前々項から続く

2011/11/18

 「紙ふうせんリサイタル2011 なつかしい未来Vol.6」(サンケイホールブリーゼ)

 東京駅を出たのは11時30分ちょうど(のぞみ31号)。10月の大阪行同様、新幹線内の昼食用に西川口駅ビルの和幸でヒレカツ弁当を買った。前日にはセブンイレブンで「こだわりの柿ピー」を購入していたので、ホームではビールを買うだけ。
 ちなみにコンビニの(100円台の)カキPでは、セブンイレブンの「こだわりの柿ピー」が一番うまい。ピーナッツが抜群の味なのだ。利き柿ピーすれば瞬時にわかる。口にいれるときは柿の種3(もしくは4)にピーナッツ1が目安。そういえば「こだわりの柿ピー」、最近パッケージが変わった。どうでもいいけれど。

 14時30分には会場に着いていた。いつもなら入口で開催の確認(?)をしてから、近くのカフェで読書となるのだが、今回は違う。開場時にお客さんに配付するチラシのセット作業を手伝うことになっていた。
 15時過ぎ、会場に入った。ロビーでまず「なつかしい未来新聞」の二つ折り。前々回から発行されているこの新聞、開けば今回のセットリストが掲載されているのだが、そんな余裕はない。黙々と折り込み作業に没頭していた。
 こういう単純作業は嫌いではない。好きなBGMがかかっていると、作業がはかどるというわけだ。
 素晴らしいBGMが始終ロビーに流れていた。
 ホールでリハーサルが行われていたのである。壁の向こう側なので、音そのものは小さいが紙ふうせんの生歌が流れてくるのだからたまらない。

 新聞の二つ折りがなんとか終わると、今度は別の場所に用意されていた長テーブル上に置かれたチラシ(フライヤー)類を、順番に差し込む作業。昨年に比べて種類が極端に増えた。少しは景気が回復したということか。A~B、B~C、C~Dとチラシの差し込み作業を区分けし最後に二つ折りした新聞に差し込んで完成。
 紙ふうせんの歌を聴きながら、「ああ、今回は××を歌うんだ」「あれま、これも!」ある種至福のとき。
 リハーサルが終了してBGMなしの作業がつらくてつらくて。

 作業が終了したのが17時ごろ。次の手伝いは来場するお客さんにチラシ類を挟んだ新聞を配付すること。開場は18時30分だから、1時間以上時間がある。手伝い有志組で地下のカフェへ。
 作業時には見られなかった「なつかしい未来新聞」に目を通す。目当ては2面のセットリスト。
 わあ、第一部で「放浪者の子守唄」と「雪の降る夜は」が披露される!
 「いかつり唄」は第一部ラストだぁ!

 18時過ぎにロビーに集合。チラシ配付の準備だ。
 若い男女の一団(男性1名、女性4名)がやってきた。な、なんと、後藤さんのクラス(大阪芸術大学短期大学部)の有志たち。リサイタルの手伝いだという。
 えぇ! 10月、後藤さんに確認したのだ。
「今度のリサイタルには教え子たちが来るんですね?」
 後藤さんが答えた。
「いや、来ないよ。別に何も話していないから」
 今年19歳。うちの娘の4歳下なのか。ということは1992年、93年の生まれ。阪神淡路大震災のときは3歳なのか。記憶にあるのか否か。
 もしかしたら、彼らにとって大震災といえば東日本大震災なのかもしれない。

 チラシの配付は彼らに任せた。
 ……〈取材したい病〉がムクムクとあふれてきた。
 しましたよ。
「赤い鳥や紙ふうせんって知っている?」
「どうして後藤さんの授業を選択したの?」
「授業は面白い?」

 答えはこうだった。
「知りませんでした。お父さんやお母さんは知っていたけれど」(だよね!)
「先生の授業、必修科目なんですよ」(そうなの!)
「面白いです」(つまらないなんていえないよね)

 腕時計をみると19時近く。
 リサイタルが始まる時間だ。


 この項続く




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 忘れないうちに書いておく。北海道のJさん申し訳ない!

 26日(土)は、午後銀座へ。
 「銀座流石亭」と銘打つ「談四楼独演会」があったのだ。銀座にある蕎麦の名店で落語を楽しみ、料理と酒に舌鼓を打とうという催しである。
 まあ、落語と飲食がセットになったイベントは以前からある。この流石亭は料金が7,000円。料金だけ聞くと少々高いかもしれないが、コース料理と飲み放題のドリンクとなれば納得できるのでは?
 落語会のあと、仲間と飲みに行く、カップルあるいは夫婦で食事する、ことを考えれば逆に得かもしれない。落語会(2,000円)+パーティー(5,000円)なのである(実際の内訳がどうなっているのか、関係者ではないのでわからないけれど、あくまでも目安として)。いってみれば落語のディナーショーだ。

 以前、ポプラ寄席という名称の落語会があった。名称どおりポプラ社のホールを使った師匠の独演会。終演後にイタリアン料理の立食パーティー(懇親会)がついて5,000円だった。ホームグラウンドである北澤八幡神社の独演会が偶数月の15日開催なので、こちらは奇数月の金曜日開催。限定50名の完全予約制という落語会だった。
 1年間のネタ出しがあって、これが普段聴けない大ネタばかり、それが2席。1年目は時間の関係で行けなかった。2年目になって、毎回通おう、皆勤賞だ、なんてはりきっていたら、半年で突然終了してしまった。チラシには1年間のネタが掲載されていたのに。

 ポプラ寄席を開催していたSさんは、北澤八幡の独演会でもよくお目にかかる。打ち上げの席でお願いしたことがあった。ポプラ寄席を再開してもらえないでしょうか。別に場所はどこでもいい。独演会とパーティーがセットになっているものをぜひお願いしますよ、と。ポプラ寄席には演目に惹かれるものがあった。普段師匠が高座にかけないようなネタが並んでいたからだ。演目も考慮してください、と。

 Sさんが装いも新たに始めたのが「銀座流石亭」なのだ。
 限定30名のこれまた予約制。
 確かに店のスペースを考えれば、30名がキャパだろう。にもかかわらず、直前になって申し込みが殺到し、42名のお客様とあいなった。予定していた席だと座りきれないからとんでもない位置にも椅子が用意されていた。
 店側としても初めての落語会。いろいろと大変だったと思う。料理の腹八分目は納得するも、アルコールが終了前になくなってしまったのは残念だった。日本酒をあと2杯、いやあと一杯は飲みたかった。だって「らくだ」の後ですぞ! 


  立川寸志 「たらちね」
  立川談四楼「天狗裁き」

   〈仲入り〉

  立川談四楼「らくだ」


 「銀座流石亭」はポプラ寄席同様奇数月、土曜日に開催される。
 次回は1月。
 その前、特別企画として12月29日に「芝浜と蕎麦」の会が開催される。
 問い合わせ先は 武蔵野ロンド musashino.rondo@gmeil.com




 最近、新聞で紙ふうせん関連の曲が2曲取り上げられた。
 一つはこの季節になるとラジオ等へのリクエストが急増する「冬が来る前に」。10月29日の産経新聞に『「紙ふうせん「冬が来る前に」 神戸・王子動物園界隈』のタイトルで掲載されたらしい。らしいとするのは、実際の記事を新聞で読んでいないから。ネット配信されたもので知ったのだ。
 もうひとつは、11月12日付の朝日新聞土曜日版「be」の連載「うたの旅人」。「翼をください」だった。「竹田の子守唄」とともに赤い鳥の代表曲で、解散後は紙ふうせんが歌い継いでいる。
 こちらは作詞の山上路夫氏、作曲の村井邦彦氏、両御大のほか、紙ふうせんのおふたり、山本潤子さんのほか、初めて披露されたコンテストの会場となった合歓の里まで取材している豪華版。

 こうした記事は赤い鳥、紙ふうせんファンとして大変うれしい。
 うれしいけれど、産経新聞の記事にちょっと首をかしげたくなる箇所がある。
 文中にこうあった。
     ▽
 後藤悦治郎さんと平山泰代さんは兵庫県立尼崎北高校の同級生。昭和49年、フォークグループ「赤い鳥」解散後に結婚、「紙ふうせん」を結成した。
     △
 これって、ウィキペディアをそのまま引用しただけではないか。以前にも書いたが、後藤さんと平山さんは赤い鳥時代の1974年5月に結婚しているのだ。解散は9月。
 実際に、紙ふうせんに取材しているのなら、なぜ結成に関する部分も本人に確認しないのか。新聞に書かれたことで、今以上に、「赤い鳥解散後、結婚、紙ふうせん結成」が真実味をおびてしまった。
 たかだか、数ヶ月の違い、それほど気にすることではない、と普通の人は考える。そうだと思う。しかし、赤い鳥ファンとしては、赤い鳥時代にふたりが結婚していることが重要なのだ。赤い鳥には山本俊彦・潤子、後藤悦治郎・平山泰代という2組の夫婦が存在していた。これってとてもすごいことではないか!? というか個人的には憧れの一つだった。

 また、〈サビの部分をピアノで弾いていたら〉では、実際の取材で、後藤さんは、友人の浦野さん(「冬が来る前に」を作曲したベーシストの浦野直氏)が、と言ってるはずだ。コンサートのMCでよく話題にするエピソードだから。字数の関係でカットされたのかもしれない。

 それから記事とは関係ないが、ウィキペディアの後藤さんと平山さんが「高校時代まったく交流がなく、大学時代に再会して一緒に音楽活動を始めた」という記述。これまた間違い。3年のときは同じクラスだったのだから交流くらいありますよ、そりゃ。学園祭のとき一緒にフォークダンス踊っていた写真を公開したことがあるもの、リサイタルで! お願いだからいい加減なことを書くのはやめてください。

 「翼をください」に関していえば、2002年の9月1日、8日の二週にわたって、読売新聞・日曜版(だったと思う)、「うた物語 名曲を訪ねて」で取り上げられたことがある。確か「思い出のメロディー」に紙ふうせんが出演した年だった。
 「上」では、赤い鳥時代のこんなエピソードを紹介している。立て続けに起きた航空機事故で、その日「翼をください」を歌わないと後藤さんが宣言すると、ブーイングの嵐で、結局最後の最後でうたったという。
 「下」では、この年「身障者補助犬法」成立に貢献した木村佳友氏(日本介助犬アカデミー理事)の「翼をください」の思い出が綴られている。木村氏自身、若い頃に事故で下半身不随になり、介助犬の世話になっている。当時絶望の淵にあったが、「翼をください」の歌に励まされたというのである。
 記事は、最後に阪神淡路大震災に触れた後藤さんの思いを紹介する。
 被災者を励ますために開いた無料コンサートで「翼をください」の深さが初めてわかったと。
「生きて行く以上、悲しいことが時々、あるいは連続して起きる。『悲しみのない世界へ』。そうだ、これは透明な生死感を歌っている。希望の歌だけでなく、レクイエムにもなるんだ」

 「冬が来る前に」も「翼をください」も必ず披露される恒例の紙ふうせんリサイタルが今年もやってきた。
 第一部の楽曲には東日本大震災で被災した方たちへのメッセージがあるという。


 この項続く


     ◇

 参考)

 リンクは一定の期間で削除されてしまうので、記事そのものを転載しておきます。問題あればご指摘ください。


【舞台はここに】

■もう一度、あの頃に

 割と急な坂道を、どこか浮き浮きしたような、明るい表情の高校生や大学生らが行き交う。神戸市灘区の王子動物園界隈(かいわい)。坂の下には港が、上の方に目をやると六甲山がでんと構える。港町・神戸の典型的な山手の風景である。
 六甲の山並みは、西に行くにつれ海に迫ってくる。このあたりは坂を下りきったあたりがもう海のそば、という具合。「ロマンチックな眺めですよね。昔は高い建物があまりなかったから、もっといい風景だったんですけどね」。こう話すのは夫婦デュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎さんだ。
 神戸にビューポイントはあまたあるが、後藤さんと公私ともにパートナーである平山泰代さんの2人にとって、ここの風景は特別な思い入れがある。
 ♪坂の細い道を 夏の雨にうたれ…。2人のヒット曲「冬が来る前に」に込められた大切な思い出-。

■人生の移ろいを照らした

 後藤悦治郎さんと平山泰代さんは兵庫県立尼崎北高校の同級生。昭和49年、フォークグループ「赤い鳥」解散後に結婚、「紙ふうせん」を結成した。
 52年に出した「冬が来る前に」が大ヒットすることになるが、この歌には、2人の結婚に絡むエピソードが秘められている。
 作詞した後藤さんは「22歳のときでした。王子動物園でデートして、僕がプロポーズしたんですが…」。これを受けて平山さんが「この人ったら、桜かなんかの木に登って、『OKしてくれなきゃ、下りないよ』って」と笑いながら振り返る。
 後藤さんは30分ほど木の上で粘ったが結局、この日は「2人の人生、まだ先が見えないのにイエスなんて言えないわ」と平山さんにいなされ、失意のうちに帰路につく。「気まずい雰囲気のまま、2人で細い坂道を下っていきました。そこから見えた光景が、強烈に印象に残っています」
 ♪言葉さがし続けて 別れた二人-という歌詞は青春の苦い一ページ。プロポーズの答えをもらうまでに6年かかった。
 ただ、この経験が直ちに歌づくりに結びついたわけではない。むしろ、まったく無関係のことが直接のきっかけになった。
「実は、曲は先にできていたんです。晩秋のある日、冬になる前にストーブの芯を替えておかないといけないね、なんて話しながらサビの部分をピアノで弾いていたら、『冬が来る前に』というフレーズが浮かんできたんですよ」
 このフレーズに誘発されるように、王子動物園からの帰り道で見た光景がフラッシュバックし、「一瞬のうちに歌詞ができあがりました」。
 結局、プロポーズは受け入れられ、“物語”はハッピーエンドを迎えているわけで、「ほろ苦い思い出も含め、青春の思い出がいっぱい詰まった、大好きな風景です」と2人は声をそろえる。さらに後藤さんは「バス」という公共の庶民的な乗り物を登場させることで、「この界隈への愛着を示した」という。
 やわらかな秋の日差しの中、子供連れの家族や遠足の幼稚園児らでにぎわう王子動物園。その前を行き来するバス。2人の愛した風景が今もそこにある。  

【メモ】紙ふうせん…「翼をください」などのヒット曲がある「赤い鳥」のメンバーだった後藤悦治郎さんと平山泰代さんが昭和49年に結成。ポピュラー色を強めたフォーク・ミュージックを志向し、「冬が来る前に」のほか、「いかつり唄」「霧にぬれても」「朝(あした)の空」などのヒット曲がある。




 ついにそのときが来たんだという思い。
 昨日(正確には一昨日だが)、夕方池袋に用事があって出かけ、そこで訃報を聞いた。
「ええ!」
 大声をだしてしまったが、予測していたことではあったのだ。
 「ファイティング寿限無」が雑誌に連載されているとき、主人公の師匠が癌になると、モデルの家元も癌で入院する事態になった。確か連載がストップしたのではなかったか。
 今年3月以降、家元が表舞台に登場しなくなって心配していた。漫画「ファイティング寿限無」が快調に進んでいる。フィクションと現実が交叉してしまったらどうしよう?

 落語家、立川談志はTVを通して小学生のときから知っている。しかし、落語そのものを聴いたことがなかった。漫談というか、時事評を語るととんでもなく面白い、という認識だった。生の高座を見たのはこの5、6年のことなのだ。

 合掌

     ◇

2006/09/30

 「しまや寄席 立川流特選会」(館林三の丸芸術ホール)

 談四楼師匠の日記(公式サイト掲載)に9月某日、私の郷里・太田で落語会が開催された旨の記述があった。事前に告知されないことを残念に思っていた。

 その件を経堂駅前寄席で(師匠の)おかみさんに話したら、ある団体会員向けの落語会だったと説明された。事前に知っていてもチケット購入はままならなかったわけだ。
 郷里で開催される師匠の落語会に興味がある。なんたって師匠は太田の隣、邑楽町の出身、私の高校の大先輩なのだから。
「だったら今度館林で立川流特選会があるわよ」
 とおかみさん。 
 もちろん館林の落語会は知っていた。しかし、立川流家元・立川談志大師匠が出演されるし、前売券は格安だし、チケットなんて手に入らないと諦めていたのだ。すると「大丈夫、なんとかなるでしょう」ととんとん拍子に話が進んでなんとかなってしまった。
 わお! 
 おかみさん、ありがとうございます!!
 
 赤羽から宇都宮線で久喜へ。東武伊勢崎線に乗り換える。帰省で使うコース。いつもと違うのは素通りしてしまう館林駅に降りたこと。

 館林は上毛かるたでもうたわれている文福茶釜で有名な茂林寺や田山花袋の出身地で知られている。小学生のとき家族で茂林寺とつつじが岡公園に遊びに行ったことを覚えている。
 多々良沼という大きな沼があって、父に連れられフナ釣りをしたこともある。父にとって初めての釣り。釣果はふるわなかった。ところがその後みるみる上達して週末になると家族をほっといて群馬の山奥にある川やダムに仲間とでかけてしまうようになるのである。
 血は争えない。魚釣りはしないけれど、私も女房子を家に残し、紙ふうせんだ、ショーケンだ、映画だ、まぐまだ、落語だ、ライブだ、と飛び歩いているのだから。

 それから、館林には、みっちゃんみちみち…失礼、正田美智子さんの実家(正田醤油)もある。しかし、恥ずかしいことに正田醤油という企業を今回初めて知った。子どものころは日清製粉が実家だと聞いていたような気がする。調べたらどちらも正田家だった。
 それにしてもこの日記、面識のない有名人は原則敬称略なのに、皇族関係だとやはりさんづけしてしまう自分の小市民ぶりを憂う。
 中学の同級生、美智子さんが正田姓の男性と結婚した。同窓会では皇后さまと呼ばれている。関係ないね。

 大事なことを忘れていた。
 中学時代に2年思い続け、1年両想い、高校になってあっさりふられてからも忘れることができずにジタバタした彼女。通っていたのが館林女子高校、通称館女だった。
 そんなこと聞いていない? これまた失礼しました。

 地元の呉服屋・しまや呉服店のご主人が企画する「しまや寄席 立川流特選会」。
 このご主人、師匠に言わせると
「全然落語のことを知らない人なの」
「でも師匠、入場時に配付された小冊子に〈落語家通〉の肩書きで紹介されていますよ」
「〈落語通〉とは書いてないでしょ。落語家通。落語家のことはよく知っているの」
 本業のほかにイベントプロデューサーの顔を持つ方らしい。

 会場は館林駅からタクシーで1メータほど離れた場所に位置する三の丸芸術ホール。外観が円形になっているキャパ500名のとてもりっぱな(見やすく聞きやすい)会場だ。老若ならぬ老々男女が続々やってくる。チケットキャンセルを待っての入場。定刻(午後6時半)前に満杯になっていた。
 年齢層は高いが、着物姿の若い女性もチラホラと。呉服店主人のプロデュースだからだろうか。

 立川笑志  「壷算」
 立川談四楼 「ぼんぼん唄」

   仲入り

 立川談慶  「禁酒番屋」
 立川談志  「疝気の蟲」

 笑志さんは登場するなり「花田勝じゃありませんよ」。会場がどっと笑いに包まれる。「あらま、ホントだ」「よく似てるわ」あちこちから声がして、一気に会場の緊張感が解きほぐれた。
 「壷算」は初めて聴く噺。口八丁で値切り上手な男が弟分(の女房)に頼まれて水がめを買いに行き、徹底的に安く買い叩く。こうして手に入れた水がめだが、本当の狙いは倍の大きさのもの。さて、ここからが男の本領発揮。ちょっとした足し算の錯覚を利用して店の主人をだまくらかすと、あらま不思議、値段が倍の水がめと交換してしまった。追加料金を払うことなく。男と主人のそろばんをはじきながらのやりとりがおかしい。

 笑志さんが元若乃花なら、談慶さんはシャ乱Qのつんくだ。つんくが髪を短くして着物を着せたら談慶さんになる! 
 ネタは「禁酒番屋」。馴染みはないのに知っている、はて面妖なと思ったら、杉並公会堂で開催された「玄人裸足」で聴いていたのだった。
 家来が酒で粗相をしたことから、禁酒令を出した藩主が藩邸内に持ち込まれる酒をシャットアウトすべく禁酒番屋なるものを設置した。そうはいっても酒なしではいられない侍はいるもので、近藤サンもその一人。酒屋にどうにかして持って来いと脅かした。「カステラ」と偽った一番手も、「油」と言い張った二番手もあっけなく玉砕。どちらの酒もタダで番屋に飲まれてしまった。三番手は一計を案じ、徳利に小便を入れて番屋に持っていく。
「それはなんだ」
「小便です」
「嘘をつくな、味見してやる」
 汚い噺だけど、嫌いじゃない。

 仲入り前に登場した師匠。マクラがふるっていた。まずは館林にちなんだ話題を次から次へ。アメリカで代理出産させた双子の子どもを先日実子と認められた向井亜紀をわざと向井千秋と間違えるなんて芸が細かい。日本初の女性宇宙飛行士の向井千秋は館林の出身だ。
「今日は暑いですねぇ」
 懐から取り出したのが手ぬぐいではなくハンカチ。そう、早実・斉藤投手の青いハンカチだ。会場騒然。この夏甲子園を沸かせたハンカチ王子は太田出身。といっても合併する前は新田町だった。注釈もちゃんと付け加える周到さ。
 師匠の「おおた」のイントネーションも群馬のそれだからうれしくなる。東京の人は「大田区」の「おおた」と同じに発音するから「太田」の感じがしないのだ。
 それからは東京の某所で出会った群馬県人との会話を皮切りに、群馬弁のあれやこれや。会場は爆笑に次ぐ爆笑。隣に座るTさんもSさんも群馬県外人だからどこが面白いのかさぱり分からない様子。群馬県で生まれ育ってよかったと思う瞬間。大げさな。
 あるTV番組で群馬県の人たちの誰もが上毛かるたを言えると驚いていたという話題。
「子どもの頃は日本全国にあると思っていましたよ」
 私もそう思っていました、師匠。ついでに、京浜東北線の王子駅を通過するときに考えませんか? 駅名「王子」の上にハンカチと落書きしたいって。
 こうして「ぼんぼん唄」へ。今回は〈小間物屋を開く〉の意味を説明しなかった。年齢層が高いという判断だと思う。終了後に確認するとやはりそうだとのこと。志ん生以外誰も演じなかったこの噺、師匠の代表作の一つになるのだろう。

 トリは家元。紀伊国屋ホール以来数年ぶりのナマ談志。生まれて二度目の体験だ。
 まずは談四楼師匠を誉める。「よくやっているよ」これは談四楼ファンとして実にうれしい。「立川流はみなやってんだ」その後、最近大名跡を襲名した某落語家さんをチクリチクリ。
 文芸誌「en-taxi」で石原慎太郎と対談し、落ち込みぶりを盛んに指摘されていた。この日も「死にてぇなぁ」。生きる気力がなくなったことを理路整然としゃべった後、紀伊国屋ホールと同じように小噺の連打へと続いていく。主に医者に関する噺。
 ある婦人が亭主に殴られたと外科を訪ねる。
「あれ、お宅のご主人、今旅行中じゃないですか?」
「ええ、私もそう思っていたんですけどね」
 バカ受け。次から次へ繰り広げられる小噺を聴きながら、あの噺をしてくれないかなあと思っていたらやはり出た。
 お父さんとお風呂に入った小学生の娘が出てくるなりお母さんに言う。
「お父さんったら、男の子だったんだよ」
 この噺の本当の意味を教えてくれた方に感謝する。奥が深い。〈男の子〉というのがミソね。

 「疝気の蟲」はとんでもなくナンセンス。男のキン○○袋に虫が住んでいて、たまに腹の中で暴れると猛烈な激痛に襲われる。虫の好物は蕎麦。唐辛子が苦手。ある日診療所に腹痛の男が女房とやってきた。医師は女房に蕎麦を食わせ、その匂いで口からでてきた虫を唐辛子水にいれて殺してしまおうと画策する。ところが勢い余って虫は女房の口から腹の中に。当然どんなオチになるかわかろうというもの。
 で、家元曰く。
「これ以上私に何を語れというのだろうか」

 二週続けて充実した落語会を満喫した。

     ◇

2007/12/09

 「しまや寄席 立川流特選会」(館林 三の丸芸術ホール)

 昨年に引き続き「しまや寄席 立川流特選会」に足を運ぶ。館林の呉服店主人がプロデュースする毎年恒例の落語会だ。
 昨年は9月最後の土曜日開催だった。翌日が日曜ということもあり、ホール近くのホテルに一泊した。打ち上げにも参加させてもらった。同じ座敷にあの家元がいる、同じ空間で酒飲んでいるんだと、感激したものだ。怖くて近寄れなかったけれど。
 今年も楽しみにしていたのだが、12月それも日曜日。終演後無理すれば電車で帰れないこともないのだが、地元太田は隣町、翌日は母親の墓参りをしようと有給休暇を取った。
 宿は駅から歩いて2分のTSホテルを予約した。料金もリーズナブル。割烹料理屋の上の階がホテルになっている作り。昨年の打ち上げ会場になったSも旅館を併設していた。館林(地方)では珍しくないのかも。

 16時過ぎに館林に到着。チェックインしてから会場に向かおうとTSに寄ると、なんと入口に鍵がかかっている。正面はあくまでも割烹料理店、ホテルのロビーは裏かもれしれない。そう考えて裏にまわってみてもやはり1階の非常口みたいなドアは開かない。非常用の外付け階段があったので、2階にあがった。ドアは開いた。そこは宴席の個室がいくつもあった。人の気配がまったくない。大声をだすにははばかれる。もう一度正面にまわってしばし考える。寒い。家を出たときはそれほどでもなかったが、群馬は冷える。ホテルに電話した。しばらくして年配の女性がでてきて鍵を開けてくれた。受付でチェックインすると戻りの時間を訊かれた。たぶん遅くなるというと、「では裏から入ってください」。ホテルのチェックインって何時から始まるんだ? 事前に予約もしていた。にもかかわらずこの扱い。

 昨年は当日キャンセルを待っての入場だった。今年はきちんと予約していて、なおかつ早めの入場だったので、空席が目立った。中央の前後真ん中あたりに席を取る。近すぎず遠すぎず、かなりいい位置。自分と後からやってくるTさんの二つの席を確保した。Tさんは談四楼師匠の担当編集者。
 開演までまだまだ時間がある。喫煙やトイレで何度か外に出て、そのまま時間をつぶした。通路側の席にバッグ、もう一つに受付でもらったチラシを置いて。
 開演間際にTさんと一緒に入る。「かなり見やすい席ですよ」なんて言いながら案内すると、内側の席に誰かが座っている。年配の男性、隣は奥さんだろう。
「この席、取っていたんですけど」
「はあ?」
「チラシ置いておいたはずですけど」
「いや、何もなかったよ」
 そんなやりとりをして、すごすご退散した。ほぼ満杯の会場で、何とか後ろから二番目の席に座ることになった。隣が空いていたのでTさんもやってきた。早い時間の席の確保はいったい何だったのか! まあ、このホールはすり鉢を半分にしたような、その底辺に舞台があるので、どの位置でも見易いのであるが。
 教訓! チラシで席を確保しないこと。


 立川談慶「唖の釣り」
 立川談四楼「天狗裁き」
 立川談幸「初天神」

 〈仲入り〉

 立川談志「やかん」「権兵衛狸」


 立川流のつんくさん、開口一番「家元はまだ到着していません」。大受けだった。「唖の釣り」は絶対TVやラジオではやれないネタ。
 殺生禁止の不忍池で鯉を釣って裏の商売をする男。役人に見つかってもちゃんと無罪放免してもらえる理由を考えている。確かに最初は殴られる。あまりの痛さに出た涙を利用してこう言うのだ。
「病にふせっている親に鯉を食べて養生してもらうため、いけないこととは知りながら釣りをしました。親の喜ぶ顔を見たら自首するつもりです」
 最後は絶対許してもらえるはずだと。ところが殴られて舌をかんでしまって言葉がしゃべれない。身振り手振りで説明すると役人は「言葉の不自由な人」だと勘違い。何だかんだと叱られたが、でもまあとにかく許してくれることになった。すっかり口がまわるようになった男がうれしさのあまり叫んでしまった。「ありがとうございます」
 
 談四楼師匠も高座に上がるなり「家元、まだ到着していません」。またまた大受け。いいなあ、立川流落語会は。落語でスリルとサスペンスを味わえるのだから。
 「天狗裁き」は師匠の得意ネタの一つ。うたたねをしていた亭主を起こす女房。夢をみていたらしいのでその内容を訊く、亭主は覚えていない。「教えてよ」「見てないものはいえない」やがてすさまじい夫婦喧嘩へ。それが仲裁に入った隣人、大家、奉行との喧嘩、裁きへ発展していく。そんなバカな! ありえねぇ! な噺なのだが、いつも聴き入ってしまう。今回オチで気がついた。これも「のっぺらぼう」同様、ネバーエンディング噺なのかも。

 談幸師匠は7月の池袋演芸場余一会で初めて聴いた。ひょうひょうとした語り口、口跡が好きだ。
 天満宮に参拝に行った父と子の、「買って!」「だめ」のやりとりが楽しい「初天神」を聴きながら、声や口跡に懐かしさを感じてきた。判明した。高校時代の生物(だったと思う)の先生に似ているのだ。
 この先生、大学時代アナウンサー志望で、同期に「お笑いマンガ道場」の柏村武昭がいたとか。あるとき、授業中に生徒からリクエストされた甲子園で太田高校が強豪高校を破って初優勝する瞬間を中継してくれたのだ。わが母校太田高校はもちろん甲子園に出場したことはない。あれほどクラスが盛り上がったことなかった。

 仲入りでトイレに行くと、隣が私服に着替えた談慶さんだった。挨拶すると、すかさず「家元、入りましたから」。

 家元が高座に出てきたとき、着物を着た太田光に見えた。青く染めた髪の話題から小朝批判、手話通訳に文句言って問題になった某落語家から落語とは何か。最初はいつもの小噺の連打。講釈つきの「やかん」のあと、落語なんて短くしようと思えばできるんだとまずはあっというまの「まんじゅう怖い」。「芝浜なんて5分で語れらぁ」でも披露せずに「権兵衛狸」へ。風邪を引いて声がでないことをしきりに恐縮していた。それにしても5分に凝縮された「芝浜」、聴いてみたかった!!

 翌日、10時にチェックアウト、「ありがとうございました」の声を背中に受けながら正面のドアを開けようとすると鍵が閉まっている。自分で開けて外へ出た。俺、本当にお客なのだろうか?

     ◇

2008/06/22

 「立川談志・談四楼・志の輔 親子会」(館林 三の丸芸術ホール)

 落語会開催の前情報をもらったときは、血が逆流した。この組み合わせが生で観られるなんてめったにない。日時もチケット料金も確認せずに「行きます、行きますとも、行かせてください、お代官様!」
 場所が場所だけに、一昨年、昨年とお世話になっている「しまや寄席」の一環だと思っていたら、〈セント・メセナの会〉創立10周年記念のイベントだという。セント・メセナの会って何? 地元商工会議所の団体みたいですね。〈とりせん〉なんて懐かしい名前がある。郷里・太田でお世話になったスーパーではないか。
 
 一昨年はキャンセルチケットを待っての入場だったから、後方の席だった。昨年は早めに入場していい席を確保したにもかかわらず、アクシデントがあって、やはり後方に移動せざるをえなかった。三度目の正直とばかり今回はいい席を確保した。ついでに「定本 日本の喜劇人」を手配していただいたTさん一行分も。

 立川談修「転失気(てんしき)」
 立川志の輔「親の顔」
 立川談志 小咄アラカルト

  〈仲入り〉

 立川談四楼「らくだ」

 まずは二つ目の談修さん。「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」のバラゴンの位置ですな。そういえば昔「三大怪獣地球最大の決戦」のタイトルに疑問を持ったことがある。登場する怪獣はゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ。四大怪獣じゃないか、と。まあ、人類の敵、宇宙怪獣キングギドラは数に入らないのだと納得したわけだけど。
 閑話休題。落語には立場上「知らない」と言えないゆえに右往左往する噺がよくある。この前座噺もその一つ。談修さん、ソツなくこなし、踊りも披露。

 志の輔師匠の高座は初めて。マクラで小咄を連打し、ネタに入っていくのは師匠(家元)と同じスタイルなのか。
 息子の担任に呼び出されてお父さんは蒼くなる。二者面談で指摘されのは、テストの結果があまりに悪いこと。すべての質問に解答するのはいいが、みな質問の意味を履き違えている。たとえば「81個のみかんを3人で均等に分けると一人いくつになる?」の答えに「81個をジューサーにかけて三等分する」。「お子さんは何を考えているんでしょうか」と先生は嘆く。お父さんが隣の息子に根拠を尋ねると、「だって、みかんの大きさは一つひとつ違うし、甘いのもすっぱいのもあるだろう。みかんのまま分けると不公平になるもん」お父さん思わず「ガッテン!」。画一教育への皮肉を交えながらの爆笑編だ。
 
 ここまでで、気になっていたことがある。マイクが声をひろっていない。会場内に響くのはあくまでも二人の地声なのだ。でもきちんと聴こえるからよかった。
 家元になって、マイクがほとんど機能していないことが歴然とする。家元は検査入院していて退院したばかり(なんてことは知らなかったが)。まるで声がでない。コンサートRのときのショーケンを思い出した。喉の調子が極度に悪く、低い声が内に引き込まれる感じ。小咄アラカルトの後ネタに入ろうとして「ダメだ、こりゃ」。一度は高座を降りようとしたが、考え直して「小咄だけにする」。が、咄によってオチが聴こえたり聴こえなかったり。「え、今のオチは何?」隣に聞くわけにもいくまい。しっかり持ち時間の30分をつとめた。

 15分の休憩後、トリの談四楼師匠が登場。第一声でマイクがオンになっていることがわかる。今度は感度が良すぎるようだ。案の定ハウリングが。
 久しぶりの「らくだ」に感激する。一昨年「経堂寄席」で大爆笑し(出色の出来だった)、12月の独演会では迫力に圧倒された(何しろ目の前だったから)。以来、どこかでやらないか、ずっと期待していたのだ。大満足。

     ◇

2008/12/14

 「しまや寄席 立川流特選会」(館林 三の丸芸術ホール)

 この落語会を知ってから3回目の鑑賞。昨年は一人だったが、今年は地元(太田)の友人を誘った。僕同様、談四楼師匠は高校の先輩になる。入学試験の成績が315人中315番。これを言うと「そういうお前は、高校1年の数学の試験で100点満点の6点だったじゃないか」と反撃される。
 昨年は翌日有休をとり、駅前のホテルに泊まった。今年は友人宅。経費削減ってやつね。友人は生の落語は初めてとのこと。

 立川志の吉「看板のピン」
 立川談四楼「浜野矩随」

 〈仲入り〉

 立川談慶「片棒」
 立川談志「へっつい幽霊」

 志の吉さんは初めて。志の輔師匠の弟子だとか。マクラに大笑いした。館林(及び三の丸芸術ホール)の印象を語ったのだが、曰く、「(館林が東京から)遠いんだか近いんだか」「(駅前の商店街が)営業しているんだかしていないんだか」「(ホールまでが)駅から近いんだか遠いんだか」「(ホールが)大きいんだか小さいんだか」。的を射た感想で、要はどれも中途半端ということなのだ。
 3年前、久しぶりに(というか、ほとんど初めて)駅に降りて、その静けさに愕然とした。とにかく、駅前に喫茶店、カフェの類がないのがつらい。時間がつぶせないのである。いや、一軒だけあるのだがすごく入りづらい。
 隣の友人、「この噺、時そばみたいだね」

 談四楼師匠は十八番の「浜野矩随」。雑誌界のスクリーミング・マッド・ジョージこと広瀬和生氏の著書「この落語家を聴け! いま、観ておきたい噺家51人」(アスペクト)で絶賛されたネタだ。広瀬氏はヘビメタ雑誌「BURRN!」の編集長。落語が大好きで、年間1500席以上の高座を観ている見巧者。スクリーミング・マッド・ジョージはハリウッドでも活躍する特殊メイク・アーティスト。広瀬さん、師匠の独演会で最初に見かけたとき、その風貌から、マジでスクリーミング・マッド・ジョージか!と思ってしまったもので。
 隣の友人、「談四楼さんって人情噺が得意なの?」

 3年前、立川流のつんくだ、なんて個人的に喜んでいた談慶さん、今年、真打になられたんですね。改めて談慶師匠!
 隣の友人、何か言ったと思うが忘れた。

 6月の「親子会」ではまったく声が出ず、それでも小咄特集で高座をつとめた家元だった。あれから半年が経過した。営業的な問題で、出演にはなっているけど、当日、急遽キャンセルなんてことになるのでは? 出演はするものの、あくまでも顔見世、トリは談四楼師匠にまかせてしまうのではないか?
 杞憂だった。いつもの小咄連打の後、しっかりと「へっつい幽霊」。これは貴重だ。
 友人も満足したみたい。これまでの印象がずいぶん変わったと感心していた。
「お客さんを大事にする噺家さんだね」




 とりあえず、9月読了分をUPしておきます。
 8月が一部黙ってしていたように、あとでレビューを追加していく予定。

 昨日、amazonに注文していたCDが届いた。
 
 アーロ・ガスリー「Hobo’s Lullaby」
 「悪魔の手毬唄」オリジナルサウンドトラック盤

 前者は「放浪者の子守唄」の原曲を聴きたくて、後者は、村井邦彦作曲のテーマ曲ということ、それから、シンセサイザーを深町純さんが弾いているので。

     ◇

2011/09/06

 「漫画王国の崩壊」(西村繁男/ぶんか社)

 今年のGW、神戸へ行った際に立ち寄った古書店で購入した。
 著者は少年ジャンプの黄金時代を築いた元編集長。集英社を退社してから少年ジャンプ時代の思い出を綴った「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」(飛鳥新社→幻冬舎文庫)を上梓した。 
しばらくして本書が出たので、不思議に思った。同じ題材をどうして今度は小説にしたのだろうか? 意味が感じられずに読まなかった。
 全然違った。
 漫画文化に関心のない、無能な二代目社長のために、いかに「少年ジャンプ」が部数を落としていったか、ジャンプの編集体制がガタガタになっていたかを描いたものだ。小学館と集英社の関係、派閥闘争等々。
 構成がユニークだ。冒頭からかなりページを割いて〈敵〉側の実態を事細かに描いていく。だから、こちらが主人公かと、けっこう感情移入しているところに、作者とおぼしき男が登場してきて「あれまあ」って感じ。
 「Dr.スランプ」にも登場した編集者・Tもジャンプの後継者ではなかったのか。つまり敵ということで。


2011/09/10

 「日本橋バビロン」(小林信彦/文春文庫)

 「文學界」掲載時、単行本化に続いて3度めの読書。単行本の感想はこちらに。
 このときは、「和菓子屋の息子 ―ある自伝的試み―」「東京少年」に続く自伝的長編三部作の最終編だったのか。
 入婿の祖父が、これまでの慣習どおりに娘と和菓子の職人を結婚させ、店を継がせていたら。入婿に店を継がせることが惜しくなり、実子の長男に期待しなければ。9代目で店がなくなることもなかったかもしれない。
 3度めも、やはり、作者の父親に対する熱い想いが胸にしみてくる。

2011/09/10

 「倚りかからず」(茨木のり子/ちくま文庫)

 10年前に図書館で借りて読んでいる。詩集だから一編々音読したのだ。
 昨年、文庫を古書店で見つけ購入して、そのままずっと積ん読状態。やっと読んだ次第。今回も1ページずつ声に出す。


2011/09/15

 「キング・コング」(エドガー・ウォーレス、メリアン・C・クーパー、テロス・ラヴレス/尾之上浩司 訳/ハヤカワ文庫)

 もうずいぶん前から企画しているサバイバルホラー(本当は怪獣恐怖映画)「餓亥羅」を、まず小説にできないかと思って、その参考になるのではと買ったのだ。昨年だったか。
 ずっと積ん読状態で、やっと読んだ次第。ピーター・ジャクソン監督のリメイク版が公開される際に、出版されたノベライズの1冊なので、当然、リメイク版のストーリーを小説化したものと思っていた。オリジナル版だった。谷底の描写がちゃんとある。あれはリメイク版のオリジナルではなかったのか!


2011/09/16

 「美容院と1,000円カットでは、どちらが儲かるか?」(林總/ダイヤモンド社)


2011/09/16

 「トキワ荘最後の住人の記録」(山内ジョージ/東京書籍)


2011/09/18

 「純平、考え直せ」(奥田英朗/光文社)


2011/09/22

 「あっぱれ!旅役者列伝」(橋本正樹/現代書館)


2011/09/28

 「ポリティコン(上)」(桐野夏生/文藝春秋)


2011/09/30

 「新版 わかる!管理会計 経営の意思決定に役立つ会計のしくみを学ぶ」(林總/ダイヤモンド社)




 もう何度か書いているが、小林信彦という作家を知ったのは小学6年だった。「オヨヨ」シリーズという小説が人気を呼んでいたのである。少年少女向けの小説家の一人という認識だった。
 NHK少年ドラマシリーズで「オヨヨ」がドラマ化されたのは中学1年の夏(ってことを今、ウィキペディアで調べた)。第1弾「タイム・トラベラー」以降欠かさずこのシリーズは観ていたので当然チャンネルを合わせた。
 つまらなかった。当時日本テレビ「お荷物小荷物」が脱ドラマと言われて評判を呼んでいたのだが、その路線を狙ったこのドラマはに完全に失敗していた。僕の目にはそう見えた。だから、ちょっと興味を覚えていたオヨヨシリーズには見向きもしなかった。中学2年になると、クラスメートが盛んにオヨヨシリーズの面白さを吹聴したのだが聞く耳を持たなかったのは当然の帰結だろう。
 このときファンになっていれば、晶文社の初期のコラム集を手に入れられたのに、と残念でならないのだが。

 高校に進学すると、それまで立ち読みしていた「キネマ旬報」を購読するようになった。永六輔が書く1ページのコラムの連載が終わった。後任が小林信彦だった。題して「小林信彦のコラム」。
 当初はけっこう反発していたのである。愛川欽也に批判的だった。それが「おはよう!こどもショー」のロバくんのファン(声だけでなく着ぐるみを着て演じていたのが愛川欽也だった)としては面白くなかった。その後、うつみみどりと再婚したあたりから僕自身がアンチ愛川欽也になるのだけれど。
 反発以上に学ぶこと大だった。たった1ページなのに、どれだけ内容が深かったか。とはいえ、決して難しくない。

 この連載が一冊にまとまったと知り、購入したのが1981年。本のタイトルは「地獄の観光船コラム101」(集英社)。大学3年の春だったのか。ちょうど30年前になる。

     ◇

1981/06/17

 ひさしぶりの晴天で気持ちがいい。
 12:00頃に目が覚めて、大学に着いたときは1:00PM、3限の「企業形態論」に出なければならないから昼食がとれない。しかし腹はペコペコ。仕方なく授業を捨てて食堂を選んだ。

 3:30PMから撮影なのだが、それまでの空時間をどうしようかと思ったが、ホールにKちゃんがいたので茶店に誘った。
 バイトの話、服の話、サークルの話。結局、俺には金がない。

 『地獄の観光船 コラム101』を読み終える。
 時々、自分がいいと思っている映画、人物などをけなされるのはちょっと悲しいが全体として納得させられてしまう。
 特にそうだなァと思ったのは『クレイマークレイマー』についての感想で、曰く―そこには今の日本映画が忘れてしまった“ふつうの描写”がある―ディティール描写という点で自分の意見と一致していた。うれしかった。

 アイロニー(irony)
 ①反語 ②皮肉 ③風刺

 クロニクル(chronicle)
 年代記、編年史
 



 昨日は大阪へ。
 サンケイホールブリーゼにて「紙ふうせんリサイタル2011 なつかしい未来Vol.6」。第一部に堪能した。
 「放浪者の子守唄」を生で聴けるなんて!

 リサイタル後、FCの懇親会に出席したあと、一人カラオケボックスで朝まで。
 6時37分新大阪発の新幹線のぞみに飛び乗って帰還する。

 リサイタルの詳細は後日に! 

     ◇

2011/08/26

 「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」(川本三郎/河出書房新社)

 映画では主人公に感情移入できなかった。ところが原作を読むと著者がどうしてそうせざるをえなかったのか、理解できるのだ。
 この差はどこからくるのか?
 川本三郎に親近感を覚えたことが要因かもしれない。一浪して大学に入学、卒業後、就職浪人。オレと同じじゃないか! 大学も就職した先もレベルが違うけれど。
 もちろん、それだけではない。
 60年代から70年代の思い出話。子ども時代の記憶が覚醒していく。まだ世間を知らない幼くて狭いところから見た世の中を、その世の中で起きた出来事、事象を、社会人になった青年の視線で語ってくれる。
 ああ、そういう考え方があるのか!
 目から鱗というと大仰すぎるが、学生運動に対する、当時の見方、考え方が大きいと思う。


2011/08/27

 「落語家のやけ酒、祝い酒」(立川談四楼/PHP研究所)

 後輩に、同期に、同門の弟弟子に抜かれた。真打昇進試験では手ごたえがあったのに、なぜか落とされた。談四楼師匠が酒を求めるのは当然だろう。
 真打昇進試験に落ちた師匠がどんなにショックを受けたのか、試験の真相を知れば十分わかる。「飲め、飲め」と酒をすすめますよ、まったく! 師匠が酒に逃げたい気持ち、痛いほどよくわかる。でも、もし下戸だったらどうしたのだろうか?
 真打昇進試験を導入、実施した事実は落語協会の汚点ではないかと思っている。合格、不合格の基準がとんでもなく不明確だったという点において。
 もし、試験の審査員の一人だった談志が休んでいなかったら、ぜったい合格していただろう。同じことは、やはりその日、審査員を欠席した志ん朝の弟子が落とされたことでもわかる。
 もう何年にもなるが、下北沢の独演会で最初の一席のまくらにこの話題をふって、大爆笑だった。涙がでて、腹がよじれるくらいに。

 本書では、そこらへんのことも語っているが(P56~P63)、それだけではない。
 酒をモチーフにした自伝風エッセイ。いつもの「です、ます」談四楼節で綴っていて興味深い。ニヤニヤしながら、あっというまに読了した。
 師匠のサイトに掲載されている1行日記。いつも更新を楽しみにしているが、深酒や二日酔いの文字があると、師匠の体調を心配してしまう今日この頃、です。


2011/08/31

 「文藝別冊 追悼特集 黒澤明」(河出書房新社)

 昨年購入してショーケンの対談(かつて「キネマ旬報」で行った「日本映画のことを話してるとだんだん腹が立ってくるね……」)を読んでから、ずっと積ん読状態だったムックをやっと読む。
 1998年12月に刊行されたものの増補版。西村雄一郎「没後十余年の黒澤明 その後の展開を追って」、黒澤和子・編「黒澤明が選んだ百本の映画」が新たに追加されている。
 〈生誕100年総特集〉とある。そうか、昨年(2010年)は黒澤明生誕100年だったのか。忘れていた。
 蓮實重彦、野上照代、伊丹十三の鼎談「黒澤明 あるいは旗への偏愛」がとても面白い。それから前述の「黒澤明が選んだ百本の映画」。百本の中に「ゴジラ」「おとうと」「大地の子守歌」が入っていてうれしい。




 先月は読書録が更新できなかった。このところ2ヶ月遅れのペースで定期的に更新していたので、書名、作者、出版社のみUPしておき後で感想を挿入しようかとも思った。でもそんなことしたら絶対そのままになってしまうので、やめたのだった。今月中に続けて9月分を掲載すればいいわけだから。
……なんてできるのか、オレ?

     ◇

2011/08/03

 「西巷談百物語」(京極夏彦/角川書店)

 「巷説百物語」シリーズ最新作。まさかまた続編がでるとは。「続」のあと「後」、「前」が出て打ち止めだとばかり思っていた。「西」とあるので「西洋」のことだと思ったら、「関西」だった。「ウルトラ警備隊西へ」の西だったわけで、考えてみれば、なぜ西洋だと勘違いしたのだろうか? 
 時代は「巷説百物語」と同じ。東で又市たちグループが活躍していれば、当然西でも同じように仕掛けて暗躍する一派がいる。それが又市の兄弟分、靄舟(もやぶね)の林蔵だ。こういう設定ならいくらでも物語は紡げますねぇ。被害者面して登場する人物が実は加害者で、途中で立場が逆転して林蔵たちに成敗される展開。
 7編収録。 
 桂男/遺言幽霊水乞幽霊/鍛冶が嬶/夜楽屋/溝出/豆狸/野狐


2011/08/10

 「一刀斎夢録(上)」(浅田次郎/文藝春秋)

2011/08/17

 「一刀斎夢録(下)」(浅田次郎/文藝春秋)

 連載時、オレはいったい何を読んでいたのだろうか? 読了してそう思った。
 前半はどこか面白いのかわからないまま惰性で読んでいたところがある。何より現代(大正時代)から幕末を回想する形式が、最初とっつきにくくて仕方なかった。行ったり来たりの構成が。「壬生義士伝」を読んでいないつけがこういうところに現れる。まあ、このときは「壬生義士伝」が、関係者による回想で成り立っているなんて知りはしないのだが。
 斎藤一の回想話がなかなか盛り上がらない。西郷隆盛が登場すると、とたんに場面が華やかになって、ああやっと本調子になったと喜ぶと、次回ではまたいつものようにかったるくなっている、なんてことが続いた。
 夢中になりだしたのはクライマックスになってから。終了10回くらいのことである。
 本になったらきちんと読もうと思った。上梓されると、書店で無料で配付されている浅田次郎新選組三部作を紹介しているパンフレット(?)をもらってきた。「壬生義士伝」「輪違屋糸里」を読んだ。そういった予習、復習が奏功したのか、最初から引き込まれた。
 坂本龍馬を暗殺したのは斎藤一である、西南戦争は西郷隆盛と大久保利通が日本の軍隊を強化するために計画した壮大なる〈やらせ〉である、等々、浅田次郎の歴史観を知る物語でもある、といえようか。
 幕末、西郷隆盛は、賊軍・新選組を追う官軍の主要メンバーであった。明治時代になると、新選組の残党斎藤一が、警察隊の一員として西郷隆盛一派を成敗する。なんという歴史の皮肉。

 
2011/08/23

 「あんじゅう 三島屋変調百物語事続」(宮部みゆき/中央公論新社)

 「おそろし 三島屋変調百物語」の続編。ページごとにイラスト(南伸坊)が掲載されていて、面食らうが、読売新聞に連載されていた(09/01/01~10/01/31)とわかりで合点がいった。そりゃ連載回数分のイラストがあるってものだ。このイラストがなかなかいい味をだしている。

  序 変わり百物語
  第一話 逃げ水
  第二話 藪から千本
  第三話 暗獣
  第四話 吼える仏
  変調百物語事続

 4編収録されていて、プロローグとエピローグがつく構成。書名になっている「あんじゅう」は第三話の「暗獣」からとられている。なぜひらがなになったのか? 「おそろし」の続編だからか。
 この「暗獣」に泣けた。特に次の一文。
     ▽
おまえは孤独だが、独りぼっちではない。おまえがここにいることを、お前を想う者は知っている。離れてはいても、仰ぐ月は同じだ。眺める花は同じだ。離ればなれになっても、それを支えと慰めに、生きていこう。
     △

 ヒロイン、おちかに綾瀬はるかで映画化できないものか。




 この映画を知ったのは「シネマDEりんりん」9月開催を知らせるメール。
 映画「四季 ~うつりゆくものたち~」が完成しました、「第三回船堀映画祭」のシネりん枠で上映されることも決定したので、映画祭選定部長のT氏とH氏(シネりん代表)によるトークをやります、とのことだった。

 シネりん枠とは何か?
 昨年の同じ時期、シネりんで「あぜみちジャンピン!」を取り上げた。某タレント事務所が企画制作した劇映画なのだが、完成はしたものの配給まで手がまわらない。国内外の映画祭に出品してかなり高評価を得ているにもかかわらず……。
 だったら、シネりんで応援しましようという趣旨で西川文恵監督をお呼びしてこれまでの経緯などをお聞きしたのである。このとき、お客さんで来ていたT氏ら船堀映画祭の実行委員たちが「第二回船堀映画祭」上映作品の選定している最中だった。H氏がちょうどいい機会だからと「あぜみちジャンピン!」を推薦した。
 あまり乗り気ではなかった実行委員たちではあったが、いざ上映してみると、圧倒的な動員力を発揮し映画祭を成功に導いたのである。この功績で今年の映画祭では〈シネりん枠〉が設けられたらしい。で、今回H氏が推薦したのが、同じ事務所が第二弾として企画制作した「四季 ~うつりゆくものたち~」。
(ちなみに「あぜみちジャンピン!」は、今夏、ポロポロ東中野でロードショーされた)

 9月のシネりんは、ちょうどショーケンのライブ(赤坂BRIZ)と被って参加することができなかった。監督(柳沼良介)も参加したとのことでいろいろ撮影裏話が訊けたのに。
 というわけで「四季 ~うつりゆくものたち~」がどんな映画なのかわからなかった。「あぜみちジャンピン!」の女優さんたちが出演していること、物語が4つの短編で成り立っていること、4つの短編がそれぞれ四季(春夏秋冬)を背景にしていること、短編が組み合わさって一つの物語が構成されていること――

 夏のある日、一人の少女が吊り橋から身を投げて自殺した。中学3年生。理由はわからない。映画は、残された仲良しグループ3人の感情のゆらぎ、心の葛藤を描く。自殺した少女を含め4人が主人公となる「夏」「秋」「冬」「春」と題された短編に瞠目させられた。その映像設計と作劇に。
 「夏」はビデオ特有の鮮明で瑞々しい映像、「秋」になるとしっとり感が増し、「冬」「春」は奥行を感じさせるフィルム調になっているといった塩梅。こうした映像設計が四季の描写に有効的に働いているのである。

 作劇が、饒舌な、説明過剰な作りになっていないのが好ましい。いや、このことこそ特筆すべきかもしれない。
 最近は、TVドラマにしろ映画にしろ必要以上に説明しようとする傾向がある。すべて台詞や過剰描写で表現してしまうのだ。画で見せることにより時代や場所を、登場人物の表情、身振り手振りによって、胸に秘めた感情を想像させようなんてことはこれっぽっちも考えていない。
 回想シーンになるときは必ず字幕(テロップ)でいつの時代なのか説明する。感情表現では、登場人物がどういう気持ちでいるのか、「悲しんでいる」のか「怒っている」のか、きちんと台詞で言わせてしまう。それもかなり大げさに。悲しい場面では「待ってました!」とばかりことさら過剰な演出で観客を泣かせようとする。
 まあ、そういうものをすんなり受け入れてしまう観客(視聴者)がいることも確かだ。観客(視聴者)に想像力や考える力がなくなってきたから、その手のドラマ・映画が増えたのか、過剰な演出が当たり前になったから観客(視聴者)が想像力や考える力がなくなったのか。

 そういう意味では、わかりやすさを名目とする過剰演出に慣れた観客にはこの映画は不親切だろう。描写によけいな説明がないのだから、人間関係とか内に秘めた感情を観客は一つひとつ自分で考えなければならない。別にスルーしたってかまわないのだが、想像して補完すればより深い洞察ができるというわけだ。行間を読ませる小説があるように、映像で感じさせる映画といえようか。
 たとえば、3人の中に父親と仲が悪い少女がいる。最初母親と思われた女性は映画が進むにつれてそうでないとわかってくる。どうやら父親の再婚(しようとしている)相手らしい。そんな女性に対して少女の気持ちをダイニングの壁に貼った絵に代弁させる。幼児のころに描いた親子3人が手をつないでいる絵で。

 52歳、今年23歳になった娘を持つ父親としては、少女たちの葛藤よりも胸をつまらせるエピソードがあった。離婚してから一人で育てた娘に自殺された母親の何気ない表情に目頭が熱くなった。
 もしかしたら自分の行動が自殺の原因ではないかと思う少女(大場はるか、「あぜみちジャンピン!」のヒロイン)が借りた本を返却にアパート訪ねた帰り、母親が少女を途中まで送った際、石階段を降りていると小さな娘を連れた母親とすれ違う。その際の母親が母娘をふと見るしぐさに……。


 【追記】

 自殺した少女が大場はるかちゃんに貸した文庫本が夏目漱石の「こころ」。中学3年で「こころ」を読んで感銘を受けたというところに、自殺した少女のプロフィールが刻まれているのではないか?

 少女たちが高校受験の合格を祈願する神社に見覚えがあった。最初のカットで「もしかして!」。
 やはりそうだった。北澤八幡神社。
 偶数月の15日に落語を観に行くようになって10年近く。わからないはずがない。
 



 「四季 ~うつりゆくものたち~」のレビューを書いていたが、予定を変える。

 昨日、1981~82年の日記をあたっていたら、「定本・日本の喜劇人」を初めて読んだときの感想がでてきた。想像していたのとまるで違う内容なので驚いた。「地獄の観光船」の次に読んだとばかり思っていたが、その前に「笑学百科」があったのか。
 まあ、大学4年になる春の、2回めの鬱に向かってだんだん症状が重くなっていくときに読んだのだからネガティブな感想は仕方ないといえば仕方ないのだが。

     ◇

1982/02/04

 昨夜のうちに「笑学百科」を読み終えた。子どもの頃から、たぶんコント55号のブームが起きた頃から“お笑い”に興味があった。
 小学2年の時、生まれて初めてコント“忍者”をやったのを思い出す。てんぷくトリオのコントをそっくりそのまま真似したんだ。
 小学生時代は、何かの会があると(クリスマス会とかさよなら会とか)コントばかりやっていた。けっこうみんなに受けたしね。
 だから漫才ブームなんかとてもおもしろかったし、落語などもずっと見ていきたい。
 そういう意味で「笑学百科」は大変ためになる本だった。
 ますます「日本の喜劇人」が読みたくなった。


1982/02/28

 「定本・日本の喜劇人」を読み終える。
 気分のせいなんだろうけど(ここんとこずーっとウツの状態です)おもしろくなかった。
 特に前半、エノケン、ロッパなどのところなど彼らの芸を知らない俺としては、ただ文章を追いかけてるという感じだった。
 クレージーキャッツあたりからだんだんこちらの興味がわいてきて、読む楽しみも増すのだが、思っていたほどの興奮は得られなかった。
 読んでいてじれったくなってしまうのだ。




 本日、18時定時ちょうどに退社、銀座へ。
 談四楼独演会で知り合った(フォロワーズのMさんの紹介)、イラストレーター(&文筆家)平野恵理子さんの個展「冬支度」(柴田悦子画廊)に足を運んだ。
 今回の作品を観るかぎりでは、小林泰彦のような、妹尾河童のような印象を受けた。それにしても平野さん本をたくさん上梓している。
 この前の独演会で、「夕景工房 小説と映画のあいだに」を買っていただき、なおかつ「サインを」なんて声にいい気になってサインした私って……。

 ●平野恵理子個展 「冬支度」

 日 時:2011年11月14日(月)~20日(日)
     12:00~19:00(最終日は17:00)
 場 所:柴田悦子画廊
     〒104-0061 中央区銀座1-5-1 第3太陽ビル2F
     TEL 03-3563-1660

          * * *

 前々項から続く

 「ツィゴイネルワイゼン」は封切時の上映が斬新だった。原宿の駅前(だったと思う)にドーム型の簡易映画館を建ててそこで上映したのである。シネマ・プラセットという名称だった。この一風変わった上映方法が話題になり、作品も圧倒的な評判を呼んだ。にもかかわらず僕は足を運ばなかった。
 なぜか? 今となっては自分でもわからない。「悲愁物語」で清順映画に見切りをつけたのか、原宿という地に怖気づいたのか(当時原宿が大嫌いだった!)。
 シネマ・プラセットを訪れるのは、第二弾の「陽炎座」だ。松田優作主演。とんでもないインパクトがあって衝撃を受けた。どんなストーリーだったかすっかり忘れているのだが、これぞ「清順美学か!」と感激したことだけは覚えている。
 当時の日記をあたってみた。

     ▽
1981/11/14

 『陽炎座』
 清順流フィルム歌舞伎に堪能した。
 はっとさせるショットの数々。
 たとえば、子どもたちの歌舞伎芝居の不気味さ、大楠道代の踊りの美しさ、妖しさ。
 舞台が一瞬のうちに崩れ去るその衝撃。
 ラスト近くになって画面のバックに据えられた数々の地獄絵(?)の異様な美しさ。『悲愁物語』のくだらなさが嘘みたいな清順美学。
 さすが。
 『ツィゴイネルワイゼン』が観たい。
     △

 で、その後、「ツィゴイネルワイゼン」を観たかというと、これがよく覚えていないのだ。名画座で押さえることができなかった。確かTV放映の際に観たような気がするのだが。しかしTVで観るような映画でない。もしかしたら観ていなかったかも。

 「船堀映画祭」は駅前のタワーホール船堀の3ヶ所が会場となる。地下の映画館(シネパル1、シネパル2)と5階の小ホール。フィルム上映が地下、DVDその他メディアによる上映が小ホールなのだ(と思う)。「大津波のあとに」は小ホールで上映された。上映終了後に「ツィゴイネルワイゼン」を上映する地下のシネパルに移動すると、場内満員。

 まずは清順監督と二井さんのトーク。
 後方入口近くの壁にもたれて拝見することにする。
 このトークが最初もたついた。まず、二井さんが紹介されない。お客さんの大部分は二井さんを知らないのだからこれはまずい。最初に事務局サイドから(影ナレでもいいから)二井さんのプロフィールを紹介すべきだろう。説明不足で始まったトークは、マイクがオンになっていないから、後方のお客さんは聞こえやしない。あちらこちらで「聞こえない」旨発せられるが、事務局サイドまで伝わらない。
「二井さん、マイクが入っていないよ!」
 もし、これがシネりんの主催だったら、そう大声だしていたと思う。少ししてマイクが入って、場内隅々までトークが聞こえるようになるのだが。
 清順監督は車椅子で鼻にチューブを通した姿。外見は痛々しいものの、しゃべりだすと快調そのもの元気いっぱい。二井さんがタジタジとなることが何度もあった。途中で二井さんを逆に質問ぜめにしてしまうのだから。亡くなった原田芳雄については「唇がきれいだった」と。個人的には映画に起用した優作、ショーケン、ジュリーの印象も訊いてほしかった。88歳の監督、来年は新作は撮るらしい。

 映画は、通路に座っての鑑賞となった。
 冒頭の女の溺死体に蟹が合成されたショットにゲンナリしてしまったが、あとはきちんとしていた。リアルタイムに観ていたら、大正時代の風俗に心捉われていたかも。あの時代の建物や服の生地だとかに。
 同じ場所に原田芳雄と大楠道代を立たせて電話をさせ、別のところにいるという設定なんて、往年の清順ファンを歓喜させるショットか。次作「カポネ大いに笑う」で、日本なのにアメリカに見立てて撮影されたシーンがある。清順監督にとってはごくごく当たり前だったのかも。
 登場人物が何かにつけて飲食しているのが印象的だった。おちょこで日本酒を飲みながらすきやきを食べるシーン、ちぎり蒟蒻が食べたくなった。
 原田芳雄に圧倒させられる。藤田敏八(監督)は本作への出演を機に俳優としての活動が増えたのではなかったか(「夢二」では長谷川和彦を起用している)。大谷直子の乳房! 大楠道代あたりがもう少しエロスを発散させてくれたらもっとよかったのに。




 今週も週末はイベントラッシュだった。

 11日(金)は下北沢Vi-Sandで水木ノアさんのアコースティックライブ。「福島を始めとする被災地救済キャンペーンライブ」、正式には「サムライの会 featTIGERNIGERNIGHT~face to face~」。ギターは常磐さん。いつものベースを通常より少し小さめのギターに持ち替えてバックをつとめていた。共演はdoubleⅡface。受付の女性がヴォーカルで、バックはギターとベースとパーカッションの3人の男性。
 少し飲むのは控えようと受付時はウェルカムドリンクのみのコース(2,500円)にしたのに、二杯めの生ビールが欲しくなって、だったらってんで1,500円追加して飲み放題に変更したのだった。
 ウェルカムドリンクは、福島の地酒をライムで割ったカクテル「サムライ」。一口飲んで「ああ、懐かしい」。かみサンとつきあい始めたときに教わったカクテルで、これで僕は日本酒が飲めるようになったのである。


 12日(土)は館林三の丸芸術ホールにて「メセナ落語会 立川談四楼・柳家権太楼二人会」。

  立川寸志「子ほめ」
  立川談四楼「目黒のさんま」
  柳家権太楼「猫の災難」

   〈仲入り〉

  柳家権太楼「火焔太鼓」
  マグナム小林 ヴァイオリン漫談
  立川談四楼「ねずみ穴」
  
 落語はもちろんのこと、その後の談四楼フォロワーズによる打ち上げが盛り上がった! 本当は会が終ったらまっすぐ帰ろうと思っていたのだけど。
 まずは地元の歯科医Uさんお薦めのお店Mにて8人で乾杯(あとで地元の方一人合流)。
 10月の下北沢独演会でUさんとWさんが同じ高校だということが判明した。当然話題になると、二人の間に座っていたSさんが「私も同じ高校です!」。これには一同驚くのなんの。
 ちなみにSさんは帰りの電車の中で、僕と同じ大学出身だとわかった。後輩になるのである。まあ、大学の場合はよくある話だが、同じ噺家さんのファンで、世代も違う3人が同じ高校出身というのは珍しい。3人で校歌斉唱したのだから嘘ではない。


 今日は、三鷹市芸術文化センター星のホールにて親子寄席「柳亭市馬さんの落語で大笑いするのだ!」。

  出囃子入門
  柳亭市弥「子ほめ」
  柳亭市馬「時そば」

   〈仲入り〉

  林家二楽 紙切り
  柳亭市馬「粗忽の使者」

 最初の出囃子講座が勉強になった。
 市馬師匠、噂どおりのいい声。藤田まことを彷彿とさせる。
 子ども相手の紙切りは盛り上がる。紙を切っている間の話も大爆笑だった。
 終わってからいつものように、Hさん、Mさんと軽く飲む。

 3日連続の飲み、11月は完全に赤字です。




 元「暮らしの手帖」副編集長、現在は映画ジャーナリストや書き文字作家として、精力的な活動をしている二井康雄さん。「ふたいサロン」のホストであり、また「シネりん」顧問も兼ねている二井さんから、いつものように案内をいただいた。船堀映画祭で「ツィゴイネルワイゼン」が上映されます、上映前に鈴木清順監督とトークしますよ~、と。
 トークショーがなくても伺うつもりでいた。清順監督の代表作とともに、油の乗り切った原田芳雄を堪能する映画でもある。にもかからわず僕はこの映画をきちんと観ていないのだ。

 映画に興味を持ち、映画館に通い出した中学時代、僕にとって鈴木清順は伝説的な監督だった。娯楽作品を撮っていたにもかからず、日活をクビになった。熱狂的なファンがいるにもかかわらず、だ。いったいなぜ? 高校3年のときに久しぶりの監督作品が公開された。地元にやってきたので、喜び勇んで映画館に駆けつけた。映画のタイトルは「悲愁物語」。
 当時の日記にこう書いている。

     ▽
1977/06/11

 「悲愁物語」「雨のめぐり逢い」を観てくる。
 「悲愁物語」は鈴木清順の監督だから観た。「雨のめぐり逢い」はそのフロク的な存在。
 鈴木清順はもはや伝説化された人物だ。
 僕が彼の作品で知っているのは「けんかえれじい」ぐらい。娯楽作品を作っていたいうイメージがある。しかし、彼は当時の日活社長から「わからん映画を作る」という理由でクビにされてしまった。なぜ娯楽作品がわからないんだろう? 最初の疑問がこれだった。鈴木清順映画とは一体何なのか。これはいっちょ観なければならぬ。
 さて中味。
 喜劇なのか、悲劇なのか。野呂圭介は何で花束を持ってでてこなければならないのか。少年と少女のあの幻想的なシーンは何を意味するのか。女の、主婦のいやらしさ、ミーハー根性などなど、しつこいぐらい描かれている。ストーリーはわかったんだが、時々わからないカットが入ってきたりして、考えちゃうな~。

 「雨のめぐり逢い」 
 盲目の少女(?)を過去のある男が助け、いつしかふたりは愛しあうようになり、少女の目をなおそうとするが、少女の目が見えた時、悲劇がおとずれる。
 こういう話は昔からあるなあ。
 あまりにもドラマ的、あまりにもメロドラマ。
 どうもこういう話には弱いんだ。弱いから嫌いになってしまう。何とかさけようとする。その証拠に一度もTVの「赤い」シリーズを観なかった。
 だけど、タイトルバックはきれいだった。山城新伍だって竹下景子だってよかったじゃないか。
 こういう映画があったっていいじゃないか。
 たまには涙を流そうよ。安っぽい涙であろうとなかろうと。感動しちまったんだからしようがない。
     △

  目当ての映画は「?」がいくつも並ぶ作品、添え物はくだらないと思いながら、けっこう感情移入してしまった。日記からはそう受け取れる。
 「悲愁物語」を観て、僕には鈴木清順の映画は受けいれられないと思ったものだ。
 だから「ツィゴイネルワイゼン」が鳴り物入りで公開されたとき、パスしてしまったのである、たぶん。

 この項続く




 この映画、東日本大震災の被害地を取材したドキュメンタリーだとインプットはしていた。どこから情報を仕入れたのか忘れたが、タイトルだけはしっかり記憶していたのである。
 まさか森元修一さんが監督だったなんて! それを知ったのは先月本人に電話したときだ。「〈昔撮ったキネマ〉蔵出し上映会!」に誘ったら、この映画の試写会の話になって叫んでしまった。
「え~ あれ、森元さんの作品なの!」。

 森元さんとは昨年(2010年)1月の「シネマDEりんりん」で知り合った。特にゲストは呼ばず、メンバーによる企画会議の意味合いが濃い新年会だった。
 誰の参加も自由だから、映像作家のIさんを誘い、Iさんの才能を高く買っている俳優Tさんにも声をかけた。会場で上映する素材を持ってきてもいいと聞いていたので「1973 バラキの夏」を持参した。二人に観てもらいたかったからだ。
 このときのお客さんの一人が森元さんだった。参加者全員に「まぐま」自主映画特集の号を無料配付したこともあり、森元さんが僕に話しかけてきたのがきかっけで、その後メール等のやりとりをするようになった。水曜日だけバーテンをやっているバーに遊びに行ったこともある。
 
 劇映画畑(だったと思う)の森元さんがドキュメンタリーを撮った。それも題材はあの大震災だ。 話題になっているのは知っている。いったいどんな内容なのか。
「今、試写会をやっているんですが……」
「平日の昼間は無理だよ」
「11月にアップリンクで一週間公開されますから」
「絶対行くから!」

 そのあとに「船堀映画祭」で上映されることを知った。
 二日めの10時から特別上映ということで無料、上映前には森元監督のトークもあるという。
 「ツィゴイネルワイゼン」の上映(+トークショー)に合わせて昼前に行く予定を朝一に変更。前日の打上げの疲れが残っている身体に鞭打って駆けつけた次第。

 前日に引き続き涙ぽろぽろ状態。とはいえ、涙の質はまったく違う。「時をかける少女」の涙は、切なさによる。かわいそうとか悲しいというものではなくある種のうれし涙だ。表現がいいかどうかわからないけれど。
 対してこの映画で流れる涙は喪失感からにじみでてくる悲しみによる。いや、インタビューに応じる被災者たちが、家族を失った悲しみを身体を震わせながら激しく嘆いてくれるなら、少しは違ったかもしれない。自分がどれほど深い哀しみの淵にいるのか慟哭してくれれば、まだ楽なのだ。この表現もおかしいか……つまり心情をそのまま言葉にしてくれたら、涙を流してうなずいていられる。
 ところが、映画の中の彼、彼女たちは、どこか淡々と被災の実態を語るのだ。まるで他人事のように。でも、内容はとんでもなく重い。二週間前に子どもを孫を、愛する肉親を亡くしているのだ。そこに、彼、彼女たちの本当の気持ちが理解できて、涙だけでなく嗚咽までもらしそうになってしまう。

 これは取材する側、つまりカメラをまわしている森元さんがドキュメンタリーのプロでないところに起因するのではないか。
 未曾有の大惨事を目の当たりにして、最初何をしていいかわからない。冒頭しばらくは監督のおどおど感が伝わってくる映像が続く。もちろん、現地を訪れたことがない僕みたいな者に被災の実態がわかるようになっているのだが。
 そうこうして実際に取材現場に居合わせた方にインタビューを試みるのだが、その態度に「取材していいのだろうか?」という悩める気持ちを醸し出してしまうのか、取材される側も、先のような対応になったのではないかと。
 ベテランのレポーターなら、うまい具合に話を引き出して、相手も語っているうちに感情が高ぶってきて涙を流して……「この画使える」なんて内心ほくそ笑んで……そんな展開になるような気がする。
 この映画は、そういう流れになっていない。できなかったといういうべきか。だからこそ価値がある。
 ナレーションはもちろん、音楽もない。にもかかわらず70分強スクリーンを食い入るように見つめてしまう。
 上映後、ロビーに出てからまず募金をした。特別販売の「3.11東日本大震災 巨震激流」(三陸新報社)を購入した。

 「大津波のあとに」は同じく震災を取材したドキュメンタリー「槌音」(監督:大久保愉伊)ととも11/19~11/25渋谷アップリンクで公開される。
 もう一度観たい。




 「時をかける少女」。
 80年代、原田知世ファンを急増させた大林宣彦監督版ではなく、昨年公開された谷口正晃監督版。この「時をかける少女」最新作については、シネりんで谷口監督(と上野彰吾カメラマン)をゲストに呼んだときのプレイベント(2010年の「時をかける少女」)及び劇場で鑑賞したとき(「時をかける少女」)にそれぞれ書いている。

 「第三回 船堀映画祭」の初日に上映されるということで駆けつけた。
 後半は涙ぽろぽろ状態だった。理由がある。一週間前に「蔵出し上映会!」を開催したからだ。筒井康隆の原作をTVドラマ化した「タイム・トラベラー」に感激して中学時代に撮った「明日を知る少年」、大学時代に8ミリ自主映画サークルに入部して最初に手掛けた「ブラッドハウンド ゆうずうのきかない自由に乾杯!」等一挙上映したのだから。

 昨年の封切時に観たときより70年代や8ミリ映画に対する想いが敏感になっていて、映画に描かれているエピソードの一つひとつに反応してしまう。たとえば、映画作りに夢中になっている大学生が暮らす四畳半の部屋、小さなこたつ、アパートの外階段、共同玄関、アパートのある町の風景。まさに「ブラッドハウンド」じゃないか! 
 あるいはまた部屋の壁に貼ってある映画ポスター。「ゴジラ」第一作のほかに「キングコング対コング」が見える。もう少し下の世代(オレだ、オレ!)だったら絶対「モスラ対ゴジラ」だ。ルパン三世の初の映画化(それも実写化!)「ルパン三世 念力珍作戦」。何の併映作だったか? そうそう「ノストラダムスの大予言」だ。

 中学1年のときに好きになって、中学3年のときに想いが通じた彼女のこと、彼女と始めた交換日記、毎週日曜日の長電話……当時のそんな思い出が蘇ってきて涙になる。
 「蔵出し上映会!」にはサークルの1年下の後輩(女性)たちが参加してくれた。卒業以来の再会だ。約30年ぶり。とはいえ、会ってしまえば、関係は大学時代のそれ。
 この感覚、感情はある程度歳をくった人でしかわからないだろう。十代や二十代の若者にわかってたまるか! という気持ちもある。
 時の流れ、20年、30年があっというまに経ってしまったような感覚、短く感じるというものの、そこにはきちんと生きてきた証が刻まれているのだ。
 生まれた娘との初めての対面、小学校の入学式、中学、高校のブラスバンド演奏会、大学の合格発表……来年の春には大学を卒業する。社会人にはならないのだけれど。

 大林宣彦監督版は、十代の少女の異性を好きになる感情をビビットに描き出した。後日譚となる谷口正晃監督版は、同じ十代の少女を主人公にしながら、この遥かなる時の流れを経てきた大人世代の感情を隠し味にしているのではないか。
 それをノスタルジアと言っていいかわからないけれど。


 【追記】

 高校生の芳山和子を演じていたのは石橋杏奈だったのね。封切時は斉藤とも子みたいという印象があった。「マイ・バック・ページ」でも気になる存在だったけれど、やっぱりいいよ、この女優さん。
 母親になった和子を演じたのが安田成美。なぜか今回は、美人になった片桐はいりに見えて仕方なかった。そんな見方はいけない、いけない! 何度も否定したのだけれど。
 同様に、高校生の仲里依沙が女装した二宮和也に見えてしかたなかった。




 昨日(1日)は映画サービスデー。地元シネコンで「カウボーイ&エイリアン」を観る。
 予告編を何度も観ていて気になっていた。先月27日に開催されたシネりんでK氏が「ちゃんと西部劇になっていて面白かったよ」と言っていたのでけっこう期待した。
 西部劇+宇宙人というSF西部劇。思い出したのが「恐竜グワンジ」だ。あの映画は西部劇+恐竜というある種のSFだったわけで。日本でいえば「大魔神」がその手の路線といえるか。

 面白かった。
 記憶を失った主人公(ダニエル・グレイク)が、街の実力者(ハリソン・フォード)+その部下、住民たち、お尋ね者集団、インディアンたちと協力しあい、エイリアンの基地(宇宙船)を破壊する物語だが、インディアンが登場するあたりから、あれと思った。これは「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」ではないかと。
 インディアンをイウォークと考えれば、白人側にもさまざまな人間がいてまさに反乱軍のよう。
 「ジェダイの復讐」には神と崇められたC3POがイウォークたちに、帝国と反乱軍の戦いの歴史を解説するシーンがある。この映画にも似たようなシーンがあった。ハリソン・フォードがインディアンにつかまり、その後、皆で解説を聞くところはニヤニヤしてしまった。インディアンのリーダーがマーク・ハミルに見えたりして。この前TVで 「ジェダイの復帰」を観たばかりだから余計にその思いが強い。
 で、気がついた。「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」が西部劇を下敷きにしていたんだなと。
 そういうことか!

          * * *

 今週もイベントが続く。
 明日(3日)は文学フリマ。拙著「夕景工房 小説と映画のあいだに」も販売されるので、久しぶりに参加します。

 「第13回 文学フリマ」 

 ●開催日:2011年11月3日(木祝)
 ●時 間:11:00~16:00
 ●会 場:東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)

  ※東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分
  ※一般入場無料・どなたでもご来場いただけます
  ※まぐま」ブースは、評論:エー56
   studio zero/蒼天社 にて出展いたします。

 文学フリマのサイトはこちら

     ◇

 翌、翌々日(4、5日)は、「第3回 船堀映画祭」。シネりんメンバーが主催しているということもあって、昨年初めて参加した。
 今年は「時をかける少女」(シネりん代表の林さんと谷口正晃監督&上野彰吾撮影監督とのトークあり)、「ツィゴイネルワイゼン」(〈ふたいサロン〉の二井さんと鈴木清順監督とのトークの予定あり)ほかを観に行く予定。ここでも拙著を販売できればいいのだが、無理でしょうね。

 「第3回 船堀映画祭」

 ●開催日:2011年11月4日・5日(金・土)
 ●時 間:10:00~21:00頃
 ●会 場:タワーホール船堀

 船堀映画祭のサイトはこちら




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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