週末は独身生活を謳歌した。かみサンと娘は、九州から孫娘を連れてディズニーランドへ遊びにきた母親のお相手。舞浜のホテルに金、土と一緒に宿泊したのである(日曜の夕食時に帰宅)。

 一人残された僕は自炊の毎日(ってほどでもないか)。27日(金)の夕飯は親子丼。これは100円ショップでレトルトを買ってきた。28日(土)はあんかけ炒飯。いつもなら醤油と胡椒で味つけするのだが、今回は炒飯の素をやはり100円ショップで買ってくる。二人用だったので、日曜のブランチも同じメニューで。夜は冷やしカレーそうめん。今年は冷やし中華ならぬ冷やしそうめんを極めたぞ。
 
 日曜午後は図書館へ。
 読めなかった2冊「ナイチンゲールの沈黙」「曽根幸明の昭和芸能放浪記」とともに、本2冊+DVD3巻を借りる。

 「十代目 金原亭馬生 ―噺と酒と江戸の粋」(石井徹也 編著/小学館)
 「ロードショーが待ち遠しい 早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術」(藤森益弘/文藝春秋)

 「プロジェクトA」(監督:ジャッキー・チェン)
 「バード」(監督:クリント・イーストウッド)
 「喜劇 一発勝負」(監督:山田洋次)

 前日にはTSUTAYAで5巻レンタル。以前2巻を一週間レンタルしたら700円。だったらあと3巻プラスして1000円の方が得だろうと判断したわけ。

 「黒薔薇昇天」(監督:神代辰巳)
 「団鬼六 縄炎夫人」(監督:藤井克彦)
 「帰ってきたウルトラマン VOL.8」
 「反逆のメロディ」(監督:澤田幸弘)
 「続・悪名」(監督:田中徳三)

 暑い毎日だ。外にでるとまるでサウナ室に入ったときのようにムっとした熱気に包まれる。
 8月は明日で終わるが、夏はまだまだ続く……のか。

 先日(24日)22歳になった娘は、今週京都に遊びに行くそうだ。

 
          * * *

 ●seventeen years ago 2005/08/25

 1988年の夏はどちらかというと天候不順だったと思う。
 あまり暑さを感じたことはなかったのだが、身重のかみサンは毎日「暑い、暑い!」を連発していた。
 当時笹塚(実際の住所は中野区南台、駅が京王線の笹塚駅)のアパートに住んでいた。六畳一間と四畳半のキッチン、それにトイレ、風呂がついた狭い部屋である。クーラーなんてなかった。

 激動の転職生活の末、某出版社(の映像部)に勤めだして2日めのこと。
 臨月を迎えていたかみサンは、実家に帰ることもせずその日もパートに出かけた。稼ぎの悪い亭主を持つとそういうことになる(出産ギリギリまで働いていただから頭が上がらない)。
 出かけたと思ったら、すぐに戻ってきた。
「どうしたの?」
「破水したみたい……」
 妊娠した当初は近所の産婦人科に通っていた。ところがある時期に逆子だとわかって東大病院を紹介され、以来本郷に通っていた。
 いそいで入院に必要な用具を持って(いつ入院してもいいように準備していたような気がする)、大通りにでるとタクシーを止めた。タクシーにかみサンを乗せ、用具をつめこんだバックを持たせ、運転手に「本郷の東大病院まで」と告げるとドアを閉めた。
「じゃあね」
 私はタクシーを見送った。
 後でかみサンからもう責められた、責められた。
「あの時、どうしてついてきてくれなかったの? どれだけ心細かったか、ったくもう!」
 なぜ一緒にタクシーに乗らなかったのか。自分でもよく思い出せない。途中入社したばかりの会社を休めないという気持ちが働いたのか。気が動転していたことは確かだ。
 病院から会社に電話があった。その晩出産予定だという。退社してから病院へ。
 そのまま立ち会おうと思っていたら、看護婦さんが出産は夜遅くなるという。分娩室に入る時には電話するからと言われ、だったら風呂にでも入ろうとアパートに戻った。
 夜の10時過ぎ、電話が鳴った。さあ、病院だ、と電話をとるとあの看護婦さんの声。
「おめでとうございます、女の子でしたよ」
 はァ? 廊下でイライラしながら待っていると分娩室から産声が聞こえてきて…という夢は無残にも消え去った。

 わが子との対面は翌日。ガラス越しにみる愛児はよく言われる猿の子ではなかった。髪も黒々としていた。同じ日に生まれた新生児の中で唯一の女の子は眠たそうに片目をつぶって父親との対面を迷惑がっていたっけ。

 あの時の風景を昨日のことのように思い出す。
 そう、昨日は娘の17回めの誕生日……


 ●センチメンタル・サマー 2006/08/24

 夏休み最後の日。
 高校3年、18歳になる2ヶ月前だった。
 自宅前の道で夕空を眺めながら感傷に浸っていた。
 高校生になったとたんにふられた彼女のこと。
 忘れられなくてジタバタしつづけた2年半。
 結局、彼女を振り返らせることはできず、
 やっと諦めがついた、いや、つけなければと決意したその瞬間。
 ついこの間のような感じがする。
 あれからもう29年経つなんて……

 今日は娘の18歳の誕生日。
 父親に比べてお前は実に充実した高校生活を送っているよね。




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 毎年関西を訪れる。最近、年2回は当たり前。紙ふうせんのコンサート(リサイタル、ライブ)のためだ。初めて足を運んだのが1990年。翌年から六甲山の山の上で宿泊込みのクリスマスコンサートが始まり、その後は秋のリサイタル。もう20年になるのだ。関西行きは仕事以外はすべて紙ふうせん絡みだった。

 ところがところが。
 10月、プライベートなのに別件で大阪に行くのである。場所は天満天神繁昌亭。そう、上方落語の定席。なぜか? 談四楼師匠の高座があるのだ。桂文鹿師匠との二人会。あ、文鹿は〈ぶんろく〉と読みます。どうして、談四楼師匠のお相手が文鹿師匠なのか、プロフィールを調べてみたら、プロボクシングライセンスの持っている(いた?)んですね。談四楼師匠の息子さんは現在大阪のジムでプロボクサーとして活躍しているので、その縁でしょうか?
 繁昌亭に一度行ってみたかったところに、談四楼師匠の初の高座が観られると知ったらそりゃどうしたって行きたくなるじゃあーりませんか。

 昨日「したくないことはしない 植草甚一の青春」(津野海太郎/新潮社)を読了した。植草甚一が、一時経堂の駅前アパート(マンション)に住んでいたことをこの本で知った。あれ? もしかすると? 談四楼夫妻も以前住んでいらしたたんじゃなかったけ? 確認したら、やはりそうだった。新婚時代、1975年前後。

 あれ、あれ? もしかすると!
 紙ふうせんのおふたり、後藤さんと平山さんも新婚は経堂ではなかったでしたっけ?
 今春のシークレットライブで、「冬が来る前に」の作曲者で、ベーシストの浦野さんが、「11PM」に出演後、わが家によく遊びに来てたんだ、新婚なのに、って後藤さんが紹介していましたよね。
 ふたりが結婚されたのは74年の5月。
 ということは、後藤さん夫妻と談四楼夫妻は経堂ですれ違っていたりして。
 僕がファンになった要因は経堂にあり?!

 以下、これまたmixiからの転載です。

          * * *

 ●大阪ラプソディ 2006/11/15

 1974年に赤い鳥が解散して、後藤さんと平山さんが紙ふうせんとして活動しはじめてから、ずっと追いかけてきた。
 といっても群馬の片田舎に住む私が彼らの音楽に触れられるのはレコードとわずかのTV、ラジオ出演だけ。地元の太田や隣町の足利でコンサートがあればと願っていたけどやってくる気配はない。上京したときには活動の拠点を関西に移してしまっていた。

 その後はいつリリースされるかわからないアルバムをレコード店でチェックし、新聞のTV、ラジオ欄で紙ふうせんの名前を見つけると、チャンネルやダイヤルを合わせた。まわりにファンなんていないから、まったくの孤独な作業だった。
 情報が全然入らなくなって、ついにファンクラブに入った。80年代半ばのこと。ファンクラブが出来たのは「冬が来る前に」のヒット後、70年代の後期だったが、私は全然興味なくて無視していたのだった。

 会報といっしょにコンサート・ライブ情報が送られてくるが、いかんせん関西方面ばかり、東京近辺のコンサートは皆無だった。結婚し、子どももできてお金も暇もない男にはどうすることもできない。活動していることだけでも確認できるのだからうれしくはあったのだけど。

 なんとか生活が安定しはじめた90年秋、やっと恒例のリサイタルを観に(聴きに)大阪に足を運んだのだった。
 生の紙ふうせん。夢にまで見たコンサート。
 感激した。もうそれだけで満足なのに、コンサート終了後、ファンクラブの会長さんが楽屋に連れて行ってくれたのだ。まったく予期していない出来事で、ふたりを前にして何をしゃべっていいかわからない状態。

 これを機に紙ふうせんの追っかけがはじまった。東京でも何度もコンサートやライブをするようになったのだ(正確に記せば、男女2名を加えてTSU-BA-SAというグループで。2枚CDをリリースしてまた紙ふうせんに戻る)。東京のライブは関東に何名かいるファンクラブ会員といっしょに出かけ、終了すると必ず楽屋に伺った。

 特に91年から始まった12月第二週の金土の2日間行われる六甲オリエンタルホテルのクリスマスコンサートはお客はもちろん出演者、スタッフも宿泊するので、後藤さんと話をする機会が一気に増えた。
 その最初の夜、打ち上げにまぎれこんだ私は後藤さんに「紙ふうせん論」書きますと宣言して、翌年分厚い原稿を手渡したのだった。思いのたけをつづったラブレターだった。まるで光ゲンジの某に自分の半生記をファンレターにして送った映画「嫌われ松子の一生」の松子みたい。

 この原稿が現在「まぐま」に連載している「体験的紙ふうせん論 僕も28歳の語り部になりたかった!」の元ネタになっている。もともと「まぐま」には「小説と映画のあいだに」を書いているので、ペンネーム奥野陽平を使っている。第1回が掲載された「まぐま」をいつもコンサートにご一緒するファンクラブのWさんとSさんに送った。
 横浜で紙ふうせんのトーク&ライブがあった帰り、居酒屋に寄った。席にはSさんともう一人。着席するなりSさんが興奮しながら言うのである。
「雑誌に熱狂的な紙ふうせんファンが連載始めたじゃない、東京の人? 早くファンクラブに誘いなさいよ!」

     ◇

 先週、2年ぶりのリサイタルが開催された。2月のシンフォニーホール(ラ・ストラーダとの共演)に続く今年2度目の大阪行き。ごっつぅ大阪好っきやねん。



danshiroinosaka
10月2日(土)17時半から
チケットは先週完売した


10con
11月は恒例の紙ふうせんリサイタル!
紙ふうせんには、フリーハンドの文字がよく似合う




 ●表現するということ 2007/03/15

 私のネットデビューは某特撮ファンサイトだった。平成ウルトラマンが人気を呼んでいて、ちょうど「ウルトラマンダイナ」が終了し、「ウルトラマンガイア」がスタートしたころだ。
 当時、このサイトのBBSを読むのが日課になっていた。あくまでも読むのが楽しみ、書き込みなんてする気はまったくなかった。

 そんなある日、常連の某さんの書き込みに反応した。「ガイア」にナレーションがないことの不満を述べていた。
 シリーズの第1作「ウルトラQ」は、内容もさることながら、まるで呪文のようなナレーション(石坂浩二)も話題を呼び、以後、シリーズのなくてはならない存在になった。平成ウルトラマンまでこの伝統は受け継がれてきたわけだが、「ガイア」で初めてナレーションなしでドラマが構築されたのだった。
 これは新しい試みだと個人的に思っていたものだから、早速反論を書き込みした。これがネットデビュー。
 一度書き込みすると、不特定多数の人たちに向けて自分の意見を発信する喜びが芽生えた。それからというもの、毎日、特撮絡みの何かしらの話題を見つけては書き込みした。
 
 2000年3月。天王洲の劇場アートスフィアで画期的なイベントが開催された。実相寺昭雄監督の事務所(映像制作会社)の〈コダイ〉の創立15周年を記念して、実相寺監督(とその仲間たち)の作品を二週間に渡って一挙上映するというのである。題して「ファンタスマ 実相寺昭雄・映像と音楽の回廊」。
 日替わりのプログラムは胸騒ぎするものばかりだった。

 このレビューをBBSに書き込みしたことから、次第に日記にしたためていただけの小説や映画の感想も書くようなり、自分の意見を発表する場の必要性を感じはじめた。こうしてこの年HP「夕景工房」を開設するのである。
 レビューという形で自己表現することの出発点となったこの文章、手元に残っていないと思っていたら、昨日、ひょんなことから出てきた。
 
 【追記】

 反論相手の某さんとは、オフ会で実際に会ってからというもの、平成仮面ライダーや平成ウルトラマンの、一人ではちょっと気が引ける映画を一緒に観に行くようになった。
 最近は定期的に新橋の某所で特撮を肴にして飲んでいる。特撮に関する基本的思考が同じというところが大きい。


 ●in ファンタスマ 2007/03/16

 そんなわけで、記念すべきレビュー(って大げさな!)を転載。誤字脱字は訂正しています。2日めは2回に分けて。この項続きます、なんてもうやっているんだ。苦笑。
 少々長くなるけれどおつきあいください。

     ◇         

 ドラマの森へようこそ in ファンタスマ

 アートスフィアに行ってきました。入口で巨大なウルトラマン(の顔)およびウルトラマン、帰マン、ティガが出迎えてくれます。
 ロビーには実相寺監督が手がけた映画、舞台のポスターや直筆のイラスト(「ウルトラマンの東京」所収)が飾ってあって興味津々。ATG映画の「無常」や「曼荼羅」のポスターが拝見できるなんて!
 会場に入るとほとんど誰もいません。12:00からの回は観客10名弱。巨大なホームシアターって感じでじっくりドラマが鑑賞できました。

 「波の盆」

 故国を捨てハワイに渡った日系一世(笠智衆)の、今は亡き愛妻(加藤治子)との心の対話を通して、終戦時に勘当し音信不通のまま先に逝ってしまった息子(中井貴一)と和解するまでの物語です。
 まるで笠智衆の一人芝居を観るような趣きで、中盤以降は涙があふれてしかたありませんでした。でもまわりに誰もいませんから、ティッシュで鼻かんでもちっとも恥ずかしくない……。
 実相寺監督らしいカットがいろいろありますが、全体の印象はやはり倉本聰の世界です。
 孫役で出演している石田えりの眩しいくらいピチピチしたビキニ姿が拝めます。 

 「青い沼の女」

 これはもう「屋根裏の散歩者」「D坂の殺人事件」に通じる世界です。全編にわたって実相寺テイストが味わえるミステリホラー。
 5年前に親友である画商(中山仁)の妻(山本陽子)と心中して、一人生き残った画家(田村亮)が、死んだ妻とそっくりな女と再婚した画商の家にわけあって寝泊りしていると、夜な夜な亡き妻が訪れて…という泉鏡花原作の幻想的な物語です。
 もっと淫靡でエロティックを期待したところですが、火曜サスペンス劇場枠ではこれが限度なんですね。
 執事役の堀内正美が不気味でいい味だしてます。(以上、敬称略です)


 発掘! 蔵出し作品(1) in ファンタスマ

 今日も行ってきました。
 12:00から21:00過ぎまで、途中何度か休憩が入りましたが、一度にこれほどの作品を観るのはちょっと体力が必要ですね。学生時代のオールナイト通いを思い出した。

 今日のお目当ては実相寺監督の幻のハイビジョン作品「東京幻夢」と「不思議館」シリーズの川崎郷太監督のティガ前の2本の作品「プーキィ」&「人をいじめてはいけない」。
 「東京幻夢」は感激しました。
 まさしく、エロスとクラシック音楽に彩られた幻想的な作品でした。ベートヴェンのヴァイオリンソナタに完全にシンクロした映像が快感。ラストは「京都買います」を彷彿させてくれます。以前シナリオは読んだのですが、やっぱり本物(映像)はすごいです。
 堀内正美さん(と志水季里子さん)が全く台詞なしで主演してます。
 「春への憧れ」はモーツァルトのピアノ曲にのって奈良、京都の自然をスケッチした映像詩でこれもまた素敵でした。

 まだまだ書きたいことがあるのですが、とにかく疲れちゃって。この項続きます…

     ◇

 発掘! 蔵出し作品(1) in ファンタスマ その2

 「不思議館」シリーズは各編バラエティに富んでいて、とてもおもしろく観られました。全作品の感想を書きたいところですが、ここでは特に印象に残った作品について記してみます。(また敬称略です)

 「電エースに死す」(監督:河崎実)

 〈電エース〉をデンエースと読むのを知って笑ってしまいました。このタイトル、寺山修司の「田園に死す」のもじりなんですね。
 快感を得ると2000(!!)mの超人「電エース」に変身して怪獣と戦う人気ヒーロー番組の製作現場を舞台に、業界の中で一段低く見られる特撮番組にまつわる人間模様をカリカチュアライズして描くサイコホラー。
 題材は違いますが、一部で話題になったアニメーション「パーフェクトブルー」的世界と言えましょうか。
 出演している俳優(特に女優)たちに華がなく(失礼)、まさに学生の8mm自主映画のノリなんですが、いろいろと諷刺がきいていて笑わせてくれます。
 劇中ぬいぐるみ役者がギターをつま弾きながら歌うヒーローの歌は必聴。ラストのクレジットに流れる歌はまさに「怪奇大作戦」です!
 黒部進が重要な役どころでゲスト出演してます。

 「喰う女」(監督:岸田理生)

 「ウルトラQザ・ムービー」「アリエッタ」「ラ・ヴァルス」「ディアローグ」等、一時実相寺作品に必ず主(出)演していた加賀恵子主演の不条理劇(観念劇?)。
 主演女優と全体の雰囲気がダイナの「怪獣戯曲」に似ていたので最初実相寺監督作品かと思ったのですが、やはりタッチが違いますね。
 インポテンツの男と生肉しか食べられない女のラブストーリーとでも言うのでしょうか。
 自分の局部を切り取って、女に食べさせるシーンがあるのですが、ここで 男「どうだい?」女「おいしいわ」 の台詞のやりとりが延々繰り返されます。これって男女のアノ場面の典型的なパターンじゃないかと思ったら、おかしくておかして。

 「プーキィ」(監督:川崎郷太)

 冒頭からスターウォーズばりの宇宙空間のドッグファイトシーンが展開され、驚きました。低予算ですから特撮は合成にしろセットにしろ、とてもチープですが、その志の高さが感じられます。細部に神経がゆきとどいているんですよね。
 敵にやられた正義の宇宙人が、地球に不時着。少女と彼女のペット(?)の小動物(名前がプーキィ)に助けられて…という「スターウォーズ」「イウォークアドベンチャー」「未知との遭遇」を足して文部省推薦児童劇風ナレーションで味付けしたようなSFドラマです。主演は「ウルトラマンレオ」の真夏竜(吾)。
 
 「人をいじめてはいけない」(統括:川崎郷太)

 映画「トワイライトゾーン」の第1話のようなお話。
 新人シナリオライターになんだかんだと言いがかりをつけ、いじめるプロデューサー。ライターの「(プロデューサーの)くそったれ!」の声を聞いた謎の修道女の策略で、別の次元(?)に放り込まれたプロデューサーが、なぜかあたりを徘徊する一人の日本兵に命を狙われ、悪戦苦闘するお話。
 冒頭、200字づめ原稿用紙を使うな、あてつけみたいに表紙に第四稿なんて書くな等々、ねちねちいじめる(?)ところはプロデューサー役の役者さんの名演技でかなり笑えると思うんですが、会場はシーンとしてました(業界の人、関係者が多いからでしょうか?)。
 昔、早稲田大学の学祭で観た「まぼろしの市街戦」という自主制作映画(街を歩いていると、突然赤紙をもらい、戦争に駆り出される男の物語、確か原作がいしいひさいち)を思いだしました。
 
 「受胎告知」(監督:実相寺昭雄)

 これも加賀恵子主演。パンフレットに実相寺監督が「一目ぼれした」と書いているように、加賀恵子ってほんと魅力的な女優です。芝居がうまくて、脱ぎっぷりがいい(AV女優だからあたりまえだけど)。とにかく演技がナチュラルなのでさまざま役になりきってしまうのです。
 プロポーションもいわゆるナイスバディというのでなく、人並みよりちょっといいって程度。だからよけいに身近に感じてそそれられるのかもしれません。
 ここではなかなか子宝に恵まれない専業主婦の奥さんを演じていてとてもリアルです。途中までは、突然の何人もの訪問者にあたふたする奥さんの多忙な1日を描き、観ているこちらはまるでストーカーになった気分でした。
 これがタイトルの「受胎告知」とどう関係するのか、と思っていると、クライマックスで突然SFに転調し、××の女性を実験台に×たわらせて××りまわすという、男なら一度は想像したことがあるようなスケベ心を刺激するシーンがあって、ラストで一気にホラー色を強めます。かなり怖いですよ。
 ゲスト出演者が豪華。新聞勧誘員の豊川悦史、警察官の佐野史郎、銀行員の嶋田久作が顔をみせます。
 そうそう佐野史郎に同行する実直そうな警察官には川崎郷太監督が扮していました。その他、クレジットを見るとコダイのスタッフがたくさん出演しているんです。

     ◇




 
 中学時代、洋画一辺倒から邦画を見直すきっかけとなったのが「朝やけの詩」であり「戦争と人間」であることはすでに記した。そのとき一緒に触れた「青春の蹉跌」も絶対忘れられない1本なのだが、感想が日記に書かれてないのだ。もう何回も探しているというのに。
 1974年、中学3年のときに観ているのは確かなのだ。あのときの感動をはっきり記憶している。にもかかわらず、ない。読んだ本と観た映画の感想は必ず記すこと、せめて面白かったか否かは……というのは、日記を始める前に自分で決めたことなのに。

 かといって無視するわけにはいかない。
 しかたないので、サブカル・ポップマガジン「まぐま」12号に掲載したコラム「小説と映画のあいだに」の文章を転載する。
 冒頭、13年ぶりのライブ「ENTER THE PANTHER」に触れていてる。書いてあることは嘘ではない。本心じゃないけれど。

    ◇

 『青春の蹉跌』

 昨秋、萩原健一が十三年ぶりにコンサートを行なった。久々のショーケン節、パフォーマンスに心踊った。長年のファンの渇を癒してくれるライブだったが、本人にとっても、今後の活動に対してカツを入れる意味合いがあったのではないか。最近のショーケンにはどうにも〈らしさ〉が感じられなくてもどかしくてしかたなかった。
 昨年、このコンサートに合わせた過去の傑作ライブのDVD化やベストアルバムのリリースで、まさにショーケン三昧の日々を送っていたのだが、まさかスクリーンで『青春の蹉跌』に再会できるとは思ってもいなかった。
 一九七四年、十四歳という一番多感な時期に出会った青春映画の傑作である。
 確かショーケンがTV『太陽にほえろ!』の刑事役を降板した直後に公開されたと記憶している。だからこそ大いに期待して観に行ったわけだが、実のところ映画について何の予備知識もなかった。
 原作が芥川賞作家の石川達三。監督は日活ロマンポルノの俊英・神代辰巳。神代監督がショーケンとはじめて組んだ作品。――なんてことを知るはずもない。
 二人はその後TV『傷だらけの天使』や映画(『アフリカの光』『もどり川』『恋文』)で名コンビぶりを発揮する。脚本が長谷川和彦(『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』の監督)と気づくのはもっとずっと後のことだ。

 『青春の蹉跌』は、何といっても音楽(井上堯之)が良かった。
 当時音楽に惹かれて洋画ばかり追いかけていた僕は、タイトルバックに流れるテーマ曲を聴きながら日本映画も捨てたもんじゃないなと思った。今でもはっきり覚えている。
 かなりクセのある映画でもあった。手持ちカメラによる長廻し。被写体をどこまでも追いかける(撮影・姫田眞佐久)。感覚的に突然別のショットが挿入される(ゼロックスのCMには驚いた)。映像はもちろん台詞もどこか即興的。いわゆる正統派ではないのだが、妙にリアリティがあった。人間臭いタッチとでもいうのだろうか。映像や役者の演技がナチュラルで軽やか。観ていて心地良い。神代節(軟骨的文体と呼ばれた由)というものだった。
 映画はまったくタイプの違う二人の女性の間を彷徨う煮え切らない男の物語といえようか。
 ショーケン扮するのは司法試験を狙う法学部の大学生(江藤賢一郎)。アメリカンフットボール部に所属するスポーツマンでもある。母子家庭で叔父の援助を受けながら大学に通っている。
 勉強を教えていた女子高生の登美子(桃井かおり)と肉体関係があり、抜きさしならない状況になっているところにもってきて、ある件を境に、叔父の一人娘・康子(壇ふみ)と仲良くなっていく。司法試験に合格するや叔父に将来を約束され、やがて康子と婚約。
 ある日、登美子の妊娠を知る。強引に産院に連れて行った時にはもう処置できる状態ではなかった。
 あせった賢一郎は登美子を雪山に誘い発作的に殺してしまう……。

 ショーケンにしびれた映画だった。ファッション、しぐさ、まなざし……たまらなくかっこいい。賢一郎はまさに小暮修(『傷だらけの天使』)のプロトタイプなのだ。
 ローラースケート姿でテラスに折りたたみ椅子を並べるファーストシーン。桃井かおりとの濃厚なセックス。ふてくされたように歌うエンヤートット。雪山の斜面をどこまでも滑降していくクライマックス。思い出深いシーンの数々に感激を新たにした。ショーケンが鉄柵に片手を触れながら歩くお気に入りのシーンでは「待ってました!」と叫びたくなる始末。
 そして衝撃的なラスト。妊娠に関する意外な事実の判明、主人公のあっけない死……と同時にクレジットがロールしテーマ曲が流れてきて――中学生の心がわしづかみにされた瞬間だ。

 不可解なのは石川達三が映画に対して怒りを表明したことだった。
 小説を読んでいなくても映画とずいぶん違うであろうことは推測できた。何しろ小説の主人公は「生きることは戦いだ。他人はみな敵だ。平和なんてありはしない」と「貧しさゆえに充たされぬ野望をもって社会に挑戦し挫折」する男なのだから。
 映画の主人公は確かにエリートかもしれないが、野望に燃える上昇志向の強い男ではなかった。司法試験という目的があるとしても、どこかさめていて宙ぶらりんで優柔不断。そんな男が二人の女性の間を浮遊し、翻弄され、どうしようもなくなって殺人を犯し破滅していくのである。
 どこか捨て鉢でやるせない主人公に共感を覚えた中学生には原作者の怒りが理解できなかった。
 なぜ映画に流れる新しい感覚、若者の心情がわからないのか? なんて頭の固い老作家なんだ!
 そう判断をくだし、以来四半世紀以上年石川達三を読まずにきた。これからも読むことはないと思っていたが、気が変わった。今回映画を観て、原作者の怒りがどこにあったのか、調べてみたくなった。
 長谷川和彦が自身の経験をもとに脚色、〈全共闘世代〉の心情を色濃く反映させたとおぼしき映画は原作を大きく逸脱しているのか?
 読み始めて驚いた。説教じみた古臭い小説というこちらの先入感を見事に裏切ってくれる。若さあふれるリズミカルな文章。軽快な語り。すらすら読める。面白い。
 主人公がアメフトの選手という設定以外、展開にそれほどの違いはなかった。大きく相違するのはやはり登場人物の造形だ。賢一郎は予想通りだが、二人の女性が曲者なのである。
 登美子は無教養なりの計算高さを持つ、油断ならない女。薄幸な女を演じ、「一緒になれなくてもいいの」なんて言いながら、妊娠を口実に徐々に賢一郎との結婚に向けて外堀を埋めていく。康子は聡明ではあるが肩書きで男を選ぶ高慢なブランド信仰女。当初は親のすすめる結婚に反発するものの賢一郎が司法試験に合格したとたんに態度を変える。
 こんな女性たちを相手にすると、賢一郎の世間に対する青臭い反逆ぶりが逆に愛しく思えてくるから不思議なものである。実際読んでいても賢一郎に対する嫌悪感はあまりなく、女性たちの言動に始終ムカついていた。
 なるほど、映画はまるで原作者の意向を無視していた。ラストで主人公が死ぬことも噴飯ものだったかもしれない(この結末はアメリカンニューシネマの影響か)。
 思うに、ドライサーの『アメリカの悲劇』のプロットを借用して独自に日本の現代社会の歪みを照射した『青春の蹉跌』は高度成長期(小説の発表は一九六八年)だからこそ、その人物造形に意味があったのではないか。
 学生運動の終焉、オイルショック等、社会状況が大きく様変わりした一九七四年で果たして通用するものなのか。原作に違和感を覚えた長谷川和彦は再度小説のプロットのみ取り出して、まったく別の〈青春の蹉跌〉を構築したのではないだろうか。
 主人公の焦燥感、孤独感。それを覆い隠すための虚無的行動。それはまさに七〇年代の若者像を象徴するものだったと今さらながら痛感する。
 やはり僕にとっての『青春の蹉跌』は映画なのである。

    ◇




 一昨日、「朝ズバッ!」のニュースで梨元さんの死を知った。あまりにも急なので声をあげてしまった。ショーケンのトークショーの司会を担当、冒頭で自伝本「ショーケン」を暴露本ではない、と言ってわが意を得たりの心境だった。かみサンは梨元さんのしゃべり方が大嫌いだった。当時わが家では朝はテレ朝を視聴していたのに、梨元さんが番組レギュラーだったため、かみサンの鶴の一声でチャンネルは6へ。僕はフジテレビが大嫌い、日本テレビもフジテレビ化して嫌いになって、残るのはTBSだけだったのだ。この慣習は今も続く。

 梨元さんは大学の大先輩なのだが、高校の大先輩といえば談四楼師匠。
 昨日の「ふたいサロン」は談四楼師匠をゲストに呼んでの落語会だった。題して「晩夏に聴く『芝浜』」。大盛況でした。
 
 ということで、談四楼師匠の息子さん、高田小次郎選手の東京時代の試合について、mixiに綴っていたので転載します。
 
         * * *

 ●リアル・ファイティング寿限無 2007/06/13

 5歳下の弟がまだ幼いころ、ボクシングを必ずボシキングと言い間違えた。
「ボクシングだろう?」
 笑いながら訂正すると、
「ボシキング!」
 ムキになって反論するのがかわいかった。

 11日(月)、ボシキング、いやボクシングを初めてナマで観戦した。場所は後楽園ホール。
 夕方5時半の開場で、入場時渡されたパンフレットには大きく「ダイヤモンドグローブ OPBF(東洋太平洋)クルーザー級 タイトルマッチ 高橋良輔×ドミニク・ベア」とある。昨年OPBFクルーザー級チャンピオンになった高橋選手にとって初の防衛戦なのだ。
 クルーザー級とは聞き慣れない名称だが、ヘビー級とライトヘビー級の間、昔ジュニアヘビー級と呼ばれていた階級のこと。ちなみにストロー級も今はミニマム級と改称されている。
 挑戦者はオーストラリアからやってきた同級5位のドミニク・サンダ、じゃなくドミニク・ガイラ。違う! ドミニク・ベア。

 ……実はボクシングについてそれほど詳しくない。もちろん、小学生のころにアニメ「あしたのジョー」に夢中になった。原作のコミックも人から借りて全巻読破してラストで泣いたのを憶えている。ある時代まではTVで中継される世界タイトルマッチはほとんど見ていたと思う。
 にもかかわらず野球や相撲ほどハマったということはなかった。特に最近のボクシング界については皆目わからない。高橋選手がチャンピオンであることも、この日のファイナル戦が防衛戦であることもパンフレットで初めて知ったくらいだ。クルーザー級ってなんじゃい!ってなもん。

 こんな僕でも応援したいボクサーはいる。それは高橋選手でも、セミファイナル戦の伊藤俊介(日本ライト級2位)選手でもない。
 目当てはこの日の前座戦4Rに出場する高田小次郎選手。デビュー以来まだ0勝(2敗)。この日どうしても勝ってもらいたくて、その初勝利の瞬間をこの目に焼き付けたくて、後楽園ホールに足を運んだのだった。
 
 談四楼師匠の小説に「ファイティング寿限無」(ちくま文庫)という長編小説がある。落語家とプロボクサーの二足のわらじを履く二つ目が、売名手段で始めたボクシングの方で才能を発揮してとんとん拍子に出世していく物語。読み始めたら止まらなくなること、読みながら何度も目頭が熱くなること、ラストで「うそでぇ~」と突っ込みながら快哉をあげたくなること、すべて保証できる痛快青春小説だ。

 この小説が一人の若きプロボクサーを誕生させた。それが小次郎選手。師匠の息子さんだ。
 「ファイティング寿限無」執筆時、師匠は取材で何度も後楽園ホールを訪ねたそうな。このとき連れて歩いたのが二男の小次郎さん。これでボクシングに魅了されたと聞いている。
 このホンモノのファイティング寿限無の登場に拍手喝采した。


 ●Fight! Fight! 小次郎 2007/06/14

 ホンモノのファイティング寿限無を応援したい!
 これは談四楼ファン、「ファイティング寿限無」ファンとして当然の気持ちだが、もう一つ、個人的な思いもあった。
 かつて、いとこがプロボクサーを目指して挫折しているのである。

 小さいころから物静かな子だった。親戚の集まりではほとんどしゃべらない。始終親の隣でじっとしている。そんな印象のある子だから、高校卒業後に上京、アルバイトしながらジムに通っていると聞いて驚いた。同時に、夢を追いかける姿が20代の自分とダブって、うれしくなった。試合があれば絶対応援に行くから。リングでの勇姿を楽しみにしていた。ところが、その後怪我をしてボクサーへの道があっけなく潰えてしまった。残念、無念。

 小次郎選手に、いとこの果たせなかった夢を託したい。デビュー戦は後楽園ホールで声援を送りたかった。
 しかし、試合は平日の6時台。定時に仕事を終えてからだと間に合うわけがない。2戦目も同じ理由でパスしてしまった。どちらも惜敗。次は絶対時間を作って後楽園にいくぞと誓った。

 11日。会場に行く前にちょっと早めの夕飯を、とカツ丼を食べてゲンかつぎ。
 後楽園(後楽園球場、東京ドーム、遊園地)には何度か来ているが、後楽園ホールは初めてだった。最初、どこの建物か迷ったりして。あまり大きな声で言えないが。
 開場5分前に行くと、すでに十数名の男女が待っていた。浴衣姿のお相撲さんが4人。不思議なのは3人は髷を結っているのに、一人だけスキンヘッドだったこと。どういう立場なのだろう? 

 6時になって会場に入る。真ん中にリングが設置されていて、四方を客席が囲む。明らかにボクシング会場なのに、最初の感慨は「ここが『笑点』の会場なんだ!」。TVの影響力は半端じゃない。
 TVクルーが中継の準備をしているのにびっくり(フジテレビが深夜に放送しているとのこと)。

 北側J18の席でその時を待つ。ふと見ると、東側二階席(立見)で、立川流の前座さんたちが壁に「ファイティング寿限無 高田小次郎」の垂れ幕をセットしていた。

 3試合め。いよいよやってきた。相手選手は0勝3敗、小次郎選手も2敗だから、どちらにとっても負けられない一戦なのだ。
 試合は結局4Rで決着はつかなかった。1Rでダウンを喫したものの、あとは小次郎選手の優勢に見えた。
 判定の結果が伝えられる。
「●●(審判名) △対△ ドロー!」
 やはり引き分けか。
「●● ○対× 高田!」 
 おお! J列の席から歓声があがった。もしかして初勝利か!!
「●● △対△ ドロー!」 
 ああ! 今度は深いため息だ。引き分けだった。2票差がないと規定でドローになってしまうだ。今回初めて知ったルールなのだが。
 1Rのダウンが響いたか。ダウンがなければ勝っていたかも。しかし、右瞼の負傷が逆に相手の勝因になったかもしれないのだ。後の試合で顔面から出血して、血が止まらず、そのままTKOをとられた選手もいたのだから。それを考えたら引き分けは御の字だ。
 次こそ勝利を。
 フレ! フレ! 高田 
 ファイト! ファイト! 小次郎!!

 ●小次郎敗れたり……2007/09/20

 昨日(19日)は高田〈リアル・ファイティング寿限無〉小次郎選手を応援するため後楽園ホールへ。
 これまでの成績は2敗1分。デビュー戦は惜敗。2戦めは不用意なダウンで試合に負けたが勝負には勝っていた。そして初めて観戦した前回は惜しくもドロー。これだって、すべってダウンをとられなければ勝っていた。
 そんな経緯があるから、今回は勝つことしか考えていなかった。

 プロボクサーの中では特に端正で精悍な面構え。リングで相手と対峙すると圧倒的に小次郎選手の方が強く見える。
 相手は榎本孝明を坊主にして十人並みの容貌にした感じ。柔和な顔には闘争心がほとんどない。対して小次郎選手、ワイルドじゃないか。かっこいいじゃないか。負ける気がしないのは当然だ。

 1ラウンドこそ、出足が悪く防戦一方になってしまったが、3ラウンドから形勢逆転。相手をダウン寸前まで追い詰めた。最終ラウンドも好調。互角あるいはそれ以上の攻撃だった。
 判定結果は安心して聞いていられた。思ったように3対0。わぁ、勝った! そう叫ぼうとした瞬間、勝者コールは相手選手。
「な、なんだ、これ?」

 ボクシングルールに疎いにわかファンはあわてて隣のSさんに確認する。
 4ラウンドの場合、ダウンさせない限り、試合中にどれだけパンチを繰り出せたかが判定の基準になるのだそうだ。そのパンチがたとえ空振りだとしても。あくまでも手数。となると、3ラウンドに一発のパンチでダウン寸前まで追い詰めたとはいえ、トータルでみれば小次郎選手の分が悪い。
 
 しばらくして着替えをした小次郎選手が客席に現れた。談四楼師匠としばし親子の会話。動きが悪かったことをしきりに反省している。
 体調が悪いわけでもないのに、身体が動かない。

 似たような経験を高校時代にしている。
 ラグビーの練習試合。相手は前橋高校。右のウィング。
 その日、調子はいつもと変わらなかった。ところが試合が始まるや切れがない。まったく走れない。
 タックルができない。ステップが切れない。ボールをもらったら一直線で走りトライすることでチームに貢献していた。そんな足の速さだけが取柄の選手だったから、こうなると悲惨な極地。試合の最中はもちろん終了後も監督にどやされ、殴られた。
 監督の激昂には慣れているが、自分の不甲斐なさがたまらなくくやしく、情けなかった。前橋高校グラウンドから駅への帰り道、仲間から離れ一人歩きながら泣いた。

 プロボクシングと高校の部活動を比べるなんて、まったく不遜の限りだが、小次郎選手の憔悴しきった表情にあのときの感情が蘇り何の声もかけられなかった。
 次は12月に試合があるらしい。めざせ1勝!




2010/08/15

 「談四楼独演会 第171回」(北澤八幡神社 参集殿)

 承前

  立川長四楼 「牛ほめ」
  立川春樹  「狸鯉」
  立川春太  「元犬」
  立川談四楼 「巌流島」

   〈仲入り〉

  甘味けんじ  ぼうず漫談
  立川談四楼 「鼠穴」


 違いはその後3番目に登場した春太さんの一言でピンときた。
 同じ前座でも長四楼さんの先輩にあたる春太さん、年齢では22歳下になる。このギャップをどう埋めるか、あれこれ悩んだ末、親戚のおじさんだと思えばいいと自分を納得させて、今は「長さん」と呼んでいるとか。なんだか長四楼さんが下川辰平に思えてきた。
 で、春太さんが言ったのだ、「なんですか、あの情感たっぷりの『牛ほめ』!」
 大笑いとともに得心した次第。
 それにしても春太さん、高座に貫禄ついてきたな。

 2番バッターの春樹さんは初めて。「狸鯉」も初めて聴く噺。助けられたお礼に狸が化けて人助けする噺はいくつあるのだろうか。サイコロに化ける「狸賽」、お札に化ける「狸札」はこれまで何度も独演会で耳にしているのだが。

 ゲストの甘味けんじさん、いったい何者? ってな感じだったが、普段は浅草東洋館で活躍している漫談家(コメディアン)。ボーイズバラエティ協会所属。独演会への出演は古今亭八朝師匠の紹介だとか。出身が奄美大島(?)。これが芸名の由来。しゃべっていることのどこまでが本当なのか。冠婚葬祭の葬祭に関係するだけに確認したことはいくつもあった。

 師匠の一席目、すでにプログラムに演目が記載されている。なぜ「巌流島」なのか少し考え、膝を打った。前日(14日)大阪で小次郎選手の試合があったからではないか! 
 師匠の息子(二男)さんはプロボクサーだ。最初は東京のジムに所属して、2度ばかり後楽園ホールに応援しに行ったのだが、なかなか勝利することができなかった。その後試合の情報が伝わってこなくなってちょっと心配していたら、大阪のジムに移籍したことを知った。なかなかいい成績らしいことも。リングネームが高田小次郎。巌流島といったら宮本武蔵の相手が佐々木小次郎。だから「巌流島」なのでは?
 小次郎選手、今年は「西日本新人王大会」に勝ち進み、昨日が決勝戦だった。
 残念ながら試合はドローで、試合内容から次のコマに進めたのは相手選手だった。
 そこらへんのことを「親ばかですけど」とことわってから思う存分語ってくれた。

 それから舘ひろしの話題。ビールのCMでドラムを叩きながら披露する「嵐を呼ぶ男」の歌詞変更の件。「何がやんちゃなドラマーだ! 責任者出て来い」 禁煙のCM。「昔、石原プロ制作の刑事ドラマでは皆プカプカやっていたぞ!」
 もう吼える吼える。「太陽にほえろ!」ならぬ「ひろしにほえろ!」。「太陽にほえろ!」は東宝の制作だけれど。
 大爆笑。

 「巌流島」といっても武蔵も小次郎も出てこない。 渡し舟上で短気な侍と若侍が決闘することになるが、船頭の機転で事なきを得るという噺。調べてみると元は塚原卜傳のエピソードとのこと。ということは出典は「本朝武藝小傳」なのか。

 二席目の「鼠穴」、初めての人にはかなりインパクトがあっただろうな。
 真冬の噺をこの時期披露するのは24日の「晩夏に聴く『芝浜』」を意識してのことでしょうか?




2010/08/15

 「談四楼独演会 第171回」(北澤八幡神社 参集殿)

 「帰ってきた長四楼」
 ヨッパライでもウルトラマンでも木枯し紋次郎でもなく、大きな声でそう叫びたい。
 もし独演会にサブタイトルがあるとしたら。

 昨年の夏、最年長前座としてデビュー。同世代が会社員という立場を投げ捨て夢を実現しようとしている。それも妻子持ちだ。夢の形は違っても、自分がやりたくてもできないことを実行した男を応援しようと誓った。
 その年12月の独演会のこと。
 が、しかし。知らなかった。彼の心に病魔が忍び寄っていたことを。

 次の独演会、2月の高座をもって彼は病気で談四楼師匠の弟子をリタイアしてしまうのである。
 その詳細をおかみさんから聞いて最後にこう訊ねたかった。
「では、治癒したら戻ってくることはありえますか?」
 できなかった。
 治癒するかどうかわからないのだから。それはその病気で20代を棒に振った自分が一番わかっている。

 師匠が高座で話してくれた内容、長四楼さんが帰り(朝帰り!)の電車の中で話してくれたことから推測すると、病気の進行具合は僕が大学4年の夏の状態だったのではないだろうか。あのときは睡眠薬を飲むことでとりあえず快復したのだった。前年は規則正しい毎日を送ることで自然治癒した。 

 帰りの小田急線で住所を確認すると、東京の伯父さんが住んでいる町だった。「まさか、駅前の団地じゃないでしょうね?」
 亡くなった伯母さんが以前やはり同じ症状に見舞われたことがある。その後僕が3度目を発症したとき、伯母さんが通った病院で診察してもらった。医師は家族に対して完治は難しいと言った。かみサンからその件を聞いて頭にきた僕はその後なるようになれと、最終的に自分の力で治したのである。
 長四楼さんも本当は睡眠薬を飲むことで解決する症状だったのに、担当の医師は本格的な薬を与えてしまったのだ。だから症状が重くなってしまったのではないか。病院を替えて本当によかった。廃人になる可能性だってあるわけだから。

 帰ってきた長四楼さんの演目は「牛ほめ」。ポピュラーな前座噺であるが、少々印象が違う。
 何が違うのか?

 この項続く




 昨日は地元シネコンで映画を2本観る。毎月20日はMOVIXの日ということで、1,000円になるのだ。「インセプション」と「ソルト」。
 午後、ちょうどうまい具合にプログラムされていて続けざまに鑑賞できると出かけたら、20分ほどのダブりを発見。ほかの映画にするか、1本だけにするか、悩んだ末、時間をあけることにした。「インセプション」は13時10分の回。一度家に戻り夕飯を食べてからもう一度劇場へ。「ソルト」は19時40分の回。これなら帰宅して「うぬぼれ刑事」を視聴できるのだ。

 13時05分から「龍馬伝」の再放送。キャストクレジットに加瀬尊朗の名を発見。「ウルトラマンダイナ」のカリヤ隊員ではないか!

         * * *

2010/08/14

 「歸國」(TBS)

 倉本聰がTBSの終戦ドラマスペシャルを書いたと知って驚いた。その昔、1970年代だったら何とも思わない。TBSは日本テレビとともにホームグラウンドだったから。TBSというよりTBS系といった方がより正確か。TBS系列の北海道放送で秀作、傑作ドラマをいくつもものにしていたのだ。「日曜劇場」の「うちのホンカン」シリーズ、大好きだった。あるいは「りんりんと」「幻の町」。今では連続ドラマの枠になってしまったが、当時は毎週1回で完結する単発ドラマを放送していたのである。

 連続ドラマなら日本テレビだった。70年代「君は海を見たか」「2丁目3番地」「前略おふくろ様」に夢中になった。80年代になると「昨日悲別で」が人気を呼ぶが、その前に「北の国から」が大ヒットして活躍の場は主にフジテレビになっていた。ショーケン主演の「ガラスの知恵の輪」とか、「君は海を見たか」のリメイク等々。
 連続ドラマの「北の国から」が終了すると、スペシャルとして単発ドラマが定期的に長きにわたって放送されることになる。80年代中ばから00年代の初めまで。今多くの人が倉本聰の代表作としてイメージする「北の国から」というドラマはこのスペシャルシリーズだろう。
 その後、木曜ドラマ枠で連続ドラマを手がけていたが、一昨年(08年)の「風のガーデン」が最後だと宣言していた。

 倉本ドラマ=フジテレビという印象が強くなっていて、おまけにもうTVドラマは書かないと思っていたので、TBSの終戦ドラマスペシャル「歸國」に驚いたのである。

 それにしても放送が14日でよかった。15日だったら「談四楼独演会」とかぶって観られなかった。そう、この日、毎週楽しみの「ファイヤーマン」「龍馬伝」、パスでした。ああ、早く録画機器を購入しなければ!
 
 リアルタイムで鑑賞した「歸國」であるが、実は最初の30分ほどでチャンネルを替えようかと思った。いまいち夢中になれなかったからだ。観念的、という言葉が適切かどうかわからないが、そんな印象を抱いた。ああ、これはやはり舞台劇なんだと。
 「歸國」はあくまでも舞台用に書かれたものなのではないか。倉本聰が主宰する劇団(富良野GROUP)の新作用に書かれた脚本をTVにアレンジしたもの……TBSの鴨下信一が舞台劇「歸國」を知り、スペシャルドラマ化を熱望した結果ではないか。まったく個人的な憶測であるが。

 ほかに興味のある番組がなかったことを感謝したい。そのまま観続けていたらどんどん引きずりこまれていった。
 これは倉本聰の遺書なのかもしれない。本音がかなり直截的に語られていた。
 小栗旬と八千草薫のシーンに涙があふれそうになってしかたなかった。近くには机に向かっている娘がいる。泣いている姿を見られたくないので、涙をこらえる。鼻の奥がツンとなる状態を何度も体験することになった。
 ビートたけしと石坂浩二のシーンでは涙が笑いにブレンドされていて、鼻の奥がツンツンしてたまらなかった。「風のガーデン」のあの涙&笑いはフロックでないことを確信した。

 ラストショットの青緑に映える南の海が心に刻まれた。テーマを象徴していた。




 「小さな大きな富士山と」の映画については、ネットのニュースで知った。制作開始だったか、完成だったか忘れたが記者会見の模様を伝えるものだった。
 「飛び出せ!青春」コンビ、村野武範、剛たつひとの二人が出演にあたっての抱負を語っていた。監督が阿部誠とあって驚いた。だって阿部さんのフランチャイズってインディーズだろう。観たのはショートムービーだけど「ミスターベー」というバカ映画(?)だった。まるでジャンルが違うように思えたのだ。

 一番驚いたのは制作費。何と150万円。一桁違うだろう。70年代だってATGの一千万円映画は通常の映画に比べて予算が少ないと言われていた。今、商業映画の制作費の最低ラインっていくらなのか。5,000万円とか6,000万円だろうか。大ヒットしたホラー映画「パラノーマル・アクティビティ」は日本円で130万円だったらしいが。

 商業映画なら驚愕の低予算も、インディーズだったら潤沢な制作費ではないか。規模の大きなインディーズ映画だと思えば納得できる。
 最近インディーズ映画は、芸能プロダクションが自社の新人俳優のプロモーションとして利用している。新人俳優を主演させ短編や中編の劇映画を作って、TV局や映画会社に配付するのだろう。昨年観た「恋々風情」(監督:下倉功)もその手の映画だったが、よく出来ていた。棚木和人監督の「Yoriko~寄子」もそうだと思う。これは渋谷の某劇場で一週間レイトショー公開された。

 インディーズ映画もバカにできない。面白さという観点で比較すれば、商業映画を凌駕する作品はいくつもある。機材(カメラ、PC)の発達、廉価で見栄えも悪くなくなった。フィルムを使わない、編集、ダビング作業が自宅のPCで可能になったことで(外部のスタジオをレンタルしなくていいので)、制作費も安く抑えられる。最低限のスタッフ、役者もほとんど手弁当だから予算の使いどころはしれている。

 富士河口湖町が町おこしのために「富士山・河口湖映画祭」を企画した。ここまではよくあること。富士河口湖周辺を舞台にする1時間弱のドラマのシナリオを募集して優秀作品を映画にする。これもままあるかもしれない。商業映画規模の作品を作って、パアっと花火をあげて、それでおしまい。後が続かない。
 インディーズ映画に目をつけたところが新しいと思う。どんなルートで阿部監督(&阿部監督の事務所)に制作のオファーがされたのかは知らないが。この規模なら毎年続けることは可能だろう。

 この映画祭(シナリオコンクール)が発火点になって、全国の自治体が町おこしのツールにインディーズ映画が着目してくれたらと願わずにはいられない。最近思う、インディーズ映画はインディーズ映画に帰結するのだと。以前はメジャーにつながるものだと信じていた。たぶん違う、昔の8ミリフィルムによる自主映画と違って、今やインディーズ映画というジャンルを形成したのだ。

 だとしたら、もっと発展して、個人がインディーズ映画に注目するかもしれない。個人がインディーズの映像作家に発注して、自分史映画なんていうものを撮ってもらう可能性があるのではないか。
 世間には自分史をまとめて自主出版する人がいる。これをドラマにして映像でまとめるわけだ。完成するとパーティーを開催して上映する。活字好きの人以外には、本をもらうよりこちらの方が喜ばれるのでは? 自主出版は専門業者に依頼すると200万円前後かかる。映画の方が安く上がるのだ、インディーズだったら!




 昨日は猛暑の中、午後、川口中央図書館へ。
 借りていた本とDVDを返却。

「懐かしのアメリカTV映画史」(瀬戸川宗太/集英社新書)
「ぶれない男 熊井啓」(西村雄一郎/新潮社)
「愛すればこそ スクリーンの向こうから」(香川京子 勝田友巳編/毎日新聞社)
「ビクター/ビクトリア」(監督:ブレーク・エドワーズ、主演:ジュリー・アンドリュース)

 今度こそ、積読本読破を目指し何も借りずに、せめて本だけはやめておこうと思った。
 が、しかし―― 棚を覗いてしまうと我慢できない。ああ、また借りてしまった。

「『七人の侍』と現代 ――黒澤明再考」(四方田犬彦/岩波新書)
「曽根幸明の昭和芸能放浪記 昭和の夢は夜ひらく」(曽根幸明/廣済堂出版)
「したくないことはしたくない 植草甚一の青春」(津野海太郎/新潮社)
「ナイチンゲールの沈黙」(海堂尊/宝島社)
「コラムばか一代 産経抄の35年」(石井英夫/扶桑社)

DVD
「生きたい」(監督:新藤兼人)
「ラウンド・ミッドナイト」(監督:ベルトラン・タベルニエ)
「土俵祭」(監督:九根賛太郎/脚本:黒澤明)

 図書館を後にして下北沢へ。北澤八幡神社で「談四楼独演会」なのだ。久しぶりに二次会に参加。途中で寝てしまった。目が覚めたときには終電はない。三次会へ。憧れのレディ・ジェーン! そう、ついにレディ・ジェーンデビューを果たしたのだ。
 朝5時まで。
 そういえば昨年の独演会も朝までコースだった。ただし、あの日はカラオケだった。レディ・ジェーンの定休日だったのか。
 
 昨日に引き続き猛暑の今日はほとんど使いものにならず。
 ということで、〈富士山・河口湖映画祭に思うこと その2〉はまた明日!

 ちなみに、レディ・ジェーンのマスターや談四楼師匠が出演するイベント「SHIMOKITA VOICE 2010 SHIMOKITA IS DEAD?」が開催される。


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午前5時の♪レディ・ジェーン
って、シャウトするならメリー・ジェーンだって

 この項続く




 映画って何だろう?
 TVドラマと映画の違いはどこにあるのか?

 画面のサイズだろうか? スタンダード(ノーマル)だとTVドラマでビスタやシネスコ等の横長ならば映画なのか。いや、今やTVだってハイビジョンサイズ(16:9)が標準になってきた。
 画調の違いか? いかにもビデオ画面だとTV、フィルム(フィルム調)ならば映画。これだってHD撮影が当たり前になってあまり差がなくなってきている。操作でいかようにでも変換できるのである。

 「湖の中の観覧車」と「小さな大きな富士山と」を観て、帰りの電車の中で考えていた。
 同じ〈富士山・河口湖映画祭シナリオコンクール〉でグランプリを受賞したシナリオを同じ監督によって映像化されているのに、印象がまるで違ったからだ。

 「湖の中の観覧車」はノーマルサイズ、ビデオ調の作品、対して「小さな大きな富士山と」はハイビジョンサイズのフィルム調。だから前者がTVドラマのようで、後者が映画だ、というのではない。いや、そういう印象はあるが、それはサイズや画調だけの問題でない気がする。そもそも、TVドラマだから悪く、映画だから良いというのでもない。
 物心がつくころにはすでに家庭にTVがあった世代だ。映画より先にTVで映像の魅力にとりつかれたわけ。ゆえに映画はTV(ドラマ)より上、なんて意識はない。決して映画至上主義者ではないのだ。それぞれに適した題材、見せ方がるあるだけだと思っている。

 ある意味どちらも身につまされる話である。

 「湖の中の観覧車」は、離婚で離れて暮らすことになる父親と高校生の娘が主人公。別れるその日、父親が自分のクルマで娘を妻の実家に送り届ける過程で二人の断絶と和解を描いている。年頃の、それも一人娘を持つ、またある時期から娘と意思の疎通がうまくいかなくなった父親として、あるいは年末年始の家族間の騒動があったので、父親の言動に注目した。クルマの中のぎこちない会話なんて自分を見るようだった。が、それも最初だけ。途中で世界に入り込めなくなった。ひとことつぶやく。「嘘でぇ」

 「小さな大きな富士山と」は目的を持って上京したにもかかわらず、夢破れてちゃらんぽらんに生きている若い女性が故郷に帰ってきた数日を描いている。祖母の老人ホームへの転居の手伝いだ。20代のころの自分を思いだした。大学を卒業してからも何かと親に面倒をかけた。郷里が東京から近いということもあり、何か困ることがあるとすぐに帰った。だからだろうか、すぐヒロインに感情移入し世界にすんなり溶け込んでいた。

 この差はどこからくるのだろうか。
 当然、スタッフ側の慣れというものがあるだろう。初めてと二度目めでは何かと経験が幅をきかせる。 
 役者の力が大きいと思う。ヒロイン、ヒロインの両親、祖母。とても自然な演技。何気ない芝居がすっとこちらの感情に沁みこんでくる。
 「飛び出せ!青春」の村野武範、剛たつひと、両氏の出演がウリだった。だったら、ラストで老人ホームの皆がTVで見ている映画(ドラマ?)は「八月の濡れた砂」にすればよかったのに。村野武範は女優志望のヒロインの父、剛たつひとはヒロインの祖母が入った老人ホームの園長。ネタバレになるが、娘に意見する父も若いころは俳優を目指して挫折していたのがわかりニヤリとできる。あらま! と驚く老人ホームの皆、誰かが言う。「園長も俳優志望だったんですか?」

 使用権利料がかかるのでインディーズ映画では無理だろう。
 そう、〈富士山・河口湖映画祭〉は町おこしのためインディーズ映画に目をつけたのが先見の明だと思うのだ。

 この項続く




 昨日から朝の電車が快適空間になった。今日なんてガラガラ、隣の川口駅でもう座れる状態。もうまさに「お盆さまさま」である。読書も切り上げてうたた寝開始。
 日暮里駅で緊急アナウンス。
「ただ今、大森・蒲田間で人身事故が発生したため、京浜東北線はストップします……」
 乗客のほとんどが隣にやってきた山手線に走りこんだ。
 満員。いつもより混んでいる。身動きとれない。
 何のためのお盆に出勤したのか!

 もう少し詳細に記す。
 日暮里駅で山手線に乗り込んだとき、車両の後方(3人席のところ)、つり革とつり革の間に男性が一人いて、その奥に空間があった。その空間めざして「すいません(奥に入りますから)」と男性の前を通ろうとすると、男性がそのまま奥に移動、僕が男性の場所を占拠する形になった。男性怒りの表情。その表情にこちらも切れそうになった。
「じゃあ、こっちにくれば! 場所交換しますから。別に、私はあなたに奥に行けと言ったわけじゃない、(私が)奥に行きたいからすいませんと言ったんだ、それをなんだその顔は」
 そう叫ぼうと思ったけど、言い争いになる予感があったのでやめた。

         * * *

 昨晩、地元シネコンにて「プレデターズ」鑑賞。なんと最終日最終回(レイトショー)。思っていた以上に面白かった。
 プレデターと闘うメンバーが紹介されたとたん誰が生き残るかわかるなんてもううれしくてうれしくて。
 メンバーの中に加藤ローサと松本人志がいた。野性味あふれるエイドリアン・ブロディがジローラモにも見えてきて……。って、最近そればっかり! いや、以前から。
 「ゴジラ」「ゴジラ2」のあとに「キングコング対ゴジラ」「キングコング対ゴジラ2」ときたら、残るはラドンやモスラとの共演が考えられるのに、シチュエーションを逆転させて「ゴジラ3」とは。
 昔、「E.T.」が大ヒットしたとき、もし続編ができるとしたら、少年がE.T.の惑星を訪れるのだろうと予測した。あれと同じ発想だ。
 次作は同じ惑星を舞台に、人間と地球外生物が手をあわせてプレデターと闘う話になるのではないか?

 【参考】

「エイリアンVS.プレデター」
「AVSP2 エイリアンズ VS.プレデター」 

         * * *

 今週の購入本。
「大魔神の精神史」(小野俊太郎/角川oneテーマ21・角川書店)
「漫画力 大学でマンガ始めました」(佐川俊彦/マガジン・マガジン)

 先週は地元ブックオフで、
「仮面ライダー響鬼の事情 ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか」(片岡力/五月書房)
 が定価の半額ででていたので思わず手を伸ばしてしまった。
 ずいぶん前になるが、
「帰ってきたウルトラマン大全」(白石雅彦・荻野友大/双葉社)
 が格安だったので手に入れた。

 文庫では、
「昭和電車少年」(実相寺昭雄/ちくま文庫)
「赤ひげ診療譚」(山本周五郎/新潮文庫)
「キング・コング」(エドガー・ウォーレス、メリアン・C・クーパー、デロス・ラヴレス/尾之上浩司 訳/ハヤカワ文庫)
「徳川吉宗 物語と史蹟をたずねて」(井口朝生/成美文庫)

 そろそろ本当に積読本を読まなければ!




 都内最高齢(111歳)の男性が白骨遺体(ミイラだったか?)で見つかった。自宅のベッドで。しかも亡くなったのは30年前。足立区で起きたこのなんとも奇妙な事件に端を発し、全国で100歳以上の高齢者の所在不明者が次々に発覚している。
「ったく行政の怠慢だよな。いったい何やってんだか」
 TVのニュースを見ながら一人ごちると、かみサンが反論した。「家族だって悪いのよ」
 確かに足立区の事件の場合、年金その他を狙った詐欺、搾取の匂いがプンプンする。
 
 驚くのは所在不明者がすべて孤独な老人でなかったこと。家族がちゃんといるにもかかわらず、所在が不明。普通、高齢者がいれば家族(息子、娘)が引き取るか、施設に入れるかするだろうに。いったいどうしてそうなるのか?
 そこらへんの事情を8日の「バンキシャ!」で解説していた。「ファイヤーマン」を観るため、途中でチャンネルを替えてしまったので詳しくはわからなかったけれど。
 この種のニュースに触れると祖母を思わないではいられない。今年101歳になる。昨年の正月、100歳を祝ったので間違いない。

 昨晩DVD「サマーウォーズ」を観た。昨年の夏、とても話題になったアニメーション映画だ。先週金曜ロードショーで放映されたが、途中で「うぬぼれ刑事」にチャンネルを替えなければならないので、最初から観なかった。
 祖母のキャラクターは栄おばあちゃんというより「サザエさん」の舟なのだが、一族郎党が集まって食事する風景に幼いころが思い出されて仕方なかった。

 以下、mixiからの転載。
 
         * * *

 ●スーパーエレクトリックばあちゃん&じいちゃん 2006/01/05

 2日に帰省。
 久しぶりに(父方の)祖父母に会い、そのえらく年をとった姿にショックを受けた。
 祖母は97歳、祖父は98歳。世間一般の感覚からすると生きているだけでも驚きなのだろうが、このふたりに関しては常識なんて当てはまらない。

 とにかく数年前までものすごく元気だったのだ。祖父母は叔父(父の弟)夫婦と一緒に住んでいる。叔父の家は食堂から発展した弁当屋を営んでいるのだが、祖母は数年前まで現役で陣頭指揮をとっていたほど。祖父は頭脳明晰、博学見識、得意の弁舌は立て板に水のごとく。その口跡は昨年亡くなった松村達雄みたいだった。実際TVや映画でこの俳優が出てくるといつも祖父を思い出した。

 ところが、2日、居間のコタツで丸くなっていた祖母は僕を見て「誰だっけ?」。
 この2年間に2度怪我をしてどうにか回復したものの、記憶力が不鮮明になってしまった。ちょうどうどんを食べていたのだが、その箸使いが脳腫瘍の手術後、半身不随になった母のそれとダブってきてたまらなくなった。まさに老婆って感じ。それでも肌のつやはよく97歳には見えないのだが。
 祖父の姿が見えないので、「奥の部屋?」と尋ねると、「○○荘(老人ホーム)に入っているんだ」。

 近くなのでさっそく訪ねた。車イスに乗った祖父が部屋に一人。下半身は弱くなったが、頭の回転はいい。孫、孫の嫁、曾孫の顔も名前もしっかり覚えていた。口跡は相変わらずだ。耳だって遠くない。片耳が聞こえないのは戦争時に爆風にやられたからという話から昔話に花を咲かせた。
「最近、死相がでてきたから顔が変わっただろう?」
 笑いながら言う。
 98歳になっても髪がフサフサ。父より髪の量は多い。今はほぼ白髪になってしまったが、数年前はまだ黒い部分もあったのだ。
「全然お変わりないですよ」
 かみサンは答えるが、確かに表情が硬くなっている。足を見ると赤くむくんでいた。これまた母のそれを思い出して胸が締め付けられる。
 今年から母の墓参りの際には必ず挨拶に行こう。そう決心したのだった。


 ●天寿全う 2006/04/25

 21日(金)の午後、携帯電話に父親からの着信があったことに気づいた。今年は母の七回忌。その相談かと思って折り返すと「おじいさんが今朝亡くなった」。「えっ!」大声をあげてしまったが、父の声は暗くなかった。
 祖父は98歳。死因は老衰。天寿を全うしたというべきだろう。

 昨日が通夜、今日が葬儀、告別式だったのだが、そんなわけで始終なごやかな雰囲気だった。
 四男一女の子どもたちと十人の孫たちが一同に会した。ひ孫を入れると何人になるのだろう。そのにぎやかなこと。昔の正月のような宴だった。
 孫たちが成人してからは親戚一同が揃うことはほとんどなくなったのだから、その思いは強い。
 骨を拾うときになって喪主の姿がない。
 二男の父親「喪主はどこだ? もしゅもーしゅ」
 あわててやってきた喪主である三男の叔父が「いやはや、もしゅわけありません」

 告別式で祖父の人生が簡単に紹介された。若い頃、祖父は医師か画家になりたかったのだという。商人の子は商人になれと親に反対され、前橋のお茶屋に丁稚奉公。その後、太田に移住して、太平洋戦争時は中島飛行機に通い、戦後メリヤス業を始めた。やがて食堂を開業し、現在の弁当屋に発展させる。
 画家になりたかったという祖父の気持ちはわかる。そうした隠れアーティストの側面は僕が小さいころから目にしていた。
 その一つが本物と見まごうような亀のフィギュアである。すべて祖父の手作り。素材は発砲スチロールだ。うちが電気屋を営んでいたので、発砲スチロールは山ほどあった(家電の梱包している箱に必ずついている)。祖父はそれを利用して孫の好きな亀を作ってくれたのだ。最初一匹作り、それが見事な出来だったので、さまざまな種類に着手、やがてそれらを集めて額(?)にしたのである。
 今、この額は祖父(母)の家(叔父の家)にあるが、僕が小さかったころは、わが家の居間に飾ってあった。祖父はこの亀にはじまって数々の小動物を作った。僕が8ミリで二度目の怪獣映画に挑戦したとき、怪獣のぬいぐるみを作ろうとして、祖父に相談して同じ方法で頭の部分を製作してもらったことがある。

 十数年前、「ジュラシック・パーク」が公開され恐竜ブームに沸いていたころだ。祖父に恐竜を作ってもらいジオラマ写真集にまとめてみないかと尋ねてみたことがある。祖父は笑うばかりで、YESともNOとも答えなかった。あのとき、もっとプッシュすべきだったと後悔している。                     


 ●ぼくのおばあちゃん 2006/06/04 

ぼくのおばあちゃんはことし97さいになります。
さい近ちょっとぼけてきました。ことしのお正がつにあそびに行くと、ぼくのことをわすれていました。
とてもショックでした。

ぼくには一つ上のいとこがいます。東きょうにすんでいるけんたろーくんはそんなにおばあちゃんに会うことがなかったのに、おばあちゃんはちゃんとおぼえているのです。
ぼくはものすごくあたまに来ました。けんたろーくんにくらべたら、ぼくのほうがおばちゃんにもっとたくさん会っているからです。
「へん、おばあちゃんにしたら、おれがはつまごだからさ。」
けんたろーくんがいばりました。
それからというもの、ぼくはおばあちゃんに会うたびに「ぼく、だれだかわかる?」ときいています。

一か月ぶりにけんたろーくんに会いました。
ぼくのかおを見ると、またいばっています。
はらが立ったので、これからおばあちゃんにぼくがだれだかきくのをやめようとおもいました。
おばあちゃんには5人の子どもがいます。
その子どもたちには、それぞれ2人の子どもがいます。
おばあちゃんにしてみたら、10人のまごがいることになります。
けんたろーくんがぼくに言いました。
「こんどさ、いとこが10人そろったら、おばあちゃんのまえにならぼうぜ。」
いみがわかりません。
「だからさ、おばあちゃんにやってもらうんだ。10人のまごをそれぞれきょうだいでペアにしてもらうの。」
まごしんけいすいじゃくだって。
「もしおばあちゃんがぜんぶできたら、つぎはまごを年れいじゅんにならべてもらうのさ。」
これがまごならべ。
おばあちゃん、できるかなあ。




 梅雨が明けたころから朝の電車ラッシュが少し緩和した気がする。7月の第4週あたり。学生たちが夏休みに入ったからだろう。
 今朝はもっと空いていた。サラリーマンが夏季休暇の時期になったのだ。今年は今週と来週がピークとなる。
 週末がお盆だから休暇の最後をお盆にするか、最初にするか。会社が一斉休暇でない限り、お盆は出社したいものである。電車はガラガラ、仕事はほとんどない。まさに天国ではないか!

 空いているということもあって、すぐにつり革のあるスペースが確保できた。いつもはつり革(の乗客)とつり革(の乗客)の間でしばらくの間肩身の狭いを思いをしているのだ。
 目の前に座る中年男(恰幅の良い50代後半)が何やら右足(こちらからだと左)を気にしている。僕の隣の痩せこけた男(30代?)が右手にぶらさげた折りたたみ傘が足にぶつかるからだ。ぶつかるのが嫌なら、足をもっと閉じればいい、大股開きしているから傘がぶつかるのだ。にもかかわらず、50代男は自分の権利はあくまでも主張する。非は傘をぶら下げている男にありと、足はそのままに何度も折りたたみ傘男をにらむ。傘男は立ちながら寝ているのか、いっこうに気にする気配がない。たまらなくなって50代男が手で傘をはねのけた。傘男、やっと気がつく。「すいません」と謝るのかと思ったら無言。傘をずらそうともしない。
 
 50代男の右隣の男(30代?)は居眠りしていた。膝の上に置いてあるバッグがはみだして50代男の腿にぶつかる(ようだ)。50代男、これも気になって仕方ない。バッグと隣の男の顔を見ていていた。繰り返し繰り返し。隣の男は熟睡中。しょうがないから手で押しやった。居眠り男が目を覚ます。「すいません」と謝るのかと思ったら、逆に「オレがいったい何をしたんだ?」という鋭い目つきで睨み返した。50代男、もとい神経質男は知らないそぶり。

 傘男が何度も後ろを振り返る。後ろに立っている青年(20代?)がこっくり、こっくり。背中にぶつかって気になるらしい。電車が某駅に着くと、怒りを全身で表しながら降りていった。青年は自分の行為に気づいていない。目の前の男がいなくなったので、すばやく移動する。

 自分が当事者だったら「すいません」3連発。なのに、ほんと、皆さんいい度胸しています。


 ついでに書いておこう。
 混雑した車内でリュックサックの類を背負ったままの人たちがいる。どういう神経なのかわからない。そりゃあね、自分は楽チンでしょう。でも、まわりの人はたまったものじゃないんですよ。自分で迷惑した経験がないからなのか。別に若者だけじゃないのだ、いい大人、老人までいますからね、背負っている人には。




 一昨日(6日)、帰宅前に寄った居酒屋で「まぐま18 石ノ森章太郎Spirits」を読んでいたら、店員(女性)が表紙を見たのだろう、「懐かしいですね!」。
 質問してみた。
「あなたは石森章太郎? それとも石ノ森章太郎?」
 相手はポカンとしていた。

 本日、午後新宿のTMシアターへ。〈富士山河口湖映画祭 東京上映〉会の14時半の回に足を運んだ。作品は「湖の中の観覧車」&「小さな大きな富士山と」の2本。ともに阿部誠監督。一昨年「B-SHOT PICTURES’怪奇劇場Ⅳ」 に監督・主演「ミスターベー2 殺人的魔王」で参加していた。
 本当は16時の回にしたかったが、そうすると18時半からのTOKYO MX「ファイヤーマン」が観られないので(現在録画機器がないもので)。
 上映が終わって、階下のロビーに下りると、お客さんで満杯だった。お客さんの中に「小さな大きな富士山と」に出演していた剛たつひと氏が。あっ、この方は本物ですよ!

 「ファイヤーマン」は、SAFのユニフォーム(&メカ)以外かなり夢中になっている。第5話「ジュラ紀に落ちた少年」、主人公の岬を少年は「お兄さん」と呼ぶが、僕が少年だっったら「おじさん」だろう。
 昔、小学生のころ、記念切手シートを買いに郵便局にでかけたときのこと。窓口の男性を「おじさん」と呼んだら「お兄さんだろう!」と訂正された。そのときはなぜムキになるのかわからなかったが、自分が青年になってから理解できた。
 睦五郎は声優として親しみがあったが、その昔のアメリカTV映画で日本でも大人気だった「逃亡者」の主役、リチャード・キンブル(演じるのはデヴィッド・ジャンセン)の声をアテていたのだ。日本で大人気を呼んだのは吹き替えのせいかもしれないとは今朝読了した「懐かしのアメリカTV映画史」(瀬戸川宗太/集英社新書)で知った。

 「ファイヤーマン」の後は、チャンネルを9から7へ替えて「モヤモヤさまぁーず2」。
 女子アナには昔も今も興味がない。はずなのに、この番組のレギュラー、テレビ東京の大江アナには初めて観たとき(日曜夜7時に移行時)から胸キュンでして。

 20時から「龍馬伝」。
 龍馬とおりょうの仲を、龍馬と近藤勇との対峙に割って入るおりょうの行動で瞬時に理解する千葉重太郎。その表情。龍馬を忘れられない妹のため遠路はるばる訪ねてきたのに。グッとくるシーンだった。
 第3部の「龍馬伝紀行」。楽器はチェロ(演奏:遠藤真理)。これまたいい! チェロ好きのGさんに教えなければ。
 時代劇で気になるのは俳優の歯である。江戸時代の人の歯はどうなっていたのかという疑問。治療はどうしていたのか。銀歯とか銀の詰め物なんてない? なら、俳優が大口をあけて銀歯なんて見せたら興ざめだよね。実際のところ、どうなのだろう? 先々週、先週の「龍馬伝」で確か役者の大口アップがあったような。
 江戸時代のむし歯治療のこと、あるいは時代劇を撮るにあたっての役者の心得。誰かご教示のほどを。

 同じ時間には目の前のオートレース場で花火大会。「たたら祭り」二日目。エアコンの効いた部屋で見られる。1年に一度、ああ、このマンションに越してきて良かったぁと思える日です。




 サブカル・ポップマガジン「まぐま 18号」がやっと発売になった。
 特集は石ノ森章太郎。題して「石ノ森章太郎 Spirits 」!

 HP「夕景工房」を開設して少し経ったころ、元同僚から紹介されて6号から同人となった。映画の、脚色に興味を持ちはじめたときで、小説とその映画化作品を検証するコラムを連載することに。
 8号は怪獣特集ということで、発行人の小山さんから特集記事の原稿を依頼された。六本木で小山さんと内容について打ち合わせしたのだが、2回目に会ったときに編集もやってもらえないかと相談されて驚くことになる。何しろ当時wordで版下作成なんてやったことがなかったもので。いろいろ勉強させていただきました。特集タイトルは「怪獣・怪人大進撃!! オール・アバウト・マイ特撮」。

 2年後の11号は当時夢中になっていたインディーズ映画の特集(特集タイトル:インディーズ・ムービー名鑑 今、日本映画はインディーズが熱い!」。これまた編集を買ってでた。そのまた2年後の14号はインディーズ映画特集第二弾(特集タイトル:日本映画の逆襲 メジャーvsインディーズ)。3度目の編集担当。その後、いろいろあって、発行人の同人制廃止宣言により16号をもって卒業した。

 今回(18号)は8号の怪獣特集みたいに、原稿執筆の依頼があった。石森章太郎なら書かせてください、お代官様! ってな感じでいくつか案を出して、2編書くことに。

 「体験的石ノ森ヒーロー論」の正式タイトルは、
    ◇
 体験的石ノ森ヒーロー論 なんて、かっこつけることもないか 昭和の仮面ライダー世代が平成シリーズを「あんなのライダーではない!」と否定することについて いやいやあれこそ石森章太郎氏が萬画で描きたかったものではないか だからこその〝原作・石ノ森章太郎〟ではないかと 第一期ウルトラ世代の私が強く主張する経緯と理由
    ◇
 「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」や「いかにしてマイケルはドクター・ハウエルと改造人間軍団に頭蓋骨病院で戦いを挑んだか」より長いタイトルを狙ったわけでして。「ガリバー旅行記」の原題にも勝ったか!? 


 まぐま18号 石ノ森章太郎 Spirits

 ●石ノ森章太郎スピリッツに触れる/小山昌宏
 ●石森先生の思い出 上京、出会い、そして別れ/山田ゴロ
 ●石森章太郎の内弟子として過ごした2年間/桜多吾作           
 ●「トキワ荘通り」通信 石ノ森章太郎寄り 番外編/トキワ荘通り管理人・K
 ●テレビアニメシリーズ『サイボーグ009』009たちの変容/須川亜紀子
 ●起源としての石ノ森章太郎とその断絶 
    ―『サイボーグ009』から『最終兵器彼女』まで―/足立加勇
 ●石ノ森章太郎さんとの出会い
    ―川崎ゆきお氏といった【手塚治虫フォーラム】/高木ひとし
 ●石森章太郎のセンチメンタル ビッグ作家漫画集/小山昌宏
 ●体験的石ノ森ヒーロー論/新井啓介
 ●「山田ゴロと愉快な仲間たち」展から
    「石ノ森プロ同窓会」ライブへ/新藤暁
 ●石ノ森章太郎本を読む/新井啓介
    ◇
 ●仏壇にチョコレート 期間限定エッセー/中村真理
 ●ヴィスコンティの自画像を求めて(4)
    映画『ヴェニスに死す』とマーラー(2)/梅田浩一
 
 ●編集後記


maguma18
別冊と同じ体裁になってきましたね
表紙のイラストが気に入りました
夏のコミケ(15日)が初お目見えでしょうか
ああ、私も売れる特集を企画したかった!

参考)同人誌時代に考えた企画
「特集・復刻 竹田の子守歌」
「特集・フェイク! 本物はどれだ?」
異人誌になってから
「ショーケン! ショーケン!」

B5判 93ページ 定価700円(+消費税)
発売:文藝書房 発行:STUDIO ZERO/蒼天社
ISBN978-4-89477-343-1 C0079 ¥700E




2010/07/31

 「第二回メセナ落語二人会」(館林 文化会館大ホール)

 昨年から始まった「メセナ 落語二人会」。談四楼師匠+ゲストの噺家、色物によるプログラム。昨年同様、小学校時代からの友人で高崎に住んでいるAを誘った。
 12時に館林駅で待ち合わせしたのだが、こちらは携帯電話を忘れ、あちらは到着が遅れて、少々パニクった。ケータイがあれば「遅れる」「わかった」で済むはずなのに。
 30分後になんとかご対面。Aのクルマで会場近くの讃岐うどんのチェーン店へ。その後、三の丸芸術ホールの駐車場に向かうと入口で係の人が申し訳なさそうに会場変更を伝えてきた。クーラーの故障で会場が変更になった件はすでに教えてもらっていたが、文化会館にも駐車場があるとは知らず、さっそく移動する。
 三の丸ホールは列ができるといつも開場時間前に入場させてしまう。文化会館はきっちり時間どおりの段取り。 


  立川こはる 「家見舞い」
  立川談四楼 「のっぺらぼう」
  笑福亭鶴光 「木津の勘助」

   〈仲入り〉

  笑福亭鶴光 「紀州」
  神田蘭   こまつ姫 ~「恋する日本史講談」より 
  立川談四楼 「井戸の茶碗」


 三四楼さんが二つ目に昇進したので、今回はこはるさんが前座をつとめた。天才小学生(じゃないって!)だから堂々とした高座ぶり。昨年、三四楼さんの危なっかしい進行に緊張したA、こはるさんは「ドキドキさせてくれないからつまらない!」だって。Aにとって前座はハラハラドキドキさせてくれる存在らしい。それだけ昨年の三四楼さんのインパクトが強烈だったってことで、前座のイメージがインプットされたのだろう。三四楼さんにとっては気の毒だけれど。
 こはるさんが自己紹介したときの会場の驚愕、動揺ぶりが面白かった。

 さて、上方落語のベテラン笑福亭鶴光師匠。昔とほとんどイメージが変わらない。オールナイトニッポンのパーソナリティとしてブレークしたのは僕が高校生のときだったか。聴いたことはなかったけれど。郷里の太田では電波の状態が悪くてニッポン放送が聴きづらいのだ。一番クリアだったのがTBSラジオ、だから高校時代深夜放送は「パック・イン・ミュージック」ばかり。そんなことはどうでもいい。
 80年代、社会人になってから、クルマを運転してラジオをつけると夕方あの元気な大阪弁が聞こえてきた。やはりニッポン放送だった。若者に人気を呼んだラジオのパーソナリティは、ファンである若者の年齢がアップするにしたがって、担当する番組の時間もアップしていく。夜(深夜)から昼(夕方)、そして最終的には朝へがよくあるパターンだ。鶴光師匠、そろそろ早朝の番組を始めるのではないかしら。
 「木津の勘助」は初めて聴く噺。「紀州」は談四楼独演会にゲスト出演された矢崎滋が披露したのを聴いたことがある。

 神田蘭さんは大ホールでも「らんらんらん神田蘭」コールをお客さんと一緒に。最近本を上梓して、演目はその中の一つ。

 談四楼師匠は、ネバー・エンディング・カイダン・ストーリーと十八番の一つ。

 文化会館は昔ながらの市民会館的な作り。落語を聴く(観る)には客席が段々になっていて横に広い三の丸ホールの方が適している。広くなく狭くなく適度なキャパシティなのでそう思う。




 渡辺えり子、磯野貴里子、石原真理子。皆、改名して渡辺えり、磯野貴里、石原真理になってしまった。名前から子をとったわけだ。子がついていた方がどっしり地に足がついたようで個人的には好きなのだが。だいたい昭和生まれの女性という感じがするではないか。いや、だからダメなのか。
 この前「龍馬伝」を観たら、キャストクレジットに〈山村美智〉とあった。元祖ひょうきんアナ、元フジテレビの女子アナで女優に転進した山村美智子よ、お前もか!

 調べてみたら、かなり前から改名していたのね。

          * * *

2010/08/03

 「engin版 品川心中」(品川六行会ホール)

 新馬場にある品川六行会ホールで「品川心中」を観劇する。
 久しぶりに人見健太郎さんから連絡をもらったのだ。出演者の一人だという。最近は映像クリエーターとしての仕事に忙殺されているとばかり思っていた。役者稼業も再開したのか。

 engin第一回舞台公演。enginとは高原知秀氏が旗揚げした劇団だという。高原氏は人見さんの友人。初めて会ったときのことを思い出す。
 もう何年も前になる。人見さんもメンバーの某インディーズ映画製作団体の上映会後の懇親会だった。高原氏も参加され、人見さんから紹介されたのだ。今度、特撮ヒーロー番組にレギュラー出演が決まったんだと。それが「超星神グランセイザー」。12人ヒーローの一人だった。

 小演劇の世界で時代劇というと、よくあるパターンが髷なしの幕末もの。たとえば新撰組の芝居なんてちょんまげを省略して役者は地毛で登場する。演者も観客もちょんまげがあるものとして演じ、観るのである。
 落語の大ネタ「品川心中」ではそういうこともできないだろう。いったいどんな芝居になるのか?

 これがきちんと表現されていたのである。江戸の情緒はヴィジュアルと音楽で伝わってくる。
 かつらと衣装は完璧だ。品川の遊郭、そこで働く遊女や若い衆。客となる大店主人、若旦那。あるいは博打に高じる職人たち。気になる口調(江戸弁)も及第点。
 セットもきちんと作られていた。それも場面転換ではちゃんと浜になる。まさに目の前の芝居は明治座や新宿コマのそれ。観たことないけれど。
 小道具、大道具、ここらへんに予算がかかっているのだろう。だから小演劇にしてはちょと高めの料金設定なのかもしれない。

 あとはいかに笑わせてくれるか。まあ、第一回公演でそこまで求めるのは酷というものだろう。
 死に損なった金蔵が親分宅に現われて、子分たちのあわてぶりが落語ではクライマックス。いわゆるスラプスティックが繰り広げられるのだが、そこをスローモーションにして結果に飛んだのは面白い演出だった。
(落語「品川心中」は二度ほど談四楼師匠の高座で聴いたことがある。確か、この芝居でいえば浪人が腰を抜かしたところでサゲになっていたと思う)

 主役の貸本屋の金蔵を熱演(汗びっしょり!)した高原氏、なぜかますだおかだの岡田に見えて仕方なかった。
 人見さんは浪人役。受付時に役の扮装のロビーに現われて挨拶されたとき誰だかわからなかった。開演前、注意事項を寸劇仕立てにして演じたは愉快だった。

 老・若い衆役の江藤漢斉氏、おかみさん役の坂本万里子さん(十朱幸代に見えた)はベテランの味。安心して見ていられた。




 今朝の朝日新聞、訃報欄が目に入って声を上げた。
 今野雄二氏の死――

 最近は、表舞台に登場しなくなってしまい、何をしているのだろうと思うこともあった。
 70年代は「11PM」で新作映画の紹介でお馴染みだった。愛川欽也が司会の水曜日。映画評論家のイメージが強いが、音楽評論家でもあった。
 
 近所の駄菓子屋Nには焼きそばを食べるコーナーがあって、雑誌やその昔の貸本の類が閲覧できるよう置いてあった。
 中学2年生。確かセブンティーンだったと思うが、グラビアで映画「フレンズ」の1シーンをバックにエルトン・ジョンの主題歌が訳詞で紹介されていた。僕は店の人に黙ってそのページだけ切りとって持ち帰った。たまにその切抜きを眺めるときがあるが、ずいぶん経って訳詩が今野雄二とクレジットされているのに気がついて驚いた。

 ♪僕たちが齢をとるなんて、それは犯罪

 当時はこの詞の意味がわからなかった。
 30代、40代になって実感できるようになった。

 キネマ旬報のベストテンではいつも洋画しか参加せず、それじゃ映画評論家ではなくて洋画評論家じゃないかと毒ついたことも。キネマ旬報を毎号購入していた高校時代だ。
 キネマ旬報連載の「小林信彦のコラム」で三宅一生と藤竜也に似ていると書かれたことがあったと思う。確か三宅一生と藤竜也は似ていないのだが、真ん中に今野雄二を置くと3人が相似形になると指摘されていたような。

 平凡パンチの編集者出身だと知ったのは最近である。
 うちの父親と同じ名前。

 享年66。
 新聞には死因が書かれていなかった。
 嫌な予感がした。
 やはりそうだった。
 ネットニュースには自殺の文字。
 哀しい。

 合掌




 先週の「ビューティフルアイランズ」から、怒涛の映画、芝居の鑑賞ラッシュが始まった。

 30日(金)は新宿シアターモリエールで「Macbeth」を。あのシェークスピアのマクベスがロックに彩られる、そして、水木ノアさんが出演、歌を披露するというのだから期待しないではいられない。
 かなり異色な赤毛芝居になると思われたが、魔女+α以外は本寸法。きちんと子役も登場する。リズムカルな台詞の応酬となると、ミスは許されない。噛むとそのとたん現実に引き戻されるのだ。
 この手の芝居って、ストーリーがどうのなんてことは後回しで、役者の演技、というか流麗な台詞回し、声に魅了されるものではないのか。
 帰宅途中にTSUTAYAでDVD「不知火検校」「新・座頭市物語」を借りる。「天才 勝新太郎」を読んだ影響だ。

 翌31日(土)は、館林で「セント・メセナの会 落語二人会」。出演は談四楼師匠に上方の鶴光師匠。プラス講談の神田蘭さん。昨年同様三の丸芸術ホールで開催、のはずが、冷房機器の故障で急遽道を隔てた文化会館大ホールに変更になった。昨年同様小学校からのつきあいになるAを誘った。

 17時ちょっと前に終わると、Aといっしょに中目黒というか祐天寺にあるライブカフェ「FJ’S」へ。毎月最終の土曜日にオーナーでもあるピアニスト、深町純氏のライブがあるのだ。北千住から中目黒って、日比谷線の始発から終点ではないか。ライブが始まる20時ぎりぎりに到着。ライブの迫力、感銘たるや……。
 トークも面白い。

 終了して、西川口に向かう。高崎在住のAは当然ながら帰れない、かといって狭い我が家に泊めることもできないので、近所の「湯の郷」で一泊することにした。
 駅に着いて、居酒屋へ寄って飲み直し。最近、読書のために寄るようになった店だ。生ビール半額セールを実施していて、会計時ドリンクの無料券がもらえる。
 26時「湯の郷」へ。

 理数系、パソコン博士の友人を持っていると助かる。翌1日(日)は9時に朝食のため自宅に戻り、ついでだからとAにパソコンとプリンタ(スキャナー)の接続、DVDプレーヤーの開閉修理、扇風機の修理を依頼する。すべて復活。

 Aと駅で別れてから有楽町へ出た。丸の内TOEIで「必死剣鳥刺し」を観る。確かにクライマックスの殺陣はかなりの迫力だ。

 帰宅する前に川口中央図書館に寄って、借りていた本とDVDを返却、8月は積ん読本読破月間にしようと、新たに本を借りるつもりはなかったのだが、ああ、意志薄弱。

 明日(3日)は品川六行会ホールで「品川心中」を観劇予定。

 「ハングオーバー」「プレデターズ」「インセプション」「トイ・ストーリー3」「ソルト」「ちょんまげぷりん」「ゾンビランド」観たい映画も目白押し。


 その他、今月の予定を記すと……

 15日(日) 「談四楼独演会 第171回」(北澤八幡神社)
 24日(火) 「ふたいサロン 晩夏に聴く『芝浜』」(新橋 交流サロンSHU)




2010/06/23

 「米朝よもやま噺 藝、これ一生」(桂米朝/朝日新聞出版)

 ラジオ番組を書籍化した「米朝よもやま噺」の第二弾だと思うが、本にその旨の説明が一切ない。なぜ?
 芸談は自分がまったく知らないことでも、聞く(読む)のは楽しい。


2010/06/24

 「告白」(湊かなえ/双葉文庫)

 映画を観てから小説をあたった。すぐに読みたかったので最近出た文庫を買おうとしていたら(図書館で単行本をリクエストすれば自分の順番が来るまでかなり待たされると思う)、川口のブックオフに中古本、それも文庫が一冊だけ置いてあったのであわててレジに持っていく。
 あっというまに読んでしまった。最初に小説を読んでいたらかなり衝撃を受けただろう。読後感はかなり悪い。
 映画で唯一理解できなかったことがある。女教師による少年二人に対する復讐。普通だったらすぐに学校全体に噂が広がって、大問題になるはずなのに、新学期が始まってもクラスメートだけの秘密になっている。小説にはその理由が書かれている。


2010/06/26

 「特撮魂 東宝特撮奮戦記」(川北紘一/洋泉社)

 1984年の暮れに公開された「ゴジラ」は期待が大きかっただけに、失望もまた激しかった。本編にも特撮にも完全に裏切られた。本編は「さよならジュピター」の監督なので仕方ないとして、特撮の出来が悲しかった。電気制御で動くサイボットゴジラと着ぐるみがまったくもって別ものだった。合成がいかにもそれっぽくて意気消沈した。
 「ゴジラvsビオランテ」は全体として満足するものではなかったが、特撮に関しては大進歩していた。特技監督が川北紘一だった。とにかくゴジラの造形が格段に良くなった。スーパーX2も前作のスーパーXとは比較にならないほどメカニックの描写が優れていた。「vsキングギドラ」は空飛ぶギドラの、地上に映りこむ影の使い方が斬新だった。
 夢中になって公開を待ち望んだのは次の「vsモスラ」までだった。特撮的には「vsメカゴジラ」までだろう。恐竜然としていたベビーゴジラは許せても、平成のミニラ、リトルゴジラは噴飯もの! その造形に満足している川北特技監督のセンスを疑ったものだ。神の視点による撮影を含めて。

 そんなわけで本書が出版されたときは、購入するかどうか迷ったのだが、池袋のジュンク堂に寄って発作的に購入してしまった。映画黄金時代から斜陽化に向かう際の、東宝における特撮チームがどのように変貌していったかが一番興味深い。


2010/06/29

 「新版私説東京繁昌記」(小林信彦・荒木経惟/筑摩書房)

 オリジナル版(中央公論社)は出てすぐに購入した。その後、筑摩書房から新版が出たが無視してしまった。文庫は買った。まあ、これでいいだろう。これで打ち止めにしようとした。ある方のブログで単行本と文庫では収録されている写真が違うと書かれてあった。単行本を買わなかったことを後悔しはじめた。
 池袋の古書店で割りと安価なものを見つけたことがある。次に訪れたときにはなかった。神保町の古書店にもあったがえらく高くなっていて手が出なかった。この数年よく利用するネット古書店で調べてみたら、安価だったのでさっそく注文した次第。

 文庫を読んだときの感想はこちらに。 



プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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