リハビリのための備忘録。

 紙ふうせんリサイタルの続き、書く気あるの? 
 そりゃありますよ。でもね、ラストで12月4日のFJ'Sライブにつなげようと漠然と構成を考えていたところ、そのライブが中止(延期)になってしまったんですから。それはいいとしても、これからなるべく追いかけようとしていたピアニストが突然亡くなってしまったんですからね、ポッカリ心に穴が空いてしまったというか、もう放心状態。
 ライブ、楽しみにしていたんだ。深町さんと後藤さんと平山さんの3ショット、見たかったなあ。たとえ一緒に演奏しないまでも……
 一昨日CD「六喩」(深町純&21stセンチュリーバンド)が届いた。アルバムタイトルになっている「六喩」に「もうっこ」の感激が蘇る。

 中学時代、音楽の時間に赤い鳥のアルバムを聴かせてくれた先生も参加するので、これまた楽しみにしていたんですよ。中学3年のときは市の合唱大会に3年生全員で参加した。先生の指揮、友人Aたちのバンドの演奏(Aも高崎から来る予定だった)。「紙風船」を歌いながらステージに登場して「翼をください」を大合唱した。「翼をください」がまだ合唱曲になっていなかった時代のことである。
 とにかく、もうしばらく時間をください。

          * * *

 先週25日(木)はサムライ・シアター新宿に会場を移した「シネマdeりんりん」の第二回。12月に公開される「ばかもの」の監督、金子修介さんと脚本の高橋美幸さんをゲストに迎えてのプレイベント。
 原作が絲山秋子氏と知るとどうしたって訊きたくなる。撮影前、中、後、友好的な関係だったかどうか。映画「やわらかい生活」のシナリオ掲載で原作者と脚本家が裁判で争ったあとだもの。映画「やわらかい生活」については映画で満足してしまったので、小説を読まなかった。
 裁判沙汰になって原作者が勝訴したというネットニュースを見たときに思った。映画は公開されソフト化もされている。にもかかわらずシナリオの掲載を拒否することにどれほどの意味があるのだろうか。
 それからやっぱり金子監督と怪獣映画の話……。

 トークショーが終わってからの懇親会でさっそく質問させてもらいました。平成ガメラ3部作「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」。金子監督にお会いしたら絶対確認したいことがあったので。
 映画「ウルトラQ」はもともと金子監督の企画だった。TV映画「ミステリーゾーン」の映画化作品「トワイライトゾーン」がそうだったように、「ウルトラQ」も3話のオムニバスで企画された。最終話はガラモンが登場するエピソード。ところが、このガラモンが版権の関係で使用できないことがわかった。実際に制作を担当する円谷映像は、円谷兄弟の三男氏が設立した会社で、円谷プロとは別会社だ。出資を円谷プロやウルトラ(マン)シリーズの玩具と縁が深いB社以外に求めたのが原因らしい。ガラモンを他の怪獣(ロボット)に置き換えたシナリオも書かれたが、結局この企画は流れてしまった。
 脚本は伊藤和典氏だったので、もしこのオムニバス映画「ウルトラQ ザ・ムービー」が実現していたら、平成ガメラより先に怪獣映画の傑作が生まれていたかもしれないのだ。
 この企画は実相寺昭雄監督「ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説」として再生するのだが、この件についてまた項をあらためて。 




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 復帰のリハビリを兼ねて。
 帯広のJさん、励ましの長芋ありがとうございます。精がつきます。

          * * *

 ウルトラシリーズ等の監督で有名な実相寺昭雄はエッセイの類のほかに小説も何篇か上梓している。第一期ウルトラシリーズを邁進している円谷プロを舞台に関係者たちの青春群像を描いた「星の林に月の舟」(大和書房→ちくま文庫)は傑作だった。
 TBSで「ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟」のタイトルでスペシャルドラマになった。感想は「なんでもかんでも実相寺監督の功績になっている!」。

 つまりこういうことだ。
 小説の吉良(自身をモデルにしたTVディレクター)は主人公とはいえオールマイティではない。円谷プロとは局のディレクターとして関わっている。あまりに突飛な演出で社内の仕事を干された吉良は、会社の先輩、円谷一の紹介で円谷プロの監督を引き受けることになる。
 「ウルトラQ」ではシナリオを2本書いたがモノにならなかった。後番組「ウルトラマン」の企画には直截係わっていない。基本的事項が決定したのち、脚本家の佐々木守とコンビを組んで撮影に入っていく。決められたフォーマットを、意図的に無視して独自のカラーを全面的に押し出し、あの異色作を作ったのだ。
 にもかかわらず、ドラマになると、たまたま撮影を見学にきた吉良のアイディアが採用されたことで「ウルトラマン」の骨格が出来上がったことになっていて呆れてしまった。本当は円谷プロの企画室長でシリーズのメイン脚本家の金城哲夫、メイン監督の飯島敏宏等々が考え出したことなのに。

 「龍馬伝」最終回を観ながらドラマ「ウルトラマンをつくった男たち」を思い出していた。ドラマなのだからフィクション大いに結構。しかし、歴史的事実を改変するのはいかがなものか。それも歴史に疎いこの僕でも「そりゃないぜ」と突っ込みたくなる改変である。
 「元禄繚乱」最終回では、綱吉が討ち入りした四十七士に面会したというフィクションを肯定した。ショーケンの綱吉だからではない。テーマに直結してなおかつ納得できたからだ。

 「龍馬伝」も確かにテーマに結びついている。が、どうしても納得できない。龍馬を暗殺した男たちと岩崎弥太郎が出会っている、それも暗殺前だけでなく暗殺直後にもというのはあんまりではないか。
 すれ違った、なんてものではない。顔と顔を突き合わせて熱い会話が交わされるのだ。顔を見られた男たちは弥太郎を一刀のもと斬り捨てるだろう。状況としてそれが当然だからだ。あるいは、暗殺者を2回も目撃した弥太郎なのだから、その後犯人探しに躍起になるだろう。事業に成功して財を成した男なら、それが当然のことではないか? クライマックスで現実に引き戻す愛媛県知事当選のテロップ挿入はもちろんのこと、いやそれ以上にこの出会いのシーンに興ざめした。

 「龍馬伝」にはその手のフィクションが多すぎるきらいがあった。リアルな映像(特に屋内に差し込む太陽光然とした照明)に夢中になりながら、英雄然とした龍馬の人物像、その描き方に鼻白むことが何度あったことか。
 弥太郎と龍馬は同郷ではあるものの幼馴染みではなかったという歴史的事実を知ったときは驚いた。おいおい、ドラマの核となる部分(テーマや構成)がフィクションなのか。だったら仕方ないのかもしれない、と。あるいは、今の視聴者のレベルに合わせた作劇なのかもしれない、と。
 最終回に向けてのこの数話の盛り上がり方は否定しない。実際、僕は何度も目頭を熱くしたし、涙が頬を伝わっている。
 「LIMIT OF LOVE 海猿」のシナリオライターらしいといえばそれまでだ。「犯人に告ぐ」はよく出来ていたと思うけれど。

 冒頭にいつものタイトルがなかったので、ラスト、あのテーマ曲を流すのかとわくわくしていたのだが、そんな俗っぽい作りにはしなかった。劇伴の音楽にゾクゾクきた。新たに作られた曲なのか、単なるこちらの思い過ごしか。
 「龍馬伝紀行」の音楽も、Yuccaのボーカルのあと、第一部のいちむじんが流れてきて感激至極。どうせならピアノとチェロも流せばよかったのに。第四部から第一部へひとまわりしたということなのかも。




 前項の続きみたいなもの……

 4年前の4月にくも膜下出血で亡くなった友人の享年―僕が46歳の年だったから44か。ヘレナ・ボナム=カーターに似ていると思ったから、彼女の前で口にしたことがある。知らない女優だったらしく、どんな映画に出演しているのと訊かれた。
 素直に答えた。
「ケネス・ブラナー監督の『フランケンシュタイン』では怪物の花嫁役、ティム・バートン監督『PLANET OF THE APES/猿の惑星』では主役のチンパンジー夫婦の妻を演じていた」
 ムッとした顔が忘れられない。何か誤解したらしい。

 Hさん、今も忘れちゃいないよ。


     ◇

 ●……無題 2006年04月14日

 H女史の訃報が届いた。
 あまりにも突然で何がなんだかわからない。身近な友人の死は大学4年のT以来だ。 いや、何年か前に母親と同じ脳腫瘍で亡くなった女友だちがいた。小学校からのつきあいで、年末に喪中はがきが届き驚きあわてた。10年ほど年賀状だけのやりとりになっていたのだが、それでもかなりのショックだった。
 H女史とは、元同僚、元試写会仲間、HPの師弟関係。最近はmixiで気軽に話せる仲。現在進行形のつきあいだから訃報を目の当たりにした昨夕は大声で叫んだ後全身に震えが走った。すぐに共通の友人に電話したのだが、震えで思うように番号を押せない。「落ち着け、落ち着け」と何度も言い聞かせた。

 気持ちの整理がつくまで書き込みはやめようと思っていた。しかし、後述するように私にHPを開設させ、「まぐま」を紹介してくれたのはH女史なのである。web上に何か書くことが彼女へおくる言葉になるのなら…と考え直した。

 もう十年以上前、書店向けの廉価ビデオで話題を呼んだ某出版社の映像部から、今の会社へ出向となった。数年していろいろあった後転籍したら、今度は子会社の語学出版社への出向となった。
 H女史はそこの社員だった。とにかく目立つ存在だった。ブランドものの超ど派手な衣装が彼女のお決まりのファッション。初めて見た時は目が点になった。おまけに当時光GENJIの追っかけをしていたというのだから。ブランド+ジャニーズ信仰女性なんて私にとってはエイリアンである。話が合うわけがない。そう勝手に判断してあまり近づかないようにしていた。部署が違ったので会社で話すことがなかったこともある。
 会社でも見た目で判断されるところがあった。先に出向し、彼女の上司的立場にいた同僚は〈仕事ができる女性〉ということを盛んに強調していたことを思いだす。上が彼女の働きに対する正しい評価をしていないといつも憤慨していた。

 彼女が映画好きだということを知ったのは、私の出向が解除され元の会社に戻ってからだ。突然、試写会の招待券を送ってくるようになったのである。
 当時彼女は手当たり次第に試写会に応募していて、親友のMちゃんと一緒に映画を観まくっていたらしい。で、余った券をこちらにまわしてくれたというわけ。
 こずかいの関係からそれほど劇場に通えない私にこの招待券はうれしかった。お礼の意味もこめて試写会で観た映画の感想を文章にしたためて送るようになりそれがある種の約束事になった。その第一弾が「アナコンダ」だった。感想を楽しみにしていたとずいぶんたってから聞いたことがある。

 6年前のある日、映画や読書の感想を記すHPを開設することを思い立った。何かの飲み会だったか、あるいは一緒に映画を観た帰りの喫茶店だったのか、席にはH女史とMちゃんがいて、HPのアイディア、構成やタイトルを話すと大いに賛同してくれた。
 それほどパソコンの知識がなく、HPの作成についてもおぼつかなかったのだが、二人の熱心な勧めで決断したといえる。それからは「早く! 早く!」の矢の催促。HP開設の大きなバックアップとなった。
 このとき、彼女はHP作成について何の知識もなかった。自分でHPを持つことにそれほど関心がなかったようだった。ところがしばらくするとPC教室に通ってあっというまにHPの権威になってしまったのだ。海外旅行とファッションのHPはあっというまに人気サイトになってしまった。
 現在の夕景TOPページのデザインをしてくれたのはH女史である。こちらのイメージを伝え、ああじゃない、こうじゃないとやりあった。BBSを設置してくれたのも、カウンターを用意してくれたのもすべてH女史。彼女がいなければ今の夕景工房はなかったと思う。そろそろリニューアルしようかとラフ案を考え、相談しようと思っていたのに……。

 ある日、「たぶん興味あるから」と一冊の雑誌を紹介してくれた。それが同人誌「まぐま」である。会社の同僚が仲間と始めた雑誌だという。webだけでなく、紙媒体にも何か発表した方がいいのではというアドバイスだったよう気がする。執筆だけでなく編集人として、私がここまで深く関係することを見抜いていたかどうか。彼女自身は香港旅行記を1回掲載しただけだったが、完成パーティーにはよく参加してくれた。
 
 そういえば語学出版社を退社してからは派手なファッションがなりをひそめてしまった。あまり試写会に一緒に行くことはなかったが、「グリーンマイル」のときに気がついた。理由を訊いて答えてもらったような気がするが忘れてしまった。
 それはともかく、親しくつきあうようになってわかったのは、彼女の裏表のない性格だった。女性特有のウェット感がない。何かのイベントを企画しても陰で「誰が出席するの?」なんて聞いてこない。行くなら行く。欠席なら欠席。あと腐れない。他人の悪口を言わない、噂話をしない。趣味、趣向はほとんど違うが、見方、考え方、感じ方には似たようなものがあって、映画の感想で一致したりする。話していて実に楽しい。
 とにかく自由気ままに、いい意味での唯我独尊の道をこれからも歩んでいくものだとばかり思っていた。フランクなつきあいがずっと続くものだとばかりに。

「あらいちゃん、元気~?」
 あの声は本当にもう聞けないのか。


 ●もう一度だけ、H女史のこと 2006年04月20日

 昨日はH女史の通夜、今日が告別式だった。
 急死の報を受けてから通夜まで日にちがあったので、その間あれこれ思いをめぐらせた。

 HPの件で問い合わせたいことがあり、毎日のように電話しようとしていた。亡くなった13日の朝も駅に向かう途中携帯に手を伸ばした。にもかかわらず結局やめてしまった。
 急ぐこともない、もうすぐ飲み会が企画されるはずだし、現に5月には「まぐま」の完成パーティーがある。久しぶりに参加しないかと声をかけるつもりでいた。あの伝説のかしまし三人娘の暴言放言が繰り広げられるかもと期待していた。

 なぜもっと早く電話しなかったのだろう。最後のやりとりがmixiの「フェラガモははしたなくて口にできない」。下ネタコメントだなんて我ながら情けない。
 話したいことはいろいろあったのだ。「ユー・ガッタ・メール」が昔の作品(ルビッチ監督「桃色の店」)のリメイクだったこと。その変遷が面白い。小林信彦「にっちもさっちも」に書いてあり、いつか話題にしようと思っていて忘れていた。この前文庫本を読んで思い出した。
 「まぐま」最新号の感想は「アライ色のまぐま」だった。お気に入りのスター、トム・クルーズの「宇宙戦争」は観たのだろうか。
 でもさあ、やっぱり6万円の靴は高くないか? オレのこずかいの…いや自分が惨めになるだけだからこれはやめよう。アライちゃんっていうのも、あまり好きじゃなかったんだよね。まあHさんだから許しちゃうけどさ。

 駅からの帰り道、ふとH女史との会話が頭の中をかけめぐり、ああ、彼女はもういないんだとため息をつく。その虚しさ。寝る前に音楽を聴くと、哀しみは一気に込み上げてくる。泣きたくなる。

 通夜に行って、遺影を見るのが怖かった。泣き出すんじゃないかと思った。
 ところが……
 遺影の笑顔が実に素敵だった。これで、何か気持ちの踏ん切りがついた。
 棺の中の彼女にも対面した。まったく予想していなかったこと。告別式への出席を遠慮しようと思ったのは、この対面(最後のお別れ)があるからで、一瞬ひるんだ。できれば回避したい。しかし、喪主であるお母さんの意向である。嗚咽してしまうのではと、びくびくしながら順番を待っていた。

 その瞬間。
 なぜか、不思議と穏やかな気持ちになれた。彼女の表情がそれこそ穏やかだったからなのか。彼女の死をきちんと受け止められたからなのか。

 というわけで、考えを変えて、今日は告別式に参列した。
 最後の別れも冷静でいられた。
 もうこれから、実際に話すことはできないけれど、たぶんふと思い出すだろう。この映画、あの俳優、あるいはたまには社会問題。話題にしたら、彼女は何て応えるだろう、なんて。
 そうやって、彼女をいつでも思い出すことが、一番の供養なのだ。
 某住職さんの受け入りだけれど。

 今気がついた。「まぐま」パーティーは彼女の訃報を聞いてからちょうど一ヵ月後なんだ。




 朝刊を見てまた叫んでしまった。絶叫だったと思う。
 訃報欄に深町純さんの名前をあったからだ。
 
 深町純さん(ふかまち・じゅん=作曲・編曲家、キーボード奏者)22日心嚢(しんのう)血腫で死去。64歳。……

 ショックなんてものじゃない。
 12月4日(土)には、深町さんのお店「FJ'S」で紙ふうせんのライブがあるのだ。

 先日のリサイタルで配付された〈なつかしい未来新聞〉のライブ情報で、このFJ'Sライブについて後藤さんが書いている。

     ◇
紙ふうせんのレコーディングで「円山川舟唄」「いかつり唄」「夕陽よ沈まないで」「昭和戻り唄」「ハーモニー」多くの楽曲の編曲で深く美しいサウンドを創り上げてくれた深町純。赤い鳥のライブ録音「もうっこ」でのピアノプレイ。
1980年宝塚JAZZフェスティバルでのゲスト出演。尊敬してやまない彼のハウスで紙ふうせんは歌う!
定員は35人、早いもん勝ちだよ。ちなみに当日の音響は“みずから”僕らのために担当して下さる。
なんと…まあ、えらいこっちゃ!
     ◇

 深町さんがライブハウスをオープンしたんだと後藤さんから聞いたのは昨年のリサイタルのあとだったか、いや春のシークレットライブだったか。
 今年の2月、貝塚のコンサートのあと「深町さんのお店でシークレットライブやるから」と言った。5月のライブで神戸に行った際、立ち寄った中古レコード店で深町さんのユニットThe WILLのライブツアーを知った。大塚のライブハウスで初めて深町さんのプレイに触れた。7月は念願のFJ'Sを初訪問。毎月の最終土曜日、深町さんのキーボードパーティーが開催されている。即興音楽なのだが、完成されたメロディとプレイの迫力に圧倒された。
 今年日本で「死刑台のエレベーター」がリメイクされたが、音楽に深町純を起用すればよかったのにと思ったものだ。深町さんのピアノによる即興音楽だったら、マイルス・デイヴィスのトランペットに拮抗するのではないか。
 CD「深町純&ザ・ニューヨーク・オールスターズ・ライブ」を購入した。

 8、9月のキーボード・パーティーには行けなかった。
 10月には鎌倉でショパンを弾くと知り、ぜひとも聴きたいと願ったが、その後情報が伝わってこなかった。演奏会はあったのだろうか。
 今週の土曜日はキーボード・パーティー。4日の件もあるから、FJ'Sに伺おうとしていた。予約の電話をしなくちゃと思っていたところ。

 4日のライブを契機に紙ふうせんと交流が深まるはずだったのに。
 深町さんのピアノで平山さんが歌う、そんなステージを想像していた。
 赤ワインを片手にして深町さんと後藤さんのトーク。マニアックで面白いだろうなあ。そんなことを考えていた。
 これから深町さんの生演奏を聴く機会が増えていく。そう期待していた。
 なのに……

 とてもくやしくて悲しくて。

 合掌




2010/11/20

 「紙ふうせんリサイタル2010 なつかしい未来 VOL.5」(サンケイホールブリーゼ)

 西川口の駅ビルに入っている和幸で一口ひれかつ弁当を買って東京駅へ向かう。
 前々から思っていたのだ。ここで弁当買って新幹線の中で食べようと。安いし旨い。つまみは前日コンビニで手に入れていたので、ホームの売店では缶ビールのみ購入。
 12時40分発のぞみ171号に飛び乗った。旅の友は「吉田拓郎 終わりなき日々」(田家秀樹/角川書店)。
 新幹線に乗って大阪に向かっている最中が実は一番幸せなときなのかもしれない。コンサートが始まればあっというまに終わってしまうのだ。で、帰りの新幹線では「ああ今年も終わってしまったなあ」と祭りのあとの寂しさをかみしているわけだ。今年はどんなコンサートになるのか、あれこれ想像しているときの方が楽しいって。

 15時40分過ぎに会場に到着した。16時10分から打合せがあるというので、カフェに寄らず入口前で待機。FC有志がいつも行っているリサイタルの手伝い、入場するお客さんに「未来新聞」(&フライヤー)を配付する作業を手伝うつもりだった。しかし、直前に画家のえとう(まさゆき)さんに会ってとりやめた。開場してすぐにビデオ上映があると教えてもらったのだ。
 前々回のVOL.3では、紙ふうせん(ふたり)の絵が描かかれる過程を収録したビデオが上映されて興味深く拝見した。職人フェチの僕は、何かができるまでの工程にとてつもなく興奮する。その第二弾に挑戦したというのだから見ないわけにはいかない。手伝っていたら開演までロビーにいなければならない。ビデオを見る余裕なんてないのである。

 さて、そのビデオだが。
 NHK教育テレビで放送される子ども向け番組の1コーナーならば、オープニングで男の子と女の子の元気な声が聞こえてくるのではないか。「しりとりねんど~!」なんて。薄緑色の粘土がアップで出てくる。えとうさんの両手が粘土をこね、ある動物を作る。えとうさんの声で「ゾウ」。「ゾウのウ」。 そのままゾウを形作っていた粘土はまたこねられて「ウマ」に。「ウマのマ」。 ウマはマナティに。「マナティのイ」
 こんな調子で次々にしりとりが続く。イルカ→カンガルー→ウミガメ。その最中、まわりからビデオに反応する声が聞こえてきた。「ウサギ?」「オットセイ?」
 たぶんラストはクジラになるはず。そろそろ時間だ。いったいどうなるのだろう? ウミガメがこねられて何か太った体型の人間を作っている。「ハリーポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」に出てきた巨人は何て言ったっけ? トロルだから違うな。答えは「メタボリック」!
 ああ、なるほど! で、ラストは「クジラ」になるのか。

 このしりとりねんどのキーワードは「イルカ」と「クジラ」なのだ、と思う。
 それは第1部オープニングに披露された歌に直結する。
 「太地綾踊唄」。
 和歌山県東牟婁郡太地町の伝承歌である。

 
 この項続く




 一昨日(20日)は紙ふうせんリサイタルだった。
 詳しくは後日に記すが、終了後FCの懇親会。今回はFCメンバー以外も参加していて、彼らと話をすることで思わぬ収穫があった。これまた後日に。

 二次会は、有志とカラオケ。「2時間だったら5時までコースの方がお徳ですよ」ということで、夜中の1時には一人になった。皆さんホテルに帰りましたので。金のない僕はネットカフェをやめてそのまま居座ることにしたわけで。
 2時間ばかりワンマンショー。DAMはショーケンのナンバーが少なくて、斉藤和義「幸福な朝食 退屈な夕食」「ずっと好きだった」、真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」「エンドレスサマーヌード」、韓国語の「24,000回のキッス」、フランス語風「シェリーにくちづけ」等々。それなりにネタの練習しているんです。モノになんないけれど。
 3時から一眠りして、5時に外に出た。
 ほんとに財布に金がなくて、FKでバーガーセットを食べて、梅田の街を徘徊。駅に戻るとみどりの窓口が開いていたので、カードで新幹線のチケットを購入してすぐに帰ってきた。午前中には自宅にいた。

 晩に疲れがやってきた。
 22時にもう寝ていた。
 朝方夢を見た。なぜか僕は営業マンである会社を訪ねるのだが、ちょっと小をもよおしてトイレに行く。個室に入っておしっこするとこれが長い。ずっとしている。1分、5分、10分……。便器からあふれだし個室はびしょびしょ。驚いたが何もなかったように外で出る。ある方に営業に来たことを告げていると、怒り顔の男が二人。乱れた心を落ち着かせて僕は問う。「トイレのことですか?」
「そうです!」
 いったいどうなるんだろう、俺?

 そこで目が覚めた。夢の中でおしっこしても何の開放感もない。あったらオネショしてますから。トイレの夢をみるときはほんと、考えられないシチュエーションなのだ。全裸だったり、大の方をしているのに、まわりに丸見えだったり。

 それで思い出したことがある。あのとき監視カメラで録画されていたのではなかったか? 

     ◇

 ●鮫洲の試験場は遠かった! 2006/05/07

 大学3年の夏休み、帰省中に自動車学校に通った。
 住民票を移していたので筆記試験は東京で受けなければならない。ところが鮫洲の試験場なんて行ったことがなかった。いったいどこにあるのか? 幸い映画サークルの後輩が少し前に試験を受けていた。
「鮫洲の駅を降りたら試験場に向かう集団ができるので、そのあとをついていけば簡単ですよ」
 当日、改札を出て、そのまま流れる人の群れの一番うしろに続いた。頭の中は試験のことでいっぱい。ほかのことは何も考えられなかった。
 気がつくと目の前に下駄箱があった。あたりを見回すと下駄箱だらけだ。玄関に到着したのだった。皆、当然のようにそれぞれの箱から上履きを取り出している。
「へぇ、今時の試験場というのは上履きまで用意しているのか」
 感心しながらどの上履きにしようか思案していた。
 肩を叩かれた。振り向くと若い男性だった。
「あの~、ここ××高校ですけど。鮫洲の試験場と間違われていませんか?」


 ●迎賓館 汚すべからず 2006/05/08

 空の蒼さが目に沁みる日はきまって寒さが身にしみる。トイレが異常に近くなるのだ。一時間に一回、ひどいときは30分ごとにトイレに駆け込まなければならない。
 あれは25歳のとき、CF制作会社に入社して二年目、底冷えのする冬のある日のことだった。
 早朝から上司であるプロデューサーのS氏と新作CMのロケハンに出かけた。表参道から銀座方面に歩きながらロケに適した街角を探す。
 案の定、青山あたりでもよおしてきた。近くにトイレは見当たらない。
 まだ大丈夫。我慢できる。もう少し歩いてみよう。
 迎賓館まで来てしまった。ちょっとやばい。夢中でトイレを探したが……ない。あわてた。あせった。泣きたくなった。
「立ちションすれば?」
 S氏は言うのだが、迎賓館のまん前でそんなはしたない行為はできない。〈日本の恥〉という文字が頭に浮かんだ。
 S氏はしょうがねぇなァという顔をしながら「この先に知っているビルがあるから」。
 下半身にリキ入れて三歩進んでみた。甘かった。膀胱はパンパン。わずかな振動でも漏れそうだった。脇を車が猛スピードで走りすぎる。うっ。空を見上げた。深呼吸ひとつ。
 目的のビルにたどり着いた。震えが止まらない。先っぽがちょっと濡れた。エレベータが開く。S氏と乗り込んだ。トイレのある7階を押す。目の前が白くはじけた。
「Sさん、もうダメ!」
 上昇する箱の隅に移動し、社会の窓を全開、思いっきり放尿した。
「人が乗ってきたらどうすんだ?!」
 S氏が叫ぶが、知ったこっちゃない。快感が全身を包んでいる。
 突然3階で止まった。誰かが乗ってくる? 放尿は続いている! ドアが開いた。突然S氏が両手を乱暴に振り回しながらわめきだした。
「■※▽$●%□&◎#!!」
 すばやく閉の釦が押される。
 7階に到着した。何事もなかったように降りると二人は非常階段から逃げ出したのだった。




2010/11/01

 「萩原健一 トーク&ミニライブⅡ ANGEL or DEVIL」(なかのZERO 大ホール)

 前々項から続く

 ゲストにはまるで期待していなかった。横浜は梨元さんの娘だった。素人に毛が生えたような人にショーケンとのトークを盛り上げる力などなく、ショーケンだって話術にたけているわけではない。梨元さんの話題でいくつか会話のキャッチボールがあっただけであっけなく終了してしまった。これは別に彼女のせいではない。
 その後、名古屋、大阪も同じだったらしいので、「誰だろう?」なんてワクワク感は皆無。だから「ゲストは小堺一機さんです」と紹介されたときは驚くと同時に喜んだ。こりゃ、トークがはずむぞ。会場もどよめいたような気がする。

 少し前にパーティーで一緒になって話したことが今回のゲストにつながったらしい。
 小堺さん、そのときの会話を得意の物真似をまじえて再現する。大爆笑。
「あのとき、すごい失礼なこと言ってしまったんですよね」
 パーティー時、ショーケンは小堺さんの目をじっと見つめながら話していたという。その目つきについ訊いてしまった。
「クスリやめられたんですよね」

 世代だから、テンプターズ時代からショーケンの活躍を知っている。役者に転向してからは映画もTVも観ているようだ。こりゃ中身の濃いトークショーになるなと次の展開を期待していた。小堺さんが「太陽にほえろ!」だか「傷だらけの天使」の話題をしようとすると、ショーケンがストップをかけた。  
 ショーケンにとっては70年代の作品に関する話はもううんざりなのだろう。ファンにすれば何度聞いてもうれしいものだが。
 腹八文目どころか、五、六文目といったところで小堺さん退場。もう少しトークしてもよかったのに。これは予定どおりなのか否か。小堺さんがゲストなら、大きなサイコロを用意して、ファンが気になっていることを代表して訊くということもできたのに。新作「ナオミ」はどうなったのか? 「約束」のリメイクは本当に自身で監督するのか? 市川森一脚本の旅情を描く映画は? 「傷だらけの天使」の映画化は? フルバンドにコンサートは? これなら30分、40分なんてあっという間に経ってしまう。 

 「シャ・ラ・ラ」の大合唱では、小堺さんを引っ張り出してきて、AHaちゃんをお供に客席の通路を一周。4列31番が通路に面している。隣の女性はあわてて通路に向かって飛び出していった。ショーケン、横浜がそうだったように中野でももみくちゃだった。

 シャ・ラ・ラ


 知っているなら一緒に歌ってくださいと言って、歌いだしたのはテンプターズ時代の代表曲2曲。
 「R」で「神様お願い!」を、「ENTER THE PANTHER」で「エメラルドの伝説」を解禁した。「神様お願い!」を歌いだしたのは理解できる。メンバーのオリジナルだし、ローリングストーンズを意識した楽曲だからだ。が、なぜ「エメラルドの伝説」なのか? いかにもなおとぎ話風ラブロマンス、もろGSサウンド。テンプターズ時代は地獄だったと切り捨てるショーケンは絶対取り上げない楽曲だと思っていた。もちろん、僕自身は「神様お願い!」も「エメラルドの伝説」も大好きだけれど。
 横浜のときは、新アレンジの「神様お願い!」に度肝抜かれた。イントロからはまるで「神様お願い!」だと想像できない。CDを聴くうちにお気に入りになった。ウエストコーストのロックンロールという感じ、しませんか。
 ラストはショーケンのテーマソングとでもいうべき「ショーケン・トレイン」。
 ライブではお馴染みになった、バンドメンバーを引き連れてのステージ一周。いつものパフォーマンスのあと、ショーケンが全速力でステージを駆け巡った。思わず拳を握り締めた。
「ショーケン、本気なんだ」
 胸に熱いものがこみ上げてきた。

 声の調子は「ENTER THE PANTHER」と比べると格段に良くはなっているが、全盛期には及ばない。それは仕方ない。心配なのは声が裏返ったまま、もどらないときがあるときだ。
 ショーケンの声の衰えを声の裏返りと表現する人がいる。言葉が足りない。裏返りは演技でも歌でもショーケン節の魅力の一つだった。歌ならば、裏返って高い声を極めたとたん、すぐにドスを効かせるような、まるでジェットコースターみたいな高低自由自在な歌唱にゾクゾクするわけだ。それが裏返ったままだとたまらなく不安になる。声が震えていたりすると喉を酷使しないで祈りたくなる。
 横浜のときは、一番前だったこともあり、歌い終わるたびに、喉の薬をシュッシュしていたのを目撃している。
 
 まあ、とにかく。
 ショーケン、フラフラ。
 全員ソデに消えた。

 エメラルドの伝説/神様お願い!/愚か者よ/ショーケン・トレイン(9月25日吉日、友の結婚)


 さあ、アンコールだ。ずっと手拍子をし続ける。最初は全員が立ち上がっていたが、一人、二人と座っていき、立っているのは(まわりでは)僕と隣の女性だけになってしまった。どうして皆座るんだよ! 少々毒つきたかったが、このままだと後ろの席の人がステージを見づらいなと思って、あわてて着席した。続いて女性も。
 舞台にはショーケン以外のメンバーがそろった。
 AHaちゃんが巫女になって、天上の神を呼んでいる……  

 ショーケンが客席から現れるのは、名古屋、大阪の情報で皆知っている。誰もステージなんて注目していない。
 どこから現れる? スリリングな瞬間。
 スポットライトが当たった。な、なんとショーケン、2階席に立っていた。
 ステージでは「フラフラ」の前奏が始まった。
 ショーケン、すぐにドアの外へ消えると、そのまま裏の通路を走ってきてステージに登場した。
 客席の歓声! ボルテージは最高潮!
 個人的には、あのまま2階席で「フラフラ」を歌えばもっと感激したのにと思っているのだが。
 ……ボブ・マーリーよろしく、ショーケンの「ヨォー」に応える客席。その繰り返しで最後に三本締めならぬ四本締め(?)。

 ANGEL or DEVIL/フラフラ(春よ来い)

 本当のエンディングがやってきた。時計を見ると20時ちょっと前。エントランスに飾ってあるポスターには18時30分~20時30分と明記したあったのに。トークの時間が短くなっているのだろう。まあ、ショーケンにはトークショーは似合わないし。だいたい2時間あのパフォーマンスやったら、ぶっ倒れるよ。 
 メンバー紹介のあと、ちょっと長めの挨拶。カンペの力を借りたのはご愛嬌。
 今を生きていると、だから皆さんも明日を楽しい一日にしてください、と。
 胸にしみた。
 そう一週間先、自分がどうなるかわからない。自分だけでなく、明日だって本当のところわかりゃしないのだ。だからできるだけ触れ合いたい。もうライブはいいかな、と思ったけれど、考えを改めた。

 帰り支度をしていると、「君が代」が聞えてきた。ショーケンの声だ。何かの式でショーケンが歌ったという。週刊現代ではグラビア特集に「ショーケンが国家を歌う時代」というタイトルがつけられていた。
 高校時代のラグビー部顧問で、現代国語のM先生が、授業でこんなことを言った。
「『君が代』は『古今和歌集』の読み人知らずの作品なんだ。地方の誰だかわからないような人が天皇のことなんて詠むものか」
 以降、このスタンスで「君が代」に接している。

 充実した1時間30分強だった。


 Gt:瀬田一行 Gt/Chor:長井ちえ Vocal/Chor:AHa
 Key:篠原信彦
  □
 Bess:石川信二 Dr:堀越彰 
 Sax:鈴木アキラ


 タイトルの「ANGEL or DEVIL」、ふと黒澤明の言葉(本のタイトル)にも由来しているのだろうかと思った。

  天使のように大胆に
  悪魔のように細心に




 2月のトーク&ミニライブ前後の飲み会で知り合ったMさんが亡くなっていた。
 今日、中野ZEROのショーケンライブの構成、エンディングの構成がどうだったか、思い出すためにいくつかのブログをあたっていて知った。

 2月のライブのあと、大口広司追悼ライブに行こうと約束したにもかかわらず、都合でNGになってあわててお詫びの電話をした。その後、何度かメールのやりとり。サイトを教えてもらって某市の市会議員であることを知った。大病を患ったことも。会ったときの容姿から予想はしていたのだけれど。
 旦那さんのバンドがライブを企画している、春ごろ下北沢で。
 行くから連絡ください。
 連絡がなかったけれど、別になんとも思わなかった。忙しいのだろうと。

 横浜で会えなかった。中野でも。
 もしかしたら病気が再発して入院しているのだろうか? 初めてそう思った。
 
 まさか10月に亡くなっていたなんて。

 落ち込んでいる。

 合掌




2010/11/01

 「萩原健一 トーク&ミニライブⅡ ANGEL or DEVIL」(なかのZERO 大ホール)

 承前

 横浜のとき、ショーケンの隣でギターを弾く長井ちえの貫禄に圧倒された。別にちえさんが太ったとか歳とったとかいうのではない。余裕、だろうか? 全身から自信がみなぎっていて、ギターの構え方、指さばきに思わず「姉御!」と跪きたくなる。年齢は彼女の方が下だろうけれど。 音もよかった。
 ほんとすぐ目の前ですからね。
 髪が伸びたショーケンは注目の的だったけれど、イライラしている姿を何度も目撃するのは辛いですもん。返しのイヤフォンの元が外れて右往左往したり、もっと音量上げろと舞台ソデ(のスタッフ)に伝えるも反応がなくて鬼の形相になったり。
 ブルースハープをジャケットのポケットにしまおうとして、上手い具合に開かなくて何度もやり直したり。これはニヤニヤ。

 今回はそんなシーンは皆無だった(と思う)。正面にはショーケンがいるのだから始終見つめていた。基本は白のシャツに白のパンツ。それに様々なジャケットやマフラー(?)を組み合わせていく。
 大好きなナンバーばかりだ。
 前回は視界の外だった瀬田さんもしっかり確認。銀座のときはテリー伊藤だったけれど、今回はもっとワイルドなちゃぼ、かな。

 ショーケン、「ぐでんぐでん」を歌いながら斜め下ばかりを見つめている。あれ、もしかして? やはりそうだった。カンペを見ていたのだ。カンペに頼るショーケンを初めて見た。少なくともこれまで見たコンサートでは。
 そんな姿にニヤニヤしてしまった。ショーケンが歌い終わってソデに消えたとき、隣の女性が笑いながら僕に言う。「カンペ見ないでよ、ねぇ?」
 すかさず僕が答えた。「でも、あの距離から字が読めるってすごいですよ」
 老眼だったらつらいのではと思ったのだ。字の大きさがどのくらいか、わからないけれど。
 この数年、自分がなったから推測できる。近眼だから裸眼なら何でもない。コンタクトレンズをするととたんに本の字がかすむ。コンタクトして老眼鏡して。何それ!


 テンダーナイト/GOD BLESS YOU(去年の暮れー予感)/Ah! Ha!/ぐでんぐでん


 そういえば、横浜の(前述の)女性から訊かれた。「どうしてそんな冷静でいられるの?」
 十分熱いって。でも、陶酔するまでにはいかない。たとえば「ANDREE MARLRAU LIVE」でも一番前の客はステージにへばりついて、両手を挙げて一心不乱で「ショーケン! ショーケン!」と叫んでいた。
 とてもじゃないけれど僕には真似できない。ショーケン節、パーフォーマンス、バックの演奏。すべてを体感するにはもっと醒めていなければ。
 そういう意味では一番前の席はいい席とはいえないのだ。4列中央付近はいい距離だと思ったが、実際行ってみたらもっといい席があった。2階の一列目だ。ステージのすべてが見渡せる! 立たなくていい! なんて、そんなわけにはいかないけれど。

 今回のステージングについては、半分はコーラスのAHaちゃんにゆだねられている。銀座に比べて驚くほど前面に出ていた。デュエットというか掛け合いの「54日間、待ちぼうけ」なんて衝撃だった。横浜ではあまりの衝撃で落ち着いて聴けなかった。CDでは途中で涙がでてきた。AHaちゃんのヴォーカルはファンの声を代弁している。

 ♪お願い みんなのもとに 返して


 大阪で生まれた女/ラストダンスは私に/54日間、待ちぼうけ/ハロー・マイ・ジェラシー

 どなたかのブログで彼女のヴォーカルを含めてそのアレンジを歌謡曲っぽいと評してた。
 だとしたら叫びたい。「歌謡曲、上等じゃないか!」


 この項続く




2010/11/01

 「萩原健一 トーク&ミニライブⅡ ANGEL or DEVIL」(なかのZERO 大ホール)

 承前

 6時30分。ほら、音楽とともにショーケンの煽りが聞こえてきたぜ。

 ――なのだが、時計の針をちょっと巻き戻す。
 4列め(の席の)中央付近、僕の左右にはまだ誰もいなかった。しばらくして女性が一人左隣に座った。空席の列に男女が並んで着席している姿を想像してほしい。
「何も知らない人からみると、私たちカップルみたいですよね?」
 冗談まじりに話しかけてみようと思った。やめた。だいたい僕に見知らぬ女性に声をかける勇気なんてあるわけない。無視されたら傷つく。何より下心がありそうに思われたら心外だ。相手が二人連れならたぶん「横浜は行かれましたか?」と訊いていただろうけれど。「わたしに声かけないで」オーラを発していたことも要因か。どうして一人で来たのだろう? と思えるタイプなのだ。

 始まる直前にNさんが僕の前を通って、左隣の隣の隣あたりに着席した(たぶん列のまん真ん中)。通ったときに目があって挨拶。横浜のとき終演後に知り合った。HNはSさんのサイトのコメント欄でよく目にしていた。名前からてっきり男性だと思っていた。Nさんが隣の女性にも挨拶した。知り合いらしい。ショーケンファンの人間関係ってけっこう狭いのではないか?

 それにしても人は見かけで判断してはいけない。
 ショーケンがステージに登場するやいなや立ち上がった(立ち上がるのは当然)と思ったら、思いっきり「ショーケ~ン!」。もう叫ぶ、喚く。さっきまで醸し出していたおしとやかなイメージはもうなかった。

 横浜のときも開演前からステージ全体が見渡せた。2月の銀座同様、篠原さんはグランドビアノを弾くものだと思っていた。が、ステージには見当たらない。キーボードの類がないのである。えっ、篠原さんピアノ弾かないの? そんなわけないだろう。篠原さんが登場してわかった。真正面に一段高く鎮座していた茶色の四角い物体がハモンドオルガンだったのだ。客席からだと鍵盤がまったく見えないので(まさに立方形の物体に見えた)、それがキーボードだと思えなかった。
 当然今回も同じ位置にハモンドオルガンがあって篠原さんが座る。
 オルガンを中心に、上手に長井ちえさん、下手に瀬田さん。
 ショーケンが現れると場内全員が総立ちになって、怒涛のライブが始まった!

 何の曲をどんな順番で歌うのか。「ENTER THE PANTHER」のときは手帳片手に曲名とステージの印象をすばやくメモしていたが、トーク&ミニライブでは必要がない。入場時に購入したCDに収録された曲が収録された順に披露されるわけだから。

 銀座のときは会場内だけしか販売しない、「2010LIVE記念盤」と銘打たれたミニアルバムだった。収録曲は5曲。「愚か者よ」「AH! Ha!」「シャ・ラ・ラ」「ハロー・マイ・ジェラシー」「HE IS COMING(ショーケントレイン)」。
 このアルバムを私家版だとすれば、今回のライブにあわせてリリースされたCDはインディーズ盤だろうか。ショーケンのライブアルバムにはお馴染みの「イントロダクション」から「フラフラ」まで全16曲が収録されている。私家版からの流用もあるので新たに録音されたのは11曲か。

 イントロダクションのあとの「テンダーナイト」。「DONJUAN LIVE」にガツンときたものにはやはりオープニングはこの曲でなくちゃ。
 初めて生のコンサートだった「R」も、13年ぶりの「ENTER THE PANTHER」も、2月の「ANGEL or DEVIL」もすべて短髪だったショーケン。やっと髪を伸ばしてくれた。
 このときを待っていたんだ!  
 
 この項続く




 「龍馬伝」。第45話「土佐の大勝負」。熱かったなあ。後半、ずっと目頭熱くしていた。涙が一筋二筋。かみサンも娘もいないので、流れるままにしていた。後藤象二郎(青木崇高)がいいのだが、山内容堂(近藤正臣)の目にやられた。あの流し目(?)に!

          * * *

2010/11/01

 「萩原健一 トーク&ミニライブⅡ ANGEL or DEVIL」(なかのZERO 大ホール)

 なかのZEROはインディーズ映画の上映でこれまで何度も足を運んでいる。最初は地下の視聴覚ホールばかりだった。続いて小ホール。小ホールといっても実際に中に入ると驚いてしまう。キャパは500だから中ホールの名称の方が似つかわしいのだ。
 大ホールにはこれまで縁がなかった。いや、一度だけ映画の試写会で訪れたことがあるか。洋画だった。確かホラー映画。調べてみたら「ロードキラー」だった。

 渋谷で「死刑台のエレベーター」を観て、中野へ。かなり早く着いたので中野ブロードウェーで時間をつぶす。一番お気に入りの古書店が見当たらない。閉鎖されたのか? 別の場所で小さな古書店を見つけた。かなり好みの本が揃っている。まだまだ時間はあるがなかのZERO方面に向かう。

 中野駅南口を出て新宿に戻るように線路脇の道を歩いていくとなかのZEROがある。いつも時間があると、途中の「ドトール」でコーヒーを飲みながら読書することにしている。今回もそう。ブレンドコーヒーとスパイシードッグを注文して入り口近くに着席。禁煙席は奥にあるのだが、喫煙しているときからの特等席なので。目の前に道路が見える席に座って通り過ぎる人たちを眺めるのも楽しい。
 前日から手に取った「勝新 役者バカ一代」を読み進めた。ふと〈ショーケン〉という声が聞こえてきた。隣のカップル(会社の先輩、後輩関係?)、後ろの3人組(男二人、女一人)もショーケンを話題にしている。みななかのZEROへ行く前の時間調整なのだろう。

 9月の横浜も一人で行ったのだが、大阪からやってきたSさんにひょんなところで遭遇した。開場前は会場近くのカフェでおしゃべり。ちょっと前に梨元さんのお別れ会があって喫茶店で読んだスポーツ記事を話題にした。Sさん、すぐさま当の新聞(切り抜き?)を取り出した。
「それ見せていただいてよろしいですか?」
 突然、隣のテーブルの女性がSさんに訊いてきた。隣に女性の二人組がいたのである。全然気にしていなかった。
「どうぞ、どうぞ」
 テンプターズ時代からのファンの二人。同世代、かな? 以降4人でショーケン話に花を咲かせる。
 開場されて、一番前の席(の端の方に)座ったたら、後ろがこの女性たちだった。あーら、まっちゃんでべそがちゅうがえり。
 11月の中野にも行くと言うので、じゃあまた会場で会いましょうと終演後に別れたのだった。

 開場にはまだ時間があるが、なかのZEROへ。先の二人に会えるかも。故大口広司ファンさんにも。もしかしたら2月に意気投合したMさんも夫婦で来ているかも。
 誰にも会わずにホールの中へ。4列29番。ほとんどステージ真正面。横浜の一番前よりぜったい良い席だ。通路に挟まれた列には誰もいなかった。

 開演前のステージはあこがれの的だ。コンサートに行き、幕がないといつも思う。
 真ん中にハモンドオルガン(というのを横浜のライブで知った。、ああ、あれが!)、左右にEGが。それぞれ数台。BGMが耳をとらえる。あとわずかで始まるライブに胸をときめかす。ある意味至福なときかもしれない。

 6時30分。ほら、音楽とともにショーケンの煽りが聞こえてきたぜ。

 
 この項続く
 



 ●「怪奇大作戦 セカンドファイル」 2007/07/11

 先週土曜日(7日)、新聞のTV欄を見て喜んだ。NHK総合深夜に「怪奇大作戦 セカンドファイル」の文字があった。3週連続で放送されるわけ。
 この日は、同じ9時台にフジで「シックス・センス」、テレビ朝日で「必殺仕事人2007」。先々週から始まったNHK「新マチベン」は予約録画、ついでに「怪奇大作戦 セカンドファイル」も。

 「新マチベン」を録画したのは、8と10のチャンネルを交互に観ればいいと考えたから。ところが、かみサンと娘が「シックス・センス」をどうしても観たいという。かみサンは、私が「必殺仕事人」を観ると思って、「必殺仕事人」を録画しろと言うのだが、なに、そんな心配はいらない。
 案の定、CMの間に覗き見した「必殺仕事人」はビデオまるだしの映像。チェックする必要なしと判断した。
 今回のスペシャル、東山紀之が同心(?)役で出演しているということは、次回作から主役になるのだろうか?

 そんなことはどうでもいいや。
 「怪奇大作戦 セカンドファイル」のことである。同じようにNHKと円谷プロが制作し、BSで放送された「WOO」を、ずいぶん遅れて地上波で観たが、2回でやめてしまった。その程度の出来だった。
 今回はどうだろうか? これがなかなか良いのである。キャスティングの妙もある。そこかしこに漂うユーモアも。岸辺一徳、上手いなあ。

 に、してもだ。なぜ、旧作と同じキャラクターなのだろう。40年近く前の作品に、どうしてそこまで引きずられなくてはならないのか。


 ●「怪奇大作戦」ふたたび 2007/07/12

 1999年、フジテレビで「らせん」がドラマ化された。「リング」「らせん」はすでに小説を読み、映画も観ていた。少々食傷気味だったからTVドラマなんてつきあっていられないと思った(実際「リング」はパスした)が、吉本多香美が主演するというので毎週観ていた。
 彼女の職場が、確か科捜研だったと思う。科捜研での主人公たちのやりとりを観ていて閃いた。
「今、『怪奇大作戦』をリメイクしたら面白いかも」

 「怪奇大作戦」は1968年(昭和43年)に「ウルトラセブン」の後番組として始まった。怪獣ブームは沈静化し、子どもたちの関心が妖怪に移行していたころ。「怪奇大作戦」は、この妖怪ブームを反映させたシリーズになった。超人も怪獣もメカニックを装備した科学特捜隊やウルトラ警備隊といった特捜チームも登場しない。主役は、科学的調査で怪事件を解決するSRIという組織のメンバー。
 このメンバーが活躍するドラマ。特撮がメインでなかったため、小学3年の特撮大好き少年にはイマイチの感がした。ところが、繰り返し再放送を観ることで、その魅力にとりつかれることになる。特に実相寺昭雄監督の4作品「恐怖の電話」「死神の子守唄」「呪いの壺」「京都買います」にしびれた。「呪いの壺」の寺院炎上の特撮はまるでホンモノと見まごう出来で、リアルタイムのときもかなり興奮したものではあるが。
 たとえば「恐怖の電話」。冒頭、ある屋敷の一室で事件を調査するSRIメンバーのかなり長いやりとりを1カットで撮っている。これを大人になってから久しぶりに再見し驚愕した。役者の演技、カメラワーク。これ本当に子ども番組か? 「京都買います」は実相寺監督のベストだし。
 
 リメイクといっても「怪奇大作戦」を単純に現代に置き換えるというわけではない。警察では手に負えない、不可思議な事件を調査する機関(SRI)という設定を活かして、大人向けのミステリードラマができるのではないかと考えたのだ。当然タイトルも主要キャラクターも変更する。1話完結の1クール。人気が出れば、数年ごとに再開すればいい。アメリカのドラマみたいに。

 円谷プロサイドでも同じことを考えたらしい。2004年、突然のように「怪奇大作戦」が蘇ったのである。それが「怪奇事件特捜チームSRI」。BSフジの放送だったから観た人は少ない。実は私もその一人だ。
 今調べたら、制作は円谷エンタテインメント。かつての円谷映像。円谷プロの分家で、「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」以降、TV、映画でさまざまな作品に取り組んでいる。「人間椅子」「屋根裏の散歩者」も同社の制作だ。
 注目を浴びれば、シリーズ化を目論んでいたのだろう。パイロット版的な単発の1時間ドラマだった(サブタイトルは「嗤う火だるま男」)。脚本は「怪奇大作戦」のメインライターだった上原正三。監督は実相寺昭雄の薫陶を受けた服部光則。
 SRIの設定はそのままだが、年月が経って、室長も調査員も一新されている。詳しくはわからないが、調査員の男女が怪事件に挑む話らしい。たぶんに「X-ファイル」の影響が見られる。この女性のスーツ姿がかなりそそられると某特撮ファンが自身のHPに感想を書いていた。み、観たい! ビデオやDVDになっていないのだろうか?

 この「怪奇事件特捜チームSRI」がどのような経緯で、本家・円谷プロ+NHKの「怪奇大作戦 セカンドファイル」になったかわからない。しかし、とにかく3話制作された新シリーズは、驚くなかれ、旧シリーズと同じキャラクターが登場するのである。

 そんなつもりでなかったのに、この項続く


 ●「怪奇大作戦」ふたたび 2 2007/07/14

 約40年ぶりに蘇った「怪奇大作戦」は、セカンドファイルとタイトルにあるにもかかわらず、旧シリーズと同じメンバーが活躍する。もちろんキャストは一新されてはいるけれど、いったいどんな意味があるのだろうか? なんとも不思議。旧シリーズとの関係はどうなっているのだろうか。
 時代の流れを考えれば「怪奇特捜チームSRI」のキャラクターの方が自然だと思う。
 単発の「怪奇特捜チームSRI」は「怪奇大作戦」の続編的位置付けだという。当時から三十数年経った現在、SRIは海外にも支部を持ち、世界的な怪異事件の捜査にあたる機関に発展しているのだとか。当然、所長以下、メンバーも新しくなっている。

 本当の意味でのリメイクということか。もし、彼らが現代に生きていたらという設定。まあ、旧シリーズファンへのサービス、単に媚びているだけなのだが。

 オールドファンならどうしたって比較してしまうではないか。
 「怪奇大作戦」で活躍するのは、熱血漢の三沢(勝呂誉)と沈着冷静な牧(岸田森)。この明と暗のコンビを「セカンドファイル」では、田中直樹(ココリコ)と西島秀俊が演じている。ココリコ田中では、どう贔屓めに見ても熱血漢に見えない。確か二枚目だが、全身から発する爽快さが感じられない。勝呂誉にはあった。二人の弟分的存在・野村を演じる青山草太(ウルトラマンマックス)の方がまだそれっぽいと思うのだけど。まあ、年齢的な問題があるか。ちなみに40年前は松山省二(現・政路)が演じていた。
 しかし、実際に第一話「ゼウスの銃爪」を見ると、ココリコ田中演じる三沢が熱血におっちょこちょいをまぶしたユニークなキャラクターになっていて、愉快だった。西島秀俊もソツなく科学者を演じている。こちらもどこかすっとぼけている。だったら別なキャラクターにすればいいじゃないか! 当然な感想を抱く。

 円谷プロの最近の作品の中では、最初から最後まで話に夢中になれた。テーマも現代を浮き彫りにしている。未成年で殺人を犯した男女3人に対する何者かの復讐。携帯電話で居場所を察知し、大気圏外からのマイクロウェーブ波による集中攻撃。特撮にも納得。年端のいかない子どもを巻き込んだサスペンスに思わず身を乗り出したほど。「ミュンヘン」とどっちが早いか? 元ネタはヒッチコックか。
 凶悪殺人犯と弁護士の接見は、山口県光市のあの殺人犯とY弁護士の真の関係を想像させた。Y弁護士、犯人に対して、本当は心の中では「愚かな奴」と軽蔑しているのではないか。それにしても「死者に人権はない」と言い放った女性弁護士に背筋が寒くなった。
 
 とりあえずあと2話を楽しみたい。




 最初に「談志直門二つ目全員集合 ~家元も来るよ!~」と題する立川流の落語会を知ったとき、面白そうだなと思った。日時を確認すると11月2日(火)。ショーケンライブの翌日なのですぐに諦めたけれど。

 キウイさんをはじめとする二つ目さんのブログに告知記事が掲載されていたが、途中からメンバーの談大さんが急病のため休みと記されるようになった。まさかくも膜下出血で倒れたなんて考えもしなかった。
 4年前に同じ病気で友人を失った。連絡をもらったときは足が震えたものだ。

 享年36。自分がこの年齢になったとき、人生の折り返し地点だなと思った。20代の挫折から立ち直り、生活も安定してきた。人生はまだまだこれからだと、新しい目標を掲げ夢の実現に邁進しようとした。
 だから余計に……。

 談大さんの高座は拝見している。たぶん北澤八幡神社(「談四楼独演会」)だろうと思って調べたら、見当たらない。二つ目昇進コーナーでは見逃しているのか。でも、あの姿はどこかで観ていると思って、ピンときた。上野広小路だ。5年前の今頃だったのか。

 合掌


     ◇

 ●立川談志門下前座勉強会 2005/11/27

 一昨日(25日)、上野広小路寄席の立川談志門下前座勉強会に足を運ぶ。以前から立川キウイさんの出演するこの会を一度は覗いてみたいとは思っていたのだが、なかなか機会がなかった。

 立川千弗「平林」「鹿政談」
 立川談大「看板のピン」「町内の若い衆」
 立川キウイ「寄合酒」

 前座の会だから〈笑う〉ことに期待していたわけではなかった。
 ところが、これが期待以上に面白かったのだ。
 お客さんは多くない。100人くらいのキャパで20~30人くらいか。まあそういうまったりした雰囲気だったこともあるのか、最前列に陣取ったおじいさんが前座さんの噺中に、いろいろ話かけるのである。
 大阪の漫才の面白いところは、漫才のふたりAとBの会話に客席のお客さんCが加わって進行するところと、小林信彦氏が20年前のコラムで書いていた。
 落語でそんな状況にお目にかかれるとは思っていなかった。
 無視を決め込もうとして絶句する前座さん、開口一番「語りかけるな」と念を押す前座さん。とりあえず相手する前座さん。これが愉快。まあ本来の落語からすると邪道なのだろうけど。




 NHK「歌謡コンサート」。
 観たことない番組だけど今日はチャンネルを合わせた。紙ふうせんが出演したのだ。
 この季節になるとラジオでは「冬が来る前に」のリクエストが増えるのだろう。あまりラジオを聴く機会がないからわからないけれど、この歌を取り上げるブログが多くなることで実感できる。
 20日(土)は毎年恒例のリサイタルだ。「なつかしい未来」ももう5回を数える。今回の伝承歌特集は和歌山・太地町の捕鯨やいるか漁らしい。「太地綾踊唄」は披露されるのだろうか?


 先週6日(土)は船堀のタワーホールへ。「第2回船堀映画祭」にプログラムされた「あぜみちジャンピンッ!」(監督:西川文恵)鑑賞のため。
 都営新宿線の船堀は初めて訪れたような気がする。タワーホールは駅前にあった。
 地元密着の手作りの映画祭。6、7日の二日間、タワーホール地下の劇場シネパル1、2と5階の小ホールで新旧の作品が上映された。「あぜみちジャンピンッ!」は小ホール6日最後の上映作品だった。ほぼ満員。この日一番の集客だったとのこと。

 7月の「シネマdeりんりん」のゲストが西川監督だった。国内外の映画賞を数々受賞しているが、まだ公開できない状態なので皆で応援しようという趣旨。会場には船堀映画祭のスタッフもいて、この日、司会のHさんの薦めもあって上映祭のプログラムとして検討されることになった。
 そんな経緯があって都内初の上映となったというわけ。

 聾の女子中学生が健常者たちのダンスチームのメンバーになって大会めざして切磋琢磨する青春映画だ。チームの中心的存在になって、それがメンバーの嫉妬を生んでいじめに発展していく。思わず涙が流れたのは、そのいじめの1シーンだった。いじめも考え方によっては差別ではなく相手の存在を認める行為なのかと。
 上映後、打ち上げに参加。同じ会場で二次会、大いに飲んで語る。帰宅したら24時を過ぎていた。

 翌7日(日)は図書館へ。
 
 「ジェネラル・ルージュの凱旋」(海堂尊/宝島社)
 「IN」(桐野夏生/集英社)
 「神様の伴奏者 手塚番13+2」(佐藤敏章/小学館)
 「吉田拓郎 終わりなき日々」(田家秀樹/角川書店)

 DVD
 「アルカトラズからの脱出」(監督:ドン・シーゲル)
 「マディソン郡の橋」(監督:クリント・イーストウッド)

 積読本読破月間だというのに……

 夜は「龍馬伝」。素朴な疑問。あの時代、女房のことを奥さんと言ったのだろうか?

 そうそう、船堀に行く途中、秋葉原の書泉ブックタワーでやっと「話のおもしろい人、ヘタな人」(立川談四楼/PHP研究所)を発見。即購入!




2010/10/22

 「日本映画[監督・俳優]論」(萩原健一・絓秀実/ワニブックス【PLUS】新書)

 承前

 監督が自分の強い願望で作った作品よりも、あまり乗り気にならないようなものの方が、結果的に出来が良い。と、ショーケンは言う。黒澤監督なら「乱」より「影武者」の方がいい。神代監督なら「離婚しない女」より「恋文」だと。
 同じことは役者についてもいえるのではないか。「幕末太陽傳」のフランキー堺がいい例だと思う。

 それはともかく、神代作品の中で一番出来がいいと思っている作品は? の問いにショーケンは「もどり川」だと答える。自身の大麻事件がなければもっと話題になったし評価もされただろうと。
 この映画もあの大騒動ですっかり嫌気がさして自分の中で封印してしまって、5年前にやっとスクリーンで拝見した。ショーケン×神代辰巳の総決算という意気込みは十分感じる。が、あまりに肩の力が入りすぎていないだろうか。このコンビの魅力はもっと軽やかなところにあると思うのだが。

 池部良が亡くなったとき、追悼の意味もあって、「傷だらけの天使」のDVDを取り出して観た。第4話の「港町に男涙のブルースを」。監督が神代辰巳だった。本書でも語っているが視聴率が最悪だったという。そりゃそうだろう。久しぶりに観て思ったものだ。これを始まってすぐに放映したら、ヘビーな映画ファン以外は引くって。
 ちなみにこの第4話と第3話「ヌードダンサーに愛の炎を」はかなり女性の裸が露出する。午後4時からの再放送ではそこが問題にされてしばらく放送禁止(自粛)になったいわくつきの作品である。

 「傷だらけの天使」とともにファンの間でいまだに語られるTVドラマが「前略おふくろ様」だろう。第2シーズン開始前、ショーケンは取材に対してこう応えていたのを覚えている。
「おんなじことしたって意味ないからね。倉本さんにはそう伝えてある。もし第3弾やるっていったら縁切るから」
 その理由が第三章でわかる。倉本聰のエッセイに書かれたショーケンの「故郷に錦を飾る」の〈錦〉を〈綿〉と読んだエピソードは作り話だったのか。倉本聰との距離を置くようになったドラマの内容。とすると、芸術祭参加のスペシャルドラマ「町」はどう思うだろうか。
 もちろん、この章でショーケンは倉本聰を否定してるわけではない。黒澤監督の倉本脚本への物言いに反発する姿は頼もしい。

 蜷川幸雄と芝居ではなく映画をやりたいという気持ちもわかるような気がする。ショーケンにとって舞台は歌なのだ。歌はバックバンドを従えた一人芝居ではないか。
 「竜馬を斬った男」は柳町光男監督作として観たかった。なぜ柳町監督から山下耕作監督にスイッチしたのか。映像京都(西岡善信)を否定されては仕方ない。

 大きく頷いたのは、「第五章」で映画とテレビの関係はどうだったかという質問に対するショーケンの回答。「偏見はなかった」
 抵抗感はあった。でも、それは映画とテレビの違いというより、スタジオドラマは窮屈だということ。外でやりたい、ロケの撮影が好きだった。だから大河ドラマに出演したい気持ちは「全然なかった」。
 とはいえ、「傷だらけの天使」でも「くるくるくるり」でも「前略おふくろ様」でもショーケンの魅力は変わらない。
 劇映画(35ミリ)とTV映画(16ミリ)、TVドラマ(ビデオ)を何の境目もなく自由に行き来したショーケン、70年代はそこがとても新しかったのだ、と今にして思う。

 劇映画に限っていえばショーケンは文芸ものが似合っている。絓秀実が中上健次とショーケンを重ねあわせるのは次作への予兆だろうか。




2010/10/22

 「日本映画[監督・俳優]論」(萩原健一・絓秀実/ワニブックス【PLUS】新書)

 承前

 黒澤明(第一章)、神代辰巳(第二章)のあと、これまで一緒に作品に取り組んだ監督たちについて語る第四章でやっと市川崑監督「股旅」が話題になる。
 「股旅」は市川崑監督後半のフィルモグラフィーの中で個人的にベスト3に入れているくらい大好きな作品だ。またショーケンがショーケンらしさを発揮しているという点でも忘れられない。「約束」「股旅」「青春の蹉跌」は僕の中でショーケン初期3部作に位置づけされているくらい。
 さぞや市川監督にも作品にも思い入れがあるのでは? なんて期待していたのだが見事に冷水をかけられた。まるで評価していないのだ。興味がないと断言している。ショーケンが撮影中に蜂に刺されたとき崑監督から「大丈夫か」と声をかけられていたら少しは印象が違ったのか。

 ずいぶん昔になるが、書店で小倉一郎の本を見つけ「股旅」の撮影中にショーケンと大喧嘩したエピソードを興味深く読んだことがあった。数年前、知り合いの役者さんの誘いである芝居を観劇した。終わってから飲み会になったのだが、その中に小倉さんがいた。たまたま席が隣になったもので、喧嘩の真相を訊いてみた。
 要は監督志望の小倉さんが向学のために演出や撮影について崑監督から教えを受けたと、それが面白くなかったのではないかと。カメラも覗かせてもらったと言っていたような。同じように映画監督を志望していたショーケンは扱いの違いにカチンときたのではないか。 
 たぶん、市川崑監督への憧れがあった小倉さんと、そうではない(始終突っ張っていたであろう)ショーケンの態度の違いによるものなのかもしれない。そりゃ、自分に好意的な人には優しくなれる。
 でも、天邪鬼な僕にはショーケンの、「おいこの野郎、監督におべっか使うんじゃねぇぞ」という気持ちもわからなくはない。

 「影武者」撮影時は、何しろ憧れの監督だからかなり尊敬のまなざしで黒澤監督に接した。勝新太郎は映画人としてのキャリア、また単なる俳優ではない、監督としての実績もつんでいる自負もあって、すべてを委ねる対応ができない。ゆえに、黒澤監督は撮影中にあれこれショーケンに意見を求め、勝新には「監督は二人いらない」的な発言になってしまったのではないか。勝手な推測だけれど。
 「股旅」撮影時も、監督の冷たい仕打ちもなんのその、ショーケンがもっと胸襟を開いていたら第二、第三のショーケン主演の崑映画があったかもしれない。黒澤監督より、小品ならば崑監督の方がショーケンを活かす映画を撮っていたと思えてならなかったので。

 ショーケンが崑監督の手法をテレビのカット割りと言うのは納得できない。
 第五章で「イージーライダー」を語っているときに、二人の俳優の台詞の重なりをどう録るかを話題にする。この台詞の重なりを絶妙なカッティングで表現したのが崑監督なのだ。「悪魔の手毬唄」のとき感激したもの。リメイクの「犬神家の一族」でも見ることができる。それはテレビのカット割りとはまったくの別物と思うのだが……

 この項続く
 (ああ、4で終わりにするつもりだったのに)




2010/10/22

 「日本映画[監督・俳優]論」(萩原健一・絓秀実/ワニブックス【PLUS】新書)

 承前

 フランコ・ゼフィレッリ監督に誘われたと知って、真っ先に興味を抱いたのはどんな経緯でショーケンにオファーしたのか、ということ。すごいアプローチだったらしいから、何かショーケン主演の映画を観たことは確かだろう。「股旅」じゃないかと推理するのだが、そこらへんについてはまったく言及されていない。

 衝撃的な事実は「影武者」でも紹介されている。もともと主演に中村翫右衛門を予定していたとか、信長役が渡辺貞夫だとか。どこまで本当なのか。野上照代の「天気待ち」(文春文庫)とはまったく違う内容。確か「天気待ち」には信玄と影武者を若山富三郎と勝新太郎に演じさせる予定だったと書いていたはず。若山富三郎が黒澤監督と勝新太郎が仲違いすることを予想してオファーを断ったために、勝新太郎の二役になったと説明していた。
 ショーケンの話は、たぶん本当なのだと思う。本当というか、まだ製作が、キャスティングが確定していないころの会話のキャッチボールではないかと。

 70年代後半、ショーケンはことあるごとに黒澤映画への憧れを口にしていた。黒澤監督を崇拝していた。念願かなって「影武者」への出演が決まってからというもの、映画に対する入れ込み方は尋常ではなかった。
 にもかかわらず、映画が完成してからというもの、準主役のショーケンの評判は芳しくなかった。あまりの悪評に封切時はもちろんのこと、ビデオも観なかった。ずっと自分の中で封印していて、数年前にやっとDVDを手にとったほどだ。

 黒澤監督とショーケンとは相性が悪かったのだ。そう長い間思っていた。ショーケンの黒澤監督、黒澤映画に対する思い入れに相反して、黒澤映画ではショーケンの魅力は発揮できないのだと。
 その証拠にその後の黒澤作品には出演してないのではないか。根津甚八は「影武者」に続いて「乱」にも重要な役で出演している。「乱」で黒澤映画に初出演した原田美枝子は「夢」にも出演した。もし監督自身の手で映画化されていれば「海は見ていた」のヒロインも演じていたかもしれない。
 ショーケンの場合は、「影武者」後黒澤作品への出演の話はまったく聞こえてこなかった。監督自身が「影武者」でショーケンを見切った結果ではないか。そう勝手に推測していたのだ。

 それもどうやら違うらしい。黒澤監督にはあともう一本やろうと誘われたにもかかわらず、金銭的理由で首を縦にふらなかったというのが真相らしい。黒澤映画がインしたらそれだけにかかりっきりになる。「影武者」は約3年没頭した。そんなこと何度もできるわけがない。
 これもある意味正しくて、でも真実ではないような気がする。もし「影武者」におけるショーケンの評判が良かったら喜んで「乱」に出演したような気がする。苦労して、それこそ死ぬ思いで出演して完成させた「影武者」で、評論家から「ショーケンが何言っているのかわからない」なんて言われたらそりゃかなりショックだろう。

 撮影時の、黒澤監督に対する愛憎半ばする気持ちが垣間見られたのもうれしい。「あんた何様?」という反発心、と同時に自分みたいな若造に天下の巨匠が撮影時あれこれ意見を求めてくる不思議さ。
 もし黒澤監督が、ショーケンに対する姿勢を勝新太郎にも見せていたら、あの降板劇はなかったかもしれない、と思えてならない。

 黒澤監督の勝新太郎に対する態度は、もしかしたら「股旅」撮影時の市川崑監督がショーケンに見せたのと同じだったのはないか。

 
 この項続く




2010/10/22

 「日本映画[監督・俳優]論」(萩原健一・絓秀実/ワニブックス【PLUS】新書)

 本書が出版されると知ったとき「ショーケン」の影響だなと思った。「ショーケン」は自伝という触れ込みだったが、ショーケン自身が絡んだ70年代から90年代にかけてのTV映画・ドラマ、映画のうちあけ話という側面もあって実に興味深かったのだから。
 その部分にスポットを当ててショーケンに取材する映画評論家がいてもいい。
 しかしなぜ共著者が絓秀実なのか? 

 絓秀実は文芸評論家である。「それでも作家になりたい人へのガイドブック」の著者として、同じく文芸評論家の渡部直己とセットでインプットされている。上梓されたころ図書館で借りて読んだような。
 名前を覚えたといってもあくまでも字面。絓の読み方を知らなかった。〈すが〉と読むんですね。漢字の読みを知らないということは、「それでも作家になりたい人へのガイドブック」を読んでいないのではないか。まあ、いいや。

 なぜ? については冒頭で理由がわかる。キーワードは中上健次。ショーケンと中上健次の生い立ちが似ていて興味を持ったようだ。ショーケンはショーケンで中上健次の奥さんから小説の映画化作品の監督を依頼されたことがあったといい、もらったシナリオのあるシーンのすごさについて語る。絓秀実はすかさず「枯木灘」ではと答える。奥さん自身が二人の共通性を感じていたのでしょうと。
 ショーケンへのインタビューのあと、巻末に『百年の孤独を生きる、現代の「危険な才能」 ――つかこうへい/神代辰巳/中上健次とショーケン』と題する文章をしたためことでもそれはわかる。この文章を書きたいがためにショーケンにインタビューしたのでは? なんて詮索したくなったりして。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。本当に興味深い話を引き出してくれるのだから。映画研究者・山本均の協力と助言の賜物だろう。

 前述の話から次の主演作に予定されている「ナオミ」(「痴人の愛」)のあるシーンになり、「ベニスに死す」に続いてもう完全に引き込まれてしまった。沢田研二の話では声たてて笑ってしまった。「カポネ大いに泣く」のハットのかぶり方!
 ジュリー主演の「太陽を盗んだ男」から「地獄の黙示録」へ。
 ああ、長谷川監督の才能を認めるのなら、一度長谷川監督作品に出演してくださいよ!

 そのあと、黒澤明監督の「影武者」の話になるのだが、ここで総毛だった。血が逆流した。「影武者」撮影前にフランコ・ゼフィレッリに誘われたと言うのだ。ショーケンも絓秀実も知らないのか、まったく話題にしていないが、あの「ロミオとジュリエット」「ブラザーサン・シスタームーン」の監督ですぜ!

 この項続く




 昨日はショーケンのトーク&ミニライブⅡ「ANGEL OR DEVIL」。18時開場、18時30分開演。場所が中野(なかのZERO大ホール)だから、定時に退社したのでは間に合わない。午後休を取ろうと思っていたところ、1日であることに気がついて、有休を申請した。映画サービスデーなので、昼間は映画を楽しもうと。
 午前(10時)は地元シネコンで「SP 野望篇」、その後、渋谷(シアター・イメージフォーラム)へ出て、13時30分から「死刑台のエレベーター」というスケジュールを考えた。邦画のリメイクに連動したのか、ルイ・マル監督のオリジナル版がニュープリントで公開されたのだ。

 家を出るのが少し遅くなった。途中郵便局に寄ったりして、10時に間に合わなくなるかもしれないと何度か走った。ハァハァ言いながらシネコンに到着したらチケットカウンター前はすごい行列だ。人数が半端ではない。「最後尾はあちらです」と係の人が案内する。カウンター前のスペースだけでは収まりきれず劇場外にももう一つ列ができていた。
 平日の朝なので劇場はガラガラだろうと予想していたのに。これでは上映開始までにチケットが購入できないではないか! よくみると行列の大半は小中学生だ。おいおい、平日なのにいったいどういうわけ? 係の人に訊いてみた。
「振り替え休日だそうです」
 だめだ、こりゃ。午前の映画鑑賞は諦めた。

 「死刑台のエレベーター」のテーマ音楽にはちょっとした思い出がある。
 もう10年以上前のこと。トランペットが奏でるミステリアスなメロディーに興味を抱いた。できるならCDが欲しい。そういえばこの曲ずいぶん昔から耳にしていた。TVやラジオでよく流れている。にもかかわらず曲名はもちろん誰が演奏しているのかも知らなかったのだ。
 ジャズの有名な一曲だろうとあたりをつけたものの、どうやって調べればいいのか。ジャズ好きの人に確認するがわからないと言う。たぶん説明の仕方が悪かったのだ。しばらくして当時取引のあった業者さんに曲のイメージや雰囲気を伝えると、あっさりと「死刑台のエレベーター」だと判明した。あのトランペットはマイルス・デイヴィスだったのか。胸のつかえがとれてすぐにCDを購入した。しばらく就寝時に聴いたものだ。

 映画は観たことがない。ビデオやDVDも目にしたことなかったような。いわゆる幻の名画だったわけ。
 そんな経緯があったので、今回の公開をとても楽しみにしていたのだが、あの設定の無理やりさは何なのだ? 最初の完全犯罪なんて、あの状況(明るさと人通り)だと、ロープを使って上の階によじのぼる男を目撃する一般市民が多数存在するだろうに。社長がまだいるというのになぜビルの電源を落としてしまうんだ? だいたい硝煙反応で自殺か否かなんてわかるだろう。
 ドイツ人は愛車がカマを掘られても怒らないのだろうか? また、モーテルに宿泊する際、キーをつけっぱなしにするものだろうか? 
 ラストの写真、あの小型カメラで撮ったにしてはあまりに巧すぎる。誰に撮ってもらったのだろうか? 男のカメラに女が写っているだけで十分なはずなのに。
 ストーリーだけを取り出せば、出来の悪い松本清張の短編を読んだ気分だ。 
 密室を作るときや、エレベーターに閉じ込められた際の、男のナイフを使った小細工に職人フェチを刺激されたけれど。
 公開当時、あの設定、展開に皆納得したのだろうか? 

 ちなみに、ショーケンのライブは横浜に比べて段違いの充実度だった。声には相変わらず一喜一憂してしまったのだが。
 このライブについては書くぞ~!

 ただその前に、ほら前々々項の続きがある……。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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