遅れてきた青年が中年になって参加した〈フォークジャンボリー〉と名のつく2つの長時間コンサートのうち、「渋谷フォークジャンボリー」の転載を失念していた。「ALFA MUSIC LIVE」レポートでリンクしようとして気がついた。
 もし、この時期に村井邦彦さん絡みのALFAのイベントがあったら、赤い鳥の一夜限りの再結成が叶ったかもしれない。

 それはともかく、10月10日に開催された「新宿 フォークソングが流れる街」がまさにフォークジャンボリーだった。

     ◇

2007/11/24

 「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」(C.C.Lemonホール)

 フォークジャンボリーという言葉から人は皆どんなコンサートを想像するだろうか? 40代半ば以上のフォーク世代に限定してもいい。
 各アーティストが与えられた持ち時間、自分のステージを披露する。バック(バンド)はもちろん自前。中津川フォークジャンボリーに遅れた世代の僕にはそんなイメージがある。昨年の7月、群馬(前橋)で開催された「サマーフォークジャンボリー」はまさにそんな内容だった。
 数多い出演者だから、休憩をはさんで4時間強。かなりの忍耐が必要だ。70年代だったら4時間だろうが5時間だろうが関係なかったのに。あの頃僕も君も若かった!

 オールナイトニッポン40周年記念として企画された「渋谷フォークジャンボリー あの素晴らしい歌をもういちど」も同じ内容、進行になるのだろうと思っていた。ということはまた長時間か。何しろ出演者は「サマーフォークジャンボリー」の倍。開演時間も17時だ。終演を21時とするとやはり4時間。まあ、それがフォークジャンボリーの醍醐味じゃないか。

 それにしても、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、斉藤安弘アナウンサーを司会に起用したフォークイベントをよくやる。実は、高校時代、僕はTBS「パック・イン・ミュージック」のファンだった。文化放送「セイヤング」も「オールナイトニッポン」もあまり聴いたことがない。郷里(群馬県太田市)ではTBSラジオが一番よく聴こえるという理由で、ダイヤルはいつも954(950)だったにすぎないのだが。その習慣は今も抜けない。今でもAMラジオを聴く場合は(ほとんど)TBSなのだ。
(大学時代、一時「ビートたけしのオールナイトニッポン」に夢中になったことはある。とはいえあの番組、ほとんど曲がかからなかったのではないか。)
 もう一つ、どうしてフォークイベントはいつも「オールナイトニッポン」なのか。「パック・イン・ミュージック」や「セイヤング」はどうした? なんて考えて、「あっ」。二つの番組はすでに終了しているのだった。継続は力なり。
 
 とにかく、フォークジャンボリーである。メインはフォーククルセダーズの加藤和彦と北山修(自切俳人)の共演、サブとして紙ふうせんと山本潤子の共演が目玉のコンサートだろうと当初は考えていた。
 後者については、しばらくして「翼をください」を一緒に歌う情報を得た。同時に紙ふうせんが「冬が来る前に」しか歌わないことも。独自のバックバンドもなし。演奏は主催者が用意したバンドが担当し、出演者はかつてのヒット曲を1曲披露するだけという。「何それ?」てなもんだ。
 看板に偽りあり。そんな内容だったらフォークジャンボリーとは呼べない。ある種の歌謡ショーだろう。TVのスペシャル番組。団塊世代とその下のフォーク世代を対象にした〈懐かしのメロディー〉だ。いや、懐かしのメロディーがいけないわけではない。そんなイベントに「フォークジャンボリー」なんて大仰なタイトルをつけることがどうかと思うのだ。オールナイトニッポン、ニッポン放送の商魂が頭をよぎった。2年前の品川プリンスホテルクラブeXのフォークイベントも、8,800円もの高額料金を設定したのだから。

 そんなわけで、何の期待もせず、懐かしさに浸れれば御の字くらいの感覚で改装された渋谷公会堂、今はネーミングライツでC.C.Lemonホールという名称になった会場に足を運んだのだった。

 16時、渋谷駅前のTSUTAYAでFCのSさんと待ち合わせ。会場に到着すると、すでに客が列を作っている。年齢層はかなり高い。これは昨年の前橋でも感じたこと。というか、紙ふうせんの秋のリサイタルでもお馴染みになっている。この10年で一気に高くなったような気がする。トシとったってわけね。

 入口横の喫煙コーナーでFC千葉グループのT氏、S氏に声をかけられる。Y氏の姿はまだない。
 16時15分開場。受付時にロゴ入りタオルを渡される。本日の記念品(プレゼント)。
 中に入ってリニューアルを実感した。4年前ショーケンの13年ぶりのコンサートで行ったときに、古色然とした内装に唖然としたものだった。席なんてボロボロだったのだから。

 開始までの間、会場には往年のフォークの名曲が流れていた。来年早々、1960年代から80年にかけてヒットしたフォーク、ニューミュージックを特集したコンピレーションアルバム6枚がリリースされるという。その宣伝だった。中島みゆき、小田和正、井上陽水……。どうせならこの日出演する人たちの曲を流せばいいのに。

 前説の影アナが、記念品タオルの使い方を説明する。ステージ奥に設置されたスクリーンに歌詞が表示されるので、会場の皆さんも一緒に歌いましょう。歌手への応援でタオルを振りましてもいい。汗をかいたら思う存分拭いてください。ほとんどの人がタオルを取り出して首にかけたりしていたが、その後使われた形跡はなかった。
 シングアウトの練習で、音楽監督の指揮のもと「心の旅」をスタッフと一緒に歌ったりもした(この音楽監督が、後に、ショーのバックバンドのキーボード奏者だとわかる)。

 17時。場内が暗くなると、スクリーンに1960年代を象徴するある日、ある時のスチールが映し出される。ナレーションの「あの時代、ギターとラジオとGパンがすべてだった」が印象的だった。このとき僕は小学生だった。「帰ってきたヨッパライ」はあくまでも面白い歌謡曲というイメージしかなかった。深夜放送のDJで人気者になったカメ&アンコーは知らなかった。
 「ジーンズではなくGパン。ブーツカットではなくベルボトム」ということになれば時代はまさしく70年代初期である。「出発の歌」、「結婚しようよ」……フォークのブームが一気にやってきた。これはリアルタイムで憶えている。
 落合恵子、みのもんた、林美雄、小島一慶。当時深夜放送のDJで人気のあった局アナたちだ。

 オールナイトニッポンのテーマ曲(「ビタースウィート・サンバ」)とともに、司会の安弘さんが登場。よどみない口調でオールナイトニッポンの歴史と、団塊世代の文化としてのフォークと深夜放送の関係を説明しながらイベントの開会。出演者が紹介され、皆さんステージに勢ぞろいする。あれ、加藤和彦と自切俳人の名前がなかった。それに本人も登場しない。「こりゃ何かある」 
 

●バラが咲いた/マイク真木

 トップバッターはマイク真木。客席からの登場に意表を突かれた。ステージに向かいながら、途中でお客さんに声をかける。 「お子さん何人?」「お孫さんは?」「隣の女性とはどのようなご関係で?」お客さんの回答に対する当意即妙な返事が爆笑を呼ぶ。さすが芸歴ウン年のタレントだ。
 「バラが咲いた」がフォークかどうかは意見が分かれるところ。小学生だった僕にはTVの歌番組で見るテロップ「作詞・作曲 浜口庫之助」の表記が新鮮だった記憶がある。

●気楽にいこう/マイク真木・細坪基佳

 「バラが咲いた」がヒットしていたとき、北海道の中学生だった元「ふきのとう」の細坪基佳を呼んで、ギター3本(もう一人はアシストのギタリスト)で「気楽にいこう」。鈴木ヒロミツが出演するモービル石油のCMソング。これマイク真木の作詞作曲だったのか。知らなかった。「クルマはガソリンで走るんです」のナレーションは加藤和彦だったのではないか?

●オリビアを聴きながら/尾崎亜美

 たった1曲しか歌えないのなら、杏里に提供したものより、自身の歌唱でヒットした「マイ・ピュア・レディ」にすればよかったのに。個人的にも「マイ・ピュア・レディ」は好みだった。

●中央フリーウェイ/尾崎亜美・床野真代・山本潤子・細坪基佳

 「中央フリーウェイ」は荒井由美より、ハイ・ファイ・セットのイメージが強いのだが、庄野真代もシングルリリースしていたのか。
 大学時代、夜遅く、同じクラスメートで目白に住むボンボンが自家用車で僕のアパートに来たことがある。ドライブに行こうと誘われ、嫌々ながら助手席に乗って、首都高から中央自動車を走った。途中、本当に競馬場とビール工場が右と左に見えたのは感激した。「お前そんなことで感激するのか」あいつは言った。田舎もんで悪かったね。

●飛んでイスタンブール/床野真代

 中近東風のメロディとともに、英語風に韻を踏んだ詞に興味を持った歌だった。

●池上線/西島三重子
●どうぞこのまま/丸山圭子

「池上線」って、やはり語感が決めてだろう。同じ東急の電車でも「目蒲線」だとコミックソングになってしまう。
 もう何年前になるのだろう。六本木スイートベイジルで生の「どうぞこのまま」を聴いたことがある。FFA主催のフォークライブ「マザーズコンサート」に紙ふうせんが出演し、共演が丸山圭子のほか庄野真代、水越けいこだったのだ。

●今日までそして明日から/西島三重子・丸山圭子・クミコ
●いちご白書をもう一度/クミコ

 確かクミコって、松本隆のバックアップでメディアに登場してきた歌手だったのではないか。ジャンルはシャンソン。本人もMCで語っていたが、フォークとは何の関係もない。無名時代、店で弾き語りをしていたとき、数々のフォークを歌っていたとはいえ、今回のキャスティングには違和感がある。この2曲の選曲にも無理やり感が。聞けばニッポン放送と関係が深いのだとか。局の要請か。納得。しゃべりと歌声がこれほど違う女性も珍しい。

●白い冬・卒業写真/細坪基佳・山本潤子

 ふきのとうの「白い冬」は好きだった。今でもそうなのだが、歩いていたり、自転車乗ってたりすると、手持ち無沙汰で即興で鼻歌を口ずさむ。中学生のころ、そんな鼻歌のひとつに「白い冬」のメロディがそっくりだったのだ。
 「卒業写真」はハイ・ファイ・セットのデビューシングルではなかったか。赤い鳥解散後、ハイ・ファイ・セットになってしばらくは荒井由美とのジョイントコンサートを数多くこなしていた。CMソングでも潤子さんの声をよく聴いた。しばらくして「フィーリング」が大ヒットしてその年の紅白歌合戦にも出場した。赤い鳥のイメージを払拭した、ブレイクのきっかけになったこの歌が今はまったく封印され(というと大げさだが)、ハイ・ファイ・セットといえば「卒業写真」になるのはどうしてだろう。
 二人は、元オフコースの鈴木康博とともに、ユニット「ソング・フォー・メモリーズ」として活動している。その関係からか、今回のステージはまるでデュオのような結びつきを感じる。
 
●翼をください/山本潤子・紙ふうせん・細坪基佳・尾崎亜美・床野真代・西島三重子・丸山圭子・クミコ

 プチ赤い鳥結成かと一部で話題になった編成。赤い鳥の3/5がステージに並んだのだから、かつての赤い鳥ファンにとっては興味津々である。しかし、「翼をください」がいくら合唱曲のポピュラーになったからといって、その他大勢が出てくるのはどんなものか。せめて細坪さんを加えた4人で歌えばよかったのに。一番を潤子さん、二番を平山さん。
 潤子さん(山本さんというと、僕の場合、山本俊彦さんになるので。本当は新居さんと呼びたいところ)は、ソロ活動を始めるようになって、赤い鳥時代の歌を解禁した(と思う)。「翼をください」「竹田の子守唄」「赤い花白い花」……。
 あくまでもファンのブログやBBSへの書き込みでしか知らないのだが、セットリストを目にする限り、いつも頭に疑問符が浮かぶ。「翼をください」は山上・村井コンビの楽曲だから当然だとしても、そのほかは後藤悦治郎の世界ではないか。赤い鳥には潤子さんをメインヴォーカルをとっている名曲がいっぱいあるのにどうしてレパートリーにしないのか。疑問はそこなのだ。山上・村井コンビでいえば「忘れていた朝」「窓に明りがともる時」とか、お姉さんが作詞し山本さんが曲をつけた「河」とか、あるいは「さりげなく」「虹を歌おう」とか。もっと歌ってほしいなあ。  

●冬が来る前に/紙ふうせん

 今の季節を考えれば、また紙ふうせんの名を一躍有名にしたヒット曲だから、この手のイベントにはかかせない曲であることは十分わかってはいる。しかし、この1曲というのだったら、やはり「竹田の子守唄」だろう。後藤さんのギター1本で赤い鳥解散後もずっと歌いつづけてきた紙ふうせんの「竹田の子守唄」を往年のフォークファンに聴いてほしかった。

●小さな日記・希望/フォー・セインツ

 仮面ライダーストロンガー(荒木しげる)がフォー・セインツのメンバー(ドラム)だったのは知っていたが、あの志賀ちゃん(志賀正浩)も同じグループでベースを弾いていたなんて。そういえば最近TVで見かけなくなった。音楽プロダクションを経営しているのか。しゃべりが達者なのは当たり前。「小さな日記」のあと、メンバー各人がミスらなかったか確認する。そこで志賀ちゃんの一言「ミスは犯すな、ミセスは犯せ」 。
 岸洋子の「希望」も、もともとこのグループの歌だった。驚き桃の木である。大好きだったんだ、この曲。
 
●スペシャルゲスト/北山修

 ここで安弘アナの呼びかけに対して北山修が最前列の客席から登場。あくまでも観客の一人でいたいという本人の要望により、ステージ上と客席とのやりとりとなる。
 学生時代にフォーク・クルセダースの一員として活躍したのち、今やフォークのスタンダードになった「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」等の作詞をする。卒業後は精神科医を目指し、芸能活動は仮の姿として、自切俳人(ジキルハイド)と名乗って、ラジオのパーソナリティーをつとめた。芸能活動と自分の進む道をはっきりと区分し、精神科医になってからは表舞台から姿を消した。若いころにやりたいことをやり、オピニオンリーダーとして表現活動にいそしみ、ある年齢に達してからは、社会的に認められた職業を邁進して地位を築く。なんともうらやましい人生ではないか。
 思えば、フォークルのメンバーって皆才能の人だった。加藤和彦は後述するとして、もう一人のはしだのりひこも、フォークル解散後は、いくつものグループを作って、ヒット曲を連発していた。

●帰ってきたヨッパライ・鎮静剤・イムジン河・悲しくてやりきれない/加藤和彦

 やはり何かあった。加藤和彦にだけ自身のバックバンドがついた。その準備中にもう一人のスペシャルゲスト、亀淵元ニッポン放送代表取締役、現相談役が登場、カメ&アンコーの復活を肴に3人のトークがはずむ。コンビが久しぶりにレコーディングする曲(コンピレーションCDのおまけに付くらしい)を加藤和彦が作るらしい。そういうことか。

 バックバンドは、アルフィーの坂崎幸之助とユニット「和幸」を組んだ際のメンバーだとか。アコーディオン(キーボード)、チャランゴ(ギター)、ベース、パーカッション。すべて外国人というのが珍しい。実際、このコーナーがこの日の中で一番充実していた。
 「誰も知らない曲やるから」なんて、始めたのがボサヴォ調の楽曲。歌いだしたら「帰ってきたヨッパライ」だった。「歌なんてアレンジ次第でどうにでもなるんだから」
 続く「鎮静剤」(高田渡のナンバー)はフォルクローレ調。「イムジン河」は、最初フランス人のアコーディオン奏者が自身のフランス語訳で歌う。これは聴き応えあった。加藤和彦は三線を引きながら韓国語で後を受け、最後は日本語。
「悲しくてやりきれない」は「イムジン河」が発売中止が決定した後、レコード会社の一室に軟禁されて急遽作らされたもの。しかし、これまで作った3,000曲の中でもベスト10に入る出来だと、いつもの飄々とした口調で語っていた。

 サディスティック・ミカ・バンドの再結成には驚いたものだ。ヴォーカルのミカと離婚し、だからバンドは解散になったのだが、新しい女性ヴォーカルを起用し、そのままミカ・バンドを名乗るというのが信じられなかったのだ。
 ふたりめの奥さん、安井かずみを癌で亡くした。あんなに夫婦付随ぶりを見せつけていたのに、あっというまに再婚してしまった。それもなんだかなあという気がした。
 でもあらためて思う。60年代アンダーグラウンドの音楽(フォーク)を表舞台に、コマーシャルベースに引き上げてからというもの、常にトップを悠々自適に快走している。フォークからロックに移ってからは、初めて日本人のロックを海外(イギリス)に認めさせた。「黒船」はレコードをレンタルしてダビングしたテープを持っている。聴かずにはいられなかった。
 この人、やはり才人だ。

●あの素晴らしい愛をもう一度/全員

 ラストは当然この曲だ。ステージに全員が揃って観客といっしょの大合唱となった。あるフレーズで平山さんと後藤さんがきちんとハーモニーを作って歌っているのが聴こえてきて、ニンマリ。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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