切通さんとの出会いは宝島社(当時はJICC出版)のムック(?)だった。「別冊宝島 怪獣学・入門」。やがて単行本になる「怪獣使いと少年」の一部となる論考が掲載されていた。
 単行本は真っ先に買った。「帰ってきたウルトラマン」の異色作、問題作のサブタイトルである「怪獣使いと少年」を書名にしたわけだが、うまいタイトルだと思ったものだ。怪獣使い(シナリオライター)と少年(当時の著者)という意味になるなあ、と。
 以後、本が出るたびに買い求めた。
 ある日、切通さんからメールをいただいた。HP「夕景工房」に掲載している読書レビューを読んだのだろうか。内容は、「山田洋次の世界」の出版を記念してジュンク堂でトークショーを開催するので聴きに来てというものだった。もちろん、聴きに行った。打ち上げにも参加して初めて話をさせてもらった。
 腰の低い人。それが切通さんの印象だ。

 その後、何度か切通さんのトークには足を運んでいる。

 小中和哉監督と知遇を得てから、年に数回仲間と呑み会を開いている。映画を観る会も何度か実施している。小中さんと切通さんが知り合いであることを知ったのは昨年、監督協会の有志で開催したあるイベントだった。切通さんが自主的に手伝っていたのである。

 ブックカフェ二十世紀で開催する特撮イベント。第一弾は小中監督がホストの「特撮夜話」で、これはシリーズ化したいと、小中監督に了承を得た。続いて、お願いしたのは切通さんをホストにしたトークイベントだった。
 昨年、切通さんは「少年宇宙人 ~平成ウルトラマン監督・原田昌樹と映像の職人たち~」を上梓した。本の中で、切通さんは町田政則さんや二家本さんにインタビューしている。この3人による原田昌樹監督の思い出話トークがやりたいと思っていたのだ。

 ということで、来る8月5日(金)、特撮イベントを開催する。

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     ◇
 
2000/04/11

 「地球はウルトラマンの星」 (切通理作/ソニー・マガジンズ)

 本書が出版されることを知ったのは昨年の2月、新宿ロフトプラスワンの会場だった。
 平成ウルトラマンのスタッフ・キャスト、関係者をゲストに呼んで、繰り広げられたトークショーの席で本人自ら、「ウルトラマンティガ」と「ウルトマンダイナ」の研究書を夏頃発売すると語っていた。
 最近、よほど興味のある(あるいは資料的価値のある)特撮本以外は購入しないことにしているのだけれど、これは聞いたとたん「買いだ!」と思ったものだ。
 「ウルトラマンティガ」を特集した「COMIC BOX」が非常によくできていたし(たぶん著者を中心に執筆、編集されたのだと思う)、何より「怪獣使いと少年」を書いた気鋭の評論家が平成ウルトラマンシリーズをどう分析するか、その切り口は大いに期待できた。
 ところが発売予定の8月、9月になっても店頭に並ぶ気配がない。本についての何の情報も入ってこないし、実際発売されるのかどうかもわからない。
 当初版元予定だったフュージョンプロダクトが何かともめている最中だったので、そのあおりを受けて発売そのものがウヤムヤになってしまうのか、心配したものだ。
(関係ないけど、ずいぶん前に本多猪四郎の評伝を書くと言っていたがどうなったのだろう)

 この3月末にやっと発売になったわけで、なるほどこのボリューム、内容の濃さならばなかなか完成しなかったはずである。
 本書はティガ、ダイナはもちろんガイアも含めた平成ウルトラマンシリーズ3部作の研究書になっていて、主要スタッフ36人へのインタビューで構成されている。(版元もソニー・マガジンズに変更になっていた。)
 グループの共同体制のよる作業ではなく、基本的には一人で各スタッフにインタビューをし、それを単に対談という形で活字化するのでなく、著者自身で咀嚼して原稿化するというまことに気の遠くなるような手順を踏む、本当に労作と言える一冊だ。
 表表紙から裏表紙まで神経が行き届いていてうれしくなる。この感動は初めて第一期ウルトラシリーズを取り上げたファンタスティックコレクションを手にした時によく似ている。
 こういう本を待ち望んでいたのだ。

 通常より小さい活字、おまけに2段組で450弱のページ数という圧倒的なボリュームながら、興味深い話が次々にでてくるから、読むのに苦労しなかった。

 冒頭の著者自身の「総論 ウルトラマン復活の道程」は僕自身の作品に対する気持ちの代弁とも言えるもので、何度か目頭が熱くなった。
 インターネットを閲覧するようになって、わかったことは、(予想していたとはいえ)視聴者(ファン)側にはウルトラマンに対してさまざま見方、感じ方、意見があるということだった。世代の差というのも大いに関係しているのかもしれない。僕がそれほどと思えないエピソードが絶賛されたり、逆に面白いと感じたものがあまり評価されていなかったりと、まさに十人十色。
 ファンがそうなのだから、かつてのファンから製作側に転じたスタッフにしてもウルトラマンへのこだわりが各人それぞれなのは当然と言えるかもしれない。
 だからこそ、バラエティあふれるエピソードで成り立つシリーズができるのだろう。ウルトラマンシリーズの魅力の1つだ。

 いいとか悪いとかの問題ではなく、誰が自分の感性に近いか(ということは、自分にとって誰が面白い作品を作ってくれるか)ということを確かめるのに最適な本という側面もある。
 個人的には作品自体に非常に共感を覚えた監督の川崎郷太、北浦嗣巳、脚本家の長谷川圭一、太田愛、特技監督の満留浩昌の言葉に注目した。
 特にウルトラに関するインタビューはこれが最後になるだろう川崎監督のへのインタビューが貴重だった。過去のウルトラに対しての造詣の深さにかかわらず、マニアックに走るのでなく、ある部分冷めた目を持っているので、内容的にも、映像的にも非常に印象深い作品を撮っている。本人がウルトラは卒業と宣言しているので、今後のシリーズでの活躍がないのは残念。
 が、映画ファン、映像ファンの僕としては川崎監督のウルトラ以外での今後の活躍を信じている。ぜひとも川崎監督にはティガ、ダイナの傑作、異色エピソードを名刺代わりに、映画界、オリジナルビデオの世界に進出し、作品を発表してもらいたいものだ。(ティガ、終了後には引く手あまたになるのではないかと思っていたのであるが……)
 川崎監督とは別の意味で印象深いエピソードを撮った原田監督の演出理論は非常にわかりやすく、うなづくことしきりだった。
 最近ホラー映画がブームになっているが、「女優霊」「リング」「死国」と画面に霊を浮遊させ(と勝手に僕が表現している)、観ている者をゾっとさせる映像テクニックは脚本家・小中千昭の発案だというのを初めて知った。この小中氏のインタビューでは、「ガイア」のナレーション排除について言及していなかったのがちょっと残念だった。
 もちろん他の作家が担当したエピソードの何編かはナレーションを使用しているが、小中氏自身の作品には一切使用されていない。ウルトラ(マン)シリーズはナレーションそのものも一つの魅力(売り)だった。そのナレーションを排除して、映像で物語を語る姿勢というのもシリーズ構成を担当した小中氏の挑戦だったのではないかと僕は思っているのだが。
 平成ウルトラマン立ち上げの立役者・笈川プロデューサーの話にでてくる現場スタッフとの軋轢は作品は人がつくるものだという認識を新たにする。スポンサー、局と現場サイドをつなぐ作業も並大抵のものではなかっただろう。
 フィルムにこだわったMBSの局プロデューサー丸谷嘉彦の存在も忘れてはいけない。
 第一期から活躍している実相寺昭雄、佐川和夫、上原正三の三氏の登場もうれしい限り。

 36人の関係者を大枠でティガ、ダイナ、ガイアの3つに区分し、順を追うことでティガ~ガイアにつながるスタッフ証言による「メイキング・オブ・ウルトラマン」になっている。途中に主演(出演)者たちへのインタビューを挟んで適度なインターミッションをとる構成も素晴らしく、夢中でページをめくらせる秘策かもしれない。


2001/09/27

 「ある朝、セカイは死んでいた」(切通理作/文藝春秋)  

 第1期ウルトラシリーズの代表的なシナリオライター4人についての評論集「怪獣使いと少年」でデビューした著者はその後〈特撮モノ〉あるいはいわゆる〈サブカルチャー〉だけでなく、さまざまな社会問題、事象について書くオールマイティな実力を発揮し、社会派の文筆家としての地位を確立した感がある。
 権威をもった証明なのだろうか、彼を批判する文章を目にする機会が何度かあった。小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」に例のデフォルメされた似顔絵で登場した時は笑ってしまった。
 今メディアで活躍する評論家、学者たちいわゆる文化人、識者たちを批評する書籍(書名は忘れてしまった)を書店で見かけ、ページをめくったら、著者が取り上げられていた。
 高島俊男「お言葉ですが…5 キライなことば勢揃い」では〈のたまう〉の使用方法が間違っているとして、著者の文章の一部が挙げられていた。

 5歳下だから同世代といえるかどうかわからない(弟と同い年)けれど、僕は著者に自分の感覚と相通じるものを感じて、彼の言論活動を応援している。
 「怪獣使いと少年」を読んで共鳴したこともあるが、評論集の第1弾「お前がセカイを殺したいなら」を読んでますますファンになった。同じような考えをしていると確信したのだ。ただ切通氏と自分の違いもわかった。その時の感想にこう書いている。
「違うのは、僕がまがりなりにもスポーツに親しみ〈おたく〉にならなかったこと。イジメられっ子にもならなかったこと」
 その思いは本書の〈柳美里論〉の『命』をめぐる対話ではっきりした。著者は柳美里を肯定するが、僕は(「命」しか読んでいないから心もとないけれど)ほとんど全否定だ。中学、高校生時代に生じたトラウマが柳と共通するものが多いのだと思う。

 国旗掲揚、君が代斉唱問題で揺れた所沢高校に取材した(第1章 ある朝、学校で)では事件の本質、詳細がわかったし、富田由悠季を語る(第3章 ある朝、戦場で)では得意のインタビューを自分なりにまとめ、読ませる技を発揮している。小林よしのり批判も納得。

 考えさせられたのはラストを飾る書き下ろしの「ある朝、セカイは死んでいた」である。
 90年代に立て続けに起きた少年犯罪を羅列していくのだが、一つひとつの事件を振り返りながら暗い気持ちになった。

 そうした痛ましい事件があったからこそ、あまりにも人の生命をないがしろにする少年が生まれたことを後悔し、次の世代に生命の大切さを伝えるためにも21世紀のウルトラマン(コスモス)および特捜チームは怪獣を退治するのでなく、保護する内容になったのかと思わないではいられない。
 もちろん前作「ウルトラマンガイア」のラストで怪獣も地球の生物として認識し、人類と怪獣の協力でガイアとアグルを蘇らせたことにも大きく影響されているのだろう。しかし同時に、少年時代僕たちにカタルシスを与えてくれたウルトラマンと怪獣の戦いが今では空想特撮の世界の話と悠長にかまえていられなくなっってしまったのか(もちろんあの頃だって「破壊者ウルトラマン」と大江健三郎に批判された。同じ考えの大人も多かったと思う)。
 名著「怪獣使いと少年」「地球はウルトラマンの星」の著者に聴いてみたいものだ。


2003/02/03

 「特撮黙示録 1995-2001」(切通理作/太田出版)  

 80年代、特撮は〈冬の時代〉だった。70年代前半のブームがまるで嘘みたいな静けさだった。80年にウルトラマン、84年にゴジラが、その後仮面ライダーが復活したものの、喜んだのはかつての子どもたち、熱狂的な特撮ファンだけ、大ブームを呼ぶほどの拡がりはなかった。  
 平成の時代になってゴジラがシリーズ化され孤島奮闘することになる。当初僕はゴジラの新作が観られるだけでうれしくロードショーが待ち遠しかったものだが、途中ですっかり嫌気がさした。特撮技術もドラマ作りにも何の発展性も感じられなくなってしまったのだ。  
 ただ人気があるというだけで過去の怪獣がリニューアルされる、ゴジラが出現して名所を破壊して敵怪獣とバトルを繰り広げれば満足だろうと言わんばかりの展開。空疎な人物造型。それでも特撮の火を消してはいけないとばかり、なにより東宝は特撮のメッカ、いつかは大満足できるゴジラ映画にめぐりあえるのではないかと劇場に足を運んだのだけれど……。  

 そんな特撮界が一つのターニングポイントをむかえた。95年に特撮ファンはもちろん一部の映画ファンをも歓喜させた「ガメラ 大怪獣空中決戦」が公開されたのだ。大人の観客をも視野に入れた濃厚なストーリー展開と新鮮なビジュアルショック。何より僕は観終わった後、子ども時代と同じ感動につつまれた!
 続いてTVではウルトラマンの新シリーズ「ウルトラマンティガ」が始まった。それまでのM78星雲出身の宇宙人というウルトラマンの設定を変え、新たなスタートを切ったわけだが、回を追うごとに斬新なエピソードが目白押しで人気を博した。以後、「ダイナ」「ガイア」と3年間〈人間ウルトラマン〉のドラマは僕を夢中にさせてくれた。
 TVシリーズは映画化もされた。70年代のそれはTVの再編集、あるいはTVのエピソードをそのまま(16mmから35mmのフィルムにブローアップ)上映したものばかりだった。劇場用オリジナル映画を観たいというのは昔からの夢だったが、TVと連動しているとはいえ毎年公開されるなんて夢にも思っていなかった。  
 ウルトラマンの成功に刺激されたのか、オリジナルビデオで「ウルトラセブン」がリリースされた。これはTVの完全な続編。従来のウルトラマンの流れを汲む「ウルトラマンネオス」もビデオ用として映像化された。これは「ティガ」の前からTVシリーズ用に企画されていたものだ。   
 円谷プロのウルトラマンが復活するなら東映には「仮面ライダー」があるとばかりに新しいライダーが誕生した。題して「仮面ライダークウガ」。仮面ライダーに思い入れのない僕は冷ややかに状況を見守っていたのだが、これが驚くほど密度の高いドラマなのであった。劇中に「仮面ライダー」の名称は一切でてこない。警察機構の描写がかなり細やか。平成ウルトラマン以上に高年齢層の視聴者を意識したドラマ作り。そこには東映伝統のアクション重視の稚拙な(と僕自身は感じていた)演出というものがなかった。続く「アギト」では連続ミステリドラマの要素を導入して、「クウガ」以上に惹きつけられた。  
 ガメラ、ウルトラマン、仮面ライダーが過去を断ち切り、新しい装いで快進撃を続ける中、孤島奮闘していたはずのゴジラシリーズが特撮的、ドラマ的に一歩も二歩も遅れをとった印象を受けた。思えばゴジラだけが過去(第1作)の呪縛から解き放たれていないのだった。  
 平成シリーズを「ゴジラの死」で終了させた東宝はハリウッド映画「GODZILLA」の意外な不人気を糧に予定より早く新たなゴジラ映画に着手する。その第1弾「ゴジラ2000ミレニアム」は噴飯的な内容だったが、「ゴジラ×メガギラス」の後、真打金子監督がついにメガフォンをとることになる。「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 怪獣総攻撃」はモスラやキングギドラの設定に疑問があるが映画自体はやっと僕が観たいと思っていた内容になっていて溜飲を下げた。  

 特撮は90年代になって、やっと春をむかえた。特撮ファンの一人としてとても喜ばしいことではあるが、一抹の不安が残る。  
 映画ではゴジラ、ガメラ、モスラ、TVではウルトラマン、仮面ライダーと、いってみれば60年代、70年代の怪獣、特撮ブーム時の人気怪獣、ヒーローが復活したにすぎない一面があるからだ。  
 そんな状況下、オリジナルの特撮ドラマが1時間ものとして登場した。「鉄甲機ミカヅキ」である。巨大ロボット、戦隊シリーズその他特撮ものの面白い要素をごちゃ混ぜにした感があるこの作品は新しいキャラクターで勝負したという点において今後の特撮に意味をもたらすと僕は考えている。    
 90年代中盤特撮界は冬眠から目覚めて次のステップに入ったいえるだろう。この時期の作品群をまとめて評論する本がでないものかと思っていたら、やはり切通理作氏がやってくれた。
 いくつかの書店を探し回りやっと見つけた本書は前著「地球はウルトラマンの星」と同様の分厚さ。血が逆流した。

 平成で生まれ変わったガメラ、ウルトラマン、仮面ライダー、それぞれの作品群、ミカヅキ、「GMK」を時系列的に物語の紹介と作品を分析する第1章、続く第2章は各スタッフのロングインタビュー。  
 ガメラ3部作の論考が個人的には一番読み甲斐があった。中で著者が他の評論家、識者の考えで「そんな考えもあるのか」と驚いているところがあるが、僕自身著者の考えに驚くこともあった。たとえば「ガメラ2」で自衛隊員が決戦を前にいろいろ協力してくれた一般人との別れのシーンで「こんど一杯飲みましょう、奢らせてください」と言う。これを今生の別れの前のやりとりと解釈しているのだが、僕は文字どおりの台詞と受けとった。どちらも死ぬことなど意識していない。だからこそこの台詞は意味を持つと思っているのだが。  
 金子監督のインタビューを読んで、平成ガメラも「GMK」も楽しめたことがよくわかる。怪獣映画についての認識がほとんど同じなのだ。幼少時代に怪獣映画を観て刷り込まれた項目が実によく似ている。そんな金子監督だから、ゴジラを撮る際には新しい設定の過去に束縛されないゴジラを期待していたところもあったのだが。  
 「仮面ライダークウガ」はあまりに長く食傷気味だった。  
 「クウガ」のラスト、敵怪人もクウガも最後に人間体になって戦っているのは、僕自身はやはり変身がとけたというより、監督の心象風景だと思っている。クウガが最後の戦いに向かうところでは雨が雪に変わっていく、そんな自然描写が胸を打った。
 「アギト」、「龍騎」、「555」とメインライターを務める(「クウガ」も担当)という信じられない活躍をしている井上敏樹のインタビューにはぶっとんだ。この方、いつもこんな感じなのだろうか。シナリオライター伊上勝の息子だと初めて知った。
 著者との会話の中に「シャンゼリオン」や「戦隊シリーズ」の話がよくでてくるのだが、こちらはチンプンカンプンだった。
 世紀末の特撮ということで、過去の怪獣、ヒーローの復活でよかったのかもしれない。しかし、21世紀はぜったい怪獣もヒーローも新しいものを期待したい。だって「龍騎」は別に仮面ライダーを名乗る必要はなかった。怪獣保護の話を「ウルトラマン」でやる必要性もないだろう。オリジナルのヒーローを作ればいいではないか。
 〈「ウルトラマン」や「仮面ライダー」はもはやジャンルである〉と喝破した人がいるが、それってさびしい。
 21世紀の子どもたちには21世紀の怪獣、ヒーローを!


2004/11/25

 「山田洋次の〈世界〉」(切通理作/ちくま新書)

 「宮崎駿の〈世界〉」(サントリー学芸賞受賞)に続く映画監督シリーズ第2弾。宮崎駿については巷間騒がれるほどの興味がないので「宮崎駿の〈世界〉」は読んでいなかったのだが、山田洋次を取り上げると知って興味がわいた。
 興味のひとつはこれまでの評論活動で知る切通氏と山田監督作品が僕の中で結びつかなかったことが挙げられる。サブカルチャーに造詣が深く、これまで独自の視点、切り口でこちらが読みたいと思わせる何冊もの特撮本を上梓してきた著者のことだから、アニメーションの巨匠宮崎駿を語ることは十分予想がついた。しかし、そんな世界とは対極にあるはずの山田洋次の世界の何について語るのか?
 たとえば劇場に足を運ぶほどの熱狂的なファンではなかったにしろ、僕は「男はつらいよ」シリーズが好きだし(TV放映があれば必ず観るし、ビデオも借りる)、ところが周りには「男がつらいよ」を語れる友人がいないのである。特撮を通して知り合った友人はいるのに、寅さんの話となるとまるで話が通じない。特撮にも寅さんの世界にも通じる同世代の評論家(といっても氏は僕より5歳下なので同世代といえるかどうか)の山田洋次本なのだから興味がわかないわけがないではないか。

 僕にとって山田監督の本質というのは「家族」であり「故郷」なのである。映画に一貫していた冷徹な眼差しが子ども心に怖かった。勝手な言い分だが、この部分を言及しているかどうかを知りたかった。
 これまで山田映画を語る際の常套句が使われていないところが信用できる。著者自身が書いている〈ヒューマニズムへの無前提な礼賛〉がでてくるともうそれだけで距離を置きたくなる。これは一部の識者たちが手塚治虫を語る時と同じスタンスだ。そういえば山田洋次も手塚治虫も共産党の応援メッセージでよくその名を拝見したものだ。もう一つ挙げている〈特定な思想を持つ著者(山田監督)の文化運動的側面〉が当てはまるか。

 この手の評論で何が大事かといえば、読者が山田洋次監督の映画を観たくなるかどうかであろう。リアルタイムに観られなかった「男はつらいよ」以前の作品をすぐにでもあたりたくなった。ストーリー紹介がとてもうまいのである。

 吉村英夫の山田洋次論は読まなくていいことがわかったのはありがたい。性と暴力に蝕まれた日本映画、その対極にあるのが山田映画、だから山田映画が素晴らしいという理屈は1970年代に成り立つ論理ではなかったか。十代だったから信じられた論理といおうか。
 久しく疑問だった山田映画の常連俳優について、本書でその名(神戸浩)と実際に知的障害者であることを知った。
 山田監督の〈お話を盛り上げるために人を死なすことに懐疑的〉な姿勢とある。では「学校」の田中邦衛はどうなのだろうか。試写会でいい年齢の大人たちを感涙させ、中野翠を白けさせたあのシークエンスである。僕はといえば、TV放映された際、大泣きしながらその作劇に懐疑的だった。
 「たそがれ清兵衛」は「家族」「故郷」と同様な視点、姿勢に貫かれていて、久しぶりに堪能できた映画だった。
 この映画のクライマックスである余吾善右衛門と清兵衛の対決シーンで論争があったということも本書で知った。果たしてあれは余吾の自殺だったのか否かということなのだが、そんな論争が起こること自体が僕には不思議に思えてならなかった。屋内での剣の対決。そこに至るまでの二人の感情の揺れ、余吾が剣を抜いた時の目の動きがすべてを語っているではないか。
 つまり、清兵衛の実力を知っている余吾は実際に戦ったらどうなるか十分理解していた。だから話し合いで解決しようとして、恥をしのんで逃がしてくれと懇願した。ところがその過程で清兵衛の太刀が竹光であることを知った余吾の心境に異変が起こった。
 ひとつは怒りである。自分を討ちに来たというのに竹光をさしているとは何たるザマか。お前それでも武士か。オレをバカにしているのか。
 もう一つは「勝てるかもしれない」という焦りである。相手が竹光ならこの勝負何とかなる。そう思った瞬間から余吾に余裕がなくなった。最初は室内での刀の戦いということで間合いもちゃんと計っていたのが、後先考えずに刀を抜いたものだから肝心なところで梁にささって小刀の清兵衛にやられてしまう。
 武士の気構え、自尊心等々を一瞬のうちに垣間見せてくれるからこそ、名シーンになったと思っていたのだが、どうして自殺云々なんてことが考えられるのだろうか。

 著者の場合、作品と自分の関わりあいを述べる文章がいい。「地球はウルトラマンの星」では〈まえがき〉にかなり心くるものがあった。
 本書では〈あとがき〉で映画「同胞」を語っていて、あの時代の、あの匂いを感じることができた。


2015/04/26

  「本多猪四郎 無冠の巨匠」(切通理作/洋泉社)




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 もうすぐリオ・オリンピックが始まる。
 そんなニュースをTVで見ていて、ああ、そうか、と思った。ロンドン・オリンピックからもう4年経ったのか、今日(27日)が開会式だったのか、と。

 4年前は最悪な年だった。
 こんなことを書くと、元かみサンや娘に「自分が蒔いた種じゃない! 卑怯だ」と言われるのは必須なのだが、大鳥居駅や品川駅のホームで「ここで飛び込めばすべての苦痛から解放されるのか」と何度思ったことか。もちろん、恐怖の方が先にあって、そんなことはできなかったのだけれど。

 半年間は仕事にならなかった。新しい職場(業務)に異動したばかりなので、覚えなければならないことがたくさんあった。当然、覚えられなかった。
 その報いは1年後にやってきた。まあ、いろいろあって、2ヶ月会社を休んだ。この間、考えた。会社をやめるべきか。しかし、マンションのローン、娘の教育費捻出……やめられるわけがない。
 金のために、金だけのために会社にいたようなものだ。
 もし、家族間のゴタゴタがなければ、今も会社で働いていたと思う。働いていれば、離婚はしていなかっただろう。別居していることに変わりないけれど。定年退職するまではそのままの状態が続くはずだった。

 しかし、やめてよかった。やめることで、どれだけ精神的に楽になったか。これが大きい。結果論でしかないことは十分わかっているけれど。

 とにかく毎日が楽しい。
 こんな日が来るなんて、4年前は考えられなかった。

     ◇

 ●鬱病・自殺 2008/05/27

 昨日の川田亜子アナウンサーの自殺に衝撃を受けた。別にTBS時代からのファンだとか、彼女が出演する番組の熱心な視聴者というのではない。鬱による自殺が他人事とは思えなかったのだ。
 少し前にネットニュースが川田アナの精神状態がおかしいと伝えていた。自身のブログで、マスコミで働くプロなら書かないような仕事に対する心情吐露をしているという。記憶で書くが、〈仕事に行きたくないか〉とか〈うまくしゃべれない〉とか、確かにまずい内容だと思う。その結果、ブログを休止する措置がとられた、が、すぐに復帰してお詫びの書き込みをした……感情が揺れ動いていることが手に取るようにわかる。しかし、だからこそ、直後の自殺が信じられなかった。
 本当に鬱の症状が重ければ、文章なんて書けるはずがない、と自分の経験から言えるからだ。
 HPを始めるまで、僕は日記を書いていた。その間、何度か中断している。原因は鬱病だ。はじめは気分がすぐれない、調子が悪いなんてことを書いているのだが、何てくだらないことを書いているのだろうとだんだんと自己嫌悪に陥ってくる。そのうち文章が綴れなくなる。頭に何も浮かばないのだ。
 過去のさまざまなことが頭の中をめぐり、自分の才能のなさ、存在のくだらなさに落ち込んでしまう。眠れなくなる。昼間は頭に重石を乗せられたような感覚。
 人と会うことが嫌になる。会って話しをすることで、その人(友人)との差が歴然として、余計落ち込んでしまうからだ。実際、思うようにしゃべれない。
「元気だせよ」「らしくもない」「俺だって同じだよ、でも頑張るんだよ」言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。落ち込む。
 気分を変えようと散髪に行く。自分のイメージと違う髪型。家に帰って鏡を見て、切らなければよかったとうじうじ悩む。眠れなくなる。アルコールを飲めば、眠れるかもしれない。缶ビールを買ってきて飲む。当時ほとんど酒が飲めなかった。案の定飲めない。オレはビールも飲めないのか。また落ち込む。明らかに体調がおかしい。病院(内科)に行って症状を訴えても「どこも異常はありません」。
 部屋から出ることが億劫になってくる。やがて、自分には生きている価値がないと思いはじめてきて、自殺の文字が頭をかすめる……。
 それから考えれば、彼女はブログを書こうという意思がある。外部(他人)と接触を持とうという気持ちがある。ということは、まだ鬱は軽い、とにかく精神科に行って、睡眠薬を処方してもらえれば良くなる。自分もそうだったのだから、と軽く考えていた。
 ところがあっけなく彼女は自殺してしまった。そこまで症状は重くなっていたのか。
 悲しい。何も死ぬことはないと思う。
 ただ、僕自身の最悪の状態を思い起こせば、彼女の追いつめられた心情は十分すぎるほどよくわかる。あの状態で大勢の客の前でしゃべる司会業や秒のタイムで進行していくTVの仕事なんて地獄の沙汰だ。目にするもの、耳にするもの、すべてが彼女の神経をすり減らしていく。考えただけで息苦しくなってきた。
 まわりの関係者は何をしていたのか。いや、それはどうしようもないのだ。たぶん、彼女がそれほどの状態になっているなんて外見からでは想像できないだろうから。ちょっとおかしいなあ、元気ないなあ、くらいでそれほど気にしていない。躁鬱を知らなければ当然のことだ。
 ご冥福を祈るしかない。


 ●鬱・父への電話 2008/05/28

 鬱病の末に自殺、というニュースはたまに耳にするが、本当にそうなのだろうか。あくまでも自分の経験からの漠然とした思いなのだが。
 確かに重度の鬱になると毎日のように「死」のことばかり考えるようになる。しかし、それは受動としての死なのだ。寝る前に「ああ、このまま、寝ている間に心臓が止まってしまえばいいのに」なんて思う。交差点を渡っているときには「信号無視した車が突っ込んできて轢かれてしまえばどんなに楽か」なんて。思うだけ。自分で行動を起こそうなんて考えない。飛び込み、飛び降り、クスリ。いくつかの自殺の方法が頭をよぎるが、どれも怖い。絶対にできない。少なくとも僕はそうだった。
 一度だけ、ほとんど発作的に台所の包丁を持ち出して、左手首を切り裂こうとしたときがある。刃を手首にあてたまましばらく硬直していた。それ以上何もできない。包丁をその場に置くと、すぐに郷里の父親に電話した。いつもの暢気そうな声が聞こえると、今何をしていたか、なぜできなかったか、自分の不甲斐なさを泣き叫んでいた。
 父は少しもあわてずこう言った。
「あのなあ、けーすけ。自殺をしようと思っている人間は、今、できなくても、いつかまたするんだ」
 息子が助けを求めているのに、その言葉はないだろう! 頭にきて電話を切った。少しは心配して、話を聞こう、そのためにこれから、あるいは明日アパートに行くから、バカな真似なんかするんじゃない、なんて言ってくれるのを心のどこかで期待していたのかもしれない。とたんに自分の行為(包丁を持ち出したこと、父親に電話したこと)がすごく愚かに見えた。恥ずかしくなった。
 10年ほど前のことだ。早朝、会社の屋上から若い社員が飛び降りて自殺した。当時総務部にいた僕に上司から指示がでた。午後、亡くなった社員の家族が遺体を引き取りに上京してくる(確か大阪以西だった)。社員の遺体は病院に安置されているので、病院で家族と落ち合って面倒みるように。
 自殺した社員の上司(部長)と一緒にタクシーで病院に向かった。部長によると、前日に当の社員から電話があったそうだ。相談したいことがあると。部長は仕事で忙しく、明日、会社で話を聞くからと言うと納得して電話を切ったという。自殺するまで追い込まれている風には感じなかった、翌日までなぜ待っていてくれなかったのか。沈痛な面持ちで部長は語る。そんなもんだろうなあ。僕は心の中でつぶやく。
 霊安室の外で待っていると、家族がやってきた。両親と妹さんの3人。挨拶をしたあと、3人が霊安室に入っていた。中から聞こえてくる叫び声や嗚咽に、その場にいるのがいたたまれない。耳をふさぎたくなった。
 落ち着いてからお父さんが話してくれた。昨夜電話があったと。いろいろ悩みを抱えていたことはわかったが、どうすることもできない。ただ慰めるしかない。近いうちにアパートに行くから、そのときじっくり話し合おう。こんなことになるのなら、すぐに息子のところへ飛んでいけばよかった……。
 もし、お父さんがその日のうちにアパートへ行っていたら、あるいは上司がその日に相談に乗っていたら、彼は自殺を思いとどめたのだろうか?
 会社の屋上に出て、飛び降りるまで、何を考えていたのだろう。躊躇はなかったのか。上司は翌日(つまりその日)話を聞くと言っているのだ。なぜあと数時間を待てなかったのか。
 死にたいという気持ちから死のうと決意する瞬間はどこで決まるのだろうか? 僕が包丁を持ち出したのはその瞬間だったのか。しかし、その後恐れをなした。父親の対応も効いている。あの情けない言葉で「死なねぇぞ」とはっきり思ったのだ。
 あの日もいろいろなことを考えた。
 人の心はわからない。ただ自分だったらはっきりしている。鬱に苦しみ「死にたい」という思いにとりつかれても、心の、たぶん自分でも意識していないところで始終「生きろ」のメッセージが発信されているのではないか。
 簡単に言えば、自殺する勇気がないということ。負の勇気というべきか。
 負の勇気の欠如。無くて結構、僕は大いに感謝している。




 能年玲奈問題。
 いったい何がどうなっているのか?
 もうあそこまでこじれたら、事務所にもどることなんてできないだろう。
 それにしても、本名=芸名の場合、独立したら名乗れない、改名しなければならない、なんて、ちょっと、いや、かなりおかしい。
 そこまで事務所に権利があるのだだろうか。 
なんとか金で解決できないものか。とにかく一人の女優の才能をつぶすなんて許されない。
 
 水野美紀が大手芸能事務所を辞めたときは、けっこう長い間TV、映画から干されていた。レギュラーだった映画「踊る大捜査線」から外されたときは怒り心頭だった。TV局ってナベプロの時代から大手芸能事務所には頭が上がらないのかとタメ息をついたものだ。
 最近は舞台以外、さまざまに活動されていて喜んでいる。

     ◇

 ずいぶん前に松岡圭祐のデビュー作「催眠」の映画化に関するゴシップが作者自身の経歴詐称問題とともに「噂の真相」に掲載された。どこまでが本当のことなのかはわからないけれども、続編という名目で上梓された「千里眼」を読む限りでは、原作者として少なからず映画『催眠』に不満を抱いたことは容易に想像できた。
 小説「千里眼」は心理カウンセラーを主人公に心理学やカウンセリングを応用したミステリという点においては「催眠」と同系統といえるだろうが、登場人物も内容もまったく違うし、関連性はほとんどない。
 物語の展開についていろいろ追及していくとさまざまな設定に無理があって、傑作というものではないが、勢いでラストまで一気に読ませ、その面白さは保証できる。
 何より作者がたぶんに映画化を意識した作品であり、本格的に映画化されたら日本映画には珍しい第一級のエンタテインメント作品になるだろうと思った。

 かつて航空自衛隊のエースパイロットとして将来を嘱望されていたにもかかわらずある事件を契機に自衛隊を辞め、心理臨床士(心理カウンセラー)として〈千里眼〉の異名を持つ高名な脳神経科医師友里院長のもとで働くヒロイン・岬美由紀が日本壊滅を狙う謎のカルト教団と戦うミステリアクションともいうべき破天荒な物語である。
 日本全国で原因不明の爆発炎上事件が相次ぐ中、岬は友里とともに米軍横須賀基地に呼ばれる。爆発炎上事件は基地から何者かによって発射されたミサイルによるもので、今度は総理府に向けてミサイルが発射されようとしているという。
 基地に侵入した男はミサイル発射をセットし、パスワードを変更。このパスワードを解読して発射を阻止することが彼女たちに与えられた命題であった。パスワードの入力は3回まで。3回間違うと否応なくミサイルは発射されてしまうのだ。岬は男との対話、男が自決した後はビデオカメラに収められた男の表情からパスワードの数字をあてはめていく……。心理学とサスペンスを融合した見事な導入部である。
 読み始めたときはかつてエースパイロットで今は心理カウンセラーというヒロインの設定がどうにも嘘くさく感じたものだがクライマックスで得心した。
 カルト教団が仕掛ける罠をことごとく打ち破った岬は敵がさしむけた刺客と素手で戦い、満身創痍で最後の決戦にのぞむ。それが東京湾上空で展開される自衛隊機Fー15同士のドッグファイトだ。教団に奪取され、東京を爆撃せんと離陸したミサイルを塔載したFー15を追い、私服のままFー15に飛び乗るヒロイン。このヒロインの勇姿こそ作者が描きたかったものではないか、と確信したのだ。
 映画化作品ではスリルとサスペンスにあふれる導入部、単身敵に素手で立ち向かうヒロインの小気味良いアクション、そして特にクライマックスのドッグファイトが重要な要素になると思えた。
 小説は大興奮のドッグファイトのあとにエピローグとしてもうひとつのエピソードが描かれているのだが、読了した際、僕の中ではすでに映画のラストシーンが浮かんでいた。
 敵機を撃墜し、基地に帰還したヒロインがヘルメットを片手に颯爽と滑走路を歩く。彼女が髪をかきあげ笑顔をみせたところでストップモーションとなってスタッフ・キャストのロールタイトルが流れる……。
 というようなわけで、まるで自分がプロデューサーになった気分で「千里眼」の映画化に対してあれこれ思いをはせたのである。
 映画化にあたって心配したことは、
 1.アクションができてなおかつ心理カウンセラーの知性を感じさせる女優がいるだろうか?
 2.Fー15機のドッグファイトシーンのリアルな特撮が可能だろうか?
 という2点だった。
 2.に関しては現在のCG技術の発達で何とかなるかもしれない。実際TV番組『ウルトラマンガイア』第6話「あざ笑う目」で演習ではあったけれど、目を瞠るリアルな、興奮度120%の飛行シーンの特撮を見せられたので心配はなかった。
 が、1.に関してはどうにもぴったりな配役が思い浮かばい。アクションのできる女優はいるだろうけど、映画の主役ということを考えると一線で活躍する女優としてのネームバリューが必要で誰でもいいというわけにはいかない。
 やはり映画化はむずかしいかな、と考えていた頃、ヒロインに水野美紀決定というニュースをスポーツ新聞の芸能欄で知った。僕はまったく知らなかったが、水野美紀はかつて倉田プロモーションでアクションを習っていて、一度アクションものに挑戦したかったというのだ。彼女なら心理カウンセラーの役柄も十分こなせるだろう。
 映画には原作者もスタッフとして参画するというし、僕の映画『千里眼』に対する期待が一気に膨らんだ。
 映画化にあたって若干の変更があった。ヒロインは心理学の知識を持つ現役の航空自衛隊パイロットという設定。これは原作のミステリの要素より、ヒロインvsカルト教団の戦いを前面に押し出した結果だろうと喜んだ。へたにミステリ仕立てにするより、最初からヒロインのアクションと活劇で物語を引っ張った方がいい。また現役パイロットにすることで自衛隊組織、男所帯の中で自分の能力を発揮しようとするヒロインの葛藤が描けるというものだ。
 完成した映画の内容を知って愕然となった。一番期待していたドッグファイトが削除されているのだ。作者自身がシナリオに絡んでいて、原作のメインとなるエピソードをカットするなんて信じられない。これではヒロインの設定を変更した意味もなくなってしまうのではないか。
 観る前から先に抱いた期待はしぼんでしまったのだが、もしかしたら原作以上に緊迫したクライマックスが用意されているのかもしれない。そう考え直して映画館に向ったのだが……。
 映画はそれなりに観られる内容ではあるものの、とりあえず話をまとめてみたという印象が強い。 
現役の自衛隊パイロットにしたせっかくのヒロインの設定がほとんど生かされていないのが致命的だ。実際の操縦シーンがなくても、せめてヒロインがパイロットなのだと観客に認識させる小道具、描写は必要ではないか。
 映画を観る限りでは、ヒロインが自衛隊員でありさえすればいいように思える。いや自衛隊員でなくても(原作どおり友里の助手であっても)何ら問題はないのである。
 一ヶ所だけクライマックスへの伏線としてヒロインが自衛隊員である必要があるのだが、そんなもんどうにでもなる気がする。だいたい劇中に張られた伏線がその場で伏線とわかってしまったら何の意味もない。
 ドッグファイトに代って原作以上にスリリングな展開を期待していたクライマックスも冒頭の米軍横須賀基地におけるミサイル発射騒動と同じシチュエーションをもってきたことで、最初のアラが何かと目立って困ってしまう。
 敵はどうやって米軍基地内の、それもミサイル発射装置のあるセキュリティが厳しい部屋へ侵入できたのか? たぶん基地内にも仲間がいて、外部の人間を手引きしたのだろうが、そういった部分がまったく描かれていないから、話にリアリティが感じられない。
 クライマックスでは誤って発射されてしまったミサイルの爆発をどう防ぐか、ヒロインの活躍が描かれる。ミサイルが発射されてもどうにかなるのなら冒頭の騒動はいったいなんだったのか。パスワードを解読して未然に防いだことなんてほとんど意味がないように思えてしまうのだ。
 過激派集団「ミドリの猿」(小説におけるカルト教団)のボスが誰なのかという謎解きも、最初から友里のカウンセリングセンター所員を異様に描いているから容易に特定できてしまう。
 中盤爆破に巻き込まれ死亡したと思われた友里が再登場した時も、かすり傷ひとつ負わずにどうやって現場から逃れられたのか何の説明もない。
 東京湾観音内でヒロインと敵との一騎打ちで、水野美紀が惚れ惚れするようなアクションをみせてくれるが、これだって劇中では突然カンフーものに早変わりした印象になった感じで違和感を覚えてしまう。
 このように登場人物は単にストーリーを展開させるためのコマでしかなく、それもご都合主義で処理してしまうから興奮も感動もよばないのだ。
 何より脚本がまずいというべきだろう(演出的には、構図だとかタッチだとかいくつか見るべきところがあったと思う)。
 当初起用されるはずだった監督が降板したというのも脚本をめぐって原作者と意見の相違があったからに違いない。
 それにしても松岡圭祐はこの脚本で本当に面白い映画ができると思ったのだろうか。
 映画化にあたってはいろいろと方法論があるかと思う。映画『催眠』みたいに原作からキャラクターのみ借りてきて別のストーリーを組み立てるのも一つの方法である。
 水野美紀の体技を生かしたアクションものにするのか、ミステリとして謎の解明を主題にするのか、はたまた特撮を主体にした活劇に徹するのか。切り口を変えることで、いかようにでも映画はできるはずなのに、ストーリーをあくまでも原作どおりに、それも中途半端に進めようとするから無理が生じるのだ。
 原作者が映画に口だしても決していい結果を生まないという好例だった。いかにして映画を面白くするかというより、出版社主導のメディアミックスの方に興味があるようだ。

 誰か水野美紀の魅力を最大限に生かしたアクション映画を企画してください。TVの連続ドラマの準主役をやっている場合じゃないですよ! 志穂美悦子以来久々のアクション女優の逸材じゃないですか!!




 もう3日前になるが、週刊文春が発売された21日(木)、リアルタイムで〈小林信彦〉を検索したらこんなツィートがヒットした。

     ▽
小林信彦無双。永六輔本人のみならず、その配偶者にまで筆誅を及ぼし、返す刀で「大橋巨泉はぼくが忙しいときの穴埋めだった」と斬り捨てる。さらに齋藤晴彦の藝を「こういっては失礼だが、ぼくが演じたほうがややマシではないか」つくづく、小林信彦氏より先に死ぬのは恐ろしいことである。
     △

 文春連載の「本音を申せば」で小林信彦が書いている内容について言及しているのだが、これだけ読むと、どれだけ小林信彦が永六輔夫妻や斉藤晴彦の悪口を書いているのかと思う。
 今回のエッセイのサブタイトルは〈新しい「ゴーストバスターズ」〉なのだが、前半は亡くなった永六輔の思い出話で、かつて〈エノケン・ロッパの会〉で会ったことに触れている。
 ある方が開催した催しで、斉藤晴彦がロッパの食生活の本を朗読し、エノケンの歌をうたうというもの。互いに奥さんを連れていたという。
 該当する箇所はこうである。

     ▽
 思いつきは悪くないが、斉藤さんはこの二人の声を知らないので、どうも似ていない。こういっては失礼だが、ぼくが演じたほうがマシではないかと思った。ぼくは〈ロッパがエノケンの真似をする〉テープを頂いていて、その気になればこの二人の真似を演じられると考えていたからである。
     △

 齋藤晴彦の藝ではなく、あくまでも、この会で披露したロッパの声、エノケンの歌声が似ていないということなのだ。

     ▽
ラジオの王様になった永六輔にぼくは興味がなかった。葉山にあったぼくの家にきたとき、永夫人は夕陽を見て「ああ、陽が暮れてゆく……」といったことをセンチメンタルに呟いていた。昭和三十五年ぐらいのことだろう。
     △
これのどこが筆誅なのか。

 返す刀で以降も、原文をあたる。
 小林信彦は永六輔と前田武彦のラジオに呼ばれることが多くなった。3人でいろいろやっていたらしい。
 で、こう続く。

     ▽
そのうちに永六輔は大阪労音の仕事で大阪へ行き、穴があいてしまって、前田武彦と女性一人、ぼくの三人で、番組を作った。ギャラはわずかだが、ぼくとしてはありがたかった。ぼくが忙しくなると、大橋巨泉がその穴を埋めていたと聞いたことがある。
     △

 小林信彦の意図を捻じ曲げて紹介している。それが狙いなのか。それとも、本当にそう思っているのか。だとしたら読解力がまるでない。

 これを書くために、文春を買ってしまった。もう何年も立ち読みですましているというのに。ったく。




 本当は、前々々項の続きを書こうと思っていたのだが。

 とうとう大橋巨泉が亡くなった。
 がん闘病はずいぶん前から知っていたから、この日がくるのはわかっていたのに、本当にくるとショックだ。

 大橋巨泉は、永六輔と違って、愛憎相半ばしている。
 出会いは「巨泉・前武 ゲバゲバ90分」だった。この番組、見るとまるで宿題がはかどらなかった。巨泉と前武の掛け合い部分は生放送だったという。小林信彦がゲスト出演したこともあるというがまったく覚えていない。
 「11PM」はTVで同世代の人たちが言っているように、僕も最初親に内緒でこっそり見た。
 「お笑い頭の体操」は観ていなかったが、後番組の「クイズダービー」は毎週の愉しみだった。

 次第に偉そうな態度が気になりだした。
 番組内に登場する芸能人が年上だと○○さん、年下だと××くん、はっきり区分する。そうういところがどうも……。

 1978年の夏、日本テレビで始まった「24時間テレビ」で、欽ちゃんがパーソナリティ、巨泉さんは総合司会を担当した。
 番組終了時、募金は10億近くが集まった。これに対して巨泉さんはTVカメラを見据えて当時の政府にこう言った。「本来ならあなたたちの仕事なのだ」云々。
 確かにそのとおりだけれど、あなたに言われたくない。TVの前でそう思った。

 とはいえ、杉良太郎がそうであるように、自身が(司会を)担当する番組は皆面白かった。それはすごいなあと。
 政治家になったときは大いに期待したものだ。あっけなく辞めてしまって、裏切られた気分だった。

 前の奥さんがジャズ歌手のマーサ三宅だと知ったときは驚いた。ジャズ評論家なのだからあり得ることなのに。

 つらい闘病生活だったでしょう。
 「アッパレ!」です。
 
 合掌


 【追記】

2004/10/06

 「ゲバゲバ70年」(大橋巨泉/講談社)

 要は自慢話なんだよな。自分にどれだけ幅広い交友があるか。友人たちにはどんな肩書き、地位があってどれだけの力を持っているのか。その活躍ぶりで自分の立場を何気なく披露する。登場する仲間たちがどこの大学かなんてことも逐一付け加える。
 てなことを書くとみもふたもないか。TVで活躍中の時から垣間見られたことだし、その尊大さはマスコミに批判されていた。本人自身も自覚していることだ。

 僕が大橋巨泉の名前を知ったのは「巨泉・前武 ゲバゲバ90分」だった。小学4年の時から始まったこのバラエティ番組に夢中になった。ショートコントが休みなくつながる構成の妙に〈お笑い〉好きの僕は釘付けだった。当時はTVを視聴しながら宿題をする習慣があったのだが、この番組が始まるやまったく勉強に身が入らない。番組が終了したらしたで脱力感で勉強する気が起きない。罪作りな番組だよなと毎週感じていたことを鮮明に覚えている。

 TVの構成者からタレントに転身した同じような経歴、その絶大な人気によって大橋巨泉と前田武彦はライバル視されていた。そんな二人の共演も話題になった。僕は「オレがオレが」の唯我独尊的な巨泉より、物腰がおだやかで話し上手、頼れるおじさん的な前武が好きだった。
 にもかかわらず巨泉司会の番組はけっこう見ていた。代表作の1つ「11PM」、趣味の競馬をうまくクイズに取り入れた「クイズダービー」、お得意の海外情報満載による「世界まるごとHOWマッチ」etc。
 タレントとして好きでなく(はっきりいうと嫌い)ても、番組は面白かったからにほかならない(こういう類の人はほかに杉良太郎がいる)。

 本書を手にしたのも、TVの黎明期から業界で活躍していた著者ならではの視点によるTV年代記を期待したからである。そう意味では期待は裏切られなかった。興味深いことが満載だ。ジャズ評論家時代、マーサ三宅との結婚、離婚、構成作家の時代。

 著者の再婚相手(浅野順子)は日活女優の芦川いずみだとずっと思っていた。全然違かった。いわゆるパッと出のTVタレントで、自分のジャズバンドを持ちたかった著者が「11PM」でレギュラーにしようとしたところ、紅一点のヴォーカルが必要との局側の要請で彼女をメンバーに入れた。ところが彼女はジャズなんて歌ったことがない。つきっきりでレッスンしたことが縁になって結婚したという。
 それにしてもなぜ芦川いずみが大橋巨泉夫人だなんて勘違していたのだろう。(芦川いずみは藤竜也夫人でした)。巨泉の奥さんは日活女優でとてもかわいかったんだ、結婚してすぐ引退しちゃったんだけど、なんてことを昔誰かから聞いて、日活女優でかわいくてすぐ引退してしまった女優=芦川いずみと思ってしまったのかも。
 調べてみたら浅野順子は鈴木清順監督の「けんかえれじい」で高橋英樹と共演しているのだが、このことについては本書ではまったく触れられていない。

 自分の番組に対する意気込み、その度合いは尋常ではない。それは「世界まるごとHOWマッチ」に触れた文章でよくわかる。もともと構成者からタレントになったのだから当たり前なのかもしれないが。

 「コクがあるのにキレもある」のコピーで有名になったジャンボ尾崎と青木功共演のアサヒビールCFが、実は著者とビートたけしの共演で放映だったとか。たけしのフライデー暴行事件で急遽青木・尾崎バージョンに変更になったことを初めて知った。

 何週間か前にTBSラジオの永六輔の番組にゲスト出演していた。男特有の前立腺の病気の疑いがあって、その検査の話題だった。
 トイレが近いという話から子どもの頃オネショの用心として母親から夜中に目が覚めたら必ずトイレに行くように厳命された。そのいいつけを70歳になった今でも実行している。母親の影響力ははかりしれない、なんて今は亡き母親の思い出話に厚顔無人なタレントの新たな一面を見たような気がした。
 この母親への強い愛情は本書でもうかがうことができる。




 録画した「真田丸」を観ながら思った。
 もし、小池百合子の半生をドラマ化するならば、演じるのは鈴木京香だろうな。

          * * *

 ここんところ忙しくて更新がままならない。
 先週、「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978‐79」を入稿した。早くに原稿データを送ったのだが、返事がきたのは決められた締切後。
 翌日が休みだったから1日で修正した。しかし、読み返したらいろいろ直したいところがある。ゲラが出たらすぐ訂正できるように毎日直している。

 同時に、BC二十世紀はイベント三昧だった。

 11日(月)、「第62回 被災地域の酒を呑む会」
 13日(水)、「詩人の聲 詩人 原田直子」
 15日(金)、「在沖米軍の真実」
 16日(土)、「連続講座 古本的‼ 第3回 出版する古本屋 盛林堂・小野純一」

 そんなわけでどうもすいません。

 買った本、ムック、雑誌等。

 「映画秘宝 夕焼けTV番長」(洋泉社)
 「鉄人28号」(横山光輝/小学館)
 「どろろ」(手塚治虫/秋田書店)
 「ゴジラ全映画DVDコレクターズBOX VOL.1」(講談社)
 「pen+ 完全保存版 いまだから、赤塚不二夫」 
 「ファイティング寿限無」(立川談四楼/祥伝社文庫)
 「昭和40年男 【特集】俺たちの角川映画。」(クレタパブリッシング)
 「伊福部昭 音楽家の誕生」(木部与巴仁/新潮社)

 昨日、今日と映画を鑑賞。

 「クリーピー 偽りの隣人」(丸の内ピカデリー)
 「インデペンデンス・デー リサージェンス」(MOVIX川口)

 お薦めは「クリーピー 偽りの隣人」。「インデペンデンス・デー リサージェンス」は前作同様、ご都合主義が気に障る。VFXはすんばらしいけれど。




 ブックカフェ二十世紀の特撮トークイベント第2弾です。

haradakantoku.jpg




 一昨日(11日・月)、仕事の最中一緒に働いているWさんが「ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなったって」。
「えっ、Wさん、ピーナッツ知っているの?」
 若い子だから、昭和歌謡の大御所を知っていることに驚いたのだ。
 少しして悲しくなってきた。とうとうザ・ピーナッツがこの世からいなくなってしまったのだから。
 お姉さんが亡くなったときに、もうピーナッツは消滅したようなものだが、それでも、その片割れとして、ピーナッツの生き証人として長生きするのではないかと、なんとなく思っていた。何の根拠もないのだが。
 お姉さんの息子はどう思っているだろう。単なる甥、叔母の関係ではないだろうに。もう一人の母親というような存在だったのではないだろうか。


 昨日(12日・火)の早朝、前日からTVはつけっぱなし、朝一番のワイドショーをやっていた。半分寝ながら音声だけを聞いていたのだが、「永六輔さんがお亡くなりになりました」云々という声が聞こえた。最初はよく意味がわからなかった。頭の中で反芻して飛び起きた。

 この数年、体調がすぐれず、その影響で番組が終了したことは知っていた。もう長くないことはわかっていた。にもかかわらず、いざ訃報に触れると心おだやかではいられない。TVから「上を向いて歩こう」が聞こえてくると、もうダメだった。涙がいくすじも頬を伝わった。
 著名人の死を知って泣いたのは初めての経験である。

 保育園では「こんにちは赤ちゃん」をバックに母とお遊戯したのを覚えている。
 小学校の高学年になると、浅田飴のCMでその姿を拝見することになる。
「せき、こえ、のどに浅田飴」
 続けて「永六輔です、あっ舌噛んじゃった」
 佐々木つとむの物真似は一世を風靡した。

 中学時代は、中年御三家の一人として記憶している。
 小沢昭一、野坂昭如、永六輔。
 父親世代。
 3人とも鬼籍に入られた。

 永六輔のファンになるのは高校時代だ。
 TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」、水曜(の深夜)の担当は愛川欣也で、永六輔は毎週ゲスト(?)として登場するのだが、まるでレギュラーのような振る舞いだった。このときの話が面白かった。
 当時、尺貫法の利用は禁止されていた。尺貫法ではないと仕事が成り立たない、できない業種があったため、永六輔が立ち上がる。尺貫法の復権運動を始めたのだ。「パック・イン・ミュージック」で何度も尺貫法の話を聞いた覚えがある。
 やがて、この地道な運動が奏功し、見事尺貫法は復活する。
 すげぇと思ったものだ。

 成人してからはラジオ昼の帯番組「誰かとどこかで」と土曜日の「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」をよく聴いた。
この人の場合、おしゃべりをずっと聞いていたい気にさせてくれるのだ。
 反骨の人でもある。

 ある時期から著作も読むようになった。
 文章のスタイルが一貫していて、1行1センテンス。これは絶対だった。

 ちなみに永六輔作詞の曲では「女ひとり」(いずみたく作曲)が好きだ。

 二人に合掌


【参考】

1999/07/28

 「たかがテレビ されどテレビ」(永六輔/倫書房)

 永六輔が東京新聞に連載しているテレビに関するコラムを1冊にまとめたもの。項目別に再編集してある。
 さすが創成期からTVに関わってきた人だけあって、書かれていることにうなずくばかりである。  
TV関係者でどれだけの人がこのコラムに注目しているのだろうか。ったく説教臭い親父だなあと敬遠されるのだろうか。ま、そんな人は最初から読まないんでしょうが。

2001/01/17

 「昭和 僕の芸能史」(永六輔/朝日新聞社)

 永六輔とは何者かという漠然とした思いがいつもあった。
 放送作家から出発してタレントになり、作詞を担当した「黒い花びら」は第一回日本レコード大賞を受賞、以後「こんにちは赤ちゃん」「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」などのヒットを連発する。中村八大、坂本九との六八九トリオは有名だ。

 僕にとっては浅田飴のCFに登場したときの、その姿と声が強烈でその名を覚えた経緯がある。佐々木つとむの物真似「咳声喉に浅田飴、あっ、舌かんじゃった!」は一世を風靡した。当時永六輔の物真似といったら皆これだったっけ。

 高校時代に深夜放送に夢中になった。僕はラジオといったらほとんどTBSしか聴かず(文化放送やニッポン放送はよく受信できなかったという事情がある)、「パック・イン・ミュージック」を一時期毎日聴いていた。水曜深夜のパーソナリティーは愛川欽也なのだが、レギュラーとして永六輔が毎週登場していた。この番組で彼の考え、思想を知ることになる。

 当時永六輔は尺貫法の復権運動をしていた。日本には計量法というのがあって、メートル法以外の計量は法律違反だった。ある職人から「そんな状況じゃ仕事ができない」と聞いて運動を始め、地道な活動が世論を動かし代議士に計量法のおかしさを知らしめた。その結果、ついに法律を改正させたのだ。これらの運動を主に「パック・イン・ミュージック」その他で知り、僕は永六輔を骨のある人と思うようになり、彼の小言に耳を傾けるようになった。

 昭和50年代以降はリアルにある程度永六輔の活動を知ることになったが、いかんせんその前のことについてはほとんどわからない。

 タイトルの、特に〈僕の芸能史〉に興味がわいた。
 本書は昭和を年代別に自身のメディアとの関わり合いの範疇で語り、時代を浮かび上がらせている。週刊朝日に連載されていたものを一冊にまとめるにあたって、平成10年まで続いた連載を区切り良く昭和で切ったと〈あとがき〉にある。
 早稲田大学の学生時代にNHKラジオの人気番組「日曜娯楽版」への投稿からはじまって放送作家の道に進んだ。投稿~放送作家~作詞家の歩み方は秋元康の先をいっていたわけだ。
 日本で最初にジーパン、Tシャツを身につけたとか。

 昭和51年(1975年)の項に興味深いことを書いている。
 TVを変えたのは「欽ちゃんのドンとやってみよう」を開始した萩本欽一と「テレビ三面記事ウィークエンダー」だというのだ。番組に素人を出演させ、TVにプロの芸人が必要ないことを証明させた最初が「ドンとやってみよう」であり、現在TVに欠かせないワイドショーのリポーターという存在を認知させたのが「ウィークエンダー」だと。「ウィークエンダー」は朝のワイドショーの一企画「テレビ三面記事」の内容をそのまま土曜夜にもってきた番組(「傷だらけの天使」の後番組)で、元祖ではないと思うけど、大いにうなずける話だ。

     ◇

2002/11/28

 「六・八・九の九 坂本九ものがたり」(永六輔/中央公論社)  

 小林信彦「テレビの黄金時代」で坂本九の番組「九ちゃん」についてかなりのページ数がとられていた。
 もともとロカビリーブームから出てきた坂本九について、特にその最盛期について、遅れてきた世代の僕が知るはずもない。「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」のタイトルでアメリカビルボード誌のトップ1に輝いたことなどもずいぶん後になって知ったことだ。作詞・永六輔、作曲・中村八大、歌・坂本九のトリオでヒットを連発していたことも同様。  
 司会をそつなくこなす笑顔を絶やさないタレント。やさしいお兄さん。物心ついた僕が坂本九にもっていたイメージはこれである。 

 僕らの世代で坂本九といったら、NHKの人形劇「新・八犬伝」のナレーションが有名だろう。時と場合によっては黒子姿で本人も画面に登場し、歯切れのいい語りを聞かせてくれたものだ。  
 十数年後のある夜、NHK教育で「新・八犬伝」を振り返る番組が放送された。坂本九もいつもの笑顔で登場して思い出話を語っていた。日航機の遭難事故が起きたのはそのすぐ後だった。  
 事故が起きた夜、当時勤めていた会社の人たちと下北沢で飲んでいた。遅れて合流した先輩が到着するなり愚痴った。TVで映画「東京裁判」が放送されるので、留守録していたら、遭難事故の緊急放送でNGになってしまったと。翌日の朝刊だったか、夕刊だったか、トップに坂本九の名が出ていた。搭乗者の名簿にその名があるというのだ。ショックだった。嘘であってほしいと願った。

 本書は婦人公論に1986年6月号から12月号に連載された評伝をまとめたもの。坂本九とともに、中村八大と著者自身の足跡を振り返り、昭和の時代を描くという試みだ。
 冒頭の「前書きにかえて」(初出は「話の特集」)が強烈だった。突然仲間を失ってしまった著者が坂本九に対して思っていることをすべてさらけだした追悼文。「死者に厳しいが泣きながら書いたに違いない」と山口瞳が評したという。
 
 坂本九が亡くなったのは43歳だった。今の僕の年齢ではないか。  
 著者と中村八大のコンビによる「黒い花びら」を歌って第1回日本レコード大賞を受賞した水原弘の評伝を読んだのは、水原弘の享年と同じ42歳の時だった。
 六・八コンビでヒットを放った歌手、まだこれからという時期に亡くなってしまったタレントの評伝を同じ年齢で読むというタイミング。特に本書は16年も前に上梓されたものなのである。単なる偶然ではあるけれど、ちょっと驚いた。    

 坂本九にとって、著者はいつでもやかましいおじさん、〈小言幸兵衛〉だった。当然距離をおいてつきあう。中村八大には甘えたが、著者とのつきあいには必ず間に中村八大が入った。
 この評伝の取材でも誰もが坂本九は著者を煙たがっていたと証言する。ただしその中の一人が坂本九が日頃口にしていた言葉を語ってくれた。
「永さんは煙たい人だけど、煙たい人がいるってことは大事なんだ」  
 著者の批判に耳を傾けることのなかった水原弘との違いを見る思いがした。

 (追記)
 本書を読み始めた時、急遽大阪出張を命ぜられ、往復ともに飛行機を利用することになった。けっこう勇気が要りましたよ、機内での読書。




 七夕の7日(木)は個人的な定休日。が、いつものように出勤。向かったところはいつもの神保町ではなく池袋だ。8日(金)から始まった三省堂書店池袋本店「古本まつり」の搬入作業の手伝いで。
 10時半に会場入口近くのスタバでもう一人の手伝いF氏(古書店@ワンダーのリーダーで1レジ担当)と待ち合わせした。

 1時間前には到着して読書としゃれこんだ。
 バッグから取り出したのは「東京人」最新号。特集記事「特撮と東京 1960年代」を読み始めた。

 モノクロのゴジラ(勝鬨橋)から始まって、モスラ(東京タワー)、カラー化されたウルトラQ/カネゴン(下北沢 あの商店街は下北沢だったのか!)、ケムール人(後楽園)、ゴーガ(丸の内)、ウルトラマン/シーボーズ(霞が関)、ガヴァドンA(晴海)、ピグモン(銀座)と続く。

 次は泉麻人、矢部俊男、樋口真嗣による鼎談「ぼくらは特撮で大きくなった。」
 続いてハヤタ隊員(黒部進)、フジ・アキコ(桜井浩子)、ウルトラマン(古谷敏)、アラシ(毒蝮三太夫)インタビュー。
 そして、「特撮の舞台を歩く。」。

 「特撮の神様円谷英二が遺したもの。」は現円谷プロ社長、大岡新一氏へのインタビューだ。

 お待ちかね、切通理作さんの「怪獣映画の世界は、『ゴジラ』から始まった。」
 驚いたのは、続く記事だった。執筆者が木部与巴仁さんだったのだ!
 与巴仁は〈よはに〉と読む。
 プロフィールには詩人、キベダンサーとある。

 木部さんとは今年2月に知り合った。
 ブックカフェ二十世紀で「伊福部昭21世紀」が開催された、主催の代表者が木部さんだった。

 この項続く

 承前

 根が卑しいからなのか食べ物を残せない。残っているとどうしても手がでてしまう。よほど腹がきつくない限り。
 以前、あるコンサートに女性二人と行って、その帰り、イタリアンレストンに寄った。帰ろうというときにパスタが少し残っていたので、慌ててパクついた。一人になってから恥ずかしい行為だったと反省した次第。

 竹林閣でシネりんを開催する場合、飲食物はすべてスタッフが用意する。終了時、サラダが、ドレッシングがかかったレタスが一皿分残った。捨てるのはもったいないので、サランラップでくるんでなおかつビニール袋にいれてバッグにしまい持ち帰った。翌朝のサラダにしようとの考えだ。
 帰宅して、とりだしたらなんとサランラップがまったく機能していなかった。レタスがすべて飛び出ていたのである。あわてて、ビニール袋の下にあった本をとりだした。天の部分がつゆで汚れている! それもかなりの面積で目立つことおびただしい。だいたい色がついているのだ。

 本は木村大作に金澤誠がインタビューして、その映画人生をまとめた「誰かが行かなければ、道はできない ―木村大作と映画の映像―」(キネマ旬報社)。
 映画を目指す人には必読本ではないか。こんなに夢中になって読んでいる(読んだ)本は、橋本忍の「複眼の映像」以来。いやはや、木村大作ってとんでもないカメラマンだ。敵にすると厄介だけれど味方にすれば勇気百倍。

 感想は6月の読書録に記す(本当か?)。とにかく本のことだ。返却時にどうすればいいか。弁償なんてことになるのだろうか。
 図書館に直接返却するのではなく、閉館してからBOXに入れてしまおうか。いやいや、そんな卑怯なことはしたくない。だいたい、どうしたって汚れは目立つのだ。あとから電話で確認されたらたまったものではないし。

 返却当日。きちんと受付で数冊の本と何枚かのDVDをカウンターに提出した。汚れのことを言おうとしたところ、若い女性がそのまま本やDVD点検する。
 あれっ、汚れに気づかないのか? ラッキー!
 と思ったら、「これどうしました?」
 ああ、やっぱり気がついていましたか。
「テーブルに本をだしておいたら、サラダをこぼしてしまいました」
 少しアレンジして原因を伝えた。バックヤードから年配の男性が出てきた。女性が近寄って何やら囁いている。内容はわかっている。男性がうなづいた。おとがめなし。良かった!

 「復活の日」、「夜叉」、「海峡」、「火宅の人」、「極道の妻たち 三代目姐」。
 「誰かが行かなければ、道はできない ―木村大作と映画の映像―」を読了してからDVDを借りてきて観た映画である。
 木村大作が撮影を担当した映画を観るのはもう少し続ける予定だ。




 都知事選にどうしても出たいという党所属の議員(それも知名度、人気度が抜群)がいるにもかかわらず、出たくないという党とは関係ない人を推す、ダメなら他の人を……、という自民党の考えがわらからない。
 別に都民ではないし、選挙権を得てからというもの自民党には一度も投票したことがないのだから、どうでもいいのだけれど。

          * * *

 先月18日(土)、シネマDEりんりんがあった。会場は久しぶりの新宿・竹林閣。土曜日が自由に使用できることになったからだという。ブックカフェ二十世紀で開催すると、仕事になってしまうから会に参加できないから、ある意味うれしいのだが、土曜日だと仕事なのである。
 まあ、19時開始なので、神保町から都営新宿線で向かえば、30分かからない。実際15分で会場に行けたのだから驚いた。

 今回は「リンリンを探して Episode2」の上映がメイン。会場に到着したら前作「りんりんを探して」の上映中だった。
 本サークルの代表、林さん(通称りんりん)が仕事の関係で長い間、会に参加できないので、有志が林さんを探し歩く、その記録というフェイクドキュメンタリー。

 1作めは 代表代理のS子さんが在住していたアメリカ・サンディエゴで撮影された。出演者は現地のアメリカ人ばかり。すべて英語で進行する。インタビューに答える人たちの会話はハリウッド映画で聴くものだ。
 「リンリンを探して Episode2」は日本(群馬県)でシネりんコアメンバーの出演によって撮影された。これが哀しいかな、会話が素人なのである。リアルでないというか。少なくとも映画やドラマで聴くものではない。

 電車などに乗っていて、欧米人がしゃべっているところを何気なく耳にする。会話自体は映画と変わりない。ところが日本人だとそうはいかない。まるで違うのだ。
 これは自分が日本人だからそう感じるのだろうか。それとも、英語の特性だろうか。

 この項続く




 昨日、仕事の帰り、コンビニに寄ってスポーツ報知「ウルトラマン特別号」を買った。今年は「ウルトラマン」の放映50周年だそうで、その記念として編集された。まあ、特撮モノで毎年この手の特別号を発売して商売しているわけだけど。

 1966年はビートルズが来日した年である。日付を確認すると、ビートルズの武道館コンサートが終了してすぐに「ウルトラマン」の第一話「ウルトラ作戦第一号」が放映されたのだ。
 ビートルズに関しては、当時の思い出はまるでない。TV放送も観ていないし。小林信彦「ミート・ザ・ビートルズ」でその喧噪を知るしかない。この前、NHKでドキュメンタリーが放送された。リアルタイムで視聴していたし、録画もしている。
 そんなことはどうでもいい。

 西川口駅に着いて、駅ビルの書店に寄ると、「東京人」最新号を発見。特集は「特撮と東京 1960年代」。
 記事の一つを切通理作さんが書いている。題して「怪獣映画の世界は『ゴジラ』から始まった」。
 切通さんが昨年上梓した「少年宇宙人 ~平成ウルトラマン監督・原田昌樹と映像の職人たち~」(二見書房)を今、トイレタイムに読んでいる。とんでもないボリュームだから、じっくりゆっくりとの考えで。

 ブックカフェ二十世紀の特撮トークイベント第二弾として、前述した切通さんの書籍の刊行記念(少々遅いけれど)と銘打ち「叙情派原田昌樹監督の魅力を語ろう!」を8月5日に開催することが本日確定した。
 チラシ作成のための原稿を書いていて、プロフィールの参考にネットで検索したら、YouTube「切通理作×小中千昭 もっと高く! 『少年宇宙人 平成ウルトラマン監督・原田昌樹と映像の職人たち』× 『光を継ぐために ウルトラマンティガ』刊行記念トークセッション」が ヒットした。1:09:38あたりからの、「ウルトラマンガイア」におけるナレーションの欠如、「ウルトラマンティガ」の第50話「もっと高く」におけるレナの告白、に関する質問をしているのは私です。


tokyojin 201608
「東京人」No.374 august2016
 もう7月。本当なら6月中にしなければならなかった5月の読書録を中途半端なままUPしておく。

     ◇

2016/05/06

 「シャレのち曇り」(立川談四楼/PHP研究所)

 談四楼師匠の小説デビュー作。1990年に文藝春秋から刊行されたが絶版となり、18年後、ランダムハウス講談社文庫に入った。しかし、版元が倒産したことでまた絶版となっていた。
 文藝春秋版を図書館で借りて読み、やがて、古書をネットで買い求め二度めの読書。三度めの読書が文庫になったとき。今回が四度めとなる。
 四度めの読書で初めて泣いた。第四章の「借金取り」。自分でも驚いた。

 以下は初読のときの感想である。
 文中真打試験受験者第1号というのは間違い。登場人物は全くの実名と書いているが、一部仮名がある。

     ▽
1999/08/24

 「シャレのち曇り」 (立川談四楼/文藝春秋)

 作者の立川談四楼はわが母校・太田高校の出身である。僕の知る限りでの太高出身者唯一の芸(能)人だ。
 彼の名前を知ったのは第1章「屈折十三年」に描かれているような真打試験受験者第1号にして不合格になってしまった不運な二つ目だったか。小説も書く才能豊かな落語家だったか。どちらにしてもその時母校の先輩として記憶に刻まれたのだった。
 図書館で何気なく見上げると棚にこの本が置いてあり、タイトルの良さで手にとった。
 落語界を舞台にした私小説で、登場人物は全くの実名、赤裸々な心情吐露また個人に対してかなり辛辣な表現をしているものの落語の語り口そのままなそこなかとないユーモアで読ませてしまう。  しかし、業界内では問題にならなかったのだろうか。
 小説中に登場する二つ目の志の輔が今や真打、マスコミの人気者になっている現在、先輩の談四楼自身はマスコミ的には未だ名前は通っていない。この現状をどう考えているのだろか。
     △

2016/05/09

 「ウィリアム・ロス 映画人生五〇年 -妻、そして外国人俳優の仲間たち」(ウィリアム・ロス/美智恵・ロス/染谷勝樹/ブイツーソリューソン)


2016/05/14

 「ウルトラマン・ダンディー ~帰ってきたウルトラマンを演った男~」(きくち英一/風塵社)

 本書が刊行されたとき、立ち読みでほとんどを読了してしまった。毎日、仕事帰りに地元の書店に立ち寄り、読んでいたのだ。やっぱり手元に置いておこうと思ったときには、もう書店で見かけなくなって、結局そのままになってしまった。
 きくちさんと知り合って、偶然古書店で見つけた。
 神様の思し召し、か。


2016/05/19

 「決定版 ルポライター事始」(竹中労/ちくま文庫)


2016/05/24

 「健さんと文太 映画プロデューサーの仕事論」(日下部五朗/光文社新書)


2016/05/27

 「古い映画と新しい邦画と 本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)


2016/05/31

 「ニッポンの音楽」(佐々木敦/講談社現代新書)




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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