直木賞受賞作である金城一紀の『GO』(講談社)については受賞後何かと話題になっていたように思うが、ほとんど関心がわかなかった。ミステリなら真っ先に飛びつくものの、恋愛小説には興味がない。当然映画化を知っても食指は動かなかった。
 久しぶりに東映系の劇場で映画を観た際、『GO』の予告編が流れて気持ちが変わった。映像からほとばしるエネルギーをびしびし感じられたのだ。

 期待に違わない青春映画の傑作だった。主人公をはじめ登場人物たちがこちらの固定観念を打ち破るような造形で、まず度肝を抜かれた。映像の疾走感がたまらない。とにかく笑えることが精神衛生上よろしい。
 映画『GO』は笑いを散りばめ、過去と現在を交錯させながら主人公を取り巻く状況を説明し、親友が巻き込まれた事故、そして自身の日本人女子高生との恋愛によって在日朝鮮(韓国)人のアイデンティティや差別問題を浮き彫りにさせていく。
 語り口と構成の妙、在日朝鮮(韓国)人二世の主人公に扮した窪塚洋介の魅力、両親役の山崎努、大竹しのぶの上手さ、個性的な脇役たち。ラストの甘さが気になるものの、観終わって爽快な気分にさせ、なおかつ日ごろ僕たちが直視しない(したくない)問題を投げかけてくる。
 そうなると原作を読んでみたくなるのが人情だ。さっそく小説をあたった。

 小説『GO』の魅力はユーモアに包まれた軽さだと思う。とかく深刻になりがちなテーマを軽妙洒脱に語っていく。笑いがとれなければ意味がないというような主人公〈僕〉の語り口が愉快だ。突っ込みの比喩と例の出し方がうまくて、声をあげて笑ってしまうくだりが何度もあった。
 冒頭父親がハワイ旅行を計画し、国籍を朝鮮から韓国に変更するエピソードを紹介しながら、在日朝鮮(韓国)人の成り立ち、朝鮮と韓国の国籍の違い、それぞれの日本での出先機関「総連」と「民団」の説明など、ちょっとした在日朝鮮(韓国)人のうんちく講座になるのだが、ここでもう小説の世界にはまってしまう。
 戦争で日本に連れてこられ、無理やり日本人にさせられたにもかかわらず敗戦と同時に棄てられた父親。その後故国は二つに分断され、日本在住を許されるもののどちらかの国籍を選択しなければならず、貧乏人にやさしい(とされる)マルクス主義で、在日朝鮮(韓国)人に気遣ってくれる(はずの)北朝鮮を選んだという。
 元プロボクサーで現役時代は一度もダウンを喫したことがない父親に十九歳でナンパされ二十歳で〈僕〉を生んだ母親は亭主に従順を装いながら何度も家出を繰り返し、逆に亭主をコントロールしてしまう。
 〈僕〉は韓国籍になってから「広い世界を見るのだ」とばかりに民族学校を辞めて「偏差値が卵の白身部分のカロリーしかない」私立の男子高校に通っている。
 差別から身を守るには腕力がものをいう。喧嘩を売ってくるクソガキどもを父親直伝のボクシングを生かしてのしているうちにいつのまにか学校一のワルのレッテルを貼られていた。
 唯一の友だちは最初の挑戦者でやくざの親分を父に持つ加藤だけ。一番の親友は、朝鮮学校「開校以来の秀才」と呼ばれる正一(ジョンイル)だ。彼はかつて〈僕〉が挑戦し成功した〈スーパー・グレート・チキン・レース〉の模様を目撃して、それから「開校以来のバカ」と呼ばれた〈僕〉を何かと気にかけてくれる。
 加藤の誕生パーティーで知り合ったのが桜井という女子高生。不思議なところがあるけれど、とにかくかわいい。すぐに意気投合し、映画や音楽を話題しながらデートを重ねていく。
初めてふたりがむかえた夜のこと。自分が日本人でないこと、在日韓国人であることを告白する。国際感覚を身に付けている父を持つ彼女の言葉がショックだった。
「子供の頃からずっとお父さんに、韓国とか中国の男とつきあっちゃダメだ、って言われてたの……」「お父さんは、韓国とか中国の人は血が汚いんだ、って言ってた」
 
 映画は小説の中盤に出てくるエピソード、高校バスケット部の対抗戦で敵味方のふるまいにキレた主人公(窪塚洋介)の大乱闘事件から始まる。この乱闘と小説の最初のページで述べられる主人公のモノローグ「これは僕の恋愛に関する物語だ」がキーワードとなって、過去と現在が交錯する構成となっている。
 続けて〈スーパー・グレート・チキン・レース〉という肝試しに挑戦する主人公の中学時代の思い出が描かれる。
〈最寄り駅のホームの端に立ち、電車がホームの端から五十メートルの地点に入ったのと同時に線路に降り、ホームの端から端まで進行方向に向って走り切〉るゲームだ。見守るのは悪友二人。
 無事ホームを走り抜けた主人公と駅から逃げ出した悪友が合流し、バイクを駆って三人乗りで街中を突っ走る。三人を追いかけるパトカーとチェイスを繰り広げるタイトルバックが秀逸だ。音楽と映像が絡み合い、挿入されるクレジットがスパイスとなったエネルギッシュでアナーキーなオープニング。とても爽快だった。
 無二の親友や彼女と知り合う最初のきっかけを作ったこの二つのエピソードを冒頭に持ってきたことが、ドラマの進行につれて重要な意味をもってくる。
 原作の味わいをそこなうことなく映像に再構築している脚本(宮藤官九郎)がいい。
 映画用のオリジナルエピソード、アレンジも効果的だ。
 日本語を禁止する朝鮮学校で日本語を喋った悪友(たこ八郎を若く硬派にしたような新井浩文)が、批難する先生(塩見三省)に対してなぜ喋らなければならなかったかを延々と弁明するシーンは抱腹絶倒のおかしさで、なおかつ言葉に対する明確な主張が感じられた。
 彼女に振られた主人公が帰宅途中で警官(萩原聖人)に職務質問されるくだりも、その前にちょっとした前ふりをおくことで、警官の人の良さをより引き立てている。
 両親や友だちとの会話のキャッチボールが面白い。台詞が活き活きして何気ない捨て台詞にニヤリ。
 こうした台詞の中にあってこそ、「たまに、自分の肌が緑色かなんかだったらいいのにって思うんです。そしたら誰も寄ってこないのに」という心情吐露や「(父親に対して)あんたたちのことはあんたたちの世代でけりをつけろ」と激昂する主人公の胸の内がこちらに響いてくるのだ。
 ただし、親友が不幸な事故で死んでしまい、主人公が静かに怒り一人嘆き悲しむくだりは小説の方が心にしみる。
 女子高生が発する差別的な言葉も(すでにわかっているにもかかわらず)小説の方がショッキングだった。これは父親を演じた役者のイメージの問題だろう。
 女子高生(柴崎コウ)との会話で映画や音楽、本などのさまざま固有名詞がでてくる楽しさも映画は活かしきれなかった。その代わりデートシーンなどで絶妙なカッティングで雰囲気を醸し出していたように思う。カットの流れが心地よい。

 今年は矢口史靖監督『ウォーターボーイズ』、行定勲監督『GO』と高校生を主人公にした青春映画の秀作が続いている。
 若手の俊英たちが、素直に笑えて、清々しい気持ちにさせてくれる映画に取り組んでいることは喜ばしい限りである。





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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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