「小説と映画のあいだに」もシリーズ化します。
 これまた困ったときの……じゃないですから、本当に!

     ◇

 本が好きで映画も好き、という者にとって、とてもやっかいな問題がある。
 その面白さに夢中でページをめくったり、感銘を受けたりした小説が映画化された場合、映画も気になって映画館に足を運ぶ。ところが、ほとんど期待を裏切られる結果となる。
 あるいは映画を観てから原作に興味がわいて読む場合、よくできたと思える映画でさえ、小説はそれ以上に奥が深いことが多い。展開に新たな発見があったり、登場人物のキャラクターの陰影がより濃密さを増して映画で描かれた世界をもっと理解できるのだ。そのたびに「映像は活字にかなわないのか」とため息をついたりしている。
 映画に興味がなければ好きな小説の映画化なんて無視すればいいし、根っからの映画ファンならば、原作と小説は別物と割り切って映画世界を堪能すればいい。
 それができない。映画とその原作となる小説をついつい比較してしまうのが個人的な悪い癖なのである。特にこの数年脚色という作業について、あれこれ思いをはせてしまう。
 単純にストーリーの面白さを比較したら小説に軍配が上がると思う。「百聞は一見にしかず」とは言え、描写力、特に心理描写では、情報量で活字の方が圧倒的に有利なのだから。
 小説は作者の想像力でいかにでもストーリーを紡ぐことができる。しかし、シナリオライターや監督がいかに素晴らしい話や絵を考えても予算の関係でカットなんてことはよくあることだろう。役者の問題もある。絵で見せなければならないことが逆にネックになってしまうのだ。
 しかし、それでも映画に期待してしまう自分がいる。期待するからこそ何かと口出ししたくなる。
 ちなみに僕はけっして原作と同じ感動を映画で味わおうとしているのではない。
 僕が思い描く理想的な映画化とは、原作の〈核なるもの〉を活かしつつ、映像でしか表現できないオリジナリティを持っていること。映画は原作の単なるダイジェストでは意味がないわけだから、何のために映画化したのか、その〈何か〉を映像で確認したいのである。
 ベストセラーになった、あるいは話題になった小説だから映画化するというのでは何とも情けない話だし、あまりに芸がないではないか。
 というわけで、映画と原作の関係について言及する拙い文章をつづっていきます。

       *

 『リング』である。
 今さらストーリーを紹介する必要もないほど小説はベストセラーを記録し、映画も大ヒットした。
 従姉妹の突然の死をきっかけに同日同時刻に死亡した若者グループを取材するうち、見た者は一週間後に死ぬという呪いのビデオを見てしまった新聞記者が大学講師で少々癖のある旧友の協力を得ながら、テープからはすでに消去されてしまった呪いを解く〈おまじない〉を求めて悪戦苦闘する姿を描いたホラー小説だ。
 鈴木光司の小説は主人公が一週間で解除方法を見つけ出せるかどうかのサスペンスが中心となっている。それは妻子をも巻き込んでしまった主人公の苦渋にあふれた焦燥となって、読者は主人公と同化し期日までに自分自身(ということは妻子を)を救うことができるかどうか胸をしめつけられる思いでビデオテープに隠された謎を解明していくことになる。
 その過程で超能力者の山村志津子とその娘・貞子の薄幸な人生が浮き彫りにされていく。貞子がなぜ呪いのビデオを作ったのかという理由づけが(ご都合主義も垣間みられるが)きちんとされているので、貞子にもかなり感情移入してしまうのだ。
貞子が<睾丸性女性化症候群>の本当は男性だったこと(当時エンタテインメント小説ではこの症候群がいたるところで取り入れられていた)。この症候群の人たちが皆そうであるようにかなりの美女であった。貞子に欲情した最後の天然痘患者によって襲われ無残に殺されてしまったこと。誰にも知られずに一人寂しく井戸の下で眠る貞子が世の中を恨むのも仕方のないことかもしれない、と。
 貞子の遺骨を探しだし、供養してやることが呪いを解く〈おまじない〉だと主人公と旧友は確信し、調べていくうちにやっとその場所を確定する。ふたりは貸別荘下の古井戸にもぐりこみ、時間との戦いの中ぎりぎり間に合って記者は命拾いする。
 ここまででも相当スリリングな展開で満足できるものだが、小説『リング』の本当の恐怖はそのラストにあった。一息ついた読者はラストになって一気に恐怖のどん底に落とし入れられるのだ。
一日遅れて〈主人公がコピーした〉ビデオを見ている旧友が翌日突然死したことで本当の呪いの解除方法を知った主人公は愛する妻子の命を守るため、ビデオのコピーとそのテープを親に見せることを決意し故郷に向う……。
貞子が自分たちを迫害しつづけた世の中へ復讐するために生んだ1本の呪いのビデオテープはやがてねずみ算式に増殖し、全世界を席捲するであろうことを暗示させる不気味なラストである。
 読者は読了したとたん、この恐怖を自分ひとりのうちにとめておくことができず、また読ませないと、まるで小説の中の呪いを受けてしまいそうな気分になって、本好きな友人に『リング』を薦める現象が起きたことは十分想像できる。
 『リング』は映画化の前に一度スペシャルドラマになっている。主人公に高橋克典、旧友に(あっと驚く)原田芳雄のキャスティング(超能力を信じる大学教授に設定を変更、主人公とは取材で知り合った関係)で、『NIGHT HEAD』の飯田譲治が脚本を担当した。(祖師谷大蔵と共同、演出は瀧川治水。)
 ドラマは原作に忠実に丁寧に作られてはいる。しかし、単なる小説の焼き直しといった感じでそれほどのものではなかった。何よりビデオテープに念写された映像が小説に描かれたイメージを超える不気味さを持っていないことに失望した。
 だから新生角川映画が怒り心頭の『パラサイト・イブ』に続いて『リング』(&『らせん』)を映画化すると知ってもまるで期待していなかった。
 ラストのショックはあくまでも小説(活字)の怖さであり、映像にしてもたかが知れている。貞子の人生を描くにしても2本立ての上映時間ではダイジェストにしかならないだろう、と観る気もおきなかった。
 『タイタニック』が満員で時間つぶしにこの映画を観て恐怖におののいた友人のメールで気が変わり、劇場に駆け込み考えを改めた。
   
 ストーリーを知っているにもかかわらず冒頭からかなり背筋が寒くなる思いがした。呪いのビデオテープの都市伝説、ビデオを観た者がその後写真を撮ると顔がゆがんでしまう現象、呪われて死んだ人のこの世のものとは思えないようなショッキングな表情といった映画独自のアイデアに唸ったものだ。
 ビデオテープの映像もかなりのインパクトだった。この映像が驚愕のクライマックスへの伏線となることも見逃せない。
 主人公を女性(松嶋菜々子)に変更し、旧友の大学講師を別れた夫(真田広之)にしたことが、製作ニュースで知ったときはあきれてしまった。しかし、この変更が映画の進行とともに功を奏してくる。特に人に触れるだけでその人の考えが感じとれる超能力を持つ元夫の設定が気に入った。
 小説では詳細に語られていた貞子の人生をすっぽり削除して貞子を単なる化け物としか描かず、その過去を夫の超能力によってヒロイン(=観客)に感じ(見)させてしまうところが巧い。いかにもな説明台詞や回想シーンが排除され、おまけに時間も短縮もできる。(だったらラスト、貞子のしゃれこうべを見つけたとき、貞子の復讐が何なのかわかりそうなもんだ、という突っ込みはこの際しません)。
 そしてクライマックス。映画はそれを夫の呪い死ぬ様にもってきた。このくだり、小説ではそれほどの怖さはない。呪いは解かれたはずなのになぜ旧友は殺されてしまうのかというショックは受けるものの、それ以外の作用はない。
 映画は映像で〈ビデオを見た者がどのように貞子に殺されていくか〉を具体的にきっちりと見せてくれる。鳥肌がたったのはその驚愕シーンが冒頭に見せられたビデオ映像に関係してくるところ。これは映画のオリジナルであり、この怖さはまさしく映像だけのものである。TV画面のなかから貞子が抜け出てくるショットはまさにコロンブスの卵的ショック。そして貞子の怒りに燃えた片目のアップ。生理に訴えるような斬新なショットだった。劇場内が絶叫に包まれたのはいうまでもない。
 その後も夜道を歩きながらこのシーンを思い出すたびに背筋が寒くなる。ホラー映画でここまで怖い思いをさせられた映画というのも珍しい。
 『十三日の金曜日』『エルム街の悪夢』といったホラー映画はあくまでも突然何者かが画面に現れてショックを与える〈ショッカー〉ともいうべき作りになっている。その場は反応して飛び上がるけれど、2回目以降はどうということもない。映画『リング』は映像そのものが持つ恐怖(視覚的恐怖)が肌を突き刺してくる感覚なのである。
 子どものころ、親戚のおじさん家で車座になって聞かされた怪談話にそれこそ目を閉じ耳をふさいで震えたことを思い出す。そう、映画『リング』はホラーというより昔ながらの怪談話なのだ。怪談話をきっちり映像にした希有な映画といえようか。
 映画『リング』は小説のエッセンスをそのまま抽出して、映像に不向きな要素は排除し、映像でしか味わえない恐怖を付加して見事に映画化した作品といえる。
 絵としての怖さを知リ尽くした高橋洋の脚本を、奇をてらわず正攻法で恐怖そのものを映像にした中田秀夫監督の才能に拍手喝采したい。




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kei

Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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