昨日、DVD「七人の侍」の後半を観るつもりだったが、珍しく直前の番組PRに惹かれてTBS「遺品整理人 谷崎藍子Ⅱ」を観た。
 月曜ゴールデン枠の2時間ドラマはほとんど観ることがないのだが、このドラマは出色の出来ではないか。ラスト30分はバックに音楽が流れないものの、まさに映画「砂の器」! 
 最近涙腺が緩々ということもあるが、涙があふれて仕方なかった。冒頭ですぐに犯人がわかる作りになっていたが、最初は無理心中と思わせておいて実は…という展開でもよかった気がする。もちろん早い段階で真犯人がわかるのだが。犯人を犯人たらしめるために仕掛けられたトリックはよく使われるパターンだ。最初は「刑事コロンボ」だったか。
 大久保佳代子(オアシズ)は性格俳優の仲間入りか?

          * * *

 承前
 
 右手にジャーナル、左手にマガジン。
 そう言われた時代があった。1970年前後だろうか。大学生が朝日ジャーナルと少年マガジンを同時に読むことを肯定的に捉えたフレーズだ。60年代、良識ある大人からすると、大学生がマンガ雑誌を読むなんてことは、信じられない現象だったことを考慮しなければならない。その前には「右手にジャーナル、左手に(平凡)パンチ」と言われたらしい。
 大学時代、朝日ジャーナルは気になる雑誌ではあった。「二十歳の原点」で高野悦子が毎週むさぼり読んでいたのである。オレも読まなきゃと思うことは思う。しかし、ページを開いてもちっとも面白くない。結局、買ってもそのまま。そんなことが何度かあった。オレは週刊文春をむさぼり読もう。日記に宣言したことはよく覚えている。

 「巨人の星」「あしたのジョー」の連載で、少年マガジンの発行部数が増え続けていたころ、購読者の年齢層も上昇していった。編集部の方針がそういうものだった。だからこそ大学生が手に取る雑誌になったのだ。
 連載されている作品が青年層を意識した内容になっているのは当然だが、読み物のページもその傾向が現れていた。自分自身を振り返ってみると、マガジンというと、この読み物のページを思い出すのだ。
 グラビアや特集記事はもちろんのこと、特に印象に残っているのは見開きの連載記事。「少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~」(週刊少年マガジン編集部 編/講談社)でタイトルがわかった。「こちら情報110番」。今思えばコラムの集合体だった。小学校の高学年、中学時代、マガジンは立ち読みだったが、こうしたページを夢中で読んでいた。
 それが、ある時期から全部なくなってしまった。確か高校時代だったような気がする。編集方針が変わって対象年齢を下げてしまったのである。

 少年キングはいつのまにか廃刊になっていた。「まんが道 第二部」は連載をチェックするのではなく、コミックスになると購入していた。キングの最終号で完結したように記憶している。

 マガジンのライバル、サンデーが当時どうだったかというと、あくまでも少年のためのマンガ雑誌を心がけていたという。版元の小学館はマンガを卒業できない青年層に対しては、新雑誌を創刊することで対応した。それがビッグコミックだ。「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂/光文社新書)で知ったのだが。
 ビッグコミックは必ず立ち読みしていた。石森章太郎の連載を必ずチェックしていたのである。「おみやさん」以降はずっと読んでいる。いや、「さんだらぼっち」だったか。創刊から始まった「佐武と市捕物控」は一度も目にしたことがなかった。たぶん「さんだらぼっち」の途中から読むようになったのだろう。石森作品の中でも傑作として名高い「佐武と市捕物控」は、今頃になってハマっている。コンビニ向けコミックを買い続けて一話々味わうように読んでいる。現在4巻目。
 
 兄弟誌ビッグコミックオリジナルもわりと早い段階から立ち読みするようになった。「三丁目の夕日」は長い間読んでいた。オリジナルは90年代になってから、毎号購入する時期があった。「MASTERキートン」を愛読していたのだ。もちろんコミックは全巻揃えた。今はまた立ち読みに戻って「黄昏流星群」だけチェックしている。
 ビッグコミックスピリッツも80年代から90年代にかけて毎号立ち読みしていた。「ホワイト&ブラック」「気まぐれコンセプト」が目当てだった。

 80年代後半には少年誌を卒業していた。三十代に手が届こうというときなのだから当然といえば当然か。1980年前後が青年マンガ雑誌の創刊ラッシュだったことを「マンガ戦争1945-1980」(幸森軍也/講談社)で思い出した。正式には第二次創刊ラッシュか。第一次は60年代後半のビッグコミック、プレイコミック、ヤングコミック等。
 第二次はまさに少年誌を卒業した人たちの受け皿として創刊された雑誌群だといえる。集英社は少年ジャンプの兄貴分、ヤングジャンプ、講談社はヤングマガジン、コミックモーニング等々。
 ずいぶん遅れてだが、少年チャンピオンの秋田書店も参入している。ヤングチャンピオン。少年チャンピオンの創刊時と同じく隔週刊行だ。

 
 この項続く




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 承前

 高校から大学にかけて(途中予備校時代が1年ある)、毎週弟が買ってくる少年チャンピオンが楽しみだった。予備校、大学時代は立ち読みで「ブラック・ジャック」をチェックしていたと思う。
 コミックス第1巻が出ると早速買ってきた。笑ってしまったのは、コミックのジャンルである。表紙には〈恐怖コミック〉とあった。いくらなんでも恐怖はないだろう、恐怖は! 思いっきり突っ込んだ。4巻めあたりで〈ヒューマンコミック〉に衣替え。恐怖からヒューマンへ。まるで印象が違うじゃないか。

 鴨川つばめのギャグマンガ「マカロニほうれん荘」が始まったときの衝撃はすごかった。いや笑撃と書くべきか。チャンピオンの「マカロニほうれん荘」、ジャンプの「すすめ!! パイレーツ」と言われた時代が短いながらもあったのである。
 この「マカロニほうれん荘」、なぜか一つ上の世代(団塊の世代)の受けが悪かった。曰く「どこが面白いのだかわからない」。発言者は確か音楽評論家の渋谷陽一だったような。「どこか面白いのかわからないというあなたのセンスの方が私にはわからない」と僕はつぶやいた。心の中で。
 しかし、「マカロニほうれん荘」が面白かったのはごくわずかだった。あっというまに頂点に登りつめ、そのまま転げ落ちていった。ギャグがはじけない「マカロニ」は悲惨だった。装いを新たに「マカロニ2」が始まったが悪あがきでしかなかった。あっというまに連載終了。
 その後、しばらくしてから鴨川つばめは東京ひよことして蘇ったが、もう以前の輝きはなかった……。ギャグマンガ家のアイディアの消耗が生半可なものではないことがわかる。

 大学の1年、2年のころは少年ジャンプの「Dr.スランプ」ブームだった。連載が始まったときは、ストーリー以上に画風に注目していたところがある。バタ臭いタッチがとても新鮮で素敵だった。
 立ち読みで「ブラック・ジャック」をチェックしていたが、やがて終了のときがやってくる。寂しいという気持ちより、ああやっと終わったかという感慨だった。連載が長く続くとファンサービスのため、初期のころの謎の解明がエピソードの一つとして描かれる。これが嫌だった。ブラック・ジャックの本名が間黒男だとか、なぜ顔の一部が黒く疵があるのか、等々。謎は謎のままにしておく方がファンはいろいろ想像する楽しみがあるというのが個人的な考えだ。コミックスは弟と協力して全巻揃えた。

 手塚治虫は「ブラック・ジャック」終了後も、数々の作品を連載した。「ドン・ドラキュラ」「プライム・ローズ」「七色いんこ」「ミッドナイト」。その合間に特別企画、スペシャル企画として「ブラック・ジャック」の読み切りを掲載する方策がとられた。
 「ドン・ドラキュラ」はけっこう愉快な作品で、ドン・ドラキュラの娘役を原悦子にしてエロチックコメディ映画ができないか夢想したことがある。

 80年代半ばごろから少年チャンピオンが迷走をはじめる。
 代わって怒涛の快進撃を始めるのが少年ジャンプである。発行部数が500万部を突破したと話題になったのは80年代の後半ではなかったか。雑誌を開くとページから熱気が伝わってきた。しかし個人的にはジャンプ商法が好きになれなかった。人気がなければすぐに打ち切る、人気がでればできるだけ連載を引き伸ばす。作者の意向などおかまいなしに。結局、ストーリーのメインがトーナメント方式の戦いになってしまうのだ。勝つか負けるか。「リングにかけろ」も「キン肉マン」も「ドラゴンボール」も連載開始時と内容が大幅に変わってしまった。
 だからある時期以降定食屋などでジャンプを開くときは「こち亀」しか読まなくなった。

 ジャンプの話はどうでもいい。本題はチャンピオンだ。
 「これはいかん、何トチ狂ってんだ!」と思ったのが90年代になってからのロリコンマンガ連載だった。個人的な資質といわれればそれまでだが、どんなジャンルでもロリコンだけはどうにも許せないものがある。永井豪の「ハレンチ学園」や「あばしり一家」ほか、少女たちの裸を売りにしたマンガに夢中になった。だから、エロマンガ=悪だなんて弾劾する気は毛頭ない。しかし、少年誌でロリコンはまずいだろう。水と油ではないか。
 はっきりいってチャンピオンが汚れたと感じた。目先のヒットを狙って、禁断の果実に手をだしたとしか思えない。
 この連載、業界の反応はどうだったのだろうか?


 この項続く




 5月の恒例となった国立演芸場の立川流落語会。昨日はその二日目に足を運んだ。トリが談四楼師匠なもので。
 打ち上げからの帰り、川口で降りて一人カラオケへ。最近たまっているストレス発散のため。「へルター・スケルター」「レモンティ」「自由に歩いて愛して」「氷の世界」エトセトラ、エトセトラ。
 今日もあるライブがあったのだが、3日連ちゃんイベントの疲れがどっと出た。懐もとんでもなく寂しくなった。よって諦めた。主催のNさん、ごめんなさい。

          * * *

 小学生時代の少年マンガ雑誌は、NHKを除いたTV局のような印象がある。

 少年マガジン…日本テレビ
 少年サンデー…TBS
 少年キング …フジテレビ
 少年ジャンプ…NET(後のテレビ朝日)
 少年チャンピオン…東京12チャンネル(後のテレビ東京)

 今の感覚だと、少年マガジンが日本テレビのままだとして、少年ジャンプはフジテレビ、少年サンデーはテレビ朝日、だろうか。 で、 少年チャンピオンはTBS。

 少年マガジンと少年サンデーは1959年(僕が生まれた年!)に創刊された。少年キングは二誌に遅れること4年の63年の創刊。ここらへんの事情を知るマンガ第一世代(団塊の世代)にとっては、老舗のマガジン・サンデー、新興のキングというようなイメージを持っているのかもしれない。しかし、すでに3誌があった状況でマンガ週刊誌を知った僕にとっては、マガジン、サンデー、キングはゴールデントリオといった塩梅だった。

 僕にとっては少年ジャンプ、少年チャンピオンこそが新興だった。両誌とも創刊時は週刊ではなく隔週(月2回)発行。ジャンプを床屋で読むようになった70年前後だと思うが、もうすでに週刊誌になっていた。「男一匹ガキ大将」をメインに、「父の魂」、「トイレット博士」、「ハレンチ学園」が人気を呼んでいたころだ。小室孝太郎の「ワースト」もあった。大好きだった。コミック全巻(4巻だけど)揃えたほど。

 少年チャンピオンが隔週刊誌だったことははっきり覚えている。そのころから買って読んでいたからだ。手塚治虫の「ザ・クレーター」に夢中になっていた。もちろん「あばしり一家」も楽しみだった。それから藤子不二雄の「まんが道」。「朝日の恋人」(後に「太陽の恋人」「夕日の恋人」)が大人気だった。チャンピオンを買ってくると、台所から三ツ矢サイダーを取り出してきてそのまま飲みながら読むのが習慣となっていた。そんな最中に週刊化されたのだ。毎週読めるのはうれしかったが、なんだかサイクルがあわただしくなった気もしたものだ。金もかかるし。
 手塚治虫は「ザ・クレーター」のあとに性教育マンガ(と当時は言われた)「やけっぱちのマリア」を連載、なかなか面白かった。続いて「アラバスター」。これはかなり期待していたのだが、連載が進むにつれてついていけなくなった。このあたりで一度買うのをやめたのではなかったか。

 思えばこの時期手塚治虫は絶不調だった。劇画ブーム、スポ根ブームで手塚マンガは時代遅れだといわれていた。虫プロ商事、虫プロダクションの倒産。戦後ずっと少年漫画界の第一線で活躍していた人気漫画家が終焉を迎えていたと思われていた。
 なんてことは後で知ったこと。
 当時の小学高学年から中学生にかけての少年はそんなこと全然思っていなかったのではないか。少なくとも僕にとって手塚治虫のマンガは最高だった。

 これまた後で知るのだが、「ブラック・ジャック」の連載は、当時少年チャンピオン編集長が手塚治虫引退への花道にするために企画したものらしい。
 〈手塚治虫漫画家生活30周年〉と銘打たれたこの新連載の第一回の感動を昨日のことのように覚えている。なぜか雑誌を読んでいるのだ。もう購入していなかったと思うのに。
 短期連載だったのに、いつのまにかそんなことはどこかに忘れられた。

 そのほか、「ドカベン」「がきデカ」「魔太郎がくる!!」「750ライダー」「エコエコアザラク」「マカロニほうれん荘」……70年代半ばに少年チャンピオンは絶頂期を迎えた。雑誌は弟が毎週購入するようになっていた。


 この項続く
  



2011/03/14

 「マンガ戦争1945-1980」(幸森軍也/講談社)

 マンガ(雑誌)の足跡を黎明期から最盛期までを丹念に追いかける。最盛期というと語弊があるか。要はマンガの需要が広がり、青年誌の創刊が相次いだ。書名にある「1945-1980」とは終戦から青年誌の創刊ラッシュの年を表している。
 とにかく自分の記憶の隙間を埋めてくれるとてもありがたい本である。
 著者はダイナミックプロのスタッフだとか。軍也は〈いくや〉と読むんですね。


2011/03/18

 「ウルトラマン ジャイアント作戦」(千束北男/講談社)

 地元駅前にあるブックオフで見つけた。2月のシネりん前に購入していたら、会場で飯島監督からサインもらえたのに(千束北男は飯島敏宏監督がシナリオ執筆時に使うペンネーム)……。残念。
 「ウルトラマン」本放送時に、劇場用に企画された作品が「ウルトラマン ジャイアント作戦」だ。結局実現しなかった。TV作品を何本か再編集して「長編怪獣映画 ウルトラマン」として公開することに。以降なかなかオリジナルのウルトラマン映画は製作されなかった。〈東宝チャンピオンまつり〉の1プログラムとして、TV作品を35ミリにブローアップして公開するのが当たり前だった。ウルトラマンタロウの成長を描いたのが初のオリジナルだろうか? タイとの合作でハヌマーンが主役の映画だったか? どちらにしても観る気がしない。
 本書は「ジャイアント作戦」のシナリオを小説化したもの。ハヤタの性格がTVとずいぶん違う。


2011/03/22

 「朝日新聞血風録」(稲垣武/文春文庫)

 もう朝日新聞なんてやめてしまいたい。でもできない。長年の習慣とはげに恐ろしや。


2011/03/24

 「ばかもの」(絲山秋子/新潮文庫)

 映画観たあと、図書館で単行本借りようと思っていたところ、ブック・オフで文庫を見つけたので思わず買ってしまった。シネりんのプレイベントでゲストで来ていた、金子監督と脚本の高橋美幸さんが、原作と映画の一番の違いとして、主人公のアル中(の状態)を挙げていた。映画では年上の女性に振られたことでアル中になるが、原作は最初からアル中だったと。原作でも振られたから飲酒の度合いが増えたようにと思えるのだが。
 上州弁がうれしい。
 大学の同級生で女友だちが、大学を中退し株トレーダーに本腰を入れるため上京する。映画では恵比寿の高級マンションに住んでいるのだが、小説は目黒だった。
 いろいろ自分の実生活とダブるものがある。
 「イッツ・オンリー・トーク」を読んでみよう。


2011/03/27

 「わが青春の黒沢明」(植草圭之助/文春文庫)

 昨年10月大阪へ行った際に古書店で見つけた。
 私小説になるのだろうが、作者と黒澤明の関係、時代背景等々、とても興味深く、なおかつ面白い。戦争が日常生活と重なっていることがわかる描写がある。著者が空襲に遭遇しながら成城の東宝撮影所を訪れるくだり。空襲があっても山手線や小田急線は動いている。空襲は地震みたいなものなのか。
 読みながら、記憶が甦ってきた。この著者もひとつ小説を書いていたな。当時ドラマ化もされて話題になった。「冬の花悠子」だ。


2011/03/30

 『「仮面ライダー響鬼」の事情』(片岡力/五月書房)

 本書が出版されたときに興味を持ったにもかかわらず、高価なので手が出なかった。BOOKOFFで見つけあわてて買ってきた。
 内容を勘違いしていた。「仮面ライダー響鬼」は、途中でプロデューサーが更迭されて、ファンの間で問題になった。その顛末を書いているのだとばかり思っていたのだ。
 文芸協力で作品の設定、背景等を考えるチームにいた著者が、作品がどのように企画され、変更され、撮影、放送されたのかを綴っている。著者自身もわりと早い段階でチームを更迭、スタッフを降板しなければいけなくなる。
 東映の許可を得ていないことから、写真や企画案の段階のキャラクターの絵、イラストはまったく掲載されていない。それでも十分面白い。




2011/03/01

 『ピーター・フォーク自伝 「刑事コロンボ」の素顔』(ピーター・フォーク/田中雅子 訳/東邦出版)

 ピーター・フォークは決して「刑事コロンボ」で人気者になった役者ではなかった。そんなことは当たり前だと、上の世代から言われそうだが、僕にすれば、あまりにも「刑事コロンボ」のイメージが強烈すぎたのだ。それも小池朝雄の吹き替えの。70年代前半は土曜日が楽しみだったもの。夢中で観ていた。なので、映画でピーター・フォークが地声でしゃべっていたりすると、どうにもピンとこなかった。
 本書を読めばハリウッドを代表する映画俳優の一人であることがわかる。


2011/03/04

 「暴走検察」(上杉隆・週刊朝日取材班/朝日新聞出版)

 小沢一郎は自民党時代から大嫌いだ。嫌いだけれど、この数年の、検察による小沢叩きにはうんざりしている。どうにかして犯罪者に仕立てようとしている。新聞やTVはその姿勢をまったく批判しない。批判しないばかりか、検察からのリーク情報をそのまま報道する。世間は、それも旧田中派時代からアンチ小沢の人たちは、その報道で、やはり小沢は何かしているのだ、ワルいんだ、だからこそ検察は血眼になって小沢の犯罪(の証拠)を探しているのだと思ってしまう。もしも何も出てこなかったら検察はどうするのだろうか。
 本書には検察の小沢追求を是とする記事を書いた立花隆への反論の項もある。立花隆にしてみれば、田中金脈問題の記事を書いたあの当時から、一貫して〈田中派は許さない〉なのだろう。この記事を読んだ、あるいは、広告でこの記事を知った人たちは、あの立花さんが書いているのだから、やはり小沢がワルいのだと納得する。
 いつだったか、検察を内部告発した検事がその後すぐに何かの罪で告訴され有罪判決となり刑務所に収監されるTVドキュメンタリーを観た。そんなバカなと思ったが、TV、新聞はそれが当たり前のように、特に問題視することはなかった。
 いいのか? それで!


2011/03/07

 「くたばれTV・がんばれTV」(菅沼定憲・片岡直彦/駒草出版)

 著者の一人、菅沼定憲。漢字だとわからないが、音にすれば「あの人か!」と膝を打った。〈すがぬまていけん〉。若山弦蔵がTBSラジオの夕方の番組を担当しているときの(1コーナーの)スクリプター(台本作家)ではないか。コーナーが終わるときに必ず若山が「スクリプターはすがぬまていけんでした」と口頭でクレジットしていた。


2011/03/09

 「流される」(小林信彦/文學界3月号)

 「東京少年」「日本橋バビロン」に続く自伝的小説3部作の最後を飾る作品とだという。前作「日本橋バビロン」が主に父方の祖父を描いていたが、本作では母方の祖父の半生を追った。エッセイ等にも何度かでてきた、あの記録魔の祖父である。
 この小説は、「世間知らず」(文庫化で「背中合わせのハートブレイク」に改題)のリアルバージョン、「日々の漂泊」(角川文庫「監禁」所収)+「みずすましの街」の印象を受けた。まるで回想録のような筆致の中に巧妙にフィクションを挿入していく。
 単なる一登場人物でしかないと思われた人物が物語が進行していくに連れて徐々にキャラクターを発揮しはじめ、味をだしていき、ラストで思い切り存在感を見せつけてくれる。涙があふれて往生した。


2011/03/10

 「仮面ライダー・仮面の忍者赤影・隠密剣士…昭和ヒーロー像を作った男 伊上勝評伝」(井上敏樹・竹中清/徳間書店)

 伊上勝は昭和の仮面ライダー、東映ヒーローものには欠かせないシナリオライターだった。変身ブームに夢中になった世代には神様みたいな存在かもしれない。しかし、僕にとっては、(何度も書いているように、まあ、たぶんに年齢的なことも関係するのかもしれないが)東映等身大ヒーローブームに背を向かせる要因を作った人、となる。本書を読んでわかったことだが。
 東映の特撮、特に等身大ヒーローものにはいい想い出がないもので、主要なスタッフの業績も知ろうともしなかった。「仮面の忍者 赤影」は大好きだったけれど。
 「仮面ライダー」のプロットって、時代劇の影響が強いよね、って、特撮仲間たちと話していたことがある。東映ならさもありなんと。もともと宣弘社のTV番組から入ったライターだった。宣弘社といえば「隠密剣士」。「隠密剣士」~「仮面の忍者 赤影」~「仮面ライダー」の流れか。
 平成仮面ライダーの前半、息子の井上敏樹がほぼ毎週シナリオを書いていていて驚愕したものだが、そのバイタリティは父親ゆずりだったことがわかる。伊上勝というペンネームはの伊上は井上の別読みからきているらいしい。
 その息子の井上敏樹が本書の前半で父親の思い出を綴っているのだが、「殺したかった」の一言に複雑な家庭環境が伺えた。晩年はアル中になっていた。困った親父だったのだろう。過程は全然違うもののアルコールで自滅したという点で、第一期ウルトラシリーズのメインライター、金城哲夫にダブるものがある。


2011/03/11

 「東映アニメーション演出家40年奮闘史」(森下孝三/一迅社)

 〈『ドラゴンボールZ』『聖闘士星矢』『トランスフォーマー』を手がけた男〉の副題がつく。どれひとつ観たことがない。
 著者は、昔東映動画、現東映アニメーションの社長である。まったく知らない。演出作品を一つひとつ確認した。やはり1本も観たことがない。まあ、こちらがアニメを卒業してから、演出を手がけるようになったのだから仕方ないか。
 70年代は僕にとってタツノコプロの時代だったので、人気コミックをアニメ化するだけの、それもまったくオリジナリティがないTVアニメを量産する東映動画を一段低く見ていたところがある。
 手塚治虫「ブッダ」が今年アニメ化される。制作は東映アニメーション。監督は著者だ。本書を読んだことで観てみようかなと思うようになった。

 この項続く




 秋が来るまで衣替え。
 涼しそうでしょう?

          * * *

 昨日帰宅して部屋着に着替えていると、かみサンが言った。
「三谷幸喜と小林聡美の離婚、発表を今日にした理由があたしにはよくわかるの」
 勝ち誇ったような顔をしている。
「どうして?」
「だって、明日は小林聡美の誕生日だもの。同じなの、あたしと」
 一歳トシとる前に発表したのよ、きっと。かみサンは続けて言うのだが、聞いちゃいなかった。叫んだ。
「明日、24日なのか!」
 ああ、今月は5月だったんだ。昨日は22日、今日は23日……しっかり認識していたのに。どうして!?
「忘れていたでしょう?」
「……」
「やっぱり」 
「で、でも、今日なんて駅からの帰り道、誕生日には一緒に食事してもいいかなと考えていたんだよ」
「お金ないから食事なんてしたくない」
「オレのおごりだよ」
 以前モスバーガーだった店が、今はイタリアンレストランになっている。一度は行きたいと思っていた。あそこならカードも扱っているだろう。
 かみサンちょっと逡巡して「いらない」。
 思い出した。
「今年はもうプレゼント渡しているよねぇ。一ヶ月早い誕生日プレゼント」
「そういう問題じゃない!」

 それにしても。
 かみサンの誕生日が5月24日、娘が8月24日。どうしてみんな誕生日が給料日直前なんだよ。ずいぶん前に嘆いたことがある。
「前もってこずかいからとっておけばいいでしょう!」
 おっしゃるとおりで。




 先週は2回も地元図書館に足を運んだ。
 借りていた本とDVDの返却期限が18日(水)だったことをすっかり忘れていたからだ。別の分(22日返却)とごっちゃになっていた。20日(金)、MOVIX川口に向かう前に返却しようと思ったら図書館が休館だった。第三金曜日が休館日であることを忘れていた。返却BOXがあるので、とりあえず本だけ返却(ビデオ、DVDのBOX返却は不可)。DVDは一巻自宅に忘れていたので幸いだった。
 心配なのは、一冊読了していない本があること。まだ読み始めてもいない。いつもなら返却時に延長を申し込めば、予約がない限りそのまま借りられる。返却日を過ぎていても延長は可能だろうか。
 なんて、その夜と翌日で読了してしまったので杞憂だった。

 21日(土)は両国行く前に、図書館に寄る。

 「劇画一代 梶原一騎自伝」(梶原一騎/小学館クリエイティブ)
 「輪違屋糸里(上)」(浅田次郎/文藝春秋)
 「ディレクターズカット」(秋庭俊/講談社)
 
  「輪違屋糸里(下)」を予約。

 DVD
 「七人の侍」(監督:黒澤明)
 「第五福竜丸」(監督:新藤兼人)
 「ET」(監督:スティーブン・スピルバーグ)
 
 借りる際に、一冊返却されていない本があることを指摘された。
「えっ、昨日と今日で全部返却したんですけど」
 コンピュータの画面を見せてもらった。
「あっ!!」
 確かにそこにはずいぶん前に読了した本のタイトルが。昨日も今日も返却していない。図書館の本やDVDは専用の手提袋に入れておくのだが、その本は別のところに置いていたのである。

 両国に向かっている最中に電話があった。図書館からだった。秋葉原で先方に電話すると、「輪違屋糸里(下)」が用意できたとのこと。ってことは棚に本があったのか? 
 当然、翌22日(日)は、返却と予約本の受け取りで図書館に行く気だった。が、午後からの雨で外出する気が萎えた。

 今日、帰宅時図書館に寄ればと思ったが、朝返却できた。運がいいのか悪いのか、人身事故で京浜東北線がストップしたため。乗車した電車が川口で停車してそのまま復旧するまで動かないとのアナウンス。これ幸いにと駅を降りて返却BOXへ。このあと電車が動き出すまで1時間ほど川口駅前のデッキをうろちょろしていた。マクドナルドもカフェも人でいっぱいなんだもの!

 土・日、両日の昼食はチャルメラのラーメン。子どものころ、我が家のインスタントラーメンはチャルメラに決まっていた。キャベツ、人参、ピーマンを細かくして炒め麺に乗せる。それから麺をゆでている鍋に卵を落として、半熟にして添える。カップ麺よりこちらの方が何倍も美味い。安いし。
 先週は4日続けて牛丼を食べた。初日と2日めは昼食ですき家、松屋。3日め、4日めは夕食で吉野家。やっぱり吉野家が美味い。でも、本当は牛丼より豚丼の方が好みだった。牛鍋丼がでてメニューから消えてしまったのが惜しまれる。ぜひ復活を!

 とんでもなく久しぶりに新聞小説を読んでいる。どのくらい久しぶりかというと、中学時代以来。朝日新聞(朝刊)に奥田英朗の連載が始まったのだから読まなければなるまい。タイトルは「沈黙の町で」。ミステリらしい。
 ちなみに中学時代に読んでいたのは、サンケイ新聞連載の遠藤周作「彼の生きかた」。猿の餌付けに生涯を賭ける男の物語。クライマックスで涙がでてきた。一冊にまとまってからもう一度読み直した。
 で、思った。新聞小説ってブログで毎日小説を書くのに似ているのではないか、と。




 一昨日20日(金)は、MOVIXデー。地元シネコンで「ブラックスワン」を鑑賞する。手持ちでヒロインを追いかけるカメラ(ワーク)が怖い。ズルいともいえるのだが。ナタリー・ポートマンのマスク、華奢な肢体に往年のオードリー・ヘップバーンがダブった。
 それはそうと、20世紀フォックスっていつ社名を変えたのか。21世紀フォックスではない、フォックス・サーチライト・ピクチャーズ。今、調べたら子会社だって。

 昨日21日(土)は、両国のシアターX(カイ)にて「ギィ・フォワシィのブラックな3作」と銘打たれた芝居を観劇。「関節炎」「動機」「誘拐」の3作。1作めより2作め、2作めより3作めというように徐々に舞台に夢中になれた。が、集中する意識が途切れるのは客席後方が聞こえてくるシャッター音。5秒に一回の割でシャッターが切られるのだからたまったもんじゃない。別に計ったわけでではないけれど。

 帰り、自転車が置いてある川口で降りてさくら水産で一人飲む。金がなくてカードで。給料日まで2,000円!

 帰宅して、「情報7daysニュースキャスター」を見ていると、長門裕之が急死したことを伝えていた。具合を悪くしていたことは知っていたが、こんなに早く亡くなるなんて。昭和9年会のメンバーが亡くなるともうそれだけでつらい。同じ77歳でも児玉清は昭和8年、母と同じ生まれ。長門裕之は昭和9年生まれ。父と同い歳。合掌。

          * * *

 承前

2011/05/19

 「これでいいのだ! 映画★赤塚不二夫」(品川プリンスシネマ)

 回想録「赤塚不二夫のことを書いたのだ!」が映画化されると知ったときはちょっと複雑だった。題材としてはとても面白い。あの世界をスクリーンで観たいと思う。が、赤塚不二夫役が浅野忠信というのはイメージがちょっと……。個人的には立川志らくこそ若き日の赤塚不二夫を演じられると考えているので。
 だいたい、もう一人の主人公である編集者(著者の武居さん)を女性にするなんて。演じるのが堀北真希なので狙っているのだろうか。TVドラマ化された「野ブタ。をプロデュース」のいじめられっ子、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の鈴木オートで働く若者、ともに原作では男だった。ドラマ化、映画化で女に変更されたのである。どちらも堀北真希の出世作だ。もしかしたら、映画「チーム・バチスタの栄光」の田口役も、竹内結子の前にオファーされていたりして。

 「ALWAYS 三丁目の夕日」の六朗から六子への変更。プロデュースする側としてその意図はよくわかる。だが、時代を考えるとそんなことはありえないことも承知している。理由はレビューで書いているのでここでは省く。
 「これでいいのだ! 映画★赤塚不二夫」の場合、1960年(昭和40年)代ならば、女編集者の存在もありえるから、おかしくはない。のだが、別の意味でストーリーが成り立たなくなるという心配がでてくる。
 赤塚不二夫の性格を考えたら、掘北真希みたいな編集者と日夜一緒にいるとなると、どうしたってあちらの方の関係を結びたくなるのではないか。余計なお世話か。まあ、いいや。

 品川プリンスシネマのレイトショーはプレミアム館の上映だった。プレミアムシートを通常料金にしているのだ。この劇場のレイトショーではよくあることだが、思わず聞いてしまった。プレミアム館の上映で、料金がプレミアム仕様と通常とあるが、その違いはどこで決まるのか? 「アンノウン」だって通常料金だったら、何もさいたま新都心まで行くことはなかったのだから。
 チケット売り場の若い女性、「ただ今聞いてまいります」と奥の部屋に消えた。戻ってきて言った。「作品によってケース・バイ・ケースだそうです」

 この日、客は僕を含めて3人。レイトショーということもあるのだろうが、映画を観たら、それも仕方ないかと理解できる。プレミアム料金なんてしたら暴動が起きるぞ。
 思うに、この映画、もっともっとハジけなければいけないのではないか。「下妻物語」「嫌われ松子の一生」のような、カラフルハイテンション映像で、大声だして笑える展開でなければ。
 オープニングのモノクロTV画面、赤塚不二夫のインタビュー、「おそ松くん」のアニメあたりはかなり期待に応えてくれるかも思えたのだが。しかし、その後はダメ。まったくハジけない。シナリオも演出も演技も。クスリともさせてくれないだもの。なんなんだ、あの少年サンデー編集部の描き方は!
 「レッツラゴン」でやりたいことやっている赤塚不二夫と女編集者と、連合赤軍のあさま山荘事件を錯綜させるスラプスティックスのクライマックスなんて、狙いはわかるけれど、演出が稚拙だからもう白けるだけ。

 唯一、よかったのは浅野忠信。楽しんで赤塚不二夫を演じていて、また、それが様になっているのである。
 掘北真希は最初の生真面目なところは〈らしい〉けど、結局バカになりきれなかったのが残念だ。綾瀬はるかだったら「タリラリラーン」のお呪いで変身できたかもしれない。仲里依紗なら大バカになれただろう。ちょっと若すぎるか。
 それから美術が見もの。三ツ矢サイダーの旧ボトルなんて涙ものだ。小学生のとき、我が家ではあれをケースで購入していた。当時の少年サンデーや少年マガジンにも胸がうずく。赤塚不二夫直筆のサインにも。
 あるいは当時の新宿西口の光景。すでに新宿京王プラザが建っていて、その隣に建築が始まったばかりの住友三角ビル……。始まったばかりの「太陽にほえろ!」のOPタイトルのバックはこのころか。

 フジオプロのスタッフは、実名ではなかったが、容姿で誰が誰だかわかってニヤけてしまった。長谷邦夫と古谷光敏。とするともう一人が高井研一郎か。高井先生は、もう何年も前、池袋の居酒屋で開催された「談四楼独演会」にお客さんで来ていて本物を拝見したことがある。けれど、若いころの姿は知らない。 
 本物の武居記者は、バーのシーンのお客の一人だったような。エンディングロールには名前はなかったけれど、たぶんそうだ。内藤陳のハードボイルドだどには感激。森田芳光監督はどこに出演していたのか?
 赤塚不二夫の母親役、いしだあゆみの激ヤセ姿に声を失う。

 本年度のきいちご大賞候補と断定するのは簡単だ。が、個人的にはいろいろあって、一刀両断できない映画でもあるのだ。
 



 昨日(19日)発売の週刊文春。小林信彦の連載エッセイ「本音を申せば」で「これでいいのだ! 映画☆赤塚不二夫」を取り上げていた。堀北真希が編集者役なのだから当然観るだろう。

 エッセイの中で、赤塚不二夫には一度だけ会ったことがあると書いている。ああ、あのときだなと思う。長谷邦夫「漫画に愛を叫んだ男たち」(清流出版)で知ったエピソードだ。
 赤塚不二夫責任編集と銘打たれた雑誌(実際私財が投入されている)「まんがNO.1」の創刊記念パーティーのときのこと。来賓の一人小林信彦は、編集長の長谷邦夫になぜ表紙が横尾忠則のイラストなのかと疑問を呈す。そんなのダメだ、すぐに赤塚さんのマンガにすべきだ、とアドバイスするのだが、このときの長谷邦夫にはその意図がわからない。人気のイラストレーターを起用しているのに、何を言っているんだこの人は、的なあまりいい印象を持たなかったらしい。

 真意がわかるのは創刊号が発売された後のこと。衝撃の事実に打ちのめされる。雑誌が売れない! 内容には自信を持っている長谷邦夫は書店に状況を確認しに行く。な、なんと書店サイドが「まんがNO.1」に対する認識が全然ないのである。あの赤塚不二夫の雑誌なんてわからないから、マンガの棚に並べない。並べるどころか、ヘンな雑誌じゃないかとそのまま返品してしまう始末。これでは売れない。表紙に赤塚不二夫のマンガがあればと嘆いても後の祭り。そんなこんなで、結局雑誌はすぐに休刊になってしまった。
 表紙が雑誌の命であることは「まぐま」編集で身にしみている。内容については目次を見るからなんていう考えは甘いのだ。

 当時「まんがNO.1」の実物を見たことはなかった。いや一度くらいは書店で手に取ったのかな。なんとなくうっすらとああこれが!と思ったことを記憶しているので。
 ずいぶん後になって知るのだが、「まんがNO.1」は、井上陽水の「桜三月散歩道」を生んだ雑誌だった。付録にこの曲が収録されたソノシートがついたのだ。語りの部分が別の人、内容も東京の、葛飾柴又近辺の情景だった。YouTubeで聴いたのだが。

 赤塚不二夫について書かれた本で印象深かったのが「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」(武居俊樹/文藝春秋→文春文庫)。少年サンデーで赤塚不二夫の担当だった編集者が書いた本である。
 夕景工房にレビューを書いた。

     ▽

2005/12/07

 「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」(武居俊樹/文藝春秋)

 草野球チーム〈L.J.バスターズ〉のライパチくんとして、チームの勝利に負の貢献をしていた頃。もう5、6年前、いやもっと前か。
 チームが参加していた新宿大会の公式戦のグラウンドが大久保と落合にあった。
 落合のグラウンドに行くたびに思った。赤塚不二夫が歩いてないかな。見かけたらぜったい声かけるのに。確かフジオ・プロは落合にあったはずで、いろいろ話したかった。とてもフランクに応えてくれたと思うのだ。
 赤塚不二夫が何冊も上梓した自叙伝やら人生相談やら、マンガではない本を図書館で見つけるたびに借りてきていた。自叙伝「笑わずに生きるなんて」は文庫本を学生時代に購入している。赤塚本のファンだった。

 最初の出会いはTVアニメ「おそ松くん」。初めて雑誌で読んだ「おそ松くん」は長編だった。イヤミが主人公で目の見えない女の子を助け、手術代を稼ぐために悪戦苦闘する物語。ラストが感動的で、後年、チャップリンの「街の灯」を観た時、「赤塚不二夫のマンガの真似している!」と叫んでしまった。
 少年マガジンで連載が始まった「天才バカボン」に笑い転げた。「都の西北早稲田のとなり♪」は本当にバカ田大学の歌だとと信じていた。「もーれつア太郎」が大ブームになった時は、毎日ノートにニャロメやケムンパス、ココロのボスのマンガを描いていたっけ。
 週刊文春を愛読するようになってからは「赤塚不二夫のギャグゲリラ」を毎週楽しみにしていた。コミックスを収集することはなかったが、赤塚マンガはいつもそこにあったのだ。

 アルコール中毒、癌。さまざまな病気が赤塚不二夫を襲っていたことは知っていた。現役から半ば引退しながら下落合近辺できままに過ごしているのだろうと思っていた。数年前に脳内出血で倒れ、一命はとりとめたものの、その後意識が戻らないということを知ったのはいつだったか。ショックだった。

 少年サンデーの編集者として長年赤塚不二夫を担当した著者が初めての出会いから現在までの足跡をまとめたのが本書である。
「新人漫画家なんて編集者次第で生きも死にもする。才能なんて本人には判っていない。……極端にいえば作家は読者よりも担当編集者に向けて作品描いているんだ」
「ずっと馬鹿でいなよ。りこうになりそうになったら、〈お○○こ〉と108回叫べ」
 珠玉の言葉がいろいろ出てくる。
 天才漫画家に惚れこみウン十年。うなずけないことも多々あるけれど赤塚不二夫への愛(尊敬)にあふれていることは確かだ。

 著者についてはかつて「レッツラゴン」に登場する編集者〈武居記者〉としてお馴染みだ。「レッツラゴン」は赤塚不二夫がアメリカ渡航後に描いたまさに画期的なギャグマンガ。ペンネームを山田一郎に変えたのもこの頃だ。ギャグの一つと思っていたら本気なので驚いた。赤塚不二夫の変貌を目の当たりにした。

 思えば漫画家が自分のプロダクションを持ってマンガを描くことを知ったのがフジオ・プロだった(後に川崎のぼるとカワサキプロ、永井豪とダイナミックプロを知る。手塚治虫や石森章太郎、藤子不二雄はプロダクション制をとっていたがトビラにクレジットしなかった)。

 黄金期のフジオ・プロのマンガ製作工程を知ることができることも本書を読む価値がある。
 さいとうたかをを別にして、普通漫画家はストーりー、下書きまで自らの手で行なう。赤塚不二夫はアイディアから協議制なのだ。昔から知ってはいたが、手順が具体的に描写されているので、夢中になった。長谷邦夫、古谷光敏、高井研一郎、それに担当の著者が加わってのアイディア会議。
 「ギャグゲリラ」のふきだしネームの手書き文字が長年の片腕長谷邦夫の手によると知って衝撃。ずっと本人のものだと思っていた。

 全然関係ないけど長谷邦夫は僕の愛唱歌「桜三月散歩道」(by 井上陽水)の作詞家である。
 本書では赤塚不二夫の文章における裏方とも書かれていた。赤塚本のゴーストライターだったのだろうか。
 こうなりゃ長谷邦夫が赤塚不二夫との決別を宣言した「漫画に愛を叫んだ男たち」を読むしかない。

     △


 この項続く




 本日、品川プリンスシネマのレイトショーにて「これでいいのだ! 映画★赤塚不二夫」を観る。
 偶然にも、本日発売の週刊文春、小林信彦「本音を申せば」がこの映画に触れている。そこらへんのことは明日にでも。

 月別の読書録、昨年の終わりごろからUPが遅延している。通常なら前月分を掲載するのに、まだ2月だって。
 何とか元のペースに戻さなければ。

     ◇

2011/02/03

 「壬生義士伝(上)」(浅田次郎/文春文庫)

2011/02/08

 「壬生義士伝(下)」(浅田次郎/文春文庫)

 この小説の連載が週刊文春で始まったときのことはよく覚えている。(江戸)時代小説は必ず読むことにしているのだが、幕末もの、それも新撰組ものにはあまり興味がなかった。結局読まなかったのだが、あとで後悔することになる。途中で絶賛の声を耳にするようになったからだ。もう後の祭り。単行本になっても読もうとしなかった。意地もあるのだが、巷の〈泣ける〉 という評価にカチンときたのだった。
 テレビ東京の正月恒例の長時間ドラマは観られなかった。映画は押さえた。ラスト近くの中井貴一の一人芝居のシーンにがっくりきた。このときも原作をあたろうとしなかった。

 週刊文春に「一刀斎夢録」の連載が始まったときは、後で後悔したくないので、真っ先に読み進めた。小説の構成に瞠目した。明治時代を生きる斎藤一に、某大日本帝国軍人が取材する。その取材過程の様子と斎藤一の新撰組時代の思い出話が交錯しながら物語が進行していくのだ。
 もしかして、「壬生義士伝」も同じ構成なのか。以来、図書館で探していたのだがあったためしがない。
 「一刀斎夢録」が完結して、一冊(上下巻)になった。当然読みたいが、その前に「壬生義士伝」あたらなければなるまい。願いが通じたのが、図書館の棚で上巻を見つけた。借りると同時に下巻を予約した。

 冒頭こそ幕末だったが、すぐに時代は明治時代に飛ぶ。新聞記者(ルポルタージュ作家?)が、新撰組関係者を訪ね歩き吉村貫一郎について収集した生の声(?)が全編を彩る。各人が自分の立場から見た貫一郎を語る。そこから浮かび上がる貫一郎の素顔。その間に挿入される、切腹間際の貫一郎のひとりごと。
 泣けた。しかし、危惧していたような涙の質ではなかった。斎藤一の語り、そのラストの叫びは圧巻。貫一郎の息子たちについてもきちんとフォローしていて、小説のラストで喜びの涙にあふれた。
 連載時に話題になるはずだ。

 次は「輪違屋糸里」を読む。


2011/02/14

 「今夜は最高な日々」(高平哲郎/新潮社)

 大学時代、夢中で高平哲郎の本を読んだ。「スプラスティック・ブルース」は名著だった。面白グループの活動に憧れた。TBSラジオで毎日帯の番組があったんだよな。
 編集、インタビュー、TVの構成、本の執筆、舞台の企画・構成。
 思えば、TV以外、高平哲郎は、僕がやりたいことばかりを手がけてきた。ある意味憧れ、理想とすべき人なのだ。
 表紙は和田誠が描く後姿。
 顔を想像すると、なぜかアリスの矢沢透が浮かんできてしまう。


2011/02/17

 「高峰秀子の流儀」(斎藤明美/新潮社)

 出版されたとき話題になった本人が著した「渡世日記」を読みたかったのだが、図書館の棚に本書があったので代わりに借りてきた。
 驚いたのは、高峰秀子と養母の関係だ。養母にとって、高峰秀子は単に金を稼ぐ機械でしかなく、まるで親らしいことをしていない。別に本書は養母のことが細かく書かれているわけではない。本書の中でさまざまことが書かれている中で、高峰秀子の養母に対する距離感がとても印象的なのだ。
 鬼畜なような親の下で、きちんと人間的な女性に育ったことがすごい。子役から大女優になった経歴を考えれば、ドラマや映画でよく描かれるわがままし放題の性格になってもおかしくない。
 夫(映画監督、脚本家の松山善三)への信頼も生半可のものでないことがわかる。 


2011/02/21

 『創られた「日本の心」神話』(輪島裕介/光文社新書)

 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史との副題あり。


2011/02/22

 「オヨヨ城の秘密」(小林信彦/角川文庫)

 オヨヨシリーズはまずジュヴナイルとして書かれた三作「オヨヨ島の冒険」「怪人オヨヨ大統領」「オヨヨ城の秘密」があり子どもたちの間で大人気になったのだと思っていた。その成功を実績にして同じキャラクターを使って大人向けの四作「大統領の密使」「大統領の晩餐」「合い言葉はオヨヨ」「秘密指令オヨヨ」が書かれたのだと。
 違うことを本書のあとがきで知った。
 「オヨヨ城の秘密」はシリーズでいうと7作目になる。このあと番外編となる短編集「オヨヨ大統領の悪夢」となるわけだ。角川文庫に入る際に、「大統領の密使」の冒頭につながるように、「オヨヨ城の秘密」は最終章のラストを書き換えた。なるほど、そういうことだったのか。


2011/02/24

 「この噺家に訊け!」(広瀬和生/アスペクト)

 「この落語家を聴け!」続く第2弾。自分が読みたい本を作る。その気持ちは十分すぎるくらいよくわかる。


2011/02/25

 「ごきげんタコ手帖」(中野翠/毎日新聞社)

 この連載、サンデー毎日が休刊するまで続くのだろうか? もう終わってもいい潮時ではないか。こちらの方で卒業すべきなのかも。




 昨晩遅く帰宅して児玉清の死去を知る。
 ああ、やはりダメだったか。
 胃がん。「娘さんと同じじゃない」とかみサン。
 子どものころから抱いていた俳優・児玉清のイメージが変わったのは、あるラジオ番組へのゲスト出演だった。「伊集院光の日曜日の秘密基地」だったと思う。そして生で観た「週刊ブックレビュー」の司会ぶり。それから著書の「負けるのは美しく」。この十年のことだ。
 享年77。

 合掌

 本題は読書レビューにあるので、リンクではなく転載する。

     ◇

 ●「週刊ブックレビュー」公開録画 in 大泉町 2007/10/06

 NHKBS2「週刊ブックレビュー」の公開録画が大泉町文化むら大ホールで行なわれた。書評ゲストの一人が談四楼師匠と聞いて久しぶりに大泉町を訪れた。高校時代以来だから何年ぶりだろう。

 群馬県の東南に位置する大泉町。今や多くのブラジル人が住む町(リトルブラジルがある街)として全国的に有名になった。
 邑楽町出身の師匠にとって大泉は隣町。学生時代は大泉町に唯一あった映画館に自転車で通い、Yという食堂のおむすびつきラーメンをよく食べたとか。
 太田出身の僕にとっても隣町だ。高校時代は東京三洋ラグビー部OBに胸を借りることがあって、何度か通っている。太田駅から小泉線を利用するのだが、今回初めて知ることがあった。小泉線って館林からも出ているのだった! 昨日、ネットで電車の時間を調べていて判明した。
 また、長年の疑問も解消した。路線の名称は小泉線、東小泉、西小泉という駅もある。大泉なのにどうして小泉なのか? その昔大川村と小泉町が合併したんですね。今日まで知らなかった。まったくお恥ずかしい限り。
 館林から3駅めが東小泉。車窓から見る田園風景に心和んだ。帰りは夕陽が目に染みた。

 番組は午後2時収録スタート。まずは司会の児玉清、中江有里、両氏の挨拶から(その前に大泉町長、NHK前橋支局長の挨拶があったのだが)。
 書評ゲストは師匠のほか、高見恭子氏、夢枕獏氏の計3名。
 各氏おすすめの一冊は次のとおり。

 立川談四楼……「間の取れる人 間抜けな人 ~人づき合いが楽になる」(森田雄三/祥伝社新書)
 高見恭子……「ABCDJ ~とびきりの友情について語ろう」(ボブ・グリーン/駒沢敏器 訳/NHK出版)
 夢枕獏……「1976年のアントニオ猪木」(柳沢健/文藝春秋)

 印象的だったのは、やりとりの中で見せた司会の児玉清氏のしぐさ。ゲストの言葉をメモする姿がとても様になっていてかっこいい。ダブルのスーツで決めていることもあって、大企業の代表取締役社長(COO)といった趣き。ソニーの出井氏をもっとソフトにした感じだろうか。中江さんは若い秘書ね。

 トーク終了後、児玉氏が客席にどの本を読みたいかのアンケートをとった。師匠のおすすめ「間の取れる人 間抜けな人」が一番票をあつめていたようだ。

 特集ゲストは渡辺淳一氏。
 ベストセラーになった「鈍感力」と最新作「あじさい日記」が話題になったのだが、会場を爆笑させたのが、客席から受けた質問に対する回答。結婚30年を迎えた夫婦へのアドバイスがふるっていた。こんな愉快な作家だとは知らなかった。

(略)

     ◇

 ●「負けるのは美しく」(児玉清/集英社) 2007/10/14

 週刊ブックレビューの公開録画を観に行って、司会の児玉清のかっこよさに惚れ惚れした。上背はあるし、スーツは似合うし、とにかく品がある。存在が嫌味にならない。
 数年前、某ラジオ番組にゲスト出演した際の、俳優になる前後の思い出話を興味深く聞き、それまでのイメージ(外見の良さだけで俳優やっているのだろう)を一新してはいたのだが。
 翌日、図書館に行ったら、俳優人生や家族について綴った「負けるのは美しく」(集英社)があったので、さっそく借りてきた。

 知人が勝手に応募した東宝ニューフェースの試験。俳優になる気がまったくなかったが、急逝した母親の「行きなさい」の声を聞いて、会場に駆けつけるが大遅刻。本当ならそこで失格なのに、受付係の好意により最終グループに割り込ませてもらって面接することができた。ところが演技審査で着用しなければならない海パンを忘れた。ええい、ままよと下着姿で審査員の前に立った。当然落ちたと思っていたら見事合格。
 とはいえ、本人、やはり俳優になる気なし。翌年の就職までの腰掛け程度の感覚だった。ところが仕出しで参加したロケの合間、若手スターに連れられて入った喫茶店で気持ちが変わる。スターがサインを求められ、ついでに自分も求められると件のスターが言ったのだ。
「この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ」
 この言葉に発奮した。だったら雑魚じゃない俳優になってやろうじゃないか。

 ここらへんのエピソードは、ラジオで聞いたのと同じ。これで児玉清はもしかしたら骨のある俳優なのでは? と思ったのだ。
 「負けるのは美しく」は、東宝専属時代の失敗談、黒澤監督への反発、フリーになってからのTVへの進出等々、興味深いエピソードが次々に紹介されていく。癌で愛娘を亡くした想いは痛切だ。

 文芸誌「すばる」に連載したエッセイ「ちちんぷいぷい玉箒」をまとめたもの。書名「負けるのは美しく」の由来に得心した。

 本書を読みだしたのが12日。翌13日の夜、たまたまチャンネルを廻したら日本テレビで新番組「ドリーム☆アゲイン」が始まっていた。主演の反町隆史の隣にいる男性にかみサンと娘が声を揃えた。「あっ、児玉清だ!」
「実物の方が数倍かっこいいよ」
 そう言うと、かみサンがそんなことわかっているといった顔をする。しかしなぜ児玉清にそんな敏感に反応するんだ? ファンなのか?
「××(娘)は、結婚相手のお父さんが児玉清みたいだったら、息子から乗りかえてもいいと思っているくらいなのよ」
 ……知らなかった。
「だったら、先週の『週刊ブックレビュー』の公開録画についてくればよかったのに」
「どうして?」
「だって、司会が児玉清だもの」
 母娘が見つめあう。「行けばよかった」と娘。
 児玉清に対する新たな感情がわいてきた。嫉妬、か。

 「負けるのは美しく」に〈恰も〉という文字が何度もでてくる。最初〈はまぐりも〉と読んで、そんなはずがない! はまぐりは蛤だ。〈あたかも〉だった。




 疲れている。
 今、角川シネマ有楽町(以前のシネカノン)で三島由紀夫原作映画の特集をしている。14、15日ともに、朝10時30分から市川崑監督「炎上」(原作「金閣寺」)が上映されるので、いい機会だから駆けつけようと思っていた。結局行かなかった。起きるには起きたのだが、身体が重くて外出する気になれなかったのだ。二日続けて。「炎上」は6月1日にまた上映があるのでそのとき押さえるつもり。

 夜は、かみサンのリクエストでテレビ朝日「最後の晩餐」にチャンネルを合わせる。フジテレビ「世にも奇妙な物語」を観たかったが仕方ない。以前宣言したブルーレイレコーダーの購入はまだ果たしていない。Y電器先着5名さまの格安品は現金のみの扱いだという。諦めた。
 布団に横になりながら「最後の晩餐」を観ていた。

 開店初日のイタリアンレストランが放火され死傷者をだした。放火殺人事件として捜査本部が設置され、刑事の佐藤浩市は新米刑事とともに当日の客の身辺を洗うことに。看護婦(安達祐実)、激安量販店の女社長(黒木瞳)、刑務所から出所したばかりの男(西田敏行)、TV局のディレクター(石黒賢)、政治家(中尾彬)、引きこもり大学生(本郷奏多)。ドラマには「刑事・遠野一行と7人の容疑者」というサブタイトルがついている。あともう一人の容疑者が、レストランのオーナーシェフ(成宮寛貴)というわけだ。
 途中から目をつむって音声だけ聴いていた。いつのまにか寝ていた。目が醒めたら、犯人と刑事が対峙していた。

 ドラマが終わってからかみサンに言う。「冒頭で犯人わかっちゃったよ」
 かみサンが冷たく答える。「誰だってわかるわよ。このドラマ、期待したほどじゃなかった」
 オリジナル脚本(井上由美子)と容疑者7人に主演クラスの役者を揃えたのは評価できるけれど。
 事件解決後、妻(斉藤由貴)に去られた佐藤浩市は警察学校に左遷(?)されるのだが、終わり方が中途半端だった。今、わかったのだが、このラストから連続ドラマ(7月開始)になるらしい。

 犯人がわからなかったといえば6日(金)に再放送された2時間ドラマ「警視庁電話指導官〜深川真理子の事件簿」。なかなか面白かった。用事があって夕方4時に外出しようと思っていたのに、ドラマに夢中になってそのまま終了する(5時)まで見てしまったほど。
 菊川怜の主演、共演は内藤剛志。田口主将さんが米屋の役で出演していた。ドラマだからある程度キャスティングでわかってしまうのだが、もし活字だったら意外な犯人に驚いたことだろう。
 菊川と内藤が犯人の自宅に向かう際、別の容疑者の自宅とカットバックさせて、あたかもそちらを訪れたように描く演出上のトリック。映画「羊たちの沈黙」の応用だ。「相棒 バベルの塔」でも見られた。

 昨日、帰宅してTVをつけたら始まった「ハンチョウ ~神南署安積班」も意外な展開だった。ダーツバーの店長役って、めちゃいけの新メンバー、Tバックモデルの人だよね?

 話は飛ぶ。
 「みのもんたの朝ズバッ!」のコメンテイター(だった?)高木美也子って、岡田茂(東映名誉会長)の娘だったのね。ということは岡田裕介(元俳優、東映社長)の妹なのか。知らなかった! 通夜か告別式でTVの取材に答えて「いつも岡田茂の娘と言われるのがつらかった」云々と言っていたが、僕自身はそんな目で見たことはなかった。いつも偉そうな態度だよなとは思っていたけれど。

 団鬼六も亡くなった。小説はそれほど読んでいないが、日活ロマンポルノのSMシリーズにはお世話になった。東映ビデオ制作の「花と蛇」シリーズも2本とも劇場に足を運んだほど。ただし、昨年公開された小向美奈子主演の第3弾はDVDになってもどうにも食指が動かない。

 合掌




 今現在、この状況下で、うつ病の人の心情を思うと二重の意味でつらくなる。
 東日本大震災で多くの人が犠牲になった。
 連日のニュースにこう思ったのではないか。
 あっけなく人は死んでしまう。希望に胸膨らませていた人もいただろう。死にたいと願っている自分がこうして生きているのに……。
 TV、新聞、いたるところから「がんばろう!」の大合唱。
 自分はがんばることもできない……。生きている価値なんてない。

 個人的には「ウルトラマンメビウス」CREW GUYS隊長として馴染み深い中堅俳優、バラエティ番組でよく見かけた貧乏アイドル。自殺を伝えるネットニュースにショックを受けた。
「どうして?」「自殺するくらいなら、死ぬ気になって何でもできるだろう」「せめて、友だちや親に相談すればよかったのに」「周りの人たちも、なぜ彼(彼女)の気持ちを察知してやれなかったんだ」
 いろいろな思いにかられながら、やがてタメ息をつく。「人の気持ちなんて、他人にはわからないからなあ」

 とはいえ、某アイドルは自分の娘と年齢が近い。どうしたって父親の立場で考えてしまう。
 死の直前に電話で話していながら、どうすることもできなかったなんて。――その悲しみ、無念、怒り(自分に対する)をどこにぶつければいいのか。

 お二人のご冥福をお祈りいたします。

     ◇

 ●鬱病・自殺 2008/05/27

 昨日の××××アナウンサーの自殺に衝撃を受けた。別にTBS時代からのファンだとか、彼女が出演する番組の熱心な視聴者ではない。鬱による自殺が他人事とは思えなかったのだ。
 少し前にネットニュースが××アナの精神状態がおかしいと伝えていた。自身のブログで、マスコミで働くプロなら書かないような仕事に対する心情吐露をしているという。記憶で書くが、〈仕事に行きたくないか〉とか〈うまくしゃべれない〉とか、確かにまずい内容だと思う。その結果、ブログを休止する措置がとられた、が、すぐに復帰してお詫びの書き込みをした……感情が揺れ動いていることが手に取るようにわかる。しかし、だからこそ、直後の自殺が信じられなかった。
 本当に鬱の症状が重ければ、文章なんて書けるはずがない、と自分の経験から言えるからだ。

 HPを始めるまで、僕は日記を書いていた。その間、何度か中断している。原因は鬱病だ。はじめは気分がすぐれない、調子が悪いなんてことを書いているのだが、何てくだらないことを書いているのだろうとだんだんと自己嫌悪に陥ってくる。そのうち文章が綴れなくなる。頭に何も浮かばないのだ。
 過去のさまざまなことが頭の中をめぐり、自分の才能のなさ、存在のくだらなさに落ち込んでしまう。眠れなくなる。昼間は頭に重石を乗せられたような感覚。
 人と会うことが嫌になる。会って話しをすることで、その人(友人)との差が歴然として、余計落ち込んでしまうからだ。実際、思うようにしゃべれない。
「元気だせよ」「らしくもない」「俺だって同じだよ、でも頑張るんだよ」言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。落ち込む。
 気分を変えようと散髪に行く。自分のイメージと違う髪型。家に帰って鏡を見て、切らなければよかったとうじうじ悩む。アルコールを飲めば、眠れるかもしれない。缶ビールを買ってきて飲む。当時はほとんど酒が飲めなかった。案の定飲めない。オレはビールも飲めないのか。また落ち込む。明らかに体調がおかしい。病院(内科)に行って、症状を訴えても「どこも異常はありません」。
 部屋から出ることが億劫になってくる。やがて、自分には生きている価値がないと思いはじめてきて、自殺の文字が頭をかすめる……。

 それから考えれば、彼女はブログを書こうという意思がある。外部(他人)と接触を持とうという気持ちがある。ということは、まだ鬱は軽い、とにかく精神科に行って、睡眠薬を処方してもらえれば良くなる。自分もそうだったのだから、と軽く考えていた。
 ところがあっけなく彼女は自殺してしまった。そこまで症状は重くなっていたのか。
 悲しい。何も死ぬことはないと思う。
 ただ、僕自身の最悪の状態を思い起こせば、彼女の追いつめられた心情は十分すぎるほどよくわかる。あの状態で大勢の客の前でしゃべる司会業や秒のタイムで進行していくTVの仕事なんて地獄の沙汰だ。目にするもの、耳にするもの、すべてが彼女の神経をすり減らしていく。考えただけで息苦しくなってきた。
 まわりの関係者は何をしていたのか。いや、それはどうしようもないのだ。たぶん、彼女がそれほどの状態になっているなんて外見からでは想像できないだろうから。ちょとおかしいなあ、元気ないなあ、くらいでそれほど気にしていない。躁鬱を知らなければ当然のことだ。

 ご冥福を祈るしかない。


 ●鬱・父への電話 2008/05/28

 鬱病の末に自殺、というニュースはたまに耳にするが、本当にそうなのだろうか。あくまでも自分の経験からの漠然とした思いなのだが。
 確かに重度の鬱になると毎日のように「死」のことばかり考えるようになる。しかし、それは受動としての死なのだ。寝る前に「ああ、このまま、寝ている間に心臓が止まってしまえばいいのに」なんて思う。交差点を渡っているときには「信号無視した車が突っ込んできて轢かれてしまえばどんなに楽か」なんて。思うだけ。自分で行動を起こそうなんて考えない。飛び込み、飛び降り、クスリ。いくつかの自殺の方法が頭をよぎるが、どれも怖い。絶対にできない。少なくとも僕はそうだった。

 一度だけ、ほとんど発作的に台所の包丁を持ち出して、左手首を切り裂こうとしたときがある。刃を手首にあてたまましばらく硬直していた。それ以上何もできない。包丁をその場に置くと、すぐに郷里の父親に電話した。いつもの暢気そうな声が聞こえると、今何をしていたか、なぜできなかったか、自分の不甲斐なさを泣き叫んでいた。
 父は少しもあわてずこう言った。
「あのなあ、けーすけ。自殺をしようと思っている人間は、今、できなくても、いつかまたするんだ」
 息子が助けを求めているのに、その言葉はないだろう! 頭にきて電話を切った。少しは心配して、話を聞こう、そのためにこれから、あるいは明日アパートに行くから、バカな真似なんかするんじゃない、なんて言ってくれるのを心のどこかで期待していたのかもしれない。とたんに自分の行為(包丁を持ち出したこと、父親に電話したこと)がすごく愚かに見えた。恥ずかしくなった。

 10年ほど前のことだ。早朝、会社の屋上から若い社員が飛び降りて自殺した。当時総務にいた僕に上司から指示がでた。午後に亡くなった社員の家族が遺体を引き取りに上京してくる(確か大阪以西だった)。社員の遺体は病院に安置されているので、病院で家族と落ち合って面倒みるように。
 自殺した社員の上司(部長)と一緒にタクシーで病院に向かった。部長によると、前日に当の社員から電話があったそうだ。相談したいことがあると。部長は仕事で忙しく、明日、会社で話を聞くからと言うと納得して電話を切ったという。自殺するまで追い込まれている風には感じなかった、翌日までなぜ待っていてくれなかったのか。沈痛な面持ちで部長は語る。そんなもんだろうなあ。僕は心の中でつぶやく。
 霊安室の外で待っていると、家族がやってきた。両親と妹さんの3人。挨拶をしたあと、3人が霊安室に入っていた。中から聞こえてくる叫び声や嗚咽に、その場にいるのがいたたまれない。耳をふさぎたくなった。
 落ち着いてからお父さんが話してくれた。昨夜電話があったと。いろいろ悩みを抱えていたことはわかったが、どうすることもできない。ただ慰めるしかない。近いうちにアパートに行くから、そのときじっくり話し合おう。こんなことになるのなら、すぐに息子のところへ飛んでいけばよかった……。

 もし、お父さんがその日のうちにアパートへ行っていたら、あるいは上司がその日に相談に乗っていたら、彼は自殺を思いとどめたのだろうか?
 会社の屋上に出て、飛び降りるまで、何を考えていたのだろう。躊躇はなかったのか。上司は翌日(つまりその日)話を聞くと言っているのだ。あと数時間を待てなかったのはなぜなのか。
 死にたいという気持ちから死のうと決意する瞬間はどこで決まるのだろうか? 僕が包丁を持ち出したのはその瞬間だったのか。しかし、その後恐れをなした。父親の対応も効いている。あの情けない言葉で「死なねぇぞ」とはっきり思ったのだ。
 あの日もいろいろなことを考えた。
 人の心はわからない。ただ自分だったらはっきりしている。鬱に苦しみ「死にたい」という思いにとりつかれても、心の、たぶん自分でも意識していないところで始終「生きろ」とのメッセージが発信されているのではないか。
 簡単に言えば、自殺する勇気がないということ。負の勇気というべきか。
 負の勇気の欠如。無くて結構、僕は大いに感謝している。




2011/05/13

 「アンノウン」(MOVIXさいたま)

 11日の水曜日に「これでいいのだ 映画赤塚不二夫」を観たいと思った。テアトル新宿は水曜日が1,000円なのだ。時間を調べたら上映してない。えっ、違うの? テアトル系の映画だと思っていた。東映作品だったとは。
 最近は事前に映画情報を集めなくなったからこういうことになる。キネマ旬報は立ち読みすらしなくなった。
 じゃあレイトショーをやっているところはどこだろうか。品川プリンスシアター。別に水曜日にこだわる必要はない。

 12日(木)は夜DVD「深呼吸の必要」を鑑賞。篠原哲雄監督はディティール描写の人だ。さとうきび畑の収穫の始まりから終わりまでを、収穫の仕方を含めてきちんと見せてくれる。撮影に合わせてあの広大な畑を収穫したのか。ロケーション撮影が素晴らしい。主人公の若者たちのキャラクターやストーリーがいかにも作ったという感じ。個人的には「草の上の仕事」が断然いい。

 13日(金)に「これでいいのだ 映画赤塚不二夫」を観るつもりだった。が、映画は来週も上映している。だったらいつ終了するかわからない「アンノウン」を観よう。

 品川プリンスシネマでも上映している。ラッキーだと思ったらプレミアムシートだって。一席2,500円だよ。冗談じゃない。
 丸の内ピカデリーは18時45分から。時間(本編上映)は何とか間に合うがディスカウントチケットが手に入るかどうかかわからない。
 新宿ピカデリーはレイトショーがある。しかし、このシネコン、レイトショーでも通常料金なのだ。
 この機会に書いておきたい。新宿のシネコンはどこの映画館でも一般的になっているサービスがないことが多い。数年前、バルトを始めて訪れた友人が嘆いていた。「この劇場、夫婦50割引がないんだよ!」
 新宿ピカデリーには夫婦50割引はあるが、ふたりで2,000円ではなく2,500円だって。
 川崎チネチッタはレイトショーがあるが、終了が24時近くになる。
 埼玉地区ではMOVIXさいたまとユナイテッド・シネマ浦和だ。交通費がかかるがポイントがもらえるのでMOVIXさいたまにしよう。

 「アンノウン」。
 別に「仮面ライダーアギト」の敵方怪人たちを主人公にした映画ではない。もともと「身元不明」のタイトルで公開される予定だったが、東日本大震災が起きたことにより、原題「UNKNOWN」がそのまま使用されることになった。

 面白かった。満足感は「パンテージ・ポイント」を観たときに近いか。
 仕事のため夫婦でドイツを訪れた学者(リーアム・ニーソン)が空港で忘れ物をした。妻(ジャニュアリー・ジョーンズ)がホテルでチェックインしている最中に気がついた学者は、忘れた鞄によほど重要な書類が入っているのか、妻に何も伝えずにタクシーに乗って空港に引き返す。が、途中で事故に巻き込まれて意識不明の重体に。
 気がつくと4日間が過ぎていた。あわててホテルにもどると何者かが自分に成りすましていた。妻も自分を知らないと言う……。
 
 学者が、女タクシードライバー(ダイアン・クルーガー)と元東ドイツ秘密警察の老人(ブルーノ・ガンツ)の助けを借りて、自分の存在を証明するために活躍する姿を描く。
 活躍するのはいいのだが、敵とのカーチェイスの際の、あまりの高度な運転技術ぶりに白けてしまった。それが映画だとはいえ、リアリティがなさすぎる。女タクシードライバーが巧いのは納得できるのだが。
 冒頭で、学者が入院していた病院の医者が言う。事故の後遺症で学者の意識が錯乱していると。
 カーチェイスもこの主治医の言葉も後半になって膝を打つことになる。
 これ以上は何も言うまい。ミステリ好きな人は観るべきだと思う。

 ところで、映画の中で学者の免許証がアップになる。「ウソ!」と声だしてしまった。生まれが1964年。オレより年下かよ。弟と同い歳。それまで60歳前後だと思っていたから驚いたのなんの。年齢の離れた奥さんをもらって毎晩頑張っているんだなあ。何度も繰り返し挿入されるふたりのシャワーシーンを見ながら考えていた。
 それはそうと、主演のリーアム・ニーソン、実際は1952年生まれ、やはり僕の見た目の方が正しかったというわけだ。ちなみにどこかで見た顔だと思ったら、「スター・ウォーズ エピソード1」でオビ=ワン・ケノービのお師匠さんを演じていたのだった。
 もしかして、生年月日も後半への伏線なのか。


 最近、台詞の英語が、単語の一つひとつがクリアに聞こえてくる。きちんと勉強すれば、英語がしゃべれるかも?




 僕の携帯電話はインターネットを利用できない。契約をしていないからだ。
 別に携帯でネットを閲覧しようとは思わない。PCでさんざ利用しているのだから電話とメールだけで十分だ。

 実をいうとメールも苦手。携帯の片手入力はとんでもなく労力を使う。文章を入力していて面倒くさくなって、電話してしまうこともよくあった。直接電話できないこともあるので、仕方なくメールアドレスを取得したにすぎない。だから携帯メールのアドレスは一部の人にしか教えていない。それもメールする場合には「はい」「いいえ」で答えられる内容にしてくださいと念を押す。
 僕にとってメールといったらPCだ。キーボードだったら、両手を使ったローマ字入力で自分の考えをきちんと表現することができる(あいうえお入力だとこれまた苦労する)。
 携帯電話はあくまでも連絡手段のツールでしかない。

 携帯電話のメールアドレスを取得してからこれまで、正確には先々週までは、スパムメールの類は受信したことがなかった。自分の内ではそれが当たり前の感覚だった。メールの受信音(バイブ)、誰からだろう? ポケットから携帯取りだし確認。ああ誰々さん!
 ところが、先週、一通のスパムメールが届いた。すると、しばらく時間をおいて2通め。翌日も。毎日来るようになった。

 PCのメールにスパムが大量に来るようになったのはいつごろだったか。毎日、帰宅してPCを開いて最初にすることは大量のスパムメールを削除することだ。空しい作業だが仕方ないと思っている。
 なぜなら、メールアドレスを不特定多数の人たちの目につくところに掲載しているので。HP「夕景工房」のTOPに。削除するわけにはいかない。発信した情報に責任を持つためである。
 つまり自分の書いたことに認識の間違いがあった場合、閲覧者が異議申し立てできるように、だ。ブログにコメント欄を設けているいるのも、同じ趣旨による。誤字脱字、単なるミス以外の、明らかにそれ違うよ~的記述があったら、読んでいる人に指摘してもらいたい。もちろん、お褒めの言葉、励ましのコメント等はうれしいことだけど。

 PCのスパムメールが大量に来てもまだ我慢できるのは、こちらに金銭的な負担が生じないということもある。メールがあろうとなかろうとプロバイダーと契約した料金で済む。携帯は違う。受信でも1通いくらの料金がかかってしまう。そんなバカなことがあるのかと最初システムを知ったとときに思った。郵便で受取人払いのDMが届いたら、普通拒否するだろう。届いたスパムはほとんどスケベ系。URLをクリックせよとあるが、オレの携帯はネットにつながっていないんだよ。ったく、無駄な意味のないメール。
 メールの着信音(バイブ)がすると以前はうれしかった。今はギクっとなる。とはいえ、まだ日に3通、4通だからいい。もっと増えたらどうなることか。友人がアドレスを変える原因はこれだったのか。

 それにしても、この時期なぜ携帯にスパムが来るようになったのか。アドレスが業者に漏れたということなのだが、どのようにして漏れたのか?

 原因その1 アドレスを知る人が業者にアドレスを渡した(売った)。

  まさか、そんなことがあるわけがない。…オレ、誰かに憎まれているのか?

 原因その2 アドレスが登録されている携帯電話が業者に渡った。
  考えられるとすれば、これだな。しかしどうやって?

 推理1.本人が携帯を落とした、あるいは、盗まれた
 推理2.機種替えで旧携帯の処理を頼んだ(渡した)際に情報が盗まれた

 2.は通常の流れなのだが、業者の中に悪い奴がいてこずかい稼ぎで業者に情報を売ったっというのはどうだろう。携帯本体から情報だけ吸い取る(コピーする)なんてことができれば、可能だもの。本体はちゃんと処分するのだから。

 1.について、今思いだしたことがある。あれは「エンジェルウォーズ」を観た日だから、4月19日か。シネコンが入っている「アリオ」の男性洋服店でブラブラしていると、携帯が鳴った。相手はTさん。出て「もしもし」と何度も呼ぶが相手から何の返事もない。ガヤガヤしているだけ。電話は通じている。かすかにTさんらしい声が聞こえる。誰かとしゃべっていて電話がつながっていることが気づいていない。
 一度電話を切って、こちらから電話した。Tさんは出ず、留守録になった。用件を話した。折り返しの電話はなかった。
 梨のつぶて。
 まさか……。


【追記 05/16】

 「エンジェルウォーズ」は品川プリンスシネマで観たのだった。「英国王のスピーチ」&「まほろ駅前多田便利軒」を観た日。5/1(日)。




 書き忘れていたこと。そんなのいっぱいあるのだけれど、とりあえずシネりん3月にプレイベントを実施した窪田将治監督「クレイジズム」について。
 公開は4月16日(土)。単館ロードショーで、劇場はシネマート六本木。レイトショーではなく夜17時から。18日以降の平日ならば、退社後向かっても間に合った。ところが、23日(土)に舞台挨拶があると聞いて、土曜日の方が余裕で行けると駆けつけたら、上映時間が変わっていた。何と16時30分から。仕方ない、時間を確認しなかった自分が悪いのだ。翌日日曜に観ようとしたら、監督と出演者によるおしゃべりがつくコメンタリー上映だって。「通常上映はありません」とポスターに張り紙があった。月曜日からはまたまた18時45分からの上映に切り替わる。

 そりゃないぜ。退社後だと間に合わないじゃないか。とはいえ28日で公開は終了してしまう。途中入場するしかないか。なんだかなあ。いっそのこと観るのやめようか。いやいや、すでに前売券は購入してあるのだし映画は観てナンボのもの。前売券を無駄にするなんてポリシーに反する。
 考え直して、25日(月)、劇場に電話してみた。
「『クレイジズム』の本編が始まるのは何分ですか?」
「予告編が10分ありますので、55分からですね」
 だったら間に合うかも。ネットで検索して、羽田から六本木まで一番短時間でいける路線を見つけた。翌26日実行。予告編上映中に到着した。

 観てよかった!
 作りはインディーズ(ものすごく低予算)だけど、アイディアが面白い。老人の箪笥預金を強奪した若者集団が金の分配をめぐって仲間割れする話。密室劇なのだが、どんどん状況が変化していくので観ていて飽きなかった。強盗後の話、意外な展開、過激な暴力描写等、どこか「レザボアドックス」を彷彿とさせる。ただすべてを悪徳金融業者に収斂させてしまうのは納得いかない。登場人物みんなバカを見た、という方が皮肉な幕切れで面白いのに。
 縛られて横になった主人公が自分の行動を反省、謝り続け、同じように縛られた女が怒り狂って主人公を汚い言葉で罵倒し続けるショット。男女の普遍的な姿を見せられた気がして、この映画一番の見せ場ではなかったか。




2011/04/29

 「紙ふうせんシークレットライブ 2011」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 新大阪からJR在来線で元町に向かっている途中、芦屋駅があった。名前だけは知っている高級住宅街だ。東京の田園調布みたいな町というイメージがある。FCの前会長はこの町に住んでいるんだよな、なんて思ったりして。
 芦屋にはテーマソングがある。歌のタイトルは「この町がすき」。

  春は魚たちがとびはねる
  さくらふぶきながす芦屋川
  夏は子どもたちがあそんでる
  白いヨットはしるあしや浜
  海と山をそめてきょうもまた日が昇る
  この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのようなえがおにあえるから

 この歌の誕生は阪神淡路大震災に見舞われてから3年後のこと。芦屋市のPTA協議会が「わたしの街芦屋」をテーマに詩を募集した。対象は市内の小学生。詩の中から印象的な言葉を集め、作詞し曲をつけた。補作詞、作曲は後藤さん。某ブログからの受け入りだけど。
 この歌、正式な録音はしていなかった。PTA協議会が開催した紙ふうせんコンサートで発表しただけ。その演奏を関係者が録音していた。その音源が市役所で毎朝流れることになり、一部の人たちに知られる存在になった。そんな経緯を聞いた後藤さんが、だったらきちんとした音源を作りましょうと、今回新規の録音となった。
「じゃあ、(その音源の)カラオケで歌います」
 と後藤さん。
 わぁ、75年に東京都大田区で開催されたコンサートで披露された新曲「別れの鐘」みたい! あのときもシングルレコード用のカラオケで歌ったのだ。僕はその音源を聴いただけだけれど。一昨年の暮れに関東地区のFCメンバーを対象にあるイベントを開催した。題して「紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会」。要は忘年会です。
 それはともかく、隠れた名曲「この町がすき」のヴォーカルは平山さんなのだが、歌いだすまでちょっと表情が硬かった。その理由は歌唱後に判明する。いや、勝手に僕が推測しているだけかも。
 歌い終わってから後藤さんが説明する。トランペットは生の音だけれど、あとは打ち込みだったと。この〈打ち込み〉なるもの、僕はいまいち理解していない。事前に音をつくっておくという認識はある。でも、カラオケとどう違うんだ? シンセサイザーによる音作りだったんですね。すべての楽器をシンセサイザーの音で作って処理してしまう。トランペットだけ本物。平山さんは打ち込みに不満なのでは?

 通信カラオケの音源もすべてシンセサイザーですよね。それで思い出した。カラオケで「紙風船」を最初に取り入れたのはゲーム会社S社の子会社だった。カラオケ事業に進出するために設立された。画面見て笑ってしまった。〈作詞・黒川三郎〉なんだもの。今、「紙風船」はどこのメーカーにも入っているが、なぜかすべて作詞・黒川三郎。いったいどうしてそうなるのか。

 サプライズ報告があった。
 紙ふうせんのNマネージャーが入籍したとのこと。
 紙ふうせん+すぎたさんのアカペラでウエディングマーチ。
 いいな、いいな。うらやましいな。

  この町がすき/ウエディングマーチ/虹


 田中賢さん、金関環さんがステージに呼ばれる。
 「翼をください」のあと、ヴァイオリンのソロを効かせた「ルート43」、ヴァイオリンのイントロとピアノアレンジが印象的な「冬が来る前に」がラスト。あらかじめ決められていたアンコールは唱歌「故郷(ふるさと)」。演者、観客全員で合唱した。こうしてシークレットライブは大団円で終了……
 
 ……しなかった。拍手が鳴り止まず、後藤さん「では、あらかじめ決めていなかった曲やります」
 北島三郎ではなく後藤悦治郎版「まつり」は、赤い鳥時代、日本青年館の屋上(だったっけ?)で神宮球場の歓声を耳にしながら作ったという。
 なぜ日本青年館にいたかというと、ホールで劇団薔薇座の芝居があったから。アラン・ドロンの声優、ナッチャコパックのパーソナリティで知られる、野沢那智主宰の劇団である。後藤さんが音楽を担当した芝居はカミュの「戒厳令」。どんな音楽にするか、野沢さんと打ち合わせしているなか、だったら赤い鳥全員出演してやれってんで、生演奏したらしい。   
 この話を聞いたのはライブ終了後だが、もうびっくり仰天。後藤さん個人の参加ではなかったのか。
 赤い鳥の演奏、歌。
 どんな演奏なのか、音源あったらファンなら絶対確認したいところだ。

  翼をください/ルート43/冬が来る前に

  アンコール
  故郷/まつり


 ちなみに後藤さん、麿赤兒の芝居も音楽を担当したことがあるとのこと。芝居は「満開の桜(はな)の下」。当時アングラに興味があってねとおっしゃっていました。
 小室等の「雨が空から降れば」は別役実の芝居から生まれたものだ。小室さんもアングラ芝居の音楽をいろいろ手がけていたに違いない。
 やはり似ているなあ、後藤さんと小室さん。

 紙ふうせんとまるで六文銭のように(今は六文銭に改称しているのか)のジョイントコンサートがあれば。

 もう一つ忘れていた。
 これはライブ中に平山さんから発表があったのだが、この4月から後藤さんが大阪芸術短期大学の客員教授に就任されました。
 このときをどれだけ首を長くして待っていたことか。
 一度は授業風景を拝見させてもらいますよ~!

 あともう一つ。
 今年のリサイタルは11月18日(金)に決定しました。


 【追記】

 昨年、シークレットライブの前夜、赤い鳥時代のことを浦野さんに取材した。そのとき、デビューからしばらくの間、赤い鳥のバックバンドだった竹田一彦カルテット(浦野さんはベース)は関西以西だけの担当だったとお聞きした。今回、浦野さんの紹介(古希のとき?)で、後藤さんもそうおっしゃってました。
 ということは、関西地区から西のファンたちはいい音聴いていたってことですよね。


nankinmachi1104
ライブ終了後、南京町の某酒家で行われたFC懇親会に参加

piitan
ガード下にある中華料理店
その名のとおり、ピータンが美味! 




2011/04/29

 「紙ふうせんシークレットライブ 2011」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 一世を風靡したヒット曲、実に簡単に出来てしまった、なんていうエピソードが当事者によって披露されることがある。有名なところではかぐや姫の「神田川」。喜多条忠から電話で詞を伝えられた南こうせつは、聞いた瞬間にメロディーが浮かんできたと語っている。本で読んだ。
 「紙風船」も現代詩人・黒田三郎の詩集を愛読していた後藤さんが、わりとあっさりと作曲したような印象があった。別に根拠はない。詩とメロディーからそんなイメージを持っていた。
 実際は、部屋で壁に頭を打ちつけながら作ったという。一週間かかった。ずいぶん苦労して〈現代の伝承歌〉が誕生したわけだ。完成したときの気持ちはいかばかりだったか。かなり手ごたえを感じたのだろうな。だかこそ群馬県太田市の中学2年生はこの曲にしっかり反応して、作曲者の後藤悦治郎を意識するのだもの。この時点では男性陣の顔と名前を認識していなかったのだ。
 「紙風船」は赤い鳥の「翼をください」「竹田の子守唄」と並ぶ代表曲の一つとなった。

 そういえば紙ふうせんのバックミュージシャン、ジャズピアニストの今出哲也さんは自身のブログにこう書いていた。「紙風船」のアレンジが対位法になっていて驚いたと。意識してそうしたのかと後藤さんに訊くと「いや、対位法なんて知らんかった」。確かそんな内容だったと思う。

 ところで、赤い鳥はもうひとつの紙風船を歌っている。たぶんライブでは披露されたことはないだろう。今年放送50周年を迎えた「みんなのうた」の「わたしの紙風船」である。中には黒田三郎の「紙風船」にメロディーをつけたのが「わたしの紙風船」だと勘違いしている人もいる。元ネタが黒田三郎の詩だと。テーマも詞にでてくる言葉も似ているので仕方ないのかもしれない。いや、もしかすると、「わたしの紙風船」の作詞者は黒田三郎を意識して作詞したのかもしれない。
 番組の中でもけっこう人気のある歌で、80年代になると、紙ふうせんでリメイクされた。以降紙ふうせんバージョンが流れている。今現在流れていると思う。
 この歌はYouTubeで聴くことができる。イントロから赤い鳥バージョンを思わせるのだが、ヴォーカル(女性)が聞こえてきて落胆していしまう。これ、もしかして六文銭が吹き込んだレコードバージョンだろうか。

 ちなみに「紙風船」のレコードバージョン、最初後藤さんがソロで歌いだし、平山さんが入ってくる。と、長い間思っていた。あらためて聴くと、平山さんの声のようでもあり、新居さんのようでもあり……これって二人がユニゾンで歌っているということだろうか。

 忘れていた。お客さんのトイレ待ちの間に聞いた話を記しておく。
 ヤマハが主催する「ライトミュージックコンテンスト」で赤い鳥がグランプリを受賞、その副賞(褒美)としてヨーロッパ旅行した際のロンドン滞在時のこと。
 トラファルガー広場(?)では、路上ライブが行われていて、赤い鳥も行った。すると、ライブを聴いたある人から自分の店で演奏してほしい旨依頼された。それがマーキークラブだった。ロンドンの有名なライブハウスだという。その流れでBBCの番組にも出演したとか。
 えええええ!!!!!

  紙風船/竹田の子守唄


 4月29日は後藤さんと浦野直さんの誕生日。前々回までと同様、みんなで「ハッピーバースデー」の合唱になるのだが、後藤さんから一言あった。
「浦さん、古希なんねんて」
 で、ハッピー古希~浦さんと歌いましょうと。合唱。
 後藤さんが言うのには、浦野さん、これまで紙ふうせんに3曲しか書いたことがないと。
 3曲というと「少年の日」と「冬が来る前に」と「朝の雨」か。
 「少年の日」は平山さんが産休のとき、ソロでリリースしたシングルのA面だ。B面が「ぼくらいつでも陽気でいたい」。「朝の雨」はCBSソニー時代2枚目のアルバム「フレンズ」に収録されていた。ヒット狙いの曲だったと記憶する。
「今年はぜひ1曲書いてほしいものです」と後藤さん。
 古希の浦野さんが作曲する。これがほんとのコッキーポップ(ス)、なんちゃって。

 これまた平山さんが産休で後藤さんがソロで活動していたときのこと。東京の女子大の学園祭に呼ばれてテーマソングを作った。それが「街を走りぬけて」。思い出深い曲だという。
 浦野さんのウッドベースが心にしみる。

  街を走りぬけて 


 この項続く




 昨日DVDで「空気人形」鑑賞。観終わって後悔した。やはり公開時に劇場で観れば良かった! と。いや、公開時当然劇場に行こうと思っていたのだ。が、劇場は限定されているし、前売券を購入していないにもかかわらず、通常料金で観たくない。なんだかんだとスケジュールが合わなかった。二番館(名画座)を押さえればよかったか。

 後悔と同時に安堵もしている。
 この手の作品は――映画世界に一種独特な時間が流れている作品はあわただしい生活と切り離された暗闇で観ることこそふさわしい。自宅で見ると映画世界に溶け込めない場合がある。すべての雑音をシャットアウトして鑑賞したい。
 市川準監督「トキワ荘の青春」をビデオで観たときもくやしい思いをしたものだ。
 この世界観は是枝監督のほか、西川美和監督や山下敦弘監督の作品に共通している。かつて、朝めし前プロジェクトのS氏がmixiで「静かな映画」なるコミュニティを作った。静かな映画。言い得て妙である。こういう映画は劇場で観るべきだと主張したい。
 しかし、「空気人形」は、途中から目頭が熱くなって仕方なかった。心を持ってしまった空気人形(ダッチワイフ)の切なさ、哀しさがびんびん伝わってきて、何度か頬に涙が伝わった。ラストのハッピーバースデーには嗚咽をもらしそうになった。劇場でそんな姿をさらしたくないじゃないか。
 ハッピーバースデーに嗚咽した、なんて書くと勘違いする否定派がいるだろう。「パンズ・ラビリンス」のラストと同じようなものを感じ、だからこそヒロインの心根に共鳴、共感したといえる。

 「空気人形」は「映画芸術」のワーストテンで一位になった作品で、実際、ブログでは否定するレビューの方が多かったような気がする。僕が覗いたブログではとんでもない否定のされ方をしていた。この映画を褒めた小林信彦まで誹謗するのだから。
 そんなにひどい映画か? 確かにラストのラスト、タンポポの綿毛のシーンはいらないと思う。ハッピーバースデーのあと、ごみとなった空気人形の姿、その落差がショックとある種の感銘を与えるのに。
 最初、ストーリーを知ったとき、手塚治虫の「やけっぱちのマリア」を思い出した。小学校高学年のとき少年チャンピオンに連載されて、毎週楽しみにしていた。あのマンガも、ヒロインのマリアがダッチワイフに魂が入って活躍する話だった。ラストは抜け殻のマリアがボロボロになって川に流されてしまうのではなかったか。
 オリジナルだと思った映画には原作があった。業田良家のマンガだった。
 まあ、ファンタジーだと思えば、納得できない展開も許せてしまうところが僕にはある。

 空気人形にペ・ドゥナをキャスティングしたことを特筆したい。ペ・ドゥナも見事それに応えている。台詞が少ないということもあるが、映画はまったく韓国人だということを感じさせない。ペ・ドゥナが日本語が堪能になった、のではないことは、エンディングロールで確認できる。現場の指導がよかったということだ。全裸になったときの、肌の感触がまるで人形のようなイメージにも瞠目した。
 ARATAもいい。それから高橋昌也の老人!
 ちなみに空気人形を日本の女優が演じるとしたら、上野樹里が適任だと思う。ぜったいにヌードにはならないだろうが。




 2日(月)は図書館へ。二週間前に借りた本とDVDを返却、まだ期間中に読了しなかった1冊と鑑賞できなかった一巻を再度借りて、新たに3冊&2巻。

 「70年代ノート 時代と音楽、あの頃の僕ら」(田家秀樹/毎日新聞社)
 「アヒルと鴨のコインロッカー」(伊坂幸太郎/東京創元社)
 「ナニカアル」(桐野夏生/新潮社)

 「竹山ひとり旅」(監督:新藤兼人)
 「ハタリ!」(監督:ハワード・ホークス)

 昨日、6日(金)は外出したついでに久しぶりにTSUTAYAへ。
 実は、ある映画のDVDをレンタルしたかったのだが、タイトルの前半を忘れてしまったので、また次の機会に。先々週、先週と見逃したテレビ東京4月の新番組「24 シーズンⅤ」を手にとった。同じ巻に収録されておらず、2巻借りなければならない。だったら1,000円で5巻レンタルした方が徳だよね。

 「24 シーズンⅤ VOL.2」
 「24 シーズンⅤ VOL.3」
 「空気人形」(監督:是枝裕和)
 「深呼吸の必要」(監督:篠原哲雄)
 「県警対組織暴力」(監督:深作欣二) 


          * * *

2011/04/29

 「紙ふうせんシークレットライブ 2011」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 今回、Haruの田中賢さんを見て思った。もし田中さんをご存知ない人、想像してみてください。小雪と結婚して記者会見に臨んだ松山ケンイチのマスクに、ロッカー・泉谷しげるが愛用している帽子(つば無しベレー帽?)をかぶせたら、この日の田中さんになる。ちなみに、すぎたさんは豊真将のちょんまげをとって、80年代の井上陽水の髪をのせた感じなのだけれど。

 Haruの魅力は激しさではないか。男性デュオというと、フォーク全盛時代の昔からどちらかというと優しい、もっと言うと軟弱なイメージがある。Haruは違う。アコースティックギター2本、あるいはギターとピアノだからそうと思わないが、もし電気音のバンドで演奏したらロックになるのではないか。特に田中さんの楽曲。「サボテン」なんて、「しゃぼてーん」って絶叫するのだから。
 昨年、Haruはすぎたさんの母校(中学校)に呼ばれてライブを行ったという。曲の紹介で「君のそばで息をしよう」と言ったら、生徒たちの間でざわめきが起きたと。曰く「いやらしい!」
 今日はざわめきがない、皆さん大人ですねぇと、すぎたさんは言うのだが、逆に僕は驚いた。タイトルだけなら「一緒に生きたい」という意味に受け取れる。中学生たちはこのタイトルからどんな状況を想像したのだろうか?

  君のそばで息をしよう/未来の言葉で/サボテン/僕を救ってくれたのは


 Haruがシークレットのライブのゲストになるのは予想できた。しかし金関環さんはマークしていなかった。ゲストと知ってうれしかったけれど。やはり、年末のカウントダウンライブのMVPの威力だろう。いやいや、MVPは僕の勝手な感想だ。とにかくすごいヴァイオリンソロだったことは確か。
 今回も一人でステージに立った。相変わらずおしゃべりがユニークだ。
 おしゃべりと演奏の落差が魅力。
 「ユダヤの母」のメロディは僕の琴線に触れた。なんとなくだが、映画「レクイエム・フォー・ドリーム」の音楽(演奏:クロノス・クァルテット)に通じるものがある。
 2曲目は紙ふうせんの影響だろうか。東北地方の民謡をメドレーで演奏するというではないか。これがいい! 斬新なアプローチで耳をそばだてた。
 驚愕したのは演奏だけではなかったこと。
 演奏の合間に「さいだら節」では「チョイサー、チョイサー」の合いの手が入った。もちろん金関さん自身の声で、である。「会津磐梯山」では「おはら庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした」ときたもんだ。こうなりゃお客さんも黙っていない。「ハァもっともだ もっともだ」は大合唱だ。
 技ありの選曲、演出。歌うヴァイオリニストの誕生だ。ソロライブがあったら絶対行くぞ!
 「シャコンヌ」に聞き覚えがある。実相寺昭雄作品の何かに使われているはずだ、たぶん。

  ユダヤの母/メドレー~南部牛追唄・さいだら節・会津磐梯山~/シャコンヌ


 15分の休憩のあとは本日のメインイベント、紙ふうせんの登場だ。時間がきてもまだトイレの前に並んでいる人がいて、お客さん全員が着席するまで開始を待っているところがアットホームでいいですな。

 ステージ下手に平山さん、上手に後藤さん。ふたりの後方にウッドベースの浦野さん、その向かって右隣にすぎたさん(ギター&コーラス)。
 1曲目はなんと「紙風船」だ。
 後藤さんがイントロを弾きだすと、平山さんがピアノの前に移動した。着席するとピアノを弾きだす。
 ワオ! これって「ミリオンピープル」と同じじゃないか!!
 あの実況録音盤では まず後藤さんが歌いだし、続いて新居さん、3番手が平山さん。ピアノを弾きながら加わってくるのが印象的だった。
 最初の曲が「紙風船」なのは、お客さんで来ている高校生のリクエストだという。国語の教科書に「紙風船」の詩が載っていたことに驚いたらしい。
「でも、教科書の詩の方がちょっと長いんですよね」
 そう、何度でも打ち上げよう 美しい願いごとのように はステージでは歌わないから。「ミリオンピープル」ではLP「パーティー」を買えば、子どもたちと歌っていますからと紹介している。
 しかし、「サンジュアム」でセルフカバーした「紙風船」はステージと同じバージョンだ。イントロはストロークではなくアルペジオで。

 この項続く




 金曜ロードショーは「スター・ウォーズ エピソードⅢ」。やはりこんなラストで「スター・ウォーズ」シリーズを終らせたくない。何度でも言う。ケノービがルークの誕生に立ち会っていたのなら「SW」第一作のあのタトゥイーンの邂逅はないだろう! 3P0やR2D2の記憶は消されたのか。すっかり忘れていた。ラストのルークのテーマには涙……。
 ルーカスさん、SWを3D作品にする余裕があるくらいなら、エピソードⅦ、Ⅷ、Ⅸの3部作を作ってくださいよ~。

 今夜の日本語吹替、3P0が野沢那智じゃない! そりゃそうだ、野沢さんはもういないのだから。
 4月29日の夜、野沢さんの芝居と後藤さんの音楽の関係、しかと聞いてきましたよ。北海道のケイコたん、じゃなかった、Jさん。平山さん作成、幻のFJ'sライブポスターの行方を確認するのは忘れたけれど。

          * * *

2011/04/29

 「紙ふうせんシークレットライブ 2011」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 承前

 出演は昨年と同じ3組(1グループ+2人)。トップバッターは、3人のmixiの愛称(?)の頭文字をとってPPMならぬ、PNK。PPMは男2+女1だが、こちらは男1+女2のトリオだ。そういえば、あるコンサートで後藤さんが言っていた。赤い鳥を結成するとき、実は平山さんと新居潤子さんの二人と自分と3人で歌いたかった。だから新居さんを引き抜いたのに、山本俊彦さんも一緒にくっついて来たと。本心かどうかはわからない。赤い鳥が最初4人ならわからなくはないが、松田幸一さんもいたのだから。後藤さん流のジョークかもしれない。

 昨年は「赤い花白い花」を披露したPNK、今年は…Pさんが言うには「小さな子守唄」。なに? 小さな子守唄? そんな歌、あったか。歌いだしてわかった。「ちっちゃな子守唄」ではないか。「赤い花白い花」は紙ふうせんになってからもときたまセットリストに入るが、「ちっちゃな子守唄」は一度も聴いたことがない。まあ、紙ふうせんになってから17年はコンサートに行ったことがないので、初期のころは知らないけれど。これはうれしい! それも名古屋のKさんがイントロをピアノで弾く。当然、ヴォーカルはKさんだ。昨年と逆。ちゃんと考えていますね。
 「ちっちゃな子守唄」は赤い鳥のオリジナルではない。アニタ・カーの曲で、後藤さんが訳詩した。平山さんのヴォーカルに新居さんがハーモニーで絡んでくる。これが絶妙。印象的なのはイントロの平山さんが弾くおもちゃのグランドピアノだ。「ミリオン・ピープル」で後藤さんが言っていた。新しい伝承歌だと。
 原曲は聴いたことがない。赤い鳥バージョンとはずいぶん違うのではないかと推測する。
 なぜかというと、昨年、YouTubeで初めてウディ・ガスリー「Hobo's Lullaby」を聴いたから。「ミリオン・ピープル」で後藤さんが歌う「放浪者の子守唄」の、これが原曲なのか? 長い間の刷り込み作用があるとはいえ、「放浪者の子守唄」の方がいいんだもの。
 同じことは「ちっちゃな子守唄」にもいえるのではないか。

 2番バッターはローソンSさん。歌は「主人亡くしたカメラ」。この歌を知っている人はどれだけいるだろう。僕だってずいぶん前にSさんから聞いていなければ「?」である。歌を聴いたことはない。紙ふうせんの初期に後藤さんが作った曲だという。神戸である暴動が起きて某新聞社のカメラマンが亡くなった。この事件に嘆き悲しんだ後藤さんが作った。
 Sさんのギター&ヴォーカル。サポートはすぎたじゅんじさん(ギター)。
 最初から驚愕である。激しいストローク。コード進行。何も知らなければ後藤さんの作詞、作曲だとは思わない。すぎたさんのリードギターが良い。

 3番バッターは、すぎたさんのギター教室に通う生徒I氏。小学生時代、微妙なビブラートを効かせた縦笛の演奏を先生に褒められたとか。ビブラートは歌唱にも滲み出ている。歌は「太陽のメロディ」。よく知らないので感想は省く。

 今回、「ちっちゃな子守唄」「主人亡くしたカメラ」を聴いて思った。せっかくの、紙ふうせんFCのメンバーの演奏なのだから、披露するのは、赤い鳥や紙ふうせんの、もうぜったいに生で聴くことができない曲にしたらどうだろうか。だいたいこの3組のメンバー、合体させれば男3+女2なんだよ! 
 ということで、来年の1曲は「雨」をリクエストします。
 後藤さんや平山さんの曲ではないけれど、SさんとKさんのデュオで「僕のうた」はどうですか?

 続いてはゲストコーナー。シークレットライブでは初めてのコーナーだ。
 ゲストは、紙ふうせんのバックでギターとコーラスを担当しているすぎたじゅんじさんのデュオHaruと金関環さん。年末のカウントライブに引き続き、である。

 この項続く




 本日、紀伊国屋ホールでうわの空・藤志郎一座の公演「fine」を鑑劇。談四楼師匠が客演しているのだ。
 収穫だった。まさか、小演劇の舞台で、バンド演奏が聴けるなんて! それもそれなりのテクニックだ。
 ユルユルの演劇世界、力の抜けた演技がいい。笑いの連打、出てくるフレーズがたまりません。ラストで感動に持っていかずにすとんと落とす作劇が気に入った。小演劇というより、軽演劇に近いか。伊東四朗(熱海五郎)一座の世界。劇団名はその昔の「雲の上団五郎一座」からきているのだろうし。
 座長がなんだかフランキー堺に見えてきたよ。主演のギター&ボーカルの小野(西村晋弥)のしゃべり方は吉田照美だと思いませんか?
 ついでにいえば、小野の妹、桃子を演じた小栗・一番の元気印・由加嬢は、いとうあさこ+金八先生第2シリーズの女生徒の一人で、その後武田鉄矢に弟子入りした女優さん(名前失念、というか覚えていない)÷2!

          * * *

2011/04/29

 「紙ふうせんシークレットライブ 2011」(JAZZ&COFFEE JamJam)

 12時47分東京駅発、のぞみ349号にて新大阪へ。12時過ぎに東京駅の新幹線チケットカウンターに並んだら指定席は完売だった。久しぶりに自由席券を購入。「12時47分発ののぞみ自由席券を」なんて言ったけれど、自由席券は別にどの新幹線に乗ってもよかったのだった。いと恥ずかし。

 新大阪からJR東海道本線で元町へ。着いたら16時過ぎだった。まず駅から商店街に入ったところのビルの2階にある古書店に寄る。今回目についたので。けっこうマニアックな店で僕好み。
 「漫画帝国の崩壊」(西村繁男/ぶんか社)を購入。元少年ジャンプ編集長による小説の形を借りた、少年ジャンプ黄金時代(までの道のり)の裏話。最初に書いたノンフィクション「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」(飛鳥新社)は出版されたときに読んでいる。
 続いて、南京町の万華鏡ミュージアムへ。もう場所は覚えた。奥の部屋で外人相手に(たぶんご主人が)何やら講義している。前々回、前回同様、女の人(たぶん奥さん?)が相手してくれる。震災のボランティアに行っていたという。近いうちにまた行くので、ボランティアに興味を持っている外人さんに説明しているところだと。
 
 日本には万華鏡の店が3店あるという。宮城と京都と神戸。別に系列ではない。それぞれ独立している。その中で神戸の店が一番単価が安いのだとか。
 というのは……
 一月早いかみサンへの誕生日プレゼント(ステンドグラスタイプ)を買う。このステンドグラスタイプは仕入れて僕が初めての客だって。このタイプ、通常だと1~3万すると聞いて驚いた。海外の作家の場合、3万、5万は当たり前。陶芸家のように万華鏡作家もいる。ただし日本では万華鏡だけで食える作家は一人だけらしい。あとは兼業。つまりブランドものは高い。無名作家の場合、0がひとつ少ない価格になる。でも品質にそれほどの違いはない。かみサン好みではないか。

 ミュージアムのあとは元旦に訪れたお店で立ち食いラーメンを食べる。今回は坦々麺。腕時計をみるとそろそろ17時半。
 JamJamを訊ねると、ヴァイオリンの音色が出迎えてくれた。な、なんとウェルカムミュージック?
 演奏は金関環さん。

 後藤さんが震災について訊いてくる。
「大丈夫だった?」
 内容からすると僕がものすごい被害を受けているような感じ。あわてて否定した。関東でかなり被害にあっているのは浦安方面ですから。東京もさいたまもそれほどではありません。東京の場合、建物が崩れて死者は出ているけれど。
 逆に後藤さんに訊ねた。
「橋本正樹さんの新刊、ご存知ですか?」
「知ってるよ、もう読んだ」
 橋本さんはその昔「竹田の子守唄」というタイトルの本を自主出版した作家さん。当時はまだ作家の卵か。後藤さんに依頼されて竹田の子守唄の出自を探し歩いた。
 3月、橋本さん自身からその本「あっぱれ!旅役者列伝」(現代書館)を買いましたよ。まだ読んでいないのですが。
 橋本さんとは一昨年の夏に東京は錦糸町で会っています。書籍「竹田の子守唄」に収録されている橋本さん執筆の「物語 竹田の子守唄」の朗読の許可を得るために。音楽と合体させた新趣向の朗読会はまだ実現していません。
 
 18時、後藤さんのMCでライブが始まった。
 まずはFCメンバーの演奏だ。

 この項続く




 3月11日、東日本大震災が発生してTVは震災報道一色になった。民放はCMを自粛。一週間後CM枠は復活したが、CMを流す企業はない。当たり前だ。視聴者から何文句言われるかわからない。今度は企業によるCM自粛である。流すCMがないのならそれまで同様ずっと番組をやっていればいいではないかと思ったが、そこは民放。CM枠込みのフォーマットなのだろう。流れるのはACジャパンの広告ばかり。それも5、6本しかないから視聴者から同じCMを目にすることになる。いい加減にせぇよ! の大合唱に。
 蔵出しして、かつての社団法人公共広告機構時代のCMも流せばいいのにと思ったのは僕だけだろうか。

 とにかく、某女優の38歳で子宮頸がんのCMはもういい! そんな多くの声がACジャパンの事務局に押し寄せて第二弾のCM群が作られた。その一つ、ヨーロッパで活躍するサッカー選手が被災地、被災者を励ますCM(今、ネットで調べた。岡崎慎司&長友佑都&内田篤人の3人)を初めて見たときのこと、BGMの最初の音が耳を捉えた。
 音楽、音符、楽器、コードに弱い人間だから、断定はできないが、最初の音はCだと思う。なぜかというと、まるで「翼をください」のイントロのはじまりのような、赤い鳥時代の「紙風船」、後藤さんが弾くギターの最初のストロークのような、そんな音だからだ。初めてのとき、まさか! って感じでTVの方を振り向いた。その後も、わかっているのに最初の一音に反応してしまう。

 「翼をください」にしろ「紙風船」にしろ、震災復興のテーマ曲にぴったりだろう。
 何年前になるのだろうか、新聞の日曜版で歌を特集する記事があり、「翼をください」が取り上げられた。紙ふうせんのおふたりが取材されていた。
 後藤さんが答えていた。
 阪神淡路大震災を経験して「翼をください」の(歌詞の)意味することがわかったと。これって鎮魂歌なんだ!
 赤い鳥解散後もずっとこの歌をうたい続けているからこそ言える言葉ではないか。
 「竹田の子守唄」にしてもアマチュア時代から40年歌い続けてきた。歌い続けてきて、やっと真髄がわかったとこれまた発言している。

 ACジャパンのCMで注目されたのが金子みすゞの童謡だった。「こだまでしょうか」の詩を朗読しているのがUAだということを知ったのはつい最近だ。このCMで金子みすゞの童謡集が売れているらしい。この現象について平山さんはどう思っているのだろうか。
 02年の秋のコンサート(リサイタル)「うたあふれるままに」で平山さんは金子みすゞをモチーフにした新曲を発表した。タイトルは「みすゞさん」。本当はみすゞさんの童謡に曲をつけたいのだけど、すでに歌手の皆さんがやってらっしゃるので、と言っていた。
 今回話題になったことで、ちょっと調べてみた。驚いた。僕自身、かなり昔から金子みすゞを、その名前だけは知っていると思っていたのだが、そうではなかった。金子みすゞの童謡が世間に知られるのは80年代になってからのこと。長い間忘れられた存在だったという。
 もしかしたらライブで「みすゞさん」を披露するかな?

 GWの恒例「紙ふうせんシークレットライブ」である。昨年同様、神戸の〈JAZZ&COFFEE JamJam〉で開催されたのだ。 

 この項続く




 昨日は映画サービスデー。夕方から地元シネコンで「英国王のスピーチ」と「まほろ駅前多田便利軒」を観る。昼間はDVDで「天然コケッコー」鑑賞。夜中3作品の印象(感動、感銘等々)がいっしょくたにやってきて困った。

          * * *

2011/04/15

 「立川談四楼独演会 第175回」(北澤八幡神社 参集殿)

  立川吉笑  「道灌」
  立川らく兵 「二人旅」
  泉水亭錦魚 「長屋の花見」
  立川談四楼 「権兵衛狸」

  〈仲入り〉

  ぴろき   ギタレレ漫談
  立川談四楼 「明烏」


 久しぶりに前座さんの最初から。
 吉笑さんを知ったのは1月の北沢タウンホールだ。高座返しをしていた。2月の独演会にはプログラムに名前があった。高座は見られなかったが打ち上げではいろいろ働いていましたっけ。そんなわけで高座は初めて。一番で前で照れずにずっと見ていられたのだからなかなかのものだ(と思う)。
 昼間、DVDで落語を観ていた。最後が某師匠の「長屋の花見」。寝転んで観ていたこともあって途中で寝てしまった。それに比べたら錦魚さんの「長屋の花見」面白かった。生ということもあるのだろうけれど。
 らく兵さん、噛んだことへの突っ込みを登場人物に言わせる。普通の落語ファンはどうだか知らないが、僕がこういうアドリブ大好きです。でも二度めの噛みには自分でも思うところがあったみたいだ。こんなんじゃダメだ、という顔で高座を降りた。
 
 ゲストのぴろきさんは「笑点」の演芸コーナーで何度か観ている。ギター(小さいタイプなのでウクレレに見える)漫談でオチをいってから、お待ちかねフレーズ「明るく陽気にいきましょう」を歌うフォーマットは牧伸二の真似だし、衣装やヘアスタイルはいかにもだし、ある種のクサさを感じてあまり好みではなかった。
 でも、この日、一番前で見たら印象ががらり変わった。とにかく面白い。笑えるのだ。予定調和のふりしてけっこうアドリブかましてくれる。先にお客がわかってしまうと、黙り込んでしまう。
「今何分? 20分になった?」
 そう訊かれたので、腕時計を見た。20分を指していた。
「20分です」
 答えてから、18時50分から20分経ったのではなく、19時20分になったことを訊かれたのだと気がついた。隣のHさんにも指摘された。時計が進んでいると。遅かった。ぴろきさんはすでに舞台のそでに引っ込んでしまいましたとさ。

 師匠の「明烏」は久しぶり。江戸時代の「ボクの童貞喪失物語」。ラスト、布団の中の様子を想像するとムラムラしてくる。




 28日(木)は「シネマDEりんりん」。場所は新橋の交流サロンSHU。久しぶりに訪れた。
 今月のゲストは山内和彦さん。元川崎市議会議員。このときの選挙の模様を追ったドキュメント「選挙」(監督:想田和弘)が話題になった。この映画が公開されるときに続いて2回目の登場ということらしい。
 参加者が少なかったが少人数が奏功した。山内さんを囲んだ飲食込みの座談会的な場になり、今回無所属で出馬した選挙の件(落選)、東日本大震災の件、原発問題……いろいろ話すことができた。議論白熱。話が濃かった。楽しかった。翌日の神戸行きのこともあり、参加するかどうか迷っていたのだが、参加してよかった。
 終了後、山内さんが前回の選挙のことを書いた「自民党で選挙と議員をやりました」(角川SSC新書)を買ってしまった。

 29日(金)、GW初日は神戸へ。紙ふうせん恒例のシークレットライブのため。ライブ後FC懇親会。その後打ち上げに参加して、二次会、場所を移して三次会(?)。寝たのは朝の5時過ぎだった。昨日(30日)Sさんのクルマに同乗させてもらって帰ってきた。
 ライブについては項を改めてじっくりと。

          * * *

2011/04/08

 「らくごinn庚申塚 志ん生座」(STUDIO Four)

 鈴々舎やえ馬 「子ほめ」
 神田愛山 「谷風の情け相撲」
 三遊亭兼好 「錦の袈裟」

 〈仲入り〉

 桂竹丸 「石田三成」
 立川談四楼 「らくだ」


 古今亭八朝師匠プロデュースの落語会(の一つ)。旗揚げ公演(第一回)に足を運んでいる。あのときは談四楼師匠の演目は「替わり目」だった。今回は「らくだ」! 志ん生に飲兵衛はかかせない?
 会場に入るとすでにやえ馬さんの終盤だった。

 神田愛山さんは僕が北澤八幡に通うようになりはじめたころ、よくお客さんで来ていた。短編「はんちく同盟」のアル中の講釈師にモデルがいたのかと驚いた。講談は今回初めて聴いたのだっけ? 独演会で一度聴いているか。とにかく、リズムがあるからとてもいい気持ちになれる。ある意味子守唄になると。一度きちんと聴きたいと思っているがまだ果たしていない。

 兼好師匠の達者さに驚いた。与太郎の女房のキャラクターが愉快だ。調べたらまだ真打になって日が浅い。また聴きたい、観たいと思った。
 竹丸師匠はギャグの連打。ずっとこのままなのだろうか。いや別にマクラだけでもいいのだ、単なる落語会ならば。でもこの会はマクラだけはまずかろう。志ん生が生前得意としたネタを、4派の噺家が高座にかけるというのが趣旨だから。気がついたら(終ってみたら)石田三成という演目だった。

 トリは談四楼師匠。大好きな「らくだ」だ。
 なぜ「らくだ」が好きなのだろう? あまり他の噺家の「らくだ」は聴いたことがない。いや、上方の噺家さんのは一回聴いた。たとえば弟弟子(志らく)が書いた本に「雨ん中の、らくだ」というのがある。談志・立川流家元の「らくだ」で印象的なくだりが雨の中にたたずむらくだであり、それをタイトルにもってきたと本に書いてあった。師匠の噺にはそういうくだりはない。
 なぜ好きなのか。くず屋とらくだの兄貴の立場が酒を飲むことで逆転するのが爽快なのだ。最初は兄貴にいいように使われて虐げられて、それが途中で酒を飲み始めると、酔うほどに気がでかくなって、最初のころのおどおどびくびくが嘘のような態度になるくず屋。飲みっぷりもたまらない。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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