本日、正確には昨日(28日)は特撮仲間の忘年会(仮称)だった。監督、プロデューサー、俳優、女優、モデル&女優、女優の卵、一級建築士、会社員が下北沢の居酒屋、とりとんくんに集った。
 とりとんくん? もしかして店のオーナーは手塚治虫「海のトリトン」のファンではないか?
 違った。焼き鳥、焼き豚でとりとんだった。くんは燻製のくん、だなんて!

          * * *

2015/11/02

 「談志が死んだ」(立川談四楼/新潮文庫)

 単行本が出たときに読んでいる。ただ引きこもっていたときの読書だから、今回の方がいろいろ感じ入ることがあって、読後感は深い。

 僕にとって、この小説に書かれていることはドキュメントなのだ。
 師匠が弟弟子の「赤めだか」の書評をして、家元の怒りを買ったことは、八幡様の独演会会場でおかみさんたちと話しているのを小耳にはさんでいる。まさかここまで大事だったなんて知らなかったけれど。
 冒頭に出てくる銀座の蕎麦屋「流石」独演会にも足を運んでいる。前日の「ミヤネ屋」出演時の顛末を聴いて大笑いしたものだ。
 館林の落語会にも通うようになって、初めて伺ったときの打ち上げ会場は吉川旅館だった。二次会は「ホルス」だったか。このとき会場には家元がいたのだ。
 何度めかの会では上野先生に連れられて大勢で「三鈴」にも行った。梅割り焼酎も飲んだ。韮川に住んでいる友だちを落語会に誘って、帰りに蔡の店に寄ったらすっかり気に入ってその後家族で通っているらしい。

 ほとんどノンフィクションだが、そんな事実の中にフィクションを挿入しているところがこの小説の巧いところ。
 家元のマンションに謝りにいって、「追って沙汰をする、消えろ」と追い払われたあと、エレベーターに乗って口にする「上等じゃねえか」。
 初読のときも今回もゾクゾクした。

 こういう小説(落語世界を扱った)を読むと、古今亭の某さんが書くような仮名ばかりが出てくるヌルいのは受けつかなくなる。


2015/11/14

 「レディー・ジョーカー(上)」(高村薫/新潮文庫)

2015/11/26

 「レディー・ジョーカー(中)」(高村薫/新潮文庫)

 WOWOWのドラマをDVDで観て、小説をあたりたくなった。
 図書館で単行本を借りるのは簡単だが、文庫本になっているので、自分で揃えよう。古書店で100円セールのものを。揃えるのにけっこう時間がかかった。


2015/11/27

 「ヒーローたちの戦いは報われたか」(鈴木美潮/集英社)

 著者は1971年から巻き起こった特撮ヒーロー、というか変身ブームに幼少時、小学校の低学年時にまさにどっぷりつかった世代だ。だから特撮番組全般について書いているといっても、軸足は東映の仮面ライダーや戦隊ものにある。ウルトラマンシリーズにはあまり興味がなさそうだ。
 それは少々残念だったが、自分と特撮をきちんと把握していて好感のもてる本だった。


2015/11/29

 「メカニカルデザイナーの仕事論」(大河原邦夫/光文社新書)

 ヤッターマンやガンダムのメカで有名なデザイナーが本を書いていた。
 そういえば、今年の夏には森アーツセンターミュージアムで「機動戦士ガンダム展」が、上野の森美術館では「メカニックデザイナー 大河原邦夫展」が開催されている。

 アニメは「科学忍者隊ガッチャマン」で卒業して、というか、「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版の大ヒットで大ブームを呼びアニメ全般に興味を失ったといった方が良いか。そんなわけでその後登場した「機動戦士ガンダム」にも触れることがなくて、どんなに面白いアニメであるかを説明されても観ることがなかった。当然、二つの展覧会を知っても行こうという気持ちにはなれなかった。

 僕の中では大河原邦夫=ガンダムというイメージが強いのだが、ガッチャマンからメカデザインに入っていることを本書で知った。
「科学忍者隊ガッチャマン」。当時、このアニメにハマっているとき、その後の再放送を含めて、脚本や演出、音楽のスタッフ(の名前)を意識したのに、肝心の美術スタッフにはまるで意識していなかった。絵やメカに夢中になったというのに。
 本書で知ったのだが、「科学忍者隊ガッチャマン」の主要メカをデザインしたのは、師匠の中村光毅だった。
 得心したこともある。「科学忍者隊ガッチャマンⅡ」や「科学忍者隊ガッチャマンF」のメカに魅力がなかったのは、おもちゃメーカー主導でデザインされたからだと。
 ガッチャマンは1作で終わるべきだった。


2015/11/30

「市川崑と『犬神家の一族』」(春日太一/新潮新書)

 このまま続けます。

 


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 今週、21日(月)は川口中央図書館へ。
 帰りにいつもの「さくら水産」に立ち寄り、日本酒飲みながらの読書。

 22日(火)はブックカフェ二十世紀の「年忘れ二十世紀パーティー」に参加する。
 ゲストは立川キウイ師匠。パーティーは19時からだったが、キウイ師匠は前の仕事があって遅れてやってきた。参加者がいい気分になってきたところにキウイ師匠の高座が始まった。
 面白かった。ただ、マクラからネタの「幇間腹」に入ると、パワーダウンしたように感じた。受けていたから僕だけの印象かもしれないが。いや、面白いことは面白いのだ。ただ、なんとなくどことなく。
 で、思う。45分、全部マクラじゃダメなのか。先代の三平のように。
 「立川キウイvs林家三平(二代目)」企画しないかな。

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 翌日、23日(水)は新宿・竹林閣でシネりんの忘年会。
 15時30分に集合して、飲食等、パーティーの準備、その後、コアメンバーによる来年のシネりん活動についてミーティング。
 来年はブックカフェ二十世紀が会場の一つになる。

 忘年会は17時から22時30分まで。
 40数名が参加して、小さな会場は酸欠状態になった、なんてことはない!
 谷口正晃監督がWOWOWで撮ったスぺシャルドラマ「人質たちの朗読会」がアメリカのエミー賞にノミネートされ、セレモニーに出席した。その報告がメインイベントだった。「MOZU」も連続ドラマ部門にノミネートされていたとか。

 持参した「まぐまvol.20 手塚治虫と戦後70年」が3冊売れた。
 「特技監督 中野昭慶」の著者である染谷さんが参加された。文庫になった「特技監督 中野昭慶」を買ってくれたからと、新著「ウィリアム・ロス 映画人生50年」(ブイツーソリューソン)を頂いた。だったら、「まぐま」を差し上げなければなるまいて。
 染谷さんとは、しばし中野昭慶特技監督作品談義。84年版「ゴジラ」は最悪だよねということから、平成ゴジラは「ゴジラvsビオランテ」が傑作だと。確かに平成シリーズの中では出来はいいけれど僕は不満があるというと、GMKについてどう思うか訊かれた。大好きだと答えると、染谷さんは大嫌いだって。その後ゴジラ映画談義になるのだが長くなるので省略。 

 22時30分過ぎからは近くの中華料理店で二次会。当然、帰宅は午前様で。

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 話を忘年会が始まる前に戻す。
 新宿に着いてから紀伊國屋書店で時間をつぶした。いつもいくのは6Fの芸術コーナー。映画、特撮本が目当てだ。
 雑誌「ドラマ」のバックナンバーがあって、2012年5月号が目についた。市川森一の特集で「これか!」と手に取った。やはりそうだ。「バースディ・カード」のシナリオが掲載されている。レジに走った。

 24日(木)、クリスマス・イブの夜は阿佐ヶ谷のスナックに。
 今から四半世紀ほど前、某ゲームメーカーの映像事業部で働いていた。某出版社の映像部の社員だった僕は、販売部のMさんとともに出向したのだ。映像事業部には某アニメ制作会社のNさんも出向していて、I部長とデスクのYさんの5人がメンバーだった。
 MさんもNさんも出向元に戻ったが、僕だけ転籍した。
 Nさんが今年スナックを開業した。この数か月ご無沙汰していた僕は年賀状だけのつきあいだったMさんを誘って伺ったというわけだ。酒の肴は当時の思い出。
 アニメ会社の人が良く来るというので「まぐまvol.20 手塚治虫と戦後70年」を5冊置いてきた。売れるだろうか?
 帰宅は午前様。

 25日(金)は1時間残業して経堂へ。
 20時に少し遅れて「さばのゆ」に到着した。ちょうど前座の只四楼さんが始まるところ。「浮世根問」。
 続いてだん子さん、「狸札」。
 そして談四楼師匠は「文七元結」。最高だった。もう泣き笑いで頬に伝わる涙を何度かぬぐった。笑いながら涙が流れるところがキモだ。

 懇親会時のこと。
 28日に放送されるドラマ「赤めだか」、立川談志の一番弟子って志の輔さんになっているんでしょうね、と僕が尋ねると、「だろうね」と師匠。
「ら族はいなかったことになるの?」
 とはおかみさん。

 ら族とは師匠の造語だ。メディアで立川流が語られるとき、人気者の志の輔、志らく、談春(&談笑)が中心となり、談志の弟子は志の輔、志らく、談春らと表記されることが多い。ら族のら、は、そのらである。
 寄席修行して真打になった高弟たちは、そんなメディアの扱いに嫌気して、自虐的になってら族を名乗ったのだ。
 
 志の輔以前の弟子がいなかったになると、談志および一門の落語協会脱退の顛末はどうなるのだろうか。立川流が創設されたからこそ志の輔、志らく、談春の存在があるのだろうし、無視するわけにはいかない。架空の落語家なら成り立つだろうが。


 先々週、先週の古書店街散策成果
 『「私」がいる文章 発想・取材・表現』(森本哲郎/ダイヤモンド社)
 「赤塚不二夫のことを書いたのだ‼」(武居俊樹/文春文庫)
 「梶原一騎伝」(斎藤貴男/新潮文庫)

 購入本。
 「現在落語論」(立川吉笑/毎日新聞出版)




 一応、承前

 職人フェチのほかに服装(生地)フェチでもあるのかと気づいたのが「マトリックス リローレッド」を観たときだ。
 モニカ・ベルッチにはもちろん胸キュンだったが、それ以上に……。

     ◇

2003/06/24

 「マトリックス リローデッド」(丸の内ルーブル)  

 品川プリンスホテルで26日に開催する株主総会の最終打ち合わせがあった。終了したのは夕方6時。そのままホテル内の映画館で「マトリックス リローデッド」を観ようと思ったが、1,800円の入場料はもったいない。有楽町に出た。ガード下のディスカウントチケット屋で前売券を探したら一枚もない。その代わり丸の内ルーブルの招待券があったのであわてて購入して劇場に向った。最終上映直前だったにもかかわらず、それほどの混雑はなかった。客はピカデリーの方に流れているのだろう。  

 この映画、先々行ロードショー(オールナイト)があったりとすごい盛り上がり方だが、個人的にはかなり冷静だった。期待していなかったというのではない。前作「マトリックス」は公開時に劇場で2回も観るほどのほれ込みようだった(「攻殻機動隊」を観直してこれほどまで影響されていたのかという思いはあったが)。しかしストーリーもビジュアルもインパクトとしては1回限りという気がしてならない。

 だいたい前作のラストで主人公ネオはマトリックス世界の超人(空を飛ぶまさにスーパーマン)になってしまった。あれ以上何を描くというのか。以後のことは観客の想像にまかせる方がいい。
 「2」「3」は同時に撮影されたという。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」、「ロード・オブ・ザ・リング」のように「3」のための橋渡し的内容になるのではないかという気もした。  
 にもかかわらず、早々と劇場に駆けつけたのはキャリー=アン・モスのアクションが見たかったからだ。
 「スピード」を観た時に感じたことだが、あのドタ足の走り方からするとキアヌ・リーブスって、あまりアクションに長けた役者ではないような気がする。対してキャリーの走り方は全く無駄な動きがなく惚れ惚れするくらいの美しさだった。続編でも彼女の一挙手一投足を堪能したかったのだ。  

 1作めがそうだったように2作めも、トリニティ(キャリー=アン・モス)のアクションで幕を開ける。レザーの黒衣装に包まれたスレンダーなボディ、ケレンなアクションにニヤニヤしていると、彼女に待ち受ける衝撃の運命に驚きの声をあげてしまった……
 トリニティの死。それはネオ(キアヌ・リーブス)の夢なのだが、どうやら正夢になりそうで、ひどく気にしている。
 案の定、ストーリーは複雑化している(アニメ作品「アニマトリックス」の描かれたエピソード後の世界だという)。
 覚醒した人間たちの活動(現実社会)、クローン化し次々と増殖しながら襲ってくるエージェント・スミスとの闘い、ネオが真の救世主になる鍵を握る東洋人、キー・メーカー(ランダム・ダグ・キム)の発見と救出、新たな敵(ザ・ツインズ)の出現。刻々と迫るトリニティ最期の時。果たしてネオは最愛の女性を救うことができるのか?

 前半はネオとトリニティの恋愛話を延々と見せられ、ちょっと退屈した。疲れ気味な身体なので、ついウトウトとなってしまい、大事な話を聞き漏らしたかもしれない。
 マトリックスの創造者とネオが対面するシーンは「リンク」「らせん」と「ループ」の関係を彷彿させてくれる。会話の内容はまるで「仮面ライダー龍騎」のラストみたい。
 エージェント・スミスの集団とネオの闘いはもう完全にゲーム的感覚と映像だ。ネオがCG処理になると(よくはできているものの)がっくりきてしまう。
 想像したいとおりの展開と内容だと思いかけたこちらの思いを打ち破ったのが、高速道路のアクション炸裂シーン。このシーンを観られただけで大満足である。
 夫を裏切り、ネオたちにキー・メーカーの居場所を教える謎の美女(モニカ・ベルッチ)の衣装に欲情した。そのシルエットではなく、生地の材質に、である。触れてみたい。頬ずりしてみたい。彼女がスクリーンに登場している最中ずっと考えていた。こんなことは初めての経験だ。いつからオレは服装フェチになったのか。
 ザ・ツインズは全身白のイメージ。昔は白といえば正義のイメージだったのに、最近は悪役が白い衣装を着ることが多くなってきた。「ロード・オブ・ザ・リング」のサルマン(クリストファー・リー)以降のちょっとしたブームだろうか。
 「アバレンジャー」にはアバキラーなる新キャラクターが登場し、アバレンジャーと反目している。この夏公開される「仮面ライダー555」劇場版には白いライダーが登場する。これも何やら悪っぽい。
 ネオがトリニティを救うクライマックスは前作ほどハラハラドキドキはなかった。当然だ、ネオはスーパーマンなんだし、次回作の前にトリニティが死ぬわけがないのだから。  
 ラストがあまりにも〈つづく〉的処理でいただけない。まるで連続ドラマのそれ。翌週に「レボルーションズ」が公開されれば文句はない。「スターウォーズ 帝国の逆襲」「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」以上の消化不良だ!




 先週から、アフターファイブ(本当はアフターシックスだが)が忙しい。
 特に今週なんて、毎日外出していて帰宅が遅く、当然、ブログが書けない。
 ということで、この2週間を振り返ってみよう。

 まず先週、14日(月)はTOHOシネマズ日劇で「007 スペクター」を観た。
 14=10(トウ)+4(フォー)の日ということで、映画サービスデー同様割引になるので、この日を狙っていた。シネりんKさんから「完全なるチェックメイト」試写会の誘いがあったのだが、頭は「スペクター」一色だったので断ってしまった。

 「007 カジノ・ロワイヤル」「007 慰めの報酬」が続いていたように、「007 スカイフォール」と「007 スペクター」も同様である。ばかりか、全4作がすべて連続していたストーリーだったことがこの映画で判明する。すべて裏でスペクターが暗躍していたと。
 ということで、「007 スペクター」はダニエル・クレイグ主演の007シリーズ完結編という位置づけになる。

 前作「スカイフォール」の主題歌(アデル)が大好きで、何度となくYouTubeで再生している。ちなみ、ピアース・ブロスナンの007シリーズでは「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」の主題歌(ガービッジ)がお気に入りで、YouTubeでは、彼らのミュージッククリップで堪能させてもらっている。
 今回の主題歌、最初は男女のデュエットだと聴いていてら、どうやら男性歌手一人の歌唱らしい(サム・スミス「Writing's On The Wall」)。これも素晴らしい。

 スペクターの首領はどこかで見た顔……と思ったら、「ビッグアイズ」でヒロインの亭主を演じていたクリストフ・ヴァルツだったのね。
 僕は007を「死ぬのは奴らだ」から観ており、初期の作品に触れていないときに「オースティン・パワーズ:デラックス」を観てしまったので、あの顔に傷痕のある首領を見るとどうにも笑ってしまう癖がついている。今回は傷痕なしなので笑わずにすむと思っていたら、やはり傷を負うんですね。その姿形はリアルだったが、でもやっぱり「オースティン」を思い出してしまう……。

 最年長ボンドガールだというモニカ・ベルッチ。調べたら1964年生まれ。弟と同い歳だ。「マトリックス リローデッド」のときは40歳になるかならないかだったのか。

 翌15日は北澤八幡にて「立川談四楼独演会」。これはすでに記している。

 18日(金)は、地元シネコンにて「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を観賞。
 TOHOシネマズでは、公開に合わせて独自に入場料を200円アップさせた。この処置に怒って、TOHOシネマズ日劇での観賞をやめた。どこまで金儲けに走れば気がすむんだ、東宝!

 MOVIX川口のレイトショーは久しぶりだ。これまでレイトショーは閑散としていたのだが、今回は前方以外は満席だった。
 感想はまた項を改めて。

 19日(土)はブックカフェ二十世紀にて橋本一郎さんの2回めのトークイベント。題して「伝説のマンガ編集者の語る昭和のあの日あの頃」。イベントは前回とかぶることもあったが、やはり面白い。懇親会も充実していた。
 来年1月には「ブラック・ジャック」初代編集者を迎えて、「ブラック・ジャック」誕生秘話なるイベントが開催される。

     ◇

 【おまけ】

1999/09/01

 「オースティン・パワーズ:デラックス」(丸の内プラゼール)

 前作の「オースティン・パワーズ」はまだ観ていない。にもかかわらず、やけに評判がいいんで映画サービスデーに友人に誘われ、さっそく観てきた。
 60年代のスパイ映画を当時の風俗、ファッションを含め、現代(90年代)の感覚から笑い飛ばそうという狙い、ギャグが下ネタの、たぶんに下品な内容、今風で言えば「おバカ」映画くらいの認識しかなく、笑えなかったどうしようと思っていたら杞憂だった。もう全編大爆笑だ。
 オープニングの「007」風のテーマ曲でニヤリ。続く「スターウォーズ」の字幕、タイトルバックの主人公が全裸でホテルを闊歩し、プールのシンクロナイズドスイミングに乱入するところで、完全に映画の世界に入り込んでしまった。
 敵役のDr.イーブルが最高。キャラクター自体コント55号時代の二郎さんを彷彿させ、「飛びます、飛びます」をいつ言いだすか、けっこう期待したりして……。扮する役者が何ともうまく、なんて人なんだろうと思ったら、主役であるマイク・マイヤーズの二役でした。全然知らなかった!  60年代をそれなりに知っている者としては60年代のファッション、歌の数々が懐かしく胸躍った。今見てもけっして古めかしくも、おかしくもない。サイケはエネルギュッシュだったなあ。それにオシャレだ。

「I'll never fall in love agein 」(この曲を僕は初期の赤い鳥のレコードで知った)がバート・バカラックのオリジナルで聴けたのは幸せ。

 この項続く




 立川春吾さんが廃業した。今日の談四楼師匠のツイッターで知った。ショックだ。休業中だとは小耳にはさんではいたが、すぐに復帰すると思っていたのに。

          * * *

2015/12/15

 「立川談四楼独演会 第203回」(北澤八幡神社 参集殿)

 ツイッターで師匠の声が調子悪いことを知った。2席はできない。ということは1席めは代演。もしかして?!

 18時ジャストで会社を飛び出して下北沢へ。大急ぎで八幡様へ。
 受付で高座の声が聞こえてきた。やはりそうだ! 代演は寸志さん。うれしい。まさにずぼんと正月が一緒にやってきた気分。寸志さんの会に行きたいのだが、全然日にちが合わない。なので、この会で寸志落語が見られるのは本当にうれしい。師匠の十八番に挑戦して、独自のギャグで爆笑だもの。噺は少しライトで。すごい。


  立川只四楼   (浮世根問)
  立川仮面女子  (穴子からぬけ)
  立川だん子   (狸札)
  立川寸志    「井戸の茶碗」

   〈仲入り〉

  のり一     「てぶ子ちゃんと私」
  立川談四楼   「芝浜」


 ゲストはのり一さん。この方を知ったのは、お父さん(三木のり平)が亡くなって桃屋のCMのナレーションを担当したときだ。さすが息子さん、声がよく似ていた。で、思った。本業は何だろう?
 今回の高座がいわゆる生業?
 いや、ほんと、くだらなかった。中野翠的に書くとくだんなかった。ずぼんと正月が一緒にやってきた。いいなあ。
 のり一さん、俳優の顔もあって、ウィキペディアを見たら、一時期大林映画に出演していたのだ。
 打ち上げ時、もうお開きというときに質問させてもらった。
 のり平さんは、聞き書き「のり平のパーッといきましょう」で映画はうんこだと言ってましたけど、市川崑監督作品についてどう思っていたのでしょう?

 「のり平のパーッといきましょう」はとても面白かったんですが、ご家族の方はアレ読んでどう感じましたか?

 さて喉を傷めている師匠の第一声「ねぇ、おまえさん、起きてよ」に「天狗裁き」かと思った。
 師匠はここで以前「天狗裁き」をやろうとこのセリフを言うと、客は「芝浜」が始まると思って固唾を飲んだと。それがはっきりわかって往生したと。
 で、今日は「芝浜」やります、と。
 
 「芝浜」ってある種のファンタジーだ。夢物語ですよ。亭主が大金を拾ったというのが夢だと信じるというのが、どうにもリアルではない。そういうものだと思えばいいわけで。

 新弟子只四楼さんの高座デビューだったのだが、観ることができなかった。残念。

     ◇

 【おまけ】

1999/10/25

 「のり平のパーッといきましょう」(三木のり平/聞き書き 小田豊二/小学館)

 ページから三木のり平の肉声が聞こえてくるようだった。
 以前に読んだ「渥美清 わがフーテン人生」、あるいはそれを元に聞き書きした著者によって新たに編まれた「渥美清 役者もつらいよ」の語りの部分はいかにも作られた言葉って感じがしたが、本書は違う。たぶんにフィクションも含まれているのだろうが、三木のり平のシャイな、神経質そうでいて図太い性格、芝居に対して一途な思いが行間から伝わってくるのである。

 三木のり平の芸についてあれこれ言う資格は僕にはない。三木のり平その人については小さい頃から桃屋のCMで親しんできた程度で、伝説の舞台「雲の上団五郎一座」も、映画「社長」、「駅前」シリーズも観たことがない。
 初めてその芸に触れたのが市川監督の「金田一」シリーズだった。ほんのチョイ役で画面に登場するだけにもかかわらず、抜群の面白さ、印象度でそれから僕なりに注目していた。
 口跡とかしぐさにその芸を感じさせる喜劇人がどんどん亡くなっていく。フランキー堺、渥美清、そして三木のり平……。時代の流れだから仕方ないと言えばそれまでが。

 聞き書き(語り)の文章に話芸の一端が垣間見られ、聞き惚れてしまう。
 自身の出演した映画をうんこだと言い、全く否定しているけれど、その映画に芸が記録され、最高と自負している舞台が後世に残らない現状が皮肉である。

 単なる編年体はイヤだよと言う三木のり平の要望通り、最終章は著者がこの本を作成するために三木宅を訪ね、帰る、最初の出会いの顛末が綴られている。
 ラスト、夜雪の中を帰る著者に向かっての三木の独白がまるで芝居のフィナーレみたいで余韻を残す。
 後世に残る貴重な芸人の記録である。




 「洗濯機は俺にまかせろ」上映+トークショー より続く

 昔、20代のころ、CM制作会社に勤めていた時期がある。
 カメラマンの上野さんにしても篠原監督にしても大学時代自主映画を撮っていて、その流れで映画界に入ったのだと思う(シネりんや「編集よもやま話」の二次会でそこらへんのことについて何度か話している)。
 僕も同様だった。当然映画の世界で働きたかったが、どんな風に業界に入っていいかわからず、会社として社員を募集しているということ、同じ35㎜フィルムを使用しているということで、将来性を考慮しCM業界に進んだのだった。

 初めての現場は今は亡き山一證券のCM撮影だった。デビュー仕立ての、まだ新人だった安田成美がアニメのペンギンと歌って踊るシリーズの第一弾。
 この娘、芸能界でやっていけるのだろうか? 静かでまったく自己主張しない本人を前にして思ったことを覚えている。
 某おもちゃメーカーのガンダムプラモのCM現場にも参加している。とてもおしゃれな作りで音楽がとても素敵だった。後でわかるのだが、ガゼボの「I Like Chopin」のパクリ。

 ケンウッドのCMを制作することになった。確か、富田靖子さんが出演するシリーズの一つだったと思う。富田さんが二役で、ダブルの傘をさしていた。そのときの現場を撮った写真を持っている。二役のもう一人のスタンドインが同じ事務所(アミューズ)の新人さん。ずいぶん後になって写真を見たら松下由樹だった。

 今回のトークショーに当時の写真を持参しようとしたのが、肝心の写真が見つからない。諦めた。
 トークショー後に少し近づけるかもしれない要素が消えた……。

 会場には、シネりんのS氏がいた。
 この上映会に来る前に、目黒シネマで「BUSU」を観たらしい。
 トークショー終了後、少しお客さんと富田さんが話す機会があり、それも終わって、いざ帰るというとき、Sさんが富田さんにここに来る前に「BUSU」を観てきました云々伝えると、富田さんは両手でSさんの手を握った。
 隣にいた僕は何も言えなくて頭を下げただけだった。

 僕にとって、富田靖子といったら「さびしんぼう」である。

 大学時代、「転校生」のラストにしみじみした。「時をかける少女」に胸キュンした。にもかかわらず社会人になってから「さびしんぼう」の劇場鑑賞はパスしてしまったのだ、なぜか。   
 映画はビデオで観た。あのころ、ビデオレンタルは新しくレンタル料が二泊三日で1,300円もした。でも高いという気がしなかった。そういうものだと思っていたから。
 「さびしんぼう」……感激なんてもんじゃなかった。オレはどうして映画館で観なかったのだろう! 後悔することしきり。
 ある意味、究極のマザコン映画、と言えるのではないか。

 しばらくして、銀座並木座で上映されるのを知って、夕方、築地の会社(CM制作会社!)を抜け出して観た。
 大泣きした。
 残業している先輩を呼び出して、東銀座で飲んだ。大林監督作品の素晴らしさを説き、オレも映画を撮るぞ~と赤い顔で吠えた。
 タイトルは「星屑のグズ」、CM制作会社のしがないPM(プロダクションマネージャー)とキャバクラ嬢の恋物語だ。……結局シナリオ書かなかったな。

 僕はこの映画で大林映画を卒業した。

 「さびしんぼう」と同様に富田靖子の微笑と泣きにやられたのが、「ネットワーク・ベイビー」だ。90年代初期にNHKで放送された単発のドラマである。新進気鋭のシナリオライターとNHKの若手ディレクターが組んで作られたニューウェイブドラマというシリーズの1作だった。

 ショーケンが主演する「ネコノトピア・ネコノマニア」に興味を持って、このシリーズを観たのだが、放送された3本では「ネットワーク・ベイビー」に感動し、なおかつ発想のユニークさを感じた。
 最先端のオンラインゲームという世界の中で、昔ながらの母子ものを展開させるドラマ作りに。

 若くしてバツイチになった女性(富田靖子)がヒロインで、ゲーム会社に勤め始めるところからドラマは始まる。
 ヒロインは自分の不注意で幼い娘を亡くし、それが理由で離婚。ゲーム会社は新しくネットワークゲームを開発していて、ヒロインはそのモニターになった。
 仮想世界にオリジナルのキャラクターを作って仲間と交流するのだが、ヒロインは自分が作ったキャラクターに娘の名前をつける。いつしかキャラクターが娘のような存在になった。いや娘になってしまった。
 試作のネットワークゲームが終了することになった。仮想世界はいったん閉鎖される。キャラクターは消されてしまうのだ。
 ヒロインには受け入れられない事態だ。
 せめて、仮想世界がシャットダウンされてしまう前に、キャラクターが……娘がこの世から消えてしまう前に、どうしても伝えたいことがある。そのため、ゲーム世界がシャットダウンされる夜、会社に忍び込んだ。別れた亭主(蛍雪次朗)を巻き込んで……。
 クライマックスの、娘を求める富田靖子の行動に、表情に涙があふれて仕方なかった。

 脚本は一色伸幸、演出は片岡敬司。
 このときはシナリオの功績ばかり考えていたが、後年片岡敬司の演出に瞠目することになる。
 大河ドラマ「元禄繚乱」の演出家の一人として、非常に凝った映像を魅せてくれたのだ。

      ◇

 【おまけ】

1999/11/30

 「元禄繚乱 四十七士討入り」(NHK)

 録画しておいた「元禄繚乱 四十七士討入り」を観る。
 刃傷の時と同じく演出・片岡敬司を予想していたが、別の人だった。彼は光と影を多用した、必殺シリーズを彷彿させる斬新な映像と演出を見せてくれるのでちょっと残念だった。大河ドラマで初めて演出家を意識させてくれた人で今後の活躍を期待したい。

 1年間の連続ドラマを締めくくるクライマックスだし、忠臣蔵一番の見せ場だから当然スタッフ、キャストともに気合の入った見ごたえある一編だった。45分間があっというまに過ぎてしまった。  
 技術の進歩もあるだろうが、前日に降り積もった雪が、本物っぽく表現されていたのがたまらない。雪の質感もいいが、また赤穂浪士が雪の上を歩く際の音にも神経を配っていてとてもリアルだった。

 見所は2ヶ所。
 赤穂浪士が吉良家に討ち入ったことを知り、討伐に行こうとする上杉家の当主(吉良の実子)とそれを必死に止める家老・色部又四郎の押し問答。柳沢吉保の陰謀により、討伐に行けばお家断絶は間違いない。それを事前に察知していた色部の「殿が今討伐に行ったらわが藩も赤穂と同じ道をたどるのですぞ」の台詞が重くのしかかってくる。通常の忠臣蔵ものにくらべ、刃傷に至るまでの長いドラマがここでいきてくる。
 無能な江戸家老のために殿の刃傷事件を阻止することができず、お家断絶の憂き目にあって、討入りをせざるおえなかった大石と、赤穂藩の二の舞だけはおこしたくないと命をかけて殿の暴挙を阻止する色部の、二人の家老の対比が胸を打つ。

 浪士につかまった吉良が大石に尋ねる。「わしを本当に敵と思っているのか?」大石は答え ない。しかしその眼は何かを訴えているかのようだ。吉良はわずかに微笑む。吉良は大石の本心を見抜いたのだ。大石の本当の敵は幕府だということをここではっきりした。
 さて、その敵役・幕府はこの決着をどうつけるのか。「元禄繚乱」のテーマはここにある。

2000/12/12

 「元禄繚乱 忠義の士」(NHK総合)

 「元禄繚乱」が終了した。
 討ち入りの回の時に書いた感想どおり、作者・中島丈博は〝幕府が討ち入りした赤穂浪士たちに対してどんなお裁きをするか〟をクライマックスに持ってきた。
 大石は吉良に復讐するためではなく、片落ちの裁定に対する幕府(綱吉)への異議申立て、あるいは「生類憐れみの令」等の庶民の生活を省みない政治を断行する将軍に対する批判のために討ち入りしたという解釈が今回の忠臣蔵には取り入れられている。この解釈は井沢元彦の「元禄十五年の反逆」で知って、討ち入りの真相が理解できた思いだったが、原作の船橋聖一「新・忠臣蔵」も同様なのか、それとも中島丈博のオリジナルなのか。

 大石の堂々たる将軍批判を、お忍びで面会にやってきた当の本人の前でさせるという掟破りのフィクションにはまさしく驚いたが、ショーケン演じる綱吉が怒りまくる姿を見ながら、世の忠臣蔵ファン、歴史家たちの批判を浴びるには違いないけれど、この展開は正解だと思った。こうしなければ(つまり大石の意見を直接綱吉が聞かなければ)本当の意味で大石が綱吉に一矢報いることができないからだ。
 大石が将軍に対する批判を幕府の用人に口にしても決して将軍の耳には届かない。それは絶対どこかでにぎりつぶされる。自分の裁定で運命を狂わされた人たちの嘆きなどお上が知る由もない。だからこそ中島丈博としては自分への批判で地団太を踏む綱吉を描きたかったのだろう。ショーケンはそれをコミカルに演じ、大河ドラマ四度めの忠臣蔵・「元禄繚乱」の新機軸(テーマ)が鮮やかに浮かび上がった。僕はこのフィクションを断固支持する。

 シリーズ初期だけでなく、最後もやはり「元禄繚乱」はショーケンのドラマだったと言える。製作が発表された時、数年前の12時間ドラマ「豊臣秀吉」で名演技を見せた中村勘九郎がこれまで歴代の役者たちが演じた大石内蔵助とは一味も二味も違うイメージを構築すると期待していたのだが、それほどでもなかった。打ち上げ時に中島丈博が「眼が死んでいる」と言って物議をかもしたそうだが(そこまでは言い過ぎだと思うが)、わからないでもない。
 ショーケンは従来の彼独特のアドリブをきかせた演技で、エキセントリックな綱吉を好演した。ショーケンファンにとってはうれしい限りだ。彼にとっては「勝海舟」のニヒルな人斬り以蔵とともに大河ドラマの歴史に名を残すキャラクターになるだろう。




 今週は映画づいていた。

 8日(火)は角川シネマ有楽町にて「FOUJITA」を観賞。
 小栗康平監督は群馬出身、同郷なのだから小栗監督作品にもっと親しんでもいいような気がするが、昔から苦手ときている。
 理由は簡単。TVの特撮ヒーロー番組で監督デビューしているにもかかわらず、その事実を自身のフィルモグラフィーから消していることを知って、腹をたてた、それ以来。

 「FOUJITA」は美術(風景、衣装、家屋、小道具、その他)に堪能する映画ではないか。特に舞台が日本に移ってから。もううっとり。たまに意識がなくなったりして。だから、ラストに登場するCG仕様の狐に唖然。なぜ?

 前半のフランスシーンには芸術の街らしくヘアヌードが当たり前のようにでてくる。
 その昔、60年代だから大昔になるか。確か「太陽がひとりぼっち」だったと思うが、劇中に女性の裸をあしらったボールペンがでてきて、ヘアが写っていた。これが映倫で大問題になった。小林信彦のコラムで知ったことだ。
 半世紀近く経ってやっとそんなバカなことで騒がなくなったというわけだ。

 小学生のころ「太陽がひとりぼっち」の主題曲が大好きだった。放送部員になったとき、いつもレコードをかけていた覚えがある。

 エンディングロールでなんとか編集(よく覚えていない)・岡本泰之なるクレジットを見た。あの岡本さんだろうか?


 10日(木)は丸の内ピカデリーで「マイ・インターン」。この映画、TVでLiLiCoがこの秋公開される映画の中で一押しだと言っていた。

 だから観たわけではない。 
 SMCの特典、誕生日にもらった1,100円クーポンが13日で切れてしまう。何か観ようと思った。地元、MOVIX川口で19時10分からの「劇場霊」にするつもりだったが、退社してから急いでも間に合うかどうか心もとなかった。評判もあまりよろしくない。で、すぐに行ける丸の内ピカデリーの「マイ・インターン」にしたというわけ。

 「プラダを観た悪魔」の姉妹編みたいな映画だった。あちらがメリル・ストリープならこちらはロバート・デ・ニーロだ。
 まあ、ファンタジー映画ですな。とはいえ、ラストでさわやかな気持ちになるのは間違いない。始終音楽が流れていたような。
 製作、脚本、監督はナンシー・マイヤーズ。女性監督なのか。


 11日(金)はヒューマントラストシネマ渋谷で「アウターマン」。特撮仲間のSさんと。
 河崎実監督作品に対しても偏見があった。過去観ているのは「電エースに死す」しかない。しかし、これは面白い。「ギャラクシー・クエスト」の日本版、特撮ヒーロー版か。

 ウルトラ(マン)シリーズに関する小ネタが全編にわたって挿入されていて思わず笑ってしまう。
 劇中にTVのコメンテーターとして3人の評論家が登場する。山田敏太郎 を演じるのは 山口敏太郎、同様に池田現象は池田憲章。この2人のもじりはわかった。もう一人、ダニエル・ウィンダムだけ知らない存在だった。クレジットでダニエル・アギラルなる人だと知って一人大笑い。

     ◇

 【おまけ】

2007/01/13

 「プラダを着た悪魔」(新宿アカデミー)

 ジャーナリストを目指すヒロイン(アン・アサウェイ)が、業界に多大な影響を及ぼす権威を持つファッション雑誌編集部で働きだし、性格の悪いカリスマ編集長(メリル・ストリープ)の下で右往左往する話。
 ファッション(というかブランド)にほとんど興味を持たない男が、巷の評判を気にしてチェックした次第。

 編集長の傍若無人な性格を毎日の出社風景の連続で描写したり、垢抜けないヒロインが徐々に華麗なファッションに身を包んでいく様子を1日にまとめてしまうシーンに、スタッフの苦労がしのばれた。とっかえひっかえ服を着替えながら撮影するのだから。垢抜けないと書いたが、あくまでも映画中のこと。個人的には充分好みだ。
 ベストセラーの映画化というが、そんな小説があるなんて、まったく知らなかった。




 野坂昭如の訃報に叫んでしまった。病気を患って長いこと表舞台に登場しなくなっていたし、年齢的な問題(85歳)もあったのだから、もっと冷静でいてもいいはずなのに。

 「フリースタイル30」の小林信彦インタビューで、野坂昭如を話題にしていたからだろう。ラジオ番組で永六輔や前田武彦が最初にフリートークをやった思い出話から、三木鶏郎事務所時代の野坂昭如の話になる。当時、永六輔に疎まれていたんだと。先日、(野坂昭如が書いた)「マスコミ漂流」が送られてきたので読んだ、自分(小林信彦)のことがでてくるのでしょうがなく等々、けっこう突き放した対象として語っている。
  
 週刊文春の見開き2頁のエッセイは、21世紀の今は、林真理子、小林信彦、椎名誠(もう連載は終了)が有名だが、昭和の時代、80年代は、野坂昭如、向田邦子、田辺聖子がその位置にいた。僕が文春を買いだしたころはこの3人がメインだった。

 70年代は、花の中年御三家の一人として認識していた。「マリリン・モンロー・ノーリターン」はしばらくの間「マリリン・モンロー・ノータリン」だと思っていた。モンローはあまり頭がよくない、でもかわいい女なんだと歌っているのだと。これ、別に作っていない、本当のこと。
 永六輔にしても、小沢昭一にしても、著作を読んでいるのに、野坂昭如だけは、これまで1冊も読んだことがない。不思議なもんだ。
 「マスコミ漂流」は読もうと思っている。

 ところで、「火垂るの墓」は二度と観たくない映画である。観ると号泣なんてものではないのだから。

 合掌




 午前中に書店から電話あって「フリースタイル30」が入荷されたと。
 お昼に飛んで行った。
 手に入れたぞ!

 こんな小さな雑誌だったのか。
 なぜかB5版あるいはそれ以上の判型を予想していた。
 さっそくメインの記事「小林信彦さんに会いに行く」から読み始める。インタビュアーは亀和田武。

 小林信彦コレクション第一弾「極東セレナーデ」は12月中に発売されるらしい。
 また、第二弾は「唐獅子株式会社(全)」とのこと。

 夕景工房からの小林信彦本レビュー転載は今回で終了です。


     ◇

2008/02/26

 「別冊新評 小林信彦の世界」(新評社)

 その昔(小学生のころ)、購入しなかったことで大いに後悔している単行本が何冊かある。
 手塚治虫の「マンガ専科(初級編)」(虫プロ商事)、藤子不二雄の「まんが道」(秋田書店)。書店で立ち読みしているのに、財布の中が寂しかったこともあって、そのまま棚に戻してしまった。そしていつのまにか絶版。後で探したがどこにもなかった。
 「まんが道」は、少年画報社から出たコミックスに収録され、「マンガ専科(初級編)」は、講談社の手塚治虫全集「まんが専科」となって出版されたので、手に入れることができた。とはいえ、やはり少年時代に手にとって目を輝かせた本を手元に置いておきたかったという気持ちは強い。

 「別冊新評 小林信彦の世界」(新評社)もそうだった。もう社会人になって、笹塚(住所は中野区南台)のアパートに住んでいたころだ。駅前の古書店で見つけたのだが、その場で買うことをせず、後で行ったらもうなかった。以来20年ちょっと、見つけることができなかった。今、あったとしてもかなり高額になっているはずである。実際ネットオークションでは定価780円のこの本(雑誌)に4、5千円の値がついている。

 それが! 偶然見つけたのだ。先週の金曜日、地方古書店のネット販売で。もちろんこれまでだってネット販売は何度か見かけているが、驚いたのはその価格。何と1,000円! 送料、振込み手数料を入れても2,000円かからない。PCの前で鼓動が聞こえてきました。すぐにメールをして在庫があるか確認した。ありますよとの返信。週明けに振込み。郵パックには到着時間の指定があって、家に家族がいる最終時間帯(19~21時)にした。

 発送しましたのメールが来て、到着日、わくわくしながら帰宅すると、ドアの間に紙が挟まっていた。「郵便物お預かりのお知らせ」。我が家はチャイムが壊れている。修理したいのだが、かみサンはその必要なしとそのままの状態でウン年過ぎた。宅配便などはチャイムを押して反応がないとドアを叩くが、郵便物などはそのままUターンしてしまう場合が多いのだ。案の定、確認すると家にいたという。

 翌朝、さっそく電話して再送してもらうことにする。「午前中に配達できますが」と言われたが、外出のおそれがあったので、また同様の時間帯を指定しておいた。
 帰宅して、開口一番「郵パック来た?」
 かみサンも娘も「?」
「昨日、言っておいたじゃないか、夜の7時過ぎに来るって」
「あ~!」娘が一声。「忘れてた。その時間、外出していて……」
 今朝、また電話。昼過ぎに来てもらうことにする。
 二度あることは三度あるか、それとも三度目の正直でちゃんと配達されるか。
 その結果は?

 デヘヘヘ、来ましたよ、やっと。
 目次見て舌なめずり……。ファンならわかってくれるだろう、この気持ち。

 70年代から80年代にかけて、書店でよくこの「別冊新評 ~の世界」を見かけた。この雑誌で取り上げられたら一流、的な印象があった。今なら誰が研究されるだろう。何人かの著名人を思い浮かべてみる。そういえば最近別冊新評みかけなくなったなあ。というか新評社そのものが今ないのではないか?
 本書を読みながら、かつて似た本を同じようにワクワクしながらページを繰ったことを思い出した。「小林信彦の仕事」(弓立社)である。それで得心した。「小林信彦の仕事」は「小林信彦の世界」の続編的体裁を持っていたのだ。だから第二期だったのか。


2008/03/16

 「映画を夢みて」(小林信彦/ちくま文庫)

 昨年、荻窪で開催された某ライブに行ったとき、途中の古書店で見つけた。
単行本は持ってるし、その単行本の元になった「われわれはなぜ映画館にいるのか」も信じられないような安価で手に入れた。
 にもかかわらず、迷わず購入。しばらくして気がついた。文庫がでたとき真っ先に買っていたのだ。

 高校時代、昼休みはいつも図書館に入り浸っていた。そのときいつも読んでいたのが「われわれはなぜ映画館にいるのか」(晶文社)で、「和製B級映画はどう作られるか」に注目した。
 著者がシナリオを書いた映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」の、企画段階から完成までのゴタゴタを綴っているのだが、その迷走ぶりが第三者にとってはとても面白かった。
 スパイダースが主演するGS映画が、井上順の単独主演になり、相手役の女優が会社の意向で変更させられそうになって、おまけにできあがったプロットに上層部から難癖つけられる…もうふんだりけったり。斜陽と叫ばれはじめた邦画の一断面を垣間見せてくれる。


2008/03/29

 「裏表忠臣蔵」(小林信彦/文春文庫)

 図書館から借りた単行本で一度読んでいる。その後、またむしょうに読みたくなって、古書店で新潮文庫版を見つけて2度目の読書。にもかかわらずブックオフに文春文庫版が100円で出ていたので買ってしまった。これで3度目。
 資料に基づき、一部フィクションを交えつつ冷静な筆致で綴る反忠臣蔵。確かに赤穂事件(松の廊下の刃傷と討ち入り)は吉良側から見れば、まことに不可解な出来事なのだ。
 隠しギャグも効いている。


2008/04/24

 「映画×東京とっておき雑学ノート 本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 昨年、週刊文春に連載された「本音を申せば」が単行本になった。
 前2作が〈昭和〉の文字を使った書名(「昭和のまぼろし」「昭和が遠くなって」)だったので、当然今回もと思っていたら、若い読者を意識したものになっていた。映画と東京についての記述が多いとの理由からだそうだが、映画への言及が増えたのは、中日新聞に連載していたコラムが終了したのが要因だと思う。
 とはいえ、本書の中で語る映画の本数はこれまでとさほど変わっているとは思えない。

 今年は「うらなり」の菊池寛賞受賞パーティーではじまる。映画は「ドリームガールズ」「ロッキー・ザ・ファイナル」のほか、アカデミー賞の結果、スタージェス映画……。それから、東京喜劇、これまでも何度か取り上げている伊集院のラジオ番組「日曜日の秘密基地」。3月で終了してしまったのが残念だ。亡くなった青島幸男、植木等。

 最近の泣かせの映画に関しての見解はまったく同じ。
 もう予告編から〈泣かせ〉が強調されていて、僕自身はまるで興味がなかった「涙そうそう」。小林氏は長澤まさみの主演なので観るわけだ。で、こう書いている。
     ▽
 ぼくは、といえば、〈泣かせてやろう〉と畳みかけてくると、〈おいおい〉と笑ってしまうほうだ。
 映画「涙そうそう」のラストで兄が死ぬ。それだけで、その死への妹の悲しみは想像されるはずである。
 ところが、作り手は、観客を信用していないらしい。
 (略)
 もっとも、日本の観客のレベルはその程度だと考えているのだとしたら、それはそれで一つの見識である。つけ加えれば、〈テレビに慣らされてしまった日本の観客〉はそんなものかも知れないのである。ぼくの方が、変っているのだろうか。
     △
 ほんと、孤独感じるときありますからねぇ。

 映画(ドラマ)の何気ないところで泣くという点もよく似ている。こういうところが、長年のファンでいられる要因なのかもしれない。作家しても俳優にしてもミュージシャンにしても。


2008/04/26

 「本音を申せば」(小林信彦/文春文庫)

 小林信彦が週刊文春に連載している「本音を申せば」の昨年度分が単行本になる4月は、3年前の単行本が文庫化される時期でもある。


2008/05/26

 「おかしな男 渥美清」(小林信彦/新潮文庫)

 「渥美清 浅草・話芸・寅さん」でかなり引用されていた。そうなるとどうしたって、原典をあたりたくなる。3回目の読書。単行本がでたとき何かしらの賞を獲るとのではを思った。ある映画評論家が「藤山寛美とその時代」「天才伝説横山やすし」等を評して私小説だと書いていたが、本書を読んで得心した。 


2008/07/11

 「紳士同盟」(小林信彦/扶桑社文庫)

 長らく絶版のコン・ゲーム小説の傑作が扶桑社文庫で復刊された。
 それにしても時代だなあと思ってしまう。2インチのビデオテープだもの! TV局を舞台にした詐欺は、これまた時代を反映している。当時のTV局は入ろうと思えば誰でも入れた。セキュリティなんてあってないようなもの。
 理不尽な理由でTV局を馘首されてしまう主人公。この理不尽さの元ネタって、久世光彦だろうか? 久世光彦が番組の打ち上げ(?)で樹木希林に共演女優との不倫関係を指摘されてTBSを退社したのが1979年。小説が週刊サンケイに連載されたのも同年。ちと近すぎるか。単なる偶然かも。

 ストーリーの面白さもさることながら、この復刊本の一番の魅力は解説にあるのではないか。
 その数がすごい。まず「作者自身による解説」、続いて松田道弘の「被害者を探せ」(新潮文庫の解説だった)、永井淳の「本格的コン・ゲーム小説の登場」(新潮社「波」掲載)、最後に扶桑社文庫版の解説として杉江松恋の「解説」。この解説群を読むためにも、小林信彦マニアは買うべし。




 今年は市川崑監督の生誕100年。それを記念して出版された「市川崑と『犬神家に一族』」(春日太一/新潮新書)を先月読んだ。
 感想は後日11月の読書にまとめるが、ついこの間、発作的に「完本 市川崑の映画たち」(市川崑・森遊机/洋泉社)を購入したこともあり、同じ著者が和田誠と市川崑映画の魅力について語った「光と嘘、真実と影 市川崑監督作品を語る」の感想を転載したい。
 市川崑映画に対する自分の想いが時系列に記されているので。

 「火の鳥」は市川崑監督の失敗作の一つであるが、最近観たくてたまらない。DVD(BD)になっていないのだから、名画座での上映を望むしかないのだが。ビデオにはなっていたのだろうか? ミシェル・ルグランの音楽がネックになっているのかと思ったりしたりして。
 しかし、神保町@ワンダーの映画コーナーでパンフレットを見つけた。あるところにはあるんだな。

 2Fのブックカフェ二十世紀では、19日(日)にまた橋本一郎さんのトークショーが開催される。22日(火)は「年忘れ二十世紀パーティー」なるものが開催される。ゲストは立川キウイ師匠。それにしても、キウイさん、「編集よもやま話 第4回」のゲストのときも、今回もなぜ自身のブログやツイッターで宣伝しないのだろう。個人的には噂の志ん相の常連たちが来ないかなあと期待している……

 今週の古書街散策成果。
「リヴィエラを撃て(上・下)」(高村薫/新潮文庫)
「決定版 ルポライター事始」(竹中労/ちくま文庫)

          ◇

2001/11/27

 「光と嘘、真実と影 市川崑監督作品を語る」(和田誠・森遊机/河出書房新社)  

 映画監督・市川崑の名を知ったのは、小6の時「木枯し紋次郎」を毎週観るようになってからだ。それまでは時代劇なんて年寄りが見るものと馬鹿にしていた。勧善懲悪の予定調和的ドラマ、かつらとひとめでわかる髷、着物も破れない嘘っぽい殺陣……。
 ところが「木枯し紋次郎」は違った。まず現代感覚あふれる主題歌(和田夏十作詞・小室等作曲・上條恒彦歌)が耳をとらえた。タイトルバックの演出が斬新だった。内容がとにかくリアル(様式美を無視した殺陣は今でも語り草になっている)。時代劇特有の嘘っぽさが感じられなかった。ほとんど悲劇でラストをむかえ、観終ってけっして爽快になるようなことはなかったものの、主人公(中村敦夫)の姿形、言動のかっこよさとともに、あくまでも時代の説明だけに徹するナレーション(芥川隆行)、荒涼とした自然や町を切り取るカメラワーク、こちらの生理に合致したカット割りや編集(カッティング)に夢中になった。

 思えばこの時期、いわゆる子ども番組から大人ものへ興味の対象が移ってきた多感な頃でもあり、「木枯し紋次郎」は将来映画監督を目指して8㎜映画を撮っていた僕にとって、構図だとか編集だとかの極意を学ぶ絶好のテキストになった。(その他のお手本として恩地日出夫、斎藤耕一、海外ではフランコ・ゼフレッリがいた。)    

 高校時代には「犬神家の一族」が公開され、華麗な映像美とテクニックに魅了された。神業みたいなカッティングに驚愕した。以後5作まで製作された石坂浩二主演の金田一シリーズの公開は邦画劣勢の時代の中で大いなる楽しみとなった。  
 僕の映画監督市川崑崇拝は頂点に達した。とにかく過去の市川作品を鑑賞したくてしようがなかった。が、そういう機会はない。せめて市川監督の研究本でもあればとも思ったが、これもまったくないのである。
 黒澤明や溝口健二 、小津安二郎についての本は見かけるものの、同じく巨匠の部類に入る市川崑の研究本がない。これはいったいどうしてなのか。キネマ旬報社からもその手の本が出版されていなかったことがまったくもって不思議だった。  

 そんな市川崑ファンである僕の渇を癒してくれたのが「市川崑の映画たち」(ワイズ出版)だった。森遊机という新進の映画評論家が市川監督のデビュー作から最新作までの膨大な作品について監督本人と語り合うインタビュー集である。ちょっと高価すぎて購入できなくて図書館で借りて読んだのだけれど(今古書店で探索中)、映画史ではカットされてしまうような作品をも網羅しており、なおかつ市川崑自身の作品についての感想が聞けるのである。これはうれしかった。

 この本が契機になったかは知らないけれど、次に「黒い十人の女たち」がレイトショーされ、世の市川崑ファンが名乗りをあげてきた。おいおい、あなたたち今まで何していたのよ、と言いたくなるくらい。「どら平太」公開にあわせて映画紹介を含んだ市川崑研究のムックも発売されるなんてもう天にも昇る気分。わが世の春ってな感じだった。  

 さて、森遊机の市川崑監督に関する書籍がまた店頭に並んだ。今度は和田誠との対談で市川映画の魅力を思う存分語る趣旨。
 市川ファンのゲストも豊富だ。塚本晋也、井上ひさし、小西康陽、橋本治、椎名誠、宮部みゆき。
 塚本監督は「野火」をリメイクしたいと熱く語る。井上ひさしは「おとうと」を観て市川監督が大好きな監督の一人になった。小西康陽は当然自身がレイトショーをプロデュースした「黒い十人の女たち」。橋本治は誰も市川崑について書かなければ自分が書こうと考えていたところ、「市川崑の映画たち」がでて「もういいや」とやめたのだとか。椎名誠が「股旅」を語るのがうれしかった。宮部みゆきは「四十七人の刺客」。

 冒頭で、市川崑演出によるホワイトライオンのCFの話がでてくる。加賀まりこの出演したもので、「黒い十人の女たち」のレイトショーの時、同時上映された。オクラ入りしたCFと言われていたのだが、和田誠によるとその後オンエアされたらしい。このCFでさすが「市川崑!」と思ったのは、加賀まりこが実際に歯磨き粉をつけて歯を磨いてるところだった。その昔、歯磨き粉のCFといったら、皆歯ブラシだけ口に入れて磨くのが当たり前だった。子どもの頃、歯磨き粉のCMで実際に歯磨き粉を使わないのか不思議でならなかった。業界にそういうルールがあったのかもしれない。市川監督は見事そのタブーをやぶったのである。たぶんそのタブー破りがNGになった要因だろうと考えた。やはりそうみたいだ。若き加賀まりこはキュートで、口の中歯磨き粉だらけでもちっともいやらしくないのに。  

 なぜ市川崑研究本が出ないのか? あまりに多い作品、さまざまなジャンルに渡る作品が原因なのか100本以上の作品、確かに多い。そんな作品群を包括して評価できる映画評論家がいなかったのだろうと、二人は語る。
 80歳を過ぎた今でも市川監督は精力的に新作を発表しているが、昔は年に6本もの作品を撮ったこともあったという。現在の三池崇史みたいな存在だったと言われたときに新鋭監督、若い市川崑の姿を思い浮かべることができた。
 市川作品は大きく3つに分けることができると森はいう。
 「ビルマの竪琴」「炎上」「おとうと」などの文芸作品。「東京オリンピック」「黒い十人の女」などのモダニズムが貴重なスタイリッシュな作品。金田一シリーズ、「火の鳥」「鹿鳴館」「どら平太」みたいなコマーシャルな大作。
 僕はというと大作より小品が好きだ。「股旅」はこの上もなく大好きだし、80年代に公開され、今でもビデオになっていない「幸福」も忘れがたい。「おはん」も評判がいい。これは文芸ものになるのだろうが、文芸大作「細雪」の次に続く佳作というイメージがある。僕は主題歌を五木ひろしがうたっていて、いまだにビデオも観ていないのだけれど。
 金田一シリーズの中では「悪魔の手毬唄」が傑作だと常々思っていて、対談の中で筒井康隆がミステリ映画の3本に入ると言っていたと語っていて我意を得たりの心境。  

 市川映画のグラフィカルな部分を評価する人は多いという話から、同じ傾向の監督に実相寺昭雄、篠田正浩、増村保造の名を挙げているところに、自分の好みを指摘された気分。皆、好きな監督なのだ。

 森遊机は「犬神家の一族」で市川映画にめざめ、大学時代、名画座やフィルムセンターで過去の市川作品を観まくり、市川映画についての小冊子を作って、市川監督と知遇を得たと知った。「細雪」にはフォースの助監督で参加しているのだとか。何ともうらやましい。
 同世代なのだから僕だってこまめに名画座の市川崑特集を探し出して足しげく通うことだってできたはずなのだ。自分の怠慢さを棚に上げてちょっと嫉妬してしまう。
 そんな森遊机がトヨエツ主演の「八ツ墓村」を評価し、もう1作トヨエツで観たかったと語るのが信じられない。
 宮部みゆきとの対談で「四十七人の刺客」がベストテンに入る出来と言うのも「え?」だ。この作品は僕を「忠臣蔵」の世界に興味を抱かせてくれた、記念碑的作品ではあるけれど、ベストテン云々のものではない。ただしラストシーンはとてもいいし、僕自身好きな作品である。だから同じ年、映画評論家の大絶賛を浴び、ベストテンの上位を獲得、数々の映画賞を受賞した深作欣ニ監督の「忠臣蔵外伝・四谷怪談」は観ようとも思わない。市川監督に操をたてているのだ!

 以前に比べて市川監督の昔の作品がビデオになり、目につくものは可能な限り鑑賞しているが、この対談集を読むと、まだまだたくさん面白い映画があることがわかる。読んでいてじれったくなってしまう。
 とにかく「幸福」はぜひともビデオ化、DVD化してもらいたい。

hikaritokage
「光と影、真実と影 市川崑監督作品を語る」 


 サブカル・ポップマガジン、まあ、同人誌(発行人は異人誌と呼ぶ)なのだが、「まぐま」に参加したのは、vol.6から。小説の映画化作品について、原作と映像を検証する見開き2ページのコラム「小説と映画のあいだに」を連載した。本名の新井啓介で。

 続いて、中学時代からずっと追いかけているフォークの紙ふうせんの世界の検証と批評を自分史ととともに綴る「体験的紙ふうせん論 僕も28歳の語り部になりたかった!」の連載を始める。こちらはペンネーム奥野陽平名義で。

 40代は「まぐま」の執筆、及び編集が青春だった。完成時のパーティーではいろいろとイベントを企画した。インディーズ映画を通じて、映像関係者、俳優と知り合えたのは幸運だった。
 楽しかったなぁ。

 いろいろあって、vol.16で同人を離れた。石ノ森章太郎特集や別冊の特撮特集等には寄稿させてもらったが。

 連載「小説と映画のあいだに」をまとめて、なおかつ夕景工房、もうひとつの夕景工房の文章を加えた映画レビュー本「夕景工房 小説と映画のあいだに」を上梓した後、またまたいろいろあって、3年間ばかり引きこもっていた。

 昨年の11月ごろから元気になって、久しぶりに「まぐま」発行人に連絡をとり、何度か飲んだ。その過程で「まぐま」第1期最終号となるvol.20で手塚治虫を特集するので原稿執筆を依頼された。

 書きました。

 「まぐま vol.20 手塚治虫と戦後70年」がもうすぐ発売されます。

 ご購入お願いいたします。

     ◇

まぐま 20
「まぐま vol.20」

 ●手塚治虫と戦後70年 -「人生」に多大な影響を及ぼす、そのマンガ世界/小山昌宏
 ●もしもタイムマシンがあったなら/手塚るみ子
 ●地域の中の「トキワ荘」史 ~てっさんと呼ばれ、親しまれた手塚治虫/トキワ荘住人・k
 ●〝トキワ荘〟最後の住人が語る、静かなトキワ荘/向さすけ
 ●「ジャングル大帝」のレオは、なぜ色が白い/竹内オサム
 ●アシスタント時代の思い出/三浦みつる
 ●手塚治虫と手塚先生と、ボクと僕/川口貴弘
 ●民謡調手塚治虫『はなたれ浄土』を読む/稲垣高広
 ●阪急文化と手塚治虫/田浦紀子
 ●ゆとり世代から見た手塚治虫/佃賢一
 ●私の「新寶島」の頃/田村幸生
 ●永島慎二さんとの思い出 -虫プロに在籍したダンさんとの日々/野谷真治
 ●鉄腕アトムは実はテレビだった ―「透明巨人の巻」をめぐって/キム・ジュニアン
 ●2つの「ブラックジャック」を読む/小山昌宏
 ●手塚治虫本を読む 1989‐2015/新井啓介

  「手塚治虫を読む 1989‐2015」のほかにも以下の記事を書いています。
 すごく多そうですが、1頁や2頁のコラム、エッセイの類ですので。

 ●君は『メトロポリス』を観たか
 ●トランスセクシャルと手塚治虫  
 ●『瞳の中の訪問者』 漫画と映画のあいだに
 ●『どろろ』 漫画と映画のあいだに  
 ●宮崎駿の手塚治虫批判について考えながら『千と千尋の神隠し』を劇場で観た                               

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 埼京線・王子駅の近くにシネマカフェSOTOがあることを今回の「洗濯機は俺にまかせろ」上映会+トークショーで知った。35ミリのプロジェクターを完備していて、フィルム上映できるという。キャパは約50名。ライブも可能だとのこと。

 ライブと聞いてピンときた。もしかしてそれって篠原演芸場のそばにある喫茶店ではないか?
 以前、篠原演芸場の場所を確認するため、京浜東北線の東十条駅で降りて行ったことがある。手前にライブや芝居のポスターがたくさん貼ってある喫茶店(レストラン?)があったのだ。

 「編集よもやま話 第5回」の懇親会時に、このイベント(上映会+トークショー)のチラシを配付して宣伝していたカメラマンの上野さんに訊ねると、いやいや、篠原演芸場側ではなく、反対側のロータリーに面してミスタードーナッツがあって、その隣ビルの地下だと教えられた。
 篠原演芸場のすぐ先が十条駅だった。何のことはない、十条駅に行くのに、わざわざ赤羽で乗り換えていくことはない。東十条から歩いて行けるのだ。定期券があるから切符を買う必要もないし。

 トークショーのゲストは、上野さんに篠原監督、それから富田靖子さん。
 前々日に予約で満杯になったのは当然という気がする。

 とにかく、すでに締切の状況で電話して何とか席が確保できたこと(確保していただいたこと)に感謝したい。

 11月23日(月)は勤労感謝の日。
 受付は16時半から。マスターからは45分ごろにきてくださいと言われていた。
 実際に到着したのは16時前だった。ミスタードーナツで読書して時間をつぶし、40分になったところで移動。階段には列ができていた。
 なかなか素敵なスペースではないですか。

 篠原哲雄監督というと必ず「月とキャベツ」と「洗濯機は俺にまかせろ」がでてくる。観賞したくてもレンタルビデオ店の棚で見かけたことがない。
 昔だったら、名画座をあたればどこかで上映する機会にぶつかるのだろうが、今は無理というもの。だかこそこういう上映会はありがたい。関係者のトークショーがセットになっているのだから、通常の映画館に比べ少々入場料が高くても文句が言える筋合いではない。

 主人公はプロのマンガ家を目指して中古電気店で働いている青年(筒井道隆)。洗濯機の修理が巧い。タイトルはここに由来する。道を挟んだ向かいにはパン屋があって、そこで働いている女の子が気になっている。そんなところへ、電気店の娘(富田靖子)が出戻ってくる。青年にとってこの年上女性はパン屋の娘以上に気になる存在だ。しかし、出戻り娘には電気店の元店員(小林薫)と何やら関係があるような……というよくあるパターンの青春映画。
 とはいえ、そこは篠原監督、ごくごく当たり前の物語をごくごく普通に撮りながら、それでいて映画世界にのめり込ませてくれる。

 シナリオ(松岡周作)がよく出来ている。シーンごとに笑わせたり、ニヤニヤさせてくれたり。セリフや展開がよく練られているのだ。
 原作は短編だというから、脚色が巧いということだろう。

 主人公が洗濯機を修理するシーンは職人フェチの心を刺激する。
 今ごろ気がついた。自分が職人フェチになったのは父親の影響だと。うちは電機店で、父は毎日のように居間でTV等の修理をしていた。父が修理しているところを見るのが大好きだった。最初はそばでまとわりついて部品等触っていたりしていた。ある日感電して、以後絶対触らないようになった。

 当時、日曜日の朝、確かNETテレビ(現テレビ朝日)だったと思うが、美術関連の番組を放送していた。染物とかしているシーンにうっとり。自分でやりたいとは思うわない、あくまでも他人がしているところを見るのが好きなのだ。
 レンタカーを借りたとき、運転する前に、ボディの傷をチェックして用紙に書き込む姿もうっとりしてしまうのだから。職人フェチとはそういうものです。

 閑話休題。
 瞠目したのは筒井道隆と富田靖子のベッドシーンだ。全裸でフトンに寝そべっている女性が、下着姿の男を迎え入れるという画になっている。
 公開された1999年、富田靖子は「さびしんぼう」や「BUSU」でアイドル的な人気女優になっていた。
 若い女優、それも人気者のベッドシーンの場合、よくあるのが、女性が下着姿で布団をかぶっていて、男性は裸というものだ。
 シチュエーションを考えれば、絶対ありえない画づらなので、目にするたびに舌打ちしていた。それがこの映画では逆になっている。実際はどうなのかは知らないが、富田靖子は全裸なのである。

 女性の方から誘われてのベッドインだから当然の流れなのだが、いつのころからか、とりあえず人気女優のベッドシーン的な画を挿入しておけば、客は喜ぶだろうというスタッフの狙いが透けて見える作品が増えた。
 大学生の8㎜自主映画じゃないんだからさ。こんな画なら最初からベッドシーンなんて設定しなければいい。いつも思っていた。

 Tシャツ、パンツ姿の筒井道隆が富田靖子が全裸で寝ているフトンにもぐり込むショット。立っている筒井道隆はうしろ姿なのだが、もう絶対息子くんはビンビンだ。それを見た富田靖子が笑うカットがあればよかったのに。

 それにしても、「さあこれからセックス!」というときに拒否されてしまうのは、男としてどうすればいいのか。たまらないよ、まったく。「僕たちの赤い鳥ものがたり」にも同じシチュエーションが出てくる。ニヤニヤしてしまった。


 映画上映後、会場は20分の休憩の間に、トークショーのセッティングへ様変わり。
 上手から撮影の上野さん、富田さん、篠原監督。
 当時の思い出話が次から次へ出てくる出てくる。
 それにしても、富田靖子さん、昔と全然変わっていない。

 昔、20代のころ、CM制作会社に勤めていた時期がある。
 上野さんにしても篠原監督にしても大学時代自主映画を撮っていて、その流れで映画界に入ったのだと思う(シネりんや「編集よもやま話」の二次会で何度か話している)。
 同様に自主映画のサークルで活動していた僕も映画の世界で働きたかったが、同じ35㎜フィルムを使用するCM業界に進んだのだった。

 長くなりそうだ。

 この項続く
 



2006/10/23

 「決壊」(小林信彦/講談社学芸文庫)

 講談社文芸文庫の10月の新刊に小林信彦「決壊」がラインナップされているのを知り、あわてて書店に飛び込んだ。
 今、読んでいる「新リア王」(髙村薫/新潮社)の後にと思っていたにもかかわらず、通勤時の電車内でついついページを開き、ちょっとのつもりで読み始めたら結局読了してしまった。

 「袋小路の休日」、「丘の一族」に続く純文学シリーズ第3弾。
 次があるとしたら連作「ビートルズの優しい夜」だと思ったいたのだが、連作短編「ビートルズの優しい夜」、「金魚鉢の囚人」、「踊る男」、「ラスト・ワルツ」が解体され、4篇のうち「金魚鉢の囚人」と「ビートルズの優しい夜」の2編に「決壊」、「息をひそめて」、「パーティー」の3編を加えた短編集となっている。
 「オヨヨ大統領」シリーズ、「唐獅子」シリーズといったギャグ満載のエンタテインメントとは正反対の、苦味の効いた私小説(風)群。これもまさしく小林信彦の世界なのだ。

 「パーティー」を読んだのは「小林信彦の仕事」(弓立社)だった。小説集ではない著作にぽつんと収録された小説に不思議な味わいがあった。
 主人公は売れない40代の映画監督。苦節×年、自費で撮った映画が新人賞候補になるのだが、新しく加わった審査員に「彼はCMをたくさん撮っているので新人ではない」と指摘され、受賞を逃してしまう。新人賞を受賞しなければ二度と劇映画は撮れないという状況下、哀れ、彼は負組(いやな言葉だ、もちろんこの時代にこんな言葉はないけれど)として居心地悪そうに業界のパーティーに出席する。

 初読のとき、新人賞落選のくだりにひっかかった。もしかすると、これは作者自身の経験が元になっているのではないだろうか、と。
 小林信彦はこれまで賞とは無縁の作家である。少なくとも僕は「日本の喜劇人」の芸術選奨新人賞、「小林信彦のコラム」のキネマ旬報賞以外知らない。
 1970年代何度も芥川賞と直木賞の候補になったにもかかわらず、結局受賞することはなかった。ひっかかったのはここなのだ。  
 案の定、選考会である審査員から「彼は新人ではない」旨の発言があったらしい。確かこの発言をしたのは有名な作家ではなかったか。かなりショックを受けた。僕でさえそうなのだから、本人の衝撃はいかばかりだったか。

 だからこそ、今年「うらなり」で菊池寛賞を受賞したのは喜ばしい。新聞記事で知ったときは快哉を叫んだ。


2006/12/18

 「映画が目にしみる」(小林信彦/文藝春秋)

 出会いは「キネマ旬報」だった。1977年から「小林信彦のコラム」の連載がはじまったのだ。その前には「話の特集」で同じタイトルによる連載があったらしいのだが、詳しくは知らない。
 たった1ページの連載が気になって仕方がなかった。映画や演劇、書籍について、平易に、そして的確に論じる。面白いことこの上ない。いろいろなことを学んだ。
 あっというまにファンになった。いや、当初は反発する箇所もあった。反発しながら、読まなければ気がすまない。そんな感じ。

 もともと〈小林信彦〉という小説家の名は知っていた。オヨヨ大統領シリーズというユーモア小説を書く作家として。中学生時代のことだ。
 ただ興味がなかった。NHK少年ドラマシリーズの1作として放送されたドラマ「怪人オヨヨ」がちっとも面白くなかったのだ。「タイムトラベラー」の脚本を書いた石山透だったのに。たぶんこれで原作を読む気もおきなかったのだと思う。

 大学時代に「キネマ旬報」連載の101本のコラムがまとまって1冊になる。これが「地獄の観光船」(集英社)。過去の書評を集めた「地獄の読書録」、60年代の映画評を網羅した「地獄の映画館」も出て、小林信彦への傾斜は加速した。その前だったか、評判の高い「定本・日本の喜劇人」も手に入れた。中原弓彦名義の本である。

 「小林信彦のコラム」第二弾は筑摩書房から「コラムは笑う」として上梓された。和田誠イラストの装丁が洒落ていて、第一弾とはまるで印象が違った。「地獄の観光船」は、「コラムは踊る」と改題されてちくま文庫となった(その前に一度集英社文庫になっているのだが、見かけたことがなかった。)。「地獄の映画館」も、より多くのコラムが追加、シャッフルされて「コラムは歌う」に。筑摩書房はこのとき小林信彦本の出版にとても力を入れていた。
 「コラムは踊る」と「コラムは歌う」は繰り返し読んでいる。影響力ははかりしれない。

 シリーズの新刊「コラムにご用心」を見つけたときは驚いた。中日新聞にエンタテインメント系コラムを連載しているなんて知らなかったのだ。「踊る」「笑う」に比べて、少々コクがなくなったが(本人も専門誌と一般紙の違いと説明している)、相変わらずの面白さ。勉強にもなる。連載が続く限りコラムシリーズが刊行されることに小躍りしたくなった。
 次の「コラムの冒険」を書店で手に取ったときも驚いた。版元が筑摩から新潮社になっていたのである。とはいえ和田誠のイラストも装丁もまったく変わらず。
 担当編集者が筑摩から新潮社に移ったのだろう。その後筑摩から小林本が出なくなったこともあり、そう勝手に判断していた。
 以後「コラムは誘う」「コラムの逆襲」と続き、その間、既刊の単行本が文庫となる。もちろん両方購入だ。

 そろそろ次の新刊が出るとの噂が聞こえてきた先週のこと。
 八重洲ブックセンターで「映画が目にしみる」(小林信彦/文藝春秋)を見つけた。歓喜しながら、不安な気持ちになって初出をチェックした。やはりそうだった。中日新聞のコラムをまとめたものなのだ。判型も装丁もまるっきり変わっている。本文は単行本では珍しい3段組。各コラムには取り上げた映画のカットやDVDの写真が挿入され、ガイドブック的な趣きを感じさせる。おまけに〈まえがき〉も〈あとがき〉もないのである。   
 いったいこれはどういうことだろうか?

 小林信彦の本は、文庫化の際に改題される場合がままある。
 喜劇的想像力を要する実験的小説が網羅された「発語訓練」が「素晴らしい日本野球」になったのはよくわかる。雑誌に発表されるや話題を呼んだW・C・フラナガンものの一編が表題になった方が注目されるに違いない。
 しかし自ら最初で最後の青春小説と語った「世間知らず」が、まるで安手のポップスみたいな「背中合わせのハートブレーク」になったのはいかがなものか。「世間知らず」が死語だからとその理由を説明しているのだが、読者に媚びすぎじゃないかと思うのだ。

 2年前、知恵の森文庫(光文社)の新刊に小林信彦の著作で「面白い小説を見つけるために」とあった。まさかと思って、書店で確認するとやはり「小説世界のロビンソン」の改題による復刊。ショックだった。「小説世界のロビンソン」は単なるガイドブックではない。小林信彦の体験的〈小説の読み方〉論とでもいうべきもので、だからこそ「小説世界のロビンソン」の書名に意味あるのだ。実際友人からガイドブックみたいな本出したんだって、と訊かれてがっかりきたと書いていたのである。
 絶版となっていた文庫を復刊してくれたのはありがたい(といっても単行本も、文庫も持っている)し、改題することで新しい読者を獲得できるのならいいのだが。

 知恵の森文庫ではもう1冊「東京散歩 昭和幻想」が出た。これは新潮文庫の「日本人は笑わない」改題。こちらはいかにも小林信彦らしい。
 「2001年映画の旅」(文藝春秋)は文春文庫になって「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」。これも時代の流れを考えればしかたないか。

 筑摩書房から新潮社に版元が変わっても、装丁はそのままだった「コラム」シリーズが、文藝春秋になったとたんほとんどまったくというほどに様変わりしたのにはどんな理由があるのだろうか?
 
 今回の版元変更は「うらなり」(文藝春秋)で菊池寛賞を受賞したことと関係あるのではないかと思っている。あくまでもイレギュラーの措置。これまでのファン以外、若い世代にもアピールさせるため、ガイドブック的活用を考慮して判型や段組もそれっぽい作りにした。たぶん編集者サイドの意向だろう。まったくの個人的想像ではあるが。

 3段組は、手にとったときは読みづらいと思ったものの、読み始めたらすぐ慣れた。
 相変わらずの面白さだ。
 2002年から2006年の連載をまとめてある。
 映画のほかにも芝居やTVにも若干ふれていて、夢中で読んでしまった。


2007/04/27

 「昭和が遠くなって」(小林信彦/文藝春秋)

 昨年週刊文春に連載されたエッセイ「本音を申せば」がまとめられた「昭和が遠くなって」(小林信彦/文藝春秋)。
 このシリーズも10年めに突入した。最初は「人生は五十一から」のタイトルで、3年前に改題されて「本音を申せば」になった。
 身辺雑記から時事批評、得意のエンタテインメント時評、なんでもありの見開き2ページのエッセイが毎週木曜日の通勤時の楽しみなのだ。

 連載1年分が1冊となり、「昭和が遠くなって」がシリーズ9冊目。「本音を申せば」になってからは「本音を申せば」「昭和のまぼろし―本音を申せば」に続く3冊目。今後もタイトルに昭和を取り入れ〈昭和シリーズ〉とでも呼ばれるようになるのだろうか。

 大学時代から毎週愛読していた週刊文春に小林信彦が「藤山寛美とその時代」連載をはじめたときは歓喜した。「定本 日本の喜劇人」(晶文社)は繰り返し読んでいるファンにとってはまたとない読み物である。毎週切り抜きしていた。
 短期集中連載ということで毎週の楽しみはあっというまに終わってしまうのだが、続いて「私の読書日記」 が始まった。「本の雑誌」で小林信彦のページを立ち読みしていたファンにとってこれまた快哉を叫ぶことになる。(このコラムは「小説探検」として本の雑誌社から刊行され、その後「読書中毒 ブックレシピ61」として文春文庫に入った)5人の担当者がいるので、楽しみは5週に一回となってしまうが、こちらはすぐには終了しないという判断だった。
 だから担当を降りたときのショックは相当なものだった。しかしこれが新たな喜びを呼んだ。「人生は五十一から」の連載になったのだから。内容の面白さもさることながら、このタイトルにもかなり励まされた。本当の人生は50歳を過ぎてからなんだ、と勝手に思い込んで、40代を生きるのが楽しくなった。
 いや、その前に「横山やすし天才伝説」(単行本では「天才伝説 横山やすし」)があったか。うーむ、記憶が定かでない。

 誌面のリニューアルで、ほとんどの連載がタイトルを変えることになり、「人生は五十一から」も「本音を申せば」になる。こちらが年齢を重ね、本当に50歳に手が届く、という時期の変更。残念でならなかった。

 さて「昭和が遠くなって」。
 やはり、映画やラジオ、芝居等、エンタテインメントを取り上げたときの筆の運びは格別だ。 「プロデューサーズ」「嫌われ松子の一生」「ゆれる」「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」。「硫黄島からの手紙」は少々持ち上げ過ぎの気がしないでもないが。
 ウディアレンの「マッチポイント」が長すぎるというところからキャロル・リードの「ミュンヘンへの夜行列車」が93分でいかに面白いか説いていく。
 あるいは俳優、女優について。スティーブン・マーティン、パトリシア・ニール、ジャニス・ペイジ。丹波哲郎、原節子、長澤まさみ、堀北真希。
 ダイエットについて書かれた文章は、雑誌掲載時にはほとんど興味がなかった。しかし、いざ自分が始めてみると、これがなかなか参考になる。

 〈ランキング地獄〉でこう書いている。
 日本人がランキング好きなのは〈他人の評価を自分の判断基準にする傾向が強い〉……
 価値を決めるのは自分だとぼくはずっと考えて……

 思わず膝を打った。


2007/09/26

 「日本橋バビロン」(小林信彦/文藝春秋)


 「日本橋バビロン」は、3月に発売された「文學界」4月号で一度読んでいる。

 そのときの感想。

     ▽
 1年ぶりに「文學界」(4月号)を購入する。小林信彦の「日本橋バビロン」が掲載されているからだ。
 書き下ろしの小説を手がけていることは知っていた。当然、単行本が出るものだと思っていたら、文芸誌への一挙掲載(330枚)。
 
 そうか、そういう手があったか。というか、考えてみれば昨年の「うらなり」も書き下ろしなのである。
 かつて新潮社の書き下ろしシリーズで「ぼくたちの好きな戦争」「世界でいちばん熱い島」「ムーンリヴァーの向こう側」「怪物のめざめる夜」に親しんできた者としては、どうしても〈書き下ろし=単行本〉のイメージがあって、久しぶりの書き下ろし函入り本に期待していたところがあった。
 「日本橋バビロン」も数ヶ月後には新刊となって書店に並ぶのだろうが、ファンとしては待っていられない。新聞で広告見た日に書店に駆け込んだ。

 すでに読みかけの本があった。押入れ大整理の中で見つけた「地獄の読書録」(小林信彦/ちくま文庫)。古書店で見つけ、ずっとそのまま積ん読状態のまま行方不明になっていたものだ。
 60年代のミステリガイドというべきこの本は、もちろん集英社の単行本で一度読んでいるものの、新しく追加された章もあって定本という触れ込み。この文庫を読了してからと思っていたのだが、「文學界」が気になって仕方ない。1ページ盗み読みして、もうちょっといいだろうと第1章を読んで、結局止まらなくなってしまった。

 「和菓子屋の息子 ーある自伝的試み」(新潮文庫)の系譜に入る小説(といっていいのかどうか、でもそう謳われているのだからそうなのだろう)。
 冒頭、第一部の〈三〉までは「en-tax」(VOL.14)の特集〈小林信彦 街の記憶/消滅の記憶〉で「日本橋あたりのこと(仮題) 第一部 大川をめぐる光景」のタイトルで掲載されたもの。
 太平洋戦争で失われた町(日本橋区両国)と老舗の和菓子屋への想い。これはもうここ10年あまりのテーマであり、そのこだわり方にはとてつもない執念を感じる。
 前者は米軍の空襲が直接的要因だが、戦後の町名変更によって町そのものが消滅してしまった怒りがある。後者は、長男にもかかわらず自身の強い意志で跡を継がず、〈立花屋〉の名を葬ってしまったことへの贖罪か。

 エンジニアへの道を断念して九代目を襲名した父親については、「和菓子屋の息子」でも詳しいが、「日本橋バビロン」ではさらに時代を遡り、入り婿として和菓子屋の八代目となり、店を拡大させた祖父の代から現代までの東京の変遷、生まれ育った町と和菓子屋の盛衰を時代背景と風景を絡めながら徹底的に綴っていく。

 小林信彦はもう小説を書かないのではないか?
     △

 一冊にまとまり感動を新たにした。「和菓子屋の息子 ―ある自伝的試み―」「東京少年」に続く自伝的長編三部作の最終編とのこと。父に対する想いに胸を熱くする。

 文章中に「真逆」という言葉がでてきてわが目を疑った。雑誌掲載時は全く気づかなかった。流行語にうるさい人が! この新語には抵抗感ないのだろうか?




 師走の第1日は映画の日。丸の内ピカデリーで「コードネームU.N.C.L.E」を観る。「ナポレオン・ソロ」って、キャラクター的に舞台を現代にしてリメイクできないんだな。それがよかった。
 60年代の冷戦時代が舞台ということ、音楽が印象的。

 小林信彦のインタビューがメイン記事になっている「フリースタイル30」の、確か発売日ということで、予約した書店に行ってみた。
 届いているかどうか確認すると、やはりなかった。
 若い店員が訊いてきた。「電話ありましたか?」
 ありません。わかったいますよ、来たら電話があるんでしょ。でもねえ、1週間前に予約しているんだから、届いているのではないかと、淡い期待があったわけです。

 もしかしたら、フリースタイルという版元は、従来の書店流通ルートを使おうなんて考えていないのではないか?
 Amazonに注文した方が早いのかも。

 サブカルチャーの棚に行ったら、「ウルトラマン画報」(講談社)があったので、発作的に買ってしまった。2,800円(税別)。

mangahou.jpg
「ウルトラマン画報」
昨年発売された「ウルトラセブン画報」は購入しなかったのに

          * * *

2004/09/07

 「回想の江戸川乱歩」(小林信彦/光文社文庫)  

 1994年は江戸川乱歩生誕100年にあたる年だった。映画が公開されたり(プロデューサーと監督が内容で衝突した『RANPO』)、TV番組が制作されたりと騒がしかった。当然関係本も書店を賑わせた。本書も当時メタローグという新興の版元から上梓された1冊だ。新書ハード版という珍しい型。ただ特に話題になることもなかった気がする。  
 今回、初の文庫化だと思って購入したら、以前一度文春文庫になっていたことをあとがきで知った。これは全然知らなかった。何たる不覚!  

 一般に流布している〈幻想と怪奇の乱歩像〉ではない、江戸川乱歩の素顔を語りたいとのことで編まれた本書は、著者と実弟の小林泰彦の対談、過去に書かれたエッセイ、乱歩をモデルにした私小説「半巨人の肖像」の三本立て。

 その昔、「ヒッチコック・マガジン」という雑誌があった。1957年「宝石」の編集・経営に参画した乱歩は雑誌に対する的確な批評を手紙にして送ってくる青年に日本版「ヒッチコック・マガジン」の編集を任せたのだった。この青年が当時26歳の著者(ペンネーム・中原弓彦)だったのだ。デザインを担当したのがイラストレーターの卵だった小林泰彦。

 この二人の対談が興味深い。何しろこちらには江戸川乱歩といったら「少年探偵団」等の大作家、大昔の作家というイメージがある。それが現役の作家である小林信彦と交流があった、それもオーナーと社員との関係だったというのだから(初めてそれを知った時は)なんとも不思議な気持ちになった。雑誌の編集、あるいは雑誌をめぐる人間関係にいかにあの乱歩がかかわっていたのかということが、それこそ晩年の大作家の素顔を垣間見た気がした。

 なんといっても本書の圧巻は「半巨人の肖像」が収録されたことだろう。他の小説集にはいっさい収録されていない一編で、僕は本書でこの小説の存在を知ったくらい。「ビートルズの優しい夜」の文壇編とでもいうべきもので、著者(小説では今野)がいかにして江戸川乱歩(同・氷川鬼道)と知遇を得、やがて編集長として「ヒッチコック・マガジン」(同・ハラア)の創刊にからみ、何とか軌道に乗せ、後に罷免させられるまでを例の苦渋にみちた冷徹な乾いた文体で綴っていく。 


2005/03/11

 「東京散歩 昭和幻想」(小林信彦/知恵の森文庫/光文社)

 新聞に掲載された〈知恵の森文庫〉3月新刊の広告で小林信彦の名前を発見して、今度は何が改題されたのだろうかと推理した。前回の「面白い小説を見つけるために」はすぐに「小説世界のロビンソン」であることがわかったが、「東京散歩 昭和幻想」は皆目わからない。新刊だったら狂喜乱舞なのだが、そんなことは絶対にありえないことはわかっている。すぐに本屋に飛んで確認したら「日本人は笑わない」だった。

 「小説世界のロビンソン」が「面白い小説を見つけるために」に生まれ変わったのには複雑な気持ちだった。小林本にはこういうことがたまにある。
 「世間知らず」が死語だからといって「背中合わせのハートブレイク」になるなんてあんまりだ。「小説世界のロビンソン」も単なるブックガイドでないという著者の主張や独自の読書体験、そこから導かれる教わること大の評論集といった体裁があって、だからこそのロビンソンじゃないかと書名に思い入れがあったのだが、いかにも読書指南本みたいなタイトルになってしまってがっくりきた。

 まあ本は売れなくては意味がないし、「面白い小説を見つけるために」という書名になったことで、小林ファン以外の本好きの人が手にすることは大いに喜ばしいことではあるのだが。
 それに比べると今回の改題はいかにも小林信彦らしい書名になって気持ちいい。新潮文庫版「日本人は笑わない」は装丁も含めてあまりにも軽すぎる印象があったからだ。(もちろん単行本も持っている)

 現在、小林信彦の小説以外の本というと文春連載の「人生は五十一から」(現在「本音を申せば」に改題)をまとめた時評、映画評、書評、身辺雑記と何でもありのエッセイと中日新聞連載のエンタテインメント時評のコラムシリーズがある。本書はそのどちらにも属さない評論集だ。評論集というか、新聞や雑誌に単発で掲載されたあるいは短期連載されたエッセイのほかに、書評、文庫解説などをまとめたもの。

 東京について、美空ひばり、虫明亜呂無、清水俊二、双葉十三郎、荒木経惟、永井荷風、夏目漱石……さまざまな人物について、太平洋戦争や慰安婦問題について、等々話題は多岐に渡る。内容は平易だが、軽くはない。
 「小説世界のロビンソン」が「面白い小説を見つめるために」になって削除された「メイキング・オブ・ぼくたちが好きな戦争」が「自作再見『ぼくたちの好きな戦争』」として蘇った。ほかにも「世界で一番熱い島」の執筆日記や「ドリームハウス」問答もついてくる豪華さ。小説をあたりたくなってくる。


2005/04/29

 「本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の人気エッセイをまとめた〈クロニクル〉も7冊めになった。
 小林家のおせち料理に始まり、イーストウッド監督の傑作「ミスティリック・リバー」、NHK大河ドラマ「武蔵」の盗作問題、「下妻物語」、〈伊東四朗一座旗揚げ解散公演〉などのエンタテインメント批評。ワクワクしてしまう。

 リアルタイムを知っているがゆえのマリリン・モンロー伝説への言及。あるいはエノケン講座。ヘエ、である。
 「五十九年前の虐殺事件」は衝撃だった。こういう事件があったこと、その上、事件がそれほど問題にならず、本人が終戦後も生き抜いたことが信じられない。

 著者の根っこの東京大空襲の思い出。
 他人事ではない(娘家族が住んでいる)新潟中越地震の実際。
 小泉首相は相変わらず元気で、時代はますます悪くなっていく。
 ――そういうことである。
 お得意の嘆き節が頻発する。

 内容は少しも変わっていないけれど、この本に〈人生は五十一からの〉サブタイトルはない。1年前、週刊文春誌面リニューアルでほとんどの連載がタイトルを変更したのだ。「人生は五十一から」も「本音を申せば」になった。これ、実はとても残念だった。四十半ば、いまだに自分の天職を探している僕にとって、このタイトルは希望にあふれていた。そうなんだ、人生は五十からなんだ、あせることない。毎週、文春買って、このエッセイのページを開いて、納得していたのに……


2005/11/07

 「東京少年」(小林信彦/新潮社)

 小林信彦の新刊「東京少年」を読了する。
 新潮社のPR誌「波」に連載中は定期購読して毎月読んでいた。2004年6月号から翌05年の5月号までの1年間。前回連載していた「おかしな男 渥美清」は連載を途中で知ったので、購読をあきらめたが、「東京少年」は連載第1回に間に合った。最初のころは切り抜きしていたほどだ(週刊文春に連載された「藤山寛美とその時代」、「横山やすし天才伝説」は連載分すべて切り抜いて保存している)。至福の1年間だった。
 そして連載終了後は早く単行本にならないか、首を長くしてそのときを待つのである。

 一冊にまとまったものを読むとまた別の味わいがある。

 太平洋戦争時、疎開の体験を綴った自伝的小説。まだ中原弓彦時代に本名(小林信彦)で上梓した「冬の神話」のリメイクだというのだが、初期の小説を読んだことがない(読みたくても本がない!)ので何とも言えない。

 高度成長期に「冬の神話」がでたとき、なぜあの時代を今さら書くのかと言われたと何かのエッセイで読んだことがある。インタビューだったか。
 僕の父もそう言う側の人間だろうと思った。父からあまり戦争時代の思い出を聞いたことがない。ずいぶん昔の終戦記念日だったか、TVの特番を横目で見ながら「いい加減こんな番組なくなればいい」と嘆いたことをよく憶えている。思い出すのがつらいのだろう。
「空襲で皆がいっせいに逃げたとき、雄二(父の名)はわたしを連れてなぜか反対方向に走ったんだよ。おかげで助かったんだけどね。ほかの皆は爆撃で死んじゃったんだから」
 そう曾祖母から聞いたことがある。

 同世代の著者はいつのときもあの時代の戦争にこだわっている。東京という街(下町と山の手)に執着するように。ギャグに彩られた「ぼくたちの好きな戦争」が戦争の悲惨さを描いたエンタテインメントだとすると本作は私小説風純文学だ。ポジとネガの関係か。
 戦争時代の話なのだから決して楽しいものではない。餓えと寒さ、東京に対する望郷の念で息がつまってくる。終戦を迎えても帰れないもどかしさ、その中で東京の暮らしに絶望した父親が詐欺(?)にあって、先祖代々の土地を二束三文で奪われてしまうくだりのいらつき。とはいえ、それが小林(純)文学の魅力でもある。

 あらためて読むと、新潟時代の同級生・曽我の、ひょうひょうとしたキャラクターが一服の清涼剤的存在だったことがわかる。この人が登場するとホッとするのだ。


2006/07/04

 「うらなり」(小林信彦/文藝春秋)

 この小説は都合3回読んでいる。

 最初は「文學界」掲載時。続いて本家「坊っちゃん」を読んでからもう一度。そして書籍として上梓された今回。

 なので、最初と二度目の感想をここに記しておく。

     ▽
 〈うらなり〉と聞いてピンとくる人は何人いるだろうか。夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が赴任する学校の先生の一人。憧れのマドンナを憎き〈赤シャツ〉に奪われてしまう気の弱い青年だ。小林信彦の新作はこのうらなりを主人公にして「坊っちゃん」のもう一つの世界を構築しようという試み。地方人からみた東京人を描写する。

 「坊っちゃん」はこれまで3回は読んでいると思う。一度読み出すととまらなくなってあっというまに読んでしまう。二回め以降は冒頭部分を確認しようとページを開いて結局読了してしまった。
 そんな痛快小説なので、何年か前、娘に文庫本を買ってやったのだがまったく興味を示さなかった。何たることか。昔は布団の中で「窓際のトットちゃん」や「ユタと不思議な仲間たち」を読んでやると喜んで聞き入ってくれたのに。

 (原稿用紙)180枚の「うらなり」。冒頭昭和9年の銀座4丁目界隈が活写されているところが小林信彦らしい。教職を退き、今は〈ものかき〉として老後を過ごしている〈うらなり〉が、久しぶりに上京、かつての学校の同僚(山嵐)と4丁目の交差点で待ち合わせ、近くのレストランで昔話に花を咲かせる。
 こうして回想シーンになって、「坊っちゃん」の時代へと飛んでいく。校長と教頭(赤シャツ)の陰謀で遠く延岡の学校に赴任せざるをえなかった〈うらなり〉のその後の人生(明治、大正、昭和)が描かれ、また昭和9年の現代に戻ってくる。
 山嵐との会話では、当然〈坊っちゃん〉の話題もでるわけだが、このくだりで小説「坊っちゃん」の主人公に名前がなかったことに気がついたのだった。
 「袋小路の休日」「ビートルズの優しい夜」「家の旗」に通じる味わい。
     △

     ▽
 「坊っちゃん」の内容を知っているつもりで書いたのだが、読み直してみるとけっこう忘れていることが多かった。
 不思議なことに「坊っちゃん」をあたった後に「うらなり」を読むと読後感が微妙に違ってくる。
 
 新潮文庫の「坊っちゃん」は驚くほど薄い。京極夏彦のミステリだったらプロローグにもならないかもしれない。
 原稿用紙(四百字詰め)に換算すると215枚。ちょっとした中編小説なのだ。読み始めて一気に最後まで読んでしまうのも当たり前か。しかし、小学生時代はものすごく長い物語に感じたのだ。
 「うらなり」は180枚だからつり合いはとれている。

 前半はうらなりの回想によって、読者は「坊っちゃん」のストーリーの概要を知ることになる。あくまでもうらなりの視点で語られるのが〈キモ〉である。
 夏目漱石の「坊っちゃん」では、主人公は坊っちゃんであり、その振る舞いが非常に愉快で痛快だったはずなのに、立場を変え、冷静に考えると、なぜ山嵐と赤シャツの私闘に坊っちゃんがからんでくるのか、脇役でしかない彼がどうして学校を辞めなければならないのか、不思議なことばかりでわからなくなる。うらなりにすると自分の何が彼に親近感を抱かせるのか理解に苦しむのだ。

 山嵐には堀田、うらなりには古賀という名前がある。「坊っちゃん」にもそう語られる一文もある。しかし、語り手である坊っちゃんの名前は最後まで出てこない。自分で名乗らないし、同僚からも名前を呼ばれることがない。作者がうまくごまかしているのである。
 「うらなり」はそこを応用して効果をあげる。主人公であるうらなりは彼の名前を思い出せず、山嵐に聞いていもはっきりしない。で、ヘアスタイルの印象から〈五分刈り〉と呼ぶ。
 小柄で五分刈り、袴姿というと、なぜか、新人時代の青島幸夫がイメージされる。慎太郎カットで髪が短かった青島幸夫だ。

 後半、うらなりのその後の半生を綴るくだりに作者自身の体験が投影されている。3度目のお見合いの顛末など、エッセイで読んだことがある。
 地方人から東京及び東京人を語る、今までとは違った趣きもあるのだが、うらなりの苦渋にみちた眼差しが、これまでの純文学(「ビートルズの優しい夜」「袋小路の休日」等)の主人公に重なってくる。

 とすると、「夢の砦」の主人公、前野辰夫と川合寅彦はうらなりと坊っちゃんだったのか。ああ、そうか!
     △

 この項続く




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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