今、DVDで「夜叉」を観ている。
 いしだあゆみが健さんの奥さんを演じている。
 ショーケンの奥さんを演じていたときもあったなぁ。
 本当の奥さんのときもあったし。

     ◇

●あなたならどうする? 2006/09/28

 昨晩京浜東北線の電車に乗っていたときのこと。
 夜の9時過ぎ、品川から乗り込んだ電車はかなり空いていた。座って本を読んでいると、どこからにぎやかな声が聞こえてきた。声ではなくTV番組の音声だった。車内では異質の音。かなり大きな音で車内にこだましている。
 読書をやめ、あたりを見渡す。音の出所はどこなのか? 
 最初はわからなかった。左右、前方、よく注意したがそれらしき光景は見当たらない。にもかかわらず音はすごく近くから聞こえてくる。
 ピンときた。僕が座ったのはドア横。座席とドア際に立つ人を隔てる壁(?)がある。その壁むこうを横からのぞきこむと…いた。若い男が床にすわって携帯電話のTVを見ていたのだ。
「ああ、携帯か」
 納得してまた本を開こうとして、ハタと気づいた。
「なんで、こいつ、生音でTVを見ているんだ?」
 たとえば、車内でウォークマン(今はiPodか?)をヘッドフォンなしで聴いていたらどうなるか。ヘッドフォンから漏れてくるシャカシャカ音さえ問題なのに。
 いや、シャカシャカ音だからイライラするのだ。たまに横にそういう人がいると思わず叫びたくなる。
「ヘッドフォンを取れ! どうせ聞こえてくるのならシャカシャカよりちゃんとした音楽の方がいい!!」
 話がずれた。携帯電話TVのことだ。
 若い男が電車の中でヘッドフォン(イヤフォン)をせずにTVを見ている。画面見ながらニヤけている。
「おい、ここをどこだと思っているんだ? 自分の部屋じゃないんだぜ。公衆の場。なぜそんなおおっぴらに音が出せるんだ? えっ!」
 僕は叫んだ。
 心の中で。
 それにしても誰か注意する人はいないのか。あ、オレが一番近い距離なんだっけ。周りを見渡す。携帯を熱心に見つめるOL、文庫本を読みながらチラチラと男を見る学生、無関心を装う中年サラリーマン。隣の女性は驚愕の眼差しだ。やはり僕なのか。
 もう一度奴の顔を見る。うーん、どこか正常でない雰囲気。注意して逆ギレされても困る。しかし、音はうるさい。注意すべきか否か。まるでハムレットの心境で数分間。
 と、電車は東京駅に到着。奴は降りていった。
 助かった。


●あなたならどうする? その2 2007/07/05

 問題は23時過ぎ、西川口の駅から自宅に帰る途中に起きた。
 ほとんど人通りのない歩道を歩いていると、若い女性とすれ違った。呼び止められた。振り返ると、女性が今にも泣き出しそうだ。
「あの、見ず知らずの人に、こんなお願いするのはいけないこととわかっていますが……」
 黒い縁の眼鏡をかけたスリムな女性。容姿は人並みプラスアルファ。
「身元を保証するものもないけど、月末にはきちんと返却しますので、九千八百円貸していただけないでしょうか?」
 泣いているけれど、涙は見えない。西川口の聖子ちゃんは何度も頭を下げる。
 金額を聞いて、ホッとした。
「それは無理です。今、財布にはそれほど入っていなんですよ。千円だったら貸せるけど」
 言ってから、しまった! と思った。千円でもいいから貸してくれと言われたらどうするんだ?
「……そうですか」
 聖子ちゃんはあっさり引き下がった。
 全くの赤の他人に1万円近くの大金をなぜ借りる? いやその前になぜ1万円ではなく、九千八百円なんだ? いったい何の目的で?
 いろいろ聞きたいことはあったが、深入りしたくないので、そこで回れ右した。
「別に返してくれなくていいよ、その代わり、これからちょっとつきあってよ」
 そう返答したらどんな反応を示しただろうか。いや、そのものずばり「やらせて」と迫ったら……。あっさりついてきたらそれもまた怖い。
 帰宅して家族に話す。
 かみサンが言う。「このまままっすぐ歩いていくと交番があるから、そこで借りたらいいって言えばよかったのに」
「交番は金を貸してくれないよ」すかさず答える。
「どうしてわかるの?」
「昔、借りようとして断られたことがあるから」
「いつよ? いつ?」
「もう結婚して、笹塚に住んでいたころ……」
「どうして?」
「それは、あの、ムニャムニャ……」
 かみサンと娘の冷たい視線を感じながら、猫ハウスを覗き込む。
「コムギ、また起きていたのか? どうした? 元気してたか?」 
 男同士だもんな、コムギだけだよ、オレの気持ちわかってくれるのは。


●あなたならどうする? 3.1 2007/08/23

 この前の日曜日、新宿でまぐま発行人と飲んだ後、帰宅したわけだが、ちょっと用があって、一つ手前の川口駅で降りた。改札口に向かっていると2、3m前を歩く女性のロングスカートが目には入った。小太りの20代の女性。ベージュのスカートの尻に赤黒い染みがあった。
 ピンときた。
 大昔、小学6年か、中学1年だったと思う。朝布団から起きた母親のパジャマの同じところに同様の染みを見つけて動揺したことがある。何も言えなかった。母親はそのままトイレに入って何食わぬ顔で出てきた。息子に見られたことを知っていたのか否か。
 前を歩く女性はスカートの汚れについて認識しているのだろうか? 認識しているのならいいのだがそうでなかったら? 誰か教えてやればいいのに。男のオレにはできない。ほら、そこ行く女性たち! 
 でも、ここで知らされてどうなるというのか。
 自分のことに置き換えてみる。社会の窓を全開にしていて、それを人の大勢いるところで教えられたら……。
 顔が真っ赤になるだろう。羞恥が一気に押し寄せるだけ。知らない方がいいのかもしれないな。
 二つの思いが交互に押し寄せ、ふと思った。赤の他人のことでどうしてあれこれ考えなければならないのか。それこそ恥ずかしくなって、早歩きして女性の横を通り過ぎ改札を抜けたのだった。
 以前にも似た状況があった。
 ずいぶん前のことだ。場所はJR品川駅。まだ改装前で、品川プリンスホテル側の改札と港南口を結ぶ地下通路があった時代だ。
 夜、飲んだ帰りだったか、ホテル側の改札に向かっていたら、前を行く女性がいた。後姿からかなりの美形だとわかる。服装にもセンスを感じる。ちょっと見とれていた。ヘアスタイル、うなじ、背中、ウエスト……。
 愕然とした。スカートがめくれあがり、下着が丸見えだったのだ!! 


●あなたならどうする? 3.2 2007/08/24

 前を歩く女性のスカートがめくれている。いや、めくれあがっている。
 パンツもろ見え。お尻全開。
 目が点になった。
 目の前の光景が信じられなかった。
 思わずあたりを見渡した。
「もしかしたらどっきりカメラかも?」
 どうみてもリアルじゃないのだ。
 スカートがずれ上がったというのではない。裾が腰のベルトに巻きついた、どうしてそーなるの!状態。トイレに行ってたのか? 自分で顔が赤くなるのがわかった。
 本人、まったく気づいていないから、颯爽とした歩きだ。それがまた哀しい。
 誰か注意する人はいないのか。というか、まだ誰も気がついてない。
 すぐにでも駆け寄って注意したくなった。できなかった。そのくらい恥ずかしい姿なのである。
 女性が改札を抜けた。とたんにあたりが明るくなって、黒のストッキングに包まれた白いパンティがくっきりと目に飛び込んできた。女性はそのまま右側の階段に向かっていた。駅構内はものすごい人だろう。完全なさらしものになってしまう。声をかけるべきか。いやその前に僕も同じ方向に行くのだから、このままでは下から覗く形になる。それこそ眺めはいいだろう。
 人間の、というより男の性とは不思議なもので、見えるか見えないかというのならわくわくしながら注視する。ところがあまりにあからさまだと逆に躊躇して目をそむけたくなる。後ろからついていきたくない。そう思って、歩みを止めた。
 すると後からやってきたスーツ姿の若者たち(確か3名だった)が僕を追い越しながら、その光景を見つけたのだ。
「なんだ、あれ?」
「マジかよ」
「わぉ!」
 若者たちは階段を上がっていった。階段はもしかしたらエスカレーターだったかもしれない。
 いてもたってもいられなくなった。回れ右して、構内に続く階段(エスカレーター)とは反対の、地下通路へつながる階段を駆け下りたのだった。
 だからその後のことはまったく把握していない。
 スケベである。若い頃は日活ロマンポルノを映画として観ていなかった。(今は違う。だから後悔している。まあ、年齢を重ねなければわからなかったことでもあるのだが。)
 アダルトビデオは今でもたまに見る。かつてアテナ映像の代々木忠作品に夢中になり、一時V&Rプランニングのバクシーシ山下に浮気した。今はBABY ENTERTAINMENTか。
 にもかかわらず、目の前の光景があまりにあからさまだと逆に目をそむけたくなる。
 嘘ではない。
 実は、もっととんでもない光景、女性のあられもない姿を真近にして、始終顔をふせていたことがあるのだ。興味とは逆に。
 ある土曜日の午前中、それは京浜東北線の車両で起きた。


●あなたならどうする? 3.3 2007/08/27

 某社から今の会社に出向してすぐのことだったから、十数年前になる。
 当時は毎月土曜日に管理職を対象にした全体朝礼というものがあった。社長、会長のスピーチを拝聴する1時間のためだけに、出社するというのもどうかと思っていたが、まあ、あのころは業績は最高潮、社長の言葉は神の声だったから、役員以下管理職はありがたくスピーチを拝聴するのだった。
 もちろん、管理職でない僕には関係ない行事。にもかかわらずI部長のお供として参加させられていた。
 後に、部署が異動になって、この朝礼の企画運営、司会を担当するなんて思いもよらなかった。このときは土曜日でなく平日に変更になっていたけれど。
 その日。朝礼が終わって京浜急行で品川へ出た。JR京浜東北線に乗り換える。
 1時間の朝礼のために往復3時間かけるのだ。いつもなら、有楽町で降りて映画を見たり、銀座の本屋散策にいそしむのだが、この日はそのまま西川口に向かっている。何か予定があったのだろうか。覚えていない。
 昼前。車両にはほとんど乗客がいなかった。
 それまで本を読んでいたかうたた寝していたか、気がつくと上野駅を通過したところだった。正面を見ると前の席に座る女性の行動が目に入った。年齢は20代後半から30代前半といった感じ。容貌は、これまた覚えていない。長いスカートをはいていたことだけ記憶にある。家庭用のビデオカメラを手にしていた。ファインダーを覗き、ホワイトバランスを調整したりフォーカス合わせたりしている。少ししてカメラを座席に直置きした。カメラをそのままにして、反対側の、僕が座っている席に移る。僕が座っているのは席の端、ドアのところ。女性は真ん中よりちょっと向こう寄りだった。
「何しているんだろう?」
 カメラを見た。レンズは女性が座った位置に向いている。
「撮影しているのか? でもなぜこんなところで?」
 女性は両足を座席を乗せた。左右に大きく開いた。
 あわてて視線をそらした。
「な、な、なんだこれは!」
 目はカメラの方を集中しながら、意識は完全に女性に飛んでいる。
 スカートの中を撮っている。そういえば、パンスト穿いていなかった。もしかしてノーパン……?。
 いったい中はどうなっているのか? 限りない妄想が頭の中をうずまきはじめた。
「AVの撮影だろうか? この女性、AV女優か?」
 確かに女優のセルフ撮影なんていう作品もあることはある。女性は近くにいる僕なんて眼中にないかのようにさまざまなポーズをとりだした。鼓動が激しくなった。ものすごく興味ある。なのに恥ずかしくて見られない。目をふせるしかない。でも、気になる! ほかの乗客がこの光景をどう見ているのか? 女性の反対側に顔を向ける。遠くに客が二人いたが、まったく気がついていないようだ。
 たとえば、一般車両で痴漢行為やファックシーンに及ぶAVを見ることがある。いや、あった。
 いつも思うのは、まわりの乗客がまったく気がついていないことで、それがどうにも不思議だった。どう考えても、視線に入っているはずなのに、皆われ関せずみたいな顔をしている。
 同じような状況になってわかった。見て見ぬフリをしているのだ、たぶん。きっと。至近距離であからさまな行為をされると思考とは別にある種の恐怖がともなって正視できない。
 単にお前に度胸がないだけじゃないか! 
 そうかもしれない。
 電車が王子駅に着くと、女性は何事もなかったかのようにビデオカメラをバックにしまって降りて行った。




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 談四楼師匠の独演会で知り合ったカメラマン、スズキマサミさんの写真展が開催されている。
 場所が面白い。なんと日本で一番人通りがあって一番騒がしい(らしい)ギャラリー。このギャラリー、どこにあると思いますか? なんと、新宿の街中、大ガード下なのだ。

 案内をいただき、休みの日に行きますと返信した。
 で、昨日、新宿ピカデリーで16時30分の「10クローバーフィールド レーン」を鑑賞してから寄ろうと思っていた。
 終わったあとまだ外は明るかった。劇場を出ていつものくせで目の前の紀伊国屋書店7階へ。
 特撮、映画コーナーを愉しんで、新宿駅へ。
 電車の中で気がついた。「あっ、写真展!」

     ◇

 【「宴は闌」 スズキマサミ撮影舞台写真】

■開催期日:6月24日[金]~7月21日[木]
■開催場所:新宿大ガード下 ギャラリーオーガード みるっく

 さまざま場所で繰り広げられている、さまざまな藝能の写真40点が通路壁面ギャラリーに展示されています。
 24時間閲覧可能ですが、深夜1時~早朝6時までは照明は消灯しています。


 ■展示内容
 [演芸ユニット] あこはる。(遠峰あこ&立川こはる)・LEFKADA新宿
 [コメディプロレス] Asia Gold Pro Wrestling ・上野恩賜公園
 [舞踏] 東丸 ・神楽坂 キイトス茶房
 [コンテンポラリーダンス] 新井千賀子 ・王子 きいろろ聡明堂
 [人形遣い] 綾乃テン ・上野恩賜公園
 [けん玉師] 伊藤佑介 ・上野恩賜公園
 [里神楽] 石見神楽 東京社中 ・四谷 須賀神社
 [童話劇] 演劇ユニット・ウ学級 ・成田 日蓮宗本山 日本寺
 [舞踏] 岡庭秀之 ・森下 開座アトリエ
 [パフォーマンスユニット] おさらスープ ・吉祥寺スターパインズカフェ
 [ウォーキンアウト] OKK ・文京朝顔 ほおずき市 澤蔵司稲荷
 [活動写真弁士] 片岡一郎 ・赤坂区民ホール
 [ランペッター] 金子雄生 ・内幸町ホール
 [薩摩琵琶] 川嶋信子 ・谷中 戸野廣浩司記念劇場
 [シンガー] 鬼頭径五(SoulShine)・高円寺JIROKICHI
 [一人芝居] 久保田寛子 ・神楽坂 キイトス茶房
 [演劇] 劇団 月歌舎 ・春日 文化シャッターホール
 [ソロコメディー] 小心ズ ・パルテノン多摩小ホール
 [和太鼓] 太鼓打ちシンゴ ・四谷区民センター
 [落語] 立川談四楼 ・銀座 蕎麦 流石
 [浪曲] 玉川奈々福(三味線・沢村豊子)・北澤八幡神社
 [ダンスカンパニー] DANCE TIMES ・芝浦港南区民センター
 [演劇] 演劇ユニット ちからわざ ・下北沢 ザ・スズナリ
 [オブジェクトマイムシアター] to R mansio ・新宿モア4番街
 [創作紙芝居] どろんこ座 ・高円寺 小杉湯
 [モダンダンス] 仲野恵子/Rianto ・品川きゅりあん小ホール
 [ギタリスト] 野村雅美 ・阿佐ヶ谷 名曲喫茶 ヴィオロン
 [日本舞踊] 花柳茂義実 ・品川きゅりあん小ホール
 [ベリーダンス] VIZRY ・阿佐ヶ谷 名曲喫茶 ヴィオロン
 [ライブパフォーマンス] HIMIKO69 ・新宿URGA
 [ファミリーイベント] フライングシュワシュワカーニバル ・パルテノン多摩小ホール
 [コミックダンス] BuriCama ・吉祥寺 Rock Joint GB
 [ダンスパフォーマンス] 牧瀬茜 ・吉祥寺 Rock Joint GB
 [江戸太神楽] 丸一仙翁社中 ・駒込 六義園
 [クラシックバレエ] 桃谷幸子 ・学芸大学 千本桜ホール
 [一人コント] モロ師岡 ・下北沢「劇」小劇場
 [ウォーキンアウト] ヤマスケ ・文京朝顔 ・ほおずき市 通院前
 [ライブセッション] Les Kagura(田ノ岡三郎/宮澤やすみ)・神楽坂 キイトス茶房
 [バンド] りぶさん ・高円寺ストリートライブ
 [バンド] REGINA ・吉祥寺 Rock Joint GB         
  ※50音順


※詳細は
http://www.lonecell.com/enwatakenawa/

enwatakenawa




 小説を読んで、その映像化を夢想する時、僕には映画作品として考えてしまう癖がある。  
 桐野夏生の「OUT」を読んだのはずいぶん前になるが、読みながらこれは映画になると思った。  
 弁当工場の深夜パートとして働くヒロインが、ひょんなことから死体をバラバラに解体処理するはめになって、成功したことから、とんでもない道へ入り込んでしまう話は映画の題材にぴったりだと思った。  
 フジテレビで飯島直子主演でドラマ化された。ストーリー、設定がTV用に大幅に改変され見るも無残な内容になっていた。2回め以降はチャンネルを合わせることもなかった。  
 同じ時期だったか、ベストセラー「永遠の仔」が日本テレビでドラマ化された。これは映画にするのはむずかしいだろうと思っていたが、連続ドラマになるとは予想もしていなかった。  
 考えてみれば2時間前後で完結してしまう映画より、ワンクール十三回(実際は十一回くらいか)のTVドラマの方が、特に長編の場合など、人間関係や心理の襞を深く濃密に描けるのは確かである。  
 『リング』の成功例もあるが、この何年かの映画化作品を見て、小説のヒット→安易な映画化というのはやめた方がいいと思わずにはいられない。出版社にしてみれば、作品の出来不出来にかかわらず、映画化されることで、本がまた売れるというメリットがあるのだろうが、映画ファン、邦画ファンはたまったもんではない。  
 「OUT」はTVドラマ化されて、もうそれ以上の進展はないと思った。まさか平山秀之監督のメガホンで映画化されるなんて。キャストも発表されて期待はいっそう高まった。原田美枝子、室井滋、西田尚美、倍賞美津子。原作のイメージ云々ではなく、この女優陣ならぜったい映画『OUT』は面白くなる! そんな予感がした。  
 弁当工場の深夜勤務のパートをしている4人の女性たち。他の3人に金を貸す原田美枝子は一戸建ての自宅に住み夫と一人息子がいる。一見幸せそうだが、すっかり夫婦仲が冷え切っていた。夫はリストラされ今は無職。ほとんど無気力状態。部屋に閉じこもる一人息子とも会話がない。未亡人の倍賞美津子は寝たきりとなった義母を一人で面倒みている。二人が住む古い長屋風の一軒家は建て替えのため大家から立ち退きを迫られている。生活に余裕がなく引っ越す金もない。ブランド狂の室井滋はサラ金の借金の返済で四苦八苦。身重の西田尚美は夫の賭博と暴力に手を焼いていた。  
 ある日、西田が夫を発作的に殺してしまった。処置に困った西田は原田に協力を求める。拒否する原田。だが、ちょっと情けをみせて自分の車のトランクに死体を隠したことから、自分で処理せざるをえなくなってしまった。死体をバラバラにして、それをいくつものゴミ袋に入れ、少しずつ生ゴミの日に出してしまおう。そう考えた原田はいやがる倍賞を金でつり、たまたまやってきた室井も誘って計画を実行する。  
 西田の夫が賭博による借金で行方不明になった。本当ならそれで一件落着のはずだったが、捨て場所に困った室井が墓地のゴミ箱に〈生ゴミ〉をいっぺんに捨てたことから、翌日に殺人事件は発覚、事態は意外な方向にころがりはじめる。
 死体の身元がわかり警察が動きだした。夫がバカラに熱中していたことから犯人は賭博場関係者ではないかと執拗な取り調べを開始する。
 自分たちの身は安全だとホッとしたのもつかのま、バラバラ殺人事件と原田たち主婦グループの関係に気づいたサラ金会社の男(香川照之)が接近してくる。何と死体処理のビジネスを持ちかけてきた。そしてもう一人、バラバラ殺人の容疑者として警察に疑われた賭博場の用心棒やくざ(間寛平)も。厳しい取り調べの末解放されたやくざは復讐のため4人を狙う……  
 映画を生かすも殺すも台詞なんだと思い知らされた。『GO』もそうだったが、この『OUT』も会話の面白さが際立っていた。正視に堪えない死体解体作業のシーンなんて笑いの連続だった(全裸で風呂場に横たわる西田の夫を見てつぶやく倍賞美津子の一言に大爆笑!)。省略ギャグも随所にいかされている。事件の発生から何とか死体を処理するまで、笑いに包んで心地よいテンポで進めていく(脚本・鄭嘉信)。  
 4人のリーダー的存在の主婦、原田はその普通っぽい容姿が魅力(黄色いワンピースの水着姿にゾクゾクした)、下ネタ好きな少々疲れ気味の倍賞とのコンビに、金遣いの荒いわがままな室井、亭主に暴力をふるわれ一見悲劇のヒロイン、実は何事も中途半端な怠惰な主婦・西田がからんでくる構図もおもしろい。それぞれのキャラクターが生きている。  
 仰天キャスティングのやくざ役、間寛平のキレ方に思わず目をつぶった。    
 中盤まで原作どおりに進行する映画は、やくざが4人を追いかけるくだりになって独自の展開になる。これが正解だった。
 原作ではやくざと原田の一騎打ちになるのだが、映画はやくざから逃れた原田、室井、西田の逃避行を描く。  
 実をいうと小説を読んだ時、やくざと主婦の一騎打ちになるや、そのスリルに富んだ面白さに夢中でページを繰ったものの、いくらなんでも普通の主婦がやくざ相手に互角に闘えるわけがないじゃないか、とそれまでのリアルな緊迫感が少々揺らぐ思いがしたのだ。
 伏線もさりげなく挿入されている。
 映画は現実的な展開でヒロインの現状からの脱出(OUT)を描いた。閉塞しきった現実をただ惰性で生きているヒロインにロマンスと実現可能な夢を与えて、北へと向かわせる。(惜しむらくはやくざを復讐にかきたたせる警察の取り調べの苛酷さ、執拗さが原作ほど描ききれていなかったことだが、まあいいか。)
 怖がらせ笑わせながら、ラストになるとすがすがしい気持ちになれる。この感覚、どこかで味わったような気がすると思ったら、『顔』のラスト、殺人を犯して指名手配になっているヒロインが警察の追求を逃れて海を泳いで逃げていく爽快感と同じだった。




 「たちばないっぺいの口笛が叫び」が動だとすれば、みたかゆうは静の世界。だからつぶやきなのだ。

     ◇

   蛇と口笛

  夜、口笛を吹くと蛇がでるよ
  あの草むらの陰から
  乾いた冷たい瞳が
  こっちを見るよ

  夜、口笛を吹くと蛇がでるよ
  あのにごった川面を
  音もなく泳ぎながら
  赤い舌だすよ

  夜、口笛を吹くと蛇がでるよ
  夜、口笛を吹くと蛇がでるよ
  …でも、会ってみたい気もする
  どうして 細長いの
  どうして恐ろしいの
  どうして 気味悪いの

  だって だって
  蛇は言う
  だって だって わからないもん

  蛇の瞳は涙でいっぱい


     ◇

   ざぁざぁ川

  川の流れに
  みんな 何を見てたのだろう
  小さな小さな川の流れ

  つくしんぼ、あめんぼう
  アマガエルをつかまえてエビガニ釣り

  長い長い雨の後の
  子豚の産毛の生えた肌
  冷たい猫の黒い内臓
  白い目の鶏

  眩しい陽射し 田んぼ道
  泳ぐ蛇におののきわめき
  カエルの口に爆竹をはさんだ

  うるさすぎる蝉の声
  麦わら帽子 白い網
  くわがた虫にかぶと虫

  青い空 黄色い風
  肌に突き刺すからっ風
  白い土には靴の音
  中途半端な雪だるま

  いつもみんな この川を眺めていた
  小さな小さな川の流れ

  コンクリートに固められ
  重い蓋をかぶせられ
  もうあの音は聴こえない

  小さな小さな川の流れ
  僕は何を見たのだろう

  小さな小さな川の流れ

     ◇

   無題

  何もかもおしまいなんだね
  そう思いたくないけれど
  優しさにかくれた一瞬のナイフが
  今、胸につきささる

  だから もう
  さよなら

  まだ愛してる
  そうささやく前に
  耳をふさいでしまうんだから
  いいわけなんか聴きたくないよね

  だから もう
  さよなら

  いつか夢中になって
  ベストを編んでいた茶店
  話なんてうわのそらだから
  しかたなくくすり指ばかり見つめていた

  私、変わったのよと煙草をふかす
  煙草喫う女 嫌いじゃないけど
  君に煙草は似合わないよ

  だから もう
  さよなら

  だから もう さよなら

     ◇

   交換日記

  想い出は脆く
  ノートの中のあなたは
  いつまでも変わらないのに
  燃やしてしまわないと
  僕の気がすまない

  ふたりの気持ちがひとつだった
  2年の月日なんて
  あっというまさ

  今 こうして10分で終わった

     ◇

   賭博ゲーム喫茶 “J”

  薄汚れた紫の煙
  けたたましい機械音
  しみったれた顔 すまし顔
  ケバイ女 売れないタレント
  無言 罵声 そして狂喜
  不遜な態度 無邪気な瞳
  ビール コーラ アイスミルク お茶
  機械仕掛けのボーイ
  不敵な微笑
  店長のささやき
  指先のマジック

  裏の世界なんて くそくらえ

     ◇

   祭

  TVはお祭りさわぎ

  にぎやかな歓声

  渦をまいた笑顔

  いつも楽しそうに




 今朝の朝日新聞で瀬川監督の訃報を知った。
 松竹の「喜劇・〇〇〇〇」という映画をよく撮った監督というのが僕のこの監督に対する長い間の印象だった。
 著作「乾杯!ごきげん映画人生」を読んで、さまざまな発見があった。

 2012年だったか、13年だったか。女優の若葉要さんから電話をもらった。その日、瀬川監督のご自宅で、監督作品の上映とトークがあるので、いらっしゃいませんかというものだった。元気だったら喜び勇んで伺った。ところが、当時、重度の引きこもり状態。土日はフトンに寝たまま近くのコンビニに食事の買い物に行く以外外に出ることはなかった。人に会うなんてもってのほかだった。

 本当の理由なんて言えるわけがない。これから用事があるので、とお断りしたのだ。直接監督から話を聞けるいい機会だったのに。

 90歳。大往生だと思いたい。
 合掌。

     ◇

2007/05/26

 「乾杯!ごきげん映画人生」(瀬川昌治/清流出版)

 昭和40年代、日本映画にはタイトルの頭に必ず〈喜劇〉とつく映画があった。昔、海外のSF映画、それもB級映画のタイトルにSFという文字が冠されていた。それと同じ意味合いか。
 喜劇なのはわかっているのに、なぜ喜劇と称さなければならないのか、子ども心に不思議に思ったことがある。中学時代はバカにしていたところがあった。
 リアルタイムで観たことはない。しかし、1980年代前後、年末年始の深夜によくTVで放送されて、フランキー堺主演の旅行シリーズにはまった。こたつに寝そべり、みかんや落花生をほうばりながら見るには格好の映画だった。
 この一連の映画で瀬川昌治という監督の名を覚えたといっていい。プログラムピクチャーを量産した職人監督というイメージ。

 図書館に寄ったらこの監督が自分の映画人生を綴った「乾杯!ごきげん映画人生」があったのでさっそく借りてきた。

 松竹専属の監督だとばかり思っていたら、その始まりは新東宝だった。そこから東映、松竹と渡り歩く。
 日本映画の歴史に名を残す傑作、名作に数々の伝説や裏話があるように、一度上映されたら消えてしまうプログラムピクチャーも、同様の思い出話にことかかない。監督が愛着を持って語る話に興味はつきない。
 
 書名の元ネタとなった「乾杯!ごきげん野郎」なんて、梅宮辰夫、南廣、今井俊二(健二)、世志凡太がコーラスグループを結成して人気者になっていく話で、喜劇界の大御所のエノケンがゲスト出演している。まるで東映らしからぬ作品で、こういう映画、深夜に放映してくれないかしら。
 南廣は僕らの世代では「ウルトラセブン」のクラタ隊長で有名。世志凡太は浅香光代の旦那さんということは知っていたが、かつてフィンガー5を世に送り出したプロデューサーだったとは!
 東映では渥美清と組んで喜劇〈列車〉シリーズをものにし、これが、松竹の喜劇〈旅行〉シリーズにつながっていく。

 助監督時代に垣間見た、個性派俳優のぶつかりあい(鶴田浩二と三国連太郎)は、酒の席の話としては最高、しかし、現場にいたら息がつまるだろう。
 70年代は大映テレビの「赤い」シリーズ、80年代は「スチュワーデス物語」を手がけていて、ホント、プログラムピクチャー作家の鑑みたいな監督さんである。




 先週からブログを更新していなかった。
 実は帰宅してから原稿を執筆していて更新する余裕がなかったのだ。
 執筆というか、加筆訂正か。

 今秋、「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」を上梓する。
 HP「夕景工房」に掲載した際のタイトルが「1978 ぼくたちの〈赤い鳥〉物語」。大幅に加筆訂正して限定100部私家本を作った時は「僕たちの赤い鳥ものがたり」。
 この本が今秋文庫になるにあたって再度改題したというわけだ。

 当然、またまた大幅加筆している。
 今度は編集者がついて、内容についていろいろアドバイスをもらっているからその量は半端ではない。

 この小説・のようなものは、主人公の日記の体裁をとっている。この日記というのが曲者、日記ということで表現や描写が限定されてしまうのだ。普通の小説(それがたとえ一人称であっても)なら、詳細に描写できる人物像等が日記だと制限されてしまう。
 だって日記だとそんなことしないでしょう? 本人がわかりきっていることは書かない。

 たとえば、主人公の親友で上ちゃんという人物が登場するのだが、主人公は始終上ちゃんという表記しかしない。小学校のときからそう呼んでいる友だちなのだから当たり前のこと。本当の名前、そのフルネームを書きはしない。もしそんなことをしたら、それこそ説明文章だ。リアリティが失われてしまう。
 意中の女性に気持ちが通じた、キスをした、セックスした、なんてことの記述、本当の日記なら1、2行のものだろう。日記は物語を描くにはやっかいなしろものなのだ。

 私家本にしたときは、新たにプロローグをつけて、日記を基にした小説・のようなものとした。つまり、本当の日記では、1行ですませてしまった行動を詳しく書いたというように、エクスキューズしたのだ。
 とはいえ、各文章の冒頭には〈○月×日〉がつく。体裁はあくまでも日記なのである。

 今回は、〈○月×日〉という表記をやめた。月ごとに文章をまとめ、日付は、最初の行の一番下に入れた。これで日記という体裁から開放された。つまり日付のある小説にしたのだ。
 作業は一応終わったのだが、まだ編集者の要望をすべて反映させてわけではなく、もう一度読み直しながら、追記していくつもり。来週には提出できるだろう。

 この作業が終わったら、次の小説に取りかかる。タイトルは「明日を知らない少年たち」。
 5年生のときに8ミリ映画制作グループを組織して、アニメや怪獣特撮映画に取り組み、失敗を繰り返す少年4人組。やがて、6年のお正月、NHK少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」に感激して、原作の「時をかける少女」に対抗して「明日を知る少年」の映画に取り組むことになる。撮影に中学1年、2年と2年かかった。録音は3年生になってから。
 自分なりの「スタンド・バイ・ミー」なのである。
 時代背景は1969年の大晦日から始まって、1975年まで。
 乞うご期待!




都知事「リオオリンピック・パラリンピックに出たいんです。東京都を笑いものにさせたくない。出たら辞職します」
俺「ぜったい、オリンピックには行かせねぇ!」

     ◇

 一昨日の日曜日(12日)、「殿、利息でござる!」鑑賞。予告編で受けた印象と全然違う内容だった。羽生選手の演技(台詞回し)に驚愕した。

 本日(14日)12時50分から地元シネコンで再度「64 -ロクヨン 前編」を、歯医者に行った後、18時から「64 -ロクヨン 後編」を鑑賞。この映画、4時間かけて1本にしても夢中でスクリーンを見(魅)入ったと思う。
 なんてことを具体的に語りたいのだが、その前に5月に国立演芸場で立川流落語会があったこと、その初日の感想を記さなければならない。忘れていたのだ。

 しかし、23時からのニュース番組で、あのセコねずの顔を見て怒り心頭、冷静さを失っているので、このへんで。


masuzoenezumi




 もう何年も前から落語ブームが囁かれていた。下地があったところにTVドラマ『タイガー&ドラゴン』で一気に過熱した。「大銀座落語祭」も夏の風物詩になった感がある。ブーム到来、か。
 この勢いに乗じて「ファイティング寿限無」(立川談四楼/ちくま文庫)が映画化されないものか。
 噺家とプロボクサーの二足の草鞋を履いた青年の物語。売名目的で始めたボクシングの才能が開花し、あれよあれよと世界チャンピオンまで駆け上っていく過程はとにかく痛快。ラストの、実際にはありえない決着のつけ方に作者の落語への愛を感じて感激した。アクション(ボクシング)中心の青春小説は絶対映画向きなのだ。
 主人公には岡田准一でどうだ? 『タイガー&ドラゴン』で噺家、映画『フライ、ダディ、フライ』で格闘技に長けた高校生を演じているのだからまさに適役だろう。勝手にキャスティングして一人悦に入っていたら思わぬ伏兵が現れた。
 『しゃべれども しゃべれども』である。主演はTOKIOの国分太一。先を越された。オリジナルかと思ったら原作がある。十年前に「本の雑誌」ベストテンで一位に輝いている。全然知らなかった。あわてて公開前に同名小説(佐藤多佳子/新潮文庫)をあたった。

 主人公の〈俺〉は今昔亭三つ葉という二つ目の噺家。高座以外でも和服を着て江戸情緒にどっぷりつかろうとする平成の〈坊っちゃん〉。短気でせっかちで無鉄砲な青年だ。幼いときに両親を失い、今は茶道教室を開く祖母と二人きりの生活という境遇もどこか本家に通じるところがある。
 このところスランプのようで、師匠にはいつも小言をくらっている。現代に生きた古典落語、師匠のセコなコピーではない自分の落語を求めてあれこれ悩んでいるところに、ひょんなことから自宅で落語教室を開くハメになる。
 生徒は4人。吃音に悩む従弟の良。失恋して笑顔を忘れた勝気な女性の十河。大阪弁がいじめの対象にされている小学生の村林。マイクを前にするとまともにしゃべれず、解説の仕事を干され気味の元プロ野球選手、湯河原。4人にきちんと「まんじゅうこわい」をしゃべらせることが三つ葉の役目だ。が、これがうまくいかない。
 とにかく4人の仲が悪い。ちっともまとまらない。やる気があるのかないのか。そんな生徒と三つ葉のやりとり、会話の面白さに何度も大笑いしながら、やがてタイトル「しゃべれども しゃべれども」の本当の意味がわかってくる。
 落語教室をとおして4人は何を得るのか? 教えることで逆に三つ葉は何を学ぶのか?
 熱狂的な阪神ファンでこまっしゃくれた村林と、生徒の中で一番孤立している湯河原の関係が愉快だ。本質をついた小学生の指摘に分別のあるいい大人が本気で怒りまくるのだから。
 この経緯があるからこそ、いじめっ子のボスに野球対決で挑む運動音痴の村林の心意気を知り、湯河原がバッティングコーチを買って出るくだりに胸が熱くなる。
 最終決着をつけるべく開催された「まんじゅうこわい」発表会。決して予定調和でない展開に涙が滲み、爽快感が全身を駆け抜ける。それは肝心要の三つ葉と十河の和解にも言えることだ。こちらは十分予想できたけれど。
 先生も生徒も皆不器用だけどまっすぐな心根が気持ちいい。
 四季のうつろいがさりげなく描写されていて心がなごむ。桃、ほおずき、金木犀、沈丁花。色や匂いが感じられた。

 映画が公開されるとすぐに足を運んだ。監督は平山秀幸。前作『レディー・ジョーカー』は残念な結果になってしまったが、桐野夏生のベストセラーを映画化した『OUT』は快作だった。原作を尊重しながら、映画オリジナルの展開(脚本・鄭義信)にしたところが功を奏した。素材がまったく違う今回はどうだろうか?
 映画は登場人物の簡略とストーリーの短縮が施されている(脚本・奥寺佐渡子)。
 まず従弟の良がカットされた。落語教室の提案者であり、生徒たちの潤滑油的存在にもなる役どころなのだが、吃音が差別につながるという配慮だろうか? 三つ葉役の国分太一をより引き立たせる意味合いもあるのかもしれない。なにしろ良はしゃべらなければ女性にモテモテのイケメンなのだから。
 三つ葉が失恋する女性も、踊りの師匠の娘から、村林(森永祐希)の叔母(占部房子)に変更されている。祖母(八千草薫)の茶道教室の生徒で、三つ葉とは以前からの知り合い。この叔母がクラスに馴染めるよう甥っ子に落語を教えて欲しいと三つ葉に落語教室を提案する役を請け負うことになる。
 ストーリーが簡潔になった分、展開が強引になったきらいはある。
 湯河原(松重豊)の落語教室への参加に少々無理がないか。
 失恋のため、三つ葉が傷んだ弁当を無理やり食べて腹をこわすのもあまりにもとってつけたようなエピソードだ。相手がいくら料理下手といっても、人に食べてもらうのに食材の賞味期限に神経を注がないわけがない。
 ラストも唐突すぎる。いつも反発していた三つ葉と十河(香里奈)が実は互いを意識していたとわかる一瞬。小説ではこれからの恋愛を暗示させ物語を締めくくってくれるのに、いきなり三つ葉のプロポーズになってしまうのだ。「(家には)ばばあがいるぞ」をそこで使うか。隅田川を走っていく水上バスといったシチュエーションにゆずの主題歌がはまっていたのに……。
 と、まあ、ドラマ的には及第点といったところなのだが、エッセンスはそのままだし、何よりラストで爽やかな気持ちになれるのだから映画化としては上出来である。
 しかし、この映画で特筆すべきなのは、落語という日本の伝統芸が映像できちんと表現されたことだと思う。役者がプロの噺家を演じ、風情を醸し出すだけでなく、実際に落語を披露する。その落語がホンモノに見えたこと、なおかつその話芸に魅了させられたこと。どんなに言葉を紡いでも芸そのものを小説で見せることはできない。映画はその芸を、芸の質を段階的に描いて観客を納得させる。
 三つ葉の師匠である小三文の十八番「火焔太鼓」を伊東四朗がごく自然に演じてみせる。原作では「茶の湯」なのだが、誰にでもわかるようにポピュラーなネタにしたのだろう。その「火焔太鼓」を一門会で三つ葉が初披露し、スランプを抜け出す一瞬を体現する。これは技ありの演技、演出だった。それまでの不甲斐ない高座ぶりとの対比が鮮やかだ。映画化の意味はここではないか。
 もうひとつ、村林の「まんじゅうこわい」も実際に笑えるところに瞠目した。いじめっ子のボスが笑いだすのが実感できるのだから。 
 予感はあった。冒頭の、カルチャーセンターの「話し方教室」特別講師として講義するため外出する師匠に病気でダウンした前座に代わって三つ葉がお供するシーン。「どこに行くんです?」の質問に「カルチャ」と暢気に答えるそのアクセントがたまらない。おまけに下町風情の、昔ながらの佇まいをバックに初夏の日差しを浴びながら和服姿で並ぶ二人を正面から捉えたショット。
実になんとも粋ではないか!




 シネマート新宿で「若葉のころ」を観たあと、新宿に行けば必ず立ち寄る紀伊國屋へ向かう。
 本店の前に、道を挟んだアドホックスビルへ。いつも1階のCD、DVD売り場を覗くだけなのだが、珍しく2階のコミック売り場へ足を踏み入れた。単にトイレに行きたかっただけなのだが。
 復刻コーナーの棚で心臓が高鳴った。
 「男の条件」(集英社)があったのだ。

 小学校の4年か5年のときだったと思う。ちょうどそのころ将来の夢が漫画家になって、まず秋田書店の「マンガの描き方」という本を購入した。続いて石森章太郎の「マンガ家入門」。
 同じころ、漫画家志望の青年の漫画修行を描くコミックスの存在を知った。マンガ業界のスポ根ものといえばわかりやすいか。ジャンプコミックス「男の条件」である。原作・梶原一騎、画・川崎のぼるという「巨人の星」のゴールデンコンビの作品。

 即手に入れたわけだが、不思議なのは全2巻(上・下巻)のうち、第一部所収の上巻しか買わなかったことだ。その日、書店に上巻しかなかったのか、それとも、こずかいの関係で上巻だけにしたのか。どちらにしても、その後下巻を買わなかったことがどうにも理解できない。絶対続きが読みたくなるようなところで上巻が終わるのだから。

 主人公は絵の才能がある旋盤工の青年。彼がある用件で売れっ子漫画家の自宅を訪問するところから「男の条件」は始まる。この漫画家は、旋盤工を描くマンガがヒット中なのだが、背景に描かれた旋盤機械にウソがあって、それを指摘するためにやってきたのだ。
 その後、いろいろあって、主人公は売れっ子漫画家の友人である男に弟子入りすることになる。才能はあるのに、妥協をゆるさない性格から人気漫画家への道を閉ざしてしまった過去を持つ。
 この師弟が読者が渇望しているマンガを目指して切磋琢磨する姿を描いている。

 最初、この二人は紙芝居の上演で子どもたちの人気を得る。ところがショバ代をめぐって、やくざとのいざこざに巻き込まれる。
 ここで登場してくるのが、女子高でやくざの組長となっている娘と、その弟でひ弱でがり勉タイプの嫌味な中学生。
 「セーラー服と機関銃」より20年近く前に女子高生組長が誕生していたのである。このキャラクター、「巨人の星」の京子みたいだ。弟は「いなかっぺ大将」の西一だし。
 というか、主人公は星飛雄馬で、ライバルは花形そのまま。伴宙太だって同様の役柄で登場する。女子高生組長を支える老やくざは白髪頭の星一徹!

 実のところ、下巻(第2部)がどのような展開になるのかまったく知らなかった。気にはなっていたのだが、その後、「男の条件」を書店で見かけることがなかったのだから仕方ない。
 それが、第2部も所収されて全1巻になった「男の条件」が目の前にあるのだ。40数年ぶりの再会。この気持ちをどう書けばいいのか。

 一気に読んだ。燃えた。



otokonojouken
マンガ業界の常識、原作・〇〇、画・〇〇という表記、
本当は、物語(ストーリー)・〇〇、画・〇〇なのではないか?
「吾輩は猫である」をコミカライズするなら
原作・夏目漱石になると思うけれど





 休み。

 10時、川口中央図書館へ。借りていた本、DVDを返却。DVDを借り直す。新たに本3冊借りる。積読本が何十冊もあるのに!
 
 12時、神保町シアターで「モスラ対ゴジラ」鑑賞。スクリーンで観るのは何十年ぶりか。
 ブックカフェ二十世紀今月17日のイベント 「小中和哉の特撮夜話 Vol.1 ゲスト:きくち英一」のチラシを置いてもらった。

 ブックカフェ二十世紀で昼食、少し遅めの昼食。その後、棚にあったコミック「青春少年マガジン」(小林まこと/講談社)を読了する。

 16時半過ぎにブックカフェを出て、歩いて江戸川橋へ。切通理作監督の映画のお手伝い。エキストラで出演する。
 自主映画と聞いていたので、もっと軽い撮影現場を予想したのだが、本格的で驚く。

          * * *

2016/06/02

 「若葉のころ」(シネマート新宿)

 ビー・ジーズの「若葉のころ」をモチーフにした映画が公開されると知り楽しみにしていた。日本映画だとばかり思っていた。台湾映画だったのか。
 都内では1館でしか上映しない。シネマート新宿だ。例の件があり、二度と行くもんかと心していた劇場なのだが、単館ロードショーなら仕方ない。

 1日のサービスデーを利用しようとしたら時間があわない。諦めた。
 新宿到着後、前売券が売ってないかといくつかのディスカウントチケット店で確認した。どこにもなかった。1,800円支払った。
 劇場に着いてからわかった。ここは月曜日がメンズデーなのだ。わかっていたら月曜日に来ていたのに……いやいや、平日の最終上映には仕事の関係で間に合わないのだ。

 ある女子高校生を通して、今現在の自身の、そして交通事故で植物人間になってしまった母親の高校時代の恋愛模様を交錯させながら描いている。
 今風日本映画を欧米人が観たらこんな感じなのかもしれないと思わせるタッチとも感じられるが、映像が素晴らしい。

 ヒロイン(ルゥルゥ・チェン):能年玲奈
 女子高生のお母さん(ルゥルゥ・チェン‼):デビュー当時の竹内結子 
 その彼氏(? シー・チー・ティエン):工藤阿須加
 その彼氏(?)の現在(リッチー・レン):加瀬亮

 もし日本映画なら、こんなイメージか。

 お母さんの青春時代を描くエピソードで、ビー・ジースのアルバムが出てくる。流れるのがお待ちかねの「若葉のころ」。これがオリジナルではないのだ。同じようなアレンジ、演奏、ヴォーカルなのだが、本物ではない。「小さな恋のメロディー」を小6のときに劇場で観てから、ずっとこの歌を聴いているのだからすぐわかった。
 オリジナルだったら絶対涙があふれただろうに。
 版権の問題なのだろうが、ちょっと、いや、大いに残念。

 それにしても、「First of May」の中国語訳が「5月一号」、「若葉のころ」と訳した日本語のなんという豊潤さ、繊細さ、奥ゆかしさ、か。




 魚民のちょい呑みサービスにハマってしまった。昨日で3日連続だ。

 仕事が終わって、帰宅前に読書するようになってどのくらいい経つのだろうか。
 最初はカフェだった。地元・西川口のモスバーガー、通勤で乗り換える品川駅前のアートコーヒー、マクドナルド。
 その後、会社のある大鳥居の駅内にできたドトールが憩いの場となる。喫煙室で1時間ばかり。タバコをやめてからも喫煙室で過ごした。口がさびしくて、菓子パンを購入するようになるのだが。

 やがて読書のお供がコーヒーからアルコールになった。
 川口駅前の図書館に寄った帰り、さくら水産に立ち寄るようになった。カウンターで読書。
 あるいは西川口駅前の居酒屋。日本酒2合ばかり。つまみは2、3品。料金は1.000円前後。

 最近は焼鳥日高に立ち寄る割合が増えた。ここでホッピー(白)を2杯、つまみ3品ほど頼み、締めは焼きそば。これで1,500円程度。
 その感覚で魚民を利用したのだが、これが良い。
 ホッピー2杯(あるいは角ハイボール。ハイボールは好きじゃないので)。つまみ3品。これで税抜き888円。実際は960円で、このあと締めでオムそば(半額)を注文して1,300円でおつりがくる。
 「大河ドラマと日本人」(星亮一・一坂太郎/イーストプレス)を読了した。

          * * *

●ウェディングドレスde神前結婚 2005/11/15

 その日、眼科を訪ねた。
 目の調子がおかしかった。眼圧が非常に高くなって瞳孔が開き放しになったような状態。太陽光のもとでは文字が全然読めない。特に白バックだと文字自体見えない症状なのだ。
 診察を終えた医師が言うにはナントカカントカ症候群。緑内障だか白内障だとかによく似た症状で、ストレスが原因とのことだった。
「酒や煙草は厳禁。安静にしてなさい」
 医師は言う。
「明後日、結婚式なんです」
 場所柄アルコールをまったく飲まないわけにはいかないと理由を話す。
「欠席しなさい。失明したらどうする? とにかく安静が一番なんだから」
「あの…… 自分の結婚式なんですけど」
「なに?!」
 1986年の11月だった。
 もともと式など挙げる予定などなかった。カミさんもそういう考えで(だから一緒になろうと思ったのだ)、東京にお互いの両親(うちは母親が寝たきりなので父一人)を呼んで食事しておしまい。そんな段取りを組んでいたら、父が「けじめをつけろ」と言い出した。
 別に豪華な結婚式をすることはないが、勝手に同棲から結婚すると、世間に対する責任感が生まれない、だから簡単に離婚してしまうんだと。
 父親は父親なりの結婚式を考えていたらしい。親戚一同を集めて温泉に一泊して披露宴らしきものをやろうと提案してきた。
 式は、地元の高山神社。衣装は平服。そう決めたはずなのに、写真だけでも撮れということになって互助会から借りた衣装(カミさんの容貌から着物よりドレスにした)を身につけたら、せっかくだからそのまま式を挙げてしまおう……。
 ちょっと待て! これから行くところは教会じゃないんだ。神社だぞ。ウェディングドレスで神前結婚式なんて聞いたことない。おかしい!
 しかし父親も祖父母も媒酌人も「そんなことどうでもいいよ」だった。実際白無垢でなければいけないなんて決まりはないのだが。
 
 さる高貴なお方がウェディングドレスを着て神前結婚されると新聞で知り、約20年前の出来事を思い出した。
 これからこの手の結婚式がちょっとしたブームになったりして。
 まさかね。




 すいません、後で感想を追記するつもりでUPした各項、なかなか書けません。帰宅すると何もしたくなくなってしまうんです。
 というわけで……。

 原作に対してまったく別のアプローチで映像化しながら、ラストの味わいは原作同様というのは三池監督「愛と誠」にも言えますね。「愛と誠」もミュージカル仕立てでした。なぜ今「愛と誠」なのかと疑問を感じ劇場に足を運ばなかったことを大いに後悔しています。

          * * *

 『下妻物語』で中年男にティーンエイジの心を蘇らせてくれた中島哲也監督。次作が『嫌われ松子の一生』だと知ったのはいつのことか。主演が中谷美紀。もうそれだけで観る価値あり、と判断して、原作「嫌われ松子の一生」(山田宗樹/幻冬舎)の存在、内容なんてまったく眼中になかった。
 劇場で予告編が流れるようになり、目にするのは前作同様の人工加工バリバリのカラフルハイテンション映像。しかも今度はミュージカル仕立てだ。この時点でもどんなストーリーなのか、まったくわからない。女性の転落人生を描くとはいっても、少しばかり毛色の変わったコメディの一種との認識だった。原作自体がそういうものだと。タイトルからして人を食っているではないか。
 映画を観る前に本が手に入った。読み出して驚いた。何とシリアスな展開。悲劇なのだ。

 物語は東京・北千住のアパートで中年女性の他殺死体が発見されたことを伝える01年7月のベタ記事で始まる。共同生活のルールを一切無視、部屋はゴミだらけ、突然ひとりごとを叫んだりする、ちょっと危ないデブ女の名は川尻松子。享年五十三。住人から〈嫌われ松子〉と呼ばれていた由。
 こうして時代が遡り、本人を語り部にした波乱万丈な半生が綴られていく。
 前途有望な中学教師として、社会人の一員となった彼女がなぜ突然故郷(福岡・大野島)から失踪したのか。どんな経緯で風俗嬢に転身したのか。ヒモを殺した背景に何があったのか。服役後、美容師として再出発したのにもかかわらず、また躓いた、覚醒剤に手をだした原因とは。晩年の自堕落な生活、精神障害……。
 悲惨な転落人生を描きながら、団塊世代の一女性の愛と性、夢と希望、その葛藤と挫折を浮き彫りにする。
 小説「嫌われ松子の一生」が斬新なのは、本人の語りと並行して、もう一つ別の視点で松子の人生を振り返る点にある。松子の甥・笙の眼である。
 父親の依頼で、それまで存在すら知らされていなかった伯母の部屋の整理をすることになった大学生の笙。最初は恋人に促されて嫌々ながら、やがて自らの意志で伯母の知人、関係者を訪ね歩き、才能はあるのに男を見る目がなく、一途になって愛情を注ぐも結局裏切られる、愚かで不器用な女性の悲惨な人生に共鳴することで光を当てていく役割を担う。
 笙と松子の語りが交互に並び、主観と客観、アップがあるかと思えばロング、といったように、互いに関連しあう構成が見事だ。
 松子の、最後に信じた男に捨てられた後の、何の希望も持てず、無為に年末年始を過ごすくだりが胸を刺した。心理描写はまったくなく、松子の行動の一つひとつを淡々と記すだけ。TA音の連打が孤独感を引き立たせる。
 ラストになって松子の死の真相が明かされる。堕ちるところまで堕ちた松子が昔の友人の誘いで、どうにか生きる希望を見出したとたんの、ほとんど理不尽としかいいようのない死。
 松子が息絶えるくだりで涙がにじんだ。不幸を嘆いてのことではない。父への愛、若くてして逝った妹への贖罪、さまざまな思いが胸を突き刺すからである。続く笙の語りによるエピローグでは、ある種清々しい気持ちになれる。明日への希望、その小さな輝きを見出せた。

 小説を映画化する場合、先に小説を読んでいると、活字のイメージに囚われてしまって、映画を楽しめないことが多い。巷では評価が高いのに実際に接すると〈まあ悪くはない〉程度なのだ。映像にする必要性、映像化ゆえの独創性が感じられない。
 要は原作に対するアプローチの仕方が問題なのである。
 『下妻物語』は原作と映画が実に幸せな関係にあったが、『嫌われ松子の一生』はどうだろうか? 先に原作を読んだことで少々不安を抱いての鑑賞だった。
 まったくの杞憂だった。 
 自身で脚本も書く中島監督は原作の持つテーマ、核となる部分をうまくすくいあげ、独自に映像化できる稀有な才能の持ち主だったのだ。二作続けば確信できる。今回も原作へのアプローチの巧さを見せつけてくれた。
 悲劇を喜劇と捉え、ミュージカル仕立てにしながら、原作のエッセンスはそのまま。全然ずれていない。ストーリーをなぞっただけのダイジェストにも、登場人物を借りただけの独りよがりの映画にもなっていない。ラスト、胸にこみ上げてくる感情はまさに小説の読了時と同じものなのである。
 映画化にあたってのオリジナルアイディアが功を奏している。
 まず、笙(瑛太)をミュージシャンになる夢に破れ怠惰な毎日を送るフリーターに設定したこと。
 冒頭で何度も繰り返される2時間ドラマのクライマックスシーン。映画内ドラマのヒロイン(片平なぎさ!)が犯人にむかって吐く台詞「あなたの人生、このままでいいの?」がそのまま笙の現状に対する鬱屈、焦燥に火をつける。
 2時間ドラマのカリカチュアで笑わせながら、しっかりとテーマを打ち出す作劇。『下妻物語』同様つかみの巧さに舌を巻く。
 あるいは病弱な妹(市川実日子)ばかりに父親(柄本明)の愛情が注がれていると嫉妬した松子が自分への注意を惹きたくて、幼少時に発案した変な顔。いつも仏頂面の父親を笑わせようと考えだしたこの変な顔が成人してからも要所々で飛び出してきて、意味を持たせる。
 キャスティングも光る。
 出番は少ないが柄本明の父親が秀逸。奔放な生き方をする姉に反発する弟(笙の父親)役の香川照之も印象的だ。郷里を捨てた松子が最初に愛しとことん尽くす作家志望の男に宮藤官九郎。その悲哀に満ちた表情にしびれた。
 ガレッジセールのゴリ、カンニング竹山、劇団ひとり。旬の若手芸人たちを起用した意表つく配役。特にゴリの、原作のキャラクターを大幅に改変、デフォルメした役がぴたりはまった。
 ストーリーはほぼ原作どおり。長編小説をそのまま2時間弱にまとめるなんて本来ならできないはずだが、ここでミュージカルシーンが二重の意味で効いてくる。
 原作の重要なエピソード、松子が風俗嬢として持ち前のセンスと頑張りで店のナンバーワンに登りつめ、やがて時代の流れ、世代交代で去ってゆくまで。ヒモを殺して刑務所に服役、過酷な毎日の中で一発奮起して美容師の資格を取得するまで。
 映画はその過程をオリジナルナンバーに乗せて、華麗にテンポ良く、一気に見せる。時間の短縮はもちろん、実際のドラマだったら観ていて辛くなる内容が思わず身体を動かしてしまう爽快感あふれるシーンに様変りしてしまうのだ。この発想のユニークさ!
 松子の人生の再現は、晩年熱狂的なファンになった光GENJIの某メンバーに送った膨大な長さのファンレターが根拠になっている。自分の半生を詳細に綴ったもので、このエピソードに思わず膝を打った。原作の半分を占める松子の語りには何のエクスキューズもなかったのだから。原作に対する些細な不満をも解消してしまう。
 映画化にあたって、中島監督は原作者の絶大な信頼を得ているに違いない。これまた確信できた。




 4月の読書備忘録のUPも忘れていた。
 とりあえず書名だけ。
 昨日、「若葉のころ」という台湾映画を観たことは別項にて。

     ◇

2016/04/06

 「ディスクコレクション 和モノレア・グループ 男気映画/TV&モア」(駒形 四郎/シンコーミュージック)


2016/04/17

 「極東セレナーデ」(小林信彦/フリースタイル)


2016/04/18

 「藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん①」(藤子・F・不二雄/小学館)


2016/04/20

 「初恋芸人」(中沢健/小学館ガガガ文庫)


2016/04/26

 「光線を描き続けてきた男 飯島定雄」(飯島定雄・松本肇/洋泉社)


2016/04/29

 「幻想世界への旅」(水木しげる/ちくま文庫)


2016/04/31

 「万年前座 僕と師匠・談志の16年」(立川キウイ/新潮社)





 ら抜き言葉
 もう死語ですね。
 アナウンサーは皆使っていますもん。
 NHKはどうなんでしょう?

 解説なんて無粋ですが、少々。
 70年代、永六輔さんがラジオでよく指摘していました。
 中野翠さんもさんざん叫んでいました。
 元朝日新聞のエース記者、本多某さんは自身の故郷の方言だと強調していました。
 島田某さんのミステリーに「ら抜き言葉殺人事件」があります。

 高校時代、ラグビー部の練習のあと、部室に戻りながら、ら抜き言葉を嘆いていたら、監督のAさんに怒鳴られました。

     ◇

  ら抜き言葉よ永遠に!

 誰も彼も使ってる
 老若男女 日本全国
 みんなで使えば怖くない

 ドラマの台詞も
 CMコピーも
 みんなみんなあたりまえ

 見れない 出れない 食べれない
 見れない 出れない 食べれない

   永六輔さん、残念でしたね
   鯨尺はうまくいったけど
   ら抜きだけは止められません

 何が悪いかわからない
 指摘されてもわからない
 TVじゃみんな使っているじゃん

 人気タレント 文化人
 政治家だってあたりまえ
 アナウンサーも平気のへー

 見れない 出れない 食べれない
 見れない 出れない 食べれない

   昔、昔、その昔
   国語の試験でこんな問題ありました
   「次の文章で間違った れる、られるの
    使い方はどれでしょう?」

 電車の中も 役員会議も
 居酒屋 ディスコ
 どこもかしこも

 すでに誰にもわからない
 すべて常識 あたりまえ
 どこがおかしい? 何がいけない?

 見れない 出れない 食べれない
 見れない 出れない 食べれない

   ある日あるときある高校のクラス討論会
   委員長の中野さんは力説する
   「たった一文字発音するのに
    どうして労力惜しむのよ
    なんてたって語感が悪い
    あたしは絶対使いません」
   クラスの秀才 本多くんが反論する
   「愛する郷土の方言だ 
    どうして使っちゃ悪いのさ」

  けんけんごうごう かんかんがくがく
  議論は続く

   島田先生に相談したら
   思いっきり怒鳴られた
   「がたがた言うな どうでもいいこと」
   なんだか殺気だっている
   殺人事件が起きそうだ!?

 見れない 出れない 食べれない
 来れない 着れない 信じれない
 蹴れない 在れない 起きれない
 寝れない 生きれない
 られない りれない るるれない
 れれない ろれない れれれのれー

   結論!
   言葉なんて 通じりゃいいのさ




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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