3日(土)の夜はフジテレビの新春ドラマスペシャル「坊っちゃん」を観た。
 二宮和也主演と知って、主役の坊っちゃんよりうらなりの方が適役ではないか、だったら、うらなりが主役の小林信彦「うらなり」をドラマ化すればよかったのにと思ったのだが。
 
 さすがジャニーズの演技派だ。すっかり坊っちゃんになりきっていた。
 キヨ役の宮本信子も何の違和感もない。どんぴしゃりは及川光博の赤シャツではないか。
 ドラマはストーリーよりも美術関連ばかりに目がいった。
 セットや小道具の類。CGのおかげもあるのかもしれないが、ロケーションでもきちんと明治が表現されていた。
 後半はオリジナルの展開。悪くない。

 前々項、前項のおまけとして二宮和也が00年代に主演した映画のレビューを転載する。

     ◇

2003/03/15

 「青の炎」(川崎チネチッタ)  

 数年前、17歳の高校生による殺人事件が世間を騒がせた。その動機「人を殺してみたかった」に世の大人たちは愕然としたものだ。その後ある子どもが発した疑問「なぜ人を殺してはいけないの?」について大論争になったのは記憶に新しい。

 この事件の後だったか、貴志祐介の「青の炎」を読んで犯人の高校生はこの本読んだのだなと確信した。和歌山カレー事件の際には、同じ作者の「黒い家」との類似性がメディアでさんざ取り上げられていたが、この時、「青の炎」を俎上に載せるメディアは僕が知る限りなかった。影響を考えて自粛したのか。  

 読了後その世界に魅了されすぐに映画化を考えた。
 映画会社がこの原作を放っとくわけがないと思ったが、そんなニュースは聞こえてこなかった。内容が内容だけに当時すぐに映画化できなかったのかもしれない。ならば自分でシナリオを書いてみようか。それよりも企画書を作成して会社に提出しようか。そのくらい個人的に入れ込んでいた映画化である。

 監督が蜷川幸雄と聞いてがっくりきた。〈世界のNINAGAWA〉なんて関係ない。映画監督としての力量云々ではなくその年齢がひっかったのだ。高校生が主役のこの映画、若手監督の感性が必要ではないのかと。

 義父殺しの完全犯罪を画策する主人公の17歳の高校生・秀一は二宮和也、その相手役、原作では非常に重要な役目を果たす女子高生・紀子に松浦亜弥。二宮和也は許せるとして松浦亜弥のキャスティングにのけぞった。何考えてるんだか。TVで歌っている姿から女子高生・紀子のイメージは想像できない! だいたい歌う時のあのしぐさ、あの表情に虫酸が走る。何があややだ。……まったく個人的な感想だが。  
 まあ、しかし映画「青の炎」はアイドル映画とのこと。確かに蜷川監督は舞台では武田真治や藤原竜也を育てている。義父殺しというテーマもお得意なのかもしれない。御年68歳の蜷川監督がアイドルを起用してどんな世界を描きだしているのか。  

 犯罪映画としては情けない出来だ。  
 活字で読むと完璧に思えた義父殺しの完全犯罪は映像にすると〈マヌケ〉の一語につきる。美術の時間に教室を抜け出し、浜辺に隠していたロードレーサーを駈って自宅に急ぎ、電気ショックで義父を亡き者にした後、なにくわぬ顔で戻ってくる。
 海岸通りはかなりの交通量、目撃者はたくさんいるだろう。海岸と自宅の間をロードレーサーで走る姿は学生服(半そでのワイシャツに黒ズボン)、昼間こんな姿で道路を走れば、「高校生がこんな時間に何やっているの?」と思われるのは当然のこと。アリバイ工作ではなくて自分の不審さを他人に見せているようなものではないか。
 外見とは裏腹に〈できる〉刑事(中村梅雀)が、第2の稚拙な犯行がなくとも見破れるはずである。
 犯人が周到に計画した完全犯罪、その完全ぶりが小さなミスにより刑事によってあばかれていく、ヒリヒリするようなサスペンスが欠如している。  
 
 主人公はインターネットで殺人に利用する薬品等を取り寄せる。送付先は偽名で開設した私書箱。この私書箱の受付担当で竹中直人がカメオ出演するのだが、変装して別人になりきる主人公に多大な関心をよせる演技(ホモ?)に頭を抱えた。いつもは竹中直人のアドリブに笑ってしまう僕なのだが、今回はこんな演技をする竹中直人、それを許した監督に腹が立った。受付に顔を覚えられたら、主人公の完全犯罪に支障をきたすことはわかりきったことではないか。この場合受付はあくまでも〈記号〉でいいはず。    

 ミステリとしてはそれこそ不完全な出来ではある。が、青春映画として見ると印象はガラリと変わる。
 ガレージを自分の部屋として使用する主人公の秀一(二宮和也)。部屋のどでかい水槽の中で丸くなって寝ていた彼が目を覚まし、登校の準備を完了して一つひとつ灯りを消していく。闇の中、いきなりシャッターを明けてまぶしすぎる陽光の中をロードレーサーで走りだすファーストシーン。バックに流れるピンクフロイドの「THE POST WAR DREAM」。このオープニングにしびれた。

 青を基調とした映像設計、大胆かつ流麗なカメラワーク。心に染みる静かなピアノ曲(音楽:東儀秀樹)が全編にわたって効果的に使用される。  
 二宮和也については、TVスペシャル「天城越え」で少年役を好演、その巧さに注目したと友人から聞いていたので安心していたが、瞠目したのは松浦亜弥だ。スクリーンにはアイドルの面影はなかった。相手を突き放すような視線がいい。だからこそ逆に江ノ電ホームの表情やしぐさに胸がキューンとなってしまう。
 ラストのちょっとすねた表情は「Wの悲劇」の薬師丸ひろ子、「秘密」の広末涼子のそれに勝るとも劣らない。  

 水槽越しの、ふたりの手のしぐさが絶賛されていた。確かにそのとおりだが、一度シャッターを開けて外に出た彼女は音も立てずにどうやってもう一度ガレージの中に入ったのだろう?  
 それより長いエスカレーターを行ったりきたりして、コンビニ襲撃を打ち合わせする秀一と友だちのやりとりが印象的。  

 進退窮まった秀一が自殺を決意し外出しようとするシーン。ダイニングには愛する母と妹がいて、普段と変わらない会話のやりとり、うしろ髪を引かれて何度かもどってくる。確かに切なかった。   
 秀逸な青春映画である。  

 そういえば監督デビュー作「魔性の夏」はショーケン主演だというのに、しっかり観た覚えがない。ビデオになっているのだろうか。

     *

 以前読了後にシナリオ化に際してメモしたものをここに記しておく。企画書用の梗概だけでもものにしようと思ったのだが……  

 タイトルは「もうひとりの青春の殺人者 ~青の炎~」。  
 オープニングとエンディングは「早春」、全体の構成は「刑事コロンボ」、主人公が完全犯罪を企み実行に移すところは「太陽はいっぱい」の偽サインの練習あるいは「太陽を盗んだ男」の原爆作りを参考に、完全犯罪がある人の事故死で逆に露呈しまうというアイディアとして「砂の器」。  

 季節は梅雨から初夏にかけて。主人公が義父殺しを考え、成功する前半は曇天、雨ばかりの空模様。ラス前で梅雨が明け、真夏の陽光が輝く。天候で主人公の心象を印象づけたい。  
 義父殺しの手口や巧妙なアリバイ作りは映画のオリジナルを考える。第2の殺人は行わない。義父殺しをネタに同級生に強請られ、殺そうと計画をたてるところまでは原作どおりだが、実際に手をくだす寸前で不慮の事故で死亡させる。不慮の事故だったからこそ、主人公の犯罪解明の糸口が刑事に知られてしまうという展開。

 義父の描写は徹底的にいやらしく。観客にこんな奴は殺されても仕方ないと思わせられるように。しかしそんな男に対して母親は息子、娘とは違った感情を持っていた。主人公が殺しを実行に移すのは義父と母の情事。この情事には深い意味を持たせる。  

 オープニングはロードレーサーを駆る主人公。バックに流れるハードロック。回想になって、主人公の完全犯罪を描き、ラストでまたオープニングに戻る構成。
 前半、主人公は冷徹に登場する。義父殺し。その用意周到ぶりは徹底的に。完全犯罪には自分に好意を抱いている女子高生を利用。中盤に刑事が登場し、完全犯罪のミスをついてくる。追い詰められた主人公は徐々に17歳の素顔を見せ、女子高生に救いを求める。
 刑事の追求も最後の詰めでいきづまる。  
 死を決意した主人公は美術室で女子高生と最初で最後の抱擁。「あなたは悪くない、逃げて」 ……ロードレーサーを駆る主人公。海岸線を走り、海に向かってダイブ、そのストップモーション。主題歌が流れて、ジ・エンド。

     ◇

2006/12/16

 「硫黄島からの手紙」(丸の内ピカデリー)

 物事にはそれぞれの立場、考え方がある。戦争なんてその代表だろう。どちらが善でどちらが悪かなんて一概に断定できない。ゆえに、硫黄島の戦いを日米両方の視点から描く。
 クリント・イーストウッド監督の考えに間違いはなかった。その目論みは見事に成功したといえる。
 アメリカ人に日本人の心情がわかるか! そう反発した自分の不明を恥じる。

 硫黄島の戦いを日本側から描く「硫黄島からの手紙」にどこまで日本人スタッフが協力したのか(意見が反映されたのか)わからない。言えるのは、アメリカ人監督が、日本人を起用して日本語による日本人のドラマを撮った、そして日本人が観てほとんど違和感がなかったこと。
  これはアメリカ映画史の中で画期的なことではないか。

 映画は現代から始まる。調査隊が硫黄島の洞窟に入り、地面を掘り返すといくつもの包みが出てくる。これはいったい何か?
 時代が飛んで、太平洋戦争末期の1944年。硫黄島では、本土防衛の最後の砦を死守すべく、来るべき米軍の攻撃に対して様々な準備に余念がなかった。最高責任者は栗林陸軍中将(渡辺謙)。米国留学の経験があり、家族、部下思いの切れ者だ。
 彼の着任により、これまでの作戦は一掃され、地下要塞のためトンネルが島のいたるところに掘られることになった。

 部下への体罰も禁止された。
「本土の家族のために、最後まで生き抜ぬいて島を守れ」
 栗林の言葉に、末端兵士の西郷(二宮和也)らはやる気を見せるが、西中尉(伊原剛志)以外の古参将校は冷やかだ。特に死こそ名誉と考える伊藤中尉(中村獅童)にはおもしろくない。

 翌年、米軍が上陸してくると、栗林の奇策は功を奏するものの、その圧倒的な兵力の前に、次第に防戦一方となる。
 家族のため最後まで生き抜こうと考えている西郷にも死が近づいていた。それも進退窮まった部隊長の、栗林の忠告を無視した全員自決の命令。
 手榴弾を爆発させて、一人またひとり命を落としていく。
 死にたくない、こんな死に方なんて最低だ! 栗林の言葉に望みを託した西郷のとった行動、それは……。

 西郷役に二宮和也の演技(態度と言葉づかい)は、まるで現代の青年が太平洋戦争時代にタイムスリップしたような印象。しかし、それで救われた。
 もし実直、真面目だけが取り柄の、上司から虐げられるだけの存在だったら、スクリーンを最後まで見ていられたか自信がない。ちゃらんぽらんの、ある種のふてぶてしさが、非情で過酷なドラマの息抜きになった。
 絶体絶命の中の「もうだめだぁ」の叫びに思わず笑ってしまったのだから。

 栗原中将が着任早々地図を片手に硫黄島を散策して、作戦を固めていく過程は、まるで「七人の侍」の勘兵衛のような風格が感じられた。
 映画は、この栗林と西郷の、家族に宛てた手紙の朗読がナレーションの役目を果たす。西郷の手紙が硫黄島から〈今〉を綴っているのに対して、栗林のそれがすべて米国滞在時代の愛児への書簡というところが、彼の心情を象徴していたように思う。
 親米家で、アメリカの実力を知っている。本当なら戦いたくないのだろう。しかし、軍人として遂行しなければならない。だいたい、陸軍と海軍は反目し、現場の直属の部下には白い目で見られ、頼みの綱の大本営からの支援はあてにできない。孤立無援の状態。そんな心情を、自身の一番良き時代の回想することで癒されているような。

 ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリスト・西中佐の心情も栗林に通じるものがある。
 この二人が、過酷で悲惨な状況における真の軍人姿を見せてくれる。それは死に直面した際の部下への対応だ。

 たとえば、西郷の部隊長は、「現場から撤退、最終地点で合流」との命令があったにもかかわらず、自決の道を選び、部下を道連れにした。伊藤中尉(中村獅童)は最終地点に向かう西郷たちに恥を知れとばかり、斬首しようとした。自身も玉砕に命を賭した(その結果が情けない)。
 対して、西は敵の攻撃で両目を負傷すると、自分の部隊を部下にまかせ、一人自決する。栗林もやはり最後の最後で部下に自分の首を斬らせようとする。
 この違いは何なのか。
 サラリーマンを長くやっていると、理想の指導者という観点でも戦争映画を見てしまう。

 クリント・イーストウッド監督の力を見せつけられた映画である。70代半ばで、硫黄島二部作をほとんど同時に撮り上げ、そのどちらも秀作なのだから恐れ入る。これまでの監督作品の充実度を考えれば、驚異ですらある。
 細かいところへの目配せを怠らないのもいい。
 栗林の硫黄島とアメリカ滞在時のヘアスタイルの違いなんてうれしくなってしまう。時の流れをきちんと刻ませている。もしこれが本当の日本映画ならそこまで気を使わないだろう。

 一つだけ気になったのは、憲兵隊をクビになり、硫黄島に左遷させられた清水(加瀬亮)の過去を描くエピソード。回想シーンではなく、あくまでも清水が西郷に話し聞かせた方が効果的だったのではないだろうか。なまじ映像で描くと嘘っぽくなる。

 クライマックスからラストにかけて涙が流れた。栗林や西郷の気持ちを考えると、たまらなくなった。
 しかし、これもイーストウッド監督のすごさなのだが、これでもかの感動の押し売りをしない。この映画の場合、感動というと語弊があるか。流した涙は哀しみによるものなのだから。
 煽らない。いつだって冷静。テーゼを投げかけると、静かに淡々と映画を終わらせるのだ。
 自身が書く音楽と同様に。




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kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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