ハリウッド映画の〈事実を基にした〉映画化作品について、いつも眉唾ものとして観ている。まあ、映画なんだから仕方ないのかもしれないが、それにしたってあまりに事実とかけなはれた描写はいかがなものか。

     ◇

2002/05/28

 「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡」(シルヴィア・ナサー/塩川優 訳/新潮社)  

 映画「ビューティフル マインド」を観て、2点ばかり気になったことがある。  
 本当のところ、主人公ジョン・ナッシュの妄想とはどういうものだったのか、妻との関係は映画みたいな美談めいたものだったのか、ということだ。  
 映画の批評で原作とかけ離れた内容との指摘があったが、どの程度違うものなのかを確認したい気持ちもあって、図書館にリクエストしたのだった。  

 読了した今、映画は原作とは別物と考えた方がいいことがわかった。映画は原作から天才数学者が精神分裂病を克服して後にノーベル賞を受賞するという事実だけを借りた、まったくのフィクションと言わざるをえない。ジョン・ナッシュおよびその妻からインスパイアされた架空の人物を創造すべきではなかったか、と。  
 実際ナッシュ夫妻は映画を観てどう感じたのだろうか。映画の内容に納得するのだろうか。自分たち夫婦の物語だと全面的に受け入れることができるのだろうか。  

 そうそう、まずお断りしなければならなことがある。  
 映画「ビューティフル マインド」の感想で、主人公を演じたラッセル・クロウと比べて本物のジョン・ナッシュは数学者というイメージから貧弱な体躯の小男ではないかと書いたのだが、これがまったくの間違いであることがわかった。本書に収録されている写真を見ると、若かりし頃のナッシュはなかなか〈いい男〉であり、驚くほどりっぱな体格をしている。身長183cm、体重77kg。「肩幅が広く、胸は筋肉がもりあがり腰は細くひきしまっていた」と文章にもある。「容姿はギリシャ神話のように見栄えがよかった」そうだ。ラッセル・クロウの配役はぴったりといえるのだ。(ちなみに妻のアリシアもかなりの美人で映画のジェニファー・コネリーも的確なキャスティングなのである)  

 天はニ物を与えずといわれるがジョン・ナッシュに限っては明晰な頭脳と見てくれのいい外見を備えていた。とはいえ、性格がとんでもなかった。映画でも変人として描かれているが、通り一遍の変人ぶりで嫌悪するほどではない。僕はすんなりと感情移入することができた。  
 実際は映画の比ではない。高慢ちきで身勝手、ケチで差別主義、能力の劣る者に対しての蔑み等々、身近かに、もしこんな人がいたら絶対そばに近づきたくないタイプ。たまらなく嫌な奴なのである。  
 結婚する前に別の女性とつきあって子どもをもうけた。しかし結婚する気はない。自分の妻になるには教養がなさすぎる。とはいえ別れるつもりはない。会いたい時に会う。子どもを抱えた女性は生活するのも大変だというのに、生活費を入れるわけでもない。収入はそれなりに得ているのに、である。最低な男ではないか。  
 バイセクシャルでもある。数人の男性と深い関係にあったという。  
 天才とははなはだそういうものである、のかもしれないが、それにしても不思議なのはそういう彼にちゃんと友人がいることだ。暖かく見守り、困った時は何かと手をさしのべてくれる。破綻した性格でも天才はその業績だけで世の中が受け入れてくれるのだろうか。  

 本書はジョン・ナッシュの生い立ち、学生時代から現在までの長い年月を友人や関係者の証言で構成された労作といえるものである。著者のシルヴィア・ナサーは3年間関係者を取材したという。  
 ゲーム理論、幾何学、解析学の幾多の定理、概念に名を残しているとあるが、やはり数学大嫌い人間の僕にはとんと縁のない人だ。  
 面白いのはナッシュ家では代々男の名がジョンであること。欧米ではよくあるパターンではあるが。父がジョン・フォーブス・ナッシュ・シニア、本人がジョン・フォーズス・ナッシュ・ジュニア、愛人の子がジョン・デヴィッド、正妻の子がジョン・チャーチルという具合。  

 前半は少々退屈だった。というかナッシュに対する反発ばかりで怒り心頭状態だった。  
 ナッシュが発病してからは、こちらがそれを期待していたからもあるのだろうが、ぐいぐい引き込まれる。   
 思ったとおり、映画の妄想はオリジナルだった。やはりその症状は躁病のそれと似ている。妻に裏切られたと暴力をふるうところが僕には理解できないが。読む限りでは発症の要因がわかならない。躁鬱の場合は、(あくまでも個人的なのかもしれないが)要因ははっきりしている。将来に対する漠たる不安なのか。  
 症状が進行していき、一時はホームレス寸前まで落ちぶれたジョン・ナッシュだが、奇跡的に快復、ノーベル賞受賞したのは映画で描かれたとおり。ただし、妻との関係は映画みたいなきれいごとではすまなかった。確かに病気になった当初はいろいろと面倒みるが、何度か繰り返すうち気持ちは離れていく。やがて別居。離婚。(後にまた復縁する)  
 ここらへんの夫婦間のやりとりは納得できる。映画の中のアリシアはあまりに出来すぎた人物だもの。ただ、妻との夜の生活に応えたいとばかりに毎日服用しなければならない薬をやめてしまい、また症状がぶり返す、僕が映画で一番切実に感じたエピソードも実際にはなかった。  

 映画では愛人問題、同性愛とともに触れられていない事実がある。僕自身もかなりショックを受けたのだが、成績優秀な息子(ジョン・チャーチル)が大学時代に同じ精神分裂病に見舞われてしまうのだ。やっと取り戻した平穏な日常に襲いかかった悲劇。親としてこれが一番つらい現実ではないだろうか。  

 治癒したからこそ言えることは重々承知のうえで言う。  
 ジョン・ナッシュは狂気をさまよったことによって人間性を取り戻せたのではないか。友人、家族のありがたさを知ったのではないか。天才のまま人生を送っていたらどんな人間になっていたことか。数学界にとっては大いなる損失だったのだろうが、僕にはそう思えてならない。




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Author:kei
新井啓介
ライターの・ようなもの
まぐまPB「夕景工房 小説と映画のあいだに」(studio zero/蒼天社)
「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79」(文芸社)
神保町で働いています。

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