熊本地震で被災にあわれた方々たちへ、遅ればせながらお見舞い申し上げます。
 元パートナーの実家が大分ということもあって、ニュースを見るたびに心が痛みます。特に東海大学の寮が押しつぶされて、2名の学生が亡くなったことに言葉を失いました。あんな風光明媚なところで、まさか地震で命を落とすなんてこと考えもしなかっただろうに、と。
 湯布院(由布院)に憧れていて、結婚して二度ほど遊びに行きました。住んでもいいなあと思ったこともありました。
 震度6の揺れなんて、一度体験しただけでも恐怖なのに、それが何度も続くなんて。
 自分に何ができるのか?
 とりあえず、募金しました。大した額ではありませんが。給料が入ったらまたします。

     * * *

 大ヒット作『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』でオマージュが捧げられていたこともあり、今回は野村芳太郎監督の名作中の名作『砂の器』を取りあげる。

 映画『砂の器』を初めて観たのが今から二十八年前、高校1年の秋だった。とにかく泣けた。その後も映画館、TV放映、ビデオと機会あるごとに観ているが、必ず同じシーンで涙があふれてくる。
 あざとい展開で観客に涙を強要するのは好みではないが、この映画に限っては泣くことに恭順な自分がいる。
 何度も観ているからだろうか、今ではテーマ音楽の「宿命」(音楽監督・芥川也寸志/作曲・菅野光亮)が流れてくるだけで目頭が熱くなってしまうほどだ。
 映画『砂の器』は、数多く映像化された松本清張のミステリの中でも原作をはるかに凌駕している点で語り継がれるに違いない。松本清張自身「原作を超えた」と語っていた由。長編小説の映画化で原作の持ち味をそこなわず成功した稀有な例といえるだろう。
 
 東京蒲田の操車場で発見された身元不明の惨殺死体。被害者である初老の男は、直前に犯人らしき若い男と近くのバーを訪れていた。手がかりは被害者が口にした東北弁の〈カメダ〉という言葉。
 警視庁捜査一課の今西(丹波哲郎)は〈カメダ〉が地名ではないかと推理し、所轄署の吉村(森田健作)とともに秋田の羽後亀田に向う。が、進展はなかった。
 二ヶ月後、被害者の身元が判明した。気ままな一人旅にでかけたまま行方不明になっていた三木という雑貨商を営む男(緒形拳)。三木は出雲地方で長年にわたり巡査として勤務していた。真面目で人情味に厚く、他人に恨みを買われる性格ではない。東北ともまったく縁がなく、「カメダ」姓の知り合いもいない。
 今西は、巡査時代に三木が行き倒れの遍路乞食の父子を保護したことを知る。ハンセン氏病を患い故郷を追われた本浦千代吉(加藤嘉)と一人息子の秀夫(春田和秀)の二人だ。三木は千代吉を施設に収容し、残された秀夫を引き取る決心をするが、ある日秀夫は失踪。以来行方が知れなかった。
 一方吉村は犯人が着ていた返り血のついたシャツを処分した女(島田陽子)の行方を追っていた。女が急死したことにより、ある男との接点が明るみになる。女は新進気鋭の音楽家・和賀英良(加藤剛の情婦だった――。
 なぜ三木は和賀に殺されなければならなかったのか? 善良な元警察官と将来を嘱望されている音楽家を結ぶものは何か?
 今西の執念の捜査によって和賀の哀しい過去が浮かび上がる……。

 原作は昭和三十五年に発表された長編の社会派ミステリ。翌年光文社から上梓された(現在新潮文庫)。
 ストーリーは複雑だ。和賀が所属している若手芸術家集団〈ヌーボーグループ〉の複雑に絡み合った人間模様や三木殺しに始まる連続殺人事件が描かれる。
 連続殺人の容疑者として今西にマークされる関川という評論家の存在が大きい。天才音楽家に嫉妬する神経質で上昇志向の強い男。前衛劇役者の突然死やホステスの流産死に関与しているのではと疑われる。実際原作では最後までこの男が犯人ではないかと思わせる展開になっている。

 構想十四年の末に実現した映画化に際して、脚本の橋本忍と山田洋次は、原作のプロットとトリックを生かしながら登場人物を大幅に整理してストーリーの簡略化をはかった。
 殺人事件は最初の三木殺しだけ。あくまでも和賀の単独犯とした。前衛音楽(ミュージック・コンクレート)の旗手という設定もオーソドックスな音楽家に変更された。
 原作の骨格をなす〈犯人は誰か〉という謎解きをやめ、なぜ新進音楽家が善良な罪のない三木を殺すに至ったのか、その解明がクライマックスに用意される。

 映画は、二人の刑事の羽後亀田における聞き込み捜査から始まる。
 いったい何の事件なのか、誰を追っているのか、こちらの疑問を待ちかまえているように、時制が遡り、殺人事件の発生から目撃者への事情聴取、そこで聞き出した東北弁の〈カメダ〉を追って秋田へ……というスリリングな展開。語りにスーパーインポーズを使用していることも効果的で、その後の捜査の行方、犯人特定までの経過をテンポよく見せていく。
 クライマックスは事件にかかわった捜査員が再結集され、今西を語り部に事件の全貌が明らかになる捜査会議。この後半の構成が斬新で『砂の器』が語られる際必ず話題になる。
 和賀が全身全霊を込めて取り組んだ交響曲「宿命」の発表コンサート、その音楽に乗せて同時間軸で進められる捜査会議の模様と和賀の子ども時代(秀夫)の回想シーンが交錯し、シンクロしていく。 
 映画だからこそ可能な方法だ。
 映画独自のテーマを打ち出した点でも大きな意味を持つ。台詞のない、まるで映像詩のような回想シーンで千代吉と秀夫の〈父子の絆〉をクローズアップさせたのだ。
 丹念に日本の四季を追った映像(撮影・川又昂)、加藤嘉の演技と子役の表情、そこに「宿命」の音楽が重なって、涙なくしては観られないいくつもの名シーンを生みだした。差別と偏見の中で育まれる父子の情愛に胸を打たれる。
 もう一つ映画には大きな変更が施された。原作ではすでに死亡している千代吉をまだ施設で生きている設定にしたのだ。生存を告げる今西の言葉は原作を読んだ人にも衝撃を与えたに違いない。
 実をいうと原作の和賀は冷徹な殺人者でしかなかった。三木を殺す理由があまりに独善的すぎて同情の余地がない。三木はあくまでも懐かしくて和賀に会いにきたのだ。その善良な性格からすれば、成功した和賀を祝福はしても過去や経歴詐称を暴露するはずがない(劇中今西自身も指摘している)。
 映画の犯行動機は納得できた。――施設に収容された後も千代吉と三木の交流は続いた。何十通にもおよぶ手紙のやりとり。別れた息子にひと目会いたい、ただそれだけが切々と綴られている文面。しかも千代吉は余命いくばくもない状態だ。三木にはすぐにでも秀夫(和賀)を父親と対面させなければならない役目があった。その切羽つまった末の行動が新曲準備に忙しい和賀には悪意そのものでしかなく、突発的な殺人を誘発する結果を招いたのだ。
 そこには己れの出世だけを考える冷徹な殺人者の姿はなかった。
 妊娠した情婦に対して、その出産を頑なに拒んだのも、わが子への業病の血の遺伝を怖れてのことだったとわかってくる。
 愛するものの存在が逆に自分の身をおびやかすという皮肉――。和賀に感情移入する瞬間だ。
「和賀は父親に会いたかったのでしょうね?」
「そんなことは決まっとる! 今、彼は父親に会っている。彼にはもう音楽……音楽の中でしか父親に会えないんだ」
 ラストの吉村と今西の会話がすべてを語っている。
 原作を超えたと言わしめた所以はここにある。




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新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町のブックカフェ二十世紀で働いています。さまざまなイベントを企画、開催していますので、興味あれば一度覗いてみてください。

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