昨日は地元シネコンで「スカイライン -征服-」を鑑賞。転起承(転)結起のうち起の部分がまるでミュージッククリップのノリなので、どうなることかとヒヤヒヤしたが、また転になって安心した。
 「インデペンデンス・デイ」の巨大UFO、「マトリックス」の蛸型メカ生物、「クローバー・フィールド」のモンスターを登場させ、「宇宙戦争」の展開で包んだ映画、といえようか。

 今日は、夕方から国立演芸場で「祝・立川談四楼還暦落語会 同期と共に」。八朝師匠、権太楼師匠との座談会がむちゃくちゃ面白かった!

          * * *

2011/06/21

 「マイ・バック・ページ」(MOVIX川口)

 文筆家の川本三郎が元朝日新聞社の記者であることは知っていた。が、退職の理由まで考えたことはなかった。当時のことを綴った回想録「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」の存在もこの映画が公開されるまでまったく知らなかった。「マイ・バック・ページ」がボブ・ディランの曲名であることも。
 山本敦弘監督が60年代を舞台にした映画を撮ると聞いて興味を抱いた。主演が妻夫木聡と松山ケンイチ。原作が川本三郎で、妻夫木が川本自身の役、松山が学生運動家を演じる。政治の時代における二人の交流模様を描くのだろう。そんな認識で劇場に足を運んだ。

 いろいろ考えさせられた。
 当時川本三郎は朝日ジャーナルの駆け出し記者。先輩記者の紹介で過激派「赤衛軍」の幹部・Kと知り合い、親交を深めていく。Kは武器調達のため自衛隊朝霞駐屯地に忍び込み警備の自衛官を殺害してしまった。自衛官のライフル奪還には失敗するが、「赤衛軍」の犯行であることはアピールできた。川本三郎はスクープを狙ってKを秘密裏に取材する。このときKから預かるのが自衛官がつけていた腕章なのだが、その後自宅庭で燃やしてしまう。
 〈朝霞自衛官殺害事件〉または〈赤衛軍事件〉と呼ばれる事件に川本三郎が関わっていた事実。川本は証拠隠滅で逮捕された。それで朝日新聞社を解雇されたのか!

 〈朝霞自衛官殺害事件〉についてはかすかに記憶している。71年の8月というから僕が小学6年のときだ。三島事件(70年11月)とあさま山荘事件(72年2月)にはさまれて、今となってはほとんど話題にのぼることもない。事件の名称自体もすっかり忘れていたが、自衛隊の駐屯地で当の自衛隊員が過激派に殺されたというニュースは目にしている。けっこうメディアを騒がせたような。
 この事件、それからあさま山荘事件、その後発覚したリンチ事件で、僕は学生運動=反社会的な活動という認識を持った。小学6年生にしてみれば、人殺しは絶対してはいけないことだから。親の影響もある。全学連や全共闘と書かれたヘルメットに親は拒絶反応を示して、よく言われた。「いいか、啓介、学生運動なんてするんじゃないぞ」

 たまに考えることがある。
 もう少し早く生まれていたら、たとえば、70年安保が高校時代だったら、あるいは、もろ団塊の世代だったら、自分も学生運動に熱中していたのだろうか。
 熱中していたとして、体制への反発、自分たちの夢の実現のためなら、人殺しも止むを得ないと判断したのだろうか。
 Kは運動のため、武器を手に入れるため人を殺した。映画を観る限りでは、仲間が殺したのだが、その責任は絶対Kにある。体制に対抗するには武器が必要だ。武器を手に入れるためには何をしてもいい。この考えは当時誰もが持っていたらしい。 赤軍派と合体して連合赤軍となる京浜安保闘争も武装するために、銃砲店を襲っているのだ。
 
 映画を観ていて信じられなかったのは、殺人犯(実行犯でなくても)のKを川本三郎が庇ってしまうこと。彼は思想犯だから、というのが免罪符になっているみたいだが、そんなこと絶対あってはならない。殺された自衛官の父親の嘆き……「息子は戦争に行ったわけではない。にもかかわらず、なぜ殺されなければならないのですか、それも駐屯地で!」に僕は与する。この叫びは胸を突き刺した。Kが殺人に加担しているかどうかわからない状況ならば、まだ理解できるのだが。宮沢賢治やCCRの「Have You Ever Seen the Rain?」が好きだから、シンパシーを感じるのはいいとして、殺人の証拠を見せられてもそれでも弁護するという気持ちがわからない。結局スクープを狙っただけではないか。

 この項続く  




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2011/05/28

 「特別企画公演 立川流落語会」(国立演芸場) 

 オレは落語ファンではないな。
 昨年、立川流落語会をご覧になったある方のブログを読んでそう思った。談四楼師匠がトリをつとめた最終日だ。その方は「低調だった」と書いていた。僕にはこれまで以上に面白く感じられた会が低調? もちろん、いわゆる〈本寸法〉の高座は少なかった。でも、笑えたじゃないか。終わったあと充実感があった。それが低調だって。
 落語好きといっても、生の落語を観るようになったのはこの十数年だし、それも談四楼師匠と立川流ばかりだし、まあ、アテにはならないか。


  立川談吉  「道灌」
 
  立川平林  「名古屋弁浮世根問」+(踊り)どじょうすくい
  立川キウイ 「真打昇進報告」
  立川志遊  「ちりとてちん」
  立川談之助 「鮫講釈」
  立川ぜん馬 「宿屋の仇討」

   〈仲入り〉

  立川生志  「看板のピン」 
  立川左談次 「権兵衛狸」
  マグナム小林 ヴァイオリン漫談
  立川談四楼 「明烏」


 開口一番の談吉さん、上手いなあと思ったら、すでに二つ目昇格が決まっていた。平林さんの名古屋弁「浮世根問」何度聞いても面白い。しかし、どじょうすくいの踊りとカップリングは予定時間をオーバーして、次のキウイさんがマクラだけになってしまった。でかした、平林さん! いやいや、キウイさんは何も落語なんてする必要はない。マクラ(漫談)だけの方がキウイさんらしい。前日の「J'z立川流落語会」ではキウイさんらしい落語で楽しませてもらった。でも、あの客を巻き込む高座、世の落語ファンの反発を買うだろうなあ。
 NHK朝のテレビ小説で人気を呼んでからは東京でも「ちりとてちん」になってしまった。「酢豆腐」は廃れてしまったのか? 「鮫講釈」「宿屋の仇討」ともに熱演、ともに時間オーバー。

 そのしわ寄せは仲入り後にきた。
 あっというまの「看板のピン」「権兵衛狸」。真打の「看板のピン」、前座のとはどこか違う。左談次師匠! 週刊朝日の連載、毎週の楽しみだったのに。
 ヴァイオリン漫談に瞠目。昨年のjamjam年末ライブ、それから今年の紙ふうせんシークレットライブでの、金関環さんは、まさに最高のテクニックを持つヴァイオリン漫談、歌うヴァイオリニストだった。僕の頭にマグナム小林の文字が浮かんだ。ライブ終了後、東京にヴァイオリン漫談する芸人がいるんですよ、というと皆笑っていた。
 ヴァイオリン漫談ということから、牧伸二のウクレレ漫談、ぴろきのギタレレ漫談のようなものを想像していた。漫談の合間にヴァイオリンでお馴染みのフレーズを弾くというような。あくまでも漫談が主、ヴァイオリンはつけたし。もともと立川流の噺家(前座)だったのだが、破門されて噺家を廃業、ヴァイオリン漫談を始めた。そんな経緯を知っているので、上のようなイメージを持ったかもしれない。全然違った。ヴァイオリンの演奏(音楽)が見事にギャグになっているのだ。ヴァイオリンで様々な日常の音を再現する。たとえば救急車とか。これは技あり。演奏自体堂に入ってる。タップを踏みながらの演奏には拍手喝采!

 もし立川一門が落語協会を脱退しなければ、今頃、立川談四楼は寄席の主任(トリ)をつとめる重鎮になっていただろう。
 どなたかが本に書いていた。広瀬さんの落語本だったかな。昨年、今年とその貫禄を見せつけてもらった。「明烏」は甘納豆のやけ食いがいたく気に入っている。
 6月29日(水)、同じ会場で開催される「祝還暦落語会 同期と共に」に期待している。




 昨日は六本木カファブンナへ。老舗の喫茶店。「二人展 ひろきひろこ・二井康雄“珈琲”を書く」オープニングパーティーにお邪魔した。ひろきさんの書は絵画だよ。三鷹で飲んだときにFさん、って二井さんだけど、に教えてもらった。本当に絵だった。〈香〉がよかったなあ。
 コーヒーが美味い。音楽好きのマスターに「ジャズっていいね」なんて言わないように。

          記

会期:6月24日(金)~7月3日(日)
時間:12:30~22:00
会場:カファブンナ
   港区六本木7ー17ー20 明泉ビル2F
   TEL 03-3405-1937
※地下鉄・日比谷線・六本木駅、広尾寄り改札を右に上がる。渋谷方向に向かい、明治屋、四川飯店を過ぎると、すぐ右に時代屋の看板。ここを右折して100メートルほど右の明泉ビルの2階。「カファブンナ」の看板あり


          * * *

 先週17日(金)、H図書館で2冊借りる。
 目当ての本がなくて、棚覗いたら、「だましゑ」シリーズの最新刊があった。個人的には「仙波一之進と仲間たち」シリーズと呼んでいるのだが。あともう一冊は赤塚本。

 「源内なかま講」(高橋克彦/文藝春秋)
 「我輩は猫なのだ」(赤塚不二夫/扶桑社)

 2冊とも読了。

 20日(月)は川口図書館で本を4冊借りる。

 「立川流鎖国論」(立川志らく/梧桐書院)
 「ビーケーワン怪談大賞傑作選 てのひら怪談」(加門七海・福澤徹三・東雅夫 編/ポプラ文庫)
 「モロー博士の島 他九編」(H.G.ウェルズ/橋本槇矩・鈴木万里 訳/岩波文庫)
 「ならぬ堪忍」(山本周五郎/新潮文庫)

 「立川流鎖国論」は本日読了。

 昨日、六本木からの帰り、地元でまた一人カラオケしようと駅前のカラオケボックスに行ったら満員だって。仕方なくTSUTAYAに寄って、DVDを借りてくる。1,000円で5枚一週間。

 「マークスの山 Vol.1」
 「モスラ対ゴジラ」(監督:本多猪四郎)
 「仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼」(監督:坂本太郎)
 「リンダ・リンダ・リンダ」(監督:山本敦弘)
 「ザ・面接大全5」(監督:代々木忠) 

 新作の「マークスの山」のみ本日返却。WOWOWの連続ドラマで2話収録されている。昨日、第1話、今日帰ってきてから第2話を観た。映画より面白いのではないか。マークス役は高良健吾。坊主頭の彼、横顔の笑顔がくさなぎくんだった。やはり百面相役者だ。良い!




 昨日は毎月第4木曜日の恒例「シネマDEりんりん」。ゲストは7月に公開が決まった「あぜみちジャンピンッ!」の西川文恵監督。今回もユーストリームで配信した。聴き手のHさんがずいぶんと痩せている。ダイエットのため毎日10キロ走っているのだとか。
 映画は7月23日(土)よりポレポレ東中野で公開される。

          * * *

2011/06/20

 「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」(MOVIX川口)

 アメコミは大嫌い、その映画化作品にはまったく興味がない!
 なんて広言しながら映画「X-MEN」シリーズにハマった。1作め、2作めとビデオでチェックしていたのだが、3作めは劇場で押さえた。ミュータントたちが力を合わせて敵と戦う構図に「サイボーグ009」の実写化を重ねている。一作めで、ミュータントたちがユニフォームを着用し専用機に乗ってマンハッタンに赴くシーンに、ドルフィン号を駆るサイボーグ戦士をダブらせたものだった。当然プロフェッサーXはギルモア博士だ。

 「X-MEN」の魅力はチームワークにあり。だから、ローガン(ヒュー・ジャックマン)の誕生を描くスピンオフ映画「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」はいまいち興味がわかず、いまだDVDも観ていない。ま、ストーム(ハル・ベリー)の物語だったら鼻の穴膨らませて劇場に駆けつけたんだろうけど。

 実をいうと本作にだってあまり期待してはいなかった。若き日のプロフェッサーX&マグニートーの物語、X-MEN誕生の経緯なんてどうでもいいと思っていた。でも、予告編で観た海上を舞台にX-MENたちが活躍するヴィジュアルがなかなか熱くて(VFXの出来もよくて)、あっというまに心変わり。MOVIXデー(料金1,000円)での鑑賞となった。

 かつて仲間だったプロフェッサーXとマグニートーはなぜ対立したのか? どんな経緯があってX-MENは組織されたのか?
 そういった謎の答えがキューバ危機を背景にとてもわかりやすく描かれていた。
 特にマグニートー誕生の経緯――自分がミュータントだったばかりに最愛の母を失ってしまったエリック少年の成長譚という趣きという意味では、善良な青年が悪の権化・ダースベーダーに変貌していく様を描いた「スター・ウォーズ エピソード1」~「エピソード3」より上手い作りだ。エリック(ミヒャエル・ファスベンダー)に感情移入して、彼が人類を目の仇にする態度をすんなりと受け入れられる。
 冒頭の、ホロコーストのエピソードとクライマックスのキューバ危機をうまく関連づけたことも特筆したい。米軍、ソ連軍に反撃しようとするエリック。止めようとするチャールズ(後のプロフェッサーX、演じるのはジェームズ・マカヴォイ)が発した一言にエリックが即座に反論。その台詞に思わずうなずいてしまった。

 少年時代における二人のチョコレートの想い出の対比(ホットチョコレート=ココア)もその後の人生を象徴している。ミスティーク(このときはまだレイヴン)が最初はチャールズと兄妹のように暮らしていたなんて! 幼いころに出会っているのだ。
 年頃になってからミスティークはチャールズに恋心を抱くが、チャールズはそういう気持ちになれない。これはいつまでも妹だからという意識なのか。獣の足を持つビーストの本心も人間体のミスティークがいいというもの。対してエリックは、あくまでミスティークの素顔(青くてイボイボの肌)が素敵だという。ミスティークが最後にエリック(マグニートー)側になるのもわかるというものだ。この選択についてはラストにちょっとした仕掛けがあって少々驚くが。
 青い肌のミスティークが素敵。これは僕も同意したい。「X-MAN」3部作のもうひとつの魅力はハル・ベリーのストームとミスティークの肢体だと思っているので。下腹部がどんな風になっているのか興味津々なのだが、画面上カットの切り替え等うまく隠して見せてくれない。当たり前か。

 チャールズとエリックの共通の敵は、セバスチャン・ショウ。ナチス時代にエリックの母親を殺したミュータント。今は仲間のミュータントと組んで米ソ戦争を引き起こそうとしている。演じるのはケヴィン・ベーコン。英語のほか、ドイツ語(ロシア語も?)も操って貫禄を見せつけてくれる。そうそう、この映画、英語以外に、ドイツ語、フランス語、ロシア語が入り乱れて国際色豊かな雰囲気を醸し出す。すべての役者に英語をしゃべらせないところがいい。ドイツ人もロシア人も英語しゃべると、もうそれだけで興ざめだもの。

 チャールズに理解を示すCIA側の某研究所所長がオリヴァー・ブラッド。「エグゼクティブ・ディシジョン」で特異な存在感を示してくれて、以後映画にこの俳優が登場するととたんにうれしくなる。ちなみに私はこの俳優をハリウッドの快楽亭ブラックと呼んでいる。
 もうひとり、スクリーンでその顔を見てニヤニヤしてしまった俳優がいた。クライマックスのキューバ危機で、米軍艦隊の艦長(?)で登場するマイケル・アイアンサイドだ。初めて見たのはTVドラマ「V」だったか。以後、偽ジャック・ニコルソンと呼んでいる。
 セバスチャンの仲間、身体をダイヤモンドに変える能力を持つ女ミュータント・エマをジャニュアリー・ジョーンズが演じていた。「アンノウン」で主人公の妻役だった女優。確信した。オレの好きなタイプじゃない。「アンノウン」でもそう感じていたのだ。

 エンディング・ロールで懐かしい名前を見つけた。 ジョン・ダイクストラ。70年代から80年代にかけて、「スター・ウォーズ」全盛時代、SFXを牽引していた。現役で活躍していることが確認できてうれしい。




2011/04/22

 「J'z立川流落語会 ~ジェイ・スピリット10周年記念 立川談四楼独演会~」(ジェイ・スピリット コンディショニングセンター内スタジオ)

 「ジェイ・スピリット」を簡単に説明すればスポーツジムだ。山手線駒込駅から徒歩3分(もかからないか)のマンション2階にある。部屋を改装してジムにしているのか。あくまでも外観だけで判断しているのだが。道を隔てた反対側のビルに自然食を売りにした喫茶店「J'z Cafe」があって、定期的にライブを開催している。ジャンルは音楽からものまねまでさまざまだ。
 オーナーのM氏は談四楼師匠の中学、高校の後輩。そんな関係から師匠に落語会を実施したい旨相談した。誕生したのが談四楼プロデュースと銘打った「J'z立川流落語会」。立川流の二つ目を中心に昨年から毎月開催されている。
 一度は覗いてみようと、キウイさん出演時にはと思いながら結局ズルズル。何のことはない、真打登場でやっと足を運んだ次第。

 会場は、ジムと同じくマンションの2階の一室。それこそ1ルームあるいは2DKの壁をとっぱらって改装した部屋で、床はフローリング。落語会のときはそこにゴザを敷いて、畳部屋っぽくしている。小さな座布団が20ほど。プチ×2北沢八幡神社参集殿という感じ。実にまったりしている。悪くない。
 

  立川春太 「浮世根問」
  立川談四楼「明烏」

   〈仲入り〉

  立川談四楼「浜野矩随」


 トップバッターは前座の春太さん。サゲ、肝心要なところでかんだ。でも本人、別に気にする様子もなく何事もないように頭を下げて高座から降りた。こりゃ大物になる! らく兵さんなら苦りきった顔で舌打ちし「もうこの世終わりだあ」オーラを発散しながら降りるのではないだろうか。私はらく兵タイプなのでらく兵さんも応援していますが。

 個人的資質だろうが、僕はこれまで人情噺で涙を流したことがなかった。もちろんぐっとくることはある。ただよく言われる「泣けた!」という状態にはならない。ならない自信があった。ところが今回、母親の息子への愛が今まで以上にしみて目頭が熱くなり、気がついたら涙がひとすじ頬を伝わっていた。

 初めて思った。この噺、キウイさんはどんな気持ちで聴いていたのだろうか? 偉大な父親(師匠)を持ち、同じ道に進みながら、まったく評価されない矩随に思うところはなかったか?

 打ち上げは、「J'z Cafe」に移動して。木戸銭はこの打ち上げまでを含んでいる。1ドリンク+軽食。バイキング形式のサンドイッチとおにぎりとスープ。各テーブルにはつまみ用のメキシカンチップス(タコス味)。ビールがあって、これがつまみなら言うことなし。スープが美味い。

 仲入りのときに挨拶されてMさんが10歳下だとわかった。
 打ち上げが終わって、帰り間際にMさんに言った。
「高校時代ラグビー部でした。そうは見えないでしょうが」
 Mさんが驚く。
「えっ! 私もです。キャプテンでした」。
 どひゃー!
「じゃあ、Tさんご存知ですか」
「同級生でした」
 Tはラグビー部の部長だった。小学、中学、高校と一緒で鉄棒以外はスポーツ万能。ラグビーは1年からレギュラーだった。筑波大学に進学し、就職前に事故死した。

 そこらへんの思い出はここに。 




 今日は丸の内TOEIで「マイ・バック・ページ」を観る。朝日ジャーナル、週刊朝日、朝日新聞をそのまま使用することは無理なのか。東都ジャーナル、週刊東都、東都新聞なんて嘘っぽくて。
 でも、スクリーンの中は確かに70年代だった。一人、妻夫木くんだけが現代からタイムトラベルした感じ、かな。(個人的に)よく知らない役者陣がいい。あがた森魚、昔の岸辺一徳みたい。三浦友和、圧巻。
 この映画についてはあとでじっくりと。
 
 昨日の「X-MEN ファースト・ジェネレーション」。エンディング・ロールを眺めていたら、何かのスタッフでマイケル・ダグラスとあった。同姓同名は海外にもあるんですね。

          * * *

 ●君は照明助手・泉谷しげるを知っているか? 2007/12/27

 TVの洋画劇場の類を観るようになったのは小学生の高学年になってからだと思う。番組の最後で日本語版スタッフのテロップが流れるのだが、いつも目にしたのが〈効果・赤塚不二夫〉だった。
「へぇ、赤塚不二夫って多才なんだなあ、こんな仕事もやっているんだ」
 漫画家と効果マンの二束のわらじを履いている。しばらくの間、そう信じていた。映画好きだったからさもありなんと納得していたのだ。後で不二夫ではなく、不二男であることに気づき、同名異人だとわかるのだが。

 平成の怪獣映画の中で、内容的、映像的に一際光り輝いている「ガメラ 大怪獣空中決戦」を初めて試写会で観たときに同様の感覚が蘇った。エンディングロールで泉谷しげるの名を発見したのだ。照明助手。今度は完全なる同姓同名である。もういい大人だったから、あの泉谷しげるが余技で照明の手伝いをしているとは考えなかったけれど。一般の劇場で鑑賞した際には、クレジットが流れてちょっとしたざわめき、笑いが起きた。それだけインパクトある名前なのだろう。
 以降、ガメラシリーズでは必ず、そのほかの映画でも何度か目にした。

 あれからもう10年以上の月日が経つ。
 先週終了した「ULTRASEVEN X」は第1回を予約録画するのを忘れて、2回めから観はじめたのだが、エンディングで快哉を叫んだ。久しぶりに泉谷しげるのクレジットに再会したのだ。ちと大仰か。「頑張っているね~」なんてひとりごちながら、その肩書きに首をひねった。まだ「照明助手」なのだ。すでに照明技師として一本立ちしているものとばかり思っていた。
 照明も、演出や撮影同様、助手にも何段階かランクがある。助監督はペーペーのフォースから、監督の片腕ともいうべきチーフまである。チーフ助監督になると監督より力量が問われることもあるのだという。
 某売れっ子脚本家が撮影所で長年助監督を続けている人に訊いたことがあるそうだ。「監督になりたくないんですか?」
 助監督はこう答えた。「監督の話はきたことがあるが断った」理由は「監督になると1本ごとの契約になる。助監督なら給料制だ。生活を考えるとこのままの方がいいから」
 CMプロダクションで働いてたころ、照明技師がよく言っていた。「技師より助手の方が稼げるんだよな」
 フリーだから1本ごとの契約は同じだが、技師と違って残業代は出るし、拘束時間の関係から仕事の量が違ってくる。

 もしかして泉谷さん、腕は一級なのに、生活を考えて技師になることを拒んでいるのか?
 ミュージシャン兼俳優のあの泉谷しげるの声で照明助手の言葉が聞こえてきた。
「他人のことなんてどうでもいいだろうが! お前はどうなんだ、お前は、よう!」
 返す言葉がない……




 18時20分からMOVIX川口で「X-MEN ファースト・ジェネレーション」鑑賞。毎月20日はMOVIVデーで1,000円なのである。
 なるほど、なるほど、こういうドラマだったのか。もしつまらなかったら、口直しに「スカイライン」を観ようと思っていたのだが、十分満足できた。
 後ろの席の高校生4人組のおしゃべりにはうんざりだ。一度注意して二人は静かになったのに、残りの二人が、適度にしゃべる。二度の注意はしたくないので我慢した。やはり注意すべきだったか。

          * * * 

2011/06/18

 「西神田寄席 談四楼独演会」(神保町区民館)


  立川こはる「真田小僧」
  立川談四楼「三年目」

   〈仲入り〉

  立川談四楼「井戸の茶碗」


 西神田寄席という名称の町内会のイベントがあって、今回のゲストが談四楼師匠。だと打ち上げの席まで思っていた。違ったんですね。初めての落語会だった。一度落語会を開きたいと考えていた町内会の若い衆(?)Sさん、同様に落語会を自分の手で開催したいと思っていたMさん。二人はmixiのマイミクだった。談四楼ファンであるMさんが、Sさんを下北沢の独演会に誘って、翌日には、談四楼師匠をゲストの落語会が決まってしまったというのだからやることが早い。
 本当は4月の開催だった。東日本大震災の影響で6月に延期された。
 開催まで何かと大変だったろうが、大盛況ということですべてが報われたと思う。

 会場は満杯だった。聞くところによると予想以上の客の入りだったとか。たぶん落語を生で観る(聴く)人も多かったのではないか。平均年齢はかなり高い。高齢の夫婦連れが目立った。
 仲入りのときだった。老人が奥さんに声をかけている。
「打ち上げがあるんだって。どうするよ」
 奥さんが答える。「わたしはどちらでもいいわよ」
「どうするよ?」
「だから、あなたの好きにして」
 旦那さん、自分は打ち上げなんてどうでもいいんだけど、「かみさんにどうしてもって言われて仕方なく」というスタンスをとりたいんですね。わかるなあ、その気持ち。

 大勢のお客さんが大笑いする。自分もその中に一人だと実感できる幸せ!




2011/04/18

 「なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか」(荻原真/国書刊行会)

「荻原さんがまた宮崎駿=スタジオジブリアニメ本をだしたんだって?」
「そう、前回同様表紙のデザインを含めて本の装丁がいいんだよね。オレ好みなの」
「タイトルが挑発的だよね?」
「書名見たときは、今度こそ荻原さんが宮崎さんに宣戦布告か? って思ったもん」
「違うの?」
「もちろん! 内容は前作『なぜポニョはハムが好きなのか』の続編的論考といってもいいかもしれない」
「宮崎アニメ、ジブリアニメに描かれる二項対立の隠された論理への言及という意味で?」
「そうそう。だから書名に惹かれて本書を読むと肩透かしくらうかも」
「まあね、けっこう刺激的だから」
「嘘ついてるわけではないんだよ。最後の最後でこの問題を扱っているから。ほんのちょっぴり(笑)」  
「アイキャッチとして優れているというのかな」
「営業サイドの意見が反映された結果かも。
  なぜバズーはハトを飼っているのか、
  なぜムスカは手帳に頼るのか、
  なぜソフィーは帽子屋なのか、
  なぜサリマンは温室のなかにいるのか、
  なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか、
 こう並べてみればインパクトの差は一目瞭然でしょう?」
「なるほど」
「それから文中のイラスト、すべてスタジオジブリの絵コンテなんだよ。もうびっくり」
「使用料、かなりかかったんじゃないの」
「で思ったの、使用を許可したってことは、ジブリが本書(の内容)を認めたということだって」
「ってことは、やっぱり……」
「荻原さん、宮崎アニメのファンだよね、絶対」
「嫌いだっていうのは、ある種の照れ隠しなのかな」


「でも、不思議なんだよなあ」
「何が?」
「オレが本を出す年に、なぜか荻原さんも上梓するんだよな」
「前作『ポニョ』のときは『僕たちの赤い鳥ものがたり』……」
「今年は8月に『夕景工房 小説と映画のあいだに』を刊行する予定だから」
「だから、表紙のデザインとか体裁なんてところに目がいくわけか」
「そうだよ、自分が本つくるときって、参考となる本がないか、あれこれ探し出すから」
「まあ、がんばってください」




 先週、11日(土)の「柳家さん喬独演会」。星のホールの客席は奥行き、幅が適度な広さで一番後方でも演者の表情が認識できる。落語を観る施設としては最適ではないか。
 高座のさん喬師匠、あるときは黒髪の小朝、あるときはやせ気味のケーシー高峰のよう。角度によっては江戸弁の鶴光のようにも見えたりして。圧倒されまくり。「船徳」の宿屋のおかみさんが絶品だった。
 「肝つぶし」は初めて。導入がまんま「紺屋高尾」だった。ラストでハッピーエンドになるのかなあと予想していたらあっけない幕切れ。 
 「唐茄子屋政談」、よくタイトルは目にするがもしかしたら初めてかもしれない。後半、「人情八百屋」と同じ展開になる。僕の場合、基準は立川流、というか談四楼師匠の演目との比較になるのだけれど。

 終演後、Fさん、Mさん、Wさんと三鷹駅前の居酒屋で飲んだ。最初は生ビールで乾杯。さて二杯目。Mさん、Wさんはハイボール、Fさんは日本酒にするという。日本酒が美味そうだったがぐっと我慢した。
 昨年の小朝独演会のときは、終演後、荻窪の昭和酒場で3人(Fさん、Mさん、私)で飲んだ。このときFさんにつられて日本酒をかなりハイペースで飲んだら、帰りはベロベロだった。酔っ払うと電話魔になる(ことがわかったのだ、この夜!)。普段はかけない知り合いに電話かけて、新宿で飲もう、遊ぼうと誘ったりして。もちろん断られたけれど。断られてよかった。財布に金なんてなかったんだから。大した金額じゃなかった居酒屋の支払いもMさんに借りたくらい。
 何考えてんだと翌日海より深く反省……。
 日本酒はあとから効いてくる。外で日本酒飲んで帰宅途中に、あるいは帰宅してからとたんに酔いがまわってきて七転八倒したことは何度もある。もともとアルコールが弱いくせにその場の雰囲気で許容量を超えて飲んでしまうのだ。この許容量超えの時間差攻撃にいつも悩まされてきた。学習能力がないというのか何というか。

 てなわけで、最近は自宅か一人で飲むときしか日本酒にしないことにしている。で、僕はグレープフルーツ・サワー。定番のウーロンハイはどうも苦手でレモンサワーより飲みやすい。今大人気のハイボールも好きになれない。ビール、ワイン、焼酎、日本酒。学生時代はビール以外全然飲めなかった。結婚してからは、かみサンの影響でみなイケるようになったものの、ウィスキーだけは手がでない。
 それはともかく。
 Fさんが一ノ蔵を注文した。すばやく「切らしている」との返事。
 Fさんが嘆く。「被災地を救援しようと思ったのに」
 別の酒を注文して、しばらく日本酒のうんちく話になった。
 すかさず訊いてみた。「田酒ってご存知ですか?」
「あれは美味いよ」
 Fさんが大きくうなずいた。「でも、どうして知っているの?」
 神戸行ったときに情報仕入れてきました。

 14日(火)は部署の送別会だった。2人が7月から異動になるのだ。
 参加者は2人を含めて全部で10人。歓談は3グループに分かれた。うちのグループで日本酒談義になった。日本酒通のYさんに奨められたのが福島の地酒・奈良萬と新潟の純米吟醸・上善如水。
 訊いてみた。「青森の田酒ってご存知ですか?」
 Yさんは知らなかった。Fさんは団塊の世代(Mさん、Wさんも)、Yさんは同世代。世代の違いだろうか。
 この日も最初の一杯は生ビール、二杯目からグレープフルーツサワー。別にコースではなく、店もそれほど混雑していなかったので時間制限はない。19時から始まった宴は23時過ぎにお開きになった。帰宅したら24時過ぎ。

 昨日は二日酔もなくきちんと出社した。のだが、午後になって疲れが一気に出た。左親指のしびれは相変わらず、左腕のほかに左足もダルくなってきた。早く横になって寝たい。偶数月15日のお楽しみ「談四楼独演会」に行ける体調ではない。欠席。 29日(水)に国立演芸場で「祝・立川談四楼還暦落語会」があるからとまっすぐ帰宅。そのまま寝てしまった。




2011/04/18

 「なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか」(荻原真/国書刊行会)

 荻原さんがまた本を上梓した。
 感想は項を改めて。


2011/04/20

 「手塚治虫の奇妙な資料」(野口文雄/実業之日本社)

 手塚治虫のさまざまな作品の中からピックアップして、連載時と単行本(コミックス)になったときの違いを検証する。以前読んだ「描き換えられた鉄腕アトム」(小野卓司/NTT出版)と同じ趣旨の本だが、本書の方が6年も早く出版されている。ほかにも「手塚治虫 原画の秘密」(手塚プロダクション/新潮社)がある。その手の本の先駆けとなったのが本書ではないか。
 小説その他の活字本の場合、加筆訂正なんて作業自体は簡単にできる。原稿がそのまま活字になるわけではないからだ。マンガの場合は、原稿がそのままページになる。吹き出し等の文字以外は完成されているのである。原稿=ページといってもいい。絵そのものを訂正したり、コマの構成を変えるというのは、かなり厄介な作業だろう。切り貼り等や一部のコマのみ白紙を貼って書き直したり……。
 「描き換えられた鉄腕アトム」のときも思った。ここまでやる漫画家は他にはいない。だからこそずっと第一線で活躍できたのだ、と。この刊行に伴う訂正、修正は星新一も行っていたことを評伝「星新一 一〇〇一話をつくった人」(最相葉月/新潮社)で知った。作品に古さを感じないのはそういう努力の賜物なのかと思い知らされたものだ。
 
 手塚マンガをあくまでも単行本でしか読まないという人なら別にいい。雑誌掲載時から愛読していると、単行本で雑誌時の感動が味わえない場合がでてくる。雑誌掲載時よりよく出来ていたとしても、初出の気持ちに浸りたいということもある。僕自身何度か経験している。
 コアな手塚治虫ファン向けに「鉄腕アトム」雑誌掲載時のままのエピソードをまとめた本が刊行されている。今後はその手の本が次々にでてくるのだろうか。


2011/04/24

 「日本動画興亡史 小説手塚学校Ⅰ ~テレビアニメ誕生~」(皆河有伽/講談社)

2011/04/26

 「日本動画興亡史 小説手塚学校Ⅱ ~ソロバン片手の理想家~」(皆河有伽/講談社)

 書名に〈小説〉とあるから、図書館の小説本の棚にあった。通常なら、上の階の映画・アニメの棚にあるはず。だからこれまで気がつかなかった。書店で見つけたときからいつか読もうと思っていたのに。(だったら買えよ!)
 小説と銘打ってあるが、虫プロダクションの設立と隆盛(そしてたぶん倒産とその後まで)を綴るルポルタージュだ。関係者へのインタビューとこれまで出版されている書籍等目にすることができる資料を基に構成されたノンフィクション・ノベルといった方がいいか。
 第1巻は手塚治虫が東映動画に招かれて初の長編アニメ「西遊記」で悪戦苦闘し、自身のアニメ製作会社虫プロダクションを設立、国産初のTVアニメ「鉄腕アトム」を手がけるまでの話。アニメに関して宮崎駿は手塚治虫を評価していないが、その芽はこのときにもうでているのだ。ディズニーアニメを愛してやまない手塚治虫が、TVアニメを実現させるため徹底してアンチディズニーを目指したというのが不思議な気持ちがする。
 毎週ではなく、隔週、あるいは月一放送ならば、それほど苦労しなかったのでは? 当時はそんな概念はないだろうけれど。
 第2巻は、TVアニメ「鉄腕アトム」製作に絡む主に版権商売と海外進出の話。
 続刊が楽しみだ。
 書名は「小説吉田学校」からきているとのこと。ああ、なるほど。


2011/04/29

 「なぜなぜ分析 実践編」(小倉仁志/日経BP社)

 仕事(業務)のための読書。
 でも、この分析、個人でも大いに利用できますぞ。


2011/04/29

 「円谷英二の言葉 ゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言」(右田昌万/文春文庫)

 著者は円谷プロ出身のシナリオライター&俳優。平成ウルトラマンシリーズのファンにはお馴染みだ。「ウルトラマンティガ」ではメインライターだった。昌万は〈まさかず〉と読む。
 円谷プロ出身だとはいえ、本書は特撮ファンのために書かれたわけではない。少年時代に東宝の特撮怪獣映画に親しみ、年齢とともに卒業していった大人の人たち向けと言えようか。卒業したとはいえ円谷英二という名前にはそれなりの思いがある。たぶん円谷を〈えんたに〉と読んでいた世代。
 そんな人たちが仕事に活かせる、発想の転換に役立たせるであろう、円谷英二の名言が読みやすい分量(1ページ)にまとめられている。管理職が職場の朝礼等でスピーチに利用できること間違いない。
 特撮ファン向けではないのは理解しつつも、特撮怪獣映画の原点であり名作「キング・コング」を「キングコング」と表記するのはちょっとがっかり。キャラクターとしてならいいけれど、映画のタイトルですからね。円谷英二がフィルムを取り寄せ一コマずつチェックしたという……。




 AKB48の総選挙。その結果速報で号外がでたとか。翌日からのワイドショーがうるさいったらありゃしない。2ヶ月前だったらこの選挙も、報道姿勢も大顰蹙大会だったろうに。

 DoleバナナのCM、香取慎吾がバナナのかぶりものをして、同じかぶりものの子どもたちと歌い踊るあのCMのこと。「めちゃ×2イケてるっ!」のオカレモンのパクリではないか? 番組で共演が見られるかも。

          * * *
 
2011/04/15

 「悪魔を憐れむ歌」(蓮見圭一/幻冬舎)

 映画「冷たい熱帯魚」の冒頭で、「実際の事件に基づいた」云々の断り書きがあった。映画を観ている間はピンとこなかった。静岡、熱帯魚業者の連続殺人、そんな事件があったのなら巷で話題になるだろうに、まるで聞いたことがない。
 埼玉で起きた愛犬家連続殺人事件だった。それなら知っている。連日ワイドショーが追いかけていたような。 しかし、最終的にどうなったのかこれまた全然覚えていない。ああ、そうか、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件のニュースにとって代わられたわけか。
 
 「冷たい熱帯魚」で吹越満が演じた主人公(小さな熱帯魚店を経営)のモデルになった男が事件について本を上梓していることを知った。連続殺人の共犯者となって、主犯の夫婦にいいように使われる男である。
 本のタイトルは「愛犬家連続殺人」(志摩永幸/角川文庫)。
 図書館で借りようと、図書館HPで検索したら本書がヒットした。タイトルも著者も違う。いったいどういうことか?

 ネットで調べた。
 まず共犯者が書いた本が新潮社から出版された。このときのタイトルは「共犯者」。筆者名は山崎永幸。角川文庫になって「愛犬家連続殺人」と改題。タイトルのほか、筆者名も苗字が変わっている。
 その後に本書が出たということなのだが、不思議に思ったのは筆者が蓮見圭一になっていること。単行本から文庫のときの改名は、本名をペンネームにしたくらいの認識で理解できるのだが、本書はまったくの別人なのである。取り扱った事件が同じというものでもない。あくまで「愛犬家連続殺人」の大幅な加筆訂正の上、改題されたというのだ。いったい何があったのか?

 またまたネットで調べた。
 なんだ、そういうことか。蓮見圭一は「共犯者」のゴーストライターだったのである。もともと週刊新潮の記者として山崎永幸に取材して書いたのが「共犯者」。文庫化に伴う改名の理由はわからないが、本書出版で完全に正式な作者になったというわけだ。
 この手の筆者の変更は何度か目にしている。「渥美清 わがフーテン人生」(毎日新聞社)は、聞き書きの体裁だったが、後に「渥美清 役者もつらいよ」(吉岡範明/双葉社)として再出版された。
 潮健児の自伝として出版された「星を喰った男」(バンダイ)は、文庫化(ハヤカワ文庫)の際に著者が唐沢俊一に変更になったという。唐沢俊一が潮健児にインタビューして原稿を書いていたのだろう。最近の俳優、女優が本を上梓した際によく見受けられるパターンだ。最近では(もう数年前になるが)「ショーケン」(講談社)が思い当たる。

 著者が変更になる場合、以前の著者の著作権者として立場はどうなるのだろうという疑問が残る。率直にいえば、本書における山崎(志摩)永幸への印税は派生しないのか。文章は書いていないが、素材を提供をしている事実は変わらないからだ。逆も言える。「共犯者」「愛犬家連続殺人」の蓮見圭一への印税はどうだったのか。ゴーストライターだからあくまでも原稿量で計算されるのか? もしかしたら志摩永幸は二人のペンネームだったりして。
 まあ、いいや。

 タイトルの変遷が時代を物語っている。事件がまだ記憶に新しかったときは「共犯者」で十分通用する。事件の関係者がその顛末を記したことが売りである。それが文庫化で「愛犬家連続殺人」。そのものずばりの表現で、作者が誰であるかなんていうのは関係なく、タイトルだけであの事件に関する内容だとわかるのが強みだ。
 それが著者が変わると「悪魔を憐れむ歌」。実をいうと本書を読むまで作家・蓮見圭一を知らなかった。デビュー作「水曜の朝、午前三時」がベストセラーになったとか。著者が変わるのだから、改題しなければならないのは理解でききるが、とたんに文学的なタイトルにするのは気取っているというか何というか。ローリング・ストーンズの曲のタイトル(邦題)をそのまま使用している。
 もし「共犯者」(「愛犬家連続殺人」)を読んでいるとして本人が書いていないことはすぐわかったと思う。そういう文章なのだ。

 映画の、でんでん演じる殺人犯は映画用にかなりデフォルメされているのかと思いきや、ほとんどそのまんまなのには驚いた。ネットで本人の写真を見たら容貌までそっくり。読んでいる間、ずっとでんでんのあの顔、あの声が脳裏を駆け巡っていた。映画はクライマックスまではほぼ実話に基づいているといっていい。モデルの方がより残忍な悪人というのがすごい。従業員の母親を愛人にしていて必要なくなったら殺してしまうのだ。人を殺すことに何の躊躇もない。罪の意識なんてこれっぽっちも持っていない。

 映画では、主人公がでんでんの殺人犯に子どもを人質にとられた感じで、また、あまりの押しの強さで共犯者にされてしまう。ある種の勢いで納得させられてしまうのである。本書を読むと、ああ、このときだったら警察に逃げ込めたのにと思える瞬間がある。
 逮捕されてからの検察との関係も興味深い。
 埼玉、群馬を舞台にしているので、知っている町や土地が出てきて事件が身近に感じる。

 映画の後でもこのノンフィクション・ノベルにはかなりの衝撃がある。もし先に読んでいたらとんでもないインパクトに打ちのめされていたかもしれない。
 確かなのは、先に読んでその後に映画を観てもガツンとくるのは間違いないこと。後半のオリジナルの展開がキモなのだ。
 「冷たい熱帯魚」、もう一度スクリーンで観たい!




 昨日は、夕方、三鷹市芸術文化センター星のホール「柳家さん喬独演会」へ。「ふたいサロン」を主催し「シネマDEりんりん」顧問でもあるFさんの招待で。昨年の「春風亭小朝独演会」に続く落語会。実は3月に「柳家花緑独演会」があったのだけれど、東日本大震災の影響で中止(延期)になっている。
 談四楼フォロワーズのメンバー、Mさん、Wさんと一緒。「船徳」「肝つぶし」「唐茄子屋政談」。たっぷり堪能させていただきました。

          * * *

2011/04/12

 「ガラスの巨塔」(今井彰/幻冬舎)

 NHKの人気番組「プロジェクトX」はほとんど観ることがなかった。唯一チャンネルを合わせたのは始まってすぐの頃ではないだろうか。ゴジラ映画の第一作を取り上げた回だ。中島みゆきの歌(オープニング&エンディング)と田口トモロヲのナレーションが印象に残ったが、別に次の週も観ようとは思わなかった。日本初の怪獣映画製作にまつわる裏話、苦労話だったからチャンネルをあわせたまでだ。あと、あさま山荘事件のときも興味深く観た。
 なぜ初のTVアニメ「鉄腕アトム」も取り上げなかったのか。

 まあ、いいや。
 どちらかというと、番組に懐疑的だった。いや、番組に対する世間の賞賛に対してといった方がいいか。子どもに見せたい番組第一位だなんて、何考えてるんだと思った。単なる親のエゴじゃないかと。
 「プロジェクトX」はけっこう長い間NHKの看板番組と君臨し、ある日終了した。ネタがなくなったのだろう。

 しばらくして「プロジェクトX」のプロデューサーが小説を上梓した。驚いたことにプロデューサーはNHKを退職していたのである。あんな人気番組を手がけたのだから、出世して役員にでもなっているのだろう。漠然とそんなことを思っていたのに。
 新聞広告のキャッチコピーに〈この小説を書くためにNHKを辞めました〉とあった。いったい何があったのか。まあ、だいたい予想はつくけれど。

 新聞広告で気になっていた本を図書館で見つけた。
 本書は、小説の形を借りた、つまり仮名によって描かれたノンフィクション「NHK辣腕プロデューサーの栄光と挫折」。書かれていることは本当のことなんだと思う。あくまでも作者視線の一方通行のものの見方ではあるものの……。
 抜きんでた才能に対する妬み嫉み、出る杭は打たれるNHKの企業体質については、佐々木昭一郎「創るということ」(JICC出版)で承知していた。70年代から80年代にかけて独特の映像と語りによるドラマで数々の賞を受賞したディレクターも被害者だったのである。昔も今も変わらない企業体質にNHKの問題がある、のか。会長派、アンチ会長派の反目なんて愚の骨頂だ。
 時代の趨勢とはいえ、作者が会長の庇護の下、テッペンを目指さなければまた違った展開になったのではないか。番組プロデューサーとして、会長とつかず離れずの関係にいたら……組織人としてそれは無理な話か。

 もしかして、本当はこれを言いたくて本書を書いたのでは? と思わせるエピソードが後半にでてくる。番組で取り上げた事実に捏造があったと放送終了後に糾弾されたのだが、実は、この回の主人公である高校教師の嘘の証言が原因だったというもの。証言のウラをとらなかったスタッフの落ち度なのだが、とはいえ、高校教師に非がないわけではない。ところがこの教師、完全にスタッフ側に責任転嫁してしまって、被害者面しているのだ。小説の中では。実際この件はウィキペディア等にも記載されているが、教師側の問題にはまったく言及していない。
 繰り返しになるが、相手が嘘をついたとしても、きちんとした対応をとっていれば回避できた。最終的な責任はスタッフにある。とはいえ、番組を盛り上げるためにスタッフ側の一方的な考えで捏造されたと世間に思われるのは心外だろう。そりゃ意義申し立てしたくなる。
 もう一つは万引き事件の真相。このくだりになって、そういえば〈NHKプロデューサー万引き〉のニュースを目にしたことを思い出した。ニュースは万引きがあったことしか伝えていない。その経過、結果なんてフォローしない。万引きとされた行為は、作者の態度にカチンときた店員が仕組んだ罠だったようだ。はめられたというべきか。事実、不起訴になった。

 クリエイティブを目的とする組織の中で、クリエイティブ以外の部分でさまざまな暗闘があるのがどうにも解せない。出る杭が打たれる現象は民放でもあるのだろうか? それともNHKだけの体質なのか。




2011/04/01

 「星条旗と青春と 対談:ぼくらの個人史」(小林信彦・片岡義男/角川文庫)

 ネット古書店で購入。
 99年に図書館から借りて読んでいる
 

2011/04/05

 「徳川吉宗 物語と史蹟をたずねて」(井口朝生/成美文庫)

 古書店で2冊100円でワゴンセールをしていた。覗いたら「キング・コング」があった。「餓夷羅」の参考になるのではと手にとった。あと1冊は何にしようか。別にこれ1冊で充分なのに。これも抱き合わせ商法というのだろうか。探していたら本書が目についた。ずいぶん前のこと。ずっと積ん読本になっていたわけ。目当ての「キング・コング」もまだ読んでいない……。
 江戸時代がマイブームになって、吉宗や享保の改革関係の本をいろいろ読んだものである。


2011/04/08

 「松田優作と七人の作家たち」(李建志/弦書房)

 プロフィールによると著者は関西学院大学教授。1969年生まれ。ということは、「探偵物語」が最初に放映されていたときは小学生。
 〈はじめに〉を読んで、不安になった。著者はこんなことを書いている。
 70年代から80年代にかけてのTVドラマは、1クール一人の作家(シナリオライター)が普通、一話完結の場合は、複数の作家が担当していた。それが当時のドラマ制作の特徴だと。

 違う!
 まず70年代や80年代のドラマを語るときは、ビデオ収録による連続ドラマと、16ミリフィルムによるTV映画の二つがあったことを念頭におかなければならない。それから、当時のドラマは、というか番組そのものが2クールが放送の単位だった。ドラマが1クール当たり前になったのはトレンディドラマが人気を呼んだ80年代後半からだろうか。
 連続ドラマは一人の作家に複数の演出家というのが一つのスタイルだった。例をあげれば倉本聰や山田太一のドラマ。ただ厳密にいえば、「前略おふくろ様」は1話(か2話)を市川森一が書いている。とはいえ、それは協力程度の認識。ドラマはあくまでも倉本聰の世界なのである。なぜ一人で全部を担当しないのか。僕も不思議に思っていた時期がある。2クール・26話(実際は24話か)を一人の作家がカバーするのはスケジュール的に厳しかったのかもしれない。
 対してTV映画は、複数のシナリオライター、複数の監督が基本だった。メインのシナリオライター・監督を中心に一話完結の作品世界が構成された。だからこそシリーズを通すとバラエティに富んだ作品になるのである。
 例として筆者は「泣いてたまるか」「傷だらけの天使」「三年B組金八先生」を挙げている。これはおかしい。「三年B組金八先生」は連続ドラマのカテゴリーだ。確かにシナリオを小山内美江子ほか複数のライターが担当している。とはいえ、その担当している数、あるいは、その後のシリーズを考えれば、「金八」は小山内美江子の世界であることがわかる。
 「泣いてたまるか」と「傷だらけの天使」を並列させるのもちょっと違う。「泣いてたまるか」は渥美清が演じる主人公の名前が同じ(だったと思う)だけでキャラクターは別人(の設定)、そんなキャラクターで毎回舞台や環境が違うドラマが作られていたのである。同一キャラクター(の主人公、レギュラー陣)による一話完結の「傷だらけの天使」とは一緒に並べるものではない。
 もし60年代のドラマをもってくるのなら、「ザ・ガードマン」あたりが妥当なのではないか。
 この手の複数作家のドラマは今はない、とも書いているが、そんなこともない。今はHD撮影が主流になって、フィルム、ビデオの区分がなくなったが、複数作家、複数監督のドラマは作られている。「相棒」なんて、その最たるものだろう。テレビ朝日系の東映作品はみなそうなのではないか? 

 本文になってから、誤植が目についた。深作欣二が深作欽二、三船敏郎が三船俊郎。一度だったら単なる誤記だと許せるが、何度も続くと情けなくなる。深作欽二なんて、4、5回続くのだ。校正作業はどうなっているの?
 「探偵物語」で岸田森がゲスト出演していた回。岸田森の坊主頭、かつらのエピソードを語るなら、「傷だらけの天使」の「殺人者に怒りの雷光を」を話題にしなくてどうするの?

 リアルタイムで当時を知っている者にとってはいろいろ難癖つけたくなる本である。研究意欲は大いに買うけれど。




 本日、丸の内TOEIで「手塚治虫のブッタ」鑑賞。
 岡田・赤頭巾ちゃん気をつけて・裕介が吉永小百合を意識してプロデュースした作品にロクなものがない。僕が観た作品に限ってのことだが。
 予告編から何も響かなかった。チケットもらわなかったからたぶん劇場で観なかったと思う。手塚治虫の、と謳っているにもかかわらず、キャラクターは手塚治虫のそれを使っていないし。かといって、その昔、「幻魔大戦」が劇場アニメになったときのような、原作(画)の石森章太郎ではなく大友克洋を起用したような大胆なものでもなく。
 スタッフの意気込みは感じつつ、何となくどことなく中途半端。
 
     ◇

 ●トランスセクシャルと手塚治虫 2007/05/17

 TVで2本のドキュメンタリーを観る。

 14時からフジテレビで「性同一性障害の恋人たち ~精神科診察室の物語~」。
 心が女性の男性とその逆の女性が、性転換手術を受けるために一緒にクリニックに通う日々。割れ蓋に綴じ蓋。うまい具合にカップルができたものだと感心した。ネットの、その手のサークルで知り合ったという。

 ふと思い出した。好きな彼女がレズビアンで、女の子にしか興味がない、そこで、自分が女性になって恋愛を成就しようとする男性のブログがある。彼女も応援してくれて、徐々に女性へと生まれ変わっていく、そんな日記が綴られていくのだが、フィクションじゃないかと睨んでいる。彼女がレズだから女になる、この男性の精神構造がにわかに信じられない。

 話をもとに戻す。
 このドキュメンタリーでは、男性、女性、性同一性障害の男性、女性、それぞれの脳のある一部のレントゲン写真(?)を見せてくれる。確か人間の性を形づくる部分とか説明があった。驚いたことに、性同一性障害の男性と女性のそれがほとんど同じなのだ。
 性同一性障害の男性の両親は同世代。ここで考えてしまった。もし、自分の息子が「女になりたい」と言い出したらどう反応するだろうかと。うちは娘だから「私は男になりたい」と言われたらどうするか。環境とか育て方とかの問題ではない。脳の写真が証明している。明らかに疾患なのである。

 トランスセクシャル、今は〈TS〉という言葉で括られる事象に興味を持ったのは手塚治虫のマンガがきっかけである。
 小学生低学年のとき、アニメ「リボンの騎士」に夢中になった。コミックスも揃えた。
 サンケイ新聞に連載されていた「青いトリトン」(アニメ化で「海のトリトン」に改題)は、前半がトリトンの兄、和也の冒険話だった。ある船にしのびこんだ(?)和也が船長の部屋をのぞくと、着替えをしていて、実は女ではないかと思わせるコマがある。この何気ない絵に興奮した(コミックスにはこのカットがない)。隔週刊の少年チャンピオンに連載されていた「ザ・クレーター」では死んだ少女の心が、ある一定期間主人公にのりうつって騒動が巻き起こるなんていうエピソードがあった。
 影響されて男から女へ強制的に性転換手術させられるマンガを描いたことがある。小学5年だったか、6年だったか。かなりマセていた、というか、「お前何考えてるの?」と言われても仕方ない。

 深夜は、その手塚治虫を取材した「手塚治虫 創作の秘密」。NHKアーカイブス枠。

 このドキュメンタリーはオンエア時に見逃してくやしい思いをした。マンガの神様の原稿執筆しているところを一度この目で確認したかったのだ。写真や漫画では何度も拝見しているのだが、やはりビデオにはかなわない。下書きする際の、鉛筆の動き、紙をすべる音にうっとり。
 オイソガ氏の方だから、海外へ行くため、空港に到着しても原稿用紙と格闘しなければならない。数枚を残して搭乗時間。あとは向こうからFAXで送るから、ということでご夫婦で旅立つのだが、「?」が頭に中にいくつも並んだ。
 下書きした原稿を日本に直送するわけではない。単なるFAXである。東京のアシスタントは送られたFAXで、最終的にどのように仕上げるのだろうか。
 亡くなる3年前の映像。取材の中では、年をとって、納得のいく絵、特に丸が描けなくなったと嘆いているが、今見ると驚くほど若い。机につっぷして仮眠をとる姿のなんとかわいいことか。




 レビューはすぐ書く方がいい。十分承知している。が、別のことについて長い文章を書いているときは、とりあえず一言感想を述べて、あとでじっくりゆっくりと……なんて、結局そのままになってしまうケースが多い。いくつ書き出したままほったらかしているのか。Outlookに保存されている書きかけ、タイトルをあげれば「アイコンタクト」「第9地区」「相棒 劇場版2」「トゥルーグリッド」……
 5月に観劇した芝居、やっとレビューが書けました。

     ◇

2011/05/21

 「ギィ・フォワシィのブラックな3作 ~関節炎・動機・誘拐~」(シアターX)

 芝居は映画に比べてとてつもなく自由である。何度も書くが、映画は根底にリアリティがなければならない。もちろんリアリティを超越した映画もあることはあるが、あくまでも例外。早い話、芝居は舞台があって役者がいればどうにかなってしまう。セットや小道具がなくても成り立つのだ。
 もうひとつ、芝居の世界では当たり前になっているのが、日本人が外国(欧米)人になって、外国の芝居を上演してしまう慣習。映画の世界では信じられないことではないか。
 いわゆる〈赤毛もの〉といわれる芝居だ。

 芝居を観ることがなかったときは欧米の芝居をそのまま上演することについて深く考えたりはしなかった。一つのジャンルくらいの感覚で。
 ただ、現在では多少の違和感がある。物語の背後にある文化とか言葉の問題とかないのかなあと。あまり観たことがないから大きなことは言えないのだが。

 水木ノアさんは自身が出演するライブ、芝居があるとメールで知らせてくれる。ところが、今回はKさんからチケット取り纏めの連絡があった。Kさんが一昨年撮った自主映画「NO CONTROL」に出演しているノアさんと柳鶴英雄さんが共演する芝居があるから、もし観劇するなら一緒にチケット予約しておきますよという内容。
 その芝居が「ギイ・フォワシイのブラックな3作」だった。「間接炎」「動機」「誘拐」の3作で構成されていて、二人は「誘拐」で共演している。

 「NO CONTROL」を初めて観たのは徹夜明けで睡魔に襲われながらという状況だった。そのとき印象に残ったのは、とある研究所の所長を演じていた柳鶴さんの口調というか口跡だった。あの役者がいいよね、とKさんに言うとノアさんに紹介されたという。サンハロンシアターの「上海、そして東京の屋根の下で -服部良一物語 J-POPの夜明け-」で共演していたのだ。その後もいくつかの芝居で絡んでいる。
 もともとノアさんは歌手である。思うに「上海……」で柳鶴さんがノアさんの役者としての才能を見出して、機会があるたびに芝居に誘っているのではないか。

 ギイ・フォワシイはフランスの劇作家。ブラックユーモアを得意としているらしい。もちろん、僕は知らなかった。フランスの飯沢匡か。
 日本に彼の戯曲だけを上演する劇団があり、それがギイ・フォワシイ・シアター。
 今回はギイ・フォワシイ・シアターとシアターX(カイ)の提携公演である。それぞれの芝居はA、B二つのチームで競演する仕掛け。ノアさん、柳鶴さんはチームBだった。

 劇場は回向院の隣のマンションの1階にあった。
 ロビーが広く客席もゆったりしている。両国にこんな小劇場があるなんて。相撲だけの町じゃなかったのだ。定席ではないが寄席もあるし。

 最初の芝居は「関節炎」。妻の殺害を依頼した男と依頼された殺し屋が街のカフェでやりとりする姿を描く。最初は殺し屋の方が優位なのに、あるきっかけで立場が逆転する。終演後、戯曲の訳者(山崎吉朗)と演出(山崎哲史)のトークショーがあって、そのとき訳者がこの芝居の面白さを落語「らくだ」のようだと言っていて笑ってしまったのだが、肝腎のその瞬間を見ていない。
 殺し屋の存在とか、街のカフェでの密談とか、どうにも嘘っぽい設定と会場後方から聞こえてくるカメラのシャッターの音が気になって、舞台に集中できなかったことが原因。で、思った。フランス語だともっともっと面白いのではと。カフェのウエイトレスの動きが印象的だった。

 続いて「動機」。セレブ夫人とセレブ夫人に誘拐され夫人宅に軟禁された平凡な主婦の、その動機が何なのかについてやりあう模様を描く。
 相変らずカメラのシャッター音は気になるものの、舞台に集中できた。物語や展開に普遍性があるからだろうか。客席に向かってソファに座る主婦。スカートの中が覗けそうで目のやり場に困った。あれっと思ったのはストッキング。パンストではなく、太ももまでの昔ながらのそれなのだ。後半になって理由がわかった。セレブ女に脅かされて服を脱ぐ(!!)のだが、このときストッキングも脱ぐ。左右バラバラなら露出も少なく脱げる。そういうことか。
 主婦が服を脱がされて隣室へ移動させられたところでラストがわかった。主婦にしてみたらとんでもない災難ではないか。

 最後はお待ちかねの「誘拐」。「動機」以上に普遍性がある。某ラジオ番組に出演した人気俳優。聴取者からの電話による質問に答えるという趣旨なのだが、何人かめの青年が人気俳優の妻と愛犬を誘拐したと告げてきたことで、スタジオ内が大騒動になっていくという物語。
 この芝居ならそのまま日本のラジオ局、日本人の人気俳優、DJにしても成り立つ。展開もサスペンスに溢れ、最後まで飽きさせない。台詞が、役者が発する言葉がちゃんと言葉として聞こえてくるということもある。いつも著名人にはヘイコラしながら、いざ事件を起こすと、手に平を返し正義感面をして容赦ない追求するメディアの一面も現代を反映している。
 俳優役の柳鶴さん。やはり口跡がたまらない。DJ役のノアさんも貫禄を感じさせる台詞まわし。この二人に挟まれて自己主張するのが誘拐犯の俳優の息子(神山一郎)。声質だとかイントネーションだとかとても自然で聞き惚れた。
 手前がラジオのスタジオ、奥の一段高いところが青年のいる公衆電話。最初は場所がはっきりと区分けされているのに、芝居が白熱してくると青年がスタジオの中に現れて父親と言い争いを始める。もちろん、青年がテレポートしたとかという話ではない。芝居の表現の自由さなのである。映画やドラマではこういうことはできない。
 
 前述のとおり、3作品はチームA、チームBの2チームによって上演されている。終演後のトークショーで知ったのだが、単純に役者が替わるだけではないらしい。たとえば、チームAの「誘拐」の俳優は女優が演じている。当然、内容も変わってくる。とても興味をそそられる。しかし、料金のことを考える明日、明後日で再度の観劇なんて難しい。両方鑑賞する人には割引みたいな特典があればいいのに。柳鶴さんが演出でノアさんが出演した「The Loving ~Rondo~」は3チームがそれぞれの作品を上演していたが、見る回数が増えるたびに料金が値引きされていた。あれはいいサービスだった。利用はしなかったけれど。
 



 昨日、シネりんメンバーのK氏から試写会に誘われた。映画は「赤ずきん」、場所は有楽町のよみうりホール。「行きます!」と答えてから上映時間を確認すると、18時30分だという。定時で退社して、どんなに早い電車に乗ったとしても、有楽町に着くのは40分過ぎ。
 その旨伝えると、「だったら、受付にチケット預けておくから。予告編やっている間に間に合うんじゃない?」。

 猛ダッシュでよみうりホールに駆け込むと、ロビーは係員が数名いるだけだった。そのうちの一人(若い男性)に待ち合わせに遅れたことを話すと、別の女性がやってきて丁寧にこう言った。
「上映が始まってしまいましたので、入場はお断りさせていただいております」

 ああ、やっぱり。そうじゃないかと思っていた。でも、もしかしての期待もあったりして。今週は丸の内TOEIで「ブッダ」を観るつもりでいる(Tさんにチケットをもらった)。急げば最終回に間に合いそうだが、そんな気になれない。寂しくUターンして帰宅するほかなかった。
 それにしても、18時30分開映なんて、勤め人は来るなってことか!

 今日は帰宅前に図書館に立ち寄り。借りていた本とDVDを返却。前回演劇の棚に「根津甚八」を見つけたので、今回1冊だけ借りて、積ん読本読破期間に突入しようと考えていた。ところが目当ての本がない。ショック。代わりに3冊借りてきた。

 「江戸の気分」(堀井憲一郎/講談社現代新書)
 「お笑い男の星座」(浅草キッド/文藝春秋)
 「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」(水木悦子・赤塚りえ子・手塚るみ子/文藝春秋)

  DVD
 「トラトラトラ!」(監督」リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二)
 「近松物語」(監督:溝口健二)
 「オデッサ・ファイル」(監督:ロナルド・ニーム)




 キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と宣言して芸能界から引退したにもかかわらず、ランちゃんとスーちゃんはすぐに女優としてカムバックした。
 この嘘つきが! と当時ちょっと憤ったが、しばらくしてこう思うようになった。キャンディーズをやめたい、渡辺プロをやめたい、そのための方便だったのではないか。事務所主導の自由のきかないアイドル活動なんてしたくない。でも、そんなことを言っても事務所は了解などしてくれないだろう、だったら頂上作戦だ、芸能界引退! これなら誰も文句が言えない。ランちゃんやスーちゃんがカムバックしたときの事務所がどこだか知らないのだが。

     ◇

 ●遅ればせながら「娘の結婚」 2006/06/02

 ずいぶん遅い書き込みになってしまったが、GWに日本テレビ系「DRAMA COMPLEX」の枠で市川崑監督の「娘の結婚」が放映された。
 小津安二郎監督「晩春」のリメイクだ。
 以前このリメイクについて耳にしたような気がした。調べてみたら2003年にWOWOWで制作、放映され、すでにDVDにもなっているという。まったく知らなかった。

 あの名作を崑監督がどう現代的にアレンジしたのか。
 「黒い十人の女」のリメイクに失望しているので(端的に指摘できるのはピチカートファイヴのライブ。映画版のクレージーキャッツと比較して躍動感が全然違う)、この「娘の結婚」はそれほど期待していなかった。一応録画したけれど、そのまま一週間放置していたくらいだ。
 しかし、しかし。
 フィルムということもあって、やはり崑監督のことだけある。陰影、奥行、質感。崑タッチは健在だ。しっとりと落ち着いた色彩が心地よい。タイトル処理なんてワクワクしたもの。冒頭から引き込まれる。

 婚期を逃してしまいそうな一人娘(鈴木京香)を心配する父(長塚京三)。しかし娘は結婚して父のそばを離れることがたまらなく寂しいと思っている。ずっと父の世話を焼いていたいのだ。父は自分の再婚を告げ、娘は結婚を決意するのだが……。

 鈴木京香はその容貌、醸しだす雰囲気、言葉遣い等、原節子に負けていない。物語も全体的に〈おかしさ〉に彩られていて飽きない。脇にはいつものように常連が顔を揃えているが、鈴木京香のバツイチ従姉を演じた緒川たまきが魅力的。この女優さん、どこかで見たことがあるなあと思ったら「トリビアの泉」の「うそつき」女だった。
 鈴木京香は適役、ただ、父親役が長塚京三というところにどうにも違和感を覚えてしまう。年齢的にどうなのかは知らないが、オリジナルの笠知衆がいかにも老人といった枯れた男なのに、長塚京三だとまだまだ現役の感があり、「父と離れたくない」という娘の気持ちにどうにも淫靡な匂いがしてしまうのだ。これは狙いなのか?
 それに現代なら、娘が結婚しても「一緒に住めばいいじゃない」と言いたくなる。広い家なのだから。このテーマは現代にそぐわないのかもしれない。

 いつの頃からか、崑映画の音楽は必ず谷川賢作(谷川俊太郎の息子さん)が担当するようになった。けっして悪くはないが、どうも胸に響いてこない。すべてシンセサイザー(だと思う)で処理してしまうところが気になってしまう。


 先週は渡辺プロダクションを設立して、戦後の芸能ビジネスを変えた渡辺晋の生涯を描いた「ザ・ヒットパレード」がニ夜にわたって放送された。
 後編だけ録画して先日観た。この手のドラマは結局役者のそっくりさんぶりを楽しむ方向にいってしまう。タイガースが出てきたので、テンプターズ(ショーケン)も登場かと胸膨らませたが叶わなかった。
 渡辺プロを語る際、絶対はずせないエピソードをこのドラマは描いていない。日本テレビ(井原高忠プロデューサー)との全面戦争のこと。
 これについてはまた明日。


 ●「ザ・ヒットパレード」 2006/06/03

 幼少時に夢中になって見た歌番組がフジテレビの「ザ・ヒットパレード」だ。テーマソングの「ヒッパレー、ヒッパレー みんなが選ぶ~」はおなじみ。司会がミッキー・カーチスとザ・ピーナッツ。スマイリー小原が踊りながら指揮する姿が忘れられない。というか、この番組の出演者ではっきりと覚えているのはスマイリー小原の笑顔と踊りだけのような気がする。
 思うに、当時スマイリー小原とトニー谷が二大強烈キャラクターだったな。

 放送開始が1959年の6月。この年(昭和34年)は私が生まれた年だ(2ヶ月間だけ50年代の空気を吸っている!)。終了が1969年。10年続いたのか。30分番組だったことも初めて知った。1時間だとばかり思っていた。
 現在オールディーズを聴いて懐かしいと思うのは、この番組で日本語の歌詞でうたわれた曲が耳に残っているからだろう。

 「ザ・ヒットパレード ~芸能界を変えた男・渡辺晋物語~」は、タイトルにその懐かしい歌番組を冠したので興味がわいた。しかし放送日時までチェックしていなかった。
 先週はある会議の資料作りで毎日残業だった。25日(木)は友人に誘われて無料の「ナイロビの蜂」鑑賞会に参加するつもりでいたら、翌朝までに資料を完成させなければならなくなった。
 苦肉の策で映画を観たあと、会社に戻った。当然会社に泊まることになる。翌日はまっすぐ帰宅する予定が、別の友人に飲みに誘われ新橋へ。ちょっと一杯のつもりが気がつくとはしご酒、にはならなかったけれど、この日が「ザ・ヒットパレード」の前編が放送されたのだった。新聞読んでいたら録画したのに!
 というわけで、後編だけの録画になった次第。

 主役の渡辺晋に柳葉敏郎、パートナーの美佐に常盤貴子。ラスト、サングラスをして登場した柳葉敏郎が晩年の渡辺晋にそっくりなので驚いた。あくまでも写真等で知っている姿に、だけれど。
 「ザ・ヒットパレード」のプロデューサー、ディレクターの椙山浩一(後の作曲家・すぎやまこういち)は原田泰造、青島幸夫は石黒賢、植木等に陣内孝則。ピーナッツの二人に安倍なつみ・麻美の姉妹(最初聞いときは???だった、実際に見ると、まさに双子のよう。ナイスキャスティングではないですか)。
 昭和30年代のセットに力が入っていた。
 途中途中に挿入される当時のフィルム、ヒット曲に心が弾んだ。
 「スーダラ節」が誕生する瞬間にはシラけた。会議の席で、青島幸夫が即興で詞を作ってうたい、皆で合唱になるだが、そんなバカな。まあ、ドラマだとそういう展開にしないと絵にならないのはわかるけれど。
 
 渡辺プロは局と対等に、というか局を下請けのようにして自社のタレントをレギュラーにした番組を制作した。日本テレビの「しゃぼん玉ホリデー」は有名だ。各局には渡辺プロ御用達のディレクターがいたらしい。ここらへんのことはすべて小林信彦のコラムその他で知ったこと。
 渡辺プロは月曜夜8時にテレビ朝日でキャンディーズをメインにした新番組を開始した。日本テレビは同じ時間帯に「紅白歌のベストテン」があり、渡辺プロの人気歌手の出演できなくなるのは困るとクレームを入れると「だったらそちらが放送日時を変えたらいい」と。
 この渡辺晋の一言に井原高忠が切れた。だったらもう渡辺プロのタレントは使わない。その代わりに自局で人気タレントを作ってやれ。という経緯から、「スター誕生」でグランプリを受賞した歌手の卵たちを、渡辺プロ以外の芸能プロに割り振った。彼(彼女)がレコードをリリースすると積極的に自局の歌番組に出演させる、独自の歌謡賞をつくって、局に貢献する歌手に新人賞を贈呈する。数々の秘策がうまくいって、皆人気歌手になっていくのである。
 こうして渡辺プロの凋落が始まった。

 ドラマ「ザ・ヒットパレード」には、この事実がすっぽり抜け落ちていた。もちろんフジテレビが他局のことを真正面から描かないだろうし、渡辺プロとの共同制作だから負のエピソードなんて最初から描くつもりはなかったのかもしれないが。
 負の業績を綴る社史はないか。ドラマは芸能ビジネスを虚業から実業にすべく、財界と強い関係を結ぼうと奮闘する渡辺晋の姿が描かれるだけ。確かにその功績は素晴らしいことではあるが、功罪の罪にまったく触れないというのは人物造形に深みがなくなる。ドラマなんだから。

 今は渡辺プロに代わって、ジャニーズ事務所が同じ道を歩んでいる。こちらの方が手ごわいかもしれない。




 2週間ぐらい前からだと思う、左手親指の先がしびれるようになった。
 先週からは左腕の肩あたりがどうにもだるい。もしかしたら指のしびれと関係があるのかも。
 ちょっと心配になってきて、おととい整形外科に行った。
 指のしびれは首からきているらしい。レントゲンを撮った。
 レントゲン写真を見ながら医師が説明する。首の骨は通常もっとカーブしているのに、まっすぐだと。デスクワークの人に見られるとか。骨と骨の間に軟骨がある。写真では空洞のようになっている部分。その一つが他にくらべて狭い。
「たぶん、これが原因でしょうね」
 この症状がひどくなると、椎間板ヘルニアになるのだそうな。
「でも、あなたの場合は、別に指の先がしびれているだけで、指が動かない、手が動かないというわけではありませんから」
 ということで、とりあえず薬で二週間様子見ることになった。
「薬を飲んでもなんら症状が変わらないようならばMRI検査をしてみましょう」
 ひとつ気になることがあって、医師に訊いた。
「どうして、こういう症状になったのでしょうか?」
「カレーですね」
 カレーライスの食べすぎ? 
 な、わけがない。「加齢」だった。医師の「こう言っちゃなんですが」という枕詞があったではないか。
 納得しながら、複雑な気分……。




 前々項から続く

 実をいうとヤングチャンピオンを知ったのは最近なのである。昨年の夏だったか。「ファイティング寿限無」(立川談四楼/ちくま文庫)がコミカライズされるという情報を耳にした。連載誌がヤングチャンピオンだという。
 そのときに思った。少年チャンピオンがあるのだからヤングチャンピオンがあってもおかしくないよな。週刊誌だと思ったら隔週だとのこと。隔週といってもあくまでも月2回刊行で、第五週があった場合は発売されない。だったらビッグコミックオリジナルのように〈月2回刊行〉を謳えばいいのに。
 でも、まあ、隔週刊、チャンピオン、ということで、創刊当時の少年チャンピオンを思い出したというわけだ。
 
 小説「ファイティング寿限無」は大好きな小説だ。自慢じゃないが(ということは自慢!)、これまで3回読んでいる。まず図書館で借りて、次に単行本を購入して、その次は筑摩書房から文庫本がでたときに買って。
  読むうちに映画化されないか期待するようになった。若手の落語家が売名行為で始めたボクシングの才能が開花してどんどん出世していく姿を描く青春小説は、アクション中心になるので映像化にはぴったりなのだ。落語ブームといわれ、落語家を主人公にした映画が何本か公開されているのだから、この機会にと願っていたが、そんな話はまったく聞こえてこない。
 あの長谷川和彦監督が、自身のHPで再び映画を撮るための企画を募集していた時期がある。ファンから「ファイティング寿限無」はどうかという提案があって、個人的にとても喜んだのだが、長谷川監督まったく乗り気じゃなかった。原作を読めば少しは態度は変わるだろうに。
 実は映画化のオファーはあったらしい。でも実現しなかった。なぜこんな企画が? と嘆きたくなる映画が多い中、どうしてこういうことになるのか。

 そんな状況下でのコミカライズである。当然チェックしなければなるまい。まあ、立ち読みで様子を見て、面白ければコミックスになったときに購入すればいい。
 今年の3月8日、連載第一回を読もうと書店に立ち寄った。ビッグコミックオリジナルをいつも立ち読みするのと同じ感覚でマンガ雑誌の棚に向かったのだが……なんてこった、ヤングチャンピオンは紐で十文字に結ばれていてページを開くことができない。アイドルの写真が印刷されたB5版のクリアファイルが付録でついている。仕方ない、買った。
 コミカライズしたのは野部優美という漫画家。まったく知らない。少年マンガにはまったく疎いのだから当然か。主人公の師匠がもろ立川談志というのが笑える。小説を読めばモデルだというのは十分わかるのだが。
 2回目は立ち読みだと書店に行くとやはり紐綴じ。またまたクリアファイルの付録つき。ヤングチャンピオンって毎回付録がついて紐綴じなのだ。なんてこったい!
 こうして毎号購入することになったのが、悲しいのは他の連載にまったく興味がわかないこと。ビッグコミックオリジナルを購入していたころは、目当てが「MASTERキートン」とはいえ、「三丁目の夕日」ほかすべての作品に目をとおしていたというのに。

 だいたいヤングチャンピオンを買うこと自体が恥ずかしい。表紙がアイドルの水着姿。クリアファイルはAKB48のメンバーの写真。オレAKB48の総選挙なんてどうでもいいと思っているからね!
 AKB48で思い出した。〈モーニング娘。〉を卒業したメンバーたちが〈ドリームモーニング娘。〉を結成したというニュース。結局あなたたちソロだと活躍できないということだろう? それって恥ずかしくないのか!

 閑話休題(それはともかく)。
 雑誌代を無駄にしたくないので、「ファイティング寿限無」のページを切り抜きすることにした。マンガの切り抜きは「アドルフに告ぐ」(週刊文春連載)以来のことだ。
 マンガ「ファイティング寿限無」は、デフォルメを効かせてかなり原作をアレンジしている。マンガなのだから当然とはいえ、これがいい味だしている。主人公がボクシングを始めるきっかけとなった、やくざとの喧嘩。原作ではほんの偶然のなりゆきだった。敵の攻撃を避けるためにたまたま出した拳が強烈なパンチとなって相手を卒倒させることになる。マンガでは一度やられた主人公が、師匠からハッパをかけられて再挑戦するはめになる。何度も何度も殴られても立ち向かっていく。最後の最後に繰り出したパンチで窮地を脱するという展開。驚いたのはやくざが主人公を見直してしまうこと。こりゃ~物語後半への伏線かな。絶対再登場するよ、このやくざ!

 「アドルフに告ぐ」は完結するまでかなりの期間を要した。
 「ファイティング寿限無」は果たして?!


 【追記】

 チャンピオンの版元、秋田書店は、小学時代にサンデーコミックス、チャンピオンコミックスのほか、少年向け入門書の類で大変お世話になった。
 マンガを描くために買った初めての入門書「マンガのかきかた」、そして「マンガ家入門」「続マンガ家入門」。ここらへんのことは「まぐま vol.18 石ノ森章太郎Spirits」の「体験的石ノ森ヒーロー論」に綴っている。

 少年チャンピオンの「まんが道」は、最初藤子不二雄のマンガの描き方入門ページ「チャンピオンマンガ科」の1コーナーとして始まった。詳細は「藤子不二雄論 FとAの方程式」の読書レビューに。

 マンガを描く道具なんて、今みたいにセットで販売なんてしていなかった。ペン軸、ペン先、羽ぼうき、開明墨汁。ケント紙は青い枠線なんて印刷されていない普通のもの。みんなバラで文房具屋で買ったのだ。太田市北口商店街の柿沼商店。おばあさんが店番していた。ペン軸は手塚治虫や石森章太郎が使用しているというカブラペン。今は圧倒的にGペンが主流になっている。

 そういえば、小学生のとき、少年ジャンプに掲載された広告を見て「マンガの描き方」通信講座を受講したことがある。教材が送られてきて、指導に従って原稿(一コママンガ)を描き、送付したような覚えがあるのだが。
 
 なお、前々項のタイトル「一人で少年漫画ばかり読んできた」は藤子不二雄の著書「二人で少年漫画ばかり描いてきた」のもじり。




 ちょっと一休み。

 昨日は角川シネマ新宿の「軽蔑」チャリティ試写会へ。先週開催されたシネりんのゲスト、大高氏に招待状をもらったのだ。
 もともとこの映画、中上健次の原作を廣瀬隆一監督が高良健吾と鈴木杏の共演で描くと知って公開を楽しみにしていた。大高氏から「試写会に行きたい人」と言われたときは、待ってましたとばかりに真っ先に手をあげた。今年は東日本大震災のため自身が主催する「日本プロフェッショナル大賞」の授賞式が開催できなかったため、一押しの映画の試写会を企画したという。

 試写会は19時15分から。19時ちょっと前に開場に到着して、待ち合わせしていたHさん(シネりんメンバー。招待状は一枚2人なので)に合流したら、一般席は満員になったところだった。
 係員から言われた。
「一番前のマスコミ席でご鑑賞いただけますが、上映後の取材時には一番うしろで立ってその模様を見ていただくことになりますがよろしいですか?」
 拒否するわけがない。係員に連れられてマスコミ席へ。一番前のまん真ん中。特等席だ! スクリーンがでかい。

 70年代の日本映画、特に神代辰巳監督の映画や「傷だらけの天使」等のTV映画に夢中になった人は観た方が良い。手持ちカメラによる長まわしは仙元誠三というか、姫田真佐久のカメラワークだろうか。
 「白夜行」ではダルビッシュみたいな容貌だった高良健吾、今回は松田翔太を短髪にした感じ。二十面相役者と呼ぼう。ちょっとしたことに切れる姿がリアル。ちなみに高良って〈こうら〉と読む。ずっと〈たから〉だと思っていた。
 鈴木杏はスリムパンツが良く似合う。大胆なセックス描写にはちょっと複雑な思い。娘と一つしか違わないので。

 ふたりが列車に乗るシークエンスで憂歌団の曲が流れてくる。この感覚は「傷だらけの天使」の「一人」を意識しているのではないか。あの頃は映画やTV(映画)でよく散見されたものだが。
 このあと、映画の中で一番の名場面がある。さまざまな思いが錯綜して涙がでてくる。
 このシーンで映画は終ればよかったのに。人が入り乱れるざわめきと銃の発砲音をかぶせればその後のことは十分想像できるのだから。ラストの商店街とタクシーのシーンは蛇足でしかない。廣瀬監督、「余命1ヶ月の花嫁」でより涙を誘うベタな演出を覚えたか。
 それはともかく、中上健次の世界を現代に置き換えて違和感なく描ききったのはすごいことだと思う。お前、中上健次を知っているのか、と問われたら知らないと答えざるをえないが。でも、70年代から80年代にかけての映画人の中上健次への思い入れの強さはわかっているつもり。

 あとはどうでもいいこと。
 高良健吾の両親に小林薫と根岸季衣。わあ、「ふぞろいの林檎たち」じゃないか。
 緑魔子なら綾部のばばあができるな。映画で緑魔子が演じるキャラクターは絶対岸田今日子のあの役を意識している。
 音楽はよかったけれど、統一感がなかったな。
 映画のテーマの一つでもある主人公たちが主張する「五分五分」の関係。後藤さんが平山さんにプロポーズした際の言葉「これからは割り勘でいかへんか」に通じるものがある、よね?




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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