師走の第1日は映画の日。丸の内ピカデリーで「コードネームU.N.C.L.E」を観る。「ナポレオン・ソロ」って、キャラクター的に舞台を現代にしてリメイクできないんだな。それがよかった。
 60年代の冷戦時代が舞台ということ、音楽が印象的。

 小林信彦のインタビューがメイン記事になっている「フリースタイル30」の、確か発売日ということで、予約した書店に行ってみた。
 届いているかどうか確認すると、やはりなかった。
 若い店員が訊いてきた。「電話ありましたか?」
 ありません。わかったいますよ、来たら電話があるんでしょ。でもねえ、1週間前に予約しているんだから、届いているのではないかと、淡い期待があったわけです。

 もしかしたら、フリースタイルという版元は、従来の書店流通ルートを使おうなんて考えていないのではないか?
 Amazonに注文した方が早いのかも。

 サブカルチャーの棚に行ったら、「ウルトラマン画報」(講談社)があったので、発作的に買ってしまった。2,800円(税別)。

mangahou.jpg
「ウルトラマン画報」
昨年発売された「ウルトラセブン画報」は購入しなかったのに

          * * *

2004/09/07

 「回想の江戸川乱歩」(小林信彦/光文社文庫)  

 1994年は江戸川乱歩生誕100年にあたる年だった。映画が公開されたり(プロデューサーと監督が内容で衝突した『RANPO』)、TV番組が制作されたりと騒がしかった。当然関係本も書店を賑わせた。本書も当時メタローグという新興の版元から上梓された1冊だ。新書ハード版という珍しい型。ただ特に話題になることもなかった気がする。  
 今回、初の文庫化だと思って購入したら、以前一度文春文庫になっていたことをあとがきで知った。これは全然知らなかった。何たる不覚!  

 一般に流布している〈幻想と怪奇の乱歩像〉ではない、江戸川乱歩の素顔を語りたいとのことで編まれた本書は、著者と実弟の小林泰彦の対談、過去に書かれたエッセイ、乱歩をモデルにした私小説「半巨人の肖像」の三本立て。

 その昔、「ヒッチコック・マガジン」という雑誌があった。1957年「宝石」の編集・経営に参画した乱歩は雑誌に対する的確な批評を手紙にして送ってくる青年に日本版「ヒッチコック・マガジン」の編集を任せたのだった。この青年が当時26歳の著者(ペンネーム・中原弓彦)だったのだ。デザインを担当したのがイラストレーターの卵だった小林泰彦。

 この二人の対談が興味深い。何しろこちらには江戸川乱歩といったら「少年探偵団」等の大作家、大昔の作家というイメージがある。それが現役の作家である小林信彦と交流があった、それもオーナーと社員との関係だったというのだから(初めてそれを知った時は)なんとも不思議な気持ちになった。雑誌の編集、あるいは雑誌をめぐる人間関係にいかにあの乱歩がかかわっていたのかということが、それこそ晩年の大作家の素顔を垣間見た気がした。

 なんといっても本書の圧巻は「半巨人の肖像」が収録されたことだろう。他の小説集にはいっさい収録されていない一編で、僕は本書でこの小説の存在を知ったくらい。「ビートルズの優しい夜」の文壇編とでもいうべきもので、著者(小説では今野)がいかにして江戸川乱歩(同・氷川鬼道)と知遇を得、やがて編集長として「ヒッチコック・マガジン」(同・ハラア)の創刊にからみ、何とか軌道に乗せ、後に罷免させられるまでを例の苦渋にみちた冷徹な乾いた文体で綴っていく。 


2005/03/11

 「東京散歩 昭和幻想」(小林信彦/知恵の森文庫/光文社)

 新聞に掲載された〈知恵の森文庫〉3月新刊の広告で小林信彦の名前を発見して、今度は何が改題されたのだろうかと推理した。前回の「面白い小説を見つけるために」はすぐに「小説世界のロビンソン」であることがわかったが、「東京散歩 昭和幻想」は皆目わからない。新刊だったら狂喜乱舞なのだが、そんなことは絶対にありえないことはわかっている。すぐに本屋に飛んで確認したら「日本人は笑わない」だった。

 「小説世界のロビンソン」が「面白い小説を見つけるために」に生まれ変わったのには複雑な気持ちだった。小林本にはこういうことがたまにある。
 「世間知らず」が死語だからといって「背中合わせのハートブレイク」になるなんてあんまりだ。「小説世界のロビンソン」も単なるブックガイドでないという著者の主張や独自の読書体験、そこから導かれる教わること大の評論集といった体裁があって、だからこそのロビンソンじゃないかと書名に思い入れがあったのだが、いかにも読書指南本みたいなタイトルになってしまってがっくりきた。

 まあ本は売れなくては意味がないし、「面白い小説を見つけるために」という書名になったことで、小林ファン以外の本好きの人が手にすることは大いに喜ばしいことではあるのだが。
 それに比べると今回の改題はいかにも小林信彦らしい書名になって気持ちいい。新潮文庫版「日本人は笑わない」は装丁も含めてあまりにも軽すぎる印象があったからだ。(もちろん単行本も持っている)

 現在、小林信彦の小説以外の本というと文春連載の「人生は五十一から」(現在「本音を申せば」に改題)をまとめた時評、映画評、書評、身辺雑記と何でもありのエッセイと中日新聞連載のエンタテインメント時評のコラムシリーズがある。本書はそのどちらにも属さない評論集だ。評論集というか、新聞や雑誌に単発で掲載されたあるいは短期連載されたエッセイのほかに、書評、文庫解説などをまとめたもの。

 東京について、美空ひばり、虫明亜呂無、清水俊二、双葉十三郎、荒木経惟、永井荷風、夏目漱石……さまざまな人物について、太平洋戦争や慰安婦問題について、等々話題は多岐に渡る。内容は平易だが、軽くはない。
 「小説世界のロビンソン」が「面白い小説を見つめるために」になって削除された「メイキング・オブ・ぼくたちが好きな戦争」が「自作再見『ぼくたちの好きな戦争』」として蘇った。ほかにも「世界で一番熱い島」の執筆日記や「ドリームハウス」問答もついてくる豪華さ。小説をあたりたくなってくる。


2005/04/29

 「本音を申せば」(小林信彦/文藝春秋)

 週刊文春連載の人気エッセイをまとめた〈クロニクル〉も7冊めになった。
 小林家のおせち料理に始まり、イーストウッド監督の傑作「ミスティリック・リバー」、NHK大河ドラマ「武蔵」の盗作問題、「下妻物語」、〈伊東四朗一座旗揚げ解散公演〉などのエンタテインメント批評。ワクワクしてしまう。

 リアルタイムを知っているがゆえのマリリン・モンロー伝説への言及。あるいはエノケン講座。ヘエ、である。
 「五十九年前の虐殺事件」は衝撃だった。こういう事件があったこと、その上、事件がそれほど問題にならず、本人が終戦後も生き抜いたことが信じられない。

 著者の根っこの東京大空襲の思い出。
 他人事ではない(娘家族が住んでいる)新潟中越地震の実際。
 小泉首相は相変わらず元気で、時代はますます悪くなっていく。
 ――そういうことである。
 お得意の嘆き節が頻発する。

 内容は少しも変わっていないけれど、この本に〈人生は五十一からの〉サブタイトルはない。1年前、週刊文春誌面リニューアルでほとんどの連載がタイトルを変更したのだ。「人生は五十一から」も「本音を申せば」になった。これ、実はとても残念だった。四十半ば、いまだに自分の天職を探している僕にとって、このタイトルは希望にあふれていた。そうなんだ、人生は五十からなんだ、あせることない。毎週、文春買って、このエッセイのページを開いて、納得していたのに……


2005/11/07

 「東京少年」(小林信彦/新潮社)

 小林信彦の新刊「東京少年」を読了する。
 新潮社のPR誌「波」に連載中は定期購読して毎月読んでいた。2004年6月号から翌05年の5月号までの1年間。前回連載していた「おかしな男 渥美清」は連載を途中で知ったので、購読をあきらめたが、「東京少年」は連載第1回に間に合った。最初のころは切り抜きしていたほどだ(週刊文春に連載された「藤山寛美とその時代」、「横山やすし天才伝説」は連載分すべて切り抜いて保存している)。至福の1年間だった。
 そして連載終了後は早く単行本にならないか、首を長くしてそのときを待つのである。

 一冊にまとまったものを読むとまた別の味わいがある。

 太平洋戦争時、疎開の体験を綴った自伝的小説。まだ中原弓彦時代に本名(小林信彦)で上梓した「冬の神話」のリメイクだというのだが、初期の小説を読んだことがない(読みたくても本がない!)ので何とも言えない。

 高度成長期に「冬の神話」がでたとき、なぜあの時代を今さら書くのかと言われたと何かのエッセイで読んだことがある。インタビューだったか。
 僕の父もそう言う側の人間だろうと思った。父からあまり戦争時代の思い出を聞いたことがない。ずいぶん昔の終戦記念日だったか、TVの特番を横目で見ながら「いい加減こんな番組なくなればいい」と嘆いたことをよく憶えている。思い出すのがつらいのだろう。
「空襲で皆がいっせいに逃げたとき、雄二(父の名)はわたしを連れてなぜか反対方向に走ったんだよ。おかげで助かったんだけどね。ほかの皆は爆撃で死んじゃったんだから」
 そう曾祖母から聞いたことがある。

 同世代の著者はいつのときもあの時代の戦争にこだわっている。東京という街(下町と山の手)に執着するように。ギャグに彩られた「ぼくたちの好きな戦争」が戦争の悲惨さを描いたエンタテインメントだとすると本作は私小説風純文学だ。ポジとネガの関係か。
 戦争時代の話なのだから決して楽しいものではない。餓えと寒さ、東京に対する望郷の念で息がつまってくる。終戦を迎えても帰れないもどかしさ、その中で東京の暮らしに絶望した父親が詐欺(?)にあって、先祖代々の土地を二束三文で奪われてしまうくだりのいらつき。とはいえ、それが小林(純)文学の魅力でもある。

 あらためて読むと、新潟時代の同級生・曽我の、ひょうひょうとしたキャラクターが一服の清涼剤的存在だったことがわかる。この人が登場するとホッとするのだ。


2006/07/04

 「うらなり」(小林信彦/文藝春秋)

 この小説は都合3回読んでいる。

 最初は「文學界」掲載時。続いて本家「坊っちゃん」を読んでからもう一度。そして書籍として上梓された今回。

 なので、最初と二度目の感想をここに記しておく。

     ▽
 〈うらなり〉と聞いてピンとくる人は何人いるだろうか。夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が赴任する学校の先生の一人。憧れのマドンナを憎き〈赤シャツ〉に奪われてしまう気の弱い青年だ。小林信彦の新作はこのうらなりを主人公にして「坊っちゃん」のもう一つの世界を構築しようという試み。地方人からみた東京人を描写する。

 「坊っちゃん」はこれまで3回は読んでいると思う。一度読み出すととまらなくなってあっというまに読んでしまう。二回め以降は冒頭部分を確認しようとページを開いて結局読了してしまった。
 そんな痛快小説なので、何年か前、娘に文庫本を買ってやったのだがまったく興味を示さなかった。何たることか。昔は布団の中で「窓際のトットちゃん」や「ユタと不思議な仲間たち」を読んでやると喜んで聞き入ってくれたのに。

 (原稿用紙)180枚の「うらなり」。冒頭昭和9年の銀座4丁目界隈が活写されているところが小林信彦らしい。教職を退き、今は〈ものかき〉として老後を過ごしている〈うらなり〉が、久しぶりに上京、かつての学校の同僚(山嵐)と4丁目の交差点で待ち合わせ、近くのレストランで昔話に花を咲かせる。
 こうして回想シーンになって、「坊っちゃん」の時代へと飛んでいく。校長と教頭(赤シャツ)の陰謀で遠く延岡の学校に赴任せざるをえなかった〈うらなり〉のその後の人生(明治、大正、昭和)が描かれ、また昭和9年の現代に戻ってくる。
 山嵐との会話では、当然〈坊っちゃん〉の話題もでるわけだが、このくだりで小説「坊っちゃん」の主人公に名前がなかったことに気がついたのだった。
 「袋小路の休日」「ビートルズの優しい夜」「家の旗」に通じる味わい。
     △

     ▽
 「坊っちゃん」の内容を知っているつもりで書いたのだが、読み直してみるとけっこう忘れていることが多かった。
 不思議なことに「坊っちゃん」をあたった後に「うらなり」を読むと読後感が微妙に違ってくる。
 
 新潮文庫の「坊っちゃん」は驚くほど薄い。京極夏彦のミステリだったらプロローグにもならないかもしれない。
 原稿用紙(四百字詰め)に換算すると215枚。ちょっとした中編小説なのだ。読み始めて一気に最後まで読んでしまうのも当たり前か。しかし、小学生時代はものすごく長い物語に感じたのだ。
 「うらなり」は180枚だからつり合いはとれている。

 前半はうらなりの回想によって、読者は「坊っちゃん」のストーリーの概要を知ることになる。あくまでもうらなりの視点で語られるのが〈キモ〉である。
 夏目漱石の「坊っちゃん」では、主人公は坊っちゃんであり、その振る舞いが非常に愉快で痛快だったはずなのに、立場を変え、冷静に考えると、なぜ山嵐と赤シャツの私闘に坊っちゃんがからんでくるのか、脇役でしかない彼がどうして学校を辞めなければならないのか、不思議なことばかりでわからなくなる。うらなりにすると自分の何が彼に親近感を抱かせるのか理解に苦しむのだ。

 山嵐には堀田、うらなりには古賀という名前がある。「坊っちゃん」にもそう語られる一文もある。しかし、語り手である坊っちゃんの名前は最後まで出てこない。自分で名乗らないし、同僚からも名前を呼ばれることがない。作者がうまくごまかしているのである。
 「うらなり」はそこを応用して効果をあげる。主人公であるうらなりは彼の名前を思い出せず、山嵐に聞いていもはっきりしない。で、ヘアスタイルの印象から〈五分刈り〉と呼ぶ。
 小柄で五分刈り、袴姿というと、なぜか、新人時代の青島幸夫がイメージされる。慎太郎カットで髪が短かった青島幸夫だ。

 後半、うらなりのその後の半生を綴るくだりに作者自身の体験が投影されている。3度目のお見合いの顛末など、エッセイで読んだことがある。
 地方人から東京及び東京人を語る、今までとは違った趣きもあるのだが、うらなりの苦渋にみちた眼差しが、これまでの純文学(「ビートルズの優しい夜」「袋小路の休日」等)の主人公に重なってくる。

 とすると、「夢の砦」の主人公、前野辰夫と川合寅彦はうらなりと坊っちゃんだったのか。ああ、そうか!
     △

 この項続く




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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