先週金曜日が最終出社でした。
 以降は有休消化となり退職は2月末日。
 8日(月)に引っ越ししました。部屋にはネット端末が来ているので連絡すればすぐに機械が設置されて利用できるもの、と考えていたのが甘かった。工事するのは一週間以上後になるということで、来週18日(木)に予約しました。
 ネットが使えないということはブログが更新できません。
 来週まで休みます。


 昨日市川崑映画祭が終了しました。予定していた作品はほぼ鑑賞しました。
 「女経」「「日本橋」「私は二歳」「雪之丞変化」「炎上」。「悪魔の手毬唄」が時間の関係で観られなかったので、代わりに同じようなプロットの「天河伝説殺人事件」を。
 昨日は「炎上」のあと、新宿ピカデリーで「残穢 住んではいけない部屋」を。
 書き忘れていましたが、1日には「クリムゾン・ピーク」を観ています。

 更新しなければならない項目がいっぱいあります。
 忘れているわけではないので、もう少しお待ちください。北海道のジンギスカンさん!

  ネットカフェにて




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 世間にはアンチ萩原健一っているんだなぁ。

 BSが観られないので、ドラマ「鴨川食堂」、主演のショーケンについてはツイッターで感想を追いかけている。僕自身ツイッターはやっていないのだが、気になる項目だけ閲覧しているのだ。昔はブログだったが、皆ツイッターに切り替えたので。

 ドラマが放送される前に、ショーケン中傷の記事がでた。ドラマ制作中若手俳優を虐めて降板させたと。その前にはわがまま三昧で撮影ができない、NHKに損害を与えていると。
 ドラマが始まると、京都弁は下手だけど、演技自体は称賛されている(感想が多い)。
 と思っていたら、昨日から俳優を降板されたという以前の記事のリツートが目立つ。かなりの人がリツートしているのだ。

 ある意識を感じる。
 絶対、ショーケンを陥れようとしている。降板俳優の熱狂的ファンだろうか。それとも事務所?

 何も知らない人がこの挑発にノッてしまうんだよ。リツートしている人でどれだけの人がショーケンを知っているのか。わかっているんなら悪口書けよ。
 知らないのなら黙ってろって。

 90年代、テレビ朝日の「柊又三郎」でショーケンの若手いびりがあった。何かというと文句が言うらしい。若手俳優の一人、中野英雄は理由がわからず、ある時、自分から何がいけないのか訊いたらしい。それから仲良くなったという。
 雨降って地固まる。
 被害者意識もろだしする前にやることがあったと思う。本人にしてもマネージャーにしても。事務所にしても。
 



 直木賞受賞作である金城一紀の『GO』(講談社)については受賞後何かと話題になっていたように思うが、ほとんど関心がわかなかった。ミステリなら真っ先に飛びつくものの、恋愛小説には興味がない。当然映画化を知っても食指は動かなかった。
 久しぶりに東映系の劇場で映画を観た際、『GO』の予告編が流れて気持ちが変わった。映像からほとばしるエネルギーをびしびし感じられたのだ。

 期待に違わない青春映画の傑作だった。主人公をはじめ登場人物たちがこちらの固定観念を打ち破るような造形で、まず度肝を抜かれた。映像の疾走感がたまらない。とにかく笑えることが精神衛生上よろしい。
 映画『GO』は笑いを散りばめ、過去と現在を交錯させながら主人公を取り巻く状況を説明し、親友が巻き込まれた事故、そして自身の日本人女子高生との恋愛によって在日朝鮮(韓国)人のアイデンティティや差別問題を浮き彫りにさせていく。
 語り口と構成の妙、在日朝鮮(韓国)人二世の主人公に扮した窪塚洋介の魅力、両親役の山崎努、大竹しのぶの上手さ、個性的な脇役たち。ラストの甘さが気になるものの、観終わって爽快な気分にさせ、なおかつ日ごろ僕たちが直視しない(したくない)問題を投げかけてくる。
 そうなると原作を読んでみたくなるのが人情だ。さっそく小説をあたった。

 小説『GO』の魅力はユーモアに包まれた軽さだと思う。とかく深刻になりがちなテーマを軽妙洒脱に語っていく。笑いがとれなければ意味がないというような主人公〈僕〉の語り口が愉快だ。突っ込みの比喩と例の出し方がうまくて、声をあげて笑ってしまうくだりが何度もあった。
 冒頭父親がハワイ旅行を計画し、国籍を朝鮮から韓国に変更するエピソードを紹介しながら、在日朝鮮(韓国)人の成り立ち、朝鮮と韓国の国籍の違い、それぞれの日本での出先機関「総連」と「民団」の説明など、ちょっとした在日朝鮮(韓国)人のうんちく講座になるのだが、ここでもう小説の世界にはまってしまう。
 戦争で日本に連れてこられ、無理やり日本人にさせられたにもかかわらず敗戦と同時に棄てられた父親。その後故国は二つに分断され、日本在住を許されるもののどちらかの国籍を選択しなければならず、貧乏人にやさしい(とされる)マルクス主義で、在日朝鮮(韓国)人に気遣ってくれる(はずの)北朝鮮を選んだという。
 元プロボクサーで現役時代は一度もダウンを喫したことがない父親に十九歳でナンパされ二十歳で〈僕〉を生んだ母親は亭主に従順を装いながら何度も家出を繰り返し、逆に亭主をコントロールしてしまう。
 〈僕〉は韓国籍になってから「広い世界を見るのだ」とばかりに民族学校を辞めて「偏差値が卵の白身部分のカロリーしかない」私立の男子高校に通っている。
 差別から身を守るには腕力がものをいう。喧嘩を売ってくるクソガキどもを父親直伝のボクシングを生かしてのしているうちにいつのまにか学校一のワルのレッテルを貼られていた。
 唯一の友だちは最初の挑戦者でやくざの親分を父に持つ加藤だけ。一番の親友は、朝鮮学校「開校以来の秀才」と呼ばれる正一(ジョンイル)だ。彼はかつて〈僕〉が挑戦し成功した〈スーパー・グレート・チキン・レース〉の模様を目撃して、それから「開校以来のバカ」と呼ばれた〈僕〉を何かと気にかけてくれる。
 加藤の誕生パーティーで知り合ったのが桜井という女子高生。不思議なところがあるけれど、とにかくかわいい。すぐに意気投合し、映画や音楽を話題しながらデートを重ねていく。
初めてふたりがむかえた夜のこと。自分が日本人でないこと、在日韓国人であることを告白する。国際感覚を身に付けている父を持つ彼女の言葉がショックだった。
「子供の頃からずっとお父さんに、韓国とか中国の男とつきあっちゃダメだ、って言われてたの……」「お父さんは、韓国とか中国の人は血が汚いんだ、って言ってた」
 
 映画は小説の中盤に出てくるエピソード、高校バスケット部の対抗戦で敵味方のふるまいにキレた主人公(窪塚洋介)の大乱闘事件から始まる。この乱闘と小説の最初のページで述べられる主人公のモノローグ「これは僕の恋愛に関する物語だ」がキーワードとなって、過去と現在が交錯する構成となっている。
 続けて〈スーパー・グレート・チキン・レース〉という肝試しに挑戦する主人公の中学時代の思い出が描かれる。
〈最寄り駅のホームの端に立ち、電車がホームの端から五十メートルの地点に入ったのと同時に線路に降り、ホームの端から端まで進行方向に向って走り切〉るゲームだ。見守るのは悪友二人。
 無事ホームを走り抜けた主人公と駅から逃げ出した悪友が合流し、バイクを駆って三人乗りで街中を突っ走る。三人を追いかけるパトカーとチェイスを繰り広げるタイトルバックが秀逸だ。音楽と映像が絡み合い、挿入されるクレジットがスパイスとなったエネルギッシュでアナーキーなオープニング。とても爽快だった。
 無二の親友や彼女と知り合う最初のきっかけを作ったこの二つのエピソードを冒頭に持ってきたことが、ドラマの進行につれて重要な意味をもってくる。
 原作の味わいをそこなうことなく映像に再構築している脚本(宮藤官九郎)がいい。
 映画用のオリジナルエピソード、アレンジも効果的だ。
 日本語を禁止する朝鮮学校で日本語を喋った悪友(たこ八郎を若く硬派にしたような新井浩文)が、批難する先生(塩見三省)に対してなぜ喋らなければならなかったかを延々と弁明するシーンは抱腹絶倒のおかしさで、なおかつ言葉に対する明確な主張が感じられた。
 彼女に振られた主人公が帰宅途中で警官(萩原聖人)に職務質問されるくだりも、その前にちょっとした前ふりをおくことで、警官の人の良さをより引き立てている。
 両親や友だちとの会話のキャッチボールが面白い。台詞が活き活きして何気ない捨て台詞にニヤリ。
 こうした台詞の中にあってこそ、「たまに、自分の肌が緑色かなんかだったらいいのにって思うんです。そしたら誰も寄ってこないのに」という心情吐露や「(父親に対して)あんたたちのことはあんたたちの世代でけりをつけろ」と激昂する主人公の胸の内がこちらに響いてくるのだ。
 ただし、親友が不幸な事故で死んでしまい、主人公が静かに怒り一人嘆き悲しむくだりは小説の方が心にしみる。
 女子高生が発する差別的な言葉も(すでにわかっているにもかかわらず)小説の方がショッキングだった。これは父親を演じた役者のイメージの問題だろう。
 女子高生(柴崎コウ)との会話で映画や音楽、本などのさまざま固有名詞がでてくる楽しさも映画は活かしきれなかった。その代わりデートシーンなどで絶妙なカッティングで雰囲気を醸し出していたように思う。カットの流れが心地よい。

 今年は矢口史靖監督『ウォーターボーイズ』、行定勲監督『GO』と高校生を主人公にした青春映画の秀作が続いている。
 若手の俊英たちが、素直に笑えて、清々しい気持ちにさせてくれる映画に取り組んでいることは喜ばしい限りである。





 今月になってからも市川崑映画祭には通っている。その合間にやっと「白鯨との闘い」鑑賞。怪獣映画のノリ(「ジョーズ」の鯨版、群像劇)で観たのだが裏切られた。まあ、いい意味で、だけど。

 本日、出社最終日。退職は2月末だか、来週からは有給消化になる。
 来週8日(月)は引っ越しだ。
 今年の年賀状でも宣言したが、R(Re)で会社も生活も再スタートを切る。
 とにかくやりたいことをやる。そのためには努力もする。何でもする。

     ◇

2016/01/14

 「ピンクとグレー」(TOHOシネマズ新宿)

 行定勲監督の作品は「春の雪」(2005年)以来。「GO」(2001年)で注目してからというもの気になる監督なのに。「世界の中心で、愛を叫ぶ」の大ヒット、大ブームで怖気づいたか。

 行定監督作品、主演は菅田将暉、ということで興味を持った。本当の主演は中島裕翔。といっても僕は何者か知らなかった。ジャニーズのアイドルなのね。

 冒頭、「小さな恋のメロディ」や「転校生」を彷彿させるシーンがある。シナリオライターや監督の遊びか。原作は読んでいないが、若い加藤シゲアキが意識したとは思えないので。

 夏帆のベッドシーン、その最中はかなり大胆な体位だが、実はかなり気を使って撮影されていることがわかる。セックス後の裸の露出が少ないのだ。露出しないようきちんと計算されて演出しているから不自然ではないのだが、役柄を考えれば全裸で部屋の中を歩き回るだろうに。
 夏帆は「小さき勇者たち GAMERA」で主人公の友だちを演じていた。小学生だった。以来TVでCMで映画でその成長を見守ってきたところがある。こちらはそんな〈親戚のおじさん〉になっているから、ベッドシーンも裸も見たくないからどうでもいいのだが、映画としてリアルではないことは確か。
 カッティングの妙は健在。
 
 負組になって生きる主人公が自分とダブって身につまされる。この半年かそこら身につまされる映画を観てばかりだ。女房との仲、子どもとの絆、今度は生き方か。まあ、ばかりは大げさだけど。
 ところでこの映画、果実さんは観たのだろうか。

 この映画のことは「漫画ゴラク」の映画評で知った。ストーリーの紹介で、最初に描かれるエピソードのドンデン返しに触れていて、その書き方がいかにもアバンタイトル的な扱いだったから、特に意識しなかったのだが、実際は1時間ほど続くのだ。何も知らなければかなりの衝撃だったはず。「漫画ゴラク」映画評はルール破りではないか!
 観終わってから知るのだが、宣伝でも60分過ぎの衝撃云々と謳っているのだ。そんなことしたらせっかくの映画の仕掛けをバラしているようなものなのだが。

 レイトショーだというのに若者たちで劇場はかなりの混雑だった。
 新宿ということもあるだろう。




 ジンギスカンさんへ、赤い鳥情報です。

     ◇

 先日、書店で村上ポンタさんの「俺が叩いた。ポンタ、70年代名盤を語る」(リットーミュージック)を見つけた。
 ポンタさんがスタジオミュージシャンとして参加したアルバムについて語っているのだが、序章が赤い鳥なのだ。「美しい星」と「祈り」を取り上げていてこれが感涙もの。
 大村憲司さんとポンタさんが参加している時代に、某TV番組で赤い鳥とPYGとフラワー・トラベリン・バンドが共演していてその模様がDVD-Rに焼かれて見せられたと書いている。

 な、なんと!
 PYGとフラワー・トラベリングだと。赤い鳥と共演だと。

 PYGは井上堯之、大野克夫(スパイダース)と沢田研二、岸部修三、今は一徳(タイガース)と萩原健一、大口広司(テンプターズ)で結成されたロックバンド、ジュリーとショーケンのツインヴォーカルが売りだったが、当時のロックファンからはアイドル出身、GS出身ということで無視され、あっけなく解散してしまった。ジュリーとショーケンが抜けて井上堯之バンドになるわけだけど。

 フラワー・トラベリン・バンドは、ジョー山中がヴォーカルの「SATORI」が有名。なんてことはずいぶん後になって知った。個人的には90年代になってから注目したのだ、ギターが石間秀樹、キーボードが篠原信彦ということで。ショーケンのドンジャン・ロックンロール・バンドの音に夢中になって以降のこと。ハプニングス・フォーとか。
 石間さんや大村さんのギターは、ほんとしびれますからね。

 3バンドの共演模様を観てみたい!

 2月23日(火)は高槻市で紙ふうせんのリサイタルがある。500円という格安料金で、バックは金関環&ラ・ストラーダや浦野さん、すぎたさん。もちろんチケットは関西在住のFCのIさんにお願いしている。
 当日挨拶がてら後藤さんにお願いしてみよう。ポンタさんからDVDを手に入れてください。で、見せてください。
 いや、平山さんにお願いしようか。
 ポンタさん、平山さんには頭が上がらないようだから。



akaitori ustukushiihoshi
「美しい星」
このジャケットならロック色ギンギンって感じでしょう?
長い間、そう思っていました。
実際は全然違います。
ほとんど、山上路夫・村井邦彦ゴールデンコンビによる作品なんです。

akaitori inori
「祈り」
これこそプログレ全開って感じ。
10曲のうち8曲が大村さんが担当しているけれど
胆の「誰が鳥を」は後藤さんの作詞作曲。
平山さん作詞作曲の「星」は平山さんのヴォーカルと大村さんのギターの
絡みが最高。




 紙ふうせんFC通信に寄稿したエッセイを転載します。
 「冬が来る前に」を知っている人は多いけれど、原詩は知られていないだろうから。

     ◇

 昨年暮れにFC関東地区+αメンバーの忘年会を兼ねて、念願のイベントを開催した。題して「紙ふうせん初期のライブ音源を聴く会」。
 表参道のカフェ・バーで75年と77年のコンサート模様を肴に酔いしれたというわけだ。

 77年のコンサートで披露される「冬が来る前に」が興味深かった。まさにフォルクローレなのだ。CBSソニー移籍第一弾としてシングルがリリースされる前の、2年近くステージで歌われていたもうひとつの「冬が来る前に」。一番の歌詞が大幅に違う。

  坂の細い道を赤い傘がゆれる
  夏の雨に濡れて歩くふたり
  海の見える丘に虹がかかるときは
  白い花を私にくれたあのひと
 
 どこか牧歌的で、何より色を感じさせてくれるところが後藤さんらしい。

 作曲の浦野さんに聞いたことがある。「冬が来る前に」はステージに彩りを加えるために作った曲だと。万人に受けるラブソングにしてくれと(作詞の後藤さんに)要望した。紙ふうせん本来の路線ではないのでレコーディングなんてまったく考えなかった、とも。

 赤い鳥時代から後藤さんも平山さんも直截的なラブソングは書かなかった。75年のコンサートでは新曲「別れの鐘」が初披露されているのだが、歌い終わった後の後藤さんの一言がふるっている。曰く「僕にとってはシャレですから」。そんな経緯ゆえ「冬が来る前に」は、東芝EMIの新人アーティストがレコーディングした。まったく知られていないことだが。
 ライブアルバム化を前提とした77年のコンサートで後藤さんはこう宣言している。
「ニューミュージックばかりをやりはじめた東芝EMIをやめます」
 にもかかわらず、CBSソニーは「冬が来る前に」をよりポップに大胆なアレンジでシングル化した。何とも皮肉な結果だが、あの時代、あのアレンジだからこそ大ヒットし、今に残る名曲になったのだと思う。ただし、後藤さんのジレンマはさらに深く浸透していった、のかもしれない。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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