宣伝です。

 ブックカフェ二十世紀では、明日から3日間連続で落語会を開催します。
 題して「本の街・神保町で3日連続落語会 ほんの寸志です。 【元編集者・立川寸志らくごライブ】」。

 立川流の二つ目、寸志さんは元編集者、出身はあのベネッセです。「たまごクラブ」「ひよこクラブ」のネーミングを考えた方なんです。その後、いくつかの出版社を渡り歩いて、某版元のときに担当したのが〈落語もできる小説家〉立川談四楼師匠なんですね。
 44歳で弟子入りです。

 寄席やホール落語会は敷居が高いと思われている〈なんとなく落語に興味を持っている〉人たちに来てもらいたいんですね。寸志さんの落語、面白いですから、ぜひ神保町散策のついでにお立ち寄りください。
 寸志さん、二席やります。もちろん、3日間、違うネタですから。
 また、最終日は終演後、打ち上げ(懇親会)を別途1,500円で実施します。ドリンクと軽食がでます。

     ◇

 ●日 時:5月1日(日)・2日(月)・3日(火)  14:00~15:00(受付:13:00~)
 ●木戸銭:1,500円(1ドリンク付き)

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 【おまけ】

2002/05/28

 「苦悩する落語家」(春風亭小朝/カッパブックス)  

 「苦悩する落語家」とは何とも意味深な書名である。副題に「二十一世紀へ向けての戦略」とあって何やら堅苦しい感じがしないでもない。でも書き手は春風亭小朝である。そのまま素直に受け取ることはできない。
 和田誠のイラスト(小朝の似顔絵)と題字によるほんわかした表紙、一センテンス一段落の読みやすい文章から、書名とは裏腹に落語界周辺を題材にした軽めのエッセイ集だと思った。  
 第一章〈新人の頃〉は著者自身の新人時代の思い出を語っていてほのぼの気分に浸れる。ところが第二章の〈落語界改造計画〉からまさに題名に偽りなしといった感じで、落語家、協会に対する苦言が次々に出てくるのだ。  
 著者自身は先輩36人抜きして真打に抜擢されてから、本業の落語以外にもマルチタレントとして人気沸騰、向うところ敵無しといったところで、自分のことだけ考えていれば安泰に違いない。しかしまわりを見渡してみると業界という大海原で溺れかけている仲間がたくさんいる。先輩たちには現状に不満を持っているいる人もいるにはいるが、自ら動こうともしない。噺家はみな一匹狼だからいたしかたない。団体も一致団結して何かしようなんてことはしない。  
 落語および落語家をとりまく現状に危機感を募らせた落語界の人気者が、このままだと落語は過去のものになってしまうとばかりに、本当に21世紀に向けてのさまざまな提言を述べた書なのである。
 寄席に出ている落語協会所属の落語家と出ていない立川流とどちらが活躍しているか、と胸を張る談四楼講師の声がよみがえった。

 読んでいて辛くなってくる。未来の落語協会会長・古今亭志ん朝はもういない。一緒に独自の寄席をプロデュースした三木助は自ら命を絶ってしまった。年齢から考えれば大往生じゃないかと思えるものの、人間国宝・小さんも今はもうこの世の人ではない。本書が平成12年に書かれていることを思うと、運命とはいえあんまりではないか。  

 落語協会、落語芸術協会の幹部で、あるいはこれからの落語をリードしていかなければならない真打で本書の提言に耳を傾けた人が何人いるだろうか。

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 紙ふうせんFCのメンバーであるKさん、知り合ったころは東京の交流会で話すだけだった。実はギター小僧(まあ、FCの男性メンバーはほとんどそうなのであるが)で、今は地元の千葉のアマチュアバンドの一員、昭和歌謡をレパートリーにして休みも日はライブ活動にいそしんでいる。

 水木ノアさん、プロのミュージシャン、アーティスト(シンガー・ソングライター)だ。もう10年以上前になると思うが、某自主映画の音楽を担当したことで知り合った。ロックバンドを結成していて、ある時期から盛んにライブハウスに足を運ぶようになった。オリジナル「Human」にガツンときたものだ。
 念願のワンマンライブを開催したと思ったら、あっけなくバンドは解散してしまった。以降、ソロで活動している。
 ノアさん、ミュージシャンの顔とともに占い師なんていう別の肩書を持つのである。霊感なんかもあるみたいだ。
 今は某UMA研究家(?)の事務所に所属して、タレント活動も行っている。

 そんなノアさんとKさんが知り合いだった。
 そこらへんのことについては こちらで書いている

 僕がブックカフェ二十世紀で働きだしたのは、まあ本好き、古書好きということもあるけれど、トークを中心にしたさまざまなイベントを開催していることが大きい。
 自分でもイベントを企画、実施したいのである。
 もう10年前になるが、地元川口のライブカフェで「紙ふうせんトリビュート・ライブ」を開催した。赤い鳥・紙ふうせんのファンによるファンのためのライブだった。
 その第2弾をブックカフェ二十世紀でやろうと考えている。当然、Kさんにも歌ってもらう。
 そんなわけで、Kさんは何度かお店に来ている。会場がどういうところか見てもらうために。
 ノアさんにも何かやってもらいたくて連絡をとっていた。忙しくてなかなか来店できなかったのだが、少し前にKさんからメッセージをもらった。
「(4月)25日にノアさんと19時に(お店に)伺います」
 すぐに返信した。「お待ちしています」

 少ししてノアさんからもメッセージが来た。
「25日、Kさんと19時にお店に行きますからね」
 不思議なものだが、この時は19時に反応した。お店は19時に閉めてしまうのだ。19時に来ても店内を見せられない。まあ、それでもいいか、お店で落ち合ってそのまま食事(呑み)にいけばいいのだから。
 その旨返信したら、ノアさんから「もう一度セッティングしなおします」とあった。が、その後はナシのつぶて。

 さて、25日。朝、二人がくるのかどうか気になった。普通なら連絡をとるのだが、「まあ、いいか」と思い直した。来たら来たらで、来なければ来ないでいいと。
 18時過ぎにKさんがやってきた。ああ、やっぱりあの約束は本当だったのだ。
 19時、店を閉めてから、外でノアさんを待つ。
 5分過ぎ、10分過ぎてもノアさんは来ない。
 確認の電話をしても出ない。留守電にメッセージを残した。
「ノアさん、今日のこと、ないものと認識しているんじゃないの?」
 と僕。
「もう一度セッティングしなおします」のあと、連絡がないということは、自分の中で仕切り直した結果ではないか。19時来店はなかったものになった。本当なら、新しい日時がセッティングするはずだったが、忙しくてできなかった、のでは?
「そんなことないよ、19時にお店で落ち合うことを確認したら、了解という返事もらったんだら」
「それはいつのこと?」
「10日前」
 それって、僕の「19時に閉店する」メールが届く前ではないか。
「やっぱり、ノアさん、今日のことはなかったことになっているんだよ」
 30分過ぎても、ノアさんから何の反応がないので、二人で近くの中華屋さんに入った。ノアさんから連絡あったら、店に来てもらえばいいんだし。
 黒ホッピーで乾杯。昨年の3月に開催された赤い鳥、紙ふうせんコピーバンド大会や昨年9月の「ALFA MUSIC LIVE」、ポンタさんの話で盛り上がった。

 お開きとなって、二人で秋葉原まで歩いているときにKさんのスマホが鳴った。ノアさんからだった。
「ノアさん、どうしたの、25日は19時にブックカフェ二十世紀に集合じゃなかったの?」
 Kさんの問いにノアさんが応えた。
「今日、24日でしょう?」
 
 あのね、ノアさん、わしらたまらんよ。



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Kさんのバンドのライブにノアさんに誘われて伺った際に


sannin2
まぐま同人の脚本・監督作品にノアさんとともに出演した際に




 ハリウッド映画の〈事実を基にした〉映画化作品について、いつも眉唾ものとして観ている。まあ、映画なんだから仕方ないのかもしれないが、それにしたってあまりに事実とかけなはれた描写はいかがなものか。

     ◇

2002/05/28

 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡」(シルヴィア・ナサー/塩川優 訳/新潮社)  

 映画「ビューティフル マインド」を観て、2点ばかり気になったことがある。  
 本当のところ、主人公ジョン・ナッシュの妄想とはどういうものだったのか、妻との関係は映画みたいな美談めいたものだったのか、ということだ。  
 映画の批評で原作とかけ離れた内容との指摘があったが、どの程度違うものなのかを確認したい気持ちもあって、図書館にリクエストしたのだった。  

 読了した今、映画は原作とは別物と考えた方がいいことがわかった。映画は原作から天才数学者が精神分裂病を克服して後にノーベル賞を受賞するという事実だけを借りた、まったくのフィクションと言わざるをえない。ジョン・ナッシュおよびその妻からインスパイアされた架空の人物を創造すべきではなかったか、と。  
 実際ナッシュ夫妻は映画を観てどう感じたのだろうか。映画の内容に納得するのだろうか。自分たち夫婦の物語だと全面的に受け入れることができるのだろうか。  

 そうそう、まずお断りしなければならなことがある。  
 映画「ビューティフル マインド」の感想で、主人公を演じたラッセル・クロウと比べて本物のジョン・ナッシュは数学者というイメージから貧弱な体躯の小男ではないかと書いたのだが、これがまったくの間違いであることがわかった。本書に収録されている写真を見ると、若かりし頃のナッシュはなかなか〈いい男〉であり、驚くほどりっぱな体格をしている。身長183cm、体重77kg。「肩幅が広く、胸は筋肉がもりあがり腰は細くひきしまっていた」と文章にもある。「容姿はギリシャ神話のように見栄えがよかった」そうだ。ラッセル・クロウの配役はぴったりといえるのだ。(ちなみに妻のアリシアもかなりの美人で映画のジェニファー・コネリーも的確なキャスティングなのである)  

 天はニ物を与えずといわれるがジョン・ナッシュに限っては明晰な頭脳と見てくれのいい外見を備えていた。とはいえ、性格がとんでもなかった。映画でも変人として描かれているが、通り一遍の変人ぶりで嫌悪するほどではない。僕はすんなりと感情移入することができた。  
 実際は映画の比ではない。高慢ちきで身勝手、ケチで差別主義、能力の劣る者に対しての蔑み等々、身近かに、もしこんな人がいたら絶対そばに近づきたくないタイプ。たまらなく嫌な奴なのである。  
 結婚する前に別の女性とつきあって子どもをもうけた。しかし結婚する気はない。自分の妻になるには教養がなさすぎる。とはいえ別れるつもりはない。会いたい時に会う。子どもを抱えた女性は生活するのも大変だというのに、生活費を入れるわけでもない。収入はそれなりに得ているのに、である。最低な男ではないか。  
 バイセクシャルでもある。数人の男性と深い関係にあったという。  
 天才とははなはだそういうものである、のかもしれないが、それにしても不思議なのはそういう彼にちゃんと友人がいることだ。暖かく見守り、困った時は何かと手をさしのべてくれる。破綻した性格でも天才はその業績だけで世の中が受け入れてくれるのだろうか。  

 本書はジョン・ナッシュの生い立ち、学生時代から現在までの長い年月を友人や関係者の証言で構成された労作といえるものである。著者のシルヴィア・ナサーは3年間関係者を取材したという。  
 ゲーム理論、幾何学、解析学の幾多の定理、概念に名を残しているとあるが、やはり数学大嫌い人間の僕にはとんと縁のない人だ。  
 面白いのはナッシュ家では代々男の名がジョンであること。欧米ではよくあるパターンではあるが。父がジョン・フォーブス・ナッシュ・シニア、本人がジョン・フォーズス・ナッシュ・ジュニア、愛人の子がジョン・デヴィッド、正妻の子がジョン・チャーチルという具合。  

 前半は少々退屈だった。というかナッシュに対する反発ばかりで怒り心頭状態だった。  
 ナッシュが発病してからは、こちらがそれを期待していたからもあるのだろうが、ぐいぐい引き込まれる。   
 思ったとおり、映画の妄想はオリジナルだった。やはりその症状は躁病のそれと似ている。妻に裏切られたと暴力をふるうところが僕には理解できないが。読む限りでは発症の要因がわかならない。躁鬱の場合は、(あくまでも個人的なのかもしれないが)要因ははっきりしている。将来に対する漠たる不安なのか。  
 症状が進行していき、一時はホームレス寸前まで落ちぶれたジョン・ナッシュだが、奇跡的に快復、ノーベル賞受賞したのは映画で描かれたとおり。ただし、妻との関係は映画みたいなきれいごとではすまなかった。確かに病気になった当初はいろいろと面倒みるが、何度か繰り返すうち気持ちは離れていく。やがて別居。離婚。(後にまた復縁する)  
 ここらへんの夫婦間のやりとりは納得できる。映画の中のアリシアはあまりに出来すぎた人物だもの。ただ、妻との夜の生活に応えたいとばかりに毎日服用しなければならない薬をやめてしまい、また症状がぶり返す、僕が映画で一番切実に感じたエピソードも実際にはなかった。  

 映画では愛人問題、同性愛とともに触れられていない事実がある。僕自身もかなりショックを受けたのだが、成績優秀な息子(ジョン・チャーチル)が大学時代に同じ精神分裂病に見舞われてしまうのだ。やっと取り戻した平穏な日常に襲いかかった悲劇。親としてこれが一番つらい現実ではないだろうか。  

 治癒したからこそ言えることは重々承知のうえで言う。  
 ジョン・ナッシュは狂気をさまよったことによって人間性を取り戻せたのではないか。友人、家族のありがたさを知ったのではないか。天才のまま人生を送っていたらどんな人間になっていたことか。数学界にとっては大いなる損失だったのだろうが、僕にはそう思えてならない。




 本日、9時に北浦和駅でかみサン(元)と待ち合わせ、浦和年金事務所へ行き、分割の手続きをとる。女性の担当者が処理をしてくれたのだが、こちらに対する呼び方が「旦那さん」「奥さん」なので、言われるたびに「元ね」と訂正していた。
 終わってから駅前の喫茶店でモーニングセットを食べて別れる。
 かみサンは歩いて浦和駅へ、僕はさいたま新都心へ。もちろん歩いて。
 MOVIXさいたまで「スポットライト 世紀のスクープ」を鑑賞。ラストの字幕で仰天すること間違いなし。
 その後浦和駅まで歩く。本当は西川口まで歩こうと思っていたのだが、雨が降ってきたのであきらめた。焼鳥日高で一杯。

 かみサンにはいろいろ苦労をかけた。
 すべて自分のせいで別れることになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

     ◇

2002/03/20

 「ビューティフル マインド」(よみうりホール 試写会)  

 他人事とは思えない映画だった。  
 数学大嫌いな僕が、この映画の主人公であるジョン・F・ナッシュという天才数学者が実際に存在していることや彼が1994年にノーベル賞を受賞したことなど知るわけもない。試写会に誘ってくれた友人から事前に主人公の精神障害云々の物語であることを聞いていた。にもかかわらず、映画が始まった時にはすっかり忘れていた。  
 他人事と思えなかったのはその精神障害のこと、そのことでかみサンに多大な迷惑をかけたことなのだ。
 
 冷戦下の時代、主人公のジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)がプリンストン大学に入学したところから映画は始まる。出身地ウェストバージニアで〈数学の天才〉と謳われたナッシュはライバルのハンセン(ジョシュ・ルーカス)が続けざまに論文を発表する中、独自の理論を発見するため、授業に出席することもなく、目にすることすべてに数学的考察を重ね、窓ガラスに方程式を書き連ねる毎日を送る。人とつきあうことが極端に苦手で研究に没頭し、クラスメートから変人扱いされる彼の唯一の友はルームメートのチャールズ(ポール・ベタニー)。  
 ある日、ナッシュは大学のバーに入ってきた絶世の美人の女子大生に声をかけてごらんとのクラスメートの言葉からこれまでの理論を覆す新理論を発見した。この功績によって卒業後憧れのウィーラー研究所に配属されることになる。  
 意気揚揚と研究に励むナッシュ。そこへ国防省の諜報員(エド・ハリス)が現れた。ソ連で極秘に開発している小型原子爆弾が秘密裏に合衆国に運ばれる。そのルートを示す暗号が新聞、雑誌の紙(誌)面に載るので、それを見つけだし、解読せよ。  
 同じ頃、担当する講義の聴講生(ジェニファー・コネリー)と知り合い、結婚する。  
 結婚後も黙々と雑誌の記事から暗号を選び出し、解読した書類を夜な夜なある邸宅の郵便ポストに投函する作業を繰り返す。 
 かつてのルームメイトのチャールズがかわいい姪っ子を連れて遊びにきたりする。気の置けないチャールズにも任務のことは打ち明けることはできない。
 ナッシュにとってつらい毎日が続く。  
 ソ連の小型原子爆弾の話や諜報員から特殊任務を請け負う際の左腕に暗号を記したチップを埋め込む作業など、まゆつば的な展開になって、おいおいこの映画、実話ではなかったのか、と狐につままれた気分になるのだが、ナッシュの、仕事部屋に錯乱した雑誌類の切り抜き、手当たり次第に書き込みしたメモの異様さを目の当たりにして「もしかして?」と思い直したら、案の定、すべて彼の妄想だった。  

 似たようなことを僕も十数年前に経験している。いわゆる躁病になってある妄想にとらわれた僕は郷里に連れ戻された。自宅謹慎になっても妄想はますますひろがっていって、毎日とんでもない行動をとっていたのだ。  
 僕の場合、ある団体が僕を中心にした巨大プロジェクトを計画し、会社の人間、家族、友人たちも裏で協力して僕をそのプロジェクトに巻き込もうとしている、その右往左往する様を記録し、最後にあっと驚く発表をする、という妄想だった。僕はその計画に気づいているのだが、その団体との間には、気づかないふりをして毎日をすごさなければならないという暗黙の了解がある。とにかくあわただしく心休まる日がなかった。TVをつければ、番組の出演者は暗に僕のことを話題にするし、新聞や雑誌を読めば、まるで僕に読まれることを意識した内容の記事がそこにある。  
 ナッシュが雑誌を漁り、暗号を見つけ出すくだりでは、まさに当時の新聞や雑誌を読んではニヤニヤしていた僕自身の姿がダブってくるのだ。  
 街を歩いていると行き交う人がすべて自分に注目している。こいつらも一味なのか? だったらこちらも演技してやれ。まるでどっきりカメラのノリで対応してしまう。今、どこからカメラが自分を狙っているのだろうなんて考えながら。  
 今思い出しても冷や汗がでる。怖い。
 
 妻に隠れて危険な諜報活動を行っている(と自分では思っている)ナッシュはやがて見た目にも憔悴しきって、救いの手を差し伸べる精神科医が登場する。ナッシュは自分がおかしいなんてまったく思わないから激しく抵抗する。それこそソ連の陰謀だろうと疑心暗鬼にみまわれる。
 
 僕も当時まったく同じだった。「病気だ」と言われても信じられるわけがない。心配し、いろいろと訊いてくる家族や友人と対話しながら、これもシナリオのうちなのか、裏でプロジェクトチームの責任者と打合せをすませているのだろうと僕はたかをくくっている。で、あまりにしつこいから、つい口にだしてはいけない〈プロジェクト〉のことをチラっと話すと、とたんに顔色を変える。「ああ、やっぱり」僕は安堵する。「やっぱりプロジェクトが進行している……」  
 今思うとあの時の顔色の変化はまったく違うことだったんだとわかるのだが……。精神科に連れて行かれても、医師を前にして病気じゃないと主張していたのだからざまがない。
 
 ナッシュは自分を敵に売ったのは信頼していたチャールズではないかと、チャールズの裏切りを激しく批難する。隠れて彼を見守るチャールズの申し訳ない顔が胸を刺す。ここで精神科医の言う一言が衝撃的だ。奥田英朗「最悪」(講談社)にも同じようなくだりがあったっけ。  
 ナッシュは精神分裂病と診断される。発症は学生時代からだという。その傾向が見られなかったかとの医師の問いにクラスメートは「昔から変人だったから」と答える。  
 それから妻の献身がはじまるわけだが、これも観ていてたまらなかった。  

 躁状態で結婚した僕は、躁鬱病に関する本を読み、それまでの出来事がすべて躁病の症状にはてはまることに愕然とした。自分の妄想であることがやっとわかり、一気に鬱になってしまったのだった。仕事もせずずっと部屋に閉じこもり、何もできない。またまた精神科のお世話になり、精神安定剤の薬を毎日飲む始末。薬を飲んだ直後に外出し、商店街をラリった状態で歩いていて帰宅途中のかみサンと鉢合わせするなんてことがあった。
 いつまた発病する(妄想を抱く)のではないかと、びくびくしているジェニファー・コネリーの表情、態度はあの頃のかみサンそのものだ。
   
 妻の献身的看護で治ったかのように思えたナッシュは、あることにより薬の服用をやめ、病気が再発してしまう。  
 薬を常時服用していると、男の能力を減退させてしまうことになる。夜、妻が求めてきても応えることができない。その時のジェニファーの怒りがすさまじかった。拒否されたことにより、これまでの苦しみ、寂しさ、むなしさが一気にこみあげてきて爆発したのだろう。それを見たナッシュは以来薬を飲まなくなる。
 
 ここも昔を思い出してつらかった。
 躁状態の時とうってかわって、性欲はなくなり、下半身はまったく反応しない。おまけに夜は精神安定剤のため一度寝たら朝まで起きない。
「ガアガアいびきをかいて寝ているあなたを見ていたら、涙がでてきてたまらなかった」
 ずいぶん後になってかみサンの言った言葉が耳にへばりついている。  
 もうこの辺でやめよう。きりがない。

 主演のラッセル・クロウは前作「グラデュエーター」と180度違う役柄に挑戦し、見事成功している。
 役者には役を自分に近づける者と自分を役の方に近づける者と2つのタイプがあるが、彼はまさしく後者の方だ(本当はこれに大根役者が加わって3タイプになるのだが。)映画のたびに印象が違うのだから恐れ入る。
 ただしガタイの良さだけはいかんともしがたかった。
 実際のナッシュがどういう人か知らないけれど、映画に登場するようなキャラクターならば、見るからに華奢で少々病的なタイプではないかと思う。ところが半そで姿のラッセル・クロウの二の腕や胸板の太いこと、厚いこと。ぜったいスポーツやっている優良児のそれだもの。でも、まあ、許しましょう。  
 エド・ハリスがかっこいい。まるで昔の手塚治虫のマンガに登場してきそうな諜報員だ。禿げでも魅力を感じる男。ショーン・コネリーと双璧をなす。
 メーキャップの巧さが特筆もの。1940年代から90年代まで、主演の二人は見事に年齢を重ねていく。確かに登場したての頃は本当に当時の大学生っぽさ、初々しさがあるし、晩年の恰幅のいい老人(マーロン・ブランドと見間違えるほど)にも不自然さはない。ま、アメリカ映画は伝統的に老いていくさまのメーキャップが巧いのだが。(「ひかる源氏物語」のメーキャップアーティストの方、見習ってくださいよね)  
 この映画に関しては映画を映画として楽しめない自分がいた。感動的な物語という賞賛、実話とかけ離れた描写があるという批判なんてどうでもいい。  
 ロードショーされたら、かみサンともう一度観ようかな、と思った。
「この夫婦はいいわよ。さんざ苦労したって夫のノーベル賞受賞で報われるんだから。あたしはどうなるの? あなたの夢の実現を信じて、結婚して、新婚生活を躁鬱病でめちゃくちゃにされ、その後も……(以下略)」  
 ぜったい夫婦喧嘩になるな。やめておこう。




 太田市の法務局(正式名称は前橋地方法務局太田支局)は、太田駅の隣、三枚橋駅から歩いて5、6分のところにある。
 三枚橋には学生時代、強烈な思い出がある。

     ◇

●慢性躁病 2005/05/16

 某映画雑誌の最新号に「IZO」に主演した俳優と内田裕也の対談が掲載されていた。
 「IZO」は豪華ゲスト陣が話題になった。脇役が有名人ばかり、主演が一番知られていないなんて評されていたような。結局映画は観なかったが、雑誌の、内田御大の相手をする俳優の名前と顔に見覚えがあった。すごく懐かしい感じがした。その理由がわからなかった。
 Sさんのブログを読んで氷解した。
 そうだ、そうだった。この俳優、映画降板に腹を立て、監督を刺した人なのだ。
 人間、誰だって有頂天になったり、落ち込んだりする。躁鬱なんて誰にもあることだろう。ただ下限や上限が決まっているだけ。その範囲の中では自分の気持ちの持ちようでなんとかなる。僕が中学、高校生だった時は、落ち込んでも翌日になるとケロっとしていた。自分で「ウツ」だ「ソウ」だなんていっているうちは病気でもなんでもない。
 本当の鬱になると手がつけられなくなる。まず夜寝られない、朝は起きられない。外出がおっくうになる。食欲がない。動悸が激しい。頭に重石をのせられたような感覚。何も考えられない。過去のいろいろなことが思い出され、すべてを否定したくなる。夜寝る時、このまま心臓が止まってしまって目が覚めなければいいのに、なんて思う。通りを歩いていて、暴走した自動車が自分に向かってくれば…変な期待をしてしまう。頭の回転が働かないから文章も綴れなくなる。
 普通なら何でもないことをやけに気にする。たとえば、気分転換のため散髪に行ったとする。そのスタイルがどうにも気に入らず、人に会いたくなくなる。約束をすぐ反故にする。反故にしたことを気にしてまた落ち込む。自分は最低、最悪。生まれてきたこと、生きてきたことを呪う。
 鬱はつらい。つらすぎる。
 他人に対して迷惑ばかりかけて……本人はそう思っているのだが、実はそれほどのものでないことが多い。本当に多大な迷惑をかけるのは躁の時である。
 Sさんの「IZO」主演俳優との思い出話を読むと、その言動が、程度の差はあるものの、躁状態だった自分とダブるのだ。あくまでも想像だけど、この方、慢性の躁状態ではないかと思ってしまう。

 というわけで、躁鬱の話です。
 たぶん、長くなります。


●うつ鬱とウツ 2005/05/17

 大学時代の3年、4年の春に鬱を経験している。原因は母の病気だった。
 脳腫瘍。正式な病名は右小脳テント髄膜腫。腫瘍自体は良性だが、場所が脳の奥で切除するのが難しいとのことだった。12時間に及ぶ手術はとりあえず成功した。が、術後の肺炎で危篤に陥った。驚異の生命力で危機を脱出したが、その後の経過がよくなく、寝たきりになった。
 家が電気店を営んでいて、高校生の弟がいたから、夏休みや春休みは自宅で主婦業の毎日を送った。母親の具合がよくなっていくのであれば、張り合いもでてくるのだが、そのきざしが見えないと単調な毎日にうんざりしてくる。次第に落ち込んでいった。
 最初の鬱は、ちょうどサークルの春合宿に発症した。この時の極度の落ち込みから鬱になる瞬間をはっきりと自覚している。
費用、時間、家庭、いろいろな問題を抱えながら、どうにかサークルの春合宿に参加した。 部長として責任ある立場。1年の春合宿が楽しかったので、同じ河口湖に決めた。
 退学の件やら、アパートを引き払う件などあって、たった一人しかいない同学年のUに一緒に風呂に入りながら今後のことを相談した。部長としての任が果たせない、もしかしたらサークルも辞めるかもしれない、そうなったらお前やってくれないか。返ってきた言葉は「だったらオレも辞めるよ」。
 その翌日、すでに活動を離れた4年生数人が自家用車でやってきた。部屋に入ってくるなりO先輩が言った。
「しけた合宿しているなあ」
 たぶん雰囲気も暗かったのだと思う。先輩にしてみれば、その気持ちを素直に表現しただけのこと。O先輩とは日頃一番仲が良く、そのキャラクターから僕の企画した2本の映画の主演(1本は都合により別の部員になった)してもらったほどだ。普通なら「まあ、まあ」と久しぶりの再会に話を弾ませるところなのだが、この言葉が見事に僕の胸に突き刺さった。
 苦労してやっと合宿までこぎつけたというのに、最初の挨拶がそれかよ、という反発ができたのならまだよかった。できる元気なんてなかった。
 それまでどうにかこうにか保っていた平常心という壁。その壁のいたるところに亀裂が生じていたところ一気にハンマーで叩かれたような衝撃がO先輩の一言にはあった。決壊したダムというか、こうなるともうダメだ。夕食が喉をとおらなくなった。
 この時は夏の教習所通いが気分転換になって、どうにか自然治癒した。
 困難を極めたのが2度めの鬱。やはり春休みから落ち込みだし、身体に影響がでてきた。原因は母親と家のこと。1年前にくらべてちっとも状況がよくなっていないことが帰省してわかっておかしくなっていったのだった。


●ウツの夏 2005/05/18

 鬱のおかげで教員免許(中学・社会科)の取得を断念した。一応教育実習に行ったのだが、地獄の毎日だった。よく教壇に立てたものである。
 単純なミスを連発して、最終日には校長との懇親会をすっぽかした。これでまた落ち込み、その後必要な書類申請を大学に提出せず。免許を取得できなかったというわけだ。
 免許を取ったからといって教員になるつもりはほとんどなかったけれど。
 大学生最後の夏休みをむかえても鬱は治る気配がない。
 心配した叔母と祖母からある祈祷師(霊媒師か?)のところへ通えばと提案された。その人に見てもらえばどんな病気も治ってしまうのだとか。ハナからそんなものを信じていなかったが、治ったらもうけものとばかりに叔母と祖母をクルマに乗せて何度か通ってみた。案の定少しも改善しない。良くなったのは叔母と祖母の神経痛だ。気のせいなのだろうが。
 通わなくなったのは、僕がクルマで事故を起こしたことによる。叔母と祖母を迎えに行く途中で田んぼに突っ込んだのだ。
 その日、クルマの助手席の窓を全開にしていた。祖母の家に着く寸前に道路を右折するのだが、この時の勢いでダッシュボードの上においていた免許証が窓から落ちそうになった。あわてて左手で免許証をつかむ。右手はハンドルを持ったまま。神経は免許証に集中しているから曲がりきってももとにもどさず。あっと思った瞬間に衝撃があって田んぼの中にいた。
 車は父の友人である業者がレッカー車で引き上げたのだが、後でしきりに感心していたという。 
 田んぼと道路の間にドブ川(溝)があって、普通なら田んぼに直進する前にこの溝に前輪を引っ掛けて停止するはずだと。それを僕は溝に一定間隔でかかっている細いコンクリートの上を走りぬけた。だから田んぼに落ちて車体を泥で汚したものの車に損傷はなかった。
「たいしたもんだよ」
 元気な時に言われれば、事故を起こしたことに対する気持ちも吹っ切れるのだろうが、鬱の人間はそんな言葉にも激しく動揺する。
 溝に落ちた方がまだよかった、田んぼの中にすっぽりはまったなんてその方がよっぽど恥ずかしいじゃないか、と。
 人は歯痛や頭痛、胃痛などは自分でも経験があるから、病状を告げると理解してくれる。しかし、躁鬱など精神に関する病気はほとんどわかってもらえない。病気の認識がないというか。
 病気なら医者に診てもらう。これは当たり前のことだが、こと精神に関してはどうにも躊躇してしまうのだ。
 鬱になると身体に異変が起きてくる。
 頭が重い、胃がヘンだ、吐き気がする、なんて症状からまず内科などに行って検査してもらっても、問題がないと言われてしまう。それでもとにかく身体の調子がおかしいと主張すると「自律神経失調症」と診断されるのがヤマ。精神科など勧めてくれない。
 本当ならこの時点で精神科へ行くべきなのだ。睡眠薬を飲むだけでもずいぶんと楽になるのだから。
 事故から数日後、僕は父に連れられ地元でも有名な精神病院の門をくぐることになる。


●サンマイバシ 2005/05/19

 郷里の群馬県太田市に〈三枚橋〉と呼ばれるところがある。地名というか、駅名になるのか。太田には東武電車が走っていて、浅草から伸びている伊勢崎線は太田駅で二つに分かれ、一本は伊勢崎へ、一本が桐生に向かう。桐生に向かう線の最初の駅が三枚橋駅。
 今はどうか知らないけれど、この名称にはたぶんに差別的、侮蔑的な意味合いが含められていた。
「三枚橋に連れて行くぞ」「それじゃ三枚橋だよ」
 人を小ばかにするときの常套句だった。
 子どものころは意味もわからず使っていた。中学生になってやっと理由がわかった。三枚橋に精神病院があるのだ。この病院は患者に対して開放的な施設として全国的にも有名な病院だと後年知った。ある週刊誌で院長のインタビューを読んだことがある。
 父の運転する車で三枚橋病院に行った僕は心穏やかでなかった。どうしてこんな病院に来なければならないんだ。オレは精神がおかしいのか。入院なんてことになったらどうしよう。友だちに知られたら恥ずかしい。 
 待合室でかなり待たされたような気がする。まわりには一目で異様と思われる男女がいる。ぶつぶつ独り言を繰り返している男。奇声をあげる青年。一心不乱に絵本を見つめている少女。エトセトラ、エトセトラ。
 僕は何もすることがなく、ただただ彼らの行動を観察していた。
 差別的発言にとられるかもしれないが、こうした患者に囲まれながら思った。
「こういう人たちを、おかしいと思う自分はやはりおかしくないのか」
 名前を呼ばれて診察室に入った。院長先生が怖い視線を浴びせながら訊く。
「どうしました?」
 症状を話すと途中でさえぎられた。
「××だよ、○○すれば、すぐよくなる。大したことない」
 ものの数分とかからない診察。院長にほとんど相手にされなかったといっていい。実際もらった薬を飲んでからぐっすり眠ることができようになった。もっと早く行けばよかったと後悔したものだ。

 本当に鬱状態から脱出したのは、すでに記した友人の死のショックからだが、こうして2回の鬱を経験した僕はもう二度と同じ症状に見舞われない自信があった。おかしくなったらすぐに精神科を訪ねればいいのだから。
 就職浪人して念願のCF制作会社に就職した。紆余曲折はあったけれど、とにかく社会人として希望に胸ふくらませながら歩みだした僕にもう鬱なんて関係なかった。よもや2年後に再び三枚橋病院の世話になるなんて、その時はこれっぽっちも思ってもいなかった。
 それも躁病の患者として……


●妄想と狂騒の75日間 2005/05/20

 なぜ、陰々滅々とした躁鬱体験記なんて綴っているのか。

 夕景工房の読書日記2001年8月6日の志水辰夫「背いて故郷」。読書レビューのあとにこう続けた。
     ▽
「背いて故郷」は、その題名に個人的に思うところがあって読んでみたくてたまらない作品だった。にもかかわらず今まで手にとらなかったのはこの本にまつわる苦い思い出があるためだ。
 大学2年の時に母が病気で倒れてからというもの、家の事情(経済的な問題、電気店を営む父と高校生の弟の生活)で長男という立場から大学を辞めるか郷里に戻るかという問題に直面した。東京から電車でわずか2時間の距離なのだから、今から考えるとどうということでもないのだが、当時ある夢を抱いて上京した僕は退学することもアパートを引き払うこともできず、卒業してからもUターンすることはなかった。父は親戚からいろいろと言われていたらしい。それでも僕のわがままを許してくれた。それがずっと自分の中でわだかまりになっていた。3年と4年の春には鬱病に苦しんだ。何とか病気も治り、就職浪人の末希望する職種の会社に就職できた。  
26歳の春、それまでの1年間、プライベートと仕事の悩みで悶々としてきた僕はある夜「11PM」を見ていた。番組には当時内藤陳がお薦め本を紹介するコーナーがあった。その日内藤陳がこの単行本を持ってこちらにむかって「君に送る本はコレだ」と自信満々に言い放ち、ニヤリと笑ったのだった。この時、内藤陳が僕に対してある啓示を与えているんだ、と全身に電流が流れた感じがした。
 翌朝から、見る(読む)もの、聞くものすべて自分に発信されているとばかり、すごい勇気がわいてきた僕は大胆な言動、行動をとるようになり、ある日、会社から郷里へ強制送還されたのだった。つまり躁病の発症。郷里に戻ってからも妄想は次第に膨らみ、まわりの人たちに迷惑ばかりかけていた。ここらへんの顛末は「焦燥と妄想と狂騒の75日間」というタイトルで小説風にまとめてみようと考えているのだが、当時を思い出すとちょっと怖くなるのでまだ手を出せないでいる。
     △
 「妄想と狂騒の75日間」の備忘録を書こうとしていた。
 最初に某俳優さんの発言や行動に対して慢性躁病じゃないかと書いたのはこの時の体験が基になっている。Sさんとの会話で発せられた大言壮語。あれは目の前のSさんだけでなく、その場にいる不特定多数の人たちに聞こえることを前提にしていたのではないか。僕自身がそうだった。それも確固たる自信があって―それが怖いのだが……
 で、僕の場合、躁が治った頃、すべてが妄想であることに気づき、一気に鬱が襲ってきた。
 これが最悪。結婚したあとである。もう医者の薬も効かなかった。自殺まがいの行動もおこした。
 でも、今こうして生きています。3回めの鬱は最終的に自力でなおした。もうほとんど追いつめられてにっちもさっちもいかなくなって、もうどうなってもいいやと捨て鉢になった末に。
 そこまでを綴ろうと思ったけれど、とても長くなりそうだ。とりあえずおしまい。




 快晴。やっと太田に行く。いや、いつだって行けるのだが、雨が降るとモチベーションが一気に下がる。このところ、火曜日、木曜日はいつも雨だったので。

 13時過ぎに太田駅に着いた。駅前の七五食堂で太田名物のソースかつ丼を注文。650円。この前来たときも食べた。
 駅前から歩いて法務局へ。小一時間ほど。駅は隣駅の三枚橋なのだが、電車が1時間に1本しか走らないので、乗り換えがうまくいかなければ、法務局へはタクシーを使うか歩くしかしかない。前回、帰りは歩いたらそれほどの距離ではなかったので、今回は往復歩くことにしたのだ。だから雨だと困るというわけ。
 暑い、暑い。シャツを脱いでTシャツになる。

 法務局に着いてトイレに入ってからベンチでバッグの中を漁っていたら女性の声をかけられた。
「歩いてきたんですね」
「ええ」
「自動車の中から歩いているのが見えて」
「太田駅から歩いてきました」
「けっこうかかったでしょう?」
「この前、来たとき、帰り歩いたんですよ、太田駅まで、それほどでもなかったので、今日は往復歩こうと思って」
「三枚橋の駅があるでしょう」
「この前、駅まで行ったんですよ。ところが電車が来るまで20分も待たなければならなくて。だったら歩こうと思ったんです。だって1時間に1本ですよ」

 処理終了。
 マンションはかみサンに名義変更する。その作業が明後日。現在、退職金の半分をかけてリフォーム中。

 法務局から母の墓参りへ。春を満喫するウォーキングだった。
 母には3月17日に離婚したことを伝えた。秋に本をだすこと、60歳まではやりたいことをやることも。応援してね。
 その前から空模様がおかしくなっていた。仏花を購入したフラワーショップの女主人と「雨降るんでしょうかね」「天気予報では雷雨になるっていってましたから」なんて会話を交わしたからか、本当に雨が降ってきた。母とゆっくり話もできず、あわてて駅に向かった。
 
 駅に着いたら雨が上がった。
 17時4分館林行の電車まで15分ほどある。切符販売機のところ元同僚のTさんに会った。太田市のロケーションの監査に来たという。何たる偶然。
「いつ退職したんだっけ?」
「2月末です」
「で、郷里に戻ったの?」
「いえいえ」
 今日の太田来訪の目的を説明する。
 ホテル宿泊のTさんとはそこで別れ、帰宅。太田→館林、館林乗り換えて久喜へ、JRに乗り換えて浦和へ。京浜東北線で西川口へ。
 駅前の日高屋でチャーハンと餃子3個。
 TSUTAYAに寄ってから帰宅する。
 ちなみに電車旅の友は「初恋芸人」(中沢健/ガガガ文庫・小学館)。

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 熊本地震で被災にあわれた方々たちへ、遅ればせながらお見舞い申し上げます。
 元パートナーの実家が大分ということもあって、ニュースを見るたびに心が痛みます。特に東海大学の寮が押しつぶされて、2名の学生が亡くなったことに言葉を失いました。あんな風光明媚なところで、まさか地震で命を落とすなんてこと考えもしなかっただろうに、と。
 湯布院(由布院)に憧れていて、結婚して二度ほど遊びに行きました。住んでもいいなあと思ったこともありました。
 震度6の揺れなんて、一度体験しただけでも恐怖なのに、それが何度も続くなんて。
 自分に何ができるのか?
 とりあえず、募金しました。大した額ではありませんが。給料が入ったらまたします。

     * * *

 大ヒット作『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』でオマージュが捧げられていたこともあり、今回は野村芳太郎監督の名作中の名作『砂の器』を取りあげる。

 映画『砂の器』を初めて観たのが今から二十八年前、高校1年の秋だった。とにかく泣けた。その後も映画館、TV放映、ビデオと機会あるごとに観ているが、必ず同じシーンで涙があふれてくる。
 あざとい展開で観客に涙を強要するのは好みではないが、この映画に限っては泣くことに恭順な自分がいる。
 何度も観ているからだろうか、今ではテーマ音楽の「宿命」(音楽監督・芥川也寸志/作曲・菅野光亮)が流れてくるだけで目頭が熱くなってしまうほどだ。
 映画『砂の器』は、数多く映像化された松本清張のミステリの中でも原作をはるかに凌駕している点で語り継がれるに違いない。松本清張自身「原作を超えた」と語っていた由。長編小説の映画化で原作の持ち味をそこなわず成功した稀有な例といえるだろう。
 
 東京蒲田の操車場で発見された身元不明の惨殺死体。被害者である初老の男は、直前に犯人らしき若い男と近くのバーを訪れていた。手がかりは被害者が口にした東北弁の〈カメダ〉という言葉。
 警視庁捜査一課の今西(丹波哲郎)は〈カメダ〉が地名ではないかと推理し、所轄署の吉村(森田健作)とともに秋田の羽後亀田に向う。が、進展はなかった。
 二ヶ月後、被害者の身元が判明した。気ままな一人旅にでかけたまま行方不明になっていた三木という雑貨商を営む男(緒形拳)。三木は出雲地方で長年にわたり巡査として勤務していた。真面目で人情味に厚く、他人に恨みを買われる性格ではない。東北ともまったく縁がなく、「カメダ」姓の知り合いもいない。
 今西は、巡査時代に三木が行き倒れの遍路乞食の父子を保護したことを知る。ハンセン氏病を患い故郷を追われた本浦千代吉(加藤嘉)と一人息子の秀夫(春田和秀)の二人だ。三木は千代吉を施設に収容し、残された秀夫を引き取る決心をするが、ある日秀夫は失踪。以来行方が知れなかった。
 一方吉村は犯人が着ていた返り血のついたシャツを処分した女(島田陽子)の行方を追っていた。女が急死したことにより、ある男との接点が明るみになる。女は新進気鋭の音楽家・和賀英良(加藤剛の情婦だった――。
 なぜ三木は和賀に殺されなければならなかったのか? 善良な元警察官と将来を嘱望されている音楽家を結ぶものは何か?
 今西の執念の捜査によって和賀の哀しい過去が浮かび上がる……。

 原作は昭和三十五年に発表された長編の社会派ミステリ。翌年光文社から上梓された(現在新潮文庫)。
 ストーリーは複雑だ。和賀が所属している若手芸術家集団〈ヌーボーグループ〉の複雑に絡み合った人間模様や三木殺しに始まる連続殺人事件が描かれる。
 連続殺人の容疑者として今西にマークされる関川という評論家の存在が大きい。天才音楽家に嫉妬する神経質で上昇志向の強い男。前衛劇役者の突然死やホステスの流産死に関与しているのではと疑われる。実際原作では最後までこの男が犯人ではないかと思わせる展開になっている。

 構想十四年の末に実現した映画化に際して、脚本の橋本忍と山田洋次は、原作のプロットとトリックを生かしながら登場人物を大幅に整理してストーリーの簡略化をはかった。
 殺人事件は最初の三木殺しだけ。あくまでも和賀の単独犯とした。前衛音楽(ミュージック・コンクレート)の旗手という設定もオーソドックスな音楽家に変更された。
 原作の骨格をなす〈犯人は誰か〉という謎解きをやめ、なぜ新進音楽家が善良な罪のない三木を殺すに至ったのか、その解明がクライマックスに用意される。

 映画は、二人の刑事の羽後亀田における聞き込み捜査から始まる。
 いったい何の事件なのか、誰を追っているのか、こちらの疑問を待ちかまえているように、時制が遡り、殺人事件の発生から目撃者への事情聴取、そこで聞き出した東北弁の〈カメダ〉を追って秋田へ……というスリリングな展開。語りにスーパーインポーズを使用していることも効果的で、その後の捜査の行方、犯人特定までの経過をテンポよく見せていく。
 クライマックスは事件にかかわった捜査員が再結集され、今西を語り部に事件の全貌が明らかになる捜査会議。この後半の構成が斬新で『砂の器』が語られる際必ず話題になる。
 和賀が全身全霊を込めて取り組んだ交響曲「宿命」の発表コンサート、その音楽に乗せて同時間軸で進められる捜査会議の模様と和賀の子ども時代(秀夫)の回想シーンが交錯し、シンクロしていく。 
 映画だからこそ可能な方法だ。
 映画独自のテーマを打ち出した点でも大きな意味を持つ。台詞のない、まるで映像詩のような回想シーンで千代吉と秀夫の〈父子の絆〉をクローズアップさせたのだ。
 丹念に日本の四季を追った映像(撮影・川又昂)、加藤嘉の演技と子役の表情、そこに「宿命」の音楽が重なって、涙なくしては観られないいくつもの名シーンを生みだした。差別と偏見の中で育まれる父子の情愛に胸を打たれる。
 もう一つ映画には大きな変更が施された。原作ではすでに死亡している千代吉をまだ施設で生きている設定にしたのだ。生存を告げる今西の言葉は原作を読んだ人にも衝撃を与えたに違いない。
 実をいうと原作の和賀は冷徹な殺人者でしかなかった。三木を殺す理由があまりに独善的すぎて同情の余地がない。三木はあくまでも懐かしくて和賀に会いにきたのだ。その善良な性格からすれば、成功した和賀を祝福はしても過去や経歴詐称を暴露するはずがない(劇中今西自身も指摘している)。
 映画の犯行動機は納得できた。――施設に収容された後も千代吉と三木の交流は続いた。何十通にもおよぶ手紙のやりとり。別れた息子にひと目会いたい、ただそれだけが切々と綴られている文面。しかも千代吉は余命いくばくもない状態だ。三木にはすぐにでも秀夫(和賀)を父親と対面させなければならない役目があった。その切羽つまった末の行動が新曲準備に忙しい和賀には悪意そのものでしかなく、突発的な殺人を誘発する結果を招いたのだ。
 そこには己れの出世だけを考える冷徹な殺人者の姿はなかった。
 妊娠した情婦に対して、その出産を頑なに拒んだのも、わが子への業病の血の遺伝を怖れてのことだったとわかってくる。
 愛するものの存在が逆に自分の身をおびやかすという皮肉――。和賀に感情移入する瞬間だ。
「和賀は父親に会いたかったのでしょうね?」
「そんなことは決まっとる! 今、彼は父親に会っている。彼にはもう音楽……音楽の中でしか父親に会えないんだ」
 ラストの吉村と今西の会話がすべてを語っている。
 原作を超えたと言わしめた所以はここにある。




 マンションの抵当権解除、処理した書類受け取りのため太田の法務局に行かなければならないのだが、休みになると雨ばかりでいつもその気になれず断念している。
 今日も雨降りで結局、西川口駅まで出かけて、ガストで遅い昼飯を食べて買い物して帰ってきた。
 駅前のBOOK OFFでビートルズ「LET IT BE...NAKED」のCD。500円。リリースされたとき購入したはずなのだが、昨日探したらなくてしょうがないから中古を手に入れた。
 「マスター・キートン Reマスター」を160円で。

     * * *

2016/04/05

 「立川流日暮里寄席」(日暮里サニーホール コンサートホール)

 先月、3月17日(木)、新橋のLive&Bar ZZで開催された「おとぼけライブ&トーク vol.10 果実の法則」に伺った際、4月の日暮里寄席のチケットをもらった。5、6日(火、水)の二日間。当然、休みである火曜日に足を運んだ。
 客の入りが良い。ほぼ満席ではなかったか。

  立川只四楼  「真田小僧」
  立川笑二   「子ほめ」
  立川談吉  「弥次郎」
  立川志らら   「権助魚」
  土橋亭里う馬  「短命」

   〈仲入り〉

  立川志の春  おーい!中村くん(仮)
  立川談慶  「かぼちゃ屋」
  立川談之助  「五目講釈」

 どの演者も魅せてくれたが(とはいえ、酔いのため、談吉さんから志らら師匠は少し意識がなかったのだが)、まず仲入り前では里う馬師匠に瞠目した。国立演芸場で何度か拝見しているのだが、いつも半分船漕いでいた。それが、今回、逆に目が覚めた。

 仲入り後の志の春師匠、さすが志の輔師匠の弟子である。創作落語、大いに笑わせてもらった。演目はわからない、あくまでも個人的につけさせてもらっただけで。
 談慶師匠、「二十歳がハタチなら三十歳はイタチか」のいつものセリフのあと、いくつか足して最後の「十七歳で死ぬのは山田カマチか」は一人大うけ。
 談之助師匠は得意の講釈チャンチャカチャン。
 充実した寄席だった。




 すでに書いたように、4月9日(土)は「ブックカフェ二十世紀1周年記念パーティー」だった。
 理由があって20人は集めなければならなかった。イベントを実施した人たち、ゲストで出演した人たち等、いわゆるキーパーソンや、お客様のアドレスをまとめたメーリングリストを基にメールはしたものの、参加の返信は期待できない。というか、信用していないのだ、個人的には。で、来てくれそうな友人、知人に片っ端から電話して参加のお願いをした。
 こうして十数名が来てくれることになって、まあ20名は何とかなるだろうと思った次第。

 当日は、ドタキャンもあったのだが、それ以上に予約なしの人も来ていただき予想以上の参加者になった。遅れてやってきた人もいるが、何とかゲストの原めぐみさんのライブには間に合った。総勢30名。テーブル、椅子が足りなくなるといううれしい悲鳴……
「1周年記念という名の私の転職祝いパーティーへようこそ!」
 当日、ボケてそう挨拶して笑いをとろうとして果たせなかった。完全に舞い上がって、忘れてしまったのだ。

 いつものトークライブでは、マイクとスピーカーを用意するだけなのだが、今回は歌手のライブということで、音響装置を完璧にした。
 ブックカフェ二十世紀の従業員にはアーティストが多い。イラストレーターやミュージシャンがいるのである。二人ともプロだ。
 通常はこの手の作業はミュージシャンにおまかせなのだが、9日はミュージシャンがお休みの日。なので、前日、機材をセッティングしてもらって、操作の仕方等々を教わった。
 とにかく機械音痴なので、当日は機械を動かすことなく、スイッチを入れるだけという状況にした。

 当日、原さんがいらっしゃってサウンドチェック。マイク、CDの音が決まった。本番ではそのままでいけると思った自分がバカだった。
 ライブにはMCというものあるのだった。サウンドチェック時のマイクではエコーが激しいのである。あわててエコーを下げた……のはいいのだが、印をつけずに下げたものだから、歌のときどこまで上げればいいのかわらからない。あせった。かなりパニくった。カラオケも曲が終わるとそのままストップをかけ、ブチっという音をさせてしまう失態も。

 当日の進行は以下のとおり。

 18:00~19:00 受付
 19:00~20:00 乾杯、キーパーソン挨拶(数名)、歓談その1
 20:00~20:30 原めぐみライブ
 20:30~21:30 参加者自己紹介 歓談その2 ~中締め
 21:30~22:00 お気にめすままに

 本当なら、オーナーのSさん、私も、途中から席について歓談に加わる予定だった。人数が多すぎてそんな余裕はなかった。
 中締めのあと、残ったお客さんの中に個人出版社・旅と思索社のHさん夫婦がいて、Sさんは缶ビール片手にその輪に加わった。
 以前、地元川口のライブハウスでFCの人たちと「赤い鳥、紙ふうせんトリビュートライブ」を開催したことある。第2弾をブックカフェ二十世紀で考えている。そのため、FCのギター小僧二人に声をかけた。その一人がマンドリン(?)を持ってきていて、Hさんの奥さんもマンドリンを弾くそうで、ちょっとした演奏会になった。で、二十世紀バンドを結成しようなんていうう話になった。
 
 そんな話を小耳にはさみながら、僕は後片付けに精をだした。
 22時20分、自分の仕事は終わりましたと、仲間有志とブックカフェ二十世紀を出た。
 近くの中華屋で二次会。生ビールの最初の一口のなんとうまいことよ!
 店の閉店まで1時間ほど、楽しいひと時だった。
 きくちさんとは22日(金)、落語会へ行くことを約束した。

 参加してくださった皆さま、ありがとうございました。
 このご恩は決して忘れません。


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「乾杯!」でパーティーが始まった

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原さんのライブ 熱狂的ファンも参加して「メグミーン!」

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きくちさん自己紹介時にスペシウム光線のポーズ かっこいい

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オーナーです

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一応、店長

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3月11日から展示コーナーで開催している東日本大震災写真展
写真家の代表である新藤健一氏が、未展示の写真を紹介

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東日本大震災の写真集を販売し、購入したK氏とY氏が食い入るように見ている
二人には赤い鳥、紙ふうせんトリビュートライブに出演していただく

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有志との二次会


 写真は新藤さんがFBに掲載したものからお借りしました。
 二次会の写真は、BC二十世紀のレギュラーイベント、ICカード研究会の幹事、Yさんにいただきました。









2016/02/09

 「私は二歳」

 もうずいぶん前にビデオで観ている。キネマ旬報ベスト1になったことが十分理解できた。
 よくぞ育児書(松田道雄著)を映画にしたものだ。
 今観ても傑作だと思う。
 この映画に関して確かレビューを書いているはずで探したのだが見つけられなかった。
 次の文章があった。

     ▽
(TVドラマ「2丁目3番地」に触れて)
何より斬新だったのは、ナレーションをふたりの間に生まれた生後何ヶ月かの赤ちゃんが担当(女性の声優だろう)していたこと。
 今から考えると、赤ちゃんの目を通して両親を描くというプロットは市川崑監督がベストセラー本を映画化した「私は二歳」から発想されたものではないかと推測できる。
 「私は二歳」はレンタルビデオで観たのだが、これがまた傑作(キネマ旬報ベストテン第1位)。とにかく主役(?)の赤ちゃんは公開年度(1962年)からすると自分と同年齢。都会と田舎の差はあるけれど、映画に登場するものすべてが、原風景になるのだから感慨もひとしおだった。
     △

     ▽
(スペシャルドラマ「わが家の歴史」に触れて)
 昭和30年代になってからの柴咲コウに、自分の母親を重ねた世代には市川崑監督「私は二歳」を観ることをお勧めする。
     △

 自分のアルバムを紐解くと、山本富士子や船越英二の服装やたたずまいがまさしく両親とダブるのである。初めての子ども(長男)に対して、どんな風に接していたのか、どれだけ愛情が注がれていたのか、わかるというものだ。

 この映画のすごいところは、主役の赤ちゃんがちゃんと演技していたこと。どうやって撮影したのだろうか。


2016/02/10

 「雪之丞変化」

 この映画とは相性が悪い。初めて観たのはビデオ。あまりピンとこなかった。
 DVDになってからまた観た。あまり感じ入ることがない。
 大きなスクリーンで観ればと印象が変わるかもしれない、そう思って足を運んだのだが、やはりそれほどの面白さは感じなかった。長谷川一夫の女形がイマイチだからかもしれない。個人的には。
 闇太郎はいい。口跡とか。
 映像の特徴である。影=黒(ベタ)はよくわかった。
 闇の中の殺陣、その処理が新鮮。
 山本富士子の気風のいい姐御にしびれた。


 「天河伝説殺人事件」

 この映画についてはかつて書いている


2016/02/11

 「炎上」

 大学時代に三島由紀夫の小説「金閣寺」にとんでもなく感銘を受けた。以来、崑監督の代表作の一つの本作を観たくてたまらなかった。
 和田夏十の本に掲載されたシナリオに衝撃を受けた。映画への期待が高まった。
 DVDで一度観た。シナリオを読んだときの衝撃がなかった。

 劇場で鑑賞してよかった。
 作劇的には、回想の回想が気になったのだが、あとは夢中になれた。
 炎上する前の金閣寺に興味津々。今の金ピカでないところ、銀閣寺みたいな作り、色使いに心が和む。
 あっけないラストに崑映画の真髄を見た。
 良い。

     ◇

 崑監督の場合、傑作、佳作以外の、いわゆる失敗作と言われるものも上映する特集を企画してくれないものか。
 まあ、「火の鳥」がたまらなく観たいのだ。




 もう昨日だけど、ブックカフェ二十世紀の1周年記念パーティー、大盛況でした。原めぐみさんのオールディーズ。「メグミーン!」良かったですねぇ。PAが素人で申し訳ありませんでした。
 きくち英一さん、役者だなぁ。懇親会の後半は、もう2ショット撮影会でした。二次会にもつきあってくださりありがとうございました。

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     * * *

●あの日、京浜東北線の修&亨(「傷だらけの天使」) 2006/05/10

 卒業と同時に郷里(秋田)に帰った大学の一年下の後輩がいる。8ミリ自主映画サークルで一緒だった。サークル内の人間関係に嫌気がさして途中で退部してしまったが、映画や趣味で話があって、その後も何かとつきあっていた。
 僕が4年時に監督・主演して、卒業後も独自に制作を続けたにもかかわらず、結局未完成に終わった「今は偽りの季節」のスタッフ、キャストとして最後まで協力してくれた後輩2名のうちの一人。郷里に帰って警察官になった。その彼が結婚すると聞いて秋田に駆けつけた。
 もう10年以上前の話だ。
 彼と仲が良かった先輩二人は飛行機で現地へ飛んだ。飛行機嫌いの僕は新幹線「こまち」を利用した。大騒ぎの披露宴に度肝を抜かれ、にもかかわらず同僚から「いまいち盛り上がりにかけるので何かひとつ」なんて余興を催促される始末。
 二次会に出席した後、先輩二人と居酒屋で地酒を嗜みお開き。
 翌日、昼からまたまた先輩たちと飲み始め、新幹線の僕は先に失礼した。
 秋田~大宮間、約4時間の旅。行きは気が張っていたからか、何とも感じなかった。帰りはアルコールが入っているから前日の疲れが一気にでた。4時間が長い長い。
 大宮で京浜東北線に乗り換えた。ドア横の席にすばやく座る。そのまま目をつむって下を向いていた。本当なら横になりたい気分。眠たい。後から大勢の人が乗り込んできた。かなりの混雑。
 電車が動き出すと、目の前に立つ若い男二人がやけにうるさい。一人がもう一人に対していろいろ愚痴っている。その声が神経に障る。しかしこちらは疲れているので、そのまま眠ったふりをしていた。会話からするとどうやら修と亨のような関係(註・「傷だらけの天使」)らしい。
 とにかく修の声がでかい。都会人の人情のなさを嘆き、亨に同意を求める。
「(嘆き・怒り・妬み)…なぁ、わかるだろう?」
「……」
「お前、そう思うだろ?」
「……」
「聞いてんのかよ!」
「はい」
「声が小さい!」
 その繰り返し。
 イライラしてきた。まわりの人たちも同じ気持ちだろう。雰囲気でわかる。
 大声で交わす会話の最中に、修のバックが僕の抱えていたスーツバック(?)に勢いよく触れた。
 カチンときた。
「うるせんだよ」
 反射的に言葉がでてしまった。相手にするな、心の声が叫ぶ。わかっちゃいるけど、後戻りはできない。
「どこだと思ってるんだ? ほかの乗客に迷惑だろうが」
 いいのか、そんな高飛車にでて?
「気持ちはわかるけどさ」
 ちゃんとフォローしてみる。
 まわりは気のないフリして成り行きを見守っている。やばい、どうしよう、喧嘩になるんじゃないのか? びくびく。
 と、そのとき。西川口~というアナウンスのあと、電車が止まりドアが開いた。グッドタイミング! そのまま飛び降りた。
 ホームに下りた僕は爽快感に酔いしれていた。渋い。まるで「日本侠客伝」の高倉健みたいじゃないか。映画観たことないけど。少なくとも車内の人たちにはそう見えたはずだ。
 階段に向かって歩き出した。後ろに殺気を感じた。振り向いた。
 修が仁王立ちしていた!


●あの日、京浜東北線の修と亨(「傷だらけの天使」) その2 2006/05/10

 修の上気した顔が目の前にあった。
 殴られる! 瞬間的に2つの選択肢が頭をかけめぐった。
 
 その1 脱兎のごとく逃げる
 その2 その場にひざまづいて謝る

 その1には自信があった。
 朝の通勤時、品川でJR京浜東北線から京浜急行8時30分発の羽田空港行きの急行に乗り換える。たまに時間がなくて、階段を一気に駆け上り、京急のホームに突入、電車に飛び乗ることがある。今でこそ、飛び乗った後、動悸が激しく肩で息している状態が長くなったが、当時はまだまだ元気だった。だいたい中学時代は短距離走の選手だった。高校のラグビー部では足の速さだけが取り柄だったし。
 その2の行為で、今、思い出した。
 Mr.sistertoothこと、姉歯元一級建築士は逮捕されたとたん坊主頭になった。カツラをはずし、わずかに残っていた髪も剃ったのだろう。その姿を見ながら、あのとき本当なら国会喚問に応じるはずだった哀しき元一級建築士を想像していた。
 議員の激しい追求にタジタジとなる元一級建築士。偽装工作したことを詫びて、ひざまづき、泣きながらおもむろにカツラをとる……。TV中継を見ている僕は叫ぶ。「辰巳さん!」
 少しは元一級建築士の印象が良くなったはずなのに。少なくとも全国「傷だらけの天使」ファンに対しては。
 ――「傷だらけの天使」の「殺人者に怒りの雷光を」のエピソードを知らなければ何のことだかわからないな。
 探偵事務所で一緒に調査員として働いていた仲間を殺された修と亨は、某組の仕業と誤解し、他のメンバーとともに、復讐しに組に乗り込む。組の若い衆とちゃんちゃんばらばらやっていると、そこに組長(加藤嘉)とともに事務所の上司(?)辰巳(岸田森)が登場。辰巳は、殺人事件が組の仕業かどうか、その真意を聞きに組長と差しで話しにきていたという。組とは無関係だと判明し、組長が辰巳にこの落とし前をどうするか尋ねる。神妙に組長の前にひざまづいた辰巳は、「申し訳ありません」と頭に手をやると地毛だと思われた髪をそっくりそのままはずしてしまうのだ。堂々の丸坊主頭。で、修の驚愕の顔と「辰巳さん!」の声が響く、というわけ。
 実相寺監督の劇場映画(「あさき夢みし」)の撮影で役柄にあわせて頭を剃った岸田森は同時期撮影の「傷だらけの天使」にはカツラ着用でのぞんでいた。スタッフ、キャスト、誰も知らなかったらしい。撮影中にカツラをとったのも岸田森のアドリブだったとか。そりゃ驚くよ。
 閑話休題。
 逃げるか、謝るか。どちらもプライドが許さなかった。
「何か用ですか?」
 恐怖を隠しながら、落ち着き払って尋ねた。
 修は急に僕の手を握った。心臓の鼓動が高鳴る。ええい、もうどうにでもなれ!
 修は僕の目を見ながら、相好を崩した。
「ありがとうございます! いや~あんな風に注意してくれるなんて。目が覚めました」
 はあ?
 東京に出てきて、人間不信に陥りどんなにつらい思いをしているか、そんな中にあってあなたの言葉がどれだけ自分に希望を与えてくれたか。うれしかったです。握手してください。
 修ちゃんは映画「ランボー」のスタローンのように、決壊したダムから噴出する水のごとく感謝の言葉を紡いだ。
 一気に全身の力が抜けた。何なんだ、この展開?
「わ、わかってもらえればいいよ」
 そう答えるのがやっとだった。




 1月から2月にかけて角川シネマ新宿で開催された「生誕100年記念映画祭 市川崑 光と影の仕草」。
 鑑賞した作品については、きちんと1本ずつレビューを書こうと思っていたのだが、全然時間がない。このままだとまったく触れることなく月日だけ経ってしまう。
 ということで、方針を変えてメモとして記しておく。

     ◇

2016/01/17

 「ぼんち」

 2000年代前半、インディーズ映画の上映会に足しげく通った。代表のSさんから市川崑監督作品「ぼんち」と「日本橋」のビデオをいただいたのだが、きちんと鑑賞できなかった。そのうちビデオデッキが故障してしまって、二度と観られなくなった。今回の上映は大変うれしい。

 こんなに面白い映画だとは思わなかった。何度声をたてて笑ったことか。
 タイトルバックの大阪の風情(1960年頃?)にうっとり。
 崑監督のタッチがいたるところで散見できる。
 若い若尾文子はまるで深きょんみたい。
 傑作!


2016/01/27

 「ど根性物語 銭の踊り」

 勝新太郎主演でこのタイトル、まるで崑映画らしくない、と思っていた。
 印象なんてあてにならない。モダンでスタイリッシュな映画だった。「黒い十人の女」や「穴」に通じるような。
 アクションにキレがある。カッティングがうまい。しびれる。
 クルマのシーンでは特撮がリアルだった。
 音楽がモダンジャズ。クレジットにはハナ肇の名前があって驚いた。
 異色なキャスティング(スマイリー小原、若山玄蔵、江利チエミ)にも。 
 ラストは「キングコング対ゴジラ」「キングコングの逆襲」みたい。勝新太郎はキングコングか。

2016/02/03

 「女経」

 「女経」は〈じょきょう〉と読む。女性経験の略か。原作は村松梢風。数々の女性との関係を書いているらしい。これを八住利雄が3話にまとめた。

 第一話「耳を噛みたがる女」 主演:若尾文子 監督:増村保造
 第二話「物を高く売りつける女」 主演:山本富士子 監督:市川崑
 第三話「恋を忘れていた女」 主演:京マチ子 監督:吉村公三郎

 実は、オムニバス映画ということ以外何の情報も仕入れなかった
 崑監督がどの話を担当しているかも知らなかった。
 タッチやカメラワークですぐわかると思っていたが、3本にそれほどの差がなかった。これが実相寺昭雄監督ならすぐにわかるだろう。
 いや、3話だけは明らかに違った。オーソドックスな作りなのだ。とはいえ、ラストですがすがしい気持ちになれ印象深かった。

 クレジットを確認しても、どの監督が担当したのかわからない。


2016/02/07

 「日本橋」

 セットが素晴らしい。
 火事のシーンの迫力が生半可ではない。実際、どのように撮ったのか?
 二枚目の役で品川隆二が登場する。TV時代劇「素浪人 月影兵庫」「素浪人 花山大吉」しか知らない者にはまるで別人のようだった。
 当時の風俗、ただずまいに見とれてしまう。
 日本映画の中で大映の技術が一番優れていると聞いたことがある。確かにそう思わせる一編だった。

 この項続く




 同世代の作家で一番注目しているのが貴志祐介だ。
 リアルな状況設定と幅広い知識、緻密な取材を駆使した抜群のストーリーテラーぶりに脱帽した。
 角川ホラー大賞を受賞した『黒い家』、処女作にあたる『十三番目の人格』、個人的に一番衝撃を受けた『天使の囀り』。心理学を応用したホラーを得意として、作品ごとに傾向を変えているところに作者の力量を感じる。(ほかに文庫書き下ろしのサバイバルもの『クリムゾンの迷宮』がある。)
 貴志ワールドにすっかり魅了された僕は一九九九年に『青の炎』(角川書店、後に文庫化)が上梓されるやすぐに飛びついた。驚いた。『天使の囀り』でミステリ要素を取り入れあざやかなテクニックを見せた作者が何とそのものずばりの倒叙ミステリに挑戦しているのだ。
 義父殺しの完全犯罪に挑戦する主人公が十七歳の高校生というところが斬新だった。

 母と妹3人で平穏に暮らす家庭に突然闖入してきた男。弁護士を介してやっと別れることができた、母親のかつての再婚相手だ。酒浸りの毎日、すぐに暴力を振るう。もう二度と顔も見たくないと思っていた男がなぜか家に居ついてしまった。働く気配はない。元妻に小遣いをせびってはギャンブルに狂い、帰宅してからは部屋で酒盛りの日々。
 このままでは家庭が崩壊してしまう。愛する家族を守るにはこの世から抹殺する以外方法がない。そう悟った高校生の秀一は男を殺す完全犯罪を考える。
 なぜ義父を殺さなければならないのか、主人公に感情移入しやすい状況を作り、前半は犯行の計画と実行を綿密に描く。このくだりがかなりスリリングだった。陶芸や染色で職人の腕さばきにうっとりしてしまう個人的な〈職人フェチ〉を刺激されたところも大きい。
 だが、どんな理由があろうとも、殺人が許容されるわけがない。 
 『刑事コロンボ』よろしく、頭の切れる刑事が登場し、鋭い推理と執拗な事情聴取で秀一を追いつめていく。後半はどんな些細な糸口から完全犯罪の崩壊が始るのか、読者はハラハラしながら秀一と刑事の対決を見守ることになる。
 湘南を舞台に、ロードレーサー、インターネット、バーボン、キャンバス、絵の具、サバイバルナイフ等々、トリックの設定、小道具の使い方も効果的だ。絵になる素材をうまくストーリーに溶け込ませている。
 教科書からのインスピレーションを計画に応用させる展開も巧い。
 沈着冷静に、少々冷酷さを漂わせながら殺人を決行する頭脳明晰な高校生が、警察に追いつめられるにつれて、十七歳の素顔をかいまみせてくる。自分に好意を寄せる同級生の紀子への感情の変化、その心の揺れに共感した。
 そう、『青の炎』は定番ミステリの形を借りた青春小説なのだ。

 読了して「これは映画になる!」と思った。自分なりの映像の断片が頭の中でフラッシュして一人悦に入っていた。
 たとえば殺人に至るまでの過程は、『太陽がいっぱい』の偽サインの練習シーン、あるいは『太陽を盗んだ男』の液体プルトニウムを固体に変換させる作業に匹敵する恍惚感が得られるのではないか。たとえば死を覚悟した主人公が迎える哀しい結末は『早春』と同じくらいの衝撃を味わえるのではないか。
 的確なキャスティングとミステリの基本をがっちり押えたシナリオが得られるのなら――。
 ただ、それが無理であることは十分承知していた。
 小説が上梓されてから実際に十七歳の少年による殺人事件が起きてしまったのだ。「一度人を殺してみたかった」という動機は常識ある大人たちを震撼させた。以後続けてこの手の事件が頻発した。 
 完全犯罪に至るまでの行動を完璧に映像化すれば、殺人そのものが、魅力的に見えなくもない。世の中、短絡的な青少年が多すぎる。その結果どうなるか……。 
 映像の、青少年に対する影響は活字の比ではない。『バトルロワイヤル』公開前の、国会議員を巻き込んだバカげた騒動がそれを証明している。
 映画化はない。そう踏んでいた。
 数年経って青少年による殺人事件も記憶の彼方に消えたのだろうか?

 監督は蜷川幸雄。「アイドル映画を撮る」という言葉に不安を覚えながらの初日鑑賞となった。
 不安はある部分的中し、ある部分は霧散した。
 映画はほぼ原作に忠実に作られている。小説の語り(三人称だが、あくまでも秀一のモノローグが中心)を活かすためか、犯罪の発端から結末までを秀一(二宮和也)がテープレコーダー片手に逐一録音する処置がとられた。
 青を基調した映像設計が素晴らしい。カメラワークは大胆かつ流麗(撮影・藤石修)。様々な細工が施されている。  
 人気アイドル二人を起用しては原作にあるベッドシーンなんて撮影できない。そこで、ガレージの勉強部屋に原作にはない、人が入れるほどの大きな水槽を設置し、そのガラス越しにおける手のしぐさで、クライマックスの秀一と紀子(松浦亜弥)のなまめかしくも心にしみる交流を描いた。
 ロードレーサーで海岸通りを走る秀一を狙った移動ショット、第二の殺人に発展するコンビニ偽装襲撃の打ち合わせで秀一と登校拒否の同級生がエスカレーターを上がったり下がったりするシーンも印象深い。
 ただしこうした魅力的な映像処理がミステリ映画、犯罪映画としての瑕疵となったともいえる。
 完全犯罪を行う者がその証拠をテープに残そうとするだろうか。犯罪の打ち合わせを人目のつくエスカレーターでするものだろうか。
 だいたい前半の見どころとなるべきアリバイ工作が、どう贔屓めに見ても完璧に思えない。自ら墓穴を掘っているかのようだ。だから後半の刑事(中村梅雀)との息詰まるような対決に昇華しない。
 思うに、これはわざとそうしたのかもしれない。この映画の主要な観客、十代の少年少女への影響を考慮した結果ではないか。
それはラスト、死を決意した秀一に対する、原作にはない紀子の言葉「この地球上で殺されてもかまわない人間なんて一人もいない」に集約されている。
 人間の生理という観点から納得できないところもある。
 嫌悪する男(元亭主=山本寛斎)に無理やり抱かれて女(母親=秋吉久美子)はあえぎ声をあげるものだろうか。あれは確かに感じている風だった。このくだりは原作にもある。声を聞いて秀一の殺意は沸点に達する重要な意味を持つ。ただしその質までは言及していない。
 活字と映画の差を実感した。
 二宮和也、松浦亜弥はともに好演。とくに松浦の、ラストで見せるこちらを射るような表情は特筆モノ。ミスキャストだと断定していた自分の不明を恥じる。
 秀一の妹役、鈴木杏も達者な演技を見せてくれる。可愛い。
 映画『青の炎』はミステリとして、その他作劇的な不満もあって、もろ手をあげて絶賛するつもりはない。とはいえ、青春映画の佳作であることは間違いない。




 昨日の休みは、午前中、新宿のB社へ。「僕たちの赤い鳥ものがたり」文庫化の打ち合わせ。
 終わってから、新宿ピカデリーへ。13時35分からの「劇場版 ウルトラマンX 来たぞわれらのウルトラマン」を鑑賞。テンポがいい。
 夜は日暮里サニーホール・コンサートホールの「立川流日暮里寄席」へ。
 始まるまで時間があったので駅前の「焼き鳥日高」で一杯やりながらの読書。中華料理の日高へは何度も利用しているがこの店は初めて。安い! 西川口にも一軒あるのでこれからは利用しよう。

     * * *

●BBQ 参加・賛歌・惨禍 2006/04/25

 5月にバーベキューをやろうという企画が部署内ですすんでいる。
 部員も少ないので家族同伴でという室長の提案。
 わが家で家族同伴なんてありえないよなあなんて思いながら帰宅して相談すると、案の定、かみサンは拒否。高校3年の娘なんか「どうしてあたしを誘うわけ?」なんて顔している。
「昔はお母さんがいなくてもバーベキューについてきたじゃないか」
 当時を思い出しながら孤独な父は嘆く。
「はあ? いつ?」
 きょとんとする娘。
「小さかったころだよ、保育所のときだっけ? 会社のみんなと奥多摩に行ったじゃないか」
「知らない」
「覚えてないのか?! Tさんちの××ちゃんと仲良く遊んでいたじゃないか」
 まったく覚えていない。なんてこったい! じゃあ、あのときのお父さんの勇姿も忘れたわけですか。

 今から10年以上前になる。出向していた会社の同僚で、一人娘のいるTさんが奥多摩バーべキューを企画した。参加者はT家族、僕と娘、同じ会社で働くKさん夫婦、僕の以前の部署の後輩N。あともう少しメンバーがいたような気がする。
 7月某日快晴の中、乗用車2台に分乗して出かけた。
 現地はすぐそばの川で水遊びができるし、何よりバーベキュー用の施設が整っている、バーベキュー初心者には最高のロケーションだった。洗い場、トイレはみな完備していた。
 小さな女の子二人の前で一番はりきっていたのが、K夫婦、特に旦那の方だった。子どもがいないからなのだろう、用意した空気舟に二人を乗せ海パン姿で川の中を行ったりきたり。それをやさしく見守るKさん。
 たらふく肉を食べ、ビールも飲んで、一休みしていた午後のこと。
 あるパーティーの年配男女が川原で、洗い物をしはじめた。先に記したように、そこはきちんとした水道水を利用した洗い場があるのに、だ。川原で食器を洗えば当然川が汚れる。
「なにやってんだよ!」
 あたりに怒鳴り声が響きわたった。見るとKさんの旦那が川原で洗い物をしている男女を注意しているのだ。しかし、男女は無視。もう一度注意しても聞く耳持たず。K旦那がキレた。
「てめぇら、ここは洗い場じゃねぇんだ、子どもたちの遊び場だぞ。自分らが何やってるのか、わかってんのか? えっ!」
 周り中の視線が男女とK旦那に釘付けになった。
 ここで、僕が「まあまあ」と間に入り、不心得な男女に対して下手に「この人(K旦那)、口が悪くて申し訳ないけど」とか何とか言い訳しながら、洗い場ではない旨説明していれば、その場は丸く収まったのではないかと今も考えることがある。
 K旦那は左官屋。いわゆるガテン系で少々口のきき方がぶっきらぼうなところもある。公衆の面前で、いい年した大人が若者に注意されたら、それこそプライドが傷つくだろう。本当なら男女のそばに行って、静かに語りかけた方がよかったのではないか。それを自分は寝そべったまま相手を叱りつけるというのはどんなものか。
 やりとりを見ながらそう思ったのは確か。
 しかし、このとき、こちらは大いに酔っぱらっていた。何をするのもおっくうだった。だいたい悪いのは男女の方なのだ。K旦那の言っていることは正論だし、そこに口をはさむのがはばかれた。それこそ旦那の体面を傷つけるのではと。
 とにかく男女はその場を立ち去った。「やれやれ」と安心したのもつかのま事件が勃発したのである。
 まさか、男女が仲間を連れて仕返しに来るとは!


●BBQ 奥多摩死闘篇~代理戦争 2006/04/27

 立ち去った男女の男の方が仲間数人を連れて再びやってきた。K旦那の前に立ちはだかる。ほとんどケンカ腰である。
 そこで、どんな言い争いになったのか、記憶が定かでない。
 危惧したように、K旦那の物言いが問題にされたように思う。今は完全に中年の部類に入ってしまう年齢になってしまったけれど、当時僕は30代前半。K旦那はまだ20代後半だったのではないか。相手は40代だった。あくまでも見た目のこちらの印象でしかないけれど。
 やったことは悪いけれど、年上の人間にあの言い草はなんだというのが相手の主張。対してK旦那はあくまでもお前らが悪いから注意しただけじゃねぇか、一貫してふてぶてしい態度を変えない。
 手を出したの相手だった。見事なストレートがK旦那の顔面に炸裂した。K旦那はそのまま地面に倒れた。立ち上がる気配がない。脳震盪を起こしたようだった。
 Kさんがあわてて駆け寄り、旦那を抱きかかえると名前を叫んだ。返事がない。泣き出すKさん。泣きながら手を出した男を激しくののしる。
「何よ! 暴力ふるうことないでしょ! ××が死んだらどうすんのよ」
 見かねて、そばにいた見知らぬ女性が仲裁に入った……
「おいおい、お前は何しているんだ!」と怒鳴られそうだが、K夫婦との距離は10m、いや7m…5mはあって、急な、まるで映画の1シーンのような展開(それもスクリーンで観たらぜったいベタと指摘されそうな)に思考が一時ストップしていたのだ。苦しい言い訳だけど。
 それに、バーベキューの主催者であるTさんの出方をうかがっていたこともある。参加者の中で一番年長なのはTさんなのだから。ところがTさんの声はしない。姿も見えない。
 こちらには未就学児童、それも女の子二人いることも心配のタネだった。何かあったとき誰が守るのか。視界の端にTさんの奥さんが見えた。しっかり二人の前に立ちはだかっている。少し安堵した。
 文章にすると少々長いが実際は数秒のことである。
 ……T夫婦に同情した見知らぬ女性が仲裁に入った。男は信じられないことに、この女性も振り払った。かなりの力だ。倒れる女性。
「何するんですか! この人は関係ないでしょう!!」
 グループの中で一番若いNが男に飛びかかった。蹴りが入れられ、そのまま地面につっぷした。
「このやろう!」
 誰かの声がして大乱闘が始まった……


●BBQ 頂上作戦~完結篇 2006/04/27

 あっという間に大乱闘が始まった。
 とにかくケンカを止めなくては! 僕もあわてて乱闘の中へ。Nに蹴りを入れた男の後ろにまわって、腕をつかんだ。
「ちょっと落ち着いてください! 暴力は止めろって」
 言い終わらないうちに誰かに襟をつかまれた。振り向くと、パンチが飛んできた。左頬に激痛。勢い余ってそのまま仰向けに倒れた。鼻のあたりにすえた臭い。怒りがこみ上げてきた。
「ざけんじゃねえぞ」
 右拳を握り、すばやく立ち上がった。そっちがそういうつもりなら、相手してやろうじゃねぇか。一気に戦闘モードに。
 が、脳裏に娘の顔が浮かんだ。いかん、いかん、オレが殺気だったら、この乱闘を誰が収めるのか? 
 立ち上がって、深呼吸。
 冷静さを取り戻して、リーダー格の男の前に立って腹の底から声を出した。
「暴力は止めろと言ってるのが聞こえないんですか!」
 大きな、四方八方に通る声には昔から定評があるんだ。あたりは瞬時に静寂さを取り戻した。
 リーダー格の男と対峙する形になった。
「なぜ暴力ふるうんですか! それも関係ない女性にも…… それこそいい年した大人が恥ずかしくないんですか」
 相手が言い訳する。それを否定する形でさらに大きな声で反論する。自分でも何言っているのかわからなくなっていた。
 そこにパトカーのサイレンの音。誰かが通報したのだろう、警察官がやってきた。
 驚いたのは、その後からやくざも様子を覗きに来たことだった。現場から少々離れた、百mくらい先で、ご一行さまがバーベキューを楽しんでいたのだ。
「なんだ? どうした? 何があった?」
 Tシャツの袖から青いホリモノの見える五分刈りの若い男が嬉々としてこちらに走って来るのが見えた。これにはビビった。もし警察が来ていなかったら、思うように現場を荒らされていたかもしれない。警察に通報した方に感謝したい。皮肉ではなく。
 リーダー格の男と僕が事情聴取を受けることになった。
 名前、会社名、年齢、住所の確認の後、乱闘の始まりからこと細かく説明する。確かに言い方は悪かったかもしれないけれど、悪いのは先方であること、先に手を出したのも先方であること。このときとばかりにしゃべりまくった。
 仲裁に入って災難にあった女性の証言もあって、全面的に先方に非があることになった。もう名前も忘れたが、どこかの会社の集団だった。
 負傷したT旦那は全治2週間だったか。もちろん治療費は先方持ちである。
 Tさんは僕が警察官と話しをしている最中に現れた。トイレに行っていて、状況をまったく知らなかったんだって。ハラホレヒレハレ。
 とんでもない事件に巻き込まれてしまったが、帰りの車の中は陽気そのものだった。用意したトランシーバーが役立ち、2台の車をつなぎあわせたというわけ。
 娘も初めてのバーベキューを楽しんだようだ。父親としてはそれだけで満足。
 帰宅する前に娘に釘をさした。乱闘事件のことを絶対にお母さんに言うなよ。余計な心配かけたくないから。というか、事態を知って怒られるのは僕なのが目に見えていた。
 父と娘が共有する秘密。
 後日、草野球の試合に娘を連れて行って、Tさんの娘に再会した際、「あのときは怖かったねえ」なんて話しをしているのを小耳にはさんだ。
 笑みがこぼれた。
 娘の目にはたった一人敢然と相手に立ち向かい弁舌をふるう父の姿が焼きついているはずだ。日頃はお母さんになんだかんだと叱られているお父さんもやるときはやるもんだと感じたに違いない。
 成長して世間の多くの娘が抱く父親への嫌悪感。僕は何とも思っていなかった。そう言いながらも娘の記憶の片隅にかつての父の勇姿が刻まれているはず。そう信じていたからだ。

 なのに、覚えていないだと! 僕は当時の思い出を詳細に語ってきかせた。やはり知らないと言う。声をあげたのはかみサンだった。
「そんなことがあったの? どうして黙ってたのよ!」
 しまったと思ったが後の祭り……
 しばらくショックから立ち直れそうにない。




 奇しくも一九七〇年代初頭日本列島を震撼させた事件が続けて映画化された。
 七二年二月に起きた〈あさま山荘〉における警察と連合赤軍の攻防を描いた原田眞人監督の『突入せよ!「あさま山荘」事件』、翌七三年八月に起きた〈金大中拉致事件〉の真実に迫った阪本順治監督の『KT』。
 僕自身が十代前半の一番多感なころの出来事で、大変印象深い。
 一九七〇年代を象徴する事件がスクリーンに蘇るということは、当時の風景、ファッション等、時代そのものが再現されることでもある。七〇年代への思い入れが強い僕としては両作品に対する期待は大きかった。
 
 連合赤軍については、昨年高橋伴明監督が立松和平の小説『光の雨』を映画化している。当時を知らない若い人たちに人気を呼んだという。
 三十年という月日が節目になって、「連合赤軍ならあさま山荘事件がある!」とばかりに、映画人が佐々淳行の『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文藝春秋)に目をつけたことは十分予想できる。
 〈金大中拉致事件〉の映画化には驚いた。事件そのものが謎に包まれていること、被害者が韓国の政治家、それも(現在の)現職の大統領であること、映画化には韓国側の協力が不可欠であること、映画化の困難さを数えたらきりがない。
 時代が変わったのだ。
 思えば当時北朝鮮も韓国もよくわからない国だった。社会主義で国交のない北朝鮮に対して、韓国は朴大統領の独裁政権。個人的にはどっちもどっちという印象だった。北朝鮮はいまだにわからない国だが韓国は政権が変わるに従って徐々に変化していった。
 その過程で日韓の文化交流が深まっている。韓国では日本映画の公開が解禁された。日本では『シュリ』や『JSA』がヒットして韓国のエンタテインメント映画の真髄を見せつけてくれた。ワールドカップの共催も大きく働いているのだろう。TV各局が日韓共同制作ドラマに力を入れていたのだから、映画界も動かない手はない。
 TVドラマは日韓男女の人種問題がからむラブストーリーが主だった。映画は実際の事件、それも両国にとって触れられたくない〈金大中拉致事件〉を取り上げているところが頼もしい。

 事件は一九七三年八月八日の白昼堂々都心のホテルで起きた。当時朴正煕大統領の政敵と目された金大中が何者かに誘拐されたのだ。朴大統領の独裁政権下、事実上の亡命生活を余儀なくされた金大中は日米間を往来し南北の民主的統一、朴政権批判の遊説活動を行っていた。その日本滞在中の出来事だった。誰もが最悪の結末を予想したが、5日後、韓国の自宅近辺で無事保護された。
 現場に残された指紋から悪名高いKCIAの暗躍、朴政権の事件への関与が噂され、日本主権への介入等も問題されたが、結局ウヤムヤに幕が降ろされた印象が強い。
 金大中拉致は誰がどのように画策し実行されたのか? 空白の5日間に何が起きたのか? 事件を大胆な推理と仮説で描いたのが、日韓合作のポリティカルサスペンス『KT』だ。
 タイトルが魅力的。アルファベット2文字は金大中〔キム・テジュン〕のイニシャルであるとともに、金大中暗殺の暗号〈Kill the Target〉を意味する。
 原作は、映画公開前に惜しくも亡くなった中薗英助の「拉致 ―知られざる金大中事件」(新潮文庫)。
 国家の意向により金大中暗殺を狙うKCIA諜報員・金車雲一派。密告によりその情報を入手した金大中シンパは巧妙に居住を変更して、敵との接点をもたせない。金車雲は元自衛官・富田が設立した調査事務所に金大中探索の依頼をする。
 運命の日。宿泊する旧友に面会するため、ホテルを訪ねてきた金大中が一人になる瞬間を狙い、拉致が決行される。不測の事態が生じた。その場に、金大中をロビーまで送ろうとする別の友人がいたのである。後に引けない金車雲は目撃者を残して計画を実行。拉致された金大中は神戸に運ばれ、神戸港に停泊していた韓国船に監禁される。沖合で海底に沈めようという段取りだ。
 船は神戸港を出て韓国に向った。まさに暗殺が行われようとする、その時、暗殺中止を求める日本警察のヘリコプターが飛来、事なきを得る。計画を事前に察知し、KCIAの動向を監視していた米CIAが日本政府を動かした結果だった。

 小説は、この事件を主に金大中側から描いているが、映画は首謀者側の人物が主役となってストーリーが進行する。
 事件に自衛隊が関与していたこと、犯行現場に犯人の指紋が残されていたこと、二つの事実を踏まえて、脚本の荒井晴彦は映画に独自の解釈を与えた。
 まず原作では端役でしかなかった調査員・富田の存在を大きく膨らませ、拉致計画に加担する現職の自衛官に仕立てた。
 自衛隊の存在意義の曖昧さ、軍人でありながら朝鮮関係の情報収集を職務とする自分に忸怩たる思いを持つ富田(佐藤浩市)は自衛隊を辞めようと決意するものの、上層部から慰留される。
 結局表向き調査事務所の所長におさまり、上層部からの指示でKCIAの金車雲(キム・ガブス)と接触、金大中(チェ・イルファ)の居場所をつきとめる仕事を請け負うことになる。ところが、事が拉致、暗殺に発展すると、上層部は計画から手を引くよう態度を翻す。
 逆に自らすすんでのめりこんでいく富田。任務に失敗すれば本人のみならず家族までも殺されてしまう金車雲へ共感、自分なりの「国家と個人の戦い」というわけだ。
 この富田の人物造形はいま一つわかりにくい。上に反逆する心情がこちらに届いてこないのだ。
 それに比べて金車雲の、計画を成功させなければ抹殺されてしまうという焦燥感、悲壮感は全編に渡って波打っている。
 金車雲は失敗した時の〈保険〉のため、わざと現場に指紋を残す。犯人が特定されれば、〈国家〉は簡単に自分を殺せなくなる、と。「なぜプロの諜報員が現場に指紋が残すようなミスをしたのか」という疑問に対する回答に思わずうなずいてしまった
 国家の思惑に翻弄させられる二人とは対照的な、若い富田にかつての己を見て、共鳴するがゆえに反目してしまう男も主要人物として登場する。
 映画オリジナルの夕刊紙記者・神川(原田芳雄)である。戦争時は軍国主義にどっぷりつかり、戦後はその反動で共産党に入党、そのどちらにも裏切られた過去を持つ。
 この無頼派記者を原田芳雄が演じることで「確かに七〇年代にこんな記者がいたのだろうなあ」と思わせる。富田を諭す「オレは誰かのために生きないし、誰かのために死にもしない」「勝たなくてもいい戦争もあるんだ」の台詞が説得力を持った。

 映画は一九七〇年の三島由紀夫自決事件を介して富田と神川が最初に出会うところから始まる。
 三島に心酔する富田と思想に縛られず自由に生きようとする神川。ふたりの立場の違いを明確にすると同時に、七〇年代初頭の、あの時代を鮮やかに観客に印象づける。うまい導入だ。
 富田がKCIAと接触するために利用する韓国人女性の李政美(ヤン・ウニョン)も映画のオリジナル。ふたりは恋に落ちるのだが、政美が初めて富田に見せる裸身がショッキングだ。かつて民主化デモに参加し投獄され、KCIAによって受けたリンチの傷跡が生々しい。戒厳令下の朴政権の実態が如実にわかる仕組み。
 金大中のボディガード・金甲寿(筒井道隆)のキャラクターも映画独自に造形していて好感を持った。
 在日二世で母国語が喋れない、たぶん祖国の統一も民主化にもあまり関心がない大学生がそれほど乗り気でない金大中のボディガードをすることになって、徐々にその人柄に惹かれていく。金大中が書いた詩の意味を知りたくて韓国語の勉強をはじめるくだりが微笑ましい。
 そんな彼が拉致事件に巻き込まれ、自分の不甲斐なさに意気消沈しているところに、警察の取調室で「母国語もしゃべれねえくせに」と馬鹿にされ、泣き喚くシーンに目頭が熱くなった。映画の中で一番感情移入できるのがこの人物だった。

 阪本監督は奇をてらわず、テクニックにも走らず正攻法で淡々と、KCIA側の、事件をリークする造反者が誰かというミステリ的要素もつけ加えながら、事件の経過を描写する。それがクライマックスまで静かにサスペンスを盛り上げる結果となった。ラストの衝撃は忘れられない。
 タブーとされる題材に挑戦し、原作以上の人物造形で当時の風俗描写を含めて、水準以上のエンタテインメント作に仕上げた阪本監督以下スタッフの姿勢は賞賛に値する。
 今後も政治の闇にメスを入れ、薄汚い政治屋たちを右往左往させるような骨太な映画を期待したい。




 今朝の朝日新聞に、江戸家猫八さん死去の記事に大声あげた。66歳。胃がんでは仕方ないか。無念だけど、息子さんに後を託したと信じることにしよう。

     * * *

 昨日31日(木)は午前中銀行へ。こんな桁数の入金は今後絶対にないだろう。全部自分のものではないが。
 午後、自転車で市役所へ出かけ、年金変更の手続き。
 西川口駅前の自転車預所に自転車を置いて、中目黒へ。「中目黒アート花見会 SAKURA Group展」が目当てだったが、ちょうど目黒川さくらまつりの最中で平日だというのにとんでもない人出だった。
 「中目黒アート花見会」を覗いたあと、ひとり花見としゃれこんだ。

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 17時30分に上野広小路亭へ。広小路亭は何度か足を運んでいる。ほとんどが立川流の落語会なのだが、一度、知り合いの桑原美由紀さんが出演する朗読会にも伺っている。
 今回は「東京寄席」という催し。毎月月末に開催しているみたいだ。
 きくち英一さんが出演するという情報を得て駆けつけた。紙芝居で舞台に立っていることを知った。


  早川侊志    漫談(以降、影ナレ)
  ミライパレード 漫才
  ユメマナコ   漫才
  スープレモン  漫才
  青空活歩   漫談
  猪馬ぽん太 漫談
  神田すず   講談
  立川志ら玉  落語

    〈仲入り〉

  きくち英一     紙芝居
  青空羽歩・蛇九 漫才
  丸一仙翁社中  太神楽
  松鶴家千とせ  漫談


 終了後、近くの居酒屋できくちさん、きくちさんのファンであるAさんと飲む。きくちさんにブックカフェ二十世紀のトークイベント、特撮イベントを開催したい旨説明し、承諾を得る。
 小中和哉さんをホストにして定期的に開催する予定の「小中和哉の特撮夜話(仮)」の第1回ゲストを考えている。

 最初は生ビール、続いて日本酒をグイグイと。先にAさんが帰って、きくちさんと二人。すっかり出来上がってしまったので、外に出たのはかなり遅く、きくちさん、終電だったとか。
 僕はといえば、どうやって帰ったのか覚えていない。朝、気がついたら、服を着たままフトンの中にいた。
 自転車があったので、ちゃんと自転車に乗って帰ったのだ。途中、コンビニに寄ってドリンクも買っている。


 本日より3日間神保町はさくらみちフェスティバル開催。
 土日はぜひ神保町へ遊びにきてください。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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