昨日(25日 木曜日)は休みの日。
 休日の朝は近くのジョナサンへ。モーニングセットを注文し、ドリンクバーの1杯めは野菜と果実のミックスジュース。スクランブルエッグセットがくるとジュースを飲み干しカフェラテを取りに行く。
 このジョナサンへは、ふた昔ほど前、日曜日になると親子3人でよく来た。まだ娘が幼かったときだ。自宅からは少し距離があるから自転車で。サラダバーが目当てだった。今、サラダバーはなくなりドリンクバーになっている。
 今はひとり。
 昨日(24日)は娘の28回めの誕生だったんだなと思い,少し感傷に浸りながら食事した次第。

 銀行で給料をおろし、家賃の支払い。その後床屋へ。髭をあたってもらう。
 奮発して自転車を購入。もうボロボロだったので。

 午後は地元シネコンで「シン・ゴジラ」鑑賞。4回めである。「ジャージー・ボーイズ」、「GODZILLA ゴジラ」、「アメリカン・スナイパー」と3回鑑賞はあるが、4回は初めてだ。新記録達成!
 サントラも買って毎日聴いている。

 追伸
 23日(火)は「ジャングル・ブック」を丸の内ピカデリーで鑑賞。
 「EYEMASK&まぐま展」が赤坂のアートトラスト彩ギャラリーで開催していて、久しぶりにまぐま発行人Kさんに会ってあれこれ語り合ったあとのこと。
 「ターザン:RBORN」より面白かった。

          * * *

 その2から続く

 世の中にはゴジラ原理主義者というべきファンがいる。本多・円谷監督作品を絶対とし、特に第1作の「ゴジラ」を金科玉条のものとしている。

 一つはそのテーマ性。ゴジラもまた原水爆実験の被害者であるというテーマがラスト近くで浮彫りにされることで、1954年に公開された第一作は映画史にその名を残すことになったと特別視している。
 もう一つは円谷英二の特撮技術に対する絶対視。
 スーツゴジラ、ミニチュアセット、ピアノ線による吊り等、日本独自の技術だからこそゴジラであると主張する。

 僕自身、少年時代に本多監督・円谷特技監督作品に巡り合いその素晴らしさを実感している。製作・田中友幸、特技監督・円谷英二、監督・本多猪四郎、というトリオ(音楽・伊福部昭を加えてもいい)の作品群。
 とはいえ、ゴジラ映画に関していえば面白いと思ったのは初期の数作だけである。個人的な印象ではあるが。

 僕にとって最高のゴジラ映画は「ゴジラ対モスラ」なのだ。幼少時、親に連れられて最初に映画館で観た怪獣映画ということもある。
 とにかくゴジラが怖かった。その出現シーンに驚愕した。工場地帯に出現したゴジラを遠景で捉えたショットに震えたものだ。この手の光景はこれまで何度も夢で見ている。遠方にゴジラが現れて、逃げるのだけど、やがて追いつかれてしまうというもの。
 子どものときはモスラが好きだったこともあり、TVで観た「モスラ」に大感激した。同じくTVで観た「空の大怪獣ラドン」にも。

 「モスラ対ゴジラ」のあと、やはり映画館で観た「三大怪獣 地球最大の決戦」はキングギドラの魅力によって夢中で観たが、子ども心にがっかりしたことも覚えている。
 「モスラ対ゴジラ」で大活躍したモスラの幼虫二匹のうち一匹死んでしまったという事実が小美人から告げられたシーンとモスラが怪獣語でゴジラやラドンを説得するシーンである。なんだか「モスラ対ゴジラ」の世界が否定されたような気がした。言葉でゴジラと意志の疎通ができるのなら、「モスラ対ゴジラ」のあの闘いは何だったのか。

 次に映画館で観たのが「ゴジラ・モスラ・エビラ 南海の大決闘」。モスラ目当てで観に行ったのに、登場するのはラスト近くになって、がっかりした。小美人がザ・ピーナッツから知らない女性コンビが演じていること、ゴジラが恐怖の怪獣から三枚目に様変わりしていること。
 怪獣映画の醍醐味である都市破壊シーンがないことにも失望した。

 「三大怪獣 地球最大の決戦」の次は「怪獣大戦争」なのだが、これは数年後「怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ」と改題された東宝チャンピオンまつり版を友人2人と観に行った。
 観終わって愕然とした。何の感慨もわかなかったからだ。
 これまで怪獣映画を観るたびに何かしらの感動があった。その感動が家に帰ってきてから絵になる。一所懸命描いたものだ。「南海の大決闘」でさえそれなりに感じるところはあった。
 「怪獣大戦争」にはまるでなかった。
 理由はいくつか考えられる。完全に「地球最大の決戦」の二番煎じであること。モスラが出演しないこと。前半宇宙を舞台に怪獣が戦うこと。何よりゴジラがシェーをすること。
 映画館を出たあと、近くの友人の家に遊びに行き3人で絵を描いた。
 友人2人は「怪獣大戦争」の、ゴジラ、ラドンがキングギドラと戦うところを描いたが、僕はまるで心に響かない映画の絵を描く気がしなく、ゴジラと幼虫モスラが戦う構図にした。
 大人になってからこの映画の面白さはドラマ部分にあると気がつくのだが、それはまた別の話。

 「ゴジラ」(54年版)は小学3年もしくは4年のとき、TVで観た。確か休日の昼間、NHKで放映されたのだ。ラストにしみじみした以外どんな思いを抱いたのか覚えていない。ああ、これがゴジラの第1作なのか、特撮的にもっとすごいものを期待していたのに、それほどでもなかったというのが率直な感想だったような。
 そんなわけで僕にとってゴジラ映画は怪獣映画の一つでしかない。それほど重きを置いていないのだ。
 「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」「キングコングの逆襲」。これが個人的なベスト3なのである。

 「ゴジラ」(54年版)は成人してから何度か観ている。名画座で押さえたこともある。
 小学生時代の印象を払拭したことはもちろんだが、新たな疑念がでてきた。
 〈ゴジラもまた原水爆実験の被害者である〉という世間一般の、というかこの映画を語るときに必ず語られるテーマについて。

 この項続く




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 承前

 矛盾撞着。

 18日(木)はシネりん8月度の開催にあたって内容の打ち合わせ。
 今回は7月に「若松孝二と赤軍レッドアーミー」(情況新書/世界書院)を上梓した映像ジャーナリストの原渕勝仁さんをゲストに迎えて若松監督をテーマにトークする。
 聞き手は僕。若松監督は連合赤軍や三島由紀夫の小説を映画化しているので、話題の中心はそれらの作品になる予定。

 というわけで、27日(土)は、浅草橋のライブハウスで「ショーケン・トリビュートライブ 『ロックコンサートB〜コレカラの時代の愛〜』」が開催され、早いうちに予約していたのだが、断念せざるをえない。

 打ち合わせ後、新宿ピカデリーで「X‐MEN アポカリプス」を鑑賞。
 チケットを買いに行ったら、上映まで2時間近くある。仕方ない、近くの居酒屋でひとり呑んでから。

 最後の戦いは、神。
 なんていうキャッチコピーで、やっぱりこのシリーズはサイボーグ009のアメリカ版かと思ったのだが、あれのどこが神なのか。
 敵が味方で味方が敵で。
 シリーズを見通すとそういうことだ。
 それにしても辻褄が合わない。旧シリーズ3部作と新シリーズが合わないだけではない。新シリーズでも第1作と合っていないじゃないか。スタッフ、確信犯だ。若かりしストームが見られたのでまあいいけれど。




 多事多端。
 先週は二井康雄さんの「ぼくの花森康雄」(CCCメディアハウス)の出版記念パーティーで大忙しだった。
 出席しやすいようにと2日間連続の開催。19日(金)は50名強、20日(土)は40名弱の参加となってブックカフェ二十世紀は大賑わいだった。
 
 ちょっと一週間を振り返る。

     ◇

2016/08/15

 「立川談四楼独演会」(北澤八幡神社 参集殿)

 ブックカフェ二十世紀で働き始めてから、つまり今年になってから、時間的な問題で下北沢の偶数月恒例独演会に参加できなくなった。開催日が休みの日ならいいのだが、今年はそれもない。一度くらいは覗いてみたい、あの雰囲気に浸りたい、と思って、店を早退して駆けつけた。

  立川語楼 「手紙無筆」
  立川只四楼 「浮世根問」
  立川笑坊 「花色木綿」
  立川談四楼 「三年目」

   〈仲入り〉

  神田松之丞 「芝居の喧嘩」
  立川談四楼 「一回こっくり」

 始まる寸前に行ったのだが、かなりの混みようだった。
 もしかして、笑坊さんの高座を観るのは初めてではないか?
 講談の松之丞さんがとんでもないインパクト。

 入口できくち英一さんと会った。一瞬驚いたのだが、以前8月は行くのできくちさんもぜひとお誘いしていたのだった。
 打ち上げに参加したあと、きくちさんの行きつけの小さな居酒屋で飲む。ごちそうさまでした!

     ◇

20160815_rakugo3
師匠と松之丞さん
打ち上げは二人の乾杯で始まった

20160815_rakugo4
日藝の後輩、Aさんと一緒に
おふたり、大学の話で盛り上がっていました

20160815_rakugo

20160815_rakugo2
やっとツーショットが撮れました

20160816_rakugo5
我々のグループ以外ではこんな記念写真を撮っていました
ツーショットを撮ってくれたY氏が写っている。
あれ、Aさんも。いつのまに?!




 閑話休題。
 閑話休題の意味を、〈これまでの話題をちょっとひとやすみして違う話をすること〉と思っている人がいる。雑誌等で、そんなふうにタイトルで使っているのを目にすることもあった。
 間違いですから。
 元の話題に戻すときに使うのが正しい。〈それはさておき〉という意味なんです。
 私は、高校時代、倉本聰の本で学びました。


 涙腺崩壊。
 そう言ったのはリオから中継するTBS・石井アナウンサーだが、TVの前で何度もうなずく自分がいた。
 毎朝、リオ・オリンピックの結果に目頭が熱くなって、涙がひとすじ、ふたすじ……。ほんと、どうなってしまったのか、オレの涙腺。
 今朝なんて、女子レスリング、金メダルが3人連続ですぜ。
 いやはや、ずげぇなぁ。

 ガッツポーズのやり方と同様どうでもいい話。
 卓球の水谷選手、銅メダルが決まった瞬間を見て、ハライチの澤部佑と安田大サーカスの団長を足して2で割り、ちょっとかっこよくした顔、と思いました。
 活躍する選手のご両親が皆、自分より若い。選手たちは皆自分の娘より年下なのだから当然なのだが、ちょっとばかりショックだったりして。


 果実師匠。
 別に不愉快になったわけではありませんので謝る必要なんてないですよ。
 謝るのは私の方です

     ▽
 一番肝心なメッセージは残しておいて欲しかったかなと
     △

 すいません、意味をはき違えていました。
 一番肝心な(つまり初代ゴジラの映画にあった)メッセージはあるべきではないか、という意味に受け取ったんです。
 一番肝心なメッセージ = 「ゴジラも被害者である」 ですか。
 ……タメ息ですよ。
  一つだけ。

     ▽
ご存知のようにゴジラは水爆実験により生まれた奇形であり、望んだ肉体や能力ではありません。
     △

 本当に「シン・ゴジラ」観ているんですか?
 別に「シン・ゴジラ」のゴジラは水爆実験により生まれた奇形ではありませんから。
 私が今回主張したかったのは、まさしくこの点なんです。
 それは、本文で。

 参考) 立川キウイの小部屋 2016年8月13日





 2年前、ギャレス・エドワーズ監督の「GODZILLA ゴジラ」に夢中になり、劇場で3回観た。同様に「シン・ゴジラ」も3回観ている。エドワーズ監督版との違いは、あと2回は劇場で押さえたいと思っていること。サントラCDの購入を考えていること。DVDが出たら手元に置きたいと願っていること。この3点である。

 僕はどうしてこれほどこの映画に惚れてしまったのか。

 まずは、この映画が54年版「ゴジラ」の呪縛から解き放たれたことに快哉を叫びたい。
 思えば、84年版「ゴジラ」が第1作の「ゴジラ」(1954年)の続編として制作されたことから間違いが始まってしまったのだ。

 ゴジラは体長50mの、ジュラ紀に生息した海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物だった。
 海底深くの洞窟で生活していたところ、アメリカの度重なる水爆実験で生活環境を破壊され、海上に出現するようになった。
 水爆実験(放射能)の影響で白熱光を口から吐いたり背ビレを光らせたりするものの、ゴジラはゴジラという生き物だったのである。

 ところが84年版「ゴジラ」に登場するゴジラ(以降、平成ゴジラ)は、第1作「ゴジラ」のゴジラと同種の生物なのに、体長が80mになっていた。また、放射能を吸収することでエネルギーを得るという生物になっていた。
 「ゴジラvsキングギドラ」において、ゴジラはゴジラザウルスという恐竜が核(放射能)の影響で変異した生物にされてしまった。
 同時に人智を超えた、無敵の神のごとくのような存在になってしまった。
 僕はこの設定に始終違和感を覚えていた。
 もちろん、かつての人気怪獣と新しいランドマークタワーを舞台にバトルを繰り広げるだけの展開にもうんざりしていた。ミニチュア、着ぐるみもろだしの特撮は完全に過去のものになっていた。

 平成ゴジラシリーズが終結し、新たに始まったミレニアムシリーズも、それぞれの作品に関連性はないものの、1954年に日本がゴジラに襲撃されたという事実は共通項としてあった。
 違和感は、この第1作と世界が続いていることなのだ。
 なぜ、東宝は、新時代の新たな、オリジナルのゴジラを創造しないのか?
 それが僕の素朴な疑問だった。
 ウルトラマンも仮面ライダーもガメラも、新しい設定、概念のもと新作が制作されて人気を呼んでいる。ゴジラだけが立ち遅れていると思えてならなかった。

 以下、これまでのレビューに書いていることを挙げてみる。

     ▽
 しかし、それでも新しいものに挑戦するのであれば、せめて過去の伝統や栄光をかなぐり捨てるくらいの勇気を持ってほしい。
 いい加減54年版「ゴジラ」の呪縛から逃れたらどうだ。いくら映画世界をリセットしても原点にいつも「ゴジラ」があっては何かとやりにくかろう。
 伊福部昭の音楽からも開放したい。僕だってどんなにゴジラに伊福部音楽が合致しているかは理解している。しかし今回、お台場に上陸する際に流れた伊福部音楽があまりにぴったりくるから、それまで説得力をもって聞こえていた大島ミチルのそれが貧弱なものなってしまった。
(略)
まったく新しい解釈、設定で現代日本を襲う巨大怪獣ゴジラの恐怖を映画の中の登場人物ととも、特にその巨大さに驚愕したいと切に願う。
「ゴジラ2000ミレニアム」
     △

     ▽
 特生自衛隊の設定を生かし、ゴジラと自衛隊の攻防を真正面にすえ、そこに人間ドラマを盛り込むハードでリアリティあふれる(そしてそれは54年のゴジラとは解き放たれた)展開の映画を観たい。手塚監督にぜひ挑戦してもらいたいものだ。
「ゴジラ×メカゴジラ」
     △

     ▽
「『×メカゴジラ』を観て、オレが今ゴジラ映画に何を求めているかよくわかったんだ」
「と言うと?」
「初めてこの世にゴジラが出現したってことで、その出現から撃退されるまでの物語。要は自衛隊とゴジラの攻防だね。『×メガゴジラ』のオープニングの戦いをもっとハードにしたものといえる」
「面白そうだ」
「ガメラにしろ、ウルトラマンや仮面ライダーにしろ、全く新しい概念で復活して、成功しているよね。ゴジラだけなんだしつこいくらい第一作にこだわっているのは。やはり昔にこだわると何から何まで引きづられるだろう。音楽は伊福部昭じゃなけきゃダメ。ミニチュアと吊りが特撮の基本だとか。でもそうだったら昔の作品を繰り返観ればいいじゃない……この話すると長くなるからやめよう。オレがのぞむゴジラの映画だけど。太平洋でゴジラの生息が認識される。政府は半信半疑。近くの島を壊滅させることで、政府はゴジラ迎撃を決定する。まず海上自衛隊による対ゴジラ作戦。海中と海上での戦い。次に航空自衛隊の空からの攻撃。最初は報道規制が敷かれているんだけど、そのうち、マスコミ各社に気づかれ、スクープを狙うTV局が出てきたりして、ゴジラの姿が公になっていく。でも全身なんてなかなか撮れなくて、小出しに小出しに。ゴジラはどんどん日本に近づきその頃にはもう日本全体が大騒ぎになって、その進行状況からどこに上陸するか、上陸したらどのくらいの被害をだすのか、雑誌やTVで特集されたり。クライマックスは東京に上陸したゴジラと自衛隊の総力戦……。その中で自衛隊員たちの活躍を描くの。群像劇になるのかな。パイロット、艦隊乗組員、戦車隊、さまざま立場の自衛隊員が初めて敵との戦いの中で何を感じ、どう行動して、何を得るのか」
「ゴジラ×メカゴジラ」 2回めの鑑賞
     △

 ヴィジュアルについても言及している。

     ▽
 平成ゴジラシリーズが次第に尻すぼみになり、映像・ストーリーともに袋小路状態になって、一旦幕を閉じたのは何年前だったか。
 東宝が版権をアメリカに与えた時、もう二度と日本製のゴジラ映画は製作されないんじゃないか、いや作れないんじゃないかと思った。ハリウッドの巨額な制作費、リアルなSFXで描かれたゴジラを見てしまったら、東宝のミニチュア、ぬいぐるみによる特撮なんて色褪せて見えてしまう。映画、TVで円谷特撮の洗礼を受けている僕ら世代はいいにしても、若い世代は受付けないだろう。
(「ゴジラ2000ミレニアム」)
     △

     ▽
 エメリッヒ監督版「GODZILLA」のすごいところは、ゴジラの巨大さをきちんとスクリーンで見せてくれたことだ。ゴジラという名称に問題があるなら怪獣に置き換えてもいい。セントラルパークの子ゴジラと人間の追いかけっこはもろ「ジュラシック・パーク」のパクリ。あれさえなければ、つまり全編を巨大生物と人間たちの戦いで展開させてくれたら、僕の「GODZILLA」の評価はもっと高かった。ゴジラの冠がなければ十分面白い怪獣映画だと、さんざ吹聴していたのだから。

 ハリウッド映画の特撮(SFX、VFX)映画の伝統として巨大生物(物体)をちゃんと巨大に描くというのがある。「未知との遭遇」「スターウォーズ」あたりから始まったように思う。残念ながら日本映画に欠けている要素だった。平成シリーズではゴジラの巨大さを実感したことがなかった。それがエメリッヒ監督版でもギャレス・エドワーズ監督版でも巨大さは半端なかった。
     △

 これらをすべて実現してくれたのが「シン・ゴジラ」なのである。

 この項続く


 【参考】

今年公開されたハリウッド映画「GODZILLA」を全否定する人たちよ、そんなに日本のゴジラ映画は面白かったですか? 
 その1
 その2
 その3
 その4









 果実師匠へ

 果実さんが「シン・ゴジラ」にピンと来なかったこと、人間ドラマがないと指摘していること、単なるゴジラが日本を襲ったシミュレーションではないかと思うこと、災害ドキュメンタリーでしかない、ゆえにベタなドラマが欲しかったと主張すること。
 
 それでいいではないですか。
 にもかかわらず、なぜ他人の意見でフォローしようとするんですか。自分の感想を正当化しようとするんですか。自分の感想に自信がないんですか?
 大ヒットしているとはいえ、当然、アンチ「シン・ゴジラ」もいるでしょう。
 私自身がなっていた可能性もありますから。
 だから、果実さんの意見に何も申しません。

 ただし、以下の意見には賛同しかねます。
     ▽
 でも一番肝心なメッセージは残しておいて欲しかったかなと。
 だけど果実にとって原点にして頂点は本多&円谷のゴジラです。
     △

 「シン・ゴジラ」にメッセージがなかったんですか?
 本当にそう思うんですか?
 マジで?
 ヴィジュアルに、会話に、展開にあったじゃないですか。
 長谷川博己の怒りに、市川実日子の笑顔に、あなたは何も感じなかったんですか?
 ふーん、そうですか。

 ピーター・ジャクソン監督版「キング・コング」が公開されていたころ、感想を果実さんにお訊きしてところ、「『ジュラシック・パーク』の二番煎じ」と答えました。
 カチンときて、私は反発しました。私が書いたレビューをプリントアウトして後日お渡ししました。
 ジャクソン監督版の斬新さは、ヒロインと巨獣の心のふれあいを描いたところなんです。ギラーミン監督版でもそれは描かれていましたが、所詮は付け焼刃でした。
 ジャクソン版は違いますよ。それがクライマックスの伏線になるんですから。だからこそ私は涙したんですから。
 恐竜が登場するという、ただそれだけで二番煎じなんて言わないでくださいよ。
 もっと映画の根幹を、キモを、本質をわかってください。

 「シン・ゴジラ」、災害ドキュメンタリーでもいいですよ。ドキュメンタリーに涙することもあるんです! 
 詳しくはレビューに書きます。

 27日(土)、シネりんに来てくださいね。
 私、もともと予約していたショーケン・トリビュートライブ、安藤丸男バンドライブをキャンセルして行きますから。テーマは若松孝二監督ですから、赤軍やよど号ですから。足立監督の話題もでるかもしれません。何しろ私がMCですから。

 よろしくお願いいたします。




 昨日は3度めの「シン・ゴジラ」鑑賞。あと2回は劇場で観るぞ。
 続いて「ロスト・バケーション」。こちらもなかなかの面白さ。

          * * *

 どうでもいいことだが、テレビの疫病神はTBSからフジテレビに乗り移ったようだ。ほんと、最近のフジテレビはやることなすことうまくいかない。
 朝日新聞では毎週一回、視聴率の一覧表が掲載されるが、ここのところ、ベストテンにフジテレビの名前が出ないことが多い。対してTBSはちょくちょくベストテンに名を連ねるようになった。数年前までまるで相手にされていなかったのに。
 
 1980年代、フジテレビのやり方に嫌気がさしてアンチフジテレビを標榜した。
 あまり大きな声でいいたくはないのだが、80年代半ばほんと一時だが制作プロダクションの一員として、TBSの早朝の番組のスタッフで働いていたことがあった。たまに深夜タクシーを利用する。赤坂から当時住んでいた笹塚まで。ドライバーとおしゃべりして「フジテレビが嫌い」と言うと納得してくれた。あの時代、フジテレビ関係者はけっこう横暴だったらしい。そりゃいけいけドンドンだったものなぁ。

 70年代、「母と子のフジテレビ」をキャッチコピーにして、TBSや日本テレビの後塵を拝していたフジテレビ。実際、スタジオドラマなど作りが稚拙だった。
 80年代になると、「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければフジテレビじゃない」に切り替え快進撃を始めた。その要因のひとつに、それまで子会社にさせていた制作をすべてフジテレビに吸収して一本化したことが挙げられる。このころの代表作の一つは「オレたちひょうきん族」だろう。僕も夢中で観ていた。

 個々の番組に対する印象とは別に局をあげてのお祭り化は一視聴者としてウザかった。昔の奥ゆかしさはどこにいった? 
 ところがこのフジテレビ方式を真似する局がでてきた。
 90年代後半から00年代にかけて、日本テレビがフジテレビ化した。これで日本テレビがトップに躍り出た。個人的には日本テレビの良さを無くしてしまったと感じている。

 この数年はテレビ朝日がフジテレビ化している。なんなのだろう、あのやり方。とはいえ、それが功を奏して視聴率競争でいい成績をあげている。「相棒」シリーズとバラエティー番組が売りだろう。しかし、全然関係ない、単純に放送時間が続いているだけで、一緒にしてスペシャルにする方法はいかがなものか。
 テレビ東京もフジテレビ化するのだろうか。

 フジテレビの日(8月8日)、二十年ぶりに新宿ロフトプラスワンへ。
 「ウルトラマンガイア」がリアルタイムで放映されていたとき、この店で何度も平成ウルトラマン関連のイベントが開催され、足しげく通ったものだ。
 先週、「立川流が好きっ!!」というイベントが8日にあると知った。月曜日は出勤日だから、普通は行けないのだが、始まるのが19時30分。これなら仕事を終えてからでも間に合う。
 実際、ギリギリで会場に到着した。

 恥ずかしい話、僕は当日までこのイベントを落語会だと思っていた。
 出演者が、寸志、吉笑、こはる、志ら乃、志の太郎。この出演者なら、広小路亭の志ら乃プロデュース番組の再演だろうと期待してしまうではないか。吉笑さんがMCとなっていて、落語終了後、または前に対談があるのかと思っていた。
 考えてみれば(考えてみなくたって)、会場がロフトプラスワンなのである。5人が横一列になって、酒を呑みながらのトークに決まっているではないか。バカだなぁ、オレ。

 内容については、いろいろ差しさわりがあるので、書かない。皆が、現状の立川流にかなり「やばい」感を持っていること、何とか打破しなければならないと考えていることがわかった。志の輔一門を除いて。
 談幸一門が芸協に移籍したことがかなり後遺症を残している。




 いけない、いけない、6月の読書録のUPがまだだった。もう8月だというのに。

     ◇

2016/06/01

 『沖縄「辺野古の海」は、いま』(新藤健一/七つ森書館)

 写真展をBC二十世紀で開催するにあたり、川口中央図書館にないか探してみたらあったのであわてて借りてきた。


2016/06/02

 「男の条件」(梶原一騎・川崎のぼる/集英社)


2016/06/06

 「大河ドラマと日本人」(星亮一・一坂太郎/イースト・プレス)

 作家と歴史研究家(年齢差は31歳!)による、大河ドラマ50年の歴史の解読書。


2016/06/07

 「青春少年マガジン 1978₋1983」(小林まこと/講談社)

 BC二十世紀の棚にあったので、客でお茶を飲みながら読み、読了した。


2016/06/08

 「MASTERキートン Reマスター」(浦沢直樹/小学館)

 まさか、続編が描かれるとは! 


 「ぼくの音楽人間カタログ」(山本コウタロー/新潮文庫)

 古書店で見つけ、赤い鳥について書いているので、あわてて買ってしまった。


2016/06/10

 「『性別がない!』ということ。」(新井祥/ぶんか社文庫)

 よこしまな考えで読んだ。そういう期待には全然応えてくれない。まあ、当たり前だろう。


2016/06/13

 「スター・ウォーズ学」(清水節・芝尾英令/新潮新書)

 リアルタイムのスターウォーズフィーバーを語らせるならなら誰にも負けやしない。ただし、トリビアは全然知らない。いろいろ参考になった。


2016/06/16

 「演説歌とフォークソング」(瀧口雅仁/彩流社)

 得心すべきところもありつつ、「少し考えすぎでは?」と思うとこがいっぱい。
著者は「平成落語論」を書いた人か。ああ、なるほど。

 著書は一世代下だからか、フォークソングに対する認識が違う。
 プロテストソングとしてのフォークがある。叙情派のフォークソングがある。著者は前者をフォークと認識している。ところが、二回り上の世代(団塊の世代)とフォークの話をすると、後者ばかり話題にされて違和感を覚えたとあるが、それはヒットの影響だろう
 歌謡フォークという表現がでてくるが、70年代にはあまり使われていなかったような気がする。
 「竹田の子守唄」に関する記述はいっさいない。


2016/06/17

 「浦沢直樹読本」(CasaBRUTUS特別編集/マガジンハウス)


2016/06/28

 「誰かが行かなければ道はできない 木村大作と映画の映像」(木村大作・金澤誠/キネマ旬報)

 これまで読んだ映画本で一番面白く、また勉強になったのは「複眼の映像」(橋本忍/文藝春秋)なのだが、それに匹敵するのではないか。すげぇや、木村大作。
 もし84年版の「ゴジラ」を森谷司郎が監督したとすると、撮影は木村大作だったのだろうか? 脚本が橋本忍で。「幻の湖」を書くくらいなのだから怪獣映画なんて楽なものだから。


2016/06/30

 「談志亡き後の真打ち」(立川志ら乃/宝島社)

 5月の「立川流広小路亭 夜寄席」を企画したプロデューサーとして志ら乃師匠を注目したので読んでみた。





 5、6日(金・土)とブックカフェ二十世紀のイベントが続いた。
 詳細は次項に記すが、昨日はあまりの疲れで、自宅までの歩いている最中何度も意識がなくなった。
 一瞬意識がなくなるというのは、「ターザン:REBORN」を観ていたときに似ている。別につまらないわけではないのだが、ある瞬間で意識がなくなり、ふと目が覚めて、「あれ、オレ寝ていた?」となる。
 違うのは、眠気に襲われていたこと。昨晩はもう眠くて眠くて仕方なかった、一度は、眠りながら歩いていて塀にぶつかりそうになって、驚いた。しばらく立ち止まっていたほど。
 帰宅して速攻で寝た。

          * * *

 単なるメモです。
 記録しておかないと、忘却の彼方になってしまうので。
 中途半端でUPするのは自分の流儀に反するけれど。

     ◇

●3月のシネマ観て歩き

2016/03/08

 「ヘイトフル・エイト」(丸の内ピカデリー)

 タランティーノ監督の密室劇ミステリーというから、どんな展開になるのかと興味深く観た。なんてことはない、これまでどおりのタランティーノ節全開ではないか。
 暴力、血。容赦ない描写が続き、何度のけぞったことか。
 ヒロイン(?)のとんでもなさが新鮮。


2016/03/27

 「スイートハートチョコレート」(シネ・リーブル池袋)


2016/03/29

 「リリーのすべて」(MOVIXさいたま)


●4月のシネマ観て歩き

2016/04/05

 「劇場版ウルトラマンX きたぞわれらのウルトラマン」(新宿ピカデリー)


2016/04/07

 「家族はつらいよ」(MOVIX川口)


2016/04/12

 「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」(MOVIX川口)


2016/04/16

 「ボーダーライン」(角川シネマ有楽町)


2016/04/21

 「スポットライト 世紀のスクープ」(MOVIXさいたま)

 アカデミー賞の作品賞を獲るほどの内容か?
 なんて思いながらエンディングを迎えるのだが、映画を締めくくる字幕に驚愕した。


2016/04/26

 「フェイス・ウェイブ」(丸の内ピカデリー)

 予告編のときから、それほど面白い映画ではないんだろうな、と思っていて、実際に観たらやっぱり面白くなかった。


2016/04/26

 「獣は月夜に夢を見る」(ヒューマントラストシネマ有楽町)




 昨日、2回めの「シン・ゴジラ」鑑賞。こんどはTOHOシネマズ日本橋のTCXにて。平日の午後なのに、けっこうお客さんで埋まっていた。
 もう1回は観たい。

          * * *

 もう忘れて続きはないものと諦めていたあなた、お待たせいたしました!
 このリサイタル後、まったくの偶然なのだが、古書店@ワンダーで「伊福部昭 音楽家の誕生」(木部与巴仁/新潮社)を見つけた。当然、即購入。

     ◇

 「東京人 特集 特撮と怪獣 1960年代」から続く

 「伊福部昭21世紀」は日曜日の午後に開催された。
 未来の伊福部昭を語るディスカッション・イベントとして、関係者が集ったのだ。
 金井芙三枝(舞踏家、「プロメテウスの火」芸術監督)、河内春香(ピアニスト、伊福部昭舞踏音楽研究)、小島英人(TBSヴィンテージクラシックス・プロデューサー)、小林淳(映画、映画音楽評論)、北條誠人(ユーロスペース支配人)、土橋庸人(ギター)、そして木部与巴仁。

 各人、一人ひとり持ち時間内に自身の研究内容を語り、最後ディスカッションというのが当日の進行だった
 このとき、木部さんは自分の持ち時間に伊福部昭のギター曲(ギター:土橋庸人)をバックに踊った。上半身裸、裸足になって、会場を暗くし、自身で用意した灯りをステージの所々に置いて。終了後、汗びっしょりになっている姿が印象的だった。汗の量が半端ではない。踊り=スポーツなんだと認識した次第。

 イベント終了後、出演者、スタッフによる打ち上げ時のときに、木部さんに「キベダンスの定義って何ですか?」と訊いて皆に笑われた。

 今回の公演「木部与巴仁×土橋庸人 伊福部昭 全ギター曲を踊る」は、あのときの再演を含んでいる。もちろん、あのとき伊福部昭のギター曲は1曲だけだった。もちろん、全曲といったって、3曲しかないのだけれど。

 前半は土橋さんのギターソロ。

  サラハンド(ヘンデル)
  アルハンブラの想い出(タルレガ)
  七夕(伊福部昭)
  マズルカ(タンスマン)
  ドビュッシー讃歌(ファリア)

 休憩後、メインイベントとなる。

  古代日本旋法に依る踏歌(1967)
  ギターのためのトッカータ(1970)
  箜篌歌(1969)

 同じ内容だからこそ、会場の違いを実感した。
 東京アートミュージアムはコンクリート打ち放し、ホールは天井まで何の遮りもなく空間が広がっている。
 この空間を効果的に取り入れている。
木部さんが階段から降りてくる足音、真っ暗なステージの壁に浮かび上がる影、壁に仕掛けられた灯り。
 残響が素晴らしく、声やギターの音がよく聴こえる。
 木部さん自身の朗読、土橋さんのギター、すべてが映えるのだ。

 とても充実した心持ちで、会場を後にした。
 



 先週28日(木)に編集担当からゲラが出来たとの連絡をもらい、翌29日(金)に自宅に送られてきた。29日、30日(土)、31日(日)と、夜中の2時を過ぎから朝までチェック作業を続けた。
 31日(月)の朝にゲラをB社に戻す。午後、B社から連絡があり、カバーの見本ができたとのこと。1日(火)に自宅に届いた。

 その間、2日(火)は「シン・ゴジラ」を観る会を実施。1日、お昼休みに有楽町まで出かけてディスカウントチケット屋で前売券を購入し、夜、TOHOシネマズ新宿でチケットに引き換えた。せっかく映画サービスデーにきたのだからと、「ターザン REBORN」のレイトショーを鑑賞。

 「シン・ゴジラ」については書きたいことがたくさんある。
 とりあえずひとつだけ。
 僕はこんな怪獣映画を待っていたんだ!

 そんなわけで、ブログまで手がまわらなかった。

 ちなみに、 「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978‐79」は10月中旬、僕の誕生日に発売される予定です。


bokuaka
帯のコピーは「1978年、あなたはどこで
何をしていましたか?」の回答になって
いる。





プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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