2012/01/12

 「ワイルド7」(MOVIX川口)

 少年キングに連載していたマンガ(作・望月三起也)は知っていた。小学生の高学年。当時大人気だった。バイクにもガンアクションにもそれほどの興味はないので、個人的にはあまり興味はなかった。だからマンガは読んだことはない。
 TV化されたドラマ(30分のTV映画作品)は観ていた。毎週チャンネルを合わていたような気がする。怪獣やヒーローが登場しない、より現実的な科学特捜隊やウルトラ警備隊が活躍するドラマという認識だったのか。調べてみたら中学1年の秋から2クールの放映だ。内容についてはほとんど覚えていない。隊長役が川津祐介だったことくらい。

 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」はTVも映画も興味がなかったので、逆に実写映画化の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」にはVFXが関心の的だった。キムタクの古代進がアニメのイメージにほど遠いことなんて気にならなかったし、森雪のキャラクター改変も許せるものだった。特撮仲間の友人に誘われ劇場に足を運んだ
 「あしたのジョー」の実写映画化は許せなかった。マンガにもアニメにも思い入れがあるからだ。劇場鑑賞はいうに及ばず、DVDも観るつもりはない。

 この心情からすると、原作のマンガにもそのTV化作品にも思い入れのない「ワイルド7」が実写映画化されてもすんなり受け入れるのでは? そう思われても仕方ない。
 ところがどっこい、映画化を知ったときに「何バカなことを!」と舌打ちした。「ワイルド7」を日本で映画化しても貧相な作品になるに決まっているではないか! それも主演が瑛太。バイクアクションがまるで似合わない俳優をなぜ主役にするんだ? 今旬だからという理由だけでオファーなんかしてほしくない。
 こういうマンガこそハリウッドで映画化されるべきだろう。
 「踊る大捜査線」の映画化作品で、日本でもハリウッドばりのカメラワークで作品世界を構築できることは証明された。とはいえ、ことアクション、それもバイクやカースタントになるととたんにショボクなってしまうのが現状だ。

 その昔、70年代に篠原とおるの劇画「ワニ分署」が映画化された。見るからに旧型のクルマと新車が登場してきた。たぶん旧車の方は途中で破壊されるんだろうなあと思っていたらまったくそのとおりの展開。情けなくなった。
 「太陽を盗んだ男」のアクション、カースタントは迫力あったが、それも日本映画に限定してのこと。「いつかギラギラする日」も同様。韓国映画やフランス映画が、その手の映画でハリウッドばりの作品をものにしているが、日本映画は一歩も二歩も遅れているのである。

 まるで観る気がしない映画だったが、予告編を何度か目にするようになって気が変わった。もしかすると、こちらのイメージするショボさを打破してくれる作品になっているかもしれない。監督が羽住英一郎だからだ。
 劇映画「海猿」シリーズ第二弾、「LIMIT OF LOVE 海猿」のヴィジュアルに感銘を受けた。沈んでいく大型フェリーはもちろんCGなのだろうが、とてもリアルな描写で、役者たちの演技(セット撮影)としっかり融合し迫力ある映像を構築してくれた。
 第三弾「THE LAST MESSEGE 海猿」はTV放映で観たのだが、これまた日本海(福岡沖)に浮かぶ巨大天然ガスプラントの爆発炎上、崩壊シーンが特筆ものだった。第二弾でも垣間見えた過剰演出によるお涙頂戴シーンに嫌気して劇場の大スクリーンで観なかったことを後悔したものだ。

 羽住監督の画作りなら「ワイルド7」もかなりマシな映像になるのではないか? そんな思いと深きょん・ハードヴォイルド(?)への想いが交錯したのだ。

 開巻のプロローグ的なエピソード、銀行強盗の一味を追跡し殲滅するまでのワイルド7たちの活躍は映画的興奮を誘うものだった。バイクの疾走はかなりの迫力だし、カメラワークも素直に「かっちょええ」と叫べるセンス。瑛太をはじめとする7人のメンバーがちゃんと大型バイクを運転している(運転している風に見える)のはこの映画が成り立つ重要な要素だ。
 続くバイオテロエピソードもなかなかのもの。
 その過程で描かれる公安調査庁情報機関〈PSU〉建物内の、何重にも張りめぐらされた侵入防止策など、クライマックス(アクション)にワイルド7の面々がどうこのトラップをくぐり抜けていくのかの伏線になっているのだろうと大いに期待した。

 ところがそのあとがいけない。
 あっけなく真の悪党がわかってしまってからは、もうイケイケドンドン。伏線なんてどうでもいい。力技でねじ伏せて「なんだそりゃ!」。ただ単に銃撃戦とバイクアクションが繰り広げられるだけ。スリルもサスペンスもあったもんじゃない。
 それも、敵(警察SAT)の攻撃は容赦ない。圧倒的な数による総攻撃。対してワイルド7は隊長から射殺は厳禁、威嚇だけと命令されている。どう戦えというのか。だったら頭脳戦かと思うと成り行き任せ。普通だったらワイルド7全員死亡だ。
 まったくシナリオが練られていない。一般車両がまったく走っていない道路というのもおかしいのだが、まあ、そこらへんは日本の撮影事情を慮って目をつぶろう。しかし、このジャンルの映画で観客をハラハラドキドキさせてくれないなんてどういうことか!
 メカニックのディティール描写にも気をつかってもらいたい。

 映像はとにかく魅せてくれる。ラスト、お台場からの空撮はまるでマンハッタンかと見紛うばかりの景観でスタッフはしてやったりの気分なのではないか。

 瑛太の飛葉大陸は悪くない。サマになっている。
 それ以上に隊長役の中井貴一が貫録十分でいい感じ。敵役の吉田鋼太郎は舞台で鍛えた美声が魅力。
 深きょんは? よろしいんではないですか。

 タイトルロールで流れる主題歌はL'Arc-en-Ciel。これが決まっているのだ。素顔の出演者たちがキャメラの前でおちゃらけるビハインドシーンなんてなければもっとよかったのに。
 そういえば、あるショットに原作者の望月三起也が写っていた。陣中見舞いに来たのだろうか。そういう遊びもいらないのでは?




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2011/12/02

 「わが封殺せしリリシズム」(大島渚/清流出版)


2011/12/05

 「トンデモ本の大世界」(と学会/アスペクト)


2011/12/09

 「運命の人(二)」(山崎豊子/文藝春秋)

2011/12/14

 「運命の人(三)」(山崎豊子/文藝春秋)

2011/12/18

 「運命の人(四)」(山崎豊子/文藝春秋)

 実際の事件を題材に、フィクショナルに展開させた作者お得意の社会派小説。
 出版されてからずっと気になっていたのだが、読む機会がなかった。1月からドラマ化(TBS「日曜劇場」)されると知ってあわてて図書館から借りてきた。別にミステリではないのだから、ドラマを観てから読んでもかまわないのだが、そうなると図書館の貸出率が高くなると判断してのこと。

 〈西山事件〉と呼ばれる外務省機密漏洩事件のことは良く覚えている。いや、事件の騒動をといった方がいい。毎日新聞の記者が外務省の機密を盗み出した。その方法が外務省の女性事務官と性的な関係を結んで、ということなので、記者も毎日新聞も世間から徹底的に非難された。
 当時中学生だった。新聞(うちはサンケイ新聞を購読)とTVの情報から、渦中の記者に非があると思い込んでいた。そう思わせるような連日連夜のバッシングだったのだ。そんな印象がある。
 今となって考えると、まるで事件の本質が見えていなかった。実際のところ、外務省の機密がどんなものだったのか知らなかったのだから。新聞等には説明があったのだろうが、そこまでは読まない。知ろうとしなかった。知りたいとも思わなかった。

 この事件は沖縄密約事件とも呼ばれる。沖縄返還協定では、返還にあたって、土地の原状回復費400万ドルをアメリカが日本に支払うことになっていた。ところが、この400万ドルを日本が肩代わりし、日本が沖縄の返還にあたってアメリカに支払う3億2000万ドルの中に含めていた。その証拠となる密約に触れた電信のコピーを毎日新聞の記者は女性事務官から手に入れた。
 この密約自体が大問題ではないか。ところがこの問題を追及するマスコミはなかった。政府は密約を否定する。証拠となるべき電信のコピーは記者が女性事務官と肉体関係を結び、半ば強引に手に入れたもの、裁判でも有罪になった。「情に通じ不法に入手した」。だから証拠の価値なし、ということか。
 記者は機密電信が欲しくて、女性事務官に近づいた。方便として肉体関係を結んだ。関係を口実に電信のコピーを迫った。コピーが手に入ると、女性事務官との仲を解消した。記者の行為が事実だったとしても、政府が400万ドルの肩代わりをした事実はどうなるのだろうか。沖縄が返還されさえすれば、国民を欺いた事実についてはどうでもよかったのか。
 途中で論点がすり替わってしまった。記者が、毎日新聞社がバッシングされるのと同時に、政府に対する徹底的な追及があってしかるべきだった、と思うのだが。
 
 小説は、この事件を記者側から描いている。
 情交については、文書が欲しいがために関係になったわけではなく、情交を結んだ過程で(つまり不倫関係になってから)、文書の存在があきらかになって、記者は女性事務官に入手したい旨依頼した、ということになっている。しかし、女性事務官は罪を認めてからは、週刊誌に「記者に騙された」旨の手記を発表して裁判でも完全に記者側と対立の道を選ぶ。
 野党議員に文書を渡したのも、きちんとした理由がある。政争の具にしたかったわけではないとしている。
 
 小説を読むことで事件の概要を知ることができた。政府が司法と手を結ぶとどうなるのかということがわかった。驚愕したのはここである。完全に情報操作で世論を誘導しているのだから。週刊誌と新聞の仲の悪さも再認識した。
 いろいろと勉強になった。そういうい意味では面白かった。しかし、小説としては「?」である。「大地の人」や「沈まぬ太陽」のような読んでいて感情の揺れとか感じなかった。もちろん誰かに感情移入するということも。
 すぐにモデルがわかる政治家の名前や新聞社、週刊誌等の名称に、安っぽさを感じてしまうのだ。「沈まぬ太陽」ではそんな風には思わなかったのに。相変わらず主人公の奥さんはよく出来た女性。これもちょっと鼻白む。

 ジャーナリストのモラルを考えた場合、それが重要であるのならどんな手を使っても情報を手に入れてもいいと僕は思う。
 だったら殺人はどうなる?


2011/12/19

 「ウルトラマン 99の謎」(青柳宇井郎・赤星政尚/二見書房)


2011/12/21

 「悪の教典(上)」(貴志祐介/文藝春秋)

 2010年週刊文春ミステリーベストテン(国内)の第一位。まあ、そんなことは関係ない。上梓すれば必ず読む作家なので、そのうち読もうと思いつつ、いかんせん図書館の棚で見かけたことがない。人気作なので予約しなければ読めないのだろう。いつかそのうちにと鷹揚にかまえていた。
 (上)がなぜか棚にあった。
 あわてて借りて読みだした。
 とんでもないボリュームだったが、夢中で読んでしまった。
 こういうストーリーだったのか!
 「黒い家」と同じくサイコパスが主人公。高校の英語教師である彼は、人を殺すことを何とも思わない。これまでも自分に都合の悪い相手を事故に見せかけ始末してきた。怖いのは、彼、とても優秀でなおかつ評判がとてもいい。女生徒たちにも圧倒的な人気なのだ。

 前作「新世界より」で、行くつくところまで行ってしまったので原点回帰なのか。
(上)を読了してあわてて(下)を借りにいった。棚になかった。予約した。50人強が待っていることがわかった。こんな人数の予約があるのに、なぜ(上)が棚に?


2011/12/22

 「おーい、寅さん ニッポン人脈記」(小泉信一/朝日新聞出版)


2011/12/27

 「大河ドラマの50年 放送文化の中の歴史ドラマ」(鈴木嘉一/中央公論新社)

 これぞ大河ドラマ入門というべき本だ。
 番組が始まったときは大河ドラマと呼ばれていなかったとは驚き。大型時代劇だったとのこと。
 とてもためになるのだが、視聴率で内容を評価しているのが何とも残念だ。ほかに指標はないものだろうか。


2011/12/29

 「悪の教典(下)」(貴志祐介/文藝春秋)

 地元図書館で順番を待っていても埒があかないので、会社近くのH図書館も予約。こちらはすぐに借りられた。
 後半の展開にのけぞった。
 映画化されたら「バトル・ロワイヤル」以上に問題になるだろう。人気作なのに映像化の話が聞こえてこないのはそういう理由か。「新世界より」は別の意味で映像化は難しい。とんでもない制作費がかかる。
 最終的に主人公の壮大で残忍な計画は成就するのか。数人のアンチ派によって阻止されるのか。ストーリー的には十分面白い。まあ、リアリティはなくなってしまうのだが。
 文章が平易で読みやすいことも、ページを繰らせる要因だろう。
 不満なのはラスト。主人公と警察の一騎打ちが最高に盛り上がらないとこの種の小説は成功とはいえない。あまりにあっけない敗北に余韻が楽しめなかった。




2011/11/02

 「どうせ曲がった人生さ 落語家Philosophy」(立川談四楼/毎日新聞社)

 師匠の著書はある時期から購入しだした。当然それまで図書館で借りて読んだ本も機会あるごとに手に入れた。どうしても手に入らなかったのが本書だった。ネット古書店に出ていてあわてて注文したのだ。
 レビューは01年の1月に書いている。転載したのがこちら
 昨年、日経新聞に短期間連載していたコラムが好評で、特にそのうちの一編が「ベストエッセイ2011」(日本文藝家協会編/光村図書出版)に収録された。驚くなかれ本書にはそのレベルのエッセイが満載なのだ。エッセイの一つひとつが味わい深く読了後の充実感といったらない。
 文庫にならず、復刊もされない。実にもったいないことではないか!


2011/11/08

 「MM9」(山本弘/創元SF文庫)



2011/11/09

 「小沢昭一 僕のハーモニカ昭和史」(小沢昭一/朝日新聞出版)


2011/11/13

 「マンガ進化論」(中野晴行/ブルース・インターアクションズ)

 〈コンテンツビジネスはマンガから生まれる!〉のサブタイトル。
 かつてほどマンガ雑誌が売れなくなった。その要因、今、マンガを読めない人がいるというのだ! そういう時代になっているのか。


2011/11/16

 「昭和の藝人 千夜一夜」(矢野誠一/文春新書)

 昭和に活躍した今は亡き藝人たち、いわゆる喜劇人だけでなく、落語家や歌手、俳優をも含めた88人の思い出話。
 

2011/11/21

 「大統領の晩餐」(小林信彦/角川文庫)

 オヨヨシリーズの最高傑作。ちくま文庫版のレビューを「夕景工房」に書いている。00年2月23日付。感想は変わらないのでそのまま転載。

     ▽
 ちくま文庫から「コラム」シリーズのほかに「オヨヨ」シリーズが出るのを知った時は歓喜したものだ。小林信彦の新刊は有無を言わず購入するし、既刊についても、書店にあるものは手に入れ、そうでないものだけ図書館で借りるなりして読んでいたのだが、「オヨヨ」シリーズだけはどういうわけかどこにも見かけることがなかった。
 わくわくしながら読んだ「オヨヨ島の冒険」は、しかし、解説の新井素子が絶賛するような面白さを感じなかった。小林信彦の傑作として評価の高い小説なのにこれは意外だった。続く「怪人オヨヨ大統領」も同じ印象。
 僕のオヨヨ伝説がくずれるかに思えた頃、大人向けに書かれた「大統領の密使」が快作だったのでほっとした。ギャグがはじけてニヤニヤしたり、声だして笑ったり。どうやら僕とジュブナイル版オヨヨとは相性が悪いらしい。
 当然続刊を読みたくなるのだが、不思議と書店で目にすることがなかった。古本でもと思ってもいつも立ち寄る古書店にはちくま文庫版の小林信彦本はおいてなく入荷される気配もない。すっかり忘れかけていた昨年、下北沢へ立川談四楼独演会を聴きに行った帰り、ぶらりと寄った古本屋にこの「大統領の晩餐」と「合言葉はオヨヨ」の2冊が並んでいて感激した次第。あんまりうれしくて今までツン読状態にしておいたのだ。

 さて「大統領の晩餐」、出だしから好調である。冒頭は古今東西の小説の書き出しのあれこれをオヨヨ風にアレンジすると、というマクラで笑いをとって、あっというまに小林信彦的うんちくとギャグとパロディに彩られた抱腹絶倒の世界にひき込まれた。
 解説にもあるとおり本作は求道者小説「宮本武蔵」「姿三四郎」のパロディであり、料理道を邁進する登場人物を創造するところが何とも愉快。人気TV番組「料理の鉄人」や牛次郎原作の一連の料理マンガの先駆的作品と言えるだろう。小林信彦のすごさは本家「宮本武蔵」に対して登場人物に「なんでも『宮本武蔵』は、戦争中の版と、いまのと、一部分、ちがうそうで、みなさん、その辺には口をとざしているそうです」と語らせることである。これはどうしたって、その違いというものを知りたくなるではないか!
 本筋とは関係なく、日活アクションに思い入れと造詣の深い作者らしいギャグも炸裂する。僕自身、日活黄金時代の映画は何も観ていないのにもかかわらず映像が浮かんできて、いや~笑わせてもらいました。
 こうなると、自身でシナリオを担当し、紆余曲折の末に完成した松竹映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」をどうしても観たくなる。
     △


2011/11/23

 「ジャーナリストの陥し穴 -明治から東日本大震災まで」(田原総一朗/ちくま新書)


2011/11/11/25

 「これが日本の本当の話」(聞き手 元木昌彦/ロコモーションパブリッシング)


2011/11/28

 『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたか』(日本映画専門チャンネル編/幻冬舎新書)


2011/11/30

 「運命の人(一)」(山崎豊子/文藝春秋)




 「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの第一作は劇場で観た。自分が生まれる1年前の東京都心が再現されるのだから興味がわかないわけがなかった。
 しかし、続編には……。生まれた年(昭和34年)の話なのに。冒頭、CGによるゴジラが東京の街を破壊するシーンがあるというのに。DVDを借りる気もなし。やっとこの前のTV放映で観た次第。あからさまな泣かせ映画は好みでないのだ。
 CGで再現された東京の街。遠くを歩く人たちを注視していると、どうにも動きがヘン。気になりだすととまらなくなってくる。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。
 主要キャラクターの一人、茶川竜之介を演じる吉岡秀隆を見るたびに思う。
 もし、山田洋次監督の評伝映画(ドラマ)が作られるとしたら、山田監督はこの俳優だよな。

 三島由紀夫を演じるなら杉本哲太、向田邦子なら篠原涼子。もうずーと考えていること。
 立川談志は太田光、だよなぁ。

 渥美清が亡くなってすぐTVで彼の半生を追うスペシャルドラマが作られた。渥美清を演じたのはウッチャンナッチャンの南原清隆。これはひどかった。渥美清を演じるなら、まずあの口調、口跡を再現できなければ意味がない。完璧でなくてもいいけれど。オファーする方も受ける方もどうかしていると思わざるをえなかった。

 ドラマ「立川談志伝」が作られるとして、果たして太田光はオファーを受けるのか。




 兵庫県知事の「平清盛」批判。ドラマにでてきた瀬戸内海の海の青さがホンモノではないと。
 どんなことを言おうと個人の自由だと思う。
 だけど、マスコミの人に言いたい。お願いだからあのバカ、もとい知事の本業以外の発言、それも的外れの発言なんか記事にしないでください!
 記事にする必要性のある内容なのかどうか、十分吟味してほしい。だってあなたたち、ただ面白がって煽っているだけだもん。

          * * *

2012/01/16

 「立川流広小路寄席 昼席」(お江戸上野広小路亭)

 一度文字助師匠の高座を観てみたい。酒に絡んだハチャメチャエピソードの数々は談四楼師匠の著作でお馴染みだ。なのだが、落語は聞いたことはない。落語ファン、立川流ファンの方のブログで粋な江戸弁についての感想が書かれていて、期待はどんどんふくれあがっていく。

 毎年5月に国立演芸場で開催される「立川流落語会」で談四楼師匠と同じ日に出演すればいいと期待していたところがある。残念ながらこれまでなかった。
 だったら広小路寄席があるではないか。一昨年あたりからその機会をうかがっていた。談四楼師匠と共演する日、それも談笑師匠も一緒ならなおいい。
 昨年の3月16日(水)の昼席がちょうどその顔付けだった。有休をとって予約もした。16日が来るのを楽しみにしていたのだが、11日に東日本大震災があって中止。
 仕方ない。未曾有の大惨事で演芸関係の催しはことごとく中止もしくは延期になった。計画停電の影響もある(東京23区は足立区、荒川区以外実施されなかったが)。広小路寄席だけ開催されるわけがないのだ。そういえば、あのころ定席の寄席はどうしたのだろう?

 12月26日の吉笑さんの勉強会で久々に広小路亭に伺ったら、1月の立川流落語会のチラシがあった。昼席で3人が揃う! 3月同様予約して有休とった。


  立川寸志  「寿限無」
  立川吉笑  「道灌」
  立川談吉  「釜泥」
  立川幸之進 「黄金の大黒」
  立川志ら乃 「唖の釣り」
  立川雲水  「胴斬り」
  桂文字助  「雷電の初土俵」

   〈仲入り〉

  立川平林  「勘定板」&安来節
  立川談修  「宮戸川」
  立川談四楼 家元の思い出
  立川談笑  「片棒・改」


 夜席は一度観た覚えがあるが昼席は初めて。出演者の多さに驚いた。夜席の倍はいるのではないか?
 これで木戸銭2,000円。予約すると1,500円。こんな安くていいのか、と思ってしまうが、定席の寄席だって、3,000円で1日中楽しめるのだ(たぶん)、こんなものかも。
 開場(11時30分)30分前に到着してしまった。列の一番前に並ぶのは恥ずかしいので、近くのドトールで読書。時間を見計らって行ってみると、二人が並んでいたので、後に続く。
 開場になったら、次から次にお客さんがやってきて、開演間際にほぼ満員になってしまった。
「平日の昼なのに、ありがとうございます。でも、みなさん、仕事はどうしたんです?」
 高座にあがった噺家さんの第一声。

 寸志さんがまた持ちネタを増やした。落語の代名詞のような噺なのに、あまり高座で聴くことがない「寿限無」。まあ、高座といってもそれほど知っているわけではないが。もしかすると立川流に限ってのことかもしれない。
 続く吉笑さんは自信の「道灌」。オリジナルのくすぐりは何度聴いても笑える。

 新二つ目、談吉さんは昨年の国立演芸場以来。元気あります。二つ目披露の会は伺いたかったけれどスケジュールが合わず断念した。「釜泥」は初めて聴く。幸之進さんも昨年二つ目昇進組。「黄金の大黒」も初めて、かも。
 ベルジュラックこと志ら乃さん、これまた元気。調べたら、志らく一門の真打昇進トライアルで見事栄冠に輝き、今年、真打に昇進にするらしい。一門の弟子の中で一番タレントっぽい雰囲気を持っていると個人的には思っている。談四楼独演会での高座を観たときの印象だけど。

 雲水師匠は初めて。亡くなった文都師匠のほかに関西弁の噺家がいらっしゃったのですね。「胴斬り」はどこかで誰かの噺を聴いたことがある。侍に辻斬りされた男。あまりに突然で一瞬のうちだったので、上半身、下半身がそれぞれの人格で生活するその発想がすごい。

 待ちに待った生の文字助師匠、その容貌からドラマだったらインテリやくざが似合うのではないか。十八番の「雷電の初土俵」は、「柳田格之進」より講談に近い気がする。声は榎さんのようだった。TBSラジオのアナウンサーで、早朝の「榎さんのおはようさん」のパーソナリティをつとめていた方。あの方も歯切れが良かったなぁ!

 仲入り後、最初に登場したのは家元だった。違う、平林さんの変装。これがまたよく似ている。昨年だったか、一昨年だったか、R-1グランプリの一次予選に談志の物真似で出場したのだ。今年もR-1に挑戦するらしい。
 家元のマネでごくごく簡単な手品を披露して拍手喝采。個人的には家元版「浮世根問」が観たいのだけど。「勘定板」も初めてかもしれない。とんでもなく汚い噺。でも面白い。小学校寄席でやったら受けるだろうなぁ。

 すでに家元から「いつでも真打になって良い」と言われていた談修さん。今年あたりに昇進披露をするのだろうか。以前とは違ったサゲ。今風で面白い。

 談四楼師匠はヒザということで、マクラだけで引っ込んでしまった。家元のケチに関する思い出話は何度も聴いている。家元が亡くなってからというもの特に。でも、聴くたびに笑ってしまう。

 トリの談笑師匠、マクラはやはり家元のこと。都内に4軒だか5軒持っている家元の自宅(仕事場)。「我々はこれをサティアンと呼んでいる」に大爆笑。「片棒・改」は二度目か。「ミッキー!」と叫ぶところ、後ろの席の方は、慣れたもので最初から大きな声をだしていた。いいなあ、すんなり言えて。

 広小路亭が超満員になったところを一度だけ見たことがある。立川流の落語会ではない。江戸をテーマにした朗読会だった。今回人が多いということを休憩時トイレに行って実感した。すごい列だった。
 隣の人が、弁当を食べだしたのには困った。いや、弁当を食べることにではないですよ、おかずの匂いが僕の鼻孔を刺激することに。こちとら終わったら昼食にしようとしているわけだからねぇ。

 充実した寄席だった。
 まあ、定席には行かないから、落語協会、落語芸術協会と比べてどうのこうのいうわけではない。
 ただ昨年何度か立川流以外の落語会(独演会)を観る機会があって、最初に登場する二つ目(だったと思う)と比べると、立川流の前座の方が上手いよなぁと思ったことは確かである。




2011/01/08

 「青春の蹉跌」「アフリカの光」(銀座シネパトス)

 ショーケン×神代辰巳監督の代表作2本立て。昔は名画座でこのプログラムがよく組まれていたのだろうなぁ。僕自身は観たことないけれど。あくまでも想像だ。
 続けて観ると、違いがよくわかる。
 初めて組んだ「青春の蹉跌」は、神代タッチで迫っているとはいえ、まだまだショーケンに遠慮しているところがある。今回初めて気がついたのだが(これまで考えもしなかった)、ショーケンのファッション。あの時代、あんなナウ(!)くて高価そうな服を着る大学生がいたのだろうか。金持ちのボンボンならいざ知らず、ショーケンは苦学生なんだよ。「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事~「傷だらけの天使」の修(「雨のアムステルダム」の明)につらなるキャラクターであることがよくわかる。らしくないカメラワークも散見できた。

 対して「アフリカの光」は、ショーケンを完全に神代節、神代タッチに取り込んでしまった感がある。
 この映画に登場するショーケンはどこまでもかっこ悪い。ファッションだって、ドカジャンに正ちゃん帽、長靴姿。でもこれが実に似合うんだよなぁ。外見面でのかっこ悪さのかっこ良さ。
 「最も危険な遊戯」で優作が見せた、普段の鳴海昌平の姿~ドテラに毛糸の帽子というのはこれから発想されたのではないか。

 話の方もウダウダ、グジャグジャしている。アフリカ行きを夢みて北海道のとある漁港に現れた男二人(ショーケン&田中邦衛)が、町の連中とつまらないことで諍いをくりひろげる。癖のある人物(桃井かおり、藤竜也)も入り乱れてもうシッチャカメッチャカ。原作は丸山健二で脚本が中島丈博。
 ショーケンと田中邦衛のじゃれ合いぶりは画面から口臭やら体臭が漂ってくる感じがする。「離婚しない女」の夏八木勲もショーケンと肩を組み、顔と近づけ肌をこすりつけながら会話していたことを思い出した。神代演出の真骨頂か。田中邦衛が失禁するところは「真夜中のカーボーイ」を狙ったのだろうか。
 と書いて、全体の感じが「真夜中のカーボーイ」日本版、神代辰巳バージョンではないかと気づく。今更ながらだけれど。田中邦衛、途中で死んでしまうのかと思ったもの。前回、下北沢で観たときは(初めての鑑賞だった)。

 映像はまさに軟骨的文体だった。全編にわたって神代印。らしくないカットはなかった。であるから、「青春の蹉跌」と違って好き嫌いがはっきりする映画だ。受け入れない人はどこがおもしろいのか最後までわからないだろう。
 絵沢萌子が出演していた。小池朝雄の女房役で亭主の留守中に峰岸徹とまぐわりまくっている。「女教師」で興奮していて以来、あのときの表情を楽しみに出演を楽しみにしていた女優さんである。もちろん通常の演技もうまい。
 音楽(井上堯之)は、演歌風メロディーをロックっぽく弾く演奏(順のテーマ)ーが耳に残る。ベースがいい。「太陽を盗んだ男」のフィージョン系への萌芽も垣間見えたりして。
 助監督に長谷川和彦がクレジットされていた。

 「青春の蹉跌」については、「小説と映画のあいだに」で書いている。「わが青春の映画たち」に採録した。
 つけ加えておきたいのは、桃井かおりの「良いよ」の台詞。「いいよ」ではなく「よいよ」。イントネーションがたまらない。それから桃井かおりの父親役でキャメラマンの姫田眞佐久がワンカット出演していること。

 桃井かおりを知ったのはたぶんTVドラマの「それぞれの秋」。スケバン役だった。で、映画「青春の蹉跌」があって、「前略おふくろ様」の恐怖の海ちゃん役で決定的となった。その前に「傷だらけの天使」にゲスト出演しているのだが、オンタイムではその回を見逃しているのだ。
 「赤い鳥逃げた」「エロスは甘き香り」と脱ぎっぷりのいい(といっても「赤い鳥逃げた」を観たのはずいぶん経ってからだが。日活ロマンポルノ「エロスは甘き香り」は未見)新人女優だったのに、「前略おふくろ様」でブレイクしてからはどんどんステップアップしていく。その次は「幸福の黄色いハンカチ」か。人気女優になってからは、まるで脱がなくなった。
 当然の帰結ではあるが、ある時嫌な噂が聞こえてきた。共演の新人女優を現場でいじめているというのだ。自分が食われてしまっている、その腹いせに。相手は日活ロマンポルノ出身。自分だって同じような過程を経て人気者になったというのに。あくまでも週刊誌の記事で本当かどうかはわからないけれど、これで、自分の中での桃井かおり株が下がったことは確かだった。




 19日(木)、MOVIX川口「ミッション:インポッシブル ゴーストプロトコル」。
 21日(土)、銀座シネパトス(「226」&)「いつかギラギラする日」。
 そして本日(22日)は、桐生市市民文化会館小ホールの「きりふ寄席」。

          * * *

 野村芳太郎監督「八つ墓村」を観たことで、先週、市川崑監督版のDVDを借りた。ついでに小説を図書館から借りて読んでみた。トヨエツが表紙の単行本。崑監督「八つ墓村」の公開に合わせて角川書店から出版されたのだろう。

 崑監督の「八つ墓村」は封切時に劇場で鑑賞して以来だ。この映画を観ることで野村監督版では「?」だったことがいろいろ理解できた。特に辰弥の母親がどのようにして父親と一緒になったのか。映画には回想シーンがあったが、最初の人物が誰なのかわからなかった。
 それにしてもこの父親はとんでもない奴である。妻がいるにもかかわらず好きになった女をてごめにして自宅に監禁、産まれた子どもが他の男のものと知ると、赤子に復讐。身の危険を感じて女が失踪すると、村人32人を惨殺するのだ。

 こんな男を田治見家の跡取りとして、その行いを容認し、32人殺しのあとは鍾乳洞で匿い、殺したあとは落武者の鎧を着せて奉るのが、大叔母の双子の姉妹。八つ墓村のきんさん、ぎんさんこと小竹と小梅だ。
 野村監督版では、市原悦子と山口仁奈子が白塗りメークで演じていてその大胆なキャスティングに驚いた。崑監督版では常連・岸田今日子の二役。これがまた上手い。大胆なメイクと演技で、原作の猿のようなキャラクターを体現していた。

 封切時から崑監督版の方が原作に忠実、と思っていたのだが、原作を読むとそうでもないことがわかった。もちろん、基本ラインは崑監督版の方が原作には近いのだけれど。
 小説「八つ墓村」は辰弥の一人称で書かれている(冒頭のみ第三者の視点)。原作も金田一耕助が主人公ではないのである。崑監督版が原作と違うのは、そんな原作を、これまでの石坂浩二が主演した5作同様に展開されている点にある。連続殺人が起きて、予定(?)の殺人が終ると金田一が真犯人を特定、以降、犯人がどのように殺人を行ったのか、解明していく。で、金田一が事件現場から去っていくところで「完」。原作には、こうしたお約束のくだりがほとんどないのだ。

 野村監督版の金田一は、村人から事件の解明(犯人が犯人である証拠)を求められて、「そんなことよりも」とあっけなく拒否してしまうくだりがある。それもどうかと思うが、崑監督版の証拠(映画のオリジナル)はあまりにもみえみえだった。
 野村監督版+崑監督版≒原作といったところか。
 原作では辰哉の恋愛、鍾乳洞における宝(落武者・尼子が隠した三千両)探しも描かれるのだが、両作品ともカットしている。
 原作を読んだことで、辰哉役のショーケンが似合っていることがわかった。

 ところで、16日(月)の朝日新聞「文化の扉」で芥川龍之介が特集されていた。その記事の中で橋本忍が黒澤明監督「羅生門」に関する裏話を披露していた。
 当時、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介という3人の有名な文学者のうち、なぜか芥川の作品だけ映画化されていなかった。橋本忍はその理由を求めて芥川の短編を二三十読んだ。中に「藪の中」があって、今までにない時代劇になると思ってシナリオ化した。それが巡りめぐって黒澤明の目にとまった。黒澤監督が言うには、映画化したいがいかんせんシナリオ「藪の中」は短すぎる。そこで別の短編「羅生門」を付け加えた。
 その経緯はすでに知っていたが、次の言葉が興味深かった。

     ▽
 原作を脚本にする時は圧縮する方が良くなる可能性が強くて、引きのばすとダメなんだ。
     △

 だから、(芥川文学の映画化に)誰も手をつけなかったんでしょうね、となるのだが、これは意外だった。長編小説を映画化すれば、上映時間の関係で、数々のエピソードを削らなければならない。そうなれば、原作の単なるダイジェストになってしまう場合がままある。逆に短編を素材にすれば、映画オリジナルのエピソード等を付け加えられて、豊かな内容になる。とずっと考えていたからだ。それが、まったく逆だったとは。
 考えてみれば「砂の器」も「八つ墓村」も原作を圧縮しているのだ。

 


 「誘拐報道」の上映が終了。ロビーに出ると、伊藤俊也監督とプロデューサー(天野氏、瀬戸氏)が立話していた。トイレに寄ってから外に出ると、すでに有志の人たちに囲まれた監督(&プロデューサー)が話していた。

 話題は映画の中でも重要な意味をもつキッチンでショーケンと小柳ルミ子の言い争うシーンについて。ショーケン台詞が入らなくて最初はふたりの息が合わなかったらしい。
 何度かリハーサルを繰り返しているうちに、ショーケンにエンジンがかかった。最終リハーサルなのだが、監督が「本番リハ」(だったか?)と掛け声かけてキャメラ廻してのりハーサル。これがすごく良い出来。監督は「OK!」と叫んだのだが、記録(女性)が不安そうに尋ねてきた。
「あの~、ショーケンの大阪弁ひどいんですけど」
 そんなことはどうでもいい、とこのテイクを使ったそうな。

 もうひとつ、誘拐した少年におしっこさせるシーンについて。
 伊藤監督はこのシーンを撮影するにあたって、少年のおしっこで雪が黄色くなるところを押さえようとコンテを考えていた。実際に本番になると、ショーケンが少年におしっこをさせているあいだ、しきりに少年の身体をさわりはじめた。あれはショーケンのアドリブで、監督はそのアドリブに圧倒されてしまった。で、黄色くなるアップは必要ないと判断したそうな。
 伊藤監督がショーケンを褒め称える。
「あの役はショーケンのために考えたものですから」
「ショーケン以外、演じられないでしょう」

 えっ! そうなの?
 そこで初めて質問した。
「もともとあの役は松田優作にオファーされたのに、同じ年頃の娘を持つ親として誘拐犯は演じられないと断られて、ショーケンに話がまわってきたのではないですか?」
 伊藤監督は即座に否定した。「そんなことはありませよ、最初からショーケンを考えていましたから」
「ショーケンさんが上梓した本で語っていますが」
 監督は笑って「それはショーケンの……」 
「××ですか」 

「(三波伸介、伊東四朗、なべおさみ等の)東京喜劇人を起用したのには何か狙いがあるのでしょうか?」
 方言のうち、こと関西弁になると世間のチェックがきびしくなる、ような気がする。日本全国方言はかぎりなくあって、代表的な東北弁や九州弁(たとえば熊本弁)は、わりとおおらかな気持ちで聞いているのに。特にネイティブがうるさい。そんな関西弁を、ちゃきちゃきの江戸っ子の三波伸介や伊東四朗にしゃべらせるのだから。
「キャラクターを重視した結果です。彼らに演じてもらいたかった」

 キッチンで言い争いをする前の風呂のシーン。久しぶりにショーケンが帰宅して娘(高橋かおり)と風呂に入る。浴槽につかる際、腰まわりに黄色いタオルをまいたまま湯船につかる。これにはがっかりした。自宅の風呂では絶対にありえないからだ。
 本来ならタオルは写ってはいけなかった。しかし、何かのミスで写りこんでしまった。とはいえ、雰囲気がとてもよかったので、ありえないのは承知の上でOKカットにしてしまったのではないか。
 その件も訊いてみた。
 伊藤監督、笑っていました。

 誘拐犯逮捕のシーンについて。
 「誘拐報道」には牛乳瓶の蓋が重要な小道具として登場する。厚紙でできたあの円形のやつだ。映画の冒頭で、その蓋飛ばしゲーム(?)を通じて、誘拐される少年と誘拐犯の娘が親しくなっていく様子が描かれる。人差し指と親指を使って蓋を挟み、押し出すことで飛ばす遊び。誘拐された少年のポケットから牛乳瓶の蓋がいくつも出てくるショットもある。
 ショーケンが早朝自家用車を止めて、運転席で牛乳を飲んでいる(アンパンも食べていたか)と、後方からパトカーがやってきて「もはやこれまで」と観念する瞬間、右手で持っていた牛乳瓶の蓋を同じやり方で車外に投げ捨てる。あれは、もともとシナリオに書かれていたのか、それともその場の思いつきなのか。
「シナリオにあったかどうかは忘れたけれど、演出プランとして考えていました」
 ショーケンのアドリブじゃなかった。

 中尾彬、池波志乃の起用には意図があったのか否か、場面が続いているというところがどうにも気になるのだが、これは質問できなかった。

 宅麻伸が「誘拐報道」が映画デビューだったと、伊藤監督の話で知った。ほとんど演技ができず、だから、コンタクトレンズを落としたり、メガネをかけるとスーパーマンに変身したりの演出をつけたんだって。長年のコンタクトレンズ愛用者からすると、両目のコンタクトレンズが同時にはずれて落ちるなんてことは信じられないんですけど。まあいいや。
 宅麻伸がスーパーマンに変身したつもりでハミングしながら駆け出すシーン、実は本当にスーパーマンのテーマを口ずさむはずだったが、版権の関係でそれっぽいものにしたんだとか。

 「誘拐報道」が長年上映されない、ソフト化もされないのは、版権問題が絡んでいる。僕は喫茶店のシーンで流れる洋楽が関係していると予想したのだが、伊藤監督は言明をさけていた。

 最後に流れる主題歌をボーイソプラノにすることは最初から考えていたとのこと。で、詩人の谷川俊太郎に作詞を依頼した。そのときイメージとして見せたのが、トランクを開けると少年が押し込めらているラッシュ(だったか?)。
「出来上がってきた詞をリテイクさせたんだよね。あの谷川さんにそんなことさせたのは伊藤監督だけじゃない?」
 とは瀬戸氏の弁。

 ラスト、ヘリコプター操縦士でカメオ出演する菅原文太は、会社からの要請だったという。僕自身、一度映画を観ているのに菅原文太が出演していることをすっかり忘れていて、最初声が聞こえてきたときは、「もしかして?」とびっくり。そのあと顔出しして二度びっくり。声だけの出演の方が面白かった気がする。


 

friends

 by エルトン・ジョン

 訳 今野雄二


 君が路上で出会う友人たちにとって
 今日が生きやすい日だと良いと思う
 道に迷い疲れた旅人たちのために
 もっと良い道を君は思いつけるだろうか

 友だちをつくって世界中に知らせよう
 君が必要とするものを手にしたことを
 友だちを得た君に光輝くことだろう
 友だちがあれば
 すべてはうまくいく

 ぼくたちが年をとるなんて それは犯罪
 このもろい時は決して過ぎ去ってはいけない
 時を消し去ることができるのは子どもだけ
 友だちとして共に眺めよう 彼らの幼年期が飛び
 去っていくのを


     ◇

 昔、昔、その昔
 近所の駄菓子屋でいけないことをしてしまいました。
 これがその成果です。

 詞で幼年期という言葉はないだろう。
 それだけがずっと気になっていて。
 後藤さんならこんな言葉は使わない。

zasshi
この雑誌の裏表紙(表2)でした
マーク・レスターだぁ!




2012/01/06

 「誘拐報道」(銀座シネパトス)

 最初、シネパトス「1」で始まった「萩原健一映画祭」は、すぐにシネパトス「3」に移動になった。「約束」&「涙のあとに微笑みを」はガラガラでしたからね。まあ、僕が行った日の最終回だけで判断するのも無謀だけれど。
 それで、小さい小屋の「3」になったのかも。キャパ的にはちょうどいいのだろうと、このまま最後までいくのかと思っていたら、「渋滞」&「八つ墓村」では「2」に変わっていた。
 僕の中では「2」がシネパトスのメインホールだ。やはり大ヒットしたメジャー映画の扱いは違うと感心したのだが、「誘拐報道」初日に行くと、また「1」に戻っている。30年ぶりの上映ということで一番大きい小屋(たぶん)を用意したわけか。常時上映のプログラムは「青春の蹉跌」&「アフリカの光」だし。
 
 この日は、地元シネコンで「ワイルド7」を観ようとしていた。「M:I GP」はまだ当分上映しているだろうとの判断。しばらくして「誘拐報道」の初日であることに気がついた。どれにしようか迷っていると、シネリーブル池袋の「宇宙人ポール」の夜の上映が最後だとわかる。
 いったいどうしたらいいんだ! 
 悩んだ末、サプライズを期待して「誘拐報道」にした。

 油断していた。いくら30年ぶりの上映とはいえ(封切後、名画座で上映されているとは思うが)、これまで同様、ある程度のお客さんしか集まらないだろうと踏んでいた。だから、有楽町駅に着いてから、20時にはまだ時間があるということで、教文館等の書店で時間をつぶして「ちょっと早いかなぁ」と思いながらも30分前に伺ったわけだ。チケットを購入すると整理券(NO.79)を渡された。そこで気がついた。「2」から「3」につながる通路に長い列ができていることを。
 開場になると、ロビーに人があふれた。席もほとんどが埋まった。そうなると不思議なもので、「涙のあとに微笑みを」のときには場末の映画館に思えた場所が、ちょっと設備のいい名画座に見えてきた。調子がいいなぁと自分でも思う。

 上映前に伊藤俊也監督の挨拶があった。やはりサプライズはあったのだ! 自分の勘は衰えてはいない、なんてね。
 実は伊藤監督、プロデューサーのお二人と1,500円払って列に並んでいたという。そのあと支配人に紹介されて、急遽上映前の挨拶が決まったとか。でも、なぜ最初からトークショーが企画されなかったのか。いつもなら樋口尚文とのトークショーがセッティングされるのに。
 まあ、いいや。

 僕自身、30年ぶりの「誘拐報道」だ。いや、TVで観ているか? とにかく劇場では封切時以来のことである。
 1982年、ちょうど会社訪問のころ(当時は10月1日が会社訪問の解禁日)に観ている。確か、某CM制作会社を訪問して、帰り際に渡された交通費をそのまま入場料にあてたのではなかったか。
 当時の日記をあたってみた。

     ▽
 「誘拐報道」を渋谷パンテオンで観る。
 ショーケンが久々に熱演しているときいて期待していたのだが、小柳ルミ子の方が良かった。しかし、少しばかりあの頃のショーケンにもどりつつあるようだ。
     △

 そっけない感想だ。
 思い出した。「誘拐報道」の前に「魔性の夏 ~四谷怪談より」があって、その前が「影武者」。「影武者」ではショーケンの演技が酷評され(曰く何を言っているのかわからない!)、「魔性の夏 ~四谷怪談より」は映画自体の評判が悪かった。2作とも劇場に足を運ばなかった。そんな作品のあとだったので、久しぶりにショーケンが褒められていると期待してみたら、ショーケン以上に小柳ルミ子が良かった。それでムクれているのか。僕自身、電話のシーンの演技はちょっとやりすぎじゃないかと思ったことを覚えている。
 そういう意味では、年月が経ってからもう一度観ることができてとても良かったと思う。まっさらな気持ちで鑑賞して、ショーケンの役者としての力量を思い知らされたからだ。

 80年に起きた「宝塚市学童誘拐事件」を題材にした映画である。
 読売新聞大阪本社社会部に黒田清という辣腕記者がいて、この方をリーダーとする取材班による誘拐事件の顛末が新聞に連載された。連載を一冊にまとめたのが「誘拐報道」(新潮社)だ。
 映画は、このルポルタージュを原作とするが、伊藤監督は映画化にあたって、誘拐犯とその家族、及び息子を誘拐されて打ちひしがれる被害者の様子を詳細に描いた(脚本・松田寛夫)。
 ショーケン演じる誘拐犯の鬼気迫る演技、ちょっとくたびれた妻役の小柳ルミ子の演技が賞賛され、映画は数々の賞を受賞した。映画オリジナルの部分が評価され、逆に新聞記者たちのエピソードがステレオタイプだと批判された。誘拐犯と被害者(と警察)だけで成り立つ映画ともいえるのだが、原作が「誘拐報道」だからいたしかたない。
 ちなみに、黒田清はフリーになってからTVのワイドショー等のコメンテーターとしてよく見るようなった。ますます活躍するのだろうと思っていたら癌で急死。訃報はショックだった。

 前半はまさに「ゴジラ(第一作)」あるいは「ジョーズ」のようだ。なかなかショーケンが登場しない。誘拐犯の手や足、身体の一部を映すのみ。ここらへんはまだ三波伸介をリーダーとする記者グループを通した事件のプロローグというわけだ。丹波哲郎がカラオケで歌う「ダンシング・オールナイト」が笑える。ダンシング・オールナイトのグをちゃんと発音して歌うのが「グ~!」だ。
 キャメラの焦点が犯人にあってからはショーケンが主役になる。誘拐した子どもを処分しようと郷里の町(丹後)を彷徨うシーンは、凍てついた冬の風景が印象的。雪の降り方とか海面の波のうねりとか、誘拐犯の心象風景になっている。
 防寒コート(ウィンドブレーカー?)に身を包みフードを被って長靴をはいたショーケンが絵になる。別にファッショナブルな恰好ではないのだけれど。
 普段着姿の小柳ルミ子、ジーパン姿に色気を感じる。久しぶりに亭主のショーケンが帰ってきたあとの、キッチンでの夫婦喧嘩はワンカット撮影だったのか。ひとり、鏡を見ながら胸に手をやりタメ息をつくシーン。ゾクゾクきた。

 誘拐犯の家族を描きながら、切羽詰まった経済事情を観客に想像させる方法が巧い。
 建売(だと思う)の小さな一戸建てと私立の学校は不似合だ。郷里の友人(湯原昌幸!)が言う言葉「(ショーケンが運転する乗用車に対して)おお、××(車種)のバンは珍しい」高級車なのか。
 200万円の手形を持って現れる借金取り。小柳ルミ子が(亭主が)手形を渡した相手、喫茶店オーナーの中尾彬を訪ねる。いかにも好色そうな悪人顔だ。交わす会話で喫茶店がもともとショーケンのものだとわかる。
 小柳ルミ子が中尾彬に言い寄られるシーンの直後、ショーケンが郷里の海岸で同級生のさせ子と出会い、カーセックスに興じるはめになるシーンが続く。させ子役は池波志乃。中尾彬にしろ、池波志乃にしろ、どんぴしゃりのキャスティングで「まったく夫婦して」と笑ってしまった。
 記者役の三波伸介はしっかり記憶していたが、刑事役で伊東四朗が出演していたことはすっかり忘れていた。記者たちが取材の根城にするのが、宝塚の読売新聞販売所。ここの店主がなべおさみ。東京喜劇人に関西弁をしゃべらせるのは狙いなのだろうか。
 三波伸介はこの映画公開のあと、12月に急逝してしまう。あまりの突然のことですごくショックだった。52歳。今の僕と同い歳だったのか。

 息子を誘拐される親(岡本冨士太&秋吉久美子)の演技にも注目させられる。憔悴しきった父親と、憔悴しきって神経がちょっとおかしくなっている母親。一人娘を持つ親としてたまらないものがある。封切時は学生だったので、自分に照らし合わせてなんか観ていなかった。
 「うち、お父ちゃん好きや!」の高橋かおりは、この映画で知って以来、女優としての成長を見守っていたところがある。06年の公演「あ・うん」で、脚本・演出の立川志らく扮する門倉の奥さん役で登場したとき、あの子役が人妻役かと感慨深かった。
 誘拐される少年は和田求由。下の名前をなんて読むのかわからないが、見覚えがある、と思って調べたら、「恋文」「離婚しない女」に登場する子役だった。

 ショーケンの映画で、なぜか自分の中ではあまり重きを置いていなかったところのある「誘拐報道」。再見、それもスクリーンで観ることができたことに感謝する。エンディングロールでは充実感に浸っていた。やっぱ、すげぇや、ショーケン!
 上映が終わって、場内が拍手に包まれたことを付け加えておく。

 終了後、冒頭の挨拶で伊藤監督がおっしゃっていたように、ロビーでちょっとした質疑応答があった。
 その件については次項で。


 
 9日(月)にシネリーブル池袋で「宇宙人ポール」鑑賞。
 昨年「恋の罪」を観たとき、この映画のチラシを見つけすっと気になっていた。何の前情報も予備知識もないのだが、これは劇場で押さえなければと。
 面白かった! 
 70年代、80年代のSF映画ネタがいたるところに飛び出してきて、大笑いしたりニヤニヤしたり。ヒッチコックの「北北東に進路をとれ」まででてくるとは!
 主人公の二人組とヒロインが立ち寄る酒場。3人が入ったときに流れている音楽って、「スター・ウォーズ」のあの宇宙人ウヨウヨの酒場と同じだよね? アレンジは全然違うけれど。
 ラスト、なかなか飛び立たないUFOに対して、ポールの一言がサイコー。誰でも経験したことがあるのでは?
 

 前日8日(日)から今年の大河ドラマ「平清盛」が始まった。大河ドラマは江戸時代を舞台にした作品しか観ない主義(ってほどでもない。江戸時代がマイブームなもので)。
 主人公が松山ケンイチなので、とりあえず第一回を観た。この時代が舞台になるのは「新・平家物語」以来か。

 映像のタッチが「龍馬伝」と同じ。フィルム的な陰影のある映像となっている。おまけにリアリティ重視。ドラマも見ごたえがあった。特に白河法皇役の伊東四朗が圧巻。その昔、「天と地と」に出演していた伊東四朗を見て、コメディアンだけでなく役者としても認識したことを思い出した。コント55号に夢中になる前はてんぷくトリオのファンだったもので。
 今回の白河法皇は「天と地と」以上のインパクトだった。存在感が強烈だ。あのスキンヘッドは本当に頭を剃ったのか、それともカツラか。

 主人公の清盛(まだ幼名だが)を演じる子役、どこかで見たことがあるなあ、と思ったら小学生漫才「まえだまえだ」の弟くんだった。お兄ちゃんが、清盛の父親に殺された盗賊(隆大介)の息子として、浮浪児役で登場したことでわかった次第。
 清盛の父親(忠盛)役は中井貴一。ラストの、清盛に向けて放つ台詞に胸が熱くなった。
 「勝海舟」は第一回に感動して1年間視聴したのだった。

 「龍馬伝」は、まずその映像に惹かれ、特に室内に差し込む光が、まるで本物の太陽光みたいで毎回注目していたのだが、フィルム的な映像処理を「暗い画面」と切り捨てる視聴者がいることに驚いた。
 こういう人って、昔の「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」等の時代劇、16ミリフィルムで撮影された作品を見ても「暗い!」と言うのだろうか。というか、フィルム作品をご存じないのか? 映画は観ないのか? TVは鮮明で明るく瑞々しいビデオ画面が当たり前という料簡なのだろう。
 まあ、いい、人それぞれの趣味嗜好というものだ。僕とは合わないだけのこと。

「また画面が暗いとかなんとか言われるんだろうなあ」
 第一回を観ながら心配したのはそこだった。
 案の定、第一回の視聴率が過去ワースト3だったことを受けて、「鮮やかさがなく、薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にはならない」と酷評する輩が現れた。
 兵庫県知事だという。
 映像、ドラマにおけるリアリティをどう考えているのか。
 だいたいこの人はドラマを観たのだろうか。薄汚れていると判断してチャンネルを回してしまったので観ていないか。
 地元が舞台になっていることで、知事の立場として観光客誘致のことしか頭になく、〈視聴率が悪い=観光客が来ない〉といった短絡的な発想で、発言してしまったのだろう。

 これはNHK側も悪いと思う。
 いつのときからか大河ドラマは舞台となった自治体(都市)が製作協力するようになった(すべてではないだろうが)。たとえば「太平記」では、足利市や太田市(僕の郷里)が自費で豪華なロケセットを作った。そのセットは撮影のないときは観光名所となる。
 自治体の長がそういう目で大河ドラマを評価するのも仕方ないのかも。

 とはいえ、大河ドラマはドラマなのだ。いいドラマを作るのが本当の目的だろうに。
 それから、TVドラマを視聴率で語るのはやめにしませんか。TV局(の営業)、広告代理店、スポンサーが視聴率を話題にするのは理解できる。しかし、メディアが問題視すべき事柄ではない。もっと中身について語るべきだろうに!
 



2012/01/04

 「渋滞」「八つ墓村」(銀座シネパトス)

 承前

 「八つ墓村」はリアルタイムで観ていない。
 市川崑監督、石坂浩二主演の「犬神家の一族」のあとでは、渥美清が金田一耕助に扮する、それも現代を舞台にした映画なんて興味がわかなかった。ショーケンが主演なのに。
 映画は大ヒットした。「たたりじゃー」のスポットCMは話題を呼び、その年の流行語になったのだ。
 
 観たのはずいぶん経ってからのTV放映で。
 そのときの感想を「君よ『犬神家の一族』のリメイクをどう思う?」(拙著「夕景工房 小説と映画のあいだに」所収)にこう書いた。
 市川崑監督の「犬神家の一族」が登場するまで、金田一シリーズの映画化作品はみな現代(製作当時の)を舞台にしていることをとりあげて続けた。

     ▽
 野村芳太郎監督の「八つ墓村」も舞台は現代だった。金田一にはあっと驚く渥美清が扮していて、秘境探検隊(?)みたいな衣装はそれなりにはまっていたとは思う。
 32人殺しの殺人鬼に扮した山崎努の異様なコスチュームと鬼気迫る演技、TVスポットで使用された「たたりじゃー」のフレーズは大ブームを巻き起こした。

 実はこの映画、事件の重要な鍵を握る青年に扮したショーケンが真の主役だというのに公開時に見逃した。後年、TVで観たのだが、私にとっては「?」がいくつも並んでしまうシロモノだった。
 陰惨で凄惨なおどろおどろしい物語を、そっくりそのまま映像に移し変えたオカルト風ドラマ。ズームイン、スームアウトを多用して落ち着きのないカメラワーク。一応ミステリという体裁をとっているけれど、根本的な要因は本当に祟りだったとする結末。そんな物語を感動作にしようとする全体の作り。どれもこれも違和感ばかりを覚える映画だったのだ。
 会社としては「砂の器」的な作品を期待していたのだろうか。
     △

 今回、初めてスクリーンで対面して、基本的にこのときの気持ちとかわらないものの、考え直すこともあった。
 ところで、〈秘境探検隊(?)みたいな衣装〉は完全なる勘違い。麻のシャツ、ズボン、麦わら帽子というファッションだった。
 
 冒頭のスタッフクレジットに改めて驚いた。
 監督・野村芳太郎、脚本・橋本忍、撮影・川又昂、音楽・芥川也寸志。
 主要スタッフがまんま「砂の器」ではないか。
 まあ、野村監督の場合、松本清張原作のミステリではどの作品も橋本忍が脚本を書いている。「張り込み」「ゼロの焦点」「影の車」。もしやと思って調べてみたら、「影の車」は「砂の器」スタッフだった。
 長編「砂の器」がそうだったように、「八つ墓村」でも橋本忍は原作へのアプローチを変えたのだろう。
 ミステリというよりは、原作のオカルト風味、怪奇色を前面に押し出した。ある意味金田一探偵が登場しなくても成り立つストーリーなのだ。
 ゆえに謎解きの面白さより、現代における地方の因習、呪われた伝説をセンセーショナルに描くことを主目的にし、因習、伝説に翻弄される人たちの悲しみを謳いあげた。

 考えてみれば、金田一探偵が登場しない、金田一ものを原作としたTVドラマ(TV映画)を僕は小学生時代に観ているのだ。
 日本テレビ系で「火曜日の女」という、5、6回でドラマが完結するシリーズがあった。その一つ「いとこ同志」の原作は「三つ首塔」である。悠木千帆を名乗っていた樹木希林がレギュラーの一人で、怪しいキャラクターだったのを覚えている。真犯人は誰か、それが気になって毎週夢中になって観ていた。調べてみると、島田陽子がヒロインだった。というと、「光る海」の前か。
 ほかにも「犬神家の一族」を原作にした「蒼いけものたち」、「悪魔の手毬唄」が原作の「おんな友だち」がある。この2作も観ているはずなのだが記憶にない。

 同時期だろうか、少年マガジンに連載されているマンガとして「八つ墓村」がインプットされた。漫画家は影丸譲也。

 1970年代はじめ、たぶんこの手のTV映画やマンガも手伝って、横溝正史のミステリが再評価されてきた。角川書店が文庫で復刊すると売れ行きもいい。
 当時の社長、角川春樹は松竹で進められている「八つ墓村」の封切に合わせて、横溝正史フェアの開催を企画した。ところが映画が完成しない。業を煮やした角川春樹は、自身で映画製作会社の角川春樹事務所を設立、市川崑監督による「犬神家の一族」に着手する。封切られるや、大ブームを呼んだわけだ。

 もし、当初の予定どおりに「八つ墓村」が公開されていたら、現代を舞台にした作劇も、渥美清の金田一も受け入れていたのかもしれない。原作を読んだことがなかったのだから。
 それにしても残虐描写は生半可なものではない。落武者が村人に惨殺されるシーン、要蔵(山崎努!)の32人殺しシーン。今見ると失笑してしまうショットもあるが、よくぞR指定を受けなかったものだ。
 個人的には葬式のシーンに山陰地方の様式を知る思いがした。何より鍾乳洞の撮影が見ごたえあった。
 山の上から、八つ墓村を見下ろすシーンで、小川真由美のスカートが風でゆらめくカットがある。スリットの入ったロングタイプなのだが、ゆれて太ももが何度か見える。実になんとも色っぽかった。

 肝心のショーケン。なぜこの映画に出演したのかとずっと思っていた。本によれば渥美清と共演したかったとその理由を語っていたような。とはいえ、ショーケンが主人公の辰弥を演じる必要性があまり感じられない。が、後半、黒いシャツと茶のコーデュロイパンツになってから、ドラマに溶け込んだような気がする。

 最後まで違和感あったのはカメラワークだった。ロケーションにおけるズームアップ、ズームバックが安っぽかった。特にラスト、炎上する多治見家を見下ろすところで、まず、現代の人たち、続いて落武者たちになるつなぎにがっかりするのだ。TV放映時もそうだったが、今回も同じ。
 室内は重厚な撮影のに。前述のように鍾乳洞も。

 出演者をみていると、どうしても「男はつらいよ」を思い浮かべてしまう。3代目おいちゃん、下条正巳が下條アトムと親子共演しているし、落武者の一人は佐藤蛾次郎だ。岡本茉莉も村人の一人で顔を見せる。エンディングのタイトルロールで吉岡秀隆の名前があった。いったいどこに出ていたのか。ああ、少年時代のショーケン役か。
 落武者といえば、大将が夏八木勲のほか、田中邦衛、稲葉義男が顔をそろえる。山の上に並ぶ八人の姿は、まるでネガティブな「七人の侍」……。
 最初の犠牲者は加藤嘉。まんま「砂の器」で笑いそうになってしまった。村人の一人、加藤健一は、「砂の器」では、亀高で駐在所の警官だった。丹波哲郎に「君は訛ってないね」といわれていたっけ。

 エンディングロールにおける〈監督 野村芳太郎〉の扱いが、まるでその他の技師(撮影、照明、録音等々)と同じなのでまたまた驚く。開巻のクレジットできちんと紹介されているからか。




 本日、上映初日ということで「誘拐報道」に駆けつける。開場を待つお客さんの数にびっくり。整理番号79だもの。
 最初にサプライズトークで伊藤俊也監督の挨拶があった。お客で来ていたところ急遽決定したとのこと。
 終わってから、ロビーで質疑応答。
 もちろん、いくつかお尋ねしましたよ~。

          * * *

2012/01/04

 「渋滞」「八つ墓村」(銀座シネパトス)

 「渋滞」は封切時に劇場で観ている。
 当時の日記にこう書いた(10年のブログで一度取り上げているが改めて記載)。

     ▽
 1991/05/13

 シネマアルゴ新宿で「渋滞」を観る。
 監督・黒土三男、主演・萩原健一。
 ショーケンらしい演技を堪能できる映画だった。
 ショーケンの“かまえた演技”というものがどうも好きになれない。
 “渋さ”などと表現する人がたまにいるが、冗談ではない、ショーケンに渋さなど似合うはずがない。
 以前、NHKで放送されたショーケン主演のドラマ「旅のはじまり」(脚本・黒土三男)に相通じる主題を持つロードムービー。
 確かに、そんなバカなと叫びたくなるシークエンス(たとえば、年末に千葉から四国に自家用車で帰省するというのに、のん気に早朝出発したり、浜松あたりで予約もなしに旅館に泊まろうとしたり)もあるが、きちんと計算された映像作り、心地よい音楽、そして静かな感動……。
 面白い映画だ。
     △

 「瀬降り物語」で渋いショーケン(の良さ)を再認識したので、〈ショーケンに渋さなど似合うはずがない。〉は撤回。また、浜松は沼津の間違い。それ以外は今も同じ感想だ。
 とはいえ、やはり〈そんなバカなと叫びたくなる〉ことには言及しておく必要がある。
 少し前に現在のドラマ(映画)のシナリオの質が落ちていることを書いた。「家政婦のミタ」の、あまりに見えすいた展開を批判したのだが、「ステキな金縛り」のがっかりした箇所にも触れた。面白くて楽しい映画だけれど肝心要のところで手を抜いていると。
 20年前のこの映画にも同じことがいえるのだ。

 主人公夫婦が何の対応もせずに年末に自家用車で四国へ帰省する、東名高速の渋滞に嫌気して降りるとあっけらかんと(予約なしで)温泉旅館に泊まろうとする。これはあまりにもひどすぎる。奥さんの実家がある山梨や長野に帰省するんじゃない。四国だ、四国。だったら、当然帰省ラッシュを考慮して、真夜中に出発するくらいの慎重さがなければ絶対におかしいって。
 東名が渋滞になるころには××まで行っているから、問題ないだろうと思っていたら、首都高で大事故が起きて大渋滞、予定が大幅に狂ってしまった、くらいの設定があってほしい。でないと、この夫婦(ショーケン&黒木瞳)は大馬鹿ですよ。

 つまり、映画は肝である渋滞に巻き込まれた夫婦の顛末を描くために、なぜそうなったかの部分を「年末にクルマで帰省したら渋滞に巻き込まれました」ですませてしまう。それじゃ観客は納得できない。
 1991年当時、もう盆や正月の帰省ラッシュは大きなニュースになっていた。だったら、渋滞に巻き込まれるまでをもう少し知恵を絞って描いてほしいじゃないか。渋滞にはまった夫婦の苦労に共感できないと意味がないのだから。
 温泉旅館のくだりも何かしらエクスキューズが必要だろう。こんな時期に予約なしで泊まれる旅館なんてあるのかと心配する黒木瞳に、それががあるんだとほくそ笑むショーケン。仕事の関係で知った穴場(?)なのだが、行ってみると、なんとわけありで休業中、なんていうのならまだわかるのだが。最悪、町の観光案内所にかけこむか、電話するだろう。
 それから、渋滞に巻き込まれてからというもの、この夫婦はよく喧嘩する。喧嘩というか、ショーケンが黒木瞳に怒ってばかりいるのだが、完全に自分勝手の言い分なので、これまたショーケンに共感できない。

 なんて前半の展開に文句をつけながらも、夫婦や親子の絆に惹かれていく自分がいる。
 故郷で待つ両親の気持ちを考えるとたまらなくなる。久しぶりに息子に会える母親(東恵美子)の喜びとか、寡黙に帰りを待っている父親(岡田英二)の姿とか。涙がでてくる。
 寒ブリの刺身のなんと美味そうなことか!
 ケニー・Gのソプラノサックスに耳を洗われる。一枚CDを購入したのは、この映画の影響だったのか?

 ショーケンのごくごく普通のお父さんが良い。あの襟なしジャンパーなんてよくぞ着たもんだ。かっこいいファッションではないのに、でもどことなくなんとなくいいなあと思う。
 この普通のお父さんイメージはTVドラマ「課長さんの厄年」「冠婚葬祭部長」と共通するものがある、と思ったら、「課長さんの厄年」の放送は映画公開の2年後なのだった。自分の中では同時期になっていた。
 ショーケンの映画を続けて観るとよくわかる。必ず共演女優との濡れ場があるのだ! この映画でも黒木瞳と安旅館の階段で抱き合うのだけれど、黒木瞳の、ショーケンの腰あたりから左右に突き出る素足の動きに欲情した。それらから外出時のちょっとおめかしした黒い服(スーツ?)にも。

 黒土監督の「蝉しぐれ」への想いがわかるショットがこの映画にある。
 黒木瞳と喧嘩して、旅館を出たショーケンが立ち寄るスナック。客がいない店内ではママ(かたせ利乃)が一人で本を読んでいる。その本が単行本の「蝉しぐれ」(文藝春秋)なのだ。カウンターの上に置かれた本のインサートは、黒土監督の映画化宣言ではないか。

 クレジットの、岡田裕(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)に複雑な思い。もう二度とショーケンの映画をプロデュースすることはないのだろうか。


 この項続く




 すいません、「3」「4」の前に「5」をUPします。
 ちなみに年末年始休暇最後の昨日は、「渋滞」&「八つ墓村」鑑賞。

          * * *

2011/12/29

 「竜馬を斬った男」「離婚しない女」(銀座シネパトス)

 「竜馬を斬った男」は封切時に劇場で観ている。パンフレットも買った。が、鬱のため仕事をせず、かみサンに食わせてもらっていた時期だ。そんな状況で昼間映画観ているなんて知られると騒動になる。そう判断して、帰宅前に近所の行きつけの喫茶店のママに預けたのだった。いつもお昼を食べていた店だ。中野区南台のアパートに住んでいたころの話。
 そのうち返してもらおうと思っていたものの、すっかり忘れて埼玉に引っ越ししてしまった。後でゆっくりじっくり読もうと考えていたので、ほとんど目を通していない。そのパンフレットがシネパトスで売られていた。
 買うべきか否か……。

 それはともかく。
 この映画については、当初、柳町光男監督とショーケンのコンビに期待していた。「さらば愛しき大地」の衝撃を与えるような時代劇を。「さらば愛しき大地」は観ていないのだけれど。
 山下耕作監督になって、がっかりしたことを覚えている。
 山下監督が東映時代劇(任侠劇)を支えた名匠であることは理解していた。でも当時(87年)ショーケン主演の時代劇なら新鋭監督でないと意味がないと思ったのだ。ショーケンの事務所、アルマンス企画の映画なのだから。「日本映画[監督・俳優]論」を読んで、この交代劇の真相を知り納得できたのだが。柳町監督に西岡善信を否定されたらそりゃショーケンは西岡さんをとりますよ。
 そうそう、映像京都って、もう解散しているんですね。全然知らなかった。

 今回、久しぶりにスクリーンで対面して、山下監督の映像設計に堪能させてもらった。前述の書籍で、この映画が不発だったことについて、自分が竜馬を(根津甚八が又三郎を)演じたら、状況は変わっていたかもしれないと語っている。
 果たしてそうだったろうか。
 ショーケンの竜馬なんて見たくない。かつて人斬り以蔵を演じたんだ。やはり又三郎の狂気をスクリーンで浴びたいじゃないか。


 「離婚しない女」は05年にシネマアートン下北沢で初めて観た。今回もあのときと感想は変わらない。
 ひとつだけ。
 この映画、撮影期間が二つに分かれているのではないか。ショーケンのヘアスタイルが微妙に違うのだ。

     ◇

2005/01/08

 「離婚しない女」(シネマアートン下北沢)

 80年代前半、大麻事件の謹慎後、「恋文」で見事復活を果たしたショーケンが、また神代監督とコンビを組んで、倍賞姉妹と共演した映画。神代・ショーケンコンビの総決算映画であったにもかからず、事件のためマスコミ的に抹殺されてしまった印象のある「もどり川」、そして「恋文」に続いて原作は連城三紀彦。作者はショーケンをイメージして小説を書いたという。
 北海道・根室を舞台にふたりの女性の間を浮遊する男を描くドラマ。「アフリカの光」の舞台設定に「青春の蹉跌」の男女関係を組み入れたような物語である。
 と今回観てはじめて気づいた。今となってはその理由がわからないのだが、なぜか公開当時この映画を観ていないのである。前年に公開された「恋文」が昔ながらの瑞々しい演技でショーケンらしさを発揮して非常に喜んでいたはずなのに。二本立てのもう1本が気に入らなかったのか。ビデオになったとは思うが、レンタル店で目にした覚えがない。という意味で僕にとっては長らく幻の映画であったのだ。

 倍賞千恵子扮する土地の有力者・夏八木勲の妻は夫との仲も冷え切り、時間と金を持て余している女性。町の私設気象予報士であるショーケンは大時化を予測して漁船の遭難を救った一件以来、夏八木に気に入られている。夫婦仲を察知したショーケンはすぐに千恵子をものにしようとモーションをかける。翌日、電車の中で千恵子によく似た女性・美津子に出会う。車内に置き忘れたポスターの束を彼女がオーナーをつとめる店に届けたことから、なさぬ仲になるショーケンと美津子。美津子もまた夫(伊部雅刀)との冷めた関係に悩む女性だった。
 千恵子は最初こそ拒否するものの、半ば強引に身体を重ねられた後は次第にその恍惚感に溺れていく。逆に美津子は寝ないことでショーケンへの想いを深めていく。
 ある日、互いの存在を知った女ふたりは……。

 なぜ一気象予報士でしかない男に二人の女性がそこまで固執するのか、映画の中では特に説明はない。最初にショーケンありきの企画だから仕方ないか。
 ショーケンは、「祭りばやしが聞こえる」「八つ墓村」で演じた青年の流れを汲む、髪も長くもなく短くもなく見るからに普通の男であり、そこが魅力。ところどころで垣間見せるお茶目な演技がいい。
 倍賞姉妹の共演が話題になった。それもいつも扮するキャラクターを逆転して演じているところが注目された。何しろ、倍賞千恵子は成金妻で毛皮のコートをまとい、貴金属ジャラジャラ。そして乳首まで見せて濡れ場を演じているのだ。「男はつらいよ」のさくらに慣れきっている寅さんファンにはショックだったのではないだろうか。
 ショーケンがジャケット姿で美津子の店を訪ねてきて、帰ろうとすると雪が降り出している。ちょっと待ってと美津子が奥から取りだしてきたのか、黒のウールのロングコート。その姿が決まっていた。かっこいい! オレも同じようなコートが欲しい、なんて。(ここだけの話、僕が長年愛用している黒い皮のハーフコートは、その昔ショーケン主演のTVドラマ「あいつがトラブル」で、主人公が着用していたものを真似て買い求めたのだ。ミーちゃんハーちゃんですね。あははは)
 ショーケンの部屋に無造作に置いてあるエレキギター。徳間のバーボンレコードからムーンレーベルに移籍してリリースしたアルバム「Straight Light」のジャケ写で弾くギターと同じものか?

 「傷だらけの天使」のDVD-BOXを購入して、全話を見直した時に気づいたことがある。神代監督のエピソードがやけにフランス映画しているのだ。この映画でそれを再確認した。相変わらずの神代タッチで全編押し通されるのだが、そのカメラワーク、カッティング、音楽と中学時代に観たフランス映画にダブる。音楽は井上堯之。いつものとずいぶん印象が違う。それもフランス映画っぽくさせた要因か。




 29日(木)は午前中に有楽町へ。
 10時からヒューマントラストシネマ有楽町で、デジタル修復版「幕末太陽傳」鑑賞。
 フランキー堺のイキのいい江戸弁、その口跡に惚れ惚れ。
 タイトルバックの撮影当時(1957年)の品川(北品川?)の風景にうっとり。僕が産まれる2年前だ。
 「居残り佐平次」を中心にさまざまな落語ネタが挿入される。「品川心中」、「三枚起請」。ラストのエピソードは何だっけ? 
 舞台となる女郎宿のセットがとんでもなく豪華だ。
 女郎役の南田洋子が若くてかわゆい。

 昼食のあと、銀座シネパトスで「竜馬を斬った男」&「離婚しない女」を鑑賞。

 元旦、午後は地元シネコンで「リアル・スティール」を鑑賞。12時に行って15時10分の回チケットを購入、シネコンが入っているArio1階で昼食をとり、コーヒーを飲みながら読書しているとかなり強い地震があった。
 あとで知るのだが、この地震の影響で、すべての映画の上映がストップした。そのため、入場時間(開始10分前)になっても、入場できない。そんなお客さんのためロビーは大混雑だった。

 映画は、〈なつかしい未来〉が舞台だった。時代は近未来だが、舞台は20世紀のようだった。ほとんど田舎を舞台にしているからだろう。
 近未来、人間の格闘技は廃れ、ロボットのそれがとって代わった。鉄人28号よろしく、人間が操縦するロボットの戦い(それも徹底的に残虐な)に熱狂し溜飲を下げる世界だ。そんな世界を背景にして、アメリカ映画王道の父子の情愛を描く。
 ロボットの、ライブアクションとCGの違いがわからない。クライマックスのロボットの戦いがまるで本物を見るような興奮があった。
 以上2点においてこの映画を評価する。

 ロボット格闘技産業は、自動車産業とゲーム産業がミックスされたような感じ。ゆえに、日本がかなり突出しているようだ。日本製ロボットが全身漢字だらけ、操縦機(PC風)も立ち上げると、まず日本語がでてくるのには笑った。
 最強のチャンピオン・ゼウスと戦うのはATOM。廃品工場で見つけたおんぼろロボットの名前がアストロボーイでなくて良かった。虫プロのアニメ「鉄腕アトム」がアメリカに輸出されたとき、〈アトム〉には〈おなら〉の暗喩があるので、タイトルを変えたのではなかったか。
 ゼウスの開発者、タク・マシダは日本のゲームクリエーターをイメージしたのか。マシダは〈マシンだ〉の意味だったりして。
 オーナーの女性はアメリカ人なのか? 発音からすると英語のネイティブスピーカーには思えなかったのだが。

 戦いの経過は「ロッキー」だ。好きなんですよね、アメリカ人は、この展開が(「チャンプ」+「ロッキー」の世界をSFで飾りつけた)。
 個人的には「あしたのジョー」だけれど。希望のある「あしたのジョー」!




 昨日2日は浅草で大衆演劇を初観劇だ。橋本正樹さんが書かれた「あっぱれ!旅役者列伝」(現代書館)の影響だ。この件についてはまたあとで。

 昼間はTVを観ている。正月のテレビ朝日は祭りづいている。「家政婦のミタ」の高視聴率で企画されたであろう『「家政婦は見た」祭り』。朝起きてから観ていたが、チャンネルを替えるとフジテレビで「マルモのおきて」を再放送していて、その第一話に夢中になった。で、思った。このドラマが評判になるわけだ。子役はかわいいし(嫌味がない)、おまけに犬もレギュラーで、これまたいい演技を見せてくれるのだ。
 今日もすっかりつきあった。
 最終話が終ると、テレビ朝日に替える。午後から『新春「相棒」祭り』なのだ。元旦に放送される2時間半スペシャル2本立て。1本目は僕が「相棒」にハマるきっかけをつくった「バベルの塔」。じっくり鑑賞させてもらった。
 僕はこのスペシャルドラマを年末の再放送で観たのである。
 以下、夕景工房レビューを転載する。

 ところで、今回気がついた。大塚寧々の拳銃自殺ですごいのはその倒れ方なのだ。身体をまっすぐにきちんと背面から床に倒れこむ。あれなら誰だって自殺か? と思ってしまうぞ。どうやって撮影したのだろうか。

     ◇

2007/12/29

 「相棒 バベルの塔」(テレビ朝日)

 沈着冷静で頭脳明晰なベテラン水谷豊が直情型の若手寺脇康文とコンビを組み、得意の推理で難事件を解決する刑事ドラマ「相棒」の評判がいい。「土曜ワイド劇場」枠の2時間ドラマとして誕生し、その後シリーズ化。1時間ドラマとしてレギュラー枠を確保してからは毎年定期的に放送されている。今やテレビ朝日の看板番組となり、来年のGWには何と映画が公開されるのだ。
 水谷豊の主演映画は何年ぶりだろう。工藤栄一監督の「逃がれの街」以来か。

 僕は「相棒」の熱心な視聴者ではない。帰宅してTVをつけ放送していると観る程度。そして思うのだ。「それほど面白いか? このドラマ」
 テレビ朝日には東映制作のヒットドラマが何本かあるが、どれもイマイチのめり込めない。そういったドラマに比べて「相棒」は出色ではあるが、演出というか映像、カメラワークが弱い気がする。「踊る大捜査線」や「ケイゾク」ほどシャープではなく、凝っているようでどこか野暮ったい。描かれる警察機構も緩い感じがして仕方ない。そんな印象があるところに、妙に分別臭くなった水谷豊に魅力を感じないことも大きい。

 水谷豊は「パンパイヤ」のころからのファンで、70年代から80年代にかけては萩原健一、松田優作と並ぶ憧れの役者だった。3人の中では隣の兄ちゃん風で一番自分を投影できるスターでもあった。
 「太陽にほえろ!」は第一話に犯人役で登場したほか、何話か出演しているはずだ。「傷だらけの天使」で注目されてから売れっ子になり「熱中時代」「熱中時代 刑事編」で人気が爆発したわけだが、個人的にはTV「バースデーカード」、映画「青春の殺人者」「幸福」が忘れがたい。「太陽を盗んだ男」では警察官役でカメオ出演していたっけ。長谷川和彦監督の「青春の殺人者」でキネマ旬報主演男優賞を受賞したんだものなぁ。主演女優賞は原田美枝子、監督賞は長谷川和彦。あのときは自分のことのように喜んだ。

 人気が一段落した90年代からは主に2時間ドラマに活躍の場を移した。確か最初に浅見光彦を演じたのは水谷豊だったと思う。記者、探偵に扮したドラマはいくつもシリーズ化された。「火曜サスペンス劇場」枠で放送されたこの手のシリーズはけっこう観ていたのだが、やがて飽きがきてチャンネルを合わせなくなった。
 自分にとっての3大スターのうち、松田優作は糟糠の妻を捨て熊谷美由紀に走ったことで興味を失い(離婚したことではなく、相手が熊谷美由紀だったことが個人的な問題。若いころの熊谷美由紀ってホント、大嫌いだったんだ、ワタクシ)、水谷豊とはこの時期疎遠となった。

 なんてことはどうでもいい。水谷豊とも「相棒」とも距離を置いていた僕がなにげなく観た「バベルの塔」にすっかりハマってしまったという話。
 
 「相棒」2時間半スペシャル「バベルの塔」について内容はもちろん、いつ放送されたかも知らなかった。昨年の正月番組らしい。

 オープニング、まず音楽に反応した。荘厳な合唱曲。聞き覚えがある。映画だったか、TVだったか。けっこう耳にする。クラシックだと思うが、作曲家名もタイトルもわからない。
 夜景がやけに美しい。何が始まるんだ? 画面を注視していると、とある超高層ビルの屋上に女(大塚寧々)が現れる。場所はお台場。右手に拳銃を握り締めていること、非常階段を走って後を追う水谷豊と寺脇康文から、二人が捜査している事件の犯人なのだろうとわかる。心ここにあらずといった表情の大塚寧々は拳銃を自分のこめかみに。発射音がして、そのまま地面に倒れこむ。屋上にたどりついた水谷と寺脇はその姿を呆然と見守るしかなかった……。

 荘厳な音楽をバックにした光景がとんでもないインパクトを持って迫ってくる。
「わぁ、『絡新婦の理』と同じ展開だぁ!」
 京極堂シリーズ第5弾「絡新婦の理」(京極夏彦/講談社ノベルス)は冒頭某人物と対峙した京極堂が「犯人はお前だ!」と叫ぶところから始まるのだ。いきなりクライマックス。度肝抜かれた。「M:I:Ⅲ」もアバンタイトルがクライマックスだった。

 こうして、「バベルの塔」は、大塚寧々が何の事件を犯すのか、なぜ自殺に至るのか、時制を元にもどしてその顛末を追っていく。
 2006年の大晦日から元旦にかかるわずか1日の出来事だ。

 大塚寧々は元警視庁刑事で、退職後、さる代議士の警備を担当している。バツイチで聾の一人娘を抱えた生活を送っていたわけだが、代議士にみそめられ婚約。そんな背景が代議士主催の大晦日のカウントダウンパーティーの会場で、招待客の水谷豊と寺脇康文とやりとりすることで視聴者に知らされる。
 この娘が何者かに誘拐されてしまうところからドラマが急展開していく。
 娘の命と引き換えに犯人が大塚寧々に要求したのは代議士を殺させること。指示通り、大塚は用意された拳銃を使って代議士に発砲、失敗やするやたまたま居合わせた若い女性を人質に籠城する。
 直ちに捜査本部がビル内に設置され、犯人射殺が決定する。警視庁一のスナイパー(寺田進!)が観覧車に乗り込み、その指示を待つという段取り。しかし、大塚寧々の突飛な行動の裏にある〈何か〉をかぎとった水谷豊の機転で射殺を回避させると、得意の推理で彼女を遠隔操作する真犯人の存在を察知する。誘拐した娘とアジトに隠れている真犯人の杉本哲太は、時限爆弾を作動させ、もし代議士を殺せなかった場合、娘もろとも小屋を爆破するつもりなのだ。

 水谷豊たちは、時間内に犯人のアジトを見つけだし、無事娘を救うことができるのかどうか。これが後半のサスペンスを盛り上げる。もちろんその過程で、さまざまな人間模様が浮かび上がっていくという作劇。
 大塚寧々の元夫をココリコの遠藤が演じているのだが、自分の落ち度で娘を聾にしてしまったと後悔するダメ男ぶりを体現していてうまいキャスティングだ。前日突然のように千秋との離婚が発表されたので、この再放送では意味深だった。
 そのほか、何よりイメージを優先して物事を考える代議士秘書、秘書の言いなりで行動する代議士、等々、登場人物も申し分なく、おまけに外様の水谷・寺脇コンビと捜査を指揮する監察官との反目、共感、協調もあって、TVから目が離せなくなった。

 正月特番ということで、スタッフは「踊る大捜査線」ばりの凝ったカメラワークによる群像劇、ミステリ活劇を狙ったのだろう。とにかく夜の空撮シーンは秀逸だった。最新テクノロジーを使った捜査もこちらの職人フェチを刺激する。犯人を特定してから捜査員がアジトに急行するシークエンスなんて、思わず叫んでしまった。「『羊たちの沈黙』じゃないか!」 といっても真似ではなく応用。だから夢中になれる。熱くなれる。
 代議士と敵対する左翼組織の存在、手話による意思の疎通、別れた妻と娘に未練タラタラの元夫……伏線の貼り方も、なかなかのものだ。
 でも、自慢じゃないが(自慢なのだが)、大塚寧々が籠城するショットで、犯人が仕込んだトリックがわかってしまった。

 事件は無事解決したとしても(小さな子どもが死ぬわけがない)、疑問は残る。冒頭で示されたように大塚寧々はビルの屋上で自殺するのである。ちっともハッピーエンドじゃないではないか。ラストで屋上に向かう大塚寧々。そこでピンときた。やはりそうだった。やるじゃないか、「相棒」!
 観終わって、充実感と爽快感に浸れた。
 ボディガードとして始終一緒にいるくせに、相手の本質もわからず結婚を承諾するものだろうかと思った。が、三度目の結婚になるのにノリで決めてしまい後で撤回したプロ野球監督のお嬢さんの例もあるので、納得できた。
 昨年の正月に観ていたら、すっかり「相棒」フリークになっていたかも。


 【追記】

 冒頭の印象的な音楽のタイトルが判明した。「カルミナ・ブラーナ」。さっそくAmazon.co.jpに注文した次第。






 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。
  
 30日は郷里(太田)で太田高校ラグビー部の忘年会(?)があった。2年上と1年上の先輩たちが毎年開催している行事だ。もともとは2年上の先輩たちが、高校を卒業してから、つまり大学生になってから東京でやりだしたのだとか。いつしか1年上と1年下をメンバーにしての年末イベントとなった。
 僕たちはというと、正月の2日に1年下の後輩たちと新年会をしていた。ずっと続くものと思っていたが、数年前から中断している。たぶんこのままうやむやのうちに〈ないもの〉になってしまうのだろう。幹事のY(郷里で整骨院を営む)も僕もやる気を失っているからだ。
 理由はマンネリ。

 先輩たちも同じだったらしい。なので、昨年、僕たちの年代が誘われたというわけ。Y経由でその話を聞いたとき欠席した。もちろん先輩たちとは卒業してから会ったことがないので行きたかった。しかし、31日は神戸でカウントダウンライブ。昼前に高速バスに乗るのでスケジュール的に無理だと判断したのである。
 今年は、カウントダウンライブへは新幹線で行く予定(結局中止になったのだが)があったので最初から出席するつもりでいた。

 18時30分から太田グランドホテルにて。2年上の先輩は皆昔の面影を残していた。4人しかいない1年上の先輩はかなり変貌していた!
 太田高校ラグビー部は、体育会系というイメージではなかった。もちろん、練習や試合では先輩から怒鳴られたりはする。しかしそれはあくまでもラグビーに限ったこと。それ以外のときはみな優しい。ほんと紳士だった。あれは太田高校の伝統なのか? 

 最初は瓶ビール、そのあと焼酎の水割り。そんなに飲んだつもりはなかったのだが、なんかベロンベロン状態だったらしい。
 迎えに来たY(今年は仕事で参加せず)の車に乗ってY宅に行ったことも、その間に自宅に3度も電話していたこともまったく記憶にない。
 目が覚めたらY宅の居間で「ここはどこ?」。で、そのまま吐いた。翌日はY宅の窓ガラス掃除……。
 Yの機嫌がすげぇ悪い。そりゃそうだよな。
 翌31日の夕方、帰宅。かみサンから酒を飲みすぎるとあれこれきつく言われる。Y宅での嘔吐の話なんてとてもじゃないが言えません。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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