上岡龍太郎という芸人がいました。先月、先々月ですか、引退してしまった方です。昔、漫画トリオという3人組で横山ノックらと漫才をしていました。

 上岡龍太郎は人生の中で、これは仕事でもプライベートでも、迷うことがあって、どちらに決断しなければいけないとき、必ず楽な方を選択してきたといいます。
 この楽な方を選択するということで、どういう効用があるかといいますと後でぜったい後悔しないそうです。
 選択の間違いを後悔したくても、自分で楽な方を選んでしまったのですから、「仕方ない」ですんでしまうそうです。
 なら、つらい方を選んでも同じことが言えるのではないかというと、そうでもないらしいのです。
 人間という生き物は本来怠惰にできているそうで、楽な方へむかう性質があるそうです。ですから、つらい方を選択して、もし間違った選択だとすると、必ず、なぜあのときに、と後悔するのだそうです。
 上岡龍太郎の言うことですから、どこまでホントなのかわかりませんが、一理あるなと思います。

 私の場合、迷った場合に心がけているのか、やらないで後悔するならやって後悔したいということです。
 たとえば、好きな人がいて、彼女の気持ちがわからない、自分の気持ちを打ち明けて「ごめんなさい」と言われる方が、何も告白しなくて、その女性がほかの男とつきあってしまったら、あきらめがつくのかどうか、ということです。
 仕事においてもさまざまな選択場面がでてきます。みなさんはどのような心構えで選択しているのでしょうか?

 と、今日は、二者択一しなければならない場合の気持ちのありようについてお話ししました。




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(敬称略)

 今週の月曜日、朝刊には、この日発売の「週刊ポスト」「週刊現代」の広告が掲載される。「週刊現代」のそれには「がんばれ、松方弘樹」の見出しがあった。
 ということは、相当容体が悪いんだな、と真っ先に思った。

 案の定だった。
 午後、お店の常連、Iさんが、いつものように喫煙スペースの個室で〈仕事〉をしていて、少しお邪魔して映画談義に花咲かせた。
 厨房(カウンター?)に戻って、少ししてから、Iさんが個室から飛び出してきた。
「松方弘樹が亡くなったよ!」

 俳優、松方弘樹を意識したのは、NHKの大河ドラマ「勝海舟」である。
 当時、脚本を担当すれば、必ずチャンネルを合わせた倉本聰の初めての大河ドラマだ。主演は渡哲也。個人的は、人斬り以蔵役のショーケン、坂本龍馬役の藤岡弘に興味津々だった。
 第1回にえらく感動して毎回日曜日の夜8時に視聴するようになった。
 早い段階で、渡哲也が病気降板した。代演が松方弘樹だった。
 当時は、主役交代に残念な気持ちがあった(その後、倉本聰もスタッフとの軋轢があって降板してしまう、なんてこった!)。しかし、今、この交代は良かったのではないかと思っている。
 何より口跡が心地よかった。江戸弁だったなあ、と思うのだ。
 交代しなければ、仁科明子と出会うこともなかったろうし、ということは結婚もなかったのだろう。

 本当いうと、小学生時代に松方弘樹主演の映画を観ているのである。
 「怪竜大決戦」。東映が製作した怪獣が登場する時代劇だ。怪獣というか、巨大ガマガエルと巨大竜がクライマックスで激突する。共演(ヒロイン)が小川知子だったことに、後年観直して驚いた。

 松方弘樹の巧さを思い知らされたのが「仁義なき戦い」5部作だ。
 このシリーズ、同じ役者がシリーズを通して違う役で登場している。松方弘樹もその一人で、第1作、第4作「頂上作戦」、第5作「完結編」に登場する。驚くのは、3作とも全くキャラクターが違うのだ。別人なのである。
「役者だの~」と拍手を送りたくなる。
 こんなこと、これまで「仁義なき戦い」が語られる際には、さんざ言われていることだろう。
 74歳。

 合掌




 某ゲームメーカーには二十数年勤めた。
 最初は某出版社から新設の映像事業部へ出向の立場、転籍したとたんに子会社に出向、戻ってきたら受け入れる部署がなく、リストラ用の部署(の先駆となる部屋)に入れられた。後から来た人はほとんど辞めていったが、何とか食いしばって、アミューズメント機器の販売部にもぐりこんだ。だか、すぐに使えないとの烙印を押され、総務部に移った。

 総務部では毎朝朝礼があって部員が司会を担当する。月曜日は司会が1分間のスピーチをしなければならない。
 自分が担当のときは、出社してすぐにパソコンで原稿書き(打ち)に精出した。話題は読んだ本、雑誌、あるいはTVから仕入れる。仕入れたエピソードを紹介して、仕事に結びつけるところがミソで、これで、私のスピーチは評判がよかった。
 その原稿(プリントアウトした用紙)が出てきた。

 適度に紹介していきます。
 このスピーチをアレンジして誰か有効活用してくれないかなぁ、なんてと淡い期待を抱いています。

     ◇

 先日、久しぶりにビデオで「ブレードランナー」を観ました。
 リドリー・スコット監督のカルト映画として人気の高いSF映画なんですが、別にこの映画についてあれこれお話するわけではありません。
 実は映画の冒頭で、主演のハリソン・フォードが日本人が経営する立ち食いソバ屋でうどんを注文するシークエンスがあるんですね。画面ではわからないのですが、たぶんその上に乗せる天ぷらをハリソン・フォードが4つくれと言うんですね。すると日本人の主人が「4つじゃ多すぎる、2つでいい」と。それでもハリソン・フォードは4つ欲しいんだ、4つくれと言うと、なお「2つで十分ですよ、わかってくださいよ」と食い下がります。職人肌のこだわりともとれますが、お客さんサイドに立った気遣いの一言だとも言えないでしょうか?

 それで思い出したのは、もう何年も前に家族3人で渋谷のイタリア料理のお店に行ったときのことです。
 パスタを私とカミさん用に2種類、それから2品ほど注文しました。出てきたパスタを見て驚きました。何と量が3人前くらいあるんです。それが2つですから女性を含む大人2人と子どもで食べきれるわけがありません。当然大量に残しました。
 なぜ注文を受けた際、ウェイターは当店ではパスタの量がこれくらいだから1つでいいんじゃないかと説明してくれなかったのでしょうか。
 まあ、客から注文をされたからそのとおりにオーダーをとっただけでしょう。マニュアルにもないことだから、余計なことは言いたくないのかもしれません。
 あるいは、理由を話せば注文の数が減り、売上に影響すると考えたのかもしれません。
 しかし、客は夫婦とその子どもですから、どう考えても食べられる分量でないことは一目瞭然なんです。ちょっと気をきかせて、やさしさを見せてくれたら、なんて良心的なお店なんだろうと、また渋谷に行った際に立ち寄るかもしれないのです。
 こうして、その店は客を1組、永遠になくしてしまったのでした。

 こういうちょっとした一言を言えない、言いたくない、それで信用をなくしてしまう、ビジネスチャンスを失う、ということは私たちの仕事でもよくあることではないでしょうか。
 こういうと、じゃあ、お前はちゃんとやっているのか、と反論された場合、自信をもってイエスと答えられないのがつらいところですが、少なくても代表電話にかかってくるお客様に対してはできるだけの対応をしているつもりです。私の一言で当社のファンが消えてしまうというのはけっこう怖いことです。
 東芝の事件が、ホント、他人事には思えない今日この頃、サービスということについて思いをめぐらせた映画の1シーンでした。




 フリースタイルから小林信彦コレクションの第2弾「唐獅子株式会社」が出た。
 やっと、である。本の出版もそうだが、版元の関係で地元の書店には置いていない。まあ、東京の書店で買えばいいのだが、この書店、昨年の12月からTポイントを始めたので、原則ここで買うことに決めたのだ。
 Tポイントで本が買えるなんて最高じゃないか!

 そんなわけで、年末から年始にかけて欲しい本、雑誌はすべてこの書店に注文した。
 手に入れるまでにけっこう時間がかかった。

 「ウルトラマンの現場 ~スタッフ・キャストのアルバムから~」(小学館)
 「怪獣少年の復讐」(切通理作/洋泉社)
 「ウルトラマンの飛翔」(白石雅彦/双葉社)
 「実相寺昭雄 才気の伽藍」(樋口尚文/アルファベータブックス)
 「タイム・トラベラー」(石山透/復刊ドットコム)
 ユリイカ12月臨時増刊号「『シン・ゴジラ』とは何か」(青土社)
 昭和40年男2月号増刊 「夢、あふれていた俺たちの時代 1971-1973」(クレタパブリッシング)
 「昭和40年代ファン手帳」(泉麻人/中央公論新社)

 「唐獅子株式会社」もその1冊。

 かつて新潮文庫版のこのシリーズは2冊に分かれていた。「唐獅子株式会社」「唐獅子源氏物語」。
 今回は合本であるから、京極夏彦の新書のような分厚さで、もううれしくてうれしくて。
 うれしさのあまり、まだ読んでいないのだが、こちらで「ちはやふる奥の細道」を話題にしていたので、その関連として以下のレビューを掲載する。

     ▽
2003/03/27

 「本の虫 その生態と病理――絶滅から守るために」 (スティーヴン・ヤング/薄井ゆうじ 訳/アートン)  

 何ていう本だ。著者は、訳者の薄井ゆうじがアメリカドライブ中に偶然知り合った「本の虫」研究家だというが、書いていることはデタラメ極まる。  
 どの種にも属さない独自の進化を遂げた生命体が本の虫で、非常に微小で光学的な顕微鏡には投影されないため今世紀まで発見されなかったとあるが、そんなバカな。  
 2001年3月、ルーマニアのマリウス・シュナイダーによって発見された衝撃的なニュースなんて全然知らなかった。本当にそんなニュース、世界中に配信されたのか。
 だいたい著者の名前からして、うさんくさい。
 
 本の虫は大きく分けて〈読み虫〉類と〈書き虫〉類がある……わけないだろう。  
 さまざま虫の紹介があって、虫に感染した場合の看護と介護を説いている。
 ひたすら読み虫、その一種長編読み虫。
 書物のおかれている環境に依存する原因を作る書棚虫、図書館虫。書店依存症を誘発する書肆虫。
 書店に行くと必ずトイレにいきたくなる現象(それも大の方、図書館でも同じ症状に見舞われる)、これはずいぶん昔「本の雑誌」で話題になった。最初にそのことについて投稿した女性の名前をとって青木真理子現象と呼ばれているのだとか。これも虫が原因で、その虫は学名ニポニア・マリコ・ニッポンというのだそうな。
 書き虫には日記書き虫、小説書き虫なんてものがいる。小説書き虫に感染しひたすら小説を書くが、駄作しか書けず、そうなると逆に小説を憎みだし本嫌い虫に冒されて、憎みながら小説を評論するタイプになっていく。同人誌書き虫なんてのもいる。
 うーん。そんなバカなと思いながらもうなづいている自分がいる。本当に本の虫なんているのだろうか?

     *

 1980年のこと。W・C・フラナガン/小林信彦訳の「素晴らしい日本野球」が雑誌「ブルータス」に掲載された時はかなり巷で大騒ぎになったという。  
 日本通を気取るアメリカ青年が知ったかぶりで日本のプロ野球のアレコレを語るわけだが、その認識はめちゃくちゃだった。  
 広島の山本浩二と巨人の山本功児の区別がつかない、巨人の角三男とヤクルトの角富士夫を同一人物だと信じている。江夏はスモウレスラー、エトセトラエトセトラ。その間違いぶりに笑わずにはいられない。

 この論文、実は小林信彦の作である。W・C・フラナガンなんていう人を食った名前をでっちあげ、自分は訳者のふりをする。もっともらしく原注や訳注もあり非常に凝った作りだった。
 巷で騒ぎになったのはここだった。あの文章は小林信彦の創作でないか。電話によるこの手の問い合わせが「ブルータス」編集部によくかかってきたのだそうだ。よく読めば日本人以外書ける文章でないことがわかるはずなのに、世の中にはあわて者がいるようで、マスコミ人の中でW・C・フラナガンなる人物の存在をすっかり信じてしまった人がいた。
 その一人が慶応大学教授の某氏。自他ともに認める大リーグ通。氏は中国新聞に「素晴らしき日本野球」を真っ向から批判する文章を掲載した。
〈論文は「間違いだらけ」の一語に尽きる。著者のウィリアム・C・フラナガンという二十代の日本通を自称する青年。来日した経験もあるそうだが、書いてあることは誤解どころかでたらめである〉
 小林信彦は続編「素晴らしい日本文化」でこの某教授の批判に対してフラナガン氏に反論させながら最後こう締めくくった。
「〇〇〇氏(教授の名前)の自信のなさは、私への批判を中国の新聞に投じたことでも明らかである」  
 大爆笑した。  
 長島監督が解任されて直後、新聞記者の電話に苦慮したという。彼らはフラナガン氏のコメントをとりたくてその所在を小林信彦に問い合わせるのだ。  
 フラナガンは自分の創作であるといっても記者は「まさか、冗談でしょう」と相手にしない。
 世の中にはシャレの通じない人が、かくも多いのである! と「笑学百科」(新潮社後に新潮文庫)で嘆いていたっけ。
     △




2017/01/05

 「モスラ」(ラピュタ阿佐ヶ谷)

 昨年の11月から、ラピュタ阿佐ヶ谷ではモーニングショー(10時~)でザ・ピーナッツ特集をしている。
 昭和の銀幕に輝くヒロイン〔第83弾〕、「伝説のデュオ、魅惑の歌声」。

 ラインアップに「モスラ」「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」があり、こりゃ「行かなくちゃ」。「モスラ対ゴジラ」は昨年、神保町シアターで観たから、「モスラと「地球最大の決戦」をチェックしなくては。特に「モスラ」、一度もスクリーンで観ていないので。

 5日(火)、早めに阿佐ヶ谷に到着。駅前のバーガーキングでお茶してからラピュタへ。
 これまで、TVで、ビデオで、DVDで、何度か「モスラ」を観ているが、スクリーンでの鑑賞は格別のものがある。
 映画全盛時代、東宝特撮の黄金時代の作品であることを改めて感じた。もう1カットも目が離せない。
 ミニチュアがきちんと画面に存在し、演技しているのだからたまらない。かなり大胆なカットも散見される。ミニチュアでやるか! てなもん。合成もすごい。
 フランキー堺の口跡に聞きほれ、軽妙なしぐさに堪能。

 とにかくシナリオがうまいと思う。
 21世紀になってすぐ、原作とシナリオを読み比べる機会があった。「発光妖精とモスラ」という本を図書館で見つけて読んだのだ。
 この本には、原作のほか、関沢新一のシナリオも掲載されており、その面白さに唸ったものだった。

     ▽ 
2001/06/30

「発光妖精とモスラ」(中村真一郎・福永武彦・堀田善衞/筑摩書房)  

 小林信彦「小説世界のロビンソン」(新潮文庫)で純文学作家・福永武彦が加太伶太郎名義で推理小説も書いていたことを知り、だから「モスラ」の原作を共同執筆しているのかと目から鱗が落ちた状態でいるところに、図書館の書棚で本書を見つけた。  
 中村真一郎・福永武彦・堀田善衞による原作「発光妖精とモスラ」、関沢新一の映画「モスラ」の第一稿および決定稿が収録されている。  

 ロシリカ共和国の水爆実験場となったインファント島に住む小美人を悪役ネルソンがさらって東京で見世物興行を行う。小美人の歌声によって島の守り神であるモスラが卵から誕生すると小美人を追い日本に上陸する。体長100mのモスラには小美人救出の本能しかなく、そのため東京は大混乱に陥るのだった。  

 「発光妖精とモスラ」は小説というより、シナリオの梗概という印象を受けた。主人公、映画ではフランキー堺が軽妙に演じていた新聞記者の福田善一郎とは作者3人の名前を合成したもであることを今さらながら知った。
 シナリオ(映画)には取り入れられなかったモスラに関する伝説が面白い。

 小説とシナリオ(映画)の違いはいくつかある。まず小説の小美人は4人で、身長も映画(30cm)の倍ある。またロシリカ共和国は決定稿ではロリシカ共和国となっている。もろロシア+アメリカだからだろう。
 驚いたのはモスラが繭を作る場所が国会議事堂というところとラスト小美人をインファント島に返した後宇宙に飛び出し半世界へ突入するくだり。平成のゴジラシリーズ「ゴジラVSモスラ」はしっかりかつての原作を踏襲しているのですな。  

 関沢新一によるシナリオは原作の魅力を大きく膨らませて傑作である。映画を知らなくても映像を頭に浮かべることができる。人物像がしっかり書き込まれて、人間側のドラマとモスラの都市破壊スペクタクルが見事にシンクロしているのだ。怪獣映画黄金時代のよき時代を感じさせる。
 第一稿と決定稿の大きな違いはそのラスト。一稿はロリシカ共和国の首都をモスラが襲う映画同様のもだが、決定稿では九州に逃げたネルソンをモスラが急襲するエピソードに変更されている。このラストは実際に撮影されたらしいが、結局オクラ入りになって元のラストが採用されたとのこと。
     △




2016/12/30

 「湯を沸かすほどの熱い愛」(ヒューマントラストシネマ有楽町)

 田中好子が亡くなった翌日だったか、早朝のワイドショーで彼女の声が流れた。東北大震災で被災した人たちへのメッセージ。病室で録音したものだ。声は「疲れちゃった」という夫への呼びかけで終わり、僕は笑った。
 キッチンで朝の支度をしていたカミさんがすばやく反応した。「なんで笑うの?」不謹慎だと言うのだ。
 TVのある居間とキッチンはつながっていて、TVを観ている僕はキッチンからだと背中しか見えない。正面から見れば、僕が泣いていたことにも気づいたはずなのに。
 亡くなったことはとても悲しくて、でも夫に甘える声がかわいくて微笑ましくて笑ったのだ。

 TVドラマや映画では、泣かせることが評価される風潮がある。泣く=感動というわけだ。笑わせて、笑わせて、ここぞというところで泣かせる。この作りに、特に日本人は満足する。ラストでしんみりさせるのがミソ。で、大ラスはまた笑いに転化させて大団円。拍手喝采だ。

 泣かせを売りにする映画があるが、僕はどうしても敬遠してしまう。泣かせることがいけないわけではない。泣かせるためのあざとい演出が嫌いなのだ。実際、そういうシーンではシラけてしまうことが多い。泣いたとしても、心の中では舌打ちしたりして。
 たとえば、予告編で泣けることを強調する映画は絶対観ない。子どものころ、親に泣かせるよりも笑わせることの方がどれだけ大変か、何度も言われていて、涙<笑という数式が自分の中に出来上がっているので。
 作り手は意識しているのかどうかわからないが、なんでもないシーンに目頭熱くすることもたびたびだ。

 恐怖と笑いは紙一重だと言われる。
 実際、「遊星からの物体X」を観たとき、あまりの怖さにニヤニヤしてしまった。
 いつのころからか、笑いと涙も同じだと思うようになった。

 笑って、笑って、泣いて、というのではない。笑いながら泣くのである。泣きながら笑うのである。
 実際、そういう展開のドラマや映画に触れるようになった。
 落語でも経験している。
 「湯を沸かすほどの熱い愛」はまさしくそういう映画だった。

 宮沢りえとオダギリジョーの共演。ふたりが夫婦役で銭湯を営んでいるのだが、オダギリジョーが蒸発してしまい、宮沢りえは娘と夫の帰りを待っている……なんてことしか知らなかった。

 評判が良くて観る気になったのだが、実際に観た人の感想「泣けるよ~」に少し身構えた自分が恥ずかしい。
 扱っている問題はとんでもなく重い。それも三段構えだ。にもかかわらず、適度のユーモアをまぶして語っているところが、単なる泣かせの映画と違う。この差は大きい。

 映画は地方の町を舞台していて、途中からどこか気になって仕方なかった。渡良瀬という文字(看板)がでてきて、「もしかして?」。どこか見慣れた風景もでてきて、やはり足利だった。郷里太田の隣町だ。中学、高校時代、映画鑑賞でお世話になった。
 大学時代は、脳腫瘍の手術で母が赤十字病院に入院し、毎週土曜日泊まり込んで看病した。
 そんなわけで、映画の後半、寝たきりの宮沢りえを見るのはつらかった。母の姿とダブるのだ。もうそれだけで涙があふれた。

 宮沢りえは「紙の月」を契機にしたのか演技派の道を突き進んでいる。惚れ惚れしてしまう。
 それ以上に娘役の杉咲花だ。この子、こんなに巧かったのか! 




 一昨日、京浜東北線で転落事故があったことは知っていた。
 昨日、朝刊(朝日新聞)に記事がでていた。
 見出しにこうあった。「盲導犬の男性転落 死亡」「埼玉・JR蕨駅 ホームドアなし」
 盲導犬の男性という文字にピンときた。

     ▽
14日午前7時10分ごろ、埼玉県蕨市中央1丁目のJR京浜東北線蕨駅で、盲導犬を連れた男性がホームから転落し、進入してきた大船行き普通列車と接触、頭や上半身を強く打ち重傷を負った事故で、男性は同日午後0時20分ごろ、搬送先の病院で死亡した。
(略)亡くなったのは同県川口市のマッサージ師の男性(63)で、目が不自由だった。
     △

 まさか! あの人ではないのか?

 サラリーマン時代、毎朝のようにホームで盲導犬を連れた男性とすれ違った。いつも4両め、4つめのドアのところで電車を待っているのだが、電車が到着しドアが開くと、白(本当はイエローというらしい)のラブラドールの盲導犬に先導された男性が降りてくる。 背が高く、すらっとしている。年齢は60歳を超えていたと思う。
 今の仕事になってから、通勤時間が遅くなったので会わなくなってしまったが、時間は7時10分から20分の間。

 事故が起きた時間、川口のマッサージ師ということで、思い当たったというわけだ。ざわざわしてきた。
 西川口駅で改札を通る際に、駅員に訊いてみた。
「蕨駅で起きた転落事故ですが、川口のマッサージ師って、いつも西川口駅を利用されている方ですか?」
 若い駅員は一拍おいて答えた。「詳しいことは言えないんですが、そうだと思います」
 男性と盲導犬の姿が頭をよぎる。
 涙がこぼれそうになった。

 ご冥福をお祈りいたします。




 一応、前項から続く

 映画「ミュージアム」の監督は大友啓史。NHKのドラマ「ハゲタカ」の演出で名前を知った。当然、チーフディレクターを務めた大河ドラマ「龍馬伝」は一年間視聴した。
 その後、NHKを辞めてフリーに。映画監督に転身したというべきか。局員時代に「ハゲタカ」の映画を撮って、映画の世界に魅了されたのか。個人的には少々残念な気持ちがあった。もう少しNHKでテレビドラマの可能性を追求してほしかったので。
 実際、映画「ハゲタカ」には、ドラマのようなカメラワークの切れが感じられなかった。

 手持ちカメラ、全体的にブルーの色調の世界というと、堤幸彦を思い出す。連続ドラマ「ケイゾク」にハマって、映画化されると真っ先に劇場に駆けつけた。が、期待に応えてくれる出来ではなかった。その後さまざまな映画を手がける人気監督になるのだけれど、個人的には「?」。らしくない作品ばかりで、足を運びたいと思えないのだ。

 昔からTVから映画に進出するディレクターはいる。実相寺昭雄や五社英雄が有名だ。五社英雄は映画界の巨匠になってしまったが、実相寺昭雄は、TVの音楽番組、CMのほか、オペラ等、さまざまなメディアを舞台にしていた。映画監督でくくるには少し違うと思っている。

 大友監督はNHK退社後、「るろうに剣心」3部作で大ヒットを放った。予告編を何度か見て殺陣の激しさに興味を持ったが、結局鑑賞しなかった。TVで放映された際に録画したのだが、まだ一度も再生していないテイタラク。
 「プラチナデータ」、「秘密 THE TOP SECRET」は全然興味がわかなかった。
 注目している監督ではあるのだが、映画だけにとどまらず、TVの世界でもっと頑張ってほしいと個人的には思っている。

     ◇

2007/08/24

 「ハゲタカ」(NHK総合)

 NHKの土曜ドラマは昔から秀作の宝庫だった。TVドラマにほとんど食指が動かなくなった今もこの番組だけはチェックを入れている。ところが「ハゲタカ」はノーマーク。いや違う、主演が大森南朋ということで興味はあったのだ。映画「カルテット」や「ヴァイブレータ」で注目した俳優。それに初の主演ではないか!
 にもかかわらず、題材がどうしても好きになれず初回チャンネルを合わせなかった。株や投資の話はわが家ではご法度なのだ。
 結婚した当初、かみサンが証券会社の営業ウーマンの甘い口車に乗って株を始めて痛い目にあったことがある。ハイリターンの説明ばかりでハイリスクについてはまるで触れなかった。事実を知ったかみサンが当の営業ウーマンに説明を求めても逃げの一手。会社ぐるみで電話口に出そうとしない。声を枯らして嘆くかみサンを「知識がなかったことが要因」と諭した。
 また、かつて証券会社に勤めていた同僚の、泥沼にはまった証券マンたちの悲惨な生活ぶりを聞いてからというもの、その手の話には一切耳をふさぐことにしていたのだ。
 ドラマが始まって、いろんなところから評判が聴こえてきた。最初から観ていないので追いかけることもしなかった。後の祭りとあきらめた。

 再放送で評判が嘘でないことが確認できた。
 まず映像にしびれた。
 1970年代の後半、村川透監督、松田優作主演の〈遊戯シリーズ〉と呼ばれた映画があった。優作扮する一匹狼の殺し屋が活躍するアクション映画3部作だ。ディティールがリアルなストーリーはもちろん独特のカメラワーク(撮影:仙元誠三)に夢中になった。この世界観に角川映画が注目し、同じトリオを起用して「蘇る金狼」、「野獣死すべし」が製作された。ブルーを基調とした硬質なトーンがハードヴォイルドの世界をより際出させていた。
 90年代末になって、ビデオでこの世界を構築することができることがわかり歓喜した。堤幸彦監督の「ケイゾク」である。「ハゲタカ」はこの路線をしっかり継承しているのだ。

 始まりは一話完結風、進むにしたがって一つの物語に収束していくのは「踊る大捜査線」を意識したのだろうか。原作(真山仁「ハゲタカ」「バイアウト」)を読んでいないので、小説世界がどうなのか知らないけれど。実際にさまざまな企業のTOBがメディアをにぎわせてしているから、ドラマに緊迫感がある。似たような出来事を勤めている会社で経験しているし、株主総会なんて数年前まで毎年事務局の一員としてその時期慌しい毎日を送っていたから余計にそう感じるのかもしれない。
 大森南朋は若手役者(中堅役者?)の多良尾伴内だ。映画の中で本当に七つの顔を持つ。出演するたびにイメージが違う。このドラマでは非情な投資ファンドマネージャーを演じている。内にガラスの心、トラウマを持つ……。ライバルになる柴田恭平はいつもながらの恭平節(批判ではない)に深い思慮を滲み出していた。いつもうっとりしてしまうのが頬から顎にかけてのライン。あの鋭角は昔も今も変わらない。大森南朋に家族を崩壊させられ、やがて同じ道を歩みだす松田龍平はかつて父親が「野獣死すべし」で表現しようとしていた爬虫類キャラクターを好演。聞くところによると、某件で降板せざるをえなかった俳優の代演だという。これも何かの縁だろうか。
 しかし何といっても田村泯だろう。圧倒的な存在感だった。上手さというよりその人になりきってしまうというのか、台詞の一つひとつに含蓄がある。
 いやもっというなら、最初に映像ありきのドラマがNHKで生れたことに快哉を叫びたい。個人的なことといわれればそれまでだけど。


 【おまけ】

2000/03/20

 「ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer」(ニュー東宝シネマ1)

 TVシリーズ「ケイゾク」が正式に映画化されるのを知って、一番期待したのは、方向性もタッチも全く違うけれど「L.A.コンフィデンシャル」みたいな上質なミステリ映画の誕生だった。
 柴田と真山の凸凹コンビ(および捜査二課メンバー)によるギャグの応酬、独特な映像テクニックはそのままに本格的な(本格派ではない)ミステリ映画になったら、日本映画史に残る斬新なものになるんじゃないかと思ったのだ。

 タイトルに「Beautiful Dreamer」なんておよそ「ケイゾク」に似つかわしくないサブタイトルがついてがっかりきた。「コナン」や「金田一少年の事件簿」みたいなストーリー(南の島に関係者が集まって一人ひとり殺されていく)も期待をしぼませるのには十分だった。

 堤幸彦監督は自身が演出したTVドラマ「金田一少年の事件簿」の映画化作品でも舞台を香港にして一大ロケーションを敢行したのは記憶に新しい。TV出身の監督にすれば、映画はやはり〝お祭り〟〈フルコースメニュー〉〈見栄えがいいもの〉という認識なのだろうか。装飾を豪華にすればいいという問題でもないと思うのだけど。

 映画だからこそ、日常(「ケイゾク」の舞台は都会がよく似合う)に潜んだミステリアスな犯罪とその解明の模様を二転三点する練り込んだ脚本と独特な映像でフィルムに構築して欲しかった。
 クスクス笑いあるいは大爆笑の中で、クライマックスに向けての謎解きの伏線を見逃(聞き)さないように、一時もスクリーンから目が離せない。で、あっというドンデン返しがあって真犯人がわかる仕組み。僕はそういう展開をのぞんでいた。
 真犯人がわかってからはハードボイルドタッチ(かつての遊戯シリーズみたいに)で警察VS犯人の戦い(銃撃戦)を描いてもいい。

 映画は昨年末に放映された「ケイゾク/特別編」の後日談として始まる。
 上映時間約2時間の3/4(1時間30分)は映画用に新たに設定された事件がTV同様柴田のボケと真山のツッコミで笑わせながら描かれる。犯罪のトリック自体は稚拙なもので、始まっていくらもしないうちに犯人がわかってしまったのはちょっと残念だが、「ケイゾク」の雰囲気はうまく表現されている。これはこれでいい。ただこれだけのエピソードでラストまでひっぱるのは無理というもの。当然事件が解決してから大きなひねりがある。

 問題なのはそのラスト30分だ。TVシリーズから執拗に続いている殺人鬼・浅倉と真山の対決が描かれ、やっと戦いに終止符をうたれた(らしい)。が、これが、どうにもよくわからない展開なのだ。
 このエピソードはそれまでの物語を拒否するかのような形で追加され、TVシリーズを知らない観客はもちろん、観ていた人だって、朝倉が何者で何をしたかったのかわからない。
 観客に媚びたあまりに説明過多な浪花節ラストもイヤだけれど、監督の一人よがりなわけのわからないものも困ったもんだ。TVシリーズ、スペシャル、映画と観てきて、何よりスタッフがなぜあそこまで浅倉に固執するのか僕にはわからない。

 「ケイゾク」の凝った映像はTVドラマの中でも特筆ものだろう。ビデオでハードボイルドが撮れるというのは何とも心強かった。TVは名キャメラマンを生み出せなかったと言われて久しいが、堤幸彦の片腕として数々の作品に参加している唐沢悟はその範疇に入るのではないだろうか。
 かなりフィルムの質感に迫った映像設計で、「ケイゾク」の映画化はその点でも期待が大きかった。ところが、TVと同じカメラワークでもどうもキレが感じられないのである。「ケイゾク」の映像はビデオだからこそ堪能できるもの、逆の意味でフィルムとビデオの違いを思い知った。

 木戸彩(鈴木沙理奈)の元恋人に大阪弁で啖呵をきるところはゾクゾクきた。




 永井豪が「激マン」の第2弾「マジンガーZ」編の連載を始めてからというもの、「漫画ゴラク」を立ち読みするようになった。実際は隔週連載なのだが、毎週金曜日、出勤前の近くのコンビニでページを繰っている。

 巻末の記事の中に北川れい子の映画評(一頁)がある。主に邦画が取り上げられていてけっこう参考にさせてもらっている。
 ただ、この方、映画に仕掛けられたトリックに無頓着で、何気なく紹介してしまうので困ってしまう。

 以下、ネタばれあり。

 たとえば、昨年公開された「ピンクとグレー」。監督が行定勲というので興味を持っていたところにこの映画評を読んだ。原作がジャニーズのアイドルが書いた小説であることもはもちろん、どんな物語なのかも知らなかった。
 映画評で「ピンクとグレー」の概略がわかったわけだが、映画を観て驚いた。
 冒頭からの約1時間は映画中映画で、その後、主演の菅田将暉と中島裕翔の役柄(立場)が逆転するのである。映画にどんでん返しが仕掛けられていたわけだが、映画評では、このトリックを明かしているのだ。いや、読んでいてトリックだなんて意識していなかった。あたかもアーバンタイトルのごとく書いていたので、それほど重要だとは考えておらず、だから映画を観て驚いたというわけ。
 映画鑑賞後に知るのだが、ポスターには「開始から62分後の衝撃」とあった。その衝撃が何なのか、北川れい子は書いているのである。
 いいんですか? それで。
 まあ、ポスターに書いてしまうことで、観客は身構えるから、本当の意味でどんでん返しになるのか疑問だが。

 同じことは「ミュージアム」でもあった。
 「ミュージアム」は「ピンクとグレー」と違い、劇場で何度も予告編が流れて興味を持っていた。予告編では、主演が小栗旬であること、刑事に扮し、謎の連続殺人(それも残忍な)事件に家族ともども巻き込まれてしまうということしか紹介していない。犯人は蛙のマスクをかぶった男なのだが、誰だかわからない。
 「犯人は誰か?」が映画の謎解き、重要なポイントになるのだろうと推測できる。

 にもかかわらず、北川れい子は、映画評の最後の1行にこう付け加えた。
「犯人役は妻夫木聡」
 おいおい、である。読まなきゃよかったと思ったが、後の祭り。
 実際、映画の冒頭にはクレジットタイトルはなく出演者の詳細はわからない。ポスターにも蛙男は?になっていた。やはり犯人が誰かという推理は展開の主軸になっているのである。
 だからこそ、小栗旬が別居した女房・子の居場所を訊きに女房の友人が働く病院を訪れたシーンで極上の恐怖を味わえる作りになっていて、個人的にはこの映画の一番斬新なところだったと思っている。ホラー小説「黒い家」で、精神科医が犯人が子ども時代に書いた詩を分析し、この人には心がないと結論づけたくだりに似た恐怖だ。
 ところが、こちらは犯人が妻夫木聡だと知っているから、その前にあるエピソードがあって、映画の中で唯一本人だとわかるショットがある。「ああ、こいつが犯人だと」とわかってしまい、つまり展開が読めてしまって全然怖くなかった。
 どうしてくれるのよ、北川れい子さんよ。

 なぜ、最後に「犯人役は妻夫木聡」なんて書くのだろう。せめて、共演は、として、二人ほどの役者名を記し、その中の一人を妻夫木聡にしてほしかった。
 思うに、北川れい子って、ミステリとか謎解きに興味がないのだろう。あくまでも人間ドラマが重要であって、映画に仕掛けられたトリックなんて眼中にない。でなければ、最後の1行で犯人役を明かすなんて愚行を犯すはずはないのだ。

 映画「ミュージアム」は賛否両論があるが、個人的には面白く観られた。何より鑑賞後の充実感があった。
 突っ込みどころはいくつかある。
 連続殺人の犠牲者にはある共通点があった。皆ある殺人事件の裁判の裁判員だったのだ。その一人、引きこもりの若い男。裁判員の要請を了承するだろうか。身重の女性も同様。
 また、犯人だが、あんな短期間、短時間で、大胆奇抜な殺人を実行できるものだろうか。それもたった一人で。誰にも目撃されないというのもどうにも腑に落ちない。
 ここでつまずくと、この映画が受けつけなくなる。僕は「そういうもの」と受け流したので、その後の展開を楽しめた、のかも。
 開巻から雨模様が続く。まるで「ブレードランナー」のようだなと思っていたら、後半で単なる雰囲気作りではないことが判明する。ちゃんと意味があったのだ。




 昨日(6日)の休日、また3本鑑賞敢行!

 10時30分 「モスラ」(ラピュタ阿佐ヶ谷)
 15時30分 「遊び」(角川シネマ新宿)
 18時30分 「エルストリー 1976」(新宿武蔵野館)

          * * *

 年末年始休暇最終日の3日は、地元シネコン、MOVIX川口で12時30分の回、字幕版の「ローグ・ワン」を鑑賞する。
 30分前に行ったのだが、ほぼ満席だった。あと少し遅れたらチケットがとれなかったかも。正月だからだろうか。

 (以下、ネタばれあり)
 元日の新聞に「ローグ・ワン」の全面広告があった。惹句の〈泣けるスター・ウォーズ〉に得心した。僕の目頭が熱くなったのは、盲目の戦士が「フォースは我と共にあり、我はフォースと共にあり」と繰り返し唱えながら、砲弾の中を進んでいくショットだったのだが。
 観客が涙する二人の最期は「ディープ・インパクト」の引用だろうか。あちらは娘と父親だった。
 
 クライマックスの戦いは惑星の成層圏が舞台となる。このヴィジュアル(VFX)が新鮮だったのだが、「ゼロ・グラビティ」の影響があると思う。それにしても美しさが際立っていた。
 デススターの一撃で惑星が破壊されるくだりは、明らかに1作めとリンクしていない。「スター・ウォーズ」では一瞬のうちに惑星を破壊していたのだから。
 しかし、ふたりが迎える最期でその理由が理解できた。
 そして、ラストの若きレイア姫。前回の鑑賞のときは驚愕だったが、今回は涙がひとすじ。
 
 モフ・ターキン総督とレイア姫は実際の俳優が演じ、顔をCG加工で1作めと同じキャラクターにしているのだと思う。声はどうなのだろう? 同じなのか、違うのか。
 で、思った。こういうことができるのなら、過去の名作、傑作の続編が可能ということになる。たとえば、若き三船敏郎を蘇らせ、「七人の侍」の続編が作れるわけだ。いや、前日譚か。観たくないけれど。

 「ローグ・ワン」は「スター・ウォーズ」シリーズのスピンオフ作品というよりギャレス・エドワーズ監督の新作という点に興味があった。演出力が非凡であることが確信できた。
 「GODZILLA ゴジラ」の続編に期待しよう!




 昨日「ローグ・ワン」が観られなかったので、今日こそはと地元シネコン午後の回に行った。チケットを買う段になって、吹替版だとわかった。少し悩んで、やっぱりやめた!
 仕方ないから、年始の買い物に精出した。
 財布、パンツ&ジャケット、新刊、古書。
 かなりの出費。
 今年から、もう一つ仕事増やすから、まあいいか。

          * * *

2016/11/12

 「ゴジラの精神史」(小野俊太郎/彩流社)

 第一弾「モスラの精神史」、第二弾「大魔神の精神史」、どちらも新刊で購入した。しかし、大得心の「モスラ」に比べ、「大魔神」は今イチだった。ゆえに「ゴジラ」は買わなかった。古書店で見つけ、「だったら読んでみるかな」。
 「ゴジラ」公開時のリアルタイムのあれやこれやが理解できた。
 第4弾の「ウルトラQの精神史」に期待できる。

2016/11/19

 「袋小路の休日」(小林信彦/講談社文芸文庫wide)

 中央公論社の単行本、文庫、講談社文芸文庫、すべて持っている。にもかかわらず、文芸文庫のワイド版が出たと知って、あわてて書店に駆け込んだ。オーバーだけど。
 
2016/11/27

 「1963年のルイジアナ・ママ」(亀和田武/徳間文庫)

 1960年代、「ヒットパレード」の時代は、日本の歌手が洋楽を日本語でカヴァーするのが当たり前だった。ぼやけて記憶していたあの時代が、本書を読むとはっきりくっきり浮かびあげってくる。
 で、読めばどうしたってダニー飯田とパラダイス・キングを聴きたくなる。

     ◇

2016/12/01

 「俳優 原田美枝子」(鈴木隆/毎日新聞社)

 何度か涙流した。

2016/12/10

 「ねらわれた学園」(眉村卓/角川書店)

 少年ドラマシリーズのドラマに比べて実にシンプルだった。まあ、「時をかける少女」もそうだったけど(「タイム・トラベラー」と比べて)。確か、ドラマはもうひとつ眉村卓のSFジュヴナイルが使われていた。もちろん「タイム・トラベラー」のようにオリジナル展開もあるのだろう。

2016/12/26

 「自家製 文章読本」(井上ひさし/新潮文庫)

 井上ひさしの日本語に関する本は何冊も読んでいるが、本書は特に目から鱗だった。




 読書の、毎年の目標は最低でも月10冊読むというもの。年120冊を読破しているわけだが、昨年(2016年)は、1月からクリアできなかった。それでも、翌月で挽回できるなんて軽く考えていたら、小説の訂正、ゲラのチャック等々で、全然余裕がなくなった。
 おまけに、通勤時の読書もままならなくなってしまった。疲れで座るとすぐに意識がなくなってしまうのだ。だったら、目的地(秋葉原駅)まで立っていればいいんだと、試してみたが、はやりすぐに瞼が重くなる。
 そんなわけで、2016年の読破は82冊とあいなりました。

          * * *

2016/09/03

 「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(新井啓介/文芸社)

10月15日発売の本が著者進呈分として送られてきた。あっとゆうまに読んだ。誤植(あるんだ、これが。あんなにチェックしたのに、訂正(間違いではないのだが、表現を変えたい)等、赤を入れていく。数十ヶ所あった。うんざり。

2016/09/04

 「僕とニュー・ミュージックの時代」(泉麻人/シンコー・ミュージック・エンタテインメント)

2016/09/08

 【宮崎駿の「半径300メートル」と『風立ちぬ』】(荻原真/国書刊行会)

 「まぐま」同人仲間だった荻原さんから新刊が送られてきた。荻原さん、いつまで宮崎駿に拘るのか?

2016/09/17

 『評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを』」(横田増生/朝日新聞出版)

 エピローグで泣いた。

2016/09/18

 「ぼくの花森安治」(二井康雄/CCCメディアハウス)

 NHK朝のテレビ小説「とと姉ちゃん」に対する二井さんの反発がすごかった。ドラマなんだからとなぜそこまで口撃するの? と思っていた。読んでわかった。ドラマに花森イズムがなかったということだ。

2016/09/22

 『アルファ伝説 音楽家村井邦彦の時代』(松木直也/河出書房新社)

 本書の隣に「僕たちの赤い鳥ものがたり」が置かれたら少しは注目されるのに。

2016/09/22

 「ぼくらが惚れた時代小説」(山本一力・縄田一男・児玉清/朝日新書)

     ◇

2016/10/04

 「そこでだ 若旦那!」(立川談四楼/シンコー・ミュージックエンタ・テインメント)

 もう長い間単行本化を熱望していた。連載している「BURRN」の版元が書籍にしないのなら、別の出版社がまとめてもいいではないか。師匠にも何度か訊いたことがある。なぜ本にならないのですか。
 本にならないどころか、連載が終わってしまったには落胆した。毎月初旬の愉しみを失ったのだから。
 それほど、落語界に対する提言がある。某落語家さんと弟子の確執についてのレポートは熱かった。

2016/10/21

 「虚栄の市」(小林信彦/角川書店)

 長い間、幻の文庫だった。手に入らなくてもせめて読みたい。それが願望だった。にもかかわらず、読了までに何日かかったのか。小林信彦の本はいつだってあっというまに読了するというのに。
 体調のせいと、「僕たちの赤い鳥ものがたり」出版に関係する。
 小説はとても面白かった。
 盗作問題は、後年の常盤新平との映画「Wの悲劇」のやりとりを先取りしたものではないか。

2016/10/26

 「仮面ライダー青春譜 もうひとつの昭和マンガ史」(すがやみつる/ポット出版)

 この本、ずっと気になっていた。やっと読めた。




 年末最終日の仕事を終えてから神保町から有楽町へ出てヒューマントラストシネマ有楽町で「湯を沸かすほどの熱い愛」を観る。2016年最後の映画鑑賞。
 最後の映画が2016年ベストワンになった。もちろん自分にとっての。映画に順位なんてつけたくないのだが。
 この映画については項を改めて詳述する。

 元日の昨日は映画サービスデー(今はファーストデーというみたい)ということで、新宿へ出て2本観た。元日の映画鑑賞は、いつのまにか年の初めの恒例になっている。
 本来の目的は18時からシネマカリテ「ヒッチコック/トリュフォー」。が、せっかく新宿に出るのだからと、もう1本鑑賞することにした。だったら、キャリー・フィッシャー追悼で、13時40分からの新宿ピカデリー「ローグ・ワン」を観ようと午後あわてて外出したのだが、タッチの差で間に合わず。
 新装オープンした新宿武蔵館で「エルストリー 1976 ―新たなる希望が生まれた街―」を上映していることを知って、行ってみると上映時間が完全に「ヒッチコック/トリュフォー」とダブってしまう。断念。

 結局、新宿ピカデリーで「土竜の唄 香港狂騒曲」を観ることに。
 1作めは観ていないのだが、予告編で菜々緒の悪女ぶり、セクシーカットが気になって。
 期待には応えてくれた。もちろん笑えた。静かな笑いだが。ただし、主人公が勃起するときの表現として小学生の男の子が笛を吹く挿入カットに大笑い。

 「ヒッチコック/トリュフォー」、特に新しい発見というものはなかった。しかし、ラスト近くのヒッチコック監督が功労賞を受賞するシーンに胸が熱くなった。




 明けましておめでとうございます。

 昨年6月までなんとか毎月UPしていた読書録が7月以降ストップしてしまった。忙しくてノート記載のメモを書き写すのが面倒になったのだ。来月まとめて、来月まとめて、なんて思いながらとうとう年末になってしまった。
 だったら、大晦日に一挙にやろう! そう宣言したにもかかわらず、結局、コミケで「まぐま」販売の手伝いをして打ち上げに参加して帰宅したら、もうクタクタ。そのまま布団に入ってしまって、元旦を迎えてしまった。

 ということで、まだ昨年をひきずりながら2017年のブログを始めます。
 今年もどうぞご贔屓に、よろしくお願いいたします。

          * * *

2016/07/05

 『「私」のいる文章 発想・取材・表現』(森本哲郎/ダイヤモンド社)

2016/07/08

 「正しいのはどっち? 語源の日本語帳」(岩淵匡 監修 一校舎国語研究会 編/永岡書店)

2016/07/14

 「おかしな男 渥美清」(小林信彦/ちくま文庫)

2016/07/17

 「すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考」(マキタスポーツ/扶桑社)

2016/07/19

 「1979年の歌謡曲」(スージー鈴木/彩流社)

2016/07/21

 「音聖 筒美京平」(田中忠徳/東洋出版)

2016/07/28

 「若松孝二と赤軍レッドアーミー」(原渕勝仁/情況新書・世界書院)

2016/07/30

 「鉄人28号①」(横山光輝/小学館)

     ◇

2016/08/02

 「どろろ」(手塚治虫/秋田書店)

2016/08/12

 「クレアが死んでいる」(エド・マクベイン/加島祥遥 訳/ハヤカワ文庫)

2016/08/14

 「なつかし漫画王 あの漫画ヒーローにはこんなヒ・ミツがあった」(逢河信彦/実業之日本社)

2016/08/20

 「にほんのうた 戦後歌謡曲史」(北中正和/新潮文庫)

2016/08/29

 「グッドモーニング 監督 本多猪四郎と撮影所の時代」(樋口尚文/図書刊行会)

2016/08/31

 『日本人が「使いすぎる」英語』(デイビット・セイン/PHP文庫)




プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
私家本「僕たちの赤い鳥ものがたり」
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」

神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。遊びにきてください。

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