昨日(28日)は恵比寿ガーデンシネマで「ビューティフル・アイランズ」を観る。水曜日は1,000円なので。先月の「シネマDEりんりん」のゲストがこのドキュメンタリーを撮った監督さんだった。元NHKのディレクター。この映画についてはまた項を改めて。

 帰りに新宿駅で降り、歌舞伎町のはずれで営業している某バーへ。「シネマDEりんりん」で知り合ったM氏(映画監督)が水曜日だけバーテンをしている。やっと寄ることができた。店の外も内もゴールデン街のお店みたい。ブルドッグ3杯。いろいろ映画の話を終電近くまで。

          * * *

2010/06/14

 「ゴールデンタイム 続・嫌われ松子の一生」(山田宗樹/幻冬舎)

 「嫌われ松子の一生」の続編なんて成り立つのだろうか? それが本書を見つけたときの第一印象だった。ヒロインの松子は前作で死んでいるのである。いや、冒頭から死んでいて、その半生を甥っ子(&自身)が追いかけるのだから、できないことはないか。いやいや、松子の生き方について前作ですべて語ってしまっただろうに。あれ以上何を書くというのか。

 主人公は、甥っ子の笙と元恋人の明日香。かつてふたりは同じ大学に通っていて、一緒に松子の半生を追いかけていた。その最中、ある天啓を受けた明日香が笙の元から去って行ったのだ。自分の進む道はやはり医学なんだと、もう一度受験をやりなおしたい、と。
 九州の国立大学医学部に通う明日香と、大学卒業後就職せず(できず)にアルバイトをしている笙。
 対照的な日常生活が、交互に並ぶふたりの一人称による語りによって進行していく。
 笙に25、26年前の自分を見て、夢中でページを繰っていた。「何が嫌われ松子の続編なのか?」なんて疑問はどこかに消えていた。下北沢が主な舞台になっているのも親近感がわく。商店街から離れたところにラブホテルがあるとの記述があるがわざとなのだろうか? 商店街に2軒ありますからね。どうでもいいや。
 あるきっかけから笙が小劇団の一員となり、次第に芝居に夢中になってく過程が興味深い。劇団の裏側や芝居のイロハ(発声練習等)が描かれているところが。「ういろう売り」を実際に見てみたいものだ。

 いろいろあってふたりが再会するくだりがクライマックス。
 お互い別々の道を歩いていることは理解している。笙にしてみれば、これから自分の進むべき道がわかったことを伝えたかった。明日香は、芝居の道に進もうとする笙に意見する。笙は怒る。反発する。
 ここで得心するのだ。この小説が 「嫌われ松子の一生」の続編であることを。

 笙の立場から次のように書かれている。

    ◇
 明日香も、ああいう人間の側に立っているのか。俺とはもう、住む世界が違うのか。
「医者になって社会の役に立てたら有意義な人生で、俳優を目指して挫折したら、うすっぺらな人生か? ひらのサラリーマンで終わったら、うすっぺらな人生か? ホームレスになって公園で野垂れ死んだら、うすっぺらな人生か?」
 俺は、息を深く吸った。溢れてくる感情を、抑え込んだ。
「松子伯母さんの人生は……うすっぺらな人生だったのか?」
    ◇

 涙が出てきた。それはまさに常日頃自分が考えていることだから。


2010/06/05

 「日本人が忘れちゃいけないこの落語」(三遊亭圓窓/ベストセラーズ・ベスト新書)

 圓生襲名は結局のところどこに落ちつくのだろうか。
 生前、圓楽(五代目)は、弟子の鳳楽に襲名させるとマスコミに発表した。同時に発表された楽太郎の圓楽襲名は、今年になって無事披露目が行われた。
 圓生襲名の方は円丈が名乗りを上げ、鳳楽と「圓生争奪戦」なる落語会を開催した。ある種のイベント、出来レースだと思っていたら、圓窓も参戦し三つ巴の戦いに。この争奪戦、マジだったのだ。円丈は圓窓の襲名に「消極的賛成」とのこと。要は二人とも、圓楽(五代目)の横暴許すまじ! なのである。
 そんなときに図書館に棚で本書を見つけた。
 有名どころの噺について解説している。

 CD「替わり目」が付録でついているのが新書では新機軸だろう。返却日までに借りてきた本を読むのに手一杯。聴き忘れてしまった。
  

2010/06/19

 「昭和の爆笑王 三遊亭歌笑」(岡本和明/新潮社)

 (後で記入)


2010/06/21

 「THE芸人学 すごい!お笑い」(ラリー遠田/東京書籍)
 
 〈戦国時代をサバイバルする30人の成功法則〉の副題がつく。
 著者の名前は最近ネット記事でよく拝見する。若手からベテランまで今を代表する芸人たちがいかに売れっ子になったのか、どのように人気を持続しているのかを解説しながら、さまざま局面におけるビジネスや人間関係のあり方を伝授する。少々見方を変えた芸人評論といったところ。




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2010/06/02

 「リアルワールド」(桐野夏生/集英社)

 この小説も、実際の事件にインスパイアされたとおぼしきもの。〈取材した〉ではない、あくまでも〈インスパイアされた〉小説。桐野夏生にはこの手の作品が多い。

 それにしてもこの小説、登場人物と同じ世代の少年少女向けなのか、ティーンエイジャーの親が読むべきものなのか。
 母親を殺して逃走する男子高校生と、逃亡の手助けをする女子高生4人組。男子高生と女子高生の関係は希薄だ。男子高生と女子高生の一人がお隣さん同士なのだが、これまでまったく接点がなかった。逃走時に駅で盗んだ自転車(&携帯電話)がたまたま当の女子高生のものだったに過ぎない。

 各章がそれぞれ5人の一人称による語りになっている点が興味深い。
 女子高生の生態や思考が、タイトルどおりリアルに表現されているところに、読み始めのころはうんざりしていたのだが、途中で気にならなくなった。感情移入させられたのだ。年齢的には彼らの親の世代なのに。自分が思っている自分、他人が考える自分。その差。あの孤独感、焦燥感は三十数年前も現代も変わらないということなのか。
 ラスト近くで彼女の叫び声が聞こえたような気がする。「グロテスク」がそうだったように。


2010/06/10

 「KUROSAWA 黒澤明と黒澤組、その映画的記憶、映画創造の記録 映画美術編」(塩澤幸登/河出書房新社)

 「平凡パンチの時代」を読みながらどうにも気になって仕方なかった。著者の名前に見覚えがあったのだ。しばらくして気がついた。そうだ、〈黒澤明〉本だ! 確か分厚い黒澤本の著者が同じ名前だったような。調べてみたらやはりそうだった。それも何冊か出ている。今は「黒澤明体系」というもっと分厚い本がシリーズ(今のところ4冊?)で出版されているのでそれほどでもないが、初めてこの「KUROSAWA」シリーズを書店でみたときはかなりインパクトがあった。

 映画スタッフという言葉に人は何を思うのか。たとえば〈「パイレーツ・オブ・カリビアン」のスタッフが再結集!〉なんていうキャッチコピーがあるとする(映画タイトルはあくまでも大ヒットした映画の例だが)。若いころは「パイレーツ・オブ・カリビアン」のスタッフが50人いるとして(実際はもっと大所帯だろう)、50人が再び集まるイメージがあった。実際は、プロデューサー、シナリオライター、監督、キャメラマンの4人が同じくらいの意味あいなのである。
 スタッフといったら、末端の人たちも含めるべきだろうし、映画はそういう人たちがいて製作されるものではないか。

 本書は、そういう意味できちんと美術スタッフに取材(インタビュー)していてとても読み応えがある。「平凡パンチの時代」がそうだったように、スイスイ読める。700ページが苦にならない。テーマが映画美術というのも一因かもしれない。
 通常なら村木与四郎やワダエミ、黒澤和子あたりが取材対象になるだろう。スタッフの対象が広く、かつ黒澤組の現場に対する率直な感想が貴重だ。なかば伝説化している「赤ひげ」養生所のセット、小道具の扱い…実際に画面に映らなくても、薬棚(箱)すべてに薬が用意されていた…が嘘であることがわかった。とはいえ、汚しについてはかなり心血をそそいでいる。読んでいて思った。「スター・ウォーズ」に登場する宇宙船、メカの類がいかにも使い古された感じがして公開時話題になった。これも黒澤映画の影響ではないだろうか。

 東宝撮影所の中でもやはり黒澤組は特別であることがわかった。スタッフに特別な意識があったからこそ、映画史に残る数々の黒澤作品が生まれたのだ。
 だからこそ考えてしまう。「トラ・トラ・トラ!」では、なぜ、東映京都撮影所を選んだのか? 大映京都撮影所、あるいは松竹大船撮影所ならば、過去使用したことがあるのでまだわかる。東映、それも京都なんてこれまでまるで交流がない。当然スタッフも。そんなところに黒澤組の常識が通用するはずがない。にもかかわらず、東宝撮影所における黒澤組同様の撮影方式を貫き、スタッフと軋轢が生じ、結局解任されてしまうのだ。
 世界に進出するためには、慣れ親しんだ東宝から脱却しなければならないと考慮した結果なのか。あるいは〈世界のクロサワ〉ならばどの撮影所でも自分のやり方が通用すると判断したからか。

 掲載されたインタビューは実際録音されたものをそのまま書き起こされたものなのだろうか。というのは、活字化するにあたって、より読みやすく、あるいは読んで理解できるように、書き改めたほうが良いと思われる箇所がいくつかあるからだ。インタビュアーが別の人だと業界ではNGなのかもしれない。


2010/06/11

 「素晴らしい日本野球」(小林信彦/新潮文庫)

 突然「素晴らしい日本野球」に所収されている短編群が読みたくなった。
 単行本「発語訓練」、その文庫本「素晴らしき日本野球」。どちらも持っている。にもかかわらず、本棚を探したらどちらも見当たらない。そうなると余計に読みたくなる。2月、両国を訪れたときにブックオフで見つけた。何冊持っていてもいいやとすぐに購入。以降、ずっと積ん読状態だった(なぜ?)。

 「素晴らしい日本野球」「素晴らしい日本文化」のW・C・フラナガンものは、後年、薄井ゆうじが「本の虫」で挑んでいる。
 そのほか、 もしもソ連に進駐されていたら? でたらめなヒット歌謡曲の羅列に大笑いできる「サモワール・メモワール」、身辺雑記風の私小説が異様なラストを迎える「到達」、いたいけな少女をヒロインに大藪春彦風ハードヴォイルドが展開される「いちご色の鎮魂歌」、ほら吹きで有名だったジョージ川口、彼をモデルにしたジャズドラマーの奇想天外な人生を描く「嵐を呼ぶ昭和史・抄」等々。
 愉快、痛快、奇奇怪怪。




 先週23日(金)は、桑原美由紀プロデュースと銘打つ朗読会「被爆体験者の声と語り」。

 前回の打ち合わせのときだった。桑原さんから聞いた。2回目の朗読会は被爆体験者の講演と朗読を組み合わせたものになると。
 すぐに提案した。
「だったら朗読の最後で紙ふうせんの『一本の鉛筆』を流しませんか?」
 美空ひばりの反戦歌を紙ふうせんがカバーしているのである。FFA(フォーク・フレンドシップ・アソシエイション)からリリースされた2枚目のアルバム「青空と海」に収録されている。

 アルバムタイトル曲の「青空と海」はえひめ丸事件で亡くなった高校生たちへの鎮魂歌だ。平山さんの作詞、作曲。平山さんの歌声が胸を刺す。実際、リサイタルのとき、隣に座った年配の女性客は大泣きしていた。
 前奏がとてもヴィジュアル的だ。大海原を行くえひめ丸がロングからアップへ。同時にアメリカ海軍の潜水艦が海面に向かってぐんぐん上昇していく。衝突。事故の模様がフラッシュで描写され、やがて穏やかな海にオーバーラップ。編曲は今出哲也氏。
 その他、「虹」、「街を走り抜けて」、「2001年アクエリアス」、「花はどこへいったの」、メッセージソングが揃っている。1曲めの「OSAKA」もある意味そうだろう。紙ふうせんがメッセージソングを歌っているなんて、ほとんどの人は意識していないだろうな。

 ということで、朗読会は紙ふうせんのアルバム「青空と海」とのコラボになった。もう1枚、赤い鳥の「パーティー」も。平山さんの作詞・曲「私はペンキ屋になるだろう」が収録されているのだ。そうだ、「紙風船」も使おう!

 一応、事前に構成表を作ったが、実際どうなるのかは当日の打ち合わせによる。
 11時、会場集合。それから12時過ぎまでの打ち合わせとリハーサル。音楽、効果音(サイレン)、照明、緞帳の開閉。司会、影ナレ。前回以上にやることが多かったが、とりあえずこなした。自分を褒めてやりたい。ちょっとミスしたけれど。

 あの暑さの中、会場に足を運んでいただいたお客様に感謝申し上げます。


 開場時BGM 「花はどこへいったの」「街を走り抜けて」「2001年アクエリアス」


  ♪「青空と海」

 ●畑谷由江 「被爆体験談 広島、被爆体験より~生かされている人生、生きていることの奇跡~」
 
  ♪「一本の鉛筆」

 ●竹内文子  二胡演奏「翼をください」他

  休憩 BGM「私はペンキ屋になるだろう」
  
 ●MIYOYO   紙芝居、朗読 詩「ねがい」

 ●桑原美由紀 朗読 山川方夫「夏の葬列」
 
  ♪「虹」

 終演時BGM「紙風船」


 今回の朗読会、急なお願いにもかかわらず受付を担当してくれたSさんに感謝。前回のWさんがNGで、おまけにHさんも急遽ダメになった。Sさん、仕事の合間をぬって駆けつけてくれたのだ。
 ありがとうございます!
 
          * * *

 お江戸日本橋亭は駅なら銀座線の三越前が一番近いが、JRだったら神田駅から歩いて10分ほどで行ける。
 9時半過ぎ神田駅に着いて、ファーストキッチンで遅めの朝食。10時になったので、日本橋亭近くのドトールへ。途中で書店に寄る。もしやと思って、音楽雑誌のコーナーをあたったら、あった! 「月刊カラオケファン 9」。普段は見向きもしない。特集が「わが青春のフォークソング」、フォーク歌手対談の関西編が紙ふうせん&BOROなのだ。
 痛恨の誤植を発見。「翼をください」の作曲者をインタビュアーの合田道人氏が鈴木(邦彦)さんと言っている。これ、実際は村井さんと訊ねているはずだ。でなければ、後藤さん(平山さん)が訂正するもの。


aozoratoumi
「青空と海」
このジャケット、大好きです
平山さんが素敵!

後藤さん、そろそろ新アルバムをリリースしてはいかがですか。




 へぇ、「007 死ぬのは奴らだ」と「ポセイドン・アドベンチャー」、一緒に観ていたんだ。ちょっと意外。自分の中では別の日に鑑賞していると思っていたので。

 「007 死ぬのは奴らだ」は初めて劇場で観た007映画だった。というか、初めて観た007映画である。もちろんショーン・コネリー主演のシリーズがあることは知っていたが、それまで一度も接点がなかった。
 ショーン・コネリーに代わってロジャー・ムーアがジェームス・ボンドに扮したシリーズ第8作。
 ポール・マッカトニー&ウィングスの主題歌がいい。モーターボートを使ったアクションもかなりの興奮度。007映画って面白いんだと満足していたら、ロジャー・ムーアが007らしくないとかなり叩かれているのを知った。曰く「ショーン・コネリーこそ007だ」。 そんなこと言われても、これまでの007映画観たことないからなぁ。
 以前も書いたことだが、これって、第二期ウルトラ(マン)シリーズを否定する第一期ウルトラシリーズファンみたい。まあ、その後、「ゴールドフィンガー」や「ロシアより愛をこめて」を観る機会があり、旧シリーズファンの気持ちがわかるのだけれど。

 「ポセイドン・アドベンチャー」についてはリメイク版を観たときに当時の思い出を綴っている


    ◇
 1974年4月29日

 「007 死ぬのは奴らだ」と「ポセイドン・アドベンチャー」の2本大勝館で観てくる。

 「死ぬのは奴らだ」は気に入ったのはテーマ音楽(がよかった)、アクション(がすばらしかった)、この2つ。ボンドにふんするロジャー・ムーアもよかった。

 「ポセイドン・アドベンチャー」はSFドラマであり、娯楽映画なのである。スリルにとんでいてこちらはハラハラしどおしだった。次に誰が死んでしまうのか、死なないでほしいのだが、生存者10人のうち残ったのはたったの6人。彼らを指導した英雄スコット牧師はみんなを助けるために死んだ。やはりこれは楽しめながら感動する映画だと思う。
    ◇




 【おまけ】

    ◇
 5月1日

 夜9:00からテレビで「個人教授」を観た。映画館で観たことは1年のときこの日記につけた。
 フランシス・レイの音楽がいちだんといい。
 近頃「個人授業」とかいうへんちくりんな歌がヒットしたが、これとタイトルが混同してしまいそうだ。
 内容はルノー・ベルレー、ナタリー・ドロン主演のこの映画の方がよっぽどいい。
    ◇




 承前

 子どものころは意識していなかったが、後でわかったことがある。
 ウルトラマンのプロポーションは、中で演じる役者によって決まるのだ。初代ウルトラマンを演じた古谷敏は八頭身のスリムな体型、日本人離れしていた。対して菊池氏は長身とはいえどちらかというと日本人体型。同じシルエットになるわけがない。
 「帰マン」に初代ウルトラマンがゲスト出演したときに昔の面影がなかったのは、スーツの出来の悪さもあるが、スーツアクターのせいなのだろう。

 初代ウルトラマンは「ウルトラQ」でケムール人やラゴンを演じた古谷敏という東宝大部屋俳優に惚れたデザイナー成田亨が、古谷敏が演じることを前提にデザインしている。
 「ウルトラマンになった男」(古谷敏/小学館)によると、「セブン」でも成田亨から直接スーツアクターをオファーされたらしい。しかし、俳優として顔が出なくては意味がない。結局断ってウルトラ警備隊の一員(アマギ隊員)にキャスティングされた。成田亨はセブンのスーツアクターが六頭身の俳優(上西弘次)だと知って、日本人体型でも見た目がおかしくないヒーローのデザインを施したという。

 「ウルトラファイト」でも「帰マン」でも、ウルトラセブンにそれほど違和感がない理由がこれでわかった。もちろんアクションになればオリジナルとの差は大きいのだろうが。
 ずいぶん後になって知るのだが「ウルトラセブン」には、スケジュールの都合で上西弘次が演じていないエピソードがある。キングジョーが登場する「ウルトラ警備隊西へ」前後編だ。代演は菊池英一! 確かにファイティングポーズが帰マンである。
 たぶん菊池氏が「帰ってきたウルトラセブン」を演じていたならそれほどの違和感はなかったと思う。ウルトラマンはフォルム的にスーツアクターを選ぶということだ。特に第一期ウルトラ世代にはウルトラマンのスタイルに対する強烈な刷り込み作用があるので。

 チャック隠しのひれに関しては、大人になってからこう思うようにした。
「あれは長髪のウルトラマンなのだ」
 70年代は長髪が大ブームだった。僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら、なんてフォークソングがヒットした時代である。ゲスト出演したハヤタの髪も昔に比べてかなり長かった。そりゃウルトラマンのひれ(髪)だって伸びるって!
 
 それにしても……。
 第二期ウルトラ(マン)シリーズは、歴代ヒーローのスーツをないがしろにしていた気がしてならない。スタッフに過去の作品に対するリスペクトが感じられないのだ。ゲスト出演するゾフィ、初代ウルトラマン等を見ればわかるというもの。単にスーツを着ているだけ。かっこよさの微塵もない。光学撮影を含む特撮そのものはそれなりによくなっているのに、ヒーローのスーツに関しては技術が後退していたような。
 僕がウルトラ兄弟を嫌悪する要因はそこだった。もちろん、変に擬人化されたということもあるが。

 話が長くなった。帰マンのスーツになるとどうしても饒舌になってしまう。
 最後に、気になったエピソードについて感想などを。
  

 ■「津波怪獣の恐怖東京大ピンチ!」&「二大怪獣の恐怖東京大龍巻」

 前後編の場合、「マン」「セブン」では、サブタイトルは一つで〈前編〉〈後編〉と区分されていたが、「帰マン」になるとそれぞれ独立してつけられるようになった。前後編の作品には傑作、秀作が多い。この作品も「帰マン」を代表するものとなっている。大津波や竜巻の特撮が見所だ。 
 放映後、1本にまとめられ35ミリにブローアップ、〈東宝チャンピオンまつり〉の1プログラムとして劇場公開された。メインは「ゴジラ対ヘドラ」。ゴジラが放射能で空を飛ぶ描写にあきれて怒り狂ったことは覚えているが、「帰マン」の印象がまるでない。
 四足怪獣(メス)シーモンス、二足怪獣(オス)シーゴラスは夫婦という設定。なるほどその体形の方が交尾がしやすいな、なんてことは大人になってから思ったことで……。
 脚本は「帰マン」のメインライター上原正三、監督は富田義治。


 ■「大怪鳥テロチルスの謎」&「怪鳥テロチルス東京大空爆」

 ゲスト出演で70年代の金色夜叉を繰り広げるのは当時の青春スター・石橋正次。実はこのエピソード、本放送時は観ていない。ずいぶん後になってやっと拝見したわけだが、そのとき石橋正次の相手役の女優に釘づけになった。服部妙子じゃないか!
 「傷だらけの天使」に「シンデレラの死に母の歌を」という、僕の中でNO.1のエピソードがある。ゲストで薄幸の女性を演じていたのが服部妙子。最初の登場シーンに胸キュンになった。当時好きだった同級生の女の子に似ていたからだ。
 特撮怪獣、特撮ヒーローものというより、それこそ恋愛ドラマ、青春ドラマといった体裁。
 脚本:上原正三、監督:山際永三。

 後年、怪獣やウルトラマン、怪獣攻撃隊が当たり前に存在する世界を背景にしたボーイ・ミーツ・ガールものの映画を考えたことがる。今から思うと元ネタはこのテロチルスの回にあるのかも。

 関係ないけれど、第一話「怪獣総進撃」には「タイム・トラベラー」の島田淳子(後の浅野真弓)が出演している。「ウルトラマン80」の教師編で女教師を演じていましたね。


 ■「ウルトラセブン参上!」

 セブンがゲスト出演すると知って、放映を待ちわびていたことを覚えている。
 セブンから貰ったウルトラブレスレットは、帰マンらしさを作り出したが、剣になったり盾になったりするのは第一期ウルトラファンとして、らしくない。ウルトラマンはあくまでも光線技で敵と戦ってほしいのだ。武器を持つのは擬人化の第一歩にほかならない。

 郷が立ち寄る喫茶店の店員がTACの今野隊員。MATステーション勤務の一人は大門正明。どちらも今回初めて気がついた。
 マットビハイクルのナンバープレートは「MAT-1」。このナンバーで公道を走るのだが、それはアップのときだけ。ロングの撮影になると、ちゃんとした数字4桁のナンバープレートになっていました。
 脚本:市川森一、監督:鍛冶昇  


 ■「怪獣使いと少年」

 11月の傑作群4本のうち、「悪魔と天使の間に……」と「怪獣使いと少年」の2本は本放送時観ていない。「許されざるいのち」の劇中にPYG「花・太陽・雨」が流れ、郷の少年時代の回想シーンが挿入される映像に衝撃を受けた。当時「怪獣使いと少年」を観ていたら、別の意味でショックを受けていただろう。
 東條昭平の初監督作品(脚本:上原正三)。それまでずっと本編の助監督でクレジットされていた。
 このエピソードが〈人種差別の問題を宇宙人に仮託して描いている〉と思うのは、宇宙人だと皆から噂され、虐げられた生活を送る少年の台詞にある。
 郷に対して少年が言う。
「僕は宇宙人じゃないよ、日本人だ!」
 この場合、普通の感覚なら地球人だ!と言わないだろうか?

 今回初めて気がついた。アフレコにミスがあるのだ。
 不良中学生の3人と少年のやりとり。おかゆのシーンだ。
 中学生の一人が言う。「くや」
 沈黙の後、別の少年の台詞。
 そして、先ほどの声で「くやしいかよ」
 台詞の箇所を間違えたのね。
 なぜリテイクにならなかったのだろう?


 ■「許されざるいのち」

 「帰マン」の中で一番好きなエピソードと言われたら、迷わずこの回を選ぶ。ストーリーとかテーマとか関係ない。劇中にロックバラードが流れ、郷の少年時代がカットバックされる手法、音楽と映像そのものが12歳の映画好きな少年にとてつもないインパクトを与えたのだ。ウルトラマンに変身すると、いつもの劇伴になってしまうのが残念でならない。
 脚本:石堂淑朗、監督:山際永三


 ■「残酷! 光怪獣プリズ魔」

 なぜ、このエピソードも〈11月の傑作群〉に含まないのだろうか。12月になってからの放映だったとしても。
 異色作である。岸田森が朱川審の筆名で脚本を書いた。カメラワークが凝っている。この回で使われた光学撮影が「ウルトラマンA」のタイトルバックに応用されている。絶対温度という概念を教えてくれたエピソードでもある。
 監督は山際永三。

 3クールになると、極端に榊原るみの出番が少なくなった。出演はいつも岸田森と次郎くんだけ。そうはいっても、画面に登場しないだけで3人で仲良く暮らしているのだろう。視聴者としてはそう考えている。
 が、この回、プリズ魔を追って郷と二人、乗用車でとある海岸を訪れた岸田森がポツリ言うのだ。
「次郎の奴、一人で夕飯食べただろうか?」
 おいおいアキはどこに行ったんだぁ!? 旅行に出かけたのかぁ?


 ■「夜を蹴ちらせ」

 吸血鬼は宇宙人だったというストーリー。本筋より坂田兄(岸田森)と次郎くん(川口英樹)のやりとりが印象深い。岸田森のおどけた笑顔に「傷だらけの天使」辰巳さんがしのばれて。
 この回をもって僕の中では「帰ってきてウルトラマン」が終わった。なぜなら、次回が坂田兄妹が宇宙人に惨殺される「ウルトラマン夕日に死す」だから。
 脚本:石堂淑朗、監督:筧正典


kyoudai
ウルトラ5兄弟

初代ウルトラマンに昔の面影がまったくない!
撮影に追いまくられていたのかなあ
「ウルトラマンレオ」の第一話に登場するセブンなんて耳がついてないのだから





 承前

 「帰ってきたウルトラマン」に登場するウルトラマンは「ウルトラマン」のウルトラマン、初代ウルトラマンではない。最初の企画は、初代ウルトラマンが再び地球にやってくるという設定だったらしい。だからこそ「帰ってきたウルトラマン」のタイトルがついたわけだが、途中で別のウルトラマンに変更された。
「新しいウルトラマンなのになぜ〈帰ってきた〉?」
 そんな疑問をよく目にするが、当時はそれほど不思議に思わなかった。デザインは違うけどウルトラマンはウルトラマンだ。そのウルトラマンが 久しぶりに地球(日本)にやってくるのである。地球(日本)人から見れば、それはやはり帰ってくることではないか、と。

 番組が始まる前に弟が購読している「小学1年生」のグラビアで新しいウルトラマンを知った。デザインが違うのはそれでわかった。一つだけ納得いかない箇所があった。手袋とブーツである。
 確かにウルトラセブンは手袋やブーツを着用していた。しかし、ウルトラマンにはそういう区分がなかった。一体化しているのである。一体化しているからこそウルトラマンという思いがあった。
 なぜ、新ウルトラマンは手袋とブーツを着用しているのか? 
 理由は撮影時に手間がかかるから。手袋、ブーツの継ぎ目がわからなくする工夫は面倒だったのだ。
 よって「ウルトラセブン」は手袋、ブーツがはっきりわかるスタイルになり、「帰ってきたウルトラマン」もそれを引き継いだのだ。

 まあ、それはしょうがないとして、番組が始まって気になってきたのは、ウルトラマンのスタイル、造形だった。
 デザインが違うにしても、こちらとしては、全体の印象は初代ウルトラマンのそれを求めている。初代ウルトラマンの、いわゆるCタイプと呼ばれるスーツに匹敵するものを期待していた。ところが画面に登場する新ウルトラマンはマスク以外、どこか野暮ったい。胸元は筋肉隆々というより、単に段差をつけましたという作り。身体は初代の鋼のようなイメージはなく、ウェットスーツ着ていますって感じ。腰から下なんて動きによっては皺ができてしまって何ともかっこ悪い。

 我慢できなかったのは頭から首にかけてのチャック隠しのヒレである。
 始まったころはそうでもなかったが、3クールごろから極端に大きく強調されるようになり、おまけに首のあたりがよれてみっともないったらありゃしない。正面の構図はいいのだが、斜め、横になるととたんにかっこ悪くなる。
 番組を視聴しながら、クライマックスの特撮シーンになるとそればっかり気にしていた。
 ある日、帰マンのスーツアクター菊池英一(現・きくち英一)氏に手紙を書いた。内容は「ウルトラマンのヒレがみっともないから何とかしてくれ」。生まれて初めて出したファンレターだった。

 坂田兄妹が惨殺されるエピソードの後編「ウルトラの星光る時」には帰マンを助けるため、初代ウルトラマンとウルトラセブンがゲスト出演するのが話題になった。
 セブンは「ウルトラファイト」にレギュラー出演していたし、「帰マン」でも「ウルトラセブン参上」に一度ゲスト出演しているが、初代ウルトラマンについては番組が終了してからその動く姿を見たことがなかった。期待に胸膨らませて登場を心待ちにしていた。が、その姿があまりにかっこ悪いのでショックを受けた。手袋とブーツを着用している。帰マンを単に初代のデザインにしたような感じ。初代のイメージのかけらもなかった。

 第二期ウルトラ(マン)シリーズのマンガは内山まもるが有名だ。彼のマンガでは帰マンのヒレのよれ方もちゃんと描いているのが特徴。悲しいのは帰マンだけでなく初代も同じようによれていること。あれだけはどうしても許すことができなかった。


man a
ウルトラマン Aタイプ
全身鋼鉄のイメージがあるでしょう?

man c
ウルトラマン Cタイプ
ウルトラマンといったらこのイメージ!

kiman
帰ってきたウルトラマン
スーツ着ているって感じしませんか?

kiman2
横から見た帰マン
首の部分、通常の状態だとよれてだらしないんですよ


 この項続く




 承前

 人間主体のドラマとはいえ、「帰ってきたウルトラマン」のストーリー、展開はもちろん「マン」「セブン」のフォーマットを踏襲している。
 冒頭で怪事件が起こり、MATが出動すると怪獣が出現、いろいろとあって郷がウルトラマンに変身、怪獣と対決して倒す。その間の人間関係の描写が秀逸なのだ。そこらへんのことはこれまで研究書でさんざ書かれているのでここでは言及しない(事件が発生すると、MATがきちんとした作戦を立てて行動することがうれしい)。

 特筆したいのは、MATと坂田家(坂田三兄弟)がドラマの中できちんと融合しているところだ。坂田兄の岸田森、妹で郷の恋人役の榊原るみが登場すると、それだけで心が和む。もちろん、歳の離れた弟・次郎くん(川口英樹)も「ウルトラマン」のホシノくんよりよっぽど存在意義を感じたものだ。
 「帰マン」世界の一番重要な要素の一つが郷と坂田家との交流だった。にもかかわらず、榊原るみのスケジュールの都合で、あっけなく坂田兄妹を退場させてしまったのが残念でならない。それも宇宙人に惨殺させるなんて!
 
 まあ、70年代初めという時代を考えれば〈あり〉なのかもしれない。あの時代、アメリカン・ニューシネマの季節だった。ピーター・フォンダやデニス・ホッパーは意味もなく銃弾の餌食になり、渡世人きどりの尾藤イサオも小倉一郎もあっけなく死んだ。マカロニ刑事は立小便しているときに通り魔に襲われて絶命。ラストで惨めに死ぬのがかっこよかった。
 そんな時代だからこそ殺されたのだろう。が、しかし、子ども番組でやってはいけないだろうよ! 当時小学6年生だった僕がトラウマになったのだ。その後、再放送でもビデオでも坂田兄妹が惨殺されるエピソードの前後編は観ることができない。ずっとパスしている。もっと年下の子どもたちはどう思っているのだろうか。

 殺そうと決断した局プロデューサーを今でも恨んでいる。どこか旅行に行かせる等で降板を処理するのが嫌だったのなら、兄と弟の会話の中に存在させればよかったではないか! 最終回まであと1クールとちょっとだけだったのだから。実際、〈11月の傑作群〉のころは兄弟しか登場しなかった。それでもドラマは成り立っていた。最終回近くに出演してもらえれば御の字ではないか。
 兄妹のあっけない死を思い浮かべると今でも胸が苦しくなる。

 そして、そして。
 このころから疑問符だらけだったウルトラマンの造形、スタイルがよりひどくなっていくのだった。


sakataani
sakataimouto
jirokun
坂田三兄弟

岸田森は「帰マン」の背骨だったのに
榊原るみの笑顔がたまらない
この笑顔のために丘隊員の魅力がわからなかったともいえる
次郎くんは僕と同級生か一つ年下だったような

 この項続く    




 「ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント」(朱川湊人/光文社)を読んで、本家(映像作品)を当たりたくなった。実際、本放送のとき、初期の数話は見逃しているのである。
 先週の土曜日、TSUTAYAからDVDを借りてきた。ついでに「帰ってきたウルトラマン」も。テロチルスの前後編、プリズ魔の回が観たくて。

 「ウルトラマンメビウス Vol.1」 
 「ウルトラマンメビウス Vol.8」 
 「帰ってきたウルトラマン Vol.4」
 「帰ってきたウルトラマン Vol.5」
 「帰ってきたウルトラマン Vol.9」

 「ウルトラマンメビウス」はとりあえず脇においておく。
 「帰ってきたウルトラマン」について。

 「残酷! 光怪獣プリズ魔」は「不死蝶 岸田森」にシナリオが掲載されていた。読めばどうしたって映像が観たくなる。収録されているVol.9を手に取った。
 もうひとつ、初期の作品、怪獣もの、特撮ヒーローものというより青春ものの印象が強い前後編作品「大怪鳥テロチルスの謎」「怪鳥テロチルス東京大空爆」も押さえておきたい。が、仲良く一枚のDVDに収まっておらず、Vol.4、Vol.5を借りることに。

 収録作品は以下のとおり。

 ●Vol.4
  「津波怪獣の恐怖東京大ピンチ!」「二大怪獣の恐怖東京大龍巻」「怪獣少年の復讐」「大怪鳥テロチルスの謎」
 ●Vol.5
  「怪鳥テロチルス東京大空爆」「ウルトラセブン参上!」「宇宙から来た透明大怪獣」「怪獣は宇宙の流れ星」
 ●Vol.9
  「怪獣使いと少年」「許されざるいのち」「残酷! 光怪獣プリズ魔」「夜を蹴ちらせ」
 
 「帰マン」は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」ほどではないものの、再放送やビデオで何度も観ている。にもかかわらず、今回初めて知った事実がある。MAT隊員のヘルメットに固有の番号がついているのだ。主人公・郷秀樹(ウルトラマンに変身)のそれは6だった。以降、注意深く画面をみて調べてみると――

 ・隊長(塚本信夫、途中で根上淳に交代)……1
 ・南隊員(先日亡くなった池田駿介)……2
 ・岸田隊員(今も2時間ドラマ等で活躍している西田健)……3
 ・上野隊員(コメディリリーフに嫌味がなかった三井恒)……4
 ・丘隊員(よく見ると魅力的な女性だった桂木美加)……5

 この番号制、ファンの間では周知の事実なのだろうか?

 「帰ってきたウルトラマン」というタイトル、またそのレタリング文字はいつ見ても決まっている、と思う。
 それからMATのユニフォーム。歴代の怪獣攻撃隊(特捜隊)の中でも1、2位のデザイン、シルエットではないか。オレンジに黒のラインがかっこいい。MATのメカ(マットアロー1号、2号、マットジャイロ)も少年の夢を育むものだ。

 肝腎の内容であるが……

 やはり後番組の「ウルトラマンA」とは格が違う。もう雲泥の差。
 まあ、「ウルトラマンA」の場合、ストーリー、ヒーロー、怪獣・超獣、メカのデザイン、造形、すべてにおいてアイディアが枯渇していた時期の作品なのだろうが。あるいは完全に対象を小学校低学年以下の子どもに絞った結果か。

 「ウルトラマン」「ウルトラセブン」はSFドラマだった。「帰ってきたウルトラマン」は青春ドラマでありホームドラマなのだ。人間が主役。日常の中に怪獣(宇宙人)やウルトラマンが存在している点は同じでも、そこが大きく違う。
 第一期のウルトラシリーズは前作に新しい要素を加えながら、視聴者の年齢を上げていった。怪獣を前面に押し出して年齢層を下げたような印象のある「帰ってきたウルトラマン」も、当初は第一期の流れを汲んでいたのである。ドラマそのものはある意味、第一期を凌駕しているかもしれない。少なくとも1クールは。

kiman
安定感のある素敵なタイトル
だと思いませんか?


 この項続く




 今朝は朝刊が読めなかった。いつもの時間に届かなかったのだ。
 選挙結果を反映させるため、印刷が遅れた影響か?

 消費税(10%)をめぐる与党(民主党)と野党(自民党)の言い分って、もし、立場が逆転したら、逆のことを主張するのではと思えてならない。
 みんなの党の躍進ぶりは、発足当時の新自由クラブを彷彿とさせる。その後の新自由クラブといえば、結局いいところなく皆自民党に舞い戻ってしまうのだけど。

 TV「朝ズバ!」でつかこうへい死去を知る。やはり奇跡は起きなかったか。
 舞台は一度も観たことがない。20代のころ、文庫になった戯曲を何冊か読んだきりだ。若すぎるけれど、肺がんならば仕方ない。
 合掌


          * * *

2010/07/07

 「『万年前座 僕と師匠・談志の16年』出版記念落語会 新潮社祭り」(文京シビックホール・小ホール)

  立川キウイ「真打への道」
  立川志らく「火焔太鼓」
  立川談四楼「一回こっくり」

   〈仲入り〉

  立川キウイ「たがや」
  立川談志 小噺あれこれ
  座談 ~談志・談四楼・志らく・キウイ~


 「万年前座 僕と師匠・談志の16年」は昨年の11月に出版された。当然、師匠の談志家元をゲストに呼ぶ出版記念落語会の話がでたが、でたその日に家元が休養宣言してしまったとか。ゲストは家元のほかに談四楼師匠と志らく師匠。3人の共通項はともに新潮社から本を上梓していること。だから「新潮社祭り」なのである。

 しかし、人生、何が幸いするかわからない。「万年前座」がよく書けていると師匠に褒められ、褒美として真打にしてもらえるのだから。藝が認められたわけではない。キウイさんらしくていいや。
 21世紀枠真打、子ども真打、もうなんでもいいから真打になってしまった方がいい。
 家元自身が言っているではないか。
「まともな藝なんて期待していない」「落語をぶっ壊してみろ」「求めているのは上手い奴より面白い奴」
 これって三遊亭歌笑~林家三平(初代)のラインを目指せってことではないか。
 高座に「美弥」のバーテンの衣装で登場して自虐的なスタンダップコミックを繰り広げるとか。これぞ家元お墨付きのバーテン真打!

 とても楽しい会だった。
 志らく師匠のギャグ満載「火焔太鼓」、昨年の国立演芸場で初めて聴いて爆笑させられた。あのときもサゲは「買えん太鼓」だったっけ?
 談四楼師匠の人情噺「一回こっくり」。自伝的小説「一回こっくり」を読んでから聴くと、特に第一章を知っていると、より深い感銘を受ける。
 期待していなかった「たがや」も楽しめた。舞台そででチャチャを入れる家元にびくびくしながらの高座に妙な緊迫感、緊張感があって。言い間違いも一つのギャグ、か。「サゲまでいった~!」に大笑い。
 家元が元気だった。弟子たちとのトークに心が和んだ。

 来年の真打昇進までに、自分のスタイルを確立してください。キウイさんにとって、たぶんそれは落語が巧くなることではないと思う。場数を踏んで自信を持つ……




 告知です。

 私が企画・運営を協力している桑原美由紀さんの朗読会が開催されます。
 第一回は今年2月の「はなしと噺の会」。二胡と朗読と落語のコラボレーションでした。
 二回目は講演+朗読です。もちろん二胡の演奏もあります。
 題して「被爆者の声と語り」。

 テーマは非常に重いです。重いからこそ、大仰に構えるのではなく、葵のご紋を見せるのでもなく、自然に言葉の一つひとつが聴く人の心に届くものにしたい。
 で、新たな試みをします。
 講演と朗読の最後に曲を流すのです。被爆者の方の講演と桑原さんから聞いてだったらあの曲を使ったらと提案しました。あるいは桑原さんが朗読する「夏の葬列」を読んで、また閃きました。あの曲だと。
 歌の世界を各人が思い描くことで、テーマが浮き彫りになればと期待しています。
 
 開催は平日の午後です。
 会社勤めの方は無理だと思いますが、お時間ある方はぜひ!


            記

 桑原美由紀プロデュース「被爆体験者の声と語り」

■日 時:2010年7月23日(金) 13:30~15:30(開場13:00)

■場 所:お江戸日本橋亭  HP 

■入場料:2,500円

■出 演:
      畑谷由江  被爆体験談
      竹内文子  二胡演奏 
      MIYOYO   朗読「ねがい」
      桑原美由紀 朗読 山川方夫「夏の葬列」

      
                        以 上




2010/07/01

 「アウトレイジ」(丸の内ルーブル)

 特に映画監督・北野武ファンではない。初監督作品「その男凶暴につき」と2作目「3-4×10月」をビデオで観て、あとはまったく追いかけなかった。まあ「座頭市」は劇場で観ているが。一昨年の「アキレスと亀」は画家が主人公ということで、僕の職人フェチを刺激してくれるのではと期待するものがあったのに、懐事情その他でパスしてしまった。DVDもいまだに未見。

 北野ブルー(全体的に青みがかった映像)とかバイオレンス描写が評価されていると知ったときにこう思った。村川透(監督)+仙元誠三(撮影)+松田優作(主演)の遊戯シリーズ(「最も危険な遊戯」「殺人遊戯」「処刑遊戯」)の後追いではないか。
 青みがかった映像はTVドラマなら「ケイゾク」「ハゲタカ」が取り入れている。その原点は遊戯シリーズだと考えているのだが、どうなのだろう?
 遊戯シリーズ、あるいは「蘇える金狼」「野獣死すべし」はアクションや映像のほかに効果音も斬新だった。東宝特撮の効果音に慣れた者には、とてもリアルに聴こえたものだ。

 たとえば遊戯シリーズを、手持ちカメラの長廻しではなく、フィックスで淡々と撮ったら、バイオレンスシーンの合間に詩情豊かなカットを挿入したら、「ソナチネ」や「HANA-BI」になるのではないか? 観ていないから偉そうなことは言えないな。

 やくざ映画もバイオレンス映画も興味ない。にもかかわらず「アウトレイジ」を観ようと思ったのは予告編に注目したからだ。主要キャストの怒鳴り合いだけを繋げたところに諧謔味があった。

 予想ははずれなかった。
 大親分(北村総一朗)の無理難題により、子分(國村隼)の組とライバル(石橋蓮司)の組、子分の子分(ビートたけし)の組が右往左往して一大抗争になだれ込む群像喜劇。いや、ほんと、やってることはマンガなんだから。真面目な顔してみんなコントやっている。手榴弾でレストランが爆破されるシーンなんてその昔の「ドリフ大爆笑」ではないか。
 そんなバカな! ありえねぇ! 
 
 人間関係が複雑に絡まり、味方が敵に敵が味方にコロコロ変わって、殺戮を繰り返す様はまるで「仁義なき戦い 代理戦争」(&「同 頂上作戦」)のようだ。まあ「仁義なき戦い」はDVDで一度しか観ていないので、これまた偉そうなことは言えないけれど。
 北村総一朗が金子信雄、ビートたけしが菅原文太、石橋蓮司が加藤武だとすると國村隼は誰だろうか? 
 北村(総一郎の)組、若頭役の三浦友和が竹脇無我に見えて仕方なかった。
 有名どころから無名にいたるまで、配役の妙を楽しめる。

 そのものずばりの残虐描写は、ビートたけしの稚気、無邪気さ、か。わざと「うんこ」「キンタマ」と大声で叫んで母親の顰蹙を買い喜んでいる幼児みたい。
 歯医者のシーンも、タンメンのシーンも直視できなかった。思わず目をふせてしまう。しかし、一番の衝撃は乗用車を使った処刑シーンだろう。あれを考えた時点でしてやったりの気分だったのはではないか。
 そのシークェンスの、ロングで捉えた道路と海(遠くに発電用だか何だかのプロペラが見える)のショットがいい。特に海の荒れ模様が。
 
 「唐獅子株式会社」をこのタッチで映画化したらどうだろう?




 先週の月曜日(28日)は「ふたいサロン」だった。ゲストは来年真打になる立川キウイさん。一足早くみんなで昇進を祝ったというわけ。

 火曜日(29日)は退社後、近くの図書館へ。「続・嫌われ松子の一生 ゴールデンタイム」(山田宗樹/幻冬舎)を返却し、新たに3冊を借りる。
 
 「ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント」(朱川湊人/光文社)
 「シアター!」(有川浩/メディアワークス文庫)
 「5人の落語家が語る ザ・前座修行」(稲田和浩・守田梢路/NHK出版 生活人新書)

 積ん読状態だった「新版私説東京繁昌記」(小林信彦・荒木経惟/筑摩書房)読了。中央公論社のオリジナル単行本も、この本の文庫(ちくま文庫)も持っているにもかかわらず、結局ネットの古書店で買ってしまった。

 木曜日(1日)は映画サービスデー。丸の内ルーブルで「アウトレイジ」を観る。北野監督、21世紀の「仁義なき戦い」をやりたかったのね。第3部の「代理戦争」、第4部「頂上作戦」のセン。
 「不死蝶」(小幡貴一・小幡友貴 編/ワイズ出版)を読了。

 「ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント」を読み進む。かなりの面白さ!
 TSUTAYAでDVD「アイアンマン」を借りる。

 今日は午前中(11時)川口の皮膚科クリニックに行って受付をすます。実際の診療は17時過ぎなので、某ジーンズショップで買い物して、川口図書館へ。借りていた本とDVDを返却し、新たに以下の本とDVDを。

 「浮世だんご」(三代目 三遊亭金馬/つり人ノベルズ)
 「定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 『コロコロコミック』全史」(渋谷直角 編/飛鳥新社) 
 「朝日新聞がなくなる日」(宮崎正弘/ワック)
 「人を惹きつける技術」(小池一夫/講談社+α新書)
 「地を這う虫」(村薫/文藝春秋)
 「作曲家・渡辺岳夫の肖像」(加藤義彦・鈴木啓之・濱田高志 編/ブルースインターアクションズ)
 「奔れ!助監督 ~奮闘昭和映画史~」(中田新一/早稲田出版)

  市川崑監督「ビルマの竪琴」
  溝口健二監督「赤線地帯」
  ジム・シャーマン監督「ロッキー・ホラー・ショー」

 ちなみに返却したDVDは市川崑監督「破戒」、小津安二郎監督「秋日和」、今村昌平監督「ええじゃないか」。結局「ええじゃないか」は一度も再生せず。

 17時ちょっと前にクリニックへ。診察は18時30分から19時になると言われる。冗談じゃない、それでは「ファイヤーマン」第2話が見られないじゃないか。
「だったら19時過ぎにしてもらえませんか?」
「いえ、受付は18時30分までなので」
「でも、診察は19時過ぎてもやっているでしょう?」
「そうですが、エレベータを止めてしまうので」 
 とにかく18時から19時は別の予定があるので、と言うと、しばらくして「17時30分からでいいですか?」。ゴネてみるものだ。まあ、診察といったって、クスリをもらうだけだからかもしれない。

 しかし、返却日までに本を全部読めるのだろうか?
 積ん読本もまだまだいっぱいあるのよ。




 TOKYO MX日曜夕方(18時30分~19時)のお楽しみ、円谷劇場。先月20日で「ウルトラマンA」が終了し、27日から「ファイヤーマン」が始まった。
 地上波の放映は本放送以来らしい(再放送していないのか?)。奇しくも本放送と同じ日曜18時30分。この時間帯は今も昔も「サザエさん」が主流。よって「ファイヤーマン」は低視聴率で苦戦し、途中で放送日が変更されたとのこと。
 僕個人に限っていえば、「サザエさん」の裏でなくても観なかったと思う。もうこのころになると粗製乱造気味の特撮ヒーローものに嫌気がさしていた。そして、それはトップブランドの円谷プロ作品でも例外ではなかったということだ。

 〈円谷プロ創立10周年記念〉と銘打った番組は「ファイヤーマン」の他に「ウルトラマンT(タロウ)」「ジャンボーグA(エース)」がある。どれも真面目に観た覚えがない。「ウルトラマンT」はウルトラ(マン)シリーズの中でいまだに受け入れられないでいる。シリーズでコメディをやってほしくなかった。喜劇は好きだが空想特撮シリーズの延長戦でそれはないだろう! だいたいタイトルからして脱力ものだ。何が〈タロウ〉だ! ……ウルトラとまったく関係ない作品ならば、もしかして自分の中の評価も高くなるのかもしれない。
 「ジャンボーグA」は始まった当初はなぜか観ていた。が、円谷プロらしくない作りにうんざりしてやがて永久のお別れ。ドラマも特撮もヒーロー、怪獣の造形もみんな粗雑に感じたのである。

 石森章太郎+東映が巻き起こした〈変身ブーム〉は、円谷プロの巨大ヒーローものに悪しき影響を及ぼした。「帰ってきたウルトラマン」が最初から圧倒的な人気を呼んでいればと思わないではいられない。「帰ってきたウルトラマン」の2クールあたりまでは、ドラマとして本当によく出来ているのである。たぶん第一期に拮抗していた。しかし、視聴率的にあまり振るわず、というか、局が期待したほどのものではなく、3クールめからテコ入れがされていく。だからこそ〈11月の傑作群〉とファンの間で語れる作品が生まれることになるのだが、それにしったって、女優のスケジュールで坂田兄妹を殺すエピソードなんて作る必要はなかった。いまだにトラウマになっていますからね。兄弟の会話にでてくるだけでもよかったではないか。
 あるいは後半の怪獣、宇宙人の造形。あきらかに予算がないのが明らかだった。最終話のゼットンの……いやもうやめよう。

 思えば、第二期ウルトラ(マン)シリーズは、当初の作品の核部分を、途中であっけなく切り捨ててしまうことが目立った。「帰ってきたウルトラマン」の魅力は主人公の郷秀樹と坂田家との交流でなかったか。「ウルトラマンA」ならば男女の合体変身。どちらも途中でなかったものにされてしまう。
 僕は「ウルトラマンA」の途中で、この手の番組を卒業した。円谷プロは、この時期ウルトラ以外にもさまざまな作品を製作しているのだが、僕の期待に応えてくれるものがなかったのだ。こちらは「怪奇大作戦」や「マイティジャック」みたいな特撮ドラマが観たいのに、完全に低学年向けのものばかりなのだから。

 年齢的な問題もあったと思う。とにかく巨大ヒーローと5~6名のメンバーからなる専門の(それもいかにもなユニフォームを着た)防衛チームが登場するドラマにも食傷気味だった。
 「ミラーマン」は、怪獣の造形がイマイチだったものの、ドラマ自体はアダルトな雰囲気が前面に押し出され夢中になっていたが、徐々に子ども向けになっていき観るのをやめてしまった。それまでスーツ姿で活動していたSGMの面々がオリジナルのユニフォームを着てジャンボフェニクスに搭乗するシーンにがっかりしたものだ。
 ウルトラを卒業した者にとって、〈円谷プロ創立10周年記念〉とはいえ「ファイヤーマン」なんてまるで眼中になかった。ヒーロー、怪獣、メカ。どれをとってもダサすぎる。これで原点回帰なんて笑わせるぜ、っていうのが当時の感情だった。
 ちなみにファイヤーマンのスーツアクターは「ミラーマン」の西条満だ。

 今回、初めてわかった。ドラマそのものはきちんと作られているのだ。監督は大木淳(淳吉)。特殊技術出身で「帰マン」では11月の傑作群の一つ「落日の決闘」を撮っている。
 岸田森、睦五郎、平泉征(成)。渋いキャストが魅力か。第一話には山本廉がゲスト出演していた。東宝特撮映画には欠かせない脇役俳優だ。
 睦五郎は何たって声がいい。声を聞いているとどうしても「サンダ対ガイラ」のラス・タンブリンの顔がダブってくる。
 平泉征を知ったのは「なんたって18歳」だった。バスの運転手の役。だから当時特撮番組の防衛チームの一員というのがどうにも違和感があった。後年、「ウルトラマンガイア」で防衛隊(チーム)のトップ役はドンぴしゃりだったのに。
 主演の誠直也が本当に燃える男だったのには驚いた。怪獣が放つ怪光線を避けながら走るカット。足元で爆発して、ズボンの一部が燃えているのだ! 火傷しなかったのだろうか?
 主演は誠直也だが、主役は岸田森だろう。スーツ姿が決まっている。2話以降防衛チームが組織されてユニフォームを着ることになるのだろうが、このままスーツ姿で活躍してほしいなあ、なんて思ったり。

 そんなわけで、ずっと積ん読状態だった「不死蝶 岸田森」(小幡貴一・小幡友貴 編/ワイズ出版)を今週読んだ次第。
 

Fm.jpg
ファイヤーマンも怪獣もどこかユルイでしょう?
「怪獣王子」の恐竜ぐらいの造形であってほしい。

kishida.jpg
刊行されたときから気になっていたのですが、買えませんでした。
高価すぎて。
改めて当時の喪失感が蘇ります。
告別式、TVの取材を受けたショーケンの言葉がリフレインして。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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