小学生時代、低学年時の将来の夢は宇宙飛行士になることだった。アポロ11号の月着陸なんて夢中になってTV中継を凝視していたものだ。ケロッグのおまけがアポロロケット関連で、友だちと競い合って集めた。
 次に将来の夢が漫画家になった。「マンガの描き方」類の本を買ってきて、ケント紙、ペン軸、ペン先、墨汁、筆、筆洗、絵の具、すべて買い揃えて、机の上に並べて悦に入っていた。完成したマンガは一つもなかったけれど(ノートに鉛筆描きしたものはいくつかある)。
 6年生になると将来の夢が映画監督に代わった。
 5年のころからクラスの親友と映画制作グループを組織した。その名もKアマダクション! Kは僕の名前からアマダクションはプロダクションとアマチュアを掛け合わせている。
 まずアニメ映画を作ろうとした。しかし、目指したのが、セル画を使った本格的なもので、あえなく挫折した。続いて怪獣映画。これも怪獣のぬいぐるみ作りに失敗して諦めた。
 6年になって、とにかくカメラをまわそうと、映画をつくろうと、記録映画を2本つくった。自分たちの住む町、太田を紹介する映画で、「私たちの太田 緑をたずねて」と「私たちの太田 栄ゆく太田」の2本である。
 そしてお正月に放送された「タイム・トラベラー」に触発されて、「明日を知る少年」に着手する。

 ここらへんのことは、友人のAの作文に詳しい。学校新聞に掲載されたのである。これが「明日を知らない少年たち」のモチーフとなる。
 アニメ制作のくだりでビニールカバーが出てくるので少々解説したい。

 僕たちは本格的なアニメ映画を考えていて、本当はセルを購入したかったのだ。ところが、群馬の片田舎にセルなんてものは売っていなくて、代用としてビニールカバーを思いついたというわけだ。安靖堂はカメラ店で8㎜フィルムの購入や現像でお世話になった。

     ▽
   Kアマのこと
                 有吉威
     A
 ぼくは小学生の時からKアマに入っている。Kアマというのは、ぼく達が作った映画製作グループのことだ。アマだから趣味でやっているのだ。Kとイニシャルがつくのは、一口でいうと新井啓介君が監督だからである。

     B
 啓介君はいつも家でマンガをかいていた。それを学校に持ってきて人に見せては、
「どう、おもしろいかい?」
 などと聞いていた。
 彼はマンガのかき方をマンガ本で見たり、かき方の本を買って読んだりして覚えたようだ。しかし彼のマンガは納得のいかない、おもしろくないギャグマンガもあった。だが、中には本職のマンガ家も思いつかないようなやつも、一つ二つはあったのだ。彼はマンガだけでなくふつうの絵もうまくユネスコ展などに出品していつも賞品をせしめていた。
 そんな啓介君がとっぴに
「映画作ろう。」
 などといい出したのである。Kアマは最初に彼が、この「マンガ映画作ろう」といったのがきっかけになったのだ。啓介君は巴君の『鉄腕アトム』の本を借りた。その終りの方に〈鉄腕アトムの出来るまで〉というのがあって、それを読んで映画を作る気になったのらしい。
 さっそく人を集め、お金を集め使うものを買い込んだ。ペンキ、ビニールカバー、筆、つや消し剤やシンナーなどだ。まず安靖堂の人に、
「ビニールカバーの透明なやつを細かく切って、それに絵をかいてそれを一つ一つ動かしてカメラにおさめる方法はどうですか。」
 と聞いてみた。そしたら、
「ビニールカバーは光の反射がありますし、一つ一つ写すには駒どりカメラが必要です。」
 という答えだった。
 ぼく達はビニールカバーのつやを消すのには、どうしたらいいか考えた結果、つや消し剤を使うことにした。しかし、つや消し剤は濃くてうまくのびないので、シンナーでうすめて使ってみた。けれどつや消し剤の鼻をつくにおいの上に、シンナーのあのにおいが加わったので大変なにおいになってしまい、みんな頭が痛くなって逃げだした。こんなことを続けているうちに休みが終わった。それでみんなマンガ映画のことを忘れてしまった。
 その次の休業期間のとき、今度は怪獣映画を作ろうとした。このときからメンバーがまたふえた。この話にでてくる怪獣は口から泡をふくというもので、この泡にかかると何でも溶けてしまうということにした。
 まず胴体を作るには針金を使う。啓介君の家は電気屋なので、アンテナを張る時に使う針金を使おうと思ったが、おじさんが出かけていたので細いのを使ったが、これは何重にしても弱かった。次は怪獣の皮だが、お金を出し合って安い布を買う予定だったが足りなかった。泡をふく装置は売っているものを使おうということにした。しかし、どこにもそんなものは売っていなかった。この怪獣映画も中途半端に終ってしまった。

     C
 卒業した春休みに啓介君が「今までに映画を撮ったことがないから太田市についてでも写そうか。」
 といったので、みんな賛成した。そしてできたのが[私たちの太田]で、一回が〈緑をたずねて〉、二回めが〈栄ゆく太田〉である。〈緑をたずねて〉は水道山付近を撮り、バックミュージックは木枯し紋次郎主題曲の「だれかが風の中で」である。〈栄ゆく太田〉は市民会館、市役所、太田駅などで、駅の中で新婚の人に「ばんざい」をやっているところなども撮った。
 中学生になってからの夏休みのことだ。元Kアマに入っていて、今は東京にいる布村君の家へ行った。その時撮った記録映画が[東京一日の旅]である。貿易センタービルからの景色や、皇居などを写した。サウンド・オブ・ミュージック、小さな恋のメロディー、ムーンリヴァー、流れ者のテーマなどの映画音楽を使った。二巻、約六分の映画である。
 これらの映画は完全のものではない。タイトル撮影に失敗して、〈緑をたずねて〉ではENDタイトルの“おわり”の「お」の点をかかずに撮影したりした。また、[東京一日の旅]では日付を間違えたりして大変だった。

     D
 これからは[私たちの太田]の続編や、ストーリーのあるものを写していきたいと思っている。
 ぼくは映画づくりをやってきて、友達とのつきあいが深まった。このような趣味を通じて出来た友はいつまでも失わないように心がけたいと思っている。啓介君達とつきあっていて、みんなでものを作りあげた喜びは何ともいえない。またそれを味わえるのは苦労したためである。ぼくはそんな喜びというものを少しでも得ることができて、ほんとうによかったと思っている。(47・10)




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 12月2日(金)、シネマDEりんりん今年最後のイベントが開催されます。
 題して【スペシャルゲスト 新藤 風監督の語る 新作映画『島々清しゃ~しまじまかいしゃ』と祖父、新藤兼人】

 以下、シネりんからの案内を転記します。
 もし、興味あれば、足をお運びください。
 飛び入り参加、大歓迎です。

     ▽
 故・新藤兼人さんのお孫さんで映画監督の新藤風(かぜ)さんをゲストにお迎えし、ご自身の11年振りとなる新作『島々清しゃ』(来年1月21日公開/安藤サクラ・伊東蒼主演)の制作裏話や第39回日本アカデミー賞「百円の恋」で最優秀主演女優賞を受賞した安藤サクラさんのことなど、他では聞けない裏話を大いに語って頂きます。

 また、風さんは晩年の新藤兼人監督と同居し、公私ともに氏を支えてきました。間近で見てきた新藤兼人監督は、風さんにとってどんな方だったのでしょう?
 兼人監督の作品や製作スタイル、お人柄などのお話をじっくりと伺いたいと思います。
 聞き手は、おなじみのキネマ旬報元編集長の植草信和さんです。

 トークショーの後は恒例の風監督を囲んでの懇親会です。
 参加者の自己紹介や映画宣伝タイムも設けておりますので是非是非ご参集くださいませ。
 気鋭の監督とともに寒い12月の一夜をホットに過ごしましょう!

 映画『島々清しゃ』とは?
 『島々清しゃ』は、沖縄・慶良間諸島を舞台に、音楽が人々をつなぐひと夏の物語です。人並み外れて音感が鋭敏なため、僅かな音のズレでさえひどく気になり、うまく学校生活を送れずに心を閉ざして毎日を過ごす少女(伊東蒼)。
 一方、唄も踊りも下手で、それを気にして少女と離れて暮らす母親(山田真歩)。コンサートのために島を訪れた女性ヴァイオリニスト(安藤サクラ)。彼女たちが島唄をともに奏でることでやがて心が通じ合い、お互い新たに生きていこうとするまでが丁寧に描かれています。

 『島々清しゃ~しまじまかいしゃ』
 2017年1月21日(土)テアトル新宿他にて全国公開予定
 公式HP 

詳細----------------------------------------------

 12月の楽生會シネマDEりんりん スペシャルゲスト 新藤 風監督
 【新作映画『島々清しゃ~しまじまかいしゃ』と祖父、新藤兼人】

日時:2016年12月2日(金)19:00スタート(18:30オープン) 
 ※12月は土曜日ではなく金曜日に開催なのでお間違いのないように!
   懇親会 20時~22時(中締めは21時)遅刻・早退OKです! 

会費:2500円(男性でアルコールを飲む方)2000円(女性 /学生/アルコールを飲まない男性)
 ※ドリンク、軽食付き。特典映像あり。★差し入れ大歓迎です!

場所:竹林閣 東京都 新宿区 新宿5-14-3 有恒ビル6F
 ※「花園神社」はす向かい、明治通り沿い。有恒ビルの1Fには 「鍵の救急車」があります。
 ※隣には「ホテルサンライト新宿」

<アクセス>
●地下鉄「新宿三丁目駅」の「E1」出口から3分。
●地下鉄「新宿三丁目駅」または「東新宿駅」から徒歩7分。
●JR線・西武新宿線「新宿駅」から徒歩15分。
     △

 新藤兼人監督とは一度だけお話ししたことがある。
 ということで、以下、おまけ。

【おまけ】

2007/08/25

「陸に上った軍艦」(ユーロスペース)

 今年元旦の朝日新聞。市川崑と新藤兼人、両監督による対談を夢中で読んだ。二人合わせて180歳以上。90歳を越えまだ現役の監督なのだから、そのバイタリティにひれ伏してしまう。
 例外はあるけれど総じて映画監督は長寿なのではないか。政治家同様現役のまま天寿をまっとうするイメージがある。昭和世代になると状況は変わってくると思うけれど。

 映画監督・新藤兼人を知ったのはいつだったろう? 
それがはっきりしないのだ。高校時代だったことは確か。本で知ったのだろうか。初めて読んだ著作が「ある映画監督 ―溝口健二と日本映画」だった。関係者へのインタビューだけで構成されたドキュメンタリー映画「ある映画監督の生涯 溝口健二」に興味を持ったから読んだのだが、いまだに映画は観ていない。社会人になってからは「小説田中絹代」を読んでいる。中学生のときに高橋竹山に興味を持ったことがあり、「竹山ひとり旅」も面白そうだった。TVで観た「鬼婆」の衝撃が忘れられない。

 一度だけ新藤氏と話をしたことがある。
 大学を卒業して、希望の映像業界に就職できなかった僕は就職浪人の道をとった。シナリオの勉強を親に対する口実にした。別にシナリオライターになるつもりはなかったが、一度きちんと勉強したい気持ちはあった。再開されたシナリオ講座の第一期生として半年間高田馬場の教室に通った。学長が新藤氏だった。
 学長の講義があった日、帰りの山手線で偶然一緒になった。向かいの席に姿を見つけ、黙礼すると、「こっちにいらっしゃい」手まねきしてくれた。信じられなかった。自分で授業料を捻出したものだから、授業もしっかり学ぼうと、いつも一番前の真ん中に座っていた。だから顔を覚えていたのだろう。緊張しながら隣に移動した。高田馬場から恵比寿まで。至福のときだった。何話したのか覚えていないけれど。

 新藤監督が戦争の証言者として主演する映画「陸に上った軍艦」を観た。
 「陸に上がった軍艦」。〈陸〉は〈おか〉と読む。

 太平洋末期(終戦の前年)に新藤氏は召集され、海軍の二等兵となった。当時32歳。新進シナリオライターとして「さあ、これから」というときだった。30歳過ぎてからの召集がはずいぶんと遅いが、この時期、兵隊が不足していたのだろう。どういうことになるか。上司(兵長)が年下になる。20代前半の若者が30代男を相手に徹底的な軍隊教育を施すのである。その内容がドラマで再現されるわけだが、悲惨、過酷を通り越してまさに喜劇だ。

 軍隊に体罰は当たり前。びんたや海軍精神注入棒等、現場での体罰はまだしも、休日、久しぶりに持った家族の団欒にまでも暴力が及ぶのではたまらない。公園で家族と昼食を楽しんでいて、前を通り過ぎようとした上官(?)に気づかない。
「挨拶(敬礼)しないとは何事か!」
 彼は女房、子の前で、しこたま殴られ蹴られるのだった。
 海軍は陸軍に比べ、もっときちんとした規律、規範があって、目を覆うような横暴さはないと思っていたが、勘違いだったらしい。こうした暴力の日常化は伝統だったのか、それとも戦争の混乱によって生じたものなのか。

 鉄かぶとがなくなったことについても、容疑者を白状させようと拷問する。本人は無実を主張しているにもかかわらず、にだ。それも軍の所有物が3個なくなっただけのこと。銃や爆弾ではない。そこまで神経質になる事件なのか? 犯人をでっちあげなければならない理由はどこにあるのか。
 軍法会議にかけられた彼は無実が証明されまた隊に復帰するが、まるで心ここにあらず、廃人のような状態で毎日を送ることになる。
 敵に後退と見せかけて前進するための、靴を前後逆に履いて行進する訓練。作戦の意味がわからない! 敵戦車との接近戦を想定した板で作られた戦車を相手にした訓練。チームを二手に分け、戦車を綱引きよろしく引っ張るAチーム、それに向かって走り爆弾を放り投げるBチーム。号令でABが入れ替わりながら進められる。底抜け脱線ゲームか!

 こうした隊の上層部の人たちが、8月15日、終戦の報が伝えられるやいなや、姿を消してしまう。部下の報復を恐れてということだが、ならば、自分たちが非道な行為をしていたことは最初からわかっていたことになる。映画の中ではそれほど重きがおかれていなかったが、実はここに一番衝撃を受けた。

 新藤氏の淡々とした証言が効果を上げていた。全編証言だけで構成されたものを観たかったという気持ちもある。

 再現ドラマの出来が悪かったというわけではない。モノクロのドラマはかなりリアリティがあった。軍法会議にかけられた兵士が隊に復帰したときの顔に驚愕。ほんと、ゲッソリしてやつれているのだ。
 ラスト、カラーになった夕焼けが胸にしみた。




  代々木嫌い

  代々木が嫌いだ
  浪人たちのふきだまり

  原宿も嫌いだ
  駅は素敵なのに

  青山は好きだけど
  六本木は苦手

  目黒を愛してる
  たまに訪ねてみたい

  渋谷も好きだよ
  青い春がつまってる

  築地の香りがいい
  ふるさとを感じる
 
  銀座通りを歩きたい
  いろんな本屋がそろってる

  日比谷公園を歩いて
  初めてのデートに想いをよせる

  高田馬場は変わったのかな
  19の原点を忘れたりしない


 石原都知事時代に、築地の卸売市場が豊洲に移転すると決まった。建物の老朽化が理由だった。
 ニュースを耳にして素朴な疑問を抱いた。老朽化したのだったら新しく建て直せばいいではないか。何も移転することはない。もちろん一度にはできないだろうが、市場をいくつかに分割して順に新しくすれば。
 そういう意見はなかったのだろうか。
 
 大学を卒業して、希望の業種(会社)に就職できなかった。というか、春から二度目の鬱に苦しんで就職活動なんてできなかったのだ。
 秋になって何とか元気になったのだが、まだ本調子ではない。
 当時会社訪問の解禁日は10月1日。その日は外に出ずに、夜は部屋で水曜ロードショー枠で放映された「七人の侍」を観ていた。訪問活動を終えた友人U(自主映画サークルの仲間。4年生は僕とUの二人だけだった)がやってきて、TVに呆けている僕を見てあきれていたっけ。
 就職浪人して、翌年、なんとか小さなCMプロダクションに入れた。会社は築地駅のすぐそばにあった。
 辞めるまでの2年間、築地や銀座を自分の庭のように歩き回った。場外の食堂に何度か足を運んだことがある。
 自分の中では築地=市場というイメージがあるので、豊洲への移転が信じられなかった。

 それにしても、もともと東京ガスの施設があった場所で、それも土地に含まれている有害物質が国の環境基準を大幅に超えているというのに、よく移転を決めたものである。市場側の人たちはそこらへんをどう考えていたのだろう。
 そんなことを、呑みの席で特撮仲間のSさんに言ったら、築地市場の下には、第五福竜丸が積んでいた放射能汚染マグロが埋められていると教えられた。ビキニ環礁でアメリカの水爆実験によって被曝した、あの漁船である。
 初めて知った事実なのだが、翌日、読んでいた「ゴジラの精神史」(小野俊太郎/彩流社)にもその旨の記述が出てきた。
 都側から有害物質の処理を説明されて納得したのか。まあ、大いなる利権が絡んでいるのだろう。
 もし、新都知事に自民党推薦のあの方が選出されていたら、この問題はまったく封印されたままだったのだろう。
 怖い。




 訃報が続いた。
 声優の肝付兼太氏(80歳)。
 声は子どものころからTVアニメで親しんでいた。代表作を一つあげるとすれば「ドラえもん」のスネ夫になるのだろう。
 両親世代なのだと改めて認識する。この世代の訃報はこれからも続く。つらいことではあるけれど、自分の年齢を考えれば仕方のないこと。
 と考えなければつらくて、それこそ仕方がないのだ。

 第一期ウルトラシリーズ、その後、実相寺監督その他映画やCM等の美術で活躍していた池谷仙克氏。
 いつも仙克をどう読むのか悩んでいた。〈のりよし〉なんですね。
 新聞の訃報を見てため息ついた。
 「ウルトラセブン」の途中から怪獣のデザインを担当、「帰ってきたウルトラマン」の初期の怪獣らしい怪獣も手掛けている。実相寺監督がTBSを辞めてフリーになってしばらくしてから一緒に映像制作のプロダクション、コダイを設立、社長を務めていた。学生時代体操を得意として、「シルバー仮面」では、ある事情でスーツアクターに代わって、シルバー仮面の中に入った、と何かで読んだことがある。
 76歳。80歳までは活躍してほしかった。

 何よりショックだったのはりりィだ。文章の流れから〈氏〉とか〈さん〉をつけなければいけないのだが、どうもしっくりこないので、あえてりりィと書く。
 ネットニュースで逝去を知り、叫んでしまった。64歳。早すぎるよ。
 昨年だったか、一昨年だったか、TOKYO MX「小室等の新音楽夜話」に旦那さんと出演して、久しぶりに歌声を聴いて喜んでいたのに。肺がんじゃ仕方ない。
 「私は泣いています」はシングルレコードを買った。アルバムも買うか迷ったが結局見送った。ちょうどそのころリリースされたアルバムタイトルが「タエコ」だったと思う。本名からつけたと何かで読んだのだが、訃報で本名が小恵子(さえこ)だとわかった。
 松田優作の遊戯シリーズ第3弾「処刑遊戯」の冒頭に登場して、これが女優デビューだと思っていた。ところが新聞の訃報で大島渚の「夏の妹」に出演していることを知った。歌手デビューと同じころに女優もやっていたのだ。

 昨日は休みで午後はずっとニトリから取り寄せた、すきま家具を組み立てていた。TVをつけっぱなしにしていて、「新・科捜研の女」の後「新・ヤメ検の女」がはじまった。土曜ワイド劇場枠の2時間ドラマ。これにりりィが犯人役(最後は無実だと判明する)で出演していた。胃がんで余命いくばくもない母親を演じていて、見いてしまった。ラスト近くで少々涙がにじんだ。
 テレビ朝日は追悼の意味で再放送したのだろうか。

 3人のご冥福をお祈りいたします。




 アメリカの大統領選。トランプが選出されたことに驚いた。いくらなんでもそりゃないぜ。 
 しかし、こうも考えた。
 もし、日本の総理大臣が国民の投票で決まるとして、自民党と民進党がそれぞれの候補を擁立したとする。
 自民党は石原慎太郎+橋下徹+森喜朗÷3みたいな男。民進党は蓮舫。
 さて、あなたはどちらに投票しますか?

 もっとショックなのは、クリント・イーストウッドがトランプを支持していたということ。
 本当なのか。

 ちなみに、アメリカ合衆国はUnited States of Americaの訳ではない。
 幕末(だと思う)、幕府の役人(だったか?)が米国を訪れた際、かの国では王(大統領)を国民が選出するシステムに驚いた。王が国を統治するのではなく、〈民衆の代表がコングレスに集会して国を治める政治形態〉から、「合衆国」としたのである。
 高島俊男「お言葉ですが…」で知ったことだが。
 本多センセに教えてやりたい。




 先月末から始まった「神田古本まつり」と年末に出版される「まぐまPB⑧ 特撮特集(仮)」の寄稿(執筆と版下作成)で忙殺されていた。古本まつりが終わると、版下作成に集中した。本当は10月末が締め切りなのだが、完全版下なので10日延長してもらった。
 そこに、この本を販売するコミケ会場にある方がゲストで来てもらえるかもしれないことが判明。あわてて追加の原稿(版下)を執筆(作成)した。「シン・ゴジラ」の原稿はブログ更新と同時進行だ。14日までに納品しますからとまたまた延長してもらい、なんとか15日の午前中に送付することができた。
 ということで、この期間書けなかったことを順々に。

          * * *

 先月、ちょうど「神田古本まつり」の初日(28日)、BC二十世紀でトークイベントがあった。ピンク映画の監督生活20周年を記念した吉行由美さんのトークライブ。聞き手は切通理作さん。お客さんに白石さんと呼ばれる方がいて、話の内容で吉行さんの自主映画のスタッフ(出演者とのこと)らしいということがわかった。

 懇親会で切通さんとも知り合いだとわかり、ピンときて訊いてみた。
「もしかして白石さんって、白石雅彦さんですか?」
 そうです、と言われて、「わぁ!」となった。
 白石さんの「円谷一 ウルトラQと“テレビ映画”の時代」『飯島敏宏 「ウルトラマン」から「金曜日の妻たちへ」』、「ウルトラQの誕生」(すべて双葉社)、皆即購入している。

 「まぐまEX 怪獣文化とウルトラマン」に寄稿したものの一つに「特撮極楽読書録」がある。
 HP「夕景工房」に掲載した特撮及び特撮関連本のレビューを集めたものだが、この中にどうしても載せたくて、あわてて書いたのが以下の文章だ。

     ◇

 「円谷一 ウルトラQと“テレビ映画”の時代」(白石雅彦/双葉社)

 書店で見つけたときは歓喜して、すぐ手に取りレジへと急いだ。
 円谷一の初の本格的評伝とオビにある。確かにそうかもしれない。しかし、金城哲夫がそうであったように、ファンタスティックコレクションを始めとするウルトラシリーズを総括したムックや第一期シリーズの関係者によって上梓された書籍等によって、円谷一の「ウルトラQ」以降の半生や功績については十分刷り込まれてしまったような感覚になっている。  
 今さら、「ウルトラQ」の番組がどのように企画され、そこに円谷一がどのようにかかわってきたかということには関心はない。
 ではなぜ歓喜したかというと、〈テレビ映画の時代〉という言葉に反応したのである。
 かつて、TVには、16mmフィルムで撮影される〈テレビ映画〉というジャンルが存在した。特撮もの、刑事もの、時代劇等はすべてテレビ映画だった。フィルム独特の陰影や奥行きのある映像に夢中になった。
 当時、ビデオ収録のドラマは〈スタジオドラマ〉といって、バカにしていたところがある。あまりに鮮明で、極端に薄っぺらな画面がどうにも好きになれなかった。
 時代劇であるにもかかわらずビデオ収録の大河ドラマにはいつも違和感を憶えたものである。スタジオはビデオテープ、ロケはフィルムといった使い分けしているドラマなんて問題外。まったく世界観が違うのだから。それを良しとするスタッフの気が知れなかった。
 テレビ映画が、日本においてどのように生まれ発達していったか。その過程を綿密な調査によって綴ったのが本書である。
 何よりうれしかったのが、1962年に芸術祭文部大臣賞を受賞した円谷一演出の「煙の王様」に対する言及である。その成り立ち、スタッフ・キャスト、ストーリー紹介。
 特撮好き、ウルトラ好きに限らず、TV映画に影響を受けた者は絶対読むべき一冊、だと思う。(2006/7)

hisyou
白石雅彦/双葉社



 その6から続く

 特撮に目を瞠った。
 本当の街に巨大な怪獣が出現した。それもまっ昼間だ。CGだから、デジタルだからと言うのは簡単だが、たぶん一部はミニチュア撮影もあるのだろう。鎌倉に上陸したときの瓦の描写。しびれた。
 こちらに向かってくるゴジラを移動カメラで捉えたショット。「ガメラ2 レギオン逆襲」の応用だが、ゴジラの巨大さを的確に表現していた。
 自衛隊(ヘリ、戦車等)の対ゴジラ戦のなんというリアル感。ゴジラが通常の兵器にびくともしない様子が見事に描かれている。
 そして、『ゴジラ』のオマージュでもある、夜の大都会を炎で焼き尽くすシークエンス。これまでのゴジラのイメージを打ち破るショットの数々。
 ゴジラの口が横に開くのは、アメリカ映画のクリーチャーを意識してのことだと思う。
 口から吐く白熱光のイメージも大胆だ。口からだけでなく背中からもいく筋ものの光線が飛び出す。
 その圧倒的な映像に涙がでてきた。
 たぶんに音楽の影響があると思う。僕が勝手に「ゴジラ 憎しみと怒りのアリア」と名づけた曲だ。
 蒲田の街を蹂躙するシーンに流れた曲も素晴らしい。これは購入したサントラCDを聴いてからわかったことだが、弦楽四重奏で同じ旋律をチェロ、ビオラ、第二ヴァイオリン、第一ヴァイオリンと順に弾いていくところなんてゾクゾクしてしまう。
 とにかく鷺巣詩郎の音楽が特筆できるのだ。
 だからこそ、この映画では伊福部昭の音楽を使ってもらいたくなかった。もう完全に過去のゴジラとの関係が切れたのだから。まあ、大方のゴジラファンには同意してもらえないだろうけれど。
 特撮は、ギャレス版『GODZILLA ゴジラ』と比較しても、まるで遜色なかった。ドラマは凌駕してるわけだから、そりゃ3回以上劇場に足を運びたくなるさ。

 劇場鑑賞3回目から、一番の楽しみはヤシオリ作戦のシークエンスになった。作戦開始が宣言されると、「宇宙大戦争」のマーチに乗って新幹線がゴジラに向かって走っていき大爆破するショット。まさに〈新幹線大爆破〉!
 伊福部昭の音楽は使ってほしくなかったと書いた手前、気が引けるのだが、燃えるんだからしょうがない。
 しかし、ここからドラマはマンガになる。
 ヤシオリ作戦の前線基地が科学技術館の屋上。庵野総監督、どこまで『太陽を盗んだ男』が好きなんだ!?
 映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の、第3新東京市が朝を迎えるシーンで『太陽を盗んだ男』の音楽(「YAMASHITA」)が効果的に流用されている。見事に映像に合致していたのだから何も知らなければこのシーン用に作られたオリジナル曲だと思うだろう。
 『太陽を盗んだ男』は中盤まで実にリアルに進展する。ところが警察の手に渡った原爆を主人公が取り戻すところから一気に展開がマンガになってしまうのだ。
 『シン・ゴジラ』も同様の展開になっていて、ヒロインにまるでリアリティがないところも似ている。まあ、石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースンは、『新世紀エヴァンゲリオン』(ヱヴァンゲリヲン新劇場版)の惣流(式波)アスカ・ラングレーの実写版だと認識しているのだが。
 マンガといって、別に批判しているわけではない。前述したとおりヤシオリ作戦のシークエンスは、特撮も含めて大好きなのだから。何度も観ても興奮できる!
 人間が、科学技術を結集してゴジラを倒す展開、それも非常にアナログな方法に手に汗にぎるのだ。突然のように新兵器が登場したのではしらけてしまう。
 『ゴジラ(84年版)』との違いはいくつも指摘できる。
 旬の俳優(女優)たちがカメオ出演しているが、きちんとドラマに溶け込んでいて嫌味にならない。

 米国との核爆弾をめぐる攻防、主要人物の一人、政治家の赤坂(竹野内豊)が言う「アメリカはもしゴジラがニューヨークに現れたとしても核を使用する」云々とは、「クローバーフィールド/HAKAISHA」のラストを指してるのではないか。あのとき米軍は謎の巨大生物殲滅のためセントラルパークに核爆弾を投下したのだ。
 東京都心への核爆弾投下に猶予を与えることにフランスが同意したのは、エメリッヒ版「GODZILLA」で、イグアナを巨大化させた核実験を断行した国にされてしまったことに対する意趣返しなのでは?

 観客の感情を高揚させる描写も秀逸だ。
 都心を焼き尽くされて怒り狂う主人公の矢口(長谷川博己)。仲間の政治家(松尾諭)に「まずは君が落ち着け」と諭されて水のペットボトルを手渡す。僕が矢口だったら、水は飲まず頭にかけるか、顔にぶちまけただろう。

 様々な人物が登場するが、まさに適材適所といったキャスティングだ。
 特に印象的だったのが、巨災対メンバーの高橋一生、市川実日子、塚本晋也。そして、内閣総理大臣臨時代理の平泉成。前述の松尾諭を含めて助演賞ものだ。
 紅一点の大臣、余貴美子はもろ小池百合子のイメージだ。化粧の仕方といい、ぜったい狙っている。

 これまでのゴジラシリーズ(平成、ミレニアム)はどんなにヒットしたとしても観客は限定されていた。いわゆるジャンル映画であり、対象は往年の特撮ファン、親子でしかなかった。『シン・ゴジラ』の客層はこれまでゴジラシリーズには足を運ばなかった年齢層が目立った。年配の男女、若い女性。一人で観る若い女性もいた。
 デートムービーになったといってもいいだろう。快挙である。
 大ヒットしたからといって、続編なんて期待していない。何やら意味深長なラストカットだったが、何、庵野さんのことだから、何も考えていないのではないか。
 続編を作るなら、別の怪獣映画、特撮映画を企画してくれないだろうか。
 個人的には『MM9』の映画化を期待する。




 その5から続く

 樋口真嗣監督、庵野秀明総監督が発表され、ゴジラの身長がギャレス版ゴジラ(107m)を超える118.5mに設定されたことを知ってうんざりした。なぜゴジラをそこまで巨大にする必要があるのか。そこまでアメリカに対抗するのか。
 後で考え直した。身長118.5mは、初代ゴジラへのオマージュなのではないかと、と。54年版「ゴジラ」に登場するゴジラの身長はもちろん50mだが、品川に上陸したとき、映像上は100mを超えていると「円谷英二の映像世界」の中で実相寺昭雄監督が書いていたような気がする。

 予告編第一弾が劇場で流れるようになって、そのあまりの陳腐さに失望した。(ゴジラが出現して)街を逃げ惑う人たちを描写しているのだが、画が安っぽく感じたのだ。
 ところが予告編第二弾で印象ががらり変った。オリジナルの音楽をバックに激しいカット割りで綴られる群像劇に「これは叙事詩だ!」と膝を打った。

 期待は裏切られなかった。
 総監督が庵野秀明であることから、「エヴァンゲリオン」との類似点を指摘する感想を目にして少し不安を覚えた。主人公もしくはほかの誰かの精神世界を深く追求する内容になっているのかと思ったのだ。実際は構図やカット割りのことだった(一部音楽の流用もある)。
 TVシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」を観たとき、この感覚で怪獣映画ができないものかと願っていたから、うれしくてたまらなかった。長年の願いが実現したのである。快哉を叫ぶのは当然のこと。

 「シン・ゴジラ」は、ある意味84年版「ゴジラ」のリメイク、リボーンといえる。
 ゴジラ(と名づけられた巨大生物)が原発のメタファーであること。ゴジラが日本に上陸し東京を破壊すること。その都市破壊と人間との攻防がクライマックスになっていること、ゴジラが撃退されること。
 すべてのゴジラ映画に目配せしている点でも特筆に値する。(国内のシリーズだけでなくハリウッド版のゴジラ映画に対しても)
 冒頭の、ゴジラの幼体が上陸して進化しながら蒲田の街を破壊し海に戻っていくシークエンスは、もろ54年版「ゴジラ」に則っている。
 その進化を第一期~第四期に区分して、さももっとなことを劇中で解説しているが、なに、庵野さん流のお遊びじゃないのか。

 第一期 昭和ゴジラシリーズ
 第二期 平成ゴジラシリーズ
 第三期 ミレニアム(ゴジラ)シリーズ
 第四期 シン・ゴジラ

 というような。
 考えすぎか。

 冒頭の、プレジャーボートで東京湾に出て行方不明になった博士の名前が牧悟郎。写真は映画監督の岡本喜八。岡本映画の常連俳優だった岸田森は『怪奇大作戦』で牧史郎という人物を演じていた。し(四)の上はご(五)というわけでこれも庵野総監督の遊びだろう(と思っていたら、『ゴジラ(84年版)』で田中健演じる新聞記者の名が牧吾郎だとある人から教えられた)。

 幼体ゴジラが上陸するシーンはまさに東北大震災を思い出させる。進行方向のみ建物が破壊されている様は、ギャレス版『GODZILLA ゴジラ』からのイタダキだろう。あの映画で蘇ったムートーがラスベガスの街を破壊しながら進むショットは初めて見る光景で、まさに〈コロンブスの卵〉だった。

 『ゴジラ』が原水爆実験、太平洋戦争の災禍をバックに構築された怪獣映画だとすれば、『シン・ゴジラ』は、東北大震災、原発問題に真正面から切り込んだ画期的な怪獣映画である。
 会議シーンが長すぎるとの評を耳するが、個人的にはこの会議シーン、閣僚たちのやりとりがとても興味深かった。
 巨大生物の上陸はないと発表するやいなや、易々と上陸されてしまったシークエンスなんて、福島原発が津波で破壊された直後の政府発表の戯画そのもの。
 あのときもこんな風に議論されていたんだろうなとニヤニヤしていた。彼ら、本当に目の前の現実に真摯に対応していたのか否か(〈以下略〉のギャグは笑える)。

 政府御用達の学者3人は、アニメなら西部邁、宮崎駿、大槻義彦のソックリさんになるのではないか。役者でないことはわかるが、どこから連れてきたのだろうと思ったら、皆映画監督なんですね。犬童一心、原一男、緒方明の3氏。犬童監督、原監督の姿を初めて見た。(これも、富野由悠季、宮崎駿、高畑勲を意識してのキャスティングだとのこと。本当に?)

 この項続く




 その4から続く

 東宝がゴジラの新作を製作するというニュースを知ったとき、いくつもの疑問符が頭の中を駆け巡った。ハリウッド映画「GODZILLA ゴジラ」が世界中で大ヒットしたのだ。東宝は何もしなくても著作権料が入ってくる。それもたぶん莫大な。シリーズ化も決まり、次はモスラとキングギドラが登場するという。そんな状況下での新作発表だ。「なぜ、今なのだ?」と思っても当然だろう。
 エメリッヒ監督版が不人気だったとはいえ、直後に公開された「ゴジラ2000ミレニアム」と内容、特撮(VFX)を比較すればその差は歴然としている。ギャレス版は、VFXはもちろんのことドラマも十分面白かった。
 今回だって同じ結果になるのではないか。

 少しばかり逡巡して膝を打った。「そうか、そういうことか」
 もし東宝の新作ゴジラが、初代ゴジラをリメイクするような、つまり現代日本を舞台に、核問題をリアルに捉えたドラマにするのだったら話は違うと思った。
 ハリウッド映画は核に対する認識がとんでもなく甘すぎる。核爆弾なんて通常の兵器より少し威力がある程度の扱いで劇中に登場するのだからたまったものではない。
 別にどうでもいい監督の、その他大勢の作品なら、まあ、いい。特に気にすることもない。夢中で追いかけている監督だとそうはいかない。
 キャメロン監督「トゥルーライズ」、ルーカス製作+スピルバーグ監督「インディー・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」、クリストファー・ノーラン監督「ダークナイト・ライジング」等々。
 ギャレス版「GODZILLA ゴジラ」も同様で、クライマックスで「おい、おい」となった。
 だいたい、過去の核実験をゴジラ撃滅のためとのたまっているのである。

 何だ、お前、「GODZILLA ゴジラ」を高評価しているじゃないか、公開時に3回も観たんだろうが。言っていることが違うではないか!
 僕が「GODZILLA ゴジラ」を評価しているのは、〈東宝チャンピオンまつり〉版ゴジラのハリウッドリボーンと位置づけているからと言えば納得してくれるだろうか。
 日本のゴジラだって、ある時期から核問題がおざなりになって、ヒーロー化したではないか。
 そんなわけで、東宝チャンピオンまつり版のゴジラが最新のVFXで再現された「GODZILLA ゴジラ」の核の扱いがどうであろうが、ゴジラが人類の味方であろうが気にならない。それも、ここが一番重要なのだが、あくまでもアメリカのオリジナルなので、いちいち細かいことに目くじら立てたくない。
 そういえば、エメリッヒ版では、ゴジラを誕生させた要因はフランスの核実験でイグアナが変異してしまうのだ。あくまでもアメリカはゴジラの被害者を装うのだから呆れてしまう。

 だからこそ、日本で核問題に真っ向から取り組んだゴジラを製作することに意味がある。

 この項続く




 先週から始まった「神田古本まつり」の対応、年末に出版する「まぐまPB⑧ 特撮特集(仮)」への寄稿、その原稿執筆と版下作成で毎日がてんてこ舞い。ブログを更新できない。
 とりあえず、出版記念イベント開催の告知を。
 詳細はまた追って。

僕たち赤い鳥ものがたり出版記念




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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