5月27日は紙ふうせんシークレットライブだった。10年前、平山さんの3度めの成人式を記念して、FC会員向けに企画されたのが始まりで現在に至っている。1回めの会場は北新地のジャズ専門のライブハウス「SOUND INN 英國館」。
 その後、会場を変えながら春(当初はGWに開催されていた)に企画され、ファンにとって、秋のリサイタルとともに、春のなくてはならないイベントとなった。
 今年は10回めの記念すべき会。
 では、第1回はどんな内容だったのか?
 夕景から転載する

     ◇ 

2007/04/29

 「紙ふうせん シークレットライブ」(SOUND INN 英國館)

 3月某日は紙ふうせん、平山(泰代)さんの××回目の誕生日。昨年の4月には後藤(悦治郎)さんが還暦を迎えた。
 これを記念してバースデーライブが開催された。ふたりからファンクラブ会員へのプレゼントとして、会員限定のシークレットライブ! 
 場所は北新地にある英國館というジャズ専門のライブスポット。
 この日は後藤さんと、赤い鳥時代からのバックミュージシャン(ベーシスト)、「冬が来る前に」の作曲者でもある浦野直さんの誕生日でもあった。

 交通費を節約するため、深夜バスにするかどうか直前まで悩んでいた。前回利用した格安バスは、ウトウトすると休憩(トイレタイム)になってほとんど眠れなかった。このところ疲れがはなはだしいことだし、だったら奮発して往復新幹線だぁと腹をくくった(その代わり帰ったら毎日力仕事だ)。
 ところが前日、ほとんど眠れなかった。赤い鳥CD-BOXのレア・トラックスをBGMに布団に入ったのだが、3曲目になっても意識がなくならない。何回CDを繰り返し聴いたことか。
 実はシークレットライブへの期待で、胸が高鳴って眠れたもんじゃなかったのだ。まるで次の日が遠足の小学生みたい。

「昔の曲をやる予定なんです」
 一週間前にNマネージャーにどんなライブになるのか確認したら、そういう返事だった。小躍りした。「長年の夢がかなった!」
 ファーストアルバムから何曲歌うだろう? 赤い鳥時代の曲は? あんな曲、こんな曲。ファンクラブ限定なんだから、隠れた名曲を披露するんだろうなぁ、別に演奏や歌詞を間違えたっていいだんからさ。  
 ほとんど寝ていないのに、8時にセットした目覚ましが鳴る前に布団から起き出してしまう始末。

 こんなことなら深夜バスでもよかったなあと後悔しながら重たいリュックを背負って11時33分東京発の新幹線「のぞみ」に飛び乗った。
 リュックの中は「体験的紙ふうせん論」が掲載されている「まぐま」最新号10冊と浦野さんへの誕生日プレゼント「名人 志ん生、そして志ん朝」(小林信彦/朝日選書)と「ファイティング寿限無」(立川談四楼/ちくま文庫)、いや嘘、本当は昨年から用意していて送りそびれていた。
 そして、そして業務で大至急学ばなければならない「バランス・スコアカードがよーくわかる本」。でもそんな本はぜったい飽きるから、もう1冊「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫/文藝春秋)を用意、したはずが忘れた……。

 14時08分新大阪着。JRで大阪駅へ。降りたら地図を頼りに地下街を通り抜けて北新地へ。地上へ出たらすぐ目の前が英國館のあるビルだった。
 16時開演(15時30分開場)にはまだ時間がある。どこかでお茶する前に、お店だけ確認してみるか。エレベータの釦を押した。後ろに人影を感じて振り向いた。
「あ~!」
 バックのピアニスト、今出哲也さんが派手な黄色のジャケット(&黒のパンツ)姿で立っていた。

 まさか今出さんも出演されるとは思っていなかった。浦野さんのベース、後藤さんの後輩(京都外大のアメリカンフォークソング部)で、ハルというグループでも活動しているすぎたじゅんじさんのギターは予想していたのだが。いつものメンバーが勢揃いするわけだ。
「何をするか実はよくわかっていないんだ」とはエレベーターの中の今出さんの弁。

 開演前に後藤さんの前説があった。平山さんが登場したらハッピーバースデー・ツー・ユーのバースデーを寿賀にして皆で唱和してほしいと。
「いいですか、絶対バースデーとは歌わへんように!」
 やっぱり女性は大台に乗ると気にするものだろうか。
 それから本日の進行説明。それはスタッフの役目では? でも、まあ、リサイタルでも陰アナやってましたからね。

 平山さんが登場すると、20本の蝋燭が立ったケーキとともに〈ハッピー寿賀ツーユー〉。深紅のバラの花束贈呈があって、まず祝辞。ファン代表はNHK「趣味悠々 はじめての写経」で平山さんとともに生徒になって写経を習ったSさん。大柄な枝雀さんみたいなご面相。
 浦野さんの乾杯の後、まずは紙ふうせんライブ。

 昔の曲って、洋楽の「オーバー・ザ・レインボー」や「君ほほえめば」だったみたい。夢叶わず……
 2曲目の歌は数年前のリサイタルで披露されたもの。後藤さんの作詞作曲なのだが、平山さんからリテイクくらって、詞が共作になった。だからタイトルがまだないという。これが2回目。後藤さんのふてくされることといったら……。
 紙ふうせんがデビューしてから四半世紀ほど、ほとんどが後藤さんの作だった。なぜか共作というものがない。CBSソニー時代は女言葉による歌が多かったがすべて後藤さんの作詞だ。赤い鳥時代は歌だけ聴くと、平山さんの方が男性的だったように思う。別に後藤さんが女性的というわけではないけれど。
 平山さんの歌で「泣かないで My Love」というのがあって、その一節、雨が降っても会いたい、雨がやんでも会いたい、に女心だなぁと思った。
 女性は落ち込んだとき鏡の前で笑う練習するのよ、と平山さん。人生にスマイルを!

 「ホーハイホー」はNHK「みんなのうた」から出た歌だが、久しぶりにまた「みんなのうた」用に考えているとのこと。今度は伝承歌。「もうっこ」らしい。期待大!!

 竹田の子守唄/無題/オーバー・ザ・レインボー(アカペラ)/虹/街を走り抜けて
 /君ほほえめば/ホーハイホー/ルート43/船が帰ってくる/冬が来る前に

 ライブのあとも企画は盛りだくさん。
 俳句BINGO。9つのわくに各人自由に5、6月の季語を書き込む。後藤さんから季語の発表があって、上下、左右、斜め、BINGOになると豪華商品が当たる仕組み。
 イントロあてクイズもあった。それもただのイントロではない。Aだと思ったらBだったというひっかけ問題。
 ファンがマイクの前で一芸を披露するコーナーも。
 すぎたさんを講師にギターを習っているIさん。極度の緊張で、ステージに立つ前にビールをがぶのみ。これでなんとか落ち着けたなんて自信満々だったのに、いざギターを弾いたら、もうメロメロ。
 Sさんは写経の先生のお祝いの言葉を録音してきて披露した。
 その某先生の第一声。
「平山いくよさん、おめでとうございます!」
 平山さんも後藤さんもハラヒレホレヒレ~。大爆笑。

 すぎたさんの歌、今出さんのピアノソロ、浦野さんのベースで、この俳句はなんでしょう? これ何て言っている? 
 和気藹々にパーティーは終了したのでした。

     ◇

 この項続く




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2017/05/25

 「追憶」(新宿ピカデリー)

 最初に予告編を見たとき、「ミスティック・リバー」の翻案、日本版リメイクかと思った。
 幼なじみの少年たちがある事件にかかわって、離れ離れになって25年。一人は刑事になっていて担当した殺人事件の容疑者がかつての幼なじみ……。プロットがよく似ている。

 監督が降旗康雄、撮影が木村大作。かつて高倉健主演の映画を撮っていた名コンビだ。
 このコンビが岡田准一、小栗旬、 柄本佑といった若手(でもないか、中堅)人気俳優を起用してどんな映画を魅せてくれるか?
 大学生のとき、「駅 STATION」の予告編を初めて観たとき涙がこぼれた。いしだあゆみが列車に乗って、見送る高倉健に敬礼する際の泣き笑い。そのしぐさと表情。内容も状況もまったくわからないというのに。
 昨年、木村大作と金澤誠の共書「誰かが行かなければ道はできない 木村大作と映画の映像」を読んで、木村大作が撮影を担当した作品を立て続けにDVDで鑑賞した。

 だからだろうか、この「追憶」という映画、監督とカメラマンが昔とった杵柄でそれこそ撮った作品という印象を受けた。
 タイトルバックの冬の日本海は素晴らしいのだが、どこか既視感があった。
 コンパクトにまとめられていて、役者陣も皆がんばっているのだが、もろ手を挙げて拍手喝采できない自分がいる。
 まとめられすぎているのだ。
 少年時代の回想シーンは銀残し(?)、現在はカラーという区分けもテクニックが際立つだけのような感じがした。いや、映像は良いのだ、確かに。

 話も出来すぎている。というか、展開に違和感をあった。
 信じられなかったのは、刑事の岡田准一が昔の幼なじみと再会し旧友を暖めた翌日にその幼なじみが殺されたことを知り現場検証に行くシークエンス。
 普通の感覚なら、自分の知り合いであること、昨日会ったこと等、同僚に伝えるのではないだろうか。
 岡田准一が率先して事件を捜査していると、容疑者がかつての幼なじみだとわかり、苦悩、葛藤の末、ある種の隠蔽工作を行い、警察機構の中で孤立していく……なんていう展開になるのではないか。
 前日に会ってないのなら、まだわかるのだけれど。

 岡田准一と小栗旬の関係も腑に落ちない。
 同じ町に住んでいて、まったく関係を絶てるのだろうか。
 どんなに絶っていても、仲間からの情報で何をしているかくらいわかりそうなもんだ。
 岡田准一が故郷を捨てて上京し、逆に柄本佑が同じ町に住んでいるという方が展開に不自然さがないと思う。
 最後に明かされる真相もそんなことできるのか? という思い。
 どこか作り物感が鼻につく。

 役者が頑張っていると書いたが、岡田准一は少し肩に力が入りすぎていないか。
 女優陣が印象的だった。
 りりィ、長澤まさみ、西田尚美。
 木村文乃の身重姿は、知り合いの女性(30代)が結婚して妊娠するとこんな感じかなと微笑ましかった。
 ただ、安藤サクラだけはミスキャストではないか(あくまでもこの映画において、ということで)。 血だらけの床に伏せながら台詞をいうところなんて蛇女みたいでそこだけホラーになっていたような。
 老け姿も、いまいち。

 感動的に締めくくられたあとのエンディングクレジット。
 縦書きの文字が左から右に流れる。
 原案脚本が青島武と瀧本智行。では脚本は誰なのか、注意深く見ていると最後まででてこなかった。
 どういうこと?
 帰宅して公式サイトを調べてみると、原案・脚本となっている。
 単に・を省いただけか。まぎらわしい。

 「犯人に告ぐ」で注目した瀧本智行は最初から脚本だけの担当だったのか?
 当初は監督も担当する予定だったのか、途中で交代になったんではと邪推する。
 瀧本監督ならどんな作品に仕上がったのだろうか。
 



 
 一昨日(26日)の夜、仕事を終えてから深夜高速バスで大阪へ。
 翌27日に夙川のライブハウスで紙ふうせんのシークレットライブがあったのだ。
 2日間は休めないので、27日の夜に深夜高速バスで帰ってきて、そのまま仕事へ。
 強行スケジュールのように見えるが、毎日の睡眠時間が3時間なので、往復のバスの中で熟睡、逆にたっぷり休養できた。不思議なものだ。
 ライブの詳細については次項で。
 そういえば、昨年のリサイタル、まだ何も書いていないんだよね。いかん、いかん。

          * * *

 どうでもいいことかもしれませんが、以前から気になっていたことがあります。

 日本語で映画、音楽、演劇など一般的に娯楽を指す英語にentertainmentという言葉あります。
 その日本語表記なんですが、昔、1970年代中頃までは「エンターテイメント」でした。ところが、アメリカのMGMが往年のミュージカル映画の名場面で構成した「ザッツ・エンタテインメント」という映画が公開され絶賛をあびてから、「エンタテインメント」という表記が当たり前になったんです。
 会社名、雑誌名、私が知っている限り皆「エンタテインメント」です。そういう表記にする暗黙のルールができたのかと思っていました。

 そんな中、思い出したくもないのですが、セガとバンダイが合併することになり、新社名「セガバンダイ・エンターテイメント」と発表され、ちょっと違和感を憶えたんです。
 時流に乗っていない、遅れているというのが、その時の私の率直の感想でして。案の定、合併話は消えてしまいました。

 それから注意深くセガのニュースリリースを見ていると、必ず「エンターテイメント」なんですね。昨年発表された中期計画の総称である「ネットワークエンターテイメント」もそうでしょう?
 これはどうしてそうなのか、社内で決まりでも作っているのだろうかと、広報に訊いたところ、一番発音に近い「エンターテイメント」に統一しているとの回答で、そう言われると何も言い返せません。

 確かに、ほかに追随する、真似をするというのはほめられることではありませんし、独自の道を行くことは良いことだとは思うのですが、ゲームもエンタテインメントの一つ、最近のセガを見ていると言葉の表記においても、今の時流に乗り遅れているとという印象を持ってしまうのです。




 林真理子が最近のエッセイで、電車の中で鼻毛の処理をしている若い女性を目撃して驚いたことを書いていました。化粧なんて当たり前、もう鼻毛を人前で抜ける時代になったんです。

 今の若い子には他者は存在しないそうですね。たとえばカップルがいるとすれば、ふたりだけがすべて、ふたり以外は舞台裏というか、全く価値のないものだというわけで「他人の目」など考えることもない。自分と接することのない人なんてどうでもいいという考え方なんだろうと。
 私もちょっと前、帰りの電車の中で、けっこう満員だったんですが、楽しそうにキスしあっている高校生のカップルに出会いました。

 林真理子はそういう人は見て見ぬふりをすれば何とかやりすごすことができると、困るのは異人種としか思えない人が仕事の相手になってきていることだと嘆いていました。

 ある女性編集者がインタビューの仕事で林真理子の事務所を訪れました。仕事が終わると「サインをいただきたい」と言います。ときどき編集者やライターの方がもじもじしながら林真理子の本を取り出しサインを乞うのだそうで、その行為自体は何とも思わない。
 ところが、その編集者は本でも色紙でもなく、ファイルノートの切れっぱしをとりだしたそうなんです。で、「仕事で会った人には記念にサインをもらうんです。〇〇(女性編集者の名前)さん頑張って! とか何か一言添えてほしい」とのたまわったそうで、これには林真理子がかちんときた。
 それじゃ田舎のラーメン屋のオヤジじゃないか! 
 ちゃんとした出版社の社員で、その出版社の看板を背負って私に会いに来たのだ、会社を代表しているわけだ。なのに、そんなシロウトさんみたいな真似なんてしなさんな。
 と、注意したいのですが、できないんですね。
 結局サインして後悔するんです。
 で、彼女の上司なりに忠告しておこう、それが親切というものだ、と思ったところ、アシスタントというか、秘書の人に言われてしまいました。
「人に嫌がられてまで親切にすることはない、損をするだけです。バカは一生バカなままでいいんです」

 このあと、林真理子は自分の若いころは恥ずかしいことばかりやっていたが、まわりにはちゃんと注意してくれる大人がいた。自分は今その立場にいるが、とても他人を注意する器ではない、この時代に若いバカを気づかせてくれる大人がいるのだろうかと結んでいます。

 この問題にはいろいろ複雑な要素が含まれています。
 会社員としての立場、仕事上の注意の仕方等々、私自身とても考えさせられます。
 皆さんはどう思われますか?




 最近、映画や読書のレビューを書いていない。理由がある。中途半端なものをUPしたくないのだ。いろいろ書きたいことがあるから、後回しにしてそのままというパターンに陥っている。いかんいかん。

 昨日の昼間、地元シネコンで「無限の住人」を観た。予告編を見てアンテナにひっかかっていたのだ。公開されたらすぐに劇場に足を運ぼうと思っていたのだが、体調不良、ぎっくり腰等でなかなか行けなかった。
 公開されてからは、あまりお客が入っていないということで、またいつものキムタク演技をあげつらって、何かと批判の声を目にしたり耳にしたりしている。
 本当にそうなのか? 

 かつて、キムタクは山田洋次監督の時代劇に主演したことがある。
 レビューでこう書いた。

     ▽
2006/12/22

 「武士の一分」(丸の内ピカデリー)

 このままでキムタクはいいのだろうか? ずいぶん前から思っていた。別にSMAPのファンではないし、ジャニーズなんて昔の渡辺プロみたいで大嫌いだ。にもかかわらず考えてしまう。

 キムタクは本当にこのままでいいのだろうか?
 「anan」が毎年実施している〈好きな男アンケート〉では13年連続のトップ。TVドラマに主演すれば高視聴率で話題を呼ぶ。SMAPとして何曲もヒット曲を持つ。

 タレントとしてならそれでいいかもしれない。中居くんの立ち位置だ。俳優としてはどうだろうか。確かにドラマは高視聴率だ。しかし、10年後、20年後、彼のドラマは語られるだろうか。たとえばショーケンの「傷だらけの天使」、松田優作の「探偵物語」のように。
 たぶん、ノーだ。語られるとしても、あくまでも〈高視聴率〉という側面でという注釈がつくと思う。

 俳優としてなら、同じSMAPの草なぎくんの方がずいぶんといい仕事をしている。ジャニーズでいえば岡田准一や長瀬智也に注目している。あと二宮和也。彼らはTV、映画、隔たりなく出演している。個人的に観たくなる作品だ。

 キムタクにこれまで本格的な主演映画がなかった、というのが信じられない。
 香港映画に出演してから事務所も方針を変えたのだろうか。
 山田洋次監督のオファーを受けて、藤沢周平原作の時代劇第三弾「武士の一分」に主演すると知ったときは、やっと〈作品〉作りに取組む気持ちになったのかと思ったものである。

 前評判も上々。かなり期待していた。
 平日の午後、映画館はかなりの混雑だった。年齢層は雑多。けっこう高いか。

 海阪藩の毒見役である三村新之丞(木村拓哉)は妻加世(檀れい)と中間の徳平(笹野高史)と質素に暮らしている30石の下級武士。かわりばえのしない仕事に嫌気がさし、剣の腕を活かした道場を開きたいという夢を持っている。
 ある日、いつものように毒見をした新之丞は激しい腹痛に襲われた。食した貝に猛毒が含まれていたのだ。命はとりとめたものの、高熱で3日間寝込んだ後、意識をとりもどした新之丞は新たな悲劇に見舞われる。失明していたのである。
 盲目では仕事はつとまらない。家名断絶を覚悟した新之丞だったが、藩主の温情により、これまでどおりの生活が保証された。
 妙な噂は、口かさのない叔母(桃井かおり)からもたらされた。加世が見知らぬ男と密会しているというのだ。
 外出した加世の後を徳平につけさせると、果たして用事を終えた加世は傍目を気にしながら茶屋に消えた。少し遅れて藩の番頭、島田(板東三津五郎)が入っていく。
 帰宅した加世を問い詰めると、あっさりと白状した。家禄を失う夫を心配した加世は、叔父叔母たちの勧めもあって、藩の有力者で、子ども時代から顔見知りだった島田に口添えを頼んだ。その代償に加世の身体を求められたというのだ。それも一度ではない。
 すぐさま加世を離縁した新之丞は、島田が実際には藩主に何の口添えもしていないことを知る。新之丞は島田に果し合いを申し出た……。

 観終わっての率直な感想は「それほどのものか?」。スクリーンに登場したのはいつもと変わらないキムタクだった。違いはちょんまげをつけているか否か。冒頭なんて「スマスマ」の寸劇か、なんて突っ込みたくなるほど。
 慣れてくると悪くない。が、全体を通して武士の威厳というか、侍魂は感じられなかった。たとえば、毒見役を誠心誠意つとめているのなら、まだわかる。ところが、仕事が嫌になってふてくされて女房に甘えるような男。それが夫の行く末を案じて、それも自ら望んで抱かれたわけではないというのに、その結果だけで判断して離縁を迫る。気持ちが迫ってこない。

 それに比べて檀れいは見事に下級武士の妻を演じていた。少し汚れた足の裏がリアルだった。中間役の笹野高史もいい。

 確かに映画は丁寧に作られているが、キムタクが主演ということで、スタジオ撮影が中心。開放感がなかった。
 卑怯な手を使って襲ってきた坂東三津五郎を、どうやって斬ることができたのか、わからずじまい。剣の師匠(緒形拳)に極意でも伝授されたのか?
 ラストも甘い。あっさりと離縁した後、また簡単に受け入れてしまうのはどんなものか。その間の妻への想いが、描かれているのなら、まだしも。

 館内が明るくなると左隣の中年夫婦の会話が聞こえてきた。「別に映画館で観る必要はないね」
 前の席の夫婦は、夫が立ち上がりながら言った。「2時間ドラマのようだったな」 
 右隣の老女は途中から涙を流しっぱなしだったのだけど。 
 
 山田監督の時代劇三部作の中では第一作の「たそがれ清兵衛」がダントツにいい。
     △

 「武士の一分」と比べて、「無限の住人」の方が数倍いい。断然、キムタクが輝いている。何しろ面白いのだ。

 ストーリーがシンプルだ。
 とある集団に両親を惨殺された少女が復讐のために不死身の用心棒を雇い、見事本懐を遂げる話。
 ほら、簡単に説明できる。これ、映画にはとても重要な要素だと昔何かで読んだことがある。
 少女を演じるのが昨年「湯を沸かすほどの熱い愛」でナチュラルな名演技を見せた杉咲花。この映画でも存在感を魅せつけてくれる。相手の問いに「えっ」と応える際の、声と顔の表情。泣きの台詞まわし。
「巧いんだなぁ、これが!」
 オレはモルツのショーケンか。

 この少女との微妙な関係で、キムタクのいつものキャラクターが引き立つというもの。いつものよりかなり汚れているところが魅力かも。
 巷間、キムタクのワンパターン演技を批判する向きがあるが、僕自身は気にならない。スターというものはそういうものなのだから。高倉健を見よ、いつも同じ演技ではないか。僕は東映の仁侠映画を観たことがなく、その後の高倉健しか知らないが、「八甲田山」も「幸福の黄色いハンカチ」も「野性の証明」も「駅 STATION」も「居酒屋兆治」も(以下略)皆高倉健だった。ビートたけしも同様。ワンパターンの極致だよ。
 ただ、違うのは、どの映画の中でちゃんと役になりきっていることだ。だからスターなんだろうけれど。

 対して、キムタクの場合、演技だけでなく、キャラクターも同じに見えてしまうのがネックだった。
 この映画でも演技は同じなのだが、不死身の浪人役がよく似合っていた。
 後半に交流の末の、浪人の少女に対する想いを如実にかもし出す何気ない台詞があり、目頭が熱くなった。キムタク流のぶっきらぼうな台詞だからこその効果だ。

 そして、何といっても殺陣である。これがすごい。
 昔、小学生の高学年のころだが、TVの時代劇をバカにしていた。刀で斬っても着物は破れない、血は流れない。実に嘘っぽくてたまらなかったのだ。刀自体いかにも作りものという感じもしたし。
 2000年代になり、CG、デジタル加工の技術で斬られた瞬間血が流れるなんて描写も可能になった。北野武監督「座頭市」では快哉をあげたものだ。本作でも当たり前のように血が飛び出ている。

  この映画で瞠目したのは、接近戦における間合い、斬りあいだ。本当に刀が身体に触れている(あるいはすれすれ)のだ。300人対一人だからスペースはない。その中できちんと鮮やかな斬りあいをするのだから恐れ入る。
 キムタク、TVのスペシャルドラマで宮本武蔵を演じ、かなり評判がよかった。時代劇はこれからの方向性の一つかも。
 ちなみに、この映画の描写について、凄惨だとか残酷だとか言う人は、一度その手の時代小説を読んでみるといい。斬殺って正視に耐えないものだとわかるから。

 SMAP解散のとき、キムタクは。ひとり、育ての親Iマネージャーに逆らってジャニーズ事務所に残った。これで世間の顰蹙を買ったわけだが(僕はその急先鋒だった)、この映画を見て考えが変わった。
 この映画のオファーを受けたとき、もうIマネージャーが外れていたと仮すると、キムタクの造反に得心できるのだ。これまでのドラマ選定ではあくまでもI女史の意向が反映されていて、自分のやりたい方向とズレが生じてきた。キムタクはそんな状況に、ある時期から忸怩たるものを感じていたのではないか。
 II史がいないからこそ、「無限の住人」のような映画に主演できたのではないかと思えてならない。
 つまり、これまでのイメージ(の延長)ではない役を演じるには、I女史と袂を分かつしかないとの判断をした、と。
 あくまでも個人的な、勝手な憶測でしかないのだが。




 先週、疲れで1日仕事を休んだことはすでに記した。
 すっかり疲れもとれて意気揚々と出勤した朝の品出し作業。脚立を利用して棚の上にある商品を降ろして棚を補充していた。脚立を何度か昇り降り。作業が終わって脚立を降りたとたん腰に激痛が走った。
 そう、やってしまいました、ぎっくり腰。
 痛みはまだひかない。
 明日、病院に行ってきます。

 以下、FBからの転載。

     ◇

 先週は4日連続イベントでした。
 5月のイベントも残すところ一つ(実は25日(木)にもうひとつあるのですが、それはクローズドの会合なので)。
 21日(日)、15時からの「小中和哉の特撮夜話 Vol.2 ゲスト飯島敏宏氏」。
 夜話なのに、なぜ昼間に開催?
 まあ、そうカタいことは言わないでください。
 日曜日ですし、飯島さんも高齢ですので。
 日曜日の午後ですと、お客さんも来やすいのでないでしょうか。

 飯島さんは第一期ウルトラシリーズのレギュラー監督で、当日は特撮の話で盛り上がるのでしょうが、木下プロダクションでドラマをプロデュースしていた名プロデューサーの顔もあります。
 昔、TBSの木曜日22時から〈人間の歌シリーズ〉というドラマシリーズがありました。私がこのシリーズで最初に惹かれた作品が「それぞれの秋」でした。一家の大黒柱である父親が脳腫瘍となり、その発症、入院、手術をとおして家族の絆が描かれる内容でした。私、このドラマで脳腫瘍というものを知ったような気がします。

 父親が小林桂樹、母親が久我美子、その息子が林隆三、小倉一郎、娘が高沢順子。ドラマは小倉さん演じる次男が語り部となって進行します。スケバン役で桃井かおりも出演しており、私、それで女優桃井かおりを認識したのでした。
 まったくのフィクションとしてドラマを楽しんでいたのですが、まさか、7年後に我が家でどうようなことが起きるなんて、思いもしませんでした。母親が脳腫瘍になったんですね。手術は成功したものの、ドラマの小林桂樹のように回復することはありませんでした。一級の障碍者になり、その後20年間寝たきりの生活でした。

 「それぞれの秋」は、この春、BSで放送されました。友人に頼んで録画してもらい、先日、収録されたDVDをいただきました。
 まだ観ていません。ちょっと怖いんですね。フィクションとして楽しめませんもん。
 このドラマでシナリオライター、山田太一を知り、その後は倉本聰とともに追いかけました。
 飯島さんにはドラマ作りについても、いろいろお聞きしたいんですよ。

 まだ、席は若干の余裕がありますので、ぜひご予約のほど、お願いいたします。

tokusatsuyawa2




 日曜朝の7時30分からのスーパー戦隊シリーズにハマっている。今は仕事の関係でリアルタイムで観られなくなってしまったが。
 以前は平成仮面ライダーシリーズとセットだった。「仮面ライダーカブト」で卒業してからは、8時になるとチャンネルを6に替えて「サンデーモーニング」を見るようになった。

 前作「動物戦隊ジュウオウジャー」はかなり夢中になった。プロットが「未来戦隊タイムレンジャー」に似ていることが要因だろう。僕がスーパー戦隊シリーズを観るきっかけになった番組だ。
 別世界からきた戦隊メンバー4人と現代の青年が知り合い、一緒になって敵と戦うという構図。青年が主役(レッド)になるのだが、メンバー4人のリーダーが女性というところも好みだ。演ずる女優も含めて。

 「ジュウオウジャー」の場合、エンディングのダンスも楽しみだった。
 エンディングのダンスというと、ドラマ「逃げるははじだが役に立つ」が大ブームになったが、もっと前からスーパー戦隊はエンディングで主要キャストがダンス踊ってたもんね。なんて世の逃げ恥ブームを揶揄していたら、その前から東映アニメではやっていたらしい。小学生の娘をもつ友人が教えてくれた。

 「ジュウオウジャー」ロスで始まった「宇宙戦隊キュウレンジャー」は、何から何まで新しかった。何しろメンバーが9人いるのだ。玉に導かれた人物がキュウレンジャーになるということで、ベースは「サイボーグ009」+「八犬伝」か。メンバー9人は人間もいれば、着ぐるみキャラクターもいる。唯一の人間女性は柴咲コウ+中川翔子のような容貌で僕好み。もう一人の女性は着ぐるみキャラクターで、ミニスカートから微かにみえる下着がキュート。
 驚愕したのは、その舞台設定。なんとスペースオペラなのである。数話で地球が舞台になってしまったが、現代の日本ではなく、あくまでも未来だから、ヴィジュアルが斬新。まあ、TV番組の予算は限られているから、出来はしれているが、その志、よし! あっというまにハマってしまった(メンバーは、新たに二人が加わり、野球からサッカーの人数になっている)。

 特出すべきなのはエンディングの歌とダンス。お気に入りになって、実は毎週、このエンディングが楽しみで、番組を観ているといっていい。
 2月から早朝の仕事が入って、すぐに録画視聴となった。忙しくて録画が溜まってしまって、時間があるときに消化していき、先日、やっと最新の回を観た。で、気がついた。ある箇所の振り付けが変わっている!
 この部分は初回から気になっていた。「変なおじさん」ダンスとほとんど同じだったからだ。
 たぶんクレームがあったのだろう。しかし、いつ変わったのか。録画はチェックした後消してしまうので、確認することができない。




 休養は昨日1日では足らなかった。今日も朝起きたら身体が動かず仕事を休んだ。

          * * *

 SMAPが解散して名実ともにジャニーズ事務所のトップに躍り出た嵐。歌にバラエティーにドラマに映画にと、メンバー各人が活躍しているが、役者としては二宮和也の躍進がめざましい。
 映画では「青の炎」(監督:蜷川幸雄)に主演してから「硫黄島からの手紙」、(監督:クリント・イーストウッド)、「母と暮らせば」(監督:山田洋次)と着実に地位を築いている。
 TVでも、「赤めだか」(TBS)、「坊っちゃん」(フジテレビ)とスペシャルドラマで存在感を示した。
 この二宮くん、現場ではほとんど自己主張しないらしい。いつも無言で本番を待っている。困るのスタッフである。あれこれ、二宮くんの気持ちを慮って行動しなければならない。
 業界では、これを二宮忖度というとかいわないとか。

 【おまけ】

2006/12/16

 「硫黄島からの手紙」(丸の内ピカデリー)

 物事にはそれぞれの立場、考え方がある。戦争なんてその代表だろう。どちらが善でどちらが悪かなんて一概に断定できない。ゆえに、硫黄島の戦いを日米両方の視点から描く。
 クリント・イーストウッド監督の考えに間違いはなかった。その目論みは見事に成功したといえる。
 アメリカ人に日本人の心情がわかるか! そう反発した自分の不明を恥じる。

 硫黄島の戦いを日本側から描く「硫黄島からの手紙」にどこまで日本人スタッフが協力したのか(意見が反映されたのか)わからない。言えるのは、アメリカ人監督が、日本人を起用して日本語による日本人のドラマを撮った、そして日本人が観てほとんど違和感がなかったこと。
 これはアメリカ映画史の中で画期的なことではないか。

 映画は現代から始まる。調査隊が硫黄島の洞窟に入り、地面を掘り返すといくつもの包みが出てくる。これはいったい何か?
 時代が飛んで、太平洋戦争末期の1944年。硫黄島では、本土防衛の最後の砦を死守すべく、来るべき米軍の攻撃に対して様々な準備に余念がなかった。最高責任者は栗林陸軍中将(渡辺謙)。米国留学の経験があり、家族、部下思いの切れ者だ。
 彼の着任により、これまでの作戦は一掃され、地下要塞のためトンネルが島のいたるところに掘られることになった。
 部下への体罰も禁止された。
「本土の家族のために、最後まで生き抜ぬいて島を守れ」
 栗林の言葉に、末端兵士の西郷(二宮和也)らはやる気を見せるが、西中尉(伊原剛志)以外の古参将校は冷やかだ。特に死こそ名誉と考える伊藤中尉(中村獅童)にはおもしろくない。
 翌年、米軍が上陸してくると、栗林の奇策は功を奏するものの、その圧倒的な兵力の前に、次第に防戦一方となる。
 家族のため最後まで生き抜こうと考えている西郷にも死が近づいていた。それも進退窮まった部隊長の、栗林の忠告を無視した全員自決の命令。
 手榴弾を爆発させて、一人またひとり命を落としていく。
 死にたくない、こんな死に方なんて最低だ! 栗林の言葉に望みを託した西郷のとった行動、それは……。

 西郷役に二宮和也の演技(態度と言葉づかい)は、まるで現代の青年が太平洋戦争時代にタイムスリップしたような印象。しかし、それで救われた。
 もし実直、真面目だけが取り柄の、上司から虐げられるだけの存在だったら、スクリーンを最後まで見ていられたか自信がない。ちゃらんぽらんの、ある種のふてぶてしさが、非情で過酷なドラマの息抜きになった。
 絶体絶命の中の「もうだめだぁ」の叫びに思わず笑ってしまったのだから。

 栗原中将が着任早々地図を片手に硫黄島を散策して、作戦を固めていく過程は、まるで「七人の侍」の勘兵衛のような風格が感じられた。
 映画は、この栗林と西郷の、家族に宛てた手紙の朗読がナレーションの役目を果たす。西郷の手紙が硫黄島から〈今〉を綴っているのに対して、栗林のそれがすべて米国滞在時代の愛児への書簡というところが、彼の心情を象徴していたように思う。
 親米家で、アメリカの実力を知っている。本当なら戦いたくないのだろう。しかし、軍人として遂行しなければならない。だいたい、陸軍と海軍は反目し、現場の直属の部下には白い目で見られ、頼みの綱の大本営からの支援はあてにできない。孤立無援の状態。そんな心情を、自身の一番良き時代の回想することで癒されているような。

 ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリスト・西中佐の心情も栗林に通じるものがある。
 この二人が、過酷で悲惨な状況における真の軍人姿を見せてくれる。それは死に直面した際の部下への対応だ。
 たとえば、西郷の部隊長は、「現場から撤退、最終地点で合流」との命令があったにもかかわらず、自決の道を選び、部下を道連れにした。伊藤中尉(中村獅童)は最終地点に向かう西郷たちに恥を知れとばかり、斬首しようとした。自身も玉砕に命を賭した(その結果が情けない)。
 対して、西は敵の攻撃で両目を負傷すると、自分の部隊を部下にまかせ、一人自決する。栗林もやはり最後の最後で部下に自分の首を斬らせようとする。
 この違いは何なのか。
 サラリーマンを長くやっていると、理想の指導者という観点でも戦争映画を見てしまう。

 クリント・イーストウッド監督の力を見せつけられた映画である。70代半ばで、硫黄島二部作をほとんど同時に撮り上げ、そのどちらも秀作なのだから恐れ入る。これまでの監督作品の充実度を考えれば、驚異ですらある。
 細かいところへの目配せを怠らないのもいい。
 栗林の硫黄島とアメリカ滞在時のヘアスタイルの違いなんてうれしくなってしまう。時の流れをきちんと刻ませている。もしこれが本当の日本映画ならそこまで気を使わないだろう。

 一つだけ気になったのは、憲兵隊をクビになり、硫黄島に左遷させられた清水(加瀬亮)の過去を描くエピソード。回想シーンではなく、あくまでも清水が西郷に話し聞かせた方が効果的だったのではないだろうか。なまじ映像で描くと嘘っぽくなる。

 クライマックスからラストにかけて涙が流れた。栗林や西郷の気持ちを考えると、たまらなくなった。
 しかし、これもイーストウッド監督のすごさなのだが、これでもかの感動の押し売りをしない。この映画の場合、感動というと語弊があるか。流した涙は哀しみによるものなのだから。
 煽らない。いつだって冷静。テーゼを投げかけると、静かに淡々と映画を終わらせるのだ。
 自身が書く音楽と同様に。




 おかげさまでGWキャンペーン、〈キーマ&ビーンズカレー1コインセール〉は成功裏に終了した。毎朝のチラシ配布が無駄でなかったことがうれしくて。ちゃんとお客さんが来てくれるのだから。
 まあ、11時から12時まで、カレー注文の方はドリンク無料というサービスが知られていなかったということだろう(12時以降はドリンクセットは+200円)。 
 ドーナッツ2個セット(ドーナッツ・デュオと命名)も最終日にほぼ売り切れた。計算がうまくいくって快感ですね。女子高生だった薬師丸ひろ子の気持ちがよくわかる。

 GWが終了すると、怒涛のイベント4日連続が待っていた。
 9日(火)、昭和プロレストーク、昨日10日(水)は「シネマDEりんりん」、今日11日(木)は「被災地域の酒を呑む会」、明日12日(金)はクローズドの某会合。
 火、木は個人的に休みなので、関わるのは2イベントだけど。

 昨日の「シネマDEりんりん」は、6月3日から東映系で公開される「花戦さ」プレイベントとして、監督の篠原哲雄さんをお招きしてのトーク。なんと、参加者は40人を超えた。
 久しぶりに隣の@ワンダーのGケースを移動してのスペース作り。トーク終了後の懇親会会場作り。40名を超えていますから、会場はすごい人口密度で、動くのも一苦労だった。
 懇親会終了後は、いつものようにすずらん通りの中華料理店〈上海庭〉で二次会。このお店、料理が安く、また23時30分で閉店するから会費1,000円~1,500円、終電に絶対間に合うという利点がある。

 皆と別れてから一人、秋葉原まで歩く。途中、ドン・キホーテで買い物。ここ、キリンレモンの1.5Lのペットボトルが100円で販売しているのだ(私、三ツ矢サイダーとキリンレモンが大好きなんです、はい)。たまに買って帰る。3本買った。けっこう重い。
 思い出した。歩いている最中に緊急なことがあって、携帯電話したんだっけ。通りがうるさいから階段を降りて静かな場所を探すと地下鉄の小川町だった。電話のあとそのまま電車に乗ってしまった。キリンレモン重いし。

 25時過ぎに西川口に着いて、まっすぐ帰ればいいのに、荷物が重いこともあって休憩することにした。駅前の歌広場。部屋についていつものように何曲も入力したが、歌ったのは最初の1曲だけ。あとは横になって寝ていた。終了10分前のコールで起こされた。
 26時30分に帰宅。

 今日は休み。
 朝風呂のあと少し休んで外出する予定だった。渋谷に用があって、その後、映画でも観ようと。昨晩、帰宅するとドアに宅配便の不在票がはさまっていて、今日連絡して午前中に配達してもらうことにする。で、その間、TVを見ながら横になっていたら、これまでの疲れが一気にでた。
 すべてを取りやめ、休養することにした。こういう日があってもいい。

 この怒涛の一週間が終わると、21日(日)に「小中和哉の特撮夜話Vol.2 ゲスト飯島敏宏氏」が待っています。

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 このところ毎日のように予約が入っている




 映画「X-MEN」シリーズについて、個人的に「ミュータント・サブ」+「サイボーグ009」だと思っている。実際、原作のアメコミに石森章太郎のコミックの影響があるのかどうか気になるところだ。
 第1作「X-メン」、続編「X-MEN2」はビデオ(DVD)で観た。3作めから劇場で押さえている。
 3部で一応完結して、4作めは前日譚となり、これがむちゃくちゃ面白かった。この路線で新たな3部作を作ればいいのに、5作めでは過去と現在が入り乱れるストーリーになってがっかりした。
 スピンオフ作品「ウルヴァリン」シリーズには興味がない。

     ◇

2006/10/01

 「X-MEN:ファイナルエディション」(日比谷スカラ座)

 アメコミもその実写映画も興味がない。にもかかわらず、このシリーズはビデオになると必ずチェックしていた。特殊能力を持つ者が力を合わせて敵と戦うストーリーが好みという個人的趣味が大いに関係する。
 舞台や設定、キャラクターは全然違うが要は「サイボーグ009」の実写映画みたいなものなのだから。

 遺伝子の突然変異で出現した新人類(ミュータント)が、その超人的パワーゆえ、通常の人間たちから差別と迫害を受ける近未来のアメリカ社会。
 そんな社会状況下、人類を支配してミュータントの世界を築こうとする一派と人類と共存する道を模索する一派(X-MEN)に分かれて戦う物語。
 それぞれマグニートー(イアン・マッケラン)とプロフェッサーX(パトリック・ステュワート)を長とするが、面白いのはこの二人がもともと仲間であり、その関係が現在も緩く続いているということ。完全に敵対していないのだ。
 だから、第1作で人類ミュータント化作戦を実行するマグニートー派に決死の戦いを挑んだX-MENだったが、2作めでは、ミュータント抹殺計画を画策する元陸軍大佐の野望を粉砕するため、手を結んだりする。

 X-MENのメンバーは驚異的な治癒能力を持つローガン(ヒュー・ジャックマン)、目から破壊光線を放つスコット(ジェームズ・マーズデン)、プロフェッサーに次ぐ強力なテレパス能力を持ち助手的立場のジーン(ファムケ・ヤンセン)、天候を自在に操るストーム(ハル・ベリー)、他人の能力を一時的にコピーするローグ(アンナ・パキン)、物を瞬時に氷化するアイスマン(ショーン・アシュモア)。
 敵役のマグニートーは磁力を持ち鉄を自由自在に操れ、部下にどんな人物にも変身可能なミスティークがいる。このミスティーク、普段は全身青色でイボイボがついている醜さなのだが、肢体は女性そのものの全裸。登場するといつもムフフフなんですわ。

 PART2が作られたら、PART3が登場するのは映画の常識。
 ただしこのシリーズ、最新作はかなり強引なストーリーになっている。スコットとジーンのカップルにローガンが加わり、三角関係になって、その関係がどうなるかというのも楽しみの一つであったのだが、前作のラストでジーンが仲間を救うため犠牲になってしまった。
 ところが最新作であっけなく復活するのだ。それも地球を壊滅させるかもしれないとてつもない能力を持つキャラクターとして。そんなこと、1はもちろん2でも説明なんかなかった。ご都合主義の極地。原作にはあるのかもしれないけれど。それはいいとして、ジーンが復活した代わりにスコットがあっけなく退場してしまうのには驚いた。せっかく特殊眼鏡をはずし素顔で活躍してくれると喜んだのに。

 今回はミュータントの能力を奪い普通の人間にしてしまう〈キュア〉という特殊薬が開発されることから巻き起こる騒動を描いている。薬はある少年ミュータントの能力から開発されたもの。ミュータントが人間になるのはもってのほかだ! マグニートーは新たな仲間を加えて少年ミュータントを抹殺するため動き出し、X-MENたちが阻止せんと対峙する。
 悪の権化となったジーンを中心にまさかまさかの展開。意外なラスト。すべてが丸く収まる大団円を予想していたので、少々裏切られた感じだ。でもまあ、疲れていたのにもかかわらず、一度も眠気に襲われなかったってことは、とても面白かったという証拠だろう。CG技術で20年若返ったプロフェッサーXとマグニートーの皺のない顔には驚いた。人間になったミスティークも拝めるし(当然全裸だ!)。それに、なんといってもハル・ベリーがこれまで以上にキュートだったので許してしまおう。

 だいたいこの映画でミュータントの死は絶対ではない。ラストはマグニートーの力の復活を暗示させるものだし、案の定、長い長いエンディングロールの後に、あの方の甦りが付け加えられていた。
 3年の周期で続編が公開されているこのシリーズ、2009年にはまったく同じキャストでPART4が製作されるに決まっている。


2011/06/20

 「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」(MOVIX川口)

 こちらを参照


2014/06/01

 「X-MEN:フィーチャー&パスト」(MOVIX川口)

 単純に前作の続編で良かったのに……。


2016/08/18

 「X-MEN:アポカリプス」(新宿ピカデリー) 

 最後の戦いは、神。
 なんていうキャッチコピーで、やっぱりこのシリーズはサイボーグ009のアメリカ版かと思ったのだが、あれのどこが神なのか。
 敵が味方で味方が敵で。
 シリーズを見通すとそういうことだ。
 それにしても辻褄が合わない。旧シリーズ3部作と新シリーズが合わないだけではない。新シリーズでも第1作と合っていないじゃないか。スタッフ、確信犯だ。若かりしストームが見られたのでまあいいけれど。




 若いころ、大学生のころですが、心に誓っていたことがあります。
 大人になったら、つまり親の世代になったらという意味ですが、そういう年代になっても 「今の若いやつらは」といった調子で若者たちを非難するのはやめようということでした。
 しかし、最近、どうにもこうにも我慢できないことが続いています。

 先週22日、事業計画発表会があった日のことです。
 朝、京浜急行品川駅で電車を待っていたら、若い女性が、今流行の座った状態で待っているんです。別に誰にも迷惑をかけているわけでもないし、座って電車を待ってはいけないルールもないですが、その姿勢がその場に適していない、というか、そぐわない、とても違和感があったんです。

 で、発表会が終わって帰りの品川駅、京浜東北線のホームなんですが、今度は若い女性が二人、同じスタイルで電車を待っているんです。
 疲れているのならベンチに座ればいいんですよ。これって、常識っていうか、羞恥心があればできないことではないでしょうか?

 私自身、非常識なことをやるし、他人さまのことをとやかく言える人間でないことは承知していますが、こと、社会の中で、あくまでも公共施設というか、そういう場所では、他人の目を気にします。
 それは、見られているからという理由だけでなく、見られる見られていないにもかかわらず、そうすることがエチケットとわきまえているからだと思うんですよ。

 以前、酒の席でもお話しましたが、電車内で化粧する女性、それも最初から最後までえんえんとやるわけですね。これも羞恥心の欠如だと思うのですが、全般的に羞恥心がなくなっているからだと思うんです。

 今朝のニュースで携帯電話の電車内での使用を不快に思う人が日本人の約半分いることを伝えていましたが、番組内のコメンテーターの大学教授は大学生の60%は迷惑ではないと思っていると言っていました。
 確かに電車内で携帯電話を使っている人たちすべてが迷惑ではありません。きちんとマナーを守っている人もいます。
 でも、私にしてみれば、そういう公共の中で、自分のプライバシーをさらけだすというのが恥ずかしいのです。




 ブログをやりはじめて、まあ、最初はmixiだったわけだが、心がけていたことが一つある。心情吐露だけはぜったいするまいと。

 これをやられると読む方はつらいのだ。本人は書くことで発散しているのだろうが、書かれていることはだいたい具体性に欠けるから、読み物として面白くない。読者としてどうリアクションをとっていいのかわからない。
 悩みがあるのなら不特定多数を相手にするネットへの書き込みではなく、リアルな友人に相談するなり、愚痴るなりしろって。
 すべてが解決、あるいは自分の中でなにかしら決着をつけたら、その旨書き記せばいい。

 僕自身、家庭の問題で、2012年の3月から14年11月までブログを停止していた。
 最初はそういうことには関係なく、いつものように映画や本について書こうとしたが、そんな心境になれなかった。とにかく完全に鬱だから以前の文章を触れると、すべて消したくなる。ブログを完全消去しようかとさえ思った。実際、いくつかの項目は消してしまった。そのうちブログを停止することが、パスワードで閲覧できるようにすることがわかり、そうした。つまり、外部からの閲覧をシャットアウトしたのだ。
 その間、2本、書き溜めようとした。しかし、どちらも中途半端のまま終わっている。いつか再開しようと思ってはいるのだが。

 解除するまで3年近くかかってしまった。
 その間、通常の人間関係も同様だった。会社へは毎日通勤していた(途中、1ヶ月と少し、長期休暇をもらった)が、プライベートのつきあいをやめた。できなかった。ライブも落語も映画もすべて遠慮した。唯一、特撮仲間のSさんとの呑みだけ、あるいはその関係の呑み会だけに参加した。Sさんには事の顛末を、その要因を話していたことによる。
 とはいえ、僕がどれだけ悩んで苦しんでいたか(と書くと、かみさんと娘の声が聞こえてくる。全部あなた(お父さんの)せいじゃない!)Sさんは知らない。
 元気になってから、Sさんに言った。
「もし、オレが自殺したとして、Sさんには理由がわからなかっただろうね」
 ほかの人たちとはつきあいを絶っていたし、年賀状も出さなかったから、何かあったということはわかる。Sさんは呑みの間に、その手の話をしないし、相談もしなかったから、そんな状況になったら一番驚いたのではないか。

 話を変える。
 ブログに書いた文章で、間違いや認識を訂正してくれるコメントに感謝している。
 誤字脱字は仕方ないにしても(見つけ次第訂正はしているが)、完全な認識違いで文章を綴っているのは恥ずかしい。自分のバカさ加減を全世界に発信しているわけだから。これまで何度も経験していて、いつもPCの前で赤面している。

 こんなことがあった。
 クドカンが初めて手がけた昼ドラ「我輩は主婦である」を毎日録画して観ていた。ドラマの中にクドカン自身が役者として登場して、口元のアップで驚いた。歯並びが矯正されている! 感想でその旨書いた。しばらくして「クドカンに似ているけれど、別の役者さんですよ」とのコメントがあった。調べたらホント、別人だった。
 そんなわけで、僕自身、他人のブログで明らかに間違いというものに対してはコメントするようにしている。自分が、ありがたいと思っているのだから、その人だって同様だろうと考えて。

 森達也氏の「放送禁止歌」が上梓されたころだったろうか。この本に「竹田の子守歌」に関する明らかな間違いがあった。案の定、この本のレビューでそこを鵜呑みにして感想を書いているブログを散見された。赤い鳥、紙ふうせんファンとして見過ごせるわけがなく、コメントを残した。皆、間違いを修正してくれたが、一つだけ返信でこう言われた。
「(自分は)そう本に記されているから書いたまで。訂正の指摘は版元にしてください」
 書き込みをしたときは気がつかなかったが、この方、活字メディア(特にゲーム業界)関連でよく名前を拝見する大学教授だった。
 そりゃ、そうかもしれないけどさ。あなた、自分の得意分野の本のレビューで、その本に間違いが書かれていたとして、そのまま鵜呑みにしてレビューを書きますか?

 この方の場合、まったく面識のない、赤の他人だからいい。
 困るのは知り合いだ。
 その方は、自身のブログで頻繁に映画レビューを書いている。僕以上に思い込みが激しく、けっこう間違いが多い。
 もうすいぶん前、某日活ロマンポルノ作品について、主演の宮下順子とかつて人気を博したTV「けんケンちゃん」シリーズ(「ジャンケンケンちゃん)でお母さんを演じた岸久美子を同一と認識して、感想を書いていた。
 この方のブログにはコメント欄がないので、直接メールするしかない。そこまでする必要があるのかと思いながらメールした。

 昨年の「X-MEN:アポカリプス」のレビューのこと。
 タイトルが「X-マン アポカリプス」となっている。もうこの時点で間違っている。レビューでタイトルや人名を正確に記すのは基本中の基本だ。
 まあ、でも誤字脱字の類として無視した。気になったのは以下のくだり。

     ▽
80年代が舞台だから携帯の出てこない時代。

『スターウォーズ 帝国の逆襲』を観終えたX-マン達が言う。
「どんな映画でも三作目になると最低よ」

これは本作をはじめ1作目と2作目を監督したブライアン・シンガーが3作目だけ外れているので、それへのあてこすりの楽屋落ちと思って笑ったが、他のお客さんは気が付かなかったのか全く無反応だった。
     △

 登場人物が三作めを話題にするということは、「ジェダイの復讐」を観たのではないか。時代設定だって80年代の前半だし。
 このとき、僕はまだこの映画を観ていなかった。アメコミが嫌いなくせにこの映画シリーズは好きだから、すぐに鑑賞。やはり「ジェダイの復讐」だった。
 「スター・ウォーズ」シリーズの2作めと3作めを間違えているこの文章を読む第三者はどう思うだろうか? この人、「スター・ウォーズ」についてあまり知らないのね。そんな判断をするのでは? せっかく作品の裏事情、うんちくを語っているのにそれでは台無しだ。
 まあ、このうんちくも僕に言わせれば、少し問題があるのだが(ブライアン・シンガー監督は、自らの企画「スーパーマン リターンズ」を選び、同時期製作の「X-MEN アポカリプス」の監督要請を蹴ったと何かで読んだ覚えがある)、そんなことはどうでもいい。問題なのはスター・ウォーズ」シリーズのタイトルを取り違えていること、また、例の掲示板で叩かれるぞ。

 Cメールした。「劇中でX-メンのメンバーが観たのは『ジェダイの復讐』ですよ、『帝国の逆襲』なんて書いていると、スター・ウォーズ知らないんじゃないかと笑われますよ」
「勘違いしていました!」「書き間違えました!」
 そんな返信がくるものと思っていた。違った。「スター・ウォーズ」に関する知識は自分にもあると。あわてて返信。「いや、そういうことを言いたいんじゃない、劇中でメンバーが観ている映画のタイトルが違っているんだよ」
 なんどかやりとりをするも、相手は自分の間違いを認めない。
 僕はケータイのメール打ちが苦手だ。じれったくなって、PCを使ってEメール。こちらもなんどかやりとりをするのだが、結局「スター・ウォーズの最初のシリーズは『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの復讐』と続いているのは私もわかっています」「あれでいいんだと思っています」
 押し切られてしまった。

 疲れた。
 自分の文章を見直せばすぐにわかることなのに、なぜ意地を張るのだろうか? 
 そもそも本人は間違いの指摘なんてしてほしくないのだ。それがよくわかった。
 以降いっさいの助言をやめた。日光東照宮の〈三猿〉を決め込んだ次第。




 ブックカフェ二十世紀は、現在男性2名、女性3名でシフトを組んでいる。
 一応店長の僕が月、水、土、日、もう一人のSさん(男性、団塊ジュニア)が火、木とチーフ(?)で入り、パートナーの女性との2名体制。金曜日は僕とSさんのコンビとなり、オーナーを含めてイベントのスケジュール、懇親会のメニューその他の打ち合わせをしている。

 とりあえず僕はブログのプロフィールで〈ライターの・ようなもの〉と名乗っているが、このSさんは、本当のミュージシャンだ。ちなみに女性の一人はイラストレーター。

 Sさんは女性一人、男性2人のグループのリーダー。僕は知らなかったのだが、ホールでライブをやれば満杯になってしまう人気グループなのである。アルバムも何枚もリリースしている。Sさんのお父さんは、70年代初期に活躍した某ロックバンドの初代ギタリストと知ったときは驚いた。漢字三文字のバンドだ。わかるかな?
 昨年の3月から人手が足りないときに手伝ってもらっていて、秋以降、水曜日のレギュラーになったK嬢(役者の卵)がこのグループのファンで、Sさんがどんなにすごい存在か、こんこんと説明されてわかった次第。

 このグループが4月の後半から韓国ツアーにでかけた。向こうのプロモーターに招聘されたという。
 というわけで、4月18日からSさんの代わりに火、木も入っている。この関係でユーロスペースで開催された「実相寺昭雄監督特集」に行けなかった。その前に新文芸坐で実相寺監督作品のオールナイトがあって、これも翌日早朝の仕事があったから行けず、地団駄を踏んだのだが、ユーロで特集があると知り喜んでいたのに。まあ、仕方ない。
 そんなわけで連続勤務が続いた。22、23日は店で芝居の公演があり、この2日間は休ませてもらったのだが、早朝の品出しバイトはあるわけで、完全休暇とはならない。

 昨日(1日)、Sさんからメールをもらった。帰国したと。ところが、ツアーの疲れか熱をだしてしまったという。本当は今日(2日)は出勤なのだが、もしかしたら出られないかも。
 昨日から3日連続で「春のぶらり寄席」が始まった。そのため、今日はその運営のために昼過ぎに店に行くつもりだった。昼過ぎが10時30分に変更になるだけのこと。
 はい、結局、今日も通常勤務になりました。

     ◇

 以下はFBからの転載

 【ブックカフェ二十世紀 GWキャンペーン】

 ブックカフェ二十世紀では、GWの期間中(4月29日~5月7日)、特別キャンペーンを実施いたします。

 その1

 キーマ&ビーンズカレー(キーマメカレー)1コイン(500円)セール
 通常価格700円を500円で販売します。もちろんサラダ付きです。
 スパイシーポークカレーやスパイシーシーフードカレーは人気があるんですが、辛いのは苦手という方もいらっしゃいます。そこで昨年の夏にメニューに加えたのが辛さをおさえたキーマ&ビーンズカレーでした。これが大好評。皆さん、「おいしい!」と言ってくれます。ただ、ポークやシーフードに比べると、値段が若干高め(700円)なので、どうしても注文は600円のポークカレーやシーフードになってしまうんですね。
 今回の1コインセールでぜひお試しになってください。

 その2

 ドーナツ(2ヶ)150円セール
 靖国神社で開催された「さくらフェスティバル」で大人気だったドーナツを期間中販売します。テイクアウトもできます。

 その3

 甘酒 200円セール
 「さくらフェスティバル」で人気を呼んだ二十世紀特製甘酒を期間中販売する。冷や甘酒ミルクもご用意いたします。
 
 その4

 珈琲・甘酒テイクアウト実施
 二十世紀オリジナルブレンド珈琲、炭火アイス珈琲がテイクアウトできます。もちろん甘酒も。
 専用の紙コップ(断熱仕様)を用意しました。古書街散策のお供に当店の人気珈琲を!
 珈琲のテイクアウトはGW以降も実施していく予定です。

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プロフィール

kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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