今週になってまた忙しくなった。27日に自動車免許の更新で有休をとったのが影響している。毎日残業でその疲れが今日一気にきた。
 そんなわけで本当は仕事が残っているのだが、定時で退社しました。
 「さばの湯、談四楼独演会」があれば直行したのだけど、昨日なんだもん、行けっこないよ。

 ブログが更新できないときの、困ったときの……いや、いや、そんなことないですよ~!

 忘備録。
 先週日曜日の神保町古本まつりの成果。
 「歌麿さま参る」(光瀬龍/ハヤカワ文庫)
 「たそがれに還る」(光瀬龍/ハヤカワ文庫)

     * * *

2000/12/15

 「2001年映画の旅 ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200」(小林信彦/文藝春秋)  

 週刊文春に小林信彦個人の作業による20世紀の洋画、邦画それぞれベスト100が発表された時、切り抜きするかどうか迷った。「人生は五十一から」の単行本に収録されるかどうか、それが心配だったのだ。(ちなみに「藤山寛美とその時代」と「横山やすし天才伝説」は毎週切り抜きして悦に入っていた)  

 ところが2000年の暮れも押し迫った頃、ベスト100の記事およびそれに関係する「人生は五十一から」のコラム2本、過去の映画コラムを収録した本がでるとは。それも書名が「2001年映画の旅」だなんて。文藝春秋も商売がうまい。表紙が小林信彦にとって黒澤映画ベスト1の「野良犬」のイラスト(小林泰彦)というのもうれしい。  

 だいたい一人で20世紀の映画のベスト100なんて選出できない。自分の趣味で選ぶのならまだしも、相対的な評価を鑑みなければいけないのだからそういう鑑識眼を要求される。小林信彦でなければできない仕事だろう。
 
 邦画ベスト100を眺めて小林信彦が市川崑をあまり評価していないのがわかる。市川作品は「炎上」しか入っていない。
 知りたいのは〈笑い〉のオーソリティである小林信彦が市川作品のコメディセンスをどう評価しているかについて。市川監督はその昔「プーサン」「足にさわった女」とかコメディっぽい作品を撮っているのだ。
 それから「犬神家の一族」以降の金田一耕助シリーズについてどう思っているのか。別に〈否〉であっても僕の市川監督ファンは変わらないけれど。

 本書で感激したのは第2部の〈極私的クロニクル〉の映画コラムの数々だ。いくつかはかつて読んだ小林信彦本からの再録であるものの、ほとんどは初めて目にするものばかり。
 〈十七歳の映画ノート 1948~9〉が貴重である。マルクスブラザース、ギターを持った渡り鳥、ウディ・アレン、ミュージカル映画等々、書き下ろしのクリント・イーストウッド論まである。  
 20世紀最後の素敵なクリスマスプレゼントだった。


2001/03/11

 「天才伝説 横山やすし」(小林信彦/文春文庫)  

 小林信彦の本は単行本(ハードカバー)が出たら、内容にかかわらずすぐに購入する。これは大学生時代から続いている慣習で、ある時期からは古書店ですでに絶版になっている過去の著作も買い求め、ほとんど買い揃えた。どうしても手に入らないものは図書館から借りたりしているので、初期の著作以外はほとんど目をとおしているといっていい。  
「小林信彦文庫ができるね」と狭い部屋で暮らす妻子に揶揄される所以である。
 
 まあ、それはいいとして、頭を悩ませるのは単行本が文庫化された時のこと。すでに購入した本なのだから無視してもいいはずなのに、熱狂的な小林信彦ファンとしてはほっとけない。コラム、エッセイの類だと文庫のためのオリジナル等、追加項目があったり、そうでなくても〈文庫のためのあとがき〉やその後に続く解説が気になる。  

 最近、同時期に小林信彦の単行本が文庫化された。一つは新潮文庫「結婚恐怖」、もう一つが本書「天才伝説横山やすし」だ。  
 本書の解説を担当した森卓也は古くからの小林信彦の友人でアニメーション、国内外のコメディへの造詣が深い。そんな人の小林信彦論、横山やすし論、本書評価を読みたいのは当然で、さっそく購入した次第。

 瞠目したのは森卓也が本書を私小説であると指摘している点。  
 小林信彦の純文学系列の作品は主人公が世間に相容れずいつも苦渋にみちているところが共通している。
 「袋小路の休日」「ビートルズの優しい夜」の短編集などを読んでいるとその思い、あるいは他者に対する冷ややかで辛辣な観察等がこちらに伝わってきて、やりきれなくなってしまうことが多い(その感覚に浸りたくて読んでしまうのだが)。
 本書も横山やすしをあくまでも自分とのかかわりをとおして冷静に距離をおきながら客観的に描写する。時に称え、時に嫌悪する姿勢は、昔から変わっていない。はっきりしているのは横山やすしの芸や人間性を語りながら、同時に自分自身をしっかり刻んでいることである。  

 この指摘で「藤山寛美とその時代」以後の小林作品の方向性を確信した。  
 今、小林信彦は「月刊文藝春秋」に「テレビの黄金時代」を連載している。かつてキネマ旬報社から発行したクレージーキャッツと「シャボン玉ホリデー」を特集した雑誌と同タイトルのこのエッセイも自身とTVのかかわりあいを軸にした一種の私小説なのかもしれない。


2001/06/15

 「出会いがしらのハッピー・デイズ」(小林信彦/文藝春秋)  

 週刊文春連載の「人生は五十一から」の単行本化第3弾。  
 第2弾は「最良の日、最悪の日」そして今度は「出会いがしらのハッピー・デイズ」。書名は収録されているコラムのタイトルから発想されたとおぼしい。  

 小林信彦は今を悪い時代と書くが、僕が知る限り小林信彦にとって70年代以降はいい時代なんてなかったはずである。コラムではいつだって現在を嘆き、不満を述べ、そんな中で愛しい書籍、映画、TV番組などに出会った喜びを綴っている。  
 「地獄の観光船」(「コラムは踊る」)ではTVバラエティ「見ごろ食べごろ笑いごろ」の伊東四郎と小松正夫のコンビを絶賛し、映画「オールザッツジャズ」にしびれていた。  
 本書でいえば1年に映画を1本しか観ない人にお薦めしているクリント・イーストウッド監督・主演「スペースカウボーイ」に出会えたこと、古今亭志ん朝の高座に通う喜びなどが書かれていて、そんなところが出会いがしらのハッピーデイズなのだろう。  

 毎週木曜日は文春の日とばかりに通勤時電車に乗る前に「週刊文春」を購入し、電車の中で「人生は五十一から」を読む。それが木曜日早朝の楽しみといっていい。僕にとってのハッピーモーニングである。  

 毎週読んでいるにもかかわらず、こうして一冊にまとまってから読むと忘れていることもけっこう多い。
 たとえば前著「最良の日、最悪の日」では宮部みゆきの「蒲生邸事件」について語った文章におめにかかって、そこで、そうだ!小林信彦も書いていたんだと思い知ることになる。あらためて読んでいる最中、自分の感想と比較して緊張してしまう。
 本書でいえば「評伝黒澤明」を紹介した部分。

 もっとも適任な人が、こまかいデータにもとづいて、冷静に〈等身大の黒澤明〉を描いたすぐれた伝記である。  

 と書いている。その他指摘することなどやっぱりそうだろ!というようなことが多く小林信彦も同じ感想を抱いたことをうれしく思う。というか、この文章が意識下にあって本を読んでいたのかもしれない。  
 現代恥語ノートの言葉はすぐ僕の頭にインプットされる。そのくらい小林信彦の影響はすごいのである。
 あとがきに「2001年映画の旅」が出たら、阿佐ヶ谷の某名画座で小林信彦が選んだ邦画ベスト100が順番に上映されたことが書かれている。知っていたら絶対足を運んでいた。  
 最近よく思うことだが、小林信彦のコラム、エッセイ全集を企画する出版社はないのだろうか。


2001/06/27

 「小説世界のロビンソン」(小林信彦/新潮文庫)  

 小林信彦が「小説探検」(文庫本「読書中毒」)の前に書いた体験的〈小説の読み方〉論。「小説探検」が現在入手しやすい作品(僕自身が読んでいる)について短く書いているのに比べ、本書は自身の読書体験史と重ねあわせて小説を語り、今では読めない小説も多く登場するうえに各章が長めの文章になっているので一度読んだきりになっていた。  
 「小説探検」の各コラムを拾い読みするうち、もう一度「小説世界のロビンソン」を読まなければいけないと思っていたところに古書店で発見、さっそく購入した。  

 子ども時代の冒険小説の楽しさに始まり、夏目漱石の「我輩は猫である」にこだわり、探偵小説・推理小説の話になる。この探偵小説の解説が面白い。「本陣殺人事件」「不連続殺人事件」がどうしても読みたくなる。その感覚は「ラブイユーズ」「富士に立つ影」の紹介、解説で頂点に達する。とにかく小林信彦は小説の紹介がとてつもなくうまい(もちろん映画の紹介もうまいのだが)。これは芸ですね。
 
 笑ってしまった、というか納得できたのが第三十一章のいわゆる〈純文学とエンタテインメント〉をめぐって。大衆は松本清張と三島由紀夫をならべて読む、と書いているのだが、まさしく大学時代、僕は松本清張と三島由紀夫の小説をかわるがわるに読んでいたのである。
 
 思えばSF小説の傑作「火星人ゴーホーム」を教えてくれたのは本書だった。ヴォネガット、ブローティガン、アーヴィングの世界ももっと早く知っておくべきだった。
 「小説探検」は読めば読むほど新しい発見がある。本書も再読してみて忘れていることが多いことを痛感した。覚えていたのは最後のメイキング・オブ・「ぼくたちの好きな戦争」だけなのだから。  

 こういうプロの読み手による読書案内本がなぜ話題にならないのか(ならなかったのか)不思議でたまらない。この文庫もすでに絶版になっているのだ。


2001/10/15

 「ドリームハウス」(小林信彦/新潮文庫)  

 後に「ムーン・リバーの向こう側」「怪物がめざめる夜」と続く東京3部作の第1作。  
 初老の文筆家が母親の遺した都内の土地に一戸建を建てるために悪戦苦闘するブラックコメディで、離婚経験のある主人公が歳の離れた恋人の要望を聞きながら、好みの内装に仕立て上げる。
 母親が部屋の一部を貸していた借人とのトラブルや建築に関する法律に右往左往したりした末にやっと完成した家が大雨による崖の土砂崩れで崩壊しそうになったりと主人公がついてないことおびただしい。やっと平安をとりもどしたかに思えたラストでは主人公の死、そして家が恋人のものになってしまうことを暗示させる。なんとも苦々しい幕切れだ。  

 当然単行本発売時(92年)には真っ先に購入して読んでいる。小林信彦の小説群の中でそれほどのものではないな、という印象があった。  
 その後、作者自身のインタビュー、エッセイあるいは書評などを読むと、かなりこの小説に思い入れがあるらしいことがわかった。そうなると自分の読み方が悪かったのか、何か読み落としていたものがあるのか、気になって仕方なかった。  
 これまで読み返すこともせず、かといって無視するわけにもいかず、機会あれば再読しようと思っていたところに古書店で文庫本が目に入った。  

 これもある種の悪女ものなのだろうか。すべて女の仕組んだものでそこにまんまと主人公がはまり、最後はすべてを悟って遺言を残そうと思ったのか。そういう意味ではミステリといえなくもない。別に謎解きはなく読者に想像させるだけなのだが。作者が好きな谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」の影響もあるような。  
 一番の驚きはかなりハードなセックス描写で、「世界で一番熱い島」以降この手の描写が増えた。作者がさかんに評価している斎藤綾子の影響だろうか。




スポンサーサイト
2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 承前

 赤い鳥の再結成。
 10年前に聞いたのなら歓喜しただろう。
 しかし、2007年に開催された「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」で、もう再結成はないと確信していた。
 今度は村井さんのイベントだから特別だとは思う。思うけれど、時期が悪かった。昨年、山本潤子さんが無期限の休養に入った。声の不調が理由である。直後、山本俊彦さんが急死した。もう二度とオリジナルメンバーが揃うことがなくなったのだ。

 そんな状況下でどのように赤い鳥が再結成されるというのか。
 紙ふうせんのふたりは出演するとして、潤子さんはどうなるのか? 休養中とはいえ、村井さんの古希のお祝いだからむげに断れず特別出演という形になるのだろうか。
 大川さんは? 一時在籍していた村上ポンタさん、渡辺さんは?

 「ALFA MUSIC LIVE」開催の告知が解禁になったとき、目当ては赤い鳥しかなかった。荒井由実もティンパンアレイもキャラメルママも全くのアウト・オブ・眼中。

 当時、赤い鳥とアルファ(ミュージック)の関係を深く考えたことはなかった。ジャケットには必ず〈アルファ&アソシエイツ〉の明記があって、何だろうと思ってはいたが、やがて村井邦彦が経営する原盤制作会社だと知ることになる。
 〈スタジオA〉も東芝EMIのレコーディングスタジオだと思っていた。東芝のスタジオは順番にA、B、Cとあるのだと。

 すぐに原渕さんに電話した。ライブに出演する赤い鳥のメンバーは紙ふうせんのほか誰がいるのか? そもそも例の赤い鳥再結成の番組はどうなったのか? 
 結局、潤子さんは出演しないことがわかった。

 WOWOWで録画中継されると知って、〈生で観たい!〉意気込みは消えてしまった。チケット発売日、朝から地元のシネコンで映画鑑賞してしまい、帰宅したのはお昼過ぎ。一応念のためにチケット確認のためにいくつか電話してみたらすべて完売だった。当たり前だ。

 コンサートが近づくにつれて、やはり生で観たい気持ちが強くなってきた。かといって、ヤオフクその他で定価以上の金額でチケットを手に入れたくない。
 まあ、音楽の神様の思し召しで運よく1日目を鑑賞できることになったことはすでに記した。

 前説が長くなった。
 コンサートのMCはジョン・カビラ。あくまでも影ナレ(録音?)でプレゼンターを紹介する。プレゼンターがステージ(幕前)に登場して、出演者を紹介、幕が上がって、本人の演奏、歌唱という構成だ。

 この項続く




 プロローグより続く。

     ◇

2015/09/27

 「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamuraオーチャードホール)

 もし赤い鳥のファンにならなければ、アルファミュージック、アルファレコードには無縁な音楽人生を送っていたに違いない。
 ライブの出演者たちの名前を眺めながらそう思った。

 中学2年のときに赤い鳥のファンになった。最初に買ったアルバムは「ゴールデンディスク」で、続いて「ミリオン・ピープル」。
 聴いているうちに〈後藤悦治郎の世界〉に惹かれていった。
 当時はフォークの大ブーム。友人たちは1年のときに音楽の授業用に購入したガットギターとは別に、フォークギターを自分で買い、六文銭や岡林信康を弾き歌いはじめた。僕はこの波に乗れず、ギター小僧になれなかったが、それでも「紙風船」は弾けたのだから、どれだけこの曲が好きだったかわかるだろう。

 赤い鳥が解散して、後藤さんと平山さんが結成した紙ふうせんを応援したのは当然の流れだ。シングル「いかつり唄/ヘイ!」はパスしてしまったが(当時、シングルレコードはレコードと思っていなかった)、ファーストアルバム「またふたりになったね」はリリースされるとすぐに買った。この傑作アルバムは、今から思えばまるでアルファらしくなかった。プロデューサーには村井邦彦さんのほかに川添象郎氏もクレジットされているのが、らしくない。
 世界のフォルクローレを特集したセカンドアルバム「愛と自由を」(とシングル)をリリースしてアルファから離脱したのは、これまた当然だった。

 赤い鳥解散後、初めて紙ふうせんの歌う姿を見たのはフジテレビ「ミュージック・フェア」だった。平山さんがピアノを弾かないのは残念だったが、思ったとおりの演奏、歌唱といえる。

 山本夫妻+大川さんのハイ・ファイ・セットも、紙ふうせんほどではないものの、興味はあった。ハイ・ファイ・セットも初めて見たのは「ミュージック・フェア」だった。
 山本さんのギター、大川さんのベース(+アルファ)をバックに潤子さんは歌うのだろうか? なんて考えていたら、登場したのは、楽器を手放し、おしゃれなファッションに身を包んだ3人だった。それもステップを踏みながら歌うのだ。赤い鳥を知っている者としてはショッキングな光景だった。これでファーストアルバムを買うのをやめたのだ。「フィッシュ&チップス」はいい曲だったのに。
 
 自分の趣味嗜好として、おしゃれな、きれいきれいな楽曲は好みではない。いい歌だな、いい曲だな、と思ってもそれ以上の、レコードを買おうとかライブを観ようという気にまでならない。
 荒井(松任谷)由実やハイ・ファイ・セットはまさにその路線なのである。
 アルファのアーティストにはわりと多くて、あくまでもTVやラジオを通してでしか楽曲を聴いたことないから詳しくは知らないということになる。
 今回の出演者の中で、アルバムを持っているのは、紙ふうせんとシーナ&ロケットだけ。この2組、アルファの中では異端ではないか?

 まあ、それはともかく、今回のライブがあることを知ったのは1月だった。シネマDEりんりんの新年会で知り合ったジャーナリストの原渕勝仁さんが教えてくれたのだ。
 原渕さんは「ショーケンという孤独」を企画、実際にショーケンに密着してカメラを回した。この日、原淵さんとずっとショーケンの話をしていた。
 終わりごろになって、持っていた紙ふうせんリサイタル(東京)のフライヤーをとりだして「こんな音楽も好きなんです」と渡した。原渕さんの表情が変わった。
 原渕さんが興味を示したことに驚いた。
 実は原渕さん、赤い鳥のファンだったという。「セカンドアルバムを擦り切れるまで聞いたんだ」
 そんな個人的な話に始まって、なぜ紙ふうせんに興味を示したか説明してくれた。
「今年、村井邦彦さんの古希を祝うイベントがあるんだけど、そのとき赤い鳥を再結成させて、番組を作ろうという企画があるんだ」
 赤い鳥の再結成?!

 この項続く




 昨日(23日・金曜日)で、どうにか忙しさから解放された。
 仕事はまだプロジェクト(なんて大げさなものではないが)が終わったわけではないが、とりあえず、一段落、あとは11月に持ち越された。

 「まぐま vol.20」手塚治虫特集号の原稿(版下データ、プリントアウト見本)も昨日昼休みに郵送した。
 本当は、10月上旬には納品できる段取りだったのだ。原稿(及び版下)はほぼ出来上がっていたが、推敲にまるで手をつけられなかった。今週になってやり始めた。早めに原稿を書いていてよかった、よかった。

 「手塚治虫本を読む 1989-2015」
 「瞳の中の訪問者 漫画と映画のあいだに」
 「どろろ 漫画と映画のあいだに」
 ほか、2本のコラム。


 完全に書き忘れていた映画の感想を。

 2015/09/12

 「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」(MOVIX川口)

 もう何年も前からハリウッド映画に中国が欠かせない状況になっている。
 「ゼロ・グラビティ」で宇宙のゴミをだしたのはロシアであるが、宇宙開発の先進国がそんなことするわけがない。本当なら後進国の中国だろう。でも、そんなことしたら、中国人は観なくなる。大きな中国市場を失ってしまう。であるから、設定を変えた。劇中でヒロインを救うのも中国の宇宙船だ。
 「トランスフォーマー」第5弾も中国企業の宣伝が大手をふるって映画が異常に長い。観ていて意味がわからないショットもあった。
 ハリウッド映画では、これまで中国の協力(設定や資金)が必要だったが、この映画ではついに製作の一員になった。冒頭のクレジットについにここまで来たか、と思った次第で。
 ヒロインを演じたレベッカ・ファーガソンに胸キュン。


 で、昨晩は、神保町ブックカフェ二十世紀で二井康雄さんの「編集よもやま話Vol.4」。ゲストは立川キウイ師匠。落語と編集をテーマに二井さんの質問に真面目に要領よく答えていた。今回参加した落語に詳しくないお客さんのキウイ評は上々。

 キウイさんが会場にやってきて、テーブルでしばらく二井さんと打ち合わせしていた。お店の方がお客さん一人ひとりに会費及びイベント後の懇親会費の徴収をおこなっていて、当然のようにキウイさんにも声をかけた。つまりキウイさんをゲストとは認識していなかった……なんてこと、キウイさんの名誉のため書けるわけがない。
 1時間のトークショーのあと、そのまま懇親会へ様変わり。大いに盛り上がった。

 22時に終了。今回はこれで終わりかなと思ったら、やはり2次会があっていつも行っている中華料理店へ。23時過ぎにお開きとなった。


 この3週間の購入本。

 「パパは神様じゃゃない」(小林信彦/角川文庫)
 「虫プロ興亡記 安仁明太の青春」(山本暎一/新潮社)
 「別冊映画秘法 初代ゴジラ研究読本」(洋泉社)
 「別冊映画秘法 特撮秘宝 vol.2」(洋泉社)
 「最新恐竜映画画報」(別冊映画秘宝編集部+STUDIO28 編/洋泉社)
 「万年前座 僕と師匠・談志の16年」(立川キウイ/新潮社)

 ブックカフェ二十世紀には小林信彦本が揃っている。小林信彦コーナーには「エルヴィスが死んだ」「笑殺の美学」の単行本がある。「エルヴィスが死んだ」は5,000円。
 また、階下の@ワンダーの小林信彦コーナーには角川文庫の「「冬の神話」「監禁」が……。


hensyuyomoyamabanashi4
vol.1、2はトークショーが終わると近くの中華店で2次会だった。
今回は、同じ会場でそのまま懇親会になったので、中華店コースは
ないなと思ったら、3次会で伺いました




 まだ忙しい。
 本当は、こういう中途半端な感想は掲載したくないけれど、仕方ない。
 落ち着いたら書き込みするかも……しないか。

     ◇

2015/09/01

 「鉄腕アトムの歌が聞こえる」(橋本一郎/少年画報社)

 詳細は「まぐま Vol.20」手塚治虫特集号を。


2015/09/05

 「踊る昭和歌謡 ―リズムからみる大衆音楽」(輪島裕介/NHK出版新書)

 この著者の音楽本を読むのは2冊目。面白い。


2015/09/09

 「若いってすばらしい ―夢は両手にいっぱい宮川泰の音楽物語」(宮川泰/産経新聞出版)

 昭和30年代から40年代にかけての歌謡曲といったら、ザ・ピーナッツ。ピーナッツといったら宮川泰。泰は〈やすし〉ではなく〈ひろし〉と読む。漢字って難しい。

2015/09/15

 「手塚治虫小説集」(手塚治虫/ちくま文庫)

  これも詳細は「まぐま Vol.20」手塚治虫特集号に。


2015/09/16

 『「大人の歌謡曲」公式ガイドブック』(富澤一誠/言視舎)

 著者は、業界に入った当初、フォークソングを基準に、アーティスト、歌手をこちら側の人、あちら側の人と区分していたという。フォークシンガーといったって、限りなく歌謡曲に近い歌もあったし、その逆もあったりで、一概に断定はできないような気がするのだが。


2015/09/19

 「私の記憶が消えないうちに デコ 最後の上海バンスキング」(吉田日出子/講談社)

 病気が先天性のものではなく、ある事故が原因だったとは……ショック。


2015/09/27

 「語ろう! 555・剣・響鬼」(レッカ社/カイゼン)

 取材相手は、井上伸一郎(プロデューサー)、二ノ宮知子(漫画家)、鈴村健一(声優)、虚淵玄(シナリオライター)、森次晃嗣(俳優)、半田健人(俳優・歌手)、會川昇(脚本家)、高寺成紀(プロデューサー)、白倉伸一郎(プロデューサー)、井上敏樹(脚本家)。


2015/09/28

 「同期生 りぼんが生んだ漫画家三人が語る45年」(一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光/集英社新書)

 取材・構成・文は寺田薫という方。




 すいません、ライブのレポートではありません。

          * * *

2015/10/15

 「立川談四楼独演会 第202回」(北澤八幡宮 参集殿)

 毎年誕生日には下北沢で「談四楼独演会」が開催される。いや別に談四楼師匠が僕の誕生日を祝って開催しているわけではなですよ。偶数月の15日は恒例の落語会というわけで。
 過去3年間は引きこもっていたので、56歳になった今年は4年ぶりということになる。

 朗読家の桑原さんから連絡があった。久しく師匠の落語会に足を運んでいないので、行きたいと、でも、一人だと場所がわからないので、一緒に行きませんかと。桑原さんは自身の朗読会に何度か師匠をゲストに呼んでいる。最初のときは僕も会を手伝った。

 18時40分、下北沢駅南口の改札で待ち合わせ。
 受付をすませ中に入ると、師匠の一席めが始まっていた。


   立川仮面女子  ?
   立川笑坊     ?
   立川だん子    ?
   立川談四楼  「天狗裁き」

     〈仲入り〉

   なかじままり  モノマネ
   立川談四楼  「お見立て」


 最初に座った入口近くの席(座布団?)の隣が書評家の杉江松恋さんだった。僕が長期休暇に入っている間にこの会の常連になっていた。また師匠の落語会のプロデュースまで手掛けている御仁。名前を知ったのは小林信彦の「紳士同盟」が集英社文庫で復刊されたとき。巻末の解説の一つを書いていたのだ。このときは松恋を〈しょうれん〉」とん読んでいた。ずいぶん経ってから〈まつこい〉と読むと知った。で、ピンときた。もしかしたら…… もしかしたら、まつこいって、「明日に別れの接吻を」を書いたアメリカの作家(ホレス・マッコイ)のマッコイのもじりなのではないか? アーサー・マッケンのもじりが朝松健のように。
 それが訊きたくて訊きたくて会場で姿を拝見するたびに声をかけたいのだが、きっかけがなくていつも断念している。今日はいいチャンスだったのだが結局声をかけられなかった。仲入りで席を移動してしまったので。僕自身、桑原さんを連れていつものところに移動したこともある。

 それはともかく、一人おいて斜め前の男性が「天狗裁き」に大受けしていた。というか、今日は会場全体が大受けだった。面白いんだけどさ。
「夫婦って何?」「友だちって何?」「大家と店子の関係って何?」
 何度聞いても笑ってしまう。
 江戸裁判所、エド・サリバンショーのくだりはオチの前からニヤニヤしてしまう。
 で、その大受けの男性の顔に見覚えがある。誰だっけ?

 2席めはどうしても「幕末太陽伝」のラストがダブってしまって、お大尽の顔が市村俊幸に見えてきてしかたない。花魁の顔は左幸子にも南田洋子にも浮かんでこないのに。考えてみれば、この花魁の性格がとんでもない。
 花魁と大尽の間で右往左往する若い衆が「らくだ」の屑屋のようで……

 ゲストはなかじままりさん。フジテレビのモノマネ番組で姿を見かけなくなって久しい。最近はYouTubeで視聴して楽しんでいる。デフォルメしすぎのモノマネにいつも大笑いしている。伊藤咲子と岸田今日子が大好きで。
 今日のステージもとんでもないテンションだった。大盛り上がり。なんとアンコールが合唱されたほど。

 なかじままりさんと親交のある俳優さんたち、映画関係者(監督、プロデューサー)が客席にいて、ファンの方も大勢いてその盛り上がり方がすごかった。
 なかじままりさんの七変化も見ものだった。短い時間にどうやって着替えているのか。楽屋も見たかったなぁ。

 懇親会で判明するのだが、「天狗裁き」で大笑いしていた男性は俳優さんだった。そりゃどこかで見た顔ですよ。クレジットではどう読んでいいかわからない名前の方。「ゴジラ FINAL WARS」で国木田少将を演じていました。
 懇親会でその方の隣にいたのが、東映版「花と蛇」「花と蛇2」で、まったくタイプの違うSMショーのMCを演じた俳優さん。その美声がたまらなく素敵だったことで名前を覚えた。
 そんな方たちになかじままりさんが加わって、そりゃ会話に熱が入りますって!




2000/04/19

 「おかしな男 渥美清」(小林信彦/新潮社)

 藤山寛美が亡くなられて、小林信彦が週刊文春に短気集中連載という形で「藤山寛美とその時代」を書いた時から、氏に対して次は「渥美清とその時代」を書いて欲しいと願ったものだった。

 次に連載されたのは「横山やすし天才伝説」だったが、単行本としてまとまった2冊を並べてみると、かつて「日本の喜劇人」を上梓し絶賛を浴びた喜劇見巧者による「日本の喜劇人」第2部の作業を着々と進めているという感慨があった。

 あくまでも自分とかかわりがあった範囲内、自分自身が見聞した記憶の中で一世を風靡した人気者・喜劇役者の側面を語っていく。独特の、感情におぼれることのない、対象者と一定の距離をおく冷めた筆致で藤山寛美、植木等、横山やすし、伊東四朗の評伝を書いた著者として、必ずや「渥美清」を書くだろうと確信した。

 渥美清は小林信彦にとって藤山寛美、横山やすし以上に若い頃は親交があったということを「日本の喜劇人」やこれまでのコラムの数々で知っていたし、何より渥美清が逝去してから、寅さんのイメージと結びつけただけの一連の追悼本・回想本とは一線を画す、渥美清の芸の本質に迫ったものができると信じていた。

 数年前、小林信彦がカメラマン荒木経惟と対談したあるTV番組で「最近渥美清について調べている」と発言していて、いよいよ連載を開始するのかと喜んだ。
 藤山寛美、横山やすしに続いて週刊文春の連載するのか、はたまた書き下ろしなのか。かなりアンテナを張ったつもりだが、それ以後、何の情報も伝わってこなかった。

 昨年の春、某月刊小説誌で爆笑問題と小林信彦が対談し、新潮社が発行しているPR誌「波」に「おかしな男 ―ぼくの渥美清ノート」を連載しているのを知った。
 これには驚くと同時に歓喜して、もういてもたってもいられなくなった。
 図書館で「波」のバックナンバーをあたろうとしたら、購入していないという。新潮社に電話して連載開始の号から取り寄せよせられないかと訊いたら、見事に断られた。とにかく、書店で最新号を手に入れ、実際に連載されているのを確認し喜びを新たにして、一冊にまとまるまで待とうと思った。
 仕事で日本橋に出て、丸善に寄った際、新刊コーナーに本書を見つけた時の感激は何と表現したらいいかわからない。

 僕にとって渥美清は最初からコメディアンではなく、どこかおもしろい役者という存在だった。
 毎週日曜日の夜に放映されていた「泣いてたまるか」は渥美自身が歌う主題歌とともに大好きだった(隔週で青島幸男と主役を交替していたが、どうも青島幸男の回は印象にない)。

 「泣いてたまるか」に関しては、今でも忘れられないエピソードがある。1つはサブタイトルが確か「禁じられた遊び」というもので、かつて戦場で九死に一生を得た渥美清たち数人の大人たちがその戦争体験を忘れられなくてある大きな広場に集まってはおもちゃの銃を使って戦争ごっこを繰り広げる話。イエペスのギターで有名な名画「禁じられた遊び」を知らなかった当時の僕は「禁じられた遊び」とは大の大人たちがする戦争ごっこのこととそれからかなりの間信じていた。

 もう1つは、ある殺人事件を犯した男(渥美清)が裁判で無実を勝ち取れそうになる(死刑にならずにすむ)のに、結局、自ら殺意があったことを証言して死刑が確定するというまことに暗い話。このエピソード自体「泣いてたまるか」だったかどうか、僕の記憶もあやしいのだが、ラストに見せる渥美清の表情がとても印象深かったのだけは憶えている。

 そんなわけで、物心がついた頃から渥美清は好きな役者だった(もしかすると子ども番組に出演する俳優、タレント以外で初めてその名を憶えた人かもしれない)ので、彼が主演するTVドラマには知っている限りチャンネルを合わせたような気がする。本書でもフジテレビが主演ドラマを連作していたと記述されているが、確かに記憶が合致するのだ。

 しかし、どうゆうわけかTVドラマの「男はつらいよ」は全く記憶にない。後年、映画が大ヒットして、その存在を知り、長らく幻の番組だった。渥美清が亡くなり、追悼番組としてフジテレビに唯一保存されている第一回と最終回を放映されたのを観たが、やはり初めて観るものだった。

 渥美清が映画「男はつらいよ」だけに専念するようになってからは、ほとんどTVで活躍を見ることはなくなった。渥美清のファンといっても、僕は映画館に足を運んでまで「男をつらいよ」を観ようとは思わなかったし、一時期まで「男はつらいよ」を無視していたところもある。他の山田監督作品や松竹作品へのゲスト出演で彼の演技に触れ、それだけで満足していた。

 「定本日本の喜劇人」の渥美清に関する文章を読んだ時、渥美清にはかつて役者の側面の他に「夢であいましょう」で見せたという達者なエンタテイナーとしてのモダンな芸も併せ持っていたということを知って驚いた。浅草の軽演劇出身なのだから当たり前といえばそれまでだが。

 物真似もうまく、自身が尊敬する森繁久弥はもちろん、仲間内には小林信彦の真似さえしたというから驚きだ。「日本の喜劇人」の中でも書かれ、本書でも紹介されているジェリー藤尾の真似〈各人がチキン・バスケットを受けとって、ジェリーのだけ、チキンが一本足りなかったとき〉のジェリーの凄むまねが抱腹絶倒だったとあるが、そのおかしさは文章だけでも十分理解できる。
 マスコミによる"渥美清バッシング"があったというのも信じられなかった。極端な個人主義、つきあいの悪さが原因らしい。

 本書でも当時のバッシングの有様について2章が費やされている。週刊文春の芸人ベストテン選出時の演劇評論家、芸能記者の横暴は「プロの世界でもそういうことがありうるのか」と怒り以上に不思議な気持ちがした。
 伴淳三郎による渥美イジメが別の章でかなり詳細に書かれている。伴淳がTV局の公衆電話から知り合いの芸能記者に渥美清の悪口を語る姿はかなり異様だし、ショックだ。僕の伴淳に対するイメージが崩れてしまった。

 昨年読んだ「藝人という生き方そして死に方」(矢野誠一/日本経済新聞社)には渥美清が初日に芝居等を観に行くのはマスコミに対して勉強熱心さを知らせる自己PRとの指摘があり、初めて聞く思いだったが、本書はそれについて"悪意ある文章"だとして全くの誤り、曲解だと否定している。

 前半は著者の体験から見た渥美清の"人となり"が事細かに書かれている。確かな記憶力にもとづく著者言うところのポルトレエは思っていたとおり数多く出版されている渥美清の評伝本を色褪せたものにする。
 渥美清と伴淳の関係もそうだが昭和30年代、40年代における芸人たちの人間模様が興味深かった。渥美清がインテリコンプレックスだったというのが面白い。

 圧巻だったのは中盤の「男はつらいよ」についての的確な分析、評価である。テレビ版の企画、制作、放映、ラストに対する視聴者の反応。それに続く松竹による映画化。映画の中で渥美が披露するギャグを一つひとつ詳細に紹介してくれるのがうれしい。これが勉強になるのだ。
 「見巧者」の章で二人が交わす映画についての会話も見逃せない。話題にでてきた映画がたまらなく観たくなる。

 〈国民映画〉の不意の喪失による映画会社・松竹の危機を、渥美は―当然のことながら―見抜いていたのだ、と著者は書く。
 その後の松竹を見ていると、いやその崩れ方を見ると、何やら恐ろしい気さえする。一人の役者の死が映画会社にこれほどの影響をあたえたのは、最初でおそらく最後だろう。(360ページ)   
 まったくそのとおりで、渥美亡き後、追悼の意味で山田監督自らが「男がつらいよ」第1作にオマージュをささげた「虹をつかむ男」のくだらなさ、およそ映画に似合わないCG処理を施して再生させた「男はつらいよ ハイビスカスの花 特別編」の異様さ(何も特別編を作る必要なんてないではないか。浅丘ルリ子のリリーシリーズ3本立てのほうがありがたい。昔松竹がよくやっていたプログラムだ)がその表れの一つだと僕自身は思っている。

 「男がつらいよ」のシリーズがギネスブックに載るほど継続していたのは結局のところ会社側だけの都合だったわけで、それは以前から指摘されていたことだが、本社や撮影所売却のニュースはそれが実証されたことによる。

 小林信彦ファン、渥美清ファンの僕としてはこれからも繰り返し本書を読むことになるだろう。  
 小林信彦の芸人評伝はこれで完結だろうか。できればもうひとつコント55号、萩本欽一について同じ手法で書いて欲しいのだが……。


2000/05/13

 「読書中毒 ブックレシピ61」(小林信彦/文春文庫)

 タイトルだけだと椎名誠か目黒考二の著作のような感じがする。
 かつて本の雑誌社から出た「小説探検」と週刊文春に連載されていた「読書日記」のうち、「本は寝ころんで」「〈超〉読書法」に収録されていない最終回までの部分の二部構成になっている。
 「小説探検」のままでもよかった気もするが、読書日記の内容がタイトルに偽りがあるので改題したのだろうか。

 単行本「小説探検」は今でもよく読んでいる。「本の雑誌」に連載されていたコラムをまとめたもので、連載時はこれが読みたくて毎月小林信彦のページだけ立ち読みしていたほど。(ちなみに「小説探検」に収録された以降も連載は続いていたはずで、それらはいつまとめられるのだろうか?)

 〈小説をいかに語るか〉およびそれを〈いかに読みとるか〉の分析という趣旨でかかれた同書は「コラム」シリーズ同様、読書好き、ミステリ好きである僕のバイブルみたいな存在で繰り返し読んでいる。各編が短くまとめられているので、朝のトイレタイムの読書にちょうどいいのだ。

 繰り返し読むことで、意識的にあるいは無意識的に僕の本の読み方、映画鑑賞の指針の(大げさに言えば)血となり肉となっている。日頃僕自身の考えだと思っていることで、意見を言ったり、書いたりしていることが、何のことはない、小林信彦がかつて主張していたことに気づく。「小説探検」を繰り返し読むことで、考えが自然に刷り込まれたのだろう。しかし何度読んでも(まあ、自分がすぐ忘れてしまうのがいけないのだが)ハッとすることがでてくる。
 ハードボイルドの場合、依頼人、重要な証人、警察のボスが犯人、というのはほとんどパターンになっている、と書いているが、確かに映画「L.A.コンフィデンシャル」や「交渉人」の犯人は警察のボスであったし、「深夜プラス1」は依頼人が犯人だった。

 何よりも恥ずかしかったのは、僕が書く文章自体小林信彦のコラム、エッセイのヘタなエピゴーネンであることがわかったこと。思想的(というか考え)にかなり影響受けているのは当然だけれど、文体まで似ていたとは知らなかった。
 別に意識しているわけではないのだが、本書を読みながら何度も冷汗がでる思いだった。

 それにしても小林信彦の本(あるいは映画)を紹介する、その語り口のうまさを何と形容すべきだろうか。もうこれは神業ですね。
 たとえばこの本でも僕の未読のさまざまな小説が紹介されていて、これがすべて読んでみたくなるものばかりだからたまらない。
 大好きだというP・ハイスミスの一連の作品なんか読破したい気分になる。

 思い出した! 単行本「小説探検」を読んで、いち早くハイスミスの文庫を図書館から借りてきてわくわくしながら読んだらそれほどでもなかったのだ。
 そういえば、小林信彦がおもしろく紹介しても実際の作品が(読む人にとって)おもしろいかどうか保証できなない、とかなんとか目黒考二が「本は寝ころんで」の文庫本の解説に書いていた。


2000/06/13

 「最良の日、最悪の日」(小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の「人生は五十一から」の1999年連載分が一冊にまとまった。
 1999年はオウムの活動が目立ってくるわ、小渕政権が盗聴傍受法などの悪法を認めてしまうわ、バカな2千円札の発行を決めてしまうわ、景気は回復しないわ、自殺者は増えるわ、で少しもいいことがなかった。
 本書でも何度も今が最悪の日であることを嘆いていて、読んでいるこちらも暗くなる。が、いや待てよ、とも思う。
 その昔、小林信彦がキネマ旬報にコラムを連載している間、次に何の話を語ってくれるのか、楽しみにしていたものだ。キネマ旬報は月に2回しか発行しないが、週刊文春は毎週発売される。つまり小林信彦のコラムが毎週読めるのだから、世の中がどんなに悪くなろうともこれはまったくもって幸せなことではないか。
 サンデー毎日連載の中野翠の時評コラム「満月雑記帳」が毎年暮に一冊にまとまってオリジナルタイトルで上梓される。中野翠にとって今ではライフワークの感があり、サンデー毎日の名物コラムになっている。僕が立ち読みで読むのはこの見開きページだけだ。
 週刊文春にはいろいろな名物コラムがあるけれど、後発のこのコラムを発売日早朝の電車の中で読むのが今や習慣となっている。
 小林信彦の「人生は五十一から」も毎年この季節にタイトルを変えながら単行本が書店に並ぶのだろう。永遠に続いて欲しいコラムである。




 フリースタイルの小林信彦コレクション刊行ニュースに歓喜したのだが、続報がない。もう秋だけど。なぜ?

     ◇

2000/02/08

 「現代〈死語〉ノートⅡ」(小林信彦/岩波新書)

 〈まえがき・のようなもの〉で本書が3年前に出た「現代〈死語〉ノート」の続編だと断っている。でないとこのノートが1977年というハンパな年から始まるのかと質問する人がいると思うから、と書いているが、そんなことはない。
 あくまでも個人的なことだが、1977年は僕にとって小林信彦を知るきっかけになった記念すべき年である。

 何度か書いているが、小説家・小林信彦の存在は「オヨヨ」シリーズで中学時代に知っていたにもかかわらず、全く興味なかった。(これはNHK少年ドラマシリーズのドラマ化作品がつまらなかったというのが要因の1つかもしれない。)
 高校生になって、毎号購入するようになった「キネマ旬報」に「小林信彦のコラム」の連載が始まったのが77年。このコラムに魅了された僕はコラムニスト・小林信彦のファンになり、それから小説もむさぼるように読んだ。彼の著作がその後の僕の人生にどれだけ影響を及ぼしたか計り知れない。
 そのほかにもいろいろとあって、この年には格別に思い入れがある。そんな1977年から始まることは大いに意味があることなのである。

 70年代から80年代中頃まではともかく、それ以降の出来事はつい最近という感じで、(死語)と言われても実感がない。(確かに使われなくなっただから死語には違いないのだが)
 前著で扱った時代(50年~60年代)は僕にとって遠い時代であった。でてくる言葉も懐かしいものばかりで、〈死語〉の表現がぴったり合っていたと思う。変なたとえだけれど、神保町あたりの古本屋にあるすでに絶版、流通していない古本と最近の流行のブックオフ等のチェーン店でよく見かけるちょっと前にベストセラーになった中古本の類い、の違いというか……。98、99年なんてほとんど〈これからすたれる言葉になるだろう〉という予言だもの。

 97年に登場した「アダルトチルドレン」は悪い意味で子どものまま大人になった人のことを言うのだろうと思っていたら、発祥元のアメリカでは〈アルコール依存症の親によって精神的・肉体的虐待を受けて成長した者〉を意味するのだという。「永遠の仔」を読まなければ、たぶん気にも止めなかった言葉である。


2000/02/23

 「大統領の晩餐」(小林信彦/ちくま文庫)

 ちくま文庫から「コラム」シリーズのほかに「オヨヨ」シリーズが出るのを知った時は歓喜したものだ。小林信彦の新刊は有無を言わず購入するし、既刊についても、書店にあるものは手に入れ、そうでないものだけ図書館で借りるなりして読んでいたのだが、「オヨヨ」シリーズだけはどういうわけかどこにも見かけることがなかった。
 わくわくしながら読んだ「オヨヨ島の冒険」は、しかし、解説の新井素子が絶賛するような面白さを感じなかった。小林信彦の傑作として評価の高い小説なのにこれは意外だった。続く「怪人オヨヨ大統領」も同じ印象。

 僕のオヨヨ伝説がくずれるかに思えた頃、大人向けに書かれた「大統領の密使」が快作だったのでほっとした。ギャグがはじけてニヤニヤしたり、声だして笑ったり。どうやら僕とジュブナイル版オヨヨとは相性が悪いらしい。
 当然続刊を読みたくなるのだが、不思議と書店で目にすることがなかった。古本でもと思ってもいつも立ち寄る古書店にはちくま文庫版の小林信彦本はおいてなく入荷される気配もない。すっかり忘れかけていた昨年、下北沢へ立川談四楼独演会を聴きに行った帰り、ぶらりと寄った古本屋にこの「大統領の晩餐」と「合言葉はオヨヨ」の2冊が並んでいて感激した次第。あんまりうれしくて今までツン読状態にしておいたのだ。

 さて「大統領の晩餐」、出だしから好調である。冒頭は古今東西の小説の書き出しのあれこれをオヨヨ風にアレンジすると、というマクラで笑いをとって、あっというまに小林信彦的うんちくとギャグとパロディに彩られた抱腹絶倒の世界にひき込まれた。

 解説にもあるとおり本作は求道者小説「宮本武蔵」「姿三四郎」のパロディであり、料理道を邁進する登場人物を創造するところが何とも愉快。人気TV番組「料理の鉄人」や牛次郎原作の一連の料理マンガの先駆的作品と言えるだろう。小林信彦のすごさは本家「宮本武蔵」に対して登場人物に「なんでも『宮本武蔵』は、戦争中の版と、いまのと、一部分、ちがうそうで、みなさん、その辺には口をとざしているそうです」と語らせることである。これはどうしたって、その違いというものを知りたくなるではないか!
 本筋とは関係なく、日活アクションに思い入れと造詣の深い作者らしいギャグも炸裂する。僕自身、日活黄金時代の映画は何も観ていないのにもかかわらず映像が浮かんできて、いや~笑わせてもらいました。

 こうなると、自身でシナリオを担当し、紆余曲折の末に完成した松竹映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」をどうしても観たくなる。


2000/03/22

 「合言葉はオヨヨ」(小林信彦/ちくま文庫)

 「大統領の密使」「大統領の晩餐」に続く大人向け「オヨヨ大統領」シリーズ第3弾。
 お馴染みのキャラクター、お馴染みのストーリー展開と思いきや、どことなく今までと雰囲気が違う。解説にもあるとおりギャグやパロディを挿入しながら、かなり真面目な冒険小説に仕立て上げているのだ。
 前2作以上のハチャメチャな物語を連想させる「合言葉はオヨヨ」というタイトルとのギャップをまず感じた。
 何も知らなければ「大統領の密使」「大統領の晩餐」こそ正統的なスパイ小説、冒険小説に受け取れるが、この作品こそ「大統領の××」というタイトルがふさわしい。
(たとえば「大統領の陰謀」というのはどうか? どこかで聞いたタイトルだな。)
 なぜそうしなかったのか? やはりオヨヨの文字がタイトルにあった方が本が売れるのだろうか?  ジャパンテレビの細井プロデューサーとともに行動し、旦那刑事が登場するまでのコメディーリリーフ・安田が物語の後半にオヨヨ大統領自身の手によって殺されてしまうくだりはわが目を疑った。これまで主要人物が死んでしまうなんてことはなかった(と思う)し、オヨヨ大統領自身が人を殺めるなんて信じられない。そのうち「冗談でした!」 と復活するもんだと願いながら、読み進んだもののラストまでその気配がない。
 ストーリーには今まで以上に満足しつつも、なぜか釈然としない気持ちで読了した。




 紙ふうせんまつりの3週間が終わった。

     ▽
9月27日(日):「ALFA MUSIC LIVE」(渋谷Bunkamura オーチャードホール)

10月4日(日):「紙ふうせんリサイタル2015 なつかしい未来Vol.10」(兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール)

10月10日(土):「新宿 フォークソングが流れる街」(新宿文化センター 大ホール)
     △

 まあ、「ALFA MUSIC LIVE」は、棚ぼたで当日券が購入できて鑑賞できたわけだが。

 28日(月)は「船堀映画祭」のスタッフ打ち合わせ。今年は11月7日(土)、8日(日)の2日間手伝うことになったので。

 29日(火)から仕事が忙しくなった。これまでも忙しかったのだが、次の週末は関西旅行なので、月曜日も休むため、27日(金)までに仕上げなければならないものがあった。これが大変だった。

 なんとか金曜日で仕上げて、翌日から2泊3日の関西旅行へ。
 中野でI兄弟と待ち合わせ、クルマで東京を出発して、初日は京都のサウナに泊まった。2日目は難波でクルマを駐車場に入れて大阪ミナミの道頓堀、通天閣界隈を観光した。
 午後2時過ぎになって西宮北口へ移動。5時から紙ふうせんリサイタル鑑賞。シリーズファイナルとあって感動的なステージだった。「見上げてごらん夜の星を」のふたりの歌声に涙がこぼれそうになった。
 コンサートのあと、FCの懇親会に出席、そのあとは元町駅前のホテルに宿泊。本当は3人で部屋でもう少し騒ごうとしていたのだが、コンビニで買い物してチェックインして、お湯を沸かしている間にベットに横になったらそのまま寝てしまった。気がついたら朝だった。

 7時半にチェックアウトして、南京町を散策。駅のコーヒーハウスでモーニングサービス。電車で難波へ。
 駐車場からクルマを取り出して帰宅の途につくのだが、高速に乗る前に昼食をとろうと寄ったのが「まいどおおきに」という一風変わった定食屋だった。おかずを一品づつ取っていくのはよくあるだろうが、魚は目の前で焼くのだ。
 東京・中野へは19時過ぎに着いた。これまで何度も大阪(兵庫)へ行っているが、こんなに観光を楽しんだのは珍しい。

 翌6日(火)からまた仕事三昧の毎日になった。これまた9日(金)まで完了させなければいけなくて、これはすこし来週に延びてしまった。
 残業は疲れる。疲れて眼鏡をかけたまま眠ってしまって、なんと眼鏡を壊してしまった。新しい眼鏡にしたいのだが、眼鏡店に行く時間がない!

 10日(土)は10時過ぎに川口商店街のメガネドラッグへ。新しいメガネは12日(月)に手に入る。
 その足で神保町へ向かう。いろいろあって、13時過ぎ新宿でWさんと待ち合わせ。遅い昼食をごちそうになってから、16時半、新宿文化センターへ。
 「新宿 フォークソングが流れる街」はさまざまなジャンルのフォークソングを魅せてもらった。期待していた以上の面白さだった。ギター1本(あるいは2本)の迫力を思い知らされた。

 今日はずっと家にいた。何もしたくなかった。


 レポートがたまっているのは承知しているが、もう少しお待ちください。




 オーチャードホールは初めてだ。隣のシアターコクーンには一度だけ行ったことがあるのだけど。ショーケンのライブ。25年前になるのか。「コンサートR」、一週間ぶっ続けで開催したんだったなぁ。

 それはともかく。
 18時30分に開場になったが、アナウンスがホールには入れない、エントランスでお待ちくださいと伝えている。まだ、リハーサル(ステージセッティング? 音調整?)が続いているのか。
 この日は腕時計をしていないので、時間をチェックしていなかったのだが、しばらくして入場となった。

 ホールは3階建て。広々としている。
 席は14列めの15番。なかなかいい席ではないか。当日券でそれも前売りと同じ金額でこんな席に座っていいのだろうか。
 たぶん関係者招待席なんだろうな。左隣はセレブなカップルだった。右隣は僕より少し下と思われる男性だった。
 開演の19時までけっこう時間があったので、リュックから本を取り出して、しばらくの間、読書していた。

 開演までの間、ずっと村井メロディーを奏でるピアノソロが流れていた。録音だろうけど、誰が弾いているのか? まさか村井さん自身だったりして。
「美しい星」のほか、何曲も流れた中で僕の耳を捉えたものがあった。
「愛を育てる」。

 1971年の春、僕は小学6年生だった。当時、フジテレビの19時30分だったか45分だったか、月曜日から金曜日までの帯で「スター千一夜」という番組が放送されていた。司会が関口宏や石坂浩二の芸能人インタビュー番組。
 提供が旭化成で、「愛を育てる」はその企業CMソングだった。歌はトワ・エ・モア。なんてことを知ったのは、この10年、15年のことで、当時は、曲名はもちろんのことトワ・エ・モアが歌っていることすら知らなかった。ただただいい歌だなぁと。
 もうひとつ印象的だったのはバックの映像だ。もうすぐ公開される「小さな恋のメロディ」が使われていた。こちらも気になって仕方ない。あの髪の長い少女は誰? 

 クラスでこのCMのことを話題にした。
「小さな恋のメロディ」という映画の映像が流れるんだけど、歌がいいんだよね。
 すると、同じ町内に住むKが反応した。
「それなら、うちにレコードがあるよ。ねぇちゃんが買ったんだ」
「聴かせてくれる?」
「いいよ」

 てなわけで、Kのうちに友だち何人かと遊びに行った。
 Kがかけてくれたレコード(シングル)は、なんと英語の歌だった。ビー・ジーズの「メロディ・フェア」。「小さな恋のメロディ」の主題歌なのである。
 期待していた歌ではなかったが、この曲もいい。B面の「若葉のころ」とともに、お気に入りになってしまった。

 そうなると、映画が観たくなる。
 隣町の映画館で上映されることを知ると、一緒に観に行く仲間を募った。
 7、8人が名乗りをあげたと思う。
 日曜日に行くことになったのだが親が騒ぎ出した。
 まだ子どもの男女が結婚するというストーリーは教育上よろしくないというわけだ。
 親同士、電話をかけ合って行かせるかどうか相談している。これで一人欠け、二人欠け、で、結局、僕を含めて3人になってしまった。

 併映は「ベニスに死す」。
 大人になって思ったのだが、こちらの映画の方が問題だったのでは? だって、中年男が少年に恋い焦がれる話だよ!

 「小さな恋のメロディ」を観たあと、映画館を出た僕は世界が広がったような感じがした。
 一歩大人の世界に足を踏み入れたような。
 この話をすると長くなるのでこのへんで。

 今、YouTubeで、当時の旭化成のCMを再現したものが見られる。
 これです。




 今週は忙しくて、ゆっくりPCの前に座っていられない。だいたい毎日残業で帰宅するのは23時過ぎ。
 「まぐま」の原稿はあと少しで完成するのに、全然手がつけられない。ブログも。図書館の返却日はとっくに過ぎたけれど、こちらも全然立ち寄れない。
 今日は、あまりに疲れたので、また仕事もどうにか目途がたったので、早めに帰宅した。明日は残業だ。
 そして、あさっては関西へドライブ……明々後日は紙ふうせんリサイタル!

          * * *

2015/09/05

 「紙ふうせんシークレットライブ 2015」(雲州堂)

 その2から続く

 アマチュアのライブの後はプロの出番だ。
 ということで、すぎたじゅんじさんが登場した。

 ライブを始めるまえに「この光景が素敵ですね」とカメラを取り出してステージから客席をパチリ。
 1曲めは、アームストロング・オズマじゃなくて、ルイ・アームストロングの曲、スタンダードナンバー。カラオケでよくモノマネして歌ったなぁ。
 「ティンサグの花」は紙ふうせんリサイタル「なつかしい未来」第1部の伝承歌特集で披露された。すぎたさんは沖縄方言の歌詞の意味を解説して、客席を巻き込んで歌った。さすが後藤さんの後輩だ。
 最後の曲は「古い歌、19世紀のアメリカの歌」といって歌った。タイトルは「シンナンドゥ」と聞いたのだが、帰ってきてネットで調べてもまったくヒットしない。何ていうタイトルなのか? 誰か教えて。

  この素晴らしき世界/ティンサグの花/タイトル失念(アメリカの19世紀の歌)


 すぎたさんはそのままステージに残り、後藤さんと平山さんが客席からステージの階段を上がっていく。

 お待ちかね、オオトリの登場だ。
 「赤い屋根の家コンサート」のテーマソングでライブがスタートした。
「今日は、何も考えないでステージに上がってます。何、歌いましょか」
 後藤さんが言う。

 待ってました! ゆったりまったりライブ。
 FC会員だけなんだから、客席からリクエストを受け付けるというはどうでしょうか。
 間違えても、とっちらかってもいいんです。
 って、プロとしてそんなことは許されないのかな。

 いつものレパートリーを肩の力を抜いて。
 「翼をください」をみんなで歌って、ラストは「竹田の子守唄」。

  Hey! /風に吹かれて/レモンツリー・悲惨な戦争・パフ・天使のハンマー
  ルート43/虹/翼をください/竹田の子守唄

 ライブが終了してトイレへ。
 隣の部屋はダイニングIORI。何組かのお客さんが食事していた。
 ってことは何か、このお客さんたち、紙ふうせんの生演奏をバックに食事していたってわけ?


0905live
この狭いステージでは、
ウッドベースの浦野さんは欠席するわなぁ

0905live2
「天国の地獄」のボースン刑事のバックの壁に
紙ふうせんのアルバムが貼ってあるのが見えますか?

0905live3
反対の壁にも

あとはこちらのブログを。

プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top