たまには前説ではなく中説もいいだろう。って中説なんて言葉あるのか。

 「フリースタイル、小林信彦、極東セレナーデ」でネット検索すると、このサイトがヒットする。
 11月20日、仕事の帰り書店に行って確認した。実際に書店員に訊いたらPCで調べてくれた。ところが「極東セレナーデ」で登録されているのは新潮文庫のみ。どうゆうこと? 新刊がもうすぐ発売されるんだったら書店に案内がきているだろう。今、書店に予約したらどうなるわけ?
 いったいどうなっているのか? 責任者、出てこい!

     ◇

2003/02/25

 「名人 志ん生、そして志ん朝」(小林信彦/朝日新聞社)  

 昨年(2002年)10月に小林信彦「テレビの黄金時代」の感想で、文藝春秋の「テレビの黄金時代」の連載が終了したことについて残念に思いながらもこう締めくくった。  
 〈現在朝日新聞社の書籍PR冊子「一冊の本」に古今亭志ん生と志ん朝について書いている。もちろんこの雑誌は連載開始の7月号から1年間の定期購読を申し込んだ。楽しみはまだまだ続くのであーる!〉  
 書き記した直後に送られてきた「一冊の本」を開いて愕然となった。何と最終回だった。  

 新潮社の書籍PR誌にはかなり長い間渥美清の評伝を連載していた。同じように、いやそれ以上に思い入れの強い芸人さんだから短くても1年は連載されると思っていたのだ。定期購読の申込みは1年間、あと半年どうすりゃいいんだという気分だった。  
 そのすぐ直後だったか、朝日新聞の新刊広告で連載がまとまって朝日選書の1冊として出版されるのを知った。すごい速さの刊行である。  
 ボリューム的に1冊の本になるのか少々不安だったが、実際に本を手にとって納得した。  
 これまで著者が書いた志ん生、志ん朝に関する文章を網羅したものだった。  

 第一章は志ん朝の死の直後、「小説新潮」に書いた文章をトップに、「コラム」シリーズやその他の文章を時間軸に添って並べている。名古屋の大須演芸場における三夜連続の独演会の記録は今後晩年の志ん朝を語る際の的確な資料になるのだろう。  

 第二章は志ん生について。初期の、センス・オブ・ユーモアに関する評論集「笑う男 道化の現代史」の〈明るく荒涼たるユーモア〉に加筆した〈ある落語家の戦後〉。志ん生の戦後の生き方を丹念に追っている。もうひとつの「志ん生幻想」は74年に雑誌「落語界」に掲載されたエッセイ。志ん生についてのちゃんとした記録(証言集)を残してほしいという提言だ。
 
 第三章がまるまる「一冊の本」連載の「志ん生、そして志ん朝」。抑制の効いた文章で客観的に、志ん生をそして志ん朝の足跡を記しながら、自分の意見を述べていく。この情に流されない乾いた文章がたまらない。
 
 第四章は下町言葉と落語の関係について、夏目漱石「我輩は猫である」をテキストにして論考する。これは「小説世界のロビンソン」所収のもの。
 
 〈やや長めのあとがき〉によると、巻末に志ん朝との二度にわたる対談を収めたかったとある。掲載されていればより完璧な本になったのにと著者同様僕も非常に残念だ。読んでみたい。実物をあたってくださいと掲載誌が付記されているどうやって手に入れればいいのか。 
 そういえば、志ん朝の死を知り、志ん朝とこぶ平が対談している雑誌「東京人」をあわてて買ったっきり、そのままになっているのだった。


2003/04/30

 「にっちもさっちも」(小林信彦/文藝春秋)  

 週刊文春連載のエッセイ(コラム)「人生は五十一から」5冊めの単行本。昨年(2002年)の連載分が収録されている。  
 これまでの装丁とがらりイメージを変えている。これまではエッセイ、随筆集的な雰囲気をかもしだしていた。それが今回いかにもコラム集的表紙。イラストが70年代によくコンビを組んでいた実弟の小林泰彦だからだろうか。  
 書名の「にっちもさっちも」は現代の世相をうまく表したものだと思うが、個人的にはどうしてもこの後に「どうにもブルドック」と続けたい。  

 一時期ルイ・アームストロングの歌声を真似していたことがあった。カラオケBOXに行って「この素晴らしき世界」をあのしわがれ声で歌う。歌い終わるや「ミー、サッチモ、ユー、ニッチモ」ここで一拍おいて「ニッチモサッチモドウニモブルドック」と続ける。これ、ある世代以上(ルイ・アームストロングの愛称がサッチモであることとフォーリーブスのヒット曲を知っている人たち)に受けるギャグだよなあなんて一人悦に入っていると、何とTVの物真似番組で桑野某がやってしまったのである。以来人前でこれを披露することはできなくなった。  

 閑話休題。  
 毎週文春発売日(木曜日、祝日があると水曜日なったりする)の朝の楽しみは「人生が五十一から」である。エンタテインメントを取り上げれば、たとえばそれが未見のものだったりするとどうしても自分の目で確かめたくなる。  
 伊東四朗・三宅裕司のコントライブ「いい加減にしてみました2」。こんなライブがあったことすら知らなかった。知っていたとしてもチケットなんて絶対に手に入らないだろう。  
 ビリー・ワイルダー逝去にともなうワイルダー一代記。要領よくまとめたワイルダー論になっている。同じく山本夏彦の思い出話。  
 テレビよりラジオを聴く時間が増えたと日頃聴いている番組の紹介。その中の一つ、TBS日曜日午後の「伊集院光の秘密基地」。これは僕も大好きだ。  
 突然のように2回に渡って展開される獅子文六再評価論。お馴染みウディ・アレン考察。アメリカ映画のリメイク流行りに対する嘆き。「ユー・ガット・メール」がリメイクだったとは!

 お薦め映画「笑う蛙」は結局観逃した。 
 社会時評としてはインフレについてしつこいほど書いている。日銀にインフレターゲットを設定しろという政治的圧力に対する反対論だ。自分の体験をもとにしているから説得力がある。中学の頃だったか、社会の勉強でインフレに対してデフレというものがあって、デフレになれば世の中少しはよくなるのではないかと思ったことがある。現在それは間違いだということがわかった。かといって、インフレになればいいなんて少しも考えない。著者が主張することはしごくもっともだ。  

 圧巻は楽しかった家族旅行の思い出を綴る「真夏の家族たち」の最後の一文である。  
 娘たちとの旅行は永遠に続くと思っていたと書いた後、しかしそんなことはありえないと続ける。娘たちはすぐ大きくなる、そしておのおの忙しいと言いだして、やがて、おろかな父親から遠ざかっていく。その後にこう付け加えるのである。  

 いま現在、子供たちとの旅(帰郷、海外旅行など)で慌しい思いをしている方、あなたはとんでもない幸せの真只中にいるのです。その幸せを抱きしめていてください。残念ながら、そういう特殊な瞬間を固定させ、時を停止させられるのは、プルーストのような天才作家だけなのですから。

 娘が中学生になって父親をほとんどかえりみなくなった今、この一文は胸にこたえる。


2003/05/19

 「私説東京繁盛記」(小林信彦/荒木経惟/ちくま文庫)  

 「ウルトラマンの東京」の項でもちょっと触れたので、だから読み直したというわけではない。  
 これぞ小林信彦の真骨頂とばかりに単行本が出たときは真っ先に購入した。小林信彦がこれまで住んだ町を時制に沿って訪ね歩きその変わり様をつぶさに検証していくルポルタージュ。同行して風景を切り取っていくのはアラーキーこと荒木経惟。
 文芸誌「海」1983年6月号から翌年5月号までの連載された(「海」はその号で休刊)をまとめたもの。中央公論社から9月に刊行された。  

 そのリニューアル版が筑摩書房から「新版私説東京繁盛記」として1992年に刊行された。これは迷った末買わなかった。  
 10年経った2002年にやっと文庫化。同じく文庫化された姉妹編の「私説東京放浪記」とともに手に入れてからずっと積ん読状態だった。  

 初めて読んだ時日記にこう記している。当時は築地にあるCF制作会社に勤めた頃で仕事に忙殺されて深夜帰りの毎日だった。    

 〈下町、山の手とは何か(バクゼンとしたイメージではなくて)、またクルマを運転するため東京の地理を覚えなければならず、その必要性にかられて東京の〈街〉に興味を持ったので読んだのであるが、作られた街東京の実態がわかって面白かった。 〉 

 著者自身が書いているとおり情報量は生半可ではない。胸焼けしそうな勢いも感じる。何より文章の端はしから地方出身者たちによる町殺しへの怒りが滲み出ている。
 
 考えてみれば、著者にとって僕みたいな奴が一番困った存在なのだ。
 上京したての頃、僕は東京は文化に触れるだけでいい街、けっして永住しようなんて考えはなかった。映画、演劇、コンサートが鑑賞できてちょっとおしゃれな飲食店でおしゃべりができればいい。あくまでも期限限定の生活、物価が高かろうが、住みにくかろうが関係ない。それが東京だという認識。

 大学時代目黒に住んだ。四畳半一間の部屋。あくまでも仮住まい、それで十分だった。心境の変化は3年の時だったろうか。この狭苦しい城に帰ると妙に落ち着くようになった。サークル(自主映画制作集団)の軽井沢における夏の合宿が終わり、列車が東京に近づき、新宿の高層ビルが見えてくるとホッとする自分がいた。

 社会人になって色々あった後に笹塚(住所は中野区南台)に移った。十号商店街の下町っぽさが気に入った。仕事で六本木に行った際、初めて繁華街の裏側を歩いた。家並みに昔ながらの東京を感じた。東京には東京の〈田舎〉が存在することを知った。生活の場として東京を意識したのはこの頃だ。

 本書を読んでから数年過ぎていた。
 とはいうものの、結婚して子どもが幼稚園に行く年になると笹塚を離れた。トイレ、バスがついていてもいくらなんでも1DK(六畳一間)では生活できない。その上のクラスとなるとやはり千葉、埼玉、神奈川あたりに住むしかない。
 昨年久しぶりに笹塚に行く機会があった。懐かしさと同時に家と家の間の狭さに驚いた。やはり僕は田舎ものなのだ。もう東京人にはなれないだろう。

 ただし〈町殺し〉の実態は少なからず目撃して心痛めている。
 CF制作会社の新人時代、仕事が暇になって、定時で仕事が終了したりすると、社内で酒盛りするのが通例だった。その酒を買いに行くのが僕の日課で、新大橋通り沿いにある酒屋によく通った。店番のおばさんとも親しくなった。この酒屋は昔ながらの家の造り。当時も近所はみなビルになっていった。地上げが進んでいたのだ。にもかかわらずこの酒屋はそういう話にまったくとりあわなかったという。
 会社を辞め、十数年が経った数年前この店の前を通ったら、ビルに様変わりしていた。昔の面影はない。酒屋は営業していたがおばさんに挨拶するのはちょっと気が引けた。

 新都庁や六本木ヒルズといった新しい顔ができるのが果たしていいものなのかどうか。東京を本当に愛し、生活している人たちはどう思っているのだろう?


 【おまけ】

2003/04/24

 「ウルトラマンの東京」(実相寺昭雄/ちくま文庫)  

 実相寺監督は筑摩書房から何冊か本を出している。ウルトラ第一期シリーズの舞台裏をフィクションを交えて小説化した名作「星の林に月の舟」の続編「冬の怪獣」、エッセイ集「夜ごとの円盤」、そしてちくまプリマ-ブックスシリーズの「ウルトラマンのできるまで」、「ウルトラマンに夢見た男たち」、「ウルトラマンの東京」。最新刊は「怪獣な日々」だ。  

 プリマーブックスシリーズ3冊の中で、「ウルトラマンのできるまで」「ウルトラマンに夢見た男たち」は第一期ウルトラシリーズのビハインドもの。実相寺監督ファンとして、新刊が読めることはありがたいことではあるが、別に実相寺監督があらためて書くことでもないだろうという気がしないでもなかった。
 
 第3弾として刊行された「ウルトラマンの東京」を読んで、これを書きたかったがためにこのシリーズがあったのではと思った。10年も経ってから、加筆訂正されて文庫化されたのだからたぶん間違いではないだろう。  

 「ウルトラマンの東京」という書名からは内容がわかりづらいが、ようは「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」のロケ地探訪記なのであるが、実相寺監督が担当したエピソードで撮影に利用された場所や建物を訪ねる趣向で、昭和40年代の高度成長によって、いかに東京の街が変わっていったかというルポルタージュになっている。  

 2000年の3月、2週間にわたって天王洲アイルのアートスフィアで「ファンタスマ 実相寺昭雄・映像と音楽の回廊」というイベントがあった。実相寺監督が所属している会社コダイの創立15周年を記念した画期的なもので、実相寺監督のほとんどの作品に触れられるのである。

 テレビドラマ「波の盆」「青い沼の女」やビデオ「実相寺昭雄の不思議館」「東京幻夢」等々どうしても観たい作品があったので2日間有休をとってアートスフィアに通った。もう一回、CF特集の回に仕事の帰りに寄ったとき、切通理作、写真家・丸田祥三とのトークを聴くことができた。
 
 変わりゆく東京の話題もあって、その様を「おもしろい」と表現していたのが印象的だった。
 たとえば下町生まれの小林信彦は東京オリンピックを境にして、町名変更を含めその変わり様を〈町殺し〉とはっきり怒りを表明している。それは「私説東京繁盛記」「私説東京放浪記」を読めばよくわかる。  
 もちろん実相寺監督の「おもしろい」が変わりゆく東京に対する肯定の言葉には思えなかった。どんなに声高に叫んでみても仕方のないこと、東京はそういう町なのだと、半ば達観しているようであった。もっというと諦めの極致だろうか。

 改めて読んでみてやはり怒っていることがわかる。
 第一期ウルトラシリーズの作品には、よき時代だった東京の最後の姿が映っていたのだった。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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