G・イニャリトゥ監督作品「ビューティフル」のレビューを書かなければいけないことは重々承知している。
 「バベル」のあと「ビューティフル」を観たが、順番としては「21グラム」が先だ。一度ビデオを観ているが、細部を忘れているので、もう一度DVDで確認しなければならない。

 ところが、「光を継ぐために ウルトラマンティガ」(小中千昭/洋泉社)を読んで、掲載されていたシナリオの、実際の映像をチェックしたくてたまらなくなった。
 で、先週24日(金)、「21グラム」とともに「ウルトラマンティガ」のDVDを9枚借りて、とりあえず第1巻を観たら、やめられなくなってしまった。「ウルトラマンティガ」を観るのが毎日の日課となった。
 「21グラム」は今日観終わった次第で……。

          * * *

 これまで3年間のGWはほとんど引きこもっていて、無駄に連休を消化したところがあった。今年は意味ある連休を過ごしたいと考えている。
 毎日を映画三昧にしたい。
 今週から来週にかけて何本の映画を鑑賞できるか?

 まず27日(月)に丸の内ピカデリーで「龍三と七人の子分たち」を観た。
 昨日は地元シネコン(MOVIX川口)で午前中に「寄生獣 完結編」。午後はポイントで「シンデレラ」を観るつもりだったが、吹替版だけしか上映していないことがわかり、やめた。MOVIX川口はArioの中にありファミリー志向のプログラムが組まれるので仕方ない。レイトショーぐらい字幕版に変更してもよさそうなものだが。
 50半ばの男がなぜ「シンデレラ」を?と不思議がる人がいるかもしれない。監督がケネス・ブラナーだから、だ。

 で、「寄生獣 完結編」であるが、これが予想以上に良かった。前編もそれなりにグッとくるシーンもあったが、だからといって後編に期待していたわけではない。それが前編以上の出来なのだ。何度か目頭が熱くなった。
 もう一度観てもいいかなと思ったし、サウンドトラックを手に入れたくなった。
 もちろん、原作を知らなければ、という条件つきかもしれない。「ソロモンの偽証」で確認済みだ。

 ベストセラーの小説やコミックを映画化するというのは、ファンを劇場に呼ぶためだろう。最初から固定ファンを見込めるから、オリジナルストーリーよりスポンサーもつきやすい。
 しかし、小説やコミックに惚れ込んでいる人は、映画の出来に満足しない。原作を愛する人ほど劇場に足を運ばないのではないか? そういえば、会社に「宇宙戦艦ヤマト」が大好きな人がいて、実写映画化に見向きもしなかった。

 ベストセラーの小説、コミックの映画化というのは、ベストセラーの映画化に惹かれて劇場に足を運ぶ、原作を知らない人向けに作られている、と考えるべきなのか。

 明日は5月1日。
 映画サービスデーは「セッション」と「THE NEXT GENERATION パトレイバー」を新宿で鑑賞するつもりだ。
 



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 承前

2015/04/18

 「博士と彼女のセオリー」(TOHOシネマズ シャンテ)

 この映画に興味を持ったのは、エディ・レッドメイン扮するホーキングが、若かりしころってこんな感じだったのだろうと思わせてくれたことにつきる。若いころのホーキングは知らないけれど。いや、ホーキングについて何も知らなかったといっていい。だいたい僕は彼の出身地(国)も考えたことがなかった。漠然とアメリカ人じゃないかと思っていた。数学や物理に興味がないとそういうことになる。

 映画はそんなホーキング初心者にさまざまな事実を教えてくれる。
 ケンブリッジの大学院時代に知り合った女性、ジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)と恋に落ちたこと。同時期にASL(筋萎縮性側索硬化症)を発症し余命2年と診断されたこと。全身が麻痺していく中でジェーンと結婚したこと。子どもを3人つくったこと。
 身体が不自由になっても男性機能は正常に働くというのが不思議。女性主導のセックスになるのだろうが。

 タイトル「博士と彼女のセオリー」(原題は「The Theory of Everything」)は、ホーキングとジェーンとジョナサン(チャーリー・コックス)の三角関係に由来するのだろうか?

 ジェーンは献身的に夫につくすが、すべて一人でできるわけがない。どうしたって力が必要になるのだ。息子のピアノの先生として家に出入りするジョナサンがいつのまにか家族の一員のようになって手助けするようになる。妻にとっても夫にとってもジョナサンがそばにいることが当たり前という認識。映画では、ジェーンとジョナサンの関係を深く描いていないが、信頼以上の関係であることは確かだろう。にもかかわらず、夫は無頓着を装う。
 夫婦はよくても、周り(親や親戚)はそうではない。やがて、ジェーンとジョナサンに別れがやってくる。

 言葉を失ったホーキングは、正式に介護人を雇う。この介護人が女性で、被介護人の扱いが手馴れていたため、ジェーンが二人の仲に嫉妬することになる。やがてホーキングはジェーンではなく介護人と一緒にいることを選択する。
 別れを告げるのはジェーンだが、最初に意思表示をしたのはホーキングだった。この関係が僕は不思議でたまらなかった。

 映画は1962年から始まるのだが、以降、時間の経過については特に語られない。変化が見られるのはジェーンの容姿だ。大学院時代、新婚時代、子育て時代、中年時代、きちんと年齢を重ねている。

 ホーキングがアメリカで講演したときの質疑応答。質問した女性の万年筆が簡易テーブルから床に落ちる。それを見たホーキングは立ち上がり、万年筆を拾って女性に渡す。もちろんあくまでもホーキングの願望を映像化したものだが、なぜかこのシーンに涙ボロボロになった。

 この映画も字幕で主人公たちのその後を説明する。実話映画化の定石なのかもしれない。


 【追記】

 「インディー・ジョーンズ」シリーズを観はじめたころだと思う。インディー・ジョーンズは大学で考古学を教える教授なのになぜドクター・ジョーンズと呼ばれるのか、疑問だった。教授ならプロフェッサーではないのか?
 この映画を観ているとよくわかる。ドクターとは博士のことなのだ。
 ネットで調べた。
 Doctorは学位であり、取得すれば名乗れる。対してprofessorは大学(研究機関)職員のポストで博士号を取得した人が就任する。

 【追記】その2
 
 アカデミー賞へのノミネート、主演男優賞の受賞などで「博士と彼女のセオリー」はアメリカ映画だと思っていた。イギリス映画だった。「イミテーション・ゲーム エノグマと天才数学者の秘密」もそうだ。
 確かに「外国語」映画ではないけれど、だとすると、言葉が英語ならば普通に受賞対象になるのだろうか。


 
 海外の映画祭(たとえばカンヌ映画祭、ベネチア映画祭とか)に日本映画が出品されるというニュースを見るたびに思う。
 出品される作品の監督って常連ばかりじゃないか。
 河瀬直美、是枝裕和、三池崇史……一時の北野武。
 出品にあたってどのような基準があるのだろうか? 

 昨日は北野武監督の「龍三と七人の子分たち」を丸の内ピカデリーで観賞。
 予告編で感じたほどの爆笑映画ではなかったが、ベテラン役者の口跡が楽しめる。

          * * *

  「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」と「博士と彼女のセオリー」は気になる映画だったが、劇場の関係でなかなか観ることができなかった。

 どういうことか?

 映画を1,800円で観ない主義だと標榜している。公開前に前売券を購入しているわけではない。シネコンができる前は映画を観る直前に近くのディスカウントチケット屋で前売券を買っていた。シネコンができてからはレイトショーに足を運んだ。レイトショーは料金が1,300円(消費税値上げ前までは1,200円)になるのである。

 地元シネコン(MOVIX川口)の常連になった。それまで会社の関係で川崎や品川のシネコンを利用していたが、深夜帰宅になるのがネックだった。地元だったら徒歩で帰れる。MOVIXの会員になったので6回通えば1回無料になる特典がついた。
 昨年、この制度が一新された。対象がMOVIX及び丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーとなって、観賞ごとに1,300円で観賞できるクーポンが配付される。別にレイトショーでなくても1,300円で観られるようになり、平日に丸の内ピカデリーを利用できるようになった。
 これで松竹系(洋画だとワーナーブラザーズ配給)映画は押えられるが、MOVIXで上映されない映画もある。TOHOシネマズの会員にもなったが、チケット割引の恩恵はないので、毎月1日か14日のサービスデーを利用するしかない。

 「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」も「博士と彼女のセオリー」もMOVIX川口では上映されない洋画だったのだ。
 どちらもMOVIXさいたまで上映していることを知り、同日2本観賞も考えたが結局やめた。体力のこともあるが、似たような題材なので混乱するかもしれないと考えたからだ。感動が拡散されるかもしれないという心配もあった。
 ちなみにMOVIXさいたまのあるさいたま新都心駅~西川口駅を往復すると、映画の割引額(1,800-1,300=500円)が相殺されてしまう。

 「バードマン あるいは……」を観に行ったとき、シャンテでまだ上映していることを知った。この観賞で6ポイントになったことで次回無料で観られる。だったら「博士と彼女のセオリー」を観よう!

 以前、映画サービスデーに「6才のボクが大人になるまで。」を観るため初回上映30分前にシャンテに行ったら、初回どころか次の回も売り切れだった。14日の「バードマン ……」も夕方の回は満席だった。
 今回、別にサービスデーでもないからそれほどの混雑もないだろうと、午後の回に時間ぎりぎりに行ったら、ほぼ満席状態で驚いた。シャンテっていつも混雑しているのか?

 この項続く




 2004年は紙ふうせん30周年という年。秋の記念コンサートの前に、ライブハウスで後藤さんのソロライブがあった。
 翌27日は朝一番の新幹線で東京に向かいそのまま出社したのだった。
 朝食のパスタの味は一生忘れない。

     ◇

2004/05/26

 「後藤悦治郎ソロライブ at JAZZ・ON TOP」  

 後藤さんのソロライブが開催されると聞いて胸が疼いた。平日の開催、しかも場所は大阪のライブハウス。行くのはほとんど無理な話、どんな内容なのかだけでも知りたくてナカソギ・筒井道隆・マネージャーに電話で確認すると、何とバックが竹田一彦さん(ギター)と浦野直さん(ベース)だというではないか。これは行くっきゃないでしょう。  

 僕にとって竹田さんは幻のギタリストだった。初期の赤い鳥コンサートで、バックをつとめていた竹田一彦カルテットについては文章でしかお目にかかったことがなく、実際のプレイなど見たことがなかった。しかし紙ふうせんの通算4枚目のアルバム、CBSソニー時代の「フレンズ」でその実力に触れることができた。バックミュージシャンの一人が竹田さんだったのである。

  B 浦野直 G 竹田一彦 key 勝山晃男 Dr 浜崎衛 Bj 西尾治博
 
 「フレンズ」は紙ふうせんのアルバムの中でもベストの出来だと思っている。アダルトでジャジーな雰囲気と紙ふうせんのアットフォームな世界が見事にドッキングしていた。大学生だった当時四畳半のアパートでダビングしたカセットテープを何度も聴いたものである。悲しいかな、紙ふうせんファンになった友人にテープをなかば強引に持っていかれてしまった今、このアルバムを聴くことができない。我が家にはCDプレーヤーしかないのだ。CDで復刻されないのが残念でならない。  
 とにかく「フレンズ」のサウンドが僕の琴線に触れてからというもの、一度は実際のプレイをこの目で拝見したいと思い続けていた。浪速のミッキーカーチス・浦野さんとの共演もわくわくもんである。     

 ちょっと早めに会場に入ると平山さんが笑顔で出迎えてくれた。あくまでの〈お客さん〉である平山さんは、まるでお店のチーママのようにかいがいしく動きまわっていた。満席。紙ふうせんファンの常連さんばかり。ビールを飲みながらのライブ鑑賞は特別な味わいがある。  
 初めて生で見る竹田さんは浜口庫之助をもっとダンディにしたような方だった。

 ライブはまず竹田さんのギターによるインストゥルメンタルで始まった。くぅ~、いい。  
 単独のライブで後藤さんが何を歌うのか、というのも興味の的。何とスタンダードナンバーのオンパレードだった。エルヴィス、ビートルズ、ガーシュイン、パットブーン、etc。
 
 中央に後藤さん、ステージ向かって左側に竹田さん、右側に浦野さんという配置なのだが、後藤さんが椅子に座って目の前に譜面台を置き、楽譜を見ながらギターを弾き、歌う姿を初めて見た。本人曰く「いたわりライブ」ならではの光景。  
 入れ換えなしの2ステージ。


 第一部
 インストゥルメンタル/?/Can't Help Falling In Love/First Time /Hi-lili-Hilo(ハイ・リリー、ハイ・ロー)/Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)/Someone to Watch Over Me

 第二部
 ワンマンバンド/Love letter in the sand(砂に書いたラブレター)/Blue Christmas/Love/Summer Time/I Left My Heart in San Francisco(霧のサンフランシスコ)/ルート43/街を走りぬけて  


 後藤さんの真骨頂を「Summer Time」の解説で感じた。歌詞を翻訳し、その意味の裏側に隠れた真実をあぶりだす。「Summer Time」の世界がくっきりと目の前に浮かんで見えた。「後藤悦治郎の世界/語る伝承歌・歌うフォークロア」はこの線を狙っているのだ。

 スタンダードナンバーではちょっとおスマシの後藤さんだが(照れもあるのだろうか?)がぜん元気になるのがいつものナンバーを歌うときだ。第2部開始時の「ワンマンバンド」は何年ぶりに聴いたのだろうか。感激。「紙風船」「まつり」「街を走りぬけて」と並ぶ名曲だと思う。

 アンコールでは客席にいた平山さんがステージにあがって「Love Me Tender」。たった1曲で歌姫ここありと主役の座を奪ってしまった(いつの日か、平山さんのワンマンショーを拝聴したい)。
 大ラスはボブ・ディランの「風に吹かれて」。

 秋に開催される紙ふうせん30周年記念リサイタルが今から楽しみだ。




 本日、もう昨日だけど、シネりんだった。テーマの映画は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。議論白熱。楽しかった。冒頭の映像もこの映画を観るための予備知識になる。
 わかったのは、この映画の予告編はまるで映画の実態を伝えていないということ。予告編で映画に興味を持ったあまり映画に詳しくない人はたぶん裏切られると思う。

          * * *

2003/02/01

 『友達夫婦デュオ「紙ふうせん」が家族を語る ~トークと歌でつづる夫婦愛~』(平塚市中央公民館ホール)  

 紙ふうせんが久しぶりに関東にやってきた。いや、昨年の10月までラジオ番組のパーソナリティーをやっていたから何度も東京へは来ていると思う。8月には「思い出のメロディー」に出演もしている。ただコンサート、ライブはというと2年前の箱根以来だ。

 1日は平塚市が主催する男女共同参画フォーラムのイベント。整理券を申し込んだ友人に対して事務局は「コンサートではありません、講演ですよ」と強調したとのこと。逆に喜んだ。結婚のこと、子育てのこと、いろいろ聞きたいことがある。思う存分おふたりでお話ししてください! ってな感じ。
 
 平塚の夜は寒かった。震えながら会場に到着すると長い列ができている。開場までまだ5分ほど時間があったが、受付が始まった。あまりに寒いので主催者側の判断なのかもしれない。  
 会場内に入ると、ステージにはピアノとギターが置かれている。前回静岡県引佐町のトーク&コンサートと同じセッティングではないか。  

 時間になるとまず市長の挨拶があって、後藤さんが一人で登場した。  
「出身が関西なので、ふたりで話をすると、どうしても漫才になってしまう」
 そこで前半は後藤さん一人のトーク、後半に平山さんも登場してコンサートしますと説明して〈講演〉に入る。  
 
 高校3年で同じクラスになったこと、ふたりでフォークソングを歌いだしたこと、赤い鳥の結成、動物園でのプロポーズ、再度のプロポーズ「これからの人生、わりかんでいかへん?」、結婚、紙ふうせん結成、子育てetc。

 後藤さんが場に慣れてきたとわかるのは話の間に「ンね」が入るかどうかだ。文字にするとわかりづらいが、要所要所に聴衆に確認する、あるいは自分に納得させるためなのか、語尾に「ンね」がつく。要は会話のアクセント、癖である。聞く側としてこの「ンね」が心地良い。それが途中から頻繁に聞こえてきた。こうなれば後藤さんの話術にゆっくり身をまかせればいい。  

 コンサートではふたりのほかにピアノで海老原さんが加わった。関東のライブやコンサートではこの10年くらいずっと担当している。ルックスはアイ高野似。森久美子のバックミュージシャンで活躍されている方。
 
 内容は静岡とほぼ同じ。それから新曲の「あなたの風になりたい」。  
 僕の目が輝いたのは「竹田の子守唄」に入る前に、伝承歌の話題から地元神奈川の伝承歌でも歌いましょか、と「いかつり唄」を披露した時だ。久しぶりに生で聴いて感激した。

 湘南地方の伝承歌である「いかつり唄」は赤い鳥のラストアルバム「書簡集」に収録されているが、僕が初めて聴いたのは紙ふうせんのファーストアルバム「またふたりになったね」だった。後藤さんの声はどちらかというと繊細、いわゆる男っぽいというものではないが、「いかつり唄」を歌い上げる声にはまさに男を感じ、惚れ惚れしてしまう。ギターとベースだけのシンプルな編成にもかかわらず、その音は非常に深みを醸し出していた。
 その後、「書簡集」を購入して赤い鳥バージョンの「いかつり唄」を聴くことになるのだが、こちらもエンディングの平山さんと山本(新居)さんのコーラスが幻想的な世界を作りだしていて気に入っている。

 ふたつを比較した場合、紙ふうせんバージョンは奥行き感、暖かさを、赤い鳥は硬質な美しさを感じる。また紙ふうせんの場合は聴いていて歌の世界そのもの、いか釣り漁師の姿、海や港が頭に浮かぶのに、赤い鳥ではなぜか都会の、たとえば銀座通りの夕焼けにそまった人ごみをロングで捉えた風景がよぎるのが不思議。まったく個人的なイメージなのだが。
 
 紙ふうせんのデビューシングルも「いかつり唄」だった。こちらは平山さんがヴォーカルをとっている。
 当時「いかつり唄」はいろいろなアーティストが取り上げていた。もう名前も忘れてしまったが男性3人組のフォークグループがシングルをだしていたし、ダ・カーポも「いか採りの唄」のタイトルでレパートリーにしている。NHK「みんなのうた」では五木ひろしが歌っていた。

     ◇

2003/02/02

 「サーカス'85 第88回例会 赤い鳥から紙ふうせんへの軌跡」(テアトロ・スンガリー青山)

 翌日は青山のロシア料理レストラン〈テアトロ・スンガリー青山〉のライブ。  
 カメラマンの市原基さんが主催する「サーカス'85」という例会があり、毎回さまざまな講師を招いて勉強会を行っている。
 今回は市原さんの友人紙ふうせんのふたりを招いて赤い鳥時代から現在までの活動について歌を交えて語ってもらうという趣旨なのである。勉強会(ライブ)のあと食事をしながら各人が語り合う。

 いつもより女性の参加者が多く、シェフがメニューで悩んでいると、前日後藤さんにうかがった。男だとアルコールさえあればあとは何でもいいというところがありますからね。女性だとそうはいかない。  
 
 むろん会員制なのだが、講師の紹介という形で東京地区在住のFCの人たちが集えたというわけ。特別(臨時)枠としては紙ふうせんの友人、知人の方々も顔を揃えていた。NHK「みんなのうた」で「赤い花白い花」を歌ったビッキーズのふたりが来ていたのには驚いた。

 ステージは基本的には前日と同じ進行。まあそれは仕方ない。このライブでも僕が期待したのはふたりのおしゃべりだった。何たってテーマは「赤い鳥から紙ふうせんへの軌跡」なんだから。

 特筆すべきなのは「竹田の子守唄」の前に後藤さんが「五木の子守唄」を歌ったこと。伴奏なしのほんのさわりだけだったが、それでもジンときた。歌詞の意味なんて よくわかってはいないのだけど。
 
 赤い鳥が結成される前、〈赤い屋根の家コンサート〉では後藤さんと平山さんが一緒にステージに立って歌っていたのだが、そのときのレパートリーはほとんど伝承歌だった。そんな話をした後に「五木の子守唄」でも歌ってみましょかと言う。真っ先に拍手をしたのはいうまでもない。

 引佐の時は「竹田の子守唄」の元歌、平塚では「いかつり唄」。伝承歌を続けることで「竹田の子守唄」がより引き立つと思うのは僕だけだろうか。
 ステージの中で伝承歌コーナーみたいなものを作って「竹田の子守唄」とともに2、3曲披露してもらいたいものだ。

 息のあった会話をはさみながら楽しくステージが進む。
 ラストが後藤さんらしかった。最後の曲の紹介時、次にアンコール曲も用意しているけれど、一度ステージを降りて「アンコール!」の声で再登場するのは(次にディナーが控えているし)時間の無駄、だから続けて歌いますと言うのだ。アンコールの「紙風船」ではビッキーズのふたりをステージに上げて一緒に歌う粋なはからい。ふたりの反応からすると後藤さんのアドリブなのだろう。

 昨日、今日と、イベント(会)の冊子とともに19日にリリースされる「赤い鳥コンプリート・コレクション」のチラシが配布された。LPはもちろん、復刻版のCDもすべて持っているが、CD化されなかったアルバム「スタジオライブ」、「竹田の子守唄」、「ミリオンピープル」が網羅されていて大いに楽しみにしている。
 特に、プレーヤーがなくてLPがあっても聴くことができない「スタジオライブ」と「ミリオンピープル」(カセットテープにもダビングしていない)にわくわくしている。
 というのは「もうっこ」を聴きたくてたまらないのだ。

 紙ふうせんになってからステージで「もうっこ」を歌うことがあったかどうか知らない。パーカッションを効かせた「もうっこ」を一度生で聴いてみたい! 
 後藤さん、ぜひお願いします。




 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観てからというもの、イニャリトゥ監督の作品をもう一度チェックしたくなった。まったく知らなかったのだが、「21グラム」のあとに「ビューティフル」という作品があるという。

 先週の17日(金)、地元駅ビルに入っているDVDレンタル店で「バベル」「21グラム」「ビューティフル」を借りようとした。この店、毎週金曜日は旧作が7泊8日100円になるので。「21グラム」が見当たらず、2作を借りてきた。
 まず「バベル」、続いて「ビューティフル」を観た。

 「バベル」は公開されたとき劇場で観ている。

     ▽
2007/06/01

 「バベル」(品川プリンスシネマ)

 映画で聖書やキリスト教を題材ににされると根本的な部分が理解できなくて往生することがある。
 30年以上前のこと。中学3年、「エクソシスト」が大ヒットしたときだ。とてつもなく怖い映画ということでワクワクしながら観に行って肩透かしをくらった。ある批評で、キリスト教徒でないと本当の恐怖はわからないと書かれていて、とてもくやしかったことを憶えている。
 666が不吉な数字として日本で知られるようになったのは「オーメン」がきっかけだったが、このヒットシリーズも日本と欧米では本質的な部分で受け止め方が違ったのではないかと思わずにはいられない。
 最近、といってももう何年も前になるが、ロバート・デ・ニーロが神父に扮した「スリーパーズ」が公開された。海外で圧倒的な評判を呼んでいるといわれたがそれほどのものかという気がした。なぜ神父が苦悩するのかまったく理解できなかった。
 とにかく聖書の思想が入ってくるとお手上げなのだ。

 そんなわけで、何度も映画館で予告編を目にしても、「バベル」に対する興味はほとんどわかなかった。
 GW中に聞いたラジオ番組で気持ちが変わった。番組の中でこの映画が紹介されたのだが、パーソナリティが得意げに語る映画のユニークな構成に反応したのである。ブラッド・ピッドと役所広司(&菊池凛子)はまったく別パートの主人公であることもこのとき知った。それも舞台は日本。それまで中近東あたりでハリウッド俳優を相手に英語で芝居する日本人俳優(女優)という構図をイメージしていた。
 俄然興味がわいた。

 バベルというとまず〈バベルの塔〉が頭をよぎる。遥か昔、人間が天に届く塔を建設しようとして、神の怒りに触れ崩壊してしまったという旧約聖書のエピソード。ところが「創世記」にはそのような記述はないのだそうだ。当時人々は同じ言語を話していた。ところが塔の建設に怒った神が言語をバラバラにして、人々の意思の疎通を遮断して、建設を中止にさせたというのが本当の記述。また、バベルには〈混乱〉という意味があるとのこと。

 なるほど、映画「バベル」は〈混乱〉をモチーフにした4つのドラマで成り立っていた。
 この映画の斬新さは、ある1本の線で結びついているこの4つのドラマを、時間軸を無視して、カットバックで並列に描いたところにある。本来なら4編からなるオムニバス映画になってもおかしくないものを、強引に1本にしたことにより、観客にもある種の混乱を与え、サスペンスも倍化する。
 ラジオの紹介で興味を持ったのはこの構成の妙、語り口だった。
 
 モロッコの山村で山羊の放牧で生計を立てている家族。父親はジャッカルから山羊を守るためにライフルを手に入れる。父親の命により二人の息子はライフルを持って山羊の世話に出かけるが、好奇心旺盛な年端のいかない兄弟にとって初めて手にする銃はかっこうの遊び道具にもなるのだった。二人ははるか遠くを走るバスを標的に射撃の腕前を競い合う。その結果どんな悲劇が二人に襲いかかるのか知る由もなく……〈モロッコ兄弟編〉。

 離れた心をつなぎとめようとモロッコを旅するアメリカ人夫婦(ブラッド・ピット&ケイト・ブランシェット)。ふたりを乗せたツアーバスが山道を走っていると突然何者かに銃撃された。弾丸は妻の肩を貫く。夫は血まみれの妻を近くの村に運び込むが寂れた寒村では止血の応急措置が関の山。アメリカ大使館に救助を求めるが言葉の壁と通信の不備で遅々として事態が進展しない。苛立ちはやがて絶望へと変化していく……〈モロッコ夫婦編〉。

 アメリカで長く家政婦として働いているメキシコ女性(アドリアナ・バラッザ)。息子の結婚式に出席するため、母国に帰らなければならないが、二人の幼い子を残して旅に出たアメリカ人夫婦が予定日までに戻れなくなった。仕方なく子どもを連れて母国に帰り、宴を楽しむことになる。悲劇はメキシコからの帰り、甥の運転するクルマで国境を越えようとしたときに起きた。不法移民と疑われ検査が厳しいことにキレた甥がクルマを暴走させて……(メキシコ編)。

 東京で暮らす聾唖の女子高生(菊池凛子)とその父親(役所広司)。ある事実確認のため刑事の訪問を受けた父娘は問題を抱えていた。母親に自殺された娘の、孤独を癒すための不可解な行動の数々……(東京編)。

 〈モロッコ兄弟編〉〈モロッコ夫婦編〉〈メキシコ編〉は進行していくにつれて話が悪い方へ悪い方へ転がっていく。まさに混乱の極み。全編ドキュメンタリータッチだからその不安感は尋常ではない。まったく自分とは別世界の話なのに、他人事に思えない。なぜだろう?
 歯痒いのは〈モロッコ兄弟編〉と〈メキシコ編〉。最初のボタンさえ掛け違わなければ、丸く(というと楽観的過ぎるが)収まるはずだった。にもかかわらず登場人物は不利な状況へと自分たちを追い込んでいく。
 兄弟の父は息子たちの犯行をを知ってからなぜ逃亡を企てたのか。もう逃げられない状況になってもどうして警察に背を向けたのか。あの状況で銃撃戦になる必然性は?
 家政婦にしてもなぜ当日の帰宅なのか。白人の子どもがいなければ楽に国境を渡れたのか。せめて荒原で二人の子どもから離れないでほしかった。

 人種問題、言葉の壁、情報伝達の不完全さ。ボタンを掛け違う過程、歯車が狂っていく様が一目瞭然から、余計にやりきれなくなっていく。しかし、やりきれなくなるほど、それぞれのエピソードがどんなエンディングをむかえるのか、目はスクリーンに釘付けになる。実際後半になってどうしようもなくトイレに行きたくなったが結局我慢してしまったほどなのだから。
 そしてこれが肝心なのだが、観ている最中巷間指摘されるような不快な気持ちにはならなかった。エンディングロールが流れると、しみじみとした感覚が全身を包んだ。
 同じブラッド・ピット主演の「セブン」と比べてみたらいい。クライマックスまで心臓をわしづかみにされながらショッキングなラストに落ち込んだ。いくら現代をリアルに描写したといってもあのラストは絶対に許せない。個人的な意見かもしれないが。

 意外な展開だったのは〈日本編〉だ。一番身につまされるはずなのに始終違和感がつきまとった。アレハンドラ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、他の3編とは明らかに違うドラマをなぜ日本を舞台にして撮ったのだろうか。アジア及びアジア人のエピソードは全体の構成からすると当然なのだが、あの女子高生の行動はどう考えてもエキセントリックすぎる。それとも渋谷あたりにたむろする女子高生の真の生態を理解していないこちらの頭が古いだけなのか。
 菊池凛子は女子高生になりきって(これは驚異&見事!)、ヘアを全開して裸身を惜しげもなく披露する。まさしく体当たりの演技ではあった。局部露出のシーンなどその潔さに拍手喝采、笑わせてもらったものの、感情移入は最後までできなかった。

 他の3編と違い、〈東京編〉は映画の中で必要最小限の背景しか説明しない。母親に自殺されて娘が苦悩していること。父娘の関係がおかしくなっていること。その代償として、好みの男性に対して常軌を逸した愛の行動にでること、妻の自殺で父親は何度も警察の事情聴取を受けていること。
 父娘は近親相姦だったのだ、だから母親は自殺したんだ、といわれれば確かに納得できる。しかし、行動の理由づけ、理屈なんかどうでもいい。謎解きなんて関係ない。彼女の心の叫びを肌で感じられなかったことが残念。
 ただ、ラストの、大都会の夜景をバックにマンションのベランダで肩寄せ合う父娘を捉えたロングショットが解消した。あのショットは嫌が上でも二人の孤独感を浮き彫りにし、いくばくかの優しさをともなって映画全体を締めくくってくれた。 
 映像と音楽は幾千の言葉を紡ぐより、一瞬に心に届くこともある。
     △

 (モロッコ夫婦編)モロッコの某所で横たわるケイト・ブランシェットが失禁してしまうシーン。「我慢できなくて」と夫に言い訳すると、夫は洗面器を用意する。女房のおしりの下に洗面器を置くと、そのまま下着をおろし、そのままさせる。そのときのブランシェットの表情が妙にエロティックだった。
 「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」で、ロシア語訛りの英語をしゃべるソ連軍の将校(?)と同一人物には見えない。

 (メキシコ編)甥っ子が、子どもたち(含アメリカ人の子ども二人)に飼っている鶏をつかまさせるシーン。アメリカ人の子どもが喜んでつかまえた鶏の首を甥っ子はその場で引きちぎると、驚きのあまりその場で硬直してしまう男の子に大笑い。  
僕が小学生のころ、うちでも何度か鶏をつぶした。父親が斧で鶏の首を切断すると、そのまま(首がないまま)何メートルか走ってそのまま動かなくなる光景を覚えている。確かに子どもにはショッキングなことだろう。

 この項続く




 訃報は続く。
 昨晩ネットニュースで加瀬邦彦の死去を知った。
 シネりんに加山雄三の熱狂的ファンの方がいて、加瀬さんの具合が悪いこと、病気療養中であることを教えてもらっていたので、ああついに、という思いだった。74歳。
 今朝のTV番組のニュースで自殺だと伝えられた。ショックだった。

 9年前に加瀬氏が自身の音楽人生を語った本を読んだ。
 実に面白い本だった。


     ▽
2006/10/31

 「ビートルズのおかげです ザ・ワイルド・ワンズ風雲録」(加瀬邦彦/枻出版社)

 あっというまに読了した。
 SET公演時、入場時にH氏から手渡された2冊の本のうちの1冊。もう1冊は「激突!エレキ地獄 バンド屋青春物語」(エド山口/シンコーミュージック)。
 どちらも書店で見つけたときから読みたかったものだ。
 だったら買えって? 

 「ビートルズのおかげです」は、ワイルド・ワンズの結成秘話を中心に、1950年代から60年代にかけての音楽シーンの変遷が綴られていて興味がつきなかった。
 加瀬邦彦がブルージーンズの一員だったこと、その前はスパイダースに在籍していたこと。最初のプロのバンドではかまやつひろしと一緒で、ある時、二人がスキーに夢中になって帰京せず仕事に穴を開けて馘首になったこと。その後二人でスパイダースに移籍したこと。
 ブルージーンズには内田裕也がシンガーでいたこと。内田裕也に新しいバンドを結成しようと誘われ、あっさり蹴って怒りをかったこと。同じステージに立つ内田裕也と加瀬邦彦。うーん、どうにもイメージできない。
 ドリフターズの仲本工事と接点があったこと。二人が同じバンドで演奏する姿、想像できるか?

 ビートルズの影響で、確かなコンセプトのもとワイルド・ワンズを結成したこと。つまり。それまでのシンガー+バンドの編成ではなく、各自が楽器を演奏しながらうたい、コーラスをつけるバンド。ギター2本、ベース、ドラム。確かにビートルズと同じ編成だ。
 ワイルドワンズの名づけ親・加山雄三との出会い。ワイルド・ワンズが自然児という意味だったこと。
 宮川泰に作曲家としての才能を認められていたこと。デビュー当時沢田研二と仲が良かったこと。

 ワイルド・ワンズにはある種の偏見を持っていた。偏見というとおかしいか。いいとこのボンボン仲間が結成したバンドがそのままプロデビュー、GSブームで第一線に躍り出た。そんな印象をずっと持っていたのだ。見事に覆された。確かに著者はお坊っちゃんではあるけれど、数々のバンド遍歴を経てワイルド・ワンズに行き着くのである。そして、プロデューサー感覚を発揮してデビューシングル「思い出の渚」の大ヒットをつかむ。ディレクターとの攻防戦が見もの。

 GSブームあたりから音楽(歌謡曲、フォーク、ロック)に目覚めた人なら、読み始めるとページを閉じることができなくなるのではないだろうか。
 面白かった。

 ちなみに枻は〈えい〉と読む。談四楼師匠「煮ても焼いても食える人」の出版社。
     △

 ワイルド・ワンズのナンバーでは「愛するアニタ」が好きだ。カラオケで歌うときはいつも東宝女優の高橋紀子の顔を思い浮かべて。

 合掌




2015/04/14

 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(TOHOシネマズ シャンテ)

 ①
 バードマンと聞いてパーマンのお師匠さんをイメージする人は80年代にコロコロコミックを愛読した藤子不二雄ファンだろう。アニメならカラー版「パーマン」に夢中になった世代。モノクロのアニメに親しんだ世代にとって、パーマンの師匠はスーパーマンだった。スーパーマンからスーを取ってパーマンなのだから。著作権(?)の問題でスーパーマンがバードマンになったわけだ。「オバQ」のゴジラはどうなったのだろう?

 ②
 「バードマン」のポスターに描かれているバードマンの横顔イラストを見て、コンドルのジョーみたいと思った人は、劇中に登場したバードマンに対して、もしハリウッドで「科学忍者隊ガッチャマン」が単独ヒーローものとして実写化されるとこんな造形になるのではないかと考えなかったか? 20年前に大ヒットしたという「バードマン」とは一人ガッチャマンだと。で、いくらリアルといっても羽毛は気持ち悪いと。

 ③
 監督のアルハンドラ・ゴンサレス・イニャリトゥ。この名前をきちんと発音できる人は手を挙げて! アルハンドラ・ゴンサレス。ここまでは問題ない。続くイニャリトゥでいつも脱力してしまうのだ。イリャニトゥと間違えてもしまう。お稲荷さん二つとでも覚えるか。稲荷ツー。
 メキシコ語で書くとAlejandro González Iñárritu。日本語になると、なぜゴンザレスではなくゴンサレスなのか?

   ◇

 イニャリトゥ監督の作品は、プロットだけを聞くと、昔からよくある話で、普遍性はあるかもしれないけれど、特に新鮮さはない。
 「バベル」がそうだった。普通なら4つのエピソードが並ぶオムニバス映画にしてしまうところを、時間軸をずらしながら並列にカットバック的につないでいくことで緊張感が増し、面白さが倍増した。

 本作も同じことがいえる。かつてあるジャンルで人気を博していたのに今はパッとしない俳優が再起をはかる……なんてよくある話。ところが、イニャリトゥ監督の手にかかると、臨場感あふれる斬新なドラマに様変わりしてしまうのだ。

 この映画の紹介文(あらすじ)を読んで、自分なりに映画世界を想像して映画を観ると面食らうだろう。映画は芝居の初日を数日後に控えた俳優たちの今現在しか描かない。それも徹底的に人物に寄って片時も離れない。楽屋、舞台、舞台裏、劇場近くの酒場…… まるで、役者のすぐ近くそばで芝居を観ているようだ。役者の唾が飛んできそうな臨場感、なおかつ、一部始終を1カットで撮っているからその緊張感には並々ならないものがある。

 1シーン1カット撮影、実際に最初から最後まで1カットで撮影されているわけではない。要所々で長回しで撮影しているものを、最新技術で切れ目なくつないでいるのだが、そうとわかっていてもドキドキしてしまう。
 たとえば主人公の楽屋のシーン。鏡があって、あきらかにカメラが映りこんでしまう角度で撮られているのに、鏡にカメラ及びカメラマンの姿はない。
 屋外から屋内へカメラが移動するシーン。窓のところにはちょっとした遮蔽物があってカメラはすんなり通り抜けられないはずなのに、何の問題もなく入ってしまう。
 どちらも、いったいどうやって撮影しているのか。

 それはともかく、そんな長回し映像は現実と(主人公の)妄想が入り乱れる。描かれているものすべてがリアルではないのだ。また、1カット撮影で映像が途切れないからといって時間も続いているかというとさにあらず、たまに時間と空間が飛ぶ。にもかかわらず、映像は1カットなので今そこにいた人がここにいるなんてこともあるわけだ。
 始終鳴り響くドラムは最初劇場前の路上ライブの音だったのに、いつのまにか劇場内で演奏していたなんてことも。

 映画初心者には取っつきにくい映画かもしれない。まあ、主人公の心象も画となり音となっていると思えば良い。というか、そういうものと割り切れば悩まなくてすむ。

 映像と音で主人公の焦燥が伝わってきてイライラが募り、やがて彼がどんな結末を迎えるのか不安になってくる。
 後半、ビルの屋上に上ってからなんて、いつ飛び降るのか(投身自殺するのか)、冷や冷やもんだった。
 飛んだ(死んだ)! と思わせて、本当に飛行シーンを描いてホッとさせる(関係ないけれど、怪獣映画ファンとしては、バードマンvs怪鳥をもっと観たかった)。
 そのまま、芝居初日になだれ込み、楽屋に戻った主人公が棚から本物の××を手にしたときに「そういうことか!」。

 ――さて。
 ラストのシーンはどう解釈すべきなのか。あれこそ主人公の夢なのか。
 娘が窓の上の方を見て微笑むエンディングに心が和んだ。もちろん、現実は正反対の結末なのだろうけれど。

   ◇

 ④
 20世紀FOXサーチライトの配給作品ということもあり、観賞後「ブラック・スワン」を思い出していた。「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」は、「ブラックスワン」の演劇バージョンではないか。

 ⑤
 「パンズ・ラビリンス」も同じようなラストだった。デル・トロ監督もメキシコ人。ハッピーエンドと思わせる悲劇というのはメキシコの伝統芸なのだろうか。

 ⑥
 この映画の面白さがわからない人、あるいはノレなかった人には、同じような題材をハリウッドの王道で映画化した「ギャラクシー・クエスト」をお薦めしたい。


 【追記】

 目の前の列に3人組のサラリーマンが座った。真ん中の男性が、特に面白いとは思えないところで大声で笑う。そういうことが何度かあった。
 芝居の最中、ふとしたはずみで劇場の外に追い出された主人公が、パンツ一丁で裏から正面にまわって、無理やりクライマックスの芝居に参加するシーンは爆笑もの。笑えることは確か。なのに、この男性はクスリともしなかった。
 笑いというものは、ほんと難しいと思った。

 【追記】その2

 字幕スーパーに色がついていたことに驚いた。その色だが、僕には黄緑っぽく見えたのだが、ネットでは黄色とある。劇場によって、若干色が違うとか?

 【追記】その3

 主演のマイケル・キートンがアカデミー賞・主演男優賞を受賞するかどうか話題になったが、個人的にはエドワード・ノートンの演技に注目した。確かに才能あるけれど(それは認めるものの)、絶対つきあいたくない嫌な奴、いるんだよなぁ。
 ブロードウェイデビュー女優のナオミ・ワッツに大喜び。娘役のエマ・ストーンが若かりしころのゴールディー・ホーンに見えた。




2015/03/08

 「赤い鳥・紙ふうせん アマチュアコピーバンド大会 この指とまれ!」(恵比寿 天窓 swichi)

 #1より続く

 ■グループB

 ⑤Tさん

  ささぶね/竹田の子守唄

 Tさんも群馬からやってきた。JR北高崎駅にあるフォーク酒場「青春の詩」のマスター。ぐんまちゃんと乙女ちゃんのイラスト入りTシャツを着ていて群馬の宣伝もかかせない。乙女ちゃんとは富岡製糸工場のマスコットだという。
 お店の名前からさぞ吉田拓郎のファンなのだろうと思ったら、そうでもないらしい。それよりも村下孝蔵が得意でファンが多いらしい。
 「竹田の子守唄」は、赤い鳥が初期に歌っていた旧バージョン。

 ⑥ガーネット

  赤い花白い花/いかつり唄/まつり

 この夫婦デュオも群馬は前橋からやってきた。結婚して31年、ふたりで歌いだして15年。デュオを結成する前はお風呂に入りながらハモっていたとのこと。仲がいいんですねぇ! 地元でいろいろと活動しているというからもうセミプロだ。
 「赤い花白い花」のとき、作者の中林三恵(ミエ)が応援に会場に来ていることを伝えると、ちょっとしたざわめきが。
 「いかつり唄」「まつり」とも赤い鳥バージョン。

 ⑦チョコット

   赤い花白い花/竹田の子守唄

 メンバーは男性2人(ギター)と女性(ヴォーカル)+小学生の女の子(おもちゃのピアノ)。歌好きのおじさんおばさんが集った。
 結成は昨年の9月だという。
 リーダーのNさんはFCの一員で、小学生の女の子は愛娘だ。埼京線浮間駅近くにある中華料理店のオーナーでもある。
 Nさん、学生時代は赤い鳥の追っかけだった。紙ふうせんになってからは、池ノ上の家に出入りしていたとか。
 「竹田の子守唄」は娘さんが弾くおもちゃのピアノが新鮮だった。

 ⑧N&K

  竹田の子守唄/紙風船

 年配の男女デュオであるが、夫婦ではないという。よく夫婦だと間違われるのだそうだ。富山からはるばるやってきた。あと一週間あれば北陸新幹線で来られたのに。
 二人は合唱団の知り合いで、飲み会のとき、試しにハモってみたら見事に合った。それからデュオとして歌いだした。「冥土のみやげです」と笑う。
 「竹田の子守唄」は赤い鳥の初期バージョン。「紙風船」は後半(レコードでは児童合唱団と歌っている)も歌っていて得した気分。ネバーエンディングの歌唱で「もしかして終らないのでは?」と心配になった。

 ■グループC

 ⑨Yさん

  二人/竹田の子守唄  ~もう一度帰ろう

 埼玉県は草加市からやってきたYさん。草加といえば煎餅、で、Yさんが言うには「おみやげに煎餅をもってきました」。はい、懇親会時においしくいただきました。ごちそうさまでした!
 「二人」は大川さんの詞に山本(俊彦)さんが曲をつけた。生のステージを観たことはないけれど、山本さんと大川さんがギター弾きながら歌うのだろう(ヴォーカルは大川さん)。大川さんがベースではなくギターを弾くところが見もの、なのかな。
 ライブアルバム「ミリオン・ピープル」では、後藤さん以外では唯一の大川さんのMCでこの曲を紹介していた。

 「竹田の子守唄」はこれまで何人も歌っているので、恥ずかしさもあってか、課題曲の、と枕詞をつけて紹介した。これが大受け! 以後、皆さん、「竹田の子守唄」を歌うときは「課題曲」と言うことに。

 時間の関係で「もう一度帰ろう」をアドリブで歌った。こういうのがうれしいいんですよねぇ。

 ⑩Aさん+Mさん

  GOODTIME IN KOBE/誰に告げようか

 ステージ中央にギターを持ったAさんが座る。ちょっと太った鳥塚しげきといった風貌。ブランドもののギターが垂涎の的で客席から声があがった。僕にはわからないんだけど。
 下手のピアノには女性のMさん。
 この構図、いいですねぇ。紙ふうせんの原点でしょうか。
 「GOODTIME IN KOBE」は紙ふうせんがキングレコードに移籍して2枚目のアルバム「いつか2人で」に収録されている。平山さんのヴォーカルの歌ばかりのアルバムだったと思う。
 総評のとき、後藤さんがレコード用に作った歌(赤い鳥時代からシングル用の歌がある)だと言うと、あわてて平山さんがステージでも歌ったことがあるとフォローしました。
 「誰に告げようか」は、CBSソニー時代「冬が来る前に」以降の、ヒット狙いのシングルの中で一番好きな楽曲だ。アルバムのアレンジの方が良いかな。

 ⑪五夢ふうせん

  竹田の子守唄/まつり

 グループ名に大笑い(個人的に)。
 ステージには男二人のデュオだが、本当はヴォーカルの女性がいるはずだったという。入院してしまったので、仕方なく二人で登場したと。
 「竹田の子守唄」を披露したあと、オーバーオールのUさんが赤い鳥の想いを語る。「ミリオン・ピープル」が大のお気に入りでお父さんもファンだとか。

 実況録音盤「ミリオン・ピープル」は僕も大好きだ。冒頭の「祈り」(エーメンコーラス)こそ、レコード用の楽曲ではないか。それをステージで再現してしまうのだ。B面まるまる使って演奏される「もうっこ」の迫力。観客を主旋律とハーモニーに区分して「もう一度帰ろう」を合唱する……そりゃすごいライブアルバムだったのだから。
 そんなわけだから、Uさんの気持ちはよくわかる。熱い想いを言葉にして、その言葉がどんなに長くなっても聞いていたいと思う。が、持ち時間には制限がある。
「いつまでしゃべっているんだよ!」
 隣のメンバーが口をはさんで語りは終った。
 「まつり」は紙ふうせんバージョンだったような。

 ⑫Hさん

  冬が来る前に

 Hさんは、客席の後ろでエアピアノで演奏の練習していた。MCのSさんが言うには、時間的にもう1曲歌えるにもかかわらず、「冬が来る前に」だけでいいと。このためにピアノの練習をしてきたということだった。
 演奏が始まった。指が思い通りに動かない。何度かやり直したがやはりうまくいかない。もうピアノを弾くのを諦めて歌だけうたいだした。会場からは手拍子が。歌い終わったときにはある種の感動が生まれた。いや~どうなるかと思ったよ。

 懇親会時話す機会ができた。で、わかったのだが、Hさん、赤い鳥や紙ふうせんのファンではなかった。知っているのは「冬が来る前に」だけ。
「なんで、このライブにエントリーしたの」
「ピアノの練習をはじめたので」
 本人たちの前でピアノを弾きながら歌いたいと思ったのだそうだ。
 ……それはそれですごいなあ。

 ■グループD

 ⑬プライム楽団 

   翼をください/竹田の子守唄

 結局、バンドという形でエントリーしたのはプライム楽団だけだった。彼ら演奏を聴きながらやっぱりバンドは良いなぁと思った次第。
 アコースティックギター、ウクレレ、エレキギター、ベース、キーボード、ピアノ、チェロ、ドラムというメンバーでステージはギチギチ。

 プライム楽団の前に、Sさんがエントリーしていたのが、急遽取りやめになったとのこだ。このSさん、自身のブログで早い段階でこのライブへのエントリーを表明していた。歌もタイトルは直接書かず、でもわかる人(熱狂的なファン、マニア?)にはわかるように記していて、とても楽しみにしていたのだ。エレキギターというとこも興味深かった。
 
 さて、プライム楽団、バンドで女性二人がいるということで、「翼をください」「竹田の子守唄」のほかにも赤い鳥ナンバーを披露してもらいたいところ。
 が、平均年齢50代(だと思う)のメンバーだというのに、赤い鳥や紙ふうせん(の音楽)を知っているのは、ギター&パーカッションのKさんのみ。
 「翼をください」「竹田の子守唄」は、あくまでも昭和歌謡のレパートリーなのである。

 13組の演奏が終わって、紙ふうせん賞というようなものが発表された。
 受賞はゴリラとおばさんが歌った「竹田の子守唄」に対して。低い声の「ねんねんや~」がとても新鮮だったと平山さん。
「住所教えてください。今日は特に何も用意していないけれど、後で送付しますんで」
と後藤さん。

 大ラスの演者は紙ふうせんだった。前日のリサイタル、その後の打ち上げの疲れが残っているだろうに、ファンからすると実にありがたいことだけれど。

  竹田の子守唄/紙風船

 ステージ上で発生練習するふたりをい初めて見た。後藤さんが弾くギターはAさんから借り物。「紙風船」では久しぶりにピアノを弾く平山さんが見られた。


 ライブが終了すると、スタッフが大慌てで会場のレイアウトを変更する。あっというまにライブ会場は懇親会会場に様変わりした。
 後藤さん、平山さんの挨拶のあと、最年長のKさんの乾杯で懇親会が始まった。

 楽しい時は永遠には続かない。懇親会も終わる時が来た。
 締めの言葉は後藤さん。Yさんが持ってきた煎餅を話題にして、じゃあ皆さん一緒に歌いましょう。メロディは森昌子の「せんせい」で、せ~の! さん、はい。
「♪せんべい、せんべい、それはせんべ~い!!」

 最後は、全員で記念写真ではい、チーズ。
 お疲れさまでした。

 平山さんはコピーバンド大会第2弾の開催を望んでいる。今回の出場者を見て群馬大会なんてできるのではないだろうかと僕はひそかに期待しているんのですが。




 
 今朝の朝日新聞は愛川欽也とともに、小島功の訃報を伝えていた。
 虫プロアニメラマの第2弾「クレオパトラ」のクレオパトラのデザインを担当していた。
 午後、TOHOシネマズ シャンテで「博士と彼女のセオリー」鑑賞。この映画、時代の変遷を、ホーキング博士の奥さんで表現していた(詳しくは後で)。

 映画鑑賞中に川口中央図書館から電話が入っており、終ってから電話すると予約されていた本があると。
 川口駅で降りて「なぜ時代劇は滅びるのか」(春日太一/新潮新書)を取りに行く。
 その後いろいろ買い物して帰宅。ネットでは三條美紀の死を伝えていた。

 僕が十代、二十代だったときに活躍していた方たち、親の世代の方たちの訃報はこれからもどんどん聞こえてくるのだろう。
 自分の年齢を考えれば仕方ない。何度も書いているけれど。

 愛川欽也さん、小島功さん、三條美紀さんに
 合掌




2015/04/15

 「立川談四楼独演会 第199回」(北澤八幡神社 参集殿)

 前回(2月15日)の198回、3年ぶりに足を運んだ独演会はいつもの倍以上のお客さんが押しかけてとんでもない状況だった。日曜日ということもあって、ゲストのゲッターズ飯田さんの占い目当ての女子の方が全国からやってきたからだ。

 受付時におかみさんからもらった付箋(番号が書かれている)をもらったのだが、帰宅してから番号を確認すると〈177〉だった。180人で札止め(会場は70~80人が定数)になったのだから、ギリギリの受付だったことがわかる。

 199回めの今回は時間との戦いだった。実は前々回(12月15日)に行こうとしたのである。しかし、仕事を終えて山手線で渋谷駅に着いたのが19時。このまま向かっても、師匠の1席めに間に合わない。そう判断して帰宅の途についたのだった。偶数月の15日が平日だとそういうことになる。

 開演時間が18時30分だったときは、師匠の1席めが始まるのが19時過ぎだったので、平日でも前座さんの高座に間に合わないだけで特に問題はなかった。キウイさんをはじめとする前座さん6人ほどが二つ目に昇進したとき、プログラムに昇進披露祝い高座が加わって開演が早まった。最初は18時15分、それから18時になって今に至っている。

 地下鉄を使って渋谷へ出た。この方が山手線より早いのだ。料金も安い。井の頭線のホームに入ったら急行が出るところ。次の各停で下北沢へ。なんとか19時前に北沢八幡に着いた。玄関で煙草を喫っている男がいた。談四楼師匠だった。ということは1席めに間に合ったと安堵しながら受付を済ます。


  立川らくみん「真田小僧」
  立川だん子 「狸札」
  立川笑笑  「勘定板」
  立川寸志  「猫と金魚」

   〈仲入り〉

  楠美津香  ひとりコント
  立川談四楼 「三軒長屋」


 中に入ると寸志さんの途中だった。3年ぶりに観る(聴く)寸志さんの落語。巧くなったなあ! 堂々の高座ぶり。にもかかわらず、あっというまに終わってしまった。頭から観たかった。眼鏡をとった高座姿が木下ほうかに見えた。
 5月3日の二人会(桂宮治vs立川寸志)に行くしかあるまい。

 ゲストはひとりコントの楠美津香さん。舞台に登場した楠さん、スリムパンツにダブっとしたシャツ(名称わからず)姿が何ともかっこいい。まるで宝塚歌劇の男役みたい(な雰囲気を醸し出している)。モロ師岡さんの奥さんだって。今は〈ひとりシェークスピア〉で有名だとか。
 80年代によくやったネタを披露すると言って、まず、やったのが上石神井のバイリンギャル。ギャグかましたあとに説明するのが愉快。いや、ベタなギャグも面白い。
 続いて、石川さゆりの歌をバックに3分強で着物をきてしまう芸、逆ストリップ。けっこうドキドキしてしまうのはなぜ? 
 着物姿になったところで、もうひとつのひとりコント、門前仲町八千草のママ。

 帰宅してからネットで調べたら、楠さん、その昔、「お笑いスター誕生」に出場していた。ということは、TVで観ていたはずだ。「平成教育員会」ではレギュラー出演。こちらも観ていた。にもかかわらず記憶にないのはなぜ?
 ひとりシェークスピアに興味がある。、

 今日は、寸志さんの二つ目昇進祝い高座のため、師匠は1席だけとのこと。そこで長講「三軒長屋」を。師匠・談志に勧められてやりはじめたネタだという。家元が言うには「内容はない」。
 「三軒長屋」は独演会で何度か取り上げているが、いつも2席のうち一つだった。どこかを端折っていたのか。

 
 すぐうしろのお客さんが某ものまね女王に似ていた。懇親会のとき、笑笑さんが誰かに似ていると言うので、「田辺誠一と佐藤浩市を足して2で割った顔」というと「佐藤浩市には似ていない、松坂桃李に似ている」。同じ車座にいた妙齢の女性が美人ということで「プチ整形していない?」。大笑い。
 懇親会が終わって外に出た。僕は少し離れたところにいたのだが、彼女、玄関のところで某女優の真似まで披露していた。似ているとそこまでやるんだと感心していた。
 後でわかったのだが、本人だった。




 続けて〈転載:紙ふうせんライブレポ〉第3弾!
 「うたあふれるままに」は画期的なコンサートだったが、その前の、90年代も紙ふうせんは独自のクリスマスコンサートを定期的に実施していたのである。
 宿泊付きというのが関東のファンにはありがたかった。ただそれがネックになって関西のFCメンバーは……。
 Wさんは皆勤賞でした。

          * * *

2002/12/07

 「紙ふうせん クリスマスコンサート in 六甲オリエンタルホテル」  

 ディナーショーというものがある。僕はまったく興味がない。
 ホテルで食事してライブを観る。それだけでどうして何万もかかるのか。料金が歌手にとってのステイタスになる。五木ひろしなんて1回5万円。信じられない。  

 90年代になって紙ふうせんが六甲オリエンタルホテルでコンサートを開始した(第1回は、男女2名を加えたTSU-BA-SAとして、2回めから紙ふうせん)。  
 料金は3万5千円。ディナーショーではない。あくまでもクリスマスコンサート。宿泊込みというのがはるばる関東から行く者にはうれしい(交通費がかかるけど)。12月、第2週の金曜、土曜日の2日間2回のコンサートだった。

 プログラムが凝っていた。まず夕方、3階のテラスレストランで〈ウェルカムドリンクパーティー〉。1時間ほどして風の教会(デザインは安藤忠雄氏)に移動する。ここでチャペルコンサートが開かれるのだ。初回はアカペラだった。2年めからは後藤さんのギター、その次には浦野さんのウッドベースが入った。「時の流れ」には感激したなァ。
 宴会場でブッフェ形式のディナーを満喫した後、テラスレストラン隣のジンギスカンレストラン「グランデール」でメインのコンサートになるという趣向。

 レストラン内では通常の椅子やテーブルを片付けられ、パイプ椅子が人数分並べられる。会場内はかなり冷えていて、昔ながらの石油ストーブで暖をとるのもクリスマスの雰囲気を盛り上げた。
 ライブが最高潮に達したところでカーテンを開けると眼下には神戸の百万ドルの夜景が広がるというオツな演出も楽しめた。
 ホテルの施設をフルに活用した、ロケーション最高のこのコンサートは、7回連続で開催された。家の事情で2回ばかり欠席したが、12月には欠かせない行事になった。帰りの新幹線に乗って、静岡を過ぎるころになると「ああ、今年ももう終わりなのか」としんみりしたものだ。

 そんなクリスマスコンサートが復活した。1千円アップした3万6千円。
 いつもの仲間たちと東京駅で落ち合って、新幹線で新大阪へ。新大阪からJRで六甲道、そこからホテルの送迎バスに揺られて六甲オリエンタルホテルに到着というもういつものルート。

 阪神淡路大震災の後、いたるところが更地になっていたが、今はほとんど新しい家が建っていた。六甲道に着いたとき雨が降っていた。六甲山も霧に包まれていた。今夜は夜景が楽しめないのかと心配したが、夜になるとすっきり晴れた。一時、その輝きも半分になった夜景も、震災前のそれに戻っていた。心が和んだ。

 今回は7日(土)1回だけの開催である。翌日は島根でコンサートがあるため、進行にちょっとあわただしいところもあったが、個人的には満足した。
 まずチャペルコンサート。サポートがギターのすぎたじゅんいち氏とヴァイオリンの長野昭子さん。そう秋のリサイタルでその音色に感激したヴァイオリンの長野さんが引き続き今回も参加しているのである。

  日本/竹田の子守歌/紙風船/花はどこへ行った

 後藤さんが20歳のときに初めて作った歌「日本」の披露があった。日本の四季を歌ったものだ。聴衆を二組に分け、メロディとハーモニーを担当させて「紙風船」を合唱したのが印象深い。  

 メイン会場ではアンコール入れて16曲が演奏された。  
 ラストで熱唱されることが多かった「2001年アクエリアス」をオープニングに持ってきた。

  2001年アクエリアス/霧に濡れても/まつり/ささぶね
  街を走りぬけて/ホーハイホー/So matching love/明日に架ける橋
  あなたの風になりたい/青空と海/虹
  翼をください/ルート43/船が帰ってくる/冬が来る前に
  アンコール:Merry Cristmas

 ヴァイオリンのソロから入る「まつり」に感激した。赤い鳥時代にはそれほど思い入れがなかったこの曲、この5、6年メロディが頭の中を駆けめぐって仕方ない。
 以前、台風の影響で新大阪行きの新幹線が止まり、秋のコンサートの会場に到着したのがラスト30分ということがあった。このとき、オープニングから数曲が後藤さんのギターと浦野さんのウッドベースのみというシンプルかつアコースティックな編成で、その中に「まつり」があったと聞かされてわが身の不幸を嘆いた。
 しかし今宵「まつり」が聴けたことで、あの時の無念さも解消された。ハプニングで2度演奏されたことも、逆に感動ものだった。

 コンサートが終わっても、六甲の夜は終わらない。いや、このクリスマスコンサートの醍醐味はここから始まるのだ。
 最上階(6階)にあるバーから見る夜景は最高。カップルにとってはたまらないだろう。
 実はこのバー「モンソワール」はそれほど広くないので、行くと必ず満席という状態。その隣のスカイレストラン「ボワール」での酒盛りとなる。そこにスタッフの打ち上げパーティーから抜けて後藤さんと平山さんが顔を見せてくれるのだ。いろいろおしゃべりができるのがうれしい。  
 こうして11時を過ぎて、お店も閉店、お開きになる。  
 実は個人的には〈お楽しみはこれから〉なのだが、それはまた次の機会に。




 すいません、ここんとこムキになって映画レビューをアップしておりました。
 「赤い鳥・紙ふうせんアマチュアコピーバンド大会」ルポの#2を書かなければならないことは百も承知、二百も合点なのですが。

 昨日はTOHOシネマズ・シャンテで「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観た。14日はTOHOシネマズのサービスデーなので19時45分の回は満席。
 この映画、今月24日の「シネマdeりんりん」で語り合うことになっている。先月(3月)はダスティン・ホフマン主演の「卒業」だった。前回が旧作だったからだろう、今回は最新作ということでアカデミー賞でも話題になった「バードマン ……」が選ばれた。
 とにかく、ストーリーやカメラワーク等々、観終わったらあれこれ話したくなる映画である。4月のシネりんの課題映画にしたのはグッドアイディアだと思う。

 本日は偶数月15日、北澤八幡神社の「談四楼独演会」の日。
 今、帰ってきた。

 「コピーバンド大会」ルポ#2は明日以降ということで、久しぶりに〈転載:紙ふうせんライブレポ〉第2弾をば。

          * * *

2002/10/12

 「うたあふれるままに 紙ふうせん コンサート2002」(大阪サンケイホール)

 今年は43歳がキーワードなのか。一介のサラリーマンでノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏、懲りずに3度目の結婚をする某人気ミュージシャン、そして10月1日に施行された「身体障害者補助犬法」制定に貢献した木村佳友氏(と介助犬シンシア)。そろって皆43歳なのである。  
 
 もちろん単なる偶然なのはよくわかっている。43歳にこだわっているのは個人的な理由による。3日後に僕も43歳になってしまうからだ。  
 木村佳友氏は事故のため首から下が動かなくなってしまい、車椅子の生活をよぎなくされている。木村さんには自分の手足となってくれる介助犬シンシアがいて、日常生活を送っているわけだが、この介助犬、盲導犬ほど認知されておらず、乗り物や公共施設に同伴できないことがままあったという。そこで介助犬への理解を広める活動をはじめ、5月に成立した「身体障害者補助犬法」に大きく貢献した(施行は10月1日)。

 介助犬シンシアの活躍が毎日新聞に連載され、心打たれた紙ふうせんのふたりが「身体障害者補助犬法」のテーマソングともいうべき歌2曲(「補助犬トリオ」「あなたの風になりたい」)を作り、そのお披露目が紙ふうせん恒例の秋のコンサート内で行われた。  

 画期的なコンサートだった。木村氏をはじめ、身体、視覚、聴覚障害者が集った。もちろん介助犬、盲導犬、聴導犬を連れて、である。犬たちが会場に入る姿は壮観だった。
 会場上手ステージ前に設置されたスクリーンに歌詞を投影するOHP、舞台上で通訳する手話のボランティア、音を体感させるためのボディソニックは東京から運ばれたという。
 準備が大変だったろう。裏方スタッフの苦労がしのばれる。    

 大阪に着いてホテルにチェックインした後、現地のFCの方たちに会い、まっ先に耳に入ってきたのは後藤さんがマムシに噛まれたというショッキングなニュースだった。「竹田の子守唄」のバックに流す映像を撮影しに京都の山に入った際に噛まれたらしい。すぐに病院に運ばれ1日入院、大事にいたらなかった。問題があったらコンサートなんて開催されないだろうし。
 
 一安心した僕は「竹田の子守唄」のバックに流す映像に反応していた。歌詞も原曲から何番か取り入れられ、いつものバージョンより長くなるという。映像と歌が組み合わさってどのような効果を発揮するのか? 期待のボルテージは一気に上昇した。

  夕陽よ沈まないで/ほ・ろ・ほ・ろ/雪の降る夜は/風の翼に/しずくの子  

 オープニングはアコースティックギター(後藤さん)、ピアノ(今出さん)、ヴァイオリン(長野昭子さん)、ウッドベース(浦野さん)のシンプルな編成。素朴な、しかし深みのある音とともに平山さんのはっきりとした声が会場内に響き渡る。

 ステージ中央のバックには小さなスクリーンが設置されていた。
 照明は赤い鳥時代、後藤さんの信頼が厚かった佐野一郎太氏。一昨年の25周年記念コンサートからまた担当するようになった。昨年6月のドラマシティのリサイタル同様、佐野氏がどんな仕掛けをして、歌の世界を広げるのか。それもまた楽しみなのだ。  
 歌にあわせてイメージ映像がスクリーンに流れる。   
 
 久しぶりにステージに登場した浦野直さん(「冬が来る前に」の作曲者)が弾くウッドベースの低音が内臓に響く。  
 ヴァイオリンの音に魅了された。長野昭子氏は確か2回めのクリスマスコンサートでもヴァイオリンを弾いていたのだが、この時は僕の席の位置が悪かったのか、ほとんど音が聞こえなかった。今回は最初から最後までくぎづけになった。

  木の舟/風がかわるとき/みすずさん/あいたいよ/WowWow  

 5曲歌い終えると、暗幕が左右に開いて、スクリーンがスタンダードからシネスコサイズに拡大した。同時に暗幕の陰に控えていたエレキギター(西口さん!)、キーボード、ドラムスが登場する仕組み。おもしろい演出だ。浦野さんはウッドベースからエレキベースの位置に移動。コーラス(&ギター)が加わる。パーカッションを除くバックミージシャンが揃った。
 
 紙ふうせんのバックは一流ぞろいだ。個人のプレイを観て、聴いているだけでも心がはずむ。  
 次回のアルバム用なのか、新曲が続けて発表された。デビュー当時から一時期まで紙ふうせんの曲はほとんど後藤さんが手がけてきた。この数年、平山さんの曲が増えている。今回も出来た曲が7つ、そのうち後藤さんは3曲、平山さんは4曲、「負けた……」とは後藤さんの弁。

  竹田の子守唄  

 バックミュージシャンがいったん袖にはけ、ステージに後藤さんと平山さんが残る。バックは浦野さんのベースのみ。デビュー当時の紙ふうせんのステージってこんな感じだったのだろうか。  
 歌詞が増えた「竹田の子守唄」はまるで組曲のようだった。スクリーンには歌にあわせて味のある筆文字で書かれた歌詞が左から右に流れる。言葉の意味をかみしめたふたりの声がしっかりこちらの心に届く。間奏では京都の農村地帯の風景(モノクロ)が映し出された。  
 圧倒された。  
〈私のベスト3は、ボブ・ディラン「風に吹かれて」、ジョン・レノン「イマジン」、紙ふうせん「竹田の子守唄」〉  
 と平山さんがエッセイに書く気持ちがよくわかる。32年歌いつづけている自信がうかがえる。

  CM替え歌メドレー
  街を走り抜けて/虹/ホーハイホー

 後藤さんの一人舞台で、懐かしのCMを替え歌にして客席を笑わせた後、衣装を着替えた平山さんが再登場。パーカッションを含めたバックも勢揃い。第2部開始。
 OHPに映し出される歌詞が紙ふうせんらしく、いかにも手作りというところがいい。友人のイラストレーターえとうまさゆき氏が手がけたそれは、簡素なイラストも加わってほのぼのした雰囲気を醸し出す。
 昨年リリースされたアルバム「青空と海」に収録されている「虹」など、後藤さんの曲紹介を聴くとよりいっそうその世界を感受することができる。後藤さん流の米国同時多発テロ、アフガン爆撃に対する静かなメッセージなのである。

  補助犬トリオ/あなたの風になりたい
  青空と海/霧にぬれても/Route43/翼をください/船が帰ってくる
  冬が来る前に/紙風船  

 「身体障害者補助犬法」サポートソング2曲が紹介される。スクリーンには会場の通路に寝そべるシンシアが映しだされて、楽しいひと時。  
 そんな気持ちをぐっと引き締めるのが続く「青空と海」だ。えひめ丸事故の犠牲者への鎮魂歌。平山さんの声量を最大限に生かした歌で、生で聴くたびに目頭が熱くなってしまう。  

 紙ふうせんのライブを聴くようになって十余年(それまではレコードとラジオ、テレビで追いかけていた)、必ず歌うのがヒット曲「冬が来る前に」と「街を走りぬけて」、それに赤い鳥時代から歌いつづけている「竹田の子守唄、「翼をください」。

 この間、赤い鳥のライブ模様が映っているということで某番組を録画したテープを見せてもらった。「翼をください」を特集した内容なのだが、番組内でとんでもないことが言われて怒り心頭になった。
 赤い鳥解散後、「翼をください」は歌い手をなくしたとのナレーション。そんなことはない。「翼をください」はしっかり紙ふうせんが歌いつづけています。番組スタッフは何考えているのだろうか。たぶん〈虹の翼2002〉をフィーチャーした、というかその活動のPRを目的にしたからだろうが、ウソはいけない。ウソは!

 最近すっかりエンディングの曲になった「船が帰ってくる」、そしてアンコールではなくカーテンコールで登場して、お馴染みの「冬が来る前に」、そして「紙風船」の合唱で幕を閉じた。

 昨年はオーケストラをバックにした新機軸のリサイタルを開催して、興奮させられた。今年もさまざまな趣向を凝らしたコンサートだった。
 あとどのくらい紙ふうせんのコンサートが開催されつづけるのか。後藤さんはとりあえず60才と言っていた。あと5年か。
 43歳。僕もそろそろ本当の「赤い鳥物語」の取材に取り組みたい。




2015/03/28

 「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」(MOVIXさいたま)

 動くベネディクト・カンバーバッチを初めて観た。
 この俳優の名前を知ったのは「スタートレック イントゥ・ダークネス」だったと思う。子どものとき「宇宙大作戦」は毎週の愉しみだったが、ロバート・ワイズ監督の超大作という触れ込みの映画化作品「スタートレック」に裏切られてからというもの相性が悪くなって、以降のシリーズも観なくなってしまった。当然その後のTVや映画の新シリーズもノーチェックで、劇場ではもちろんのことDVDになっても観賞していない。
 NHKで放送しているイギリスのドラマ「シャーロック」の評判がいいがこれまた観たことがない。

 映画は第二次世界大戦中ドイツ軍の暗号を解明するために奮闘努力する天才数学者、アラン・チューリングとその仲間たちの活躍を描くものとばかり思っていた。そんな安易な英雄譚ではなかった。
 3つの時代におけるチューリングのドラマが複雑に絡み合う。

 ①冒頭の時代は1951年。チューリングの屋敷に泥棒が入り、警察官が駆けつけるのだが、当のチューリングはつれない態度。警察官はチューリングが何かを隠していると捜査を開始する。
 ②チューリングが回想するのが1927年の寄宿学校時代。同級生からいじめを受けるが、一人仲良くしてくれる友人がいて、彼とのつきあいの中で暗号に興味を持っていく。
 ③第二次世界大戦時、軍の要請を受けてチューニングたちは、チームを組んでナチスの暗号機エニグマの解読に挑むが、協調性のないチューニングはチームから浮きまくりながら、暗号解読装置の開発に没頭する。

 ①で警察はチューリングが隠蔽している秘密を追い始める。そして、それは②でおぼろげながらわかってきて、③で判明する。サブタイトルの〈エニグマと天才数学者の秘密〉の秘密とはこのことだったのか。

 映画の題材になる数学者(それも実在の人物)は変人というのがお約束なのだろうか、「ビューティフル・マインド」のジョン・F・ナッシュがそうだったように、アラン・チューリングも普通の感覚からかけ離れている。
 チューリングにとって、言葉には一つの意味しかない。人の言葉を額面通りにしか受け取れないし、そのものずばりの物言いしかできない。それは、本人も自覚している。そんなチューリングが親友を救うため自分の意思と反対のことを言うくだりがあって、けっこうグッとくる。
 親友の忠告に素直に聞き、態度を改めようとする姿も微笑ましい。
 男女間にも友情が存在することを確信できた。これは目から鱗だった……。

 映画は字幕で終わる。「アメリカン・スナイパー」に比べると、かなり長い文章になるが、目頭が熱くなるエンディングだった。

 ベネディクト・カンバーバッチの天才数学者に堪能した。


 【追記】

 ①のエピソードだったか、台詞に「花粉症」がでてきた。あの時代に花粉症なんて言葉があったのだろうか? アレルギー性鼻炎という名称を長い間使っていたと思うが。




2015/04/11

 「ソロモンの偽証 後篇・裁判」(MOVIX川口)

 たとえば、落語でも芝居でもいい、目の前で披露されている落語や演劇が稚拙な出来だと、舞台を凝視できなくなってしまう性癖がある。演者を見ているのが恥ずかしくてたまらない。そんなときどうするかというと、目をふせて、音(台詞)だけを聞くことにしている。

 映画でもたまにそういう状況に陥ることがある。いわゆる自主映画で、あまりにも台詞や演技が青臭い場合だ。
 前編ではまったく感じなかったこの気恥ずかしさが後編、とくに前半部分で何度もあって、そのたび僕は目をつむっていた。あるいは眼鏡をはずしてボケたスクリーンを眺めていたり。理由は自分でもわからない。中学生同士のやりとりがどうにもこうにも恥ずかしかったのだ。
 もし前編と後編を続けて観ていたのなら、どうだったのか。

 前編では、大長編小説を映画用にうまくまとめたと感心した。しかし、後編になると、そのまとめ方に不満がつのる。
 「ソロモンの偽証」は群像劇なのである。さまざまティーンエージャーが、それぞれの問題を抱え、苦悩する。泣き叫び、さまよい迷って、そして、なんらかの折り合いを見つけ、安穏な生活を取り戻す。小説ではそんな様子が描かれている。

 その一人、野田(前田航基)は映画では学校内裁判で被告人・大出(清水尋也)の弁護人を担当する神原(板垣瑞生)の助手でしかなかった。不審死した柏木卓也(望月歩)には兄がいて、弟に対してあるわだかまりを持っているのだが、映画では存在すらしていなかった。
 大出たちの素行の悪さ、同級生や他校生に対する苛めは映画の比ではない。新任の女教師(黒木華)とマンション隣人(市川美和子)の対立と葛藤も同様だ。

 肝心の柏木卓也がどういう少年で、なぜ不登校になったのか、同級生たちにどのように見られていたのか。小説ではきちんと語られていたから、クライマックスに衝撃が走るのではないか(別に小説でも衝撃は受けなかったのだが、それまでの印象を破壊するダメージはある)。映画の柏木少年は最初から性格破綻者でしかない。
 学校内裁判は結論を導き出す段取りでしかなかったし……。

 不満はまだある。
 1991年という時代がまったくというほど感じられなかった。
 映画自体が母校に赴任したヒロイン(尾野真知子)が校長に話す回想であるにもかかわらず、その回想の中でまた回想がでてくる。回想シーンは前編でもあったが、後編ではクライマックスのここぞというタイミングで大々的に切り替わるのだ。この作りが手垢のついた演出というかダサいというか。
 そして、その回想は現場にいた当事者としてのものだ。現場を立ち去ったなら立ち去ったなりの内容にならなければいけない。にもかかわらず、カメラは神の視点を持ってしまって、屋上に一人残された少年の行動を追ってしまうのだからなにをかいわんや。

 小説のように、回想ではなく1990~91年を描き、ラストで現代(2015年)に飛ぶというのではいけなかったのか。
 真相解明の要となる電気店が変な作りだ。
 演出がこなれてない印象を受けた。カメラワークを含め鼻につく。
 細かい部分に神経を注いでいない。

 観ていて気恥ずかしさや不満を感じながら、後半になると、スタッフ(プロデューサー、シナリオライター、監督)のメッセージは一直線で伝わってきた。目頭が熱くなった。素直に受け止めたいと思った。
 人間関係にあれこれ悩んでいた14歳の自分がこの映画を観たらどんな感想を抱くだろうか。

 裁判中に神原だったかヒロインだったかが言った言葉は、そのまま、エンディングの主題歌(U2「With or Without You」)に直結する。なるほど、前編のエンディングで流せないわけだ。

 デブで心優しい女の子親子のエピソードは涙なくしては見られない。

 後編を観終わって、この2部作は同時公開すべきだったと思わないではいられなかった。本当なら4時間強の「ソロモンの偽証」として公開すべきだった(当然途中で休憩が入る)。
 せめて、同時公開にして、前編と後編を交互に上映、続けて観てもよし、別の日に観てもよしというような環境を作るべきだったのではないか。前編の半券を提示すれば後編は特別料金で観られるような特典(もちろん前売券も同様)もつけて。


 

2015/04/04

 「ジュピター」(MOVIX川口)

 この映画、予告編のときからそれほど面白そうに思えなかった。ヒロインの像がアップになったショットでとんでもなくチープな印象を受けたのだ。
 「マトリックス」から16年云々のキャッチコピーが大仰で仕方なかった。「マトリックス」以来のオリジナルストーリーということだったのか。てっきり「マトリックス」以来映像的に新たな金字塔が打ち立てられたという意味かと思っていた。

 ウォシャウスキー兄弟の映画を予告編で観て面白くなさそうと思った映画に「スピードレーサー」がある。「スピードレーサー」はタツノコプロの「マッハGoGoGo」がアメリカで放映されたときのタイトル。
 ウォシャウスキー兄弟がマッハ号を実写化というニュースを見たときは興奮ものだったが、予告編の映像で萎えた。いかにもアニメ作品を実写にしたような、人工的な空間設計なのである。主人公の衣装もメカにも何の魅力も感じない。「攻殻機動隊」に影響を受けて「マトリックス」を作った監督の作品には思えなかった。アニメ「マッハGoGoGo」の実写化に往年のファンは何を求めるのか、ウォシャウスキー兄弟は全然わかっていないと憤慨したものだ。

 配給会社にも文句がある、この映画をなぜ原題のまま公開したのか、なぜ、「マッハGoGoGo」という日本人に親しまれたタイトルにしなかったのか!
 「スピードレーサー」は昨年やっとDVDで観た。すべて早回しした。そんな出来だった。

 「クラウド・アトラス」が公開されたときは、劇場で押えようと思ったものの、結局叶わなかった。体調が芳しくなかったところに、複雑なストーリーは1回観ただけだと意味がわからないなんていう感想をどこからか仕入れてきたからだが、DVDで観て後悔した。十分面白いではないか。ハル・ベリーとペ・ドゥナの七変化を堪能できただけでも幸せというものだ。

 「クラウド・アトラス」から、ウォシャウスキー姉弟になっていた。「スピードレーサー」後に兄が性転換して女になってしまったからだ。また、映画はウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァの共同監督だと知った。

 新作映画が面白くなさそうでも、ウォシャウスキー姉弟のSF作品なのでむげにはできない。
 で、公開早々地元シネコンに足を運んだわけだが――。

 自分のアンテナの正しさを確認できた。確かにVFX映像は素晴らしいものの(たとえ既視感ありありだとしても)ワクワク感は皆無に等しい。何度も眠気に誘われた。特に宇宙空間におけるメカの戦いには何も感じなくなってしまった。個人的に完全に飽きている。

 案の定、タニング・テイタムとミラ・クニスに魅力がない。予告編でときめかなかったはずである。まったくもってミスキャスト。
 出世作「マトリックス」も2作め、3作めとストーリー的にはつまらなくなっていくのだが、それでもヒロインのキャリー=アン・モスのアクション目当てというところがあったのでそれなりに満足していた。
ストーリーがちっとも面白くない。
 「博士と彼女のセオリー」を観ていたら、もう少し楽しめたかもしれない。悪役がアカデミー主演男優賞を獲ったエディ・レッドメインなので、まったく違う役柄(演技)を楽しめたかも。ペ・ドゥナも出演していたが、別に誰でもいいような役だった。

 ちなみに、映画の原題は「Jupiter Ascending」。上昇する木星の意。ジュピターはヒロインの名前でもあるので覚醒するジュピターと訳すとわかりやすいかも。




 DVDでWOWOWドラマ「レディ・ジョーカー」を観た。
 前作「マークスの山」がそうだったように、「レディ・ジョーカー」も映画を凌駕する出来になっている。
 「マークスの山」と違うのは、面白さが最後まで持続していることだ。第1話が終わると引き続き第2話を観たくなり、同様に第3話が気になってしまう。
 ただ、これには僕自身の小説に対する愛着度の差に要因があるかもしれない。

 ドラマ「マークスの山」が映画より出来が良くても傑作にはならなかったと感じたのは、こちらがあまりにも小説に対して思い入れが強すぎたからであり、原作を知らなければ十分面白かったかもしれない、と今では思っている。
 何しろ「マークスの山」は何度も読み返しているのだ。どうしても映像作品を小説と比べてしまう。対して、「レディ・ジョーカー」は単行本を一度読んだきりなので、それほど小説世界と比較することがない。

 時間も関係している。「マークスの山」以上に人物が入り乱れる複雑な物語の「レディ・ジョーカー」は2時間前後の映画で描ける内容ではないのである。

 ドラマ「レディ・ジョーカー」は第1話のみ68分で、第2話~第7話は各50分となっている。計368分。民放のTV局の1時間ドラマは実質45分(NHKの大河ドラマや木曜時代劇は45分)だから、「マークスの山」のレビューで書いたように長編小説をきちんと映像化するには1クール必要なのである。

 単行本上下2冊の「レディ・ジョーカー」は文庫化(新潮文庫)されて上中下の3冊となった。DVDも上中下の3巻で、上巻には第1話~第3話、中巻に第4話、5話、下巻に第6話、最終話が収録されている。

 日之出ビール社長(柴田恭兵)が誘拐から解放される冒頭からドラマに釘づけになってしまった。丁寧に作られていることが映像全体から感じられる。前述したように1話が終わると次が気になってしかたない。原作を読んでいてこうなのだから、原作を知らない人が観たらどうなるのか。
 犯人グループ、被害者側、警察、マスコミ、それぞれの人間模様が無理なく描かれる。脚本は前川洋一。演出は水谷俊之と鈴木浩介。

 キャスティングが巧い。
 最初、薬店店主役の泉谷しげるに違和感があった。この人に犯罪グループのリーダーが務まるのか、と。映画の渡哲也は立派すぎるだが、泉谷だと崩しすぎではないかと。
 ただ、あるシーンから気にならなくなった。一人息子を亡くして、その原因を知った薬店店主の娘が父親を激しく非難するくだり。結婚相手の出自についてなぜ調べなかったのか、調査するのは親として当然の義務だろうと泣き叫ぶと、「そんなことどうでもいいことだと思った」と言いたげな何ともたよりない表情を、泉谷しげるがするのだ。これで変なわだかまりは氷解した。実際リーダー的な役割でなかったし。

 特筆すべきは不良刑事役の豊原功補である。映画の吉川晃司も悪くなかったが、合田雄一郎役の徳重聡が新人だったから、バランスがとれず損をした。ドラマの豊原功補vs上川隆也なら文句ない。役者としてのキャリアという観点からも二人の立ち位置が推察され、それが劇中のエリート刑事に立てつく不良刑事に重なる……なんてことは考えすぎか。

 自らの不正は隠蔽しようとする警察機構の体質を盾にして大胆にも居直ろうする不良刑事、警察機構への不信から捜査を逸脱して真犯人に迫っていく合田刑事。二人が内面から醸し出す静かな狂気により、クライマックスの対峙、対決までのサスペンスが生まれた。
 刺傷事件が雨の中で起きたことで神経をざわつかせる。最初から不良刑事が包丁を持っていることをわからせたのはちょっと興ざめだったが。このエピソードに関しては、映画で不満だったことがすべて解消されていた。

 小道具のビール(日之出ビール)のパッケージデザイン等、かなり手の込んだもので、劇中効果的に使われている。
 総会屋への利益供与で逮捕される社長(柴田恭平)と副社長(益岡徹)が、警察がやってくる前にビールを飲むシーンはビールが実に旨そうだ。

 ひとつだけわからなかったことがある。姪に送った社長の手紙の内容だ。自分が殺されること、殺されたのちに手紙が読まれることを知っていた。
 総会屋を裏切ったのだから復讐されるのはわかっていたかもしれない。警察にも見捨てられた。だから殺されるかもしれないと書くのはわからないではない。しかし、手紙が姪の目に触れる前に殺されてしまうなんてことまでわかるものなのか。社長はその情報をどこで知ったのだろうか。
 もう一度小説をあたってみよう。

 それにしてもWOWOWのドラマは秀作ぞろいだ。TBSと共同制作した「ダブルフェイス 前編・後編」や「MOZU」シリーズが秀逸なのはWOWOWのおかげなのか。実際には一般の映像プロダクションが制作しているだから(クレジットは制作協力)、WOWOWのプロデューサーが優秀といえるのかもしれない。
 「マークスの山」「レディ・ジョーカー」の制作は東阪企画。朝日放送の名物ディレクター・プロデューサー澤田隆治が設立した東阪企画はかつてバラエティ(演芸)番組を得意としていたのに、いつからドラマも作るようになったのだろうか。




 高村薫の「レディ・ジョーカー」が「マークスの山」に引き続きWOWOWでドラマ化された。2年前の2013年のこと。以前、レンタル店でDVDを見つけたときは〈新作〉だった。先週見たら〈一般〉だったので、あわてて借りてきた。金曜日は7泊8日100円になるのである。

 主人公の合田雄一郎には「マークスの山」同様に上川隆也。WOWOWの合田雄一郎シリーズ第2弾という位置づけだ。小説ではその前に「照柿」があるのだが、タッチが違うのでこのドラマシリーズには向かないと判断されたのか。
 「マークスの山」「レディ・ジョーカー」は警察小説、犯罪小説に区分できるが、「照柿」は少々ジャンルが違うように思う。犯罪をめぐる犯人と刑事たちの物語というよりも、犯罪が起きてからの合田の精神世界、男女の情念を執拗に描いたようなものだった。「マークスの山」に感激して、続編として「照柿」を読むと納得がいかないかもしれない。

 同様に「レディ・ジョーカー」のノリで、「冷血」を読むと脳裏に?がいっぱい並ぶことになる。「冷血」は「マークスの山」「レディ・ジョーカー」のように犯罪者にスポットをあてた小説である。また、「レディ・ジョーカー」同様に、実際の事件にインスパイアされたものでもある。そんなわけで、特に前半(上)は、あの合田雄一郎(が活躍する警察小説)の復活かと期待させてくれるのだが、後半(下)になると、まるでテイストが変わってしまって裏切られるはめになる。

 「照柿」は一度NHKの土曜ドラマ枠でドラマ化されている。合田には三浦友和が扮していて原作の雰囲気とはほど遠かったが、ドラマはよくできていた。今、アーカイブスで観られるのだろうか。

 ちなみに、高村薫の別のシリーズ第2弾「新リア王」の後半に若き合田雄一郎が一瞬登場する。続編の「太陽を曳く馬」にも合田は登場するが、「マークスの山」や「レディ・ジョーカー」とはまったくの別物と考えた方がいい。

 「レディ・ジョーカー」の話だった。
 1997年に上下2冊が上梓されると、一気に話題となった。
 2年後、やっと図書館の棚で発見して借りてきた。もう16年前になるのか。

     ▽
1999/06/08

 「レディ・ジョーカー(上・下)」(高村薫/毎日新聞社)

 話題の小説をやっと読んだ。
 「マークスの山」「照柿」に続く合田警部補シリーズの第3弾。かつて日本中を震撼させたグリコ・森永事件を素材に噂に違わない濃密な高村ワールドを展開している。構成に全く隙がない犯罪小説だった。

 犯人グループ、恐喝される企業、事件を追う警察、あるいは事件を追いかけるマスコミ各社の人間模様を、被差別部落、在日朝鮮人、身体障害者、総会屋と政治家の癒着等、現在日本がかかえているさまざまな問題をさりげなく挿入しながら、克明に描写するその筆力には感服してしまう。

 この小説ではグリコ・森永事件をビール業界(日之出ビールという架空の名称だが、もろキリンビールをイメージしている)に置き換えて描いているのだが、実際、商品を人質にしてグリコ・森永を恐喝した犯人たちの真の目的は企業の株価操作による暴利着服にあったのではないかと思えてしまうから不思議だ。まさしく高村薫のアイディアの勝利といえるものだが、このオリジナリティが凡百の実録犯罪小説との違いだろう。

 犯人グループの描き方がいい。僕は勝手に高村薫を日本のトマス・ハリスと呼んでいるのだが、本家同様犯人の生い立ち、犯罪にかりたたせる動機づけが抜群にうまく、読んでいると完全に犯人側に感情移入させられる。それは「マークスの山」で実証済みだが、本作でも、単なる競馬仲間たちが、大企業の論理に抹殺されてしまった一個人の復讐のために立ち上がるところに共鳴してしまい、彼らの成功を祈らないではいられなかった。

 驚きだったのはその犯人グループに現職の刑事が含まれているところで、この刑事と合田の関係も後半の一騎打ちの伏線となっていて、クライマックスにおける合田が捜査を逸脱して刑事へ出す挑戦状のサスペンスを盛り上げる。

 舞台が蒲田近辺だったことも、個人的には親近感を抱いた。大鳥居界隈や糀谷駅周辺が登場するとそれだけでもうれしくなる。なんてたって、犯人側の刑事は蒲田署勤務なのだ!
(僕の会社は大鳥居駅から歩いて5分のところにあり、仕事で蒲田署にお世話になっている。)

 前2作(特に「マークスの山」)の合田はエリート意識が鼻について、いまいち好きになれなかった。ところが今回は「照柿」事件で左遷されたことにより、本庁から所轄署に異動させられた合田が今後の生き方に悩む姿があったりする。彼の人間性、弱さが随所に垣間見られて好感を持てた。素直に「かっこいい」と3作めで初めて思えた。小説中のイメージとは程遠いが、なぜか僕の頭には渡辺宏之が浮かんでしかたない。

 重たいテーマが全編を覆い、事件もカタルシスをもたらせる解決をみなかったにもかかわらず、ラストシーンがさわやかで、読後感はすこぶるいい。
     △

 小説を読んでから6年後に映画が公開された。

     ▽
2005/01/12

 「レディ・ジョーカー」(品川プリンスシネマ)

 映像化は無理だろうと思っていた。何しろ高村薫の傑作ミステリ「レディ・ジョーカー」は現代日本が抱えるさまざまな問題(被差別部落、在日朝鮮人、身障者等)が内包されていて、それがビールメーカー社長誘拐事件の一因になるのだから、もうそれだけでアウトだということがわかる。
 脚本・鄭義信X監督・平山秀行のコンビだと知って、もしかしたらという気持ちになった。原作の持ち味を失わず映画用にオリジナル展開させた「OUT」の感激は忘れられない。彼らが映画化にあたり、原作をどう料理するのか。

 「レディ・ジョーカー」は合田警部補シリーズの第3弾にあたる警察小説でもある。
 合田が初めて登場した「マークスの山」は直木賞を受賞した傑作であり、犯人とその恋人に感情移入した僕はラストで涙ぼろぼろになった。単行本で2回読み、文庫を購入したが、大幅に書き換えられていたこともあり、古本屋で単行本を手に入れてもう一度読み直したという惚れこみよう。
 映画化もされた。脚本が丸山昇一、監督が崔洋一ということでかなり期待したのだが、裏切られた結果となった。要因は原作をまるごと取り込んだ構成だったからだと思う。

 小説は連続殺人事件を犯人側、警察側それぞれの視点で描いている。犯人の生い立ちを詳細に描き、同時に犯人検挙に向かって警視庁と所轄署の刑事たちが協調、反目しあいながら捜査していく姿がスリリングに交叉する。
 活字なら可能なこの構成を、わずか2時間の映画が踏襲できるわけがない。合田を主人公にするのなら、誰が犯人か、なぜ殺人を犯したのか、その過程を詳細に描くべきだし、犯人を主人公にするのなら殺人にいたった経緯、年上の女性との恋愛模様を濃密に描き、クライマックスの逃避行、ラストの雪山山頂における荘厳なる死に持っていく。前者なら犯人はあくまでもクライマックスまで伏せておく。後者なら合田以下警察側の人間はすべて脇役という扱い。

 映画は結局小説そのままの構成で、なおかつ細部を変更して原作ファンにとって納得いかないものにしてしまった。
 合田は中井貴一が演じた。昨年、単行本を読んだ際、合田は古尾谷雅人、マークスは窪塚洋介がイメージされた。あくまでも個人的な印象だが。

 シリーズ第2弾の「照柿」はミステリの枠をはみだす。たまたま電車飛び込みの現場に居合わせた合田がある女性に異常な関心を寄せ、幼馴染みの友人と敵対して捜査を逸脱する姿が描かれた。男女の情念が絡み合いうずを巻く話。NHKでドラマ化された。合田役は三浦友和。中井貴一以上に原作のイメージではないのだが、ドラマ自体はなかなか見応えがあった。

 第3弾「レディ・ジョーカー」では「照柿」の事件の結果、警視庁から所轄の大森署に左遷された合田がビールメーカー社長誘拐事件、その後の脅迫事件の捜査で奔走する。
 グリコ・森永事件を下敷きにしたこの事件の全貌が、犯人グループ、警察、マスコミとあらゆる角度から詳細に描かれ、「マークスの山」同様に犯人グループの描写が秀逸だった。各人がなぜ事件に関わるのかが納得でき、感情移入してしまう。
 だからこそ原作そのままだと1クールみっちり描けるTVドラマならともかく、2時間前後で完結させなければならない映画化は無理だろうと懸念していたのだ。

 小さな薬店を営む老人(渡哲也)が甥の交通事故死をきっかけに大手ビール会社の社長の誘拐と脅迫を画策する。仲間は競馬場で顔見知りになったトラック運転手(大杉漣)、信用金庫職員(吹越満)、旋盤工の若者(加藤晴彦)そして蒲田中央署勤務の刑事(吉川晃司)。
 周到な計画のもと社長を誘拐し、開放した後、今度はビールを人質に50億円を手に入れた。完全犯罪と思われたこの事件は、しかし、大森中央署勤務の合田(徳重聡)が、合同捜査加わっている蒲田中央署の男の不審な行動、アリバイに目をつけたことから意外な展開になっていく。

 「マークスの山」と同じ轍をふむことになった。
 犯人グループで過去が描かれるのは薬店の老人だけだから、他のメンバーがなぜ危険を冒してまで誘拐事件、脅迫事件に加わってくるのかよくわからない。主人公の老人だってビール会社を不当に解雇された兄の思い出や甥の交通事故死がきっかけになってと冒頭で描かれてはいるものの、犯罪に駆り立てる動機が弱すぎると思う。幼い頃兄からもらった笛ですべてを語らせるのは映画として巧いのだが。

 トラック運転手には身障者の娘がいる。この娘が仲間から〈レディ〉と呼ばれていてタイトルの由来になるのだが、映画ではこの父娘の関係がまったく語られない。在日朝鮮人の信金職員や若者の心情も単に台詞で説明されるだけ。これでは感情移入なんてできやしない。原作を読んでいなければ単に競馬が趣味の男たちの集団が老人の犯罪計画に何となく乗ってしまったという印象しかない。

 唯一存在感を示したのが犯人グループの一人である不良刑事なのだが、彼の行動に不審を抱き、これまた捜査を逸脱して追いつめる合田役が〈21世紀の石原裕次郎〉だからどうにもバランスが悪い。演技力云々の前にあまりにも若すぎるのだ。刑事がなぜ合田を意識するのか、敵対心を燃やすのか。合田の過去や現在の立場があって成り立つ話なのに、何の説明もない。これでは若くてかっこいい兄ちゃんに嫉妬したおかしな刑事でしかない。せめて吉川晃司と同年代の役者をキャスティングしなければこの対峙は成り立たないだろう。刑事の屈折した心情まで踏み込んでもいない。だから、クライマックスの一対一の対決に盛り上がりがないし、合田を刺して捕まったにもかかわらず、どうして事件が解決しないままうやむやで終わってしまうのか理解できない。

 映画全体の雰囲気は決して悪くなかった。中でも犯人グループが警察の厳重な追尾をかわして50億円を奪い取るシークエンスには興奮した。黒澤監督「天国と地獄」の特急「こだま」シーンに匹敵するものだ。
 だからこそ、小説の世界すべてを映像化しようなんて欲張らず、あくまでも犯人側の視点で事件を追いかけてほしかった。
     △

 この項続く






 すいません、前項の続きではありません。

          * * *

 3月28日(土)、「マッサン」が終わった。
 別に毎日テレビ小説を観ていたわけではない。毎週月曜日、朝日新聞ではTV小説のその週のあらすじを紹介してくれるので、必ずチェックして、土曜日のみドラマを視聴する習慣が身についた。
 また、NHKの某番組では一週間のダイジェストを見せてくれるコーナーがあって、よく利用させてもらっていた。

 だったら、毎日録画して楽しめば良いのに、と誰もが思うだろう。なぜか、それはしたくなかった。10年ほど前、クドカンの昼ドラ「吾輩は主婦である」が放送されていたときは、毎朝、ビデオの予約録画をセットするのが日課だったのだが。理由は自分でもわからない。
 前半を再編集した特番はしっかり録画して観ているので、後半もそのうちやるだろうと期待している。

 さて、最終回は15分、涙、涙だった。マッサンの老けメイクはイマイチだなあと思いながら。Sさんによると前日(ラス前)が感動的だったとか。
 そういえば年末は「ごちそうさん」と「花子とアン」の総集編一挙放送があって、どちらもしっかり頭からおしまいまでつきあった。どちらもクライマックスで大泣きだった。
 ほんと、最近、極端に涙腺が緩くなった。

 「マッサン」が始まるとき、外国(欧米)人が主演するのはテレビ小説史上初だと知って「やられた!」と思った。
 実をいうと、ある本を読んでテレビ小説の原作にぴったりだったから、ドラマ化してほしい旨NHKに手紙を書こうと考えていたのである。もしドラマ化されたら外人がメインキャストとなるのである。

 ある本とはミッキー・カーチスの自叙伝「おれと戦争と音楽と」(亜紀書房)。
 本を読んだのはずいぶん前だが、ミッキーさんのご両親の話がむちゃくちゃ面白くて、このふたりをメインに、波乱にとんだカーチス家の昭和史を描くドラマを夢想したのだ。ミッキーさんを語り部にして、現代の視点から描いたらどうだろう。それにはNHKの朝のテレビ小説が最適ではないか、と。

 テレビ小説の定番、年代記ものに音楽(ロカビリー)を取り入れたところがミソである。クライマックスでは日劇ウェスタンカーニバルの熱狂を全面に押し出したいのだが、もし時代を1970年代まで引き延ばすなら、キャロルやガロを登場させることができる。ミッキーさんがプロデューサーとして手掛けたのがキャロルやガロなのだ。
 ドラマの中に音楽が入るととても楽しくなるのは、「あまちゃん」で証明済み。

 NHKドラマ部(東京)のプロデューサーの方々、どうですか、この企画?




 紙ふうせん40周年記念イベント、「赤い鳥・紙ふうせんアマチュアコピーバンド大会」のレポートのUPが遅れてしまった。
 実は出演者のステージの写真を添えて書こうと思っていたが、当日、その許可をとらないというポカを犯してしまったのだ。
 懇親会時に一言、ブログで紹介すること、写真を添付すること、名前を記載すること、を確認すべきだったのに、完全に忘却の彼方……深く反省しています。

          * * *

2015/03/08

 「赤い鳥・紙ふうせん アマチュアコピーバンド大会 この指とまれ!」(恵比寿 天窓swich)

 「赤い鳥・紙ふうせん アマチュアコピーバンド大会」が開催される! そんなニュースを耳にしたときこう思った。ファン度が濃いバンド(グループ・個人)が出場するのではないか、隠れた名曲を披露してくれるのではないか。

 たとえば、赤い鳥の代表曲「竹田の子守唄」を歌うのであれば、カップリングとして「Come And Go With Me」を用意しているとか。しっとりと「君の友だち」を歌った後には「エーメン・コーラス」でお客さんを巻き込んでシングアウトしてしまうとか。

 もう一つの代表曲、「翼をください」を歌うのであれば、山上・村井コンビの「忘れていた朝」「窓に明かりが灯るとき」「言葉にならない言葉」をはずしてほしくない。

 そのほかにも、女性ヴォーカルなら「雨」「ちっちゃな子守唄」「河」「きままな旅」、男性ヴォーカルなら「放浪者の子守唄」「二人」「旅」「誰が鳥を」「もう一度帰ろう」「君を探して」等々。

 紙ふうせんファンなら、初期のアルバムに思い入れが強いだろうから、「みんなで歌えるまえに」「忘れていたもの」「ほほづき」「古いオルガン」「バラはあこがれ」等々……
 知る人ぞ知る「僕らいつでも陽気でいたい」もはずせない。あるいは「わが町宝塚」「日曜日」なんていうのもある。

 そんなライブを予想していたのですが……

 すいません、私がマニアック過ぎました。

 「竹田の子守唄」「翼をください」「冬が来る前に」「いかつり唄」……
 そりゃ皆さん、赤い鳥、紙ふうせんの代表曲を歌いまさぁね。
 自分のステージで歌いこんでいるわけだから、それもオリジナルを歌うふたりが目の前にいるわけだから、自信曲を披露するのは当たり前。

 隠れた名曲を披露してくれるのではないか。
 これは僕個人の願望でした。
 赤い鳥のコンサートに行ったことがない(中学3年時、ファンになったとたん解散してしまった)。
 紙ふうせんのコンサートもデビューから17年間観ることができなかった(地元太田、隣町足利には来なかったと思う。大学進学で上京したときには関西へ帰ってしまった後だった)。
 そんなわけで、今では紙ふうせんのステージでは歌われない楽曲に対して人一倍思い入れが強くなっている。
 レコード(CD)でしか聴くことができない楽曲が、生で再現される、そう思って、期待してしまったのだった。

 今回、エントリーされたのは14組、これを4つ、A~Dグループに分けて、休憩を3回挟んでの進行となった。何か、区分の意味はあるのだろうか。よくわからない。その間、休憩に意味があるのだと思う。
 各人の持ち時間は15分で、2曲もしくは3曲披露。演奏が終ると司会のSさんによる質疑応答(トーク)という流れ
 グループごとに、後藤さん、平山さんの寸評がある。

■グループA

 ①Iさん 

   虹/誰に告げようか/竹田の子守唄

 FC代表としてIさんがトップバッター。バックにすぎたじゅんじさんを従えている。プロでもいいの? ギターの先生だからいいのかな。
 他の出演者の多くが学生時代からフォークソングを弾き歌っているのに比べ、Iさんは大人になってからギターを習った、言ってみれば〈遅れてきたギター野郎〉なのである。初披露は第一回の紙ふうせんのシークレットライブ。あのときは緊張のあまり酒をがぶ飲みして本番ではメロメロになってしまったのだった。何年前になるのだろうか? ほんと、上手になったね。


 ②たかちゃんとゆ~りん

  冬が来る前に/翼をください

 女性(ギター)と男性(ベース)のデュオ。ほかの出場者と比べると少し年齢が下かもしれない。別に確認したわけではないけれど。
 福島のフォークソング協会のメンバーだという。デュオでギターとベースというのは珍しい組み合わせだなと思ったが、「冬が来る前に」の場合はこの方がぴったりくる。やはり「冬が来る前に」はベースが肝なんだ。前奏の口笛が新鮮だ。緊張でうまく鳴っていなかったのが残念。


 ③ゴリラとおばさん

  竹田の子守唄/冬が来る前に

 群馬から参戦した夫婦デュオ。群馬フォーク村のメンバーである。
 奥さんは高倉健の遺作「あなたへ」に出てくる田中裕子似。高倉健はこの映画で実際より20歳ぐらい若い主人公を演じていた。すげぇなあ。って、関係なかった。
 旦那さんは松木安太郎似の歌うアスリート。
 ハーモニカが入る「竹田の子守唄」が良い。


 ④Eさん

  紙ふうせんメドレー(ヘイ!・まつり・紙風船・いかつり唄・竹田の子守唄)

 まだ紙ふうせんが東京で活動していた時期、学生だったEさんは事務所に出入りしていた。その後、紙ふうせんのマネージャーも担当している。赤い鳥のコンサートでは、双眼鏡で後藤さんの指使いばかり見ていたという。
 たくさんの曲を歌いたいので、メドレーということで。竹田の子守唄では後藤さんのパートで歌うというマニアックぶり。
こういうステージ大好きです。
 こんなマニアックぶりを発揮するなら、ほかの出場者が歌わないナンバーをやればよかったのに。


 この項続く




2015/03/01

 「時代劇ベスト100」(春日太一/光文社新書)

 ベスト100の内訳は「これだけは押さえておきたい40本」「隠れた名作40本」「個人的な趣味で選んだ20本」。
 「七人の侍」の解説に、「決戦の日は雨だった」というナレーションがあって、クライマックスが始まると書いているが、ナレーションがあるのは予告編だけで、本編にはない。
 マスターテープが残っていないといわれるビデオ収録の時代劇が取り上げられている。「天下御免」のビデオをどこで観たのか。


2015/03/04

 「ボロを着た王子様」(村崎太郎/ポプラ社)

 素直に読めた。奥さんの手による私小説なんかより、真っ先にこういう自伝を書けばよかったのだ。といっても「太郎が恋をする頃には……」があったからこそ、本書執筆につながったのだろうから、一概に否定できないのだが。


2015/03/13

 「64」(横山秀夫/文藝春秋)

 映画化されると知ってあわてて借りてきた。
 書名の〈64〉とは未解決の女児誘拐殺人事件事件のことで、D警察ではこの事件を符丁を使って〈ロクヨン〉と呼ぶ。昭和64年に発生した事件だから。
 基本プロットだけを抜き出すと、劇場型捜査で話題を呼んだ「犯人に告ぐ」(雫井脩介/双葉社)によく似ている。しかし、大詰めでわかる犯人探索の方法、あんなことが本当に可能なのだろうか?
 
 映画で主人公を演じるのは佐藤浩市。本人自身原作を読んで出演を熱望していたという。小説を読むとわかるが本来ならミスキャストなのだ。いわゆる二枚目だと、家出した一人娘の悩みや葛藤は何なのだということになってしまう。まあ、そこらへんは映画化にあたってアレンジされるのだろう。

 映画は2部作として来年(16年)公開されるが、その前にこの4月からNHKでドラマ化(全5回)される。主演はピエール瀧。こちらの方がらしいかもしれない。本来、40代のころの六平直政や渡辺哲みたいな俳優こそがふさわしいのだから。


2015/03/15

 「大人の落語評論」(稲田和浩/彩流社)

 ネットは落語評論(レビュー)であふれている。こんなに落語ファンがいるのかと驚いたものだ。2ちゃんねるでは、落語評論する人たちを攻撃するスレッドがあるのだから呆れてしまう。


2015/03/20

 「カウントダウン」(佐々木譲/毎日新聞社)

 警察小説の一つだと思って読み始めたら、財政破綻した北海道の都市を舞台に、6選を狙う市長と、市長のでたらめな政策をゆるすまじと立候補する若手市議との選挙戦を描いたものだった。この都市は夕張をモデルにしているのだろうが、小説の中には夕張市及び関係者も登場する。
 小林信彦「夢の砦」の主人公は小林信彦、勤めている会社は宝石社、編集している雑誌はヒッチコックマガジンをモデルにしているが、小説の中にはヒッチコックマガジンの編集長として中原弓彦もでてくるようなもの。小説世界のリアリティを生むやり方だ。


2015/03/22

 「橋はかかる」(村崎太郎・栗原美和子/ポプラ社)

 「太郎が恋をする頃には……」がホップだとすれば、「ボロを着た王子様」はステップ、本書はジャンプということになる。


2015/03/25

 「我が愛と青春のたけし軍団」(ガダルカナルタカ・たけし軍団/双葉社)

 書名に偽りなし。
 フライデー襲撃事件とたけしのバイク事故の顛末、詳細を知りたくて読んだ。襲撃事件でわからなかったのは、なぜたけしは軍団を連れてフライデー編集部を襲ったのかということ。最初は話し合いのつもりだったのだ。それが、ボタンのかけちがいで暴力沙汰になり、あのような報道になってしまった。
 バイク事故については、本人も言っているように自殺・のようなものだったと思う。以前、どこかに書いたが、本当ならあれでたけしは死んでいた。


2015/03/27

 「つなわたり」(小林信彦/文藝春秋)

 「ビートルズの優しい夜」や「袋小路の休日」の短編群につらなる世界を、70年代前半(小林信彦が立て続けに芥川賞の候補になった、「仁義なき戦い」が大ヒットした等)の風俗、料理のうんちく、フェティシズムをちりばめて構築している。
 雑誌掲載時より面白く(興味深く)読めたが、前作「流される」のような読了後の充実感はなかった。あっけないエンディングに「これで終わりなの?」。性体験に臆病な四十男に感情移入できなかったからだと思う。

 主人公の友人であるシナリオライターって、モデルは山崎忠昭で、TVアニメは「ムーミン」、映画の方は「長靴をはいた猫」がイメージされているのだろう。




 前項の続き

 平成ガメラシリーズが映画ファン、特撮ファンに衝撃を与えていたとき、その功績は樋口特技監督のものと考えられていた。緻密なミニチュアワーク、人間の視線を導入したカメラワーク、確かにリアルな特撮ワールドを具現化、ヴィジュアル化させたのは樋口特技監督の功績だ。
 しかし、それだけでは映画は面白くないことを、映画においてシナリオや演出がどれだけ重要な位置を占めるのか、その後の樋口監督作品がわからせてくれた。

 映画「進撃の巨人」で中島哲也監督が降板、樋口真嗣監督に交代したと知ったときは複雑な気持ちだった。

          * * *
     ▽
2005/03/05

 「ローレライ」(109シネマズ)

 「亡国のイージス」の映画化を断念した樋口監督が代替作として福井晴敏に依頼したのが潜水艦をフィーチャーした海洋冒険物語だった。樋口監督は「日本沈没」を観て以来潜水艦にとても思い入れがあると聞いたことがある。気鋭の小説家はペラ50枚のシノプシスを完成させた。それを基に書き上げた小説が「終戦のローレライ」であり、シナリオ化され映像化されたのが「ローレライ」である。「終戦のローレライ」の映画化作品が「ローレライ」とするのは少々語弊があるかもしれない。

 小説は最初から危機また危機の連続で、潜水艦対米軍潜水艦、潜水艦対米軍機、潜水艦対米軍艦隊といった派手なアクションが全編にわたって展開する。ハリウッドでも映像化はむずかしいだろうと思わせるシーンのオンパレードだった。平成ガメラシリーズのビジュアルで特撮ファンを驚愕させた樋口監督といえどもいかんともしがたい、華々しく打ち上げられた映画化の企画は結局途中でポシャるのだろう、そう考えていたら、フジテレビと東宝が提携して正式に発表された。狂喜乱舞した。日本映画が新たなフェースに突入するのではないかという予感。最初のシノプシスから樋口監督が映画としてどう料理するか。期待はそこにあった。

 1945年8月。ドイツは連合軍に降伏を宣言、日本も広島に原爆が落とされ刻一刻と敗戦が迫っていた。そんな最中、特攻を認めず軍の中で冷や飯を食わされていた絹見(役所広司)に朝倉大佐(堤真一)から直々に指令が下った。独軍から接収した潜水艦〈伊507〉でテニアン島へ向かえ。そして再度日本本土を狙う原爆投下を阻止せよ、と。

 伊507はまるで四方に目があるかのように海中を自由自在に動き回る。連合軍はその圧倒的な戦闘能力を誇る潜水艦を〈魔女/ローレライ〉と呼んで恐れていた。その秘密は搭載しているローレライシステムにあるのだが、システムの詳細については今回の作戦のために乗り込んだ軍属技師・高須(石黒賢)以外誰も知る者がいない。
 絹見の補佐として先任将校の木崎(柳葉敏郎)のほか、機関長・岩村(小野武彦)、軍医長・時岡(國村隼)、掌砲長・田口(ピエール瀧)の面々が乗り込んでいる。

 ベテラン勢の中にまだ十代の若い兵士の顔も見えた。折笠(妻夫木聡)と清水(佐藤隆太)だ。二人は人間魚雷・回転特別攻撃隊からの転属組で伊507に積載している小型潜航艇の操舵手としての任務があった。この小型潜航艇〈N式潜〉にローレライシステムが搭載されていること、そのシステムが日本人の顔を持つドイツ人少女パウラ(香椎由宇)たった一人の超能力で稼動することなど知る由もない。

 折笠の故郷・長崎で2発めの原爆が炸裂した。
 果たして伊507は待ち受ける敵連合軍艦隊の防衛網を突破し東京を狙う3発めの原爆投下を阻止することができるのか。伊507と乗組員たちの孤独な戦いが切って落とされた。朝倉大佐の真の目的も知らず……

 さすが樋口監督、ビジュアル的には文句なしの映像が冒頭から目白押しだった。猛スピードで海上を進む潜水艦を初めて見た気がする。小学生時代に「青の6号」「サブマリン707」のマンガに親しんだ者なら伊507が手前に進んでくるカットにワクワクしてしまう。初めて「キングコングの逆襲」を観た時の感動といったらいいか。いかにもCGといった画もあるが、それはそれ、昔の円谷特技監督の特撮シーンでピアノ線が見えても見なかったことにしていた特技が僕にはあるのだ。とにかく堂々とした絵面(ショット、カメラワーク)に感心した。

 キャスティングも役所広司、妻夫木聡と少々うんざりしないでもないが適役であることに間違いない。意外な阿川佐和子の配役も光る。
 死者にムチ打つ気なぞ毛頭ないけれど、特殊技術を用いる映画がどういうものか、故那須監督に観てもらいたかった。

 映像には興奮したけれど、ドラマがイマイチ、イマニだったのが残念だ。潜水艦内部のドラマにハラハラドキドキできなかった。すでに小説で読んでいるということもあるが、描写があまりにおざなりすぎる。内部の反乱、朝倉大佐の真意が明かされるツイストは先に「3発めの原爆投下を阻止せよ」と指令がくだされては意味がないのではないか。せめて潜水艦内部の様子をリアルに描写してほしかった。乗組員の生活や機械の稼動状況だとか。

 清水が元野球選手だったという設定で、いつも手にしている硬球が何の伏線になっているのかと期待していたら、N式潜の分離の際の絶体絶命の緊急事態に直結することになる。それはいいとして、落とした玉を拾う際、どのように機械に挟まったのかが描かれていないので切迫感が全然ない。単なるマヌケ。彼を犠牲にして分離を決断する艦長の態度も特攻を認めない心情に反するものになるし、このエピソードは?がいくつも並んでしまった。
 木崎が自分の身を犠牲にして艦を救うシーンも小説の方が数段上だった気がする。

 小説ではまったく気にならなかったパウラの容貌も実際にスクリーンで拝見するとそのあまりの日本人っぽさが鼻につく。祖母が日本人だったとするともっとドイツ人の血が濃くなっていても不思議ではない、なんて。
 原爆を積んだ爆撃機が伊507の機転で辛くも撃墜されるが、あの状態では原爆も一緒に爆発しないのだろうか? 次のカットで海底深く沈んでいく原爆を見せるのだけど。あるいはまた情報が遮断された艦内で原爆という名称を乗組員たちが知る立場にあったのかどうか。素人考えの素朴な疑問。

 小説の主要人物の一人だったフリッツ(パウラの兄)を削除したのは映画の達見だろう。演じる役者がいなかったという消極的な理由を耳にしたが、いかにもなアニメキャラだったから仕方ない。主人公と反目する敵役がいなくなって、ドラマ作りに影響を与えたかもしれないが、それは高須あたりが受け持つべきなのだ。そこらへんもうまく活用できなかった。(パウラだって似たような存在なのだが、彼女こそこの映画の核だから、アニメ嫌いの人はこの映画は絶対受け付けないかもしれない。)

 もうひとつ感心したことがある。
 映画の主題歌にヘイリーが歌う「モーツァルトの子守唄」をもってきたことで、クライマックスが容易に想像できた。小説の原爆投下を阻止したイ507が敵艦隊の猛攻撃を受けて沈んでいくくだり、その最期はまさに〈映画〉だった。当然映画化の際はそのラストにヘイリーの歌をバックにその模様が忠実に映像として再現されるのだろう、絶対泣けるシーンになるものなあと確信していた。ところが実際の映画は「作戦終了、伊507は直ちに帰途につく」の艦長の言葉とともにシーンが切り替わり、現代に飛んでしまう。舞台はハワイになって、そこで記者(上川隆也)が米軍艦隊の生き証人に取材している。
 ここに樋口監督の小説に対する映画の意地を見た。完成度とは別に、あくまでも個人的にではあるがこの作劇を評価したい。
     △

     ▽
2006/08/20

 「日本沈没」(有楽座)

 樋口真嗣監督が「日本沈没」をリメイクすると聞いて大いに納得した。樋口監督は旧作「日本沈没」の深海潜水艇〈わだつみ〉の特撮シーンに多大な感銘(影響)を受け、特技監督として「ガメラⅢ 邪神〈イリス〉覚醒」では見事な海底探索シーンを撮っているし、実質的な監督デビュー作では潜水艦の海洋冒険映画「ローレライ」を取り上げたほどなのだから。

 にもかかわらず、なぜかリメイク版「日本沈没」に食指が動かなかった。
 森谷司郎監督の「日本沈没」が公開されたのは1973年の暮だった。正月映画として大ヒット、当時の世相にマッチして大ブームを呼んだ。

 ワイドショーにゲスト出演した特技監督の中野昭慶が司会者に「先生、先生」と呼ばれてまんざらでもない表情して質問に応えている姿や人気のバラエティ番組「うわさのチャンネル」でレギュラーのデストロイヤーが番組の冒頭で「日本チン○コ」と叫んで、和田アキ子に張り倒されていたことを思い出す。

 映画化の前に原作である小松左京のSF小説「日本沈没」のベストセラーがあるのだが、すでに活字好き、SF好きであったにもかかわらず、当時は読もうとする気持ちは全然起きなかった。ただ、映画化が発表されてからというもの、俄然興味がわいた。お子様映画に堕したゴジラ映画では観ることができない重厚な特撮シーンが目当てだった。

 中学3年になる春休み、地元の映画館にやってくると一目散に駆けつけた。特撮はもちろんドラマそのものにも感銘を受けて一週間後にもう一度観たほどだ。
 そんな思い入れの強い映画のリメイクに何を期待しろというのか。
 「ローレライ」は映像的には大いに興奮させてもらったものの、ドラマは期待はずれに終わった。同じことが「日本沈没」にも言えるのではないかと思ったことが一つ。

 二つ目は主演が草彅剛だったこと。旧作で藤岡弘が演じた〈わだつみ〉操艇者・小野寺役と聞いて気持ちが萎えた。いや、決して草彅剛を誹謗するわけではない。SMAPの中でも俳優として着実に力をつけているし、キムタクなんかより主演作品は残る気がする。しかし、藤岡弘と比較するとあまりに線が細すぎる。だいたいこの手の映画に向いている俳優ではないと思うのだ。いしだあゆみが演じた恋人役の玲子役の柴咲コウにはちょっとくるものがあったけれど。

 公開されて、まず聞こえてきた感想はかなり反応がよいものだった。その後は否定的なものばかり。その過程でリメイク版は原作と違ったラストが用意されていること、冒頭から日本の沈没が既定事実になっていること、実は日本は沈没しないこと、といった情報が伝わってきた。

 これはいったいどいうことだろう? まあ、日本が完全に沈没しないというのは、逆にリアリティがあっていいのでは、なんてわりとのん気に、今風の迫力あるヴィジュアルが楽しめればいいやくらいの気持ちでリニューアルしてニューシネマ東宝から有楽座と名称を変更した劇場に足を運んだわけだけれど。

 ストーリーは大幅な改変が施されている。
 40年後日本が海底に沈むというアメリカの研究発表に異を唱えるのが田所博士(豊川悦司)。彼自身の調査によれば1年後には異変が起きるのである。
 旧作では全編において日本国民の海外避難に全力を注ぎ活躍する山本首相(石坂浩二)が映画が始まってすぐにあっけなく事故死、後を引き継ぐのが管理危機担当の鷹森大臣(大地真央)だ。田所とは元夫婦という間柄。
 田所の研究に協力する小野寺の役柄はそのままだが、玲子はハイパーレスキュー隊員という設定で、ふたりは大地震で両親を失った少女(福田麻由子)を通じて知り合う。玲子は阪神大震災で両親を亡くしている。

 驚愕したのは後半。遅々として進まない国民の海外避難に業を煮やした鷹森が田所に助けを求めると、日本を救う方法が一つだけあると。それが日本海溝のプレートを爆破で寸断して沈没を止めさせるというもの。
 大臣の奮闘努力の末、世界各国の協力をあおぎ、あっというまに日本海溝に爆破システムを設置する。あとは海溝から突き出たノズルに爆弾を投下させればいい。ここで〈わだつみ〉が活躍することになる。田所に心酔する、小野寺の同僚・結城(及川光博)が挑戦するが失敗して命を落とす。それまでイギリスへの移住を切望していた小野寺だったが、玲子の助言等もあって心変わりし旧式の〈わだつみ〉に乗り込む。旧式は本来海溝の深さまで潜れないのだが、小野寺のふんばりで持ちこたえ爆弾の投下に成功。完全なる沈没の危機から救う。小野寺の自己犠牲によって日本は最悪の状況から脱するのであった。

 樋口監督の潜水艦への思い入れは相当なものがある。小松左京の原作を使って、潜水艇が活躍する英雄譚に仕上げてしまったのだから。
 「ガメラⅢ 邪神〈イリス〉覚醒」の海底探索シーンの素晴らしいところはビデオ映像の活用にあった。普通なら擬似海底にミニチュアの潜水艇を吊って撮影するところだが、潜水艇のビデオカメラから撮られた画像がモニターに映しだされる、そんな映像で構成されていたところが斬新で非常にリアリティを感じた。今回も同じ手法を応用して臨場感を増している。そこらへんのテクニックは天晴れだ。

 そのほか火山の爆発、都市の崩壊、地割れ(道路を自動車が走って行き、地割れに飲み込まれるカットは最高ではないか!)等々、VFXはもちろん、その他のシークエンスでもカメラワークは文句ない。常に堂々としていて的確だ。
 しかし、前作「ローレライ」がそうだったように、惹きつけられるのは映像だけ。肝心のドラマがちっとも盛り上がらない。

 小松左京の「日本沈没」が原作と謳いながら、原作の〈核〉の部分をないがしろにしている。百歩譲って、それもよしとしよう。しかし、新たに創られたドラマは、その展開、人物造形、描写、感情の発露等々、すべてにおいて薄っぺらい。シナリオをそれほど重要視していない印象を受ける。評価できるのは、旧作ではまったく無視された、未曾有の大惨事に巻き込まれる庶民(玲子の伯母家族)の視点を導入したこと。

 噂に聞いていたレスキュー隊員らしからぬ玲子のヘアスタイル(何とストレートにすると髪の長さが背中まであった)、交通が遮断されている(と思われる)日本で、何の説明もなしに各地に現れる小野寺の行動経路、実際にこの目で見てやはりおかしい。ほかにもいろいろと指摘したい箇所はある。
 何より情けなかったのが、クライマックスに突入する直前の小野寺と玲子の別れ、抱擁シーンだ。死を決意して潜水艇に乗り込もうと、ヘリで現地に飛び立とうとする小野寺のところにバイクを飛ばしてきた玲子が駆け寄る。主題歌が大げさに鳴り出したかと思ったら、ふたりの動きがスローモーションとなって、しっかりと抱き締め合う……。

 唖然! 呆然! 椅子からすべり落ちそうになった。まるで出来の悪い韓流ドラマじゃないか。
 日本を沈没から救う方法も、素人が考えても眉唾もので、仮に可能だとしても、そんなことしたら地球の構造に異変をきたすのではないかと思えてならない。柳田理科雄がすぐにでも著作のネタに取り入れそうな気がする。
 映画なんだからと大ぼらを許したとしても、あまりに短期間でセットされてしまうのが嘘っぽい。映画の大きな嘘は小さな真実の積み重ねで成り立つものだろう。だいたい、自己犠牲によって危機を回避させる、そこに感動を呼ばせる作劇は「宇宙戦艦ヤマト」の頃から大嫌いだった。

 愛する者を守るために敵と戦う(困難に立ち向かう)というテーマは、特撮ヒーロー番組の定番だ。何を今さらという気がしないでもないが、普遍的なテーマであることは間違いない。ならば、どう物語るか、どう描くかが重要で、これまでにない感動、感銘を与えて欲しかった。シナリオや演出がうまければ自然と主人公たちに感情移入してしまうのだろうが。「平成ガメラ」シリーズの金子修介監督の演出力を改めて考えてしまう。
 旧作で山本首相を好演した丹波哲郎が、玲子の祖父役で写真の中にに登場していてニヤニヤしてしまった。

 【蛇足&推測】

 内容はともかく、「ローレライ」「日本沈没」とVFXをメインとした大作映画をヒットさせた樋口監督はヒットメーカーとして、業界内で引く手あまたになるのだろう。両作とも東宝系ということもあって、近い将来ゴジラの復活が発表された際には監督にオファーされること間違いない?

 VFXといえば、ハリウッドばりの映像をものにするのが山崎貴監督。2作目の「リターナー」のあまりの学生自主映画のノリに怒り心頭だったが、3作目「ALWAYS 三丁目の夕日」で数々の映画賞を受賞した。ということは樋口監督も3作目に期待すべきなのだろうか。山崎監督とは逆にオリジナルで勝負したら……。
     △

     ▽
2008/05/16

 「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」(MOVIX川口) 

 舞台は、もう何でもありのもうひとつの戦国時代。かつて夢中になった「仮面の忍者赤影」の世界を彷彿させるパラレルワールド。クラシカルな近未来というべきか。

 小国・アキヅキが隣国・ヤマナに侵攻された。圧倒的な軍勢の前にアキヅキ城は陥落。世継ぎの雪姫が連れ去られた。ヤマナの侍大将・タカヤマキョーブの策略による。アキヅキが隠し持っている莫大な軍資金の在処を聞き出すため、軍資金がアキヅキの同盟国・ハヤカワに渡ることを恐れてのことだ。
 金堀り師のタケゾーとシンパチは、穴掘りの腕を買われてロクロータという野伏せりに雇われる。喉を傷めてしゃべれることができない小柄な弟をつれていた。ヤマナの難攻不落の要塞に忍び込み、拉致されている雪姫を救出するという。軍資金を山分けできると聞いてタケゾーたちは協力するのだが、要塞に忍び込むことも苦労の連続。その過程で、当初反目しあっていた弟と友情を深めていく。危機また危機を乗り越え、ついに雪姫が監禁されているところまでたどり着く。すべてはタカヤマキョーブの罠だった。捕らえた姫が偽者であること、ロクロータの弟が真の雪姫であることを当初から知っていたのだ。そして、また、過去に自分に恥辱を味あわせた(アキヅキの侍大将)ロクロータへの復讐のために。
 絶対絶命!
 が、雪姫の正体を知ったタケゾーの活躍はここから始まるのだ。実はタケゾーには本人も知らない不思議な力を持っていた……。

 というのは、僕の妄想だけど、「THE LAST PRINCESS」をメインタイトルにするなら、こんなマンガチックな冒険活劇映画が考えられるなと思った。時代考証なんてほとんど無視。それこそ「スター・ウォーズ」を下敷きにしたような。
 傑作時代劇のリメイクではなく、リボーン(REBORN/再生)を謳うなら、そのくらいの大胆さがなければ。
 だいたい、長澤まさみの男装姿をもっと見せてくれ! それでこそリボーン、もとい、リボンの騎士ではないか!

 つまらない冗談はともかく。
 冒頭で萎えてしまった。秋月、山名、早川の三国の位置と関係について、ナレーションが地図と文字を使って懇切丁寧に説明してくれるのだ。
 オリジナルにはナレーションも字幕もない。開巻すぐに衝撃的なショットがあって、なだれ込むようにアクションへ続く。この間、何の状況説明もない。登場人物の台詞で想像するだけだ。
 やがて百姓二人が秋月の隠し砦で金を見つけて、持ち主である真壁六郎太につかまってしまう。殺されてはかなわないと、山名の兵に捕まらずに秋月から早川への脱出するアイディアを六郎太に披露する。小枝を使って地面に三国の領地を書いて紋章を記しながら口頭で説明するのだが、これで三国の位置関係から敵対状況、脱出方法が(観客に)わかる仕組みになっている。初めて「隠し砦の三悪人」を(ビデオで)観たとき、なんて巧い展開なんだと思ったものである。

 それをこのリボーン版では、冒頭で重々しく解説する。だったら、劇中の説明シーンがないのかというと、これまたしっかりある。スタッフはこのシーンだけでは観客にわかりづらいと判断したのだろうか。観客はどんどん想像力をなくし、そんな客を相手にスタッフはお手軽、安易な作品を作る……。

 前半はオリジナルのストーリーを基に構成されているのだが、リボーンを気取って、旧作の、ピンチを切り抜けるエピソードに新しい解釈、展開をもってくる。これが、思わず膝を打つような、得心できる内容なら拍手喝采だが、ことごとく逆だから情けない。関所の大将がホモだったというのは笑えた。しかし、あっさり長澤まさみ扮する雪姫(この時点では真壁六郎太の弟)が女だということがわからせてしまったのはもったいない。男のふりをした雪姫と、そうとは知らない武蔵(松本潤)や新八(宮川大輔)のドラマがいくらでも作れるのに。

 長澤まさみの男装姿はかなり萌える。にもかかわらず、敵に捕らわれると、普通の着物姿(お姫様)になってしまうのだ。六郎太より先に馬を駆って、敵を追い詰める離れ技を見せるほどなのに、着物姿だとなぜか普通の女の子になってしまうのはどういうわけだ。

 長澤まさみ以外も、阿部寛の真壁六郎太、宮川大輔の新八、松本潤の武蔵(髭がなければ……)。
 キャスティングはいいのに、シナリオが全然練られていないのが残念だ。前半は、旧作をいじくっただけ、後半(オリジナル)は小手先で書いただけという印象。この手の映画に必要不可欠な伏線なんてまるでない。危機を知らせる小鳥を武蔵は腰にぶら下げた籠に飼っているが、金堀りの現場から逃亡する途中、新八ともども山の急斜面を転げ落ちるシーンでは、小鳥の安否を気遣う心がない。小鳥はその後全然登場せず、すっかり忘れかけたころに出てきて、「あっ、そういえばいたんだっけ」。もっと活用してくれよ。

 後半、舞台になる山名の砦では、武蔵と雪姫が逃げる際に、突然外部に通じるエレベーターらしき乗り物がでてくる。ご都合主義。映画の基本を忘れている。
 「そんな馬鹿な!」と本当にスクリーンに向かって叫んでしまったのが、大爆発を起こした砦から六郎太(と新八)が馬に乗って颯爽と現れるショット。どこをどうすればお前ら助かるんだ! そりゃ確かにそこだけ切り取れば素晴らしい画なのだが。
 最近この手の展開を「映画だから許される嘘」と勘違いしている輩が多すぎる。大嘘つくなら、その前に小さなリアルを蓄積してくれ。

 樋口監督、やはりヴィジュアルの人なのだ。ドラマが描けない。細部に何のこだわりを見せない。特技監督のときとはえらい違いだ。〈日本のエメリッヒ〉に真実味が帯びてきた。せめて、過去の名作・傑作の冠&ジャニーズ人気に頼るのはやめてくれ。「日本沈没」でもこの映画でも、リメイク(リボーンなら、尚更のこと)に対して根本的な考え違いがあるような気がする。

 ほとんど文句ばかりだが、評価できることがキャスティングや雪姫の男装のほかに二つある。
 一つは、武蔵と新八の歯を汚したこと。オリジナルの太平(千秋実)と又七(藤原釜足)は台詞では「歯糞云々」言っているが二人とも白くてきれいだった。アップになったとき、気にはなったのだが、歯まではメイクできないのだと納得した次第。

 もう一つは、面白いかどうか別にして後半の舞台を敵の(建設中の)砦にしたこと。オリジナルを最初に観たときにタイトルの意味がわからなかった。太平、又七が六郎太と出会う場所が、秋月の隠し砦なのだが、映画のストーリーはこの砦を後にしてからの方がメインなのだ。だから、「スター・ウォーズ」のデススターよろしく、敵の砦で活躍する三悪人を描くことでタイトルの違和感をなくした、と勝手に推測している。まあ、オリジナルにしろ、リメイク、いやリボーンにしろ、なぜ3人が悪人なのだという疑問があるのだが。
     △



 東宝でゴジラの新作を製作とのニュースが流れたときは、その真意がはかりかねた。
 ローランド・エメリッヒ監督版「GODZILLA」公開のあと、東宝はゴジラの新作に着手したが、その理由ははっきりしていた。エメリッヒ版「GODZILLA」の評判が極端に悪かったためだ。映画のラストはいかにも続編がありそうな作りだったが、結局見送られた。

 しかし、ギャレス・エドワーズ監督版「GODZILLA」公開直後では話は違ってくる。日本国内では賛否両論だったとはいえ、世界的には大ヒットを記録し、早々に続編製作も決定しているのだ。
 ゴジラはハリウッドで莫大な興行収益を狙えるキャラクターになってしまった。キャラクターを貸すだけで東宝には金が入ってくるのである。どこに東宝がつけ入る隙があるというのだろうか。いくら巨額な製作費を投入といっても、日本映画ではたかが知れている。一番の売りであるヴィジュアル(特撮)では雲泥の差ができてしまう。

 まあ、エドワーズ版「GODZILLA」は東宝チャンピオンまつり版ゴジラをハリウッドでリメイクしたものと思えなくもないから、もし東宝が製作するのなら、第1作を意識した非常に重厚でシリアスな内容にすれば、対抗できるかもしれない。とにかくシナリオに知恵を絞らなければなるまい。

 監督は誰になるのか? 下馬評では山崎貴か樋口真嗣のどちらかだと噂されていた。東宝のことだから会社への貢献度がものをいう。だったら「永遠の0」「STAND BY ME ドラえもん」「寄生獣」と立て続けに大ヒットを放っている山崎監督になるのではと勝手に想像していた。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の冒頭では、オールCGでゴジラの東京タワー破壊を描いていたことだし。

 1日、ネットニュースに、脚本・総監督に庵野秀明、監督に樋口真嗣が決まったとあった。樋口監督の「進撃の巨人」の公開はこれからだが、たぶん特撮の出来が良いのであろう。

 樋口真嗣の起用が庵野秀明とセットになって発表されたことが興味深い。樋口監督の画作りには非凡なものがあって、他の追随を許さないが、ドラマ作りとなると、目を覆いたくなるほどの出来になってしまう。「ローレライ」「日本沈没」「隠し砦の三悪人THE LAST PRINCESS」と劇場に足を運んでの率直な感想である。
 特技監督としては優秀ではあるものの、監督としての技量は?というのが、関係者の評価なのではあるまいか。

 「のぼうの城」は犬童一心との共同監督であるが、会社(プロデューサー)が樋口監督に求めたのは特技監督の腕だったのではないかと推察している。「進撃の巨人」実写映画化が発表されたときは、樋口監督とともにシナリオに町山智浩が指名されている(渡辺雄介と共同)。このとき樋口監督のお目付役のような印象を受けたのだが、今回のシナリオ・総監督庵野秀明にも同様な役割が感じられるのである。

 とにかく、怪獣映画への造詣、技術を考慮すれば、このコンビが新作ゴジラの指揮をとることは納得できる。実をいうと「日本沈没」のレビューで樋口監督が新作ゴジラの監督をやることを予測していたのである。
 本音をいうと、金子修介監督とコンビを組んでもらいたい(シナリオは伊藤和典!)のだが、それは無理というものだろう。

     ▽
 【蛇足&推測】

 内容はともかく、「ローレライ」「日本沈没」とVFXをメインとした大作映画をヒットさせた樋口監督はヒットメーカーとして、業界内で引く手あまたになるのだろう。両作とも東宝系ということもあって、近い将来ゴジラの復活が発表された際には監督にオファーされること間違いない?

 VFXといえば、ハリウッドばりの映像をものにするのが山崎貴監督。2作目の「リターナー」のあまりの学生自主映画のノリに怒り心頭だったが、3作目「ALWAYS 三丁目の夕日」で数々の映画賞を受賞した。ということは樋口監督も3作目に期待すべきなのだろうか。山崎監督とは逆にオリジナルで勝負したら……。
     △

 不安なのは、エドワーズ監督版「GODZILLA」以上の、巨大なゴジラだという書き込み。怪獣は巨大だからいいというものでもないのだが。

 新作ゴジラは来年(16年)夏の公開だという。

2015/03/24

 承前

●大野真澄

  学生街の喫茶店/ワンパイントのラム酒に乾杯/君の誕生日

 出演者の皆さん、平山さん以外は皆カジュアルな衣装の中、一人スーツ姿。ボルサリーノ(かどうか知らないが)の帽子が決まっていた。
 ガロという名称は「学生街の喫茶店」を歌うフォークグループで認識したのだったか、それとも漫画雑誌だったか。
 だいたいガロにはどんな意味があるのか。名づけ親はタイガースのマネージャー、「我朗」からきているのか。タイガース再結成に尽力したあのマネージャーがガロの世話役だったとは。

 「学生街の喫茶店」は大好きだったが、歌番組に出ている彼らを見るたびに思っていたことがある。なぜボーカルは歌だけなのか、どうしてほかの二人みたいにギターを弾かないのか。ヴィジュアルを重視していたのかもしれない。一人になってからはギターを弾くのだから。
 歌詞にでてくるボブ・ディラン、大野さんはビートルズにならないかとかけあったらしい。速攻で却下されたとか。
「ボブ・ディランだから良かったんだよ」と小室さんと清水さん。大野さんもうなづいていた。
 作詞は山上路夫さん、「岬めぐり」「翼をください」に引き続きこの曲もか!

 昨年マークが亡くなって本当に一人になってしまったこと。実は病床のマークとガロ再結成の話をしていたという。
「もう一人誰か入れてね」
 しかし、マークは回復せずそのまま逝ってしまった……


●西島三重子

  池上線/心のふるさと~富士山/うぬぼれワルツ

 デビュー当時の面影しかイメージにないので、ステージに登場したご本人にちょっとした違和感(まあ、後藤さんだって、「冬が来る前に」のヒット当時しか知らない人にとっては同様かもしれないが)。
 ポチャとしてジーンズにセーター(だったと思う)姿で、ギターも持っていないから、なんかカラオケにやってきた近所の主婦といった印象(ごめんさない……言い訳させていただくと、私、痩せているよりぽっちゃりしている女性の方が好みです)。歌(声)を聴いて納得した。

 西島さんの住まいが御殿場だということで、トークでは山梨在住の清水さんとの富士山論争が勃発した。静岡県側または山梨県側、どちら側から富士山を見る方が美しいのか? 富士山といえば御殿場、御殿場といえば富士山。切っても切れない関係だ。すかさず清水さんが反論する、「お札の富士山の絵は山梨側からの構図だから」
 あとは喧喧囂囂、侃侃諤諤。
 最後は「一緒にコラボできれば」という西島さんの提案に清水さんがニッコリして和平協定が結ばれるのだが。

 「うぬぼれワルツ」は木の実ナナさんに作った曲だそうだ。作詞家から電話でできた詩を聞いてノートに書き写しているときにもうメロディーが浮かんだという。「あわててラジカセを用意して吹き込みました」


●ばんばひろふみ

  「いちご白書」をもう一度/北山杉/SACHIKO

 ばんばんは昔とイメージが変わらない。
 『「いちご白書」をもう一度』で映画「いちご白書」を知ったが、いまだに本編を観たことがない。アメリカン・ニューシネマの一つだから自分の中では「卒業」の姉妹編的な位置づけがされている。この曲で観た気になってしまっているのかもしれない。
 シングルのB面が「冷たい雨」。ハイ・ファイ・セットが歌うのはもっとあとだったっけ?
 「卒業写真」はユーミンがハイ・ファイ・セットのデビューシングル用に書き下ろしたものだが、自分のアルバムでカヴァーして、いつのまにか「卒業写真」=ユーミンという世間一般の認識になってしまった(個人的は山本潤子さんの歌唱の方が好きなのだが)。『「いちご白書」をもう一度』は今でもバンバンの曲である。男の歌ということでユーミンがセルフカヴァーしていないからだと思う。
 「髪を切ったとき」というフレーズに70年代という時代が凝縮されていて、世代の共感を得たんだよねと小室さん。

 「SACHIKO」の間奏時に事件は起きた。
 ばんばんがマイクを離れて、バックと一緒にギターを弾いていたのだが、あるところであわててマイクに戻ってきて歌いだした。少し演奏とずれた感じがしたものの、何事もないように歌い終えた。
 間髪入れず小室さんが声をかける。
「どうしたの? ばんばん」
 恥ずかしそうにばんばんが答える。
「いや、打ち合わせでいつもより間奏を短くしたのに、コロッと忘れてしまって」
 会場大爆笑。
「じゃあ、もう一回歌ってもらおうか。皆さん、初めて聴く感じでお願いしますね」
 会場大拍手。

 4人+1組が歌い終わると、オープニングと同様にギターを抱えた小室さんと清水さんが登場して、ソデにはけていた出演者たちを呼ぶ。
 全員が横一列に並んだ。後藤さんもギターを抱えている。すぎたさんもバックでサポートだ。

 フィナーレその1は、全員で「風に吹かれて」の合唱。


  How many roads must a man walk down
  Before you call him a man ?
  How many seas must a white dove sail
  Before she sleeps in the sand ?

  Yes,'n' how many times must the cannon balls fly
  Yes,'n' how many times must the cannon balls fly

  The answer my friend is blowin' in the wind
  The answer my friend is blowin' in the wind


 1番は英語で、2番は日本語で、最後はまた英語で、日本語の歌詞、歌唱はどこかやぼったい。
 後藤さんのギターの弾き方が一種独特だった。自分の顔のあたりまでギターを持ち上げ、通常より縦にした形で、スタンドマイクに近づけて弾いていた。小室さんが歌い終わってからこの弾き方に反応した。
「昔、よくやったよねぇ、この弾き方」
 自分もギターを持ち上げて同じパフォーマンス。

 フィナーレその2は、「生きるチカラ」の大合唱。
 3番までしっかり歌い上げて、6人は舞台ソデに消えていった。

 ステージには小室さんと清水さんの二人。
 小室さんが続ける。
「決まりきったことは好きじゃない。このまま、終わりにさせません。もう一度、みんなで『生きるチカラ』の3番を歌いましょう」
 6人がまたステージに登場。あれっ平山さん、私服に着替えている。
 3番を歌って6人はまたソデに消えていった。
 小室さん、まだ納得されていない様子。
「もう一度、みんなで『生きるチカラ』の3番を歌いましょう」
 スタッフがまた皆を呼びに行く。遅れて登場した後藤さんはもうジャンパーを羽織って完全に帰り支度だ。
「後藤さん、クルマですか?」
 小室さんが訊ねると、後藤さんが「電車ですよ」。
「そうですか」小室さんが納得。この会話、どんな意味があるのだろうか。

 清水さんと平山さんがきちんと歌って終了。今度こそ本当のフィナーレ。

 と思ったら、まだ続きがあった。
 番組をダラダラと始めてしまった二人がシュンとなっている。 
 小室さんが説明する。
「やはり、オープニングにタイトルコールが必要なんですって。ですから、オープニングをもう一度撮り直します」
「皆さん、あくまでも初めてのフリをしておつきあいください」
 清水さんが続く。
「誰にも言わないでね。って、誰かブログに書くんだろうなあ」
 ピンポーン! 私が書いちゃいました。
 放送ではどんな風に編集されているか楽しみです。

 3時間にわたる収録が終わり、外に出た。
 あっというまの3時間だったような気がする。楽しくてしばらく充実感に浸っていた。

 帰りも徒歩を選択、Kさんと二人で駅に向かって歩き出した。
 しばらくすると、スタッフのワゴン車が止まった。SHOW園の関係者らしい。若い運転手が顔を出す。
「番組の観覧の方?」
「そうです」
「どこまで行くんですか?」
「河口湖駅まで」
「だったら乗ってください」
 18時のバスを予約していた女性グループを駅まで送るので、ついでということだった。
 スタッフの親切に感謝です。ありがとうございました。

 19時10分発の高速バスにはまだまだ時間がある。
 ということで駅前の定食屋でビールで乾杯!
                                    
 放送は5月4日(月)18時30分から。
 なお、第一弾(秋編)は前日3日(日)に再放送されるとのことです。




fujisanyugata
夕方の富士山




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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