2012/01/01

 「漢字検定のアホらしさ お言葉ですが…別巻③」(高島俊男/連合出版)

 「お言葉ですが…」別巻の最新作。このシリーズ、まだまだ続くのか。書名にもなっている文章はまったくそのとおり。


2012/01/04

 「井上ひさしの読書眼鏡」(井上ひさし/中央公論新社)


2012/01/06

 「小百合ちゃん」(中平まみ/講談社)

 往年の小百合を復活させたいと、筆者はあれこれ提案する。
 だったら、東映社長、岡田裕介が企画する映画に二度と主演しないことだ。東映との縁を切らせろ!


2012/01/10

 「マジメとフマジメの間」(岡本喜八/ちくま文庫)

 岡本喜八監督のエッセイをまとめた一冊。青春時代に死を覚悟したことが如実にわかる。


2012/01/18

 「八つ墓村」(横溝正史/角川書店)

 野村芳太郎監督版を劇場で鑑賞し、劇場公開時に一度観ただけだった市川崑監督版をDVDで鑑賞したこともあって、原作をあたってみたくなった。


2012/01/19

 「手塚治虫クロニクル1968-1989」(手塚治虫/光文社新書)

 各編の扉部分に、手塚治虫がこの作品を描いた年、年齢、その年の主な出来事、本人周辺の出来事が掲載されている。本アンソロジーの肝はこのページだろう。


2012/01/22

 「植木等ショー! クレージーTV大全」(佐藤利明 編/洋泉社)


2012/01/24

 「編集者の危機管理 名誉・プライバシー・著作権・表現」(堀田貢得・大亀哲郎/青弓社)

 
2012/01/26

 「ヒロコ ウルトラの女神誕生物語」(桜井浩子/小学館)

 女優・桜井浩子がどのように誕生したか。「ウルトラマン青春記 フジ隊員の929日」(小学館)の前日談といえようか。映画黄金時代の東宝の内側が興味深い。


2012/01/30

 「時代劇の作り方 プロデューサー能村庸一の場合」(能村庸一・春日太一/辰巳出版)

 能村庸一といえば「実録テレビ時代劇史」(東京新聞出版局)の著者というイメージが強い。この本でTV時代劇のプロデューサーであることは認識していたが、フジテレビのプロデューサーであることはすっかり失念していた。共著の春日太一はあの「天才 勝新太郎」の方ではないか。




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 25日(土)の昼前だった。父からの電話。ピンとくるものがあった。
「もしかして?」 
 やはりそうだった。祖母が亡くなったという。

 父方の祖父母は長寿で、21世紀に突入し90歳代になっても、元気いっぱい。老いというものを全然感じさせなかった。ふたりそろって100歳を迎えてほしいと願ったのだが、祖父は98歳で逝った。まったくボケもせず大往生だったから、通夜、葬儀は晴れやかで笑顔があふれるものだった。そこらへんのことはかつてmixiに書いた。転載もしている
 祖母は09年、無事100歳の誕生日を迎え市から表彰された。その前、元旦には伯父の提案で身内による「おばあちゃんの100歳を祝う会」を開いた。「100年に一度しかないことだから」がキャッチフレーズだった。

 本当に元気だった。叔父の家は弁当屋だが、祖母は93歳まで厨房で陣頭指揮してたのである。怪我をして身体が思うように動かなくなって、そのうちボケが始まった。僕が挨拶して「誰だっけ?」と返されたときはショックだったもの。
 100歳を過ぎてから施設に入った。商売をしながら介護はむずかしくなったということだろう。以来、祖母とは会っていない。

 一昨年だったか、叔父は店をたたんだ。たたむだけでなく、家屋自体も売却してしまった。
 昨年の年賀状で引っ越ししたことを知った。息子夫婦に店を譲って、新居で夫婦水入らずの生活を送るのだろうと思っていた。そのあと、父から弁当屋廃業を聞かされた。
 この話を知ったのは昨年。これもショックだった。叔父の家は、大学時代からの帰郷した際にまず最初に立ち寄るところだったからだ。駅から歩いていける距離にあるので、駅に着くと自宅に電話し、叔父の家に迎えにきてもらうのが当たり前になっていた。
 言ってみれば、寅さんにおける〈とらや〉みたいなもんだ。寅さんが柴又に帰ってきて〈とらや〉がなくなったらどうすればいいんだ? まあ、シリーズの後半では理由あって〈くるまや〉に名称変更しているけれど。
 いろいろ事情はあるのだろうと後で納得した次第。
 祖母が100歳を過ぎてから郷里の、親戚の事情が様変わりしたような気がする。
 叔父夫婦への感謝の気持ちとして、昨年11月、薮塚町のホールで開催された演芸ショーに招待した。父と一緒に。出演者の一人が談四楼師匠だったのでいい機会だからと誘ったのだ。喜んでくれた。

 ――祖母が亡くなった。25日の早朝は元気に施設のヘルパーさんと会話していたという。朝食を持って部屋を訪れると息をしていなかった。この時期は寒暖の差が激しいこともあって、命を落とす老人が多いらしい。実際、地元新聞のおくやみ欄には数多くの方の名前が掲載されていたほど。
 死因は老衰。103歳。享年は数えになるので104歳になる。
 26日(日)が通夜。27日が葬儀、告別式。
 遺影が若々しかった。何年前の写真だろうと思ったら、今年になって撮影したのだと。信じられない!

 おばあちゃんお疲れさま、いろいろお世話になりありがとうございました。
 あの世でおじいちゃんが待っているよ。




2012/02/17

 「西田幹サロンコンサートver.12 meets落語」(新大久保・スペースDo)

 ゲストの立川談修さんから案内をもらった。ホストの西田幹さんはバストロンボーン奏者。西田さん率いるバンドが奏でるラテンジャスと落語のコラボとあって興味がわいた。
 コラボといっても、内容は大方想像がつく。第一部が落語、休憩後、西田さんと談修さんのトーク、その後バンドのライブ、というような。
 いやはや、最初から本当にコラボしてるんだから、驚くのなんの! 

 早めに新大久保に着いたので、近くのマクドナルドでしばしの読書。
 小雨が降る中、会場へ向かう。地図がなかったらわかりゃしない。建物は住宅街にあった。スペースDoはその地下だ。
 受付をすませて中に入ると着物姿の吉笑さんとばったり。これにはびっくりした。
「あれっ、今日は開口一番やるの?」
「いえいえ、今まで太鼓を叩いていました」
 そういえば、階段で待っているあいだずっと太鼓の音が鳴り響いていたっけ。吉笑さんの一番太鼓は1月の桐生に続いて二度目。弟弟子の笑二さんもいる。
 このコンビによる二番太鼓でライブが始まった。
 ちなみにキャパ100名の会場は開演時には満員になった。
 
 上手に高座、下手は演奏ステージという作り。バンドは、バストロンボーンのほかに、サックス、フルート、ピアノ、ベース、ドラム、コンガ、ティンバレス、ヴォーカルという豪華な編成だ。
 まず談修さんが小噺(西洋ジョーク)を披露すると、バンドがその小噺にちなんだ曲を演奏するという構成。たとえばオープニングは、ある地方の単線が走る小さな駅舎を舞台にした小噺。続く曲は「A列車で行こう」。ミルクの小噺には、フロートの女性がオカリナで「森永」のCM「ピポパポ」。小噺に笑い、バンド演奏にスウィングする。第一部の試みは大成功だったと思う。高座の目の前、最前列には小学生の女の子がいて、きわどい下ネタにはヒヤヒヤしたけれど。

 第二部は談修さんの落語。亭主の夢に嫉妬する奥さんの噺「夢の酒」。生前家元が「いつ真打になってもいい」と昇進の許可をだしていたというが、確かに堂々とした高座だった。腕あげたなあと思う。

 第三部は、談修さんと西田さんのトークで進行するライブ。本当はバンドだけの進行の予定だったのだが、急遽、談修さんもMCで絡むことになったとか。
「この第三部、本当に、私が必要ですか? もう休ませてくださいよ~」に大爆笑。
 第三部でも談修さんはキーマンだった。ボケの西田さんにツッコミの談修さんといった感じ。もう笑わせる笑わせる。
 ラテンバージョン「北の国から」はまるで違う曲だった。ラテンバージョン「美女と野獣」はオリジナルを知らないこともあって、琴線にびんびん触れた。
 バンドの中に女性がいた。ヴォーカル、フルート、ピアノの3人。ヴォーカルはそのマスクからもしかしてと思ったら、やはり外人(ブラジル)さんだった。フルートが演奏の要になる。その音色に聴きほれた。ピアノは乗ってくると、椅子から浮いた形、中腰状態で、鍵盤をたたきつけるような激しいプレイがセクシーだった。

 ラテンジャズは生で聴いてかなりくるものがあった。癖になるかも。




2012/01/28

 「流石亭 立川談四楼独演会」(銀座・流石)

 「流石亭 立川談四楼独演会」の2回目。昨年11月が第1回だった。12月も特別企画として「芝浜と蕎麦」の回が企画されたが、別の用事があって参加しなかった。同じ銀座にはいたのだけれど。
 群馬から談四楼フォロワーズ・館林支部長のUさんが参加。電車で来たとのことだが、日比谷線の東銀座駅から外にでると自分の場所がわからないというので、迎えに行く。受付時に来月のチラシをもらった。
 素敵なキャッチコピーがついている。

     ▽
ちょっとばかり贅沢な大人のための落語会 ~土曜の午後の銀座*流石亭~
     △

 落語初心者の、カップルとか夫婦とか友だちとかには最適なイベントだと思う。初回の飲み放題に懲りたのだろう、ドリンクは2杯までとなり、その後は有料(500円)となった。この2杯が微妙だ。あともう一杯は飲みたい気分だから。実際追加注文した。最初は生ビール、次は熱燗。Uさんから二次会に誘われていなければもっと飲んでいたかも。
 今回も予定数を超えた参加者ではないか。

  立川寸志「寿無限」
  立川談四楼「立川流よどこへいく?!」&「ねずみ穴」

 家元亡きあとの立川流をどうするかということで、一門で会議を開いた。その模様を大爆笑の一席にしてしまうのだからさすがだなぁ。真面目に一門がどうなるのかを知りたい人には、ヘヴィメタ専門誌「BURRN!」3月号の師匠の連載コラムを読むことをお勧めする。

     ◇

2012/02/15

 「立川談四楼独演会 第180回」(北澤八幡神社 参集殿)

  立川寸志 「?(寿限無)」
  立川春太 「黄金の大黒」
  立川こはる「元犬」
  立川談四楼「勘定板」

  〈仲入り〉

  遠峰あこ アコーディオン
  立川談四楼「人情八百屋」


 春太さんの途中から。
 こはるさんが登場すると、客席から「こはるちゃーん」の声。
「すいません、今日は談四楼師匠の会ですので……」
 こはるさん、照れて恐縮してる。高座はもうのびのび自由と。もういつ二つ目になってもおかしくないのでは?

 師匠の一席めは、2月上旬船内の落語会で呼ばれた「飛鳥Ⅱ」クルージング思い出話を長めのマクラに「勘定板」を。最初は純粋にクルージングの思い出だったのだが、途中から「飛鳥Ⅱ」のトイレの話になって一気にその手の話題に。
 「勘定板」は1月広小路寄席(昼席)で平林さんがかけていたが、師匠の演目としては初めて聴く。平林バージョンでは、最後でそのものずばりが描かれるが、師匠はその前にサゲになる。これはまったく汚くない。想像させるだけ。巧い展開だ。
 右隣が「流石亭」主催者Sさんだったのでささやく。
「この噺、ぜったい流石亭の演目にはなりませんね」

 ゲストの遠峰あこさんは〈唄うアコーディン弾き〉。HP「藝能往来」でもインタビューされている、ということは、今回の仲介は前回に続いてSさんか。民謡、オペラなんでもござれ。ユニークな歌の数々に会場は大いに盛り上がった。小田急線の歌で新宿から小田原までの駅名をメロディに乗せて歌っていくバカバカしさに拍手。

 独演会で何度か聴いている「人情八百屋」は、家元が講談を聴いて「こんな噺をやりたい」と自ら落語に仕立て直したものらしい。今回初めて知った。




 承前

 もう、開巻から違和感ありまくり。
 ゴジラ映画に主題歌が必要だろうか? たびたび挿入されるアニメは何なんだ? 肝心のゴジラは正面からみると人間ぽくてかっこ悪い。ヘドラを挑発するしぐさ(口をさすって手招きする)、なぜキングコングの鳴き声なんだ?
 クライマックス、空を飛んで逃げるヘドラを追いかけるゴジラに愕然とした。後ろ向きになって尾を両手で抱えると、口から吐く放射能をジェットにしてそのまま飛行するのだ。飛行の仕方も情けなさすぎる。
「なんだ、こりゃ!」
 あのショックは忘れられない。

 次の「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」で口直しをしようとしたら、今度はゴジラとアンギラスがマンガの吹き出しで会話するシーンに萎えた。もう完全に。こうして僕はゴジラ映画を卒業したのだった。
 以降、「ゴジラ対メガロ」「ゴジラ対メカゴジラ」「メカゴジラの逆襲」の3作はリアルタイムで観ていない。「ゴジラ対メガロ」は、登場する正義のロボット〈ジェットジャガー〉を目にするのが嫌で(劇中、等身大のロボットがなぜか巨大化する。そんなアホな!)ビデオ(DVD)になっても借りたことがない(他の2作はビデオで観た)。

 東宝チャンピオンまつりは旧作の映画をメインにすることもあった。小学生のときは楽しみの一つで率先して観に行った。中学生になると「日本沈没」に始まる大人向けの特撮映画に注目していく。当然、ゴジラなんてなんぼのもんじゃい、となる。東宝(東宝映像)が制作したTVの特撮ヒーローシリーズ「流星人間ゾーン」にゴジラやキングギドラが準レギュラーで出演すると知ったときは世の末だと思ったものだ。
 石原裕次郎や高倉健がTVに進出したときの往年のファンの気持ちがわかる気がした。

 1970年代の終盤から80年代にかけて東宝特撮映画の解説(批評)本が何冊か出版された。そういった本では必ずといっていいほど「ゴジラ対ヘドラ」が評価されているのである。
 曰く「異色作である」と。異色作ではあるが、スタッフは真摯に公害問題に取り組んでいる。ヘドロの海から誕生したヘドラは、原水爆の落とし子ゴジラを彷彿とさせる。時代を反映させたサイケデリックなタイトルバック、テーマに直結した主題歌「かえせ!太陽を」、公害問題をわかりやすく表現するリミテッドアニメの挿入…エトセトラ、エトセトラ。
 そうこうするうちに、ビデオで「ゴジラ対ヘドラ」を観られる時代になった。
 借りてきた。

 まず思ったのは、これまでの怪獣映画とは違って、市井の家族を主人公にして物語が描かれたことだった。父親が海洋生物学者で、ヘドラの誕生や壊滅に対して政府、自衛隊にサゼスチョンする役目をおっているのだが、かつての映画なら、この父親がメインになって、もっとジャーナリスティックな活躍をするだろう。
 もうひとつ自衛隊が前面にでてこない映画なのだ。クライマックスのヘドラ乾燥作戦でやっと登場するものの、まるで勇壮ではない。お馴染みのあのテーマが聞こえてこないのだもの。

 少年時代に初めてこの映画を観たときの違和感がどこにあったのか、わかってきた。ドラマ部分が非常にコンパクトになっている。音楽がまるで怪獣映画らしくない。軽すぎる。どこかユーモアが漂っているような。らしくない。

 低予算だったのだ。邦画の斜陽が叫ばれていたときだものなぁ。
 それで思い出した。封切当時、雑誌か何かに掲載されていたゴジラとヘドラが戦っているカットを鮮明に覚えている。確か見開きだったのだが、舞台となっているコンビナート、バックのガスタンクがその形に切り取られた書割だった! あのときはそんなものかと思ったが、いかに何でも書割はひどすぎるだろう、芝居のセットではないのだから。

 大人になったら主題歌もアニメも受け入れられた。アニメなんて、「イエローサブマリン」の影響があるのだろうかと考えてしまう。ガスマスクをした女性がすれ違うと、交叉した顔がそのまま、地図上の、ヘドラに汚染された区域を示す斜線なる(TVのニュース)なんて、面白いではないか!
 あるいは人々の顔が映るTV画面がいくつも分割されてスクリーンに表われるのも、当時はかなりぶっ跳んだ表現だったのではないか。
 というように、70年代初頭の時代が色濃く反映された映像がどうにも気になって、一定の周期で確認したくなるのではないかと思う。確認したらしたで、また新たな発見があり、自分なりに再評価できるのではないか、と。

 何度か観ているにもかかわらず、すっかり忘れていて驚くのがゴーゴークラブで踊るヒロイン(麻里圭子)の衣装。紅白歌合戦でDJ OZMAのバックダンサーが身に着け物議をかもしたあの全裸衣装だ。股間は貝で覆われている。小学6年生にはどう見えたのだろう。覚えていない……
 それから、映画の主人公(の一人)、柴本俊夫(後の柴俊夫)。100万人コンサートの会場となる富士の裾野でヘドラに襲われ、男たちがキャンプファイヤーの火を松明にして反撃する。その過程でヘドラの体液(?)を全身に浴びて倒れて後はまったく登場しなくなってしまう。同じようなショットで別の男は絶命するまで描かれているから、主人公も死んだと考えるべきなのか。もしそうだとしたら、ゴジラ映画で初めてなのではないか。これも時代か。

 ゴジラの造形、特撮シーンの出来、主人公の少年の拙い演技、いろいろ不満はあるものの、いつも無理やり納得させている。脚本は「空の大怪獣ラドン」やフランケンシュタイン2部作の馬渕薫(木村武)だもの。

 しかし、あるショットで、ハラホレヒレハレになってしまう。それからはもう立ち直れない。
 あのゴジラの飛行シーンだ! 飛行する前の両手をピンと伸ばし、ポーズをとるのは何回観ても許すことができない。飛行ゴジラ(人形)の何と醜悪なことか!
 ウィキペディアで知ったのだが、監督の坂野義光と特技監督(クレジットは特殊技術)の中野昭慶が推し進めたこの飛行シーン、プロデューサーの田中友幸は、大反対したという。そんな横暴は許さない。一時は制作中断の憂き目にあったとか。これは絶対田中プロデューサーが正しい。
 田中プロデューサーが病気で入院した際にちゃっかり撮影してしまって、結果オーライになってしまった。
 このシーンがなければ、僕の「ゴジラ対ヘドラ」評価はもっと高くなる。それほどひどいんだから。
 嘘だと思うのなら一度観ておくれませ。


hikougodjilla

中野特技監督はアメリカで大うけだったと自慢がするが
ギャグとしてでしょう?
飛び人形になると両手で尻尾抱えてないし……




 なぜか、「ゴジラ対ヘドラ」を観たくなるときがある。この感情は数年ごとにめぐってくるから不思議なものだ。
 別によくできた怪獣映画だから繰り返し観るというわけではない。自分の中ではある一定の評価はされていて、でも、もしかしたら、それは間違っているのかもしれない。だったらもう一度見直してみよう。そういう感覚になるのだ。

 一週間前に、1枚100円で借りたDVDを返却したついでに借りてきたわけだが、まだ旧作100円サービスが続いているものだとばかり思っていた。会計すると、「二泊三日か一週間か」と訊かれた。サービスは終わっていたのだ。「やめます」とも言えず二泊三日320円を支払う。外に出てから、割引券があったことを思い出す。何たるマヌケ。面倒くさがらずTSUTAYAに寄ればよかった。TSUTAYAでは怪獣映画はキッズ作品なのでいつも100円なのである。マヌケの二乗だ。

 東宝チャンピオンまつりのプログラムの一編として公開されたのだから、どんな内容なのかは今ならわかる。
 しかし、当時、1971年、小学6年生の僕には新作のゴジラ映画として、胸がはりさけそうな期待感があった。
 前作「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」なんて絶対許せないシロモノだった。子どもは子ども扱いされることを嫌がる。この映画は子ども向けに作られている感じがしたのだ。
 ガメラシリーズも「ガメラ対ギロン」あたりからいかにもな子ども向けになってちょっとバカにしながら観ていたところがある。

 「オール怪獣大進撃」はいろいろな怪獣が登場するとはいっても、新撮はガバラだけであとは以前の映画の使い廻し。戦う怪獣が変わるたびにゴジラの顔も変化するというのはひどすぎる。新怪獣のガバラは魅力がないし。だいたい主人公の夢の話なんてがっかりだった。それも主人公は小学生、おまけにミニラと会話を交わす。ミニラは状況に応じて等身大から巨大化して……。ふざけるんじゃない!

 大人になってからわかることがある。
 怪獣映画としてのゴジラ映画は「ゴジラ・モスラ・エビラ 南海の大決闘」まで(ミニラ=怪獣映画の堕落、だから「怪獣総進撃」は除外)。「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」はある種の動物映画、「オール怪獣大進撃」は怪獣と子どもが共演するファンタジー。そういう目でこれらの映画を鑑賞すれば、新たな魅力も発見できるのだが、当時はゴジラ=怪獣、ゴジラ映画=怪獣出現の恐怖、破壊のスペクタクルという認識だったから、「こんなの怪獣映画じゃない!」という嘆きになる。
 この時期のゴジラ映画より、新怪獣が登場する「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」の方がよっぽど怪獣映画らしく面白かった。
 まあ、個人的な趣味嗜好もあるかもしれない。東宝特撮映画の中では、初期の怪獣映画を別にして「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」「キングコングの逆襲」が好みなので。

 「ゴジラ対ヘドラ」は久しぶりの新作だった。それも敵方怪獣はヘドロをモチーフにした見るからにおぞましい造形。こりゃ期待できるぞと思ったのだった。
 71年は、TVで「宇宙猿人ゴリ」「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」が始まった年である。ゴジラ映画の新作は、こうした特撮ブームの再燃に拍車をかけるものだったと思う。それも「ゴジラ対ヘドラ」をメインにした東宝チャンピオンまつりでは「帰ってきたウルトラマン」のグドン&ツインテールの前後編が再編集されたものが併映作品の一編なのだ。

 少し遅れて地元映画館にきたとき友だちと観に行った。
 「ゴジラ対ヘドラ」に怒り狂った!
 
 この項続く





 今日の「平清盛」第6回「西海の海賊王」。
 ドラマも映像もかなり迫力あった。
 第1回から中井貴一の充実した演技に圧倒されていたが、やっと松山ケンイチが力を発揮した印象がある。

 大河ドラマ以外でも中井貴一が光りまくっている。

          * * *

 突然「ゴジラ対ヘドラ」を観たくなった。
 昨夜、駅ビルにあるレンタル屋にDVD3枚(「M:I 2」「光る雨」+AV)を返却に行ったついでに借りてきた。
 「M:I 2」はこの前最新作を観た為。ただし第1作は認めない。「スパイ大作戦」を夢中で観ていたあのころの小学生にとっては、あれは冒涜でしかない!
 AVはあまりにくだらなかったので、特にタイトルも感想も記さない。

 で、「光る雨」。
 長谷川和彦監督に対する強いシンパシーのため、ずっと無視していた映画だ。原作は読んでいる。夕景工房にこう書いた。

     ▽
2002/10/21

 「光の雨」(立松和平/新潮社)  

 映画「光の雨」を見逃してから、原作である小説が気になっていた。  
 立松和平の小説を読むのは初めての経験だ。いわゆる純文学を読むのも久しぶりのこと。  
 ページの端から端まで文字だらけで読むのに苦労した。
 別に難解な文章だったわけではない。最近のエンタテインメント系の小説は改行が頻繁に行われ、見開きページにおける白地部分がけっこう多い。それに慣れていたから昔ながらの、論文みたいな長い段落が続く本作は〈息継ぎ〉がうまくできないのである。おまけに過去を語る老人が、時と場合によって、いろいろな人物に成りきってしまうので、今誰が話しているのか、時々わからなくなってしまうこともあった。前のページを読み返すこともたびたびだった。

 いわずと知れた連合赤軍について書かれた物語。以前作者は盗作問題を起こして話題になった。その作品がこれ。雑誌連載時、もともとは登場人物も団体も実名で書かれていたらしい。ところが、リンチ殺人事件の当事者の手記から引用された文章が盗作としてクローズアップされたのに伴い、いったん執筆を中止し、再度まったくのフィクションとして書かれた。  

 ということで、この小説の舞台は死刑制度が廃止された近未来になる。  
 日本中に衝撃を与えた連合赤軍(小説では赤色パルチザン)事件後50年が経過し、死刑を免れた唯一のメンバー、すでに齢80を越えた玉井潔(連合赤軍の坂口弘がモデルだとか)が、同じアパートに住む予備校生・阿南満也とクラスメートの美奈に語る回想の形で、事件の詳細が浮かび上がる。  
 まるで現在、多くの人たちにとって、はるか遠い記憶、歴史の中のひとつの項目でしかなくなった太平洋戦争と同じ感覚で、満也と美奈は連合赤軍の凄惨なリンチ殺人事件(小説では14人となっているが、実際には16人の命が失われた)と向き合うことになる。  
 その内容も玉井潔本人の独白であったり、殺されたメンバー各人の目となり口となって、また事件に巻き込まれた一般人の供述調書も適時挿入されて、事件のはじまりから顛末までを仔細に記す、前衛的手法がとられている。  

 人里離れた山にこもり、革命戦士育成に励む赤色パルチザン。  
 組織を抜けた裏切り者男女2名を見せしめのため殺した指導者倉重鉄太郎(連合赤軍の森恒夫がモデル)と上杉和江(同じく永田洋子)は、総括の名のもとに次々と仲間を粛清していく。  
 ある女性戦士は裏切り者と決別するためセックスをした理由で、別の女性戦士は訓練中も化粧をしていつまでも女性意識が抜けないとの理由で。ある者は山を降りて組織の金で隠れて飯を食ったため、ある者は銭湯に行ったため。  
 何なんだ、このくだらなさは! なぜこんな理由で殺されなくてはならないのか!  
 さっきまで仲間を批判し、総括を迫ってリンチを加えていた者が、次にはささいなことから逆に総括を迫られる立場になってやがて命を落としていく。それは悲惨をとおりすぎて喜劇の様相を深めていく。「ソ・ウ・カ・ツ ~そして誰もいなくなった」なんてタイトルでコントが作れそうだ。  
 彼らが目指した革命そのものも陳腐である。本当に彼らは革命が起こせると考えていたのだろうか。まるで〈ごっこ〉の世界だった。読みながらダブったのがオウムだ。外から見ると実にアホらしい。  
 が、実際自分がこの中にいたとすると(学生運動にのめりこまない、ということはこの手のメンバーにならない自信はあるが)、やはり、善悪の判断、ものごとを俯瞰的、多面的に見る判断なんてなくしてしまうのか。リーダーを批判して、その場で処刑されるのがオチか。    

 はじめは老人の話をバカにしていた満也と美奈が、徐々に内容に圧倒されていき、ふたりでゲームセンターのバイク(オートバイを駆って、宇宙空間を疾走するゲーム機器)に乗りながら、興奮のあまりまぐわって果てる、というくだりが一番印象深かったのが情けない。
      △

 リンチ殺人の被害者を実際に16人と書いているが、これは僕の間違い。山岳ベースでの被害者12人プラスその前に殺している同志2人で14人。それを14人+2人として計算していたのだと思う。

 小説「光る雨」の映画化するにあたり、別のアプローチをしている。
 小説で扱われている赤色パルチザンのリンチ殺人からあさま山荘事件に突入するまでの物語(本編映画)と、映画化するまでと撮影、撮了までのキャスト、スタッフの物語(ドキュメントビデオ+映画ビハインド)が交錯するのだ。
 つまり、今の若者の立場で連合赤軍を振り返るわけだ。小説の主人公(の一人)阿南は、映画の中では、映画「光る雨」のメイキングをビデオ撮影する新進映画監督として登場する。演じるのは萩原聖人。

 そしてもう一つ、現代における全共闘(団塊)世代のだらしなさも描く。映画「光る雨」のメガホンをとる監督(大杉漣)は、過去(学生時代の活動)を中傷されるはがきで撮影中に逃亡してしまうのだ。本当の意味での総括もできない男。というか、ずっとトラウマに苛まれていたのか。

 小説で描かれた現代と過去の交錯が、別の形で表現されて意味を持った。
 警察に追われあさま山荘へ逃れる前、雪原を走る玉井(池内万作)が見る幻想――リンチ殺人の犠牲者たちへの贖罪(ベタな描き方だけれど)、そしてその後のあさま山荘から放つ銃弾一発、「ここから始まった」に涙がにじんだ。
 撮了してからのインタビューで、倉重に扮した元漫才師の書きものや(山本太郎)が倉重本人に問う。
 なぜあんたは自殺してしまったのか、ずるいじゃないか!
 あなたの言葉が聞きたかったと言ったあとのひとこと。
「うぉー!」
 声出して笑いながら泣きまくった。





 昨日は退社後急いで中野へ。劇場MOMOで劇団染地組第3回公演「6人のイカレる女」観劇のため。
 中野で19時開演の芝居に間に会うわけがない。出演する志水季里子さんから案内をもらって、公演スケジュールを確認すると日曜日(12日)が楽日。なら前日の土曜日のマチネかソワレにしよう……と思ったのだが、二日目(9日)には終演後、風祭ゆきさんとのトークショーがありますとあるではないか。だったら9日に行きますと返信したのだった。

 10分ちょっと遅れて劇場に到着した。ザ・ポケットにはこれまで何度か足を運んでいる。MOMOはポケットの道を挟んで反対側の建物という認識だったが、その劇場はテアトルBONBONだった。新しく劇場ができたのか。その隣がMOMO。最初からここにあったっけ?
 受付をすませるとホールは2階だという。中に入ると舞台では女優たちが白熱した議論を展開させていた。

 6人の女性陪審員が横一列のテーブルに座って評議する模様をコミカルに描く。やくざの兄を殺してしまった、正確には兄の自殺を幇助した妹は無罪か有罪か。

 最初の暗転まで、ちょっとつらかった。ギャグ(というものでもないか)が空転して客席はクスリとも笑わない。テーブルを横一列から向かえ合わせにしようとの提案で陪審員の一人、季里子さんがテーブルを動かすのだが、勢い余って斜めになり上のものがすべて落ちた。これがすごいリアル。上手いなあ、でもこれを毎回やるのはかなり難しいのではと思ったら、単なる季里子さんのミスだった。「すいません」目の前のお客さんに謝っている。このハプニング、アドリブで少し芝居の中に入っていけた。
 ただ、陪審員のリーダー(水島裕子)の説明によって(季里子さんも少し加わる)、他の陪審員2人が兄妹に扮して、妹が兄の命を奪うまでの物語を演じるところは、もうちょっと演出のしかたがあったと思う。ある意味芝居の真骨頂だもの。

 6人の中で一人だけ浮いた存在だった陪審員(風祭ゆき)が活躍しだすあたりから面白くなる。「十二人の怒れる男」におけるヘンリー・フォンダ役の風祭さんは、本家とは逆に、他の5人が無罪を主張する中、自身の推理を披露して、徐々に場の空気を有罪にもっていく。
 本家は、被告の少年が無罪の評決がくだされめでたしめでたしで終わる。
 この芝居は逆のパターンなのか?

 な、わけがなかった。
 6人の中にメインキャストの一人(三東ルシア)がいなかったのはそうゆうことだったのか!

 演出の上垣保朗氏は、もともと日活の監督(ということをこの日知った)。美保純を一躍有名した「ピンクのカーテン」の監督さん。だから出演者にかつてロマンポルノで活躍した女優4人がいるのか。
 トークショーは、4人を3組に分けて3日続くらしい。その第一回がアフタートーク〈風祭ゆき・志水季里子ナイト〉。
 MCは、シネマバー〈グリソムギャング〉支配人箕輪克彦氏。特撮映画の上映及び関係者のトークショーで噂に聴く施設だから、トークの進行はお手の物なのだろう。上垣氏も交えて日活ロマンポルノの思い出話に花が咲く。季里子さんのワンマンショーだったような気もする。途中で上垣氏にストップかけられていましたから。




2012/01/22

 「きりふ寄席2012 立川流一門会」(桐生市市民文化会館小ホール)

 毎年1月になると群馬県桐生市で落語会が開催される。郷里である太田市の隣町だ。上毛カルタでいえば「桐生は日本の機どころ」。高校時代にラグビーの試合で何度も訪れた。ちなみに太田は上毛カルタで「太田金山子育て呑龍」とうたわれている。
 さて、肝心の落語会は、談四楼師匠プロデュースの「きりふ寄席」。今年で5回めになる。初回から行きたいと思いつつ、なかなかスケジュールの都合がつかなかった。1月は何かと忙しいのだ。前回は、1月ではなく、前年の12月に開催された。出演者の一人がミッキー亭カーチスなので心ときめいたが、結局ダメだった。

 今年は談笑師匠が出演する。前座は弟子の吉笑さんだし、これは絶対行くぞ。
 館林の落語会に何度か誘っている友人がいる。太田韮川で整骨院をしているYだ。中学、高校の同級生で高校時代は同じラグビー部だった。笑いは好きだから落語に興味がある。自営だから土曜日もめいっぱい働いている関係で日曜日開催でければ参加できない。一度だけ館林の立川流落語会に一緒に行った。帰りに寄った台湾料理店をいたく気に入り、その後も家族でたまに行っているらしい。
 Yの代りというのもヘンだが、この数年、誘っているのが高崎在住のAである。小学校時代からのつきあいだ。例年夏に開催される談四楼師匠+αの二人会は初回から通っている。

 きりふ寄席は日曜日だ。Yに声をかけてみた。行きたい、というのでチケットも手配した。前日の夜はY宅に宿泊して当日Yのクルマで会場に向かえばいい。漠然とそう考えていた。大晦日になって、Yが「行けなくなった」と言ってきた。ラグビー関係の用事があるとのこと。Yは地元で小学生たちにラグビーを教えている。また東京三洋ラグビー部とのつきあいもあって、試合があると駆り出される。あわてて、Aを誘った。
 一週間前になって、Yから電話がかかってきた。もしまだチケットがあるのだったら行きたいんだけど。おいおい、もうAを誘っているって。
「だったらもう1枚チケット購入しようか?」
「いやいや、そこまでする必要はないんだ」
 もし、購入することになっても無理だった。チケットはすでに完売していたのだから。

 最近〈市民会館〉を聞かなくなったような気がする。地方の場合、昔は何かイベントがあると必ず会場は市民会館ではなかったか。
 今は違う。たとえば僕が住んでいる川口だと市民会館はあることはあるが、イベントやコンサートの類はリリアで開催される。館林の落語会はいつも三の丸芸術ホールだ。桐生市市民文化会館は、昔の市民会館なのだろうか。かなり新しい超近代的な建物で外観はまるでUFOのよう。大ホールと小ホールがあって、レストランや喫茶店が完備している。市民会館がもっと多機能になったのか。そういえば、年末に行ってわかったことだが、太田も市民会館が建て替え中だ。
 桐生市文化会館小ホールはキャパは300人弱。ゆったりとした空間は居心地が良い。左右の入口を結ぶ通路を境に後方は段々の席となっている。その一番前の席を確保した。


  立川吉笑「狸の恩返しすぎ」
  立川談奈「尻餅」
  マグナム小林 ヴァイオリン漫談
  立川談笑「時そば」

   〈仲入り〉

  宮田章司 江戸の売り声
  立川談四楼「芝浜」


 開場を待っているあいだに、初めての経験をした。一番太鼓を聴いたのだ。近くに大太鼓が設置されていたのはわかっていた。飾りだと思っていたら、吉笑さんがでてきて威勢よく太鼓を叩きだした。その迫力といったら! 
 まずは吉笑さん。思ったとおり「狸の恩返しすぎ」だった。勉強会のときとサゲが変わっていたような。
 談奈さんは初めて、のつもりでいたのだが、志ん朝に似ている口調で思い出した。談四楼独演会の二つ目シリーズに出演していたのだ。
 マグナムさんはこれで3回め。ネタはまったく同じだけれど、楽器自体を使ってのギャグは何度聴いても飽きがこない?
 談笑師匠は地方ということで鉄板ネタの「イラサリマケー」を予想していたのだが、「時そば」だった。確かに「時そば」の方がオーソドックスか。ときどき自分を客観視するクスグリがたまらなくおかしい。そばの概念を覆すという、中野駅北口ロータリーの立食い蕎麦屋「K」、行きたくなりました。

 休憩時にコミックス「ファイティング寿限無」第二巻を購入。

 江戸の売り声、宮田さんは二回め。昨年の8月、下北沢の「談四楼独演会」のゲストだった。どんな感想を書いたのか、昨年の8月のブログをあったらない。何たることか、備忘録すら書き忘れていた!
 あのときはお客さんからリクエストをもらって、さまざまな売り声をやっていた。今回も同じ。が、冒頭でマイクを使うのをやめて、客席に降りて実践してくれた。生の声がいい。北澤八幡の参集殿でも生声だったが、会場の大きさが全然違う。気持ちいい。

 師匠は談志の思い出をマクラに、談志が得意としていた「芝浜」を。




2012/02/02

 「ロボジー」(MOVIX川口)

 地元シネコンでは今週でレイトショーが終わってしまうので「ロボジー」を観てくる。前日だったら1,000円なのだが、水曜日は「相棒」があるので。そういえば今シーズンの「相棒」、正月スペシャルはなかなかの出来だったが、その後、ちょっと気が抜けていないか?
 そんなことはどうでもよくて。

 「ロボジー」の主演は五十嵐信次郎。70歳過ぎの新人俳優だ。ミッキー・カーチスの別名なんだけど。
 ミッキーさんは、最近、自伝を上梓した。老化ビリーなんてくそくらえ、数年前に再婚(それも若い奥さん!)、音楽(70年代はじめ、キャロルをプロデュース)に落語(立川流Bコース真打、ミッキー亭カーチス。変な外人が登場する古典落語が得意)に大活躍。俳優としても、これまで、脇でさまざまな役柄を飄々と演じてくれていたが(上手いというより、存在感がある)今回はなんと主役だ!
 ミッキー・カーチスと五十嵐信次郎の違い。それはずばり髪ではないか。ミッキーさん長い髪をすっぱり切っているのだ。だから本当におじいちゃんおじいちゃんしている。

 この映画、予告編でくるものがあった。
 某電機メーカー(たぶん中小企業)で二足歩行のロボットの開発を社長に命じられた若手社員の3人。開発に失敗すると、直前に迫ったロボット博覧会のため応急処置として中に老人を入れて参加する。このロボットが評判を呼んでさあ大変!

 確かに楽しめた。声たてて笑えるところもある。でも、すっきりしない。どこか消化不良だ。途中から「嘘でぇ」という言葉が頭の中をぐるぐるまわっていた。どう考えてもあるところで人間が入っているってわりかりそうなものだ。孫たちにいいとこ見せようと、タクシーで娘夫婦の家を訪れるところからあたりから映画のための展開になってきた。面白いことは面白いのだが、やはり問題はシナリオなのか。

 ハイボールのCMで、そのちょっと跳んでいるキャラクターに注目した吉高由里子を初めてスクリーンで拝見。良いんでないかい。あっ、この映画の前に「ヒミズ」で観ているけれどあっというまに退場してしまったのでした。

 ロボットのマスクをはずした主人公は、「スター・ウォーズ」の敵方、兵士のストームトルーパーに扮したルークかハン・ソロみたいだった。かっこいいのよ、これが。

 快哉を叫んだのはエンディングロール。歌はかつてヒットした洋楽。「ドモアリガト、ミスターロボット」のフレーズが印象深かった「Mr.Roboto」。この歌を使ったことも膝を打ったが、歌手が最高。
 だって、五十嵐信次郎とシルバー人材センターですぜ!!
 そういえばシナリオ協力に矢口姓の女性名があった。監督の奥さんか。

 この時代にあってオリジナル映画は大いに評価したい。それは強調しておく。


 【追記】

 YouTubeで観たのだが、シルバー人材センターメンバーのキーボードはミッキー吉野なのか?




 川藤正幸の急逝にショックを受ける。自宅火事による死だなんて。
 昔、TVブロスが創刊されて毎号購入していたころ、連載コラムを楽しみにしていた。
 小林信彦のコラム(「コラムは笑う」だったか?)にまだ業界に入る前の川藤氏が登場する。何か小林さんに送ってお礼を言われるのだ。

 合掌

          * * *

2012/01/31

 「ヒミズ」(ヒューマントラストシネマ有楽町)

 翌日の映画サービスデーまで待てばいいのにと思う人もいるかもしれない。前日でも1,000円だったのだ。

 昨年の12月、池袋シネ・リーブルで「恋の罪」を観たときにテアトルシネマグループのメンバーズ会員になった。
 会員はテアトル系の入場料がいつでも1,300円、火金は1,000円になるのだ。テアトル系は毎週水曜日がサービスデーで一律1,000円。とてもありがたい制度なのだが、水曜以外でも割引、それも火金はサービスデーと同じ1,000円と知ってその場で即会員申し込みの手続きをとった。
 特典として無料チケット、1,000円(で入場できる)チケット、各1枚もらった。これを利用して、今年になってから「幕末太陽傳」や「宇宙人ポール」を観たのだ。

 「恋の罪」に続く園子温監督の新作「ヒミズ」が公開されている。国内外で話題になって、主演の二人は海外の映画賞で受賞したとか。だからなのか、先週発売の週刊新潮によれば、連日多くのお客さんで賑わっているという。
 映画サービスデーだと混雑が予想される。なので、前日に鑑賞したというわけだ。
 19時50分の回。確かにお客さんがたくさんいた。両隣ともカップルだった。

 原作のマンガは読んでいない。というか、まったく知らない。
 最近、人気マンガのTVドラマ化、映画化といわれても、タイトルすら知らないことが多い。当然小谷実という漫画家の名前も。自分が歳をとったと感じる瞬間だ。「稲中卓球部」ならタイトルだけは知っているか。
 タイトルのヒミズとは、モグラの一種だった。漢字で〈日不見〉と書く。
 主人公の姓が清水、でも主人公に想いを寄せるヒロインが江戸っ子でシミズと言えずヒミズになってしまう、なんていうことではなかった。いや、それならヒミズがシミズになって、か。
 つまらない冗談はこっちに置いておいて。

 「ヒミズ」は「冷たい熱帯魚」一座による新作映画というようなテイストがある。出演者が神楽坂恵、でんでん、吹越満、渡辺哲、諏訪太郎、黒沢あすか……なんだもの。
 金融ローン社長役のでんでんは、もろ熱帯魚店のあの社長のイメージ。吹越満と神楽坂恵はカップルでホームレスやっていて、仲間は渡辺哲、諏訪太郎。黒沢あすかはヒロインの母親で、その虐待ぶりといったら……。
 そんな中にあって、主役の染谷将太(住田)と二階堂ふみ(茶沢)が圧倒的な存在感を示す。映画の冒頭から続くふたりの一筋縄ではいかない関係(とんでもなく斬新そして新鮮)は原作どおりなのか。それとも映画のオリジナル? 
 〈575〉ゲームには笑った。俳句愛好者たちの間では流行っていることなのか。怒りを覚えるたびに石を拾ってポケットにしまう行為とか。茶沢の部屋に貼り巡らされている住田語録がこれまた愉快、痛快。読んでいて思わず声たてて笑いそうになった。

 園子温監督は、相変わらず登場人物の性格を映像で語らせるのが上手い。TVで放映できない内容だというところも。
 前半は異様に短いカット割りが続く。1カット5秒あるかないか。住田が事件を起こすあたりから(いや、もうちょっと後あたりかな)、普通(?)になる。住田の心情(イライラ感)を反映させたカッティングか。

 予測がつかない展開にも目を瞠った。
 昔、ごく短い期間だったけれど、フリーの制作として働いたことがある。ある企業PVを制作する事務所で働いたときのこと。
 構成と演出担当の社長とその助手二人という小さな事務所なのだが、この社長が劇映画のシナリオも書いていて、その実力は業界では有名だと耳にした。もちろんクレジットされない、あくまでも黒子に徹しているのだと。押井守が一躍有名になった劇場版「うる星やつら」のシナリオもほとんどこの社長が手直ししたという。直接本人から聞いた。
 当時はシナリオライターになる夢があった。それを知った社長がシナリオを書く際の極意を教えてくれた。
 曰く「正常と異常を繰り返すんだ」
 園子温監督の映画って、この正常と異常がくんずほぐれつしているような気がしてならない。「やさしい熱帯魚」「恋の罪」「ヒミズ」の3本しか観ていないのだけれど。

 「恋の罪」以上に詩の朗読が効果的だった。ヴィヨン詩集の一編だと文庫本のアップでわかる。詩の朗読も原作にはあるのだろうか。オリジナルだと思うのだが。

 スリの常習犯役の窪塚洋介がいい。久しぶりに見るような気がする。目のあたりがNHK大河ドラマ「平清盛」に出演している三上博史(鳥羽上皇)を彷彿とさせる。
 窪塚洋介と渡辺哲が大金を盗みに、ある男の部屋に忍び込むシーン。TVをつけると評論家の宮台真司が福島原発の問題を語っている。そのコントラスト。このブラックな笑いがたまらない。園子温の映画が癖になるのは、こういうところだ。

 東日本大震災に見舞われたことで、脚本が大幅に変えられたという。もちろん、上のシーン以外でも、被災地の映像が挿入されたり、登場人物の中に被災者がいたりと、2012年の映画として意味がある処置だとは思う。
 劇映画として最初に震災を扱った名誉が欲しかったとか、世間に対するアピール効果を狙ったとか、そんな低次元な問題でないこともよくわかっているつもりだ。
 とはいえ、震災を取り入れなくても十分成り立つ映画だったのではないか。ラストに頬を伝わったひとすじの涙はたぶんそこに反応したのだから。
 



プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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