変身ブーム 特撮1971-75

 「仮面ライダー」のクレジットでメインタイトルの後、〈原作・石森章太郎〉と出る。同じ原作でもアニメ「サイボーグ009」とは決定的な違いがある。
 「サイボーグ009」は雑誌から生まれた純粋なマンガである。マンガがヒットしたことによりアニメになった。最初にマンガありきの作品だ。

 対して「仮面ライダー」は東映からTV番組の企画として、デザインや設定を依頼されたもの。基本ラインが出来てから、番組の制作とマンガ連載がスタートした。つまりマンガはある種のメディアミックスなのである。

 たとえばTVで「宇宙猿人ゴリ」がスタートするにあたり、少年チャンピオンで同タイトルのマンガ(作画・一峰大二)の連載が始まった。
 第一次怪獣ブームのときも、少年マガジンに「ウルトラマン」(楳図かずお)や「ウルトラセブン」(桑田次郎)のマンガが連載されていた。

 少年誌では昔からよくあるパターンなのだが、「仮面ライダー」の場合、石森章太郎が企画から携わり、自らキャラクターデザインやストーリーの設定を行っているほか、独自のアイディア、ポリシーを持ってマンガ作品を描く。ゆえに原作者扱いになっている、というべきか。第一期ウルトラシリーズでいえば、成田享と金城哲夫を足して二で割った存在だろうか。
 同じ作品でもTV番組とマンガでは主人公や登場人物等共通しているものの、別作品なのである。

 マンガ版「仮面ライダー」を読んで、大きくうなずいたことがある。タイトルの「仮面ライダー」の意味について。TVの仮面ライダーは、本郷猛(一文字隼人)が変身した姿である。人間体の主人公が超人に様変わりするだけ。ハヤタがウルトラマンにあるいはモロボシ・ダンがセブンに変身するのと何ら変わらない。まあ巨大化と等身大の差はあるけれど。にもかかわらず仮面(の)ライダーとはいかなる理由か?

 マンガでは、改造されても本郷猛は人間体のままであり、感情が高ぶると顔に醜い傷が浮かび上がるという設定だった。その傷を隠すために仮面をかぶるのだ。

 第二次怪獣ブームは、ダークホース的存在の「仮面ライダー」が大ヒットしたことにより、等身大ヒーローブームの様相を呈してきた。
 ピー・プロでさえ、「スペクトルマン」終了後は「快傑ライオン丸」「風雲ライオン丸」等、時代劇+等身大ヒーローというジャンルを手がけるのだ。予算の関係、費用対効果というものもあるのだろう。

 「仮面ライダー」ですっかりブームの主流に躍り出た東映は石森章太郎と組んで数々の等身大ヒーローを生み出していく。
 「人造人間キカイダー」(72年)、「キカイダー01」(73年)、「ロボット刑事」(73年)、「変身忍者嵐」(72~73年)、「イナズマン」(73~74年)、「宇宙鉄人キョーダイン」(76~77年)、「秘密戦隊ゴレンジャー」(75~77年)……。
 変身ブームといわれる所以だ。

 もちろん巨大ヒーローものは円谷プロが積極的に展開していく。「帰ってきたウルトラマン」に始まる第二期ウルトラ(マン)シリーズ、「ウルトラマンA」(72~73年)「ウルトラマンタロウ」(73~74年)「ウルトラマンレオ」(74~75年)。
 TBS以外のTV局と組んだ「ミラーマン」(71~72年)、「ジャンボーグA」(73年)、「ファイヤーマン」(73年)……。

 変身ブームは、特撮番組全般の対象年齢をずいぶんと下げる結果となった。あまた生み出された石森章太郎原作・東映制作の特撮ヒーロー番組は、その最たるもので、第一期ウルトラシリーズに夢中になった僕にはどうにも我慢ならなかった。
 安易なネーミング、インパクト優先のデザイン、チープなキャラクター造形、アクション重視のドラマ展開……。

 この影響をもろに受けたのが第二期のウルトラ(マン)シリーズなのである。特に後期作品群の堕落ぶりはやりきれなかった。そこにはもはやトップブランドの輝きはなかった。僕自身、この手の番組から卒業しなければならない年齢になっていたことも大いに関係あるのかもしれないが。

 そんなわけで変身ブームにはあまりいい思い出がないのだが、あるとき石森章太郎の描くマンガがTVとは違ってきちんとテーマを昇華させたシリアスな展開となっていることに気がついた。この世界をそのまま実写化できないものかと夢想したものである。

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「仮面ライダー」登場! 特撮1971

 1971年。
 スポ根ブームで下火になっていた特撮番組がこの年甦った。再放送ではなく新作である。新しい特撮ヒーローたちがTVを席巻したのだ。

 まずフジテレビでピー・プロ制作「宇宙猿人ゴリ」(その後「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」、「スペクトルマン」と改題)が始まった。
 土曜日の午後7時。この時間は日本テレビ「巨人の星」に夢中になっていたのだがチャンネルを替えることに迷いはなかった。「戦え!マイティジャック」のときは無視したというのに。この違いは何なのか、自分でもわからない。

 少し遅れてTBSで円谷プロ「帰ってきたウルトラマン」が始まった。ウルトラマンが復活したのである。金曜夜7時。
 この番組は開始前から「小学一年生」で大体的に特集していた。五歳下の弟が定期購読していたので、発売日に奪い取るようにして読んで情報を仕入れていた。

 「仮面ライダー」は土曜日夜7時半からNETで始まった。

 3つの特撮ブランドが同時期に甦ったのは偶然だろうか。

 「仮面ライダー」はひっそりと始まった印象がある。こちらに「宇宙猿人ゴリ」や「帰ってきたウルトラマン」ほど思い入れがなかったからかもしれない。

 チャンネルを合わせなかったのは、等身大ヒーローにそれほどの興味がなかったということもあるが、同じ時間帯に日本テレビでもっと面白そうな番組が始まったからだった。
 タツノコプロ制作の戦記アニメ「アニメンタリー決断」である。「宇宙エース」、「マッハGOGOGO」、「紅三四郎」等々、タツノコプロファンだった僕はこれまでにないアニメに興味津々だった。
 二、三回観たような気がする。期待したほどでもなかった。小学6年生に戦記ものは難しかったのかもしれない。そうなると裏の「仮面ライダー」がどんなものか確認したくなるのが人情だ。で、弟に「こんな番組があるんだぜ」とばかりにチャンネルを4から10に替えたのだった。

 初期の「仮面ライダー」は、かなり怪奇色が強かった。「悪魔くん」、「河童の三平 妖怪大作戦」の路線に月光仮面型のヒーローを加えたような感じがして、そこが魅力だった。

 地味な印象もあった。何しろバッタをモチーフにしたデザインで、黒と深緑のかなりダークなカラーリングなのだから。赤い目と赤いマフラーがポイントか。マフラーが石森ヒーローに欠かせないアイテムだとわかる。地味なところがカッコよかった。月光仮面に比べたらいかにも現代風で。バイクを走らせ風圧でベルトが回り、変身する過程も面白かった。

 主人公を改造するのが悪の組織というのは「サイボーグ009」と同じ構図だ。
 注目したのはオープニングのクレジット。オートバイを駆る仮面ライダーをバックに〈本郷猛・仮面ライダー 藤岡弘〉と出る。この表記が実に新鮮だった。実際、初期のころは藤岡弘自身がスーツを着ていたらしい。たぶん、顎の部分が小さい個人的には一番シンプルでかっこいいと思っているライダーだろう。

 「仮面ライダー」といえば、藤岡弘、を抜きにしては語れない。仮面ライダー=1号ライダー(本郷猛)=藤岡弘、というわけだが、たまに思うことがある。藤岡弘(当時の表記)が撮影中に怪我をしなければどうなっていたのだろう?

 今ではほとんど触れられることがなくなったが、「仮面ライダー」が子どもたちの間で大ブームを呼ぶのは、藤岡弘が怪我で降板してからのことなのだ。
 局も東映も始まったばかりの番組を終了させるわけにはいかない。次番組の準備なんてないし。窮余の策で、本郷猛(ライダー1号)はある任務のため海外に出て、代わりに一文字隼人(ライダー2号)が日本に赴任することになった。演じるのは佐々木剛。それまでもいくつかの大人向けドラマで見たことがある俳優だった。

 この交代劇で「仮面ライダー」の雰囲気が大きく変わった。それまでの怪奇色が払拭され、全体的に明るくなった。
 仮面ライダーもデザインの変更が施された。マスクの中央、目と目の間、ちょうど鼻筋にあたる部分に白いラインが引かれた。腕と足にも同じような白いライン。それだけでもずいぶんと印象が違う。垢抜けた仮面ライダーに生まれ変わったのだ。

 変身シーンもバージョンアップされた。一文字隼人がポーズをとって「変身!」の掛声とともにジャンプすると、七色の光に包まれて人間体からライダーへ変身する。オートバイに乗りながらベルトに風圧を受けて変身する本郷猛に比べてずいぶん派手になった。
 こうした変更に僕は違和感を抱いた。特に変身シーン、そのポーズと掛声はいいとして、ヴィジュアルがいかにもなアニメ合成なのがいただけない。子どもだましに感じた。

 ところが弟にはまったく逆に見えたのだろう。目を輝かせて放映を待つようになった。それまでは兄につきあっていたのが、自分の意志でチャンネルを合わせるようになったというか。その熱中ぶりは友だちとの遊びでも見られるようになった。仮面ライダーごっこを始めたのだ。あの「変身!」ポーズをみんな真似る。一気に「仮面ライダー」ブームが押し寄せた!
 このブームは実感として昨日のことのように覚えている。

 怪我のための主役交代は仕方ないにしても、怪奇路線からの脱却は個人的には大いに不満だった。
 ただ得心したことがある。弟たちが変身ごっこで遊ぶのを横目にしながら思った。「帰ってきたウルトラマン」も何か変身グッズを使うべきなのだ、と。「ウルトラマン」のベータカプセル、「ウルトラセブン」のウルトラアイに当たるものが「帰ってきたウルトラマン」には出てこない。ピンチにならないと変身できない設定がいまひとつインパクトに欠けていたので、「変身」ごっこに夢中になる弟たちの気持ちがよくわかったのだ。

 それから、オートバイ以外にスノーモービルだとか馬だとかに乗る姿が実に様になった。等身大ヒーローってこういうことができるのか!
 とはいえ、この時点で僕自身の「仮面ライダー」への興味はなくなった。あまりに子ども向けになったからだ。特撮はもちろんのこと、ストーリー、演出、すべてにおいて満足させてくれなかった。以後、弟につきあって「仮面ライダー」を見るようになった。

 藤岡弘の怪我も癒えてまた撮影に参加できるようになると、本郷猛が海外から日本に戻ってきたという設定で、まずゲスト出演で番組に登場した。1号&2号、ダブルライダーでショッカーと戦う構図に弟は歓喜した。そして主役交代。一文字隼人が海外に旅立ち、本郷猛がまた日本を守る展開となった。
 この交代に伴い、1号ライダーのデザインが一新された。ゲスト出演では旧デザインのままだったが、主役になるとそうもいかないのだろう。2号ライダーを踏襲して、2本ラインのより派手なものになり、変身ポーズも「ライダー変身!」の掛声とともに新たなポーズをとるようになった。ライダー人気はますます高まり、次番組「仮面ライダーV3」をピークとしてシリーズ化された。

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「仮面ライダー」前史 特撮1966-70
 

 あくまでも個人的な印象ではあるが、「仮面ライダー」が登場するまでの、特撮番組の状況を説明しておこう。
 
 当時、特撮番組には3つのブランドがあった。円谷プロ、ピー・プロ、東映である。

 円谷プロの第一期ウルトラシリーズ、TBS系の「ウルトラQ」(66年)、「ウルトラマン」(66~67年)、「ウルトラセブン」(67~68年)は当時日本中を席巻していた怪獣ブームの中でトップに位置していた。東宝特撮怪獣映画を夢中で追いかけていた少年にとって〈監修・円谷英二〉の威力は絶大だった。

 円谷ブランドに対抗するのがピー・プロと東映だ。ピー・プロはフジテレビ系「マグマ大使」(66~67年)、その流れを汲む「怪獣王子」(67~68年)。東映はTBS系「キャプテンウルトラ」(67年)、フジテレビ系「仮面の忍者赤影」(67~68年)、NET系「ジャイアント・ロボ」(67~68年)。
 これらの番組もウルトラシリーズ同様毎週楽しみにしていた。夢中で観ていた。が、子ども心に円谷プロより特撮のレベルが落ちるように思えたのも確かだった。

 たとえば「マグマ大使」はミサイルの発射だとか爆発のショットになると、まんまアニメになってしまうのだ。

 ウルトラマンのスペシウム光線や科特隊員が放つスーパーガンのレーザー光線とは雲泥の差だ。あのギザギザ光線にはまさに未来を感じたというのに。
 もともとピー・プロはアニメ制作会社だったので、CGを先取りしていたといえなくもない。

 「キャプテンウルトラ」は「ウルトラマン」の後番組だった。今では第一期ウルトラシリーズというとあくまでも「Q」「マン」「セブン」の3作を指すが、番組が始まった当時はタイトルに〈ウルトラ〉が入っているし、シリーズの一つという認識だった。

 だからこそ何かと前作と比較してしまった。宇宙を舞台にしているのに、肝腎の宇宙空間がリアルじゃない。あまりに青すぎてウソっぽいのだ。特撮の出来がどうにもいまいち。音楽(冨田勲!)と3機に分離するシュピーゲル号が魅力だったが。

 「ジャイアント・ロボ」も同様だった。

 特撮に関して円谷プロ、ピー・プロ、東映の順。そんな格付けが自分の中でできあがっていた。
 ただし、東映にはもう一つの流れがあって、それがNET系「悪魔くん」(66~87年)、「河童の三平 妖怪大作戦」(68~69年)の怪奇路線だった。

 「悪魔くん」は本当に怖かった。水妖怪の回なんてまともにTVを見ていられなかったもの。こたつの中にもぐりこんで布団の隙間から観ていたような記憶がある。東映はこちらの路線が本流だと思っていた。

 1968年になると怪獣ブームが下火になってくる。大映映画「妖怪百物語」やTVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」等が話題を呼び、妖怪ブームが押し寄せるのだ。
 「ウルトラセブン」終了後に始まった「怪奇大作戦」(68~69年)もその影響だった。特撮大好き少年にとっては、妖怪ものは怪獣特撮の一ジャンルという認識があった。なので「怪奇大作戦」以降も円谷プロ制作の特撮番組はずっと続くものだと思っていた。

 68年は妖怪ブームとともにスポ根ブームに沸く年でもある。土曜日の夜7時日本テレビでアニメ「巨人の星」が始まったのだ。野球少年でもあった僕は夢中になる。

 この年、円谷プロ制作の大人向けの特撮ドラマ「マイティジャック」がフジテレビで開始された。
 同じ土曜日の夜8時からの一時間ドラマ。制作発表の際、初の一千万円ドラマとして話題になった。なんてことはずいぶん後になって知った。
 当時は放送されていることも知らなかった。どうしてだかわからない。

 覚えているのは番組が30分になって放送時間が変更されるというTVスポットだ。隊員の一人を演じる二瓶正也がカメラ目線でその旨を告げていた。鳴り物入りで始まった「マイティジャック」が低視聴率であえなく1クールで打ち切られた結果だった。
 が、僕は新しく始まった「戦え!マイティジャック」も観なかった。「巨人の星」の裏番組だったからだ。そんな自分を振り返るとスポ根ブームの威力が実感できるのだ。

 漫画原作を実写化した「サインはV」(69~70年)、アニメ化した「アタックNO.1」(69~71年)、「あしたのジョー」(70~71年)。「タイガーマスク」(69~71年)や「キックの鬼」(70~71年)もあった。すべて追いかけている。毎週熱中していた。

 ちなみに「マイティジャック」は再放送でその面白さに目覚めた。一時間番組を前・後編にして「戦え!マイティジャック」とセットにして放送していたのである。

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「マンガ家入門」1969-70?

 マンガを描いて投稿しようと思ったのは「少年ジャンプ」の影響だと思う。というか、当時、誌上でマンガ原稿を募集していたのは「少年ジャンプ」だけだった。確か、「フレッシュジャンプ賞」という名称だったのではないか。小学4年生のころである。

 応募するにはきちんと描き方を学ばなければならない。そう考えて入門書を買ってきた。秋田書店から出版されていた「マンガのかきかた」。その流れで同じ秋田書店の「マンガ家入門」を手に入れたのだった。著者が石森章太郎のマンガ入門書である。

 表紙は自宅の書斎で、自身が生み出した代表的なキャラクターと戯れる二枚目の青年、石森章太郎。ある種の暖かさを感じるイラストだ。それが裏表紙になると、大勢のキャラクターが騒ぎ出して収拾がつかなくなって慌てるいつもの(三枚目)自画像となる。その落差は「サイボーグ009」を代表とするストーリーマンガと「テレビ小僧」等のギャグマンガのようだ。

 「マンガ家入門」にはテキストとしていくつかの石森マンガが収録されている。その中で特に目を引いたのが「龍神沼」である。プロデビューしてまもないころに描かれた少女マンガ。

 ある夏の日、主人公の青年が久しぶりに訪れた郷里を舞台に、村祭りで露呈する為政者たちの悪事と彼らに征伐を加えようとする龍神沼の謎の美女、青年に恋心を抱くいとこの少女のドラマが交叉する。叙情性と伝奇性が見事にミックスされた作品だった。自然描写、心理描写、暖かいペンタッチ等、子ども心に良く出来たマンガだなあと思った。

 続編「続・マンガ家入門」は、「マンガ家入門」を読んだ読者からの質問一つひとつに石森章太郎が答える、いわゆるQ&Aで成り立っていた。写真でマンガを描くための道具が紹介されたりして、実物を見たことがなかったカラス口にはかなり興奮したものだ。

 テキスト(のマンガ)で一番印象深かったのが「夜は千の目をもっている」。
 裕福ではあるけれど愛に飢えた孤独な姉弟と家庭教師に雇われた女子大生の、姉弟の父親と家に出入りする謎の男を巻き込んだサスペンスタッチのメロドラマだ。

 一読して映画になるなと思った。少女マンガの一編として描かれたのだろうが、人物の設定や世界観等々、すでに青年マンガの発芽が見られる。当時小学4年生か5年生の少年はそれを映画みたいと感じたのだ、たぶん。

 1967年に講談社漫画賞、翌68年には小学館漫画賞を受賞し、最初のピークを迎えた石森章太郎はこの時期、次のステップに向けて変貌していた。今から思うと、明らかにタッチが劇画のそれに変わっているのだ。

 当時、青年漫画誌なんて年齢的に立ち読みしたことはなかったので、「COM」に「ジュン」を、「ビッグコミック」に「佐武と市捕物控」を連載しているなんて知らなかった。ただし、タッチの変化は少年マガジンに連載されていた「リュウの道」で歴然だった。大胆なコマ割り、一部写真を流用したような背景……。

 吹き出しも独特な使い方をし始めた。台詞の入る吹き出しはそれまでコマの枠内に納まっていた。それを枠内はもちろんのこと、コマとコマの間にも流れるように置きだしたのだ。コマの中の、吹き出しにとられるスペースが少なくなった。つまり吹き出しに邪魔されることなく絵が描ける、というわけだ。と同時に、コマとコマの連続性を持たせることが可能になった。と個人的には思っているのだが。

 そんな状況の中で原作・石森章太郎なる「仮面ライダー」が登場したのである。1971年の春のこと。NETの新番組として新聞のTV欄で目にしたのだ。

mangakanyuumon
「マンガ家入門」 

zokumangakanyuumon
「続・マンガ家入門」

manganokakikata
「マンガのかきかた」


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 「体験的石森ヒーロー論」は、サブカル・アナログマガジン「まぐま Vol.18」に寄稿した論考(のようなもの)である。特集が〈石ノ森章太郎Spirits〉と題するものだったので、昭和と平成の仮面ライダーの比較論を展開してやろうと筆をとったのだった。

 仮面ライダーが大ブームのとき、すでに小学6年生(~中学生)になっていた僕は、小学校の低学年向けのストーリー、演出を馬鹿にしていて、そんな昭和の仮面ライダーにくらべたら、平成のシリーズが(といっても、僕が夢中になったのは「剣」を除く「クウガ」から「カブト」までだが)どんなにストーリー展開や演出が秀逸で大人が夢中になれるものだったか。

 正式なタイトルは「体験的石森ヒーロー論 なんて、かっこつけることもないか 昭和の仮面ライダー世代が平成シリーズを「あんなのライダーではない!」と否定することについて いやいやあれこそ石ノ森章太郎氏が 萬画で描きたかったものではないのかと 第一期ウルトラ世代の私が強く主張する経緯と理由」。

 タイトルに石森と石ノ森が混在するのにはそれなりの理由がある。仮面ライダーを代表する数多くのヒーローものを発表していたのは1970年代は石森章太郎時代。平成仮面ライダーが始まったのは石森を石ノ森に変更してから。きちんと時制を考慮しているのだ。

 石森ヒーロー論と謳いながら、その実、1960年代から2000年代に続く、ウルトラ(マン)シリーズと仮面ライダーシリーズの体験的な比較論ができればといいな。そう思いながらも、時間的な余裕とページ数が足りなかったため、非常に中途半端な原稿になってしまった。

 というわけで、「体験的石森ヒーロー論 あるいはウルトラマンvs.仮面ライダー」と改題、加筆訂正してブログで完成させたい。 

     * * *

 もうずいぶん前に終了してしまったが、TBS系のバラエティ番組「キミハブレイク」を初めて見たときから気になっていた。内容ではない。タイトルロゴに、だ。
 石森、いや石ノ森マンガに出てくる手書き文字にソックリではないか! 
 地元選挙区から出馬した某代議士のポスターのキャッチコピーも石ノ森文字のような気がする。これは単なる偶然か? 

 ずいぶん経ってから石ノ森フォントが存在することを知った。とすると、手塚フォントや赤塚フォントなんていうのもあるのだろうか?
 まあ、それはともかく、その事実を知ったとき、久しぶりに石森章太郎、いや石ノ森章太郎のマンガに思いを馳せることになった。


「サイボーグ009」1968

 最初の出会いは「サイボーグ009」だった。マンガではない、TVアニメだ。NET(現・テレビ朝日)系で放映されたモノクロ版。調べてみると一九六八年の作品である。

 ということは僕が小学3年生だったのか。当然、原作であるマンガは読んだことがなかった。マンガなんて知らなかった。いや、クレジットに〈原作・石森章太郎〉とあるからその存在は知っていたと思う。読む機会がなかっただけのこと。なので、原作と違って007が子どもであることも、009だけ戦闘服が白で髪の色が黒ということも何の違和感もなく受け入れていた。

 009だけマフラーをしていた。モノクロなのでブラウン管ではグレーだがオープニングで〈赤いマフラー なびかせて〉と歌われていたのでしっかり赤だと認識していた。マフラーと同じ色をした他のメンバーの戦闘服については別に何色か考えたことはなかったのに。

 とにかくモノクロ版はオープニングとエンディングの歌が印象的だった。今YouTubeで見ることができる。オープニングの、「1、2、3……」とメンバーたちの声でカウントアップしていき「009」でタイトルが決まるところ、その声と映像に子どものころのワクワク感が甦ってくる。

 「サイボーグ009」はその後二度TVアニメ化された。原作の設定に戻したカラー版(テレビ朝日 79~80年)と平成版(テレビ東京 01年~02年)。特に後者は夢中で毎週つきあっていた(おかげで「サザエさん」を卒業できた!)のだが、やはり愛着があるのはモノクロ版だ。

 子ども時代の影響力は大きい。再放送を含め何度も観ていたはず。にもかかわらず、ストーリーをほとんど覚えていないのはどうしてだろう。

 YouTubeの映像で発見があった。マフラーは003もしていたのだ、短いけれど。対して009のマフラーの長さといったら! 原作が(ゆえにカラー版、平成版のアニメも)長いのは知っていたが、モノクロ版も踏襲していたとは。

 平成版アニメでいつも思っていた。こんなにマフラーが長いと戦闘の邪魔になるのではないかと。まあ、マンガゆえのデフォルメ、石森ヒーローの特徴であるのは十分理解しているつもりではあるが。

 それぞれ特殊能力を持つヒーローたちが集団で協力しあって敵と戦う物語を、僕は「サイボーグ009」で知り親しみを覚えた。アメコミの実写映画化には興味がないのに唯一「X-MEN」だけ劇場で押さえているのは、キャラクターや設定が「サイボーグ009」(+「ミュータントサブ」)だからだろう。

 「サイボーグ009」はモノクロ版TVアニメの前に劇場版が作られている。東映動画(現・東映アニメーション)「サイボーグ009」と「サイボーグ009怪獣戦争」の2作の成功がTVアニメにつながったわけだ。

 どちらも観たことがない。が、その存在だけは知っていた。「マンガ家入門」の中で石森章太郎が近況報告として記していたのである。一作目が評判だったので、「怪獣戦争」に取りかかったと。もちろん、本を手に入れたのはTVアニメのあとだから、すでに過去の話になっていたのだが。



kimiha
TBS系「キミハブレイク」のタイトルロゴ

009
サンデーコミックス「サイボーグ009」第1巻

009 2
「サイボーグ009」劇場アニメ第一弾 DVDジャケット

009monokuro
TVシリーズ(モノクロ版)の1カット


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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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