◇
 4月1日

 老人は静かにそして重々しく言った。
「日本はこのまま何もせん方がいい」
 山本総理は何も言わず老人の目を見る。それから口を開く。
「何も…せんほうがいい?」
 総理の目に涙が浮かぶ。何か言おうとしたが口からでない。
「日本沈没」の1シーンである。この場面にぼくは一番感動した。(略)
 日本を愛している老人の心情が全画面にでているからである。山本総理の目が真っ赤になるところも忘れられない。
 いいシーン、いい映画である。
    ◇




 昨日は映画サービスデー。
 品川プリンスシネマで「タイタンの戦い」を観る。2D版。怪獣映画として観た。巨大感に圧倒された。それだけの映画だけど。

          * * *

2010/05/30

 「特別企画公演 立川流落語会」(国立演芸場)

 この時期恒例となった感のある〈立川流落語会@国立演芸場〉。談四楼師匠がトリの最終日(3日目)に足を運ぶ。

 開場(12時30分)ちょっと前に到着すると、目の前に携帯電話を取り出し、会場全景の写真を撮っている若者(?)がいた。初めての人かななんて思いながら横を通り過ぎようとすると、「おはようございます!」と威勢の良い挨拶をされた。キウイさんだった。
 ダイエットを始めてどのくらいになるのだろう(ブログに毎日のように書いている)、確かに顔がほっそりしてきた。この調子でいけば真打披露のときは別人のようにガリガリになっていたりして。
 過度なダイエットに苦しみながらその日を迎え、無事トリの大任を果たすキウイさん、いや師匠。割れんばかりの拍手の中、楽屋に戻ってくる。家元が待ち構えていてさっと右手を差し出す。キウイ師匠も右手を。がっちり握手のはずが、交叉する刹那、キウイ師匠はそのまま倒れてしまう……
 いけない、いけない。会場に入っていくキウイさんの後姿を眺めながら妄想してしまった。ちょっと前に「ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日」(ちばてつや・豊福きこう/講談社)を読んだからかも。

 談之助師匠によれば、今年の立川流落語会は毎日テーマが設けられたという。1日目はオーソドックスな寄席、2日目は志の輔独演会。楽日の今日はバラエティ。「色物は談幸さんと談四楼さん、里う馬さんは微妙」には笑った。この言葉で肩の荷がぐんと重くなったとは終了後の談四楼師匠の弁。
 
 これまで、13時の開演に先立って12時45分から開口一番だった。今回はきっちり時間どおりに始まった。だったらずっと探していたレコードを貸してくれたお礼に招待したKさんをせかすことはなかった。千葉から出てくるKさん、開演ギリギリになるというのを、チケットを渡すこともあって15分前に来て欲しい旨伝えていたのだ。「今、電車の中」「駅に着きました」「あと10メートル」なんてメールのやりとりをすることもなかったのに。


 立川松幸 「豆や」
 立川平林 「浮世根問・名古屋弁バージョン」
 立川キウイ「漫談・真打への道」
 立川談笑 「イラサリマケー」
 ミッキー亭カーチス「饅頭こわい」
 立川談幸 「片棒」

 〈仲入り〉

 土橋亭里う馬「雛鍔(ひなつば)」
 立川談之助 「漫談・熱闘甲子園」
 立川文志 「字慢噺」
 立川談四楼「柳田格之進」


 「豆や」は初めて聴く噺。松幸さん、ふと見せる暗い顔が気になるが、口調はいい。
 平林さんのネタ、二度目だけれど大いに笑える。クセになりそう。独演会行こうかな。
 キウイさん、マクラだけで押し通した。えらい! キウイさんがおかっぱのかつらをかぶって女装したら、ちょっとふっくらした光浦靖子になるのに。そう思っているのは私だけですね、失礼しました。
 談笑師匠の「イラサリマケー」。これが噂の! 元ネタの「居酒屋」は知らないけれど、とにかく爆笑! 中国人でも韓国人でもフィリピン人でもなく、ビルマ人の店員というのがおもしろい。水島が出てくるとは涙ものだ。言語感覚の妙。これもクセになるだろう。
 カーチス師匠の「饅頭こわい」は初めて。マクラでは老化ビリーもリハビリーもでた。もう待ってましたの世界。相変わらずの変な外人がたまらない。ハーモニカ「サマータイム・ブルース」のさわりが聴けたのはもうけもの。
 談幸師匠は口調を聴いているだけで何とも言えない気持ちになる。ひょうひょうとした歯切れの良さ。「談志狂時代」を早く読まなければ。

 今回の里う馬師匠は最初から世界に入っていけた。これまた初めて聴く噺。
 談之助師匠はいつもの漫談。鳩山家と某海老名家との相似性(偉大な祖父と父を持つ兄弟)に言及したところに瞠目。二代目三平なんて「水戸黄門」の指定席、うっかりならぬちゃっかり八兵衛を襲名しちゃいましたからね。知名度においては抜け目ない。おかげでレギュラーを降ろされてしまった松井天斗。群馬出身なんですよね。公立校で甲子園出場した高校に出身校の前橋高校を入れる。完全試合を達成したのはいつだったでしょうか。
 文志師匠はいつもの江戸文字アラカルト。内容が微妙に変わっている。

 トリの談四楼師匠は十八番の「柳田格之進」。最初こそ言い間違いをしてどうなることか心配したが、その後は調子を取り戻し、終わってみればいつも以上の出来。その充実感たるやなかった。
 まずヴィジュアルが鮮やかなのだ。格之進と大店主人との出会いと別れ、再会が四季を通じて描かれるのだが、その情景が映像となって脳裏に浮かんでくる。
 たとえば格之進が万屋の自宅離れを訪れたとき。打ち水で一段と映えわたる庭の緑。開け放たれた部屋を駆け抜ける涼風。それを意識したのかどうか、鮮やかな黄緑色の着物と黒の羽織のコントラストで情景を実感させてくれるのだ。
 行方不明になった格之進と番頭が再会するくだり。一面の雪景色。番頭が格之進の籠に駆け寄るときの雪を踏む音が聞こえてくる。
 リアリティを尊重した作劇が、格之進をはじめとする登場人物の心情をより浮き彫りにする。50両を盗んだのではないかと、番頭があからさまに格之進を疑うよりも、あの日主人が50両をどう取り扱ったか訊ねに行くほうが、自然な展開である。何より本音が透けて見えてくる。格之進のプライドを考えれば、その方がどれだけ傷つけられるか。
 思わず膝を打ちたくなるのが真っ二つになった碁盤を使ったサゲ。まるで「七人の侍」の前半、稲葉義男の「ご冗談を」に得心した志村喬のように。


 

 朝方、変な夢を見た。
 某所に旅してネットカフェに泊まった。翌日、精算したら金額が150万円! 15のあとの0の数を数えたら5個あるのだ。15,000円でも150,000円でもない。1,500,000円!
 怒りましたよ、どうやったらそんな金額になるんだと。
 店長は気まずそうに言った。「当店は深夜パック料金が設定されてないもので」
「そうなんだ」
 あっけなく納得してしまった僕って何? 

          * * *

2010/05/27

 「開店10周年記念特別プログラム The Will」(Welcome back) 

 承前

 僕の質問に「どこまで話していいんだろう」と前置きしてから答えてくれた。
 秋にショーケンのライブがある。9月の横浜関内ホールと11月の中野ZERO。その音源だそうだ。ピアノの篠原信彦さんやコーラスの女性+ギターは出演するらしい。トークありとあるので、前回の「トーク&ミニライブ」のライブの割合が増えたものと考えた方がいいか。あくまでも憶測にすぎないが。
 フルバンドでないことを残念がると「本人はバンドでやりたいらしいですけどね」。どうやら大人の事情があるらしい。堀越さんは篠原さんから頼まれて今回のレコーディングに参加したと。それから篠原さんやGHQの話。
「石間さんと深町さんと一緒に演奏したこともあるんですよ」
「石間さんって、石間秀機さんですか?」
「そうです」
 な、なんてこったい! 全然知らなかった。
「石間さんのギター、生で聴いてみたいんですよ、今もやられているんですか?」
「いや~、もう解散しちゃったんで」
「石間は○○が×××から」
 深町さんが会話に入ってきてそのままステージに向かった。
  
 第二部開始。
 第一部は堀越さんのMCで進行したが、第二部は開始早々、深町さんにマイクを預けた。深町さんは「僕にマイク渡したら当分の間返さないから」と、次に演奏する自作曲「Anomalocaris」について解説を始めた。タイトル(アノマロカリス)は5億数年前のカンブリア紀に棲息していた生物の名称で、深町さんはとても興味深いと言い、なぜなのか、懇切丁寧に教えてくれる。
 この種の生物はその進化の過程から考えるとかなり異質な存在らしい。普通、生物は手や足、目や耳など二つあるのに、この生物は目が3つとか5つある左右非対称であり、生物の進化の中でこの生物を加えると進化論が成立しなくなるらしい。なので化石が発見されて一時期は公表されなかった……。
 何ともSFマインドを刺激する話ではないか。こういう話は大好きだ。

 興味深い話のあとの曲がまた印象深かった。
 というか、第二部で披露された曲はどれも僕の琴線に触れるものだった。渡辺さんが以前発表した曲を新たにアレンジしてきた「大塚の女(ひと)」(仮)。堀越さんの曲で、ラヴェル「ボレロ」のリズムそのままにオリジナルのメロディが奏でられる「The Bolero」。

 終了後、受付でCD「Infinity Orchestra」が売り出されたのですぐに買いに走った。
 一人、テーブルでブルドッグを飲みながら余韻に浸る。
 この店はビートルズに格別の思い入れがあるようだ。壁にはすべてのアルバムジャケットが貼ってある。昭和41年の武道館ライブのチケット(レプリカ?)も額に入れられて飾られている。ローリングストーンズのチケットも。何たって定期的に「ビートルズ大会」を開催しているのだ。素人バンドが5,000円の費用で参加できる。

 深町さんに石間さんの件を確認した。ユニットを結成したのはいいがすぐに解散してしまったとか。原因は……まあ、いいや。
 ずっと気になっていたことを質問してみた。
「深町純って本名なんですか?」
 だって、素敵な名前ではないか。
「よく言われるけど、本名だよ」
 深町っていったら、僕らの世代、「タイム・トラベラー」や「時をかける少女」に夢中になった世代には、ある種憧れの苗字だろう。で、名前がJUNだもの。
「『沈黙の艦隊』の潜水艦の艦長の名前も深町なんだって?」
 よく言われるらしい。調べてみたら、主人公ではなく、海上自衛隊のディーゼル潜水艦〈たつなみ〉の艦長だった。深町洋。なるほど、なるほど。
 自分のお店で、毎月最終土曜日にソロライブを開催していることを教えてもらった。今月は無理だが、来月には行ってみよう。

 3杯目のブルドッグを飲み干して店を出た。店の前では堀越さんがスタッフの方と一緒にクルマに楽器をしまっていた。
 一度通り過ぎて、思い直して戻ってきて訊ねた。
「石間さんや篠原さんと演奏する予定はあるのでしょうか?」
 答えはイエス。ハプニングス・フォーのライブで篠原さんと共演するとのこと。石間さんとも、石間さんのギターが大好きなのでいつかは一緒にセッションしたいと。堀越さんのHP、要チェックだな、こりゃ。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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