声優の滝口順平が亡くなった。ニュースを目にしたのはネットだった。「ぶらり途中下車の旅」のナレーションはどうなる?! ちょっとあわてたが、すでに別の方が担当しているとか。
 ああ、そうなんだ。土曜日はいつも朝早くから出ることが多く、最近はほとんどこの番組を観ることがなかった。降板に気づいていたら、訃報に接してもあわてなかったかもしれない。
 TVを通じて子どものころから親しんできた声だけれど、じゃあ何の声と言われると困ってしまう。「ヤッターマン」のドクロベェと「ぶらり途中下車の旅」のナレーション……。
 ウィキペディアを見たらアニメ作品に「悟空の大冒険」(八戒)とある。最初の出会いはこれか。

 80歳。もう大台になっていたのかと驚いた。
 声優は仕事柄表舞台に登場する機会がない。おまけに歳をとっても声にそれほど変わりがない。だから実際の年齢を知って驚いてしまうことがたびたびだ。僕が子どものころから親しんできた声優たちは、皆70歳を超えた。後期高齢者医療制度に加入する世代になっている。うちの父親がそうであるように。
 永井一郎なんて、かなり若いときから波平を演じていたわけだ。演じているうちに、年齢に追いつき、追い越した。にもかかわらず、イメージはほとんど変わっていない。だから僕たちは錯覚してしまう。永遠にこの声が聞いていられるものだと。
 「ドラえもん」で声のレギュラー陣を総入れ替えしたのはある意味英断だったのではないか。

 そうそう、ゼクシィのCMで着物姿の樹木希林を見て思った。「寺内貫太郎一家」のあの「ジュリー!」と叫ぶおばあちゃんの年齢になったんだなぁ、ごくごく自然に演じられる年齢だよなぁ、と。内田裕也との共演した第一弾は、ふたりの共演の衝撃(?)でそんなことはまったく思いつかなかったのに。
 で、第二弾。ひとりになった樹木希林がしみじみとつぶやく。
「やっぱりひとりがよろしい雑草 やっぱりひとりじゃさみしい雑草」
 ニヤリとして、言えているなぁとうなずいた。
 後で知るのだが、このつぶやき、山頭火の句だという。句というなら俳句ですよね? だとするとはあまりにも字余りだと思うのですが? 二つの句で成り立っていたりして? まあ、いいや。

 朝日新聞に連載されている天野祐吉のコラム「CM天気図」で、このCMが取り上げられた。昨日のこと。
 ずいぶん長い連載で、毎週楽しみにしている。いつも共感し、あるいは得心させられる。
 天野祐吉はこのCMを震災や原発事故と結びつけて語っている。今回だけは思いっきり突っ込んだ。
「そうじゃないでしょう!」
 第一弾のCMが夫の不祥事で吹っ飛んだ。共演なんて慣れないことはすべきじゃないわね。
 そんな樹木希林の嘆き、あるいは長年の別居生活に対する本音が垣間見えて面白いんじゃないか。
 ひとりがよろしい、ひとりじゃさみしい。このつぶやきでまず内田裕也の存在を思わなければおかしい。それともわざと無視したのだろうか?

 閑話休題。
 本当は「ぶらり途中下車の旅」について書こうと思ったのに。
 
 ……合掌




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 8月中に6月の読書録をUPしなければならない。
 とはいえ、じっくりとレビューを書いている時間がなかった。
 中途半端なままUPするのはポリシーに反するが、とりあえず。
 
     ◇

2011/06/02

 「輪違屋糸里(下)」(浅田次郎/文藝春秋)

 浅田次郎の新選組もの第二弾。まさに女たちの新選組物語である。
 登場人物の語りで物語が進行するのは「壬生義士伝」同様だが、明治以降新しい時代から幕末を回想するといった年月の隔たりはない。
 詳細は追って(本当かよ?)。


2011/06/07

 「ディレクターズ・カット」(秋庭俊/講談社)

 TVの報道やワイドショー作りに関する記述はさすが元テレビマンという感じ。本音がずばり書かれている。暴露本的な内容かと思っていたら、ミステリだった。


2011/06/08

 「自民党で選挙と議員をやりました」(山内和彦/角川SSC新書)


2011/06/11

 「江戸の気分」(堀井憲一郎/講談社現代新書)


2011/06/13

 「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」(水木悦子・手塚るみ子・赤塚りえ子/文藝春秋)

 この書名を思いついた担当編集者は、その日祝杯をあげただろうな。


2011/06/14

 「ゴジラデイズ ゴジラ映画40年史」(田中友幸・有川貞昌・中野昭慶・川北紘一・冠木新一/集英社文庫)


2011/06/17

 「お笑い男の星座」(浅草キッド/文藝春秋)

 出版されたときかなり話題になった。書名は梶原一騎・川崎のぼるコンビによる漫画家を主人公にした熱血根性もの「男の星座」からつけられたらしい。評判になっただけのことはある。面白い。景山民夫の初期のエッセイ集を思い出した。書かれていることのどこまでが真実なのか?


2011/06/20

 「大統領の密使」(小林信彦/角川文庫)

 角川文庫で読む「オヨヨ」シリーズ、第四弾。


2011/06/23

 「源内となかま講」(高橋克彦/文藝春秋)

 〈仙波一之進とその仲間たち〉シリーズの新刊が出た。蘭陽と春朗のコンビに平賀源内が加わった。今度は平賀源内が主役である。
 連作短編集のこのシリーズ、続くに連れてだんだんとミステリとしてのキレがなくなっている。つまらないというのではない。ストーリーよりキャラクター重視になっているのだ。蘭陽と春朗のかけあいは漫才みたいで毎回ニヤニヤできる。
 
 打ち水/源内焼/船幽霊/鬼ヶ島/でれすけ/香具若衆/玉櫛笥/屋根のたぬき/手長/厄介講


2011/06/24

 「我輩は猫なのだ」(赤塚不二夫/扶桑社)

 菊千代といったら、映画ファンには「七人の侍」で三船敏郎が演じた△侍として有名だ。菊千代と名づけられた赤塚不二夫の愛猫は、バンザイする猫として、一時大人気になった。雑誌、TVの取材が殺到、CM出演エトセトラ、エトセトラ。ギャラを振り込まれる預金通帳まであったとは飼い主の弁。本書はその菊千代から見た赤塚家、フジオプロの日常が描かれていて興味深い。長谷邦夫が書いたのか。


2011/06/25

 「立川流鎖国論」(立川志らく/梧桐書院)


2011/06/28

 「ビーケーワン怪談大賞傑作選 てのひら怪談」(加門七海・福澤徹三・東雅夫 編/ポプラ文庫)

 図書館の入口近くにある新刊コーナーにあった。書名に惹かれて借りた。昔掌小説というのがあったけれど、あの怪談版。毎年コンクールがあって、そこに入賞した作品108話が収録されている。字数制限があるためか、意味がわからない、でも何か怖い!という作品もちらほら。




2011/08/21

 「乱歩地獄」(川崎市市民ミュージアム 映像ホール)

 川崎市市民ミュージアムへ出かけた。ある方から今このミュージアムで「実相寺昭雄展」を開催していることを教えてもらい、チケットまでいただいたのである。
 展覧会だけではなく、土日は館内のホールで実相寺監督作品も上映しているという。プログラムを調べたら21日の午後が「乱歩地獄」。さっそく足を運んだ次第。

 「乱歩地獄」は江戸川乱歩の小説を原作とする4編からなるオムニバス映画。その一編が実相寺監督作品なのだから、DVDではなくスクリーンで鑑賞したい。
 実をいうと、この映画、封切時(05年)からまるで縁がなくて劇場で押さえることができなかった。DVDも見かけることがなかったような気がする。

 実相寺監督と江戸川乱歩の世界は相性がいい。相性がいいのは時代設定や描かれる世界(耽美、エロス等)によるもの。そう考えた僕は、実相寺監督で「魍魎の匣」を映画化できないものか夢想していたときがある。京極夏彦の京極堂シリーズ(正式には百鬼夜行シリーズと言うそうだ)の第二作。ラスト近くの汽車のくだり。はこを開けると人形が登場するあのくだり。実相寺ショットを思い描き興奮した。怒涛の勢いでこのシリーズを読んでいたころだ。

 ずいぶん経ってからシリーズ第一作「姑獲鳥の夏」が実相寺監督で映画化されたときは歓喜した。喜び勇んで劇場に足を運んだが、出来はそれほど芳しいものではなかった。いや「姑獲鳥の夏」の映画化作品としては及第点だが、コアな実相寺監督ファンとしては期待はずれだったということ。

 で、思った。実相寺監督は京極夏彦の世界に興味ないんだな。あくまでも江戸川乱歩の世界に思い入れがあるのだ。その差が映像に如実に表れるのだ、と。
 だからこそ続いて公開された「乱歩地獄」は必見だった。

 映画は前述のとおり4つの短編で構成されている。

 第一話「火星の運河」(監督:竹内スグル)
 第二話「鏡地獄」(監督:実相寺昭雄)
 第三話「芋虫」(監督:佐藤寿保)
 最終話「蟲」(監督:カネコアツシ)

 実相寺監督「鏡地獄」は、鎌倉を舞台に、謎の連続殺人事件を追って明智小五郎が活躍する話。
 ロン毛の明智探偵には驚かされたが、その他の読みははずれなかった。まさに実相寺テイスト満載!
 独特のアングルで切り取った日本家屋のショットやバックに鏡を多用した背景、スタイリッシュな映像を堪能した。スタッフはさぞかし鏡への映り込みに神経を注いだことだろう。
 しかし、この鏡をバックにして役者を演技させるのは初めてではない。たしか「ウルトラマンダイナ/怪獣戯曲」で取り組んでいたような。鏡と時計はある時期からの実相寺監督のモチーフになったというか。

 映像が堪能できたのは「姑獲鳥の夏」も同じ。しかし、キレが違う。どう違うのか指摘するのは難しいのだが。
 ドラマそのものに夢中になった。このストーリー、まさしくあの時代の「怪奇大作戦」ではないか。劇中の殺人、その方法、謎解きなんてまるで「呪いの壺」みたい。
 「D坂の殺人事件」同様、SM(緊縛)を取り入れたエロティシズムも健在だ。鏡職人(成宮寛貴)と義姉(小川はるみ)のラブシーン、義姉が長い舌をだし職人が噛みつくショットにゾクゾクきた。ホラーとエロが共存している。

 実相寺監督以外の3人の監督はまったく知らなかった。とはいえ、どの作品も面白い。
 「火星の運河」は全裸の男が全裸の女に暴行するショットに驚愕した。そのカメラワーク、そのカッティングに。実に不思議な景色が登場する。エンディングロールによれば、アイスランドのロケだと。これまた驚愕。他3編に比べショートショートといった按配のこの作品で海外ロケしているなんて!
 「芋虫」は「キャタピラ」の前に観ていたら、そのメーキャップの出来に驚いていただろう。四肢の切断状態がとてもリアルに見えた。四肢を切断された亭主に扮するのは大森南朋。顔のメーキャップもすごいので指摘されなければわからないかも。
 「蟲」の監督カネコアツシは漫画家だとか。途中からの転調ぶりに快哉を叫んだ。これぞブラックユーモアの極致。通りのブリーフ姿、「どうもすいません!」は、かわまたぐんじ事件からのインスパイアか?

 4作とも浅野忠信が出演している(一作めから順に男、明智探偵、明智探偵、主役の運転手)それぞれの作品は独立しているのに、この役柄が微妙に関連しているような気がする。
 それにしても浅野忠信はもうこのときからハジけていたのね!!

 これもエンディングクレジットで知ったのだが、制作がミコット&バサラ。三宅さん、突然(じゃないのかもしれませんが)の倒産はショックでした。でも、21世紀の日本映画に新風をもたらしたのは確かだと思いますよ。




 NHK「SONGS」にジュリーが出演したときに初めて聴いた「Long Good-by」。タイガースのメンバーが瞳みのるに贈った歌だ。作詞・岸辺一徳、沢田研二、作曲・森本太郎。
 この歌を聴くと、どうしても目頭が熱くなる。

 タイガースが解散したとき、23歳の瞳みのるはつきあいの長い友人岸辺一徳に「一緒に帰ろう」と言った。岸辺一徳はその誘いに応えられなかった。
 瞳みのるは好きな音楽、好きなバンド活動の延長で芸能界に入ったけれど、事務所のいいなりのアイドルなんて大嫌いだったのだろう。だから解散したとき、本当に郷里に帰ろうとしたのかもしれない。でも友人は首をたてにふらなかった。郷里に帰らなかったけれど、芸能界、メンバーと決別した……。

 この「一緒に帰ろう」のエピソードを知ったとき、真っ先に赤い鳥の解散時の後藤さんを思い浮かべた。二人とも同じような心境だったのではないか、と。
 以前にも書いたことだが、後藤さんは、デビュー以来赤い鳥の音楽活動に不満を持っていた。事務所主体の、東京のマスを対象にした芸能ビジネスに。打破するためには、どうしたらいいか。メンバー皆に声をかけた。
「一緒に関西に帰ろう。帰ってもう一度自分たちの手で音楽活動しよう」
 誰も賛同してくれなかった。
 解散して、紙ふうせんになって、しばらくは東京で活動していたが、平山さんの妊娠を機に関西に帰った。帰ってから「冬が来る前に」がヒットして、東京のメディアに頻繁に露出するようになったのは、皮肉だったけれど。以後、ずっと関西を拠点に活動している。

 瞳みのるは、タイガース解散後、大学に入学して教員免許を取得、卒業後某高校の教師になった。ずっと教師の道を歩いてきた。対談でわかったのだが、今回、教師を辞めてミュージシャンに復帰しているのだ。一本筋をとおした生き方ではないか。

  
 【追記の追記】

 初代ウルトラマンのスーツアクター、古谷敏にも通じるものがあると思う。




 映画&イベント

8/21 「乱歩地獄」(川崎市市民ミュージアム 映像ホール)

8/22 「冷たい熱帯魚」(新文芸坐)

8/25 「トランスフォーマー ダークサイド・ムーン」(MOVIX川口)

8/26 「さばの湯 雑把亭 立川談四楼独演会」(さばの湯)

8/27 「春への憧れ」「ユメ十夜 第一夜」「東京幻夢」(川崎市市民ミュージアム 映像ホール)
   「実相寺昭雄展」(川崎市市民ミュージアム)

 購入本 

 「ベスト・エッセイ2011」(日本文藝家協会編/光村図書)
 「お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か」(萩元晴彦・村木良彦・今野勉/朝日文庫)
 「ファイティング寿限無」(原作 立川談四楼・漫画 野部雄美/秋田書店)


 今週発売の週刊文春、「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストが瞳みのるだった。この対談コーナー、いつもはパスしてしまうのだけど、これは興味津々。朝の電車の中でチェックしてしまった。
 加橋かつみとは別に仲が悪いわけではないらしい。実際、タイガース時代のマネージャー(5人が揃うことに奔走)が入院して、その見舞いで5人が揃ったそうな。ああ、よかった。
 歌謡曲に興味を持ち出した最初の曲がタイガースの「モナリザの微笑」だった。この歌が聴きたくてTVの歌謡番組にチャンネルを合わせるようになったのだ。トッポ(加橋かつみ)がギター弾きながら「花の首飾り」を歌う姿に感動した。僕にとってタイガースとはトッポだった。だから、彼が脱退するとタイガースへの興味がなくなり、テンプターズに夢中になっていった。
 再結成時、唯一参加しなかったピーが音楽活動に復帰した。タロー、サリーとともにジュリーのツアーに同行するという。トッポがいないのは残念だが、なんとか一度はコンサートを覗いてみたいものだ。




 先週14日(日)のコミケ会場での話。
 ブースで売り子をしていると、目の前を若い男性が通り過ぎていった。知っている人だった。声をかけようとしてフリーズ状態に。
 名前がでてこない。あれ? 誰だっけ? 彼のことはよく知っているんだ。単に顔を見かけただけの関係ではない。その証拠に彼の声を思い浮かべられる。これって彼と話をしたってことだろう。話しかけられたことは何度もある。つい最近もあった。

 にもかかわらず名前が思い出せない。名前だけではない、どこで知り合ったのか、どういう繋がりなのか、まるでさっぱり。
 会社関係? 違う。イベントで一緒だった? 違う、違う。 結局、その日は思い出せなかった。こういうのってとんでもなく気持ちが悪い。

 翌日から思い出せ運動が始まった。15、16、17、18日、いっこうに記憶は蘇らない。ああ、もうダメかぁ、ここまででかかっているのに……。19日の金曜日、退社間際になって、突然思い出した。
 近所のファミリーマートの店員だ! 
 そりゃ毎日のように利用しているもんなぁ。声もかけられるよ、「いらっしゃいませ」「○○円になります」「ありがとうございました」

 帰宅途中、当のファミリーマートに寄ろうとしたら、偶然にもその店員が外から帰ってきたところ。思わず呼び止めた。
「14日、コミケにいたでしょう?」
「はい」
「見かけたんですよ、東ホールで、Oのブース近く」
「3日間通いましたから」
 あらま。




 これはある愛の赤い鳥の続編である。
 mixiにこの文章を書いたとき、マイミクのMさんから真相を教えて欲しいとコメントをもらって、続きを書いたのだった。もちろんそのままでは差し障りがあるので、自分の体験を披露してMさんに想像してもらおうと。
 最初の友人をエキストラにした話は100%本当のことだが、より理解してもらいたかったのでもうひとつのオーディションの話は創作をかなり付け足した。なんとか「2丁目3番地」とリンクさせながら。
 最近、YouTubuに赤い鳥の「目覚めたときには晴れていた」がUPされた。これぞオリジナルバージョン! メインヴォーカルは平山さん。本当に? 新居さんの声のようにも聞こえないか? 
 平山さんがメインだから、レコーディングで主演の……いや、それはいいか。
 それはそうと、サビなんてまんまフランシス・レイだよな。
 それから原田芳雄は「2丁目3番地」にも出演していたのか。全然覚えていない。「3丁目4番地」の主演(の一人)はしっかり記憶にあるのだが。

     ◇

 ●愛しい彼女を大都会の危険な誘惑から守る方法 2007/01/10

 CF制作会社で働いていた頃、今から22、23年前の話である。
 昔を振り返らないショーケンを評価するお前がなぜいつも昔話に花を咲かせるんだ! なんて嘆きが湘南地方から「いかつりの唄」に乗せて届いてきそうだけど、まあお聞きください。

 某生理用品のプロモーションビデオを制作することになった。コンテには大勢の若い女性が銀座4丁目の交差点を闊歩するシーンがある。予算はない。会社スタッフの友人をかき集めることに。その年入社した1年下の後輩Iが数人に声かけた。
 その一人はビデオに出演できることをとても喜んでいたと、一緒に出演者をあたっていた私に言った。
 十数分後、I宛ての電話。相手はさっき出演を快諾した女性(Aさん)だ。
 話し終えたIは浮かない顔で私を見る。
「Aがキャンセルしてきたんです。さっきはあんなに喜んでいたのに」
 すぐに状況を飲み込んだ私はしたり顔で答えた。
「彼氏に電話したんだよ、自慢したくて。ビデオに出演するんだって。そしたら、彼氏が怒ったわけさ」
 きょとんとするI。
「撮影なんていうと、一般の人はいろいろ想像するんだよ。言葉巧みなスタッフの毒牙にかかったらたまらないって。撮影終わって、飲み行かないなんて誘われて、酔ったところをホテルに連れ込まれて、なんてさ」
 まるで見てきたように、私の妄想も膨らんだ。
「そんなバカな。Aさんが言うのさ。ありえないことではないだろう。彼氏が反論。ちょっとした言い争いがあって、Aさん、彼氏を説得できず。泣く泣くあきらめたってところかな」
 Iはもう一度Aさんに電話した。もどってきたIは驚きを隠せない。
「アライさん、なんでわかったんですか! まったくその通りでした」

 私がAさんの彼氏だったらどうしただろうか?
 彼女は撮影に参加したいと懇願するのである。たぶん了解するだろうな。でも心配だから一緒についていく。で、遠くで見守る。

 脚本家・倉本聰を知ったドラマが「2丁目3番地」。数年前に教えられたのだが、デビューしたての男女混声フォークグループがこのドラマの主題歌(挿入歌?)をうたっていた……。

 前説が長すぎた。Mさん、続きは明日ということで。


 ●兵ちゃんと「2丁目3番地」 2007/01/11

 CF制作会社時代には、もうひとつオーディションにまつわる奇妙な思い出がある。

 会社は築地の5階建ての小さなビルをまるまる借りていた。
 1階はもともと駐車場だったのだが、私が入社する前に改装して、簡易撮影スタジオとして時折使用していた。
 ある日のこと、そこで某CMに出演する娘のオーディションを行った。
 確か5、6人集まったと思う。小さな役なので、やってきた娘もタレントの卵といった感じ。もちろん皆一人だ。
 ところが、メンバーの中で一番光っていた娘(あくまでも個人的な意見)だけ男性と一緒だった。
 最初マネージャーかと思ったが、来社したときも、オーディション中も、帰る際も一言も話さない。それっぽくない。終了後、いったいあいつは何者だったのだ?という話になり、心配した彼氏がつきそってきたのだろうという結論に落ち着いた。

 ここで、私の妄想が始まった。女性一人で来るもんだと思っていたら、見知らぬ男性が隣にいる。ステージママ(パパ)ならぬステージカレ。オーディション中、彼氏がこちらの質問に、本人を差し置いてしゃしゃりでたとしたら? スタッフは怒り心頭だろうな。な、なんだ、こいつって。
 っもう不合格!

 ……ドラマの話だった。

 「2丁目3番地」は軽妙洒脱な愉快なドラマだった。当時美男美女として人気絶大だった石坂浩二と浅岡ルリ子がコミカルな夫婦を演じていた。奥さんが旦那を「ヘイちゃん」と呼ぶ。これが実に様になっていた。まるで本当の夫婦のようだ、なんて思っていたら、放送終了後本当に結婚してしまったのだ。
 実は石坂浩二の本名が〈兵吉〉であり、友人には〈兵ちゃん〉と呼ばれていることをその過程で知ることになるのだが。
 そういえば、石坂浩二が探偵に扮した「平四郎危機一発」というドラマ(TV映画?)もあった。あれも〈兵ちゃん〉から連想されたタイトルなのだろうか。
「平四郎危機一発、おならが二発」 
 懐かしいなあ。

 何より斬新だったのは、ナレーションをふたりの間に生まれた生後何ヶ月かの赤ちゃんが担当(女性の声優だろう)していたこと。
 今から考えると、赤ちゃんの目を通して両親を描くというプロットは市川崑監督がベストセラー本を映画化した「私は2歳」から発想されたものではないかと推測できる。
 「私は2歳」はレンタルビデオで観たのだが、これがまた傑作(キネマ旬報ベストテン第1位)。とにかく主役(?)の赤ちゃんは公開年度(1962年)からすると自分と同年齢。都会と田舎の差はあるけれど、映画に登場するものすべてが、原風景になるのだから感慨もひとしおだった。

 調べてみると「2丁目3番地」の放送は1971年の冬。小学5年生の3学期だったのか。前年には同じ日本テレビの「君は海を見たか」に夢中になった。
 このドラマについては、以前夕景の読書日記(倉本聰「愚者の旅」)の中で触れ、こう記した。

     ▽
 不治の病に冒された息子と、仕事に忙殺されて家庭を顧みなかった父親のふれあいを描くこのドラマ、子ども心にもラストのクライマックスが想像できた。病院のベッドの上で息絶え絶えの息子と、父親の最後の会話が交わされる涙なくしては見られない展開……。  
 とんでもなかった。息子の死を宣告されてからというものの、仕事モーレツ人間から家庭人間になった父親は、病気に効くとされる民間療養はすべて試してみた。神様、仏様はすべてお祈りした。その結果、まだ息子に異変は見られない。もしかしたら奇跡がおこったのかもしれない。本当に助かるのかも。そんな大人の会話が交わされているところに、トイレから息子の声が響いた。「パパ、来てごらん、見てよ、ボクのおしっこ、まっかっかなんだよ、とってもきれいなんだ」  
 ここで、すぐに息子の遺影になって、父親のモノローグでエピローグが語られる。この展開に衝撃を受けた。
     △

 後年、理論社から出たシナリオを読んで知ったことだが、この息子は昭和34年生まれ、私と同い年だったのだ。大映で映画化もされた。映画は未見。80年代になってショーケンの父親役でリメイクされた。ショーケンが息子のことで、大男と喧嘩してボコボコにされるシーンに胸を打たれた。一度しか観てないので記憶があやふやなのだが。

 ……主題歌の話だった。

 「2丁目3番地」が好評ですぐに「3丁目4番地」が制作された。浅岡ルリ子の単独主演であり、内容的にリンクしないのだが、石坂浩二が作詞し、ビリーバンバンがうたった主題歌「さよならをするために」が大ヒットした。

 そんなわけで「3丁目4番地」に主題歌があったのは、よく覚えているのだが、「2丁目3番地」に主題歌、もしくは挿入歌があったことはまったく印象にないのである。リアルタイムで夢中になって毎週土曜日夜9時を楽しみにしていたくらいなのだから、歌手が誰であるかはともかく、ドラマの中で流れる歌には耳を傾けたはずなのだ。なのにまったくのOUT OF 記憶。この事実を知らされたときはかなりショックだった。
 調べてみたら、「目覚めたときには晴れていた」という曲。
 何年か前に赤い鳥のアルバムのほか、NHK「みんなのうた」で赤い鳥が歌った曲、CMソングをすべて網羅した12枚入りのCD-BOXがリリースされた。前述の曲はこのCDにも収録されていない。ほんとにホント幻の曲なのだ。

 で、本題なのだが……。
 ああ、やはり長すぎる。明日に続
 けるのもどうかと思うぞ。
 そんなわけで、Mさん、申し訳ないけど、勝手に推測してください!




 1975年1月19日、あなたは何をしていましたか?
 なぜ、そんなことを訊ねるの? まあ、それは最後に。

 75年の1月というと、間近に迫った高校受験に向けて必死に受験勉強していた。
 群馬の県立高校の入試は3月13日。
 出来が悪くて、本当に落ちるんじゃないかと、飯が喉を通らない。母親に「落ちたかもしれない」と言うと、「大丈夫よ」。あのさ、気休めはやめてくれ! いや、ほんと生きた心地がしなかった。
 合格発表は18日。当日の日記にこうある。

     ▽
1975/03/18

 受かった! やった!!
 太田高等学校に入れた。地獄の4日間が終わり天国が訪れた。
     △

 この日、母の「大丈夫よ」の根拠を知った。近所に太田高校の教師がいて、けっこう親しかった。母はその教師から結果を教えてもらっていたのだった。

 そんなことはどうでもよくて。

 19日の日記がない。前日は書いていた。

     ▽
1975/01/18

 Kちゃんといっしょに、18時から市民会館で行われた「ヤングヤング歌謡ショー」を見る。ダ・カーポ、浅野ゆう子(バカ)、荒川務(またまたバカ)が出演。
 何しろうるさかった。女連中がワイワイガーガー。ああいう姿はイヤですねェ。
 太田にもいるんですよね。
     △

 どこかでイベントのチケットをもらったんだね。親友を誘って(あるいは誘われて)市民会館にでかけたわけだ。
 中学時代は歌謡曲を、アイドルを毛嫌いしていたので、デビューしたての浅野ゆう子も荒川務も大嫌いだった。特に浅野ゆう子なんて、のちに「太陽にほえろ!」の二代目お茶くみになるに及んで怒り心頭。今では大女優だもんな。見る目がなかった。

 そうそう、なぜ75年の1月19日なのか?
 この日、東京厚生年金会館大ホールで「歌う銀幕スター 夢の狂宴」と題されたイベントが開催されたのである。
 出演は、菅原文太、渡哲也、藤竜也、原田芳雄、宍戸錠、佐藤蛾次郎、中川梨絵、桃井かおり。プラス、あがた森魚、石川セリ。鈴木清順、深作欣二も出ていたらしい。
 プロデュースは、TBSアナウンサーの林美雄。もうこのころからパック・イン・ミュージックのパーソナリティを担当していたのか。

 僕がラジオの深夜放送を聴き始めるのが高校2年か3年だった。ラジオはTBS派だったので(一番よく聞こえたので)、パック・イン・ミュージックは月曜日から金曜日まで毎晩聴いていた。番組が終って、次の「歌うヘッドライト」の挨拶が聞こえてくると、ベッドにもぐりこむ、そんな生活だった。
 林美雄は映画の話題が多いので大好きだった。おすぎとピーコを知ったのはこの番組ではなかったか。

 菅原文太は「仁義なき戦い」でスターの仲間入りを果たしたが、リアルタイムに観ていないので、その魅力を知ることがなかった。
 原田芳雄を初めて観たのは映画ではない。「3丁目4番地」だとばかり思っていたが、「2丁目3番地」にも出演していたのか。「反逆のメロディー」は「八月の濡れた砂」同様、幻の日活映画だった。「八月の濡れた砂」の主題歌を歌うのが石川セリ。いやはや感激。
 原田芳雄ってギター弾くのか。「早春賦」。「知床旅情」はこの曲をパク、ではなくこの曲にインスパイアされた? というか、「早春賦」自体モーツァルトの曲のパク、ではなく、インスパイアなのね。
 「青春の蹉跌」「赤い鳥逃げた?」で裸になる女優という印象が強かった桃井かおり。桃井かおりを知ったのは「青春の蹉跌」か「それぞれの秋」だったか。一般的に人気になるのは「前略おふくろ様」の恐怖の海ちゃんだが。歌がヘタ。佐藤蛾次郎はうまい。
 宍戸錠は小学生のときから知っていたが、映画俳優というイメージはなかった。「ゲバゲバ90分」や「どっきりカメラ」で笑いを振りまくタレントという認識。

 林美雄をサポートしたのが、キネマ旬報の編集者、当時25歳の植草(信和)さん。参加したスタッフが若いから、こんなイベントが開催できたのだろう。
 演出は、まだ監督デビューする前の長谷川和彦。業界では有名人だったらしい。
 参加したお客さんには生涯忘れられないイベントになったのではないか。

 一昨日、こんなイベントがあったもので。




 47歳になって思うことがあった。その思いは誕生日の翌日mixiに書いている。
 翌年(07年)が自分の干支(亥)でもあり、〈表現したい〉宣言をして本を2冊つくろうとした。
 ものごとは簡単には進まない。自由になる金が自分にあれば別だろうが。
 個人本「僕たちの赤い鳥ものがたり」が完成したのは3年後、50歳になる年だった。
 そして今年8月、念願の映画評・書評のコラム&エッセイ本「夕景工房 小説と映画のあいだに」完成。10月で52歳になる。

 エッセイ集「mixi失格。 誰が日記なんか書くものか!」はもう何年も前に原稿ができ上がっている(本ブログの「mixi失格。」とは別物、いやちょっとかぶっているか)。まぐまPBシリーズとしては評論・論考集「特撮世界のロビンソン・クルーソー」なんてのもありか、なんて(このタイトルの元ネタ、小林信彦ファンならすぐわかるだろう)。
 秋からは「ギャンブルが人生だって? それは逆だ、人生がギャンブルなんだよ!」の執筆を開始する。
 本業=生きがいなら、どんなにいいか……

     ◇

 ●47歳。 2006/10/16

 昨日(15日)、47歳になった。
 30歳、40歳といった節目のときよりも感慨深い。とうとう来てしまったかという気持ち。
 母親が脳腫瘍で入院、十数時間に及ぶ大手術、その後の合併症で生死の境をさまよった年齢だからである。驚異的な生命力で持ちこたえたが、結局その後20年間寝たきり生活を送ることになった。

 母の場合〈右小脳テント髄膜腫〉が正式名称。家族、親族を集めて、主治医からの説明で知らされた。隣町の足利日赤病院。あの日、父は緊張のあまりハンドルを握れず、叔父の運転で病院へ行ったのだった。
 手術前、相部屋の他の患者さんたちの年齢を知って驚いたことがある。母と同年代なのに、どう見ても一つ上の世代、老人にしか見えなかった。皆術後の姿だった。
 40歳を過ぎたあたりから、年齢より若く見えることを自慢していた母も同じ容貌になるのか? 信じられなかった。
 
 手術当日、なぜか父は私を家に残らせた。たった一人、心細くて仕方なかった。もし手術が失敗したら? もう祈るだけだった。泣きながら手を合わせていた。
 あくまでもフィクションとして、エンタテインメントとして読んでいた手塚治虫の「ブラックジャック」のストーリーがとても身近に感じた。本当にブラックジャックがいたら、わが家は一千万、二千万円の手術料を用意することができるだろうか。払ってみせる。本当にブラックジャックがいて欲しい。なぜいないんだ! 所詮漫画の世界か。
 泣いて、怒って、寂しくなって……
 様々な感情に支配された日だった。

 それはそれとして大台まであと3年。学生時代に思い描いた人生とは大幅に違う道を歩いている。何かと考える。悩むこともある。後悔はしていないといきがっても忸怩たるものはいつも心にある。
 要は毎日の充実度。今自分にできることは何か。何がしたいのか。




2011/08/01

 「モンスターズ 地球外生命体」(シアターN渋谷)

 午前中に「里山の学校」を観て、昼食。食後、郵便局で振込みなどしていたら、上映(13時)間近になって、あわてて劇場に駆け込んだ。平日の昼間なのに、ほぼ満席。同好の士はいるんだな。

 開巻、かなり緊迫感のある軍隊と異星生物との攻防が描かれる。制作費130万円の自主映画とは思えない(異星生物のデザインは?だが)。が、男女の異星生物居住地区からの逃避行になるとたびたび睡魔に襲われた。何度も意識がなくなった。
 いつかどこかで観たヴィジュアルのオンパレードとはいえ、特撮と雰囲気作りが巧い映画ではある。川の中から戦闘機が浮かび上がってくるショットが、監督の自宅の風呂でミニチュアを使って撮影されたなんて絶対思えない!
 ギャレス・エドワーズ監督は、この映画の実績が評価されて、現在進行しているUSゴジラのメガホンをとることになったのこと。大抜擢だ。大いに期待したい。

 数日後、Sさんから携帯に電話があった。「モンスターズ、観た方がいいですか?」と訊かれたので、観るべきだと答えた。「つまらない映画だけどね」
 先日、Sさんから以下のメールをもらった。もう二十数年提唱している「餓夷羅」がそうなんですよ、Sさん!

     ▽
 「モンスターズ」観ました。低予算だから仕方ないのかもしれないけど、「クローバーフィールド」のほうがよかったです。(気持ち悪くはならなかったけど)
 タコ系の異星人ってベタだし(ドゴラとミレニアムを合わせた感じも新鮮味がないし)、触手で探すのって「宇宙戦争」だし、車の外を宇宙人が練り歩くのは「ジュラシックパーク」だし、宇宙人のセックス見て盛り上がっちゃうって言うのもなんだかなぁって感じでした。
 全体としては「大怪獣東京に現る」的なつくりで観る側のイメージで怪獣を動かしてる演出だと思いますね。
 でも、130万で作れるのならやってみたいところです。エキストラの演技がうまかったですね。
 DVDになってから自宅で見たほうがよかったってとこです。

 この映画を観て、海外と日本では怪獣映画の捕らえ方が根本的に違うことがわかりました。
 日本は怪獣を意思を持って行動しているものとして描いています。例えていうならば、猫や犬のような 感じです。しかし海外の怪獣はその要素がなく行動が本能のままというか爬虫類、昆虫的という感じです。
 要は目や顔の表情がない。これは能などからくる表現を日本は無意識にしているのではないかと感じました。
 能自身は表情のないただの面ですが、そこにいろいろなファクター(例えば照明や顔の角度をつける)を入れることによって意志を表現しようとしています。同じようなことをゴジラでもやっているのではないでしょうか。例えば咆哮の際の見栄きりのような首回しとか睨む仕草とか。日本人は怪獣を犬や猫のように何らかの意思を表に出す生物と捕らえているように思えます。
 だから、「キングコング」のほうが「トラゴジ」や「クローバーフィールド」より愛着があり、「ジュラシックパーク」は恐怖映画としては最高だけど、それぞれの生物には愛着がない感じがあると思います。

 そこで怪獣映画を撮るならこんな要素でというのを勝手に列挙します。

1.恐怖映画の延長上にあること
 ①追いかけ、閉じ込めで迫り来る恐怖。ただなぜ執拗に追いかけるのかを動物の心理から設定したい。
  (「ジュラシックパーク」でよくできていたのは、T-REXは動くものに反応するということを知っている人と知らない人とで逃げ惑う動きを変えていたことで、見る側も感情移入できたことである)
 ②画像の外の見る側の想像をプラスした表現
 ③暗闇の表現としたいけど、映像としてはよくわからなくなるので、明るい表現での恐怖を考える。
 ④自分が死ぬかもしれないという恐怖感、緊迫感。
 ⑤目と目が合って自分が選ばれたときの恐怖
 ⑥財産を失う恐怖(家の崩壊、車の崩壊、大切な人の死)

2.映像表現
 ①窓や壁一枚で向こうにいるという表現をオプティカルプリンターでやりましたというものでない表現。
 ②神の目線の廃止
 ③現在ではミニチュア、模型とわかる表現ではB級映画若しくはパロディとなってしまう。模型を模型とわからないように表現すること。
 ④建物の壊れ方。9.11以降爆発の建物の破壊は存在しないことがわかる。

3.ストーリー上の表現
 ①最近のゴジラは防衛システム対ゴジラばかり目立つが、怪獣映画としては怪獣に遭遇した人の生き残りの逸話のような視点では。(以前なぜ主人公は死なない?という疑問に主人公は生き残った人の話だからというのに納得したので)
 ②怪獣同士の戦いではプロレスごっこからの卒業。猫の喧嘩でさえそんなんじゃないし、ましては動物の捕食の映像を見れば迫力が違う。
 ③ストーリーの流れは3回ぐらいの山を昇り降りするぐらいのリズム。

 適当にだらだら書きました。
 妄想しましょう。
     △




 その1よりやっと続く

 我が家のTVは地上波しか映らない。BSはたぶん見ることができるはず。なのだが、配線(?)等のやり方がわからない。よって見られない。CSはかみサンの反対で契約できない状態が続いている。
「CSが視聴できるようになれば、あなた、今まで以上にTVに釘づけになるでしょう!」
 映画はDVDを借りてくればいいという論理なのだが、CSで放映する映画はTSUTAYAでレンタルしていないものが多いんだよ。わかってないなぁ。
 まあ、いいや。

 WOWOWはBSなのかCSなのか。それすら知らない機械音痴であるが、これまで数々の国内外の映画を放映してきた映画ファンには加入がマストのチャンネル(局)である。
 この数年、単に映画を放映するだけでなく、自ら制作するようになってきた。観たいと思わせる作品を手掛けている。人気ミステリの映像化なのだが、これがかなり健闘しているのだ。確かに「犯人に告ぐ」なんてよくできていた。最近では「白夜行」の映画化、「幻夜」のドラマ化が話題になった。
 「白夜行」はクライマックスの船越英一郎の叫びで台無しになってしまった感がある。叫んだことに対してではなく、叫んだ内容に。
 同じ東野圭吾原作で悪女ものの姉妹編「幻夜」はどうなのだろうか? 深キョンの悪女ぶりは?

 「マークスの山」は「幻夜」の前に放送されたドラマだったのではないか。
 新聞広告だった思う、WOWOWドラマ「マークスの山」の宣伝を見て、原作に近い形で映像化するには、映画より連続ドラマの方が適してると喜んだ覚えがある。
 日本映画界には、ベストセラーになった長編小説(主にミステリ)を映画化する傾向がある。いくつかの例外(「OUT」「犯人に告ぐ」とか)を除きことごとく失敗している。映画で、原作どおりの展開で描こうとすれば、情報量、時間の問題で破綻が生じるのは目に見えている。にもかかわらず、ほとんどが登場人物を少し整理するくらいで、原作同様の構成のまま映画化してしまう。
 僕自身、小説を読了して「これは映画になる!」と思ってしまうタイプである。しかし、こと長編の場合、TVドラマの方が映像化に向いているのではないだろうか。1クール(13回)は少し長いが、スペシャルドラマの前後編・3部作、あるいはNHKが得意とする短期間シリーズ(5、6回で完結)。「マークスの山」はまさにこの作りだった。

 主人公の合田雄一郎に上川隆也、合田の友人で東京地検特捜部の検事・加納に石黒賢。原作を知る者にとってはどちらもイメージではないが、NHKドラマ「照柿」の三浦友和の例もある。要はドラマの中で存在感を示せるかどうか。そういう意味では二人は好演していた。
 ふと思った。映画では誰が加納を演じていたのか? 調べたらなんと加納はカットされていたのだった。
 ドラマのもう一つのキーとなるマークスと看護婦。高良健吾と戸田菜穂が演じていて個人的にはイメージがぴったりだった。DVDのVol.1は全五話のうち、第一話と第二話が収録されていた。この二話を観る限りでは、映画をはるかに凌駕する傑作になりそうな予感がした。
 しばらく間を置いて鑑賞したVol.2(第三話、第四話)、Vol.3(最終話)で、大いなる期待はしぼんでしまう。映画より出来はいいけれど、傑作にはならなかった。

 結局マークスの精神障害をきちんと描けないことに起因するのではないか。映画化でも感じたことだが。
 3年周期で訪れる闇、その闘病を描かかないことには看護婦との純愛(同棲生活)も胸に響かない。原作(当然講談社文庫版だ)と違って、マークスが精神障害を患うのは、子どものころの母親の虐待が原因となっている。なぜ原作と違えているのかわからないが、母親の虐待を要因とするなら、その虐待が少年にどのようなトラウマを植え付け、精神障害になったのかという過程をきちんと描かなければ意味がない。きちんと描ければ、原作で感じた恋人というより母子のような関係がより鮮明になるのに。
 また、連続殺人の犯人がマークスであることが判明、北岳に登った彼を追うのは合田ほか数名というのは拍子抜けした。そうせざるをえない理由も説明されているが、これは警視庁と所轄署の合同捜査しなければ、物語的にも映像的に意味がない。
 そして山頂から晴天でくっきりはっきり見える富士山を見せなければ。メモの引用もとってつけたようだった。

 週刊誌記者を男性から女性にして(演じるのは小西真奈美)原作以上に活躍させたのはドラマのオリジナル。ラストは甘いけれど、山頂のシーンでそれほど感動できなかった者としては、ある種ほっとできる解決法だと思う。

 映画を観たとき(ビデオで、だが)同様、ドラマ全話を観終わると、原作を読みたくなった。
 単行本をまた読もうか。
 なんて思っていたら、新潮文庫で「マークスの山」(上下)が出たことを知った。〈決定版〉とはどういうことか。講談社文庫にまた加筆訂正しているのか。買うしかないか。




 昨日、やっと「大鹿村騒動記」を観ることができた。丸の内TOEIにて。特別料金で1,000円ぽっきり。ありがたい。
 映画の中の原田芳雄は、老けたとはいえいつもの原田芳雄だった。その声、台詞廻し、原田節に聞き惚れてしまう。声の調子に、なぜか、亡き祖父を思い出して仕方なかった。
 この映画、テーマと構成が「ホームカミング」に通じるものがある。

          * * *

 夏休み直前の大事なイベントを書き忘れていた。
 夏休みに入る前、先月29日(金)に神保町の学士会館で「立川談四楼 出版記念&祝還暦パーティー」があった。PHP研究所から「落語家のやけ酒、祝い酒」を上梓したのと、6月に還暦を迎えたことを記念してパーティーが企画されたのだ。

 パーティープログラムは以下のとおり。

 ・落語 立川談四楼「らくだ」
 ・乾杯~歓談
 ・スペシャルゲスト 今陽子ミニミニミニライブ? 「恋の季節」「見上げてごらん夜の星を」
 ・歓談
 ・〆のご挨拶

 酒がテーマの本なのだから、落語の演目は「らくだ」か「替わり目」だろうと予想していた。師匠の「らくだ」、大好きです。
 スペシャルゲストの今陽子さん、ピンキーとキラーズの世代(歌謡曲に興味を持ち出したころのヒット曲が「恋の季節」なのだ)だから、生の声で歌われる「恋の季節」に感激。今さんも今年還暦なんだそうだ。そうは絶対見えないけれど。ご一緒のご母堂がまた若い。親娘ではなく姉妹に見えるんですよ、ほんと。ちょっと歳の離れた姉妹ね。
 最後になって、師匠の隣に座っている男性が漫画家の野部優美氏であることがわかった。黄色いパンツ、赤のポロシャツ(Tシャツ?)という派手な衣装で、着席したときからとても目立っていた。あわてて駆け寄り挨拶した。
「『ファイティング寿限無』読むためだけにヤングチャンピオン買っています」「切り抜きしてます」
「うれしいなあ! 編集が聞いたら感激しますよ」
 隣に座っていた方は担当の編集者だったのか。もっと早くわかればいろいろ話が伺えたのに。

 二次会に参加して帰宅すると、ネットで注文していた2冊が届いていた。

 「冬の神話」(小林信彦/講談社)
 「どうせ曲がった人生さ」(立川談四楼/毎日新聞社)

 数日前にネット古書店で「冬の神話」が1,000円で売りに出されていたのであわてて購入し、合わせて、なかなか文庫にならない「どうせ曲がった人生さ」も注文したのだ。これで初期の談四楼本はすべて手に入れることができた。10年前に図書館で借りて読んだ。とても面白いエッセイ集だった。

 ということで夕景工房から転載。
 ああやっぱり最近このパターンが多い。

 文中の真打試験第一号というのは間違い。2回目か3回目の試験だった。1回目が全員合格したことを批判されたことによる処置で、落とされたのは、当日審査を欠席した立川談志と古今亭志ん朝の弟子。そりゃ家元(当時はまだ家元ではないが)怒るって。
 
     ◇

2001/01/22

 「どうせ曲がった人生さ」(立川談四楼/毎日新聞社)

 立川談四楼のエッセイ集をやっと読む。
 「シャレのち曇り」に始まる談四楼の一連の落語小説は新作がでるごとに巧くなって、すっかりはまってしまった。語り口がまるで高座を聴いているようで、すっかり魅了された僕は一昨年、下北沢は北沢八幡神社で定期的に開催されている談四楼独演会に足を運んだ。当日の演目は「目黒のさんま」「柳田格之進」。声に迫力と艶があって語り口も巧妙。落語に造詣が深いわけではないが「巧いなあ。小説の行間からにじみ出る落語に対する自信は嘘じゃなかったんだなあ」と思った。終わってからさんまが食べたくてしかたなくて……。
 てなわけで、小説家としてだけでなく落語家・談四楼のファンにもなってしまった(本は全部図書館から借りていて、落語もまだ一度しか聴いたことないのでファンといえるかどうか心もとないが)。

 立川談四楼はわが母校(群馬県立太田高校)の先輩である。落語協会が導入した真打試験の第一号の受験者。この試験に落ちたことで「三平の弟子より俺の弟子の方が劣るというのか!」と師匠・立川談志が怒り狂って、協会を脱退、立川流を旗揚げしたことはご存知のとおり。今では立川流の真打だ。
 このエッセイを読むと真打試験に落ちた屈辱と怒りで「シャレのち曇り」を書いたとあるから、もしそのまま真打になっていたら小説家・立川談四楼は誕生しなかったことになる。
 その「シャレのち曇り」の感想で一般的にはそれほど知られていない著者は後輩(志の輔)の活躍をどう思っているのだろうと書いたが、その答えもちゃんと書かれている。素直に喜んでいる。
 タレントとして名が売れることより本格派でじっくり落語をやる場所を確保したいのだ。
 だから出前寄席で全国を飛び歩く。出前寄席とは正式名称を<全国すみずみ出前寄席>という前座、二つ目、真打、奇術など4人でワンパックにして99,800円の料金でお呼びがかかった場所に出向く寄席のことだ。

 あるパーティーの席上で、野坂昭如が談四楼を「ネタミ・ソネミ・ヒガミの大家」と紹介したごとく、彼の世の中の非常識に対する怒りは激しい、というか一本筋が通っているのだ、本当は。
 たとえば本書「七つの怒り」に書くエピソードの一つ。
 談四楼が虎ノ門のある場所を探していたときのこと。どうしても道がわからず、某レストランのちょうどランチタイムが過ぎてホッとひと息ついていた若いコックに道を尋ねた。出前をしていないからわからないという。それでも住所を示して場所を確認しようとすると「ッせえなァ。出前やってねェつってンだろ!」。談四楼、ムッとして「サービス業に携わる一員か」と応酬すると「通りすがりの奴なんぞ客じゃねぇ、カネをもらわなきゃ客じゃネェ」。この一言に談四楼はプッツン。大ゲンカになって警察が呼ばれる始末になったそうな。

 小説の師匠は色川武大だということもわかった。
 この色川先生の死に触れた文章が収録された章「死について」の中には小学一年生の夏休み前に破傷風で亡くなった弟のことが書かれている。一学期の「つうしんぼ」ももらえなかった弟の死を悼み、三人の息子たちが小学生になって夏休みをむかえるたびに感慨、感動があったというくだりは胸を打った。我が子の一年生の一学期をひとつの目標、目安にしていたと書いていて涙が流れてしかったなかった。

 「シャレのち曇り」上梓後、1990年~94年の間に書かれたエッセイはどれも真摯に対象と向き合っていて、決して手を抜かず、どれも味わい深い。勢いに任せて書かれたものでないことは確か。今まで発表された短編の素材になったエピソードが見え隠れするところも愉快だ。
 落語家にして小説家にして大学講師の立川談四楼。また落語が聴きたくなってきた。次の独演会はいつあるのだろう。




 錦糸町パピーズに遅れてやってきたKさんから知らされた前田武彦死去の報。思えば、市川崑監督の死も、新宿の某居酒屋で飲んでいて後からやってきたKさんから聞いたのだった。
 昨日はジョー山中の死に肩を落とした。やはり奇跡は起きなかったか……
 書きたいことはいろいろあるが、今はお二人のご冥福を祈るのみ。

          * * *

 昨日書き忘れていたこと。
 というか、時系列的にはこちらが先だった。

 夏休み初日の1日(本当は30日の土曜日から始まっているのだが)は、映画サービスデーを利用して渋谷で映画をはしごした。
 まず、10時からアップリンクファクトリーでドキュメンタリー「里山の学校」(&「遊び場のない子どもたち」短縮版)。
 昼食及びネット古書店で購入した2冊(小林信彦「冬の神話」&立川談四楼「どうせ曲がった人生さ」)の代金を郵便局で振り込んだ後、シアターN渋谷で「モンスターズ 地球外生命体」。
 映画の感想はあらためて書く。

 夜は地元のライブハウス、西川口Heartsへ。
 川口にライブカフェがあって何度か通っている。自分が企画したイベントを実施したこともある。西川口、それも繁華街(ピンク街?)の西口ではなく、東口にライブハウスがあるなんて昨年まで知らなかった。なぜ知ったかというと、このブログに関連するのだ。

 ブログ訪問者リストでよくその名前を拝見する方に〈N郎♪〉さんなる人物がいる。ソロとロックバンド(アウフヘーベン)で精力的に活動しているミュージシャンで自身のブログにスケジュールやライブの模様等を綴っている。定期的にライブを行っている会場の一つが西川口Heartsなのだ。へぇ、西川口にもライブハウスがあるんだ、と思った。
 このときは場所まで知らなったが、ある日、西口に用があり、自転車で出かけたその帰り陸橋をわたって左折した通りに西川口Heartsがあった。ここにあったの! 陸橋を利用する際にはよく利用する通りなのである。こうなると次は西川口Heartsの中を見たくなる。じゃあ、次にN郎♪さんがライブするとき行こう! それもアウフヘーベンの。
 アウフヘーベンではなかったが、やっとその機会が来たというわけだ。

 西川口Heartsは本格的なライブハウスだった。面白いのはライブホールと飲みの場が区分けされているところ。通常キッチン(カウンター)はホールの中にある。Heartsの場合、飲み屋はホールの手前にあって独立しているのだ。単に飲みだけに来るお客もいるわけだ。アルコール類はオール500円。つまみ(カワキモノ)は200円、ホットドッグは300円。ご飯類は700~900円。帰宅途中に寄ってみようかな。

 対バンライブの場合、目当てのミュージシャンだけ観て(聴いて)帰ってしまうファンが多い。僕は時間がつく限り最初からつきあう。それがこの手のライブの楽しみだと思っているので。

 ●Rain
 もしかして今日がデビュー? お客さんで年配の男女がいて、この方のライブが終わると帰ってしまった。ご両親ではないか? 

 ●SAKA
 バックミュージシャンが焼酎の一升瓶とグラスだなんて! だから名前がSAKAなのか? 面白い。

 ●河先健
 支払いができなくて、現在水道と電気が止められているとか。そんなことより西川口までの電車交通費だ、なんて泣かせる。声量がすごい。

 ●N郎♪
 本日のトリ。河先健さん以上の声量だった。あるときは山下達郎のような、またあるときは浜田省吾。もしかして七色の声が出せるのではないか。ギターテクも抜群。座っての演奏だったが、リズムとる足の動きが一種独特で、もしスタンディングならステージの上下をいったりきたりしそうな勢いだ。




 1日から始まった例年よりちょっと早い夏休み。ついでにブログも休んでいた。 
 5日は、ポレポレ東中野で「あぜみちジャンピンッ!」を鑑賞。昨年船堀映画祭で観たときよりクライマックスが胸にきた。
 上映後、西川文恵監督と二井康雄さんとのトークショー。このトークイベント、実は二井さんからもし都合がつけば見にきてと案内をいただいていた。二井さん、平日のお昼過ぎに行けるわけがないでしょう、と返信しようして気がついた。夏休みじゃないか!

 一度自宅にもどり、夕方は錦糸町へ。Live House PAPPY'Sの「BLUES FESTIVAL 2011 ~今年もやります! ブルースの祭典!!~」初日に足を運んだ(3日間開催)。トリで水木ノアさんが出演されたのだ。
 郷里が福島のノアさん、3.11以降、被災地復興のため、東京と福島を行き来して八面六臂の活躍だ。ライブはもちろん、ウクレレ100本の贈呈、お母さんと叔母さんが製作している「にほひ袋」を販売して、売上げを義捐金に充てたり。「にほひ袋」とは二本松市和紙の手作り工芸品のこと。
 初日の出演は4組。ブッチ、白石結城、ヤンマー島村、そして水木ノア。
 ブルース特集ということで、オリジナルはなし。たぶん。ブルースに詳しくないのでよくわからないけれど。

 トップバッターのブッチさん、最初見たときは安田大サーカスのHIROかと思った。ブッチって、ブッチャーからきているのだろうか。
 続く白石結城さん、バンドでインスト。バンドっていいなあ。
 ヤンマー島村さん。ソロだけれど迫力あった。中央アジアの三味線(ライブ後、名称を確認したけど忘れた)に驚愕。ジェイク島袋がウクレレをギターのように弾いて素敵な音を聴かせてくれるけれど、この島村さん、この三味線をギターのように弾くのである。
 トリのノアさん。バックは20代の若者2人(ギター&サックス)と40代のオヤジ(ベース&ドラムス)だという。あらっ、ベースはみうらじゅんではないか。原田芳雄追悼でうたっ「横浜ホンキートンクブルーズ」とオリジナルの「ハウンドドッグ」。
 
 ライブ後のセッションがまた良かった。

 

daimajin
入口で出迎えてくれる大魔神のフィギュア

live1

live2

live3

live4
ライブ後のセッション。店長(?)が、ヴォーカル、ギター1、ギター2、ベース、ドラムを表に記入して決めていく
ノアさんヴォーカルのセッション2が途中でヤンマー島村さんに引っ張られてどんどんトンデモ度を増していく。まるで「赤い鳥ミリオンピープル」の「もうっこ」のような展開に大感激!

akaitorisyasin
店内は1960年代、70年代グッズでいっぱいなのだが、その一つに70年代アーティストのプロマイドが貼られた額がある。ボケているけど、赤い鳥の5人です。




ご無沙汰しております。
ブログに脳腫瘍の切除手術で入院すると書いてあって驚きました。
「JIN」が観られないと書いてあって、胸が締めつけられる思いでした。
主人公の激しい頭痛は脳腫瘍が原因だったですから。
私も、大学時代でしたら、チャンネルを合わせられなかったでしょう。

私が大学2年のとき母の脳腫瘍がわかったのです。
12時間の手術でした。
幸い手術は成功したのですが、その後20年間寝たきりの生活になりました。
21世紀になってからですが、父親と母の病気について話したことがあります。
父が言うには、「今だったら、医学がもっと発達しているので、かあちゃんは元気になっていたかもしれない」。

もう何年も前になりますが、小学、中学時代の女友だちが亡くなりました。
脳腫瘍を患っていたそうです。
私はショックを受けました。本当に医学は発達しているのか?

母の術後の経過、友人の死。
そんな脳腫瘍の思い出しかないので、何の励ましもできませんでした。
手術が成功してほしい、元気になってほしい
そう願うだけで。

手術も成功し、退院したとのこと。
なによりです。
もう大丈夫ですね。
元気になられたんですね。
おめでとうございます。
よかった、よかった!




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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