前項に簡単な感想を記した映画「淵に立つ」に少し関係する。一人娘の病気ということで。

     ◇

●略してワンダバ! そして…… 2006/10/30

 昨日は劇団スーパー・エキセントリック・シアターの第44回本公演「ナンバダ・ワールド・ダンシング」の千秋楽(マチネ)を鑑賞した。

 まぐま関係者によるSET本公演鑑賞。今年で何回目になるのだろうか? 冬が来る前の恒例行事となった感がある。
 ヒップホップのルーツを探るためニューヨークからジャマイカ、アフリカへ飛ぶダンサー4人のハチャメチャ物語。男3人、女1人のダンスユニット。ヤマト、ヤヨイ、ジョウモンという名前は大和時代、弥生時代、縄文時代なのか。とすると紅一点の名前は何だっけ?
 
 まさに歌あり、ダンス(ブレイク、タップダンス等々)ありの世界。SETが標榜しているミュージカル・アクション・コメディの、ミュージカル部分を大きくフィーチャーさせた内容で大満足だった(もちろん昨年までも満足していたが、どうしても笑いとアクションに重きがおかれていて、ミュージカル的には?があった)。その分、お楽しみの三宅&小倉のかけあい部分が縮小してしまった気がしないでもないが。まあ、それは「熱海五郎一座」で満喫しろということか。

 日本のタップダンサーのトップをいくHIDEBOHのタップで会話するコーナー、長いタップのわりに、通訳がたった一言ですませてしまうというギャグはその昔のクレージーキャッツの「おかゆ」ギャグの応用。
 ハナ肇が病気の父親に扮し、娘のピーナッツが面倒をみているシチュエーション。初めて見たのは元旦のTV中継だった。ヨボヨボのハナ肇が長い長い意味のわからない台詞をしゃべり、それをピーナッツの二人が通訳する。それを聞いて第三者(見舞客?)が「あんな長くてそれっぽっちか!」。大笑いしたなあ。そんなわけで、オチはわかっていたけれど、ギャグの再生がうれしかった。

 クライマックス、幕が一瞬のうちに落ちる様に感動してしまった。もちろん幕が落ちた後の迫力は圧巻だ。まさに視覚と聴覚に訴える作り。迫力がそのまま心に響く。これも一つのアクションだ!

 芝居の後、森本さんのお店で飲み、帰宅。かみサンが録画していた「Dr.コトー診療所2006」を観ていた。このドラマ、個人的にはまったく興味がない。部屋着に着替えながら、何気なくTVを見ると、コトー医師が少女を診察している。その診断結果「特発性血小板減少性紫斑病です」に反応した。
「嫌な展開……」
 かみサンもひとりごちる。

 特発性血小板減少性紫斑病。簡単にいうと、血を凝固させる血小板が極端に少なくなり、全身に青あざができる症状だ。特定疾患の一つ。
 現在高校3年生の娘が、小学2年生だったとき、突然この病気に襲われた。
 あるときから足や腕に青あざが目立つようになった娘。原因がわからない。顔には血管の青い筋も見えてきて、何かおかしい。病院に行って、即入院となった。普通15万なければならない血小板が5千以下になっていると聞いたときは目の前が暗くなった。もし何か要因で出血でもしていたら……


●乱太郎とポケモンの日々 2006/10/31

 娘が特発性血小板減少性紫斑病で入院する前日だったと思う。家族でディズニーランドへ行った。
 確か2回めか3回めのディズニーランド。ピューロランドは初めてにもかかわらず、途中でもういいとゴネだした娘だったが、ディズニーランドは大のお気に入りだ。娘の満足顔に親もついつい夢中になってしまう。病気のことなんてまったくわからなかった。これまで同様大騒ぎしながら好きなアトラクションを駆け巡った。
 夕方、ビッグサンダーマウンテンを娘と二人で楽しんで、外で待っているかみサンのもとに駆け寄った。後にかみサンはこう述懐した。
「二人が手をつないでこちらに駆けてくる姿を見ながら思ったの、幸せってこういうことをいうのねって」

 夫婦は病室で囁きあった。もしあのときアトラクションに乗っている最中に何かあって、怪我をしていたら、取り返しのつかない事態をむかえていたかもしれない、と。あの日のことを思うと冷たいものが背筋に走る。

 入院して直ちに血小板を輸血した。これでとりあえず5千という極端な数値からは開放された。続いて、血小板の減少を食い止める、1本ウン万円する高価な、ガンマ・グロブリンの投与。特定疾患だから実際にはそれほど懐には響かないけれど。数値はすぐに正常にもどる。ところが翌日にはまた減少。毎日血液検査があり、血小板の数値で一喜一憂していた。
 同室には喘息を患っている子どもが多かった。普段は「どうして入院しているの?」という感じがだが、発作が起きると見ていられない症状になる。

 結局血小板の減少は止まらない。副腎皮質ステロイド剤投与に切り替えることになった。
 かみサンが浮かない顔をする。理由を聞くと「ステロイドには副作用があるのよ」と言う。顔が異様にむくんでしまうのだ。そういえば、中学時代、ネフローゼで長期入院していた同級生が退院してきたらまるで別人のような容貌になっていて驚いたことを思い出した。あれもステロイドの副作用だった。女の子なので、この点非常に心配したのである。
 ところが不思議なことに、副作用はほとんど見られなかった。確かに当時の写真を見ると、少し太ったかなという印象はあるのだが、驚くほどのものではなかった。娘の体質がステロイドにうまく適合していたのかもしれない。

 当時、娘はアニメ「美少女戦士セーラームーン」を卒業して「忍たま乱太郎」に夢中になっていた(脚本が、かの浦沢義雄なので父親もかなり楽しんでいたりして……)。TVだけではあきたらず、原作の「落第忍者乱太郎」(尼子騒兵衛)のコミックスも集めていた。新刊が発売されると、病院へ行く前に買い求めたものである。ポケモンもちょうどブームになった頃で、新しいソフトがでると、日曜日に街のおもちゃ屋、ゲームソフト販売店を探し回った。

 娘はその後何度か入退院を繰り返し、完治したのは中学1年だった。親としては血小板の数値による一喜一憂がなくなったことに心底ホッとした。

 特発性血小板減少性紫斑病というと、そんなわけで、娘の入院で右往左往した日々が乱太郎とポケモンとともに思い出されるのだった。




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 あくまでもメモとして記す。

10月20(木)

 「淵に立つ」(角川シネマ新宿)

 予想に反した内容だった。
 頭をハンマーで殴られた衝撃。
 とにかくリアル。
 詳細については後で。

 ひとつだけ。
 映画の中で7年の月日が経過するのだが、この経過を主役のふたり(古舘寛治&筒井真理子)がうまく体現していた。日本映画では珍しい。特に筒井真理子。
 泣いた。
 映画を観てから、思い出すと涙が出てくる。
 新宿で映画を観ると、必ず寄るようになった居酒屋で、一人、映画を反芻しながら泣き続けた。


10月23日(日)

 「お元気ですか?」(ユーロスペース)

 〈ユナイテッド国際映画祭〉外国映画部門主演女優賞受賞。
 知り合いの森本浩さんが出演しているということで前売券を購入して観た。
 当初、タイトルが悪いと思った。先月のシネりんで少し紹介してもらった際、予告編が流れて、なかなか良いではないですか。
 実際に観ると展開と台詞がいいと思った。
 タイトルもラストで得心できる。
 ただ、後半はあまりに出来すぎ。ご都合主義すぎる。手垢のついた描写もあるし。あれは興ざめだった。
 あのヒロインと同じ心情になったことがある。相手は父親だけど


10月25日(火)

 「ジェイソン・ボーン」(新宿ピカデリー)

 007映画のアクションを変えてしまった人気シリーズが帰ってきた。
 日本のテレビ映画(特に刑事ドラマ、アクションもの)が得意としていた手持ちカメラの揺れと同じようなカメラワークで、斬新なドラマ、アクションを見せてくれるのだ。前3作はすべてDVDで鑑賞したのだが、劇場で見逃したことを後悔した。
 
 相変わらずの世界が展開する。

 今回、プロデューサーはフランク・マーシャルのみで、キャサリン・ケネディの名前がなかった。
 ルーカスフィルムの社長に就任して、「スター・ウォーズ」の新作に忙殺されていたのだろう。




 その3から続く

 「ゴジラ」のラストでこんなことを考えたのだ。
 芹沢博士(平田昭彦)が、もし、恵美子(河内桃子)とつきあっていたとしたら、恋仲であったとしたら、それでも自分を犠牲にしてオキシジェンデストロイヤ―を使用したのだろうか?
 恵美子は芹沢博士の許嫁だった。たぶん父親の山根博士(志村喬)が決めたことなのだろう。しかし、年頃になった恵美子の前に南海サルページの社員、海の男・尾形(宝田明)が現れた。恵美子は心変わりして尾形とつきあいだす。

 そんな状況下で謎の巨大生物騒動が起こるのだ。
 恵美子と尾形に対する芹沢博士の屈折した感情が描かれているシーンがある。
 映画の前半、大戸島の大災害の調査に赴く一団に恵美子と尾形がいて、芹沢博士が港にふたりを見送りにやってくるのである。
 芹沢博士が研究室を出て人前に現れることは珍しいと言う恵美子に対して、尾形は今生の別れになるからではないかと答える。
 大戸島近辺では船舶の謎の事故が続いている。調査隊の船も同じような事故に巻き込まれないとは限らない。
 このとき、芹沢博士はふたりの死を願っていたのではないか。恵美子が自分を捨て生涯の伴侶として尾形を選んだ罰として。

 思えば、芹沢博士は二度恵美子に裏切られるのだ。
 尾形とつきあいだした恵美子への想い。それが恵美子だけにオキシジェントロイヤーの存在を教えることにつながる。芹沢博士にしてみれば、オキシジェントロイヤーの存在を恵美子と自分の、ふたりだけの秘密にすることが尾形に対する優越感になったのではないか。
 しかしそれすらも叶わなかった。ゴジラの東京襲撃後、恵美子はその秘密を尾形にしゃべり、ゴジラ撃退のためにオキシジェントロイヤーを使用するよう説得しにくるのである。
 芹沢博士の心中を考えると胸が苦しくなる。
 
 映画のラストはゴジラの断末魔が描かれるわけだが、僕自身は芹沢博士に感情移入しておりその死にしみじみしてしまったのだった。
 ゴジラとともに命を絶ったのも、オキシジェントロイヤーが原水爆にかわる兵器になるから、その製造方法を唯一知る自分の存在をこの世から抹殺するというよりも、恋に破れた故の自殺だったのではないかと勘ぐってしまう。まったく個人的な思いだが。
 本多監督には武者小路実篤の「友情」を映画化してほしかったな。

 この項続く


 【参考】

 ミニチュアと着ぐるみによる特撮ではないと、ゴジラではないとの主張をときどき目に、耳にするが、うしおそうじが書いた「夢は大空を駆けめぐる ~恩師・円谷英二伝」を読めば、考えが変わると思う。

     ▽
2002/02/08

 「夢は大空を駆けめぐる ~恩師・円谷英二伝」(うしおそうじ/角川書店)  

 子どもの頃夢中で観ていたTVの特撮(ヒーローもの)番組には3つのブランドがあった。
 御大円谷英二が監修する「ウルトラ(マン)シリーズ」、「快獣ブースカ」の円谷プロダクション。「マグマ大使」のピープロダクション、「悪魔くん」「仮面の忍者赤影」「ジャイアントロボ」の東映。  
 3つのブランドの中でも東映は他のプロとちょっと違ったテイストだった。怪奇、恐怖ドラマに長けていたという印象が強い。「悪魔くん」の水妖怪のエピソードなんてコタツにもぐりこんでみていたんだもの。その系列で「河童の三平」があり「仮面ライダー」に続く。初期の「仮面ライダー」は怪奇色が濃く、そこに興味を抱いたにもかかわらず、主役のケガによる降板、交替によって路線変更し、明朗なアクションヒーローものとして大ブームを呼ぶのである。  

 特撮をメインにしたヒーローものといったらピープロが円谷プロの好敵手だった。1966年には「ウルトラマン」より一歩先んじて「マグマ大使」を放映、円谷プロとともに怪獣ブームを盛り上げた。
 ブームが下火になった71年には円谷プロの「帰ってきたウルトラマン」とともに「宇宙猿人ゴリ」(途中で「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」、「スペクトルマン」と改題)に着手して第二期特撮ブームの先陣を切っている。もちろん「帰ってきたウルトラマン」より先に放映は始まった。  
 ただし、ピープロの特撮技術は円谷プロに比べて稚拙だった。子どもの目にもはっきりその差が感じられた。  
 「マグマ大使」ではミサイルの発射とかマグマの飛行シーンにアニメーションを多用していてずるいと思った。ひどかったのは「宇宙猿人ゴリ」である。その特撮は見るからに貧弱だった。まるで自宅ガレージにセットを組んで撮影したようないかにもな家内制手工業的な作りで、これだったら自分でも作れると思ったものだ(で、6年の時実際に8mm映画で挑戦して……失敗した)。  

 円谷がメジャーレーベルだとしたら、ピープロはマイナーといった感じだろうか。こんなピープロが時々あっといわせる特撮を見せてくれる。「マグマ大使」のアニメーションの導入もある意味大胆といえることなのだが、「宇宙猿人ゴリ」ではストップモーションで撮影された怪獣のエピソードがある。また実物大の怪獣を作ってトレーラーに乗せ撮影のため全国縦断したりする。けっこう実験精神にあふれる会社なのである。  
 ピープロの代表が本書の著者うしおそうじ(鷺巣富雄)である。書店で見つけた時はサブタイトルにびっくりした。うしおそうじが円谷英二の弟子であったとは! 
 あわてて本をつかんでレジに並びそうになったものの考え直した。すでに円谷英二研究家・鈴木和幸による「特撮の神様と呼ばれた男」がでている。いくら弟子が書いたものでも二番煎じの感はぬぐえない。少し様子をみてからでもいいのではないか。  

 1月の忙殺から解放され、久しぶりに会社の帰り羽田図書館に寄ると、本書があった。  
 円谷英二の評伝執筆については遺族からの依頼だとあとがきにある。「特撮の神様と呼ばれた男」と内容が重複することを懸念した結果なのか、円谷英二の出生から映画界入り、カメラマンとしての活躍、「ハワイ・マレー沖海戦」の特殊技術を担当するまでを、映画の誕生、普及と併せて描いている。  
 著者が同じ職場(東宝)で働いていて円谷英二を真近に見ていたのがこの時期までだから、ということもあるのかもしれない。「ゴジラ」製作の前後、その後の東宝特撮黄金時代についてはあまたの書籍があふれていることも要因なのか。  
 その結果による本書の体裁は、円谷英二の評伝の形を借りた日本映画発達史といった趣きが強くなって、資料的にも大変貴重なものになった。 興味深い話が次から次へ出てくる。  

 たとえば「ミーハー」という言葉の語源。当時大人気の蜜豆と林長二郎(後の長谷川一夫)から言われるようになったのだとか。  
 真珠湾攻撃で敵に多大な戦果をあげたのは、極秘に著者も制作に携わった爆撃の教材映画のたまものだという。  
 その特撮の出来が賞賛された有名な「ハワイ・マレー沖海戦」。さぞ海軍の協力が得られたのだろうと思っていた。ところがこれがまったくの逆。突然ハワイ真珠湾攻撃の歴史的大事件を正確に再現したいと要請をしているにもかかわらず海軍省は資料の提供を拒否。「カツドウヤは信用できないから」がその理由。
「そんなに信用できないものになぜ製作を任せるんだ」と怒る山本嘉次郎監督の気持ちはよくわかる。  
 この「ハワイ・マレー沖海戦」製作に関する苦労話は本書の中でも特に読み応えがある。  

 円谷英二の仕事ぶりを見ていた著者だからこそ書ける次の文章に瞠目した。

 円谷英二くらい「特撮」「アニメーション」の融合に熱心で、しかもその仕事に挑戦した技術プロデューサーはいない。

 円谷英二が今も生きていたとしたらCGに対してどのような態度をとるか、これで明らかになった。  

 漫画家でもある著者の描く挿絵のタッチが暖かい。
 二番煎じではないか、なんて一瞬でも考えた自分を恥じている。
     △




 前項の参考として。

          * * *

2002/11/08

 「亡国のイージス」(福井晴敏/講談社)  

 数年前に話題になった海洋冒険小説を今読むのには理由がある。  
 東映系でロードショーされた軍事ポリティカルサスペンス映画「宣戦布告」が話題を呼んだ。北の某国の工作員と自衛隊の攻防を描くこの映画はインターネット上の批評によると賛否両論だった。この手の物語を映像化するスタッフの意気込みは大いに買う。しかし某代議士の鶴の一声で自衛隊の協力が得られなかったというから映像的にパワーダウンしたことは容易に想像できる。結局劇場まで足を運ばなかった。  
 代わりに原作でも読もうかと図書館で探したところ見当たらない。その時目についたのが「亡国のイージス」だった。内容的にリンクするものがあると思い手にとったのだ。  

 戦闘集団の〈組織〉の描写も気になるところだ。  
 少々話は飛ぶけれど、平成ウルトラマンシリーズで個人的に注目していたのが、怪獣と闘う〈防衛隊〉の活躍だった。特に「ウルトラマンガイア」では、それまでの〈防衛隊〉に比べ、よりプロフェッショナルなチームが描かれるとあって、大いに期待しものだ。敵と戦うにあたって、どのような指令が下って、どうやって最前線の隊員が遂行するのか。
 長年サラリーマンをやっているいい年齢の大人からすると、ウルトラマンと怪獣の戦いよりも、その前哨戦における〈組織〉の指示系統、伝達方法等の描写に興味がでてきた。  
 怪獣と戦う〈防衛隊〉といえば、日本映画の伝統として自衛隊がある。東宝映画ではこれまでさまざまなメカを装備した自衛隊が登場してきた。
 そんな自衛隊の描写を一歩も二歩も前進させたのが、金子修介監督の平成ガメラ3部作である。もし、この日本に怪獣が現れたら、自衛隊はどのように戦闘を挑むのか、政府との関係も含めかなりリアルに描きこまれていた。作戦本部に自衛隊幹部が陣取り、そこから様々な指示が出される。ヘッドセットのオペレーターから現地の隊員へそのまま繰り返され、攻撃が開始される。そんなシーンに痺れた。
 そんな個人的な興味も充たしてくれるかもしれない。  

 前説が長くなった。  
 実をいうと「亡国のイージス」のストーリーがどんなものかまったく把握していなかった。海上自衛隊、某艦隊の面々が敵(北朝鮮)と戦う物語くらいの認識しかなかった。  
 分厚い本。単行本二段組654ページの大作である。  
 当初の印象とはほど遠い内容だった。人気コミック「沈黙の艦隊」に映画「ダイハード」や「エグゼクティブ・デシジョン」「スピード2」の設定を取り入れ、敵味方が入り乱れるノンストップアクションノベル。1968年生まれの若い作者らしく、マンガ、アニメの影響とおぼしき美少女、美少年キャラクターも登場する。  

 沖縄・辺野古基地に隠匿されていた米軍保有の化学兵器。原爆に次ぐ殺生力がある兵器で、これを始末するには温度6千度の火力で焼失するしか方法がないというとんでもない代物だ。だから辺野古基地は跡形もなく破壊された。  
 北朝鮮のテロリスト、ホ・ヨンファの一派がこの兵器を少量盗みだしていた。海上自衛隊のミサイル護衛艦〈いそかぜ〉を乗っ取ったヨンファは、ミサイルにこの兵器を搭載し、東京湾から首都圏を射程に定める。東京都民を人質にとったヨンファは日本政府を脅迫する。それを発表すれば全世界を混乱に陥れる無理難題を要求した――  
 ヨンファの企みを阻止しようと孤独な戦いを挑むのが、艦内に立てこもった対照的な男二人だ。片や氷の心を持つダイス(防衛庁情報局)工作員、片や部下思いで人一倍人情味のある〈いそかぜ〉先任伍長。  
 化学兵器の前になすすべもない政府および自衛隊、ダイス当局。しかし、艦内の二人と特殊ルートで連絡をとりあったダイスの局内事本部長は、最後の賭けにでた。ヨンファの裏をかく秘密作戦を決行するのだが……    

 冒頭かなりのページを使って主要人物が紹介される。  
 〈いそかぜ〉艦長宮津弘隆。父親も海上自衛隊の幹部。部下に慕われる姿を誇りに思っていた。自分も当たり前のように海の男となって今や艦長の職にある。一人息子も防衛大に入学して自分の後を追っていた。幸せな人生だと思っていた矢先、息子が交通事故で死んだ。その死がある組織によって計画されたものだと知った時の怒り、悲しみ、絶望感。  
 〈いそかぜ〉の先任伍長仙石恒史。艦の誰よりも〈いそかぜ〉を愛している。出来のいい兄に反発すかのように子どもの頃からワルだった仙石は唯一絵を書く才能にだけは恵まれていた。今も甲板で絵筆を握ることがある。妻子がいるが、1年の半分以上家をあけ、帰っても先任伍長のままの仙石に妻が疲れてきっていたことに全然気づかなかった。突然三行半を突きつけられた。まるで自分の人生を否定されたようで元気がない。  
 一等海士如月行。〈いそかぜ〉にイージスが搭載されたことにより、そのオーソリティーとして赴任してきた。母一人子一人の貧しい環境で育った如月は、幼い頃母を亡くしている。自殺だった。その後父親に引き取られるが、劣悪な環境に変わりはなかった。祖父の庇護の元で生活する父は働かず、家に女を連れ込み、何かというと息子に暴力を振るった。次第に祖父と交流するようになった如月はやがて絵画に興味を抱き始めた。如月には父殺しという暗い過去がある。遺産を狙って病死にみせかけて祖父を殺した父が許せなかったのだ。仲間にまったく心を開かないため、さまざまな軋轢が艦に発生する。  

 3人のこれまでの足跡を丹念に追い、心情が明らかにされる。はるか昔にほんの一瞬互いの人生が触れ合っていたことが読者にはわかるようになっている。もちろん本人たちはまったく知らない。  
 こうしたプロローグともいうべき人物紹介の章は必要なことである。その後のうねるような物語展開の中で彼らが何を考え、誰のために、何のために闘うのか、その感情の襞を描く際のバックボーンになるのだから。  
 わかってはいるものの、退屈だった。これから先こんな調子で進むのかと思ったら、とたんに本を投げ出したくなった。  
 しかし、ホ・ヨンファ一派の雑居ビル立てこもり事件、海外への逃亡、民間機爆破等立て続けに事件が起こり始めて、〈いそかぜ〉占拠時最初のツイストが加えられるあたりから俄然面白くなった。後は怒涛の展開である。  

 登場人物の一覧表があるのは助かった。さらにもう一歩進めて〈いそかぜ〉の見取図があればと思った。
 自衛隊組織やメカニックの説明に専門用語が頻繁にでてくるのは仕方ない。わかったふりをするしかない。ただ物語の大半の舞台となる〈いそかぜ〉の全容がわからないとお話にならない。つまり、文章で描かれる場所が艦のどこなのか、敵味方の位置関係がはっきりしないと頭に映像が浮かばないのである。冒頭に見開きの見取図でもあればそれで確認しながら物語に熱中できる。  

 クールな如月もそうだが、ホ・ヨンファの妹、女工作員チェ・ジョンヒのキャラクターなんて、まるでアニメのようだ。一見虫も殺さないような少女のようで、いざ戦闘になるや俊敏な動きで冷酷無比に相手を惨殺する人間兵器。
 物語自体、荒唐無稽なしろものだろう。自衛隊関係者や軍事マニアが読むとおかしなこともあるかのかもしれない。ただしそういう知識がない僕などは、熱いストーリー展開に完全にはまってしまった。事件解決後の長いエピローグも悪くない。読後感はすこぶる爽快だ。  

 確認したいことが一つある。ダイスの存在だ。本当に自衛隊内部にはダイスと呼ばれる情報機関があるのだろうか。




 〈小説と映画のあいだに〉ラストです。

          * * *

 『ローレライ』『戦国自衛隊1549』に続く福井晴敏原作の映画化作品。巷では福井晴敏三部作のトリを飾る作品と呼ばれている。
 小説を読んでからというもの映画化を熱望していたはずなのに、いざ発表されるや先の2本に比べてそれほどの高揚感はなかった。
 単行本は二段組654ページ。その膨大な情報量を2時間強にまとめられるわけがない。ビジュアルも原作を忠実に再現するとなるといくらCG技術が発達したとはいえ、生半可な予算では出来は知れている。そのくらい小説「亡国のイージス」は衝撃的、破天荒で骨太なドラマが展開されのである。

 荒唐無稽な展開をいかにリアルに見せるか。
 たとえば、北朝鮮の女工作員チェ・ジョンヒは海外逃亡を企み旅客機をハイジャックする。機内で防衛庁情報局員に行く手を阻まれ絶体絶命になるや、飛行中の旅客機を爆破、自ら太平洋に落ちてミサイル護衛艦〈いそかぜ〉に救助されるなんていうくだりがある。〈いそかぜ〉内でも人間兵器ぶりを発揮して超人的なアクションを展開させるのだ。並みの映像(演技とカメラワーク)なら失笑されるに決まっている。

 予告編が上映されるにいたって、その思いはいっそう強くなった。原作のイメージとは隔たりはあるもののキャスティングはなかなかいい(ともに二世俳優の中井貴一と佐藤浩市が共演する映画・ドラマにハズレがないとは友人某の言葉)。
ところが、映像に迫力がない。海上自衛隊の全面協力がウリで、確かに本物の戦艦や戦闘機が映し出されてはいるが、単にフィルムに収めているだけのような印象。心を躍らせる何かが足りない。
 にもかかわらず、公開されてからの反応は3作の中で一番いい。『ローレライ』『戦国自衛隊1549』ともにドラマ的には期待はずれだったので(ヒットしたのはうれしいが)、やはりこれは『KT』の阪本順治監督の演出に見るべきものがあるのではないかと、一気に興味がわいてきた。

 有楽町の劇場は1回めの上映にもかかわらず、客席はかなり埋まっていた。それも年齢層が高い。なるほどヒットの報は嘘じゃなさそうだ。
 海上自衛隊が誇るイージス艦〈いそかぜ〉が北の某国工作員ヨンファ(中井貴一)一味に占拠された。副艦長の宮津(寺尾聡)の手引きで、東京湾沖で訓練航海中の出来事だった。宮津の薫陶を受けている部下たちも仲間である。
 宮津は敵対する乗員をすべて下船させ、艦の全ミサイルの標準を首都圏に合わせた。ヨンファはアメリカが秘匿していた特殊兵器を盗み出していた。この化学兵器は1リットルで東京を壊滅させることができる。ミサイルの弾頭にこの化学兵器が搭載されるのである。
 東京を救うにはある事実を世界に公表せよとの要求。しかしそれは絶対に受け入れられるものではなかった。
 そんな中、ヨンファたちにたった一人で立ち向かう青年、如月一等海士(勝地涼)がいた。如月の上司、誰よりも〈いそかぜ〉を愛し、その構造を知り尽くしている先任伍長・仙石(真田広之)も引き返してきた。
 テロリストに対する二人の徹底抗戦が始まるが、通信機器が破壊された〈いそかぜ〉から外部に連絡する手段はない。
 苦渋の決断の末、政府は特殊爆弾で〈いそかぜ〉を排除する方針を決定した。
 刻々とタイムリミットが迫る。
 果たして二人はミサイル攻撃を阻止することができるのか? 宮津の裏切りに隠された真相とは? 如月の本当の任務とは? 闇に消された〈亡国のイージス〉とは何か?

 あの膨大な原作をよくぞここまで刈り込んだものだ。それが率直な感想。
 だいたいベストセラー小説の映画化作品は、それが長編の場合、ストーリーの要約に汲々としてキャラクターの掘り下げまでに至らず、また原作を知らない者にとって意味がわからないエピソードも挿入されて、失敗するケースが見受けられる。
 そういう意味ではこの映画は小説の核の部分をしっかり把握し、うまく抽出していた。最後までダレルことなく観ていられるアクション映画に仕上がっている。

 ただし絶賛というわけにはいかない。日本映画にしては、福井三部作の中では、といった条件付きになってしまうのだ。
前半のカメラワークがなんともしょぼい。スマートさ、かっこよさに欠けるのだ。いい意味でのケレン味がない。
 原作の季節がいつだったかもう忘れてしまったが、〈いそかぜ〉乗員の制服が夏服というのも、絵的にどうにも軽すぎる。冬服の重厚さが必要だったのではないか。
 映画化にあたって北朝鮮の名称が使えないのはわからなくはないが(確か「宣戦布告」も別の国名に変更されていた)、劇中、朝鮮語が交わされないというのも不自然だ。『KT』の実績から、韓国人俳優、日本人俳優の共演を期待していたのだけれど。

 わからないエピソードといえば、女工作員の扱いはいったい何だったのだろうか。原作ではヨンファの片腕として前述のようにとんでもない活躍をする人物なのだが、映画では登場する意味がまったくない。「いったい何者なんだ、こいつ?」という感じ。敵対する如月と海中で戦っていて、なぜくちづけを交わすのか(原作にあったのだろうか?)。ヨンファの妹だということも明示されないのだから、スクリューに巻き込まれて死亡、その衣服の破きれを渡されたヨンファの悲しみ、絶望なんていうのは観客に伝わってこないだろう。

 ハリウッドが得意とするアクション映画に、時間に間に合うかどうかというサスペンスをクライマックスにもってくるものがある。不思議なことによく出来たこの手の映画は何度見ても同じシークエンスでハラハラしてしまうのだ。
 映画『亡国のイージス』はこの緊迫感が物足りなかった。〈いそかぜ〉が爆撃される前に化学兵器を奪取できるか否かのクライマックス。人物関係やストーリーが多少わかりづらくとも、その攻防戦に拳を握り締めたり、喉をゴクリと鳴らせたら、もうそれだけで十分なのに。
 自衛隊員のプロフェッショナルな行動を描く(たとえば情報局員如月の動きとか)という点もおざなりだった気がする。
 『交渉人 真下正義』のスタッフ(監督・本広克行)が撮れば、もっとサマになったのではないか。

 福井晴敏は週刊文春に新作「OP・ローズ」を連載していた。若い自衛隊情報局員と中年刑事のコンビが活躍する相変わらずの福井節なのだが、何とクライマックス前に突然連載が終了してしまった。後は単行本でとは読者をバカにするにもほどがある。まあそれはともかく、この小説の前半でお台場を舞台にアクションが炸裂する。当然フジテレビも登場するのだ。
 単行本がでたらたぶん映画化が発表されるだろう。
フジテレビが絡むことは十分予想できる。そうなったらぜひとも本広監督にメガホンをとってもらいたいなんて思っている。




 「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978‐79」出版記念iイベントを開催することが決定しました。

 題して
 「新井啓介〈昔撮ったキネマ〉蔵出し上映会Ⅱ」

 なぜⅡなのかというと、一度やっているからです。「まぐまPB 夕景工房 小説と映画のあいだに」出版記念として。
「マンネリだ」
「お前にはそれしかないのか!」 
 何と言われようとかまいません。
 実は次作執筆の序章という意味合いもあります。

 小学5年生の少年4人が8㎜映画グループを組織、アニメや怪獣映画を作ろうとして頓挫、6年の冬にNHK少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」に感激して、こんなSF学園ものを撮りたいと「時をかける少女」ならぬ「明日を知る少年」を3年間かけて完成させるまでの友情物語。
 タイトルは「明日を知らない少年たち 1970‐74」。
 当然、上映会のメインは「明日を知る少年」です。
 ちなみに「明日を知る少年」の明日は〈あす〉、「明日を知らない少年たち 1970‐74」は〈あした〉と読みます。

 詳細は追って記載しますが、とりあえず日時、場所&会費をお知らせします。

 日 時:12月9日(金) 19:00~22:00(予定)
 場 所:ブックカフェ二十世紀
 会 費:3,000円(書籍付き 予定)
     ※購入済みの方は2,300円(予定)


bokutachinoakaitor


 『模倣犯』 ~小説と映画のあいだに から続く

 映画レビューの参考のためにUPする。
 「小説と映画のあいだに」を「まぐま」に連載する際、ルールにしたのは、小説、映画化どちらも(自分にとって)面白かったものについて検証する、というものだった。
 これがなかなかやっかいだった。
 小説が面白くても、映画化作品はそれほどでもない、というのがほとんどなのだから。映画を先に観て、原作をあたる方がよい場合が多い。活字を先に読むと自分なりの世界、映像が構築されてしまうからだろう。

 ベストセラーの小説を、内容(映像に適しているとか)関係なく映画化するところに問題がある、と思っている。映像化不可能といわれる小説をついに映画化、などという惹句を目にするが、そんなことにどれだけの意味のあるのか。自慢でもなんでもない。
 本がどれだけ売れたか(映画化すればそれだけ原作ファンが劇場に来るという皮算用なのだろう)より映像化に適した小説をもっと発掘して面白い映画を作ること、映画に惹かれて劇場にお客さんが足を運ぶことが肝心なのだ。
 そういう作品はたくさんある。が、人気がない、売れていない、という理由で企画に乗せられないのだろう。それこそこそ出版社と協力しあって埋もれた小説を面白い映画作品に仕上げてヒットさせ、原作本にも脚光を浴びさせるようにしたらいいのに。

 映画「模倣犯」については褒めていない。連載のルールに反しているのでは? と思われる方もいるだろう。
 実は、連載を本にまとめるとき、HP[夕景工房]に掲載したレビューからこれはというものをいくつか転載しているのである。
 ということで、読了後にHPにUPしたレビューを掲載する。

     ▽
2001/12/26

 「模倣犯(上・下)」(宮部みゆき/集英社)

 図書館にリクエストしてから手にとるまでずいぶんと時間がかかってしまった。  
 最初かみサンがリクエストして数ヶ月。やっと順番がまわってきて、僕もいっしょに読んでしまおうとしたら、上巻読了にえらくかかる。結局かみサンだけが読んで期限切れ。しかたなく地元(川口)だけでなく会社(羽田)近くの図書館にもリクエストするが、これが全く音沙汰なし。また数ヶ月、こちらが忘れた頃になってやっと連絡がきた。それもほとんど同時に、だ。
 すごい人気である。  

 会社の昼休みに読んでいたら、書名を見た同僚の女の子が「それって(SMAPの)中居くんが犯人役で主演する映画の原作ですよね?」と訊いてきた。  
 映画化の話など全然知らなかった。後で森田芳光監督作ということがわかったのだが、しかし分厚い上下二冊2段組合計1400ページもあるこのストーリーをどう映画化するというのか。失敗するのが目に見えてしまうのだが……。  
 というわけで、映画化されることを念頭にページを繰った。  

 疑惑の銃弾、M事件、サリン事件、酒鬼薔薇事件等々、80年代、90年代の犯罪、犯人像のイメージが重なる。どこまでが作者の想像で、どこからが実際の事件を参考にしたのかは知らないけれど、10年前だったら架空のお話と安心して読めただろうに、21世紀最初の年だとけっして絵空事に思えないところが怖い。  

 とある公園のゴミ箱から女性の右腕が発見されるところから物語は始まる。この事件を番組で特集したTV局に犯人から電話があり、やがて複数の女性を狙った連続殺人事件へと発展していく。犯人は被害者の家族と接触をはかり愚弄し、マスコミを挑発する。はたして犯人の目的は、狙いは何なのか?  

 小説は3部構成になっている。  
 第一部は右腕を発見した青年・塚田真一、被害者家族(有馬義男、古川真智子)、犯人を追う墨東警察署の刑事たち(武上、篠田)、事件のルポを書くことになる女性ライター(前畑滋子)を巻き込み、連続女性殺人事件の全貌および事件に翻弄される人たちを描く。
 物語は拡散し、登場人物のキャラクター、それぞれのドラマが詳細に描き込まれる。(かみサン曰く「何でもかんでも描いちゃうから行間から想像することができない」)

 第ニ部は冒頭崖から転落した乗用車のトランクから男の遺体が発見され、運転手と助手席の男二人が連続女性殺人事件の犯人だろうと断定、そこで時勢が遡り、事件を今度は犯人側から描く。
 幼なじみの高井和明と栗橋浩美。同じ商店街の蕎麦屋と薬屋の息子の過去と現在、その関係。
 小学生時代優等生だった栗橋、愚鈍だった高井。二人は仲がよかった。ところがピースとあだ名される栗橋以上に出来のいい少年が転向してきたことにより、関係が悪化する。栗橋とピースにいいように扱われいじめられる高井。
 社会人になっても高井は栗橋との関係を断てなかった。それは何故か?
 女性殺しの犯人は栗橋とピースだ。それも主導権はピースが握っている。ピースは犯人を高井に仕立て上げようと罠を仕掛ける。
 その前から栗橋が連続女性殺人事件の犯人ではないかと疑っている高井は栗橋を自首させようと罠を承知で二人に接近し、事故に巻き込まれてしまうのだった。  
 栗橋の生い立ち、母親から受けた仕打ち、そのトラウマから抜け出せず苦しみもがき女性殺しに至るまでを余すこなく描き、そんな栗橋を救えるのはかつて悩みを打ち明けてくれた自分だけだと考える高井の優しさがにじみでる感動編である。  
 二人が崖下に落ちていくくだりは涙があふれでて仕方なかった。  

 第三部は高井和明の妹・由美子の、兄の無実を証明しようと悪戦苦闘する姿が描かれる。高井と栗橋の犯人像に迫るルポルタージュを雑誌に連載し評判を呼んでいるライター前畑滋子に連絡をとり、被害者たちの会合に出没したりする。しかし共鳴する人はいない。
 いや一人だけ由美子を助ける男が現れる。それがピースなのだ! ピースは高井が犯人でないことをアピールする本を出し、たちまちマスコミの寵児となる。
 拡散していた物語が一気に収束していく手腕は鮮やか。特に塚田真一の両親と妹殺しの主犯でつかまった父の安否を気遣い、父の話を聞くよう、会ってほしいとストーカーのごとく真一につきまとう娘・めぐみと兄の無実で錯綜する由美子の姿が重なりあうところは後ろから重石をたたきつけられたような衝撃だった。

 栗橋浩美については具体的、詳細に描いて読者に感情移入させても、ピースの生い立ちの描写は必要最小限に押さえたところも巧い。ピースはあくまでも絶対的な悪であり、憎むべき敵なのである。こんな奴に感情移入してしまったら元もこもない。
 読みながらずっとくすぶり続けていた〈どこがタイトルの模倣犯に関係するのか〉という疑問もラストの前畑滋子とピースのTV番組における対談(対決)で氷解する。
 犯人は逮捕され、主役である真一や義男、滋子たちにとっては胸のつかえがとれ、ある意味大団円といえるかもしれない。
 しかし僕はどうにも腑に落ちない。何の罪もなく命を落とした高井和明、ピースに利用され自ら命を絶つ由美子。愛しい息子(それもしばらくの間息子は殺人犯の汚名を着せられていた)と娘を続けざまに失った両親の気持ちはいかなるものか。僕はそれを知りたかった。ところが二部以降主役として登場してきたこの兄妹の両親のその後はまったく触れられない。しょせん物語を語るコマでしかなかったのか。それがたまらなく残念で、不満に思えてならない。

 さて、映画化についてである。
 仲居くんが犯人役というとピースに扮するのだろうか。全然イメージが違う。キムタクの方がピースっぽい。仲居くんは栗橋がお似合いだろう。
 映画は原作と別物との考えるなら一部、二部だけで完結させる手もある。高井の容疑が後に晴れることを前提としてだけれど。この小説で一番感情移入できるのが高井であり、読みながらなぜか花田勝(元若乃花)のニコニコ顔とダブってしかたなかった
 あるいは3部だけを独立させた映画化も考えられる。前畑滋子とピースの対決を主軸にするのだ。
 はたしてどんな映画になるのか。あまり期待しないで待つことにしよう。
     △




 書き忘れている映画鑑賞メモ

 10/2(日)   「赤々煉恋」(阿佐ヶ谷ユジク)
 10/5(水)  「赤々煉恋」(阿佐ヶ谷ユジク)
 10/6(木)   「イエスタディ」(シネマカリテ)
 10/10(月)  「ハドソン川の奇跡」(丸の内ピカデリー)
 10/18(火)  「おはん」(神保町シアター)

          * * *

 十年ほど前に京極夏彦のミステリが大ブームになった。
 もともと高校時代に松本清張にはまってからというもの、ミステリは広く浅く読んでいたのだが、会社の同僚に超がつくほどのミステリ好きがいて薦められるままに本格ミステリを読むようになっていた頃だ。
 島田荘司の代表作を何冊か借りて読んだところ、面白いことは面白いがどうもしっくりこない。トリックのためだけにストーリーが構築されていて、謎解きはスリリングなのに登場人物の行動がリアリティに欠ける。嘘っぽさが鼻につくというか。たとえば挿入される日記。これが他人に読ませるためのものであるのが歴然、普通こんな文章書かないだろうなんて突っ込んでしまう。そんなことがよくあってイマイチ夢中になれない。
 そんな不満を、もう一人の、やはりミステリに造詣の深い同僚に述べると京極夏彦の一連のミステリを薦められた。「ああ、あの新人作家ね」。書店の新書コーナーに分厚い(通常の新書の2倍、3倍の厚さ)本が並んでいて気にはなっていた。図書館で借りようとしていたところ、以前出向していた会社にたまたま用事があって顔を出すと、後任の女性が「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「狂骨の夢」の3冊を持っていて貸してくれるという。あわてて読み出して夢中になった。

 妖怪、憑依、呪詛といった怪奇趣味に昭和20年代の舞台設定が合致し、全編に散りばめられた精神医学や心理学その他もろもろの薀蓄話も気に入った。
 この小説を本格ミステリといえるのかどうか、僕には判断できないが、とにかく現代でないという時代設定でリアリティの問題が解消されていた。
 3冊のうち特に怒涛の勢いでページを繰ったのが「魍魎の匣」「狂骨の夢」の2作だった。
 終戦直後の舞台設定というところから、今、映画化したら平成の〈金田一シリーズ〉の趣きがでるのではないかと思った。「魍魎の匣」に、列車の向かい合わせになった男がスーツケースを開くと切断された少女が入っていたというくだり(詳細は忘却の彼方)があって、映画化するのなら実相寺昭雄監督が適任なのではと、実相寺風映像を思い描き一人悦に入っていた。
 まさか本当に実相時監督の手で映画化されるなんて!

 このシリーズはレギュラー陣のキャラクターのユニークさも人気の一因である。いやそれが一番かもしれない。
 事件に遭遇し、あるいは巻き込まれ、語り部的役割を果たす作家の関口、薔薇十字探偵社の探偵で透視能力を持ち、独断専行の榎木津、刑事の木場修太郎こと木場修、彼らがそれぞれの立場から事件を追い、推理して、にっちもさっちもいかなくなって最終的に古本屋の主にして陰陽師、名探偵の京極堂の助けを得て見事解決というのがシリーズの大きな流れ。
 心配していたキャスティングも京極堂に堤真一、榎木津に阿部寛、個人的には見事ストライクゾーンだ。関口の永瀬正敏、木場修の宮迫博之も悪くない。木場修、もう少し強面を強調させるなら遠藤憲一でもよかったかもしれない。
 というわけでこの夏邦画の一番の期待作になった。

 てなことをしたり顔で解説しながら、どんな内容だったか、ほとんど覚えていないのが恥ずかしい。逆にいうと原作に引きずられることなく映画を映画として楽しめるということだ。

 昭和20年代の東京。関口は世間に流布している奇怪な噂の解明を求めて友人である京極堂の古本屋を訪れていた。雑司が谷にある久遠寺医院の娘(原田知世)が妊娠20ヶ月になるというのに、出産の気配がなく、おまけに夫が失踪、何と密室から忽然と姿を消したという。最初は相手にしなかった京極堂だが、夫が学生時代の先輩だと知るとにわかに顔色を変えた。
 京極堂の勧めで共通の友人、榎木津の探偵事務所に足を運んだ関口はそこで久遠寺医院のもう一人の娘(原田知世 二役)に出会う。身重の梗子の姉にあたる涼子が義弟の探索を依頼に来ていたのだった。
 こうして奇妙な噂に端を発した調査は、木場修が捜査している久遠寺医院の元看護婦の謎の急死事件、新生児連続行方不明事件に絡み合い錯綜して迷宮の世界へ突入していく。涼子にある感情を抱いている関口は何とか彼女を救いたいがため京極堂の救援を求めた……
「この世に不思議なことなど何もないのだよ、関口くん」

 実のところ、この映画に原作同様のミステリの面白さ、謎解きなんて期待していなかった。実相寺監督のことだから当時の風俗、風習の再現、凝りに凝ったスタイリッシュな映像に重きをおき、原作を読んでいないと内容的に意味不明な展開になるのではと勝手に予想していた。膨大な原作の単なるダイジェストになるくらいなら、それでもいいと。
 昨年放送された「ウルトラQ darkfantasy」のラス前を飾った「ヒトガタ」「闇」で実相寺イズムが存分に発揮されていたので、期待はその映像美、センスにこそにあったといっていい。

 当時の東京の街並みを切り取ったスチールで構成されたタイトルバックに痺れた。実相寺監督がよく寄稿する「東京人」に繋がる世界。明朝体のクレジット、そのデザインにやはり市川崑監督の金田一シリーズを意識しているような。劇中にたびたび挿入される月に関する報告カットに使用されている文字は「怪奇大作戦」に対するセルフオマージュだろうか。
 ストーリー的には原作を要領よくまとめたと思う。懸念していたミステリとしての体裁もちゃんと保たれていた。榎木津が登場する意味があったのかという意見もある。確かに映画だけを考えたら「?」なのだが、それはまあファンサービスということで。謎解きのクライマックスでは前半にはられた伏線に気づいて2度ばかし膝をたたいたものである。

 セットや美術に、かつて金田一シリーズがそうであったような(セミ時代劇)の雰囲気が満載。それも何気ないショットに写りこむ桐箪笥だとか廊下だとかにしみじみしてしまう。
 しかし、しかし。肝心の映像、演出はというと、これがちっとも〈らしく〉ないのである。全体的にシャープな感覚が欠如していた。
 何度も繰り返し挿入される姑獲鳥のイメージショット。いかにも女性が作り物の羽根をまとったという感じでチープというかダサいというか。「ウルトラQ darkfantasy/闇」で廃墟写真を絶妙なタイミングで挿入したカッティングのキレにほど遠いものだった。
 久遠院病院の暴動シーン。迫力も緊迫感もない。拍子抜けした。
 クライマックスの炎上シーン。いかにもミニチュア然としていてがっかり。その昔、「怪奇大作戦/呪いの壺」で本当にお寺を燃やしているとTVの前で小学生をあわてさせた大胆な合成、構図の勢いなんて少しも感じられない。
 ほかにもやけにカメラ目線の演技が多くて、エンディングロール後にスポットライトの京極堂が登場して名台詞を言うに至っては本当にこれが実相寺監督作品なのかわが目を疑ってしまった。声だけの処理の方がよっぽど洒落ているのに。
 京極シリーズの(かつての)ファンとしては及第点、実相寺ファンとしては不満タラタラ。そんな映画だった。




 一昨日10月15日(土)は57回めの誕生日。また、「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978‐79」(文芸社)の発売日。単なる偶然だが。

 57歳。
 50代の大台になってからあっという間だった。56歳までの3年間を無為に過ごしてしまったので、還暦を迎えるまでの3年間は納得のいくものにしたい。

 そんな記念すべき日、仕事を19時に終えてから下北沢へ。
 偶数月恒例の立川談四楼独演会。第208回。北澤八幡神社の参集殿に到着するとゲストのグレート義太夫さんのステージ(?)が始まっていた。最初から見たかったなぁ。
 師匠の2席めは「松勘づつみ」。井上新五郎正隆さんという落語作家が書いた新作落語で今日がネタおろし。これを観たいがために足を運んだのだ。今の時代にぴったりの新古典落語になっている。

 終演後、懇親会でいつもの仲間と大騒ぎしていると、携帯が鳴った。きくち英一さんだった。
「今、下北沢駅につきました。これから行っても間に合わないので」
 5日(水)、一緒に(特撮仲間のSさん含む)小中和哉監督の「赤々煉恋」を鑑賞、N氏のスナックで呑んだ。そのとき、15日の独演会に行きますと伝えていたので、もしかしたら会場にいらっしゃるかもしれないと客席を探したのだ。
「わかりました、懇親会も終わりますので、どこかで合流しましょう」
「じゃあ、あの店で」

 というわけで、前回に引き続ききくちさん行けつけの店で二人で呑む。
 話題はN氏のスナックで差し上げた「僕たちの赤い鳥ものがたり」。
「ね、きくちさん、言ったでしょう、私の第一志望が日大・芸術学部だって。もし入っていたら、きくちさんの後輩になっていたんですよ」
「この本の中に『ピンクレディーの活動大写真』の話がでてくるでしょう、あの映画に私、出ているんですよ」
「本当ですか?!」
「『野生の証明』にも出ているんだよ」
「!!」

 以前にも書いたことだが、小学6年のときに「帰ってきたウルトラマン」が放送された。生まれて初めてファンレターをだしたのが帰ってきたウルトラマンのスーツアクター、きくち(当時は菊池英一)さんだった。
 そのころ、きくちさんは経堂に住んでいて、〈世田谷区ウルトラマン様〉の宛名でファンレターが届いたそうだ。
 几帳面で真面目なきくちさんはファンレターの差出人と住所を一つひとつノートに記入していた。
 BC二十世紀できくちさんゲストの特撮イベントを開催し、その宣伝を兼ねた写真展をおこなった。そのセッティングできくちさんが来店されたとき、記入されているノートをみせてもらった。
 新井啓介、群馬県太田市熊野町32-3
 感激したのは言うまでもない。

 ファンレターの返信は、出してからすいぶん経ってからきた。返事なんてくることを予想していなかったら驚いた。
 ウルトラマンの飛び人形を抱えたきくちさん、ムルチと格闘するウルトラマン、それぞれの写真にサインがあって、便せんに直筆で僕の質問に対する回答が書かれていた。
 これも書いたことだが、なぜファンレターを出したかというと、3クールめあたりからウルトラマンの造形がおかしくなっていたからだった。チャック隠しのヒレが極端に大きくなって首のあたりでヨレている。これが嫌でイヤで。みっともないから何とかしてくださいとお願いしたのだ。まあ、演じる方に言っても仕方ないののだけれど。
 それから、当時8㎜映画で怪獣映画を撮ろうとして怪獣の着ぐるみ(当時はぬいぐるみと言った)作りに失敗したこともあって、「怪獣の作り方」を教えてくださいとも書いた。
 写真は郷里の家にアルバムに貼って保存しているが、手紙の方はどこかにいってしまった。

「『怪獣使いと少年』って差別をテーマにした異色作ということでしか語られていませんが、特撮もかなり凝っているんですよね」
「ムルチとウルトラマンの闘いを1シーン1カットで撮ったのは、私のアイディアなんだよね」「だからレールをスタジオいっぱいに敷いて、それでも足らなかったんだけど、ガスタンクを丈夫に作ってもらって」
「普通だったら、あのタンク、ウルトラマンが乗ったときに爆発炎上して壊れますもんね」
「リハーサルを入念におこなって、さあというときになったら、雨を降らすということになって」
「えっ! あの雨は予定になかったんですか?」
「そうだよ」
 雨の中のバトルも、1シーン1カット撮影も当時の特撮番組では斬新な試みだったといえよう。
 1カットで撮影したから撮影が短時間で終了して、スタッフに喜ばれた、とは「特撮夜話」で披露してお客さんの笑いを誘っていたっけ。
 そういう意味合いからも「怪獣使いと少年」が語られてほしいと切に願う。

 今日が本の発売日で、誕生日だと言うと、きくちさんが「そうなの」と驚き、それからマスターに「あれを」と注文した。出てきたのは「キムチ納豆腐」。きくちさん考案のメニューだそうだ。この店にはきくちさん考案のメニューがいくつかあるとのこと。
 「キムチ納豆腐」は玉子焼きに納得が入っているというシンプルなもの。きくちさんはでてきた「キムチ納豆腐」に、ケチャップで♡マークを書き込む。
「はい、誕生日のプレゼント」
 きゃぁ! う、うれしい。


161015_2240~01
ありがとうございます
忘れられない日になりました




 先週、BC二十世紀で「黒澤明研究会」なる団体の例会が開催された。一人の監督の研究会があるということがすごい。例会は3時間ほど。その後懇親会(呑み会)に。話題は「シン・ゴジラ」だぁ! 恐るべし「シン・ゴジラ」。

 11日(火)、「シン・ゴジラ」&「SCOOP!」を鑑賞。「シン・ゴジラ」は6回めだ。3回め以降は「宇宙大戦争」の伊福部マーチに乗って新幹線大爆破を起こすシーンを楽しみにしている。これ以降、展開はマンガになるのだが。
 「SCOOP!」は思っていた以上の出来。まさか泣かされるとは思っていなかった。

          * * *

 ●黒澤組 ある思い出 2008/05/12

 黒澤組のスタッフと一度仕事をしたことがある。
 照明の佐野武治氏だ。

 就職浪人しているとき、友人(高校の同級生)の紹介でスライド制作会社のアルバイトを始めた。当時オートスライドといって、スライドを連続上映しながらナレーターが入る、もう一つのPVとでもいうジャンルがあった。その後たぶんビデオオンリーになったのだろうが。その会社で、アシスタントプロデューサーというか、プロダクションマネージャー、いわゆる制作進行を担当した。半年後、お役目御免というときに運よくCM制作会社に就職。友人は正社員となってディレクターになった。

 しばらくご無沙汰していたのだが、結婚して無職だったときに、今度は1本いくらという契約で何本か担当した。
 郵便局のPVを制作することになった。これはスライドではなくビデオ。しかもドラマ仕立て。演出は会社の若手社員だった。制作のチーフはやはり契約で出入りしていた女性、僕はその助手だ。
 山中の郵便局。局長が郵便の妖精と出会い、今度導入される新システムについていろいろと講習を受けるという内容。
 そのロケが山梨だか、長野の山奥であった。一泊二日のロケだ。
 早朝、新宿スバルビル前にロケバスを手配して、スタッフキャストが集合した。このとき照明で参加したのが、佐野さん。一人か二人助手を連れてきたと思う。皆、「乱」のロゴの入ったジャンパーを着ていて、実にかっこよかった。
 局長、妖精、それから、局長の息子で郵便局で働く青年。3人の役者が揃うはずだったが、息子役が時間になっても来ない。連絡すると寝坊したらしい。後から追いかけるからと先に出発した。
 二台の車のうち、一台は僕の運転だ。
 その車中でとんでもないことを監督から言われた。
 時間に遅れるような俳優の卵なんて使えない。悪いけどお前やってくれないか。
「え~!」
 単なるエキストラではない。局長役の役者は、TVドラマで何度か拝見している中堅どころ。本職は舞台だったかもしれない。そんな人を相手に芝居をする、けっこう重要な役柄なのだ。台詞だってある。
 そんなわけで、その後の車中は芝居のリハーサルになった。助手席で制作チーフが台本片手に台詞の口立て。それを僕が芝居つけながら言う。運転しながら。
 おいおい、だ、まったく。

 僕の出演は思っていたより楽だった。ファーストシーン、お客さんを迎えて第一声。局内で局長とのやりとり。局長を残し、帰宅。出番を終えると、佐野さんに誉められた。
「新井ちゃん、いいよ、よかったよ!」
 その後の撮影が困難を極め、終了は夜中の4時になってしまったのだが。
 翌日は屋外の撮影。その最中、佐野さんが僕を見るたびに言うのだ。「新井ちゃん、よかったよ、うん、いいよ」
 天下の黒澤組にそうなんども言われると、ほかのスタッフも同調せざるを得ない。
 制作チーフなんて「わたし、マネージャーやるから、俳優やってみない?」 と言うのだ。
 ご冗談でしょ。
 とはいえ、悪い気はしない。
 完成したビデオを見ると、なるほど自然だ。まるで演技を感じない。
 ところが、スポンサー試写でNGがでた。局長と青年の関係がまずいのだそうだ。父親と息子ではなく、赤の他人にしてほしいと。台詞が書き換えられ、後日、アフレコとなった。
 これがいけなかった。スタジオに入って、モニター見ながら声をあわせることができない。自主映画でアフレコは経験済みなのに、プロの現場だと緊張しっぱなし。なんどもNGとなった。どうにかこうにかOKになったが、その出来は悲惨をきわめた。
 役者として二度とお呼びはかからなかった……。




 ずっと定期掲載シリーズの更新をしていない。忘れているわけではないのだが、手がまわらないのだ。
 というわけで、久しぶりに。
 
     ◇

 この映画化に関しては原作を読んだ時点でまったく期待していなかった。
 理由の第一は膨大な情報量を詰め込んだ原作を2時間にまとめあげるのが至難の技であること。
 第二に監督の森田芳光には『39刑法三十九条』というミステリの佳作があるが、続く『黒い家』では原作ファンを納得させるだけの映画にすることができなかったこと。
 第三に〈ピース〉に中居正広を配役したこと。別に俳優として中居正広を否定しているわけではない。彼のキャラクターを生かすなら、物語の重要な人物、共犯者の栗橋浩美の方が似つかわしい。原作どおりのキャラクターならば、とてもやりがいのある役だと思う。
 ところが、いざ公開が近づいてきたら、こちらの思い込みを打ち砕く、斬新なサイコミステリに仕上がっていることを願う自分がいた。
 連続女性殺人事件の被害者の祖父・有馬義男に山崎努、浩美の幼なじみでやはり物語の要となる人物・高井和明におよそイメージとかけ離れた藤井隆をキャスティングしたところに森田監督の余裕を感じたのだ。

 若い女性たちを誘拐しては監禁、いたぶり殺す連続女性殺人事件がメディアを騒がしている。犯人は最新のデジタル技術を駆使して、インターネットや携帯電話で情報を撹乱させ楽しむのだ。
 行方不明となって十ヶ月の孫娘の安否を心配する有馬義男は犯人から直接電話を受け、何かと翻弄させられるが、TV局に2度にわたってかけられた電話の話しぶりから単独犯ではなく、二人による犯行だろうと推理する。
 ルポライターの前畑滋子はかつて取材をした〈教師一家殺人事件〉唯一の生存者の青年が、連続殺人事件の犠牲者(腕と遺品)の第一発見者であったことから、この劇場型犯罪についてのルポを担当することになる。

 事件の犯人はあっけなく判明する。
 犯人が予告した携帯電話による殺人の実況中継がまさに始まろうとする、ちょうどその時、山中の道路から一台の乗用車が事故で崖下の湖に転落。引き上げられた乗用車のトランクには明らかに殺されたと思われる男性の遺体が発見される。滋子の夫だった。いくつかの遺留品から警察は運転手および助手席の二人の男(栗橋浩美・高井和明)を連続女性殺人事件の犯人と断定。事件は解決したかに見えた。
 ところが、高井和明は犯人ではないと主張する男がメディアに登場する。浩美と和明の中学時代の同級生、そして事件のシナリオを考え、浩美を使って実行していた網川浩一である。沈着冷静、頭脳明晰、不敵な微笑。浩美が事件に関係していることを察知した和明を、浩美とともに葬ってしまった後の大胆な行動。この〈ピース〉と呼ばれる男の狙いは何か。
 一方夫を殺された滋子は悲しみのどん底に陥る。また取材する側から取材される側にまわり、苦悩の日々を過ごす。
 果たしてピースの犯罪が白日のもとにさらされる時がくるのか?

 映画は原作どおり事件を最初被害者側、続いて加害者側から描く。原作の詳細な人間関係、その機微まで焦点をあてられないから、多少わかりづらいところはある。が、劇場型犯罪の報道に巻き込まれるメディアや一般視聴者の混乱ぶり、インターネットによる盛り上がり方が、森田監督得意の映像テクニックによりそれなりに面白く観られる。
 一番評価できるのは、やはり物語の要となる、連続殺人事件のルポルタージュで人気を呼ぶ前畑滋子(木村佳乃)の夫を殺人事件の犠牲者の一人にしたことだ。これで悲しみ苦しみ傷ついた彼女が事件の真犯人を追求する姿に感情移入できるし、だからこそ天才犯罪者ピースとのクライマックスにおける対決が引き立つというものだ。

 インテリ妻と職人夫の学歴の差、仕事によるすれ違い等の葛藤は、原作では夫の親を巻き込んで、よりリアルに描かれるが、映画は畑違いの仕事に邁進する妻を暖かく見守る夫というように理想的な夫婦として見せる。それはそれでいい。しかし、原作では町工場を経営する夫の設定を畳職人にしたのは何故なのか。扮する寺脇康文はまるでそれっぽく見えなかったのが痛い。普通のサラリーマンでもよかったのではないか。

 いやあれは畳の見積もりを犯人から依頼され、事件に巻き込まれるきっかけになるために必要だった、なんて理由にならない。殺されるきっかけなんてどういう風にでも作れるはずだ。
 浩美(津田寛治)も原作にある過去のトラウマに苦しむ姿なんてまったくないから、ただの精神のいかれた野郎にしかみえないし、なぜ和明が自分を利用するだけの幼なじみに肩入れするのかも映像上の説明ではあまりに希薄だ(友人曰く「浩美と和明ってホモ関係なの?」)。ピースを主役にするなら、二人はもっとオリジナルな人物造詣にしてもよかった。

 まあ原作を読んでいる者としていろいろ不満はあるが、それなりに二つのドラマの交錯は見られるものだった(友人も納得していた)。中居正広もかなり健闘していたと思う。
 だが、クライマックス以降で一気に脱力した。「太陽にほえろ!」の松田優作じゃないが、「なんだ、コリャー?!」だ、まったく。

 原作では、ピースの存在に胡散臭さを感じはじめた滋子が、彼が真犯人である決定的な証拠をつかむため、大きな賭けにでるところが山場となる。ミステリの原書を蒐集している知り合いに「何でもいいから1冊貸してほしい」と依頼した滋子はそれを持って、TVのワイドショーでピースと討論にのぞむ。
 番組の中で、滋子は「今回の連続女性殺人事件は日本で出版されていない海外ミステリで描かれた事件をただ単になぞっているだけにすぎない」と自説を言い放つ。するとそれまで沈着冷静だったピースは模倣犯と言われたことに対して、自分の犯罪の完璧性、オリジナリティを否定されたことで、一瞬かっとなって、思わず「模倣ではない、すべて自分が考えたことだ」と口をすべらせてしまうのだ。

 映画も討論中に滋子が模倣云々を口にするところは同じだが、ピースはあくまでも冷静だ。滋子の嘘を簡単に見破り、それを見越した上で自らの犯罪を告白。そしてその場で自爆してしまうのである。
 自爆のショットはCG処理で、分断された首が空中に舞い上がるとニヤリと笑って二度めの爆破。原作と違った展開が悪いわけではない。しかしこの自爆シーンに必然性がない。だいたいCGが稚拙で、映像的にまったくリアリティがない。それになぜピースが爆弾を持っているのかという設定自体もおかしなものになってしまう。事前に爆弾に精通しているところを挿入するなりして、ちゃんと伏線をはらなければストーリーが破綻したものになってしまう。自決するならするで、もっと別の方法があるだろう。これじゃまるでコメディだよ。

 映画は原作にはない謎を冒頭で提示する。有馬の孫娘が帰宅しようとするところで、携帯電話で呼び出した相手は誰なのか。「私は殺されてもいい。でもこれだけはおじいちゃんに言わないで」と孫娘がピースに懇願したこととは何なのか。
 ピースが自爆した後、まだ映画は続くのだから観客は誰だってその謎の答えを期待しているというものだ。

 ピースの死後、彼から送られた手紙に書かれている指示によって有馬は公園に隠しているある物を探し出す。それがピースの赤ちゃんだというのだから唖然、呆然。
「自分の血が流れている子を育ててほしい。人は血ではなく環境によって良くも悪くも育つことを証明してほしい」とピースは有馬に子どもの未来を託すのだ。
 黒澤明の『羅生門』でですら、とってつけたようなヒューマニズムだと批判されたラストと同じものを突然もってきたのはいったいどういう理由からなのか。
 赤ん坊を抱いて、空を仰ぎ見る山崎努の顔が「なぜオレはこんな映画に出演したのだろうか」と自問しているように思えてならなかった。

 孫娘が行方不明になって〈十ヵ月後〉に一連の事件が起きる。ということは、赤ん坊は孫娘とピースの間にできた子どもだというのか? あるいは誘拐された時孫娘が妊娠していたとか。そんなこと共犯者の浩美は知っていたのか? これまた何の脈略もない唐突なエピソード。これが冒頭の謎の答えだとするとあまりに情けない。
 百歩ゆずって自爆も赤ん坊もいいとしよう。なぜそれに繋がる物語を前半に用意しないのか。それがミステリのイロハではないか。

 大長編「模倣犯」を映画化するとなると、ある種のいさぎよさが必要だ。あれもこれも取り入れようとしたらぜったい失敗する。物語の核となるべきものを抜き出したら、それを映画用に改変あるいはオリジナルとして創造する。
 愛を知らずに育った者と違った価値観ながら互いを尊重しあう夫婦間の愛情を対比させながら、天才犯罪者の完全犯罪、それをアッと驚く気転で崩す女流ルポライターといったプロットだったら、最後まで息もつかない展開になったかもしれない。
 森田監督が「模倣犯」を読んで「これはぜったい自分で映画化する」と取り組んだにもかかわらず、原作のどこに反応して、何を映画で描きたかったのか、何を訴えたかったのか、僕にはわからない。そりゃ、もちろんラストの明日への希望なのだろうが、だからといってあんなラストで本当にいいのだろうか。スタッフも皆納得しているのだろうか?

     ◇

 すいません、記事が重複しておりました。「OUT」を削除し「模倣犯」に差し替えます。
 ほんと、バカ。
 お詫び申し上げます。
 (10月20日)




 年末に「まぐまPB(プラベート・ブック)」第8弾、「まぐまPB⑧ 戦後特撮60年+  怪獣・怪人総出撃」がでる。与えられたのは50ページ。当然ブログにUPした「シン・ゴジラ」レビューをまとめて寄稿する。あと2回はじっくりと書くので、その前に……。

 「怒り」と「赤々煉恋」について。

          * * *

 10月1日(土)、TOHOシネマズ日劇で「怒り」を鑑賞。
 かなり混雑していた。まあ、サービスデーというこもあるのかもしれないが、それだけではないような気がする。

 心にズシンとくる映画だった。
 劇場を出て充足感に浸っていた。

 役者の演技が実に自然だった。
 広瀬すず、巧いなあ。
 相手役の少年も最初は素人のように登場して、徐々に存在感を発揮、クライマックスで思いを爆発させる。オレ、叫んでたからね、「やれ~!、やっちまえ!!」
 心の中で。

 森山未來の振幅激しい演技がこの映画の展開に説得力を持たせた。すごい!
 宮崎あおいって、個人的にこれまでどうにも苦手だった(二階堂ゆきは好きなのに)が、ピュアな狂気がいいなぁ、おい。渡辺謙は同い歳だから、一人娘を持つ身として身につまされる。

 3つのエピソードがある一つの事象で結ばれるている構成に「バベル」を思い出した。
 そういえば、「バベル」も日本編で父と娘のくずれかけた絆が描かれていたっけ。
 ミステリとしては、映像を逆手にとって観客をミスリードする方法に膝を打った。

 不満は一つだけ。
 音楽の使い方だ。
 坂本龍一の音楽は素晴らしい。それは予告編から感じていたこと。しかし、あまりにも使われすぎて、ドラマ(演技)に感動しているのか、音楽に感銘を受けているのかわからなくなってしまうのである。




 承前

 劇場で何度も観た予告編から「転校生」+「時をかける少女」というような印象を受けていたのだが、「転校生」+「イルマーレ」だったとは!

 劇場用アニメ作品を観る場合、なぜアニメなのかを考える。マンガが原作でない場合は特にその傾向が強い。あくまでも個人的なことだが。
 高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」は実写でも十分いけるではないかと思っていたのだが(まあ、あの時代を描くのはかなりオープンセットに予算がかかるだろうが)、ラストで得心した。
 「平成狸合戦ぽんぽこ」も、主人公たちが狸という理由以外でも、祭り時のあのスペクタクル(?)描写はアニメだからこそのものだろう。
 夭折した今敏監督の作品もそうだ。「パーフェクト・ブルー」なんて、普通なら実写で企画される内容だろう。しかし、クライマックスで氷解するのだ。これは実写では映像化不可能だ、と。飛躍と跳躍にとんだアニメ独自のものなのだ、と。

  「君の名は。」もそんな「なぜアニメなのか?」という視点で観ていたところがある。
 残念ながら得心させる描写はなかった。隕石落下及び村の壊滅あたりが実写では表現不可能という意見があるかもしれないが、今のCG技術なら十分可能だろう。10年前(の日本の技術)ならいざしらず。
 となると、アニメ化の一番の要素は、巷間言われている、美しく正確に再現された街並みにあるのだろう。

 では、お前はこのジブリ作品を凌駕する大ヒットアニメを否定するのか?
 と問われれば、否と答える。
 最近、映画を観ていて何度か意識を失う(一瞬だが)ことが増えたのだが、この映画に関しては夢中でスクリーンを凝視していた。一瞬たりとも眠くならなかった。何しろ涙しましたからね。もうすぐ57歳になる男が泣いてやんの。ああ恥ずかしい。
 ただし、ほかの人たちが涙した箇所とは違うかもしれない。
 僕の琴線に触れたのは、主人公のふたりが理由もわからず涙がとどめもなくでてきて戸惑うショット。この感覚かつて経験していると思ったら、2010年に公開された実写版「時をかける少女」のラスト近くだった。

 ラストの台詞がタイトルと微妙に違うことに違和感を覚えるという人がいるが、僕は気にならなかった。思うに、映画のタイトルは後づけなのではないだろうか。最初は別のタイトルがあって、あの台詞があった。しかし、最終的に名作誉れ高い日本映画と同じものにした。まったく同じだと気が引けるので〈。〉をつけて「君の名は。」。同じ台詞は中盤にもあって、ラストはその繰り返しなので、そんなことを想像したのだが。


 「イルマーレ」は、先にハリウッドのリメイクを観た。その後ずいぶん経ってから韓国映画のオリジナルをDVDで鑑賞したのだが、やはりオリジナルの方がよかったような気がする。気がする、としたのは、レビューが見当たらないからだ。
 「イルマーレ」のほかにも同じようなモチーフの「オーロラの彼方に」を観ていた。
 参考のために両作品のレビューを掲載しておく。

     ▽
2006/10/05

 「イルマーレ」(丸の内プラゼール)

 Mさん主催の無料映画鑑賞会。10月は韓国映画のハリウッドリメイク版「イルマーレ」。オリジナルの韓国映画は観ていない。

 湖畔に建てられたガラス張りの家に住む男と以前住んでいた女が主人公。演じるのはキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック。「スピード」以来12年ぶりの共演だそうだ。
 キアヌ・リーブスの新作の感想では枕詞のように必ず記す。なぜ「スピード2」のオファーを蹴ったんだ! あんたが主演すれば、少しはマシな映画になったのに!!

 キアヌとサンドラは、その家の郵便受けをとおして手紙のやりとりをしているうちにやがて愛し合う仲になる。しかし、直接会うことはできない。なぜなら女は2006年の今に生き、男は2年前の2004年の住人だから……。
 2年の歳月に阻まれながら果たしてふたりは結ばれることができるのか? 

 タイムトラベルものは、必ずタイムパラドックスの矛盾にぶつかる。この映画で描かれるエピソードもそんな矛盾でいっぱいなのだ。
 だいたい、ふたりの手紙のやりとりがいまいち理解できない。湖畔の家の郵便受けが2年の歳月を結ぶ役割をしているのはわかる。しかし、2006年の女はもうその家に住んでいない。どうやって郵便受けを利用しているのだ?
 最初男が家に住み始めたときに、郵便受けに入った女の手紙を見つける。それは女が後の住人に手紙の転送願いを書いたもの。その内容が少々不可思議だったもので、男は返信するのだが、いったい手紙をどこに投函したのだろう? まさか自分の家の郵便受けに入れるわけがない。普通は街のポストを利用するだろう。
 もうひとつ。中盤になって、女から2004年には出版されてないある写真集が男に送られてくるのだが、かなりの大判でどう見ても郵便受けに入りそうもない。

 というわけで、理屈っぽい、いや理論で物事を考える人は、この映画を楽しめないのではないか、と思う。
 深いことを考えず、あくまでもファンタジーの世界なんだからと軽く流し、シカゴの街のロケーションやさまざまシーンに流れてくる音楽(既成のポップス)に身をゆだねていれば、クライマックスでかなりドキドキするはずだ。
 同じキアヌ主演の恋愛映画でも「スウィート・ノーベンバー」とは雲泥の差、ではある。

 しかしなあ。冒頭で私は男が迎える運命がわかってしまった。
 であるからして、後はその確認作業でしかなかった。この映画、「シックスセンス」と同じ間違い(撮影)をしているとしか思えない。あれではバレバレだよ。
 ポール・マッカトニーの歌をスクリーンで聴けたのはけっこう感激した。「007 死ぬのは奴らだ」以来だもの。

 ちなみに「イルマーレ」とは、ハリウッドリメイク版では人気高級レストランの名称だが、オリジナル版では湖畔の家の名前だとか。今度ビデオで確認してみよう。
     △

     ▽
2000/11/30

 「オーロラの彼方に」(東商ホール 試写会)

 〈NYでオーロラの見える日、30年前と無線がつながった。それは父が死ぬ前日。〉の惹句から、早くに父を亡くした主人公がクライマックスで無線をとおして父と再会する物語なのだと勝手に想像していた。
 映画は30年前、消防士である若き父(デニス・クエイド)の絶体絶命の状況下における救助活動から始まる。大爆発が起こる前に地下に閉じ込められた負傷者を助けだせるかどうか!?ハラハラドキドキの映画の醍醐味をしょっぱなから展開してしまうなんて、と驚くとともに、この活動で父は命を落とし、舞台は現代に飛び、息子のお話になるんだな……と思ったら、すんでのところで父は助かってしまうのだ。まさしくヒーロー的活躍。

 この父親がいつ、どんな事件で命を落としてしまうのだろうと興味深く観ていると、時代は現代に移り、30年前の少年はニューヨーク警察の刑事に成長している。当然父はこの世にいない。火災現場の救助活動中に命を落としたという。
 で、すぐに惹句のような展開となる。息子からの忠告で、死ぬはずだった父は生還することになる。30年後、家に残されていた父の死を告げた新聞記事は父の奇跡的な救助を賞賛するものに変わっていた。父は煙草の吸い過ぎによる肺ガンで10年前に亡くなったことに歴史が変更されたのだ。

 30年前から続発し、迷宮入りしそうな連続婦女暴行殺人事件の犯人を追っていた息子は父が生きていたことに喜んだのもつかのま、さっきまで生きていた母が何と殺人事件の犠牲者となって死んだことになってしまって(宮部みゆきの「蒲生邸事件」に描かれた歴史の法則を思い出した。歴史は生きている。過去を変えても歴史はその代償を別に求めるから結局は同じという考え)うろたえる。
 母を助けるには真犯人を30年前(つまり父の時代)母が殺される前につかまえなければならない。こうして時を隔てた父と息子は無線機で連絡を取り合いながら真犯人を特定していく活躍がはじまる。

 前半、父に対して息子が煙草の吸い過ぎを注意するところでラストのオチはわかってしまった。が、ストーリー展開が読めないという不思議な感覚におそわれた。後半、クライマックスにむけて物語が進行するにつれタイムパラドックスを活用したサスペンス映画だとわかる。
 これまでのタイムスリップものは主人公が過去に行き、一騒動あって現代にもどってくると一部が様変わりしていたというパターンだった。
 この映画は過去と現代が同時(並列して)に描かれ、過去を変えると瞬時に現代が変わってしまう設定が斬新であり、無謀にも思えた。「そんなバカな!」と突っ込みたくなることも度々。しかしラストには父子の情愛というものがひしひしとこちらに伝わってきた。
 名曲「私を野球に連れてって」をバックに登場人物たちが野球に熱中するエンディングが胸を熱くする。
     △




 昨日で18日間という連続勤務を終えて本日は休み。
 ……のはずだった。

 だから、帰宅してから、一週間前から借りているにもかかわらずなかなか再生することができなかったDVD「大都会 ~闘いの日々~」最終巻(8巻)収録の3話を鑑賞し、続いて「ウルトラマンダイナ Vol. 12」収録の4話をチェックしたのである。
 なんて夜中の行動のように書いたが、本当は、「大都会」の最初の1話を観ながら寝てしまい、すべては観たのは朝だった。
 返却日は月曜日だったのだが、翌日の昼までは大丈夫なので、延滞金は派生しなかったというわけだ。

 今、横になってDVD(TV番組)を観ると、必ず途中で寝てしまう。
 わかっているなら、横にならなければいいのだが、疲れているのでどうしても寝そべりたいのだ。身体中が痛い。全身マッサージをしたくてたまらない。

 それはともかく、「大都会 ~闘いの日々~」。やはりリアルな刑事ドラマはいいなあ。
 アクション主体になった「大都会PARTⅡ」は大好きなのだが、改めて「大都会 ~闘いの日々~」全話を見直すと(一週間に1巻づつ鑑賞していた)、その差がわかる。
 ちなみに渡哲也演じる黒岩刑事。この名前って、渡の復帰作「やくざの墓場 くちなしの花」の主人公からとられているんですね。映画の渡哲也は一匹狼の不良刑事なのだが。
 仁科明子の妹とのふれあい、高品格とのコンビによる捜査描写。「PARTⅡ」では年下の上司と年上の部下の関係になるのだが、本作では高品が先輩刑事、渡が後輩刑事としてコンビを組んでいる。佐藤慶がリーダーで、深町軍団と言われている。
 倉本聰+村川透コンビ作品なんて、これ以降ないし。

 「ウルトラマンダイナ」は46話の「君を想う力」が観たくて借りてきた。そのほかのエピソードを含め、丁寧な作り(ドラマも特撮も)でうれしくなる。

 話を戻す。
 本当なら、自宅で休養をとって、夕方日暮里寄席に行く予定だった。
 ところが、急遽イベントが入ってしまった。
 今日勤務のSさんは定時以降私用があって、イベント対応できない。オーナーも別件がある。というわけで、先週同様、夕方からの勤務になったというわけだ。

 だったら、午後は映画を観ようと地元シネコンで「君の名は。」を鑑賞する。

 この項続く

 ああ、「シン・ゴジラ」のレビューが……。




 すいません、先々週の16日(金)から休みなしで働いています。

 確かに、先週は火曜日も木曜日も代理で出勤していましたが、今週は休みの日にイベントがありまして、夕方から出勤になった次第です。

 27日(火)
 “歴史の駅”研究会 第2回 テーマ:日本の所作「刀」
 ゲストスピーカー:近藤康成

 28日(水)
 うたごえ喫茶 in ブックカフェ二十世紀
 指導:香原恭子

 29日(木)
 Subculture Cafetalk「個人映画とは何か。 上映集団ハイロが継続する意義とはー」
 ゲスト:ほしのあきら
 司 会:高島史於

 来週、3日(月)まで連続18日勤務です。
 疲れています。
 お風呂に入るとずっと湯船につかっていたい気分になります。
 今日を含めてあと3日。
 「シン・ゴジラ」のレビュー、早く再開しなければ。


 映画鑑賞メモとして。
 20日(火) 「白痴」(神保町シアター)
 30日(金) 「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years」(TOHOシネマズ日本橋)

 今日の映画サービスデーは、有楽町で「怒り」を鑑賞する予定。




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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